ちなつ「ときどき366日」 (132)
ちなつ「今年ももう終わりですね」
午後のごらく部室で、何気なくそうつぶやいた。
晴れているとはいえ外は12月の寒空だけど、部屋の中は効き過ぎなくらい暖房が効いていて、なんとなく気だるさが漂っている。
12月も30日ともなれば、師であれば走り回っていないといけないくらい慌ただしいはずなのに、
ごらく部の私たちしかいないこの空間にはそんな雰囲気はほんのかけらもなかった。
あかり「そうだね」
あかりちゃんが相づちを打つ。
あまりにも内容のない会話に、ちょっと笑ってしまった。
ちなつ「お茶でも淹れましょうか」
あかり「わぁい、あかりのど乾いてたんだ」
京子「私ものど乾いた」
結衣「ちなつちゃん、私の分もいい?」
ちなつ「もちろんですぅ!」
京子「じゃあ私汁なし担担麺なー」
結衣「のど乾いてんならせめて汁ありにしろよ」
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流しの辺りの空気は冷たくて、それが少し心地いい。
湯呑みを4つ取り出し、お茶を注いでいく。何度も何度も、この場所で繰り返してきた日常。
年の瀬で学校もないのに、いつもと同じようにこうして4人で集まって、何もせずに過ごしている。
それはすごく嬉しいことなんだろうな、なんて。
大晦日とかお正月はどうするのかな。
みんなで過ごせたりしないかな。
ほんの少しの違和感は、淹れたてのお茶の香りが掻き消していった。
ちなつ「お茶がはいりました~」
結衣「ありがとう、ちなつちゃん」
結衣先輩に真っ先にお茶を渡し、残りの湯呑みも机に並べていく。
季節が流れても変わらない光景。
京子「ちなつちゃんのお茶を飲むのも今年はこれが最後か……」
あかり「明日も集まればもう1回飲めるよ?」
結衣「それはそうだけど、でもさすがに大晦日に学校の施設は使えないんじゃない?」
京子「それは大丈夫!」
ちなつ「え、そうなんですか?」
京子「そもそも今日だって不法侵入だしね」
結衣「おいコラ」
ちなつ「まあ、京子先輩が許可なんて取るわけないとは思ってましたけど」
あかり「でも京子ちゃん、さっき校門の鍵持ってたよね?どうして持ってたの?」
京子「フフフ……聞きたいかい諸君?」
あかり「うん!」ワクワク
結衣「どうせその辺で拾ったとかだろ?」
ちなつ「そうですね、京子先輩のことですから」
京子「おおう、もうちょっと興味持てよ!」
あかり「あかりは聞きたいなぁ」
京子「そうかそうか……あかりはいい子だなあ、人の話をしっかり聞いてくれても」
結衣「いいから早く鍵のこと話せよ」
京子「何故か分からないけど持ってた!」
結衣「……」
京子「で、明日もごらく部やる?」
結衣「んー、私は実家に戻らないといけないし」
ちなつ「そうですねー、私も結衣先輩の実家に行かないといけませんから」
結衣「え!?」
ちなつ「あれ、もしかして駆け落ちのパターンのほうがお好きでしたか!?」
あかり「あかりも大掃除のお手伝いするようにお姉ちゃんに言われてるんだぁ」
京子「ちぇー、じゃあ明日はナシだな」
ちなつ「そうですね」
***
あかり「みんなは大晦日ってどうやって過ごしてる?」
ちなつ「大晦日、かぁ……」
別にたいして特別なことをしているわけではないとは思うけれど、一応考えてみた。
大晦日、大晦日……
去年の大晦日って、何をしてたっけ?ごらく部にいた?それとも家に?
……って、良く考えれば去年の私はまだ小学生なんだった。ごらく部の存在なんか全然知らなかったはず。
結衣「まあ、これといって何かするわけでもないよね。雪積もってたりすると出かけるのも大変だし」
結衣「大掃除も、うちは大晦日にまとめてやらずに1週間くらいかけて少しずつやるんだ」
あかり「そうなんだぁ」
京子「あ、そうだ」
結衣「ん?」
京子「4人で初詣行こうぜ」
あかり「初詣、あかり行きたいなぁ~」
結衣「でも私、親戚の集まり抜けられるかどうか……」
あかり「そういえば、あかりも1日はそうかも」
京子「2日は?」
結衣「そうだな、2日なら大丈夫だと思う」
ちなつ「私もOKですよ」
京子「じゃあ決まりな!2日に思い思いの時間、思い思いの場所で待ち合わせしよう」
あかり「難易度高すぎるよぉ!」
結衣「じゃあ、お昼前に行って、そのままうちに来る?」
京子「そうしよっかー」
ちなつ「どこの神社に行くんですか?」
あかり「あかり、ちょっと離れてるけどそんなに混んでない神社知ってるよぉ」
あかり「お姉ちゃんに教えてもらったんだ」
結衣「そうだね、そこにしよっか」
ちなつ「はい♪」
***
いつものように1年が終わり、次の1年が始まった。
私は大晦日にちょっと大掃除を手伝ったくらいで、あとはおせちを食べたりお年玉をもらったり、ダラダラ過ごしていた。
部屋で寝転びながら携帯をいじっていたら、ふとこの間あかりちゃんが言ったことを思い出した。
大晦日ってどうやって過ごしてる?
去年の大晦日、私が小学6年生として過ごした大晦日が、なんだか遠くに感じる。
えっと去年は……そうだ、お正月に親戚の家に行ったんだ。
たった1年前なのに大昔のことのように思えるのは……
……もしかしたら、中学校で、ごらく部で、大切な想い出があまりにもたくさんできたからなのかもしれない。
とん、とんと誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。私は起き上がって、上着を羽織る。
ともこ「ちなつー?」
ちなつ「なに?」
ともこ「どうかしら?」
ちなつ「ん?……って、どうしたのそれ?」
お姉ちゃんは、何故か着物姿で立っていた。
ともこ「どう?似合う?」
ちなつ「うん、すごい似合ってる……でもなんで着物なの?」
ともこ「あかねちゃん……ほら、赤座さんと一緒に初詣に行くから」
ちなつ「そうなんだ、いってらっしゃい」
ともこ「あ、行くのは明日なのよ」
ちなつ「え、じゃあ何で今着てるの?」
ともこ「あ、え、えと、変だったら困るじゃない?だからちなつに見てもらおうと」
ちなつ「ふーん?」
ちなつ「お姉ちゃん達も明日初詣行くんだ」
ともこ「も、ってことは、やっぱりちなつも?」
ちなつ「うん、ていうか、やっぱりって?」
ともこ「赤座さん、お正月はお家のことがあって行けない、って言ってたから、あかりちゃんもそうかと思って」
ちなつ「あかりちゃんが知ってる神社に連れてってくれるって言うんだけど、もしかして行先も一緒?」
ともこ「どうかしら……まだ行先は決めてないから」
ちなつ「そういえば、今年はどこも行かないんだね」
ともこ「そうね、このところあんまり……」
ともこ「あれ、去年のお正月に行ったんだっけ?」
ちなつ「うん」
ともこ「だいぶ前のことに感じるかも
ちなつ「私もそう思ってたとこ」
ふわぁ、と大きなあくびが出た。
いけない。このままじゃ完全にダラけきってしまう。
ちなつ「お姉ちゃん、せっかく着物なんだから初詣行かない?」
ともこ「えっ、今から?」
ちなつ「でもさすがに混んでるかな……じゃあそこのコンビニまで」
ともこ「それじゃ着物関係ないでしょ」
適当なコートを羽織って、今年初めて家の外に出る。冬の冷たい空気もなんだか心地良い。
コンビニでお姉ちゃんに期間限定のチョコを買ってもらい、他にすることもなく私たちはそのまま帰った。
この往復10分の道のりも、来年になったら大昔のことになるのだろうか。
***
次の日、集合場所のあかりちゃん家に着くと、あかりちゃんは律儀に玄関の前で待っていた。
京子先輩から昨日「10時にあかりん家の前」という文面だけの簡潔すぎるメールが来たから、
玄関の前にいるのは確かに正しいんだけど、わざわざ外で待っている必要は全然ない。
それでも、あかりちゃんはそんなこと気にしない様子で、もこもこしたコートを着込んでニコニコしていた。
私が声を掛けるようとする一瞬前に、あかりちゃんがこちらに気づいた。あかりちゃんの笑顔がさらに明るくなる。
あかり「あっ、ちなつちゃん!」
ちなつ「寒いんだから家の中にいればいいのに」
あかり「えへへ、そうかな」
ちなつ「結衣先輩と京子先輩は?」
あかり「もうすぐ二人とも来るって」
ちなつ「そっか」
普段の私なら、部屋で待たせてもらっていたと思うけど、今日はこのままでもいいかな。
あかりちゃんの横で、あかりちゃんと同時に空を見上げる。
澄んだ空気の先に、雲が見えた。
ちなつ「雪、降らなくて良かったね」
あかり「うん、でも明日は雪みたいだよ」
ちなつ「えー、やだなあ」
あかり「ちなつちゃんは、雪嫌いなの?」
ちなつ「んー、嫌いってわけでもないけど、出かけるのも大変になるし、積もったら雪かきもしなくちゃだし」
ちなつ「あかりちゃんは好きなの?」
あかり「うん、あかりは雪好きだよ……あっ!」
ちなつ「どうしたの?」
あかり「あけましておめでとうございます」
かしこまってお辞儀するあかりちゃんが顔を上げるのを待って、私も言った。
ちなつ「うん、あけましておめでとう、あかりちゃん」
***
結衣「お待たせ」
ちなつ「結衣先輩!」
結衣「あけましておめでとう」
ちなつ「はい!あけましておめでとうございます!」
あかり「あけましておめでとう、結衣ちゃん」
結衣「京子は?」
あかり「もうすぐ来ると思うよぉ」
京子「おっ待たせー!」
あかり「あっ、京子ちゃん」
京子「お年玉くれ」
あかり「いきなりそれ!?」
ちなつ「結衣先輩にはお年玉として私の全てをあげますぅ!」
結衣「いや……それはさすがに困るかな」
京子「よしっ!皆の衆、ボヤボヤしてないで行くぞ!」
結衣「一番遅く来てそれかよ」
***
あかり「ここだよぉ」
30分くらい歩いて、神社に到着した。
あかりちゃんが案内してくれた神社は、大きくはないけれど、何て言うのかな、神聖な感じがする。
人もいるとはいえまばらで、お正月にはお賽銭の行列ができる近所の神社よりもお参りしやすい。
結衣「こんなところに神社あったんだね」
ちなつ「私も知りませんでした」
京子「おみくじ引いてきた!」
結衣「早っ!」
ちなつ「だめですよ、まだお参りもしてないのに」
京子「どれどれ……ほう、小吉」
あかり「お参りする前に小吉ってことは、お参りしたらもっと運勢が良くなるかもしれないね」
京子「なるほど、そういう考え方もあるな」
あかり「って京子ちゃん!あかりのお団子におみくじ結ばないでよぉ!」
人が途切れる瞬間を待って、4人一緒に手を合わせる。
横目でチラッと結衣先輩の方を見たら、軽く目を閉じてお祈りする先輩の姿が見えた。
何をお願いしてるんだろう?
もっとも、結衣先輩の願い事が何であろうと、私のお願いは変わらない。
正面を向いて目を閉じ、頭の中で何回も繰り返す。
今年こそ、結衣先輩と親密になれますように!
あかり「あっ、お守り売ってるよぉ」
ちなつ「ほんとだ」
結衣「お守りかあ……あれ、京子は?」
京子「おみくじ引いてきた!」
結衣「またかよ」
京子「どれどれ……ほう、小吉」
あかり「あっ、京子ちゃん、またあかりのお団子に結ぼうと思ったでしょ!?」
京子「イヤなの?じゃーちなちゅに……」
ちなつ「やめてください!」
結衣「お守りって、結構種類あるんだね」
ちなつ「あっ!恋愛成就!これにします!」
あかり「ちなつちゃんのお守り、可愛いね。色もピンクでぴったりだし」
京子「あかりは影の薄さ解消がいいんじゃない?」
あかり「そんなのないよぉ!」
ちなつ「結衣先輩はどれにするんですか?」
結衣「私はこれ」
ちなつ「キャー、無病息災なんてシブいですぅ!」
結衣「う、うん……?」
***
結局、4人で別々のお守りを買って、そのまま帰路についた。
途中のスーパーでちょっと買い物をして、結衣先輩の部屋にお邪魔する。
京子「腹減ったー」
結衣「もう1時過ぎてるもんな、すぐ作るから待ってろ」
京子「んじゃーできるまでゲームしようぜ」
あかり「結衣ちゃん、あかりもお手伝いするよ」
結衣「いや、どっちかっていうと京子の相手してくれたほうが助かるかな」
あかり「そうなの?」
ちなつ「そういうことなら……ん?」
結衣先輩の机の上に、見覚えのあるお守りを見つけた。
さっき結衣先輩が買っていた、無病息災のお守り。それが紺のスクールバッグについている。
確か神社で買ってすぐ、先輩が持ってた黒いカバンに付けてたはずなんだけど。
京子「ちなつちゃん、どうかした?」
ちなつ「あっ、いえ、何やりますか?またナモブラですか?」
先輩、いつの間に付け替えたんだろう?
あかり「あかり、おいでませ八ッ橋村がいいなぁ」
ちなつ「あかりちゃん、ナモブラ弱いもんね」
京子「よし、落とし穴を掘り続けるだけの肉体労働をしよう」
あかり「それ、面白いの!?」
3人でゲームをやっていたら、結衣先輩がカルボナーラを作って持ってきてくれた。
お昼ごはんを食べて、そのあとも4人でゲームやったり、おしゃべりしたり、いつも通りだったけれど、
なんとなくお守りのことは話せずにいた。
***
ちなつ「ただいまー」
家に戻った時は、ちょうど誰もいなかった。
お姉ちゃんは、あかりちゃんのお姉さんと初詣に行ったらしい。
自分の部屋に戻り、カバンを下ろす。
あ、そうだ。
カバンの中から買ったばかりのお守りを取り出した。刺繍で書かれた恋愛成就の4文字を見ていると、ついつい顔がにやけてくる。
学校のバッグにつけようかな、それとも机のコルクボードに……
ちなつ「あ、あれ?」
コルクボードには、私が手に持っているのと同じ、ピンク色をしたお守りが掛かっていた。
ちなつ「なんで……?」
あの神社には初めて行ったはずなのに、どうして同じお守りが?
それとも他のところで同じお守りが売ってたの?
だとしたら、どこで買ったんだろう?
そもそもこのお守りはいつからあったっけ?
……全然、思い出せない。
そうだ、結衣先輩の部屋でも似たようなことがあった。
2つのカバンについたお守り。
ぶるり、と体が震えるのを感じた。
怖いのを掻き消すように考えを巡らす。
京子先輩のイタズラとか?さすがにそんな訳ないか。
あ、お姉ちゃんがくれたのかも?焦ってメールを打つ。
私の机のお守り、もしかしてお姉ちゃん?
メールはすぐに帰ってきた。
お守り?私はしらないけど。今赤座さんの家にいて、これから神社に行くところよ
ちなつ「お姉ちゃんでもない……」
結衣「ちなつちゃん?」
結衣先輩に電話を掛けてみたはいいものの、何をどう話せばいいのか分からない。
ちなつ「えっと……」
結衣「何か話しにくいこと?」
結衣先輩の言い方はどこまでも優しくて、そんな先輩にはあまり心配かけたくないような気がした。
ちなつ「あの、お守りのことで」
結衣「お守り?さっき買ったやつ?」
ちなつ「はい、あれ、カバンに付けてますよね」
結衣「うん、付けられるところがちょうどあったから」
ちなつ「黒のカバンでしたよね、今日持ってた」
結衣「うん、そうだけど?」
ちなつ「ごめんなさい、なんかどうでもいいことで電話しちゃって」
結衣「?……ううん、気にしなくていいけど」
それでは!と叫ぶように言って、電話を切った。
結局何が何だかわからないけど、多分結衣先輩も、私と同じようにお守りを2つ持っている。
あかりちゃんや京子先輩は……?
あかりちゃんに電話したのは、お守りのことを確認したいというよりも、
怖いから誰かと話していたかったって思いの方が強かったと思う。
あかり「お守り?」
ちなつ「うん、あかりちゃんも2つ持ってたりしない?」
あかり「そんなはずないと思うけど……」
あかり「あかり、あそこの神社でお守り買うの初めてだもん」
ちなつ「まあ、それはそうなんだけど」
あかり「さっき引き出しにしまったから……」
あかり「あ、あれ?」
ちなつ「?」
あかり「ちなつちゃん……あかりも、2つ持ってるみたい」
ちなつ「やっぱり……」
あかり「そういえば、前にもこんなことあったよね」
ちなつ「え?」
あかり「ほら、京子ちゃんと結衣ちゃんが修学旅行に行ったとき、おみやげに木刀買ってきてくれたでしょ?」
あかり「あれも部室に最初からあったから」
ちなつ「あ……」
あのときは、昔の茶道部員が買ってきたりしたのかな、って話になって、それっきり特に気にはしてこなかった。
むしろそう考えた方がよっぽど普通なんだけれど、今日はどうしても無関係とは思えなかった。
あかり「不思議だよねぇ」
あかりちゃんは、何でもない風に言って、電話口で笑った。
そんないつもと変わらない様子に、私も少し落ち着けたような気がする。
それはまるで、あかりちゃんだけが使える魔法みたいに思えた。
***
冬休みが終わり、新学期が始まった。
昇降口で結衣先輩と京子先輩とは別れ、あかりちゃんと1年生の靴箱に向かう。
靴をはきかえていると、あかりちゃんのカバンにあのお守りが2つ付いていた。
不思議で不可解なことが起きて、私は怖がっていたけれど、あかりちゃんは全然気にしてないみたい。
ちなつ「あかりちゃんは何でだと思う?」
あかり「えっ?」
ちなつ「ほら、お守りのこと」
あかり「あっ」
ちなつ「?」
あかり「あのね、あのあと、他にも何個かお守り出てきたんだ」
あかりちゃんは軽くそう言って笑ったけれど、私にはそんなお気楽なことには思えなかった。
あかり「全く一緒、ってわけじゃなかったけど、同じ種類のやつ」
ちなつ「それもいつ買ったかとか覚えてないんだよね……?」
あかり「うん」
ちなつ「あかりちゃん……」
なんで気にせずにいられるの?と聞けなかったのは、何故だろう。
あかり「でも、ほんとに不思議だよねぇ」
口元に手を当てながら、あかりちゃんが首をかしげて考え込む。
そのまま教室を通り過ぎそうになるあかりちゃんの袖をひっぱり、おはよう、と適当な挨拶をしながら教室に入っていった。
櫻子「あっ、おっはよー!」
私たちの姿を見て、櫻子ちゃんが真っ先に声を掛けてくる。
あかり「おはよう、櫻子ちゃん、向日葵ちゃん」
向日葵「おはようございます……」
向日葵ちゃんが朝眠そうなのもいつも通り。特に冬場はつらいみたい。
あかり「あ、そうだ。ちなつちゃん、あとで木刀も見てみようよ」
ちなつ「うん、そうだね。今日見てみたほうがいいかな?」
あかり「えっ、でも今日は部活やってちゃだめなんじゃ……」
ちなつ「ちょっと確認するだけだし、先生に見つかっても忘れ物取りに来たとか言っとけば大丈夫」
ちなつ(まあ、無断で使ってる部室に忘れ物がある時点でどうかと思うけど……)
あかり「でも、木刀を忘れてったなんて、変な感じだね」
ちなつ「いや、何も木刀じゃなくてもいいでしょ……」
櫻子「なになに?木刀?誰か成敗すんの!?」
ちなつ「成敗って……」
あかり「ごらく部にあるんだよぉ」
櫻子「マジで!?いいなー!」
向日葵「櫻子にそういう危ないものを持たせないほうがいいですわ」
櫻子「何を!?そんなこと言うおっぱいお化けは刀で悪霊退散してくれる!」
向日葵「お化けに刀って効きますの?」
櫻子「そう、私のスーパー木刀ビームを持ってすれば悪霊など一撃……!」
向日葵「それで、なんで木刀なんですの?」
ちなつ「あ、えっとね」
櫻子「おい!無視すんな!」
とはいえ、このことを向日葵ちゃんと櫻子ちゃんに話していいものかどうか、ちょっと迷った。
普通に考えたら、何を変なこと言ってるんだ、って思われるだけだろうし、適当にごまかしておいたほうがいいのかもしれない。
私が逡巡している間に、あかりちゃんが喋り出した。
あかり「部室にね、京子ちゃんと結衣ちゃんが修学旅行で買ってきてくれた木刀があるんだよぉ」
ちなつ「……それでね、もう1本同じのがあるんだよね。誰が買ったものか分かんないんだけど」
ちなつ「多分昔の茶道部の人が置きっぱなしにしたんだと思うんだけど、いつからあるんだろうなー、って」
櫻子「ふーん?まあでも、2本あればちょうど遊べるね」
あかり「あはは、そうだね」
向日葵「……そういえば、生徒会室にも」
ちなつ「えっ?」
向日葵「いえ、この間、生徒会室の掃除をしたときに見つけたのですが……」
眠たそうだった向日葵ちゃんの表情が、真剣なものに変わった。
具体的なことはまだ何も言っていないのだから、大したことのない話の可能性もあるんだけど、
まるで怪談話が始まったかのような空気を感じて私は鳥肌が立つのを感じた。
あかりちゃんも櫻子ちゃんも、その雰囲気に圧されて息をのむ。
向日葵「西垣先生の発明品らしきものがあったんです、棚の奥に」
櫻子「いつものことじゃん」
向日葵「……あなたもいた時の話ですわよ?」
向日葵「話を戻しますわ。焦げ跡があって、多分爆発した後だったんだと思います。動きもしませんでしたし……」
向日葵「それはすぐに処分してしまったんですが、その何週間か後に西垣先生が持ってきた発明品が、捨てた方にそっくりだったんですの」
あかり「おんなじものを作ったってこと?」
向日葵「私も最初はそう思いましたわ、ですが……」
向日葵「先生は、それを作ったのは初めてだ、似た物も作ったことはない、と」
櫻子「怖ぁ……」
向日葵「だから、櫻子もそのときいましたわよ」
櫻子「そだっけ?」
***
登校初日は午前中で終わりになって、やっている部活もないからクラスの皆も一目散に帰って行く。
それでも、私とあかりちゃんは部室へ向かった。
できれば結衣先輩と京子先輩が感づく前に木刀の確認はしてしまいたい。
今日中に見ておけば二人と鉢合わせになることはないはずで、それでも何となく気がはやって少し早歩きになってしまう。
ちょっと遅れたあかりちゃんの手を取って、私は部室に急いだ。
2つある部室の合鍵の内、片方を持っているあかりちゃんが鍵を開ける。
なるべく音を立てないように扉を開けて、中に入った。
木刀の一本は相変わらずお床に飾られていて、もう1本は押し入れの中。それを取り出して、見比べてみる。
ちなつ「やっぱりおんなじだね」
あかり「うん」
ちなつ「まあでも、同じところで買えば一緒か」
あかり「でも、去年までとは行き先違うんだって」
ちなつ「え、そうなの?」
あかり「確か結衣ちゃんが、今年から泊まるホテルが変わって良いところになったらしいよ、って言ってたから」
ちなつ「ふぅん」
ちなつ「……お土産用の木刀なんて、たいして種類があるわけでもないのかもね」
あかり「そうかもねぇ」
何気なく木刀を鞘から抜いてみる。
鞘の付け根の、何て言うのかな、普段は木刀と接していて見えない部分が目に留まった。
あかり「わぁ、ちなつちゃんかっこいい」
刀を抜いた姿勢で固まった私を見て、あかりちゃんが呑気な声を上げる。
でも、その言葉は右から左に通り抜けていった。
また、ぶるりと体が震えた。何か予感めいたものを感じる。
ちなつ「あかりちゃん、ここ」
あかり「?」
私が指差す先には、ホテルの名前が印字してあった。
それを見てあかりちゃんも「あっ」と小さく声を漏らす。
私はその木刀をあかりちゃんに渡し、飾ってあるの方の木刀を鞘から抜く。
ちなつ「一緒だ」
さすがのあかりちゃんも深刻そうな表情になった。
2本とも同じホテルで買えるわけがないってことは、今まさにあかりちゃんが言ったことなのだから。
あかり「ちなつちゃん……」
ちなつ「……とりあえず、明日とかに先輩たちにホテルの名前を確認してみよっか」
あかり「京子ちゃん達にも、このこと話してみる?」
ちなつ「……」
ちなつ「ううん、私たちだけの秘密にしよう?変に先輩達の心配事増やすのもなんだし」
あかり「そっかぁ、そうだね」
先輩達には伝えないほうがいい。
そんな予感を、結衣先輩に電話したあのときから何故か感じていた。
心配させたくないなんていう適当な言い訳は、ぱっと出た割にはあかりちゃんには効果てき面だったみたいで、
あかりちゃんは何度もうんうん、とうなずきながら木刀を鞘にしまった。
しばらく二人とも無言で、部室には風の音だけが響いていたけれど、ずっとこうしているわけにもいかない。
ちなつ「帰ろっか」
あかり「うん」
部室を出るときの足取りは、入ってきた時よりも少しだけ重い感じがした。
***
結衣先輩と京子先輩は多分先に帰ったんだろう。
櫻子ちゃんと向日葵ちゃんも、生徒会の仕事はないって言ってたからすぐ帰ったはず。
よくよく考えてみると、学校からあかりちゃんと2人だけで帰ることはあんまりない。
あかり「京子ちゃんと結衣ちゃんが1本ずつ買ったってわけじゃなかったよねぇ?」
ちなつ「うん、ていうか結衣先輩はああいうの買わないでしょ」
あかり「あはは、そうだね」
横を見ると、あかりちゃんが微笑んでいた。
それに比べて私はさっきから険しい顔ばっかりなんだろうなあ、とか考えていたら、
あかりちゃんの顔の先に、見慣れない景色を感じた。
あれ、と思ってよく見ると、お洒落な感じのお店ができている。店先に出ている黒板を見る限りカフェみたいだ。
そういえば、2学期の頃に何かの工事をしてるな、と思ったんだった。それが完成したみたい。
ちなつ「新しくカフェができたみたいだね」
あかり「ほんとだ」
そのまま通り過ぎようとしたけれど、妙な違和感があってUターンした。
あかりちゃんは不思議そうな顔をして付いてきて、黒板のメニューを見る私の横に立つ。
あかり「ちなつちゃん?」
あかりちゃんに呼びかけられたことは分かっていたけれど、私はそれどころじゃなくて、
メニューに書かれた「ローズティー」という文字だけを凝視していた。
ちなつ「私、あかりちゃんと飲んだことあるよね」
あかり「えっ?」
ちなつ「ローズティーって」
あかり「えっと……あっ!あかり覚えてるよぉ」
ちなつ「どこで飲んだかな」
あかり「んーと、どこだろう?」
あかりちゃんが口元に持っていこうとした手を、私の右手が掴んだ。
びっくりしているあかりちゃんを引っ張って、私はカフェの中に入っていく。
あかり「え、ちょっと、ちなつちゃん、あかりおサイフ持ってないよ!?」
ちなつ「私持ってるから!」
ちりん、というドアベルの綺麗な音が鳴って、店員さんが私たちに気が付いた。
お客さんは誰もいないみたい。店員さんのお好きな席にどうぞ、という声が聞こえる。
ぐるりと店内を見回す。洒落た店内に中学校の制服の2人組は場違いなような気がしたけれど、
そんなことはお構いなしで私は真っ直ぐ窓際の席に向かった。
ちなつ「あかりちゃん」
あかり「ちなつちゃん……」
ちなつ「やっぱり、覚えてる?」
ちなつ「私たち、だいぶ前にここのカフェに来たことあるよね?」
あかり「うん、覚えてる……」
そう、確かに私たちは2人でここに来て、この席に座ったことがある。
私はオシャレっぽいからっていう理由で飲んだこともないローズティーっていうのを頼み、
色は綺麗だけどあんまり美味しくないなあ、ってあかりちゃんに言ったんだ。
お水を運んできた店員さんに、メニューも見ないで注文する。
ちなつ「私、ローズティー。あかりちゃんは?」
あかり「ええっ?ちょっと待って、えっと、えっと……じゃあ、これ、ロイヤルミルクティー……」
ちなつ「いつ来たか覚えてる?」
あかり「それが、あんまり思い出せないんだよね。だいぶ前な気がするんだけど……」
ちなつ「うん、何年も前みたいな感じ」
あかり「でもそんなわけないよねぇ、ちなつちゃんと来たんだったら」
それが引っかかるところだった。あかりちゃんと一緒に来ているのならこの1年の出来事のはずだし、
2学期の終わり頃は工事中だったのだから、このカフェができたのはどう考えてもつい最近のことだ。
似たお店だったのかもしれないけれど、外観も中も記憶の断片と一致していた。
運ばれてきたお茶を一口すする。やっぱり私の口にはあまり合わなかった。
あかり「あれっ……?」
ちなつ「ん?」
あかり「え、でも、でも……」
ちなつ「どうしたの?あかりちゃん」
あかり「ちなつちゃん、あのカレンダー見て?」
花の写真が大きく写って、その下にはふた月分の日付が書かれたありがちなカレンダー。
あかり「ちなつちゃん、あかり、お茶を飲みながらカレンダーを見て……」
あかり「今日は2月29日だね、って話……したよね?」
あかり「ちなつちゃんと……」
いったんは持ち上げたカップをそのまま戻す。2月のカレンダーの最後には、29の文字が見えた。
漂ってきたローズの香りが、私の記憶を呼び戻す。
ちなつ「そうだ……」
ちなつ「29日がある年はうるう年だけど、29日自体は何て言うんだろうね、って言った」
あかり「……4年前?」
ちなつ「そんなはずは……」
あかり「デジャヴ、ってやつなのかな?」
ちなつ「うーん……」
店内は暖房が効いていたけれど、私の体はかすかに震えていた。
ぎこちない手つきでカップを持ち上げ、お茶に口をつけた。この味は、確かに記憶の中にある。
それはかなり遠く、何年も前のようにも感じられたけれど……
ちなつ「やっぱり、あんまり美味しくないなあ」
あかり「んっ?」
ちなつ「これ」
あかり「ああ、ちなつちゃん、お茶っぽいやつは大抵好きなのにねぇ」
うん、と曖昧な返事を返して、もう一口お茶をすすった。
***
あかり「ちなつちゃん、昨日のお金」
ちなつ「いいのに、私が無理やり引っ張ってったんだしさ」
あかり「でも、悪いよぉ」
ちなつ「そう?」
次の日の放課後、ごらく部に向かう途中に昨日のお茶代がちょうど入った封筒をあかりちゃんから受け取った。
財布から直接出せばいいのに、こういったところはマメというか真面目というか。
あかり「あっ、松本先輩だ」
あかりちゃんの視線の先には、生徒会長の松本先輩がいた。
普段は西垣先生と一緒にいることが多いように思うけれど、今日は1人だった。
ちなつ「西垣先生の発明品のこと、もしかしたら知ってるかもね」
あかり「そうかも!あかり、聞いてみるね」
あかりちゃんが松本先輩に近づいていき、こんにちは、と声を掛けた。
はた目にはあかりちゃんが一方的に喋りかけているようにしか見えないんだけど……
あかり「ちなつちゃん、松本先輩もあの発明品は見たことなかったんだって」
どうやら、ちゃんと会話になっていたらしい。
あかり「それでね、それは髪を伸ばすビームがでる機械だったらしいんだけど」
あかり「松本先輩が実験台になったのは2台目の新しく作った方だけで、最初の壊れてた方は誰が試したか分からないって」
あかり「2台目の方もやっぱりすぐ爆発しちゃったらしいよ」
ちなつ「……それ、ヤバいんじゃないの?」
西垣先生の危険性はともかく、こっちのほうもだいぶヤバい。
お守り、木刀、カフェ、それから発明品。
妙なことが増殖していくみたいに次々と起きている。
偶然にしては、あまりにも出来過ぎているような気がして……
部室に着くと、コタツに潜り込み丸くなっている京子先輩の姿があった。
脱ぎ散らかしたコートが漫画の山に半分掛かっている。
京子「やっほーあかりー、ちなつちゃーん」
あかり「あっ、京子ちゃん」
ちなつ「結衣先輩は?」
京子「トイレ行ってるだけー。すぐ来ると思うよ?」
ちなつ「そうですか」
京子「うーさむさむ……」
あかり「……ねえ、京子ちゃん」
京子「ん?」
あかり「京子ちゃんと結衣ちゃんが修学旅行で泊まったホテルって、なんてところ?」
ちなつ「ちょ、あ……」
いくらなんでもド直球すぎるでしょ、その聞き方は。
嘘がつけないあかりちゃんらしいといえばらしいんだけれど。
案の定、京子先輩は不思議そうな顔をしていた。
京子「えっと……なんだったかなあ?」
京子「あ、そうそう、ここに……」
そういって京子先輩は木刀に手を伸ばし、シャキーン!と効果音が付きそうな勢いで刀を抜いた。
そして鞘のほうを私たちに向ける。私は動揺を隠すので精いっぱいだった。
京子「ほらほら、ここに書いてあるっしょ?」
ちなつ「え、あ、そうだったんですね……」
京子「で、なんでホテルの名前なの?」
あかり「えっとね……」
ちなつ「来年私たちが行くときも同じところなのかな、って話してたんですよ」
京子「ふーん……」
結衣「みんな、遅れてごめん」
ちなつ「あっ、結衣先輩!!」
脊髄反射で結衣先輩に飛びつく。
結衣先輩は苦笑いで私を抱きとめると、木刀を構える京子先輩のほうを見た。正しくは木刀の鞘を、だけど。
それを見た結衣先輩が小首をかしげる。私も不思議に思って京子先輩を見ると、いつになく真剣に何かを考え込むような表情だった。
一瞬の間が過ぎて、京子先輩はいつものニヤケ顔に戻る。
結衣「何してんだ、京子?」
京子「ん、これ?いいであろう」
結衣「お前、それ好きだな」
京子「まあいいや……今日なにしようか」
ちなつ「あ、私お茶淹れますね」
お茶を淹れて部室に戻ると、既に木刀は元通りにお床に飾られていた。
京子先輩とあかりちゃんはマンガを読んでいて、結衣先輩は宿題をやっている。
統一感はないけれど、これが何回も見たごらく部の光景だ。
お茶を一通り配って、私もこたつに入る。
ちなつ「はぁ……寒いですねぇ」
結衣「ちなつちゃん、くっつきすぎ……」
あかり「京子ちゃん、これの7巻ってある?」
京子「あたぼうよ!」
結衣「お前どんだけ私物持ち込んでんだよ」
あかり「でもこんだけあったら持って帰るのも大変そうだよね」
ちなつ「あー、夏休み前の小学生みたいなことになりますね、絶対」
結衣「そもそも京子は持って帰る気、ないだろ」
京子「まあねー、その気になればいつでも学校に侵入して持って帰れるし」
結衣「ああ、あの鍵……」
結衣「あれ、ちゃんと返さなくていいのか?さすがに校門はマズいと思うけど」
あかり「怒られちゃわないかなぁ?」
京子「んー、まあいいんじゃない?」
ちなつ「ほんと、怖いもの知らずですよね、京子先輩は」
京子「いやいやそれほどでも」
ちなつ「誉めてません」
結衣「にしても、なんか知らないけど持ってた、ってどういうことだよ」
京子「……」
結衣「?」
京子「……いやー、あんま良く覚えてないんだけどさ」
ちなつ「あ、一応覚えてはいるんですね」
京子「それはある寒い冬の朝のことじゃった……」
結衣「じゃあ最近じゃねーか」
京子「休みの日に、私が不審者のような恰好で学校の近くを歩いていたら」
ちなつ「普通に歩いてください」
京子「だって冬だからコートきなきゃいけないし、マスクもしなきゃいけないし」
あかり「うんうん」
京子「サングラスもかけなきゃいけないし、全体的にこそこそしてなきゃいけないじゃん?」
結衣「途中からおかしいぞ」
京子「手うがもしないといけないし」
結衣「だから流行んねーよ」
京子「そしたら校門を開ける先生がいて、この鍵を落としていったわけだ」
あかり「ちゃんと返さなきゃだめだよぉ!」
京子「大丈夫大丈夫、そのうち返すから」
ちなつ「……」
結衣「それ、いつの話?最近なんだろ?」
京子「んー、いつだったっけなぁ……わりと前だと思うんだけど」
ちなつ「にしても不用心ですよね、校門の鍵がなくなっても騒ぎにならないとか」
あかり「拾ったのが不審者さんじゃなくてよかったよぉ」
京子「そうだなー」
結衣(拾った奴、十分不審者なんだが……)
***
なんとなくモヤモヤした気持ちが抜けないまま、マンガを読んだり宿題をやったり、いつも通りごらく部で過ごしていたら、
いつの間にか窓の外はもう薄暗くなっていて、最終下校時刻を知らせる放送が鳴った。
4人一緒の帰り道では特に気にしなかったけれど、皆と別れて1人だけになると、ついつい考えごとをしてしまう。
京子先輩が買ってきた修学旅行のお土産。そもそも2本あったって時点で十分訳が分からないし、
ホテルの名前が確認できたところで黒がもっと濃い黒になったようなものだけれど、
私の周りで起きている「変なこと」たちがその存在感を増していっているのは間違いない。
つき始めた街灯の脇を通り過ぎるたび、私の影が私を追い抜かしていった。
京子「ちなつちゃん」
京子先輩の声が聞こえて、私は足を止めた。
家の方向が京子先輩とは違うから、わざわざ追いかけてきたことになる。
ちなつ「何ですか?」
京子「んー、ちょっと聞きたいことがあって」
ちなつ「?」
京子「ホテルの名前、何で気にしてたの?」
ちなつ「え、それは……」
京子「木刀のあそこに書いてあるの、ちなつちゃんも見たんじゃない?」
ズバリ言い当てられて、私は言葉を失った。
ちなつ「……はい、そうですよ」
京子「そう」
京子「知ってる?木刀さ、押し入れ探すとあと何本かあるって」
ちなつ「え?」
京子「何でか分かんないけどね」
ちなつ「あの、もしも」
京子「?」
ちなつ「もしも、もしもですよ?私たちが何度もこの1年を繰り返しているとしたら……」
ちなつ「何度も修学旅行に行って、何度も初詣に行って、何度も……」
ちなつ「そしたら、京子先輩ならどうします?」
普段の私なら絶対に言わないような、ありえないこと。
それでも言ってしまったのは、本当にそんなことが起こっていると思っていたからなのか、
それとも「そんなわけないじゃん」といつもの軽さで否定してもらいたかったからなのか、
それは自分でも分からない。
京子「私だったら……」
京子「来年もまた、お土産買ってくるかな。木刀を」
ちなつ「……」
京子「じゃあね、ちなつちゃん」
京子先輩は、そのまま踵を返して帰ってしまった。
「何度もこの1年を繰り返している」なんていう、言った私自身も信じられないようなことを、
さも受け入れているような京子先輩の口ぶりは何だったのだろう。
***
週末が来て、私はあかりちゃんを家に呼びだした。
あかり「京子ちゃんがそんなこと言ったの?」
ちなつ「うん、冗談めかした感じでもなく、ね」
あかり「でも、そういうの好きそうだよねぇ、京子ちゃん」
あかり「京子ちゃんが読んでるマンガにも、そういうお話あるから」
ちなつ「ふーん」
あかり「何回も何回も同じ世界をループしてる、みたいなの」
ちなつ「でも、お守りと、木刀と、あのカフェと、あと西垣先生の発明?」
ちなつ「さすがに重なり過ぎだよね」
あかり「そうだね、うーん……」
ちなつ「?」
あかり「ちなつちゃんは、お守り買った時のこと、覚えてないんだよね?」
ちなつ「うん」
あかり「京子ちゃんが木刀を何回も買ってきてるのも、やっぱり覚えてないってことなのかなぁ?」
ちなつ「……?」
あかりちゃんの言いたいことが分からず首をひねっていたら、部屋のドアがノックされた。
返事をする前にドアが開く。お茶とケーキを持ったお姉ちゃんだった。
あかり「あっ、お邪魔してます」
ともこ「あかりちゃん、いらっしゃい!あのね、ケーキ買ってきたのよ」
ちなつ「ケーキ?何で?」
ともこ「いいじゃない、2人で食べて?」
あかり「わぁい!ありがとうございます!」
お姉ちゃんは、うふふ、と笑いながらあかりちゃんの頭を軽く撫でて、部屋を出て行った。
私は紅茶をひと口すする。やっぱりローズティーよりもこっちのほうが美味しいな。
あかり「ちなつちゃん、このケーキすっごくおいしい!」
ちなつ「うん、それで、京子先輩が覚えてないのがどうしたの?」
あかり「あ、えっとね」
あかり「松本先輩とか向日葵ちゃん、あと櫻子ちゃんも、西垣先生の発明のこと覚えてなかったでしょ?」
あかり「でも、あかりたちは覚えてた」
ちなつ「あっ……」
言われてみれば確かにその通りだ。
他の3つは覚えてないけど証拠だけある、って感じなのに、カフェの一件だけは記憶「だけ」がある。
似ているようで全然違うことが起きてるってこと?私はケーキを食べる手を止めた。
あかりちゃんはケーキの上に乗ったマカロンをぱくっ、と頬張り、ちょっと表情を緩めた。
あかり「このケーキも何回か食べてたりするのかなぁ?」
ちなつ「さあ……」
もちろん、私たちは覚えていない。
たったひとつだけ覚えているのは、カフェで飲んだローズティー。
それが意味することはなんだろう?
ちなつ「4月のことは覚えてるよね」
あかり「うん、入学した時のことも、ちなつちゃんが初めてごらく部に来た時のことも、ちゃんと覚えてるよ」
ちなつ「その前は?」
あかり「うーん……」
あかり「小学生のときのことは覚えてるけど……」
ちなつ「けど?」
あかり「すっごく前のことみたいな感じがするな」
ちなつ「あかりちゃんも?」
あかり「うん、やっぱり変な感じだね」
あかりちゃんがあはは、と小さく笑う。
私は残った紅茶を飲み干すと、ふう、と大きくため息をついた。
ちなつ「状況を整理する必要がありそうね」
あかり「ちなつちゃん、なんだか探偵さんみたい」
ちなつ「えーっと、年に1回しか買えないようなものが何個もあることがある」
あかり「木刀とお守りと、あと西垣先生の発明もそんな感じだよね」
ちなつ「それで、それに関する記憶は無い」
あかり「うん」
ちなつ「そもそも『1年が繰り返してる』なんて記憶はないから、当たり前なんだけど」
あかり「つまりちなつちゃんは、毎年記憶がリセットされるって言いたいんだね」
ちなつ「まあ、そう考えればつじつまは合うよね、ここまでは」
ちなつ「だけど、私たちは行ったはずのないカフェに行った記憶がある」
あかり「何かきっかけがあれば思い出したりするのかなぁ?」
ちなつ「でもお守りなんかは神社に行って同じもの買ってるのに、そこまでしても全然思い出せないよね」
あかり「そっかぁ」
ちなつ「だから……つまり、あのカフェが特別ってこと?」
あかり「うーん、普通にお茶しただけだよねぇ」
ちなつ「そうだよね」
ちなつ「……あかりちゃん」
ちなつ「あかりちゃんだったらどうする?」
あかり「へ?」
ちなつ「もし、本当にこの1年を何回も繰り返してるとしたら……」
あかり「うーん……」
あかり「あかりは、それでもいいかなぁ」
あかり「毎日ちなつちゃんやみんなと一緒にいられるんだったら、あかりはそれでもいいかな、って思うんだ」
ちなつ「そっか」
あかり「ちなつちゃんは?」
ちなつ「私?」
あかり「うん、ちなつちゃんはどうしたいの?」
ちなつ「んー……」
ちなつ「分かんないや。でも……」
ちなつ「どうでもいいとは思わないから、こうやって色々考えたりしてるんだよね、多分」
自分のことなのに、多分、という言い方しかできない自分がちょっともどかしかったけれど、
私自身がどうすればいいのかは全然分からなかった。
1年が繰り返されているとしたら。繰り返されていないとしたら。
ちなつ「そうよね、私だけは知らない人になっちゃうんだ」
あかり「あっ、そういえばそうだね」
ちなつ「はぁー、何でだろう」
あかり「……でも、あかりは大丈夫だと思うな」
あかり「もう一度、4月からやり直したとしても、またちなつちゃんとお友達になれると思う」
ちなつ「……ありがと」
ちなつ「紅茶、もっと飲む?」
あかり「じゃあ貰おうかなぁ」
ちなつ「うん、ちょっと待ってて」
新しく紅茶を淹れながら思う。
このお茶も、繰り返し繰り返し、何度も飲んでいるのだろうか。
***
淹れなおした紅茶にふーっと息を吹きかけてから、あかりちゃんがこちらを見た。
あかり「そういえば、さ」
ちなつ「なに?」
あかり「ちなつちゃん、最近あんまり結衣ちゃんの話、してないよね」
ちなつ「そうかな」
あかり「うん、そうだよ」
ちなつ「そっか……」
ちなつ「まあ、それどころじゃない問題があるもんね」
あかり「んー……」
ちなつ「?」
あかり「……ほんとに、そうなのかなぁ?」
ちなつ「えっ?」
あかり「なんていうのかなぁ、ちなつちゃん……あきらめちゃったみたいに見えるの」
あかり「どうせまた初めからやり直しなんだからって、そんな風に思ってるみたいで」
あかり「あかり、なんかね、それが悲しいんだ」
あかりちゃんにそう言われて、ふと右頬に伝わるものを感じた。
私、泣いてる……?
あかり「ちなつちゃん……?」
ちなつ「だって、しょうがないじゃん……」
あかり「しょうがなくなんて」
ちなつ「しょうがないのっ!!」
ちなつ「来年また結衣先輩に巡り合えるかも分からないし!」
ちなつ「面識のない赤の他人同士から始めなくちゃならないし!」
ちなつ「それじゃ無意味じゃん!何も残らないよ!結衣先輩には、私の何も……!」
ちなつ「私が今まで頑張ってきたのはなんだったのよ……」
あかり「ちなつちゃん」
あかりちゃんがそっと私を抱きしめる。それでようやく我に返った。
顔がぐしゃぐしゃに濡れている。それを軽く手で拭って、ひとつ深呼吸をした。
言っても仕方がない後ろ向きなことばかり言ってごめんね。
それに、あかりちゃんに当たったことも謝らなきゃ。
あかり「もしかしたら全部あかりたちの思い違いなのかもしれないし」
あかり「それに、きっと無意味なんかじゃないよ」
あかり「あかりがちなつちゃんとお茶したときのことを覚えてるように、ちなつちゃんもきっと思い出せるよ」
あかり「あかりとってはそれも大切な思い出だから」
あかり「だから……ちなつちゃんも、きっと忘れない」
ちなつ「……ありがとう。ごめんね、あかりちゃん」
あかり「あかりこそひどいこと言っちゃってごめんなさい」
ちなつ「ううん、ほんとのことだもん」
ちなつ「それに、どんな意味があるかは分からないけど、覚えてることもあるんだもんね」
あかり「それにね、もしも忘れちゃったとしても、多分何かが残ってると思うんだ」
ちなつ「何か?」
あかり「うん。何かはわからないけど、そんな気がする」
あかり「きっとちょっとずつ変わっていくんだよ。同じことの繰り返しなんかじゃなくて」
ちなつ「……うん、そうだね」
***
月曜の授業が終わり、放課後になった。
あかりちゃんと並んで、運動部の掛け声をステレオで聞きながら部室に向かう。
部室の鍵はもう開いていた。先輩たちはもう来ているようだ。
あかり「京子ちゃん、結衣ちゃん、おまたせ」
結衣「あ、あかり、ちなつちゃん」
ちなつ「結衣先輩!会いたかったですぅ~!」
京子「私も会いたかったよ、ちなちゅ~」
結衣先輩に抱き着いた私に、さらに京子先輩が抱き着いてくる。
あかりちゃんがあきれたようにあはは、と笑った。
あかり「今日はなにする?」
結衣「そうだな、今日はちょうど私たち宿題ないんだ」
ちなつ「私たちもちょっとしか出てないです」
結衣「じゃあ何かして遊ぼうか。まあ、その前に……」
結衣「二人とも、離れてくれない?」
京子「しょうがない、改良型全自動話題BOXでもやるか」
あかり「全自動!?さすが京子ちゃん、すごい!」
結衣「お前、まさか西垣先生の発明とかじゃないだろうな」
京子「安心したまえ結衣君、これは完全に私の手作りだから」
京子先輩が押し入れから取り出した箱は、前からある話題BOXと変わらない見た目だった。
京子「なんとこれに私が話題を書いて入れておき、あとは引くだけで自動的に話題が出るというスグレモノ!」
結衣「全手動だろ」
ちなつ「まあ京子先輩のことですし、そんなところだろうと思いましたけど」
京子「じゃああかりからなー」
あかり「うん!」
あかり「えっと……なにこれ?何も書いてないよぉ!」
京子「それじゃあ次、結衣」
結衣「うん」
あかり「えっ、あかりもう終わり!?」
結衣「……昔の話?」
ちなつ「結衣先輩の昔の話、聞きたいですぅ!!」
結衣「昔って言われてもな、いつ頃の話?」
京子「2日前くらい?」
結衣「2日前……ああ、ビーフシチューを作ってみた」
京子「ほう」
結衣「……」
京子「じゃあ次」
結衣「今のでいいのかよ!」
昔の話、かあ。
「昔」と言っていいのか分からない、奇妙な記憶のことを思いだす。
もしかしたら、結衣先輩もそれを持ってるんじゃ……
聞いてみたかったけれど、何故だかそれはためらわれた。結衣先輩を目の前にすると、いつもそうだ。
何となく、この話はしてはいけないような気がして……
ちなつ「結衣先輩の小さい頃の話とか、聞きたいです」
結衣「そっか、ちなつちゃんはあんまり知らないもんね」
ちなつ「はい!」
先輩のことをもっと知りたいっていう欲望の方を今日は優先させることにした。
結衣「んー、でも、昔の話って何の話していいか分かんないなあ、抽象的すぎて」
京子「じゃあ結衣が生まれた頃の話してよ、土器作ってたんでしょ?」
結衣「何時代だ」
あかり「もう1枚引いてみたら?」
結衣「そうだな、昔の何の話をするかそれで決めよう」
ちなつ「何が出ましたか?」
結衣「その……これ」
照れた様子の結衣先輩は「恋の話」と書かれた紙をこちらに向けた。
ちなつ「ゆ、ゆ……結衣先輩のこここ恋の話!?」
ちなつ「何があったんですか!?何が!!」
結衣「ちょ、ちなつちゃん、落ち着いて」
ちなつ「これが落ち着いていられますか!」
結衣「そもそも何もなかったし!」
ちなつ「……ホントですか?」
結衣「うん、本当」
京子「でも結衣にゃん、小学校のときに告白されたことあったよなー?」
ちなつ「えええええ!誰にですか!?私ですか!?」
結衣「いや、そんなわけないでしょ……」
京子「いつだっけ?小4か小5?」
結衣「そのくらいだったとは思うけど……あんまり覚えてないな」
京子「あらまあ!結衣様はおモテになるのでそのくらいのことはいちいち覚えていないのですわね!」
結衣「何キャラだよ」
あかり「でも結衣ちゃんはずっと人気者なんだよ」
あかり「小学校のときのあかりのクラスにも、結衣ちゃんのこと好きって子いたんだぁ」
ちなつ「ちょっと……ちゃんと阻止したんでしょうね」
あかり「阻止?」
結衣「だから別に、何もなかったってば」
京子「ちなちゅは?昔なにかあったんじゃないの?」
ちなつ「私も何もありません!」
ちなつ「私の初めては全部結衣先輩に捧げるんですから……!」
ちなつ「そう、初デートも、ファーストキスも……」
あかり「んんっ!?」
結衣「そういう京子は?」
京子「んー、別にないなあ」
結衣「だろうな」
京子「じゃ次、ちなつちゃん引く?」
ちなつ「はい」
あかり「あかりには聞かないのっ!?」
京子「無いだろ、なにも」
ちなつ「あかりちゃんに限ってねえ」
結衣「あかりだもんな」
あかり「そうだけど、ちょっとくらい聞いてよぉ!」
昔の恋、ねえ。
去年もおととしも、何度も何度も結衣先輩に出会って、何度も恋をしてきたとするなら、それは昔の恋と言ってもいいのかもしれない。
そして今のこの恋も忘れてしまって、次の春には「昔の」恋になってしまう。
はあ。
話題BOXに手を突っ込みながら、誰からも見えない角度でため息をつく。
たとえ告白したって、結衣先輩は覚えていてくれない。私だって覚えてはいられない。
あんまり覚えてない、なんてものじゃない。そんなことがあったという事実ごと記憶からなくなってしまう。
ため息を今度は押し殺して、お題の紙を一枚掴んだ。
ちなつ「こくっ……!!」
紙を開いて、書かれた文字を読み上げる一瞬前に、叫ぶような声を上げてしまった。
3人の視線が私に刺さる。
結衣「こく……?」
ちなつ「かんじゃっただけですよぅ、えっと、生徒会について?」
あかり「……?」
適当にごまかしながら、考えを整理する。
そっか。私の感じていた予感はこれだったんだ。
***
家について、制服を着替えてからすぐにあかりちゃんに電話を掛けた。
あかりちゃん家のほうが学校から近いから、もう家に付いているはず。一刻も早く、あかりちゃんに話したかった。
あかり「ちなつちゃん?」
ちなつ「あかりちゃん!」
あかり「どうしたの?お話があるならごらく部ですればよかったのに……」
ちなつ「行くわよ」
あかり「えっ?えっ?」
ちなつ「あのカフェ!今から大丈夫?」
あかり「ええっ!」
あかり「ちなつちゃん、こないだ行ったときね、たしか月曜日はお休みって書いてあったような……」
ちなつ「え」
あかり「それに、もうすぐ夕ご飯だからお出かけできないよぉ」
ちなつ「……そうね」
あかり「でも、どうして?」
ちなつ「どうすれば覚えていられるのか、絶対突き止めなきゃいけないの!」
あかり「?」
ちなつ「ほら、今私が先輩に告白したとしても、それは覚えていられないでしょ?」
あかり「うん」
ちなつ「でも、例外的に覚えていることがある」
ちなつ「その条件を見つけて告白すれば、私たちの関係も変えられるかもしれない」
あかり「うん、そうかも」
ちなつ「私ね、何となく結衣先輩にこのことは喋らない方が良いような気がしてたんだ」
ちなつ「予感、っていうのかな?その理由が分かった気がするの」
ちなつ「だって、先輩が覚えててくれるはずだから告白する、なんて思われたらちょっとあざとい感じじゃない?」
あかり「あはは」
あかり「じゃあ、今度はお休みの日に行ってみない?」
ちなつ「お休み?」
あかり「うん、ちなつちゃんとあのカフェに行ったの、多分お休みの日だと思うんだぁ」
あかり「だって制服じゃなかったもん」
ちなつ「そうだったかな……」
ついこの間は制服で入ったわけだけど、その前の遠い記憶の中の私たちが制服だったか私服だったか。
私の記憶はあまり定かではなかったけれど、あかりちゃんを疑ってもしょうがない。
ちなつ「そうだね、じゃあ今週末に」
あかり「うん!」
***
土曜日の午後、あかりちゃんと待ち合わせてカフェに向かった。
外の黒板には確かに「定休日 月曜」と書かれていて、あかりちゃんの観察力に感心してしまう。
扉をくぐると、今日はちらほらとお客さんの姿があった。
それでも前と同じ窓際の席は空いていた。先を歩くあかりちゃんが何も言わずにその席に向かう。
あかり「ちなつちゃん、何飲むの?」
ちなつ「んー、またローズティーかな。なるべく前と一緒にしたいし」
あかり「あかりは何にしようかなぁ」
ちなつ「あかりちゃん……が何を飲んでたかまでは思い出せないな」
あかり「あかりもあんまり覚えてないんだぁ」
結局あかりちゃんはココアを頼んで、ちょっとお菓子も食べたいね、と言ってふたりでパウンドケーキも注文した。
それが来るのを待ちながら、何かヒントになるものはないかと店内をぐるぐる見回す。
あかりちゃんは指を口元に当てていた。多分、何かを思い出そうとしてくれているのだろう。
あかり「何か思い出した?」
ちなつ「あんまり……」
あかり「難しいねぇ」
ちなつ「そうだね」
頼んだお茶とケーキが来て、とりあえずは一服することにした。
抹茶のパウンドケーキを一口食べると、ほろ苦さが口いっぱいに広がる。
こんな味、どこかで……ああ、あれは結衣先輩の部屋に泊まりに行った時のロールケーキか。
これははっきりと覚えている最近の記憶。1年以上前のことじゃない。
赤いローズティーに口をつけた。あかりちゃんはニコニコしながらココアを飲んでいる。
ちなつ「ここでケーキ食べたのは初めてだよね?」
あかり「うん、そうだと思う」
ちなつ「んー……そもそも何でここに来たんだろう?あかりちゃん、分かる?」
あかり「うーん……」
私服で来たってことは、休みの日のはず。
でも、私たちの家からどこかに行くとしても、ここを通りかかるということはまずない。
この先にあるのは学校と、学校の裏のちょっとした山になってるところくらいだし、わざわざ行かないと思う。
あかり「もしかしたら、この前に来た時も、今日とおんなじ理由だったのかもね」
そう言いながらあかりちゃんはココアに口をつけた。
私は視線を逸らして窓の外を眺める。落ち葉が風に舞っているのが見えた。
確かに、今日は風強かったもんなあ。ここまで来るのもすごく寒かったし。
今日と同じ理由、ねえ。そうやって毎年ここに来ているとしたらちょっと間抜けだな。
でも確かに、今日みたいに何かを探してるのでもない限り、わざわざカフェでお茶をするとは思えない。
あとは……別のカフェであかりちゃんと待ち合わせしたことならあった。キャンプのことを話し合おうって言って。
あのときは夏で、外で待っていると暑いからそうしたんだっけ。
窓には考える私の姿が映っていた。
その隣の椅子には、普段使っているカバンを置いている。
ちなつ「あれ……?」
ふと、そのカバンにお守りが付いていないことに違和感を覚えた。
あのお守りを付けたことなんてないはずなのに。
ちなつ「あっ……」
思い出した。学校の裏山の公園でお守りを探してたんだ。
あかりちゃんにも付き合ってもらって、ベンチのところに落としてしまっていたのを回収した。
その帰りに寒いからと言ってここに来たはず。
ちなつ「あかりちゃん!」
ちなつ「私たち、ここに来たのは裏山の公園に行った帰りよね?」
ちなつ「あのお守りを私が置き忘れてて、それを取りに行ったはずなんだけど」
あかり「えっと、お守り……」
あかり「あっ、そうだったかも」
何秒か経って、あかりちゃんがそう答えた。
ひとまず疑問は解決したけれど、それで何が進展したわけでもない。
あかりちゃんも妙にぼんやりした様子だし……
あかり「……ちなつちゃん」
あかりちゃんがぽつりとそう言って、真っ直ぐ何かを指差した。その先を視線でたどると、あのカレンダーが見えた。
前に来た時も見覚えがあるね、と話した、2か月分の日付が書かれたカレンダーを、あかりちゃんは深刻な表情で見つめている。
ちなつ「どうかした?」
あかり「あかり……あかりたち、ここに来たのはお休みの日だったはずだよね?」
ちなつ「うん、何で来たのかも思い出せたし」
あかり「でも、ほら」
ちなつ「?」
あかり「あかりたち、2月29日にここに来たはずだよ」
ようやく私も気づいた。今年の2月29日は金曜日だ。つまり……?
ちなつ「あ、あれ……?」
混乱した頭でカレンダーを見つめる。
てことは、休みの日じゃなかったんだ。わざわざ帰ってから私服に着替えてここに来たってこと?
果たしてそんなことするだろうか。あの公園は学校から行った方がよほど近いし、そもそも昼ぐらいから行った記憶がある。
学校があったらだいたいはごらく部でダラダラしているし、そうすると明るいうちに着替えて公園に戻れるわけもないし。
あかり「……もしかして、4年前かな」
ちなつ「へ?」
あかり「4年前のうるう年の、2月29日は日曜日だから」
ちなつ「でも、4年前って」
あかり「うん、なんていうのかな。あかりたち、同じ1年を繰り返してるんじゃなくて、ずっと日付は進んでるのかもしれないなって思ったんだぁ」
あかり「だから、うるう年は4年に1回しか来ないし、来るたびに曜日も変わるんじゃないかな、って……」
そう説明されても釈然としない様子の私を見て、あかりちゃんはカバンからメモ帳を取り出して丁寧に説明してくれた。
1年は普通365日だから、52週間と1日で、普通は1年進むたび曜日が1日ずれていく。
うるう年には2日ずれるから、4年前とは曜日が5日分ずれてるはずで、今年の2月29日が金曜日なら4年前の2月29日は日曜日になる。
言われてみると、このカフェに関する記憶がここまでうろ覚えで古い記憶に感じるということは、
確かにその日付は去年というより4年前のもののような気がしてくる。
ちなつ「4年前……」
あかり「お守りも2つじゃなくて、もっといっぱいあったし」
ちなつ「木刀もあるらしいしね」
はあ、とため息をつく。あかりちゃん相手ならそれを隠す必要もない。
4年間で覚えているのはたった1つの出来事だけだなんて。
やるせなさと一緒に、残りのお茶を一気に飲み干した。
ちなつ「そろそろ行こっか」
あかり「うん、これ以上思いだせることもなさそうだしねぇ」
まだ薔薇の香りがカップを置いて、私たちは席を立った。
× まだ薔薇の香りがカップを置いて、私たちは席を立った。
↓
○ まだ薔薇の香りがするカップを置いて、私たちは席を立った。
***
店を出て、風の冷たさにコートの襟をギュッと閉じる。
マフラーと手袋で完全防備のあかりちゃんが吐いた白い息を、北風がすぐにかき消していった。
何歩か歩き出したところで、コートを着た女性とすれ違った。その姿にはなんだか見覚えがある気がした。
隣のあかりちゃんに小声で聞く。
ちなつ「あかりちゃん、今の人、知ってる人かな?」
あかり「うーん、知らない人だと思うけど……」
ちなつ「そっか……」
振り返ってその人の後ろ姿をもう1度見る。カーキ色のコートを着た髪の長い女性。確かに知っている人ではなさそうだ。
その人が、さっきのカフェの前を通りすぎていく。
ちなつ「あっ!」
自分でも意外なくらい大きな声が出てしまった。
あわてて後ろ姿の女性から目を逸らす。その人は別に気にしていないようで、振り返ることもなく歩き去っていった。
あかり「ちなつちゃん、どうしたの?」
ちなつ「思いだしたの」
あかり「さっきの人のこと?」
ちなつ「ううん、私たち、お店を出てから京子先輩に会ってるんだ」
あかり「京子ちゃんに?」
ちなつ「うん、京子先輩。ああいうトレンチコートみたいなの着てて、何故かサングラス付けてて……」
あかり「あっ、あかりもどこかでその京子ちゃんに会ったことは覚えてるよぉ」
あかり「不審者さんみたいだねぇ、って言ったんだよね」
ちなつ「うん、怪しい恰好で出歩くのはやめてください、って……不審者?」
あかり「?」
ちなつ「不審者……」
あかり「ちなつちゃん?」
不審者、というワードに引っ掛かりを覚えた。不審者、不審者……。
あっ。
何かがつながった気がした。
ちなつ「京子先輩が校門の鍵を拾ったって話」
あかり「えっ?」
ちなつ「休みの日に不審者みたいな恰好で歩いてた、って言ってたよね」
あかり「うん。……えっ?」
ちなつ「寒い日とも言ってた。まあコート着るような季節だったらそりゃ寒いんだろうけど」
あかり「もしかして、それが?」
ちなつ「そう。最近のことって感じの口ぶりじゃなかったし、最初はよく覚えてないっていってたし」
ちなつ「同じ日の出来事だとしたら……?」
あかり「その日にあったことは覚えてるってこと?」
ちなつ「たぶん、ね」
365日が何度も繰り返し、その度に私たちは全部忘れてしまう。
でも、ときどき366日目がやってきて、その時だけ思い出を紡ぐことができるとしたら?
あかり「ちなつちゃん」
ちなつ「うん、ようやく分かったかもしれないね」
今年には、無機質に繰り返す365日に、プラス1日の特別な時間があるのかもしれない。だとしたら……
あかり「やっぱり告白するの?」
ちなつ「当たり前じゃない!」
あかり「29日、楽しみだねぇ」
ちなつ「うん」
あかり「あかりも楽しみだよ」
そう言って、あかりちゃんはいつものように笑った。
***
目覚まし代わりに使っている携帯のアラームが鳴って、私は目を覚ました。
部屋の中に漂う空気に、いつもとは違う特別なものを感じる。
それは、今日がときどきしか来ない2月29日……思い出がつながる日だと、私が知っているから?
とん、とんと誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。私は起き上がって、上着を羽織る。
ともこ「ちなつー?」
ちなつ「なに?」
ともこ「なに?って……。朝ごはんよ」
ちなつ「……ねえ、お姉ちゃん」
ともこ「何?」
ちなつ「お正月のさ、着物、似合ってたよ」
一緒にリビングに向かう途中、お姉ちゃんにそう話しかけた。
案の定、お姉ちゃんは訝しげな顔を私に向ける。それもそうだ。もうお正月は2か月も前のことだから。
ちなつ「来年、私も着れたらいいな」
ほんの少しでも多く、思い出を残せたら。繰り返す日常を変えられたら。
お姉ちゃんはそんな私の考えには多分気づいていないけど、それでも私に向かって笑った。
ともこ「……ちなつも似合うわよ、きっと」
***
学校に着くと、西垣先生に呼び止められた。
西垣「ああ、吉川」
ちなつ「西垣先生?なんですか?」
西垣「無くした記憶を復元する装置の改良版ができたんだが」
ちなつ「無くした記憶を……?」
西垣「おや?松本から吉川と赤座が興味を持っていたと聞いたんだが」
ちなつ「いえ……」
西垣「あれは凄いぞ、ビームを浴びるだけで記憶が戻るようになっている。多少副作用で髪が伸びるがな」
ちなつ「あ、ああ、それですか。髪が伸びる機械って会長さんから聞いてましたけど」
西垣「そうか?……まあ、確かに松本には何の装置か話さずに使ったかもしれん」
ちなつ「え」
西垣「前回は正常に作動する前に爆発してしまったが、今回は作動後に爆発するよう改良してあるぞ」
ちなつ「……遠慮しておきます」
西垣「そうか、それならまあいい。赤座にも伝えておいてくれ」
もっと早くに言ってくれたら被験者になっていたかもしれないのにな。
今なら思い出すことはできなくても、この思いを残すことができるから。それだけあれば十分。
***
いつも通り退屈な授業が終わり、放課後になった。
今日もごらく部の活動がある。その後に、なんとしても結衣先輩に告白しないといけない。
ちょっと緊張して部室に入ると、京子先輩が一人でいた。
ちなつ「あれ、結衣先輩は?」
京子「ちょっと先生に呼ばれてるって。あかりは?」
ちなつ「花瓶の水を替えたらすぐ来るって言ってましたよ」
京子「ふーん」
ちなつ「京子先輩」
京子「なにー?」
ちなつ「先輩は、気づいてるんじゃないですか?」
京子「……何に?」
ちなつ「……京子先輩が校門の鍵を拾ったのって、あれ、いつのことですか?」
京子「だから結構前の……」
ちなつ「何月何日ですか?」
京子「……」
ちなつ「そうですか」
京子「ちなつちゃん」
京子「ちなつちゃんは、どうするつもり?」
ちなつ「どうって……」
京子「まあ、私は何も言わないけどね」
やっぱり、京子先輩は知っているみたい。
それ以上会話が無いまま結衣先輩とあかりちゃんを待つ。
しばらくして、ふたりが一緒にやってきた。道すがらたまたま一緒になったらしい。
結衣「お待たせ」
ちなつ「あかりちゃん、遅かったね」
あかり「うん、櫻子ちゃんとお話ししてたんだけど、なかなか放してくれなくて」
京子「そいじゃー、今日もなんかするか」
あかりちゃんがチラッとこっちを見る。
私は結衣先輩と京子先輩には気づかれないくらい小さく、首を横に振った。
多分気を使ってくれたんだろうけど、そうじゃないよ、あかりちゃん。
ちなつ「京子先輩、何しますか?」
京子「んー、特にやることないし……しょうがない、あれを使うか」
あかり「あれって?」
京子「全自動話題BOX!」
ちなつ「またですか」
京子「なんとこれに私が話題を書いて入れておき」
結衣「それは前聞いた」
あかり「じゃああかりから引くね」
毎日続いていく、ごらく部の日常。
これも絶対に忘れたくないことなんだから。
***
京子「あ、私今日は早めに帰らなきゃいけないんだったの忘れてた」
あかり「え、そうなの?」
京子「うん、悪いけど私はもう帰るなー」
4時半を過ぎたくらいで、京子先輩はそそくさと荷物をまとめて帰って行った。
誰かが用事で先に帰るなんて別に珍しいことではないけれど、今日が今日なだけに何となく勘ぐってしまうものがある。
そもそも冬場は下校時刻が早くて、特別に認められた部活や生徒会でなければ5時には帰らないといけないから、
京子先輩が帰るのならごらく部自体をお開きにして皆で帰っても良さそうなものなのに。
とはいえ、結衣先輩もあかりちゃんも、さっきからずっと黙々とマンガを読みふけっていて、帰ろうという雰囲気はない。
多分京子先輩が置いていったものだろう。よく見かけるミラクるんの表紙ではないみたいだけど。そんなに夢中になるほど面白いのかな。
結衣先輩がその巻を読み終えたらしく、マンガを閉じて無造作に机の上に置く。そのタイミングで話しかけた。
ちなつ「先輩、何読んでたんですか?」
結衣「これ?京子が最近はまってるんだけど」
ちなつ「あかりちゃんが読んでるのも同じの?」
あかり「ううん、あかり、それはもう読み終わっちゃったから」
ちなつ「ふーん……」
ちなつ「どういう話なんですか?」
結衣「SFっていうのかな。主人公が何回も同じ時間をループしてて……」
一瞬、ビクッと反応してしまう。
それをなるべく悟られないように、姿勢を変えるフリでごまかした。
結衣「まあ、まだ途中までしか読んでないからどういう結末になるのかは分からないけどね」
ちなつ「……もし、結衣先輩だったらどうします?」
結衣「ん?」
ちなつ「何回も同じ時間を繰り返す、みたいなことがあったとしたら」
結衣「えーと、そうだな……私は今と変わらずに過ごすんじゃないかな」
ちなつ「そうなんですね!さすが先輩、クールです!」
結衣「そうかな……?」
ちなつ「そうですよ!」
結衣「あ、もう結構時間ギリギリだね。あかりがそれ読み終わったら帰ろうか」
あかり「あっ、ごめんね、もう帰る?」
ちなつ「大丈夫、この辺の片付けやっちゃうから。あかりちゃんはまだ読んでていいよ」
結衣「うん、京子が散らかしっぱなしで帰りやがったから……」
***
帰る頃にはもう空が薄暗くなり始めていた。
結衣先輩と別れる道に差し掛かった時、ちょうど街灯が点いた。
それをぼんやり見上げる私に、結衣先輩が声をかける。
結衣「それじゃ」
ちなつ「あ、はい、それでは」
あかり「結衣ちゃん、ばいばい」
そう言って結衣先輩は曲がり角を曲がっていく。
普段であれば京子先輩が結衣先輩と同じ道で帰るはずだけれど、今日の結衣先輩は1人だけ。
あかりちゃんが何か言いたそうに私のコートの裾を引く。
ちなつ「行こ、あかりちゃん」
あかりちゃんは今なら先輩に告白できると言いたかったんだと思うけれど、
昨日までの私のシミュレーションでは京子先輩も一緒に帰ると思っていたから、結衣先輩が家に帰ってからお邪魔するつもりだった。
先輩達をつけていって、もし京子先輩が大人しく自分の家に帰ったらそのまま私は結衣先輩の家に行き、
京子先輩が結衣先輩の家に行ったとしたらあかりちゃんに京子先輩をおびき出してもらうのが今日の計画。
万全を期して京子先輩が居なくても計画は変えずにいくことにした。
あかり「結衣ちゃん家に行くんだよねぇ」
ちなつ「うん」
あかり「あかりもついていった方がいい?」
ちなつ「んー、そうね、何かあった時のために。実は京子先輩が結衣先輩の家にいたりとか」
あかり「あはは、あるかもねぇ」
結衣先輩の後をつけながら、先輩のアパートの近くまで来た。
物陰に隠れて様子をうかがう。
あかり「結衣ちゃん1人みたいだけど」
ちなつ「うん、あ、あかりちゃんさ、念のため京子先輩にメールしてもらえる?」
あかり「メール?」
ちなつ「うん、今何してるかとか聞いてくれないかな?」
あかり「ちょっと待っててね」
あかり「あっ、京子ちゃんから返信来たよ。今は家にいるって」
ちなつ「これで間違いないわね」
あかり「行くの?」
ちなつ「うん」
私は立ち上がってあかりちゃんの方を向く。
あかりちゃんもすっと立ち、私の手を握った。
あかり「ちなつちゃん、震えてる」
ちなつ「そう?」
あかり「うん」
ちなつ「あかりちゃん、ありがとう」
あかり「えっ?」
ちなつ「なんかいっぱい振り回しちゃったかな、って思って」
ちなつ「あかりちゃんを巻き込んで、謎を解くんだー、みたいなことを言ったり何回もカフェに行ったり……」
ちなつ「ごめんね、あかりちゃん」
真っ直ぐに私の瞳を見つめるあかりちゃんの表情が、心配そうな顔からいつもの柔らかな笑顔に変わった。
あかり「ううん」
あかり「あかり、嬉しかったんだぁ」
ちなつ「え?」
あかり「嬉しかったの」
あかり「ちなつちゃんと一緒にいれて、ちなつちゃんに頼ってもらえて……」
あかりちゃんが私の手を握るその強さが、ちょっとだけ強くなった。
あかり「えへへ、今日言わないと忘れちゃうんだもんね」
ちなつ「あかりちゃん……」
あかり「ちなつちゃんと仲良くなれて、あかり、すっごく嬉しいんだ」
あかり「ちなつちゃんはあかりの一番のお友達だよ」
私は何も言わずにうなずいた。
あかりちゃんは震えの収まった私の手をぱっと放すと、もう一度私を真っ直ぐに見つめる。
あかり「頑張ってね、ちなつちゃん」
ちなつ「うん」
あかり「……あっ」
ちなつ「ん?」
あかり「えへへ、なんでもないよぉ」
ちなつ「言ってよ、気になるから」
あかり「あのね、2月29日って何て呼ぶんだろう、って話したよね?」
ちなつ「うん」
あかり「うるう日、っていうんだって」
ちなつ「そのまんまじゃん」
あかり「そのまんまだよねぇ」
私はくるりとあかりちゃんに背を向けて、結衣先輩の部屋に向かって歩き出した。
アパートのエントランスに入るまでずっと、背中にあかりちゃんの視線が感じられた。
***
結衣先輩の部屋の前に立ち、チャイムに手を伸ばした。
胸に手を当てると、心臓の鼓動を感じた。いつだって先輩の部屋のチャイムを鳴らすときはドキドキする。
チャイムの音が鳴りインターホンのランプが付いてから、結衣先輩が出るまでの数秒間。
ただ遊びに来るだけでも、あかりちゃんや京子先輩と一緒でも、何故かドキドキするあの瞬間。
でも、こんなに緊張したことはない。鼓動の速さは今日が一番だ。
ひとつ大きく深呼吸をした。オーバーヒートしそうな心臓を吸い込んだ真冬の空気が冷やしていく。
スクールバッグの外ポケットに忍ばせておいたお守りを取り出した。
昨日部屋中を探して、見つかっただけ全部詰め込んだらカバンのポケットが膨らんじゃって、
誰かに怪しまれたりしないかなあ、と思いながら1日過ごしてきたわけだけど、
何個も出てきた「恋愛成就」のお守りはそれだけ私が片思いをしながら過ごしてきた証明のようで、
もう記憶には無いその日々のためにも何としても今日は頑張らなくちゃ、なんて思っていた。
お守りたちに向かって願いごとをする。
もう、あなたたちを買うことはありませんように。
まだ胸のドキドキは治まりそうになかった。
この1年で生まれた思い出をひとつずつ思い出す。
結衣先輩に出会った時のこと。守ってあげる、って言われたときは、本当に王子様に出会ったような感じがした。
七夕のときに、おでこにキスしてもらったこともあった。あのときも今と同じくらい抱きドキドキしてたかも。
私と結衣先輩が出てくる紙芝居を作ったこともあったっけ。自信作だったし、結衣先輩も誉めてくれた。
マフラーのお返しに映画に連れてってくれたこと。ふたりっきりで結衣先輩の家にお泊りしたこと。
ほかには……
あ、あれ……?
私のなかにある結衣先輩との失くしたくない思い出は、決して結衣先輩と2人きりの時間ばかりじゃなかった。
ごらく部で過ごした時間。先輩の家でだらだらゲームしたこと。温泉旅行に行ったこと。水風船で水遊びしたこと。
粘土で遊んだこと。ホットケーキを作って食べたこと。京子先輩の原稿を徹夜で手伝ったこと。雪でかまくらを作ったこと。
生徒会のみんなとも一緒にキャンプに行ったこと。部室で女王様ゲームをやったこと。プールに行ったこと。
さっき結衣先輩が言っていたことを思い出す。
それにあかりちゃんも、京子先輩も言っていた。
皆、今のこの時間が楽しくて、心地よくて……
それは私のなかでも……結衣先輩に恋する気持ちよりも強いものなのかもしれない。
握っていたお守りから手を放す。その中に、少し土で汚れたものを見つけた。
これがきっと、あのときの。
表を向けて、私は目を見開いた。そこに書かれているのは「恋愛成就」ではなかったから。
同じピンク色だったし、全部一緒なのかと思っていたけれど……
私の思い出を紡いでくれたそのお守りに刺繍された「良縁成就」は、多分何度繰り返しても叶うはず。
だって、良縁っていうのは、私たちごらく部が繋がっていることでしょ?
ちなつ「結衣先輩……」
ちなつ「ごらく部に私を迎え入れてくれてありがとうございます」
ランプの付いていないインターホンに向かって、小さくつぶやいた。
***
私が先輩のアパートのエントランスからでてくると、白い息を弾ませながらあかりちゃんが駆け寄ってきた。
ちなつ「ダメだった」
そう言って私は笑う。
あかりちゃんは、えっ、と小さく声を漏らして、そのまま押し黙ってしまった。
ちなつ「そうじゃないの」
あかり「え……?」
ちなつ「告白、できなかった」
あかり「そうなんだ……」
ちなつ「うん、それでいいの」
あかり「えっ、でも」
ちなつ「それでいいの」
もし本当にこの時間が繰り返しの中にあるのなら、来年も再来年も、また私は出会うだろう。
結衣先輩と、京子先輩と、あかりちゃん……ごらく部に、きっと。
そして4年後にも8年後にも366日目がやってくる。
その時の私がどんな風に考えて、どんな風に行動するのかは分からない。
先輩に告白しようと思うかな。恋の形は今と同じなのかな。どんな関係を望むのかな。
それは未来の私にしか分からない。だから―
ちなつ「あかりちゃん」
あかり「なに?」
ちなつ「……帰ろっか。寒いし」
あかり「うん」
だから今は、私の一番大切な気持ちだけを言葉にしよう。
ちなつ「ねえ、あかりちゃん」
ちなつ「私と友達になってくれてありがとう」
***
帰り道、あかりちゃんと別れてから京子先輩にばったり会った。
ちなつ「あれ、京子先輩」
京子「おっ、ちなつちゃんじゃん」
ちなつ「何してるんですか?っていうか、なんですかその恰好」
京子「不審者のコスプレだよー」
ちなつ「不審者そのものじゃないですか」
ちなつ「これから用事ですか?」
京子「ううん、単にコンビニ行く途中」
ちなつ「へ?じゃあ先帰ったのは……」
京子「劇場版ミラクるん2の録画忘れててさー、いやホント危なかった」
ちなつ「……どうでもよすぎますね」
京子「そんなことないぞ!今日を逃すと次いつ放送するか分かんないし!」
長いトレンチコートにサングラスという、どう見ても怪しいいでたちの京子先輩がミラクるんの映画について熱く説明を始める。
どうやら私が呆れ顔で聞き流していることには気づいていないらしい。それともわざとやってるのかな。
てっきり京子先輩にも何か考えがあって先に帰ったのかと思ったけど、京子先輩は京子先輩だったみたい。
ちなつ「京子先輩」
京子「ん?」
ちなつ「ごらく部に誘ってくれて、ありがとうございます」
京子「……?」
ちなつ「なんですか、その顔は」
京子「ふふ」
京子「あ、明日休みだし遊ぼうぜー」
ちなつ「……はい、どこ集合にします?」
京子「結衣ん家」
ちなつ「勝手に決めていいんですか?」
京子「へーきへーき、じゃまた明日!」
こうやってまた、いつもの日常が流れていくんだろう。
そして私はきっといつまでも笑っていられるはず。
だってそれは無機質に繰り返す365日なんかじゃなくて、ずっと重なり続けていく大切な時間なんだから。
***
春。
ゆっくりと流れる季節を感じながら、私は2年生になった。
ちなつ「クラス、別々になっちゃったね」
あかり「そうだねぇ、でもごらく部で会えるよ」
始業式が終わった後、慣れない2年生の教室前の廊下であかりちゃんと話す。
開いた窓から入ってくる柔らかな風が、私の髪を撫でていった。
ちなつ「今日ってごらく部できるの?」
あかり「うーん、どうかなぁ?」
ちなつ「まあどのみち非公式の部活だから、勝手に部室入ればいいんだけど」
結衣「あっ、いたいた。あかり、ちなつちゃん」
ちなつ「結衣先輩!」
京子「帰ろうぜー」
あかり「うん、いま行くよ」
ちなつ「今日は部活なしなんですね」
京子「いや、ちょっとやんなきゃいけない原稿が……」
ちなつ「えー、てことはまた手伝いですか?」
京子「えっ」
結衣「えっ」
あかり「えっ」
ちなつ「?」
結衣「いや、今回は京子1人でやるんじゃないかな?あはは……」
京子「うんうん、そんな量ないから多分大丈夫、うん」
ちなつ「そうなんですか?」
学校を出ると、日差しがまぶしかった。
いつもよりゆっくり歩く帰り道は、いつもより色鮮やかで、街中に春の匂いが溢れているように感じた。
あかり「今日はすっごくあったかいねぇ」
結衣「そうだな」
ちなつ「……さっきから気になってたんですけど、京子先輩、その袋何ですか?」
京子「これ?部室に置いてたマンガ。読み終わったから持って帰ろうかと思って」
あかり「すごい量だね」
京子「重い……」
結衣「分けて持って帰れよ」
京子「はぁ、はぁ……」
京子「私はもうダメだ、せめてここで奴らを食い止める。皆は先に行ってくれ」
結衣「それじゃ行くか」
ちなつ「そうですね」
京子「えっ」
あかり「ちょっと休憩していこうか」
京子「おお、やっぱりあかりはいい子だなぁ」
ちなつ「休憩ですか?」
京子「疲れたしのど乾いちゃって。この辺に自販機とかあったっけ?」
あかり「んー……あんまり見たことない気がするな」
結衣「家帰った方が早いんじゃないか?」
京子「そんなこと言わずにさー……あ、あそこって?」
結衣「ああ、割と最近できたんだよな、あそこの喫茶店」
あかり「あかり、行ったことあるよぉ」
京子「え、そうなの?」
ちなつ「私とあかりちゃんで行ったことがあるんです。いつだっけ?」
あかり「うーん、あんまり覚えてないかなぁ」
京子「ふむ……よし、行ってみるか」
ちなつ「まあいいですけど」
あかり「あかり、おサイフ持ってないよぉ」
ちなつ「貸してあげるって、そのくらい」
中に入ると、他にお客さんは1人もいなかった。静かな店内にドアベルの音と知らない曲が漂う。
窓側の席に向かい、私は長椅子の奥側に入った。一番窓際に自分のスクールバッグを置く。
隣りに座ったあかりちゃんがメニューを渡してくれたけれど、私はほとんど迷わず決めてしまった。
他の3人もすぐ決めたみたいで、店員さんに思い思いの飲み物を注文する。
あかり「京子ちゃん、どのマンガを持って帰るの?」
京子「あー、これとこれと……」
結衣「おいコラ、こんなところで広げるなよ」
京子「だいたいあかりも読んだんじゃない?」
あかり「うん、全部面白かったよ」
ちなつ「ふーん、ミラクるんは持って帰らないんですね」
京子「ミラクるんは2セットあるから。家用と部室用で」
結衣「でも私も全部読んでるな。部室にあるとなんだかんだで読んじゃうから」
ちなつ「あ、私これ読んだことないです」
京子「貸そうか?」
ちなつ「いや、別にいいですけど……面白いですか?」
京子「うん、まあちょっとSFチックな話で、いわゆるループものなんだけどさ」
京子先輩が語っている間に頼んだ飲み物が来た。
それに気が付かず喋り続ける京子先輩を無視して、カップを持ち上げて息を吹きかける。
結衣先輩とあかりちゃんも同じようにしているのが見えて、少し笑ってしまった。
ちなつ「結衣先輩はコーヒー好きなんですか?」
結衣「うん、最近よく飲むんだ」
あかり「いいなぁ、あかりも結衣ちゃんみたいにブラックで飲んでみたいなぁ」
ちなつ「先輩かっこいいですぅ!」
結衣「2人は何にしたんだっけ?」
あかり「あかりは紅茶にしたよ」
ちなつ「私はローズティーです」
結衣「ローズティー?って、薔薇の花なの?」
ちなつ「うーん、分からないです」
結衣「美味しい?」
ちなつ「そうですねぇ……」
ローズティーを一口すする。
これが春の匂いなのかも、と思った。
ちなつ「微妙な味です、かね」
結衣「そうなんだ」
ちなつ「でも……なんだかほっとする味です」
窓の外には柔らかな風が吹いている気配がした。
スクールバッグにひとつだけ付けたピンクのお守りが揺れたような気がして、ふっと横を見る。
結衣「どうかした?」
ちなつ「あ、いえ、何でも」
金で刺繍された「良縁成就」の4文字が、窓から漏れる光を静かに反射していた。
おわり
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