唯・紬「ある日の夕暮れ、沈みゆく太陽を見つめながら」 (63)



紬「結局いいの見つからなかったね」

唯「うん……。付き合ってもらったのに、ムギちゃんごめん」

紬「いいの。でも予定より随分早く買い物が終わっちゃったね」

唯「そうだねー」

紬「もう帰る?」

唯「う~ん、あ、そうだ! ちょっと行ってみたいところがあるんだけど」

紬「いいわよ」

唯「あのね、あそこの道があるでしょ」

紬「ええ」

唯「あの道の先に何があるんだろうって」

紬「そういえば私もその道は通ったことがないかも」

唯「ムギちゃんもなんだ。じゃあさ、冒険してみない?」

紬「冒険! いい響きね~。じゃあ行きましょっか」



唯「ふふんふ~♪」

紬「あら、御機嫌ね」

唯「うんっ! なんだかこうやって歩くのって楽しいなって」

紬「そうね。でもちょっと肌寒いわ」

唯「最近寒くなったからねー。ムギちゃん大丈夫?」

紬「ええ、我慢できるぐらいの寒さだから……」

唯「ね、ムギちゃん、これでどう」

紬「あ……」

唯「ほら、手を繋ぐとあったかいでしょ」

紬「うん。とってもあったか」

唯「手を繋いでると、ちょっと歩きにくいけどね」

紬「そう?」

唯「……ムギちゃんとならそうでもないかも」

◆紬

唯ちゃんの手は冬のお布団みたいだなって思います。
最初はひんやり冷たいけど、しばらくすると暖かくなって私を暖めてくれる。
あたたかな微睡みはとても心地よくて、それを放したくないと思ってしまうんです。

でも、いつかは目覚めないといけないから。
惜しいと思いながらも、いつだって手を放します。

冬が近づくと、私達は手を繋ぐ。
温め合って、十分に温まってから手を離す。
手を離した後も、温もりはしばらく私の手に留まり、私の心を暖めてくれる。

唯ちゃんと手を繋ぐこと。
それがこの季節の密かな楽しみでした。

けど、最近、少しずつ変わってきたんです。

もし唯ちゃんの手を放さなくていいなら。
休日に好きなだけ二度寝するみたいに、ずっと唯ちゃんの手を繋いでいられたら、どうなるんだろう。
その願いが叶ったとしたら、どれだけ心地良いのか。

そんな想いが少しずつ私の中で力を持って行ったんです。


だから私は楽しみだった。
今日はいつもより長い間唯ちゃんと手を繋いでいられそうだから。
この道がどこまで続いているのかはわからないけど、まだしばらくは続きそうだから。



でも、それと同時に怖かった。

◆唯

ムギちゃんは冬の必需品だ。
冬に炬燵と蜜柑が欠かせないみたいに、ムギちゃんも必要不可欠なんだって思う。

もちろん冬以外だって必要だけど、冬はいないと困ってしまう。
もちろん冬以外だっていないと困るけど……あんまりうまく言葉にできないや。

う~ん、と。
寒いとムギちゃんの温かさをたくさん感じられるからかな。
とにかく冬はムギちゃんが必要だと思う。

今だって手を握ってもらって、こんなに暖めてもらってる。


それにね。ムギちゃんの手は暖かいだけじゃなくて優しいんだよ。



紬「結構歩いたね」

唯「うん」

紬「あ、コンビニ」

唯「こんなところにあったんだ」

紬「ええ。ねぇ、唯ちゃん。飲み物は大丈夫?」

唯「ん。大丈夫」

紬「そう。じゃあお手洗いは?」

唯「……ちょっとしたいかも」

紬「じゃあ寄っていきましょうか」

唯「そうだね」

◆紬

私は唯ちゃんがお手洗いに行っている間に、買い物を済ませることにしました。
買ったのは暖かい紅茶。
沢山砂糖が入ったタイプで、唯ちゃんはこの味が好きだと言う。

唯ちゃんが帰ってきてから、店を出て、また歩き出す。

私はペットボトルの蓋を開けて紅茶を飲み始める。
こうすると唯ちゃんと手を繋ぐことができない。
利き手がふさがっているから。

時々、自分のことがわからなくなる。
私はなんでこんなものを買ったのだろう?

コンビニでお手洗いだけ借りて何も買わないのは悪いと思ったから?
冷えた体を温めたかったから?
それとも――


――唯ちゃんの手を放したかったから?

唯ちゃんの手は麻薬みたいだ。
繋げば繋ぐほど、もっと欲しくなる。
中毒性がある。

私はこれ以上唯ちゃんを好きになるのが怖い。
甘すぎる紅茶を飲みながら、そんなことを考えていた。

◆唯
コンビニに寄って、ちょっとお手洗いを借りるだけ。
またすぐムギちゃんの手を握ろうと思ってた。

でも、私がお手洗いから戻ってくると、ムギちゃんの右手にはペットボトルがあった。
右手のペットボトルに邪魔されて、ムギちゃんの右手と私の左手は離れ離れになってしまった。

手を繋いで歩く時、ムギちゃんは大抵道路の側に立つ。
それは私が車道側だと危なっかしいとムギちゃんが思っているからだし、
それがムギちゃんの優しさなんだとも思う。

そんなムギちゃんの優しさが、今日は全然嬉しくない。

私が無理に車道側に行けば、ムギちゃんは手を繋いでくれるかもしれない。
でも、それはムギちゃんの優しさに対する裏切りだと思うから、できればやりたくない。

ムギちゃんはゆっくりとお茶を楽しんでいる。
私の左手は寂しいまま。

……気づいてよ、ムギちゃん。
そんな私の心の叫びに気づいてくれるはずもなく、ムギちゃんは紅茶を飲み続ける。

あ、よく見るとあの紅茶。私が好きなやつだ。

それで一つ思いついてしまった。



唯「ねぇ、ムギちゃん。一口ちょうだい」

紬「いいわよ、はい」

唯「ありがとー」

紬「寒くなってきた?」

唯「うん。ムギちゃんを見てたらちょっと暖かいものが欲しくなっちゃった」

紬「そっかぁ」

唯「…………あ、ごめん、ムギちゃん」

紬「全部飲んじゃったんだ?」

唯「うん……」

紬「別にいいよ」

唯「ごめんね」

◆紬

謝った後、唯ちゃんは遠慮がちに手を差し伸ばしてくれた。
私は空になったペットボトルを左手に持ち替えて、唯ちゃんの手をとった。
あからさまに元気になる唯ちゃん。

もう本当に唯ちゃんには参ってしまう。
唯ちゃんは私の中で既に特別なのに、もっともっと特別になってしまう。
離れたくない、放したくないと思ってしまう。

ふとペットボトルに目がいく。
私が飲んだあと、唯ちゃんが飲んだから間接キスだ。

間接キスしたこと自体はそれほど気にならない。
それくらいのことはよくやるし、唯ちゃんだって意識してないはずだから。

でも唯ちゃんに触れてると、私はどうしようもなくなってしまう。
右手がくっついてるだけなのに、どうしようもなく愛おしくて、暖かい。

だからね、唯ちゃん。
私……。

◆唯

ムギちゃんの手はやっぱり安心できる。
それはムギちゃんの手が暖かいからだけじゃない。

ムギちゃんは私の歩調に合わせてくれる。
ムギちゃんは車道側にまわってくれる。
いつだって、私のことを気遣ってくれる。

そんなムギちゃんだから、安心できるんだ。

でも、作戦どおりムギちゃんと手を繋げた私はドキドキしていた。
間接キスをしちゃったなって。

もちろん間接キスなんて珍しいことじゃないよ。
和ちゃんや憂とはもちろん。
りっちゃんや澪ちゃん、あずにゃんや純ちゃんとしたことだってある。
ムギちゃんとも沢山。

でも、今日のはちょっと違った。
嘘をついて間接キスをしちゃったからかな?
なんだかとってもドキドキする。

ムギちゃんのほうを見ると、ムギちゃんはペットボトルを見ていた。

ねぇ、ムギちゃん。
ムギちゃんもちょっとは間接キスのこと考えてくれてるのかな?
それとも私にお茶を飲まれちゃったから悲しんでるのかな?



紬「ずいぶん遠くまできたね」

唯「どれくらい歩いたんだろう」

紬「えっと、出発してから1時間13分経ってるわ」

唯「測ってたんだ?」

紬「ええ」

唯「……あ、ムギちゃん」

紬「……ええ」

唯「夕日が綺麗だね」

紬「ほんと、きれいな夕日」

唯「でももう太陽も沈んじゃうんだ」

紬「じゃあ、そろそろ帰らないといけないね」

唯「そうだね」

紬「帰ろっか……」

唯「うん……」

紬「……唯ちゃん?」

唯「……」

紬「一度手を離してくれない?」

唯「……やだ」

紬「どうして?」

唯「……なんとなく」

紬「……じゃあもう少し歩きましょうか」

唯「えっ、いいの?」

紬「ええ」

唯「でも、もっと寒くなるよ」

紬「大丈夫。歩いてると結構暖かいから。それに、ね。唯ちゃんの手があるもの」

唯「……ムギちゃん」

紬「実は私ももう少し歩いてたいと思ったから」

唯「それなら……」

紬「ええ、行きましょう」

唯「うん!」



唯「ねぇねぇ、ムギちゃん」

紬「なぁに?」

唯「私の手ってあったかい?」

紬「うん。あったかいよ」

唯「そうかなぁ? ムギちゃんの手と比べたら全然だと思うけど」

紬「唯ちゃん。自分より冷たい手でもずっと触ってると暖かく感じるのよ」

唯「そうなの?」

紬「ええ、熱が逃げなくなるからかしら」

唯「科学だね」

紬「うん……でもね、それだけじゃないんだ」

唯「どういうこと?」

紬「唯ちゃんの手を握ってるとね、心があたたかくなるの」

唯「心が?」

紬「うん。唯ちゃんがこうやって傍にいて手を掴んでいてくれるだけで、心がほんわかするんだよ」

唯「そっかぁ」

紬「でも、それがちょっと怖いの」

唯「怖い?」

紬「うん。怖いの」

唯「どうして怖いの?」

紬「どうしてだと思う?」

唯「う~ん、わかんないや」

紬「たぶん私はね、馬鹿なんだと思う」

唯「え、ムギちゃんは馬鹿なんかじゃないよ」

紬「ううん。馬鹿なの」

紬「例えばね、人間はいつか死ぬでしょ?」

唯「うん」

紬「だからって、いつか死ぬからって、何もしないのは馬鹿でしょ?」

唯「哲学だね」

紬「……いつか失うのが怖いから手放そうとしてる私は馬鹿なの」

唯「……ごめん。ムギちゃんが何を言ってるのかよくわかんない」

紬「そっかぁ」

唯「ごめんね」

紬「いいの……」

唯「でもね、私にも悩みがあるんだよ」

紬「唯ちゃんにも?」

唯「うん」

紬「どんな悩みかしら?」

唯「最近ね、ムギちゃんが優しいけど優しくないんだ」

紬「え、私が?」

唯「うん」

紬「優しいけど優しくないって……」

唯「ムギちゃんはね、いつもほんとに優しいんだ」

唯「こうやって私に付き合って買い物しにきてくれるし」

唯「困ったときは助けてくれるし」

唯「美味しいお菓子や紅茶もくれるし」

唯「手をつないでるときだってとってもやさしいし」

紬「……」

唯「でもね、なんだかムギちゃんがちょっとずつ離れていってる気がするんだ」

唯「避けられてるわけじゃないし、遠慮してるのでもないと思うけど……」

紬「……うん」

唯「ムギちゃん。私はもっとムギちゃんの傍にいたいよ」

唯「気遣いより、もっとあっためて欲しいよ」

唯「さっきだってね、本当は嘘をついたんだよ……」

紬「嘘?」

唯「うん。ムギちゃんと手を繋ぎたかったからお茶を全部飲んじゃったの」

紬「そうなんだ?」

唯「うん。ごめんね……」

紬「……」

唯「許してくれる?」

◆唯

ムギちゃんは何も言わずに手をぎゅっと握ってくれた。

やっぱりムギちゃんだ。
それだけで私は安心できる。
笑顔になれる。

笑顔になった私の顔を見て、ムギちゃんが複雑そうな顔をした。

ムギちゃんの困ってる顔は見たくない。
ムギちゃんが何か問題を抱えてるなら解決してあげたいと思う。

でも、私にはムギちゃんが話してくれたことがよくわかんない。

こんなとき和ちゃんなら即座に理解して解決しちゃうんだろうけど、私は和ちゃんじゃない。
りっちゃんなら勢いに任せて元気づけられるんだろうけど、私はりっちゃんじゃない。


ムギちゃん、笑ってよ。
私はムギちゃんが好きなんだから。

◆紬

唯ちゃんは本当に際限がない。
こんなことを言われたら、こんな笑顔を見せられたら、もうだめだ。

この手を放すことなんてできない。

怖い。
唯ちゃんが大好きなのは私だけじゃない。
りっちゃん澪ちゃん梓ちゃん和ちゃんそれに憂ちゃん。

みんなみんな唯ちゃんが大好きだ。
私の手だけを握っててもらうわけにはいかない。

でも、もう手遅れだ。
私は唯ちゃんのことがどうしようもなく好きだから。
この気持を押し殺すことなんてもうできないから。

ね、唯ちゃん。
私は……。

紬「許してあげない」

唯「む、むぎちゃん!?」

紬「唯ちゃんのことを許してあげません」

唯「も、もしかして怒ってる?」

紬「ううん。怒ってないけど、許してあげないの」

唯「え、じゃあ、もうこういう風に手も繋いじゃ駄目なの!?」

紬「ううん、逆」

唯「逆?」

紬「そう。ずっと私と手を繋いでてくれないと駄目なの」

唯「え、いいの?」

紬「……ずっとって、本当にずっとよ?」

唯「えっと、お風呂の時も?」

紬「ええ」

唯「トイレの時も?」

紬「ええ」

唯「授業中も?」

紬「ええ」

唯「変な目で見られちゃっても?」

紬「ええ。……唯ちゃんは嫌?」

唯「……嫌じゃないかも」

紬「ほんとうに?」

唯「……正直に言うと、生理の時のトイレは嫌かも」

紬「あ、私も」

唯「あはははは」

紬「うふふふふ」

唯「ね、ムギちゃん」

紬「なぁに?」

唯「これは遠回しな告白と受け止めてもいいのかな?」

◆唯

ムギちゃんの顔が林檎みたいに赤くなっていく。
そんなつもりはなかったと弁解するムギちゃん。

でも、頭のよくない私にだってわかる。
この真っ赤なムギちゃんが示す意味は一つだけ。

ムギちゃんと繋がった左手。
左手はそのまま、右手でムギちゃんの左手をとった。

それから指と指を絡めて恋人繋ぎ。
ムギちゃんは少し驚いていたみたいけど、受け入れてくれた。
ムギちゃんをもっとたくさん感じられるつなぎ方。

それからゆっくりと左手を離した。
右手は繋がってるけど、やっぱり寂しい。

でも仕方ないよね。ずっと繋がってるわけにはいかないから。
そうムギちゃんに伝えると、私はもう大丈夫だけど、なんて言われちゃった。

やっぱりムギちゃんは時々意味がわからない。

でも、それでいいと思う。
そういうところも含めて、ムギちゃんはとってもあったかいから。
そんなあったかなムギちゃんのことが大好きだから。

◆紬

やっぱり唯ちゃんは特別です。
いつだって私が一番して欲しいと思うことをしてくれる。
どんなときだって私の不安を吹き飛ばしてくれる。

そんな唯ちゃんだから、私は怖くてもいいと思う。
ずっと手を繋いでいようと思える。

それから私達はそれぞれの家に帰りました。
もちろん二人の手は離れ離れ。

でも、もう大丈夫。

ずっと二人は繋がってると。
離れていても繋がってると、そう知ってるから。


おしまいっ!

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