美琴「極光の海に消えたあいつを追って」(1000)


・時間軸は「とある魔術の禁書目録」22巻直後から

・主人公は御坂美琴、彼女が上条当麻をさまざまな意味で追いかける話となります

・22巻発売直後での構想なので、「新約」とは大きく矛盾すると思います

・原作との乖離やキャラ設定、人間関係などの矛盾が出てくると思いますが、ご都合主義、脳内変換でスルーしてください

・初SS、それも長編なのでつたなく見づらい点などあるでしょうが、お付き合いいただけると幸いです

10月30日。
第三次世界大戦が終結した。

極東の大国であるロシアと、日本の一地方都市に過ぎない学園都市の戦いは、後者が前者を一方的に蹂躙するという形で終結した。
学園都市の技術力が遥かに優れているとはいえ、ロシアとて技術大国の一翼を担う国である。
この結果は、世界を大いに驚かせるものであった。

これにより、科学サイドの勢力図は学園都市の優位をさらに盤石にするものへと変化した。


魔術サイドにおいても、情勢は大きく変わっていった。
「右方のフィアンマ」の提唱した『プロジェクト=ベツレヘム』。
これを退けるために、大戦末期においては十字教三大勢力が力を合わせて戦った。
これは史上まれに見ない出来事である。

ローマ正教教皇、マタイ=リース。
イギリス清教最大主教、ローラ=スチュアート。
ロシア成教総大主教、クランス=R=ツァールスキー。

三名の連名により発表された談話では、三大勢力は連合して戦後の復興に尽力するという。
ここに、三大勢力の長い闘争の歴史は幕を下ろしたのだ。


人々は終戦に喜びあい、死者を手厚く葬り、そして戦争による傷痕を癒し始めた。
過去に囚われても仕方がない、手を取り合い、前を向いて生きていこう。
それは生命のうちより湧き出た、半ば衝動のようなものであった。

世界は少しずつ色を変え、そして未来へと進んでいく。
ちっぽけながらも、つたないながらも、少しずつ、少しずつと。

一方通行は助けたばかりの守るべき少女たちから聞いた。
きっかけは、彼女らが驚愕の表情とともに、ある方角を見て固まったこと。
小さいほうの少女、打ち止めが彼に抱きついてくる。

「なンだ?」

少女らを助ける際に殲滅した特殊部隊の残骸がそこらに散らばっている。
何か子供が見るべきではないものでも見てしまったのか、腕の中の少女はしきりにしゃくりあげていた。

「あの人が……あの人がぁ…・・・」

「あの人、だァ……?」

一方通行は首をかしげる。
もしかして、黄泉川や芳川に何事かあったのが、ネットワーク経由で伝わってきたのだろうか。

「あなたの言う、"ヒーロー"さんのことだよ」

もう一人の少女、番外個体の言葉に、彼は彼女のほうを見た。
そして、言葉を失う。
彼女の双眸からは、大粒の涙がぽろぽろとこぼれていた。
初めてみる、少女の表情。

「負の感情を拾い上げるってのは、やっぱりつらいね。
 特に今みたいに、ネットワークが同じような感情一色の時は、ね」

「おい待て、あの三下がどうしたってンだ?」

「あの人、あのバカデカい空中要塞と一緒に、北極海に沈んじゃったんだってさ」

冥土返しは、彼の大切な患者から聞いた。
きっかけは、とある少女が彼の研究室へと駆け込んできたこと。

「……騒々しいね。どうしたんだい?」

「……あの方が。上条さんが」

御坂妹、と呼ばれる少女のまなじりから涙があふれているのを見て、冥土帰しは驚く。
彼女らのような量産された"妹達"は感情の起伏が薄く、涙を流すといった行動は見たことがない。
つまりは、それが発露するほどの激情が彼女たちの中に生まれたということ。

「ロシアで行方不明になったと、お姉さまと、10777号が確認した、と、ミサ、カは……」

途切れ途切れに話す御坂妹を、冥土帰しは立ち上がりそっと抱きしめてやる。
少女は彼に身を預け、肩を震わせ始めた。

「……大丈夫かい?」

「わかり、ません。このような感情は、初めてですから。
 ……これが、『悲しい』という、感情なのでしょうか、とミサカは、努めて平静を、た、保とうと、努力します」

こういう時は、思いっきり泣いていいのだ、と少女に言いつつ、冥土帰しは心の中で思う。

(……命があるならば、僕が治してあげられる。腕でも、足でも、いくらでも。
 でも、僕には失った命は治せないんだ。
 ……アレイスター、僕の患者を死においやった責任は、高くつくよ?)

神裂火織は戦争による負傷者を手当てする野戦病院の中で聞いた。
きっかけは、突如鳴り響いた電話のベル。

その電話を受けた彼女の表情はとたんに凍りついた。
ほどなくして通話を終えると、傍らにいた建宮、五和が心配そうな表情で話しかけてくる。

「……女教皇様、何かあったのですか?」

「……上条当麻の所在が確認できないということです。
 状況から、恐らく『ベツレヘムの星』ごと大天使と激突し、諸共海に沈んだのではないか、と」

「そんな……!!」

顔を蒼白にし、危うく卒倒しかけた五和を抱きかかえた建宮は、神裂に食ってかかる。

「女教皇様、何かできることはないのでしょうか?
 我らは幾度となくあの幻想殺しの少年に救われてきたのです。
 その彼を我らが救えぬのであれば、その恩はどうすればよいのでしょう!?」

「分かっています。私とて、その思いは同じです。
 この病院での治療のメドが立ち次第、我々天草式も上条当麻の捜索に加わるよう最大主教から勅令が出ました」

その為にも、一刻でも早く負傷者たちの治療を、と告げ、建宮と五和を治療へ戻らせる。
きっと彼らが他の仲間たちにも知らせてくれるだろう。

神裂は壁に背を預け、仰ぐように上を見る。

(上条当麻。私は、いえ私たちは、あなたに対してあまたの恩義があります。
 インデックスの『首輪』に始まり、『御使堕し』、数度にわたる天草式の件……。
 未だその恩義は一片も返せておらず、また、その機会は無くなってしまったというのでしょうか。
 私たちは、あなたに何をしてあげられるのでしょうか)

ふと瞳に浮かんだものを強い瞬きで打ち消し、彼女もまた治療へと戻る。
一刻も早く、あの少年を見つけるために。

インデックスは半壊した大聖堂の中で聞いた。
きっかけは、赤髪の魔術師が呻くように歯噛みしている場面に出くわしたこと。

ステイル=マグヌスは悩んだ。
悩んで、悩んで、悩んで、悩んで、悩んで、そして正直に話すことを選んだ。
少女にとっては何よりも残酷な真実を。

「嘘だよ!」

少女、インデックスは大きく目を見開き、そして涙をこぼしながらステイルに詰め寄った。

「嘘だ嘘だ嘘だ! そんなこと絶対に信じないんだよ!
 だって、とうまは、とうまは絶対に帰ってくるって言ったんだよ!
 だから、そんなことは絶対にあり得ない!
 ……そうだよ、そうやって私を騙そうって言う魂胆なんだね。
 見え見えなんだよ、絶対に信じないんだから!」

そうであって欲しい、と半ば自分の言葉にすがるようなインデックスの様子に、ステイルは何も答えられなかった。
仮にそれが本当ならば、すぐに彼は「冗談だ」と口にしただろう。
しかし。

ベツレヘムの星が北極海に沈没したことは事実。
上条当麻がベツレヘムの星を方向転換させたことは事実。
大天使『神の力』を消滅させることのできる人間がたった一人ということは事実。
そして。

上条当麻の脱出がいまだ確認できないということも、またまぎれもない事実。
『幻想』など混じる余地のない、厳然たる『現実』。

だから、ステイルにはただ無言で首を横に振ることしかできなかった。
それを見てインデックスは一瞬だけこらえ、そして崩れ落ちてしまう。
修道服が濡れることも人目があることも気にせずに、ただただ泣き続けた。

「とうま、とうまぁ…………」

大聖堂に響く少女の嘆きを、魔術師はただ聞いていることしかできなかった。

そして、御坂美琴は凍てつく港でへたり込んでいた。
目の前は白い氷塊と灰色の水面がどこまでも続く大海原。
ベツレヘムの星ごと上条当麻を飲み込んだ北極海が雄大に広がっていた。

それを呆然と眺める少女の瞳には何も映ってはいない。
自責と後悔、無力感だけがひたすら頭の中を駆け巡っていた。

どうして、自分にはあの少年を助けることができなかったのだろう。
『超電磁砲』とは一体なんだったのだろうか。
あの少年が不思議な力を持っていようが関係がない。
それを超えるだけの力を持っていれば助けられたはずだ。

あの時、飛び移っていれば。
あの時、もっと早くに引き寄せようとすれば。
あの時、再度引き寄せようとしていれば。

波間に漂っていたカエルのマスコットを胸元に強く抱きしめ、彼女はただ思考の堂々巡りに囚われていた。
その行き着くところは常に同じ。
彼女は気付いた。思い知らされてしまった。

つまるところ、自分は、レベル5第三位は、『超電磁砲』は、御坂美琴は。

弱いのだ。
たったひとりの少年を助けることすらできないような『無力』でちっぽけな存在にすぎないのだ、ということに。

気がつけば、傍らの妹が背後からそっと抱きしめてくれていた。
恐らくは美琴が凍えないようにということなのだろう。
日が陰り始め急に気温が低下し始めたせいか、妹の体もかすかに震えている。

「……アンタ、暖かいところへいきなさい」

「行きません、とミサカは固辞します」

「まだリハビリも完全じゃないんでしょ。体調崩しても、知らないわよ」

「それでも、行きません。お姉さまと一緒でなければ」

たった一人の少年を助けることもできず、唇を噛むことしかできない情けない姉にはもったいない良い妹だ、と美琴は思う。
そんな妹に、風邪などひかせるわけにはいかない。
そう頭では理解していても、体が動いてくれない。
故に妹も動こうとはしない。
二人は白い息を吐きつつ、ずっと海を見ていた。

「…………………………………………ありがと」

小さくつぶやかれた感謝の言葉に、10777号はより強い抱擁で答えた

どれくらいそうしていただろう。
二人の耳に、英語で話す少女たちの声が飛び込んできた。
この近くの住人か、はたまた物見遊山か。
さして気にも留めず、また、向こうも気付いていないようだった。

こんなロシアの辺ぴな場所で英語を耳にすること自体そうそうあるものではない。
だから、自然と耳に飛び込んでくる。

だから、彼女たちの言葉が分かった。分かってしまった。
それは、黒い長髪の少女が放った一言。

「こんだけぐっちゃぐっちゃだと、上条当麻がどこに沈んでるのか全然分かりゃしませんねぇ」

聞き覚えのある声。

「……レッサー…………?」

声に呼びさまされた記憶が、自然とその少女の名を口に紡がせる。
その小さな呟きを聞きとったのか、黒髪の少女がこちらに興味を示す。

「おやぁ? もしかしてミコトですか? ずいぶん久しぶりに見た気がします」

黒髪の少女、レッサーは美琴らに向けて、笑いを投げかけた。

10月31日。

霧にむせぶロンドン、その一角に聖ジョージ大聖堂はある。
先日の戦闘で、大聖堂の中はめちゃくちゃだ。
床に穴は空き、壁は崩れ、ステンドグラスが割れているせいで外の冷気と湿気が建物の中にまで入り込んでいる。

その礼拝堂の中でインデックスは跪き、静かに祈りを捧げていた。
「必ず戻る」と言い残し消息を絶った少年のために。

コツ、コツ、と廊下のほうから足音が聞こえてくる。
やがて現れたのは赤髪の魔術師。
右手には紅茶とサンドイッチを載せた盆を、左手にはブランケットを持っている。

彼はインデックスの隣に腰を落とし、盆を彼女の前へと差し出す。

「インデックス、何も食べていないそうじゃないか」

「いらない」

「……そのままだと風邪をひくよ。せめて暖かくしなければ」

「いらない」

「……そうかい」

ステイルは懐からルーンのカードを一枚取り出し、何事かを呟く。
途端にカードは燃え上がり、周囲の空気を熱していく。
僕は寒がりなんでね、と彼がつぶやけば、インデックスは苦笑するように唇のはしを曲げた。

「……とうまは、まだ見つからないんだね」

「ああ。十字教三大勢力が協力して数百人規模の捜索隊を組織しているのだけれどね。
 何せあんな巨大のものが落ちた海だ。状況を把握するだけでも大変らしい」

「とうまにはあの右手があるから、探査術式は役に立たないかも」

「とはいえ、目視で捜索するには広大すぎる。穴のないように捜索するには、時間が必要だよ」

「……やっぱり、私も現地に行けないかな? 何か手伝えることがあるかも」

少女の懇願に近い言葉に、しかしステイルはかぶりを振る。

「残念だけど、君については『自動書記』の調整を優先する、との最大主教の決定だ」

イギリス清教の人間にとって、最大主教ローラ=スチュアートの決定は神の言葉に次いで重い。
万が一逆らって破門でもされれば、あっという間に背信者として追われることにもなりかねないのだ。
10万3000冊の魔導書をそのうちに抱えるインデックスにとって、その庇護を失うことは死に直結する。

「……そっか」

「それに、あの男は君に『必ず戻る』と告げたのだろう?
 あの男は君との約束を違えるような奴じゃない。
 ならば、君はここで待つべきじゃないかな。もし入れ違いにでもなったら、大変だからね」

とはいえ、状況的に上条当麻が生存している可能性は限りなく0に近い。
これはあくまでインデックスの希望を傷つけないための美辞麗句。
それでも、少女は柔らかくほほ笑んでくれた。

「……うん」

「なら、少しでも休んでおくべきだね。
 もし彼が帰ってきたとき、君が体を壊して伏せていたらきっと心配するだろうから」

「……そうだね」

インデックスがゆっくりと紅茶に手を伸ばすのを見て、ステイルは微笑む。
盆に載っていたサンドイッチがきれいに彼女の腹に収まったのを見届けて、彼はゆっくりと立ち上がり、少女に背を向けた。

「では、僕はこれで失礼するよ」

「………………………………………………………………………………………………ありがとね、すている」

小さいけれども確かにつぶやかれた言葉に、魔術師は驚いて振り返った。
そこにあったのは、再び祈りに没頭し始めた一人の少女の姿。

礼拝堂からやや離れたところまで来て、ステイルは壁に背を預けた。
おもむろに左の拳を振り上げ、思いっきり壁に叩きつける。
悲鳴を上げた指の痛みも無視して、ずり落ちるようにへたり込んだ。

久方ぶりに、彼女に名前を呼ばれた。
インデックスの記憶を奪い始めて以来、ついぞ呼ばれることはなかった。
幾度となく夢想し、渇望し、そして諦めていたこと。

だがそれは、こんな状況で叶わなくとも良かったのではないか。
炎の扱いのみに特化した彼では、上条当麻の探索に関しては何も出来ることがない。
彼女のために何もできないような男に、はたして名前を呼んでもらう資格などあるのだろうか。

「上条当麻…………っ」

何故、インデックスの心を占めるあの男は今この場にいないのだろう。
彼女に寄り添い、慰めの言葉をかける資格があるのはあの男だけではないのか。
彼はうめくように呟いた。

「必ず生きてあの子の元へ帰ってこいよ、上条当麻。
 でなければ僕が地獄の底まで追いかけて行って、君を灰にしてやる……!」

「あ、れ……? ここは……?」

目を覚ました御坂美琴の目に真っ先に飛び込んできたのは、見なれない天井。
広くないレンガ作りの室内は上等とは言えないものの、しっかりとした作りであることを感じさせる。
あまり日本の一般家庭にはなじみのない、パチパチと火花を上げる暖炉などはいかにも異国情緒たっぷりだ。
枕元の時計は午前7時を指している。

「あ、そっか。ロシアに来たんだっけ……」

そう思い出した途端に、美琴の脳裏に記憶がよみがえる。
あの少年を助けるためにロシアに来て。
未知の青い人影のようなものに戦闘機を両断されて落下し。
空中に浮かぶ要塞を狙う核ミサイルの発射を阻止し。
落下する要塞に残されたあの少年に手を伸ばすも、やることがあると拒まれ。
そして彼は北極海へと消えた。

思い出すだけでも心がぎゅうっと締め付けられ、人目もはばからずに泣き出したくなる。
だけど、彼女にはそうすることはしなかった。
泣いてしまうと、彼が死んでしまったことを肯定するような気がして、できなかった。
頭では理解していても、認めたくなかったのだ。

傍らのサイドボードに美琴の携帯電話と、ひもが切れ傷ついたストラップが置いてあった。
偶然か意図されて置かれたのか、二つのストラップのマスコットが寄り添っているように見える。
それがまるで訪れることのなくなった夢を暗示しているようで、美琴の心になお一層の影を落とす。

「おや、お目覚めになりましたか、とミサカは訊ねます」

部屋のドアを開けて現れたのは妹である10777号。
彼女にも大きな迷惑をかけた。

「おはよ。ここってどこなの?」

「ミサカたちがたどり着いた港からやや内陸にある小さな町のホテルです。
 あのお二方と会話中に、お姉様が疲労で意識を失われたようだったので、ひとまず運びました、とミサカは説明します。
 いろいろと必要なものを調達する際にお姉様の財布からいくらかお借りしたことをお詫びしておきます、とミサカは謝罪します」

「良いわよそれくらい。なんならカードで服やら好きなだけ買ってきたって気にしないけど」

「(……さすがレベル5、研究員にお小遣いをもらうような留学生待遇のミサカたちとは懐具合が違うぜ、とミサカは心の中で呟きます)
 いえ、さすがに他の姉妹たちに悪いのでミサカは辞退します」

「そう? じゃあ欲しくなったらいつでも言ってね。
 ……私としても、あんたたちが甘えてくれたら嬉しいなー、なんて」

「嬉しい、ですか」

「うん。あんたたちは私のこと『お姉様』って呼んでくれるけどさ、よく考えたら何も『姉』らしいことしてあげられてないのよね。
 だからちょっと妹たちの欲しいものを買ってあげるくらいはしてあげたいなと思って」

『姉』と『妹』というワードに目を光らせる10777号。

「(これはお姉様の願いであって決してミサカの抜け駆けとかそういうことではないのです姉妹たち納得してくださいね)
 ではお姉様買い物に行きましょう今行きましょうミサカに洋服を見つくろってください」

「今!?」

未だ上半身を起こしただけの美琴の腕をぐいぐいと引っ張る妹に、やや苦笑する。

「今は、ごめん。ちょっと無理かな」

「お姉様……」

その言葉に、10777号は美琴の腕を引っ張るのをやめる。
思い出したのは、拾い上げたストラップを抱きしめ、涙を流す昨日の姉の姿。
昨日の今日で、美琴の心の整理がついているはずがないのだ。
軽率だったな、と妹は反省した。
だが、それとは裏腹に美琴の目には強い意志が籠っていた。

「私にはね、やらなきゃいけないことがあるの。
 あいつは私たちを何度も助けてくれたけど、その恩はたぶんもう返すことはできないんでしょうね。
 ……だから、私はせめてあいつが最後に望んだだろうことをしてあげたいと思うの」

美琴はそこで一度言葉を切った。10777号は黙ったまま、美琴の言葉の続きを待った。

「私は、あいつを学園都市に連れて帰ってやりたい。
 あいつを待ってる人たちのところへ、あいつが大好きな人たちのところへ。
 ……私ができるせめてもの恩返しとしては、一番だと思わない?」

そう言って、美琴は薄く微笑む。
その表情に、10777号は強い人だな、と思う。
例え一度現実に打ちのめされたとしても再び立ち上がり、すぐに正面から向き合える人間はそういない。
それが御坂美琴を御坂美琴たらしめているファクターの一つなのだろう。
だが、この場合、彼女は一つ間違えていることがある。

「ミサカたちは、それがあの方の"最後"に望んだことだとは思いません」

「え?」

「あの方は絶対に生きているとミサカたちは信じています。
 どうせどこかに漂着して見知らぬ女性と仲良くしてるに決まっています、とミサカはミサカネットワーク上の共通見解を述べます」

「………………………………………………………………ぷっ」

10777号のどこかぶっきらぼうに放った言葉に、美琴は思わず吹き出してしまう。
そうだ、死んでしまったと決めつけるよりかは、生きていると信じていたほうが心が楽になる。

「あははっ、そうよね、どうせあいつのことだからまた知らない子といちゃいちゃしてんのよ。
 見つけたら電撃飛ばして追いかけまわしてやんなきゃね!」

「……そういえば、お姉様がお眠りになられている間に、あのお二人とちょっとお話をしてきたのですが、
 お姉様とあの方々は面識がお有りなのですか、とミサカは問います」

「夏休み前に学園都市のデモンストレーションでロシアに来た時にちょこっとね」

「あの方々も、どうやらあの方とも関係があるようでして」

「……あいつのフラグ建築能力は国境すらも超えるのかしら」

いらいらし始めた美琴を放置して、10777号は話を続ける。

「いろいろと情報交換をしていたのですが、どうにもミサカたちには理解できないワードが多く、ちんぷんかんぷんでした。
 それで、お姉様にお話をして頂きたいと思うのですが」

「情報収集力で勝るあんたたちに分からないことで、私に分かることってそうないと思うけど。
 まあとりあえず話するだけしてみましょ。謝らないといけないこともあるし」

「それと、あちらとの話の中ではミサカの名前はナナミということになっています、とミサカはミサカの通称を明かします」

「ナナミ? なんで?」

「研究機関にて、ミサカがそう呼ばれていたのでそれを流用しました。
 検体番号より、7が3つでナナミ、だそうです」

「そうね、検体番号だと長いものね。
 他の妹達にも、名前を付けてあげたほうがいいのかしら」

あの2人は同じホテルの別の階に滞在しているのだという。
呼びに行ってくれている間に軽くシャワーを浴び、10777が買ってきてくれていた服に着替える。
大人しめではあるが年頃の少女らしい、可愛らしい服だ。
今度、あの妹にもいろいろ服を選んであげよう。

浴室から出ると、そこには昨日の少女たちがいた。

「おや、ミコト、お目覚めですか?」

「うん。いきなりぶっ倒れてびっくりしたでしょ」

「そりゃあもう。ただ、ナナミに武勇伝を聞かせてもらいましたからね。
 たいがいのことはわかっているつもりです」

異郷の地で、予期せぬ知り合いとの出会い。
少しだけ、美琴は心が安らぐのを感じた。


「────前に会ったミコトはともかく、ナナミも学園都市の能力者、なんですよね?」

改めて自己紹介を済ませた後、黒髪の少女、レッサーが言う。
年頃は美琴たちと同じくらいだろうか、髪は腰よりも長く伸ばしている。

「それは夕べ聞いたでしょ?」

ベイロープがレッサーの頭を軽くはたく。

「確認ですよ、いちいち叩かないでください。
 それで、上条当麻の知り合いである、と」

「そうね。あいつを探してわざわざロシアまで来たわけだし。
 私としては、まずあんたたちが何者か、なんであいつを探してるのかってことを聞きたいわ。
 前に会ったときから思ってたけど、レッサー、あんたの『尻尾』なんて意味不明だし。
 学園都市の能力じゃ説明がつかないし、あんたたちは一体何者なの?」

「私たちはあの人にいろいろと借りがあるもんでして。
 それを清算するまでは、はいサヨーナラーなんて薄情なことはできないでしょう?」

「……借り、ねぇ」

訝しげにジト目で見つめる美琴の視線に、レッサーの鋭い気配が何かを感じ取ったのだろうか。

「そうです、私はあの人に借りだらけなんです。
 あの人は、事情があって逃げなければならない私を英国で一生懸命追い掛けてきてくれましたし、
 深手を負った私を力強く抱き締めてロンドン中を走り回って回復魔術師を探してくれましたし、
 路地裏に連れ込んで15分も怒鳴られ色んな意味で打ちのめしてくれましたし、
 その他にも身体で責任を取らなくてはならないあんなことやこんなことが」

「……あー、こいつ思春期真っ只中で頭の中がショッキングピンクなだけだから、気にしないほうがいいわ」

にわかに帯電し始めた美琴を見てベイロープが慌ててレッサーの口をふさぎ、うんざりしたように言う。

「それで私たちが何者かというと、いわゆる『魔術師』ってやつですよん」

「……まじゅつし?」

割り込んだレッサーの答えに、美琴は怪訝な声を上げる。
当然だ。彼女の中で魔術師と言えば、ファンタジーの中で杖を振るような人物のことを指す。
そんなメルヘンチックなことを臆面もなく言われるとは誰が予想できよう。

「あーっ、その顔は信じてない顔ですね!?」

「学園都市で『マジュツ』と言えば、漫画かアニメかカルト宗教のどれかよ」

「ヒドい言われようですね……」

レッサーはため息をつく。

「よござんす。まずはお二人に『魔術』についてぱぱっと説明しちまいましょう」

「魔術というのは、つまるところ異能を発現させるための学問なんです。
 法則を理解し、自ら術式を作り上げ、そして行使する。
 それによって望む結果を手に入れる、ってところですね。
 ……頭の上にクエスチョンマークが飛んでるみたいですし、実際にお見せしますか」

レッサーは懐から多色ボールペンを取り出し、何枚かのメモ翌用紙に何らかの記号を書き始めた。
やがて、レッサーは赤インクで魔方陣が書かれたメモ翌用紙を持ち、ひらひらと振る。

「この紙をよーく見ててくださいね」

美琴と10777号が身を乗り出した刹那、メモ翌用紙が激しく燃え上がる。

「ちょっと、何かやるならやるって言ってよ!」

前髪を焦がされかけた美琴が抗議をするのを無視して、レッサーは冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した。
コップになみなみと注ぎ込み、その中へ青インクで魔方陣が描かれた書かれたメモ翌用紙を浸す。

「今度はこの水を見ててください」

そう言うや否や、コップの中の水はみるみる凍りつき始める。
美琴が触れてみると、それは確かに氷点下の冷気を放っていた。

「凄い……!」

「即席でスタンダードな魔術ならざっとこんなものですね。
 もっと大掛かりなものですと時間もかかりますし。
 この『尻尾』とか『鋼の手袋』も魔術によるブツなんですが、
 へへへ、そこはまあどんな効果かは企業秘密ということで」


美琴は氷の中のメモ翌用紙を見つめたまま何事か呟いている。
もしかしたら、魔術を学ぶことで何か自分の糧になるかもしれないと考えてるのかもしれない。

「魔術を学ぼうとか考えているなら、やめておくことを勧めるけど」

「えっ?」

「超能力者に、魔術は使えないんですよ。
 魔術とは、「才能の無い人間がそれでも才能ある人間と対等になる為の技術」ですから。
 学園都市で超能力の開発を受けた人間が使うと過負荷が起こって暴発し、体のあちこちが爆発するらしいです」

「なあんだ……」

肩を落とす美琴。
自分の力になるかもしれなくても、体が弾けてまで使おうとは思えない。

「そういえば、ブリテン・ザ・ハロウィンで起こった摩訶不思議な出来事も、いわゆるマジュツというものなのですか?」

「ざぁーっつらいと。第二王女さまの起こしたクーデターに対して英国の誇るクイーンが発動した『連合の意義』という魔術でしてね。
 それによってカーテナ=オリジナルのテレズマを削られた第二王女さまは、思い切り上条当麻に殴られてノーバウンドで吹き飛びましたとさ」

「ぶふぅっ!?」

連合の意義だのカーテナなんたらだの意味のわからない単語はどうせマジュツ用語だろうしどうでもいい。
問題は、クーデターの首謀者であるとはいえ英国の第二王女その人であるキャーリサをあの馬鹿が思い切り殴りつけたということ。
状況が状況なら国際問題どころか戦争に成りかねない事態に、美琴は思わず蒼白になる。

「何してんのあのド馬鹿ッ!?」

「ちなみにその時にへし折れたカーテナという霊装──魔術的な兵器ですね──は歴史遺産的なもので再現不能だから、
 賠償問題になれば軽く国家予算の数十倍は」

「そんなものあの貧乏人に払えるわけないっつーの!」

「あれ掘り返すの苦労したんですけどねぇ。
 まあそれはクイーンの『レプリカあるしそんなもんいらねー』の一言でうやむやになりましたが」

「女王様ノリ軽いな!」

「そんなこんなで上条当麻はクーデターを阻止した立役者なわけですから。
 まあ妥当なところで名誉国民、運が良けりゃ叙勲でもされたんでしょうけどねぇ」

「…………………………………………」

レッサーの言葉に、美琴の顔は浮かない。
2週間前に電子ロックの解錠方法を相談してきた時、彼は実際にとんでもないことに巻き込まれていたのだ。
そうとも知らずに、のん気に応対していた過去の自分に腹が立つ。

「あいつ、いつだって人知れず何かでかい事件に巻き込まれてたのね……」

「……ミコト、そもそもあなたはどれくらい上条当麻を取り巻く状況について知っているんですか?」

「どれくらいって……」

美琴は思い返してみる。
出会ったのは今年の初夏。その時はただ腹が立つだけの存在だった。
八月の半ば、『絶対能力者進化計画』を中止に追い込み、妹たちを詩の宿命から救ってくれた。
夏休みの最終日、海原光貴と偽っていた妙な能力者と戦い、こっ恥ずかしいセリフを吐いてくれちゃったりした。
その翌日は謎の侵入者と闘っていたようだし、大覇星祭では気付くと傷だらけになっていた。
イタリアの旅行先で入院したかと思えば、0930事件では謎の襲撃者に追われ、
恐らくフランスからかけてきたらしい電話では謎の人物との会話で記憶喪失が露呈した。
深夜に瀕死の状態で徘徊していたかと思えば、クーデターの中心地から電話をかけてきたりもする。

だが、美琴はそのほとんどについて、詳しくを知らない。
彼も何も語ろうとはしない。
それが彼と自分の距離なのだろうか、と少し寂しくも思う。

目の前の少女はどのくらい知っているのだろうか。
あの少年とよく一緒にいる修道服の少女はどのくらい知っているのだろうか。

「……よく考えたら私、あいつの周りのことほとんど知らないんだ。
 あなたたちはよく知ってるの?」

「私たち自身は知りあって間もないので、ほとんど情報収集によるものですけどね?」

「お願い、あいつに関することだったら何でもいいの。私に教えて。
 これ以上、蚊帳の外にいたくないの」

美琴の切実な願いに、レッサーとベイロープは顔を見合わせる。

「知れば、もう知らんぷりはできませんよ?
 私たちは記憶を消せるような都合の良い術式は持ってませんからね。
 あとで後悔しても、私たちにはどうにもできません」

「後悔なんてしない」

美琴は言い切る。
そもそも言われて怯むくらいなら、戦闘機を奪ってまでロシアに来たりなどしなかった。
あの少年に返しきれぬ恩を返すため。
御坂美琴は、平気で日常と非日常の境界線を踏み越える。

レッサーはため息をつく。

「ミコト、あなたは根っこの部分で上条当麻とそっくりですね。
 ……いいでしょう、まずは何から話したもんですかね────」

学園都市、冥土返しの病院にて。

「ものすごい大怪我をしてる番外個体はともかく、どうしてミサカまで入院なのってミサカはミサカは猛抗議してみる!」

「昨日まで高熱出してうんうん唸ってた奴が何言ってやがる」

「だけどホラ! もうこんなに元気だから大丈夫ってミサカはミサカはアピールしてみたり!」

「うるせェだけだ。それとも、無理やり寝かしつけてやろうか?」

一方通行が電極のスイッチを入れるそぶりを見せると、打ち止めは逃げ込むように毛布へと潜り込む。
そんな光景に、背後から聞こえた笑い声が華を添える。
黄泉川愛穂と、芳川桔梗だ。

「二人とも仲良くなったみたいじゃん?」

「そうしてると、本当の兄妹みたいね」

「黙ってろ」

一方通行が渋いものを食べたような顔で睨みつけるが、二人はどこ吹く風。

「だったらミサカはあなたをお兄ちゃんって呼んだほうがいいのかなってミサカはミsむぎゅ」

「……チッ、余計なこと言ってないでオマエらは仕事に戻ったらどうだ。平日だろうが」

「戦争終わったのはいいけど、休校措置自体はまだ解けてないじゃん?
 とはいえうちの学校から二人行方不明の生徒がいるんで、そろそろ私は警備員(ふくぎょう)に戻らないといけないんだけど」

「あら、じゃあ例の一方通行がロシアから連れて帰ってきたっていう子にはまだ会えないのね」

「残念だけどね。じゃあ一方通行、ちゃんと打ち止めとその子の面倒見るじゃんよー?」

「……余計なお世話だっつの」

同時刻、診察室にて。
冥土帰しに診察を受ける番外個体の姿があった。

「……ふむ、右腕の骨折の処置は完璧。後頭部の怪我もまあ、やることは傷口の整復と縫合くらいだね。
 一方通行、彼も人を救おうとすれば出来るじゃないか」

「助けられたのがあの人を殺そうとしたミサカだっていうのもなんだか皮肉な話だよね。
 ……外側の傷よりも、もうちょっと重要なことがあるんだけど」

冥土返しは頷き、数枚のレントゲン写真を取り出す。
番外個体の体の各所を撮影したものだ。

「『シート』や『セレクター』だったかな? 主に上位命令に抗ったり、君を制御下に置くための機械だそうだね?」

「うん。鬱陶しいから取っちゃってよ。
 体を切り開かれてそんな得体の知れないものを埋め込まれてるなんて気持ち悪いだけだし」

「大多数はただ埋め込まれてるだけだけど、いくつかは神経に食い込んでる。難しい手術になるよ?」

「にしし、心臓が動いてる限りは『冥土返し』に治せないものはないって、ミサカたちに書き込まれた情報の中に記述があるよ。
 まさか、看板に偽りがあるわけじゃないよね?」

「その看板は下ろしたよ。つい最近、初めての敗北を味わったばかりでね?
 だけど、この程度なら治せる。右腕も、後頭部も、機械の摘出も、ね」

「ミサカだって一応女の子なんだし、綺麗に治してよね?」

「当然。僕は患者に必要なものはなんでも揃えるし、要望があれば力の及ぶ限りなんだって叶える。
 ただし、治療が終わるまでは僕の患者だ。僕の言うことは守ってもらう」

「それが対価だって言うなら、大人しく従うよ」

番外個体は悪戯っぽく微笑むと、冥土返しに向けて無事なほうの左手を差し出す。
その意を汲んだ冥土返しもまた微笑んで、彼女の手を握った。

「よろしく、冥土返し。ミサカを助けてね?」

「……そろそろ、俺は行かねェと」

「えぇーっ!?」

打ち止めに背を向け、病室から出て行こうとする一方通行に、打ち止めが素っ頓狂な声を出す。
そのままベッドから飛び出し、一方通行の服の裾を掴む。

「また、どこかに行っちゃうの?」

「やる事があンだよ」

「また、危ないことをしに行くの?」

「危ないかもなァ」

「…………行かないで」

打ち止めは一方通行の胸に顔を埋め、しゃくり上げ始めた。

「もう、どこにも行かないで。ミサカを置いていかないでよ、ってミサカはミサカはお願いしてみる」

「…………」

「どうして? ミサカと、あなたと、ヨミカワとヨシカワ、──望めば番外個体も──で仲良く暮らすのじゃダメなの?
 なんであなたばかりが危ないことをしなきゃいけないのか、ミサカには分かんない」

「……悪ィな。どうしても、やらなきゃいけないンだ。これは俺なりのケジメってやつだ」

まるで駄々をこねる子供をあやすように、一方通行はそっと打ち止めの頭を撫でる。

「俺は『第三次製造計画』を潰す」

ビクリとその単語に、打ち止めは肩を震わせる。
番外個体を始めとする新たな妹達の製造計画。

「お前の"妹たち"に傷をつけるつもりは微塵もねェよ。
 ただそんな愉快なことを考えるお偉方の顔を拝みにいくだけだ。
 ……それ以外にも、やらなきゃいけねェことはたくさンある」

「…………」

「だからよォ、待っててくれねェか。
 この都市の腐った部分を掘り返して、闇ン中に閉じ込められた連中を解放して、豪奢な椅子の上に聳え立つクソどもを掃除し終えたら、そン時は」

打ち止めは一方通行の顔を見上げた。
その先にあったのは、「ずっと一緒にいたかった」と言ってくれた時と同じ、無邪気な笑顔。

「──そン時は、一緒に黄泉川のハンバーグを食おう」

「……………………………………うん!」

返す打ち止めの笑顔も、また満面のものであった。

「じゃあ芳川、クソガキとあのめンどくせェ性格のヒネたガキの面倒は頼むわ」

「……くす、意外ね」

「あァ?」

「あなたの口から、"頼む"なんて言葉が出てくるなんて」

芳川は薄く笑う。
誰とも関わりを持とうとせずに生きてきた一方通行が誰かに頼みごとをするなんて、以前では考えられなかったことだ。

「うるせェよ」

「……ちゃんと、帰ってきなさいね?
 打ち止めは毎日寂しがってたし、愛穂だって毎日あなたの分のごはんも用意して待ってたのよ?
 ちゃんと、あなたの帰ってくる場所はあるんだから」

「…………おォ」

「ちゃんと帰ってきてね、約束だよってミサカはミサカは指きりを要求してみたり!」

差し出された小さな小指に一方通行は戸惑いながらも、やがて自身のそれを絡める。

「約束する。イイ子にしてたら、そのうち見舞いに来てやらァ」


病院を出た一方通行は一度だけ病院を振りかえり、そして裏路地へと消えていく。
数度角を曲がれば、もう病院を見ることはできない。

こうして、彼は再び学園都市の闇へと潜っていく。
かつてのように自身を黒く染めるのではなく、闇を駆逐する燈火となるべく。

今日はここまで。
数日おきにゆっくり書いて行きます。

こんばんは
レスありがとうございます
初スレ建てで緊張していたので、とても嬉しいです

今日の分を投下していきます

「────はぁーっ……」

美琴は自室のベッドの上で、大の字になって寝ころんでいた。
あまりに多くの理解が困難な事柄を叩きつけられたせいで、頭の中がパンクしそうだ。
整理するための時間が欲しくて、一人にしてもらったのだ。
10777号は再び街へと出て行った。

10万3000冊をその身の内に抱える少女、インデックス。
数多の事件に右腕一本で飛び込んで行った少年、上条当麻。
彼女と彼の関係。

大覇星祭の裏側でマジュツ師が暗躍していただなんて、思いもしなかった。
イタリアで大規模なマジュツ艦隊を沈めただなんて、考えもしなかった。

そして、学園都市が大規模な攻撃を受けた、0930事件。
そこからアヴィニヨン侵攻、イギリスのクーデター、そして第三次世界大戦に至るまで。
その全ての中心に上条当麻がいたことなど、どうして彼女が知ることができただろう。
思えば数週間前、彼が大怪我をしながら夜の街を徘徊していたことも無関係ではないのかもしれない。

彼が体を張っていたのは、彼女やその妹たちの件だけではないことはとうに分かっていた。
それでも、彼女はあまりにも上条当麻のことを知らなさすぎた。

「……見つけたら、今までのこと全部喋ってもらわなきゃね」

胸倉を掴んででも、全部吐かせてやる。
それまでは、全ては棚上げでいい。
よっ、と美琴は上体を起こす。

その時、控えめなノックの音がして、レッサーが顔を出した。

「もうすぐお昼ですよん。ご飯でも食べながら、上条当麻をどうやって探すか考えませんか?」

彼女らが滞在しているホテルは昼食を用意しないらしく、売店で軽食を買いレッサーらの部屋へと向かう。
そこには既に10777号もいた。

「お買い物から帰ってきたナナミと会いまして、それでお昼を一緒に、ということになったんです」

そう言いながら、レッサーはごちゃごちゃとしていたテーブルの上のものを隅に寄せる。
羽根ペン、何かの枝のようなもの、ひものついた水晶、象形文字のようなものが書かれた紙片……など、美琴には馴染みのないものばかりだ。

「これは、マジュツというものに必要なものでしょうか? とミサカは興味を示します」

「そうよ。レッサーといろいろ捜索方法を考えてたの」

「ただ魔術的な方法には限度があるんで、そこで科学サイドのミコトたちとも知恵を合わせてみようと思いまして」

レッサーはいち早くテーブルにつき、ブリヌイと呼ばれるパンケーキ状の食べ物にこれでもかとばかりにジャムや生クリームを塗りたくる。
他の3人もそれに倣い、めいめい好みの食べ物に手を付け始めた。

「マジュツにもやっぱり限界なんてあるの?」

「同じ術式でも人によって効果は上下しますからねぇ。
 そもそも上条当麻にはあの変な能力がありますから、効かないという可能性もありますし」

「だから、私たちよりもあの男について詳しいでしょうあなた達にあの能力について聞きたいと思ったのよ」

サンドイッチの包みを開きながら、ベイロープが補足する。

「そうねぇ……。まず、私の全力の電撃は軽く片手で打ち消されたわね」

「参考までに、最大出力はどれくらいで?」

「10億ボルト」

「げぇっ!?」

答えを聞いた途端、レッサーとベイロープは思わず噴き出した。

「か、雷とほとんど同じ出力じゃない……」

「ひょっとして、学園都市の能力者でもかなり高位のほうだったりします……?」

「お姉様は学園都市最強の電撃使い、レベル5の第三位『超電磁砲』です、とミサカは説明します」

レッサーとベイロープは顔を見合わせる。

「私の能力は今はどうでもいいでしょ。要は何を打ち消せるかだっけ……。
 電撃、虚空爆破事件の爆発、あとは、…………第一位の『一方通行』の能力も効いてないみたいだったわ。
 でも、叩いた時は普通にダメージ通ったのよね。
 テレポートで飛ばせなかった時は右手があるから……って言ってたけど、右手が範囲内だと効かないのかしら」

「他の姉妹の情報では、彼の能力『幻想殺し』は能力だけにしか効果がないそうです、とミサカはお姉様に報告します」

「能力だけ、ねぇ……」

「超能力だけじゃなくて、彼の右手は魔術にも効果があるみたいですよん」

「マジュツにも……」

妹たちがあの少年に能力のことを尋ねた時、『超能力を打ち消す』ではなく『異能を打ち消す』力だと言っていたそうだ。
彼はひょっとして、超能力と魔術をひっくるめて『異能』と表現していたのだろうか。

ブリヌイの最後の一かけらを口に放り込み紅茶で流し込んだレッサーが、紙ナプキンで口をぬぐう。

「──さて、お昼も食べ終えたところで本題に入りますか。
 ずばり上条当麻を探す手段、何か案はあります?」

「さっき言ってたマジュツ的な方法って、どんなものなの?」

美琴の言葉に、ベイロープはテーブルの隅に置かれていた20cmほどの長さのひもがついた水晶を取り上げる。
背の高い四角錐を底辺で組み合わせたような、ペンデュラムと呼ばれるものだ。

「古典的だけど、たとえば遠隔探査術式(ダウジング)なんてどうかしら」

「それは、金鉱や水脈を探すためにL字の針金や振り子を持つってやつ?」

「そう。科学サイドではオカルト扱いされてるけれども、ちゃんとした効果はあるのよ?
 ただ、正確に探すためには対象物に対して専門的な知識を持っているか、知識の代替とする現物が必要ね。
 知らないものは探しようがないでしょ?」

「現物って、つまりあの方の一部が必要ということでしょうか?」

「そういうことです。私たちは上条当麻のことをそこまで良く知らないし、あなた達に魔術を使わせることもできない。
 だから現物が必要なんですが、あいにく私たちは持っていなくてですね。
 少なくとも、彼の持ち物があればいいんですが」

「それは、どんなものでも良いの?」

「さすがに一瞬触っただけってものでは無理ですけどね。
 まあしばらく、だいたい一週間くらい彼が持っていたものならば大丈夫です」

「……ある」

美琴はポケットから、丁寧にあるものを取り出した。
レッサーにも見覚えがあるそれは、ひもが切れボロボロになったゲコ太のストラップ。
一月前に二人で手に入れ、昨日港で拾ったものだ。

「一か月はつけてるから、大丈夫だと思うけど」

レッサーはA4サイズの紙に、なにやら魔方陣のようなものを書き始めた。
美琴のPDAを使い正確な緯度経度と方角の情報を得て、微調整をしていく。

「……できました。さあミコト、ストラップを真ん中においてください」

美琴は一瞬躊躇するが、やがてストラップを円の中心に置いた。
ベイロープがその真上にペンデュラムを吊るし、眼を閉じて何事かを呟き始めた。
直後、ペンデュラムが淡い青色の光を放ち、それに呼応するようにストラップが赤色の光を放つ。
美琴は顔色を変えるが、「情報を読み取るだけで影響はない」というレッサーの言葉に出しかけた手を引っ込める。
やがてストラップを包んでいた光が消えた。

「情報は取得したわ。これから探知を始めるわよ」

ベイロープが再び小さくつぶやくと、今度は魔方陣そのものが緑色に輝き始めた。
ペンデュラムが円を描くように大きく揺れ始め、それとともに魔方陣の円上をひと際強い光が走る。
揺れの軌道はやがて何かに引っぱられるかのように軌道を変え、同時に紙面にも変化が表れた。

「……インクが」

ペンデュラムの真下、中心からやや離れた位置に、周囲の円から吸い寄せられるかのようにインクが集まっていた。
美琴や10777号には理解できない文字で、何事かを表しているようだ。

ペンデュラムは徐々に持ちあがり始め、魔方陣はますます輝きを増していく。
繋がれたひもがいよいよ水平になろうかという、その時。


   バギン!!


と何かを砕くような音とともに、ペンデュラムが砕け散った。

「…………えっ?」

ベイロープは信じられないものを見るような眼で、自らの手から力なくぶら下がるひもを見つめた。
レッサーは絶句している。

「え? 何? どうしたの?」

「ダウジングはどうなったのですか?」

当然、門外漢の美琴と10777号には何が起きたか分からない。

「……ダウジングが妨害されました」

「……妨害っていうより、破壊された感じかしら。魔力の逆流は感じなかったから、魔術での割り込みではないと思う」

「もしかして……」

美琴の脳裏に浮かんだのは、上条当麻の右手のこと。
あの右手は魔術をも打ち消し、またそれを範囲に含む異能も無効化してしまう。
つまり、ダウジングも彼の右手に届いた途端、破壊されてしまったのでは?

「何にせよ能力がいまだ健在ってことは、これで生きているという可能性は高まったんじゃないですか?」

「その代わり、魔術的な方法では彼の居場所の特定にまでは至らないということも分かったけどね」

「だけど、大体の方角は掴めたわ」

魔方陣を描いた紙は、術式が破壊された反動でインクがぐちゃぐちゃになっていた。
当然、インクがひとりでに動いて書きだした文字も読めなくなっている。

しかし、美琴はペンデュラムが最後に指した方角を鮮明に覚えている。

「方角が分かれば多少は楽かも知れませんけど、距離が分からないことにはなんとも。
 もしかしたら、何百キロも向こうかもしれませんよ?」

「だったら、虱つぶしに探せばいいわ。
 それに、何も自分の眼だけで探す必要もないのよ」

「魔術は役に立たないのよ? 恐らく千里眼のような魔術だって破壊されてしまうんじゃない」

「超能力だってそうでしょうね。だったら、超能力もマジュツも使わない方法で探せばいいのよ」

「まさか飛行機でも使うのですか? とミサカは訊ねます」

「いいえ、使うのは飛行機よりももっと高い所にあるもの、よ」

美琴は天井を、正確にはそのはるか上空を指さす
その言葉に10777号は手を打つが、魔術師の少女たちはぎょっとする。

「む、む、む、無茶ですって。私たちは自前じゃそんなもの用意できませんし、どこも使わせてなんかくれませんよ!」

「そうよ。そんなものを奪おうものなら、一瞬で軍隊が飛んでくるわよ!」

「いちいち許可なんてめんどくさいものは取らないし、痕跡だって残さない」

美琴はポケットから自らの携帯電話を取り出した。
カエルのデザインの本体から揺れるのは、上条のものと色違いのストラップ。
それを一瞬だけ寂しそうに見つめると、気を取り直したように反対の手でPDAを掴みあげる。

「『超電磁砲』の真髄、見せてあげる」

──同時刻、ロシア某所にて
ロシアの保有する軍事衛星を管理するこの施設では、管制官や軍人たちがせわしなく歩きまわっていた。
終戦後学園都市が占領政策やロシア軍解体の意向を示さなかったことにより、敗戦国のロシアでもこのように軍が自由に行動できている。

ならば、やることは決まっている。
学園都市の保有する宇宙戦力は公表されているよりもはるかに強大であった。
この事実を知った以上、終戦後とはいえ情報収集をすることは急務である。

ふと、とある一つの衛星がアラートを発した。
北極海沿岸部の上空に浮かぶ、地上を監視するための衛星だ。
何か不都合でも起きたのだろうかと管制官がその詳細を開くと、それは指令なく衛星が姿勢を変えた時に発せられるものだった。
スペースデブリなどの衝突は認められない。
この施設を統括している司令官が怒号を上げる。

「おい、衛星が一つ動いてるぞ! 誰か動かしたのか!?」

管制官が急いで確認をすると、勝手に動いている衛星と奇妙なアラートを発した衛星は一致している。

「まさか、衛星が乗っ取られた……?」

未曽有の緊急事態に、管制室がにわかに騒がしくなる。

「司令、衛星が反応を返しません! 直接指令、他の衛星を迂回した間接指令ともに拒絶されました!」

「OSの強制シャットダウンを……、最上級パスが無効!?」

「どうやら衛星は地上を撮影しているようです!」

「ええい、早く止めないか! 相手はどうやって衛星を動かしている! 逆探知はできないのか!?」

学園都市に比べれば大きく後れを取っているものの、それでも軍事衛星は重要な機密情報の塊だ。
そのコントロールを奪われたとあっては、敗戦国とはいえ国家としての威信に関わる。

だが、依然として衛星のコントロールは戻らない。
OSとは関係なく取りつけられたセンサーなどもまったく反応しない。

「ダメです、他の衛星との交信は確認できません!」

軍事衛星はその性質上通常のネットワークには接続されておらず、指令部と直接または他の軍事衛星を中継してやりとりすることになる。
当然、特別な専用の交信プログラムを使用しており、それを用いない、例えば他国からの介入に対抗できるようになっている。

だが、今回のケースはどうか。
他の衛星とは交信しておらず、指令部からの命令も受け付けない。
何が起きているのかも分からない異常な事態に、司令官の額を冷や汗が伝う。

「命令を続けろ! 何があっても衛星の制御を取り返すんだ!」

「──うーん、ロシアの人工衛星って、あまり解像度良くないのねぇ」

PDAに写した映像を見ている美琴の言葉に、戦々恐々としている魔術師二人はブンブンと首を振る。
曲がりなりにも宇宙開発部門では冷戦時よりアメリカと競り合い主導権争いをしてきたロシアの軍事衛星だ。
むしろ世界では最先端の域だと言ってもいい。
ロシアの技術が低いのではなく、衛星から人の毛穴すら数えてしまえるような学園都市の技術力が異常なのだ。

ロシアの衛星とて人一人のおおまかな特徴を掴めるくらいの解像度はあるのだが、いかんせん画面が小さすぎて見づらい。
おまけに空中要塞の落下の影響か北極海全体に雲がかかっているとなれば、映像で確認するのは無理なようだ。

「衛星から探すのは無理ね」

バチンと火花を上げると、PDAから衛星の映像が消える。
手を加えた衛星のOSに再侵入用のバックドアを残し、見せかけ上は元の状態に戻したのだ。

「なーに震えてんのよ」

部屋の隅で抱き合い、KGBが元首相がと怯えるレッサーとベイロープに、美琴は呆れたような溜息をつく。

「……いきなり窓を突き破って、サブマシンガン担いだロシア軍の精鋭部隊が突入して来たりしませんかね?」

「もしかしたらホテルごと空爆されたりして……」

「ないない。一応いくつかの国の衛星を経由して侵入したんだし、そもそも対能力者防衛機構がない時点で"足跡"すらも掴めないわよ。
 万が一察知されたら私が撃退してあげるから大丈夫」

「衛星のハッキングまでできるとはさすがお姉様、とミサカは見せつけられたこのスペック差に愕然とします」

「やり方さえ覚えれば、あんたたちだってできると思うわよ?
 OSなんてどうせ0と1の電気信号の集まりなんだし。
 電波さえ届けば、能力者相手を考慮してない『外』の機械なんか楽勝楽勝。
 それよりも、衛星が使えないとなると、いよいよ手段は限られてくるわよね……」

いざとなれば自らの足でもって探すつもりではあるが、それでもある程度の範囲は出来る限り絞っておきたい。
と、ふと思い立ち右手に持ったままの携帯電話を見つめる。

あまりにも普通すぎて、この非常事態では逆に思いつきもしなかった手段。

「携帯、繋がらないかしら」

「あの方はつい最近耐久性重視の機種に換えたそうですから、可能性はありますね、とミサカは他の個体の記憶を参照して答えます」

レッサーとベイロープは顔を見合わせた。
状況から考えれば、その言葉は否定されるべきだろう。
要塞が落下してぐちゃぐちゃの海、無残にも引きちぎれたストラップ。
それは、そのまま上条当麻の現状を示唆しているのではないだろうか。

どう答えるか二人が迷っているうちに、善は急げとばかりに美琴は電話をかけ始めた。

着信先を探していることを示す、規則正しい音が美琴の耳に飛び込んでくる。
一秒。
二秒。
三秒。
四秒。
五秒。
そして。

「……呼び出してる!」

まるで天啓を受けたかの表情で、美琴が嬉しそうに言う。
呼び出しているということは彼の携帯電話は無事なのだ。
それはつまり彼自身も無事という可能性が高いことを示す。

呼び出し音はきっかり2分の間続き、やがて留守番電話へと切り替わった。
すぐに連絡するように、とメッセージを入れ、美琴は通話を切った。

生存している可能性が高まったことに、まるで子供のようにはしゃぐ美琴を見て、ベイロープはため息をつく。
携帯電話だけをどこかに落としていて、本人は闇の中、という事態も考えられるのだ。
最も、目の前の少女にそれを告げる勇気はないが。

「……"携帯電話が無事"ってことはわかったけど、肝心の居場所はわからないわね」

「それは……どうしようかしら。折り返してくるのを待つとか?」

「いつになるかわかりませんよ?
 だいたいずっと雪中行軍してたんです。いくら学園都市製だってバッテリーがいつまで持つかは分かりませんよ。
 私が見た限りでは充電してるところなんて一度も見てませんし、学園都市独自規格の充電器なんてロシアじゃ手に入りませんし」

「やっぱり探す手段は必要、かぁ……」

「お姉様、あの方と一緒に携帯電話のキャンペーンでストラップを手に入れたそうですが、
 それにはペア契約にちなんだ何か特別な機能があったりはしないのですか、とミサカは質問します」

「何ですかそれナナミ詳しく」

「うるさいレッサー。これは別に普通のストラップよ。特に妙な機能は……」

言いかけて、美琴は脳裏をよぎったものに言葉を止める。

ペア契約の時にもらった、ハンディアンテナサービスに接続するための拡張チップ。
確か、ペア契約のために用意された特別なものだそうで、GPSを使って相手に絶対座標と相対位置を通知する機能がついていたはずだ。

上条当麻の携帯電話に電波は届いている。
電波が届けば、美琴は対象の機器をハッキングすることができる。
携帯電話のような小型の機器には、対能力者対策はサイズの制約上施されていない。
あとは、彼が拡張チップをきちんと取りつけていてくれたなら。

「……なぁんだ、簡単に探す方法、あったじゃない」


3人が見守る中、美琴は履歴から再び上条の携帯へと発信する。
目を閉じてその電波に意識を集中させ、着信先を突き止めることだけを考える。

携帯電話の電波は一度基地局を経由し、相手の携帯へと発信される。
規則正しい電子音はその証。
そして。

「……見つけた!」

呼び出し音が鳴ると同時に美琴は目を開け、即座に能力を使ったハッキングを開始する。
携帯電話の仕組みは衛星なんかよりもはるかに簡単だ。一秒と経たずにセキュリティは陥落した。
そして、GPS通知機能を起動する。
良かった、彼はちゃんと拡張チップをつけてくれていた。
美琴が心中でほっと胸をなでおろしていると、携帯電話から可愛らしい着信音が鳴る。

上条当麻の携帯電話の現在地を示す、大事なメール。
残る3人も思わず固唾を飲む。

「アイツの携帯の在りかは」

そのメールを開封した美琴が、その内容を読み上げる。
手際の良いレッサーが、マーカーを片手にテーブル上に地図を広げた。

「……東に約15キロ」

現在地から東へとまっすぐ赤い線を引いていく。
そこは山の中。
どうみても海へと落ちた上条当麻がいそうな場所ではない。

「……北へ30キロ」

線を伸ばした先から、今度は北へと線を引いていく。
海岸線を越え、そこは北極海。
陸地から離れているわけではないものの、海上、あるいは海中であることは間違いがない。

とはいえ、ある程度の目安はついたのだ。
あとはこの地点をしらみつぶしに探せばよい。

と美琴に言おうとしたところで、レッサーは彼女の異変に気付いた。
携帯電話を握りしめたまま、美琴はうつむいていた。
その頬を伝うのは一筋の涙。

ただならぬ異変に、レッサーは美琴の背後へと回りこみ、携帯電話を覗き込んだ。
書かれていたのは、現在地と相手の居場所の相対位置。
簡単な地図と矢印のほかに、X、Y、Zと項目に分けられた数字が書いてある。
Xは約15000、Yは約30000ほどの数字であることから、これは恐らく相対的な距離を表しているのだろう。

そして、レッサーは一番下の項目の数字を見て、声を失くす。

『Z:-200』


美琴は声を震わせて言った。

「……………………………………………………水深、200mのところ」

「────なるほど、上条当麻の大まかな位置を特定できたということね」

雪原に鎮座する空中要塞グラストンベリ。
その司令室で、英国王室第二王女『軍事』のキャーリサは報告を受けた。
そばに控えるのは『騎士団長』、及び『新たなる光』のメンバーだ。

「レッサーらの報告ではそういうことです。捜索のために、人員の派遣を要請したいと。
 そうだろう、ランシス?」

「…………ひっ、くくっ、…………くすぐったくて……んんっ……」

相変わらず自分の魔力にくすぐったがる横の少女を呆れ顔で見て、フロリスは王女に向き直る。

「凍てつくような海の中、水中移動術式を持たぬ魔術結社のメンバーでは荷が重いか。
 そもそも、どーやって幻想殺しの位置を特定したの?
 どんなサーチ術式も効かなくて、さっき王室付き魔術師たちの尻を二つ三つ蹴飛ばしてきたところだし」

「上条当麻を探していた学園都市の学生と出会い、その学生の能力を使って上条当麻の携帯電話の位置を特定したそうです」

「学園都市の……」

キャーリサは考える。
上条当麻は学園都市の学生だ。ここは学園都市に連絡して微々なれども恩を売っておくか。
それとも、『神の右席』や『大天使』と渡り合える希少な戦力としてイギリスが回収してしまうべきか。
しかし、学園都市の人間が捜索の最前線にいるという時点で、秘密裏に回収するのは難しいだろう。

「その学生はどれくらいの強さなの?」

「いわゆるレベル5、その第三位だと。少なくとも『新たなる光』でどうにかなるレベルではないとのことです」

レベル5の超能力者は学園都市にとって希少な存在だ。
その学生を『排除』してしまうと、友好関係にある学園都市との間に火種を生じさせかねない。
戦争につながりかねないリスクと、幻想殺しを確保するメリットを斟酌する。

「騎士団長、騎士たちの再編は終わったか?」

「7割方。今日の夕までには終了するかと。
 ただ、『大天使』やその後の戦闘により負傷率が高く、士気も落ちています」

「今から北極海に派遣できる部隊はある?」

「損傷率から考えると、一騎士団程度がせいぜいでしょう。
 何より終戦後という情勢を考えると、帰国以外で軍団を動かすことは難しいかと」

「ロシアなんて所詮は敗戦国。実力で黙らせればいいだろーし。
 ただ、十字教の他の宗派が騒ぐのは厄介だな」

「要は水中移動術式を使える人材が欲しいのですから、そこまで大人数でなくとも良いのではないでしょうか?」

「捜索に当たってる清教派の天草式たちはどうなの?」

「あれは海戦を得意とする集団ですし、可能性はありますが、なにぶん指揮系統が違うもので」

「ようし、騎士団長、ロンドンのあの女狐に連絡して、天草式を動かさせろ。
 渋ったならこう言え。言うことを聞かないなら、私じきじきに聖ジョージ大聖堂の新しい磔刑像にしてしまうとな」

美琴は一人、街を彷徨っていた。
少し風に当たってくると言い残し、あてもなく街へと飛び出したのだ。

ふらふらとした彼女の足元で、黒い粉末のようなものが渦を巻いていた。
無意識に漏れだした磁力に、砂鉄が反応しているのだ。
普段の彼女なら起こり得ない、軽度とはいえ能力を制御できていない現実。
自らの能力を最大限に活用して得た上条当麻の居場所は、それほどまでに彼女を打ちのめしていた。

水深200m。
水温が限りなく氷点に近いこの初冬のロシアの海では、特殊な装備なしに生命を維持することは不可能だ。
ましてやあの少年は学生服のみで、丸一日以上海中にいるのだ。

美琴は寂れた公園を見つけ、中へと入っていく。
積もった雪も払わずに、ベンチへと座り込んだ。
おもむろに取りだした携帯電話には、上条の携帯の位置座標が表示されたままであった。

彼女は再び能力を使い、上条の携帯を操った。
送られてきた座標は、一度目と同じ場所。

彼女は三度能力を使い、上条の携帯を操った。
送られてきた座標は、二度目と同じ場所。

彼女は何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も能力を使う。
そのたびに送られてくる座標は、どれも寸分の狂いもなく同じ場所を示していて。

その回数が両手の指では数えられなくなったころ、画面に一粒の滴が落ちた。
それに続くように、二粒目、三粒目というように次々と水滴が携帯電話のモニタを濡らしていく。

(……………………雨、じゃない)

自分の頬を触ると、確かに濡れている。
この時初めて、彼女は自分が涙を流していることに気付いた。

せめてあの少年を、学園都市へと帰してやりたいと思う。
しかし、水深200mまで潜れぬ身ではそれすらも叶わない。

日も傾き始め、色褪せた公園に気を向ける人間などいない。
つまり、彼女の嘆きを遮る者は誰もいない。
あたりには、美琴の慟哭だけが悲しく響いていた。

どのくらい経っただろうか。
美琴は、自分の前に誰かが立っていることに気付いた。
正確には、『立っている誰かの気配を感じ取った』とするべきか。
こんな時でも、電磁波レーダーは健在なのだ。

美琴は顔を上げ、目の前に立っている女性を見た。
白いシャツの上に右肩の裾がないジャケットを羽織り、ジーンズも左足部分が根元から切断されている奇妙ないでたち。
天草式の聖人、神裂火織がそこにいた。

「あなたが、上条当麻を探しているという少女でしょうか」

「……あんたは……?」

「イギリス清教第零聖堂区所属、『必要悪の教会』の神裂火織と申します。
 ですが、今はあえてこう名乗りましょう」

凛とした雰囲気を、女性が放つ。

「『Salvere000(救われぬ者に救いの手を)』、と」

「…………」

美琴は魔法名のことなど知らない。
神裂の名乗った魔法名は、彼女にとっては何かのコードネームのようなものにしか聞こえなかった。
しかし、心を疲弊させた彼女に、『救い』を意味するその単語は何故か沁み渡る。

まるで『聖女』のような神裂が差し出す、暖かい手。

気付けば、美琴はその手を自身の震える右手で掴んでいた。

今日はここまでです
「ねーよwww」と思われるような突っ込みどころ満載だとは思いますが、生温かい目で見守ってやってください

こんばんは
東日本大震災の被害の余りの大きさに、ただただびっくりする毎日です
犠牲者の方々のご冥福をお祈りすると共に、いまだ避難されている方々が一刻も早く平穏な日々を取り戻せるようお祈りします

名前欄にも出るように自分は千葉なので震災の直接の被害は出なかったのですが、
断水や液状化、何キロも離れた場所の大火事が自宅から見えたりと戸惑う事ばかりでした
みなさま方は大丈夫でしょうか


では、短いですが今日の分を投下していきます


美琴はホテルへと戻ってきていた。
神裂はレッサーらとは既に接触していたようで、彼女らに聞いて美琴を探しに来たのだという。
彼女が率いる部下たち約50名をホテルのロビーに押し込めたことでかなり人目を引く光景になるが、
そんなことはおかまいなしに、美琴は神裂らに知り得たこと全てを打ち明けた。

「水深200mですか……」

「ええ。なんとかして、そこにいるだろうあいつを助けたいの」

神裂は上条の携帯があるであろう場所のことを聞き、深く考え込む。
水没からすでに丸一日。
状況に対処するすべを持つ魔術師ならばともかく、不思議な右手を持つだけのあの少年に生き延びるすべはない。

翻って、別の可能性を考えてみる。
『ベツレヘムの星』は巨大な構造物だ。
水没した時に、内部に空気が取り残されて、そこに退避しているということも考えられる。

ただし、この場合は「電話は繋がるのに出ない、折り返してこない」という点が引っ掛かる。
もし携帯電話とともにあるのならば、それは彼が電話に出られないほどに衰弱しているか、あるいは既に死亡しているか。

しかし、だからと言って目の前の少女の幻想を壊してもよいということにはならない。
絶望させるのは全ての可能性が絶たれてからでいい。

「私たちの水中移動術式なら、たとえ深海でも行動可能です!」

大声を出したのは目の前にいる神裂の部下である少女。


神裂が連れていたのは、「天草式十字凄教」という十字教の一派だ。
元は日本を根拠地としていたが、今は女教皇である神裂のいるロンドンへとその根拠地を移しているのだという。

レッサーが上条当麻の情報をイギリスに流したということは神裂を迎えた時に既に聞いた。
それから短時間で人員を回してくるとは、英国王室はそれほどまでに上条当麻の捜索に力を入れているということか。

「えっと……あんたたちも、マジュツ師なの?」

「五和、と言います」

「あいつと、関係あったりするの?」

「……返しきれないほどの恩があります。それはもう、幾重にも」

次から次へと「マジュツ師」が現れ、もはや慣れつつあるのだろう。
上条の関わった「事件」のいずれかの当事者、あるいは彼に救われた人間だということはすぐに察しがついた。
とにかく、今は少しでも味方が欲しい。


美琴らの話を聞き、天草式は彼らの持てる技術全てを駆使して、上条を救うための方策を練る。

「上条当麻の携帯電話の反応があったという海域までは、やっぱり船を使うのが一番なのよな」

「そこからはやはり潜る必要がありますね。
 上下船は一定深度以下には潜れませんし」

「潜るっていっても、この深さと冷たさよ?
 いっそ学園都市の研究機関からからダイビング用の道具でも借りて来たほうがいいんじゃない?」

「私たちの水中移動術式なら、泳げさえすれば呼吸も水温も問題はありません」

「それよりも、問題は上条当麻の位置が掴めないことなのよな。
 正確な位置が分からなければ、闇雲に探すしかないのよ」

「それについては絶対座標は分かっているわけだし、私のPDAについているGPSでリアルタイムに相対位置を確認できる。
 マジュツっていうのには位置が分かればそこまで案内してくれるカーナビみたいな便利なのはないの?」

「せいぜい自分と目的地の位置を地図上に示すくらいですが」

「じゃあ、あいつの携帯の位置が分かれば大丈夫ね。座標は────」

水中移動術式は使えても、位置を特定できなかった天草式。
位置を特定できても、水中では行動できなかった美琴たち。
この二つが相補することによって、だんだんと展望が開けてくる。


「となればさっそく水中移動術式の構築にかかりましょうそうしましょう!」

「えっ、ちょっ、ちょっと待ってよ!」

と美琴は五和に引っ張られ、自分の部屋へと連れ込まれた。
自分や10777号の着替えを引っ張り出され五和に物色されるが、当の彼女は渋い顔のまま。

「うーん……。『土台』に使えそうな服はないみたいですね……」

「土台?」

「天草式の特性は「日常にあるものを使って魔術を発動する」というものなんです。
 ……『魔術』について、説明は必要ですか?」

「発動原理の違う、超能力みたいなチカラでしょ。法則を理解し、術式を作り上げ、行使するんだっけ?
 あとは偶像崇拝だのなんだの、聞いたこともない話をいくつも聞かされたけど」

「その偶像崇拝の理論を使って、『土台』になる服に様々な要素を付加し、それによって術式のための霊装とするつもりだったのですが……。
 あ、霊装というのは、魔術を発動させるために用意する道具のようなものです」

自らの荷物の中にも、『土台』に適したものは無かったのだろう。
しゅんとする五和に、美琴は言葉をかけあぐねる。
そこへ、扉を開けて五和よりもいくらか年上の女性が入ってきた。

「五和、みんなから『土台』になりそうな服、いろいろと借りてきたわよ」

「対馬さん」

対馬と呼ばれた女性と、その後ろから入ってきた10777号は、テーブルの上に赤い布の塊をばさばさと落とした。
それを一枚一枚取り上げながら、美琴に合わせてサイズを測っていく。

「皆、赤い服なのね」

「そうですね。『土台』は防寒の要として『熱』の要素が必須ですから。
 赤は火の色、すなわち『熱』です」

「その『熱』の要素を他の様々な要素で補強・加工して出来上がるのが天草式謹製の耐水・防寒霊装ってわけ。
 ……ん、この服なんかどう?」

対馬が差し出したのは、男もののパーカー。
少し美琴には大きい気もするが、他の服はどれも更にサイズが大きいため、これにすることにした。


「……おや、もう決めてしまったんですか?
 せっかく私の勝負服を提供しようと思ったんですが」

いつの間にか部屋の中にいたレッサーに、一同は度肝を抜かれる。

「……いつの間にいらしたのですか、とミサカは驚きます」

「つい今しがたですよ。荷物の底から私のとっておきを見つけたもんでして」

と、レッサーは背中からあるモノを取り出した。
ソレを見た美琴と五和は思わず噴き出してしまう。

それは、なめらかな真紅のベビードール。
信じられないくらいのスッケスケ具合は、もはや下着としての機能を果たしていないのではないか。
実際に着用したらアレとかソレとかが詳らかになるであろうそのブツは、どことなく某後輩のセンスに通じるものを持っていた。

まさに開いた口が塞がらないといった一同の前で、レッサーはくねくねと悶えて見せる。

「いやね、女たるものイザという時のためにこういう服は持っていてしかるべきなわけですよ。
 これだって上条当麻攻略のために用意したわけですが、結局お披露目する機会がなくてですね──ぎゃんっ!」

レッサーはそこで言葉を切った。いや、切らざるを得なくなったと言うべきか。
美琴の放った電撃によって全身を硬直させられた彼女は、あえなく床へと倒れこむ。

「さー、あんな変態は放っておいて、さっさと防寒服を作っちゃいましょう」

五和と対馬は、こくこくと首を縦に振るしかない。
ぴくぴくと倒れこんだまま痙攣するレッサーの頬を、10777号が人差し指でつついていた。


『土台』は赤いパーカーに決定し、いよいよ防寒服作りへと取りかかる。
まず五和は裁ちバサミを取り上げ、パーカーの肩のあたりを大胆に切り落とし──

「ちょっと待って」

「なんでしょう?」

「そんな大胆に切っちゃっていいの!?」

「とは言え、魔術的記号を考えると必要なことですが」

それを言われると、魔術に関して全くのド素人である美琴には何も言い返せない。
五和は気を取り直し、パーカーの改造へと戻った。

そこからの作業は、美琴には全く理解不能であった。
五和や対馬の裁縫技術は優れたものであったが、それがどのような意味を持つのかが全く理解できない。
布地を服から切り離し、まったく違う色の糸で同じ場所に縫い合わせたり。
胴を取り巻くように、不可解な模様を縫いつけたり。
油性ペンで背中の部分に絵文字のようなものを書き込んだり。
切断した袖を安全ピンのみで固定した時は、ひょっとしてこの連中はこれを自分に着せて大笑いするつもりなのでは、などとと疑ったり。

こうして、ひどくアヴァンギャルドな防寒服は完成したのである。


「どうでしょう、御坂さん」

まるで一仕事終えたというような顔で、五和は問うた。

「あー……うん、いいんじゃない……?」

目の前のパーカーはあまりにも前衛的すぎて、学園都市の生徒である美琴にもついていけない。

「じゃあ、さっそくテストね。さあ、着てみて」

「テストって言っても、何をすればいいのかしら?」

「うーん、パーカー一枚でこの夜空の下に出るとか?
 耐水、ということを考えると、冷水に飛び込むのが一番いいとは思うけど」

「冷たいシャワーを頭から浴びてみる、というのはどうでしょうか?」

「……まずはこれを着て寒くないか、ということを試してみるわね」

美琴はセーターを脱ぎ、代わりにパーカーの袖に腕を通す。
身に付けた瞬間、なんだかじんわりと暖かく優しい感触がした。

暖炉の効いた部屋から廊下に出てみる。
上着だけの時はなんとなく肌寒く感じたものの、このパーカーを着ている今は寒さを微塵も感じない。
換気用の窓を開けて、顔を近づけて見た、
身を切るような凍てつく風も、今はただのそよ風でしかない。


次は、耐水性を調べる番だ。
パーカーを着たまま、部屋に備え付けられた浴室へと向かう。
その後ろから、五和がついてきた。

服を着たまま浴槽に立ち、パーカーのフードを被ったままシャワーを浴びる。
シュールな光景に苦笑いしながら、美琴は蛇口を捻った。
刹那、美琴の顔を冷水が襲う。
が、

「……冷たいことは冷たいけど、体が冷える感じはしないわね」

どうやら服だけではなく体全体が水を弾いているらしく、服も顔も全く濡れてはいない。
あちこち手で触って確かめてみるが、どこも冷えてはおらず、優しい温かみを保っていた。

最後に、洗面器にお湯を張り、突っ込んでみる。
どういう理屈かは分からないが、不思議なことに呼吸が出来る。

「……ということは」

「……成功ね」

わーっという歓声とともに、五和は美琴の手を握った。
不意に近づけられた顔に、不覚にもドキッとしたのは日頃白井に妙なことを吹き込まれているせいだろうか。

「……これで、あの馬鹿を探しに行けるってわけね」

その言葉に、緩んでいた五和の表情が真剣になる。

「ええ、絶対にあの人を見つけ出してあげましょう!」


防寒服が完成したことを受けて、対馬は他の仲間と同じものを作れるだけ作る、と部屋を後にした。
レッサーはレッサーでやることがある、と帰って行ったようだ。
美琴の部屋に残されたのは、美琴、10777号、そして五和の三人だ。

「……そういえば、御坂さんは上条さんとどのような関係なんですか?」

「ぐふっ!? え、な、ちょ!?」

大人しそうに見えた少女からのいきなりの一撃に、美琴は思わず赤面してしまう。

「かかか関係って! 別に何でもないわよ! うんフツーの友達よフツーの!」

悲しいことだが、客観的に見れば御坂美琴と上条当麻の関係はただの『友人』なのだろう。
数々のアプローチも、いまだかつて通じたことはない。

「だけど、私にとってはあいつは大事な恩人、かな」

「……大事な恩人、ですか」

五和は椅子に背を預け、ぼんやりと天井を見つめる。

「私、いえ私たちにとっても、上条さんは大事な恩人です」

「やっぱり、あいつが首を突っ込んで行ったんでしょ」

「ええ、それはもう物凄い剣幕で。
 ただ、最初は誤解があって、敵対する同士でしたけど」

五和は、どこか懐かしむように言った。

「その誤解が解けて同じ目的のために一緒に戦うことになったんですけど、その時のあの人のことはよく覚えています。
 250人の武装した魔術師の部隊のど真ん中に、拳一つで飛び込んで行ったですから。
 ……キオッジアでもアヴィニヨンでも、あの人は怯むことなく勇敢に強大な敵に立ち向かっていったんです。
 その時、私は、上条さんはただ漠然ととても腕っ節の強い人だと思っていました」

キオッジア、アヴィニヨン。どちらも外国の地名だ。
特に後者は、学園都市による鎮圧戦のさなかに上条が電話をかけてきた場所でもある。
その時、この少女は彼の近くにいたのか。


「……でも、実際は違ったんです。
 不思議な右腕を持つあの人は、私たち魔術師のように防御術式を張ることも、回復術式で傷を癒すこともできない。
 生身一つで戦ってきたんです。それこそ、文字通りずたぼろになるまで」

その言葉で思い浮かぶのは、数週間前に見た満身創痍の上条の姿だ。
あの夜も、彼は誰かのために自分の命を張って闘っていたのだろう。

「その時、思ったんです。この人が強いのは腕っ節じゃない。心が強いんだって。
 そして、願ったんです。なれるなら、私はこの人のようになりたいって」

生まれも境遇も違う五和が、自分と似たような思いを持っていることに美琴は驚く。
きっと同じ思いを抱えている人間は、彼がその右腕を振るった数だけいるのだろう。

一方通行と相対したあの忌まわしい事件は、一生に一度あるかないかのことだと思っていた。
けれど、彼にとってはそれは日常茶飯事のことなのかも知れない。

それでも、美琴にとってあの事件は人生を変える大きな転機であり、
生き方も考え方も大きく変化した。
否、影響された、と言うべきだろう。


上条当麻は、妹たちの件で自らを責める美琴に『笑っていてもいい』と言ってくれた。
ならば、美琴の願いは一つ。あの少年にも、笑っていてほしい。
彼女の心を照らす、太陽のような笑顔で。

「私も、同じ。誰よりもまっすぐに、誰かのために全力で突っ走れる。そんなところが、……良いのかもね。
 そう言ったらきっと、『そんなの当然だろ』って言うんだろうけどさ」

「言いそうですね」

美琴と五和は目を合わせてクスクスと笑いあう。

「だから、私はさっさとあいつに借りを……。
 ……ううん、誤魔化すのはやめる。私は、あいつの為にできることをしたい」

これは、宣言。そして、宣戦。

「……負けませんよ」

その意を汲んだのだろう、五和が挑戦的に微笑み手を伸ばしてくる。

「こっちだって」

美琴は、その手を力強く握り返した。



「……そう言えば、お姉様はあの方と携帯電話をペア契約にしていましたね、とミサカは置いてきぼりの腹いせに爆弾を投げてみます」

「何……ですって……?」

「そそそそれは契約で貰えるおまけが欲しかったからで! 決してそういうんじゃないんだから!!」

「……御坂さん、残念ながら私と貴女は天をともに戴くことはできないようです」

「なんだか怖い目で睨まないで! つーかその槍は一体どこから!?」

妙に据わった目で海軍用船上槍(フリウリスピア)を構える五和に、美琴は思いっきりドン引きする。
相変わらず無表情ながらもどこかふてくされた感のある妹の一言で始まった女の戦いは、ぎゃあぎゃあと深夜まで続いたのであった。

今日は以上です
日が開いてすみませんでした
次回は早めにこれるように頑張ります

こんばんは
レスありがとうございます

どんどん妄想具合が酷くなっていきますが、今日の分を投下していきます


11月1日。

翌朝。
朝早くホテルを出た一行はいくつかのグループに別れ、上条当麻の携帯電話が沈んでいる場所へと向かうこととなった。
美琴が上条のストラップを見つけた港から少し離れた海岸にて再び合流する。
そこで、天草式の面々がおもむろに懐から紙片を取り出し、海面へと投げ入れた。

刹那、大きな音を立て、水を吸った紙片が木製のボートへと変化する。

「え!? どういうこと!? これもマジュツなの?」

「そういうことなのよな。紙は木で作られ、木は船を造る。そのつながりを生かせば、この通りなのよな。
 学校で習っただろう? 我らは島原の隠れキリシタンの末裔である『天草式』。
 海上のことに関してはお任せなのよな!」

「質量保存の法則だの何だの、ガン無視じゃないのよ……」

「お姉様だって何もない虚空から電撃を生みだす超能力者なのですから、とやかく言えることではないのでは? とミサカは尋ねてみます」

「でも、こんな小さなボートだと、氷が浮いてる海は渡れないんじゃない?」

「ふっふっふ、そこはこの建宮さんにぬかりはないのよ」

建宮が懐から取り出した、ボートに変化したものよりも幾分大きい数枚の紙片。
それを手際よく紙飛行機の形に折ると、海上に向けて放った。
紙飛行機はふらふらと飛んでいき、やがて着水するとともに、大きな船へと変化した。

「じゃじゃ~ん!! この為に用意した『スーパー上下船 砕氷船バージョン』なのよなー!!」

「「「おおーーっ!!」」」

船は全部で3隻。全長30m、幅8mほどの木製の船体の先端に、何やら模様のようなものが描かれている。
建宮が指をパチリと鳴らすと、その先端部から勢いよく杭のようなものが飛び出し、天草式の男衆がやおら歓声を上げる。
本当に大丈夫なのか、ふざけているのではないかと美琴が心配していると、

「た、建宮さんはあんな感じの人ですけど、それでもやる時はやる人ですから」

五和に励まされ、顔を引きつらせながらも美琴はボートへと乗りこんだ。


美琴の携帯電話に表示された座標を建宮に伝えると、彼は地図を広げて何かを呟いた。
地図の上に置かれた船の形の紙片はこの船の位置、動かぬ青く丸い紙片は上条の携帯の位置だろう。
他の船にも同じものがあるようで、建宮が他の船と交信し、機能しているかどうかを確かめあうのが聞こえた。

一行は3隻の船に分乗しており、この船には建宮、五和、美琴、10777号、レッサーの他に10人程度の天草式のメンバーが乗っている。
上条の携帯が沈んでいると思われるポイントは海が凍りついており、また巨大な構造物が沈んでいる為に簡単には近づけない。
よって、メンバーを分散させることで別方面から同時に捜索をすることにしたのだ。

「これをお嬢ちゃんに渡しておくのよな」

と、建宮が美琴らにカードのようなものを配る。

「通信用の霊装、分かりやすく言えばトランシーバーのようなものなのよな。
 これを持っていれば、言いたいことが一緒に潜る仲間や船上で待機してるメンバーに伝わるのよ。
 ついでに言えば捜索用ビーコンみたいな役割でもある」

「ふぅん……」

見た目は変哲もない白紙のカードだが、そこは美琴には分からぬ種や仕掛けがあるらしい。


海岸から沈没地点まではそう離れているわけではない。
とはいえ、杭で氷を砕きながら進むのだ。そこまで速度が出るわけではない。
のろのろとした速度に焦れ始める美琴を案じてか、五和がことさら明るい声で言う。

「そういえば、御坂さんは学園都市の超能力者、それも最高クラスのレベル5なんですよね」

「そうだけど、それがどうかした?」

「私、学園都市には一度だけ行ったことがあるんですけど、超能力というものは見たことがないんです。
 よければ、少しだけ見せて貰えませんか」

「おっ、面白そうなのよな。俺たちも色々と見せてるわけだし、バーターというわけでどうよな?」

五和のお願いに、建宮が乗ってくる。
美琴としては余り見世物になるのは気が進まないのだが、焦りから来るイライラを吹き飛ばすという点では良いかもしれない。

「せっかくですから、お姉様の『超電磁砲』をお見せしてはいかがですか、とミサカは提案します」

「レールガンって、戦艦とかの主砲として研究されているものですよね?」

10777号やレッサー、さらには天草式の連中までもが乗ってきて、何かをやらざるを得ない空気になりつつある。


「……分かったわよ。危ないから離れていて」

そう言うと、美琴は船の端のほうへと歩いていき、海上のほうを向く。
背中に感じるのは、期待と興味の視線。

懐から取り出したのは一枚のコイン。
それを右腕の親指に乗せて、勢いよく跳ね上げた。。
同時に頭の中で膨大な演算を処理し、必要な電力を生み出していく。

射角は上方45度。コインの加速に必要な磁場のレールは既に作り終えた。
まっすぐに伸ばされた腕の周囲を、溢れだした紫電が走る。そして、

一閃。

コインが音速の数倍で駆け抜けた軌跡が、一筋の光となって空を切り裂いた。

直後、コインが切り裂いた風の残滓が船の上を襲った。
皆が皆一様に腕で顔を守るようにしてうずくまる。
船上を包んだのは、驚愕と沈黙。
一瞬のち、それは歓声へと変わる。

「凄いですね……!」

「魔術師だって、こんな威力出せる人はそうそういないですよ……」

「飛ばすのがコインじゃなくてもっと大きいものなら威力ももっと出るんだけどねー」

五和やレッサーが、どこか畏怖を込めた視線を向けてくる。
その向こうでは天草式の面々が興奮気味に歓声を上げている。


「……あぁ、超能力者のお嬢ちゃんがちょっとばかし能力を見せてくれただけなのよな。物凄いぞ」

他の船が何かの異常だと思ったのだろう、建宮がカードを片手に何やら釈明しているのが聞こえる。
少しやりすぎたかと美琴が思っていると、レッサーがとんでもないことを言いだした。

「もしかして、今ので氷を砕いていけば、もっと早く到着できるんじゃないですかね?」


さすがにこれから深海へと潜ろうと言うのに、レールガンを連射して体力を消耗したくはない。
代わりに取り出したのは、砂鉄を詰めたボトル。
舳先に立った美琴は約4リットル分もの砂鉄を自在に操り、海上の氷を容易に切断していく。

「こんな特技があるなら、もっと早くに頼めば良かったのよな。
 しかし、もの凄い氷だ。こりゃ天然の流氷じゃなくて、『大天使』が落下した影響もあるかもしれないのよな」

「大天使って、あの翼が生えてて頭の上に輪っかがある、ゲームとかに出てくるようなアレ?」

「そう。まさにそんな感じよ。その正体は属性を持った高エネルギーの塊なのよな。
 第三次大戦でも大暴れしやがって、おかげで学園都市軍もロシア軍もしっちゃかめっちゃかなのよ。
 そいつは水と氷を操る奴で、それが上条当麻と一緒に北極海に落っこちたらしい」

美琴は一昨日、ロシアまでの足にしてきた超音速戦闘機の乗っていた時のことを思い出す。
遥かかなたに見える人影から、水晶のような翼が何本も生えていた。
翼の一振りで、何千mも離れた彼女の機体を真っ二つにした、恐ろしい存在。

「……もしかして、私が乗ってきた飛行機を両断したやつかも」

「ミコト、『大天使』に遭遇してたんですか!? 良く生き残れましたね……」

レッサーがぶるりを身を震わせる。建宮や五和も同じような表情だ。
恐ろしさの片鱗しか知らない美琴としては、ただ苦笑いする他ない。

「それで、お姉様は空から降ってきたというわけですね、とミサカはお姉様にお会いした時のことを思い出します」

「そういうこと。パラシュートなしで3000mのフリーフォールは焦ったわよ」

それを何とかしてしまうのが、レベル5超能力者のレベル5たる所以なのだろう。
自分よりも小さな少女の秘めた力に、天草式の面々は身震いする。


「……っと、ここから先は進めないのよな。潜っての作業になる」

ここから先の海域は空中要塞が落下したあたりなのだろう。
海上を覆う氷の向こうに、目の前の海面から何やら岩肌のようなものが飛び出ているのがいくつも見える。

建宮が壁を軽く叩くと船は動きを止めた。
彼が他の船に連絡を入れている間、美琴ら深海へと潜るメンバーは準備をする。

学園都市製の携帯電話やPDAは耐水性が高く、そのまま持っていっても問題はないだろう。
服だって魔術で防水になっているし、砂鉄はボトルに回収してかばんに詰め込んだ。
問題は、建宮に渡された通信用のカード。
見た目には、ただの紙にしか見えないのだが。

「服の中に入れておけば大丈夫です。なくさければ仮に濡れた所で特に問題もありませんし」

との五和の言葉で、胸元のポケットにしまいこんだ。
その上から、例の水中移動術式がかけられた赤いパーカーを着込む。
温かい感触が彼女の体を包み込み、頬を突き刺していた冷たい風も感じなくなった。
恐る恐る海面に手を突っ込んでみるが、熱を奪われるような感触もない。
他のメンバーも同様に霊装を着込み、船上が赤一色になった。

一番最初に潜るメンバーは美琴、10777号、建宮、レッサーの4人だ。
残るメンバーは4人が戻ってくるまで、船上でサポートをすることになる。

「絶対に上条さんを見つけてくださいね」

五和の言葉に笑顔でうなずくと、ヘッドライトを装着した美琴は海へと飛び込んだ。


水の中で、美琴はおそるおそる目を開けてみた。
とくに海水が沁みることもなく、視界は良好だ。
どういう理屈かは分からないが、ちゃんと呼吸だって出来ている。

建宮に促され、着衣で泳ぐことに慣れるために体を動かしつつ、美琴は周囲を見回してみた。
そこには、テレビなどで見る風景とはまったく異なる世界が広がっていた。

頭上を覆うように、どこまでも続く氷の天井。
足元に広がるのは、建物の残骸だ。
時代も様式も文化も違う、建造物の塊。
それが、見渡す限りどこまでもどこまでも続いている。

『あれが"ベツレヘムの星"。第三次大戦の黒幕が魔術で作り上げた、空中要塞なのよな』

カードを介した会話で建宮が解説をする。

『こんなものが、空を飛んでいたのよね……』

『参りましたね。あの要塞の中にいた時にある程度魔術的つながりを妨害するような術式を仕込んでおいたんですが。
 それが仇となったかもしれませんね』

それに加え着水時の衝撃、もしかしたら『大天使』とやらのせいもあるのかもしれない。
ベツレヘムの星はいくつかの塊に分裂していた。
とはいえ、一つ一つが直径約数kmはあろうかという大きさだ。

しかし、美琴らには上条の携帯の位置は分かっているのだ。
仲間に向けて軽くPDAを振ると、美琴は塊の一つに向けて泳ぎだした。
他のメンバーも、そのあとについていく。


目当ての塊は、中でも最も大きいものだった。
見上げれば頂上は海上にまで達し、下を見ればそれは漆黒の闇へと続いている。
軽く見渡すものの、内部へと侵入できそうな場所は見当たらない。

『あー、上下船、他の船のほうはどうなっているのよな?』

『女教皇様を中心に一番大きな塊へと向かっているところのようです。そちらは大丈夫ですか?』

『その最大の塊のところなんだが、内部に入れないことにはどうしようもないのよな。手分けして入り口を探すか?』

『この中にあいつがいるっていうのに、そんなまどろっこしいことはしてられない』

会話に割り込んだ美琴が、塊の表面へと近づいていく。

『入り口がないなら、作っちゃえばいいのよ』

かばんをから取りだした砂鉄の詰まったボトルの口を開ける。
砂鉄は一瞬海水に混じり辺りを漂うが、すぐに美琴の放つ磁力に沿って動き始める。

砂鉄によって構成された巨大な鞭。
砂鉄がある限りどこまでも伸びるそれは、磁力を操る美琴の思うままに動かすことができる。

ベツレヘムの星は世界各地の建造物の一部を無理やり組み合わせて構成されている。
つまり、岩盤のように密度が高いわけではなく、人が通れないほどではあってもあちこちに隙間があるのだ。

砂鉄の鞭はその隙間を縫うように侵入していき、その隙間を広げていく。
柱を切断し、天井を持ちあげ、時には大きな塊を丸ごと引っ張り外へと排出していく。
自身の身体能力は普通の女子中学生となんら変わらぬ美琴にとって、これほど便利なツールは他に存在しない。

あっと言う間に、分厚い外壁に直径3mほどの穴が開いた。

『さぁ、さっさと入るわよ』

唖然とする3人をよそに、美琴は砂鉄を随伴させたままさっさと中へと入っていってしまう。

10mほどの厚みのトンネルを抜けると、そこは上下に広い空間だった。

『もしかしたら、崩れた時に横倒しになったのかも知れませんねぇ。
 ほらあれ、移動用の車両のレールですよ』

レッサーの言葉を裏付けるかのように、入ってきた穴の向かい側には上下に走るレールが設置されていた。

『お姉様、あの方の場所はどちらでしょう』

『ちょっと待ってね……。下ね、下のほう』

『下ですか……』

一同は思わず足元を見る。
今いる場所ですら、光があまり届かず薄暗いのだ。
足元に広がる全てを飲みこむかのような闇に、思わず息を飲む。

建宮が首にかけた携帯扇風機を一つ取り外し、呪文のようなものを唱えるとそれはまばゆい光を放ち始めた。
無造作に手を離すと、扇風機は重力に従い奈落へと落ちていく。
それはどこまでも。
どこまでも。
どこまでも。
どこまでも落ちていき、やがて幽かな光芒すらも見えないほどの深みへと消えていった。

『………………………………………………………………………………………………』

一同を重い沈黙が襲う。

『は、反応がある場所は分かってるわけだしさ、同じ深さになったらまた壁に穴でも開ければいいのよ!
 何も海底まで潜らなきゃいけないってわけでもないんだしさ!』

『そ、そうなのよな! 我々の目的はあくまで上条当麻の捜索であって、深海調査ではないのよな!』

あはは、あははと無理やりに励ましあう一同。
それでも、落下し続ける扇風機の姿はありありと脳裏に焼き付いてしまった。
あれは、今も落下し続けているのだろうか?


ヘッドライトのスイッチを入れ、4人は恐る恐る降下を始める。
ライトだけではいささか心細いのでレッサーが魔術を発動させると、4人の周囲がほのかに明るくなる。
光源の見当たらぬ不思議な明かりだが、これではぐれてヘッドライトの灯りが切れた挙句暗闇の中に迷子、という可能性は無くなった。
幸いにも内部に侵入した時点で大分深度を稼いでいたために、侵入口が見えるくらいの深さまでの降下で済んだ。

『だいたいこの真横らへんよね』

高さはほぼ同じ。
PDAが指し示す座標は、ここからそう遠くない場所を指し示していた。

『ここの壁、ブチ抜くわよ。ちょっと離れてて』

美琴はそう言うと、先ほどと同じように砂鉄の鞭を振るい、壁を穿っていく。
『外壁』に相当する部分と違い、『床』や『天井』に相当する部分はそこまで堅牢ではないのだろう。
さほど苦労せず壁に大穴を開け、内側へと入っていく。
その穴の中に建宮が紙片を張り付けると、それは幽かな光を放ち始めた。
帰り道の目印とするのだろう。


同じようにして、次々と壁を突破していく。
それにつれて増す変化に、建宮がまず最初に気付いた。

『お嬢ちゃん、ちょっと待て』

『どうかしたんですか?』

『壁をぶち抜いて内側に入っていくごとに水温がどんどん下がって行ってるの、気付いてるか?』

そう言われても、北極海に初めて浸かった美琴にはその差異が分からない。
10777号も同様のようだ。
が、建宮と同じ魔術師のレッサーにも何か感じるものがあるようで、彼女らしからぬ真剣な顔をしている。

『これは……『神の力』のテレズマでしょうか?』

『かも知れんのよな。完全消滅が確認されたとは言え、その力の残滓が未だに環境に影響を与えていることは十分に考えられる。
 みんな、ここから先は気をつけて進むのよな』


魔術師二人とは異なり、美琴には『神の力』の本当の恐ろしさは分からない。
しかし、その力の片鱗はすでに見ているのだ。
そして、上条当麻が最後に立ち向かった敵だと言う。
否応なしに気が引き締まる。

次の壁を突破した時に、美琴や10777号もようやく異変に気付いた。

氷だ。
大きな氷柱のようなものが壁を突き破り、あちらこちらから生えている。

普通、海水が凍りつく時は空気に触れている面、つまり海面から凍り始める。
液体は液体のままでは通常氷点以下にはならないため、より氷点の低い物質に熱を奪われなければ凍ることはできないからだ。
よって、水の中に自然には氷は発生しないということになる。

つまり、目の前の氷は、この先に明らかに氷点下の冷気を放つモノが存在しているということであり、
この状況下で考えられるモノは、大天使『神の力』のみ。

一同は否応なしに緊張を強いられる。
大天使と戦い消息を絶った上条当麻。
その残滓が近いとなれば、彼の痕跡もそこにあるということにほぼ間違いはない。
事実、彼の携帯電話の反応はこの先を示しているのだ。

美琴は胸元をぎゅっと抑えた。
この先には彼女の知りたくない事実が待っているのだろうということは容易に想像がつく。
彼女がそれを認めようが認めまいが関係なしに示される彼の結末は、彼女の心に何をもたらすのだろう。
今ならば、まだ引き返せる。逃げることができる。

だが、彼女は心の弱い部分が持ちかけてくる甘い誘惑を意志の力で断ち切る。
『せめてあの少年を、彼の帰りを待つ人間のもとへと帰す』
それだけを誓い、彼女はここへ来たのだ。
その過程で、少年一人助けられぬような弱い自分の心がどうなろうと知ったことではない。

『……行くわよ』

震える腕をしならせ、美琴は最後の壁を破った。


そこは、今までのような階層とは違う、だだっ広い空間があった。
正確にはいくつかの階層が崩落してできたのだろう、壁の残骸のようなものがあちこちに見受けられる。
その中央に座しているのは氷山のように巨大な氷塊。
そして、それから飛び出してる無数の氷柱。
大きさも太さも長さもばらばらなそれはありとあらゆる方向に伸び、壁を床を天井を穿っている。

人智を越え、災害すらも越え、もはや『天罰』の域にまで達した大天使の墓標がそこにはあった。
そして、大天使の破壊というヒトの身ではとうてい為し得ないことをやり遂げた少年もその中に。

それを確認すると、美琴は意を決して氷塊へと泳ぎ始め、10777号もそれに続く。
二人は表面に近づくと、砂鉄を操り表面を穿ち始めた。

『お、おい、何が起こるかわからんのよな! もう少し慎重にだな』

『手を伸ばせばすぐそこにあいつがいるっていうのに、そんな悠長なことは言ってられないわよ!』

そう言いつつも、美琴は能力を使うことをやめない。
建宮とレッサーは頭を抱えつつも、二人に続いて氷塊に取り着いた。

美琴と10777号の砂鉄の鞭が、氷塊をバターのように切り裂く。
魔術を込められた建宮のフランベルジュが氷柱を砕き、レッサーの『鋼の手袋』がそれを掴んで遠くへと放る。
ただの氷ではないようで、やたら硬度の高い壁に苦戦しつつも、4人は着実に掘り進んでいった。

中心へと近づくにつれて、胸の痛みはどんどん強くなる。
それは心が放つ自己防衛のためのシグナルなのかも知れない。
うるさい。黙れ。それがどうした。
そのいっさいに耳を貸さず、美琴はひたすらに砂鉄の鞭を振るい続ける。

そして、

『……辿り着いた』

最後の一突きで氷壁を突き崩し、4人はついに氷塊の中にあった空間への侵入を果たした。
直径約5m程度の狭い空間。
その中央には。


──その中央には、人型の氷像があった。
恐らくこれが冷気を放っているのだろう、付近の海水はシャーベット状になっている。
すわ上条当麻の亡骸ではないかと思ったが、それにしてはどうも様子がおかしい。
向こうが透けて見えるほど透明度の高い氷の中には何も見えない。
ただ氷像が鎮座しているのみで、他にその空間に人影は見つからない。

『……きっと、大天使の残骸ですよ。要塞の中から見た大天使にそっくりです』

その氷像はひらひらとした布を纏った女性のような姿だ。
頭に相当する部分の真上には、リング上の氷が浮きもせず沈みもせずに漂っている。
背から生えた水晶の柱のような翼は氷壁へと溶け込んでいた。
恐らくこの氷塊を形作っていたのはこの翼なのだろう。
何かを掴もうとするかのように伸ばされた『左手』部分には、裂けた黒い布のようなものを掴んでいた。

『……お姉様、これはひょっとして学生服のズボンではありませんか?』

なるほど、ずたずたになってはいるが、確かにズボンだと言われればズボンに見える。
美琴はそれをひっ掴み、ポケットの中を探った。
右側のポケットの中から、携帯電話を引っ張り出す。

千切れたストラップ、ひびの入った画面。
電池が切れかかってはいるものの機能は健在で、何百件もの着信やメールの通知が表示されていた。

あの少年はこんなところに沈んでなど居なかった。
だが同時に、これで彼を探す手がかりは途切れてしまった。

上条の携帯電話を大事な宝物のようにそっと胸元に抱きしめる美琴の耳に、建宮の訝しげな声が響く。

『……ひょっとして、上条当麻はこのズボンを自分で脱いだんじゃねぇのよな?』


建宮の言葉に、一同の視線が彼へと集まる。
ズボンをひらひらと振り、彼は説明を始めた。

『このズボンを見てみろ。ベルトのバックルも、チャックも外れてるのよな』

『それが、どうして自分で脱いだことにつながるんですか?』

「仮に天使さまに足を掴まれて振り回されでもして脱げたなら、こんなに綺麗に外れてるのはおかしいのよ。
 ベルトはズボンがずり落ちないようにするためのものだ。ちょっとやそっとで外れたら困る。
 だから、仮に無理やり脱がされでもしたら、ベルトの穴も留め金もひん曲がっているはずなのよ』

実際には、ベルトは穴も留め金も綺麗なままだ。
積年の使用によるものだろう、多少変形してはいるが、とても大きな力がかかって外れたものとは思えない。

『では、どうしてあの人は自らズボンを脱いだりしたのでしょう、とミサカは疑問に思います』

『大天使に足を掴まれて、それから逃げるため……ですかね?』

4人は大天使の亡骸を見下ろす。

『あいつの足を掴んだけど逃げられて、その直後そのまま凍っちゃった、そんな感じよね』

『そもそも、こっちはこっちでどうして凍りついてるんですかね。
 微弱なテレズマは感じますけど、それは痕跡程度でこれ自体が放っているわけではなさそうですし』


『……ここからはあくまで材料からの推測だけどな、上条当麻の右腕は一撃では大天使を殺せなかったんじゃないかと思うのよな。
 いくら異能の力とはいえ人間にはまとめ切れぬ膨大な量と密度を持っているんだ。ヒトの身では消し切れなくても不思議じゃない』

しかし、彼はレベル5第三位の電撃を、第一位の反射膜をも容易に粉砕したのだ。美琴は反論しようとしたが、

『私も見ました。謎の襲撃者の"黒い翼"やフィアンマの巨大な魔術剣は消すのに時間がかかったみたいなんです』

というレッサーの言葉に遮られる。

『つまり、上条当麻はどうにかして大天使をぶん殴ることに成功したのよ。どうやってか、我々には想像もつかんけどな。
 船の上で、大天使は高エネルギーの塊だと説明したのよな?
 もう少し正確に説明すると、"強力な魔術でできた風船に、強力なエネルギーをたらふく詰め込んだ"って感じなのよ。
 "風船"自体も圧力に負けて破裂しないよう非常に強い魔力を込めて作られていただろうし、あの右腕で消し切れなかったのは道理なのよな?』

その残骸が、目の前の氷像。

『で、上条当麻の一撃は"風船"そのものを消し去るには至らず、穴を開ける程度にとどまった。
 穴の開いた風船から空気が漏れるように、テレズマはどんどん漏れていく。
 それでもテレズマが残っているうちはまだ動くことができ、最後の力で上条当麻の足をつかんだ、ってところですかね』

『だが、上条当麻には逃げられ、やがて力尽きた大天使さまはこんなメルヘンチックな残骸に成り果ててしまったのよな。
 おおかた、"風船"の魔術はまだ働いているんだろうよ』

建宮は氷像を拳で叩く。

『大天使の残骸なんて残しておいてもろくなことがないのよな。
 あとで女教皇様に破壊してもらわなければ』


『じゃあ、あいつはどこに行っちゃったのよ』

問題はそこだ。
美琴らは上条当麻を探しにこんな深海にまで来たのだ。
携帯電話を見つけました、しかし上条当麻はいませんでしたでは帰れない。
手がかりが途切れた以上、それに代わるものを見つけなくてはならないのだ。

『……一度船まで戻って、それから考えませんか』


氷塊の外まで戻り、建宮が上下船や他の船から出ている捜索隊へと連絡を取る間、美琴はあたりをふわふわと漂っていた。
何ら特殊な装備をせずに、暗闇の中に無数の氷柱が浮かび上がるファンタジックな水中を漂うなど、一生に一度すらもないような機会だ。
不謹慎ながらも、心に留めて置きたいと思うのは仕方のないことだろう。
胸元のカードから漏れ聞こえる通信から安堵と落胆、そして幽かな希望の色がうかがえる。

くるり、と頭の位置を変えたのに従い、美琴の頭に乗っかっているヘッドライトが照らす場所も変わる。
そのさなか、妙な引っ掛かりを覚えた。
頭の位置を慎重に戻すと、それは容易に見つかった。
氷塊の真上の天井に口を開ける、巨大な亀裂。

『ねぇ、みんな!』

顔を動かさぬよう慎重に問いかけると、他の人が集まってくる。
ヘッドライトの先を追うように指示する。

『あの亀裂、どこに繋がってると思う?』


天井に開いた亀裂を抜けると、そこは先ほどの空間とは別のフロアらしかった。
ベツレヘムの星に侵入した場所のような、上下に長い空間。
上条当麻が最後に戦った場所の、真上にある通路。
そして、はるか上方にちらりと見えた光。
もしかして。
もしかすると。
そんな気持ちを抱え、4人はその空間をどんどん上昇していく。

氷点に近い水温の中、特殊な装備を持たず、息継ぎすら満足に出来たか分からない状態で、深海200mからの浮上。
間違いなく常人では不可能に近い。
そもそもこの通路を上昇したかすら定かではない。
それでも、4人はただ信じて昇り続ける。

昇って行くにつれ、上方が明るくなっていく。
やがて、4人はまばゆい光の中へと飛び出した。


暗所に慣れた目が眩み、ふらふらとしつつもなんとか岸に手をかける。
魔術の援護があるとはいえ、水中に数時間以上。体力は限界に近い。
やっとの思いで這い上がると寝転がり、しばし体を休めた。

そこは、海上の氷から飛び出た、ベツレヘムの星の残骸の上だった。。
昇ってきた通路は海面よりほんの少し高い位置で開口していたため、氷に覆われずに済んだのだ。
その分、這い上がるのは大変だったのだが。

ようやく慣れた目で美琴は辺りを見回した。
もしかしたら、その辺りに上条がいるかもしれないと思ったからだ。
彼女らのように服が防水されているわけでもない彼は、この寒さの中では凍え死んでしまったかもしれない。
そんな焦燥の中、彼らは辺りを探しまわる。

が、周囲には人影は見つからない。
もしかしたら、彼はあの通路を上昇したわけではなかったのかもしれない。
落胆に加え疲労の色も濃く、4人は思わずへたり込んでしまう。

その時、10777号が叫んだ。

「お姉様、あちらのほうにキャンプのようなものが見えます、とミサカは報告します」

彼女が指さす方向には、確かに氷上キャンプらしきものが見える。
もしかしたら、他の魔術師たちの捜索隊のキャンプかもしれない。

ひょっとしたら、という思いに駆られた美琴は、疲れも忘れて駆け出した。


美琴らが浮上してきた場所からキャンプまでは1kmと無かったものの、水中に慣れ疲れ切った体ではその距離すらももどかしい。
息も絶え絶えになりつつも、なんとかキャンプまで辿り着いた。
皆室内で暖を取っているのだろう、外に人影は見当たらない。

「誰か、誰かいませんか」

かすれる声で呼びかけるが、応答はない。思わず日本語になってしまったのがいけないのだろうか。
代わりにロシア語で呼びかけると、一番近くのキャンプから若い青年が現れる。
彼はややなまったロシア語で美琴に応えた。
彼らはシベリア極東地域に住む、伝統的な暮らしを守ることを旨とする集団で、戦禍を避けて西の方まで逃れてきたのだと言う。

「この少年を知りませんか。どんなことでもいいんです」

美琴は携帯電話を取り出し、画像ファイルを開いて見せる。
彼女が持っている中で彼が映っている写真と言えば唯一ペア契約の時に取った恥かしいものだけなのだが、そんなことは言っていられない。
若者は写真を一瞥すると、美琴らに待っているように言い中へと引っ込んだ。

やがて、若者は一人の老人を伴って現れた。
彼らのリーダーなのだという。


「人を探してやってきたと聞いたが、お前たちはどこの人間かね。
 見たところ、ロシア人ではないようだが」

「私と妹は学園都市の学生です。
 黒髪でツンツン頭の日本人の少年を探してロシアまで来たの。これが彼の写真です」

先ほど若者に見せたのと同じ写真を老人に見せる。

「……この少年を探しに、学園都市の学生がロシアまで来たのかい」

「ええ。彼について、何か知っていることはありませんか?」

老人はまるで何かを見定めるかのように、美琴の瞳を見据える。
それに負けないよう、美琴もじいっと見つめ返す。
しばらく、無言の時間が流れた。
不意に、老人が呟く。

「その黒髪の少年ならば、我々が救助した」

「…………ッ!!」

老人が告げた言葉に、美琴らは目を皿のように見開いた。
「……生き……てるの?」という呟きには、頷くことで肯定を与える。

「……良かった……良かった……ッ!!」

思わず傍らの妹を抱きしめ泣きじゃくる美琴。張りつめていたものが決壊したのだろう、その涙は止まることなく溢れ続ける。
10777号はそんな姉を優しく抱きしめるとともに、ミサカネットワークに上条当麻生存の一報を流す。

「……それで、その少年は今、どこにいるのよな?」

建宮が促す。
生存が分かった以上、一刻も早くこの目で無事を確かめたい。

「残念ながら、彼は既にここにはいない」

「それは……どういうことですか?」

「我々があの少年を助けた時、凍死寸前の状態であった。
 我々は伝統的な生活を守ることを旨とする集団だ。治療の手段と言えば、場当たり的な民間療法くらいしか持たない」

老人の説明を若者が引き継いだ。

「だから、我々は悩みました。
 大怪我をし、高熱に苦しむ少年をどのように治療すべきか。
 我々にはせいぜい薬草を煎じて彼に飲ませてやるくらいしかできません。
 近代科学には頼らないと言う自分たちの主義主張を彼に押し付けて、このまま見殺しにすることはできない。
 そう考え、やはり近代的な治療のできる学園都市軍に引き渡そうとしたその時、とある男が現れて言ったのです。
 『俺は学園都市に関わりがある人間だ。俺が連れて行ってやる』とな」

学園都市に関わりを持つ人間が、上条当麻を既に回収していた。
美琴はロシアに来るきっかけになった情報ファイルを思い出す。
『上条当麻を生きたまま連れ戻せ。他の組織への帰属が明らかになった場合は強襲せよ』
要約するとこうなるあのファイルから考える限り、何か後ろめたいことに巻き込まれる可能性は極めて高い。


「そ、その男の特徴は!?」

「そこそこ身なりのいい男で、日本人にしては背が高く、整った顔立ちをしていたな。
 まるでライオンのようなイメージを与える男だった。
 昨日の夕方ごろに現れ、今朝早くここから東のほうへと去って行った」

「……この地点から真東へ約300kmのところに学園都市の機関があります。そこへ向かったのではないでしょうか」

既に半日近く経過している。
雪上であるということを考えても、車などを使えば既に到達している可能性は高い。
しかし、ただでさえ戦闘機をハイジャックして密航してきた美琴だ。
この上学園都市の機関を強襲したとなれば、万が一彼を救えたとしても美琴は晴れて国際的テロリストの一員だ。
重体の上条を抱えて、最先端技術の粋を凝らした軍隊から逃げ切れるはずもない。

「……お姉様、その提携機関には姉妹たちがいます。彼女らに偵察を頼みますか?」

「お願い。……ねぇ、その男のことで何か他に覚えていることはない?
 なんでもいいの。覚えていることは全部教えて」

美琴の必死の言葉に、老人や若者は考え込む。

「……そうだな、『何かバカでかいものが落ちたから見に来た』とか『学園都市の機関に会いたい人がいる』とか言っていたな」

「『仕事でロシアに来たら戦争に巻き込まれて大変な目にあった』とかも……。
 待てよ、確か名刺のようなものを置いて行ったような……」

若者はテントの中へと戻り、しばらくして小さな紙を持って戻ってくる。
美琴は手渡されたそれを覗き込み、そして驚愕した。

そこに書かれていた名前は。


同時刻。
彼は自らの激しいせきで目を覚ました。
霞がかかったような視界、割れるように痛む頭、そして息苦しく燃えるような感覚に包まれる体。

感覚がはっきりとしない。
浮いているのか、落ちているのか。
立っているのか、寝ているのか。
自分がどちらを向いているのかすら分からない。

「おや、お目覚めかな?」

彼が起きたことに気付いたのか、どこからか男の声が聞こえる。

「調子はどうだい?」

何か答えようとしたが、口がうまく回らない。
かわりに喉の奥に妙な感覚を覚え、体をくの字に曲げて激しくせき込んだ。

「ああ、無理をしなくてもいいよ。物凄い熱があるんだ、苦しいだろう。
 ちくしょう、常備用の風邪薬程度じゃ効きやしないか。もうすぐ病院に着くからな」

男がどこか労わるように言うが、彼の頭はその言葉の意味を理解できないほどにその機能を低下させていた。
激しい耳鳴りと歪む視界、強い吐き気が彼を苛む。
考えがまとまらない。考えることすらできない。

「ああそうだ、自己紹介をしていなかったね」

耐えきれず、再び眠りへと落ちていく中で最後に聞いたのは男の名前。

「俺は御坂。御坂旅掛っていうんだ。よろしくな」

今日はここまでです。
相変わらずご都合主義と矛盾満載でお送りしていますが、少しでも楽しんでいただけていると幸いです

上条さんがどんな格好で打ち上げられていたか考えてはいけない

最初土御門さんかと思ったけど父さんだったー!

ついに両親公認フラグへ…
大期待です

こんばんは
たくさんのレスありがとうございます

>>132
おっと、そうは問屋がおろさないぜ
思春期の娘に近づく野郎に対する、父親の敵意の強さは異常

では、投下していきます

『……ミサカ何とか号へ。先ほど依頼された件ですが、30分ほど前に急患が野戦病院に運び込まれたそうです、とミサカ19999号は報告します。
 患者を連れてきた男性の特徴はあなたが報告したものとほぼ一致したそうです』

『……ミサカ抜け駆け号へ。医者の話によると患者は10代前半の少年だということです、とミサカ20000号は補足します。
 あなたや19999号の報告と合わせると、あの方である可能性は極めて高いとミサカは思います』

『了解しました。ところで、言葉の端はしにこのミサカへの悪意が感じられるのは気のせいでしょうか』

『自分だけお姉様にしれっと検体番号ではなく名前を呼んでもらってるんじゃねーよ、とミサカ19999号は何とか号を非難します。ずるい』

『そうだそうだこのズッコズーズー、とミサカ20000号は19999号に全力で同意します。うらやましい』

『……"今からそっちに行くから、名前で呼んでほしいならそれまでに考えておきなさい"というお姉様のお言葉をいただきましたが、
 余りにもミサカいじめが酷いのでこの言葉はミサカの胸の中へとしまっておくことにしましょう、とミサカ10777号は報復を考えてみます』

『さすがロシア在住ミサカの中で一番先に造られたミサカ、やる時はやりますね、とミサカ19999号は10777号を褒めそやします』

『その掌の返しようは何でしょう。しかし本当にグッジョブです、とミサカ20000号は追従し、10777号の手柄を称えます』

『ちょっと待ってください。どうしてロシア在住の姉妹だけ名前で呼ばれるようなことがあるのでしょう、とミサカ17000号は抗議します』

『そもそも7が3つでナナミなら、このミサカにもそう呼ばれる権利があるはずです、とミサカ11777号は主張します』

『いいえ、7と3でナナミと読むほうが自然ではないでしょうか、とミサカ10073号は反論します』

『待ってください、それでは7が4つのミサカの名前はどうするべきでしょうか、とミサカ17777号は尋ねます』

『ナナヨ……いえナナシでいいのでは、とミサカ11111号は提案します。名無しだけに。ぷくく』

『話がずれています。名前談義など後でいいでしょう、とミサカ10032号は場を収めようとします』

『『『あの方に"御坂妹"などという固有名称をいただいたあなたが言えることではないのでは? とミサカたちは口を揃えます』』』

『そんなことよりも、全ミサカに相談したい緊急のことがあります、とミサカ19999号は発議します』

『……いろいろと納得しがたいことはありますが、緊急と聞いては矛を収めざるを得ません、とミサカ17830号は先を促します』

『はい。件の男性についてなのですが────』


「インデックスッ!!」

厳かな祈りの場に相応しからぬ剣幕で、ステイル=マグヌスは大聖堂へと飛び込んだ。
彼がここまで取り乱すのはめったにあることではない。

「……どうしたの」

「北極海で上条当麻を探している天草式から連絡が入ったんだ。
 未確認だけど、上条当麻が生きて学園都市に回収されたらしい!」

「ッ!?」

その言葉に、彼女は跳ね上げるように顔を上げ、ステイルへと詰め寄った。

「とうまが……生きてるの……?」

「ああ。報告では、東方から避難してきていた伝統集団が救助して、学園都市に引き渡したらしい。
 運悪く天候不順で移動手段がないらしくて、朝を待って神裂らが確認に向かうところだそうだ」

「良かった……」

ふわりと崩れ落ちるようにその場に座り込み、静かに涙を流すインデックス。
彼女の頬を伝うのは今までのように悲しみによるものに代わる、喜びによる新たなものだ。

「確認ができ次第、僕たちも現地に飛べるように手配をしておく。
 ……それにしても、酷い顔だ。彼に再会する前に、少し身だしなみを整えておくべきだと思うね」

「失礼な、これでも私はレディーなんだよ。言葉には気をつけてほしいかも!
 ……うぅ、だけど、ちょっとお花を摘みにいってくるね」

そう言うなり彼女は小走りで大聖堂を出ていく。
ステイルのことなど振り返らずに去った彼女の顔は驚くほど喜びに満ちていて。
彼ははインデックスが笑顔を取り戻した喜びと、一抹の寂しさの混じる表情でそれを見送った。

「『右方のフィアンマ』をたった一人で打倒し、大天使との戦いからも生還した、か。
 上条当麻、君は本当に頑丈にできているんだね」

上条当麻が生還したということは、ステイルの役割はここで終わり。
あとは彼にインデックスを引き渡し、二人は学園都市に帰り、ステイルはイギリスへと帰る。
それが『日常に戻る』、ということなのかもしれない。

懐から煙草を取り出し火をつけようとするが、幾度か試したあと途中でやめてしまう。
胸の中に反響するのは、たった一度呼んでもらえた名前。

「……しけってやがる」

短くつぶやいた言葉は、大聖堂に満ちる冷たい空気の中へ消えた。


「……凄い」

神裂ら他の天草式のメンバーらと再び合流してから数時間後。
夜の帳が下りた駅のホームに、大きな車両が停車していた。
ロシア成教が保有する高位聖職者のための特別な車両だということだ。
建宮が言うには最大主教さまが気前よく貸してくれたらしい。

赤い尼僧服に身を包むシスターに手招きされ、中に入るとその豪奢さがよく分かる。
通常の列車とは全く異なり、まさに教会に車輪をつけて連結させた、という表現がぴったりだ。

「折しも天気が崩れて参りましたので、あまり速度を出すことができません。
 一晩かけて目的地へと向かうことをご了承ください」

案内役のシスターが申し訳なさそうに言うが、むしろ美琴らが恐縮してしまう。
右も左もわからぬロシアで、移動手段を提供してくれただけでもありがたい。


シャワーを浴び、寝室にと宛がわれた部屋のベッドで、美琴は大の字になる。
泳ぎ疲れた体に高級感あふれる大きなベッドの柔らかさが心地いい。
となりのベッドでは10777号が妙な動きをしていた。

「何やってんよ?」

「美容体操です」

「……効果あるの?」

「最初にこれを始めた19090号のウェストは、姉妹全員のアベレージよりもいまや親指3本ほど細いそうです。
 ミサカのおなかもすっきりして欲しいなぁ、とミサカはほのかな嫉妬を感じています」

「そんなこと言って、別にあんた太ってるわけでもじゃない」

目の前の妹は自分に生き移しだ。
自らの体形が気にならない美琴としては、妹も同じようなものだと思ったのだが、

「世の男性は痩せている女性のほうが好みだそうですよ? 恐らくあの方も、とミサカは推測を述べます。あくまで推測です」

その言葉は看過できない。
実際にはこれは冥土帰しが教え込んだやや偏りがちな価値観なのであるが、美琴はおろか又聞きの10777号には知るすべはない。
唐突に動きを止めた美琴に、10777号は問う。

「お姉様にも、お教えいたしましょうか?」

「………………………………………………」

ややあって、美琴の首が縦に動いた。

姉妹そろって、ベッドの上で体をひねる。

「……体操だけじゃなくて、よく食べてよく体を動かしてよく寝るほうが健康にはいいと思うけどなぁ」

「ミサカもお姉様と同じように何時間も泳いで疲れていますから、今日はよく眠れそうです」

「そうね、時差ボケなんかどこに行ったんだーって感じよ、私も」

日本から超音速戦闘機でロシアの果てまで飛んできたのだ。
体内時間と現地時間がずれていてもおかしくはないのだが、いろいろありすぎてそんなものは吹き飛んでしまった。
一通り体をほぐし終え、美琴はぱたん、とベッドに再び横になる。

「おや、お姉様はもうお休みになるつもりですか」

「んー、そうね。あの馬鹿に会えたらしてやる説教の文句でも考えながら寝ることにするわ」

「その前に、少々ご相談があるのですが」

「なぁに?」

早くもシーツに包まり、もぞもぞ顔だけを妹に向けながら美琴が答える

「あの方を学園都市軍の病院へと連れて行った男性、御坂旅掛氏を、ミサカたちはどうお呼びすれば良いのでしょう」

「……んー、お父さん、でいいんじゃない? 遺伝的にはあんたたちだってあの両親の娘なのよ。母さんも同じ感じで」

そこまで言って、美琴はある懸念を思い浮かべた。
妹たちがいる施設に、父が向かったということは。

「……もしかして、これから行く機関にいる子たちがお父さんに遭遇しちゃったりしたの?」

父親や母親は妹たちの存在を知らない。
知らぬ間に娘のクローンが2万人も造られ、そのうち半数以上が実験動物として既に死亡しているというショッキングな事実。
いつまでも隠し通せるとは限らないとはいえ、美琴の中では伝えるべきではないことだとも思う。
レベル5第3位であるとはいえ、未だ中学生。その決断を下すには余りにも重すぎる。

「いいえ、情報を集め終わったあと、速やかに自室に退避しました」

「……そう」

妹たちには申し訳ないと思いつつも、美琴は胸を撫で下ろす。
今はまだ、両親に打ち明けるには覚悟も準備も足りない。
とはいえ、ひとまず危機は回避した。
そう思ったのだが。

「しかし、"お父様"はどうやらミサカたちを探しているようです、とミサカは姉妹たちの報告を伝えます」

「えぇっ!?」

美琴は思わず身を起こし頭を抱える。
大覇星祭の時だって母親からは目を離さなかったし、両親と連絡を取り合う時だってそれらしいことをほのめかしたこともなかった。
自分から漏れたという線はないと言ってもいい。

だとすると、父親はどこから妹達の情報を得たのか。
「世界に足りないものを示す」などといういかにも胡散臭い仕事をしている父親のことだ。
どこにどんなコネクションがあるかは分かったものではない。
もしかしたら「マジュツ師」にコネがあったとしても不思議ではない、と今なら違和感なく思える。

しかし、今は情報源自体は問題ではない。
重要なのは、妹たちの情報を知り得たかもしれない、いや十中八九得ているだろう父親にどう対応するかということだ。
父親は怒るだろうか、悲しむだろうか、憤るだろうか。もしかして妹たちを気持ち悪がるかもしれない。
娘に瓜二つのクローンを前にしたら、どのような行動に出るかなんて分かったものではない。

だが、美琴は「どんなことがあっても妹たちをこれ以上死なせない」と既に決めたのだ。
仮に父親が妹たちを拒絶したとしても、やることは決まっている。


が、たまりにたまった疲労が白い靄となって美琴の頭の中を占領していく。

「……ダメだわ。眠くて頭が回らない。
 ええい、出たとこ勝負よ。あのいつもどこにいるんだか分かんないヒゲオヤジ相手に考えるほうが無駄ね」

「お休みなさい、お姉様」

「お休み。……ねぇ、一つ覚えておいてよ」

「何をでしょう」

「あんたたちは、私の大事な妹たちだから。何があっても、私はあんたたちの味方だから。
 だから、何か困ったこととかあったら、何でも相談してよね?」

「………………………………………………はい」

しばらく間をおいて、10777号が頷く。
その反応から、今現在何か抱えてる悩みがあるのかもしれない。
思わず、美琴に打ち明けたくなるような事が。

だが、美琴はあえてそれを問い詰めるようなことはしない。
「相談してほしい」と「相談しろ」は異なるものだ。
美琴が妹たちに求めるのは、対等。
頼り頼られるような普通の「姉妹」としての関係だ。

「お姉様」

「…………なぁに?」

しばらくたち、うとうとし始めていた美琴は妹の声で起きた。
声のほうを見ると、10777号が枕を抱えて立っていた。

「お姉様と一緒のベッドで寝ても、よろしいでしょうか」

「いいわよ」

そう言って、美琴は妹の為に場所を空ける。
美琴が寝ていた位置へと潜り込む10777号。
豪奢なベッドは、二人で寝ても余裕があるほど大きい。
二人は枕を並べ、自然と互いのほうを向きあう。

「……誰かと一緒に寝るのは、初めての体験です」

「私だって久しぶり。小さいころに里帰りしてお母さんと一緒に寝たくらいかしら。
 ……まあ、毎朝ベッドに忍び込んでくる変態な後輩はいるけどさ。
 あんたも学園都市に来たら、私と同じ制服を着たツインテールには注意しなさい。
 何かされたら容赦なく電撃かましていいから」

それから10777号にお休み、ナナミと言い残して美琴は目を閉じた。
よほど疲れていたのだろう、一分と経たぬ間に、規則正しく可愛らしい寝息が聞こえてくる。


(…………番外個体や"第三次製造計画"について、切りだすことができませんでした)

10777号は美琴の頬を軽く撫で、心の中で一人ごちる。
妹達全員に関わる問題だ、美琴に頼るのは道理である。
彼女が知れば、全力でその阻止に動くだろう。

(……でも、ミサカは優しいお姉様に傷ついて欲しくはありません)

レベル5第3位とはいえ、未だ14歳の少女だ。
その繊細で柔らかい心に、学園都市の暗部は容赦なく深い傷を残すだろう。
かつて美琴が自殺まがいの特攻を思いつくまでに追い込まれた、八月の悪夢のような一週間のように。

(……"第三次製造計画"については、まだ不明なことばかり。もっと情報を集めてからでもいいのでは、とミサカは自己弁護します)

何より、美琴自身も心配事を抱えている今はその解決に尽力してほしいし、10777号自身もそれを手伝いたい。
そう自分を納得させ、10777号も目を閉じた。


同時刻。学園都市にて。
黄泉川愛穂は、同僚である月詠小萌の部屋で彼女を慰め続けていた。

小萌の教え子である上条当麻、及び土御門元春が失踪し早2週間。
加えて、小萌の部屋に居候していた結標淡希も同時期に家を出たまま帰ってこないという。

学生を何より大事にする小萌のことだ。
同時期に3人も生徒が行方不明になり、いまだ消息も掴めずにいる、というのはあまりに辛いだろう。
生徒の前では健気にも気丈にふるまっているが、自分の部屋では心配のあまりずっと泣いているらしい。
黄泉川は『警備員』に所属しており、何かあればいち早く情報を手に入れることができるというのもあり、
少しでも小萌の支えになろうとしているのだった。

そんな中、黄泉川は仕事中に数枚の写真を手に入れ、確認のために小萌の元へと持ってきた。
それに映っていたのは、ツンツン頭の少年と銀髪の少女。

「……どうやら上条ちゃんとシスターちゃんのようですが、これは?」

「第23学区の空港の、10月17日の防犯カメラの映像じゃん。それも国際線の。
 2週間『警備員』が血眼になって探しても証拠一つ見つからないなんてことはあり得ない。
 だから、ひょっとしたら学園都市外に出たんじゃないかと思って、ゲートや空港の防犯カメラを一つ一つ調べて行ったじゃん。
 ……それで、これは小萌センセのとこの悪ガキと、その居候で間違いないんだね?」

「は、はい。先生が生徒さんを見間違えるなんて有り得ないのです」

「それにしても、一般生徒がどうして国際線にいるじゃん?
 出国申請も何も提出はされていないじゃんよ」

「シスターちゃんはイギリス出身だそうですから、その関係なのでしょうか……?」

「イギリス……」

上条当麻とインデックスという少女がイギリスへ発ったとして、気になるのはその日付。
10月17日。
イギリスにおいて、クーデターが発生し鎮圧された日。


(……ひょっとして、シスターの用事でイギリスへ行き、そこでクーデターに巻き込まれた……?)

黄泉川は考える。
クーデターが起きたのは英国全域でだ。
特に、女王直下の部隊による鎮圧が行われたロンドンを含む首都圏では、大規模な戦闘が行われたという。
シスターがイギリスのどこの出身かは知らないが、巻き込まれている可能性は極めて高い。

その可能性を小萌に伝えると、彼女は肩をびくりと震わせながらも頷いた。

「か、上条ちゃんは例え自分に危険が迫っていても、誰かが助けを求めていたら助けずにはいられない正義感の強い子ですから。
 そうして危険な状況に飛び込んで行って、お、大怪我をしたかも知れないというのは、十分に考えられる話なのです」

「……とにかく、上条当麻についてはイギリスにある学園都市の提携機関に調査を依頼するじゃん」

「……お願いしますなのです」

上条当麻についてはとりあえずはそちらの調査待ち。
残る問題は土御門元春と結標淡希だ。
この二人も、10月17日を境に戻らない。
10月17日。
外ではイギリスでクーデターが起こり、中ではテロが散発した。
この日を境に、世界は急速に変化していくこととなる。

翌日の、ロシアによる突然の宣戦布告。
それによって引き起こされた、第三次世界大戦。
時を同じくしてイギリスとフランスも戦争を始めた。

そして、黄泉川自身が気にかけている、一方通行と打ち止めが行方をくらました日でもある。
二人は既に帰ってきたものの、その間にあったことは何一つ話してくれていない。
彼らが連れて帰ってきた少女についてもまた同じ。

情勢一つを取っても、変化の基点は10月17日にあるのだ。

(一体、この日に何が起きたじゃん?)

黄泉川の問いに、答える者はいない。


11月2日。

「おっはよーございまーすッ!!」

翌朝、美琴は蹴破るように開かれたドアの音とベッドに飛び込んできた何者かの重みで目を覚ました。
つい腹が立ち電撃を飛ばしてしまったのを誰が責められよう。

「ぐふぅ!? こ、こんな朝っぱらから電撃プレイとは、ミコトもなかなかマニアックですね」

「違うわ! ……なんかさ、アンタって私の後輩とおんなじニオイがするのよねー」

「それは、私からもエレガントでゴージャスなお嬢様の気品が漂っていると?」

「いや、『変態』っていう一点でさ。他の全てが台無しになってる気がするのよね」

「なんならあなたの愛玩奴隷になって差し上げてもよろしいですよ。いひひ」

「なっ、あ、あい!? そんなものいらないわよ!?」

「ですよねー。私としてもミコトよりはどっちかというと上条当麻に組み敷かれるほうg……やんっ」

美琴がレッサーの尻尾を掴み、思い切り電撃を流す。
妙に色っぽい叫び声をあげびくんびくんと痙攣するレッサーをベッドの下に蹴り落とすと、まるで汚物を見るような眼で彼女を見下ろした。

「ああその軽蔑するようなサディスティックな視線……、ゾクゾクします」

「砂鉄にくるんでレールガンの弾頭にするわよこのド変態」

美琴がにわかに帯電し始めたその時、

「……人が寝ている横で、喧嘩をしないでください」

と10777号が若干不機嫌そうな顔で体を起こす。
美琴と10777号は同じベッドで寝ていたので、美琴が暴れればその影響は当然10777号へと及ぶ。


「あ、ごめん、起こしちゃったわね」

「いいえ、どの道レッサーさんのせいでミサカも起きてしまいましたから」

良く見ないと分からない程度に目を細め、レッサーのほうを睨みつける。
当のレッサーはどこ吹く風だ。

「二人部屋なのに、同じベッドで寝てたんですね」

「別に姉妹なんだから良いじゃない。ナナミが甘えたさんなんだし」

「……お姉様だってミサカのことは言えないのでは、とミサカは昨夜のことを思い返します」

「昨夜って何よ」

「寝ぼけたお姉様に抱き枕にされました」

そう言えば、夢の中で抱きついた気がする。何にとは言わない。

「挙句の果てに、耳元で寝言まで囁かれました」

「……参考までに、なんて言ってたか教えなさいよ」

無意識に何を呟いていたか、見ていた夢が夢だけに想像するだに恐ろしい。
10777号は美琴に耳を寄せ、姉そっくりの声色で、

(もう離さないんだから、と「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

妹のささやきを大声で遮り、シーツに頭から潜り込んでしまう。
顔から火が出るようで、レッサーがケラケラ笑う声が鬱陶しい。
耳元で大声を出された妹が抗議のつもりか美琴の背中をぽかぽか叩いてくるのにもかまわず、美琴はしばらくそのままシーツに包まっていた。


「……おっと、そう言えばあと一時間程度で到着するそうですよ。
 それを伝えに来たんですが、あまりに美琴が可愛いもんで忘れちゃってました」

「到着って行っても、まさか駅が学園都市の機関の真横にあるわけじゃないわよね」

「研究機関と言っても現地雇用の方々もいらっしゃいますし、彼らの為の交通機関が存在しますので移動に関しては問題はありません。
 むしろ、どうやって中に入るかを考えたほうが良いのではないでしょうか。
 ミサカやお姉様は学園都市の学生と言う身分がありますが、他の方々は部外者以外の何物でもないのでは、とミサカは疑念を呈します」

「……あ」

そこまで考えが至ってはいなかった。
美琴や10777号は学園都市での身分証明書や留学生待遇でロシアに滞在しているという名目があるが、他のマジュツ師たちについてはどうだろう。
天草式の面々は日本人ということもあり、もしかしたらさほど大したこともなく中に入れるかもしれないが、
レッサーやベイロープに関しては完全に手段なしの状態だ。

「ですから、今ベイロープと天草式とで朝食をとりつついろいろ話し合ってる所なんです。
 天草式全員は無理でも、数人程度ならなんとかなるかもしれないそうですが」

「まあ、数人程度なら、ねぇ」

ロシアに住んでいる日本人で、上条当麻の知り合いという言い訳も成り立つかもしれない。

「何にせよ、二人も早く起きて朝ごはんを食べましょうよ。
 せっかくロハで豪華な列車に豪華な朝ごはん、食べないと損ですって」


手早く着替えを済ませ、列車の中ほどに連結されている食堂車へ向かうと、中は天草式の面々でいっぱいだった。
その中央のテーブルで、ベイロープと神裂、建宮が何かを話し合っていた。

「全員で押し掛けるのも面倒を引き起こすだけですので、まず機関に向かうのは数人だけということになりました」

と神裂は言った。
彼女はいつもの白いシャツに右袖のないジャケットではなく、ダークグレーのスーツを着ていた。
髪も後頭部ではなく襟首のあたりで緩くまとめ、目が悪いわけでもないのに伊達眼鏡までしている。

「学園都市の機関に用事があるのに、いかにも魔術師然としているのは不自然でしょう?」

とは彼女の言葉。
良く見れば、周りのテーブルに座っているメンバーもそれぞれビジネスライクな格好をしている。

「天草式は周囲に溶け込むことを得意としているんです。これから行くのは研究機関ですから、ぱりっとした社会人風の格好ですね。
 部外者が研究者のような格好をしていても変ですし、お見舞いでも通じるような正装ということになりました」

「本当は女教皇様や五和なら学生服でも良いんだが、あいにくそんなものは用意していないのよな」

「学生服ねー。…………学生服?」


美琴は目の前の二人を見る。
五和は見た目からすると高校生、あるいは大学生くらいと言ったところだろう。
頭の中で長点上機や霧ケ丘、上条の通う高校の制服を合わせてみてもなんら違和感はない。

だが、神裂はどうだ。
いかにもキャリアウーマン風の格好が嫌に板についている。
試しに、五和と同様に美琴の知るいろいろな制服と合わせて見るのだが、どうもしっくりこない。
自分と同じ常盤台中学の制服を着ているところまで想像して、美琴は考えるのをやめた。
そんな様子が美琴の顔色にありありと現れていたのだろう、神裂は若干不機嫌そうに問う。

「…………参考までに、あなたには私がどれくらいの年齢に見えていますか?」

「私の倍くらい」

「…………私は、18です」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………えっ?」

「……どうしてそこで上条当麻と同じ反応をするのでしょう?
 女の子なのですから、人前で耳掃除のジェスチャーをするのははしたないのでは」

「だって、その格好だとどこからどう見ても三十路前の仕事命なデキる女にしか見えn」

言いかけて、美琴は思わず言葉を切ってしまう。
神裂のテンションが目に見えて落下していくのがわかったからだ。
どんよりとした雰囲気を纏い机に突っ伏し、

「ふ、ふふ……どうせ私なんか、学生の街に住む学生には年増にしか見えないんです……」

などと呟き始める始末。


「こ、この話はここまでにして、これからのことについて話をしたいのよな。
 あと30分ほどで、目的の研究機関の最寄り駅まで到着するのよ。
 そのあと、我々はいくつかのグループに分かれる。
 具体的には機関を訪れるグループ、滞在場所を探すグループ、それと双子のお嬢ちゃんたちだ」

「どうして私たち二人だけ別なの?」

「二人は学園都市の人間ですから、正規ルートで普通に中に入ることができます。
 この戦時下なので、自国の民間人を保護する義務が彼らにはあるはずですから。
 だけど、お二人が学園都市に関係ない人間を引きつれていたらどうでしょう?
 あらぬ疑いをかけられて、最悪お二人までも放り出されるかもしれません」

「というわけで、あくまで"二人と我らは無関係"という形で別々に向かうのよな。
 お嬢ちゃんらが一番、我らが二番って具合でな」

「え、それって……」

確かにグループを分けて移動するというのは理に適ってはいるのだが、
美琴らは彼ら天草式がどれだけ必死に上条当麻を助けようとしていたかを知っている。
彼を助け、彼に助けられ、その関係は決して浅からぬものなのだろう。
叶うなら、一刻でも彼の無事を確認したいはずだ。
なのに、一番にそれを確かめられる役割を美琴らに譲ってくれるという。

「……ありがとう」

「良いのです。私があなたと初めて会った時、あなたは今にも死んでしまいそうな顔をしていましたからね」

「我らが掲げるスローガンは『救われぬ者に救いの手を』。
 今この場でまず救われるべきは、お前さんたちなのよな」

建宮や神裂だけではない。
五和や、他の天草式のメンバーも、暖かい笑顔を美琴らに向ける。
彼らだって、すぐにでも飛んでいきたい気持ちは同じだ。
それでも、彼らは優先順位を決して間違えはしない。

「ありがとう……!」

胸を打たれた美琴の頬を涙が伝い、それを隠すかのように彼女は一同に向かって思い切り頭を下げる。
神裂がもういいと言うまで、ずっと彼女はその体勢のままだった。


しばらくして、列車は大きな駅のホームへと到着した。
無事を確認したら連絡してほしいという五和と連絡先を交換し、天草式を代表した神裂と建宮に見送られバスへと乗りこむ。
研究機関への人員移動のための専用路線らしく、2つ3つ停留所がある以外はほぼ直通だ。
美琴らの他にも数人、日本人やロシア人の姿が見える。

「そういえば、機関にいる子たちは大丈夫? まだお父さんに見つかったりしてない?」

「はい。ですが、いつまでも隠れているわけにも行きませんし、どうしたものでしょうか、とミサカは思案します。
 いくら"訓練を受けている"と言っても、飢えには勝てません」

「そうよねぇ。お父さんはまだあの子たちを探してるのかな」

「お姉様の写真を見せて、『この子にそっくりな女の子を知らないか』と聞いて回っているそうですから、
 恐らく見つかるまでは探し続けるでしょう、とミサカは推測します」

「遅かれ早かれ、ってとこかしら。はぁ、それにしても、どこで嗅ぎつけたことやら」

「……"お父様"に全てをお話するつもりですか?」

「そうでもしないと納得しないでしょうね。お父さんはあれで割とガンコだから」

「お父様に超音速戦闘機をハイジャックして密入国したことがバレないといいですね、とミサカは心配します」

その言葉に、美琴はサッと青褪める。
密入国は世界中どこの国でも重罪だ。
あの時は上条を助けてさっさと帰ればいいと思っていたが、すでに数日経ち状況は大きく変わっている。
当然家には行方不明の連絡が行っているだろうし、寮では後輩が泣き叫び寮監が激昂している姿が容易に想像できる。

「……うわぁ。なんかもういろいろと嫌になってきた」

「お姉様、ドンマイです、とミサカは研究員に教わった慰めの言葉をかけます。
 ……、どうやら到着したみたいです」


目的の機関は医療系の研究施設であるようで、地域貢献の一環なのか大きな病院が併設されていた。
終戦直後ではあるがこの病院には傷病兵は来ていないようで、無駄に広いロビーは閑散としていた。

「本日はどのようなご用でしょうか」

「こちらに上条当麻という学生が入院していると聞いて、やってきたのですが」

「上条、上条当麻さん…………。失礼ですが、ご関係は?」

「友人です。これが身分証」

美琴が学生証を差し出すと、スタッフの顔色が変わる。
レベル5の学生を生で見るのは初めてなのだろう。

「……はい、上条当麻さんは確かにこちらに入院されています。
 ただ、担当医の許可がなければ、ご面会はお受けできません」

第三者による、上条当麻の「生存」の知らせ。
美琴は心の中でその喜びを噛みしめる。
が、面会謝絶と言うことは、そんなに状態がひどいのだろうか。

「……そんなに悪いんですか?」

「あ、えと、それは、その……」

スタッフはしどろもどろになってしまう。
当然だ。ここは人の生と死に世界で一番敏感な場所である。
聞かれたからと言って馬鹿正直に「悪いです」などとは口が裂けても言えない。

「……どうかされましたか?」

そんなスタッフに、助け舟を出したのは近くにいた若い医者。


まだ30にはならないだろう。背が高く、眼鏡に柔らかな笑みが印象的な男だ。

「あ、先生……」

スタッフがホッとしたように息をつく。

「こちらの方々が、上条当麻さんのお見舞いに来られたそうなんですが」

「おや、彼の……」

美琴らを見た医者の顔色が変わった。
こほん、と一つせき払いをして、背筋をぴんと伸ばす。

「僕が上条当麻さんの担当医です」

「!! なんとか、彼に会わせていただけませんか」

「とは言いましても、もう少し落ち着いてからでないと、お見舞いは難しいですね」

「そこをなんとかできませんか。せめて顔を見るだけでもいいんです!」

必死に頼む込む美琴の姿に、何か感じ入るものがあったのだろう。
長い逡巡ののちに、医者はため息をついた。

「……良いでしょう。顔を見るだけ、という条件で、病室へとご案内します」


若干早歩きの医者のあとに従い、美琴と10777号は廊下を進む。
時折行き合う看護師が彼に指示を仰いでいるところを見ると、彼は信頼される有能な医者なのかもしれない。

「……もしかして、お仕事のお邪魔だったりしませんか?」

「僕、ついさっき別の患者さんの治療を終えたばかりで、しばらくは休憩時間なんです。
 まあ緊急があればまた駆り出されるんですが、それまでは特に。
 ですから、特に気にしないでください。
 それに、患者さんに必要なものを用意するのも僕の仕事の一部なんで」

「はぁ……」

どこかで聞いたようなフレーズだ。

「それより、僕はあなたたちのことについて聞きたいですね。
 ねぇ、御坂美琴さんと、ナナミさん?」

美琴は顔色を変える。
受付で出したのは美琴の学生証だけだ。
初対面の目の前の医者が、10777号の通称を知っている筈はないのだ。

だが、警戒する美琴の疑問に答えたのはまぎれもない妹だった。

「お久しぶりです、約一月ぶりでしょうか、とミサカは軽く頭を下げます」

「……へ?」

「うん、お久しぶり、10777号。
 ……もしかして、美琴さんのほうは驚かせてしまったかな。
 僕はこの病院にいる"妹達"のリハビリも担当しているんだ」


この機関にも妹たちが預けられている時点で、彼女らの治療を担当する人間がいるはずなのだ。
医療施設であれば、その担当者がいる確率は大きいことに気付くべきだった。
妹と面識があるということで気が抜けた美琴はほっと息を吐いた。

「いつも妹たちがお世話になってます」

「ううん、こちらこそ彼女たちにはいろいろ助けて貰っています。
 一挙一投足が人の生死を分けるような繊細な仕事をしていると、純粋無垢な彼女たちとの交流が楽しくてね」

「以前の休暇時には、先生と"妹達"でオーロラを見に行きました、とミサカはお姉様に報告します」

「僕なんかはロシアに来て長いから見飽きてきたものではあるけど、喜んでくれるならまた行きたいね」

どうやら、見た目通り悪い人ではなさそうだ。
妹たちをモノではなくヒトとして見てくれているなら、特に美琴が何かを言う問題でもない。

「妹たちが楽しく暮らしているみたいで、安心しました」

「これは僕の師匠にあたる人からも頼まれていることですからね、無碍にはできませんし。
 "冥土帰し"って呼ばれてる医者なんだけど、知ってるかな?」

「……カエルみたいな顔のお医者さんですよね?」

「うん、その人です。小さいころ大怪我をして、冥土帰しに助けて貰ったのがきっかけで医者を目指したんだ。
 医者になる時もいろいろ相談に乗ってくれたり、技術を教えて貰ったり。そういうわけで、彼には頭が上がらないんです」

冥土帰しは学園都市にいる妹たちの主治医でもある。
その彼がこの医者に妹たちを託したということは、それだけ彼に信頼を置かれているということなのだろう。


医者はやがて、とある部屋の前で止まった。
窓のない扉の横には『上条当麻』というネームプレートが付けられ、そのむこう側の壁はやけに広い。
扉には大きく「面会謝絶」というプレートがかけられている。

「……着きましたよ。ここが、上条当麻さんの病室です」


美琴は早速中に入ろうとしたのだが、医者は扉の前からどこうとしない。

「この先は無菌室なので、立ち入りはご遠慮ください」

「でも、顔を見せてくれるって」

「ええ、ですからこちらをご覧ください」

医者が壁に備え付けられたタッチパネルを操ると、扉の脇の壁が明るく光る。
いや、光を通すようになった、と言うべきか。あたり一面がガラス張りへと変化していた。
強化ガラスに特殊な粒子を吹き付け、電気信号により色を変化させることで患者のプライベートとお見舞いを両立させているのだろう。
今は無色となり、中の様子が透けて見えるようになっていた。

その奥に、彼は寝かされていた。
見なれたツンツン頭の姿が目に飛び込み、美琴はガラスに張り付くように中を覗き込んだ。
確かに、上条当麻だ。

「……生きてる」

彼の真横にある機械は彼の心臓が確かに動いていることを示している。
全身包帯やギプスだらけで、人工呼吸器まで取り付けられている。
それでも、

「生きててくれた……!」

美琴は思わずへたり込み、静かに涙をこぼした。

あの時届かなかった手。
役に立たなかった能力。
彼女を苛んだ無力感。
いずれも彼女は忘れていない。

それでも、彼が生きていてくれたことで、彼女の心は少しでも救われるような気がしたのだ。


美琴の肩を抱いた10777号が、医者に問う。

「あの方の容体はどうなのですか、とミサカは質問します」

ガラスはタッチパネルを兼ねているようで、医者が四角く区切るようになぞるとその部分だけ色が変化し、
数度操作することでカルテが表示された。

「……大小合わせて10か所を越える骨折・打撲、全身の凍傷など彼の負っている負傷は数えきれないほどあります。
 どうやら治療はされていても治りきってはいない怪我もいくつもありますしね。
 ただ、体の怪我のほうは適切な治療さえしていれば、これが原因で死に至るというような酷いものはありません」

「怪我のほうは、ということは、他にもまだ何か?」

「はい。ここに連れてきた方が言うには、北極海に落ちてなんとか氷の上に這い上がったところを助けられたらしい、とのことですが、
 どうやら相当長い間冷水に浸かっていたらしく、重症の肺炎を起こしています。
 高熱が出ていて免疫力も落ちていますし、しばらくは無菌室から出られないでしょうね」


しばらく、美琴はその場を動くことができなかった。
上条が生きていたという喜びを噛みしめ、目に焼き付けるかのように、ただひたすら彼の姿を見つめ続けていた。

今日はここまでです
とうとう投下も100レスを越えました

一つ質問なのですが、自分の文章は読みにくくないでしょうか?
1レスにやたら文字が詰まっていたり、直後のレスが短くスカスカだったり
切りのいいところで区切っているつもりなのですが、どうにもアンバランスな気がして気になっています
良ければご意見をお聞かせください

ではまた次回

こんばんは
気にならないという方ばかりでほっとしています
ではこのまま進めて行きますね

では今日の分を投下していきます


二人は上条の無事を天草式のみなへ伝えるために、一度ロビーへと戻った。
学園都市製の医療機器は携帯電話の電波ごときでダメになるようなやわな作りではないとはいえ、マナーというものがある。
上条の生存を確かめたことを五和に報告すると、電話の向こうで割れるような大歓声が沸き起こった。
感極まり涙ぐむ五和をどうにかなだめ(美琴が言えた義理ではないが)、電話を切ると二人はソファーへと沈みこんだ。
こんなところでも売っていたヤシの実サイダーを片手に、美琴は10777号とこれからについて話し合った。

「これからどうしようか」

「お姉様はあの方のそばにいたいのではないですか、とミサカはお姉様を肘で突いてみます」

「うっ、だけど、病室の中には入れないし、かと言って廊下に座り込んでいるのもお医者さまの邪魔じゃない。
 一休みして、ここにいる子たちに会いに行きましょうか」

「19999号と20000号、お姉様に呼んでほしい名前を思いつきましたかねぇ」

「そうねぇ、あんたみたいにもじって名前を付けられそうな番号じゃないもんね」

「以前、20000号に『ミサカブービー』はどうかと提案したところ、ミサカ式ブレーンバスターで雪の中へ放り込まれました」

「あんたたち何やってんのよ……。
 ……ん? 20000号に『ブービー』? 19999号じゃなくて?」

ブービーとは本来一番下という意味であるが、日本においては様々な経緯があり最下位から二番目を指すのが通例だ。
それに倣えば、末っ子から2番目という意味では19999号のはずなのだが。

「いえ、ミサカたちは20001号までいますから、姉妹の中で下から2番目は20000号で合っています、とミサカはお姉様の言葉を訂正します」

「………………………………………………は?」

初耳だ。
そもそも『絶対能力者進化計画』で作りだされた妹たちは20000人のはずではないのか。


驚愕と疑念が入り混じる表情の美琴を見て、10777号は首をかしげる。

「お姉様は上位個体をご存じありませんでしたか。てっきりミサカたちは既知であるものと認識していましたが。
 いえ、お姉様とお話しする機会に恵まれたならば、あのちんちくりんが自慢しないはずがないですね、とミサカは自己訂正します」

「いやいやいやそうじゃなくて、『実験』のために生まれた子以外にも、『妹達』って存在するの? ていうかちんちくりん?」

「20001号はミサカたちと同時期に造られた個体ですが、実験に投入されるのではなくネットワークを管理するための個体です。
 もしもの時に研究員が扱いやすいように、とわざと肉体年齢を下げて生み出されました。
 そのせいか他の個体に比べて精神も幼く、10032号などは頻繁に困らされているようです、とミサカは概略を伝えます」

「……もしかしたら、見たことがあるかもしれない」

「9月30日、10032号があの方にネックレスを買っていただいた直後、お姉様ともお会いしましたね。
 その際に近くにいたはずですが、とミサカは10032号からの報告を更に報告します。
 はぁ、それにしても、ネックレス……」

何やらトリップしてため息をついている妹を放っておいて、美琴はあの日のことを思い出す。
ハンディアンテナサービスの登録をしているうちに、上条は10032号と遊んでいて。
むっとしつつ会話をしているうちに妙な流れになって、妹が何を言い出すのかと思えばいきなり上条に抱きつき。
おまけに買ってもらったというネックレスを見せびらかすので、美琴は完全に頭に血が上ってしまっていた。

その時に、10032号とともに上条に抱きついていた少女。
余裕がなく、よく観察していなかったが、もしかして彼女が20001号なのだろうか。

「その通りです。あの日は確か、10032号のゴーグルを奪って逃走していたところでしたね」

「はぁ……とんだニアミスしてたのね。学園都市に帰ったら会いに行きたいな」

「帰る、で思いだしたのですが、お姉様、パスポートはお持ちですか?」

その言葉に、美琴の動きが止まる。
本来、美琴は上条を助けた後ハイジャックした戦闘機でそのまま帰るつもりだった。
当然パスポートなど持ってきていない。
よしんば持っていたとしても、日本からの出国記録もロシアへの入国記録もない以上、入管は通れないだろう。
待っているのは不法滞在で捕まり、罪を償ったのちに強制送還されるか、それとも引き揚げる学園都市軍に紛れ密航するかのどちらかだ。

「ど、ど、どうすりゃいいのよーーーっ!!」

頭を抱える美琴の叫び声が、ロビー中に響き渡った。


「……美琴ちゃん?」

その声に反応したのは、一人の男。


御坂旅掛は、ちょうど病院の中へと戻ってきたところだった。
この機関を訪れる目的である探し人を尋ね、病院である別館ではなく研究所を兼ねた本館を訪れていたのだが、あえなく不発。
ここへ来る道中で知り合った少年の様子を見に病院へと戻ってきたところだった。

入り口からすぐに広がるロビーの端では、二人の少女がおしゃべりをしているようだった。
こちらに背を向けているため顔は分からないが、背格好はよく似通っている。
もしかしたら、探している人物ではないかと彼が近寄りかけたその時。
少女たちの片方がいきなり立ち上がり、頭を抱えて叫びだした。

「ど、ど、どうすりゃいいのよーーーっ!!」

旅掛は、その声に聞き覚えがあった。
聞き間違えるはずもない、耳に親しんだ娘の声。
学園都市にいるはずの彼女の声が、何故こんなロシアの雪原の真ん中にある研究機関で聞こえるのか。

「……美琴ちゃん?」

彼は、恐る恐る少女に話しかけた。


背後から聞こえた声に、ビクリと美琴は肩を震わせた。
記憶を探るまでもなく、父親の声だと分かる。
迂闊だった。父親がいるだろうことは分かっていたのだから、いつ見つかってもおかしくはなかったのだ。

彼女はぎこちなく背後を振りかえった。
そこには、困惑するような顔の父親の姿があった。

「…………パパ」

「美琴」

旅掛は確かめるように呟いた。

「……どうして、こんな危ない所にいるんだ!」

そして、次に飛び出したのは一喝。
ずかずかと歩み寄りながら更に怒号を飛ばす。

「ここは戦場の最前線に近い場所だぞ!? どうして中学生の美琴が学園都市じゃなくてこんな所にいるんだ!
 まさか、軍隊に匹敵する力を持つレベル5だからって戦場に放り込まれでもしたのか!?」

「ちょ、ちょっと落ち着いてよ! ここ病院だから! 静かにしないと!」

慌てて周囲を見回すと、スタッフが何事かとこちらを凝視しているのが見えた。
閑散としたロビーに、旅掛の声が物凄く響いている。

「娘が戦場に放り込まれたっていうのに落ち着いてなんかいられるか!」

「待ってよ、別に誰に言われてロシアに来たとか、軍隊と闘わされたとかじゃないから!
 自分の目的を持って、自分の意思で来たのよ!」


「何のために!?」

鼻息荒く、旅掛は美琴に詰め寄った。
美琴は答えに窮する。稚拙なごまかしは通用しないだろう。
下手を打てば、学園都市から引き離されるかもしれない。
そうなれば、誰が妹たちを守ると言うのだ。

「……友達が何故かロシアをうろついてて、危ないことに巻き込まれてるって知って、その人を助けに来たのよ。
 本当はさっさと助けてさっさと帰るつもりだったの。
 だけど、中々見つからなくて、ずっと探しまわって、やっと今日ここで見つけたのよ」

だから、詳しい経緯は省いても話せる限り正直に話す。

「どこのどいつだ、うちの娘に二度と関わるなってきつく言ってやる!」

「……上条当麻。パパがここに連れてきたっていう高校生よ。
 お父さんがここに連れて行ったって、教えてくれた人たちがいるんだから」

「…………!」

その答えに、旅掛は何か考えるものがあったのだろう。
先ほどよりはやや落ち着いた様子で、言った。

「ちゃんと詳しく説明してもらう。いいね?」

「……うん」

「それと、その子"たち"のことについても」

旅掛が示したのは美琴の横で様子を伺っていた10777号。
当然、その顔は旅掛からも見えている。

「…………うん」

未だ対応策は整っていないが、それでも来るべき時は来てしまったのだ。
ただ一つ決めたこと。それを心の芯に据え、美琴は父親との対話に臨む。


「……はあぁ~~~~……」

白井黒子は、自室にあるベッドにうつ伏せになり、大きなため息をついた。
風紀委員である彼女は、戦時中や戦後の学生たちの混乱を収めるために日夜となく働き通し、身も心も疲れ果てていた。
だが、彼女のため息の主原因はそれではない。

「……お姉様、どこに行ってしまわれましたの……」

彼女の同室の先輩である御坂美琴が行方をくらまし、早三日が経った。
10月30日、寮を出てどこかへと向かうところを目撃されているのを最後に足取りがつかめていないのだ。
学園都市内の学校は全て休校であり、戦争の脅威など意にも介せずに遊び回る学生がいないわけでもない。
門限破りの常習犯である御坂美琴も、大方校外の友人の家にでも転がりこんでいるのだろうと思われていた。

しかし、友人たち全ては彼女の行方を知らないと答え、また携帯電話も受信はしても応答はないということもあり、
警備員では何らかの事件に巻き込まれたものとみて捜査をしている最中だ。

だが、白井は確信している。
"残骸"を巡る事件の中でその一端に触れた、美琴の周りを取り囲むような闇。
そして風紀委員としての職務の中で知り得た、上条当麻の失踪。
この二つには、必ず何らかの接点があると。

(お姉様は、またしても黒子を頼ってはくれませんでしたのね)

白井は美琴が上条に対し強く好意を抱いていることを(認めたくはないが)知っている。
そして、それが二人が関わった何らかの事件に由来することも。

8月21日。最強の能力者。レベル6シフト。レディオノイズ。
断片的にしか得られなかったキーワード。秘密裏に調べてはいるのだが、情報収集に明るくない彼女には限界がある。
情報処理に優れる友人、初春飾利に頼もうにも、これは風紀委員としての仕事ではなくあくまで個人での活動だ。
一歩間違えれば自らも闇に引き込まれかねないというのに、友人までは巻き込めない。

(……結局、お姉様の背中はまだまだ遠くにあるってことですわよね)

まともに動けるようになってから約一月。たったそれだけの期間で追いつけるとは思わない。
レベル5の名を冠すものは、レベル4である白井よりも遥か高みにいるのだ。


だが、何よりも今は美琴を探すほうが先だ。
彼女がそうそう不覚をとるとは思えないが、それでもキャパシティダウンやAIMジャマーなどの対能力者用装備には勝てない。
不埒な輩が闇のルートからそれらを入手したケースとて少数ながら存在している。

既に外出が許可されている時間ではないが、白井の能力であれば脱出することなど朝飯前だ。
起き上がって靴を履き、脱出地点を定めようと窓を開け、

「……まさかとは思うが、外にテレポートしようなどとは考えてはいまいな?」

背後から聞こえた冷たい声に、身を震わせた。

「りりりりりょ寮監さま!?」

いつの間に部屋の中に入ってきたのだろう。
常盤台外部女子寮を統べる鋼の女帝の姿がそこにはあった。

「いいい嫌ですわ、おほほ。私めはただ部屋の空気を入れ替えようと思っただけですの」

「ならいいがな。もうすぐ夕食の時間だ」

寮監は軽くため息をつく。

「……何かありましたの? まさか寮監さま直々に、私めを夕食にお呼びいただくためだけにいらしたわけでもありませんでしょう?」

「ああ。御坂のことについてなんだが」

白井の眼光が鋭くなる。
彼女に関する情報なら何でも欲しいところだ。

「学校のほうに連絡が来たのだが、御坂は今、戦争を避けての疎開ということでご両親と共にいるそうだ」


「……え? あの、事故に巻き込まれたとか、何か厄介事に首を突っ込んだとかではなく?」

「ああ。どうやらお父上が学園都市まで迎えに来られていたそうなんだが、どうやら学校に連絡するのを忘れておられたようでな。
 何でも、お父上はお母上が、お母上はお父上が学校に連絡したものと思いこんでいたらしい。
 先ほどお父上が連絡してこられて、御坂も電話口に出たそうだ」

「……お姉様に連絡がつかないのは?」

「携帯電話が壊れたと言っていたようだ。あれは確か"中"の機種を使っていたな。
 規格や部品の都合上、"外"では修理できないのではないか?」

はぁーっ、と白井は口から空気を漏らす。
それとともに気が抜けて行くのも感じる。
この数日間心配し続けていた事柄も、ふたを開けて見ればそんなものだった。
白井は軽い音を立ててベッドへと腰をおろす。

「それで、お姉さまはいつごろお戻りになられますの?」

「さあな。しばらく情勢を注視して戻る時期を決めると行っていたから、当分は戻らないかもしれないな」

何よりも、重要なのはここだ。
愛しのお姉様と当分触れあえないなんて!

「そんな! その間、私はこの広い部屋に一人ですの!?」

「お前だって中学生だ、まさか誰かと一緒でなければ寝られないという歳でもあるまい」

「私とて、たまには寂しくなる時はありますの」

「ならば私の部屋で寝るか? 少なくとも寝坊はないことは約束するぞ」

「……遠慮しておきますの」


美琴らは、場所を病院ではなく、邪魔の入らない研究機関側の建物にある19999号および20000号の私室へと移していた。
そこで、携帯電話を置いた旅掛は右手で顔を覆っていた。
それだけ、美琴らの話がショッキングだったのだろう。

『量産型超能力者計画』及び『絶対能力者進化計画』について、妹たちに補足されながら美琴は知り得る限りを話した。
それが父親を傷つける内容だとしても、話さずには居られなかった。
父親という頼れる存在に対して、華奢な自身の肩に背負う重荷を分かち合ってほしかったのかも知れない。

誤魔化そうとは思わなかった。
もともと旅掛は妹たち目当てにこの施設へとやってきたのだ。
下手に誤魔化せば、彼女たちを二人三人連れて統括理事会へと乗りこむくらいのことはやってのけかねない。

悲痛な父親の様子に、美琴は心を痛めた。
自分が不用意にDNAマップを提供したせいで大量にクローンが作られ、そのうちの大半が既にこの世を去った。
残る一万人弱の姉妹は全世界に散らばっている。
それを知らされた旅掛の心中は察するにあまりある。

旅掛はしばらくうなだれていたが、やがてこぼすように呟いた。

「……どう考えても養い切れねぇ……」

「……はぁ?」

「いきなり一万人とか逆立ちどころかバク転しても無理だーーー!!」

何を言い出したかと思えば、それは金の話で。
しかもわりかしマジな、追い詰められたかのような顔で「いっそ病気の金持ちに内臓でも売るか……いやしかし……」などと呟き始める始末。
おまけに、何故か『旅掛が妹たち全員を養う』という前提の上に思考しているようだ。


「落ちつけアホ父! 何を口走ってるか分かんないわよ!」

「ええい、中学生にして莫大な奨学金を得ている美琴ちゃんには分からんだろう!
 お金を稼ぐってことはなあ、本来物凄く大変なことなんだぞ!
 死ぬような思いで働いた父さんの年収が美琴ちゃんの貰う奨学金以下だった時の苦悩は測り知れまい!」

一人でヒートアップし、なおもうがーと騒ぎ続ける父親を何とか落ち着かせようとする美琴。
それを3人の妹たちは、ただ呆れるように見つめていた。
否、それ以外のすべを持たなかったというべきか。
それをよそに、目の前の親子喧嘩はますますエスカレートしていく。

「だからなー、正直昨今の不況で我が家の財政事情も厳しいわけですよ!
 それこそ美琴ちゃんの奨学金が無かったら常盤台中学にも通わせてあげられないくらい!
 それが一万倍とかもはやちょっとした国家プロジェクト予算並みじゃねーかチクショーーー!」

「この子たちだってレベル3相当の奨学金貰ってるしそんなもんどうにでもなるっつーの!
 というか金!? あの話を聞いてまず心配するのがお金の問題なの!?
 もっと他に考えるべきことがあるでしょーが!」

やや軽蔑の籠った美琴の視線に、旅掛も真剣な表情になる。


「……そりゃあな、父さんにだっていろいろ思うところはある。
 正直今すぐにでも統括理事会に殴りこみたいくらいだ。
 『人の娘"たち"に何さらしとんじゃあッ!!』、ってな」

「……」

「もちろん、会うことの出来なかった子たちのことも、凄く、物凄く悲しい。
 顔を見ることも、頭を撫でてやることも、名前を付けることすらしてやれなかったことも、全部、全部全部。
 正直、そんなことも知らずにいたのん気な過去の自分を殺したくなるくらいだ」

娘たちは何も言わない。
ただ、一言一言絞り出すような旅掛の言葉を黙って聞いていた。

「けどな、今はそれよりも大事なことがある。
 『今生きている子たちを、どうやって守るか。どうやって幸せにするか』
 これが父さんの考えなくちゃいけないことであり、やらなくちゃいけないことだ。
 美琴も、10777号も、19999号も20000号も他の子たち全員だ」

既に死亡した子たちを切り捨てるわけではない。
しかし、何かをしてあげたところで、亡くなった子たちが生き返るわけでもない。
出来得ることが限られる中で、最善のことを。
生きている子たちに、出来る限りの幸福を。
それが、旅掛の考える親としての責任なのだろう。


「…………"お父様"は、ミサカたちの存在を不快に感じたりはなさらないのでしょうか、とミサカ20000号は恐る恐る尋ねます」

「ん? どうしてだい?」

遠慮がちに尋ねた20000号の質問に、旅掛は心底不思議そうに聞き返した。

「……ミサカたちは、お姉様のDNAマップから作製された胚に様々な薬品を混ぜ合わせて作られ、培養器の中から生まれました。
 普通の"人"のように、母体から生まれたというわけではありません。
 人として、いえ生物として不自然な形で生まれたミサカたちを気味悪く思うのが当然なのではないでしょうか、とミサカ20000号は推測します」

話しながら、彼女が頭の中で再生しているのは、10031号の記憶。
たとえその姉妹が既に肉体的には死亡していたとしても、ミサカネットワーク上で共有された思考パターンや記憶は消えることなく今も存在している。

『その声で、その姿でっ、もう……私の前に現れないで……ッ!!』

『自分の生き移しが自分の声で話しかけてきたら……、考えるだけで鳥肌モンですよォ~』

『お姉様にとって、ミサカは否定したい存在だったのですね』

最後に命を落とした"姉"が最期に辿り着いた悲しき結論。
今の美琴であれば、そんなことはないと本心から声を大にして言うだろう。
それは20000号だって、他の姉妹だって理解している。

だが、この記憶は妹たちに一つの疑問を残すこととなる。

『本来存在し得ないはずの自分たちは、否定され排除されるべき存在なのではないか?』


「君は、『自分たちはいてはいけない存在なのではないか』。そう思っているわけだね?」

「……はい」

伏し目がちに答える20000号に、しかし旅掛が投げかける視線は優しい。

「ならば、父さんの答えは一つしかないな」

そう言うなり、旅掛は20000号を抱き寄せる。
宝物を抱きしめるかのごとく、ぎゅっと、強く強く包み込むように。

「君たちは、俺の大切な娘たちだよ。
 たとえ美鈴が腹を痛めたわけでなくとも、どんな生まれ方、育ち方をしていても。
 君たちは今生きてここにいる。それだけで、父さんは君たちのために命だって投げ出せる」

そう言って、旅掛は屈託のない顔で笑いかけた。

(この胸の奥から湧き上がるものを、ミサカは正確に表現することができません)

じんわりと伝わる体温に、20000号は例えようのないものを感じた。
それは彼女が未だ知らない感情(キモチ)。
それに突き動かされるように彼女の白く小さな手が、旅掛の服のすそをきゅっと掴む。

「お父様」

「うん」

「お父様……」

「うん」

父の胸板に顔を埋め、身を預ける20000号。
そんな彼女の頭を、旅掛はいとおしそうに撫でた。


「このミサカだってお父様に甘えてみたいのです、とミサカ19999号も突撃します」

「……のわっ!?」

前触れなく背中に飛びついた19999号が、そのまま旅掛の首に両腕を回す。
虚を突かれたたらを踏む彼は、なんとか娘を二人とも潰すまいと横向きにベッドに倒れ込んだ。
一瞬面食らったものの、何がおかしかったのかすぐに豪快に笑いだす。
もっとも、直後にダイブしてきた10777号により、潰れたような声を出す羽目になるのだが。
その後も、"娘たち"は"父親"の背中に張り付いたり腕に抱きついたりとやりたい放題だ。

「…………………くすっ」

そんな微笑ましい? 父娘たちの交流を見て、美琴は思わず笑みを零す。
妹たちには、これからも多難な前途が待ち構えているのだろう。
それでも、父親という大きな存在が彼女らの味方になってくれるということは、大きな前進と言えるのではないか。

「こらー! 私のお父さんでもあるのよー!」

「よーし! 美琴ちゃんもばっちこーい!」

既に3人に絡まれているにもかかわらず、両手を広げて美琴を迎える旅掛。
今だけは反抗期であることも忘れて、妹たちと一緒に父親に甘えよう。


はしゃぎ疲れ、折り重なるようにして眠る娘たちを起こさぬように、旅掛はそっと部屋を出た。
身を寄せ合って眠るさまはまさに仲の良い姉妹そのもので、それを見て彼はふっと唇を綻ばせる。

消灯時間が過ぎ、常夜灯のみが照らす廊下を旅掛は静かに歩く。
目当ては廊下の一角に設置された喫煙所だ。
空調が完備されただけのガラス張りの部屋という学園都市の施設にしては簡素な造りではあるが、世界各地を飛び回る旅掛には気にもならない。
彼はしばらく紫煙をくゆらせながら何事か考えていたが、やがて懐から携帯電話を取り出した。

妹たちの部屋は研究員用の宿泊施設にあり、通信機器の使用制限が厳しい機関内でも特例的に自由に通信することが出来る。
もちろん、内容は全て傍受されてはいるが。

3コールの後に、目当ての相手へと繋がる。
旅掛は朗らかな声を出した。

「ようアレイスター、3週間ぶりくらいだな」

『…………御坂旅掛、か』

男のようにも女のようにも、少年にも老人にも聞こえる、不思議な声の持ち主。
学園都市統括理事長、アレイスター=クロウリーである。

「なんとか戦争も終わったみたいだな。学園都市の戦力を考えたら2週間もかかるとは思わなかったが」

『適当にあしらってやっただけだ。
 やろうと思えば数分でロシア全域を焦土にすることもできただろうが、それだと相手の言い分そのままになるだろう?
 これは、あくまで学園都市の『自衛戦争』なのだから』

自衛戦争。
その言葉が、旅掛に妙な違和感を与える。

ロシア軍の被害は甚大だが、学園都市側には公表された死者はいない。
白銀の大地を舞台にした、もはや戦争とすら呼べないような一方的な蹂躙。
そして、その裏で起きていたことを、旅掛は断片的ながら知っている。


「ロシアで、不可解な現象が起きたっていうのは知っているか?
 黄金の空に浮かぶ要塞だの、軍隊を殲滅する天使だの、俺はてっきりファンタジー映画の世界に飛び込んだかと思ったくらいだ」

旅掛の軽口に、アレイスターは苦笑したようだった。

『超能力者の最高位、レベル5第三位の父親ともあろう男が、ファンタジーを口にするかね?
 ……そうだ、あれはファンタジーだよ、御坂旅掛。まさしく魔術(オカルト)の領域の産物だ』

「オカルト、ねぇ」

『世界には科学では解明できない、出来ていないものもあるのだろう。
 いや、あって当然と言うべきだろうな。
 世界の理を真に理解したものなど、世界を作り上げし"神"くらいのものだろう』

今度は、旅掛が苦笑する番だ。

「最先端の科学を突きつめた街、学園都市の頂点に立つ男が"神"を語るのか?」

『過剰なまでに進化した科学技術はもはや"魔術"と変わらない、という言葉があるだろう。
 半世紀前、超能力者を人為的に作り出せるなど、誰が想像した?
 「手から炎を出す」などという幻想(ゆめ)が、科学的に証明されるなどと誰が予想しえただろうか?』

「そりゃあな、俺だって美琴が小さいころは電撃を放つようになるとは思ってなかったし」

彼女が能力開発を受けたばかりのころ、喜び勇んで手の間に火花が走るのを見せびらかしに来たことを思い出す。
あの時は単純に、娘の成長を喜んでいたのだが。

そこで、旅掛の思考が切り替わる。


「……本題に入ろうか、アレイスター。お前から依頼されていた"仕事"の件なんだが」

『"例のもの"は首尾よく回収できたかね?』

「そりゃあな。ちょいとした火事場泥棒みたいな気分で悪い気もするが、まあ仕方がない。こっちだって仕事なんだ」

『そうか。ご苦労だった。では、その報酬はいつもの──』

「報酬の話の前に、聞きたいことがあるんだが」

アレイスターの言葉を遮り、旅掛は先ほどまでとは違う冷たい声で答える。

「3週間前にした話を覚えているか?」

『"原石"の回収に関わる話だろうか?』

「それのちょいと後の話だな。
 学園都市が襲撃した研究機関で、全く同時にうちの娘と全く同じ顔の少女が多数目撃されたって話だ。
 "仕事"が終わって、学園都市まで飛行機にでも乗っけて貰おうと学園都市の研究機関に寄ったんだよ。
 そしたらな、うちの娘と同じ顔の子が4人もいたんだよ。1人は本当にうちの娘だったけどな。
 ……なあアレイスター、これはどういうことだ?」


『…………』

どう答えるべきか電話口の相手は考えているのだろうか、答えは返ってこない。
旅掛は構わず話を進める。

「どうせお前から明確な答えが得られるなんてハナから考えちゃいないさ。
 ……それで、娘たちと話をしたんだよ。
 『量産型超能力者計画』、『絶対能力者進化計画』、そして娘たちは何も言わなかったが、『第三次製造計画』。
 学園都市を統べるお前なら、全部知っているんだろう?」

『何の事だか分からんな』

「俺や娘たちが嘘をついていると?」

『そうは言っていないさ。ただ、学園都市は広く、行われている研究の数は膨大だ。
 ふむ、ひょっとしたら、私の認知していない暗闇で行われた計画もあるかも知れないな?』

嘘だ、と旅掛はすぐに看過する。
10000人近くもの少女らを秘密裏に世界中の提携機関に分散させるなど、統括理事会クラスが関与していなければできるはずがない。
そして統括理事会が関わっていることを、この男が知らぬはずがないのだ。
とはいえ、そこにこだわっていても話は進まない。


「知らないと言うなら、まあそれで矛は収めてやろう。
 だったらすぐに調べて、さっさと中止に追い込め。
 そして今生きている俺の娘たちも、これから生まれてくるかもしれない娘たちも皆、普通の人生を送れるように手配しろ。
 それが俺の要求する今回の報酬だ。これが確約されるまで、回収したモノの引き渡しはナシだ」

『……』

アレイスターが何かを言いかけて、それを旅掛が遮る。

「おおっと、お抱えの犬っころを使って回収を試みようとしても、そうは行かないぞ。
 あれらは今、俺の手元にはない。俺を消したら行方が分からなくなるだけだ。
 俺には価値の分からん代物だが、そうだな。ロンドンとかバチカンになら価値の分かる人間がいるんじゃないか?」

『…………』

「お前はあれが欲しい。俺は娘たちを守りたい。
 実にシンプルで、互いが得をする取引だとは思わないか」

旅掛はくくっと愉快そうに低く笑う。


しばらく、互いに探り合うような沈黙が続く。
そして、

『……良いだろう。君の娘たちの件については早急な解決を約束する。
 そうだな、年内にはカタがつくのではないか?』

「お前が物分かりの良い奴で助かるよ、アレイスター」

『回収したものについても、引き渡しは君の要求通りで構わん』

「じゃあ、これで取引成立だな」

短くなった煙草を吸い息を吐き出せば、紫煙は闇の中へと漂った。

「……ああ、そうそう。最後に聞きたいんだがな?
 世界に足りないものは、なんだと思う?」

『……足りないものだらけだよ。世界は常に渇望という歯車によって動き続けている』


そうかい、と言い残して、旅掛は通話を切った。
もう片方の男は、通話を終えたあともしばらく同じ姿勢でいた。

学園都市の中心部に位置する、窓のないビル。
その中に鎮座する試験管の中で真紅の液体に浸りながら、アレイスターは一人ごちる。

『御坂旅掛、レベル5第三位の父親にして、"世界に足りないものを示す"男、か』

試験管内部の曲面モニターに表示されているのは、御坂旅掛のパーソナルデータ。

『あの男は優秀だが、優秀すぎる故に危険でもある』

が、その行動原理は極めて単純であるがゆえに、御しやすいこともまた事実。
あの男とて、それを承知でアレイスターとビジネスを行っているのだろうから。

『第二次製造計画、及び第三次製造計画。あの男にただでくれてやるには少々惜しくはあるが、
 将来のイレギュラーを考えると、むしろ安いと考えるべきか』

元々、来るべきプランの実行までは、『妹達』はただ存在し続けてくれればいいのだ。
実験材料にされようが、人並みの幸せな暮らしを送ろうが、生命を維持し続けているのならばそれでいい。

ただでさえ、『計画』を致命的に遅らせるイレギュラーの処理に追われているのだ。
少しでも不安材料は消してしまうに限る。


『やはり、イレギュラー対策に首輪をつけた飼い犬は必要だな』

今回はここまでです
アレイスター相手にすら渡り合える旅掛さんのカッコよさは異常だと思います
このSSでは万分の一も引き出せてませんけどorz

そろそろ春休みも終わりに近づき、大学の新学期が始まるので少しペースが遅くなるかもしれません
ですが必ず続けますので、ご応援いただけると嬉しいです

こんばんは
原作でのパパンの活躍が楽しみですね

今日の分を投下していきます


11日3日。

日本では文化の日という祝日であり、特別行政区(と言う名の半ば独立国)である学園都市においてもそれは同様ではあるが、
ロシアの雪原のど真ん中にあるこの機関ではそんなことはおかまいなしに、朝から職員が元気よく働いている。
朝食を終えた美琴らは再び上条の様子を見に、病院へとやってきた。


「……それで、どうしてここに短髪とクールビューティがいるのかな?」

「……私と妹のその呼び名の格差はひとまずおいておくとして、開口一番なんだそりゃ」

受付をしていると、スーツ姿の神裂が五和や白い修道服の少女、黒い神父服の男らを引き連れて現れた。
先ほどの言葉は修道服の少女、インデックスが眉間にしわをよせながら言ったものだ。

「インデックス、美琴さんとナナミさんは上条当麻の捜索に尽力してくれたんですよ。
 天草式のみんなとともに、沈没したベツレヘムの星にまで探索に行ったんですから」

神裂が弁明するも、探るようなインデックスの視線は険しい。
美琴とインデックスが上条がらみの問題では反りが合わないのはいつものことだ。
何を言う気もなく、美琴はインデックスに手を差し出す。

「話は置いておくとして、ほらあんたたちの分の受付も一緒にしてあげるから、さっさとIDをお出し」

「『あいでぃー』?」

「身分証明よ身分証明。
 身元の分からない人間は、入院患者には会えないのよ。
 あんた学園都市にいたんだから、滞在用IDかパスポートくらいあるでしょ?」

「これのことかな?」

そういうと、インデックスは修道服の裾をごそごそを漁り、『臨時発行(ゲスト)』IDを取り出して美琴に渡した。


学園都市組のIDと、魔術師たち全員分の身分証明証を揃えて提示すると、入館の許可が出た。
スタッフはどこかへと電話をかけ、ほどなく通話を終える。

「担当医よりお見舞いの許可が出ました。こちらへ参り次第ご案内いたします」


間を置かずに昨日の医者が現れた。
美琴と10777号に気付くと軽く手を振ってきたので、二人はそれに会釈で返した。
彼のあとに従い、一同は上条の病室へと向かう。

歩きながら、インデックスが美琴へと話しかけてきた。

「……それで? どうして短髪がここにいるかってこと、まだ聞いてないんだけど」

「テレビであいつがエリザリーナ同盟にいるのがちらっと映って、それで探しに来たのよ。
 ……言っておくけど、あいつをここまで連れて来たの、うちのお父さんだからね?」

「そうなんだ。後でとうまがお世話になりました、ってお礼を言わないと」

その口ぶりがまるで身内に対するもののようで美琴の心をがりりと掻き毟るが、二人の関係を知った以上美琴は何も言わない。

「……ところで、そっちの短髪にそっくりな人、本当はクールビューティじゃないよね?」

インデックスが指したのは10777号。

「よく分かりましたね。確かに、ミサカはあなたが"クールビューティ"と呼称する個体ではありません」

「というか、うちの妹たちと知り合いだったの?」

「8月にジュースをいっぱい持ってとうまが連れて来たのと、9月に物凄い剣幕で部屋に飛び込んできたことがあったんだよ」

「美琴さんと、ナナミさんと、クールビューティさんで三つ子さんなんですか?」

美琴とインデックスの話に興味を持ったのか、五和が会話に入ってくる。

「いえ、ミサカたちの姉妹はもっとたくさんいますよ、とミサカは訂正します」

「うーん、まぁ、そこらの事情はまた今度話してあげるわ」


4人の少女が話しこんでいるのを見て、ステイルが小さな声で神裂に話しかける。

「あの子が上条当麻の携帯電話を発見したって子かい?」

「ええ。御坂美琴さん、なんでも学園都市でも最高ランクの超能力者らしいですよ。
 『携帯電話をハッキングして場所を特定する』なんていう、"私たち"には思いつかない方法で見つけたそうです」

頭の良い人間が高位能力者になるわけではないが、高位能力者の頭が良いのは事実。
あの少女の頭の中にも、神裂らには思いもよらない知識やひらめきが詰まっているのだろう。

「ふぅん。レベル5ってやつか。人は見かけによらないね」

「あなただって、いわゆる『天才』の一人でしょうに」

神裂がくすりと微笑み、ステイルは面白くなさそうな顔をする。
ステイルは現存する24のルーン文字を完全に解析し、更に新たな6つの文字を編み出した、いわゆる『天才』だ。
だがその事に驕る事はないし、十分だとも思っていない。それは痛いほどよく分かっている。
『天才』である、というだけでは越えられない、しかし越えねばならない壁は彼の前にいくらでもある。
故に、彼は自己に対する高評価を好まない。


やがて、一行は上条の病室の前へとたどり着いた。


医師が昨日と同じように壁のタッチパネルを操作し、壁に埋め込まれたガラスが無色へと変化する。
その向こう側に寝ているのは、昨日よりもほんのちょっとだけ血色がよくなった上条。

「とうま!」

ガラスにへばりつくようにして、中を覗き込むインデックス。

「良かった……!」

「……本当に、悪運だけは強い男だ」

目尻を拭う五和にハンカチを渡しつつ、安堵の息を吐く神裂。
その後ろではステイルがため息をついていた。

「お医者さま、そばに近寄ることはできないのでしょうか?」

「中は無菌室になっているので、医師・看護師以外の立ち入りは許可できません。
 少なくとも熱が下がり、肺の炎症が軽くなるまではダメですね」

「そうなんだ……」

上条に対しては魔術的な治療が功を為さない以上、医師の言葉には従わざるを得ない。
この時ばかりはインデックスも魔術に頼ろうとせず、大人しく引き下がる。

「彼は、ずっと目を覚ましていないのですか?」

「というよりは、薬で眠らせている状態ですね。高熱と呼吸困難でとても苦しいはずですから、
 症状が落ち着くまでは眠らせていたほうが本人の為にも良いだろうという判断です」


「だいたいどれくらいで退院できるのかな?」

「経過を見て考えるので正確には答えられませんが、怪我の治療なども考えると、順調に行けば一月あれば通院のみで大丈夫でしょう。
 熱が下がり次第学園都市の病院へと移すので、実際はもう少し早いかも知れませんが」

学園都市には冥土帰しという神のごとき腕前を持つ医者がいる。
上条だって、何度もその窮地を救われてきた。


医者はその後もしばらく簡単な説明を続け、そして去って行った。
インデックスを始めとする新たな見舞客たちはずっと上条を心配そうに見つめている。
美琴と10777号はそんな彼らを残し、ロビーへと降りることにした。

「お姉様も、あの方のそばにいたいのではないのですか、とミサカは問います」

「いいのよ。私は昨日十分あいつのそばにいたし、ここにいる間はいつでも顔を見に行けるし。
 それに、私たちがいたらちびっこシスターやら神裂さんたちが変に遠慮するかもしれないでしょ?
 案外、人が近くにいると思いっきり喜んだり泣いたりできないものよ」

「その感覚は、常に姉妹たちとリンクし合っているミサカたちには理解できないかもしれません」

「これからちょっとずつ知って行けばいいのよ。
 さぁ、あの人たちが降りてくるまで、下で飲み物でも飲んでましょ」


同時刻。
土御門元春は、突如空に浮くような感覚で目を覚ました。
『ドラゴン』の正体を暴いてしまい、『グループ』のメンバーともども監禁されてから何日が経っただろう。
日付はおろか昼夜の感覚すらも失い、ただ機会をうかがうだけの日々が続いていた。

『空間移動』した時の感覚だと分かるまでにそう時間はいらなかった。
彼と共に飛んできた少女は後ろ手に手錠をかけられた土御門を床に転がすと、一礼して壁際へと下がった。

『久しいな、土御門元春』

「アレイスター……ッ!!」

土御門の目の前には、赤い液体で満たされた巨大な試験管がそびえていた。
中に座すは学園都市の統括理事長。

「……『ドラゴン』について知ったオレたちを、ついに消す決心がついたのか?」

『いいや。確かにあれは秘匿されるべき性質のものだが、あれについて君たちが知ったところで何かが変わるわけでもない。
 君の"口の固さ"については、信用しているというのもある。君を呼びだしたのは全く別の要件だ』

アレイスターの言葉とともに、土御門の手錠が電子音を上げて解錠される。
小型のAIMジャマーが内蔵されたそれは、暗部組織でしか用いられないものだ。


久しぶりに解放された腕を動かし具合を確かめながら、土御門は訝しげに問う。

「オレたちを消すのでなければ、何故わざわざここへと連れてきた?」

『"グループ"にやってもらう仕事ができた。それと、君個人にも』

試験管の表面に、三枚のレポートが表示される。

『前2つは年内に、後者は無期限での仕事だ。やってくれるだろう?』

「どうせ拒否権などないんだろう」

アレイスターは試験管の表面に、ある一枚の写真を表示した。

『君の妹は、ずいぶんと君を心配しているようだが』

「………………くッ!!」

ぎりぎりと歯ぎしりをする土御門に対し、アレイスターの表情は涼しい。

『逃亡した一方通行の代替要員に関しては別の暗部組織から調達する。
 暗部抗争時にも君らとは因縁の無かったチームだ。問題はあるまい』

「……待て、一方通行はオレたち同様にそれぞれ別々に隔離されているのではないのか?」

『あの少年は君たちが"ドラゴン"に遭遇した時、唯一アレに抗い得た存在だ。
 その後捕まることなく、今も暗部のどこかで何かをコソコソとしているようだよ』

アレイスターは、そこで初めて愉しそうに笑った。

『あれがどこまで何を為し得るか、非常に楽しみだとは思わんかね?』


インデックスはロビーの片隅で、一人で座っていた。
しばらく一人にして欲しいと仲間に頼み、それが受け入れられた。

深く傷つき、今も大怪我や高熱に苦しんでいる上条の姿。
彼女の持つ完全記憶能力が、それを鮮明に思い出させる。

上条は今まで、幾度となく事件に巻き込まれ、そのたびに大怪我をして病院へと叩きこまれてきた。
だが、今回は今までとはケタ違いの傷つきようだ。

彼が何のために戦火が広がるロシアの中心へと飛び込み、何のために傷つきつつ戦ったのか。
それを考えるだけで、インデックスの胸の中心がきゅっと締め付けられるようだ。

そして、彼がインデックスに言い残した言葉。
『必ず、戻る』
この約束は未だ果たされていない。

彼が目を覚まし、起き上がり、互いに無事を喜んだあと、その後にやらなければならないことがある。
それがかつてインデックスが為してしまったことに起因し、そしてこれからも背負っていかなければならないことの清算。
彼と彼女の未来は、その先にしかないのだから。


「おっす」

思考にふけっていたインデックスに、やや無遠慮な声がかけられる。
ジュースの缶を両手に持った御坂美琴だ。

「フルーツ豆乳ティーと杏仁豆腐ソーダ、どっちがいい?」

「……なんだかどっちもおいしくなさそうなんだよ」

ピンク色と茶色のストライプの缶と、水色と白色の水玉模様の缶。
悩んだ挙句、美琴から杏仁豆腐ソーダを受け取りインデックスは栓を開ける。
砕けた杏仁豆腐と甘いシロップに炭酸が絡んだ、なんとも絶妙かつ微妙な味わいである。

「……うげー、物凄くビミョー。捨てちゃおうかしら」

「むー、食べ物は大切にしなさいって、とうまが言ってたんだよ。
 それにしても、学園都市って変な食べ物や飲み物多いよね。みんな味覚が変なの?」

「腹に入ればなんでも同じタイプらしいアンタが言うか。
 学園都市は『思いついたらとりあえず作ってみる』的なところだから、それだけ変わったものも多いのよ。
 ま、その分淘汰されるものも多いんだけど」

これもすぐ消えるんでしょうね、と言い美琴は再びジュースを口にする。
それに倣い、インデックスも杏仁豆腐ソーダに口をつける。

しばらく、二人は無言のまま、ジュースの缶を傾けていた。


「ねぇ」

「なぁに?」

不意に、インデックスが口を開く。

「かおりとか、いつわとか、『新たなる光』から、私ととうまのことを聞いたんだよね?」

「まぁね。伝聞程度だけど」

「魔術のことも、聞いたんだよね?」

「ええ。最初はびっくりしたけど、目の前で見せられちゃ信じるしかないわよね」

「…………何も、聞かないんだね」

「そりゃ聞きたいことは一杯あるけど、私が聞きたい相手はあんたじゃなくてあいつだもの。
 人の都合にはすぐ首を突っ込むくせに、自分の都合は全部自分だけで抱え込もうとするあの馬鹿に」

「……とうまは、いっつもそうだよね」

「そうよ。そりゃあ助けてくれるのは、その……嬉しいけどさ、ちょっとはこっちにもあいつに関わらせろっつーの!」

そっぽを向き、唇をとんがらせる美琴。
対照的にインデックスは肩を落としたようにうなだれる。

「……とうまは、いつだって、誰かの為に動いてるんだよ。
 『不幸だー』なんて言いながら、人が困ってたら全力でその人の為に突っ走っちゃうし。
 誰かを守るために、戦って、泣いて、傷ついて。
 まるで、自分のことなんかどうだっていいみたいに」

その言葉に、美琴は一月前のことを思いだす。
重傷を負いずたぼろになりながら、それでも誰かの為に戦おうと必死に戦場へと向かおうとしていた、上条当麻。

誰がが自分を助けてくれることなんて有り得ない。
誰かが自分を守ってくれることなんて有り得ない。

そう心の底から信じ切っていた、力強くもどこか儚げなあの横顔。


「とうまは誰かを助けるたびに、その身代わりみたいに傷ついて行く。
 ううん、きっと誰かの『不幸』を代わりに背負うことで、その人を助けているんだね。
 とうま自身が元々不幸だからって、それぐらいへっちゃらなふりをして。
 誰かをかばって大怪我をしたとしても、守りたい誰かが無事なら『良かった良かった』って心の底から言うんだよ」

インデックスは頭を抱え込むように体を丸める。
腕の隙間から、ぽたり、ぽたりと滴が膝へ落ちるのが見えた。


    「例え、それまでの記憶を失っちゃうような、物凄く酷い大怪我をしたとしても」


ああ、と美琴は大きく嘆息する。
この少女は知った。知ってしまった。
上条当麻が隠し通したいと思っていたことを、ついに知ってしまったのだ。


「とうまは、ずっと隠してきたんだね。……誰かを、周りのみんなを傷つけないために。
 何もかも分からなくても、それでも、『上条当麻』を演じてきたんだよ」

自分は他者のことを何も知らないのに、周囲の人間は自分のことを知っているという異質な状況。
インデックス自身だってその辛さは知っている。
不安と恐怖に苛まされるその中で、彼は必死に『上条当麻』を演じて見せた。
自分が、自分たちが彼に『上条当麻』であることを押し付けた。

いつしか、インデックスは肩を震わせ、涙はとめどなく頬を伝う。

「人のことどころか、自分のことだってわからないはずなのに、それでもとうまは誰かのために動ける、優しくできる人間なんだよ。
 例えそれが昔敵だった人でも、命のやり取りをしあった相手でも、──自分から過去の全てを奪った人間でも!」

最後の言葉に込められたのは、後悔と自責。
客観的に見れば、上条が記憶を失った時、彼女は無意識であり他者にかけられた防衛機構が働いていたのだから、という人間もいるだろう。
だが、彼女はそんな言い訳をよしとしない。
『インデックス自身が上条の全てを破壊した』、そのことすら知らなかった。この一点で彼女は自身を責め続ける。

「……それが、上条当麻っていうあのバカなお人好しの本質なんでしょうよ」

「バカって……っ!」

「だってさ、バカじゃない。本当にバカよ、バカ」

美琴の突き放すような言葉に、インデックスは血相を変えて顔を上げる。
が、その眼に映ったのは、本当に寂しそうな美琴の表情。

「他の人がみんな無傷で、あいつだけが傷ついて、それで『めでたしめでたし』のハッピーエンドで終わるかっつーの。
 世の中にはあいつが傷つくことで悲しむ人間がいるっていう、そんな当たり前のことにすら思いいたらないほどの馬鹿じゃない」


「……私ね、一ヶ月くらい前かな。偶然あいつの記憶喪失について知っちゃったの。
 電話越しに誰かと話しているのを漏れ聞いただけなんだけど」

美琴の独白を、インデックスは黙って聞いていた。

「それでね、その後しばらくして、あいつに問いただしたのよ。
 どうして、記憶を失うほどにボロボロになってまで、誰にも頼らずに一人で戦い続けようとするのかってね。
 そしたらあいつ、何て言ったと思う?」

「……何て言ったの?」

「『……以前の自分なんか思い出せない。どんな最期だったかなんてイメージもできない。
 だけど、ボロボロになるとか、記憶を失うとか、一人で傷つき続ける理由はどこにもないだとか。
 そういうことを言うために、記憶を失うまで体を張ったんじゃないと思うんだ』、って」

それこそが上条当麻の本質。
助けたいと思った人をどう助けるかのみが肝心なのであって、そこまでの過程とか、それに付随する結果とか。
そんな些細なことは、彼にとってはどうだっていいのだ。
彼が痛みを引きうけ続ける限りは、それは上条当麻にとっての『不幸』足り得ないのだろう。

「たとえ全身にチューブを繋がれようが、ベッドに縛り付けられようが、足が砕けようが手がもげようがあいつは誰かの為に奔走するんでしょう。
 今までもずっと、これからもずっと。
 誰かの痛みを肩代わりすることで、自分も誰かも『不幸』じゃなくなるためにさ」

「……そうだろうね。少なくともとうまはずっと、出会ったときからその一点だけはぶれてないかも」

両者とも、出会ってすぐの少女の為に未知の能力(チカラ)を持つ者へと立ち向かっていくさまを見ている。
その背中はとても頼もしく、だけど同時にとても儚げで。

「だから、私は決めたの。
 これから、私はあいつに対してとても図々しくなってやる。
 私があいつに助けられた時みたいにずかずかと、有無を言わさずにあいつの都合に首を突っ込んでやるの。
 そして、あいつの背中を守れるくらいに、あいつとあいつの守りたいものを守れるくらいに強くなる」

それが、ここ数日で美琴が辿り着いた結論。
その為の努力は、なんだってする。
不可能は全て可能にして見せる。
元より御坂美琴は、ハードルを乗り越えずにはいられない性分なのだから。


「……なんだか、とうまと"みこと"は似た者同士かも」

目を袖でごしごしと拭ったインデックスが美琴へと笑いかける。

「人の名前、覚えてるならちゃんとそっちで呼びなさいよ」

「何のことかな、"短髪"」

「……こんにゃろー、わざとらしいのよ」

美琴がインデックスに躍りかかろうとするしぐさを見せると、インデックスも大げさに身を縮める。
しばらくじゃれあったあと、二人は息を切らせてソファーへと崩れ落ちる。

「……ありがとうね、短髪」

「何がよ」

「私も、決心……というより、覚悟を決めたんだよ」

上条当麻の記憶喪失。
上条とインデックスの間に横たわる闇に、ついに向き直る時がきた。

「とうまが起きたら、ちゃんと謝らなきゃいけないことを謝るんだよ。
 とうまはとうまで隠してたことを苦しく思ってるかも知れないけど、それだって元はと言えば私が押し付けたようなものなんだし。
 ちゃんと全部懺悔をして、許しを乞うて。そうして初めて、私はとうまと対等な関係になれるんじゃないかな」

被害者と加害者。守るものと守られるもの。その関係からようやく抜け出せるのだ。


「起きたら、ねぇ……。
 私はとりあえず、『もう少し自分を大事にしなさい』って怒鳴りつけてやるつもりだけど」

そこでふと美琴は思い出し、ポケットから上条の携帯電話を取りだした。
病院故に電源を切りっぱなしであったが、今この瞬間も彼を心配する人間からのメールが電話が絶えないのではないか。

「これも、ちゃんと返さなきゃね」

「とうまの『けいたいでんわ』だ。海の中で見つけたんだっけ?
 ……あれ? 『げこた』がついてないんだよ?」

「そうなのよ。紐が切れちゃったみたいでね」

別のポケットから、上条のゲコ太ストラップを取り出してみる。
優しく撫でたそれはところどころ傷ついていた。
ぶっつりと千切れたひもの部分は、どうあがいても修復は難しそうだ。
が、

「常盤台中学に通うお嬢様を、なめんじゃないわよ」


研究機関の宿泊施設は機密保持のために基本的に学園都市の関係者しか泊らせないようで、
学生である美琴と10777号、学園都市内での仮IDを持つインデックス以外は最寄りの街に宿泊し、交代で見舞いに来ることになった。
その間、少女たちは上条の快復を待ちながら、思い思いの過ごし方をしていた。

美琴は普段なかなか会えない父親や妹たちと色々と話をしたり。

インデックスは上条の病室の前でひたすら祈りを捧げたり。

五和を加えて飲み物片手に互いの境遇(主に上条との関係)を話したり。

レッサーが上条の病室に忍び込もうとするのを全力で阻止したり。

美琴と妹たちで同じ顔が4人もいるところを魔術師たちに見られたり。

そうこうしているうちに、一週間が経った。

今日はここまでです

上条さんとインデックスの関係は、片方が謝ってそれで解決すると言うものではなく
お互い胸に抱えてるものを全部ぶちまけあって初めて再構築できるものなのではないかと思うのです

次回は序盤の山場になる予定です
そろそろスレタイからかけ離れつつある……

>>1乙です!!!

これ旧約23巻ってことにしていい位のクオリティだと思うんだけど。
多数の登場人物を矛盾なく使いこなせてるし、グループのその後まで描いている。

今後も期待してます


上条さん起きてからもまだつづくのかな?

>>224
グループェ…

こんばんは
もう新年度、新学期ですね……
生活リズムを直さないと

>>226
そんな滅相もないorz
後から見て直したいところばかりでお恥ずかしい

>>227
むしろ上条さんが起きてからが本番かな、と

今回はエセ医学っぽい場面がありますが、クソ文系で知識不足ですので矛盾点やおかしいところは平にご容赦を
また、人によってはヘイト描写にとれそうな表現がありますので、ご注意ください
それでは投下していきます


11月10日。

「症状が落ち着き熱も下がったので、今日から一般病棟へと移します。
 呼吸器は外れましたし、睡眠薬の投与は打ち切ったのでしばらくしたら目を覚ますでしょう」

朝、もはや日課となった見舞いへと向かうと、担当医や看護師たちが彼を無菌室から運び出しているところだった。
大分血色が戻り、安らかな寝息を立てている彼を見る限り、もう心配はいらないようだ。

上条に宛がわれた病室は綺麗な個室で、窓から柔らかな光が飛び込む暖かな部屋だった。
その中央に寝かされた上条を囲むように、自然とベッドの周りへと集まる。

「ただ、依然として体調が良くないことは同じなので、あまり彼の眠りを妨げるようなことはしないでくださいね」

彼が目を覚ましたらナースコールをしてください、と言い残して医者は去っていく。

「……私、こいつの寝顔初めて見た」

正確にはここまで安らかに眠る顔を、だろうか。
数度だけ見た寝顔は、「寝ている」というより「意識を失っている」と言ったほうが正しい状況下でのものが多かった。
そもそもそう言った状況でもなければ寝顔を見られるような関係ではないのだが。

「一週間以上眠り続けてるわけだし、とうまにはいい休息になったかも。
 だけど、怪我を治すいい機会だし起きてもしばらくは病院から出ないほうがいいかもしれないね」

「ただ、この方の場合は出席日数が問題なのでは? とミサカは懸念を表します」

「あー、それは問題よね。このままだと冬休み、春休みどころか来年の夏休みまで補習確定になったりして。最悪留年かも」


「留年なんて事態になったら、私はもう上条当麻に顔向けが出来ないかもしれません……」

はぁ、と大きくため息をつくのは神裂火織。
既に足を向けては寝られないほどの大恩を受けている上に、そのような事態を強いてしまったなら、
もはや神裂はどのようにして恩を返せばいいのやら。

頭を抱える神裂をよそに、ステイルは含み笑いをする。

「上条当麻の頭が不出来なのを僕らに責任転嫁されても困るが、
 そうだな、神裂、君がまたアレを着て上条当麻に奉仕すればいいんじゃないのか?」

その言葉に、神裂の目が剣呑さを帯びる。

「アレ、とは……?」

「決まっているだろう、土御門が大笑いしながら話してくれた、例の堕天sごッ、がァァァァァァァァァァァッッッ!!」

禁句を口にしたとたん、聖人の腕力で後頭部を殴られたステイルが風車のように回転しながら吹き飛んでいく。
彼は顔から壁へと激突し、ずるずると床へ崩れ落ちるとそのままぴくりとも動かなくなってしまった。

はー、はーと神裂はしばらく肩で息をしていたが、まさに唖然とした表情の少女たちの視線を受けて、

「あの、えっと、これは……! う、うわああああああああああああん!!」

女教皇らしからぬ悲鳴を上げて、病室から逃げ出してしまった。


久しぶりに間近で見る上条をネタに、少女たちの会話が続く。
意外に柔らかい頬を突いてみたり、伸びつつある無精ひげを引っ張ってみたり。
整髪料を使っておらずツンツンしていない髪に違和感を覚えたり。

殺風景だからお花を飾ろうだの、喉が渇いてるだろうから冷たいものでも用意していてやろうだの、会話のネタは尽きない。
けれども、3人の心を占めているのは同じ願い。
『早く目が覚めてほしい。そして、彼の声が聞きたい』
故に、気付けば上条の話題に戻っているということがしばしばであった。

昼ごろ、ようやく目を覚ましたステイルは空気を吸ってくると言い部屋を後にした。

そして、日が傾き始めたころ。
美琴は上条の手が動いたのを見た。
そろそろ睡眠薬が切れ、目を覚ます頃なのだろう。
ナースコールをすると、すぐに担当医や看護師が現れた。

「……とうま?」

インデックスが優しく問いかけると、上条のまぶたがピクリと動いた。
数度問いかけることで、ようやく意識が覚醒へと向かい始めたのだろう。
一同に見守られながら、ゆっくりと目を開けて行く。
やがて、かすれた声で呟くように言った。

「……ここ、は……?」

「病院だよ」

上条は答えたインデックスの方を見た。
もはや目は完全に見開かれている。
上条の目に、確かにインデックスが映っているはずだ。

なのに。

「…………君は、誰だ……?」

その一言で、一同は凍りついた。


「だ、誰って、インデックス、だよ……?」

恐る恐ると言った様子で、インデックスは上条に顔を近づける。
それでも、上条は訳が分からない、むしろ得体が知れないというような表情で彼女を見る。
しばらくして、うつむき加減に

「…………ごめん、分からない」

その言葉とともに、インデックスの顔がみるみる青くなっていく。
それでも、彼女は気丈に、

「じゃ、じゃ、じゃあ、短髪のことは!? 良くビリビリされながら追いかけ回されてんだってね!?」

インデックスに指さされ、上条は美琴の顔をじっと見た。
耳が赤くなるのを感じるが、今はそれどころではない。
上条はしばらく美琴の顔を見つめ、深く考え込んでいたが、やがて

「…………ごめん」

インデックスと同じく、美琴は急激に顔から血の気が引いて行くのを感じた。
上条に、自分が認識されていない。
その事は、彼女が思っていた以上に彼女に衝撃を与えたようで、何を口にするべきか、うまく考えがまとまらない。


その様子を訝しげに見ていた医者が少女らを押しのけて上条の元へと駆け寄る。

「僕はあなたの担当医です。……自分のお名前、分かりますか」

「…………俺の名前……」

上条は両手で目を覆い、頭をフル回転させて考える。

「……俺の名前……俺の名前……俺の名前、名前、名前、名前、名前名前、名前名前名前、俺の名前ぇ…………っ!」

その呟きは少しずつ語勢を強めて行き、後半は焦りといらだちでほとんど叫ぶような調子になった。
かぶりを振り、だんだんと落ち着きを失くしていく上条の肩を担当医は掴んで言う。

「分からないのであれば、無理に思い出す必要はありません。落ち着いて深呼吸をして、僕の目を見て話を聞いてください」

「…………先生……っ!!」

医者の言葉に上条はようやく顔を上げる。
まるで今にも泣き出しそうな迷子のような、まるで言葉も分からぬ異国に一人で放り込まれたような表情で。

「……先生、俺、俺の、名前……思い出せねぇよ…………っ!!」


それは、その場にいる誰も今までに見たことのない、怯えるような、すがるような上条の姿。
誰もが言葉を失い、思考すら停止したまま、ただ彼の姿を見つめていることしかできなかった。


精密検査をするから、と美琴たちは病室を追い出され、ロビーへと向かった。
彼女たちの表情から何事かと顔をこわばらせる神裂らに、彼女たちは何も答えることができなかった。

少女たちの目に焼き付いているのは、不安と怯えに支配された上条の表情。
それは今までに彼女たちが一度も見たことのない顔で、少女たちの心を強く掻き毟るものだった。
話を聞いた妹たち、心配で駆けつけた五和たちと共に、ただ担当医を待っていた。

それから数時間して、担当医がインデックスを自身の診察室へと呼びだした。
他の人間たちも彼女に従い診察室へと向かう。
そこで、医者の重い口から伝えられたことは。

「……どうやら、彼は記憶を喪失しているようです。混乱ではなく、喪失。
 家族や友人のことも、自分自身のことすらも、何もかも」

それは、余りにも残酷な現実。
人格が記憶と経験に裏打ちされたものである以上、それらを喪うということが意味するものは明白であり。

誰かが生き、誰かが愛する『世界』を救った少年は、それと引き換えに『自分』を失ってしまったのだ。


「ここからのお話は、本来であればご家族にのみお話すべき事柄ではありますが、日本からロシアまでは現在渡航不可という状況でして。
 ただ、皆さんも心配でしょうし、同居人であるインデックスさん。あなたに判断していただきたいと思います」

話を振られたインデックスがびくりと肩を震わせる。
その目尻は赤い。
周囲を見回すが、周りはみんな、上条のために心を痛めている人間ばかりなのだ。

「……みんなにも聞いてもらった方がいいと思うんだよ。みんな、とうまのことが心配なんだから」

「分かりました」

担当医は手元の端末を操作する。

「彼が記憶喪失であるということを受け、学園都市からカルテを取り寄せたうえで再度、精密検査を行いました。
 ……驚きました。入院回数やその怪我の程度が、普通の人の比ではない。
 医者として言わせていただくと、ベッドにくくりつけてでもしばらくは安静にしてもらいたい、というのが正直なところです」

直近の3カ月だけでその回数は優に10回を越え、命を脅かすような怪我だって幾度もしている。
常人であれば一生に一度あるかないかの重傷を、彼は数多く負っている。

「特に酷い怪我を負ったのが、7月28日、8月8日、8月21日、そして一月ほど前の第二十二学区で能力者同士の争いに巻き込まれた時ですね。
 一番最後の時は数百メートルも吹き飛ばされて水面に叩き込まれたそうですが、これで数日後には普通に歩けていたのが不思議なくらいです」

羅列された日付に、誰もが顔を強張らせた。
ここにいるほとんど全員がどれかの日付に関係している。
つまり、上条にそれほどの重傷を負わせた代わりに、彼らは今ここに生きて存在する。

「この中で特筆すべきなのが、やはり7月28日でしょうね。
 恐らくはこの日に受けた損傷が、今回の記憶喪失の遠因ではないでしょうか」


インデックスの表情がくしゃりと奇妙に歪んだ。
あの日インデックスの身代わりに上条が負った怪我。
あれは今もずっと尾を引いていたのだ。

心臓は直接鷲掴みされたかのように痛み、呼吸は妙に浅く早くなる。
聞きたくない。でも、聞かなければならない。

「この時の担当医の記述では、『表現のしようがないが、あえて強引に表現するなら脳にスタンガンを直接ぶつけたようだ』と。
 実際、レントゲン写真や術中の記録写真を見る限りでは、私だって似た表現をするだろうと思います」

端末を操作し、モニターに二枚の脳の3Dモデルを映し出す。
レントゲンなどによる検査と、脳波測定を組み合わせて脳の活性状況を示したものだ。
それは同じように切り開かれているのだが、その片方の一部に、異様な暗黒の部分がある。

「右側が普通の健常者の脳。左側が7月28日時点での上条さんの脳。
 右側に比べて黒い場所はこの日に損傷を受けた部分です。
 それと、もう一枚」

医者はもう一枚の3Dモデルを表示した。
計三枚の写真を見比べてみると、黒い部分の周囲にやや黒ずんだ部分が広がっているのが分かる。

「こちらはついさっき作成したばかりのものですね。
 この黒ずんだ場所は、細胞自体の活性が極度に低下している部分ですね。
 海中に落下した時に受けた強い衝撃と、冷たい海中に長時間浸かっていたことによる脳の血流不足、酸欠状態によるものでしょう。
 記憶喪失はこれが原因ではないかと思います」


あたりを静寂が支配した。
誰もが医者の言葉の意味を頭の中で反駁しているのだろう。
こらえきれず、美琴が呟いた。

「…………治るんですよね……?」

それは誰もが抱いた希望。
だが、医者は答えない。
沈黙による答えが示すものは、あまりに明確で。

「…………治りますよね……?」

「……人間に限らず、生きとし生けるものには、自己修復機能があります。
 例えば指を傷つけてしまっても、やがて血は止まりかさぶたとなり、そして元のように綺麗になります。
 だけども、限度があります。例えば指を切断してしまったら、それは自然に生えてくることはない」

「……でもっ、学園都市には世界最高峰の再生治療の技術があります……っ!!」

それはほぼ懇願に近い主張。
けれども、医者は首を横にふる。

「……学園都市の技術だって、万能ではありません。
 時間をかければ切断した腕は再生できます。潰れた内臓だって機械に代理をさせることもできます。
 ……それでも、脳は。脳だけは、未だ再生に成功したという例はないんです。
 それに、問題はそれだけではありません。
 仮に脳細胞を修復できたとしても、それだけでは意味が無いんです」


「どうして、ですか」

「『情報』が足りないんです。
 例えば、傷痕が分かりやすいでしょうか。手足に負った傷は、深ければ痕として残ることがあります。
 それは手術などで消さなければ、一生涯残り続けることでしょう。
 その後、腕を切断し、再生治療を施して再生したとします。すると、新しい腕には傷痕がありません。
 新しい腕と元々の腕はまったくの別物なのですから、当然です。古い腕が持っていた傷痕という『情報』は、引き継がれることがない。
 つまり、例え記憶中枢の細胞が再生できたとしても、『情報』までは復元することはできないのです」

「…………じゃあ、とうまは、もう、何も思い出すことはできないの……?」

「ここ三カ月の間記憶喪失以外には特に支障が無かったということは、その間の記憶に関しては時間をかけて癒すことで復活する可能性はあります。
 あくまで活性が低下しているだけで、完全に死滅しているわけではないのですから、治療は不可能ではないと思います。
 ……ただ、それ以前の記憶に関しては、『情報』そのものが消滅してしまっているわけですし」

医者は言葉を切る。
だが、知る覚悟をした人間には言わなくてはならないのだ。
それが彼の仕事であり、責務であるのだから。



     「──例え脳細胞が綺麗に治癒したところで、7月28日以前の記憶に関しては、生涯戻ることはないでしょう」



気付けば、美琴は妹たちに支えられて彼女らの自室へと戻る途中だった。
妹たちもまたショックを受けているのか、口数は少ない。

部屋の中では旅掛が仕事用のノートパソコンに向かい、作業をしていた。
美琴や妹たちの顔を見るなり、驚くような表情をする。

「……何かあったのか」

「……うん」

そのまま美琴は旅掛の胸の中へと飛び込んだ。
それに続くように妹たちもまた、父親にしがみつく。

すすり泣く美琴の頭をしばらく撫でたのち、優しく問う。

「何があったのか、ゆっくりでいいから話してごらん」

「……あいつが、やっと目を覚ましたの」

「それは喜ぶべきことじゃないか」

「だけど、だけど」

ぐすっと鼻をすする。

「……あいつは、なんにも覚えてなかった。
 私の事も、この子たちの事も、インデックスのことも、ご両親のことも、他の人も、自分のことすら、なあんにも」


「それは……記憶喪失ってことか?」

「うん。大怪我のせいだって」

「そうか……」

記憶喪失。
単なる想い出の喪失だけではなく、自己の存在理由すらも見失うことの、なんと辛いことか。

「私……私があの時、あいつを助けられていたら……!」

「美琴、自分を責めちゃいけないよ」

しゃくりあげる娘を、旅掛は優しく抱きしめる。

「人生は長い。その中には、いくつもいくつも『もしも』がある。
 父さんにだって、『あの時こうだったら』『この時こうしていたら』という出来事はいくらでもある。
 だけど、それは全て手遅れだ。過去に『もしも』は通用しない。終わったことは変えられない。
 それはただの願望、いや空想でしかない」

腕の中で美琴が震える。だが、旅掛は言葉を続ける。

「だからこそ、人は強くなろうとする。
 再び岐路に立たされた時、道を間違えないように。けっして後悔しないように。
 ……さて、今父さんの腕の中にいる女の子はなんて名前でしょう?」

「…………御坂美琴」

「そう、才色兼備かつ文武両道、常盤台の『超電磁砲』にして俺の自慢の娘、だ。
 父さんはあまりお前のそばにいられたわけじゃないけど、それでも美琴が『どこまでも強くなれる』子だってことは知ってる。
 だから、あえて厳しいことを言うよ。……美琴、その後悔を飲み干せ」


「後悔を、飲み干す……?」

「そうだ。お前はそれを取り込んで、糧にしなきゃいけない。
 それはどんなに辛く、苦しいかはわからない。ひょっとしたら逃げ出したくなるかもしれない。
 だけどもお前はそれに向き合って、乗り越えて、力にしなければいけない。
 誰かを救えずに泣いたのなら、次は必ず救えるように力を身につけなければいけない。
 そうして、初めてお前は『強く』なれる」

「……強く、なれるかな」

「できるさ。父さんの娘で、この子たちの"お姉ちゃん"なんだろう?」

「…………うん!」

父親の胸板に一度顔をこすりつけ、美琴は顔を上げる。
そこには『超電磁砲』に相応しい、生気に満ちた表情が戻っていた。


「ところで、だな。父さんはそろそろ次の仕事の為に、ここを発たないといけないんだ」

「……次はどこに行くの?」

「中東のほうかな。第三次世界大戦の影響を受けて、向こうもきな臭くなっているだろう。
 だからこそ、父さんの力を必要としている人もいるんじゃないかと思うんだ」

「気を付けて、行ってきてよ。
 お母さんだって寂しがってるんだから、たまには日本に帰ってきてあげなさいよ」

「そうだな、正月には日本に帰るよ。
 だから、その間、美琴も学生として、"お姉ちゃん"としても頑張るように」

「……うん」


同時刻。
研究機関の最寄りの街にある安ホテルの一室に、インデックス、神裂、ステイルはいた。
その理由は彼らの上司であるイギリス清教最大主教ローラ=スチュアートに、上条の件について報告するためだ。
学園都市の機関内で堂々と通信用魔術を発動させるのはいささか問題がある。

『──それで、幻想殺しの少年が記憶喪失になってしまいたりけると言うのね』

部屋に据え置かれた小さなテレビには身長よりも長い金髪の女性が映っている。
もちろんテレビ放送の映像ではなく、その上に置かれたデジタルカメラを擬した霊装が受信した映像である。
こちらに映像を映し出すと同時に、向こうにも映像を送っているのだ。
彼女は画面には目もくれず、ひたすらに書類と格闘している。

『事態は把握したるの。それで、お前たちはいつ帰ってきやるの?』

「……少なくとも彼が学園都市に帰るまでは、と思っているのですが」

『イギリス清教としては、いつまでも幻想殺し一人に人手を割いてる余裕はないのだけれども。
 戦争が終わって10日。
 たったこれだけの期間でイギリスだけでも魔術・非魔術問わず何件の事件が起きてると思うて?
 神裂に、ステイル、天草式。お前たちがいないだけで、どれだけ大変なことか』

ため息をつき、おかげで私まで書類地獄に陥りたるというのに、と嘯くローラに対し、三人の視線は厳しい。
彼女は上条の状況に何も思ってはいないのだろうか?

『言っておくけれども、私とて何も感じてはいないというわけではあらじなのよ』

彼らの心中を透かし見るかのようにローラが言う。

『だけれども、何も幻想殺しの少年だけが酷いけがをしたというわけでもなし。
 騎士派や必要悪の教会のメンバーの中にも、死者や重傷者は山ほどありけるというのに』

「ですが、彼は右方のフィアンマを撃破したという功績が──」

『修道女たるもの、功の大小、罪の多寡に関わらず平等に接するものではなくて?
 神裂、お前は少し落ち着いたほうがいいと思いけるのよ」


「しかし!」

語気を荒げる神裂に、初めてローラは顔を上げる。

『くどい、と言っているの。
 上条当麻より状態の酷い人間はいくらだっておりけるのよ。
 まさか、女教皇ともあろう人間が彼らより上条当麻一人のほうが大事だというの?』

「それは……っ」

そんなことは断じてない。だが、それでも上条に対して何か報いたいという気持ちがある。

『上条当麻は学園都市の学生たるの。学園都市の人間が彼らのやり方を持ってかの少年を癒したるでしょう。
 どうせかの右腕がある限り回復魔術も何も無効なのだから、モチはモチ屋に任せるのが一番なりけるの。
 それとも、彼の右腕を切り落として回復魔術を施すとでも言いたきなのかしら?』

そう言われてしまえば、何も言い返すことができない。
苦虫をかみつぶしたような顔で黙りこんだ神裂を差し置いて、ステイルが前へと進み出る。

「では、僕たちはすぐにでもイギリスへと帰りましょう。
 ……ただ、インデックスはこのまま上条当麻と共に学園都市へと戻らせたいと思います」

「……すている」

彼にはインデックスに対して、幾度となく記憶を消してきたという過去がある。
『記憶を失った人間がどれだけ心細いか』を何度も目の当たりにしてきたのだ。
その不安感を少しでも和らげるためには、周囲の人間が適切なケアをしてやることが大切だ。
ステイルにとって上条自身は路傍の石の次にどうでもいい存在だが、それでもインデックスにとって彼が大切な人間であることは認めている。
だが。


     『その必要はなきにつきよ。禁書目録も連れてイギリスへと帰還しなさい』


「……え?」

「何故です! インデックスの保護者は上条当麻のはずでしょう!?」

『簡単なことよ。
 幻想殺しの少年は禁書目録の"管理者"たり得なくなった。だから禁書目録はイギリス清教が回収する。これだけのこと。
 もともと上条当麻はイギリス清教から委託を受けて禁書目録を"管理"していただけ。
 "貸与"していたものを元の持ち主が返還を求めることに、何か不都合がありけるの?』


「……ふざけるな! そんな勝手な言い分が、まかり通ると思っているのか!」

ついにステイルが憤怒の表情で怒鳴り散らす。
仮に目の前にローラ=スチュアートがいたならば、彼は迷わず紅炎を振るっていただろう。

「イギリス清教の都合で記憶を奪い、イギリス清教の都合で追いかけまわし、
 イギリス清教の都合で上条当麻と暮らさせ、イギリス清教の都合で今また引き離そうとする……!
 彼女の意志はどこに存在する!
 これ以上、彼女を踏みにじり続けることは許さないぞ!」

目が合うだけで燃やせたらと言うようなステイルに対し、ローラの視線は氷点下の冷気を帯びる。

『意志、ね……』

が、それは少しだけ長い瞬きの間に消え失せた。
ローラはそれっきりステイルを捨て置き、視線をインデックスへと向ける。

『ねぇ、禁書目録』

「……何かな、最大主教」

ステイルや神裂の剣幕に気押されていたインデックスは、やや小さな声で答えた。

『お前は、今の上条当麻の様子を見たのよね?』

「…………うん」

『その状態の上条当麻は、魔術師と戦えると思いけるの?』

「……っ!?」

『禁書目録が──というよりはそのうちに抱える魔導図書館が──あまたの魔術師たちに狙われていることは言うまでもなかりけりね。
 今回の戦争において、上条当麻という少年は右方のフィアンマ、そして大天使をも退けたるの。
 それがどのような意味を持つか、分からざるお前たちではないでしょう?』

ローマ正教の最高戦力である神の右席、そして大天使の一角を討ち滅ぼした上条当麻は、もはや個々の戦力という類ではくくれない。
彼を打倒して禁書目録を得ようとするならば、それこそ戦略級の武力を持って為そうとするだろう。
彼や、彼の周囲の人間の被害を顧みることなく。

『今後禁書目録を狙いける魔術師たちは、必ず質と量両方を携えてやってくる。
 生半可な戦力では、上条当麻という護衛を突破し得ることはないのだから』


「ならば、必要悪の教会から彼とインデックスの護衛を出せば良いのではないですか!?」

『この状況下で人員に余裕はない、と言うたばかりでしょう。それならば禁書目録はイギリスに戻したほうが守るのはたやすい。
 そして上条当麻は学園都市の人間。まさか禁書目録と暮らさせるためにイギリスへ移住させる、なんて無茶は聞きたくないわ』

「…………っ」

『禁書目録、私はお前を傷つけようとか、苦しめたくて言っているわけではないの。お前と上条当麻のために言いているのよ』

「……とうまの、ため」

『ええ。お前とあの少年が今後も一緒に暮らしたとして、もし魔術師が大挙して攻めて来た時、あの少年はどうすると思う?
 きっと傷ついた体をひきずってでも、性格からして彼はお前を守るために戦おうとするでしょうね。
 相手がどのような存在か分からなくても、相手がどれほどまでに強大かわからなくても』

「…………」

『もしかしたら、馬鹿正直に魔術師が攻めてくるわけではないかもしれぬのよ。
 例えば、科学サイドのごろつきを雇って上条当麻を銃撃させる。それだけであの少年は簡単に排除できる。
 幻想殺しは異能の力にしか効果は無いのだから』

「…………やだ……」

『最悪、上条当麻が"無力化"され、禁書目録を奪われるなんて事態にでもなれば、それこそイギリスにとっては大損失なりけるのよ。
 いえ、もしかしたら上条当麻も一緒にさらわれるかもしれないわね。
 何せ大天使すら破壊した"幻想殺し"だもの。霊装の素材や研究対象としての価値は計り知れない。
 ……当然、そうなってしまえば、上条当麻が上条当麻のままでいられる保証はできざりしなのだけど』

「…………やめて……」

インデックスの視線は徐々に下がって行く。
そこにつけこむように、ローラの柔らかな、しかし冷ややかな声が鼓膜からインデックスの頭を犯していった。

『何も一生会うなと言っているわけではないのよ。
 折を見て、護衛をつけて会いに行くなり、逆に遊びにでも来て貰うなりすればいいでしょう?
 元よりお前は魔術サイドの、上条当麻は科学サイドの人間。そもそも今までが不自然でありけるのよ』

もはやインデックスは床にへたり込むようにし、すすり泣きをしている。
「上条と離れたくない」という思いは、彼女の中の大部分を占めていた。

だが、彼女が上条と共にある限り、上条は際限なく傷ついて行く。
それは身を持って実感ばかりではないか。
彼がそれを笑って許容したとしても、彼女はそれを許容できるほど強くはない。


『……それでもお前が強く望むのなら、上条当麻を"管理者"のままにしておいても良いのだけど、
 魔術サイドが大きく揺らいでいるという情勢が人員を割くことを許さないの。
 つまり、さっき言ったようなことは実際に起こり得る。
 どうせ魔術を想定していない学園都市の警備網など役に立たないことは、これまで何度も魔術師たちが証明したりけるのよ』

そんなことは、神裂やステイル自身がよく知っている。
彼らが警備を掻い潜り学園都市を訪れたことは一度や二度ではない。 
そして、同じように侵入してきた魔術師の迎撃だってしたことがある。

学園都市の警備は、魔術師の侵入を想定していない。そもそも魔術の存在すら知らない。
イギリス清教からの護衛は出せない。自分を守れるのは、自分だけ。
そして、禁書目録だけではなく、今や上条当麻も魔術師の標的となり得る。

『そのことを踏まえたうえで、お前に明朝まで猶予をあげる。ようく考えて、今後を決めなさいね?』

そう言い残し、画面がぶつりと途絶える。
映すべき映像を失ったテレビが画面を歪ませ、やがて元々付けられていたチャンネルのプログラムを流し始める。

不意に、ガコンという大きな音が響いた。
ステイルがやり場のない怒りをゴミ箱に思い切りぶつけたのだ。

神裂がインデックスの背後に跪き、抱きしめるように腕を回す。
ぎり、という歯ぎしりは彼女の憤りを最も端的に表しているのだろう。
だが、彼女には何もできない。口を出す権利は、初めてインデックスの記憶を奪った日からとうに手放している。
だから、神裂に出来るのはたったこれだけなのだ。

その暖かさに包まれながら、インデックスは相反する二つの命題に思考を巡らせる。

二人の安全を取り、時々やり取りをしながら離れて暮らすか。
それとも危険をおしてまで学園都市に留まるか。

相談すべき相手は、自身のことすらわからない状態にある。
そんな状態で相談されても、かえって戸惑わせるだけだろう。
この問題は自らのみで判断しなければならない。

どちらも選びたくない。
どちらかを選ばなくてはならない。

相反する命題が作る苦悩の迷宮に、彼女は囚われて行った。


通信を切り、ローラ=スチュアートはクッションに身を預けた。
考えているのは、これからイギリス清教が取るべき道。
そのために、禁書目録を呼び戻したのだ。

彼女にとって、インデックス自身にはそれほど価値を見出してはいない。
重要なのは10万3000冊の魔導書を内蔵した「魔導図書館」であり、それの入れ物にすぎない少女はどうでもいい。
壊れたらまた作りなおせばいいだけのものだった。

選択肢を与えたのだって、彼女の事を慮ってのことではない。
不要な恨みを買わぬよう、彼女に「自分で道を選んだ」という意識を植え付けたかっただけのこと。
選択の余地がない選択など、強制となんら変わらない。

しかし、ここ最近は少しだけ事情が変わっていた。
「幻想殺し」という能力を秘めた、科学サイドの少年。
それをイギリス清教にとって都合よく運用するために、禁書目録の少女はとても都合が良かった。

だが、その役目ももう終わりだ。

「アレイスター=クロウリー。かの者にとって禁書目録など瑣末なことでしょうが、それでも解析されることだけは避けたきこと」

彼自身に興味はなくても、彼の飼い犬たちは興味を示すかもしれない。
手なずけるためのオモチャとして、禁書目録を与えることもあるだろう。
禁書目録そのものはともかく、魔導図書館を解析され、破壊されることだけはなんとしても避けたい。

片鱗とはいえ、魔術の存在が世界に広まった。
その事実は、大きく世界情勢を塗り替えることとなるだろう。
英国女王などは「もういっそ魔術について公開してしまえ」などと喚いているが、ローラはそれには賛成しかねる。
神秘性の宿る聖域こそ、教会が守るべきもの。

それに、禁書目録にはまだ使い道がある。
隠し球は、ここぞという時まで隠しておくものだ。
ローラはにやりと笑い、腰を上げて風呂場へと向かう。

今夜は、どの入浴剤を使おうか。

今日はここまでです

釈明を一つ
このSSは元々「昏睡状態の上条さんをかいがいしく看護する美琴」という妄想から始まったもので、
じゃあインデックスはどうなったんだろうか、22巻時点での情勢を考えるにこのような感じで引き離されたのではないかと思った次第でございます
ただ、あまりにもかわいそうなので今後インデックスに対する出来る限りのフォローはしていくつもりです

それではまた次回

7月以前の記憶が二度と戻らないということをインデックスたちが知る、というのが大事なんだよ
今までは基本的には上条さんと冥土帰ししか知らなかった

美琴やインデックスが知ってるのは記憶喪失であって
記憶破壊までは知らないんじゃないか

こんばんは
たくさんのレスありがとうございます

「7月28日以前の記憶が二度と戻らない」ということを強調したのは、>>267さんと>>270さんのようなことが言いたかったんです
言葉が足りなくて申し訳ない

上条さんがどう思っているにしろ7月28日以前の「上条当麻」が消滅してしまったことは事実なので、
そのあたり、原作ではどうなるんでしょうかね

では、投下していきます


11月11日。

少年は、自身に与えられたベッドの上で目を覚ました。
長時間寝ていたにも関わらず霞のかかる頭をすっきりさせるために、彼はベッドの脇に置いてあった松葉杖に頼りながら洗面台へと向かった。
左足にはめられたギプス、あちこちに巻かれた包帯。
杖に頼らなければ歩けもしないほどの怪我を、彼は負っているのだ。

記憶はなくとも、『起きたらまず顔を洗う』という習慣は体に染みついているらしい。
蛇口を捻ると程よい温水が出る。チューブの腹を押せば中から洗顔料が出てくる。ひげを剃ることだって簡単にできる。
実際におこなった事は記憶にないにも関わらずスムーズに動く体に、何とも言えない違和感を覚えた。

洗顔料を洗い流し、タオルで水気を切ると、彼は鏡を見た。
全く見覚えのない少年が、やや怯えたようにこちらを見つめていた。

自分の名前は、『上条当麻』というらしい。
学園都市の高校1年生だそうで、父母はそれぞれ『上条刀夜』『上条詩菜』というそうだ。
伝聞調なのは、本当にそうである、という確証が持てないからだ。

見覚えのない自分の顔。
聞き覚えのない自分の名前。
他者は自分を知っているのに、自分は何も知らない。

彼の記憶は昨日から始まる。
それまでのことは何もわからない。
否、本当に昨日以前、自分と言う個体が存在していたのかどうかすら確信が持てない。
まるで何もない所から突如自我を持って発生したかのような、奇妙な感覚。
もしかしたら、世界は昨日、彼が目覚めると同時に開闢を迎えたのかもしれない。
そんなことまで、ついつい考えてしまう。


ベッドに戻った彼は今は何時だろうと思い、サイドボードにおいてあった目覚まし時計を見た。
カエルを象った可愛らしい時計は、午前8時を指していた。
一度も目にしたことが無いのに即座にそれが『時計』であると看過でき、おまけに見方までわかることに気付き、彼は苦笑する。
記憶喪失と言っても、意外と融通は利くらしい。

一晩寝て起きてみると、意外にも頭と心は冷静に動く。
錯乱し、鎮静剤を打たれた昨夜よりもよっぽど落ち着いて物事を考えることができた。

担当医だと名乗った男は、いろいろと検査をした挙句に『君の場合はエピソード記憶のみが障害されているようだ』と言った。
エピソード記憶。簡単に言ってしまえば『上条当麻の経験』を司るものだ。
言語や知識を司る『意味記憶』などには支障がないようだとも言っていた。

知識と経験の違いは、人によってあいまいなのだと言う。
そもそも明確に区分することができるかどうかすら分かっていないのだ。
例えば、顔や名前を知っているだけの『知人』と、良く関わる『友人』の線引きがデジタル的にはできないように。

だから、他者に関することを全く思い出せないということは、"以前の"自分は他者との経験を全て大事な思い出として処理していたのか。
わりと良い奴じゃないか、前の俺。
そう思うとともに、どんな記憶でもいいから少しでも残っていてほしかった、と一抹の寂しさを感じた。


味気ない病人食を食べ終え、彼は着替えることにした。
服を脱いでみて改めて思うのは、自らの傷の多さ。
ぱっと目につく包帯やギプスに覆われている部分だけではない。
いまだ完治していない怪我が至るところに無数についている。
以前の自分は、どんな生活を送っていたというのだろう?

彼は思い悩むが、どうせ思い出せないのでそのうち諦めた。

鏡に映して後方の傷を確認したりしていると、病室のドアを控えめにノックする音がした。

『……入っていい?』

女の子の声だ。

「あー、今着替えているので、少しだけ待ってくれませんか」

『……うん』

彼が返事をすると、ドアによりかかったような軽い音が返ってくる。
そそくさと入院着を直し、彼はベッドの縁に座った。


「どうぞ」

彼が促すと、少女はゆっくりと病室に入ってきた。

肩にかかるくらいの長さの、栗色の髪をした女の子。
当然ながら、少年に見覚えはない。
昨日彼が目を覚ました時にそばにいたような気がするが、それだけだ。

少女はベッドの近くまでくると見舞客用のパイプ椅子を広げ、彼と向き合うように座った。

「お、おはよう」

「おはよう」

やや若干視線を反らし気味の少女が、ぎこちなくあいさつをする。

「その、私は御坂美琴、って言うんだけど……」

恐る恐る様子を伺うような美琴。

「……ごめんなさい」

「そ、そうよね、分かってたんだけど……」

しゅんとなる美琴に、上条はとても申し訳なくなった。


「……御坂さんは、俺にどんなご用事ですか?」

「そんな他人行儀に話さないでよ。私のことは御坂でも、み、美琴でも好きに呼んでくれていいからさ」

「……そっか。じゃあ、御坂……でいいかな?」

「ええ。……そうだ、これ返すわね」

美琴が差し出したのは、上条の携帯電話。
糸を付け替えられたゲコ太のストラップが、覗き込んだ上条に向かって微笑んでいる。

「あんたがなくして、私が拾った奴よ。
 ……それにしても、私があげたストラップを落とすだなんて。次に落としたらおしおきだからね」

はぁ、と言いつつ携帯電話を受け取る上条。
目の前の少女はどう見ても上条よりは年下なのだが、そんなことは微塵も感じさせない接し方だ。

「病院に来る時に一応オフラインにしておいたから、電源入れても問題はないと思うけど。
 ついさっきもメールが来てたみたいよ」

そう言われ電源を入れる。
ほどなくして待ち受け画面が表示された。

「着信履歴535件、未読メール894件……どうしてこんなことに……」

「あんたが行方不明扱いになってから3週間くらい経ってるし、それだけ多くの人があんたを心配してくれてるってことでしょ。
 そう言えば、学園都市にはあんたが見つかったってこと伝わってるのかしら」

上条は手始めに一番上のメールを開けて見た。
差出人は吹寄制理(フキヨセ セイリでいいのだろうか?)。振り分けグループは『友人』となっている。恐らくクラスメイトなのだろう。


【FROM】吹寄 制理
【sub】このサボリ魔!
------------------------
皆が一端覧祭の準備で忙しいのに
一人どこをうろついているのよ!
ただでさえ人手が足りないのに
早く帰ってこないと貴様の鼻に
熱々の紅茶を流し込むわよ!


「……怖ぇ」


吹寄からのメールはそれ以外にも、毎日一通のペースで送られてきていた。
いずれも罵声混じり(一つとして同じワードが無かったというのが凄い)ではあったが、共通して「早く帰ってこい」というのは同じ。
彼女だけではなく、多くの友人から毎日多くのメールが届いていた。
恐らく着信履歴のほうも同じなのだろう。

上条はふっと笑い、携帯電話を閉じた。

「もう良いの?」

「暇なときにでも少しずつ見ようと思ってさ。
 入院生活って寝てるだけで暇なんだろ? 覚えてないけどさ。ははは」

「…………っ」

上条としては軽口のつもりだったのだが、美琴が唇を噛んだのを見て、笑うのをやめる。
彼女を悲しませているのは、自分。

「……なぁ」

「なに?」

「……君は、さ。どうして俺の記憶がなくなったか。何があったか、知ってるか?」

「……断片的に、だけどね」

「俺に教えてくれないか」

「やっぱり、知りたいんだ?」

「ああ」

「……正直、私には分からないことだらけだから、私よりも適任な人がいるわよ。
 あとで呼んできてあげる」

「……そっか」

以前の俺はどんな人間だったのか。何をし、何を考え、なぜ記憶を失うまでに至ったのか。
正直、今にでも知りたい気分ではあるが、とても辛そうにする少女を目の前にしては、何も言うことはできない。


「……ねぇ」

「なんだ?」

「右手、貸して」

わけの分からぬまま、上条は右腕を美琴へと伸ばす。
美琴は両手で包み込むようにして、彼の右手を握りしめた。

「…………?」

一体、何だと言うのだろう。
上条の疑問は、直後に答えを示される。

「……っ………ぐす……や、やっと……ううっ」

御坂美琴が、ぼろぼろと涙をこぼしながら泣いていた。
上条の右手を強く握りしめ、まるで宝物であるかのように胸元でぎゅうっと抱く。
何か柔らかい感触がするような気がするが、上条にとってはそれどころではない。

「…………やっと、……掴めたっ…………!」

あの崩れゆく空中要塞で、わずかに届かなかった手と手。
それを今、こうして握りしめることができる。
右手から伝わる暖かさが、何よりも美琴の心に沁みた。


上条の右手にすがりつくように声を上げて泣く美琴に、しばらく上条は戸惑っていたが、
やがてなだめるように空いていた左手で美琴の頭を優しく撫でた。

「ふにゃぁっ!?」

刹那、びくりと背筋を震わせた美琴に、上条は驚き、固まってしまう。
二人とも気づいていないが、美琴が上条の右手を握っていなければ、恐らく漏電していたのではないかという状況。

「…………」

「…………」

ショックで泣きやんだ美琴の顔はどんどん紅潮していっているし、上条は上条でこんな時の対処マニュアルは持ち合わせていない。
気まずい沈黙とともに、二人はしばらく見つめ合っていた。

「……手、離したほうが良いでございましょうか」

「へっ!? ああ、うん、気にしなくていいから!! 撫でたきゃ好きなだけ撫でなさいよほら!!
 別に嫌じゃないっていうかむしろ嬉しいっていうかつーか何言ってんのよあたし!」

恥ずかしさのあまり暴れながらとんでもない事を口走る美琴に、上条はただ首を傾げるのみだった。


その後は他愛もない話をして過ごした。
主に話すのは美琴で、上条は聞き手にまわる。
学園都市の事、お互いの交友関係の事、そして妹たちのことなど、話題は尽きない。
何よりも驚いたのは、美琴が『超電磁砲』であるということ。
そして、自分が彼女を幾度となく打ち負かしたということだった。

「街中で、川原でも、幾度となく私を弄んでくれやがったのよ」

「……うわぁ何してんの俺」

まさかいたいけな女子中学生相手にイケナイことを!?
頭を抱え、暗い雰囲気で何やら呟き始めた上条を、美琴はニヤニヤしながら見つめる。

「なーに変な妄想してんのよ。私が電撃をあんたにぶつけて、あんたがそれを打ち消してただけよ。
 私が何したってあんたには効かないくせに、あんたは何もしてこないんだもの」

「担いだな! ……あーでも、女子中学生に手を出すような外道にはなりたくないし、あってほしくないな」

疲れたように布団にばたんと倒れ込む上条に、美琴は追い討ちをかける。

「昨日あんたが目を覚ました時、修道服の子がいたわよね。インデックスっていうんだけど」

「ああ、あの長い銀髪の女の子かな」

「あんた、男子寮であの子と同棲してたらしいじゃないの」

「げぇっ!? 本当に何してるんだ、以前の俺!」

男子寮と言えば文字通りむさくるしい野郎どもを詰め込んだ男の園なわけで。
そのど真ん中で女の子と同棲生活という如何わしさ全開のワードに、上条は思わずベッドの上を転げ回った。
病院であるにも関わらず無意識に放電しているのか、髪を逆立たせながら美琴が詰め寄る。

「そのことについて、私はたーっぷりお聞きしたいことがあるんだけどなー?」

「知りません俺は何も知りません!」



ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人。
やりとりの端々に違和感はあれど、それでも漂う雰囲気は美琴の記憶に残っているものと似ている。
そして、その雰囲気が美琴に与える影響も。

(ああ、やっぱりこいつと話してると、心地いいな)

気の知れた後輩や友人たちと遊んでいる時とはまた違う。
楽しさと、緊張と、ちょっぴり高揚感の入り混じる気持ち。

たとえ、上条が全てを忘れていたとしても。
たとえ、上条が何も思い出すことができないかもしれないとしても。

自分の気持ちは、偽れない。


その時、がらりと病室の戸が開いた。
すわ騒ぎすぎて隣の病室の部屋の人が怒ったかと思ったが、そうではなかった。
入り口に立っていたのは、修道服の少女。

「インデックス……」

「あの子か……」

上条は昨日の記憶と視覚をすり合わせるかのように目を凝らす。
インデックスはやや俯き加減に立っており、上条の位置からでは表情はよく伺うことが出来ない。

「あんたもお見舞い? だったら立ってないでこっちにいらっしゃい」

「……短髪も、来てたんだね」

インデックスは部屋の中へのろのろと歩き出した。
ただ向かった先は上条のベッドではなく、美琴の近く。

「……ねぇ、短髪」

「何よ」

かすれ声で言うインデックスを美琴は訝しげに見るが、近くに寄ったことで気付いてしまった。
まるで一晩中泣き明かしていたかのように、目もとが腫れている。

「少しだけ、とうまと二人きりにして欲しいな」

「…………」

「……駄目かな?」

その雰囲気は暗く、何かを決意したかのような表情に美琴は何も言うことが出来ない。
インデックスの提案を断る理由はない。自分だって今の今まで一人占めしていたのだから。
彼女が自分と同等以上に上条を心配していたことは、美琴だって知っている。

「分かった」

「ありがとう」

赤くなった目で、インデックスは笑ってみせた。
その痛々しい表情を見ていられなくなり、美琴は逃げるように病室を後にした。


病室の戸を閉めた美琴は、そっとそれに寄りかかり息を吐く。
戸についているのはすりガラスであり、中の様子は伺えない。
視線は自然と下を向く。

(やっぱり、あの子もショックを受けてるのよね……)

数日前に聞いた、インデックスと上条の関係。
彼女に課せられた呪われた運命から解放するために上条は奔走し、戦い、そして、彼のそれまでの人生全てと引き換えにやり遂げた。
インデックスがそのことを知った矢先に、再び上条は記憶を喪った。
その衝撃はいかばかりのものか。

(邪魔なんか、できないわよね)

しばらくそっとしておこう。
上条の様子を妹たちにも教えてやろうと美琴が顔を上げたその時、初めて気付いた。

個室のドアのすぐそばの壁に、赤い髪の大男が寄りかかっていた。

「しばらく、あの子と上条当麻を放っておいてやってくれないか」

その男は、流暢な日本語で言った。

「……ステイル=マグヌスさん、だっけ」

「呼び捨てで構わない。
 君は御坂……美琴だったか」

「ええ」


「……あの子、一晩中泣いてたの?」

「ああ。神裂がずっと慰めてたよ」

「……そっか。
 何も覚えていないなんて、やっぱり、ショックよね」

「そうだね。だけど、彼女が衝撃を受けたのはそのことだけじゃない」

「どういうこと?」

美琴は聞き返す。
今一番心配すべきことは、上条当麻の記憶喪失のことではないのか。

「イギリス清教は、彼女の本国召還を決定した」

「え?」

「『自己認識すらできなくなった上条当麻に、禁書目録を防衛する能力は無い』だとさ。ふざけた話だ」

美琴はその言葉に目を見開く。
あの二人がお互いをどう思っているかはさておき、公的には二人は『禁書目録とその保護者』という関係らしい。
つまり上条に保護責任能力が無くなったとなれば、イギリス清教は他の人間に禁書目録を守らせるほかない。
それはイコール、二人を引き裂くと言うことであり、

「ちょ、ちょっと待ってよ、なんでそんな急に」

「急にも何も、インデックスの防衛体制は常に検証・更新され続けているんだよ。
 魔術師に対するジョーカーである上条当麻が使い物にならない以上、早急に体制を練り直す必要があるのさ。
 インデックスが内蔵する『魔導図書館』は、イギリスにとって何よりも重要なものだからね」

そのためにイギリスに呼び戻されるのさ、と言うステイルの口調は、どこか投げやりであった。


「……じゃあ、あの子はもう」

「上条当麻と暮らすことはできない。
 ……元より、上条当麻とインデックスは別の世界の住人だ」

「…………っ」

美琴はインデックスの何か重大なことを告げることを決心したような表情を思い出す。
恐らく、彼女はきっと。

「今、インデックスはきっと上条当麻に別れを告げているんだろう。
 今まで彼女とあの男が共に体験してきたことを、インデックスは全て鮮明に覚えている。
 いつどこで出会ったか、いつどこでどんなことを喋ったか、それこそ寸分違わずにね。
 思い出を全部あの男に聞かせることで、せめてもの恩返しにするのではないかな」

きっと、あの少年は困惑したような、申し訳なさそうな顔でそれを聞いているのだろう。
けれども、遮るような真似は決してしない。
それはあの少年の持つ誠実さであり、裏を返せば残酷さであるのかも知れない。
そんなこともあったなと笑い合うこともなく、ただひたすら聞き続けるだけなのだから。

それがどれだけ話し手の心を傷つけるかは、ステイル自身が良く知っている。
だけども、止めようとは思わない。止めることはできない。

「だから、しばらく二人をそっとしておいてくれないか」

「……あんな表情で頼まれて無碍にできるほど、無神経じゃないつもりよ」

「……ありがとう」


邪魔をしないように、美琴はロビーでジュースを飲んでいた。
病院内で唯一携帯電話が使えるエリアで、電源を入れる。
着信が約500件。未読メールが約700件。
頭を抱えている間にメールが増える。
後輩からの絶え間ない受信から目をそむけ、彼女は携帯電話を閉じた。


「短髪」

2、3時間ほど経っただろうか、考え事をしていた美琴は、背後から聞こえてきた声で我に返った。
立っていたのはインデックス。
目元は朝出会ったよりも更に赤く、表情はぼろぼろに崩れ、声もしわがれていた。

「……もう、いいの?」

「うん、私だけとうまを一人占めってわけにも行かないからね。
 今はかおりといつわがとうまとお話してるんだよ」

インデックスはちょこちょこと美琴の隣に寄り、ソファに腰かける。

「何を話してたの?」

「……今までのこと、これからのこと。それと、ごめんなさい、助けてくれてありがとうって」

「そっか」

それ以上には踏み込まない。
踏み込んでいい領域ではない。
いまだぐすぐすと鼻を鳴らす少女にハンカチを渡すと、美琴は言った。

「顔洗ってきなさいよ。綺麗な顔が台無しよ?」


濡らしたハンカチと携帯カイロを数分おきに交換する。
温めたり冷やしたりを繰り返すことで血行が促進され、腫れが引きやすくなる。
30分もすれば、完全にとはいかないものの多少は改善された。

「……とうま、何日か中に学園都市に帰されるんだってね」

「そうねぇ、あのゲコ太に似たお医者さまなら、怪我も綺麗に治してくれそうだし」

「……とうまの記憶、戻るのかな」

その問いに、美琴は答えられない。
常盤台中学は義務教育中に世界で通用する人材を育成することを標榜し、場合によっては卒業者は大学卒と同等として扱われることもある。
だが中学生という限られた時間の制約上、どうしても一分野特化型の教育になりがちだ。
美琴の専攻は電子工学系であり、脳医学についてはどうしてもなじみが薄い。

「お医者さまは、時間をかけてゆっくりと治療していけば戻るかもしれないって言ってたけど」

「……魔術では、とうまは治療できないし」

インデックスが直接この目で見たというわけではないが、後方のアックアと交戦した際に、五和が回復魔術を試したのだと言う。
だが彼の幻想殺しによってことごとく破壊され、効果は全くなかった。

「とうまの右手を回避して治療する方法なんて、10万3000冊の魔導書を総動員しても見つからない。
 あの右手を切り離してしまえばどうにかできるかもしれないけど、そんな方法なんてとりたくもない。
 私の中の『魔導図書館』なんて、いちばん大事な人を守るためにはなんの役にも立たない。
 ……とうまは私を助けてくれたのに、私はとうまを助けてあげられないんだよ」

再びぽろぽろと涙を流すインデックスの頭を優しく撫でてやる。

「……私だって似たようなもんよ。
 レベル5第三位。常盤台のエース。そして『超電磁砲』。
 私が築いてきたものは、私が誇りにしてきたものたちは、あいつのためには何一つ役に立たない。
 そりゃ悔しくて、悲しくて、腹立たしいっつーの」

でもね、と呟いた。

「私はそこで止まるつもりはない。
 今持ってる物が役に立たないなら、役に立つものを新しく手に入れればいいのよ。
 知識も、人脈も、お金も、権威も、ここに至るまでに山ほど手に入れてきた。
 それらはあくまで副次的なものだけど、それでも私が築いたもの。
 持て余して腐らせてきたけれど、そろそろフル活用してもいいころだと思わない?」


「……短髪は、凄いね。私にないものを、たくさん持ってる」

「でも、あんたは代わりに私が持ってない凄いものを持ってるでしょうが」

美琴がインデックスの額を指でつつくと、彼女はきょとんと首を捻る。

「……おでこ?」

「違うっつーの。完全記憶能力と、それを分析する能力よ。
 私にはあんたの『マドートショカン』がどれほど凄いものかはわからないけど、
 10万3000冊の本を完璧に暗記してて、それをフルに活用できることくらいは知ってる。
 でも、今回の件ではあまり役には立たない。なら、そろそろ蔵書を増やすべきときじゃない?」

「……でも、魔導書なんてそう簡単に読めるものじゃ」

「別にマジュツに関することしか記憶できないわけじゃないんでしょ?」

「えっ?」

つまり美琴の言いたいことはこうだ。
その頭の中に、科学技術をありったけ取り込め。
その上で、分析し、解析し、上条当麻を救う方法を探し出せ。

冷静に考えれば、学園都市の中よりも30年遅れているといわれる"外"の技術は役に立たないのかもしれない。
"中"の技術は持ちだせない以上、イギリスに召還される彼女には学園都市の技術を知るすべはない。
そして、"中"と"外"の技術レベルには絶対的な差が存在する。
何よりも、彼女の役割上そうそう科学技術に触れられるものではない。

だが、今のインデックスにとってはそんなことは些細なことだ。
頭の中の知恵と知識を探り、観察し、分解し、分析し、新たに組み合わせて目の前のパズルの答えを導くのが彼女に課せられた役割である。
魔術の分野ではできることを、科学の分野ではできない道理はない。

限られた手札の中で、最大の成果を。
それは、何の成果ももたらさないかもしれない。
けれど、何もしないよりはずっとまし。

まだ目尻は赤いけれども、インデックスは美琴に笑いかけた。

「イギリスに帰ったら、図書館に引きこもるんだよ。国中の図書館を頭の中に収めちゃうかも!」

「そうしなさい。"外"でも読める有用な資料とかがあったら、教えてあげる。
 その代わり、何か糸口でもいいから思いついたら、私にも教えてよ」

「うん!」


「……ところでさ、ず~~っと前から気になっていたんだけど」

「なによ」

「とうまと短髪って、何かにつけて一緒にいるよね」

「そ、そうかしら?」

「八月半ばのクールビューティの時も短髪絡みだし、ひょうかとゴーレムの事件の時も、"れむなんと"の時も、"だいはせーさい"の時も。
 イギリスでも地下鉄に侵入するのにとうまは短髪に電話をかけてたよね?」

「それはその、電子系って言えば私だし……?
 ていうか普通よ、普通の友達の範囲内でしょ!?」

「とうまのこと、好きなの?」

「へ!?」

少女の突然の詰問に、美琴は息を詰まらせた。
顔の赤みは見る見る間に増していることだろう。

「どうなの?」

「そそそそそそそれはその、なんというか、あの、その、えーっと」

「答えて!」

それは少女にとっては何よりも重要なことなのだろう。
ぐいっと身を乗り出し、真剣そのものの表情でこちらを見てくる。
ならば、こちらだって真面目に答えなければならないだろう。
例え、脳が沸騰しそうな恥ずかしいことであっても。

「…………好きよ。大好き」

誰にも打ち明けたことのない気持ちを、初めて言葉にした。
認めてしまえば、その言葉は案外するりと吐きだせた。
不思議なほど胸に馴染むその言葉は、暖かさと切なさを孕んでいる。

「……そっか」

インデックスの声には、意外にも安堵の色が含まれている。


「だったら、私も安心かも」

「どういう意味よ」

「とうまは、今とっても心細いと思うんだよ。
 みんなとうまのことを知っているのに、とうまはみんなのことを分からないんだもの。
 これからとうややしいなとか、こもえとか、お友達とかいろんな人と会うことになるのに」

「学園都市に帰ったら、必然的にそうなるわよね」

「とうまに会ったら、みんなきっと困惑して、戸惑って、最後には寂しそうに笑うんじゃないかな。
 『気にするな』とか『ゆっくり思い出していけばいい』とか言いながら、ね。
 ……だけど、言われるほうは申し訳なくて、悲しくて、心が痛むと思うんだよ」

神裂から、インデックスは今までに何度も記憶を喪ったことを聞かされている。
事情についてはひとまず置いておいて、その事実は彼女の言葉に説得力を与えた。

「だから、そんな時に、とうまの事を大事に思ってくれる人がそばにいて、支えになってくれればいいなぁ、って。
 ……私は、もうとうまのそばにはいてあげられないから」

そう言って、寂しそうに笑う。
その手はぎゅうっと紅茶の缶を握りしめた。

きっとそれは、彼女自身が何よりも上条にしてあげたいこと。
しかし、情勢がそれを許さない。
だから、彼女はその役目を託すに値する人間を探していたのだ。

「そんな大事な役目、私なんかでいいの?」

「短髪は嫌なの?」

「べべべ別に嫌じゃないって言うか、その……」

「ならいいでしょ?」

「いいのかな……?」

うまくノせられたような気がする。


「……だけど、そばにいるだけが、支えるってことじゃないとも思うのよ」

「どういうこと?」

インデックスはきょとんとして首を傾げた。

「記憶っていうのはね、体のいろいろな働きや感覚と結びついて構成されているのよ。
 あいつが失ったエピソード記憶なんか、まさにそんな感じよね。
 視覚、聴覚と言った外部情報と密接にかかわりあって構築されているわけよ」

「うん」

「それでね、記憶を失う前の大事な人や強く印象に残った言葉なんかは、しばしば記憶を取り戻すためのファクターになりうるの。
 なんでかっていうと、そういった外部情報の刺激によって頭の中の繋がりが明瞭になって、ふと思い出すことがあるんだって。
 ……その、あいつにとってはあんたは大事な人間の一人みたいだし? あんたの声がきっかけになるってこともあるんじゃないかな」

「……だけど、私はイギリスに帰らなきゃいけないんだよ」

「何のために携帯電話があんのよ」

美琴は自分のそれを取り出し、軽く振って見せる。


「これがあれば地球のどこにいようが、電波が届く限りいくらでも話せるでしょ」

「うー、でも私はいまいち使い方が良く分からないんだよ」

インデックスも自分の携帯電話を取り出すが、うんともすんとも言わない。

「電源が入らないじゃない。ちゃんと充電してるの?」

「とうまが心配で、それどころじゃなかったんだよ」

「……はぁ、貸してみなさい」

美琴はインデックスの携帯電話を受け取るとバッテリーを外し、軽く握りしめる。

「何をするの?」

「こうするのよ」

美琴は集中し、意識をてのひらに向ける。
二、三度空気が爆ぜる音がし、微弱な稲光が右手の周りを走った。

「……よーし、充電完了」

バッテリーをはめ込むと、インデックスの携帯電話は軽快な音を立てて起動した。
もちろん、電池残量表示は満タンである。

「短髪って電気を操る超能力者なんだっけ?」

「レベル5の万能性なめんなよー。
 まあバッテリーにはあんまり良くないかもだけど、一回くらいならどうってことないでしょ」


ようやく電源の入った携帯電話を捧げ持ち、インデックスは言う。

「……とうまと、どんなことを話せばいいのかな」

「なんだっていいんじゃない? その日あったこと、天気、どんなものがおいしくて、どんなものが面白かったか。
 何がきっかけになるか分からないんだし、面白おかしくおしゃべりすればいいのよ」

「そんなことで、記憶が戻るのかな」

「さあ、でもやらないよりは、やってみたほうがいいでしょ」

「……ねぇ、短髪の『けいたいでんわー』も教えてよ」

「私の? 別にいいけど」

インデックスの端末も操作してやり、赤外線で情報のやり取りをする。

「とうまのことや学園都市の事、何かあったら教えてほしいな」

「りょーかい」

「それと」

「なによ」

「どうしてとうまと短髪の『けいたいでんわー』に、同じ『げこた』がくっついてるのかも教えてほしいな?」


ステイル=マグヌスは美琴が去った後も、病室前の廊下で壁に背を預けていた。
やがてインデックスと入れ替わりに訪れた神裂や五和らが病室から出てきてどこかへ去ったのを見送った後、彼も病室へと入る。

部屋の主はベッドの上で半分体を起こし、何かを考え込むかのように腕を組み、目を閉じていた。

「やあ、上条当麻」

「…………ああ、どうも」

ステイルの声に顔を上げた上条は愛想笑いを返した後、首を捻る。

「えーと、どちらさまでしょう」

「ステイル=マグヌス。イギリス清教第零聖堂区、『必要悪の教会(ネセサリウス)』所属の魔術師さ」

「……インデックスの同僚か何かで?」

「昔はそうだった、かな。今となっては、僕にもよく分からない。
 彼女が同僚だと思ってくれれば、僕は嬉しいのだけれど」

「……はぁ」

彼らの事情は、上条には良く分からない。

「……自己紹介ついでだけど、僕や彼女のような魔術師には真名のほかにもう一つ名前があるんだ。
 例え全てを敵に回したとしても叶えたい望みを胸に刻み、誓いの証として名乗るもう一つの名前、『魔法名』が」

「まほうめい?」

「そう。例えば僕の場合だとね」

懐をまさぐり、ルーンの刻まれたカードを取り出す。
上条には得体の知れぬそのカードを、ステイルは頭上へと放り投げる。

「『Fortis931(我が名が最強である理由をここに証明する)』」

刹那、カードが描いた軌跡に紅蓮が走る。

「それが僕の魔法名で、殺し名さ」

そして、ステイルはそれを上条目がけて振りおろした。


バギン!とガラスの砕けるような音がした。
上条が反射的に顔をかばうように差し出した右腕により、ステイルの炎剣は何一つ焼くことなく雲散霧消する。
だが、そんなことはステイルにとっては想定内の事。
彼の伸ばされた右腕は、何が起きたかも、自分が何故右腕を差し出したのかすら分かっていない上条の胸倉を引っ掴み、ベッドへと引き倒した。
その勢いのまま、空いている左腕で上条を思い切り殴りつける。

「殴られた理由は、分かるだろうな」

「……な、何を」

「どうして、あの子は泣いている。
 どうして、君はあの子を泣かせたんだ」

痛みに怯みながらも睨みつける上条を、凍てつくような視線で押さえつける。
怒りを押し殺すような低い声で、ステイルは上条に激しい言葉をぶつけた。

「君はあの子に『必ず戻る』と言ったそうだな。
 なら何故、その言葉の通りに帰ってこない。
 その事で、彼女がどれだけ悩み、苦しみ、そして自分を責めたか、君は分かっているのか」

言いながら、指が白くなるほどにぎりぎりと上条の胸倉を掴む指の力を強めて行く。

「あの子は泣きながら言った。『君と離れたくない』と。
 それでも、君の安全のために離れることを選んだ。
 その辛さは、苦しみは、誰が与えたものなのか。君はそれを理解しているのか?」

的外れな八つ当たり。ステイルは自分自身で、それを理解している。
彼が心底憎んでいるのはインデックスの数奇な運命であり、それを定めたイギリス清教であり、そしてそこから救い出せぬ無力な自分自身、だ。
彼女を守ってきた上条に罵声を浴びせるなど、筋違いにもほどがある。

「君はかつて『誰もが笑って誰もが望む、最高の幸福な結末』という言葉を口にしたな。
 ならば、君の周りを見てみろ!
 誰が笑っている! この状況を誰が望み、誰が幸福だというんだ!
 君が"こう"なったのがインデックスを助けるための行動の果てでなければ、僕は君を灰も残さず蒸発させているところだ!」

それでも、彼は上条を罵倒せずには居られなかった。
ステイルは上条の事が嫌いだ。しかし、インデックスを預けるほどには"信用"している。
そんな彼がインデックスの笑顔を奪ったことが、ステイルには許せなかった。


そんなステイルの右手を、上条の右腕が掴む。
ステイルは大柄ではあるが、その実さして体を鍛えているというわけでもない。
体格の割に華奢なステイルの腕骨は容易に悲鳴を上げる。
それでも、彼は上条の胸元を掴む手を離そうとはせず、両者は互いににらみ合いを続ける。
射殺すようなステイルの視線に対して、噛み殺すような上条の視線。

「…………だったら」

「なんだ」

「……………………だったら、俺はどうすれば良かったんだ。
 俺は昨日"初めて"目覚めた。人の事どころか、自分のことすら分からない!
 どれだけ説明を受けようが、"前の俺"がやったことなんか微塵も実感がわかない!
 そんな俺に、何ができたって言うんだ!」

今の上条当麻と"前"の上条当麻は、同じ状況に置かれているわけではない。
"以前"のケースでは目を覚まし、他者と接するまでにはしばらく時間があった。
それまでに、自分の置かれた状況や経緯を知り、整理し、心構えを定めることが出来た。

翻って、"今"のケースはどうか。
上条が目を覚ました時周囲は知人たちに囲まれていて、その中心で記憶喪失をさらけ出した。
何のフォローも受けることなく、彼は他者と接することとなった。
自分のことすら何も分からないのに見知らぬ他人の中で突如覚醒して、取り乱さぬ人間などいやしない。

周囲の人間を悲しませているのは誰でもない自分だ。
それを何よりも理解しているからこそ、上条の言葉にも熱がこもる。
かつて一度も露呈させたことのない、哀しい熱が。


「……なぁ、教えてくれよ。
 俺はどこの誰で、何のために、何をしてここにいるんだよ。
 あの子たちの名前も、顔も、声も、どうやって出会ったのか、どんな関係だったのかすら全く覚えてない。
 そんな俺に、何が出来る?
 俺は、あの子たちを悲しませないために、どうすれば良かったんだよ……!」

上条はかつて一度も仲間たちに見せなかった顔を見せる。
苦しむような、哀しむような、哭くような表情は、ステイルを言葉に詰まらせるには十分過ぎた。
ステイルは右腕を離し、それに伴い上条も彼の右腕を掴んでいた手を離す。

「…………何日、何カ月、たとえ何年かかってもいい。
 あの子たちのことを思い出せ。それが今の君に出来ることだ」

そう絞り出すのが、精一杯だった。


逃げるように上条の病室を後にしたステイルは、適当なベンチに座り込み頭を抱える。
あんな表情をする上条当麻は初めて見た。

インデックスを運命の因果から解き放った時とも、ベツレヘムの星で最後に話した時とも異なる、初めて見る弱った上条の姿。
どうにも以前の上条の姿とは重ならず、それが却って彼の変化を実感させる。

上条当麻は聖人君子でも、最強無敵のヒーローでもない。
ローマ正教、神の右席、そして大天使。
例えどんな強敵を打倒してきたとしても、根っこの部分ではどこにでもいるはずのただの高校生にすぎない。
自分たちは、それを忘れてはいなかったか?
彼ならなんとかしてくれると、全てを押しつけてはいなかったか?


     『…………なぁ、教えてくれよ……!』


耳に焼きついた、すがるような上条の言葉に、ステイル=マグヌスは唇を噛みしめる。

鉄錆の味が、口の中に広がった。


11月13日。

インデックスが上条当麻に別れを告げなければならない日。
上条の両親に全てを告げるということで、ロシアにいる中で一番立場ある人間であり学園都市に赴くことになっている神裂を除き、
インデックス、ステイル、天草式の面々は最寄りの空港からロンドンへと帰国することになっていた。
この日は絶え間なく見舞客が訪れ、今までの感謝と、快復を祈っていった。

尻尾をはやした少女、レッサーもその一人である。

「私を路地裏に連れ込んであんなことやこんなことをしたんですから、責任とって私とイギリスに来て下さい」

訪れるなり開口一番にそんなことを言ってのけた少女は、美琴の裏拳に沈黙させられることになる。

「路地裏に連れ込まれたのは本当ですってば! 私は何一つ嘘は言ってませんよ!?
 ……こほん。まあその、イギリスやロシアではいろいろ……いえ、えろえろあったわけですが」

「何があったんだよおい……」

「何があったんでしょうね? くすくす。
 冒険あり、死闘あり、戦地にめくるめくラブスト-r……ミコト、すねを蹴るのはやめてくださいってば!」


いよいよ本格的に機嫌が悪くなり始めた美琴に居心地が悪くなったのか、レッサーは慌てて軌道修正を図る。

「……とにかく、あなたと同行した二週間は、私の中では忘れられない体験になりました。
 またいつか、どこかで会う機会があったらと思います」

そう言って、彼女は右手を伸ばした。
握手を求められたのだと理解した上条は、その手をとる。
レッサーの口元に何事か企むあくどい笑みが浮かんでいることにも気付かずに。
だが、

バキン!!

何かを壊すような音が響き慌てて手を離すと、小さな宝石のようなものが砕けて砂になろうとしていた。

「し、しまったァァァァ!! 幻想殺しの存在を忘れていました!
 "新たなる光"のメンバーにも内緒のレッサー最終奥義、"魅了"の霊装がァァァァァ!! はっ!?」

強い殺気が放たれた方向にぎこちなく首を向けると、そこには髪を逆立たせた鬼の姿が。
結局、尻を蹴飛ばされ、病室を追い出される羽目になった。


「……騒がしいやつだったな」

「そうね。アレでも、あんたを見つけるのに助けてくれた恩人なんだけど。
 ……あ! お礼言うの忘れてたわ。ちょっと言ってくるわね」

美琴はそう言うと、部屋を慌てて飛び出して行った。
一人残された上条は、ベッドの上に体を投げ出した。
今までに訪れた見舞客の一人一人をしっかり思い返そうとする。

見舞客のほとんどは、上条に対し強い感謝を伝えてきた。
それが何だか面映ゆくもあり、また奇妙な感覚でもあった。
自分は何もしていないのに。

五和という少女は、涙をこぼしながらなかなか彼の手を放そうとしなかった。
建宮という青年は、何かあったらいつでも我らを呼んで欲しい、と自分の電話番号を押しつけて行った。

本当に、過去の自分は何をしたのだろう。
彼らが過去の自分に対して向ける気持ちを、今の自分が受け取ってもいいのだろうか。

見舞客と言えば。

「あの子、来ないな……」

白い修道服を纏った少女。
昨日は一日中話をしていたものの、今日は一度も顔を見ていない。


その時、病室のドアが開いた。
赤髪に黒い僧衣を纏った大男と、白い修道服に身を包んだ銀髪の少女だ。
二人とも大きな荷物を抱えている。
ふとステイルと目が合うが、向こうからふいと視線をそらされてしまう。

「……インデックス、荷物を預かるよ」

荷物を受け取り、ステイルは再び廊下へと出て行った。
インデックスは上条のベッドへと近寄る。
しばらく、なにを話していいか分からず、二人は見つめ合っていた。

「……とうま」

話を切り出したのはインデックス。

「……最初はとうまの家のベランダから始まったんだよ。
 ご飯を食べさせてくれて、魔術師から助けてくれて、私の『首輪』も壊してくれて。
 それから、いろんなことがあって。
 こもえとか、あいさとか、みことやクールビューティとか、ひょうかとか、おるそらとか、天草式のみんなとか、いろんな人にも会ったよね。
 それぞれ一人一人と大変な記憶や大切な思い出があるんだよ」

「……ん」

大まかなことは、既に聞いた。
実感は持てないけれど、それでも確かにあったことだというのも。
少女は語る。

「私は、とうまと過ごした三か月を絶対に忘れない。
 あなたが全てを忘れても、私は何一つ永遠に忘れない。
 それが、『完全記憶能力』を持つ私に与えられた役目だと思うから」

それは、昔誰かがどこかで誓った事にも似ていて。

「とうま」

フードがずれることも気にせず、少女はぺこりと頭を下げる。

「ありがとう」

助けてくれたことに。救ってくれたことに。楽しい日々をくれたことに。
謝罪の言葉でもなく、自責の言葉でもなく、ただただ感謝の言葉を。
目の前の少年が一番喜ぶのはそれだと、良く分かっているから。


「……それじゃあ、そろそろ行くんだよ。
 私の為にみんな待ってくれているみたいだから」

そういって、少女は踵を返そうとするが、

「インデックス」

不意に呼びとめられ、その足を止める。
振り返ると、上条は難しい顔をしていた。

何かを言わなければ、と思う。
頭の奥が、心の底が何かを叫んでいる。
それでも、今の上条には何を言うべきか分からなくて。

「あ……その、だな」

頭と心をフル稼働させ、必死に考える。
その末に絞り出せたのは、たった一言。

「ま、またな」

それは、再会を約す言葉。
とても短く、聞き方によっては淡泊にも聞こえる言葉。

だが。
それでもインデックスは、

「うんっ!!」

破顔の笑みで、それに答えた。


「あんなに短くて、良かったのかい?」

病院から離れゆくバスの最後尾で、ステイルがインデックスに問う。
バスは定期便ではなく、チャーターした観光客用のものだ。
皆一様に静かで、雰囲気は重い。

「良いんだよ」

インデックスは靴を脱いで後ろ向きに座り、遠くなりつつある病院を見つめながら答えた。
上条らは数日中にも学園都市へと帰るのだと言う。

「これで今生の別れってわけでもないんだし」

インデックスの胸に宿る、再会を約した言葉。
それがあるから、今日は笑って別れることが出来る。

やがてバスは道を曲がり、病院は見えなくなる。
インデックスは小さく手を振った。

「またね、とうま」


──願わくば、再会が近かりしことを。

今日はここまでです

ここまででロシア編は終わり、舞台は学園都市へと移ります
記憶を失った上条当麻と、インデックスに彼を支えて欲しいと頼まれた御坂美琴のお話が中心でしょうか
もちろん、それだけではありませんが……

新年度という都合上書く時間が少なくなりそうなので、少しゆっくりと書いて行きます
書き溜めのストックが割と少なくなりつつ……orz

こんばんは
たくさんのレスありがとうございます

二次創作というものは、物語の基礎となる原作があってこそのものだと思いますので
そんな原作より面白いだなんてとてもとてもorz

新約二巻では、上条さんとインデックスや美琴の再会話が読めると良いですね

では今日の分を投下していきます


11月15日。
学園都市にある、とある病院。

「わーい、黒蜜堂のプリンだー、ってミサカはミサカは狂喜乱舞!」

「ちょっと最終信号、暴れないでよ鬱陶しいから」

デザートのカップを持ちベッドの上で飛び跳ねる打ち止めを、うるさそうに見る番外個体。
左腕で頭を掴み、無理やり座らせる。

「……うー、だってあの人が甘いものを買ってきてくれるなんて初めてなんだもん、ってミサカはミサカは自己弁護してみる」

「いひひ、確かにあの顔で『プリンくださァい』なんて言ってるところなんか想像できないもんね」

二人はベッドのサイドテーブルに置かれたプリンの詰め合わせの箱を見、そして壁に寄りかかっている人物に視線を移した。
苦いものをバケツ一杯飲みほしたような顔をしているのは、一方通行。

「……見舞いつったら、甘いモンだろォが」

「あなたにそんな甲斐性があるなんて知らなかったよ」

「うるせェ、文句があるなら食うンじゃねェ」

「文句が無くても食べられないんだけど」

「あァ?」

「これで、どうやって食べろっていうのさ」

番外個体はわざとらしくギプスに包まれた右腕を上げて見せた。
ロシアの雪原で一方通行が砕いた腕は未だ完治していない。
確かに、この状態では封を開けることは難しいだろう。


「まさかレディに歯を使って開けろなんて言わないよね」

「レディなンざ俺の視界にはいないンだが」

「ひっどーい、これでもミサカは常盤台の電撃姫の妹だよ?」

番外個体はわざとらしく口笛を吹いて見せる。

「あー、誰かに砕かれた右腕が痛いなーミサカはプリン食べるの初めてなのになー右腕が治るまでお預けかー残念だなー」

「完治祝いまでクソガキに食われねェよォよく見張っておくンだな」

一方通行はため息をつく。
番外個体はその性質上、いつだってこんな調子だ。
まともにやりあっても無駄に神経をすり減らすだけ。

「打ち止め、他の妹達にもプリンを持って行ってやれ。芳川あたりからだって言ってなァ」

「え、でも買ってきてくれたのはあなたじゃ……」

「俺からって言うより芳川からだって言った方があいつらも美味く食えンだろ」

「う、うん」

若干の疑問を持ちつつも、打ち止めは自分のプリンと共に詰め合わせの箱を持ち、病室を後にした。
残されたのは、一方通行と番外個体。


「お姉様と言えば」

結局一方通行が開けてやったプリンを美味そうに頬張りながら番外個体が言う。

「今ロシアにいるんだって。あなたは知ってた?」

「なンだって、オリジナルがロシアなンかにいンだァ?」

一方通行は訝しく思う。
他の上位レベル5と違い、御坂美琴は唯一暗部に落ちていない。
一山いくらの暗部の人間ならともかく、一般の学生である彼女が戦場に送りこまれることなどあり得ない。
だが、番外個体の浮かれたような表情を見る限り、そんな事情とは無関係のようだ。

「戦地のド真ん中にいる愛しの人を助けるために、超音速機をハイジャックしてロシアまで行っちゃったんだとさ。
 にしし、若干歪んだ愛ってやつかなぁ」

「…………はァ?」

頭がその文章の意味を理解するのに、たっぷり10秒はかかった。
大切な人のためにわざわざ戦禍の中心に身を投じるなんて、馬鹿げている。
だが、自分も全く同じだったということに気付き、思わず顔をしかめた。

俺のこの1ヶ月の生活、マジで昼夜逆転してます


「お姉様も大胆だよねぇ」

「……ンで、オリジナルのツレってのはどンなやつなンだ?」

「気になるの?」

「……別に」

「あなたの言うヒーローさんだよ。お姉様にとってもね」

「ああ、あの男か」

あの夏の操車場で、ロシアの雪原で、二度も一方通行を打倒したレベル0の男。
超電磁砲にしてみれば、あの男は救世主のような存在に違いない。

「あの男、死ンだとか言ってなかったか?」

「生きてたんだって。大怪我はしてるらしいけど。ロシアのミサカたちが確認済み」

「学園都市の機関に回収されたのか」

「そう。何でも北極海から漂着したところを、偶然お姉様のお父様に拾われたんだってさ」

「オリジナルの父親、ねェ」

「ちなみに、お姉様のお父様は妹たちに接触しようとロシアに来たらしくて、実際に3人のミサカたちが会ってる」

つまりは、『量産型能力者計画』も『絶対能力者進化計画』も知られているということ。
彼にとって、一方通行は娘を一万人以上も殺した大虐殺者ということになるのだろうか。
かつて出会った御坂美鈴は、そのことを知っているのか。
考えても仕方がない。


「オリジナルがロシアにいて、あの野郎とベタベタしてるってのは分かったが、それがどうしたってンだ?」

「ヒーローさんの容体が落ち着いたもんで、今日の午後学園都市に帰ってくるんだってさ。
 あの人の主治医は冥土帰しらしいから、きっとこの病院に入院することになるんじゃない?
 当然、お姉様がこの病院を訪れる機会は増えるでしょ。
 そうすると、そのうちあなたとお姉様がかち合う時が来るんじゃないかって」

一方通行にとって、それは出来得る限り避けたい事態だ。
一方通行の為に、ではなく御坂美琴のために。
彼女にとって、一方通行は妹たちを10000人以上手にかけた快楽殺人鬼だ。
それは未来永劫変わらない認識だろう。
犯した罪は決して消えず、背負った十字架は決して下ろせない。

だから、一方通行とは顔を会わせないほうがいいのだ。
彼女は光の世界の住人だ。
明るく笑っているのが似あうその顔を恐怖と憤怒と憎悪に歪ませ、闇の世界に堕ちてくることなど許してはならない。

「ロシアのミサカが最終信号の存在を明かしちゃったから、あのちびっこに興味しんしんみたいだし。
 お姉様と出会うことを避けたいなら、いろいろ考えるべきじゃないかな」

「……そうだなァ。とりあえずは、しばらく様子見しておくか」

美琴が病院を訪れるタイミングを分析し、逆に『訪れそうもないタイミング』を割り出す。
例えば授業のある平日の午前中。例えば門限後の深夜。


「ところでさ、可愛いもの好きのお姉様がちびっこときゃっきゃうふふするのは良いんだけどさ。
 ……ミサカはお姉様に会ってもいいのかな」

「……何を気にしてンだよ」

「だって、ミサカは『第三次製造計画』のミサカだよ?
 他のミサカとは違う。お姉さまはあなたの実験に投入されるために造られたミサカしかいないと思ってる。
 ミサカの存在は、お姉様を傷つけないかな?」

番外個体は心配そうに顔を歪ませる。
この悪意に彩られた少女も、ごく一部の人間に対しては素直なところを持つ。
彼女の悪意が『表層・深層に関係なくミサカネットワーク上の負の感情を拾う』性質に由来しているためだ。
つまり、姉妹が悪感情を抱いていない人間に対しては、案外普通に応答することができる。
逆に姉妹が好感を持っている相手に対しては、わずかではあるが番外個体とてその影響を受ける。

「『絶対能力者進化計画と並行して細々と続けられていた、妹達の改良計画の試作版。
  俺の計画の破綻からしばらくして立ち行かなくなり計画は頓挫、お前はその時に放り出された。
  作られたのはお前だけで、計画は完全に凍結・破棄済み』」

「何それ」

「お前の『設定』だよ。少なくとも『第三次製造計画』よりはオリジナルへの衝撃は少ねェと思うが」

「……あなたにもそういう気遣いが出来るんだね」

「互いの目的の為に手ェ掴みあったモン同士だ。勝手に潰れられると困ンだよ」

「……ひっひ。そういうとこ、"嫌い"じゃないよ」

番外個体は自分のベッドにぱたりと倒れ込み、静かに目を閉じて言った。

「まあミサカとしてもミサカの目的の為にあなたがいなくなると困るわけだし、癪だけどあなたに便宜を図ってあげる。
 お姉様に出会ったらそれとなくスケジュールを聞いてあなたに連絡する。それでいい?」

「あァ、頼む」

「次はショートケーキがいいなぁ。大きなイチゴが乗ったやつ」

「買ってこいってかァ?」

「買ってきてくれないの?」

ニヤニヤと笑う番外個体の顔を見て、一方通行は再び大きなため息をつく。
全く、この姉妹にはかなわない。


上条らは昼前に病院を後にし、医師らとともに空港へと向かった。
戦火により所属していた研究所が放棄された10777号や、学園都市へともに向かう神裂も一緒である。
初冬の空港は雪が積もってはいたものの、滑走路は丁寧に除雪され、青空は十分に飛行可能であることを示している。
国際線ではなく、VIP用のラウンジにて、松葉杖をついた上条は苦い顔をしていた。

「……なぁ御坂さんや」

「何よ」

「何でだろう、俺の心と体が全力で見たこともないはずのあれに乗る事を拒否するんだが」

「はぁ?」

上条が指さしたのは全長数十メートルの機体。上条たちが乗ることになっている機体だ。
銀色に輝く細長いボディはどう見ても超音速機のそれ。
美琴がロシアに来るのに利用した超音速爆撃機にも心なしか似ている。

「あんた、飛行機嫌いなの?」

「さあ。だけどあれ、普通の旅客機じゃないよな?」

「あれはHsシリーズの超音速機ですね。分類としては戦略輸送機になります。
 ただ、戦闘能力はさほど無く、平時は主に要人輸送などに使われています、とミサカは簡潔に説明します」

「……そんなものに、どうして俺は拒否反応を示すんでしょう?」

「乗ったことがあるからではないでしょうか? とミサカは推測します」

「……参考までに、Hsシリーズってどれほどの速さが?」

「最高時速7000キロオーバー、日本からフランスまで二時間とかかりません、とミサカは解説します」


「「7000キロ!?」」

上条と美琴は顔を見合わせる。

「フレームがHsシリーズ準拠なので、あれも同じくらいは出るでしょうねぇ、とミサカは胸を高鳴らせつつ答えます。どきどき」

「死んじゃう! 全身ボロボロの俺が乗ったら死んじゃいますぅ!」

「……でもあんたは一刻も早くゲコ太似のお医者さんのところに行かないといけないのよね」

「病院に行くためにわざわざ死ぬ危険を冒す必要はないのでは!?」

「はいはーい、いいから大人しくあれに乗りましょうね。私だって怖いんだから一蓮托生よ」

「気分が悪くなったらミサカが背中をさすってあげます、とミサカはデキる女ぶりをアピールします。
 きちんとエチケット袋や飴玉も完備していますよ」

「いらねぇよそんな気遣い! いーやーだー助けて神様ァ!!」

抵抗むなしく、少女ふたりに引きずられていく上条。
彼の断末魔の叫びはラウンジに虚しく響いていた。


10分後。

「あががががががががががががががががががががががががががが、おごごごごごごごごごごごごご」

「……うえぇ」

「おお、これが超音速のG……! とミサカは新感覚にときめきつつ呟きます……!」

襲い来るGに対し、顔をひしゃげさせる上条、青褪めた顔で口元を押さえる美琴、目を輝かせる10777号。
三者三様の反応を示す彼らを乗せ、超音速機は飛行機雲をたなびかせ大空を翔けた。


「はぁ~~~~~…………」

白井黒子は大きなため息をついていた。
愛しの御坂美琴が「親元に戻され」学園都市を離れてから二週間。
彼女の言うところの「お姉様成分」が尽きて久しく、まるで萎れたように生気が無い。
今日も一人さびしくあの部屋に戻るのかと思うと、気が滅入る。

終戦後半月が経過したこともあり、『風紀委員』の非常動員体制も解かれている。
すでに休校措置も解かれ、学園都市内は平穏を取り戻している。
月末に待つ一端覧祭に向けて、再び活気を帯びつつある真っ只中だ。

今日は風紀委員も非番であり、まっすぐ帰る事にする。


「今日は早いのだな、白井」

「寮監さま」

寮のエントランスで、仁王立ちする寮監に出くわした。

「いかがなさいましたの?」

「御坂が帰って来たぞ」

「ええっ!?」

思いがけない喜びに、思わず声が上ずる。

「いっ、いつお戻りになられましたの?」

「今しがただ。部屋で休んでいるぞ」

そう聞くや否や、白井の姿はその場から掻き消えた。

『お姉様~~っ!!』

寮中に響く声は、恐らく自室からだろう。

「……全く、寮内で能力は使用禁止だと言っているだろう……!」

残されたのは、こめかみに青筋を浮かべた寮監のみ。
常盤台中学の女子寮では、超能力の使用は禁止されている。
それが意味していることは、つまり。

白井黒子、死亡確定。


「お姉様~~っ!!」

「だぁ~っ! まとわりつくな鬱陶しい!!」

「常盤台の制服に身を包むお姉様も凛々しく素敵ですが、レアな私服のお姉様もまたとってもCUTE!!
 さささお姉様、黒子と写真などいかgぐげぇっ!?」

「疲れたからってごろごろせずにさっさと着替えれば良かったわ」

いきなり眼前に現れ抱きついてきた後輩をげんこつで引きはがしながら、美琴が叫ぶ。

「酷いですの……二週間ぶりにお姉様成分を補給できると思いましたのに」

「どうせさんざっぱら人のベッドで寝たりしてたんでしょ」

「嫌ですのお姉様、いくら黒子とは言えそんなことは」

「じゃあなんであんたの目覚まし時計が私のベッドの上にあるのかしら?」

ひょい、と幾何学的な形をした目覚まし時計を持ち上げる。

「そ、それはその……」

「まったく、あとで私の私物もチェックしないと」

はぁ、と美琴はため息をついた。
そして表情を綻ばせる。
激動の日々から、日常へと帰ってきた実感が今更になって湧いてきた。

「ただいま、黒子」

「お、お帰りなさいませ、お姉様」


「ねぇ黒子、私がいない間、学園都市で何かあった?」

ジャケットを脱ぎ、荷物を広げながら美琴が問う。

「何か、ですの? 戦時特別体制が解かれてからは何も……。
 そういえば、学生が何人か行方不明になっているとか何とか」

「行方不明?」

「ええ。休校措置で浮かれているんだろうとか思われていたそうなのですが、一週間たっても連絡が取れないそうで。
 最初は警備員だけで動いていたのですが、最近になって風紀委員にも情報が回ってきましたの」

「意外と多いんだ?」

「第七学区に集中して、10人前後と言ったところでしょうか。
 特にお姉様を含むレベル5の半分が所在不明とだということで、警備員は一時大わらわだったそうですわ。
 今でも第一位、第二位、第四位の方は見つかっていないとか」

「第一位も……」

その言葉に、美琴の顔つきが険しくなる。
レベル5第一位、『一方通行』。
かつて美琴のクローンを一万人以上嗤いながら殺した、悪魔のような男。
実験が中止され闇に葬られた今、その男は何をしているのだろうか。


「まあそちらに関しては警備員が特別チームを組んで広域捜査をしているそうですし、風紀委員の仕事ではないそうですの。
 ……お姉様? いかがなさいましたの?」

「……え? ああ。ううん。何でもないわ。続けて続けて」

「?? ええと、行方不明になっている学生はレベル5の方々だけではございませんの。
 例えばお姉様が普段から気にかけてらっしゃる、あの類じn……殿方や、そのクラスメイトさんも行方不明になっていたそうですわ。
 クラスメイトさん、舞夏さんのお兄様だそうですが、こちらについては数日前にふらりと帰ってこられたそうですが」

「あいつは今入院してるわよ。外で大怪我して入院してて、今日学園都市内に転院だって」

「あらそうでしたの? ……それにしても、良くご存じで」

「まあそりゃあ、ね」

じとーっと見つめてくる白井の視線に、たじたじになってしまう。
言外に「どうして知っているのか」と問う視線に、どう答えるべきか。
当然だが馬鹿正直には話せない。
「メールのやりとりをしてた」と言えば、目の前の後輩は必ず騒ぐだろう。

どうにかうまい言い訳をしようとして、頭に浮かんだのは大覇星祭の時に幾度か会話した上条の両親の姿。

「あ、あいつのお母さんとうちの母が仲良いのよ」

「ッ!? ま、まさかあの殿方とは家族ぐるみの付き合いとかいう奴ですの……?」

「ち、違うわよ!? 夏休みにあいつの実家が確かガス爆発で吹き飛んで、それで引っ越してきた先が私の実家の近くだっただけで!」

「家まで近いですとぉっ!? ……ふ、ふふ、あの類人猿めぇ、とぼけた顔して着々と外堀を埋めにかかっているとは……なんたる策士ッ!
 ……いいでしょう、この白井黒子、あなたの挑戦を正面から受けて立ちそして粉砕してくれるわァッ!!」

「人の話を聞けやこらァ!!」

再びトランスし始めた後輩を斜め四十五度チョップで修正しつつ、美琴は想いを馳せる。
今頃は、上条当麻が両親と対面しているはずだ。
あの優しそうな両親が哀しむさまは見たくない。
そして、それを見てあの少年が傷つくさまは、もっと見たくない。


学園都市に到着するなり、上条は待機していた救急車に乗せられた。
乗員人数が限られていたので、美琴とは空港で別れた。
運ばれていったのは第七学区にある病院だ。
以前からここには何度もお世話になったのだという。

もはや外されている期間の方が短いらしい名札の貼られた個室に運び込まれると、しばらく待っているように、と看護師は言い残し出て行った。
寝ているだけというのも暇なので、ぼーっと窓の外を見る。

ロシアの雪原の真ん中にあった施設と違い、ここは都市部の中だ。
窓の外には学生が歩いている姿も見える。
そう言えば、自分はどのような制服を着ていたのだろうか?

そんなことを考えていると、病室のドアが開いた。
その音に振り返ると、そこに立っていたのは、二人の男女。

「当麻……!」

「当麻さん……」

当然ながら、上条に見覚えはない。
けれど、自分の名前を知っているということは、以前の知人だったのだろう。

「……えーと、どちらさまですか?」

単純に、名前を聞こうと思った。ただそれだけだった。
しかし、その言葉を聞いた途端、二人の顔が血の気が失せて消えたのが見て取れた。
男性の方がずかずかと上条に近づき、そしてその両肩を掴んだ。
思わず振りほどこうとしたその時、

「……当麻、本当に父さんのことが分からないのか……?」

愕然としたような表情で呟かれた言葉に、力を奪われた。


「……父、さん…………?」

「そうだ。上条刀夜。お前の父親だ。
 じゃ、じゃあ、母さんの方はどうだ!?」

上条刀夜と名乗った男性は、傍らの女性を指し示す。

「上条詩菜。当麻の母さんだよ」

「…………」

もちろん、分かるはずもない。
かといって返す言葉もなく、次第に上条の視線は下がって行く。
その時、上条の両頬がふわりと柔らかいものに包まれる。
詩菜の両手だ。

「……当麻さん。当麻さんがどうしてロシアで見つかったのかは、お母さんたちにはわからない。
 でも、お医者さまからご連絡をいただいた時、当麻さんの容体も伺っているの。
 ……記憶喪失、なのでしょう?」

「…………………………………………ああ」

「たとえ、あなたが全てを忘れてしまったとしても。
 当麻さん、お母さんとお父さんはあなたの味方です。
 思い出せないなら、無理に思い出す必要はありません。
 また、思い出を作って行きましょう」

そう言って上条の顔を覗き込む詩菜の柔らかい笑みは、どこまでも優しさと愛情に満たされていて。
思わず母の手に自分の右手を重ねた上条の頬を、涙が一筋伝った。

「そうだぞ、当麻は父さんと母さんの息子で、父さんと母さんは当麻の両親なんだからな!
 何があっても、二人は当麻の味方だ。困ったことがあったらすぐになんでも言うんだぞ」

「……うん」

刀夜はにかっと笑い、上条の髪をがしがしと撫でる。
上条はそれをくすぐったそうに受け入れることしかできなかった。


しばらくして、カエルのような顔の医者が数人のスタッフを伴い現れた。
スタッフたちは医者の指示で上条をストレッチャーに乗せると、どこかへ運び出して行った。
改めて、全身の精密検査をするのだという。

残された医者は刀夜と詩菜に、人好きのする笑顔を向けた。

「上条当麻くんのご両親でしょうかな?」

「はい。上条刀夜と言います。こちらは妻の詩菜です」

「どうも。僕は何度か上条くんの治療を担当させていただきましてね?
 今回もその縁で、担当医をさせていただきます」

「あの、精密検査って……」

「彼が今まで入院していたところよりも、ここのほうが設備が整っていますからね?
 より詳しく調べて、これからの中長期的な治療プランを再検討しようというわけですね」

「当麻さんは、治るのですよね?」

「体の方に関しては、心配はいらないでしょうね?
 彼ほど体力と回復力に溢れた子はそうそういないでしょうね。
 検査のほうはうちのスタッフがやってくれますから、その間お暇でしょう。
 よろしければ、僕のオフィスで彼の状態についてお話したいと思います。
 ご両親に会いたい、という人もいますしね?」


誰だろうと思い、場所を冥土帰しのオフィスへと移す。
そこで待っていたのは、神妙な面持ちの、長い黒髪を垂らした女性。彼女は上条夫妻の姿を認めると、ぴっと背筋を伸ばした。

「初めまして、神裂火織と申します」

「どうも初めまして、上条刀夜、当麻の父です。こちらは妻の詩菜。
 ……あの、ご用と言うのは? 当麻とはどのようなご関係で?」

「友人、だと思います。彼がそう思ってくれていればですが。
 お話したいことと言うのは、上条当麻……さんのことについてです」

「当麻さんのことについて、ですか」

「はい。彼にロシアで何が起こったか、ということと、それ以前に起きたことについてです」

「というと……? 当麻は、ここしばらく厄介事に巻き込まれていたということになるわけですか」

「と言うより、私たちが彼を巻き込んだ、というほうが正しいでしょうか」

そう言うなり、神裂は立ち上がり、上条夫妻に対し深々と頭を下げた。

「この度は、大変に申し訳ありません!」


「……神裂さん、私たちはまだ事情がつかめずにいるんです。
 まずはお話しいただかないことには、私たちもどう反応してよいやら」

神裂が顔を上げてみれば、上条夫妻もカエル顔の医者も困惑したような顔を向けている。

「……患者さんのプライバシーだ。僕が聞かないほうがいい話なら、席を外すよ?」

「いえ、出来れば一緒に聞いてください。もしかしたら科学サイドからのアプローチで、彼を治療できるかも知れませんし。
 ……上条さん、きっと今から私が話すことは、容易には信じられないかもしれません。
 絵空事だと思われるかもしれない。空想だと断じられるかもしれない。もしかしたら私の頭がおかしいのだと感じられるかもしれません。
 けれども、全て実際にあったことです」

「……全て、当麻が体験した事だと?」

「あくまで私たちから見たお話になりますので、欠けているところ、足りないところはあると思います。
 私自身、あまり口が上手なたちではありませんので。
 でも、全てまぎれもない事実です。そのことを念頭に置いてお聞きいただければ、と思います」

刀夜は詩菜と顔を見合わせ、一度頷き合う。

「聞かせてください。真贋はそのあとで判断します」

「では、お話します。
 ……まずは、私や同僚が、上条当麻さんと初めて出会った時のことになります────」


神裂の話は、上条夫妻の常識を根底から覆すような、驚くべきものだった。
およそ一概には理解しがたい話ではあったが、それでも得心がいく事柄もあり。
こうして、上条夫妻は息子を取り巻く状況、そしてもう一つの世界である"魔術サイド"について知ることとなる。


「疲れた……」

幾多もの検査を終えた上条は、戻ってきた病室のベッドの上でぐったりとしていた。
用途の分からない大きな機械に囲まれる病院の検査は、びっくりするほど神経をすり減らすものだ。
超音速機に半時間も揺られ続けた疲れも相まって、もはやグロッキー状態だ。

ふと、サイドテーブルにアルバムのようなものが数冊置かれていることに気がついた。
両親が持ってきたのだろうか、『当麻 成長の歩み』とタイトルが付けられたそれは当然のように上条の心を引きつける。
一冊を取り上げ、開いてみた。

『当麻8歳 一端覧祭にて』

演劇の出し物だろうか、木を模した小道具から顔だけ出している小さな自分が映っている。
コミカルな姿と、きりりとした顔がなんともアンバランスだ。

『当麻12歳 大覇星祭にて』

そう注のついた写真の中では、少し大きくなった自分が一位と書かれた旗を握っている。
両膝に貼られたばんそうこうには血がにじんでいたが、そんな痛々しさは微塵も感じさせないくらいに明るく笑っていた。

他にもいくつもの父と母と自分が紡いだ想い出が、そのアルバムには詰まっている。
けれども、自分の中にはそれが存在しない。

それが寂しくて、哀しくて。
心の穴を埋めるかのように、上条はアルバムへと没頭していった。


「────以上が、私たちの知り得る全てです」

知る限りすべてを話し終えた神裂が、再び頭を深く下げる。

二人はどのような表情をしているのだろうか。
かつての一人息子はもう戻らないという悲嘆。それを引き起こした神裂らへの憤怒。
ほぼ腰を垂直に曲げた彼女には、上条夫妻の顔は伺えない。

「……神裂さん」

やや間を置いて、刀夜が口を開いた。

「あなたのおっしゃったことが全て本当かは、私には分からない。
 それは私たちの理解の範疇の外にある事象で、本当だとも嘘だとも断じることはできないのです。
 ただ、当麻が記憶を失った、脳に損傷を受けた、ということは事実だとお医者さまはおっしゃりました。
 その事実をふまえ、あなたの説明が本当だと仮定したうえで、お聞きしたいことがあります」

「……なんなりと」

神裂は顔を上げ、刀夜の目を見る。
視線を外さないのは、せめて誠実でありたいと言う心のあらわれ。

「当麻は、自発的に行動したのですか? それとも、あなた方が強制したのですか?」


その問いに、神裂は答えに詰まる。
例えば上条当麻がインデックスの生命と宿命を救い、代わりに彼の人格が死んだ夜の出来事については、彼の自発的な行動と言っていいだろう。
上条当麻にはインデックスを見捨てる、または大人しく神裂らの手に引き渡すと言う選択肢もあった。
だが彼はそれを良しとせず、抗い、戦い、そして「死んだ」。

しかし、中には否応なく魔術サイドが彼を状況に引きずりこんだこともある。
イタリアやフランス、イギリスのクーデター鎮圧戦では、上条当麻の力は欠かせなかった。
故にコーディネーターとも言うべき立場の土御門を使って、学園都市から連れ出し、戦わせた。

魔術サイド自体が彼に危害を加えようとしたこともあった。
シェリー=クロムウェルの件や「神の右席」との激闘は、明確に彼個人を狙ったものだ。

結局、二択のどちらとも答えられず、神裂は見てきたままを答えることにした。

「彼から飛び込んできたことも、こちらから協力を要請したこともあります。
 不本意ではありますが、彼を状況に巻き込んでしまったことも」

「では、あの子が自分から逃げ出したことは?」

「私の知る限り、ありません。彼はいつだって勇敢に戦い、私たちを助けてくれました」

「……そうですか」

神裂は自分で発した言葉に、自らの弱さが情けなくなる。

上条当麻はただの学生だ。魔術の世界に触れてはいるが、それでも守られるべき一般人のはずだ。
そんな彼に助けられ、代わりに傷を負わせて、何が魔術師だ。何が女教皇だ。何が聖人だ。


そんな神裂の心中を察したのだろう。刀夜は柔らかい笑みを神裂に向ける。

「……そんな顔をしないでください。
 あの子は逃げなかった。つまり、戦うことを自分で決めた。そう言うことなのでしょう。
 私はあの子を一人の男だと認めている。あの子が自分で決めたことなら、私は口をはさむつもりはない。
 その行動の果てに訪れる結果だって、きちんと受け止めてやるつもりです。
 だから、私は何も言わない」

そう言った刀夜は誇らしさと悲しさの入り混じった複雑な表情を見せた。


「……神裂さんは、『不幸体質』というものを信じますか?」

「……不幸、ですか」

神裂のあまり好きではないワード。同時に、上条当麻の口癖でもある。

「世の中には運のいい人と悪い人がいます。
 例えば一枚のくじで一等を引く人、100枚買っても一枚も当らない人、と言うように。
 当麻さんはその中でも、相当に不運な子供でした」

「道を歩けば財布を落とす。家のカギを失くす。
 当たり付きのお菓子をいくら買おうが、当たりなんか出やしない。
 自販機にお金を入れれば飲みこまれ、ものを置けばどこかへと消え、買ったものは不良品。
 ……まあ、このくらいは息をするのと同じくらい日常的に起こりました。
 その果てについたあだ名が、……『厄病神』」

「……ですが、それくらいのことは誰にだって起こりえるのでは?」

「これくらいなら、ですけどね」

刀夜の表情は、落ち込んで行く。

「ですが、それ以上の事だって、何度もありました」


「例えば、借金に追われ破れかぶれになった男に、包丁で刺される。
 例えば、風に煽られた看板が、あの子の上に降ってくる。
 例えば、青信号で横断歩道を渡っているところに、居眠り運転の車が突っ込んでくる。
 ……一生のうち、こんな目に何度も遭うと思いますか?
 あの子が幼稚園を卒業するころ、大怪我で入院した回数は既に10回を越えていた。
 私や妻も、一緒に大怪我をして病院に運び込まれたことが何回もあります」

「そんな当麻さんを、周りの人間は遠ざけました。
 不運な人間のそばにいて、自分まで不運を移されてはたまらない、とでもお思いになられたのでしょうね。
 原因も、根拠もなく、ただ不運だというだけで、あの子はいわれもない汚名をかぶせられなければならなかった。
 だから、私たちはあの子を学園都市に送ったんです。
 不運だから。厄病神だから。そんな迷信染みたことを言う人間のいない、科学と技術が統べる世界へ」

刀夜も詩菜も、心の奥に閉じ込めた激情を表に出さないためか、奥歯を噛みしめるかのような表情をしている。

「もちろん、そんなことであの子の不運は変わりはしなかった。
 だけど、そのことであの子を厄病神扱いする人間もいなかった。
 ……本当に嬉しかった。いつも寂しそうに一人で遊んでいたあの子が、友人たちと楽しそうに写した写真を送ってきた時は」

刀夜は財布から一枚の古びた写真を取り出した。
あちこち擦り切れてはいるが、確かに友人たちに囲まれた幼い上条当麻の姿が分かる。
その表情は、満面の笑み。
思わず両親に伝えたくなるほど、友人ができたことが嬉しかったのだろう。

それは、両親にとっても同じ。
刀夜はとても愛おしそうに、写真の表面を撫でた。


「当麻さんが大怪我をする回数は減ったわけではありません。
 だけどもそれは、以前のように単にあの子が不運だから、というわけではないんです。
 聞くところによると、不良に絡まれていた見ず知らずの子を助けて代わりに殴られた、というパターンが多かったそうです」

「それを聞いて、私は嬉しかった。
 息子が傷つけられているのに喜ぶ、という時点で親失格かもしれませんがね。
 だけど、それでもあの子が他人のことを思いやれるように育ってくれたってことが嬉しかったんです。
 なんせ、幼いころの当麻にとって、『他人』とは『あの子を傷つける存在』と同義でしたから」

「そうですね、学園都市に預けて、本当に良かったと思いました」

「だけど、あの子が誰かを助けて代わりに傷ついた時、私は誇らしいと同時に怖くなったんです。
 今回は大したこともなかったけれども、このままではいつか本当に死んでしまうような怪我を負ってしまうのではないかと。
 あの子の不運体質そのものは、何も解決していないのではないかと」

その言葉は、神裂の心にも突き刺さる。
上条当麻は右腕一本を武器に、いつだって傷つきながら戦っている。
防御術式の援護は受けられない。
治療術式だって、組むそばから彼の右腕が破壊する。

『必要悪の教会』のメンバーの誰よりも、彼は過酷な条件で戦ってきた。
全ての異能を駆逐する『幻想殺し』によるアドバンテージなど微々たるもの。
その証拠に、彼と魔術サイドが交差したほぼ全ての事件で、彼は瀕死状態にまで追い込まれている。
この度の第三次世界大戦など、一時は生存の絶望視さえされたではないか。

「結局は、あの子の不運のために、私たちは何もしてやれることが出来ないのか。
 そんな無気力感の中で、私たちは生きてきたんです。
 出張のたびにあちこちで厄除けや開運のお守りを買い漁ったりもしましたが、気休めにもなりゃしない」

神裂は上条家にずらりと並べられた、地域も宗教も祀られた神すらバラバラのお守りたちを思い出した。
それが裏目に出て『御使堕し』を引き起こしてしまったけれども、あれは全て上条当麻の幸せを祈って収集されたもの。


     「……だけど、私たちは間違っていたんだ。
      あの子が傷つくとか、何もしてやれないとか、私たちがそう考えることには何の意味もなかった。
      あの子は、そんな私たちの心配なんか最初から飛び越えたところにいたんだ」


 


「……夏休みの終わりごろかな、家族で海に行ったんです。
 その時、当麻がしばらくいなくなったことがあって、家族みんなで探して回ったんです。
 いつの間にか帰ってきたと思ったら、物凄い剣幕で私に詰め寄って、何事か良く分からないことを口走って。
 まぁ、その内容は今も良く分からんままなのですが」

『御使堕し』事件にて、術者が図らずも発動させてしまった上条刀夜であると分かった時のことだ。

「だけど、その時私は確かに聞いた。あの子が確かにこう言った。
 もし『不幸』じゃなかったら、あの子はもっと平穏な世界に生きていたかもしれない。
 だけど、それは『幸せ』とは言わない。
 『不幸』だからこそ、数多くのトラブルに巻き込まれてきた。そして、苦しんでいる誰かと出会えた。
 そのおかげで誰かを助けられたなら、『不幸』でいい。誰かの苦しみに気付かない『幸せ』なんて、必要ない」

言葉を切った刀夜の顔は、上条当麻にそっくりの表情で。


     「『不幸だなんて見下すな、俺は今、世界で一番幸せなんだ!』 ってね」


神裂に、言葉は返せなかった。
かつて自らの『幸運(あくうん)』で仲間たちを死なせたと思いこみ、背を向けた彼女には。

「そう最高の笑顔で宣言された日には、もう親父としては立つ瀬が無いでしょう。
 私たちがどうこう思う問題ではなく、あの子がどう考えているか、これこそが一番大事だったんです。
 学園都市に初めて足を踏み入れたその日から、あの子はずっと『幸せ』だったんですよ。
 ……今思い返せば、あの頃にはもう一度記憶を失っていたでしょうに。本当に強い子だ」

「……確かに、彼が言いそうな言葉です。
 私も一度、似たような言葉で叱咤されたことがあります」

「あらあら、当麻さんたら、世界のあちこちで無自覚にカッコいい台詞を吐いて回っているのかしら。
 血は争えないものですね、ねぇ刀夜さん?」

詩菜の言葉に、刀夜はわざとらしくせきをする。


「……とにかく、その時から、私はあの子は既に一人前になった、と考えるようになりました。
 もう親にどうこうされるのではなく、自分の考えと価値観でちゃんと立って生きている。
 だから、あの子が考え、選び、行動した結果なら、私は何も言わない。
 ただ、それを優しく受け止めてやるだけです」

「子供だ子供だと思っていたら、いつの間にか立派になっているんですもの。
 男の子って、成長が早いものですね」

母さんの教育が良かったんだ、いえいえ刀夜さんの血ですよ、などと褒め合う夫妻はさておき、神裂は思った。
もし彼のように物事を考えられたら、もっと早く彼と出会えていたら、これまでの道のりは違うものになっていただろうか。
天草式から離れることもなく。
インデックスを呪いから解き放つことを諦めることもなく。
考えても詮無きことではあるが、それでも、と思う心は止まらない。

でも、過去を変えることはできないが、今と未来を変えることはできる。
この手一つで全てを救うことはできないかもしれないが、今は共に手を伸ばす『天草式(なかま)』がいる。

『救われぬものに救いの手を』

彼女の魔法名に端を発するこのフレーズは、今や天草式の代名詞にまでなった。
その旗頭として、精進すべきことはまだまだある。


「……彼と共に戦ったこと、彼に学んだことは、決して無駄にはしません。
 困っている誰かを救えることが彼の『幸せ』だと言うのなら、それは私の想いと同じものです。
 私は、それを体現できる人間になりたい。いや、なってみせます」

これは神裂火織の、己に対する宣言。
魔法名として胸に刻むわけではない。誰かに対して誓約するわけでもない。
ただこの日、この時、この場所で彼女は己の生き様をしかと定めた。
ただ言い放つだけであっても、その志は金剛石よりなお堅く。

「神裂さん、私たちはあなたを応援します。
 だけど、無茶だけはなさらないでくださいね。
 あなたが傷つくことで泣く人間が、あなたの隣にはいるはずですから」

そう言って、夫妻は柔らかく笑ったのだった。


結局、上条夫妻は一度も神裂のことを責めなかった。
彼女だけではなく、魔術サイドの誰に対しても、恨み事は吐かなかった。
中には理不尽とも言える仕打ち(神裂個人としては、償いきれるものではないと思っている)もあったにも拘らず、だ。

だが、それこそが上条当麻の両親たる所以なのかもしれない。
争いが終わればノーサイド、殺し合った相手でさえ、危機に陥れば助けに行く。
それが上条当麻という男なのだから。

病院を立ち去った神裂は、一度だけ振り返り、上条当麻がいるであろう病室を仰ぎ見る。
聖人の視力は、ちょうど病室から外を眺めていた上条の顔をとらえた。
恐らく、向こうからはこちらの姿は視認できないであろう。

(……見ていてください)

これから彼と会う機会は、そう何度も訪れないかもしれない。
だけどもそんなことはそもそも問題にすらならない。
大事なのは、彼から学んだことをどう活かしていくかということ。

(私は、もっともっと強くなります)

体も、心も、研ぎ澄まされた日本刀のように鍛え上げる。
それでこそ、彼に報いることができるだろう。

共に闘った記憶。
己に対する宣言。
そして心の奥に潜む想い。
これら全てを抱きしめ、彼女は前を向いた。
その後はもう、振り返らない。

この日。
極東の聖人神裂火織は、その人生において新たなる大きな一歩を踏み出した。


その夜。
第三学区は外部から学園都市を訪れた客をもてなす、外交の場として有名だ。
当然施設はどれも超一流であり、学園都市の『顔』と形容するに相応しいたたずまいである。
そんな第三学区の片隅に、その瀟洒な個室サロンは存在した。

「絹旗最愛と言います」

サロンの中央に立つ、茶色のショートカットにニットのワンピースを纏った少女は、凛と自らの名を名乗った。
ともすれば背伸びした小学生にすら見えそうな出で立ちではあるが、その眼光は冷たく、暗い。
彼女は表の世界に立つ人間ではない。
暗部組織、今は壊滅した『アイテム』の元一員である。

「ようこそ『グループ』へ、『窒素装甲』」

目の前にいるのは軽薄ながらもどこか研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を放つ、金髪の男。
その奥には一組の男女が控えている。

「俺は土御門。このチームにはリーダーはいないが、渉外担当の俺が便宜上『面接官』をやる」

絹旗は可愛らしく唇を尖らせる。

「リーダーがいないって、どうやって作戦の指揮を執るんですか。超疑問です」

「各々の仕事さえ分かっていれば、オシゴトは難なくこなせるものさ。
 俺たちの職場では、上からの指示がなければ動けない人間ほど役に立たないものはないだろう?」

「なるほど、"そういう風に"超動くチームってことですか」

「じゃあ、まずは『上』から聞かされてきたオシゴトの内容を聞かせてもらおうか。
 それ次第で説明が面倒になるからな」

「内容も何も、超欠員が出た『グループ』の補充要員だとしか超聞かされていません」

「つまりは、何も聞かされてないってことか」

結標、と土御門が呼びかけると、数枚組の資料が二セット、中空から絹旗の手元へと舞い降りる。


「今『グループ』が担っているオシゴトは二つある。
 一つは、『超電磁砲』の体細胞クローンの作製計画の撃滅、及び『超電磁砲』のDNAマップやクローン技術の拡散阻止」

一枚目の資料の表紙には、『第三次製造計画について』と書かれている。

「こちらは今は調査待ち。すぐに手を出せる状態ではないし、オーダーも可及的速やかにというわけでもない」

「しかし、のんびりしている間にクローンが量産されていくのでは?」

資料を流し読みしていた絹旗が言う。
この計画の前身である実験の資料からの引用らしいが、「約二週間で素体と同等まで成長する」と書かれている。
『超電磁砲』は中学二年生、14歳のはずだ。
例えば一月あれば、最大生産能力の二倍は作れることになる。

「既に数えきれないほどのクローンがいるんだ。少しくらい増えたところで対して問題になるとも思わん。
 それよりも、『超電磁砲』がこれに勘付いて特攻していくことのほうが怖いな。
 場合によっては、彼女に接触してセーブを図る必要があるかもしれないな」

土御門の言葉に反論したのは海原という男だ。

「御坂さんはいわゆる『表』の人間でしょう? 彼女に接触するのはルール違反では?」

「あくまで最悪のケースだ。できれば彼女が勘付く前には解決しておきたい。
 ……が、彼女の性格は良く分かっているだろう?
 あの子は『妹達』を見捨てるようなことはしない。それこそ、何を敵に回してでも守ろうとするだろうよ。
 俺たちとしても、誤解を受けて第三位とかち合うようなことはしたくない。だからこそ慎重を期す必要がある」

「なんとかに刃物を持たせるな、ね。あの猪突猛進娘とは二度とぶつかりたくないわ」

過去に『超電磁砲』と因縁があるのか、ツインテールの女、結標がため息をつく。


「とにかく、『超電磁砲』のクローンの件については、今すぐやらなくてもいいというのは超分かりました。
 それで、超もう一つの依頼については?」

「ああ、こっちが本題だ」

土御門はもう一つの資料を見るよう促す。
そこに載っていた写真に写っているのは。

「元『グループ』の構成員、『一方通行』の捜索及び連行だ」

土御門はこともなげに言うが、絹旗は訝しげに彼を見た。
この男は、自分が言っていることの意味を理解しているのか?

「脱走者を探して超口封じ、って訳ですか」

「まずは話をして、結果復帰すると言うのならそれでいい。あいつを取り込むためのエサは用意してあるしな。
 問題はそれでも戻ってこなかった時。
 今後行動がかち合って作戦を阻害される危険性を考慮して、あれを排除しなければいけないかもしれない」

「自分で言っていることの意味、超分かってますか?
 『一方通行』は文字通り学園都市の頂点に超立つ男です。
 第二位の『未元物質』すらミンチにしてのけた男に敵うと、超本気で思っているんですか?」

「俺と海原なら、あの男と刺し違えるくらいはできる」

しかし言いきった土御門の口調は、自信に溢れている。

「だが、それでは意味が無い。俺たちにはまだやるべきことがあり、為すべきことがある。
 一方通行"ごとき"のために、死んでやることはできない」

「結局、超怖いんですね」

「そう受け取ってくれてもかまわない。実際問題、死ぬのは怖いさ。
 "守るべきものを守れなくなる"というのは、地獄に落ちるよりも遥かに怖い」

彼の言葉には、不思議な響きが混じっていた。


「……それで、もしもの時はどうやって一方通行を超排除するんですか」

「お前と結標を使う」

「……はぁ?」

今度こそ、本気で眉をひそめる。
結標とかいう女の能力は未だ知らないが、特性上、一方通行に攻撃するのは自分の役目、ということになるのだろうか。

「私に、『窒素装甲』で一方通行を超殴れと?」

「呑み込みが早くて助かる」

「次の瞬間、私が10tトラックに激突したみたいに超ひしゃげるだけだと思いますが、それを超分かった上で?」

それなら仕事の話はそこで終わりだ、と絹旗は暗にほのめかす。
特攻して無様に屍をさらすだけの役割なんかごめんだ。

「いや、恐らくそうはならないだろうさ。
 俺の読みが正しければ、あいつとお前の能力の特性上"少なくとも一度は"お前の攻撃はあいつの能力を貫通する。
 あいつは能力さえなければただのモヤシだ。お前が本気で殴れば昏倒するだろうよ」

「……私の能力が、一方通行に超通用すると言うその根拠は?」

「それはその資料の中に書いてある。
 この土御門さんが丹精込めて調べ上げた一方通行の詳細データが載ってる。読めば分かるさ」

絹旗は言われるがままに資料を読み進め、そしてある一文を見つけた。
その条件は、克服することは不可能。そして、おあつらえ向きにも自分はその条件を満たしている。

顔を上げた絹旗に、土御門はニヤリと笑いかけた。

「お前をオファーした理由が分かったろ、『窒素装甲』?」

今日はここまでです

あの夏休みの上条さんの言葉を聞いた刀夜さんは、もう二度と息子の事を「不幸」だとは思わないし、言わないのではないかと思います

>>329
割り込み、雑談は気にしないので、お気になさらず
むしろスレを覗いた時にやたら伸びてたりすると鼻血が出るほど喜びます

ではまた次回

こんばんは

ねーちんは落ち着いていると言うのに加え、女教皇と言う立場ある職にいますからね
やはりこの人が適任でしょう、と

では今日の分を投下していきます


11月16日。

美琴は約半月ぶりに学校へと登校した。
延期されていた一端覧祭まで日数は少なく、大慌てで準備を再開しているところを見ると、戦争の影響はもうほとんど残っていないようだ。

美琴が教室のドアを開けると、クラスメイトの顔がみなこちらを向き、一瞬おいて美琴の周りに集まってくる。
両親の元へ疎開、という情報は担任経由で伝わっていたのだろう、みな口々に『外』の様子を聞いてきた。

常盤台中学校は超がつくほどのお嬢様学校だ。
純粋培養、完全温室育ちのご令嬢が多く、帰郷時以外に『学舎の園』を歩いたことが無いという生徒さえいる始末。
帰郷した時でさえ、どこぞの大きなお屋敷に滞在でもしているのだろう。
裕福とはいえ、一般家庭育ちの美琴の話を聞きたがるのは不思議ではない。

まさか「ロシアの戦場に突っ込んで行ってました」などとは口が裂けても言えないので、適当に話を作っておくことにする。

「私の家は太平洋側だから直接の影響は無かったんだけど、食材の値段は高いわ売り切ればかりだわで大変だなんて母がぼやいてたわ」

「まあ、『外』の卸業者はお家まで届けてくださいませんの?」

「……普通はスーパーマーケットとかで食材を買うのよ? 私も自炊したことは無いけど」

「スーパーマーケット……。大きな市場で、生産者の方から直接仕入れるのですね」

常盤台中学には美琴のような一般家庭出身の生徒の他にも、いわゆる『ガチのお嬢』という人種も存在する。
もちろん、能力強度や入学試験はクリアーしてはいるのだが。

『一般常識』の欠如したご令嬢には、一般家庭の話は珍しいのだろう。
自分では常盤台の平均的なお嬢だと思っていたのだが、もしかするとその認識は間違っていたのかもしれない。
…………というか、ひょっとして我が家は成金?


一端覧祭の準備期間ということで、授業は半日で終わり。
美琴のクラスは休んでいる間に準備はほとんど終わっているということで、特にやることもなく下校となった。
ほとんど手伝っていないことに若干の罪悪感を覚えるが、クラスメイトの一言でそれも吹き飛ぶ。

「いーのいーの。御坂にはクラスの出し物とは別に、オープンキャンパスの時のバイオリンソロもあるでしょ?
 学校代表なんだからそっちも頑張らなきゃ」

「…………えっ?」

本来、一端覧祭の準備をしていたのは一月前。
ちょうどそのころ第三次世界大戦が勃発したことにより、一端覧祭は無期限延期となった。
その半月後、美琴はロシアへと発ち、様々な経験をし、それどころではなかった。
つまり何が言いたいかと言うと………。

「わ、忘れてたァァァァァァァァァァーッ!!」

美琴は頭を抱えて叫ぶ。
盛夏祭で披露した演奏が生徒たちや教師陣で好評となったのか、
ぜひ学校代表としてオープンキャンパスで演奏を、という話があり彼女はついつい断りきれずに受けてしまったのだ。
楽器に触れていない期間は二週間、一端覧祭までもおよそ二週間。
勘を取り戻すことは出来るだろうか。

「みんな、期待してるからねー?」

クラスメイトたちの期待の視線が、いやに痛い。


思わぬ課題を背負ってしまった。
安請け合いした過去の自分を罵りたい気分だが、学校の名前を背負う以上手抜きもできない。
夜にでも寮の音楽室を借りて練習しよう。

一端覧祭は学園都市全域で一斉に行われるものだが、各校で行われるのは普通の学園祭となんら変わらない。
生徒たちは各クラスの出し物に精を出し、教師たちは新入生の呼び込みに腐心する。
そう言えば、何にでも頑張りやな同室の後輩のクラスは、何を出すのだったか。

「……邪魔するのもわるいし、夜にでも聞きましょ」

開きかけた携帯電話をポケットにしまい、彼女は街へと繰り出した。


お嬢様学校を5つ集めて形成される『学舎の園』でも、一端覧祭に向けて準備が進められている。
時折、出し物に使うのだろう資材を運んでいる生徒たちを見かけた。
もっとも資材を運ぶのに手で持ったりリヤカーを使うのではなく、高級そうなリムジンの後部座席に放り込んだり、
屋根の上に無造作にくくりつけていたりするのがこの街らしいと言うべきか。
某少年が見かけたら度肝を抜く光景かもしれない。

美琴が向かったのは、『学舎の園』でも一番であると評判のケーキ屋だ。
パティシエールを始めとして全スタッフが女性で占められたこの店は、お嬢様の肥えた舌をも日々唸らせている。
お見舞いの手土産といえば、ケーキか菓子折りが相場だと考えたのだ。。

「どれがいいかしら……」

ショーケースに収められたケーキを前に、美琴は悩む。
単純に一人に対して贈るのであれば、その個人の趣向に合わせれば良い。
だが、今回は違う。
あの少年もそうだが、妹たちに対してのお土産でもある。

普段、あまり快適とは言えない生活を強いてしまっているという引け目もある。
出来れば、少しでも喜んでもらえるものを贈りたい。

結局、彼女はホールではなく、いくつかのカットケーキを選んだ。
好きな味を選んでもらった方が、彼女たちにもいいだろう。


ケーキを受け取り、もはや通いなれつつある病院へと向かう。
半分は妹達に会いに、もう半分は上条当麻のお見舞いに、といった具合である。
そういえばかつての自分はどうして彼のお見舞いに足しげく通っていたのだろうと思うと、頬が熱くなった。
頭を振って熱を追い出し、病院の玄関をくぐる。

基本的に学生の街である学園都市では、平日昼間の病院はあまり人がいない。
見舞客の主層である学生たちは学校にいるし、入院患者たちもそれを分かっていて部屋にいることが多いのだろう。
だから、ロビーで待ち合わせていた人たちも、すぐ見つけられることが出来た。

「おーっす」

「お姉様、こんにちは」

「こんにちは、とミサカは返事をします」

ロビーのソファに座っていたのは、彼女の妹たちだ。
一人はロシアで慣れ親しんだ妹。こちらは私服だ。
美琴と同じ制服に身を包んだもう一人の妹は……

「ミサカの検体番号は──」

「ストップ。ちょっと待って、当てて見せるから」

美琴は制服の妹を凝視する。
顔を覗きこまれた妹はわずかに頬を染め、視線から逃れようとするかのように身をよじらせる。


「──19090号!」

「正解です、とミサカは答えます」

無事に当てられて、美琴もほっと胸を撫で下ろす。

「うーん、ぱっと見分けられるようになりたいわ」

「ミサカたちもミサカネットワーク経由で識別しなければ、個体同士の判別は難しいのです、とミサカ10777号はぼやきます」

「一度ネットワークを遮断した上で顔を合わせたことがったのですが、どの個体がどの個体かわからなくて……とミサカ19090号はしょんぼりします」

「外見で差別化を図るってのはどう?
 例えば髪を伸ばすとか、アクセサリーをつけるとか、ファッションで眼鏡をかけてみるとかさ。
 ほら、10032号は可愛いネックレスつけてるじゃない」

「……彼女のネックレスは由来が由来なので、ミサカたちの間では半ばタブーとなっています、と10777号は触れてほしくないことを伝えます」

「……どうしてあのミサカだけ…………。このミサカにだって機会さえあれば…………」

なにやら雰囲気が暗くなり始める妹二人。
そう言えば、あのネックレスは上条が彼女に与えたものであったか。
美琴だって思うところがないわけではないが、ここはぐっとこらえる。

「じゃ、じゃあさ、今度服でも買いに行きましょうか。
 私もちょうど冬用のコートが欲しいと思ってたところなのよ」

「ロシアでは結局お買い物に行くことができませんでしたね、とミサカ10777号は思い返します」

「ぜひお姉様のお勧めのお店を教えてください、とミサカ19090号は鼻息を荒くします」

「そう言えば、その10032号はどうしたの? 昨日連絡した時、電話に出たのはあの子よね?」

「昨夜あの人に病室にナース服で忍び込もうとしたので、今はミサカたちの部屋に拘束してあります、とミサカ10777号は報告します」

「……あの子もあの子でやることが凄いわね」


「ところで、お姉様がぶら下げていらっしゃる袋はなんでしょう? とミサカ10777号は中身を半ば想定しつつ訊ねてみます」

「これ? 学舎の園で買ってきたケーキよん。
 いろいろな味のを買ってきたから、好きなのを食べなさい。
 えっと、もともとこの病院に4人いて、ナナミが増えて、それで『打ち止め』って子がいるから、6個で大丈夫よね?」

美琴の確認に、10777号と19090号は顔を見合わせる。

「あの、その……」

「もしかして、学園都市にいる他の子たちもリハビリとかでいたりする?
 あちゃー、人数確認してから買うべきだったかな」

「いえ、そうではなく……」

なんとも妹たち二人は歯切れの悪い言葉を吐くばかりで、明確な答えは得られない。
何か、悪いことでもあったのだろうか。

「ええい、このミサカは昨日来日したばかりで何も事情を知りませんので、とミサカ10777号は19090号に丸投げします。
 ……?? この場合は帰国が正しいのでしょうか……?」

「うう、どのミサカもこのミサカにばかり面倒事を押しつけて……、とミサカ19090号は嘆息します。
 ……お姉様、確かに今この病院には、お姉様が挙げた6人以外にもう一人ミサカがいるのです、とミサカ19090号は報告します」

「そっかぁ、やっぱり確認するべきだったなぁ。まあケーキ1個くらいなら私の分をあげればいいし。
 それで、その子はどんな子なの?」

「どんな……と言われても、あらゆる意味で『規格外』です、としか答えられません。
 なんと言うか、いろいろと『ミサカ』らしくない、と19090号は戸惑いつつ答えます」

「上位個体と肩を並べるか、上回るほどの強烈なキャラクター性……。
 確かに、一言で表すなら『規格外』でしょうねぇ、とミサカ10777号はため息をつきます」

日頃「自分だけの個性が欲しい」と願う妹たちにここまで言わしめるミサカとは、どんな存在なのか。

「まぁ、会ってみれば分かるのではないでしょうか、とミサカ19090号はお姉様を案内します」


基本的に『妹達』が日頃生活しているエリアや、リハビリのために滞在するエリアは一般病棟とは離れた場所に位置する。
彼女たちとて冥土帰しの患者であるとはいえ、同じ顔の少女らが多数同時に存在すれば、他の患者が怪しむかもしれない。
もしかしたら、御坂美琴の友人たちが病院を利用し、彼女たちの存在が露呈するかもしれない。
そういった配慮から病院の奥、研究エリアの一角に彼女たちの為のスペースがあるのだ。

その中の一室のドアを叩き、美琴らは中へと入る。

中にいたのは驚いたような顔をした二人の少女。
一人は美琴を一回り小さくしたような少女。
そしてもう一人は、反対に美琴を大人びさせたような少女。
最終信号と番外個体は、初めて御坂美琴と対面した。

「……は、はじめまして」

「もしかして、お姉様……?」

美琴がたどたどしくあいさつをすると、小さいほうの少女が呆然と声を出す。
大きいほうの少女はベッドに腰かけ、興味深げに美琴を観察してるようだ。

「そうよ。私は御坂美琴。あなたが『打ち止め』よね?」

「う、うん! ミサカの検体番号は20001号、製造コードは『最終信号』だよってミサカはミサカは自己紹介してみる」

「話に聞いてた通り、他の子に比べてちっこいのね。懐かしのアンテナとか、私の小さいころそっくりなんだけど」

美琴はケーキの箱を19090号に預け、打ち止めの頭を撫でてやる。

「ミサカのコンプレックスなんだから、あんまりちっこいって言わないで―、ってミサカはミサカはお願いしてみる。
 未完成のまま培養器から放り出されちゃって、できたらもう一回培養器に入れてほしいなーなんて思ってたりもするんだけど、
 培養器はぜーんぶリハビリ用に転用されちゃって、ミサカは小さいままなのってミサカはミサカはしょんぼりしてみたり」

「小さくたっていいじゃない、可愛いし。それに、ちゃんとこれから成長していくんでしょう?」

「それはそうだけど、うぅー、ってミサカはミサカは唸ってみる」


美琴は打ち止めから離れ、もう一人の少女の前に立った。

「こんにちは。あなたの名前は?」

「番外個体(ミサカワースト)だよ、"お姉様"」

美琴を見つめ返した少女は、ぎこちない笑みを彼女へ返した。


本質的に、入院生活とは暇なものである。
『友人たちが学校へ行っている時間に、自分だけは休んでいる』という奇妙な高揚感はどうせあっという間になくなってしまうものだし、
そもそも上条当麻には学校へ通った記憶が無いのだ。

彼の記憶にあるのはベッドの上の光景ばかり。過ごし方だってそう変わり映えはしない。
携帯電話に溜まった未読メールを読むか、本でも読むか、だ。
今日は両親の持ってきてくれたアルバムを読んでいると、にわかに廊下が騒々しくなった。

「おっはよーっ!! カーミやーん、元気しとるー?」

「うるさい! 病院では静かにしなさいッ!!」

「ふ、吹寄ちゃんも声のボリュームを抑えてくださいです!」

「二人とも。上条くんに会えて。嬉しいんだね」

「はっは、これから吹寄さんのスーパーツンデレタイムが始まrあ痛!?」

まずドアを蹴り破らんばかりに青髪の大男が飛び込んでき。、その彼の首根っこを掴み頭突きをかます巨乳女子。
それをなんとか仲裁しようとするピンク色の小学生の後ろから大笑いしながら金髪の大男がゆっくりと入ってくる。
その陰にもう一人いるような気がするが、いかんせん大男二人の陰で良く見えない。

「当麻、先生と友達がお見舞いにきてくださったぞ」

彼らの後ろから刀夜が顔を出す。

「父さんは母さんとしばらく出かけてくるから、色々お話しすると良い」


上条の記憶喪失は既に担任である月詠小萌からクラスメイトにも伝わっているようだった。
クラスメイトたちから自己紹介を受けたり、担任と名乗った小萌を信じられずに高い高いをしたり、と時間は過ぎて行く。
彼らなりにいろいろ考えてきてくれたようで、面白おかしく上条とクラスメイトの想い出を聞かせてくれた。

「……それでもうちょっとマシなお願いをすればいいのに、カミやんってばこーんなセリフを吹寄に吐いちゃったんだぜぃ?
 『一生のお願いだから揉ませて吹寄!!』、ってな?」

「まったく! そんなだから貴様らは三馬鹿って言われるのよ。
 もう少し考えてものを話しなさい!」

「……覚えてないので、俺を睨まれてもとっても困るのですが……」

「はふー、倒れた机や椅子の真ん中で吹寄ちゃんが仁王立ちしていたのを見た時は、すわ学級崩壊かと思ったのですよ?」

「それで。結局『肩揉みホルダー君』は。どうだったの?」

「その時は注文してたけどまだ届いてなかったんやと。全く殴られ損のけったいな話やでー」

青髪ピアスが首をやれやれと振る。
それに金髪の男、土御門元春がボケを被せ、吹寄制理が呆れたようにため息をつき、姫神秋沙と月詠小萌がクスクスと笑う。
とある高校の、とあるクラスの日常光景だ。

ただ一つ違うのは、上条当麻が輪の中心に入りきれていないということだけ。


「そう言えば。上条くんは。いつ頃退院できるの?」

姫神が思い出したように言う。

「せや。秋の一大イベント、待ちに待った一端覧祭はもうすぐやでー?」

「あー……、医者は経過を見つつ考えるって言ってたな。
 今月いっぱいは入院してるかも」

「それじゃあ、一端覧祭は参加できないかもしれないのね」

ため息をつく吹寄。

「一端覧祭って、再来週くらいだっけ? 父さんが言ってたような……」

「そうなのです。大覇星祭と同じように一週間、学園都市中でお祭り騒ぎなのですよー」

「たった三回しかない高校生の文化祭、一度だって参加しないのは青春の浪費ってやつだぜぃ?」

「って言ってもなぁ……」

今から楽しみだと言うように浮かれる一同に対し、上条の顔は浮かない。

「俺、今まで何にも準備を手伝ってないんだろうし、これからも手伝えそうにないだろうし……。
 いまさら俺が参加したところで、何の役にも立たないと思うぜ?」


「は」

「はぁ」

「はーあ」

「鈍感。」

「……先生は時々上条ちゃんのことが心配になるのです」

「カミやん、わかってへんなぁ」

「鈍さもここまで来ると犯罪だにゃー」

急に白けた一同を見て、上条が慌てたように言い繕う。

「お、おい。俺何か変なこと言ったかな?」

「変も変、貴様が重傷者でなかったら鼻からムサシノ牛乳を流し込んで、サプリメントで栓をしてやるところよ」

「な、なんで吹寄サンはお怒りなんでしょう!?」


「あんなぁ、カミやん」

青髪ピアスがいつになく真剣な表情をして、上条に詰め寄る。

「文化祭って言うのはな、参加することに意味があんねん。
 楽しむのもええ、楽しませるのもええ。
 出し物をするんも、学校を巡って楽しむのも、……可愛い女の子とイチャイチャするのもええ。ていうかしたい」

「はぁ……」

「大覇星祭と同じや。一端覧祭は皆で作るお祭りなんや。
 そこに、ゲストもホストも関係あらへん。
 遊んで、騒いで、楽しめればそれでいいんよ」

「結局は、みんな楽しむために今準備をしてるのよ。
 ううん、楽しむだけじゃない。他の人を楽しませるためにもね」

「さっすが一端覧祭の実行委員たる吹寄ちゃんの言うことは違うにゃー」

「うるさい」

「私たちの出し物で。お客さんが喜んでくれたら嬉しい。」


「そういうことや。確かに今カミやんはボッコボコで、準備の手伝いなんて出来ないかもしれへん。
 当日、ホストとしてお客さんを楽しませることも出来ないかもしれん。
 でも、だからってカミやんが楽しんじゃいけないってことにはならへんでー?
 ホストとして楽しませられないなら、ゲストとして楽しめばいいんよ?」

「そういうこと。まあ内輪だけで盛り上がっても独りよがりな出し物になるかもしれないわけだし。
 誰か一人くらい客観的に見てくれる人がいてもいいかもしれないわ」

「ちなみに今の吹寄語を翻訳すると『カミやんがいないと寂しい』ということに」

「素直じゃない。」

「うっさい!」

ここで青髪ピアスが表情をぱっと変え、にこーっと朗らかな笑顔で言った。

「まあ長々と語ったけど、要はみんな、カミやんと遊びたいだけなんよ。
 なんせ一か月もどこぞをうろついてたんやで? 旧交を温めたいのが人情ってものやん」

「そうだぜぃ、なんだかんだ言っても、ダチだろ? 俺ら」

「土御門くんだって。この間まで。『自分探しの旅に出たら戦争の影響で帰ってこれなくなってた』とか。言ってたでしょう。」

「それはそれ。これはこれだにゃー」


「上条ちゃん」

名を呼ばれ、振りかえると小萌が柔らかく微笑んでいた。

「退院したら、学校に戻ってきませんか?
 もちろん長い間休んでた分お勉強は大変ですし、出席日数を稼ぐために補習だって山ほどありますです。
 だけど、計算上は上条ちゃんの頑張り次第でまだなんとかなる範囲なのですよ。
 ……いっそ留年したほうがマシなんじゃないかなってくらい、厳しいですけど」

「……えぇー、なんでそんな状況に」

確か学年の三分の二以上出席していれば、出席要件は満たせたはずである。
一月休んでも余裕はあるはずなのだが……。

「うふふー、上条ちゃんはヤンチャですからねー?
 寝坊、サボり、大怪我で入院エトセトラエトセトラ、枚挙にいとまがありませんねー?
 だけども、頑張ってみるだけの価値はあると思いますよー?
 なんせ、こんなに上条ちゃんを心配してくれるお友達と、一緒に進級できるのですから」

ほら、と小萌が両手を広げると、友人たちは笑顔でそれに応える。

「みんな……」

友人たちの暖かい笑顔に囲まれて、上条も心が温かくなる。
こんな時、"前"の自分ならどう答えただろう?
"今"の自分は、どう応えてみよう?

「……何も今すぐ答えを出せ、って言うようなことでもないのですよー。
 病院で体を癒している間、ゆっくり考えてくれればいいのです。
 どの道、入院してる間は補習もできませんからねー?」

もっとも上条ちゃんが望むなら出張授業をしてあげてもいいのですけど、と嘯き、小萌はくすくす笑う。

「カミやん、頑張って一緒に二年に上がろうやー」

「留年してカミやんに『先輩』って呼ばせるのも楽しそうだけどにゃー」

「…………『姫神先輩』。うふふ。なんだが良い響き」

「だけどクラスの一員が一人でも欠けるのはなんだかしっくりこないわ。
 というわけで上条当麻! 死ぬ気で追いつきなさい!」

血気盛んに吹寄がびしぃと指を突きつけてくる。
その豊かな胸がたゆんと揺れるのが、冬服の上からでも分かった。


「……そう言えば、そろそろ学校に戻らなくちゃいけませんねー」

腕時計を見た小萌が生徒たちに呼び掛ける。

「そうですね。学校に残った皆の手伝いもしなければいけないし」

「せや、土御門クン、舞夏ちゃんはどないしたん」

「学校終わり次第カミやんの病室で待ち合わせってことにしたから、まだかかるかもにゃー」

「なら。土御門くんだけ残って。あとの皆は。帰ってお手伝い?」

「そういうことですー。土御門ちゃん、それでオッケーですかー?」

「了解だぜぃ。舞夏が来たら学校に戻るにゃー」

「上条ちゃん、くれぐれも養生するのですよー? こっそり病室を抜け出して買い食いとかしちゃだめですからねー?」

目一杯に背を伸ばして注意をしようとする幼女(風)教師に見上げられ、上条は苦笑いをする。

「……あー、売店行こうにも、お金とか持ってないっすから」

「それならいいのですけど。では上条ちゃん、また学校で会いましょう」

「またお見舞いに来るでー!」

「無茶しないで、さっさと体治すのよ!」

「早く。元気になってね」


思い思いの言葉を掛け、小萌やクラスメイトたちは上条の病室を後にした。
残されたのは上条と土御門の二人だ。


「……そういや、まいか、って誰?」

「俺の妹だにゃー。繚乱家政の生徒でエリートメイドの見習いなんだぜぃ?」

「その妹さんを、何故高校に連れて行くんだ?」

「一端覧祭の出し物の、実地指導の為だにゃー」

「……俺たちのクラスって、何をやるんだよ?」

メイドの見習いを呼んで、何を指導してもらうと言うのか。

「何って、メイド&執事喫茶ぜよ」

「………………………………………………………………メイド、という単語を聞いて、なんだかもの凄い悪寒がしたんだが」

身に覚えのない恐怖が、上条の体を震え上がらせる。
事情の掴めない土御門は、不思議そうに首を捻っていた。


美琴がケーキを持ってきたという知らせを受け、この病院にいる姉妹全員が打ち止めと番外個体の部屋へと集まった。
同じ顔の少女8人が一部屋に集いケーキを頬張るさまというのはなかなか壮観である。

「……というわけで、ミサカは研究所の脱出には成功したんだけど。
 その代償としてこの右腕と、いくつかの銃創を負っちゃったってわけなのでした」

左手に持ったフォークを振り振りややオーバーに語るのは番外個体(ミサカワースト)。
右手は骨折しギプスに覆われているため、美琴の持ってきたケーキを左手で食べなければならないのだ。

ちなみに彼女が今美琴に語っているのは、番外個体が研究所を脱走した時の"冒険譚"だ。
当然ながら実際に起こったことではなく、美琴を心配させないための辻褄合わせの物語である。

「……それで、怪我の方は大丈夫なの?」

「へーきへーき。カエル顔のお医者さんが言うには、あと二週間ちょっとでギプスも取れるみたいだよ。
 凄いよね。粉々だったのに一月と経たずにくっついちゃうんだから」

医療において革新的な発明をいくつもしている冥土帰しの事だ。
彼女の治療に関しても常人には考えも及ばないような技術を導入したのだろう。

「ほんとよね。あいつもしょっちゅうお世話になってるみたいだし。
 みんなのリハビリの担当もしてくれてるのよね」

「そうだよ! ミサカたちは本当にカエルのお医者さんには頭が上がらないのってミサカはミサカは感謝してみる」

美琴の膝に抱かれた打ち止めがニコニコと笑う。


「そーだお姉様。ミサカ、服が欲しいんだけど」

その言葉に、美琴は改めて番外個体を眺める。
右腕を骨折しており肘のあたりからギプスに覆われている彼女は自由に服を着ることができない。
そのため彼女は脱ぎやすいように袖口にチャックのついた半袖の患者衣を着て、その上から袖を通さずにカーディガンを羽織るといった感じだ。
お世辞にも、あまり女の子らしい格好とは言えない。

「そうね、好みの服は退院してからでいいとして、まずはギプスが外れた後着る服が欲しいわね」

「今のままだと服を買いに行く服が無いって感じだもんね」

「お姉様、ではミサカとのお買い物の際に、番外個体の洋服も買ってくるというのはどうでしょう、とミサカ10777号は提案します」

「む、抜け駆けはずるいのではないですか、とミサカ10032号は抗議します」

「そうです、こんな新参ミサカは放っておいて、このミサカとお買い物へ行きましょう、とミサカ10039号は追従します」

「ミサカも行きたーいってミサカはミサカは猛アピールしてみたり!」

「このミサカは元々お姉様と約束していましたので、その指摘は的外れなのではないでしょうか、とミサカ10777号は反論します。
 それに、まずはお姉様のスケジュールを確かめなければいけないのでは?」

その言葉に、妹たちの視線がいっせいに美琴に向く。
美琴は自分のスケジュールを頭の中で思い浮かべた。


「一端覧祭までは午前中授業だし、うちのクラスの出し物はほとんど準備終わってるのよね。
 私も課題とか出されてるからいつとは確約できないけど、私が都合いい時でいいなら。
 さすがに全員いっぺんには無理だから、順番になるけどね」

「ではまずはこのミサカとですね、とミサカ10777号はお姉様に約束を思い出させます」

「ですから、それは不公平なのでは、とミサカ13577号は混ぜっ返します」

妹たちがああでもないこうでもないと言い争うのを、美琴が手を叩いて止める。

「じゃあこうしましょう。まずはナナミ。約束してたもんね。
 その後は番号の若い順。打ち止めは最後のほうになっちゃうけど、我慢してね」

「……最後はやだけど、でもお姉様とお出かけ出来るなら我慢するー、ってミサカはミサカは聞きわけの良い子になってみる」

「お姉様、検体番号のないミサカはー?」

『絶対能力者進化計画』とは直接関係のない番外個体は、その名の通り検体番号が与えられていない。
つまり検体番号のない彼女は、この順番の決め方では漏れてしまう。

「あんたはまず腕を治しなさい。お出かけはそれから。
 ギプスが外れたら、次の子と遊びに行くときに一緒、ってことでどう?」

「他のミサカがいいならそれでいいけど」

「そうね、じゃあ…………う」

言葉を続けようとした美琴が、突如口を閉ざしてしまう。

「……あんたのこと、どう呼べばいいんだろ?」


基本的に美琴が妹たちのことを呼ぶ時は検体番号か、ニックネームなどがあればそちらを使う。
ゆくゆくはそれぞれに番号ではなく名前が必要になるのは分かっているのだが、彼女としては自分で考えた名前の方が良いと思っている。
一生付き合っていく名前だ。美琴のセンスを押し付けるよりは、自分の好きな名前を名乗ってほしい。
もちろん、名前をつけてほしいと言われれば一緒に考えるつもりでもいる。

翻って、番外個体(ミサカワースト)はどうだろうか。
まず彼女には前述の通り検体番号が存在しない。
かといって『ミサカワースト』という呼称は普段使うには長すぎる。

ならば、区切ってはどうか。
『ミサカ』では他の姉妹と紛らわしい。
『ワースト』では「一番悪い」という意味合いがよろしくない。

「お姉様の好きに呼んでくれたらいいけど、ミサカ的には『ワースト』でいいかな。
 だってさ、考えもみてよ? ミサカワースト、一番悪いミサカ。
 ひねくれ者で根性悪のこのミサカにぴったりだと思わない?」

「う、でも……」

「マイナスであっても、"個性"は"個性"だよ。
 ミサカはお姉様のただのクローンじゃなくて、代替不能なワン・アンド・オンリーのミサカになるの。
 そのための象徴になるのが、"一番性格の悪い"ミサカを表すミサカワーストという名前なんだよ」

「……そう。じゃあワースト、あんたの順番は退院しだいってことで、ヨロシクね」

そう言って彼女の髪を撫でてやれば、くすぐったそうに顔を背ける。


「……誰かに髪を撫でてもらうのは、初めてだな」


「そう言えば、お姉さまはあの方のお見舞いにも行くつもりだったのでは、とミサカ19090号は訊ねます」

「はっ!? い、今何時?」

慌てて腕時計を見れば、時刻は4時半を回っている。
この病院では面会時間は5時までとなっており、彼と会話するつもりならそろそろ向かわなければろくに話せない。
備え付けの冷蔵庫から上条の分のケーキの箱を取り出し、慌てて荷物をまとめる。

「あいつにもケーキ渡したいし、そろそろ私は失礼するわ。
 いつ遊びに行けるかは、追って連絡するわね」

「ケーキ、ごちそうさまでした、とミサカ10032号は頭を下げます」

「お姉様、また遊びに来てねってミサカはミサカは名残惜しくお姉様の制服を掴んでみる」

「はいはい。今度はどんなお土産が良いか、よかったら電話してね」

打ち止めの携帯電話と赤外線通信で連絡先を交換し、美琴は妹たちの病室を後にする。
リクエストが無ければ、今度はどんなお土産にしよう。
妹たちとは、どこに遊びに行こう。
そんなことを考えながら、美琴は上条の病室へと向かう。


上条の病室はほぼ常に同じ部屋をあてがわれている。
冥土返し曰く「いつ運ばれてくるか分からないから緊急時以外は彼の為に空けてある」らしく、その入院回数の多さが分かる。
美琴も何度もお見舞いに訪れているうちに場所を覚えてしまい、今では案内がなくとも辿り着けてしまう。
二度戸を叩き、中へ入る。

「おっ、みさかじゃないかー」

だが、出迎えたのは美琴の友人である土御門舞夏であった。
彼女の奥では部屋の主である上条がベッドに腰かけ、その横には金髪サングラスの青年が立っている。

「よう、御坂」

「おや、カミやんのお見舞いかにゃー」

「そんなところ……なんですけど」

金髪の青年が軽薄そうな笑みを浮かべる。正直美琴の得意なタイプではない。
舞夏と、上条と、金髪の青年。この異色の組み合わせはなんなのだろう。


「みさか、紹介するぞー。こっちは私の兄貴であるー」

「土御門元春だにゃー。ヨロシク」

「へぇ、お兄さん?」

舞夏に兄がいることは以前から聞き及んでいた。
だが、このように軽そうな人間だとは思っていなかった。
なんと言うか、あまり似ていない兄妹である。

「御坂美琴です。よろしくお願いします」

「ほほう、カミやんに常盤台のお嬢さんがお見舞いか。
 一体どこで引っ掛けてきたのやら」

サングラスの奥から土御門元春が興味深そうな視線を放ち、美琴は思わず身を引いてしまう。
あまり好きにはなれなさそうな人種だ。

「舞夏、ところであんたはなんでここに?」

「おお、珍しい呼び方だなー。兄貴がいるからかー。
 うちの兄貴はだなー、そこの上条当麻の隣の部屋に住んでいるのだよ―。
 その縁で、私も上条当麻とは面識があるのだー」

そうなのか、と上条に視線を振るが、彼は肩をすくめるのみ。
まあ彼は記憶喪失なのだから、それは当然だろう。

「それでだなー、上条当麻の家を掃除してやろうかという話をしていたところなのだー」

「いいって、退院してから自分でやるよって言ってるんだけどな」

やや困ったように上条が言う。
彼にとっては自分のプライベートではあるが、何がどうなっているのかは全く分からない。
それを年下の少女に見られるという羞恥心があるのだろう。


「"男のロマン"とやらは兄貴の部屋で慣れてるからな―、そこは見なかったことにやるのだぞー」

「そういう問題じゃないって。一月も掃除してない部屋なんか人に掃除させられるかよ。自分の部屋は自分でやります!」

「一か月放置した洗いものはどうなってるかなー?」

「うっ」

「一か月放置した冷蔵庫の中身はどうなっているのかなー?」

「ううっ」

「一か月放置した生ごみは、一体どうなっていることだろー?」

「ゔゔゔっ!!」

記憶が無くとも、それくらいは想像がつく。
冷や汗を流し青褪める上条の耳に顔を近づけ、誘惑するようにささやく。

「できればやりたくないだろー? だからなー、私が代わりに掃除してやると言っているのだよ―。
 私はハウスキーピングの経験値を得てー、上条当麻は退院したら綺麗な部屋が待っているー。
 いわゆる"Win-Win"ってやつだなー」

数秒のち、陥落した上条の口から「……オネガイシマス」という言葉が漏れる。
上条が目覚めて約一週間、早くも人として何かが終わった気がするが、まだ見ぬ地獄に踏み込む勇気もない。
勝ったと喜ぶ少女は、恐らく自分の腕を存分に奮える機会を得て嬉しいのだろう、その場で小躍りをしている。


「…………舞夏が自分から言い出したことだから俺は何も言わないけどにゃー。
 カミやん、退院したら舞夏に何かおごれよ」

「……是非とも御馳走させてくださいませ」


「そこでだなー、みさかー、明日は暇かー?」

「学校は午前中で終わり。特に何もなければ、したいことはあるけど」

「暇ならば、上条当麻の家の掃除を手伝ってくれないか―?」

「えぇー?」

「どのくらい汚れてるかが分からないからな―。時間がかかってもいいのだけどー、私にも色々用事があるのだよ―。
 なるべく早く終わってくれると助かるのだー。だから手伝ってくれると嬉しいぞー?」

美琴は思案する。
常盤台中学では基本的に自室以外の掃除は専門のハウスキーパーが行い、懲罰を除いて生徒がやる事は無い。
自室の掃除も毎日こまめに行えばそこまで乱れることもなく、故に清掃とはイコール懲罰のイメージが美琴の中では大きい。
だが、これは上条の自室に入る絶好のチャンスでもある。
家主が不在であることが不満だが、今までは家を訪れるどころか住所すら知らなかったのだから。
と、ここで何故これを"チャンス"と感じるのかに思いいたって、美琴の頬が紅潮する。

「お、おーい、御坂さーん? あんまり迷惑かけるのも悪いし……」

「い、いいわよ、手伝ってあげる」

「……え?」

「い、いろいろとお世話になってることだし? 困った時はお互いさまというか?
 とにかく! 私も掃除を手伝ってあげるんだから、感謝しなさいよね!」

「え? いや、あの、……ありがとう?」

「よろしい」

頬を染めたままふんぞり返る美琴と、何かがおかしいような、おかしくないようなと首をかしげる上条。
そんな二人の様子を、土御門兄妹は面白おかしそうに見ているのだった。


「私と兄貴は用事があるから、そろそろ失礼するのだぞー」

「じゃあなカミやん、暇ならまたくるぜぃ」

土御門兄妹が病室から出て行き、残されたのは上条と美琴の二人。
ここで美琴はケーキの存在を思い出し、上条へと差し出した。

「チョコレートケーキか」

紙皿に載った綺麗なケーキをためつすがめつ眺めながら、上条が呟く。

「学園都市では学舎の園にしかないお店のケーキよん。
 さあ、普通はお嬢様にのみ食べることの許されるデザートをとくと味わいなさい」

フォークで適度に切り、一口。
まず口の中に広がるのは、洋酒の香るとろりとしたほろ苦いチョコレート。
ふんわりとしたスポンジの中には、チョコレートクリームとクルミが挟みこまれている。
決して飾らない、シンプルなケーキ。
だからこそ、作り手の技術と情熱はダイレクトにその味へと変換される。

「……うめぇ」

「でしょー」

記憶にある限り病院食しか食べたことが無く、甘味に飢えた上条は勢いよく頬張る。
にししと笑う美琴に、上条は微笑みを返した。


「ホントうめーよこれ。多分これならホールでいける」

「男の子って、甘いもの嫌いじゃないの?」

「腹にガッツリ溜まるものが好きなだけで、決して甘いものが嫌いなわけではないと思うぞ。
 単に甘いものは女の子のもんってイメージがあって、硬派を気取りたい奴らがただ『んなもんより肉だ肉!』って言ってそうなイメージがあるけど。
 しかしこれ、お嬢様御用達なだけあってめちゃくちゃうめーけど、もしかして結構なお値段するんじゃねぇか?」

「大したことないわ。1ホール8000円くらいよ」

「高ッ!?」

危うく噴きだしかけ、いやいやもったいないと無理やり手で口を押さえた挙句、結局はせき込んでしまう。
美琴は慌てて背中をさすり、水差しから水を汲んでやる。

「ほら、また買ってきてあげるから、落ち着いて食べなさいよ」

「い、いやそんな高級品を何度もごちそうになるわけには」

「そんなの気にしないの。喜んでもらいたくて買ってくるんだから、入院客のアンタはただ美味しく食べればいいのよ」

「そういうもんかねぇ」

「そういうもんよ」


上条がケーキを食べ終えた後は、他愛のない話をして過ごした。

「夕べ面会時間が終わった後、お前の妹たちが遊びに来たんだよ。
 話には聞いてたんだけど、ちょっと人数にびっくりしたわ」

「そうなんだ。この病院にいる子みんなで来たのかしら」

この病院にいる妹たちは計7人。うち5人が同じ年齢なのだから、面食らうのはある意味当然だ。

「みんな良い子たちだったな」

「でしょー。私の大事で可愛い妹たちだもん」

「ネックレスかけた子──10032号だったかな? が、『困った姉ですがどうぞよろしく』だってさ」

「妹め……なんという生意気な口を」

美琴は頬を膨らませてみる。が、本気で不快だというわけでもない。
遊びに行くのも、軽口をたたき合うのも、全ては彼女らが"姉妹"だからこそ出来るのだ。

「あの子たちと、仲良くしてあげてね」

「おう」

にこやかに言う上条に、美琴も笑みを返す。
彼のように妹たち一人一人を個々の人間として見てくれる人がいてくれるのならば、それ以上のことはない。


「あ、そうだ」

唐突に、上条が思い出したように言う。

「どうしたの?」

「土御門兄妹に家の鍵を渡すのを忘れてた」

彼はベッドの脇に無造作に置かれたカバンをごそごそと漁り、真新しい鍵を取り出した。

「失くしちまったのか、インデックスが持ってたまんまなのかはわかんねーけど、とにかく俺は鍵を持ってなかったからさ。
 午前中、父さんと母さんが新しいのを作ってきてくれたんだ。
 ……せっかく家を掃除してくれるっていうのに、鍵を渡し忘れるなんて大失態だよなぁ」

ぼりぼりと頭をかきため息をついた上条は、美琴のほうを向く。

「つーわけで、鍵をよろしく頼んでいいか?」

「え? わ、私?」

手に乗せられた銀色の輝きを目に、美琴は思わず上ずった声を出してしまった。
手中にあるのは、金銀財宝の詰まった宝箱の鍵すら色褪せて見えるような、上条家の合鍵。
そういうことじゃないと分かっていても、つい心が躍ってしまう。

「御坂だって掃除を手伝ってくれるんだろ? だから丁度いいと思ったんだが……ダメか?」

「ダメじゃない」

即答だった。


「えへへへへ……」

夜、常盤台の寮にて。
バイオリンの練習を済ませ、ベッドに早々に伏せた美琴は、毛布の中でにやにやと鍵をいじる。
それを白井が不気味そうに見つめていることなど何のその。

(アイツの家の鍵、かぁ……)

恋する乙女ならば誰もがあこがれる至上のアイテム。
ただ掃除のために預かっただけであり、「いつでも来ていい」という意志表示ではないことは理解している。

勘違い。
自意識過剰。
そんな単語を自覚してなお、美琴の顔のゆるみは治まらない。

「お姉様……なにをそんなに嬉しそうに見つめてらっしゃいますの……?」

「んー、内緒ー」

恐る恐る、といった様子の後輩の声は軽く流し、再び鍵をいじることに没頭する。

預かるだけではなく、いつか本当に彼から合鍵をもらえたら。
そんなことを考えながら、いつしか美琴は眠りについた。

今日はここまでです
しばらくはこんな感じの生ぬるい日常編……の予定です

書き溜めしてて思ったけれど、バトル描写が上手く書けないorz
考えてるシナリオ通りなら大きなバトルがいくつかあるのに、はてさてどうなることやら
ではまた次回

すまん↑ミス。↑を読んだ瞬間
「一か月放置したスフィンクスはどうなってるかなー?」
と想像してしまった。ヤバくね?

原作を読み返したらイギリスにいるみたいだった
上条さんとの再会はあるのかな?

こんばんは

>>408さん
スフィンクスは原作ではリメエアさんに拾われたままでしたよね
今頃王室御用達のエサをビクビクしながらかじっているのではと思います
このSSでは、そのうち

では今日の分を投下していきます


11月17日。

昨日と同じように常盤台中学は半日で授業を終了し、一端覧祭の準備に取り掛かることになる。
例によってすることのない美琴は白井とともに昼食をとったあと別れ、土御門舞夏との待ち合わせ場所へと向かった。

美琴は上条当麻の家を知らない。
高校の男子寮に入ってることくらいは世間話の中で聞いたことはあるが、その程度だ。
ゆえに、場所を知っているという舞夏と待ち合わせることにした。

待ち合わせは学舎の園から少し離れた所にある公園だ。
午後1時25分。快晴ではあるが、ロシアほどではないにしろここのところめっきり気温が低くなっている。
恨みのある自販機ではないので普通に飲み物を買っていると、舞夏が現れた。

「みさかみさかー、お待たせだぞー」

「……土御門、ナニソレ?」

美琴が指さしたのは、舞夏の真下にある物体。
鉄製のバケツをひっくり返したようなものに、彼女は鎮座しているのだ。


「お掃除ロボだぞー」

「それはわかるけど、えー……」

舞夏の通う繚乱家政女学校は『真のメイドさんには休息はいらない』を鉄則として掲げており、土日祝日もなく日々研鑽を重ねている。
故に一緒に遊びに行く機会がほとんどない二人が常盤台中学の寮の外で出会うことはめったにない。
寮の中でお掃除ロボに乗る筈もなく、美琴が見慣れぬ友人の姿にドン引きしていると、

「むー、この子はこれで意外と便利なんだぞー」

と、舞夏は手にした逆さのモップでお掃除ロボをつつく。
進行、停止、ターン、その場で回転など妙技を次々と繰り出すが、美琴の反応はいまいちである。

「普通に歩いた方が早くない?」

「道の掃除も兼ねてるから、これでいいのだー」

「そういうものなのかしら」

「そういうものなんだぞー」


「そう言えば、ちゃんと汚れにくい服装は持ってきたかー?」

上条の寮へと向かう道すがら、舞夏が問う。

「あ、忘れてた。今日は体育もなかったからジャージも体操服も用意してないのよね。
 ま、ブレザー脱げば大丈夫じゃない? シャツは洗えばいいんだし」

「その様子だと、ゴム手袋やマスクもなさそうだなー」

「マスクはともかく、ゴム手袋は何に使うのよ」

「そりゃあもちろん、掃除にだぞー。
 悪くなった生ものとか、放置された食器とか、素手で触らなくてもいいようにだなー」

それらを素手で触るところを想像して、身震いする。
花も恥じらう女子中学生は潔癖症なのだ。

「それらはコンビニでも揃えられるし、少し寄って行くかー」


もちろんコンビニに立ち寄る際も舞夏はお掃除ロボに乗ったままであり、店員に奇特な目で見られたことは言うまでもない。


「ここがあいつの家……」

しばらくのち、美琴と舞夏はとある高校の男子寮前に立っていた。
美琴の住まう常盤台中学の寮と比べれば格段にグレードの下がるそれの第一印象は、ありていに言ってしまえば、ボロい。
寮の入り口に寮監はいないし、門限なんてあってないようなものだ。
これが一般的な高校生のレベルなのか、と美琴は間違った認識をする。
かつて上条当麻が一方通行との戦いののちに退院し帰宅した際、無意識に我が家と常盤台女子寮を比べ、
「これが格差か……」と呟いたことを、美琴は知るよしもなかった。

今にも止まりそうなボロっちいエレベーターを使って七階まで上がる。
エレベーターから一番遠い角部屋が上条の部屋だ。
その手前の部屋から隣人、土御門元春が出てくる。

「おー舞夏、御坂ちゃん、そろそろ来ると思ってたぜぃ。
 女の子二人だけだと大変だろうからにゃー、オレも手伝うぜよ」

「……なんで『ちゃん』付けなんですか」

「舞夏の友人なんてめったにあえるものでもないからにゃー。
 馴れ馴れしいほうが親しみやすいかなと思ったんだが、お嬢様にはお気に召さなかったかな?」

「……好きに呼んでください」

「みさかみさかー、兄貴はこういう人種だからなー。
 諦めが肝心だぞー」

「はぁ」

美琴は疲れたような声を出す。
余り仲良くしようとは思えない人間とは言え、友人の兄で、アイツの友人だ。
なんとか折り合いをつけないといけないなと自分に言い聞かせた。


「そう言えば、上条当麻の家の鍵は誰か持っているのかー?
 入れなければ掃除もできないぞー」

上条の家のドアの前で、舞夏が二人の方を向くが、兄は肩をすくめるばかり。

「オレは昨日舞夏と一緒に帰ったからにゃー。今日はお見舞いにも行ってないぜよ」

「私、預かってきたわ」

制服のポケットから飾りのついていない鍵を取り出すと、元春は愕然とした表情を見せる。

「つ、ついにカミやんちの鍵を手に入れた女の子が現れたぜよ……。
 もう駄目だ……。世界の終りにゃー、地割れ海うねり空が墜ちてくるんだにゃー……!」

「馬鹿兄貴、そんな程度で世界が滅びるならなー、銀髪シスターが居候を始めた時点で滅びてるぞー」

「……そっか、あいつ、ここでインデックスと暮らしてたのよね」

「おお? みさかは驚かないんだなー。ショックを受けるんじゃないかと思ったんだがー」

「まあね、どうして一緒に暮らしてたのか、理由を聞いたもの」

そう言って、美琴は鍵を差し込む。
この部屋で、上条当麻とインデックスは同居していたのだ。
中がどうなっているのか、見当もつかない。
コイスルオトメにとってはショッキングな惨状が広がっているかも知れない。
それでも、その程度では怯みたくなくて、勢いに任せてぐいっとノブを捻る。


ぎぃ、ときしんだドアを開けると、埃っぽい空気が三人を襲う。
コンビニで用意したマスクが無ければせき込んでいたかもしれない。

「お、おじゃましまーす」

緊張とともに、一歩踏み入れる。
と、ここであることに気がついた。

「玄関も廊下も埃だらけよ。これだと靴も脱げないわ」

「そんな時は、これだなー」

舞夏が差し出したモップで、フローリングを軽く拭く。
ある程度は綺麗になるものの、とても靴下を履いたまま踏み込む気にはなれない」

「汚れることを覚悟して靴下で踏み込むか、裸足で入って行ってあとで洗うか、どっちかだなー。
 みさかはどっちがいい?」

「えぇー、どっちも……」

後輩の無用な追及を避けるためには、なるべく衣服は汚したくない。それは靴下も同様だ。
だが、あまり親しくない男性がいる前で素足になりたくないのも事実だ。

結局諦めて靴下で入ることにする。


まずは掃除の為の拠点を作ることにした。
廊下をモップで拭いたあと雑巾で軽く濡れ拭きをし埃を取り除く。
これを美琴と舞夏の二人で行い、その間に足の裏が汚れることを気にしない元春が換気の為に部屋に踏み込み、カーテンとともに窓を開けた。
部屋の中に光と風が吹き込む。

「鞄やブレザーは廊下に置いておけばいいんじゃないかー?」

「そうするわ」


拠点を確保したら、次は水回りだ。
トイレを舞夏が、洗面所を美琴が担当する。
青い歯ブラシに並んで小さなピンク色のものが並んでいることに、心のどこかがちくりと痛んだ。
鏡を磨いていると、元春が顔を出す。

「風呂場は埃を払うくらいでいいと思うぜぃ」

「お風呂の水、汚くないですか?」

上条が風呂水を毎日変える派かは知らないが、さすがに一月も溜めっぱなしだと不潔だろう。

「その心配はないにゃー。カミやんちの風呂はぶっ壊れてる上に直す金もないと言ってたし、
 そもそも風呂場はカミやんの寝床だから、毎日掃除はされてるぜよ」

「お風呂場が……寝床……?」

表札を確認するまでもなく、ここの家主は上条だ。
その彼が風呂場で寝ているとは、一体どのような理由によるものか。

「ワンルームだからどうしてるのかと思ったら、上条当麻は風呂場で寝てたのかー」

「あいつ、家主よね……?」

「最初はカミやんは床で寝てたらしいんだが、何でもインデックスには他人の布団にもぐりこむ習性があるらしくてな。
 それで風呂場に退避してたらしいんだぜぃ」

「潜り込む、ねぇ……」

色々と問い詰めたいことは増えて行くが、真相は闇の中、だ。


舞台はいよいよ本丸へと移る。
ついに入ってしまう上条当麻の居室。
高鳴る胸、わずかに紅潮した頬と共に、美琴はドアを開けた。

そこは、余り大きくもないワンルーム。
システムキッチンと一体化した居間の中央にはコタツが置かれており、壁際にはベッドが置いてある。
ベッドの反対側の壁際には漫画だらけの本棚があり、テレビにはゲーム機が数台繋がっていた。

「どうだみさかー、憧れの男子の部屋はー?」

いつの間にか背後により、ニヤニヤしながら耳に唇を寄せてくる舞夏の言葉に、思わず動揺する。

「にゃ、にゃによ、大したことなんかないわよ! 至って普通の部屋じゃにゃい!」

とは言うが、あらゆるものに興味しんしんなのは舞夏にも元春にもバレバレである。

「ベッドの下と押入れの中はオレが掃除してやるかな、友人として」

「おお、友情は美しきかなー」

「うん? どうして押し入れやベッドの下を掃除してあげるのが、友情になるのよ?」

美琴には良く分からない。

「あー、それはだなー……」

「エr……"男のロマン"ってことで、触れないでやってほしいんだぜよ」

何故か目を反らしがちに語る兄妹に、美琴はクエスチョンマークを宙に浮かべるのだった。
純粋培養って恐ろしい。


まずはハタキで高所の埃を払い、だんだんと低い所へと移って行く。
ベランダでは元春が布団を干し、布団叩きで一か月降り積もった埃を落としている。
本棚を掃除しつつ、「あいつはこんな漫画が好きなのか」と思いをはせていると、テレビを磨いていた舞夏がひっそりと話しかけてきた。

「みさかみさかー」

「何よ、舞夏」

「上条当麻のどこに惚れたんだー?」

「にゃっ!?」

突然のストレートに、思わず美琴は手にしていた漫画を数冊落としてしまった。
舞い上がる埃に涙目になりながら本を拾いつつ、抗議する。

「にゃ、にゃにを言い出すのよ!」

「だからだなー、上条当麻のどこがいいのか、と私は聞いたんだぞー」

「どこがって……ってちーがーう! なんでそんなこと……」

「"なんで"……? ほほーぅ、この言い方はビンゴということだなー。
 カマをかけただけなのに引っかかってしまったぞー?」

ハメられた。
思わぬところから言質を取られ、羞恥にぷるぷる震える美琴をよそに、舞夏はにやりと笑みを浮かべる。
エリートメイド見習いとて、コイバナには興味があるのだ。


「嫌なら言わなくてもいいんだけどなー、ほら、やっぱり気になるじゃないかー。
 友達の恋の話は蜜の味、という奴なのだよー」

ほらほらほらー、と肘で突いて促す舞夏に、美琴はどう応えるべきか悩んだ。
学友には"第三位"として一歩引いた立場から見られがちな彼女だ。
恋の話に興味があっても、おいそれと加わることはできなかった。
この方面に関しては人並み以上に経験値のない美琴には、少々荷が過ぎよう。

「気、気になるって言われても、何を話せばいいのよ……。
 じゃーなーくーてー、そんなのじゃないってば!」

「……じゃあ、みさかは上条当麻の事なんて、どうでもいいのかー?」

「う、そ、それは……」

そう言われてしまえば、正直に話さざるを得なくなる。
美琴はもう自分に嘘をつかない、と決めたのだから。


「それは、そんなことはないんだけど……」

「ふふん、そうかそうかー」

消極的にではあるが求めていた答えを得てにまーっとご満悦の舞夏は、嬉々として次の手を打つ。

「じゃあ、まずは馴れ初めを聞かせてもらおうかー」

「馴れ初めって……。ていうか、私が、その、あいつのこと……気になってるって、気付いてたの……?」

「気付くも何も、『常盤台の超電磁砲が高校生に恋をしてる』というのは学舎の園ではもっぱらの噂だぞー?」

その言葉に、美琴は凍りつく。
なんだか今、そら恐ろしい言葉が聞こえたような?

「例えば、寮の前で高校生と逢引をしてたとかー、大覇星祭の借り物競走で高校生を引きずり回したとかー、
 9月末にどこかの地下街で高校生とツーショット写真を撮ってたとかー、大勢に目撃されているらしいなー?
 それら全てが同一人物相手とあっては、言い逃れはできんぞー?」

くふふ、と奇妙な笑みでこちらを見る舞夏に、美琴はもはや声も出ない。
週明けから、学校にどのような顔をしていけばいいのだろう。

「知らぬはみさかばかりだなー」という舞夏の言葉と共に、美琴は床へと崩れ落ちたのだった。


3人の懸命な掃除によって、居間は見違えるほど綺麗になった。
次はいよいよ本丸である台所だ。

家を離れる日はまだ食事の準備をしていなかったようで、またその前日がゴミの収集日だったこともあり、生ゴミはたいしたことはなかった。
洗い物も溜めておらず、スムーズに掃除することができた。

最後にして最大の強敵、台所の奥に鎮座ましますのは冷蔵庫だ。

冷蔵庫。
家庭において、一般的に常温では腐敗しやすいもの、融けてしまうものなどを保存するために用いられる家電製品だ。
当然ながら、腐敗しやすいものとはほとんどの場合において消費期限が短いことが多い。

そして、目の前の冷蔵庫は一月もの間放置されている。
その中身はすでに常識の通用しない暗黒物質へと変貌しているのではないだろうか。

「「「………………」」」

分かってはいても、思わず尻ごみしてしまう。

「……皆のもの、マスクと手袋はしたかー?」

「…………大丈夫だにゃー」

「みさかみさかー、消臭剤の準備はOKかー?」

「……ええ」

いくら異臭と腐臭が充満していたとしても、消臭剤をドバドバドバー!! とぶち込めばある程度はマシになるかもしれない。
ちなみに例え原液で飲もうがマズい以外にはまったく問題のない学園都市製の消臭剤なので、冷蔵庫にも安心して使用できるのだ。


「さあ兄貴、一番槍をどうぞなのだー!」

「えぇ、オレ!?」

「馬鹿兄貴、こういう時に男が前に出ずしてどうするというんだー?」

「お兄さん、頑張って!」

ちなみにちゃっかり一番後ろを確保しているのは美琴である。

「仕方が無いにゃー……、カミやん恨むぜよ……」

マスクの上から更に鼻をつまみ、なるべく体を遠ざけるようにして冷蔵庫に近づいて行く。
指先を引っ掛けるようにして、恐る恐るドアを開けた。

ゆっくりと開いて行く冷蔵庫の扉、その中には……


     何もなかった。


 

「…………」

「何もないなー」

「いや、あいつどんな食生活送ってんのよ」

美琴が思わず突っ込んでしまう。それほどまでに、空っぽだった。
正確には調味料や保存のきくものは入っていたものの、生鮮食材の類はまったく見つからない。
それは野菜室も同様で冷蔵庫はほとんど自身の役割を果たしておらず、つまりこの一月無駄に電気代を食っていただけだということになる。
役立たずの冷蔵庫の扉を閉め、舞夏はため息をついた。

「……上条当麻が退院したら、豪勢な料理で出迎えてやるかなー」

「舞夏、私も協力するわ」

彼に少しでも良いものを食べさせ、早く元気になってもらおう。
涙ながらにそう決心する少女たちを見ながら、元春は内心独りごちた。

(カミやんたちをイギリスに送った後、悪くなると困るだろうと思って処分しておいてあげたのを忘れていたにゃー……)


冷蔵庫の中を片付け、上条家の掃除は終わり。
元春の家で、舞夏がお茶を入れてくれることになった。

「そう言えば、銀髪シスターはどうしたんだー?」

「あいつがあんな状況だから面倒を見られないだろうって、イギリスに帰ったみたい」

「そうかー、寂しくなるなー」

「舞夏は何でも美味そうに食べるあの子を気に入ってたもんな」

「作るほうとしてはおいしそうに食べてくれた方が嬉しいにきまっているのだぞー」

そこで舞夏は突如美琴の方ににじりより、妖しげな笑みを浮かべる。

「みさかもそろそろ、『料理を作る醍醐味』ってヤツを味わいたいんじゃないのかー?」

「え、えぇ? わ、私は別に……」

「ふっふーん、さっき『私も協力する』と言っていたのを、私は忘れていないぞー。
 ほーれほれー、素直に吐いてみろー」

「は、吐くって、そんな白状するようなことなんてないわよっ!」

美琴は真っ赤になって否定するのだが、舞夏はそんな彼女に容赦しない。
彼女の肩を抱き、その耳に囁きかけた。


「上条当麻にはなー、乳が大きくて美人で、おまけに料理も繚乱家政級に上手な知り合いがいるのだよー。
 つい一月ほど前か、上条当麻に手料理を振る舞っていたぞー?」

「な、なぁっ!?」

「男を落とすにはまず胃袋を掴めと言うしなー。
 みさかみさかー、ちょっと出遅れていやしないかー?」

口をぱくぱくと開け、青褪めて行く美琴。
そんな様子を楽しそうに見つめる舞夏は、追撃の手を緩めない。

「私は友人であるみさかを応援したいのだよー。
 さあみさか、今みさかがすべきことはなんだー?」

「…………舞夏サマ、私めに料理を教えてくださいませ」

「よろしい」

望む言葉を引きだし、舞夏はご満悦だ。
人に尽くすことを喜びとするメイドにとって、人に頼られ、その力を最大限に発揮することこそ幸福である。
家庭科においてもエリート教育を施す常盤台ではあるが、繚乱家政にはやはり及ばない。
その点を考えれば、最適の人選だろう。


「……そう言えば、お兄さんはあいつの隣の部屋ですから、あいつのことは良く知ってるんですよね?」

「そりゃあもう、ダチだからにゃー。
 さすがになんでもってわけにはいかないけど、ある程度はわかるぜよ」

「……あいつとインデックスが一緒に暮らしてたことも、ですよね」

「一応クラス全員、知ってると思うぜぃ。まあ基本的にはみんなこの男子寮にいるわけだし、知らないほうが難しいだろうが」

そこまで聞いて、美琴は言葉を続けるのを躊躇った。
聞いてみたい。でも、なんだか無粋で野暮な気もする。

「御坂ちゃんは、カミやんとインデックスがどんな関係だったかを知りたいのかにゃー?」

「…………はい」

言い当てられ、、やむなく美琴は頷く。

「どんな、と言われても、難しいにゃー……。居候に至るまでの経緯も良く知らんぜよ。
 ただ、まあ見てる限りでは……、うーん」

「まるで兄妹、って感じかなー」

「そうそれ、そんな感じだぜぃ。仲は本当に良かったもんなぁ。
 時には喧嘩(主に食べ物のことで)もしてたみたいだが」

「兄妹……」

インデックスがロシアの病院で上条に何を話し、何を告げたのか、美琴は聞かなかった。
それは彼女が踏み行ってはいけない、上条とインデックスだけの想い出。
生まれも育ちも違う血のつながらない二人が兄妹のような関係を築くまでに何があったのか、美琴はまだ知らない。

いかにも男子高校生前とした上条の部屋の随所には、いくつも彼らしからぬ調度品があった。
男向けではない鏡や櫛、可愛らしい柄の毛布、女ものの服が納められたチェスト。
これらは全て、上条とインデックス、二人がここで暮らしていたと言う大事な証だ。

片方は記憶を失い、片方はこの部屋へ帰ってくることはもう二度とない。
それはとても辛く、苦しく、哀しいことだ。

いつか、あの二人が再び笑い合うことができたら。
出来たら、自分もその時そばにいられたら。
美琴は、強くそう思った。


借りたカギは礼儀としてなるべく早く返さなければ。
そう思った美琴は、面会時間が終わる前に急いで彼が入院している病院へと向かった。

日没は日ごとに早くなっている。
この調子では完全下校時刻や寮の門限が早められるのも遠くはないだろう。
西陽が差し込む病院の廊下を、美琴は歩いていた。

「やあ、美琴ちゃんじゃないか」

声をかけられ振り返ると、そこには見覚えのある男女が。
上条刀夜に、上条詩菜。
上条当麻の両親だ。

「当麻さんのお見舞いに来てくれたのかしら?」

「はい」

「ありがとう。当麻も喜ぶと思うよ」

そう朗らかに笑う刀夜の顔を、美琴は真正面から見ることができなかった。

上条当麻は、御坂美琴の力不足で北極海に沈んだ。
その結果彼は大怪我をし、記憶を失った。
そんな中、美琴は二人にどのような顔をしたらいいのだろう。

神裂は二人に全てを話したという。
ならば彼が何のために戦い、どうして北極海に沈んだのか知っているはずだ。
むろん、美琴がロシアで何をしたかも。


「……何か、思いつめた顔をしていますね?」

気付けば、詩菜が美琴の顔を覗き込むようにしていた。
その顔は我が子の向けるものと同様に慈愛に満ちている。

「何か女の子の悩みがあるのなら、おばさんが相談に乗りますよ?」

「いえっ、あのっ、そんな……」

詩菜の視線から逃れたくて、思わず身を引いてしまう。
自分には、そんな優しい目で見られる資格はないのに。

「……お二人は、何も言わないんですね」

「何をかな?」

「…………私、あとちょっとで、彼を助けられたのに……っ。
 それなのに、あと少し手が届かなくて、それでっ、それで……」

幾度となく自分を責めた過去の告白。
うまく言葉にすることができず、それがとてももどかしくて、申し訳なくて、うつむいてしまう。

「……なるほど、美琴ちゃんは当麻の大怪我や記憶喪失は自分のせいだと、そう思っているのかな?」

「……はい」


「美琴さん」

「……はい」

「ありがとう」

心臓が止まったかと思った。
けして向けられるとは思っていなかった言葉。

「あの子のために、危ないところまで助けに来てくれてありがとう。
 当麻さんは、とてもいいお友達を持ちました」

「……でも、中学生の女の子が単身で戦争の中心地に飛び込むだなんて、感心はできないな。
 君にもしものことがあったら、ご両親にどうお詫びすればいいのかわからない」

「……父には、もう思いっきり怒られました」

「そうだろうとも。親にとっては、子供の安全が一番だからね。
 だけど、当麻の父親としては、君にとても感謝しているんだよ」

そう言って、刀夜は笑いかける。

「危ないときに助けてくれる友人ほど嬉しく、大事にしたいものはない。
 美琴ちゃん、君が当麻の友人でいてくれて、本当に良かった」

「……だけどっ、私、あいつのすぐそばまで行けたのに!
 それでも、助けられなくて……、なのに……っ!」

涙までこぼしながら、美琴は自らをなじるように言う。
ロシアで出会ったみんなは誰も美琴の事を責めたりはしなかった。
それどころか、彼女に優しく温かい言葉をかけてくれた。
それが逆に、彼女の心を苦しめている。

マゾヒストの気があるなんて思わない。
それでも、誰かに思いっきり罵倒して欲しかった。
そうすれば、少しは胸の中の罪悪感が紛れるかもしれないのに。

不意に空気が動くのを感じた。
その気配に顔をあげた途端、美琴は詩菜に思いっきり抱きしめられていた。


「ぎゅー」

「ちょっ、お母さん、苦し」

美琴より背が低くとも、体つきが華奢であろうとも、詩菜が美琴を抱きしめる力は強い。
例え自分の子でなくとも、母親となった女性が子供らに抱く感情が生む力だ。

「美琴さんは、誰かに責めて欲しいのかしら?」

「…………っ」

「残念だけど、私たちではその役目は果たせそうにありません。
 あの子が危ない目に遭い、あなたが助けに向かってくれていた時、私たちは何も知らずにいたのだから。
 ならば、私たちは美琴さんを責めるより先に、自分たちを罰しなければ」

「それは……っ」

「神裂さんにも言ったんだ。私たちは誰を責めるつもりもない。だから、君たちにも自分を責めて欲しくない。
 当麻は自分の意志で戦いに赴いたのだろう?
 なら、それは当麻が自身で負うべき責任だ。
 誰かに転嫁できるようなものじゃない」

それでも、と美琴は思う。
物理的に助けることが不可能な人間よりも、近くにいたのに、手段も力もあったはずなのに助けられなかった人間の方が罪深いのではないか。
マジュツ師たちに話を聞けば、最期に最接近したのは自分だという。
誰かを助けるために危地に飛び込んで行った人間を、自業自得だなんていうことはできない。
ならば、やはり責められるべき人間は。


「……それでも、もし君が、当麻に対して申し訳ない、という気持ちが消えないのならば」

刀夜がぽん、と詩菜の肩に手を置く。

「そばにいられない私たちの代わりに、どうかあの子のそばにいてやって欲しい」

「…………っ!?」

「私たち大人は、学園都市に子供を預けることしかできません。
 だけど、信頼できるお友達がそばにいてくれるなら、私たちは安心できる。
 ……ね、御坂美琴さん」

これは美琴の母である美鈴が、一月ほど前に詩菜に語ったことでもある。
『信頼できる友人がいるならば、学園都市に預けておくのが一番安全だ』
偶然にも、二人の母親は互いの子に対して同じことを考えていた。

「……私なんかで、良いんですか」

「あなただから、お願いしたいの。
 あの子をとても大事に想ってくれる、あなただから」

「……私なんかで、良かったら」

詩菜はにっこりと応え、美琴を再度抱きしめた。
中学へ上がってからは、美鈴にだって久しく抱きしめてもらっていない。
久しぶりに感じる「母親」の温かさに、美琴は再度涙をこぼした。



「──いやーしかし、当麻も隅に置けないな」

「えっ?」

「さっき私が美琴さんを抱きしめた時に、思わず『お母さん』と私を呼びましたよね」

「そ、それはっ……」

「言わなくても分かっている」と言わんばかりの二人の様子に、美琴は思わず赤面してしまう。
いつの間に悟られたのだろう。大人の洞察力って怖い。

今日はここまでです
あれだけ公衆の面前でいろいろやらかしてれば、皆に知れ渡ってしまうのは道理じゃないかと思います
学園都市中が最年少レベル5の恋をニヤニヤしながら生温かく見守ってると考えるととても胸熱

さて、これまで美琴が接してきた大人たちはみんな優しく、子供を導いてくれるような人ばかりでした
けれども、世界は優しさと甘さばかりでできているわけじゃないんだぜ?

というわけでまた次回
いつも応援感謝です

こんばんは

超電磁砲のバレを見て、もう気分は ε=\_○ノ イヤッホーゥ!!!!
まだバレ解禁まで半日くらいあるけど、本当にwktk

では今日の分を投下していきます


11月19日。

「…………むぅー……」

防衛体制の再編を理由に回収されたインデックスは一般の女子寮ではなく、聖ジョージ大聖堂の中に居室を用意されていた。
割り当てられた自室のベッドの上で、彼女は携帯電話片手に唸り声を上げている。

原因は簡単。
上条当麻の携帯電話に繋がらない。

何度かけても、時間帯を変えても上条に繋がることはない。
充電はきちんとしているし、電話の使い方だって五和に何度も確認した。
それでも繋がらないのはどういうことなのか。

「どうしてなんだろーね、スフィンクス」

ベッドの上で丸まった三毛猫の顎を撫でながら、独りごちる。
もちろん猫に電話の事など分かるわけがなく、「にゃー」という鳴き声を聞いたところで何が解決するわけでもない。

上条が学園都市に帰還してからもう五日目。
一度くらい話せてもいいのではないか。
美琴に教えて貰った自分の役目を果たすためにも、上条と話したい。
いや、そんな難しいことなんかどうでもいい、ただ単純に彼の声が聞きたい。
……美琴?

「そっか、短髪に聞けばいいんだね」

自分とは対照的に上条と共に学園都市へ帰った彼女は、きっと日々見舞いに行ったりしているのだろう。
思うように上条と連絡が取れないいらだちと、美琴への嫉妬を胸に、インデックスは携帯電話を再度いじり始める。


夜、美琴は自室で大量の本に埋もれていた。
やらなければいけないことは多い。
一端覧祭での演奏に備えたバイオリンの練習に加え、"疎開"中に出された課題はもの凄い量だ。
そのほかに、やらなければいけないことも。
一心不乱に分厚い本を読んでいると、不意にドアが開く。

「お、お姉様……今戻りましたの……」

後輩のお帰りだ。

「どうしたのよ黒子、そんなにやつれて……」

「じゃ、風紀委員の仕事が長引きましたの……。
 私に大量の書類を押し付けて自分は非番だなんて……初春ぅぅぅぅぅぅぅッ!!」

どうどう、と後輩をなだめるがてら、髪を優しく撫でてやる。

「お姉様は、お勉強の途中でしたの?」

「そうよー。課題一杯出されちゃってね。文字通り山のように」


机だけでなくサイドボードの上にまで積み上がっている課題プリントや参考文献などを見て、白井は引きつった笑みを浮かべる。

「本当に山のようですわね……」

「一端覧祭の期間中まで課題漬けなんていやだから、早く終わらせたいんだけどね」

「その割には昨日も今日も、どこかに遊びに行かれていたようですの。
 新しいお洋服でもお選びに? 黒子も連れて行ってくださればよろしいのに」

「あんたは風紀委員で忙しそうだったじゃない。
 それに校外のあんたの知らない人と行ったんだから、きっとつまらないわよ」

実際は妹たちと買いものへ行ったのだが、表現としては間違っていないだろう。

「お姉様のご友人でしたら、黒子は一瞬で打ち解けて見せますわよ?」

「じゃああいつとも仲良くしなさいよ」

「あの類人猿は別ですの。あの方は不倶戴天の恋敵ですので」

「……あのねぇ」


「そう言えば、お姉様はどのような課題を?」

「んー、これよこれ」

美琴が机から持ちあげ白井に見せた本には「大脳の病変に関する最新の症例と療法」というタイトルが振られている。
研究者や医者向けの、一般の図書館には置かれていないものだ。

「能力開発の授業でさー、脳構造についてのレポートがあんのよ」

「この本、学舎の園の図書館から借りてきましたの?」

「そうよ」

電子書籍が一般化した学園都市だが、かといって紙の書籍の利点がなくなったわけではない。
『学舎の園』には『国内外で発行される全ての学術書籍の収集と保管』を目的とした、巨大な図書館が存在する。
地下に広がる広大な空間にどこまでも無数の本棚が並ぶ光景を指して、『大迷宮』とあだ名されていたりもする。

「これだけの量を運ぶのは大変だったでしょう。……呼んでくださればお運びいたしましたのに」

「カウンターでお願いしたら寮まで運んでくれたわ。さっすがお嬢様の街よね」

「いくつか禁帯出の本が混じっているのは、レベル5の特権によるものなのでしょうか……」

「学生証見せたら、期限内にきちんと返すことを条件に貸してくれたわよ。
 いやー、たまには肩書きってもんが役に立つわよね」


その時、机に乗っていた美琴の携帯電話がゲコッゲコッと着信を知らせる。

「ちょっとごめんね。……もしm」

『短髪! ちょっと聞きたいことがあるんだけど!』

電話をつなぐや否や、耳をつんざくような絶叫が駆け抜ける。
美琴はおろか、離れていた白井にまでも届くような大声だ。

耳がキーンとなりつつも、美琴は電話へ怒鳴り返した。

「あんた、それ国際電話でしょ!? こっちからかけ直すから、一回切るわよ!」

有無を言わさず通話を打ち切る。

「お、お姉様、一体どなたからの電話ですの……?」

「ロンドンにいる……友達、かなぁ?
 とにかく、ちょっと電話してくるわ」


脱衣所の鍵を閉め、着信履歴からリダイヤルする。
もちろん、携帯電話は出来る限り耳から離して、だ。

『短髪、なんなのもう面倒なことを! こっちは一刻も早く聞きたいことがあるのに』

「そんな怒鳴らなくても聞こえるわよ。あんたは電話を初めて使ったお婆ちゃんか!
 ……んで、めんどくさいって何よ。かけ直したこと?
 あんた、携帯で国際電話かけて来てるんでしょ?
 そのお金、誰が払うのよ」

『うっ……そ、それは……』

インデックスが持っている携帯電話は上条が契約したもの。
特に契約変更もしていないので、通話料金は上条に回ってくるはずだ。

「今度から私にかける時は、一度コールして切りなさい。
 そしたらこっちからかけ直すからさ。まあ出られないときもあるけど、私にも都合はあるしそれは勘弁してよね。
 ……んで、本題はなに?」


『とうまの「けいたいでんわー」に、何度電話しても繋がらないんだよ!』

「そりゃそーよ。あいつまだ入院してるもの。
 病院の中じゃ携帯電話使えるところ限られてるし、あいつがそこにいて電源入れてなきゃ繋がらないって。
 ……てゆーか、あんたまさかこんな真夜中にかけてないでしょうね? 病院の消灯時間はとっくに過ぎてるわよ」

『真夜中……? ああそっか、時差があるんだね。
 ごめんね、ロンドンに来たばかりだし、まだ慣れてないんだよ』

「本当にこの時間帯にかけてたの……?」

はあ、とため息をつく。

「そもそも、あいつの携帯は今は手元にないわよ。
 あんたもあいつの携帯の画面がぼろぼろなの見たでしょ。
 だから今、修理に出してるの」

『えぇーっ!?』

再び素っ頓狂な声が美琴の耳を襲う。

『じゃ、じゃあどうやってとうまとお電話すればいいんだろ……』

「あの病院、個室に電話あるわけでもないしねぇ……」


髪の毛をくるくるといじりながら、美琴は考える。
電話をしてやりなさいと言った手前、ここで突き放す前にもいくまい。
上条の退院が未定な以上、退院して携帯電話が治るまで待て、とも言えない。
ならば、自分が面倒を見てやるか。

「……ねぇ、あんたって朝は何時くらいに起きるの?」

『教会に戻ってきて朝のお勤めとかもやらなきゃいけないから、今は朝の5時半くらいかな。
 どうして?』

『明日、あいつのところに行って私の携帯を貸してあげようと思ってさ。
 私だって学校あるし、時差と面会時間を考えたらそっちでは朝になっちゃうけど、大丈夫よね?」

「大丈夫なんだよ!」

『じゃあ明日の4時、そっちだと朝7時くらいかな?
 ちゃんと朝ご飯食べて待ってなさいよ」

「うん、ありがとうね、短髪!」

とても嬉しそうな声とともに、通話が切れる。
こんな時くらい、名前で呼べっつーの。


11月20日。

美琴は大きなバイオリンケースを背負いながら、病院へ向けて歩いていた。
音楽の授業で使ったものだ。

彼女が通う常盤台中学とその寮、そしてこれから向かう病院はちょうど三角形を描くように位置している。
バイオリンケースは持ち歩くには不便だが、かと言って寮によるのも面倒だ。
歩く距離は長くなるわ、外出届を出すのも手間だわで彼女は直接向かうことにした。

だが、大きく重さのあるバイオリンケースはとてつもなく邪魔だ。
ベルトを使ってケースを背に引っ掛け、右手に見舞品、左手に鞄を持つのにも大分疲れてきた。

「……あー、やっぱ置いてくれば良かった」

こんな時に頼れる後輩は一端覧祭の準備が切羽詰まっているそうだ。
いくらなんでもそんな時に私用を押し付けるほど落ちぶれてはいない。


「お姉様。奇遇ですね、とミサカはあいさつをします」

そんな折、話しかけてきたのは妹だ。
ただし、服装は常盤台中学のものではない。
普通の女子中学生のように可愛らしい服で着飾っている。

「おっす、ナナミ」

「おや、良く分かりましたね。10032号もお姉様とお買い物へ行ったのでしょう、とミサカは疑問を呈します」

「だってあの子、ネックレスしてるじゃない。
 どんな服を着せても一番外側に出してるんだもの、嫌でもわかるわよ」

「彼女にとってあのネックレスは宝物ですから、とミサカは羨ましがります」

「そうよねぇ……」

意中の彼からのプレゼントというのは、XX染色体を持つ人間ならば誰もが心を躍らせるものらしい。
ネックレスを握りしめぽわわんと空想に浸る姿は、立派な恋する乙女だ。


「お姉様は何をしているのですか?」

「あいつのお見舞いに行くところ。インデックスに『あいつと電話したい』って言われてさ。
 ほら、あいつの携帯修理に出してるじゃない。
 あんたは何をしてたの?」

「ミサカは学園都市に来て日がないので、周辺の地形を知識だけではなく自らの観測によって補完していました。
 10032号からの要請事項もクリアし、今から病院へ戻るところです。
 ということは、道すがら一緒ですね」

10777号が右腕に下げたビニール袋には、いくつかの缶詰とおもちゃのようなものが入っている。

「……キャットフード? ああ、"いぬ"のね」

「お姉様もご存じなのですか。あのコネコはミサカたちが撫でてもひっかきも逃げもしない、優れた生き物であるとミサカは評価します」

「あはははは……、昔、私があの子のそばで能力使ったせいで、ちょっとやそっとじゃ動じなくなっちゃったのかしら」

「むっ、嫌がるコネコのそばで能力を使うとは……電撃使いの風上にも置けません、とミサカはお姉様を非難します」

「しっ、仕方がないじゃない! あの時は……」

実験を止めるために必死だった、と言いかけて自ら言葉を遮る。
あの実験の事を進んで思い返したくはないし、それは妹だって一緒だろう。
結局「……まあ、仕方がない事情があったのよ」とお茶を濁す。
10777号も深くは追求してこなかった。


「そう言えば、お姉様はずいぶんと大荷物ですね、とミサカはお姉様を頭からつま先まで眺めてみます」

「そうなのよ。鞄にお見舞いのクッキー、その上バイオリンまで……。やっぱり寮においてくれば良かったなぁ」

「バイオリンですか……」

10777号は興味深そうに、美琴の背中のケースを眺める。

「常盤台中学のカリキュラムでは、弦楽器も扱うのですか?」

「弦も管もあったけど、私はバイオリンを選んだの。いくつか候補があって、三年間それを集中的に習うって感じね。
 その楽器だけってわけじゃなくて、ピアノとかフルートとかも手習い程度にやらされたりするけど」

「バイオリンを弾けるなんてすごいですね、とミサカはお姉様をほめたたえます。ミサカたちにはまったく未知の代物ですし。
 リコーダーと鍵盤ハーモニカの吹き方ならば分かるのですが、とミサカはスペック差にしょんぼりしてみます」

「楽器に興味があるの?」

「楽器に限らず、何にでも興味はあります。
 少しでも気を引いたならば迷わず試してみた方がいい、とミサカ達は冥土帰しに教わりました。
 もちろん、公序良俗の範疇内でですが」


「なるほどねぇ……」

興味はやがて好みとなり、それが妹たちの個性を育んで行く。
『一つの意志』に影響を受けながらも、個々としては自立する。
冥土帰しの言うことならば、間違っていないだろう。

「じゃあ、あとでちょっと弾いてみる?」

「! よろしいのですか?」

「とーぜん。おねーさまに任せなさい」


不思議なことに、一人で歩いている時は重く感じる荷物も、誰かと話しながらであれば気にならないものだ。
気付けば、いつの間にか病院の前まで到着していた。

「ミサカもご一緒してよろしいでしょうか」

「良いけど、メインの用事はあいつに携帯を貸すことよ?」

「構いません。面会時間終了後も、ミサカたちはあの方とお話しできますから」

「ず、ずるい……」


そうこうしてる間に、上条の病室へとたどり着く。

「おーっす」

「お加減はいかがでしょうか」

「よう」

このやりとりも定番となりつつある。
上条はいくつかの本をベッドに備え付けのスライドテーブルに乗せ、熱心に覗き込んでいた。
美琴と10777号ははテーブルの上を覗き込んだ。

「何やってたの?」

「課題。担任の先生が出席の代わりにって山ほど持って来たんだよ」

スライドテーブルの上だけではなく、ベッド脇のサイドテーブルにまで教科書やノート、参考書が山積みだ。

「友達が『さっさと追いつけ』ってノートのコピーをくれてさ、俺も頑張らなきゃなって」

「いいお友達ですね、とミサカは感想を述べます」

「……そうだな」

"前の自分"が築いた遺産は、今も彼を優しく取り囲んでいる。
それが嬉しくて、少しだけ申し訳なくて、上条は複雑な表情をする。

「あんたって、少しは出歩けるようになった?」

「ああ。松葉杖があれば歩けるし、無理に走ったりせずに病院の中にいるなら病室から出てもいいってさ」

「そう、じゃあちょっとついてきてよ」

「いいけど、どうしたんだ?」

「インデックスが、あんたと電話がしたいんだって」


冥土帰しの病院に存在するいくつかの病棟のうちの背の低い建物の屋上には、入院患者たちが心を休めるための庭園がある。
中央に配置された大きなビオトープを中心に花壇や遊歩道が設置され、大きな木々の下にはベンチが置かれている。
消毒液の匂いがする院内に日がな閉じこもるよりは、陽光を浴び、風の匂いに心を委ねる方が治りも早いのだろう。
午後四時。日が陰ってきた中庭に、人の姿はほとんどない。

自由に携帯電話を使えるこのエリアの一角に、二人はいた。

「電話がしたいって言っても、俺の携帯は修理中なんだけど」

「私の携帯を貸してあげるわよ。だからこそインデックスも私に頼んできたんだろうしね」

制服のポケットから携帯電話を取り出すと電話帳からインデックスの番号を選択し、上条に渡す。
いろいろと心の準備もあるだろうから、通話ボタンを押すのは彼に委ねた。

「……これまたずいぶんと、子供っぽいデザインですな」

「うるさい! 好きなんだからいいじゃない」

「まあ、人の好き好きってものがあるからなぁ……」

「そんなことより、さっさと電話しなさいよね。あの子だって待ってるんだから」

「お、おう」


携帯電話を受け取った上条は、通話ボタンに指を乗せたまましばらく考え込んでいた。
これを押せば、インデックスに繋がる。
彼女と何を話すべきか。
彼女は何を語りかけてくるのか。

悩んでいても仕方がないと、通話ボタンを押す。
3コールもしないうちに、相手が出た。

「もしもし」

『────とうま?』

彼の耳を打ったのは、嬉しそうな少女の声。


「あの方が電話をかけている間、お姉様は何をしているつもりですか、とミサカは訊ねます」

「そうねぇ、どうしようかしら」

ふと、背負ったまんまのバイオリンケースのことを思い出す。

「さっき教えてあげるって言ったけど……、暇だし、今ちょっといじってみる?」

「はい、ぜひ」


上条の電話の邪魔にならないよう、二人は距離を取る。
美琴はバイオリンケースを芝生の上に放り投げ、肩の疲れをとるようにコキコキと首を回した。

「あ゙ぁ~、重かった」

「高価そうに見えますがぞんざいに扱ってもよろしいものなのですか、とミサカは心配してみます」

「べつにそんな高いものでもないわよ。ちょっと古いだけの安物だもの。
 ストラディバリウスとかデル・ジェスみたいな激レアの骨董ならともかく、それ市販品だし」

お嬢様にとっての"安物"が、10777号にとっても同じ価値観かは甚だ疑問である。
ケースを開けた美琴は楽器と弓を妹に押し付けた。

「じゃあ、ちょっとやってみましょうか」


病院の中庭に、つたないバイオリンの音が流れる。
美琴に補助された10777号がバイオリンでぎこちなく奏でた音だ。

「……そうそう、中々上手いじゃない。まずは弦を正しい角度で弾くことが大事なの。
 指使いも大事だけどさ、まずは弾き方がわからないとね。さ、今度は左手も使って、一人で弾いてみて」

美琴が手を離し、10777号が一人で弓を弾く。
左手で弦を押さえる位置を変えた途端、やや耳障りなギギィーッという音が鳴った。

「……お姉様、ミサカは早くも挫折しそうです……」

「まだ初めて30分も経ってないって。
 大丈夫、私だって始めはそんなもんだったわよ」

「ミサカはお姉様の演奏を聞いてみたいです」

「えぇー、私の?」

人に簡単に教える程度であればともかく、人前で演奏する勇気があるほど自信があるわけでもない。
寮の盛夏祭の時は決まってしまったことだから仕方がなかったということもあるが、進んで披露したいというものでもない。
美琴だって習い始めて二年に満たないのだ。

「ダメですか?」

「……し、仕方がないわね。楽器貸して」

楽器と弓を受け取ると、一瞬だけ電話をしている上条をちらりと見て、美琴は楽器を構える。
少しくらいなら、彼の耳には届かないだろう。
ならば、今のうち。何を弾こうか。今練習している曲でいいか。


美琴が弾いているのは盛夏祭で弾いたものではなく、誰でもすぐに思い至る一般受けするような有名な曲だ。
ただし、それとなく細かなアレンジが随所に施してある。
オープンキャンパスでの演奏という話を引き受けた時、盛夏祭の時の曲ではダメかと意見をしたのだが、
「君ならできる」という教師陣の熱意に押し切られ、つい了承してしまった。
つくづく迷惑な話であるが、引き換えに成功の暁には音楽の成績の最高評価が約束されているのだから、まあトントンと言ったところか。

弦を押さえる左手はなめらかに動き、弓を弾く右手は時に緩やかに、時にダイナミックに動く。
澄んだ音によどみはなく、綺麗なメロディーが中庭に響いていた。

ミスもなく数分の演奏を終え、大きく息を吐く。
それを迎える拍手が二つ。
……二つ?

「すげーな、御坂ってバイオリン上手かったんだ」

「……はい?」

かけられた声は電話をしている筈の少年のもの。

「あああアンタ電話はどうしたのよ……」

「ちょっと前に終わったぞ。あ、携帯ありがとうな」


上条が差し出した携帯を、若干慌てながら受け取る。
どうしよう。
電話しているから気にしないだろうと思っていた演奏を大部分聴いていたらしい。
恋する少女としてはわりと緊急事態である。

「なあなあ、他の曲は弾けないのか?」

「ふぇっ!?」

まさかのリクエスト。
もう顔は真っ赤、指はぶるぶる、あちこちがいろいろと緊急事態だ。

「……き、聴きたいの?」

「おう」

「……私が選んだ曲でもいい?」

「何でもいいぞ」

にこやかに笑う少年の笑顔に、美琴は意を決する。
両頬をぱちんと叩くと、彼女は楽器を構えなおした。
演奏者の感情は音となり、ダイレクトに聴衆の耳に届くのだと言う。
ならば、全身全霊を込めて。


演奏したのはエルガーの「愛の挨拶」。
もちろんクラシックに疎い少年が、そのタイトルに思い至る事はなかった。


演奏が終わり、美琴がやや演技がかった感じに礼をすると、上条と10777号の拍手が起こる。

「ど、どーよ。ざっとこんなものかしら」

「……感服しました、とミサカは素直に感動を伝えます」

「うん、すげぇよ。語彙が貧弱なんで褒め言葉があまり出てこないけど……。
 やっぱり、物凄い練習したんだろ?」

にこにこと語る上条に、美琴の頬は更に赤くなる。

「そ、そりゃあね、先生は厳しいし、自分でも寮に帰ってから練習してるもの。
 一端覧祭のオープンキャンパスで、見学に来た受験生や親たちに披露してくれって頼まれてるし」

「在校生代表ということですか。それはまた名誉な役目をもらいましたね」

「今からものすごく胃が痛いんだけどね……」

言いながら、美琴はバイオリンをケースへとしまう。


「さ、バイオリンの話はこれでおしまい。
 それより、あの子と何を話してたの? 結構長く話してたわよね」

「うーん、何って言われても、いろいろ、かなぁ……」

学園都市に帰ってきて数日。
初めての出来事はたくさんあったし、印象に残ったことも多い。

「今日もロンドンは霧が濃いだの湿っぽくて嫌になるだの言ってたな」

「霧の都だもんね。旅行はともかく、あまり住みたくはないなぁ」

「それはマジュツ師の方々の全否定に繋がりませんか、とミサカは危惧してみます」

「住めば都、ってやつじゃないのかな。
 あとは……そうだな、毎日図書館に通い詰めてるとか。
 完全記憶能力があるからパラ見すれば中身全部覚えられるだってよ。すげぇなぁ」

感心するように言った上条に、美琴はそうね、と一言返す。
頭のうちにありとあらゆる知識を取り込んで、上条の治療のための手段を探る。
科学の力でもいい。
魔術の技でもいい。
なんなら、両方を組み合わせたっていい。
あの子だって、大事な人を救うために頑張っている。
なら、私だって。


「──そろそろ面会時間も終わるころよね」

「そういえばそうだな」

腕時計を見た美琴が呟くと、上条は西の空を仰いだ。
もう既に太陽はビルのはざまにほとんど沈みかけており、残照が赤く空を照らしていた。
気温が急激に下がり、ぶるりと身を震わせる。
もう手袋やマフラーだけではなく、コートの準備が必要かもしれない。

「もう暗いからな、気を付けて帰るんだぞ」

「言われなくても分かってるわよ。
 そもそも美琴センセーが襲われたくらいでどうにかなると思ってるの?」

「いや、でもだな……、女の子なんだし、やっぱり心配だろ」

「う……」

思わずどきりとするが、きっとこいつにはそんな意図はないのだろう。
それでも、普通の女の子扱いしてくれるのが嬉しくて。

「よ、寄り道せずにちゃんと帰るわよ。寮監だってうるさいしね。
 ほら、ここは寒いから早く行きましょ!」

二人の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張って階段へと向かう。
頬が真っ赤に染まっているのは、西日だけのせいではなかった。


帰り道、暗くなった道を美琴は急ぐ。
バイオリンケースのせいで思うように走れず、予想外に時間を食ってしまった。
冬が近づき日が沈むのが早まりつつあるため、門限もそれに合わせて早くなっている。
急がなければ制裁を喰らうかもしれない。

そんな中、彼女の携帯が着信を告げる。

「あーもー、こんな時に誰よ!?」

苛立ちながら開けば、届いたのはメール。
真新しいアドレスのものだ。


【FROM】インデックス
【sub】無題
------------------------
いつわにめえるのしかたを
おしえてもらいました
とおまとおはなしできて
うれしかったんだよ
でんわをかしてくれて
ありがとね


つたないメールを見て、美琴はくすりと笑う。



【TO】インデックス
【sub】どーいたしまして
------------------------
アイツの携帯電話の修理が
終わったら教えてあげる
それまで話したくなったら
私に言いなさい
都合のつく限り
橋渡ししてあげる


返信を終えた美琴は携帯をしまうと、再び走り出した。
犬猿の中に近かったインデックスとも、少しは仲良くなれた気がする。
友人ができると言うのは、嬉しい。
やるべき事があると言うのも、嬉しい。
二人で力を合わせて共通の大事な人の力になれたら、きっともっと嬉しいだろう。

その目的の為に、努力は惜しまない。
さあ、早く帰って、やるべきことのために頑張ろう。


深夜。

廃墟となった建物の中を、白ずくめの少年が歩いている。
一方通行。
杖を突く少年は、因縁深き研究所の中を探索していた。

『絶対能力者進化計画』

かつて実験が行われていたころ、この計画に携わっていた研究所の多くは御坂美琴によって襲撃され、その多くが灰へと還った。
この事態に対し、計画を推進していた者たちが取った対策は、研究所の徹底的な増設と分散。
結果、御坂美琴は心を砕かれ、自殺まがいの特攻を決意するまでに至る。

その後の結果は、彼が一番よく知っている。

『対策』によって増設された研究所は183施設。
御坂美琴が潰せたのは、たった1つ。
つまり、182の施設が実験終了時に残されていたことになる。
だが、その全てが今や廃墟と化していた。

(なァンにもねェな。証拠隠滅か、闇に潜ったか。いくらかは"妹達"の調整の為に回収されたンだろォが)

割れたガラスを踏み砕き、落書きだらけになった扉を蹴り破りながら一方通行は考える。

『第三次製造計画』

番外個体を始めとする、新世代の軍用クローンを製造する計画。
恐らくは、捕縛されずに闇に潜ったかつての研究者たちが関わっている可能性が非常に高い。

番外個体はミサカネットワークから切り離された状態で育成され、初めてネットワークに接続したのはロシアに向かう戦闘機の中だという。
それまでは外部からは切り離された薄暗い研究所の中で造られ育った彼女に、『第三次製造計画』の根拠地を知るすべはない。


クローンを作るためには、大量の空間や資材、水や電力などが必要となる。
ならばそのモノの流れや誤魔化しようのない空間そのものを突き止めればいいのだが、そこは学園都市の闇が相手だ。
隠蔽や情報操作などお手の物。未だ一方通行は情報の糸口すらつかめずにいる。

(やっぱり、単独で動くには限界がある、か)

彼が学園都市最強の超能力者であると言っても、出来ることには限界がある。
『心理掌握』のように人の心を読めるわけではないし、『超電磁砲』のように機械を自在に操れるわけでもない。

思い浮かべたのは、かつての"同僚"たちの顔。即座にかぶりを振って打ち消す。
準備もできていないうちから学園都市に表だって逆らうというデメリットの前に、彼らが動くとは思わないし、巻き込もうとも思わない。

(今の俺の勝利条件と、アイツらの勝利条件には明確な違いがある)

第三次製造計画は統括理事会肝いりのプロジェクトだ。
実際に番外個体を送りこんできたという実績がある以上、親船最中ですら信用はできない。
甘っちょろいことを吐く彼女の目の届かないところで決定されたという可能性もあるが、そうである確証はどこにもない。

暗部組織間抗争を欠員も出さずに生き延びたのは『グループ』のみだ。
故に、彼がこのまま暗躍し続けたとすれば、いずれ『グループ』が動員される可能性は高い。

土御門元春。
海原光貴。
結標淡希。

エイワスに倒されたのち、彼らはどうなったのか。

(……どォせアイツらとは協力し合うだけの関係だったンだ。自分のケツくらい自分で拭けンだろ。
 そもそも今の俺には、アレもコレも抱え込むだけの余裕はねェ)

物事に優先順位を定め、最優先事項から消化していかなければならない。
その過程で彼らが立ちふさがるならば、容赦なく踏み潰す。
それだけだ。


「……ン?」

ふと足元に目をやった彼が拾い上げたのは、一枚のデータチップ。
周囲ほど埃のかぶっていないそれは、割れた窓から差し込む月光を受けて鈍く輝いた。


とある研究室。
ディスプレイ以外に光るもののない部屋で、その男は必死にコンピュータへと向かっていた。

男の名前は天井亜雄。
元々は『量産型超能力者計画』『絶対能力者進化計画』に携わっていた男だ。
8月31日に芳川桔梗と相撃ちになった彼は芳川同様に冥土帰しの手で命を救われ、そして退院直後に負債のカタに"闇"へと落とされた。
その後の人生は悲惨の一語に尽きる。

彼は画面の片隅に映る"モノ"を見て、苦々しく舌打ちをする。
『妹達』。
天井がかつて研究者生命を賭け、そして夢破れ巨額の負債を負わされるに至った忌まわしきモノたち。
──暗部に落とされてまで、またアレの研究をさせられるなんて!
だが、今はそれにすがらざるを得ないのも確かだ。

彼が今従事させられているのは、ある二枚のディスクに収められたデータを『学習装置』で使用できる形式へと落とし込む作業だ。
彼の専門は「クローンの作成技術」であり、「クローンの教育技術」に関してはさほど詳しくはない。
ゆえに、専門外の作業は芳しくは進んでいなかった。

この遅れは想定外だ。
このままでは『クライアント』に申し訳が立たなくなってしまう。


コン、コン、とリズムよく、研究室の扉が叩かれる。
天井はビクリと背筋を震わせ、舌をもつれさせながら応えた。

「だ、誰だ?」

『私よ、天井博士?』

「あ、ああ、あなたか」

相手の正体が分かったにも関わらず、天井の緊張は取れない。
当然だ、この相手こそが彼の『クライアント』なのだから。

扉を開け、入ってきたのは妙齢の女性だ。
片手には湯気の上るマグカップを乗せた盆を持っている。

「夜分遅くにごめんなさい、天井博士?
 あなたがずいぶんと"根を詰めている"ようだから、差し入れを持ってきたの」

にこりと笑った女性に、しかし天井の背筋を冷や汗が流れる。
意訳すれば「作業が遅いから尻を蹴飛ばしに来た」といったところか。
彼女自身が訪れると言うことは、内心ではかなり苛立っているに違いない。

「て、『学習装置』の調整に関しては私の専門外なんだ!
 せめてあと二人、いや一人でいいんだ! スタッフを増やしてくれないか」

「それについては既に手配はしてるわ。明日には到着するでしょうね」

天井を机に座らせ、机にマグカップを置く女。
カップの横に、そっと一枚の写真を置く。
映っているのは目がギョロリとした、両手に鎖の長い手錠をかけられた少女。

「布束砥信。覚えているでしょう?
 『学習装置』の開発者で、あなたたちの計画にも従事していた子よ」

『絶対能力者進化計画』のさ中で実験に対して強い忌避感を覚えて造反し、それが元で暗部に落とされた少女だ。
どんな『闇』を見てきたのか。当時よりも更に眼光はおどろおどろしく、頬は痩せこけている。

「彼女が来れば、あなたのお仕事もはかどるでしょう?」

「あ、ああ。本当に助かる」


「もう一つのほうの進捗状況はどうなってるの?」

「"最上位個体"のことか?」

天井はキーボードを操作し画面を切り替えると、あるデータを女へ示す。

「知能レベル、運動能力は共にスペック上の問題はない。
 その特性故にメンタルに若干のムラがあるが、これはリカバーできる範囲だろう」

「……全てのクローンを越える、まさしく"最上位"に立つ個体。
 天井博士、あなたも面白いものを作るわね」

興味深げに眺めていた女が呟く。

「せっかくだから、新開発の面白いオモチャでも持たせてみましょうか」

「オモチャ?」

天井が訝しげに問えば、女は楽しそうに笑う。

「ええ、そうよ。新たな"素材"を使ったオモチャ。
 まだ実験段階ではあるけど、『妹達』に持たせることが前提ならば小型化も可能でしょうしね」

「……できれば、今度見せてもらいたいな」

「ええ、数日中にね」


「ところで、一つ聞いていいか?」

「何かしら?」

「"アレ"はなんだ?」

天井が指さしたのは、机の上に乗っているディスクだ。

「『学習装置』に落とし込むための元データよ?」

「違う! 私が言っているのは、その中身だ。
 私は『学習装置』については門外漢だが、それでも多少のコードは読める。
 だが、あんなデタラメなコードは読んだことがないぞ。
 どんな働きをするかどうかも分からないものを使って、一体何をどうするつもりなんだ!」

例え非道に手を汚そうとも、暗部に身を囚われようとも、何がどうなるかわからないものを作らされるのだけはごめんだ。
薄氷の上を歩くようなプロジェクトにおいて、状況のコントロールが重要かは天井自身がよく知っている。
だからこそ譲れない、かすかに残った科学者としてのプライドの欠片。
だが、

「…………グダグダうっせぇなぁ」

喚き散らす天井に嫌気がさしたのか、女は突如表情を豹変させ、天井の首元を片手でねじり上げ、そのまま床へと引きずり倒す。
ガチャという音と共に顎に押し付けられたものを見れば、それは鈍く光る拳銃だった。

「それは『木原印』のブツだ。詳細は私も知らねぇ。
 安心しろよ、ソレはお前の人形どもに使うんじゃないらしい。
 何に使うかはジジイどもがだんまりなんで分からねぇが、クソ忌々しいツラのクローンどもよりかは数倍面白そうなもんらしいぜ?
 ただ、黙ってお前はそれを使える形に変換してればイイ。そうすりゃ誰もがハッピーだ。
 分かるか、愉快な子ブタちゃん? 詮索好きは損するぜぇ?」


ぐりぐりと銃口を押し付け、醜悪な表情で語る女。

「分かったら作業を続けろよ。返事は『はい』か『イエス』だ。でなきゃお前の脳天に新しい尻の穴をこさえてやる」

「わ、わかった! もう中身を詮索はしない! だ、だから許してくれ!」

「……分かればいいのよ」

女は笑みを顔に張り付けると、天井を立ち上がらせ、衣服を直してやる。
その丁寧な仕草がかえって不気味で、天井は再び背筋を凍らせたのだった。
そんな彼の耳元に、女は唇を寄せる。

「分かっていると思うけれど」

妖艶に言葉を囁く女の顔は、凶悪そのものだ。

「あなたは『いたら便利』ってだけで、『いなくちゃいけない』ってわけじゃないのよ?
 それを忘れないでね、天井博士?」

「……わ、分かっているとも』

「よろしい」

女はもう一度にこりと微笑むと部屋を去った。
残された天井はへなへなとその場に座り込んでしまう。


もはや、彼女に逆らうことは許されない。
逆らえば待っているのは死か、それよりも辛いことか。

だからこそ、状況を打破するために天井は"彼女"に賭ける。
彼にとっての"最後の希望"たる、その少女に。

天井を闇の底へと追いやった一方通行、今の女、そして学園都市。
彼女が完成さえすれば、その全てを地に落とし、彼を再び栄光へと導くだろう。
満願叶うその日を夢見、天井は一人暗く笑う。

その日は、もうすぐ。

今日はここまでです
ようやくストーリーを動かし始められたような気がします
ここから先更に妄想が激しくなっていきますが、どうかお付き合いを

ではまた次回

こんばんは

研究者組が本格的に出張ってくるのはもう少し後になります
何をたくらんでいるかは(大体わかっちゃうでしょうが)しばしお待ちを

では今日の分を投下していきます


常盤台中学の外部女子寮は相部屋である。
人数の都合上どうしても一人部屋になる生徒も出てくるが、それは白井黒子には当てはまらない。
彼女と同じ部屋で生活するのは敬愛する先輩である御坂美琴。
基本的にプライベートな時間のほとんどを共有する間柄だからこそ、彼女は敏感に気付いた。

復学してからこちら、美琴には何か頭の内を占めている事柄がある。
おくびには出さないものの、ふとした瞬間に何かを考え込んでいることがある。

また、部屋の中の様子も変わりつつある。
美琴が部屋に持ち込んだ本や論文、何かのレポートなどはどんどん増えていった。
そのほとんどが大脳の病理学や生理学に関するもの。

共同生活における暗黙の了解として、二人のスペースは部屋の中央にあるテーブルを境に見えない線で区切られている。
その境界線ぎりぎりにまで、ふせんがびっちりと貼られた専門書などが散乱しているのだ。
いまや、美琴は本の山に囲まれて生活しているようなものだった。


「課題のため」という名目は、いつの間にか「課題をやってるうちに興味を持ったことを勉強している」に変わっていた。
だが、興味を持っただけにしては、根の詰めようが度を過ぎている気がする。

朝、白井が目を覚ますと美琴は既に身支度を終え、机に向かっている。
放課後は申請が通る限界まで図書館に残っているようだ。
帰ってきたらきたで一端覧祭で披露するバイオリンを一通り練習した後は再び机に向かう。

ここ数日、白井は美琴の寝ているところを見ていない。
実際には寝ているのだろうが、睡眠時間は白井よりもはるかに短いはずだ。
それでもそんなことは感じさせない快活さで、美琴は今日も登校していった。

絶対に、何かがある。
美琴の心を占めて離さない何かが。
白井たちには相談できない何かが。

悪いことでなければいいのだが。
白井には、そう祈ることしかできなかった。


11月23日。

一端覧祭まであと一週間となったこの日の午後、白井は二人の友人とともに歩いていた。

「いやー、白井さんと御坂さんの部屋に遊びに行くのも久しぶりですねー」

「遊びに行くんじゃありませんよ、お勉強しにいくんです」

白梅の花飾りの少女、佐天涙子が言えば、頭中がお花畑の少女、初春飾利がたしなめる。

一端覧祭はある程度準備された状態での延期となったため、再び与えられた期間を使いきることなくすでに準備を終えてしまったところは多い。
あとは前日にちょちょいとやれば終わり、というところもある。
となれば、見えてくれのは一端覧祭の先にあるもの。
中間と期末が一緒くたになった、恐怖の試験期間である。

私的な目的の為に風紀委員の支部は使えないし、そもそも非番だ。
勉強の為に利用しようと訪れたファミレスは運悪く定休日。
初春や佐天の寮は、ファミレスからは離れた所にある。

「だからって、なんで私たちの部屋なんですの……」

「いいじゃないですか、常盤台のエリートお嬢様たちが放つオーラに囲まれていれば、私たちだってきっと集中できますって」

「次のテスト、赤点とったらマズいんですよぉ!」

「はぁ……」


常盤台中学の学生たちには、日常的に予習・復習をする癖が身についている。
授業でやったところだけではなく、自分のペースでどんどん進めて行くのが彼女たちの流儀だ。
だから「試験前に切羽詰まって勉強する」という感覚は分かりにくい。

それでも、友人に「勉強を教えてくれ」と頼まれれば、断れないのが白井黒子のサガだ。
とはいえ白井があまり気の進んだ様子を見せないのには訳がある。

一つは、部屋の構造。
基本的に寝るための部屋である寮は、客を迎えるためには出来てはいない。
壁際に机があるほかは小さなテーブルが置いてあるだけであり、勉強を教える用途には向いていない気がする。
こちらはいざとなれば談話室か図書室の片隅でも借りればいいだろう。

もう一つは、部屋の現状。
美琴のスペースだけとはいえ本が大量に積み上がっている現状は、あまり人に見せたいものではない。
また、どれが美琴にとって重要なものかいまいち判別がつかない以上、下手に人を部屋に上げていじられても困る。

もしかしたら白井が留守の間に美琴が戻ってきていて、部屋の様子が変わっているかもしれない。
とりあえずは部屋へと戻ってみよう。


寮の入り口で帰宅届と来客届を出し、友人たちを部屋へといざなう。

「そう言えば、御坂さんはどうしてるんです?」

「今日"も"朝早く飛び出していかれましたの」

「……もしかして、噂のカレシさんとデートじゃないんですかー?」

悪そうな笑みを浮かべる佐天にジト目を飛ばし、白井はため息をつく。

「……お姉様にはそんな方はおられませんわ。
 最近何やらご執心の事柄があるようでして、きっと今日も図書館へ行かれたと思いますの」

「御坂さんが執心するようなこと……なんでしょうかねぇ?」

「さあ。ですが、部屋にはお姉様が借りてきた本が散乱してるありさまでして」

自室の前まで辿り着き、白井がドアを開ける。

「今は、こんな感じになっていますの」

大量の本の山に、佐天と初春は絶句するのだった。


部屋の中へと入った白井は、美琴がベッドの上にいることに気付いた。
積み上げられた本のせいで、入口からは死角になっていたのだ。

「あら、お戻りになってましたの、お姉さ……ま?」

ドアを開けたのに、反応がない。
うたた寝をしている、というよりはベッドへ「倒れ込んだ」ようで、本がぎっしりつまったリュックサックがベッドの隅に放られている。
コートやマフラー、携帯電話もベッドの上に投げ出して、美琴は制服のまま身を丸めていた。

「御坂さん、寝てるんですか?」

「そうみたいですの。ここ最近、根を詰めていらしたので」

熱はないし呼吸も安らかなので、寝かせておけば問題はないだろう。
美琴にそっと毛布を掛け、手の中にあった机の上に置きつつ佐天の問いに応える。
本のタイトルは「記憶障害とその治療法における最新の研究」。
数日前に美琴が読んでいたものと同じく、学園都市の最先端の医療に関わる文献だ。


「これ全部、脳科学に関する本ですよ」

「これは英語で、こっちはドイツ語かなぁ……?
 御坂さんってこれ全部原文で読めるのかな? すっごいなぁ」

感心したように呟く友人たち。

「お姉様がお借りしてる本ですから、あまりいじらないほうがよろしいかと。
 って、あぁっ!?」

初春が持ち上げた本を山の上に戻すと、バランスを崩したのかぐらぐらと揺れ始める。
三人が支えようとするもそれはあえなく崩れてしまい、ばさばさと本の落下する音が部屋に響いた。


「………………」

「………………」

「………………」

「…………う~ん……」

戦慄する三人だったが、美琴はむにゃむにゃと寝言を呟いただけでまた寝入ってしまう。
慌てて本を静かに積み直す。

「……セーフ、かなぁ?」

「お姉様を起こさぬよう、お勉強は談話室でしましょうか」

「そうですね。御坂さん、お疲れのようですし」

そっと部屋を出ようとした時、大音量で誰かの携帯電話のアラームが鳴る。
三人は慌てて自分の携帯電話を確かめるも、いずれも違う。
鳴っているのは、美琴の枕元にある携帯だ。

眠りを妨げられたのかのろのろと伸ばされた腕が、携帯電話を開く。

「…………うー、今何時……ヤバッ!? もうこんな時間!? 約束に遅れちゃう!」

眠そうな声は瞬時にして覚醒し、美琴は弾かれるように飛び起きた。
驚くようなスピードでコートを着こみ、携帯やサイフを鞄に放り込み、マフラーを巻くのもそこそこに、部屋から飛びだそうとする。
そこで初めて、部屋の入口に後輩や友人たちがいることに気付いた。


「あ、あら黒子、帰ってたの。初春さん、佐天さん、いらっしゃい」

「あはは、お邪魔してますー」

「これからどこかへお出かけですか?」

「そうなの。せっかく来てくれたのにお構いできなくてごめんね。
 黒子、多分今日も遅くまで帰らないから、よろしく」

「ちゃんと寮監さまに外出届を出してからにしてくださいましね」

「もう出したわよ! じゃあ急いでるから、ごめんね! ゆっくりしていってね!」

そう言うなり、脱兎のごとく駆けて行く。
三人は呆然と、それを見送った。

「……お速いですの」

「まだ起きてから一分しか経ってませんよ……」

「あれっ、何か落として行きましたよ」

美琴が落として行ったのは、くしゃくしゃの紙片。
ルーズリーフを小さく折りたたんだそれには、いくつかの人名と夥しい数の本の名前がずらりと書かれている。
そのほとんどに×がつけられていたが、わずかに△や無印のものもある。
無印のままの人名は2つ。

木山春生。
そして、『心理掌握』。


木山春生という、一人の学者がいる。
専門は大脳生理学で、専攻はAIM拡散力場。
若いながらもその道では名の知れた権威だ。

御坂美琴と木山春生は二度ほど因縁がある。

一度目は『幻想御手』事件。
共感覚を利用して使用者の脳波を補正し、自分だけの現実と演算能力を融通しあうことで能力レベルを高める『幻想御手』。
その正体は使用者を取り込み巨大な演算装置を作り上げ、木山の「ある目的」を達成するためのものであった。
昏睡に陥った友人や学生たちを救うために、美琴は木山と激しい戦いを繰り広げた。

二度目は『乱雑解放』事件。
昏睡状態であった木山のかつての教え子たちを誘拐し、「神ならぬ身にて天上の意志にたどり着くもの」を目指そうとした女科学者がいた。
テレスティーナ=木原=ライフライン。
『能力体結晶』の投与実験の第一被験者であった彼女はその完成の為に心血を注ぎ、木山の教え子たちを生贄に『能力体結晶』を使い『レベル6』を誕生させようとしたのだ。
美琴と木山、そして友人たちは力を合わせてテレスティーナの陰謀を砕き、木山の教え子たちを無事に回復させることができた。

その後、二人が会うことはなかった。
学生と科学者、子供と大人。住む世界が違うのかもしれない。
だが。


「……珍しいな、君が私にコンタクトを取ってくるなんて」

学者として復帰した木山が、自身の研究室で美琴を迎えて微笑んだ。
手振りでソファへと促され、応じて腰かける。
瞬間湯沸かし器へ向かう木山を見て、美琴は「雰囲気が変わったな」と思った。

木山は髪を切っていた。
なんでもかつて教師をしていたころの髪型だと言う。
目の下の隈は薄れ、表情も明るく、柔らかくなった。

「お久しぶり、木山せんせい」

「せんせいはよしてくれ。私の教員免許はもう失効してるよ」

紅茶を淹れてくれた木山にくすりと笑いかければ、笑みを返してくる。

「でも、また取ろうとしてるんでしょう? 春上さんと枝先さんが嬉しそうに話してたわ。
 『いつか、また木山先生の生徒になれたらいいね』って」

「みんな、学校帰りにしょっちゅうこの研究室へ遊びに来てくれるんだ。初春や佐天と言ったかな。君の友達も一緒に来てくれるよ。
 ……だが、私が持っていた教員免許は小学校の教員のものなんだ。
 場合によっては、大学に入り直すことを検討しないといけないな」

明るくなった表情で、木山はくすくすと笑った。


「それで」

しばしの雑談の後、木山が姿勢を正した。

「そろそろ君が訪ねてきた本題を聞こうか」

研究者としての真面目な顔と、元教師としての柔らかな瞳を美琴に向ける。

「……実は、友人が大怪我をしたの」

少なくなった紅茶で、口を潤す。

「全身ボロボロで、死んでもおかしくないような状態で……。
 でも、目を覚ましてくれた。だけど……」

「何か、問題があったんだね」

「……記憶を、失っていたの」

上条が目を覚ました時の事を思い出し、美琴は俯く。
不安を宿した目と、怯えきった顔。
「何もかも」を忘れてしまったことに気付いた時の彼の表情は、今も目に焼き付いている。
あの時の衝撃と驚愕は決して忘れることは無いだろう。

「以前の大怪我で、、彼は脳にダメージを負っていたの。
 お医者さまの話では、それが悪化したのではないかって」

「ふむ……」

木山はしばらく考え込んだあと、自分のデスクから数枚の資料を持ってくる。

「君のお友達の名前は、ひょっとして『上条当麻』くんだったりするのかな」

「え……?」


美琴は予期せぬところで聞いた彼の名前に、どきりとする。

「実はね、私は彼の事について別の人からも相談を受けていたんだよ。
 ほら、私が冥土帰しとも知り合いだと言うことは君も知っているだろう?」

「あ……」

『乱雑解放』事件の時、木山に協力し彼女たちの生徒を救おうとしていたのはまぎれもない冥土帰しその人だ。
彼は上条の主治医でもあり、木山は脳についての専門家でもある。そのつながりなのだろう。

「上条くんのことについて、彼から意見を求められたんだ。
 どうにか、記憶を取り戻す方法は無いか、とね」

「何か、方法は無いのかな……?」

美琴はすがるような思いで木山に迫る。
これまで、レベル5という権威をかざして何人もの医者や研究者たちに意見を求めてきた。
だが、これまでに芳しい答えは得られていない。
医者ではない木山にコンタクトを取ったのも、彼女が大脳生理学の第一人者だからだ。

ロシアで医者ははっきりと、「7月28日以前の記憶は戻る事は無い」と告げた。
ならば、せめてそれ以後の記憶は取り戻してやりたい。
だが。

「難しいだろうね……。脳細胞はデリケートだ。
 休養と投薬、カウンセリングでゆっくりと癒していくほかないだろう。
 私は医者ではなく、ただの研究者にすぎないんだ。
 冥土帰しにできないことが、私にできるとは思わないよ」

力になれなくてすまないね、と力なく笑う木山に、美琴は考えていた案を出す。


「以前、私は木山せんせいと戦ったわよね」

「『幻想御手』事件だね。あの時は迷惑をかけた」

「あの時起こった、不思議な現象の事を覚えてる?」

「……ああ」

木山は昔の出来事を懐かしむような遠い目をする。

木山は研究者であって、戦いの訓練を受けているわけではない。
油断した彼女は美琴の不意打ちを食らい、至近距離から高圧電流を受けた。

その時に起きた、不思議な現象。
電流を通じ、互いの脳波が混線したのか、一時的なネットワークを形成したのかはわからない。
けれども、その時美琴は確かに見た。
木山春生の心の奥に眠る、トラウマにも近い記憶を。

「……だが、あれは恐らくは偶然の産物だろう。
 あれを使って上条くんの記憶を引っ張り出そうというのは、無茶だよ。
 まさか大怪我をしている彼に、回線がつながるまで電流を浴びせ続けるわけにもいくまい」

「……そうよね、そもそも、電撃はあいつの能力で打ち消されちゃうし」

「なら、あの現象で記憶をどうこうするのは無理だろう。
 あれは、あくまで君の能力ありきでの現象ではないのか?」

「……だよね」


美琴だって、最初からこれが上手く行くとは思っていない。

「……脳波ネットワークはダメかな?」

「『幻想御手』のような?」

同一の脳波パターンを持つ人間の脳をつないでネットワークを構築することで、ある程度の情報のやり取りをすることができるようになる。
『幻想御手』はその理論を応用し、『自分だけの現実』や演算能力を融通しあうことで能力強度を引き上げていた。

「だが、あれには副作用があるのは知っているだろう。
 第一あれは全て警備員に接収されたし、ネット上に流されたものも今や……」

「違うわ」

木山の言葉を途中で遮る。

「私が使おうとしているのは、ミサカネットワーク」

「……っ!?」

木山の顔にまず浮かんだのは驚愕だった。それはすぐに憐憫へと変わる。
『ミサカネットワーク』。これが美琴の口から出てくると言うことが意味することとは、つまり。

「…………そうか、君も、知ってしまったのか」

「……ええ。『乱雑解放』事件の、すぐあとに。
 『幻想御手』事件の時に木山せんせいが言い残したのは、"妹達"のことだったのよね?」

「……ああ」

木山はどっと疲れたような顔で、ソファに背を預けた。

「……君には、謝らないといけないな。
 君の"妹たち"のことを知った時、私がまず思ったのは『これを応用すればあの子たちを救える』、ただその一点だった。
 学園都市の闇を憎み続けていたはずなのに、私もいつのまにか闇に染まっていたのかもしれない」

「木山せんせいが謝る事じゃないわ。
 悪いのは、人の命を命と思わないような学園都市の闇と、不用意にDNAマップを提供した私と、それと……」

白い悪魔のような男を思い出し、美琴は唇をかむ。


「……話がそれたわ。
 妹たちのミサカネットワークは、脳波を互いの能力で補正し合ってネットワークを構築しているの。
 そのネットワークを使って、記憶、感情、経験、感覚あらゆるデータをリアルタイムでやりとりできる。
 それを応用すれば、彼の記憶をネットワーク経由で引っ張りだすことができるんじゃないかしら?」

「……どうだろうな」

妹たちが互いの脳波を補正し合いネットワークを構築できるのは、彼女たちが同じDNAからのクローンであり、
また同じ調整を受けたために、基本的な脳波パターンが酷似しているということが大きい。
美琴と違いレベル2~3相当の力しか持たない彼女たちの力では精度が劣り、全く異なる上条の脳波に合わせることは難しいのではないか。
無理に合わせようとすれば、『幻想御手』の副作用のように、両者が昏睡状態に陥ってしまう可能性もある。

「だから、私が彼と妹達の中継役をやるの」

レベル5の電撃使い(エレクトロマスター)、『超電磁砲』である御坂美琴。
彼女の力をもってすれば、特定波長の電気信号を別の波長へと変換することなどわけもない。
つまり、上条の脳波を読み取り、美琴の体と脳を使って変換し、妹たちへと伝達する。
いわば異なる周波数を合わせる変換コネクタのような働きをすることで、妹たちは上条のデータを安全に受け取ることができるのではないか。

上条の脳波をいじるわけではないから、彼は昏睡へは陥らない。
美琴は能力を使い互いの波長を合わせるだけだから、彼女は昏睡へは陥らない。
妹達も上条と同様に大きく脳波をいじるわけではないので、彼女たちは昏睡へは陥らない。

「……ふむ」

木山は目を閉じ、しばらく考え込んでいた。


「……悪くないアイデアだとは思うが、いくつか疑問点があるな」

「何かしら?」

「一つは、彼の容体についてだ。
 彼の記憶障害は脳損傷による構造上の問題によるものだろう。
 いわば、物理的に壊れかけたHDD(ハードディスク・ドライブ)と言ったところかな。
 そこからでも、君は情報を読み出せるのかな?」

「それは……」

通常のHDDであれば、問題なく読み出すことができる。
だが、物理的に損壊したものとなると、恐らく難しいだろう、と言わざるを得ない。
HDDが納めている情報は磁気信号としてプラッタに記録されている。
磁気信号を電気信号に変換する機構が生きているならばともかく、磁気信号からそのままデータを抜き出そうとすれば、
彼女の能力の余波を受けて、もしかしたら情報そのものが消えてしまう可能性がある。

同じ事が大ダメージを受けている上条の脳にも言える。
活性状態が低下している上条の脳から無理やりにでもアクセスし情報を抜き出そうとすれば、
かえって彼の状態を悪化させてしまう可能性があるのではないだろうか?

人の脳はきわめて繊細だ。
ダメージを受けた所へ更に高負荷をかけたならば、どのような結果になるかは予測不可能だ。


「もう一つ。仮に、運良く彼の記憶を吸いだせたとしよう。
 問題は、それをどうやって彼へとフィードバックする?
 恐らく『学習装置』は使えない。
 『学習』するためのデータと、『記憶』のデータは全くの別物ではないのかな?」

美琴は答えられず、考え込んでしまう。
確かに、ここが一番の問題点だ。

妹達同士であれば、互いの持つ記憶や経験を共有することはたやすい。
あらかじめそれが可能であるように脳構造を整頓・調整されているからだ。
それをされていない上条が、「ネットワーク上からデータを拾う」ということは可能なのだろうか。
誰かの力を借りて行うにしても、一歩間違えば重大な問題を引き起こしかねないようなことだ。
おいそれと行うことはできない。

「試してみる価値があるかどうか、と問われればあるとは答えるが、
 そのあたりの問題がクリアされないことにはな……。
 ……そう言えば、君は常盤台中学の生徒だったな?」

「ええ」

「ならば、同じ学校の『心理掌握』に協力を依頼するのはどうだろう?
 脳波ネットワークを使うと言うまどろっこしい方法を使うよりも、そのほうが早く確実だと思うがね」


『心理掌握』。
レベル5第五位の超能力者にして、常盤台中学の最大派閥に君臨する『女帝』。
記憶の読心・人格の洗脳・遠隔念話・想いの消去・意志の増幅……精神系に関しては万能と言ってもいい、常盤台もう一人のレベル5。

「……彼女は…………」

だが、美琴は彼女が苦手だ。
特定の派閥にとらわれない美琴に対し、最大派閥を組織する心理掌握。
執拗に勧誘してくる彼女と仲良くできないのは、ある意味仕方がないのかもしれない。
以前上条の記憶喪失に思いを巡らせたときも、真っ先に手段から除外したほどである。

だが、もうそんな好き嫌いを言っている場合ではない。
例え心理掌握にどんな『借り』を作ろうとも構わない。
上条の為にあらゆる手段をとると決めたのだ。

「……彼女に、会ってくるわ」

「そうするといい。
 今の医学では解決できないことも、君たちの『超能力』ならば解決できるかもしれない。
 その力の源は『自分だけの現実』、すなわち君たちの意志の力なのだから」

そう言って、木山は優しく微笑んだ。

今日はここまでです
真っ二つにしたからなんだか短い気がしますけども

話題は変わりますが、超電磁砲でついに心理掌握のお姿が……!
食蜂さんマジ天使、名前的にハチミツ好きだったりしたら萌える

ではまた次回
よい連休を

こんばんは

今回はえらく抽象的な表現ばかりが出てきますが、「考えるんじゃない、感じるんだ」の精神でお願いします

では投下していきます


常盤台中学には寮が二つある。
一つは学舎の園の中にある内部寮、もう一つは外にある外部寮。
前者にはレベル5第五位『心理掌握』が、後者にはレベル5第三位『超電磁砲』が住んでいる。

女子中学であり在籍する人数が少ないのに何故寮が二つもあるのかと言えば、それは単に学舎の園が手狭であると言うだけなのだが、
『超電磁砲』と『心理掌握』の派閥が抗争を起こすのを恐れた理事長が寮を分けたとまことしやかに囁かれるのも事実。
実際には彼女たちが入学する以前より寮は分かれていたのだが。
恐らく、この噂は同学年である彼女らが卒業するまで続くのだろう。

その内部寮の廊下を、美琴は歩く。
彼女がこちらを訪れるのはめったにないことだ。
こちらに住んでいる友人とは学校で、放課後や休日は外で遊べばいいし、わざわざ寮まで訪れることは少ない。
そんな彼女を見て、目を丸くする生徒がいるのも不思議ではないだろう。

美琴が向かったのは、寮の最上階にある部屋。
『心理掌握』の居室である。

コンコン、と二度戸を叩けば、「どうぞお入りになって」と返答があった。

緊張にごくりと喉を鳴らし、美琴はその戸を開いた。


二人部屋である外部寮とは異なり、内部寮は一人部屋だ。
その分面積は狭いが、他の部屋の住人に迷惑をかけないと言う条件付きでペットを飼うこともできる。

心理掌握の部屋に入るのは初めてだ。
だから、部屋の中の光景に目を奪われた。
部屋のいたるところに動物を買うための設備がある。
中に入っているのは小動物から小鳥、熱帯魚などまで種類を問わない。

「あまり部屋の入口から動かないで下さるかしら、『超電磁砲』」

澄んだ声が、部屋の奥から美琴へとかけられる。
興味深げに眺めていた彼女はびくりと肩を震わせる。

「電撃使いのあなたが不用意に近づくと、この子たちが怯えてしまうの」

「ご、ごめんなさい……」

日頃寮の裏に住みつく野良猫たちに餌を与えようと試みては失敗続きの彼女は、自分の体質は嫌と言うほど理解している。
ドアに張り付くように身を縮め、口を開こうとする。が、

「『動物が好きなの?』」

放とうとした言葉は、一字一句そのまま心理掌握の口から飛び出る。
美琴の心を読んだのだ。

「そうね、好きよ。とても可愛らしいでしょう?
 ごはんをあげれば『美味しい』、遊んであげれば『楽しい』。素直に気持ちを表す子は大好き」

心理掌握はケージの中に手を差し伸べ、ハムスターを手のひらに乗せる。
ひまわりの種をかりかりとかじるその姿を愛おしそうに見つめながら、彼女は美琴の目を見た。

「お久しぶりね、『超電磁砲』。
 わざわざわたくしの部屋をおたずねになったからには、何かそれなりの理由があるのでしょう?」


たおやかながらも棘のある声が、美琴を張り付けにする。
美琴と心理掌握は互いの部屋に入り浸っておしゃべりをするような間柄ではない。
心理掌握は幾度となく美琴を自分の派閥へと誘ってきたし、美琴はそれをすげなく断り続けてきた。
その二人の間に、溝が生まれるのは当然だろう。

美琴は心理掌握の目を見返す。
どうせ心は読まれているのだろうし、ならば下手な策は無用。

「『心理掌握』、あなたにお願いがあるの」

「それは、どのようなご用件かしら?」

「私の友人が記憶喪失になったの。
 彼を治療するために、力を貸してほしい」

お願いします、と頭を下げる美琴。
だが、心理掌握の冷ややかな目線は変わらない。
指を通したそばからくるくると巻くシャンパンゴールドの長髪を揺らしながら、冷たく言い放つ。

「わたくしの"お願い"を散々断って置きながら、自分の"お願い"を聞いてほしいだなんて、虫が良すぎるでしょう?
 "派閥"での催し物の準備もしなければならないし、わたくしも一端覧祭の準備で忙しいの」

冷たい視線を向けるが、それはすぐに驚愕へと変わる。

視線の先では、美琴が靴を脱いでいた。
そのまま、ぺたんと座りこむ。


常盤台中学に限らず、学舎の園の中にある学校を始めとする建築物は全て西洋風に造られている。
それは学舎の園の内外にある関連施設も同じ。

「虫が良いお願いだなんてことは分かってる。だけど、私は引けない。引くわけにはいかない」

それに伴い、ルール等も西洋に準拠しているところがある。
例えば、自室の中でも土足であるとか。

「引き換えと言ってはなんだけれど、私にできることだったらなんだってする」

そんなところで、自ら靴を脱ぎ、床の上に座るという行為が意味することなんて、一つしかない。
恥も外聞もかなぐり捨てた、心からの懇願。

「あなたの派閥の雑用にしてくれてもいい。なんだったら、全校生徒の前であなたに膝を屈したっていい」

床に手を突き、できる限り姿勢を低くする。
頭を下げるくらいならば幾度も経験はあるが、誰かに土下座をするという屈辱的な体験は生まれて初めてだ。

「だから、あなたの力を貸してください……!」

だけど、上条の為なら別にいいと思った。
立場なんてどうでもいい。
誇りなんて犬に食わせろ。
そんなものなんかより、彼が元気になってくれる方が一兆倍は大事だから。


心理掌握は戸惑っていた。
あのプライドの高い超電磁砲が、床に這いつくばっている。
それも自分の為ではなく、誰かの為に。

打算。姦計。何かの罠。
普通の人間なら、そう思うかもしれない。

だが、心理掌握は"普通"ではない。
彼女は人の心が読める。
だから、痛いほどに感じ取れる。
目の前の少女は、ただ純粋に救いたい人間がいて、自分の前にひれ伏しているのだ、と。

人の心が本質的には汚いものだと言うことを、心理掌握は知っている。
自分の派閥に属する学生であっても、"信用"はしても"信頼"はしない。
信じて"用いる"のと、信じて"頼る"のでは天と地ほどの差がある。

だから、その強く綺麗な感情に中てられたのかもしれない。
元より、彼女には断る理由も存在しない。
何故なら──。


長い沈黙の末、心理掌握は普段ならば絶対にしないであろう行動に出た。
ひれ伏し続ける美琴に手を差し伸べ、立ち上がらせた。

「……お立ちなさい、『超電磁砲』。常盤台のレディたるもの、むやみに人前で恥をさらすものではありませんわ」

「えっ、じゃ、じゃあ」

「ほら、さっさとその方のところへ案内しなさいな。わたくしは忙しいと言ったでしょう」

美琴の顔がぱあっと明るくなる。

「『心理掌握』、ありがとう」

「礼は後で。そもそも、お役にたてるかは分かりませんわよ。原因や状態にもよるでしょうし」

感化されたことはおくびにも出さず、心理掌握は妖艶に微笑んだ。

「さあ、『超電磁砲』が想いを寄せる殿方のお顔を、拝見いたしに行きましょうか」


学舎の園中に自らの恋心が知れ渡っていることを思い出した美琴が、顔を真っ赤に火照らせた。


上条の病院に辿り着いたころには、面会時間も終わりに近づいていた。
この分だとまた門限破りになってしまうかもしれない。

そんな懸念を呟くと、心理掌握がくすくすと笑う。
彼女いわく、「門限前に帰宅していたように認識を改ざんしてしまえばいい」とのこと。
それは心理掌握の能力あってこそのことで、美琴の能力では機械の目はごまかせても人の目はごまかせない。


上条は病室におり、今日は英語の教科書を熱心に覗き込んでいた。

「よう御坂。……えーっと、そちらは?」

「こちらは……」

「『心理掌握』、と言えば分かるでしょうか?」

心理掌握は物珍しそうに上条の顔をじろじろと眺める。

「御坂さんに"熱心に"頼まれて、あなたの頭の中を覗きに来ましたの。ね、上条当麻さん?」

「あれ? なんで俺の名前を」

「私フルネーム言ったっけ?」

「そこはほら、わたくしは精神系最強の能力者ですから、これくらいは」


「では、時間もないことですし、さっそく」

そう言うなり、心理掌握は自らのブレザーのボタンを外し、

「って、なんでいきなり脱ぎだしてるのよ、『心理掌握』!」

「あら? 『超電磁砲』はわたくしの能力をよくご存じないのかしら?」

ボタンを外すのはやめないまま、心理掌握が説明をする。

「わたくしの能力は距離と精度が比例しますの。近ければ近いほど精度と強度は増し、逆に離れれば効果は薄くなる。
 記憶に介入するような精密な操作をするならば、それこそできる限り近づかなければ」

ブレザーを脱ぐと、美琴にはない大きな双丘がYシャツを押し上げてるのがよく分かる。

「そ、それとあなたが脱ぐの、何の関係があんのよっ!」

「大ありですわ」

「へっ?」

心理掌握はベッドサイドに座ると、上条に身を寄せる。

「では、少々失礼を」


心理掌握の体は上条の腕の中へするりと飛び込み、そのまま首筋にしなだれかかるように抱きつく。
当然、上条の胸板は柔らかい物体へと強く強く押し付けられるわけで。

「くぁwせdrftgyふじこlp;」

「ああん、暴れないで下さいまし」

「ああああんたは何やってんのよぅっ!」

顔を真っ赤に染めあたふたし始める上条と、わざとらしく喘いでみせる心理掌握。
にわかに髪を逆立たせる美琴に、心理掌握は意地悪な視線を向ける。

「『接触テレパス』というものですわ。できる限り広く、近く肌に触れることで相手の精神により深く入り込めますの。
 見ず知らずの方にするにはこの程度が限度ですが、将来わたくしの旦那様となる方には、ね」

ぺろりと唇を舐める仕草が、妙に色っぽい。
心臓の鼓動が早打つ上条の耳元に、心理掌握はそっと囁いた。

「では、今からあなたの頭の中へ潜ります。集中するのでできる限り静かになさってくださいまし。
 それと、その右腕は能力を阻害するのでしょう? わたくしが"戻って"くるまで、触らないようにお願いいたしますわ」

そう言って、彼女は眼を閉じ、上条の頬に自分のそれを重ねた。


心理掌握は自分の意識を他者の精神構造に"潜らせる"ことで、その情報を擬似的に五感で処理しとらえることができる。
それを紐解き、隙間に入り込み、時には強引に書き換える。
それこそが『心理掌握』の能力の真髄だ。

暗黒の空間に無数の光が輝き、その間を雷光のようなものがせわしなく飛び交っている。
そこかしこに浮いているのは様々な形の窓やドアだ。
その空間の中を、心理掌握は降下していた。

これはあくまで読みとった上条の精神を心理掌握の脳内でイメージ化した世界だ。
しかし、この中で心理掌握が何かをすればそれは上条の精神に直接影響を与える。

やがて心理掌握は一つの扉へと降り立った。
精神系能力者の頂点に立つ彼女には、それが何を意味しているのか、手に取るように分かる。

(このあたりが……記憶分野ね)

扉を開けると、彼女は中へその身を滑り込ませた。
中は薄暗く、そこかしこに巨大なスクリーンのようなものが散乱している。
彼女の近くには明るく照らされ鮮やかな映像を見せているものがあり、
彼女から遠く離れたところでは、ひび割れたり、テレビの砂嵐状態のスクリーンがあるようだった。

(美術館……みたいなところかしら?)

能力で上条の記憶を整理し、明瞭に。
心理掌握が感じたイメージを元に、世界が急速に再構築されていく。
明るいものは明るいものと、荒れたものは荒れたものと並びあい、独特の秩序を形成する。
数秒としないうちに、世界は大きく変化していった。

それはまるで、大きく長い回廊の壁にバラバラにした映画のフィルムを貼りつけたかのよう。
両側の壁にびっしりと心理掌握の慎重よりも大きなスクリーンが埋め込まれ、背後には今入ってきた扉があるが、それは少しずつ心理掌握から遠ざかって行く。
正確には回廊が少しずつ伸びて行き、新たに現れた壁に新たなスクリーンが生まれているのだ。
そこに映っているのは上条の目線から見た、腕の中で目を閉じる心理掌握と、その向こうで不機嫌そうな美琴の姿。
今現在作られ続けている、上条の記憶だ。


心理掌握は扉に背を向け、スクリーンの一つ一つを確かめるように見つめながら回廊を進む。
これは上条の記憶が断片化したものだ。
先ほど入ってきたところが、最新の記憶だった。
ここを進んで行けば、おのずと上条の過去の記憶へと遡ることになる。
つまり、途切れたところが、記憶障害の原因となっているところ。

人の記憶をなぞるのは中々に面白い、と心理掌握は思う。
あまり褒められた趣味ではないが、こればかりは彼女に与えられた能力に基づく特権とも言えるものなのだから仕方がない。

記憶とは、すなわちその人の「歴史」と同意義だ。
いつ、どんな状況で、何が起こったか。
その全てが記録されている回廊を、彼女は進む。

御坂美琴が、頬を染めながらバイオリンを弾いている。
友人たちがお見舞いに来てくれた。
超音速機に揺られ、物凄い吐き気を感じている。
黒い修道服の男が、手から炎を出した。
ぼろぼろの表情で、何かを必死に語る修道服の少女。

そして。

「これが最後の……いえ、最初のスクリーンね」

心理掌握の目の前にあるスクリーンには、どこかの天井と、心配そうに覗きこむ美琴と修道服の少女が映し出されている。
今の上条が持つ、一番最初の記憶だろう。


ここで回廊は途切れている。
行き止まりなのではなく、天井も壁も床も引き裂かれたかのように崩れて壊れ、少し離れた向こうに回廊の続きが見える。
壊れたところから見えるのは闇の中に無数の光が浮かぶ、星空のような空間だ。
この星空の中に回廊は存在し、それが何らかの原因で真っ二つになっている。
つまりはこの断絶こそが記憶の連続性を害し、障害を引き起こした原因なのだろう。

向こう側の荒廃した回廊に飾ってあるスクリーンはどれもひび割れたりノイズ状態になっていて、無事な状態のものはここからでは見えない。
だが、いくつかのスクリーンはかろうじて何が映っているかくらいは分かる。
爬虫類のような腕を生やした男、こちらに手を差し伸べる少女、逆さまに浮かぶ修道女、そして天使を模した人形のようなもの。
記憶を失う前に上条が見た、最期の記憶だろうか。

あちら側にわたる事が出来れば、上条の記憶を引きずり出すことができるかもしれない。
そう考えた心理掌握は、どうにかして渡ろうと手段を模索する。

ここはあくまでイメージの世界だ。
異なるイメージを与えれば、世界は相応に変化する。
だが、どう変化するかまでは予測できない。
むやみやたらな事をすれば、それは上条に影響を及ぼすかもしれない。

考えた末、下手な小細工はせずに跳んでみることにする。
重力なんてあってないようなもの。跳躍力だって思いのまま。
気分のままに助走をつけ、ぴょんっと飛び出す。
物理法則に縛られないその体は、何秒と経たずにその対岸へとたどり着くはずだった。


びたん、と華奢な体が何かにぶつかった。
回廊と回廊を隔てる亀裂のほぼ中央に、不可視の壁のようなものが存在するのだ。
その壁に、心理掌握は貼りついていた。

どうしたものか、と彼女は思案する。
亀裂自体ではなく、この障壁が記憶障害の要。
これを突破することができれば記憶の治療ができるだろう。

だが、彼女の力を持ってしてもこの壁を越えることは難しいようだ。
この精神世界のことであれば、彼女はおおよそ把握できる。

しかし、どれほど周囲を探っても、迂回路は見当たらない。
銀河のように広大な空間を、この壁はどこまでも二つに分断しているようだ。
つまりこれは彼女の能力が及ばない、物質世界に存在する障壁。

潮時か、心理掌握はそう考える。
脳の構造的な原因による記憶障害であれば、彼女にできることは限られてくる。
この壁を取り払うのは心理掌握ではなく、医者の領分のようだ。

長く他者の精神の中に"潜って"いるのは、両者にとって強い負担となる。
元いた回廊へと戻るために、壁を蹴ろうとした時。

ふと下方へと泳いだ視線、そのはるか先に。

星空のように見える光とは全く異なる、二つの赤い光が見えた。


精神世界を自由に動ける彼女以外、生物のいるはずのない静寂の世界。
その中を二つの赤い光は流れるように動いていた。

くるくると踊るように、二つの光は動きまわる。
それがとても美しく見えて、心理掌握は目を奪われた。

あんな綺麗な光は、見たことがない。
心を引きつけ、掻き毟るような気持ちにさせるあの光を、ずっと見ていたいと思った。

だが、それはじきに恐怖へと変わる。
繰り返すが、ここは彼女の能力で展開した精神世界だ。心理掌握以外に、生物がいるはずはない。
だが、あの光はどう見ても生物的な動きをしている。
何よりも彼女の能力で解析できないという点は、彼女の背筋を凍らせるには十分だった。

「ひっ」と喉が引きつる音を聞きつけたかは知らないが、不意に赤い光の動きが止まる。
それはまるで、一組の"瞳"のように見えた。
煉獄火焔よりも熱く、絶対零度よりも冷たく、それでいて何の感情も灯さない、"人ならざるモノ"の目に。


その光は突然大きくなり始めた。
否、近づいてきているのだ。
逃げなければ。彼女は本能的にそう直感した。
だが、体は動かない。不可視の壁に張り付いたように、手も足も離れない。

そうこうする間にも、光はどんどん近づいてくる。
もう、"それ"ははっきり見えた。
赤く光る目も、大きな耳も、突き出した鼻も、大きく開けた口も、そこから覗く鋭い歯も、人間のものではない。


     それはまるで、X X X X X X X X X X 。


逃げることも、泣き叫ぶこともできず、心理掌握はその"顎の中"へと────。


「──おい、おい大丈夫かッ!? 返事をしてくれッ!!」

気付けば、心理掌握はとても焦ったような表情をした少年の腕の中だった。
まるで抱きしめるかのように、その両腕は心理掌握の体に回されている。
その横では、御坂美琴が上条と同じように、心配そうに彼女を見つめている。

まるで限界を越えて全力疾走した後のように、胸が痛い。
嫌な汗でびしょびしょのYシャツが体に張り付き、彼女の豊かなボディラインをあらわにしていた。

「……え、えぇと、ここは……?」

「良かった。いきなりぶるぶる震えて怯えたように泣き始めたから、何事かと思ってな」

「……『心理掌握』、大丈夫なの? 様子、普通じゃなかったわよ」

「ええ、大丈夫……大丈夫ですわ」

上条に離してもらい、深く息を吸いながら、頭の中をゆっくり整理していく。
彼女が少しずつ落ち着きを取り戻しているのを見て、上条がおっかなびっくりと言った感じに質問をした。

「……な、なぁ、一体何があったんだ……?」


「……その前に、わたくしがどうなってたか、教えていただいても……?」

「あ、あぁ」

やや落ち着いたのを見てほっとしたのだろう、上条がやや表情を緩める。

「君が目を閉じて、しばらくは何もなかったんだ。
 だけどいきなり身をよじりだして、能力を使ってるのかと思ったんだけど、だんだん何かに怯えるようになってきて……。
 暴れて泣き始めたから、なんだかマズいと思って咄嗟に右手で触ったら、君は意識を取り戻した、って感じかな」

「……なんか、変なものでも見たの?」

美琴が気後れしながら訊ねる。
あの尋常じゃない様子を見ていたら、遠慮の一つくらいはする。
頭の中の整理を終えた心理掌握はゆっくりと話し始める。

「上条さんの記憶の中を、"歩いて"いたんです。
 あなたの今の最初の記憶は、病院で御坂さんと修道女のような方が顔を覗き込んでいるところ。
 それでよろしいかしら?」

「あ、あぁ」

ロシアの病院で目覚めた時の、突如異世界に放り込まれたかのようなあの恐怖感は忘れもしない。

「その記憶の奥に、色褪せ、ひび割れた記憶が見えましたの。
 奇妙な格好の男性、手を伸ばした女性、逆さまに浮いた修道女、そして布に包まれたような天使の人形……。
 これはきっと、あなたのかつての記憶ではありませんか?」

「と言われてもなぁ……」

「それで、こいつの以前の記憶はどうなったの?」

美琴がぐいと身を乗り出すように聞いた。
心理掌握は申し訳なさそうに視線を下げる。

「……ごめんなさい。わたくしの力不足ですわ。
 古い記憶が残っていることは確認できても、それを引っ張り出すまでには至りませんでしたの」


「脳の構造上の問題ですと、やはり精神系の能力では限度がありますわ。
 お医者さまにお任せするのが一番ではないでしょうか?」

それでも、以前の記憶が脳の中に残っていると言うのは大変な朗報だ。
その『情報』を持つ脳細胞が少なからず生き残っており、生きてさえいれば治療の糸口は必ず見つかるはずだ。
これは大きな成果だろう。

「……だけど、それだとあなたが泣き叫んだ理由にはならないわよね」

「それは……」

再び目を伏せる心理掌握。

「……わたくしにもよく分かりませんの」

上条の記憶の回廊を歩いた。
その果てに、過去と現在を断絶する大きな亀裂を見つけた。
古い記憶を収めた対岸の回廊に飛び移ろうとして、不可視の障壁に阻まれた。
そして次の瞬間、上条の腕の中にいた。

自己分析した限りでは何も取り乱す要素はないはずだ。
となれば取り乱すような"何か"があったはずなのだが、その"何か"はまったく記憶にはない。
何も不自然なところはないのに、この奇妙な気持ち悪さはなんなのだろう。

仮説として、「自分以上の能力で精神に干渉された」と考えることはできる。
だがこの学園都市で最高の心理系能力者は自分だし、目の前にいる二人は心理系能力者ではない。
自分で自分の頭の中を探ってみたところで、その証拠となるようなものは何一つ見つからない。

ならば、やはり何もなかったのか。
心理掌握は釈然としないものを抱え、かぶりを振った。


「──ごめんなさい、お役にたてなくて」

「ううん、そんなことはないわよ。
 アイツの記憶が完全にぶっ飛んだわけじゃないってことが分かっただけでも良かったし」

病院からの帰り道、常盤台を代表する二人のレベル5は並んで歩いていた。
これで現状、早急に彼を治療するための手段は全て尽くした。
あとは医者の仕事、美琴のような素人にできることはほぼ何もない。

けれど、それでも美琴は足を止めない。
昨日の最新が今日の最新とは限らず、今日の最新が明日も最新とは限らない。
そんな言葉を体現するこの街なら、いつか、きっと。


「……そう言えば、あなたと二人で並んで歩くのは初めてですわね」

「そうね、そういう間柄じゃないものね、私たち」

派閥を嫌うもの、派閥を統べるもの。二人の間には、大きな溝がある。

「わたくしのお誘いを幾度もすげなくお断りなさるのですもの。つれないことですわ」

「"派閥"なんて嫌だって言っても、あなたは聞いてくれなかったでしょ?」

「わたくしにもプライドと言うものがあります。一度嫌だと言われたくらいで諦めるような女ではありません」

「はぁ……」

「……そう言えば、御坂さんはわたくしのお願いをなんでも聞いてくださるのでしたよね?」

「……えぇ」


そんな約束もしていた。
結果は芳しくはなかったとはいえ、尽力してもらったことは事実だ。

「私にできることなら、なんでも言ってちょうだい」

「では、そうねぇ……何がいいかしら」

口元を笑みの形に歪め、思案顔で美琴の顔を覗き込む心理掌握。
派閥の雑用か。
全校生徒の前で頭を垂れさせるか。
どんなことを言い出すのだろうと美琴は身を固くするが、表情を綻ばせた心理掌握の口から飛び出したのは意外な言葉。


     「では、今度わたくしとお茶をしましょう。派閥とか、そんなものは脇に置いて」


「…………そんなことでいいの?」

「えぇ。何でもわたくしのして欲しいことをしてくださるのでしょう?
 ならば、わたくしの望みはこれですの」

彼女の言っていることが理解できなくて、美琴はしばしフリーズする。
心理掌握の望みは、美琴とお茶を飲むこと?
そんな彼女をよそに、心理掌握は一人頬を染め、そっぽをむいてしまう。


「そ、そもそも! わたくしがあなたをお誘いしていたのは、あなたとおしゃべりをして、仲良くなれたらと思っていたからですのに!」
 


しばしのフリーズ。
今、目の前の彼女は何と言ったのだろう?
自分と仲良くなりたいから、派閥に勧誘をしてきていた?

「え、えぇーっ!? その為に私を"派閥"に誘ってたの!?」

「あなたの鈍感さにはほとほと呆れ果てました! ご自身の恋心の前に、まず自身が受けている好意にお気づきになってはどうかしら」

レベル5である彼女は派閥を率いてこそいるが、だからこそ人の上には立てても人の輪の中には入れない。
ならば、同じ境遇の美琴に興味を持つのは道理。
ただ、どう接すればよいのか分からなかっただけの事。

「女王」とあだなされる彼女には今まで「上」か「下」の人間関係しか存在しなかった。
「対等」の相手との接し方など、わかるはずもない。

派閥に誘い続けたのは、そうしたら会話する機会が作れると思ったから。
今日、最初は冷たい態度を取ったのは、いままでつれなくされたことに対するちょっとした意趣返しのようなもの。
美琴の頭の中で、今までの様々なことがぱちりと当てはまって行く。


ふるふると羞恥に身を震わし、目尻には涙まで浮かべた心理掌握。
とても『常盤台の女帝』らしからぬ姿に、美琴はふっと笑みを浮かべる。

「……分かった」

「!!」

「その代わり、"女王サマ"のイチオシのお店、教えてよね」

「……えぇ!!」

にっこりと笑い、手を差し伸べる心理掌握。
美琴は笑顔でそれに応えた。





「…………なるほど、御坂さんは上条さんのことをこれほどまでに想ってらっしゃるのね……」

「アンタまさか今接触テレパスで私の感情を読んだのか!? 忘れろ、それを今すぐ忘れろおおおおおおォ!!!!」
 

今日はここまでです

今回の話を要約すると「上条さんの内面にもぐりこみ過ぎた心理掌握が中の人に排除されてしまった」という感じになります
いろいろと分かりづらくて申し訳ないです

禁書本スレで出た「実は心理掌握は美琴と仲良くなりたくて派閥に誘うけど美琴は全然相手にしてくれない」
という妄想を読んで以来電磁掌握の妄想が止まらない
早く下の名前と性格口調知りたいですよね

ではまた次回

こんばんは
たくさんのレスありがとうございます

食蜂さんの人気にワロタ
早く本編にも出てこないかなぁ

では今日の分を投下していきます
今日は短め、番外編的なお話です


『英雄と末妹』


しゃり、しゃり、しゃり。
小気味よい音が病室に響く。
ベッドに腰かけるのは番外個体、毛布の下で上半身だけ起こしているのは上条当麻。

番外個体の右腕は骨折しているのだが、もう治癒は近い。
動かすのに支障がない手首から先は既にギプスが外されている。

右手にナイフを持ち、左手でくるくると林檎を回していく。
綺麗に一本につながった皮は、彼女の膝に乗せられた皿の上で円を描いた。

「器用なもんだな」

「にひひ、でしょー?
 ミサカたちは軍用クローンだからね、刃物なら果物ナイフからサーベルまで、
 銃火器ならハンドガンから対戦車砲まで、戦車から戦闘機からなんだって動かせるよ。
 『学習装置』のおかげで、文字通り生まれながらにしてのプロだからね」

「……はぁー、すっげぇなぁ」

「特にこのミサカは最後発の個体だから、それに併せてソフト面でもバージョンアップしてるんだよ。
 もちろん、ハード面もね☆」

番外個体は上条のほうに体を向けると、肘でその豊かな胸を強調してみせる。
上条は頬を染め、慌てて顔を背けた。

「ぎゃは、ヒーローさんってば意外と純情なのね☆」

「う、うるせぇっ!!」


皮を剥き終えた林檎を二つに割り、中の種をくりぬいていく。

「……そういや、さ」

「なあに?」

「なんでワーストは、俺の事を『ヒーローさん』って呼ぶんだ?」

「そんなの読んで字のごとくに決まってるじゃないのさ」

種を取り終えた林檎にかじりつきながら番外個体は答える。
もう半分は上条に押し付けた。

「無能力者(レベル0)のくせに、右腕一本で最強の超能力者(レベル5)を殴り倒した男。
 実験動物のように扱われ、殺されてゴミのように捨てられる運命だったミサカたちを解放した少年。
 くぅ~~、痺れるねぇ。これを『ヒーロー』と呼ばずして、誰を『ヒーロー』って呼ぶのかな?」

「…………」

英雄譚を謳うように言葉を紡ぐ番外個体に対し、上条の表情は浮かない。

「……もしかしてさ、その時の記憶が自分にはないから、そう呼ばれる資格はないとか思っちゃったりしてるのかにゃーん?」

「…………」

「あなたに記憶があろうが、なかろうが。ミサカたちがあなたに救われたことには何の変わりもないんだよ?
 ミサカたちにしてみれば、記憶の有無に関わらずあなたは『上条当麻』なんだ。
 あなたが忘れたからって感謝の対象じゃなくなるなんてことはありえないよ」


「……いや、そうじゃなくてさ」

「じゃあなあに?」

「その、『ヒーローさん』って響きがなんかこう、歯が浮くような感じと言いますか、恥ずかしいと言うか」

「……ぷっ」

ニックネームにするにしては『ヒーロー』はちょっと大仰すぎるかもしれない。
一介のしがない男子高校生にすぎない上条としては、面映ゆい気持ちになる。

「そもそも、たぶん御坂や御坂妹たちを助けた時の俺は、そういう風に呼ばれるために体を張ったんじゃないんだろうしなぁ」

「ほほう、ずいぶんとキザな台詞だねぇ? そんな言葉で何人の女の子を落としてきたのやら」

「?? 女の子とはとんとご縁がありませんことよー」

(……自覚なしのタラシかよ、お姉様も大変だねぇ)


果汁にまみれた手をウェットティッシュで拭う。
番外個体は一瞬腰を浮かし、少しだけ枕元のほうへと移った。

「……ねぇ、ヒーローさん」

「なんだよ」

「どうして、あなたは第一位に立ち向かおうと思ったのかな」

実際に一方通行と対峙した番外個体だから分かる。
レベル5第一位の名に恥じぬその暴力と狂気は伊達じゃない。
数々の対抗策を用意していった彼女でさえ、本気を出したとはいえ演算能力を制限されている一方通行に一方的に蹂躙されたのだ。
ましてや、上条が戦った時の一方通行は脳に損傷を受けていない全盛期である。

上条と一方通行が戦った時の記録は何度も見た。
決して勝算があって戦っているようには見えなかった。
その右手が一方通行の反射を貫通すると分かるまでは、ひたすら防戦一方だった。
それなのに、何故。

「……ひょっとして、お姉様やミサカたちが、そんなに大事だったのかな?」

理由を彼女なりに考えて辿り着くのが、これだった。
命を捨ててでも守りたいと思えるほどの愛情。
彼女には理解しがたい概念だが、これではないか、と思った。
だが。

「う~ん、どうなんだろ。
 御坂や色んな人の話を聞いてると、一方通行と戦ったのは御坂と知り合った翌日なんだよなぁ」

帰ってきた答えは、常軌を逸していた。


戸惑う番外個体をよそに、上条は話を続ける。

「俺が7月の終わりにも記憶を失くしてるって話は知ってるよな?」

「う、うん」

「そのあと、俺から見て初めて御坂と会った時に、御坂妹とも出会ったらしくて。
 で、その翌日にどこかで『実験』のことを知って、御坂と決闘して、それから一方通行と戦いに行ったって流れらしいんだ」

目が点になる、とはまさにこのことだろう。
番外個体の視線は上条にくぎづけのまま、反らすことができなかった。

「……つまり、知り合って二日目の女の子の為に、あの第一位と戦ったと?」

「そういうことらしいな」

「…………………………………………………………………………っくく」

番外個体は数秒堪えていたが、耐えきれなくなったようで、堰を切ったように笑い転げた。

「なにそれ! なんじゃそりゃ! ……っくくくく、ひゃひゃひゃひゃひゃ!
 ばっかじゃないの!ばぁっかじゃないの! っひゃっひゃっひゃっひゃ!
 あなた、本当に『ヒーロー』そのものだよ! なんならミサカが『聖人』として列聖申請してあげてもいい!
 ホント、信じらんない、あーっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」

「……そんなに笑うことかよ」

壊れたように馬鹿笑いする番外個体に、上条は気分を害されたような顔をする。


「……ぶひゃひゃ。いんやぁ、お姉様やミサカたちもずいぶん厄介な人に助けられたねぇって思ってさ」

「厄介?」

「だってそうでしょ?」

笑いすぎて零れた涙をぬぐい、息苦しさにひぃひぃ言いながら、番外個体は上条に指をさす。

「考えても見てよ。出会って二日目ってことは、ほぼ見ず知らずの女の子だよ?
 そんな女の子のために命を賭けるってことはさ、きっと他の女の子も同じように命がけで助けたりしてるんじゃないのー?」

上条はインデックスの話を思い出す。
確かに、上条が怪我をしたと言う事件には何かしら女性の影がある事が多い、のかもしれない。

「……別に、助けたのが女の子だけってわけじゃないと思うけどさ」

「かもしれないね。困ってる人なら、男だから、女だからって差別しなさそうな性格してそうだもん。
 でもさ、誰でも分け隔てなく助けるっていうのは、こうも言いかえれるよね。
 つまり、あなたにはいっとう『大事な存在』が存在しないんじゃないか、ってさ」

『大事な存在』が存在しないということは、誰か一人を特別扱いすることはないということ。
つまりは、彼に惹かれた人間はずっと報われない想いを抱えて行かなければならなくなる。
本人にそのつもりがなくても、それはきっと、とても残酷なことだ。


「大事な存在、ねぇ……」

上条にもしそんな存在がいたとしたら、その人はきっと今頃、とても心配をしてくれているだろうか。
思い浮かんだのは、ロシアで出会った人たち、そしてお見舞いに来てくれた人達。

神裂という女性は上条の事を『大事な仲間』だと表現した。
五和という少女は上条を『大事な恩人』だと言った。

両親は『大事な息子』だと呼んでくれた。
友人たちは『大事な友達』だと笑いかけてくれた。

そして。

インデックスは。

御坂美琴は。


「……『大事な存在』ってのが、どんな人の事を指すかなんてわかんねぇけどさ」

ぽつりぽつりと上条はつぶやく。

「前の俺にとっては、みんな『大事な存在』だったんじゃないかな」

「……ナニソレ、博愛主義ってこと?」

「そういうことじゃなくてさ」

上条は照れくさそうに頭をかき、視線をそらした。

「例えばさ、困ってる人がいれば、その人を助けるのは当然だろ。
 その人を苦しめている元凶があるなら、それをどうにかしなきゃいけない。
 それってさ、すごく当たり前のことだと思うんだ」


この男は、とんでもないことをなんでもないことかのように言う。
番外個体はそう思い、呆れ果てる。

誰もが彼と同じように思うとは限らない。
思ったとしても、同じように動けるとは限らない。

「実際に記憶をなくしてるから言えるのかもしれないけどさ。
 記憶喪失って自分のことが分からないのと同じくらい、『他者との関係が分からない』ってことが怖いんだよ。
 だから、自分の近くにいる人にはそばにいて欲しい、つなぎ止めたい、失いたくない」

「……だから、守ると?」

「結局は、そういうことになるんだろうなぁ。
 失いたくないから、助けるし、守る。その人の為に全力で戦う。
 つまりは、前の俺が戦ってきた理由ってそういう感じなんじゃないかな」

それが正しいかは分からない。
あくまでこれは"今の自分"が"前の自分"に対して行った推察にすぎない。
けれど、きっと。


考えても仕方がない。
上条はごろんとベッドに横になった。

「……まあ、御坂には感謝してるんだぜ。
 入院状態だとどこにもいけないし、皆一端覧祭の準備で忙しいってここ数日は見舞に来てくれないしな。
 あいつがしょっちゅう来てくれるから、退屈しなくて済むし。
 ……にしても一端覧祭の準備が終わったからって、あいつも暇を持て余してるのかな」

(なんで頻繁にお見舞いに来るのかには、きっと思い至らないんだろうにゃーん)

「なんか言ったか?」

「なんでもにゃーい」

上条は首をかしげるが、きっと鈍感な彼には一生思いいたらないだろう。
番外個体は悪戯心から暴露してやろうかとも思ったが、美琴の制裁が怖いので心の内に秘めておくことにした。


その時、扉が開いた。
入ってきたのは今話に出ていた御坂美琴。

「おっすー。元気してるー?」

「よう御坂」

「はろー、お姉様」

「あらワースト、こいつの部屋にいるなんて珍しい」

「ヒーローさんとおしゃべりしてたんだよ。ちょうどお姉様の話してたところ」

「私の?」

きょとんとする美琴に、番外個体は極上のあくどい笑みを浮かべる。
横で上条が慌てたような顔をするのも何のそのだ。


「ヒーローさんはお姉様がお見舞いに来てくれるのが嬉しくて待ちきれないんだってさー」

「ワーストてめぇ! 余計な言葉を付け加えるんじゃねぇ!」

「ふ、ふーん。そうなんだ、私が来ると嬉しいんだ?」

「そ、それはワーストが勝手に付け加えただけであってだな……」

何やらツンデレ始めた美琴や大慌ての上条をよそに、番外個体はぴょんとベッドから降りる。

「さぁて、お邪魔虫は馬に蹴られる前に退散するとしますか。
 ヒーローさん、ミサカたちの大事なお姉様を『大事に』してね?」

彼女の発言に二者二様の面白い反応を示す二人をよそに、番外個体は病室を後にする。
背中から追いかけてくるのは、慌てたような上条の声と、素直になれない姉の声。


あの二人を見ていると、なんだか微笑ましくなってくる。
他者の気持ちに鈍感な少年と、自分の気持ちに素直になれない少女。

(二人の想いがつながる日は、いつか来るのかにゃーん?)

『妹達』に過干渉するでもなく、放置するでもなく、優しく見守ってくれる美琴は『大事』。
『妹達』の恩人であり、もう一人の頼るべき守護者でもある上条もまた『大事』。

『大事な』二人がそれぞれどのような形であれ幸せになる事は、妹たちの共通の願いである。
それは悪意にまみれた番外個体とて同じ。

(ま、面白おかしく見物させてもらいますか)

次はどうからかってやろうか。
そんなことを考えながら、鼻歌交じりに番外個体は自分の病室へと帰って行った。

今日はここまでです
上条さんとワーストを絡ませてみたかっただけのお話です
ミサカ姉妹でありつつも一歩引いたところから見れるワーストって色々と便利

この後の展開にちょっとだけ詰まってるので次回は遅れるかも……
嗚呼麦のんバリの罵詈雑言センスが欲しい

ではまた次回

こんばんは
レスありがとうございます

今回は番外編と言うわけではないのですが
ちょっとサイドストーリー的というか、美琴さんは出てこない話になります

では今日の分を投下していきます


アメリカ合衆国・ワシントンDC。
マサチューセッツ通りに面した位置に建つ在米英国大使公邸。
その貴賓室で大量の資料に埋もれているのは、『騎士団長』と呼ばれる男。
イギリス三派閥である『騎士派』の頂点に立つ彼は、今はある女性付きの武官としてここに滞在している。
彼女の帰りを待つ間、大使館の人間たちが収集した情報に目を通しておくのが彼の役目だ。

不意にドアが開くと、現れたのは珍しくスーツを着込んだ英国第二王女・『軍事』のキャーリサ。
騎士団長は主の姿を認めるや否や立ち上がり礼を取る。

「お帰りなさいませ」

「……ニューヨークからワシントンまで370km。
 いつも思うが、もうちょっと近くにならないのか」

随伴する大使にコートを押しつけ、豪奢な椅子に身を投げ出すキャーリサ。
彼女がイギリスを離れ、アメリカに滞在しているのには訳がある。


第三次世界大戦を受け、戦後の後処理の為に安全保障理事会や国連総会が開かれた。
情勢が安定せず内政に専念する母や姉の代わりに、彼女にお鉢が回ってきたのだ。

「会議のほうはどうでしたか?」

「ロシアが常任理事国から追放された」

靴を放り投げ、苦しい胸元のボタンをいくつか外しつつ、けだるげにキャーリサは答える。

「大国として責任ある立場にあったにも関わらず、身勝手な攻撃を行い、世界に混乱をもたらしたからだそーだ」

「それはずいぶんと手厳しい」

「イワンの酋長め、よほど戦争の結果が堪えたらしく、ずいぶんとまあショボくれた顔をしてたな。
 あの勇ましい宣戦布告をした人物と同一人物とは思えなかったし」

「結果が結果ですから……」

ロシアの軍は大損害を受けたにもかかわらず、学園都市側の戦争における人的損害は「0」。
多少のオフレコはあるだろうが、それでも圧倒的なワンサイドウォーだったことに変わりはない。


「では、常任理事国は4国ということに?」

「いや、学園都市を加えようと言うことになった」

言うまでもないことだが、国際連合における常任理事国は第二次世界大戦における連合国側の主要国家だ。
それが第三次世界大戦の結果を受けて首がすげ替わるというだけのこと。

ロシアの代わりに学園都市を加え、同盟国かつ戦勝国であるイギリスはもちろんのこと、
学園都市側についた中国、早期に和解・停戦をしたフランス、参戦しなかったアメリカは据え置き。
これを戦後の新しき体制にしようと提唱された。

「つまり、一都市が五大国に列せられると……?」

「いや、学園都市の代表がこれを辞退した」

「辞退した? 常任理事国、つまり『拒否権』を自ら手放したのですか?」

「そーだ。学園都市の代表曰くだな、
 『私たちはあくまで日本国に従属する一地方自治体にすぎず、そのような名誉ある立場に就くにはそぐわない。
  戦勝国を常任理事国の座に就けるというのであれば、学園都市が所属する日本国が就くべきだ』だそーだ」


「では、ロシアに代わる新たな常任理事国は」

「日本だよ。学園都市もうまくやったもんだし」

学園都市という一都市の功績を、宗主国である日本国が吸い上げる。
一見普通の事であるように思えるが、その実まったく異なる。

第二次世界大戦の敗戦国である日本国にとって、常任理事国入りは悲願だった。
それを学園都市の力で成し遂げた以上、そこには力関係の逆転が発生する。
つまり、常任理事国から外されることを恐怖するならば、学園都市に逆らうことはできなくなる。

安保理での取り決めが学園都市にとって都合のよいことであれば、日本国はイエスと答えねばならない。
都合の悪いことであれば、日本国は拒否権の発動をちらつかせてでもノーと言わざるを得なくなる。
例え日本に都合が悪くてもだ。

そこに日本国の意志は存在せず、ただ学園都市に都合のよい傀儡でしかない。
学園都市の意志が、常任理事国という立場を伴って自在に世界へと蔓延する。

翻って、常任理事国としての責務は学園都市ではなく、日本国が負わなければならなくなる。
責任ある大国として、今以上の国際貢献を求められるだろう。
学園都市からの援助があったとしても、やはり負担は大きくなる。


「……まったく、学園都市の代表も大した狸だったな。
 言葉巧みに場の空気を操り、話の主導権を握り、気付いたころにはもう彼女の手の中だ。
 姉上があと30も歳を取ったら、彼女みたいになるんだろーな」

「リメエア様よりも、ですか」

「まーな。ちょっと会話をしてみたが、飄々として掴みどころのない女だった。
 どーせ腹の中では私たちを『不実のアルビオン』扱いしてるんだろーが、そんなことはおくびにも出さなかったし」

学園都市の代表は親船最中という老婆だった。
笑みを絶やさないいかにも教育者然とした彼女は、しかし巧みに外交をこなして見せた。
人心掌握に長けた超能力者だと言われても、違和感なく信じられただろう。

「横でおろおろ会議の行方を見守ってた日本国の代表、あれは可哀想になるくらいだったな。
 あれよあれよと日本の常任理事国就任が決まった時、やつは泣きそうな顔をしていたぞ」

「……そんな輩に一国の代表が務まるのでしょうか?」

「務まるだろうさ、いや、周りの奴らが務めさせるだろーよ。
 日本のことわざに『ミコシは軽いほーがいい』というのがあるらしいが、日本国政府はまさにそのミコシだよ。
 担ぐのは学園都市のやつら。哀れなのはミコシ代わりにされる日本国の首相と、それに気付かず周りで囃したてる日本国民だな」

これを機に、学園都市の日本国への影響は否応なく増すだろう。
宗主国として残されたわずかなプライドさえ、学園都市は砕いてしまったのだから。


「騎士団長」

「なんでしょう」

「科学も魔術も入り混じった世界は、また荒れるぞ」

「……はい」

「いつか起こるだろう"四回目"に備え、いざという時に民草と国土を守れるよう、騎士たちともどもその身をしっかりと鍛えておけ。
 矢面には私が立つ。イギリスという国は我ら王室が守る。貴様らはその背を支えろ。いーな?」

「はっ!」

どこか遠くを見据えつつ命令を出すキャーリサ。
騎士団長はそれに最敬礼で答えた。


「……」

「……うだー」

『グループ』に限らず、暗部組織の隠れ家はいくつも用意されていることが多い。
休憩所、作戦指令室、いざという時の籠城場所など用途によって使い分けるのか、どこでも行えるようにするかは組織次第だが、
『グループ』の場合は前者であり、隠れ家の一つであるこの個室サロンに結標と絹旗はいた。

ただし、完全にダラけモードである。
結標は熱心に料理の本を読んでいるし、絹旗はソファに寝そべり映画のパンフレットをつまらなさそうにぺらぺらとめくっている。

「……」

「……」

「暇です」

「……」

「暇ー」

「……」

「ちょーひーまーでーすー」

「うるさいわ」

退屈に耐えきれなくなった絹旗がわめけば、結標が能力を使い絹旗の上に本を数冊落とす。
『窒素装甲』のおかげで傷一つないものの、仲間に対するものとは思えない仕打ちに絹旗は立ち上がり抗議する。

「超何するんですか! いきなり本が超降ってきたら超びっくりするじゃないですか!」

「退屈だから騒ぐだなんていかにもお子様なことをするからでしょう」

「オファーを受けてから超約10日、何の仕事もなくサロンに超閉じこもりっぱなしなんですよ!
 いい加減シビレも超切れるってもんです!」


はぁ、とため息を一つつき、結標が諭すように言う。

「あのねぇ、潜入捜査っていうのは時間がかかるものなのよ?
 それとも『アイテム』は、適当に突っ込んで行ってドーンみたいな大雑把な任務しかやってなかったの?」

「『アイテム』の主任務は学園都市内の不穏分子の超削除及び捕縛でしたから。
 基本的に攻撃対象はオシゴトが舞い込んだ時点で既に超確定してます」

「あら、『グループ』とは基本的に路線が違うのね。
 まあ、内偵調査は土御門と海原のお仕事。私たちのお仕事はその後。
 それまではのんびりいきましょ」

「だからそれに超飽きたって言ってるんじゃないですかぁ……」

「だったら、映画でも見てきたらどう? 好きなんでしょう?」

「さすがに依頼中に見に行くほど超ふぬけてるわけじゃありませんよ」

「土御門は普通に学校に行って、友人たちと一端覧祭の準備してるらしいけど?」

「……は?」

絹旗は首をかしげる。
自分たちをここに閉じ込めて、彼は友人と楽しんでいると言うのか?

「ぶっちゃけて言えば、オシゴトさえしっかりしてくれるなら、普段は何してようが干渉しないことになってるのよ。
 だから召集がかかった時にすぐに集まってさえくれれば、あなたも遊んできてもいいのよ?」

「……超ヌルいんですねぇ」

「オンオフの切り替えが早い、と思いなさい。いつも仕事モードだと息がつまってしまうでしょう」


「おや、お二人だけですか」

ドアを開けて、海原が入ってきた。
人好きのする笑顔だが、その裏には何か胡散臭いものを感じる、と絹旗は思う。
チームメイトにすら名前も顔も偽物で接する男だ。信用できないのは当然かもしれない。
もっとも、このチームの人間を信用しきるつもりもないのだが。

「今日は土御門は学校に行ってるわ。一端覧祭も近いことだしね」

「一端覧祭ですか。学校に所属していない自分には縁のない行事ですが、大覇星祭と同じくらい盛り上がるものだと聞きました。
 時間があれば、少し覗いてみましょうか」

「……オシゴトの方はどうなっているんですか」

「『第三次製造計画』のほうは難航、と言ったところでしょうかね。人の流れ、物の流れ、お金、電力。
 研究所を作るためには多くのモノの行き来がありますが、学園都市では日に何十もの研究所が建っては消えるんです。
 すでに存在する何千もの研究所と合わせると、精査するには時間がかかりますよ」

「なんとか超絞り込めないものですかね。
 例えばクローンを作るのに超必要なものを超集めやすい場所、とか」

「以前の『超電磁砲』のクローン計画の時は、製造施設が何重にも分散されていたのでしょう。
 別に一カ所とは限らないわけよね」

「一つでも潰し逃しがあれば、そこから更に分散拡大する可能性がありますし、慎重に見極める必要があります」

「結局、超地道にやるしかないんですね……」


「一方通行の足取りはつかめたの?」

「学園都市内に潜伏してはいるようですが、中々目撃証言は出てきませんね。
 短かったとはいえ元暗部、こちらの手の内は読めるでしょうし。
 土御門さんもいろいろ工夫しているみたいですが、おいそれと尻尾を出してはくれないでしょう。
 同じ場所で二度目撃されてはいるのですが、そこは"顔を合わせるにはよろしくない"場所のようですし」

「……一方通行の大事なお姫様のところ?」

「ええ」

「……その"お姫様"とやらを超ふんじばって、一方通行をおびき寄せるってのはどうですか?」

「そんなことをしたら、次の瞬間に私たちはタタキになって地面にこびりつく羽目になるでしょうね」

「第一、それは自分たちと彼との約束に反することですし」

「約束?」

絹旗は眉をひそめる。

「『グループ』の裏の存在意義であり、私たちが例え血にまみれてでも戦い続ける理由よ。
 私たちは私たちの守らなければならないものの為に戦うの。
 それを害するものが現れたら、私たちは全力でその排除に向かう」

「ですから、もし彼の大事なものに手を出せば、報復に自分たちの大事なものにも危害を加えられる可能性があるんですよ。
 出来得る限りそれは避けたいところです。
 ……まあ、土御門さん曰く"餌に食い付いた痕跡がある"そうなので、近いうちに接触できればと思いますね」


ふと、そこで海原は絹旗が浮かない顔をしていることに気付く。

「どうかしましたか?」

「…………いえ、『グループ』の人たちは、皆超守るべきものがあるんだなぁ、って思いまして」

海原と結標は顔を見合わせる。

「……私は『置き去り』ですから。
 物ごころついた時にはもう施設にいましたし、親の顔なんて超一度も見たことありません。
 私には大事にしたい人も、大事にしてくれる人もいません。……だから、お二人が超羨ましくて」

「……なんだか、ごめんなさい」

「いえ、きっと私が超ひがんでいるだけなんです。
 他の人が普遍的に持っているものを、私は持っていない。
 そんなもの、誰にだって超あるでしょうに。
 ……そんなことより、一方通行を超捕まえる手段を考えましょうよ!」


「その前に、絹旗さん」

ポケットをごそごそと漁っていた海原が、何かを絹旗へ差し出す。

「土御門さんから、あなたへと。何でも、"報酬の一部の前払い"だそうですよ?」

「……メモ用紙に、第七学区内の住所と電話番号? なんですか、これ?」

「『アイテム』の、現在の滞在先だそうですよ。なんでも情報整理中に土御門さんのアンテナに"たまたま"引っかかったとか」

「!?」

絹旗の顔が驚きに変わる。

「滝壷さんや浜面が、学園都市に帰ってきていると……?」

「確か旧『アイテム』構成員は絹旗さん以外全員追討令が出てたわよね」

「先日解除されましたよ。なんらかの取引が上層部と行われたようで。
 ……それで、絹旗さん。お暇でしたら、会いに行かれてはどうでしょう」

海原は、未だ固まったままの絹旗に、にこにこと笑いかけたのだった。


11月27日。

第七学区にある公園で、一組の男女がベンチに座っていた。
茶色いジャージを羽織りジーパンを履いた男の名は浜面仕上。
桃色のジャージを上下に纏い、その上からもこもこのセーターを着た少女の名は滝壺理后。
二人はとある少女と待ち合わせをしているのだが、その少女がなかなか来ない。

「……ぐーすかぴー」

「滝壺、風邪ひいちまうぞ」

初冬には珍しく、ぽかぽかと暖かい昼下がりだ。
待ちくたびれて寝てしまった『恋人』の体がベンチからずり落ちないように支え直し、自分の体に寄りかからせる。
その柔らかな温かさと重さに、浜面はここ二カ月のことに想いを巡らせる。


所属していたスキルアウトのリーダーが殺され、臨時のリーダーとして受けた仕事に失敗した。
暗部の下っ端として、『アイテム』のメンバーと出会った。
暗部組織間抗争の果てに、同じ『アイテム』の仲間同士で殺し合いをした。

学園都市から追われる身となった浜面と滝壺は活路を海外に求めた。
戦争の中心地、エリザリーナ同盟国では小銃片手にプライベーティアの操る戦車やガンシップと戦った。
『体晶』に冒された滝壺を救う過程で『マジュツ』と呼ばれる不思議な力を使う連中にも出会った。


そして、麦野沈利との邂逅。
彼女とは三度死闘を繰り広げた。
立ちはだかる敵を殺し、裏切ったとはいえ仲間を殺し、そして浜面や滝壷を殺そうと何度も追ってきた。
しかし、浜面は戦いの果てに力尽き倒れた麦野を見捨てることはできなかったのだ。

そんな彼女は今、第七学区にある病院に入院中だ。
度重なる戦闘で右目と左腕を失い、体には無数の銃痕が残り、得体のしれない機械を埋め込まれてなんとか生きながらえていた状態だ。
そこに多量の体晶を服用したのだから、彼女が負っているダメージは計り知れない。
医者の話では、今後の能力使用に大きな制限がかかるかもしれないとのことだった。

浜面の懐に収まっているのは『素養格付』のデータが納められたマイクロチップ。
これがある限り、学園都市は浜面たちに手を出せない。
これを表に出さない。それと引き換えに、浜面たちは学園都市から『お目こぼし』をいただいていると言うわけだ。

この街の中で暗部に関わらずひっそりと平穏に暮らしていくのならば、過ぎた力は不要。
だから麦野の能力に制限がかかるのは、ある意味では良いことなのかもしれない。


「…………南南西から信号が来てる」

不意にもぞもぞと動き、起き出した滝壺。
目をこすりながら、きょろきょろとあたりを見回す。

「はまづら、近くにきぬはたのAIM拡散力場を感じるよ」

「やっと来たのか」

ベンチに座って約一時間以上。
立ち上がって冷えて固まった体を伸ばしていると、公園の入り口に小さい影が見えた。
栗色の髪に、体にフィットしたニットのワンピース。
まごう事なき懐かしい仲間、絹旗最愛の影だ。

「おーい、絹旗ー」

手を振り呼びかければ、向こうもこちらに気付いたようで、駆け足で寄ってくる。
ここまで近寄ればわかる。彼女の口元には笑みが浮かんでいる。

「はーまーづーらー!」

「はっはっはーさあ来い絹hぎゅぷるっ!?」

冗談のつもりで行った、両手を大きく開いたウェルカムポーズ。
当然足は大きく開かれている。
浜面の腕の中に飛び込むかと思った瞬間、絹旗はボールを思い切り蹴るかのごとく大きく足を振り上げた。
つまり、それは浜面の足と足の間を一直線に上昇したわけで。
簡単に言えば、絹旗はその細い足で浜面の急所を蹴り飛ばしたのだ。
ボールには間違いない。


地面に這いつくばり時折びくんびくんと痙攣する浜面を踏みにじり、絹旗はゴミを見るような視線を飛ばす。

「超浜面の癖に相変わらず超キモいんですよ。能力を使わなかっただけ超感謝するんですね」

「……き、きにゅはた……そこはマジでシャレににゃんねぇっつの……」

「きぬはた、さすがに今のははまづらが可哀想だと思う」

「いいんですよ! 聞けばもう一か月前には超帰ってきてたらしいじゃないですか! 私を一月も超放置した罰です!」

絹旗は小さな体を最大限に膨らませて怒りを表現する。
内股で体をぷるぷる震わせながらもなんとか立ち上がった浜面が、青い顔で呟いた。

「お前……もしきゃして、しゃみしきゃったのか……?」

「なっ!?」

対照的に赤くなった絹旗が浜面の脛を蹴飛ばす。

「超そんなわけないじゃないですか超不快です超不愉快です超浜面の癖に超ナメた口きいてくれますね超コノヤロー!!」

「痛ェ! 痛いっつーの! 頼むからスネをつま先で連打するのやめてくださいお願いします!」

じゃあ踵です! 余計痛いわ! などとじゃれあう二人を見て、滝壺は柔らかく微笑む。


「はまづらも、きぬはたも、まるできょうだいみたいだね」

「滝壺さん、それは超酷いです! こんな図体ばかり超デカくてデリカシーゼロの弟なんて死んでも超いりません!」

「そろそろ俺の心の装甲もへし折れてきますけどね! つーかなんで俺が弟なんだよ!」

「そこはほら精神年齢的にですね……」

「じゃあ、私が一番上のお姉ちゃん」

なおも浜面の脛を蹴飛ばし続ける絹旗を、滝壺は後ろから優しく抱きしめた。

「ただいま、きぬはた」

「…………お帰りなさい、滝壺さん」

わずかに頬を染め、伏し目がちながらも、絹旗は嬉しそうにつぶやいたのだった。




「………………………………………………………………………………………………俺にはお帰りなさいはないの?」

「超どうでもいいです。いっそ帰ってこなくても超良かったのに」

「……さいですか」


「──そっか、今は他の組織に入れられたのか」

「臨時の代替要員ですけどね。今のオシゴトが終われば超オサラバです」

歩きながら、簡単に互いの近況を報告し合う。

「あくまで私の所属は『アイテム』ですから」

「……うん、そうだよね。きぬはたは大事な私たちの仲間だもん」

「そういうこったな」

「……なんで浜面が私や滝壷さんと同格ぶってるんですか。
 あくまで浜面の立場は『アイテム』の超小間使いなんですから、そこはきちっと超弁えて下さい」

「……やっぱり俺の扱いはひどいのね」

「犬のしつけは最初が超肝心というでしょう? この駄犬」

「だいじょうぶ。私はいつまでも下っ端扱いのはまづらも応援してる」

「滝壺まで!?」


「……そう言えば、二人はロシアへ脱出したのでしょう? 戦争の超中心地でしたけど超大丈夫でしたか?」

「いんやぁ、ずっとヒヤヒヤしっぱなしだったよ。なぁ、滝壺?」

「私はずっとはまづらのお世話になってたからそれほどでもないけど、はまづらはきっとずっと大変だったよね?」

「そんなことねーよ。世話になったのはお互い様だし。滝壺がいなかったら俺だって今頃は死んでただろうしさ」

「はまづら……」

(…………なんですかこの空気、超不快です)

いつの間にこの二人の間にはこんなピンク色の空気が漂うようになったのだろう。
ああ、無糖のコーヒーが飲みたくなる。


「第三次世界大戦ではなんだがずいぶんと超オカルティックな現象が目撃されたようですが、何か超面白そうなものは見れましたか?」

「……面白いもんなんてなかったよ。どこへ行っても、どこまで行っても血と硝煙と死と陰謀の匂いしかしなかったさ。
 ただ、まあ、なんというか……?」

そこで浜面は言葉を切る。
彼自身にもどう説明したら良いか分からない。

例えば雪原で助けてくれた、大剣を片手で振るい水を自在に操る「後方のアックア」と名乗った大男。
例えば滝壺の治療をほどこしてくれた「エリザリーナ」という女性。
この二人には共通点がある。

『マジュツ』
エリザリーナは滝壺の治療手段を指して、確かにそう言った。
「科学技術」とも「超能力」とも違うソレを、浜面は確かに見た。

だが、それをどう表現すべきか、浜面には分からない。
学園都市の超能力とは別種の、通常の法則を超越する『未知の法則』。
そんなものの説明など、どうすればよいのか。

とりあえず、見たまま聞いたままを話してみた。
一笑に付されるかと思いきや、絹旗は意外にもそんなことはせず、考え込むようなそぶりを見せる。


「『超能力』とは異なる、学園都市外の人間の『能力』ですか……」

「絹旗、何か心当たりでもあるのか?」

「いえ、暗部にいると"不可解な"事件の情報が得られることが超あるんですよ。
 七月末の『民家爆発事件』とか、九月頭の『岩石の巨人を操る女』とか。
 直近では0930事件ですね。学園都市の技術や能力では単騎で学園都市を落としかけるなんて超無理ですよ。
 あの時の侵入者に応対した警備員や暗部の人間は、みんな不自然な形で倒れてたそうですし」
 
「体内の酸素濃度が異常に低くてほとんど仮死か冬眠みたいな状態、だっけ。
 あの時の侵入者も『マジュツ』を使っていたのかな……?
 学園都市が『ローマ正教は魔術という名の能力開発をしている』と声明出したのはあの直後だったよね」

「"上層部"は『マジュツ』の存在を知っているんでしょうか……?」

「0930事件と言えば、『天使』が目撃されたっていう事件でもあるよな」

「そうです! 私もその『天使』、超見ましたもん!
 直接は見えなかったんですけど、こうビルの間を縫って、雷みたいな翼が超ブワーーッ!! と広がったり、
 翼の間からビームみたいなものが超ズドーーン!! とですねー!」

その光景が余りにも印象的だったのだろう、大興奮で絹旗ははしゃぐ。


「あの『天使』、一体なんだったんでしょうね?」

「少なくとも侵入者が使ったものじゃないと思う。
 学園都市の九割が陥落した状態であんなもの使う意味がないし、仮にそうだったら私たちは今ごろ生きてないよ」

「そうだろうなぁ……。まあ、ぶっ倒れてて気づいたら全部終わってた俺が言うのもなんだけどさ」

「えっ、やはり浜面は超浜面でしたか。あんな映画みたいに面白いものを放って寝てるなんて超もったいないです」

「いやな、あの日は大雨が降ってたろ。
 だからスキルアウトの仲間たちとアジトでごろごろだらだらしてたんだよ。
 面白い番組もないからテキトーにテレビのチャンネル回してたら急に眠くなって、気付いたら翌朝で街が大ダメージよ。
 皆が皆そんな感じだったから、あの時は皆で首を捻ったなぁ」

「それ、ただ単に皆で超寝過しただけじゃないんですか?」

「皆同じところまで記憶があって、同じ時刻に起きたんだぜ?
 酒飲んだわけでも、疲れてるわけでもないのに十数時間も寝てたわけだし、妙だなぁって思ったんだ。
 ……今にして思えば、アレが『マジュツ』だったのかもな」


浜面は立ち止まり、絹旗のほうを向く。

「──絹旗は、これから予定とかあるのか?」

「あったら今日は来ませんよ」

「……これからね、むぎののお見舞いに行こうかと思ってるの」

「……麦野、ですか」

絹旗は複雑な顔をする。
それは当然かもしれない。

仲間を売ったフレンダか、仲間を殺した麦野か。
『アイテム』崩壊の責任がどちらにあるかと言われれば、決めるのは難しい。
片方を一方的に責められる問題ではない。

所属する組織を売ると言う行為は、どのような場合においてもご法度だ。
それが利害関係のみで動き、信用はしても信頼はない暗部であればなおさらのことだ。
我が身かわいさに組織を危険にさらした、その事実だけで『事実上の敵』認定されてもなにもおかしくはない。

一方で、組織を売った人間を粛清するという行為には二つの意味がある。
一つはそれ以上の情報流出を防ぎ、組織への被害の拡大を阻止するということ。
もう一つは、それ以上の離反者を出さないための組織内の人間への示威行為だ。

それは鉄火場に身を置く組織において頂上に立つ者の責務。
あの時麦野がフレンダの上半身を持って現れたのは後者の意味でだろう。


暗部に身をやつす者であれば半ば当然の事。
だが、暗部に落とされて間もない浜面にはとうてい受け入れられるものではなかった。
結果彼は麦野と対立し、三度にわたる死闘の因縁はここに起因する。

麦野の責務も浜面の感情も理解できるからこそ、絹旗は何も言わない。
任務から離れたところでは、彼女は仲間を思いやれる少女だ。
だから、あえて的を外したことを言う。

「じゃあ、シャケ弁を超山ほど買っていかなければいけませんね。
 そろそろ血中のシャケ成分が超切れて、看護婦さんに半狂乱で超掴みかかるころなんじゃないですか?」

そんな彼女の思いやりを、浜面もしっかりと受け止める。

「そうだな。どっかコンビニによっていこうぜ。
 パックのサーモンとか鮭とばとかも大量に買いこんで行ってやるか」

「浜面の超オゴリですからね」

「…………おう」


浜面の両手にぶら下がるビニール袋の中には、ぎっしりと鮭製品が詰め込まれている。
恋人に男の甲斐性を見せる前に、絹旗に「これは浜面の超仕事ですよね」と持たされたのだ。
これを平らげようとしたらどう控えめに見ても塩分過多になるだろうが、見舞い相手が喜ぶのなら構わないだろう。

院内にアルコール飲料などを持ちこまないよう、見舞いの品はチェックされる。
鮭フレーク、鮭とば、鮭、鮭、鮭……と次から次へ出てくる鮭製品に受付は戸惑うも、無事に許可は出た。
唯一、鮭弁当だけは病院食が出るからと没収されてしまったが。

麦野に見舞いに行くことは知らせていなかった。
どのみち病院からは出られそうにない体調だし、そもそも携帯の使えない院内では麦野から連絡を取ろうと思わなければ取るに取れない。
そして、何か思うところがあったのか彼女が浜面や滝壺に連絡を取ってくることはほとんどなかった。

だから、病室を訪れた時不在であれば、どこへ行ったのだろうと心配にもなる。

「……シャケ成分の禁断症状が出て、売店でも超襲撃しに行ったのでしょうか」

「売店は一階にあったろ。あそこ襲ったならすれ違うくらいはするさ」

「では、知り合った他の患者さんのところに超遊びに行っているとか?」

「……麦野にそんなコミュ力があると思うのか?」

「あーあ、麦野に超チクったろ」

「あっ、てめぇ!」

「ねぇ、二人とも」

にわかに始まりかけた取っ組み合いは、滝壺の一言で終わった。

「屋上から、むぎののAIM拡散力場を感じるよ」


滝壺理后の能力は、『能力追跡(AIMストーカー)』という。
一度記録したAIM拡散力場の持ち主を、たとえ太陽系の外に出ても追い続け検索・補足出来る。
他にもAIM拡散力場に干渉して能力者のパーソナルリアリティを乱すことで、攻撃への応用も可能であるが、
その発動の為には『体晶』という能力を暴走させるための劇薬が必要不可欠であった、はずなのだが。

「……『体晶』なしで、ある程度の能力使用ができるようになったんですか?」

「うん。さすがにフルスペックでの能力使用はできないけどね」

滝壺はVサインを作って見せる。

「だけど、たくさんの人の中からよく知ってるAIM拡散力場を感知するくらいはできるよ。
 判別はできなくても、知らない人のAIM拡散力場の強弱くらいも」

「はー……なんだか超便利になりましたねぇ」

「屋上って、確かビオトープと庭園があったよな?
 天気いいし、そこで日向ぼっこでもしてるのかね」

浜面は適当な予測を呟くが、その時、


「……むぎのの近くに、強いAIM拡散力場を放っている人がいる。レベル4、ううん、多分それ以上の」

滝壺の言葉に、浜面と絹旗に緊張が走る。

麦野沈利は満身創痍だ。
一月近く病院で体を休めていたとはいえ、本調子にはほど遠い。
『アイテム』、特に麦野に潰された人間は数知れず、報復をするならば今しかないだろう。
あるいは、浜面らを消すために彼女をロシアに送り込んだ連中が口封じに現れたか。

三人は弾かれるように病室を飛び出し、看護婦の注意も聞かずに廊下を走り抜け、階段を駆け上がる。
麦野を消しに来たのだとすれば、相手は暗部の人間である可能性が高い。
こちらでまともに戦力になりそうな戦力はレベル4の絹旗だけだ。慎重に行かなければ返り討ちにあうかもしれない。

屋上への扉は開いていた。
三人は姿を不用意にさらさぬよう慎重に死角へと隠れ、そっと屋上の様子をうかがう。


屋上には、人は二人だけ。
一人は三人もよく知る麦野沈利だ。
ビオトープの向こうでもう一人を見据えながら、何か面白そうなものを見つけたような表情をしている。

もう一人は、シャンパンゴールドの髪を風になびかせた、どこかの制服を着た少女。
浜面たちに背を向けているため表情は見えないが、レベル5の前に立ってなお堂々としている。

浜面がそっと顔をのぞかせると、少女はぴくりと反応するも、振り返りはしない。
もしかしたら滝壺のような探知系の能力者なのかもしれない、と浜面は推測した。

だが、実際は違う。
少女のレーダーに浜面が触れた、というだけのこと。
相手の位置さえ捉えていれば、例え背後からだろうと彼女への不意討ちは不意討ちにならない。
それよりも、警戒しなければならない相手が目の前にいる。

レベル5第四位、麦野沈利。
かつて刃を交わした相手だ。
かろうじて退けはしたものの、それが今回もできるとは限らない。


「……久しぶりじゃねぇか、『超電磁砲』」

栗色の美しい髪を風に流し、『原子崩し』は不遜に笑う。
彼女の目の前に立つのはレベル5第三位、『超電磁砲』だ。

第三位と第四位。因縁を持つ少女たちは、今ここに再び対峙した。

今日はここまでです

美琴は出ないと言ったな、アレは嘘だ
なんで麦野とにらみ合っているのかはまた次回に

こんばんは

と言ってももう深夜ですけれど

前回は生殺しで申し訳ありません
『アイテム』視線で書いてみたかったのと、「さすがに50レス近くを一度に投稿するのは書くのも読むのもしんどいだろjk……」的な事情がありまして

では投下していきます


時は少し遡る。

御坂美琴は今日も上条当麻の見舞いに訪れていた。
一端覧祭の準備を終えてしまった学校は多いが、一部例外もある。
例えば調理販売を行うようなところは今頃食材の調達に走っているだろうし、
どこかの教室を占有して出し物をするところは前日に手際よく組みたてられるようにしておかなければならない。
準備期間ギリギリまでクオリティアップに余念がない、というところもある。

上条のクラスもそのタイプのようで、ここ数日は見舞いに来てくれる時間もないらしい。
なので見舞いに行けばしばらくは二人きりでおしゃべりし放題と言う、美琴にとってはある意味至福の瞬間だったのだが、
今日はちょっと様子が違った。

「お姉様っ!」

「うわ、ちょっ、打ち止め!?」

病室の戸を開けるなりぴょーんと飛びついて来たのは、美琴の妹の一人である打ち止めだ。
その向こうで、ベッドに腰かけた上条が苦笑している。

「あんた、なんでここに?」

「カミジョーのお兄ちゃんに遊んでもらっていたのだ! ってミサカはミサカはお姉様に報告してみる!」

見れば、ベッドの上にはカードゲームやボードゲームがいろいろと乗っていた。

「へぇ、良かったじゃない。あんたたち、いつのまにか仲良くなったのね」

「初めて会ったのは9月30日だよ、ってミサカはミサカは思い返してみる。
 あの時お姉様にも会えたのに、結局お話する機会はなかったんだよね、ってミサカはミサカは残念がってみたり」

「ゔっ、あの時は私もイロイロとイッパイイッパイだったのよ。
 10032号のネックレスとか、コイツに抱きついたりとかー!」

「……何の話だ、それ?」

わたわたと上条を指さしながら釈明する美琴に、彼は訝しげな視線を向ける。


「10032号がオープンハートのネックレスをしてるのは知ってるよね? ってミサカはミサカは確認を取ってみる」

「あのハートの中をチェーンが通ってる奴だろ?」

「それ、あなたがあのミサカに買ってあげたものなんだよ、ってミサカはミサカは暴露してみる」

「……そうなの?」

上条の頭の中に、彼女にネックレスを買い与えているところの想像図が浮かぶ。
なんだかずいぶんとキザなことをしていたのかもしれない。

「……私としては、あの子にどーいう名目でネックレスをあげたのか気になるんだケド」

「…………俺に聞かれても覚えていませんことよ、お姉様」

「あの時の10032号はミサカがゴーグル持って行ったせいでお姉様や他のミサカと見分けがつかなくなっちゃったから、
 その識別のための臨時のものだったんだよ、ってミサカはミサカはなんだか怖い雰囲気のお姉様をなだめてみる……」

「……特に、やましいところは何もなかったのね?」

「だと思うけど……、ってミサカはミサカは自信なさげに答えてみる。10032号が喜んでたのは事実だし」

「ならばよろしい」

纏っていた怒気を拡散させ、美琴はふぅと息を吐く。


「お姉様もネックレス欲しいの? ってミサカはミサカは素朴な質問をぶつけてみる」

「ふぇ!? わ、私は別に、その、なんていうか……。校則で禁止されてるし、その、貰っても困るっていうか……」

校則うんぬんなんてのは照れ隠しだ。貰えたら嬉しいに決まってる。それどころか有頂天になるだろう。
だが自分から「欲しい」というのも恥ずかしいし、なんだか厚かましい気がする。
そんな二律背反の思考からモジモジしていると、

「いろいろと頃世話になってるしその礼ってことで、俺のこづかいで買える程度なら買ってあげても良いぞ」

「ほ、ほんと!?」

相手から言い出してくれたなら別の話だ。

「か、可愛いのがいいなぁ」

「うーん、俺には女の子が喜びそうなのはわかんないしなぁ。退院したら一緒に見に行こうぜ」

「……約束よ、絶対だからね!」

図らずもデートの約束まで取り付けられてしまった。
上条はなんとも思っていないかもしれないが、こちらがデートと思えばデートだ。


そんな二人をにまにまと眺める少女が一人。
打ち止めはぴょんっと上条の膝の上へと飛び乗る。

「むふふー」

「うわっと、あぶねー」

小さいとはいえ、10歳相当の少女が飛び乗ればそれは相当の衝撃となる。
うまく彼女を抱え込むことで、上条は二人ともバランスを崩すことを避けた。

「こうしてると、カミジョーのお兄ちゃんは本当のお兄ちゃんみたいだよね、ってミサカはミサカは感想を述べてみる」

「そうかぁ? 俺一人っ子だから兄貴ってのがどんなものかわかんねーぞ」

「ミサカだけじゃないよ。他のミサカたちもカミジョーのお兄ちゃんを実の兄のように思ってるんだよ、
 ってミサカはミサカは驚愕の事実を伝えてみる」

「お兄ちゃん、ねぇ」

これは少し語弊がある表現かもしれない。
妹たちの感覚はいまだ未分化であり、自己の感情を冷静に分析できる個体は少ない。
兄に対する憧れ、想い人に対する慕情。
その両者がごちゃ混ぜになっている、というのが正しいだろう。


「だから」

だが、今はそれを横に置く。目的は目の前の純情な姉をからかうことにあるのだから。

「もしお姉様とカミジョーのお兄ちゃんが恋人同士になったら、ミサカたちはお兄ちゃんを『お義兄様』って呼んだ方がいいのかなぁ?
 ってミサカはミサカはにまーっとほくそ笑んでみたり」

「は、はぁっ!?」

「あー、もしそういうことになったら、そうなるの……かなぁ?」

瞬間湯沸かし器のように沸騰した美琴に対し、上条の反応は鈍い。

「な、な、なんでそんなことになるのよぅっ!?」

怒りか羞恥かぷるぷると震えだす美琴に、打ち止めは追い打ちをかけていく。

「あれれー? お姉様的にはありえない未来予想図なのかなー? とミサカはミサカは火に油を注いでみる」

「~~ッ!? ちょ、ちょっと電話かけなきゃ行けない用事があるから、出てくるっ!」

逃げ出すように、美琴は病室からあわただしく走り去ってしまった。


ぽつんと置いて行かれた様子の上条がつぶやく。

「なんだったんだ、あいつ……痛っ」

打ち止めの右足のかかとが、鈍感野郎の脛に制裁を加えた。


早歩きで、美琴は病院の廊下を行く。

(い、一体なんだってのよもう!)

一番小さな妹にまでやり込められてしまった。
危うく想い人の前で想いを暴露されかけた羞恥と、微塵も気づいてくれなかった怒りに震え、自然と足は速くなる。


(…………なんだか、最近こんな感じばかりだなぁ)

上条のそばにいるとつい浮かれてしまうのか、最近は随分と知人にからかわれることが多くなった。
そのたびに赤くなったりしていては身が持たない。

想いを自覚してからこちら、なんだか自分の心が弱くなった気がする。
ロシアで上条が死んだと思い、そして生還したことも関係しているのだろうか。

何にせよ、頬の赤みはしばらくとれそうにない。
友人と一端覧祭について話でもしようと思い、美琴は屋上の庭園を目指した。


屋上には人が一人。
比較的元気な入院患者で、昼食を庭園で取ったのだろう。
"彼女"はその手に空になった盆を持っていた。

美琴は彼女の顔に見覚えがあった。
忘れもしない、あの真夏の悪夢の一週間の中で殺し合いをした女。

麦野沈利。レベル5第四位『原子崩し』。
学園都市の"闇"に潜む、暗部組織の一員だ。


「……久しぶりじゃねぇか、『超電磁砲』」

向こうもこちらに気づいたようで、その唇を弦月のように曲げる。

シャンパンゴールドの髪を揺らし、美琴はその敵意を正面から受け止めた。


「ど、どうするんだよオイ……」

浜面仕上は庭園の様子を伺いながら、仲間へと尋ねる。
片手で確かめるのはジャージの下に隠した固い感触。
『取引』の結果平穏を取り戻したとしても、学園都市を完全に信用し切ったわけではない。
そのための用心が今日ここで役に立つかもしれない。

レベル5第三位『超電磁砲』。
"あの"麦野沈利よりもさらに上位に立つ少女だ。
そんな相手に、自分たち三人と傷ついた麦野で対処できるのだろうか。

「……だいじょうぶ、『超電磁砲』は暗部の人間じゃないよ」

答えたのは滝壺だ。
その答えに浜面はほっと胸を撫で下ろす。
が、

「だけど、むぎのから手を出したとしたら、例えむぎのの体調が万全だったとしても勝てないと思う」

続いた言葉に戦慄した。
麦野の破壊力は、対峙した浜面自身がよく知っている。
暗部の人間でもないのに、彼女が万全の状態としても勝てないというのは、つまり対峙する少女が更にそれを越える破壊力を持つということになる。

かつて垣間見た、第一位や第二位の能力。
あの麦野"すら"、『たかが第四位』と侮れるほどの実力。
そして、『超電磁砲』はその次に列せられる能力者だ。
彼らに匹敵する力を持っていても不思議ではない。

かつて見た最上位二人の能力を思い出し、浜面は震える。


「……『超電磁砲』って、そんなに超強いんですか?」

訝しげに絹旗が問う。

「そっか、きぬはたはあの時いなかったもんね。『超電磁砲』の体をよく見て」

頭部も、腕も、足も、見える範囲には傷一つない。

「特に変わったところはねぇぞ……?」

「うん、傷一つないよね。
 あの子、夏休みに『アイテム』とたった一人で交戦したんだよ」

「!?」

浜面と絹旗は顔を見合わせる。

「あの時ははまづらはまだいなかったし、きぬはたは別動任務だったよね。
 私と、むぎのと、フレンダで『超電磁砲』と戦ったの。その結果が、今のあの子」

「あの時の『インベーダー』ですか……」

「『AIMストーカー』を発動させた私と、むぎのの『原子崩し』。
 それから無傷で逃げ切った人は、あの子が初めて」


アイテムの主砲たる麦野の攻撃の貫通能力は折り紙つきだ。
常に位置情報を得られる滝壺との組み合わせは暗部でも最強クラスの攻撃力と言っていい。
その威力はまさに一撃必殺、死ぬとはいかなくても当たれば確実に後遺症の残る怪我は負うはずだ。

だが、彼女は五体満足のまま今再び麦野の前に立っている。
つまりは、麦野の攻撃を『超電磁砲』は難なくいなせるということであり、その底力は計り知れない。
そこまでの実力差。現状の不利さは圧倒的だ。

「……ということは、彼女のAIM拡散力場を滝壺さんは超記憶していたのでは?」

「……なんでかな」

滝壺は小首をかしげる。

「『超電磁砲』のAIM拡散力場が、夏休みの時とはちょっと異質な感じがするの。
 揺らいでるというか、変質してると言うか、とにかく覚えてるのとは微妙に違うみたい。
 何か、精神的に大きな刺激を受けたような……」

「……中坊だし、多感な時期だからか?」

「それだけじゃないの。『超電磁砲』と似たようなAIM拡散力場がこの病院のあちこちから感じる。
 それらと相互に影響し合ってるせいで、あの子のAIM拡散力場はなんだか上手く捕捉できないみたい」


夏休みはまったくそんなことはなかったのに。
経験したことのない未知の現象に、滝壺は珍しく困惑の表情を浮かべる。
それは浜面も同様だ。

ただ一人、絹旗だけは思案顔をしている。
『グループ』の作戦に従事している彼女は、付帯情報として美琴が時折『妹達』の元を訪れていることを知っている。
既存の『妹達』に関してはどうでもいいと読み流していたが、その病院がおそらくここなのだ。
滝壺を混乱させているAIM拡散力場は『妹達』のものだろう。

『グループ』の情報では、彼女が『第三次製造計画』に携わっていると言う情報はない。
ならば、麦野が害されない限りは捨て置いておいても問題はないか。


絹旗は物心ついたころから学園都市の闇の中にいた。
闇の中の流儀というものは体の髄まで染みついている。

だからこそ、本来の味方に対しても「任務従事者以外への秘密漏えいはご法度」という鉄則を堅持した。
この事が時流の流れを大きく変えることとなる。

もし絹旗が『妹達』や『グループの任務』のことを仲間に話していたら。
または『アイテム』として動いていたこの時に、偶然にも絹旗が番外個体に遭遇していたら。
きっと物語は違った様相を見せただろう。

だが、物語は『そう』はならなかった。
誰かの『悪意』が刷り込まれ、かと言ってそれを功を奏すこともなく。
シナリオは歪まされたまま、別の道筋をたどる事となる。


にらみ合いを続ける美琴と麦野。

「……私も久しぶり、って返せばいいのかしら、『第四位』?」

「おやおや、つれねぇなぁ『第三位』。あの夜はあーんなに激しくヤり合った仲だってのによ」

「お生憎様。私は私より強い男にしか興味がないの」

「マセガキが。中坊のくせに男にケツを振るズベ公とは、"常盤台のエース"の名が泣くんじゃねぇのか?」

言葉の端はしに棘がこもる。
獲物を見つけた猛獣のような獰猛な笑みを浮かべる麦野に対し、美琴の瞳は冷ややかだ。

「そんな周りが勝手に囃したててるもんなんて勝手に泣かせておきゃーいいのよ。
 どう言葉で飾り立てたところで、どうせ私は私でしかないんだから」

「おーおー、カッコいい台詞だねぇ。
 世界が自分を中心に回ってると勘違いしてるチューガクセーの痛い考え方だ」

「……はぁ、めんどくさ。
 何よ、何か用でもあるの? また大暴れするつもり? それともリベンジマッチでもしに来たの?」

ならば止める、とばかりに美琴は周囲に意識を向ける。
ここは病院だ。強力な電力も磁力も使えない。
けれど、ここには妹たちや上条がいるのだ。何としても止めなければならない。

だが、麦野から返ってきた答えは拍子抜けするものだった。


「はぁ? なんで私がそんなことしなきゃいけないのよ。
 暴れたいほどカラダを持て余してるなら、家に帰って一人でオナニーでもしてるんだね」


「は、はァッ!?」

つややかな唇が紡いだ言葉に、美琴はたじろいでしまう。

「あぁ? なんか変なこと言ったかよ」

「いやアンタ今こんなところでその、オ、オ、やっぱりなんでもないっ!」

「……ほーぅ?」

美琴がうろたえている理由を突きとめて、麦野の口端がにぃと持ちあがる。

「んだよ、温室育ちのお嬢様はオナニ ーも知らないってかぁ? 気取ってんじゃねぇぞ。
 野郎の[ピーーー]突っ込まれる妄想でもしながらテメェの[ピーーー]に指突っ込んで[らめぇぇっ!]って喘いでりゃいいんだよ!
 それとも後ろの[ピーーー]に[禁則事項です]突っ込むほうがお好みってかぁ!?」

「な、な……、な……ッ!」

麦野が矢継ぎ早にまくしたてる淫語の数々に、美琴は羞恥に震える。
白井とは別ベクトルのセクハラ攻撃ではなかろうか。


「こっ、公衆の面前でそんなことを平然と叫ぶなんて! この変態!」

「けっ、どーせテメェだって全部意味分かってんだろぉ? カマトトぶってんじゃねぇぞ売女ァ!」

「あーうるさい! いたいけな中学生にセクハラすんな!」

赤みを帯びた頬を、美琴は手で仰ぐことで冷やそうとする。

「女性としての品格に欠けるわね。それとも枯れたオバサンだからしょうがないのかしら!?」


ああ、あの子死んだな、と浜面は思った。
この距離でも麦野の額の血管が千切れる幻聴が聞こえる。
それほどまでに麦野の憤怒のオーラはすさまじかった。


「だ……誰がババァだこのクソガキィィィ!!」

これでも未成年だ。
怒りのままに、麦野は空の盆を放り投げ、右腕を振るう。
その軌跡に現れたのは青白い光。

『粒機波形高速砲』。

麦野の能力により『曖昧なまま固定された』電子を強制的に動かし、放たれた速度のまま対象を貫く特殊な電子線は、
その性質故にあらゆるものを貫く最強の矛にも、あらゆるものを防ぐ盾にもなる。
麦野が放った悪意の光は、そのまま美琴を貫くはずだった。


バヂィ!! と空気が爆ぜる音がした。
『粒機波形高速砲』が美琴に当たる瞬間、彼女は右手をかざし、紫電を纏っただけ。
それだけのことで、放たれた光線は美琴の手前で虚空へと掻き消える。
当然、美琴は無傷だ。


「す、すげぇ……」

麦野の光線を弾いた美琴を、浜面は驚愕の表情で見つめる。
万全の状態ではないとはいえ、仮にもレベル5の出力だ。
それを微動だにせず防いでみせた少女もまたレベル5。
しかも、恐らく本気は出していない。


(……妙だな)

能力を掻き消された麦野は、妙なイメージを受ける。
麦野も美琴も能力の根本は同じ電子操作だ。
より強い力にねじ伏せられるという理屈は分かる。
だが、


(私の粒機波形高速砲を『かき消した』……? 夏休みはせいぜい弾くのがやっとだったってのに)

無論、麦野の出力が低下していることは自覚している。
だが、例えば最大出力10億ボルトの『超電磁砲』の出力が一割に減ったところで、レベル4相当の1億ボルトは扱えるように、
麦野の能力に制限がかけられたところで、決して凶悪な殺傷性が消滅したわけではない。
自身の能力の低下。相手の能力の向上。
それを考慮しても、納得のいく現象ではない。


(何? 今の感じ?)

違和感を感じたのは、美琴も同じ。
夏休みの経験から、彼女は粒機波形高速砲を『弾く』のが精一杯だと判断し、そう行動した。
だが、結果は予想以上。
美琴の干渉により、粒機波形高速砲は弾かれもせず、ただの電子へと還って行った。

ある程度以上の強度で能力を使ったのは久しぶりだ。
だから、能力の制御が甘いのだろうか。
演算式に問題はないが、どことなくピントが合わないような、そんな不快感。

だが、今はそんなことにかまってはいられない。

「……あんたがその気なら、こっちにだって考えがあるわよ」

表情を引き締めた美琴が取りだしたのは数枚のコイン。
彼女の『超電磁砲』は直撃せずともその余波だけで人を吹き飛ばすくらいはできる。
麦野がこの場で大暴れしようと言うのなら、その前に止める。
その覚悟を美琴は決めていた。
だが、

「……ちょっとじゃれただけでしょうが。本気にしてんじゃねーよ。
 そもそも自分が入院してる病院を吹き飛ばそうとするアホがどこにいるのよ」


良く見れば、麦野が纏っているのはこの病院の入院着だ。
上からコートを羽織っているせいで今の今まで気づかなかった。

「だから言ってんだろうが。『なんでそんなことしなきゃいけない』ってよ」

「……いまいち信用できないわね」

進んでヒトゴロシを行う人間の言葉など、信用するに値しない。
麦野は見たところ、どこも悪いようには見えない。
しっかりと自分の足で立っているし、顔色だって悪くはない。

「入院してんのは本当よ。ほら」

そういうなり、麦野は自分の顔の右側に手を当て、かぱっとまるで"仮面を外すかのように"手を離した。

「…………ッ!?」

「ほーら、ビビってんじゃねーよ」

その手の下は、一言で言えば"崩壊"していた。
瞬き一つしない目は義眼だろう。
その周囲は赤黒くただれたケロイド状になっており、右目を掻っ切るように一筋の大きな傷が走っている。


その傷痕に戸惑い、怯えるような美琴の表情を満足げに見つめ、麦野は特殊メイクを元に戻す。

「ついでに言うと、左腕はこんな感じ」

コートの左腕の袖を、ぐいっとめくって見せた。
白い手袋をはめ、手首から先は普通の手のような先の構造になっていたので見た目からはわからなかったが、
腕の部分は全く異質の、板状のパーツで構成されていた。
当然、生身のものではない。

「ま、こんなんでも実の腕以上には動かせるんだけどよ」

手袋を外し、手首や肘などを自在に動かして見せる。
本来なら曲がらないであろう角度にまで関節が曲がる義腕を見て、麦野はケタケタ笑った。

「まだまだこんなもんじゃねーぞ。胸や腹は銃痕だらけだし、内臓を補助するための機械は埋め込まれてるし。
 有名な映画になぞらえるなら、『わが夫となるものはさらにおぞましきものを見るだろう』ってとこか」

美琴は痛々しそうに義手を見つめる。
夏休みに戦った時はその応酬の中でたがいに傷を負い、その時は麦野の左腕も顔の右半分も普通に流血していたように思う。
だが、今やその箇所は見るも無残な様相を呈している。

「……なんで、そんなことになっちゃったのよ」

麦野の惨状に圧倒されたまま、美琴は呆然とつぶやく。

「なんでって、そりゃ派手にヤりあった怪我に決まってんだろーが。
 殺すも殺されるも紙一重の暗部にいるんだ。ちょいとトチればこんな感じになるのは当たり前だろ。
 ……ま、生きてるだけマシってとこかね」

美琴から目を反らし、空を見上げる。
思い浮かべたのはこの手で命を絶った元仲間のこと。
一体、どのような思いが胸の中を渦巻いているのだろうか。


「……ねぇ」

「なんだよ」

「……あんた達は、どうして平気で殺し合いができるのよ」

人を殺してはいけないなどと、子供でも分かるような倫理だ。

「決まってんだろ。そうでもしないと生きていけねぇからだよ」

麦野はつまらなさそうに答える。
以前の麦野なら、適当に美琴をあしらって終わりにしただろう。
機密保持は暗部組織の鉄則だ。

だが、今日の麦野は何故だか口が軽い。
『闇』のくびきを、わずかながら外されたからか。

「……世の中には『必要悪』ってもんが存在すんだよ。
 光の当たる世界があれば、その裏には確実に闇の世界がある。
 私たちみてぇなクズの塊でも、ゴミ掃除くらいには役に立つ」

「……ゴミ掃除」

「そんくれぇクソガキでも分かんだろ? 学園都市に害をもたらすアホどもの"処分"だよ。
 指定されたポイントにいってターゲットの頭を吹き飛ばして終わり。
 あるいは捕まえてクライアントに引き渡してシューリョー、てなもんだ」

学園都市の闇に蠢き、不穏な動きを見せる上層部や研究者たちの暴走阻止。
それが『アイテム』に与えられていた主任務だ。
他の組織もほとんど同じだろう。


「そんな境遇に堕ちて行くまで、何があったの……?」

「"堕ちて行く"? はっ、笑わせんなよ『超電磁砲』。
 私たちみたいなゴミは"堕ちた"んじゃない。"初めからそこにいた"のさ」

例えば行き場のない重犯罪者。例えば親に捨てられた置き去り。
この都市の闇に囚われた人間に、人権など存在しない。
脳みそをケーキのように切り開かれた人間も、死ぬよりひどいことになった人間もいる。
暗部の人間としてうまく活(生)かされているだけ、自分たちはまだマシなのではないか。

「まあ別に、だからどうこうってわけでもねぇけどな。
 適当に能力使ってターゲットを吹き飛ばせば金が手に入る。傭兵と一緒だ。
 自分の能力を最大限に活かした天職ってやつなのかもしんねぇな。
 金目当てに命をかけて戦えるなんていうクズのウォーマニアックスどもには、心地良い場所なのさ」

麦野はくっくっと喉を低く鳴らす。
だが、自分を自嘲気味に「ゴミ」「クズ」と表現する麦野の姿は、何故だか美琴には妙に寂しげに見えた。
だから、つい呟いてしまった。


     「あんたは、後悔してるの……?」


その言葉に、麦野の眼が見開かれた。


「……てめぇ、今なんつった?」

「だってそうでしょ? 本当に"そこ"が心地良いと思ったなら、"辛い"なんて口に出ない。
 押しつけがましく、『感謝しろ』だなんて言わない。
 それは、あんたがまだ『表の世界』に未練があるからこそ出た言葉なんじゃないの?」

「……テメェみたいなガキに何が分かる!!」

麦野は怒りもあらわに美琴に掴みかかり、その胸倉をつかみ上げる。
ぶちぶちと千切れるYシャツのボタン。

「テメェみたいに世界の本質が優しさで出来てると勘違いしてるガキが、偉そうなこと言ってんじゃねぇぞ!
 この街の『闇』がどれほど深いかも知らねぇで、知ったような口を聞くんじゃねぇ!
 テメェに、私がどんな気持ちなのか、分かるってぇのかよ!」

「……私は、あんたじゃない。あんたの気持なんて分からないわよ」

美琴は胸元を掴む腕を掴み返す。

「だけど、あんたほどじゃないにしろ、私だってこの街の『闇』を見た」

その瞳は、麦野の瞳をしっかりと見据えている。


「……10031人。私のせいで、私の『妹』がそれだけ死んだ」

麦野の脳裏をよぎるのは、かつての死闘後に知った『実験』の内容。
御坂美琴のクローンを20000体用いた狂気の戦闘実験は、10032回目で中断されたと聞いた。

「だけど、そんな私と残る妹たちを助けてくれた人がいた」

夏休みの終盤、少しだけ流れた『第一位を殴り倒したレベル0』の噂。
嘘か真かは知らないが、彼女を救ったのは、きっと。

「……だから、今度はテメェが私らを救おうってか?」

「そうは言わない。世の中には死んだ方がマシって人間がいるってことを、私はあの一週間で知った。
 "そう"か、"そうでない"かで言えば、きっとあんたたちは"そう"の部類に入るんでしょうよ。
 ……だけど、あんたたちが『救われよう』と思うなら、そのために最大限の努力をするんなら、私はそれを否定したりはしない」

それは、上条に教えられたこと。
人の心の中にはどうしようもない闇や欲望と共に、どんなちっぽけでも力強い光が存在する。
ならば、御坂美琴は決してそれを否定することはない。


「…………ははっ」

美琴を突きとばす。
何がおかしかったのか、麦野は片手で目を覆い、横隔膜が引きつったかのような声にならない笑い声をあげる。
しばらく笑ったのち、やがてよろめいたかのようにどさりと手近にあったベンチの端に体を沈め、美琴を見る。
先ほどまでのような傲慢な態度はすっかり消え、どこか弱弱しさを感じさせる表情で。


「……座んな。一つ、面白くもねぇクソ話をしてやるよ、『超電磁砲』」

美琴は恐る恐る、麦野とは反対側のベンチの端に座った。

「昔々、ある女の子がいましたとさ。父親はとある古ーい名家で、母親はその妾。
 正妻はいたらしいけど子供が中々生まれなくて、その女の子と妾は堂々とお屋敷の中で不自由なく暮らしてた。
 笑えるだろ? 妾は正妻を顎でこき使って、女の子もそれを当然だと思ってたんだ」

どこか遠い目をした麦野は、呆然と物語を語る。
きっとこれは、麦野の半生なのだ。

 「……だけど、ある日正妻に子供ができた。それも家の後継ぎになり得る男の子。
 途端に力関係は逆転さ。古臭い家で、後継ぎを生んだ正妻の発言権が強くなっちゃったんだね。
 で、邪魔になった妾と女の子はお屋敷を追い出された」

美琴は遮る事もせず、黙って聞いていた。

「追い出されるときにいくばくかお金を貰ったんだろうね。妾は女の子を学園都市に入れた。
 『いつかきっと迎えに来るからね』なんて言って、小さな可愛い人形を抱かせて。
 ……良く考えりゃ、邪魔になった娘を『置き去り』にしたってだけなんだろうけど」


「女の子は良い子にしてればきっと母親が迎えに来てくれると信じて、勉強を頑張った。
 能力開発にも身を入れて、中学生の頃にはレベル4になってた。
 ……でも、何度か手紙のやり取りをするだけで、母親は一度も会いに来てはくれなかった。
 当然かな。その子は"捨てられた"んだ。それでも、女の子は母親の事を大事に思っていた」

「…………」

「中学に上がったころ、ある事件が起きた。
 同級生が母親の事でその子をひどく侮辱した。それで、憤怒した女の子はちょっと脅かしてやろうと能力を使おうとした。決して傷つけようとしたわけじゃないんだ。
 ……だけど、きっと思春期に入ったばかりとか、環境の変化で精神が揺らいでたんだろうな。
 そこに強い怒りを感じたことで、『自分だけの現実』は大きく揺らいだ。……結果、能力はありえない出力で暴走した」

麦野の能力は遮蔽物など関係なしに、あらゆるものを貫く能力だ。
そんなものが暴走すれば、どうなるかわかったもんじゃない。

「次の瞬間、女の子はその同級生が"蒸発"するのを見た。
 その子だけじゃない。仲の良い友人も、教師も全部巻き込んで、暴走し全方位に放たれた能力は校舎を輪切りにした。
 クラスメイトは全員死亡。他の生徒もいっぱい死んだ」

麦野はわなわなと震える自分の手を見つめる。
思い出しているのは、きっと初めて人を殺した時の感触か。

「自分のしたことに恐怖した女の子は、無我夢中で逃げだした。
 自分の部屋に帰って震える手で引っ張りだしたのは、中学の入学祝いに母親がくれた手紙。それに住所が書いてあった。
 "中"と"外"を遮る壁に能力で穴をあけて、女の子は母親のところに会いに行ったんだよ」


どんなに心細かっただろうか。どんなに苦しかっただろうか。
ただ救いを求めて、少女は母親の元へと向かった。
だが、

「そこで見たのは、父親とは違う男の上でくねくねと腰を振り、大きく喘ぐ母親の姿。
 だけど、母親は女の子を見るなり『なんでこんなところにいるんだ!』と怒鳴りつけた。
 それだけじゃない。あろうことか、母親は男に『娘を抱かせてやるからもっと金をくれ』と娘の前で言ったんだよ。
 組み敷かれ、自分を犯そうとする男の後ろに見えたのは金を数える下卑た母親の、昔とは変わり果てた笑顔。
 …………その時、なにもかも全てが壊れる音がした」

その後はもう言葉にできない。
愛していた母親に裏切られた憎悪に少女は泣きながら、母親とその愛人を文字通り"消し飛ばした"。
先の暴走事故とは違い、初めて自分の意志で人を殺した。
最も大事だった人を手にかけたという事実は、少女の心を壊すには十分だった。

「気づけば、半壊した家で女の子は黒づくめの男たちに囲まれていた。
 抵抗はしなかった。もう何もかもどうだって良かった。
 ……………………そうして、女の子は『麦野沈利になった』」


女の子は暴走事故で死んだことにされ、名前も経歴も顔や年すらも偽物のパーソナルデータを与えられた。
人権を無視した拷問染みた超能力開発を行われ、その出力はどんどん増して行った。
殺人罪をもみ消す代わりに人を殺させられるという矛盾のような状況の中、いつしか少女は変わって行く。

極限状況下で壊れないためには、心を適応させるほかはない。
人を殺せば感じるのは罪悪感ではなく、いつしか高揚感へと変わった。
やがてその高揚感を味わうために『任務』の中でも一番の前線に立ちたがるようになった。
レベル5第四位『原子崩し』の能力も、もはやヒトゴロシのための道具でしかない。

壊れている。
狂っている。
救いようのない、度し難いほどのバケモノ。


     麦野沈利は、こうして誕生した。


「テメェも同じだよ。『超電磁砲』」

不意に話を振られ、美琴はびくっと肩を震わせた。

「最大出力10億ボルト超。音速の三倍を越える超電磁砲。
 結構じゃねぇか。人間を壊すにはその一万分の一の出力があれば事足りる。
 分かるか? テメェは意図せずともその能力の余波だけで人を殺せるってことだよ」

かつて橋の上の決闘で、上条に高電圧の雷撃の槍を直撃させた美琴だから分かる。
上条なら打ち消せる、というどこか歪んだ信頼に基づいて放たれた雷撃の槍を、しかし上条は防ぐことなく受け止めた。
結果、彼は呼吸も鼓動も止まりかけるほどのダメージを負う。
美琴が引き起こした事態とはいえ、彼女が適切な処置を行わなければ上条は死んでいたかもしれない。

「そんな奴らが『救う』だの『救われたい』だの、笑わせんじゃねぇ。
 テメェも私も同じ穴の狢、つまるところただのバケモノなんだよ」

だけど、ここだけは否定させやしない。
美琴は立ち上がり、麦野の前にずいと仁王立ちをする。


     「そんなことばかり言ってるから、あんたはいつまでたってもバケモノのままなのよ」

 
 


「は……?」

「絶大な力を持ってるからバケモノ? 救うのも救われるのもダメ? はっ、笑わせないでよ。
 まるでどこかの三下座標移動みたいな言い草ね。
 私に言わせればね、そんなのはただ自分の能力を持て余してる奴の言い訳に過ぎないわ!」

絶句する麦野をよそに、美琴は堂々と胸を張る。

「力がある事も、ないことも。ただそれだけじゃ罪にはならない。
 大事なのは、その使い方。
 自分の持つ力をどう使うか、そこに人間とバケモノの境界線があるの」

「…………」

麦野は押し黙ったままだ。

「私のこの力は、誰かを守るための力だ!
 どんなちっぽけなことだっていい。どんな大きなことだっていい。
 誰かの為に力を振るえるなら、どんなに能力が強くなったって、いつまでも私は人間のままでいられる」

かつての自分も、力は強ければ強いほどいいという考え方だった。
だから、無遠慮に友人を傷つけてしまったこともある。


けれど、上条と出会ってその考えは変わった。
彼を見て、彼を知って、『正しい力の振るい方』を知った。

「背中の傷は恥だ」と、愛読する漫画に書いてあった。
意味は全く違っても、今の美琴も同じことを考える。
逃げ出さず、大事な人をその背に守り続ける限り、背中に傷などつくはずがないのだから。

ノブレス・オブリージュだなんてカッコつけたことは言わない。
ただこの手に誰かを守れるだけの力があるのなら、自分は黙ってその為に行使するだけだ。

自分の手にその力が宿る意味を決して履き違えるな。
自身で掌握し切れぬ力などただの規範無き暴力にすぎない。
それを制御し、自在に操り、その上で何を為すかこそが最も重要なのだ。

「力を持っていることから目を背けるな!
 人かバケモノか、それを決めるのは他人じゃない。自分自身の心だ!」


しばらく、二人は沈黙を保っていた。
自信に満ちた表情の美琴と、何かを考え込むような麦野。
やがて、

「…………くははっ」

唐突に噴き出す麦野。

「ぎゃはは、なんともまぁガキくせぇ理論だな、『超電磁砲』?
 愛読書は週刊少年漫画ですってかぁ?」

「うっさいわね、ほっとけ!」

むきになる美琴を見て、麦野はますます馬鹿笑いをする。
だが、その表情は憑きものが落ちたかのようにすっきりとしている。

「……誰かの為に力を振るう、ね。まぁ、一種の真理なのかもなぁ。
 誰かをぶっ殺すためにしか能力を使ってこなかった私にはない発想だわ」

だけど、そんな彼女にもまだ仲間がいる。
何度も殺しあったにも拘らず、見捨てないでくれた浜面。
仲間を殺しただけではなく、二人を執拗に追いかけ殺そうとしたことを赦してくれた滝壺。
そして、未だ再会できずにいる絹旗。
この三人を守る事が出来たら、少しは自分も"人間"に戻れるだろうか?


「……なーんでテメェにムカついてたか、やっと分かった気がする」

順位や研究価値が劣っていたことなど、初めから問題じゃなかったのだ。
麦野が真に妬んでいたのは、その心の高潔さ。
"闇"に引かれず真正面から光を浴び続けた者だけが持てるその輝きに、憎悪にも近い嫉妬を感じていたのかもしれない。

同じレベル5でありながら、どうしてここまで境遇が違ったのか。どうしてここまで堕ちてしまったのか。
彼女と自分は、何が違う。
心の奥に押し込め、考えないようにしていた感情が、無意識のうちにただひたすらに麦野をいら立たせていた。


「テメェはずっとそのままでいろよ、『超電磁砲』」

麦野がぽつりと呟く。

「暗部には『闇』から抜け出せずに苦しんでる奴らが腐るほどいやがる。
 そういう奴らにとっては、テメェみたいなのは嫉妬の対象であるのと同時に、一種の『希望』みたいなもんなんだ」

「希望? 私が?」

「そう。今の状況が必然によるものではなく、自分の選択が間違っていただけだと思わせてくれる存在。
 もしかしたらあり得たかも知れない幸福な未来