辻内「俺達はプロ野球選手だった」 (2)
蝉の鳴き声が耳につく季節にもなれば、日本国民の視線は押しなべて、とある大会へと集中する。
もはや国民的行事と言っても大袈裟では無いほどの催しとなった夏の甲子園大会では、
全国を勝ち抜いた強豪、古豪、新鋭が鍔迫り合い、ドラマが生まれ、そして、ヒーローが生まれる。
あの夏のヒーローを一人挙げろと問われたならば、野球ファンは決まって、あのサウスポーの名前を口にするだろう。
ゆっくりと振りかぶり、右足を上げる。
柔らかく、それでいて大胆なそのフォーム、鋭く振られた左腕から放たれた、唸るようなボールが、外一杯に構えられたミットに収まる。
小さく弾けるような小気味の良い音が響き、心なしかしんとした球場に、審判のコール。
打者がのけぞり、天を仰ぐ。150km/hを超えた電光掲示板の表示に、球場はまた、沸き立った。
辻内崇伸。準決勝で惜しくも苦杯を喫した彼ではあったが、あの夏、人々の注目を最も集めたのは、この男と断言して良いだろう。
マスコミは十年に一人の逸材と囃し立て、評論家は口を揃えて怪物だと評した。
巷ではしばしば海の向こうの名投手、ランディ・ジョンソンになぞらえて、そのピッチングが如何に秀でているかが語られた。
当時の大会記録である一試合19奪三振や、未だに破られていない156km/hの左腕最速記録も、
その評価がでたらめな物ではないことを証明しているようにも見えた。
「長く活躍できる選手になりたいです」
精悍な面構えに、時折、笑顔を湛えてインタビューに答えるその姿は、人々に飛躍を確信させた。
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