妹「やあ、お兄…ちゃん」 男「……おう」 (7)

男「……」

黙々と週刊誌を眺める30そこそこの男。
着ている紺のスーツはまだ初々しく、シワのない、所有者の几帳面な性格が滲み出ているようだ。

男「へえ。あの野球選手、毎晩ホテル街に繰り出してるのか」

男「まったく、上昇していく人生でいいね」

実は、この独り言は、自宅で呟かれているのではない。
電車の中で呟かれている。
それなら、必然、

女 (変な人と乗り合わせた)

不審に思われるだろう。
ましてや、今は深夜22:00。確実に怪しまれる。

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そんなものは露知らず、男はそれを読み漁る。

男「へえ、これはまた。大物芸人、裏の顔ってか」

女 (あ、それ気になる)

女は男の対面の席に座っていたが、
もて余していた携帯端末を横に置き、今までもより男の声に耳を傾ける。

男「何々、夜な夜な……」

男は声に出して読む。普段からそうしているのだろう。
味わうように読み進める。

女 (夜な夜な?)

女も前のめりになっていく。

男「……」

女「?」

男が黙った。

男「……」

女 (え、どうしたの?)

今までも不審だったが、
急に黙すると更に不審である。が、幸い社内にはこの変わり者二人のほか、乗客は居ない。

男「……」

女 (どうしたんだろうか)

女の興味は目の前の男に向けられる。
何故そんな変わったことをするのか、男は何者なのか、年は若く見えるがいくつか、出身校はーーーー

女 (どうしてこんなに気になるんだろう。まさか)

女は真上を見上げる。

女 (これが、恋か)

全くおかしな恋の始まりである。
だが、更におかしいのがこの対面の男。
週刊誌に預けていた視線を、目の前のグレーのスーツに身を包んだ女性に奪われていた。

男 (変な人と乗り合わせた)

どの口が言うか。
今しがた、己が無意識にとっていた行動を思い起こしてほしいと切に願う。

男・女 (気になる)

全くおかしな二人がここに出逢った。

女 (それで、大物芸人がどうしたんだろう)

女は顔をしかめる。そんなに気になるなら自分で買えという話だ。

男「……つまらない。次、次」

パラパラとページを捲る。
その様子を、犬が餌を前にしてお預けをくらった時のような顔をして、女が見ていた。

女 (じ、自分が良ければそれでいいのか。あなたがつまらなくとも、私にとってはーーーー)

などと、随分と身勝手なことを考えている。
両者の間に、不思議な空気が立ち込めた。


「えー、次はーーーー。次はーーーー。」

男が週刊誌を顔に被せ視界を回線切断していたころ、女もまた電車の座席にごろん、とねっころがっていた。

そんな二人の空間にされた車内、車掌の気だるげ(に聞こえるが、これは実際至極正しい発声方法)なアナウンスが響く。

男「ん、寝てたか」

男が目を覚ます。

男「今なに駅と言っていたんだろう。乗り過ごしとかは嫌だな」

相も変わらずうるさいこの男は、車内全体に視線を移す。
すると、いつの間に入ってきたのか、ポニーテールの若い女が奥に座っていた。

少女 (変人その1がこっち見てる……)

少女は酷く怪しんだ。
それもそうだ。電車に乗り込んだところ、目に入ったのはこの二人なのだから。
ちなみに、言わずもがな変人その2は、寝ている間に寝にくいのか体勢を何度も変えている女である。

男「あのー、ちょっと御聞きしていいですか」

その変人に声をかけられた。

少女「何ですか」

鞄の奥のスタンガンを握りしめて答える。

男「今、なに駅って言ってたか、分かりますか」

少女は顔を伏せる。
ごく普通の質問だが、やはり言葉とは使っている者による。
現に、少女にとっては不快な発言に思えた。

少女 (話し掛けないでよ、おっさん……)

答える筋合いは無いだろう。
そう考え、少女は先程から読み進めている小説に目を落とした。

男 (あ、無視されたか)

この男は酷く心の太い男である。
悄気る素振りも見せず、どうしたものかと困惑している。

男「まあ、いいか」

しかしその素振りを見せたのは一瞬で、
すぐに寝る姿勢に入った。

女「すー…ぐおっ」

男「……」ウトウト

少女「……にへっ」ヨミヨミ

車内は異様な空気に包まれている。
男と女は公共の場ですっかり眠りこけて、少女は猟奇的な事柄を描いた書物を眺めては、時おり恍惚の表情をする……。

少年 (怖い)

そんななか、隣の車両から一人、誰も居ない孤独に耐えかねて移ってきた者がいた。
現在、車内に人は数人。そのうちの九割が、ここに集った。

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