魔王「最善の選択肢と、悪魔の望む回答」  (115)



――聖王国

美しく豊かな国、聖王国。
賢く民思いの王が治めるこの国に、一人のお姫様がいた。


姫「お兄様―!」タタタッ

兄王子「姫。 ……コラ!」ペシン

姫「きゃっ」

兄王子「廊下は走っちゃいけません。……そうだろう? レディ」

姫「えへへ……。 はーい!」


姫には兄が一人。
本人は厳しくしているつもりらしいが、姫にとってはよく可愛がってくれる優しい兄だ。


兄王子「それで、どうしたんだい? 何か僕に用事?」

姫「あのね、お兄様。お母様がドレスを新調してくださることになったの! 生地とデザインを選ぶのを手伝ってくださらない?」

兄王子「うーん。手伝ってあげたいけど、今は少し忙しいんだ」

姫「ご用事ですか?」

兄王子「父君に呼ばれていてね。……先日に軍師と話していた、魔王国との防衛線の強化の件じゃないかと思ってる」

姫「そう……。御国のことだったら、邪魔するわけにもまいりませんね…」

兄王子「いい子だね、姫。理解してくれて助かるよ」

姫「私では口を挟めない事ですもの。……御国を守る大切な仕事だとわかっているわ。応援してるね、お兄様」

兄王子「うん。姫のためにも、国のみんなのためにも…いつか父君のような王になるためにも、しっかり勉強してがんばってくるよ」

姫「えへへ、はい!! でも、お手が空いたら 是非いらしてくださいね!!」



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兄王子が苦笑しながら片手を挙げて去っていくのを、元気よく手を振って見送った。
その後で小さく、ため息をついてしまう。


姫「……えへへ。ちょっと残念。でも、仕方ないことよね」


姫には年頃の友人など居ない。
城に仕える女中などと談笑することはあるが、その関係性は明白だ。

身内とすごしている時間だけが、唯一 気楽に楽しめる時間だと感じていた。


姫「……これから先、きっとお兄様はもっと忙しくなられるんでしょうね」


ここ一年ほど、兄王子は父王に付いて、政治や軍事などの会議に積極的に参加して勉強している。
以前、暇をもてあまして兄王子の部屋を訪ねた時には、たくさんの厚い書物を真剣な目で読んでいた。


自分も兄も、いつまでも子供のように遊んでいられるわけではない。
兄を頼りに、楽しく過ごしていたいだなんて――甘えているわけには、いかないのだろう。

姫も姫なりに、自らの成長を望んでいた。
“いろいろなことを、ひとりでも出来るようになれたら”と、憧れに似た強い思いを胸に抱えている。
その一方で、“姫”という立場上 ひとりで様々なことを行うには無理があることも――。



姫「あら? ……今、庭先に 何かの影が」


視界の端。ふと廊下の窓から見えた影を追って、中庭への階段を降りていく。
その正体はすぐにわかった。一匹のリスだ。


姫(まあ、可愛らしい…。そうだわ。動物などを飼ってみれば、この寂しさを紛らわすこともできるかもしれない)


ふと思いついたそれは、なかなかの妙案に思えた。
自分で選択できる“自由な行動”。 “責任を負える行動”。
今の姫にできる事としては、リスの飼育ぐらいが適切だろう。


姫(それよりも難しいことは… きっと求められていないし、私自身でなんの責任も取れないもの)


自分はこの国の姫として、平和の象徴であってほしいと求められている気がする。
家臣にも国民にも、対外的にも 「愛らしいお姫様が幸せそうに笑っている、穏やかな国」であると示すための存在。

考えてみれば大事な役割だ。国の安定を誇示するのと同義。
おそらくどこの国においても、ある程度まっとうに扱われている姫の役割は、ほぼその一点に置かれている。

そこまで考えてから、頭を振ってもやついてしまった思考を払い落とす。


姫「……リスさん、どうぞ私と一緒にいらしてくださいな」


姫は、リスを追いかけた。
小さな責任を自分で負ってみたいのか、それとも仲間を求めたいのか。
自分の中で答えなど出せないまま、夢中になってリスを追い掛け回した。




―――――――――――――――――――――

半刻後 中庭。


衛兵A「中門、異常無し…と。 ん? おい、あそこの木の上。誰かいないか?」

衛兵B「何? ……な、あれは… 姫様!? いったい何事だ!?」

衛兵C「何か異変でもあって、お隠れになっているのでは…!?」

衛兵B「何?!」

衛兵A「隊長に連絡を! それからすぐに梯子を持て! 周辺警戒と姫様の警護もだ!!」


ふと我に気づいて周囲を見渡すと、背後が騒がしくなっていた。
わぁわぁと駆け寄ってきた衛兵に、姫は目を丸くする。

リスを捕まえるために真似事程度の木登りをしただけ。
それが騒ぎになるとは夢にも思っていなかった。


姫「も、申し訳ありません! どうかご心配なさらず! リスが木の上に逃げていったので、追いかけただけなのです!!」

衛兵「では、ご無事なのですね!? 今すぐに梯子を持ってまいります! どうぞしっかりと木に掴まっていらしてください!!」

姫「は、はい…!!」



慌てて事情を説明し、無事であることを必死に伝えたが、どうやら既に遅かったようだ。
自力で降りれる程度の高さだったが、衛兵の真剣な迫力に押されて 指示通り木にしがみつく。


結局、梯子をかけられ、手をとられ、3人がかりで木から降ろしてもらった。
あまりの申し訳なさにペコペコと頭を下げて謝罪し、お礼を言った。


「木登りだなんて、姫はいつまでたっても お子さまだね」


忍び笑いとともに優しい声が響いて、そちらを振り返る。
兄王子が、笑いながら歩いてくるのが見えた。


姫「お兄様。……どうしてこちらに?」

兄王子「会議の途中、衛兵が兵隊長を呼びに来てね。姫の一大事ということで、みんなで駆けつけた次第さ」

姫「み、みんなで……ですか?」

兄王子「そう、みんなでだよ」


兄王子が苦笑しながら、小さく後ろを指し示した。
そこには兵隊長と共に、衛兵から事情を聞いている父王の姿。その他にも、そうそうたる顔ぶれが揃っている。
姫はそれだけでも、あまりの自分の情けなさに顔を覆い隠したくなったというのに――


兄王子「姫、姫。今度はコッチからも」

姫「え?」クル


后「姫!! ああ姫、ご無事なのね…!!」タタタタ…!

女中「本当によろしゅうございましたね、お后様…! 私、すぐに状況などを確認してまいります!」タタタッ



姫「は、母君までいらっしゃったの…!?」

兄王子「当たり前だよ。姫に何かあったなら、僕たちみんな駆けつけずには居られないさ」

姫「お兄様もお父様も、もちろんお母様もお忙しいのですから! どうか、そのように私のことなどご心配なさらず!」


姫が顔を真っ赤にしながらそういうと、兄王子は頭をぐしゃぐしゃと撫でてきた。


兄王子「僕たちはね、大事なヒトに何かあったら 必ずすぐに駆けつけていけるくらいの――、そんな平和で余裕のある国づくりのために頑張っているんだ」

姫「あ……」

兄王子「それを目指している父君や僕が、そうしないわけないじゃないか。いつだって、駆けつけていくよ」

姫「お兄様……」


優しく笑う兄王子の瞳が、「本当だよ」と語りかけてくる。

姫の元につくなり抱きしめてきた母君は、「怪我がなくてよかった。落ちたら大変なのよ」と御説教モードだ。
脇目には、衛兵に木を登らせてリス取りの指揮を執る、少し間の抜けた父王の姿も見える。
その場に集まった誰もが、「よかったよかった」と笑っていた。誰一人として、姫を責めることはなかった。

この国の優しさと、暖かさ。
そして自分に求められている平和の象徴としての役割もまた、ただのポーズではなく
事実そうあって欲しいという 皆の暖かな願いから派生しているものなのだと実感した。

どこまでも深く愛されている自分を否応なしに自覚して―― 姫は深々と、心から頭を下げることしか出来なかった。


―――――――――――――――――――――


ある初春の日。
姫は后に呼ばれて、茶席をともにしていた。


姫「え? 湖畔に御参り…ですか?」

后「ええ。そろそろ季節も暖かくなりはじめたもの…湖にいらっしゃる水の神様に、降雨のお願いをするのよ」

姫「素敵! お母様、私もいきたいです!」

后「もちろんよ、姫。これは王家の女性の大切な仕事…今年からは貴方にも覚えてもらうわ」

姫「はい!! 私、がんばります!」


元気よく返事をした姫に、后も女中もにこやかに笑い返してくれる。

この国の例年行事である降雨祈願。
国を挙げて祭る賑やかさこそないが、国としては重要な奉り事だ。
その期間はピリリと張り詰められた厳かな雰囲気に包まれ、誰しもが準備に余念がない。

姫は毎年、その期間は自室に篭ってさまざまなことを慎み、無事の祈願を祈るだけだった。
それが今年からは同行が許されたのだ。姫にとって、どれほど嬉しかったことだろう。


姫(ふふふ… 湖ですって! そんなに遠くまでお出かけをするなんて、私はじめてだわ!)



自室に戻ってからも、その喜びをこらえきれずに落ち着きなくすごしていた。
そんな時にノックの音がしたので、兄王子が部屋に入ってきたのを飛びつくようにして出迎えた。


兄王子「やあ、姫。元気そうだね」

姫「お兄様! ねえ、聞いて! 私ね、今年からはお母様と、降雨の御祈願に湖に行けるの!」

兄王子「うん、知ってるよ。去年、母上が御祈願に参られた時には、僕は道中の護衛の一人として供をしたし」

姫「まあ、そうだったの!?」

兄王子「そのことで伝えておかなきゃならないことが――」

姫「きっと素敵なところよ! ねえお兄様、そこに綺麗な鳥は居ますか? 青々と茂った草や、広々とした――

兄王子「姫」

姫「っ!」


兄王子「………姫。大事なことだよ、よく聞いて」

姫「お兄様…?」


兄王子「その湖が、魔王国との国境にほど近い場所にあるのは聞いているかい?」

姫「魔王、国……に?」

兄王子「そう。だから姫たちがここを出るよりずっと先に まず討伐隊が出て、魔物を排除するんだ。それから警備兵が配置されて…」

姫「あ……。その、では… 湖というのは恐ろしい場所なんですか…?」

兄王子「……」ニコ


兄王子「大丈夫。国中の兵士達が数ヶ月をかけて、とても慎重に“穢れ”を取り除いている」

姫「穢れ…?」

兄王子「そう。神への祈願の場所だからね。魔物も殺すのではなく、追い払うんだ」

姫「……」ホッ


一瞬、生々しい争いの跡地を想像してしまった。
いくら綺麗な場所だったとしても、洗い流した血の上だと知っては心穏やかにすごせそうにない。


兄王子「危険な場所に、母上や姫を送り出すことはないよ。すべての安全は確保される。……姫が向かうのは、周囲の安全確認や人払いも済み、庭師や侍女が万端整え終わった頃さ」

姫「毎年、城内があんなに緊張しているのは…その支度に万全を期す為だったんですのね」

兄王子「そうだよ。万が一の手落ちがあってはいけないと、皆が緊張しているんだ」

姫「ですが、いったい何故 それほどまでに……?」


兄王子「祈願が始まれば、そこは男子禁制の祈祷場になるからだ」

姫「……」ゴクリ

兄王子「魔王国の国境に近い広大な範囲に、実戦経験もろくにない女性衛士数人。そこにこの国の聖母であられる母君と、君を置き去りにするんだ… 正直、生きた心地がしないよ」

姫「お、お母様は毎年、そんな場所でお過ごしでしたのね…」

兄王子「いいかい、姫。 決して、無茶をしてはならない。決して、勝手なことをしてはならない。決して、“子供でいてはならない”…… わかったね?」

姫(子供で…いては、ならない)


兄王子の瞳はいつになく真剣で、冗談を許さない険しさを伴っていた。
気圧されるようにして 言われた言葉を何度も口の中で反芻する。

そんな姫の姿に満足したのか、兄王子はポン、と姫の頭に手を乗せてから
静かに部屋を出て行った。


そして……

・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・


―――――――――――――――――――――

初夏。
降雨祈願の為の参詣行列が、ついに出発した。

何台かの馬車のひとつに、姫と后は一緒に乗り合わせている。
城下を離れる頃には周囲にはまだ騎士もたくさん配備されていたが、
湖に近くなるにつれて 年配者や既婚者など段階的に列を外れていった。

そして今、最後まで残っていた少年兵が 緊張した面持ちで辞列の礼をした。
馬引きでさえも、いつのまにか女性に代わっている。


后「姫。どうしたの、落ち着かない?」

姫「あ、いえ…。その」

后「ふふ。兄王子に何か言われたのね? 守ってやれないんだから無茶をするな、とか なんとか」

姫「ど、どうしてわかるんですか!?」

后「ふふふ。去年、あの子が隊列を離れるときに 私がそう言われたからよ」

姫「あ、あはは…… お兄様ったら…」

后「あ。ほらほら、もうつくわ… 見て御覧なさい」


視線にうながされて車窓を見ると、新緑の中で眩しいほどに陽光を反射して輝く湖があった。
あまりの鮮やかさに、目を慣らさねばなかなかまっすぐ見ることも出来ないほど。
だけれど一度見てしまえば、心奪われて目を離せなくなるような…

そんな美しい場所が、目の前を流れていった。
姫がほとんど放心に近い状況で見とれている間に、馬車は別邸に到着した。


后「御祈願は朝一番。それから7日間毎日続くのよ。今からそんなに気を張り詰めていては倒れてしまうわ」

姫「は、はい…」

后「そうね、今日は初日。兵士の方たちが敷地を徹底警戒してから撤退したはず… 姫、少し様子を見てきてはどう?」

姫「えぇ!?」

后「王家の女が一人で出歩ける機会なんて、この1日しかないのよ… もちろん、父王様にも兄王子にもヒミツだけどね?」

いたずら交じりのウインク。きっと母も、そうして楽しんだ過去があるのだろう。
姫は言葉に甘えて、おそるおそる別邸を出ることにした。

荷降ろしの混雑にまぎれてこっそりと列を外れる。
途中で女性衛士に声をかけられて、肩を跳ねさせる。

女性衛士はそれをみて、小さく笑って何も言わずにペコリと頭を下げたまま見送ってくれる。


姫(黙認、ってこと…かしら? な、なんか想像してた怖い雰囲気とはずいぶん違うのね…?)


少し意外だった。
母の垣間見せたいたずらな一面も、女性だけの環境で穏やかに流れる 不思議な時間も。


姫(お母様でも……城の中で息を詰まらせることくらい、あったのかな)


こんな危険な行事が例年実施されるのは、もしかしたら城中の女性にとって祈願以上に重要な意味があるのかもしれない
そんなことを思いながら別邸を後にする。


そのあとしばらく、姫は一人で湖畔の側を歩いた。
きょろきょろとあたりを見回して誰もいないことを何度も確認した。
そして、ドレスの裾をもちあげて湖に足を浸したりすると、胸がドキドキした。

ハイヒールをそろえて片手に持ち、裸足で草むらを歩いた。
スカートの裾が乱れるのも気にせず、くるくると回って踊った。
髪に草葉がつくのも構わず、寝転がって空を見上げた。
鳥の声にあわせて、気の向くままに声を張り上げて歌い上げた。
大きな口をあけて、おもいきり空気を吸い込んだ。


姫(~~~~っ!! 素敵!! 素敵、素敵素敵!!)


たったそれだけのことが、城の中で生きることが当然であった姫にとって……どれだけ興奮する出来事だったことだろう。

紅潮した頬の赤みもとれないまま息を弾ませて別邸に戻ると
クスクス笑う母上と女中が シィー、と指を唇に当てて出迎えてくれた。

それがおかしくて、何も言葉にしないまま いつまでも笑っていられるような気がした。



―――――――――――――――――――――

7日間に及ぶ降雨祈願の儀式はつつがなく執り行われた。
湖の正面につくられた祭礼台に儀式終了を終える枝葉が飾られて、どこか寂しげに風に揺れている。

別邸の中では、ささやかな慰労のための茶会が開かれていた。
女中も衛士もにこやかに笑って、それぞれに茶を汲みかわしては談笑している。


后「今日で御祈願もおしまいね。お疲れ様、姫」

姫「お母様こそ!! お母様の連日の舞、とてもとても綺麗でした!」

后「ふふ。今年はまだ、お手本を見るだけですけれど、帰ったら姫にも舞を覚えてもらいますからね?」

姫「ふふふ……」

后「姫?」

姫「見ていて、お母様!」


手に持っていたカップをテーブルに置くと、少し離れた空間に立ち、一礼する。
そしてそのまま、合わせの楽もないままに舞い踊る。


后「まあ、姫。貴方…」

姫「この7日間、目に穴が開くほどお母様の舞を見ていましたわ。まだ、少しうまく出来ないところがありますけど…」

后「ふふ。いいえ、とても上手よ。本当に…来年が、楽しみだわ」

姫「えへへ…はいっ! 私、しっかり御祈願のお役目を引き継げるようにがんばります!」


女中たちの拍手にペコリと礼をして席に戻る。
穏やかな茶会は昼前になって散会した。


その後で姫は自室に戻って、昼食代わりにお菓子で膨らませた腹を休ませていた。


姫(とは、いったものの…)

昼をわずかに過ぎた時間、皆が帰国のための支度に追われはじめた。
姫ははりきりすぎて、朝の祈願が始まる前にはすべての身の回りの整理を終わらせてしまっていた。なので、手持ち無沙汰もこの上ない。


姫(……もう、帰ってしまうのね)


別邸の窓から見える美しい湖。
初日に見に行ったあの草原は、きっと今日も美しいのだろう。


姫(……あの草原。あそこで、私もお母様みたいに舞うことができたら…)


美しい母の姿を、空想上の自分の姿に重ね合わせると胸が高鳴った。
部屋を出てきょろりと周囲を見渡してみるも、誰の目にも留まらない。


姫(少しだけ… 一度だけ…!)


姫(母のように。私も、この湖の神様にご挨拶をしたい…)タタタ…


今度こそ誰にも知られることのないまま
姫は、一人で別邸を抜け出していった。


今思えば、きっとそれは重要な選択肢のひとつだったのだろう。


初投下はここまでです。

◆WnJdwN8j0.さんと、同じテーマで書き比べて遊んでいます。 読み比べも大歓迎です。
以下 ◆WnJdwN8j0.さんのスレ→
姫「私の初恋と記憶の中の貴方」
姫「私の初恋と記憶の中の貴方」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1456125177/)

乙乙


―――――――――――――――――――――

湖のほとり


姫「……」


駆け足で訪れたその美しい場所で、上がった息を整える。
あまり長く抜け出したままでいるわけにはいかないだろう。

湖に小さく手を合わせ、見よう見まねの礼儀作法で神への挨拶を済ませた。
そして改めて呼吸を整え、頭の中に母の姿を思い出し…

リン。

頭の中で、儀式の鈴の音が鳴り響く。
目を閉じたまま、まぶたの裏の母の面影を追うようにして夢中に舞った。


・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・



舞を終えて、もう一度礼をする。
そこでようやく目を開け、視線を上げて湖を見ると……


湖の中に、人が立っていた。



姫「っ、きゃ……!?」

「………」


思わず、貴方が神かとたずねそうになった。
だがその人物は、姫をじっと見つめたまま微動だにしない。
まずなにより姫を困惑させていたのは……


姫(だ、男性!?)


この男子禁制の場所に、男性がいるという事実。

唐突にいつかの兄王子の忠言が頭をよぎり、姫は強い後悔と不安感に襲われた。
ジリと後ずさって、逃げ出そうとしたとき・・・


「待て」

姫「っ」

「……見事な舞だった。天女かなにかかと、思って見ていた」

姫「て、天女!?」

「違うのか」

姫「ち、違います! そ、それをいうなら、あなたこそ・・・神様でいらっしゃいますか!?」

「は?」

姫「え?」


―――――――――――――――――――――


あははは・・・
湖を背に、朗らかな笑い声が響く。

湖から上がってきた人物は確かに人間で、
目の色の深さが印象的な、落ち着いた雰囲気の男性だった。
彼は自分を騎士だと名乗り、人気がないのをいいことに息抜きの沐浴を楽しんでしまったのだと続けた。


騎士「それにしてもまさか、聖王国の姫君とは」

姫「ふふふ。そちらもまさか騎士の方だとは。お互い、とんでもない勘違いをしてしまいましたね」

騎士「ですが、こちらはそう大きな違いでもなさそうだ」

姫「え?」

騎士「聖王国の姫君の、あの舞を見たならば…神でさえも、天女の役目を与えるだろうから」


もしすこしでも茶化した物言いだったならば、上手な世辞だと感心もしたかもしれない。
だけれど騎士の瞳はどこまでも深く落ち着いていて、思わず真に受けてしまう。

慌てて謙遜してみせたが、返ってくる言葉のひとつひとつに褒め殺されるようで
しまいには沸騰しそうな顔の火照りに、言葉の一つも出せなくなってしまった。

騎士はそんな姫を見ているようだったが、もはや顔を上げて確認することも出来ない。



姫「~~~~あ、あのっ」


ようやくなんとか姫が口を開くと、ほとんど同時に騎士も話しはじめた。


騎士「とてもすばらしいものを見せてもらった。礼をしたいところだが…」

姫「礼だなんて… そんな。私はただ驚かせてしまったくらいで…」

騎士「自分はここに居てはならない者。どのようなものを渡そうと、姫に迷惑をかけてしまうだろうと思ってな……。どうしたものか」

姫(あ…そっか。騎士様に会ったことは勿論、ここに誰かがいたことも、私がここにきてしまったことも隠さなくちゃいけないんだった…)


騎士は立ち上がると、ゆっくりと周囲を見回したあとで少し離れた場所に行き、また戻ってきた。


姫「……?」

騎士「これくらいならば、いくらか誤魔化しようもあるだろうか」


騎士がそういって差し出したのは、小さな野花だった。
細い枝に小さな花がいくつも付いている。


姫「お花…?」

騎士「……バレて、姫が咎められないといいのだが」


騎士はそういって姫の髪の結い目に花を刺してくれた。


姫「ふふ…かわいい」

騎士「喜んでもらえるだろうか?」

姫「とても。この花が枯れてしまうのが今から悲しいほど」

騎士「……ならば…」


騎士は姫の肩を抱くようにして、髪に付けられた花に口づけをした。


姫(~~~~っ)

騎士「……これは、失礼。ほんの少しのまじないを花にかけようと…」

姫「い、いえ…っ そのぅ…」

騎士「……俺の思いと同様に、この花も枯れることはないだろう。だからどうか、悲しまないでほしい」


騎士はそういって姫に穏やかな瞳を向けた。


姫「………騎士、様…?」

騎士「失礼する…」


姫に背を向け、木の根元にまとめられた荷を整える騎士。
カチリ、と音がして 甲や剣を装備していく様子は見惚れるほどサマになっていた、が・・・


姫「っ」

騎士「……・申し訳ない」


騎士はその一言だけをつぶやくと、顔を背けたまま立ち去った。


姫(あれは… いまの、は…っ)


ちらりと見えてしまった、剣の柄。
そこに施されたものを、確かに見てしまった。あれは…


姫(魔王国の… 紋章…っ!?)


―――――――――――――――――――――

後日

特に何も問題は起こらず、姫達は城に戻った。
それから、かれこれ2週間が経つ。

城内の日当たりのいいサロンにはレースが掛けられ、大きく放たれた窓から入り込む風は心地いい。
姫は気分転換に部屋を出て、茶をしにきたそこで、ぼんやりと外を見たまま時間をすごしている。


姫「……」

兄王子「……姫? 僕の知る限り、昼前からそこにいるよね? 暑くないのかい?」

姫「……」


ぼんやりと呆けたままの姫をみて
やれやれといったしぐさで、兄王子が離れた場所のテーブルに座った。
茶を勧めに近寄ってきた侍女たちと兄王子の会話が耳に入ってくる。


侍女「姫様は御参りで、すっかりお后様の舞に魅了されてしまったようで。時々思い出したように舞われては、ああしてずっとぼんやりとなさっていらっしゃるのですよ」

兄王子「母上の舞はそれほどに見事なのかい?」

侍女「ええ! 男性には決してお見せできない、神様のための舞ですけれど」

兄王子「へぇ…。まったく父君も、よく神に妬かずにいられるものだね。父君の寛大さはとても僕には理解できそうにないよ」

侍女「まあ、うふふ」

姫「………」


ぼんやりと聞いていた会話。神様のための舞。

あの日、姫はあそこで舞ってしまった。
そしてそれを見ていたのは神ではなく、敵国の騎士だった…。


姫(天女のようだ、と褒めてくれた。礼がしたいと、小さな花を私のために摘んでくれた)


それから・・・

机の上に置かれた花。
あれから数日も経つが、枯れた様子どころか萎れることも散ることも無い。


姫(おまじない、といっていたけれど…)

――俺の思いと同様に、枯れることはないだろう――

姫(~~~っ)


騎士に肩を抱き寄せられた感覚を思い出し、姫は赤面する顔を隠すためにテーブルに伏せた。
そんなことを、今日だけで何回繰り返しただろうか。


姫(~~~~~~私っていうヒトは…っ なんて不謹慎で、ふしだらなのでしょう!!)


兄にも母にも、相談などできない。
愛されている自分が敵国の騎士に恋をしたなんて、きっととても心配される。
下手をしたら外出も控えさせられるかもしれない。あの手この手で恋心を忘れさせられてしまうだろう。

そう、恋をしてしまった。
あの騎士に。


姫(私、あの騎士様のことしか… もう、考えられない・・・っ)


一人で、考えなくてはならない。この恋心の行方をどうするのか。
忘れなければならないのはわかっている。だけど、忘れなければと思うほどに、思いを募らせてしまっていた。

いつもなら、誰かに相談して。誰かと過ごす時間に癒されて。
一人で思い悩んだことなんかなくて。


姫は憔悴しきって、その数日後にはついに寝込んでしまったのだった。



―――――――――――――――――――――

そして。


兄王子「姫…本当に大丈夫なのかい?」

姫「ええ、兄様。私なら大丈夫…。ご心配をおかけしてしまっているのが、何よりも心苦しいです」

兄王子「姫…」


湖畔の別邸へ姫は移ることとなった。
それは父王から姫に提案されたものだった。

願掛けをしたのだから、願ほどきの参詣もするべきなのかもしれない…
というのを名目に、旅程は組まれている。だがその実質は姫の静養のために他ならない。
だから、今回はたくさんの男性衛士も供に付くことになっている。

姫は、何十人もの人を巻き込むことになると知りつつも、その提案を断れなかった。

あそこへ行けばもう一度、騎士に会えるかもしれない。
そんな期待を、僅かにでも抱いてしまったから。


姫「……名目上、とはいえ 願ほどきの任も預かったのですもの。雨季を終える頃には、しっかりと役目を果たして戻りますね」

兄王子「うん…。うん、そうだね。しっかりと願ほどきをしたほうがいいのかもしれない……」

姫「お兄様?」


神妙な面持ちで考え込むように顔を伏せた兄王子を、不審に思って見上げた。


願ほどきなど、世間体を守り国民に心配を掛けないための口実に過ぎないはず。
それなのに、まるでそれこそが重要だとでもいいたげな口ぶりだ。


兄王子「姫は、神に気に入られてしまったんじゃないかなって… ちょっと考えてたんだ」

姫「神様に…私が?」

兄王子「美人薄命だのなんだの言うけれど、神に気に入られると手元に引き寄せられるというだろう?」

姫「あ…。そういえばそんな話も多いですね。星座とか神話とか…」

兄王子「うん。だけど御伽噺だけではなく、古い民話や伝承にも似たようなことは書かれている」

兄王子「万が一にも、大事な妹姫を神の国に連れ去られるわけにはいかないからね…。丁重に辞退させていただかなくては。ね?」ニコ

姫「……」


冗談とも本気ともつかない、兄王子の口調。
慰めまじりの優しい微笑みを向けられたものの、姫は微笑み返すことが出来ずに視線を落とした。


姫(神様に気に入られるどころか、私は神様を怒らせてしまったのかもしれない…)

姫(自分勝手な行動で、神聖な儀式の終わりに泥を塗ってしまったのだもの)

姫(神様への特別な舞を、軽々しく踊ってしまった私への報い。その賞罰として、この辛い恋を授かったのかもしれない…)


現実逃避ともいえる思考の中に沈み込む。

会うはずのない場所、会うはずのない時、会うはずのない相手。
それらがすべて神様が罰として差し向けたものならば、すべての疑問も解消されるだろう。



この恋が、あまりに幼い私への罰だというのなら
いっそただ 焦がれて焼ける、苦しくにがい思いにしてくださればよいのに。

ああ、神様。

こんなに苦しいのに
蕩けだしそうに甘い澱みに、もっと沈んで溺れたくなる……



心からの心配を込めて送り出してくれた家族や城の者達の姿に、姫の良心は痛んだ。
敵国の騎士に会いたいと思っている自分は、その人たちを裏切っているような気すらした。

だけどその痛みは、恋心の痛みには届かない。
腫れきって麻痺した患部をつねるような、じんわりとした痛みでは目を覚ますことも出来ない。

動き出した馬車を見送る声が聞こえてくる。
思わず眉をしかめたくなるほどどうしようもない自分の感情を直視することも出来ず
声が聞こえなくなるまでしばらくの間、姫は規則正しい馬蹄の音に思考をゆだねることにした――


・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・


―――――――――――――――――――――


順調な道程で、姫達は無事に別邸に到着した。
だが、姫は馬車の中で青い顔をしており、戸が開けられても降りることすらままならなかった。

移動中、期待にはやる気持ちに駆られては馬の足をもどかしく思い
そんな自分を責めて逃げ出したくなれば、否応なしに歩みを続ける馬の無情を嘆いて。

そんな風にして馬車に揺られていた姫は、
緩急をつけて訪れる時間の間隔に酔ってしまっていたのだ。

予定よりもわずかに早く、夕刻前にはついたが、姫にとってはそれでも長すぎる道のりだった。


早々に食事や部屋、入浴を整えてくれた侍女の気遣いがありがたい。
その後も誰もが道中の疲れをねぎらってくれ、姫をゆっくりと一人でいさせてくれるつもりらしかった。

静か過ぎるほどの部屋の中、
わずかに入り込む清涼な外気のおかげか、いつの間にか車酔いもすっかり落ち着いている。


このまま朝になるまで、おそらく部屋を訪ねてくる者はいない――
ベッドに横たわりながら、姫は何度もその推測を反芻していた。

そしてついに、その暖かい想いの隙をついて、部屋を抜け出すことにした。


姫「………っ」キョロ…


周囲を見渡し、敷地を出る。

抜け出したからといって、夜中にあの騎士に会えるとは、最初から思っていない。
元より、再開の約束をしているわけでもないのだ。

ただ、あの場所に行けばもっと鮮やかにあの騎士を思い出せるような気がして
飛び出さずにはいられなかっただけ。


姫(もうちょっと… この先が、あの時 私が騎士様にお会いした場所…!)


秋口までまだいくらか間があるというのに、
既に足元は独特の、乾燥した下草や落葉のふみ心地に変わっていた。

夏前に訪れたときの瑞々しさは今は無く、時折パキリと硬い枝を踏む感覚に足をもつれさせそうになる。
衛士によってすっかり万端整えられたあの時と違い、夏季で成長した草が無遠慮に姫の四肢に手を伸ばしてくる。

茨の道を行くのならこんなものでは済まないよ、と警告されている気がした。
だけれど止まれない。
もつれて踏み込むその足で、みっともなく求めに行くことしかできなかった。


ガサッ!


姫「はぁ… はぁ… っ、はぁ……」


開けた視界。
目の前に広がる美しい湖畔と、穏やかな水面、突き抜けるほどに高い夜空。
久しぶりの運動で、呼吸が乱れている。だけどそれを整えるほどには気も回っていなかった。

視界が開けたと同時、すぐに気づいてしまったのだ。
景色の真ん中に、あの時と同じように、人影があることに――


どれだけ会いたかっただろう。

はやる気持ちを抑えられず、相手の姿もしっかり確認しないまま、姫は呼びかけてしまった。


姫「騎士様……!」


姫の声に影が振り向いた。


姫「騎士様……! どうしても、どうしても…っ もう一度、お会いしたかった―――…!!」


絶え絶えに紡ぎだした悲痛な想い。
それに応えるように、逆光の中から差し伸べられる手。

その手を取りたくて、駆け出そうとしたその時になって、ようやく違和感に気づいた。


姫(え…… 違う。 これは… 彼は…)


認識するまでに時間がかかりすぎた。
差し出された手に浮かんでいるのは、攻撃魔法を意味する魔力の昂ぶりだ。


姫(――っいけない…!)


その掌が紫に光ったと思った瞬間、姫は避けることも出来ず
無抵抗で真正面から衝撃波を浴びせられ……そのまま昏倒してしまった。


紫色の光の中に姫が見たものは、怖ろしい魔族の姿だった。


今日はここまでにします。

いい雰囲気
期待


―――――――――――――――――――――

姫(……………ん…)


豪奢な一室で目が覚めた。
見慣れぬ部屋と静かな空間に、しばし ぼうっとしてしまう。

身体がほんのりと痛んだが、わずかな程度。
それが治療をされた後の倦怠感なのだと気がついて、同時に湖での出来事を思い出した。


姫「っ! ここは… 私はっ!?」ガバッ


慌ててベッドから身を起こし部屋中を眺めてみるが、上品な誂えの調度が鎮座する以外に何も無かった。
ひとまず胸をなでおろし、ベッドから立ち上がる。着衣もそのままだった。

無言のままそっと扉へ近づいて様子を伺おうとすると、まさかの背後から 声をかけられた。


「どこへいく?」

姫「っきゃああああ」


腰が抜けるほどに驚いて、頭を抱えて背を丸め、その場にへたりこむ。


「驚くのは仕方ないにしろ、それが防御の姿勢のつもりなら冗談にしかならないな」

姫「だ… だ、だ 誰…っ」

「相手の姿も見ようともしないまま、答えだけを求めるだなどと。素性を騙られても文句は言えないが、いいのか」

姫「っ」



言われて気づき、おそるおそる腕の隙間から振り返り見る。
先ほどまでいたベッドは広く、姫がいた場所よりもずっと上のほうに、ゆたりと片足を伸ばして座っている人物がいた。


姫「――――」


一瞬、いっそ素性を騙られて、事実になど気づかないでいられた方がよかったと思った。

特徴的につり上がった耳、隠しようも無くうねって伸びた角。
頬杖をつく長すぎる指先も、ベッドに投げ出された鳥獣のそれを連想させるつま先も。

何もかもが、彼が人間ではないことを物語っている。
――魔族だ。


姫「あ…… あ、っ…」


はしたなく、ごくりと生唾をのんでしまう。


「そう怯えてくれるな」


魔族はそう言って、長い指先で髪を掻きあげる。
姫の頭の中はぐちゃぐちゃで思考も言葉もまともに並ぼうとしていない。


「……お前、湖で誰の名を呼んだのか…覚えているか?」

姫「っ!」


騎士様。



唐突に投げられた質問のおかげで、ようやくひとつの単語が頭に浮かんだ。
その単語を中心に、意味や語彙がつながりを持ちはじめ、ようやく思考は混沌から開放される。


「……覚えているか?」

姫「――ッ」


再度投げられた質問に、改めて魔族の姿を見たが、
逆に試すような挑発的な瞳に見据えられて、威圧されてしまった。
あごの辺りにぐっと力をいれて奥歯を噛み、泣き出しそうな涙腺を締め上げる。
騎士の名を、今ここで出したくはなかった。


姫「……あ、貴方には関係ありません!!」

「…………お前」


力を抜けばがくがくと震えてしまいそうな恐怖の中で、ようやく振り絞った言葉。
そんな私の様子をじっとみつめていた魔族は、ギシリと片腕をベッドに立てて 座りなおす。


「はは……。思っていたより、気が強い」

姫「貴方は、誰です!!」

「…………」



魔族はベッドから立ち上がると、姫の横を通り抜け、椅子にかけてあったマントを手に持って扉へと歩いていく。
そして扉の前でバサリとマントを羽織りながら、振り向きもせずに言った。


「誰だと思う」

姫「え… え?」


質問に質問で返され、反応に窮する。
うろたえた姫の気配をうかがったその後で、黙ったまま魔族は扉を開けた。

そうして、冷ややかに言い捨てた。


「この城の城主であり、この国の国主。 全ての魔物の主であり、そしておそらくはお前の主ともなる。……よく、覚えておけ」



「俺が、魔王だ」



魔王。
魔王、魔王、魔王。


その響きは、絶望の淵に立っていた姫を躊躇無く蹴り落としにきた。
他の言葉を思い返す余裕も無いほど、混乱と恐怖の渦に巻かれて落ちていく。


血の気を失い、口も目もひらいたまま動きを止めてしまった姫を 魔王は一瞥した。


魔王「……そうだな。いい事もおしえておいてやろう。お前が望んでいる騎士なら……確かに、この城にいるぞ」


その一言は、恐怖の檻に囚われて逃げ出したい姫にとって
残酷な鉛の足枷となった。

すぐ傍に、騎士が居る。
魔王の元に、騎士がいる。

ずっしりと深みに沈んだ騎士への想いは、恐怖の中にあってなお、
姫の心をその場に縫い付けるに充分な重さだったから。


―――――――――――――――――――――


それからの数日間、
魔王は毎日のように姫の部屋に来てはベッドの奥に座り、姫の挙動をじっと眺めていた。

監視されているようで、観察されているようで。
居心地は悪かったが恐怖で何もいえなかった。

ただなるべくじっとして動かず、目を閉じて時間が過ぎるのを待ち続けた。

そんな気の狂うような日々を10日ほども続けた頃だったろうか。


魔王「お前の舞が、見たい」

姫「え……」


不意に言われて、思わず魔王を見てしまった。


魔王「じっと動かない人形のようなお前ではなく、舞うお前を見たいといったのだ」

姫「い、いやです」

魔王「なぜ」

姫「私は、舞なんて――」

魔王「舞えるだろう。騎士の前で舞った、降雨祈願のための舞だ」

姫(なんで、それを魔王が……)



ココロがチクと痛む。
騎士が、魔王に報告したのだろうか。ならば騎士は、私がここにいることも知っているのだろうか。


姫「あ、あの舞は、神聖な舞なのです! 本来は神だけに披露することが許されたもの。ましてや男性の前で踊るだなんて――」


魔王「騎士の前では、舞っただろう」


必死に断り文句を吐き出しているうちに、いつの間にか魔王がすぐ側に来ていて。
責めるように細めて覗き込んでくる魔王の瞳に、私は罪悪感を浮き彫りにされる。


姫「―――……っ」

魔王「舞え」

姫「そんなこと、私は――」


拒絶しようとした矢先、魔王が私の腕を強引に掴んで引き寄せた。長い指に顎を掴まれた。
顔が近づくのが見えて、私は反射的に、怖ろしくも愚かしくも、力いっぱいに魔王の頬を打ってしまった。


魔王「………自分が何をしたのか――

姫「わ、わ、わか …っ わかって、ますっ…!!!」

魔王「………」


魔王を打った手のひらが、目で見てわかるほどにブルブルと震えている。
その手を押さえる腕までもガタガタと揺れて、しでかした事の重大さを思うと奥歯も噛み合わない。


魔王「………」

姫「ぅ…っ く、ふぇ… う、うわぁあぁん… ひぅ… ぁぁぁん」


堪えようもなく、涙が出てきてしまった。
力を入れてとどめようと思えば思うほど、口は情けなくへの字に曲がり嗚咽も隠せない。
ぼろりぼろりと溢れ出す涙を隠すすべも持たず、小さな子供のようにみっともなく泣いた。


魔王「………叩かれたのは、俺なのだがな」

姫「ひぅ、ぐ。もぅいや… 騎士さま、ひっぐ、うぅ、うわぁん 騎士様、騎士様、騎士様ぁああ」


うわぁぁぁぁん……

恥も外聞も自尊心もかなぐりすてて大泣きを始めた私に
魔王がひどく冷たい視線を向けてきているのには気づいていた。
だけれどどうしようもなくて、泣くしかなかった。


魔王「………そんなに、騎士が……欲しいのか?」


長いこと泣いて、泣きつかれた頃になって じっと私を見ていた魔王が口を開いた。


姫「……?」

魔王「会いたいのだろう……?」


会いたい。

思いが募りすぎて、言葉は声にならなかった。
わからない。ただ魔王の言葉を反芻しただけだったような気もする。

ただ、その願いはあまりにも心の奥底を射抜きすぎていた。
想いをなぞるだけでも、気が遠くなるほどに求めて仕方のない願いだったのだ。


泣きすぎて朦朧とした頭。
疲弊しきった心身。
降って沸いたような、希望。


姫はその時、実際に視点も感情もすっかり焦点を失ってしまっていた。
悪魔に魅入られ心を失った者よろしく、小さく 「あいたい」と唇を動かすしか出来ないほどに。

魔王はそんな姫を見て、満足そうに嗤いながら近づいてきた。


魔王「俺のものになれ」


唐突に魔王に求愛される。
理性を失った頭は、幸か不幸か臆することもなく。姫はただ静かに首を横に振った。


魔王「俺のものとなって、ここに居続ければいい……さすれば念願の騎士にも会えるだろう」


ここに居続ける…?


ぼんやりとした頭で、かんがえる。

ここに居続ける。この怖ろしい魔王の側で。あのどうしようもなく愛しい騎士に焦がれて。

唐突に、城の皆の姿が思い浮かんだ。
優しくて穏やかで、柔らかい春風のような皆の姿が浮かんで
理性を手放しそうな私を救い上げていく。

今度は静かに、頬を涙が伝った。


姫「……みんなが… きっと、ぜったい、私の帰りを待ってくださっています…」

弱々しく吐き出したその答えは、精一杯の強がりだった。


魔王「戻りたいのか? 戻ったとしても お前の想いは何も消化されないままだ」

ああ。


魔王「何不自由ない、安穏とした城での暮らし。充分に満たしきるには刺激の足りない生活。……忘れるものも忘れられないままに」

やめて。


魔王「優しくて愛しい家族の中で、叶わぬ恋を誰にも打ち明けることもできない」

いや。


魔王「お前はこの先も、これまでのように、憔悴しきって、心を傷め続けるだけとわかっているのか」

だめ、おねがい。もうやめて。
縋ってしまいそうに弱りきった心に、追い討ちをかけないで。


だって……だって、このままじゃ、もうすぐに……



魔王「俺を拒否すれば、二度と騎士にも会えないだろう」


ほら。
こんなに簡単に、心が、崩れてしまった――-



音もなく零れ落ちた涙。
魔王はその涙を長い指先で掬い取り、ぺろりと舐めた。


魔王「選べ。お前がここにいるならば……騎士に愛されることもできよう」

魔王「それともお前は 元の生活に戻ることを望むか…?」




姫「騎士…様に。せめて もう一目だけ」


どうしようもない涙がこぼれて止まらない。
自分が悪魔に身を売り渡した気がした。そう、これは悪魔の選択肢…

ああ、きっと私は本当に神様に嫌われた。
そうして悪魔に、引き寄せられた……?



魔王「その選択は、俺の望むものだ。……だから、ひとつだけ姫に“見せ”てあげよう」

姫「え………?」


急に口調と空気を変えた魔王に、違和感を覚える。
振り向いたその先で、自嘲するような深い瞳が姫を見つめていた。

その瞳に吸い込まれるようにして、姫の意識は混濁していった…。


・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・

少なめですが、区切りの関係上 ここまで。
夜に続きを投下します。

乙乙


===―===―===―===―===―===―===

不思議、としか表しようがない。
壁になったようで、大気になったようで、幽霊になったようで。
自分の居場所が定まらない。存在が定まらない。
映像を見ているよりも鮮明で、なのにどこか薄い壁の向こうのような。

ここにいるのに、ここにいない。
ここにあるのに、ここにない。

目の前の光景をぼんやりと見つめている…とでもいえばいいのだろうか。
見ているだけ。意思も思考も感情もない。見ているかどうかも怪しい。

そんな不思議な感覚に囚われている中、そこにヒトの姿が映りこんできた。

・・・・・・
・・・・
・・


姫『………ああ、だけど。だけど私はやっぱり、あの優しいヒト達を捨てられないんです』

魔王『……では、戻るのか? 苦しい生になっても、それでも構わぬと?』

姫『ああ……っ 怖い。怖い、怖い』

魔王『………』

姫『きっとこれは神様からの罰。だから私は甘んじてそれを受けなくてはならない……怖くて怖くて仕方ないけれど、きっとそうするべきだから』

姫『怖い、怖いの…。騎士様に縋るように生きてしまいそうな自分が怖い。 でも、だけど。それが私のするべきことだから』

姫『だから… 私は、戻ります。騎士様に会えない一生でも、思いに身を引き裂かれるその日まで……私は、国で生きていきます』

魔王『……そう、か』


姫『哀れまないでください、慰めないでください。これ以上の甘い誘惑を嗅いでしまえば、私はもうこの心を殺す以外に、皆に合わせる顔がなくなってしまう』

姫『ええ、そうです。私は家族を選びます。王家の娘として、国と民を選びます。私個人を捨ててでも、選び取らねばならない手があるの――』


姫『あの家族を捨てられない――。あんなに愛してくれるみんなを裏切れない……っ』


姫『ああ。ああ、でも。ごめんなさい…… ごめんなさい、騎士様…! 貴方を思う気持ちは、決して嘘ではありませんでした……っ それだけはどうか、貴方が信じてくれますように……っ!!』


魔王『……残念で、この上ない。……やはり姫と会ったのは間違いだった』


魔王はそう呟いて、掌を姫に向ける。
逆らった姫は、きっとこのまま殺されてしまう。
紫色の光の中に、魔王の悲しげな瞳が見える。
それは、あの騎士の瞳と同じで……どこまでも深い穏やかさと、憂いと、優しさを湛えている。


姫『!! あなた、は……!』


言い切る間もなく衝撃波を浴びて昏倒した姫に、魔王が言葉をかける。


魔王『魔王の姿のまま外出などできず、騎士に扮していたのだ……そんな状態で敵国の姫に恋をしてしまうなんて。俺の愚かさを笑うがいい』

魔王『君には何も罪は無い。俺が君を手に入れる為に、こうするしかなかっただけ……』


魔王『――苦しませて悪かった。許して、くれ』



その後、姫は湖畔の前で目を覚ます。
たくさんの城の者に囲まれて、安堵と祝福と、歓喜の思いに包まれて目を覚ます。


兄王子『気がついたのか、姫!? 心配したよ、いったい何日もどうしていたんだい!?』

姫『え… お兄様? やだ、儀式の最中は ここは男性は禁止ですよ!!』

兄王子『ぎ、儀式……? って、降雨祈願のことかい? 姫、しっかりして。そんなものはとっくに終わったじゃないか!』

姫『え? だって…?』

兄王子『ああ、本当に…。本当に、神様に気に入られてしまっていたのだろうか』

姫『神様に… 気に入られる…?』

兄王子『来年からは降雨の儀式には王家の女ではなく専用の巫女を用意することにしよう。僕が父王に必ず約束させてみせる。もう何も心配いらないよ。そして君はもう二度とここには近寄らないほうがいい……』


姫は、最初に湖畔であの「騎士」に会う前からの記憶をなくしていた。
ほんの少し、誰かに愛されたような。
そんな違和感をおぼろげに胸中に感じているようだ。

魔王が姫のためにかけた“記憶を消す魔法”の残滓が、ここからなら目に見える。
だけどこの姫は、ただ、何も知らないまま、何も思い出せないまま。

記憶をなくした姫は、ただ幸せに――


・・・・・・・・
・・・・・
・・・


===―===―===―===―===―===―===


ふっ、と 夢から醒めるようにして意識が戻った。


姫「…………え… あ、れ?」


周囲を見回すと、倒れないように背中を支えてくれている魔王が目の前に居た。
夢の中で“夢を見た夢”を見るように、頭の中が状況を理解できていない。


魔王「……さて、どうだった」


穏やかに声をかけてきた魔王を見て、ようやく今のが幻影なのだと気づく。
そうしてその幻影の中での出来事を、思い出しながら、ひとつづつ手繰り寄せる。


姫「今のは…?」

魔王「特殊能力、とでもいえば納得するか?」

姫「あなたが作りあげた、お話…なの?」

魔王「違う。……むしろ、“作られなかった話”といえよう」

姫「……?」


先ほどの幻影で見た、どこまでも深く、慈愛と悲しみに満ちた魔王の表情。
目の前の魔王と、先ほど見た幻影が重なって、今の魔王の本当の顔がよく見えない。

見えなくて、だからこそ見たかった。
きっと怖ろしくなんてないのだと確信できた。
それどころか、見てあげなくては可哀想な気すらして……。


魔王「選ばれなかった未来。無くなってしまって、幻想に変わってしまった意味の無いストーリー…」

姫「それは、つまり…?」


あれほど威圧的で怖かった、魔王の細めた瞳は、怯えながら様子を窺うものにみえる。
長く伸びて凶暴さを感じた指先が、細心の注意で私を傷つけないように動かされているのがわかる。
抑揚がなく正体の知れない話し方も、本音を悟らせまいと必死に振舞っているだけに感じて……


見えていたもの、見てきたもの。今見えているもの… 
全てが混ざって、溶けていく。



魔王「……姫が家族を選んでいたら、君は今見たような未来を過ごすことになっていた」

姫「じゃあ…… 嘘では、ないの?」

魔王「嘘になってしまった未来ではあるけ……

姫「あなたが… 魔王が、騎士様なの…?」

魔王「っ」


あまりにもまっすぐ見上げてきた姫の瞳に、今度は魔王が小さくたじろいだ。
それから小さく息を吐き、姫から距離を取って話しを始める。


魔王「正確には違う。騎士が、魔王なんだ。騙したことは謝ろう…騎士など、もともと居ない。俺の仮の姿として一定以上の周知はされているがね」


言葉を信じる信じないではなく、感覚で納得できた。
あの人は騎士で、あの人は魔王。だけど私が話をしたそれは、どちらもきっと嘘の姿。
この人が騎士で、この人が魔王だった。だからこの人は、あの人なんだ………

頭の中が、澄み切った空の向こうにいる気がした。
見た目や振る舞いや性格が全て違っても、存在そのものは同じなのだと納得してしまるほどに――


そう。これが正気か狂気かわからないけれど、私はストンと納得してしまったのだ。
騎士と魔王が同一であることを。



姫「どうして、言ってくださらなかったの……?」

魔王「言うつもりはあった。だが…言えなくなった」

姫「なぜ…?」


魔王「心を病ませて、薄暗い湖畔を迷走してしまうほどに想いを寄せてくれた姫。君の想いには気づいていた。……姫の事を、あのあともずっと見ていたから」


魔王「姫がまたこの湖畔に来ると知り、今度は正体を明かすつもりであの湖にいった。俺は、ずっと君を待っていたんだ」

姫「そう…だったの…?」


魔王「………嬉しかった。魔王の姿のままで、君が騎士と呼びかけてくれた時。……見た目が変わっていても気づいてくれたような気がして」

姫「え。でも、私……」

魔王「ああ。それが勘違いだとはすぐに気付いたさ。ただ、“もし本当に姫が事実に気付いてくれたら”と願っているうちに……、言い出す機を逃してな」


魔王「………気づいてくれるそぶりは無くて。もどかしくて」

魔王「そこで、気づいた。ようやく、その時になって、気づいてしまったんだ」


魔王「俺はどうしたって騎士ではなく、魔王なのだとね」



そう言って、魔王は自嘲した微笑みを浮かべた。


姫は既にわからなかった。
騎士は魔王で、魔王は騎士だ。だけど違うという。
何が違うか、もう今の姫にはわからない。


姫「……違いが…あるのですか?」

魔王「俺も、違わないと思っていた。姿や肩書きなど関係なく、俺は俺だと、そう思い込んでいた」


怪訝に首をかしげた姫を、魔王は愛しそうに見つめてから説明を続けた。


魔王「騎士というのは、一介の臣下に過ぎない。国を離れれば、いかようにも生きていける。
だけど俺は騎士ではなく魔王だ。国を離れることは出来ない」

魔王「……騎士を選ぶのと、魔王を選ぶのとでは その“重さ”がまったく違うのだと気づいてしまった」

姫「重さ…?」

魔王「そう。聖王国の姫が恋仲の相手として選ぶ時、魔王と騎士では、姫が抱えるべき重さが違いすぎるのだと気づいたんだ」

魔王「だから、どうしても“魔王”を選ぶ覚悟をしてほしかった。…そうでなければ、抱えさせられないものだと悟った。そうなれば、国に帰す他はないと知った」

姫「でも!! それでも正体を明かしてさえくれていたなら……」

魔王「もっと楽に、俺を選んでくれた―― と?」


苦笑まじりのその声は、私への叱責だと気が付いた。
正体を明かされ、感情の昂ぶりに任せて盲目に目の前の騎士を選んだら、そのとき私は本当に国を捨てる覚悟までできただろうか。

心が正常で居られなくなるほどの苦しい選択肢
その天秤に載せて、それでも騎士を――魔王を選ばなくてはいけなかった。
どちらかに傾いて、どちらかを楽に選ぶようなことがあってはいけない選択だった。
そのどちらも、簡単に捨てたりしてはいけないものだったのだ。


姫「でも。でも、それなら、両方を選ぶことは出来なかったのですか!?」

魔王「両方?」

姫「お父様にワケを話して、私がきちんと手順を踏んでこちらに来ていれば…」

魔王「……騎士として姫と離れた後、俺もそんなことを考えた。……だけど、この国と君の国は戦争中なんだ」

姫「っ」


魔王「……正確に言えば、消えることのない下火がいつまでも燃え続けていて。その火を付けたのは誰かと、お互いを疑いあっている状態だな」

魔王「何年も何十年も、たったそれだけの事が、両国で何十万という国民たちの“心の種火”となっている…。くすぶる火が燃え上がらないよう、どれだけ両国が気を使っているのか知らないのか?」

姫「あ……」

魔王「……聖王国の降雨の儀式で出会った、というのもまずかった。知られたら、魔王国が聖王国の大事な国儀にケチをつけたことになる…。これは事実だから仕方ないが」

姫「そ、それは」

魔王「いっそ真正面から、お姫様を俺にくださいって言えばよかったか? 間違いなく国内外で大波乱が起きるだろうし、戦争の前に俺は国ごと自滅するかもしれない」

姫「あ、あはは・・・」



魔王「……どれだけ君に思いを寄せていようと、君が敵国の姫であるのは変えられない。……選択ひとつで戦争は激化して、聖王国王、俺、あるいは君が 死に追い詰められる可能性があるのは間違いないんだ」

姫「――っ」


ゴクリ、と。


魔王「……だけど不可思議な体調不良の最中に、姫が忽然と神隠しにあったらどうだろう。 魔王と会った事なんて、誰にも知られないうちに。姫だけが、まるで神に連れ去られたように消えてしまったら……?」


姫「あ…。信仰心の厚い聖王国で……神に責任を問うような真似事は、許されない…?」

魔王「そう。それに聖王国だって、あの儀式のためには、威信をかけて土地から他者の排斥をしたはず。儀式の期間で魔王にあっていたなんて……とても認められやしないだろう」

姫「あそこには、決して誰も居てはならなかったし… 居させては、ならなかった……」

魔王「国のメンツもある。堂々と“おまえがやったんだろう”と、魔王国を責めるのは難しい。ならば後に残される容疑者は“責めることも出来ない神”だけ。神が全ての罪を、黙って被ってくれる」

魔王「湖の洗い出しや全世界への手配くらいはするだろうが、その程度で済む。――君があのまま国を捨て、俺のところに来てくれさえすれば。…そうすれば被害は最小だと、そう思った」


姫「だから…… あの選択を迫る結果になったのですね……」

魔王「ああ。……だが、どうやっても俺が卑怯だな。自分でそれがわかって…まるで悪魔だと思った」


姫「悪魔…」

魔王「……」


姫「――あれ? 魔王って、悪魔みたいなものじゃないんですか?」キョトン

魔王「何世紀も前のイメージでヒトを語ってると、そのうち個人的に名誉毀損で訴える。 容姿による人種差別も甚だしいだろう。 戦争の火種を姫が魔王に放り投げんじゃねえ」

姫「容姿以上に口の悪さが怖かった!?」

魔王「……王族の姫がこの調子じゃ、この戦争は本当に永遠に終わらないかもしれないな」ハァ

姫「ぁぅ」


ぎゅ。
不意に魔王は姫を抱き寄せ、頭をたれるようにして姫の肩に預けた。


姫「きゃっ!?」

魔王「……姫のためにしたいこと。自分がしたくてたまらないこと。真逆で、どうしようもなかった。……わかるだろう。魔王だって、そんな葛藤をする程度の生き物だ。……悪魔じみていても、悪魔じゃない」

姫「………」


……わかる。わかってしまう。だって、私がそうだった。
見た目はこんなに違うのに、中身はそんなに変わらない。初めて知った、魔族の正体。

私は、ただ黙って、魔王の髪をそっと撫ぜた。



魔王「……あ」

姫「え?」

魔王「あの時は、悪かった。湖で……君を手に入れたいがあまり、乱暴な事をした」

姫(あ。私を気絶させた衝撃波のことかな…?)


手当てをしてくれた形跡があったのを思いだし、フルフルと首を振る。
それを見て安心したように、魔王は立ち上がって、まじめな顔をしていった。


魔王「たくさんの言い訳をして、みっともない所を見せてしまったな。ところで、先ほど言ったとおり、 君には“選択しなかった未来を見せた”のだ。これは“選択しない”と決定したことだから可能なんだ」

姫「?」

魔王「行く先の未来を見せることは出来ない。見せることが出来るのは、現実にはもう起こらない未来だけ…」

姫「もし……私が家族を選んでいたら、貴方は一人で……」

魔王「それは気にするところではない。それよりも聞いておきたいことがある」

姫「……?」


魔王「あの未来を選ばなかったことを……後悔するか?」


姫「…そんなことを聞いて、どうするのですか。もう選ばないと決めてしまったのに」

魔王「……聞いておきたい。それだけだ」

姫「…」

魔王「…………後悔、するか?」


姫「後悔…するかも、しれない。でも、どちらにしたって最初から遅すぎです――」


家族を思えば痛む胸
だけれど、きっとどうしようもなかった

父王の心配をよそに、騎士への思いに身を焦がしていた私は
きっとどんなものを天秤に掛けても、魔王を選ぶしかなかったのだろうから。


魔王「……そうか」

姫「でも……後悔するほうが、ずっとマシです」

魔王「マシ? 何と比べてマシだというのだ」


姫「魔王の魔法で、記憶を消されて幸せに生きる未来と比べて。都合よく改竄された記憶の中で生きる私なんて、きっと偽者と変わらない。――そんな未来は、まっぴらです」


潤んだ瞳に、精一杯の決意を込めて言い切った。
魔王は苦笑して、手のひらを差し出してくれる。


魔王「この運命、おそらく君は家族を選ぶのが最善だった……それだけは、覚えておけ。これは悪魔の選択肢で、君が選んだのは悪魔の望んだ回答だ」

姫「さい、ぜん…? 悪魔の選択肢…?」

魔王「そう。いつだって―――」


何も起こらないのが、「最善」なんだよ。


穏やかに笑う魔王の口元に、悲しいほどの自嘲。

差し伸べられた手をあたりまえのように取った私は、
きっと魔王からしてみれば なんの覚悟もできてないようなものだったのだろう。



―――――――――――――――――――――

******

・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・


魔王「姫、こちらへ……」

姫「待ってください、魔王。私、騎馬なんて初めてで…」


二の足を踏むようにモタモタとして動かない馬の上で、
姫は落馬しないよう必死に手綱にしがみついている。


魔王「大丈夫。もっと手綱を緩めて、腰を据えて、脚でしっかり支えて」

姫「腰と…脚……。こ、こう、ですかね」


トットットッ…
一度ゆるく首を振った馬は、ようやく気持ちよさそうに歩き出した。
先に待つ魔王の馬を追うように近寄っていき、横に並んで軽く首を寄せて止まった。


姫「……えへへ。出来たみたいです」

魔王「上手だ。その調子でついておいで」



・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・


******

・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・


姫「魔王、何をしてるんですか?」

魔王「姫はあまり魔術を見たことが無いのか?」

姫「んー… 城には何人かの魔術師さんもいらっしゃいます。いつも難しい本を読んでるイメージですね」

魔王「姫、手を出してみろ。そうだな、軽く握って、こんな風に」

姫「? こうですか?」

魔王「アブラカタブラ」クルクル

姫「あはは、なんですか ソレ?」

魔王「いかにも呪文らしいフレーズというのが思いつかなかった。さあ、手を上にして開いて」

姫「?」 パッ


パン! パンパンパン!

姫「っきゃぁ!」

開いた手の上で、小さな線香花火のようなものがポンポンと破裂した。


姫「わ、わぁ!! すごい、これどうやってやるんですか?!」

魔王「魔術だな」

姫「すごーい… どこから火が出たんだろう…?」ヒラヒラ、キョロキョロ

魔王「いや、だから魔術だ。手品じゃない」

姫「私もやってみたいですー!タネを教えてください!」

魔王「だから手品じゃないんだ!」



・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・


******

・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・


姫「魔王―。どこに居るんですかー…?」キョロキョロ

姫「おかしいですね…書室に入るところは確かにみたんですが…。それにしても難しそうな本ばかりです」

姫「……そういえば、こんな感じの分厚い本を、お兄様も読んでいらしたなぁ…」ソッ… ムギュ

姫「“むぎゅ”?」

本<グギャギャギャギャギャ(イタイー イタイ―)

姫「 」

本<ギャギャギャッ(イヤー ハナシテ―) バッサバッサバッサ…

姫「 」

魔王「姫? 司書の使い魔を捕まえて何してるんだ?」

姫「 」

魔王「変わった遊びだな。まあいい、飽きたら離してやれ。仕事が溜まるだろうから」

姫「 」

魔王「では、またな」スタスタ

姫「 」


ちなみに私は驚きすぎて、その後3時間ほどその場で固まっていた。


・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・


******

・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・


魔王「姫、外に出かけようか」

姫「はい!」

魔王「ずいぶんと嬉しそうだな? ……やはりこんな、隠れ暮らすような真似は辛いか?」

姫「城に篭って生活するのは、私にとって当たり前のことですよ? ただお出かけが嬉しいだけですし、それに…」

魔王「それに?」

姫「……外出用に騎士様に変身した魔王は、いつもよりキザに格好つけてキメてるのがやっぱりツボです」

魔王「!?」

姫「もちろん本当の姿も見慣れましたけど。どうして普段から格好つけていられないんですか?」ムゥ

魔王「さ、さてどうだろうな。さほど自覚もないのだが、そういう格好をするとそういう気になる…のかも、しれん」

姫「そういうものですかねぇ?」

魔王「~~ええい! 納得できないのであれば、自分でやってみるがいい!!」ポン!!


魔王が姫に魔術を掛けると、姫はいかにも聖職者といった装いに身を包んだ。
まっすぐに流れ落ちる長い髪は艶やかな漆黒色で、濡れているかのように輝いている。


魔王「……ふむ、なかなか似合っているな。今日はその格好で出かけるか?」クス

姫(聖者)「さあ魔王殿、参りましょう。光陰矢の如しと申します。怠惰な行いは恥じて、我々は迅速かつ勤勉に日々を過ごさねばなりませぬ」キリッ

魔王「確かに別人のように変わっている!?」


・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・

******


―――――――――――――――――――――

そんなこんなで… 月日は、あっという間に過ぎていた。


優しい魔王に、大切にされて。
毎日がどこまでも楽しくて。刺激的で、感動や興奮に満ちていて。


だから、次第に姫はこう思いはじめるようになった。

『私は本当は、ただ薄情なだけなのかもしれない』、と。


最初にそんな風におもったのは、この魔王城にきて1ヶ月も経った頃だったろうか。
家族を思い出す時間が明らかに減っていることに気づいてしまったのだ。


この魔王城にきてからというもの、
魔王にあの選択を出されたときのような“強い家族への罪悪感”は薄れていくばかり。
今、姫の胸中にあるのは、どこか懐郷じみたゆったりとした痛みだけだ。


魔王「姫…?」

姫「~~~~…っ」


そんな自分の薄情が、急に恥ずかしくなって
姫は突然に 魔王の前で泣き出してしまった。

そんな姫を、魔王は何も言わず 覆うように抱きしめた。
そのぬくもりに胸の痛みが癒されてしまう気がして。本当に薄情な娘だと、自分を責めずにはいられない。

だけれど魔王とすごす時間は、
本当にその責めすらもあっという間に癒してしまうほどに、心地よかったのだ。

姫はいつしか、諦観したように自分の薄情を認めるようになってしまった。
それが少しばかり姫の心を荒ませているのを知って、魔王は悲しそうに姫を抱きしめた。


今日はここまでにします。


いいなぁ

乙乙


―――――――――――――――――――――

朝、少し早く目覚めすぎたらしい。

いつもならば朝食まで部屋で本など眺めて過ごしていたけれど、
あまりに早く起きてしまい、暇に任せて魔王の部屋を訪ねた。

魔王はまだベッドの中に居る。
それでももういい時間だ。私は朝日を取り込もうとカーテンをあけた。


姫「……そっか。魔王と出会って、もう一年がたつんですねぇ。びっくりです」

魔王「え…・?」


何気なく季節の移ろいを窓から眺めていた私。それを見ていたら、そんな言葉が口をついてでた。
私の声で目が覚めたらしい魔王は、唐突に話題を振られて驚いたのか、すぐに身体を起こして私を見た。


姫「きっと、あの湖では お母様が今年も舞うのでしょうね」

魔王「……姫?」

姫「大丈夫です。会いに行きたいなんて、いいませんから」


にこりと微笑んでみせる私に、魔王が悲しげな眼をした。
その時ふと、思い出した疑問を口にしてみる。


姫「そういえば、魔王・・・」

魔王「なんだ?」

姫「私に、舞を見たいと迫ったことがありましたよね」

魔王「っ」


姫「……そんなに、あの舞が気に入ってらっしゃるんですか?」

魔王「え、ああ、まあ」


寝起きのせいだろうか。
どこかしどろもどろな魔王を不審におもいながらも、話を続ける。


姫「……舞いましょうか?」

魔王「!?」


視線をもう一度外に戻す。

この窓から、あの湖が見えるわけではない。
だけれど目を閉じてしっかりと思い出してみれば、あの景色は鮮明に浮かび上がる。
穴が開くほど見つめた、母の舞。

騎士と―― 魔王と恋に落ちるきっかけになった舞だ。
あの舞だけは忘れないようにと、いつも寝る前に思い出していた。

……私は妙に醒めた頭で、自然に思いを吐き出していく。


姫「……本当は、神様のための舞だから、いけないのでしょうけれど」

姫「だけれど、あの湖で舞っていらっしゃるだろうお母様に思いを重ねて 魔王と私を引き合わせてくれたあの湖に感謝して、そっとまた、あなたの前でだけ舞うのなら…」

姫「なんだか、許されるような気がするんです」


魔王がなぜか顔を赤くして、片手で口元を隠すようにつったっている。
この提案をとても喜んでいるように見えた。

いつも、魔王にはすごく親切にされていて。
どこまでも深く愛されていて。

私が悲しみ苦しむ思いも、全部引き受けるというように抱きしめてくれる。
そんな彼がこんなに喜んでくれるなら、どうしたって舞いたい。そう、思った。


姫「決めました! 今夜、支度をしてお部屋にお伺いします! 待っていてくださいね!」

魔王「ちょ、待つんだ。姫、そんな急に」


止めながらも、魔王の目はとても嬉しそうだった。
隠しきれないほどの喜びなのだろうか?

私は魔王の部屋を飛び出して、懇意にしている世話係の元へと走った。
朝食の支度をしていた世話係は、あとで必ず時間を作る旨を約束してくれた。



―――――――――――――――――――――


舞の為の、白絹の巫女衣装はきっと自力では揃えられない。
魔王に頼んで変身させてもらうことはできるだろうけれど、それでは何か違う気がした。

だから今、こうして約束どおり世話係に付き合ってもらい、
城の一角にある衣装室でごそごそと代わりになりそうな衣装を探しているのだけれど……。


姫「白い服って、こちらの国の方は着ないんでしょうか」

世話係「着ないこともありませんが…姫様の国と違って、服のサイズにもまず問題があるんですよ。ちょうどいいものがあればいいのですが」

姫「S,M,Lとかのレベルじゃないですもんね…」

世話係「そうですねえ。これなんか白いですけど、袖の数が八本で仕立てられてますし」

姫(ど、どんな方が、いつ着る衣装なのかしら…)


衣装をチェックしながら、舞のことを考える。

見よう見まねで覚えた舞。
だけど、さすがは神様のために作られた舞いなのだろう。

そういえば言っていた、男性はあの舞を見るのも禁止なのだと。
お父様は神に妬かないのかと、お兄様が笑っていたのを思い出す。

自分が母の姿に魅了された以上に、男性を魅せるものがあるのかもしれない。



世話係「白いお召し物… 白、白…」

世話係「あ。ありましたよ、姫様。なんであるのかわかりませんけど…」


世話係に呼ばれて、意識が戻る。
振り向いて、大きく広げられたソレを見て肝を抜かれた。


姫「え、え…… これ、ですか?」

世話係「だめでしょうか。ですが白い服がある可能性としては、これのほかには…」


お化けの手つきで、ベロを出す女中を見て笑った。
さすがに、いくら白くても死装束には手を出したくない。

仕方なく、先に出てきたほうの衣装を受け取って礼を言う。


姫(それにしても、世話係さんの持ってた8つ袖のお洋服…)

姫(金糸の細工が、すごく綺麗だったなぁ。ああ、目を閉じるだけで柄までちゃんと思い出せる。今度ゆっくり見せてもらおう)




―――――――――――――――――――――

そして、夕食も終わり 落ち着いた時間。


姫「 」ドキドキ

魔王「 」ドキドキ


魔王の部屋は広い。
ほんの少しの調度品を動かしただけで 舞うには充分な広さがあった。
ずいぶん居慣れた部屋だったが、改めてそこで魔王と対面すると僅かに緊張する。

私以上に緊張した面持ちの魔王に、私は余計に緊張して。
そんな緊張しきった私が、魔王をさらに緊張させて…… 張り詰めすぎた緊張がプツリと切れて、私は大きく息を吐いた。


姫「その… うまく出来なくても、笑わないでくださいね」

魔王「あ、ああ。もちろん」


緊張を和らげるために、数度の深呼吸。
それから、衣装を隠していたマントをパラリとはずした。

魔王が息を呑んだのに気づいて、僅かに恥ずかしくなる。


姫(シンプルなデザインとはいえ…やっぱりウェディングドレスは恥ずかしい…)

魔王の視線を強く感じるけれど、その顔を見つめ返すことが出来なかった。
このままもたついていては余計に恥ずかしくなりそうで、私は早速と舞い始める。
笛の音はないので、小さく口で歌いながら。


~~~♪ 



舞っている最中は、母の姿を思い出した。

清く美しい、あのお母様の舞を記憶の中でなぞるようにして。
それから、魔王と引き合わせてくれた神へ感謝し、そんなことを感謝してしまう本音を懺悔し、舞に想いを込めた。
気が付くと、無意識にもちかいほどに夢中で踊っていた。



~~……♪


舞が終わって、ふぅとため息をつく。

頬が上気して熱い。
夢中になりすぎて息を止めていたのだろうか、肺は酸素を求めており、肩が上下する。
それでもやりとげた感覚があった。よく舞えたはずだ。

どうでしたか、と聞こうとして 魔王に視線を向けると……


がし。


姫「!?」


いきなり抱きつかれた。
がっちりと抱きしめられて、身動きどころか呼吸も危うい。


姫「魔、まお……」


魔王の身体に腕を押し付けるようにして引き離そうとするけれど、どうしても離れてくれない。
どうしたのかと首をもたげて見上げてみると…



魔王がへたれきった情けない顔で、しくしくしくしく涙を流して泣いていた。
こんな魔王は初めて見る上に、泣く理由も意味もまったくわからなかった。

オロオロとしていた私に抱きついたまま、魔王が小さく、だけれどはっきりと呟く。


魔王「これはひどい」

姫「ええええええええええええええ!?!?」



―――――――――――――――――――――


姫「で、どうしたんです…?」


私は魔王のためにお茶を入れて、すと差し出した。
魔王はこころなしか姿勢を正してそれを受け取り、一口だけすすった。


魔王「……知ってるだろうが、舞の振りには基本的に意味がある」

姫「そうなんですか?」

魔王「知らなかったのか」

姫「正式に習った舞ではないので…」

魔王「そうか…」


魔王「……俺が以前、君に舞を迫ったのは、あの舞が“捧げるための舞”だからだ」

姫「捧げる…?」

魔王「“私をあげるから願いをきいてください”という種類の舞。だからこそ男性禁止とされているんだろうな」

姫「……なるほど…」


魔王「あの時は、必死で……意図せずでもいいから、そういって欲しいと思った。むしろ君が手に入るならば、どんな願いでも聞き入れたいと思っていた」

姫「あ」


魔王「姫のことが欲しくて堪らなかった。何日も人形のように動かない姫をみていて、精神的にも参っていた」

魔王「そんな時にふと、舞う君の姿を思い出した。……嘘でも無理やりにでもいいから、身を捧げるというあの舞を舞ってくれたなら何かをごまかせそうで…。それで、あんなふうに迫ってしまった」

姫「そんな必死でいらっしゃったのに、私はあの時、平手打ちをしてしまって…」

魔王「い、いや、済まなかった。されても当然のことをした。実際、あれで俺の眼が覚めたのも本当だ」

姫「……すごく怖かったです」

魔王「 」


姫「私が手を上げた後…… 魔王は“自分が何したかわかってんのか?”って、すごおおおおおく低い声で唸って……怖くて、底冷えするほどでした」

魔王「は? …あの時俺は、“自分が何をしたかなんて、わかってる”と 謝罪を…」

姫「え。謝ろうとしてくれてたんですか…? なんだ…」

魔王「なんだと思ったんだ……」ハァ

姫「“魔王”を殴ったんだから、きっと殺されるくらいじゃ済まない目にあうんだと思って。すごく怖がっちゃいました…あはは」



魔王「……それであんなに怖がってたのか……?」

姫「そっちこそ、なんだと思ったんですか」

魔王「カッとなって無理にキスしようとしたから… てっきり本気で拒絶されたんだと思った。 震えるほど嫌悪して、気持ち悪い、穢らわしいと憎悪されたんじゃないか、と……」

姫「た、確かにキスを拒んだのは確かですけど、その後は思わず殴っちゃったのが怖かったんですよ!」

魔王「……俺とキスする事に…怯えていたわけでもなく…?」

姫「いくら意に沿わぬ口付けだとしても……いくら“魔王”でも、さすがにバリバリと取って食われる想像なんかはしませんよ…」


たぶん、私は相当に怪訝な顔つきをしていたと思う。
いったいどこをどう勘違いすれば、キスを迫られたくらいで奥歯がなるほど震えるというのだろう。


姫(そりゃぁ…唇へのキスなんてしたことないけれど。でも頬へのキスくらいなら、社交辞令で日常的にするものですよねぇ…?)

姫(あ、でもまあ、魔王が獅子やなんかの獣の容姿をしていたならまた違ったかもしれませんけど)


魔王の真意を探ろうとしばらく見つめていると、魔王はそんな私を見て逆に納得したらしかった。
安堵のため息をつくようにして、小さな声で弱音を吐き出す。


魔王「……俺の見た目はこんなだから。城に連れてきて、目を覚ました姫が俺を見たときの、恐怖に怯えた顔を覚えている…。忘れられなかった」

魔王「自分は姫からしたら化け物だ。姫は本当は生理的に嫌悪するほど俺を気持ち悪く思うのではと、どこかで卑屈になっていた」ハァ

姫「……魔王」


姫「そんなこと、ないですよ?」


ぎゅ、と抱きしめる。髪に触れる。指先に触れて、それから一度思い直して
その異質な長い指先に、啄ばむだけのキスをした。我ながら、なんだかまるで聖教徒のしぐさみたいだと思った。


姫「最初は、怖かったけど。今はもう、ぜんぜん怖くないです。……可愛いとすら、思えます」

魔王「かっ、可愛い!?」


ああ、そうか
今までずっと、魔王は抱きしめるより他には何もしてこなかった。
挨拶代わりの頬のキスでさえ、なかった。

私にまた拒絶されるのを、怖がっていたんだ。


なんて弱い魔王。なんてへたれた魔王。
拒絶されるのが怖すぎて、なんの力も振るえない。

捧げるという舞を踊ってくれると聞いて、それだけで喜びが隠せなくて。
しまいには泣き出してしまった魔王。


姫「はい。可愛いです… すごく、すごく可愛いです。でも、私の思いを信じてくれなかった魔王はちょっとヒドイです」

魔王「ああ…。本当に、悪かった。 舞いも……ひどいなんていったのは、取り消させてくれ」

姫「そういえば何がひどかったんです? そんなに下手でしたか?」

魔王「……捧げるなんて舞いを、それも婚礼衣装で舞うくせに。きっと強く触れれば怯えるんだろうなという、疑心暗鬼のせいだ」ボソ

姫「 」


姫は思わず言葉をなくして、それからおかしそうに笑い出した。


馬鹿ね。そんなわけ、ないじゃない。
こんなに愛しくて幸せなのに。


ウェディングドレスの魔力だろうか。
小さく魔王の耳元にそう囁いてから、魔王の唇に、キスをした。


『大好き。』


私がそう言う度に魔王が泣いて、私は笑う。
頬を寄せ合って、私たちは何度も何度も、子供のように、触れては離すだけのキスを繰り返した。



―――――――――――――――――――――


そして、気がつけば数年……


姫「……にぃ、しぃ、ろぉ、やぁ、とつ……。んー」

世話係「姫様、これは…」

姫「か、かなぁ」


暦とにらめ合いながら、世話係にも確認してもらう。
だけどどうやら、“それ”に間違いはなさそうだった。

夕食の終わり、ゆっくりと過ごす頃合を見計らって、魔王に声を掛ける。


姫「あの、魔王…」

魔王「どうした?」

姫「その…私………」ボソボソ

魔王「…………何!? それは本当かっ!? 本当なんだな!?」

姫「~~~~~~~っ魔王、声が、おっきいです!!」


とにもかくにも恥ずかしながら、
こうして私は、子供を授かったのである。


しかし……



姫「…………あっ、魔王。あの…!」

魔王「……ああ、姫。……っ、済まない、夜には部屋に行く。その時でいいだろうか」

姫「は、はい…」


魔王の様子は、日に日におかしくなってきた。
決して魔王は冷たくしたり、もちろんながら乱暴や無礼だってすることはない。
だけれどそれだけに、“どうにかして避けよう”としているのがわかってしまった。


姫(どうして…?)


無意識に手を当てたお腹に、視線を落とす。
理由はきっと、この子なのだろう。
言いようのない不安感が、押し寄せた。


世話係「大丈夫ですよ、姫様…」

姫「魔王は… 魔王はきっと、御子なんて望んでなかった。だってそうじゃなくては他に理由が思いつかないもの……」

世話係「そんな… そんなはずはございません。覚えておいででないのですか? 御子が出来たとお聞きになった時の陛下の喜びようを」

姫「だって… だけれど、でも…っ」

世話係「陛下は姫様を、それはそれは寵愛なさっていらっしゃいます。それは誰の目から見ても確かです。そんな陛下が、姫様との御子を望まないだなんて……ありえないことですよ」

姫「ならどうして魔王は私を避けるの? どうして段々と、目を合わせることすらも……?」

世話係「姫様……」


そうして私は久しぶりに、とりとめもなく泣き出してしまった。
あまりに長く泣きすぎて、目はすっかり腫れている。

このまま夕食を食べに出てこの目を見られれば、泣いていたのはすぐにわかるだろう。
それを見た魔王に、あてつけのように思われるのが嫌だった。
そしてなによりも、この腫れた目に気づかないほど、魔王が私を見てくれなかったらと思うと、怖かった。

だからその日は、私は部屋から動くことが出来ずにいた。


――――――――――――――


普段ならば夕食の時間も終わったころ。
トントンと遠慮がちなノックの音が響いて、泣き伏せたままウトウトしていた私は目を覚ました。

おそらく、世話係が軽食など運んできたのだろう。


姫「大丈夫、起きています。どうぞ」


促がしながら、私もノソノソと居住まいを整える。


魔王「……姫」

姫「っ」


朦朧としていた頭が、ハっと覚めた。


魔王「……泣いていたのか」

姫「魔王…その、これは。違うんです、私…」

魔王「隠さなくいい。………違う、そうではなくて…」


魔王は眉をしかめ、苦しげにも困惑しきっているようにも見える表情でため息をついた。
その様子に、胸が締め付けられる。やはり、あてつけのように思われたに違いない。


姫「魔王、その……ごめんなさい…」

魔王「……何を、謝るのだ」

姫「私…御子を身ごもって。その、だから……」


どう言えばいいのかわからない。だからといって、身篭らなければよかったとは言えない。
そんな自分が、何をどう謝るつもりなのか自分でもわからなかった。
魔王はそんな私を、目を細めて辛そうに見つめている。


魔王「……姫…」



魔王「知りたいか」

姫「え……?」


魔王は低い声で囁いた。
その声色は、妙に冷めているように感じた。


魔王「姫の今の幸せが、君の知らない事実によって作り出されているとしたら…君はその事実を、知りたいか?」

姫「あの……それは、一体……」


魔王「俺は魔王だ。お前を欲し、より都合よく手に入れるために…作為的に隠していたことがあるとしたら?」

姫「魔王…? 何を…」

魔王「お前はどちらを選びたい? このまま何も知らず、教えられないまま、気づかずに安穏とやり過ごす生き方と…」

魔王「何もかもを天秤にかけるハメになって、自分の知らない現実を 全て知って受け止める生き方」


魔王「おまえはどちらを選びたい?」


姫「…………」

魔王「…………」


姫「…………っぷ」


私は、その言葉を聴いて笑ってしまった。
それはもう、なんだかおかしくて。
ここしばらく不安が行き過ぎて、おかしくなっていたのかもしれない。

あはは、と小さく声に出してから、目尻に浮かんだ水滴を軽くぬぐった。


魔王「姫…?」

姫「あはは… そんなの、決まってるじゃないですか」


魔王が、ごくりと息を飲むのがわかった。
こんな選択を用意しておいて、私がどう答えるかに緊張しているのは魔王のほうだ。
その様子に妙に安心する。


姫「そんなの、きまってます。私の選択は、もちろん…全てを、知ること」

魔王「っ」

姫「それ以外… 選ぶ余地なんか、ないじゃないですか。ズルイですね、魔王は」


魔王「なぜ…」


戸惑った表情の魔王に、私はなるべく穏やかに微笑んで見せた。


姫「魔王が何を考えているのか何も知らなくて、不安で。ちゃんと聞いて、わかりたいと思っていたんです」

姫「それを知ったら、もしかしたら全部賭けなくちゃいけないような大事なことを 魔王は私に隠してるんですね?」

魔王「っ」


姫「私たち、子供が出来たんです…。これから、きっともっともっと大変なこともでてきます」

姫「それなのに、そんな大事なことを魔王が隠したままで、平穏になんか生きていけるわけないじゃないですか。どうやったって、きっとそれは小さな布の綻びのようにするりするりと解けていって、大切なものをすこしづつ零れ落としていくんです」


姫「いつか零れてなくなってしまうのをゆっくりとただ待つしかできないのなら。私は今、全部を知って、“全部を受け止められる未来”に賭けるしか、選べないですよ」ニコ

魔王「あ…」


姫「選択の出し方、間違ってないですか? ふふ。 悪魔の選択、でしたっけ。……悪魔にもなりきれないのに、出そうとしないでください」

魔王「姫…」



姫「――おしえて、魔王。きちんと、貴方の抱えているものを 私にも抱えさせてください」



魔王はしばらく、辛そうに黙り込んだ。
目を閉じて眉をひそめ、しばらく何かを考え込んでいた。

それから、そっと手を差し出して、私の頭にその手のひらをかざした。


魔王「………」

姫「選ばれなかった、未来をみせるの?」

魔王「……俺にも、わからない。どちらが正解だったのかわからない」

姫「魔王は… 未来が見えているわけではないの?」

魔王「見えるわけがない」


魔王は悲しそうに笑って、見えたらよかったのに、と呟いた。


なぜ彼は、こうして選ばれなかった未来を見せるのだろう。

不安げな彼の顔をみていたら、それがなんとなくわかりそうな気がしたが、
それをはっきりと言葉にする前に、意識は混濁していってしまった――


===―===―===―===―===―===―===

・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・


姫『ねえ、魔王。ちゃんと教えて! なんで私を避けるの?』

魔王『……それはっ』

姫『教えてください! 逃げないで!』

魔王『姫、それは、だが…』

姫『なんで? どうして何も言ってくれないんです? こんなに不安なのに……っ』

魔王『姫……』

姫『どうして魔王は私を避けるの? 御子が欲しくなかったの?』

魔王『そんなことは…!』

姫『じゃあなんで!? いらないの!? 私のことも、子供のことも、本当はいらないの!?』

魔王『っ!!』

姫『……っ…。 そう、なの……?』


魔王『姫、それは違……』

姫『~~~~っもういいです!!』


タタタタ………


魔王『………っ、あ……』ガク


魔王『違う…違うんだ。 済まない… 悪かった。 …姫…っ』

魔王『姫のことを、無理やりに聖王国から奪ってしまった俺は… 怖いだけなんだ…』

魔王『他人から子供を奪ってしまった自分。同じ因果で、俺達の子供を誰かに奪われるかもしれない… そう思ったら、恐怖で…』


カタカタと指先が震えて、どうしようもなくその場に崩れ落ちる。
震えた指先で顔を覆う魔王。


魔王『姫のことも、腹の子のことも愛しくて仕方ない。なのに愛せば愛するほど、奪われたらと考えたら恐ろしくて仕方ない』

魔王『そんな風におびえているのに、自分自身は、王からそんな“子”を奪った張本人なんだ…自分勝手もいいところじゃないか!!』

魔王『ああ、そうだ。俺は所詮は魔王、諸悪の根源とまで謳われた魔族の子孫! ああ、そうだよ! どうせ自分勝手だ!!』

魔王『だから…もしかしたら同じ遺伝子をもつあの子も、ひどく勝手な子になるのかもしれない…』

魔王『そうして誰かを傷付けるのかもしれない。……自分のように。姫の子供なのに、あんなに優しい姫の血を引く子にまで、そんな罪を着せるのかもしれない…』

魔王『もう… もう、何もかも…怖くて… 考えても仕方ないとわかっているのに。アテもキリもないと知っているのに。なのに、恐怖に囚われて…どうしようもなくなってしまった…』


魔王『姫… 姫、ごめん…… 俺は、やっぱり… 何もかもを、きっと間違えてしまっていたんだ……っ』


このままじゃ。
このままじゃ、子供をうまく愛せない。

きっと、素直に愛せない。
魔王は胸の罪悪感が消せないまま、子供と向き合うたびに胸を痛めるだけなのだから…。


・・・・・・・・
・・・・・
・・・

===―===―===―===―===―===―===


魔王「……っ!」ハッ


意識が戻ると同時、私以上に困惑した顔の魔王と目が合った。
魔王も、私と一緒に未来を見ていたのだろう。

ああ、そうか。きっと……一人で見るのが怖いから、私に見せるんだ。
選ばなかった未来を見ることで、選択が正しかったのかどうか知りたくて。

だけど、それにしても今見えたものは――


姫「………あ、れ…? 今の、話は…?」

魔王「あ……今のは… どちらの、未来なんだ…?」


今見た“未来”では、私は確かに“全部おしえて”と魔王に迫っていた。
そして私は先ほど、やはり“全部おしえて”を選択したはずだった。


魔王「見えるのは“選ばなかった未来”のはず。それなら、何が見えたのだ… 俺は何を見たというんだ…?」


姫「………」ぎゅ

魔王「!」


私は見ていて可哀想になるほど動揺している魔王を、背後から抱きしめた。


姫「落ち着いてください、魔王。多分、合ってるんだと思います」

魔王「何、が……?」

姫「言ったじゃないですか。私は、その選択肢に選ぶ余地なんてないんだって」

魔王「しかし、見えるのは“選ばなかった未来”のはずなんだ!! 分岐がないのに“外れた”未来なんて…!!」


私は魔王の前に回って、微笑んだまま静かに首を横に振った。


姫「さっきの未来を選ばなかったのは―― 選択に答えたのは、魔王だったんじゃないでしょうか」

魔王「俺…が?」

姫「あの選択肢を“出された時点で”、私はどう考えても教えてとしか言わなかった。 だとしたら…」


姫「分岐になったのは、魔王が“私にあの選択肢を迫るかどうか”だったんじゃないでしょうか」ニコ


魔王「あ…」

姫「多分、今見たのは、悩みに悩んで、“あの選択肢を私に迫らなかった“時の未来なんだと思います」

姫「きちんと、魔王が覚悟できないまま…私に避けている理由を問い詰められる未来。覚悟ができなくて、教えられないままになっちゃうのが 今見た未来」ニコ

魔王「俺が…選んだ…? 進む未来を…?」


姫「えへへ。魔王らしい、ヘタりまくってヒト頼みばっかな選択方法ですね」

魔王「 」


姫「ふふ。 “選択を出して、姫がどうしても聞きたいって言ったら、そのときは言おう”っていう、逃げ道だらけの覚悟をしたんですよね?」

魔王「ぐ」


姫「………へたれの、臆病魔王」

魔王「………」


姫「…ごめんなさい。魔王がお父様たちのことまで考えて、そんな風に思ってくれてるなんて。そんなことにも気づかないで、魔王のことを恨むところでした」

魔王「姫…」


姫「私は魔王のこと、臆病だなんて責められないです。だって私は、魔王よりもずっとひどい、薄情な娘だから」

魔王「っ」

姫「自分の両親や家族にまで想いを馳せたりしない薄情者だから、だから魔王のほうがずっと――!



魔王「違うんだ!」

姫「!」ビク



魔王「っ、声を荒げて済まない。……でも、それは違うんだ」

姫「魔王…?」

魔王「俺が君に隠していたのは… 君に知りたいかと選択を迫ったのは、“その事”なんだ」

姫「…? 家族の事…です、か?」


魔王「思い出して… 君の家族のことを」

姫「家族… ちゃんと、覚えてますよ? 変な魔王…。それとも私の記憶、どこか弄ったの…?」

魔王「俺は決して、君の家族の記憶を消したりしていない。 ただ、記憶が遠ざかっているのに気付いてて……そのままだとどうなるかも知っていて、それを教えなかった」

姫「記憶が、遠ざかる…?」

魔王「そう。古い記憶になれば、思い出すことも少なくなる…思いも記憶もおぼろげになる。それはわかるだろう?」

姫「…? 何を言ってるんです? たった一年ですよ? 古い記憶なんていうほど…」



魔王「この魔王国には、魔力が満ちている。その魔力が体内に入り込み、精神に作用し、活性化させることで……君は無自覚に体内時計と脳の歯車を狂わせているんだ」

姫「体内時計と…脳の、歯車?」

魔王「急速に活性化した精神が、脳の処理能力を上げている。君は人間だから、俺達魔族のそれよりも顕著に症状が現れているのだろう」

姫「……脳の処理能力が上がると…記憶が古くなる…と?」

魔王「違う。記憶や思考の整理が驚異的な速さで進んでいる……というのが正確だろう」


姫「そ、その。私は人間ですが、医学的なことは何も学んでいないのです。脳だの記憶だのと言われても、その関係がよくわからないのです」

魔王「では考えてみてくれ。この魔王国に来てから――」


魔王「理解が早くなったり、決断が早くなったり、物覚えがよくなったり、物事をより鮮明に感じたり、月日の経過を早く感じたり、眠気が少なくなったり――
……感情を落ち着けるのが楽になったり。少し前のことを、妙に懐かしく感じたりすることは、なかったか」

姫「―――…あ…っ」

魔王「………」



『理解が早くなった』

魔王は今、沢山のことを早口に言った。
私はそれを、一度で全部聞き取ったしひとつひとつの意味もきちんとわかって聞いていた。

そうだ。
さっきだって、選択肢を選んだのは魔王なんじゃないかって、すぐに理解して説明できた。


『決断が早くなった』

先ほど、魔王に選択を迫られたとき……確かに、沢山のことを考えていたはずなのに、すぐに答えを決めることが出来た。
私は前は、自分のドレスのデザインですら一人で決められなかったのに……。


『物覚え』もよくなった。
馬の乗り方だってすぐにコツを掴んだし、一目見ただけのドレスの柄を覚えたりした。日常ですらどれも『刺激的で鮮明』に感じた。

最初の1年が過ぎた時だって、もう1年になるのかと軽く驚きを覚えた。
そう、ちょうど1年前くらいから、私はずいぶん早起きになっていた。
朝に時間を持て余すほど、目覚めもよくなって。言われてみれば『眠気』を感じていない。


姫「あ……じゃあ。家族への罪悪感が、あっという間に薄れたような気がしたのは…『感情を落ち着ける』のが、容易になったから……?」 

魔王「……」

姫「あんなに心配してくれたはずの家族ですら… 短い期間で、懐かしむように思い出すようになってしまったのも…?」


魔王「……脳が、記憶を処理して整理するのが速まっているせいだ。“今の出来事”は鮮明に知覚できるし、“過ぎた過去”は速やかに記憶の奥にしまわれていく」

姫「……私の頭の中でだけ、時間は早く過ぎ去っている……?」

魔王「そう。そしてそれは、俺にとっては好都合だった…。心の傷を癒し、忘れさせていくには時間の流れが何よりも薬になる」

魔王「――それに、目の前の刺激を強く感じられるのなら、俺と過ごす時間はより濃密に感じられるだろうし」

姫「あ……」



魔王「だから人知れず家族の記憶を遠ざけていく君に、その事実を言わずにいた。時の流れの差を認識していれば、君はここまで素直に記憶を遠ざけることはなかった。いや――」

魔王「意識さえしていれば、記憶は何度も引き出され、通常よりも鮮明に覚えていられたはずなんだ」

姫「あ…… そんな。だって」


いつだって鮮明に思い出せる、母の舞姿と湖の光景。
毎夜思い出していたから、あんなに鮮明に、記憶に残しておけたのか――


魔王「……そんな原因があることにはすぐに気付いた。家族への思いが薄れていくことを嘆く君を見ていたのに、教えようとしなかった。むしろ隠したんだ」

魔王「君が家族への痛みなんて忘れて、俺のことだけ見て、幸せにしていてくれたらいいと、思っていたんだ――」

姫「…………魔王…」


両手で顔を隠してしまった魔王。
泣いているのか、嘆いているのか。合わせる顔がないだけなのか――

私は頭の中でさまざまな事を思い出しては、先ほどの魔王の言葉に当てはめていく。
言われてみてようやく気付く程度の、私自身の感覚の変化。

黙り込んでしまった私に、しばらくしてから、魔王は震えた声で話しかけてきた。
それはまるで独り言のようだったし、懺悔のようにも聞こえた。


魔王「ずっと…ずっと、言わなくてはならないと思っていた」

魔王「これではまるで、いつか君の言っていた、『記憶を改竄されて、何も知らずに幸せに生きる“偽物の生”』そのものを歩ませているのと変わらない……」

魔王「だけど、正直に言う勇気もなかったんだ。そんなのはまっぴらごめんだと、出て行かれてしまうような気がして……」

魔王「君が家族や苦痛を思い出して、ここで過ごす日々の楽しさは錯覚だったのだと言って、帰ってしまうのが嫌で……っ」


切り裂かれるような声だった。
弱さを晒け出して、その弱さに自分で打ちのめされていくような、ひどく自虐的な声をしていた。


ああ、この人は本当にどうしようもない。
魔王なのに、弱くて、へたれで。愛されている自信がいつまでも持てなくて。

それなのに、自分で自分が制御できないくらいに
私のことを、愛してくれている。


姫「魔王。ありがとうございます」

魔王「っ!! 話を聞いていなかったのか!? 俺は自分勝手な都合で、ずっと君に隠し続けて――」

姫「でも、私が苦しまないようにって考えてくれた。側に居て欲しいって思ってくれた」

姫「ずいぶんと長く時間が掛かってしまっただけで―― ちゃんときちんと、話して・・・教えてくれたじゃないですか」ニコ


魔王「……それは、姫が、姫でいてくれたおかげだ。姫が、残酷な真実など知りたくないと答える人だったなら、俺は最後まで言えないままだった」

魔王「俺はただ、最後まで卑怯なだけだ――」


また、顔を伏せてしまった魔王。
絶望しきって、生気を失ったような顔で、断罪を待つ囚人の姿さながらに沈黙してしまった。


私はそんな魔王に寄り添い、その顔を覗き込んだ。
魔王は私と目を合わせるのですら、怯えているようだった。

そう、きっと本当に 彼が囚人で、私が処刑人なのだ。


悪魔の選択肢。
出すべき選択肢を間違えて、悪魔自身が選択してしまったら
その時はきっと今の彼のように、選択させようとした相手に、魂を刈り取られるのだろう。

だけど――


姫「ふふ。そうですね、本当に魔王はずるいですね」

魔王「――っ」

姫「自分で苦しむほどの卑怯な真似をしてまで、私を求めてくれるなんて―― どうしたら私は貴方を、責められるのでしょうね?」


私の魂は、とっくに彼の物になっている。
そう、私は最初に、悪魔の望んだ選択肢に答えたのだから。


私は貴方のもので、貴方は私のもの。
だから、貴方の罪も、私の罪も、一緒に被って生きましょう。


私は魔王を覆い抱くようにして。
魔王はそんな私にしがみつくようにして。

悲しみも、嬉しさも、辛さも、幸福も、二人の全てを全部混ぜて
ずっとずっと止まらない大粒の涙の中で、私たちはお互いを強く抱き、微笑み続けた。


今日はここまで。明日の晩で最終投下になります。


―――――――――――――――

私たちは結局、一晩中抱き合ったまま泣き明かした。
そうして泣きつかれて、目蓋も重くなったころ、魔王は私をそっとベッドに運んでくれた。

柔らかな布の感触に、私はすぐに眠りへと吸い込まれていく。
もう目も開かない程だったけれど、私の髪を撫ぜる手の感触に、ほんの少しだけ意識が戻った。

穏やかな声が、降り注いでくる。


魔王「知るということは、恐怖を伴う。――俺はいつも、何かを新しく知ることが怖い。何かを新しく得ることも怖いし、大きな変化も怖い」


魔王「だから、何もないのが最善だと思っていた。何も起こらないに越したことはない、と」


魔王「だけど君と出会って、大きな変化の中でも逃げ出さす、向き合う君の強さを見て…。そんな君に救われて、ようやくわかった」

魔王「逃げ出さずに向き合った、その先でしか見つけられない本当の“最善”が、きっとあるのだと」

魔王「ありがとう。……いつもいつも… ごめん、姫…」


また、涙声が聞こえてきた。
ようやく泣き止んだばかりだというのに、どれだけの涙が溜まっているのだろう。


それに、どうして謝っているのだろう。
そんな疑問を抱いたけれど、朦朧とした頭は答えを導き出せないまま、眠りに落ちてしまった。


翌朝
目を覚ますと、魔王は姿見の前に立っていた。
それだけではなく、とても立派な衣装も纏っている。

ゴソゴソと布団を抜け出して、私は魔王のそばに近寄る。
私に気付いた魔王はにっこりと微笑み、額にキスをして朝の挨拶をした。
その顔は、今まで見たこともないほどに晴れ晴れとしていた。

首をかしげて見上げる私に、魔王は苦笑する。
それから私のことを抱きしめて…… そのまま、私の身体が反るほどに強く抱きしめなおしてきた。


姫「魔王… どうしたのです? どこかに行くのですか?」

魔王「ああ。……全てを、賭けにいくんだ」

姫「賭け……?」


魔王は、私を何度も抱きしめなおす。
黙ったまま、何度も何度も 腕を緩めてはまた強く抱きなおす。
それはまるで、私という存在を確かめているようだった。


――――――――――――――――――――



ガタガタと馬車が揺れる。
早馬6頭に引かれた馬車と、周囲を囲む数人の騎士。

舌を噛むといけないからと、先ほどから馬車の中は沈黙しかない。
ぎゅっと膝の上で握り締めた私の掌を、魔王はしっかりと包んでくれている。


ひときわ高い馬のいななきが聞こえた後、続けて数頭がいななき、馬車は急速に速度を落とした。
馬を落ち着かせるための掛け声は、私をかえって緊張させる。


魔王「……姫は、緊張することはない。どうか安心して」

姫「う、うん」


魔王が早馬を用意してまで私を連れてきたのは… 聖王国の、王城だった。


私は目深にフード付きのマントをかぶせられ、魔王の背後に隠れるようにして馬車を降りた。
あまり早くに姿を見られ、余計な混乱を招いてはよくないだろうという、魔王の提案。

魔王は追随の騎士に指示を出し、
一人の小柄な従者だけを残して 門の外に控えさせた。

聖王国には、魔王が登城すると知らせが飛んでいたのだろう。

厳しい顔をした騎士団長が、剣を支えに門の前に立ちふさがっていた。
周囲には緊張しきった面持ちの門兵が、魔王の姿を確認して構えを取り、こちらを牽制している。


魔王「書簡にて、お伝えしたとおり。聖王国王陛下に直接申し上げるべき用件がある。ここを通していただきたい」

騎士団長「まさか…本当に魔王殿が自らくるとは。我らは敵国であります。ここを簡単にお通しするわけには参りません」

魔王「見てのとおり、ろくな従者も連れていません。争う気もありません。ただ、とても重要な用件があるだけなのです。陛下への接見、どうか願い申し上げる」スッ……


一国の王…それも魔王が、敵国のたかだか騎士団長などに、頭を下げて願い出るだなどと誰が思うだろう。
あたりの兵は騒然とし、騎士団長も困惑の色が隠せていない。
魔王は頭を下げたまま動かず、そこらの門兵でも槍の一突きで刺し殺せてしまえそうな状態だ。

そして実際、騎士団長は少しの間をおいて
チャキリと大きな剣を 無防備な魔王の首筋に添えた。

私はあまりのことにヒッ、と息をのむ。
それでも魔王が頭を下げたまま静止しているのを見て、どうにか駆け寄るのを堪えた。


魔王「…………」

騎士団長「…………」



騎士団長はしばらく魔王の様子をじっと見ていたが、斬ることはせず、ゆっくりと剣を下げる。

チャキンと鞘に収まった音を聞き、私はようやく息をついた。
それは大勢の兵達もおなじだったのだろう。一瞬で緊張が解け、場の空気が変わった。


騎士団長「魔王殿のご覚悟と誠意、確かに見せていただきました。自分ごときの無礼、どうぞお許しください」

魔王「いえ。国を守るための行動とわかっています」

騎士団長「感謝します。………ですが、万が一にでも不穏な動きをなさった場合には、この剣がもう一度鞘から抜け出ることも承知おきください」

魔王「陛下に目通りできるのであれば、こちらは万が一にも不穏な動きはしないと約束をしましょう」

騎士団長「どうぞ、こちらへ」

姫「………」


久しぶりに戻った城は、とても懐かしい。
きょろきょろとあたりを見回しそうになったけれど、“突然に消えた自分の身”を思い返し、思いとどまる。

おそらくは多大な心配や迷惑をかけたであろう城の人々。
こんな私が、どんな顔をして彼らの前に立てばいいというのだろう。
私は彼らに気付かれるのが急に不安になり、身を小さくし、黙って魔王の傍らについて歩いた。



――――――――――――――――――


魔王「………」


こちらでお待ちください、と案内された部屋。

そこで魔王は薦められた椅子を断った。
正確には『従者の体調がよくないので、代わりに座らせてやっておいて欲しい』と断り、私をその椅子に座らせてくれたのだ。
体調が良くないといっても、実際は妊婦であるというだけなのだが、私は素直に椅子を譲られ、魔王は小さく微笑んでくれた。


それにしても何もかもが違和感のある光景だった。

来賓として迎え入れられた魔王は立っており、従者が椅子に座っている。
数人の侍女や騎士が室内にいるものの、誰しもが緊張しきって気を張り詰めている。
もちろん、魔王に別の椅子を差し出す勇気のあるものなど居ない。

それに何より… この場所。
おそらく、戦になった場合の魔王の立ち回りの難しさや、対外的な社交の場作りなど
いろいろと考えられた結果なのだろう。

敵国とはいえ、王同士の接見だ。
かといって、下手に上下関係を誇示する環境で対面しては後々の不都合があるかもしれない。
その苦肉の策が、きっとこれ。


まるでこれから晩餐会でも行うかのような大きなテーブルと、その両側に置かれた椅子が2脚。
テーブルの上にはナイフ一本どころか、蜀台の一台ですらも置かれていない。

聖王国側の警戒心は顕わな上、先ほどからずいぶんと待たされている。
気を悪くしては居ないかとマントの縁から魔王をそっと覗き見た。


声には出さず、僅かに動いた口元。
『大丈夫、気にしないでいい』と言っているのがわかって安心した。
そして小さく笑いかけてくれた魔王は、そのまま静かに目を閉じ、顔を伏せて動かなくなった。


「……お待たせいたしました」


騎士を左右に従えて入ってきたその声に、私は驚いて顔を上げる。
てっきり来るのは父王だと思っていたので……懐かしく親しいその声を聞き、反射的に声を出してしまった。


姫「お兄様!」

兄王「!?!?」


私が叫ぶと、その勢いでフードがめくれあがった。
私以上に驚いた顔の兄が、こちらを見て目を丸く見開いている。


兄王「な… 姫!? 姫なのか!?」

姫「お兄様!! はい、姫です!! ああ、お兄様だわ、どんなにお久しいことでしょう!!!」


すぐに自分に気付いてくれた兄。
自分の身の上も忘れ駆け寄ろうとすると、困惑した表情の兵士2名によって、阻まれた。


姫「きゃぁっ」


私は腹をかばうようにして身体をちぢこませ止まった。
そんな私を見て、兄は信じられないといった表情をしている。
魔王は先ほどから一切動かず、ただじっと立ったままで――


兄王「~~~っ これ、は… 一体どういうことだ……」

魔王「……全てをご説明いたします。ですがどうかその前に、前国王様にもこちらに出席していただきたい」

兄王「父上も……? し、しかし王位は既に自分が継承しています。お話であれば自分が……」

魔王「……それは失礼しました。ですが自分は聖王国の姫君をお連れするまでの経緯。それから我が謝罪を申し上げたく参上いたしました」

魔王「姫君のお父上殿にこそ、申し上げるべき用件と考えています。改めて、前国王陛下への御目通りを願わせて頂きたく」

姫「魔王…?」



兄王「…………」

魔王「………」


兄王「……っ。その。正直、自分は魔族である貴方に恐怖があり……容易に信用することができません。老いて力衰えた大切な家族を、貴方に引きあわせるのに抵抗があります……」

魔王「………」

姫「お兄様! いいえ、それは違います! 見目で怖れていては何もわからないまま。魔王は…魔族は、私達の思っていたような怖しい生き物ではありません!!」

魔王「………姫」


姫「お兄様、大丈夫です。魔王はお父様に乱暴など致しません! ですからそんな言葉で魔王を傷付けるのは――」

魔王「姫、いいんだ。大丈夫だから」

姫「ですが、これではまるで――」


これではまるで、私が初めて魔王に会った時のようで。


よく知りもされないまま拒絶される。
それで魔王がどれだけひどく傷付くのか私はもう知っている。

大事な家族が、最愛の魔王を傷付けるのを黙って見てなんかいられない。



姫「~~っお兄様! 大丈夫です、どうかお父様をよんで下さい!」

兄王「……魔族は信用出来ない。こう言いたくはないですが……こちらを油断させるために、姫の姿の別人を連れてきている可能性だってあるんです」

姫「……ッ!」



目を逸らしたまま そう告げた兄に、私はショックを受けた。
見て確かめることもせず、ただ疑われて否定される。
それが、こんなにも苦しいことだなんて――


言葉を無くした私。
目を逸らしたまま気まずそうに立っている兄。
魔王は一人姿勢を正し、怜悧な瞳で兄王を見つめ……はっきりと口にした。


魔王「聖王国王陛下。――いえ、姫君の兄上様。ひとつだけ申し上げたい」

兄王「……なんでしょうか」

魔王「魔族である自分を見定めろとはいいません。自分も、怖しいものは見つめる事ができません」

兄王「な」

魔王「ですが、彼女の事も怖しいですか。妹姫の姿を見て正体を確かめることは、本当に出来ませんか?」

兄王「っ」


魔王「……見てあげて下さい。恐怖に立ち向かってあげてください。貴方の、妹姫のために」

姫「魔王……」


兄王は最初、とても辛そうに私のことを横目で見た。
私も、そんな兄に視線を向けた。きちんと見て欲しい。怖がらずに、気付いて欲しい。


兄王「……本当に、姫なのか?」

姫「はい、お兄様、姫です。お兄様はいつの間にか、あの日仰っていたように、お父様のような立派な王となられたのですね…」ニコ

兄王「――……」


兄王はしばらく私を見つめた後、小声でなにやら騎士に指示を出した。
そのあとで、バタバタと人が出入りを繰り返す。
私は相変わらず軽い牽制をむけられたままだったし、魔王も礼儀正しく頭を下げたままだったけれど、何も言わずに静かに待ち続けた。

そして……


后「姫!! ああ……っ ああ、ああ!」

姫「お母様…っ!? それに、お父様も!! みんな…」


兄王「……さあ、魔王殿。説明していただこう」

魔王「……ありがたい。ですがよろしいのですか」

兄王「貴方への警戒は変わりません。ですが、この子は…本当に姫なのだろうと思いました。幼かったあの子からすると、随分と容姿もかわりましたが…」

兄王「この子があの子なのだ、と 思えたのです。父も母も姫にもう一目会うことをどれだけ望んでいたか。だから呼んだ。それだけです」

魔王「……」


魔王は黙ったまま一礼した。
その表情は、嬉しそうで愛しそうで、満足そうに微笑んでいる。
もしかしたらその表情を見られたくなくて、頭を下げたのかもしれない。

ともあれ私達は再会を喜び、抱き合った。
いくらかの言葉と抱擁をしていたところで、魔王の言葉が響いた。


魔王「……これからお話することを、どうか最後まで心落ち着かせてお聞き下さいますよう、先にお願いいたします」


魔王はそう言ってから、静かにゆっくりと語り始めた。
私と魔王の、出会いからこれまでの話を。

私は両親に抱きとめられ、魔王に近づくことも出来ないまま、それを聞いた。


兄王「………馬鹿な」


魔王が話し終えた後、沈黙を破ったのは兄王だった。

魔王「とても許されないことをしました。全て覚悟の上で、この場に謝罪に参った次第です」

姫「魔王… 魔王…っ」


謝罪を伝え終えた後。あまりにも朗然とした魔王の顔を見て、ようやく全てを察した。
魔王は、全ての罪を負って、正しく断罪されるつもりなのだ。
きっと、もうとっくに、殺される覚悟ですら出来ている。

泣き声で呼びかけた私に、魔王はちらと視線をくれて。
それから申し訳なさそうに笑って、また恭しく頭を下げなおした。

魔王「姫のお腹の中には…自分の子供がいます。どうか、その子だけはお救いいただきたい」

姫「魔王!」

魔王「姫との子供ができて、幸せを実感して、罪悪感にたえられなくなった……」

魔王「責任を取りたいのに、どこから取ればいいのかもわからないほどの罪を犯しました」

魔王「だから、全てを明かして、全て必要なだけの責任を取らせて頂きたくこちらへ参りました。…本当に、言葉だけではどうにもならない事をしたのです」

姫「魔王…だめです。そんなのはだめ。それに貴方が罪を被るなら、私も同罪じゃないですか…」

魔王「姫は、俺を救ってくれた。俺の心を救ってくれた。だから、今度は俺が君を救わなくてはならないだろう?」

魔王「君を隠し、君と子を罪の中で生かす…。そんな悪魔のような真似はできない。君のために正しくありたい。君を罪から救い出したい…――たとえ、死ぬことになってでも」ニコ


あきらめた笑顔だった。
確信しきって、譲らない笑顔だった。

私はその場に泣き崩れてしまって… しばらくその場には、私の嗚咽だけが響いていた。


父王「……魔王殿」


ス、と 父王が一歩前に歩み出て、騎士に指示を出して、私を解放してくれた。

それでも動揺しきって動けないでいる私の肩に父王は手を乗せ
私の顔を見つめて、懐かしがるようにして。

それから魔王を見つめて、呟いた。


父王「魔王殿。貴方は確かに、子供を授かって父の気持ちを知ったのかもしれない」

魔王「……」

父王「だけれど、まだまだわかっていないことだらけのようだ」

魔王「わかって…いないことですか」

父王「ああ。貴方はまだ何もわかってはいない」

魔王「……それ、は」


父王「だがきっといつかわかるだろう。いや、貴方のような方ならば、それを知り、わからなければならない」

父王「だからそれまで、この件の責任を問うのは待とうと思う」

魔王「!!」



父王「――貴方も知るべきです。いえ、知ってください」

父は、やさしく微笑んで私の手を引いて立たせてくれた。


父王「もう、すっかり消えてしまったと思っていた姫が、こうして生きていてくれた」

私の涙を、そっとぬぐってくれた。


父王「幸せそうに、元気に姫が戻ってきてくれた……」

笑いかけてくれた。


父王「手元にいない間も、ずっと姫が大切に愛されていた……」

抱きしめて、頭を撫でてくれて。


父王「そして何よりも……」

姫「お父様……っ」


父王「きちんと人を愛することの出来る、立派な姫君に育ってくれた」



そっと背中を、押してくれた。
振り返り見た父上は、微笑んでいた。


姫「………っ」

父王「知るべきですよ。それがどんなに、嬉しいことなのか。―――今の私の喜びを、いつか貴方にも知って欲しい」

父王「知ったならば、その時に考えてみてください。今、私が貴方にどんな賞罰を与えたいと思っているかを、ね」

魔王「………っ」


私は大きく頭を下げて……魔王の元へ、駆け寄った。
父に頭を下げ続けていた魔王に、飛びついた。


魔王「姫…!」

姫「魔王! 魔王、魔王、魔王…ッ」


私達は
ようやく繋ぎなおせた手を離してしまわないように
お互いの震えた身体を支えあった。


父王「おかえり、姫。改めて、姫の門出を皆で祝おうじゃないか」ニコ…



―――――――――――――――――――――

そして、しばしの時がたち――


魔王「何もないのが、きっと「最善」ではあったんだ。少なくとも君個人や、俺個人の話でいえばね」


ここは、聖王国王城。……の、敷地にどうにか入っている離宮。

私はここで臨月を迎えていた。
すっかり大きくなったお腹をなでながら、横でそんな風に呟いた魔王を見上げる。


姫「魔王は本当にそう想うの?」

魔王「……ああ。それはけして最高ではなかったとは思うけれど、それが最善だったのは確かなのではと、今でも思うよ」

姫「……何も無いのが、一番だった と?」

魔王「駆け落ちじみた真似をするほどに盲目になって。愛せば愛するほど周りが見えなくて。ただ幸せで、ただ満足で」

姫「魔王……」


魔王「だけど命を宿して、その重さを知って、自分の犯していた間違いや周りのことに目を向けてようやく気付いて反省する」

姫「……」

魔王「それを繰り返すときは、毎回あまりの愚かさに身もだえて、翻弄される」

魔王「そんなの、決してスマートではないし。こんなのを誰が良い選択だなんていえる?」

姫「ふふ」


魔王「自分では、最善の選択がどれかわかってる。だけれど選べない」

魔王「好きなものが欲しくてすてられなくて、選ぶことに苦痛を強いてでも…それでも選んでくれるのなら、幸せにしてあげたいと本気で思う」

魔王「それなのに愛せば愛するほど、最善ではない選択肢を選んだことも、選ばせた事も辛くなってくる」


姫「……」

魔王「…段階が進めば進むだけ、戻るのは困難になる。迷子と同じ。幸せになるための最短距離を進めなくなり、遠回りして回り道を繰り返し… へとへとになって求めなければならなくなる」

魔王「最善が打てるのは、常に一歩目。俺は君の幸せを願いながら、未だたどり着かせてあげられていない……本来なら、君は幸せの中だけで暮らしていたのに」


またこれだ。
私は小さくため息をついて、魔王の頭とお腹を 両手を使ってなでた。


姫「もう。気にしなくて、いいんですよ」


あの日以来、私は隠れ忍ぶようにして魔王と会わねばならなくなってしまった。
身重の身体ではすこし不自由のある生活。
魔王はそれをずっと気にして、相変わらず愚痴ぐちとした弱音を吐いている。



家族にはすっかり公認されていても、国として私が魔王に嫁ぐのは、難しい問題だった。
ゆっくりと国民に受け入れて貰いながら、
反発を起こさないように手順を踏まねばならない。

そうしたところで、大丈夫とも言い切れないのが、今の私と魔王の現状だった。
長く続いた戦争は、停戦の申し込みをお互いにした程度ではなかなか収束しなかったのだ。

どのような反逆因子があるかわからない…という意見により、
私は聖王国での出産を余儀なくされたし、魔王と会うのもそうそう自由が利かない。

今も、軽いお腹の張りを心配した魔王は
私のお腹をさすりながら申し訳なさそうにしている。

きっと魔王は今も毎日
そんな状況を私に強いているのだと、自己責任を感じているのだと思う。



姫「魔王… 幸せは、ゴールなの?」

魔王「ん?」

姫「私は、違うと思うの。きっと幸せになるって言うのは、幸せって言う通過点を通ること」

魔王「幸せが…通過点?」


姫「間違いすぎて、遠回りして。でもそのおかげで、たくさんのことを知ることができたから…

姫「最短じゃなくても。とても実りのある豊かな森で、たくさんの幸せの中を あなたと歩けているんです」

魔王「姫…」


姫「ねえ、魔王… 私もひとつ… “選択肢”を出してもいいですかね?」

魔王「えっ」

姫「ぷっ… あはは、そんなびっくりした顔しないでください! ちょっとしたまねっこですよ」

魔王「あ、ああ… そうか」

姫「お腹の子にね… まだ答えられないだろうから、今のうちに聞いておいてあげたいの」

魔王「お腹の子に…?」

姫「うん。いまからゆっくり、ちゃーんと考えて選んでほしいから…」


お腹をなでて。私はそっと目を閉じて想う。
私の手に、暖かな魔王の手が添えられたのがわかる。


私たちは、出会わなければ何事もなく生きていた。
何もなければ、御国の事なんて難しいことも兄上にまかせっきりで、
ドレスを選んで舞を習って、どこか満たされないながらも静かに暮らしていた。

だけど――



ああ。私は、やっぱり魔王と出会えて幸せなんです。
たとえこの先どんなことがあろうと、これだけは確かだっていえるほどに、幸せなんです。
だからきちんと自分達で選んだ未来を、たくさん苦労しながらがんばっていきたい。


暖かなお腹を、撫でて問う。


『あなたは、どうしたい?
あなたはどんな人生を 選びたいですか――?』



数年後。
生まれてきた小さな姫は、平和の象徴として世界をつなぐことになった。
誰からも愛される女の子は、魔族の父と人間の母に抱かれ、にこにこと笑って生きている。

彼女もきっと、いつか自分の人生を選ぶ日が来るのだろう


―――――――――――――――――――
おわり

以上です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

乙乙

おつ!

乙乙

気持ち良く終われたね

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2018年12月21日 (金) 17:24:10   ID: MFmew_eH

最高でした…

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