範馬勇次郎「時速5000キロメートルッッッ!!!」 (1000)

バ バ バ バ バ バ バ バ




その日、東京上空で…



ストライダム「~~~~~~ッッッ」



それは勃発した

いや…厳密にいえば東京上空のヘリコプターの機内で

更に厳密に言えば…それは既に…





範馬勇次郎「……………」






この漢の中で開始まっていたッッ!!!

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ストライダム「ゆ……勇次郎ォ…」



ストライダム(いきなり我々を叩き起こして前置きも無く、ヘリを飛ばせと言われたので飛ばしてみたら…)

ストライダム(これは…)


勇次郎「…………」


ストライダム(まさか……ッッ)ゴクリ…


勇次郎「止めろ」

ストライダム「!?」

勇次郎「聞こえねェか」

ストライダム「ワ…ワカってる。ここで高度を維持しろ」

パイロット「イエッサ…」


勇次郎「…」ガラッ


パイロット(ッッ……ドアを開けた音? エ?何?何する気!?)


ストライダム「な、なァ、オーガ。口煩い事を言うようでワルいんだが…バキと闘ってまだ一年と経ってないじゃないか。何も焦る事は無い。君を満足させる相手もいつかはまた…」

勇次郎「そうじゃねェ…」

ストライダム「え?」

勇次郎「ヤらなきゃならなくなっちまったんだよ…」クスクス

ストライダム「やるって…何を…?」

勇次郎「バキは曲がりなりにもこの範馬勇次郎を相手取り、引き分けに持ち込んだ。ヤツの骨が割れ、肉が軋み、内臓が悲鳴を上げ、俺の負傷が鼻血程度であったとしても……ヤツは事実、俺に席を譲らせている」

ストライダム「?」

勇次郎「二物が頂点を占める事は無い。両者共に競い合い、やがて食い合うのが自然の摂理」

勇次郎「ならば生来の暴力ではなく、日々の努力…研鑽とやらがモノを言う事ケースもある」

勇次郎「それが野郎の論調の一つだ」

ストライダム「…………まァ、そうだが」

勇次郎「じゃあそれに乗ってやるのも親心じゃねェか」クスッ

勇次郎「……って言うかよォ」

勇次郎「一度やってみたかったんだよ…クッション、命綱、パラシュート無しの」


完全無欠の自由落下ッッ!


ストライダム「!!?NOッッッ!ユージローNOーーッッッ!!」

しかも…


ド ギ ャ ッ !


助走付きッッッ!!

踏切を渡る瞬間、彼女は僕とすれ違った
その時、僕はその人が誰なのか分かった

でも、僕の足は止まらなかった
振り返る事が出来なかった。僕自身ですらも、まだ信じられなかったから

彼女がここにいる筈が無い。そう思っていた

だから僕は、煙を出してフラフラ揺れるヘリコプターを遠くに見ながら、何も出来ず、ただ黙って立っていたんだ
胸を思い出に強く締め付けられるのを感じながら…

でも、そんな考えも頭からすっ飛んでしまうような事が、その時起きた


ド ワ ッ シ ャ ア ア ン !



聞いたことの無いくらい、それこそ耳が痛くなる程の音が背中からぶつかって来て、驚いて振り向いたら、そこにはV字型に歪んで塔のようになった回送電車と


勇次郎「………」ジャリ…


塔のV字の谷間に減り込む、むかし読んだ本に出てきそうな、恐ろしい何かがいた


貴樹「え……あ……」



何が起きたかも分からない僕の目の前に


ズ ン !


その男は立った

勇次郎「………」コキッ コキッ


首を鳴らして、まるで体操でもした後のように息を吐く、僕より頭3つ程大きいその男を前にしても、不思議と僕に恐怖感は無かった
きっとあの時は、目の前の光景は夢か何かだと思っていたんだと、今は思う

変なヘリコプターも、この電車も
この男も、あの人も…

どう考えても有り得ない事だらけで、僕は自分の正気を疑っていた。何もかもが嫌になってたから。日常の何もかもが、僕を置いて行ってしまっている気がしていたから、とうとう僕はどうにかなってしまったんだ、と


勇次郎「ほう」


でも男は夢じゃなかった


勇次郎「逃げねェのか」

貴樹「………」

顔も身体も間違いなく本物で、焦げついた臭いもする。僕は急に恐ろしくなって逃げようとした

でも逃げられなかった。男の全てが恐ろし過ぎて、目線さえ外せなかった

勇次郎「通るぜ」ズチャ


貴樹「!!」


濃密な空気…まるで油のような重い空気に押され、僕は尻餅をついてしてしまった
男はそんな僕には見向きもせず、フッと消えてしまった

何が現実に起こっているのか判断が付かない僕は、ただ唖然としていた



電車を囲む人垣に、ずっと探していたあの人を見るまでは


明里「…………」



彼女…いや、明里を見た瞬間、昨日まで僕を被っていた暗い何かは消えて、代わりにあの日から今日までずっと抑え込んできた思いが一気に噴き出してきた

からっぽになってた心に、懐かしさとか、嬉しさとか、温かさとかが満ちていく感じがした


貴樹「ぁ…あか…」


明里の名前を呼びたかった
でも声が出ない
さっきまでの恐怖と今の状況に対応できず、心も身体もパニックを起こしてるって自分でも分かった

明里「……貴樹、君…?」

明里が呟いた瞬間…

警官1「ハイどいてどいてェ!!危ないよッ!」

警官2「状況保存しろよ!誰にも変えさせんなァ!」

警官3「下がって!!危ないですよォ!」

警官隊が人垣を割ってなだれ込んできた。崩れる人垣の周りにはパトカーがいくつも停まり、中には見たことの無い車も見えた


座り込んでいた僕は人垣の外に追い出され、警官の一人に毛布を被せられた
多分色々聞かれたと思うけど、その時自分が何て言ったのかはよく思い出せない。とにかく「明里…明里は…」とか言っていたと思う

そんな僕から警官が去って、疲れ切った僕がガードレールに座って一人でまた呆然としていると、明里が近付いてきた

明里は僕の隣に座ると、恐る恐るという感じで、話し掛けてきた



明里「貴樹君…だよね…?」



僕は頷いた

すると明里は、僕の手を優しく取り、両手に握った

僕は何も言えなかった

さっきまでのゴタゴタなんてどうでも良くなり、明里の手に嵌めてある結婚指輪なんて気にもできなかった

とめどなく溢れる涙と蘇る思い出が、僕に「元気だった?」の一言も喋らせてはくれなかった

何分か経ってひとしきり泣き終わったあと、僕は明里に「もういいよ。だいぶ落ち着いた」と言った
その声は弱々しかったと思うけど、明里にはちゃんと聞こえてたみたいだった


明里「もういい?」

貴樹「うん…ごめん、ちょっと…」

明里「あっ…うん」

泣き止んでみると途端に毛恥ずかしくなり、僕は喋れなくなった
明里も何を話したらいいのか分からないらしく、お互い黙ったまま、結構な時間が経った

そして時間が経つ毎に、僕の恥ずかしさは増していった
思えば何故あんなに子供みたいに泣いてしまったのか、僕は自分のやった事を後悔し始めていた

後悔したところで、もう過ぎてしまった事だけれど





ストライダム「ソーリー…」ボロボロ


明里「わっ…」

貴樹「え?」

ストライダム「まさかこんな事になるとは…いや想像はしていたが申し訳ナイ。軍関係者として謝罪したい……」ペコリ

貴樹「……軍…?」

明里「?」

ストライダム「この事故……イヤ、この『天災』における出費はすべて当局が負担する。コレらの書類にサインした上で、徳川財閥への被害額の請求を行ってほしい」サッ

貴樹「被害額って…別に大した被害は受けてな…」

ストライダム「イイカラッ!」

貴樹「………」

最初は事件現場を埋め尽くしていた人混みも、警官隊の手によってあっという間に散らされ、数を減らしていった

ドラマで見た事のある黄色いテープが、現場を囲むように貼り巡らされ、テープの中と外で警察は慌ただしく動いていた

その中に、ちらほらと銃を持ったいかにもな軍人も混ざっていたのを見て、時間が経ったせいもあるけど、僕は目の前の出来事が、全部現実だったという事をやっと実感し始めて、怖くなっていた

でも予想と違って、何人かの警官達に連れていかれ「事情聴取」…みたいな事にはならなかった。むしろ警官の一人に、邪魔だからあっちへ行けと言われてしまった

あの軍人達は何なのかと訪ねても、余計な詮索はするなと追い返される

事故についての説明も特にない

あの黒い大男は何者だったのか、誰も何も言わなかった




明里「ねえ…」


貴樹「うん?」

明里「…久しぶり、だね…」

貴樹「………」

明里「………」


貴樹「…うん…久しぶり」

明里「私…」

貴樹「………」

明里「ううん、ごめん…やっぱり何でもない」

貴樹「いや良いよ…結婚、したんだよね…いいことだよ」


気の利いた言葉が浮かばない
色々な物が心から溢れすぎて、何の整理も出来ない
明里を責めてるみたな言い方になっていないか、不安だった


明里「………」

貴樹「………」


明里「私、覚えてた……貴樹君との約束」

貴樹「!」

明里の言葉を聞いて、僕の心が一瞬跳ねた


明里「何度も来てみたの、ここに。でも、やっぱり貴樹君はいなかった」

貴樹「………」

明里「だから、すれ違った時も、また違うんじゃないかって思って」

明里「でも…今度は貴樹君なんじゃないかって、思ってもいて…」

貴樹「………」

明里「でも、凄い音がして…ごめん、変だよねこんな話」


貴樹「変じゃないよ」


明里「えっ…」

貴樹「僕も思ってた。いつか会えるんじゃないかって」

明里「貴樹君…」

貴樹「でも……さっきの事故が無かったら、僕もきっと、あのまま行ってしまっていたと思う」

いや違う、そうじゃない
僕が言いたいのはそんな事じゃない
もっと大切な、もっと言わなきゃいけない言葉があった


貴樹「僕、会いたかったんだ、明里に……」

明里「………」

貴樹「ずっと会いたかった」

明里「……うん、私も」

貴樹「僕は…」


そのずっと言えなかった言葉を、僕は言った

もうなにもかも遅いって分かってるのに
いや、遅かったからこそ、きっと言えたんだ



貴樹「僕は明里の事、好きだったんだ」



明里はしばらく何も言わず、後から小さな声で


明里「…私も…」


と、言った
私も好きだったって意味だって分かった
だけど「好きだった」と言われてたら、きっと僕はまた泣いてしまっていたと思う

でも、明里の言葉を聞いて、ボロボロに腐ってたつっかえ棒が僕の心から取れて、そこに光が射したような、そんな気持ちがした


貴樹「…ありがとう…」

明里「ううん、いいよ」

貴樹「………」


貴樹「………ふふっ、なんだか変な事もあるよね」

明里「?」

重い何かが全部外れた気がして、僕の声は自然と明るくなっていた
今まで何を背負っていたのか、もう忘れてしまってた

貴樹「不謹慎かもしれないけど、だって普通有り得ないじゃないか。こんなタイミングで、あんなとんでもない事が起きるなんてさ」

明里「えっ…あ、うん、そうだね…なんでだろ…」ハハ

明里も笑ってる


貴樹「明里、元気だった?」

言いたかった事の二つ目も言えた


明里「うん。貴樹君は?」

貴樹「うーん……あんまり、かなぁ」

明里「あんまり?」

貴樹「いや…彼女いたんだけど、フラれちゃってさ」

明里「あっ……ごめん、聞いちゃいけなかったよね?」

貴樹「いいよ、もう過ぎた事だし。きっとそういう巡り会わせだったんだ」


明里には少し謝り癖が付いたかもしれない

僕らは沢山話した
仕事はどうだとか、最近ハマってる事は何だとか
好きな芸能人は誰かとか、近所であった面白い話とか

話せば話すほど、昨日までの僕がどんなに無為に生きてきたのかが分かって、なんだか肩身が狭いなぁと苦笑してしまう

明里はもう新しい人生を歩んでいたのに、僕は止まったままだった
一度付いた傷は治らないけれど、それでも人生は続くって、明里は分かっていたんだ


明里「ホントに、不思議だよね…」

貴樹「うん、本当にびっくりしたよ」

気付けばまた事故の話になっていた
明里の話によると、この事故での死者はいないらしい

「念の為に無人車両にしておけと上から言われまして…」と、警官に語る、頭に包帯を巻いた車掌の話声を、明里は聞いていたようだった


貴樹「無人電車って…何で?」

明里「さあ、私もよく分からないけど……うーん…」


二人で考えても、当たり前だけど答えなんて出なかった
でも一緒に考えてるこの時間も、何だか楽しかった

貴樹「あっ、ごめん!」

明里「え? 何が?」

いきなり焦り始めた僕の様子を見て、明里は鳩に突かれたような顔をした

貴樹「明里、今日、用事とかないの…?」

明里「?」

貴樹「………今日」

明里「……!! あーーっ!大変!そうだった!忘れてた!」

貴樹「あれ、忘れてた?」

明里「う、うん…どうしよう…まだ連絡してないし…」


どういう用事かは詮索しなかった
そこまで聞いていいのは明里の夫だけだと思って、聞かなかった
少し寂しいけれど、それが夫婦と他人の違いだ

明里「ううー…どうしよう…まずいよー…」アセアセ

貴樹「まあ、話せば分かってくれるよ。だってホラ」

そう言って、僕は塔のようにそびえ立つ電車を指差した
明里はその電車を見て「うわあ…」って顔をしたあと「まぁ…分かってくれる、かな…」と呟いてた

貴樹「あはは…」

明里「? もう、何?私結構真剣に悩んでるんだけど?」


ムッとした顔で明里が文句を言ってきた
でも、その顔も僕には面白かった

もう何年も人の顔に表情を見ていなかった僕にとって、好きだった人の百面相はとても新鮮で、とても楽しげに見えたからだ

明里「ちょっとー笑わないでよー」ムカムカ

貴樹「ごめんごめん、ちょっと思い出し笑い、ふふふ」

明里「もう……あ、そうだ、ちょっといい」

貴樹「何?」

明里「別れる前にさ、携帯の番号とか、いい?」

貴樹「えっ!?」



明里「………」



貴樹「……いいの?…それって…」



明里「だって、ここで別れちゃったら…もう、二度と会えなくなるかもしれないから…」


明里「私は結婚してるけど、友達と縁を切るなんて…私、できないよ」

貴樹「………」

貴樹「嬉しい…凄く嬉しいけど、僕は…」

明里「大丈夫、彼とも話すから」

明里「っていうか、彼、貴樹君の事知ってるよ?」

貴樹「へ?」

明里「なんか引きずってるみたいだから、洗いざらい聞かせて欲しいって言われて、それでね。……まぁ、仕方なくだけどね」アハハ

貴樹「そ、そうなんだ…」


僕にも、そんな人がいた。隠してた思いに気付いていた人が
でも、彼女は僕にそんな事言わなかったし、僕もそんな事話せなかった

明里、君の相手が君に合う人で本当によかった


明里「はいコレ、私の番号」

貴樹「う、うん」


でもいまいち実感が湧かない
フワフワと浮足立って、落ち着かない
なんとなく夢心地のまま、僕は財布を開けて名刺を渡した

もうその会社辞めちゃったけど、携帯番号は変えてないからね


明里「うん、ありがとう」

貴樹「………」

明里「じゃあ、えっと…私、行くね」

貴樹「うん」


踵を返して明里は歩き出す
遠ざかる後ろ姿を見て、僕は思い出した
あの夏の踏切へ駆けてく、明里の姿を


貴樹「あ…明里!」


明里「? なーに?」


貴樹「…ま、また!」



大の男が、大人になって「またね」は恥ずかしけれど、「また明日」って言うのもおかしい
だから「また」としか言えなかった


明里「………」



明里「うん!またね!」





そう言って、明里は歩いていった

家に帰った僕は、夕食や入浴もそこそこに床についた
家の中は静かで、華やかさのかけらも無い

でも、そこにいるのが前ほど苦にならなくなってた
相変わらず寂しい我が家だけど、昨日よりいるのが辛くない

僕は布団に包まり、今日起きた目まぐるしい事件を、頭の中で反芻する


明里が僕とすれ違った時は、まさかこんな事になるとは思わなかった。多分、お互いに

大きな音がして、振り返ってみれば大きな電車が二台、折れ曲がって立っているなんて。そんな場所で好きだった人と出会うなんて、きっと誰にも想像すらできない

このまま眠って、朝になれば今日起きた事の全てが無くなっているんじゃないか
そんな気さえしてくる
でも、僕は確かに言えた
明里に気持ちを伝える事が出来た

それだけで、十分に救われた気がした


でも、僕の名前を出して、本当に良かったんだろうか
相手に嫌われたりしないだろうか
それだけが気掛かりで、どうにも寝付きが悪い

そして、それ以上の大きな疑問が、僕を寝かせてくれない




電車から出てきたあの男は、一体何者なんだろう



初めに見た時、その身体の余りの大きさに、熊か何かだと思ってしまったけれど
よくよく見ると人で、でも…何か常軌を逸しているように見えて…

とにかく猛獣でも見ているかのような感覚だった

あの人は一体…


国会議事堂の中

衆議院…参議院…

与党…野党に拘わらず

あらゆるトップ、あらゆる権力者達が


ある男を中心に額を床に擦り付け、全員平伏していたッッ!!



勇次郎「てめェ…どういうつもりだ…」


亜部総理「どういうつもりも…その、見ての通りといいますか…」

勇次郎「キサマ…」ギワァ

亜部「~~~~~~~ッッッッッ!!!」

勇次郎「日頃恐れる俺を前にして、よくぞこのような怠惰を…ッッ」

亜部「たッ……怠惰と言いますと…?」

勇次郎「一国の権力者が、千恵も力も振るう事を早々に諦め、たかが一国民である俺に自粛を懇願するなど言語道断」

勇次郎「恥を知れ」


亜部「おッ、お待ちくださいッッせめて説明をばァ!!」


勇次郎「………」


亜部「わ…我々政治家というのは、永遠に互いを牽制し続けなければ立場を保てません…」

亜部「買収、風評流布、情報の削除、とにかく何をしてでも政敵の足を引っ張り、我が身を守ってきました」

亜部「しかし、そんな烏合の衆も、こと貴方に関してだけは意見が一致している…ッッ」

亜部「貴方はこの国にとっての内外圧の究極形だ…そんな貴方に我々が勝てるハズが無い…しかし貴方が本気で行う鍛練を止めるなど、自衛隊をもってしても不可能…」

亜部「ならば出来る事は「お願い」のみッッ!ですからッ!ですからどうかッッ!!」ガバッ

亜部「どうか鍛練は国外でやって下さいッッッ!!!」


勇次郎「…………」


亜部「………………ッッッ」プルプル




勇次郎「頼むという行為が強要に変じる条件を、よもや知らぬワケではあるまい」クスクス


亜部「………………?」




勇次郎「却下」




亜部「~~~~~~~~~~ッッッッ!!!??」

貴樹「ん……」バサッ

貴樹(あぁ…朝か…)


カーテンの間から差し込む朝日が眩しく、僕はけだるさを覚えながらも起きて、鳴らない目覚ましを見てため息を吐いた
起きても向かう職場なんてないのに、なんで起きたんだろうと

貴樹「!」

そしてふと昨日の事件を思い出して、携帯を開いた


貴樹「!……よかった…」


携帯には明里の電話番号がちゃんと記録されていた
よかった、夢じゃなかったんだと一安心。次はテレビを付けて、昨日の事件がニュースになってないかをチェックした


貴樹「うわ……」カチカチ


どのチャンネルも事件の事しかやってない

他にあるニュースと言えば、総理大臣が議員解散をすると言い出して、問題になってる事くらいだ

僕は目覚ましも兼ねて、自販機にコーヒーを買いに行こうと、玄関に向かった

貴樹「?」

でも玄関のドアは開けず、代わりに投函口に落ちている紙を拾った

紙を見ながら部屋に戻り、僕はパソコンと携帯を開いて、両方のメール欄を見た。そこには、覚えの無いアドレスからのメールが、それぞれ一件ずつ受信されていた

メールの内容は

「昨日の事件での被害に対して、当方で埋め合わせをしたい。地図も送付するので是非来てもらいたい」

という物だったけど、僕は埋め合わせ以前に被害にほとんどあってない
怪我もしてないし、メールの相手が誰かも知らない
何より連絡先を教えた事も無い相手からのメールが、とても味悪かった

だからこそなのか、相手の正体が無性に気になった僕は、メールの中に聞き覚えのある単語を見つける


貴樹「徳川財閥?」


昨日の軍人風の外国人が言っていた単語だった
聞いたことの無い組織って訳じゃない。名前だけはちょくちょく職場で聞いていた

でもそこがどんな所なのか、何をしている財閥なのかは全く知らない


貯金はそれなりにあり、時間もたっぷりあった僕は、軽い気持ちで「埋め合わせ」って言われてる物が何なのか確かめに行った

×味悪かった
○気味悪かった

切符を買ってバスに乗る。ただそれだけでも新鮮だった

そこかしこに貼ってあるチラシの内容なんて、今までまったく記憶に留めておかなかった。
10秒もすれば忘れ、知るもの全てがどうでもよかった

でも今は違う。どうでもいい物なんて、無いように思えた


貴樹(知らない事ばっかりだ。時間って結構早く流れるんだな…)


そんな事を考えながら、バスにしばらく揺られていると、ビルにある大型スクリーンからの記事が目に入った


『新事実!犯人はあの親子!?』
『電車に人型の墜落痕。政府に真相を知る者あり!?』



貴樹「えっ?」

つい声がでてしまった
本当に訳の分からないニュースだった

貴樹(人型…墜落痕って…)

貴樹(じゃあ、あれは…)

貴樹(あの事故って、まさかあの人が…電車に落ちてきて…?)



突然、手足が震えるのを感じた
背中がぞぞぞっと寒くなって、とても嫌な想像をしてしまった

でも、本当に寒気がしたのはその想像じゃない

あの男なら本当に出来そうだと、普通に思えてしまうのが怖かった


東京ドーム


貴樹(でっかいなぁ……そう言えば、東京ドームって初めて来たかもしれない)

貴樹(……でも、何でここなんだろう)


黒服「貴樹様でいらっしゃいますね」


貴樹「!? は、はいっ」

黒服「こちらへ」

貴樹「………」


貴樹(ヤクザとかじゃ、ないよな…)


黒服「ご安心下さい。徳川財閥はその筋の者の扱いに長けております。貴方に悪事を為すような輩などは、ここにはございません」

貴樹「そ、そう…ですか」


貴樹(どうしよう、凄く帰りたくなってきた…)


僕は東京ドームに入った
正直、奥に進めば進むほど、帰りたいという思いが強くなっていった

黒いスーツの男は僕の先を歩き、ドアを開け、階段を上り、どんどん奥へと進んで行く
そして、広いなんてもんじゃない広大な空間に出た

そこはテレビのチャンネルを回せば、必ず一日に一度は目にするような場所だった


老人「おォ、よく来たの。さーさー座って」


野球場の客席に座っているお爺さんに促され、僕はお爺さんの隣に座った
それを見届けた黒いスーツの男は、一度礼をすると、元来た道を戻っていった


老人「話は聞いておるよ……貴樹君、キミは大変な胆力を持っておるそうじゃないか」

胆力?
何を言ってるのか分からない。何の話をしているんだろう

老人「あ、イヤイヤすまん。自己紹介とやらにはどーにも慣れなくてのう」

老人「わしは徳川光成。徳川財閥13代目当主じゃ」


13代目当主…?
…ってことは、この人が徳川財閥のトップ?


貴樹「あっ、すみませんっ、こちらこそよろ…」

徳川「良いって良いって。キミはもう会社の人間じゃないんだから、名刺だの自己紹介だのいらんじゃないか」カッカッカ

貴樹「あっ…すみません、つい癖で…あの、ですが」

徳川「さてッ、では何故キミをここに呼んだかという話じゃが…」


…押しが強い人だなぁ、この人


徳川「あの男を前にしても、一歩も引かなかったそうじゃないか」

貴樹「え?」


徳川「こんな若者がのォ……」


貴樹「………」



この人…何か誤解してるんじゃないか?

徳川「中々おらん…特にキミのようなごく普通の青年が、あの男の前で逃げずに立っていられる……なんて言うのはのう」

徳川「大変素晴らしい。わしはその偉業をど~~しても讃えたかったんじゃよッ」


…まずい、やっぱり誤解してる
僕はそんな凄そうな男じゃない
なんとかしないと…


貴樹「あの…僕、そんなつもりじゃなかったんです」

徳川「あ?」

貴樹「あの時は、怖くて動けなかったんです…その…なんていうか、金縛りって言うのも変ですけど、本当に動けなかったんです」

貴樹「逃げる事も出来なかったんです…自分の身体じゃないみたいで」

貴樹「それに、僕は徳川さんの言うような、そんな人間じゃないです」

貴樹「強いとか、度胸があるとか……僕には、あまり…」


そうだ、僕にそんな強さはない。度胸があったら、家なり大学なり飛び出して、明里を探しにだって行けたはずだ
強さがあったら、例えどんな犠牲を払ってでも、見つけるまで帰らないって選択肢もあったはずなんだ

でも、僕はそうしなかった
無理だって分かってたから
人には、出来る事より、出来ない事の方が多いんだ



徳川「……フム」

貴樹「………」


徳川「原石を見つけたと思ったんだがのォ…やはり耳で聞くより、本人に会わなきゃ何も分からんか」

徳川「ところで貴樹君、キミに夢はあるかな?」

貴樹「? なんですか、急に」

徳川「ただ聞いとるだけじゃ、深い意味は無い」

貴樹「……それって将来の夢って事ですか?」

徳川「そうじゃ」

貴樹「………」



将来の夢…
そういえば、真剣に考えた事はなかったな

いや、あった
考えた事はある

だけど、それはもう…

貴樹「…昔はありました」

貴樹「好きな人と一緒に幸せな毎日を送るっていう、普通の夢でしたけど」

徳川「叶えたかね?」

貴樹「いえ、叶いませんでした……というか、本当にそれを望んでたのか、今では分からないんです」

徳川「ホー……というのは?」

貴樹「最近、その好きな人と再会出来たんですが」

貴樹「そしたら…」

徳川「満たされてしまった、と?」


貴樹「………」コクッ


徳川「………」

貴樹「…彼女は、もう結婚してたんです。旦那さんも良い人そうで」

貴樹「何より、彼女の笑顔をもう一度見れただけで、もう、何も報われなくてもいいって、思えたんです」


徳川「…………」




徳川「……貴樹君、『強さ』とは何かね?」





貴樹「強さ?」


徳川「うむ」


貴樹「強さって……喧嘩に強いとか、力が強いとか…」


徳川「ハァ~~ッ……やっぱりワカっとらんッ」


貴樹「えっ」



徳川「強さとは『ワガママ』」


徳川「強さとは『己の意思を通す力』の事を言うんじゃ」

貴樹(わがままを、通す?)


徳川「強さとは詰まる所それじゃ。腕力も、財力も、権力も、それらの出力装置に過ぎん」

徳川「貴樹君。キミはそういう出力装置……ワガママを、端から諦めて今まで生きてきた。そうじゃな?」


貴樹「………」




そう、確かにそうだ

わがままを絶対に通そうとした事なんて、一度も無い

怒っても、拗ねても、結局諦めてた

それがどんなに辛くて、哀しくても…



徳川「図星じゃな?」

徳川「普通、人というのは誰も傷つかない範囲で努力をし、自分も傷付かぬ程度でしか動かぬ」

徳川「それもいい。耐えてゆく事こそが人生という考え方が、世界中での一般常識じゃ」


徳川「しかし、だからこそ皆、一生に一度は強さに憧れるんじゃ。一度だけでいい、願いを叶えたいとな」


徳川「キミはただ強さを諦めていたのではない」


徳川「『願いを叶える強さ』というもが余りにも眩しく、憧れる以前に心が折れてしまったんじゃよ」


貴樹「!!」

徳川「まァ、キミの言う通り、キミの場合は既に願いが過ぎ去ってしまっておるからのう。強さを得た所で時間には敵わぬ」


徳川「強さには限界がある……だがそれでも尚、人間は強さという物に憧れる。いや恋してると言ってもいい」

徳川「ワシの場合は強さの化身達……『格闘士』達を愛しておる」


貴樹「……格闘士?」


徳川「そうじゃ」


徳川「彼らは素晴らしい…彼らは決して諦めないッ」

徳川「叩き潰されても、引き裂かれても、己の意思ある限り彼らは闘い続けるッ」

徳川「たった一つの願いを叶える為に、逃げも隠れもせんのじゃッ。何が来ようともッ」

徳川「その願いは多種多様ッ。ある者は金!ある者は名誉!ある者は愛!ある者はプライド!」

徳川「そしてある者は地上最強ッッ!」


貴樹「………」


徳川「その願いの為に……彼らは己の全てを嬉々として捧げるのじゃ」

徳川「己の身体や、苦痛…そして、その命さえものう」


貴樹(なんで…)


貴樹(なんで、その人達はそんなに自分を投げ捨てられるんだ?)

貴樹(なんで叶うかも分からない夢の為に、全てを失えるんだ?)


徳川「全ては悔い無き人生のため」


貴樹(!!)


徳川「人生はたった一度っきり……その人生、何一つ望みを叶える事無く死ぬか、願いに向かって前のめりに死ぬか」

徳川「誰でも前のめりの死を選ぶに決まっとるんじゃ。そのための強さが、ありさえすればのう」

徳川「貴樹君」

貴樹「! はいっ」

徳川「キミが出会ったあの漢は、その『人の求める強さ』の究極形じゃ」

貴樹「……え?」

徳川「時速5000キロメートル…この数字が何かワカるかね?」

貴樹「…いえ、分かりません…」

徳川「ホッホッホッ、そりゃワカらんか」


徳川「その男を監視する人工衛星が、地球の衛星軌道上を移動する速度…それが時速5000キロメートルじゃ」ギョロ

貴樹「じっ…人工衛星、ですか?」

徳川「そう。それも一機や二機ではない。打ち上げた国に拘わらず、軌道上の全ての人工衛星がひそかにヤツを監視しとる」

徳川「だが、それも既に単なる建前。監視などまるで出来てはおらぬ」

徳川「あの男が一度動きだせば、人工衛星は全機フル稼動を余儀なくされ、各々が機体スペックの限界を超えた働きをせざるを得なくなる。そしてその結果、誤作動を起こしてヤツを見失う」

徳川「カーナビの情報がたまに目茶苦茶になる…そんな話、貴樹君も聞いたことがあるじゃろ?」

貴樹「…はい…」

徳川「それよそれッ」ホッホッホ

貴樹「………」


徳川「あの男が何をしようが、誰もそれを制する事など出来ん。国を壊し、興し、戦争を起こし、戦争を制圧する……それくらい、あやつにとっては赤子の手を捻るような物よ。そんな物には興味を決して示さんがのう」


徳川「悪魔と呼ばれ、鬼と恐れられ、神と崇められ、天使のように愛される」


徳川「それが『オーガ』よ」ニマァァ


貴樹「………ッッ」




あの人は、やっぱり普通じゃなかったんだ…
一体なんなんだ?どういう人なんだ?

強さの究極形?
わがままを通す力が、徳川さんの言う強さだとするなら

あの人は、何でも出来るのか?

そんな空想みたいな人が、本当にいるっていうのか!?



徳川「まァ…ン~~…長々と説教じみた事を話したが」

徳川「貴樹君。キミの話を聞く限り、キミの今の考え方は、キミの人生にとってマイナスにしか働かん」


徳川「オーガを追いなさい」


貴樹「!?」


徳川「キミのこれからの人生の為にのう」




徳川「あ、身体を鍛えろって意味じゃないから」


バスの中で、移ろいゆく景色を眺めながら、僕は考えていた

徳川さんの言葉を

僕の今までの人生を


思えばいつだって後悔だらけだった、今までの僕
明確な考えもなく、ただ流れに身を任せ、寂しさを紛らわせていた

とにかく前に進もうと、足掻いていたつもりだったけれど

結局、違った

僕は忘れたかっただけなんだ
明里との事を。あの日々の事を
進んでなんていなかったんだ
明里との日々がまばゆ過ぎて、失いたくなかったんだ

進むのが怖くて、来た道にも戻れなくて

立ち往生をしただけなんだ

自分の人生から逃げようとしたんだ


自分でも形が分からない夢が、叶わない物だと思い込んでいたから

叶わないんだって、予感した気になって

その実あきらめたんだ


きっと、明里とキスをしたあの時から…





僕は夢を持ってなかった

叶える事も出来なかった

だから僕は、事故の日から気になっていたんだ


あの男の事が…



あの男は、僕なんかとはきっと正反対なんだ
彼は全てを持ってる。彼は何でも出来る

僕が持っていなかった物を。僕が叶えられなかった物を
持てない物を。叶えられない物を

彼は片手で掴み取れるんだ


貴樹「…オーガ…」



彼を知れば、僕にも来るのだろうか


新しい人生が

徳川邸


黒服「良かったのでしょうか」

徳川「ン?ん~~…」

徳川「まぁ、オーガの本名ぐらいは教えた方が良かったか」

黒服「………」

徳川「歳を取り、死期を感じ始めるとのォ……どーしても、世話を妬きたくなる」

徳川「特に、ああいう若者には」

黒服「つまり、あの青年でなくとも、若者ならば誰でも良かったと?」


徳川「そういう事になる」


徳川「ただ、大変な事件というのは、えてして大変な転換点になりうる」

徳川「ワシはただ事件を変えたかったんじゃ。さ迷える何者かの為に」

徳川「恐らく、あの青年にとって例の事件は転換点になる」

徳川「悔い無き人生を歩み出す事を祈ろう」





徳川「あ、そういえば…」

黒服「お渡しされていませんね。埋め合わせ」

徳川「アチャー……」

徳川「どうするかのォ…この蟹弁の山」

黒服「食べましょう」

徳川「そうするかァ…」

ガチャッ バタン



殺風景な僕の部屋に、ドアの音が響いた
靴を脱ぐ音も、上着を脱ぐ音もやけに大きい

僕は部屋の真ん中で立ち止まると、窓を開け、床に座って、自分の部屋を眺めた

窓からは夕陽が差し込み、弱い風が、飾り気の無いカーテンを揺らす

窓の外に鳥のシルエットが見える



その鳥は遠くに


果てしなく遠くに飛んでいくと



急に向きを変えて、夕陽の光に溶けた




貴樹「………」









僕は携帯電話を開いて、明里に電話を掛けた








ピリリリッ ピリリリッ ピリリリッ

ピッ




<…もしもし、貴樹君?>



貴樹「うん…久しぶり」


<えっ?>

貴樹「えっ?……あっ」

<ふふっ、昨日会ったばっかりじゃない>

貴樹「ぅ、うん…ごめん、そうだったね…忘れてたよ」

<それで、どうしたの?>

貴樹「いや、大した話じゃないんだ。えーっと…」

<……?>

貴樹「………」



貴樹「いや、ごめん。明里には本当の事話すよ」


<えっ…なに…?>

貴樹「昨日の…また僕らが会えた場所…今、凄い騒がれてるよね」

<…うん…知ってる>

貴樹「その事なんだけど…」



<明里ー?>

<あ、お帰りなさーい>

<ん?電話中だった?>

<あ、うん>

<んー……分かった、貴樹君だろ?>

<えへへ、うん、まあね>


貴樹「………」


<何だよもー妬いちゃうなー>

<あはは…>

<邪魔しないからゆっくり話しなー>


<ごめん。それで、なんだったっけ?>

貴樹「昨日のあの場所だよ。事故が起こった」

<あっ、あそこの話しだったよね。思い出した>

貴樹「あの事故について、何か聞いてない?噂話とかでもいいから」

<うーん……噂話でもいいんだよね?>

貴樹「うん」

<それならネットにいっぱい流れてたよ?>

貴樹「えっ」



インターネット?そんなのでいいんだ…

徳川さんはいかにも国家機密みたいな事言ってたけど、案外ゆるいじゃないか

それにしてもネットか…全然気づかなかったな
迷惑メールが面倒だから、ずっと前からパソコンも携帯もオフのままだったしね

…本当に仕事しかしてなかったんだな、僕



<貴樹君?>

貴樹「あっ…あーごめん、ちょっと考え事してた」

<ふーん…>

貴樹「明里……僕、あの場所について調べようと思ってるんだ」

<えっ? なんで? もうどこかに勤めてるの?新聞社とか?>

貴樹「仕事とかじゃないんだ。ただ、なんか気になるんだ、色々と」

<……まぁ、あれで気にならない人なんていないよね>

貴樹「うん」

<………>

貴樹「………」



貴樹「…じゃあ、またね」

<! あっ、うん、またねっ>


プツッ



貴樹「はぁ……」

明里「………」


夫「どんな話だった?」

明里「昨日の事件を調べたいって」

夫「調べるって…貴樹君って、探偵とか?」

明里「ううん、仕事とかじゃないみたい。気になるからって」

夫「へー…」



夫「…まぁ、気になるよなぁ。どう見ても訳分からない事故だし」

明里「………」

夫「事故の原因は未だ不明ってのはまだ分かるけど、これだけの規模でまだ死傷者ゼロってのはおかしい」

夫「なにより、あのグニャグニャになった電車。何をどうしたら電車があんな壊れ方するんだ?」

明里「うーん……さぁ…」

夫「誰だって気になるよ。俺の部署もあの事故の話で持ち切りだ」



明里「………」


あの事故について、明里に電話した日から五日後

僕は朝の9時から午後の3時まで、カラオケでアルバイトをして生活費を稼ぎつつ、余った時間で、例の事件も含めた「オーガ」に関係のありそうな事象を捜すという生活を始めていた

幸いと言えるのか分からないけど、趣味の少ない僕の生活だと、貯金もあってかあまりお金が出ていかない

定職も辞めていたから、定期代や接待費その他諸々ともおさらばしている

とても身体が軽い

こんなに自由な生活は始めてかもしれない



あの男に関係してそうな情報を捜すのは、主に近場の電車駅と家のパソコンで行っている

家のパソコンでは、当然ネットに繋いで情報捜し
これは家に帰ってからやっている


駅の方はちょっと変わってる


僕は地域清掃のボランティアに参加して、駅の地面やベンチに放置された雑誌や新聞を、駅構内から撤去する係についた

これなら、誰にも怪しまれる事なく雑誌を回収出来る

集めた雑誌は、ボランティアの皆が解散した後に、回収ボックスの前に全部集めて、読み終わった物から順番に捨てていった

小学生の頃から本の虫で、大人になっても事務仕事ばかりやってた僕は、文章を読むのがかなり早い

だから、ひたすら雑誌を読み続ける事にも、ストレスは感じなかった


いや、そもそも最近の毎日そのものに、ストレスを感じなくなってきている


会社で仕事をしていた時より、むしろ体力的には疲れているはずなのに


とにかく、僕はここ最近が楽しい


新しい人生の第一歩を、ようやく踏み出した

そんな気持ちが、ますます僕を元気づけてる気がした

そして電話の日から十日後、事件は起こった


その日、僕は集めた噂話や雑誌の記事を、パソコンを使ってまとめ、嘘の可能性が高まった情報とそうでない物とを選別していた

そんな時に、携帯が鳴った

貴樹「あっ…」

掛けて来たのは明里だった



<もしもしっ!貴樹君!?>


貴樹「! 何かあったの?」


今まで聞いたことがない、明里の叫ぶような声
僕の背中にじわりと汗が浮かぶ


<大変なの! あの人、まだ会社にいるのにっ!>

貴樹「まっ、待って明里!落ち着いて。頭の中を整理して、考えながら喋るんだっ」

<うっ…ごめんなさいっ…はぁ、はぁ…ふぅぅ>

貴樹「大丈夫?話せるかい?」

<ぅ…うん…大丈夫>

貴樹「じゃあ、話して」

<うん…>


<彼から電話があって…彼の職場の周りで、何か飛んでるみたいなの…>


貴樹「えっ!?」



とっ…飛んでる…!?



<それが、別の飛んでる物と何度もぶつかってるって……ビルの壁とか壊れてるから、警察はもう呼んでるみたいだけど、警察の人も見てるだけで…手出し出来ないって…>


貴樹「………」


<貴樹君…>


貴樹「明里。君の旦那さんの勤め先を教えて。あと、絶対携帯は切らないでね」



僕は家を飛び出してタクシーを拾い、明里の言った通勤先をドライバーに話して、車を走らせた

貴樹「運転手さん、もうちょっと急いでくれませんか!?」

運転手「あの~急げいわれましても、隣の車間狭すぎですよ。追い抜かせませんって」

貴樹「………」


思うように進まない車列に苛立ち、焦燥感が増していく
明里の夫を心配しているのもある
彼の会社の周りで何が起きているかも気になる

でも一番の理由は、あの明里の声だった

初めて聞いたあの声が、僕を突き動かしていた


バ  オ  ッ  !





運転手「………」

貴樹「………」

運転手「…………ッッ」ガタガタガタ

貴樹「………」


貴樹(今…何を見たんだ…?)

貴樹(さっき……の光は……)


貴樹(…鬼……?)




キキキキィーッ


急ブレーキの音
進行方向からの謎の光

僕は何を見たのか理解し切れず、頭が固まった
運転手は泣きそうな顔で、後部座席にいる僕を見ている

この道路の車は、このタクシーも含め全て止まっている
あの光を見たのは僕らだけじゃないみたいだった

心臓が物凄い早さで脈打っている
でも、僕に落ち着く時間は与えられなかった


ダダダダダダダダ!!


新幹線のような早さで、手足の長い褌姿の大男が走ってくる
彼が通り過ぎた瞬間、車の窓が「ブン」と音を発して振動した

彼の顔は青ざめていた
まるで何かに怯えているようだった



そして次の瞬間、何かが通りすぎた


それが何なのか分からなかった

見えなかったからだ



ギ イ イ イ イ イ ン ン ! ! !

貴樹「うわああっ!!」

運転手「~~~~ッッッ!!」

鉄を凄い早さで引っ掻いたような音が響き、僕らは耳を塞いでうずくまった

背中に何か当たった
それが何なのかは、足元に落ちたそれを見て分かった
ガラス片だ。窓ガラスが割れたんだ

耳が痛い。手の平に液体が当たってる
顔が燃えるように熱い
もう僕は何も考えられなかった


音の無い中、僕は落とした携帯を拾い、車の外に出た
足元が覚束なかった。まるでエアクッションの上を歩いてるようだった

なんで車から出たのかは、自分でも分かっていなかった
多分逃れたかったんだと思う
自分を苦しめる何かから

貴樹「…?…」

高熱を出した時以上に朦朧とした意識と、足腰の立たない身体

僕は糸の切れた人形のように転倒して、徐々に意識を失わせていった


目の前に、僕の握った携帯電話がある

電話を掛けなきゃ



貴樹「明里…」



僕は意識を失った

ピッ… ピッ… ピッ… ピッ…


貴樹(?)

貴樹(なんだこの音…)

貴樹「この音…」


明里「貴樹君?」

貴樹(えっ…明里?)

明里「よかったぁ…」


鎬紅葉「気が付いたみたいですね」


明里「はっ、はい!」

貴樹「ここは…どこですか?」

鎬「病院ですよ」

貴樹「病院……」

鎬「路上で意識を失ってた貴方を見て、通りかかった方が救急を呼んだんです」

貴樹「……ん、これって…」スッ

鎬「それは貴方の耳を保護するカバー。術後の保護です」

鎬「耳の鼓膜というのは、高い再生力を持ちます」

鎬「貴方の場合は、鼓膜の癒着部分の一部が剥がれただけですので、その部分を縫うだけで治療が済みました」

貴樹「そうですか…ありがとうございます」


貴樹「!」


貴樹「すみません、僕、何日ここに?」

鎬「一日です。普通なら約半日ほどで目覚めるんですが、どうやら疲れが溜まっていたようですね」

貴樹「じゃあ……あのっ、雑誌か何かありませんか?」

明里「?」

鎬「雑誌?」

貴樹「今日の雑誌です。ありませんか?」



鎬「……………」

鎬「…分かりました、持ってきましょう。念のためですが、くれぐれも安静に」ガチャッ

貴樹「はい」

バタン




鎬(追うのか……あの格闘の魔人…)


鎬(…範馬勇次郎を…)


鎬(気になるか…そりゃ当然だな)

鎬(誰だって気になる。この私でさえも)

鎬(格闘に興味の無い人物も、ヤツを知ってしまえば必ず惹かれる)

鎬(ヤツの全てがね)

バタン

鎬「ありましたよ。一応新聞も持ってきましたけど、大丈夫ですか?」スッ

貴樹「ありがとうございます。助かりました」

鎬「いえいえ」


鎬先生が持ってきてくれた週刊誌と新聞を手に取ると、僕はそれらをさっそく読みはじめた

その様子を、明里は不思議そうに見ていた
先生はテレビの前でカルテに何かつけている


週刊誌と新聞、それぞれには、昨日僕が遭遇した現象に関係ありそうな記事があった

『議員汚職へのデモ隊、警官隊と衝突!』
『大乱闘に機動隊突入』
『負傷者多数』『警察側、銃器を使用か?』

『何者かが爆発物を持ち込み、ビルの外壁を爆破した可能性』

『デモ現場から500メートル離れた幹線道路で、原始人ピクルを発見!?』


テレビ<それでは次のコーナーです>


貴樹「?」


鎬「アー、すみません。これから野球の番組があるもので」ピッ

ピッ ピッ

鎬「ファンなんですよねェ~……衛星チャンネルどこだったかな?」ピッ ピッ

貴樹「! あっ、待ってください」

鎬(ほ~ら食いついたッ)ニヤァ


テレビ<これが現場の映像です。これを見ますとおり…>



貴樹「………」

テレビに映った「現場」を見た瞬間、直感的に
いや、誰が見てもおかしいと感じるかもしれないけど、とにかく感じた


貴樹(これ、本当に乱闘で説明がつくのか?)

貴樹(いや…説明していいのか?)



デモの参加者にも、警察にも、機動隊にも、標識の鉄柱を切断する事は出来ない

電信柱を割る事は出来ない

ビルの壁を壊す事は出来ない

車をバラバラにする事は出来ない

地面にクレーターをいくつも作る事は出来ない

自動販売機を引っこ抜く事は出来ない

それをビルの壁に減り込ませるなんて絶対無理だ

よく見たらヘリコプターも墜落してる


いいのか?それを乱闘って言っちゃって…





貴樹「うわっ…」

明里「うわー……」

鎬「すっげェ…」

明里「えっ」

鎬「あっ」

明里「あ、いえ、その…確かに凄いですね。あはは…」

鎬「い…イヤイヤイヤ、勘違いしないで下さいッ。これは言葉のアヤと言うか…アハハハ」



アパートの一室
貴樹の部屋


左耳に水の中から聞くような音が響いてる
退院出来たのは良いけれど、退院前に先生から

「三日は外さないように」

と言われてしまったから、しばらくはこの音からは離れられなさそうだ
でも先生の話によると、損傷が片耳で済むのは運がいいらしい

僕もこれに関して言えば、運が良い方だと思ってる。タクシーの窓ガラスが、片面だけとはいえ、あの音と衝撃で粉々になったんだから

それにしても箸が進まない

昨日は何も食べてないのに、晩御飯が全然減らない
今日食べた病院食よりは、美味しい晩御飯なのに、一噛み毎に気になってくる

左耳の違和感と、タクシーの中で見た『光る顔』の事が


あの顔はなんだったんだろう…

少なくとも人間の顔じゃない
あんな表情、しようと思っても出来るものじゃない

あれはまるで…なんというか、意思そのもの

『闘志』そのものというか…





そこまで考えた所で、携帯が鳴った

明里の夫の名前を>>81>>89の間で募集します
マンガ版秒速の方で出たような気がしますが、遥か昔の記憶なのでそこん所が曖昧虎眼
ぬふぅ
禁止事項は以下の通り

・マンガ、アニメキャラの名前禁止
・ネタネーム禁止(うんこ等)
・キラキラネーム禁止
・バキキャラ名禁止
・擬音禁止(キャオラ等)

隆夫

ガチャッ バタン


明里「ただいま~」

夫「おかえり。晩御飯出来てるよ」

明里「あ、おかえり、帰ってたんだ。どうだった?」

夫「今日もこってり絞られたよ。向こうも必死なんだろうけど、警察が嫌いになりそうだった」

明里「それ、なんかの犯人みたい。ふふっ」

夫「だって本当しつこいんだよ、事情聴取ってやつが。確かに現場にはいたけど、あんなの何が起きてるかなんて分からないよ。俺、奥に引っ込んで警察呼んでたし」

明里「大変だったんだねー…お疲れ様。ふわぁ…」

夫「ん?眠い?」

明里「うん…ちょっと眠い」ゴシゴシ

夫「…寝ないで看病してたの?」

明里「貴樹君の面倒は看護婦さんや先生が診てくれてたし…看病が必要な事もなかったみたいだから、私はちゃんと寝たけど…」

明里「んー…やっぱり眠いよ…疲れちゃった」

夫「あんまり無理するなよ。晩御飯、冷凍しとくよ」

明里「ありがとう…おやすみー」

夫「おやす…あ、待って」

明里「?」

夫「貴樹君の名刺ってどこだっけ?」

明里「そこの棚の中にしまってるよ…ふわぁ、む…」

明里「じゃ、おやすみ~」

夫「おやすみー」






夫「………」


ピリリリッ ピリリリッ ピリリリッ

ピッ


貴樹「もしもし、あのー…どちら様でしょうか?」



<篠原マサアキと言います。明里から話は聞いてます>



貴樹「篠原……明里、さんの、旦那さん!?」

<ふふ、正明でいいですよ>


貴樹(えっ…なんで…?)

貴樹(いや違うな…明里が電話番号知ってるんだから…明里は彼にも話しといたとか言ってたから…)

貴樹(うん、自然だ。それなら分かる)

貴樹(落ち着け…落ち着け僕…)


<聞きたい事があって電話を掛けさせてもらったんですけど、今時間ありますか?>

貴樹「大丈夫ですが…」

<良かった、それなら話は早い>

<貴樹さん、もしかして『地上最強の生物』って言われてる人物、捜してませんか?>

貴樹「地上最強の生物?」


<オーガですよ>


貴樹「!!」


<例の電車の事故を調べてるって、明里から聞いてピンと来たんですよ。私も前から気になってたんで>

貴樹「なんで、オーガの事を?」

<私は半年前の東京で起きた『日本史上最大のデモ』で、初めてオーガの存在を知りました>

<あれ以来、人間には到底出来そうにない事件や事故が、何となく怪しく思えてしまいましてね>

貴樹「………」


日本史上最大のデモ
周りに興味が無かった頃の僕でさえ、断片的にではあるけど、覚えている事件

デモ参加者は約400万人。そのうちの「国外からの参加者」の人数も、近年のデモとは比較にならない数字に膨れ上がった事件

報道当時、あの事件についてはろくに言及されず、一週間と経たずにニュースに上がらなくなったけど、そういう事だったのか…



<本来なら、私もネットで楽しむ程度のままで、こんなにのめり込む事も無かったんですがね>

<目の前で見ちまったら、もうダメですよ。アレを見せられて興味が沸かない道理は無い>

貴樹「アレ…?」

<言葉で言い表すのが難しいんですが…なんかこう…>

<見てて怖かったし、目茶苦茶速くて殆ど見えなかったのもありますけど、それを帳消しにする、万能感ってやつですかね…>


貴樹「万能感、ですか?」


<そう、万能感。それがすごいんだよ…>

<アイツ、すげー自由に見えるんだ。なんつーか…現実の嫌な部分から解放されてるみたいな>

<あの闘いぶりを見てると、心を締め付けられるって言うか…子供の頃の夢みたいなのが、頭にちらついて離れなくなるんだ…>


貴樹「……………」


<俺は今まで何をしてきたんだとか、子供の頃の自分の理想像から、いかに今の自分が遠ざかったのかって…>


<なんか…今まで俺が無くした物とか、捨てなきゃならなかった物とかが、全部目の前にあるみたいな…>

<よく分かんないけどよ…朝日が昇る上り坂を、自転車でガーッて駆け上がってくみたいな…そんな高揚感が…>


<…………>


貴樹「………」


<……あっ!わ、悪い!今のは聞かなかった事にしてくれっ、何言ってんだ俺…>

貴樹「…分かります」

<へ?>


貴樹「分かりますよ。なんとなくですけど」

<おっ、おお…>

貴樹「これが架空の人物なら、鼻で笑って済ます事が出来たんです」

貴樹「でも、調べれば調べるほど、それが架空じゃないって分かる。彼は本当に何でも出来るんですよ」


貴樹「だから…焦燥感が湧いてくるんです…自分で思ってる以上に、僕はもっと大事な物を失っているんじゃないかって」


貴樹「多分、それが何なのか知りたいから…知って心の中の靄を消したいから、僕も正明さんも、彼の事が知りたいんです」

正明さんも僕も、同じではないけれど、似たような思いで彼を追っていた
専門的な知識も無く、取れる手段も限られる中、僕と彼は沸き上がる思いだけで、知るという事の深みに嵌まっていたんだ

隣の芝は青く見える
でも僕らの見た芝は、桜の巨木から生え、花や実まで付けていた

そしてその花や実や桜花などを一目見たいと、多くの人が目を凝らし、手を伸ばしている

新聞で、雑誌で、噂で、ネットで、ニュースで、都市伝説で

情報の正確さなんてどうでもいい
とにかく知りたい、と



正明さんと僕は、お互いに情報を交換する事にした

僕はあの電車事故の時から
正明さんは昨日のデモ事件から
それぞれの時から、今日まで続く熱意に任せて


携帯を閉じて、食事や入浴などの雑用を済ませたあと、僕は床に付いた

でも寝る前に考えた


何か大変な事…引き返せない事をしてるんじゃないか、と

進む為には、前を向かなきゃいけない
それは当然の事で、誰しもが毎日やってる事だ

だけど前を見たら、後ろには振り向けない
後ろにあった物を見る事はもう二度と無い
後ろを見ながら前進なんて出来ない

思いっきり走らないと進めない時は、特に



また僕は、何かを得る代わりに、何か大事な物を無くす

そんな気がしてならない



貴樹「明里……」




僕はもう明里の目には映らない

映っちゃいけない

明里には愛した人がいるんだ

でも明里だけは持っていかないでくれ

明里の側に居させてくれ





そんな思いも睡魔に負けて
徐々に、徐々に、溶けていった

国会議事堂 総理大臣室


亜部「なッッ!!」ガタッ


石波防衛省長官「………」


亜部「何言っとんじゃワレェエエッッッ!!!」


石波「ですから、何度も言っているでしょう」

石波「暗殺です。範馬勇次郎の……この際殺害でも構いませんが」

亜部「~~~~ッッッ」

石波「総理…貴方のあの場でのスピーチ、真に立派でありました。実に政治家の何たるかを、雄弁に語ってくれた」

石波「政治家など所詮は足の引っ張り合い…よくぞ皆の前で堂々と言ってくれたものです」

石波「これで小競り合う必要が無くなった。純粋な損得勘定で動ける時代が来たのですよ」

亜部「損得勘定?それが出来ててなんでそうなるッッ?」

石波「損なんですよ」

亜部「…?…」


石波「あの男のおイタの処理は損。金と時間の無駄です」


石波「しかもアレの御蔭で外交も大変面倒だ」

亜部「面っ………バカッ!彼のおかげで成り立ってるもんなんだぞ!アメリカとの友好条約はッッ!」

石波「それこそが問題なのです。一個人の力で保たれる国家など、独裁国家も同然」

亜部「………ッッ」

石波「この際、各国に見せようではありませんか。日本のスゴさを」

亜部「日本の…日本のスゴさは武力で見せる物じゃないッ!文化や外交で示すもの…」

石波「その下手糞な外交で営々と失敗してきたでしょう。今までも、そして貴方も」

亜部「!!?」

石波「無能に用はありません」

亜部「きっ…貴様ッ」

石波「怒るのは止めておいた方がいい。私に手を出せば、保守と呼ばれるタカ派の方々が動きます。万が一には、事故に遭うかもしれませんよ?」

亜部「ぐゥゥ~……ッッ」


石波(範馬勇次郎…目の上の青タンめ…)

石波(治療してやるよ…この私の権力でね…フフフ)

次の日の夕方
電車駅


貴樹「おはようございます」

お爺さん「はい、おはようございます」ペコリ

おじさん「おっ、貴樹君おはよ…耳どうした?」

貴樹「ちょっと切っちゃいまして…別にたいした事ないですよ」

おじさん「それなら良いけどよ。あんま無理すんなよ?」

貴樹「はい」

ボランティアリーダー
「はい、今日も皆さん集まりましたね。おはようございます」ペコリ

全メンバー「おはようございます」

リーダー「それでは、今日も張り切っ…る前に、新メンバーの紹介をしたいと思います。それではどうぞ」

貴樹(新メンバー?)

明里「篠原明里です。よろしくお願い…」


明里「し…ま……す…?」



貴樹「…………」



明里「貴樹君?」


貴樹「あ…明里?」




おじさん「おっ、知り合いか?」
おばさん「あらまー…」

お姉さん「あらあら、うふふ」

青年「おおー?」

お爺さん「運命のー!」

お婆さん「赤い糸じゃー!」

ボランティアの皆「あははははははは」

貴樹「えっ…ちょっ…」

明里「ぁ、あの、違いますっ、これは」

お爺さん「おおー!指輪しとるー!」

お婆さん「不倫じゃー!」

明里「え、ええ!?」

貴樹「いえ違いますよ!本当違いますって!」

>>97
×夕方
○朝

清掃活動中



貴樹「ごめんね。あの人達、本当はいい人達だから。新人さんは珍しいんだよ」

明里「あ、うん、分かってる」

貴樹「………」

明里「………」


貴樹「それで、なんで明里はボランティアに?仕事とかは大丈夫なの?」

明里「仕事は……してたけど、正明さんと結婚して、辞めた」

貴樹「へー、寿退社かぁ」

明里「…そんなのじゃないよ」

貴樹「え?」

明里「サービス残業で身体壊しちゃって……このボランティアも、軽い運動は免疫を高めるって、病院の先生に言われたから」

貴樹「……じゃあ、電車事故の日にあった用事って、通院?」

明里「うん」

貴樹「………」



貴樹「あんまり、無理しないでね」

明里「…うん」

明里「………」


明里「貴樹君は、なんでボランティアに入ったの?」

貴樹「なんでって、それは…」

貴樹「………」

明里「………?」


どうしよう。なんて言えば良いんだ
素直に理由う訳にはいかないし…
言い訳の一つでも考えておけば良かった


貴樹「暇つぶし、かな」

明里「えっ?暇つぶし?」

…やっぱり苦しかった?

貴樹「今、カラオケでバイトしてるんだけど、シフトの無い日とか、午前だけのシフトの日とかは、結構時間が空くからさ」

よし、これは多分大丈夫だ
本当の事だし


明里「ふーん…」

貴樹「………」



もしかして、話題が無いから話を振っただけ?
って事は、僕が一人相撲してただけか

なに神経質になってるんだ…



明里「最近、東京って物騒になったよね」

貴樹「あ、うん。一月くらい前の『通り魔返し事件』も酷かったし」

明里「あー、あれってどんな事件だったの?私よく知らないんだけど」

貴樹「確か…包丁で子供を切り付けた犯人が、凄い空手家の人にやられて、その空手家が逮捕されて大騒ぎ…って話だった気がする」

明里「へー…貴樹君って、やっぱり物知りだね」

貴樹「ふふっ、細かいだけだよ」


本当は、情報捜しで偶然その記事を見ただけなんだけど

明里「………」


明里「貴樹君は、なんでボランティアに入ったの?」

貴樹「なんでって、それは…」

貴樹「………」

明里「………?」


どうしよう。なんて言えば良いんだ
素直に理由を言う訳にはいかないし…
言い訳の一つでも考えておけば良かった


貴樹「暇つぶし、かな」

明里「えっ?暇つぶし?」

…やっぱり苦しかった?

貴樹「今、カラオケでバイトしてるんだけど、シフトの無い日とか、午前だけのシフトの日とかは、結構時間が空くからさ」

よし、これは多分大丈夫だ
本当の事だし


明里「ふーん…」

貴樹「………」



もしかして、話題が無いから話を振っただけ?
って事は、僕が一人相撲してただけか

なに神経質になってるんだ…



明里「最近、東京って物騒になったよね」

貴樹「あ、うん。一月くらい前の『通り魔返し事件』も酷かったし」

明里「あー、あれってどんな事件だったの?私よく知らないんだけど」

貴樹「確か…包丁で子供を切り付けた犯人が、凄い空手家の人にやられて、その空手家が逮捕されて大騒ぎ…って話だった気がする」

明里「へー…貴樹君って、やっぱり物知りだね」

貴樹「ふふっ、細かいだけだよ」


本当は、情報捜しで偶然その記事を見ただけなんだけど

共通の話題があった小学生の頃とは違い、僕達に話題は無かった
昔話とか、ご近所事情とかは、再会した時に全部話してしまっていた
あるのはここ最近の事件の話だけ
でもそんな話ばかりだと、気が滅入ってしまう

こんな事になるなら、もっとドラマとかスポーツとか見てれば良かった
小説やマンガすらも、ここ3~4年は読んでないし

本当に自分が空っぽ過ぎて嫌になる


リーダー「はい、本日もお疲れ様でした。それでは、ここで各自解散としましょう。お疲れ様でしたー」ペコリ

皆「お疲れ様でしたー」


結局、40分弱の作業の間、僕と明里はろくに会話もしなかった
それが何だか寂しかった

だけど、それ以上に寂しかったのは、回収ボックスの前で一人雑誌を読んでいる時の方が、気が楽に思えた事だった


貴樹「………」





明里「帰らないの?」

貴樹「!」


貴樹「………」

明里「………」

貴樹「まだ少しここに居るよ。帰ってもやる事ないし」

貴樹「明里は?」

明里「…私も、今はやる事ないかな」

貴樹「………」


明里「私も、いい?」


貴樹「……うん、いいよ」





回収ボックスの隣にあるベンチには、僕と明里だけが座っていた
ボックスの側を通り過ぎる人達は、誰も僕らを気にしない
皆、何かに追われるように、忙しげに歩いている

僕は雑誌こそ開いてはいるけど、その雑誌の中身には意識を向けられなかった

ファッション誌を読む明里と、週刊誌を読む僕

その構図に、強烈な既視感を覚えたからだ

読み物の種類は、随分夢の無いものになってしまったけれど、なんだか古巣に戻ってきたみたいで、心が安らかになった


貴樹「………」

明里「………」



それから僕と明里は、ボランティアで顔を合わせる度に、作業が終わると回収ボックスの隣で雑誌を読んだ

最初は乏しかった話題も次第に増えて、うっすらと漂っていた気まずい雰囲気も、段々と消えていった

趣味の無い僕は、明里の話を聞くばかりで、明里もよく話す方じゃなかったけれど

それでも僕はこの時間を大切に思っていた

いっその事、こんな日々がいつまでも続けばいいとも思った



だけど一度進み始めたら、必ず捜している物に近付く時が来る
いつまでも同じ場所にはいられない

居心地が良い時間も、いつかは終わる


ピリリリッ ピリリリッ

貴樹「?」

明里「貴樹君、携帯鳴ってるよ?」



僕は携帯を開いて、発信者を見た
正明さんからのメールだ

僕は明里に背を向けて、メールを開いた

そして、そのメールを見たことによって得られた閃きが、回収ボックスの前で知った知識と組み合わさったの感じた


貴樹「明里。今日はもう片付けるけど、いいかな?」

明里「えっ…いいけど?」

貴樹「ちょっと用事が出来たんだ。ごめん」ガサガサ

明里「……?」ガサガサ


積まれた雑誌を全部ボックスに突っ込んで、ボランティアマークのついた帽子をポケットに押し込むと、僕は正明さんに指定された場所に向かった

遠ざかっていく明里の気配を、背中で感じながら

ある噂話があった

日本史上最大のデモは、実はデモンストレーションではないという噂話が

その事件の中心は、親子喧嘩であるという噂話が

しかし、それを否定しなければ体を成せない人々がいる
彼らは官僚や役人。あるいは政治家と呼ばれる支配者層だ
そして彼らに関して、週刊誌も、月刊誌も、雑誌の程度に関わらず皆が疑っている

国の常識や体裁を覆えしうる個人が、この国に複数存在する事実など認めない

認めたくないから、誰にも認めさせないのでは、と



それが彼らの思惑だったとしたら、それは僕らの前でだけ霧を晴らし、真実を見せてくれるかもしれない

メールを送った正明さんは、会社の同僚から、ある話を聞いていた


オーガには不仲の息子達がいる

その息子の一人は高校生で、今も東京にいるという



その同僚は有名な空手道場の門下生で、門下生同士が作る情報網に、間違いは無いと豪語しているらしい

正明さんはその言葉を信じ、僕はそんな彼のメールを信じて、正明さんの車へ向かった


正明「こんちは。顔合わせるのは初めてだよな」


車の中で会った彼には、想像より砕けた印象があった
年齢は丁度同い年らしく、言葉遣いもそれに起因するみたいだった

深呼吸すら出来ない堅苦しい会社生活を送っていたせいか、僕は彼の言葉遣いに若干の違和感を感じていたけれど、少し話すとそれにも慣れた

彼が言うには「一度電話越しでタメ口利いちゃったから、このまま通すのがお互い自然でいられる」らしい


正明「じゃ、行くか」

貴樹「待ってください。今日って大丈夫なんですか?」

正明「大丈夫だろ。日曜日の学校に用事がある高校生なんて、殆どいないって。コンタクト取れないからアポも取れないしな」


そう言うと、正明さんは車を走らせた



オーガの息子と呼ばれる青年の元へ





車中、僕の心臓は高鳴りっぱなしだった
核心に迫っているという高揚感と、その裏に潜む原因の分からない不安が、頭の中で渦巻いているのを感じていた

正明「うおっ…」

貴樹「!?」

正面に古めかしい民家が見える
だが僕らを驚かせたのは、そこへと続く道の両脇を囲む、凄まじい数のラクガキだった

正確に言えば、ラクガキの全てが一人の人物に向けて書かれている事に、僕らは驚愕していた

範馬刃牙

青年の名前は分かった



正明さんは民家の前で車を止めると、車を出た
僕も正明さんの後を追うように車を出て、民家の前に立った

そして民家についての認識を、静かに改めた

民家を覆っていたのは汚れや傷じゃなく、ラクガキだった
尋常じゃない量のラクガキに埋めつくされ、民家自体が黒ずんでいたのだった


正明「………」ピンポーン

貴樹「………」


チャイムの音が響く
僕も正明さんも、玄関のドアが開くのを無言で待った



「はァ~い」



間延びした声と同時にドアがガラッと開き、僕と正明さんは青年の姿を見た



青年「………?」



そこには、意外な程に普通な青年がいた

長袖に長ズボンという出で立ちの青年は、不思議そうに僕らを見上げている

当の僕らは肩透かしをされたような気分で、緊張の糸もぷっつりと切れてしまっていた



正明「…えーっと、君が範馬バキ君?」

青年「そうですけど、どうかしましたか?」

正明「えっ…あー…それがね…」


あまりの肩透かしに、正明さんはすっかり気抜けしてしまったらしく、何を聞こうかと迷っていた

それは僕も同じで、あんなにぐるぐる回っていた頭の中が、すっかりカラッポになっていた

青年「………」

青年「あの~、何かの勧誘とかだったり…」

正明「いや、違うよ。えーっとね…」


質問の優先順位がバラバラになってしまい、何を言えばいいのか分からない
正明さんも僕も、青年を置いて内心焦っていた

何か言わないと、このままドアを閉められてしまう。そうなるともう次は無い

貴樹「…君の父親について」

青年「!」


貴樹「オーガって人について、聞きたい事があるんだ」


まとまらない質問の中で唯一はっきりしている物を、僕は咄嗟に口に出した
正明さんが、困惑した表情で僕を見る

オーガには、確認されてるだけでも息子が最低二人はいる
でも、その息子達の名前は確認出来ない。
その上でこんな質問をするのは、見切り発射もいいとこだった


青年「………」

貴樹「………」

青年「…記者の方ですか?」

貴樹「いや、記者じゃない。僕は遠野貴樹。今はただのフリーターだよ」

正明「…俺は篠原正明だ。業種についてだが…」

青年「いいじゃないですか」

貴樹「?」

正明「ん?」


青年「お互い他人なんですから、洗いざらい話すコトも無いでしょ?」


青年「受けますよ、インタビュー」


青年「イロイロ書かれないなら、断る理由も無いですから」

玄関を通され、リビングまで案内された僕らの前に、小さなちゃぶ台が用意され、その上にお茶が煎れられた湯飲みが二つ置かれた

青年「ア、どうぞ」

そして促されるまま僕と正明さんは、青年と一緒にちゃぶ台を囲んだ


青年「それにしても…相当気になってるんですね」

貴樹「?」

青年「見に来る人は居るんですよ、結構」

青年「だけど、たいていはラクガキ見ただけで帰るんですよね」

青年「実際にチャイムを鳴らしたのは、アナタ方が初めてです」

貴樹「………」

正明「………」


青年「で、親父の何を探っているんです?」


彼の何を探っているのか。そう言われてしまうと、答えに困ってしまうほど、気になる事が多過ぎた
だから、その疑問をとりあえず順番に挙げていく事にした


貴樹「まずは…名前かな。次に出自」

青年「えっ?」

貴樹「あ、勿論それだけじゃないよ。ただ気になる事ばかりだから、順序だてて聞いていこうと思って」


青年は僕の言葉を聞くと、頭を何回か掻いた


青年「ン~……ようするに、全部が気になるって事ですよね?」

貴樹「そういう事になるかな」

青年「じゃあ…んー…ワカってる事全部話しますよ。でも、あんまり期待しないで下さいよ? 俺も親父の事、良く知らないんで」


そう青年は断りを入れると、話し始めた

青年「親父の名は範馬勇次郎。出自は分かりません。年齢も」


貴樹「…範馬、勇次郎…」


正明「出自が分からないって…ちょっと待ってくれ、身元不明なのに結婚出来たのか?」

青年「してませんよ。母の婚約相手を殺して、無理矢理母を自分の者とし、子供をもうけただけの話です」

正明「!?」

貴樹「殺した…!?」

青年「ハイ。つまり、俺は公然の隠し子って事です」

正明「マジかよ……」

貴樹「………それって…」

青年「ええ犯罪です。法律上はね。でも親父は、超法規が服着て歩いてるようなもんですから…」


青年「で、職歴は…今はどうか分かりませんけど、昔は傭兵とかしてたみたいです」

青年「有名なので言えば……結果的にはですが、ベトナム戦争でベトナム側に勝利をもたらしたり、アメリカと友好条約結んでたり」

青年「あと地震止めたり……ってコレ違うか」ハハ

正明「?…?…」

貴樹「……それ、本当?」

青年「ホントですよ。ていうか、それらしい物を見たから、今ここに貴方達はいるんじゃないんですか?」

貴樹「………」

貴樹「…だったら、彼に関係のある噂話って、全部本当なのか?」

青年「噂の内容は計り兼ねますが、恐らく」


悪い冗談を聞かされているかのようだった

殺人、ベトナム戦争、アメリカとの友好条約

逸話と言うには、あまりにも荒唐無稽なものばかりだったけれど、そのどれもが、僕の中で確かな真実味を帯びている事が恐ろしかった
地震を止めたという、お伽話に半歩踏み入っているような話でさえ、僕には否定出来ないのだから
明里と会ったあの日の事件

あの時のオーガの姿を、曖昧ながらも覚えている自分がいて、それの超常性に惹かれ続けていたからこそ、青年の話を否定出来なかった

でも、青年への疑問は残っていた


貴樹「………範馬、刃牙君だったよね」

青年「? ハイ」

貴樹「きみ、一人でここに暮らしてるの?」

青年「………」

貴樹「…すまない、あまり良い質問じゃなかったね。忘れてくれ」

青年「お袋は殺されました」

貴樹「!?」

青年「昔は泣きましたよ…それこそ涙が枯れるまで…」

青年「でもワカったんですよ。親父と話して、親父と2度に渡り闘って……地上最強に惚れたお袋の為には、アレ以外成す術が無かったんだと」

青年「親父とは決して対等の愛を築けない……そう悟ったお袋は、俺を守り、その命を範馬勇次郎に捧げる事で、親父と俺の記憶に…家族の絆として残ろうとした」

青年「地上最強も人の意思は変えられない。だから親父は、お袋の望みを叶えた」

青年「お袋の想いは報われた。それだけの事です」

貴樹「………」

正明「………」


青年「…ア、すみません…なんか熱くなっちゃって…」


貴樹「いや、いいんだ。聞いたのは僕だし、刃牙君が謝る事じゃないよ」

貴樹「だけど……さっきの話を聞いた後に言うのは、かなり引けを感じるんだけど…………あ、いや、今のは無しで」

青年「? なんですか?」

貴樹「……えー…いや…」


青年「構いませんよ。一向に」


貴樹「……じゃあ…」


青年「………」


貴樹「…君がその、範馬勇次郎って人の息子だって事を…証明してもらいたかったんだけど…」


青年「証明?」

正明「お、おい、それは…」

貴樹「もちろん馬鹿らしい事だとは分かってるから、嫌なら断ってくれても構わないよ」

青年「んーー…」


青年「………」ポリポリ


貴樹「………」

正明「………」



刃牙「茶碗、見ててくださいね」



貴樹「え?」

正明「ん?」

青年の雰囲気が突然変わり、僕達二人は一瞬唖然としたけれど、すぐに目の前の湯飲み茶碗に目をやった

その時、事件は起きた

茶碗の数は二つ
片方が僕ので、もう一方が正明さんの物だ



その二つの茶碗は前触れ無く空中に出現すると、一瞬で緑色に変色し、透明になった


貴樹「?」

正明「?」

そして、茶碗の形をした透明な何かは…

パシャッ


ちゃぶ台に落下する途中で、水音と共に消えた


正明「………」

貴樹「………」

青年「……………」


何が起きたのか分からない僕は、青年に何をしたのかと聞こうと、青年の方を向いた
正明さんも、同様に青年の方に顔を向け



貴樹「!!!!」

正明「!!!!!」



絶句した






青年の後ろに見える台所の上に







湯気をたてる二つの湯飲み茶碗が置かれていた


激しい動悸に、背中から吹き出る脂汗
頭からは血の気が引いて、代わりに髪が逆立つ感覚が沸き起こる

何も分からない恐怖ではなく、あとから分かる恐怖にでもなく
今分かってしまった事から来る恐怖が、二人の心身のバランスを乱しまくった

湯飲み茶碗は透明になった訳ではなく、あの時、ちゃぶ台の上から消えていた

そして、残された茶碗の『中身』も、ちゃぶ台の上から消失した


何故なら、青年が掬い取ったからだ



お茶から抜き取った茶碗を使って、空中に残した大きなお茶の水滴を丸々掬い取り、台所に戻した


足音の一つも立てずに

風の一つも起こさずに





?「…………」




目の前の青年が、途端に人間以外の何かに見えてきた
人間ではないが、人の形はしている
そんな何者かに

いわくつきの日本人形が瞬きをする瞬間を、顔がくっつくような距離で見てしまったかのような、そんな凍り付く恐怖を、僕達は感じていた


青年「どうですかね」


青年「なりますかね…証拠…」フフ…




カクカクと頭を縦に振る以外、僕らには何も出来なかった

青年「じゃ、お気をつけて」

貴樹「………」
正明「………」

ガラガラ… ピシャ

貴樹「………」



僕も正明さんも無言だった
何も言えず家を出て、何も言わず車に乗り込み
車内でもしばらく何も言わなかった

エンジンは掛けず、正明さんはハンドルに手こそ置いていたけれど、車を発車させるようなそぶりは見せなかった


正明「なぁ……」

貴樹「………」

正明「本当だった…よな?あれ」

貴樹「……幻覚って事は、無いと思いますよ」

正明「だよな……」

貴樹「………」


ハンドルに置かれた彼の手が震えている
小声で話しているのも、震えを押し殺すためだろう
それは僕も同じだった

初めてオーガ…いや、範馬勇次郎を見た時以上の戦慄が、僕の心臓を押し潰そうとしていたのだった

むしろあの時の記憶は、事故直後のショックで感情が吹き飛んでしまっていて、なんとなくフィクションを見ているような感覚で思い出せる。だから不思議な事に恐怖感は薄い

タクシーで体験した出来事もその部類に入る

でも今回は違う。音で五感がマヒしてもいなければ、超自然的な出来事に遭遇し、理解が追い付いていない訳でもない

事の一部始終を見て、聞いて、頭で理解してしまった


貴樹(何をしたかなんて…聞くんじゃなかった……)



車に乗って10分が経ったところで、正明さんは車を出した



種子島:海の家


ガヤガヤ ワイワイ

ガラガラッ


花苗「おはようございま…あれ?」ピシャン



店長のおばちゃん「ん、おはよう!」

バイトの子1「おはよー!」

バイトの子2「おはよー…ふいーちかれた。花苗、あと頼むねー」

花苗「あ、うん」

バイトの子2「じゃ、お疲れー…」ガラガラ ピシャン


おばちゃん「花苗ちゃん、早速だけどコレ運んで。よっこいしょっと」スッ

花苗「あ、はい」




花苗「失礼します。カレーライス、中辛、大盛りのお客さま」

青年1「ハイ」

花苗「はい、お熱いのでお気をつけください。から揚げのお客さま」

青年2「あ、はい」

花苗「はいどうぞ。以上でご注文の品はお揃いでしょうか?」

青年1「あっハイ、大丈夫です」

花苗「分かりました。では、ごゆっくりどうぞ」ペコリ

青年1「はいー、あ、そんで話の続きなんだけどよ…」

青年2「うんうん…」

ガヤガヤ ワイワイ



花苗「店長…今日、お客さん凄い多い気がするんですけど…立ち飲みしてる人もいますし…」ヒソヒソ

おばちゃん「うん…海の方でなんかあったみたいよ?ここのお客さん、多分そっから来てるのよ」ヒソヒソ

花苗「へえー」

花苗「……何があったんですか?」ヒソヒソ

おばちゃん「そんなの私に聞かないでよ。ま、お陰でお客さんが増えてるんだし、あんまり気にしなくてもいいんじゃない?」ヒソヒソ

花苗「うーん…」

あれから、何年が経ったんだろう

遠野君がいなくなった日から、私の想いがどこにも向けられなくなった日から、一体何日経ったんだろう


バイトの子1「花苗ー、向こうのお客さんお願ーい」

花苗「はーい」


勉強はしたけど、その意味も無くなって
サーフボードにも乗らなくなって
どこに行くのか私ですら分からない日々は、一体いつから続いているのか

その答えは分かってる

きっと、遠野君と会ったあの日から、私は前に進めてないんだ
振り切ったつもりになっただけで
乗り越えた気分になっただけで
今もずるずる引きずってる


花苗「以上でご注文の品はお揃いでしょうか?」

おじさん「おう、OK」


だからこうして、思い出が残る海の近くで働いているのかと思うと、申し訳ない気持ちになる

おばさんはとてもいい人なのに、バイト仲間の皆もいい人達なのに、私は皆に向き合って生きている気がしない

毎日が、私が、はっきりしない

辛くはない。辛くはないけど味気なくて、見えない不安がいつもどこかにいる

そんな毎日だった

あの人達が来るまでは


ガラガラッ


花苗「! いらっしゃいまっ…」


オリバ「二人だ。カウンター席はあるかな?」


勇次郎「………………」





花苗「………」







オリバ「ン~…見たところないようだが」


花苗「えっ…あっ…はい、あの、えと…」

勇次郎「……………」

花苗「あ、あのぅ…」

オリバ「ン?Oh~、先払いだったか。ソーリー」サッ

花苗「ぃ、いえ、違いますっ、その…」アワワワ

オリバ「ン~~~?」

勇次郎「…………………」

花苗「なんて言うか、その…」

オリバ「要領を得ないな。ちゃんと説明してくれないか」

花苗「ご、ごめんなさいっ!申し訳ありませんっ…!」ペコペコ

勇次郎「チッ」ズイッ

花苗「ひぃっ…」

オリバ「ア、オイオイ勇次郎、エスコートは受けないのか?」

勇次郎「知らねェな」

オリバ「知らねーって、エスコートもテーブルマナーの一つだろう? それに相手は、未熟ではあるが麗しきレディーじゃないか」

勇次郎「………」ぴたっ



勇次郎「それもそうか……おい」


花苗「は、はひ…?」プルプル

勇次郎「案内しろ」

花苗「…は、い…」プルプル

オリバ「フフ…」



ザワザワ…ザワザワ…


「お、おい」  「すげえ筋肉…」
  「あの人、テレビで見たよな…」
「室温上がったぞ…」「馬鹿お前、声でかいって」
「おい出ようぜ…やべえって…」


花苗「………ッッ」


勇次郎「……………」

オリバ「オーダー、いいかな?」

花苗「あっ、は、はい!」サッ

オリバ「オムライスを20枚程頼む」

花苗「オム…はい!?」

オリバ「ン?ンー…イヤ、今のは取下げる」

花苗「で、ですよねっ…あはは…」

オリバ「30だ」

花苗「!!?」

オリバ「高カロリー食が好きでね」

花苗「は……はぃ…」カリカリ


勇次郎「イカの塩辛を頼む」


花苗「…はい…」カリカリ


花苗「えと…ご注文の確認ですが…あの、よろしい、ですか?」

オリバ「オムライス30とイカの塩辛、だろう?」

花苗「えっ」

オリバ「ン?」

花苗「あっ……はいっ!少々お待ちくださいっ!」スタタタ…


オリバ「フー…」

勇次郎「……………」


おばちゃん「ちょっと花苗ちゃん!大丈夫!?」ヒソヒソ

花苗「大丈夫じゃないです…」

おばちゃん「私ね、お客さんが多いのって、もしかしてあのお二人さんのせいじゃないかって思うのよね…米兵さんかしらねえ…」ヒソヒソ

おばちゃん「あ、それで注文はどんなだったの?」ヒソヒソ

花苗「イカの塩辛と…」

おばちゃん「ふんふん」

花苗「オムライス…30個」

おばちゃん「ええっ!?」

バイトの子「はあ!!?」


オリバ「?」

勇次郎「…………」


おばちゃん「あ、すみません、どうも…」

バイトの子「しー…」


おばちゃん「オムライス30個……」

バイトの子「材料はありますけど、時間掛かりますよ?量が量ですから味だって保障できないですし…」ヒソヒソ

おばちゃん「私も手伝うから。お客さんの半分は帰っちゃったし、出来る出来る。やるしかないよ」ヒソヒソ

バイトの子「了解です」ヒソヒソ

花苗「混雑中の看板、立てときますか?」ヒソヒソ

おばちゃん「お願いね。でもその前に塩辛お出しして」ヒソヒソ

花苗「はい」ヒソヒソ




オリバ「フフ…流石に頼み過ぎたかな」


範馬「…………」


オリバ「食事が来る前に、本題に入らせてもらうが…」

花苗「塩辛をお待ち…」

オリバ「ここ最近、日本政府をエラく小突き回しているそうじゃないか。首相にドゲザまでさせたんだって?」

花苗「!!?」

勇次郎「弱者なりの処世術など、端から認めるつもりはねェ。亜部の野郎が勝手にやっただけの……ん?」

オリバ「ン?」

花苗「…………」フルフル


オリバ「…ああ、さっきの話はテキトーに聞き流してくれ」

花苗「イカのしっ、塩辛…お待ちのお客様…」

勇次郎「ん」

花苗「あ、はい…どうぞ…」コト

花苗「それでは、ごゆっくりどうぞ…」ペコリ



オリバ「で、だ」

オリバ「オーガよ……キミに対して何やら陰謀を企てる者達が、遂に現れ始めたようだ」

勇次郎「………」モニュ…

オリバ「原因は言わずもがな……キミの日頃の行いが、どうやら気に食わぬらしい」

勇次郎「………」コリコリ…

オリバ「首謀者は防衛省長官の石波。近々アメリカ側の保守派と手を組み、キミに包囲攻撃を仕掛けるそうだが」

オリバ「我が資本主義国はお人よしでは無い。確実に相応の対価を日本……もしくは石波本人に持ち掛ける。まァ、それは石波も折り込み済みだろう」

オリバ「余程、彼はモモタロウに憧れていると見える」クックック



ジュウウウ…

おばちゃん「…………」トントントン…

バイトの子「…店長…なんか…凄い聞いちゃいけないような話が聞こえるんですけど…」ヒソヒソ

おばちゃん「そう思うなら聞くんじゃないよ。関わっちゃダメ。黙って作る」ヒソヒソ

バイトの子「………」ジュウウウ…



勇次郎「オイ」

オリバ「?」

勇次郎「俺とお前…お互いに既知の世間話をする為に、観光中の俺を踏ん捕まえたワケではあるまい」


勇次郎「言えよ」


オリバ「…………」

オリバ「フー…相変わらずせっかちなコトだ。仕方ない、単刀直入に言おう」

オリバ「私にも一枚噛ませてもらいたい」

勇次郎「!」

オリバ「頂点という立場上、私も似たようなコトを経験しているのでね。コレを機に我が国の保守派にも再認識させておきたい」

オリバ「眠れる獅子に矛を向ける事が、どれほどの愚行なのかというコトを」

勇次郎「…フ…ご苦労な事だ」

オリバ「まったくだ」

花苗「………」ガタン


「えっ、看板?」「混雑中だってさ」
「さっき客一杯出てきたじゃん」

「中に凄いのがいんだよ…マジやばい人間じゃない…」

「何かあったのかな」「うはは、怖えぇ~」

青年「すみません。あのー」

花苗「はい?」

青年「店ん中で、なんかあったんですか?凄い人だかりですけど」

花苗「あ、いや、大した事じゃないですよ。ただ…」

花苗「ただ……」

青年「?」



説明しようとしたけれど、私は答えに詰まってしまった

あの二人について、なんて言い表せばいいんだろう…

とても体が大きい二人組の男の人が、オムライスを30皿も頼んだので、調理の回転が悪くなってしまったんです

…と言えば、それでいいのかもしれない

だけど、きっとそれだけじゃ足りない
何が足りないのかは全然分からないけれど
それはとても大事な物で、それ抜きに話してはいけない気がする

あの二人は、違う

私と、私の周りの人達とは、想像も出来ないほど掛け離れてる

見た目が怖いとか会話の中身が物騒だとか、そういうの以前に…





花苗「……あっ」



興味を無くしたのか、用事が出来たのか
何秒間か考えてる内に、質問をした人はいつの間にかいなくなっていた

お店の周りに集まった人達は、互いに話し込んではいるけれど、私に話を聞きには来ない

みんな気になりはするけれど、関わりたくはないようだった

どこと無くバツが悪くなった私は、看板を立て掛け終わると、店の中に戻った

本当は私も、あの人達とはあまり関わりたくない。怖いし
でも、せっかくウチに来てくれたお客さんを無下になんて絶対したくなかった

例えしようと思っても、無下に出来そうな人達では100%無いんだろうけど



おばちゃん「花苗ちゃん、ちょっと手伝って」

花苗「あっ、はーい」

花苗「………」チラッ


オリバ「………」

勇次郎「………」モニュ…

体の大きい人は、窓の外に見える海を見ながらぼーっとしている

黒い服を着た人は何も話さない
追加注文をしたみたいで、彼の前には漬物と梅茶漬けが置かれていた


その二人を、お店に残ったお客さんの全員が、食い入るように見つめていた
箸を動かす人は、一人もいなかった

いたたまれなさ過ぎるそんな空気の中で、料理を待つあの二人のテーブルの前を素通りするなんて、私に出来るわけがなかった


花苗「あっ、あの…」

オリバ「?」

花苗「…オムライスなんですが…まだ、じゃなくて…」

花苗「もうしばらくお待ち下さい。申し訳ございません」ペコリ

首筋がひやりと冷たくなった
私は何をしてるんだろうと、あっという間に後悔した
黒い服を着た人は、私なんて元からいないかのように漬物を食べている

オリバ「………」ニッ

花苗「!」

でも、体の大きい人は、屈託の無い笑顔で私にウインクをした


花苗「えっと…失礼します」ペコリ

オリバ「ン」



予想してなかった爽やかな反応に驚きながらも、私は厨房に入って、オムレツに包めるチキンライスを炒め始めた

店長が卵を焼きながら、心配そうな顔で私を見てきたけれど、私が引き攣った笑顔でピースサインを送ると、やれやれといった感じで顔を逸らした

バイトの子は焼いた卵でチキンライスを包む作業に必死になっている


私の中でちょっとだけ、大きい人への親近感が高まった気がした
やっぱりまだ怖いけれど


オリバ「…………」

オリバ「そのツケモノってヤツ、美味いのかい?」

勇次郎「………」モニュモニュ…

勇次郎「構わねェが、らしくねェぜアンチェイン」

オリバ「自由だからこそ、ねだるのもまた自由さ」スッ パクッ

オリバ「Oh…デリシャアス…ピクルスよりコッチの方がウマいぜ」コリコリ

勇次郎「被れてんなァオメェも」

オリバ「日本にかい?…まァ、私は国際派なのさ」コリコリ…


オリバ「ン、そういえば」

勇次郎「………」ポリ…

オリバ「最近、キミはトレーニングに勤しんでいるそうだが、そのトレーニングから奇妙な余波が生じているらしいな」

オリバ「ミスタートクガワが面白い話をしてくれたよ」


花苗「お、オムライス30皿のお客さま…お、お待たせしましたぁ」プルプル

バイトの子「く…く……ッ」プルプル


オリバ「……」ヒョイッ ガシャガシャ

花苗「あっ」

バイトの子「わっ…」

オリバ「ハハハ、トレイでテーブルが埋まってしまったな」



勇次郎「聞いたのか」


オリバ「? ああ、聞かせてもらったよ。キミの暴れっぷりと一緒に、随分と饒舌な語り口で…」

オリバ「………アレ?」

勇次郎「口の軽いジジイだ…」フー

オリバ「気付いていたのか?……追跡されているコトに…」

勇次郎「そいつが刃牙に会い、刃牙にジジイが聞き、そして俺の元へと幸か不幸か行き着いた」

勇次郎「遠野貴樹」






花苗「!!!!」







勇次郎「闘争行為の端くれ一つも出来ぬ小物が、よくも野郎の家の戸を叩いたものよ」

オリバ「一般人、なのか?」

勇次郎「その定型の如き者だ」


オリバ「……その口ぶりから察するに、どうやら話を聞いただけでは無いようだな」

花苗「…ぁ…」



勇次郎「些細なコトだ」

オリバ「キミにとってはそうかもしれんが、そのトオノ君とやらにとっては一大事だと思うがね」

勇次郎「知らねェな」ズズ…

オリバ「………」

オリバ「ところで、何故今頃になってトレーニングを…」



花苗「あのっ!!」


オリバ「!」

勇次郎「!」

おばちゃん「!?」

バイトの子「!?」


花苗「遠野君の…遠野、貴樹君と、お知り合いなんですか…!?」


勇次郎「………」

オリバ「………」


花苗「…………」



花苗「…す…すみません…ぃ、今のは…今のは、その…」


勇次郎「オイ」

花苗「っ! すみません!あの、私…どうかしてました!ごめんなさいっ!」

勇次郎「会ってどうする」


花苗「!!?」


勇次郎「…………」


花苗「な、なんでそんなコトあなたが……それに、会うって…」

花苗「私は…そんなつもりじゃ……だって遠野君は…」ゴニョゴニョ


勇次郎「血圧、脈拍、体温の上昇及び若干の過呼吸」

勇次郎「中枢神経の興奮状態に、身体を巡る神経系の活性状態」

勇次郎「偽った所で隠し通せるハズも無い」

勇次郎「なァ、おい」クスッ

長いようでも振り返ればあっという間な、私が過ごしてきた今までの人生
その中で初めて、私は知らない人に心の奥底を見透かされた

どうやって見抜いたのか、私なんかには分からなかったけれど

遠野君の名前が出た時、心の中が酷く掻き回されて、胸の奥がざわざわしたのに、黒い服の人の言葉が、そのざわつきを吹き消して、私の本当の想いを、私自身に突き付けた


私は、遠野君に会いたい

でも会ってどうするのかなんて、分からない。いや、きっとどうしようもない。だって遠野君は、私を見ていないから

私は今も、そしてこれからも、おばあさんになっても、遠野君の事を想う

けれどそんなの、遠野君には…関係ないから…




オリバ「なァオーガ……可憐な乙女心にズケズケと入り込むのは、少し酷というものだと思うんだが…」

勇次郎「黙ってなアンチェイン」

オリバ「………」

勇次郎「機を逸し、あらぬ事を察し、勇気は愚か蛮勇さえ発揮出来ず、逃す……大方そんなトコだろう」

勇次郎「この不真面目が」フフ…

花苗「!っ」

勇次郎「『得る』という行為は生易しいものでは無い。何を求めたにせよ、己の全てを賭け、貴様は事に臨むべきだった」

勇次郎「金、愛、権威、命…そして栄光………どれもが、事の大小に拘わらず賭けを必要とする」

勇次郎「中には賭けを必要とせぬ物もあるが、そんな残りカスなどは手にするだけ無駄というもの」

勇次郎「貴様は何も賭ける事無く、愚かにも時を無為に浪費しただけだ」

花苗「…………」

勇次郎「そんなザマじゃ逃して当然」

花苗「…………」ウルウル

勇次郎「得られる物など何一つありゃしねェぜ」クスッ

勇次郎「そんな性根じゃ生きてる意味が無い…………気の毒過ぎてとても突っ込めねぇよ」ニヤア~ッ



花苗「…っ…うっ…ヒック…」ポロ…




オリバ「あ~あ…やっちまったよ…」

おばちゃん「!? ちょっとお客さん!何してるんですかっ!」

バイトの子「花苗!?大丈夫!?」

花苗「うぅっ、えぐっ、うっ…っ…」ポロポロ

「お、おいおい…」「泣いちゃったぞ…」「かわいそ…」
「うわー…」

ザワザワ…

おばちゃん「あーもう今日はおしまい!解散!ホラ帰った帰った!」

「は、はい」「そうだな…」「くわばらくわばら…」

おばちゃん「ホラ早く帰っとくれ!!見世物じゃないよ!!」

「おい早く行けって!」「押すなよ俺を!」

ゾロゾロゾロ…

悔しかった

どれだけ酷く言われても、反論の一つも出来ない私が情けなくて
気付きたくなくて埋めた秘密を、見知らぬ他人にあっけなく掘り起こされてしまって

拭いても拭いても涙は止まってくれない
口を噛み締めても、どうしても声が漏れる

全部、この人の言う通りだった

勝手に恋して、勝手に諦めて

聞けばよかったんだ。遠野君は何を見ているのって
私が思いを伝えてればよかったんだ
そうすれば後悔なんてしなかったのに
遠野君を思い出す度に、胸を締め付けられる事もなかったのに

諦めなければよかったのに

もっと素直になればよかったのに




溢れだした感情に呑まれて、私は子供みたいに泣いた

最後に遠野君を見た日みたいに、顔をくしゃくしゃにして

自分が大人だって事も忘れて



頭の中に、遠野君と一緒に過ごした日々が回ってた

一緒に通った通学路が

一緒に眺めた夜景が

とっさに彼の制服を掴んだ、コンビニ裏の自転車置場が

残酷にも、かつての輝きを取り戻しながら


ぐるぐる回ってた






おばちゃん「さ、アンタらも早く帰っとくれ」

オリバ「…………」

勇次郎「クスクスクス…」


パサッ


勇次郎「二人分の勘定だ。釣りはいい」ニィ


ガラガラ  ピシャン



オリバ「………」

おばちゃん「アンタもだよ、黒人さん」

オリバ「スマない…まさかこのような事になるとは…」

バイトの子「なっ…何がこのようなですかぁ!!」

バイトの子「謝ってくださいよ!花苗に謝って!」

花苗「いいよ…」

バイトの子「……花苗?」


花苗「もう、いい…ひっく、ぐすっ」

花苗「私…っ…疲れ、ちゃった…」

花苗「かっ…帰り、ます」ポロポロ

おばちゃん「駄目だよ!そんなんでカブの運転出来ると思ってんのかい!」

花苗「だっで…」ポロポロ

おばちゃん「今日は泊まりなさい…ここ開けとくから」

花苗「ごっ…ごべんなざいぃ…」ポロポロ

おばちゃん「良いのよ別に。さ、ほら、横になって。あんたは毛布かなんか持って来て」

バイトの子「はいっ」

花苗「うっ…うぅっ」グスッグスッ


おばちゃん「まったく……ほら!アンタも出てって!」

オリバ「…ソーリー…」ガラガラ

ピシャン




オリバ「………」

貴樹「澄田、先に帰ってるからね」

花苗「えっ? ちょっ、ちょっと待って。今準備するから…」

貴樹「ふふ、冗談だよ。じゃあ、校門前で待ってるからね」

花苗「う、うん!」

タッタッタッタッ


花苗「はぁ、はぁ、ごめん、待った?」

貴樹「そんなに待ってないよ。息、大丈夫?」

花苗「あははっ、大丈夫。平気」

貴樹「そっか、じゃあ行こうか」カチッ ブロロロ

花苗「うん」カチッ ブロロ

ガスン

花苗「あっ…あれ?」ガスン ガスン

ブロロロロロロロロ…


花苗「! 遠野君、待って!」

花苗「このっ、もうっ…なんで掛かんないの…?」ガスン ガスン

花苗「とっ、遠野君!今行くから!」カチッ

タッタッタッタッ



花苗「はぁっ、はぁっ、はぁっ」タッタッタッ


遠野「………」


花苗(いた!やっぱり待っててくれたんだ!)タッタッタッ


遠野「………」カチッ ブロロロ…

花苗「!? 遠野君!?」タッタッタッ

ロロロロロロ…


花苗「まっ!待って!遠野君!」タッタッタッ

花苗「行かないでっ!…ぐすっ…置いてかないでっ!」タッ、タッ

花苗「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


花苗「んぐっ、はぁっ、はぁっ」



花苗「遠野君……遠野君っ…」ポロポロ


花苗「うぅぅ…っ、ひっく…ひっく」ポロポロ



バサッ





花苗「………」



おばちゃん「花苗ちゃん、もう落ち着いた?」

花苗「…店長…」

おばちゃん「お腹空いてないかい?」

花苗「え…いえ、今はいいです…食欲、ありませんし…」

おばちゃん「そう……」

花苗「…………」


花苗「…今、何時ですか…?」


おばちゃん「? 午後の6時半だね。夕方だよ」

花苗「…そうですか…」

花苗「………」

花苗「………」スッ スタスタ

おばちゃん「花苗ちゃん?」

花苗「…ちょっと、海を見に行ってきますね」

おばちゃん「?」


おばちゃん「!? ちょっとアンタ、待ちなさい!」


花苗「えっ」

おばちゃん「アンタ、妙な気起こすんじゃないだろうね」

花苗「妙な気って……ふふっ、何もしないですよ…ずっと毛布に包まってたから、暑くなっちゃっただけです」

花苗「それに…」

おばちゃん「………」


花苗「今は…一人になりたいんです…」


おばちゃん「………」

おばちゃん「分かったわよ」

おばちゃん「30分。30分たったら帰ってきなさいよ」

花苗「はい…」ガラガラ

ピシャン





誰もいない浜辺は、夕日でオレンジ色に染まっている

砂浜に佇んでいる私は、水平線とくっついた太陽を見ていた


花苗「………」



私の頬をまた涙が伝う

景色がぼやけるくらいに、両目から溢れて止まらない

でもその涙には、感動とか、泣き叫びたい程の悲しみとかは無かった

ただ寂しかった

今までの私と、お店で大泣きした私は、何も違う所なんて無かった

深く沈んだ哀しみが、浮き上がってきただけで

今はまた沈んでいるだけで

結局は何も変わらない


だから明日もその次の日も

ずっと私は、遠野君が好きなままなんだと思う


ずっと好きなままで、ずっと後悔し続けて

ずっと何も出来ないままで


泣きたい気持ちをいつまでも抱いて

私は、これからもここにいる


この海の向こうに、あの人の姿を見ながら…







花苗「………」
















オリバ「綺麗な眺めだな」




花苗「!」



オリバ「グゥドゥアフタヌーン、ミスカナエ」


花苗「あ…あなたは…」


オリバ「私の名はオリバ。ビスケット・オリバだ。アンチェインでも構わないがね」

スッ

花苗「…え…」

オリバ「その涙では綺麗な顔が台なしだ。使いなさい」

花苗「いえ…いいですよ…そんな…」

オリバ「怖がるコトは無い。私はさっきの怖いおじさんとは違う」

花苗「………」


花苗「………」フキフキ




オリバ「ビューティフル」

花苗「!?」ピクッ

オリバ「この海がさ。キミも好きだろう?ミスカナエ」

花苗「…好きです、けど……」

オリバ「寄せては引く波音に、頬を撫でるそよ風。そして水面に浮かぶ二つの暖かい輝き」

オリバ「恐怖の象徴の裏返しとして、古来より海が母なる愛と語り継がれるのも、頷けるというモノだ」

オリバ「まァ、今のキミにはそうは見えないかもしれないが」

花苗「…………」

オリバ「この海の向こうに、愛する人がいる」


花苗「!!」


オリバ「そうだね?」


花苗「……また、私を責めるんですか?」フルフル

オリバ「そんなコトしないさ。私も同じだと言いたいだけなんだ」

花苗「えっ…?」

オリバ「人を愛するというコトには、いつも痛みが伴う。時にはその愛そのものを脅かす程の痛みに、苛まれる事だってある」

オリバ「愛には見返りが無い。愛というのは常に一方通行だからね」

花苗「…………」

オリバ「そして一番辛いのは、その一方通行な愛が、相手に認識されていないのではと考える事だ」

オリバ「自分の愛ではなく、どこかにいる他人の愛が、相手の心を奪っているのではと考える事だ」


オリバ「勇次郎はそんな心を軟弱と罵るが、私はそうは思わない」

オリバ「そして、キミも。…違うかい?」

花苗「………」


花苗「違わない…です」


オリバ「ホラ、やっぱり同じだっただろう?」

花苗「…うん…」

オリバ「………」ニコッ



花苗「あの……あなたの愛する人って、どんな人なんですか?」


オリバ「どんなって、そりゃあもうトンデモなく美しい人さ。傲慢で威厳に溢れ、我が儘な性格が尚更愛しくさせる」

オリバ「そうそうこの腕」メキメキィッ

花苗「ひぇっ…」

オリバ「Oh、ソーリー」

オリバ「この腕も彼女の為にこしらえたんだ。マリアの為なら、イエス・キリストでも締め落として見せる」ニヤニヤ

花苗「へ…へぇー…す、凄いですね」アハハ…

オリバ「オッ、ようやく見れた」

花苗「?」

オリバ「キミの笑顔さ。想像してた物よりキュートだったがね」

花苗「!? なっ、何言ってるんですかっ…//」

オリバ「フフ……」

花苗「………//」



オリバ「だが一つだけ、私達には違いがある」


花苗「?」

オリバ「たった一つだけね。ワカるかな?」

花苗「…違う事だらけだと思いますけど」

オリバ「ンー……確かに見た目は違うかな。私の上腕は、少なくともキミの腕の6倍は太いし、交遊関係も私の方が明らかに物騒だ」

オリバ「だがしかし、私達は誰かに恋をしているという、巨大な共通項を持っている」

オリバ「それでも、ある一点だけが違うのさ」


花苗「………」


花苗「……性別、とかですか?」

オリバ「ハハハハハハハハハハハハ!!!!」


花苗「ひぁっ…!」

オリバ「イヤー、ハハハ……アッ、すまんすまん、またビックリさせてしまったね。笑い声がチョビっと大きいんだ。ハハハ」

花苗「はい…」フルフル

オリバ「確かに性別は違うな。でも、そうじゃない」

オリバ「どのような人物にも人を愛する権利がある以上、フィジカルは差異に入らない」


オリバ「唯一の違い……それは『愛の強さ』さ」


花苗「…愛の強さ…?」



オリバ「そう。愛する人の事を想い、その為に行動を起こす力」


オリバ「マリアへの私の愛はアメリカ…いや世界一だと自負している」

オリバ「マリアを守る為に、私は世界一の筋肉量をこの身に宿した。マリアを救う為に、私は世界の規範から逸脱出来る程の知力を得た。マリアに似合う男になる為に、私は世界一の自由を得た」

オリバ「出来ない事はもう何も無い。必要とあらば、私は命をも捧げられる」

花苗「………」

オリバ「私がこのようにマリアを愛するように、キミもまた、ミスタートオノを世界一愛していたハズだ」

オリバ「だが、キミは実行する事を躊躇した。愛の強さが、キミ自身の躊躇いを凌駕するに至らなかったのだ」


花苗「………」



オリバ「しかしそれは裏を返せば、キミもまた私のような者に成り得るというコトだ」

オリバ「ミスカナエッ」ガシッ

花苗「っ……なんですかっ?」


オリバ「あと一歩で手が届くんだよッ、彼の背中にッ」


花苗「………」


オリバ「………」



花苗「……私の事、励ましてくれてるんですよね」

花苗「そのお気持ちは、嬉しいんですけど…」

花苗「………」


花苗「でも、嘘つかなくったって、いいじゃないですか」


オリバ「え?ウソ?」


花苗「嘘じゃなかったら何なんですか?」

オリバ「なにって、リアルに決まってるじゃないか」

花苗「やめてください!」

オリバ「?」

花苗「っ!」パシッ

オリバ「あ」


花苗「私は子供じゃないんです!」

花苗「出来る事と出来ない事の区別ぐらい付いてるんですよ!?」

花苗「世界一とか自由とか!命を捧げるとか!そんな都合のいい事、普通は出来る訳ないって、分かってるんですよ!?」

花苗「それでも私、頑張ったんです!努力したんです!遠野君と一緒にいたかったから!後悔なんて絶対したくなかったから!」

花苗「私は…っ…」


花苗「………っ…くっ…」グスッ


オリバ「…………」



花苗「私だって、好きでこうなったんじゃない…っ」ポロポロ




花苗「…っ……っ」ポロポロ


オリバ「………」


オリバ「スマナイ…軽率だったね」


オリバ「だが事実、私は…」

花苗「っ!!」サッ


パチン!


オリバ「………」

花苗「最低!」ポロポロ

オリバ「証明出来る」

花苗「!」

オリバ「今は知力や自由の証明は出来ないが」

オリバ「愛によって育まれた『力』の証明は出来る」

花苗「…?…」

オリバ「それが出来たら、認めてくれるね?」


オリバ「愛の力に不可能など無いコトを」


オリバ「キミの愛は、まだ終わってはいないコトを」


悔しさと悲しさで一杯になっていた私の心に、彼の言葉が重く響いた気がした

私の気持ちを踏みにじった嘘を、嘘ではないと証明すると言った彼の目は、とても真剣で、真摯だった

二度と嘘とは言わせない

まるでそう言うかのように


バファッ

私から少し離れて、彼は上着を脱いだ

花苗「!!?」



その時の彼の上半身を見て、私は何も言えなくなってしまった

サーフィンをしていた昔の私は、同学年の子より、男の人の水着姿を見る機会が多かった
だから男の人の筋肉とかを見ても、特に何かを感じるわけでも無かった

せいぜい、プロもアマチュアも、見た目はあまり変わらないんだなって、その程度だった


でも、彼の身体は違った


彼の身体は例えるなら、鉄の塊だった

それも車のエンジンとか、カブのプラグとか、そんな金属じゃない
もっと鋭くて、包丁みたいに研ぎ澄まされた輝きを放つ、とてつもなく重い鋼鉄

その想像を絶し過ぎた姿に、一瞬だけ、彼が着ぐるみを着ていると私は本気で思った



オリバ「離れていなさい。あと、出来れば耳を塞いで、目も閉じておいた方がいい」

オリバ「それと姿勢も低い方がいい。うずくまるのがベストだ」


花苗「?…?…」


彼が何をしようとしているのか、全く分からなかった
だから言われるがままに、私は彼の指示に従った


だけど何が起きるのか気になったから、薄目を開けて、彼の背中を見た

彼は波打際に立つと、しゃがみ込んで、そのまま何秒間か止まっていた
そして、何をしているんだろうと勘繰った私の目の前で…

ド  オ  ン  !

花苗「えっ…」


高く跳んだ

ロケットの打ち上げみたいに、砂埃を上げて

それも、尋常じゃないくらい高く


5メートル、10メートル、いや、もっともっと高くまで

高校の屋上を飛び越すくらい高く跳んでも、彼はまだ止まらない

花苗「~~~~~~~~~~~ッッッッ!!??」



そして降下を始めた彼が、海に触れる瞬間、私はとても怖くなって…


花苗「んっ!!」ギュッ

目を固く閉じた



海の家



テレビ「最近話題のカーナビのずれですが…

テレビ「最近というか随分前からですよ?もうずっと前…

おばちゃん「………」

おばちゃん「カーナビとかどうでもいいわ」アハハ

おばちゃん「………」





ド   ギ   ャ   !   !



おばちゃん「!!?」


ズ ズ ゥ ン… ゴゴゴゴゴ…


おばちゃん「えっ…地震!?ウソ!?」

高校




花苗の姉「………」カリカリ…


先生「澄田先生。この前決まった指導要領についてですが、お聞きしたい事がありまして」


姉「あ、はい。何か?」

先生「ここなんですけれども…」パラパラ




ドオオォォン…



姉「?」

先生「?」

「うわ」「なんだ?どうした?」

ゴゴゴゴ…

「地震だぁ!」「えっ?何!?」

「揺れてる揺れてる」


姉「…あれ…これって」

先生「…やばいですね」


姉「警報器鳴らしますっ」ダッ

先生「あっ、え、えーっと」

先生「あっ、集合ー!集合ですー!緊急ですー!」

ガヤガヤ… ザワザワ…

種子島:天女ヶ倉山中


ズウゥゥゥン




勇次郎「!」



勇次郎「…………クスッ」

勇次郎「クスクスクスクス…」




勇次郎「あのお節介焼きめ」クスッ

ザアアアアアアアアアアアアアアアア…



突然降り出した土砂降りの雨の中、私は身体を縮こませて震えていた

目は開けていない

けれど、この雨がどこから来たのかはもう分かっていた
この雨については、匂いも、冷たさも、私はよく知っていたんだから

知っていたから、目を開けられなかった

雨が冷たくて、目が痛くて
目の前で見た物を信じるのが、怖くて怖くて、堪らなくて
だから私は、雨が治まっても、カチカチと歯を鳴らせて震えていた






オリバ「もう良いぜ」ズチャッ



花苗「ひっ!!」ピクッ


オリバ「大丈夫。もう怖い事は終わった。それより見せたい景色があるんだ」ズチャッ

花苗「い…いや…」

オリバ「………」スッ

花苗「!? いや!降ろして!」ジタバタ

オリバ「降ろさないよ。お姫様を落とすような王子では無い」フフ…

オリバ「それに、早く見ないと、この美しい海も元に戻ってしまう」

花苗「うぅ……」

オリバ「怯える事は無い。さ、目を開けて」

いくら暴れても解かれないお姫様抱っこと、もう少しで消える景色への好奇心に負けて、私は眼を開けた



花苗「あっ」


オリバ「………」



花苗「………」



オリバ「どうだい?綺麗だろう?」






その海には、波音が無かった

波すらも無かった

いや、そこには海そのものが無かった



代わりに、水平線近くまで続く、巨大な一枚の鏡が張ってあり

その鏡が、オレンジ色の空を完璧に映しだしていた

鏡と空の境目が分からなくなるほどに

雲の一つ一つから、空を飛ぶ鳥の羽ばたきまで、完璧に


そして境目の中心には、半分まで沈んだ夕日が映りこんでいる



その光景は、地球ではないどこかの星…




そう、まるで自分が、天国にでも居るかのような…






花苗「きれい…」



オリバ「ああ、美しい」



花苗「………」





花苗「………こんな事、どうやってやったの?」


オリバ「コップに注がれた水……その水面に起きた波紋を、一滴の水滴で止める。原理はそれと似たようなものさ」

オリバ「まァ、このコップは少々大きすぎるが」フフ…



花苗「………」



オリバ「怖いのかい?」


花苗「ぇ、ええ、だいぶ…」


オリバ「アララ」


花苗「すみません…」


オリバ「ンー…可能な限りファンタスティックな物をと欲張ってはみたものの、やり過ぎたようだ」

花苗「みたい、です、ね…」ハハ…

オリバ「中々上手くいかないものだ」


ザザ… ザザザ…

ザザザザザザ…


花苗「! 波が…」

オリバ「回復したようだ。この現象も長くて20秒かそこらさ」

オリバ「もうちょっと長くても良いんだけどなァ」

オリバ「フゥー……」スッ

花苗「………」スタッ



オリバ「さて、約束通り信じてくれるかな?」

花苗「………」

オリバ「アレ?」

花苗「あ、いや、信じます。信じますけど…」

花苗「想像してたのと全然違いましたから、驚いてしまって…今いちピンと来てない気がして…」

オリバ「もっと凄いのを期待してたかい?」

花苗「!? いえっ、違いますよ? むしろやり過ぎだと思いますっ」

オリバ「そりゃあ良かった。いくら私でも、アレ以上は無理だ」

オリバ「人間の限界なんて、所詮ミサイル一発分くらいなものさ」ハァ…

花苗「ミサ……」



オリバ「さて、私はここで失礼…」クルッ

オリバ「…する前に、コレをプレゼントしておこう」クルッ

花苗「っ、これって、良いんですか?」

オリバ「上着の一つや二つ、無くなったって構いやしないさ。むしろ問題なのは髪がビショビショなキミの方だ。遠慮なく使いたまえ」

花苗「ぁ、ありがとうございます…」

オリバ「礼などいらな…ン?」

花苗「?」




おばちゃん「花苗!大丈夫だっ…た……」




オリバ「…………」




おばちゃん「あーー!!!」


オリバ「あっ、ヤベッッ」ダッ

おばちゃん「この変態!け、警察呼ぶよ!」

オリバ「NOッッ!!」ダダダダ…



花苗「……?」

おばちゃん「クソっ…逃げやがった…」

おばちゃん「! 花苗ちゃん!怪我とかしてない!?」

花苗「…怪我は無いですけど…」

おばちゃん「けど!?あの外人になんかされたのかい!?」

花苗「何って……」

おばちゃん「………」

花苗「………うーん」

おばちゃん「………」



花苗「なんか、励まされたみたいです」



おばちゃん「は?」

花苗「すみません。私もちょっと、よく分かってなくて…」

おばちゃん「………」

おばちゃん「……まあ、大丈夫なら良いんだけどさ。さ、片付け手伝ってもらうよ」

花苗「片付け?」

おばちゃん「さっきの地震で店ん中目茶苦茶んなったんだよ。ニュースになるくらいだし、この小島にしては大事件さ。厄日ってやつなのかねー今日は」ポリポリ

花苗「………」

おばちゃん「…気付かなかった?」

花苗「?ぃいえっ、気付いてましたよ。怖かったですよね」



花苗(…ミサイルにしたって、ちょっと強すぎるんじゃない…?)

澄田家



ガチャッ 

花苗「ただいま~」バタン

姉「おかえり。晩御飯出来てるから」

花苗「んー…」スタスタ

姉「? 食べないの?」

花苗「後で食べるよ…今日すっごい疲れた…地震もあったし」

姉「じゃあ明日食べるって事ね?」

花苗「そうしといて…」スタスタ


花苗「あ、母さんは?」

姉「家の片付けでダウンしてる。起こさないであげてね」

花苗「分かった。じゃ、おやすみ~」スタスタ

姉「おやすみ」



姉「………」



姉「地震『も』…?」

花苗「はあ…」


ばふっ



花苗「…………」





私が過ごしてきた毎日の中で、多分一番慌ただしかった一日

そんな今日が終わり、安堵感が、飛び込んだ先の柔らかなベッドと一緒に、私を包み込んだ

身体から力が抜けて、頭を上げる気力も無い中、ぼんやりと彼の…

いや、彼らの言葉が、頭の中を巡る



[貴様は何も賭ける事無く、愚かにも時を無為に浪費しただけだ]

[そんなザマじゃ逃して当然]

[得られる物など何一つありゃしねェぜ]


【出来ない事はもう何も無い。必要とあらば、私は命をも捧げられる】

【私がこのようにマリアを愛するように、キミもまた、ミスタートオノを世界一愛していたハズだ】

【だが、キミは実行する事を躊躇した。愛の強さが、キミ自身の躊躇いを凌駕するに至らなかったのだ】

【しかしそれは裏を返せば、キミもまた私のような者に成り得るというコトだ】

【あと一歩で手が届くんだよッ、彼の背中にッ】



遠野君が私から離れていく時…いや、元から近づいてなんてなかったって、気付いてしまった時、私は何も出来なかった。ただ悲しさに打たれて、諦めてしまった
そんな私に、あと少しで手が届くなんて言葉は、信じられるはずもなかった

愛が終わるどころか、始まってすらいなかったのに
想いに力なんて無いのに
それなのに…


【今は知力や自由の証明は出来ないが、愛によって育まれた力の証明は出来る】

【それが出来たら認めてくれるね?愛の力に不可能など無いコトを】

オリバ「キミの愛は、まだ終わってはいないコトを」



彼はそう言って、私の前で証明してみせた


彼の言う愛の力を

誰にも出来ない。やろうともしない
思いつきさえしない事を、彼はやった

バカバカしいほど壮大で、でたらめな事を

思えば、あれほどの事も、彼の言う『愛の力』をどう証明しているのかの説明にはなっていない
想いの強さに関係無く、あの人の身体はどうかしてる
見れば分かるし、きっと誰だってそう思う

なのに、話をしている時の彼の目には、確信みたいな物があった

まるで「信じている物があるから出来るんだ」と言うかのように、真剣な眼差しだった

だから、想いの力さえあれば、私なんかにも出来る事だと、彼は本気で思っている

でも、海から波を消すなんて私に出来るはずがない
私に出来る事なんて、毎日働いて、たまに昔の事を思い出して、寂しい気分に浸る事だけ

サーフィンだってやめてしまって、サーフボードの手入れの仕方まで忘れてしまった

出来る事なんてほとんど無い

そう、ほとんど何も…




花苗「……なんで…」




彼はなんで、あんな事が出来るんだろう

あんな事が出来るようにならないと愛せない人って、一体どういう人なんだろう

多分彼は…いや、オリバさんは、その人を愛する為に、私なんかより何倍も努力しているんだろう

何十倍も、何百倍も、何千倍も…
努力なんて呼び方が出来ないくらいの努力を、何重にも積み重ねて
その過程で身についた色々な物にも、眼もくれずに



…もしかしたら、オリバさんが言いたかったのは、そこなのかもしれない

一つ積むのも二つ積むのも、積み上げる事には変わりない

積み上げた分だけ近付けるとしたら、いつかは必ず手が届くって、オリバさんは言いたかったのかもしれない

でも、それを私に説明したかったにしても…


花苗「…口下手過ぎますよ」フフッ



私は世界一頭が良いみたいな事言ってた人が、口下手なんて

きっと、私を説得するついでに、強さ自慢みたいな事もしたかったんだ
ウインクとかもしてたし、意外とオリバさんはお茶目な人なのかもしれない

だからこそ相手の人も、彼を受け入れたんだと思う

その人も傲慢で威厳がある人みたいだし、あの人でもこき使われてたりするのかな


花苗「………」



出来る事は少ないかもしれない

限界なんてあっという間に来るかもしれない

だけど私自身、もう諦めたくないって思ってる
遠野君を思う度に、心が苦しくなるから

だから私は、オリバさんに怒ったんだ

彼の事が羨ましかったから

私にも、想いを伝えたい人がいるのだから





花苗「私、もう一回頑張ります」





誰に言うとも無くささやいて、私は眠った








ミーンミーンミーン


姉「あっつ~…」


姉「………」カチッ

姉「あら、もうクーラー付いてたんだ」

姉「はあ…」


テレビ<いや~昨日の金曜日ですか。私、種子島の方に行ってたんですけどね。いやもう凄い地震があったんですよ!グラグラグラ!って…>

プツン


姉「あー…今日が土曜で良かったわ」




花苗「おはよー」スタスタ

姉「あーおはよー」

花苗「あっついねー、今日」

姉「んー…」

花苗「…ねえお姉ちゃん」

姉「ん?」

花苗「海、行かない?」


姉「え?」



花苗「今日、暑いし」



姉「……まあ、うん」

花苗「学校、土日はやってないでしょ?」

姉「土日っていうか…地震の片付けとかで、しばらくは用務員さん以外立ち入り禁止だけど」

花苗「うわ…凄い事になってんだね。やっぱ」

姉「まあね」


姉「………」

姉「で、どういう風の吹き回しなの?もう海に行きたいなんて言わなくなったと思ったのに」

花苗「ダメかな?」

姉「ダメじゃないけど…うーん…」

花苗「………」

姉「…じゃあ、とりあえずボードは車に積んどくからね」

花苗「えっ」


姉「あんたが海に行くっていうなら、当然、やるのはサーフィンでしょ?」


姉「スペアのボードもあるし、問題ないじゃない?」



花苗「………」




車内



姉「………」


花苗「………」



姉「水着のサイズとかは大丈夫なの?」

花苗「あ、うん、大丈夫。もう服の下に着てる」

姉「へえ、着れるんだ。スリーサイズ変わらないなんて、うらやましいなぁ」

花苗「そんなことないよ。ちょっとキツいし、蒸れるし」

姉「ふふっ」



花苗「………」



姉「花苗」

花苗「なに?」

姉「私、いっつも応援してるからね、あんたのこと」

花苗「!」


花苗「………」



花苗「……ありがとう…」



姉「うん」


花苗「………」

姉「………」

ザザァ…  ザザァ…



姉「…私も久しぶりに来た気がするよ」

花苗「海に?」

姉「うん、海に」


ザザァ…  ザザァ…



花苗「………」

姉「昨日の晩御飯、お弁当にして持って来たから、疲れたら食べて休みなさいよ」

花苗「うん、分かってる」

姉「あとサーフボードだけど、もう塗った?」

花苗「ううん、これから塗る」

姉「ん、分かった。じゃあ、先に車に戻ってるからね」スタスタ

花苗「うん」



ザザァ…  ザザァ…




花苗「………」ゴトン




花苗「………」ゴリゴリ…




青色に澄んだ空には、雲がくっきりと映ってて
強い日差しと、少しだけ強めの風が、私の背中に当たってる

暑いだけの家の中とは違って、浜辺は絵に描いたような良い天気だった

波は高く押し寄せ、しぶきを上げていた



花苗(うん…いける…)

タッ



タッタッタッタッ…

ザバザバザバザバ…



バシャン



久しぶりに駆け込んだ海は、始めて入った海より温かかった

私はサーフボードを海面に置くと、波が起きるポイント目掛けて泳ぎ出した



すると、くすぶっていた火種のような…

昔の私がそのまま抱いていた想いや、みずみずしさが、私の胸の中から湧いてきた


とうに埋もれてホコリを被ってしまった物が

波に洗われて、輝きを取り戻していくかのように

ザザァ… ザパーン


姉「ふふっ、やってるやってる」


姉(今度こそ、吹っ切れたらいいわね)



コンコン




姉「?」

オリバ「エクスキューズミー」

姉「!!?」


姉(え?…なに?…誰なの?)


オリバ「失礼、英語はイケなかったかな?」

姉「え…いえ…英語は出来ますけれど…」


姉「………」


姉「…お上手なんですね日本語」

オリバ「イエス。私は言語学も得意でね。ロシア語も中国語もなんでも御座れなんだ」

姉「す、凄いですね…」

オリバ「よく言われる」ニィ~


オリバ「ところで、あそこで波と格闘中のミスカナエについてなんだが…」

姉「?…あっ、花苗のお知り合いの方でしたか?」

オリバ「まあそんな所だ。それで、彼女のチャレンジについてなんだが、私にも見届けさせてはくれないかな?」

姉「えっ?」

オリバ「このサーフィンは彼女にとっては、最もシリアスプロブレムなイベントである事は私にも理解出来る。あの目を見る限り、彼女は愛破れし者から生まれ変わろうとしているのだからね」

姉「……あなた、やたら花苗について詳しいみたいだけど、一体何者なの?あの子のなんなの?」

オリバ「世界でイチバン自由な男にして、彼女の単なる一知り合い」

オリバ「…なんてどうかな?」


姉「………」



姉「……まあ、好きにすればいいわ。でも、あの子の邪魔はしないでね」


オリバ「イグザァクトリー」ニマッ


昔より鈍く、遅くなった身体で波に挑むのは、想像以上に厳しいものだった

腕も、足も、思うように動いてくれない
一掻きで越えた小さな波は、今では二掻きしても形を崩してくれない
息もすぐに乱れて、口の中に海水が何度も入る

花苗「はあ、はあ…」

体勢を立て直して腹ばいでボードに乗っても…

花苗「わぁっ!」ザバン!


肩と太ももに波を受ければ、あっという間にバランスを崩して落ちてしまう
体力も筋力も衰えて、スタミナの回復も満足に出来ない

花苗「はあ、はあ…ふぅ…」


一息入れて、もう一度波に挑む


花苗「っ…くっ!」バシャッ バシャッ


でも、今度は現れた波に近付く事さえ出来なかった



花苗「はあ、はあ、はあ…けほっ、ごほっ」



1年以上本格的な運動をしていなかったとは言え、ある程度数をこなせば波に乗れるかもしれないって思っていたけれど、甘かった

学生時代、波に乗っている時は、サーフボードが自分の身体の一部になったかのように感じていたのに

今は波に乗るどころか、サーフボードに乗る事にさえ苦戦してしまう


花苗「………」



サーフボードにしがみつく両手が、滲んでぼやけた

花苗「んっ」バシャッ

だけど泣きたくなかったから、私は顔を水面に付けて涙を洗った

ザパーン ザザザ… バシャーン


オリバ「ジャスト、シックスティミニッツ」

オリバ「もうそろそろ小休止だろう」

姉「………」



花苗「はあ、はあ、はあ…」ザパッ ザパッ




姉「花苗ー!」


花苗「!」

姉「大丈夫ー!?」

花苗「はあ、はあ、もう少しやってみるー!」

姉「あんまり無理しないでよー!」

花苗「うーん!わかっ…」クルッ

花苗「!」




オリバ「………」




花苗「オリバさーん!」ブンブン



オリバ「ハハハ…」

姉「…本当に花苗の知り合いだったんですね…」

オリバ「疑っていたのかい?」

姉「ごめんなさい…正直、貴方の事疑ってた…」

オリバ「フフ…やっぱりね」

オリバ「まァ、別に尾を引く話でもない。気にせんでくれ」

姉「………」



オリバ「それにしても、意外にもまだ元気なようだな」


姉「空元気ですよ。あの子、辛い時ほど無理するんです」

姉「貴方に手を振ったのも、多分強がりですよ」

オリバ「フム………ならばやはり元気イッパイだ」

姉「えっ?」

オリバ「元気にカラなど存在しない。活力が続く限り、それにはパワーが宿っている」


オリバ「まだまださ。彼女はまだイケる」

花苗(腕が重い…泳ぐのも、もう厳しいかな…)

花苗(背筋もあんまり伸びない…背中が痛い…)


ザバババ…

花苗「!」


ドパァン!

花苗「わっぷ!」バシャッ


ゴボゴボゴボゴボ…






花苗(でも、まだ休めない…)


花苗(休みたくない)


花苗(ここで休んでしまったら、楽をしようとしたら…)


花苗(また私は、ダメになってしまいそうだから)



花苗(だから、駄目!)





バシャッ!


花苗「ぷはっ!はあ、はあ」


花苗「はあ、はあ…ふう…ふー…」









姉「…………」




オリバ「さて、私も行こうかな」


姉「? 行くって、どこにですか?」

オリバ「ちょっとヤボ用を思い出してね。失礼♪」クルッ

姉「あっ、ちょっと…」


スタスタ…



姉「………」

ザザザ…


花苗(! 波が来る!)バシャッ!
バシャッ バシャッ バシャッ


ザザザザ…


花苗(来た!)ザバッ


グラッ


花苗「!? あっ…」グラグラ…



バシャン!

ザザザザザ…





姉「………」





バシャッ

花苗「はあ、はあ…けほっ」

花苗「はあ、ふう、ふう…」

花苗(もう少し…あとほんの少しで立てたのに…)



姉「花苗ー!もうそろそろ休まないとー!体力持たないよー!」


花苗「まだ平気ー!」


姉「………」





ザザザザザ…


花苗「!」ザバッ




姉「花苗…」

姉(最後にあんたが波に乗れた日も、こんな日だったね。今日よりは涼しかったけど)


ザパーン  ザザザザ…


姉(波に乗れて戻ってきた時のあんたの顔、今でも覚えてる。凄くうれしそうだった)

姉(でもそれから何日か経ったあの日…泣きながら、花苗は帰って来たよね)

姉(顔見て何があったのかは分かったよ。そういう報われない事って、何でか知らないけど必ず来るものだからさ。どんなに頑張っても)


姉(だからなんだろうな……自分が使うわけでもないのに、ボードなんて買って、週末に手入れして)

姉(理由も聞かないで車まで出して)


姉(多分、私にも未練みたいな物が残ってるんだろうね)


姉(だから…)




ザザザ…


姉「………」


ザザザザザザ…


姉「!……あの波…」



心も身体も、疲れがピークに達した時、その揺らぎは来た



ボードを抱えて波の中を漂う、私の目の前に
大波を作るであろうそれが迫っていた

花苗「ふっ…!」バシャン

バシャッ バシャッ


私は身体を捻って向きを変え、浜辺に向かって泳いだ
大波に乗る為にはタイミングを測る必要があって、測る為には揺らぎの移動する速さに合わせて、自分も移動する必要があったからだ

揺らぎは波よりずっと速い
追い越されたら、その揺らぎが波に変わっても、波には乗れない


ザパパッ…

花苗「!」


揺らぎに白波が立ち始めた



花苗「くっ!」バシャバシャ



身体をもう一度捻って、今度は揺らぎのすぐ手前まで身体を寄せる
揺らぎが波に変わっていく

ザザザザザザ…

波音が大きくなって、ボードに腹ばいになっている私を、小さな波が押し上げる

私は身体を起こして、震える脚でボードに立った

そして小さい波は大きくなり、私の頭上から飛沫を降らせはじめる

花苗「!…!…」グラグラ

足元から私を揺する波に、私は必死で付いていった
振り落とされないように、両手を広げて、足を踏ん張らせて
重心の位置を意識して、それ以外の事は考えから消した


波は、更に大きくなっていった


ドドドドド…


花苗「!」



ドドドドドドドドドドドドドドドド!!!



私の予想を超えて



5メートルを超え、10メートルを超え

小さな波は、あっという間に20メートル級の大波になった


花苗「!?」ザババババババ…


こんな波に乗った事は無かった
巨大な波に何度か憧れはしたけれど、桁の違った波は種子島には来ないと思っていた

でも、その波に今、私は乗っていた
日の光を遮るほど厚く、ビルのように巨大な波が、私を乗せていた


花苗「わあぁ…!」



大波への怖じけが、それを実感した途端に喜びに変わった

疲れや痛みも、何処か遠くへ飛んでいった

姉「ーー!!」

遠くで姉さんが手を振ってる
あんなに嬉しそうな姉さんを見たのは初めてだった

でも私は多分、姉さんよりもずっと、心を踊らせていた

大きな波は大きな音を立てて、私の頭上を回る

それが、私を祝福してくれているように感じられたから

私を囲む壁を、突き崩してくれたように思えたから



ドドドドド…





すぼんでいく波から抜けて、日の光を全身に浴びた私は、サーフボードの上で決めのポーズを取って…


花苗「あわっ!」ツルッ

ドパーン


足を滑らせて海に落ちた
変な声が出てしまって、恥ずかしかった


花苗「ぷはっ」バシャッ

花苗「あっちゃー…なんか、だっさいなぁ」

花苗「………」

花苗「ふふっ…ま、いっか」




最後は上手く締めれなかったけど
私の心は、とても晴れやかだった

花苗「はあ、はあ…」スタスタ

ドサッ

花苗「はあー、疲れたぁー」

姉「ふふっ、お疲れ~」

花苗「はぁ~…」


姉「…寝そべってたら砂付いちゃうよ?」

花苗「あっ」ガバッ

姉「あははは、もう遅いよ。ほら、髪ざらざら」

花苗「やっちゃった…」

姉「んふふっ」



花苗「お姉ちゃん」

姉「ん」

花苗「私、やったよ」

花苗「波に乗れた」

姉「………」


姉「うん」


花苗「………」




オリバ「コングラッチュレーションッ」パチパチ

花苗「!」

姉「?…」


姉「!!?」ビクッ

オリバ「イヤー、さっきの波に上着を取られてしまってね。ビチョ濡れ」アハハハ…

オリバ「まずは上半身裸で祝辞を述べる事に謝罪をしたい」

オリバ「アイムソーリー」ペコリ

花苗「あ、いえ、そんな…」

オリバ「では、改めて祝辞の言葉を」

オリバ「おめでとう、ミスカナエ。私は君を信じていたよ」

花苗「! し、信じていただなんて、そんな…恥ずかしいです…」モジモジ

オリバ「私もだ。正直照れている」


姉「あ…あの…」

オリバ「ホワイ?」

姉「着ぐるみ?」

オリバ「いや、本物の筋肉さ。なんならコートロールして見せようか?」

モコモコグニュグニュ

姉「えっ!?えっ!?」

花苗「うわああぁ……」

オリバ「なァーんてジョークもここまでにしておいて…」ぴたっ


オリバ「それで『自分』は乗り越えられたかい?ミスカナエ」


花苗「………」


オリバ「ン?」



花苗「…私には、やっぱりよく分かりません……遠野君への想いだけで、私に何がどこまで出来るのかとか、そういうのは…」

姉「?…」

オリバ「Oh……」


花苗「でも…」




花苗「それでも前に進むって、私の中で決心が付いた気がします」



オリバ「………」


花苗「今出来る事を、少しづつでもいいから積み重ねて……遠野君に、想いを伝えたいって、そう思えるようになったんです」

花苗「例えそれでダメだったとしても…」

花苗「私はそれでも、いいかなって」



オリバ「………」

姉「花苗…」


花苗「ふふっ、なんか恥ずかしいですね、こんなのって」


オリバ「イヤ、恥ずかしくは無い。キミのその決意は素晴らしいものだよ」

オリバ「それを貶るコトなど、誰にも出来やしないさ」

花苗「えへへ…」


スッ


花苗「?」

オリバ「種子島空港発、東京行きの便のチケットだ。飛び立ちたまえ、彼の居る街へ」

花苗「えっ?」

姉「!?」

オリバ「ワルいが私に出来るのはここまでだ。疲労がたまっているのでね。後は、キミの頑張り次第というワケだ」

オリバ「成功を祈っているよ」クルッ



ザッザッザッ…

花苗「………」


ザッザッザッ…



花苗「ぁ、あの!」


オリバ「………」ピタッ



花苗「本当に、ありがとうございました!」


オリバ「………」



オリバ「グッドラック」


 ザッ

花苗「………」


ザッザッザッザッ…





花苗「………」

姉「行っちゃったね…」

花苗「…うん」

姉「はぁー…なーんか、私が心配する必要もなかったかなぁ」

花苗「そんな事ないよ。ボードの手入れとか、お姉ちゃんがしてくれたんでしょ?」

花苗「それに、何しに行くのって聞けたのに、それもしないで海に連れてってくれたし…私、すごく感謝してるよ?」

姉「……まぁ、面と向かってそう言われるのも照れるけどさぁ」



姉「…それより、そのチケットの料金とか本人確認とかって大丈夫なの?空港のシステムなんて忘れちゃったけど」

花苗「うーん…」

姉「………」


花苗「とりあえずは、明後日の飛行機に乗ることになってるみたいだけど…」

姉「ちゃんと乗れる?」

花苗「…わかんない…」



オリバ(オオ…懐かしい…)

オリバ(日付の変わらぬうちに筋肉痛とは……オーガの倅とファイトして以来か)

オリバ(ガラにも無く熱くなったな。やはり強いモノだ、美しい女性の涙というのは)

オリバ(悲恋を秘めているのなら、尚更に)



オリバ「………しかし…」



オリバ(ミスカナエ。私は一つだけキミに話さなかった事がある)

オリバ(ミスタートオノと再会する確率…その絶望的な低さ…)

オリバ(その要因は、東京と我々にこそあるのだ)



オリバ(その上で希望をちらつかせた……残念な結果になるかもしれぬと分かっておきながら…)

オリバ(しかし、それでも尚、私は信じている)



オリバ(サクセス・ストーリーを)



沖縄米軍基地:嘉手納飛行場


キュイイイイイイイイイイイイイイイ…

パイロット「………」

?「準備は出来ているかね?」

パイロット「万端ですミスタープレジデントッッ!いつでも飛び立てます!!」


アメリカ合衆国大統領
バラク・オズマ「それは良かった。不備など許される相手ではないからね」



オズマ「大佐」

大佐「ハッ、なんでしょうかッ」

オズマ「『彼』の受け入れ体勢は出来ているかね」

大佐「万事問題ありません。我が隊の全隊員は既に招集済み。近隣住民の…」

オズマ「分かってないな」

大佐「?…」

オズマ「キミ自身の体勢を聞いているのだよ。出来ているかね?」

大佐「…それは、一体どういう…」

オズマ「彼が現れたら分かるさ。ちなみに私は…」


オズマ「出来ていない」





ズチャッ





大佐「!」

ズチャッ

大佐「~~~~~~~ッッッ!!!」

オズマ「ほら、やっぱり出来ていない」

ズチャッ


オズマ「………」スッ

大佐(!?敬礼!?大統領がッ!?)サッ


オズマ「ようこそおいでくださいました」


オズマ「マスター・オーガ」






勇次郎「……………」






オズマ「………」

大佐(オーガ…この漢が……ッッッ)


勇次郎「下げろ」

オズマ「………」サッ

大佐「………」サッ


勇次郎「魂胆を言え」

オズマ「……ッッ」

勇次郎「協力を申し出、ステルス機まで持ち出す始末…」

勇次郎「あるんだろ?企みが」


オズマ「フフ…やはりバレてましたか…」

オズマ「話しましょう」

大佐「だっ、大統領!それでは国家機密が…」

オズマ「彼にウソなどつけない。今要求されれば、今それに応えるのみだ。場所を改める事も許されない」

オズマ「これは合衆国の一大事なんだ。キミは黙っていてくれ」

大佐「………ッッッ」


オズマ「オーガ…もう知っているとは思うが、この島国と我が合衆国の支配者層に、キミの命を狙う者達が潜んでいるのだが」

オズマ「彼らは今、それぞれの国のコントロール下から離れ、グループを形成して独善的に動いている」

オズマ「それだけなら良いが、あろう事か彼らはアメリカと日本では、一定以上の物理的戦力……かい摘まんで言えば、つまりは『軍』を統括する立場にある」

オズマ「無論、彼らを鎮静化させる事は可能だ。しかし、我々に打てるその手段は、リスクが伴う上に確実性に欠ける」

オズマ「関係国にも影響を及ぼしかねない」

オズマ「ならば、地上最強というブラックホールに、彼らの謀叛心を粉砕してもらおうと思い、協力を申し出た次第だ」

勇次郎「要するにだ」

オズマ「!」


勇次郎「貴様らが信頼していた部下共が、俺をダシに貴様ら自身へと牙を剥いた」

勇次郎「そういう事だな」

オズマ「………察しの通りです…」

勇次郎「つまり…」


勇次郎「この俺に、尻を拭け……と」

オズマ「!!?」


ぐにゃああああああ…


大佐「~~~~~~~ッッッ!!?」

オズマ「ちょっ……ッッ」





勇次郎「大歓迎だぜ♪」クスッ


オズマ「!?」

勇次郎「全力を出しての修練に耐えられず、壊れ、潰れ、挫ける物ばかりの中」

勇次郎「わざわざ挑み来る存在など、貴重も貴重」クス…

勇次郎「有り難い事甚だしい」クスクスクス…


オズマ「……………?」





勇次郎「東京へ飛ばせ」



東京:電車駅の構内



貴樹「はぁ……」



明里「どうかしたの?」

貴樹「? 何が?」

明里「はーって、ため息吐いてたから」

貴樹「ついてた?」

明里「うん」

貴樹「あー…なんでかな、はは」

明里「?」

貴樹「最近…」



貴樹「………」



明里「調子悪いの?」

貴樹「そう…かな?…まあ、そんな感じかな」

明里「ふふっ、なにそれ。なんかふわふわしてる」

貴樹「ふわふわ…そうだね、うん」

花苗「………」



明里「ねえ、貴樹君」

貴樹「なに?」

明里「昨日の晩、正明さんと話してたんだけど…その時の正明さん、なにか変だったの」

貴樹「変って、どんな風に?」

明里「上の空って言うか、とにかく、ぼーっとしてた」

明里「何かあったのって聞いても、何でもないからって言ってばかりで、何も話してはくれなかったの」

明里「それで……」


貴樹「…どうしたの?」


明里「…今日の貴樹君も、ぼーっとしてるから…」

貴樹「!」

明里「…貴樹君、私達が会った時の事故が気になるって言ってたよね」

明里「正明さんも、あの事故が気になるって言ってたの。電車はあんな壊れ方しないって、仕事場も事故の話で持ち切りだって」

明里「それに貴樹君…ボランティアでも、病院でも、事故とか事件とかが載ってる記事ばかり読んでるから…」

貴樹「えっ…」

なんで花苗がいるんだ
書き直します

東京:電車駅の構内



貴樹「はぁ……」



明里「どうかしたの?」

貴樹「? 何が?」

明里「はーって、ため息吐いてたから」

貴樹「ついてた?」

明里「うん」

貴樹「あー…なんでかな、はは」

明里「?」

貴樹「最近…」



貴樹「………」



明里「調子悪いの?」

貴樹「そう…かな?…まあ、そんな感じかな」

明里「ふふっ、なにそれ。なんかふわふわしてる」

貴樹「ふわふわ…そうだね、うん」

明里「………」




明里「ねえ、貴樹君」

貴樹「なに?」

明里「昨日の晩、正明さんと話してたんだけど…その時の正明さん、なにか変だったの」

貴樹「変って、どんな風に?」

明里「上の空って言うか、とにかく、ぼーっとしてた」

明里「何かあったのって聞いても、何でもないからって言ってばかりで、何も話してはくれなかったの」

明里「それで……」


貴樹「…どうしたの?」


明里「…今日の貴樹君も、ぼーっとしてるから…」

貴樹「!」

明里「…貴樹君、私達が会った時の事故について調べたいって、言ってたよね」

明里「正明さんも、あの事故が気になるって言ってたの。電車はあんな壊れ方しないって、仕事場も事故の話で持ち切りだって」

明里「それに貴樹君…ボランティアでも、病院でも、事故とか事件とかが載ってる記事ばかり読んでるから…」

貴樹「えっ…」

貴樹(気付いてたのか…)

貴樹(…というか、そんなに分かり易い事してたのか、僕…)



明里「あの電車事故の事、調べてるんだよね?正明さんと一緒に」

明里「…なんとなくだけど、分かるよ」

貴樹「ごめん…隠すつもりは…」

明里「いいの」

貴樹「っ?」


明里「分かってる。隠すとかじゃなくて、わざわざ話す事でもないって思ったんでしょ?」

明里「私の事、気遣ってくれたんでしょ?」

明里「私、ちゃんと分かってるよ。だって貴樹君は、昔から、いつも私の事を守ってくれてたから」


貴樹「…明里……」


明里「でも…無理だけはしないで欲しいの」

明里「何か良くない事が分かっても、私の為だとか、考え過ぎたりしないで欲しいの」



明里「貴樹君の人生は、私の為にある訳じゃない……貴樹君の為にあるんだから…」

明里「だから…」




貴樹「………」




明里「あっ! ごめん、変だよね、こんな話…」

明里「バカみたいだよね…」

貴樹「いや、バカじゃないよ。真面目な話だったよ」

貴樹「明里」

明里「っ なに?」


貴樹「僕は大丈夫だよ。ちゃんと分かってる」

貴樹「もう、あの頃の僕達と今の僕達は違うんだ。それに、明里は正明さんが守ってくれる…そうだろ?」

明里「……うん」

貴樹「だから大丈夫だよ、きっと」

明里「………」


貴樹「…じゃあ、そろそろ雑誌片付けないとね」ガサガサ

明里「うん」ガサガサ


貴樹「明里」ガサガサ


明里「?」ガサッ


貴樹「ありがとう、心配してくれて」ガサガサ


明里「………」




明里「…うん」ガサガサ


>>1です
すみません。刃牙道を読んでここ一週間テンションガタ落ちのスランプ中です。イライラもピークです

なんだよ宮本武蔵のクローンって
こっちはピクルでお腹いっぱいだっつの
話は相変わらず進まねーしつまんねーし、板垣さんふざけて漫画描くのやめてくださいよ![ピーーー]ぞ。ムカつくんじゃ!

雑紙の回収ボックスの蓋を閉め、ボランティアマークの付いた帽子をズボンのポケットに入れて

貴樹「それじゃ、またね」

明里「っ、うん、またね」



明里と別れて帰路に着いた僕の目に、少しだけ黄色みの掛かった空と、赤みの増した陽射しに照らされる街並が映る

その光景が、僕の心に染み込んだ

否応も無く、過去を感じてしまった心に



僕も明里も、もう大人になってしまっていた

それは分かっていた

明里と一緒に愛を育む為に、僕が明里を求めていた訳ではない事も



そして明里の言葉を聞いて、僕はやっと自分の願いに気付いたんだ

僕は守りたかったんだ
子供の頃と同じように、明里の事を

いつも一緒にいて、彼女の支えになってあげたいという願いが、いつからか執着に変わり、僕を走らせて、縛ってもいたんだ


でも、それももう終わった

明里はもう大丈夫

きっと僕がいなくても



貴樹「ははっ…」


徳川さんとのやりとりが、僕自身の中で漂う


あの時に『満ち足りたのか?』と聞かれた僕は、うなずいた

うなずいて当然だ

本当は、明里と温かい家庭を築く事なんて、想像すら出来なかったのだから

明里の結婚指輪を見た時に、僕の願いは既に叶っていたのだから

明里はもう二度と、僕に振り返る事は無いのだから


貴樹「っ…」



瞳に溜まった涙がこぼれないように、上向き気味に僕は歩いた

嬉しくも哀しく、満ち足りつつも虚しくなっていくような、そんな想いが胸一杯に広がる中…




輝きを放つ明里との思い出が、一つ、また一つと、色を失っていった







僕は堪え切れず


ベンチに座って、泣いた




ガチャッ バタン

明里「………」スタスタ…



正明「あ、おかえりー」



明里「っ、正明さんっ?なんで?」

正明「なんか仕事に身が入らなくてさ。やる事やって暇だったし、抜けてきた」

明里「そんな事して大丈夫なの?」

正明「大丈夫だろ、定時に退社したし。いっつも一時間くらい残って仕事してやってるんだから、これくらで文句なんて言われないよ」

正明「それよりほら、夕食も出来てるし、一緒に食べよう」


明里「うん…」




正明「………」モグモグ

明里「………」モグ…



明里「…正明さん」

正明「ん?」モグモグ

明里「貴樹君と何を調べてるの?」

正明「ッ!?」


明里「聞いたの、今日…ボランティアで…」


正明「………」


明里「…話したくないなら、別にいい。この話もこれっきり無しにするって約束する」

明里「これで正明さんを軽蔑するなんて事も、絶対しないわ」

正明「………」


正明「…貴樹君に聞いたんなら、別に俺が言わなくったっていいだろ」

明里「貴樹君には詳しくは聞いてない。正明さんと一緒に何かを調べてるって分かっただけで、調べてる物については、何も聞いてない」

正明「なんで聞かなかったんだ?」

明里「っ…それは…」

正明「………」


明里「貴樹君が…聞いて欲しくなさそうにしてたから…」


正明「なんだそれ?じゃあ何で俺には聞くんだ?俺には良くて貴っ…」



正明「………いや、悪い、言いたくないなら言わなくて良いって、もう言ってたよな」

正明「………」



正明「分かったよ…全部話すよ」

明里「! いいの?」

正明「いいよ。お互い無かった事にしたけど、こういう所で話さなかったせいで別れたーなんて、嫌だからさ」

正明「ちょっと長いから、よく聞いててくれよな」

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正明「…それで、今はクールダウンしてるんだ。今何を調べているのか、冷静になって考える必要があるなって思ってさ」

正明「要は実感したんだ。俺達が調べている男が、どれほど常識外れに恐ろしい存在なのかをね」

正明「そしたら、実感したからこそだろうけど、ますます明里には打ち明けられなくなったんだ。万が一にも何か起きたら、その事に明里が巻き込まれでもするんじゃないかって」

正明「…まぁ、こんなところかな…」


明里「…………」



正明「…明里?聞いてた?」

明里「うん…聞いてた、けど…………それって全部本当の事なの?」

正明「? そりゃあ本当だけど…っていうか、本当じゃない話を隠してどうするんだよ」

明里「うん…でも…」


明里「こう言うのは悪いけど……そんなの、とてもじゃないけど、信じられない…」


正明「まあ…そりゃな。俺だってあの家に行くまでは、意識してなかったんだろうけど、何となく他人事みたいな感じだったし、分かるよその気持ち」


正明「でも、間違いなく本当の事なんだよ」

正明「だから貴樹君も、明里には話さないようにしてたんだろうな。何が起きても、明里には何の影響も出ないようにってね」


明里「………」


正明「そういう事だから、一つだけ約束して欲しいんだ」


正明「例え気になったとしても、範馬勇次郎については調べないって」


明里「………」




明里「……そこまでして何でその人を調べるの?」

正明「………」

明里「その人の事が怖いなら、調べなきゃ良いじゃない……その人は私達とは何の関係も無いんでしょ…?」

正明「ああ関係無いよ。でも、調べずにはいられないんだ」


正明「確かに危ないし、怖いよ。俺の勤め先での事件の時、貴樹君は現場に向かってる途中に、『普通ではない出来事』を体験して、耳を怪我した」

正明「正直、これから何が起きるか分からないし、何が起きても全く不思議じゃないよ。でもね…」



正明「………」

明里「………?」

正明「ホント言うと羨ましいんだ、彼の事が。だから調べてるんだ」

明里「…羨ましい?」


正明「彼は…範馬勇次郎って人は、多分何でも出来るんだ」

正明「その人生には挫折なんて無い。 何も失わず、一度も虚しくも悲しくもならず、どんな願いも自分の力で叶えられるんだよ」

正明「夢を諦めて、妥協して、挫折して、それでも何とか幸せを掴もうと足掻いて、運良く明里と一緒になれた俺とは…」

正明「…今も足掻いてる貴樹君とは…全然、違うんだよ」



明里「………」




正明「『そんなの有り得ない』って存在が本当にいたら、誰だって気になるはずなんだ」

正明「『有り得たらどんなに良かったか』って人生を送ってる奴なら、尚更にね」


明里「……でも、そしたらなんで正明さんは調べるの? 今が幸せなら、調べる必要無いじゃない」

正明「そりゃ今は幸せだよ。だけど昔はどうかって思えば、違ってたよ」

正明「初恋は実らなかったし、第一志望校も落ちた。 部活でも大活躍してた訳じゃないし、今ついてる仕事も、子供の頃に夢で見てた仕事とは違う」

正明「そう考えると、やっぱり思うんだ。『こんな挫折や妥協が無かったら、俺の人生、どうなってたんだろう』って」

正明「『だけど、一度もつまづかない人って、多分いないんだろうな』ってさ」



正明「まあ、本当にいたから調べてるんだけどね。はははっ」

明里「………」



夕食も終わって、時計の短針が12時を指した頃
私は寝室から抜け出してリビングを通り、ベランダに出た
風は吹いていないのに、外は涼しかった


正明さんとの約束を思い出してみるけれど、その約束には何の感慨もなかった

そもそも、ユウジロウという人が気になってる訳でも無いし、調べようとも思ってない私には、おおげさな話だったから


そんな事より、もっと心に残った事があるから






貴樹君は、今も過去を振り切れないでいる

過ぎてしまった事、出来なかった事に足を取られて、次の場所を今も選べずにいる

正明さんと出会う前の、私と同じように





再会した時、貴樹君は泣いてた

一緒にいた頃には、絶対私に見せなかった顔で、私の手を握りしめていた

別れる時、貴樹君は私に声を掛けた

子供の頃、踏切で私に声を掛けたみたいに




貴樹君は多分、私を待っている
だけど、今更出来る事はもう何も無いって、貴樹君自身が分かってるから…

だからきっと、ユウジロウって人について調べてるんだ

せめて、何をすれば良かったのかを知るために
何が足りなかったかを知って、納得して、次の場所に進む為に…





ごめんなさい、貴樹君


私があなたを待ち続けていられたなら、こんな事にはならなかったよね


でも、私には耐えられなかったの


何処で何をしてるのかも分からない人を、ずっと一人で待ち続けるなんて…





明里「…貴樹君…」

明里「私…先に行き過ぎちゃった…」









秒速5センチメートル

桜の花が落ちるスピード



落ちた花びらは、もう枝には戻って来ない
















夜が明けて、目を覚ました僕の胸の内は、意外な程静かだった


貴樹「…………」


部屋にあるのはいつもの机に、椅子。型落ちのテレビ
今まで何度も見た物が、今日もただあるだけだった

貴樹「………」シャッ

僕は黙ってベッドから離れて、カーテンを開けた
だけど何もしないで、日光に当たる椅子に座って、陽射しに背を向けた

前日、前々日まであった焦燥感や不安が、気力と一緒に消えてしまっていた


明里の言った言葉…僕を思っての言葉だと分かってはいたけれど

その言葉に僕は勝手に傷ついて、打ちのめされていた



僕の中で、明里の存在が軽くなった事が、虚しかった



シャワーを浴びても

朝食を取り、歯を磨いて、服を着て

部屋から出てバイトに向かう道中でも、バイト先のカラオケ店で会計をしていても、その静かな虚しさは、僕に染み付いたままだった


張り合いを無くした毎日



その中で唯一、意義を見いだせる物事と言えば

範馬勇次郎について調べる事だけだった


間違えました。書き直します



夜が明けて、目を覚ました僕の胸の内は、意外な程静かだった


貴樹「…………」


部屋にあるのはいつもの机に、椅子。型落ちのテレビ
今まで何度も見た物が、今日もただあるだけだった

貴樹「………」シャッ

僕は黙ってベッドから離れて、カーテンを開けた
だけど何もしないで、日光に当たる椅子に座って、陽射しに背を向けた

前日、前々日まであった焦燥感や不安が、気力と一緒に消えてしまっていた


明里の言った言葉…僕を思っての言葉だと分かってはいたけれど

その言葉に僕は勝手に傷ついて、打ちのめされていた



僕の中で、明里の存在が軽くなった事が、虚しかった



シャワーを浴びても

朝食を取り、歯を磨いて、服を着て

部屋から出てバイトに向かう道中でも、バイト先のカラオケ店で会計をしていても、その静かな虚しさは、僕に染み付いたままだった


張り合いを無くした毎日をこれから過ごすなら



その中で唯一、意義を見いだせる物事と言えば

範馬勇次郎について調べる事だけだった




明里「………」

貴樹「………」


回収ボックスの前で、明里は今までと同じように雑誌を読んでいる
その彼女の隣で、僕も雑誌を読んでいた

互いに会話を交わす事は無かった


沈黙の原因は彼女には無い

今日の彼女は少しソワソワしていて、むしろいつもより、僕に話しかけてくれていた

僕を心配してくれているとすぐに分かった

だけど僕は、明里の言葉に生返事しか返せず、明里は何も話さなくなってしまった

何を言えばいいのか、何について話せばいいのか分からない
どんな言葉を選んでも、それが僕と彼女の溝を埋める訳じゃない

心に開いた穴を、埋めてくれる訳じゃない

そんな思いが、突き放しても寄ってくるから…




明里「…貴樹君、業者さんそろそろ来るけど…」

貴樹「えっ? あっ」


貴樹(もうこんな時間か…ちょっとボーっとし過ぎたかな…)


貴樹「そうだったね、片付けよっか」ガサガサ

明里「…うん…」ガサガサ




回収業者「こんにちはー。回収に来たんですけど、今いいですか?」

明里「あ、どうぞ。お願いします」

業者「分かりました。よいしょっ…と」ガラガラ

業者「それでは、失礼しまーす」ガラガラ


ガラガラガラガラ…





貴樹「………」

明里「あ、貴樹君、この雑誌…」スッ

貴樹「?…あ…」

明里「業者さんの忘れ物かな?」

貴樹「回収ボックスから漏れたんだと思うよ?多分だけど」

明里「どうしよう…業者さん、どこ行ったのかな…」

貴樹「えーっと…確か向こうだったはずだけど」


明里「………」


僕が指差した方向を見て、明里は何かを考えているかのような素振りをすると、僕に振り返った


明里「今から呼びに行くのもアレだし、貰っておいても、いいんじゃない?」

貴樹「?」

明里「えっと…ほら、どうせこの雑誌も捨てられちゃうんだし」

貴樹「………」



差し出された雑誌を受け取り、僕は表紙に書いてある文字を読んだ

それはなんて事もない、売店の雑誌コーナーにも置いてないような、マイナーな雑誌だった

やたら大きい見出しに、流行りの女優だかアイドルだかのアップ写真
文字の配置はゴテゴテしていて、色使いもけばけばしい

そんな埋没するほどの、普通な雑誌だった



貴樹「……うーん」

明里「あ、私はいらないから」

貴樹「え?」

明里「だから…貴樹君がいらないなら、捨てちゃっても良いと思うけど…」


貴樹「………」



貴樹「貰っておくよ」

貴樹「誰かが捨てた雑誌を僕が読んでも、その誰かが怒る訳でも無いし」

明里「………」

貴樹「それじゃあ、また」

明里「うん…また」





明里と別れて我が家に帰る途中、僕は外食をしてから、自動販売機でコーヒーを飲んだ

そして自分の部屋に入って、雑誌を机に置いて
時計の針が夜の7時を指しているのを見て、時間が物凄いスピードで過ぎ去っていったのを実感した

何も無い一日

久しぶりの虚無感

身体を包む怠さに既視感を覚えて、僕はため息を吐きつつベッドに座って、明里から貰った雑誌を手に取った


貴樹「あっ…」




雑誌の発行日数は、三日前だった


その数字を見て悟った
この雑誌は落ちてたんじゃなくて、明里が残して行ったものだと

僕を気遣って、自分の物じゃないフリまでして、僕にくれたものなんだと


貴樹「………」パラパラッ



僕は事件や事故について載ってるページまで、一気に読み飛ばした
そこには蛍光ペンでなぞられた一文や、赤線で囲まれた走り書きなどがあり、矢印もいくつか書き込まれていた

でも、それらの筆跡は、僕の覚えてる明里の物じゃなかった



正明「うーん……」ガサガサ


明里「何してるの?」

正明「ん、いやー…見つからないんだよ…」ガサガサ


正明「明里、雑誌見なかった?三日前に出版されてるやつなんだけど」

明里「どんな雑誌?」

正明「どんなっ……いや、特徴無いなぁ。普通の雑誌だよ?ゴチャってしてるやつ」

明里「……あっ、ごめん、それ捨てちゃったかも…」


正明「えっ!?」


明里「っ、ごめんなさい!掃除した時にゴミだと思って…あの、本当に知らなくて…」

正明「おいマジかよ~…はぁ~…」

明里「ごめんなさい…」

正明「あー……まぁいいよ…たかが雑誌だから、気にしなくていいよ」

明里「でも……」

正明「ははっ、だから良いって」




正明(片付けられちゃったか…今日見た話と照らし合わせようと思ってたんだけどな…まずったなぁ…)

正明(中身どんなんだったかな…割と重要な手掛かりっぽかったんだよな、アレ…)


正明(…まぁ……おかげで深入りせずに済むと思えばいいか)

正明(息子の刃牙君でアレだからな…父親ともなると、更に凄まじいだろうし…)

正明(第一、その父親は電車を壊して、俺の会社の周りをあんな風に出来るような男だ…あまりに知りすぎた為に、なんて…)


正明(……………)



正明(気にしない方がいいな、うん)

正明(明日は空港で取引先の重役を迎えるんだ。こんなの気にしてちゃいけない)

正明(今夜もプランを再確認しておかないと…)

貴樹「………」


雑誌に書き込まれたいくつものマーキング
ページの外枠を埋め尽くすメモ

それらを読んでいく内に、僕はその内容に引き込まれ、一つの作業として没頭していった

今まで集めて来た情報が、急速に頭の中で組み合わさっていった

パズルのピースが勝手に互いを引き寄せあって、一枚の絵を作るかのように




『新事実!犯人はあの親子!?』
『電車に人型の墜落痕。政府に真相を知る者あり!?』

『議員汚職へのデモ隊、警官隊と衝突!』
『大乱闘に機動隊突入』
『負傷者多数』『警察側、銃器を使用か?』
『何者かが爆発物を持ち込み、ビルの外壁を爆発した可能性』
『デモ現場から500メートル離れた幹線道路で、原始人ピクルを発見!?』

『日本史上最大のデモ』

『緊急調査!!種子島で地震。震源は海面!?』
『謎の飛行体確認!UFO説はもう古い!?』
『亜部首相、首都東京の治安の悪化を懸念』『今、東京で何が?』

『地上最強の生物』




虚実織り混ざる真っ当な情報誌から、ネットに転がる落書きのような記事まで
手当たり次第にかき集めた情報と、この雑誌から導き出された、おおよその答えは三つ

一つは、東京の政情を日本政府が不安視している事

二つ目は、その政情不安の元凶は範馬勇次郎にあり、彼の行動に対して、日本政府とその傘下にある勢力は、いつも後手に回らざるを得なかった事


三つ目は、その後手を先手に変えるべく、独断で動き出した勢力がある事



異常な事件に対処すべく、東京の空港や県境に配置される『自衛隊』
空港の入国審査の規制は強化され、国内への荷物の持ち込みは基本禁止

にも関わらず、テレビやラジオでのニュースに、この話題はほぼ皆無

自衛の為という大義名分を持ったその勢力は、日本政府には無い、迅速かつ露骨で、なりふり構わない対応を見せていた



貴樹「………」パシッ


テーブルに雑誌を置いて、僕は窓を見た

開けっ放しだったカーテンからは、すっかり暗くなった東京と、青く輝く小さな月が見えた






明里へのこだわりは、薄れてしまった

純粋だった心も疲れ、色も落ちた

弾力を失った自分の想いを、僕は自覚していた


今にも止まりそうな足取りを、今この瞬間にも前に進ませているのは、彼への興味だけだった



強さへの憧れに、前を向くヒント


次の場所を見つける為の手掛かり



それがどんな物でも構わない


それで僕がどうなろうと構わない


嘘でもいい。例え無駄な事であってもいい

ゆっくりと枯れていくようなこの苦しみから、抜け出せるのなら…






貴樹「…………」カチカチ…



僕は携帯を取り出して、目覚ましをセットした

起床時間は朝の4時

起床時のお知らせには、羽田空港の文字を入れた













深夜1時を回った頃

とある病院の、とある病室で
人類史にも稀に見る変化が、とある患者に起きていた



ド ク ン !    ド ク ン !


    ド ク ン !  ド ク ン !


助手1「心拍数更に増大!輸血が間に合いませんッ!」

助手2「点滴も足りません!!このままでは…」

紅葉「両方増やせッ!」

助手1「なッ!?」

紅葉「非常識なのは私が一番ワカってるッ!速く持って来いッッ!」

助手3「脳波が復活しましたッ!これで5度目ですッ!」


ド ク ン !  ド ク ン !

  ド ク ン !


紅葉(なんてデカイ鼓動だ…)

紅葉(……………)

紅葉(…外傷は無いのに血液が不足し、消耗も排泄もせずして栄養を欲する…)

紅葉(そんなケースで、考えられる可能性は一つ)

紅葉(それは肉体の修復ッ!)

紅葉(活動への備えッッ!)






スペック「………」ド ク ン !






助手3「それにしても、とても信じられません…まさかたったの一日で、運び込まれた時とほとんど同じ肉体に戻るなんて…ッ」

助手3「こッ、こんな事、普通はありえませんよねッ!?」

紅葉「ああ、有り得ない…普通は有り得ない」

紅葉「だが、私はこの男がどういうタイプの人間か分かっている。この男は決して普通では無い」

紅葉「この男の担当医は正しかったんだよ」

紅葉「そして、私もね」

人間の中には、人として数え兼ねる者達がいる
彼らは本能や意思を、己の肉体から超越させる

ある者は、肉体の損傷部に更なる負荷を与えて再生力を増し、負傷を癒す

ある者は負傷時におけるダメージによって、肉体を解放し、人知を越えた超人となる

ある者は己を死の淵まで破壊し尽くし、全てを捨ててまで強きを求める

そんな彼らの共通項


それ即ち『備え』ッッ!!




紅葉「私はこの男ほど、純粋な戦士ではない」

助手3「…えッ…戦…?」

紅葉「だがこの死刑囚は骨の髄まで闘争浸けだ。意識無くとも、恐らく本能が告げているのだろう」

紅葉「これから最高に楽しい事が起きる。だから急げ、とね」

助手3「………その…楽しい事とは、一体…」

紅葉「そこまでは分からないさ」





紅葉「分からないが、間違いなく無く死人は出るだろう」







スペック「……」ガ バ ァ ! ! !


紅葉「ッッ!!?」

助手達「~~~~~~~~ッッッ!!!!」



スペック「ヨウ♪」ギョロッ



紅葉「…スペック…ッッ」

助手3「けっ…けっ…け、警察…」ガタガタ

スペック「安心しな。コロしゃしねェよ」

紅葉「その根拠はどこにある?」

スペック「ココでおっぱじめちゃあ、折角目覚めたのも台なしなんだ」

スペック「キミ達じゃつまらんのだよ」

紅葉「………」

スペック「それでは諸君、私は眠るが、明日になったら起こしてくんな」ニコッ

ドサッ



スペック「…………」スー…スー…




助手2「脳波、心拍…せ…正常値に、ダウンしました…」


紅葉「フゥー……寝たのか…」

助手1「どっ…どうしましょうか…?」

紅葉「どうもこうも無い。放置だよ放置」

紅葉「こういう手合いは自分の快楽には従順なんだ。安静にさせておけ」

紅葉「解散」

助手1「は、はぁ…じゃあ、あの、失礼します…」

助手2・3「…失礼します…」

紅葉「ん」


ゾロゾロ…



紅葉「…………」



紅葉(東京に上陸した死刑囚5名)

紅葉(その内、生存者は4名。オリバという男の手によって、アメリカの刑務所に移送された者3名)


紅葉(シンクロニシティ)


紅葉(恐らくは、ヤツらも今頃目覚めているだろう)

紅葉(そして、この国に住まう『退屈せし者達』も)



スペック「………」スー…スー…



紅葉(一体何が起ころうとしているんだ?)




紅葉(この東京で……)

















ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ


貴樹「!」ガバッ

ピッ



貴樹「………」



貴樹「4時か…」




そう呟いて、深く息を吸って、吐いた
ただそれだけで眠気は覚めた


うっすらと明るい窓の外に、太陽の光はまだ無い


東京は、東京とは思えないほど静かだった



その静かさが、僕に改めて意識させる

今日は特別な日だという事を


僕は身支度を済ませて、軽く朝食を取ったあと、部屋を出た
外はまだ夜のように涼しく、自動車の走る音もまばらだった

貴樹「………」

腕時計は4時半を指している
公共交通機関は、その時間帯には完全には動いていない

そんな時の一番の移動手段を、僕は知っていた


貴樹(これに乗るのも久しぶりだな)


レンタルバイク店で借りたカブのハンドルの手触りは、昔住んでた場所を意識させた

その島で出会った、忘れられないあの子の事も


貴樹(ごめん)



4時42分
誰に対して、何を謝ったのか意識しないまま

僕はカブを発進させて、羽田空港に向かった


正明(7時か…)

正明(空港のロビーでのお迎え予定が、8時40分だから…)


正明「あれ?」



正明「あっ、今日病院行く日だっけ」


正明「明里ー?」


明里「なに?」

正明「今日通院する日だったよな?送ってくよ?」

明里「えっ…いいの?今日って、正明さんが取引先の人と…」

正明「大丈夫だって。車で行けばあの病院に行くのに20分とかからないし、空港だって近いだろ」

正明「どれだけ遅れても、空港で3~40分はヒマ潰せるよ」

正明「それに、最近何かっつーと物騒だからさ」


明里「それはそうだけど…いいのかな…」

正明「大丈夫だって。たまにはこういうのもアリだろ」

明里「うーん…」



明里「…そんなに言うなら、ちょっと甘えちゃおっかな」

正明「よーし。じゃ、早速出発するか」

明里「あっ、待って、保険証取ってくる」

正明「んー」

車内



ピリリリリッ ピリリリリッ

明里「?」ピッ


明里「はい篠原です。…はい、どうもお世話になっております」

明里「えっ?」

明里「はい…えっ、どうしてですか?」

明里「はい…はい…あの、時間帯の方などは…」

明里「………はい…分かりました…はい、どうも」

ピッ



正明「病院から?」


明里「うん…紅葉先生から、急な用事が入ったから、診療の予定が遅れるって」

正明「まじ?」

明里「うん。あと、病院の中で待つのも駄目みたい」

正明「えっ!? お、おいおい、もう病院着くぞ?何で入れないか聞いた?」

明里「聞いたけど、教えてくれなかった…院内の患者の個人情報と、安全に関わる複雑な問題だからって」

正明「ええ~…なんだよそれ…」

明里「私、車降りて帰った方がいいかな?」

正明「いやそりゃ駄目だ。徒歩で帰ったら1時間は掛かる。それに今は通勤ラッシュだから、交通機関使ったら暑さにやられるぞ」

明里「そうだよね…」


正明(今からトンボ帰りってのも…キツいか…渋滞に少しでも引っ掛かったら、今度は空港行きがアウトだな)


正明「よし決めた、このまま空港に行く」

明里「っ?」

正明「暑い外を歩くより、涼しい空港でのんびりしてる方が良いだろ?俺のお出迎えもそんなに時間は食わないし」

明里「本当に大丈夫なの?帰りは?」

正明「大丈夫だって。お出迎え要員の俺達は現地解散で、残った何人かで重役さんとプランニングするだけだから、すぐ帰れるよ」

正明「それに、病院は帰りに寄ればいいみたいだしさ」

明里「うーん…」


正明(ふぅー、何とかなりそうだな。危ない危ない)


明里(本当に大丈夫なのかな…)

羽田空港




貴樹「………」


時刻は8時半を回り、空港の中の人通りは多くはなっていたけれど、受付に列ぶ人達は皆ざわついていて、怯えているようだった


僕が手にした情報は正しかった


東京市内に於ける『原因不明』とされている破壊現象は『テロ』と認定され、その破壊から市民を守るという名目で、この空港を含めた都市主要部に、警備体制強化として自衛隊員が配置されていた

空港の正面玄関に6人、空港の中に見かけただけでも10人

彼らはいずれも武装していて、皆『警備強化にご協力下さい』と書かれたゼッケンのような物を着けていた





明里「貴樹君っ!?」

貴樹「!?」


ソファーに座っていた僕の背中に、ここで聞こえるはずの無い声が当たった
あまりの驚きにソファーから跳び起きて、僕は声のした方へと振り返った



貴樹「あっ…明里?…なんで?」

明里「たっ、貴樹君こそ…どうして空港にいるの?」

貴樹「それは…えっと…」

明里「………」


貴樹「………えっと…」



明里「! ゃ、やっぱりいいよ!」

貴樹「えっ」

明里「聞いてほしくない事とかって誰にでもあるし…今のは、忘れて?」

貴樹「ぁ…うん…分かった…」


明里「………」

貴樹「………」



貴樹「あっ、座る?」

明里「っ…うん…」スッ


貴樹「………」

明里「………」


貴樹「…それで」

明里「!」

貴樹「明里はなんで空港に来てるの?」

明里「…正明さんが、取引先の人と空港で会うから、ついでに病院まで送ろうかって言ったんだけど」

明里「診療が先伸ばしになったから、ここで暇潰し…って感じかな」

貴樹「病院の中で待てば良かったんじゃないの?」

明里「私もそうは思ったんだけど、何故だか入れなかったの。病院で何か起きたらしくて」

貴樹「…何かって……」

明里「………」



貴樹「………」



明里「………」




貴樹「そう言えばさ…」

正明(あ、来た)



取引先の重役「あーいやーどうも、待たせてしまったようだね」

上司「とんでもございません。こちらも今来た所でして」

重役「ははは、まあまあそう謙遜なさらずに。ところでこの方達は?」

上司「は、これらは私の部下でございまして。お時間をお取りする訳にも参りませんので、簡単にご紹介させていただきますと、右から順に篠原正明、水原理香、寺田…」



正明(あー…早く帰りたい…)


正明(お出迎えは別にいいけど、なんでマジで空港に自衛隊がいるんだよ…)




上司「以上でございます。今後ともよろしくお願い致します」


出迎え要員達「よろしくお願い致します」

病院



ドガドガドガドガ!!

シュドドッ! ド ズ ッ !

ゴ ガ ッ !

スペック「クァッ!!」ブ ン !

紅葉「ッッッ!!」サッ


グ ワ キ ィ ッ ! 



紅葉「………~~~ッッッ」ザザザザザッ…


紅葉(流石は負け無しを誇っただけはある…全て防御して尚このダメージとは…ッッ)


スペック「悪いねェ、試運転に付き合わせちゃって♪」ニイィ~

紅葉「何が試運転だよ…起きた瞬間にベッドぶん投げてきやがって…」フゥ…フゥ…

紅葉「おまけに壁は砕くわ天井はブチ抜くわ……好き勝手もほとほどにしろ」

スペック「オイオイ、好き勝手ならアンタもしてるじゃねえか。警察も呼ばせないでよォ」ククク…

紅葉「呼ばせるさ。警察如きで貴様の相手が勤まるならな」

紅葉「だが警察にそれが出来ない以上、私の手で貴様を安静にさせるしかない」タッ!



ガ ッ !


紅葉「!」

スペック「惜しい♪」


ド キ ャ ッ !


紅葉「~~~~~~ッッ」ドサァッ



スペック「良い前菜になったゼ、センセイ」クルッ

紅葉「ま…待て…まだだ…」ググッ…


バウンッ!


紅葉「………」ハァ…ハァ…


紅葉「クソッ…飛び降りやがった…」

病院の4階から飛び降りた男は音も無く着地して、疾走った
バイクを追い抜かし、自動車を追い抜かし、疾走った

野蛮極まる、ある衝動に突き動かされ、疾走った

今まさに、闘争のゴングが鳴る



重役「ところで今の私だが、何に見える?」

正明「?」

上司「?…それは…一体どのような意味で…?」

重役「見た目さ。私は壮年の男性で髭を伸ばし、メガネを掛け、髪は白く、スーツはブカブカだね」

重役「しかしだ、実は私に髭はいらないと言ったら、驚くよね?」

プチッ 

上司「!?」

正明「!?」

重役「髪も」ズボッ


パサッ


重役「スーツも」ガシッ


バリバリバリバリバリ!


上司「な…ッ…あッ!!?」

正明「えっ!!?」


重役「メガネも」ポイッ


パキン


身分を偽り、外見を偽装した男は、己に課した拘束を自ら解く

期待に跳ねる胸の内で、秘めた荒波が狂い、溢れる


重役「今の私に必要なのは『泥』だ」ヌチャッ

重役「そして…」グリュリュ…

上司「!? !? !?」

正明「~~~~~~ッッッ!!?」


ゲバル「メイクだ」




今まさに、殺戮のゴングが鳴るッ




オリバ「空港はあそこか…」


嵐が吹き荒れるであろう空港を眺め、アスファルトに手を着け…

オリバ「届くと良いなァ…」ガゴン

その男は、マンホールの蓋を外し、指で弄ぶ




今まさに、破壊のゴングが鳴るッッ




  そうッッ!




  今まさにッッ!!!





自衛隊員「総司令部、正面玄関の前方500メートルにオーガを確認、どうぞ」

総司令部「了解。総員、作戦開始。フォーメーション構成を開始せよ」

自衛隊員「了解」



勇次郎「…………」クスッ♪






  暴虐のゴングが鳴るッッ!!





  血の雨が降るッッッ!!!








自衛隊員達「………」タッタッタッタッ

貴樹「!!」ピクッ


明里「?」

貴樹「………」


施設の奥へと退いていく自衛隊員達を目撃し、遠野貴樹は瞬時に異変を察知した

異変の詳細など考えもせず、しかし意識を張り詰めさせて

これから何が起きるのか……その一点のみに、彼は全神経を集中させていた

空港内の一般人達が、にわかにザワめき始める
貴樹は立ち上がり、落ち着かない素振りで周囲を見渡す

明里「貴樹君?どうしたの?」

声を掛ける幼なじみすら、彼は無視した

明里「!」




そして、静寂は唐突に訪れた




空港の中の誰もが、言葉を発するのを止め、動きさえ止めた





遠野貴樹の背後で、篠原明里の背後で…


ズチャッ


足音は響き…


ズチャッ


その足音は実体を伴い…


ズチャッ


二人の背後を通り過ぎ、十数歩ほど進み…


ジャリ…





止まった





胸に感じる圧痛。吹き出す冷や汗と、定まらない目線
震える足と、震える手。背中を走る強烈な悪寒


今振り返れば、きっとあの人はそこにいる


貴樹はそう強く感じていたが、まるで全身の間接が溶接されたかのように硬直し、動けない

真っ暗な頭の中を半生が巡り、出会った人々が現れては消えていく

その中でたった一つ…すぐ隣にいる人影が、消えずに残った


彼女は貴樹の手をしっかりと握りしめていた

震えるその手は暖かく、繊細だった



遠野貴樹は勇気を振り絞り、振り向いた



貴樹「!」







そこには、貴樹に背を向けて立つ鬼の姿が




地上最強の生物の姿があった









貴樹「…………」



貴樹(居た…間違いない、あれは……)


貴樹(どうする…何をする?…なんて話しかければ…)

明里「…………」フルフル


勇次郎「…………」ズチャッ…


貴樹(!? 移動する!?)

貴樹(今なんだ!チャンスは今しかない!今彼を逃したら…もう二度と…!)

貴樹「っ!!」タッ

明里「!? たっ、貴樹君っ?」


貴樹「………」タッタッタッ


明里「待っ…」

明里「まっ…待って!」タッタッ






貴樹「ぁ…あの!!」



勇次郎「………」ぴたっ




呼び止めに応えた漢は歩みを止めた

そして振り返る


普通の男女。普通の若者と、その漢は対峙した


勇次郎「…………」


貴樹「っ…!」

明里「!!!」




勇次郎「遠野貴樹だな」


貴樹「!!?」


勇次郎「フンッ、このバカが」

勇次郎「夢中になり過ぎて気付かなきゃならねェ事にまで気付かねェか」


貴樹「………」


貴樹「…ぇ?」

ガキュッ! チュイン!


貴樹「!!」

明里「あっ…」

突然、何かの衝撃音が響き、それと同時に漢の髪が跳ねる
しかし、漢は微動だにせず言い放った


勇次郎「狙撃だ」

貴樹「…狙撃…」


勇次郎「間に合わねェぜ、もう」


明里「貴樹君…」

貴樹「! なに?」


ドサッ


貴樹「えっ」



明里「   」









貴樹「………」








貴樹「…明里?」















狙撃班班長「オイ、ウソだろ…」

総司令部<どうした?何があった?>

班長「こちら狙撃班、三方同時狙撃は完了。しかし、目標未だ沈黙せず」

総司令部<…どういう事だ?>

班長「分かりません。しかし効果が無いのは明らかです」

総司令部<…分かった。狙撃班は撤退後、本隊と合流。その他各班は行動を開始しろ。民間人には構うな。目標の沈黙を最優先に行動しろ>

班長「狙撃班了解」




  そう、今まさに




勇次郎「………」ギ ン ッ







  ゴングは鳴った







頭の中が真っ白になった
範馬勇次郎への興味も、ここが何処かも、僕は忘れた

貴樹「…明里…?」

仰向けに倒れた明里の肩からは、血が滲んでいた

貴樹「なんで?…どうして…?」


「え…お、おい、アレ…」 「ぅうわぁ!マジかよ!!」

「きゃああああああああああ!!」「うわあああああ!」

「撃たれたァ!撃たれたァ!」 「逃げろおおおッ!!」

「Fack!!」  「Oh!!Shit!!」

「何だ!?どうした!?」「人が撃たれた!!」

「わああああああああああ!!」


空港は一瞬にして大混乱に陥った

貴樹「…なんで…」

彼らは皆叫び、走り回って僕らの周りからいなくなった
明里と僕に構う人は一人もいなかった

貴樹「明里…ね、ねえ…明里…」

貴樹「明里!起きてよ!明里!!」

明里「………」


ガシャン! ガシャン! ガシャン!


空港の出入口と大窓は、鉄のシャッターで閉ざされ…


ダダダダダダダダダダダダ…


透明な盾を持った一団がフロア内になだれ込んで、銃を構えた



特殊部隊隊長「撃てェッッ!!」



あ、やっちった
直します

頭の中が真っ白になった
範馬勇次郎への興味も、ここが何処かも、僕は忘れた

貴樹「…明里…?」

仰向けに倒れた明里の肩からは、血が滲んでいた

貴樹「なんで?…どうして…?」


「え…お、おい、アレ…」 「ぅうわぁ!マジかよ!!」

「きゃああああああああああ!!」「うわあああああ!」

「撃たれたァ!撃たれたァ!」 「逃げろおおおッ!!」

「Fuck!!」  「Oh!!Shit!」

「何だ!?どうした!?」「人が撃たれた!!」

「わああああああああああ!!」


空港は一瞬にして大混乱に陥った

貴樹「…なんで…」

彼らは皆叫び、走り回って僕らの周りからいなくなった
明里と僕に構う人は一人もいなかった

貴樹「明里…ね、ねえ…明里…」

貴樹「明里!起きてよ!明里!!」

明里「………」


ガシャン! ガシャン! ガシャン!


空港の出入口と大窓は、鉄のシャッターで閉ざされ…


ダダダダダダダダダダダダ…


透明な盾を持った一団がフロア内になだれ込んで、銃を構えた



特殊部隊隊長「撃てェッッ!!」



バ  ギ  ャ  ア  ! !

しかし、彼らはシャッターを突き破って飛んできた『巨大な何か』に跳ね飛ばされ、呆気なく全滅した

何かはそれでも止まらず、地面にぶつかって何度かバウンドし…

ド ガ シ ャ ッ !

僕の前で、潰れるようにして止まった


貴樹「あ………」



それはまるで戦車のようだった
車種は分からない。けれど雑巾のように捩り曲がったそれには、金属の円盤が突き刺さっていた


勇次郎「機動戦闘車か…こんな物まで持ち出してきやがるたァな」クスクス



破られたシャッターの外からは、悲鳴と、風を切る爆音が溢れる


バ バ バ バ バ バ バ バ …


ヘリコプターが出すようなその音で、明里は目を覚ました



明里「貴樹君…なに、この音…?」

貴樹「あっ、明里!?明里、僕が分かる!?見えてる!?」

明里「うん…見えて…あぅっ!」



明里「!! なに…これ…!?」


貴樹「だっ、大丈夫、大丈夫だから!すぐに治るよこんなの!!」

明里「っく…いっ…つ……」ポロポロ

貴樹「明里!?きっ、肩押さえるから、傷押さえるから我慢して!」

ギュウウッ

明里「んあぁっ…!」

貴樹「大丈夫!!大丈夫だから!!」

総司令部<突入した地上一・二班と連絡が取れない。対戦車ヘリコプター隊、そちらで確認出来るか?>

ヘリコプター隊隊長「こちらヘリコプター隊…地上一・二班は全滅しました…施設外部から車両の投擲を受けたと思われます」

総司令部<投っ……目標は施設内にいるオーガ唯一人のはずだ。何故連絡をしなかった?>

隊長「連絡をする前にそちらが連絡を」

総司令部<…分かった。では警戒体制を取りつつ分隊、君はその未確認目標の対…>



オリバ「フンッ!!」バ オ ッ ! !


ズ ギ ャ ッ ! !

隊長「!!」

隊員<被弾したッ!被弾したッ!敵はマンホールを投げています!!マンホールを投げていま…ああああ!!?>

ド オ ン ! !

隊員< >ザザッ ザーーー


隊長「各機本隊の指令に従いオーガを攻撃ッ!未確認目標への対処は…」



ブ オ ッ ! !



隊長「!!!」

「ああ、あの事件の事ですか」


隊長「忘れるはずはありません」


隊長「食い詰め者だった私でも、こういう職業に就いたんですから、そりゃ覚悟はしてましたよ。いつか誰かを殺す事も、いつか誰かに殺される事も」


隊長「でも、そんな覚悟はクソの役にも立ちませんでした」


隊長「私は演習とかで、兵装の運用テストだかもするんですけどね」

隊長「何回もやってると色々と慣れるんですよ。ロケット弾が白い尾を引いて飛ぶのを見ると、そのスピードにも」

隊長「時速何キロかは分かりませんが、何となく目で追えたり、大体何処にぶち当たるかとかは分かりますかね」


隊長「でも、アレは分からなかった…」

隊長「違いすぎるんですよ。発射体勢も、弾道も」

隊長「そして速度も」



隊長「…………」





隊長「アレはロケット弾より速い」





ド ド ド ド ド ド ! ! !
ガラガラ…  パラパラ…


隊員1「こっ、こちら地上五班ッ!ヘリコプター部隊壊滅ッッ!繰り返すッヘリコプター部隊壊滅ッッ!」

隊員2「あっ」



オリバ「どうかしてるぜ。こんな真っ昼間から市街戦なんて」ズチャッ



隊員1「ッッ…止まれェッ!!」ジャキッ

オリバ「ところでキミ達、ターミネーターって映画は知ってるかな?」ズチャッ

隊員1「撃てェッ!!」


パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ!!

オリバ「あの映画が好きでねェ~…昔はよく見てた物さ…」バスバスバス ドスッ ドッ ビッ

パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ!!

オリバ「ただ…まぁ…ンーー」ドスッドスドスッ ドッ ドッ ドッ

パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ!!

オリバ「チョイトばかしショックなんだよなァ~」ドッドッドッビシッ ドドドッ

パパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパパ!!!

オリバ「だってさァ」ガシッ


グ  オ  ン  !  !




隊員1「は?」




オリバ「ターミネーターってヘリ振り回せないんだぜェッ?」



  ゴ  バ  シ  ャ  ア  ア  ア  !  !


明里「はぁ…はぁ…」

貴樹「…ダメだ…血が止まらない…」

貴樹「どうやって…どうやったら止まるんだ…」



勇次郎「おい」


貴樹「っ!!」

勇次郎「上着を貸せ」

貴樹「…え…」

勇次郎「二度は言わねェぞ」

貴樹「! はっ、はい!」ササッ


勇次郎「………」しゅるしゅるっ

貴樹「!?」

勇次郎「………」ビーーンッ


シュババッ ギュッ


明里「あっ!…!…つっ…」


勇次郎「押さえてな」

貴樹「ぁ…あ、ありがとうございますっ…」

勇次郎「………」


ジャリッ



オリバ「元気そうだなオーガ」ジャリッ


貴樹(!!?)ビクッ

勇次郎「フ…おめェもな」

オリバ「いやァ~…まさかこんな明るい内からおっぱじめるとは思わなかったぜ。一体どんな恨みを買ってたんだい?」

勇次郎「おめェがそれを言うか」クスクス

オリバ「ハハハ、その通りだな」


オリバ「…それで、このご両人は?」

勇次郎「遠野貴樹。女の方は知らねェな」

オリバ「エッ?トオノ?」

貴樹「!…なん、ですか…?」



オリバ(オー、ジーザス……最悪の状況だよ、ミスカナエ)

オリバ(この二人、どー見てもカップルじゃん……)

オリバ「よろしくミスタートオノ。私はビスケット・オリバだ」


貴樹「えっ…は…はい…」

オリバ「せっかくだが、この子の傷の手当は誰がしたのかな?怪我の原因と状態を知りたい」

貴樹「そ…それは…あの、ゆ…勇次郎さんが…」

オリバ「エ?」

勇次郎「………」




勇次郎「チッ」

オリバ「えぇーーz___!!??」

貴樹「っ!?」

オリバ「なんでェ!?」


勇次郎「この生娘が俺の側に立ったのは俺の責任じゃねェが…」

勇次郎「負傷に関しては俺の責任の範疇だ。尻ぐらい拭く。コレっきりだがな」


オリバ(生娘って……酷いなオイ、勝手にバラすなよ…)


オリバ「………ンー、言いたい事は色々とあるが、まあいい。それで怪我の原因は?」

勇次郎「跳弾だ。三方向からのフルメタルジャケット弾を俺が頭で貰い、内一発がお嬢ちゃんの肩を撃ち抜いた」

オリバ「ナルホド、肩を貫通ね……トオノ君」

貴樹「っ…はいっ」

オリバ「嬉しいニュースだ。彼女は助かるぞ」

貴樹「!! 本当ですか!?」

オリバ「ああ本当さ。おめでとう」ニッ

五班の生存者「はぁ、はぁ、こちら地上五班…みっ…未確認目標の空港内侵入を確認…」


総司令部<了解。地上五班は撤収せよ>

総司令部<これより未確認目標を目標Bと呼称。攻撃目標に追加する>


総司令部<地上三・四班、機動戦闘車部隊を中心に警戒体制を取りつつ前進。施設正面からオーガと目標Bを砲撃にて攻撃せよ>

三班班長「三班了解」

四班班長「四班了解」


総司令部<空挺一・二・三班は施設上空にて待機。地上三・四班の砲撃及び『特空』の施設侵入が完了し次第突入。特空を支援しろ>

一班班長「了解」

二班班長「二班了解」

三班班長「三班了解」


総司令部<特別空挺隊は地上三・四班の砲撃が終わり次第、M.P.B.Mを各機起動させ投下。投下後は指示があるまで待機せよ>


特別空隊隊長「了解」


明里「はぁ…はぁ…」


貴樹「………」


明里は熱に浮かされたように息を荒げている
止血された肩と浅い呼吸はあまりに痛々しく、僕は歯噛みした


明里がこうなったのは僕のせいだ
勇次郎さんの言う通り、僕は全く気付いちゃいなかった

自衛隊が空港を警備しているという事が、何を指しているのか

そんな空港に、国家が敵視する存在が現れたらどうなるのか

僕は空港に来た時から、何も見えてはいなかったんだ

僕の手を握った明里の事さえも




オリバ「それにしても、フルメタルジャケットとは…」

オリバ「私のパンチより弱い豆鉄砲でオーガの頭を狙うなんて…全く、無知という無策というか…フフフ」

勇次郎「!」ピクッ


オリバ「ン?」


勇次郎「クスッ……ヤツらめ、こんな市街で水平射撃をかます気でいるらしい…」クスクス


オリバ「………」


オリバ「ミスター遠野、私の陰に隠れていてくれ」

貴樹「えっ…」

オリバ「あ、ところで彼女のコトはなんて呼べば良いかな?」

貴樹「ぁ、明里です。篠原明里」

オリバ「OK」


オリバ「ミスアカリ」

明里「……?…」ハァ、ハァ

オリバ「今は敵に包囲されてしまっていて脱出は無理だが、必ずここから君をエスケープさせると誓う」

オリバ「それまではキミに我慢させてしまうが、どうか耐えて欲しい」

明里「…はい…」ハァ、ハァ

オリバ「すまない……さァ、二人とも私の陰にッ」

そのオリバという人は、僕らの前に立った

この人についての情報は全く無い
何故ここにいるのかも、何故あの範馬勇次郎と対等な会話が出来るのかも、僕には分からない

でもこの人は、全くの赤の他人であるはずの僕らを守ると言い、誓いまで立てた


彼が何処の誰であろうと、その事だけで、彼は信じるに値する人であると分かった



勇次郎「………」ググッ…




バ  ン  ッ  !




貴樹「!!?」

明里「っ!!!?」

オリバ「………」


そう思いを巡らせていた瞬間、耳をつんざく爆裂音が響いて、いつかタクシーの中で見た光が一瞬、爆発的に広がった

明里「な…なに? 今の…なんなの…?」

オリバ「何でもないよ。キミらを護る守護天使さ」

目を見開いて怯える明里を、オリバさんは励ます
こんな状況でも気さくな言葉を言える彼は、この上無く頼もしかった


勇次郎「…………」ギュウウウウゥゥゥゥゥゥ……ゥ…ゥ……ッッ


今度は弓を引き絞るような音が響き、止まった
その音は弓道部で聞いた音とは違い、何本もの鉄棒をねじり絞るような音だった





カ  ッ  ッ  !  !  !






三班班長「機動戦闘車部隊、配置に着いた、どうぞ」

四班班長<了解。四班各員、機動戦闘車の後方に迫撃砲を展開、火力支援に備えろ>

ガチャガチャガチャ カチッ チャキッ

四班班長<展開完了、火力支援出来ます>

三班班長<了解。各員、攻撃開始>


カ  ッ  ッ  !  !  !



三班班長「ッッッ!!?」

四班班長<!!!!>

「…なんだ今の…!?」 「光った……空港が光ったぞ…」

三班班長「慌てるなッ!攻撃開…」

ゴ ガ ッ !

三班班長「!?」

「た、タイヤですッ!壁を破ってタイヤが飛…」

ビ  ュ  バ  ボ  ッ  !  !


ドスッ ザクッ ドッ  ガッ ビキュッ ズカッ ドッ ドッ


「ぎゃああああああ!!」 「うぐぉえっ」 「うわあああああああ!!」

三班班長「おぶふっ」ビチャビチャ


四班班長<どうした!? 何があった>


隊員「てッッ!鉄クズが跳んで来ましたァッ!」

四班班長<そんな事は分かってる!!班長に何があったッ!!>

隊員「は…班長は頬に被弾ッ!鉄片が突き刺さって…」


バ   オ   ッ   ッ   !   !


隊員「ゔッ…!!」ザクッ!

四班班長<ーz_ノ¬_/\!!!!>


ドスッ ガッ ガッ サクッ スパッ ガズッ ズシュッ

「あああああああああ!!」 「オグッ!」
 「ぶほぉっ!」 「耳が…耳が…」 「ぶっ」

「ぃ…痛え…抜いてくれェ…」


バ  ヒ  ュ  ッ  ッ  !



オリバ「ハハ…雪合戦ならぬ鉄合戦か…」

オリバ「おまけに全弾命中…よくやるよまったく…」


勇次郎「………」ド  ヒ  ュ  !  !  !


ギャアアアア…


オリバ「スゲェ悲鳴だな。こっちまで響いてきやがる」

オリバ「大丈夫かい?二人とも」

貴樹「…ええ…まあ…」

オリバ「ならばいいんだが」

貴樹「………」




そう言いつつも、僕は内心気が気じゃなかった

明里を怖がらせない為に、両手で彼女の耳を塞いでいる僕は、物凄い爆風も、その後の悲鳴も、全て聞いてしまっていた

演技なんかじゃない、身を切るような金切り声
彼らがどんな目にあっているのか、オリバさんの陰に隠れている僕には分からない

でも、その見えないという事が僕の想像力を掻き回して、恐怖を二倍にも三倍にも増やした



勇次郎「………」




爆風が止まった
悲鳴も聞こえなくなった


貴樹「…!!…」


それは、彼らが一人残らず死んだ事を意味していた






オリバ「ンー…砲撃するなら、畳み掛けるような突撃も定石として用意しているハズだが、どこから来るのかな?」キョロキョロ

勇次郎「………」



「フツーは背後からだろ」



オリバ「!」



ゲバル「おや? 予想外だったかな?」ジャリ…



貴樹「?…?…」

オリバ「…………」


オリバ「フフッ…正直の所そうでもない。我が母国が関わっているのなら、当然来るものだろうと思っていた」

ゲバル「チェッ、あ~あ~つまんねーの」


ゲバル「………」ギョロッ

貴樹「っ!?」

勇次郎「…………」


ゲバル「ほお…これはまた…随分と珍しい事も起きるんだな」

ゲバル「美女と野獣どころの騒ぎじゃ無い……花とウサギと悪魔?…ゴロ悪いか、ハハハ」

勇次郎「フフ…」



勇次郎「上だぜ」

ゲバル「ン?」




M.P.B.M「………」ゴ オ ォ ッ !


バ ッ シ ャ ア ア !

M.P.B.M「………」ゴ オ オ !

顔に土色の化粧をした男が出てきたと思えば、次は天窓が割れて、巨大な黒い物が降ってきた

心休まる事が無い状況に置かれた僕は、その黒い物を凝視する

でも、その姿を確認した僕の頭には、恐怖や驚愕が来るよりも先に、可笑しさにも似た感情が生まれてしまった


その黒い物が、どう見ても人型のロボットにしか見えなかったからだ



しかし、その可笑しさも次の瞬間には空っぽになった


ド オ オ ォ ン !


貴樹「…?…」



着地する寸前、ロボットは轟音を上げて、両手と下半身を残して消えてしまった

ゲバル「………」ザウッ

化粧をした男は振り返って…

ゲバル「にっげろ~~♪」スタタタ

と、無邪気な様子で走って来た
何から逃げているのかさっぱりな僕は、彼の笑顔の後ろに…




ズ  ド  ド  ド  ド  ド  ド  ド  ド  !  !


次々と落下してくる巨大ロボットと…


ド  グ  ワ  シ  ャ  ア  !  !


そのロボットを押し潰す、ロボットより更に大きいヘリコプターを見た

ブオワアアッ

貴樹・明里「っ!」

オリバ「おっと」ズイッ


バフゥッ モワモワモワ…



オリバ「なっちゃいないなゲバル。怪我人にホコリをかけるな」

ゲバル「鉛弾をかけるよりは良いと思うけど?」クイッ



肩を竦めて、親指で後ろを指した彼の背後には、ヘリコプターとロボットが積まれている

その山のように積まれたロボットの腕には、兵器についての知識が無い僕でも分かり、尚且つそれでも背筋を凍らせるような武器が取り付けられていた

ガトリング

漫画でも小説でも、映画でも、娯楽物を楽しんだ人なら、フィクションの中で一度は目にする兵器

大量の弾丸で、相対した相手を粉々にする兵器

その存在は、僕がこのロボットに対して抱いた甘い認識を改めさせるのに、十分なインパクトを放っていた



ゲバル「よしOK、もう出てきていいぞ~」

オリバ「……?」



正明「………」キョロキョロ



貴樹「っ!」

正明「あっ!?」


明里「…正明さん…」


正明「明里?」



正明「明里!!?」ダダダダ



貴樹「………っ」

正明「明里っ…おい、嘘だろ…なんだよこれッ…!?」

明里「大丈夫…治るみたい、だから…」

正明「大丈夫って、そんなわけないだろォ…ッ!」

正明「貴樹ッ!!なんで明里がこんな事になってんだよ!!」

貴樹「…勇次郎さんが、弾丸を跳ね返して…それが明里に当たったんだ…」

正明「!? なん……え、なんだそれ?勇次郎って…」




勇次郎「…………」




正明「~~~~~~~~ッッッッ!!?」


オリバ「混乱しているようだし、私が今の状況を早口で説明してあげよう。時間もあまり無いからよく聞きたまえ」

正明「えっ…あの…あの人って…」

オリバ「聞けって」ガッ

正明「ッッ!?」


オリバ「私はビスケット・オリバ。法の外に君臨し、地上で最も自由な男だ」

オリバ「キミをここに案内した男はジュン・ゲバル。小さな島の王様にして、アメリカと対等の軍事力を操る海賊だ」

ゲバル「ハ~イ♪」

正明「???」

オリバ「そしてあそこの彼は範馬勇次郎。地上最強の生物にして、全男子の憧れ。世界中の政治家にとっての『目の上のタンコブ』だ」

オリバ「で、ここは、その勇次郎を抹殺せんとする勢力との戦場というワケだ。ディス・イズ・ウォー、OK?」

正明「ィ…イエス…」


ガガッ ガガガガガ…



正明「!!」

ゲバル「オッ、まだ動けるのか?」

オリバ「想定の内さ」


M.P.B.M「………」ガシャガシャガシャガシャッ!!!


ゲバル「ひーふーみー…全部で10機か。よく集めたなァこんなに」

オリバ「歩兵は無しか。ヘリで死んだか、上で散ったか…」フフ…

勇次郎「いずれにしろだ」

オリバ・ゲバル「!」



勇次郎「離れてなお三方」


正明「……ッッ」

貴樹「っ、あっ、はいっ。明里、立てる?」

明里「うん…多分…」ヨロヨロ…



ゲバル「えっ、お三…って…」

オリバ「お優しいコトで…」ボソ

勇次郎「あ?」

オリバ「失礼」


ゲバル(聞いてたのと違うじゃんッッ)



離れるように促された僕らは、明里を庇いながら空港の受付窓口に隠れた
その時、正明さんは「今なら逃げられるだろ」と言ったが、僕は首を横に振った

範馬勇次郎に関する情報を、何故政府は隠したがるのか
戦闘という過剰な行動にどうして踏み切ったのか
何故踏み切ろうと思ったのか

特殊部隊は何故、範馬勇次郎と一緒に僕らにまで銃を向けていたのか
血を流して倒れている明里を、どうして保護しなかったのか

それらについて考えてしまうと、逃げ出そうなんてとても思えなかった


保護してもらった先が本当に安全なのか、僕には疑問しかなかったのだから


シャリリリリリ…


金属が擦れるような音がする
明里に目をつぶるように言い、彼女の耳を塞いで、僕は正明さんにも耳を塞ぐように促した

正明さんは何が起きるかを察し、耳を塞いで体を丸くした




ド ガ シ ャ ッ !




想像していた音より先に、金属的な打撃音が響いた


ジャリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!!

その音を追うように、機械的な轟音が鳴り響く
凄まじく重い鎖を、高速で擦り合わせるような音が


ド ガ シ ャ ッ !

最初の一発。繰り出したるは範馬勇次郎
使用したのは背足蹴り上げ

先頭のM.P.B.Mの足は床から離れ、股間部は衝撃により大破
パイロットの粉砕された恥骨ごとパーツが宙を舞う

1機が戦闘不能

ジャリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ!!!

残る9機が発砲。前方の床が爆発するかのように砕け散る
しかし、そこにはオーガの姿は無く、アンチェインもミスターセカンもいない

ガシャガシャッ!

円周防御の陣形に入ったM.P.B.Mの内…


ガ ッ


脚を捕まれた者が一機
掴んだ者はビスケット・オリバ


ド  ン  !  !


筋肉の神に愛されし男の放った『押し』は、鋼鉄製の脚をもぎ飛ばし、その機体を転倒させた
転倒した機体の横にいた機体は、腕を振り上げ、オリバに対しガトリングを叩きつける

バ  ア  ン  !

パイロット「!?」


しかし、カウンター効果によって破壊力が数倍に跳ね上がったオリバのアッパーカットは、ガトリングなど物ともせずにちぎり飛ばし、天窓の穴から青空むけて吹き飛ばした

オリバ「ンー、なるほどね」ガ  キ  ョ  !

片腕を失った機体を蹂躙し、他の機体への破壊へと移りながら、男は呟く


ゲバル「何がだッ?」ガゴッ!

バ ガ ッ !


その呟きに応えたゲバルは、飛び散る鉄片を掴んでは、狙った機体の銃口にそれを叩き込み、ガトリングを破裂させていた

無論、風の如く動き回る彼を捉える者はいない


オリバ「見当がついたのさ。この戦争のスポンサーのね」ガ ッ

オリバ「キミも本当は分かってるだろ?」メキメキメキ… グ シ ュ

ゲバル「アメリカについてはなッ!でもニッポンは知らないッ!」バッ!バッ!

オリバ「そりゃあ意外だ。じゃあチョイト教示しよう」ブ  ン  !


ド  ギ  ン  !

オリバ「まず一つ」

M.P.B.M「………」ブ ン !

オリバ「このデカブツと機動戦闘車は、俗に言う新兵器であること」ガッ


オリバ「二つ目は」バ  オ  ッ  !


バ ガ ア ァ ン ! ! !

パラパラ…  カラン カチャッ


オリバ「それらに対する期待は、お世辞にも高いとは言えないという事」

オリバ「そして最後の三つ目は、オーガは世界最大のビッグネームである事」


M.P.B.M「……」ジャリリリリリリ!!

ゲバル「オワッと!」サッ


オリバ「核が『帯に短し襷に長し』と影で叫ばれる現代……必要とされるのは、殲滅兵器ではなく『量産可能な汎用兵器』」ググッ

オリバ「要するにッッ」ボ  ッ  !  !  !



ガ    ゴ    !   !



オリバ「兵器産業の新商品…その売名計画にまんまと乗せられたのだ。我が国のボーイ達も、ミスター石波もね」シュウウゥ…


ゲバル「フフッ…くだらないな」

オリバ「ああ、結局はボッシュの時代と何も変わらんのさ」


勇次郎「いや」

オリバ「!」

勇次郎「そうでもねェ」ギリッ




  褐  ッ  ッ  !  !  !




強大に過ぎる漢が、兇悪極まる拳を掲げた時
既に6機ものM.P.B.Mが戦闘不能に陥っていた


残った4機には既に戦意など無い

しかし、闘いとは片方が仕掛ければ始まり、片方が退いても終わりはしないものである

ここまで来てしまった以上、もはや戦意の有無は関係無い
そこにあるのは単純なる二進法のみ


生か死か!ただそれだけである!!!



 褐  ッ  ッ  !  !  !


漢の拳が消えた時、爆心地からは閃光が炸裂し…


ビ  ッ  シ  ャ  ア  ア  ア  ア  ア  !  !



天地を揺るがす大轟音と共に、残った4機の脚部と駆動部。更には空港の床が粉砕した

直径20メートルものクレーターが形成されたその場所は、小型の隕石が墜落したかのような様相を呈した

ゲバル「………ッッッ!?」

オリバ「フゥー…あっぶねェ~」

床から離れ、腕力によって壁に身体を固定していた二人は、辛うじて被害は免れている



勇次郎「俺が居る今とは、兵器と金と権力の時代ではない」



勇次郎「現代とは素手の時代だ」



勇次郎「ボッシュの野郎が握れる代物じゃねェ」







華々しいデビューを飾るはずだった新兵器は…


一個人の暴力により、血の海に沈んだ



貴樹「………ッッッ」

凄まじい音が響くだろうと思い、覚悟はしていた
だから明里の耳を塞いで、僕自身は耐える事を選んだ

でも耳の中で雷が鳴るのは想像していなかった
床の振動で脚が痺れてしまうなんて、誰が想像できるだろうか


明里「!…!…!」


明里も目を固く閉じて、小刻みに震えている
僕の両手に大した意味は無かったんだと、彼女の表情を見て僕は悟った


オリバ「終わったぜ。もう安心だ」ぬうっ

貴樹「!!……ッッ」


オリバ「ンー……まァ、当然と言えば当然の反応…」


オリバ「…アレ?」




明里「!…!…」フルフル





オリバ「………」


オリバ「ミスター遠野、失礼だがミス明里を診させてくれ」

貴樹「えっ…は…」

オリバ「………」ガバッ タッタッタッ…

オリバさんは一言断りを入れると、返事も聞かずにカウンターに入って明里を抱き抱え、元来た道を走っていった
何事かと思い、僕は正明さんと一緒に、震える足で明里の元へと駆け寄った

さっきまで動いていたはずのロボット達は、部品をバラバラに散らばらせて、全て倒れている
装甲の隙間から流れる血のようなものは、出来るだけ見ないように努めた

床に明里を寝かせたオリバさんは、明里の額に手を置いたあと、ハッとした顔をした

そして、彼は明里の手首に指をつけ、首筋に指をつけ、鼻下に指を一瞬添えたあと、ため息をついた



オリバ「マズいぜ…こりゃあショック状態だ」



正明「!?」

貴樹「……ショック、状態…?」

オリバ「ミスター遠野、負傷前の彼女の健康状態について何か知らないかな?昔ここを怪我をしたとか、そのような物でも構わない」

貴樹「健康…昔のも、ですか…」

正明「び、病院に通ってました!仕事で身体壊して、それで…今日も通うはずだったんですが…」

オリバ「フム…」

貴樹「…昔は身体が弱くて、学校も休みがちでしたけど…僕が知っているのは、それぐらいです……」

オリバ「大怪我とかは無いのかい?」

貴樹「怪我とかは…そんな酷いのは…」

正明「俺が知る限りでも、多分無いです…」

オリバ「ナルホドネ」


オリバ「………」



オリバ「どうやら私は事態を甘く見ていたようだ」

貴樹「…どういう意味ですか、それ」

オリバ「彼女の命が危うい」


貴樹「え…?」



貴樹「なんで、ですか?…大丈夫だって…怪我したのは、肩で…」

オリバ「出血も完璧に抑えられている。しかしそれでも、ショック状態は起こりうる」



オリバ「負傷による脳を含めた神経系統及び、循環器系への負荷の大小は、その時の健康状態…そして『負傷の経験』によって大きく変化する」

オリバ「ダメージの処理にも経験や訓練は必要であり、痛みから離れた生活を送る現代人には、程度の差はあれショック状態の危険が常について回っている」


オリバ「指を切っただけで負傷ヶ所を見てもいないのに、目眩や頭痛を訴える者」

オリバ「足首を軽く捻挫しただけで、胃袋を痙攣させて嘔吐し、発熱までしてしまう者」

オリバ「痛みから来る肉体の不具合…医学さえ予期が不可能な、ダメージへの身体の反応」

オリバ「過去には、バスケットボールが胸に当たっただけで心停止に陥った青年の例や、跳躍からの着地で足の指を折り、そこから来るショックで心不全を起こし、そのまま死亡した少女の例などもある」



オリバ「敵側の戦力を弱め、隙を突いて突破しようと考えていたが……そうもいかなくなった」


貴樹「………」


正明「そうもいかないって…や、やれるだろアンタらなら!軍隊をこんな風に出来るんだから、突破ぐらい…」

貴樹(…明里が…)

貴樹(明里が、死ぬ…?)



説明を聞きながら、僕はただ呆然としていた
説明の中身は分かるのに、その状況への認識が追いつかなかった


明里が死ぬかもしれない


明里が倒れた時に頭を巡った言葉
ありえないと思いたくて、一度は本当にありえない事になった言葉
その言葉が戻って来た

明里は、肩を撃たれるような世界にはいなかったのに

銃なんて単語が出るのもおかしいくらい、明里の周りは普通だったはずなのに



ゲバル「出来るだろうね。少なくとも無理矢理な突破は」

貴樹「!!」

正明「! じゃあ…」

ゲバル「でも君達はついて来れるのか?」

正明「!?」

ゲバル「敵の照準は全部が正確な訳では無い。それに俺達は100%弾丸を回避するだろう」

ゲバル「第一に、飛び交うのは弾丸だけじゃない」

ゲバル「手榴弾にロケット弾。戦車砲に、場合によってはミサイルも考えられる」

オリバ(俺は爆発以外はよけないけどネ)

ゲバル「それらが全部流れ弾になるワケだが、君達はそんな物が飛び回る戦場を、予断許さぬ負傷者を抱えて突破出来るのかい?」

正明「………それは……」


ゲバル「それに戦とは流動的な物だ。一度通った道が安全とは限らないし、敵は常に配置を変え、戦法を変え、攻撃を加えてくるだろう」

ゲバル「そして、今やその敵の目的はこのように移行している」


ゲバル「ジュン・ゲバル、ビスケット・オリバ、範馬勇次郎の三名を殺害しろ。民間人の被害は考慮しない…とね」


ゲバル「つまりは敵を殲滅でもしない限り追われ続けるから、突破したところで意味は無いというワケだ」

ゲバル「まあ、俺達から離れて怪我人を庇いながら、民間人を考慮しない砲撃をかい潜って安全圏まで逃げ延びるというのなら、止めはしない。行きたいのなら行けばいい」

正明「………ッッッ」



勇次郎「クスクスクス…」



オリバ「!」

ゲバル「!」

勇次郎「ならヤル事は一つしかねェよなァ?」

ゲバル「………」

ゲバル「…いや、それは流石に無い」

勇次郎「此処で潰す」

ゲバル「いやいやいやいや…ッッ」

勇次郎「無いか?」

ゲバル「いや、無いでしょフツー」ハハ

勇次郎「ほう…なら何すりゃ良いんだ?」

ゲバル「だからソレを今から考え…」

勇次郎「てめェの腕っぷしは何の為にある」

ゲバル「!」


勇次郎「終わらせたい時に終わらせる為。立ち塞がる理不尽を屠り、砕き、己の我を通す為」

勇次郎「技術や戦略と言った小細工を不要と断じ、力のみを押し通す為」


勇次郎「それが強さだ」


勇次郎「それが腕っぷしだ」


勇次郎「そんな腑抜けた野郎だから、てめェは負けたんだぜ。ビスケット・オリバによ」


ゲバル「………ッッ」ぞわっ

オリバ「フンフフーンフーンフーンフ~~ン♪」

ゲバル「…………」




勇次郎「此処を以って終わりとする」




衆議院赤坂議員宿舎


石波「……………」


亜部「どうなった…ええ?」

亜部「長年溜まった鬱憤を晴らしてどうなったッ?」

亜部「あァ~~~~ッ?」


石波「…まだ負けたわけじゃありません…ッ」

亜部「負けてんじゃねーかどー見ても!!どーすんのこの被害と散財!」

亜部「上手い話に乗せられて戦力を借り出した結果がコレッ!俺の話を無視した結果がコレッッ!!」

亜部「どーすんだよッッ!!あの核弾頭三つッッ!!! アメリカでさえ持て余す化け物2匹に範馬勇次郎だぞッ!?馬鹿じゃねェのかお前ッ!!」

石波「……………ッッッ」


コン コン


亜部「なんだッ!」

<司令部からです。石波議員にお伝えしたい事があると…

亜部「あー…入れっ」

議員秘書「失礼します」ガチャッ

亜部「ん?」



石波(無線…?)



石波「こちらへ」

秘書「失礼致します」スッ


石波「なんだ?何があった?」

司令部<あの…至急そちらに伝えたい事がありまして…>

石波「それはもう聞いた。誰からだ」

司令部<…匿名です…>

石波「匿名?何故名前を聞き出さない」

司令部<聞けば分かるとの事でしたので…その…とにかくお繋ぎします>ザザッ

石波「?」

石波(どういう事だ?…何が起きている?)


ザザッ プツッ



<クスッ…クスクス…>


石波「…誰だキミは。何のマネだ?」


<まだそんな所に染み着いていやがったか、石波茂雄>


石波「!!!!」

念の為書いておきますが、このSSに特定の組織・団体・人物や、それらの発言や行動に対する誹謗中傷などの意図は全くありません。

現政権に対する非難や、反社会的な執筆意図なども一切ありません。あくまで一娯楽物、単なるチラ裏ですので、深く考えずに読む事をお勧めします。

ガタッ


石波「ゆ、勇次郎…ッッ!!」

勇次郎<方づけちまったぜ、全部……日本産のゴミも、アメリカ産のゴミも>

勇次郎<しかも無線まで取られちまってよ…どうすんだよオマエ>

石波「……~~~~ッッッ!!」


勇次郎<キサマに命令する>



勇次郎<全軍突撃だ>



石波「!!?」

勇次郎<やれよ。やりたいように>

勇次郎<逃げも隠れもしないぜ>

石波「…正気か?…何を企んでいる?」

勇次郎<この範馬勇次郎が策謀を巡らすと思うかい>

石波「…………ッッッ」

勇次郎<全身全霊を掛け殺しに来い>


勇次郎<来なければ、キサマは生きては帰れねェぜ>


石波「ッッッ!!!」


プツッ



石波「…………」フルフル

亜部「……どうした?誰からだッ?」

石波「…………ッッ」フルフル

亜部「!! オーガからだな!?そうなんだなッ!?」

石波「…ってやるよ…」

亜部「えっ」


石波「やってやるよッッ」


亜部「はァっ!?」

石波「やらねばやられるのなら、先にやる以外に道はありません。これは既に暗殺では無く、総力戦であり殲滅戦なのです」

亜部「お、おい…」

石波「だとするならば、取れる最終手段は一つ」

亜部「…おい…」



石波「爆撃です」



勇次郎「………」フー


ゲバル「…やりやがった…ッ」

オリバ「やれやれ、ホントに躊躇いが無いな。マジでやるとは」ハハハ

貴樹「…な…何が…?」

ゲバル「何したのかって?宣戦布告だよ」

貴樹「宣戦…?」

ゲバル「決着つけるんだよ。ここで」


貴樹「!!?」


オリバ「で、何が来るんだ?歩兵はダメ、車両もダメ、上からもダメ、特殊兵器もダメで一般市民を度外視とくれば、残るは一つだろうが」

勇次郎「ならば考えるまでも無ェ」

オリバ「あ~やっぱりね。爆撃か」

貴樹「ばっ…」

オリバ「裏世界一のビッグネームを三人纏めて潰せば、一般人を犠牲にしても世界的には体制が保てると踏んだか」

オリバ(フフ…まるで人質テロに対するロシアじゃないか……まあ、オーガの脅迫に屈したからだろうが)


ゲバル「ンー…参ったな…予定を繰り上げなきゃイケない」

ゲバル「ミスターオーガ、悪いが無線を…」

ヒュッ

ゲバル「おっと、流石に話が早い」パシッ




カーン!  カラカラカラカラ…




ゲバル「あ、ランチャー…」


パシュウウウウウウウウウウウウウウウウウ…

勇次郎「来たぜ」

オリバ「催涙ガスか。キミ達は目と口を塞いで伏せてなさい」

貴樹「えっ…でも…」

オリバ「カウンターに隠れる暇は無いぞ、ホラ来た」

シュウウウウウウウウウウウウウウウウウ…

貴樹「!!」サッ

正明「……ッッ」サッ


勇次郎「…………」

オリバ「………」吸~ッ

オリバ「……ッ」ぴたっ


ゲバル「ああ、頼む。じゃ、切るるから」プツッ


ゲバル「スゥ~~……ッッ」ピタッ

勇次郎「………」フー


ゲバル「…やりやがった…ッ」

オリバ「やれやれ、ホントに躊躇いが無いな。マジでやるとは」ハハハ

貴樹「…な…何が…?」

ゲバル「何したのかって?宣戦布告だよ」

貴樹「宣戦…?」

ゲバル「決着つけるんだよ。ここで」


貴樹「!!?」


オリバ「で、何が来るんだ?歩兵はダメ、車両もダメ、上からもダメ、特殊兵器もダメで一般市民を度外視とくれば、残るは一つだろうが」

勇次郎「ならば考えるまでも無ェ」

オリバ「あ~やっぱりね。爆撃か」

貴樹「ばっ…」

オリバ「裏世界一のビッグネームを三人纏めて潰せば、一般人を犠牲にしても世界的には体制が保てると踏んだか」

オリバ(フフ…まるで人質テロに対するロシアじゃないか……まあ、オーガの脅迫に屈したからだろうが)


ゲバル「ンー…参ったな…予定を繰り上げなきゃイケない」

ゲバル「ミスターオーガ、悪いが無線を…」

ヒュッ

ゲバル「おっと、流石に話が早い」パシッ




カーン!  カラカラカラカラ…




ゲバル「あ、ランチャー…」


パシュウウウウウウウウウウウウウウウウウ…

勇次郎「来たぜ」

オリバ「催涙ガスか。キミ達は目と口を塞いで伏せてなさい」

貴樹「えっ…でも…」

オリバ「カウンターに隠れる暇は無いぞ、ホラ来た」

シュウウウウウウウウウウウウウウウウウ…

貴樹「!!」サッ

正明「……ッッ」サッ


勇次郎「…………」

オリバ「………」吸~ッ

オリバ「……ッ」ぴたっ



ゲバル「ああ、頼む。じゃ、切るから」プツッ


ゲバル「スゥ~~……ッッ」ピタッ



種子島空港



花苗「………」



姉「…全然アナウンス無いね」


花苗「うん……」

姉「今日は飛ばないんじゃないの?」

花苗「そんな事無いよ。チケットにはちゃんと今日の日付書いてあるし」

姉「………」

花苗「多分、何かあったんだよ。例えば…エンジントラブルとか」

姉「それにしたって、何で遅れてるかは放送するじゃない?」

花苗「…それはそうだけど…」


姉「それでも待つなら…まぁ別にいいけどさ。ずっとこのままは暇じゃない?」

花苗「暇だけど、他にやる事とかも無いし」

姉「向こうでテレビ見るとか?」

花苗「テレビ…うーん…」

姉「ほらアレ。ドラマの再放送やってるよ?」

花苗「昼ドラでしょ?ああいうのはなんか、微妙かな」


テレビ<ザザッ>


姉(? あれ?)




テレビ<私は緊急時報道協会の報道部記者、カモミール・レッセンです。只今、戦闘の続く東京の羽田空港からお送りしております>




姉(!!?)

花苗「私はドラマとかそういうのより…」

花苗「……お姉ちゃん?聞いてる」

姉「かっ…花苗!!アレ!!アレ!!」

花苗「? ちょっと何?アレっ…」


花苗「…って…」


花苗「…………」





テレビ<現在、テログループと思われる三人の男が空港内部に立て篭もり、自衛隊と米軍の連合軍に対して激しい抵抗を続けております>

テレビ<空港内部には一般人が数名取り残されているとの情報が入っておりますが、詳細についてはまだ分かっておりません>

テレビ<しかし、もしそれが事実ならば、連合軍側は一般人の人命を無視した作戦を展開していると言えるでしょう。既に催涙弾が数発撃ち込まれ、地上部隊が突入しました>

テレビ<今、空港内部からは激しい銃撃音が聞こえます>

「えー…何これ…」 「映画だろ」 「はあ?」
  「なんだコレ?」 「空港でテロだってさ。東京の羽田」
 「嘘だろ……」 「えっ、うわスゲェ!マジやばいだろ!」

花苗「!!!」ダッ

姉「あっ、待っ、花苗!」

姉「あーもうっ!」ダッ


花苗「すみません!通して!通してください!」

「うおっ」 「っ、なんだよ!」

花苗「ごめんなさいっ!通してくださいっ!」



テレビ<えー、向こうを見ます通り、空港の周りには大破した戦車や、墜落したヘリコプターなどが多数確認出来ます>

テレビ<空港周辺の一般人は全員避難しているとの事ですが、この状況を見ていますと、果たして本当に避難するだけの時間があったのかは疑問です>


花苗「…………」ハァ、ハァ



テレビ<ダアアアアァァ…ン   ドガガガガ…>


花苗「あっ…!」

「うわ…」  「おい…コレ…」


テレビ<今空港が崩れました!空港の天井が墜落して、施設の中に落ちてしまいましたッ!>

テレビ<あー…これは酷い。これでは取り残された一般人達の生存は、えー……残念ながら、絶望的な物になった言えるでしょう>

テレビ<連合軍側の攻撃が止みました…どうやら戦闘が終わったようです>



花苗「…………」


姉「花苗、これ、羽田空港だよね」

花苗「………」

姉「………」



テレビ< カ ッ ! >


花苗「!?」

姉「っ!?」

「エッ!?」 「わっ…」

    「!?」


テレビ< バガアアアアン… ドドオォォン…>


「崩れた…」 「爆発したぞ、今」
  「見た?」「うん、見た……」

「えー…何これ…」 「映画だろ」 「はあ?」
  「なんだコレ?」 「空港でテロだってさ。東京の羽田」
 「嘘だろ……」 「えっ、うわスゲェ!マジやばいだろ!」

花苗「!!!」ダッ

姉「あっ、待っ、花苗!」

姉「あーもうっ!」ダッ


花苗「すみません!通して!通してください!」

「うおっ」 「っ、なんだよ!」

花苗「ごめんなさいっ!通してくださいっ!」



テレビ<えー、向こうを見ます通り、空港の周りには大破した戦車や、墜落したヘリコプターなどが多数確認出来ます>

テレビ<空港周辺の一般人は全員避難しているとの事ですが、この状況を見ていますと、果たして本当に避難するだけの時間があったのかは疑問です>


花苗「…………」ハァ、ハァ



テレビ<ダアアアアァァ…ン   ドガガガガ…>


花苗「あっ…!」

「うわ…」  「おい…コレ…」


テレビ<今空港が崩れました!空港の天井が墜落して、施設の中に落ちてしまいましたッ!>

テレビ<あー…これは酷い。これでは取り残された一般人達の生存は、えー……残念ながら、絶望的な物になったと言えるでしょう>

テレビ<連合軍側の攻撃が止みました…どうやら戦闘が終わったようです>



花苗「…………」


姉「花苗、これ、羽田空港だよね」

花苗「………」

姉「………」



テレビ< カ ッ ! >


花苗「!?」

姉「っ!?」

「エッ!?」 「わっ…」

    「!?」


テレビ< バガアアアアン… ドドオォォン…>


「崩れた…」 「爆発したぞ、今」
  「見た?」「うん、見た……」



テレビに集まる人を掻き分けて、人混みの一番前の列に出ていた私は、テレビの映像に釘付けになっていた


普段は絶対見ようとは思わないし、見る機会も無かったはずの光景

その恐ろしい光景の中で、空港は一度崩れ、もう一度崩れた
でも二度目の崩れ方は、一度目とは違っていた

雷のような光が輝いた一瞬あとに、爆発するかのように瓦礫が飛んで、灰色の煙が上がる

その様子は、崩れたと言うよりは、瓦礫が内側から弾き飛ばされたかのように見えた



テレビ<…今の爆発はなんでしょうか…>

テレビ<………>



テレビに映っているリポーターも、テレビを見ている私達も、同じように息を飲んだ

画面の中の戦場も静かになって、空港から上る大きな土埃は、少しずつ晴れていった

そして、埃が晴れ切った時

明里「あっ…」

私は小さく声を上げた





テレビ<…何か…いや、誰かが出て来ました…>


テレビ<!! 範馬勇次郎ですッ!東京で死闘を繰り広げた地上最強の生物が今、我々の前に姿を現しましたッ!>

テレビ<…隣に、バンダナを頭に巻いた男性が見えます…あの男性は何者なのでしょうかッ?>

テレビ<ガアアアン…>

テレビ<また爆発ですッ!>

テレビ<次は何が現れるのでしょうか…>


テレビ<!>


テレビ<…え~…黒人男性のようです。シャツに血痕のようなモノが見えますが、撃たれたのでしょうか…それともアレは返り血なのでしょうか…>

テレビ<ここから見る限りでは判断がつきません>


花苗「…………」

テレビを見ている人達が一斉にざわつき始めた中で

息を飲み、瞬きするのも忘れるくらい画面を注視していた私は、二人が瓦礫の中から出て来た時、少し驚いた

そんな驚きの小ささが、意外だった


種子島で出会い、私に歩み出すきっかけを与えた人達

あの人達が持つ『違い』が、画面の中の異様な光景と馴染んでいるからだろうか
それとも、私がテレビの中で起きている事を、現実の物事として受け止めきれていないからだろうか

どちらにしても、私は変に落ち着いた気持ちでテレビを見ていた



テレビ<あっ、待って下さい。また何か動いているように見えます>


あの二人と肩を並べて、辺りを見回している人は、一体どういう人なんだろう

画面の中ではもうその事ばかりが気になって、私はアナウンサーの言葉を聞き逃した



テレビ<! あれは一般の方でしょうか!?倒れた女性と、その女性を支える男性の姿が見えます!>

テレビ<もう一人男性が現れました!どうやら無傷のようですが…>


でも、映像は私の思いどおりに動く訳じゃない

テレビカメラは私が見る三人とは違う、別の三人を映した



画面には、倒れた女性を抱き抱える






花苗「…あ………」













貴樹君がいた























秘書「失礼します」ガチャッ


石波「! なんだノックも無しに」

秘書「申し訳ございません。ですが緊急の用事がございましたので」

石波「緊急?」

秘書「テレビをつけて下されば分かります」


石波「………」


石波「…報道などされないハズだ…が…」






石波「!!ッッ」ガタッ

ピッ




テレビ<あッ!再び銃撃が開始されましたッ!>

テレビ<タタタタタン ガガガッ! バババババババ…>



亜部「!!?」

石波「バッ…バカなッ!何処だ!?何処が流しているッ!?」

秘書「緊急時報道協会という、支持者からの援助によって成り立つ非営利団体です」

石波「!?」

秘書「もっとも、彼らには地上波を使う権利も、その権利を買う財力もありませんが」

石波「そ、それは分かっている!!しかし現に映っているじゃないかッ!」

石波「こんなものが流されている中でミサイル爆撃なんぞ出来んッ!放送を止めさせろッ!!今すぐッッ!!」

秘書「彼らは否定しています」

石波「か…何?」


秘書「映像にレポーターとして映っている、カモミール・レッセンという人物は、同団体には所属していないようです」


石波「………じゃあ、緊急時報道協会は関係無いのか…?」

秘書「はい。恐らくは」

石波「………」


石波「何故それを私に言わず…何処でどうやってその情報を仕入れたのかは今は聞かない…」

石波「…しかし、後で必ずソレについては聞かせてもらうからな」

秘書「………」

石波「………クソッ」

石波(…仕方ないが、この映像がどこぞの過激な個人によるものならば、爆撃は中止せざるを得ない)

石波「おい」

秘書「なんでしょうか」

石波「至急伝えろ。爆撃は中止だ」

秘書「何故中止するのですか?」

石波「は?」



石波「…………」



石波「……あのな…この映像を流しているヤツが、法と金に縛られた『社会』という物に属しているなら、確かに我々の思いのままだ」

石波「しかし、何処にも属さずにチャンネルをジャックし、所属を詐る事の出来る奴なんぞ、どう考えても無法者だ。 そんな連中には金も法もゴミ同然であり、鎮圧するには武力を以って事に当たらなければならない」

石波「しかし今の状況でこのレッセンとかいうのを制裁するのは不可能だろ」

石波「で、あるならばだ……こちらが策を講じるしかない。 テロ鎮圧の為なら、国民の犠牲も厭わないという強権姿勢は、今の我々には不適切なんだ」

石波「そうだな…この場合は、爆撃が駄目なら『誤って銃撃戦に巻き込んでしまった』という策が適切だ」

石波「幸いにして、手加減なんてしてられない相手もいる事だからな」


秘書「………」


石波「なんだ、まだ分からんのかッ?」

秘書「ンー…違いますね」

石波「なに?」


秘書「ワカってないのはアナタの方だ」


石波「………?……」


秘書「策など無意味です。既に、王手は刺さっているのですから」


石波「王……手…?」


秘書「このカモミール・レッセンという男……まァ私の先輩なんですが、実は純・ゲバルというテロリストの部下でして、中々の厄介者だそうです」

秘書「武器も持たず、単身で原子力潜水艦の制圧すら可能だとか」

石波「?……」


石波「……あッッ!?」


秘書「ワカりましたか?今の貴方の状況が」

石波「………」


石波「………」



石波「…いつからだ…」

秘書「初めからです。貴方が今の地位に着いた時から、ずっと」

石波「!!……ッッ」


秘書「いつでも勃発せました、いつでもです」


秘書「しかし、可能な事なら貴方達が自滅する様に『我々が追い込んだ』…という方向で、裏社会に分からせたかった」

秘書「だから『オーガ』と『アンチェイン』が貴方達を潰す前に、先に貴方達から潰れて欲しかったのです」

秘書「我が国がアメリカと対等ならば、アメリカの傘下にある貴方達の国にも、我々の力を裏からでも理解してもらいたいのです」


石波「………」



石波「…もし、私がキミから無線を奪おうとすれば…」

秘書「その時は貴方の首はねじ折れる。そこの総理にも消えてもらいます」

亜部「エッ!?」

石波「………ッッッ」


秘書「分かったのなら、私を試すようなマネはどうかお控え下さい」

秘書「貴方の地位を粉々にする選択肢が、今の貴方にとって最も適切なのです」

秘書「さァ、見ると良いでしょう。 国が下した決断…テロリストもろとも一般人を消し炭にする瞬間を」

秘書「一般人へのアップで、尚且つ全国放送でね」


石波「……狂っている…」

秘書「? 何がですか?」

石波「そのゲバルとかいうテロリストがだ…ッ」

秘書「………」


秘書「まァ、確かにクレイジーではあります。自ら爆撃の的になるとか言い出しましたからね」

石波「……?……」

秘書「頭にバンダナを巻いた男……彼がそうです。我らが主導者、純・ゲバルです」

石波「!? な、何をバカなッ!私をからかって…」

秘書「からかってはいますが嘘ではありません。彼には確信があるのでしょう。生き残れるという確信がね」

石波「……そんなバカな…」

秘書「国が全国放送で無差別爆撃をした……この事実さえあれば良いのです。 もっとも、私のボスがどうやって生き残るのかは、私も知りませんがね」

テレビ<バオッ! ドガガガバゴバゴバゴ…

テレビ<範馬勇次郎側も譲りませんッ!何をしているのかは速過ぎてよくは分かりませんが、何かを投げているのでしょうかッ!?>

テレビ<おわッッ! ド ゴ !>

テレビ<こっちまで飛んで来ますッッ!まるで環境破壊ッッ!>





紅葉「……………ッッッ」


助手「先生…これは…」

紅葉「楽しい事さ…スペックにとってのな」

助手「楽しいって……コレ、戦争…」

紅葉「マズい」

助手「マズッ…マズいどころじゃ無いですよ!?こんな一大事…」

紅葉「俺達が心配したところでどうにもならない。気にするだけ無駄だ」

紅葉「俺が言っているのは戦争についてじゃない。彼女の事だ」

紅葉「よく見てみろ。あの女性だ」スッ

助手「えっ?」



助手「…………アッ!?この人、先生の患者ッ!?」


紅葉(肩を撃たれている…ヤバイぞ…)

紅葉(弱った免疫に、平均より低い体温と血圧)

紅葉(肩に負傷…止血は成されているが、ホコリは舞い、辺りは不衛生極まりない)

紅葉(下手をすれば、コレは…)





紅葉「救急車を出せ…」


助手「えっ…」

紅葉「救急車だッ 負傷者を助けるのが我々だろッ」

助手「!! ちょ、無理ですよ!あんな戦場に行くなんて自殺行為じゃないですかッ!」

紅葉「処置の間に合う患者を目前にして術を施さぬなど、俺の中の技術が許さんッ!!」

紅葉「しかも彼女は俺の患者だッ! 自分の患者を救える時に救わぬ医療従事者など、医療には必要ないッッ!!」

助手「せ、先生…」


紅葉「行くぞッッ!!」ザッ




テレビ<しかし、これは何でしょうか…>

テレビ<あの範馬勇次郎と他の二名が、この騒動の発端…いわゆるテロリストと見てよいのでしょうが…>


花苗「………」

姉「………」



テレビ<まるで一般人の三人を庇うかのように…戦闘による被害を、彼らが被らないように戦っている……そう見えるのは何故なのでしょうか>

テレビ<そもそも…地上において並び称される者の無い男に、テロ行為を行うメリットなどあるのでしょうか>

テレビ<そしてテロに走った彼らが、何故一般人を守るのでしょうか>

テレビ<なんといいますでしょうか……矛盾のような物を感じてしまいます>

テレビ<彼等は、本当にテロリストなのでしょうか?>


テレビ< パシュッ >


テレビ<! ロケット砲が撃…>

テレビ<!? キャッチしましたッ!黒人男性が弾頭を捕らえ…投げましたッッ!連合軍側に投げ返しましたッッ!>



お姉ちゃんも、私達を囲む人だかりも

軍隊を相手にして、一歩も退かないあの人達の様子を、空港にいる誰もが固唾を飲んで見守っている中で、私だけが、何かに取り残されていた


貴樹君が危ない目に逢う事はない
私には理解する事さえ難しい程の強さが、貴樹君を守っているから
オリバさん達の強さがどういう物で、どれくらい揺るがない物なのか、私は知っているから



それなのに、胸の中に生まれたモヤモヤとした違和感は消えてくれない

その違和感は、不安や恐怖じゃない

嫉妬とか諦めとかに近くて、それでいてもっと複雑で、卑屈な想い


テレビ画面を見ながら、私は薄く冷や汗をかいて、自分の心臓の音を聞いていた


テレビ<………>

テレビ<…銃撃が止みま……あ、いえ、まだ続いているようです>

テレビ<ですが疎らな射撃です。威嚇をしながらの撤退という事でしょうか>



テレビからの木が割れるような音は急に静かになり、胸の鼓動が際立ってうるさく聞こえはじめる

遠くから聞こえる子供のはしゃぐ声も、妙に大きくなった



テレビ<……撤退ですッ!連合軍側が撤退していきますッ!これは戦闘が終了したと見てよろしいのでしょうか!?>



その大きくなった周りの音以上に、レポーターの声が大きく聞こえた

周りの人混みからもため息が聞こえて、お姉ちゃんの鼻息の音も耳に入った

私も静かにため息をついた


全ては終わった



テレビ< キィィィィイイイ…… >




はずだった




テレビ< ギ ュ ゴ ッ ッ ! ! >





割れた音が響いた一瞬、それがテレビの中の風の音だとは気付かなかった


テレビ< ボ ボ ボ ボ ボ ボ ! ! >


花苗「!」

姉「あっ」

「あ…」  「なに?」 「終わりじゃないの?」
 「わっ」   「なに今の」

テレビ< ボボボ… ヒュィィィ…ィ…ン ン >




テレビ<大変ですッ!今、我々の真上を戦闘機が2ッ!いや3機通過して行きましたッッ!>


花苗「…?…」

姉「ん?」

「戦闘機?」 「撤退したじゃん」「は?」
   「これマジ?」 「戦闘機とか…」
 「あー…」


テレビ<これを見ている方は分かるでしょうかッ!?戦場で戦闘機が飛ぶとすれば、ヤル事は一つしかありませんッッ!>



テレビ<爆撃ですッッッ!!>


花苗「!!!」

姉「えっ…!?」


テレビ<コレがどういう事かワカるでしょうかッ!?民間人がまだいるにも関わらず、国が爆撃を指示したのですッッ!!>


「はァ…?」 「おい、これ絶対映画だよな?」
 「ウソだろ?」 「ヤバイだろこれ」「おいおいおい…」
「やべぇぞこれ…」「責任とかどうすんの?」





戦闘機と聞いて思い付く形は、ぼやけていた
でも、戦闘機についての印象ははっきりしていた

羽があり、ジェットエンジンがあり、ヘリコプターより速い兵器
爆弾やミサイルを落として、人を殺す乗り物

オリバさん達は、きっと車にも戦車にも負けない
でも、あの人達も空が飛べる訳じゃない
高く跳び上がる事は出来ても、翼があるわけじゃない


降って湧いた違和感は、それまでの違和感を押し潰して、膨れ上がった

本当の不安が訪れて、私はうなじが震えるのを感じた














カモミール・レッセン「ああ、あの時の事か」



レッセン「覚えてる。忘れようハズも無い」



レッセン「あれはウチのボスに命じられて…というか、俺がボスの計画に乗って、ニッポンに潜入していた時のコトだ」


レッセン「ニッポンのお偉方が血迷った時、その乱心から生じたミスを派手にしてやるのが俺の仕事だったんだが…」

レッセン「ボスからの連絡で予定が早まってね……予め用意しておいた偽のポジションを駆使って、首脳陣の失態をニッポンの国内放送に乗せたんだ」

レッセン「まァ、それは例の『親子喧嘩』と、前々から俺達の流していた『範馬勇次郎にまつわる噂話』と相乗して、結果的には良い効果を生んでくれたよ」


レッセン「羽田空港の破壊と民間に出た被害は、地上最強の生物を危険視した国家が、空港にいる範馬勇次郎氏を襲撃した事によって勃発した戦争に原因があり、テロへの警戒というのは襲撃の為に国家が立てた隠れみのである………ここまで細かく報じはしなかったが、大事なのは断片のみを視聴者に拾わせて、そのパズルを視聴者自身が完成させる事だ」

レッセン「あまりに細かく言い過ぎるとボロが出るし……ン?」



レッセン「…せっかちなヤツだな。ワカったよ」




レッセン「アレは全国放送の時、俺がカメラの前でレポーターの演技をしていた時だった」


レッセン「3機の戦闘機が俺達の頭上を過ぎて、空港の上を通過していった」


レッセン「普通、戦闘機の爆撃ってのは、地上の相手に限るなら射程距離に入った時点で即ファイアで済む。 しかし、その3機はそうしなかった」


レッセン「考えられる理由は三つ……一つは、破壊目標は飛ぶことが出来ず、また、高速で飛行する戦闘機を撃墜する手段も持ち合わせていない」

レッセン「二つ……幾ら地上最強とはいえ、音速を超えて飛行する3機もの戦闘機を追い抜かしたり、撹乱したりする事は出来ず、逃げ切られる心配は無い」

レッセン「三つ目……しかし相手は重点破壊目標ゆえ、確実な破壊が求められる」



レッセン「つまり爆撃部隊は、作戦を遂行するのに焦りは必要無いと判断したワケだ」


レッセン「真っ当かつ正当な判断…非の打ち所は無い」


レッセン「だがそれこそが最も危険だった」


レッセン「地上最強を相手にするにはね」

レッセン「正直言うと、弧を描いて再接近の体勢に入る編隊を見ながら、俺は少し不安になってた」

レッセン「ウチのボスはオーガと組んでるとはいえ、どうやって切り抜ける気でいるんだろうってね」

レッセン「相手は時速700キロを超えながら、その速度より速いミサイルをぶっ放す鉄の塊だ」

レッセン「ロケット砲や手榴弾を一々かわさなきゃならない人間には、到底太刀打ち出来ない代物。 飛び立つ前に潰す以外に、撃墜方は無い」

レッセン「こう言ったらボスは呆れるだろうが、最低でもハンドガンくらいは必要だ」


レッセン「それを素手で、しかも戦闘機は空中に3機も居るのにだ。逃げずに戦って撃ち落とそうってんだからさ」ハハハ

レッセン「少なくとも、俺には全く方法が思いつかなかったよ」フフ…



レッセン「でだ…そんな感じに俺が考えてる所で、ボスの方に動きがあった」


レッセン「見ると、いなくなってたんだよ。範馬勇次郎が」

レッセン「撤退を知らない彼が逃げるハズは無いって分かってたから、捜してみると、すぐに発見出来た」


レッセン「立ってたよ。ボス達から見ての前方、50メートルくらい離れた所に、何も持たないでね」


レッセン「いつ移動したのかはさっぱり分からなかったが、これだけはワカった」

レッセン「彼は、戦闘機に負ける事などまるで考えていない」

レッセン「それどころか勝つ気でいる。三対一で屠るつもりでいるってね」




レッセン「石コロみたいに小さかった戦闘機のシルエットが、段々と大きくなってきた辺りで、彼は右手をこう、上に挙げたんだ」

レッセン「勝ち名乗りを挙げてるみたいだったが、それは既に構えになっていた」

レッセン「体勢は槍投げに近い……でもそれよりも、もっと戦闘的な、拳を前に突き出す事以外何も考えていない様なポーズだった」



レッセン「そして、戦闘機が再接近を開始した時に、彼はその拳を思いっきりブン回したんだが…」


レッセン「…………」



レッセン「いやァ…スゴかったね」

レッセン「俺ちびっちゃったよ」ハハ…



レッセン「ブン回す直前に、とんでもない事が起きた」



レッセン「雷が墜ちたんだ。範馬勇次郎の頭に」



レッセン「雲一つ無い晴れだっていうのに、轟音を響かせて、閃光がピカッとね」


レッセン「彼?ああ、ピンピンしてたよ。 怪物みたいな顔したまま、姿勢は一切変わってなかった」

レッセン「ただ、光が収まらなかった」

レッセン「消えなかったんだよ。彼に命中した雷の輝きが」

レッセン「花火が爆発する瞬間を写真に撮ったみたいに、彼は光ってたよ。バリバリ音出して」


レッセン「それでだ…その後、何が起こったと思う?」



レッセン「?……イヤ、お前が考えろよ」

レッセン「ヒント?…ヒントか…」

レッセン「うーん…」


レッセン「………」



レッセン「…そうだな…ちょっと話が逸れそうだけど…」

レッセン「お前、SFって知ってるか?サイエンスフィクションってヤツ……ロボットとか宇宙とかのアレだ」

レッセン「俺もその手のは詳しくは無いが…………あっ、知ってるか。それなら話は早いな」


レッセン「じゃあ聞くけど…」





レッセン「プラズマライフルって分かる?」







プラズマライフル


世界に名だたる科学者達が開発に乗り出し、その如々くを挫折させてきた『未来の兵器』

『レーザーガン』と並び称された架空の武器であり、21世紀という未来に期待された理想の遺物の一つ

しかし、訪れるはずだった近未来は忙殺され、今や日常と地続きの平淡な現代があるばかり

そして、宝を手にした者は科学者ではなく…



バ リ バ リ バ リ バ リ バ リ バ リ ! ! !

レッセン「~~~~~~~~~~ッッッッ!!!??」


嘩  ッ  ッ  ッ  !  !  !



宝を手にした者は、皮肉にも、科学を嘲笑う者であった






ズ   バ   ゥ   ッ   !   !   !







漢の拳によって指向性を与えられた雷は、光の次に位置する速さを以って放射状に広がり、漢の視界に入る物全てを焼き尽くした

瓦礫も、戦闘車両も、戦闘員も、骸も

そして戦闘機も



音速を突破する強靭な構造と、障害を克服する為の防御機構すら、自然の産んだ破壊現象の前には無力だった
ミサイルを回避する為のフレア(熱源を発生する囮)も
半端な銃撃なら跳ね退ける装甲も意味を成さない


機体の進行方向から、音速を遥かに超える速度で『雷』が撃ち込まる事など誰が想像しようか

岩をも砕く10億ボルトに包まれて、なおも耐える戦闘機など、誰が設計出来ようか

テレビ<ザザッ バリッ ガガ…>


雷撃が生んだ電磁波は撮影機材に影響を及ぼし、カメラからの映像には音が充分に記録されていない


石波「~~~~~~~~ッッッ!!?」

亜部「~~~~~~~~ッッッッ!!!?」


だが不条理という物には力が宿る


刃牙「はァ……!!?」


音は無く、映像が鮮明で無くとも


花苗「!!? !?!?」

姉「!!!?………ッッッ」


理解を超えた現象は人の心を揺さぶる


ゲバル「!!?………ッッッ」

貴樹「~~~~~~~~ッッッッ!!!!??」

正明「~~~~~~~~~ッッッッ!!!!?」


映像としてではなく、それが実体を持って眼前にあるのなら、尚の事




オリバ「クレイジー……」


オリバ「…流石だゼ……オーガにとっては、自然への認識が違う…」

オリバ「…雷を…」

オリバ「ブッ放つという発想……」

オリバ「もう意味がワカらん……」




あらゆる外敵を破壊し尽くした鬼は、大股開きに立ったまま

バ ッ ! !

両拳を天に突き上げた

レッセン「後でボスから聞いたんだが……どうやらボスは生き残る確信はあったらしいが、どう切り抜けるかは考えていなかったらしい」

レッセン「イヤ、考えてはいたが、オーガの取った方法が余りに予想外だった…と言うべきか」

レッセン「まァ、あんな事を想定してしまうようなら、逆にボスの指揮能力に疑問を感じてしまうよ」

レッセン「『プラズマレーザー撃つかも知れないから』……なんてね」フフ



レッセン「ン? 雷がなんで降ってきたのかって?」

レッセン「知らないよそんなの。考えた所で正解を見つけようが無い」


レッセン「…………ンー…」


レッセン「……雷と言っても、所詮は静電気だ」

レッセン「そこに空気があり、粒子があり、伝導物質があるのなら、極論だがどこででも発生しうる」

レッセン「それに世界的に見ても珍しい現象ではあるが、晴れの日の落雷というのも無くはない」

レッセン「しかしだ…そう考えるにしたって、ねぇ?」





ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ド ! ! ! !

レッセン「…………」

ド  ガ  !  !   ド  ガ  !  !   ド  ガ  !  !
  ド  ガ  !  !   ド  ガ  !  !   ド  ガ  !  !

  ド  ガ  !  !
         ド  ガ  !  !



連打だよ、連打
オーガに向かって雷の連打
滝みたいにさ、ババババって

あの時は漏らしてたね、もう俺は
ぶっちゃけ感電して死ぬんじゃないかと思った
カメラも壊れたし


ド  ガ  ガ  ガ  ガ  ガ  ガ  ガ  ガ  ガ  !  !  !  !


彼?だから大丈夫だって
ピンピン、いやピカピカしてたよ

不思議なものでさ、雷って遠くで見たら青いのに
近くで見たら黄色かったり赤かったりするんだよ

俺初めて知ったよ


ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!!!

レッセン「………」キ~ン



もう何も聞こえなくなってたな

目も変になってたみたいで、雷以外、辺り一面真っ暗なんだ
見えるのはピンボケのオーガだけよ


いやァ、思わず呟いちまったね




レッセン「…神だ……」







もうニッポンには二度と行かないよ
意味ワカんねーよあの国


見に行くんなら、あと一世紀は待った方がいいぜ

15分

開戦から終戦までの時間、僅か15分

6人……いや、3人の『民間人』が圧倒的戦力を相手に殲滅戦をやってのけた、前代未聞の大規模戦闘は

オリバ(…終わった……)

戦争史上最速で終わりを迎えた


隊員「」 隊員「」
  隊員「」

死者多数



ゲバル「………」

生存者8名



明里「………」ハァ、ハァ…

そのうち負傷者は1名



貴樹「………」

正明「………」

一時的な心神喪失に陥っている者2名



レッセン「」

カメラマン「」

気絶した者2名



勇次郎「………」チリチリ… パリッ バチッ

帯電している者1名





























ダダダダダダダダダダダ…ッ

ダンッ!

ゲバル「おっ」

オリバ「ン?」




スペック「………ッッッ」ハァハァ




隊員「」

機動戦闘車「」

ヘリコプター「」

戦闘機「」


スペック(……オッ…)


スペック(終了ってたァ~~……ッッッ)




ゲバル「誰だ?アンタ」

オリバ「スペック」

ゲバル「?」

オリバ「深海刑務所脱獄犯。アメリカ出身の死刑囚……犯罪歴では私の先輩に当たる。 なんでも、自由の女神像を素手で破壊したらしい」

ゲバル「へェ……良いね。そういうのは」


スペック「いつだッ!? いつ終了ったッ!?」

オリバ「ついさっきさ。見てなかったのかい?さっきの雷柱」

スペック「見たから来たんじゃねェかッッ!」

オリバ「それは間の悪いコトで」フフ…

スペック「ハァ~……」


スペック「ン?」ギョロ…

貴樹「……」

明里「………」ハァ、ハァ

正明「……」



オリバ「ああ、彼らには手出ししないでくれ。これから病院に…」

バ  キ  ィ  !

スペック「!」



オリバ「まあ落ち着けよジイさん」

スペック「♪」

オリバ「俺に不意打ちは効かねェよ。特に顔面にはね」

ゲバル「手癖の悪い爺さんだな」ハハハ

オリバ「イイじゃないか。ボケてるよりは余程良い」


スペック「…………」


オリバ「ゲバル」

ゲバル「ん?」

オリバ「ミス明里と他の二人を頼む。私は少し用事が出来た」

ゲバル「…の、ようだな」


スペック「ワルいね♪気をつかわせちまって」

オリバ「構わんさ。じゃ、行こうか」フッ

スペック「……」ニコッ


ザッ



ザッザッザッザッ…






ゲバル「………」




ゲバル「ん~…頼むって言われてもなァ」


貴樹「………」

ゲバル「おーい。キミ」ポンポン

貴樹「?」

ゲバル「耳、聞こえてる?」サッ サッ


貴樹「……?…??」


ゲバル「ハハ、まだ聞こえてないか」



ピーポーピーポー



ゲバル「! …ああ、救急車か」



貴樹「…?…」


ゲバル「おーい」

貴樹「! ぁ…」

ゲバル「やっと気付いたかい。遅いぞキミ」





ぼんやりと響いていた音が急に明確になって、真っ白だった視界に色が映り始めた時、僕の耳に何かのサイレンが入った

でも何のサイレンかが分からない
思い出そうにも、頭の中から考えという考えが抜け落ちてしまっている

目の前の男性が何か言っている
僕の周りには瓦礫がある

ここが何処なのかも、今僕は何をしているのかも思い出せない


ズ ン


貴樹「ッッッ!!!!」



不意に、僕の頭に日本刀が刺さった
鋭い痛みが後頭部と額に走り、僕は酷く慌てながら、傷口を両手で確認する

貴樹「…あ…あれ…?」

けれど、頭には傷口も出血の跡も無く、気付けば思考が鮮明になっていた



「闘争を知らず…」ズチャッ…

貴樹「!」

ゲバル「!」

勇次郎「殺意の感知も出来ぬ、本能を忘れ去った小童も」

勇次郎「濃密な闘争の空気を知れば、多少なりとも殺気に対し鋭敏になり、危機に呼応して体勢を立て直しうるというコトだ」


勇次郎「遠野貴樹…呆けている場合でもあるまい」


貴樹「!!」



僕は思い出した
ここがどこなのかも、今何が起きているのかも

紅葉「おいキミッ!」

病院でお世話になった先生が、救急車から降りて僕らの方へ走ってくる
何故先生がここにいるのかは、僕にとってはどうでも良かった

貴樹「せ、先生…」



貴樹「明里が…!」



病院



バンッ!


ガラガラガラガラガラガラ

助手「心拍・血圧共に低下ッ!体温も上がりませんッ!」

紅葉「輸血パックと投薬の用意ッッ!開いてる手術室はッッ!?」

オペ・ナース1「第三、開いてますッ!」

紅葉「ならば第三に搬送して患者の容態を維持しろッ!」

紅葉「私はオペの準備をするッ!先に行っててくれッ!」

オペ・ナース2「はい!」


ガラガラガラガラガラガラ…






紅葉「………」ザッ

貴樹「先生…」

紅葉「! 何か?」クルッ

貴樹「明里は…助かるんですよね…」

紅葉「………」



紅葉「私は患者に対しては真実のみを伝える様に努めています」

紅葉「それが善かろうと悪かろうと事実としてそこにある以上、隠すコトは出来ないし、隠すべきでは無いと信じているからです」

紅葉「ですからハッキリと申し上げますが、助かる確率は40パーセント…ひいき目で見ても五分五分と言ったところでしょう」


貴樹「!!……ッッ」


紅葉「では失礼を。オペの準備があるので」シュキッ


ザッザッザッザッ







貴樹「…………」








鎬紅葉(シノギ・クレハ)

史上最高のドクターにして、優秀な人体破壊者
過去に行った人道に反する人体実験によって、通常の医療には決して踏み込めぬ領域に辿り着きし男
そんな彼にも、踏み越える事の出来ぬ壁がある


生命力における『格差』という巨壁


出産後の妊婦の衰弱死。不十分な施術で回復してしまう老人
風邪を拗らせて命を落とす若者。感染症から生還する赤子

全身を銃弾に貫かれて尚、身体を起こし戦いに身を投じる極道

地上最強に叩きのめされて尚、命をつなぎ止めた青年



後天的要素では無く、個人が生来に備える力
それは決して量る事は出来ず、変える事も出来ない

それは、人が運命と呼ぶ概念に似る

そして今…



紅葉「………」ザッ

助手「!」



その概念にまたも挑まんとする男が、一人いる

彼は不可能を可能とする為に技を磨き、禁忌までも犯した

その培った技術




紅葉「開始めよう」




今こそ使う時




貴樹「………」

正明「…………」



手術が終わるまで、ここで待っていて下さい

そう言われてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか
10分にも感じるし、30分にも思える。1時間は経ったのだろうか
いずれにしても確かめる手段は無い
時計を見ても、明里の手術が何時に始まったのかを確認していないのだから


看護婦「………」スタスタ…


看護婦さんが、ベンチに座った僕らの前を足速に通り過ぎた
あの人に聞けば良いのかもしれないとも考えたけれど、やめた

今余計な事をすれば、明里の手術に響くかもしれない
そんな訳は無いと頭では分かっていたのに、聞く気になれなかった

自分から何か行動を起こすのが、恐ろしかった


正明「……なあ」


空港から病院まで、一度も口を開かなかった正明さんが、僕に話し掛ける

貴樹「……なんですか」

正明「…………」


でも僕が返事をしても、正明さんはうなだれて黙ったまま、合わせた手を震わせているだけだった


正明「…………」


貴樹「…………」


正明「…なぁ……なんでだろうな…」

正明「なんでこんなんなっちまったのかなぁ…?」



俯いたまま不意に喋りはじめた彼の鼻声は、震えていた
表情は見なくても、彼が泣いている事は分かった
でも、彼のいる方を直視する事も、彼に慰めの言葉を掛ける事も、僕には出来なかった

僕は…いや、多分正明さんも、本当は分かっているんだ

明里をこんな目に遇わせたのは、僕ら自身である事を

自分の中で鳴っていた警報を無視して、関わってはいけない者に近付き過ぎて、引き返す事も間に合わなかった僕らのせいで、明里は生死の境をさ迷っているという事を



だから僕は、正明さんを慰められなかった

僕自身も打ちのめされて、心も、身体も、疲れ切っていた

「よォ」


そんな僕らを意に解さないような、やけに間延びした声が廊下の奥から聞こえた
僕は顔を上げて声のした方向を見たけれど、正明さんは動かなかった


ゲバル「あのオーガを調べてたんだよな?」


空港で、何も言わない正明さんとパニックになりそうだった僕を救急車に押し込んで、どこかへ行ってしまった人が、廊下の奥から歩いて来る

あの範馬勇次郎と同じく、僕らの居る世界とは違う世界にいるはずの人
彼は、空港で見た時とは違って、まるで近所にでもいるかのような普通の男性に見えた

ゲバル「こう言っちゃワルいが、自業自得だな」


そして彼もまた、僕らを慰めはしなかった



ゲバル「世界を翻弄する一人軍隊に夢中になり、偶然とはいえ接触する………世間一般におけるオーガの知名度が高まった事が、そもそもの原因ではあるが、余りにも無鉄砲に過ぎた」

ゲバル「アブない事はアブない連中に任せて、大人しく諜報気分で済ませておけば良いものを…」


貴樹「…………」


ゲバル「手術室にいる女性…」

正明「!」

貴樹「っ……」

ゲバル「あのドクターが何をキミらに言ったのかは知らないが……多分助かるかな、あのドクターの顔だと」


貴樹「…それって、どういう意味ですか?」

ゲバル「あの鎬紅葉ってセンセイ、かなりの凄腕で有名なんだよ。俺らの方でも」

ゲバル「なんでも素手で死人を生き返らせたり、全身ハチの巣になった男を手術で快復させたりしたらしい」

ゲバル「そういうスーパードクターってヤツなのさ。あのお医者さんはね」


貴樹「………」



ゲバル「俺はもう帰るが、一つ忠告」ヂャリ…

ゲバル「これからは自分で処理出来る行動をしろ」


ゲバル「じゃね♪」ザッザッザッ…





貴樹「…………」






紅葉「………ッッッ」



紅葉(患部を切開し、傷口に巻き込まれた衣類の切れ端を取り除き………貫通の衝撃でズレた鎖骨をハメ直し、撃ち抜かれて割れた肩の骨を固定具で接合して、修復不可の骨片は取り除いた…)

紅葉(血管も神経も筋肉の健も繋ぎ直して、切開ヵ所も閉じた……術中の患部洗浄にも抜かりは無かった)

紅葉(やるべき事は全てやった)

紅葉(しかし……)



助手「………先生…」


紅葉(分かっていたさ……運び込まれた時点で、半ば手遅れだった事は…ッッ)

紅葉(応急処置は成されてはいた…しかし真に適切な処置など、あの状況では望めるハズも無い。 医学的には、戦場の最前線以上のハードな環境に、彼女はいた事になる)

紅葉(本来ならば元々病弱な患者を、そのような環境には絶対に近付かせないが……今、現に彼女は危篤状態にある)


オペ・ナース「先生…容態が安定しません……このままだと、この患者さんは…」

紅葉「分かっている。安定する術は残されていると言いたいんだろうが、この状況での投薬はマズい。 今の彼女に、薬物の負荷に耐えられるだけのキャパシティーは無いんだ。 無論、これ以上の施術も受けられる状態に無い」

助手「しかし、これでは術後の経過も…」

紅葉「期待は出来ないだろう。彼女は緩やかに死を迎える」


助手「………ッッ」


紅葉「やりたく無かった……こんな手術は…」


オペ・ナース「先生…」








紅葉「こんな運否天賦な手術は…ッッ」サッ


助手「!?」

オペ・ナース「!?」

プツッ  チュウウゥ~…ッ

助手「あっ!」

オペ・ナース「せっ、先生ッ!?何を…今、投薬は…」

紅葉「そりゃ危険だろうさ…」

紅「だが…生きる道がコッチにはギリギリあるんだよ。崩れかかった可能性ではあるがね…」



紅葉(どれだけ技術を高めようとも、最後の最後は運に頼るしかない……)

紅葉(一度外道に堕ちて尚…こうなるか、やはり……)





看護婦「遠野貴樹さん、篠原正明さん、手術が終わりましたので診療室までお越しください」


貴樹「!」

正明「!! 明里は!?明里はどうなったんですかっ!?」

看護婦「っ、落ち着いて下さい。詳しい話は先生からお聞きいただけますので、まずは診療室の方に…」



診療室



紅葉「なんとか一命は取り留めました」



貴樹「!! ほん…」

正明「本当ですかっ!? は、ははっ…良かった……ありがとうございます、本当にッ……」

紅葉「ですが、手放しで喜べる話でもありません」


正明「えっ?」



紅葉「負傷ヵ所への手術自体は大した問題にならずに済みましたが、彼女の体質に問題が生じていました」

紅葉「明里さんの低めの血圧と体温は、明里さんの循環器系……つまりは血液を身体に行き渡らせる、心臓や血管等の生体システムの事ですが、それが平均より弱い事を表しています」

紅葉「その弱さが、負傷直後の大量出血や、非常事態に対する極度の興奮状態と重なり、深刻化していました」

紅葉「幸いにも処置は成功しましたが、衰弱が著しく、予断を許さない意識不明の状態がしばらく続くでしょう」


紅葉「いわゆる、昏睡状態です」



正明「…こん、すい…?」

貴樹「…いつ起きるんですか?」

紅葉「分かりません。今の所は」

貴樹「分からないって…それじゃあ…」

正明「ずっ……ずっと寝たきりになるってんですかっ!?」



紅葉「残念ですが、その可能性も低くはありません」



貴樹「…………」


正明「そんな……」





紅葉「万が一を考え、一応の覚悟はしておいて下さい」






















ピッ ピッ ピッ ピッ




正明「…………」

貴樹「…………」





明里「………」ピッ ピッ ピッ







正明「…………」


貴樹「…………」


正明「……起きないな、本当に」


貴樹「ええ、そうですね…」


正明「…………」





正明「……なんか、ダメだな俺…妙に落ち着いちまってて…」

正明「明里がこんな事になってるのに……」

正明「最低ってヤツだよな」


貴樹「…………」


貴樹「今日は、色々ありましたから…仕方が無いですよ」

正明「…………」

貴樹「…………」



正明「……ホント悪いとは思ってるけど…二人だけにしてくれないか…」

貴樹「…………」




貴樹「………」ガタッ




スタスタ…


正明「…………」


貴樹「………」ガチャッ


正明「貴樹」

貴樹「………」ピクッ

正明「ごめんな」

貴樹「…………」





バタン







正明「…………」








明里「…………」ピッ ピッ ピッ



ピッ ピッ ピッ ピッ




正明「…………」





ピッ ピッ ピッ ピッ











正明さんを残して、僕は病室を出た


貴樹「……ぁ…」


病院の中を歩きながら、唐突にレンタルカブを店に返していない事を思い出したけれど、空港近くまで取りに行く気にはなれなかった

取りに行ったとしても、多分カブは戦闘でバラバラになっている
それに今の羽田空港には人の死体と瓦礫しかない

そんなものは見たくなかったし、もうこれ以上関わりたくなかった


貴樹「!」




新聞記者1「あ、すみませーん!お話良いですかァー!?」

記者2「話聞かせてくださーい!」
記者3「空港にはどんな用で!?」
記者4「あの二人とは面識があるんですかー!?」
記者5「取材良いですかー!!」
記者6「あの女性はどうなったんですか!?」
記者7「お話聞かせてもらえませんかー!?」
記者8「せめてお名前だけでも…」
記者9「範馬勇次郎氏とはどのような関係にあるのですかッ!?」
記者10「あの黒人の方と面識はありますか!?」

カシャッ カシャッ パシャッ  カシャカシャ

警察1「下がって!ホラ!」
警察2「シャッター切らないでください!患者さんの迷惑です!」
警察3「やめなさいって!!」



病院の正面玄関では、どこから話を聞き付けたのか、報道陣が塊になってカメラを光らせている

警察官が列を作って記者を食い止めているけれど、その警察も何故ここにいるのか分からない
テロへの警戒の為だろうか、それとも病院で何かが起きていたのだろうか

頭にバンダナを巻いた彼に関係があるのだろうか

とにかく、僕は早く病院から抜け出したかった

これ以上何にも関わりたくなかった


看護婦「遠野さん。向こうの非常口が開けてありますので、そこからどうぞ」




玄関近くにいた看護婦さんに案内されて、僕は病院を出た

病院を出た後はタクシーを拾った

運転手は何も言わずに運転を続け、タクシーの中は道路を走る音以外何も聞こえない

でも、僕にはそんな車内が有り難かった

空港での戦闘が始まったのは、覚えてる限りでも朝の8時3~40分頃
今も日は明るく、東京はいつにも増して異様に活気立っている

何処を見ても空港の事ばかりで、ビルの大型スクリーンには現場の中継映像が流れ、新聞配りが号外を配っている



それらを茫然と見流していた僕は、運転手の声で我に返り、料金を払った

いつの間にか着いていた見慣れたアパートの前で、タクシーが走り去っていくのを確認した後、玄関のドアを開ける


「すいません、ちょっとお話良いですか?」


背中に掛けられた声に、僕はドアを開けっ放しにしたまま振り向いた


貴樹「…………」

記者「あ、どうも」



そこには、薄ら笑いを浮かべてメモ帳を片手に持った、新聞記者が立っていた


貴樹「……やめて下さいよ…」

記者「? はい?」

貴樹「やめて下さいよ!!」


その記者に僕は激昂した
個人に本気の怒りをぶつけたのは、生まれて初めてだった

性も根も尽きて何もする気が起きなかったのに、この時だけは力が出た
それほどまでに、僕は苛立ちを抑え切れなかった

記者「いや、すいません…でもコッチも仕事でして…」ヘヘ…

それでも記者は嫌らしい笑いを浮かべたまま、話を聞こうと近寄ってくる

僕はもう泣きそうだった
いい加減にしてほしかった


「あ、ちょいと兄ちゃん。道教えてくんねェかな?」

記者「? なんだよアンタ、取材の邪…」



サングラスを掛けた男に呼び止められた記者の口から、大量の歯が飛び散った

ペ キ ィ !

貴樹「!!?」

記者「~~~~~~~~ッッッッッ!!??」コポポポ


樹の枝を折るような音とともに、口から血泡を吹く記者
その記者の胸倉をサングラスの男はひっ掴むと、記者のスーツをまさぐった

そして記者の在り来りな身なりとは、全く不釣り合いな程ケバケバしい財布を抜き取って、財布の中味を歩道にぶちまけると、その散らばった中味を楽しげに眺め始めた

サングラスの男「あ~あ…やっぱロクなもんじゃなかったねェ」

貴樹「?…?…ッッ」

サングラスの男「堅気じゃねェが、筋者とも違う。 揺すりか詐欺か……まァ、いずれにしろ偽の記者…いわゆるチンピラだな」ポイッ


記者「………」ドサァッ



無造作に投げ捨てられた記者らしき男は、細かく痙攣している
僕は血の臭いだけで色々思い出し過ぎてしまい、壁に手を付けて息を調えた

サングラスの男からは、あの別世界の三人と同じ空気を感じる
実際に、彼が何をしてこの記者をこんな風にしたのかが、僕には分からない

範馬勇次郎が行ったと思われる、異常な何かの数々と同じように


貴樹「なっ…なんなんだ…誰なんだ…」ハァハァ

サングラスの男「観客さ。つっても立見席にもイケなかったがよ」

貴樹「か…観客?」フゥ…

サングラスの男「短過ぎなんだよ。15~6分じゃ現場ァ向かうだけで精一杯だ」

サングラスの男「他の連中もみ~んな見逃しちまって、皆して悲しいやら悔しいやら……」クスッ


貴樹「…?…」



サングラスの男「ま、つーワケで…おいらはもう帰るがよ」

サングラスの男「このチンピラの件、内緒にしておいてくんな」ザッ


ザッザッザッザッ…





サングラスを掛けた白いスーツ姿の男は、記者風の男を置いて本当に行ってしまった



そして僕も、動かない記者風の男に構わず、アパートに入って自分の部屋のある階に上っていった
警察に通報しなければと思いはしたものの、記者風の男の財布から散らされた物騒な名刺は、僕から通報する気力を奪った

源王会や花山組などは、雑誌の事件・事故の欄で一度見掛けた『警察でさえ持て余す』組織
そんなのに関わっている男が、血まみれで倒れている

そんな事を『空港の戦闘の渦中にいた一般人』が警察に通報したら、どんな重要人物扱いをされるか分からない
あのサングラスの男がその筋の者だったとしたら、尚更に何をされるか分からない

面倒事はもう見たくも聞きたくない
自分から関わるなんて真っ平だった



貴樹「………」ガチャッ


ドアを開けて部屋に入る


そこには閑散としたいつもの光景があって、僕は心底ほっとした


靴を脱ぎ捨てて揃え直しもせず、上着を着たまま、僕はベッドに倒れ込む

全身は汗ばみ、頭は痒く、空腹感が胃袋を刺激する

それでも僕は起き上がらず、泥のように眠る事を選んだ




意識が溶ける瞬間、病院のベッドに横たわる明里の姿が、頭の中に浮かんだ









どこかの路地裏




オリバ「………」


スペック「イイ場所あるじゃなァい」ククク…

オリバ「人通りは少ない。空港の件もあるだろうし、まず誰も来ないと見ていいだろう」

スペック「武器はありかい?」

オリバ「あらゆる意味で無しだ。違うかね?」

スペック「ハハハ…そりゃあそうか。アンタにゃ武器は通用しねェ」サッ

ヒュッ キン!  キャリーン!


スペック「ホラ、ナイフも刺さりゃしねェもの」

オリバ「腹筋を固めているからね。そりゃナイフも弾くさ」

スペック「フフ…」

オリバ「まァ、それでも諦めないアンタも流石だ」

スペック「諦めていない?オレが?なんでそう言えるのかな?」

オリバ「そりゃあワカる」




オリバ「勃起してるゼ、アンタ」



スペック「それはキミもだろう」








オリバ「…フフ……」

スペック「………」


オリバ「相思相愛……愛し合う恋人同士が、ベッドに向かい、服を脱ぎ…」

スペック「女は濡れ、男は股ぐらをいきり立たせての、全てをさらけ出す行為に似る」

オリバ「そう…まるでセックスだ。闘いと性交はかくも姿を近くしている」

スペック「………」ザッ


オリバ「出会いの喜びを、共に噛み締めよう」







ゴ  ガ  ッ  !  !  !







勇次郎と渡り合った(互角とは言ってない)刃牙に敵はいない
そんな風に考えていた時期がry


時速八十キロボディスラムとか七階からの落下の倍以上の深さでアスファルト抉る威力で投げられたりとか
果ては30mダイブ受け身無し×2とか150mから車に落下とか重機以上の腕力で人間ヌンチャク食らって立つ奴が
また一投げであっさり昏倒って

序盤の勇次郎さんの「成長しねぇガキ」発言が百パー正論過ぎて草生える




貴樹「!」


僕は目を覚ました

貴樹「…?」

部屋を見渡して、ベッドから起き上がって天井を見る
空港に行く時に消したままの電気は、やっぱり点いていない
なのに部屋は薄明かりに照らされている

窓を見ると、太陽の日差しが部屋の光源になっていた

貴樹「………」シャッ

眩しかったから、思いの他早く起きてしまったんだと思い、僕はカーテンを閉めて、目覚まし時計を見る
もう夕食を作らなければいけない時間になっているはずだった


貴樹「…ぁ…」



でも時計は進んでおらず、むしろ針が戻っていた

時刻は朝の7時40分過ぎ
思えば窓からの光も、夕日にしては弱い


貴樹(一日中寝てたのか…)


そう自覚した途端に、空腹感が思い出され始めた
考えてみれば、昨日から何も食べていない

僕は気だるい身体を動かして台所に向かうと、カップラーメンを一つ取り出し、作って食べた
なんの味気も無かったけれど、空腹感は無くなった

そして、机上にあるカップラーメンの空の容器を見て思う



今日は何をする日なんだろうと

何も無い

するべき事はもう何も無い

全てを賭けて得たものは何も無い
残ったのは、凄惨な事件と、昏睡状態の明里と、疲れ切った男が二人だけ


僕の中のなにもかもが、全て消えていた


虚しさだけを残して





貴樹「………………」





椅子に座ったまま動けない
動く理由が見つからない
会社を辞めた当初の予定通り、フリーで仕事をしてみようか
でも仕事をする事になんの意味があるのだろう

このまま何十年も仕事をして、仕事だけをして生きる
たったそれだけの人生を生きて行けるのだろうか

わずか数年の孤独にさえ、音を上げた僕に




病院に行く…

明里の見舞いに行くべきなのだろうか
でも行ってどうするのだろうか
僕には明里に合わせる顔も、正明さんに合わせる顔も無い

行ったところで明里が目覚める訳じゃない


貴樹「…………」


でも、行くべきなんだ
明里に死んでほしくない
ただそれだけでもいい

打ちひしがれるのは、明里が治ってから

そう、治ってから






貴樹「…………」


貴樹「もしもし、あの、遠野貴樹と言います。篠原明里さんの付き添いだった……はい、そうです」

貴樹「お見舞いに行きたいのですが、いいですか?」

何も無い

するべき事はもう何も無い

全てを賭けて得たものは何も無い
現実に残ったのは、凄惨な事件と、昏睡状態の明里と、疲れ切った男が二人だけ


僕の中からは、何もかもが全て消えていた


虚しさだけを残して





貴樹「………………」





椅子に座ったまま動けない
動く理由が見つからない
会社を辞めた当初の予定通り、フリーで仕事をしてみようか
でも仕事をする事になんの意味があるのだろう

このまま何十年も仕事をして、仕事だけをして生きる
たったそれだけの人生を生きて行けるのだろうか

わずか数年の孤独にさえ、音を上げた僕に




病院に行く…

明里の見舞いに行くべきなのだろうか
でも行ってどうするのだろうか
僕には明里に合わせる顔も、正明さんに合わせる顔も無い

行ったところで明里が目覚める訳じゃない


貴樹「…………」


でも、行くべきなんだ

明里に死んでほしくない
ただそれだけでもいい

打ちひしがれるのは、明里が治ってから

そう、治ってから






貴樹「…………」


貴樹「もしもし、あの、遠野貴樹と言います。篠原明里さんの付き添いだった……はい、そうです」

貴樹「お見舞いに行きたいのですが、よろしいでしょうか?」

病室


テレビ<空港で起きた範馬勇次郎襲撃事件に対して、新たな展開です>

テレビ<先日、亜部総理大臣の開いた緊急会見に際して、石波…>

コンコン

正明「!」


ピッ

テレビ<>プツン




正明「はい」


ガチャッ


正明「!」

貴樹「………」

正明「…貴樹…」



看護婦「失礼します」ペコリ

貴樹「はい、ありがとうございました」

看護婦「………」スタスタ…



貴樹「明里さんは……?」

正明「変わらずさ…ずっと寝てるよ」

正明「あ、でも小康状態にはなってるらしい。呼吸機も必要無いって」



明里「………」



貴樹「………」

正明「………」

貴樹「…正明さん、何見てたんですか?」

正明「っ…見えてた?」

貴樹「いえ。でも、音だけは」

正明「あ、ああ、ニュースをちょっとな…」


正明「でも、あんまり良いもんじゃ無かったし、点けてんのもなんかなってさ」


正明「あ、椅子あるから、座って良いよ」

貴樹「っ、はい」

貴樹「………」


正明「………」




正明「…終わってみるとさ…」

貴樹「?」

正明「ああ、あー……実際に見たり体験したりした後で、冷静になって考えたらって意味な」


正明「あの範馬勇次郎って人について、結局何も分からなかったよな、俺達」

貴樹「………」

正明「分かった事と言えば、噂通りに強かったって事ぐらいで……結局、俺達の何かが変わる訳でも無い」

正明「ただ、明里を危険なヤツらに巻き込ませただけで…」


正明「………考えてみりゃあ、あんなのについて調べたって…生き方のヒントとか、後悔しない人生とか、そんな物……都合良く見つかる訳無かったんだよ…」



明里「………」






貴樹「…僕らは見たかっただけなのかもしれません」

正明「?」

貴樹「見たことの無いような…例えようの無いような、素晴らしい物を」

貴樹「ただ生きてるだけじゃ手に入らない、見ることさえ出来ないような、そんな何かを」



貴樹「でもそれは、手にしたり、見たりしてはいけない物だった」

貴樹「…きっと、僕らは夢を見ちゃいけないんです」

貴樹「受け入れるしか無かったんです。今までも…これから先も…」




正明「………」





貴樹(明里)


貴樹(僕に雑誌を渡した日、明里が言った事、僕は覚えているよ)


貴樹(僕の人生は明里の為じゃない。 明里の人生が僕の為にあるわけでもない)

貴樹(もう僕達は他人同士で、お互い巣立ってしまった。 もう、一緒に同じ道を歩く事もない)


貴樹(なのに、明里は空港で僕を呼んだ。 見て見ぬ振りを出来なかった)

貴樹(僕達はまだ…多分…まだ微かに繋がっている)

貴樹(いや、きっと本心では、微かに繋がっていたいと思っているんだ)





貴樹(…でも、やっぱり離れなきゃ駄目なんだよ)

貴樹(僕達はもう戻れない。 一緒にいても、辛い目に遭うだけなんだ)


貴樹(それに、明里はもう前に進み出したんだろ?)

貴樹(だから止まる必要なんて無い。振り返らなくて良かったんだよ)

貴樹(空っぽな僕なんか放っといて、忘れてしまって良かったんだよ)



貴樹(だから、早く目を覚ましてほしい)


貴樹(正明さんの所へ帰って来てほしい)


貴樹(正明さんは、明里の事を待ってるから)

貴樹(明里の居場所は、もうあるんだから)





自分勝手な想いだとは分かってる

僕は勝手に引きずって、忘れられなくなって、そして今、勝手な考えで自己完結している

でも、明里に生きていて欲しいという想いも、明里が治ったら、僕は明里と関わらないどこか遠くに移るという考えも、紛れも無く僕の中の真実だった



正明さんも、僕も、看護婦さんが呼びに来るまでは、明里のいる病室から動かなかった

何も言わず、ただ静かに

今にも眼を覚ましそうな明里と、僅かに動き続ける心電図と脳波計を眺めていた





何処かの川




















明里「………」






明里(? ここ、どこなの?)




  ザアアアア…





明里(川沿いに桜…昔見た事あるような、無いような…)


明里(でも、こんなに綺麗な桜じゃなかった気はする…)


明里(綺麗は綺麗だったけど、ここのは、なんだか……夢みたいな…)





  ザアアアア…






明里(今、何時なんだろう…)

明里(他に人、いないのかな…)




明里(凄く風が気持ちいい……)

明里(このまま眠ってしまいそう……)




  ザアアアア…






「お嬢ちゃん」




明里「? はい…?」


?「それともお嬢さんの方が良かったかい?」ぬおおっ


明里「!!?」




大男「………」




明里「…えっと、じゃあ、お嬢さんで……」

大男「ん、じゃあそれで呼ばせてもらう」


明里「………」



大男「…何をジーっと見てるんだい?」

明里「!! ぁ、いや、あの…身体大きいんですねって、思って…」

大男「フフ…」

明里「ごめんなさい…失礼でしたよね…」

大男「構わんよ。柔道やってりゃデカくもなる」




明里「それで、貴方は…」

大男「それにしても、ここに来ちまうなんてお嬢さんも随分と不運だ」

明里「っ?」

大男「私の服装は分かるかな?」

明里「えっ…それは分かりますけど…」

大男「な~んだ?」

明里「…半ズボン、だけです」

大男「正解」


明里(…この質問、何の意味があるんだろう…)

明里(いかにも普通じゃない人なのに、気味悪く思えないのは何故なの?)




大男「お嬢さん…『俺』と『此処』で出会っちまったってコトは、向こうでエラいモンと関わったみたいだな」


明里「?」

明里(偉いもの…ここ…?)

明里(何か、話が見えない…)


大男「フフッ……相も変わらずのようだ、あやつも」

明里「……あの、何の事ですか?」

大男「お嬢さん、此処に来る前に何か見たかい?」

明里「えっ」




  ザアアアア…




明里(ここに来る前……そう言えば私、何でこんな所にいるんだろう)

明里(ここは何処なの? どうやって来たの?)

明里(ここに来る前、私は……)









明里(!!!!)







大男「…………」


明里「…わっ…私、空港で……!」フルフル…


明里「!! 傷が…!?」

大男「傷?」

明里「は、はい!肩を怪我して……でも、傷が…」

大男「此処に来りゃ消えるのさ、そういうのはね」

明里「えっ?」



明里(…何それ……)

明里(…どういう事なの…?)


明里(それじゃあ私、あのまま、死んで…)



大男「完全には死んじゃいねェな」

明里「!!!」ビクッ

大男「此処はまだ半端な場所でね。 ちょいと力みゃあすぐ出られるんだ」

大男「丁度、向こうから呼ばれてるヤツも居る。 ソイツに掴まれば、お嬢さんも帰れるだろうよ」

明里「まっ、待ってください!」

大男「?」


明里「そんな…いきなりそんなに言われても、私………何が、何だか…」


大男「………フム」

大男「まァ、ワケは分からんだろうな」

大男「だが、まだ時間もあるコトだ。ゆっくり考えると良い」


明里「…………」



大男「………」ホワァ~…ッ













明里「…あの…」

大男「ン?」

明里「ここ……天国とかじゃないんですよね…?」

大男「死後の世界であるコトは確かだが、天国じゃねェのも確かかな」

明里「…確かって言えるのは何故ですか?」

大男「此処が人の言う『天国』だとしたら、私は既に満たされているハズだからだ。 倅と孫の親子喧嘩に、野次馬する必要も無い程に」

明里「…お孫さん……」



明里「? お孫さん、ですか?」

大男「オヤ、気付いたかね?」

大男「私はこう見えて結構な歳なんだ。 どういうワケかね」

大男「そのせいか、勇次郎に殺られた時から服装が変えられん。 短パンの幽霊なんざ、神秘性が無くていけねェ」フフ…

明里「勇次っ…」

明里「! いえ、その前にあのっ、取られたって…それは一体…」

大男「オウ、殺されちまった」

明里「!?」

大男「まァ、大したハナシじゃない。 感謝こそすれ、怨んではいない」

明里「えっ?」

大男「?」


明里「感謝って、なんで…だって、殺されたんじゃないんですか…?」


大男「あ~…なんかなァ…」


大男「生前は格闘家ってモンだったんだが…」

大男「疲れちまったんだ、人生ってヤツに」


明里「………」



大男「目標も無く、唯一の寄り処である『強さ』を安売りする日々」


大男「その癖、報われる時ってヤツが中々来なくてねェ……見え透いた試合カードに、格下相手への猿芝居…揚げ句に八百長…」


大男「正直、自分の強さで自分の幸せを掴んだコトは、一度も無かった」


大男「掴んだと思えば、ソイツは砕けたりすり抜けたり偽物だったりで…やんなってね…」



明里「………」



大男「そんな時だ、アイツが産まれたのは」

大男「俺の血を引く俺以上…アイツは見る見る強くなった」

大男「嬉しかったねェ、追い抜かれるってのは」

大男「全力で立ち向かい、砕け散るってのは」



明里「………」

大男「分からんだろう?こういう人種」

明里「っ……」

大男「ビクビクせず、正直に言ったら良い」

明里「………」



明里「ごめんなさい…貴方の言う通り、私には、あまり…」

大男「そりゃワカらねェさ。 むしろ、ワカってしまう人生など不幸そのもの」

大男「知らぬ方が余程イイ」




大男「で、私の倅がどうしたって?」

明里「! いえ、あの…私の知人が勇次郎さんについて調べていたので、驚いてしまって……」


大男「ホウ…成る程…」


大男「当てようか。 お嬢さんはその知り合いに巻き込まれ、今の状況に陥った。 違うかな?」

明里「い、いえ違います!あれは…」

大男「………」

明里「…あれは…」



明里「…あれは私が、貴樹君を呼び止めたから……貴樹君についていったのが、いけなかったんです」

明里「貴樹君は、何も悪くない」

明里「だから…私は貴樹君を責めてはいません」



大男「………」フフ…







  ザアアアア…







大男「風が強くなりつつあるな」


大男「思いの外早く時が来たようだが、準備は良いかい?」


明里「いえ、何をどう準備するのか、よく分からないので…」


大男「ハハッ、確かに」




  ザザアアアア…




大男「………」スッ

明里「!っ なっ、なんですかっ?」

大男「何でもない。 持ち上げただけだよ、キミを」



  ザアアアアアアアア…



大男「桜舞う風に乗り、夢うつつから現世へ」

大男「こう言えば洒落ているが、やる事と言えば…」

明里「あ、あのっ…」

大男「槍投げ」グググ…ッ

明里「ちょっ…」


  ザアアアアアア…



大男(今ッッ)





バ  フ  ォ  ッ  !  !

明里「!!?」

ゴ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ! ! !

明里「~~~~~~~~~ッッッッ!!!!」


大男「おーい、お嬢さーん」

大男「宮本武蔵に掴まれェ~ッ」


明里「!!? みや、何ぃぃぃ!?」ゴオオオオ…

大男「宮本武蔵だァ~。忘れるなよォ~」

明里「!!!??」ゴオオオオ…

大男「最後にひとォ~つ」

明里「なッ、なんですかああっ!!」ゴオオオオ…

大男「倅に『敗北おめでとう』と伝えといてくれェ~」

大男「俺は勇一郎だァ~」


明里「分かりましたあああ あ あ

  あ  あ  ぁ  ぁ  

  ァ  ァ  ァ

  ………

  …」ゴオオオオオオ…






勇一郎「フフ……」


ブオワアアアアアアアアアアアアア!!!

明里「~~~~~~~~ッッッ!!!!」

ババババババババババババババババババババババババ…

明里「!?」

ガシッ!!




明里「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…」ゴオオオオオオ…



男「………」ゴオオオオオオ…



男「何用か」

明里「!!? すみっ、すみませんっ、ごめんなさい…」

男「?」

明里「あの、変な事聞きますけど宮本武蔵…さんって、どちらにいますか?」

男「某であるが」

明里「!!! じゃあ…貴方が、宮本…武蔵、さん?」

武蔵「いかにも。 しかし奇な事よ」

武蔵「異邦の者同士、声を違えながら意を通ずる」

明里「?……あっ」


武蔵「よばれし者に飛び付きたるその心中……察するに、現世に未練が御座ろう」

武蔵「ならば、拙者と行きを同じくしてはならぬ」

明里「えっ…そんっ、そんな事言われても…」

武蔵「我が身に詰められたくなくば、身を投げられよ」

明里「投げ……」

ガシッ

明里「ちょっ、ちょっと待って!」


武蔵「幾度と雑多を振るってきたが……思えば女人を振るうは初」

武蔵「不慣れな故、許されよ」ブ  ン

明里「!」

シ  ュ  バ  ッ  ッ  !  !  !


明里「ああああああああああ あ あ

   あ あ あ あ あ あ

   ぁ ぁ ぁ ぁ

   ァ ァ ァ

   ……






武蔵「フム……人とは、かくも羽の如く飛び行くのか」











明里が入院してから六日が経った



貴樹「………」バタン



今日も、明里の見舞いから帰って、僕は部屋に閉じこもる


範馬勇次郎や明里と出会う前の、無目的な生活に、僕は逆戻りしている
いや、何の仕事もしていない分、今は生活すらもしていないのだと思う

起きて、見舞いに行って、明里の病室でただ途方に暮れるだけの毎日は、僕を社会から孤立させる他人から向けられるのは、好奇と同情の眼差しだけだった


貴樹「………」カチッ



やるせない気持ちのまま、いつものように僕はテレビを点ける

テレビは今、どこのチャンネルも空港の惨状についてと、範馬勇次郎と他二人についての情報と、事件に対しての責任問題の話しか流さない

事件の関係者とやらが出て来たと思えば、次は見たことも聞いたことも無いような評論家が、まるで現場に居合わせたかのように饒舌を奮う

僕と正明さんの自宅には、一度も警察もマスコミも来ていないのに、彼らは調査を進めていると言い、真相を皆さんに伝えると言い続けている


何か見えない力が、僕と彼らの間に敷居を立てているかのように
僕らは、彼らの手からすり抜けている




でも、そんな事はどうだっていい

調査が進んで明里が起きる訳じゃない
真相を報じたら明里の怪我が治る、なんて事も無い

何も出来ないなら、せめて放っておいて欲しい




テレビ<…この肩を負傷した女性についてなんですが、病院側が「個人情報保護の観点から、個人名」は明かせないと言ってるんですね>

テレビ<その理由はですね驚くべき事に、ここにはあのスペックが…>












明里が入院してから六日が経った



貴樹「………」バタン



今日も、明里の見舞いから帰って、僕は部屋に閉じこもる


範馬勇次郎や明里と出会う前の、無目的な生活に、僕は逆戻りしている
いや、何の仕事もしていない分、今は生活すらもしていないのだと思う

起きて、見舞いに行って、明里の病室でただ途方に暮れるだけの毎日は、僕を社会から孤立させる

そんな僕に他人が向けるのは、好奇と同情の眼差しだけだった


貴樹「………」カチッ



やるせない気持ちのまま、いつものように僕はテレビを点ける

テレビは今、どこのチャンネルも空港の惨状についてと、範馬勇次郎と他二人についての情報と、事件に対しての責任問題の話しか流さない

事件の関係者とやらが出て来たと思えば、次は見たことも聞いたことも無いような評論家が、まるで現場に居合わせたかのように饒舌を奮う

僕と正明さんの自宅には、一度も警察もマスコミも来ていないのに、彼らは調査を進めていると言い、真相を皆さんに伝えると言い続けている


何か見えない力が、僕と彼らの間に敷居を立てているかのように
僕らは、彼らの手からすり抜けている




でも、そんな事はどうだっていい

調査が進んで明里が起きる訳じゃない
真相を報じたら明里の怪我が治る、なんて事も無い

何も出来ないなら、せめて放っておいて欲しい







テレビ<…この肩を負傷した女性についてなんですが、病院側が「個人情報保護の観点から、個人名」は明かせないと言ってるんですね>

テレビ<その理由はですね驚くべき事に、この病院にはなんと!あのスペックが…>




漫然とテレビを眺めていた僕の頭に、肩、怪我、女性という単語と、苦しそうに顔を歪める明里の写真が飛び込む


貴樹「………」



彼女を想わない日は無い

後悔しない日は無い

僕が座るように促さなければ

あの時、彼女を冷たくあしらう事が出来たのなら…





ピリリリリリッ ピリリリリリッ

貴樹「!」





自責の念に潰されている時、僕の携帯が鳴る


電話に出ると、男性の声が聞こえた








紅葉<遠野貴樹さんですね?>








電話の相手は、鎬先生だった














バンッ!


勢い良くドアを開けて、僕は飛び出した
エレベーターなんて乗っていられず、階段を人生初の三段抜かしで降りた

家に帰った後、着替えてはいない
シャワーも浴びてない
食事も取ってない

時刻は夕方の6時半

走る僕を夕陽が照らす

道を行く人が皆振り返り、中には携帯を取り出して僕に向ける人もいる
それでも僕は構わず走る
とても構ってなんていられない

貴樹「タクシー!!」


ずっと閉じてた喉を急に動かしたものだから、僕の声は裏返った
子供が笑う
サラリーマンが顔をしかめる
タクシーがゆっくりとスピードを落とし、僕に近付く
それが余りにも遅いので、僕は自分から走り寄ってボンネットに手を着けた

運転手「バカお前ッ!危ないだろッッ!減速中に…」

運転手が叫ぶ

貴樹「病院!!病院に行って下さい!!早く!!」

僕も叫んだ

運転手は面食らった鳩のように固まって、僕の顔を見た
僕の焦りは空回りしていて、肝心の病院の名前が思い出せない

運転手「あんた、羽田の……ッッ」

貴樹「お願いです!明里が起きたんですよ!!」


こんな訳の分からない答えでも

運転手「!!ッッ」

運転手は何かを察した


運転手「だァもうッ!乗れッッ!!」

運転手は僕を乗せると、タクシーを飛ばした
周りの車を抜き去り、蛇行運転までして先を急いだ

パトカーが捕まえに来ないのが不思議なくらい、制限速度を超過した
それでも不運は起きる物で、タクシーは渋滞に捕まってしまった

貴樹「………っ」

運転手「クソッ!どけよお前らッッ!」バンバン

ブーッ!ブーッ!ブーッ!


運転手は激昂しながらクラクションを叩き、道路に騒音が響く
周りの車の何台かも、そのクラクションに苦情を言うかのようにクラクションを鳴らす

運転手「クソがラチ開かねェ!!」サッ

運転手は激怒しながら携帯を取り出すと、物凄い勢いで番号を入力した後、こいこいこいと連呼する
最初に彼と会った時から、かなり彼の印象が変わった気がするけれど、僕はそんな彼に嫌悪感を示さなかった


運転手「シャアア掛かったァッ!!」ピッ



運転手「チワッス総長ッッ!!お疲れ様ッス!! 今ニュースに映ったスケの彼乗っけてんすけど!渋滞でタコってます!!自分彼のコト尊敬してますんでッ、チカラァ貸して下さいッッ!!」


貴樹(えっ、総長?)

貴樹(尊敬?なんで?)

疑問が頭に次々と浮かぶ
でも運転手は電話に出ているので、当然疑問には答えてくれない

運転手「近いッスか!?えっ?」

運転手「あッ、ありゃッス!!」


ピッ


運転手「オイ兄ちゃんッッ!!」クルッ

貴樹「!?」

運転手「ウチの総長もう来るぜッ!!ツイてるな!!」

貴樹「そ…総長…?」



そして、疑問が何一つ解決されないまま…




<ガンダムゥゥゥ!!





タクシーの外から「ガンダム」という声が聞こえて来た

そう、確かにガンダムと

ババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババ!!!

パラリラパラリラ  パラパパパ パラパパパ


様々な不協和音が混ざり合った騒音
夜遅くにこの音で起こされて、そのまま朝を迎えた事もあった騒音

それが渋滞の遥か後方から迫ってくる
渋滞しているにも関わらずに

貴樹「……運転手さん、コレって…」

運転手「オウッ!ウチの本隊よ!!」



嫌な予感がした
















キドウバクダン・ガンダム
機動爆弾巌駄無・構成員A「巌駄無ゥゥゥゥ~~~~~~~ッッッ!!!」


構成員達「応ッッッ!!!!!」

構成員A「巌駄無ゥゥゥ~~~~~ッッッ!!!」

構成員達「応ッッッ!!!!!」


ババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババ!!!!!

パラパパパ パラパパパ パラリラパラリラ パパパパパパパパ




車列の間を通り抜けたり、車列の上を跳びはねたり、歩道を走ってきたり

無茶苦茶な方法で渋滞を無視した『暴走族』は、あっという間に僕の乗るタクシーを取り囲むと、エンジンをやたらと吹かし始める


ブオン!!ブオン!! ババババババ!!バォン!!
ブワババババ!!ブオン!!ブオォン!!!

凄まじい騒音の中で、運転手さえもガンダムと声を挙げて

ザウッ

彼らのリーダーらしき人物を迎える




千春「 押 忍 ッ ッ ッ ! ! 」




リーダーの発した号令のような物は、騒音をぴたりと止めた



千春「…………」ダン!


紫色の地下足袋を穿き、引き締まった上半身を露にしている男は、腹にサラシ、頭に鉢巻きを巻いていた

男はバイクから降りてタクシーの前に立つと、吹き捨てたタバコを踏みにじる
それを合図にするかのように、運転手は後部座席側のドアを開け、僕に目配せをする

運転手とは初対面だけれど、彼の視線の意味は分かった

貴樹「………」トッ…

空港の事件に比べれば、全然たいしたことの無い事態かもしれない
だけど僕に、いかにもな武闘派の暴走族と顔を合わせた経験なんてある訳が無い

ましてや、タクシーを降りて自分から顔を出しに行くハメになるなんて、思いもしてなかった



千春「兄さん、名前、なんつーんだい?」


貴樹「…遠野、貴樹です…」


千春「ヘェ……」


貴樹「…………」


千春「あの大将でも敵わねェオーガ……アイツの闘いに巻き込まれてなお、テメェの保身のみには走らず、女を守護った男」

千春「俺らん中じゃ、こいつァどんな強者かと盛り上がりはしたがよ…」

千春「フタ開けてみりゃ、なんてこたァ無いただの素人。 男の中の男ってワケでも無ェ」

貴樹「………」

千春「そーだよな?」


貴樹「……はい」


千春「………」


貴樹「僕には、勇気なんてありません……ましてや強さだなんて…」

千春「いや」

貴樹「?」


千春「弱いアンタだからこそ、俺らはアンタを尊敬している」


貴樹えっ」

千春「なけなしの勇気に、からっきしな腕っぷし」

千春「ソイツらを総動員して、アンタは守護った」

千春「普通は出来ねえ……自分の貧弱さを自覚した野郎は、そんな事ァやらねェ」

貴樹「………」


貴樹「やめてください…僕はそんなつもりで明里を庇った訳じゃないんです」

貴樹「ただ、明里と離れるのが怖かっただけで……明里を死なせる事が、怖かっただけで…」

千春「だから守護ったんだろ?」

貴樹「はい、でも…」

千春「ンなら、やっぱ完璧だぜ」


貴樹「っ?」



千春「無くしたくねェから守るヤツ……辛い目に遭いたくねェから戦うヤツと」

千春「無くしたくねェから、ハナッから持たねェヤツ……辛い目に遭いたくねェから、何もかんも放っぽってハナッからケツ捲るヤツ…」

千春「俺なら前者をシバき倒す」


千春「理由はなんでも構わねェ。動機も関係無ェ」

千春「『どう動くか』にこそ、性根が出るんだ」


貴樹「…………」


千春「遠野さん…アンタには勇気はある」

千春「証人は俺らだ」



貴樹「…………」



千春「つまり、だ…」



千春「乗ってけや、俺のマシンに」

貴樹「!?」

あ、また間違えた
ファッキューイッチ

貴樹「………」


貴樹「やめてください…僕はそんなつもりで明里を庇った訳じゃないんです」

貴樹「ただ、明里と離れるのが怖かっただけで……明里を死なせる事が、怖かっただけで…」

千春「だから守護ったんだろ?」

貴樹「はい、でも…」

千春「ンなら、やっぱ完璧だぜ」


貴樹「っ?」



千春「無くしたくねェから守るヤツ……辛い目に遭いたくねェから戦うヤツと」

千春「無くしたくねェから、ハナッから持たねェヤツ……辛い目に遭いたくねェから、何もかんも放っぽってハナッからケツ捲るヤツ…」

千春「俺なら後者をシバき倒す」


千春「理由はなんでも構わねェ。動機も関係無ェ」

千春「『どう動くか』にこそ、性根が出るんだ」


貴樹「…………」


千春「遠野さん…アンタには勇気はある」

千春「証人は俺らだ」



貴樹「…………」



千春「つまり、だ…」



千春「乗ってけや、俺のマシンに」

貴樹「!?」

突然現れた暴走族から、一団のリーダーらしき男が出て来て、僕を尊敬していると言い、バイクに乗れとまで言う

考える暇は無く、僕は殆ど一方的にバイクに乗せられた


構成員A「巌駄無ゥゥゥ~~~~ッッッ!!!」

構成員達「応ッッッッ!!!!」

貴樹「……ッッッ」



凄まじくうるさい号令と、バイクの走行音が辺りに響く
遠くからパトカーの警報が聞こえ始める

千春「おい」

構成員「ウスッ!」ガポッ

貴樹「あっ!?」

すると、リーダーの合図と同時に、僕を乗せたリーダーのバイクと並走していた男が、僕に何かを被せた


貴樹「な、何ですかコレっ…」


千春「察避けのパーティーマスクだ。 普通、こんなモン使わねェが……アンタぁカタギだからな」

貴樹「うっ! ごほっ」

千春「ハハハ……まァ、使わねェし、ホコリがね」


構成員A「総長ォッ!あとチョットで病院っス!!」


千春「おう」




千春「いいかァッテメッらァ!!こっからは『予定通り』私語厳禁ッッ!!本隊はペース落としてけッッ!!」


千春「分隊ッッッ!!!」


構成員達「押忍ッッッ!!!」


ギャリリリリリ!! ブォアアアアアアアァァァ…




貴樹「…あの、さっきから一体…」

千春「なんてコタぁ無ェ。 前々から練ってたんだよコレ」

千春「アンタをテレビで見た時……ビビッときちまった時に、咄嗟に思い付いちまってよ。 適当に回ってアンタを見かけたらヤルつもりだった」

貴樹「なんでここまで…」

千春「決まってるぜ」


千春「タッパ張っていいヤツぁ、やりたい事やり切ったヤツだけだからよ」

パトカー<止まりなさい!!>



分隊員「ケーサツ来たッスよ!! 部隊ッス!」

分隊長「オウッ!行くぜテメェらァッッ!!」

分隊員達「ウオッシャアアアアアアア!!!!!」

ギャバババババババババ!!!



パトカー<いよーし、止まっ……ン?>



ババババババババババババババババババ!!!!



パトカー<!?>



分隊長「自首じゃオラァッッ!!!逮捕まえてみぃッッ!!!」

分隊員達「うおらあああああああああああッッッ!!」

ババババババババババババババババババ!!!

パトカー<バ、バカッ!止まれッッ!>


分隊長「死ィ晒せああああああ!!!」


ドワッシャアアアアアアアアン!!!




「うわああああ!!」 「なっ、なんだコイツら…ッッ」

「突っ込んできたァッ!!」 「ちょっ…」 「死ねこらぁ!!」

「ぐえッ」 「おごぉっ」 「逆逮捕じゃあ!!」

「しゃあ!コームシッコーボウガイだぜィ!!」



警察官「動くなッ!」

分隊長「うるせェッッ!チャカ弾けェダボがァッッ!!」


パン! ビスッ


分隊長「おぅ………ッッ」

警察官「…馬ッ、馬鹿ッッ」



分隊長「……そ」

警察官「!?」

分隊長「それがナンボんじゃあッッ!」ガコッ!

警察官「~~~~~~ッッッッ」プシュー…


分隊長「おおおおおおおコイツぁ戦争じゃああああああああああ!!!!」バキッ ガッ

ブオオオオォォゥゥン……ッ



千春「…………」スタッ

貴樹「………」タッ




荒っぽい彼の印象とは裏腹に、渋滞を抜けてからの彼の運転は丁寧な物だった

急発進もせず、急停車もしない
病院に着いたこの瞬間も、彼のバイクは回転数を上げない

彼の後ろをついて来ていた仲間達の走りも、リーダーにならって静かなものだった



千春「クレハっつったか、アカリちゃんの担当医っての」

貴樹「はい」

千春「…ンなら、意識ィ戻るのも当然だな」

貴樹「………」



千春「行ってこいッ」

パシッ

貴樹「!」



背中を叩かれ、僕は二、三歩ほどよろめく

強めに叩かれたせいか、背中がヒリヒリと痛い


貴樹「…行ってきます」



知り合いどころか、十数分前までは顔すら知らなかったのに

何故だか、僕の口からはその言葉が自然に出て来た





貴樹「………」


病院の玄関を抜け、受付の看護婦さんに面会の許可を貰って、明里の病室に向かう

自宅を出た時の、焦燥感なのか高揚感なのか分からなかった高ぶりは冷めて、今の僕は落ち着いている

暴走族に取り囲まれて、意識に冷や水を掛けられたからだろうか
背中に当てられた感触に、妙な力強さを感じたからなのだろうか



「ねえ、窓の外見てよ、なんか凄い事になってるわよ」ガラガラ

「珍走団ってやつでしょ?別に珍しくもなんともないわよ」ガラガラ

「でも凄い数じゃない?イヤねー…集会かしらね…」ガラガラ



毛布を乗せた台車を押す、二人の看護婦さんとすれ違う

二人は病院前でタムロしている暴走族を一瞥すると、少しだけ嫌そうな顔をして、僕の隣を通り過ぎて行った





貴樹「…………」





僕は明里のいる病室の前に立つと


貴樹「!」



ノックをしようと上げた手を、静かに下ろした








正明「夢?」



明里「うん……それも、とても変な夢…」


正明「変な夢って、具体的には、どういう?」

明里「川を見たの…あと、川の側に木が並んでた…」

明里「木は……確か、全部桜の木だったような気がする」

正明「………」


明里「緑の芝生に大きな川があって、その川沿いに桜の木が並んでて……私、芝生に立って、川を眺めていたの、」

明里「綺麗だった…とても」


正明「それ…よく言う三途の川ってやつなんじゃないの?」

明里「うん、多分」

正明「マジか…」


明里「……でも、変だったのはそこだけじゃないのよね」

正明「え?」


明里「ふふっ」

正明「?」

明里「あ、ごめんなさい。思い出したら、おかしくて…」

正明「そりゃあ、そんな夢見るなんておかしいけど、でも笑う事か?」

明里「だからそうじゃないの。本当におかしいんだから」

正明「…うん?」



明里「正明さん、夢の中で私が宮本武蔵に会ったって言ったら、笑うでしょ?」



正明「………」


正明「は?」

明里「ふふっ、ね?やっぱりおかしいでしょ?」

正明「あ、いやいや、ちょっと待って、宮本武蔵?」

明里「うん。宮本武蔵。 有名な人なんでしょ?」

正明「まぁ…有名だね…五輪のなんとかで有名な人…」


正明「でも何で宮本武蔵?」

明里「分からない。でも、その人に掴まっていれば戻れるって、あの人が…」

明里「ええっと、誰だったっけ…」


明里「あ、ユーイチローって人に言われて、それで…」

正明「ユーイチロー?」

明里「うん。正明さんが調べてた人の、お父さん」

正明「…?」


正明「!? お父さんって、範馬勇次郎の!?」


明里「そうみたい」

正明「…………」


正明「…確かに変な夢だけど…ちょっと、変過ぎないか?」


明里「だから言ったじゃない。とても変なって」

正明「いや、でも……んーー…」

正明「明里、もしかして俺の集めた資料とか見た?」

明里「!……」ピクッ


明里「ごめんなさい…ちょっとだけ…」

正明「あー…」

明里「でも、ユーイチローさんについては何も書かれてなかったから……それに私も、別に特別な興味があって読んだ訳じゃないし」

正明「そうだよなー…じゃあますます分かんないな…」

正明「専門家じゃ無いけどさ。見たことも聞いたことも無くて興味も無い物を、夢で見るなんておかしくないか? 宮本武蔵にしたって、明里って時代劇とか侍とかには興味無いだろ?」

明里「うん」

正明「だよな。 それなのに、現に夢に見たって事は……」

正明「…いや、やっぱり分かんねえな…なんなんだ?」

明里「………」


明里「…本当は、夢じゃなかったりしてね」


正明「……おい怖いこと言うなよ」

明里「ユーイチローさんが言ってたの。 ここは死後の世界ではあるけれど、天国ではないって」

正明「マジ?」

明里「うん、確か」



明里「あと、もっと変な事があって…」

正明「いや良いって良いって、聞かないよもう…オカルトじみてきた…」

明里「あっ…うん、そうね」


正明「肩の方、大丈夫?」

明里「痛みは無いから大丈夫だと思うけど、なんか……」

正明「なんか?」

明里「……少しだけ、違和感みたいな…怪我してるから当たり前だとは思うけれど」


貴樹「………」




ドアの窓越しに、正明さんと明里が話しているのが見える

他の入院患者とお見舞いに来た人への配慮として、ドアには防音性があるらしく、会話の中身はよく聞き取れない


明里<………>

正明<………>


時折、明里が微笑む
正明さんはそんな彼女と話しながら、少し驚いたり、困ったような表情を浮かべたりしている

二人の雰囲気は和やかで、明里が怪我した事なんて無いようにさえ見えた



貴樹「………」





貴樹「…ふふっ」





自然と笑みがこぼれて、僕は元来た廊下を引き返す事にした

明里の微笑みは、子供の頃に見た僕にとっての『いつもの明里』の微笑み
昔見たままの、懐かしいあの微笑み


ガチャッ



遠くの背後から、ドアの開く音が聞こえる



でも、僕は振り向かず、そのまま歩いた






正明「…………」



明里「どうかしたの?」



正明「……いや、何でも無いよ」


バタン



正明「先生が来たのかと思ったけど、誰もいなかっただけ」

明里「? そう」





正明「そういえば、明里って空港での事とかどこまで覚えてる?」

明里「えっ?…んー…」

正明「………」


明里「そんなには、覚えてない……傷が痛くて、それどころじゃなかったから…」

正明「それなら、よかっ…」

明里「でも一つだけ覚えてる事があるの」

正明「!」


明里「肩がこうなる前の事なんだけど……空港で貴樹君と偶然会って、そのまま色々話してたら、周りが騒がしくなって…」

明里「そしたら突然、空港中が静かになったの」

明里「私も、貴樹君も、他の人達も皆止まって……あれはまるで、動くなって誰かに言われてるみたいな、そんな感じだった。 凄く怖くて……」



明里「でも、貴樹君は私を置いて、走ったの」


正明「………」


明里「突然走って行ったから、びっくりして…一人になるのが怖くて………だから私、貴樹君を追いかけたの」

明里「それで貴樹君には追いついたけど……貴樹君の前に、男の人が立ってた…」


明里「その人は、普通じゃなかった……何処が普通じゃないのか、言葉に出来ないくらいに」





明里「あの人が、範馬勇次郎って人なのよね」


正明「…………」


明里「空から降ってきて、電車を壊して、私と貴方に貴樹君を引き合わせた人」

明里「突飛な空想の中から、飛び出して来たような人」


明里「貴方から初めて彼の話を聞いた時、私はピンと来なかったけれど…」

明里「…今なら、分かる気がする……貴方が、貴樹君が、何故彼に惹かれたのかが」




明里「……だけど、私が……私達が、関わって良い人じゃないと思う」


正明「………」


明里「彼はそういう人なのよ、きっと」



正明「……そう、だよな」


正明「ごめん、本当………もう、関わらないよ」


明里「………」










構成員A「あっ、総長ッ」

千春「ン?」



貴樹「………」



千春「よォ、どうだった?」


貴樹「…会わない事にしました」


千春「………」

構成員A「エッ?なんでッ…」

千春「やめときな」

構成員A「!」

千春「無粋だぜ」

構成員A「…スンマセン…」



千春「この兄ちゃんが何を決断しようと、俺らのヤッた事ァ所詮単なる自己満足」

千春「想いに踏み込む程の権利は持ち合わせねェ」

千春「何を想って会わない事にしたのかは知らねェが」

千春「そいつは尊重されて然べきってモンだ」



千春「撤収すっぞ」


構成員A「ウ、ウスッ!!」

構成員A「巌駄無ッッ!! 行…」

千春「イヤ、気合いはいらねェ。フツーに行け」

構成員A「お…押忍…」

ブオォン! ドッドッドッドッ…


構成員A「ウス総長ッ!いつでも出れますッ!」

千春「オウ」



貴樹「ありがとうございました」

千春「!」ピクッ

貴樹「送ってくれた事」

千春「………」



千春「本当に後悔してねェんだな?」

構成員A「ッッ?」


貴樹「ええ、してません」


貴樹「ずっと前から気付いていた事に、踏ん切りがつけられたんです」


貴樹「それだけですよ」





千春「………フフッ」


千春「良い笑顔してるぜ」


構成員A「あの、聞くのは無粋ってさっき…」

千春「オッシャア巌駄無ッッ!!気合い入れてくぞォッッ!!」

構成員達「押忍ッッッ!!!!」

構成員A「フ、フツーに行くってさっき……ッ!」

千春「巌駄無ッッッ!!!」ブァオン!!

構成員達「応ッッッ!!!」ババババババ!!!

構成員A「ちょっ…待っ…!」ブォン!


ババババババババババババババババババババババババ…





暴走族は、タクシーを囲んだ時のように騒音を上げて、走り去って行った

バイクが舞い上げた砂埃も風に吹かれて掻き消えて、病院の玄関前にはもう僕以外に誰もいない




止めていた足をまた歩ませて、僕は家路に就く

呼び止めたタクシーの運転手は、大声を上げる事も電話を掛ける事も無かった



自宅のアパート前の道路には、うっすらと茶色い染みがこびりついている

そこで起きた事件の物騒さは覚えている

でも僕の中では、それはもう他人事になっていた

自宅に戻って、シャワーを浴び、食事を済ませた僕は手持ち無沙汰になって、部屋の整理を始めた


整理と言っても、愛着がある小物がある訳じゃない

使わなくなったペンやメモ帳をゴミ袋に詰めて、着る服といらなくなった服を分別して、パソコンで家具の引取業者を調べ上げても、整理の時間は30分も掛からなかった


ゴミ箱を覗き込んでも、中には何も無い

取っておきたい食器も無い




僕は日が暮れるまで、テレビを眺め続ける


番組の内容は一つも頭に入らない
暇潰しとして、テレビからの音を聞いているだけ

ただ、それも日が暮れるまでだった



夜になるとテレビを消して外に出て、自動販売機でコーヒーを買った

そのコーヒーをベランダで飲みながら、僕は東京の夜景を眺める


一ヶ月前も、昨日も、今日も、変わらなかった景色
そしてこれからも、長い間変わらないであろう景色

その変わらない景色の中に、明里はいる
変わらない景色の中から、僕のいるこの部屋だけが、次の日から静かに姿を変える


変わらない夜の中から、僕は抜け出す

明里のいる夜から、僕は去る




本当は、別れの言葉を伝えた方が良いんだろうと思う

さよならを言って、お互いに区切りを付けた気になった方が、良いんだろうと思う

でも、そのさよならが出来なかったから、今の僕はここにいる



だから、今度は明里にさよならは言わない







貴樹「元気でね、明里」











僕は明日、東京を出る

















翌日









紅葉「どうですか?体調の方は」


明里「肩の方は痛みはありません」


紅葉「? 痛みが無い?」

明里「はい、違和感みたいな物はあるんですけれど……」

紅葉「フム……」


紅葉「そこのナースコールボタン、取って頂きませんか」

明里「?」スッ

紅葉「ありがとうございます」


カチッ


紅葉「………」

明里「………」


明里「…?」



ガチャッ




看護婦「篠原さん、どうしまっ…あっ」

紅葉「やあ」

看護婦「また先生ですかぁ? どうせ呼ぶんなら一人で回診しないで下さいよぅ」

紅葉「ハハハ、スマンね、ワンマンで」


紅葉「ところでキミ、篠原さんにはもう打ったの?」

看護婦「いいえ、痛みが無いとの事なので注射はしませんでした。軽い触診もしたんですけれど、何の異常も確認出来ませんでした」

紅葉「そうだよなァ…カルテにもそう書いてあるし」

看護婦「…先生私の事疑ってるんですかぁ?」

紅葉「ただの事実確認さ。本当に疑ってるんなら私はもっと面倒だ」

紅葉「話を続けるが、検査の必要性は感じなかったのかい?」

看護婦「それは、感じましたけどぉ……」

看護婦「例の…再入院した患者さんの対応をしてまして…」ボソボソ

紅葉「ああ、スペックの事か……じゃあしょうがないな」



紅葉「篠原さん、検査しましょう」

明里「えっ……あ、はい」

看護婦「準備出来ました」

紅葉「んー」


明里「………」


紅葉「さぁ、篠原さん」

明里「先生、これってレントゲンの……なんでしたっけ」

紅葉「MRIですね。最近は結構メディアへの露出も高いんですが、生で見るのは初めてですか?」

明里「はい…あの、意外と大きいというか」

紅葉「物々しいのは見た目だけですよ。 やる事もレントゲンと同じです」

看護婦「さ、横になって下さい」


明里「………」スッ


紅葉「そのまま動かないで下さいね。すぐ済みますので」ピッ ピッ



明里「………」




ウィイイイイイ……ン

イイイイイイィィィ……



紅葉「………」


紅葉(普通だ)


紅葉(なんて事の無い、いつも目にしている映像)

紅葉(スキャナーは頭頂部から始まり、目を映し、鼻を映し、口を映し、それらの構造を見る者に把握させる)

紅葉(映像はこのまま下顎を通り抜け、順に肩、胸、腹、腰、太股から爪先まで映し、終了)

紅葉(いつも通りだ。問題は無い)

紅葉(問題無く患部を映して終了)



イイイイイイィィィ……



紅葉(首、鎖骨…肩も問題無し)

紅葉(何処にも異常は無い)



紅葉(…………)



紅葉(イヤ、ちょっと待て…どこだよ患部……)

紅葉(見間違いか…?)

紅葉(肩が……)


看護婦「ハイ、お疲れ様でした。 もう良いですよー」

看護婦「結果が出るまでちょっと待ってて下さいね」

明里「はい」




紅葉「………」

看護婦「先生、そちらに結果の方は…」

紅葉「キミ、ちょっとコレを見ててくれ。篠原さんに二、三聞きたい事があるから」

看護婦「はい?」





紅葉「篠原さん。質問をしたいのですがよろしいですか?」

明里「? 構いません、けど……」

紅葉「じゃあ聞きますが、肩を怪我する前に、何か服用しましたか?」

明里「いえ、してないです」

紅葉「では入院中には何か?」

明里「飲んでいませんけど……あの、何か悪い物でも見つかったんでしょうか?」

紅葉「見つかっちゃあいませんよ…むしろ見つからないのが問題なんです…ッ」

明里「え…?」


紅葉「最後に一つ……恐らく無いとは思いますが、昏睡中に何かを見ませんでしたか?」


明里「あの…それは…」

紅葉「夢診断とでも思って下さい。 学術的に十分な証明は未だ成されていませんが、夢の内容が病状に作用を及ぼした例が数多く報告されていますッ」

紅葉「貴女の怪我に関するのです。是非ともお聞かせ願いたい…ッ」

明里「え、えーっと…はい、それなら…」

紅葉「…………」



明里「私…夢の中で、川を見ました」

紅葉「川ね……他には?」

明里「他には、川で人と話したり……その、なんというか…その…」



紅葉(川で人と話す…)

紅葉(三途の川の夢か…ごく在り来りな夢だな)

紅葉(やはり考え過ぎか。特別な事でも無い)



明里「ごめんなさい。自分でもなんだか変で…話し辛くて……」

紅葉「良いですよ。全て話してみて下さい」

明里「じゃあ、あの…それなら話しますけど…」

明里「宮本武蔵を…見ました…」

紅葉「ぷふッ」

明里「! そっ、そうですよねっ、変ですよね……」

紅葉「あ、イヤ……コホン、失礼、今のは無かった事に」


紅葉「他には何か?」

明里「他には…川での事なんですが、ユーイチローって人と話しました」

紅葉「ユーイチロー?」

明里「はい、範馬ユーイチローさん」



紅葉「!!!!ッッッ」ぞ わ っ




明里「あっ、でも苗字の方は憶測です。範馬勇次郎って人のお父さんらしいので、苗字も同じかな、と」

紅葉「!!!!!………ッッッ」

明里「その人に、投げ飛ばされた後、宮本武蔵に投げ飛ばされて……気付いたら、病院のベッドの上でした」


紅葉「……………」



明里「あの…やっぱり変ですよね…」



紅葉「!? あ、ああ、ウンッ」





紅葉「すッげ~変………」







看護婦「あの~…せ、先生…」

紅葉「…なんだ…」

看護婦「コレ、変なんです……この画像…」

紅葉「ああ変だよ。ワカってる」

紅葉(フフ……まったくイイ気なモンだぜ…)

紅葉(範馬……)

紅葉(この苗字が出るとろくな事が起こらない……いや、悪くは無いんだろうが…)



紅葉(治癒ってんじゃん…肩…)




紅葉「明里さん、怪我してる肩の方の手を動かしてみて下さい」

明里「っ? えっ」

紅葉「おかしいと思っているのは私も同じです」

紅葉「ギプスの上からでも多少は動かせるでしょう? さぁ」

明里「………」


明里「………」グッ グッ



明里「あ…あれ…?」グッ グッ



明里「痛くない…?」グッ グッ



紅葉「ハハッ…やっぱり」

明里「先生、こ、これ…なんで?」グッ グッ

紅葉「治っちゃいましたね」

明里「えっ」

ピリリリリッ ピリリリリッ



正明「おっ」


会社の同僚「ん?どした?」

正明「ちょっと外す。病院からだ」ガタッ

同僚「あ、おう」





ピッ

正明「はい、篠原です」

正明「はい……明里に何かあったんですかっ?」

正明「あっ、そうですか……はい…」


正明「治ったッ!!?」


正明「え……は?…なんで?」

正明「退院……あのちょっと待って下さい、なんで?」

正明「いや、あの…」

正明「いや治療費は払いますよ!当たり前じゃないですか!」


紅葉<私が治したんじゃありません>



正明「は?」


紅葉<勝手に治った……いわゆる自然治癒です>


正明「………」




正明「はい?」










引取業者「こんにちはー、引取に伺いました」


貴樹「ご苦労様です。どうぞ」

業者「ハイ、失礼します」





繋ぎ姿の男性はそう言うと、後から来た二人の作業員と一緒に、作業を始めた

一人が僕に確認を取る中、体格の良い二人の作業員は、安物の家具を次々に部屋から運び出していく
最初にタンスが消えて、次に机と椅子が消えた

業者「冷蔵庫とテレビもですか?」

貴樹「はい、お願いします」

業者「分かりました」


更に家電製品も部屋から消える
思っていた以上に、あっさりと作業は終わった

僕は玄関で引取業者に料金を支払った後、部屋に戻った



貴樹「………」



生活の跡が持ち去られ、寂しいを通り過ぎて殺伐とさえ見える部屋

何もかもが無くなり、会社で知り合った女性の、目に見えない痕跡のような物さえ消えた、アパートの一室



この部屋から僕もいなくなる



そしてまたいつか、別の誰かが住む





大家さんに敷引き金を渡して、部屋を解約し、アパートを出る

ご近所付き合いは無いから、特別な何かが起こってしまう事も無い



貴樹「………」



アパートの外、僕の持ってる荷物はブリーフケース一つだけ
東京に移ってそれなりに長く時を過ごしたのに、僕に残った物はたったのこれだけ

でも、上京した時より減った手荷物と、押せば凹むブリーフケースを見ても、僕は虚しさは感じず、むしろ清々しさを覚えるくらいだった



貴樹「………」スタスタ…




これからどうにかして東京を出た後、大阪の国際空港から目的地に行く

たったそれだけの、後先を考えない旅路

ただ人混みは避けたいから、交通機関は使わない
適当に歩いて、タクシーを見たらそれに乗って東京を出る

計画も、そんな漠然とした物だった




「遠野様」

貴樹「?」



そして、その漠然とした計画も、後ろから掛けられた声であっさりと瓦解する




黒服「徳川光成様からの使いで参りました」

貴樹「徳川…さん…?」



振り返った僕の前には、黒塗りのリムジンが停車している



黒服「是非とも、遠野様にお話したい事があると」




時刻は午後1時を少し過ぎた辺り

僕の旅路は大幅に修正された

車を降りた運転手が、客室のドアを開ける
黒服の初老の男性と共に、僕はリムジンに乗り、運転手はリムジンを発車させた



断る事は出来ない

選択肢は与えられているんだろうけど、リムジンを見た瞬間に、何かを悟ったかのようにそう感じた

僕自身に、範馬勇次郎に対して好奇心が芽生えていたのもある
だけど実際に行動に踏み切る契機になったのは、徳川さんとの会話だ


アパートを出て数分と経たずに声を掛けられ、車まで用意されていたのだから、意図的に仕組まれた事なのだろうけれど、僕はこの状況に運命のような物を感じている


黒服の男性は何も話さず、僕も声を出さない
リムジンは一度も止まる事無く走り続け、やがて停車した

黒服「到着致しました」ガチャッ


黒服の男性がドアを開け、僕はリムジンを降り、外を見た



黒服「ようこそ、徳川邸へ」





絵に描いたような和風の豪邸に、僕はつい薄ら笑いを浮かべてしまった

黒服「どうぞこちらへ」

貴樹「………」



促されるまま僕は門を潜り、豪邸の敷地を歩く
日本庭園には小川が敷かれ、本物の鹿威しが快音を上げている

庭園を通って屋敷に入り、小間使いに礼をされ、更に奥へと進むにつれて、都会の喧騒は聞こえなくなっていった

そして、風にそよぐ草木の音と、鹿威しの快音だけが聞こえる一室の中に…



徳川「おお、よう来てくれたのォ」



僕を呼んだ老人が、ちゃぶ台を前に座っていた



黒服「それでは、ごゆるりと」



黒服の男性は一礼すると、静かに襖を閉めた

徳川「すまんのう、いきなり呼び出して」

徳川「ささ、座って座って」


貴樹「…失礼します」スッ


徳川「ん」






徳川「いやァ~~…ッッ イイもん見させて貰ったわ、うん」

貴樹「良いもの?」

徳川「空港のアレじゃよ。特に最後の雷……可能なら間近で見たかったんじゃが、まぁ欲張りと言うものか」ホッホッ

貴樹「良いものなんですか、あれが」

徳川「ウン」

貴樹「人が死んだんですよ?」


徳川「んな事ァワカっとるわい」


貴樹「そんな……」


徳川「彼奴らには逃げる選択肢など幾らでもあったハズじゃ」

徳川「軍力に属さない、任務を遂行しない……例え責任を問われ、職を失い、刑に伏する事になろうとも、命を繋げる事は出来る」

徳川「そもそも、命を惜しむ者が戦いの場に赴くのが間違い。戦場とは死にたがりの居場所じゃ」

徳川「死にたくないから勝つのではない。死にたくないからこそ、戦を回避するのが凡人の取るべき道なのじゃ」

徳川「たとえ尊厳を失い、後ろ指さされる事になろうともな」



徳川「彼奴らは死という存在に実感を持たず、信頼と職を失う事を現実的な恐怖として認識し、戦の道を選び取った」

徳川「ならば文句は無いハズ。死が軽いなら文句など言えぬハズ」

徳川「反論あるかい?」



貴樹「…………」



徳川「そういうコトじゃ」

貴樹「………」




貴樹「……徳川さん」

徳川「ン?」

貴樹「何故、僕を呼んだんですか?」

徳川「何故か……おおよその察しは付くが、それはワシの思うべき所じゃない」

徳川「要するに、ワシは単なる仲介役っちゅうこっちゃ」

貴樹「徳川さんが呼んだわけじゃないんですか?」

徳川「うむ」


徳川「当事者にない部外者のワシには、ワカらん物ばかりだが、ただ一つワカる事がある」

徳川「おぬしは特別だというコト」


貴樹「?」



「徳川様」


徳川「入れ」


ガラッ




小間使い「徳川様、用意が出来てございます」


貴樹(用意…?)


徳川「というコトじゃ。座ったばかりで悪いが、ついて来なさい」スッ

貴樹「っ、はい」サッ



ちゃぶ台の上に用意されていたお茶には一度も手を付ける事無く、徳川さんと僕は部屋を出て、表廊下を歩いて行く

右手には障子と壁。左手には日本庭園
和風旅館のような周りの様子は、変わらずに落ち着いた雰囲気

でも、僕は何故か胸にざわつきを感じていた
それは予感とか気配とかじゃない異質な違和感であり、その違和感には覚えがあった

数日前の、羽田空港で……




徳川「ここじゃ」

貴樹「!」

徳川「この襖を開けた先に、おぬしを呼んだ者がおる。くれぐれも節操の無いようにな」ガッ

徳川「といっても………まァ、言わずとも良いか」


シュラッ


貴樹「!!!!」



徳川「ま、頑張りなされや」



タンッ






貴樹「……………」





左手側から日光は射しているけれど、何畳あるかも分からない大広間は薄暗い
その大広間の真ん中に、二度と会わないだろうと予感していた人がいた

二度と関わるまいと思っていた人がいた







勇次郎「…………」









胡座を掛く彼の前にはちゃぶ台が置いてあり、そのちゃぶ台を見た瞬間から、僕の奥歯が閉じた口の中でカチカチと音を立てはじめる



勇次郎「楽にしな」




そんな事言われても、出来るわけがなかった

あら本当だわ
書き直します

ちゃぶ台の上に用意されていたお茶には一度も手を付ける事無く、徳川さんと僕は部屋を出て、表廊下を歩いて行く

右手には障子と壁。左手には日本庭園
和風旅館のような周りの様子は、変わらずに落ち着いた雰囲気

でも、僕は何故か胸にざわつきを感じていた
それは予感とか気配とかじゃない異質な違和感であり、その違和感には覚えがあった

数日前の、羽田空港で……




徳川「ここじゃ」

貴樹「!」

徳川「この襖を開けた先に、おぬしを呼んだ者がおる。くれぐれも粗相の無いようにな」ガッ

徳川「といっても………まァ、言わずとも良いか」


シュラッ


貴樹「!!!!」



徳川「ま、頑張りなされや」



タンッ






貴樹「……………」





左手側から日光は射しているけれど、何畳あるかも分からない大広間は薄暗い
その大広間の真ん中に、二度と会わないだろうと予感していた人がいた

二度と関わるまいと思っていた人がいた







勇次郎「…………」









胡座を掛く彼の前にはちゃぶ台が置いてあり、そのちゃぶ台を見た瞬間から、僕の奥歯が閉じた口の中でカチカチと音を立てはじめる



勇次郎「楽にしな」




そんな事言われても、出来るわけがなかった

貴樹「………ッ」



勇次郎「何時までそうしてる」

貴樹「!!ッッ」

勇次郎「貴様が挑み、俺が構えるならばまだしも」

勇次郎「双方に闘志無きこの場で、俺が貴様を殺るとでも?」


貴樹「…………えッ…いや…」


勇次郎「もっとも、このまま俺の要望を『跳ね退ける』というのなら、多少の波風も立つ」

勇次郎「立たせたいか……波風…」

貴樹「……?…」


勇次郎「なんなら、俺からでも……」


貴樹「!!!」ダッ

タタタタタ… サッ








勇次郎「そう、それでいい」


貴樹「………ッッッ」ハァハァ


勇次郎「話し合うなら、まずは顔を合わせねェとな」

勇次郎「卓があるというのなら、席にも就く」



貴樹「…………」



勇次郎「飯でも突きながらな」ズッ…

貴樹「!?…ッ」



ゴトッ



貴樹(……じゅっ、重箱?……)



勇次郎「作って来たぜ」



貴樹「!!!?」

ガパッ


勇次郎「………」ゴト…ッ


貴樹「…………」




貴樹「鮭弁当…ですか……」



勇次郎「おう」


貴樹「……………」


勇次郎「質素が良い」

勇次郎「豪奢なだけが取り柄の食事など、たまにで十分」



貴樹「…………」



貴樹「…あの、これって…僕の、ですか?」


勇次郎「嫌かい」


貴樹「!!ッ あッ、嫌じゃないです……ぃ、頂きます」



勇次郎「………」ペコリ



貴樹「!!!??」


勇次郎「…………」モニュ…モニュ…

貴樹「………」モグ…

勇次郎「………」モニュ…



思いもしない再会の後、矢継ぎ早に訪れた驚きに、僕は大いに困惑し、狼狽した

地上最強の生物

あらゆるしがらみから解放され、何者も寄せ付けない強さを持つ男

そんな彼が、誰の為に食事を作ったのだろう
誰にも咎められないのに、何故彼は礼儀作法を習得しているのだろう

そもそも、僕なんかに何の用があるんだ?

頭の中がこんがらがって、今何が起きているのか、何でこうなったのかが分からない


分かっている事は、彼の作った鮭弁当とその付け合わせが、普通に美味しい事だけ





勇次郎「遠野貴樹」



貴樹「!!」ビクッ



勇次郎「何故俺を想い、俺を追った」

勇次郎「結果として何を得た」


勇次郎「答えろ」



貴樹「…………ッッッ」





答えに窮した
この状況と、彼自身の存在に臆しているのもある
でも一番の理由は、僕の想いの曖昧さにある

『今までの生き方に疑問があったから』
『僕とは全く違う彼に興味が沸いたから』
『今の僕から脱する為に』

ただただそう想い、それらが意味する答えは『全く違う僕に生まれ変わりたかったから、貴方を追いました』と言う物に外ならない

そんな漠然とした答えに、あの範馬勇次郎が納得する訳が無い



それに、彼と会って僕の本質的な何かが急に変わる訳でも無かったし、現に今、彼との出会いを経験した僕の生活には、依然光明が無い

答えるも何も、僕はその答えの影すらも捉えていない

成果なんてどこにも無い



しかし範馬勇次郎を前にして、変わらずに無言のままでいるなんて、何が起きるか全く分からない

その底の見えない恐怖が、僕の口を開かせた

貴樹「……変わりたかったんです…何か、別の僕に」

貴樹「今より良い僕になりたくて…その…」

貴樹「…僕には無い物を、全て持ってる貴方を知る事が出来れば…僕も、変われるのかも、と……」


勇次郎「変われたかい」



貴樹「…………」

勇次郎「………」モニュ…



貴樹「…いえ、何も……」




勇次郎「フン」


貴樹「………」


勇次郎「で、何故俺を選んだ」

貴樹「えっ」


勇次郎「貴様と異なる者など、そこらに転がっているハズ」

勇次郎「形はどうあれ、俺に近付くという愚行に走る必要が何処にある」


貴樹「それは……」


勇次郎「第一に、俺にあって貴様に無い物とは何だ」


貴樹「…………」



貴樹「強さと…自由さが、貴方には…」

勇次郎「ならば、やはり俺で無くとも良い」


勇次郎「徳川のジジイに聞きゃあ、幾らでも世話になれたハズだ」

貴樹「………」


勇次郎「大方ガキの使いが如く、ジジイから聞いた戯れ言を元に行動したんだろうが」

勇次郎「それならば変ずる物も変じぬ」

勇次郎「無謀に過ぎる」



貴樹「………すみません……」





勇次郎「………」モニュ…モニュ…


貴樹「………」モグ…





カチャッ…





勇次郎「………」ペコリ

貴樹「!!ッ」


貴樹「………」ペコリ






勇次郎「…さて、飯は喰った」

勇次郎「次は茶でも呑もうじゃねェか」スッ

貴樹「!?」

トポポポ…



貴樹「……なんで僕なんかに…」


勇次郎「………」スッ トポポポ…


貴樹「ここまでしてくれるんですか……?」


勇次郎「褒美だ」ズズズ…


貴樹「……?」



勇次郎「腕力も、それに代わる力も無い」

勇次郎「心焦がす殺意に身を焼いた経験も無く、闘争に対しては、ケツの青い餓鬼以下の認識しか発揮出来ぬ『腑抜け』が」

貴樹「っ………」

勇次郎「無謀にもこの俺を追うと決心し、そして美事再会する事に成功した」


勇次郎「無法の輩…富裕者…知識人…権力者…」

勇次郎「それらの何れにも属さない、数多の凡夫……そして、その凡夫共の中でも、特に虚無的に生きるオマエ」

勇次郎「知識も力も金も無く、闘争に恐れを感じ取れなかった貴様だからこそ、何も持たずしてこの俺に到達した」


勇次郎「こんな奇跡、そうそうお目に掛かれる物じゃねェ」ズズズ…



貴樹「………」

貴樹「…どうして僕の事を…そんなに知ってるんですか?」


勇次郎「知りゃあしねェ」

勇次郎「見れば分かる物を、ただ話しただけの事」


貴樹「…そうですか…」



勇次郎「…………」




貴樹「…………」




貴樹「僕には分かりません…」


貴樹「僕は…僕のような人間には、見ただけで他人を理解する事なんて出来ません」

貴樹「電車を壊す事も、軍隊を相手に互角以上に闘う事も、出来っこありません」

貴樹「普通は皆そうです」





貴樹「でも、貴方は違う………僕達なんかとは、根本から違っている」

貴樹「こんなの不公平だとは思いませんか……僕らにだって、自由に生きる権利があるはずなのに」

貴樹「現実に自由を持っている人が、貴方だけなんて…」

貴樹「自分の人生さえ、思う様に生きれない世の中なのに……そこから貴方一人だけが逸脱しているなんて…」


勇次郎「…………」



貴樹「勇次郎さん……何故貴方だけが、そこまで強いんですか?」



勇次郎「…………」






勇次郎「フフ…随分と切実な悩みなんだろうが」


勇次郎「悪いが、手前ェが思う程、俺は自由を謳歌してるワケでもない」

勇次郎「限りってのは、何処にでも在る」


貴樹「えっ…?」

勇次郎「例えばこの拳」ズッ…

貴樹「……ッッッ」

勇次郎「岩を割り、鉄をえぐり、骨を切り落とす破壊を握っているとしても」

勇次郎「地上最良の緩衝物質……我が息子『刃牙』を間に挟め、物を叩けば」

勇次郎「せいぜい乗用車が半回転。せいぜい車体が凹む程度」

勇次郎「大地に直径10メートル以上の大穴を開ける力も、ヤツを介した途端に力を失い、叩いた乗用車が原形を留めるという体たらく」


勇次郎「そしてコレ」スッ


コトッ…


貴樹「……それは何ですか?」

勇次郎「かつて俺を沈めた鉄粒…」




勇次郎「麻酔弾」




貴樹「麻酔弾?」

勇次郎「ジジイが後生大事に保管している物だ」

勇次郎「コイツを某所にて数発……常人ならばまず死は免れぬ程の濃度を喰らい、不覚を取った」

貴樹「不覚って…それじゃあ…」

勇次郎「当時の俺は認めぬだろう。 しかし、思えばあの時に終了っても良かった」

勇次郎「敗北の前に屈し、眠る事を良しとする、と」



貴樹「…………」



勇次郎「致死量を裕に越える量だった」

勇次郎「ジジイは否定するだろうが、明らかに意図する所は俺の再起不能……つまりは殺害だ」

勇次郎「強い衝撃に耐える肉体も、所詮は人体の持つ常識の延長にある物。 物質そのものを揺るがす科学変化には抵抗も至難と言えよう」

勇次郎「今はどうか知らぬがな」フフ…



貴樹「とどめ、とかは…大丈夫だったんですか?」


勇次郎「殺気でも感知して直ぐさま復活すると踏み、手を下さずに放置に留めたらしい」

勇次郎「しかし、たかが銃如きに不覚を取るアホウの事。 そっ首取られるか、それとも蘇るかは、恐らく五分五分と言ったところだな」

貴樹「…………」

勇次郎「意外とでも言いたげな顔だな」


貴樹「はい……あの、正直に言えば、少し……」


貴樹「…………」




貴樹「やっぱり…そういうのは貴方でも気になるんですか?」

勇次郎「いや、ならねェな」


勇次郎「強い強いと言われちゃいるが、そんなモン、俺にとっては毒にも薬にも成らぬ無意味な甘言」

勇次郎「地上最強である事など、最早どうでも良い」

貴樹「っ!?」



勇次郎「いっそ『適当』な野郎にあげたかったくらいだぜ」

貴樹「…適当な野郎って…」

勇次郎「誤解するな」


勇次郎「俺より強い漢……どのような手段であれ、俺に対して適した攻撃手段を取り、俺の我が儘を退ける者」

勇次郎「地上最強という空虚はそいつに渡して、いい加減楽になろうと思ってよ」

勇次郎「ついに妥協しちまった」


勇次郎「『俺はピンピンしてるが、もう刃牙でいいや』ってよ」クスクス…




貴樹「…………」








勇次郎「そんなにショックかい」フフ…


貴樹「は…はい…」





貴樹「僕には…気持ちの整理がつきません…」

貴樹「悩みなんかとは無縁の人だとばかり……」


勇次郎「強者と言えど、一皮剥けば只の人」

勇次郎「オマエ、俺をなんだと思ったんだ?」

貴樹「!ッ」


貴樹「……正直…」



貴樹「正直に言えば…そういうしがらみからは、解放されている人だと」


勇次郎「しがらみ無き者などいない」

勇次郎「どれだけ高く跳ぼうとも、推力が続かぬならば誰しも地に落ちる」

勇次郎「どれだけ富を肥太らせようとも、その富の拠り所が盤石になる事は無い」

勇次郎「重力、富、飲食、時間」

勇次郎「心の変動に、寿命」

勇次郎「しがらみで構成される世界の中、唯一しがらみ無き物があるとするならば、それは死以外に無い」

勇次郎「遠野貴樹よ」

貴樹「!!」




勇次郎「自由である事が、そんなに尊いかい」






貴樹「…………」





貴樹「そういうのを自由と言うのなら…確かに自由を求めるのは…無意味かもしれません」

貴樹「ですが夢を見る自由は、誰にでも元からあるはずでは無いんですか?」

貴樹「それを叶える事だって…」


勇次郎「夢ってのは叶わねェ物だ」

勇次郎「万が一にも叶えちまう野郎がいれば、そいつは不幸も良いとこ」


勇次郎「叶った夢など、叶えた者からしてみれば既に当たり前という物………人の本質が『泳がねば死ぬサメやマグロ』である以上、その当たり前から脱し、次を目指さねばならない」

勇次郎「しかし、夢叶えし者には次は無い」

勇次郎「次を全て体験しちまったんだからな」



勇次郎「だからこそ、夢叶えし者は乱れ、足掻く」

勇次郎「まだ在る、まだ有ると藻掻き、己の力の及ぶ範囲の中をのたうち回る者も居れば、諦観の内に沈み込み、築いた物を食いつぶす者もいる」

勇次郎「気付いた時には、俺は既に両方を体験していたが」

勇次郎「良いものでは無い」



勇次郎「まァ…それでも夢を見、叶える事を望むならば、好きにするといい」

勇次郎「止めやしねェよ」

貴樹「………」



貴樹「…それなら、僕はどうすれば良かったんですか……?」



勇次郎「二度も言わせるな」


勇次郎「目指しゃあ良い。追うだけ追えば良い」


貴樹「目指せば良いって……良くないじゃないですか、全然」

勇次郎「ならば、何を成す為に生きる」

貴樹「それは……」

勇次郎「只生き、只死ぬならば、文明無き生活でも事足りる」

勇次郎「例え路上生活者に成ろうともな」


貴樹「…………」



勇次郎「誰しもが『より良き』を目指し、夢を追う」

勇次郎「そしてその大半は、到達する事無く挫折の道を行き、達した者にも新たな苦が降り懸かる」


勇次郎「しかし、挫折した先の道……草葉の影と夢の分岐路に、違う物が見えてくる」


貴樹「…?」



勇次郎「それは目指した物では無い。 しかし、それは得も言われぬ魅力を放ち、尚且つ常に足りぬ物」

勇次郎「飽き果てるまで喰わせつつも、尚も足るには至らぬ物」



貴樹「………それは、なんなんですか?」




勇次郎「そいつが直ぐにワカれば…」ズズズ…



コトッ…



勇次郎「苦労は無かったかもな」フー…


貴樹「勇次郎さんは、それに出会えたんですか…?」


勇次郎「俺が何に出会えたのか……それを詮索する気持ちはワカらねェ訳でも無いが、そいつは無駄と言うもの」


貴樹「………」


勇次郎「『あれ』は万人共通の物でも、必ず訪れる物でも無い」

勇次郎「口伝なども不可能。 その身を持って味わわなければ、理解など出来ぬ代物」

勇次郎「そして、それに巡り会う為には、歩を進める以外に術は無い」


勇次郎「夢を追わずして、それに出会う事は無い」


貴樹「…………」





貴樹「…それなら、やっぱり僕には何もありません…」

貴樹「僕には、追う夢なんて元から無かったんです」


貴樹「遠の昔に消えてしまいました……何年も前の、僕がまだ子供だった時に」



勇次郎「…………」



貴樹「…叶えたいと思って……叶うはずなんだって思っていた夢も、心の奥底では諦めていて…」

貴樹「ただ、その夢を追う振りをするのが、心地よかっただけなんです」

貴樹「自分自身を騙して、僕を好きになってくれた人を傷付けて…それでもまだしがみついて…どこまでも自分勝手で…」

貴樹「最後は、明里さえ傷付けた」

貴樹「僕は…」



貴樹「…………僕は…最低です…」








勇次郎「成る程……良くワカった」






勇次郎「ならば、やはり今しかない」


貴樹「っ?」


勇次郎「分岐点だ。今、この時が」


勇次郎「チャンスだぜ、坊や」

貴樹「チャンス…?」


勇次郎「夢を追い、結果その道が断たれた今、貴様には選択肢が与えられた」

勇次郎「しかも幸運なコトに、今は夢がねェと来てやがる」


勇次郎「要は、どうにでも成れるという事だ」



貴樹「…そんな…簡単そうに言わないで下さいよ…」

貴樹「今更僕が何になれるって…」

貴樹「…………」






貴樹「…………」











突然



本当に突然、僕の言葉が止まった



喉元に溜まった声は、目の前の勇次郎さんによって止められた訳じゃない


僕が不意に思い出した物が、僕の言葉を止めていた




勇次郎「バカが」



勇次郎さんが悪態を吐く



勇次郎「ここまで来ると笑えるぜ」クスッ

勇次郎「こうまで鈍くねェと俺に近付けねェのかッ」クスクスクス




僕の中の気付きは、僕の中の苦悩や苛立ちといった負の要素を溶かし


別の何かに変えて、僕の中を駆け巡らせた


勇次郎「クスッ」



勇次郎「何にも成らずとも良い……追う物など無くとも良い」


勇次郎「それも悪かねェだろ」



貴樹「…………」






勇次郎「分不相応に難しい事など考えるな」



勇次郎「好きに生き、好きに行け」



勇次郎「そして好きに追うがいい」



勇次郎「つい最近、俺が得た物を、貴様もまた得る事が出来た」


勇次郎「そいつを大事にしろ。注意深くな」











僕と勇次郎さん以外に誰もいない大広間には、少しだけ暑くなった日差しだけが射し、鹿威しの音は遠くに聞こえ、その音の背後には街の騒がしい音が微かに混じって聞こえる

大広間の中央にあるちゃぶ台を囲む、何者でも無い僕と、地上最強の生物

何かが間違ってしまい、本来同じ空気にいる事さえ有り得なかった僕と彼は、彼の言葉を最後に、お互い黙ってしまった

僕は眠気から覚めたかのように

彼は自宅でくつろいでいるかのように






僕の抱いていた幻想の数々は消えて、代わりに新しい景色が開けた


何者でも無くなったからこそ、何処にでも行けるようになった僕

神話世界の住人などでは無く、一人の人間として生きていた彼

そこには個性の違い以外に、大した違いは無い
彼の言葉にそう教えられて、僕の目の前に座る彼は、人に姿を変えた



そして、彼には、縁…


親しみや、絆のような物さえ今は感じている






でも、話の種は尽きたままで、僕は黙ったままだった









ただ、静かに過ぎていく時間だけが、会話の終わりを告げていた




勇次郎「………」ガポッ


貴樹「!」


重箱を閉じる音が目立って大きく響き、僕は一瞬眼をしばたかせた




勇次郎「これで終いだ」


貴樹「………」


勇次郎「帰るぜ」スッ…


貴樹「っ…勇次郎さん、この重箱は?」

勇次郎「………」

貴樹「あっ、あと、お茶も…」

勇次郎「それは此処の物だ。ジジイが使えとわざわざ願い出たのならば、俺の気にする物じゃねェ」ズチャッ



ガラッ



小間使い「!!ッッ」

勇次郎「光成を呼べ」

小間使い「はッ、はい只今ッ!」

ピシャッ



貴樹「……勇次郎さん。最後にもう一つだけ、良いですか?」

勇次郎「ン?」

貴樹「僕なんかにこんなに話してしまって、良かったんですか?」

勇次郎「何も変わりゃあしねェ」



勇次郎「テメェなんかに話しちまってもな」



貴樹「…………」



貴樹「……ふふっ、そうですね」






ガラッ



徳川「おう勇次郎。用事とやらは済んだんかい?」

勇次郎「済まぬ内に呼ぶ訳も無かろう」

徳川「………」

徳川「…うむ、それもそうじゃな」

徳川「何を話したのかは、聞かん方がいいか」ホッホッ

勇次郎「見送りは良い」ズチャッ

徳川「うむ、分かっとる」



ズチャッ…ズチャッ…







貴樹「………」


徳川「遠野君や」

貴樹「! はい」

徳川「変わった男じゃろ、アイツ」

貴樹「まぁ…はい、そうですね…」

貴樹「変わってます…凄く……」


徳川「何を話したのかは聞かん。何にせよ、オヌシの心の内に仕舞っておけば良い」


貴樹「…………」


徳川「…で~~…どうじゃった?」


貴樹「えっ?」


徳川「良かったかい?会えて」


貴樹「………」


貴樹「はい、良かったです。彼と会えて」


徳川「ん」ニッ


黒服「遠野貴樹様」

貴樹「? はい」

徳川「ア、そうそう、君を送らんといかんな」


徳川「何処に行くかを言ってくれれば、ワシの従者がそこに君を連れていく」

徳川「勝手に連れ出した罪滅ぼしじゃ」


貴樹「それは、何処にでも連れて行ってくれるという事ですか?」


徳川「ウン、そんな所」


貴樹「………」






貴樹「じゃあ、大阪国際空港までお願いします」

徳川「承知した」


徳川「…って、なんで?」

貴樹「何がです?」

徳川「ワシは何処にでも連れて行くと言ったハズじゃ。空港は只の移動手段であって、目的地な訳無かろう」

貴樹「ええ」

徳川「じゃあ、なんで?」

貴樹「なんでって……そうですね…」

貴樹「あまり上手くは言えないんですが…」


貴樹「なんだか、空港からは一人で行かなきゃいけないような気がするんです」


徳川「………」




徳川「成る程……今の言葉でよ~~くワカった」

徳川「イチから始めるんなら、そりゃあ一人で始めんとな」フフ…

貴樹「すみません、せっかくのお心遣いを」

徳川「良いってコトよ。老人の気まぐれと思って、忘れなされや」








徳川「んじゃ、しっかり頼むぞ」

黒服「はい。 貴樹様、どうぞ車の中へ」

貴樹「……」スッ

黒服「………」バタム



黒服「それでは、行ってまいります」

徳川「ン」


黒服「………」スッ


バタム



ブルルロロロロ…









徳川(ん~~~……思った以上に、ってヤツよのォ)フーッ

徳川(ワシの酔狂からとは言え、まさかこうも変わるとは)


徳川(もう会うことも無いじゃろうが、気になるのう…どうなるかが…)





徳川(…にしても、分からん)

徳川(オーガが食事を振る舞うなど、珍事どころでは無い)

徳川(あの青年にそれ程の物があるとも思えんが……明らかに、自身の息子より厚待遇で迎えている)

徳川(気まぐれか…もしくはあ奴にしか分からぬ物か…)


徳川「…………」






徳川「ま、いっか」


徳川「腹も空いたし、メシじゃメシ」

勇次郎「…………」ズチャッ…ズチャッ…


OL「!!?」

サラリーマン「~~~~~~ッッッ!!!?」

不良「おッ、押忍ッッ!!」


勇次郎「…………」ズチャッ…ズチャッ…




勇次郎(久しぶりに、長く話した)


勇次郎(何時ぶりだ…ああいう人畜無害と語らったのは)

勇次郎(10年ぶり?…20年ぶり?………イヤ、恐らくは、初)

勇次郎(拳、銃、刃、更には権力すらも無い非力極まる者………それでいて、俺の前に立った奇特な…)

少女「あのッッ!」

勇次郎「………」ぴたっ


少女「さッ……さ……」プルプル


勇次郎「………」



少女「サイン……」プルプル



サラリーマン「バっ…ッッ!」

OL「ヒィッ」

不良「………ッッッ」

不良(よせッッ! 殺される……ッッッ!)

勇次郎「………」スッ

少女「…ぇ…」

不良(?……ゆ…指ッ?)


シ ュ ギ ャ ッ !


少女「わっ…」

不良「!!!!!」



勇次郎「生憎、ペンが無ェ」

勇次郎「焼き跡で汚れちゃいるが、我慢しろ」


少女「!!」パァッ

不良「………」



不良「………」パチパチパチ

サラリーマン「………」パチパチパチ

OL「………」パチパチパチ

勇次郎「………」ズチャッ…



ズチャッ… ズチャッ…






勇次郎(フンッ……分かり切ったコトだ)



勇次郎(喰らい続け、解放ち続け、その全てに飽和し、辟易するならば)

勇次郎(最強という物をそもそも欲さなければ、やがてはこうなるのも又必然)


勇次郎(ガラにも無い)




勇次郎(温くなったな)




キャビンアテンダント「お客様」

貴樹「?」


キャビン「お飲みものはいかがでしょうか?」


貴樹「あ、じゃあコーヒーをお願いします」

キャビン「かしこまりました」


コポポポポ コトッ


キャビン「それでは、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」


貴樹「どうも」







コーヒーを飲みながら、僕は窓の外を眺める


そこに見えるのは雲海と、澄んだ青空だけで、東京はどこにも見えない


反対側を見ると、寝ている人や音楽を聞いている人、雑誌を読んでいる人が、シートを全て埋めていた


目的地が種子島という事もあって、本来なら混む事も無いはずのこの便も、今日は違う

羽田空港が閉鎖された事で、本来羽田発の飛行機を利用するはずだった客が、大阪国際空港に流れて来たのは分かるけれど、この便まで満員になるとは思わなかった


貴樹「………」



誰にも話し掛けず、誰にも話し掛けられないこの場所で、僕は考えに耽る

思い返しているのは、羽田空港での事件についてでも、明里の事でも無い



彼……


範馬勇次郎が、話の終わりに言った言葉




好きに生き、好きに行け





子供の頃から何度、この言葉を求めた事だろう

好きな所に行ってみたい。好きなように生きてみたい
両親の仕事の都合や、学力や、お金に縛られないような日々が欲しい

何度もそう願い、その度に心を折った



でもそれも、もう終わった

自分の事は自分で出来るし、行きたい所にも行ける
何にも縛られる事も無い

手持ち無沙汰になって、隙を持て余すくらいに


数え切れない日々に、窓越しから景色を見てきた

ある時は電車の中から明里を捜して、またある時は、部屋の中から彼を捜していた

でも、そんな理由で見てきた物はどこか狭苦しく、緊張を感じた



こうして安らかな気持ちで景色を眺める事も、コーヒーを味わう事も無かった




貴樹(まだ先も長いし、寝ようかな)



貴樹「あ、すみません」

キャビン「なんでしょうか?」

貴樹「このコップ、下げてもらっても良いですか?」

キャビン「はい大丈夫です。お預かり致します」




空になった紙コップが手元から無くなったので、僕は折りたたみテーブルを仕舞い、イヤホンを耳にはめる


貴樹「………」



聞こえてくるピアノ演奏の『月の光』は、開放感に浸っている僕の心を落ち着かせて、少しずつ、夢の世界へと誘って行った




緑の丘の上


夜のように暗い青空に、昼間のような明るさで輝く太陽がある

その太陽の向こうには、大きな月


貴樹「………」



全く知らない場所なのに、今ここに僕がいる事が、当たり前のように思える

その思いが、僕に此処が夢の中である事を教えた




「………」




隣に人がいる

立ったまま朝日を眺めている僕と同じように、その人もまた、輝く太陽を見つめている

彼女が誰かは分かっていたけれど、僕は彼女の方を見なかったし、彼女も僕を見ていない

何故だか、そうだと思えた



僕も彼女も、お互いを見つめ合う事は無いけれど、反発する事も、寄り添う事も無い

ただそこに居て、安らかな心のままに、幻想的な地平線を眺めていた








  ザアアアアア…





草がなびく音と一緒に、僕の背中に風が当たる

景気付けに後押しするような

元気づけて励ますような、撫でるような風




僕はその風に後押しされて、彼女を残して歩き出す


地平線の向こうが気になって、太陽がどれくらい大きいのか見てみたくなったから

月の裏側に何があるのか、知りたくなったから


どこまでも続く夢の世界を、どこまでも歩いてみたくなったから





僕は歩き出した


彼女のいる方へは、振り返らずに








声は聞こえないし、もう顔も見えないけれど



彼女が、僕の背中に、手を振ってくれているような気がした






















「お客様?」


貴樹「!」






貴樹「?…えっ?」


キャビン「お客様、どこかお具合でも…」

貴樹「あ……いえ、大丈夫です。すみません」


貴樹「あの、飛行機はもう着いたんですか?」

キャビン「はい。本便は無事に種子島空港に着陸致しました」


貴樹「………」





貴樹(結局、最後まで寝ちゃったなぁ)


眠い目を擦りながら飛行機から降りて、僕は荷物の受け取りを済ませる

ベルトコンベアで運ばれて来た荷物に異常は無い

マンションを出た時と同じように中身はスカスカだ



貴樹(それにしても、全然変わらないなぁ、ここも)



荷物を受け取って一息ついた僕は、空港の中を眺める

壁に貼ってあるポスターが違うだけで、他の内装は何も変わってない
たった数年でガラッと変わるのもヘンだと思うけど、こうも変わっていない種子島空港を見て、僕は安心した

生まれた場所でもないのに、古巣に帰って来たような気持ちになれた




貴樹(帰ってきた……)フフッ




胸が少し高鳴って、歩調も少し早くなって

僕は早歩きで空港の玄関を抜けて、外に出た


迎えてくれたのは綺麗な夕陽と、夢で出会った懐かしい風だけ

出迎える人は当然いない
仲の良い知人は、もう本州に移っている

でも、僕にはこれで十分だった



貴樹(さてと、まずはどうするかな)

貴樹(予約を入れたアパートに行った後は、電気とガスと水道を調えて、ネットとテレビの回線を引いて…)

貴樹(次は住民票を…)



貴樹(………)



貴樹(今日中には無理だ…)

貴樹(とりあえず、生活が調うまでは向こうの大家さんに色々迷惑掛けちゃうな)




頭の中であれこれと考えて、まずはとにかく歩いて、途中でバスにでも乗って、アパートに行く事に決めた

無くなった土地勘に頼る訳にもいかない

寄り道出来る程の時間の余裕も無い



貴樹(あ、地図買ってから行こう)タッ



種子島に着いて初めてやった事は、空港に戻って地図を買う事だった









海の家










テレビ<次の記事に参ります>

テレビ<範馬勇次郎氏襲撃事件から一ヶ月が経った先日、責任追求に関しての論争に、またもあのトラブルメーカーが姿を現しました>

テレビ<チャララン!>


テレビ<起こっちまった以上仕方ないじゃろ。右でも左でも構わんから、責任を負って話ィ終わらせる剛の者はおらんのかッ>


テレビ<こう語るのは日本政財界きっての大物、徳川財閥現頭首、徳川光成氏だ>

テレビ<最近では、2億5000万年前の岩塩層から発見され、その後蘇生した原始人ピクルと、格闘家や保護動物であるシベリアトラを闘わせた問題が、記憶に新しい>

テレビ<そんな彼が、何故この事件の責任問題に首を突っ込んだのだろうかと、各党の政治家や官僚からは疑問の声が上がっている>



テレビ<またあの爺さんの悪ふざけだろう。格闘好きが拗れてるとしか思えない>

テレビ<金を握っているとは言え、彼は政治に関しては素人です。勝手に我々の領分に入らないでもらいたいですね>

テレビ<私はむしろ、彼が一枚噛むのは必然だったと思います。なんだかんだ言っても、彼のお陰で今の我々があるのですから>

テレビ<徳川氏に介入させてしまう程事態を悪化させた我々にも、責任の一端はあるだろう。それを認めなければ、この先に進展は無い>



テレビ<そもそもこの事件の発端はどこにあるのだろうか?

テレビ<事件の経緯を説明するとこうだ。アメリカのオズマ大統領の腹心と…>





おばちゃん「あーあ、やだやだ」

バイトの子「何がですかぁ?」

おばちゃん「今やってるニュースよ。物騒な上に聞いてて呆れるわ」

バイトの子「あー、誰が一番悪いのって話ですか?」

おばちゃん「そうそれよ。私が子供だった頃から、やってる事がちっとも変わりゃしない」

バイトの子「色々あるんじゃないんですかぁ?政治家になった事ありませんから、分かんないですけど」

おばちゃん「犯人探しするヒマあったら、今起きてる事をなんとかしろってのよ。犯人探しはその後でも良いのにさ」

バイトの子「そーなんですかねー」


ガラガラガラッ


バイトの子「あ、いらっしゃいませー」




貴樹「………」




バイトの子「?」


バイト(…あれ…この人、テレビで見たような…)


貴樹「まだ開店してないんですか?」

バイトの子「えッ? あっ、いえ、大丈夫ですよ。お好きな席へどうぞ」

貴樹「………」スタスタ…




バイトの子「店長…あの人って、ホラ…」ヒソヒソ…

おばちゃん「見りゃ分かるわよ。お客さんの噂話なんてしないのっ」ヒソヒソ…

バイトの子「店長もしてたくせに…」ブツブツ




貴樹「………」


諸々の手続きも全て済み、息抜きも兼ねて、僕は島のあちこちを回っている

通っていた学校も、よく寄ったコンビニもさほど変わらず、住んでいた自宅からの通学路も変わっていない

両親も昔と同じように、あの家に住んでいると思う


でも、まだ会いに行く気は無い
この島にいる事も、仕事を辞めた事も教えていないし、連絡も取ってない

事件の日に掛かって来た留守録にも、放心状態で一言二言話しただけだ



きっと心配しているだろうし、今僕がこの島にいると知ったら、多分怒るだろう


だけどしばらくは、今の身軽さを楽しみたい





貴樹「………」






でも、まだ心の中に引っ掛かってる物がある

誰にも言わないつもりでいたけど、やっぱり、溜め込んではいられない

誰かに話して、誰かに分かってもらいたい

そんなわがままな思いが、まだ僕を身軽にしていない



貴樹「………」カチカチ…



僕は携帯電話を操作して、正明さんの携帯に電話を掛けた

明里「………」カシャカシャ



正明「明里~」

明里「? なに?」カシャカシャ

正明「その食器、俺洗うよ」

明里「えっ?いいの?」カシャカシャ

正明「んー、休みの日ぐらいは俺がやろうかなって思ってさ。肩の方も気にな…」



ピリリリリッ ピリリリリッ



正明「………」

明里「…携帯鳴ってるよ?」

正明「タイミング悪いなーもー」スタスタ…

明里「ふふっ」カシャカシャ



正明「………」ピッ



正明「はいもしもし」

貴樹<どうも、久しぶりです>


正明「………」





正明「明里~、俺ちょっと部屋戻って仕事片付ける。急にごめんね」

明里「あ、うん、頑張ってね」カシャカシャ


正明「………」スタスタ…





 バタン

正明「おい貴樹。お前何考えてんだ」

貴樹<すみません>

正明「すみませんじゃないだろ。 明里が退院する日に顔出さなかったのは分かるけど、だからって電話番号もメアドも変えるなんておかしいだろ?」

正明「明里も俺も、何かの間違いかと思って、何回もお前に電話掛けたんだぞ」

正明「しかも引っ越しまでしてよ……夜逃げかっつーの」

貴樹<………>



正明「………」



正明「…会いづらいのは分かるけどよ…一言くらい何か言ってから居なくなるだろ、普通」

貴樹<すみません、本当に>

正明「………」





正明「で、なんの用だ」


貴樹<明里は今、何してますか?>

正明「ちょっと待ってろ」


正明「………」ガチャッ  キイイィ…


明里「♪~」カシャカシャ




正明「………」カチャッ…

正明「台所で皿洗ってるよ。俺は自室だ」

正明「明里が仕事をしてるかって意味で聞いたんなら、今はしてない。 体調良くなったからいつかはしたいとは言ってるけどな」

貴樹<そうですか…じゃあ、この話は聞かれないんですね>

正明「ん」

貴樹<ありがとうございます>

正明「良いって」

正明「それで何の用なんだ?」

貴樹<…そんなにはっきりした用はありません>

正明「?」

貴樹<ただ、何も言わずに居なくなる事に、負い目を感じたので>


正明「………ふーん」


貴樹<明里の怪我はどうなりましたか?…やっぱり、後遺症とかは…>

正明「後遺症は無いよ。リハビリも痛み止めもいらないらしい」

貴樹<そうですか……良かった…>

正明「それどころか…なんつーか、今でも信じられないんだが、手術の跡も無いんだ」

貴樹<手術の跡が無い?>

正明「ああ、綺麗なもんだったよ。 先生が言うには自然治癒らしい」

貴樹<……どういう事なんですか?>

正明「さあね。さっぱりだ。治療費もいらないって先生に断り入れられたし、正直俺も何が起きたのか分からないよ」

正明「まぁ…明里が元気なら、別に良いけど」


貴樹<………>



正明「あ、そうそう、明里が入院中に見た夢がすっげえ変でさー」

貴樹<夢、ですか?>

正明「うん。 なんでも夢の中で範馬勇次郎の父親と会ったらしいんだよ」

貴樹<!? なん…>

正明「あと宮本武蔵にも会ったって言ってたな>

貴樹<!??>



貴樹<………>





貴樹<…なんですかそれ?>


正明「コレについては本当に訳が分からん。俺もくらくらって来たよ」

正明「あくまで明里の話だから、本当に明里が見たのかは俺には分からないけど……本当に見たってんなら、肩の事もあるし、結構不気味だと思うんだ」

貴樹<そう、ですね……>

正明「まぁ…うん…つくづく思うよ。 範馬勇次郎に関わるのは、もう懲り懲りだって」

正明「戦争に巻き込まれるわ、明里は怪我して重体になるわ……しかもその怪我を治したのがオカルトと来たもんだ」

正明「もうおかしい事だらけだ。 こんなのは二度とごめんだね」

貴樹<………>


正明「………」






正明「ところで、お前引っ越したらしいけど、そこ何処なんだ?」

貴樹<種子島ですね>

正明「種子島?すげえトコに行ったなぁ」フフッ

貴樹<良いところですよ。東京と違って静かですし、海も綺麗ですから>


貴樹<それに、初めての場所って訳でもありませんし>


正明「? じゃあ実家に帰ったって事か?」

貴樹<いえ、確かに両親は種子島に住んでますけど、あの二人を頼って行った訳じゃないんです>

正明「じゃあ何しに行ったんだ?つーか仲悪いのか?」

貴樹<そういう訳でもありませんよ>

正明「? いまひとつ話が読めないんだけど」

貴樹<すみません。 こういう事への説明は、あまり上手くないので……>



貴樹<何と言うか…そうですね…>



貴樹<…まぁ、心機一転……って所だと思います>



正明「………」





正明「心機一転ね……まぁ、いいんじゃないか?」

正明「俺は応援するよ」


貴樹<ありがとうございます>

正明「まぁ確かに、色々大変過ぎたからなぁ」

正明「俺もそのうち余裕が出来たら、明里連れて旅行にでも行くよ。 引っ越しはしないけど」

正明「はははっ」

貴樹<………>フフッ








正明「………」







正明「貴樹……お前、もう明里とは会わないつもりなんだよな?」


貴樹<…………>


正明「で、必然的に俺とも会うことは無くなる。だから電話してきた。そうだろ?」


貴樹<そうです>


正明「………」



貴樹<…明里にはこの話の事、秘密にしておいて下さい>

貴樹<僕の話題が出る時もあると思いますけれど、その時は適当に濁してあげて下さい>


正明「そんなんで良いわけないだろ」


貴樹<ええ、良いわけありません。何も言わずにいなくなるんですから>

貴樹<多分、僕の事は一生心残りになると思います。 僕もこれから先、ずっと彼女の事は忘れません>

貴樹<でも、きっと彼女は大丈夫だと思うんです>


貴樹<僕よりは、前向きな人ですから>


正明「………」



貴樹「………」



携帯<…確認するけど、本当にこれでいいのか?>

貴樹「ええ」

携帯<明里の気持ちも考えた上なんだよな?>

貴樹「ええ、そうです」


携帯<………だったら、良いか>


携帯<どうせもう話す機会も無いんだろうし、この電話終わったら、俺の番号消しとけよ。明里の番号もな>

貴樹「分かってます」

携帯<ははっ、分かってるか、そうだな>



携帯<良かったよ、お前と会えた事>


貴樹「ありがとうございます」


貴樹「こちらこそ、楽しかったです」


携帯<ん、それじゃあな>


貴樹「はい、ありがとうございました」



プツッ












貴樹「………」



貴樹「………」




貴樹「すみません、注文良いですか?」

バイトの子「あっ、はい只今」タタタ…



バイトの子「お待たせしました」

貴樹「オムライス一つお願いします」

バイトの子「?ッ、オムライスですかッ?」

貴樹「え?ええ、はい」

バイト「あー…はい、分かりましたオムライスですね。かしこまりました。少々お待ちください」

バイトの子「オムライスひとつー」

おばちゃん「はいよっ」シャリッ トントントン…




貴樹「………」





テレビ<続いてはスポーツです。どうやらこちらも異常事態が起きているようですが、現在フランスのパリに中継が繋がっております>


テレビ<関根さん?>


テレビ<おはようございますッッッ!パリのモンパルナスの丘から中継をお送りしますッッッ!!>

テレビ<あの、関…>

テレビ<見てくださいこの人ッッ!!誰もが覚えているハズですッッ!!覚えてないヤツは人間じゃないッッッ!!!>

テレビ<マウント斗羽ですッッッ!! あのマウント斗羽ですッッッ!!! マウント斗羽ですよッッッ!!! マウント斗羽ッッ!! ワカりますかッ!? マウント斗羽ッッッ!!! あのマウント斗羽が生きていたんですよッッッッ!!!>

テレビ<アハハ…>

テレビ<何がアハハだッッッ!! フザけやがってこの野郎!!! 葬式まで挙げやがってッッ!! チキショウッッ! 俺は許さんぞッッ!!!>

テレビ<せ、関根さん!?>






貴樹「………?」







ガラガラッ



花苗「おはようございまーす」


バイトの子「あ、おっはよー」

花苗「店長もおはようございます」

おばちゃん「はいおはよー。悪いけどテレビの音量下げてくれない?やかましくて耳キンキンするわ」

花苗「はい……あれ?リモコン…」

おばちゃん「あーゴメン!電池切れてたから仕舞っちゃった!あちゃー」

花苗「あちゃー…」

おばちゃん「悪いけど手でやってもらえるかい?」

花苗「分かりましたー」

バイトの子「踏み台出す?」

花苗「ううん、多分大丈夫」

貴樹(この人、昔父さんと一緒にテレビで見たな)

貴樹(あんまり興味無かったけど…)


テレビ<でもとにかく良かったッッ!!俺は今モーレツに感動しているッッ!!>


貴樹(画家になってたんだなぁ)


店員「あっ、すみません、前いいですか?」


貴樹「あっ、どう…」クルッ







花苗「あっ」






貴樹「!」







花苗(……えっ…なんで……?)


花苗(…なんで?…)





貴樹「……篠原…さん?」

花苗「!!!」ピクッ


貴樹「えっ」


花苗「ぃ……今、篠原って……」


貴樹「え、ええ、はい…まぁ…」


花苗「じゃあ……えっと、やっぱり……」




花苗「貴樹君…?」




貴樹「………」







貴樹「ぅ、うん……僕、だけど」

あぶねえ
バックアップがなければ即死だった

貴樹(この人、昔父さんと一緒にテレビで見たな)

貴樹(あんまり興味無かったけど…)


テレビ<でもとにかく良かったッッ!!俺は今モーレツに感動しているッッ!!>


貴樹(画家になってたんだなぁ)


店員「あっ、すみません、前いいですか?」


貴樹「あっ、どう…」クルッ







花苗「あっ」






貴樹「!」







花苗(……えっ…なんで……?)


花苗(…なんで?…)





貴樹「……澄田…さん?」

花苗「!!!」


貴樹「えっ」


花苗「ぃ……今、澄田って……」


貴樹「え、ええ、はい…まぁ…」


花苗「じゃあ……えっと、やっぱり……」




花苗「貴樹君…?」




貴樹「………」







貴樹「ぅ、うん……僕、だけど」

危なかった
史上最強に危なかった

今日はもう書かない方がいい



花苗「………なん、で?」


貴樹「へっ?」


花苗「なんで、貴樹君……だって東京で…」


貴樹「あ、ああ、やる事も終わったし…帰ろうと思って…」


花苗「やる事…?」


貴樹「うん…まあ、それが終わったから、帰ろうかなって…」


花苗「あっ…うん…」





貴樹「………」



花苗「………」






貴樹「…とりあえず、座らない?」


花苗「えっ…いや、いいよ…ここ私の職場だし、休憩時間じゃないから…」

貴樹「? あっ…ごめん……っていうか、客が言うセリフでもなかったよね。ははは…」




おばちゃん「花苗ちゃーん」ツカツカ…

花苗「! あっ、はい!」クルッ

おばちゃん「お休みをくださいって言え」ズイッ

花苗「えっ?」

おばちゃん「言いなさいって、ホラ」

花苗「う……ぉ、お休みを下さい……?」

おばちゃん「はいOK」

花苗「店長、あの…」

おばちゃん「ホラ早くエプロン取りなさいよ。休みを返上してまで働くバイトなんて不健康だ」

花苗「…あの…」


おばちゃん「………」プチッ

花苗「あっ」

おばちゃん「ハイっ。エプロン取ったし、今日のあんたは客だよ」ヒラヒラ…

バイトの子「いーなー」

おばちゃん「で、何頼むの?」

花苗「えっ、いや…」

おばちゃん「じゃあカレーライスだね。海の家だし」

花苗「店ち…」

おばちゃん「カレーライス一丁~」スタスタ…

バイトの子「はーい」




花苗「……?…」


貴樹「…なんか、気を使わせちゃってる、かな?」

花苗「うん…だと思う」




貴樹「………」



花苗「………」



















バイトの子「お待たせいたしましたー」

花苗「!」ピクッ

貴樹「!」ピクッ

バイトの子「オムライスのお客様は?」

貴樹「は…はい」

バイトの子「はいどうぞ」コトッ

バイトの子「カレーライスのお客様は?」

花苗「はい…」

バイトの子「はい」コトッ

バイトの子「それでは、ごゆっくりお召し上がり下さいませ」ペコリ

スタスタ…





貴樹「………じゃあ、食べよっか」

花苗「あっ…うん」

貴樹「………」パクッ

花苗「………」モグ…



モグ モグ



貴樹「…………なんか」

花苗「っ? なに?」

貴樹「ちょっと気まずくない、かな?」

花苗「あ…うん、ちょっとね…」

貴樹「………」




花苗「そ…そう言えばさっ」

貴樹「?」

花苗「変わったよね……その、お互いに…」

貴樹「あー…まあ、結構時間経ったし…」

花苗「………」






花苗(ああ…ダメ…)

花苗(言いたい事とか聞きたい事とかいっぱいあったのに、なんにも出てこないよ…)

花苗(いつかまた会えた時の為にって、ずっと頭の中で繰り返してたのに…)

花苗(それが空港の事で、全部ダメになっちゃったって思ったから…もう気にしないようにしてたのに…)


花苗(なんでこんな時に限って、貴樹君が私の目の前にいるの?)


花苗(言いたい事が多過ぎて…私…何も言えないのに……)





貴樹「大丈夫?」


花苗「ッ? ぇ…」

貴樹「顔、赤いけど」

花苗「!? えっ?いや、そんな事…ないよ…」

貴樹「………」

花苗「………」



貴樹「……澄田さん、元気だった?」

花苗「! う、うんっ」

貴樹「そっか。良かった」


貴樹「…サーフィン、今もやってるの?」

花苗「たまに、かな……そんなには、やってない…」

貴樹「そっか…今もやってるんだ…」

花苗「ダメだった?」

貴樹「! いや、そんな訳ないよ」

貴樹「良い事じゃないかな…そういう事を続けられるのって…」

花苗「………」



花苗「……貴樹君は、元気…」



花苗「…じゃ、ない…よね…」

花苗「ごめん、私、何言ってるんだろ……」

貴樹「そんな別に…気にするような事じゃないよ。元気だから種子島に帰って来れたんだし」

貴樹「怪我とかも、全然してないから」

花苗「………」


貴樹「仕事は、上手くいってる?」

花苗「うん…多分、大丈夫だと思う」

花苗「結構…楽しい…」


貴樹「………」





毎日繰り返してる事が、今日も繰り返されるだけだと思ってた


家を出て、海の家でお勘定を取ったり、注文を取ったりして
定時に帰って、母さんとお姉ちゃんと色々話したりする毎日を、今日も過ごすはずだった

そこにはオリバさんの言葉とか、私の決意とかはもう関係無くなってて、熱意みたいな物も、何処かに忘れてしまってて

ただ昔みたいに、過ぎた事を思い出して寂しくなったり、虚しくなったりするだけの私が、ずっとこの先も居続けるだけだったはずなのに…



貴樹「すみません、お勘定お願いします」

花苗「!」

バイトの子「あっ、はーい」



その毎日が、あっという間に変わった
それも、私が一番望んでいたはずの形に

でも…



バイトの子「花苗は社員だから無料ね。会社じゃないけど」

花苗「えっ、それ、ちょっと…」

バイトの子「気にしないの。 オムライス一品ですので、480円になります」

貴樹「………」チャリッ

バイトの子「500円お預かり致します」



口に出す言葉が見付からない

貴樹君にどこまで聞いていいのか分からない

何か言ってはいけないような事を、口走ってしまうかもしれない


バイトの子「20円のお釣りです」

貴樹「ご馳走様でした」

バイトの子「はい。お気を付けてお帰りくださいませー」


ガラガラッ ピシャッ



花苗「………」

バイトの子「花苗?」

花苗「…行った方が良いかな……」

バイトの子「そんなの私に聞かないでよ」

花苗「………」

それでも、このまま別れてしまったら、ここで貴樹君を追わなかったら、もう二度と彼と会うことも無いかもしれない

貴樹君を傷付ける事よりも、私が傷付く事よりも、それがなにより取り返しがつかなくて、怖い

 ガラッ

だから私は、友達の言葉に返事もしないで、玄関の扉を開けた


花苗「あっ」




貴樹君は玄関前で、私を待っててくれていた





貴樹「来ないの?」

花苗「! ごめんっ」タタッ

貴樹「何も謝らなくても良いじゃないか。僕が勝手に待ってただけだし」


貴樹「ごちそうさまでしたー」

バイトの子「あっ、はーい、また来て下さいねー」

おばちゃん「ぐっどらっく」

 ピシャッ





貴樹「じゃ、行こっか」

花苗「ぅ…うん…」





海の家を出て、私と貴樹君は砂浜に向かって歩き出した

私にそこへ行く理由なんて無いし、きっと貴樹君も、砂浜に用があってここに来た訳じゃないと思う

なんとなく海の家に寄ってみて
そこで私と偶然出会ったから、今度はなんとなく砂浜を歩いているだけなんだと思う

でも私には、貴樹君とここにいる事が、特別な事であるとしか思えない



お店で出会った時とは違って、今はこんなにも落ち着いている貴樹君の横顔が、私にそう思わせてる





靴が砂を掻く音と、波の音と、風の音だけが流れる砂浜を、私と貴樹君は歩いた

そんなに大した距離じゃない
振り返れば海の家は見えるし、足跡だって全然長くない
だけど、私の心はざわついていて、それどころじゃなかった

永遠と歩いているようにも思えたし、まだ5メートルも進んでいないようにも思えた



貴樹「ここなら、もう気まずくないよ」



貴樹君のその言葉で、私はより一層、気まずいとか気まずくないとかを意識してしまった



花苗「……気まずくないって、言われても…」


貴樹「…だよね。 昔から、役割の中で何かを説明する時でもない限り、話を振るのが下手なんだ、僕」

貴樹「こんな感じなんだ。小学生の頃から、ずーっとさ」

花苗「………」



花苗「……それ…私もおんなじ、かも」

貴樹「そうなの?」

花苗「うん。 私が勝手にそう思ってるだけかもしれないけど」

貴樹「うーん」



花苗「………」




花苗「………貴樹君って…この前テレビに出てたよね」

貴樹「この前って、空港の事?」

花苗「うん」

貴樹「あの事なら、本当に大丈夫だよ。 病院に行って先生に診てもらったけど、怪我は無いですって診断結果も出てるから」

花苗「怪我の話じゃなくて、その……」

貴樹「………」



貴樹「……言いたい事は分かるよ。 あんな状況、普通じゃ無かった」

貴樹「考え直してみると、僕がこうして生きてこの島にいるのも、奇跡みたいな物だから」

花苗「…ごめん、こんな話…」

貴樹「いや良いんだ。 もう過ぎた事だし、僕の中ではもう整理はついてるんだ」

貴樹「だから、遠慮なんてしなくても大丈夫だよ」


花苗「………」





遠慮しなくても良い

貴樹君はそう言うけれど、貴樹君には私の考えてる事なんて分からない
あの日、テレビに映っていた大事件を見て、私が何に動揺したのかなんて、分かる訳ない

あの雷には驚いたけど、それよりもっと心に刺さった事があって、それはオリバさんについてでも、あの範馬勇次郎についてでもない



花苗「………」ザスッ

貴樹「? どうしたの?」



脚を止めた私の方へ、貴樹君は振り返った

私はそんな彼の瞳に、目を合わせる事が出来ず、俯いていた



目を合わせて、あの事を口に出してしまうと、私の汚れた部分を貴樹君に見られてしまう
貴樹君に軽蔑されてしまう
そんな卑屈な思いで、自分自身が恥ずかしくて堪らない

だから私は何も言えず、俯いたままだった


あの日の私と同じように





貴樹「……澄田さん?」






貴樹君がまた私に話し掛ける


私は彼に顔を見られないように、彼に背中を向けた

空に向かって飛んで行くロケットを、二人で見上げたあの日
私は貴樹君の想いが怖くて、私の想いの行く末に怯えた

私と彼の間に大きな溝がある事に震えて、脚をすくませた



あの日の私と今の私に、違いはなんにも無い
私は何処にも、只の一歩だって進んではいなかった


花苗「!」




だけど、その悔しさと惨めさが、私にある人との会話を思い出させた

私に想いの力を示し、私にチャンスをくれたあの人との会話を



貴樹「………」



彼の言う通り、あと一歩で手が届く所に、貴樹君はいる

あと必要なのは、ほんの少しの勇気だけ

でもその勇気は、今の私にとっては無謀だった

その無謀を、勇気と思って信じても、良いことなんて起こる訳が無いと分かっていたから




花苗「………それじゃあ…」




それでも私は聞くことに決めた

勇気なんかじゃない無謀だったとしても、聞かない訳にはいかなかった



花苗「それじゃあ…聞くけど…」




無謀な事さえ出来ずに

もう蛮勇にさえ走れずに、終わりたくなかったから






花苗「貴樹君が抱き上げてた女の人って、貴樹君の……大切な人なんだよね…」





一番聞いちゃいけない事を、私はに貴樹君に聞いた

空に向かって飛んで行くロケットを、二人で見上げたあの日
私は貴樹君の想いが怖くて、私の想いの行く末に怯えた

私と彼の間に大きな溝がある事に震えて、脚をすくませた



あの日の私と今の私に、違いはなんにも無い
私は何処にも、只の一歩だって進んではいなかった


花苗「!」




だけど、その悔しさと惨めさが、私にある人との会話を思い出させた

私に想いの力を示し、私にチャンスをくれたあの人との会話を



貴樹「………」



彼の言う通り、あと一歩で手が届く所に、貴樹君はいる

あと必要なのは、ほんの少しの勇気だけ

でもその勇気は、今の私にとっては無謀だった

その無謀を、勇気と思って信じても、良いことなんて起こる訳が無いと分かっていたから




花苗「………それじゃあ…」




それでも私は聞くことに決めた

勇気なんかじゃない無謀だったとしても、聞かない訳にはいかなかった



花苗「それじゃあ…聞くけど…」




無謀な事さえ出来ずに

もう蛮勇にさえ走れずに、終わりたくなかったから






花苗「貴樹君が抱き上げてた女の人って、貴樹君の……大切な人なんだよね…」





一番聞いちゃいけない事を、私は貴樹君に聞いた



貴樹「………」



花苗「………」






貴樹「大切な友達だよ、篠原さんは」


花苗「………」





答えが聞きたくなかった私は、貴樹君が喋り始めても俯いていたけれど、実際に答えを聞いた私は、顔を上げていた

彼の言う友達と、私が思う友達が、同じ意味合いを持っているとは限らない

私の想いに貴樹君が配慮してるだけで、本当は…



花苗「本当に…友達…?」


貴樹「………」




貴樹「今はね」


花苗「………」


貴樹「…就職とかの都合もあったけど、確かに、僕はあの人を追って東京に行った」


花苗「っ……」




私が何でこんな事を聞いてるのか、貴樹君は分かってる

やっぱり分かった上で、私に配慮してる

だから私は、貴樹君の「今はね」という言葉さえ、疑った

そんな事を考えてる自分が、ますます嫌になった



花苗「…じゃあ、空港で…一緒にいたのは、なんで…?」



私の声も、私が見てる景色も震えていて、眼の辺りも熱くなっていった

疑問だった事を言えば言うほど、自分が惨めになった


勝手に聞いて、勝手に後悔してる私に、貴樹君を付き合わせてる

それが申し訳無くて、もう何処かに消えてしまいたかった

そんな考えも、やっぱり自分勝手だった

貴樹「…澄田さん…」



もうやめよう

こんな事してても、私が惨めに思えるだけ
貴樹君に、変な人って思われるだけ

こんな私が、貴樹君の側に居ていいわけ無い



花苗「ごめん…やっぱり変、だよね…」

花苗「私…やっぱり…」

貴樹「偶然だよ」


貴樹「篠原さんと空港で会ったのは、本当に予想外だった。 空港であんな事が起きた事もね」


花苗「………」


貴樹「それに、考え直してみて分かったけど、僕は彼女が好きな訳じゃなかったんだ」

花苗「っ?」

貴樹「昔友達だった人が、今は何処で何をしてるんだろうって、気になってただけなんだ」


花苗「………」





花苗「…なんで、そんな嘘つくの?」


貴樹「本当だよ」


花苗「そんな話、嘘に決まってるじゃない…!」


貴樹「………」



花苗「貴樹君…優しいから……私の事、気遣ってくれてるんでしょ…?」

花苗「私…貴樹君のそういう所、大好きだよ……」

花苗「でも、私にだって分かるんだよ?そういう嘘くらい…」

貴樹「嘘じゃない」

花苗「嘘だよ…」


 グイッ


花苗「あっ…!」



貴樹君に手を引っ張られて、私は彼の正面に向き直った

溜まっていた涙が、勢いで不意に眼からこぼれて、私の頬を伝う


貴樹「本当だよ」



引っ張った私の手を、貴樹君は両手で優しく覆った

真剣で、真っ直ぐな彼の瞳が、私を見つめる

私はその視線に応える事が出来ず、彼の顔が見られない
伏せた眼はまだ熱く、頬はもっと熱くなった



貴樹「…………」



貴樹君は何も言わない
耳に入って来るのは、風と、波の音だけ



花苗(…私を見ないで…)

花苗(貴樹君、お願いだから…私なんか見ないで…)

花苗(私、貴方と一緒にいられるような……そんな人じゃないから…)


そう願っても、貴樹君は私の手を放してくれない
私から眼をそらしてくれない



貴樹「澄田さん」

花苗「!!っ」



名前で呼ばれた瞬間、私は眼をギュッとつぶった
肩も固く強張らせた

何もかもが終わってしまう

ただ、それだけを思った




貴樹「僕は、あんまり話が上手い方じゃ無い」


貴樹「物事を自分の中で整理するのにも時間が掛かるし、早合点する事もある」

貴樹「だから、自分が本当に伝えたい事に限って、いつも相手に上手く伝えられなかった」

貴樹「そのせいで、とても長い回り道もしてきた」



貴樹「でもその回り道のお陰で、僕はやっと、自分の心に正直になれるようになったんだ」


貴樹「だから、僕は誓って言えるよ」


花苗「………」




貴樹「嘘なんかじゃない」







花苗「………」


花苗「…ホントに、本当?」


貴樹「うん」


聞き返しても、貴樹君の返事に揺らぎは無い
彼の視線も、私から外れない



花苗「………私…そういう事、言われたら…簡単に信じちゃうよ…?」


言葉の終わりが、波の音に消え入りそうなくらいに小さくなる



貴樹「信じていいよ」



貴樹君は、そんな私のか細い声にも、優しく答えた



花苗「っ……!」


その答えを聞いた途端に、また涙が溢れてきた
涙の熱さで眼も開けられなくなって、鼻の奥が詰まった

彼の言葉のたった一つで…



貴樹「……なんか、泣き癖ついちゃったね」

花苗「う…うん……そう、みたい…」グシ…



擦った目元に潮風が当たって、まぶたがヒリヒリする

貴樹君の少し跳ねた口調を聞いて、彼が微笑んでいる事が分かった

貴樹「………ふふっ」


貴樹「嬉しかったな。澄田さんが、まだ僕を好きでいてくれたなんて」

花苗「えっ…?」



花苗「あっ! えっと、あ、あの…!!」



色々考え過ぎててすっかり忘れていたけど、気付かない内に、私は想いの全てを貴樹君に喋ってしまっていた
でもそれ以前に、貴樹君は私の想いが分かってたから、私が話そうが話すまいが、結果は同じだったんだろうけど…


花苗「ちっ、違う!違うの!あの…」

貴樹「えっ、違った?」

花苗「ちがっ……」


貴樹「………」


花苗「………」





花苗「…ち…がく、ない…」





それにしたって、もっと違う形で伝えたかった…






貴樹「ありがとう」


花苗「っ!」

貴樹「僕なんかの事、好きでいてくれて」

花苗「ぅ……」

貴樹「忘れてくれても良かったのに…澄田さんは…」


花苗「わ、忘れられる訳ないじゃない!」


花苗「だってずっと……すっ……」


花苗「……好きだったんだから」


貴樹「………」



貴樹「そうだったね」

貴樹「さ、どうしよっか、これから」

花苗「…どうしよっかって、何を?」

貴樹「何だろう、僕にも分からないかな」

花苗「…そうなんだ…」



貴樹「………」



花苗「………」




貴樹「とりあえず、歩かない?」


花苗「また歩くの?」

貴樹「駄目かな?」

花苗「うーん……」

貴樹「………」


花苗「……駄目じゃない、かな」


貴樹「ふふっ」







花苗「手、いい?」



貴樹「うん、いいよ」













彼女と手を繋いで、僕は海辺を歩いた

隣りにいる彼女と歩調を合わせて、遅くもなく、早くもない速度で



  ザザアアア…



波の音と、風の音
彼女の手の暖かさ

それだけを感じながら、どこも目指す事なく、ただ歩いた
なのに、僕は澄田とこんな時間を過ごす事が初めてだった

彼女と手を繋いで歩く
たったそれだけの事を、昔の僕はしてやれなかった

一緒に食事をする事も、本音を聞いてあげる事も、僕はしなかった


それなのに

いや、それだからこそ、僕の手を握る澄田の手が、一層暖かく感じたのかもしれない

彼女の横顔が、今まで見たこと無いくらい、晴れやかに見えたのかもしれない





貴樹「あ」


花苗「……端っこまで来ちゃったね」

貴樹「このまま行っちゃう?」

花苗「行っちゃったら、草むらに入っちゃうけど」

貴樹「じゃあ戻る?」

花苗「それもちょっと変じゃない?」フフッ

貴樹「はは…だよね」





花苗「今日は、本当にありがとう」


貴樹「うん」

花苗「色々話せて、何て言うか、スッキリ出来たから」

貴樹「………」



花苗「また、会えるよね」



貴樹「うん、また会える。 僕の方から会いに行くよ」




あと最低100レスくらいで終わる
下手したら50くらいで終わるかも


穏やかに過ぎて行く日々



何にも追われず、何を追う事も無い、永い永い毎日が、僕の目の前に漠然と横たわっていて

その未来も、僕を駆り立てる事はせずに、ゆっくりと僕を通り抜けて、次の日には過去になる



東京にいるあの人は、今はどうしているんだろう



そんな想いも、穏やかに薄れていく




彼女を想う気持ちは、どんなに薄れても消えはしない

多分、歳を幾つ重ねても、いつまでも残り続ける




ただ、その強さも、痛みも、果てしなく薄れていって




いつかは、日常の中にある些細な習慣のように、何の感傷も抱かない物になってしまう




コップに水を注ぐように


食器を洗って、棚に戻すように


誰も気に留めず、僕も気にする事のない物になる








でも、僕にはそれが、正しい事のように思えた







それこそが多分、永遠とか、心とか、魂とかいうものが何処にあるのかへの、答えだと思うから







街を見下ろせる丘



花苗「ねえ、貴樹君」


貴樹「なに?」


花苗「私達、付き合ってるのかな?」


貴樹「………」


花苗「…だって、他の人から見たら、カップルに見えるし……それにホラっ、そうじゃなかったら、こんなに明るい内から二人でここにいるのも、ちょっと変かなっって…」


貴樹「まあ、確かにそうかも。デートになるのかな」


花苗「………」


貴樹「ごめん。デートって初めてだから、どこからどこまでがデートなのか分からなくて」

花苗「っ、あの、責めてるわけじゃなくて……」


貴樹「?」


花苗「……さっきのは、忘れて」


貴樹「…うん」


花苗「………」








貴樹「澄田は、僕の事好き?」


花苗「っ!?」


貴樹「どう?」


花苗「すっ…好きだよ?…とっても好き………だけど、どうしていきなり…?」


貴樹「じゃあ、今まではデートだったんじゃないかな」


貴樹「僕も、澄田さんの事が好きだから」


花苗「!!!」


貴樹「………」




花苗「……ずるいよ…いきなり……そんな事言うなんて…」


貴樹「澄田さん?」


花苗「ごめん…ごめんなさい…涙出ちゃって……ちょっと、待って…」

街を見下ろせる丘



花苗「ねえ、貴樹君」


貴樹「なに?」


花苗「私達、付き合ってるのかな?」


貴樹「………」


花苗「…だって、他の人から見たら、カップルに見えるし……それにホラっ、そうじゃなかったら、こんなに明るい内から二人でここにいるのも、ちょっと変かなって…」


貴樹「まあ、確かにそうかも。デートになるのかな」


花苗「………」


貴樹「ごめん。デートって初めてだから、どこからどこまでがデートなのか分からなくて」

花苗「っ、別に責めてるわけじゃなくて……」


貴樹「?」


花苗「……さっきのは、忘れて」


貴樹「…うん」


花苗「………」








貴樹「澄田は、僕の事好き?」


花苗「っ!?」


貴樹「どう?」


花苗「すっ…好きだよ?…とっても好き………だけど、どうしていきなり…?」


貴樹「じゃあ、今まではデートだったんじゃないかな」


貴樹「僕も、澄田さんの事が好きだから」


花苗「!!!」


貴樹「………」




花苗「……ずるいよ…いきなり……そんな事言うなんて…」


貴樹「澄田さん?」


花苗「ごめん…ごめんなさい…涙出ちゃって……ちょっと、待って…」


貴樹「大丈夫?」


花苗「うん…もう平気、大丈夫」


花苗「急に言うんだもん、びっくりしちゃった」


貴樹「………」








この数十日、僕と彼女は会話を重ね、同じ時間を歩いた

その間に、僕らの心はお互いを引き寄せて

気付けば、僕も彼女も、お互いを必要とするようになった

一人でいる時間に、寂しさを覚えるようになった



でも、彼女には無い疑問もまた、僕の中に生まれ、僕らに影を落とす

澄田と一緒の時も、一人でいる時も

家で仕事をしてる時でも、ほんの一瞬、頭にちらつく疑問がある








貴樹「…澄田さん」


花苗「なに?」


貴樹「これから海に行くのって、どう?」


花苗「……別に良いけど、どうして?」


貴樹「何となくじゃ駄目かな?」


花苗「…まぁ……嫌じゃないけど、なんか今日の貴樹君、変なの」フフッ


貴樹「そうかもね」








明里と出会い、寄り添い、そして離れて、僕と彼女の歩む道は別れた

思えば、それはまるで大きな何かに筋書きを書かれたかのような、あまりに出来過ぎな、辛い過去だ



その過去に自分は酔っていないなんて、今も言えるのだろうか



澄田と一緒に歩く時、彼女の靴の音に、明里の後ろ姿を重ねていない

そんな事は無いなんて、僕は澄田に胸を張って言えるのだろうか






僕がどういう答えを見つけるかは分からない


でも、答えを出さなきゃいけないと思った

浜辺




貴樹「はあ…結構疲れるね、ここまで歩くの」

花苗「えっ?そんなに距離無いと思うけど」

貴樹「ずっとまともな運動してこなかったからかな。 種子島に帰ってきた時も、足が棒になったよ」

花苗「…なんか、おじさんみたい」クスッ

貴樹「おじさんかぁ……体力的には、そうかも」

花苗「それ駄目だよ。ちゃんと運動しなくちゃ、体壊しちゃうよ」

貴樹「うん…」





休憩用のベンチに座って、澄田と会話をしながらも、考えた

僕の本心は何なのか
それを澄田にどう伝えるのか

そもそも伝えて良いものなのか

そう考えると同時に、ただの気の迷いであって欲しいと、願った


澄田への想いが、僕の本心である事を







貴樹「!」

花苗「………」




花苗「? 貴樹君?」






ふと、何気無く目をやった波打際に、光る粒のような物を見つけ、目を凝らしてみた

最初は波に洗われた砂が、一瞬光っただけのように見えたけれど、よく見ると違う


寄せては引く波の中、灰色の砂の中で、それはただ一つ、白い輝きを保っていた


 ザラッ…



光に近寄って、湿った砂ごと粒を掬い取り、僕は光る粒の正体を知った


花苗「貴樹君ー、どうかしたのー?」


砂を掻いて走る澄田の足音と、彼女の声が、僕の背中に当たる

僕は振り向いて、拾った物を彼女に見せた







花苗「それ……貝殻?」




貴樹「巻き貝だね。種類は分からないけど」


花苗「綺麗……真珠みたい」


貴樹「見たこと無いの?」


花苗「うん。 貝殻が沢山埋まってる浜辺は避けてたから、あんまり見たことない」

花苗「踏んだら怪我するし、たまに波の中から跳んできたりして、危ないから」


貴樹「…そうなんだ」





掌にある細長い巻き貝は白く、日の光を浴びて、滑らかに艶めいている

小さな穴の中には既に何も無く、元々こういう石があったのかのように、生き物の気配が消えている


貴樹「………」







その白く淡い輝きと、掌の中に収まる小ささが、今の僕の悩みと重なった







子供の頃、あの人も僕も、よく風邪を引いた

運動も得意では無く、内向的で、二人で本ばかり読んでいた



子供の頃の病弱さは、成長するにつれ、いつかは消える

そんな都合の良いことなんて、平等には起こらない



僕はサッカーが出来るようになり、柄にも無く弓なんて物も修得したけれど、あの人は昔と同じく儚げで、色白なのも変わらなくて

僕にとっては、変わらない守るべき人だった



決定的なあの事件で、再会した時

ボランティアで昔みたいに語らった時

僕が入院した時

あの人が入院した時も、あの人が正明さんと話している時も変わらず、僕の中に残りつづけた、彼女の存在

それら全てが思い出された時








あっけなく、本当にあっけなく


あの人の存在が、輝きをそのままに小さくなって、僕の想い出に収まってしまった気がした













花苗「それ、どうするの?」


貴樹「………」





貴樹「海に流すよ」







一言呟いて、僕は波打際に貝を置いた


白い貝殻は、寄せる波に何度か揺られた後、少し強めの波に飲まれて


貝殻を置いた跡の砂の凹みと共に、消えた









貴樹「ここから海の家って遠いの?」


花苗「そんなに遠くないけど」


貴樹「それなら、あそこでちょっと休もうよ。もうそろそろ昼ご飯の時間だし」


花苗「うん」





永遠に忘れず、いつまでも想いつづけると信じていた


でも、月日は変わらずに流れ続け

その流れに身を擦り減らされ、次第に弾力を無くしていく心に、僕が気付いてしまった時

それは有り得ない事になった



あの人への想いも、そこから来る痛みさえ

今はもう、遠くの彼方へと流れた





思い出も、後悔も、無力さも

懐かしさと、安らぎも

全てが急速に色あせていく


それでも心は痛まず、冷徹にもさせずに、僕がその変化を受け入れると


あの人との日々は、過去になって


跡には、記憶だけが残った

























東京


















紅葉「あァ~~~~……」



明里「……どうでしたか?…」

紅葉「な~んもワカんねッ。何回撮ってもダメだな、こりゃ」

明里「ダメ、って…」

紅葉「だってオカシくね? 肩の骨を接骨させてた固定具がホラ、どっこにも写ってないじゃん」

紅葉「これどういうコトかワカるゥ?」


明里「あ…いえ、全然」


紅葉「消えてるんですよ。つーか手術なんてしてないも同然だぜ、こんなの」

明里「…なんでこんな事になったのでしょうか…」

紅葉「分かりませんッッ」

明里「わか……」



紅葉「ま、不気味な事この上ないでしょうが、医学的には全く問題のない状態ですので、篠原さんが気にする必要はありません」

紅葉「いや、むしろここに来る前より健康になってる位です。 血圧も体温も平均値ですし、血中成分にも問題はありません」

紅葉「完治です。おめでとうございます」


明里「は、はい……」





明里「ありがとうございました」

看護婦「はい、お大事に」








貴樹君がいなくなった日から、二ヶ月が経った




気付いてなかった時の私は、貴樹君の事情を思って、しばらくは連絡は取らないでおこうと思ってた

あんな事が起きた後で、どういう顔で会いにいけばいいかも分からなかったし、私も落ち着ける時間が欲しかった


でも、些細なきっかけが出来た日の夜に、思い切って私は電話を掛けて


見舞に来てくれてた彼に、お礼を言おうとした





でも、電話は繋がらなかった



彼の携帯電話の番号は、使われてなかった

メールも届かなかった


警察に相談してみる事も考えたけれど、友人と連絡が取れないからというだけの理由で、警察の方に迷惑を掛けると思うと気が引けてしまって、通報出来なかった


でも、連絡が取れなくなって二日が経った頃に、私は正明さんに相談した

私一人で解決出来る事じゃないけど、警察に捜査をお願いする程の大事件ってわけじゃない

そんな微妙な事に、私一人が判断を下しちゃいけない気がしたから…





正明「ダメだ」






そして、残酷な程に、正明さんの答えは正論だった

明里「………」


正明「いくら仲が良くっても、俺達は彼とは他人だろ」

正明「他人のプライベートを勝手に覗くなんて、しちゃいけないよ」



明里「そんなつもりで相談したんじゃない……もし、事件とか、事故とか…」


正明「捜して欲しいんなら、最初からそう言えば良いだろ」

明里「それじゃ…!」

正明「でも駄目だ」

明里「!」



正明「彼も俺達と同じ大人だ。連絡が取れないって事は、向こうにそれなりの理由があって、わざと連絡先を変えたんだ」

正明「そうじゃなきゃ、事故か事件かのどちらかで、連絡を取りたくても出来ないって事になる」

正明「事故の場合は……まあ、二日も経ってる時点で、俺達が心配しても何の意味も無いだろうけど…」

明里「………」

正明「事件って訳じゃ……絶対無いな」

明里「えっ?」


正明「考えてもみろ。あの戦争が起きて十日間くらいは、どこのテレビも、新聞も、ラジオも、ネットも、ずっと戦争について報じてきた。一日中ずっとだ」

正明「そして今も、テレビをつければどっかの局が特集を組んでるし、話のネタが尽きれば、必ずあの戦争の話になる」

正明「つまり、日本中が羽田空港のVTRを見てるし、そこで何が起きたのかも知ってるって事だ」

正明「そしたら当然、犯罪を犯すような奴らにも、羽田空港での事件についての知識が入る訳だ」



正明「そうなると………貴樹が次に事件に巻き込まれた時、その貴樹を事件に巻き込ませた奴は、地上最強の生物に喧嘩を売る事になる」

明里「えっ…」

正明「明里は事件当時は意識が朦朧としてたし、テレビやネットで騒がれてる事は、俺があえて見させなかったから、戦争の全容なんてほとんど知らないだろうけど…」

正明「今世間に流れてる、カメラに撮られた映像を見る限りでは、あの範馬勇次郎が身を盾にして俺達と貴樹を守り、敵に対して反撃をして、敵を壊滅に追い込んでいるように見えた」

正明「そんな社会的にも『範馬勇次郎に守られている』って思われてる人間に、犯罪者が手を出すはずが無いだろ?」

明里「…それは、そうかもしれないけど……」



正明「…それに連絡先が分からなくなった知り合いなんて、他にも沢山いるだろ」

正明「幼稚園や小学校の友達なんてもう十数年も会ってないし、顔や名前を思い出せない奴だっているはずだ」

正明「幼なじみだったから、今もお互い仲良くしてるなんて、そっちの方がむしろ珍しかったんだよ」



彼の答えは理屈っぽくて、ちゃんと筋が通っていた

でも、その理屈はどこかチグハグで、一つの答えを成立させる為に、理屈を無理矢理寄せ集めたかのような印象を、私に感じさせた



明里「……正明さんが言いたい事は分かったわ。 多分、正明さんの考えの方が正しいんだと思う」

明里「でも、一つだけ、分からないの」

正明「何が?」


明里「…どうして、正明さんは貴樹君から離れたいの?」


正明「………」





正明「なんでそうなるのさ」

明里「だって…だってそうでしょ?でないとおかしいじゃない。 正明さんとは全然関係の無い範馬勇次郎は捜して、顔も、声も、携帯の番号も知ってる貴樹君を捜さないなんて…」

正明「…物事には優先順位って物があるんだよ。 それに、オーガについては気になったから…」

明里「貴樹君は気にならないって言うのっ?」

正明「そんな事言ってないだろ!」

明里「じゃ、じゃあ何て言いたいの!?」

正明「もう面倒は嫌だって言ってるんだ!」

明里「めっ…」



正明「………」



明里「…面倒…?」




正明「いいか明里…」

明里「面倒ってどういう事なの!?貴樹君は…」

正明「いいから聞けって!!」

明里「っ!!」



正明「いいか明里……俺はさっき、貴樹は事件には巻き込まれないって言ったよな?」

正明「確かに犯罪者は貴樹を避けるだろう。 貴樹を脅迫したり拉致したりした所で、得られる金なんて高が知れてる。 平凡なサラリーマンに身代金を要求するのと同じだ」

正明「しかもバックには地上最強の生物が控えてるんだ。 リターンに比べてリスクが馬鹿デカ過ぎる」



正明「でもな…マスコミに限っては、そうはならないんだよ」

正明「マスコミには知る権利があるし、他人に知らせる権利ってのもある。 それは確かに良い事だし、社会には必要な事だよ」

正明「でも、その権利を乱用して他人の私生活に上がり込んでは、人の不幸を面白おかしく脚色して、社会に撒き散らすようなヤツらも大勢いるんだ」



正明「それに、俺の顔も、君の顔も、貴樹の顔もテレビに映っただろ。 普通に考えれば俺達の素性なんかとっくにマスコミにバレててもおかしくない」

正明「俺の仕事場にも、俺達のアパートにも記者が来ないのが、むしろ不気味なくらいだ」

正明「そんな状況にいる俺達がだ。 役所に行ってアイツの住所を調べたり、警察に問い合わせて捜索願いなんて出したらどうなる? マスコミの前にわざわざ出て来て『報道してみろ』って言ってるような物だろ」



明里「………」



正明「……明里……俺は君の事を大切に思ってるし、子供が出来たらその子だって守ってみせる。 嫌な仕事でも絶対やるし、頭なんていくらでも下げてやれる」


正明「でも、社会が俺達の生活を潰しに来るんだったら、俺の努力なんてゴミみたいなもんだ」


正明「最悪、イメージダウンだの会社の迷惑だのと言われ、難癖をつけられて、俺は仕事を辞めさせられる。 明里だって二度と復帰出来なくなる」


正明「最後は生活を無茶苦茶にされたまま、週刊誌のゴシップコーナーみたいな扱いを受けて、捨てられるんだよ」


明里「…………」




正明「一年……それくらい経てば、俺達の扱いも『少し運が悪かった人』程度になる…」


正明「でも…今だけはやめてくれ」


明里「………」







明里「…ごめんなさい……私、間違ってた」


正明「いや、分かってくれれば、俺もそれでいいよ……」

正明「怒鳴ってごめん」


明里「うん…」

東京

某所にて















徳川「ッホォ~~~~~……こりゃまた珍しい…」




男「………」




徳川「つまりは、退屈だ……などと申しに来ただけでは無い、と」

男「そういうコトんなります」

徳川「して、望みはなんじゃ? どういう『コト』を欲しておる?」

男「御老公にではありませんよ」

徳川「?」




男「直接会って、話を聞く……望みはそんだけです」




徳川「……ふむふむ…その一言でよォ分かったわ」

徳川「見逃したんじゃろ? 例のアレを」

男「………」フフ…

徳川「図星かい。まァ、気になるわな」

男「嫌とは言わせませんよ」

徳川「イヤなど言わんわい。 マスコミへの圧力に、オヌシの手の者も使わせてもらっとる身分のワシが、イヤなどとはのう」

男「………」



男「…にしても、ワカりやせんね」

徳川「何が?」

男「御老公ともあろう者が、オーガにならばまだしも、あの素人三人に興味を持ち、あまつさえ『囲う』などと」

徳川「………んーー…オモチャって訳では無いんじゃが…」

男「どういうおつもりで?」

徳川「………」



徳川「『ド』カタギの者には、プラスにはならねど、マイナスにもなってもらいたくない」

徳川「まァ……そんなところかなァ…」

ガチャッ

明里「行ってきます」

部屋の奥<あ、待って、メモ帳も買って来てくんない?切らしちゃってるから

明里「うん、分かった」






生まれて落ちて、20年
己を律してるつもりは無ェ

律していると思われがちだが、そうじゃねェ

やりたいようにヤッた結果、たまたま律して見えただけ

だから、楽しむモンは楽しむ。キレりゃあ殴る。見たいモンも見る

だが、今は見るもヤルも全部味わい尽くしちまった

それこそ欠伸が出るくらいに…



ジャリッ…

明里「えっ?」









花山「…………」ズンッ









明里「…あ………」







花山「買い物ですかい」


明里「!!?……はっ、はい……買い物……ッ」

花山「ビビるこたァありません」

花山「私ら極道は、カタギにゃ手ェ出しませんので」

明里「!?…ご、く…極道……ッ?」




正明「明里ー? なんか寒いけど、ドア…」スタスタ…


正明「ッッッ!!?」


花山「………」

ヤバイ。完結までの残レス数が不安になってきた。
完結するまでカキコの自重をお願いします。

正明「……な…なん…」

花山「面倒はコッチも避けたい」

花山「だからこそ言いますが、俺は極道です」


正明「……極道……」


花山「お二方が見てきたモンには劣りますが」

花山「そちらから見れば、いわゆる『同類』………速え話が、危険人物」

花山「そいつを承知で、頼みを聞いてもらいに足を運んだ次第です」

正明「……ぃ…ぃ嫌ですよ! ほッ、ほっといて下さいッ!! 来い明里!」グイッ

明里「!っ」

花山「知ってるぜ」

正明「!」


花山「会いたいハズだ。あのタカキ坊やに」



明里「!!」



正明「………ッッッ」



正明「……まさかあんたらが、貴樹を…?」

花山「サラっちゃいねェ」

正明「………」

花山「意味がねェしな」


正明「…そんなの信用出来るわけ…」

花山「信用は関係ねェ」

花山「俺が引き返そうが、あんたらが呑もうが、俺が騙そうが騙すまいが、あんたらの知りてェ事は『遠野貴樹の行方』」

花山「大事なのソレだ」

正明「………」


花山「ソレじゃねェなら」

 ザウッ

花山「帰るぜ」





明里「……待って下さい!」

正明「ッ!? おい!」

明里「分かりました! なんでも!……しっ…………」

花山「何でもしろとは言いません」

明里「………」

花山「代わりに、聞きたい事が一つ」


無くなった食器洗い洗剤を、近くのコンビニに買いに行くだけのはずだった

あと、そのついでにメモ帳も




花山「…………」




顔に刻まれた大きな切創に、『彼ら』と共通するような、恐ろしい何かを秘めた瞳

そんな玄関先にいた『彼らと同じ種類の人』に、選択の余地を私と正明さんは奪われて、今、リビングを見渡すテーブルを…


花山「…そういや、身ィ明かしていませんね」 ズ ッ


この人と一緒に囲んでいる

白いスーツから覗く彼の手は、まるで割れたアスファルトのようにゴツゴツしていて、彼が自分のスーツの懐に手を伸ばせば、その動きの振動が床を伝って、私達の椅子を微かに揺らす

でも、私の隣にいる正明さんから伝わる震えは、彼の揺れより大きかった


花山「こういうモンです」スッ…



そんな正明さんの震えも、私が感じた二の腕への寒気も、彼が二枚の名刺を取り出した瞬間に止まって、代わりに正明さんの鼻から小さく息が漏れた

だけど渡された名刺を見て、さっき感じた不安より更に鋭い物を、私と正明さんは同時に感じた




明里「………」




明里「…花山組…の……」

花山「ハイ」

明里「『花山』組の……花っ…」



明里「………」










明里「……組長さん、なんですね…」

花山「ハイ」



花山さんがそう答えると、正明さんはうなだれるようにして、右手で自分の顔を隠した

花山「怖いのは分かりますが、コイツは誤解って物です」

花山「お二人が想像するようなオオゴトじゃありません」

正明「……保障はあるんですか…」

花山「ありません」



正明「………」



正明「……分かりました……」



花山「では……」ぬうっ…

明里「!?」

正明「! ちょっ…」

ゴトッ


花山「このままってのも、口が回らんでしょう」

花山「やって下さい」




テーブルの上に置かれた布袋の中には、いつも正明さんが飲むような市販の缶ビールの他に、びっくりするぐらい値段の高そうな焼酎一升と、二つのおちょこが入っていて…

正明「あ…ああぁ……」

花山さんは缶ビールを取って、開けた

正明「あっ……!」

そしてそのビールを一口飲むと、おちょこに焼酎を注いで、私達に配った



花山「事件当時に、何があったか知りてェ」


花山「詳しく聞かせてくれ」





花山さんの言葉にはもちろん困惑したけれど、それ以上に、私と正明さんは焼酎とおちょこの扱いに困り、固まってしまった

断れば、何か恐ろしい事をされそうな気がするし
飲めば、何か恐ろしい所に連れていかれそうな気がする

私はどっちも選んじゃいけないと思った
そして、多分正明さんも、同じ事を考えたんだと思う

正明「そう、ですね………私からの視点でよろしければ…」




正明さんは、花山さんに事件について知りうる全ての事と、体験した全ての現象を話した



正明さんが話し終わるまでの15分くらいの間、花山さんも、私も、口を挟む事も質問する事も無かった

でも、私の場合は質問をしなかった訳じゃなくて、出来なかった

彼の話は簡潔で、明瞭で、回りくどい例えや比喩も無く、大事な部分が省略されてもいない
ただその話の中身があまりに荒唐無稽で、どこから疑問を投げ掛ければいいのかすら分からなかった

それに、彼の話した事以上に正体が分からない体験を、私自身が経験していたから、口を挟む立場に私はいないとも思っていた



フワッ



話の終わりから数秒か経って、開いた窓から風が入った

肌や髪には感じるけれど、カーテンはなびかせない位の、小さな空気の揺れみたいな風

それが日光が射す窓から吹いて来た



明里「!?」

正明「!?」



でも、窓は開いてなかった

特に暑くも寒くもないから、エアコンだってついてない

それなのに私達の髪は揺れ、日光に照らされた僅かな塵やホコリが、こちらに集まって来る

しかも、集まって来た風は何処かに抜けていく事も無く、私達の周りに溜まり、漂いはじめた

そこまで確認した所で、私達は気付いた




花山「ハハ……」




空気の揺れが、花山さんを中心にして集まっている事に








花山「欠伸が止まった」


正明「…あ…あくび?」

花山「ええ」

明里「…?…」

花山「まァ、流石ってコトです」

正明「流石って……あの、何が? オーガの事ですかッ?」


カ キ ュ ッ !



正明さんが花山さんの言葉を聞き返すと、花山さんが握っていた缶ビールは消えて、私達は固まった


花山「フフフ……」コロコロ…


そんな私達の目の前で、銀色の刺々しいパチンコ玉を指で転がしながら、花山さんは機嫌よさ気に微笑んでいた


花山「イイ話、聞かせてもらいました」


正明「…私にはあまり良い話とは…」

花山「………」



花山「そりゃそうだ」スッ



正明「!ッッ」


パサッ









花山「この紙に、お二方が捜している坊やの所在が書いてあります」


明里「!」


花山「ささやかな御礼とでも思って下さい」


花山「じゃあ、私はここで」ガタッ

正明「えっ……もう帰るんですか?」

花山「居て欲しいなら、いくらでも」

正明「あっ…いや、すみません…」

花山「フッ」




 ガチャッ


花山「御三方には手ェ出させねェって事で、同業にはハナシ通しておきましたんで」


正明「………」


花山「それじゃ」ザッ



用を済ませた花山さんは、開けたドアの外で二言そう話すと、マンションの廊下を歩いていった

重そうな靴の音も、白くて大きな背中も遠ざかっていく

ただ、ほんの十数分で体験した驚きが多過ぎて、私達はそれを飲み込めずにいたから、もどかしさと不安を抱えながら彼を見つめていた

正明「話を通したって!」

そして、正明さんはその思いを抱えきれず、堪らない様子で花山さんを呼び止めた



花山「………」ピタッ


正明「話を通したって……何処の誰にですかッ?」

正明「それでも私達に害が及んだら、どうするんですかッ?」



花山「空港で人死にが出てる以上、アンタらはオーガの囲われ者と裏では認知されてる」

花山「偶然そう見えてるだけのハナシですが」

花山「………」


花山「まあ、いずれにしろアンタらはカタギ」

花山「私らヤクザ者の領分には居ねェ」

花山「領分違いをするバカは何処にでも居るだろうが」

花山「ソイツは殺す」



殺す、という言葉が聞こえた時、正明さんの肩が揺れた
私も、花山さんから目が離せなくなった

人を殺すという、今なら何処からでも見つけられるかもしれない中身の無い言葉に、本来の恐ろしさが戻った瞬間

私は夢の中で見た綺麗な川に、身の毛を逆立てて震えた


花山「まだ怖いんですか」


私達の今の様子なんて、本来は感じ取りようも無いはずの彼は、振り返る事もせず私達に語りかけた後


花山「これでも俺、アンタらより年下ですぜ」


二の句に最も衝撃的な一言を私達に送って、廊下の端にある階段を降りていった



花山さんがいなくなり、私達の周りは、見掛けだけいつもの日常に戻った

おちょこに注いだお酒を飲み干した彼は、酒瓶も、握り潰した空き缶のカケラも残さなかった



明里「………どうしよう、これ」


正明「………」




正明「…とりあえず仕舞っとくよ」





ただ一つ、彼が残した物

貴樹君の行方が書き記されたA4サイズの紙をどうするかの前に、私達は、私達が置かれた状況や、私達の心の動揺を整理しなければいけなかった



明里「………」



テーブルの上にある紙が、私達を危険な世界に引き込まない

簡単にそう思えた昔の私からは、もう随分、遠ざかってしまったような気がする








あの紙をしまい込んでから、また何日か経った頃

その日は休日だった


正明「明里~、その食器俺が洗うよ」


使い終わった食器を洗い始めたあたりで、正明さんが私に声を掛けた

治ったばかりの私の肩を気遣う、彼の親切が嬉しかった

でも、正明さんの携帯が鳴って彼がコールに応えると、彼の和やかな雰囲気が、なんだか張り詰めたような気がした

それでも、彼の声は平静を装っていたけれど




正明「部屋戻って仕事片付ける。急にごめんね」

明里「あ、うん。がんばってね」



私が返事をすると、ドアを閉める音がした

私は、本当はしてはいけない事だって分かっていたのに、蛇口を捻って水音を小さくした



正明さんの部屋のドアから、彼の話し声が微かに聞こえる



途切れ途切れに漏れる話の内容で、彼の話し相手が誰なのかは、想像出来た

でも私は、その想像を正明さんに悟られたくなくて、昔聞いた覚えのある曲を、鼻歌で努めて明るく歌った

毎日の中での少しの変化が、何処か危険な場所への入口になるかもしれない

その事への怖じけと、正明さんと貴樹君への罪悪感のような気持ちが混じって、歌のメロディーはあやふやになった


明里「♪~……」





結局、その日は誰と話していたのか、正明さんには聞けなかった

お互いに気にしないふりをしても

日常の中で忘れていく物と思っていても

ふっと消えてしまった人への想いは、いつも私のすぐ側にあった

朝のシャワーを浴びていても

お昼ご飯を作っていても

必ず私の側にあって、私を責める事も、私を慰める事もしなかった


ただ時間が過ぎていく中で、確実にそれは小さく弱くなっていった



でもそれが小さくなる度に、大切な物が失われていくような、説明出来ない焦燥感が積もっていく

小さく弱くなっているのに、そう感じる度に、胸の奥が痛む



誰にも打ち明けられない日々が長く続いて、はけ口も無く、例え様も無い想いの辛さに、日々の気持ちが沈み始めた頃

正明さんが出社している間、偶然出来た暇な時間に、私はテレビのリモコンを取った

そして電源が付いたテレビから流れる番組を、ほんの数分間だけ眺めた





明里「………」







テレビ画面に映った討論番組は、羽田空港での事件を論点にしていた

話の中身に当時の熱のような物は無く、聞こえる口調は荒っぽく、白熱しているように聞こえたけれど、冷たささえ感じる程に事務的に、誰が一番悪かったのかだけを追求していた

そこでは、誰が被害に遭って

どういう人達が命を落として…なんて

一言も触れられず、ただ悪者捜しだけをしていた



きっとそういう番組で、そういうコーナーだから、当然なのかもしれないけれど

討論の中身が、私の体験した事件と同じ事件について話しているのに、全く別の事について議論をしているようにしか見えなかった

話の中には、貴樹君も、正明さんも、私もいない

事件の中心にいた『彼ら』の名前も、範馬勇次郎を除いて出てこない

誰々が悪い。誰それが悪い
ただそれだけを延々話し続けている


私達の顔写真とか、事件の映像とかが出ないのは、多分花山さんのような人達が、私達が見てはいけない場所で、恐ろしい事をしているからで

テレビ番組での事件と、私が知ってる事件とで、事件の印象が全く違って見えるのは、私達だけが事の真相の一部を知ってしまっているからだって、分かっていた

だから、事件の全ての真相が公にされる事もないし、私と正明さんはこの先も平穏に暮らしていける

世界の何処かで起き続けてる、途方も無い物事から目を背けながら




明里「………」カチッ

 プツッ



テレビの電源を切って、次に何をしようかと考えていると



 カタン



近くで何かが落ちた音が聞こえて、私は玄関を見に行った

玄関扉の投函口の下には、巻かれた新聞がいつものように落ちている

その新聞の一面には、やっぱり空港での事件についての記事が、大きく載せられていた


『勇次郎氏襲撃事件、意外な展開』
『米副大統領の秘書を書類送検』



新聞を手に取り、リビングに戻った後、私は記事をめくっていった

一面以外はいつも通り別の記事が書かれていたけれど、コラム欄や読者コーナーには、思った通り、空港での事件をネタにした文が投稿されていた


ただ、それを読む気にはなれず、私は新聞を畳んでテーブルに置いた

あの事件がなんで起きて、誰が起こして、誰が犠牲になったのか

そんな事はどうでも良くて、本当は誰もが、あの事件を利用してるだけなのかもしれない

お金になるから、知識をひけらかしたいから

自分の立場を良くしたいから

誰かを責めていたいから



本当は、私達の事なんてどうでもいいのかもしれない

誰が巻き込まれて犠牲になって、誰が悪人扱いされてだとか、そういう真実を確かめる必要はなくて

事件の真相さえも、本当は大切なんかじゃないんだとしたら


私達から周りの騒ぎに口を出さない限り、みんなは事件が風化するまで、ただ回り続けて

私達をおいてきぼりにしたまま、勝手に忘れていくのなら



私達が周りを気にする必要なんて、始めから無かったような気がする













正明「ただいま~」

明里「おかえりなさい」



その日の夜、食事が出来た丁度に、正明さんが仕事から帰ってきた

彼は上着を脱いでネクタイを外して、洗濯機のある奥の部屋に行った



<は~疲れた。今日の御飯なに?

明里「トマトサラダと味噌汁と、あと豆腐と、鮭のムニエル」

<鮭のムニエル? い~ね~、食べよう食べよう



奥の部屋から出てきた、ズボンにYシャツ姿の正明さんはそう言うと、いそいそと席に着いた

洗い終わったまな板を仕舞って、私も椅子に座った




正明「………」モグモグ

明里「………」モグ…



正明「何かあった?」

明里「えっ?」

正明「全然食べてないからさ」

明里「…そう見える?」

正明「んー……まぁ何も無いなら別にいいけど」モグモグ

明里「………」




明里「正明さん」

正明「なに?」

明里「相談したい事があるの」

明里「貴樹君について」



正明「………」





正明「そうだな。話さずに済まそうなんて、出来ないよな」

正明「じゃあ改めて言うけど、俺は行かない方がいいと思う」

明里「………」

正明「アイツはもう、俺達が関われる範囲にはいないんだ。 それに俺は今の暮らしを…」

明里「分かってる。 壊したくない、でしょ?」



正明「………ああ、壊したくない」



正明「分かってるなら、もう答えは出てるだろ」



明里「……ええ、そうね」



明里「私、貴樹君に会いに行く」

正明「!? なんでそうなるんだッ? 俺は…」

明里「どうでもいいのよ」

正明「!」


明里「騒ぎたい人は騒がせておけばいい。 私達の事がそんなにおかしいなら、笑わせておけばいいのよ」

明里「どんなに騒いだって、笑ったって、違う何かが起きればあっという間に忘れていく人達なんて、どうでもいい」

明里「下らないのよ」

明里「それに正明さんが言うほど、私達に関心が集まってる訳でも無いと思うの」

明里「今までで一度でも、私達の家にマスコミが来た事がある? 会社には?」


正明「……来てない」


明里「そうでしょ? 私達なんてあの人達にとってはそんな物でしかないのよ」

明里「花山さんが怖いから、範馬勇次郎が怖いから、私達を避けて、自分達が果たすべき仕事まで投げ出してる」

明里「そういう人達を気にしてたら……いつまでも、何も出来ないままよ」



正明「………」



正明「…変わったな、明里」

正明「昔の明里ならそんな事、絶対に言わなかったのに」


正明「…そうまでして何で貴樹に会いたいんだ?」



明里「………」




明里「嫌なの…こんな終わり方…」

明里「さよならも言わずに、二度も彼を置いてきぼりにして……私だけ次に行っちゃうなんて、したくないの」

明里「もう二度と、彼を傷つけたくないの」

明里「だから…」



正明「……それ、本当に貴樹の為なのか?」

正明「明里の為なんじゃないのか?」


明里「………」


正明「………」





正明「俺、もう寝るよ。 今日は疲れた」




それっきり、正明さんと私はお互いがベッドに入っても、口を利かなかった


仰向けで眠る彼に背を向けて、彼の静かな寝息を聞きながら、正明さんとの最後の会話を、繰り返し、繰り返し、私は思い返す


彼の言葉を聞いて、その通りだと思った

言い返す気が起こらなかった


彼の言う通り、私は貴樹君の為だけに、正明さんを説得しようとしたんじゃない

自分の事を考えずに、純粋に人の為だけを思って動ける程、強くもないし、良い人にもなれない

でも、今でも頭から離れない景色には、いつも貴樹君がいる

彼がいなくなってから、頭の中は彼の事ばかりが…




















ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ


正明「ん~……」むくっ


 カチッ


正明「はあ~……」




正明「………」




正明「ん?」

正明「あれ?明里?」


正明(トイレか?)

正明(まあいっか。 準備準備…)


正明「………」シャカシャカシャカ…

がらがらがらっ……ぺっ

正明「ふー、スッキリした」

正明「………」



正明「明里ー? 俺のネクタイ知らなーい?」

正明(もう絞めてるけど)




正明「………」




正明「明里ー?」スタスタ…

ガラガラッ

正明(ベランダ無し)



コンコン

正明「明里ー?」

正明「………開けるぞー」ガラガラ

正明「………」

正明(風呂場も無し)



ガチャッ

正明(やべっ、ノックしてねえや)バタン

正明「明里ー?」

正明「開けるぞー」

正明「開けるからなー」ガチャッ



正明「………」




正明(トイレにもいない)

正明(買い物?起きてすぐに?)

正明(かといって、朝から井戸端会議なんてするタイプでもないし…)

正明(まさか寝室…)


スタスタスタ







ガチャッ


正明「………」


正明「なるほどねー」

正明「まあ…仕方ねえよなー」






正明さんへ

勝手にいなくなってごめんなさい
やっぱり彼と会って話さないといけない気がしたので、今日の飛行機の当日券を買って、種子島に行きます

体調も回復し、今週の月曜開けには会社にも復帰できるので、お金は働いて返します








正明「………」フー…


正明「あっ、いつ帰ってくるか書き忘れてる。 あはは」



正明「………」




正明(まぁ……悔いのないようにな)




正明「!」

正明「やばっ、シャワー浴びてないじゃん俺」

正明「あーでもスーツに着替えちゃったし、どーすっかなー」

正明「あー…どうしよ…」



キャビンアテンダント「本機はまもなく離陸致します。なお、ブザーが鳴るまでは…」



空港の受付で手続きを終えた時、私の後ろに並んでいた誰かから、あの事件の話が聞こえた

貴重品をカゴに入れて、検査をパスする時、係員さんは驚いた顔で私からカゴを受け取った

大広間の椅子に座っている時も

搭乗口前の機械に用紙を通す時も

小さな声で、伏せようとしてもつい大きくしてしまう声で、色んな人達が話していた


飛行機の窓側にあるエコノミー席に座った時、隣の優しそうな年配の女性から話し掛けられた

怪我はもう大丈夫なの?とか、大変な事になった時は気を強く持たなきゃ駄目よ、とか、心配そうに聞いてくるその人を傷付けないように話を収めるのが大変だった



CA「それではごゆっくり空の旅をお楽しみ下さい」




でも、CAさんが連絡事項を言い終えて、飛行機の羽についてる金属板が、パタパタと2~3回動いた頃には、事件の話は誰からも聞かれなくなった


年配の女性は、隣にいる年配の男性と楽しげに話し込んでいる

夫婦での旅行なのだろうか、二人は旅行先の種子島に想いを馳せていたみたいだった






明里(正明さんにはああ言ったけど)


明里(やっぱり私も、だいぶ気にしてる…)









種子島空港に着いた頃には、空は少しだけオレンジ色に染まっていた





明里(…本当に来ちゃった…)



遥か遠くにある場所へ行くんだと、道中は気を引き締めっぱなしだったのに、ほんの数時間で呆気なく着いてしまった

飛行機の中で時間が過ぎるのを待つ以外に、やる事も出来る事も無いのだから、当たり前の話だけど

ともかく、何の驚きも感じない私自身に、私は正明さんの言った言葉を重ねた



 カサッ




肩から下げた鞄には、入れた時と変わらずにあの紙が入っている


明里(いきなりだから、多分びっくりするんだろうな、貴樹君)


口元が緩むのを感じながら、私はその紙を鞄から取り出して、その紙の印す場所を目指して歩き始めた

明里「………」



種子島に来たって実感は空港の中にいると沸かなかったけれど、一歩外に出た瞬間に私は「ああ、やっぱり東京とは違うんだ」と実感した


高いビルと電線に押し潰されそうになっていた空が、とても広々としていて明るい

風に変な臭いが乗ってくる事もない



明里「あっ」



歩き出す前に、大事な事に気付いた

地図を持ってない

旅行慣れしていないからだろうけど、目的の場所が何処にあるかを知っているだけで、私はそこに辿り着けるんだって、いつの間にか思い込んでしまっていた

目印も道筋もちゃんと必要なのに



明里「…もぅ…」



取り返しのつかない事が起きる前に気付けた安堵と、こんな些細な事すら頭から飛んでいたのに、冷静な気でいた自分が恥ずかしくて、ため息をつく

なんだかんだ考えても、どうしようもなく、私は浮足立っていた



タクシー運転手「あっ、こんにちは~」

明里「こんにちは~」



空港で買った地図を便りに、タクシーとバスが停まる停車駅に行くと、そこでタクシーを拾った


停車駅は空港と目と鼻の先にあり、本当のところ地図を見る必要は無かったけど、それでも無駄な買い物なんかじゃない

貴樹君と話した後に自宅までとんぼ返りする訳にはいかないから、泊まれる所が必要だし、移動手段を全てタクシーに頼るのもお金が掛かり過ぎる

お金を使い切る事は無いけど、今持っているお金は私のじゃない

出来るだけ節約しないといけない



運転手「お嬢さん……」

明里「はい?」

運転手「あ、すみません。 いやどっかでお客さん見た気がするな~って思いましてね」

運転手「まあ多分、見間違いだと思うんですけどね」

明里「…見間違いじゃないと思いますよ?」

運転手「えっ?…あっ…いやいや失礼。今のはちょっと…」

明里「構いませんよ。もう過ぎた事ですから」

運転手「いや~…すみません、ハハ…」



明里「運転手さん、この住所までお願いします」


運転手「あっ、ハイ。え~っと…分かりました」

運転手「シートベルトの方は大丈夫ですか?」

明里「大丈夫です」

運転手「あっ、それじゃ発車しますんで」ガチッ

明里「はい」




 ブロロロロ…






タクシーの中では、車の走る音以外の音は無い

親しげに話し掛けて来たタクシーの運転手さんは、私に気を遣っているらしく、もう何も話さない

それが申し訳無く思えたけれど、目的の場所に近付くにつれてその引け目は消えていき、代わりに別の、整理されてないごちゃごちゃした思いが沸きだしてきた





お金を勝手に持ち出して、後でどうやって埋め合わせをすれば…


万が一、別居も有り得るかも…


…ううん、そんな事考えちゃいけない。そんな風に考えてる事そのものが、正明さんを疑う事になる。

ここまでわがままな事してるのに、そんなのズルい

正明さんと向き合ってない





貴樹君と会ったら…もしも会えたら、何を話せばいいの?

調子はどうとか、そんな…

だからっていきなり…「私達はこれっきり」…なんて…



…言えない…



例え、そういう決心で種子島に来てるとしても…




運転手「はい、お疲れ様でした」

明里「!!」

運転手「………お客さん?」


明里「あの…もう着いたんですか…?」

運転手「? ええハイ。着きましたよ?」

明里「…えっと…じゃあ、あの、お会計、お願いします」

運転手「1720円です」

明里「…これで…」

運転手「2000円ですね。じゃあお釣りです。280円ですね」チャリッ

明里「はい……あっ、ありがとうございました」ガチャッ


運転手「あっ、はい、お気をつけていってらっしゃいませ」


  バタン   ブロロロロ…








明里「………」








走り去ったタクシーが見えなくなって、車の走る音が聞こえなくなった時、私の周りには誰もいなかった

そこにあるのは、団地と、団地の中に立つ私と、それらを照らす夕日だけだった



明里(来ちゃった……)



タクシーの中で湧いた焦りは、貴樹君が居るはずのアパートに身体を向けた時、更に勢いづいて沸々とし始めた

言う事も、聞かれるかもしれない事も、何も思い付かない

考えを纏める時間の余裕はあるはずなのに、こういう時に何故か
『階段を上って彼の部屋に着く頃には、何か思い付いているかもしれない』
という根拠の無い期待感を覚えてしまっていた

実際には、そんな事ないのに




明里「………」




そしてやっぱり、何も思いつかないまま

私は震える指で


  ピーン…  ポーン


確かめるように、呼び鈴ボタンを押した

明里「………」



  ピーンポーン



明里「………」



明里(居ないの?)





明里「………」ピーンポーン











「ちょっとちょっと、お姉さん、ちょっと」ヒソヒソ



明里「っ、はいっ!」クルッ


おばさん「そこね、るーす」ヒソヒソ

明里「…留守?」

おばさん「そうそう、留守よ留守」ヒソヒソ

おばさん「最近このアパートに越してきた人なんだけどね、ちょくちょく部屋を開けるのよ。若い子なんだけど、それがなかなかのイケメンでね」ヒソヒソ

おばさん「……あらっ、私ったらごめんなさいね。それじゃ、あの、お元気で」スタスタ…


明里「あっ…い、いえ」














貴樹君は留守だった





拍子抜けと言ったらアレだけど、正直の所、ホッとした







夜の民宿



テレビ<続いてのお題に行きましょうっ、こちらっ!>

テレビ<ペリッ おおおお~>


明里「………」カチッ


テレビ<…の打ったボールが二塁間を的確に狙い撃ち…>


明里「………」カチッ


テレビ<…クイズ!試験に出…>


 プツン





明里(…うん、どこもやってない)

明里(やっぱり考え過ぎだったんだよね)


明里(………)



明里(なんでテレビ点けて、番組まで捜しちゃってるんだろう)

明里(気にする事無いって、私から言ったのに)

明里(飛行機の中でもなんとも無かったのに、なんで……)




種子島に来るまでは形を潜めていたのに、ここに来ていくつもの雑多な想いが沸き上がる

それは時間が経ち、布団を敷いて電気を消した後も、今日見た景色の中に漂っていた



明里(私は何を望んでいるんだろう。 彼に何を伝えたいんだろう…)

明里(ここに来るまで……貴樹君の居るはずだった部屋の前に来るまでは、分かってたはずなのに、忘れてしまって…)

明里(それなのに、貴樹君が居なかった事に、安心して…)

明里(このままじゃ、またあの時みたいに、彼に何も言えないまま、終わってしまいそう…)



明里(そんなの、もう駄目なのに…)



朝の種子島空港



ズチャッ



「おい、アレ…」 ザワザワ  「あッッッ」

  「警察…」 「馬鹿ッ!関わるな…ッ」
ザワザワ



ズチャッ



「嘘…」 「うあ…ッ」 「なんでこんなトコに…?」




勇次郎「………」

オリバ「………」




ザワザワ… ガヤガヤ…





オリバ「ハハ、熱烈歓迎だ」


勇次郎「そうは見えねェな」

オリバ「そんなにリキむな。あの件に関しての我々の正当性は、既に証明済みだ」

勇次郎「そうじゃねェ」

オリバ「エッ?」


勇次郎「ヤキが回ってるぜ、俺もオマエも」


オリバ「………」


オリバ「……そうかもネ」

勇次郎「つくづくガラじゃねェだろうに…」クスクス…

オリバ「ああ、ガラじゃないな」フフ…


チュン チュン   チチチチ…




明里「………」




窓からの日差しが眩しい

朝になったのに、重たい瞼には力が入らず、布団からは上体を起こしたまま動けない

窓の外で鳴いている小鳥を「かわいい」と思った後から、思考が働かないままだ

そして、この重い身体の由来は何処にあるのか、私は分かっていた


明日の今頃、私は飛行機の中にいるのだから


彼に「伝えたいこと」は、今日にしか伝えられないのだから






花山さんが私達にくれた紙には、彼の住所の他に、彼の連絡先や今の仕事の業種まで書いてある

彼は今フリーのプログラマーをしていて、彼の携帯の電話番号も、私は知ってる

でも、電話なんかでは絶対に終わらせたくない

会って話さない限り、私も、貴樹君も、新しい何かをいつまでも掴めない


だから私達は、この島の何処かで出会わなきゃいけない


それが偶然でも、偶然でなくても




「いやー知りませんねー」

明里「あの、本当に何でもいいんです。彼について何か知ってる事とか…」

「いえ、申し訳無いですが、私はあんまり」

明里「…そうですか、分かりました。 すみません、ご迷惑お掛けして…」





「遠野貴樹さん?」

明里「はい、このアパートに最近越してきた人なんですけれど…あの、彼について何か知らないでしょうか…」

「んー…あんまり顔合わせた事無いですからね…」




「遠野貴樹?………うーん」

明里「………」

「…いや、知らないなぁ…」

明里「そう、ですか…」



「遠野さん? あーあのさっぱりした人?」

明里「! はい、多分…」

「そうねー、私の知り合いで向こうの海辺で見たって言ってた人いるわ。ここらじゃ見ない顔だから観光客かなって言ってた」

明里「!!」

「でも観光で来た人が、ここで部屋を取る訳ないのよね。それにここに来てもう何ヶ月か経ったし」

明里「あのっ、海辺って何処の海辺ですか?」

「何処って、向こうよホラ、分かります? シーズンになったらサーファーが集まるとこ」


彼の住むアパートで聞き込みをして回り、私は偶然、彼への手掛かりを聞いた

しかも、その人は私の持ってる地図にまで指差しをしてくれた



明里「あ、ありがとうございますっ、なんてお礼を言ったらいいか…」

おばさん「え? はぁ…まあ…はい」

明里「あっ、あの、ありがとうございます!」ペコペコ

おばさん「……?」



お礼を言うのもそこそこにして、私は地図にペンで印を付け、その場所に向かった

距離はそこそこあるけれど、徒歩で行けない程の距離ではなく、私はタクシーは使わずに歩く事にした

私の歩みは、逸る心をますます逸らせ、逸る心は私の歩調を乱した

そして、焦りの根幹にあるものへの意識もまた、その場所に近付くにつれて増していった


彼との再会にだけ、胸を高鳴らせてる訳じゃ無い

その高鳴りは、決して心地良いだけの高鳴りじゃ無い

私の迷いも、彼に会う事への怖じけも、どんどん、どんどん、増していく



でも歩みは止めない

引き返すなんてしたくない

交わす言葉が見つからないからといって、彼から逃げてはいられないのだから


そんな自分に見て見ぬ振りをし続けるなんて、許されない事だと思うから



そして、歩き始めて15分程経った頃、私はその場所に着いた



耳に届くのは、風と、波の満ち引きの音

目に入るのは、白い砂浜と、抜けるような青空と、その空を映すかのように蒼い海



周りを見渡してみても、サーフボードを担いでいる人は一人もいない

ただ誰もいない砂浜の隅に、海の家が一軒あるだけ



貴樹君の姿は何処にも見当たらなかった



明里「……ふふっ」


明里「そりゃそっか」




前に此処に来ていたから、今日も来てる

そんな都合の良い事が、今日に限って起きるはずは無かった




ザザアアアァ…  ザザアアアァ…





波の音は繰り返し、何ら変わる様子も無く、満ちて、引いてを繰り返す

思えば、本当の海を見て、本物の音を聞くのは、これで何度目なのだろう

物心ついてから今まで感じてきた時間の中、その回数は数える程も無い




ただ、彼へと続く道が途切れて、途方に暮れる私の胸を、波の飛沫は静めてくれた



そして静まった心の中で、私はもう一度、私の望む『伝えたいこと』について、想いを巡らせた


なりふり構わないで、ここまで来たけれど


貴樹君に「何故来たの?」って聞かれたら、私は何も答えられない


本当は、考えるまでもなく、答えはあるのに


私には、貴樹君に一方的にそれを押し付ける事が出来ない


だって、本当は私が、勝手に…





ザザアアアァ…





明里「!」






足に感じた冷たさに、はっとした


波打際に向かって歩きながら考えていたら、靴がずぶ濡れになるのも、考えれば当然の事だった


 サパッ


焦った私は波打際から足を抜いた


明里(…やっちゃった…)




運良く靴底は濡れていない

でも、靴の表面と靴下の足首辺りが湿って、砂を付けている

確か、この砂浜には海の家があって…


明里(乾くまで居させてもらうって、いいのかな?)

明里(ここに人がいないって事は、シーズンっていうのがまだ来てないって事だから、海の家も閉まってる…)

明里「………」


明里(でも、靴を乾かすぐらいなら…)

靴なんかを乾かしていたら、貴樹君を捜す時間が無くなる

でも、彼を見つけた所で、彼には何も伝えられない

だからこの選択には、半分諦めに似たものも混じっていたんだと思う


明里(あっ)



海の家の中から、人影が見える

海に人がいなくても、ここの海の家は店を開くみたいだった


明里(それなら、大丈夫だよね)


そう思った時






明里(!!!)




  サッ




私は海の家を見られなくなり、堪らず背を向けた






海の家にいた店員さんは、私と同い年くらいの女性だった


その子はお店のカウンターから料理を受け取ると、窓側に座っているお客さんに、受け取った料理を出した


料理を受け取った男性は、私と同い年くらいの






私がよく知る、あの人だった










花苗「はい、お待たせしましたー」


コトッ


花苗「それではごゆっくり……」


貴樹「………」


花苗「どうしたの遠野君?」

貴樹「? いや、あそこに居る人、何処かで見たような気がするんだ」

花苗「あそこって……あの人?後ろ向いてる人?」

貴樹「うん」

花苗「……あれ?」

貴樹「ん?」

花苗「えっと、前に見た人と、なんか似てる気がして……後ろ向いてるから、結局分からないけど」

花苗「遠野君って、あの人の知り合い?」

貴樹「何でそんな事聞くのさ」フフッ

花苗「あっ…いや、何となく…」



貴樹「まぁ、あの人は確かに似てるかな。昔の友達に」


花苗「昔の友達?」

貴樹「その人、今は東京にいるから、種子島なんかには来ないよ」

花苗「なんかって…種子島生まれは傷付くんですけどー」

貴樹「あ、ゴメンゴメン」ハハハッ



バイトの子「花苗ー、私休憩入れるから、ちょっとお願ーい」


花苗「はーい」





貴樹「………」









今振り返れば、きっとあの人はそこにいる


遠くからだし、顔もはっきり見てないし、人違いかもしれないのに


ただそれだけを、強く感じた




でも振り返る事が出来ない

私を見た彼が、席を立って海の家から出て来ても、目線を外して食事を続けても、私にはそんな彼に応える事も、止める事も出来ない

彼に伝えたい言葉が、彼から聞きたい言葉が出てこない



私が言いたい事は…


私が、貴方に伝えたい事は…


…貴樹君、私は…













 ズチャッ


明里「!!?」



勇次郎「あ~あ、着いちまった」


オリバ「着いちまったとは心外だな。キミのお陰で私はあそこのオムライスを丸々食べ損ねたんだ。付き合ってもらわんと困るよ」

オリバ「それに…」


スッ


オリバ「スペック氏から受けたサミングの快復も兼ねているんだ。眼球は取って着けてが可能なのか、よくワカランからね」

勇次郎「ならば何を食す必要がある。視力が戻らんワケでもあるまいに」

オリバ「そりゃ視力は戻っているさ。だが念には念を入れるのが自由の秘訣なのさ」

勇次郎「ケッ、不自由な野郎だぜ」

オリバ「OH~……傷付くね」



オリバ「あ」

勇次郎「!」



明里「?……?…?…?」



オリバ「お久しぶりだね、ミス・アカリ」ニコッ


悩みを抱えている時…

疑問や問題にぶつかって、答えを見失った時に限っていつも、私達とは何もかも全く違う人が現れる

その人達は一方的に私達に答えを押し付けて、いつも何処かに消えていってしまう

それで、押し付けられた答えの通りに物事が進んで、気づけば問題が無くなってる

いつも、いつも


そして今、この砂浜でも…






明里「な………なんで…?」


オリバ「なんでも何も、海の家でオムライスを食べるのさ。18万キロカロリー分のね」

明里「…?…」

オリバ「といっても、8万は負傷に充てるつもりだが」

明里「あの……言ってる意味が…よく分から…」

オリバ「ワカる必要は無い。コレは私の純然たるスウィ~~~ットなプライベートなのだから」



オリバ「じゃ、私は先に失礼する。腹が減って死にそうなのでね」ザッ



ザッ ザッ ザッ…










明里「………」



勇次郎「あの野郎……亜部の財布を握り切った途端にこれだ」クスクス

勇次郎「他人の金で飯を食うぐらいが自由かよッッ」クスクスクス



明里「……あの…」

勇次郎「………」ぴたっ

明里「!!ッッ」



勇次郎「親父か」


明里「えっ」


勇次郎「戦場で受けた負傷の跡が些かも見てとれぬ。治療の跡すら皆無」

勇次郎「どう治癒った?」


明里「あっ……え……いえ、その……それは…」


勇次郎「………」


明里「……説明、できません…」

勇次郎「それでいい」


明里「えっ…?」


勇次郎「貴様に理解出来ぬ事象など、森羅万象にゴロゴロと溢れている」

勇次郎「ソイツに手を出しさえしなければ、肩を貫かれる事も無い」


明里「……はい」






勇次郎「で、此処に何用だ」


明里「ッ!!」


勇次郎「俺の説教を聴きに先回りしたとでも?」

明里「ちっ…違います…それは…」

勇次郎「………」



勇次郎「邪魔したな」ズチャッ



明里「………」



ズチャッ  ズチャッ…




勇次郎「?」ピタッ




明里「!」ピクッ




勇次郎「………………成る程…ワカった」


勇次郎「そういうコトかよ」フフッ


明里「…何が、ですか?」


勇次郎「巻き込まれたのは俺の方か…」クスッ


勇次郎「絆さえ無い他人の色恋沙汰……ソイツに巻き取られ、とんだ茶番を演じちまったぜッ」クスクス…


明里「!!!!」



オリバ「グッ…モ~ニ~~~~ン」ガラガラッ



花苗「!?」

貴樹「!!?」

バイトの子「えっ!?」


おばちゃん「またあんたァッ!性懲りも無くッ!」

バイトの子「ちょッ」



オリバ「NOーNOー、問題を起こす気はアリマセン。あの時のコトも不可抗力というものです」

おばちゃん「オムライスを30皿もムダに作らせたのも?」

オリバ「そうです。心から反省しています」

おばちゃん「ふーん」



貴樹「えっと…これってどういう事…?」

花苗「オリバさん、前に此処に来た事あるの……その時にその、色々あったっていうか…」

貴樹「…どんな事?」

花苗「……色々」

貴樹「………」



花苗「遠野君、あの人と知り合い…なんだよね」

貴樹「…知り合いっていうか…どうなんだろう、説明がちょっと難しいな」



貴樹「! もしかして、澄田も?」

花苗「うん、まあ、知り合い?かな」


明里「どうして…」

勇次郎「眼を開けば眼に留まる」

勇次郎「健康状態…心理状態…経済状態…それらを纏めて人間と称するならば、人を倒すという事は、それ則ち『それらを征する』という事」

勇次郎「対人間に特化するなら、副次的にも眼は育つ」



勇次郎「まァ、んな事ぁどうでもいい」

勇次郎「問題なのはこの『未消化』をどうするかだ」


明里「……未消化…」


勇次郎「下手にテメェらに関わっちまった、俺自身の不文律……」



勇次郎「ぶっちゃけ、結末見ねェとスッキリしねェのよ」

明里「えっ?」


勇次郎「出しちまえよ、結果を」



明里「………」

勇次郎「何を躊躇っている」

明里「 !…」

勇次郎「望むなら望むままを行えばいい。容易なハナシだ」

勇次郎「さっさと行きな」


明里「……………」







明里「いえ、やっぱりいいんです」





勇次郎「あ?」





明里「このままで」




勇次郎「…………」




明里「………」







勇次郎「…ケッ、此処まで足を運んでおきながら、ひり出した答えがそれかい」


明里「はい」

明里「私が、貴樹君と私の間に何を求めていたのか……言葉に言い表せるほどには、整理がまだつかないんですけれど」

勇次郎「………」




勇次郎「フンッ」

勇次郎「得る事無きを見出し、得るべからずを得たと言いたいのだろうが」

勇次郎「矛盾が有り有りとワカる。明らかに納得していない」

勇次郎「悟った気になるな。この未じゅ…」


明里「だから、いいんですよ。 足りないなら、足りないままで」



明里「貴樹君に会いたくて、話したくて、この島に来た事も」

明里「それが叶わない欲張りだったって分かって、その欲張りを作った原因に、彼への勝手な同情とか、未練とかがあったとしても」

明里「そのままでいいんです。 彼に会わないまま、話さないままで」










勇次郎「………」









明里「……………」


明里「………ふふっ」


勇次郎「………」


明里「あっ、ごめんなさい、あの…ふふふっ」


勇次郎「おい」

明里「! 本当にごめんなさいっ! さっきのは…」

勇次郎「さっきは何だ」

明里「さっきのは……すみませんでした…失礼しました…でも、その、言いづらいんですけれど……」

明里「勇次郎さんも、そんな顔する時があるんだなって思って……」

勇次郎「そんな顔?」

明里「その、鳩に突かれたって感じの…」


勇次郎「………鳩、か」


明里「…すみません…」


勇次郎「いや、確かに突かれたのかもな」

勇次郎「ヤることヤって腑抜けちまったらしい」




明里「…………」




勇次郎「? まだ言い足りないかい」


明里「い、いえ、そういう事じゃないんです」

明里「ただ、安心したというか……勇次郎さんも、私達と一緒なんだって思えて」

明里「それがとにかく…よかったっていうか」


勇次郎「くだらねェな」


明里「ううん、くだらなくないです。絶対」



勇次郎「………まァ、んな事ァどうでもいい」


勇次郎「今この場での、貴様の最重要事項はそれではない」


明里「………」


勇次郎「後悔しないと誓えるかい」


明里「誓えます」




明里「………ただ、いつまでも残ると思います」


明里「私の思い出の中に」




明里「………」









明里「でも、これで最後にはしません」

明里「いつか思い出の中の貴樹君と、今の貴樹君を、重ねずに受け止められる私になったら」

明里「その時にまた、貴樹君がいいのなら、正明さんと一緒に会いに行きます」




明里「貴樹君にとっての、一人の友達として」




勇次郎「…………この数瞬で変わったな」

明里「えっ?」

勇次郎「少なくとも、先程の貴様にそのような啖呵なぞ切れなかった」

勇次郎「行きなよ。答えを導き出した今、もう用はねぇハズだぜ」



明里「…………」








勇次郎「…………」ズチャッ










明里「あっ、あの、一つ思い出した事があるんですけれど、いいですか?」

勇次郎「………」ぴたっ



勇次郎「いいぜ。言ってみな」

明里「それじゃあ、ちょっと……じゃなくて、すごく変な事なんですけれど、勇次郎さんのお父様から伝言を頼まれたんです、わたし」


勇次郎「!」


明里「あの…敗北おめでとう、と」



勇次郎「…………」







夢の中で

いや、夢みたいな、信じられない何処かで、勇一郎さんから託されたこの言葉

この言葉が勇次郎さんにとって何を意味するのか、私は彼の父親から教わった



普通に考えて挑発とか、ただの悪口にしか思えないし、私以外の誰かがこの言葉を聞いたとしても、きっと誰もがそう感じると思うけれど




彼には、この言葉を聞いて欲しかった









勇次郎「…………」



勇次郎「…親父が言ったのか…この俺に対して」


明里「はい」






勇次郎「…………フフッ」


勇次郎「あの御節介妬きめ」


勇次郎「愚息との親子喧嘩に際して俺自身が勝利を認めず、かといって刃牙も勝利を認めぬ現状で」

勇次郎「親父という第三者が、俺を敗者と言うのなら」

勇次郎「引き分けや譲り合いといった手緩さなど、無価値もいい所」



勇次郎「完全なる敗者……頂上決戦に備えた鍛錬どころでは無い」



勇次郎「敗北者となった今、また一から練り直しだ。 ピラミッドの最下層からな」








勇次郎「明里とやら」


明里「!」


勇次郎「本来、貴様に言うのは筋違いだが」


勇次郎「礼を言う」




感謝の言葉



思えば、この俺が生きた人生の中で、この言葉は何度口から迸り出たか




1度? 2度?

多くてそれぐらいだ。せいぜいその程度だ

食物に対しての感謝は、相手が無生物である以上、義務ではあれど意義は皆無
しかも、その義務への気付きに至っては、ここ10年かそこらのハナシ

暇を持て余し、無意識の内に『科学』『化け学』『政治情勢』から、果ては『テーブルマナー』などの『強さ以外の物』に眼を付け始めた時期と、発生を同じくしている


そんな俺に、またしても到来した


表さずにはいられない感謝の意





明里「…………」





何を惚けていやがる
その貌はもう見たぜ



明里「……いえ、お礼を言うのは私の方です」

明里「ありがとうございました」




笑顔…?








…………








フフッ……

振り向きもせず、歩いて行きやがる





…………






なんと、羨ましい









東京































明里「…………」






種子島で見つけた貴樹君とは、結局会わなかった

多分、私がこの島に来た事も、彼は知らない


けど、それで良かったと思う






タクシー運転手「お待たせしました。では、さ、どうぞ」

明里「はい、お世話になります」

運転手「それでは、どちらの…」





今日起きた出来事は、ずっと忘れない






運転手「分かりました。シートベルトの方は?」

明里「はい、付けました」

運転手「あ、分かりました。 じゃ、発車します」






東京は薄暗くなってきていて、もうネオンを点け始めているビルもある
街を行く人達は、私が東京を出た日と、何も何も変わらない様子で忙しなく、私の乗ったタクシーの窓に映っては過ぎ去っていく

でも、その人達も、毎日が同じではない
その人達にも、私の毎日と同じように、少しずつ違う明日が待っている

その日に何が起きるのかは、その日に眼を覚ましてみないと分からない




運転手「お客さん」

明里「? はい」

運転手「お客さんのコト、テレビで見ましたよ。 大変でしたねェ」

明里「あ…はい、まぁ」

運転手「すみませんね。 ウチの総ち……じゃなくて、まァ、センパイが心配してたんで」

運転手「肩の方はもう良いんですかい?」

明里「え、ええ。もうすっかり」

運転手「………」

明里「………」



運転手「それにしたって不思議です」

明里「?」

運転手「怪我が治っただけにしては、イヤに上機嫌じゃないですか」

明里「えっ……そうですか? 私、笑ってたり…」

運転手「笑ってたっつーか、ハツラツしてたっつーか」

運転手「何かイイ事ありました?」

明里「………」



明里「ええ、ありました」








けれど、その日に何が起こっても、その日は必ず過ぎ去っていく

良かった事も、悪かった事も




明里「ただいま」

正明「あっ、おかえりー」

明里「…?…」

正明「ん?」

明里「…怒らないの?」

正明「え?何で俺が怒るの?」

明里「何でって…」

正明「明里って、今仕事休んでるでしょ?」

明里「う、うん」

正明「休みってのは、疲れを取るためにやりたい事をやるって事だろ?」

正明「やりたい事をやって、法律も守って、しかもそれに掛かった費用も返すって言う明里を、俺がどうやって怒るのさ」


明里「うぅ…」


正明「ま、いつ帰るのかぐらいは書いておいて欲しかったなー」

明里「ごめんなさい」

正明「まあいいじゃん。 晩御飯は俺が作るから、ちょっとくつろいでてね」


明里「あ、うん…」




その日がどんな一日でも、必ず終わりが来る

誰の一日にも終わりが来て、必ず朝日と一緒に、明日がやって来る


東京を行く一人一人にも

私が出会った、思いがけない人達にも


正明さんにも


勇次郎さんにも



貴樹君にも



私にも

リビングから離れてベランダに出ると、太陽はどこにも見えず、東京は夜になっていた




明里「…………」




この広い夜空の下に、私が出会った全ての人が、明日に向かって歩き続けている




ある日の私は、ここで黄昏ていた

過ぎてしまった、色々な事に気を揉んでいた




でも、もう気を沈める事は無い

過ぎてしまった色々な事は、今も夜空の下にあるのだから











明里「……秒速五センチメートル…か」









子供の頃、貴樹君に自慢気に話した言葉を


私はふっと思い返した







秒速五センチメートル


桜の花が落ちるスピード





どれくらいの速さで生きても、いつかはそこに辿り着ける






正明「ごめん明里ー、ちょっと手伝ってー」

明里「!、はーい」











私が今を生きている時













彼もどこかで


今を生きている










































































終わりです
スレタイの勇次郎を徳川にしておけば良かった
雑談スレを立ててレスの消費を抑えてくれた方と、ROMってくれた方々に感謝したい

アリガトオオオオオオオオオオオオオオッッッ

アリガトオオオオオオオオオオオオオオッッッ

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2015年08月22日 (土) 01:14:45   ID: UPz9C_Ia

面白くて一気読みしました。乙でした。

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