俺と幼馴染と幼馴染(261)


>>1のみを書くスレのレス番749からネタを貰ってます

……………
………



俺の幼馴染は、二重人格だ。

午前中と午後で、人格が変わる。

ただ周りの人には多分わからないと思う。

なぜなら…

幼馴染「ねえ、男…久しぶりにマリオパーティーやろうよ」

幼馴染『ねえ、男…久しぶりにマリオパーティーやろうよ』

性格と好みがほとんど変わらないから、幼馴染が二人いることに気づかないから。

男(…マリオパーティー、昼飯の前にやってたんだけどな…)


幼馴染「ああー、勝てないー!」

男(…なんで同じ日に同じゲームをやりたがるかな)

幼馴染「ちょ、ちょっともう一回!もう一回やろう!」

さっき二人の彼女の差異が『ほとんど』無いと表現したのは、そのまんまの意味…最近になって判り始めてきたごく小さな違いがあるからだ。

幼馴染「…また、負けた…もういいや…」

例えば午前中の彼女は、この連敗になかなか屈する事なく更に数回以上のリスタートを要求してきた。

幼馴染「…音楽でもかけよっか」

でも、その後でとる行動のパターンは同じ。

やはり微々たる違いに過ぎない。


いつから二重の人格をもつようになったのかは、はっきり判らないらしい。

その事を俺に打ち明けてくれたのは半年ほど前の事。

彼女は親にさえ話していないから、俺だけが知る秘密という事だ。

なぜ親や先生、そして医者に相談しないのか…最初は半信半疑ながら俺もそれを彼女に尋ねた。

その時の答えは『困っていない』という理由と、もうひとつ…今の環境を変えるのが怖いというもの。

確かにその症状が精神的な疾病であると診断されれば、彼女の生活は随分と変わってしまうだろう。

それを思うと、俺としても受診を勧める気にはなれなかった。


幼馴染「男、今日は晩ごはん食べてく?」

男「うん…ご馳走になろうかな」

幼馴染「じゃあ、お母さんにそう言ってくる」

ぱっと顔を明るくした彼女は、日記帳をぺらぺらとめくって確認してからドアの向こうに消えた。

午前中の彼女の記憶は、今の彼女には無い。

しかし彼女はそれぞれの時間帯での大事な出来事を、一冊の日記帳で共有するように努めている。

おそらく今、確認したのはここ数日の午前中の食事の記録。

ついこの前食べたものを希望メニューとして母親に告げれば、不審に思われる可能性があるからだ。

でもさすがに午前中、何のゲームをやって遊んだかまでは記入していないのだろう。

男(まあパーティーゲームに二回付き合うくらい、安い御用だしな)


夕食をご馳走になって、その後もう少しだけ彼女の部屋で寛ぐ。

今日は土曜日、明日も学校は休み。

高校で美術部に所属する俺達は、休みの日まで活動をするほど真面目な部員ではない。

幼馴染「本当は遅れ気味だから、描かなきゃいけないんだけどね」

男「俺はもう今度の作品、ほぼ出来てるからな。余裕あるぜ」

幼馴染「じゃあ、手伝ってよ」

男「それじゃ提出できなくなるだろ」

この話は午前中の彼女とはあまり出来ない事だ。

美術部員としての幼馴染は、放課後を活動時間に含む事のできる午後の彼女が占める割合が高いから。


…そして。

幼馴染「…男」

彼女がそっと俺の肩に寄り添う。

俺はその頭を撫でて、少しの後に柔らかくキスをした。

俺達が恋仲になったのは一ヶ月ほど前の事だ。

その前から限りなくそれに近い関係ではあったのだけど。

ただひとつ、小さくて大きな問題がある。

午後の彼女が俺に想いを打ち明けてくれて、晴れて付き合うようになった…その事を午前の彼女は知らないのだ。

何故か午後の彼女は日記帳でその事を伝える事はしなかったらしい。

どうやらそれぞれの彼女には、各個人としての独占欲があるようだった。


午前の彼女とも同時に、同じ関係を持つようにすれば良かったのかもしれない。

でもそれは『午後の彼女がこうしたんだからお前もそうしろ』と言っているのと同じ。

例え俺が何か嘘をついても『午後はこうした』と言えば午前の彼女も従わざるを得ない…それは違うと思った。

男「じゃあ、帰るわ…隣だけど」

幼馴染「うん…また明日も会おうね?」

男「ああ、多分…駅前くらいかな」

明日は朝から一緒に町に出る予定だ。

ちょうど正午に切り替わる二人の人格、次に今の彼女に会うのはおそらく駅前で服を見た後だろう。

幼馴染「…朝マック、食べてみたいなあ」

男「うん…今度、買っといてやるよ」

幼馴染「おやすみ…男。…いつもおはようが言えなくてごめんね」

男「そんな事、気にすんなよ。…おやすみ」

午前のお前に言って貰ってるから構わない……多分、それは言わない方がいいのだろう。

なんかネタ元のレスとは方向性が違うかもしれない、許せ

……………
………


…翌日


幼馴染「おはよう、待った?」

男「おー、おはよ。待つも何も、自分の家にいたし」

幼馴染「だよねー。いいよね、お隣り同士って」

男「今に始まった事じゃないだろ」

幼馴染「そういう時は素直に同意しなさい!」ドスッ

男「うぐっ」

慣れたやりとりを交わしながら、いつものバス停へと向かう。

そこから駅前までは二十分ほど、とはいっても距離はさほどでもない。

交通量の多い道ばかりを通るからその位かかるというだけで、もしかしたら自転車の方が早く着く可能性もある。


駅前に着いたのは九時頃。

昨日そんな話をしたからというわけではないけど、朝マックを食べる事にする。

俺はいつもソーセージと卵のマフィン、彼女は日によって違うものをチョイスするが、今日は同じものがいいとの事だった。

幼馴染「ここ、空いてるよ」

男「んー、表通りに近すぎるからパス。もうちょい奥に行こう」

幼馴染「あはは、大口開けて食べてるの見られるのは何か嫌だもんね」

少し奥まった所のテーブル席に座り、他愛もない事を話しながらゆっくりと朝食を摂る。

当たり前だが、食べるペースは俺の方が早い。

話にキリがついた頃を見計らい、まだ彼女が食べ終わるには多少の時間がかかる事を確認して、俺は自分のマフィンの残りを口に押し込んだ。

幼馴染「そんなに詰め込んだら喉に詰まるよ?」

男「う…ん……ん………ぷはっ、大丈夫だって。悪りい、ちょっと花摘んでくるわ」

幼馴染「乙女ですか」


席を立ち、トイレのある方へ向かう……が、本当はそこに用は無い。

わざわざ奥まった席を確保したのは、この行動を幼馴染に見せないためだ。

店員「いらっしゃいませ、こちらでお召し上がりですか?」

ええ、こちらで召し上がってます。

男「ソーセージエッグマフィン、単品で一個。持ち帰りで」

店員「畏まりました」

良かった、ついさっき同じ物を注文した奴だという事はバレていないみたいだ。

どれだけこのマフィンが好きなんだと思われてしまう。

間も無く出てきた紙袋を受け取り、肩から提げた小さなスポーツバッグに押し込む。

男(……潰さないように気をつけなきゃな)


彼女が食べ終わって更に少し話をしている内に、駅前の店がオープンする時間になった。

今日は服を見るという漠然とした目的はあれど、他に定めた予定は特に無い。

その『服を見たい』という希望を唱えたのは午前中の彼女だから、その用事は昼までに終わらせる必要がある。

とはいえ、そう時間に迫られているわけでもない。

ぶらぶらと目にとまった店に立ち寄りながら、何を買うでもなく冷やかしだけ。

幼馴染「あ、これ可愛い」

男「うん、言うと思った」

幼馴染「うわ、予想されてた」

男「ふっふっふ、わからいでか」

気の向くまま雑貨屋に寄ったり、靴屋に寄ったり。

目的としていた服の店に入る頃には午前11時が近付いていた。


男「なんか目当てがあんのか?」

幼馴染「無いよ。でもそろそろ冬物が安くなる頃だから……あ、これどう思う?」

男「似たようなの持ってる気がします」

幼馴染「むう……鋭いね」

男「さっきもそうだったけど、お前の好みはおよそ解ってんだって。ちっとは冒険してみたら?」

幼馴染「じゃあ選んでよ」

男「それ、すげえ文句言われそう……」

幼馴染「辛口ですよー、えへへ」

余計な事を言ったな……と後悔しつつ、女物の服をあれこれと品定めする。

要するに普段はこいつが着ないような、それでいて俺好みな服を選べばいいという事だ。

俺の趣味どストライクな服を着てくれるとしたら、それはそれで悪くはない。


男「これは?」

幼馴染「うーん、そういうゆるふわな感じのは自分じゃ選ばないなぁ……似合うのかな、私に」

男「羽織ってみろよ」

幼馴染「ま、一応……ね」

彼女は今着ているアウターを脱ぎ、きょろきょろしている。

どこか掛けておくところが無いか探しているのだろう。

男「貸せよ、持っとくから」

幼馴染「おお……男がそんな気を利かせるとは」

ちょっと失礼な事を言われた気がするが、まあ気にはしないでおこう。

差し出されたそれを受け取り、代わりに俺が選んだファー付きのショートコートを手渡す。

彼女は少しの間しげしげとそのコートを見て、小さな声で「こういうのが好みなんだ」と呟いた。

俺も同じ位のボリュームで「悪いか」と呟いておいたが、聞こえただろうか。


幼馴染「……どう、でしょう?」

男「いいと思います」

幼馴染「どういう風に?」

男「えーと……新鮮で」

幼馴染「私は生鮮食品ですか」

自分でも解ってる、今のは照れ隠しだ。

恋仲という関係である午後の彼女になら、もっと素直な感想を言えたはず。

じゃあどうする、今の彼女には言わないのか……?

男「まあ、その……あれだ」

幼馴染「どれ?」

そんな差別、したくはない。

男「……俺好み、ではある」

幼馴染「お、照れてる」

男「うるせえ」

幼馴染「私も照れてる」


男「……予算的には合うのか?」

幼馴染「ギリギリ圏内……いや、ちょいオーバーかな……いやいや」

ここで「少し足してやるよ」とでも言えば株も上がるのだろうが、それは難しい。

幼馴染「うーん……いいや、買っちゃおう!お年玉だもの!」

男「ああ、それで服買う余裕があったのか」

結局、彼女はそれを購入した。

俺の趣味も悪くは無かったようで、少し安堵する。

ふとレジの奥の壁に掛けられた時計を見ると、もう午前11時半を回っている。

彼女が『今の彼女』でいられる時間は残り少ない。

店を出た後、携帯の時計を気にしながらゆっくりと歩道を歩く。


そして午前11時50分。

俺達は街路樹の下に設置された石造りのベンチに腰掛けた。

午前と午後の彼女が入れ替わる時はできるだけ座っていた方がいい。

立っていたり、ましてや歩いてなどいると不意に転ぶ事があるからだ。

自分に置き換えて考えても、例えば眠りから醒める時、いきなり歩いてなどいたら次の一歩をまともに出せるとは思えない。

彼女はバッグから日記帳を取り出し、さらさらと文字を書き込む。

やがて手を止め、ペンの頭を唇に当てて少し思案した様子を見せて。

幼馴染「……あのね、勝手な事を言うんだけど」

男「うん?」

幼馴染「さっき買った服の袋……この後、男が持ってくれる……?」

男「そりゃ、いいけど」

幼馴染「今日は男が自分の家に持って帰って欲しい……それで明日の朝、私に渡して欲しいの」


幼馴染「ごめんね、変な事を言ってると思うんだけど」

男「……いいよ」

幼馴染「お願い…します」

このまま彼女がこの服を持っていたら、午後の彼女は遅くとも家に帰れば袖を通してみるだろう。

もしかしたらその姿を俺に見せようとするかもしれない。

今の彼女には、それが腹立たしく思えるに違いない。

例え店先で一度は着て見せていたとしても、本当ならインナーも合わせたものにしたいはずだ。

幼馴染「次の休みに会う時は、これ着るからね」

男「どんな着こなしにするか、楽しみにしとく」

幼馴染「もう、変なプレッシャーかけないでよー」

きっと、その姿は自分が先に見せたいのだろう。


携帯のディスプレイは午前11時59分の文字を表示している。

幼馴染「男、楽しかったよ」

男「うん」

幼馴染「明日の朝、また迎えに行くからね」

男「いつも通り早目に、寝てたら起こしてくれよな」

幼馴染「うん、それは私の仕事だから」

少し会話が途切れる。

彼女は小さな声で「ええと」「それから」と呟いている。

幼馴染「だめだ、纏まらないや……もっと、話したかったな」

男「また、明日な」

幼馴染「うん、また…明日ね」

少し切なげに笑う午前の幼馴染。

そして携帯の表示は12時に変わった。


座った体勢のまま、幼馴染の上半身が少しフラつく。

慌てて手を差しのべようとしたが、幸いそこまでの必要は無かったようだ。

俺の姿を視界に捉えた彼女は、満面の笑みを見せて口を開いた。

幼馴染「男、会いたかった」

男「半日ぶりの再会で言う台詞か」

真昼に目覚めた午後の彼女は、いつもまず一番に日記帳に目を通す。

幼馴染「バスで来てるんだね」

男「ああ、自転車で来るには寒いからな」

幼馴染「この辺りのいつもの店には、もうだいたい寄ってるんだ?」

男「見たけりゃもう一度寄ってもいいけど」

幼馴染「まだお昼は食べてない……か、ちょっとお腹減ってるもん」

男「そうだな、朝を食べたのはもう三時間近く前だから」


幼馴染「昨日、話したから?……マック行ったんだね」

男「あ、そうだ…」

スポーツバッグのファスナーを開ける。

一応気をつけてはいたけど、潰れていなければいいが。

男「…ほら、買っといたんだ」

幸い、外袋から察するにはダメージは少なそうだ。

幼馴染「それ、もしかして朝マック?」

男「おう、冷めてるから持って帰ってから食えよ」

幼馴染「ありがとう、嬉しい……傷まないかな?」

男「この時期なら平気だろ」


ベンチから立ち上がり、冬枯れの木立通りを歩き始める。

さっきまでとの違いは互いの距離、そして気温が変わらずとも右の掌だけは温かい事だ。

少しだけ感じる、午前の幼馴染に対する後ろめたさ。

だからといってどうする事もできないし、握っているのは間違いなく同じ女性の左手なのだから、罪は無い……はず。

幼馴染「その袋、何か買ったの?」

ゆるふわコートの入った袋を見て、彼女が問う。

一瞬、心臓が少しだけ大きく脈打ったが、できるだけ何食わぬ顔を作って「俺の服だよ」と答えた。

幼馴染「どんなの買ったの?」

男「パーカー」

幼馴染「見せて」

男「…下着も買ったから、見せない」

幼馴染「余計見たいですなー」

男「アホか」


朝がジャンクフードだったから、昼は少しちゃんとした物が食べたくなって和食メインのファミレスを選んだ。

その後はゲームセンターで比較的安く遊べるメダルゲームに興じたり、一時間だけカラオケをしたり。

外は寒いというのにワゴン車で売っているクレープの誘惑に彼女が負けて、できるだけ日当たりの良い席で肩を寄せ合ってそれを食べたり。

幼馴染「寒いー」

男「解り切ってただろが」

幼馴染「だって生イチゴのが安くなってたんだもん」

男「まあ、そろそろ時期だからな」

幼馴染「でも、酸っぱいなぁ…」

夕方が近づけば尚更に冷えるだろう。

そう判断して少し早めに帰りのバスに乗り、あとは昨日と同じく彼女の部屋に避難する事にした。


幼馴染「ううー、風も強くなってきた」

男「耳が冷てえ、痛え」

幼馴染「我が家視認!玄関突入準備!」

自然と早足になる。

玄関を待たずして、彼女はバッグから自宅の鍵を取り出している。

家にお邪魔したら、まずは温かい飲み物を淹れてもらおう。

辿り着いた玄関、がちゃがちゃと鍵を回す彼女。

その背中、ベージュのダウンジャケットを見ていて、ふと自分の手に下げた袋の存在を思い出す。

男「幼馴染、俺ちょっと自分の部屋に荷物置いてくるわ」

幼馴染「ああ…うん、わかった」

男「何か温かいもの淹れといてくれよ、すぐ行くから」

危ない危ない、うっかり持って入れば中身を見られかねないところだ。

俺は鍵をしまったポケットを探りながら、すぐ隣の自宅へ向かった。


言った通りすぐに彼女の部屋を訪ねた俺は、しばらく懐炉代わりに彼女を膝に乗せて後ろから抱えた。

幼馴染「幸せですねー」

男「寒い時期だから余計にな」

幼馴染「夏場はしてくれないのかな?」

男「涼しい部屋でなら、する」

温かいミルクティーを飲んで、ほっと一息。

もう夕食が近いのだからやめておけと言うのに、彼女は例のマフィンを温めて食べた。

随分と湿気っていただろうに、それでも彼女は「美味しい」「ありがとう」と言って笑ってくれた。

テレビゲームをして、今日もまた夕食をご馳走になる。

あまり食欲の無い幼馴染を見て不思議がる彼女の母親に、半端な時間にマフィンを食べた事を告げ口して。

そしてまた部屋で少し寛いで、帰り際にはキスをひとつ。

午前と午後それぞれの彼女に対する気遣いなど、普通なら必要の無い小さな苦労は確かにある。

でもこれが丸一日を彼女と一緒に過ごす場合の、俺達にとって当たり前でとても幸せな休日。

少なくともこの時の俺は、こんな日々が続く事を望んでいたんだ。



【つづく】

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……………
………


…翌週土曜日、昼過ぎ


男「先週は金使っちゃったし、この後は映画でも借りて部屋で観るかな」

午前中は寒いのを堪えながらごく近所を散歩したりして、チープに過ごした。

本当なら朝から家に居れば良かったようなものだが、午前の彼女が出掛ける事を強く望んだから。

その理由は今、隣で菓子パンをかじる午後の彼女が引き続き着ているショートコート。

自分では選ばないようなシルエットのものであるはずなのに、インナーの黒いタートルネックと細身な巻きスカートを合わせて上手く着こなされてい る。

とりあえず朝イチは照れを抑えて、ちゃんと褒めておいた。

その時の彼女は、口先では『そう、良かった』という程度の素っ気無い反応。

でもこっそり右の拳をぎゅっと握った小さなガッツポーズを、俺は見逃さなかった。

その素直じゃないところも含めて、大変可愛い。


幼馴染「映画、前に面白いよって勧めてくれてたやつ、観たい」

男「…なんだっけ?」

幼馴染「ほら、あのディカプリオと渡辺謙が競演してるって言ってた」

男「ああ、あれか。いいよ、じゃあそれ観よう」

家から程近いレンタル屋に立ち寄って、目当てのDVDを借りて。

隣のコンビニで少しお菓子を買おうと言ったら、スーパーで買う方が安いと諭された。

少しだけ遠回りをしてスーパーにも寄って、その後は俺の部屋へ。


十分ほどしてエアコンが効き始める。

室温が快適になって、彼女は例のコートを脱ぎながら言った。

幼馴染「……男。このコート、きっと男が選んだよね」

心臓が跳ねる。

見慣れない服に気付かないはずがないとは思っていたけど、さほど気にしてもいないのだろうと油断していた。

幼馴染「こんなの、きっと自分じゃ選ばないもん」

男「……ええと、その」

幼馴染「先週、買ったの?…もしかしてあの時の袋って」

そこまでで彼女は言葉を止めて、視線を逸らした。

幼馴染「これじゃ面倒な女だね、私。……ごめん、気にしないで」

おそらく大方の流れを理解したのだろう。

それは別人格とはいえ、彼女自身が俺に望んだ事なのだという点についても。



思えば午後の彼女が午前の彼女に俺達の新しい関係を知らせなかった時点で、彼女達の不協和音は鳴り始めていたに違いない。


そしてその小さなチューニングのずれは、次第に大きくなってきているのだろう。


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……………
………


…翌日、日曜の朝


今朝は天気予報通り、冷たい雨が降っていた。

無理に出掛ける事はせず、適当な時間に幼馴染が俺の部屋に来る事になっている。

しかしもう時刻は午前10時、いつもの事を思うと少し遅い。

男(電話してみようか……でも昨日も会ってるんだし、たまにはゆっくり寝たい朝もあるわなー)

俺は部屋のPCを起動し、適当にショッピングサイトを巡ったりして時間を潰した。

午前11時、まだ連絡も無い。

もしかして昨日の散歩で風邪でも拾っただろうか。

午前11時半、窓越しに様子を見ようとするが、カーテンが閉まっている。

こっちから行ってみようかとも考えるが、本当に風邪をひいて連絡もできないとしたら、無理をさせるばかりのような気がする。

彼女の家の車庫には母親の車もあるようだし、一人で苦しんでいるという事もないだろう。


そして午前11時50分を回った頃、俺の家の玄関が開いた様子が感じられた後、階段を駆け上がる足音が響いてきた。

男(……あれ?)

この無遠慮さ、軽い足音、たぶん幼馴染に違いない。

なんだろう、大幅に寝過ごしていただけだったのだろうか。

こんこん…と、ドアをノックする音。

幼馴染《……男、もしかしている?》

俺が部屋にいる確信があれば、彼女はノックなどしない。

ということは、俺が留守だと思っていたという事だ。

男「いるけど?…入ってこいよ」

がちゃりと音をたててドアが開く。

そこにはなんとも言えない苦い顔をした彼女の姿があった。


幼馴染「いた……まさか、朝から…ずっと?」

男「……そうだけど」

幼馴染「……………っ…!!!」

突然に両手で顔を覆う、午前の幼馴染。

小さく肩を震わせながら、蚊の鳴くような声で「ごめん」と呟く。

その様子だけで、およその事情は察せられた。

まともに言葉を交わす事もできないままに、僅か数分しか残っていない彼女の時間は過ぎていった。

上着も羽織っていない彼女の胸に抱かれた日記帳。

きっとそこには午後の彼女が昨夜に書いた、何らかの嘘が記されているに違いない。

また夜に更新したい


幼馴染「男…ごめんね、本当…ごめん」

男「いいよ、何か特別に予定があったわけじゃないし」

たった一言ずつの会話、今日の彼女とのやりとりはそれだけで終わってしまう。

ふらり…とバランスを失いかける幼馴染の身体。

時刻が12時ちょうどになったのだ。

彼女は立ったままだったが、何とか倒れずに持ちこたえる事ができた。

幼馴染「……あれ?…なんで、男の部屋──?」

男「最後の最後に、嘘に気付いたから…じゃねえかな」

幼馴染「あ……」

気まずそうな顔をする、午後の幼馴染。

きっと嘘がバレなければ、午後になってから何らかの理由で遅れた風を装って、この部屋を訪ねるつもりだったのだろう。


男「日記帳に何て書いたんだ」

幼馴染「……男が午前中だけ予定ができたから出掛けてて会えない…って」

男「午前のお前がここに来たのは、ほんの数分前だよ。…たぶん俺の部屋のカーテンが開いてる事に気付いたんだろ」

幼馴染「あのね、私…男に一日の最初の『おはよう』が言いたかっ──」
男「だからって午前中の自分に嘘をついてどうするんだよ!」

思わず声を大きくしてしまう。

彼女の小さな肩が、びくっ…と震えたのが判った。

男「俺達が付き合い始めた事だって、なんで午前のお前に伝えなかったんだ…」

幼馴染「……でも」

男「俺にとってはどっちも大事な幼馴染なんだよ」


幼馴染「じゃあ…なんで昨日のコートの事、私に教えてくれなかったの?…私、悔しかった!男はあの服、今の私じゃなくて午前中の私のために選んだんでしょ…!?」

彼女の頬を一筋の雫が伝う。

男「違う…当たり前だけど、どっちのお前にも似合うし、着て欲しいと──」
幼馴染「それを今の私に知られたくないって、そう言ったのは午前の私かもしれないけど、男もそれを隠したじゃない!男だって私に嘘をついたくせに…!」

情けなくも、それについて言い返す事はできなかった。

『どんなの買ったの?』
『パーカー』
『見せて』
『…下着も買ったから、見せない』

確かにあの時、俺は午前の彼女の気持ちを尊重するために、午後の彼女に対して隠し事をしたのだから。

それを自分の中で認めると同時に、俺の心に今まで押し殺してきた感情が湧き上がってくる。

男「もういい…」

幼馴染「……何がっ」

男「このままでいいと思ってたけど、やっぱりもう無理だ」


幼馴染「む、無理…って!やだ…嫌いになっちゃ、やだよ…!」

男「違う、お前らの人格…何とかしてひとつにする」

幼馴染「え……」

男「だから俺達の関係も午前のお前に話す。それぞれの時間にあった出来事も、できるだけ全部俺から伝える」

そもそも二人の人格は、性格が大きく違うわけじゃない。

疑いようもなく、二人とも俺を想ってくれている。

もちろん食べ物の好き嫌いも一緒。

ならば人格をひとつにする…というのは、単に記憶を共有できるようにするという事とほぼ同じ意味だ。

男「もう決めた。お前ら、明日から俺がビシバシ矯正すっから」

例えば悪い例として、午前中の彼女が何か不味い事を言ったとしても、記憶さえあれば午後の彼女は『なんで朝はあんな事を言ったんだろう』と感じるだけ。

そんな少し前の発言を悔いる事など、誰にでもあるだろう。


幼馴染「矯正って…なんか怖い」

男「とにかく日記帳みたいに断片的じゃなく、できる限り事細かに伝えるから。その時の事を思い出すよう努力してくれ」

幼馴染「でも、午前の私とも付き合うようになるって事は、キスしたりとかもしちゃうんでしょ!?…そんなの嫌だ!」

男「うるせえ!どっちもお前だ、つべこべ言うな!」

幼馴染「一人一人を尊重してよ!」

男「尊重し過ぎてこうなってんだって、理解しろ。人格ひとつになりゃ、丸一日好きなだけ俺を独占できるんだぞ?」

幼馴染「むう…なんかいいように丸め込まれてる気がする」

男「さて、今日はもう帰れ。午前のお前とちょっとしかいなかったんだから、今のお前ともここまでだ」

幼馴染「ひどい」

男「ひどくない。差別しない、どっちかを特別視もしない。はい、さよーならー」

正直、かなり心を鬼にして言ったつもりだ。

彼女はブツブツと文句を言いながら、それでも自宅へと帰ってゆく。

なんとなく、ちょっとだけ心が軽くなった気がすると同時に、どっと疲れが押し寄せた。


ばたん…とベッドに倒れこむ。

好きな女にあんな風に接するのは気持ちいい事じゃない。

でも仕方ない、さっきも言ったが俺にとっては等しく大事な幼馴染だ。

自分で自分の心を傷つけ合うなんて、して欲しいわけが無い。

果たして俺が出来事を伝えるだけで、本当に症状が改善していくかは解らないけれど、やってみるしかないだろう。

ふと窓の向こう、彼女の部屋の窓際に人影を見つけた。

雨の湿度と室内外の温度差で曇った窓ガラスに、指で文字が記されてゆく。

『 カ ー バ 』

アホか、逆さ文字を書くなら文字の順序も右から左にしなきゃダメだろ。

そういえばあいつは昔から、やる事に何かオチのつく奴だった。

男(まあ、そこが可愛くもある…か)

少し怒っていたはずなのに、俺の口から笑いが漏れる。

文字の横に添えられた左右対称のハートマークだけは、表も裏も無く見えたから。

あまりにドロドロし始めて嫌だったから、夜を待たずに軌道修正
こっからはできるだけドロドロさせない

おて

>>55
  ∧_∧
  (  ^O) ∇_∇
  / ⊃⊂(^ω^ )
  しJ  ゝ∪(_)

適度な長さの感想、先読みでない考察はいつでもありがたく頂戴します
快く思わない方がいる事が考えられるレスは、完結時まで控えて頂けると幸いです

読んで下さるどなた様に対しても、ありがとうございます


……………
………


…翌日の朝、男の部屋


幼馴染「お、おはよう……」

いつもより静かに部屋のドアを開けた午前の幼馴染は、どこか恐る恐るといった声色でぎこちない挨拶をした。

男「おう、おはよ」

幼馴染「あの……昨日、ごめんね」

男「いいって。それより昨夜の日記帳には何か書いてあったか?」

幼馴染「ううん、普通……だと思う。また嘘があるかは判らないけど」

男「そうか、何も伝えてないんだな」

いっそ午後の幼馴染が、日記帳である程度の説明をしておいてくれたら助かるのに。

……いや、これからの試みについて説明をする事は、別に苦ではない。

そこはいいんだ、問題は──


──違う、問題だなんて考えるな。

午後の彼女が伝えてくれたらなんて、期待するのはオトコらしくない。

男「幼馴染、ちょっとこっち来い」

幼馴染「?」

疑問符を浮かべた表情をしながらも、彼女はベッドに腰掛ける俺の傍まで歩む。

それを待って、俺も立ち上がって。

幼馴染「……え!……ちょ、あの、えっ!?」

予告もせず、彼女を抱き寄せて。

男「付き合おう、幼馴染」

幼馴染「ななな…何を、急に、えっと…その、寝ぼけてる?」

男「寝ぼけてない、恥ずかしくて倒れそうではある。とりあえず『はい』と言ってくれ、頼む」

幼馴染「は……はいっ!……は……ぃ……」

掠れる彼女の声、安堵した俺の溜息。

午後の彼女と以前から付き合っている件については、この後すぐに話す事にしよう。

……………
………


…登校中、通学路


幼馴染「……ずるいっ!」

午後の彼女との関係を話し始めてから、すでに十回を超えたのではないかと思える『ずるい』という言葉。

男「ずるくないだろ、午後のお前にも俺から告白したんならともかく」

幼馴染「何よぅ、しなかった今の私が悪いって言うの?」

男「まあその件はもういいじゃねえか、それよりこれからの事だよ」

昨夜、色々と考えた。

あくまで素人なりの思いつきだけど、やはり記憶を引き継ぐためには行動や出来事を五感とセットで覚えるのが有効なのではないだろうか。

男「つまり、例えば午前中のお前が受けた触覚なり視覚なりの刺激と同じものを午後のお前が感じた時、記憶もセットでついてこないかって事だ」

幼馴染「……読めた」

男「何が?」

幼馴染「エッチな事、考えてるでしょ!」

男「殴っていいか」


男「候補は、あれこれ考えたんだ」

幼馴染「候補?」

男「記憶とセットにする、何らかの感覚を与えるもの……例えば『痛覚』なら?」

幼馴染「お断りします」

男「そりゃそうだよな。だから、不快じゃなく、手軽で、時や場所を選ばずに実行できる事がいい」


素材を必要としないという面では、痛覚ではなくとも何らかの触覚はその条件を満たしやすい。

ただ、当たり前だが歩けば足に、何かを持てば手に、服を着るだけで身体のほとんどに僅かでも刺激は存在するわけだ。

それらを凌ぐ程度には強い刺激となると、痛みやくすぐったさのような不快感を伴うものしかピンとこない。


幼馴染「匂い、は?」

男「それも考えたよ。香水の小瓶とか、ポケットに入れやすいしな」


ただ、匂いもまた環境の中に溢れている。

もちろんそれはそれで、例えばパン屋の前を通る時にわざと時計を確認して、人格が入れ替わってからもう一度パン屋を通りかかった時に最初の時刻を思い出せるか……といった試し方はできるだろう。

ただ嗅覚よりも確実に刺激があり、環境の中で普段は感じない感覚がある。


幼馴染「もしかして、味…かな?」

男「うん、正解。……というわけで、これやるよ」


俺はポケットから小さくて薄いケースを取り出し、ぽいっ…と投げ渡した。


幼馴染「これ、ミントのタブレット……男、知ってるよね?」

男「ん?」

幼馴染「私が、辛いの苦手だって」

男「もちろん」

幼馴染「貴方は、ドSですか」


失礼な、一生懸命考えたというのに。

まあ、確かに……


男「大丈夫だよ、そんな言っても大した事は無いから。とりあえず時計見ながら、一粒食べてみ?」

幼馴染「本当かなぁ……? ええと、八時ちょうど…だね。うぅ……えいっ!……んっ…んんんんっ!!!」


……わざと一番辛い黒ラベルを選んだけど。

まだ続きます
とりあえずちょっとでごめん


幼馴染「んんっ…だめっ! 舌がっ…痛いよぅっ! これじゃ痛覚じゃないの!」

男「ぎゃははは!…あぁ、おかしい……涙出るわ」

幼馴染「ひっどい…もっと甘いやつ、自分で買おう…」

男「それはだめだ、やっぱ刺激は強烈じゃないと。じきにある程度慣れるよ、毒じゃあるまいし」


少し涙目になった彼女は不満そうにもそのケースをポケットにしまった。

こんな簡単な事ですぐに上手くいくとは思えない。

でももう二人の幼馴染に変な気を遣う事はやめたつもりだし、彼女達同士にもわだかまりなど作らせないように努める。

できるだけストレス無く、長い目でみながら気楽に構えていこう。

苦手とする辛いタブレットを食べるくらいのストレスは堪えてもらうとして……だけど。


その後、午前中の彼女はもう三度ほど辛さに悶える事となった。

その内で最初の一度は隣の席の友人が風邪をひいて休む事が判った時、俺が指示して食べさせた。

その次は数学の授業で、彼女が思いっきり解答を間違えて恥をかいた時。

そして午前中最後の休み時間、廊下の端の人目の無い階段に行って、ようやく恋仲となった彼女を短く抱き締めた時。

後の二度については彼女が自発的にタブレットを口に入れていた。

感心感心……と頷きながらも、その度に顔を赤くして刺激に耐える姿に内心、ちょっと萌える。


やがて時刻は正午が迫る頃となっていた。

この授業が終われば昼休みだが、その時にはもう午後に入っている。

同じ教室でいくつか離れた斜め前の席に座る午前の彼女は、正午を迎える直前に俺を振り返って少し寂しそうに笑った。

………


…昼休み


幼馴染「男、おはよう」

男「おはようって、昼だけどな」

幼馴染「いいの、例えその日の最初じゃなくても『おはよう』を言う事に決めたの」

男「うん……それでいいんじゃね。おはよう、幼馴染」


周りのクラスメイトに聞かれたら変に思われそうだから、俺達は少し小声でその挨拶を交わした。

そしていつも通り、この教室で一緒に弁当を食べる……と思ったのだが。


幼馴染「屋上、行こう」

男「え? …そりゃ、寒いだろ」

幼馴染「今日は風も無いし、日が照ってるから大丈夫だよ。行こ?」

男「おいっ」


予期せず右手を引ったくられる。

午後のこいつとは以前から付き合っていたとはいえ、午前の彼女に伝わらないように学校ではそういうそぶりは見せなかった。

なのに、そうか…こいつ……


幼馴染「もう、解禁……だよね?」


……午前の幼馴染とも同じ仲になった事を都合よく解釈して、クラスメイトに関係をカミングアウトしようとしてやがる。

………


…屋上


幼馴染「おお……意外と先客がいる」


屋上では既に数組の男女が仲良く昼食を摂っていた。

ここが休み時間にイチャつきたい奴らの集合場所になっているのは知ってたけど、冬でも結構いるものだ。

その中にごく見慣れた顔を見つける……いや、見つけられる。


友「おっ! 男だ!」

幼友「あれあれー? とうとう屋上デビューしたんだ! おめでとう!」

男「屋上デビューって」

幼馴染「ありがとー! ご一緒していい?」


友と幼友はクラスでも公認の仲、そもそもは俺と幼馴染それぞれの友人だった。

いつの間にか先を越すように関係を深めた彼らは、今や卒業と同時に同棲を計画しているという。

俺と幼馴染にとって誰よりも気を置く事なく話せる相手、ましてや互いに二組の恋仲同士となった今、それまで以上に気を遣う必要は無くなったと言えるだろう。


友「男の弁当って、幼馴染ちゃんが作ったりしないのか?」


彼に悪気は無い、でも俺達にとっては少し答えに戸惑う問いかけ。


男「ああ……えっと、その予定は…無いかな」


だって弁当を作るとしたら、それは午前の彼女の仕事になるわけで。

そしてそれを俺と一緒に食べるのは、午後の彼女……という事になってしまう。

いくら彼女らにそういうわだかまりを無くして欲しいとは思っても、そこまでは簡単に割り切れないんじゃないだろうか。

……しかし。


幼馴染「作るよ、今度……そうだなぁ、明日から?」

男「え?」

幼馴染「楽しみにしててね」

男「何を言ってんだよ、そんなの無理だろ」

幼馴染「うん、午前の私が了承しないとだめだよね」

男「ば、馬鹿!言うな!」

幼友「午前の……?」

男「いや、こいつ寝起きが悪いからさ! 朝のこいつには弁当作るようなモチベーションは無いって意味だよ!」


言い訳としては苦しい。

だけど事情を知らない幼友なら、真の意味まで考え及ぶ事はあるまい。

直接に説明でもしない限り、幼馴染の人格が二人いる事に気付くはずがない──


幼馴染「幼友、私…実は二人いるの」


──耳を疑った。

俺達の仲を公にしたのはこっ恥ずかしくはあっても、それを望む彼女の気持ちも当然と思える。

でも、彼女の人格が二重である事……言葉を選ばなければ、精神的な疾患を他者に明らかにするなんて。

『現状を変えたくない』そう望んでいたはずの彼女が、何故。


男「寝ぼけた事言ってんなよ。幼友、真に受けないでやってくれ」

幼友「う、うん……幼馴染ちゃんってボーッとしたところはあったけど、そんな不思議ちゃんだったけ……」

友「いや、違うな」

男「……友!?」


友「男と付き合いが長い俺には分かる。何かを隠して出鱈目を言ってるのは……男、お前の方だろ?」


そうだ、こいつは本当に俺の事をよく知っている、よく理解している……そして。


友「っつーか、結構前からなんだよな」


普段は軽口や憎まれ口ばかりで決してそれを表には出さないけれど、やはり俺も知っているんだ。


友「お前、ずっと何かを一人で抱え込んでたろ? 俺が気付かないわけ無えじゃん」

男「友……」


本当のこいつは他人思いで、俺にとっては誰よりも頼りになる奴だって。


幼友「……ヤバイ、男同士の友情に鼻血吹きそう」

幼馴染「同じく」


そして幼馴染は二人に大体の事情を説明した。

友も幼友もにわかには信じ難い内容に、戸惑いを隠しきれない様子ではある。

それでも話を聞き終えた幼友は、幼馴染の頭をぎゅっと胸に抱き寄せて言った。


幼友「なんで…相談してくれなかったのよ…この馬鹿っ」

幼馴染「ごめん…幼友、苦しいよ……ごめん…ってば…っ」

幼友「明日になったら、午前のあんたも叱ってあげないとね……」


幼友の頬を一筋の涙が伝う。

その胸に抱かれて見えないが、きっと幼馴染も泣いているに違いない。


友「……ヤバイ、女同士の友情に興奮を禁じ得ない」

男「同じく」


幼馴染「男、何も相談せずに二人に打ち明ける事にしてごめん。でも言ってもきっと男は止めると思ったから…」

男「まあ……そうだったかな」

幼馴染「友君達には悪いと思うけど、きっと少しでも理解者がいた方が男の気持ちも軽くなると思ったの」

友「水臭え事言うなよ、何でも協力すっからさ」

幼友「うん、だって午前と午後それぞれの時間の出来事を、できるだけ伝えあった方がいいんでしょ? 男君だけじゃ目の届かない時だって多いはずだよ」

男「……そうだな、ありがとう」


幼馴染の言う通りだ、俺の心はものすごく軽くなっている。

きっと幼馴染自身も仲の良い相手に打ち明ける事ができて、少なからず楽になったに違いない。

照れ臭くて真面目には言えないけど、持つべきは親友だと本心から思った。


……さて、昼休みも残り少ない。

まだ午後の彼女に伝えていない『お楽しみ』が残っている。


男「幼馴染、右のポケット探ってみ?」

幼馴染「ポケット…? 何、このタブレット。辛いやつでしょ…これ」

男「今日、午前のお前は4回それを食べた。一度目は朝、時計を見ながら…二度目以降は内緒だ。今、お前がそれを食って、そのどれかでも出来事を思い出せるか」

幼馴染「え、食べるの? 私が?」


目を瞬かせながら、彼女はいかにも嫌そうな顔をして見せた。


幼馴染「パス、他の方法を考えようよ? ……だめ?」


二人を差別はしない、どっちかを贔屓したりもしない。

でも彼女らが持つはずのライバル心、逆に利用できるところではさせてもらおう。


男「はあ、午前の幼馴染は頑張ったんだけどなぁ……」

幼馴染「食べる、こんなの余裕」


思い切りよく、一粒を口に放り込む彼女。

かりっ…と噛み砕く音、数秒の間。


幼馴染「ふぁ…!? 辛っ…辛いっ! んんんんっ…!」

男「ぷっ…くくくっ…」

友「ははっ! 顔、赤くなってら…!」

幼友「あはははっ、可愛い! 幼馴染ちゃん!」


涙目になりながら彼女は暫し刺激に耐え、大きく溜息をついた。

さあ…何か思い出せたか?


幼馴染「朝の時計…八時でしょ」

男「……!! 思い出せるのか…!?」

幼馴染「あれ、当たっちゃった? だって朝、キリのいい時に確認するとしたら、そこかなって…」

男「てめえ、くすぐったろか」


残念ながら当てずっぽうだった朝の時刻確認を含め、午前中の事は何も思い出せないらしい。

一応、みっつ目の出来事までは説明しておいたが、階段での一件は友がいる前では話さなかった。


男「ま、そう印象深い出来事があったわけでもないからな」

幼馴染「はあ……これ、毎日食べなきゃいけないのかぁ」

男「おい、今日は終わりってわけじゃ無いぞ? これから午後の間に何か印象に残る出来事があれば、そん時は食べとけ」

幼馴染「ええぇ……」


昼休みの終わりが近い事を告げる予鈴が鳴った。

きっと明日からも天気が良ければ昼食はこのパターンで摂る事になるに違いない。

でも本人を含むこの4人は、幼馴染の秘密を共有できる限られた仲間。

来る事自体が照れ臭くはあるけど、これからここは俺達にとって心休まる場所になるのだろうと思った。

いったんここまで

途中で路線変更したので、着地点が見えねーですよ

……………
………


…放課後、帰り道


今回の課題の絵も既に描きあげている俺達は、美術部の活動もそこそこに帰路についた。


男「でもお前、明日からの弁当…本当に午前の自分に作らせる気なのか?」

幼馴染「もちろん、日記帳で伝えるよ。できれば男もメールで伝えてくれるといいかな」

男「でもあいつは自分で作っても食えないんだぞ? OKするかな…」

幼馴染「するよ、絶対」


妙に自信たっぷりに答える午後の彼女。

仲違いする事はあれど、やはり本人同士の事は一番よく解っているのだろう。


その夜、彼女と別れた後の俺は、自分の部屋で携帯を片手に頭を捻っていた。

なんと伝えれば午前の彼女は最も快く思ってくれるだろう。

幼馴染達の関係に気を遣うのはやめた……そうは言っても、できるだけ嫌な想いをさせたくはない。

何故か午後の幼馴染は自信ありげだったが、俺が食べる様を見る事もできない午前の彼女は、どんな心持ちでそれを作るだろう。


男(『ちゃんと翌朝、感想を言うから』とか…それは当たり前か)

男(『午後のお前には感想を言わない』…それじゃ二人をモロに差別してるしな)

男(『代わりに朝メシを俺がお前に作ってやるよ』…できもしない事は言えないって)


男(どうすっかな──)

バチコーイ!…ピコーン

男「うおっ…!?」


握っていた携帯に突然のメール着信、考え事ばかりをしていた俺は思わずそれを落としそうになるほど驚いてしまった。

ちょっとこのメール受信音は心臓に悪い、後で変えよう。


……………

件名…おやすみ
本文…まだ男から午前の私へのメール、届いてなかったから。
部屋の電気ついてるから、まだ起きてるでしょ?
できれば日付が変わったらすぐにメールしてあげて下さい。
もう日記帳にはお弁当の事、書いたからね。

おやすみ、男。
色々ありがとう、感謝してます。

……………


男(……あいつらのわだかまりも、解けてきてるならいいな)


別に俺からのメールは日付が変わる前に入れても、彼女が日記帳にメールが来ている旨を記入しておけばすむ話だ。

でも今のあいつは、日付が変わってから送信しろと言う。

それはそのメールが午前の彼女に宛てるものだから。今の幼馴染が先に読むべきでないと気遣った言葉に違いない。

ディスプレイの一番上、時計の表示を確認する。23時58分、もう僅かしか時間は無い。

日付が変わってから送るメールの文面も決まっていないが、それよりも先に。

……………

件名…Re:おやすみ
本文…わかった、このあとメールする。
おやすみ、午後の幼馴染。

……………

このメールはあくまで、今のあいつ宛に返信したいと思った。

……………
………


…翌朝


幼馴染「おはようっ!」

男「なんだ、やけに元気いいな」

幼馴染「そりゃそうだよ。いつもより早起きしてるから、すっかり目が覚めてるもん」


遠慮なく俺の部屋のドアを開けた彼女は、自慢げに無い胸を張ってそう言った。

いつもより早起きをした理由となる物を、誇らしげに突き出しながら。


幼馴染「感想、食べたすぐ後にメールで入れといてね。午後の私は開封しないって約束してるから」

男「でも午後のお前にも味の事、話すと思うぞ?」

幼馴染「話すのは仕方ないと思ってるよ。でも味の記憶が鮮明な内に、ちゃんと今の私宛の感想を残しといてくれたらいいの」


幼馴染「昨日、日付が変わる前に男が送った最後の『おやすみ』のメール、その時の私…すぐに保護設定してあったよ」

男「あんな短いメールを?」

幼馴染「嬉しかったんだろうねー? ちょっと妬けちゃう」


そう言いながらも、彼女の顔に曇りの色は無い。

一昨日までの事を思えば、やはり彼女らの関係は随分と改善しているようだ。


男「その後、お前にもメールしただろ?」

幼馴染「もちろん、そっちも保護設定してあるよ」

男「いや、しなくていいよ。そっちも短かったし」

幼馴染「だって『お前の作った弁当が食べたい』って、もはやプロポーズだよ!」


考えに考えて、結局いい文句は浮かばなかったからシンプルに書いた。

でも今朝の彼女の機嫌がすこぶる良い事を思えば、どうやらそれで正しかったらしい。

きっと午後の彼女は昼過ぎにそのメールを見て、同じようにちょっとだけ妬くのだろう。


【第二部】

(午後の幼馴染視点)

.

……………
………


…十日後、夕方


数名の部員で黙々と活動に勤しむ美術教室。

私はやめようと思えば片付けの楽なクロッキー画を描きながら、時々教室の入り口を気にしていた。

それはこの後、幼友と友君が来る予定になってるから。

まだ慣れないミントのタブレットを食べても、今のところ午前の記憶が蘇る事は無く、それは午前の私も同じらしい。

そこで友君の発案により、帰りにファミレスに寄って作戦会議をする事になった。

もちろんそう真剣に考えてるわけじゃないから、ただのお喋り会に終わる可能性は高いけど。


幼馴染「男、木版画なんて片付けが大変なんだから準備しといたら?」

男「いや…ちょっとキリが悪くてな……」


仕方がないなあ、私はここまでにして周りに散った木屑の掃除をしておいてあげよう。

そう考えて窓際の隅にある掃除用具入れの方へ歩く。

そしてふと、窓から夕焼け色に染まるグラウンドに目を遣った……その時だった。


美術教室は三階にあるから、校内の南面はよく見渡せる。

サッカー部が整地している最中のグラウンドも、吹奏楽部がマーチング練習をしている体育館横も。

そして一人の女生徒が佇む、冬枯れのケヤキ木立の傍の校門も。

その光景を目にとめた時、胸が妙な鼓動を打った。

確信があるわけじゃない、でも私はポケットからミントのケースを取り出して、一粒を口に放り込む。

相変わらずの冷たい辛さ、それと共に私の意識に再生される、さっきまで無かった記憶──


『──あの、男先輩……少し話せませんか?』

『私、二年の◯◯っていいます』

『ずっと、先輩の事…好きで──』


すぐに自分の通学鞄を開けて、日記帳を取り出す。

そうだ…確か書いてあった、数日前の出来事。


日記帳のページをめくる。

昨日じゃない…月曜日の事だったはず……あった──


◯月◯日(月)
1…今朝のお弁当は少しだけ手抜きになってしまった、男に謝っといて欲しい
2…六時限目に数学の課題を提出する事を忘れないように
3…今朝、男が二年の女子に告白された。ちゃんとその場で断ってくれたから心配は無いけど、気分が悪かった
4…三時限目で──


日記帳を鞄に戻し、再び窓際に寄る。

校門に立っていた女子の元には待ち人が現れ、手を繋いで帰るのが見えた。


幼馴染「男…ちょっと来て」

男「……どうした?」


他の部員もいるから、大きな声では話せない。

男は私の様子に話の内容を察したのか、真剣な表情で隣に立った。


幼馴染「月曜日…男が二年の娘から告白されたのって……校門のところだった?」

男「!!」

幼馴染「最初その娘は人のいないところへ行きたがったけど、男はすぐその場で断ってくれたよね?」

男「思い出せるのか…!?」

幼馴染「本当にそのシーンだけなんだけど……」


驚きと喜びの表情を見せる、男。

私も嬉しかった、男が喜んでくれる事が。

ただ、それよりも大きな戸惑いが心を占める。

そして僅かに、理由も解らないけれど小さな不安の棘が、胸に刺さっている気がした。

……………
………


…午後六時、ファミレス


友「じゃあ幼馴染ちゃんの症状に快復が見られた事を祝して」

幼友「かんぱーい」

男「乾杯、コーラだけどな」


作戦会議ぎりぎりになって僅かな変化があった私の症状。

でも今、実行しているミントタブレットを使った試みが、あながち効果が無いわけではない事は判ったから。


友「別の作戦を考えるつもりだったけど、とりあえずコレは継続だな」

幼友「あはは、まだ引き続き辛いの食べなきゃいけなくなったねー」

幼馴染「もうやだよー」


男「同じタブレット、箱買いしとくか」

友「黒ラベルなのに◯サヒとはこれ如何に…ってね」

男「そういや、ビールなら◯ッポロだな」


やっぱりこの集まりは、ただのお喋り会で終わりそう。

それにみんな長い目で見るつもりでいるから、次々に色んな事を試しても仕方ない。


幼友「でもやっぱり一番に思い出すのは男君絡みの事だったね」

友「愛の力ですなー」

幼馴染「えへへ、照れますなー」

男「……ちょっと、ドリンクおかわりしてくるわ」

友「お、照れて逃げたな」

男「うっせ」


軽く食事も摂って、更にお喋りは続く。

いつの間にか話の内容は私の事じゃなくて、幼友たちの同棲計画や次の連休の計画に変わっていったけど。


友「卒業したら車買うつもりなんだ」

男「まじか、金あんのか」

友「やっすい軽四でいいんだよ、最初は。そしたらどっか行こうぜ」


教習所に通う友君の話を聞きながら、私はふと思った事をなんの気なしに口に出す。


幼馴染「私も免許、取りに行きたいなー」


しかしそれに対する三人の反応は、予想外のものだった。


幼友「え? 本気?」

友「…めっちゃ意外…いいと思うけどさ」

男「正直、俺もびっくりした」


幼馴染「あれ? なにかおかしい…?」

幼友「ううん、おかしくはないよ」


それにしては驚きすぎだと思った。

免許を取りに行くに不自然な年齢、タイミングじゃないはず。

だとしたら三人の、その反応が持つ意味とは。


幼友「…気を悪くしないでね?」

幼馴染「うん」

幼友「話を聞いた時から思ってたんだけど、なんとなく意識してみると…午前の幼馴染ちゃんと今の幼馴染ちゃん、ちょっとだけ性格が違うんだよね」

友「なんと言うか、今の幼馴染ちゃんの方がサッパリした性格してる気がするんだ」

幼馴染「…そうなんだ」


自分ではそうは思えなかった。

だって一度は日記に嘘を書く位、嫌な事をしてしまった今の私だから。


でもその疑問も、次の幼友の言葉で少し納得する事ができた。


幼友「サッパリっていうのもそうだけど、実行力? 決断力みたいなのが、午後の幼馴染ちゃんの方が強い気がするんだよ」

友「ああ、そうかも。午前の幼馴染ちゃんに了承をとる前に弁当の事を約束したりな」


きっと二人は言葉を選んでくれているんだと思う。

つまり悪く言えば、今の私の方が『厚かましい』って事だよね。


男「はいはい、この話はお終い。どっちの幼馴染が優れても劣っても無えよ。昔からこいつは気分屋だったしな」

幼馴染「なんかそれ、慰められてるのか貶されてるのか解んないんだけど」

男「どっちでもないからな、事実だ」


彼が話の流れを遮ったのは、私達のそれぞれを差別しないための優しさだという事は解ってる。

それにしても、もうちょっと他に言い方は無いのかな…と思った。

…でもそこが好き、とも。


更に一時間近くもお喋りを楽しんで、店を出た四人は二組それぞれ別の方向に帰る。

すっかり暗くなった歩道を男と並んで、手を繋いで。

たまにどうでもいいような事を話しながら、少し寒いけどゆっくり歩く。


幼馴染「明日は午後から雨だって」

男「それ、傘を忘れないように日記に書いといてやれよ」

幼馴染「もちろん、だって困るのは明日の午後の私だもん」


そして私は、あまり掘り返すべきじゃないと思いながらも、頭にあった疑問を彼に投げ掛けた。


幼馴染「男……私が二人になる前、たぶん何年も前の事だけど」

男「うん?」

幼馴染「その頃の私は…どっちだった?」


自分でも言葉を選んでしまったと思う。

だってはっきりと文章にするには、あまりにも怖い。

問いの本質は午前と今、どっちが『本当の私』だったのかという事だから。

だから彼の答えは、なんとなく解ってたんだ。


男「……そんな前の事、覚えてないって」

幼馴染「そっか」

男「その程度の違いって事だよ」


彼は私達のどっちが本物なんて言わない。

だけど彼も、私の昔を知る幼友も今の私に驚いた。

だからなんとなく解ってたんだ。

本当の、答えも。

ここまで


男「…どした? 手がついてないな」

幼馴染「あ、男……うん…花瓶の角度に悩んでた」

男「そっか、せっかく耳のある花瓶なんだし……もうちょい時計回りのところが面白いかもな」

幼馴染「そうだね、ありがとう」


ぐっ…と言葉を飲み込んだ。

もし今、私がここ数日の経過を話したら男はどんな反応をするだろう。

彼は私が普通の、ひとつだけの人格になる事を望んでる。

当たり前の事、それが正常なんだから。

これは私の症状について言えば、快復に他ならない。

だからきっと、男は喜んでくれるはず。

数日前、私が朝の校門での告白劇を思い出した際に男が見せた、嬉しそうな顔が心に浮かんだ。

………



暗くなったいつもの道を、いつも通り手を繋いで帰る。

この道程は、午後を司る今の私にだけ許された大切な時間のひとつ。

私はできるだけゆっくり歩いた。


男「……なんか口数、少ないな?」

幼馴染「そんな事ないよ」

男「どうだ? 最近は…朝の事を思い出せたりはしないか?」

幼馴染「うん……ごめん」

男「謝る事は無いだろ、ゆっくりでいいんだから」


いつまで嘘が通せるだろう。

きっともうすぐ日中に人格が入れ替わるのは、お昼休みの間になってしまう。

その内、この帰り道で意識を手放す事になるかもしれない。


午前の私に対する嫉妬はしない、つまらない意地は張らないように努めてるつもり。

でも、この帰り道も、お昼休みも、美術部の活動時間も、たぶん私のものじゃなくなってしまう。


男「よっし、じゃあ…また明日だ」

幼馴染「うん」

男「おやすみ、幼馴染」

幼馴染「おやすみ」


そしていつかは、この玄関先でのキスも。

……………
………


…翌日、放課後


幼友「幼馴染ちゃん、ちょっといいかな」


美術教室へ行こうとしていた私と男に、幼友が声を掛けた。


幼馴染「どしたの?」

幼友「うん、ちょっと……男君は先に部活行ってて?」

男「うん? いいけど…」

幼友「ごめんね」


そして彼女は少し強引に私の手を引き、昼と同じ屋上へと連れて行った。


少し怖いような、幼友の真剣な表情。

何故か私は、それを真っ直ぐに見る事ができなかった。


幼友「あんた、今度は怒るわよ? 怒ってもいいよね?」

幼馴染「えっ」

幼友「前に友が男君に言ってた真似じゃないけど、私には判るわよ。あんた一人で何を抱えてんの?」

幼馴染「あ、あの…」

幼友「男君に言いにくい事なら、なんで私に相談しないわけ? 私から見れば、あんた…顔に書いてあるのよ」


知らず内に、頬に温かいものが伝っていた。

見ていてくれた、言葉にできなくても彼女には届いてたんだ。


幼友「……『助けて』ってね」


今の私のSOSが。


私はぼろぼろと涙を零しながら、幼友に全てを話した。

日々、午後の私の時間が短くなってる事。

タブレットを噛む度に、午前の記憶が幾つも蘇る事。

日記帳を通じて知った、今のところ午前の私は午後の記憶を取り戻す事は無いという事。

それら全てを、男には話していない事。


幼馴染「だって、怖かった。だんだんと午前の私の時間が延びて、今の私にも午前の記憶が蘇って……」

幼友「午前のあんたが、全部になるっていうの…」

幼馴染「それを話した時、男が喜ぶんじゃないかと思って……そういう意味じゃなくても、今の私が消える事を望んでしまう…気が…して……」


そして彼女は、小さく「ばか」と呟きながら私の肩を抱き締めてくれた。


幼友「男君も私も、午後のあんたが消える事なんか望んでないわよ」

幼馴染「でも…」

幼友「それぞれのあんたが記憶を共有して、二人のままで不自由なくいられるように…そうしか望んでないんだから」


それは私が望み、あまりの身勝手さに口にする事ができなかった想いそのものだった。


幼馴染「あり…がとう…幼友……」

幼友「今日は友はバイトだけど、早くあがるって言ってたから」


彼女は身体を離し、私の両肩に手を掛けて笑う。

わざと不敵に、私に『大丈夫』と言い聞かせるように。


幼友「男君も呼んで、第二回作戦会議…するよ!」

幼馴染「……うんっ!」


……………
………


…午後七時、ファミレス


幼友「……というわけで、第二回作戦会議を開催したいと思います」

友「なんでお前が仕切ってんだし」

幼友「あんたバイトあがりなんだから、会計役ね。ここの払っといて」

友「ちょ…!?」


事の次第はあらかた幼友が話してくれた。

聞きながら男は驚き、何度も「そうじゃない」とか「なんでそうなる」と後悔を顕にしていた。

私が恐れた『喜び』の反応など、微塵も見せないのが嬉しかった。


男「くそ…こんな事なら記憶が共有できなくても、そのままの方が良かったのに」

幼友「……ね? 幼馴染ちゃん、早く話せば良かったでしょ?」

幼馴染「うん…ごめん」


友「いっそ今からでも病院に行ったらどうだろう」

幼友「だめだよ。たぶん医者の目から見れば、今のこの状態は『順調な快復』としか映らないと思う」

男「そうだろうな。二人の人格を残したまま……なんて、本人や俺達だけが望む事のはずだし」

友「そうか…医者にしてみりゃ、一人だけになっちまえば全快って話だよな」


今の私のために、真剣に知恵を絞ってくれる三人。

少しだけ『もしこれで私が消えても、悔いはない』なんて想いがチラついたけど、彼らに報いるためにもその考えは捨てようと思う。


幼友「そもそも幼馴染ちゃんの人格が二人になったのって、何か理由は思いつかない?」

男「…いつからの事だっけ?」

幼馴染「自分でもはっきりはしないんだけど、たぶん中学生の頃かな…」


幼馴染「ある時、なんで午前中の事を覚えてないんだろう…って。それでその時の手帳に朝読むためのメッセージを書いたの」

幼友「そしたら?」

幼馴染「次の日、やっぱり知らない内…午前中の内に返事が書き込まれてた。午前の私も不思議に思ってたって…」


それからしばらく手帳での情報交換を続けて、ちょうど昼の12時に意識が入れ替わっている事に気づいた。

そして試しに夜更かしをして、夜の12時にまた入れ替わるという事を突き止めたんだ。


幼馴染「でも、原因……理由は解らないよ」

幼友「そっか…」

男「とにかくこれからは午前のお前に午後の記憶を取り戻して貰う方向でいこう」

友「そんな都合のいい風にいくかな」

男「解らないけど…でも、両方にそれぞれの記憶を共有してもらうしかないだろ」


友「午後の時間に、何か強く印象に残る事をすればいいんじゃないか?」

幼友「そうだね、少しでも午前の幼馴染ちゃんが思い出しやすいような記憶を作るようにすればいいよ」

幼馴染「…思い出しやすい記憶……かぁ」


頭を捻る…けど、上手い案は自分でも思いつかない。

『美味しいものを食べる』とか、『映画鑑賞みたいな印象深いデートをする』とか、凄く贅沢な考えだけは出てきたけど。


幼友「ひとつ…あるね」

友「お、今日は冴えてんな」

幼友「いつも冴えてるけどね」


彼女が思いついた、その『冴えた考え』とは。

その表情からして、嫌な予感に襲われたような気がするのは思い過ごしじゃないと思う。


……………
………


…午後八時過ぎ、自宅前


男「……ええと、もうけっこう遅いんだけど」

幼馴染「そうだね」

男「あのさ、幼友の言う事は気にしなくていいと思うんだ」


男が明らかに挙動不審。

いつも割と落ち着いてて、余裕ぶってる彼のこんな姿を見るのは珍しい。


幼馴染「私は気にしてないけど」

男「お? おう、俺も気にしてないぜ。…気にしてないとも」

幼馴染「とりあえず、上がる?」

男「上がるだけな!」


……おかしいってば。


部屋に入っても彼はそわそわとしてる。

正直、さっきは強がったけど私だって胸中は穏やかでない。

確かに幼友のアイデアはなかなかに強烈なものだった。


『あんた達、愛し合えばいいのよ』


…解ってる、相思相愛とかそういう意味じゃない事くらい。

それはもっとオトナな意味、間違いなく強力な印象を残すであろう行為。


幼馴染「……男…」

男「はい」

幼馴染「なんで敬語なの」

男「いや、ちょっと何と無く」


幼馴染「幼友の言った事だけどね」

男「いや、待てまて、冷静になれ、くーるだうん、早まるな、俺」

幼馴染「いいから聞いてよ、さすがに突拍子もなさすぎると思うんだ」


いくらなんでも、今の状況にかこつけて大事な一線を越えるのは躊躇われる。

もちろんこのまま私の意識がどんどん小さくなって、消える前に最期の思い出を欲するようになったら……解らないけど。


幼馴染「やっぱり、そういうのは純粋にキモチを確かめるための行為だよね? 状況を打破するための手段としてなんか…したくない」

男「そりゃ…もちろん」

幼馴染「だからとりあえず、今日はそんなコトしないでしょ? だから落ち着いて」

男「……おぅ」


あ……今、ちょっと残念そうな顔した。

ここまで

この話、エロ描写はしない
繰り返す、断じてエロは無い


それから一時間あまり、普段ならとっくに男は帰っている筈の頃。

私は意を決して口を開いた。

さっきから…いや、この部屋に入った時から考えていた事。

身体を重ねるとまで思い切りはしなくても、明らかに今までと違う記憶を残せる手段……それは。


幼馴染「男、あのね……今夜は…その…」

男「ああ…ごめんな、結局いい手が浮かばなくて。何も変わった事できなかったなあ」

幼馴染「え?」


男「悪い悪い…ずっと考えてたから、いつもより遅くなったな。さすがに引き上げるよ」


男は私の言葉を待たずに立ち上がる。

しまった、きっと私のしどろもどろな物言いが『そろそろ帰れ』という意味にとられたんだ。


男「じゃあ、おやすみ」

幼馴染「いや…そうじゃなくって!」

男「……?」


どうしよう、尚更に言いにくい雰囲気になってしまった。

でも、このまま自分の時間を失ってゆくのは怖い。

どうしても失ってしまうなら、少しでも一緒に過ごしたい。

だから、はっきり言うしか…ない。


幼馴染「……こ、今夜は帰らないでっ」

男「えっ」

幼馴染「いや、その…何かするってわけじゃないんだけど!」


何を言ってるんだろう…私は、何かってナニよ?


顔が熱い、きっと真っ赤だと思う。

『今夜は帰さない』って、普通なら男のヒトが言う口説き文句だ。

でも幸い、男は私の意図をおよそ解ってくれたらしい。


男「…なるほど、昼間はともかく夜にお前の人格の入れ替わりに立ち会った事は無いな」

幼馴染「う…うん、そうでしょ?」

男「それは確かにいつもと違う状況として、試してみる価値はありそうだ」


でもちょっと事務的すぎるよ、男。

もう少し乙女心的な意図も、汲んでくれないものかな。

何のために『入れ替わる時まで帰らないで』じゃなく、今夜は…って言ったと思ってるんだろう。


男「なんならその直前…兆候が現れた時にタブレットを食べてみてくれ。入れ替わったら直後にまた食べさせるから」

幼馴染「ああ…もう、ちっがーう!」


男「…はい?」


幼馴染「ばーか! 男のばーか!」

男「な、何がだよ」

幼馴染「ある程度の年齢になってから、さすがに一緒に夜を越した事は無いでしょ!?」

男「そう…だな」

幼馴染「だから今夜はっ、傍にいてって…私が入れ替わる時に抱き締めてて…って言ってんの! ばーか! 鈍ちん!」


たぶん顔は真っ赤なまま、全然迫力は無いと思うけど。

ちょっと腹が立ってきたから、遠慮を捨てて男を責めてみた。


男「…こっちの台詞だ」

幼馴染「何がよっ」


……その結果、私に与えられたのは。


男「人の照れ隠しくらい察しやがれ、この鈍ちん」


今までのどれよりもきつく、長い抱擁だった。


もし今の私が本当にいつか消えるなら、最後の時はこうしていたい。

きっとそれなら消えるのではなく、私は溶けて貴方に混じってしまうのだと。

そう思えるから、怖くないんじゃないかな。


それが一週間後でも、明日でも。


例え、今だったとしても。


……………
………



《中学に入ってから、男…小学校の時みたいには接してくれないなあ》

《そういう時期なんだとは思うけど》


《……いつか、他の娘に告白されたりするのかな》

《やだなあ…》


《それならいっそ私が…?》

《でもずっとオサナナジミの関係に甘えてきたし…ちゃんと女として見られてるのかな》


《だめだなあ…うじうじして》

《私、もうちょっとだけでいいから決断力とか強くなれないかな》

《そしたら思い切って……》


《でも、ふられたら?》


《きっと男はそうなっても友達ではいてくれるだろうけど》

《……私、きっと普通には接する事ができなくなる》


《告白…したい》

《もし、ふられたら…その事だけ忘れちゃいたい》


《二人になれたらいいのに》

《当たって砕けちゃっても、ダメージの無い方だけ残れたらいい》

《そして、もし…上手くいった時は》

《元通り、一人に戻れたら……って、都合良すぎるかな》


《でも、そうなればいいのに──》


……………
………



──それでもまた、意識が覚醒する。

再び自分が目覚められた事に安堵し、また昨夜の抱擁の内に消えてしまえなかった事を悔やんだ。


顔を上げると、そこには心配そうな表情で私の様子を窺う三人の姿。

ここは屋上、私の膝の上には半分ほどの量になった弁当箱がある。


ああ、とうとう入れ替わるのはお昼休みにまで達してしまったんだ。

そう察した私の表情は、きっと曇ったんだろう。


幼友「……大丈夫? 幼馴染ちゃん」

幼馴染「うん、心配させてごめんね」


深刻なトーンで私を気遣う幼友に、ひとまずは強がってみせる。

昨日、彼女はあんなにも親身になってくれたのに、更に状況が切迫したものになっている事が申し訳ない。


友「入れ替わるところは初めて見たけど、やっぱり前後を見ると雰囲気が変わるな」

男「やめろ、一緒だよ」

友「…っと、悪い…」


友君に悪気は無い、解ってる。

本気で私の事を案じ様子を見てくれているから、その変化にも気づいたんだろうから。


幼友にはまた怒られてしまいそうだけど、これ以上気を遣わせちゃいけない。

私は短く目を閉じたあと、弁当箱にかけて置かれていた箸を手に取り、出来るだけ明るい調子になるよう心掛けて声を発した。


幼馴染「手を止めさせちゃってごめん、残り食べてお喋りしようよ」

幼友「…うん、そうだね」

男「今日の唐揚げ、美味いぞ。冷めても柔らかい」

幼馴染「おお…今朝の私、頑張ってるね」


──よかったね、午前の私

初めて自分の作ったお弁当、男と一緒に食べられたんだね

なんとなく私は、少しずつ覚悟ができてきたよ

こんなに親身になってくれる友人と、今の私の事も大切にしてくれる男に手を尽くしてもらって

それでも消えてしまうなら、もうどうしようもない

つい昨日、自分が諦めちゃダメだと思ったばかりだけど

諦める事と、覚悟をもつ事は違うよね──?


きっと明日の昼間の人格交代は、更に遅れるんだと思う。

もしかしたらこのお弁当、今の私が食べるのは最後になるのかもしれない。


幼馴染「あ、本当…美味しい。私、結構やるね」


自画自賛できるこの唐揚げの味、絶対に忘れたくないと思った。


………


…放課後、美術室


幼馴染「美展に提出する作品、出来たねー」

男「おう、俺も最後の仕上げになって手間どっちゃったよ。結局ぎりぎりになったな」

幼馴染「最初は遅れてた私の方が先に出しちゃったもんね」


イーゼルに掛けられたまま、つい今さっき完成した男の描いた油絵をしげしげと眺めつつ私達は話した。

贔屓目で見なくともなかなかの出来、高校最後の出展作品として相応しいと思うけど、私より上手な気がするから言ってあげない。

もし入賞したら、その時思い切り褒めてあげる事にしよう。

それが今の私かは解らないけど。


男「ちょっと廊下の流し台で洗い物してくるわ」

幼馴染「じゃあ廊下は寒いから、ここで待ってる」

男「おう、絵に悪戯すんなよ」

幼馴染「へっへーん」

男「…おい」


さすがにそんな意地悪はしない、もちろんそれは男も解ってる。

ふざけて何回か振り返る真似をしながら、彼は教室のドアから寒い廊下へ出て行った。


さて、悪戯はしないけど…粗探しでもしてやろうかな。

……それも違う、男が描いた絵を目に焼きつけておきたいだけ。


私はキャンバスに顔を近づけて、端からなぞるようにそれを眺めた。



幼馴染「……あ…」


ふと、ある一点…パレットナイフでわざと乱雑に色がのせられた背景部分に目がとまる。

これは──


確認しようと更に目を凝らしたその時、不意に暗転を始める視界。

いけない、私が入れ替わろうとしている。


幼馴染「お…とこ…」


まだ夕方なのに、しかもなんでこんなタイミングで。

せめてあと少し、男が戻るまで。

せめて大きな声だけでも出す事が出来れば──


第二部おわり

次の第三部は午前の幼馴染視点になります


【第三部】

(午前の幼馴染視点)

.



幼馴染「痛っ……」


目が覚めていきなり痛覚に襲われる。

硬いタイルカーペット敷きの床に、膝を落としてしまったんだ。


周囲を見て、そこが美術教室である事に気付いた。

そして現在が、まだ夕方である事にも。



幼馴染(……こんなに早く…しかも、立った姿勢のままで意識を手放すなんて)


きっと何かがあったんだ…と思った。

立ち上がりスカートの裾を払う。

目の前にはイーゼルに掛けられた大ぶりなキャンパス、完成した絵。

実際に見た事は無かったけど、今回の美展に出す男の作品に違いない。


幼馴染(よかった…この絵を倒さなくて)


ほっ…と胸を撫で下ろした時、教室の出入口のドアが開いた。



男「悪戯、してないだろーな?」


廊下で洗い物をしていたんだろう男は、私の様子にまだ気付いていない。

けど、私の表情は今の戸惑いを語っていたらしい。

こちらから話す前に彼の顔つきは変わった。


男「……もしかして、午前の…?」

幼馴染「うん…」

男「そう…か……」


今、彼は努めて動揺しないようにしている。

午後の私……もうその呼び方もしっくりこなくなってしまったけど、彼女を深く気遣うそぶりを今の私に見せないために。



幼馴染「男、気にしないでいいの。午後の自分の事は、私も心配だから」

男「ん……そっか」

幼馴染「……また早く、もう一人の私の時間が短くなっちゃったね」

男「それもかなり大幅にな」


今は17時半くらい。

お弁当を食べてる途中の13時頃に入れ替わったから、彼女の時間は僅か四時間ちょっとしかなかった事になる。


私はポケットからタブレットを取り出し、3粒くらいを口に放り込んだ。

思わず顔をしかめてしまう程の、強い刺激と清涼感。


男「お前、そんな何粒もいっぺんに…無理はすんなよ」

幼馴染「いいのっ、がんばるの。…んんんっ…うぅ……っ…」



少しでも、午後の私の事を思い出さないと。

今の私の中にその存在を取り込まないと、本当に彼女は消え去ってしまう。

でもその刺激に耐え切った時、無情にも記憶は何も再生されなかった。


人格が入れ替わる事に気付いていたはずなのに、椅子に座る事もしなかった午後の私。

一体何があったのか思い出す事もできず、男も知る様子は無い。



男「気には病むなよ、お前のせいじゃない」

幼馴染「うん…」

男「どっちかと言うと、人格をひとつにしようとした俺の──」
幼馴染「ストップ、それ言ったら怒るよ」

男「…ごめん」


……大丈夫。

例え午後の私が完全に時間を失っても、いつか私が彼女を思い出してみせる。


幼馴染「帰ろう、男」

男「…そうだな」


仲違いした事もあるけど、彼女は大事な私の半分なんだから。



………


…帰り道


中学の時はいくらか覚えてる。

けど、男と一緒に高校から下校する機会は今までほとんど無かった。

何かのイベントがある時など午前中に帰る事はたまにあったけど、こんな暗い時間にそうするのは初めての事。


まして手を繋いでの帰宅なんか、尚更の話だった。

今の私達が付き合う事になってからも、朝の通学の時には明るくてこんな事は出来なかったから。

午後の私はいつもこんな満ちたりた時間を過ごしていたのか……と、ちょっと悔しく思ってしまう。



…解ってる、状況はそんな事を気にしてる場合じゃないし、むしろ彼女に妬まれるべきなのは今の私。

それでもそう思ってしまうくらい、この時間は特別なものに感じられた。


幼馴染「絵の製作、間に合って良かったね」

男「ああ、ぎりぎりになっちゃったけど」

幼馴染「いつ会場に搬送するの?」

男「明日、放課後に顧問の先生のワゴン車に積み込んで、明後日の日中には持って行くって」



幼馴染「呆れた、本当にぎりぎりじゃない」


──ふと、胸が鳴る。

理由も解らないし、気にしなければ見落としてしまいそうな小さなサイン。

でも今、確かに何かが心に引っかかった気がする。


男「……どうした?」

幼馴染「何か…思い出せそうな…」

男「!!」


男が驚いた表情をしつつ黙り込む。

私が考える邪魔にならないように…という事なんだと思う。



どうして今、こんな感覚に襲われたんだろう。

やっぱり午後の私にとって、この帰り道は特別なものだったから?

…違う、根拠は無いけどそうじゃない気がする。


私はまたミントタブレットを口に放り込んだ。

けど、やっぱり何も記憶は再生されない。


幼馴染「……ごめん、解らないや」

男「そうか…」



心に気掛かりを残したまま、私達はお互いの自宅前で別れた。

玄関の門扉を開けながら自分の部屋の窓に目を遣り、ふと昨夜今の私が覚醒した時の事を思い出す。


『…えっ!? わわっ! 男っ!?』

『あはは……おはよう、幼馴染』

『なんでっ!? こんな時間…えっ!?』


普段なら男が部屋にいるはずの無い時間に目覚めたはずなのに、自分がいたのは彼の腕の中。

一瞬『まさか』と思って、ちゃんと服を着ているかを確認してしまったのを思い出して顔が火照った。


幼馴染(でも、ちょっと…いやすごく嬉しかったなぁ)


その行動の主目的は私を喜ばせる事じゃないとは知りつつも、やはり想う人の腕の中で目覚める事が幸せじゃないわけもなく。

でも次の瞬間には、もう一人の私の記憶を引き継げなかった事に失望した。

明日はいつ頃に入れ替わる事になるのだろう。


幼馴染(午後には体育があるから、その時じゃなきゃいいけど…)


その時の私は、まだ知る由も無かった。

そんな心配が杞憂である事。

もう二度と、その時が訪れないという事を。

ここまでー



……………
………


…翌朝


あれだけ大幅に覚醒の時間がずれたのだから、もしかしたら夜中に再度入れ替わりがあったりするかもしれない。

そう考えもしたけど、私は普通に朝を迎えた。

とにかく通学中や教室移動の時など、特に歩いている時には注意しておかなきゃ。


できるだけ静かに階段を降り、台所へ向かう。

お弁当作りを始めて間も無くは中々眠気が拭えず、メニューを考えるにも苦心した。

でも最近はようやく慣れてきて、メニューは前の晩の内に冷蔵庫と相談する事にしている。

それも夜に人格が入れ替わるのが早まったから、できるようになった事だけれど。



幼馴染(豚コマは使っていいって言ってたから、生姜焼きと卵焼き…あとブロッコリを茹でて……)

幼馴染母「あら、おはよう。今日も早くから頑張るわね」


まだパジャマ姿のお母さんが台所のドアを開ける。

私が自分で弁当を作ると言い出した時は随分と冷やかしてくれた彼女だけど、今じゃメニューを考える手伝いもしてくれるようになった。


幼馴染「おはよー」

幼馴染母「男くん、あんたの料理で満足してるのかしら? よかったら私が作ってあげようか?」

幼馴染「大きなお世話ですよーだ」

幼馴染母「あははっ、でもあんた達がようやく前に進んでくれて嬉しいわ…」



ちなみに作るお弁当は三人前。

私が最初に男にお弁当を作った朝、なんだかお父さんがイジけてたから。


『とうとうお前も色気づいてしまったか…』

『もー、変な事言わないでよ。しょうがないなぁ、明日からはお父さんの分も作ってあげるから』

『狙 い 通 り』


なんだかんだ言って、両親共に昔からの付き合いである男の家庭の事は快く思っている。

今のところ何も現在や将来のビジョンに問題は無い。

…私自身の内面を除いては。



………



幼馴染「おっはよ」

男「おっす」


今日も学校まで、慣れた道を二人で歩く。

少しだけ曇った空、天気予報によれば夕方からは雨になるかもしれない。


幼馴染「絵の積み込みする時、雨だったらやだね」

男「お前の分はもう先生の車に積まれてるけどな」



幼馴染「え、そうなの?」

男「うん、先週にな。完成して乾いた後すぐに積んでもらってたよ。『見てたら絶対あちこち修正したくなるから』って」


確かに私は家で適当にイラストを描く時も、完成した筈の絵に修正を重ねて、結果最初の方が良かった…となる場合が多い。

それでもなかなかその癖は治らずいるのに、午後の私は結構思い切りがいいんだな…。


幼友「おはようっ」

男「おー、おはよ」

幼馴染「おはよう、友君は?」

幼友「また寝坊したってメール入ってた。それよりあんた達、一昨日は『無かった』って言ってたけど昨夜はどうだったのかな?」



これに似た問いは昨日も受けた。

その時も今も、何の事を言ってるのかいまいち解らないのだけど。

どうも彼女の顔が悪戯っぽく見えるのは気のせいじゃない。


男「どーもしてねえよ」

幼友「えー? 意気地なしだなぁ」

男「うっせ」

幼友「誘惑が足らんぞ? 幼馴染くんっ」


流し目でニヤリと笑う幼友。

何を表現しようとしてるのか、妙にしなやかな手つきで指をくねらせてみせる。

なんとなく一昨日の話が見えた気がして、私はそんな彼女のお尻を叩いた。



少し早目に学校に着いた私達、男はやっぱり絵が気になるらしく一度美術室に行くとの事だった。


幼友「男君の絵も完成した事だし、今日はまたどっかで集まって打ち上げでもしよっか? あ…でもその時、今の幼馴染ちゃんじゃ…」

幼馴染「うん…気にしないで、どっちも私だもん。でも今日の放課後は絵の積み込みがあるからなぁ」


──どくん…と、また心臓が少し大きな鼓動を打った。

昨日の帰り道と一緒だ、何かを思い出せそうな……記憶の何かが主張しようとしている。


幼友「どしたの?」

幼馴染「………駄目だ、やっぱり出てこない…」

幼友「もしかして、午後の記憶?」

幼馴染「うん、何か思い出せそうになるんだけど……」



幼友「そっか…でもあんまり思い詰めないでね」


気遣う幼友に笑顔を返して、私はまた思慮に耽った。

昨日と今の共通点、歩いてる、話をしてた……他には?


幼馴染(…話……絵の事を話してた)


そうだ、どちらの時も『絵の積み込み』について話をしてた。

そう思いついた時、更に胸にざわつきが感じられる。

やっぱりここに鍵があるのかもしれない。


幼友「仕方ないと思うけど、ちゃんと授業中は集中しなきゃだめよ?」

幼馴染「うん、ごめん」


少しだけ、引き出しが開きかかってる気がする。

でも結局その後、記憶の正体は掴めないままに午前中は過ぎていった。



…昼休み、屋上


まだ人格は入れ替わらない。

私は卵焼きを口に入れると弁当箱を膝に置き、時計を確認した。


幼馴染(昨日はこの位の時間だったんだけどな…)

男「美味いわ、生姜焼き」

幼馴染「ん、良かった」


いつ午後の私と入れ替わるか解らないから、少しゆっくりとお弁当を食べ進める。

できれば彼女にも食べて欲しい。

彼女にとって楽しい時間だったはずの四人での昼食を、今日も過ごさせてあげたい。

でもどんなにゆっくり食べてもその時は訪れる事なく、遂に弁当箱は空っぽになってしまった。



男「…あれ? なんかメッセージ届いてる」


男がポケットから携帯を取り出す。


友「浮気か?」

幼友「あんたじゃないんだから」

友「俺も浮気した事ねーし!」

男「あ……行かなきゃ」

幼馴染「え? 本当に浮気?」

男「違うって」


どうやら夕方からの雨を見越して、本当に昼休みの内に積み込みをする事になったらしい。

私も行こうとしたけど、男は『万一昼休みを過ぎるようだったら、先生に理由を伝えて欲しい』と言って私を残らせた。

もちろん別に断る理由も無く、私は屋上を後にする彼の背中を見送る。

……また絵の事に関わる話を聞いて、胸をざわざわとさせながら。



幼友「…なんか、考え事してるね」

幼馴染「え? ああ…うん、ちょっと」

友「午後の記憶か?」

幼馴染「…なんだか絵の話をする時に、ちょっと引っかかるものがある気がするんだ」


それでも、どうしても思い出せない。

きっと何かがあるはずなのに。


幼友「どうにもしてあげられないのが歯痒いなぁ…」

幼馴染「ごめんね」



友「思い出そうとするからいけないんじゃね?」

幼友「あんた何言ってんの?」

友「午後の幼馴染ちゃんの記憶が今の幼馴染ちゃんに無いんだとしたら、思い出そうったって無理だろ」

幼友「ちょっと」

友「むしろ、午後の幼馴染ちゃんになったつもりで過ごしてみたら?」


友君の言葉、ちょっと意味が解らないような名案のような。

でも彼なりに知恵を絞ってくれているのだろう。


幼馴染「ありがとう、友君。がんばってみる」

友「うん、色々試してみればいいよ」

幼友「大丈夫? この人、何か失礼な事言ってない?」

幼馴染「大丈夫だよ、本当…色々試してみなきゃね」



………



そのまま、人格が入れ替わる事なく午後の授業を受ける。

危惧していた体育の授業も終わり、やがて帰りのHRまで終わってしまった。


幼馴染(午後の私……どうしたんだろう、なんで入れ替わらないの)


窓の外は雨、そう強い降りようではないけど傘は必須な位。

もちろん持ってきてはいるけど、今日は手を繋いで帰るのは難しいな。



男「お疲れ、絵の積み込みも終わってるし…帰るか」

幼馴染「うん」

幼友「ね、用事が無いんだったら朝も言ったけど、どこか寄ろうよ」

幼馴染「…どうする?」

男「いいよ。雨だし、家までの中間どころで休憩を兼ねてモスでも寄るか」


午後の私に申し訳ない、そうは思うのだけど。

でも帰りがけの寄り道なんて経験は無いに等しい今の私、どうしても嬉しくなってしまう。

私達は度重なる朝の遅刻で職員室に呼ばれている友君の合流を待って、校門を出た。



………



男「俺、この辛味噌チキンバーガーな」

友「俺もそれ、幼友はいつもの?」

幼友「うん、モスチ」

幼馴染「うーん…どうしよ」

幼友「そういえば今のあんた、あんまり来た事ないよね。私のと同じにしときなよ、定番だよ?」

幼馴染「じゃあ、そうする」


それからみんなでひとつのポテトを頼んで、私達は窓際の席についた。

他愛も無いお喋りに花を咲かせ、雨が小降りにならないかと外を気にする。

今の私がこの時間まで身体を司っているのは今までを思えば異常な事態のはずだけど、誰もそれに触れようとはしない。



友「今回の絵、自信の程は?」

男「けっこうあるぜ、時間かけたもんよ」

幼友「いったん展示場に運ばれたら、もう触れないの?」

男「ああ、順番に審査されていくからな」


また、胸がざわつく。

やっぱり昼の積み込みに立ち会えば良かった、何か解ったかもしれないのに。

今更そう思いついて後悔した。


友「でも運ぶのって、専用の車とかじゃないんだな」

男「当たり前だろ、プロの画家の作品じゃあるまいし」



幼友「部員みんな出展するの?」

男「ああ、ほとんどな。もうワゴン車の荷室いっぱい、押されてキャンバスが破れるんじゃないかと思ったよ」

友「……幼馴染ちゃん?」

幼馴染「………」


せっかく楽しく話してる。

みんなに心配はかけたくない、でもさっきから胸のざわつきが強い。

半ば苦しく思えるほど、何かを訴えかけてる気がする。


幼友「そっか…また絵の話になったから」

友「午後の幼馴染ちゃん、何を伝えたいんだろうな」



友君が昼に言ったように、午後はもう一人の私の行動を意識してその気になってみた。

きっとお昼ご飯の後だから眠気を堪えてたんだろうな…とか、教室の掃除はどこをやってたのかな…とか。

でも、特に進展は無かった。


男「…幼馴染、あんまり気にするな」

幼友「そうだよ、そのうち自然に思い出すかも」

幼馴染「うん、本当…ごめん」


食べ終わってからも暫くお喋りを続けている内に、雨は上がったようだった。

でももう空は暗いから、どのくらい厚い雲がかかっているのかは判らないし、少なくとも星は見えない。

帰るなら今の内、私達の意見はそう一致して席を立つ事にした。



………



幼友「じゃあ、私達ここで曲がるね」

男「おう、お疲れ」


そこからじきの交差点で、二人は手を振って私達と別れた。

そのあと数歩、互いに遠ざかってから男は一度振り返ってから、私に手を差し伸べる。

私も一度振り返り、友君達の姿が小さくなっている事を確認してその手をギュッと握った。


右手の温もりを幸せに感じながら、でも心の内で想いを馳せるのは解けない疑問について。

とうとう昨日、今の私が覚醒してから丸一日以上が経過してしまった。

友君も幼友も、あんなに知恵を貸してくれているのに。



幼馴染「…なんか、二人に悪いみたい」

男「そんな事、言うなって」

幼馴染「でも友君って、いい人だよね」

男「んー、まあ……いい奴なんだよ、あいつ」

幼馴染「面白いんだよ、友君…午後の私になったつもりで過ごしてみたら? って、アドバイスくれたんだ」

男「なんだそりゃ」

幼馴染「午後の私の記憶、思い出せないんじゃなくて今の私には無いんじゃないのかって。思いつかなかったよ、そんなの」


なかなか実行するのは難しい、友君のアイデア。

でもこんな訳の解らない状況を打破するには、そういう柔軟な考え方が必要なのかもしれない。

そして、もしかしてそれは当たらずしも──


男「面白いな、同じお前の中にいるのは確かだけど、記憶は別モノか」


──心臓が、大きく鳴った。



思い出すんじゃない。

午後の私を演じるんじゃない。

それらはあくまで、今の私が彼女の記憶や意思を取り込もうとする事。


そうじゃない、彼女はいるんだ。


この同じ身体の中に、今も、今までも、ずっとこれからも。


『午後の幼馴染ちゃん、何を伝えたいんだろうな』


友君の言葉が頭を過る。

彼女は今の私に伝えようとしてる、それは何かの警告…それとも。



幼馴染「自身の…存在…」


男は私の様子に気付いたようで、立ち止まり真剣な面持ちでこっちを見つめている。

私は目を閉じ、じっと心に耳を澄ませた。


今、ここにいるのが自分だけだと思うからいけないんだ。

きっと彼女は今の私と同じように、この身体に在るんだ。

だから、その声に耳を──


《──やっと、届いたんだね》


.



幼馴染「……え…?」

男「どうした?」

幼馴染「声…が…!」


《昨日の夕方、最後に交代してからは寝てる間以外ずっと意識があったんだよ》


頭の中に直接、声が伝う。

間違いない、疑いようも無い、これは彼女の声。


幼馴染(…じゃあ、貴女もこの目を通じて同じ景色を見てるの?)

《うん、それだけじゃなくて……たぶん気付いてくれた今なら、ほら──》



不意に右手が、男と繋いだままでヒョイと持ち上げられる。


男「…何を?」

幼馴染「違う……今の、私じゃない」

男「どういう意味だ? まさか…」

幼馴染「私にもよく解ら…そういう意味以外無いでしょ? って、ええ!? 何これ…」


言おうとしていない言葉が口から零れる。

つまり、今…私の身体を操ったのは。


《午前の私、ちょっと喋らないでくれる?》

幼馴染(うん…解った)



男「…幼馴染?」

幼馴染「男、一日ぶりだね」

男「!! じゃあ…今のお前は」

幼馴染「どっちもだよ、二人でひとつの身体を操ってる。午前の私が存在に気付いてくれたから、出て来られるようになったの」


午後の私が男に語るのを聞きながら、私は頭の中を整理した。

彼女の存在を受け入れると同時に、脳内に再生されたもの。

それは午後の私がもっていた全ての記憶だった。


今、私は声を出そうと思えば出せるし、身体を動かそうとすればそれもできる。

きっと彼女も同じなんだろう。

同時に反対の事をしようとすれば、どうなるのか解らないけど。



やっとひとつになれた。

私達がひとつになる方法は、同じ身体の中でお互いが同時に存在するという状態を認め合う事だったんだ。


男「そ、それで…大丈夫なのか? 変な感じだったりは…」

幼馴染「もちろん、変な感じではあるけど…大丈夫だと思うよ? どっちも自分だし」

男「今…喋ってるのは、どっちなんだ?」

幼馴染「どっちでもないよ」


そう、もうどちらでもない、区別なんか要らない。

喋りながら違う事を考えるなんて、ちょっと難しくても普通の事。


それを象徴するように、私の目からはどちらのものとも判らない涙が零れた。



私達は同じ景色を見て、同じ味や匂いを感じて、同じ右手の温もりを受け取っている。

もしかしたら心の中で喧嘩をする事もあるのかもしれないけど、それは誰にでもある心の葛藤と変わりは無いはず。


幼馴染「もう私達は…ひとつだから、男は気に…しなくていい…の…」

男「……そうか、よかった…本当に」


心から安堵した声を、搾り出すように男は言った。

彼の瞳もまた潤んでるように見えたのは、きっと気のせいじゃないと思う。



それ以前がどうだったかは解らない、もしかしたら二人とも気付いていなかっただけなのかもしれない。

でもこうして二つの人格が同時に意識をもつようになったのは、昨日の夕方の交代からの事。

今日、午後の私はずっと訴えかけてたんだ、自身の存在を……そして。


幼馴染「良かった、やっと言える…」

男「……何を?」


『男に伝えなきゃいけない事がある』って、教えようとしてたんだ。



……………
………


…翌日、早朝


先生「ああ、これだ。男、隣りをワシが持っとくから、そーっと抜き出せ」

男「はい」


顧問の先生のワゴン車から男の絵のキャンバスを抜き出す。

収納されていた袋を脱がせ、端から目を這わせてゆく…すると。


男「あった…!」

幼馴染「やっぱり、ちょっとだけ広がってる…」



先生「おお…これは気付かんのも無理はないな、厚く塗られた絵の具の縁に沿っている」


パレットナイフで乱雑に厚塗りされた背景部分、おそらくその刃先が当たったのだろう。

キャンバスに刻まれた、長さほんの3センチほどの傷。


先生「しかし布目が通っている、これは運搬中に他の絵に押されたら裂けていたかもしれんな」

男「先生、補修する時間は…」

先生「午前中にワシが裏から補修材を当てておくから、昼休みにこの部分だけ塗り足しに来なさい」

男「はい!」



昨夜の内に先生に連絡をとり、今朝は急いで登校したからお弁当は作れなかった。

それもあり昼食は二人揃って購買のパンで済ませ、昼休みの残りは念入りな絵の塗り直しに費やした。

放課後、持ち込みできる時間ぎりぎりまで乾かしてから、再びワゴン車に積み込んで。

後は先生が細心の注意の元、運んでくれるはず。


男「…ありがとうな。高校最後の美展、傷物で審査落ちなんて嫌だもん」

幼馴染「感謝の気持ちは態度で示すといいと思うよ?」

男「……マック」

幼馴染「もう一声」

男「モス」

幼馴染「上げ方がせこい」

男「ケーキバイキング」

幼馴染「よし、手を打ちましょう」



………



頭の中で別の声が聞こえるのは、次第に慣れると思う。

それに普通なら退屈してしまうような時、無言で会話できる話し相手がいるというのは悪くない。

たまに意見が食い違う事もあるけど、納得がいくまで相談する事にしてる。

そもそもお互いに逃げられないし考えは見透かされるんだから、喧嘩なんか長続きするわけがない。


男と手を繋ごうと、口づけを交わそうと、同じ感覚を二人ともがもつのだから嫉妬もしようがない。

片方がレンアイについて想いを巡らせてると、もう片方が冷やかしてくる…という妙に恥ずかしい思いをする事はあるけど。

逆に女同士の恋話を脳内でできるというメリットもある。



あと、めっぽう口喧嘩が強くなった。

争いながら同時にそれを冷静に見ているもう一人が助言できるのだから、当然かもしれない。

これには男も手を焼いているみたい、程ほどにしないと嫌われそう。


いっそ二つの事を同時に捉えられる事を特技として活かせないかとも考える。

英会話とかをしっかり習えば、同時通訳の仕事とか就けたりするかな……なんて、企んでみたり。


動作については、基本的にはどちらかが『じゃあ今は私が休んどく』という感じで、交代で行う事にした。

ただ何かにびっくりした時、咄嗟に違う事をしようとして慌てる事がある。

慣れるまで、事故とかには気をつけなきゃいけないと思う。



………



幼友「おはよー」

友「おっすー」

幼馴染「あ、おはよう」

男「あれ? 友、今日は遅刻しないのか?」

友「うるせーし」


今朝も男と友君がじゃれあっている。

友君はもう教習所の卒検も合格して、休み時間はもっぱら中古車雑誌を熟読してる。

幼友が話しかけても上の空だから、ちょっと彼女は最近ご機嫌斜め。



こんなに深い秘密を共有しあった4人、きっとずっとこんな関係でいられると思う。

……4人? でも、5人っていうのもなんか違う。

じゃあ4.5人? それじゃ誰かが半人前になっちゃうし──


《4.1人でいいんじゃない?》

幼馴染(それ、なんかおかしいよ…)

《なんでよ、Ver4.1みたいで格好いいのにー》


幼友「幼馴染ちゃーん、行くよー」

男「何してんだ、あいつ」


いけない、考え事してたら置いて行かれてる。

私はちょっと駆け足で3人の元へ向かった。


大切なパートナーと一緒に。

彼女と手を繋いだイメージで。


おしまい

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年03月05日 (土) 22:34:38   ID: mq2nKY2-

えぇ話やん…(´・ω・`)
この話の後日談というか番外編というかみたいなの読みたい…

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