ちなつ「切れた電球を今」 (121)

京子「ちなつちゃーん、劇の台本書いて見ない!?」

 9月も半ばに入り、夏休みボケも少しずつ抜けて来て、本格的に秋めいて来た今日この頃。
 一足先に部室に着いた私が、今日のお茶は緑茶と麦茶どっちにしようかなんて考えていると、
 京子先輩がそんなことを叫びながら慌ただしく部室の戸を開けた。

ちなつ「なんですか、藪から棒に」

 あまりにも唐突な問いかけに、私はびっくりして手に持っていた湯のみを落としそうになり、
 京子先輩に非難の視線を向ける。

京子「ああ、ごめん、あのね……」

 京子先輩は特段悪びれた様子もなく、ゆっくりと私の正面に腰を下ろした。
 余程急いで走って来たのか、ぜいぜいと息を切らしている。

ちなつ「そんなに慌てて、よっぽど重要な要件なんですか? 今のって」

京子「いや、結衣とどっちが早く部室に着くか競争してたんだけど、結衣がのってこなくて……」

 それじゃ勝負になってないじゃないですか、という突っ込みを飲み込んで、私は立ち上がってお茶を取りに行く。
 今の話のとおりなら、すぐに結衣先輩も部室に着くはずだ。
 時間もなさそうなので、取り敢えず麦茶の容器を持って部屋に戻る。

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京子「お、ちなつちゃん気が利くぅ~」

 何を勘違いしているのか上機嫌で湯呑みを差し出している京子先輩をスルーして、容器をテーブルに置く。
 
京子「あれ? 走り疲れてる私のために用意してくれたんじゃないの?」

ちなつ「そんなわけないじゃないですか。飲みたきゃ自分でいれてください」

京子「ちぇ~ケチ」

 京子先輩はブツブツ言いながらも容器を手に取り、自分の湯呑みに麦茶をなみなみ注ぐと、
 それを一気に飲み干して、湯呑みをドン、とテーブルに叩きつけた。
 そして少し息を整えてから、さっきの続きを話し始めた。

京子「あ、それでさっきの話なんだけど、ほらもうすぐ文化祭近いじゃん?
   綾乃に、普段部室を無断で使ってるんだから、文化祭くらい活動しなさいって言われちゃってさあ」

ちなつ「ああ、なるほど。それで劇なんですか」

 私はようやく合点がいって頷く。最近は部室の無断占拠を咎められることも少なくなってきたけど、
 部活の体裁を取っているのに文化祭で何もしないというのは、生徒会としては思うところがあるのかもしれない。

京子「うん。まぁ厳密には生徒会が主催でごらく部が協力するって形みたいなんだけど、
   ごらく部主導でいろいろ考えてもいいってさ」

ちなつ「それで、やるって言ったんですか?」

京子「うん、面白そうだし」

ちなつ「そうですか……」
 
 私たちに相談もなしですか、と呆れたけれど、京子先輩が勝手にいろいろ決めちゃうのは今に始まったことでもないので
 突っ込むのはやめておいた。代わりに大きくため息をついて、次の疑問を投げかける。

ちなつ「事情は分かりましたけど……何で私なんですか? 京子先輩の方がそういうの得意そうじゃないですか」

 そりゃあ私もお話を考えるのは嫌いではないけど、結衣先輩との将来のためのシュミレーションがほとんどだし、
 京子先輩の同人誌みたいに作品を発表しているわけでもない。台本を書くなら、先輩が適任だろう。

 しかし先輩は、

京子「そうかもしれないけどぉ……」

 なんて言いながら、バツが悪そうにもじもじしている。追求されると都合が悪いということだろう。
 しかし、京子先輩相手に容赦なんてしない。

ちなつ「しれないけど、なんですかぁー」

京子「そ、その、来月はミラクるんのオンリーイベントがあるから、そっちの作品に集中したいなあって……。
   あっ、勿論練習にはちゃんと参加するし、手を抜くつもりはないよ!」

 私が顔を近づけながら食い下がると、京子先輩はあっさり観念して理由を白状した。
 思っていたよりしょうもない理由だったので私は再び呆れて、さっきよりも大きくため息をつく。

ちなつ「はぁ、自分で引き受けておいて……」

京子「ごめーん。でもでもっそれだけじゃなくて、ちなつちゃんの書いた台本で劇をやってみたいなーって思ったのも本当だよ?」

ちなつ「すごく取って付けたような理由ですね」

京子「そんなことないってばー」

ちなつ「ちょっ、なんでこっち来るんですか……」

 京子先輩がごまかすように私に抱き掛かって来たので、慌てて押し返す。
 
 それにしても、劇の台本なんて急に言われても、何を書いたらいいのか思いつかない。
 私なんてそれこそ結衣先輩とのアバンチュールくらいしか思いつかないし、
 京子先輩が同人誌の片手間に作った方がよっぽどいいものができるんじゃ……。

 あれ、とそこまで考えて、何か違和感を覚えた。

 結衣先輩とのアバンチュール……。そういえば劇の台本ってことは……。

 そして次の瞬間、私はとんでもないことに気づいて、大声を張り上げていた。

ちなつ「京子先輩! 私が台本を考えるってことは、配役とかストーリーとか全部私の好きにしていいってことですよね!?」

京子「え? ああ、うん。その辺も自由に決めていいって言ってたよ」

 私の勢いにおされたのか、京子先輩が少したじろぎながら答える。
 
 ついつい興奮しすぎてしまった。だって台本から配役まで全て自由ということは、
 結衣先輩が王子様で、私がヒロイン、みたいなことも出来るということだ。

 白馬に乗った結衣先輩。その姿に心奪われるチーナ。見つめ合う二人。そして……。

ちなつ「そ、それ絶対ですよね? あとになってから文句言うとかなしですよ?」

京子「うん、綾乃達もあとから文句つけるなんてことはしないだろうし」

 妄想モードに突入しそうになるのを何とかこらえて、京子先輩に念を押す。

 落ち着け私。これは千載一遇のチャンスよ。
 ここで言質を取っておけば、今考えた夢のような展開が間違いなく現実のものに……

 しかし、

京子「それに、結衣も書いて貰うならちなつちゃんがいいんじゃないかって言ってたしね」

 その一言で、私の中に僅かに残っていた最後の理性もどこかへ吹き飛んでしまった。

ちなつ「そ、そそそそそれ本当ですか!? マジですか!? 確かに結衣先輩がそう言ったんですか!?」

京子「え、う、うん。確かに聞いたよ」

 京子先輩がぶんぶんと首を縦に振る。

 これは、書けということよね。そうに違いない。ううん、そうとしか思えない。
 頭の中で、白馬に乗った二人の姿がメリーゴーランドのように周り始める。

結衣「あはは、それ本当?」

あかり「うん、それでね……」

ちなつ「はっ!?」

 丁度その時、私の結衣先輩絡み限定地獄耳が先輩とあかりちゃんのものらしき笑い声を捉えた。
 私は我に返って玄関に駆けつける。 

 私が玄関に着くのと、二人が玄関の戸を開けるのはほとんど同時だった。

結衣「あ、こんにちは、ちなつちゃん。出迎えてくれたんだ」

ちなつ「は、はい! お待ちしておりました!」

 まだ頭がほてっているのか、変な言い回しになってしまった。

京子「あ、結衣、遅かったじゃーん。あかりも一緒なんだ」

結衣「ああ、途中でばったり会ってさ。職員室に用事があるって言うから少し待って一緒に来たんだ」

 京子先輩もついて来ていたようで、私の後ろから二人に声を掛けたが、そんなこともお構いなしに
 私は結衣先輩に抱きかかる。さっきの話をきちんと確認しないと。

ちなつ「そ、それより結衣先輩。京子先輩に私が劇の台本を書いたらいいって言ったって本当ですか!?」

結衣「あ、もう聞いてたんだ。ごめんね、何か押し付けるみたいになっちゃって。
   嫌なら無理しなくてもいいけど、ちなつちゃんこういうの好きかなと思って」

ちなつ「嫌だなんてありえないです! 私、前からずっと劇の台本とか書いてみたいなって思ってたんです!」

結衣「え、そ、そうなんだ。それはまた随分とピンポイントだね……」

 結衣先輩が輝く笑顔を向ける。直接確認も取れたし、これは確実に誘っているということでいいはずだ。

京子「それじゃ、ちなつちゃんが書いてみるってことでいいんだね?」

ちなつ「はい、まかせてください! 大船に乗ったつもりでどーんと構えてていいですよ!」

あかり「なになに、何の話? なんだかちなつちゃんとっても生き生きしてるねぇ」

結衣「ああほら、さっき部室に着いたら話すって言ってたやつなんだけど……」

 私はぐっと拳を握りしめて胸にあてる。
 任せてください、結衣先輩! 必ず、最高の台本を書いてみせます!
 新婚旅行はハワイにしましょう!

 * 

ちなつ「と、言うわけで。協力してね、あかりちゃん」

あかり「うん、あかり、頑張ってアイデアだすよぉ」

 京子先輩が劇の話を持って来てから二日。最初の週末。
 私は家にあかりちゃんを呼んで、作戦会議を開くことにした。

 念のためあの後ごらく部四人で生徒会に確認を取って、正式に私が台本を担当することになった。
 生徒会は生徒会で文化祭前はいろいろ準備に追われるみたいで、杉浦先輩からは負担が減って助かると感謝されてしまった。

 どうやら杉浦先輩は生徒会の劇をごらく部にちょっと手伝って貰うつもりで言ったのを、京子先輩が大きくしたみたいで、
 京子先輩は自分から言い出したのに後輩に押し付けるなんて、と叱られていた。
 
 私はみんなと同じように呆れてる態度を取ったが、内心ではまたとないチャンスを運んでくれた京子先輩に感謝していた。

 なんにせよ、これで今まで想像するだけだったあんなこともこんなことも、劇という形でとはいえ現実のものになるのだ。
 それも全校生徒の前で。もしかしたら結衣先輩の親御さんも見に来るかもしれない。
 結衣先輩も期待してくれてることだし、精一杯アピールしないと。

 私ははりきってもう一度あかりちゃんを見る。

ちなつ「いい、あかりちゃん。今回の劇で絶対に結衣先輩のハートをゲットするんだからね。
    あかりちゃんのアイデアにもかかってるんだから」

あかり「えへへ、あかり頼りにされてるよぉ」

 結衣先輩と私が結ばれる話ならいくらでも思いつくけど、折角なら一番ロマンチックなシチュエーションを演出したい。
 それにあくまで文化祭の出し物という形で話を持ってきて貰ったんだから、私と結衣先輩だけじゃなくて、
 きちんとごらく部と生徒会の劇という形で台本を書かなきゃならない。

 相談したいことは山ほどあるし、私は一度何かに夢中になると他のものが見えなくなってしまうところがあるので、
 いつも周りを良く見てるあかりちゃんのアドバイスはかなり頼りにしていた。

 今のあかりちゃんには緊張感が足りない気もするけれど、これまでもいつだって真剣に私と結衣先輩のことを考えてくれたし、
 二人で考えればきっと最高の劇になるはずだ。

あかり「取り敢えず、結衣ちゃんが王子様でちなつちゃんがお姫様っていうのは確定してるんだよね?」

ちなつ「うん。あ、そうだ、それで、昨日簡単な紙芝居を作ってみたんだけど」

あかり「え!?」

 あかりちゃんの質問で、昨日家に帰った後にたたき台を準備してたことを思い出し、机の引き出しを開ける。
 書いてる内に夜遅くなってて、寝不足だったせいで今の今まで忘れていた。
 最後の方は半分寝ぼけながらの作業だったけど、どうやら一応クライマックスまで書いてから眠ったみたいだ。

ちなつ「はい、あかりちゃん。一応これをベースにして作ってみようかなって思うんだけど……」

あかり「あ、う、うん……け、結構な枚数だね……」
 
 紙芝居を持ってあかりちゃんの方へ戻る。
 私の紙芝居の内容がよっぽど気になるのか、あかりちゃんは妙にそわそわしている。
 心なしか目も泳いでる気がする。私も結衣先輩の近くにいるとよくあんな風になるし、もしかしてあかりちゃんって
 私の紙芝居のファンなんだろうか。

ちなつ「うん。一度書き出すとなかなか止まらなくて。色なんかわざわざ塗らなくてもよかったのにね」

あかり「い、色まで塗ってあるんだ……」

ちなつ「流石にちょっと凝りすぎだよね。今読んで聞かせてあげるから」

 そう言って紙芝居をテーブルに立てる。
 タイトルは、「どうして★止まらない★トキメキ★ドキドキ★パラドクス★エターナル★スペシャル」
 以前ごらく部で描いた紙芝居を更に改良したものだ。

あかり「ひっ」

ちなつ「どうしたのあかりちゃん変な声だして? じゃあ行くよ」

あかり「ちょ、ちょっと待ってちなつちゃん!」

 私が表紙をめくろうと手をかけると、あかりちゃんが身を乗り出してそれを制した。

ちなつ「どうしたの? あかりちゃん」

 あかりちゃんがいつになく必死な様子なので、私は紙芝居を一旦机に伏せて、あかりちゃんを見る。

あかり「う、うん。紙芝居を見せて貰う前にどんな話か聞いておきたいかなぁって……」

ちなつ「それを今から読んで聞かせようとしてたのに」

あかり「う、うんでも、もしかしたら、前に見せてくれた紙芝居と同じような内容なんじゃないかなぁと思って」

ちなつ「そうだよ! よくわかったね!」

あかり「う、うん。タイトルが似てたから」

 あかりちゃんが微笑みながら言う。前のタイトルを覚えてるなんて、やっぱり私の紙芝居が好きなのかな。

ちなつ「でも今回は改良版だから、前のよりもっと結衣先輩の格好よさが表現されてるんだよ」

 そう言ってもう一度紙芝居をめくろうとした途端、

あかり「あ、え、えーとそうじゃなくて!」

 あかりちゃんが紙芝居の上に手を被せて来て、またも止められてしまった。

ちなつ「どうしたの? 何か変だよ、あかりちゃん」

あかり「い、いやそうじゃなくて、え、えーとあかりショックでうろ覚えなんだけど、
    前の紙芝居って確か、ほとんど結衣ちゃんとちなつちゃん二人のお話だったよね?」

ちなつ「あ!」

 それを聞いて私はようやくあかりちゃんが何を言いたがってるのか察して、間抜けな声を漏らしてしまった。

 確かに結衣先輩の王子様描写を増やすことに気を取られ過ぎていて、配役を増やすことまで気が回ってなかった。
 ちゃんと劇の形にしなきゃいけないとは考えていたのに、書いてる間はそんなこと全然気づかなかった。
 早速あかりちゃんに助けて貰っちゃったな、と思いながら私はうなだれる。

ちなつ「そっかー。ごめんねあかりちゃん。さっそく助けられちゃった」

あかり「ううん、役に立ててよかったよぉ」

 あかりちゃんはどこかほっとしたような様子で微笑んでいる。

ちなつ「でもどうしよう、これをベースに考えようと思ってたから、他には何も考えてないや。
    なんとか配役増やせないかなぁ」

 落ち込みながらもなんとかして再利用できないかと紙芝居に手を伸ばすと、あかりちゃんの手が再びそれを遮った。
 驚いてあかりちゃんの方を見ると、目をきょろきょろさせながら何か言いたそうにしている。
 前の紙芝居と一緒じゃ駄目だって言いたいのはわかるけど、それにしても今日のあかりちゃんは変だな、と思いながら声を掛ける。

ちなつ「どうしたのあかりちゃん?」

あかり「あ、あのね、それで、あかり一つ案があるんだけど」

ちなつ「案?」

あかり「うん。あかり考えたんだけど、実際にあるお話をベースにしたら考えたらいいんじゃないかなぁって」

ちなつ「実際のお話?」

あかり「うん。おとぎ話とかで、実際に王子様とお姫様が出てるお話をモデルにするの。
    これなら登場人物が多いお話もあるんじゃないかなぁ」

ちなつ「あー、なるほど。……それ、いいかも。ていうかかなりいいよあかりちゃん!」

 確かにおとぎ話の王子様は結衣先輩みたいに格好いいし、王子様とヒロイン以外にもたくさん人物が登場するものが多い。
 あとはごらく部や生徒会のみんなに合わせて台詞を変えたりすれば、きちんと劇をやりながら
 ロマンチックな出会いも演出できそうだ。

ちなつ「凄いよあかりちゃん!」

あかり「えへへ、そうかなぁ」
 
 あかりちゃんの手を握ってお礼を言う。
 いつもにこにこしてるからあんまり気づかないけど、やっぱりあかりちゃんはいつでも私のことを真剣に考えてくれてるし、
 とても頼りになる。

ちなつ「そうと決まったらモデルにする話を決めないと! 何がいいかなぁ……」

 私は顎に手を当てて考え込む。王子様とお姫様というと、やっぱり眠り姫が定番? キ、キスシーンもあるし……。
 いや、でも眠り姫だとお姫様はほとんど眠ったままだし……キスなら他の話にもいくらでも盛り込めるかもしれない。
 逆に人魚姫みたいな話で悲哀を演出する手も……ああ、でもそれじゃ趣旨が変わって来ちゃうか……。

 なかなか考えがまとまらず、一度顔をあげると、あかりちゃんがまた何か言いたそうに指をもじもじさせていた。

ちなつ「あかりちゃん、もしかしてお話まで考えてくれてたの?」

あかり「ううん、これはあんまり自信ないんだけど……」

 私が尋ねると、あかりちゃんはこれまでとは違いちょっと逡巡した後、恥ずかしそうにその続きを口にした。

あかり「あかりは、シンデレラがいいんじゃないかなぁって」



 幕間

「シンデレラのはなし」

「世界中の人々に愛された、可愛い可愛い女の子のお話です」

「むかし、むかし、それまでに誰も見たことがないほど美しい女の子がいました」

「女の子はお父さんは、女の子のお母さんがなくなった後、別の女の人と二度目の結婚しました」

「このまま母はとてもいじわるな心をしていたので、女の子があまりに可愛く、またとても優しい心をしているのを妬んで、
 女の子をとびきりみじめな仕事につかせることにしました」

「まま母の二人の娘も、一緒になって女の子のことをいじめるようになりました」

「家中のつらい仕事のほとんどを押し付けられた女の子は、いつも灰だらけの格好をしていたので、
 しだいに、灰かむり姫という意味の、シンデレラという名前で呼ばれるようになりました」

「そんなシンデレラには憧れの人がいました。お城に住む王子様です。
 シンデレラはたいそう美しい心を持っていたので、まま母と二人の娘のことを悪く思ったりはしませんでしたが、
 それでもいつか王子様のように素晴らしい人が自分を助けに来てくれることを夢みていたのです」

「ある時、お城で王子様が舞踏会を開催することになりました。シンデレラの二人の姉はいつも綺麗なドレスを街中の人に
 見せつけていたので、当然お招きをうけました。シンデレラも行きたくてたまりませんでしたが、みすぼらしい衣服に
 身を包んだ自分の姿を見ると、かなしい気持ちになるのでした」

「舞踏会の当日、シンデレラは、お城へ向かう二人を見えなくなるまで見送ると、とうとう泣き崩れてしまいました」

「するとその時、シンデレラのもとに一人の魔法使いが現れました」

「魔法使いは、シンデレラが舞踏会に行きたがっていることを知ると、シンデレラにかぼちゃを一つ持ってくるように言いつけました」

「そうすれば、シンデレラを舞踏会に行かせてあげるというのです」

「シンデレラは疑問に思いながらも、畑から一番いいかぼちゃを取って魔法使いのもとへ戻りました。
 魔法使いがそのかぼちゃを杖で何度か叩くと、かぼちゃは、みるみる内に金ぬりの、立派な馬車へと変わりました。
 さらに魔法使いはとかげを御者に、シンデレラの着ていたボロ切れを華やかなドレスに変えて、
 舞踏会に行くための準備をすっかり整えてしまったのです」

「シンデレラは大喜びで、魔法使いにお礼を言いました。
 魔法使いはシンデレラに、夜なか十二時を過ぎると魔法は溶けてしまうからそれまでに帰ってくるように忠告すると、
 最後に美しいガラスの靴を渡しました」

「シンデレラがお城につくと、王子様が彼女を出迎え、みんなのいる広間へ案内しました。
 シンデレラはぼろの服を着ていてもその美しさがわかるほどの女の子でしたが、今はその上綺麗なドレスを
 身にまとっていましたので、みんながシンデレラの姿に目を奪われ、広間の中はたちまち静まり返りました」

「王子様も、この珍しいお客様にたちまち夢中になり、そばによるとありったけのやさしい言葉をかけました。
 シンデレラは時間を忘れて喜びにひたり、気がつくと、十二時の鐘がなっていました」

「シンデレラは魔法使いの忠告を思い出し、あわてて城の外へと駆け出しました。
 王子様はあわてて追いかけましたが、とうとう追いつくことはできませんでした。
 けれど、シンデレラもあわてたまぎれに、ガラスの靴を片方落としてしまっていました」

「シンデレラはうちへ帰ると、魔法使いへたくさんお礼を言いました。
 お城での出来事はシンデレラにとって最高のひとときでした」

「やがてシンデレラの二人の姉も舞踏会から帰ってきました」

「シンデレラはいたずら心を起こして、姉たちに、舞踏会で何か面白いことはなかったかと聞きました。
 すると二人の姉は、見たこともないほど綺麗なお姫様がやって来たと言いました。
 二人はまた、王子様がしじゅうそのお姫様の方を見ていて、帰りしなに彼女が落として行ったガラスの靴を
 大事そうにしまっていたとも言いました。王子様は、ガラスの靴を履いたあのお姫様のことを好いているに違いない、と」

「果たしてその言葉どおり、それから二三日すると、王子様はガラスの靴のしっかり足にはまる娘を探し出して、
 妃にすると家来に告げまわらせました」

「王子様は、王女たちから貴族のお姫様たち、それから御殿じゅう、のこらず足をためさせてみましたが、
 ぴったりとはまるものはいませんでした」

「そしてその靴は、めぐりめぐってとうとう、いじわるな二人の姉のもとへもやってきました」

「姉たちは、はりきって無理に足をつっこもうとしましたが、無駄な骨折りでした。
 シンデレラはその姿を後ろで見ていましたが、それが自分が落とした靴に違いないことを確信すると、
 自分にも試させて欲しいと申し出しました」

「すると二人の姉はぷっと吹き出して、シンデレラをあざけり笑いました。
 しかし役人はシンデレラの顔を見て、ぼろを着ているものの、シンデレラが珍しく美しい娘であることに気付き、
 王子様の言いつけであると言って、シンデレラにも試させることにしました」

「シンデレラが椅子に腰かけて、役人が靴を足にはかせると、それはするりと、具合よく入って、まるでろうで固めたように
 ぴったりくっついてしまいました。役人はシンデレラこそが王子様が探し求めている娘であることを確信し、シンデレラは、
 王子様の前へ連れて行かれました」

「王子様もまた連れて来られた女の子を見ると、これがあの夜のお姫様に違いないと言いました。
 そして言葉を交わす内にますます女の子のことが好きになり、数日してめでたく婚礼の式をあげました」

「いじわるなまま母と二人の姉も、とうとうシンデレラの美しさとその心の本当に素晴らしいことに気付き、
 これまでのことをシンデレラに詫びました。シンデレラは心の優しい娘でしたので、全てを許して、
 二人の姉をお城へ引き取ってやりました」

「そうして、美しく心優しい女の子は、王子様の心を捕まえ、末永く幸せに暮らしたのでした」

 * 
 、
ちなつ「シンデレラかぁ……」

 シンデレラ。
 純粋でひたむきな女の子が、つらい目に遭いながらも、最後には王子様と結ばれるサクセスストーリー。
 お姫様にばかり気が行っていたから思いつかなかったけど、確かにこれ以上ないくらいにわかりやすくて華やかなお話だ。

ちなつ「うん、悪くない……というより、むしろいい。うん! それかなりいいよあかりちゃん!」

あかり「えへへ、そうかなぁ……」
 
 私はあかりちゃんの手を取って、本日何度目かのお礼を言う。
 あかりちゃんは照れくさそうに頭を掻いている。
 自信がないなんていいながら、こんなにも的確な案を用意してくれるなんて、本当にあかりちゃんには助けられてばかりだ。
 もしかしたら、昨日作戦会議の約束をした時から、ずっと色々考えてくれていたのかもしれない。 

あかり「ちなつちゃん、可愛くて、優しくて、頑張り屋さんだから、似合うかなぁって思ったんだぁ」

ちなつ「もう、あかりちゃんったら」

 あかりちゃんはお世辞でそんなことを言わない子だから、褒められると素直に嬉しいけれど、少しだけこそばゆかった。
 私は恥ずかしい気持ちをごまかすように、机に戻っていそいそとノートを取り出す。

ちなつ「そうと決まれば、まず配役を考えてみよっか」

あかり「まず、ちなつちゃんがシンデレラで、結衣ちゃんが王子様だよね」

ちなつ「勿論よ。取りあえず、登場人物を整理してみよっか」

 ノートに鉛筆でシンデレラ、王子様と書き込み、その横に私と結衣先輩の名前を書き込む。
 それだけでも、なんだか二人が結ばれることが約束されたような気がして胸が温かくなる。

ちなつ「えーとあとは……」

 私は鉛筆を軽く動かしながら、頭の中でシンデレラの登場人物を思い浮かべる。
 シンデレラの童話は、小さい頃に何度も読んだし、テレビで似たお話を見た記憶もあるけど、
 よく考えると、覚えてるのは大まかなストーリーだけで、細かい部分は曖昧だ。

ちなつ「とりあえず、いじわるなまま母?」

あかり「あとはその娘の義理のお姉さんたちだね」

 簡単なところから書き込んでいく。
 シンデレラに苦難を与えるまま母とその娘たち。
 シンデレラのお父さんはとある女の人と二度目の結婚をするのだけれど、その女の人は自分の娘ばかり可愛がって
 前の奥さんの娘であるシンデレラに家の仕事を押し付け、娘たちも母親を真似てシンデレラをいじめるのだ。

ちなつ「とりあえず、これは京子先輩でいいかな」

 そう言ってシンデレラと王子様の下に、「まま母:京子先輩」と付け足す。

あかり「そ、それは京子ちゃんに聞いた方がいいんじゃないかなぁ」

ちなつ「うーん、確かに悪役みたいなものだし、一応を同意は取っておいた方がいいかな」

 あかりちゃんが苦笑いをしていたので、上に二重線を引いて、保留と書き換える。

 まま母と二人の姉は一旦置いておいて、次の人物を考え始める。
 
 誰よりも綺麗な心を持ちながらも、みすぼらしい格好で家の隅に追いやられるシンデレラと、
 美しい衣装に身を包んで家中を闊歩する二人の姉。
 
 やがて姉たちの格好の煌びやかなことがお城の人たちの耳にも伝わり、二人は王子様が開催する舞踏会にお呼ばれする。
 楽しそうに舞踏会へ向かう二人の姉を見送ったあとで、お城に集まる華やかな人たちとはほど遠い自分の姿を見て
 一人部屋ですすり泣くシンデレラを助けるのが、一人の親切な魔法使いだ。

ちなつ「次は魔法使いかなあ」

あかり「そうだねえ。誰がいいかな?」

 私は魔法使い、とノートに書き込みその上を鉛筆でとんとん叩く。

ちなつ「うーん。……そういえば、魔法使いはどうしてシンデレラのことを助けてくれたんだっけ?」

 ふと、そんな疑問が頭に浮かんだので、口にする。
 魔法使いの魔法によって、シンデレラは王子様のいるお城へ辿り着くことができた。
 隅っこで泣く無力な、それでいて素晴らしい心を持った女の子と、王子様とを繋ぐ架け橋となる存在。
 そんな魔法使いは、どうしてシンデレラに魔法をかけてくれたんだっけ。

 絵本では、教訓めいた言葉で魔法使いについていろいろ書いてあった気がするけど、子どもの頃の私は
 この夢物語にそういう現実的な話を持ち込まれるのが気にいらなかったのか、あんまり覚えていなかった。

あかり「シンデレラがとっても可愛くて、優しくて、頑張り屋さんだったからだよ」
 
 私があれこれ考えていると、あかりちゃんはいつもの笑顔で、呑気な台詞を口にした。
 さっきも聞いたような台詞。
 単純というか何というか、あかりちゃんらしいといえば、らしい答えだった。

ちなつ「ふーん、まぁそんなところなのかな」

 実際のところ、夢見る女の子を助けてくれる存在に理由を求める方が野暮だし、さしたる答えはないのかもしれない。
 それでも理由をつけたいなら、今あかりちゃんが口にしたような理由が、一番温かくて、一番私好みだった。
 少なくとも、魔法使いがそういう理由でシンデレラを助けてくれるなら、私は嬉しい。

ちなつ「じゃあ、魔法使いはあかりちゃんね」

 そう言って、私は魔法使いの横にあかりちゃんの名前を書く。
 私をシンデレラみたいと言ってくれた少女。私の悩みを真剣に聞いてくれる少女。
 いつでも私のために一生懸命になってくれる少女。
 悩むまでもない。シンデレラが私なら、魔法使いはあかりちゃん以外には考えられなかった。

あかり「ええ!! いいのかなぁ」

 私は当たり前のことを言ったつもりだったけれど、あかりちゃんは思った以上に驚いて、顔を真っ赤にしていた。

ちなつ「もう、あかりちゃん驚き過ぎ」

あかり「だ、だって、ちなつちゃんがそう言ってくれるなんて、あかりとっても嬉しいよぉ」

ちなつ「変なあかりちゃん」

 よくわからなかったけど、そう言って笑うあかりちゃんがとっても嬉しそうだったので、私もつられて笑顔になった。

 * 

京子「へー、シンデレラかぁ~」

結衣「うん、ちなつちゃんらしくて凄くいいと思うよ」

ちなつ「きゃー、本当ですか!? 結衣先輩!」

 月曜日の放課後。私は部室の机にノートを広げて、あかりちゃんと二人で考えた案を説明した。
 魔法使いを決めた後も他の登場人物や設定について二人で色々考えてみたけれど、結局残りは直接相談して
 決めた方がいいという結論になったため、配役のところは空白になっている。

京子「いやー私が王子様なんて照れちゃうな~。でも安心してね、ちなつちゃん。絶対に幸せにするから!」

ちなつ「話の何を聞いてたんですか。王子様は結衣先輩に決まってるじゃないですか」

京子「え~、ちなつちゃんつれないー」

 京子先輩が意味の分からないことを言っているのを軽く流し、ちらりと結衣先輩の方を見る。
 結衣先輩が王子様というのは私の中では確定事項だったけど、本当は結衣先輩に断られるんじゃないか少しだけ不安だった。
 私が台本を担当するのに賛成してくれたのも、単純に京子先輩以外の三人じゃ私が一番こういうのが好きそうだったって
 だけかもしれないし……。

 しかし、結衣先輩は私の視線に気付くと、少し口元を緩ませて、

結衣「うん。王子役なんてちょっと恥ずかしいけど、ちなつちゃんが一生懸命考えてくれたんだもんね。頑張るよ」

 と言ってくれた。

 その言葉で、私は一瞬昇天しそうになったけど、なんとか踏みとどまる。
 代わりに、心の中で強くガッツポーズをした。

京子「ちぇー、いいなー結衣。まぁいいや! 最後にちなつちゃんのハートを掴むのは私だからねっ!
   それで、じゃあ私は何の役なの? 狩人とか?」

ちなつ「何で狩人なんですか。シンデレラに狩人なんていませんよ」

京子「あれ、そうだっけ? シンデレラってあと何がいたっけ……?」

ちなつ「あの、ノートに大体の登場人物は書いてあるんですけど……」

 しかし、京子先輩はノートには目をやらず、腕組みをしてしばらく考え込んだあと、

京子「あ、わかった。魔法使いだ! 舞踏会に行けなくて泣いてるシンデレラを助けてあげる優しい魔法使い!
   私魔法使いがいい!」

 なんてことを言い出した。

ちなつ「はぁ……駄目ですよ。さっきも言ったじゃないですか」

 私は「本当に人の話を聞かない人ですね」と呆れながら、ノートの文字をとんとんと叩く。

ちなつ「魔法使いは、あかりちゃんなんですから」

 そう言ってノートから顔をあげると、京子がこの世の全てに絶望したような顔で固まっていた。
 なぜか、その隣のあかりちゃんも、照れくさそうに俯きながら体をもじもじさせていた。

京子「そんなー! それじゃあ私は!? 私はいったい何をやればいいの!?」

 数秒固まった後、京子先輩がそんなことを言いながら飛びかかって来た。

ちなつ「きゃっ、ちょっと……。えっとですねー」

 抱きついて来る京子先輩を押しのけていると、あかりちゃんと一緒に配役を考えていた時のことを思い出した。
 あの後ちょっと可哀想だと思って言うのはやめることにしてたけど、やっぱりあの役は京子先輩にぴったりだ。

ちなつ「そうだ、京子先輩は、意地悪なまま母がいいんじゃないかって考えてたんです!」

 私がそう言うと、先輩の顔に、さっきよりも深く絶望の色が刻まれた。

京子「ち、ちなつちゃん! ひどい!」

 京子先輩は、顔を手のひらで覆い、わんわんと泣き声をあげ始めた。
 それを見て、ちょっとだけ罪悪感が芽生えそうになったけど、よく見ると完全に泣き真似なのに気付き、慌てて引っ込めた。

結衣「日頃の行いだ」

あかり「だ、大丈夫だよ京子ちゃん。みんなの劇なんだし、まま母もただの悪い人じゃなくて、
    本当は優しい心を持った人ってことにするから……。ね、ちなつちゃん」

ちなつ「う、うん。いいけど……」

 結衣先輩が追い打ちをかけ、あかりちゃんがフォローを入れる。
 京子先輩もそこで泣き真似をやめて、顔をあげると、拗ねたような表情で私を見た。

京子「ふんだ! いいもんね! いじめと称してちなつちゃんに抱きつきまくってやる!」

ちなつ「もう……そんなこと言ってると、本当にただの意地悪な人にしますよ」

京子「それは困る!」

 私は呆れて肩をすくめた。

結衣「でも、まま母は京子でいいとして、二人の姉はどうするの? これもシンデレラをいじめる役だよね」

 話も一旦落ち着いて、私と京子先輩がもとの場所に戻ると、結衣先輩がノートを私に向けながらそう言った。

ちなつ「あー、そうですね……」

 取りあえず保留ということにしていたからあまり考えていなかったけど、シンデレラに意地悪をする役は三人必要なのだ。
 同じごらく部で、いつも私に抱きついたりちょっかいを出してくる京子先輩はともかく、生徒会の人にこういう役割をさせるのは
 ちょっと躊躇してしまう。
 みんな優しいから頼めばやってくれそうだけど……。

結衣「まぁ思いつかない時は、京子が三重人格って設定でもいいと思うけど」

ちなつ「それです!」

京子「うぉぉい!」

 結衣先輩の妙案に、京子先輩が豪快に突っ込みを入れた。

ちなつ「なんでですか。いいじゃないですか。三重人格」

京子「全然良くないよ! それじゃ私すごく変な人みたいじゃん!」

結衣「違ったのか」

京子「違うよ! もー、姉は私の相方みたいなものなんだし、私が考えるからね!」

 ひとしきり突っ込みを入れた後、京子先輩は居住まいを正して、また目を閉じ腕を組んで考え込みはじめた。
 部室に沈黙が流れる。みんなが無言で京子先輩を見つめていると、京子先輩が顔芸を始めたので、
 結衣先輩が頭部に突っ込みを入れた。

京子「あっ、いいこと思いついた!」

 数分後、京子先輩は目を見開いてそう叫ぶと、私たちに案を話し始めた。

 *

「歳納京子ー!」

 配役の案も大体まとまり、あとで生徒会に相談に行こうということで話が纏まった頃、
 部室に、もう聞きなれた張りのある声が響き渡った。

 振り向くと、生徒会の四人が部屋の前に立っている。
 いつもいつも、丁度いいタイミングで部屋に入ってくるなあ。

京子「お、綾乃~! 丁度いいところに……」

綾乃「歳納京子! それより、今日提出期限のプリント、貴方だけ提出がまだなんだけど!
   まったく、これで何度目よ……」

 京子先輩が手を振って呼びかけようとしたのを遮って、杉浦先輩が早足で京子先輩の前に行き、右手を突き出す。
 京子先輩は、「あ、忘れてた~」なんて言いながら鞄からプリントを取り出し、杉浦先輩に渡す。
 なんで記入も終わって鞄に用意してあるのに提出し忘れるんだろう。

京子「綾乃、いつもごめんね」

綾乃「ま、まぁ、貴方たちには劇のことでお世話になってるからね。今回は許してあげるわ。
   次やったら罰金バッキンガムなんだからね!」

京子「へへ、ありがと。あっ、そうだ、劇といえば丁度生徒会に相談しにいこうと思ってたんだよ」

 京子先輩のせいで話が逸れてしまったけど、今の杉浦先輩の台詞で、私も元の目的を思い出す。
 
千歳「奇遇やなー。ウチらも劇の話がどんな感じになってるか聞きについてきたんよー」

 そう言って、部屋の前で立っていた三人が中に入る。
 全員が腰を下ろしてから、私たちはこれまで話してた内容について説明を始めた。

綾乃「へぇ……シンデレラをベースにすることにしたのね」

京子「うん、ちなつちゃんが考えたんだよー」

ちなつ「違いますよ。最初に言ったのはあかりちゃんです」

 シンデレラをベースにするという案は、生徒会にも概ね好評のようだった。
 生徒会でももともと、童話を下敷きにした話にしようと考えていたらしい。
 私はほっと胸を撫で下ろす。

千歳「よかったなー。綾乃ちゃん、シンデレラ好きやし」

綾乃「ええ。吉川さんがシンデレラ役なのね。とても似合ってると思うわ」

ちなつ「あ、ありがとうございます」

 杉浦先輩がシンデレラを好きという話に驚いて、お礼を言う顔がちょっと間抜けになってしまった。
 杉浦先輩はしっかりしてそうだし、こういうおとぎ話は苦手かと思っていた。
 先輩は少しノートに目を通してから顔をあげて、

綾乃「それで、私たちは何の役をやればいいの?」

 と続けた。

京子先輩「うん、それなんだけどさー」

 京子先輩が待ってましたとばかりに口を開く。私はちょっと不安に思いながらさっきの京子先輩の話を思い出す。
 京子先輩は大丈夫だって言ってたけど、杉浦先輩がショックを受けないだろうか。
 あんまりシンデレラに思い入れもないだろうからと思って納得したけど、お気に入りみたいだし……。

京子「綾乃には、シンデレラのまま母役をやって貰おうと思って」

 私の心配を他所に、京子先輩はさっきの話をそのまま口にする。
 案の定というか何というか、それを聞いた杉浦先輩は口を半開きにして放心状態になっていた。

綾乃「わ、私が、まま母役?」

 数秒してようやく硬直がとけ、か細い声で杉浦先輩が聞き返した。
 明らかに杉浦先輩が動揺してるのに、京子先輩はお構いなしといった具合に今日一番の笑顔で、「うん!」と首肯する。

綾乃「ま、まま母ってあれよね……シンデレラに色々意地悪をしたり、仕事を押し付けたりする……」

京子「そうだよー、頑張ろうぜ!」

 京子先輩はそう言って親指を立てる。杉浦先輩は今にも泣き出しそうな顔で体を震わせている。
 いつもの毅然とした生徒会副課長の姿は見る影もない。
 池田先輩と向日葵ちゃんも困惑した様子で二人の顔を交互に見ている。

結衣「ちっ、違うんだ、綾乃! その綾乃がまま母っていうのはその、京子の強い希望で……」

綾乃「そ、そう……歳納京子が……。歳納京子は私のことをそういう風に見てたのね……」

結衣「あっ、ちがっ、そうじゃなくてっ」

 流石に見かねたのか結衣先輩がフォローをいれようとしたが、完全に逆効果になってしまった。
 心なしか気配まで薄くなってきて、吹けば飛びそうな程になっている。
 
 ちょっと先輩、全然大丈夫じゃないんですけど! と京子先輩を睨むと、先輩は何かを察したように頷いて、
 杉浦先輩の手からノートを取り、笑顔で話を続けた。

京子「違うって。ほら綾乃、これ。シンデレラをいじめるのはまま母だけじゃなくて、二人の姉もいるでしょ。
   最初は私がまま母をやる予定だったんだけど、よく考えたらそっちの方がいいなーって」

 京子先輩は登場人物一覧の、姉の部分に書かれた自分の名前を指差して言う。

綾乃「ど、どういうこと……?」

京子「だからー、私は姉役をやって、そのお母さんであるまま母の役を綾乃にやって貰いたいなーって。
   ほら、前私が妹で綾乃がお姉さんみたいな話したじゃん。姉妹も面白いけど、綾乃がお母さんってのも面白そうでしょ」

綾乃「え、そっそれって……」

千歳「なるほどなー!」

 池田先輩が、合点がいったという風に手の平を叩き合わせる。
 私はびっくりして体を震わせる。今のやりとりで何を納得したんだろう。

京子「綾乃は私の母親役、いや?」

 京子先輩はそう言って杉浦先輩に顔を近づける。常識的に考えて、京子先輩みたいな娘がいたら大変そうだと思うけれど。
 杉浦先輩もいつも世話を焼かされてるし。今日だって……。

 と、思ったが、心なしか京子先輩の話を聞いた杉浦先輩にはいつもの覇気が戻って来ているように見えた。

綾乃「ま、まぁ、もともと生徒会の劇を貴方たちに手伝って貰ってるわけだし……。まま母はシンデレラには欠かせない役だものね。
   誰かがやらなきゃならないなら、仕方ないから、やってあげてもいいわよ、貴方の母親」

京子「本当!? ありがとう綾乃ー!」

 京子先輩が杉浦先輩に抱きつく。杉浦先輩はそれをちょっと照れくさそうに受け止める。
 さっきまでの狼狽えようが嘘のようだ。そんなに京子先輩の母親役が嬉しかったんだろうか。
 ああ見えて、管理願望でもあるのかな。

向日葵「わっ、ちょっと、大丈夫ですか先輩!?」

ちなつ「!?」

 急に向日葵ちゃんが叫び声を上げたので、驚いて顔を向けると、池田先輩が鼻血を流しながら床に倒れていた。

池田「ごめんなぁー、みんな」

 池田先輩が回復したところで、私たちは残りの配役の話を続ける。

綾乃「まったく千歳ったら……。あ、そうだ歳納京子。私がシンデレラのまま母で貴方がお姉さん役っていうのは分かったけど、
   残りの一人はどうするの? 確かシンデレラのお姉さんは二人いたはずだけど、一人でやるのかしら?」

 丁度私がしようとしていた話を、杉浦先輩が先に質問する。
 京子先輩はふっふっふっと不敵に笑って立ち上がる。、
 私は嫌な予感がして、体を震わせる。
 というか、さっき聞いた話だし、京子先輩が何を言おうとしてるのかは既に知ってるから、予感ではなく確信なのだけど。

京子「ふっふっふ。それについては当然考えてあるよ!」

 京子先輩はそう言うと腕を延ばして、指先を生徒会メンバーに走らせる。
 生徒会の人たちは、その動作を見て、何かを察したような表情になる。役一名を除いて。
 いいから。勿体ぶらなくていいから。とっとと言っちゃってください、先輩。

 やがて、指先が、その子の前で止まった。

京子「シンデレラをいじめる姉役にして、私の従順な妹役を任せられる人材……それは君だ! さくっちゃん!」

櫻子「うおおおー! マジですか! 師匠!」

 櫻子ちゃんが大声をあげながら立ち上がる。他の三人は想像通りといった表情でその様子を眺めている。

京子「ああ! 二人で精一杯ちなつちゃんをいじめ抜こう! 本当はそんなことしたくないけど、これも劇をリアルにするためだ!」

櫻子「マジっすか! 私、前からちなつちゃんの頭のもふもふをもぎ取って、お布団とかに置きたいなーって思ってたんですけど」

京子「うむ。許可する!」

 二人のやり取りを見て、他の全員が呆れ顔を向ける。

 この二人が姉役なら、台本にフォローとか、いらないんじゃないだろうか。

向日葵「私はナレーションですのね」

京子「それはちなつちゃんの推薦だよ」

ちなつ「うん。向日葵ちゃんいつも冷静だし、喋り方も落ち着いているし、本もよく読むみたいだし、向いてるかなと思って」

向日葵「そうですか。なんだか照れますわね。でも、任せられたからには精一杯やりますわ」

櫻子「へーんだ! 本当は向日葵にできそうな役なんてひとつもなかったからじゃないのー!? 無駄におっぱいデカいし!」

向日葵「胸は関係ないでしょう。貴方こそ、吉川さんの姉役なんて本当に務まりますの? 
    言っておきますけど、貴方より吉川さんの方が数倍はしっかりしてますわよ」

櫻子「えー、そうかなー。そうだちなつちゃん、誕生日何月!?」

ちなつ「え、十一月だけど、十一月六日」

櫻子「じゃー大丈夫だ! 私九月だもんねー」

ちなつ「そういえばこの前だったね……」

向日葵「はぁ……。そういう問題じゃないでしょうに……。
    まぁ、妹の方がしっかりしてる方が、シンデレラらしくていいかもしれませんわね」

 史上最悪の同盟が結成されてしまったことへの不安もあるけど、とりあえず一旦置いておいて、
 私たちは残りの配役について相談していた。

千歳「なぁ、ウチは? ウチは何の役? あと残ってるのいうたら、この王子様の従者ってやつかなー」

ちなつ「ああ、はい。舞踏会で姉たちの相手役を努めたり、ガラスの靴の持ち主を探したりする役ですね」

千歳「はー、それは大役やなー。せや! 折角だから千鶴にも一緒にやって貰ってもいいかな?
   クールやから似合いそうやし、王子様の従者なら何人かいた方がリアルやろ?」

ちなつ「あっ、いいですねそれ! ご都合が合えば是非協力して欲しいです!」

千歳「じゃあウチから千鶴に言っとくわー。部活とかもやってないし多分大丈夫やで」

ちなつ「あ、もうこんな時間ですね」

 配役も大体まとまり、一息ついて時計に目をやると、もう下校時刻近くになっていた。

京子「本当だ。でもまぁ、今日中に大体決まってよかったね」

ちなつ「そうですね。あんまり時間もありませんし」

 今年の文化祭は丁度十月半ばなので、時間にするともう一ヶ月もない。
 生徒会も文化祭直前はなかなか時間も取れないだろうし、練習時間を確保するためにも早めに台本を完成させないと。
 幸い、衣装や小道具は歴代生徒会のものが保管してあるみたいなので、その点は助かった。
 できれば今日の内に全員に配役の同意を取っておきたかったけど……。
 
「ふむ、それで、私たちは何の役をやればいいんだ?」

 と、丁度その時、外からそんな声が聞こえてきた。

綾乃「あ、西垣先生」

 京子先輩が声に気づいて扉を開けると、西垣先生と生徒会長が縁側で佇んでいた。
 全然気配を感じなかったけど、いつからそこにいたんだろう。

京子「西垣ちゃん。私たちの話聞いてたの?」

西垣「ああ、生徒会の劇とあっては私たちが出ないわけにはいかないからな。それで、私たちは何の役なんだ?」

京子「えーっと、あれ、ちなつちゃん、二人は何役にするって言ってたんだっけ」

ちなつ「もう、京子先輩忘れるの早すぎです」

 私はそう言って先生たちの方へ向かう。いつからいたかはわからないけど、いきなり配役を聞いてくる辺り、
事情は把握してるのだろう。

 それなら話ははやい、と私はノートを二人に見せた。

ちなつ「えーと、聞いてたかもしれませんけど、シンデレラをベースにした劇にしようと思ってました。
    それで、お二人には、王様とお妃様の役をやって貰いたいんですけど」

西垣「はっはっは。つまり王子の両親というわけか。いいだろう。精一杯演じてやろう。なぁ松本」

松本「……」

ちなつ「あ、ありがとうございます」

 思ったよりトントン拍子だったけど、これで配役は全部決まった。
 あとは何としても、結衣先輩のハートをキャッチできる台本を書かないと。

 と、そこで、王様役には一つ頼みたいことがあったのを思い出した。ついでに話してしまおう。

ちなつ「あ、そうだ。私のオリジナルで、シンデレラとの結婚を認めない王様と王子様が戦う展開を入れる予定なんですけど」

西垣「ほう、それは熱い展開だな。つまり私は、王子様を引き立てて倒されればいいわけか」

ちなつ「え、あ、はい。こんなこと先生に頼むの、失礼かもしれないんですけど」

西垣「何を気を遣っている。シンデレラの主役はシンデレラと王子様なんだ。
   ならば、その恋路を邪魔するものは派手に散らなくてはな」

ちなつ「先生……」

西垣「つまり、爆発だな」

ちなつ「いや、爆発はしなくていいんですけど」

西垣「なるほど、爆発だな!」

松本「……」

 ……とりあえず、劇が台無しにならないことだけ祈っておこう。

 * 

ちなつ「さぁ、あかりちゃん! なんとか今日中に仕上げちゃうわよ!」

あかり「うん、あかり頑張るよぉ」

 配役が決まった次の週末。
 私は再びあかりちゃんと作戦会議を開いていた。今週は二度目の作戦会議だ。

ちなつ「今日はちゃんと、泊まりの用意もして来たからね。京子先輩と違って制服忘れたりもしてないし」

 配役が決まって以来、家でもごらく部でも台本にかかりっきりだったけど、
 それでも週末の時点では半分くらいまでしか進んでいなかった。

 昨日一日あかりちゃんと二人で作業してなんとかあと四分の一くらいにまではなったけど、
 間に合うかどうか不安だったので今日は泊まり込みで作業する意気込みだ。

あかり「うん。今日中に作り終われば明日から練習できるもんねぇ……」

 あかりちゃんはのんびりした調子だけど、実のところ今の段階でここまで完成してるのはあかりちゃんの功績が大きかった。
 全体的な構成や原作要素の取捨選択は勿論、私がちょっと気恥ずかしくなって手間取ってしまったシンデレラの描写をほとんど
 やってくれたり、王子様の描写でついつい私が物語から脱線しそうになるのを軌道修正してくれたり、
 あかりちゃんがいなければここまで来るのにあと一週間以上はかかっていただろう。

 一緒に作業をしていると、いつも優しく微笑んでいるだけに見えて色々考えているんだなぁと思い知らされる。
 もっともあかりちゃんにそんな自覚はないみたいで、私が時々尊敬の視線を向けても、何食わぬ顔で笑っている。

 自分がどれだけ凄いことをしているかもしらないでね。
 そんなことを言ってしまいそうになったりもするけど、自分の凄さに気付いていないというのもあかりちゃんらしくてなんだか
 可愛らしかったので、口にするのはやめておいた。

 それでも、やっぱりちょっと言ってみたかったりもするのだった。
 私がそんなことを言ったら、あかりちゃんはどんな顔をするんだろうか。

 大筋は、一般的に知られているシンデレラの物語とほとんど一緒にすることにした。

 意地悪なまま母と二人の姉にいじめられていた可哀想なシンデレラが、魔法使いに助けられて舞踏会で王子様に出会い、
 めでたく結ばれる単純なストーリー。

 魔法使いは、普通のお話ではシンデレラの名づけ親のおばさんみたいだったけど、
 今回はシンデレラの家の近くに住む友達の魔法使いということにした。

 まま母と姉には、シンデレラに意地悪をする理由を練ったり、意地悪の内容を優しくしたりしようと考えていたけど、
 京子先輩と櫻子ちゃんが「そんなことよりとにかくちなつちゃんに意地悪したい!」と意味の分からないこと言ってたので、
 フォローはもっぱら最後の改心シーンに回すことにした。
 まぁ、あの二人ならどうせアドリブでコメディにしてしまうだろうし、陰鬱な雰囲気にはならないだろう。

 あとは尺を考えて特に必要のないシーンを削って、最後に王子様と王様の決闘シーンを入れることにした。

 シンデレラに心惹かれ結婚を申し込む王子様。しかし王子様には親から定められた婚約者がいた。
 相手の顔もほとんど知らない、心も通わない体裁のためだけの婚約に王子様は反発し、王様に決闘を申し込む。
 そして、王子様は見事勝利し、最後にシンデレラに誓いのキスをする。

ちなつ「できたー!」

あかり「やったねぇ」

 晩御飯をいただいて、夜の八時を回った頃、ようやく私は最後の文を書き終えた。
 出来上がった台本は非常に満足行くものだった。
 私とあかりちゃんの努力の結晶だ。

ちなつ「ありがとう! あかりちゃんのおかげだよ!」

 私はあかりちゃんの手を取ってお礼を言う。
 あかりちゃんはいつものように笑って「ちなつちゃんが頑張ったからだよぉ」なんて言っている。

 どれだけ私があかりちゃんに助けられたかも知らないで、いつものように笑っている。
 私はそれがなぜだかちょっと寂しくて、その気持ちを紛らわすように出来上がった台本を強く抱きしめた。

ちなつ「あかりちゃん、そろそろ寝る時間だね」

あかり「あ、そうだねぇ」

 台本が出来上がった後、軽く中身をもう一回確認して、お風呂に入って一息つくと、もう夜九時近くになっていた。

ちなつ「ごめんねあかりちゃん。二日間連続で付き合わせちゃって」

 昨日も私の家で六時くらいまで作業をしていたから、あかりちゃんの休日を丸々二日間も私に付き合わせてしまったのだ。
 折角の週末なんだし、あかりちゃんもやりたいことがあったのかもしれないと私は今頃になって思う。

 しかしあかりちゃんは全く気にしてないというそぶりで、

あかり「ううん。あかり何も用事なかったし、ちなつちゃんの役に立ててよかったよぉ」

 なんて笑ってる。眠そうに目をこすりながら。
 私は少しだけ胸が痛んだ。

ちなつ「そっか。ありがと。じゃあ明日は学校だし、今日はもう寝ちゃおっか」

あかり「え、でもちなつちゃんはまだ寝る時間じゃないよね?」

ちなつ「ううん。今日は私も疲れちゃったし、あかりちゃんと一緒に寝るよ」

あかり「そっかー。えへへ。……あっ、そうだ」

 私の言葉を聞いてあかりちゃんは少しだけ嬉しそうに笑って、何かを思い出したようにいそいそと机の方に向かった。
 そして白い球体みたいな何かを持って、戻ってきた。

ちなつ「何それ、新手のガンボー?」

あかり「ぜ、全然違うよ。えへへ、何だと思う?」

 あかりちゃんはそう言って、球体を私の方に向ける。
 てっぺんの部分に何かレンズのようなものが付いている。どこかのテレビ局にこんなものが付いていた気がする。

ちなつ「うーん、カメラ?」

あかり「えへへ、残念でしたー。これ、プラネタリウムなんだよ」

ちなつ「うそっ! これが!?」

 私は驚いて思わず大声をあげてしまう。
 プラネタリウムといえば、博物館とかにある、大掛かりな機械のイメージしかないので実感がわかない。

あかり「うん、原板を投影するだけの簡単なものだけどね。お姉ちゃんが買ってきたのを時々借りてるんだぁ」

ちなつ「へぇー、あかりちゃんなんだかロマンチックだね。じゃあはやく付けてみようよ」

 私は少しはしゃいであかりちゃんに使い方を聞く。
 プラネタリウムなんて滅多に行かないし、まさか部屋の中で見れるなんて思っていなかったから楽しみだ。

あかり「うん。これならちなつちゃん、眠れなくても退屈しないよ」

 しかし、あかりちゃんがそんなのことを言うので、さっきの痛みをまた思い出してしまった。
 私があかりちゃんにちょっとだけ罪悪感を覚えてしまっていて、それであかりちゃんにちょっと気を遣ってしまって。
 そんなことまで、何もかも、お見通しなのかな。

 だけど、あかりちゃんはいつもと変わらない笑顔なので、私はその笑顔に甘えてしまうのだ。

ちなつ「わぁ……すごい……」

 私は感嘆の声をあげることしかできなかった。

 部屋の電気を消して、あかりちゃんがちょっと機械をいじくると、部屋中が一瞬で宇宙に包まれた。

 さっきまで何もなかった天井には、満天の星が広がっている。

 それがあまりに幻想的すぎて、私は思わず夏の草原に寝っ転がって空を見上げているような錯覚に陥る。

ちなつ「凄いねっ! あかりちゃん!」

あかり「うん。あかりも初めて見た時は感動しちゃった」

 星の光に、あかりちゃんの笑顔が照らし出される。

ちなつ「はぁ……凄い」

 私は軽く放心しそうになりながら、もう一度星空を眺める。

 まるで夜空の王様のように一際強く輝く星。私たちを見守るように優しく輝く星。
 一つの星々が丁寧に作りこまれていて、くっきりと形が確認できる。

ちなつ「あかりちゃんはお星様の名前とかもういっぱい覚えてるの?」

 私はもう一度あかりちゃんの方に向き直って聞く。
 あかりちゃんのお姉さんがいつ頃プラネタリウムを買ったのかは知らないけれど
 何度かこの空を見ているのなら星の名前もいくつか覚えてるのかもしれない。

 私の目には綺麗な星とか凄く綺麗な星とか、そういう風にしか映らないけれど、
 この一つ一つの名前が分かって、意味が分かって、繋がりが分かって、星座になって。
 あかりちゃんに見えている星空は、私に見えているものとはずっと違うものなのかもしれない。

あかり「うん。何回か見てるからね。一等星の名前くらいは覚えてるよ」

 そう言ってあかりちゃんは空を指差して、いくつかのお星様に名前を付けていく。
 どれも一際強く輝く夜の王様たちだった。

あかり「こんなに沢山のお星様があるのに、その一つ一つに名前があって、一つ一つが宇宙のどこかでちゃんと輝いてるなんて、
    なんだか凄いよね」

 私はあかりちゃんの指差す方を目で追っていたけど、ふと、あかりちゃんの横顔がいつもと少し違うことに気付いて、
 目を奪われてしまった。

 憧憬と切なさが入り混じったような。いつもとは違うあかりちゃんの横顔。
 だけど、私はこの横顔を見たことがあるような気がした。

 いつもとは違う横顔だけど、特別な横顔でもなく、なんでもない場面でも見たことがある横顔。
 もしかしたら、それはあかりちゃんがいつも心に秘め……。

あかり「あれ、ちなつちゃん聞いてる? 退屈だった?」

 私が空を見ていないことに気づいたあかりちゃんが、慌てた様子でそんなことを言ったので、そこで思考は引き戻されてしまった。

ちなつ「ううん。ごめん。綺麗過ぎてちょっと放心しちゃってた」

あかり「そっか。でもこういうのは自分で覚えた方が楽しいよね。じゃああかりはもう……」

ちなつ「待って、あかりちゃん」

 そう言ってもう布団を被ろうとするあかりちゃんを私は呼び止めた。
 呼び止めて、一つの星を指差した。

ちなつ「あの星はなんていうのか、わかる?」

 それは、目を刺すような強い光ではなく、ぼんやりと優しく輝く一つの星。
 とても弱々しく、一度目を離したら次に見た時には消えてしまいそうな程で、
 それでもずっと消えることなくいつまでもただ優しく照らし続けてくれているような、そんな光。
 小さくても、誰よりも強く、私のために輝き続けてくれているような、そんな。

あかり「え、うーん。あれはわからないよぉ」

ちなつ「何回も見てるのに?」

あかり「だって、まずはやっぱり一等星から覚えようと思って」

 あかりちゃんがちょっと拗ねたように言う。その様子がちょっと可愛くて私は口元を緩ませる。

ちなつ「でも、一つ一つに名前があって、一つ一つがちゃんと輝いてるなら、他の人がなんとも思わないようなものが特別になる
    ことだってあるんじゃない?」

あかり「それは、そうかもしれないけど」

 あかりちゃんが珍しく納得いかなそうな顔をしているので、私は面白くなってもう少しからかってみることした。

ちなつ「じゃあ、あの星の名前は、あかりちゃん星ね」

あかり「ええ! あかりお星様じゃないよぉ!」

ちなつ「だってあかりちゃん、名前分からないんでしょ?」

あかり「だからって何であかりの名前を付けるの!?」

ちなつ「私のお気に入りだから」

あかり「な!? うぅ……」

 私がそう言った後のあかりちゃんの顔が、星空の薄明かりでもわかるほど真っ赤になっていたので、
 私はなんだかおかしくなってもう一度寝転がった。

 私はそのまま暫くぼんやりと星空を眺めていた。
 
 横から少しもぞもぞと音が聞こえる。
 あかりちゃんも、まだ眠っていないみたいだった。

 時計はもう九時三十分を回っているはずだ。
 無理して起きて、明日寝坊しちゃってもしらないよ。

 そんなことを考えながらぼんやりと星空を眺めていた。

あかり「……らね」

 何分くらい経った頃だろうか、段々と物音が聞こえなくなって、そろそろ眠っちゃったかななんて思い始めた頃、
 あかりちゃんが不意にそんなことを呟いた。

ちなつ「あかりちゃん?」

あかり「あれがあかり星なら、あれはちなつちゃん星だからね!」

 そう言ってあかりちゃんは、さっき私が指差した星のすぐ傍の星を指差した。
 それは周りの星を飲み込むように照り輝く星。
 丁度天井の中心辺りに投影されて、この狭い箱庭宇宙の支配者のように光り輝く、そんな星。

ちなつ「そんなこと考えてたの? ていうかあれ一等星じゃないの? 名前知ってるんじゃない?」

 ていうかさっき指差してなかったっけ?
 しかし、あかりちゃんは私の質問は答えず、

あかり「とにかく、あれはちなつちゃん星だからね」
 
 と言い残して、布団に潜り込んでしまった。

ちなつ「ちょっとあかりちゃん」

 私は何がなんだかわからなくて、起きだしてあかりちゃんをさすると、

ちなつ「って寝てる……」

 あかりちゃんは既にすぅすぅ寝息を立てていた。どれだけ寝つきいいのよ。

ちなつ「……変なあかりちゃん」

 でも、こんなあかりちゃん、初めて見たかも。
 そんなことを思いながら、少しだけあかりちゃんの寝顔を眺めて、私も眠りについた。

 * 

 物語はクライマックスを迎える。

西垣「はっはっは。王子よ。まだまだ未熟だな。その程度の剣技で私に勝とうなど。色恋にほだされて、冷静さを欠いたな」

結衣「かなわないのは重々承知。だが人は、勝てる望みがあるから戦うわけではない。
   負けるとわかっていて尚戦う。それこそが何かを背負うと誓ったものの生き方だ」

西垣「はっはっは。それはつまり愛するもののために犬のように死ぬのを良しとするということか?
   そんなものはただの自己満足だ。いいか、王子よ。望みを叶えたいのなら、なんとしてでも勝て。
   どんな手段を使ってもいい。お前がいくら愛するものの幸せを望んでその命を散らそうとも、
   愛するものもまたお前の幸せを望んでいる以上、敗北の果てに幸福などないのだ」

結衣「そんなこと、言われるまでもなくわかっている。だから私は、誇り高きこの国の王子としてではなく、
   彼女を愛する一人の男として戦わせてもらう」

西垣「はっはっはそれで貴様に何ができる。この私の剣技に手も足もがはっ……」

結衣「隙有りっ!」

西垣「がはっ! き、貴様、戦いの前に私にデザートとして差し出した林檎に、毒をっ。くっ腹痛がっ……」

結衣「今までありがとうございました、父上。私は貴方にたくさんのことを教えられた。
   私はずっと貴方のことを尊敬しておりました。望まぬ結婚を強いられたのは貴方も同じこと。
   しかしそれでも、貴方は母上のことをこれ以上ない程に強く愛していた。愛と国とを天秤に釣り合わせる、
   貴方のような王に私はずっとなりたかった。しかし駄目でした。私は、シンデレラに出会ってしまった」

西垣「はっはっは。それは違うぞ、王子よ。あれは望まぬ結婚などではなかった。
   私たちの結婚は、国中をあげて祝福しても足りないほどの幸福に満ちた、燃えるような恋愛結婚だった。
   もしも私がお前と同じ立場だったのなら、私も同じことをしたのだろうよ。まったく、激情家は私譲りか。
   似なくていい部分ばかり似てしまったものだな」

結衣「なっ……父上!」
   
西垣「はっはっは。そんな顔をするな王子よ。お前はこの私を倒したのだ。誇りを持て。
   お前は先ほど私のような王にはなれんと言ったな。当然だ。お前は私を超えていくのだからな。
   もう誰にも彼女を、シンデレラなどと呼ばせるなよ……」

結衣「父上……。ちちうえー!」

 結衣先輩が最後の台詞を叫んだ直後、西垣先生の衣装のポケットに入っていた、
 毒りんご型時限式爆弾が発光し、ステージが爆炎に包まれた。

ちなつ「だから爆発はいらないって言ったじゃないですかー!」

京子「はいカットー! それじゃscene12、『王子、シンデレラに誓いの口づけを交わす』行こうかー!」

結衣「いつからお前は監督になったんだよ!」

 みんなが爆発で飛び散った小道具を片付けている中、ひとりふざけている京子先輩に結衣先輩が突っ込みを入れる。

ちなつ「ちょっと京子先輩! 遊んでないで手伝ってくださいよ!」

綾乃「そうよ歳納京子、ステージで通して練習できるのは今日が最後のチャンスなんだからね!」

 台本が完成してから数週間。私たちは体育館のステージを借りて、劇の合同練習をしていた。
 
 これまでは茶道部室で練習してきたけれど、今日は運良くステージを借りられることになったのだ。
 
 文化祭間際のステージは人気が高く、ただでさえ忙しくて時間を取れない上、利用申請に制限がつけられている
 生徒会では、ステージを借りられるのはこれが最後のチャンスになるだろうとのことだった。
 ごらく部は非公式だから申請なんてできるわけないし、まぁ、茶道部室で普通に練習できるだけありがたいと思おう。

 そんな貴重なチャンスなのに、西垣先生のせいでこうしてしなくてもいい片付けに追われている。
 正直教師権限で一日分くらい追加で許可を取ってくれなきゃ割に合わない労働だ。
 劇の内容も、なんだか最初に私が書いた台本からもの凄く変化していたけれど、何がどうしてああなったかはあえて突っ込まない。

あかり「ふぅー。こんなところかな」

 こんな状況でも、あかりちゃんは不平不満も言わず、てきぱきと片付けを終えている。

ちなつ「あかりちゃんありがとう。ちょっと休憩しよう」

 そう言ってあかりちゃんにペットボトルの水を渡す。

あかり「あっ、ちなつちゃんありがとう。えへへ、あかりは後半暇だからね」

 魔法使いの出番は物語の中盤でほとんど終わってしまう。
 本当は終盤にもガラスの靴を履いたシンデレラの服をドレスに変えるシーンをいれようと思ってたんだけど、
 衣装替えの都合でカットしてしまったので、後半はほとんど台詞もない。

 あんなに一生懸命頑張ってくれたのに、あかりちゃんはそんな役割でよかったのかな。
 あかりちゃんは魔法使いと言ったのは私だし、あかりちゃんも凄く喜んでくれたように見えたけど、ついそんな思いが頭よぎる。
 あかりちゃんも昔はよく主役になりたいって言っていたし、本当はシンデレラだってあかりちゃんの憧れだったのかもしれない。

 あかりちゃんの態度からはとてもそんな風に思っているように見えないけれど。
 きっとあかりちゃんは隠し事をするのが誰よりも上手いから。
 あかりちゃんの心が分からないのがなんだかもどかしかった。

 舞踏会の時だってそうだ。

 舞踏会で二人ひと組のペアを作ると言ったあの時、
 私と結衣先輩、杉浦先輩と池田先輩、京子先輩と千鶴先輩、西垣先生と会長までは簡単に決まった後、
 櫻子ちゃんと向日葵ちゃんとあかりちゃんで誰がペアになるかでもめかけていた時、あかりちゃんは
 魔法使いは舞踏会には参加できないから、と言って舞踏会のときだけナレーションを引き受けてくれた。

 きっとあかりちゃんは二人が組みたがっているのを察して、適当な理由をつけて身を引いてくれたのだろう。

 魔法使いが舞踏会に参加したっていいんだよ。
 私はそう言いたくてたまらなかったけど、言ってしまったらそうまでしてあかりちゃんが守りたかった何かを壊してしまいそうで、
 言えなかった。

 そんな私の思いを知ってか、知らずか、あかりちゃんはいつも通り笑っている。

あかり「ふぅ~、あれ、ちなつちゃんの分のお水は?」

ちなつ「ん? ああ、ちょっとそれ貸して」

 そう言って私は半分奪い取るようにあかりちゃんからペットボトルを貰うと、一口だけ飲んで、またあかりちゃんに渡した。

ちなつ「はい、ありがと」

 私の鞄にはちゃんと用意していた自分の分の水が入っている。
 どうしてこんなことをしたんだろう、と思ったけど、あかりちゃんがちょっと動揺してるのが面白かったので、
 気にしないことにした。

京子「はいそれじゃー気を取り直して今度こそー! scene12行ってみようか!」

結衣「だからいつからお前は監督になったんだよ!」

ちなつ「そうですよ京子先輩。イベント終わって暇になったからって、今から仕切りたがっても遅いですからね」

京子「えー、じゃあやらないの、scene12?」

ちなつ「やりますよ! やるに決まってるじゃないですか!」

京子「あ、そ、そうですか……」

 私がちょっと食い気味に答えると、京子先輩はたじろいでステージの準備をし始めた。

 予期せぬアクシデントで中断してしまったけど、いよいよラストシーンの練習だ。

 王様を倒した王子様は、シンデレラに向き合い、永遠の愛を誓う。
 そして、シンデレラに、く、口付けを、するのだ。

 鼓動がだんだん早くなる。
 ラストシーンの練習は、これまでずっと先延ばしになっていたので、今日が最初の練習になる。
 台本を書いた時は早くこの時が来ないか待ちわびていたけど、いざその時が近づくと緊張で頭が真っ白になりそうになる。

 練習とは言え、ここは普通に口付けをして構わないのよね?
 マウストゥーマウスでいいのよね。結衣先輩だってそれを望んで私に台本を書かせたんだし。

 そ、それに口付けは結衣先輩からする段取りになってるんだから、私はただ受け入れ体制でつっ立ってればいいのよ。

 大丈夫。大丈夫。いくら緊張しても、それくらいはできるはず……。

京子「おーい、準備できたよー」

結衣「それじゃちなつちゃん、最後のシーン、行こうか!」

ちなつ「ひゃっひゃい!」
 
 間抜けな声を出して、私は結衣先輩とステージへ向かう。いよいよなのだ。

向日葵「王様を倒した王子様がお城の広間に戻ると、広間の中心でシンデレラが涙を流してうなだれていました」

結衣「おお、チーナよ、どうして泣いているのですか」

ちなつ「王子様……。だって、私のせいで、実のお父様と……」

結衣「……私は自分がやりたいと思ったことをやったまでです。そして、私の父もそれを望んでいたのでしょう。
   きっと、これでよかったのです。だから笑ってください、チーナよ。これであなたの笑顔まで失ってしまったら、
   私は世界一の不幸ものになってしまう」

ちなつ「王子様……」

 結衣先輩の顔がだんたん近づいて来る。
 鼓動が段々早くなる。

 急速に体の温度が上昇する。
 キスシーンまであと少しだ。

 …………。

結衣「さぁ、ティィナ。今度こそ、二人だけの夢の世界へ旅立ちましょう」

ちなつ「お、王子様……」

結衣「ティィナ、私はあなたのその愛らしいもふもふと、そのチャーミングな瞳と、
   そしてどんなジュェリィよりもビュゥティフォォウなその笑顔を……」

 ああ……、もう少しでいよいよ……。

 結衣先輩の唇が……。

 ……。

 ――――

ちなつ「はっ!?」

京子「はい! カットー! いやーよかったよー! 二人とも!」

ちなつ「え!? ちょっと!? 何がどうしてるっていうんですか!?」

 気がつくと京子先輩がカチンコをやかましく打ち鳴らしていた。
 
 もしかして、私気を失っていたの!?
 
 失っていたとして、今はどの場面なの!? 王子様のキスは!?

 慌てて目の前の結衣先輩を見ると、先輩は「お疲れ」と言って微笑みを投げかけた。

 これは……もう全部終わってしまったってことなのね……。

 私は絶望して結衣先輩に小声で「お疲れ様です」と返して、ふらついた足取りでステージの階段へ向かう。

 いや、待った。まだ希望はあるわ。

 たとえ私が覚えていなくても、結衣先輩がキスしてくれたのなら、既成事実は十分じゃない!
 というより、私が覚えていないと言ったら、もう一回くらいキスしてくれるんじゃないかしら。
 結衣先輩だって私とのファーストキスがなかったことにされるなんていやだろうし。

 そうよ! と私は気を取り直して急いで結衣先輩の方へ駆け寄る。

ちなつ「あ、あのっ結衣先輩……その、さっきのキスの件なんですけど」

 私がそう言うと、結衣先輩は微笑んで、

結衣「ああ、うん。やっぱり唇は恥ずかしいからね。本番もキスはおでこで行こう」

 と何でもないことのように言った。

 あまりにも無慈悲な宣告に私は絶望し、足元から崩れ落ちた。

 *

ちなつ「あかりちゃん……私、どの辺りから気を失ってたかわかる……?」

 帰り道、結衣先輩と別れた後、私はあかりちゃんにそう尋ねた。
 不覚だった。いくら結衣先輩が恥ずかしがり屋さんでも、私が気を失っていなければ今頃は唇を奪えて天にも昇る
 気持ちで帰宅していただろうに。いや、学校を出たその足で教会に向かっていたかもしれない。
 
 それに、私が緊張して固まってるから結衣先輩が気を遣っておでこにしてくれたのかもしれないし……。
 なんて惜しいことを……。

あかり「えーっと、結衣ちゃんが『今度こそ二人の婚儀を交わしましょう……』って言った辺りからかな、おかしそうだったのは」

ちなつ「そっか。うん、確かにその台詞聞いた覚えがない……。台本にはあったのに」

 私は自分の不甲斐なさにため息を付く。

ちなつ「あかりちゃん、私って本当に駄目な女ね……。このまま地面に埋まってしまいたい気分だわ……」

あかり「そ、そんなことないよ! 大丈夫だよ、今回は結衣ちゃんも照れくさかっただけで、
    きっと本番ではその、ちゃ、ちゃんとキスしてくれるよ! あかりも応援するから、諦めちゃ駄目だよ!」

 私が弱音を吐いていると、あかりちゃんがそんなことを言って腕を絡ませてきた。

ちなつ「あかりちゃん、ありがとう」

 私はお礼を言って、あかりちゃんの方を見る。

 あかりちゃんの横顔。
 いつもの横顔。
 いつもの、優しい横顔。

あかり「ち、ちなつちゃん、どうしたの?」

 私がずっと見つめていると、あかりちゃんは恥ずかしそうに絡ませている腕を外した。
 それでも私はあかりちゃんから視線を逸らさない。

 あかりちゃんの顔。
 視線が段々と下の方に移動する。

 あかりちゃんの、唇。

 私は昔一度、練習と称してあの唇を奪ったことがある。
 あの練習で、私は何を学んだのだろうか。
 何を手に入れたのだろうか。

 これはただの練習よ、と私は言った。
 あの時の私には、この唇はどんな風に見えていたのだろうか。

あかり「あ、あのちなつちゃん……」

 あかりちゃんが後ずさりをする。私もゆっくりとした足取りでにじりよる。

 今の私にとって、この唇はどんな意味を持っているのだろうか。
 
あかり「あの、ちなつちゃん……」

 あかりちゃんが足を止める。私は構わずにじりより続ける。
 二人の顔が吐息がかかるくらいの距離まで近づく。

ちなつ「ねぇ、あかりちゃん……」

 私はそこで一旦顔を引いて、囁くように、その言葉を口にした。
 
ちなつ「キス、しよっか」

ちなつ「なーんて、冗談!」

 私はそう言って、くるっと体をひねった。

あかり「え、え、え! もう! ちなつちゃん! びっくりさせないでよ!」

 あかりちゃんの怒った声が後ろから聞こえてくる。

 あかりちゃんがこんな風に怒ったのなんて久しぶりかもしれない、と思って、なぜだか私は笑顔になった。

 一番大切な友達を怒らせて、なんで私は喜んでるんだろうね。

ちなつ「ううん。本当は冗談じゃないの」

あかり「え!?」

 私がそう言って振り返ると、あかりちゃんがまた後ずさりをする。

ちなつ「でも、ここは逃げ場が多すぎるから」

あかり「え?」

 私はあかりちゃんと恋人のフリをしてデートの練習をした時のことを思い出していた。
 あの時もこんな風に路上で唐突にキスをせがんで、そして、まぁ……あんまり思い出したくないけど、えらい目にあった。

 だから、ここは逃げ場が多すぎるのだ。

あかり「そ、それって、逃げ場のないところに閉じ込めてから、するってこと?」

 あかりちゃんが不安そうに尋ねる。

ちなつ「さぁ、どうだろうね」

 私は構わず歩き出す。

 それに、どっちにとっての逃げ場かは、わからないよ。
 そんなことは全然考えていなかったはずなのに、なぜか不意に頭をよぎった。
 ……まさかね。

 *

あかり「いよいよ後三日かぁ……」

 ちょき、ちょき、ちょき、とテンポのよいハサミの音が部室内に漂う。

ちなつ「うん。でももう合わせは十分だし、もう稽古はなさそうだね……」

 文化祭三日前。

 私とあかりちゃんは二人部室で桃色の画用紙を切り刻んでいた。

 京子先輩と結衣先輩は、クラスの出店の準備が忙しいとかで、今日は来れないとのことだ。
 代わりに、明日と明後日はこっちにつきっきりになるなんて謝ってた。

 あの二人はクラスでも人気者だし、こんな非公式でしかも部室を不法占拠してる部活を理由に、
 抜け出すことなんて中々できないんだろう。

 それに比べたら、私たちは気楽なものだ。 

あかり「みんな台本覚えるのはやいよねー」

ちなつ「うん、まぁステージ練習の時点でほぼ完璧だったしねー」

 みんなの覚えがはやいおかげで、こうして最後の場面で降らせる紙吹雪なんかを追加で作る余裕もあったりする。

 でも、もうちょっとみんなの覚えが悪ければ、もう一回くらい通し練習をねじ込めて、もう一度くらいキスシーンの練習が
 あったのかもしれないなぁ。台本読むだけじゃ実際にキスしたりはできないし。

 私は少し落胆して肩を落とす。

 結局あれからキスの練習は一度もないまま、私は三日後の文化祭に臨まなければいけない。
 多分明日と明後日は小道具の準備に追われるだろうし、一回台本を合わせられればいい方だろう。

 こんな紙吹雪を作るより、結衣先輩とキスシーンの練習をしたかったのに。

 ちょき、ちょき、ちょき、とリズムよくはさみの音が鳴り響く。

 あかりちゃんの方に目をやると、楽しそうな表情で画用紙を桜の花びらに変えている。

 二人を祝福する花びら。

 私はきちんとこの花弁たちに祝福されることができるのだろうか。

 
 ちょき、ちょき、ちょき、とハサミの音は憎らしいくらいに軽快だ。

 こんな紙吹雪を作るより、本当は結衣先輩とキスの練習がしたかった。

 あかりちゃんの方に目をやると、さっきと同じ笑顔を崩さずに、テンポよく花びらを散らせている。

 あかりちゃんの笑顔。いつもと変わらない笑顔。

 あかりちゃんのお団子。あかりちゃんの髪の毛。あかりちゃんの目、鼻、耳。

 唇。

 あかりちゃんの唇。

 私はハサミを動かす手を止める。

 外から生徒の声がかすかに聞こえてくる。

 文化祭の準備で外を出歩いている生徒が多いせいかは知らないが、
 普段はほとんど人の寄り付かない部室の周りに、多くの生徒の気配がする。

 きっとここであかりちゃんが大声を出せば、すぐに誰かが気付いて様子を見にくるだろう。

 そしてきっと、私を糾弾するのだ。

 そんなことをあかりちゃんはするだろうか。

 私は信じられないくらい卑怯なことを考えていた。
 
 友人相手にそんな手を使うなんて、最低どころの話ではない。

 それでも――

 私の様子がおかしいことに気づいたのか、あかりちゃんの手も止まる。

ちなつ「ねぇ、あかりちゃん」

 私はあかりちゃんの目を見つめて、囁くように続けた。

ちなつ「キス、しよっか」

 ――私は手段を選ばない。

 部室に静寂が流れる。

あかり「え、え、えっ? また冗談だよね、ちなつちゃん」

 数秒して、あかりちゃんがたどたどしく口を開いた。

ちなつ「今度は冗談じゃないよ。キスしよう、あかりちゃん。というか」

 そう言って私はあかりちゃんの方に近寄る。
 あかりちゃんも外の様子を理解しているのか、いつものように勢いよく逃げ出したりはしない。

あかり「だ、駄目だよ、ちなつちゃん……」

 私はあかりちゃんの言葉を無視して、あかりちゃんの目のまえに腰を下ろす。
 狼狽えるあかりちゃんの肩を掴み、ゆっくりと顔を近づける。

あかり「ち、ちなつちゃん……」

 あかりちゃんは逃げられない。私に掴まれて。他の生徒に気づかれることを考えたら、騒ぐこともできない。
 そんな逃げられないあかりちゃんに顔を近づけ、耳元で呟いた。

ちなつ「キスして」

あかり「え?」

ちなつ「あかりちゃんから、キスをして。今回は結衣先輩からして貰うんだから、練習もあかりちゃんからじゃなきゃ意味がない
    じゃない。まぁ、出来ないなら、私からするんだけど」

 そう言って鼻と鼻がぶつかるくらいの距離で顔を止めて、目を閉じた。

あかり「だ、駄目だよぉ……。ちなつちゃん」

 目を閉じていても、あかりちゃんの動揺が伝わってくる。
 普段は憎らしいくらいに笑顔の癖に、こういう時の反応は本当に可愛い。

あかり「友達同士でこんなの、おかしいよぉ……」

ちなつ「大丈夫だよ。あかりちゃん。こんなの、ただの練習だもん」

 そう、こんなものはただの練習なのだ。
 私があかりちゃんのことを愛しているとか、
 あかりちゃんが私のことを愛しているとか。
 
 そういう感情から切り離されたところで、きっと私たちはキスをすることができるのだ。

 あの日のキスで、私は何を手に入れたのだろう。
 わからないけれど、失ったものはあったのかもしれない。
 
 再び静寂が流れる。

 私はただあかりちゃんの唇を待つ。
 もしかしたら、しびれを切らして私の方から唇を奪ってしまうかもしれない。
 それでも、しびれが切れるその時まで、私はあかりちゃんの唇を待ち続ける。

 
 やがて、
 ほんのりと甘い香りとともに、
 柔らかな感触が、
 私の唇に。

 その瞬間、胸の中に温かいものが流れ込んできた気がした。
 名状しがたいこの感情の正体を私は知らないけれど。きっと知らなくてもよいのだけど。
 それでも、その感情は温かかくて、心地よかった。

 私は今の感触を噛み締めるように一度頷いて、ゆっくりと閉じていた目を開けた。

 そして、

 あかりちゃんの泣き顔を見た。

ちなつ「え、あかりちゃん?」

あかり「あっ、ちなつちゃ……ちがっ、ちがうの、これは…」

 あかりちゃんの目には大粒の涙がいくつも浮かんでいる。
 必死でごまかそうとしているけど、それでも全然止まらなくて
 後から、後から、あふれだして――

 ……あぁ。

 あかりちゃんのその姿を見て、さっきまでの温かな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。

 あの時こみ上げて来た感情の正体を私は知らないし、きっとこれからも知ることはない。
 
 知る資格さえもないだろう。

あかり「ご、ごめんね。ちなつちゃん、あかり、こんな風になるとは思わなくて……。本当にごめん。あかり、今日は帰るね」

 そう言うとあかりちゃんは鞄を取って、部室の外に駆け出して行った。

 私は追いかける気力もなく、ただ呆然と虚空を眺めていた。
 

 *

あかり「あ、ちなつちゃん、お早う」

ちなつ「う、うん……」

 翌日私が学校へ行くと、あかりちゃんは、いつもの笑顔でそこにいた。

 本当は学校になんか来たくなかったけど、ここで休んでしまったら、私とあかりちゃんの関係だけじゃなくて、
 ごらく部とか、生徒会とか、そう言った絆の全てがぐちゃぐちゃになってしまいそうな気がしたから、休むことはできなかった。

 それに、ちょっとだけ、あかりちゃんがこんな風にいつもの笑顔で迎えてくれるんじゃないかと、期待していたのだ。
 
 だから私は今、ほんのちょっと安心している。

 あんなことがあっても、私たちはまだ友達でいられるのだろう、と。

 ――蝉時雨。

 よく考えれば、あの夏の日のキスの時も、あかりちゃんは泣いていた。
 表情なんか、昨日よりもっと悲痛なものだった。

 それでも私たちは何事もなかったように友達をやれていた。
 昨日までの私たちの関係に、無理をしているところなんて一つもなかったはずだ。

 だから、昨日のこともその内忘れて、私たちはいつの間にか昨日までのような関係に戻れるのだろう。

 そんな風に思い込もうとするけれど、それでもあかりちゃんがキスをされて泣いていたあの時と、
 泣いているあかりちゃんにキスをさせた昨日では、全然意味が違う気もした。
 泣きながらキスをするのは、どこか冗談で済まされない重さを孕んでいる気がした。

 それに私はあの頃よりも、あかりちゃんのことを知っている。

 ほんわかした雰囲気の子だったから、初めて会った時からなんとなく「いい子なんだろうな」とは思っていたけど、
 そういう印象だけじゃなくて、あかりちゃんが、優しくて、面白くて、可愛くて、本当は頼りになって、
 そして、一緒にいると自分まで優しい気持ちになれるような、そういう子であることを知っている。

 だから本当は、あかりちゃんを悲しませることなんて二度としたくはなかった。

 それでも私があかりちゃんにキスをせがんだのは、言い訳が欲しかったからなのかもしれない。

 私たちが自然にキスし合えるくらいの仲良しになって、だから、あかりちゃんを泣かせてしまったあの日のキスも、
 結果的にはなんでもないことだったのだと。

 そんな風に思えるような、言い訳が欲しかっただけなのかもしれない。

 それで結局あかりちゃんをまた泣かせてしまうなんて、私は、本物のバカだ。

あかり「昨日は本当にごめんね。あかり、目にゴミが入っちゃって」

 それでも目の前のあかりちゃんは笑っていて、まるであの夏の日のことも、
 昨日のこともなんでもなかったかのように振舞ってくれている。

ちなつ「そっか。あかりちゃん、目、大きいもんね」

 だから私は今日も、何もなかったかのように、あかりちゃんの隣にいる。

 *

 物語はクライマックスを迎える。

西垣「はっはっは、強く生きろ、王子よ。少年はいつだって、荒野を目指すものだからな」

結衣「父上、ちちうえー!」

京子「よし、次だ次、ラストシーン! ちなつちゃん行って」

ちなつ「は、はい……」

 文化祭当日。私たちの劇は最終盤を迎えていた。

 あんなことがあった後でも、私も、あかりちゃんも、ごらく部も、生徒会も、驚くくらいにいつも通りで、
 劇はここまで順調に進行していた。

 結衣先輩も相変わらず本物の王子様みたいに格好よくて。

 この胸の高鳴りもいつも通りだった。

 いよいよこれから本番のラストシーンを迎えるのだ。

 できることなら、結衣先輩の唇を奪いたかった。

 練習では、あんなことになってしまったけれど。
 それでも私は結衣先輩に恋焦がれていて。
 その心をなんとしてでも、どんな手段を使ってでも捕まえたかった。 

西垣「はっはっは。いやー疲れた。しかし、爆発なしとはつまらないものだなぁ。なぁ、松本」

松本「……」

京子「もう、西垣ちゃん! 冗談でもそういうこと言うのやめてよね! 本気で時間ないんだから」

 幕が下りている間にみんなが急いでラストシーンのセットを用意する。

 私はステージの中央で、床に座って待機する。

 この幕があがったら、いよいよ始まってしまうのだ。

 裏方では、京子先輩が必死になって指示を出している。
 練習の時は一番おちゃらけていたのに、いざ本番になると的確にみんなに指示を出して、自分も動いて、
 京子先輩がいなかったら本番と練習のギャップでもっとぐだぐだの劇になっていたかもしれない。

 本当に頼りになるんだか、ならないんだか。

京子「よしオッケー! それじゃscene12、テイクオフ!」

 そんなことを考えていると、京子先輩が豪快にカチンコを鳴らした。
 あの、それはやめてください。多分客席まで聞こえてますよ。

 そんなことを考えていると、ゆっくりと最後の幕があがりはじめた。

向日葵「王様を倒した王子様がお城の広間に戻ると、広間の中心でシンデレラが涙を流してうなだれていました」

 向日葵ちゃんのナレーションが終わると、舞台脇から結衣先輩が登場して、私のもとへ駆け寄る。

結衣「おお、チーナよ、どうして泣いているのですか」

ちなつ「王子様……。だって、私のせいで、実のお父様と……」

結衣「……私は自分がやりたいと思ったことをやったまでです。そして、私の父もそれを望んでいたのでしょう。
   きっと、これでよかったのです。だから笑ってください、チーナよ。これであなたの笑顔まで失ってしまったら、
   私は世界一の不幸ものになってしまう」

ちなつ「王子様……」

 結衣先輩の顔が近づいて来る。

 練習の時はこの辺で意識が飛んでしまったらしい。今回は絶対に気を失わないように。

 冷静に。冷静に。冷静に。

 ……あれ?

結衣「さぁ、チーナ。今度こそ二人の婚儀を交わしましょう……」

 これはあかりちゃんが言っていた台詞だ。つまり私は練習の時よりも長く平静を保っていられている。
 
 正気を保てているのだ。

 ……保てているのだけど。

 急速に、私の世界から、色彩が失われていく。

結衣「チーナ、私はあなたのその愛らしい桜色の髪の毛と、その可愛らしい瞳と、
   そしてどんな宝石よりも美しいその笑顔を……」
 
 結衣先輩にこんなとびきりの、愛の言葉を囁かれているのに。
 目の前にいるのは間違いなく結衣先輩で、王子様なのに……。

 どうして私はこんなに落ち着いてるんだろう。

 それはあっという間の出来事だった。

 私は心のない機械人形のように、淡々と、適切に結衣先輩の言葉に受け答えをして、
 王子様と永遠の愛を誓って、
 そして、

 ――おでこにキスをされて。

 それでも私は淡々と、閉幕までシンデレラを演じ通した。

 胸の高鳴りは変わらない。
 
 目の前にいるのは間違いなく結衣先輩で。頬は赤く染まって。
 結衣先輩は間違いなく、世界で一番格好よくて。

 それなのに私は、ただ淡々と、結衣先輩のお相手役を務め上げた。

向日葵「こうして王子様とシンデレラはいつまでも、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」

向日葵「めでたし。めでたし」

 最後のナレーションが終わり、幕が下りる。

 私は急いで横一列に整列し、京子先輩の合図で再び幕が上がる。

 幕の向こう側から再び姿を現した私たちを、盛大な拍手が迎えた。 

 劇は終わったのだ。おそらく、私たちにできる最高の力を発揮して、これ以上ない形で劇は終わったのだ。

京子「ありがとー! ありがとー!」

 京子先輩が興奮して客席に手を振っている。
 よく見ると少し涙ぐんでいるみたいだった。

 幼い頃は泣き虫だったという話だったけど、意外と感動しやすいタイプなのかもしれない。

 そんな私も、満面の笑みでみんなに手を振っている。

 クラスの友達に、お姉ちゃんに、両親に、そして隣で一緒に手を振っているみんなに、
 こんなに素敵な劇をやらせて貰えて幸せですと念を押すように、満面の笑みで手を振っている。

 きっと誰も私の変化に気づかないだろう。

 私は自分の気持ちを隠すのは苦手な方だと思っていたけど、いざ本当の気持ちと違う行動を取らなければいけないと意識すると、
 驚くほど簡単に体は動いてくれた。

 ただ、一つだけ。

 そんな私を見つめている視線が一つだけあることに、私は気づいていた。

 気づいていたけど、気づかないフリをしていた。

 きっと気づかないフリをしていることすらお見通しなんだろうけど、それでも私は気づかないフリをした。

ちなつ「あかりちゃん?」

 十月の下旬。
 
 文化祭も終わって、だんだんと冬の足音が近づいて来た今日この頃。
 京子先輩が劇の話を持ってきてから一ヶ月と少し。

 いろんなことがあった気がするし、あっという間だった気もする。
 
 いつだって季節はそんな風に過ぎていく。

 秋なんだか、冬なんだかよくわからない、そんな中途半端な時期の肌寒い風を受けて、
 ごらく部の部室にやってくると、あかりちゃんが机に突っ伏して眠っていた。

ちなつ「珍しいこともあるんだね……」

 私は鞄を置いて、あかりちゃんの正面に腰を下ろす。

 日直だから先に部室に行っててとは言ったけど、まさか眠ってるとは思わなかった。
 授業中も眠そうにしてたし、寝不足なのかな。

 そんなことを考えて少し寝顔を観察する。気持ちよさそうに眠っている。
 いつも仮面なんだか本心なんだか分からない笑顔を崩さないあかりちゃんでも、きっと寝顔まで偽ることはできないだろう。

 だから少なくとも、眠っている間の彼女は幸せなのだ。
 そう思うとなんだかほっとして、私は頬杖をついた。

ちなつ「どうしようかな」

 京子先輩と結衣先輩もなかなか来る気配がないし、かと言ってあかりちゃんを起こすつもりもない。

 仕方なく大人しく座って軽くまどろんでいたけど、どうにも手持ち無沙汰になってしまった。

 何か漫画か雑誌でもなかったっけと辺りを物色すると、

ちなつ「あ」

 床に、一冊の本が落ちていた。
 簡単な装丁の、白い表紙の一冊の本。
 表紙の上の方に、小さな字で「シンデレラ」と書いてある。

ちなつ「誰が置きっぱなしにしたんだか……って、一人しかいないよね」

 そんなことをつぶやきながら台本をパラパラとめくる。シンデレラの姉の台詞の部分にだけマーカーと鉛筆でびっしりと
 メモが書かれている。

ちなつ「あんまりいい役じゃなかったでしょうに」

 私は頬杖を付きながらページをめくっていく。

 私たちの劇はそれなりに好評だったようで、後でクラスの友達や知り合いから「可愛かったよー」とか「よかったよー」と
 声をかけられたりもした。
 京子先輩のいじわる姉さんっぷりもそれはそれは評判だった。
 主役を食いすぎない程度に会場を盛り上げて、それでいて改心のシーンでは迫真の演技で本気の同情を誘っていた。

 京子先輩が何を思って私に台本を任せてくれたのかはわからない。
 同人イベントの片手間でも、京子先輩が台本を書いた方が面白くなったんじゃないかと思わないこともない。

 それでも
 結衣先輩も、京子先輩も、あかりちゃんも、西垣先生も、会長も、杉浦先輩も、池田先輩も、向日葵ちゃんも、櫻子ちゃんも、
 そして、私も。
 みんな一生懸命に、がむしゃらになって、なってくれて、一つの劇を完成させた。

 だから、きっとあれでよかったのだ。
 きっといつまでもいい思い出として、みんなの心の中に残り続けてくれるだろう。

 しかし、それでも、あれは所詮ただの夢物語だ。

 本当はあんな風に結衣先輩と結ばれることに憧れていたけれど、
 ああいう出来合いのハッピーエンドを掴む資格は、私にはなかったらしい。

 だからあれは、ただの夢物語としてみんなの記憶に残り続けるのだ。

 私は台本をめくる手を止めた。

ちなつ「お城での出来事は、シンデレラにとって最高のひとときでした」

 そして、私の物語を紡ぎ始める。

ちなつ「しかし、魔法はそこでおしまいでした」

ちなつ「このシンデレラは本当は、美しくも、心優しくもなかったのです」

ちなつ「わるいシンデレラは、純粋な魔法使いの優しさにつけこんで、王子様の心を手に入れようとしました」

ちなつ「そうして、奇跡のようなひとときを過ごしたのです」

ちなつ「しかし、奇跡は一度きりでおしまいでした」

ちなつ「シンデレラが家に帰ると、そこにはもうかぼちゃの馬車も、綺麗なドレスもありません」

ちなつ「もとのみすぼらしい格好をした女の子がひとりいるだけです」

ちなつ「シンデレラと王子様の手元に残るはずだったガラスの靴も、もう消えてしまいました」

ちなつ「王子様はシンデレラを見つけ出す術を失い」

ちなつ「女の子はすっかり王子様の目のまえに立つ資格を失ってしまいました」

ちなつ「魔法は全て解けてしまったのです」

ちなつ「今ではお城の王子様のことを思っても、ただ胸が高鳴るだけで、自分のことを助けに来てくれるとはめっきり
    思えなくなってしまったのでした」

 私はそこで台本を閉じる。
 そして、消え入りそうな声で、小さく囁いた。

ちなつ「それでも」

 それでもシンデレラは、王子様の心を捕まえるのでしょうか。
 それはいったい、誰のために?

 * 

 幕間 

「まほうつかいのはなし」

「うそつき少女のお話です」

「うそつきの少女は、桜色の女の子のことが大好きでした」

「女の子には憧れの人がいました。お城に住む王子様です」

「女の子は、王子様と結ばれるために、友人であるうそつきの少女に助力を求めました」

「灰かむりの自分には、魔法使いが必要だと言うのです」

「少女は、この女の子が、灰をかぶっても桜を咲かせてしまうような、生まれついてのお姫様であることを知っていました」

「だから少女は女の子に一言言えば良かったのでした。女の子に魔法使いは必要ないと」

「生まれついてのお姫様には現実的な教訓など通用しません」

「女の子は、ただその夢見る心で望みさえすれば、彷徨う鳥の止まるのを捕まえることができる人なのです」

「女の子の恋路を邪魔するいじわるな人たちはどこにもおらず」

「王子様のもとへ辿り着くための馬車も、舞踏会で踊るためのドレスも、そして王子様と結ばれるためのガラスのくつも、
 彼女は生まれた時から既に持っているのですから」

「しかし少女はそうしませんでした」

「代わりに、魔法使いの真似事をすることにしたのです」

「少女は、女の子がもともと持っていた馬車やドレスやガラスの靴を、まるで自分が魔法で出したかのように振舞いました」

「すると女の子は大喜びして、とびきりの笑顔で少女にお礼を言いました」

「少女は、その笑顔が欲しかったのです」

「女の子は良く笑う娘で、誰もが彼女の笑顔を愛していましたが、少女に向ける笑顔だけは他の笑顔とは少し違っていました」

「そんな特別が欲しいがために、うそつきの少女は魔法使いになったのでした」

「たとえその笑顔もいつか王子様のものになってしまうとしても」

「いいえ、最後には全て王子様に奪われてしまうと知っているからこそ」

「少女は純粋にその笑顔を愛していられたのでした」

「お姫様と王子様が結ばれた後で、一人部屋に取り残される。灰かむりの魔法使い」

「そのイメージはとても寂しいものでしたが、それでいて居心地は悪くなさそうだったのです」

 なのに、

 ――鼻腔をくすぐる甘い香り。
 (二人はいつも一緒だね、と誰かが言った)

 ――蘇る蝉時雨。
 (これはただの練習よ、と彼女は言った)

 ―柔らかな感触が、唇を伝った。
 (二人はまるで、寄り添い合う星々のようで)

 どうして私はあの時、それを望んでしまったのだろう。
 (その間には、光年の隔たりがあった)

 *

結衣「ちなつちゃん、ちなつちゃん起きて」

ちなつ「へっ!?」

 気がつくと、目の前に結衣先輩の顔があった。
 先輩の後ろには、あかりちゃんと京子先輩が鞄を持って立っている。

 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。
 
ちなつ「す、すみません先輩、私眠っちゃってました」

結衣「ううん。気持ちよさそうだったから、起きるまで待ってようと思ったんだけど、流石にもう遅いからね」

ちなつ「あ、ほ、ほんとだ。すみません、待たせちゃって……」

 結衣先輩の言うとおり、時計を見ると既に下校時刻をまわっていた。

 と、私はそこで、台本が見当たらないことに気付く。
 眠ってしまうまでの記憶が曖昧だけど、台本をどこかに片付けた覚えはない。
 多分、読み終わって、またうとうととまどろんでる内に眠ってしまったのだろう。

 だとしたら、あれは誰が片付けたのだろうか。

 あの後最初にこの部屋に来たのはどっちなのか。
 それとも、あかりちゃんが目を覚ます方が早かったのか。

 気になったけれど、尋ねることは出来なかった。

 結衣先輩も京子先輩もあかりちゃんも、いつも通りの笑顔で私の支度を待っている。

 私は慌てて帰る準備をして、三人と一緒に帰路についた。

 *

 純心な魔法使いの善意を利用し、ついには魔法を解かれ、ガラスの靴も失ってしまったシンデレラ。
 
 それでも尚、シンデレラは王子様の心を捕まえるのだろうか。

 それは一体、誰のために……?

 王子様をまだ諦められない、自分自身のため?

 それとも、わるいシンデレラのために、奇跡を起こしてくれた、魔法使いの善意にむくいるため?


ちなつ「あかりちゃん、私、今度の土曜日に結衣先輩に告白しようと思うんだ」

 あかりちゃんとの帰り道。私は唐突に、そんな話題を切り出した。

 結局のところ私には、そんな最低の方法しか思いつかなかったのだ。

 あかりちゃんの足が止まる。突然のことに、あかりちゃんは少しだけ動揺しているみたいだったけど、
 すぐにいつもの笑顔に戻って、

あかり「そっか、土曜日は、ちなつちゃんの誕生日だもんね。うん、大丈夫。うまくいくよ。あかり、応援してるね」

 そんな言葉を口にした。

ちなつ「うん」

 十一月六日。私が生まれた日。私はその日、結衣先輩と一緒に過ごす約束をしていた。

 結衣先輩は優しい人だから、誕生日を二人きりで過ごしたいんですと頼み込んだら、あっさり承諾してくれた。

 誕生日の日に、大好きな人と一日を過ごして、そして最後に想いを告げる。
 昔の私なら、興奮して気絶してしまいそうな程ロマンチックなシチュエーションだ。

 だけど、うまく行く気なんて少しもしていなかった。
 
あかり「ちなつちゃん可愛いから、結衣ちゃんは絶対に応えてくれるよ。自信持って!」

ちなつ「うん、ありがと、あかりちゃん」

 本当は、告白なんてしたくない。
 うまく行くだなんて、微塵も思っていない。

 それでも、私は諦めるわけにはいかないし、時期を待つわけにも行かないのだ。

 私がこのまま結衣先輩を諦めてしまったら、或いは、狡猾に立ち回って、遂に結衣先輩の心を捕まえてしまったら、
 踏みにじられたあかりちゃんの心は、どこへ行けばいいのだろう。

 諦めるわけにも、結ばれるわけにも行かない。
 全力でぶつかって、振られて、駄目だったよとあかりちゃんに笑いかけて、
 そして、全力でぶつかった結果なのだから、私の力が足りなかっただけなのだから、魔法使いは何も悪くないのだと、
 そう言ってあげることがきっと、私にできる唯一の償いなのだ。

 それで、誰が幸せになるというのだろう。

 そんなこと少しもわからなかったけど、私には、そんな方法しか思いつかなかった。

 それでも、もしも――

ちなつ「……ねぇ、あかりちゃん」
 
 私はそこで、また唐突に話題を変える。

ちなつ「シンデレラのお話でさ、最後に、王子様とシンデレラが結ばれるのを邪魔できる人がいるとしたら、それは誰なのかな?」

あかり「えっ、ちなつちゃん……?」

 あかりちゃんはきょとんとしている。何の脈絡もなくこんな話をされれば当然だ。
 それでも私は構わず続ける。

ちなつ「それは魔法使いしかいないのかな? 魔法使いがガラスの靴を消しちゃえば、二人は結ばれないもんね」

 それでも、もしもあかりちゃんがそう言ってくれるなら、
 私は――。

 あかりちゃんが再び立ち止まる。私も歩くのをやめて、振り返ってあかりちゃんの答えを待つ。

 あかりちゃんはもういつもの笑顔に戻っていた、そして、少しだけ考え込んでから、その答えを口にした。

あかり「……違うんじゃないかな。だって、十二時になって魔法が解けても、ガラスの靴は消えなかったんだから。 
    だからそれはね、魔法使いでももう解くことができない魔法で編まれていたんだよ」

ちなつ「そっか……」

 ――しかしあかりちゃんは、そう言ってはくれなかった。

 私は肩を落として、再び歩き出す。後ろからあかりちゃんの足音も聞こえてくる。

 じゃあ、ガラスの靴を消したのは、一体誰だったのだろう。

 それが魔法使いでないならば、魔法使いがまだガラスの靴は残っていると信じているならば、
 シンデレラは、王子様の心を諦めるわけにはいかないのだ。

 *

 ――まるであの日に戻ったみたいだった。

 二人で食事をして、映画を見て、本屋さんに寄って。

 そして、繋いだ手の弱い温もりだけで、この世の悲しいこと全てを忘れられる気がした、あの日に。

 十一月六日。

 私が生まれた日。

 年に一度のその日、私はあの日のように、結衣先輩と二人で街を歩いている。

 結衣先輩はやっぱり世界中の誰よりも格好良くて、私は少しだけあかりちゃんへの罪悪感を忘れられる気がした。

 それでも私は驚くほど落ち着いていて、私の世界はあの日からずっとモノクロのままだった。

 片方の手は、結衣先輩と繋がれている。
 もう片方の手には、結衣先輩からの誕生日プレゼント。
 
 最高に満たされているはずなのに、私の心は悲しいほどに空っぽだった。

結衣「はい、ちなつちゃん。そろそろ帰らなきゃね。今日楽しかった?」

 結衣先輩はそう言って、ベンチに腰を下ろしているに私にジュースを渡す。
 辺りはすっかり薄暗くなっていた。
 
ちなつ「はい! とてもっ。今日は本当にありがとうございました」

結衣「そっか、よかった。私も楽しかった」

 私は缶の蓋を開けながら、いよいよだと覚悟を決めた。
 
 本当は、このまま結衣先輩と別れて、今日という日をいい思い出にしたかった。
 今日は久しぶりに、本当に楽しかったのだ。

 私の憧れた王子様は、どこまでも素敵な王子様で、みすぼらしい格好に戻ってしまったシンデレラにもいつも通り接してくれた。
 きっと私がこれ以上を望みさえしなければ、王子様はいつまでも魔法の解けたシンデレラに優しくしてくれるだろう。
 私は結衣先輩にとって、大切な後輩のままでいられるだろう。

 だけど私は、告白すると決めたのだ。
 
 私がここで逃げてしまったら、踏みにじられたあかりちゃんの心はどこへ行けばいいのだろう。
 優しい魔法使いを利用して、利用して、利用して、涙まで流させて、
 そうまでしてでも王子様の心を掴もうとしたのは、私だ。

 今更それを諦めて、このままただの後輩という地位に甘んじてしまったら、
 利用されたあかりちゃんの悲しみはどこへ行けばいいのだろう。

 だから私には諦めることなんて許されないのだ。

結衣「これを飲んだら、行こうか」

 そう言って結衣先輩が缶に口を付ける。
 これが最後のチャンスだ。私は意を決して顔を上げ、結衣先輩の方を向いて、その言葉を口にした。

ちなつ「あの、結衣先輩。最後に、お話があるんです」

結衣「そっか」

 結衣先輩は手を止めて、やわらかな微笑みを私を向ける。
 これから私が何を言おうとしているのかなんて、お見通しなのかもしれない。

 あの劇の時と同じだ。あとは機械人形のように、適切に、事務的に、愛のことばを伝えればいい。
 今の私にはそれが出来るのだ。

 もう手が届かなくなってしまった王子様。
 以前の私は、王子様と結ばれることを期待していたから。王子様の心を捕まえることを夢見ていたから。
 だから王子様に愛されたくて、嫌われたくなくて、私のままではいられなかった。

 今の私は、王子様を前にしても驚くほど冷静なままでいられる。
 いくら格好よくても、どんなに素敵でも、それはもう私の手には入らないのだから。

 だから、その続きを言ってしまえばいい。
 
ちなつ「あのっ、私」

 それが私があかりちゃんのために出来る、唯一のことなのだから。  

ちなつ「結衣先輩のことが……」

 しかしその時、

結衣「魔法使いが魔法を解いたのは、きっと、シンデレラのことが好きになっちゃったからなんだよ」

 結衣先輩の口から、予想外の言葉が飛び出した。

 ――あの時私の中にこみ上げて来た感情の正体を私は知らなかったし、
 きっと永遠に知ることはないと思っていた。

 知る資格さえないだろうと、そう思っていた。

 知ってしまえば、辛くなるだけだと、そう分かっていた。

 それなのに、

結衣「だからその続きは、あかりに言ってあげて。ちなつちゃん」

 どうして、
 
 彼女の名前を聞くだけで、

 彼女が私のことを好きになってしまったなんて、そんなありえない妄想を耳にするだけで、

ちなつ「結衣先輩……?」

 こんなにも世界が色付くのだろう。

 あの感触が、鮮やかに蘇るのだろう。

ちなつ「あの時、聞いてたんですか……」

 魔法使いが魔法を解いた、と結衣先輩は言った。

 それはあの日、眠っているあかりちゃんの前で私が紡いだ、私の物語の出来事だ。

 どうしてそれを結衣先輩が知っているんだろうと思ったが、理由なんて一つしかない。

結衣「ごめんね。本当は盗み聞きするつもりなんてなかったんだけど、部屋の前に言ったら、ちなつちゃんの声が聞こえて」

ちなつ「そうですか……。結衣先輩が……」

 あの時、扉一枚隔てた向こうに結衣先輩がいたなんて、全然気づかなかった。

結衣「私だけじゃなくて、京子も一緒にいたんだ。京子はさ、二人の様子がおかしくなったの、ずっと気にしてて、
   それで二人でちなつちゃんの話を、ずっと聞いてたんだ。本当にごめん」

ちなつ「いいえ。いいんです」

 聞かれてしまっていたのは驚いたけど、なぜだか少しも怒る気持ちはわかなかった。
 気づかなかった私も私だし、それに本当は、あんな風に私の物語を語ったのは、誰かに聞いて欲しかったからなのかもしれない。
 
 ――本当は、彼女にも。

 それよりも、さっきの結衣先輩の言葉の方が気になった。

ちなつ「聞かれてたのは驚きましたけど、それはいいんです。それより結衣先輩、さっきの言葉はどういう意味なんですか?」

 魔法使いがシンデレラを好きになってしまった、なんて。
 あかりちゃんが私のことを好きになってしまった、なんて。

 そんなことあるはずがないのに。
 結衣先輩はさっきそんな言葉を口にした。

 その言葉のせいで、私はあの時、あかりちゃんの唇が私の唇に触れた時に感じた気持ちの正体に気付いてしまった。
 ずっと気付かないようにしていたのに。
 
 その言葉があまりにも予想外で、
 完全に不意打ちで、
 だから私はうっかり、心の隙間に入り込まれて、あっさりその気持ちに気付かされてしまった。

 私はまだ王子様に憧れているシンデレラで、ただ王子様の前に立つ資格を失ってしまったのだと、
 ずっとそう思っていたかったのに。そう思っていられそうだったのに。

 夢から覚めた後も、王子様は王子様のままだったから。結衣先輩はずっと素敵な人のままだったから。
 私もいつまでも自分のことをわるいシンデレラだと思い込んでいられそうだったのに。

 あの時私の中にこみ上げて来た気持ちの正体を私は知らなかったし、
 きっと知らない方が良かったのだ。

 私があかりちゃんに恋してしまっているなんて、永遠に気付かないままでいられたらよかったのに。

 私は不覚にもその言葉にときめいてしまった。
 そうだったらいいな、なんて馬鹿なことを、思ってしまったのだ。

結衣「どうもこうも、そのままの意味だよ。魔法使いが魔法を解いたのは、シンデレラがわるいシンデレラだったからなんかじゃない。
   魔法使いは、シンデレラに協力している内に、シンデレラのことが大好きになってしまったから、
   だからきっと、王子様にシンデレラを奪われたくなくて、魔法を解いちゃったんだよ」

 結衣先輩が言葉を続ける。
 それは私が心の奥底で、ずっと期待していたこと。
 
 そうだったらいいなと、心のずっとずっと底の方で、微かに思っていたこと。

 そして、絶対にありえない、ただの妄想でしかないこと。

 それを結衣先輩はまるで私の心を暴くようにあっさりと言葉にしていく。
 私をときめかせることが上手いのは知っていたけど、こんな風にときめかせることもできるなんて知らなかった。

 だけど、このときめきは、決して実を結ぶことはない残酷なときめきだ。
 一瞬だけ幸せを与えて、後は身を引き裂かれるような痛みを残すだけの、悲しいときめきだ。

結衣「私たちは、ずっとあかりを見て来たからさ。分かるんだ。
   だからさ、もしちなつちゃんが王子様よりも魔法使いのことを大切に思うなら、さっきの続きはあかりに言ってあげて」

 結衣先輩は勘違いをしている。
 確かに二人はずっとあかりちゃんと同じ道を歩んで来たのかもしれない。
 ともに重ねた月日の長さでは、私なんか足元にも及ばないかもしれない。

 それでも、今あかりちゃんの隣に一番多くいるのは、私だ。
 だから、今のあかりちゃんのことは、私の方がわかっているはずなのだ。

ちなつ「……違いますよ結衣先輩。魔法使いは、魔法を解いたりなんかしていません。
    あかりちゃんはずっと魔法をかけ続けてくれていたんです」

 私はそう言って、ベンチから立ち上がる。

 そう。確かに魔法は全て解けてしまったけれど、それは魔法使いが解いてしまったせいではない。
 魔法使いは最後まで、私と王子様を繋ぐための最後の魔法を残してくれていた。

 ガラスの靴を消したのは、魔法使いではない。

結衣「ちなつちゃん……?」

 結衣先輩は少し首を傾げている。私はその隣に立って、説明を続ける。

ちなつ「魔法使いは最後までシンデレラの味方で居続けてくれたんです。シンデレラは美しくも、心優しくもなかったけれど、
    それでも魔法使いはずっとシンデレラに魔法をかけ続けていてくれたんです」

 それでも、わるいシンデレラの魔法は解けてしまった。
 綺麗なドレスもかぼちゃの馬車も、ガラスの靴も消えてしまった。それは、

ちなつ「シンデレラの魔法が解けてしまったのは、ただ、シンデレラにはもう魔法がかからなくなってしまったというだけなんです」

 結衣先輩は私の話を聞いても、いまいち合点が行かないという顔をしている。
 
 だけどきっと、私の話の方が正しいはずだ。

 魔法使いは、最初から最後まで、シンデレラの味方でいてくれた。
 彼女は最後までシンデレラを裏切らなかったけれど、シンデレラの方が、彼女の魔法にかからなくなってしまったのだ。
 だからガラスの靴は消えてしまった。奇跡はそこで終わってしまった。

 それは、魔法使いへの罪悪感のせいだと思っていた。
 わるいシンデレラの罪悪感が、魔法使いの魔法を解いてしまっているのだと、
 さっきまでそう思っていた。

 でも、本当はそうじゃなかったようだ。

ちなつ「わるいシンデレラはもう、王子様に憧れる、むかしばなしの登場人物ではなくなってしまったんです。
    魔法使いの魔法は、むかしばなしのシンデレラにしか通用しませんから、だからもう魔法はかからなくなっちゃったんです」

 わるいシンデレラは、王子様ではなく、魔法使いでもなく、
 いつも傍にいてくれた一人の少女に恋をする、ただの女の子になってしまったのだ。
 だから魔法は解けてしまった。きっとそれが、この物語の顛末だ。

 話を終えて、私は結衣先輩の顔を見つめる。

 結衣先輩は優しく微笑んでいた。私の話を最後まで聞いて納得したのかもしれない。

 本当は、告白しなければならなかったのに。

 こんな想いに気付いてしまって、もう王子様に憧れるシンデレラではないなんて言ってしまって、
 どの口で愛のことばを口にすればいいんだろう。

ちなつ「結衣先輩が変なことを言うから、さっきまで言おうとしてたことが言えなくなっちゃいました」

結衣「そっか」

 私はちょっと恨みがましくそんなことを言ってみる。

 本当は結衣先輩に告白して、振られなければなかったのだ。
 それが私があかりちゃんにできる唯一のことだったのに。
 
 もうそれはかなわなくなってしまったというのに心は晴れやかで、私の世界にはすっかり色彩が戻ってきていた。
 そんな自分が酷く醜い人物のようにも思えた。

 きっと長い目で見たら、こんな想いに気付かないで、結衣先輩に告白してしまった方が楽だったはずだ。

 この充足した気分はきっと今だけのもので、これから私は結衣先輩に振られることよりも、もっとつらい思いをするのだろう。

 だけど、もしかしたら、それこそが私に与えられた本当の罰なのかもしれない。
 魔法使いを利用し続けた代償は、結衣先輩に振られるくらいじゃとても清算できなかったのかもしれない。

 だからきっと、これでよかったのだ。

結衣「うん。確かに、ちなつちゃんの言うとおりかもしれない。きっと両方とも、
   ちょっとだけ正しくて、ちょっとだけ間違っていたんだろうね」

 結衣先輩はそんなことを言って、駅の方に歩き出す。その言葉の意味はよくわからなかった。

 私は缶ジュースを飲み干して、くずかごに入れて、その背中を追いかける。


結衣「帰ったら、あかりのところに行ってあげて。きっとさ、ちなつちゃんの誕生日を一番祝いたがってたのは、あかりだから」

 駅まで並んで歩いている途中、結衣先輩が不意にそう言った。

 正直、あかりちゃんに合わせる顔なんてなかった。

 利用して、利用して、涙まで流させて、挙句の果てに恋をして。
 あかりちゃんにとってはいい迷惑にも程がある。
 
 それでも、あかりちゃんが私の誕生日を祝ってくれるというのは抗えない魅力を持っていた。

 それに、行き場を失ったあかりちゃんの心を救うためにも、私は彼女に本当の思いを告げるべきなのかもしれない。

 その先にどんなつらい結末が待っていようとも。

 *
 
あかり「ち、ちなつちゃん、どうしたの? こんな時間に」

 私は結衣先輩の言葉のとおりにすることにした。
 
 電車に乗っている間は、迷惑だから明日にしようとか、会っても辛くなるだけだとか、
 そんなことを色々考えていたけれど、いざ結衣先輩と別れると、私の足は自然とあかりちゃんの家に向かっていた。

 結局私はどれだけ反省しようが、どれだけ後悔しようが、どこまでも自分勝手なままで、
 その魅力に抗うことができなかったのだ。

 私は自分の想いに気付いてしまった。気付いてしまったからには、もう足は止まらなかった。
 だって今日は、一年に一度しかない、私が生まれた記念日なのだ。

 どうせ叶わぬ願いなら、最後くらいいい思い出が欲しかった。

ちなつ「ごめんね。あかりちゃん。ちょっとあかりちゃんと話がしたくて」

あかり「ううん、それは大丈夫だけど……」

 あかりちゃんが困惑している。こんな時間に約束もなしに訪ねられたら当たり前だ。
 あのお姉さんや母親が出てきたらどうしようと心配していたから、出てきてくれたのがあかりちゃんでちょっとほっとしていた。

あかり「でもどうして? ちなつちゃん、今日は……」

 問題なのは時間だけじゃない。
 あかりちゃんが何を言おうとしているのかは分かっているけど、

ちなつ「あかりちゃん」

 私はその続きを言われたくなくて、あかりちゃんの言葉を遮った。

ちなつ「ちょっと、外に出れる?」

ちなつ「ごめんね、あかりちゃん。急におしかけて」

あかり「ううん。ちょっとびっくりしたけど、大丈夫だよぉ」

 私とあかりちゃんは二人並んで夜の道を歩いている。
 もう遅いし、親が許してくれないだろうなと思っていたけど、あかりちゃんはあっさり身支度を整えて出てきてくれた。
 もしかしたら、今日が私の誕生日だということを伝えたのかもしれない。
 
 あかりちゃんは片手に、小さな袋をぶら下げていた。

あかり「でも、どうしたのちなつちゃん? 今日は結衣ちゃんと一緒に過ごすって言ってたのに……」

 私は何も答えない。
 あかりちゃんもそれ以上は追及して来なかった。

 しばらく無言で歩き続けていると、小さな公園が視界に入った。

 あかりちゃんも見つけたようで、一度私の方を見て、

あかり「ちょっと座ろっか」

 と言って、私を先導した。

 夜の公園には私たち以外誰もいなかった。

 私たちはベンチに腰を下ろして、何も言わず空を見上げている。

 あかりちゃんは何も尋ねない。私も何も答えない・

 ただこうしてあかりちゃんの隣にいられるだけで、胸の中は温かった。


あかり「でも、良かったよ」

 しばらくしてあかりちゃんが、ゆっくりと口を開いた。
 
 そして、手に持っていた袋から小さな包みを取り出す。
 赤いリボンと白い紙で丁寧に包装してあるそれを、あかりちゃんはそっと私に手渡した。

あかり「本当は、今日中に渡したいなって思ってたんだ。はい、ちなつちゃん」

あかり「誕生日おめでとう」

 その言葉だけで、泣きそうなくらい嬉しくなった。

ちなつ「ありがとう、あかりちゃん」

 私は涙が溢れそうになるのをこらえて、あかりちゃんにお礼を言う。

 あかりちゃんが、私のために選んでくれたプレゼント。
 白い小さなそれを、私はぎゅっと抱きしめた。

 だけど、

あかり「結衣ちゃんのプレゼントの後じゃ、霞んじゃうかもしれないけど」

 あかりちゃんがそんなことを言うから、私の胸はズキリと痛んだ。

ちなつ「……開けてもいいかな?」

 私は今の言葉には返事をせず、代わりにあかりちゃんに問いかける。

あかり「うん、勿論だよ」

 あかりちゃんの返答を聞いて、私は包装紙を破らないように、ゆっくりとリボンを解く。
 包み紙を剥がすと、中からは小さな黒い箱が姿を現した。

ちなつ「これって……」

 箱には、あの日、あの夜、あかりちゃんが持ってきた、あの白い球体が描かれていた。

ちなつ「あのプラネタリウムだよね」

あかり「うん、ちなつちゃん、気に入ってたみたいだから」

ちなつ「うん、凄く嬉しい。ありがとう」

 その瞬間、私の頭に、あの日の記憶が蘇った。
 
 あかりちゃん星、私がそう名付けた星。
 ちなつちゃん星、あかりちゃんがそう名付けた星。

 今でも私は一等星で、あかりちゃんはその傍で優しく光る小さな星のままなのだろうか。
 少なくとも、今の私は一等星なんかではない。

 いや、最初から、そんなものではなかったのだ。

 私はあかりちゃんに貰った袋に、リボンと包装紙を丁寧に折り畳んでしまいこむ。
 しまい終えると、再び私たちの間に沈黙が流れた。

 私はあかりちゃんからのプレゼントを見つめながら、次の言葉を探している。

あかり「……ちなつちゃん、今日は結衣ちゃんと一日一緒に過ごすんじゃなかったの?」

 そんな風にして、何分くらい経った頃だろうか、あかりちゃんは、さっきと同じ質問をもう一度口にした。

ちなつ「うん」

 今度は無視せずに首肯する。
 きっとこのまま黙っていれば、あかりちゃんはもうこれ以上は何も聞かなかっただろうけど、
 そうやってあかりちゃんの優しさに甘え続けるわけには行かないのだ。

 私はきちんと、あかりちゃんに、踏みにじられたあかりちゃんの心の行き着いた先を伝えなくてはならないのだ。

 それは本当は、私のわがままでしかないのかもしれない。
 そんな風に口実を作って、自分の想いを伝えて楽になりたいだけなのかもしれない。
 それとも、心のどこかで、まだ結衣先輩が言ったような展開を期待しているのかもしれない。
  
 それでも、私はその続きを言葉にしていく。

ちなつ「結衣先輩には、告白しなかったんだ」

 あかりちゃんは一瞬だけ悲しそうな顔をして、すぐにいつもの笑顔に戻る。

あかり「そっか。でも大丈夫だよ。ちなつちゃん可愛いから、きっとすぐにまたチャンスが来るよ」

 あかりちゃんはそんな風に言うんだろうな、と思っていた。
 そんな風に応援してくれるんだろうな、と分かっていた。

 でも違うよ。あかりちゃん。
 そうじゃないんだよ。

 私は、告白できなかったんじゃなくて、告白しなかったって言ったんだよ。

ちなつ「ううん。もう、結衣先輩には告白しなくていいんだ。あのね、あかりちゃん、私ね、本当はね……」

 言ってしまえば戻れない。放たれた言葉は消えない。
 このまま何も言わなければ、私たちはずっとただの友達のままでいられる。
 偽りのシンデレラと魔法使いのままでいられる。寄り添い合っているように見える星々のままでいられる。
 
 だけど、私はそれでも、言わなくてはならないのだ。

 結衣先輩に告白しないというなら、私はその想いの行き着いた先を伝えなくてはいけないのだ。
 あかりちゃんの献身が、全くの無駄に終わったわけではないのだと、きちんと証明しなくてはならないのだ。

 それがただの口実なのだとしても、それでもいい。
 その先にどんな結末が待っていても、この想いを伝えなければ、私も、きっとあかりちゃんも、前に進めないのだから。

 だから私は、

ちなつ「私ね、本当は、ずっとあかりちゃんのことが好きだったんだよ」

 彼女を見つめて、想いを告げた。

ちなつ「あなたが好きです、あかりちゃん」

 辺りが静寂に包まれる。
 誰もいない公園で、ただまばらに散らばる星たちが、私たちを見つめるように瞬いていた。

 あかりちゃんは、何も答えない。
 何と答えたらいいか分からないというような表情で、目を泳がせている。

 それはあまり見たことのない表情だった。

 私はあかりちゃんから目を離す。
 拒んでしまえばいい。何も答えなくてもいい。
 そう伝えるように脚を伸ばして空を見上げた。

 しばらくそのまま空を見つめて、答えを待たずに立ち上がろうとした時、

あかり「だめ……だよ。ちなつちゃん」

 あかりちゃんはそう、消え入りそうな声で呟いた。

 それで、全ては終わったのだ。

ちなつ「そっか。うん、あかりちゃんが嫌でも、私は諦めないよ。私が強引なの、あかりちゃんが一番知ってるでしょ」
 
 嘘だった。そんなつもりなんて全くなかった。
 それでも、そう言わないとあかりちゃんはきっといつまでも罪悪感を抱えてしまうから。
 私はそんな風に虚勢を張った。

 私はあかりちゃんの心を狙い続けるフリをして、そして、ゆっくりと、ゆっくりと、
 だんたん飽きてしまったという風に、あかりちゃんの傍から離れていけばいい。
 
 そうすればあかりちゃんはきっと何の負い目も感じずに、私のことを忘れられるだろう。

 だから、恋物語はこれでおしまい。
 全てはもう終わったのだ。

 全てが終わったというのに、私の心は驚くほど晴れやかだった。

 本当は少しだけ、結衣先輩が言ったようなことがあることを期待してるんだと思った。
 この告白も、実際のところ、そんな僅かな希望に縋った身勝手な私のわがままなんじゃないかと。

 あのキスに込められたあかりちゃんの恋心が、私からガラスの靴を奪ってしまったなんて期待してるんじゃないかと。
 だけど、違ったみたいだ。
 違っていてくれたみたいだ。

 たとえあかりちゃんに拒まれても、それがあかりちゃんの本心ならばそれでいい。
 私にとって、自分の気持ちよりも、あかりちゃんの気持ちの方がずっとずっと大切だったのだ。

 欲しいものを手に入れるためならば手段は選ばない。
 そんな風に生きてきた私がそう思えたのはもしかしたら初めてのことで、それが少しだけ誇らしかった。

 ――だから、

あかり「いやなんて、思うわけないよ」

 その言葉は、

 本当に、本当に、本当に、

あかり「あかりはずっと、ちなつちゃんにそう言ってもらえたらいいなぁって、思ってたんだから」

 本当に、予想外だったのだ。

 その言葉で、私の頭は真っ白になってしまった。

 あかりちゃんも、私の告白を求めていた?

 それは、結衣先輩が言っていた、あの言葉のとおりだったということで……。

 それはつまり――

 だけど、あかりちゃんは、私の期待を裏切るように、悲しいほどいつもの笑顔のままだった。

 その笑顔が、一気に私を現実へ引き戻す。

あかり「だけどだめだよちなつちゃん。ちなつちゃんは本当に欲しいものを手に入れなくちゃ」

 いつものように笑ったあかりちゃんが続けた言葉は、私が求めていたものとは程遠いものだった。

ちなつ「何を言ってるの、あかりちゃん?」

 本当に欲しいものを手に入れなきゃ、と今確かにあかりちゃんは言った。
 それなのに、あかりちゃんは私の告白を受け入れてはくれなかった。

 あかりちゃんはいつもの笑顔のままだった。
 
 私は何が何だかわからなくなって、あかりちゃんを問いただした。

 私の問いには答えず、あかりちゃんは空を仰いだ。

 そして、ゆっくりと一つの物語を紡ぎ始める。

あかり「……あかりはね、ずっと主人公に憧れていたんだ」

 そんな出だしで始まったその物語は、あかりちゃんの物語。
 長い長い独白。一人の少女の物語。

あかり「だけど本当は、主人公っていうのが何なのか、ずっとわかっていなかった」

あかり「主人公ってなんなんだろうってずっとずっと思ってた」

あかり「そんな時、あかりはちなつちゃんと出会って、ちなつちゃんと友達になった」

あかり「ちなつちゃんはいつでも輝いていて、太陽みたいに眩しくて、みんなにたくさん愛されていて」

あかり「そんなちなつちゃんを見ている内に、あかりは気づいたんだよ」

あかり「主人公っていうのは、ちなつちゃんみたいな人のことを言うんだなぁって」

あかり「だから最初あかりは、ちなつちゃんに憧れていたんだよ。ちなつちゃんみたいになりたいなぁって思ってた」

あかり「ちなつちゃんの傍にいれば、あかりもちなつちゃんみたいになれるかなぁって思ってたんだ」

あかり「だけど次第に、ちなつちゃんの傍にいることそのものが目的になってきた」

あかり「ただちなつちゃんの傍にいるだけで幸せだって思うようになって来たんだよ」

あかり「ちなつちゃんは主人公で、あかりの憧れだったのに、ちなつちゃんはあかりにいろいろ相談してくれた」

あかり「あかりなんて足元にも及ばないくらい光り輝いているのに、いつもあかりを頼ってくれた」

あかり「それがちょっとおかしくて、誇らしかった」

あかり「それがちょっぴり自慢だった」

あかり「あかりがちなつちゃんに協力すると、ちなつちゃんはいつでもあかりにとびきりの笑顔を向けてくれた」

あかり「それであかりはわかったんだ」

あかり「あかりは主人公になりたかったんじゃなくて、誰かに見つけて欲しかっただけなんだって」

あかり「ちなつちゃんはあかりに特別な笑顔を向けてくれた」

あかり「なんでもないあかりのことを頼りにしてくれた」

あかり「だからあかりは主人公じゃなくて、ちなつちゃんの魔法使いになりたいと思うようになったんだ」

あかり「だけど本当は、ちなつちゃんに魔法使いなんて必要なかったんだよ」

あかり「ちなつちゃんは主人公で、いつでもひとりで輝いていて」

あかり「ただその夢見る心で望むだけで、望むもの全てを手に入れられる人だった」

あかり「本当はあかりに、ちなつちゃんの傍にいる資格なんてなかった」

あかり「魔法の使えない魔法使いに、お姫様の傍にいる資格はなかった」

あかり「ちなつちゃんの幸せを傍で見られるだけでも、あかりには過ぎた報酬だった」

あかり「だからあれは本当に、望外の、とんでもないくらいに幸運な追加報酬だったんだよ」

あかり「あかりはただ喜べばよかった。ただその幸運を噛み締めて、喜んでいればよかった」

あかり「なのに、あかりはその先を望んでしまった」

あかり「あかりの見ている唇と、ちなつちゃんの見ている唇の色が全然違っていることを、悲しいと思ってしまった」

あかり「ちなつちゃんは優しいから、そんなあかりに同情しちゃったんだね」

あかり「だけどだめだよちなつちゃん。それはただの同情でしかない」

あかり「ちなつちゃんはあかりみたいな、身の程知らずの魔法使いに構ってないで」

あかり「本当に欲しいものを捕まえなくちゃ、だめなんだよ」

 そう言ってあかりちゃんは私に笑いかけた。

 ……なにそれ。
 と私は叫びそうになった。
 半分本気であかりちゃんに腹が立っていた。

 私は結衣先輩を諦めて、あかりちゃんに情けをかけたわけじゃない。
 私は、あかりちゃんを選んだのだ。
 結衣先輩ではなくて、あかりちゃんを選んだのだ。

 それなのにあかりちゃんは、私がまだ王子様に憧れていると思い込んでいる。
 私の告白が、ただの同情によるものだと思い込んでいる。

 それがむしょうに腹立たしかった。

あかり「ちなつちゃんの目には、あの星空はどんな風に映っていたのかな」

 そんな私の想いも知らないで、あかりちゃんは空を見上げて、そんな風に続けた。
 
 秋の空は星もまばらで、明るい星もほとんどない。少しだけ寂しい空。
 それでも小さく光る星たちは私たちを見守るように瞬いていた。

あかり「あかりには、一等星しか見えてなかった」

 私はあかりちゃんの顔を見る。あの時と同じ横顔。
 憧憬と諦観が入り混じった、それでいて穏やかでまっすぐな顔。
 いつもとは違う横顔。

あかり「だけどちなつちゃんはあの空に、あかりを見つけ出してくれた。
    一等星の傍で、微かに光る小さな星を見つけ出してくれた」

 やがて、あかりちゃんの顔がいつもの顔に戻っていく。

あかり「ほんもののお星様の間には、一生かかっても辿り着けない程の距離があるから、
    本当は、二つの星はずっと離れたところで別々に光っているだけだけど、私はそれでも嬉しかった」

あかり「ただ傍に寄り添っているように見えるだけの光でも嬉しかった」

 そこであかりちゃんは顔を下ろして、私の方を向く。

あかり「だからあかりは幸せなんだよ」

 ……なにそれ。
 と私はもう一度叫びそうになる。
 だけどそんなあかりちゃんを見ている内に、あかりちゃんに対する怒りは薄れていった。

 その代わりに、呆れた。私は心底呆れた。

 本当にあかりちゃんは底抜けにお人好しで、バカみたいに優しくて、
 だけど、あかりちゃんがそんな女の子だったから、私は彼女を好きになったのだと気づいたのだ。

 それに、こんな形とは言え、私はついにあかりちゃんの笑顔の裏に隠れていた本当の想いを知ることができたのだ。

 そしてそれは、私にとってこの上なく嬉しいものだった。

ちなつ「はぁ……あかりちゃんって、ほんとバカ」

 私は大きくため息をついて、ベンチから立ち上がった。

 そうして後ろで手を組んで、あかりちゃんの方へ振り返って、続ける。

ちなつ「でも、そんなあかりちゃんが大好きだよ」

 あかりちゃんは、ちょっと困ったような顔をして笑っている。
 これもあんまり見たことのない表情だった。

 私はもう一度あかりちゃんに背を向けて、独り言のように話し始める。

ちなつ「私はね、もう自分が、シンデレラでもお姫様でもなかったことに気づいたよ」

ちなつ「それは遠い昔に誰かが書いた、しかも書かれた時にはもう終わってしまっていた、そんな昔のおとぎ話で」

ちなつ「私の物語ではなかったんだよ」

ちなつ「だからさ、あかりちゃんが自分の物語を魔法使いの物語になぞらえていたとしたら」

ちなつ「それも遠い昔に終わっちゃった物語でしかないんだよ」

 あかりちゃんの表情は分からない。私は振り返りもせずに、空を仰ぐ。

ちなつ「星空だって同じだよ」

ちなつ「星の光が地球に届くまでには、気が遠くなる程の時間がかかるから」

ちなつ「今私たちの目の前に見えているのは、遠い昔の星の輝きでしかなくて」

ちなつ「それを模したプラネタリウムの星空も、描かれた時には既に終わってしまっているんだよ」

ちなつ「だから、その光に今の私たちが何かを重ねても、それは、遠い昔に終わっちゃった夢物語でしかないんだよ」

 むかし、むかしのおとぎ話。
 満天の星。

 それらがとても美しすぎて、私はずっと夢を見てしまっていた。

 夢から覚めて、私の世界からは色彩が失われてしまったように見えた。

 だけど、夢から覚めて初めて色づくものもあって、
 私は目の前の現実が、これまで憧れていた夢物語よりも、ずっとずっと綺麗だったことに気付いたのだ。

 私にはおとぎ話の続きを見ることはできない。
 私に見ることができるのは、私のすぐ傍にいてくれる人たちと紡ぐ、私の物語だけだ。

ちなつ「今、私の傍には、魔法使いでも、お星様でもないあかりちゃんが居て」

ちなつ「私はそんなあかりちゃんが大好きだよ」

ちなつ「あなたが好きです、あかりちゃん」

 二回目の告白。

 だけど今後はさっきの告白とは違う。

 ただ想いを伝えるだけの告白ではなく、
 私は本当にあかりちゃんを愛しているのだと、そう証明するための告白。

 王子様がどうとか、シンデレラがどうとか、お姫様がどうとか、魔法使いがどうとか、主人公がどうとか、お星様がどうとか。。
 そんな、遠い昔に誰かが放った輝きをなぞるだけの、夢物語はもうおしまいだ。

 大切なのは今私があかりちゃんのことを愛していて、
 あかりちゃんが私のことを愛してくれているのかどうか、それだけだ。

 あかりちゃんは、お姫様でも、お星様でも、主人公でもない私のことを
 それでも好きでいてくれますか。

 私はあかりちゃんの方を振り返る。

 あかりちゃんは、泣きながら、笑っていた。
 それは、初めて見るあかりちゃんの表情だった。

あかり「ちなつちゃん、あかり、いいのかなぁ……。ちなつちゃんに好きになって貰っていいのかなぁ……」

 あかりちゃんは嗚咽しながらそんなことを言っている。

ちなつ「あかりちゃんが嫌でも、私は諦めないよ。私が強引なのは、ずっと傍にいたあかりちゃんが一番知っているじゃない」

 本気でそのつもりだった。あかりちゃんがいくら嫌がっても、あかりちゃんがあんなバカなことを考えている限り、
 私があかりちゃんを諦めることはない。もともと、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れるのが、私だ。

あかり「うん、うん、そうだねぇ……」

 こうしてありふれた夢物語の幕は下り、ありふれた恋物語の幕があがった。

 私はもう夢見る少女ではいられなくなり、夢見た日々よりももっともっと素晴らしい日々を歩き出す。
 
 空を見上げると、古い星の光が祝福するように私たちを照らしていた。
 目を閉じると、胸には温かい明かりが灯っていた。

 薄暗い公園には、私たち二人以外には誰もいなくて、
 世界中、それ以外何もないように感じた夜だった。


 epilogue

 ――時が流れた。


ちなつ「この部室も、今日で最後かぁ」

あかり「そうだねえ」

 三月の終わり。卒業式のあと、私たちは、感動を分かち合う同級生達の波をすり抜けて、二人部室に来ていた。

ちなつ「結局、最後の最後まで不法占拠しちゃったね」

あかり「そうだねぇ。鍵は櫻子ちゃん達が生徒会の人に渡してくれるって言ってたから、はやめに片付けよっか」

ちなつ「うん。あんまり待たせても悪いしね」

 結衣先輩と京子先輩が卒業したあとも、私たち二人はごらく部の活動を続けることにした。
 本当は二人の卒業と同時にごらく部も卒業ということにしようと思ったのだけど、
 京子先輩の強い希望と、無事生徒会の重役になった向日葵ちゃんや櫻子ちゃん達の好意もあって部は存続されることになった。

 私も悪びれるような素振りをしていたけど、内心はあかりちゃんと二人きりで過ごせる場所が手に入ることを喜んでいた。
 それでも春になればこっそり茶道部員募集のチラシを貼ってみたりもしたけど、遂に新入部員は現れなかった。
 今度こそ本当に、ごらく部はその短い歴史に幕を下ろすことになるのだ。
 ごらく部のバトンを未来に繋いで行きたいなんて豪語していた京子先輩は少しがっかりしそうだけど。

ちなつ「最後だし、今まで使わせて貰ったお礼に、めいっぱい綺麗にして帰ろうね」

 さっき自分が言ったことも忘れて、そんな言葉を口にしながらテーブルを磨いていく。
 
 ごらく部の片付けは卒業式の日にしようと決めていたので、まだ部室には私たちの私物がいくつも残っていた。
 その代わりに、教室に置いてあった絵の具セットやらなんやらは昨日までの間に持って帰ってしまっていたので、
 今日は両手いっぱいに私たちの思い出を持ち帰っていけるのだ。

あかり「うん。そうだねぇ」

 あかりちゃんが頷いて縁側の戸を開けた。
 まだ春の陽気には少しはやい。ちょっとだけ冷たい風が部室に吹き込んでくる。

ちなつ「四月からは高校生かぁ……」

 無心でテーブルを磨いていると、不意にそんな言葉が口をついた。

あかり「うん。またみんなと一緒だね」

 私たち二人は、結衣先輩と京子先輩と同じ高校への進学を決めていた。
 県内随一の進学校だったから、受験勉強は大変だったけど、
 そのおかげで勉強会と称してあかりちゃんと四六時中一緒にいられたから、そう悪いものでもなかった。
 そんなことを考えてて私だけ落ちてたら、本当に洒落にならなかったけど。

ちなつ「まぁ、私はあかりちゃんとずっと二人の方がよかったんだけどね」

あかり「もう、ちなつちゃんったら。合格発表の日なんか、私より喜んでたくせに」

ちなつ「うっ……それはあかりちゃんと同じ高校に通えるのが嬉しくて」

 あかりちゃんは、素直じゃないなぁなんて言いながら微笑んでいる。
 
 確かにまた結衣先輩たちと一緒の学校に通えるのは嬉しかったけれど、
 あかりちゃんとずっと二人でいたかったというのも、同じくらい私の本心だ。

 あの日、二年前の誕生日のあと、私たちは恋人同士になった。
 最初はぎこちない部分もあったし、あかりちゃんはしばらくまだ私が本当は結衣先輩のことが好きなんじゃないか
 と不安そうにしていたけど、年月を重ねる内にそれもだんだんと過去のお話になっていった。

 特に先輩たちが卒業してからは、生徒会公認の愛の巣を手に入れたようなものだったし、
 それなりに際どい展開もあったりしたけど、まぁ、それは今思い出す必要のない話だ。

 随分と遠回りをしてしまった私たちだけど、それでも最後は収まるところに収まることが出来たのだし、
 結果的に見れば、これ以上ないくらいに幸せな中学生活だったのだろう。

 それでも、たまに思わないこともない。
 二年間という月日は長かったけれど、それでもこうして最後を迎えると思いのほか短かったようにも感じて、
 遠回りしたり、すれ違ったりしてしていたあの時間を惜しいと思う気持ちもないわけではなかった。

 私がどこかのお姫様に自分自身を重ねたりしないで、最初からあかりちゃんを捕まえていられたら、
 私たちはもっと長い間二人の時間を過ごしていられたのかなと、思わないこともない。

 だけどそれは今更悔やんでも仕方ないことだ。

 強情で、一度こうと決めたら譲らない私は、その悪癖の代償に、きっとたくさんの美しいものを見逃してきたのだろう。
 それでも私はあかりちゃんを見つけることができた。
 一番美しいものを捕まえることができた。
 だからそれだけで、十分過ぎるほど幸運なのだ。
 
ちなつ「こんなものかな」

 まるで新品のようにピカピカになったテーブルを見て満足し、私は廊下へ出る。
 そうして戸棚から、お茶の入った袋やら箱やらを取り出して、両手に抱えて部屋に戻る。

 先輩たちが卒業した直後は、二人で茶道部として活動してみようかと考えたりもしたけれど、
 結局私たちは茶道に関しては最後まで素人のままだった。

 ちょっと本格的な茶葉もあれば、その辺の店で普通に売ってるインスタントのお茶もある。
 玄人みたいなこだわりは何もない。共通点は、あかりちゃんが前においしいといったことがあるもの、それだけだ。

ちなつ「これも全部持って帰らないとね」

 そう言って、準備していた手提げ袋を取り出して、私は違和感に気付いた。
 見覚えのない箱がある。

ちなつ「あれ、こんな箱あったっけ?」

 白い小さな箱。
 持ち上げると、紙の擦れるような音が小さく聞こえた。
 側面を見回してみるが、メモも何も書かれていない。
 こんな箱、棚に入れた覚えもないし、箱に何かを入れた覚えもない。

 砂糖でも入れてしまっておいたのを忘れたのかな、なんて考えながら私は箱の蓋に手をかけた。
 そして、箱を開けると――

 箱を開けると、

 桜が舞った。

 三月のまだ冷たい風に吹かれて、桜色の花びらが、ハラハラと舞い上がった。

 あまりにも突然のことに、私は声をあげるのも忘れて、呆然とそれを眺めていた。
 
 嬉しくて、切なくて、何が何だか分からなくなって、視界がにじんだ。

ちなつ「……もう、これ、あかりちゃんでしょ」

 数十秒ほどして、落ち着きを取り戻した私は、ようやく何が起きたかを理解し、あかりちゃんの方を見た。

あかり「えへへ、びっくりした?」

 あかりちゃんはいつもの笑顔でそう問いかける。

ちなつ「びっくりしたよ。これ、あの時の紙吹雪でしょ」

 箱の中を見ると、バネのようなものが仕掛けられている。
 箱を開けた時に、この仕掛けに突き上げられた紙吹雪が、丁度部屋に吹き込んできた風にあおられて
 まるで桜のように舞ったのだ。

 桜色の紙吹雪。二年前のあの秋の日に使い忘れたそれが、時を越えて今、私を祝福した。
 卒業の日に私を祝福した。
 そう思うと、また涙がこみ上げそうになった。

ちなつ「凄くびっくりしたし、凄く嬉しい。でも、いつこんなの用意したの?」

 今日は朝からずっと一緒だったし、あかりちゃんは部室に来る前に空っぽの手提げ袋以外のものは家族に預けていたから、
 こんな箱を私に隠して持ってくることなんてできなかったはずだ。

 どうやって私に気づかれずに棚に入れたんだろう、と思って疑問を口にすると、

あかり「えへへ、実はずっとずっと前から、棚に入れておいたんだ」

ちなつ「え、嘘でしょ!?」

 驚きの答えが返って来た。

あかり「ううん。ずっとずっと前からあったんだよ。入れておいてもちなつちゃんは気付かないと思ったから」

ちなつ「ええ……あんなよく見る場所にあって気付かないなんて、あるのかなぁ……」

あかり「ちなつちゃん、部屋から出るとき、いっつもいやそうな顔してたからね」

ちなつ「う……」

 確かに、お茶の準備をしている間はあかりちゃんが傍にいなくて、ずっと部屋の中の様子が気になって、
 手もとなんてよく見えていなかったのかもしれない。

 だけど、それにしたって、いくらなんでも棚の中に紛れ込ませるなんてやり方が大胆過ぎる。
 こうして取り出さなくたって、棚の整理なんかした時に気付いて開けてしまう可能性もあったはずだ。
 本当は、昨日辺りこっそり入れてたんじゃないの? と思ったが、昨日も私はこの棚を開けていて、
 こんな箱は全く視界に入ってなかったので、それが何度も続くこともあるのかもしれないのかとも思う。
 あかりちゃんが嘘をついているようには見えないし。

ちなつ「でもこんな風に隠して、私が今も気づかなかったらどうするつもりだったの?」

 なんだか恥ずかしくなって来たので、少し意地悪な質問をしてみる。
 実際、私に気づかれないと思ってしまっていて、現に今まで気づかなかったんだから、
 今だって気づかずに持って帰ってしまう可能性もあったはずだ。
 そしたら仕掛けは永遠に発動しないか、凄く間抜けな形で私の部屋を散らかしたに違いない。

 しかしあかりちゃんは笑顔のまま、

あかり「ううん。今日までは気付かないと思ったけど、今日は絶対に気付いてくれるって、信じてたから」

 と、自信満々そうによくわからない答えを返した。

ちなつ「何それ」

 何の根拠もないその自信に私は少し呆れたが、実際に私は今日まで気付かず、今日気付いてしまったんだから、
 何を言っても負け惜しみにしかならない。何もかもあかりちゃんに見抜かれていたということになるわけだ。

 私はなんだか悔しくなって、手足を床に放り出した。

ちなつ「あーあ、何か、私バカみたい。こんなのがあったなんて、全然気づかなかった」

 そして天井を見上げながら、拗ねたようにそう言った。
 あかりちゃんはそんな私の顔を微笑みながら覗き込む。

 そして優しくその言葉を口にした。

あかり「でも、ちなつちゃんがすぐに気づいてたら、こんな不意打ちはなかったよ」

 あかりちゃんは、遠くを見つめるような瞳で、縁側の方に視線を移す。

あかり「だからちなつちゃんは、それでいいんだよ」

 その時、私の胸にあの時と同じ気持ちがこみ上げて来た。
 その気持ちの正体を知らなかったのは、今はもう昔のことだ。

 
 強情で、一度こうと決めたら譲らない私は、きっとたくさんの美しいものを見逃してきたのだろう。
 それでも彼女はそんな私に、とびきりの優しさで応えてくれるのだ。

 彼女が隣にいれば、きっと私は私のままで、綺麗なものを捕まえていけるのだろう。

 私は無言で起き上がる。
 あかりちゃんは微笑みながら、散らばった花びらを拾いあげている。

ちなつ「はぁ……あかりちゃん、私ね」

あかり「うん」

ちなつ「あかりちゃんが大好きだよ」

 だから、私は彼女に恋をしたのだ。

あかり「知ってる」
 
 あかりちゃんはいつもの笑顔でそう答えた。

 その笑顔に悲しみの色が翳っていたのも、今はもう昔のことだ。

ちなつ「すっかり遅くなっちゃったね」

あかり「うん。櫻子ちゃん達きっと待ってるよぉ……」

 部室の片付けを終えて外に出ると、辺りはすっかり橙色に染まっていた。
 
 生徒会室に寄ってくるから遅くなってもいいと二人は言っていたけど、
 流石にこんな時間まで待たされると思ってはいなかっただろう。

ちなつ「それじゃ、戻ろうか……」

あかり「うん。急がなきゃね」

 そうして私たちは部室の扉に鍵を掛けた。

 もうこの部室は私たちの部室ではなくなって、きっと二度と中に入ることはないのだろう。

 次にこの扉を開けるのは誰なんだろう、なんて、私はこの茶室を引き継ぐ後輩に思いを馳せながら、部室に背を向けた。

 学校の傍の並木道では、春を待ちわびるように桜のつぼみが顔を覗かせている。
 
 春が来れば桜が咲いて、やがてすぐに桜は散って、全てはむかしばなしになっていく。
 そんな始まりと終わりの繰り返しの中で、誰かが放った過去の光に、他の誰かは恋焦がれるかもしれない。

 それは誰かの心を照らすかもしれないし、他の誰かは見事あこがれをその手に掴むのかもしれない。

 だけどそれは全て、終わってしまった物語だ。

 私には、おとぎ話の続きを見ることはできなかったけれど、
 代わりに私は私の物語を歩むことが出来る。

 最初から今まで続いてる何かが、終わりゆくむかしばなしの中で、悲しいくらいに私を私足らしめていて、
 私の足は、私をただ私の物語の続きへと運んでいく。

 そして、そんな私を、私のままで愛してくれる人がいた――

ちなつ「ねぇ、あかりちゃん」

 私は不意にあかりちゃんに声を掛ける。

あかり「なぁに?」

ちなつ「なんでもない」

 茶化すようにそう言って、再び歩き出す。

 ――だから私は、桜が咲いて、桜が散って、いつか今の気持ちがむかしばなしになった後も、
 ずっとずっと、私の足が辿り着く最後の地まで、あかりちゃんの隣で笑っていたいと願うのだ。

あかり「ねぇ、ちなつちゃん」

ちなつ「なに?」

あかり「あのね、私と一緒に歩いてくれてありがとう。私の隣にいてくれてありがとう」

ちなつ「っ……もう、そこはなんでもないって言うところでしょ」

あかり「えへへ、そっかぁ……」

ちなつ「まぁ、いいけど……」






おしまい

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