八幡「俺たちでバンド?」 雪乃「そうよ、今度こそね」 (389)

以前途中で落ちてしまった
八幡「俺たちでバンド?」雪乃「そうよ」
八幡「俺たちでバンド?」雪乃「そうよ」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1415191243/)
の再スレ立てです。

終わりが見えるところまで書き溜まったので改めて再投下させていただきます。

前スレの分を読んでくださっている方はそこまでの再投下が済んで新規の内容に入るタイミングで>>1に安価します。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1452360212

八幡「どうしてそんないきなり?」

雪乃「軽音部が主催で校内でロックフェスをするらしいのよ。やるのは土日の二日間で、どちらも午前中は校内の有志が、午後に軽音部がライブをするの」

八幡「あー、リア充達がウェイウェイ言ってたのはそれか」

雪乃「それは年中のことだと思うのだけれど」

それも確かに。何であんなにいつも盛り上がれるんだあいつらは? 常に脳内が麻薬でハイなの?

八幡「で、何で俺が? 文化祭の時のメンバーで出ればいいだろ」

雪乃「あくまでも在校生のイベントだから、平塚先生や姉さんは出られないの。城廻先輩ももう他のバンドにスカウトされて、こっちで出るのも難しいみたいだし。だから頼りたくもないあなたに頼んでるんじゃないの」

八幡「頼む時の態度じゃねぇよな、それ。てか俺は楽器は何も弾けねぇぞ?」

できてせいぜいリコーダーくらいだわ。それでも高い方のミとかファが出せないことがあった。あとクラスの女子のリコーダーがなくなった時に「ヒキガエルが盗んだんじゃねぇの?」って言った鈴木は一生許さん。結局その女子の家にあったからよかったものを。

雪乃「大丈夫よ。本番は二ヶ月後だから、今から始めれば間に合うわ」

八幡「随分と張り切ってんだな」

雪乃「そういうわけではないわ。私はただ――」

結衣「やっはろー!」ガララー

雪乃「――由比ヶ浜さんに、ね」

八幡「あ、大体わかったわ」

結衣「ん? 何のことー?」

八幡「何でもない。いつものことだ」

結衣「?」

また由比ヶ浜に頼み込まれたんだろうな。本当に雪ノ下は由比ヶ浜にデレすぎだろ。

八幡「で、何だっけ?」

雪乃「あなた、ギターは家にあるのよね?」

八幡「親父が昔買ったやつがな。結局まともに弾いてないから、新品同様らしいが。……まさか、それを?」

雪乃「そのまさかよ」

八幡「マジかよ……」

結衣「ヒッキーがギターやるの?」

雪乃「そうよ」

八幡「俺まだ了承してないんだけど」

八幡「てかもう一人ギターなんかいらないだろ。お前が弾けばいい」

雪乃「そういうわけにもいかないわ。私もボーカルを担当するのだから、リードギターのためにもう一人必要なの。文化祭の時はどうしようもないから、私一人でボーカルもリードギターも、やったけれど、本来そんなのは無謀としか言いようがないわ。ただのストロークならまだいいけれど――」ペラペラ

八幡「は、はぁ……」

そういうものなのだろうか。リアルバンド事情はけいおんしか見てない俺にはわからん。話から察するに唯ちゃんは無謀なことをしていたらしい。

八幡「てか、他はどうすんだよ。由比ヶ浜がボーカルなのはわかるが、そしたらギターしかいねぇだろ」

ゆずでもやるの? 戸塚とデュオで出るのなら俺喜んで出ちゃうけど。そしたらエレキじゃなくてアコギじゃねぇか。そもそもバンドでもねぇ! でもそんなの関係ねぇ! ……古いな。

雪乃「ふふ……、当てはあるわ」

八幡「なん……だと……?」

あの雪ノ下雪乃に由比ヶ浜以外で頼れる相手がいたのか!?

雪乃「由比ヶ浜さん、お願い」

八幡「結局由比ヶ浜頼みかよ!」

八幡「バンド……ねぇ……」

雪乃「別にあなたの場合、特にこれと言ってやることもないのだから、いいでしょう?」

八幡「ばっか、俺なんか予定ありまくりだっつの。やらなきゃならないゲームや読まなきゃならない本、見なくちゃいけないアニメはいくらでもあるんだよ」

雪乃「要するに、暇なのね」

八幡「おかしいな、全体的に何かがおかしい」

結衣「まあまあ……。でもこの三人でバンドができるなんて、面白そうだしいいじゃん! やろうよ!」

雪乃「そうね」

八幡「……ずっと気になってたんだけどよ」

結衣「ん?」

雪乃「何かしら?」

八幡「由比ヶ浜はともかく、何で雪ノ下がそんなにやる気満々なの?」

雪乃「何のことかしら? 私は由比ヶ浜さんに頼まれただけで――」

結衣「このロックフェス、一番良かったバンドを投票で決めるんだー」

雪乃「むしろこんなのは全然――」

八幡「…………」

八幡「…………」ポンッ

八幡「……はぁ」

雪乃「その何かを悟ったような間は何なのかしら? 酷く不愉快なのだけれど」

八幡「うん、そうだな。お前は別に一番を取りたいわけじゃないんだよな」

雪乃「」

八幡「てかバンドなんかやりたくねぇし。キングオブぼっちの俺が人前でギター弾くなんて笑い話もいいところだろ。どうしてわざわざ晒し者にならなくちゃならんのだ」

雪乃「あら、大丈夫よ? あなたなら例えB'zのギタリスト並のギターテクを披露しても、きっと誰も見ないだろうから」

八幡「……否定はできない」

結衣「できないんだ!?」

雪乃「決まりね」

八幡「おいこら待て」



パッポーパッポー

ソレカラドシタ

八幡「……わかったよ、やりゃいいんだろ……」

雪乃「まさか説得するだけでこんなに時間がかかるなんて……」

結衣「本当にヒッキーって、変なところで強情だよね……」

八幡「悪かったな……」

しかし一度やると言ったからには、もう後には引けない。こいつらに迷惑をかけるのはゴメンだ。……やっぱめんどくせぇ……どうしてこうなった。

八幡「ただいまー」

小町「おかえりー」

八幡「おう。あのさ、親父帰ってる?」

小町「うん? いるよ?」

八幡「わかった。サンキュ」

小町「お兄ちゃんからお父さんに話しかけるなんて珍しいね」

八幡「まぁ、ちょっとな」

小町「男同士の拳での対話とか?」ワクワク

八幡「ちげーよ。頼み事をしにいくだけだ」

小町「頼み事?」

八幡「そのうち由比ヶ浜らへんからメール来るだろうから、それで察してくれ」スタスタ

小町「……?」

ミーアーゲーターソラニーキラキラータイヨーオー

小町「あっ、結衣さんからだ。……ふむふむ、あー、なるほどー」

八幡「親父」

八幡父「何だ?」

八幡「親父、確かギター持ってたよな?」

八幡父「……あー、あれか。なんだ、欲しいのか?」

八幡「ちょっと、必要になってよ」

八幡父「……そうか」

そう言うと、親父は少し嬉しそうに笑みを浮かべた。

八幡父「じゃあ三日、待ってくれないか?」

八幡「ん、別にいいけどなんで?」

八幡父「ちょっとな」

親父とは普段からあまり会話をしない。だからか、こういう風に頼み事をするのは、少し苦手だ。

小町「おにいちゃ?ん」ニヤニヤ

親父の部屋から出ると、そこでは小町が待ち構えていた。

小町「お兄ちゃんがバンドねぇ?。この数ヶ月でこんなに成長するなんて小町も嬉しいよ?。あっ、今の小町的にポイント高い!」

八幡「知らんわ。てか俺は何も変わってねぇ」

小町「いやいや?。気づいていないのは本人だけだよ? お父さんも嬉しそうだったし」

八幡「盗み聞きしてたのかよ……」

小町「まーまー、細かいことは気にしない!」

八幡「将来お前がストーカーとかになりそうで怖いわ。もしもそんなことがあったら、俺はすぐにそいつを殺しに行くがな」

小町「あくまでも対象は小町じゃないんだ……」

その夜

ゴーインゴーインアロンウェーイオレノーミーチーヲーイクーゼー

八幡「……メール? メルマガか?」

しかしメルマガはこんな時間には届かない。迷惑メールだろうか。

【FROM:☆★ゆい★☆】
【TITLE:ベース確保したよー☆】

八幡「はやっ!」

その間わずか数時間。この短時間でバンドメンバー集めるとか、さすがトップカースト。

脳内でアホみたいなことを考えながらメールを開く。

【なんとね、サキサキがやってくれるって!(/・ω・)/ヤッター】

……誰だっけ?

川なんとかさん? いや、ありえねぇだろ。あいつがベース? まぁイメージに合ってると言っちゃ合ってるか。てかあいつ楽器とかやってたんかい。ぼっちのくせに。あ、これはただの偏見ですね。

……困惑しすぎて日本語不自由になってるな。いつものことか。

八幡「とりあえず返信と」

【TITLE:RE:ベース確保したよー☆】
【そうか、お疲れ】

八幡「……ふぅ」

ゴーインゴーインアロンウェーイ

八幡「はやっっ!!!」

何でこんな返信早いの? マッハなの? 音速超えてんの?

【FROM:☆★ゆい★☆】
【TITLE:RE2:ベース確保したよー☆】
【反応冷たすぎじゃない?(´・ω・`)ショボーン】

【TITLE:RE3:ベース確保したよー☆】
【別に、いつもこんなもんだろ】

ゴーインゴーインアロンウェーイ

【FROM:☆★ゆい★☆】
【TITLE:RE4:たった今だけど、ドラム決まったよー☆】

八幡「いや、だからはええって」

もう驚かないな。むしろ慣れてきたまである。てか誰なんだ……? 戸部とかか? 可能性高すぎてこま……



【なんと、さいちゃんだよ!(((o(*゚▽゚*)o)))パアアア】



八幡「らない!!!!」ガタッ

【TITLE:RE5:たった今だけど、ドラム決まったよー☆】
【そうか本当かそれはいいな俺ギターマジで頑張るわもう当分ギターのためだけに生きるわむしろギターのために死ねるまである】

戸塚とバンド? 何それ、最高じゃん! こうなったら戸塚にいいところ見せるために、B'zのギタリスト並のテクニックを身につけてやる! どうして誰も松本と言わないのか不思議だ。

ゴーインゴーインアロンウェーイ

む、こっちが決意表明をしている時になんだ?

【FROM:☆★ゆい★☆】
【TITLE:RE6】
【キモい】

八幡「」

次の日

八幡「うーす」ガララー

雪乃「あら、ちゃんと来たのね。てっきり逃げるのかと思っていたわ」

八幡「何を言っている? 戸塚がドラムやるんだろ? なら本気を出す、明日から」

雪乃「それ死亡フラグよ?」

八幡「お前がその単語を知ってることに俺は驚きだよ」

結衣「やっはろー!」ガラッ

戸塚「や、やっはろー!」

八幡「やっはろー!!!」ガタッ

結衣「ヒ、ヒッキー!?」

八幡「よく来たな戸塚。お茶でも飲むか、お菓子もあるぞ!?」

戸塚「ありがと、八幡」ニコッ

八幡「あぁ、この笑顔……まさに、天使……。俺もう死んでもいい」

川崎「…………」

八幡「……?」

あれ、誰だっけこの人? 川……山……田……電……機……? やまーだでんき! 本当にあのBGMヤマダ電機にいるとエンドレスで流れて頭に残るんだよな。あ、思い出した。川崎だ。

八幡「お前、楽器とかやってたのか」

川崎「昔……ちょっとね」

八幡「ふぅーん」

結衣「さて、メンバーも揃ったところで、バンド会議でーす!」

一同「…………」

結衣「いや、盛り上がろうよ!? 私一人だけ舞い上がってるみたいで恥ずかしいじゃん!?」

八幡「まぁ実際そうだろ」

結衣「うぅ……」

雪乃「……そろそろ始めないかしら?」

結衣「あ、うん。そうだね!」

八幡「会議ってなに話すの? ポジショニングとか? なら俺はドラムの隣がいいです」

結衣「違うから! リードギターがそんな後ろに行ってどうするの!?」

八幡「いいんだよ、どうせ誰も見ないんだから」

雪乃「そうね、のちにいないはずのギターの音が聞こえるって七不思議になるかもしれないわね」

八幡「おっ、それいいな。採用」

結衣「しないから! ヒッキーはちゃんと前に出るの!」

八幡「うるせぇ、却下だ」

結衣「ならその却下を却下!」

八幡「めんどくせぇ……」

八幡「で、じゃあ何について話すんだ?」

結衣「とりあえず曲決めだよ。何の曲をやるか決めないと、何も進まないからね」

結衣「はい、じゃあ案ある人!」

一同「…………」

結衣「いや、だから出そうよ!? これじゃ会議は踊り、されど進まずだよ!?」

八幡「いや、いきなり言われてもだな……」

戸塚「由比ヶ浜さんたちがボーカルをやるんだよね? だったら女性ボーカルの曲の方がいいんじゃないかな?」

おっ、確かにそれはあるな。逆にこのメンバーでホルモンとかやったら……それはそれでちょっと見てみたい。

やるとしたらガールズバンドの曲か。あれ、そしたら尚更俺いたらダメなんじゃねぇの? 女子四人の中に一人男子とかないだろ。戸塚は……この場合どっちにカウントすべきなんだ?

川崎「じゃあ放課後ティー……」

結衣「えっ、なに?」

川崎「……何でもない」

八幡「…………」

あ、わかったわ。こいつが何でぼっちのくせにベースなんか弾けるのか。てか澪派かよ。ちなみに僕はムギちゃん派です! というわけでちょっと相模呼んでくる。

他だと、ガルデモとか? だからなんでアニソンしか出てこないんだよ。俺の頭、残念すぎんだろ。川崎も大概だが。

二十分後

結衣「なかなか決まらないね?」

出てきた案はいかにも初心者のバンドがやりそうな曲ばかりだ。しかしそれでは他のバンドと被る可能性があると、雪ノ下が言い出し、未だ決まる気配はない。

戸塚「レベッカ……とかはどうかな?」

結衣「レベッカ? バイオハザード?」

何故お前がそれを知ってる。

八幡「レベッカって、あの昔のバンドの?」

戸塚「そうそう! 八幡も知ってるんだー」

いや、知ってるけどさ、セレクトが渋すぎるだろ……。何十年前の曲だよ……。だがそれがいい。



それから話はトントン拍子で進み、結局レベッカの『フレンズ』と、miwaの『don't cry anymore』(由比ヶ浜案)をやることになった。何だこの組み合わせは。例えるならバブルの時に不景気の歌を歌うようなもんだぞ。何それ、全然例えになってねぇ。

雪乃「…………」

雪ノ下は由比ヶ浜から借りたスマホで、曲の動画を見ているようだ。

雪乃「この曲、『フレンズ』の方は特にキーボードが必要ね。声的にもメインボーカルは由比ヶ浜さんがやった方がいいから、私はキーボードを担当するわ」

結衣「えっ? ゆきのんキーボードできるの?」

雪乃「正確にはピアノね。キーボードはピアノとはまた違うから、慣れが必要だろうけれど」

結衣「すごい! 私、ピアノ弾ける人とか尊敬する!」

雪乃「そんな……大したことはないわ」

結衣「じゃあ、私もキーボードをやる!」

雪乃「そこでどうしてその発想に至るのかしら……?」

結衣「だって『フレンズ』の時はゆきのん後ろに下がっちゃうってことでしょ? なら二曲目はゆきのんが前に出なくちゃ! 『don't cry anymore』はボーカルがアコギで、ゆきのんもギター弾けるから、ピッタリだと思うんだ!」

雪乃「別に私は……」

結衣「それに、そもそもこの曲選んだ理由が、ゆきのんに歌ってもらいたいからだし……」

雪乃「!」

結衣「だから……ダメかな……?」

雪乃「……そこまで言うなら」

結衣「ありがと、ゆきのん!」ガシッ

雪乃「それでも抱きつくのは、やめて欲しいのだけれど……」

とりあえず、百合は素晴らしいと思います。

雪乃「だとすると、あなたも新しい楽器を、弾けるようにならないといけないわね」

結衣「うん。みんなが頑張るんだから、私もできることをしたいんだ」

雪乃「なら、私が教えるわ。実家の方に使ってないオモチャみたいなキーボードがあるから、それ持って行ってもいいわよ」

結衣「本当に!?」

雪乃「ええ。私、虚言は吐かないもの」

後に由比ヶ浜の家周辺で、キーボードを持ち歩いている雪ノ下(陽乃)さんの姿が目撃されたらしいが、それはまた別の話である。

――

――――

八幡「戸塚」

戸塚「なに?」

八幡「何であんな古いバンドを知ってたんだ?」

俺だって親父が聞いてなかったら知らなかったぞ。

戸塚「あー、お父さんがすごい『好き』だったんだ」

八幡「お、俺もだっ!!」

戸塚「えっ?」

八幡「あっ、いや、何でもない」

『好き』の部分に異常反応をしてしまった。まぁ、文脈的に間違ってねぇけど。

戸塚「八幡、ギター弾くんだよね?」

八幡「そうだな。まだ未経験者だけど」

戸塚「なら……その……二人で……やらないかな……?」

八幡「はっ?」

何これ、戸塚ルート解禁ですか!? 僕非課金ですけど、大丈夫なんですか!?

戸塚「あ、そういう意味じゃなくて……っ!」アセアセ

真っ赤になって両手を胸の前で振りながら、戸塚が弁明する。ヤバい、可愛い。てか何を想像したんですかね? 私、気になります!

戸塚「ロックフェスに二人でも出ようよ!」

何だ、そういうことか。一瞬脳処理が追いつかなくてショートしかけたわ。

……えっ?

八幡「二人で?」

戸塚「そう! 弾き語りみたいなのを二人でやらないかな?」

八幡「……つまり、ゆずみたいなのを俺と戸塚で?」

戸塚「う、うん……。ダメ……かな……?」

八幡「ダメじゃない。むしろ俺からお願いしたいくらいまである」

戸塚「本当に!?」パァァ

守りたい、この笑顔。

戸塚から聞いたところによると、今回のロックフェスは弾き語りもOKで、尚且つ掛けバンもありなのだそうだ。まぁ確かにこんなイベントにわざわざ出ようと思うやつなんて少ないだろうから当たり前か。

八幡「てかエレキしかうちにはねぇけど、大丈夫なのか?」

戸塚「大丈夫だよ。エフェクターで音をアコギっぽくすることはできるから。そういうのうちにあるし、貸してあげるよ」

八幡「マジか、なんかすまんな」

戸塚「別にそんなのいいよー。僕も八幡と一緒に出れるから嬉しいんだ!」

戸塚が俺と出れて嬉しい? そんなの俺が嬉しすぎて死ぬわ。

八幡「…………」プシュー

戸塚「八幡!? 顔が真っ赤になってるよ!?」

八幡「戸塚はドラムなんて叩けるのか?」

はっきり言って戸塚の腕は細い。とてもドラムを叩けるとは思えない。

戸塚「大丈夫だよ、よく家でやってるし」

なら、問題ないか。……って、あれ?

八幡「……家?」

戸塚「うん、うちの家族はみんな音楽好きだから、楽器とか揃ってるし、僕もいくつかはできるんだ」

八幡「いくつかって、例えば?」

戸塚「えーっと、ギターとピアノとドラムとベースと……」

ちょっと待て、ハイスペック過ぎんだろ。もう一人でバンドできるレベルじゃねぇか、斉藤和義かよ。戸塚はもう十分にやさしいので、これ以上やさしくならなくていいです。

戸塚「でも、あくまでも本命は由比ヶ浜さんたちとのバンドだから一曲くらいにしとかないと……」

八幡「まぁ、そうだな」

弾き語りか……。誘ってきた本人だからやりたい曲があってのことなのだろう。何だ、やっぱりゆずか?

戸塚「八幡はやりたい曲ある?」

八幡「いや、別にねーな。戸塚がやりたい曲ならなんでもいい。なんでも全力を出す」

戸塚「そっか……じゃあ、僕はね……」

この時、俺は忘れていた。戸塚の選曲はとてつもなく渋く、古いことを。

戸塚「サイモン&ガーファンクルをやりたいんだ!」

八幡「…………」

八幡「……すまん、誰だそれは」

戸塚「ポールサイモンとアートガーファンクルって二人組のユニットで、すごくいいんだ。前からずっとやりたいとは思ってたんだけど、二人いないとできないから……」

八幡「…………」

戸塚「だから、八幡がもしも良いって言ってくれるならって……」

八幡「もちろんいいさ! 戸塚がやりたいならどんな曲だってやるぞ!」

戸塚「本当に!?」

八幡「ああ! 男に二言はない!」

そして、俺らは二人でサイモン&ガーファンクルの『Wednesday Morning 3 A.M.』という曲をすることになった。

調べると1964年の曲とのこと。古すぎんだろ。うちの親ですらまだ赤ん坊じゃねぇか。

二日後

八幡「ただいまー」

八幡父「ん、おかえり」

八幡「親父の方が先だったのか」

八幡父「そんなことより、自分の部屋見てこい」

八幡「?」

言われたとおり部屋に向かう。親父があんなこと言うなんて珍しい。何かあったっけ?

ガチャッ

ドアを開く。そこには、一つポツンと、ギターケースが置かれていた。

八幡父『三日、待ってくれないか?』

そう言えば今日でちょうど三日だったっけ。

中身が傷つかないようにゆっくりとチャックを開く。

八幡「うわあ……!」

思わず声が漏れる。

その中に入っていたギターは、前に見た時よりもずっと綺麗になっていて、新品と言われても納得できてしまうほどだった。

八幡父「知り合いに頼んでな。いくらほとんど使ってないとは言え、ネックが反ってたりとボロボロだったからな。修理とメンテナンスをしてもらった」

いつの間に部屋にいた親父がそう告げる。

八幡「わざわざここまでしなくても……!」

八幡父「いや、いいんだ。俺が勝手にやっただけだしな。まぁ、それなら売ってもいくらか金になるだろう。その金で新しいのを買うかどうかは好きにしろ」

それだけ言って親父は部屋を出て行く。

八幡「売れるわけ……ねぇだろ」

ガチャッ

八幡父「……ふぅ」

小町「ふふ?ん♪」

八幡父「なんだ小町。いたのか」

小町「今日のお父さん、小町的にポイント高いよ?」

八幡父「そうか、ありがとな」

小町「お兄ちゃんの捻デレスキルはお父さんからの遺伝だったんだね!」

八幡父「何だそれは」

――――

その夜

八幡「うがああああ……いてぇ……!」

八幡「そしてなぜ鳴らねぇんだ……一弦と二弦……」

八幡「一弦と二弦に集中すると、中指と薬指と小指が疎かになるし……」

八幡「噂のFコード、ムズすぎんだろ……。何でこんなのが人間に押さえられんだよ……!」

グッ

八幡「いてえええええええええええ!!」

小町「お兄ちゃんうるさい!!」

それから三週間が過ぎた。

今日は大事な用事がある。そのための準備が必要なのだが……。

戸塚「ねぇ、八幡。やっぱりピックは余分に買っといた方がいいよ?」

どうした。何が起こった。世界線を移動したのか?

閑話休題。

状況を説明するとだ。

俺と戸塚は今、楽器屋にいる。これは……デート?

八幡「お、おう。思ったよりも安いんだな。一枚百円なんて」

戸塚「うん、僕なんかはたまに十枚くらい一気に買っちゃったりするんだー」

八幡「なんでそんなに買うんだ? 一枚だけじゃダメなのか?」

戸塚「弾いてる最中に飛ばしちゃう事とかよくあるんだ。曲によって柔らかさや形を変えた方が弾きやすいこともあるし」

なるほど。臨機応変に対応できるようにも予備は必要なのか。勉強になった。

戸塚「それと、コレクション的な楽しみもあるよ」

ピックのそんな楽しみ方初めて聞いたわ。

八幡「さて、俺が買わなきゃならないのは何だっけ?」

戸塚「シールドだよ。ギターとアンプを繋ぐコード。……あっ、この辺がシールドコーナーだね」

八幡「ほぅ、これがシールド……って高いな」

戸塚「安いのもあるけど、それなりの値段のを買うのをオススメするよ。安いのはその分壊れやすいし」

八幡「いや、多分そんなに使う機会ないし……」

戸塚「それでもだよ。本番直前に壊れたりしたら、結局同じ値段かかることになっちゃうから」

八幡「……そうだな」

結局高くもなく安くもない、それなりの値段のシールドを買った。さよなら、俺のマッ缶。当分買えないよ。

戸塚「僕ね、楽器屋さん、好きなんだ」

八幡「ギターとかたくさんあるしな」

戸塚「それだけじゃないよ。アンプだったり、カポだったり、スティックだったり、エフェクターだったり、楽器に関わるものがたくさんあるから好きなんだ」

戸塚「この広くない空間から、世界に広がる音楽が生まれるって考えると、すごいなって思うんだ」

戸塚「だからまるで、世界中とつながっているみたいで、僕は好き」

そう語る戸塚の目はどこまでも澄んでいて、声は透明に透きとおっているように感じた。きっと戸塚が冗談ではなく、本気で言っていたからだろう。

八幡「戸塚……」

戸塚「それに……」

そこで一呼吸。

戸塚「今日は八幡とここに来れたから、すごく嬉しいんだ」

そう言うと、戸塚は俺に向き直って、笑顔を浮かべる。

八幡「……まぁ、なんだ」

戸塚「うん?」

八幡「また、来ような。用事とかなくても」

戸塚「八幡……!」

俺の言葉を聞くと、戸塚は嬉しそうな声を上げる。

戸塚「うん! 絶対に来ようね!」

戸塚と次のデートの約束をしてしまった……! これはもう完璧に戸塚ルートだろ。俺の選択は間違っていない……はずだ。

男? 真実の愛に性別なんか関係ないんだよ。

戸塚「そうだ、このピック買おうよ!」

戸塚が手に取ったのは白いピック。金箔の文字でfenderと書いてあって、硬さはミディアムだ。

八幡「……つまり、お揃い?」

戸塚「うん!」

戸塚とお揃いのピックだと? 買わない理由がない。

最初にギターケースに入っていたピックが一枚目だとすれば、この、戸塚と買うピックは二枚目と言えるだろう。いや、自分で買うのは初めてだから一枚目と言ってもいいかもしれない。……家宝にしよう。

――

――――

手のひらに乗っている白いピックを見つめる。

今でも思い出せる。あの時の戸塚の顔を、声を、言葉を。

あの輝かしい瞬間たちを、今の俺は思い出すことしかできない。

それらは、二度と俺の前には訪れない。一度失ったものは、どうあがいても取り返せない。

どこで道を誤ったのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。そんなの悔やんでもキリがないし、意味もない。

だから、せめて最後くらいは――。

――

――――

一時間後

俺は学校の近くにある貸しスタジオの前にいた。

結衣「……緊張するね」

雪乃「そうかしら? ただ皆で合わせて練習するだけでしょう?」

結衣「そうだけど?」

川崎「それよりさっさと入らない? こんなとこで突っ立ってるのもあれだし」

戸塚「そうだね。もう予約した時間だから大丈夫だよ」

今日は、初めて合わせて練習する日だ。俺だって緊張していない訳がない。

――――

八幡「何だこりゃ……」

戸塚が予約した部屋に入ると、そこは、もう、何と言うか、バンド一色だった。

いくつも並ぶ大きなアンプに、ライブでよく使われるような立派なドラム。譜面台やマイクまで、何もかも揃っていた。

八幡「こんなの、本当にあったのか……」

戸塚「ほら、八幡。それが八幡のアンプだよ」

そう言って指差したのは、テレビで何度か見たことのあるマーシャルのアンプだ。俺が覚えてるくらいだから実際はもっと見たことがあるのかもしれない。

八幡「あ、ああ……」

買ってきたシールドを繋ぎ、アンプの電源を入れる。

プワン。

そんな音がして、あとはジジジジ……と小さな音がする。

音量を絞り、高鳴る鼓動を噛み殺しながら、ピックで軽く弦を叩く。

――――――!

見慣れないアンプから流れる音は、ずっとギターの生音しか聞いてなかった俺にはひどく新鮮で、衝撃的だった。

八幡「すげぇ……!」

戸塚「やっぱりアンプに繋ぐと、それだけで変わるよね」

思わず感動のあまり頬が緩む。

雪乃「時間も限られているのだし、早くみんな準備を」

そう言う雪ノ下の声も若干震えている。何だかんだ言って、雪ノ下も緊張しているようだ。

三十分後

八幡「これは、マズイな……」

雪乃「ええ、まさか……」

一同「「ここまで合わないとは……」」

戸塚「僕のドラムが安定しないせいで……」

川崎「いや、あたしのベースが走ってるのが原因」

八幡「俺も結構ミスってたしな……」

結衣「私なんかまともに弾けたところがなかったよ……」

戸塚・川崎・八幡・結衣「「「「はぁ……」」」」ショボーン

雪乃「まだ時間はあるのだし、もう少しやりましょう? それに明日が本番ってわけでもないのだから、各自これから死ぬほど練習すれば何とかなるはずよ」

一瞬不穏な副詞が聞こえたのは気のせいですか……?

――――

時間が来て外に出た俺たちは、道端で駄弁っていた。……俺以外。それなら俺たちじゃねぇな。

結局あれから多少は良くなったものの、まだ人前でやれるレベルではないので、各自『死ぬ気』で練習してくるようにとのこと。

……次の合わせ練までになんとかしないと、殺されるな。主に雪ノ下に。

結衣「うーん……。うまくいかないなぁ……」

雪乃「由比ヶ浜さん」

結衣「ん?」

雪乃「由比ヶ浜さんは今から私とカラオケに行きましょう」

結衣「えっ、ゆきのんとカラオケ!? 行く行く!」

雪乃「ええ、あなたの場合、根本から叩き直さないといけないから。腹式呼吸もまともにできていないし」

結衣「エッ?」キョトン

あっ、由比ヶ浜に死亡フラグが立った。

雪乃「じゃあ、私たちはとりあえず行きましょう。他の比企谷くん以外の人は、次の練習のために空いている日を連絡するように」スタスタ

八幡「なんでだよ。俺も暇じゃない日くらいあるぞ」

結衣「ま、待ってよーゆきのーんー!」タッタッタッ

……頑張れよ、由比ヶ浜。生きて帰って来るんだぞ。

こうして初めてのスタジオ練習が終わり、帰ろうとすると戸塚に呼び止められた。

戸塚「八幡……これからちょっといいかな?」

八幡「いいぞ」

この間、僅かコンマ一秒。

八幡「なんだ?」

戸塚「えっとね……僕の家に……来ない……かな?」

なん……だと……?

――――

八幡「ここが……戸塚の家……!」

ごく普通のなんの変哲もない一軒家だ。しかし、毎日ここで戸塚が暮らしていると考えると――

八幡「何か、こう胸にたぎるものがあるな」

戸塚「さぁ、入って! 八幡!」ガチャッ

八幡「お、おじゃましまーす」

玄関を抜けると、他人の家の匂いがする。クンクン、これが戸塚の匂いか。気持ち悪いな俺。

戸塚母「あら、彩加。お友達?」

そう出迎えてくれたのは戸塚の母らしい。戸塚に似てめっちゃ可愛いし綺麗だ。そうか、戸塚はお義母さん似だったのか。じゃあお義父さんはどんななんだろ。うん、字がおかしい。

戸塚「うん、そうだよ!」

八幡「…………っ」ポロポロ

戸塚「八幡!? どうして泣いているの!?」

八幡「いや……何でもない……」

戸塚に友達として紹介されてしまった……! もう一生分の運を使い切った気分だわ。

八幡「……ども、比企谷八幡と言います」

戸塚母「ふふ、面白い子ね」クスッ

さすが戸塚のお母さんだわ。戸塚が天使ならこのお母さんは聖母かなんかだな。俺ちょっと教会行ってくる。んでもってそのまま戸塚と結婚してくる。

……だとすると、ますます父親の顔が見たくなってくる。まぁ、家にいないだろうけど。

゙チャッ

??「なんだ、彩加。友達か」

戸塚「あ、ただいま。お父さん」

なん……だと……?(本日二回目)

何が起きたか説明しよう。

北斗の拳の世紀末覇者拳王みたいな風貌の男が、部屋に入ってきた。

その男を戸塚は「お父さん」と呼んだ。

つまり……。

八幡「……あなたが、戸塚の……」

戸塚父「父です」ペコリ

んなバカなああああああああああああああ!?!?

閑話休題。

戸塚父「なるほど、君が彩加の話によく出てくる八幡くんか」

八幡「はい。初めまして」

オーケー、超クール。さすがにもう落ち着いたわ。この親子見てるとDNAとかって、実はあんまり関係ないんじゃないかと思う。

戸塚「ねぇ、お父さん。地下のスタジオ使ってもいい?」

戸塚父「おう? 別にいいが」

ちょっと待て。地下? スタジオ?

八幡「えっ、ちょ、戸塚?」

戸塚「うちにはね、地下にスタジオみたいな部屋があるんだー。そんなに広くないから、さすがにバンド練習とかでは無理だけど」

戸塚父「基本俺しか使わねぇから、広くする意味もないしな」

どんな家族なんだここは。

八幡「……一ついいか?」ヒソヒソ

戸塚にだけに聞こえるように小さな声で話す。

戸塚「なに?」ヒソヒソ

八幡「お前んちは一体何なんだ? 親がミュージシャンだったりするの?」ヒソヒソ

戸塚「そういうわけじゃないよ。ただ好きなだけ。……まぁ、昔はちょっとやってたりしたみたいだけど」ヒソヒソ

八幡「ふーん……」

ただ好きにしてはレベルが高すぎる気もするが。

戸塚父「じゃあなんだ、そいつと二人で練習するのか?」

戸塚「そういうこと」

戸塚父「ふむ……だから君はギターを……。……あれ?」

戸塚のお義父さんの動きが止まる。だから字がおかしいんだってばよ。

戸塚父「ちょっとそのギター見せてくれないかな?」

そう言って俺のギターケースを指差す。

八幡「えっ、あっ、はい。別にいいですけど」

チャックを開き、中身を見せる。

戸塚の親父は、それをジッと見つめるとこう言った。

戸塚父「……八幡くん、と言ったね?」

八幡「は、はい……」

戸塚父「名字は?」

八幡「……比企谷」

そう答えると、戸塚の親父は一瞬目を大きく見開き、それから少し興奮した口調でこう言った。

戸塚父「……やっぱり、か」

八幡「……?」

戸塚「?」

どういうことだ? 俺の苗字に心当たりがあったりするのだろうか?

八幡「あの――」



戸塚父「俺は、君のお父さんと昔バンドをやっていたんだ」



八幡「えっ?」

戸塚「えっ?」

戸塚母「えっ?」

えっ?

戸塚父「高校の頃に、俺がベースで、あいつがギター。もう二人ドラムとギターがいて四人で、な」

八幡「いや、親父はギターはすぐに挫折したって……」

戸塚父「あー、まぁ、あいつならそう言うんだろうな。社会人になってからは、あれは黒歴史だなんだとか言ってたし」

八幡「そう……なんですか……」

親父が、昔バンドをやっていた。

でも、言われてみたら納得できる気がする。

どうして俺がバンドをやると言った時、あんな顔をしたのか。

どうして、ギターのメンテナンスまでしてくれたのか。

それは、息子である俺が昔の自分と同じことをやろうとしているのが、ただ単に嬉しかったのだろう。

八幡「……あの、捻デレめ」

戸塚父「おっと、邪魔して悪かったね。下のスタジオは自由に使ってくれていいよ」

八幡「ありがとうございます」ペコリ

戸塚「じゃあ八幡、行こう?」

戸塚が俺の手を引く。あぁ、ちっちゃくて柔らかい……。このままお持ち帰りしたい……。はぅ?、お持ち帰りぃ?。

ハヤクハヤクー

チョ、チョット、ヒッパルナ…

戸塚父「…………」

戸塚母「すごい偶然もあるものね」

戸塚父「あいつも俺も千葉への愛は半端ないからな。当然と言えば当然だろ」

戸塚母「それでも、親子揃って同じ高校なんて滅多にないでしょ?」

戸塚父「……確かに。千葉は狭いな」

『これ、メンテナンスしてくれないか?』

『久しぶりに会ったってのに、要件がそれかよ。しかも随分と懐かしい品物を』

『久々に弾きたくなってよ』

『あんだけ黒歴史だとか喚いたお前がか』

『うっせ。お前ならコネとかで安く仕上げてくれんだろ』

『お前、俺を何だと思ってんだ?』

『いいから頼むよ』

『……仕方ねぇな』



戸塚父「……ったく、お前も変わんねーな」

八幡「これに繋げばいいのか?」

戸塚「うん。じゃあ、弾いてみて?」

八幡「おう」

こんな小さな機械一つで何が変わるのだろうか。そこまで期待せずに弦を叩く。

――――……

八幡「……!」

何だこれ、エフェクターってマジでスゲぇ! 俺のエレキがアコギになったぞ!?

戸塚「これなら大丈夫だね!」

戸塚はどこから出してきたのか本物のアコギを持っていた。

八幡「おお……」

戸塚がアコギを構えているのを見ると……。

八幡「……可愛い」

戸塚「もう、八幡はまたそうやって?」プクー

本人はあまり可愛いとは言われたくないようだが、そうやってほおを膨らませる仕草はさらに可愛いから困る。

八幡「……ん?」

よく見るとアコギなのにシールドが繋がっている?

八幡「それなんでシールドが……?」

戸塚「あ、これはエレアコだからー」

八幡「エレ……アコ……?」

何だそのドラクエの呪文に出てきそうな名前は。そう言えば最近よく小学生にニフラムって言われるんだけど、どういうことなのん?

戸塚「簡単に言うと、アコギのエレキ版だね。ほら、普通のアコギだとシールドとかに繋げなくて、マイクに直接音を入れたりするでしょ?」

あー、昔の音楽番組とかで見たことあるわ。

戸塚「ただそれだといろいろ不便だったり、音が悪くなっちゃったりするから、最初からピックアップを付けてアンプに直接繋げられるように作られたのがエレアコなんだ!」キラキラ

ああ、すごく目が輝いている。本当に戸塚は音楽が好きなんだなぁ……。

戸塚「じゃあ、弾いてみるね」

戸塚の小さな手につままれたピックが、まるで魔法のように動き、ギターの弦の上をなめらかに滑る。

――――――♪

言葉を失う。戸塚を褒めるために用意していたセリフが全て吹き飛んでしまった。

八幡「……!」

目の前のアンプから流れる音は、あまりにも綺麗すぎて、どう言葉にすればいいのかわからない。

戸塚が押さえたコードはただのCで、初心者向けの簡単なコードだ。なのに、その音は俺が知っているそれとは全く違うものに聞こえた。

それほどまでに、美しかった。

戸塚「……どうかな?」

八幡「すげぇ、いい……」

戸塚「ありがと、八幡」

あまりにも稚拙な表現だが、それ以外に今の自分の感想を表せる言葉はなかった。

八幡「ギターは二人でやるのか?」

戸塚「うん! 本当はギターは一人なんだけど、それじゃ八幡と一緒にする意味がないから……」

もうダメだ。このまま戸塚ルートに直行しそう。もう、ゴールしてもいいよね?

八幡「そうか、じゃあ早速やるか」

しかしあくまでもクールを維持である。

その後は、二人で合わせてみたら、上手くハモらなくて苦戦したり、相変わらず俺がミスを連発したり、試しに本物のアコギを弾かせてもらったら、予想以上の弦の硬さに悶絶したり、いろいろあった。

が、実際に何があったかの詳細は秘密だ。なぜならこれは俺と戸塚だけの思い出だからだ(キリッ)。

……我ながら気持ち悪いな。サラッと第四の壁を破壊してるし。

――――

八幡「……じゃあ」

戸塚「うん、じゃあね、八幡! また一緒に練習しようね!」

八幡「おう! 次までにはミスをゼロにしてくるぜ!」

ミスりまくった俺に、こんな言葉をかけてくれる戸塚はマジ天使。

戸塚母「また来てね」ニコッ

戸塚父「あいつによろしく言っといてくれ」

八幡「はい。お邪魔しました」

そして俺は帰途についたのであった。

八幡「ただいま」

小町「おかえり、お兄ちゃん! どうだった!? 初めてのスタジオ練習どうだった!?」

八幡「別にどうもこうもねーよ。強いて言うなら戸塚が可愛かった」

小町「だからなんでゴミいちゃんはすぐそっちに……」

八幡「親父は?」

小町「えっ? まだ帰ってないけど……」

八幡「今日は帰るの早いのか?」

小町「夜ご飯の前には帰ってくると思うよ」

八幡「そっか」

なら、話をするのは夕食の後にしよう。聞きたいこともたくさんあるし。

小町「お兄ちゃん、お父さんと何かあったの?」

八幡「何もねぇよ。ただいろいろ聞きたいことが出来たんだ」

小町「ふぅ?ん」ニヤー

八幡「何だその顔は」

小町「べーつーにー?」ニヤニヤ

殴りたい、この笑顔。

小町「ただ最近お兄ちゃんとお父さんが話すことが多くて、小町的にちょっとポイント高いかなーって」

おいおいなんでだよ。別にこれくらい普通なんじゃねぇの? 下手したら親を使えるだけ使う、スネかじりの典型にすら見える。働いたら負けだからそれなりに仲良くしとかないとな!

ガチャッ

八幡「よお」

八幡父「おう。あのギターは調子いいか?」

八幡「おかげさまでな。びっくりするほどにいい音だわ」

八幡父「お下がりなんて、と思うかもしれないが、実際そこまで安いのでもないしな」

八幡「……戸塚って知ってるか?」

八幡父「……!?」

八幡父「どうしてお前があいつを……!?」

もうこれは確定ですわ。俺と戸塚の親父が同じバンド仲間だったとか凄すぎんだろ。最早前世からの因縁を感じるレベル。やはり戸塚ルートか。

八幡「うちのクラスに戸塚ってやつがいてな。そいつと一緒にライブに出ることになったから、練習しにそいつんちに行ったら、親に会ってそれでいろいろ聞いた」

八幡父「……何だそりゃ。んなことってあんのか……?」

八幡「俺もまだ信じられん。……親父も、バンドやってたんだな」

八幡父「……まぁな」

俺はこれをどうこう言う気はない。自分の恥ずかしい過去を、子どもに聞かせたくないと思うのは当然だ。俺もあの文化祭の一件とかは絶対に話さないと思うし。

しかし、そこから親父は少しずつではあるが、いろいろ話してくれた。当時はバンドブームだったこととか、今ではヒムロックで有名なBOOWYの人気が凄かったこととか、モテたいと思って始めたギターにドが付くほどハマッて留年しかけたとか、……おい、最後のは親父のイメージ的にあり得ねぇだろ。

最終的にはバンドをやってたのがバレてヤケになっているのか、親父がバンドをやっていた頃に使っていたエフェクターをもらった。今度のスタジオ練で試してみよう。

一週間後

ガララー

八幡「うーす」

雪乃「…………」

八幡「? どうした?」

雪乃「比企谷くん……私は、とんでもない怪物を生み出してしまったのかもしれないわ……」

八幡「何があったんだ?」

雪乃「ここのところ私と由比ヶ浜さん連日でカラオケに行ってたでしょう?」

八幡「ああ、由比ヶ浜が毎日死にかけてたな」

雪乃「なかなかお腹で呼吸するのがわからないらしくて、苦労してたんだけど、昨日ようやくコツを掴んだのよ」

八幡「なんだ、いいことじゃないか」

雪乃「でもね――」

結衣「やっはろーーーーー!!!!!!」ガララ

八幡「うるさっ!?」

雪乃「……逆に腹式呼吸しかできなくなってしまったの」

結衣「それでねヒッキー!!!」

八幡「うるさいうるさい。もっとトーンを下げろ」

結衣「えー!? これでも結構抑えてるんだけどなぁー!!」

八幡「だぁー! 耳が痛い! 抑えててなんでそんなに『!!!』が出るんだよ!?」

結衣「そんなにうるさい!?!?」

八幡「すっげぇうるせぇよ! お前の耳おかしいんじゃねぇの!?」

結衣「おかしいって言うなしっっ!!!!!!」

八幡「」キーン

結衣「えっちょっと、ヒッキー!! ヒッキーッッ!!!!!」

結衣「誰か……! 誰か……!! ヒッキーを助けてくださいっっ!!!!!!」

雪乃「…………」(←高級耳栓着用済み)ペラッ

後に由比ヶ浜は腹式呼吸と普通の呼吸の使い分けができるようになったらしい。ちなみに俺はこのあと数時間音が聞こえなかった。

それからさらに一週間が過ぎた。

……ジャーン!

川崎「……ふぅ」

戸塚「……ようやく、だね」

八幡「ああ。……長かった」

雪乃「ようやく、ここまでできるようになったわね」

結衣「んんんーー、やったぁーーー!!!」

それは初めて、まともに音が揃った瞬間だった。

――――

雪乃「まだまだ本番まで時間があるから、みんなもっと練習して技術を向上してくるように」

一同「「「「うす(了解)(わかった)(うん)」」」」

ガヤガヤ

八幡「しかし元から上手かったけど雪ノ下のギターの腕前も格段に上がったよな」

結衣「あっ!! それはねっっ!!!!!」

八幡「だから……声でけぇっつーの……」キーン

結衣「あっ、歌モードから戻してなかった」

何だそれは。歌で戦ったりするの?

結衣「ゆきのんも他のところと掛けバンしてるんだけどね――」

八幡「マジかよ。初耳だわ」

結衣「そのバンドメンバーの中に優美子がいるんだ……」

三浦『雪ノ下さんちょっとズレてない?』

雪乃『何を言っているのかしら? あなたのリズム感の方こそズレているんじゃないの?』

三浦『あんたあーしに喧嘩売ってんの?』

雪乃『いえ、喧嘩なんて同じレベルの間でしか生じないもの。だからそもそもあなた相手に売る喧嘩なんてないわ』

三浦『それが喧嘩売ってるって言ってんの!』

その他((空気が痛い……!))

結衣「――ってことがあってね」

八幡「そりゃ意地でも上達せざるを得ないわけだ」

結衣「うん。それにこのロックフェス一番だけじゃなくて、上から十番目まで決めるから、そこでも競ってるみたいだよ」

八幡「あの雪ノ下がここまで燃えているのも頷けるな」

結衣「だからカラオケの時だって……うぅっ」

八幡「わかった。もうわかったから何も言うな」

雪ノ下さん一体どんな特訓したんですか。うまい食事と適度な運動でもさせたんですか? ガハマさん完璧トラウマになってますよこれ。

戸塚「はちまーん」

八幡「お、なんだ?」

戸塚「今日も僕の家に寄って行く?」

八幡「そうだな。まだ不安なところあるし」

結衣「えっ? ヒッキーが彩ちゃんちに?」

八幡「ああ、練習しにな」

結衣「何それ楽しそう! あたしも行きたい!」

八幡「いや、でもなぁ……」

戸塚「うーん、僕も本番まで見られたくないしね……」

結衣「ん? どゆこと?」

八幡「……言ってもいいよな?」

戸塚「うん、このまま言わないでいるよりはいいよ」

八幡「俺、このライブが終わったら、戸塚と結婚するんだ」

俺と戸塚でライブに出るんだ……ってあれ?

結衣「えっ?」

戸塚「えっ?」

八幡「……俺、今、何て言った?」

結衣「さ……彩ちゃんと……けっ……けっ――」

??「結婚!?」バンッ

八幡「うわ! びっくりした!」

結衣「平塚先生!? どうしてここに!?」

平塚「結婚だと……? まだその年齢でか……? 私でもまだしてないんだぞ……?」

八幡「してないんじゃなくてできないんじゃなすびいいいいぃぃぃぃぃ……」ドガシャアアアアアアアアアアアアアアアア…

結衣「ヒッキー!?」

雪乃「ものすごい勢いで飛んでいきましたね。ドップラー効果をこんな風に実感する日が来るとは思いませんでした」

平塚「記録は?」

川崎「10m22cm」

平塚「おしい、新記録まであと10cm足りなかった!」

八幡「……だ……れか……俺……の……心配を……」ガクッ

戸塚「はちまああああああん!!」

とりあえず再投下ここまで。
早めに前回までのところに行けるように頑張ります。

おつ 期待してる

>>45
そういう嘘付いちゃだめだよ

乙です

戸塚との甘い時間が過ぎて家に帰る途中、見覚えのある後ろ姿に出くわした。

……てか材木座じゃん。なんでこんなとこにいるんだよ……。気づかれないように――

材木座「む、この気は……八幡か!?」バッ

八幡「違います(裏声)」

材木座「久しぶりだなぁ、八幡よ。我の新作の設定を見せてやりたいところだが、あいにく我にも時間がなくてな」

八幡「なくてよかったよ」

材木座「風の便りに聞いているぞ、お主が今度のライブに出ると」

八幡「どこ情報だ」

材木座「名前は言えぬ。ただ『ハヤハチじゃなくて残念』と無念そうに言っておったな」

もうわかりましたよ。てか、なんで情報源がそこからなんだ? こいつらに接点あるのか? ……あ、体育祭があったな。

材木座「時に八幡よ。実は我もライブに出るのだ!」

八幡「一人で弾き語りか? なら野次くらいは飛ばすぞ」

ひっこめーとか、かえれーとかな。

材木座「ふふふ……甘いな、八幡。なんとぉ! 我もバンドだぁっ!!!」ギュイイイイイイイン!!

八幡「あっそ」

材木座「ちょっと待って! もうちょっと驚いて!!」

八幡「いや、正直興味ないし」

でも少しは聞いてやるか。ちょっと可哀想だし。

八幡「で、何やんの?」

材木座「敵に手の内を明かすわけにはいかんな」フフン

八幡「うぜぇ……超殴りてぇ……」

材木座「ちなみに我はドラムだぞ」

八幡「へーそうな……ドラム?」

ボーカルじゃなくて? それは宝の持ち腐れじゃないのか? 唯一と言っていいレベルの長所が活かせないなんて。

材木座「今、貴様は『それは宝の持ち腐れじゃないのか?』と思ったな?」

八幡「なに……!?」

思考が読まれているだと!? こいつまさか超能力者か!?

八幡「自分でそう思ってんなら、ボーカル志望すればよかっただろ」

材木座「甘い、甘いぞ八幡! 我のようなぼっちがそんなことできるわけないであろう! バンドに入れてもらえただけでも奇跡だ!」

ドラムやっといてよかったーと感慨深くぬかす。まぁ確かにドラムってのは貴重だよな。需要と供給のバランスがとれてないポジションナンバーワンだと思う。それでも材木座に頼るとは、相当そのバンドも後がなかったんだろうなぁと同情する。だが戸塚はやらん。

八幡「ま、お前んとこも見てはやるよ。見るだけはな」

材木座「うむ、我も八幡の勇姿、しっかりとこの目に焼き付けるぞ」

八幡「いや、それはキモい」

――――

それから材木座と少し雑談をしてから別れ、足を家の方向に向けた。

――♪

ふと、どこからか誰かの歌声が聞こえる。

その物音一つでかき消えてしまいそうな歌声は、月が綺麗なこの夜によく似合っている。

ここは……公園? ストリートミュージシャンでもいるのだろうか。

しかし予想とは違ってそこいたのは、俺のよく見知った人間だった。

彼女は月明かりを背に、小さな声で歌っていた。きっと、俺以外の人間には聞こえていないだろう。

八幡「……川崎?」

向こうは俺の存在に気づいていないようで、歌い続ける。

何だっけ、この歌。聞いたことはあるのに、名前が思い出せない。

聞き惚れていると、いつの間にか曲は終わっていた。

そして、そのままボーッとしていたせいで、振り返った川崎に見つかってしまった。

川崎「……えっ?」

八幡「よ、よぉ……」

川崎「あの……まさか……」

八幡「……お前、歌上手いんだな」

川崎「??????!!」カァァァッ

無意識で歌ってたのが聞かれるのは恥ずかしいよな。気持ちはわかるぞ。俺も小町に聞かれてから、家で鼻歌すんのやめたし。

まぁ、恥ずかしがるほど下手じゃないというか、むしろ上手かったからいいんじゃないかと思う。

川崎「忘れて、お願いだから忘れてっ!」

八幡「別に上手いからいいんじゃねぇの?」

川崎「いや、だからそういうのじゃなくて……」カァァ

恥ずかしすぎて顔が真っ赤になっている川崎さん可愛い。

八幡「…………」

川崎「……ってよ」

八幡「はい?」

川崎「あんたも……歌ってよ……」

八幡「待て待て、どうしてそうなった」

川崎「うるさいなぁ、ただの八つ当たりだよ」

八幡「……お前、酔ってんの?」

川崎「一応未成年だし、その辺は守ってる」

八幡「深夜にバイトしてたやつが言えるセリフじゃねぇよな」

川崎「うるさい」

川崎が俺を睨みながら近くのベンチに座る。怖いんすよ、その目で睨まれると。

八幡「よいしょと」

と、親父くさいかけ声と一緒に隣のベンチに座った。

逃げたら殺すぞ、みたいな目でこっち見てくるし。

川崎「とりあえずあんたも歌いな。これ、命令ね」

八幡「理不尽すぎるだろ。普通に断るわ」

川崎「別にいいでしょ。減るものでもないし」

八幡「俺のMPが一気に削れるし、さらには黒歴史が増えるだろ」

川崎「ならプラマイゼロだね」

八幡「黒歴史が増えるのはプラスにカウントされないから。むしろマイナスだから」

川崎「戸塚とは二人でいろいろやってるのに?」

八幡「誤解を生むような言い方はやめろ。……ってなんでお前が俺と戸塚で出るの知ってんの?」

川崎「誘われてるの見てたから」

八幡「どうやって? お前あのシーンに出てこなかっただろ」

川崎「声出してないだけで、あの場にいたから」

これが叙述トリックか……。てかメタだな。デップーさんには及ばないけど、だいぶ第四の壁破壊してる気がするわ。

川崎「そうだ、あんたギター持ってんだから、そのまま弾き語りでもいいよ」

八幡「待て待て待て待て待て。エレキの生音で弾き語りとか見たことも聞いたこともないぞ」

川崎「夜なんだし、それでちょうどいいでしょ」

八幡「…………」

あれ? そう言えばさっきから段々押されている気が。今の会話とか完全に歌うこと前提になってるじゃん。

――まぁ、いっか。

俺もいいもの聞かせてもらったしな。少しくらいはお返ししてもいいだろう。

八幡「てか俺そんな歌上手くねぇぞ」

川崎「いいよ。あたしはあんたの歌が聞きたいだけだから」

八幡「えっ?」

川崎「えっ?」

川崎「ちっ、違う! 今のは言葉のアヤというか……!」アワアワ

八幡「おっ、おう……」アセアセ

川崎「そ、そうだ。あれだよ。あんたの歌のレベルを検定してあげようというかなんというか……!」アワアワ

八幡「あ、ああ。なるほどな……」アセアセ

川崎「うん……。だから……」

八幡「…………」

川崎「…………」

そして沈黙である。お互い顔を背けて何も言わないまま……気まずい!

川崎「…………」チラッ

八幡「…………」スッ

川崎「……!」サッ

八幡「……?」

てか俺ここにいなきゃならない理由もないんだよな。そろそろ帰ろうかな。

川崎「…………」チラッ

さっきからチラチラ見てくるし、何なんだよ。頭に何かついてんの? このアホ毛は生まれつきだよ。

八幡「……なんだよ?」

痺れを切らしてこっちから聞いてみると、川崎は小動物のように小さく震えて、恐る恐る俺に問う。

川崎「……弾かないの?」

八幡「はっ?」

川崎「……ギター」

八幡「む……」

やっぱりやらなきゃダメ? 流石に他に人がいないとは言っても、恥ずかしいよ?

仕方なくケースを開き、その物体を取り出す。

川崎「やっぱりかっこいいね、そのギター」

八幡「だな、親父に感謝だわ」

川崎「比企谷のお父さんもギターやってたの?」

八幡「ああ。そして聞いて驚け。なんとその親父のバンドメンバーに戸塚の親父がいた」

川崎「とつ……ええ!?」

八幡「俺も驚いたよ。俺と戸塚は前世からの縁とかあるのかもしれないな」

川崎「すごいね……」

八幡「奇跡も魔法もあるんだよ」

川崎「十話はすごかった」

……やっぱりそういうのわかっちゃう人ですか。

川崎「何を弾くの?」

八幡「多分お前は知らん」

これからやるのは俺も戸塚に教えてもらわなかったら知らなかった曲だし。てか有名な曲を知ってる人の前でやるなんて無謀はできねぇよ。

戸塚から勧められた曲の中で一番ピンと来たのがこれだった。調べたらこの二人の中でも一番有名な曲らしい。実はミーハーなのか、俺は。

それで、何となく自分でも弾いてみたくてコードを覚えた。本当はカポをつけるべきだが、そんなの持ってないし、今は半音くらい下がっててもいいだろ。

川崎「それでも、何て曲?」

八幡「……『Sound of Silence』」

http://www.youtube.com/watch?v=KadMMDJjxfo

八幡「Hello darkness, my old frend……♪」

伴奏を簡単なアルペジオで誤魔化しながら、小さなギターの音が消えてしまわないように、なるだけ声を抑えて歌う。

静寂の音、なんて歌なんだからこれくらいで丁度いい気がする。一番のあたりは声も上手く出ず、震えたりもしていたが最後の方はだいぶマシになっていた……と思う。

八幡「And whisper'd in the sound……」

八幡「……of silence……♪」

最後に親指の腹で弦を撫で、いい感じで締める。うん、こんなもんでいいな。

演奏が終わって川崎の方を見ると、彼女は目をつぶって聴き入っていた。

八幡「…………」

そのまま俺が何も言わずにいると、川崎はゆっくりとその目を開く。

川崎「……あんただって、悪くないじゃん」

八幡「お世辞でも嬉しいな。ありがとう」

川崎「別にお世辞じゃないから」

八幡「そうか」

川崎「……さすがに歌詞の意味とかまではわからなかったけど、いい曲だね」

八幡「ああ。歌詞も結構詩的でいいぞ」

川崎「帰ったら調べてみる。……それを戸塚とやるの?」

八幡「いや、違う曲だ。歌ってるアーティストは同じだけど」

川崎「ふーん……」

八幡「おっ、そうだ。お前がさっき歌ってたのも教えてくれよ」

川崎「ああ、あれはね――」

川崎の口が曲名を告げる。

八幡「あーそうだ。そんな名前だったな」

川崎「やっぱり知っているんだ?」

八幡「そりゃ有名だしな、それ」

川崎「まぁ、そうだね……」

川崎の口調がだんだん弱々しくなり、そのまま空を見上げた。

八幡「……?」

川崎「……あたしね、その曲がすごい好きなんだ」

八幡「はぁ……」

川崎「すごくカッコいいロックなのに、どこか切なくて……」

彼女の目は空に浮かぶ月から動かない。ただそのまっすぐな瞳で、遥か彼方にあるそれを見つめている。

ああ、そうか。

川崎は本当はその曲が一番やりたかったんだ。でも、あのバンドではできない。さらに戸塚の女性ボーカル案が、思い留まらせる要因になってしまったのだろう。

戸塚に罪はないけどな。その可愛さはギルティだが。

川崎「ねぇ」

八幡「ん?」

川崎「あんたさ……この月、どう思う?」

そう言って空を指差す。いま気づいたが、今夜は満月だ。

八幡「綺麗……だと思うが」

そう、と川崎はようやく空から視線を外した。そしてそのまま今度は俺の目を見る。



川崎「あたしも、そう思うよ」

かの夏目漱石が『I love you』を『月が綺麗ですね』と訳したというのは、あまりにも有名な話だ。

もう有名すぎて、夏目漱石の小説を読んだことのないやつでも知ってるレベル。おい、そこで因果の逆転しちゃダメだろ。ゲイボルグかよ。

さて、ついさっき、川崎にそれに近いことを言われてしまったわけだが……。

八幡「……やっぱ、自意識過剰だよな」

本当にそのままの意味で月が綺麗だと言ったのだろう。丁度満月だったし。

……だが、あの川崎沙希があまりにも有名すぎる、夏目漱石の逸話を知らないとも考えにくい。

もしも知っていたとしたら、川崎があのセリフのあとに取ると考えられる行動は――

川崎『べっ、別に、そういう意味じゃないからね!?』

――とかだろ。何この典型的なツンデレ。

しかし、川崎はそうはしなかった。

そのまま何も言わずに、あの場から去ってしまった。

凛とした歩き方で、いつも通り、クールに。

あの話を知っていて、その上でとった態度があれだとするのなら……。

……わからない。

彼女が何を考えていたのか、また、何を考えているのか、さっぱりわからない。

だが、実に面白い(福山雅治風に)。

いやいや、ふざけて現実逃避している場合でもないな。

よく考えてみると、言われたのは直接的じゃないんだよな。ただ、俺の感想に同意しただけだし。

でも、それでも、ただの同意にあんな目をするだろうか。

月から離れた視線が俺に向いた時の川崎の目は、まるでそこに宇宙の全てがつまっているかと錯覚してしまうほどに、輝きに満ちていた。

つまり、それだけ川崎の表情が真剣だったということだ。

人の意見に同意するだけで、普通あそこまで真剣になるだろうか。

もしかして、川崎は――。

八幡「いやいや待て待て待て。それで俺は何度失敗してきた?」

万人に向けられた優しさに、何度意味を見出そうとした?

意味のない行為に勘違いして、何度黒歴史を積み重ねてきたんだ?

これだってそうに決まっている。

八幡「川崎がああ言ったのは、ただ満月で本当に月が綺麗だったから」

八幡「目が真剣だったのは、暗くて周りが見づらくて目を凝らしていたから。つまり何か特別な意味があるわけじゃない」

LED。照明終了。

間違えた。QED。証明終了。

明るくするのやめてどうすんだよ。不良品じゃねぇか。

八幡「さて、勘違いも解消したしギターやるか」

フレンズのギターソロのところを完璧にしねぇとな。あそこミスったらマジでカッコ悪りぃ。

八幡「…………」

?♪



川崎『あたしも、そう思うよ』



八幡「!」

バチンッ!!

八幡「げっ!?」

瞬間、一番細い弦が宙を舞う。

八幡「弦が……切れた……」

張力を失った一弦は、腑抜けたようにダランと垂れ下がっている。

八幡「……厄日か?」



小町「何だかんだ言って、ものすごい動揺してるね……お兄ちゃん……」ソロー

二週間後

死ぬ気の練習のおかげもあって、俺たちのバンドはもうかなりの完成度になっていた。残るは最後の微調整程度である。

八幡「人間為せば成るもんだなー」

あの由比ヶ浜がまともにピアノが弾けるようになると、誰が予想できたであろうか。

ドドドドドドドドドドドド…

……この大群が押し寄せてくるような足音で近づいてくる人間を、俺は一人だけ知っている。

材木座「はああああああちいいいいいいまああああああああああん!!!」シャバドゥヴィダッチヘンシーン!!

材木座義輝がわけのわからない効果音とともに登場した。

八幡「おう、材木座。どうかしたか?」

材木座「特に用はないぞ?」

じゃあなんで話しかけてきたんだよ。

俺がゲンナリしているのを見て心情を察したのか、材木座はそのまま続ける。

材木座「用なしで話しかけてはいかんのか?」

八幡「別にダメってわけじゃないが、友達でもないのに用なしで話しかけるとかないだろ」

材木座「ふ、ならば問題あるまい。我とお主は前世からの主従関係なのだからな」

八幡「お前の頭の中ではな」

材木座「実際そんなこともあるのかもしれんぞ?」

えっ、何それやだ。前世からの縁が今も続いているのは戸塚だけだ。こいつは絶対にあり得ない。たとえそうでも認めないぞ!

八幡「んじゃ、用がないなら俺はか――」

ゴーインゴーインアロンウェーイ

八幡「む、電話……あれ?」

材木座「我のだ」

お前も着信音これなのかよ。ややこしいな。

材木座「我だ」ピッ

てかお前に電話がかかってくることあんのかよ。ちくしょう、何か負けた気分だ。

材木座「ふむ……ふむふむ……なるほどな……」

材木座「……了解した。……なぁに、我とお主の仲だ。気にするでない」

我とお主の仲って、こいつに友達いんのかよ。なら俺じゃなくてそっちに行けよ。

材木座が受話器から耳を離す。

八幡「……何だって?」

材木座「軽音部の部長からでな」

こいつと軽音部の部長の仲が良い……だと……? 一体どんなマジックを使ったんだ!?

材木座「例のライブの件でな、出場キャンセルの期限が今日までなのだ」

八幡「あー、もうわかったわ」

恐らくそのキャンセルが続出したのだろう。そもそもまともにライブに出る気のないやつも応募だけする、みたいなの多そうだしな。

その結果、セトリの調整が難しくなったわけだ。

材木座「それで時間にかなりの余裕が出来た故、これからの追加申し込みが可能になったとのことだ。但しその場合、キャンセルは不可という条件付きでな」

八幡「ふぅーん、まぁ俺には関係ないな」

材木座「いや、どうだ? 我とお主で出てみるのは?」

八幡「需要ないだろそれ。キングオブぼっちとただの中二病のデュオとか誰も見たくねぇよ」

材木座「お主もただのぼっちであろう」

八幡「うっ……うるせぇ……」

こいつと出る……ねぇ。まぁ割と余裕はあるから不可能ってわけじゃな――。

ふと、あの時の光景が脳裏をよぎる。

月光の下で歌っていた彼女の姿が、まぶたの裏にはっきりと映し出された。

――そうだ。

八幡「……材木座」

材木座「何だ?」




八幡「ドラムでもう一曲、やれるか?」



材木座「ふ、愚問だな」



材木座「八幡の頼みとなれば、断る理由など、ない」



八幡「……そうか。ありがとな、愛してるぜ材木座」



材木座「うむ、我もだ」



八幡「うるせぇ、きめぇよ」



八幡「あと二人か……」

俺の中でメンバーは決まっている。あの二人なら、きっと了承してくれるだろう。



特に一人は、きっとそれを願っているのだから。



まぁそいつのためじゃないんだけどな。ただの利害の一致というやつだ。

八幡「ただいま」

リビングに入ると、小町がソファに寝転んでいるのが目に入った。

やっぱり小町は可愛いな、目に入れても痛くないレベル。

小町「おかえり、お兄ちゃん。ついにあと二週間だね」

八幡「おう、割と余裕で間に合うな」

小町「今回のライブは一般公開されるみたいだから、小町もお兄ちゃんを見に行くね! あっ、これ小町的にポイント高い!」

八幡「あー高い高い」

小町「うわーてきとー」

リビング内を見渡す。親父はまだ帰っていないようだ。

小町「お父さんはまだだよ?」

八幡「別に何も言ってないだろ」

小町「お父さんのこと探してたんじゃないの?」

八幡「ばっか、ちげーよ」

小町「小町に隠さなくてもいいんだよー? 最近お兄ちゃんとお父さんよく話すようになったもんね」

八幡「そうか?」

小町「そうだよ。増えたとは言っても、バンドの話ばっかだけど」

いざ、思い返してみればそんな気もする。少なくともギター始める前よりは、話す機会が確実に増えている。

八幡「そーかもな」

小町「うん。それに、話せるうちにいっぱい話しといたほうがいいよ」

八幡「は?」

小町「親とだよ。お父さんとも、お母さんとも」

八幡「なんで?」

小町「気づいた時には、もう遅いからねー。いざ話せなくなってからだと、もっと話をしておけばよかったーって、後悔するよ?」

八幡「…………」

小町「……って、何かの本に書いてあった!」

八幡「最後で台無しだよちくしょう!」

小町「それにしてもお父さん、最近帰って来るの遅いこと多いよね」

八幡「元々社畜だし、これが普通だろ」

小町「ちょっと前まではもっと早く帰って来てたけどね」

八幡「……そんな気もする」

小町「多分ね……」

小町「それはお父さんが、お兄ちゃんと話すのが楽しいからなんだと思うよ」

親父が俺と話してて楽しい? 何を言っているんだこの妹は。

八幡「んなわけねーだろ。お前と話してる方が百倍イキイキしてる」

小町「そうかな? 小町にはよっぽどお兄ちゃんと話してる方が楽しそうに見えるよ?」

八幡「それはお前の目が節穴なだけだ」

小町「……はぁ。これだからゴミいちゃんは」

八幡「兄妹ってのは、お互いに相手の方が親に大事にされてるって思うらしいから、それなんじゃねぇの?」

小町「えっ、そうなの?」

八幡「……って、何かの本に書いてあった」

小町「パクりは小町的にポイント低いよ」

――――

ゴロン

ベッドの上に寝っ転がる。

やらなきゃならないことが増えてしまった。

ちょっとしたイタズラ心ってのはあれだな、自分をさらなる窮地に追い込むから良くないな。

もう一つバンドをやって、ステージであいつらの目の前に現れた時の驚く顔が見たいだけで、こんなことをやるなんて、我ながら狂ってる。

マッドだ、マッドサイエンティストだ。

フゥーハッハッハッハッハッハッ!!



……本当にそれだけか?

一週間後

川崎「……一つ質問、いい?」

八幡「お、おう……」

川崎「どうして練習場所があたしんちなの?」

八幡「仕方ないだろ。さすがにハモりの練習にスタジオなんか使ってたら、金がすぐなくなるし、だからと言って戸塚のところを毎回毎回貸してもらうわけにもいかないし」

川崎「まぁ、そうだけど……」

八幡「ほら、とりあえず本番まで時間ねぇし、練習すんぞ」

川崎「う、うん……」

?♪

……聞いてみるべきだろうか。

あの時の言葉について。

八幡「なぁ、川崎」

川崎「ん?」

八幡「あのさ――」

『え……、それって、……俺?』

瞬間、脳内でフラッシュバックされる中二の記憶。

これは、そうだ。

単なる偶然やただの現象に意味を見いだそうとして、失敗した苦い思い出だ。

八幡「――いや、何でもない」

川崎「なに? そうゆうのなんかモヤモヤして嫌なんだけど」

八幡「本当に、何でもないんだ」

あれに意味なんてない。

あるはずが、ないんだ。

川崎「……ねぇ」

八幡「なんだ?」

川崎「……これって、あたしのため?」

八幡「違うな」

川崎「じゃあなんでこんなことを?」

八幡「ただ単に雪ノ下と由比ヶ浜を驚かせたいだけだ。あいつらには驚かされてばっかだから、たまには仕返しをしてやりたいんだよ」

川崎「……そう」

八幡「そうだ」

川崎「……ら」

八幡「は?」

川崎「なら……」

川崎「そういうことにしておくよ」

川崎はフッと微笑みを浮かべる。

不覚にも、それが少し可愛いと思ってしまった。

ライブ前日 夜。

?♪

俺の暇つぶし機能付き目覚まし時計から、ついさっき録音した自分の声とギターの音が流れてくる。

八幡「……よし、ノーミス。音程も問題なし」

これで少しでも俺の音程がズレてたら、戸塚の美声が台無しだからな。

八幡「……いや、もう一回だけ」

この作業をもう十二回ほど繰り返している俺である。何かしてないと落ち着かない。ライブの前日ってすげぇ緊張すんのな。

小町「お兄ちゃーん、ごはんだよー」

一階から俺を呼ぶ声。時間を見るともう七時を回っている。おかしいな、なんでもう陽が沈んでいるんだ?

えーと、弾いたのを録音して、二回聞き直す、この一連の作業に約十五分。

それを十二回だから……三時間?

そりゃ陽も沈みますわな。

――――

八幡「今日の夕飯は……カツカレー?」

小町「ベタだけど縁起を担いでみたよ!」

八幡「別に誰かと戦うわけじゃないんだけど」

小町「えっ? 一番とか決めるんじゃないの?」

八幡「そういやそんな設定あったな」

小町「設定?」

八幡「こっちの話だ」

トンカツのカレーのかかっていない部分はサクサクしてそうで、とても美味そうだ。かかってる部分は言うまでもない。

八幡「このカツはどうしたんだ?」

小町「小町が帰りにさぼてんで買ってきた」

八幡「さぼてんのトンカツか。やるじゃないか」

美味いよな、さぼてんのトンカツ。しかもちょっと食べたくなったら買える場所にあるのが、八幡的にポイント高い。

小町「えっへへー」

八幡「じゃあ食うか」

小町「うん!」

八幡・小町「「いただきます」」

ガッツガッツカツウメー

小町「ついに、本番だね……」

八幡「ああ。戸塚にだけは迷惑をかけないようにしないと」

小町「他の三人にもだよ? 特に川崎さん」

八幡「!?」ガタッ

小町「ふーん」ニヤニヤ

八幡「なっ……!?」

まさか、比企谷家奥義カマイタチ(ただのかまかけ)を俺が喰らう……だと……? ミイラ取りがミイラになる、そのものじゃないか! あとおいそこ! お前の目は元々ミイラだろとか言うな!

小町「ねぇーお兄ちゃーん。大志くんのお姉ちゃんと何があったのー?」

八幡「大志!? いつの間に下の名前で呼び合う関係になっていたんだ!?」

そうだ、殺しにいこう(京都に行くノリで)。

小町「今苗字で言っても却ってややこしくなるからそう言ってるだけ。あと、話逸らさない」

八幡「くっ……」

さすが、伊達に十五年間俺の妹やってねーな。

八幡「別に何も――」

小町「何もないは無しだからね」

八幡「――ねーよって、言わせろよ」

小町「でー? 本当は?」

八幡「何もない。本当に何もないぞ」

小町「えー?」

八幡「はい、この話は終わり。美味いカツが冷めるし、食おうぜ」

そう言ってカレーを口に含む。このジワジワした辛さがたまらなく好きだ。

小町「……お兄ちゃん」

八幡「…………」パクパク

小町「月が綺麗ですね」

八幡「ぶふぅっ!?」ブシャーッ

八幡「げほっ、げほっ……」

小町「ぬふふ?。小町に隠し事なんて無駄だよ、お兄ちゃん♪」

八幡「おま……なんで……」

小町「さて、なんででしょうね??」

小町「そんなことより、『何』があったのかなぁ?」

八幡「……本当は全部知ってるんじゃないのか?」

小町「何でもは知らないよー? 知ってることだけー」

八幡「それはお前が使っていいセリフじゃない。てかなんでそのセリフを知っている」

小町「こまけぇこたぁいいんだよ!」ブンッ

八幡「妹が何を言っているかわからない件」

小町「いいかげんにしてーほしいけどーあなたー♪」

八幡「きみといーるーとーなんかたのしいー♪」

小町「ふたりでいるとーとても嬉しいー」

八幡・小町「「なんだかーんーだーいまが幸せー♪」」

小町「ヘイッ!」

あんな奥さんが欲しい。そしてその専業主夫に、俺はなりたい。

さて、結論を言おう。

全部吐かせられました。どんだけ弱いんだよ俺。スライムでももうちょっと粘るぞ。

小町「……お兄ちゃん、いや、ゴミいちゃん」

どうして言い直したんですかね、小町さん。

小町「それはどう考えても告白だよ!」

八幡「違うだろ」

小町「違くないよ! それに、お兄ちゃんだって気づいてるんでしょ!? どこぞのラノベ主人公みたいな鈍感スキル身につけてないんだから!」

小町が、俺の小町が、どんどんダークサイドに堕ちている気がする。

八幡「いや、でもな……」

小町「なに? 言い訳なら聞くよ?」

目がこええよ。あとこわい。

八幡「もしも本当にそうなら、もっとわかりやすく伝えるだろ。こんな遠回りなやり方は普通は選ばない」

小町「それが限界だったとかじゃないの?」

八幡「……それでも、腑に落ちない。だから今度も違うと、勘違いだと、言い聞かせている」

わからない。

どうして、彼女があんなことをしたのか。

奇妙を飛び超えて奇怪ですらある。

八幡「それに、明日はライブ本番だしな。余計なことは考えたくないんだ」

小町「……そう言われると、小町も何も言えないよ。明日失敗して欲しくないし」

お兄ちゃんが頑張ってたの見てたから、と小町が呟く。

八幡「おう。じゃあとりあえず保留にして飯食うぞ」

――忘れようとしても頭の端にわずかに残る違和感。

そもそも川崎沙希という人間を、俺はそこまで知らない。

違和感の原因はこれだろうか。

よく知らないこそ、俺の中に形成されている彼女の中途半端なイメージと食い違うのだろうか。

……今思うと、この一ヶ月ずっとこのことばっかり考えているな。

一ヶ月前 とある公園にて

隣のベンチに座っているその男は、黙ったままで一向にこちらを見ようとしない。

あたしは、こいつが好きだ。

……多分。

いつからかも、理由もわからない。

気づいた時には、そうなっていた。

教室では暇さえあればこいつの方を見てしまう。

帰り際にもたまに何か話しかけようとする。うまくいった試しはないけど。

これを恋と呼んでもいいのかなんてわからないけど、とりあえずそういうことにしておこう。

でも、こいつはあたしのことなど何とも思っていないだろう。

あの時の言葉だって忘れているに違いない。

『サンキュー! 愛してるぜ川崎!』

……今思い出しても顔が熱くなる。

あの言葉だけのせいではないが、この気持ちの引き金になったのはやはりあれだ。

……なんか腹立ってきた。

あたしのこの恋が叶うことは、きっとない。

奉仕部の二人はあたしよりもずっと可愛くて、女子としてのレベルも高い。

その二人ですら落とせない相手を、あたしなんかでどうにかできるとは思えない、

かと言って最初から負けを認めるなんて、それも癪だ。

だから、こんなあたしが少しくらい牽制をしたって、バチは当たらないはずだ。

このまま、何もせずには終われない。

三十分後

川崎「…………」フラフラ

川崎「…………」ガチャッ

大志「あ、姉ちゃん。おかえりー」

川崎「うん……」フラフラ

大志「……?」

大志「何かあったの?」

川崎「別に……何もないよ……」フラフラ

川崎「あと、今日はご飯いらない……」ガチャッ

大志「あ、うん……」

大志「何があったんだろ……」

――――

川崎「ーーーーーーー!!」バタバタ

自分の部屋に入ると同時にベッドに飛び込み、枕に顔を押し付けて足をジタバタする。

川崎「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいー!!」

『あたしも、そう思うよ』

川崎「あたしは一体何を言ってるんだぁぁあああああ!!!」カァァァァァァ

川崎「…………」←疲れたので休憩

川崎「…………」←賢者タイム

川崎「……!」カァァ←また思い出した

川崎「ーーーーーー!!」バタバタ



大志「姉ちゃん……。これは比企谷さんに相談した方がいいっすかね……?」

そして、ついに本番当日がやってきた。

小町「大丈夫? 忘れ物ない?」

八幡「おう、大丈夫だ。ギターも持ってる、ピックもある、シールドも楽譜もチューナーもエフェクターも持った。完璧だ」

小町「……何か抜けてない?」

八幡「そうか? 俺としてはこれ以上ないくらいに――」

小町「お兄ちゃんそれでどうやって、ライブでギター持つつもり?」

八幡「ストラップ入れてねぇ! サンキュー、愛してるぜ、小町!」ダダダ

小町「小町もだよ、お兄ちゃん!」

――――

小町「今日は一日目だから戸塚さんと出るやつだけだっけ?」

八幡「そうだな。俺が一番力注いだのもあの曲だし、ちゃんと見ておいてくれよ。主に戸塚を」

小町「そこは自分の名前を出すんじゃないんだ……」

八幡「俺なんか見てても何も面白くねぇだろ」

小町「いやいや、面白いよ? キョドってるお兄ちゃんの姿とか、いつもにも増して不審度うなぎのぼりだから!」

八幡「マジかよ。ライブ中に通報されねぇかな」

小町「もしそうなっても小町は他人のふりをするからね」

八幡「最近妹が俺に冷たい件」

小町「いいかげんにしてー♪」

八幡「流石にもう歌わんぞ」

小町「お兄ちゃんノリ悪いー」

八幡「俺が元々そういうノリとかが嫌いなのは知ってんだろ。じゃ、いってくる」

小町「うん、いってらっしゃい」



こうして、俺の高校生活の中で、最も熱かったであろう二日間が幕を開けたのである。

学校に着き体育館に入ると、既に壇上には大舞台が出来上がっていた。

八幡「おお、すげぇな……。マイクやらアンプやらドラムセットやら、一通り揃ってるじゃねぇか……」

戸塚「はちまーん!」

八幡「おっ、戸塚。もう来てたのか」

戸塚「うん。家にいても落ち着かなくてね。他のみんなももう来てるよ」

そう言って指差す先には雪ノ下と由比ヶ浜がいて、少し離れたところには川崎もいた。

ふと、川崎がこちらを向く。

そのまま目が合ってしまった。

それを認識した瞬間、雷に打たれたかのように、俺の身体は動かなくなった。

八幡「!」パッ

しかしそれも一瞬で、動けるようになるとすぐに顔を背ける。

……やべ、変に意識し始めている。これは誰かを好きになる前兆だ。ソースは俺。自分のことだからあまりにも根拠がありすぎて困る。

てか、一瞬だけど見えた川崎の私服がなかなか可愛かったような気がする。もう一度チラッと見るくらいなら別にいいだろ。

ソローっと、視線だけ川崎に向ける。すると、向こうも同じようなことを考えていたのか、また目が合ってしまった。

八幡「!」パッ

何なんだよこれは! いつの間にここは少女漫画の世界になってたんだ!? 俺もチムドンドンすればいいのか!?

戸塚「八幡?」

八幡「うぉ! 戸塚か……」

戸塚「大丈夫? 顔が真っ赤だけど」

八幡「あ、ああ」

あ、なーんだ。そういうことか。どうりでさっきから心臓がドキドキするかと思ったら、戸塚が近くにいたからか。なら仕方ないな。

川崎「ねぇ」

八幡「ひゃうっ!?」ドキィッ

川崎・戸塚「「!?」」

前言撤回。やっぱり川崎のせいだわ、これ。

少し落ち着くために二人から距離をとる。

落ち着くには深呼吸が一番。ひっひっふー。これラマーズ法じゃねぇか。

葉山「やあ」

後ろから話しかけてきたのは葉山隼人であった。

八幡「おう」

葉山「驚いたよ。ヒキタニくんが出るなんて」

正直自分でも驚きです。

八幡「まぁ、あいつらに頼まれたしな」

視線で離れたところで話している雪ノ下と由比ヶ浜を指す。

葉山「それでも、少し前までの君ならやらなかっただろ?」

八幡「少し前っていつだよ」

葉山「文化祭の前あたりかな」

本当に頼まれる直前じゃねぇか。その時だったら断ってたのかよ俺。ならもう少し早く頼まれたかった。

葉山「それに、戸塚とも出るんだろう?」

八幡「……ああ」

葉山「俺には君が楽しんでいるようにしか見えないよ」

八幡「実は、そうなのかもしれないな」

そう言うと葉山は少し驚いたような表情をする。

葉山「驚いたな。素直に認めるなんて」

八幡「俺は元々こんなだ。お前の中で勝手に作り上げられた俺のイメージと食い違うだけで」

そのセリフは、どこか自分自身に言い聞かせているようでもあると思った。

葉山「……そうか」

八幡「ああ、そうだ」

葉山「おっと、俺はオープニングアクトだからもう行かなきゃ」

八幡「先頭か。頑張れよ」

葉山「ああ、ありがとう」

そこで会話を終わらせようと思ったが、葉山はまだ付け足す。

葉山「ヒキタニくんの演奏も、楽しみにしてるよ」

八幡「俺なんかより戸塚を見ろよ。そっちがメインだ」

葉山「……そうだね」

そこで会話を打ち切ると、今度こそ葉山はまたいつもと同じ爽やかな笑顔を浮かべて俺に背を向ける。

……実はもう一個出ると知ったら、こいつはどんな顔をするのだろうか。

そんな馬鹿げたことを考えた自分に苦笑して、俺も葉山に背を向けた。



海老名「ねぇ、隼人くん! ヒキタニくんと何を話してたの!? ねぇっ!? ちょっと、無視しないで、隼人くん! ハヤハチは――」



……この人も某スプラッシュマウンテン顔負けの新京成線の如く、平常運転ですか。なんか安心した。

体育館の外に出て楽譜と歌詞をもう一度確認する。季節が変わって冷たくなった風は、ギタリストの指にとっては天敵だが、中に居場所がないから仕方ない。

やっぱ、ぼっちはギターなんてやるべきじゃねぇな。

~♪

……昨日からずっと同じ曲ばかり弾いていたからか飽きてきた。少し別の曲でもやるか。

戸塚から教えてもらった別のコードを覚えてる曲でもやろう。

~♪

https://www.youtube.com/watch?v=l3LFML_pxlY

ギターだけでおさめようと思ったが、気づいた時には声が出てしまっていた。

八幡「Looking for the places only they would know……♪」

八幡「lie-la-lie…♪ lie-la-lie-la-lie-la-lie…♪」

八幡「lie-la-lie…♪ lie-la-lie-la-lie-la-lie…♪」

八幡「la-la-la-la-lie…♪」

ガサッ

八幡「!」

背後に人の気配を感じる。

しまった、声が出ていた。しかもめっちゃ気持ちよく歌ってた。すげぇ恥ずかしい。

??「今の――」

八幡「…………」

声からして知らない人のようだ。知人よりはまだマシだからホッとする。

??「――サイモン&ガーファンクルですか?」

その名前が今を時めく女子高生の口から出たことに驚く。

八幡「……そうだが、知っているのか?」

靴を見る限り俺よりも下の学年の一年らしい。尚更助かった。

??「はい、前にYouTubeで見てから好きなんです」

すげぇな、YouTube。こんな昔の曲を現代の女子高生が知るきっかけになってる。

??「いいですよね、その曲」

八幡「そうだな。元気が出てくるっつーか……」

??「ギター……先輩もライブに?」

八幡「……まぁ、恥ずかしながら」

??「その曲を?」

八幡「いや、別の曲だ。それもS&Gだが」

??「そうなんですか! じゃあ楽しみにしてますね!」

八幡「先輩『も』ってことは、お前も出るのか?」

??「はい! 今日出ます! 流石にS&Gはやりませんけど」

八幡「お前みたいなザ・リア充な女子高生がやっても合わなさそうだしな」

??「えっ、それってもしかして口説いてます? すいません他に好きな人がいるので無理ですごめんなさい」

八幡「ちげぇよ……」

??「そうだ! 周りにわたし以外でS&G好きな人いないんで、今度語りましょうよ!」

八幡「俺の百倍好きなやつがいるから、そいつを紹介してやるよ」

??「それ本当ですか!?」

八幡「ああ」

??「じゃあその人も一緒に――」

オーイ、リハガハジマルゾー

??「あっ、もうこんな時間か。じゃあ先輩、また!」タッタッタッ

八幡「おう」

八幡「……てか誰だ、あいつ」

一通り確認が終わって体育館内に入ると、ちょうど俺たちの前のバンドのリハが始まるところだった。

戸塚「はちまーん、こっちこっち!」

大きく手を振る小さな天使が一人。ああ、ここは天国かい?

八幡「おー」

戸塚「……いよいよ本番だね」

八幡「そうだな」

戸塚「……緊張、してる?」

八幡「してるわけねーだろ。どうせ誰も俺の方なんか見ねぇし」

戸塚「そうかなぁ。雪ノ下さんたちは八幡のことを見ると思うよ?」

八幡「そうかぁ? むしろあいつらこそ俺の方を見ない気がする」

戸塚「そんなことないよ~」

ハイツギー

戸塚「あっ、出番だね」

八幡「だな」

まぶしいほどに照明のあてられたステージ。

そのほぼ中心に俺は立っている。

八幡「……やべ」

これめちゃくちゃ緊張するな。帰りの会とかで何度も立たされた俺に怖いものなんてないと思っていたが、これは尋常じゃない。

八幡「……!」

手が、震えている。視線を下に向けると足もだ。

立っていることすらままならない。

頭が真っ白になる。

俺は、何をすればいいんだっけ?

その時、俺の手がやわらかなあたたかさに包まれた。

顔を上げると、いつものように温和な微笑みを浮かべた戸塚の姿が目に入る。

戸塚「大丈夫?」

八幡「あ、ああ」

真っ白になった脳に少しずつ温度と色が帰ってくる。

はっとして手元を見ると、戸塚のその小さな手が俺の手を握っていた。

戸塚「緊張した時はいつもお父さんがこうしてくれたから……」

戸塚「僕の手じゃ力不足かもしれないけど……」

八幡「そんなことはない! おかげで緊張が全部飛んでいったぞ!」

戸塚「そっか……なら、よかった……」

リハ後

八幡「……本当にすまん」

戸塚「あはは……別にそんな謝らなくても……」

八幡「いや……いくらああいう舞台に立つのが初めてでもあれは……」

歌詞は忘れるし、ギターはミスりまくるし、俺の演奏はボロボロだった。

戸塚のおかげで手の震えとかは収まったものの、それでも慣れない大舞台の上で俺は無力だった。

……てか、戸塚に手を握られたせいで、脳が混乱したんじゃないかという説も絶賛浮上中である。

戸塚「大丈夫だよ。本番で失敗しなければいいんだから」

八幡「ああ……これがリハでよかったよ……」

そこからまた練習しまくっていたら、いつの間にかライブ開始の時間を迎えていた。

――

――――

ボーッと窓の外を見つめる。

枠の端に入り込んだ桜の木の枝にはまだ芽しかついていなくて、その花は咲いていない。

惜しいな。

今の時期に咲いていたら、綺麗なのに。

きっと、何週間か先に咲くよりも、今咲いていた方がずっと。

見慣れた廊下の壁に寄りかかっていると、遠くからジジジ……という機械の音と、何かを叩く音が聞こえる。

もうすぐ、その時は来る。

――

――――

パチッ

そんな音ともに体育館内の照明が落とされる。

ザワザワ…

会場がざわめく。かく言う俺も実は少しワクワクしている。てか何だよザワザワって。カードでジャンケンでもすんの? 映画は買い占めとかをやらなくて残念だったな。それでも面白かったけど。

司会『『おまえらぁっ!』』

司会であろう二人の声が響き渡る。それとほぼ同時にスポットライトがその二人にあてられた。

司会『『今日はよく集まってくれたなぁっ!!』』

オオオオオオオオオオオオオオッ!!

二人の叫びを皮切りに、一気に歓声が場内を埋め尽くす。

司会A『今日から二日間はっ!』

司会B『この総武高において最も熱い二日間になる!!』

司会『『準備はいいかぁっ!?!?』』

ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!

テンションは最高潮。この場の雰囲気もあるだろうが、あの二人の力も大きいだろう。

司会A『SOBU!』

司会B『ROCK!』

観客「「「「「FES!!!」」」」」

司会『『始まるぞぉぉぉっ!!!』』

司会A『さぁっ! このSOBU ROCK FESのトップバッターを務めるのは……』

司会B『Mr.総武高の名にふさわしいこいつらだぁっ!!』

一斉にスポットライトが消えて真っ暗になり、少し間が空いてステージの奥から真っ白な光が一気にこちらを照らす。

ステージにいる人間のシルエットを作る演出のようだ。中心にいるのがあの男であるからか、かなり様になっている。

静寂。

あれだけ盛り上がっていた観客が一言も発しないのは、そこにいる五人の影が微動だにしないからだろう。

戸部のドラムスティックが曲の始まりを告げる。

  Just give me a reason…

The Beginning
ONE OK ROCK

https://www.youtube.com/watch?v=Hh9yZWeTmVM

  As the world falls apart around us…

  All we can do is hold on hold on…

俺の知らない誰かのギターと、大岡のピアノの伴奏に葉山の声が乗り、静かだった会場が一気に熱狂の渦となる。

  Take my hand !

戸部のドラムと大和のベースが合わさり、葉山が拳を突き上げる。それに合わせて観客も手を上げ、リズムに合わせて手を振る。

  and bring me back !

葉山自身はボーカルに専念していて、楽器は持っていないが、音楽にノッて踊り狂う姿は、いつもの彼と同一人物には見えない。

戸塚「すごいね……」

隣にいる戸塚が声を漏らす。俺も同じ感想だ。

八幡「ワンオクってめちゃくちゃボーカルの声たけぇのに、少しもキー下げずに歌ってやがる……」

本当にできるやつって何でもできんのな。

  Just tell me why baby !

  They might call me crazy !

  for saying I'll fight until there is no more !

葉山隼人の一挙一動に場内が沸く。まるでこの空間を支配しているようだ。

  愁いを含んだ閃光眼光は感覚的衝動!

  Blinded I can't see the end !

  so where do I begin…

八幡「……やっぱ、すげぇな」

たとえどんなに頑張ったとしても、俺はこいつには敵わねぇ。

  何度くたばりそうでも朽ち果てようとも終わりはないさ

  It finally begins…

曲が終わり、さらなる歓声が湧き上がる。

それを聞いて安心したのか、葉山はふぅ、と一息をついた。あんなやつでも緊張はしていたようだ。最中は全くそんな風には見えなかったが。

葉山『お前ら……盛り上がってるかぁっ!?』

ウオオオオオオオオオオッッ!!

八幡「あいつあんなキャラだったか?」

戸塚「普段恥ずかしがり屋でも、ステージに上がると別人のようになる人っているからね」

あんなにキャラが変わるのは初めて見たけど、と付け足す。

八幡「ただなんか……すげぇイキイキしてる気がする」

戸塚「葉山くんは普段は自分を抑えているところがあるからね……」

八幡「あー、なるほどな」

いつの間にギターを構えていた葉山が、またマイクの前に立つ。今度はギターボーカルでやるようだ。

ふとキーボードを見ると、そこにはさっきまでいた大岡の姿が見えない。おそらく次の曲ではキーボードは必要ないから退散したのだろう。

葉山『次が最後の曲だ』

葉山『……スターフィッシュ』

言い終わると同時にメインギターがイントロを弾き始める。

おっ、この曲か。エルレとか千葉県民の俺得じゃねぇか。てかここにいるやつほとんど全員そうだな。

スターフィッシュ
ELLEGARDEN

https://www.youtube.com/watch?v=MOL73zwweYA

  おとぎ話の続きを見たくて

  すぐ側のものは見えなかった

  平気になった媚びた笑いも

  まとめて全部 剥がれ落ちるような

――今、あいつは何を思ってこの曲を歌っているのだろうと、そんなことを思った。

  綺麗なものを見つけたから

  また見えなくなる前に

ドラムの音に合わせて観客が飛び跳ねる。その光景は見てて異様ですらあるが、それも青春というフィルターを通してしまえば、美しい思い出になってしまう。

  こんな星の夜は

  全てを投げ出したって

  どうしても君に会いたいと思った

ギターをかき鳴らしながら必死に歌い叫ぶ葉山隼人は、今まで自分が見てきたのとは違う誰かに見える。

  こんな星の夜は

  君がいてくれたなら

  何を話そうとか

そう言えばあの千葉村での合宿の時、葉山の好きな人は『Y』だって言ってたっけ。

なら今、葉山はその誰かのことを思って歌っているのだろうか。

そんなくだらないことを考えながら、ステージ上で誰よりも輝いている、俺の嫌いな男を見ていた。



最後のギターの音が消えて、拍手やキャーと叫ぶ女子の声や指笛がそこら中から聞こえてくる。

葉山『ありがとうー!』

スターフィッシュが終わると、葉山の顔はまたいつものような爽やかな笑顔に戻った。

そして一瞬だけ、残念そうな表情を浮かべたのを、俺は見逃さなかった。

きっと、この瞬間だけが葉山にとっては、仮面を剥がせる唯一の時間だったのだろう。

バンドメンバー五人が揃って――あれ、なんで大岡いんの? まぁいいや。

四人とも葉山の周りに集まり、全員で肩を組み合う。

そして一度だけ大きくお辞儀をして、そのまま彼らはステージを去っていった。

とりあえず一言だけ何か言うとしたら――



――こいつらの次じゃなくて良かった。



いや、こんなクオリティの後にやるとか、公開処刑もいいところだろ。

ミエナイモノヲミヨートシテー

そこから数バンドは知らない奴らだったから、また外に出た。それでも大音量だからここまで響いてくる。なんでみんな天体観測とか小さな恋のうたとか、バンド初心者御用達のしかやらないん?

まぁ、俺も人のことを言えないが。

さて、そんなことは忘れて、来るべき自分の演奏のことを考える。

さっきのリハの失敗は主に油断が大きい。

あの場に立つことがどういうことなのか、いまいち想像できていなかった。だからあんなことになってしまった。

つまり、始まるまでの間にちゃんとイメージトレーニングをしておけば、完全とは言えなくとも、緊張はある程度取れるはずだ。

八幡「えーと……戸塚戸塚戸塚戸塚戸塚戸塚戸塚……」

何をイメージしているんだ俺は。

雪乃「こんなところで何をしているのかしら?」

八幡「」

そこにいたのは雪ノ下雪乃だった。

八幡「な、何もしてねぇよ」

雪乃「そう、とても気持ち悪い声が聞こえたから、てっきりヒキガエルが死んでいるのかと」

八幡「あからさまに俺の死を願うのをやめろ。言霊の力で本当に死んじゃうだろ」

雪乃「大丈夫よ。あなたの生命力はゴキブリ並みだから」

八幡「何で俺にどこぞの派出所の警官並みのスペックが備わってんだよ」

雪乃「派出所? 交番ではなくて?」

八幡「あの世界ではあそこはずっと派出所なんだろ」

逆に交番になったらそれだけでニュースものだな。Yahooニュースとかの一面になるわ。ところで今の秋本先生は何人目?

小町「お兄ちゃーん!」タッタッタッ

八幡「おっ、もう来たのか。早いな」

小町「早いどころかギリギリだよ……」ハァハァ

八幡「はぁ?」

俺の出番はまだ先だし、雪ノ下が三浦と出るのも俺の後だから言うまでもない。

小町「えっ、だって次に結衣さんが出るじゃん」

八幡「はっ?」

小町「あれ、知らないの? ……まさか小町言っちゃいけないことを……」

八幡「いや、知らないんだけど……」

雪乃「私もよ」

結衣「ゆきのーん、ヒッキー!」

噂をすれば何とやら。張本人が現れた。

結衣「探したよ~。……ってあれ? その感じだと聞いちゃった感じ……?」

八幡「何をだ?」

結衣「えっ? あ、うん。あたしね、次に出るんだー」

八幡「はっ? マジで? 初耳だわ」

雪乃・小町「「!?」」

結衣「あれ? 知らない?」

八幡「お前言ってねーし。むしろ知ってたら俺何者なんだよ。超能力とか持ってんじゃねぇの?」

もし超能力とかあったらとりあえずこのステルスの精度を上げるわ。そして精度上げすぎて、最終的に本当に消えてしまうというオチ。もうそれただの世にも奇妙な物語じゃねぇか。

結衣「そう、なんだ。……じゃあ、次に出るから見に来てね!」タッタッタッ

小町「……お兄ちゃん」

八幡「俺たちを驚かそうとしたから今まで言ってなかったんだろ」

嘘も方便というやつだ。真実なんかどうだっていい。ただ由比ヶ浜の中で俺たちを驚かすことに成功したなら、それでいい。

小町「……お兄ちゃんが……こんなに成長してる……!」ウルッ

八幡「……ほら、もう始まるんだろ。行くぞ」

まだ少し早かったのか、体育館に入ると司会二人が話しているところだった。

司会A『ついに一日目の三分の一を過ぎたわけだが……』

司会B『まだまだやれるよなぁ、お前らぁっ!?』

ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!

八幡「うぉ、すげぇな……」

小町「ここ本当に進学校なの?」

八幡「……通ってる本人ですら不安になってきた」

雪乃「むしろ普段おとなしい人ほど、こういう場ではハメを外しがちなものよ」

八幡・小町「なるほど(な)?」

司会A『次のバンドは……おぉっ!?』

司会B『なんと……!』

司会『『美人三人が登場だっ!!!』』

ウヒョオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!

雪乃「……ひどく下品な声ね。しかもほとんど男子の声じゃない」

八幡「そんなもんだろ。男ってのは単純なんだよ」

雪乃「こういうリミッターが外れる場ではなおさらね」

八幡「次が由比ヶ浜たちねぇ……」

パチッとまた司会にあたっていたスポットライトが消え、暖色系の照明がステージを彩る。

八幡「おお、なんか予想通りのメンツだな」

真ん中に陣取るのは由比ヶ浜。そのすぐ隣にギターを構える三浦がいて、後ろの方にはキーボードで海老名さんがいる。もう一人のギターとベースは知らないな。てか――。

八幡「何でドラムが戸部?」

雪乃「他に人がいなかったんじゃないかしら」

さっきの葉山のにも出てたし、もうこの時点で二回も出てんのかよ。大丈夫なのかな、戸部。

結衣『や、やっはろー!』

観客「「「「「やっはろーっっ!!!」」」」」

結衣『うぉっ!? すごっ!?』

予想以上の反応にたじろぐ由比ヶ浜の肩を三浦が叩き、耳元で何かをささやく。

それを聞くと由比ヶ浜は一度頷いて、海老名さんの方を見た。それを確認して海老名さんがイントロを弾き始める。

スターラブレイション
ケラケラ

https://www.youtube.com/watch?v=JQowMIY2bOw

  オウベイベイベイ 今日も明日も

  踏み出してラストシンデレラ

  不器用な愛を掲げながら

  ずっと駆け抜けてく強く強く

  スターラブレイション

八幡「……なんか、あいつらしい曲だな」

雪乃「あまりにも的を射すぎていて、何も言えないわね……」

リードギターは三浦が担当していて、サイドギターはたまに鳴らす程度だ。それにしても――。

八幡「上手いな……」

三浦のギターの腕がなかなか、いや、かなりすごい。ちょこちょこアレンジとか加えてるし、何より動きながらあの指使いは相当の腕前じゃなきゃできない。

  誤解される性格だから

  またココロが疲れるんだね

  この先もそうやって強がり言って

  同じように生きてくの?

二番のAメロの歌詞が妙に耳に残った。自分のことを言われているように聞こえたからだろうか。

雪乃「……まるで、あなたみたいね」

八幡「…………」

きっと、あの文化祭のことを言っているのだろう。雪ノ下のその言葉に、俺は何も返せない。

  雲一つ無い空に 両手いっぱいの愛が

  真っ直ぐに君へと届けに行くよ

  どこまでも



  オウベイベイベイ 今日も明日も

  踏み出してラストシンデレラ

  泣き笑いながら見る空は最高に美しいんだ

満面の笑顔で歌う由比ヶ浜は最高に楽しそうだ。それを後ろから見て口元を綻ばせる三浦と海老名さんの姿も、見ていて微笑ましい。

  オウベイベイベイ 胸の中の

  想いよ高く舞い上がれ

曲に合わせて由比ヶ浜が手を左右に振ると、それに合わせて観客の手も動く。それで波が出来ていて、俺はこの会場が一体となっていると、強く感じた。

  不器用な愛を掲げながら

みんなで一つにとか、One for all, all for oneとかは俺が最も嫌う言葉の一つだ。集団で一つになって何かをするなど、俺にとっては欺瞞でしかない。

  ずっと駆け抜けてく強く強く

――ただ、こんな風に一つになるのは、悪くないな、なんて思う。

  スターラブレイション

由比ヶ浜が手を高く上げて手拍子をする。観客たちもそれに合わせると、途端に体育館中が手拍子で埋め尽くされる。

今こんなにたくさんの人たちを動かしてんのは、由比ヶ浜、お前なんだぜ?

本当に、お前はすげぇよ。

八幡「三浦のギター凄かったな……」

自分もギターを弾くからこそわかる、あの凄さ。

雪乃「そうね、私に追いつこうとずっと四苦八苦していたもの」

そう言えば掛けバンしてたんでしたっけ、あなたたち。

雪乃「もちろん負けなかったわ」ドヤァ

八幡「そーですか」

小町「結衣さんも歌がすっごく上手くなってましたね~。息継ぎの音がほとんど聞こえませんでしたよ~」

八幡「そうなのか?」

割とよく一緒にスタ練してたから、あまりそんな感じがしない。確かに声はでかくなったが。

雪乃「ええ、すごく上手くなったと思うわ。最近ではカラオケで90点以下を出すことがないもの」

マジかよ。まぁJOYならあり得なくも――。

雪乃「ちなみにDAMでの話よ」

八幡「なん……だと……!?」

結衣『えーと、次はあたしが好きな映画の主題歌です!』

結衣『少し前の歌なので知らない人もいるかもしれませんが……』

結衣『知っていたら一緒に歌ってください!』

ヒュー イイゾー ユイユイテンシー

結衣『それでは聞いてください!』



結衣『……魔法のコトバ!』

魔法のコトバ
スピッツ

https://www.youtube.com/watch?v=rdkNUpRy71M

耳に心地良いピアノとギターのイントロで曲が始まる。

由比ヶ浜は目をつぶり、口元に微笑みを浮かべる。そしてそのゆったりとしたリズムに合わせて、ゆっくりと身体を左右に揺らす。

そう言えば、どうしてこのバンドがこんなにもまとまっているかって、ドラムがかなり安定してんだよな。

決して機械のようではないのに、正確なリズムをきちんとキープしている。腋もしまっていて、見ていてうざったくない。普段のウザさが嘘のようだ。

  あふれそうな気持ち 無理やりかくして

  今日もまた 遠くばっかり見ていた

今回は三浦はアコギを担当していて、もう一人がリードギターを弾いている。

  君と語り合った 下らないアレコレ

  抱きしめてどうにか生きてるけど

  魔法のコトバ 二人だけにはわかる

  夢見るとか そんな暇もないこの頃

八幡「……なるほどな」

三浦がアコギを弾いている理由は、由比ヶ浜にハモるためか。道理でただのストロークばかりなのに、三浦がアコギに徹しているわけだ。

  思い出して おかしくてうれしくて

  また会えるよ 約束しなくても

由比ヶ浜と三浦の歌声が綺麗に調和する。

そのハーモニーは思わずうっとりしてしまうほどに、美しい。

あのギターテクも三浦にしかできないが、このコーラスも然りだ。由比ヶ浜のよく通る声に負けないように歌えるやつなんて、そうそういない。

  花は美しく トゲも美しく

  根っこも美しいはずさ

普段目立たないベースの音が一気に前に出て、間奏が始まる。

三浦ほどではないが、このギターもなかなか上手い。少なくとも俺よりもずっと。

  魔法のコトバ 二人だけにはわかる

  夢見るとか そんな暇もないこの頃

  思い出して おかしくてうれしくて

  また会えるよ 約束しなくても

由比ヶ浜は三浦の隣まで行き、肩に手を置く。当の三浦は一瞬驚いたような表情を浮かべ、それからまたニヤリと笑って由比ヶ浜にハモる。

  会えるよ 会えるよ

~♪

曲が終わるとすぐにその音が鳴り止まないうちから、オーディエンスが歓声を上げる。

それを聞くと、由比ヶ浜と三浦と海老名さんが顔を見合わせ、そして笑い合う。

それを後ろから見守っている戸部が少しだけカッコよく見える。……本当に少しだけだけどな。

大成功と言える出来で、彼女たちはステージを去っていった。


――――

結衣「どうだった?」

終わって一息ついていると、由比ヶ浜が走り寄って来る。

八幡「んー、良かったんじゃねぇの?」

小町「素直じゃないなぁ……ちゃんと褒めてあげればいいのに……」

八幡「……いや、なんだ……。うん、凄かったぞ」

結衣「えへへ……ありがと、ヒッキー!」

雪乃「びっくりしたわ。まさかあなたも掛けバンしてたなんて」

結衣「あ、うん。びっくりさせようと思ってたからねー」

小町「ぐうっ!!」ズキッ

結衣「ん? どうしたの?」

小町「何でも……ないです……」

ここまで。
予想以上に量が多い。


やっぱこういうのもいいね

乙です

前スレが落ちたとき残念に思ったけど
まさか復活してくれるなんてな

八幡「さてと、また時間が空くな……。とりあえずもう一回確認を……」

結衣「ええー? ヒッキー他のバンド見ないのー?」

八幡「ああ。さっきのリハで盛大に失敗したからな」

あんなことは繰り返したくないんだぜ。

結衣「そっか……。できれば一緒に見たいな……なんて……」ボソッ

八幡「はっ?」

結衣「う、ううん! 何でもない!」

結衣「ゆきのん! 小町ちゃん! 一緒に前の方に行こうよ!」

小町「おお~いいですねぇ~」

雪乃「私は別に……って由比ヶ浜さん? 手を引っ張らないで――」

八幡「……さて、また外に出るか」

葉山「おーい」

む、葉山か。誰かを呼んでるようだが、俺ではないだろう。ほれほれどけどけ。俺はこの体育館を出るんだYO!ミブリテブリ

葉山「無視するなよー、おーい」

これ俺じゃね? 違うか、違うよな。

葉山「ヒキタニくーん!」

やっぱこれ俺だわ。

八幡「何だよ?」

葉山「ようやく反応してくれたか……」

八幡「俺じゃねぇと思ったんだよ」

葉山「君は相変わらずだね」

八幡「お前もな。お前のバンド見たけど、すごかったわ。やっぱり何でも出来るんだな」

葉山「見てくれたんだね。ありがとう」

八幡「たまたまな」

葉山「でも俺が何でもできるなんてことはないよ。俺にだってできないことはたくさんある」

八幡「そりゃ人間なんだから不可能があって当たり前だ。ただ、高校生にできる範囲のことは、何でもできるよなって言ったんだ」

葉山「それも違うよ」

八幡「はっ?」

葉山「俺は、君のようにはなれない」

世界をかえさせておくれよ
サンボマスター

http://www.youtube.com/watch?v=5yhlPGi5BEc

八幡「何を言って――」

  シャンシャンシャンシャドゥダンッ

  世界をかえさせておくれよ! そしたら君とキスがしたいんだ

  世界をかえさせておくれよ! そしたら君と夢が見たい

  世界をかえさせておくれよ! そしたら君とピアノにのぼって

  世界をかえさせておくれよ! そしたら君とキスがしたい

俺の声は次のバンドの演奏にかき消される。

葉山「だから俺は、君が――」

葉山の口が動き、何かを告げる。その声はあまりにも小さくて俺の耳には届かない。

八幡「今なんて――」

葉山「おっ、いろはか」

八幡「はっ?」

葉山「一色いろは、俺の後輩だよ」

そう言って指差す先を見ると、さっきのS&Gに反応した女子が、ステージの上に躍り出て来た。

  今夜はちょっと寂しい気分だよ 楽しい話聴きたいなベイビー

  明日はきっと違う気分だから 今のうちにガンバリなよベイベー

八幡「あいつ……」

葉山「おや、ヒキタニくんも知ってるのかい?」

八幡「今さっきちょっと話しただけだ」

葉山「そうか。いろはは、うちのサッカー部のマネージャーなんだ」

八幡「へぇ、マネージャーか」

葉山「すごくいい子なんだ。君は苦手かもしれないけどね」

八幡「いや、学年違ってしかもサッカー部のマネージャーなんだろ? なら俺と関わることもねぇだろ」

葉山「……いや、そうでもないかもしれない」

八幡「なんでだよ」

葉山「いろはは最近少し問題を抱えているらしくてね、それで奉仕部に来ることになるかもしれない」

八幡「いや、お前が助けてやれよ。わざわざ奉仕部に持ってこないで」

葉山「俺じゃどうにもならない問題なんだ。でも君や雪ノ下さんや結衣なら、もしかしたら……」

八幡「……それでもだ。俺らにできるのは魚の取り方を教えることだけだ。魚はやらないし、やれない」

葉山「それも承知の上だ」

八幡「……なら、その一色ってやつにもそう言っとけ」

葉山「わかった」

それ以上、俺たちは言葉を交わさなかった。

葉山の瞳はキラキラと輝くステージの光で、赤、青、黄色と染められていく。ただ見つめているだけで、音楽に乗って動いたりもしない。

歌っていた時の怪物のような動きとは正反対の様子に、俺は逆に恐怖を感じる。

ずっと見ているのもあれだから、視線をステージに戻す。

さっきの聞こえなかった言葉の意味は、結局わからないままだ。

ステージ上の一色という女子のバンドは、一曲目が終わって二曲目を始めるところだった。

ってよく見ると、いやよく見なくてもめぐり先輩がいるじゃねぇか。ここのキーボードやってたんすか。

いろは『この中には、多分いっぱい恋をしている人がいると思います』

いろは『女子でも、男子でも』

いろは『きっとその中には叶わないものもあるのかもしれません』

いろは『……それでも、恋っていいものだなーって思うんです』

いろは『カップルでイチャついてる人にも!』

葉山「…………」チラッ

八幡「……何故俺の方を見る」

葉山「いや……なんでも」

いろは『勝機のない恋にお悩みの方にも!』

葉山「…………」チラッ

八幡「だからチラチラ見んじゃねぇ、うっとおしい」

葉山「……そうだね」ニヤリ

なぜ笑ったし。嘲笑か、嘲笑なのか?

いろは『総武高の恋するみんなに送ります!』

ヒュー イロハスー

いろは『それじゃ二曲目!』

いろは『今すぐkiss me!』

今すぐkiss me
LINDBERG

https://www.youtube.com/watch?v=fLDaCKGR8wg

  ダドゥドゥダドゥドゥダンッ

  ジャージャジャッジャッジャー

聞き覚えのあるイントロがギターから鳴り響き、一気に会場が沸く。ずいぶん昔の曲を選んだな。S&Gに反応するような女子だからそこまで驚かないが。

  歩道橋の上から 見かけた革ジャンに

  息切らし駆け寄った 人ごみの中

  ドキドキすること やめられない

Oh Yeah! ……あれ? まだサビじゃないのか。一瞬騙されちまったじゃねぇかちくしょう。

葉山「…………」ニヤニヤ

八幡「……何だよ」

葉山「別に?」ニヤニヤ

こいつ、俺が一瞬サビにいかなくて動揺したのを見ていやかったな。何でそんなタイミングいいの? 実はずっと見てるんじゃないの? 海老名さん大興奮じゃないか。

  ドキドキすること やめられない Oh Yeah!

今度はちゃんとOh Yeahするんだな。何だこれ初見殺しすぎるだろ。指のロシアンかよ。

  今すぐKiss Me

観客「「「「「Wow wow !!!」」」」」

一色のマイクがオーディエンスに向けられると、それに応えるようにWow wowと観客が歌う。

八幡「……なんかもうこれ宗教みたいだな」

いろはす教でも作るのかな? 儀式とかに使うお清めの水はいろはすを使うのだろうか。

葉山「ははっ、言えてるね」

  Go Away I Miss You

  大好きだから 笑ってよ♪

今すぐkiss meってよく考えるとすごい歌詞だよな。呪いでペンダントとかになったりしない限り、なかなか言えるセリフじゃねぇよ。ん、何を言ってるんだ?

  今すぐKiss Me

観客「「「「「Wow wow !!!」」」」」

  Go Away I Miss You

  まっすぐにI love you so

フォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!

最前列を陣取っているらしい男子集団が、奇声に近い歓声をあげる。……多分あの中に材木座もいるんだろうな。サイリウムを持ってるのが少なくとも五、六人見えるし。

――

――――

いろは『次の曲で最後なんですが……』

エー ウソー モットミタイー

いろは『ここで選手交代です!』

いろは『城廻先輩お願いします!』

ウォー メグリンテンシー ケッコンシテクレー

キーボードを担当していためぐり先輩が前に出て来る。それを見て一色はハイタッチをして、めぐり先輩のいたところについた。くそ、その場所代われよ。

めぐり『こーんにっちわー!』

観客「「「「こーんにっちわーーーー!!!」」」」

何その挨拶。おかあさんといっしょかよ。でも可愛いから許す。

めぐり『一曲だけ歌わせてもらいまーす!』

ヒュー モットヤレー メグリンマジテンシー

めぐり『それでは――』

いろは「――――!」

一色が何かを叫んだが、その声は後ろを陣取る俺たちには聞こえない。

めぐり『あぁ、ごめん……。準備まだだったね……』

なんだ、めぐり先輩が先走っちゃったのか。ダメだぞ、めぐりん☆



雪乃「……!」ゾワゾワッ

結衣「ん、どうしたの?」

雪乃「いえ、一瞬とてもおぞましい何かを感じて……」



八幡「……今、誰かに電波を傍受された気がする」



めぐり『何年か前のある映画の曲です』

めぐり『私その映画がすごく好きだったので、この曲を選びました。もしかしたら知ってる人も多いかもしれませんね』

めぐり『ZONEの、一雫』

一雫
ZONE

http://www.youtube.com/watch?v=RPFsuPgoq58

おお、あんたか
期待

  ~♪

一色のキーボードでイントロが始まり、それにアコギの音が合わさる。

  部屋の灯りをすべて消して

  窓から見える夏の夜

  星が囁きやさしい風が

  つつみ込んで心を誘う

めぐり先輩の透明感のある歌声が、体育館内をやさしくつつみこむ。あれだけうるさかった歓声が今は少しも聞こえない。

  とまどい続けて

  素直になれずにいたけど

気づいた時には自然と観客に手でウェーブが出来ていた。ゆっくりと、会場が一つになり始める。

  やさしさに初めて出逢った頃は

  この胸の奥がハガユク感じ

あ、思い出した。これはアイスエイジの曲か。子ども向けのアニメだったけど、割と重いところもあったっけ。マニーの過去とかトラウマものだろ。

  何故か一雫の涙が頬を

  そっと伝わったよ

めぐり先輩の歌声に少し低く歌う一色の声が重なり、綺麗にハモる。

  それはあなたが心の中に…ふれたの

――

――――

ジャンジャンジャカジャカ

八幡「~♪」

めぐり「……あっ」

八幡「……うす」

めぐり「君は……文化祭の時の……」

八幡「……はい」

めぐり「あの時は、ありがとね」

八幡「別に礼を言われることなんてしてないっすよ」

めぐり「それでもだよ。……君も出るの?」

八幡「……まぁ、そうっす」

めぐり「そうなんだ。じゃあちゃんとチェックしないとね!」

八幡「別に気を使わなくてもいいですよ。……城廻先輩の見ましたよ」

めぐり「えっ! 本当に!? ありがとう!」パァァッ

八幡「い、いえ……」

めぐり「ど、どうだったかな!?」

八幡「すごくよかったです……。会場全体がしんみりとしてましたよ」

めぐり「えへへ……ありがとう」

八幡「アイスエイジ好きなんすね」

めぐり「あ、うん! 初めて映画館で見たからってのもあるのかもしれないけど、すごく好きなんだ!」

八幡「いいっすよね。滑り台のとことかすごい好きです」

めぐり「私もそこ好きだよ! まるでジェットコースターに乗ってるみたいで!」

八幡「すごいわかります」

めぐり「……あっ、邪魔しちゃってるし、もう行くね! いつ出るの?」

八幡「次の次の、そのまた次です」

めぐり「そっか、じゃあもうすぐだね。頑張ってね!」タッタッタッ

八幡「うす」

全然再投下できてないけど今日は用事があるのでここまで

乙です

――

――――

八幡「……さて、そろそろ行くか」

川崎「ねぇ」

八幡「ん、川崎か」

川崎「……あんた、次の次だよね」

八幡「ああ。だからもう行かないとな」

川崎「……」モジモジ

八幡「?」

川崎「が……」

八幡「が?」

川崎「……っ」

八幡「何だよ?」

川崎「と……戸塚に、迷惑かけるなよ!」

八幡「あ、ああ。さっきやらかしちまったし、もうやらねぇように善処するよ」

川崎「そ、そう。じゃあ、それだけだから!」タッタッタッ

八幡「おう……」

八幡「何だったんだ……?」



川崎「頑張れって言おうと思ったのに……」

――

――――

舞台裏に入ると戸塚は既にそこにいた。

八幡「おっ、もういたのか」

戸塚「八幡も、早いね」

八幡「そりゃさっきのことがあるからな……」

戸塚「あはは……そういうのは忘れて、楽しまないとダメだよ?」

八幡「ああ。そうだな……」

と口では言ってはみせるものの、手の震えはさっきからずっと止まらない。

脳裏にさっきの葉山や、由比ヶ浜たちの姿が浮かぶ。あのステージに今度は俺が立つ。

そう思うだけで手に汗がにじむ。

戸塚「大丈夫?」

八幡「あ、ああ……」

またしても、その声は震えていて全く説得力がない。

戸塚「八幡」

八幡「?」

戸塚「目を閉じて」

八幡「はぁっ?」

戸塚「いいから閉じて!」

八幡「わかった……」

戸塚に言われるがままに目を閉じると、あっという間に視覚情報がシャットアウトされる。

戸塚「八幡は……」

戸塚「今までいっぱい練習してきたよね?」

八幡「……ああ」

それだけは胸を張って言える。この戸塚とのデュオに全てをかけてきたと言っても過言ではない。

戸塚「なら、きっと大丈夫だよ」

手が温かい感触に包まれる。戸塚がまた俺の手を握ってくれているのだろう。

戸塚「百パーセント完璧にやることは難しいと思う。それでも、八十パーセントくらいの力はきっと八幡なら出せるから」

八幡だしね、と戸塚は笑う。その笑い声につられて俺も笑う。

だから、と戸塚は続ける。

戸塚「……一緒に、頑張ろ? 僕も頑張るから」

八幡「……ああ!」

――

――――

もう一度楽譜を見直す。……よし、忘れてない。歌詞も完璧。

八幡「なぁ、とつ――」

名前を呼ぼうと思ったが、戸塚の姿は見つからなかった。

八幡「あれ?」

ついさっきまでそこにいたのに、どこに行ってしまったのだろうか。もう本番もすぐなのに。

とりあえず歩き回って探してみる。辺りは暗いから視界が悪く、見つけるのは難しそうだ。

八幡「……あっ」

――とか考えている間に見つかった。

戸塚は物陰に隠れるようにいて、アコギを抱えながら座り込んでいた。

声をかけようと息を吸うが、途中で止まった。

よく見ると、俺の目の前にいる戸塚の手は――



――震えていた。



戸塚「止まれ……止まれ……」

戸塚「僕がしっかりしないと、八幡が……」

戸塚「……情けないなぁ」

戸塚「ずっと八幡に助けられてきたのに、いざという時にこうなっちゃうなんて……」

戸塚の表情はひどくゆがんでいて、今にも泣いてしまいそうだ。

――そこでふと気づく。

俺はいつからか、自分のことしか見えなくなっていた。

戸塚のことが見えていなかった。

心のどこかで、戸塚なら大丈夫だって、思い込んでいた。

――そんなこと、あるわけないじゃないか。

戸塚だって一人の人間だ。こんな大舞台を前にして緊張しないわけがない。それでも戸塚は、俺にそんなそぶりを見せないようにしていた。

それも全て、俺にプレッシャーをかけないために。

……ったく、自分が嫌になる。

普段は周りの目を気にするくせに、いざとなると自分しか見えなくなってしまうなんて。

八幡「戸塚」

戸塚「……八幡?」

しまった、と言うような表情を浮かべる。だがそれを無視して俺は戸塚に近づく。

そして、今度は俺が、戸塚の手を握った。

少しでも力を入れたら壊れてしまうんじゃないかと思うくらい、弱々しい小さな手。だけれども温かいその手を俺の無骨な手ではさむ。

八幡「……こうすると、緊張が取れるんだろ?」

はっきり言って、こんなことをしている俺の方が緊張してしまっている。やべぇ、めっちゃ心臓ドキドキする。

戸塚「……ありがと」

八幡「一人で抱え込むなよ。一緒に頑張るんだろ?」

戸塚「……うん!」

そう言って浮かべた笑顔は、どこか安心しているように見えた。

司会A『さぁー、次は……おぉ!? なんとこのフェスにデュオが!?』

司会B『バンドとはまた違う風がこの会場を駆け抜けるぜ!』

司会『『最高にイカした二人が来るぞ!!!』』

ウォォォォォオオオオオオオオ!!!

八幡「……ハードル上げんなよな」

上げすぎたらくぐるぞ、下を。

戸塚「八幡!」

八幡「ん?」

戸塚がグーを突き出す。

戸塚「頑張ろうね!」

八幡「おう!」

そう言って戸塚の拳をチョンと突く。なんか、いいな。こういうの。

そして俺ら二人は、ライトで照り輝くステージに出た。

手の震えは、もうなかった。

――――

八幡「……なんて、言えりゃかっけぇんだけどな」

手の震えはなくなったものの、足は震えるわ、心臓バクバクだわ、緊張しまくりである。

俺たち二人を照らすライトはひどく眩しく、あまり観客の方は見えないが、それでもざわめきや熱気からそこにたくさんの人がいるのを感じる。

緊張をかみ殺しながら先ほどアンプに繋げたギターを構え、マイクの前に立つ。

戸塚『こんにちは!』

マイク越しの声が会場中に響くと、それに応えるようにそこら中から歓声が聞こえた。

戸塚『僕、戸塚彩加と、隣の比企谷八幡の二人で一曲演奏します!』

戸塚『それでは聞いてください』

戸塚『サイモン&ガーファンクルの――』

戸塚『――Wednesday Morning 3 A.M.』

Wednesday Morning 3 A.M.
SIMON & GARFUNKEL

https://www.youtube.com/watch?v=qDNaArocIx0

戸塚「ワン、ツー、スリー、フォー」

戸塚がマイクに入らないくらい小さな声で合図をして、演奏が始まる。

サムピックの繊細な音が体育館をしんとさせ、ギターの音だけが響き渡る。

戸塚が歌い出し、それに合わせて俺も声をのせる。戸塚の高音に俺の低音が合わさり、綺麗なハーモニーになる。

  I can hear the soft breathing

  Of the girl that I love

 (僕が愛する少女の 穏やかな寝息が聞こえる)

  As she lies here beside me

  Asleep with the night

 (彼女は僕のすぐそばで 夜のとばりに包まれ眠っている)

  And her hair, in a fine mist

  Floats on my pillow

 (美しいもやの中で彼女の髪は 僕の枕の上でゆれている)

  Reflecting the glow

  Of the winter moonlight

 (冬の月の光に照らされながら)

  She is soft, she is warm

  But my heart remains heavy

 (彼女は柔らかく あたたかいのに 僕は心はまだ重いまま)

  And I watch as her breasts

  Gently rise, gently fall

 (彼女の胸が穏やかに上がり 下がるのをながめている)

  For I know with the first light of dawn

  I'll be leaving

 (なぜなら僕にはわかっているから)

 (夜明けとともにここを去るのだと)

  And tonight will be

  All I have left to recall

 (そして今夜が 僕が残す最後の思い出になることも)

  Oh, what have I done

 (ああ 何ということをしたのだろう)

  Why have I done it

 (どうして あんなことをしてしまったのだろう)

  I've committed a crime

  I've broken the law

 (僕は罪を犯し 法を破ってしまった)

  For twenty-five dollars

  And pieces of silver

 (たった25ドルと ほんの数枚の銀貨のために)

  I held up and robbed

  A hard liquor store

 (僕は酒屋に押し入り 強盗をしたのだ)

  My life seems unreal

  My crime an illusion

 (僕の人生は本物ではなくて 僕の罪は幻想みたいだ)

  A scene badly written

  In which I must play

 (僕が演じなければならない おかしな脚本の一場面みたいだ)

  Yet I know as I gaze

  At my young love beside me

 (すぐそばの幼い恋人を見つめる僕のもとに)

  The morning is just a few hours away

 (朝はあと数時間でやってくる)

――

――――

さっきまで冷たいと感じていたはずの風が、涼しく感じられる。それだけ今の俺の身体が火照っていることの証左だろう。

疲れとも達成感とも違う感覚が、身体中を取り巻く。きっと言葉では表せないが、敢えて言うならば、『肩の荷が下りた』と言うのが一番近いのかもしれない。

それに、ついさっきまで戸塚と自分に向けられていた歓声がまだ耳の中に残っていて、それが今も聞こえるような気がして、どこか心地良かった。

八幡「ふぅ……」

一息をつきながら壁にもたれかかると、そのまま足の力が抜けて座りこんだ。床暖房なんかがあるわけがない地面だから、腰のあたりが冷たい。

八幡「……ミスんなくて、よかった」

誰にともなくこぼれた独り言は空気を振動させてどこかへ消えていく。さっき俺たちが奏でたのも、今の独り言も、どちらも同じ『音』だと思うと、それはひどく不思議な

ことのように感じられた。

戸塚「八幡」

八幡「おお、お疲れ」

戸塚「八幡もね」

八幡「おう、サンキュ」

戸塚「隣、いいかな?」

八幡「別にいいけど、結構冷たいぞ?」

戸塚「いいよ、暑いし」

よいしょ、と言いながら隣に座る。うん、かわいい。

戸塚「……やったね!」

八幡「ああ、リハとは大違いだったな」

戸塚「うん、大成功だったよね!」

八幡「……最初の方、声が震えちまったけどな」

戸塚「ううん、だって八幡ああいうステージに出るの初めてだったんでしょ? だったらあんなにできたことの方がすごいよ」

八幡「そうかぁ……?」

戸塚「そうだよ。僕がお父さんと初めてライブハウスでライブした時、まともに声が出なかったもん」

八幡「……まぁ、あんな風に人前に出るのは初めてでも、人の視線の中に晒されることはよくあったからな」

帰りの会の時とかにな。とりあえず物がなくなったら、俺のせいにすんのやめてくれない?

あはは、と戸塚は笑う。

八幡「ただ、なんだ……」

戸塚「ん?」

八幡「ああいうのって、いいもんだな……」

いろいろ理屈をこねてはきたが、ただ一つ、これだけは言える。

八幡「……結構、楽しかった」

戸塚「…………」

八幡「だからさ……、その、誘ってくれて、ありがとな」

戸塚「……ふふっ」

八幡「?」

戸塚「ごめん……。ただ、なんかおかしくて」

八幡「……まぁ、俺が素直に礼を言うなんておかしいよな」

戸塚「いや、そっちじゃなくてね。八幡も僕と同じことを考えてたんだって思うと、おかしくて」

八幡「同じこと?」

戸塚「うん」

そう言うと戸塚は俺に向き直り、その綺麗な瞳で俺の目をまっすぐに見つめる。

戸塚「八幡」

八幡「お、おう」

戸塚「僕と一緒にライブに出てくれて、ありがとう」

戸塚「前にも言ったと思うけど、僕ね、ずっと前からあの曲がやりたかったんだ」

八幡「…………」

あの曲、とは、俺たちが歌った『Wednesday Morning 3 A.M.』のことだろう。

戸塚「S&Gの曲はたくさん聞いてきて、好きな曲はたくさんあるけど、僕はあの曲が一番好きだったんだ」

だからね、とさらに続ける。

戸塚「あの曲を八幡がやるって言ってくれた時、すごく嬉しかったし、今日やれたのはもっともっと嬉しかったし、楽しかった」

戸塚「今の僕の心は八幡への感謝の気持ちでいっぱいなんだ」

戸塚「……だから、言葉じゃ足りないけど、ありがとう」

戸塚は嬉しさからなのか泣きそうになりながらも、笑顔を浮かべながらそう言った。

八幡「……その笑顔が見れただけで十分だ」

……。

…………。

八幡「ちょっと待て! 今のは、なしだ!」バッ

戸塚「?」コテン

八幡「いや、そのなしってわけじゃないが……そのだな……」

戸塚「??」コテン

八幡「……もう、いいや」

戸塚「へんなのー」クスッ

太陽が頭上付近を通過する。もう少しで正午だ。

八幡「さて、有志はそろそろ終盤か」

戸塚「そうだね。午後は軽音部がやるみたいだから」

そっちも楽しみだよね、と戸塚が言う。

八幡「まぁ、そうだな」

正直そこまで興味はないがとりあえず話を合わせておく。できれば午後の時間は明日の練習に回したいところだ。

八幡「あと、いくつだ?」

戸塚「三つかな。だから雪ノ下さんたちのは次の次の……次だね」

指折り数える姿がとても可愛らしい。ついさっきまで大勢の人の前で演奏していたのと同一人物に見えない。

八幡「雪ノ下と、三浦のバンドか……」

何その核弾頭みたいな集まり。よく途中分裂しなかったな。

結衣「あっ、彩ちゃんとついでにヒッキー!」

八幡「ついでかよ」

結衣「見てたよー! すごくかっこよかったー!」

戸塚「ありがとう!」

八幡「おう、サンキュー」

結衣「彩ちゃん、あの英語?の歌が歌えるなんてすごいよー」

誰か由比ヶ浜に洋楽という単語を早く教えてあげてくれ。まぁ、洋楽と言うと範囲が広いんだけど。

戸塚「そう、かなぁ……」

でも戸塚が照れている姿が見れたから万事OK! 毎日がエヴリデイ!

結衣「ヒッ、ヒッキーも、か、カッコよかった……よ?///」

八幡「お、おう……。……ありがとな」

なんか照れるな……。こういう風にマトモなことをして褒められるのは初めてだし。

基本奉仕部で俺のしでかしたことが褒められるようなことじゃないだけにさらに奇妙に感じる。

アローンーボクーラワーソーレゾーレノーオーハナーヲー

体育館の中から聞き覚えのある曲がもれてくる。

八幡「B'zだな」

戸塚「ALONEかぁ。いい曲だよね」

八幡「…………」

戸塚「八幡?」

八幡「いや、なんでもない」

ALONEなんて曲名だから、てっきりぼっちの孤独とかの歌なのかと思って、歌詞を見たらそういう感じじゃなくて絶望した中二時代を思い出してしまった。

てか稲葉さんってヤバいよな。あのルックスで歌も上手いのに、さらに頭もめちゃくちゃ良いんだぜ? 何その完璧超人。

――

――――

三浦「……雪ノ下さん。ミスったら許さないよ」

雪乃「あら、誰に向かってものを言っているのかしら? ミスなんて犯さないわ。そのために私は今までちゃんと準備をしてきたもの」

三浦「そ。ならいいけど」

雪乃「あなたこそ、ミスなんて許されないわよ?」

三浦「絶対ないから」

雪乃「そうね。あなたならきっとないわね」

三浦「!?」

雪乃「何をそんな驚いたような顔をしているの? これでもあなたのことはそれなりに認めているのよ」

三浦「そ、そう」

戸部(この一ヶ月の練習のせいもあってか、二人の間に信頼感っつーの? が出来たっぽい)

戸部(マジっべーわ。この二人が普通に話してるなんてマジっべーわ)

戸部(ん、なんで俺が話してるかって? それは――)

三浦「ねぇ戸部っち。ミスったらあーし承知しないからね」

戸部「わ、わかってるよ優美子」

戸部(――こういうわけ。ドラムが他でもない俺なわけ)

戸部(この一日目だけで片手で足りない数の掛けバンしてるとかマジっべー。いやシャレにならねっしょ)

戸部(俺がこの二日間でやる曲数)

戸部(数えたくねぇ)

戸部(マジでっべーわ)

戸部「おっ、前のバンド終わったっぽい」

三浦「よし、じゃあ行くよ!」

雪乃「ええ」

ベーシストを含めた彼、彼女たち四人は光り輝く舞台に出ていく。

彼らに緊張なんてものはあるはずがなかった。

――

――――

八幡「おっ、ちょうどだな」

結衣「ヒッキーはまた後ろなの?」

八幡「まぁな。前のほうでぎゅうぎゅうにはされたくねぇし」

結衣「そっかぁ……。じゃあ、あたしもそうしようかな」

八幡「はっ? 別に無理して俺に合わせなくたっていいんだぞ?」

結衣「ううん。無理なんかしてないよ。ただあたしがそうしたいだけ」

戸塚「八幡」

八幡「ん?」

戸塚「僕は前のほうで見たいから行くね!」

八幡「おう」

戸塚「……由比ヶ浜さん」ボソッ

結衣「なに?」ボソッ

戸塚「がんばって!」ボソッ

結衣「……ありがと!」ボソッ

戸塚「じゃあね!」タッタッタッ

八幡「なにを話してたんだ?」

結衣「えっ? え、えーと、なんだったっけ?」

八幡「それを聞いているんだが……」

結衣「ま、まー、そんなのどうでもいいじゃん! ほら! ゆきのんたちの始まるよ!」

由比ヶ浜の言葉の次の瞬間、照明が一気に消される。と同時に赤い光がステージを照らす。

そばかす
JUDY AND MARY

http://www.youtube.com/watch?v=VaGGjCnp3JY

独特なドラムのリズムが耳をつらぬく。全く規則性の感じられないリズムだが、ハチャメチャであるとは思わない。

きっとこの音も相当練習した成果なのだろう。

次は歪んだギターの音が観客をわき立たせる。赤く暗い光のせいでそこにいるのが誰なのかは見えない。

しかし、それが誰の音なのかはわかる。こんなギターを弾ける人間は俺の知っている中には二人しかいない。

ダンダンッとスネアが響き、一気にステージが明るくなる。

中心はマイクを持った三浦が陣取り、脇を見知らぬベーシストとギターを構えた雪ノ下雪乃が固める。

ドラムは……また戸部か。大丈夫なのか、あいつ。

  大キライだったそばかすをちょっと

  ひとなでしてタメ息をひとつ

  ヘヴィー級の恋はみごとに

  角砂糖と一緒に溶けた

まぁ予想通りと言うかなんと言うか、三浦の歌がめちゃくちゃ上手い。爽快感のあるハイトーンボイスが聞いていてたまらない。

そもそもがそばかすってリズムが独特で難易度高いしな。バンドであんな風にまとめるだけでもかなり大変なはずだ。

  前よりももっと やせた胸にちょっと

  “チクッ"っとささるトゲがイタイ

  星占いも あてにならないわ

てかなんだあのギター!? 左手が止まることがないんだけど!? 雪ノ下さんマジっべーわ! あっ、戸部が混ざった。

  もっと遠くまで 一緒にゆけたら ねぇ

  うれしくて それだけで

結衣「ゆきのん……すごい……」

八幡「ああ……すげぇ……」

それしか言葉に出来ない。

いつもクールな雪ノ下が奏でているとは思えない、軽快でファンキーなギターの音に、俺も由比ヶ浜も圧倒されていた。

  想い出はいつもキレイだけど

  それだけじゃ おなかがすくわ

誰もが知るサビに入ると、会場内のテンションは限界を超えた。選曲のおかげもあるだろうが、それより何よりも彼女たちの実力がここまで人々の心を惹きつけるのだろう



  本当は せつない夜なのに

  どうしてかしら?

  あの人の笑顔も思いだせないの

三浦がチラリと雪ノ下の方を見る。その視線に気づいた雪ノ下はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

その意味を解したらしい三浦も同じような笑みをし、視線を外す。

『私がミスをするとでも?』

『ふん、まだまだだし』

そんな会話が聞こえてきそうな光景だった。ふと、由比ヶ浜の方を見ると彼女は嬉しそうに笑っていた。

千葉村でのことがあるから、あんな風に二人が交流しているのが嬉しいのだろう。あくまでも俺の想像にすぎないが。

  そばかすの数をかぞえてみる

  汚れたぬいぐるみ抱いて

  胸をさす トゲは 消えないけど

  カエルちゃんも ウサギちゃんも

  笑ってくれるの

ギターソロを雪ノ下がほぼ完璧にキメると、曲は最後のサビに入った。

  想い出はいつもキレイだけど

  それだけじゃ おなかがすくの

  本当はせつない夜なのに

  どうしてかしら? あの人の涙も思いだせないの

それまでで一番観客のボルテージが高いせいか、もはやこの体育館そのものが揺れているような錯覚に陥る。

いや、これマジで揺れてんじゃねぇの?

  思いだせないの Wo…

  ララララララ

  どうしてなの?

自分のパートが終わった三浦はリズムにのせていた体の動きをゆるめ、会場全体を見渡す。それは誰かを探しているように見えた。

葉山は――。

――見てるよな。

あいつは、葉山隼人だから。

そんな感傷的な一場面とは正反対に、他の三人のアウトロは最高にロックンロールしていた。

戸部のバスドラムが心臓にまで響き、名も知らぬ男のベースの音は演奏に奥行きを与える。

しかしやはりなんと言っても雪ノ下のギターにこそ目をやるべきだろう。目じゃなくて耳か。

高校生の腕前とは思えない音色を響かせ、それでもなお華麗さを失わない彼女は、まさにステージの上の華だった。

そんな姿に、思わず見惚れる。

――。

ギターの音が消える。

おとずれる静寂。

間髪いれずに歓声が耳をつきぬける。

今までで一番大きな歓声だ。

それは、今までで一番盛り上がっていたことも表していた。

三浦『どーも』

三浦『まぁ、ひょんなことから、この四人で、バンド、やることになって』

一曲終わって疲れているのか、息が切れて言葉も絶え絶えだ。

三浦『こいつ、が、今の「そばかす」をやりたいって言って、始まったんだけど』

そう言ってベーシストを指差す。まさかモブがこのバンドのキーパーソンだったとは、想像していなかった。

三浦『ギターむずいし、あーしもさすがにギターボーカルでやるのはキツいから雪ノ下さんがやることになって』

いや、だからどうしてそうなった。

三浦『で、ドラムは戸部っちにやらせて、そんな感じの急造バンドだから二曲しか用意してないんだ』

エー ウソー モットキキタイノニー

三浦『ま、そんなわけで次で最後だから』

ぶっきらぼうに言ってマイクをスタンドに置き、後ろにあったギターを手に取る。次の曲はギターボーカルでやるようだ。

もう一度マイクの前に戻り、一度深呼吸をする。

三浦『新しい文明開化』

新しい文明開化
東京事変

https://www.youtube.com/watch?v=lcz89e42XEM

  Knock me out now

  The ground I'm on is failing

  One more hit and I go down

八幡「おお、事変か」

結衣「事変?」

八幡「東京事変って椎名林檎がボーカルのバンドだ。群青日和とかなら由比ヶ浜でも知ってるんじゃないか?」

結衣「あっ、それなら聞いたことあるかもー」

選曲いいな。何がすごいって三浦のイメージにガチリとハマるんだよ。

  All I ever see is pretty flower power

  But you know I'm really starving for the other side

  All I ever hear is chatter flatter hour

  But you know I'm really hoping for a better line

  All I ever breathe is kind of broken down

  But you know I really want to find a little time

  All I ever taste I want to spit it out

  And you know I'm really dying for a little light

相変わらずの雪ノ下のギターが目を引くが、それよりも俺の耳を刺激するのはベースだ。

左手が動く動く。めちゃくちゃ動く。めちゃくちゃ耳に残る。

ベースはあまり目立つパートではない。しかしだからと言っていらない楽器ではない。バンドにおいてはむしろ必要不可欠だ。

よくベースの音は聞こえないと言われるがそれは間違っている。

『聞こえない』のではない。『気づかない』のだ。

ハッキリ言うが、ベースの音は本来聞こえている。しかしその音がベースの音だということに普通の人は気づかないのだ。

これは実際に経験しないとわからないことだが、バンドで合わせているとベースの音は注意すれば聞こえるくらいにしか目立たないが、いざミスると恐ろしく目立つ。音が

なくなった時なんかは目もあてられない。

川崎も時々ミスっていたのが俺でも気づけてしまうのは、ベースがそういうポジションだからなのだろう。普段は目立てないくせに、ミスはギター以上に許されないベース

はマゾ専用の楽器だと思います。だからベーシストに変態は多いのか。ユニゾンの人とか。

  Sometimes it feels

  The more you want and want it

  You get caught and forget it's never real

  Sometimes I find

  I think I'm losing my mind

  I get caught and forget it's never real

結衣「優美子も……すごい……」

八幡「発音、いいよな」

結衣「うん。最近よく英語とにらめっこしてたけど、こういうことだったんだね」

何それ。ちょっと見てみたい。

  Hello goodbye

  See and touch, think and know

  Feel, forget, breathe now because

  Something has gone wrong here, I said

サビに向かうにつれて俺の胸が高鳴る。このワクワク感はたまらないほどに心地良い。

  My friend

  The space I'm in is fading

  One more punch will do me in

  Do it for the win

戸部ええええええええええええええええ!!!

いや、もうね。見ないとわからないけどサビのドラムがかなりキツいの、この曲。

32ビートをサビの間ほぼずっと一定に保つなんて鬼畜。あれ、32ビートで合ってる?

いつもおちゃらけている戸部の目がかなり険しくなっていると言えば、どれほど鬼畜かわかるだろうか。

戸部(ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!)

※下記動画の1:09あたりを参照
https://www.youtube.com/watch?v=Jh2sNfsmDVc

  What is wrong?

  You've come this far, now take it

  One more kick and I'll be done

  Kick me, have your fun

そんな戸部の様子はつゆ知らず、他のメンバーは本当に気持ちよさそうに演奏をする。……いや、ベースもキツいな。リズム隊を殺しにきてるわこれ。

  1234, I know the score

  5678, hear what I say

三浦が片手を上げる。それにより観客たちの手が針山のように合わさる。あの部分だけ見たら軽くホラーだな。ナウシカの最後のシーンの触手が全部手に変わってるみたい

な感じ。それもう軽くねぇ。完璧なホラーだわ。

二番のサビが終わり、ギターソロが始まる。

雪ノ下が奏でるのはさっきとは違って長めのロック的なフレーズだ。

その音色と指の動きに思わず観客も息を漏らす。それは俺ら二人も例外ではなかった。

今度は三浦はチラリとも雪ノ下の方を見ない。彼女なら絶対失敗しないと確信しているのだろう。

  No don't doubt

  The ground I'm on is failing

  One more hit and I go down

  I go down

ギターソロが終わり、曲は最後のサビへと一直線に向かっていく。

  What was right?

  This past is not worth saving

  I don't want another round

  Nothing to be found

異様なまでの熱気に巻き込まれて、オーディエンスも狂ったように跳ね、叫ぶ。

  What is wrong?

  The past is what I'm craving

  Both my feet have left the ground

  Nowhere to be found

アウトロに入るとメンバー四人全員の動きと音が激しくなる。

戸部のドラムの音はさらに鋭くなり、ベースの音はより重厚になり、二人のギターの音はまるで爆発したかのように輝いている。

そして、熱狂のなかで、彼女たちの演奏が、終わった。

地の底が震え上がるような歓声がわき起こる。

かつてない盛り上がりようだ。

彼女たちが有志の最後のバンドだったこともあるのだろうが、それ以上にそのパワーに圧倒された。

ただ技術があるだけではない。

そこに込められている魂、思い、執念、そんな言葉では言い表せられないような何かが、見るものを魅了させたのだろう。

予想以上の拍手と歓声に三浦はボーッとしているようだった。この非現実的な光景を現実だと思えないのだろう。もし俺があのステージにいたら確実にドッキリを疑

うね。

と、雪ノ下がギターをスタンドにかけて、三浦の隣に立つ。

それに気づくと三浦は怪訝な表情を浮かべるが、それとは裏腹に雪ノ下は右手を出した。

その行動に三浦は一瞬困惑したが、少しだけ間を置いて自身の右手を出す。

二つの手は、互いの手を握った。

その光景にさらに会場内の盛り上がりが熱くなる。

こうして、SOBU ROCK FESの一日目の有志の部は幕を閉じたのである。

「おつかれさま」

「あんたも、ね」

「……私ね、あなたから誘われた時、本当は断ろうと思ってたわ」

「だろうね。あーしもオーケーされてびっくりした」

「まぁ、どうして引き受けたのかなんて話はしないけれど、ただこれだけは言わせていただくわね」

「…………」

「一緒にできて楽しかった。誘ってくれてありがとう」

「……そっか」

「ええ」

「……あーしもね、あんたとやるのなんて最初は嫌だったけど」

「…………」

「でも、今こーやって終わってみて、あんたとやれてよかったと思ってるんだ」

「そう」

「だから、あーしからも、ありがと」

「……ふふっ」

「?」

「こうやってあなたと普通に話しているなんて、不思議ね」

「考えてみたらそうかもね。あーしとあんたなんて水と油みたいなものだし」

「この一ヶ月だけでも何度衝突したか……、数え始めたらキリがないわね」

「それ考えると今こんな風に話してるのは、すんごく変じゃない?」

「そうね」

「……あーし、あんたのことが気に入らなかった。そういう澄ました顔でいられるのが癪に障って仕方なかった」

「でしょうね。私もあなたのことが嫌いだったわ」

「でも、今はそこまであんたにイラっと来ないあーしがいる」

「…………」

「別に友だちになろうなんて思ってないけど、まぁ、たまに話すくらいなら、その、いいかなって」

「……そう。私も、たまになら、話してもいいわ」

「……意地っ張りだね」

「あなたこそ」

――

――――

結局有志のあとの軽音部のライブも最後まで見てしまった。いやすげぇのなんの。やっぱ本業はちげぇな。

八幡「……疲れた」

戸塚「すごかったねー」

八幡「だな……」

いやー、すげぇな。いろいろ勉強になることも多いし。でも、疲れた。明日ちゃんとギター弾けるか不安になってきた。

川崎「比企谷」

八幡「ん、なんだ、サキサキか」

川崎「その呼び方はやめろ」

おや、ダメですか。由比ヶ浜とかから呼ばれる時は満更でもなさそうなのに。

川崎「あんたたちの、普通に良かったよ」

八幡「そっか、サンキュ」

戸塚「ありがとう! 川崎さん!」

川崎「戸塚はアコギも弾けたんだね」

八幡「ギターだけじゃなくて、ベース、ドラム、ピアノ、その他諸々弾けるくらい超ハイスペックなんだぞ、戸塚は」

何なら俺の心すら自由に操れるまである。最早チート。

川崎「なんであんたが答えてるの……」

知りません。先生に聞いてください。

八幡「んじゃ、俺は帰るわ。明日もあるし」

川崎「明日の朝は――」

八幡「わかってる。ちゃんと行くから」

戸塚「八幡」

八幡「?」

戸塚「遅れないでね?」

八幡「おう、まかせ――」

戸塚「ただでさえ八幡は遅刻常習犯なんだから」ニコッ

ふぇぇ、戸塚の笑顔が恐いよぉ……。

――

――――

いろは「あー! いたー!!」

八幡「ああ? ああ、お前か」

いろは「お前じゃなくて一色いろはですぅー。見ましたよー?」

八幡「そうか。俺も見てたぞ、サンボマスター」

いろは「完璧にネタ曲でしたけどね。主に私の名前のせいで」

八幡「でもなんだかんだハマってたぞ」

いろは「そうですかー? ならよかったです」

八幡「リンドバーグの方も良かったぞ」

いろは「あれは私がやりたいって言ったんですよー」

八幡「だろうな」

いろは「……じゃなくて、先輩の方ですよ」

八幡「ああ……」

こいつガチのファンっぽいから感想聞きたくねぇ。絶対叩かれる。

いろは「なかなかよかったですよ」

ほら、渾身の右ストレートが……ってあれ?

八幡「……??」

いろは「なんで鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてるんですか」

八幡「いや、普通に叩かれると思ってたから拍子抜けというか……」

いろは「さすがに出会って数時間の人にそこまで言うほど、私も鬼じゃないですよ」

いろは「先輩、ああいうのよくやる人なんですか?」

八幡「いや初めてだが」

いろは「えっ、初めてであんなにできたんですか」

八幡「は?」

いろは「普通、アガっちゃってあんな風に歌えないですよ?」

八幡「戸塚にも同じことを言われたな」

いろは「戸塚って先輩と一緒に歌ってた人ですよね?」

八幡「そうだ。さっき言ったS&Gがめちゃくちゃ好きなやつもそいつだ」

いろは「へー、その人だったんですかー」

いろは「初めてであれなら、先輩こういうの向いてるんじゃないですか?」

八幡「バカ言え。手も足もガックガクに震えてたぞ」

なんなら震えすぎて自分で自分の身体をマッサージしていたまである。何そのマッサージ機。超エコで健康的じゃん。

いろは「まぁ、先輩がそう言うなら、そーゆーことにしておきます」

八幡「何だよその言い方……」

いろは「あはっ。葉山先輩から聞きましたけど、明日も出るんですよね?」

八幡「話の切り替えが雑すぎんだろ……。そうだが……」

いろは「じゃあ楽しみにしてますね♪」

そう言って一色は去る。結局なにしに来たんだあいつは。

――

――――

結衣「ゆーきーのーん!」ダキッ

雪乃「わっ。……その、抱きつくのは…………」

結衣「すごかったー! ホントにホントにホントにホントにすごかったよー!」

ライオンでも出て来るの? この前カラオケであの曲見つけて超びっくりしたわ。だが最初のワンフレーズしか歌えない罠。まさか熊が出てくるとは思わなかった



雪乃「……ありがとう」

ゆ、ゆきのんがデレた! なんてこった、今日は雪が降るぞ!

結衣「……」チラッ

横目で由比ヶ浜が俺に目配せをする。俺も言えということなのだろう。

八幡「まぁ、上手かったな……。マジで、すごかったわ」

雪乃「そ、そう……。あ、あなたのような人にもわかるように弾けたなら、私も上達したのね」

八幡「お前は俺に喧嘩を売らなきゃ死んでしまう病なのか?」

こいつとの会話には八割型この下りが混ざってるけど、本当に病気なのではないだろうか。なんなら俺がストレスで円形脱毛症になって病院行くレベル。それ病気なの俺になってんじゃねぇか。

結衣「……いよいよだね」

雪乃「ええ」

八幡「そうだな」

結衣「あー、もー緊張してきたー!」

八幡「はええよ。てか今日もお前出ていただろ」

結衣「そうだけどさー。やっぱり本命はミスっちゃいけないし、緊張するよー」

なるほど。なら俺は今日が本命だったから明日は緊張しないな。……いや、普通にするわ。

雪乃「今までの練習の成果を出せばいいだけだから、そこまで気負う必要もないでしょう?」

と、強がってはいるが、その言葉は少し震えている。

結局なんだかんだ言って全員緊張し始めているのだ。それもそうだろう。明日失敗してしまったら、これまでの数ヶ月が全て無駄になってしまうのだから。

結衣「じゃあ……」

由比ヶ浜が右手をてのひらを下にして出す。

結衣「明日の成功を祈って……ね?」

俺と雪ノ下に笑いかける。

いや、ね? じゃねぇだろ。俺がそれにノッたら自然と由比ヶ浜の手に触れることになっちゃうんだけど。

雪乃「…………」

雪ノ下も意味は理解しているようだが、なかなかそこに手を乗せようとしない。こいつもそういうのしてこなかったっぽいから反応に困っているのだろう。

結衣「…………」ニコニコ

由比ヶ浜は何も言わずにただ微笑んで俺たちを待っている。

八幡「……わーったよ」

仕方ない。俺がやったらさすがの雪ノ下も折れるだろ。

由比ヶ浜の手の上に自分の手をかざす。さすがに触るのはなんだ、ちょっとあれだから乗せたりはしない。

結衣「ちゃんと乗せなきゃダメだよ?」

八幡「いやいや……俺の気持ちも少しは汲んでくれよ……」

結衣「いいから……はいっ!」

手の甲を押されそのまま由比ヶ浜の両手に俺の右手が挟まれる。そのあたたかい感触のせいで少しだけドキッとする。

本当にそういうのやめろよ。中学の時の俺だったら勘違いして惚れていたぞ。なんならそのまま告ってフラれるまである。正直こいつのこれにはもう慣れた感じもあるが。

結衣「あとは、ゆきのんだけだよ?」

雪乃「……仕方ないわね」

ついに観念して雪ノ下も右手を差し出す。由比ヶ浜はまたその手を引っ張り俺の手の上に乗せる。

……おい、俺の手が由比ヶ浜の手と雪ノ下の手に挟まれたんだけど。これなんてラブコメ?

結衣「じゃあ、明日は頑張ろー! えいっえいっ、おー!!」

何そのおかあさんといっしょに出てきそうな掛け声。俺たちそこまで幼くないっての。

八幡「おー」

まぁ、一人でやらせるのもあれだし、ノってやる。もう乗るしかない、このビッグウェーブに。別にそんなデカくねぇ。あと別にいま由比ヶ浜さんの胸部に目なんて行ってませんからね! 本当に!

雪乃「お、おー……」

雪ノ下がわずかに頬を染めながら片手を小さく上げる。俺が視線を向けるとサッと目をそらされる。

結衣「うんうん!」

対照的に由比ヶ浜は満足そうだ。まぁ、ちょっと前までの俺たちならあり得なかった光景が眼前に広がっていたら、そりゃ嬉しいわな。

雪乃「……じゃあ」

そう言って雪ノ下は手を引く。それに準じて俺も手を元に戻す。

八幡「……!」

その瞬間、胸の中を何かが通り抜けた。

何だろう。苦くて、苦しいような、決してプラスの意味では捉えられない感覚。

三人の手がただそれぞれバラバラになっただけ。なのに、その光景にいつか必ず訪れるであろう瞬間を予感させられた。

結衣「ヒッキー?」

由比ヶ浜の声でフッと我に返る。一体何を考えているんだ、俺は。そんなことは、いま考えることじゃないし、そもそも考えたってどうこうできる問題じゃない。

八幡「いや、なんでもねぇ」

――

――――

八幡「帰るか。おーい、小町―」

川崎と話していた小町がこっちへ走ってくる。

小町「なに?」

八幡「俺はもう帰るけど、お前はどうするんだ?」

小町「うーん、じゃあ小町も帰ろうかな」

八幡「別に俺に気を遣わなくてもいいんだぞ」

小町「小町はお兄ちゃんを待ってただけだからねー。あっ、今の小町的にポイント高い!」

八幡「じゃあ、帰るか。……じゃあなー」

川崎に片手を上げるとそれに返すように向こうも片手を上げた。

小町「お兄ちゃん」

八幡「ん」

小町「カッコよかったよ」

八幡「そうか。……サンキュ」

小町「お兄ちゃんと戸塚さんじゃ声的に上手くハモれないんじゃないかなって少し心配してたけど、杞憂だったね」

八幡「杞憂なんて難しい言葉、知ってるんだな」

小町「バカにしてる?」

八幡「してねぇよ。ただ、妹の成長が嬉しいだけだ」

小町「なんか釈然としないけど、褒め言葉として受け取っておくよ」

小町「明日は結衣さんたちとだね」

八幡「まぁ、な」

本当はもう一つ出るが、それはごく一部の人間しか知らないことだ。

小町「……頑張ってね」

八幡「ああ、あいつらに迷惑かけねえようにするさ」

小町「うん。あと、川崎さんたちにもね」

八幡「……知っているのか?」

小町「小町は何も知らないよ?」

そういたずらっぽく笑みを浮かべる。きっと小町には何もかもお見通しなのだろう。

八幡「じゃあ、どっちも上手くいくように祈っててくれ」

小町「うん、りょーかい」

――

――――

ジャンジャンジャカジャカ

八幡「……これなら、問題ないな」

小町「おにーちゃん、ごはんだよー!」

八幡「わかった」

ギターをケースにしまい、リビングへ向かう。と、そこには新聞を読んでいる親父の姿があった。

八幡「珍しいな。親父がこんな時間に家にいるなんて」

話しかけると親父は新聞から目を離し、俺を見る。

八幡父「一応、土曜だしな」

八幡「普段土曜でもいないだろ」

八幡父「まぁ、細かいことは気にするな」

親父はそう言ってまた新聞に目を戻す。

八幡父「明日だろ?」

八幡「はっ?」

八幡父「本番」

八幡「あ、ライブのことか。そうだけど」

八幡父「ミスは気にするなよ」

八幡「そこは普通ミスるなよ、とかじゃないのかよ」

八幡父「まだ始めて数か月のガキにそんなことは言わねぇし、望んでもいねぇ」

八幡「そうかよ」

八幡父「それよりも、ミスに気を取られてそのあとも崩れるほうがアウトだからな。ミスは必ずある。だから完璧にこだわるなってことだ」

八幡「頭に留めとくよ」

八幡父「ん、ならいい」

八幡父「頑張れよ」

八幡「サンキュ」

小町「はい、ごはんだよ。お兄ちゃんはお皿並べて」

八幡「あいよ」

親父もいつか、俺の生まれる何十年も前にああいう舞台に立ったのだろう。

その時の話を、明日、ライブが終わった後にでも聞いてみようと、そう思った。

香ばしいスパイスの香りが鼻をくすぐる。……って、また今日もカレーかよ。

小町「ちなみに今日もカツがついてるよ♪」

八幡「!?」

小町「また今日もカレーかよ、みたいな顔してたし」

八幡「一字一句まで完全再現とか恐怖だわ」

――

――――

八幡「……ついに、明日か」

ベッドに横たわりながら傍らに置いてあるギターケースに目を向ける。

八幡「俺が、バンドか」

考えてみると不思議な気分だ。ただのぼっちだったはずのこの俺が、こともあろうかリア充の領域であるバンドなんてものに手を出すことになるとは、人生は何が起こるか

わかったものではない。

八幡「……上手く、いくよな」

不安と高揚感が胸の中で渦巻く。明日の今頃には俺たちのライブは終わっている。

その時、俺はどんな顔をしているのだろう。

失敗を悔やむ顔か、成功を喜ぶ顔か。

後者であることを願う。

まぁ、こんなごちゃごちゃした話を飛ばして結論を端的に言うのならば……。

八幡「緊張して眠れねぇ……!」

マジで、明日のことが気になりすぎて目が冴えてしまっている。こうなるとどうにもならない。落ち着こうと意識すればするほどにドツボにハマっていく。

八幡「昨日だってこんなには緊張してねぇのにな……」

八幡「てかいろいろあって疲れてるのに寝なかったら……」

八幡「……ってあれ、なん……か……ねむ……」

八幡「…………」

八幡「……zzz」

 次の日、朝

小町が用意してくれた朝食を口にしながら、時折会話を混ぜる。

小町「本命のが今日だね」

八幡「……ああ」

否定する気はなかった。昨日あれだけいろいろ言っていたのにそれで否定するほど、俺も捻くれてはいない。

小町「頑張ってね♪ ちゃんとビデオに撮っておくから」

八幡「やめろやめろ。そんなこと聞いたら緊張して演奏どころじゃなくなる」

小町「大丈夫、お兄ちゃんは映さないから」

八幡「そうか、なら問題ないな」

小町「なんならお兄ちゃんだけ映してあげてもいいよ」

八幡「勘弁してくれ」

――――

八幡「ごちそうさま。じゃあもう行くわ」

小町「御粗末!」

八幡「ソーマ見過ぎ」

小町「……ん、ちょっと早くない? 始まるのはまだ先だよね」

八幡「最後の最後でスタジオ練入ってるからよ。まだ完璧とは言えない出来だしな」

小町「あーなるほどー」

八幡「というわけで戸塚んちで待ち合わせだからよ」

小町「あーうんうん。わかったわかった。いってらっしゃい」

八幡「いってきます」

――

――――

八幡「でも、スタジオ練にしても早いんだよなぁ」

もう少しくらい遅くても良かったんじゃないの? そうすればまだ寝られたし。

戸塚「はちまーん!」

いや、むしろ遅すぎなくらいだな。戸塚と過ごせる時間は一秒だって多い方がいい。

八幡「あれ、他のやつは?」

戸塚「あー、もう少ししたら来るよ。ただ、その……」

八幡「?」

戸塚「その……八幡と二人で見たいものがあったから……」

ほお染めんな。間違えて手を出すところだっただろ。

八幡「そ、そうか……。なんだ?」

戸塚「これなんだけど……」

戸塚が取り出したのは一枚のディスクだった。

八幡「何なんだこれ?」

戸塚「まぁ見ればわかるよ」

ディスクをプレイヤーに入れながらいたずらっぽく笑う。ダメだ。戸塚が可愛すぎて映像に集中できる気がしない。

パッと画面が切り替わる。薄暗い室内に人が集まっているようだ。この雰囲気には覚えがある。ちょうど昨日堪能してきたばかりだ。

八幡「……なんかのライブか?」

戸塚「うん、正解」

だが音質や画質が悪いことから相当な年代物だとわかる。アングルなどの稚拙さからプロのではなく、素人が撮影したものだろう。

パチっという音がして画面が一瞬真っ白になり、光量補正で少しずつ見えるようになる。少しだけ割れた歓声がスピーカーから流れた。

ようやくまともに見えるようになると、そこにはバンド用のライブのためのステージが一式揃っていた。

そして、五人の男のシルエットが浮かび上がる。

八幡「まさかこれ――」

俺は段々と感づき始めていた。そこにいるのが誰なのか。この映像はいったいなんなのか。

俺だけを呼んだ理由も。何もかもが。

ギターの音で曲が始まる。顔までははっきりと見えなかったが、そこにいるのが誰なのかはすぐにわかった。

八幡「……親父?」

録音状況のせいで割れ気味の低めのパワーコードがスピーカーから流れ出る。

八幡「この曲は……」

聞いたことがある。たぶん格闘技とかの入場テーマとかでよく使われるからというのもあるが、親父が聞いていたからだ。

これが流れると普段は社畜として死んでいる親父の目が、少しだけ輝いていたのはこういうことだったのか。ちなみに曲が終わるとすぐにまた死んだ目に戻るんだけどな。

Risin' up, back on the street
  
Did my time, took my chances

Went the distance

Now I'm back on my feet

Just a man and his will to survive

So many times, it happens too fast

You trade your passion for glory

Don't lose your grip on the dreams of the past

You must fight just to keep them alive

戸塚の親父の力強いバスドラムが確かなリズムでビートを刻む。親父のギターの音がそれに乗り緊迫感を強調する。

It's the eye of the tiger

It's the thrill of the fight

Risin' up to the challenge

Of our rival

And the last known survivor

Stalks his prey in the night

And he's watching us all with the

Eye of the tiger

観客の曲のリズムに合わせ腕と頭を振る。俺も戸塚も曲につられて軽く身体が動いていた。

よく見ると、いやよく見なくてもこの時に親父がひいてるギターっていま俺が使っているのと同じやつなんだな。こんな昔の映像に映っているものと同じものが俺の手の中

にあると思うと、少し変な気分だ。

~♪

アウトロが終わると、少ない歓声がステージの上に飛び交う。場所はどこかのライブハウスのようで昨日や今日程のキャパはなく観客の数も少なめだ。でも――

八幡「……うめぇ」

戸塚「高二の時のライブだって。僕たちと同い年だよ」

八幡「マジかよ……」

戸塚「まぁ、お父さんたちは高一の時からやってたから、あっちの方が上手いのはあたり前といえばあたり前なんだけど」

すごい。

そんな憧れに似た感情を胸に抱く。

普段の親父からは想像もできないような姿がそのビデオには収められていて、まるで本人ではないようで、でもどこかしらにその面影がある。

そんな画面の中の親父は楽しそうに笑っていた。

そして次の曲が始まる。

Livin' On A Prayer
Bon Jovi

https://youtu.be/8_lmzY8iIhg

キーボードの音から曲が始まり、ドラムが響いて他の楽器群の音が入り乱れる。異様なまでに歪められた親父の声が不気味に曲の中で存在感を放っていた。

八幡「なんだあの声……」

戸塚「あれ、声じゃないよ」

八幡「えっ?」

戸塚「歪めたギターの音をホースで口の中に入れて、口の形を変えて音をあんな風にしているんだって」

八幡「なんだそれ……。そんなの初めて聞いたぞ」

戸塚「トーキングモジュレーターって言うんだって。買うと高いから八幡のお父さんは自作したらしいよ」

八幡「!?」

本当に何やってんだ親父。

Once upon a time not so long ago

Tommy used to work on the docks, union's been on strike

He's down on his luck, it's tough, so tough

Gina works the diner all day working for her man

She brings home her pay, for love, for love

よく見るとあの声っぽい音はギターの動きに連動している。確かにギターの音が基らしい。

She says, we've got to hold on to what we've got

It doesn't make a difference if we make it or not

We've got each other and that's a lot for love

We'll give it a shot



Woah, we're half way there

Woah, livin' on a prayer

サビに入るとボーカルが右手を突き上げる。と、それに応えるように観客も手を突き上げる

Take my hand, we'll make it I swear

Woah, livin' on a prayer

会場と一体になるとはあんな感じなのだろう。その様子を見ているとちょうど昨日の雪ノ下と三浦のバンドのことを思い出した。昨日のあの時もちょうどこんな感じだった。

こんなライブができたら、その時にステージから見える光景はどんなものなのだろうか。

それができたら、バンドマンにとっては、いや、エンターテイナーとして、これ以上ない幸せな瞬間に違いない。

何十年も前の熱狂を見ながら、そんなことを考えていた。

――

――――

司会A『さあ、今日は二日目……』

司会B『SOBU ROCK FESも今日で終いだが……』

司会『『お前ら今日も全力でいけるよなぁっっ!?!?』』

ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!

司会A『さて、今日のトップバッターだが……』

司会B『いまいち締まらないスリーピースバンドだっ!!』

会場がドッと笑いに包まれる。あっ、もう誰のバンドなのかわかったわ。

パッと体育館の明かりが消えてライトがステージのみにあたる。そこにいたのはやはり――。

八幡「材木座か……」

秦野『あー、あー。ちゃんと声でてるっすね』

秦野『どうも、遊戯部の一年秦野と』

相模『相模です』

八幡「……誰?」

あっ、思い出した。材木座が喧嘩吹っかけてゲームで勝負挑まれた時のあれだ。懐かしすぎて忘れてたわ。

秦野『二人でバンドっていうのも変な話ですがよろしくお願いします』

材木座『ちょっと! 我も! 我もいるんだけどーー!?!?』

相模『あっ、先輩。いたんですね』

材木座『いたよ!? スリーピースってさっきも言ってたでしょ!?』

材木座さん、素が出ていますよ、素が。てか後輩にこんなにいじられるなんて先輩としての威厳なさすぎだろ。まぁ材木座だから仕方ないか。

グダグダなやり取りだが受けは悪くないらしく、白けた雰囲気にはなっていない。さすが、あの二人もその辺はよく考えているのだろう。

秦野『それじゃ一曲目』

秦野『サンボマスターの、世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
サンボマスター

https://www.youtube.com/watch?v=rlr38VxfEiI

シャン、シャン、ドゥグドゥン、ダンッ

材木座、割とちゃんと本番でも叩けるんだな。緊張してミスると思っていたのに。

このバンドは材木座がドラム、秦野がギターボーカル、相模がベースという編成らしい。

秦野はさっきまでとはまるで人が変わったように歌い、叫ぶ。

ベースも多少危なっかしいところがあるが、まぁそれなりには安定している。しかしさっきの会話だと形無しだった材木座が何だかんだこの二人の精神的支柱になっているんだよな。この辺が一年間の差なのだろうか。

当の本人は叩くのに一生懸命でそんなこと考えていないのだろうが。

  涙の中にかすかな 明かりが灯ったら

  君の目の前で 暖めてたこと話すのさ

  それでも僕らの声が 渇いていくだけなら

  朝が来るまで せめて誰かと歌いたいんだ

……あっ、材木座ミスった。

これは電車男の歌だよな、ドラマのほうの。あれってどんな話だったっけ。見たのがかなり前で内容忘れたわ。

確か材木座みたいなTHEもてない男が美人さんと出会ってキャッキャウフフする話だった気がする。何そのただのリア充、爆発しろ、何なら材木座も爆発しろ。

  昨日のあなたが 嘘だというなら

  昨日の景色を 捨てちまうだけだ

  新しい日々を繋ぐのは 新しい君と僕なのさ

  僕らなぜか確かめ合う 世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ

三人ともマイクあったのはサビを三人で歌うためか。しかし材木座の声が少しデカすぎて調和が取れていない気がするのは俺だけだろうか。少し自重しろ。

  心の声を繋ぐのが これほど怖いものだとは

  君と 僕が 声を合わす

  いままでの過去なんてなかったかのように

  歌い出すんだ!

――

――――

八幡「……おっ」

材木座「む、八幡ではないか。我の勇姿、見ておったか?」

八幡「ああ、お疲れ」

材木座「ふむ、そうかそうか。なら我のことも少しは――」

八幡「めちゃくちゃミスりまくってたな」

材木座「ぐぬぅっ!?」

八幡「愛と平和、のところなんて思いっきりズレていたし」

材木座「や、やめて八幡……。我そこ実はかなり気にしてる……」

八幡「あそこであの二人かなり戸惑ってたぞ」

材木座「死体蹴りもそこまでいくと犯罪だぞ八幡……。やめろ……いや、やめてくださいお願いします」

八幡「……まぁ、別にお前にしちゃ良かったんじゃねぇの?」

材木座「……そうかのぅ」

八幡「もっと酷かったら思いっきり笑えたのに、残念だ」

材木座「それはあまりにも酷すぎではないか!?」

材木座「……だが、ありがとな。八幡」

八幡「なんだよ、気持ちわりぃな」

材木座「その捻デレているところ、嫌いではないぞ」

八幡「本気でやめろ気持ち悪い」

>>1
ここまで。ようやく前回までの再投下が終わり。
前スレから読んでくださっていた方はお待たせいたしました。次回から新規のところに入ります。
最低でも今月中には終わらせます。
あと、もう少しだけお付き合いください。

乙です

乙でした
サバイバーにボンジョヴィとか俺得すぎるわ
デヴィッドボウイもどっかで使ってほしいな…

乙乙
サンボマスター懐かしいなぁ
ボーカルとベースも材木座っぽい風貌したのはよく覚えてる

乙です

あれ?
カスラックに目を付けられてからこの板歌詞の書き込み禁止じゃなかった?

訂正
>>152>>153の間に一つ抜けあり

以下、挿入部分



Eye Of The Tiger
Survivor

https://youtu.be/8Q94pOU2eQ8

八幡「それにしてもよ」

材木座「なんだ、八幡?」

八幡「なんだかんだ出るバンドそれなりにあるよな。直前でテンパっていた割には」

材木座「ああ、その話か。実はなかなか修羅場になっていたらしいぞ、運営は」

八幡「やっぱそうか」

材木座「一日でやるには多く、二日でやるにはバンド数が少なかったらしくな」

あ……(察し)

材木座「途中からなりふり構わず募集していたそうだぞ。軽音部からの午前参加を許可したりな」

八幡「まぁ、そのくらいしないとこんなに集まらねぇよな」

材木座「時に八幡」

八幡「んだようざったい」

材木座「うざ……、いや、そうじゃなくてだな、次のバンドは誰が出るか知っておるか?」

八幡「いや、知らんが」

材木座「そうかそうか」ニヤニヤ

八幡「んだよその笑い方……腹立つな……」

材木座「なに、大したことではない」ニヤニヤ

戸塚「はちまーん!」

八幡「とっ、とつかぁっ!」ダッ

材木座「ま、待て! 待つのだ八幡!」

八幡「……ってあれ? なんでお前も?」

川崎「別に、戸塚とそこで会って話してただけ」

八幡「そ、そうか」

なんで口どもってんだよ俺。めちゃくちゃ気持ち悪いじゃねぇか。

戸塚「なんか、集まっちゃったね」

言われてようやく気づく。今日やる二つ目のバンドメンバーが見事に集結していた。

八幡「ああ……」

気の抜けた声が漏れ出る。……なんというか、こういうので言い出しっぺになるなんて高校入ってからなかったから何を言えばいいのかわからん。

ちなみに中学の時は何度かある。ほとんど無視かスルーされて終わったが。今思い出しても死にたくなる。

パチン、と照明が落ちる。もう次のバンドが始まるようだ。

照明がステージの方に当てられ、そこにいる三人の姿をくっきりと照らし出される。

八幡「……って、あれ?」

なんか見覚えのある人がいる。なんか本来あそこにいてはいけないはずの人があそこにいる。

おかしいなー。あの人があそこにいるわけ……。

八幡「…………」

川崎「…………」

戸塚「…………」

材木座「ふふふ……驚いたか八幡」

八幡「…………」

八幡「……なんで平塚先生があそこにいるんだ?」

自称ギリアラサーの平塚先生は高校生が参加するロックフェスに、なぜかベースを担いで参戦していた。

材木座「言ったであろう、八幡」

材木座「……なりふり構っていられなかったと」

八幡「それで平塚先生か……」

戸塚「でも平塚先生のベースすごく上手いし聞けるなら聞きたいな」

川崎「そうだね。文化祭の時も安定していたし」

八幡「…………」

まぁ、川崎も嬉しそうだしいいか。

……いやちょっと待て。今のはなんだ!?

戸塚だよ戸塚! なぜそこで俺は間違えているんだ!

ごめん戸塚! 俺を許してくれ!

材木座「八幡……、さっきから何をしておるのだ?」

八幡「自己嫌悪だよちくしょう」

……間違えただけ、だよな?

平塚『やあ。いろいろあって私たちも出ることになった』

平塚『私がベースボーカル、鶴見先生がギターで厚木先生がドラム』

平塚『時間がなかったから二曲しか用意していないが、まぁ許してくれ』

いやいや、たくさん時間があった俺らも二曲しか用意してないんですけど?

平塚『まぁ教師によるちょっとした余興だ。聞いていってくれ』

ヤベぇ。かっけぇ。平塚先生がめちゃくちゃかっけぇ!

平塚『……Roxanne』

Roxanne
The Police

http://www.youtube.com/watch?v=3T1c7GkzRQQ

乾いたギターと静かなドラムのリズムで曲が始まり、そこに平塚先生のベースが入る。そんな単調ながら胸に響く低音が心地良い。

  Roxanne

  You don't have to put on the red light

  Those days are over

  You don't have to sell your body to the night

戸塚「先生……。選曲が渋すぎ……」

川崎「ベースボーカルでちゃんとやれてる……すごい……」

戸塚「元々ポリスもベースボーカルだからね。だからこの曲を選んだんだと思うよ」

  Roxanne

  You don't have to wear that dress tonight

  Walk the streets for money

  You don't care if it's wrong or if it's right

まぁ盛り上がるような曲ではないから、拳を突き上げたり飛び跳ねたりするやつはいない。

しかし、三人の大人の確かな腕に全校生徒が聞き入っていたのは間違いなかった。

  Roxanne (put on the red light)

  Roxanne (put on the red light)

  Roxanne (put on the red light)

平塚先生の指がベースの弦を弾き、低音とともに歌い上げる。表情にはどこかまだ余裕が見え、そこが逆にカッコいい。

  Roxanne (put on the red light)

  Roxanne (put on the red light)

  Rox?

サビが終わりマイクから一歩下がると一瞬わずかに口角を上げた。それは大人の女性としての笑顔というよりはむしろ――。

戸塚「先生、楽しそう」

――俺たちと同じ高校生のような笑顔だった。

今、平塚先生の目には一体何が映っているのだろう。かつてのバンドをしていた頃の光景が見えているのかもしれない。

――♪

曲が終わると拍手と歓声がわき起こった。それはとりあえずのものではなく、驚愕と賞賛の意が込められていた。

八幡「……三人であれかよ」

戸塚「スリーピースでちゃんとやるのって難しいのに、すごかったね」

川崎「ベースがとてつもなくカッコよかった」

八幡「確かにな。普段ベースって目立たねぇのに、主役張りに平塚先生のベースは目立ってたな」

ベースの良さをあそこまで引き出せる曲もなかなかないと思う。The Policeね。親父に聞いたら知っているだろうか。今日帰ったら聞いてみよう。

材木座「…………」

八幡「おい」

材木座「…………」

八幡「材木座?」

材木座「はっ!」

八幡「どうしたんだよ」

材木座「厚木殿のドラムがなかなかのものでな。つい見惚れていたのだ」

八幡「そっちか」

平塚『じゃあ、次の曲に行こう。君たちはくれぐれもこれからのライブでハメを外しすぎないように』

平塚先生がそう言うとあちらこちらから「うぃーっす」とか「うぇーい」とか聞こえてきた。お前らそれしかボキャブラリーないのか。

平塚『うむ、よろしい』

いいのかよ。

平塚『同じくポリスから』

平塚『Every breath you take』

戸塚「わぁ……!」

曲名を聞いた瞬間、戸塚は嬉しそうな声を上げた。そんな姿を見て俺も嬉しいです!

Every breath you take
The Police

https://www.youtube.com/watch?v=wdS-jpFgRo4

ドラムスティックが四回カウントし、ベース、ギター、ドラムが同時にそれぞれの音を混ぜ合う。

8ビートの単調なリズムで自然と指が動く。どの音も短調なのにその三つが合わさると不思議な魅力が生まれるように思えた。

  Every breath you take

  Every move you make

  Every bond you break

  Every step you take

  I'll be watching you

平塚先生の少しかすれて落ち着いた歌声は静かな曲調とよくマッチしていた。リズム隊が安定しているおかげで安心して聞けるのも、心を惹かれる理由なのかもしれない。

戸塚「…………」

  Every single day

  Every word you say

  Every game you play

  Every night you stay

  I'll be watching you

さっきの曲よりもさらに静かな曲だったが、俺はより聞き入ってしまっていた。落ち着いた平塚先生の姿は、いつもの昔のアニメ好きで男よりも男らしい人とは別人に見え

た。

戸塚「…………」

  O can't you see

  You belong to me

  How my poor heart aches with every step you take

それにしても英語の発音が綺麗すぎんだろ。あの人国語教師なのに何してんの?

そういえば戸塚が静かだと思いその方を見ると、真剣な表情で三人のライブに見入っていた。俺が戸塚の方を向いているのに気づかないレベル。何これ少し悲しい。

いや、もうすごく悲しい。久々にステルスヒッキーの性能を発揮しちまったぜ。てへっ☆

……自分でもこれはねーな。

しかし戸塚を見ているとただ先生たちの演奏に夢中になっているわけではないとわかった。戸塚の表情に時折苦笑いのようなものが垣間見えたからだ。

  Every move you make

  Every vow you break

  Every smile you fake

  Every claim you stake

  I'll be watching you

歌詞の意味はよくわからないが、ベースを弾きながら歌い上げる平塚先生の表情は真剣そのものだ。特に今。

戸塚「……やっぱり」

そう戸塚がぼそりと呟いた。

八幡「やっぱりってなんだよ?」

戸塚「この曲の歌詞、ちゃんと読んでみると少し怖いんだよね……」

八幡「?」

戸塚「かいつまんで言うと、君がするどんな仕草も僕は見ているみたいな意味で、ストーカーの歌のようにも解釈できるんだ……」

八幡「…………」

なんか平塚先生っぽいな。ふと夏休みの時のメールを思い出して背筋が震える。これたぶん確信犯だろ。

  Since you've gone I been lost without a trace

  I dream at night I can only see your face

  I look around but it's you I can't replace

  I feel so cold and I long for your embrace

  I keep crying baby, baby please

その会話が聞こえたのかと思うくらいのタイミングで、歌声が荒く激しくなった。感情を込めたエモーショナルな声は……、これどっちも意味同じだな。どんだけ感情的に

なっちゃうんだよ。

  Every move you make

  Every vow you break

  Every smile you fake

  Every claim you stake

  I'll be watching you

そうして俺たちとの圧倒的な実力の違いを見せつけて、三人はステージを去って行った。

川崎「……すごかったね」

そんな川崎の言葉に首肯を以て返す。

昨日の雪ノ下たちのとは全く異質の上手さがあり、それに魅了されてしまった。

どっしりと安定しブレないベースとドラム。そこに混ざるシンプルなギターのサウンド。

たった三つの音であそこまで人を惹きつけるライブができるだろうか。少なくとも俺には無理だ。

川崎「……ちょっと外に出てくる」

そう言って川崎はベースの元へ向かった。恐らく昨日の俺と同じように外で練習するのだろう。

八幡「おう」

八幡「…………」

少し残念に思ってしまった俺ガイル。

……いやいや、だから、違うってばよ。

八幡「俺もその辺ぶらつくわ。じゃあな」

材木座「うむ」

戸塚「じゃあまたあとでね」

八幡「おう」

さて、と……。どこへ行こう。また外で練習でもするか?

それだと川崎と鉢合わせになる可能性が……、ちょっと待て。俺は何をそんなに意識しているんだ?

いくらあの時の言葉が不自然だからって動揺しすぎだろ。

クールになれ、比企谷八幡。

……ふぅ。

じゃなくて。

何スッキリしちゃってんだよ俺。ただの変質者じゃねぇか。それクールじゃなくてただの無気力というか賢者モードというか……。

だからなぜそっち方向に思考が向かうんだよ。発想レベルが中学生レベルじゃねぇか。何ならそのままもっと遡って小学生になるまである。

やーいうんこうんこー。

今思うとあれの何が面白かったのかわからない。

??「……あっ」

などとどうでもいい思考に脳をフル回転させていたら、小さなかわいらしい声が聞こえた。これはまさか……あのロリエたんか!?

??「八幡……?」

その声はそう呟いた。どこか聞き覚えがあるような気がする。

八幡なんて名前が滅多にあるとは思えず、これは俺を呼ぶ声なのだと思うことにして、万一勘違いでも問題ないようにわずかに首を回し目をそっちに向ける。

??「八幡……だよね……?」

……その時、なぜ、ロリエたんが連想されたのかを理解した。

そこにいたのはかつて千葉村の林間学校でぼっちとなってしまっていた鶴見留美だった。

留美「やっぱり八幡だ」

八幡「呼び捨てかよ。ひさしぶりだな」

留美「八幡は八幡だから」

八幡「あっそ。……てかなんでここにいるんだ?」

留美「……あれ」

少し恥ずかしそうに顔を伏せながらステージを指差す。その指先を追ってステージを見るがそこには次のライブの準備する葉山たちの姿があった。

八幡「葉山たちを見に来たのか?」

留美「えっ? あっ、違うよ!」

今度は顔を真っ赤にして手と首を横に振った。

留美「そうじゃなくて……、親を見に来たの」

八幡「……はっ?」

親? 俺らの年でもう親になってる奴がいるのか? ルミルミはもう年齢は十を超えているだろうから、もし今十八だとしても産んだのは八歳とかか?

なんだそれ、十四歳で母になった堀北真希もびっくりなレベル。てかあれは志田未来か。女王の教室は面白かったな。いい加減に目覚めなさい。

だが断る。

俺は寝る。

目覚めなさいってそういう意味じゃねぇ。

留美「……八幡?」

八幡「はっ!」

理解し難い話に思わず現実から逃避していたようだ。できることならそのまま現実から逃げていたかった。

留美「勘違いしているみたいだけど、私の親は先生だよ」

八幡「……」

八幡「…………」

八幡「…………あー」

なるほど、鶴見先生か。てことはルミルミは鶴見先生の娘だったってことか。

八幡「だから見に来たってわけか」

留美「うん。……まぁ、それだけじゃないけど」

八幡「お前の親、すごかったな」

留美「うん。ちょっとびっくりした」

しかしこの昔親がバンドやってた率の異様な高さはなんなのだろう。そういう年代なのだろうか。

留美「八幡も出るんでしょ?」

八幡「ん……、まぁ、な」

留美「意外」

八幡「同感だ」

留美「自分のことなのに?」

八幡「むしろ自分だからだな」

自分のことは自分が一番わかっている。俺がもしも俺のままで不変であったならば、少なくとも今日俺はここにいなかっただろう。

だからやはりこの数ヶ月で俺は変わってしまったのだろう。

奉仕部という存在に、変えられてしまったのだ。

八幡「ま、いろいろあってな」

留美「ふーん」

興味なさげにステージに目を向ける。その先にはいつもの葉山グループの姿が見えた。

次が葉山たちの本命のバンドのようだ。PAの調整やマイクの位置などに今まで以上に気を遣っている。

留美「じゃあ」

そう言ってルミルミはステージに背を向けた。

八幡「見ないのか?」

留美「別に興味ないし。それに八幡たちのはまだ後でしょ?」

八幡「ふーん、まぁ別にいいけどよ。……って、俺たちのは見に来るのか」

留美「一応前に助けてもらったお礼。お客さん誰もいなかったら寂しいでしょ?」

本番目前の人間に、この小学生はなんてことを言うんだ。

八幡「お、おう……サンキューな……」

でもとりあえずは感謝しておこう。悪意があるわけではなさそうだ。

――

――――

司会A『さぁ、SOBU ROCK FES有志の部も残るところあと4バンドとなったが……』

司会B『ここで真打のやつらが登場だぁっ!!』

司会A『お前らこれのために今の今まで待ってたんだろっ!?』

司会B『来るぞ、最高にロックで熱いバンドが……!』

司会の二人のテンションも、そして会場の熱気も最高潮に達している。やはりあの二人がいるバンドだ。注目度も期待も尋常ではないのだろう。

司会『『お前ら! 準備はいいかぁっ!!』』

司会の二人のかけ声で再び体育館は歓声でいっぱいになった。あんなにも今まで叫んでいてそれでもなおそんな声出るとかどんな体力してんだお前ら。

そして、オープニングアクトの時と同じように照明が消され、辺りが真っ暗になった。

No reason
SUM41

https://www.youtube.com/watch?v=R7djJ0so-Gs

場内は静まり、微かなざわめきだけが聞こえる。

すると、うっすらとした青い光がステージを包んだ。

青いライトにぼんやりと四人の影が浮かび上がる。

その中心を陣取るのは、言うまでもなくあの男だ。

黒くぼんやりとした影がゆっくりと、その腕が動き、ギターの弦をそっと鳴らした。

暗く、重いギターの音がこの場を支配する。

そして、その隣にいる彼女もまた音を奏で始め、二人の歪んだギターがハーモニーとなる。

誰も何も言わない。ざわめきすらなくなってしまった。

二人の迫力にこの場にいる全員が飲み込まれてしまったのだ。

一閃。

ドラムとベースの音が突如閃光のように現れ、葉山は叫んだ。

  All of us believe

  That this is not up to you

  The fact of the matter is

  That it's up to me

  Hey, Hey, Hey!!

  Hey, Hey, Hey!!

  Let's Go!!

四人の轟音が一気に観客の心を奪い、そのまま疾走した。メタル風味の爆音に会場は湧き上がり、拳が何度も強く突き上げられる。

  How can we fake this anymore

  Turn our backs away, and choose to just ignore

葉山の声と動きは今までの以上に荒々しく、すぐに声が枯れてしまうのではないかと思ってしまうほどだ。

ドラムは案の定戸部で、ベースが大和。

  Some say it's ignorance

  It makes me feel some innocence

  It takes away a part of me

  But I won't let go

そして葉山の隣で彼に負けない輝きを放ちながら、ギターの弦にピックを叩きつけているのは、炎の女王こと三浦だ。

しかし彼女は自らが目立とうとはせず、隣にいる葉山をより映えさせようと弾いているように見えた。

それに気づいているのか気づいていないのか、葉山はただ叫ぶ。

自らの心の奥にある何かを、思いっきり。

  Tell me why can't you see, it's not the way

  When we all fall down, it will be too late

  Why is there no reason we can't change

  When we all fall down, who will take the blame

  What will it take

――

――――

一曲目が終わり体育館内は熱狂といってもいいほどの熱気でいっぱいになった。

それに葉山は片手を挙げて応えるが、その様がまたキマっていて歓声はさらに大きくなる。

葉山の顔に微かに微笑みが浮かび、何も言わずに肩からかけていたエレキギターを下ろす。

そしてそれを後ろに持って行き、その先にあるギタースタンドに立てかけてあったアコースティックギターを手に取った。

エレキギターを代わりにスタンドに置き、アコギを肩にかける。

ただそれだけの動作がどれも本物のロックスターのようで、俺は思わず見惚れてしまった。

そして葉山はマイクの前に立つと、途端にあたりが静まる。皆が待っているのだ。葉山隼人の言葉を。

葉山「次が最後の曲だ」

With Me
SUM41

https://www.youtube.com/watch?v=g8z-qP34-1Y

静まった場内で彼らはその静寂を支配する。

今この場でこれを壊せるのは、壊す資格を持つのはあのステージに立つ彼らだけだ。

ゆっくりと葉山の手が動き、そして弦を鳴らす。

  I don't want this moment to ever end,

 (こんな風にこの瞬間が終わることを俺は望んでいない)

  Where everything's nothing without you.

 (君なしでは全てが空っぽになってしまうんだ)

  I'd wait here forever just to, to see you smile,

 (君の笑顔のために俺は永遠だって待ってみせる)

  'Cause it's true, I am nothing without you.

 (だってそれは『本物』だから)

 (君なしでは俺は空っぽなんだ)

  Through it all, I've made my mistakes.

 (全てのことにおいて、俺は間違えた)

  I stumble and fall, but I mean these words.

 (つまづいて倒れても、俺はこう言うんだ)

  I want you to know,

  With everything I won't let this go.

 (全てのことをひとつ残らず君に知ってほしいんだ)

  These words are my heart and soul.

 (その言葉は俺の心と魂そのものなんだ)

  I'll hold on to this moment, you know,

 (この瞬間を逃したくない)

  As I bleed my heart out to show,

 (この心がどれだけ傷つくとしても君に伝えよう)

  And I won't let go.

 (そして手放さないよ)

――

――――

結衣「いよいよ……だね」

雪乃「ええ。この数週間でみんな相当練習を積んできたのだからもう心配はないわね」

川崎「…………」

結衣「どうしたの?」

川崎「あんたたちよくそんなに平然としていれるね」

結衣「え?」

視線を下にズラすと、川崎の足は震えていた。

結衣「緊張してるの?」

川崎「あんな大勢の前に出るのにアガらないわけないでしょ……」

八幡「そりゃこいつらは普段から注目される側の人間だからな。俺らの気持ちはわからねぇよ」

川崎「あんたも戸塚と二人でしかも弾き語りなんて目立つことしてたでしょ」

八幡「そりゃ戸塚と二人なら俺を見ることなんてねぇからな」

川崎「あたしはあんたの方見てたけどね」

八幡「えっ?」

川崎「えっ?」

八幡「」

川崎「ちがっ……、別にそんな訳じゃ……!」

八幡「」

川崎「」

戸塚「ほらっ、もう前のバンド終わるよ! しっかり!」

八幡「はっ! 俺は一体……」

戸塚「川崎さんも!」

川崎「……死にたい」

戸塚「ライブ終わるまで死んじゃダメだよ! 死ぬのはそのあと!」

雪乃「さらっと酷いことを言ったわね」

結衣「彩ちゃんの頭はロックに毒されてるね……」

戸塚「違うよ!?」

結衣「……あっ、前の終わったね」

川崎「……!」

八幡「安心しろ。ベースだからあんま聞こえてねぇはずだ」

川崎「そうかな……?」

八幡「ああ」

でもミスると目立つけどな。

とは言わないでおこう。

結衣「よーし! じゃあみんな! ファイト! オー!」

雪乃「お、おー……?」

戸塚「おー!」

八幡「おーっ!!」

結衣「今の声ヒッキー!?」

八幡「川崎、戸塚」ヒソヒソ

戸塚「わかってるよ」

川崎「うん」

八幡「よろしくな」

ステージに上がるとそこには昨日よりもたくさんの観客がいるように見えた。

昨日の評判を受けてやっぱり来てみようと思った人が増えたのだろうか。

一度経験しているとは言え緊張が減るわけではなく、案の定俺の足も震えていた。

しかも今日の方は俺のギターソロがある。ここでミスるわけにはいかない。

ポケットに入っている戸塚と買ったピックを取り出す。ちょっとしたお守りのようなものだ。

そして深呼吸して握りしめる。大丈夫だ。あれだけ練習したじゃないか。

セッティングを終わらせ、照明が落ちる。

それに反応して歓声が湧き上がる。

その声は他の誰でもない俺たちに向けられたものだ。

結衣『みんなー! やっはろー!』

由比ヶ浜の声が会場をこだまし、湧き上がった歓声がさらに大きくなった。

そして、戸塚のドラムスティックの音が、曲の始まりを告げた。

フレンズ
REBECCA

https://www.youtube.com/watch?v=ngdr7xoSJ9U

ドラムのリズムにキーボードとギターで実際のイントロとは異なる些細な色彩をつける。

ステージ上に由比ヶ浜の姿はない。

実際のレベッカのライブと同じ演出だ。

そして雪ノ下のキーボードが印象的なフレーズを奏でるとともにステージの横から由比ヶ浜が現れた。

その演出にオーディエンスは待ちわびたように叫んだ。

  口づけをかわした日は

  ママの顔さえも見れなかった

  ポケットのコインあつめて

  ひとつづつ夢をかぞえたね

  ほらあれは2人のかくれが

  ひみつのメモリー oh

  どこでこわれたの oh フレンズ

  うつむく日はみつめあって

サビに入った瞬間、ある感覚が全身を貫いた。

五人の音が一つの曲を形作っている、まさに一体感とでも言おうか。

いや、そんな言葉じゃ足りない。

この五人がまるで混ざり合って一つの物体になったような、そんな感じだ。こんなのは一時的な紛い物の錯覚でしかないのに、わかっているのに。

その快感に思わず口角が上がらずにはいられなかった。

  指をつないだら oh フレンズ

  時がとまる気がした

  2度ともどれない oh フレンズ

  他人よりも遠くみえて

  いつも走ってた oh フレンズ

  あの瞳がいとしい

ここからは俺のソロ。まさに勝負どころだ。

爆音と観客の熱気にあてられた俺は柄でもなく、ただ今の自分の中から生まれる衝動に身を任せ、何度も何度も練習したメロディーを奏でる。

ミスなんて単語が頭から消えてしまうくらいに、ガムシャラに左指を動かす。

そんな風に弾いていると、手元から放たれる音の一つ一つが生き物のように会場中に飛び立っているような気がした。

気づけば一つのミスなしにソロを終えていた。

肩にかかっていた荷物が下りたような気がして一気に身体が軽くなる。

ソロを抜けて顔を上げてみると観客のほとんどの目がこっちに向いていたのに気付いた。しかしそこに負の感情は見られない。

今までたくさんの人に見られる時はバカにされる時と決まっていた俺は、それとは異質の視線にうろたえてすぐに顔をフレッドの方に戻した。

ああ、これか。

多くのバンドマンを惹きつけてやまない、まるで麻薬のような二つの感覚。

こんなの、やってみなきゃわからない。

いくら言葉で説明されても、今の俺の感じているものを、昔の俺が理解できるわけがない。

そんなことを考えながら、俺は心臓に響くドラムと耳の奥にまで届くベースのリズムに合わせてエレキギターをかき鳴らしていた。

――

――――

結衣『みんなー! やっはろー!』

「「「やっはろー!!」」」

結衣『えへへ、二回目だから今度はびっくりしないよ』

結衣『レベッカのフレンズって曲でした。この前に大晦日のあの……歌番組でやってたから知ってる人も多いかな?』

雪乃『由比ヶ浜さん。それは紅白歌合戦のことではないかしら?』

結衣『あ、そうそれそれ!』

ドッと観客が笑う。

結衣『えっ? なんでみんな笑うの?』

雪乃『さすがにそれは知らないと……』

結衣『ちょっと出てこなかっただけだし!』

結衣『じゃあ、次はゆきのんが歌います! あたしはキーボード!』

弾けるのー? って声がどこからか飛んでくる。

結衣『ちゃんと練習したからね!』

そこでまた笑いが沸き起こる。

結衣『だからなんで笑うの!?』

そりゃお前が言うとなんか可笑しいからだ。

雪乃『では次の曲いくわね』

結衣『スルー!?』

雪乃『いいから由比ヶ浜さん。早く準備を。時間も押しているようだから』

結衣『あ、はい』

なんで突然敬語なんだよ。確かに今のは俺でも使っちゃうけどよ。

雪乃『次が最後です』

いつの間に自分の体の半分ほどの大きさのあるアコースティックギターを構えていた雪ノ下がそういうのを確認し、戸塚がスティックでカウントする。

Don't Cry Anymore
miwa

https://www.youtube.com/watch?v=MX2Q4rAGwwY

  ギリギリだって 一人きりだって

  負けたくないの 冗談じゃないわ

  I don't cry anymore I don't cry anymore

  強くならなきゃ 言い聞かせてる

  どんな時でも 泣かないから

雪ノ下の歌声は今まで聞いたどのバンドの声よりもずっと澄んでいて、隣でギターを弾いている俺ですら一瞬聞き惚れてしまうほどだった。

いかんいかん集中せねば。

と思っていたら俺が暇のパートに入った。フレンズよりギター楽なんだよなこれ。

  ぬくもり感じ眠ると幸せだった それが

  永遠に続くと思ってた なのに

アコギのストロークとドラムの小刻みなリズムと時折現れるピアノの音。

音の数は少ないのにそれでも安っぽい音にしたくないという雪ノ下のこだわりのせいで大変だったよな、この辺。俺は暇だけど。

  どうしてなんだろう 信じていたものは嘘だったの

  こんな時そばにいてくれたらいいのに

そして川崎のベースが入ってきて、曲がぐっと締まる。そういやさっきのフレンズの間もベースミスってなかったんだな。緊張してるとか言いながらちゃんと弾けたようで

よかったと思う。

……。

いやいやだからそれは(ry

  震える足で 今踏み出したいよ

この曲が終わったらこいつらとバンドは終わる。

そう思うと少し寂しいような思いが心の中にぼんやりと浮かんだ。

  何を信じたらいいのかも

  わからなくて もがいて 迷って

曲も後半に入ったのにも関わらず、雪ノ下の声量がさらに上がる。ただ声が大きくなったんじゃない。まるで本当に自分の思いを叫んでいるように見えた。

  つかみたい 今叶えたい

  小さなこの手にたくして握りしめるの

ここからは雪ノ下の独壇場だ。この場で響くのは雪ノ下のギターの音と歌声だけ。

五重奏から突然の独奏になり、スポットライトが雪ノ下だけに当てられ、他は真っ暗になる。

その姿は一人ぼっちになってしまった少女のようだ

  ゴメンそんなに 強くないんだ

  くじけそうになる時だってあるよ

  たとえかすかな 希望だとしても

  持ち続けたい ずっと

しかしステージの照明が徐々に戻り、他の楽器の音が少女の元に帰ってくる。

一度消えてしまったものだからこそ、それが戻った時はそれまで以上の輝きとなる。

  無理やりだって がむしゃらになって

  生きてゆくんだ 終わりじゃないわ

  I don't cry anymore I don't cry anymore

  あなたの声を思い出している

あと少しで終わりだと思うと途端に、今がとてつもなく大切な瞬間なんじゃないかという声が頭の中に響いた。

終わって欲しくない、そんな言葉が浮かんでは消える。

しかし今更遅い。もうすぐ曲は終わる。

  どんな時でも 泣かないから

  いつかきっと 笑えるから

だから俺はあと残った僅かな時間の中で必死にギターをかき鳴らす。

どうしてこんなことを思うのだろうか。

なんて問うが、その答えは考えるまでもなくわかっていた。

そして、曲が、終わった。

夢中になっていたせいで、終わっても何をしてもいいかわからなくて、俺はぼんやりと立ち呆ける。

不意に肩をポンッと叩かれて我に返った。

戸塚「八幡。やったね」

笑顔を浮かべた汗だくの天使がそこにはいた。

八幡「ああ」

その時初めて大歓声が体育館内を埋め尽くしていたことに気がついた。声の方向が俺達の方に向いていることもありそれまでで一番大きな歓声にも聞こえる。

自然と笑みがこぼれるのは達成感のせいか、はたまた目の前の天使のせいか。

結衣「ほらほらヒッキー! こっちこっち!」

すでに他の三人はステージ中央に並んでいる。

えっ、なに。あれやんの? あのライブの最後とかでよくあるやつやんの?

八幡「い、いや、……じゃあ俺は端っこで」

戸塚「うん。まんなかは雪ノ下さんたちだよ」

そんな感じで即席的に列の順番が決まっていくのだが……あれ? あれ、あれ?

これはまさかの……。

戸塚「あ……」

戸塚の隣キターーーーーーーーーーー!!!

戸塚は恥ずかしそうに手を差し出す。その様子が言葉に出来ないほどに可愛らしくて思わず抱きしめそうになった。

戸塚「手……汗まみれだけどごめんね……?」

八幡「気にすんな」

むしろご褒美だから。

結衣「せーの!」

五人が一列になって手を繋ぎ、由比ヶ浜の合図で両手を上げた。

そして真ん中を陣取る由比ヶ浜が頭と手を下げて、それに準じて俺達も礼をする。

鳴り止まない歓声がさらに大きくなり、どこからかはピーピーと指笛も聞こえてきた。

ふと、文化祭の後夜祭の時のことを思い出した。

あの時、俺は眩しいステージにはいない、飛び跳ねるアリーナには混じれない、一人で、一番後ろで、ただ眺めているだけと、そう思ったが、今この瞬間は、この瞬間だけは

、俺は――。

そして、あともう少しだけ。

八幡「さて、と」

そんな俺の様子を感じ取り戸塚も俺に笑みを浮かべる。悪戯をする子供のように。

そうだ、これは悪戯だ。

戸塚が舞台袖にギターを隠し持ってきているのも、川崎がついさっきのど飴を口に入れたのも、演奏が終わったのにも関わらず俺の足の震えがまだ止まらないのも、そして――。

八幡「材木座。今だ」

――俺のすぐ下で材木座がオーディエンスの最前列を確保しているのも、全てはこのため。

材木座「フッフッフッ……」

材木座「さぁ聞け人民よ!! 我が名は剣豪将軍材木座義輝である!!」

突然の材木座の雄叫び。それに驚き……いや、あれはドン引きだな。ドン引きして最前列にも関わらず材木座の周りにスペースが出来上がった。計画通り、成功。

このためにこいつにはなりたけで超ギタを奢る約束しちまったからな。失敗されても困る。

雪乃「えっ?」

結衣「中二なにやってるの……?」

材木座「者ども聞けぃっ! 我は今また一度この壇上に立つ!!」

材木座「その様を! 我が最期の勇姿をそのまぶたの裏に存分に焼きつけるがいいっ!!!」

さらに周りの人間が一歩後方に下がる。引いているのもあるがそれ以上に材木座の声量や勢いに押されているせいだろう。

そしてそれによって、あと『二人分』最前列に入るスペースが生まれた。

雪乃「比企谷くん。これは一体どういうこと?」

俺も一枚噛んでいることにすぐに気付いたらしい雪ノ下が怪訝な目で俺を見る。

八幡「俺はこの次のバンドでも出る」

結衣「えっ!?」

八幡「だから、……その、なんだ……。お前らには一番前で見て欲しいっつうか……」

我ながら歯が浮くような恥ずかしすぎるセリフで自然と口どもる。あー……、死にてぇ……。

雪乃「嘘……あなたがそんなこと……」

八幡「そのために材木座が自分の身を犠牲にして、あんなことをしてくれた。早く行ってやってくれ」

どうしてこんなことをしているのか、自分でもわからない。こんなのやる必要なんて少しもないし、面倒で時間とエネルギーの浪費にすら思える。

我ながら、バカげている。

しかし、そんなバカげたことをやりたいと、そう思ってしまうのだ。

今ここにいる奴らは、バカばかりだ。材木座も、戸部も、葉山も、三浦も、一色も、平塚先生も、戸塚も、雪ノ下も、由比ヶ浜も、……川崎も。

だがそんなバカをしていて、まるで漫画のようにキラキラと輝く光景にきっと、俺は憧れたのだ。その輝きの一つになりたいと、そう思うようになってしまったのだ。

俺も、バカになってしまったのだ。

いや、バカに戻ったと言った方がきっと正しいだろう。

結衣「ヒッキー、なんだか変だね」

彼女は可笑しそうに言葉を投げかける。

結衣「てことは彩ちゃんとサキサキと中二とヒッキーだ。楽しみにしてる!」

そう言って由比ヶ浜はステージをピョンッと降りて材木座のところへ向かう。

雪乃「……頑張ってね」

雪ノ下は俺に不敵な笑みとともにそう言い放って、同じようにステージを降りた。

字面だけなら素直に見えるがあの態度を見るとバカにされたような気になる。てかバカにしてましたよね、あれ。

八幡「材木座ー。お役目ご苦労ー。大儀であったー」

暴れ疲れて材木座は壁にもたれかかっていた。あれじゃあドラム叩けねぇんじゃねぇの? 大丈夫か?

材木座「ふっ……、八幡の想いの人のためだ。肌の一枚や二枚くらい脱いでみせるわ」

八幡「はっ? なに言ってんのお前? 殺すぞ」

材木座「いきなり我への当たりが酷くなりすぎではないか八幡!?」

八幡「お前がわけわからんことを言い出すからだアホ。ほら、手、貸してやるからさっさと上がれ」

セッティングはさっきのままだが、念のためギターのヘッドに付けたチューナーで音をチューニングする。……問題なさそうだ。

先にチューニングを済ませた川崎はアンプから出る音を再度確認していて、逆の方を見ると戸塚はギターを肩にかけ、覚悟を決めて目をつぶっていた。

背後を振り向くと材木座はドラムセットの確認をまだしているところだった。しかしそれもすぐに終わり、全員の準備が完了。

ドラムは材木座、観客から見て上手側にギターを構えた戸塚、下手側にはベースを構える川崎。

そして俺は、この四人の中心を陣取っている。

左肩にはもう何度も使って少しくたびれたストラップ。目の前には銀色の所々が錆び付いたマイク。

左手で弦を押さえながら右手でマイクを握り、周りを見渡す。

目が合うと三人とも首を縦に振った。

もう本番だと思うと心臓が口から飛び出しそうなくらい、プレッシャーに全身が襲われて嘔気すら抱いた。

これまでの比にならないくらいに足が震え、手が震え、汗が噴き出る。

その緊張を必死に唇を噛んで押し殺す。

余計なことは考えるな。

俺がマイクから手を離して軽く上げると、うっすらと照明が俺たちを照らす。

ステージの上のシルエットを目にしたオーディエンスがざわつく。

そりゃそうだ。

ほとんどのやつは俺のことを知らんし、知っているやつのうちの九割方は文化祭での俺の悪行だけを知っている。

残りの人間は俺が今この場に立っていることに驚いているだろうから、このざわめきは必然と言っても過言ではない。

八幡『あー、あー』

マイクがちゃんと音出るか確認しようとしたら、ハウリングしてキィンと耳障りな高い音が鳴った。

それに顔をしかめると前の方からクスクスと笑い声が聞こえた。見なくてもあの二人のだとわかる。笑うんじゃねぇよ。こっちだって必死こいてんだ。

会場中の視線が今、俺に向けられている。

今日の集客を見る限り三年以外の学校のほとんどのやつが来ている。

そう思うと全身がこわばった。小学校の頃の嫌な記憶がフラッシュバックして、頭痛がしてきた。

それを振り払うように首を軽く横に振り、口をマイクに近づける。

八幡『一曲だけ、演りに来た』

俺の言葉にオーディエンスはしん、とする。

これ以上何を言えばいいのかわからなかったから、戸塚の方を向き、ひとつ、うなづく。

それに応えて戸塚もうなづきを返す。

後ろのドラムを見る。

そこに座っていた材木座は腕を組み大きくうなづいてみせた。なんか偉そうでうぜぇ。

右側にいる川崎の方に視線を動かす。

それに気づき川崎はわずかに微笑みを浮かべながら目で大丈夫と伝えてきた。

……よし。

八幡「ふぅ……」

ひとつ深呼吸をして、ギターを一回鳴らした。

その音だけで誰もがその曲を理解し、体育館は歓声に包まれる。

ふと、川崎を見ると目をつぶり気持ち良さそうにギターの音に耳を傾けていた。

よかった。

あいつにこの曲をやらせることができて、本当に。

これはあの日、公園で川崎が歌っていた曲だ。

あの時の言葉を聞いていたからこそ、こんなにも俺はこいつにこのライブでこの曲を演らせたかったんだ。

だから川崎の嬉しそうな笑顔を見てそれだけで俺も嬉しくなる。

そんな俺の視線に気付いて川崎は俺にまた微笑みを浮かべる。

それが可愛く見えると同時に恥ずかしくもなって顔を背けた。

『ふっ……、八幡の想いの人のためだ。肌の一枚や二枚くらい脱いでみせるわ』

材木座のさっきの言葉が不意に頭の中をよぎる。

……だから余所事に気を取られるな。今はこのライブだけに集中しろ。

歓声が耳から体内に侵入し頭の中をこだまする。

きっと他のバンドに比べればこの歓声は小さい方だろう。しかしそれでも、今、俺たちに向けられている声は、今まで聞いたどのライブのよりもずっとよく響いて聞こえた

――

――――

普段と同じ時間が過ぎる。

俺と雪ノ下は本を読み、由比ヶ浜はせっせとスマホをフリックして、それぞれが自分の時間を過ごす。

そこに居づらさや沈黙による苦痛は少なくとも俺には感じられず、自然体のようにすら思えた。

結衣「うーん……」

唐突に由比ヶ浜が身体を伸ばして声を漏らした。破られた沈黙への反応として俺も雪ノ下も本を閉じる。

結衣「……なんだか夢のようだったなぁ」

雪乃「なんのこと?」

結衣「あのライブからもう一週間も経っちゃって、今になると信じられないなぁって思うんだ」

結衣「特にヒッキーがギターを弾いて、みんなの前でライブをしたなんて、今じゃ信じられないよ」

八幡「ああ、俺もそう思う」

結衣「自分のことなのに!?」

そんな由比ヶ浜の大袈裟なリアクションに雪ノ下がクスリと笑い声を漏らす。

ああ、大丈夫だ。

まだ、ここにある。

雪乃「でも、楽しかったわね」

結衣「うん! またやろうね!」

八幡「えっ、お前マジで言ってんの」

結衣「全然乗り気じゃない!?」

雪乃「別にいいでしょう?」

あれ、雪ノ下さん乗り気じゃない?

字面は同じなのに意味が真逆になる日本語の妙をこんなところで実感する。

結衣「ゆきのーんー♪」

雪乃「だから抱きつかないでと……」

そう言いつつ表情は満更でもなさそうですよ、雪ノ下さん。

結衣「そうだ、三人だけでもやってみたいな! グリンピースってやつ!」

あ、それ八幡知ってる! 小学校の給食の時にみんなから嫌われるやつ! 俺みたいに!

なんか親近感湧くわ。でも俺もグリンピースはあんま好きになれねぇや。

ごめんな、グリンピース。

グリンピースに対して全力で頭の中で土下座をしていると、雪ノ下が口を開いた。

雪乃「スリーピースね」

結衣「うっ……、と、とりあえずそれ!」

雪乃「でもそれだとギターとベースとドラムを三人でやらないといけないからかなりキツイわよ?」

結衣「大丈夫だよ! ヒッキーがドラムをやって」

おい待て。

雪乃「とするとあなたがベースになるけれど、大丈夫なのかしら?」

八幡「なんで俺のドラムが既に確定事項なんだよ」

雪乃「他に適任者がいると?」

……この三人だといねぇな。でもよ――

八幡「戸部と同じポジションって考えるとな……」

なんかあいつと同じって嫌だわ。てかそもそも腕の筋肉めっちゃいるじゃん。ガリガリの俺には務まらんだろ。

結衣「でも彩ちゃんとも一緒だよ?」

八幡「ドラムスティック買ってくる」ガタッ

結衣「心変わり早っ!?」

なんてこった! それには気づかなかった! でもその理論だとほとんどの楽器をやる理由がそれで解決するんだよな。

戸塚超万能だし。あと天使だし。それは関係ないか、ないな。

結衣「でも、いつかやろうね!」

雪乃「そうね、いつか」

八幡「……まぁ、別にいいけどよ。でも当分は勘弁な」

ちょっとここ何ヶ月かずっとバンドの練習にいろいろ費やしていたし、少し休みたい。何ならこれからもずっと休んでいたいまである。

ああ……、大人になりたくねぇ……。就職とかしたくねぇ……。

雪乃「でもきっとまた、そう遠くないうちに依頼が来るわよ」

八幡「それも当分休業ってことで」

結衣「それはダメだから!?」

雪乃「由比ヶ浜さん、比企谷くん」コトッ

目の前に紙コップが置かれる。上には湯気が立っていて中に熱々の紅茶が入っているのだとわかった。

結衣「ゆきのんありがとー!」

八幡「サンキュー」

あの日あの時、俺があの歌を歌ったのは、きっとある予感のせいだ。

いつか訪れるかもしれないその瞬間。

今の俺にはあまりにも曖昧で、おぼろげな情景。

そしてそれが現実のものとなる、予感。

胸の内に生じる恐怖や不安が、俺に叫ばせたのだろうか。

でも、少なくとも今はそれはただの空想で杞憂でしかない。

今は、俺の手の中にある。

この三人がここにいられる。

だから決して手放さないように。

予感を予言にしないために。

……何を考えているんだか、俺は。

心配性な自分に内心で苦笑してから、紙コップに入った紅茶を口にした。



終(?)

乙、なのかな
エピローグ気になる

とりあえず一旦おしまいです。
一旦切った理由はこの後の展開が暗めなので、そういうのが苦手な方はこれ以降は読まない方がいいかも、みたいな感じです。
というわけで今までありがとうございました。

この先も読んでくださる方は本当にあともう少しだけお付き合いくださると幸いです。

残りはあと一曲。

乙です
期待

乙です

ぜひpillowsの鬱曲をだしてくれ

平塚先生ポリスとかシブすぎやわww今度高校教師歌ってほしい
しかし今年はどうなってるんだ…デヴィッドボウイに続いて
イーグルスのグレンフライまで…70~80年代の大物が次々と…

いや、くそつまんねーだろ
作者が好きな曲とアーティストをただごり押ししてるだけ
しかもがっつり歌詞書いてるからまたジャスラックから請求来るだろうしなんなのこいつ?

>>236
俺もそう思うけどわざわざ言う必要ある?
気に入らなけりゃブラウザを閉じりゃいいだけやん
ジャスラックの件はちょっと調べてから書いた方がいいよ

お前のようなバカがいるから俺ガイル信者が
キチガイ扱いされるんよ

期待

いや、言わねーと絶対同じようなのまた書くだろ?
つまんねーだけならスルーするよ、山ほどあるから一々文句も言ってらんねーからな
でも歌詞は書いちゃだめだろ、お金が発生してんだよ、この自己満田嶋SSのせいで
ガキが多いから真似する奴も出てくるかもしれんしな

掲示板に歌詞転載して請求きたってのは聞いたことないな
歌詞を全部転載したらアウトだがこれは一部引用の範囲じゃないのか?
まあ俺らが判断することではないけどさ

春だ。

どこまでも、春だ。

外に出ればうぐいすの声が聞こえ、少し歩けば桜の花びらが舞い散るのが目に入る。

気温が冬を過ぎたことで少し下がり、多少の薄着でも外に出られる季節だ。

空を見上げれば青空が広がっているし、どこを取っても清々しい春の一風景である。

……ああ、うぜぇ。

その明るさ、その清々しさは俺の神経を逆撫でする。行き場のない怒りが胸の底から生まれる。

しかしそれは結局は巡り巡って自分自身に矛先が向かう。

今こんなことになってしまったのも全て、俺自身の失敗のせいであり、自業自得なのだから。

「ただいま」

家に帰るが自分以外には誰もいないようだった。小町はおそらく部活か何かだろう。

同じ高校に通っているというのに顔を合わせる機会は予想以上にない。まぁ、いる階が違うから当然か。

自分の部屋の中へ流れるように入り、扉を閉める。

それだけで自分の存在が外界からシャットアウトされた気分がして心地よい。

そのままベッドに座る。

今日も疲れた。

さっさと寝てしまおう。

そのまま横に倒れる。バスっと埃が舞い上がる。

『あなたのやり方、嫌いだわ』

落ち行く埃を目で追っていると突然、彼女の声がフラッシュバックする。

思わず耳を塞いだが自らの内から生まれ出る声に対してその行為は無意味で、次々と声と記憶が頭の中に溢れ出す。

『人の気持ち、もっと考えてよ』

やめろ。

こんなことを毎日繰り返して一体何になる?

そう自分に言い聞かせるがそれは相も変わらず消えてくれない。

こうなってしまった時には方法は二つしかない。この声が消えるまでひたすら耐えるか――。

「よい、しょと」

机の隣に立てかけてある黒い細長のケースのチャックを開くと、中にはかつての日の思い出があの日のまま残っていた。

唯一変わったことと言えば、長い間弦を交換していないから少しサビてしまっていることくらいだ。

緩めてあった弦のチューニングを合わせ、気の向くままに弦を押さえ、ピックで弾く。

さっき言った二つ目がこれだ。

ギターを弾いている時だけは、他のことを全て忘れていられる。

自分の世界に閉じこもることができる。

余計な後悔も憧憬も寂寥も、すべてを思考から排除できる。

――

――――

コンコン、と部屋のドアを叩く音がした。それにハッとして窓から外を見ると弾き始めた時には青色で明るかった空が、今は暗い藍色になっていた。

電灯は点けていないから部屋の中はだいぶ暗くなっているが、それにも気づけないほどにのめり込んでいたらしい。

もう一度、ドアをノックする音。

「ん?」

声を返す。

「小町だよ」

「入っていいぞ」

「じゃあお構いなく……、また弾いてたの?」

「別にいいだろ」

「……ねぇ、お兄ちゃん。今日さ、あの、奉仕部の部室見に行ったんだけど」

「…………」

「誰も、いなかったよ」

「そうか」

そう言われても特にどうも思わなかった。今の部室がどうなっていようと俺には些細な問題にすぎない。

俺からしたらあの空間はとっくの昔に終わってしまって、誰もいない。

「小町も奉仕部に入りたかったな」

「そうか」

「…………」

何も言わないから小町の方へ目を移すと、怒りと諦めの混じった目で俺を睨んでいた。

「んだよ」

「そんな言い方はないでしょ」

「じゃあこう言えばいいのか? 今の部活をやめて奉仕部に入れよ。もう廃部になってんなら今からでも作ればいい。平塚先生なら協力してくれるだろ」

「っ! そういうことじゃないよっ!」

わかっている。こんなの小さな子供と同じだ。自分の思い通りに物事が進まなかったことに対して拗ねているガキと。

「ねぇ……、何があったの?」

「…………」

「何も言わないんじゃわからないよ」

「…………」

「ねぇってば!」

「……喧嘩して気まずくなった、それだけだ」

「それで納得できると思う?」

思わないな。少なくとも俺が逆の立場なら納得なんてできない。しかし、ここで食い下がるほど往生際が悪いわけでもない。

「いい加減しつこい。これは俺の問題だ。そもそもお前とは無関係だろ」

こうなってしまった今でも小町は由比ヶ浜や雪ノ下と個人でのやり取りがあるらしい。

ただ、その三人が互いに顔を合わせようとしなくなっただけで、小町にとっては些細な問題のはずなのだ。

「でも――」

「俺がいいからいいんだ」

嘘だ。本当は全然良くない。

あの時間を、あの空間を取り戻すことができたならと、何度もなんども考える。

だがそれは床にこぼれてしまったジュースの味を想像するくらいに、無意味な行為だ。

でもそれを解決する方法がある。

時間だ。

時が過ぎれば過ぎるほどに俺の記憶は美化され、薄れ、やがては消える。

そしていつか、この後悔すらも消えてしまう。

だからそのいつかまでの辛抱なのだ。

「……もういい」

俺との問答に意義を見失った小町がそのまま部屋を出て行く。

ガチャリ。

音とともに再びこの部屋が世界から切り離される。

……そうか。もうあそこには誰もいないのか。

俺がいなくなった後でも雪ノ下と由比ヶ浜はあそこにいたのに。

そう時間が過ぎるとともに嫌な感覚が遅効性の毒のように喉元から全身に広がる。

また一歩、取り返しがつかなくなった。

もうこれ以上悪くなりようがないという状態になっても、さらに事態は悪化する。

修学旅行の時も、生徒会選挙の時も。

そして、俺が逃げ出したあの時も。

最悪と思っていた世界はさらに深い闇へと陥ちていく。

でも、これより先が存在するなら、そこには何が待つのだろうか。

その深淵に待つ魔物を怖れる臆病者の俺は、思考することから逃げるように再びピックを握った。

――

――――

大切だった。

きっと何よりも。

だから俺は期待してしまった。

決して手に入らないものなのに。

そんなもの、どこにも存在しないのに。

それを、望んでしまった。

だから俺は間違えた。

俺の我欲はそれまで持っていたものすら失わせてしまったのだ。

生徒会選挙が終わった後も奉仕部はそれまで通りの日常を過ごしていた。

それ以前と変わらずに。変わらないように。

同じくなるように、日常を演じていた。

しかし演じている時点でそれは俺の欲しかったものとは違う。

俺にとって大切だったものとも。

どれだけ取り繕っても自分自身を騙しきることはできない。それでも奉仕部の歪められた日常を俺たちはマリオネット人形のように演じ続けた。

誰もそれに異を唱えない。だって演じ続けていれば劇は終わらないから。

失った夢をいつまでも見ていられるから。

しかしそうしているうちにその空間はいつの間にか俺が最も嫌った欺瞞が満ちたものになってしまった。

三人ともそれに気付いていた。気付いていたはずなのに、何もしなかった。

他は誰も気付かなかった。はたからは俺たちはいつも通りに見えたらしい。

しかし夢はいつしか覚めて、幻想は醒める。

何かが限界だったのだと思う。心の奥に潜むとても小さくて脆い柱のようなものが、ある時に音を立てて折れた。

パツリ。

そんな音が確かに聞こえた。

次の瞬間、俺は奉仕部の部室にいることがどうしようもなく我慢できなくなった。

そこの空気を口に含むと肺が吸引することを拒否する。目の前に広がる光景を目にするだけで視界が歪む。

日常を模した別の何かの中にいることが、単なる苦痛でしかなくなったのだと気づいた時、俺は部室へ向かう階段を登ることをやめた。

こうして俺がもたらしたくだらない劇の幕を、俺自身の手で引いたのだ。

それからは由比ヶ浜や平塚先生が何度も部室に来るように説得に来た。

しかし誰にどれだけ何を言われようとも、強引に手を引かれても、ついにその扉をくぐることはなかった。

そうしているうちにいつの間にか由比ヶ浜も平塚先生も俺に話しかけてくることはなくなった。正真正銘のぼっちに再び戻ったのだ。

そこに一抹の寂しさを感じながらも、これが自分の本来の姿だと納得してもいた。

いや、納得しようとしていた。

現状を見るに前者の解釈は誤っていると言うしかない。この今を俺は未だに受け入れることができずにいるのだ。

そうでなければ選択肢を持ち得ない俺が過去のifへの思索の海へ潜ることもないし、こんなふうに別の何かへと逃避することもない。

奉仕部へ入る前のように好きな小説を読んだり、アニメを見たり、ネットサーフィンをして適当に時間を過ごしていたはずだ。

狂ったようにギターの生音をかき鳴らすなんてことは、絶対にしない。

――

――――

「なぁ」

適当にリビングで暇つぶし機能付き目覚まし時計をいじっていると、唐突に親父が話しかけてきた。

視線を親父にチラと向けると、親父は新聞で顔を隠したままだった。なら、と俺も液晶画面に顔を戻す。

「なんだ?」

「バンドは、もうやらないのか?」

「……たぶん」

「そうか」

それっきり親父はまた黙りこんだ。何を言いたかったのだろうか。そんな疑問が残ったまま画面をなぞる。

「喧嘩か?」

「そうじゃ……、いや、そうなのかもしれねぇ」

「まぁ周りがほとんど女の子じゃな」

「いやそれは違うから。……って、なんで知ってんの?」

バンドをやったことは言っていてもどういうメンバー構成なのかを口にした記憶はない。

「見に行ったからな」

「見にって――」

「レベッカやってたろ?」

その一言に言葉を失った。まさかあのライブを見ていたなんて予想だにしていなかった。

「ま、そんなこともあるさ」

それっきりまた新聞を読み始めたのか何も喋らない。俺はあっけに取られて何も言えない。

でも、今にしてみれば納得できるところもある。

あのライブの前の一週間ほど親父が帰るのは遅かった。恐らくライブの日に休みを取れるようにしていたのだろう。我が親父ながら本当に捻デレている。

ライブか……。懐かしい。

さして昔のことでもないのに何年も前のことのように感じられる。

あの頃はまだ――。

――いや、やめよう。そんなことを考えても、時間は巻き戻らない。

あの日々も、同じように。

――

――――

それから間もなく俺はその他の高三生と同じように晴れて受験生となった。高校受験から二年ぶりに毎日ただひたすらに勉強する日々に舞い戻ったのだ。

つまりそんな風に皮肉を吐いてしまうほどにダルい毎日だ。

とりあえず俺のそれなりの努力で入れる大学へ進学するために、日々ひたすら勉強した。

学校で授業を受けて、意味のない授業は聞かずに他のことをして過ごして、学校が終わり予備校がある日は予備校へ。ない日は家に帰ってギターを弾いてからまた勉強。

そんな毎日を過ごしていく中で、少しずつ高二の頃のあの輝かしい日々を思い返すことも少なくなっていった。

これが正しい。

俺らしい毎日の過ごし方だ。


受付の前のベンチで、予備校の前の自販機で買ったマッ缶を口につける。

勉強で疲弊した脳に糖分が溶け込んでいく感覚がたまらない。やはり千葉県民ならこれだな。

ふと入口の方へ目を向けると見知った人間が入ってきた。そいつが来たと認識した瞬間に少し動悸がした。

「あっ」

向こうが声を上げる。俺の存在に気づいてくれたのが少し嬉しい。

そのままその人物は俺の方へ歩いてきた。

「よう」

「あんた、いつもここでそれ飲んでるね」

川崎沙希はいつものようにその文句を口にする。

「そうだな」

そして俺も同じように返す。

腰を軽く上げて少し横にズレると、川崎はごく自然に俺の隣に座ってきた。

「どう?」

「まぁまぁだな」

「そう」

カチャッと音をしたので川崎の手元を見るとその手には黄色と茶色のフォルムの缶が握られている。

「お前もか」

「うん」

それからまた沈黙。特に話すこともなくて幾何学な模様の天井をぼんやりと見つめる。

「よくこんなの毎日飲めるね」

川崎は缶から口を離し眉をひそめた。どうやらお気に召さなかったらしい。

「勉強のあとにはいいんだよ」

「あたしはたまにでいいかな」

たまになら、と小さく繰り返す。一方隣にいる俺は無意識に彼女の方を見てしまう自分に気がつき、ため息をついた。

そのため息は、俺の諦めを含んで空気中へ分散されていく。

「あんた、私立?」

「ああ。前にも言った通り。お前は?」

「あたしは国立狙う予定。今の成績からじゃ無謀だけど」

「国立、か。じゃあこれから大変だな」

「うん」

わかっていたはずの返答なのに、彼女の声は俺の心の中にズシリとのしかかる。

こんなことを考えてしまう自分が気持ち悪くて仕方ない。なのに、思考はとどまることを知らずに俺の心を乱し続ける。

それならば、ただ一言、言ってしまえばいいのだ。それで変わることなんてこれから数ヶ月の俺の見る地獄がさらに酷くなるくらいだ。

「国立ならそうとう学費浮くよな」

「……? まぁそうでしょ?」

「だよな」

残っていたマッ缶を飲み干して立ち上がる。

理由も動機付けもなんでもいい。ある理由のために行動できないのなら、別の理由で同じ行動をすればいい。

そんなの欺瞞だってわかっている。自分を騙しきれないのは奉仕部の経験で痛いほどに思い知らされた。

「じゃあ」

「うん」

我ながら、気持ち悪い。結局中学の頃からまるで成長していない。

それでも、こいつといると心が揺り動かされてしまう。

『あたしも、そう思うよ』

ふとした時にあの瞬間を思い出してしまうようになってしまって、その度に心臓の鼓動が乱れるようになってしまった。

それからはずっと、どういうわけかこいつを意識してしまう。頭の中から追い出そうとすればするほどに余計にこべりついて離れない。

「……バカ野郎」

そう自分に小声で毒吐きながら自習室に足を向けた。

とりあえずここまで

乙、待ってたよ

救いはあるんですかね

乙です

乙です

続き待ってます

――

――――

休み時間は基本眠るか適当にイヤホンで歌を聴く時間だったが、今となってはそんなことには到底使えない。

何しろ今の今までサボってきた理系教科と向き合うのだ。時間はいくらあっても足りない。

とは言ってもまだ夏にも入る前。今からなら間に合うはず。……これは慢心ですか? 慢心ですね。

ちょっとした拍子に視線をわずかに上げると、去年は毎日のように見かけたお団子頭が視界の端に映った。

とほぼ同時に彼女もこちらを向く。

見事に目が合ってしまった。

しかしすぐに彼女はバツの悪そうな顔になって俺が動くよりも先に目を逸らした。

俺とは真逆の方にいる三浦たちと由比ヶ浜は談笑を再開する。まるで俺に気づかなかったかのように。

……こんなもんだよな。

ほんの些細なことで壊れてしまうような、そんな半年ちょっとの関係に俺は何を求めていたのだろう。なんて大層なものを望んでいた

のだろうか。

今にしてみれば傲慢と言う他に何もない。

雪ノ下ともたまに廊下ですれ違うことがあるが、反応は似たようなものだ。なんなら目を合わせすらしない分こっちの方がひどい。

こんな風にかつてのことを悔やんでいるのは俺だけなんじゃないかとすら思う。なんならそれが事実なんじゃねぇの?

……そんなことはないと、そう思っておこう。

いかんいかん。余所事に気を取られてどうする。今は勉強。

んー……。ベクトルよくわかんねぇな。内積だったり外積とかどんだけかけちゃうんだよ。てか何が違うんだよこれ。

……てか外積って高校数学の範囲じゃなくね?

「八幡」

と、数学の教科書に突如登場した矢印に殺意を抱いていると、戸塚の声がしてその殺意は嘘のように消えていった。

やっぱり平常心って大事よね。世界平和バンザイ。

「おお、戸塚か」

「あっ、勉強してたんだ。ごめん」

「いや、いいぞ。むしろもっと話しかけて欲しいくらいだ」

「そっか。ならよかった」

そう言うと戸塚は俺の前の席にちょこんと座る。……可愛いな。もしも生まれ変われるなら、戸塚が座っている椅子に俺はなりたい。

「……数学?」

俺の机の上に開かれているものに戸塚は目を丸くした。確かに俺が数学の勉強してるなんてびっくりだよな。俺ですら驚いているし。

「……まぁ」

「へぇー。……あ、ベクトルかぁ」

「数学得意だっけ?」

「八幡よりはね」

からかうように笑う戸塚はやっぱりかわいい。それに一緒にいてどこか安心する。

その感じは、かつてどこかで感じたものに少しだけ似ていた。

――

――――

下校時刻を過ぎ、多くの学生が帰途につく。俺もその大多数の波に乗って流されるように下駄箱へ向かう。

ふと、道角に見知った人間が佇んでいるのが見えた。爽やかという形容が嫌というほどに似合う、性別以外は全てが俺とは正反対の男が。

「やぁ」

葉山隼人は手をあげる。他でもない俺に対してだ。

「よぉ」

こいつに話しかけられて無視できるほどの勇気がない俺は同じように声を返した。

「待ち伏せみたいな真似をしてすまない」

いや、待ち伏せしてたんかい。こえーよ。なんかいろんな意味で。

――

――――

「君は何を飲む?」

「自分で買うっつーの」

「いいから」

葉山は強引に硬貨を自動販売機に入れて、その前を俺に譲る。……ま、いただけるものはいただきますけどね。

少し迷ってからボタンを押すと、ガタンッと乱雑に缶が落ちてくる。

「そういうのも飲むんだな」

驚いた葉山が声を上げた。俺が選んだのはブラックコーヒー。日々愛飲するマッ缶とは全く正反対の飲み物だ。

「たまにはな」

そう、たまには。……たまに?

「そうか」

葉山は俺の後にまた硬貨を入れると俺と同じボタンを押した。少し遅れて缶が落ちる音が響く。

「同じのかよ」

「別に嫌いってわけじゃない。俺にとっては何だってそうだよ」

ぞくり、と産毛が逆立つ。

なぜかわからないがその声音に背筋が震えた。この男のどこかさめたような何かに触れたような錯覚にとらわれた。

そこから逃げるようにプルタブを開けて真っ黒な液体を口の中に流し込むと、強烈な苦味が舌を刺激する。

……苦い。

「……で、なんなんだよ」

苦味で口元が歪んだのを誤魔化して話を促す。そう問うと葉山はそうだな、とつぶやいてから一口コーヒーを飲み、一呼吸を置いて俺に向き直った。

「君に謝りたいことがあって」

「はっ?」

話の意図がいまいち掴めないが、こいつの言いたいことが修学旅行に関係していることは容易に想像がついた。あの海老名さんの依頼の一件。

奉仕部の現状は葉山もとっくに気がついている。その責任の一端を感じたりしているのだろうか。

「去年の、修学旅行のこと」

「……ああ」

敢えて俺は言われるまで気付いていなかったふりをした。どうしてだろうか、そこに察しがついたとこいつに思われるのが癪だった。

「姫菜が何を考えているのか知っていたのに――」

「あれは仕方ないことだろ。お前が気に病むことじゃない」

葉山隼人には葉山隼人の立場があった。あの時に俺に頼るという選択肢は倫理的にもプライド的にも絶対に避けたかったことのはずだ。

そうであるにもかかわらずそれを選んだのは、それだけあの関係が葉山にとって大切だったということだ。

たとえどれだけ他を犠牲にしても。

どれだけ嘘に塗れても。

どれだけ道徳に反していても。

ふと、生徒会選挙のことが頭をよぎる。あの時に俺がしたことは修学旅行の時の葉山と大差ない。

葉山と同じように他を犠牲にし、嘘に塗れ、道徳に反した。

それ故の罰を俺もこいつも受けた。しかしそこからが比企谷八幡と葉山隼人の明確な違いだ。

こいつはそれを受け入れ、俺はそこから逃げ出した。

自らの手で大切なものを歪めてしまったことを認め、変わり切ってしまった世界の中で生きていくことを、葉山は選んだ。

「……そうやってまた、全部自分に」

「事実だからな」

「だったら俺たちのことだってあるだろう」

葉山の言葉はどこまでも誠実だ。物事の道理にも適っている。なのに、それを聞くと徐々に自分の中に苛立ちが募っていくのを感じた。

「ちげぇよ。少なくともあの時点じゃまだどうしようもあった」

「それだけじゃない」

「はっ?」

「いろはのことだよ。生徒会選挙の」

「それがどうお前に関わってくんだよ」

「前に、あのライブの時に言っただろ。『いろはが奉仕部に行くかもしれない』って」

「……あー、そんなこともあったっけな」

「あの時だって俺がいろはの力になれていたら……って思うとね」

「……違う」

堪えるつもりだった。たとえどれだけ心のなかが荒れようとも言葉にはしないつもりだった。

しかし、どこまでも勘違いをしているこいつに対して言葉を発せずにはいられなかった。

「えっ?」

「違うって言ってんだよ……」

言葉が崩れ落ちていく。それは文章にならずに欠片となって口から出て行った。

「違うって何が……?」

「そんなんじゃ……なくならない」

胸の中に渦巻く苛立ちが言葉をひどく煩雑にする。こんなの俺らしくない。なのに、それは止まることを知らずに流れ出ていく。

「あれは、俺たちが、いや、俺が……っ」

思いが体をなさずにぐちゃぐちゃになって口から溢れるばかりで、そんな俺の姿はどうしようもないほどに無様だろう。

「……比企谷」

と、葉山が俺を諭すように、しかし力強い声で俺に語りかけた。

「何かのせいにしてしまえるのならそれは楽なんだよ」

ハッとして葉山を見る。その時に初めてこいつがどれだけ鋭い目つきをしていたかに気づいた。

「でもな、全ての責任を自分に負わせるのもまた同じくらいに楽なんだよ」

俺を糾弾するような目。謝りたいと言っていた人間がどうしてこんな目をしているのか。

そこでようやく俺は悟った。

ああ、違うんだと。

これは俺の本心じゃない。

俺はこう思っているんじゃない。

俺はこう思いたいのだ。

あれがそんなもので壊れてしまったのだという事実を認めたくないのだ。

ああなってしまったのは全て俺たちのせいで、そこに他の誰かの介入があって欲しくなくて。

奉仕部という存在の崩壊の理由の要素に、こいつらがいて欲しくない。

しかし、その考えが誤っていることは俺自身もきっと無意識のうちに気がついている。そうでなければ、こんなにも感情的になる必要がない。

もしも俺の考えていることが自分の中の信条と一致しているのならば、そこに感情が入ってくる余地はないはずなのだ。

しかしこれらは自分の周りで起こったことだから必然的に主観的感情が入り込む。ならば第三者的な視点になるだけ近づいて、客観的に物事を見ようとしたら一体どうなる?

少なくとも、葉山たちの存在が全くの無関係だったなんてことは、絶対にあり得ない。

確かに葉山たちが関わってこなければ、こんなことにはならなかったのかもしれないのだ。

でもそれはあくまでもif、もしもの話だ。

葉山たちがいなくても同じ結末を迎えていたのかもしれないし、逆にいなかったらもっと酷い最後だったのかもしれない。

そんなことを考えても全く今において意味をなさないのだが。

「……比企谷?」

嫌になるくらいに爽やかな声で正気に返る。俺はいつの間にか言葉を失っていたらしい。

「お前らは……」


何かのせいにしてしまえるのならそれはきっと楽だ。全ての原因が外的なもので、自らに一切の非がないと言ってしまえるのならば、ただその相手を責めていればいい。

だが、全ての責を自分に負わせるのもまた同じくらいに楽な話だ。それは常に自分自身を否定し続けること、つまりはネガティヴ思考と何ら変わりはしない。ただ自分だけを責めていればいい。

だから認めるべきなのだ。

ある事実を。

「……まぁ、一理はあるよな」

そうこぼれ落ちた言葉が地面に落ちて染みこんでいく。それは葉山にも届いたようで目を丸くしていた。

「一理って?」

「そのまま、お前が言ったことがだよ」

それだけで何が言いたいのかだいたい伝わったのか、葉山の顔には少し安堵したような表情が浮かぶ。そんなこいつを見て、俺の中にもあたたかい何かが広がっていくのを感じた。

誰かが悪かったんじゃない。

強いて言うなら誰もに非があった。

俺にも、葉山にも、雪ノ下にも、由比ヶ浜にも、戸部にも、海老名さんにも。

だから誰か一人にババを押し付けようとするのは決して正しい解釈とはいえない。

それは審判を放棄することと同義で、思考を停止しているのにも等しい。

「そうか。……なら、よかった」

「……あんなことをしちまった俺が言えたことじゃねぇけどよ、やっぱあれはお前らの中で解決すべきだったと思うぞ」

「それを言うなよ」

なんて口にしながらも、葉山は苦笑いを浮かべている。そんな様子がどこか可笑しくて俺も笑ってしまう。

「……だから、それを謝りに来たんだ。本当に、すまなかった」

「いや、……まぁ、俺のやり方にも問題あったしな。お互い様ってやつだ」

そして沈黙。

ポカンとしているとちょうど葉山も同じような表情になっていて、それがどこか滑稽で吹き出すと、ほぼ同時に葉山も笑い出した。

おい、何なんだよこれ。

「これから、君はどうするつもりなんだ?」

「……わからん。こんなことになったことねぇからどうしようもねぇよ」

「…………」

奉仕部の問題は未だ手詰まりの状態だ。このまま何もしないままでいるのも一つの手ではあると思うが、それでは事態は何も好転も暗転もしない。

「もしも、なにか手伝えることがあるならいつでも言ってくれ。……俺なんかじゃあてにならないかもしれないけど、相談にも乗るよ」

「……おう、サンキュー」

やっぱかっけぇなこいつ。

もしも俺が逆の立場であったとしたらこいつのように俺に向き合うことなんてできなかっただろう。その辺がこいつと俺の人間的な差なのかもしれない。

「じゃあ、また」

片手を上げて去ろうとする葉山にもう一言だけ投げかけた。

「葉山」

「うん?」

「しつこいようだけどよ、……ありがとな」

――

――――

それから特段俺の日常に変化があったのかと言われれば、なかったと答えるのが事実に近い。強いて挙げるなら俺の心持ちが多少変わったくらいだ。

何かから逃げこむように、言葉にならない思いを叩きつけるようにギターを弾くことは少なくなったと思う。今でも弾くがその最中の気分は以前に比べて穏やかだ。

そんなことを、予備校の受付の前のベンチに座っていて思う。

勉強にひと段落つくと休憩でここにいることが多くなった。他にもうってつけの場所はいくらでもあるのに。

なのに、俺はここで誰かを待っているのだ。

「……よぉ」

そしてその人物は現れる。それがいつの間にかお互いにとっての当たり前になっていた。

彼女は何も言わずに俺の隣に座り、手にしていた黄色いプルトップ缶を開けた。

川崎が俺の手元の黒い缶を指差す。口の中に残る苦い後味がその存在を再び主張した。

「まぁな」

「なんで?」

「なんでって?」

「コーヒーくらいは甘くていいって言ってたのはあんたでしょ?」

「そんな気分なんだよ」

「ずいぶん長い気分だね」

わずかな会話の空白を挟んで、今度は俺から話題を提供する。

「ここ、今年で最後なんだってな」

「ここ?」

「そうだ」

「……あー」

俺の言いたいことをようやく飲み込めたのか、納得したような顔をした。そして辺りを見渡す。

この予備校は今年を最後になくなってしまうことが既に決まっている。それなりの大手だったから閉校すると決まった時はちょっとしたニュースにもなった。

「……別に学校なわけじゃないのに、そう思うと少し寂しいかもね」

「俺もお前も二年の時から通ってるからな。多かれ少なかれ愛着もわくだろうよ」

「来年はどうなっちゃうのかな」

「知らん。噂じゃ隣の予備校に乗っ取られるとか」

「誰から聞いたの?」

「そりゃまぁ、友達とかからな」

「あんた友達いないんでしょ」

「ぐっ……、その辺で話してたやつのを聞いただけだ」

川崎が口元を歪めて可笑しそうに声を抑えて笑う。くそ、そうなるのわかってて聞きやがっただろこいつ。ツッコミのスピードが尋常じゃかったぞ。

会話が途切れてお互い黙り込む。しかしその沈黙は決して苦痛ではなかった。

横目で気付かれないように川崎の顔を見てみると、彼女の視線は天井の方を向いていた。何かを見ているようでその実なにも見てなんていないのだろう。

その時、川崎の顔が唐突にこっちに向いた。

「なに?」

しくった。ずっと見てたのがバレバレじゃないか。

「い、いや、なんでもねぇよ」

とりあえずの場を誤魔化すように近くに置いてあったコーヒーを口にする。

「えっ、あっ――」

口の中に犯罪的な甘さが広がる。やっぱ千葉県民ならこれだよなぁ……。

……ってあれ?

なんで甘いんだ?

「それ……あたしの……」

時が、止まった。

八幡、買った、黒い、苦い、コーヒー。

川崎、買った、黄色い、甘い、コーヒー。

川崎、飲んだ、黄色い、甘い、コーヒー。

八幡、飲んだ、黄色い、甘い、コーヒー。

強烈な焦りと恥ずかしさで顔が一気に熱くなる。

「あ……、あ……」

しまった。この缶はついさっき川崎が口を付けたものだから、つまりは、その、えーっとだな……っ。

「す、すまん……!」

とりあえず頭を下げて謝罪の意を示す。頼む、訴えたりとかしないで! 本当に! 間接キスでわいせつ罪で千葉県警のお世話になるとか少しも笑えないから!

「いや、そこに置いといたあたしも悪いし……」

言葉は冷静でも感情を隠しきれないらしく川崎も顔を真っ赤にしている。まずい、そんなの見てるとこっちまでさらに恥ずかしくなる。

「あ、新しいの買ってくるわ」

「別に一口だけだしいいよ」

「え」

「えっ?」

「いや、そういう問題じゃなくてだな……」

俺がなんて言葉にしようか迷っていると、川崎は唐突にマッ缶を手に取り一気に飲み干してしまった。

「……小学生じゃあるまいし」

そうつぶやいて川崎は去って行った。

突然の行動にあっけに取られて、俺はそれからしばらくまともに身動きを取ることすらできなかった。

――

――――

「…………」

さっき口につけた缶の感触がまだ残っている。そこにかすかに感じられた温度も。

唇にそっと指先で触れる。

ついさっきあたしは間接とは言え――。

「キ……キス……ッ」

言葉にして改めて自分の行動を認識して、カァァッとほおと耳に熱が集まる。

逃げるように自習室に行ったものの、結局その日は少しも勉強に集中できなかった。

 高三、冬の終り

それから時間は早いようで遅いような、何十年も前にかのアインシュタインが提唱したような相対的な進行を経て、気づけば三月。

俺たちの卒業の日はすぐそこまで迫ってきていた。

その頃にはもう受験は終わっている。そう思う人も多いだろう。現に俺もそう思っていた。

しかし、国立というものはそう甘いものではなく、試験は終わっているものの、未だに合否発表がされていなかった。卒業式の直前まで進路決まらないとかどうなってんの。こんな不安な状態は生まれて初めてだよ。

とはいえ試験自体は終わってしまっているので多少は気が楽だ。一応後期試験なるものは存在しているが、そこはもうさらに上位の大学に落ちたやつが受けに来るので、最早勝負にならない。

つまりは実質一発勝負ってことで、もう俺たちの受験は終わった。あとは結果を待つのみ。

前期試験の合否がわかるのは卒業式の前日。おい、これって最早いじめと言ってもいいんじゃないの?

そんなわけで進路なりが既に決定している私立勢に殺意を撒き散らしながら、教室の隅の席でイヤホンで音楽を聴いている。

するとシャッフル再生の偶然か、ある曲が流れ始めた。

それはかなり前にあの五人でやった曲。フレンズだ。

  どこでこわれたの oh フレンズ

……本当、どこでこわれちまったんだろうな。別にフレンドではなかったけど。

あの頃に練習していた曲を聴くたびに、かつての日々を憧憬する。

もしも、あそこで俺が逃げなかったなら、そうして迎える今日はどんな日だったのだろうか。

……やめよう。そんなifの思索はもうしないと決めたんだ。

ただ時々思う。

このままで良いのだろうか。

このまま終わらせてしまって、良いのだろうか。

コンッと机を叩く音。

顔を上げるとそこにはこの数ヶ月何度も顔を合わせた川崎の姿があった。

「よぉ」

イヤホンを耳から外すと途端に教室の雑音が耳の中へ流れ込んできた。

右手を上げて俺の言葉に返すと、何か話をしに来たのかと思いきやなかなか話し始めない。

「川崎?」

「……もう受験終わったから聞かせてもらうけど」

そのたったひとつの前置きで、彼女が切り出そうとしていることが何なのかすぐに想像がついた。

でも不思議と、それを遮る気は起こらない。

「あんたたちに何があったの?」

それはきっと過去の俺がこの未来であり現在がやって来ることを予測できていて、そして俺自身に受け入れる心持ちが既に出来上がっていたからだろう。

――

――――

「……ふーん」

川崎はストローでコーラを吸いながら気の無い声を漏らす。

俺の罪の告白は店の喧騒のおかげでこいつ以外には届かないだろう。そんな場所を挙げてくれた優しさがありがたい。

「正直、あたしにはよくわからない」

「一蹴かよ」

「それはそうだよ。あたしはあんたじゃないんだから、ちゃんと理解なんてできるわけもない」

理解する気がない、というわけではないらしい。

川崎の言うこともうなずける。他人は他人であり自分ではないのだから理解などできるわけがない。

俺たちが普段使う理解とは結局のところは、ただ自分の経験に近い事象を想起して共感しているにすぎない。

「それで、あんたはどうしたいの?」

「このままは……」

「嫌なんだ」

先回りして提示された言葉に首を縦に振る。でもどうしたいのか、その具体的な方法や事柄が一つも思い浮かばないのだ。

「……あたしがすぐに思いつくようなことはあんたもわかってるんだろうし、それをしないってことは……」

そこから先の言葉は周りの声にかき消された。しかしその顔に浮かぶ表情からそれは窺い知ることができた。

「……ごめん。聞くだけ聞いといて何の方法も思いつかなくて」

「いや、そんなことは……」

会話が途切れ沈黙。しかし今度のそれはいつものとは違い、ただ居心地の悪いだけのものだ。

互いが互いに、どう言葉をかければ良いのか、それを見つけることができないまま時間だけが過ぎる。

駆け出しバンドマンがとおります

――突然、大音量が鳴り響く。

二人とも驚いて目をパチクリすると、すぐに川崎がカバンの中からスマホを取り出す。彼女が作ったらしい手作りのケースは白色のやわらかみを帯びたフォルムでとても可愛らしい。

その音に、俺はよく聞き覚えがあった。

「ご、ごめん」

一言謝って電話に出ると、音はスッと消えていった。

「もしもし……あっ、大志? うん、うん……」

着信音で流れてきたのは俺と川崎と戸塚と厨二病をこじらせたデブの四人でやった曲だ。

バンドでコピーしたいと言っていたくらいなのだから、着信音にしていても不思議ではない。

「はぁ……」

川崎の電話の声をBGMに一つため息をつく。

どうするって言ったってなぁ……。

……。

…………。

――!

その時、全身に電流が流れたかのような錯覚が俺を襲った。

……いやいや、んなバカな。

そんなバカで愚かでクサいことを俺がやるわけ……。

こんなのは受験のストレスと、その間にバンドができなかったことにより溜まったフラストレーションによる一時の気の迷いにすぎない。

あるいはあれが奉仕部で唯一の何も悪いことが起こらなかったイベントであるから、そこに一種の神聖を感じているからなのかもしれない。

それでも、そんな方法を取るなんてバカげている。

そうわかっているはずなのに、考えれば考えるほどにむしろそれこそが最適解に思えてきて、そんな自分が恥ずかしくてある意味恐ろしい。

普通の解決法を取れないのなら、より特殊な解を選ぶのも一つの手なのではないだろうか。

ノーマルがダメなら、スペシャルだ。

あの二人から、そして俺自身から罪悪感や気まずさを取り去りたいのなら、それを吹き飛ばすような奇策が必要なんだ。

「……ふぅ」

川崎が電話を終えたらしくスマホを再びカバンの中にしまう。一方の俺は完全に自分の世界に入っていたせいでその電話が長かったのか、短かったのかさえわからない。

「ごめん。なんか夕飯のことで……、比企谷?」

俺の様子の変化に気づいたようで、怪訝な表情になる。

自分の中で思いついた最高で最低な方法を、早く実行したくて仕方がない。

いや、正直に言おう。

もうただ単にやりたいんです。正直過ぎかよ。バカ正直のナオもびっくりだわ。あるいはスラダンの三井か。

「川崎、ライブをやろう」

「はっ?」

ここまで。
次で最後にしたい。

乙です

乙です

乙です

おお戻ってきたのか

 高三、卒業式前日

「あるかな……番号……」

「やれるだけのことはやってきたろ。あとは信じようぜ」

「うん……。でも、もしもなかったら明日に響くし……」

「そっちの方が練習不足で俺は心配だけどな。……あっ、もうそろそろ貼り出されるぞ」

「……こわい」

と、川崎は震える手で俺の服の裾をつまむ。何なんだよこのかわいいの。間違えて惚れちゃうだろ。

……まぁ、時すでに遅し、みたいなところあるけどよ。

そんな彼女を見ていると自分まで別の意味で心臓が死んでしまいそうだから、必死に結果の方を向いてそっちに気を向けないようにした。

「……おっ、出たな」

そう言うと裾にかかる力がさらに強まる。あの、そんなに引っ張ると破けちゃうんですけど。

「結果は結果だ。ちゃんと受け止めよう」

そんな風に余裕をこいているように見えるがそんなのは虚勢だ。本当は俺だってこわくて仕方ない。

もしもどちらかだけが受かって、なんてことになったら……、うん、想像したくない。

願わくは二人とも……。

俺は川崎の番号を知らないし、向こうも俺のは知らない。

相手の結果はその反応によってのみ知ることができる。

俺のは……。

「「……あった」」

声が重なる。

それは俺の声と、隣にいる川崎の声。

ハッと互いに顔を見合わせる。

その意味を理解するのにどういうわけか数秒もの時間を要し、そして思わず叫び出したくなる衝動が胸の奥から湧き出す。

それをどう扱えば良いのかわからず、言葉を発すことができない。

ただ、この感情を言葉に表すなら、それは『安堵』というのが一番適切だろう。

よかった。

本当に、よかった。

言葉にはせずともそれは表情に現れてしまったらしく、俺の顔を見て川崎は心から嬉しそうな笑顔を浮かべる。

その瞬間、心の中をあたたかい何かがじんわりと包み込むのを感じた。

 高三、卒業式

「ふむぅ、まさかまたこの集いでバンドをするなどとは、我は全く予知していなかったぞ」

そう隣の汗くさい巨体が話しかけてくる。何これ、こわい。

「そうだね。しかもこれもまた八幡の提案なんて」

しかし逆の方には天使、マイエンジェル。戸塚が普段の三割増しの天使っぷりを発動する。やべぇ、まぶしい。

「まぁ、ちょっといろいろな」

「雪ノ下さんたちはもう呼んだの?」

「いや、まだだ……ってあれ? 俺そのこと話してたか?」

「ううん、でもわかるよ」

「マジかよ……。さすがだな」

「我も存じておったぞ」

「嘘だな」

「戸塚殿と反応が違いすぎではないか!?」

「そんなことはいいから、早くあんたは行きなよ」

と、川崎が話を遮り教室を指差す。そこは雪ノ下がいる国際教養科のクラスだ。

「……そうだな」

「話しかけづらいのはわかるけど、行かなきゃ今日までの練習が無駄になるから」

「わかってるよ……」

本当はもっと前に行くつもりだったが先延ばしした結果、卒業式の直前になってしまった。

でも式の後だともう話しかけることもできない気がしたから、それまでには決着をつけなければならなかった。

「あっ、そうだ。材木座」

「なんだ? 八幡よ」

「浪人おめでとう。来年も頑張れよ」

「ぐぬぅっ!? なぜそれを!?」

「そりゃお前、どこの大学行くか聞いてもはぐらかすだけだからな。嫌でも察するわ」

「比企谷」

ギロリと川崎が俺を睨む。ひぃぃ……川なんとかさんがこわいよぉ……。

「……はい、行ってきます」

教室に入ると雪ノ下雪乃は教室の後ろの方を陣取り、一人で本を読んでいた。

その姿に、かつて俺が初めてあの部室に足を踏み入れた瞬間を無意識に重ねた。

他クラスの人間が入り込んだことにより、教室内の雰囲気がわずかに変化する。おい、ステルスヒッキー仕事しろよ。

その異変を感じ取ったのか雪ノ下の顔が上がり、俺の姿を視認する。

すると雪ノ下は目を丸くしてそのまま固まってしまった。てっきりすぐに目を逸らされると思っていただけに、この反応は拍子抜けだ。

他の人間はすぐに俺の存在に対しての興味をなくして、また友人との談笑を再開する。うん、やっぱステルスヒッキー健在だわ。

「よ、よぉ」

机の前まで行っても固まったままだ。

「久しぶり、だな」

もう一度話しかけるとようやく口を開く。

「え、ええ……。久しぶりね」

「どうしたの?」

文脈だけを見れば以前と変わらないが、その仕草はどこかぎこちない。そんな些細な違いに一年のブランクを改めて実感させられる。

「い、いや……あのさ……、式の後さ、もう一度あの部室に来てくれねぇか? お前と由比ヶ浜に、見せたいものがあるんだ」

勇気を振り絞ってそう伝える。

なんと言われるだろうか。

二年の時だってこんな改まった言い方をしたことはほとんどない。

「見せたいもの、ね……」

そうつぶやくのが聞こえたと思ったら、今度はクスッと笑う声がした。

「……あなたのことだからどうせロクでもないことなのでしょうけれど、いいわ。見に行ってあげる」

「そうか。……ありがとな」

ホッと胸を撫で下ろす。よかった、とりあえずは第一関門突破だ。

「私を呼び出すということは、興の冷めるようなものは許されないわよ」

「へいへい。んじゃあ、また」

サッと身を翻して出口を目指す。時間が経つにつれて再び視線がこちらに集中してきた。ただでさえ他クラスにいるってだけでMP(メンタルポイント)がゴリゴリ削られていくというのに、これ以上は無理だ。

「あ……」

「なんだ?」

呼び止められたような気がして振り返った。しかし雪ノ下はわずかに上げた手をそのまま下げる。

「……いいえ、なんでもないわ」

「お、おう」

時間もないから廊下へ一直線に出て行く。……なんだったのだろう、今のは。



「……ありがとう」

今度は由比ヶ浜だ。雪ノ下の時には他クラスに入り込むという障害があったが、雪ノ下自身は一人でいたから話しかけること自体はそこまで難しくなかった。

しかし由比ヶ浜の場合は違う。あいつはだいたい誰かしらと一緒にいるから、話しかけるという行為そのものが高難易度となる。

けれども、式の後ではさらに難度が跳ね上がり、俺では実質不可能なレベルになってしまう。

だから、今の段階でどうにか伝えなければならないのだが……。

「……本当にあいつ一人になることねぇのな」

ずっと絶え間なく会話を続けていて、もう常に誰かと話してなきゃ死んじゃうの? って疑うレベル。

くそ……、どうにかしないと……。

「やぁ」

「……って、なんでこのタイミングでお前なんだよ」

この絶体絶命の状態で話しかけてきたのは葉山隼人だ。なんてタイミングの悪い……。

「困ってると思ってね」

「何がだ」

「軽音の部長から聞いたよ。卒業式の後に校舎の端の方にある教室でライブをやる輩がいるって話」

「……それは随分と頭の中がめでたい奴らだな」

「ああ、俺もそう思うよ」

ニヤリと誰かを皮肉るような笑みを浮かべる。なんだよこいつ……腹立つな……。てかこんな悪役みたいな表情するのかよ。

「……いつか、手伝うって言っただろ?」

フッといつもの聡明で爽やかな表情に戻り、ボソリと呟いた。

「はっ?」

「チャンスは作るから」

「何を言って……」

俺のセリフが終わるよりも先に葉山は由比ヶ浜たちのいる方向に歩き出す。

「優美子、ちょっといいかな」

「えっ? な、なに?」

「結衣。さっき平塚先生が呼んでたよ」

「平塚先生が?」

「うん、廊下で待ってた」

「わかった。じゃあ優美子、またあとでね」

……なるほど。そういうことか。

本当に、全部お見通しってわけか。あの野郎。

でも、今だけは感謝する。

サンキュー! 愛してるぜ、はや……。

……。

……いや、流石にそれはない。

脳内に浮かんでしまった気持ち悪すぎるフレーズを頭から追い払って、俺は由比ヶ浜が教室を出るよりも先にドアから廊下に出た。

「あ、あれ? ヒッキー……? 平塚先生は……?」

「……わりぃ。ちょっとな」

俺の口調から何かを察したのか、由比ヶ浜の様子が変わる。

「……今更、何なの?」

彼女の目がどこか濁ったものに変わる。俺を睨んでいるようにも見えた。

それが当然の反応だろう。由比ヶ浜は俺が部室に行かなくなった時、何度もなんども俺を説得しに来た。

それを拒んだのは俺だ。

なのに今更になってどうこう言おうとするのがどれだけ虫の好い事か。

それでも、俺は伝えなければならなかった。

このまま終わらせたくなかったから。

あの日々が無駄で、『なかった方が良かった』と、そう思いたくなかったから。

「今日、式が終わったらよ、部室に来てくれないか?」

「……えっ?」

「お前と雪ノ下に、見せたいものがあるんだ」

そして訪れる沈黙。

由比ヶ浜は口を開かない。それは彼女の意図したものではなく、予想外の俺の言葉に動揺しているからだ。

「……行かないかもしれないよ?」

そしてようやく開いて出て来た言葉はどこか少し意地悪なものだった。

でも、来てくれなかったとしても、俺はそれを責めることができない。そんな権利は俺にはない。

「それならそれで仕方ない」

「……式の後、すぐ?」

「いや、……そうだな。終わってから一時間くらいしたら来てくれ」

「……行けたら、行く」

「わかった。それと……」

と、言いかけた言葉を途中で止めた。これは今、口にすべき言葉ではない。

「なに?」

「……いや、なんでもないわ。それじゃあ、また」

――

――――

「なんであんた一時間後なんて言っちゃったの!?」

「いや……なんか……よう……、パッとよく考えもせずに……」

「軽音部の機材持ってくるだけでも大変なのに、それをセットしたり音も合わせなきゃいけないし……」

「うぅ……、マジですまん……」

俺の無責任な一言のせいで現場はテンヤワンヤになってしまっていて、このままではまともに完成するかどうかも怪しい。

「八幡は嫁に尻に敷かれるタイプだのう。わかってはおったが」

「うん、僕もそう思う」

「あんたたちも、無駄話しない!」

「は、はい……」

「……御意」

「はぁっ!?」

「ひぃぃっ!? わ、わかりましたぁっ!!」

材木座くん弱すぎぃっ! お前の装甲はそんな一言で剥がれるほどヤワなものだったのか!? まぁ、メンタル豆腐並だしなこいつ。

――

――――

「しかし改めて我に感謝するがいいぞ、八幡」

機材を軽音部の部室から運び出していると材木座が唐突に話しかけてきた。川崎がこの場から離れた直後でもあるから、おそらくはそれを狙っていたのだろう。

「はっ?」

「ゴラムゴラム。よもや忘れたとは言わせんぞ? このドラムなどを使えるのは――」

「お前が部長と仲が良いからだろ」

「――我が軽音部の……って我に言わせてぇっ!」

いつものように大げさなリアクションと大声を張り叫ぶ。うるせぇしうぜぇ。てかふざけてると壁とかにぶつけるぞ。

「だが、お主は不思議に思わんのか? それだけで使えることに」

材木座はもうにやけ顔も隠さずに鼻息を荒くする。あー、もうこいつ自慢したくて仕方ないんだわ。もうね、八幡すぐわかっちゃう。

「……で、何をしたんだ?」

ならまぁ、一応聞いてやるのが礼儀というものだ。癪だがこのライブができるのはこいつのおかげが実のところかなり大きい。

「しばし待っておれ。携帯で見せなければならぬのでな」

機材を部室まで運ぶと早速材木座がスマホを慣れた手つきでなぞり、画面を見せてきた。

「これがなんだか、お主にはわかるであろう?」

白の背景に黒い字がゴチャゴチャと並んでいる。これは、メールか。今のご時世に随分と古風だ。

「……んっ!?」

「わかるか、八幡。これは……」

「マジかよ……。そのチケット、お前取れたのかよ……!?」

「ふふふ……UOの準備は既に万全だ……」

材木座が見せてきたのは某アイドルアニメのコンサートのチケットの当選メールだ。別に俺自身はあまり興味ないが、チケット難民が続出しツイッターが阿鼻叫喚の渦だったと聞く。

「……てこと部長は」

「察しの通り、難民化したライバーよ」

うわぁ……マジか……。買収されたのかよ部長。てか買収って相変わらずの下衆さだな。でもなんでだろう。すごく輝いて見える! キャッ! 材木座パイセン素敵!

「てかそんなの行ってていいのかよ浪人生」

「公式がfinalと銘打っているからな。故に我はそこで別れを告げて四月からは勉学の道を踏み出す予定だ」

道を踏み外すフラグしか見えないのですがそれは。

「ちなみにライブの日程が四月一日だから、正確には二日からだな」

一日を逃している時点でもうSTART:DASH!! を失敗するのが目に見える。もう悲しみに閉ざされて泣くだけの材木座しか見えない。

――

――――

「つーかこれもう終わんねーぞおい!!」

絶望のあまり素に戻った材木座の咆哮が部室内に響く。うるさい。もうみんなわかってるから、うるさい。

「ちょっとまずいね……。せめてもう一時間あれば……」

ボソリと戸塚が呟く。急いで準備をしているから疲労が顔に出ていて、心の底から申し訳ない気分になる。

「……すまん」

「あっ! 八幡のせいじゃないよ! それ以上は待たせるのはって思って僕でもそう言ったと思うから!」

戸塚のフォローはその役割を果たしているかどうか微妙なところではあったが、それでもありがたかった。

「……でも、どうするの?」

深刻な表情を浮かべているのは川崎も変わらない。あともう少しで卒業式が始まることを考えると、どう考えても時間が足りない。

「……くそ、昨日のうちから少しはやっとくべきだった」

諦めムードが四人の中を漂い始めたその時、部室の扉がノックされた。

「俺だ」

扉の外から聞こえる声は今日はこれで二回目。葉山だ。

「なんだよ」

扉へと歩きながら問う。

「手伝いに来たんだ。比企谷たちを」

扉越しに声が伝わる。

「お前が一人増えたところで――」

扉を開く。

その瞬間、息が止まった。

思考も、何もかもが。

廊下にいたのは葉山一人ではなかった。

「俺一人が増えたところで?」

目の前の美青年はそう言って、また嫌味ったらしいほどに爽やかな笑顔を浮かべた。

「葉山くんに、戸部くんまで……!」

「三浦に海老名さんも……」

「サキサキを助けに来たよー!」

横から海老名さんが飛び出し、そのまま川崎に抱きつく。

「サ、サキサキ言わないでって……っ、てか抱きつかないで……っ!」

「んふふふふー♪」

タジタジになる川崎にお構いなしの海老名さん。なるほど、なかなか百合っていますなぁ。

「せーんぱいっ。わたしもいますよー?」

と、唐突に一色いろはが葉山の後ろからひょこっと亜麻色の髪を揺らしながら首を出した。

「一色……? なんでお前まで……」

「まぁ生徒会選挙の時にいろいろ迷惑かけちゃいましたからねー。お礼と言うかお詫びみたいな感じです♪」

「でも……でも……」

理解できない。どうして卒業式の日に、しかも直前なんてタイミングなのにこんなことを……。

「ヒキタニくん。俺さ、この前に隼人くんから聞いたんだ。修学旅行で何があったかも、あの時に海老名さんがどう思ってたかも、その後の奉仕部のことも」

葉山の方へ視線を移すと奴はまたニコリと笑ってみせた。

こいつ……。

「……マジでゴメン!」

そう言って戸部は頭を深々と下げた。普段チャラチャラしていてもこの辺はさすが運動部で、姿勢がきちんとキマっている。

なんてそんな戸部の行動に俺が困惑しているのに気にせずさらに言葉は続く。

「だからさ、せめて少しだけでも力になりたいんだわ。迷惑じゃなければ、だけど。……ダメかな?」

言葉がつまった。

今、俺のためにこれだけ大勢の人間が集まってくれている。

俺の力になってくれると、そう言ってくれるやつがいる。

かつてのボッチだった頃のことを思うと、信じられない光景だ。

そして現状においてこの助けは喉から手が出るほどに、今の俺には必要なものだ。

「……すまん、助かる」

――

――――

それからは今まで滞っていた作業が嘘みたいにサクサクと進んだ。特に運動部だった葉山と戸部に中学で元テニス部の女王三浦が重いはずの機材を軽々といくつも運んで、作業スピードは数倍にまで上がった。

人数が倍以上になったおかげもあってか、まだ式が始まる前にもかかわらず、ほとんどの準備が終わってしまった。

「どうなってんだお前ら……」

「そりゃ鍛えられてるからでしょー!」

いやいや、受験で数ヶ月のブランクがあるはずだろお前。でもまぁ、あのライブの時のことを考えればこいつの無尽蔵のスタミナはその程度では落ちないのなのかもしれない。

「とりあえず終わって良かったよ」

葉山が額に流れる汗を拭いながら最後のアンプを床に置く。接続も戸塚や三浦が主になってやってくれたおかげでほとんど終わっている。

あとはもう楽器を持ってきてシールドで繋げるだけだ。

「……ありがとな。どれだけ礼を言っても足りない」

そうその場にいる全員に頭を下げると、そこらから別にいいってことよ、とか、礼を言われるほどのことじゃないよ、みたいな返事が聞こえた。

それがどうしようもないくらいに嬉しくて、胸の中がいっぱいになって、思わず目から何かが溢れ出そうになった。

「さぁ、もう式も始まるし教室に戻ろう」

時計を見るともう始まるまで時間はあまり残されていない。

葉山の言葉を皮切りにみんな部室を出て行く。鍵を持っているのが俺だったから、みんなが出るのを目で追う。

最後に残った人物は意外なことに三浦と海老名さんだった。

他の人間がいなくなったと確認すると三浦がガンつけ気味に俺の方へ歩み寄る。あの……、めっちゃこわいんすけど……。

「これ、結衣のためなんでしょ?」

「あ、ああ。まぁ……。でも、来ねぇかもしれねぇ」

「結衣がそう言ったの?」

獄炎の女王の迫力に内心ビビりながらも首を縦に振る。

「そっか……。なら安心して。あーしが引きずってでもここに連れてくるから」

「どうしてそこまで……」

「あれから結衣、ずっと落ち込んでた」

三浦の視線がわずかに下がり、語勢が少し弱まる。

「あーしはヒキオみたいなのの何が良いのかわかんないけど、少なくとも結衣はヒキオたちとずっと一緒にいたかったんだ」

それはきっと事実だろう。だからこそあの時に由比ヶ浜はあんなにも必死だったのだ。何とかして三人にまた戻ろうと。

「そんな結衣を見てるのはあーしも辛かったから、だから……」

彼女の視線が再び俺の目へと向けられる。そこに縋るという意は一ミリも見当たらない。

『して欲しい』なんて言わない。『やれ』と、三浦は俺に言っているのだ。

「いい加減な気持ちで向き合うんなら、あーしは許さないよ」

強気な瞳が俺の顔を睨みつける。あまりの恐ろしさについたじろいでしまったが、答えは返した。

「……ああ。そんなことはしない」

「あっそ。ならいいけど」

そう言うとついさっきまでの迫力がまるで嘘のように消え、そのまま部室を去る。

わかってはいたが、三浦は自分の親友である由比ヶ浜のために動いていたのだ。

由比ヶ浜は三浦にここまで思われていることに気づいているのだろうか。

気づいていたらいいと、俺はそう思った。

みんな出て行ったかと部室の中へ目を向けると、まだ一人、女子が残っていた。

「ヒキタニくん、こんなことするんだね。意外」

海老名さんは眉を少しも動かさずにそう言い切る。そこに感情を見出すことはできない。

「ああ、自分でも意外だ」

まぁ、ここまで大事にした原因は主に材木座なんだけどな。俺はいつか卒業後にこのバンドでライブをして、その時にあの二人を呼ぼうと思っていただけだった。

それを卒業式の後に、よりにもよって奉仕部の部室でやろうなどとぬかしたのは他でもないあの野郎だ。

普段ならそれを無理難題と無視していただろうが、奇しくもそれを可能にする手段を材木座が有していたのがこの俺の不運だったと言ってもいい。

まぁ承諾した時点で俺も同罪だし、それを聞いて俺の中にほんの僅かに残る厨二心がざわついてしまったことは否定できない。

「……あのさ、比企谷くん」

「なんだ?」

そう問うと海老名さんはすぐにはそれに返さず徐々に乾燥した笑みが消え、視線を一瞬逸らす。

しかしすぐにまた俺の腐った目を見つめ、言の葉を紡いだ。

「あの時さ、ごめん」

こんなのは大袈裟な言い方かもしれないがその時、俺には海老名さんの心の奥が、微かに見えた気がした。

「……別に誰か一人が悪かったわけじゃねぇだろ」

予想外の文句に困惑してようやく口にできた結論は、葉山と話した時のと寸分も違わない。

これだけは、きっとまちがっていない。

「……なんか、変わったね。変わっちゃった、と言うべきなのかもしれないけど」

「悪いみたいな言い方だな」

「んー……、別に悪いとは思ってないけど……、どこか普通になっちゃったような」

「おいおい。前の俺だって普通に無個性だったと思うぞ」

なんなら個性なさすぎて幼なじみにデクとか呼ばれるレベル。そんななんでも爆破しそうな幼なじみいねーけど。

「そうかな? ヒキタニくん結構変だったよ?」

ちょっと? そういうの地味に精神的にくるからやめてね?

「だから、その何て言うのかな。良いことだとは思うけど、私的にちょっと残念みたいな」

「わからねーよ」

そんな言い方をされると今の自分が不安になってくる。

「うーん……そうだな……。例えるなら、ずっと駅前にいた大道芸人が公務員になっているのを見かけたみたいな」

「俺はピエロかなんかなのか」

「でもハヤハチは近年見たリアルのカップリングの中でもトップクラスだったなぁ」

「否定しないのかよ」

「いやはや、たくさんのハヤハチありがとうございました」

「おーい」

「その捻くれたところがなくなっちゃったヒキタニくんとのハヤハチはなくはないんだけど、ただあの捻デレが見れないと思うと……」

あ、なんかこの人もう自分の世界入ってる。さっきから俺の話聞いてねぇ。

「まぁ何事にも楽しむには毒があった方が面白いってこと。保険証あるか聞いてくるブラックジャックなんてつまらないでしょ?」

あれ? それなんか某絶望的な漫画で見たことある気がするんですけど? そう言えばあれにも腐女子キャラいたっけ。

「……でも、そうなってくれたから、今は少し心が軽いのかも」

つい先ほどまでの暴走モードから一転、どこか安心したような表情になる。

「だからありがとね。あとライブ、頑張ってね」

海老名さんはそう笑うと、俺が何か言葉を返すよりも先に廊下に出て行ってしまった。

「あっ、そうだ」

と、出てすぐに顔だけこっちに出してまた笑みを浮かべながら言い放つ。

「それとね、私、今の比企谷くんともうまく付き合えると思うよ」

「……そういうのは勘違いを生む原因だからな。気をつけろよ」

主に俺のために。

「ふふ、でもやっぱりそういうところは変わってないね」

――

――――

滞りなく卒業式は終わり、教室内ではやれ打ち上げだ、寄せ書きだのと浮かれている。

卒業しても会おうねーなんて言ってそれから二度と会わない率は異常(俺調べ)。しかも言ってる時点で会う気がない率は八割を超える(俺調べ)。

まぁそんなことに時間を費やすことを否定はしない。そういうその時にしかできないありふれた光景に身を投じるのも決して悪いことではないだろう。

それは時間が経つにつれて美化され、過ぎた日々の先で振り返った時に青春の美しい一ページとなる。

だがしかし、俺たちにそんなことに費やしている時間はない。

何しろあと一時間後に俺たちはライブを控えているのだ。

しかも観客はたった二人。

そして誰のためかと問われればそれは、三人のため。

雪ノ下と、由比ヶ浜と、そして、俺。

そのためにメンバーも、そしてさっき手伝ってもらった葉山たちも巻き込んだ。

「比企谷、卒業おめでとう」

教室を出ると、大人の女性の声が俺を呼び止めた。

「平塚先生……」

「話は聞いたよ。思い切ったことをするんだな」

いつものようにくたびれた白衣をまとう先生は落ち着いた笑みを見せた。

「……少しだけ、話をしないか? 五分でいい」

断ろうと思った。時間がないし、それよりもまず、部室へ顔を出さなくなった時に何度も教室にまで来て説得してくれたのに、拒絶した後ろめたさがあった。

「わかりました」

なのに、平塚先生のあまりにも穏やかな表情に、気が抜けてしまったようで俺は首を縦に振った。

――

――――

先生が話をするのに選んだのは意外にもこの学校の屋上だった。そしてさらに意外なことにこの屋上には誰もいない。

「発想の盲点だよ、比企谷」

心の中を見透かしたかのように言葉が飛んでくる。

「卒業式なんて日には誰かしらがここに来るだろう。そうみんなが思うから誰もいないんだ、ここは」

「はぁ……」

すると平塚先生は煙草を懐から取り出し、百円ライターで火をつけた。

手慣れた手つきで無駄が一切ない。その一挙一動に思わず見惚れる。

唇を煙草から離すとふかすように煙が吐き出された。

「校内で煙草すか」

「今更なんだ。別に初めてというわけではないだろう?」

「……まぁ、そうですね」

そうだ、この人はこういう人だった。そう、この人はちっとも変わっていない。変わってしまったのは――。

「改めて聞くが、どうしてだ?」

「えっ?」

「ライブだよ」

「……正直、わからないっす」

その答えは未だに出せない。あの時から今の今までずっと探し続けて、それでも見つからないのだ。

「ただ、今のままは嫌だったから……としか」

俺が求めたのは、きっと変化だ。

まるで底なし沼にハマって身動きを取れば沈んでいってしまうような感覚。

その状態からの変化が、俺は欲しかった。

結果が如何なるものであったとしても、その先がわからなくても。

「……そうか」

俺の短い台詞から何を読み取ったのかはわからないが、平塚先生はどこか納得のいった様子だ。きっと俺の知らない、見えていない何かが、先生には見えているのだろう。

「最後の最後で、君はその選択を選んだんだな」

「はぁ……?」

再び唇を付けると煙草の先がボウッと赤く光り、そして白い煙が空へと静かに昇っていく。

「私は、奉仕部に入れる前からずっと君に目をつけていたんだ」

「……まぁ、そうっすよね」

じゃなきゃあんなこと言ってあんな強引に連れて行かないでしょうよ。

「面白いやつだと思ったよ。でも、君は次第に動かなくなった。自ら進んで行動を起こすことがなくなった」

それは高一の後半から高二の初めにかけてのことだろうか。確かに本格的にボッチとしての道を歩みだしたのはあの辺りだった気がする。

「そこに私はもったいないと思ったんだ。決してそういう過ごし方を否定はしないよ。ただ、君にはそれよりももっとたくさんのものを見て欲しかった」

「……それが、俺を奉仕部に入れた理由ですか?」

「ご明察。君にはその思想の矯正、などと言ったがそれは正直な話どうでもよかったんだ。学生生活の中で得た経験を経て、それでも変わらないのならそれも良し」

「……結果的に先生の思うツボと」

自らへの皮肉を込めて言葉を漏らすと、そんな俺の様子が可笑しかったのか平塚先生は笑い出した。

「別にこうなるという結果を望んでいたわけじゃないよ。私が求めていたのは結果というよりは過程だ」

先生は手に持つ携帯灰皿に灰を落とす。そしてもう一度口をつけて煙を吸って、吐いた。

「君がもしもこのまま何もしないまま卒業したとしても、奉仕部で得た経験は君のこれからの人生に多かれ少なかれ影響を及ぼす。きっとそのくらいでも十分なはずだ」

でも、と平塚先生は続ける。

「こうしてもう一度、君が行動を起こしてくれたことがやはり嬉しい。この学生生活の中での答えを、君なりに模索し、出そうとしてくれることが」

「……別に、そんな大それたものじゃないですよ」

そういう具体めいた目的があるわけではない。ただ、何かをせずにはいられなくて、その方法も結果も手探りなままで、だから全くと言っていいほどに論理性もないこんな手段を講じることになった。

その行為こそが模索しているということなのだろうか。

「まぁ、そんなのは私から見てそう見えるだけだしな。もし、君なりの答えが見つけられたならその時はぜひ聞かせてもらえると嬉しいよ」

灰皿に煙草を押し付けて火を消すと、先生は俺に背を向けて歩き出した。

「それとライブ、成功すると良いな」

バタン、と扉が閉じられる。残された俺の鼻を煙の残り香がくすぐった。

――

――――

ボーッと窓の外を見つめる。

枠の端に入り込んだ桜の木の枝にはまだ芽しかついていなくて、その花は咲いていない。

惜しいな。

今の時期に咲いていたら、綺麗なのに。

きっと、何週間か先に咲くよりも、今咲いていた方がずっと。

見慣れた廊下の壁に寄りかかっていると、遠くからジジジ……という機械の音と、何かを叩く音が聞こえる。

もうすぐ、その時は来る。

準備も最後のリハも済ませ、あとは二人が来るのを待つのみだ。

一度、深呼吸。

前に全校生徒の前でやった時に比べれば見ている人数は桁違いに少なく楽なはずなのに、今の俺はあの時以上に緊張している。

……そういえば。

二日間で、どのバンドが一番か決めるとかで雪ノ下と三浦が張り合ってたっけ。

そして結局トップを取ったのがあの二人が組んだバンドだったってオチ。

あの時の二人の何とも言えない顔ったらもう……。

その間にいた由比ヶ浜はテンパりながらも場の雰囲気をどうにかしようとして……。

そんなくだらないことを思い出して、一人でニヤける。傍から見たら不審人物として通報されかねない。

今にして思えば、かけがえのない時間だった。

でも、あの頃の俺にはもう戻れないから――

――もう、さよならなんだ。

とりあえずここまで。
予想以上に書き溜めが多かった。
次こそ。

乙です

乙です

乙です。

――

――――

部室に戻るとまだ二人とも来ておらず、部屋の中には俺を含めて四人しかいなかった。

「悪いな、本当に。卒業式だってのに」

「もう、何回同じこと言わせるの八幡は。僕たちだってやりたくてここにいるんだからもう気にしないの」

「そうだぞ八幡。今更ウォーター臭い」

「……サンキュー」

「もう来るんじゃない? あんたもそろそろギター持ちな」

川崎がスタンドに立てかけていた俺のギターを手に取り、そのまま渡す。それを受け取ると手にかかる重みが普段よりも強く感じられた。

すると遠くの方から、廊下を歩く音が聞こえてきた。その音は徐々に大きくなり、誰かがここに近づいてきていることを意味していた。

音から察するに近づく音は二人分。

その正体はきっと――。

「じゃあみんな。頼むな」

俺がそう言うと、他の三人は何も言わずにただ頷いた。

ガララとローラーが回る音ともに扉が開かれる。かつて何度も見た光景だ。しかし本来ならこっちにいたはずの人物が、向こう側にはいた。

「これは……!」

先に言葉を発したのは雪ノ下だ。驚くのも無理はない。机と椅子以外に何もないはずのこの場所に、ギターやドラムが並んでいたら誰だって同じ反応を示すだろう。

「ヒッキー、これって……」

二人とも言葉がその形を成さずにただ声が漏れ出る。

「来てくれてありがとな」

この部屋に並べたのは楽器だけじゃない。

その前に置いてあるのは、二脚の椅子。

何も言わなくても意味を察したようで二人ともその椅子に座った。

それを確認して俺はストラップを肩にかけ、ピックを親指と人差指で挟む。

一度、息を思いきり吸い込み、そして吐く。

この場にいる全員が俺を見ている。

俺が弦を鳴らしたその瞬間に、曲が始まる。

そう思うと、なかなか動き始めることができない。

沈黙が部室の中を支配する。

『一曲だけ』

マイクに入った声がアンプから倍増されて放たれる。



『ソラニン』


ソラニン
ASIAN KUNG-FU GENERATION

https://youtu.be/yCwtmCxJgik

Cadd9のコードを鳴らし、曲が始まる。

4フレッドに着いているカポが光を反射している。

目の前の二人がハッとした顔になる。あの時の曲だとわかったのだろう。

一人で丁寧に、しかし力強く弦を弾く。

そして材木座のハイハットの音が微かに浮かび上がったと思うと、次の瞬間に戸塚のギターと川崎のベースが入り込む。

川崎のベースは正確なリズムで8分音符を刻み、戸塚のギターが生き物のように繊細なメロディを奏でる。

どの音も一年前よりもずっと鮮明に、そして上手くなっているのが俺でもわかった。



  思い違いは空のかなた

  さよならだけの人生か

  ほんの少しの未来は見えたのに

  さよならなんだ



一気にどの音も勢いを増し、音量が急激に上がる。

ふと、頭の中に月が浮かんだ。

その夜の月は一際綺麗で、それを背に立つ川崎の姿がどこか神聖なものに見えたものだ。

『おっ、そうだ。お前がさっき歌ってたのも教えてくれよ』

『ああ、あれはね、アジカンのソラニンって曲』

『あーそうだ。そんな名前だったな』

『やっぱり知っているんだ?』

『そりゃ有名だしな、それ』

『まぁ、そうだね……』

『……?』

『……あたしね、その曲がすごい好きなんだ』

『はぁ……』

『すごくカッコいいロックなのに、どこか切なくて……』




  昔 住んでた小さな部屋は

  今は他人が住んでんだ



今ここにいる人間は明日にはもうここにはいない。

そうしてみんながいなくなったあとで、ここを俺の知らない誰かが使うのだろう。

また平塚先生が新たなメンバーを集めて奉仕部を作るのかもしれない。あるいは全く違う用途で使われるのかもしれない。はたまたもう誰もここには来ないのかもしれない。

たとえどれでも、俺たちは、いない。



  君に言われた ひどい言葉も

  無駄な気がした毎日も



奉仕部での日々が頭の中に浮かんでは、消える。

初めてここに来た時のこと。

由比ヶ浜の依頼。そして戸塚や材木座が来て、川崎の問題があって。

遊戯部との対決や林間学校に文化祭。そして修学旅行と生徒会選挙。

あの時は辛かったとしても、今にしてみればどれも良い記憶のように思える。

そんなことを考えると胸の奥が詰まって声が出なくなってしまいそうな気がしたから、回想は頭から追い出した。



  あの時こうしてれば あの日に戻れれば

  あの頃の僕にはもう 戻れないよ






  たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする

  きっと悪い種が芽を出して

  もうさよならなんだ



間奏に入りふと後ろを向くと材木座が涼しい顔をして叩いているのが目に入った。前にやった時はここで苦労して必死になっていたというのに、なんだかんだこいつもそれなりにやってたんだな。浪人してなけりゃ褒めてたよ。

左を向くと戸塚の真剣な顔があった。しかし俺の視線に気付くとポロッと顔をほころばせる。……本当、いろんな意味で戸塚に会えて良かったと、心から思う。

そのまま振り向いて川崎の方を見ると、ずっと俺を見ていたのか視線がぶつかる。しかしお互いにそれで顔を背けたりはせず、川崎はどこかあたたかな眼差しを俺に向ける。

……てかそれもう親が子を見るそれに近いんですけど。お前は俺のかーちゃんかよ。

そして再びマイクに向き直ると雪ノ下はうつむき、由比ヶ浜はもう涙ぐんでいた。

でも違う。俺は二人にそんな顔をしてもらいたいんじゃない。

ただ後悔を伝えたいんじゃない。

罪の懺悔をしたいわけでもない。

俺がお前たちに伝えたいことは、そんなことじゃないんだ。



  寒い冬の冷えた缶コーヒー

  虹色の長いマフラー

  小走りで路地裏を抜けて

  思い出してみる



最後のサビに入り、思いっきり息を吸い込む。

隣にいる川崎が俺の声に重ねてハモる。




  たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする

  きっと悪い種が芽を出して

  もう さよならなんだ



弦が切れてしまうんじゃないかってくらいに強く弦を叩き、喉がそのまま潰れてしまうくらいに声を張り叫んだ。

ただ伝えるために。

この思いを、二人のために。

もうそれしか頭の中になかった。

他のことは全部消えてしまって、ただ今を叫ぶことしかできない。

失われた過去も、まだ見ぬ未来も、今はどうでもいい。



  さよなら それもいいさ

  どこかで元気でやれよ

  僕もどーにかやるさ

  そうするよ



叫び、六本の弦をただかき鳴らす。

バスドラムの音が心臓にまで届くくらい強く踏まれる。

隣のギターが耳を貫くように高く鳴り響く。

スライドとグリッサンドでベースの音が地を這うように動きまわる。

いつの間にか涙が頬をつたい、声もまともに出ていないことに気づいたが、それでも俺は歌い続けた。



そして、

すべての音が、

消えた。






『ごめん、なんて言葉にすればいいかわかんないけど、でもありがとう、ヒッキー』

いや、まぁ……。

『……それがあなたのこたえなのね』

答えって言えるようなもんじゃねぇよ。

『いえ、あなたはこたえてくれた。たとえそれが答えでなくても』

……?

『でも、きっと私はまだあなたのことも、私自身のことも許せない』

……だろうな。まだ俺だって完全に自分の中で決着が着いたわけじゃない。

『でも、あなたはこたえてくれたから、私も私なりに答えを探していくつもり。これが私のこたえよ』

『……たぶん、それはあたしもそうなのかな』

そうか。

『ねぇ、比企谷くん』

なんだ?

『もしもいつか、互いに互いを許せる日が来たらその時は――』



――

――――

「……さみぃ」

昼も過ぎた廊下はライブで火照った俺の身体から体温を根こそぎ奪っていく。

スネアドラムを抱えながら歩くその先を見る。

誰もいない。

顔を横に少し動かして窓から校庭を見てみる。

そこにも、誰も。

自分以外の人間が校内から消えてしまったんじゃないかという錯覚に陥る。

こんな光景は奉仕部の帰りに何度も見たはずなのに、そこに陽の光があるかどうかでこんなにも違って見えるのか。

自分たちがこの学校から卒業したという事実が改めて実感させられた。

「せーんぱい」

すると突然、甘い声とともに背中を軽く叩かれた。

「一色か。……ってなんでここに」

「まぁ、後片付けですよ。これでも生徒会長なので」

「へぇ、お疲れ様」

「一応先輩たちのためにいろいろやってたんですよ?」

「俺たちのために?」

「はい。言い出しっぺは葉山先輩ですが」

「葉山が?」

「先輩、心配じゃなかったんですか? 卒業式の後とはいっても、教室でライブなんて先生たちが黙ってるわけないじゃないですか」

「あー……」

そういえば気にしたこともなかったが一色の言葉はもっともだ。学校の端とはいえ教室でそんなことをやったら止められるか、少なくとも邪魔なしなんてありえない。

「それを葉山が……?」

「です♪」

「一体何を?」

「んふふー。知りたいですかー?」

一色は得意気に胸を張り口角を上げた。うわぁ、すごく悪いこと考えてそう。

「答えはですね、先生たちにはみんな体育館でスライドを見てもらってたんですよ」

「スライド?」

「写真とかを音楽に合わせてスクリーンとかに映すやつです」

あーあれか。よく文化祭とか結婚式とかの時にやるやつ。リア充の『俺たち青春してますー』みたいなのが鼻につく写真がよく出てくるから、俺の中の見ていて腹が立つ代物ランキングトップ10には入る。

「まぁ卒業式で先生たち向けのがメインなんですけど。それを体育館で見てもらってたら奉仕部の部室って結構距離があるから気付かれないかなって」

葉山先輩が、って一色は最後に付け足す。どこまでも葉山一筋ですかこの人は。

しかし俺たちの知らないところでそんなことがあったなんて気付かなかった。

「……すまねぇ」

「ホントですよー。結構大変だったんですからー」

「……なんちゃって」

「はっ?」

「いやー、まぁ大変は大変だったんですけど、その写真の選別とスライドの作成やったのわたしと葉山先輩で作業中は二人きりだったんですよー♪」

……なるほど。ほんのさっきまではこいついいやつなのかと思ってたけど、ちげぇわ。良い性格してるだけだわ。

「ですのでわたし的には全然オッケーでーす」

「お、おう……」

なんというか計算高いというかこの後輩は……。

「まぁ、ありがとよ」

「なんですかそれ口説いてるんですか。一瞬ときめきかけましたがごめんなさいやっぱり先輩とは無理です」

「礼を言っただけなのになんでそうなんだよ……」

本当、良い性格してるわ。

思わず苦笑いがこぼれる。

「そういうわけなので後片付け終わったらそっちの手伝いに来ますねー」

「おー、助かる」

――

――――

片付けもほとんど済み、他のやつらはみんな奉仕部の方の部室に集合している。まだ来ていない川崎を呼びに軽音部の部室に戻ると彼女は一人で窓から空を見上げていた。

「よぉ、川崎。お疲れ」

「あ、うん」

彼女の返事はどこか空返事で違和感があった。

「どうしたんだ?」

「……ううん。別に」

「はぁ……」

……てかこの部屋、俺と川崎しかいないんだけど。二人きりとか気まずいしなんかあれだし、早く連れてかないと。

「なら、早く行くぞ。戸塚たちが奉仕部で待ってる」

「うん……」

と口にはするけれども動く気配がない。

「川崎……?」

「……寂しいなって」

ポツリとつぶやいた言葉の意味を、俺は理解できなかった。

「なんかさ、当たり前のように来てたここに、もう来れないなんて」

「別に、来ようと思えば来れるだろ」

「そうだね。中学もそうだった。……でも、そうなると結局もう来ないんだよね」

「…………」

「時間が経ったら思い入れも何もかもが薄れて消えちゃって、いつしか寂しいとも思わなくなっちゃって」

彼女の指先が窓にそっと触れる。その声はどこまでも切なく儚げで、ほんのちょっとの拍子で消えてしまいそうに見えた。

「この学校の中がどんなだったかも少しずつ思い出せなくなって、大事だと思ってた人とも、だんだん会わなくなって」

「……まぁ、そういうのはよくあるよな」

「うん。よくあること」

彼女の言う『大事な人』とは誰のことだろうか。やはりあれだけ仲の良かった海老名さんのことを指しているのだろうか。

…………。

いや、わかってるんだけどさ。川崎が何が言いたいのかって。

……でも、それを信用できるかとなると話は別だ。




……悪かったな、由比ヶ浜。

『えっ?』

何回も呼びに来てくれたのに結局一度も行けなくて。

『ううん、いいよ。そのことはもう』

でも――。

『ヒッキーがああしなかったらあたしがやってたかもしれないし、ゆきのんだったかもしれない』

そんなことは――。

『あるよ。……だから、今の一言だけで十分だから。もう気にしないで』

……ありがとな。

『それと』

なんだよ?

『サキサキにちゃんと、伝えなきゃダメだよ』

なっ……一体何を……!

『いや、あんなに一緒にいたら普通に気付くし』

…………。

『……とにかく、いろいろがんばってね』




――

――――

初めは勘違いだと思った。

『あたしも、そう思うよ』

思わせぶりな言葉に対する自意識過剰なんだと。

でもそれは意識しないようにしようとすればするほどに肥大化していき、いつしか俺の意識の大部分を巣食うようになった。

そんな感情はずっと否定してきたのに、ふと自らを省みるとそこにはもう完全に落ちてしまった成れの果てがいた。

なぜだろう、と過去を見渡してみても答えは見つからない。

ただ、胸の中にくすぶる感情だけが姿を見せる。

そして思う。

この関係をいつまで続けていられるのかと。

もし許されるのならこの先も。

そんな願いが浮かんできてしまうのだ。

そうじゃない、こんなのは一時の気の迷いだと何度も自分に言い聞かせたが、俺の感情はもはや理性の言うことなど聞いてくれなかった。

だから……、今こそがその好機なのではないだろうか。

幸いこの部屋には俺と川崎以外は誰もいない。

奉仕部の部室の方にはかなり大勢いるしあのメンツだから五分や十分は話しているだろうから、ここにはまだ来ない。

さらに今日は卒業式でもう校内に人はほとんどいない。

だから――。

『友達じゃ……だめかな……』

「くっ……」

くそっ、何で今このタイミングでそれを思い出すんだよちくしょう。

――もしも、これが全部俺の勘違いで一人相撲だったら?

違う、そんなわけがない。川崎がそんなことをするやつか? この数ヶ月、俺は彼女のどこを見てきたんだ?

――だったら、俺はこの十八年間で何を学んできたんだ?

やめろ、黙れ。

――また自分の願望を押し付けているだけなんじゃないのか?

違う。

――勘違いした挙句、結局のところ、好かれているという事実が好きなだけなんじゃないのか?

そうじゃない。折本の時とは違う。






――じゃあ、何が違うんだ?





それを言葉に出来るんなら、苦労はしねぇよ。





もしかしたら本質的には折本に対して抱いた感情とさして変わらないのかもしれない。

俺が偽物と断じたものは、俺がそう信じたかっただけなのかもしれない。

でも、その答えを俺は知りようがないし、俺の取れる手段はただ一つ。

ただ自分の感じたものを信じるだけ。

その結果によってのみ、答えは見出すことができる。

と言うよりもうそれしか俺には手がない。

俺は考えに考え尽くした。理論においては恐らく極致にまで達していることだろう。

感情が理屈で説明できるならとっくに電脳化されている。平塚先生が口にしそうなセリフだ。

つまり、もうここまで来たら理屈は抜きにして、当たって砕けろってことだ。

「なぁ、川崎」

「なに?」

深くふかく、一度深呼吸をする。

なんで今日一日でこんなに緊張することが連続するんだか。気を張り詰めすぎてたぶん明日の俺はダルンダルンに緩んでいることだろうよ。

「あんたどう――」

言いかけた言葉は途中で途切れ、川崎は目を丸くした。俺の様子の変化に勘付いたのかもしれない。

「あ、あのさ……」

声が震える。

別に凝った言葉を用意したわけじゃない。

むしろ想いを伝えるにはこれ以上ないシンプルなものを選択したはずだ。

なのにこんなにも、俺の正気を奪う。

こんなんじゃダメだ。もっと落ち着いてきちんと言葉にしないと。

一度顔を下げて床を見ながら呼吸を整える。

ひっひっふー、ひっひっふー。これラマーズ法じゃねぇか。

……よし。って今ので呼吸整っちゃったのかよ。

もう一度顔を上げ、川崎と向き合う。

「川崎」

「は、はい」

俺の緊張が移ってしまったのか川崎の表情もこわばっている。

次の言葉を口にしたらどんな顔を、彼女はするのだろう。

驚くのだろうか、それとも軽蔑するような表情を浮かべるのだろうか。できれば後者は勘弁したいものだ。

今度は軽く息を吸い、そしてずっと前から決めてあった言葉をそのまま口にした。

するとそれは驚くほどにスムーズに言えた。

「俺はお前が好きだ」

お互いに何も言えなくなって固まってしまった。川崎は完全にフリーズして、川崎の反応を待っている俺も身動きがとれない。

しかし時間が経つにつれて川崎は俺の言った言葉の意味をようやく理解し始めたらしく、今度は顔がみるみる赤くなっていく。

そして彼女の目から一粒、涙がこぼれた。

「か、川崎……?」

その涙が何を意味しているのかがわからず、脳内がパニクる。まずい、これはまさか俺の勘違いだったのか?

そんな風にうろたえていると川崎が言葉を投げかけてきた。

「……ありがとう。すごく、嬉しい」

一度こぼれ始めて止まらなくなったらしい涙を拭いながら、それでも俺のために必死で笑おうとしてくれる彼女の姿はとてもいじらしくて、そして愛おしい。

「ごめん……。嬉しいのに、涙が止まらなくて……」

「い、いや……」

「あたしもね、あんたのこと……その…………好き」

胸の奥が一気に浮き上がるような感覚に襲われる。全くこうなるのを予想してなかったわけじゃない。むしろ冷静になって今までのことを考えればこの可能性のほうが圧倒的に高かった。

なのにかつてのトラウマが俺に嫌な未来ばかりを見せていたせいで、この今がただ嬉しい。

「はは……。笑いたいのに、ずっと、ずっと前からあたし……」

えっと……。どうしよう。こういう時ってどうすればいいんだ?

なんかドラマとかだと抱きしめてたりとかするような気がするけど、案の定俺にそんなことができるような甲斐性はない。

ならうん……できること言えばこれくらいか?

「!」

川崎の頭の上に手をそっと乗せて、軽く左右にさする。小町がいるおかげで得た数少ない対人スキルの一つだ。別名お兄ちゃんパワーともいう。

「嫌だったら言ってくれ……すぐに離す」

「……ううん、嫌じゃない」

川崎はそう言うと手を後ろに組んでそのまま頭を俺の胸に当てる。

「……ねぇ」

「な、何だ?」

「文化祭の時のこと、覚えてる?」

「文化祭……?」

俺の口調から何かを察しそのまま言葉を続ける。

「……やっぱり忘れてる」

クスッと小さな笑い声が聞こえた。

「言えば思い出すかな」

「えっ?」

川崎が一歩下がって涙で赤くなった目を軽くこすって、そしてまた笑った。

「サンキュー。愛してるよ、比企谷」

 それから時は流れて、比企谷家

「うーん……」

適当に本棚から取った小説を机に置く。最近は読む時間も減ったから本は買っても読まずにどんどん積まれていく。たまにの何もない休みにこうやって消化するのが数少ない楽しみだ。

まさか俺が結局まともなサラリーマンになっちまうとは……。いや、まぁ途中から薄々こうなると勘付いてはいたけどよ。

しかし目が疲れた。少し休憩にして適当に音楽でも掛けるとしよう。

パソコンをいじくってスピーカーから音が出るようにして、シャッフル再生を選択する。

そこで流れてきたイントロを耳にした瞬間、まるで自分が高校時代にタイムスリップしたような感覚に包まれた。

脳裏に浮かぶ古い日の記憶。

校舎の独特のにおい。

暖房が行き届いていなくて肌寒い教室。

電灯を消していて薄暗かった背景。

そして今でも思い出せるあのギターの弦を押さえる左手の感触。

これは……、そうだ、ソラニンだ。

「おーもいーちがいはー……」

何度も何度も練習して歌った曲だから今でも歌詞が浮かんでくる。

「……懐かしいな」

ガチャリ、というドアの音。

「あんたごはん……あら、ずいぶん懐かしいの聞いてるんだね」

ドアを開けたのはエプロンを着けた沙希だった。後ろで結んでいた髪は今は下ろしてロングにしていて、あの頃よりも落ち着いた印象を受ける。

「まぁな。お前も覚えてるんだな」

「そりゃね。というか元々あたしがやりたいって言った曲だし」

「そう言えばそうだったな」

「……懐かしいね。もうあれから何年経ったんだろ」

曲に誘われて沙希が部屋の中に入ってくる。あれ? 料理の方は大丈夫なんですかね?

「さぁな。もう数えたくもねぇよ」

俺たちは今や二人の子どもの親だし、上の方はもう高校二年だ。ちょうど俺がギターを始めた年齢と同じで、そう思うとなんだか奇妙に思われた。

「あたしもあんたももうおじさんとおばさんだもんね」

「あの頃は若かった」

「それはさすがにじじいくさいよ」

なんて言うと二人でクスクス笑う。こんな軽口を言い合っていて気づいたらこの歳だ。まさに光陰矢のごとしである。

「そんな思い出話はまた今度にして、そろそろ夕ごはんだから」

「わかった」

俺が応えるのを確認すると沙希は部屋から出て行った。まだ料理が残っているのだろう。

「たーとーえーばー、ゆるーいー、しーあーわーせーがー……」

じゃあ曲はもうすぐ終わるし、あと少ししたら行くとしよう

と、さっきまで読んでいた本を棚にしまおうと立ち上がった時、またドアが開いた。

「あれ? もう飯だぞ?」

部屋に入ってきたのは俺の息子だ。自分で言うのも何だが、びっくりするくらいに俺に似ていて困る。アホ毛も、気分が暗くなった時に腐る目も、見事に全部遺伝してしまった。

おかげで他の父親の疑いゼロだからありがたいっちゃありがたい話ではあるが。

しかし似ているのに、いや、似ているせいなのか最近はあまり話す機会がないし、こうやって俺の部屋に来るなんて滅多にあることじゃない。

「知ってる。……ちょっと前に親父が俺くらいの時の写真見たことあるんだけどさ」

「なんだよ突然」

「親父、昔バンドやってたんだ」

「えっ? あー。まぁ、ちょっとだけな。何の写真だ?」

「わからん。親父がギター弾いてたくらいしかわからない」

「……パソコンつけてるしちょっと見るか?」

「……じゃあ少し」

ハードディスクに保存されている膨大な情報の山から目当てのフォルダを探すのにそう時間はかからなかった。

「……あった。これだ」

サムネを確認して適当に開く。これは高校の時だな。

「本当に弾いてたんだ……」

「母さんともやってたんだぞ。あいつはベースだったけど」

「えっ、それ初耳なんだけど」

「あれ? 言ったことなかったか?」

「知らねぇよ……」

マジか。どっかで言ったつもりだったけど違ったのかもしれない。しかし今日はちょっとした回想デーみたいになっちゃってんな。

「ほら、こっちに写ってるのが母さんだ。この時はポニーテールだったんだよ。今は下ろしちゃって普通のロングだけど」

「本当だ……。てか二人ともすげぇ若い……」

「そりゃ父さんだって高校生の時代があったわけだからな」

それが今じゃ社畜となって二児の父になってるんだから、時間の流れって本当に怖い。

「……あれ? こっちの写真は――」

と、勝手に画像をクリックされるとそれは大学にいた時の写真だった。

「親父が……ドラム!?」

なんて素っ頓狂な声を上げる。なんだよ、そんなにイメージに合わないかよ。

「しかもギターとベースが女子でのスリーピースとか、親父……」

「いやいや。何だよその目は」

「しかも二人とも結構可愛いし、親父、実はやり手だったのか」

息子の目がどんどん腐っていく。こういうのを見ると昔の自分を見ているようだ。そんな様子が可笑しくて思わず口元がにやけた。

「誤解しているようだが、その二人とは別にそういうことがあったわけじゃないぞ。てかその時にはもう今の母さんと付き合ってたし」

「あー、そういえばそうかー。じゃあこの二人とは何もなかったのか?」

「何も……?」

その質問にどう答えていいかわからなくなり、パソコンの画面を見る。

そこには満面の笑顔でベースを弾くお団子頭の女の子と、長い髪の毛を後ろで縛って楽しそうにギターを弾く女の子と、腕の疲労に顔をしかめながらドラムを叩く俺の姿があった。




『ねぇ、比企谷くん』

なんだ?

『もしもいつか、互いに互いを許せる日が来たらその時は……』

その時は?

『その時は――』






「――また、バンドをしましょう」



「俺たちでバンド?」



「そうよ、今度こそね」









いつかの約束、覚えてる?





「……ま、いろいろあったんだよ」

「いろいろって?」

「気が向いたら話してやるよ。ほら、そろそろ行かないと母さんに怒られるぞ」

「…………」

パソコンをスリープにして画面の電源を切る。息子はどこか納得のいかない様子だが、まぁ今話すようなことじゃない。

あのことを話すのにはあまりにも時間が掛かるし、何よりもまず自分から話したいようなことでもないからな。

……でもいつか、こいつが酒を飲める歳になってどっかで呑みにでも行ったら、なんかの拍子にぽろりと漏らしちゃうかもしれん。

まぁ、その時はその時だ。

「もう電気消すぞ」

そう言うと息子は部屋から出たが、何か言いたいことがあるようだった。

「どうした?」

「……ちょっと頼みがあってさ」

「頼み?」

「親父、確かギターまだ持ってたよな?」

瞬間、強烈なデジャヴ。

もうあれから何十年も経つのに、その時のことが鮮明に思い出される。

そういえば、あの時の親父は……。

……そうか。こんな気持ちだったんだな。

今になってようやくわかる。

嬉しいような寂しいような、それでもって懐かしいような、そんないくつもの感情が心の中で混ざり合ってグチャグチャになる。

なるほど。だからあんな顔をしていたのか。

「……親父?」

長い間言葉を失っていたようで息子は怪訝な顔で俺に尋ねる。

「いや、なんでもねぇ。欲しいのか?」

「まぁちょっと必要でよ」

「……そうか」

ったく、ここまで一緒とは驚いたよ。その辺もやっぱり親子なんだなぁって思う。

もう少なくとも十年は弾いていないからちょっと今の状態では使いものにならないだろう。でも幸い、俺の数少ない交友関係の中にツテはある。たぶんあいつなら――。

「じゃあ一週間、待ってくれないか?」







Ending Theme

Kiss the Rain
Yiruma

https://www.youtube.com/watch?v=so6ExplQlaY

以上で終わりです。
こんな長いのを最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
前スレを立てたのが2014/11/05ということなので、一昨年から書き始めて一年四ヶ月かかっての完結となります。
最初の頃から読んでくださった方には本当に長い間お待たせいたしました。

あとサキサキ可愛い。

最後にセトリ載せておきます。

The Sound Of Silence / SIMON & GARFUNKEL
The Boxer / SIMON & GARFUNKEL

 一日目

The Beginning / ONE OK ROCK
スターフィッシュ / ELLEGARDEN

スターラブレイション / ケラケラ
魔法のコトバ / スピッツ

世界をかえさせておくれよ / サンボマスター
今すぐkiss me / LINDBERG
一雫 / ZONE

Wednesday Morning 3 A.M. / SIMON & GARFUNKEL

そばかす / JUDY AND MARY
新しい文明開化 / 東京事変

 昔

Eye Of The Tiger / Survivor
Livin' on a player / Bon Jovi

 二日目

世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ / サンボマスター

Raxanne / The Police
Every breath you take / The Police

No reason / SUM41
With me / SUM41

フレンズ / REBECCA
Don't cry anymore / miwa

ソラニン / ASIAN KUNG-FU GENERATION

お疲れ様でした
本当に素晴らしいです…

お疲れ様です
いい話でした

乙です

乙です。完結してよかったわ

お疲れ様でした

乙!めっちゃよかった!
最近ずっと楽しみにしながらすごせたよ!
ありがとう!

たくさん感想ありがとうございます。
本当にすごく嬉しいです。自分も終わらせられてよかったって思います。
ついでに過去作も載せとくので良かったら読んでみてください。

八幡「やはり俺の世にも奇妙な物語は間違っている」

八幡「やはり俺の世にも奇妙な物語はまちがっている」いろは「特別編ですよ、先輩!」

八幡「はぁ、だりぃな……」葉山「やった!!」

八幡「はぁ……」戸塚「どうしたの?」葉山「やった!!」

八幡「嘘だろ……小町が……?」

八幡「はぁ、小町……」??「やった!!」

八播「誰かが俺のことを呼んでいる」??「ねぇ」【俺ガイル】

八幡「気の向くまま過ごしてた二人だから」雪乃「そうね」

雪乃「安価で比企谷君を更生させましょう」 八幡「はぁ?」

【俺ガイル×世にも】八幡「諸行無常……ってそれは違うだろ」

いろは「私、先輩のことが、好きです」八幡「……えっ?」

八幡「一色が死んだって……?」

あと、今こんなのも書いているのでこちらも良かったらぜひ。

結衣「うたかた花火」 【俺ガイル】
結衣「うたかた花火」 【俺ガイル】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1452180680/)

今さら気づいた…23時の人だったんか?

全部みたやつで草

乙です

本当にお疲れ様
諦めずに書いてくれて感謝

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年03月05日 (土) 01:22:52   ID: Vou7i6Hi

続き

2 :  SS好きの774さん   2016年03月15日 (火) 00:18:49   ID: xzDLVrmA

これサキサキルート入って終わり?

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