響「貴音!?」たかね「めんような!」その2 (126)






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響「貴音!?」たかね「めんような!」
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  響「って、ことで…… またここに来てみたわけだけど」

  響「確かにさ、ひょっとして、たかねが―― それか貴音が、ここで普通に自分のこと待っててさ」

  響「『おや響、遅かったですね』なーんて、いつもみたいにとぼけたこと言って」

  響「それから、いつか天体観測したときの帰りみたいに、一緒にのんびり歩いて帰る…… なんて」

  響「そういう都合のいいこと、起こんないかなぁ、って。考えなかったわけじゃないよ」

  響「ま、そんなうまい話、あるわけない、か。おとぎ話じゃないんだし」






  響「かわりにあんたがここにいるってのは、もっと予想外だったけどね」

 使者「…………」






【もいちどきみに】





  響「きょうもよく冷えてるよね。こないだの夜と、おんなじくらいかな」

 使者「そう、ですね。気温はさほど変わりないようです」

  響「貴音…… じゃないんだった。たかね、そっちで風邪とかひいてない?」

 使者「ええ。お元気ですよ」

  響「そっか。それなら、よかった」




  響「自分がどうしてここに来たかは、わかってるんでしょ?」

 使者「今までのことも、姫君のことも…… 貴女はすべて覚えておられる、ということですね」

  響「そうだよ。いや違うか、覚えてたんじゃなくて、思い出したんだ。全部」

 使者「記憶の改竄は、完全だと思っておりましたが…… 認識を改めなくてはなりません」

  響「きっと完全だったと思うし、思い出せたのも偶然さー。雨と―― それから卵のおかげ、かな」

 使者「たまご?」

  響「ああ、こっちの話。気にしなくていいよ」


  響「どうせ、自分がみんな相手にパニックになってたこととかも知ってるんだよね」

 使者「その通りです。貴女と別れた後も、監視は続けておりましたので」

  響「だと思ったぞ」

 使者「それはそうと、私からひとつお尋ねしても構いませんか?」

  響「いいよ。なに?」

 使者「なぜ、この場所をお選びになったのですか?」

  響「自分もべつに、はっきり確信があったわけじゃないよ」

 使者「ほう」

  響「選んだ、っていうか…… ほかに思いつかなかった、って言ったほうが正しいかな」

 使者「なるほど。道理ですね」

  響「自分からも、質問だけどさ。あんたが、みんなや自分の記憶から、消しちゃったんでしょ。たかねのこと」

 使者「ええ。そのはずでした。貴女を除いては、上手くいっていたのですが」


  響「それに記憶だけじゃなくて、写ってる映像とか、着てた服なんかも。そういうのまで、ぜーんぶ」

 使者「仰るとおりです。姫君の痕跡を残すわけには参りませんでしたゆえ」

  響「その割にはけっこう詰めが甘かったよね。細かいもの、ちょこちょこ残しちゃってたよ」

 使者「そして、結局はすべて無駄だった、というわけですね」


  響「しょうがないさー、相手が悪かったぞ。――なんたって、自分は、完璧だからね」


 使者「しかし、すべて思い出されたのでしたら、姫君が実は幼子であったこともご承知のはずですが」

  響「そりゃそうだよ。あんな話、びっくりしすぎて忘れられるわけないぞ」

 使者「ならばなおのこと、貴女がここへ来られた理由が分かりかねますね」

  響「は? えーっと…… どうして?」

 使者「どうして、と仰られましても。貴女のご存知だった姫君は、すでにどこにもおられないというのに」

  響「ああ、そんなの簡単だよ。自分は納得がいってないから、ってだけ」


 使者「納得、でございますか」

  響「じゃあどうなったら納得いくの? って聞かれたら、自分もよくわかんないけどさ」

 使者「…………」

  響「とにかく何かできることしてみよう、と思って、ここに来てみた。そしたらあんたがいた」

 使者「要は、当て推量だったということでよろしいでしょうか」

  響「なんだっていいよ。結果オーライ、ってやつ」

 使者「…… 貴女がここへお見えになったという事実は、ご自身で思っておられるより、はるかに重大なことなのです」

  響「どうして? 自分、貴音に連れられてきたり、たかねを連れてきたりしたのを思い出しただけなんだけど」

 使者「そもそもこの場所は、ほかの方には知覚すらできないようになっているのですよ」

  響「……は?」

 使者「現に貴女は、この場所のことは姫君以外の方と話題にしたこともないのではありませんか?」


  響「えっと…… いや、でも、それは単に、貴音と自分の間の秘密みたいになってたっていうか……」

 使者「わかりやすく申しますと、ここには一種の結界のようなものがあるのです」

  響「け、結界……?」

 使者「より厳密にいえば、そこに存在しているのに意識されなくなる、という表現が近いでしょうか」

  響「………… この丘が、自分以外の人には見えてない…… ってこと?」

 使者「概ねそういうことです。恐らく最初の訪問の際は、姫君が貴女をここに連れてこられたのでは?」

  響「あ…… 確かに、そうだったかも。なんで貴音は、自分を……」

 使者「私にはわかりかねます。姫君には、なにかお考えがあったのでしょうね」

  響「そう、だったのかな…… どっちにしろ、もう確かめようもない、か」

 使者「…… さておき、私がここにおりますのは、貴女にお伝えすることがあるためです」

  響「伝えること?」

 使者「はい」


  響「よくわかんないけど、なにか自分に教えてくれることがあるんなら、もちろん――」


 使者「『かぐや姫』なる物語はご存知ですか?」


  響「え…… っ? なに、いきなり。なんの話?」

 使者「こちらではかなり有名なものである、と聞き及んでおりますが」

  響「いやまあ、そりゃ知ってるけど……」

 使者「幼い女子が地球の民と交流しつつ、成長し、最後には月へと還る。そういった物語ですね?」

  響「ざっくりいえばそんな感じで合ってる……、と思うぞ」

 使者「あれは、実際に月から訪れた人物のことを下敷きにしているのです」

  響「それ、って……! つまりなに、そんな前から試練がどうのなんてやってたの!?」

 使者「はい。我々の側に残された記録と、かの物語の記述は大筋のところで一致しております」

  響「あんたたち、昔からろくに進歩もしてないってことだね。よくもまあ」


 使者「ただ…… 筋書の根本的なところが、事実と食い違っておりまして」

  響「根本的なところ?」

 使者「ええ。すなわち、娘が最初は赤ん坊の姿で見つかり、短期間で成長する、という点ですね」

  響「……ああ、なるほど。ホントはまるで逆で、いきなり小っちゃい子に戻っちゃうのに、ってことか」

 使者「あくまで推測ですが、長い年月を経て語り継がれるうち、少しずつ変わってしまったものかと」

  響「それ以前に、地球じゃ普通、いきなり若返ったりしないもん。自然な流れに戻ったんでしょ」

 使者「恐らくはそういうことなのでしょう。物語としても受け入れられやすくなりますし」

  響「まあ、そうかもね」




  響「てことは、つまり、かぐや姫って、実際は求婚とかされたあとで小っちゃい子になっちゃったのか」

 使者「こちらの記録によればそうなっております。そして最終的には、月へお戻りになりました」

  響「そこも、たかねの場合と同じだよね。連れて行かないでって言われてるの無視して、無理やり!」


 使者「………… ところで、昨年のことですが、相当の規模の日蝕――」

  響「はっ? 去年の…… ……日食?」

 使者「失敬、こちらでは"月食"にあたるのでした。いずれにせよ、蝕があったのをご存知ですか」

  響「ええっと…… そうだ、確か秋ごろにけっこう大きな皆既月食があったっけ?」

 使者「そうですね。こちらの暦で厳密にいえば、十月すぎのことです」

  響「ねえ、ちょっと。いきなりぜんぜん違う話始めないでほしいんだけど」

 使者「なんのことでしょうか」

  響「とぼけないで! 今たかねとかぐや姫の話してたでしょ、月食とどうつながるの?」

 使者「蝕の起きたそのとき、貴女はそれをご覧になりましたか」

  響「自分の言ってること、わかんないかなぁ!? それがいったいたかねとなんの関係――」

 使者「その月食を、観測なさいましたか。それとも、なさいませんでしたか」

  響「……まあ、見たけど。たか…… 貴音が、これだけ見事に見られる機会は珍しいって言うから、一緒に」

 使者「やはり、そうでしたか」


  響「ひとりで勝手に納得するのやめてよ。だいたいあんた、自分に伝えることがあったんじゃないの?」

 使者「かぐや姫にせよ、今回の姫君にせよ、なぜ幼子の姿に戻る必要があったのだと思われますか?」

  響「は? ……今度はなに、クイズ? いい加減、まともに教えてくれないかな」

 使者「貴女のお考えを伺いたいのです。いかがお考えですか」

  響「わかるわけないでしょ、そんなの。だいたい自分には、そんな必要があるとは思えないし」

 使者「その通りです。あえてそうした危険を冒す必要など、あるわけがございません」

  響「ああもう話が進まないぞ、イライラするなー! それで、あんた何が言いたいのさ!?」

 使者「幼児化は、"本来起こるはずのない事態"だった、ということです。かぐや姫の場合も、こたびも」

  響「……ねえ、おかしくない? この間と言ってること、ぜんぜん違うじゃないか」


 使者「ええ。実のところ、先日私が貴女にお伝えしたことの大半は空言ですので」


  響「…………… え?」


  響「そらごと…… っていうと、つまり、ウソ、ってことだよね?」

 使者「……」

  響「どういうこと? ウソって…… えっ、どこからどこまでが?」

 使者「…… ……」

  響「だっ、黙ってないでなんとか言ってよ!! ど、どうして、そんな――」

 使者「……」スッ

  響「え? ……ちょ、ちょっと?」

 使者「この件に関しては、貴女に何を言われようと甘んじて受け入れます」

  響「な、なっ、なにしてるの!? そんな…… 土下座なんてやめてよ!」

 使者「喫緊の事態だったとはいえ、無体な偽りを申し上げてしまいました」

  響「たしかに…… ウソだったってのは気に入らないし、びっくりしたけど……」

 使者「責はすべて私にあります。今更頭を下げて、どうなるものでもございませんが」

  響「そんなのどうでもいいから! それより、自分にもちゃんとわかるように説明して!」






  響「…………事故?」

 使者「端的に申し上げれば、そういうことになります」

  響「でも貴音がたかねになっちゃう直前まで、特に変わったことはなかったと思うけど……」

 使者「むしろ、溜まり溜まった歪みがついに誤魔化せなくなったのが、先月の頭ごろだったような次第で」

  響「…… やっぱりだめだ、よくわかんないぞ、自分……」

 使者「月と、こちら…… 地球とでは、当然ながら環境が大きく異なります。例えば、いわゆる重力などですね」

  響「それ、は、まあ…… そう、なんだろうね」

 使者「ゆえに、月の民が地球に来るにあたっては、環境に適応するための施術が必要となります」

  響「施術って?」

 使者「簡単に言えば、地球での生活を支障なく送れるようにするためのものです」


  響「えっと、そしたら、その、施術…… が、なにかトラブルでも起こしたってこと?」

 使者「そうです。細かな原因等は未だ不明ですが、姫君のお姿が幼児に変わられたのはそれが理由です」

  響「そこがそもそもおかしいよね。なんでちっちゃい子に戻っちゃうの?」

 使者「単純なことですよ。成人に近い姿でいるよりも、維持のための燃費がよいからです」

  響「…… 理屈は通ってるのかもしれないけど、やっぱり素直にはいそうですか、とは言えないさー」

 使者「それは致し方ないことかと。ただ、非常事態であり、必要な対処であったことはご理解ください」

  響「でも…… そんな一大事なら、なんでひと月もたかねのこと放っといたんだ!」

 使者「誓って申しますが、我々とて好き好んで放置していたわけではございません」

  響「そのへんも、この間の説明は全部ウソ、ってことなんだね」

 使者「…… そう、なります。ここで、さきほどの月食のお話が絡んで参りまして」

  響「へえ……? どう関係するの?」


 使者「姫君の施術にも、我々が姫君の状況を把握するのにも、必要不可欠なものがございます」

  響「月食に影響されそうなもの、っていうと…… つまりそれ、月の光、ってことかな」

 使者「はい。施術の変調と月食のどちらが先かも判然としておりませんが、重なったのは致命的でした」

  響「で、お迎えが来るまでの間できるだけ保つように、たかねに戻った…… ってわけか」

 使者「加えて言えば、我々が事態の全容を初めて把握できたのは年が明けてからであった、ということです」




  響「…… まあ、そっちにもいろいろ事情があった、っていうのはわかったぞ」

 使者「ご配慮にあずかり、恐縮です」

  響「はー…… 平然とした顔でウソばっかりついてたんだね、あんた」

 使者「その点に関しては心より申し訳なく思っております。お許しください」

  響「どうせ、自分なら簡単にだませそうとか思ってたんだろ」

 使者「そうですね。なにせ、貴女は姫君をずっと保護してくださるほどのお人好しですゆえ」

  響「ちょっとー!? そこはそれこそウソでも否定するとこでしょ!?」


 使者「…… そんな貴女ですから、姫君が本当は幼子である、という嘘を吐けば」

  響「だいたいお人よしっていうけど、友達が困ってるの助けるなんて当たり前で…… え?」

 使者「姫君のためを思って月へ戻ることをすぐお認めになる、と考えましたが、そこは少々見込み違いでした」


  響「待って。 ……ねえ、もう一度聞くぞ。この間の話、"どこからどこまで"が、ウソだって?」


 使者「大きく分けると三点でございます。ひとつは、姫君が幼くなった原因について」

 使者「さらに、なぜお迎えに上がるのが遅れたのか、ということについて」



 使者「そして、最後のひとつは、姫君の御年についてです」



  響「たかね…… 貴音の年も、ウソだった……? じゃ、じゃあ何、ほんとはいくつなの!?」

 使者「貴女とほとんど変わりません。こちらの基準で考えるなら、18歳前後というところでしょうか」


  響「…………」

 使者「お気持ちはお察しします。私を罵るなり、殴るなりでお気が済むのなら、如何様にも――」

  響「よかった! それなら貴音がまた戻ってきたら、一緒にアイドルやれるよねっ!?」

 使者「!?」

  響「え…… なにその反応。自分、なんかヘンなこと言った?」

 使者「いえ、その……、てっきり、貴女はお怒りになっているものとばかり」

  響「うーん、まあ、あんたがウソばっかり言ってたってのはちょっとムカっとしたけど」

 使者「けど……?」

  響「でも正直にそのこと教えてくれたし、何より、貴音が本当はたかねだったんじゃなくて、その逆で」

 使者「…………」

  響「つまり、たかねが本当は貴音だったってわかったから…… あれ? 自分の言いたいことわかる?」

 使者「…… さほど自信はございませんが、おそらくは大丈夫です」






  響「でもさ。どうしてあんた、そんなにたくさんウソついたの?」

 使者「あの満月の晩に、貴女が姫君と一緒にここへお見えになったからです」

  響「いや、冬の夜中に、たかねみたいな小っちゃい子ひとりでここに来れるわけないでしょ」

 使者「そうなる筈だったのです。姫君が月を見て、暫し無反応になったことは覚えておいでですか?」

  響「…… ああ、あったね。満月の何日か前に、ベランダで」

 使者「あの時に、こちらから姫君に指示をお送りしました。お一人で、この場所へ来られるようにと」

  響「…………? でも、たかねはあのとき、自分に連れて行ってほしいって頼んだよ?」

 使者「指示とは申せ、実態としては、先日貴女たちに行った記憶の改竄と似た操作でございました」

  響「えーっ、と…… つまり、かんたんに言うと?」

 使者「姫君の意思とは関係なく動いて頂くための、いわば、自動制御…… とでも申しましょうか」


  響「ああ…… それを貴音、いや、たかねに送ったから一人で来るはずなのに、なぜか自分もいた、と」

 使者「そういうことでございます」

  響「でも、なんで? そう簡単に指示以外の行動されちゃ、困るんじゃないの?」

 使者「それも分かりません。いずれにせよあの場では、とにかく時間稼ぎをする必要がございました」

  響「なるほどね…… アドリブ上手なんだなー、あんた」

 使者「最終的に記憶を改竄させていただくことは確定事項でしたから、多少突飛でも構わなかったもので」

  響「とっぴすぎるぞ。最初っから、全部本当のこと教えてくれたらよかったのに」

 使者「…… 私が初めて貴女にお会いした折に、今述べたような経緯を真正直に説明したとしましょうか」

  響「う、うん?」

 使者「貴女はそれを信用なさいましたか? 私を信用して、姫君をお任せくださったでしょうか?」

  響「そんなの、…… ……まあ、確かに、すぐには無理だったかもしれないけど」

 使者「初動の遅れもあり、姫君を一刻も早く連れ帰ることが最優先事項だったのです」


  響「ねえ、ところで、さっき言ってたかぐや姫のときも、貴音と同じようなことだったわけ?」

 使者「何分古い記録ゆえ、不明確な部分もあるのですが、似たような事故があったものと思われます」

  響「そのかぐや姫も、当時の王女様…… お姫様だったわけでしょ?」

 使者「それは勿論。試練を受ける資格があるのは王族の子女のみですから」

  響「そうだ、前も言ってたその、試練、ってやつ。それって結局なんなの?」

 使者「これについては前回ご説明した通りでございます。まあ、武者修行のようなものですね」

  響「む、武者修行って……」

 使者「まったく勝手の違う、見知った顔もない土地に渡り、独力でしばし生活するのですよ?」

  響「それはそうだけど」

 使者「武者は的外れとしても、何不自由ない暮らしをしていた姫君には修行のようなものでしょう」

  響「わざわざ星をまたいでやることか、って気はするけど…… そういうもの、なのかな」

 使者「前も申しましたが、こちらには、こちらの慣習がございますゆえ」


  響「たかね…… もう、貴音、でいいのか。無事なんだよね? ちゃんと帰り着いたんでしょ?」

 使者「ええ。大丈夫で……」

  響「今言ってるそれは絶対ウソじゃないよねっ!? 自分…… 今度は、あんたのこと信じていい?」

 使者「…… 私の、魂に賭けて請け合います。姫君は、お元気でおられます」

  響「そっか、…… そっか、なら、いいよ。なによりだぞ」






  響「………… それで? 自分に教えてくれることって、これで全部?」

 使者「いいえ。あとひとつ残っております」

  響「あは、は…… さっきから、驚かされてばっかりだから、もう、びっくりしないとは言い切れないや……」


  響「すー、はぁーっ…… ん、大丈夫。覚悟はできたぞ。最後のひとつ、教えてくれる?」

 使者「承知しました。それでは早速ですが」


 使者「まず、このたびの姫君の試練に関しては、失敗なさったものと見做されました」


  響「失敗、だと…… どうなるの? 貴音、なにか責任とか取らなきゃダメってこと……?」

 使者「いえ、特にそういったことはございません」

  響「あ…… な、なんだ、それなら安し――」

 使者「ただ、これをもちまして姫君の王族としての資格は喪われることになります」

  響「っ、そんな…… それって大丈夫なの!? 貴音に不利になることなんじゃないの!?」

 使者「私は、その件に関してはお教えできる立場にございません」

  響「ちょっと! ここまで来てなんなのさ、それっ!?」

 使者「それよりも、貴女にも関係のある決定事項がございます。その点をご説明差し上げても?」

  響「……いいよ、聞くほかに自分にはどうしようもないもんね。お願い」


 使者「実はこたびの決定に関して、我々の間でも一部から異論がございまして」

  響「異論? どういうこと?」

 使者「悪条件が重なり過ぎたため、そもそも時節として不相応だったのではないか、という話です」

  響「……なるほど! そ、それ、自分もその通りだと思うぞ! そうだよ、もう一回くらいチャンスをっ」

 使者「まさにその、もう一度の機会に関して、お伝えしたいことがあるのですよ」

  響「えっ!? じゃあ…… ひょっとして、貴音、やり直しができるってこと?」

 使者「それを認めるか、否か―― その決定権が、貴女に委ねられております」

  響「え………… は!? 自分に!? な、なんでっ!?」

 使者「我々の側の事情がどうであったにせよ、今回の件で貴女に心労やご迷惑をおかけしたのは事実です」

  響「その辺はさすがに自覚あるんだね。ちょっと安心したぞ」

 使者「加えまして、貴女は姫君の記憶をご自身で取り戻されました」

  響「う、うん…… まあ、一応、そういうことになるのかな」

 使者「その事実に敬服致しまして、姫君の命運を貴女に委ねることで公平を期す次第でございます」


  響「つまり貴音がもう一回チャレンジできるかどうかを、自分が決めていい、ってことで合ってる?」

 使者「はい。その通りでございます」

  響「それなら…… それなら、悩むことなんか何もないよ! もう一度、貴音がこっちに来れるように――」

 使者「ああ、そうでした。その前に、ひとつだけ条件がある旨をお伝えしておかなくてはなりませんでした」

  響「ちょっと…… もー、しっかりしてよ。で、なに? その条件っていうの、早く聞かせて!」




 使者「いま一度姫君が試練に挑む、という場合、"まったく最初から"となることをご承知おきください」





  響「ん……? なに、まったく最初からって?」



 使者「言葉通りの意味ですよ」



  響「だから、それは具体的にどういう意味なのかってことを――」



 使者「姫君が、貴女の決定を受けて、もう一度地球に来られる運びとなった際に」



 使者「どこに向かわれるか、どんな姿形をしておられるか。それらすべてが未定ということです」






  響「…………え? えっ!? は!?」


  響「な、なにそれっ!? 今までとおんなじ条件でやり直すんじゃないの!?」

 使者「それこそ何を仰っているのですか。条件が不適切と判断されたからこその、再挑戦の機会なのですよ」

  響「そんな、だって……、今までの貴音の記憶とか経験とか、ぜんぶ無駄になっちゃうってことだぞ!?」

 使者「当然です。本来なら到底ありえないことゆえ、また初めから、という決定は至極妥当かと思いますが?」

  響「全部リセットしちゃうんだったら、それってもうやり直しじゃないじゃないか!!」

 使者「なにか勘違いしておられるようですが、姫君がこちらで何をなさるかは問題ではないのですよ」

  響「どういう意味さ!?」

 使者「再び"あいどる"になるか、ならないか、貴女と再会なさるかどうか。それらは、すべて些事です」

  響「でも! あんたたちにとってはそうかもしれないけど、自分にはそれが、っ……!!」

 使者「不幸な事故があったのは事実として、体面上、無事に成功なさったという結果のみが必要なのです」

 使者「功労者の一人には違いない貴女に、そのための決定権を差し上げる。そういう次第でして」


  響「…… じゃあ、ここで自分がもし、貴音の再挑戦はナシ、って決めた場合、どうなるの?」

 使者「特に何もございません。姫君はこれまでどおり、月でお暮らしになるのみです」

  響「それで…… そしたら二度と、貴音は地球に来ない…… 来れない、ってことか……」

 使者「ご理解が早くて助かります。その際は、姫君がこちらを訪れる理由も必要も、特になくなりますゆえ」

  響「ついでにその場合、また自分の記憶いじって貴音のこと忘れさせる、っていうんだろ……!」

 使者「ああ、それについてはどちらでも構わないと指示を受けております」

  響「……? どちらでも、って……」



 使者「貴女ひとりが姫君のことを覚えていたところでどうにもならないことは、すでによくご存知でしょう?」



  響「…………っ!!」


 使者「さておき、そういうわけで、二つにひとつでございます。いかがなさいますか」

  響「…………」

 使者「確かに急なお話です。すぐにはお決めになれないでしょうから、いくらか猶予――」



  響「もういちど、全部、最初からやり直しで」



 使者「………… 何と?」

  響「聞こえなかった? 貴音がもう一度やり直せることにして、って言ったの、自分」

 使者「あの…… 失礼を承知でお尋ねしますが、私の説明をご理解されていないのではありませんか?」

  響「ごめん、何が?」

 使者「再挑戦なさるのであれば、姫君は確かに地球にお戻りにはなります。ですが、それだけ、ですよ?」

  響「あんたさっきそう言ったよね。待って、実はまだ言ってなかったことがある、とか?」

 使者「いえ、ございませんが……」


 使者「しかし、つまり、姫君がまた"あいどる"をなさると決まったわけでもございませんし――」

  響「うん。それから?」

 使者「第一、貴女がすぐお会いになれるような場所に来られるかどうかも分かりかねますし」

  響「そうかもね。で、ほかには?」

 使者「お名前も顔かたちも、そもそももっと言えば再訪の時期すらも不明、ということですが……?」

  響「なんだ…… 全部わかってるよ、そんなこと。自分そんなにバカじゃないぞ」

 使者「ですが貴女は、貴女の知る姫君と、またお会いになりたかったのでは」

  響「だって、貴音がもう一度こっちに来れる、ってことだけは絶対間違いないんでしょ?」

 使者「それは…… 確かに、そうですが」

  響「そこさえ確実ならなんくるないさー」



  響「いくら自分がカンペキでも、月まで行かなきゃ貴音に会えない、ってなったら」


  響「時間とか、お金とか。きっといっぱいかかっちゃう」


  響「それにたぶん、かなり待たなきゃいけないよね。自分、あんまり辛抱強くないんだ」




  響「でも―― 貴音が、地球のどこかにいてくれるんだったら」


  響「自分が世界じゅう、隅から隅まで探し回れば、いつか、絶対会える。そうでしょ?」


 使者「……それで、本当に出会えるとでもお思いなのですか?」

  響「もちろんだぞ」

 使者「万に一つお会いになれたとしても、姫君のほうは貴女のことをおわかりでないかもしれませんよ」

  響「それでもいいよ。自分が覚えてるから、大丈夫」

 使者「それに、仮に貴女が姫君を見かけたとして、すぐそれとわかるお姿かどうかも――」

  響「あのさ、そういうの、いま考えたってムダだよね。会う前から心配するようなことじゃないさー」

 使者「…………」

  響「そうだ、そんなことより、貴音に伝言お願いできない? 帰ったらまた顔合わせるんでしょ?」

 使者「言付け、ですか…… 姫君に、なにをお伝えになりたいのですか?」

  響「大丈夫だよ、すごくかんたんなことだから。いい?」


  響「どれだけかかっても、貴音がどこにいても。自分が絶対見つけに行くから、それまで待ってて、って」


 使者「…… 頭に、留め置きましょう」








  響「あっちに戻ったら、すぐ自分の決めたこと伝えてくれる?」

 使者「そのために私が参ったのです。あとは、貴女の決定を待つのみの状況ですので」

  響「でも、それで貴音がもう一回チャレンジする時期なんかは教えてくれない、ってことだね」

 使者「そうなります」

  響「まぁ仕方ないか。自分、どこにでもすぐ行けるようにお金貯めとかなくっちゃ」

 使者「最後に、もう一度だけ。姫君が再度試練を行う、ということで、本当によろしいのですね?」

  響「しつこいなあ。さっきから何度も、それで間違いない、って言ってるのに」

 使者「………… やはり、貴女のことは、私には一生理解できそうもありません」

  響「そこだけは気が合うよね。最初に会ってからずっと、自分もそう思ってるんだ」


 使者「ああ…… それから、先ほど貴女の仰った、姫君への言付けの件についてなのですが」

  響「うん、くれぐれもちゃんと伝えてよね?」


 使者「よく考えましたら、なぜ私がそのようなことまで引き受けねばならないのでしょうか?」


  響「…………えっ?」

 使者「前回、それに今回の使者役として、私は十分に責を果たしたかと思います」

  響「ちょっと待ってよ、それはそうかもしれないけど、でも!」

 使者「これ以上の頼まれごとなど、有り体に申しましてたいへんに面倒です」

  響「そんなっ、話が違うぞ!? さっきは引き受けてくれるって!」

 使者「はて。頭に留め置く、とは申しましたが、引き受けたとは一言も申しておりません」

  響「な、っ……、卑怯だよそんなのっ! そのくらいしてくれたってバチは当たんないでしょ!?」


 使者「いえ、やはりお断りします。私が姫君と確実にお会いできる保証もございませんし」

  響「そ、それは…… そう、会えたらでいいからっ! あんたに頼めなかったら自分、どうやって貴音に……」

 使者「なんと言われようと、決めました。私から姫君へはお伝えしかねます」

  響「そんな勝手なこと言われっぱなしで、自分が納得す ――!?」フラッ

  響(あ…… これ、っ!? ま、また…… たかねが、いなく、なった……とき、と、同じ……!)


 使者「思えば奇妙な縁でしたが…… 今度こそ、貴女とお会いするのは最後になるでしょう」


  響(ふざけ、るんじゃ…… ない、ぞ!?)


 使者「姫君へのお言付けがおありなら、どうぞ、貴女ご自身でお伝えになりますように」


  響(それ、が…… できない、から、あんた、に…… …………!)






  響(………… ……)









  響(……………… たか、ね……)

































  響(……ん、 ……あー、朝かぁ)


  響(今日は、学校あるけど…… さむそうだし、まだ寝てよ……)












  響(………… 違うっ! そんな場合じゃない!!)ガバ



  響(…… ここ、自分の部屋……! また眠らされて、きっとその間に運ばれたんだ……)


  響(でも自分、生きてる、身体もどこもおかしくなってない)


  響(それに、自分、貴音のこと…… 大丈夫、思い出せる! 全部、ぜんぶ覚えてる!!)


  響(あいつが最後にまた嘘ついたのだって覚えてるぞ…… もし次会ったら、絶対、ただじゃおかない!)


  響(…… ……落ち着こう。とりあえず、まずは起きなきゃ)






  響(って、この手触り…… もう、ねこ吉がベッドにいるのまで再現なんて、ごていねいに――)






   「…………ひび、き? どうか、したのですか?」












  響「―――――― え?」









 貴音「…… ぅん………… ふぁ……」




 貴音「むにゃ……、ああ、響。おはよう、ございます…… よい朝ですね」




 貴音「……はて、どうしたのです? ふふっ、わたくしの顔に、なにかついていますか?」




 貴音「あっ、そうです! 本日の朝餉の当番は、響でしたね。わたくし、今朝は是非、ぱんを所望したく」









 貴音「ひあっ!? ちょっ…… ひ、響!? いきなり何を――」




 貴音「…………響? ど、どうしました、どこか痛むのですか、具合が悪いのですか?」




 貴音「ああ、どうか落ち着いてください…… 大丈夫、大丈夫です、わたくしはちゃんと、ここにおりますよ」








 貴音「あの…… 響? 少々、苦しいです、そんなに抱きしめられては」



















 従者「首尾はいかがです? お話は無事に済みましたか?」

 使者「もちろん何の問題もございませんでしたよ。戻りましょう」

 従者「仰せの通りに」




 使者「……」

 従者「…… ひとつ、うかがっても?」

 使者「なんです」

 従者「なぜ彼女に、本当のことをすべて教えてあげなかったのです?」

 使者「………… やはり会話を聞いていたのですか。盗み聞きとは、感心しませんね」

 従者「職務の一環でございますので。それより、理由をお聞かせ願えますか」


 使者「はて、なんの理由でしょう?」

 従者「決まっています」



 従者「姫君が今後、地球に…… いえ、彼女の元に留まってよいことになった旨を、伝えなかった理由ですよ」



 使者「伝えましたとも。選択如何では姫君が再度、地球へ赴くことは可能である、と」

 従者「だいぶ語弊があるように思いますが」

 使者「どういった点で、ですか」

 従者「先ほどの説明を聞けば普通は、自身のところにまた姫君がおいでになるとは考えないのでは?」

 使者「未定とは申しましたが、あの娘の許に行かない、とは一言も申しておりませんよ」


 従者「ずいぶんと意地悪なことをなさるのですね。試練の本当の内容も、ついに明かさずじまいで」

 使者「教えたところでどうなります。せいぜいあの娘が浮かれるくらいのものでしょう」

 従者「そうでしょうか」

 使者「いつまた、姫君が帰ってしまわぬとも限らない…… そのくらいの緊張感を持っておいてもらわねば」

 従者「ですが、年端もいかない娘にそこまで要求するのは酷なのでは?」

 使者「…………」

 従者「姫君はもちろん、貴女様とも年頃はほぼ同じ…… いえ、彼女の方が年上でもおかしくありませんね」

 使者「それは、私が幼く見えると言いたいのですか」

 従者「そのようなことは決して。そもそも、彼女も年の頃より幼く見える面相でございましたし」


 従者「さておき、彼女は見事、試練を乗り越えてみせたではありませんか」

 使者「…… 偶々、でしょう。深く考えず、感情で動く部類の人間に見えましたから」

 従者「そうだとしても、彼女の、姫君との絆の深さ。貴女様も、本当は認めておられるのでしょう?」

 使者「…………」

 従者「自力で、記憶を…… それもたかだか二週間程度で取り戻すと、いったい誰が予想しましたか」

 使者「彼女から常に感じていた、動物的な、勘のようなものの恩恵…… なのでしょうか」

 従者「そこはわかりかねますが、あの帝ですら出来なかったことを彼女は成し得たのですよ」

 使者「はぁ…… また、『かぐや姫』のお話なのですね」

 従者「まったくもって、嘆かわしい。物語の中だと、まるで月の民だけが悪者のようではありませんか」

 使者「そこは致し方ないでしょう。どれだけ昔から伝わっていると思っているのです?」

 従者「"当時の姫君の記憶" をあの帝めが "思い出せなかった" ことが、すべての元凶だというのに」


 使者「誰しも、自身のことが可愛いのです。まして時の権力者ともなれば、過ちはそう認めますまい」

 従者「だからと言って、あたかも武力に訴えて姫を奪い去ったかのような改変はいかがなものかと」

 使者「…………」

 従者「月では姫その人が、一日千秋の思いで待ち続けていたというのに!」

 使者「もうそのお話は結構です。今更何を言ったところで、かぐや姫も、帝も、はるか過去の人なのですよ」

 従者「これは失礼を。……さておき、彼女です」

 使者「…… ああも簡単に、再挑戦の道を選ぶとは思いもよりませんでした」

 従者「姫君との間に、それだけの信頼を築かれていたことの証左でございましょう」

 使者「そう…… なの、でしょうか」

 従者「ええ。間違いなく、そうですとも」


 従者「生涯の友、あるいは伴侶となるものを探す試練など、前時代的で不毛、という話もございましたね」

 使者「現に、今までは一度たりとも成就したためしはなかったのでしょう?」

 従者「そのように聞いております。ですから、こたびの姫君が初、ということですね」

 使者「…… その候補となる者と、周囲の者まで含めて、記憶を失わせたのちに――」

 従者「共に過ごしたことを思い出し、会いたいと強く願い、再訪を望む。言葉にすれば、容易いですが」

 使者「加えて今回の場合は、姫君が幼子に戻るという変事もあったのでしたね」

 従者「あるいはそれこそが功を奏したのかもしれませんが…… いずれにせよ、彼女はやり遂げた」

 使者「はい。それこそ、夢物語や御伽噺のたぐいと思っておりました」

 従者「…… 貴女様におかれましては、特に、寂しくなりますね」

 使者「…………」


 従者「だいたい、貴女様のお立場で頑なに"姫君"などとお呼びになる必要がどこにあります」

 使者「今の私は月よりの使命を帯びてここにいる身です。当然の礼儀で……」

 従者「しかし、実の姉上様を姉とお呼びになることに、なんの差し障りがあるでしょうか」

 使者「……」

 従者「ここには私のほか誰もおりません。それに、私からすれば貴女とて姫君なのですよ。"第二王女様"」




 使者「…… これまでずっと、滅私に徹してこられた姉上が、初めてご自身の願いを口にされたのです」

 従者「…………」

 使者「もう一度友に逢いたい、そのためなら身分も立場もすべて捨てること厭わぬ、とまで仰って」

 従者「ええ、私も驚かされました。その覚悟あらばこそ、今回の運びになったわけですから」


 従者「姉上様のお役目を今後は一手に受け継ぐ、とのご決断はお見事でしたが、しかし……」

 使者「その程度も引き受けられずして、何が王族ですか」

 従者「!」

 使者「姉上はこれまで、もう十分に王女としての責務を果たされました。これからは、私の番です」

 従者「……本当に、ご立派になられましたね」

 使者「これから訪れる諸々が、私の乗り越えるべき試練なのでしょう。見事果たしてみせます」

 従者「ええ。どこまでもお供しましょう」

 使者「戻ったらこれまで以上に忙しくなります。さあ、お急ぎなさい」

 従者「仰せの通りに致します、"姫君"」






 従者「ところで、もうひとつだけ、お尋ねしても構いませんか」

 使者「なんです?」

 従者「姫君…… いえ、つまり姉上様のことですが、なぜ一部の記憶を失われたままになさったのですか?」

 使者「はて。わかりませんか?」

 従者「恥ずかしながら」

 使者「意趣返し、ですよ」

 従者「はい?」

 使者「先ほどはああ申しましたが、これからの私の苦労を思えば、それくらいは許されましょう」

 従者「姉上様の記憶を戻さぬことがどう意趣返しになるのか、私には今ひとつ、わかりかねるのですが」

 使者「はぁ…… これだからじいやは、頭のめぐりが ……あっ!」

 従者「おや、これはこれは。私めのことを昔のようにお呼びくださるのですか?」

 使者「っ、い、いえ! こほん、貴方も仕方のない人ですね」


 使者「よろしいですか? まず、この一月あまりの記憶がないことで、姉上の浮世離れした風情がますます強まります」

 従者「はあ」

 使者「あの娘にしても、幼子になった姉上のことは、当の姉上含めほかの誰にも理解されません」

 従者「確かに、恐らくはそうなるでしょうが」

 使者「周囲の者たちも、姉上が幼くなったことは忘れたままです。ですから確実にそうなります」

 従者「それは分かりましたが、やはりそれの何が意趣返しなのか、この老体にはさっぱり……」

 使者「…………腹いせ、です」

 従者「腹いせ?」

 使者「少々、二人が…… ……いえ。正直に申せば、姉上と共にいられるあの娘が、うらやましくて」

 従者「…… なんと?」

 使者「その…… ですので、ちょっとだけ、いたずらをしてやろうと、思い……」

 従者「…………」


 使者「……じいや、怒ったでしょう? 当然でしょうね。父上や母上に、注進でもなんでも……」

 従者「はははは! いや、やはり貴女様はお変わりありませんな!」

 使者「!」

 従者「この爺、確信致しました。強かな貴女様は、きっと姉上様に負けずご立派な姫君となられましょう」

 使者「な、何を言い出すかと思えば…… 当然ですよ」

 従者「私も常におそばに控え、微力ながらお助けして差し上げます」

 使者「……ふふ、頼もしいことですね」

 従者「ぜひとも姉上様に、後を任せて間違いはなかった、と思っていただかなくてはなりません」

 使者「そうです。姉上はせいぜい、あのような鄙なところで呆けておられればよいのです」

 従者「ええ、きっとそうなさいますとも。さて…… なれば、戻る前に、しておくべきことがございますね」

 使者「しておくべきこと……? はて、それは一体?」

 従者「貴女様も、ひとたび王女となられた暁には、人前で涙など流せなくなります」


 使者「涙? なぜ私が泣かねばならぬのですか。涙もろい姉上ならいざ知らず」

 従者「今一度申し上げますが、ここには今、私のほか誰もおりません」

 使者「ですから、それと、私が涙することの何が――」

 従者「よろしいですか。幼少のころより貴女様にお仕えしてきたこの私、ひとりだけ、でございます」




 使者「………… 姉上、っ、あ、ね、うぇぇ……! さびじい、でず、っ、私、わだぐじ、うええええ………」

 従者「誰よりも寂しい思いをしておられるのは、勿論貴女様ですとも。今はどうぞ、存分にお泣きなさい」




 従者(姫君…… 貴音様。妹君がいかに貴女様をお慕いだったかは、よくご存知のはず)

 従者(月の地を二度と踏めずとも構わぬ、との、こたびのご決意。この爺、異論などはございません)

 従者(それでも、どうか、月の輝く晩には…… かんばせを少しばかり、こちらにもお向けくださいませ)

 従者(妹君も貴女様によく似て、情に厚く、そして、いささか泣き虫でいらっしゃいますゆえ)

















  響「たか、ね、っ、たかね、貴音……! ど、どうして、ここにいるの?」

 貴音「どうして…… と言われましても。昨晩、泊りにおいで、と誘ってくれたのは響でしょう?」

  響「……………… 昨晩?」

 貴音「ええ、つい昨晩のことですよ。明日は、響もわたくしもおふだから、と」

  響「えっ、ちょっと何言ってるの? 貴音、だいじょうぶ?」

 貴音「響こそ大丈夫ですか。一晩のうちに、いったい何があったのです」

  響「一晩って…… あのさ、貴音。いま、何月の何日かわかってる?」

 貴音「本当にどうしたというのですか、響。本日はもちろん、十二月の」

  響「…………じゅうに、がつ?」

 貴音「はい? それが何か――」

  響「うがーっ!! あいつ記憶いじれるくせに、その辺のつじつま合わせてないのか!?」

 貴音「ひ、響、あの、どうか落ち着いてください」

  響「いい、貴音? 貴音こそ落ち着いて聞いてね。今日の日付は……」






 貴音「と…… 年が明けているのですか!? 一晩寝て起きただけというのに!? 面妖な!」




  響「叫びたいのは自分のほうだよ!!」
















【我那覇響の場合:3】

 貴音「そのようにのんびりしていて、よいのですか? もう学校は始まっているのでしょう?」

  響「うん…… でも、今日はいいよ。お休みにしちゃうから」

 貴音「それはいけません、響。せっかくの学業のための大事な時間を……」

  響「やだ」

 貴音「どうしたというのです。なにか、登校したくない理由でもあるのですか?」

  響「自分、学校に行きたくないんじゃなくて、家にいたいの」

 貴音「要はずる休みではありませんか」

  響「たまにはそういう日もあっていいと思うぞ。なんたって自分、カンペキだし」

 貴音「理由になっていないように思いますが……」


  響「……お願い、貴音。明日から自分、ちゃんとするって約束するから」ギュ

 貴音「ひ…… 響? 急にどうし……」

  響「だから今日は、貴音と、一緒にいさせて。おねがい」

 貴音「……」

  響「…………だめ?」

 貴音「…… ふふっ、響はほんとうに仕方ありませんね。今日だけですよ?」

  響「えへへ、やったー! ありがと、貴音!」

 貴音「わたくしにずる休みのお礼を言ってどうするのです。まったくもう」

  響「そうだ! 貴音、きょうは自分がおぜんざいかおしるこ作ってあげる。どっちがいい?」

 貴音「おやおや、わたくしに口止めの賂をしようというのですか? ……そうですね、むむむ」

  響「ふふ、決められないんだったら、どっちも作ってあげてもいいよ」


 貴音「ところで、響…… さきほど教えていただいたことは、本当なのでしょうか」

  響「ん? いまはもう一月になってる、ってこと?」

 貴音「はい。わたくし、どうにも時間の感覚が曖昧で…… まだ十二月の初めのように思えてなりません」

  響「うーん、こればっかりはホントなんだよ、としか言えないぞ」

 貴音「ですが、仮にそうなのだとすると、その間、わたくしはどのように過ごしていたのでしょうか?」

  響「……さ、さあ? じ、自分が知ってるかぎり、貴音は普通にしてたと思うよ。うん」

  響(ラーメン食べたり、ココア飲んだり…… それに毎日、事務所には通ってたし)

 貴音「しかし、どのようにお仕事や稽古をこなしていたものやら…… まったく記憶にないのです」

  響(そりゃそうだぞ、だってレッスンもお仕事もなんにもやってないんだから!)

 貴音「それに…… その、実は、恥ずかしながら……」

  響「どうしたの?」


 貴音「……ほんの少し、少しではあるものの、体型が変わっているような気が」

  響(あー…… 食べる量は相対的に減っても、運動量がそれ以上に減ってたもんなー……)

  響「そ、そう……? 自分が見た感じ、相変わらずすらっとしてるから大丈――」

 貴音「見た目の問題ではありません! 響とて、ぷろぽーしょん管理の難しさは知っているでしょう!?」

  響「え、あ、う、うん、もちろん」

 貴音「特にわたくしともなると、自身の感覚でわかるのです! いまのわたくしは明らかに不摂生で……」




  響「そっかー、じゃあ、おぜんざい作るの止めとこっか」

 貴音「な"っ、そ、それとこれとはお話が違います! もちろんいただきますとも!」


【Absence Report"s"】

  響「あ…… そうだ。ごめん貴音、ちょっと自分電話してきていい?」

 貴音「もちろんです、ごゆっくり」




  響「…… うん、ホントにごめんね、プロデューサー。明日は絶対行くから」

   P『体調不良はしょうがないよ、連絡ありがとな。これ以上長引かないように、ちゃんと治してくれ』

  響「うん…… きょうは、しっかり充電することにするさー」

   P『ああ、ときには休むのも仕事みたいなもんだ。そうだ、学校には伝えたか?』

  響「大丈夫だぞ、そっちにはもう電話かけたから」

   P『ならよし。しかしまー三日も続けてお休みとは、響のイメージじゃないよな、はははっ』

  響「う、うがー! どういう意味さー!?」


   P『そうだ、響。ちょっと聞きたいんだけど』

  響「えっ、何?」



   P『貴音がどこにいるか知らないか? まだ事務所に来てないんだよ』

  響「…………!!」



   P『あいつ今日みたいに午後からの日でも、結構早く来てること多いから、少し気になってな』

  響「へ、へえー…… 貴音、どうしたんだろ?」

   P『まあ、わからないよな。響ならひょっとしてと思ったんだが、知ってるわけ――』

  響「あ、あー! そうだ、そうだった、思い出したぞ!」

   P『え?』

  響「実は自分、貴音から聞いてたんだ! きょうは事情があってお休みするって!」

   P『はぁ!? そ、そうなのか?』


  響「ホントにごめん、プロデューサー! 伝えとくのすっかり忘れてたぞいやー自分ドジだなー」

   P『なんだ、そうだったのか…… 思い出してくれたのはいいけど、これっきりにしてくれよ』

  響「うん、気をつける。あとで貴音にも、ちゃんと自分で言わなきゃダメだぞ、って伝えとくね」

   P『確かにそうだな。って、響、貴音はすぐ伝えられるようなとこにいるのか?』

  響「うえっ!? ま、まさか! そんなことない…… と、思うよ?」

   P『はは、当たり前か。なんにせよよろしく言っといてくれ』

  響「うん…… ねえ、プロデューサー?」

   P『ん? どうした?』

  響「………… 貴音の苗字って、なんだっけ?」

   P『は? どうしたんだ響、熱でもあるんじゃないか? あんまり電話してたら――』


  響「おねがい、答え聞かせて。いまの自分にとって、すごく大事なことなの」

   P『…… 四条、だ。四条貴音。765プロ所属アイドルの、四条貴音だよ。これでいいか?』

  響「…………ありがと。いきなり変なこと聞いちゃって、ごめんね」

   P『それくらい構わないよ。それより、ちゃんとあったかくして寝とくんだぞ』

  響「そうする。じゃあプロデューサー、また明日」

   P『ああ、また明日。……あ、待った、貴音も明日は来るんだよな?』

  響「うん…… うん、絶対来るよ! ていうか自分、明日は貴音と一緒に事務所に行くから!」

   P『へえ、約束でもしてたのか? わかった、改めて貴音にもよろしくなー』




  響「ごめんね、お待たせー」

 貴音「もう用事は済んだのですか?」

  響「うん、大丈夫。……全部、ばっちりだぞ」

 貴音「?」


【四条貴音の場合】




  響「ありあわせだけど…… お昼ごはん、どうだったかな? おいしくできてた?」

 貴音「ええ、何時もながらたいへん美味でしたよ。毎日でもいただきたいくらいです」

  響「よかった! じゃあ自分、お皿洗ってくるから、ゆっくりしててね」

 貴音「…………響。その前に、少し時間をいただけませんか?」

  響「うん? いいけど、どうかした?」

 貴音「大事なお話をしたいのです。わたくしに関わる、とても…… とても、大事な」

  響「あはは、なに? そんなに改まっちゃってどうしたのさ?」

 貴音「響。わたくしがいまから申し上げることは、すべて真実です」

  響「う…… うん?」

 貴音「とはいえ、たいへんに荒唐無稽な話です。どうか、まず、最後まで聞いていただきたいのです」


 貴音「何故だか、いままでずっと、記憶から零れ落ちていたことを…… 急に、思い出しました」

  響「そうなの……? わかった。ちゃんと聞くよ、自分」

 貴音「驚かずに聞いてください。響、わたくしは…… この地球の人間ではないのです」

  響「ああ、うん、それは知ってる。月から来てるんだよね」

 貴音「もちろん、到底すぐに受け容れられないことだとはわかっておりますが、しかし、えっ?」

  響「だから、知ってるぞ。貴音は、月の王女様だって」

 貴音「えっ?」




 貴音「えっ?」

  響(そっか、貴音、そっちはちゃんと記憶が戻ってるんだ…… 思い出せて、よかったね)

  響「こんな大事なこと、隠さずに自分に打ち明けてくれて、ありがとう。貴音」

 貴音「えっ?」








  響「…… ごめん。もう知ってるって、自分から先に言っとけばよかった。よしよし」

 貴音「わ、わだぐし、が………… どの、ような、っ、覚悟で、この"、ごどを、言い出じ、だと……!」

  響「大丈夫、大丈夫だからさ。もう泣かないで」

 貴音「もしも…… もしも、響が、わたくしの素性を知って……」

  響「……」

 貴音「友として、見てくれなくなってしまったらと、思うと、わたくしは……!」

  響「…………貴音」コツン

 貴音「いたっ…… ひ、ひび、き? あの、なぜ、おでこを、それに顔が、近」

  響「泣き虫の貴音が聞き逃しちゃわないように、だぞ。一度しか言わないから、よーく聞いて」

 貴音「はっ、はい?」

  響「出身がどことか、名前がどうとか。そういうの、友達になることと、なーんにも関係ないさー」


 貴音「しかし! それは、あくまで地球の上でのことで……」

  響「四条貴音と我那覇響は、もうずっと前から友達だし、これからも、ずーっと友達でしょ。違う?」

 貴音「それは…… 違いません、ちがわない、です、そうであって、ほしいです、ですが……!」



  響「髪が銀色でも言葉遣いが古風でも、ちょっと抜けてても、……それに、月から来てたって」

  響「そんなことくらいで友達やめるとか、ありえないよ」



 貴音「………… ひび、き」

  響「はいはい、もう泣かない、泣かない。貴音のほうがお姉さんなんだぞ?」

 貴音「は………… い、はい、っ………」

  響「……だいじょうぶ。自分、ここにいるよ。貴音が落ち着くまで、一緒にいてあげるから」








  響「そしたら…… もう、あっちには帰らないの?」

 貴音「帰らない、というより、"帰れない"と言ったほうが正しいのかもしれません」

  響「そう、なんだ……」

 貴音「よいのです。これは、わたくしが望んだことです」

  響「…… 貴音、あっちに家族とか、残してきちゃったってこと?」

 貴音「ええ。ですが、なにも永劫の別れというわけではございませんから」

  響「え?」

 貴音「響とわたくしが、こうしてまた巡り会えたように…… いずれ巡り会わせが、あるやもしれません」


  響「…… 貴音の、家族かぁ。会ってみたかった気もするぞ」

 貴音「そういえば、響にも話しておりませんでしたね。実はわたくし、妹がおりまして」

  響「妹さん!? いたんだ! へえー、きっと貴音に似て美人なんだろうなー」

 貴音「その妹がこのたび、わたくしの跡目を継いでくれることになったのです」

  響「そうなのか。自分、詳しくはわかんないけど、いろいろ大変だろうね」

 貴音「ええ…… ですが、あの子なら、見事にやり遂げてくれると信じております」

  響「貴音の妹さんなら、大丈夫に決まってるさー。ところでその子と貴音、いくつ年が違うの?」

 貴音「三つの違いですから、ああ、響、貴女よりひとつ下ということになりますね」

  響「へー、年も近いんだ。あ、ひょっとして、貴音と同じような銀髪だったり?」

 貴音「そうです。これは月でも、特にわたくしどもの家系に特徴的なものでして」

  響「…… 妹さん、貴音のマネしてるみたいな髪留め、つけてたりする?」

 貴音「ああ、そういえばあの子も…… ふふ、響、まるであの子を見てきたかのようですね」



  響(…… もうこれ絶対間違いないぞ、あいつ、貴音の妹だったんだな!?)


  響(月の人なんて貴音込みで二人しか知らないから、てっきりみんな銀髪だって……)


  響(喋りとか物腰とかなんか似てたし、見た目も貴音がちょっと縮んだみたいだな、とは思ってたけど!)




  響(で、話聞いてるかぎり…… 貴音、このひと月くらいの記憶だけがすっぽりなくなってる)


  響(――当然、その間ちっちゃくなってたことも、自分と暮らしてたこともまるで覚えてない!)


  響(月から来たこととか、家族のこととかはちゃんと覚えてるのに……)


  響(それに、自分があいつと会ってるってことも、この分だときっと知らされてない)


  響(それもこれも全部、あいつがわざとやったことなんだな!? もー!!)











【New Moon / 0.6】

  響「……あ! しまった、両方作るとなるとあんこが足りないなー」

 貴音「あんこ、ですか? できあいでなくとも、小豆を炊けばよいのでは……」

  響「あのねー、貴音。ふつうの女子高生はあずきなんて家にストックしてないの!」

 貴音「ふつうの女子高生の部屋に、わにやももんがはいないと思うのですが」

  響「うがーっ!? い、いまそれ関係ないでしょ!」




  響「ってことで、とりあえず大急ぎで買ってくるよ。貴音、その間お留守番してて」

 貴音「それならば、響、わたくしもお供しますよ」

  響「いいよ、今日の貴音はお客さんなんだから。自分、ダッシュで帰ってくる! いってきまーす!」

ガチャッ パタン

 貴音「…… ふふ、まったく、せっかちなのですから。いってらっしゃいませ」






 貴音「はて、しかし、響のいない間、どうしたものでしょうか」


 貴音「…… ひと月が過ぎた、と聞くと、なにやら響のお部屋もずいぶん懐かしいように感じますね」


 貴音「そうです! せっかくですから響の家族の皆に、しばらくぶりのご挨拶を――」






ねこ吉「ウニャー」スリスリスリ

バチンッ

 貴音「ひああぁっ!? ね、ねこ吉殿! おどかさないでください……」


 貴音「……む? ねこ吉殿。それはいったい、何をくわえているのです?」

ねこ吉「ナーゴ」

 貴音「おや、わたくしにくださるのですか。ふふ、ありがとうございます」

ねこ吉「ニャーン」スタスタスタ




 貴音「しかし…… これをいただいたところで、残念ながら、わたくしにはどうしようも……」

 貴音「響ならば、かんたんに仕上げてしまうのでしょうが」




 貴音「……この、棒。なぜこれがまだ付いたままなのでしょう?」

 貴音「ええと…… たしか、このように持って――」

 貴音「………… ここを、こうして…… 引っかけて、輪から、引き抜いて…… おお!」

 貴音「それならば、次は…… こちらに出たぶんを、このように……」













ガチャ

  響「貴音、ただいまーっ! いやー今日は外すっごい冷えてるぞ、寒かったー」

 貴音「はっ!? ひ、響、お帰りなさい」ササッ

  響「あーっ。貴音、いまなーんか隠したなー?」

 貴音「いっ、いえ、そのようなことは決して!」

  響「ほんとにー? つまみ食いでもしようとしてたんじゃないの?」

 貴音「わたくしが、ですか? まさか。そ、それより、意外と時間がかかったのですね」

  響「うん、ちょっと遠出しないと売ってなかったんだ…… って、へへー、隙ありっ!」ヒョイ

 貴音「ああっ!? 響、それはっ!」

  響「ふふーん、その焦りようってことは、やっぱりカップ麺かなんか――」






【きみとふたり】









  響「………… 貴音。これ、って」

 貴音「あの…… ですね、その、ええ、それは……」

  響「……」


 貴音「…… 申し訳ありません、響。それはやはり、響の作品なのですね?」


 貴音「実は、響の外出中に、ねこ吉殿がそれを持ってきまして」

 貴音「響が作っている途中のものを、勝手にねこ吉殿が持ち出したのだと思い」

 貴音「受け取ったのち、手の届かないところにしまっておこうと考えたのですが…… その……」

 貴音「…… 見よう見まねで手にしてみたら、急に…… わたくしも、やってみたくなりまして」

 貴音「それで…… 試してみたところ、それらしく出来たものですから、つい…… 熱が入ってしまい……」


 貴音「………… ただ、どうにも不思議なのです」

 貴音「わたくし、これまでに編み物をたしなんだことは一度もないというのに」

 貴音「なぜか、手が、覚えている…… というのでしょうか、手順がわかる気がするのです」

 貴音「…… とはいえ何分、初めてのことですので、いささか不恰好ですが……」

 貴音「それにしても、晴れた空のような…… 澄んだ海のような、この色。響に、ぴったりだと思います」

 貴音「この毛糸は響が選んだのでしょう? きっとよく似合いますよ、わたくしが保証……」




 貴音「………… あの…… 響?」




 貴音「なぜ、泣いているのですか?」






  響「うれし、くて、さ…… 貴音が……、たかねが、マフラー、編んで、くれたのが、うれしくてさ……」


 貴音「大げさなのですから…… なにも、泣かずともよいではありませんか」

  響「それに、貴音が…… いま、こうやって、ここにいてくれるのが自分、ホントに、うれしくて……」

 貴音「ふふ…… 涙をふいてください、響。ほら、このまふらー、巻いて見せてくれませんか?」

  響「…………ん。うん…… うんっ!」




  響「えっと…… どう、かな?」

 貴音「ああ、思ったとおり、響にたいそう似合います。わたくしの目に間違いはありませんでしたね」

  響「それにこれ、すごくあったかい。やっぱり手編みっていいな」

 貴音「きっと、毛糸の質もよいのでしょう。わたくしが編んだ部分の粗も目立たず、助かります」

  響「…… ……あっ、そうだ、貴音、ちょっとこっちに来てくれる?」

 貴音「はい? なにか、ありましたか?」


  響「ちょっとね。こっち来て座ってよ、ほら。自分も座るから」

 貴音「はて……? それでは、失礼して」

  響「ありがと、じゃあ、少しじっとしててよ」

 貴音「響? いったい、なにを――」




 貴音「!」




  響「ね? こうやって、一緒にマフラー巻いたら、もっとあったかいよ」

 貴音「ええ…… まことに。少々長すぎるようにも見えましたが、こうすれば、丁度よいですね」

  響「……こうなるのまで見越して長めに編むつもりだったのかな、たかね」

 貴音「? わたくしが、どうかしましたか?」

  響「………… ふふーん、内緒だぞ。トップシークレット、ってやつさー」

 貴音「おや…… ふふっ、お株を奪われてしまいましたか」


  響「あのさ、貴音」

 貴音「なんです、響?」

  響「これからはさ…… これからも、さ、ずぅっと、一緒にいてね」

 貴音「何を今更。わたくしが響を置いてどこかへ行ったことなど、一度でもありましたか」

  響「ん…… ない、ね。たかねはずっと、隣にいてくれたよ」

 貴音「そうでしょう? 万一いなくなるとしたら、響の方ではないかと――」






 貴音「――響、見えますか?」

  響「うん。雪、降ってきたね」


 貴音「どうでしょう、明日には積もるでしょうか」

  響「どうかなあ…… 夜どおし降るようなら、可能性はあるかも」

 貴音「きっと、たくさん積もりますよ。そんな気がいたします」

  響「貴音が言うなら、きっとそうだよ」

 貴音「実は、積もったらわたくし、作ってみたいものがありまして」

  響「なんだか当ててみせようか。貴音の身長より大っきいくらいの、雪だるま、でしょ?」

 貴音「……なんと! 今日の響の勘は、やけに冴えていますね」

  響「たかねの…… 貴音のことだもん。聞かなくたって、わかるよ」

 貴音「それは頼もしいかぎりです。では、わたくしが今、何を考えているかもわかりますか?」

  響「そうだなぁ、きっと、こうじゃない?」

  響「"寒いから、あったかくて、あまあまの、マシュマロのせたココアが飲みたい"」

 貴音「…… ふふっ…… どうやら、本当にお見通しのようですね。さすが、響はかんぺきです」


  響「当然だぞ。そしたら、ココア作ってあげる前にひとつ、自分のお願い聞いてくれる?」

 貴音「ええ。わたくしにできることなら、なんでも」

  響「ホント? じゃあ、さ…… あと5分だけ、このまま一緒に座ってて」

 貴音「はて…… それだけでよいのですか? いったい何を頼まれるものかと思っておりました」

  響「それだけでいいよ。それだけで、もう充分」

 貴音「お安いご用です。しかし、5分とはいえ"おあずけ"なのでしたら、ただのここあでは少々物足りませんね」

  響「へえ? じゃあ、どうしたらいいの?」

 貴音「決まっております。よろしいですか、わたくしの分は」


   「「ましゅまろをふたつに増やしてください」」


 貴音「……!」

  響「ぷっ…… くくくっ、あはははは! やっぱりなー!」

 貴音「参りました…… さすがは響です。わたくしのことを、よくわかっていますね」

  響「だって、自分はカンペキだもん。でもさ」

 貴音「でも?」


  響「となりに貴音がいてくれないと、たぶん、ちょっとだけ足りないんだ」


 貴音「…… ふふ、そうですか。響の"かんぺき"を背負うとなると、わたくしの責任は重大ですね」

  響「ホントだぞ。だから、ね、今はもうちょっとだけ、このままでいて?」

 貴音「くすっ…… ええ、承知しました」






 貴音「…… 5分でいい、などと言っておきながら。まったく、もう」

  響「すぅ…… むにゃ……」

 貴音「このような昼間から…… わたくしの知らぬところで、よほど気苦労があったのでしょうね、響」

  響「………… ふぁ…… ね、たか、ねぇ……」

 貴音「はいはい、わたくしはここですよ。誰かさんが肩を占領しておりますので、動けません」

  響「……ん、ふふ、」

 貴音「そんなに嬉しそうな顔で…… どのような素敵な夢を見ているのでしょう?」




 貴音「これほどそばで見るのは、なんとも久しぶりのような…… 相も変わらず、見事な黒髪です」

  響「くぅ…… ……」

 貴音「少しくらい触れても構いませんね? 肩をお貸しするぶんの役得、ということで」






 貴音「響の御髪は、本当に豊かで、艶々としていて…… 触れていて、心地がよいですね……」




 貴音「それに…… くすっ、この"つの"。なにゆえ、このように面妖なものができるのでしょうか?」




 貴音「まだ起きませんか、響? ……でしたらもう少しだけ、触れさせていてくださいね」









  響「…… ん、ぁ……? あっ、貴音、自分、寝ちゃってた……?」

 貴音「おはようございます、響。すやすやと、それはもうよく眠っておりましたよ」

  響「ご、ごめん! 約束だもんね、すぐココア作ってくるぞ」

 貴音「それもたいへん魅力的ですが…… もう少し、このまま雪を眺めませんか?」

  響「えっ? でも――」


 貴音「響が隣に居るあたたかさを…… 響の隣に居るあたたかさを、堪能していたいのです」


  響「…… うん、…………うん。じゃあ、もうちょっと、このままでいようか、貴音」

 貴音「ええ。いま少し、このままでおりましょう、響」








  響「そうだ。貴音、自分ね、貴音に渡したいものがあるんだ」

 貴音「まことですか? わたくし、いったいなにを頂けるのでしょう」

  響「実はいま、もうポケットの中に持ってるの。なんだと思う?」

 貴音「ということは…… そこまで大きなものではないですし、それに食べ物でもありませんね」

  響「うん、食べ物じゃないな、そこはごめんね。じゃ、ちょっと横向いてくれる?」

 貴音「横、ですか?」

  響「そうそう、横。自分に横顔向ける感じで」

 貴音「はて…… ますます贈り物の正体がわからなくなってまいりました」

  響「いいからいいから、ほら、早くっ!」




 貴音「ふふ、はいはい、急かさないでください。それでは…… これでよいでしょうか」



  響「ばっちりだぞ、ありがと。じゃあ、ちょっとだけそのままでね」



 貴音「む…… 響? なぜわたくしの耳をひっぱるのですか?」



  響「あー、ダメダメ、じっとしててってば。また、自分がつけてあげるからさ」



 貴音「"また"?」







  響(………… ばいばい、たかね。あっという間の一月ちょっと、ほんとに楽しかったぞ)








  響(そして…… おかえり、貴音。やっぱり自分、貴音と一緒だと落ち着くさー)





  響「…… はい、できたぞ!」

 貴音「この耳飾り…… いやりんぐを、わたくしに?」

  響「うん。言っとくけど、これずーっと前から用意してたんだからね、自分」

 貴音「本当にありがとうございます、響、大切にいたします! ただ……」

  響「ただ?」

 貴音「…… わたくし、響へのお返しの持ち合わせが、何も……」

  響「あはは、なんだ、そんなこと? 自分もちゃんと、貴音からプレゼント、もらってるさー」

 貴音「お気遣いは嬉しいのですが、何も用意していないのにそう言われるのでは」

  響「だってほら、このマフラー。貴音が編み上げて、自分にくれたじゃないか」

 貴音「しかし、それは、もともと響の作品ではありませんか」

  響「ちがうよ。これを作り始めたのはたかねだし、完成させたのも貴音だぞ」


 貴音「響? わたくしが手を加えたのは、本当に最後の一部のみなのですよ」

  響「だとしても、これは貴音が自分に作ってくれたプレゼントなの!」

 貴音「ですが……」

  響「そこまで言うならさ、ほら、よーく見て?」

 貴音「はい?」

  響「この、微妙にそろってない編み目。むしろ、貴音が最後にやったとこのほうが綺麗じゃない?」

 貴音「む………… たしかに言われてみると、そのような気もしてきます」

  響「でしょ? これは、間違いなく貴音がひとりで編んだマフラーさー。ね?」

 貴音「なんとも面妖なことですが…… そう、なのでしょうか?」

  響「もー。カンペキな自分がそうだって言ってるんだから、信用してってば」


  響「だいたいさ、貴音。お返しなんて考えなくていいんだよ」

 貴音「そういうわけには参りません。わたくしだけ贈り物を頂くのでは、不公平です」

  響「はあ…… やっぱりその分だと、きょうがなんの日かまーだわかってないなー?」

 貴音「? はて、何の日、とは?」

  響「あのね、1月の21日だよ? まさか、そこまで忘れちゃってるわけじゃないよね」

 貴音「…………なんと! 確かに、昨日が新月で…… まるで気づいておりませんでした」

  響「思ったとおりさー。だから、さっきのイヤリングは自分からの誕生日プレゼントだぞ!」

  響(…… まあ、クリスマス兼用なんだけど。そっちはほとんどひと月遅れで)

 貴音「ああ、まだ師走のような気がしているというのに、世の中はずいぶんと様変わりを……」


  響「それに、きょうは二重に誕生日みたいなものでしょ?」

 貴音「どういうことです?」

  響「もともとの貴音の誕生日なだけじゃなくて、地球人・四条貴音の初めての誕生日でもあるってこと!」

 貴音「……!」

  響「まー、なんて言っても、あんまり豪華なお祝いはしてあげられないけど」

 貴音「なるほど…… 本日は、わたくしにとって、記念すべき一歩目になるのですね」

  響「うん。これからまた、一歩一歩、一緒にやっていこうよ」

 貴音「………… はい……!」


 貴音「その門出を、いちばんに祝ってくださるのが、響で…… わたくしは、本当に幸せです」

  響「…… 一緒に祝ってあげられる自分も、同じくらい幸せ者さー」






  響「じゃあ話に決着ついたところで、自分、約束のココア作ってこなくちゃ」

 貴音「はっ、そうでした! よいですか、わたくしの分のましゅまろはふたつですからね?」

  響「はいはい、ちゃんとわかってるって。ちょっとだけこちらでお待ちを、姫様」

 貴音「おっと、お待ちください、響。まふらーはほどかずとも大丈夫ですよ」

  響「えっ、どうして? いくら長くても、さすがに台所までは届かないぞ」

 貴音「わたくしが響についてゆけばよいのです。大丈夫です、後ろで静かに待っておりますゆえ!」

  響「そんな、貴音、いぬ美のリードじゃないんだから……」




 貴音「さあ響、早く、早く参りましょう! 甘いここあがわたくしたちを待っております!」



  響「…………ふふっ、まったく。貴音、ほんとに中身がたかねだったりしないよね?」



 貴音「はて、響、なにか言いましたか?」



  響「なんでもないぞ。さーて、それじゃ姫様! いざまいりましょう、お台所へ!」



 貴音「はいっ!」







  響「貴音!?」たかね「めんような!」 おしまい。





本作の投下は、これでおしまいです。



1年以上にわたりお付き合いいただきまして、どうもありがとうございます。


たくさんの乙や感想レス、素敵なイラストのご紹介など、どれも大変嬉しかったです。
まとめてのお返事で恐縮ですが、改めまして、本当にありがとうございました。

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