ユリイカ1996年8月号の対談から押井守の発言を抜粋
-- でも日本のアニメーションで日本人の顔を描いた
アニメーションは、もうほとんどないと言っていいですよね。
-- やっぱり一つあるのは、アニメが無国籍になったと言うことは、
絵を書くという意図的な行為の中で出てきたものだから、
必ず根拠があると思うんですよ。どういう顔を描きたいというときにね。
中学生とかが自分の日記帳にさらさらっと可愛い女の子を描く時に、
どういう国籍の女の子を描くかと言うと、僕の場合は金髪だったけれど、
普遍的にあるのは多分普段見ている日本人の顔じゃないはずだと。
宮さん(※宮崎駿)は、もっと端的に要するに日本人は
日本人の顔が嫌いだってことにすぎないんだって薄情に言ってたけどさ、それもあると。
-- 宮さんの言い草が正しいかどうかは別としても、
やっぱり日本人の顔を許していないなっていうことは。
映画の中だからこそ、あるいはアニメの中でね。
それが単に描きづらいというわけはある訳ないですから。
普段見ている顔が一番描きやすいに決まっているから。
でも、アニメーターが描くときには日本人の顔を断固として描きたがらない。
-- かなり意図して、相当苦労してやってもなかなか出てこない。
『パトレイバー』がまさにそうだったんだけど、
日本人の顔を描きたがったのは黄瀬だけだからね。
-- 簡単に言っちゃうと、虚構の中だからこそ日本人の顔を
見たがっていないというのが認識としては正しいと思う。
-- 明治で日本で終わった、明治からあとの日本は日本じゃないって、
司馬遼太郎のあれを宮さんがしきりに言っていたけど、
やっぱり日本人が日本人であることを嫌がっている傾向があるんですよ。
大正モダンの頃から、日本人が日本人であることを、どこかで忌避し始めている。
米軍に占領されてどうこうというのはきっかけだったという気がするのね。
本質的にそうだったんじゃないかと思うんだよ、どこかしら。
-- そういう意味でアニメっていうのは絶好の逃げ場だったし、
逃げ込み先としてはこれ以上いいものはなかったし、
またそれを突き詰めていって淘汰しちゃったから、
これからまた本家本元のアメリカで受けちゃったという、
非常に皮肉な結末だよね。
実際、アニメキャラは白人だらけだ
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