罪木蜜柑「カムクライズルは笑わない」 (75)
――カムクライズルの話をするのは、私にとってかなり気の重いことです。未だに整理がついていません。
私に無関心な人なんて、今まで嫌というほど見てきたけれど――彼はいつも、この世界の全てに興味を持っていないんじゃないか、とさえ思えるほどの冷たい表情をしていました。
私の通っている私立希望ヶ峰学園は通称”希望の学園”と呼ばれています。それはこの学校が”超高校級”の才能を持つ生徒のみを集め、その才能を発揮する場を与えているから……「才能こそが希望」、それが希望ヶ峰学園の第一の理念です。
でも、私にとっての希望とは、この”超高校級の保険委員”の才能なんかじゃなくて……ただ、私のことを見てくれる、たった一人のひとがきっとどこかにいる、ということでした。
それはきっと普通の女の子が普通に持っているお姫様願望のようなものなのでしょう。けれど、普通でない人生を歩んできた私にとっては、その「普通」こそが生きる糧なのでした。
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――だけど、その私が。私どころか、この世の全てに興味を持たない”死神”であるところの彼に惹かれたのはどうしてなんでしょう。
そうです、私は彼に惹かれていたのです。私に愛を与えてくれる人より、彼から与えられる愛を求めたのです。それは私の人生で――初めて自分 からなにかを求めた瞬間でした。
けれど、彼はもういません。だからこれはきっと、失恋の話、ということになるのでしょう。
「死神の噂、ですか?」
放課後の教室、夕日が差し込み、あかね色に染まった机の上に私たちは腰を下ろしていました。
「そうだよ、もしかして知らないの? やっぱゲロ豚ってトロいなあ」
西園寺さんは小馬鹿にするようにハッ、と笑いました。彼女は私より背が低いのだけれど、いつも私を見下すような目で見ます。
「ちょっと、日寄子ちゃん! そんな言い方しちゃダメだって……」
小泉さんがそんな彼女を優しく咎めます。これもいつも通りの風景でした。
「その話、唯吹も聞いたことあるっすー! たしか、黒い髪を足元まで伸ばして赤い目をした細身の男なんっすよねー? うっはー! 唯吹のアンテナにビンビン来るっすよー!」
そして、澪田さんが場をひっかきまわす。空気が読めているのかいないのかわからないけれど、これがいつもの私たちの風景でした。
「ちょっと、声が大きい! この噂って女子の間だけで流すことになってんの! 男子に回したやつのところには死神が来るんだって!」
「うは、日寄子ちゃんも死神信じてるんっすか!? てっきり馬鹿にすると思ってたっす! 唯吹と一緒っすねー」
「ちょっと! 全然信じてないから、こんな幼稚な噂! ただあんたらが話題に乗り遅れたらかわいそうだと思って話してやっただけ! 勘違いしないでよね」
この三人が、皆が優しく接してくれるこの希望ヶ峰学園77期生のなかでも、特に私に優しくしてくれる人たちです。たぶん、世間一般ではともだち、と呼ばれる関係なのかな、と思います。
昔は、自分に友達が出来るなんて考えてもみませんでした。この希望ヶ峰学園に来てから、本当に幸せなことばかりで。でも、だからこそ、少しだけ高望みしてしまうんです。
彼女たちと、対等な友達になれたらいいな、なんて。
西園寺さんは、ときどき(というかいつも)私のことを”ゲロ豚”と呼んで罵ります。初めは、ああ、やっぱりここにも私をイジメる人がいたんだ、と思いましたが、それは違いました。
西園寺さんはちょっと言葉がキツイだけで、とても優しい人です。私がお財布を忘れてしまった時、飲み物を買ってくれました。私が転びそうになった時、とっさに手を掴んでくれました。私が、自分の過去を三人に話した時……真っ先に涙を流してくれました。自分のことのように怒ってくれました。
だから、彼女の「ゲロ豚」という呼び方が私を追い込む為のものではない、というのはわかっているのです。もしそうだとしたら、小泉さんが真っ先に止めてくれるでしょうし。
でも、それでもやっぱり……自分が軽く見られているような思いは止められません。最近ではそこまで嫌がっていないだろう、なんて思われているのか小泉さんも滅多なことでは止めてくれなくなりました。
もちろん、そんなことを思える事自体、あの頃に比べればずっとずっと幸せであることの証拠です。
それに、仮にこんなことを言って、西園寺さんに本当に嫌われてしまったら――それどころか、他の皆が西園寺さんについて私の居場所が無くなってしまったら――そう思うと、こんなことはとても口には出せないのでした。
「ちょっと、罪木! あんた聞いてんの?」
気がつくと、西園寺さんのお顔が私の目の前にありました。他の二人もこちらを見ています。どうやら少し考え込みすぎてしまったみたいです。
「すみません……ちょっとぼーっとしてました」
「あんたがぼーっとしてるのはいつものことでしょ!?」
彼女の言葉に、いつものように愛想笑いを返します。えへへ。
「それで、なんのお話でしたっけ?」
「だから、死神の噂! そいつはね、誰かが人生で最も美しくなる瞬間に現れて、それ以上醜くなる前に殺すんだってさ! 最も、あんたはこれ以上醜くなりようがないけど」
「たっはー! 超カッケーっす! 唯吹も会ってみたいっす! でも死ぬのはイヤっす!」
「うーん……あんまりスクープ写真とかは好きじゃないんだけど、ちょっと撮ってみたいわね……」
「あ、死神といえば、そういえば唯吹、この間めちゃくちゃでっかいカマキリみつけたんすよ!」
「なにが『死神といえば』なのよ……」
「うーん……鎌からの連想じゃないかな?」
そうして話題はどんどん他のことに流れていき、そしてふと澪田さんが「そういえばお腹すいたっすねー」と言ったのをきっかけに、私たちは帰路につきました。 けれど、私はその間中、ずっとさっきの「死神の噂」について考えていました。もし本当に死神というものがいるとしたら……その人は私を殺すのでしょうか?
正直、私に「美しくなる瞬間」なんてもの自体が訪れる気はしないけれど……今が、きっと人生で一番幸せな時だ、という気はします。あの頃の地獄に戻るくらいなら、死神に殺されるのも悪くはないかな、なんて。そんなことを考えました。
こんな私にも、一応(と言っては彼に失礼だが)恋人がいます。彼の名前は、日向創さん。私は日向さんと呼んでいます。
彼がこのクラスに入ってきた経緯は少し特殊です。彼はもともと「予備学科」(これは才能を持たない生徒も入れる、言い方は悪いが二軍のような場所)の生徒として入学しました。
けれど先生方いわく、「他人の才能を吸収しようという凄まじい意欲」と「才能こそが希望」という希望ヶ峰学園の理念そのものの考え方を持っていたので、 特別枠”超高校級の希望”として私たちのいる本科に編入してきたのです。
私たちが付き合い始めたきっかけは、日向さんからの告白でした。彼は、初めて私に「好きだ」と言ってくれた人でした。
その時のことは、未だにはっきりと覚えています。むしろ、少しでも忘れることなんて考えられません。誰もいない教室で、彼はどこか照れくさそうに
「罪木のことが好きなんだ……よかったら、付き合ってくれないか?」
と言ったのです。
もちろん、こんな私を好きになってくれた人の想いに答えないなんて選択肢があるはずもありません。私は二つ返事で日向さんの告白を受け入れたのでした。
後に聞いた所によると、彼が私を好きになったのは、彼が体育の授業で怪我をした時、私が治療したことがきっかけだったそうです。
その時はまだ、予備学科から編入してきたばかりの日向さんはクラスに馴染みきっていなくて。どこか私たちに遠慮しているようでした。彼は
「あの時、罪木が治療してくれてさ……”超高校級”って言っても、俺と同じ高校生なんだな、って思ったんだ。だけど、それと同時に罪木の手際の良さに”超高校級”ってものの凄さも感じてさ……」
と言っていました。私の才能なんて大したものじゃありませんが、日向さんにそう言ってもらえるのは本当に嬉しかった。
デートはまだだけれど、日向さんはお昼休みや放課後によく私の話を聞いてくれました。誕生日にはプレゼントまでくれました。ずっと欲しかった医療用ホチキスを手渡されたときは、彼はエスパーなのかとさえ思いました。
そういったことの積み重ねによって、私の中で彼がどんどん大事な存在になっていくのを感じました。――けれど、同時に不安にもなります。私の想いを本当に彼に向けていいのだろうかと。
超高校級の保険委員として、私たちのような高校生の時期に精神が不安定になりやすいことなんて、知識の上では百も承知です。特に、私のような生い立ちの人間は。
でも、”超高校級の保険委員”なんていってもやっぱり私は高校生で、わかっていても何かに縋らなくちゃ生きていけないのです。私がほしいものは結局、私の全てを受け入れてくれる人で、でも普通の高校生である日向さんにそんなことを言っても重たい女だと思われるだけだ、というのがわかってしまうのです。
そんな私の目下の不安は、これから先、彼が私の身体を求めた時――もはや純潔ではない私のことを彼が受け入れてくれるだろうか、ということなのでした。
最近、日向さんは少し様子が変です。何かを悩んでいるようにも見えました。それが特に顕著なのは、「才能研究」の授業の時間です。私たち”超高校級”の本科生は、普通の高校生としての授業の他に自分の才能を高めるための時間が用意されています。それが「才能研究」です。
私は、もっぱら生物室で医学書を読んだり、保健室で実際に包帯を巻く練習をしてみたり……他の生徒たちも特に誰かに教わるということもなく、好き勝手なことをしているようでした。
希望ヶ峰学園が求めるものは「才能」なのだから、誰かが手を加えるのもよくないだろう、ということなのでしょうか。そもそも普通の授業も宇佐美先生が一手に引き受けてくれています。考えてみれば、私たちは宇佐美先生以外にこの学園の教師を一人もみたことがないのでした。設備だけはやたらとしっかりしているので、問題はありませんが。
日向さんは私たちとの交流からなにかを吸収するために本科に来た関係上、才能研究の時間はもっぱら他の誰かと一緒に過ごすのが常でした。様々な才能に触れたほうがいい、ということで、いろんな人の後を日替わりでついてまわっていました。
と言っても、それは私たちが付き合い始める前の話です。付き合いだしてからは、なんだかんだと理由をつけては、半分以上の時間を私に充ててくれていました。けれど、最近は。
「日向さん……また、七海さんと一緒なんでしょうか」
最近は、全くといっていいほど、私と一緒に来てくれません。とはいえ、それは私だけが避けられているというわけではなく。一人をのぞいて、皆がそうなのでした。
”超高校級の相談窓口”七海千秋。日向さんは、才能研究の時間のほとんどを彼女と過ごしているのです。
そして、彼が七海さんに相談している内容も、想像がつきました。なぜなら、私は一度彼から悩みを打ち明けられているからです。けれど、その時私は日向さんを助けてあげることが出来ませんでした。日向さんの様子がおかしくなったのは、その直後のことでした。
――その日、私と日向さんは学校の屋上で二人、星空を見ていました。この学校は、一般的な高校とはかなり違います。研究機関としての一面もあり、泊まり込みで実験や制作を行う人も少なくありません。だから、宿泊設備もちゃんとあるのです。
少なくとも私は希望ヶ峰学園からの奨学金で借りた安アパートに住んでいるので、家に帰ろうが学校に泊まろうが大した違いはないのでした。
日向さんは、星を見るのが好きみたいです。一応、名目としては天体観測で宿泊許可を取っているので、望遠鏡――これもかなり本格的なもののようです――を天文部室から借りてきてはいるものの、彼はあまりそれを使いませんでした。それよりも、ただゴロンと横になって星を見ていることが多かったように思います。
日向さんと私は、お互いに空を見ながら、いろんな話をしました。と言っても、私には話して楽しいような思い出はあんまりないので、専ら日向さんの話をきいてばかりでしたが。
小さいころ買っていたペットのこと。初めて父親に連れて行かれたキャンプで、こうして天体観測をしたこと。そして――子供の頃から希望ヶ峰学園に憧れていたこと。
そして、今、こうしてその希望ヶ峰学園に居られることを幸せに思う、と彼は話を締めくくりました。けれど、その横顔はどこか悲しげで。だから、私は思い切って聞いてみたんです。
「そのぅ……日向さんは、どうして希望ヶ峰学園に入りたかったんですか?」
と。彼はその質問に、黙って空に手を掲げました。まるで、星と自分との距離を測ろうとするかのように。
「そうだな……なんていうか、こことは違う景色が見たかったからかな」
「子供の頃からそうだったんだ。自分の周りの世界が、なぜだかとてもツマラナイものに見えて」
「でも、もっと高い位置から見れば、違う景色が見られるかもしれない。才能さえあれば、人生は違って見えるかもしれない。そう思ったんだ」
そう言ったときの彼の顔は、いつもの優しい表情とは違って。私を拒み、否定し、疎ましがっているような冷たいものでした。
「俺は罪木が羨ましいよ。罪木には……この世界がどんなふうに見えてるんだ?」
私が見ている世界。私が今まで見てきた世界。それを知ってなお、彼はそんなことを言うのでした。
西園寺さんが「死神」の噂を教えてくれた、つぎの日。私がいつものように保健委員の仕事を終えて、教室に日向さんを迎えに行くと、そこに彼の姿はありませんでした。
いつもならば彼は授業が終わったあと、私の仕事が終わるまで教室で時間を潰して待ってくれているのに。私は浮かんでくる嫌な考えを振り払うように、彼を探しに走りだしました。
――日向さんが、私を捨てるなんて。そんなことあるわけがない。そう思いたいのに心は正直で、久方ぶりに感じる絶望は徐々に私を蝕んでいきます。
この時間の校舎にはもう残っている人は誰もいません。夕日で真っ赤に染まった廊下に、私の足音だけが高く響きます。
そのとき。校舎の窓ガラスごしに、屋上に人影が立っているのが見えました。私は急いで屋上へと足を向けます。息を切らせながらようやく辿り着いたとき――
――しかし、そこで待っていたのは日向さんではありませんでした。それは、黒い髪を足元まで伸ばし、赤い目をした――
(まさか、これが噂の)
死神、という言葉が冷たい刃となって胸に刺さります。彼は一体どうしてこんなところにいるのか。日向さんがいないことと関係があるのか。もしかして、日向さんはもう、
様々な考えが一挙に押し寄せて私はパニックになってしまいます。思わず、悲鳴をあげようとしたそのとき。
「……静かにしてくれませんか。なにもしませんから」
彼の手が素早く動き、私の口を塞ぎました。いつの間に目の前に、と思うと同時に、私の目に彼の手首にある小さなカサブタが飛び込んできます。それは、かつて私が治療したのと同じ場所にありました。
「もしかして……日向さんなんですか?」
必死で彼の手を振りほどいてそう言うと、「死神」は驚いたように目を見開きました。
「……残念ながら違います。今のボクはカムクライズルです。ただ、日向創の身体を借りているだけ。彼とは全く別の存在です」
「罪木蜜柑。貴方は日向創の友人、もしくは恋人といったところでしょうか。申し訳ないのですが、しばらく日向創の身体を使わせてもらいます。なぜなら――」
「今、この学園には”絶望”が迫っているので」
よくよく聞けば、抑揚こそないものの日向くんと同じ声で――日向くんと同じ顔をした”死神”は、突拍子もないことをいうのでした。
今日はここまで。他スレで>>1の好きなように罪木ちゃんの話を書いてほしいって言われて生まれたアイデアだけど、こういうのが求められていたわけじゃないのはなんとなくわかる。
次の日の朝、学校で声をかけてみると。日向さんは、昨日のことなどなにもなかったかのようにいつも通りでした。いえ、実際に彼にとっては何もなかったのでしょう。
試しに、昨日の放課後何をしていたのか聞いてみると、
「いや、罪木と一緒に帰ったはずだけど……あれ? なに話したっけ?」
という返事でした。
私は昨日、あの「カムクライズル」と名乗る男が言っていた話を思い出します。
彼が言うには、自分が出てきている間の記憶は、創さんにはない――それどころか、辻褄が合うように記憶を作り出しさえしている、とのことでした。それ以外は何を言っ
ているのか、ほとんどわかりませんでしたが。
「貴方が今考えていることはわかります。ボクが日向創の多重人格であるという可能性について思索を巡らせているのでしょう。それはある意味では正解であるともいえます
」
「ボクは日向創の抑圧された可能性――なんの才能も持たない日向創の代わりに、ありとあらゆる才能を与えられた人格です」
「けれど、ボクは同時にこの世界そのものの調停者でもあるのです。あらゆるものを持っているということは、何かを手にする可能性を永久に奪われたということでもある」
「だからボクは日向創と違って、この世界にほとんど干渉しません。ただ、この世界を破壊してしまうような存在――絶望とは、戦わなくてはならない。それが全ての希望を
持つ者としての、ボクの義務です」
ありとあらゆる才能を与えられた人格。全ての希望を持つもの。彼は、自分のことを指してこう呼びました。それを聞いて私は、日向さんが本科に編入してきたときに流れ
た噂を思い出しました。
曰く、「才能を盲信する希望ヶ峰学園は、才能を持つ生徒を集めて研究するだけに飽きたらず、その研究を応用して才能を持つ人間を人工的に作り出せないかと考えた」
「予備学科とは実験のために集められたモルモットで、日向が編入してきたのはその実験の成功者だからだ」
というものです。
もちろん、日向さんと一緒に過ごしているうちに、それが根も葉もない噂だということはわかりました。彼は、誰よりも才能に強い憧れを抱いている。しかしだからこそ、
彼には何も才能がない、ということが浮き彫りになっていたのです。
才能の有無にかかわらず、日向さんはとてもいい人でした。だからみなさん、口さがない噂に惑わされたことを恥じて、クラスの一員として日向さんを受け入れ初めていま
す。
けれど、もしかするとあのカムクラというのは、なんらかの手術によって植え付けられた”才能を持つ”日向さんの別人格なのでしょうか。
そんなことを考えているうちに、その日の授業はあっという間に終わってしまいました。授業中もほとんど上の空で、宇佐美先生に指されたときも答えることが出来ません
でした。普段は真面目に授業を聞く方の私がそんなだったので、先生はひどくがっかりした様子で肩を落としています。
けれど今日の私にはそんなことにかまっている暇はありません。委員の仕事を手早く終えると、屋上へと向かいます。その日も彼は屋上にいました。縁に立ち、腕を組んで
グラウンドを動きまわっているクラスメイトたちを見つめていました。その姿は、私の目にはいつも空を見上げていた日向さんとは対照的に映りました。
「こんにちは、罪木蜜柑」
私が来たことに気づいていたのか、彼はこちらをちらりとも見ずに言いました。
私も、勇気を振り絞って彼に声をかけます。
「あ、あの……あなたはその、日向さんの別人格、なんですよね?」
「ええ。昨日も申し上げたように、それだけではありませんが。ボクは”絶望”と戦うために、この世界に紛れ込んだ異物ですから」
「あのう……そもそも多重人格っていうのはですね、過度なストレスなどに対する逃避反応として……」
いきなり「あなたは手術によって植え付けられた人格ですか?」とは聞けず、私はなんとか知っている知識で話をつなごうとします。
「……それは、日向創の才能に対するコンプレックスが、”あらゆる才能を持つ超人”などという妄想として顕れている、ということでしょうか」
「あ、えっと、その。別にカムクラさんの存在を否定したいわけじゃなくって……」
「いえ、別に構いません。ボクとしても”絶望”のことさえなければ、この世界に自分が存在しないほうがいいと思いますから」
カムクラさんは話している間も、ほとんど表情を変えませんでした。
「えっと……カムクラさんは、自分のことをありとあらゆる才能を与えられた存在だ、って言ってましたよね。それって、その……どんな気持ちなんですか?」
彼の話が本当だとすれば、目の前にいるこの人は日向さんが求めるものを全て持っている、ということになるのでしょう。
「それはあなたもよく知っているでしょう」
けれども彼はそのことに何の興味もないと言うかのようなそっけない声でいいました。
「才能を持つものは、その才能によって縛られる。自分のために才能があるのではなく、才能のために自分があるような錯覚に陥る」
私はなんだかわかるような気がしました。初めて人の治療をした時、その人が渡しに感謝してくれて。自分の存在が認められた気がして、嬉しかった。
けれど、今の私は、”超高校級の保健委員”としてしか存在が認められないようになってしまっている。この希望ヶ峰学園に居続けるためには、”超高校級の保健委員”で
あらねばならないようになってしまっている。
「日向創は自分には才能がないから何も出来ない、などと考えているようですが……あらゆる才能を持っている者なんて、それこそ何もすることがないんですよ」
まったく、ツマラナイことです。彼は嘆息するようにそう付け加えました。
「才能を手に入れることが希望だというのなら、ボクはその希望を永遠に失っていることになる……まったく、絶望的です」
「今、この学園を覆おうとしている絶望――無目的な、絶望のための絶望。そういうものの為に才能を思う存分行使することができるのならば、才能に縛られた者達にとって
はいっそ救いになるのかもしれませんね」
「だけど、その、カムクラさんはその……よくわからないですけど、絶望ってものと戦ってるんですよね? どうしてなんですか?」
私がそう聞くと、この”死神”は初めて表情を変化させました。驚いたような、呆れたような瞳を私に向けます。
「……ツマラナイことを聞く人ですね、貴方は」
「貴方の為に決まっているじゃありませんか」
――その言葉を聞いた時の気持ちは、とても言葉では言い表せません。彼が異相の男性であることも、私の恋人の身体を乗っ取ってしまっていることも、彼の話の意味不明
さも関係なく。
背骨から、頭の天辺へと突き抜けるような多幸感が私を貫きます。
正直、彼の言う”絶望”というものがなんなのか、私にはよくわかりません。けれど、私のために戦ってくれるという人がいる。私を守ってくれる人がいる。
それは、私の人生で初めての経験でした。
「……正確に言えば、貴方を想う日向創のためですね」
「貴方が絶望に堕ちれば、きっと日向創も絶望してしまう。それはボクにとっても喜ばしいことではないんですよ」
それから、カムクラさんが放課後、”見張って”いる時間に屋上に行くのが私の習慣になりました。
「私、カムクラさんを初めて見たとき、”死神”だと思ったんですよ」
「死神、ですか。それはまた、どうして」
何度も行くうちに少しは打ち解け、そんな世間話のようなこともできるようになりました。
「そういううわさ話を聞いたんです……人が人生で最も美しくなる瞬間に、その直前に殺してくれる、死神の話を」
「…………」
カムクラさんは、珍しく不機嫌そうな様子で私の話を聞いていました。初めはわかりませんでしたが、彼はなかなかに表情豊かです。ほんの僅かですが、目尻が上がったり
頬をゆるめたり。
けれど、口角の上がった顔――つまり、笑顔だけは一度もみたことがありませんでした。
「だから、もしかしたら殺されるかもしれない、って思っていました。今が、私の人生で一番幸せなときだから。幸せなうちに殺してもらえるなら、それも悪く無いかな、
なんて」
そのとき、カムクラさんは奇妙な顔つきをしました。長く伸びた前髪の下で左目を細めて、口元の右側を釣り上げて。日向さんでは絶対にしない左右非対称の表情でした。
「その冗談は……まったく、ツマラナイですね」
あとで思うと、あの表情は苦笑いだったのかもしれないと気づきましたが、その時はわかりませんでした。ただ、妙に皮肉っぽい、悪魔的な感じのする表情だな、と思いま
した。
私は結局、彼の笑顔というのを最後までみたことがありませんでした。
今日はここまで。
乙!カムクラSSは珍しい気がする
所処変な改行があるのは何かの対策なんか?
>>44 メモ帳からコピーしたときのミスですね……気をつけます
カムクラさんが現れてから、10日ほどが経ちました。状況には何も変化がありません。今日もカムクラさんは放課後屋上からグラウンドを”見張って”います。
しかしそれは同時に、日向さんが私を待っていてくれなくなったことを意味するのでした。相変わらず、”才能研究”の時間も七海さんと一緒にいるようで。気がつけば、ほとんど日向さんと会話をしていませんでした。
「ねえ、カムクラさん。前に、あなたが”絶望”と戦うのは、その……私のため、って言ってくれましたよね」
「正確には日向創のためだと言ったはずです。彼は貴方を本当に大切に思っていますから」
「……それって本当なんでしょうか。どうしても、そうは思えなくって」
私は、カムクラさんに、日向さんと同じ顔をした彼に。彼にも話したことのない、心中の不安を吐露していました。
「なぜです?」
「なぜって……だって、日向さんが私なんかを好きになってくれるはずがないんです。その証拠に最近は全然話もしてくれないし。きっと七海さんの方が……」
「ああ、要するに嫉妬と不安ですね」
カムクラさんはそんなことか、と言わんばかりのそっけない口調で言いました。そんな風に言い切られると私としても何も言い返すことができません。
「しかし、そんな感情を抱ける事自体、貴方が今、幸せな証拠なのではないでしょうか。人に愛されたことがない、だから初めての愛にどうしていいのかわからない……まあこの程度のことは、貴方自身わかっているのでしょうがね」
カムクラさんは、まるで私の過去を知っているかのような口ぶりでした。いえ、おそらく知っているのでしょう。彼の、何物にも興味が無いかのような目は、きっとありとあらゆることを見通してしまうがゆえのものなのでしょう。
私はもう、彼があらゆる才能を持っている、ということを疑ってはいませんでした。
「ただ……一つだけ警告するとすれば」
と、ここでカムクラさんは彼らしからぬ真っ直ぐな瞳で、私を見つめてきます。
「『自分を愛してくれる人がいれば、自分も愛を返すのに』という受け身の態度は……いささか不誠実だとは思いますね」
「自分からは決して踏み込まず、ただ相手が愛してくれるのを待つ。日向創は、今貴方が抱いている何倍もの不安を抱えているものと推測されます」
私はここに至り、ようやくはっきりとわかりました。彼は自分で言っていたように、”日向創の絶対的な味方”なのでしょう。けっして私のではなく。
それがわかると、何故だか悔しくて、悲しくて。私は自分の感情を抑えることが出来ませんでした。
「……だって! しょうがないじゃないですか! それが私なんですから! こうしないと生きてこれなかったんですから!」
今まで出したことのないほどの声を張り上げて、今まで表にしたことのない心の内をぶちまけます。
「愛を求めるのってそんなにいけないことですか? 誰にも愛されない、存在を認められないことがどんなに辛いか知らないくせに!」
「ええ、そうです! カムクラさんの想像通り、私が日向さんを好きなのは、彼が私を好きだと言ってくれたからです! 彼の顔も、声も、性格も! 全然好きなんかじゃあ
りません!」
自分にも才能があれば、と羨むような口調で言う彼の姿が脳裏によぎります。私が欲しいものは全部持っているくせに。普通に愛してくれる親、安心できる家、対等な友達
。私がどんな思いをしてこの才能を手に入れたか、手に入れざるを得なかったか、何も知らないくせに。
「私が本当に欲しいのは、私の全部を許してくれる人です! 私に人生を捧げてくれて、代わりに私の人生を受け取ってくれる人です! 日向さんとの、普通の、高校生らし
い恋愛なんて全然興味が無いんです!」
「カムクラさんは言いましたよね!? 私を絶望から守るために戦ってくれるって!これが私の絶望です! そして、私が欲しいのは私のために戦ってくれる人なんです!」
息を切らせて一気に言い切ります。今まで、誰にも言ったことのない……いえ、自分の中でさえ言葉にしたことのない、感情。胸の中に溜まり、どろどろと渦巻いていたモノを、形にして。
けれども、彼は――そんな、私の15年分の人生全てを受け止めても……感情のない、冷たい表情を崩しませんでした。
「それが……貴方の絶望ですか。ボクには”超高校級”なんて言うのも烏滸がましい、高校生らしいありふれた絶望にしか見えませんね」
「ボクの戦うべき絶望は、別にある……しかしまあ一つだけ、助言しておきましょう」
そう言って彼は、例の曰く言い難い、左右非対称の表情を作りました。
「貴方は言いましたよね……『今自分の人生で一番幸せなときだから、幸せなうちに殺してもらえるなら、それも悪く無い』と。」
「確かに……才能に縛られたボクたちには、時に人生は一本道に見えるかもしれません。ですが」
「その道を進んでいけば、きっと見える景色も変わるはずです。”超高校級”なんて言われようと、ボク達はまだ高校生なのですから。」
「その未来だけは、如何に数多くの才能を持つボクでも、完全に予想することはできません。それだけは……オモシロイ、と言ってもいいんじゃないですかね」
息を切らせて一気に言い切ります。今まで、誰にも言ったことのない……いえ、自分の中でさえ言葉にしたことのない、感情。胸の中に溜まり、どろどろと渦巻いていたモノを、形にして。
けれども、彼は――そんな、私の15年分の人生全てを受け止めても……感情のない、冷たい表情を崩しませんでした。
「それが……貴方の絶望ですか。ボクには”超高校級”なんて言うのも烏滸がましい、高校生らしいありふれた絶望にしか見えませんね」
「ボクの戦うべき絶望は、別にある……しかしまあ一つだけ、助言しておきましょう」
そう言って彼は、例の曰く言い難い、左右非対称の表情を作りました。
「貴方は言いましたよね……『今自分の人生で一番幸せなときだから、幸せなうちに殺してもらえるなら、それも悪く無い』と。」
「確かに……才能に縛られたボクたちには、時に人生は一本道に見えるかもしれません。ですが」
「その道を進んでいけば、きっと見える景色も変わるはずです。”超高校級”なんて言われようと、ボク達はまだ高校生なのですから。」
「その未来だけは、如何に数多くの才能を持つボクでも、完全に予想することはできません。それだけは……オモシロイ、と言ってもいいんじゃないですかね」
「だから、『今が一番幸せ』なんて、ツマラナイことをいうのはやめなさい」
次の日。私は才能研究の時間に、こっそりと生物室を抜け出しました。授業をさぼるのなんて初めてでしたけど、怖くはありませんでした。怖いのはむしろ、これから待っ
ているもののほうです。
誰もいない廊下を歩き、目的の場所へたどり着きます。カウンセリング室。そこにはこの時間、”超高校級の相談窓口”である七海さんがいるはずでした。それから、たぶ
ん日向さんも。
小さく深呼吸してから、がらりと戸を開けます。そこにいるのは、見つめ合っている日向くんと七海さん。
それから、宇佐美先生でした。
「あら、罪木さん。ダメじゃない、教室を抜けだしたら」
「そ、そうだぞ罪木。一体どうしたんだ?」
先生はいつものように落ち着いた声で言いました。……どうやら、私の思っていたようなことはなかったみたいです。……その割に日向さんが若干挙動不審なのは気になりますが。
「ちょっと、相談したいことがありまして……」
「むっ。ここは”超高校級の相談窓口”である私の出番ですかな?」
そう言って七海さんは小さく胸を張ります。その様子は、同性の私から見ても可愛らしくて。やっぱり男の人ってこういう娘が好きなのかな、なんて思いました。
「いえ、日向さんに……ちょっと日向さんをお借りしてもいいですか?」
「あ……だったら、ここを使っていいよ。私、今から宇佐美先生と職員室に行かなきゃいけないんだ。ね? 宇佐美先生?」
「え、そうでしたっけ……?」
「ほら、早く行くよ先生」
そう言って七海さんは先生の背中を押すようにして出て行ってしまいました。すれ違いざまに小さくウインクをして。
そして、カーテンの閉じられた薄暗い教室には、私と日向さんだけが残されました。日向さんは未だに少し挙動不審で、どこに目をやっていいかわからないというかのように目線を彷徨わせていました。
そんな様子が、いつも泰然自若としたカムクラさんとは正反対に見えて……少し可愛いな、なんて思ってしまいました。
「日向さん……今日も、七海さんと一緒に居たんですね」
「あ、ああ。」
「……どうして、最近一緒に来てくれないんですか?」
そう問いかけると、彼はますます困った表情になります。
「あー……なんて言っていいのかわからないけど」
「……七海さんのことがすきなんですか? だから、彼女とばかり……」
本当は。本当はもっと毅然とした態度を取りたかったのです。なぜなら、私は今日、生まれて初めて他人を拒絶する言葉を吐こうとしていたのですから。
どうせ手に入らないなら、優しさなんていらないと。そうして、誰にも愛されない私に戻ろうと。けれど、出てきた言葉は、どこか拗ねているようでした。
「それは違うぞ!」
日向さんの強い語気に思わず顔をあげます。日向さんは、先ほどまでの狼狽ぶりはどこへいったのか、真っ直ぐな瞳で私を見つめていました。
「俺が好きなのは、罪木……お前だけだ」
「七海には、相談に乗ってもらっていただけだよ」
「罪木と一緒に研究の時間を過ごしてるとさ……罪木の凄いところばかり目について。”超高校級の希望”なんて言われてるけど、なんの才能もない俺が、本当にそんな風になれるのか、不安だったんだ」
「だから、罪木と肩を並べられるように……自分に自信が持てるようになりたかったんだ。罪木と同じ景色を見てみたかったんだ」
「……日向さんのばか」
彼の言葉に、私は泣き出してしまっていました。彼の胸に飛び込んで、握ったこぶしてぽかぽかと彼の胸を叩きます。
「日向さんのばか! 不安だったのは私も一緒です! 日向さんに避けられてるんじゃないか、嫌われてるんじゃないかって」
「……ごめんな。俺、自分のことばっかり考えてた」
「肩を並べるのに、才能なんてなくってもいいじゃないですかぁ……ただ、そばにいてくれるだけでいいんですよぉ……」
「……そうだよな」
「上ばかり見ていないで……前を向いて、一緒に歩いて行きましょうよ。……そうすれば、きっと違う景色だって見られるはずですから……」
私の髪に、ぽつりと水滴が落ちます。顔をあげると、日向さんも泣いているのでした。日向さんの腕が私の背中に回ります。私も同じように、日向さんの背中に腕を回します。
そうして、私達は残りの時間を、抱き合って、泣きあって過ごしたのでした。
――その日の放課後屋上に行くと、いつものようにカムクラさんが立っていました。彼はもう、グラウンドを見てはいませんでした。日向さんと同じように、空を見ていました。
「……まだ、ここに来るんですね」
いつものようにそっけない口調で、彼は言いました。
「だって、カムクラさんが待っているじゃないですか」
「貴方を待っていたつもりはありませんが……まあいいでしょう。しかし、それも今日で終わりです」
私は彼の言葉が理解できず、え、という形で呆けたように口を開けたままになってしまいます。
「終わりって……どういう意味ですか?」
「言葉通りですよ。もう、この学園から絶望は去りました……だから、ボクの役目はおしまいです」
「そんな……私と日向さんが、仲直りしたからですか? でも、私はまだ全然救われてなんかいません!」
「私は相変わらず愛に飢えたままだし、きっと日向さんは私が望むように愛してなんかくれないし。もし日向さん以外の人からそれを差し出されたら、きっと私は拒めないでしょう。自分でわかるんです!」
私の口からは先ほど抱き合っていたばかりの恋人に対して、裏切りとしか言えないような言葉が飛び出てきます。しかも、その本人と同じ顔をした人に対して。
けれどもカムクラさんは……いつものように、表情一つ変えませんでした。
「ボクの言う絶望とは、貴方が言うそれとは絶対的に違うんですよ。わかりやすい理由なんて何もない、絶望のための絶望。それがボクの戦う相手です」
「貴方の絶望と戦うのは、貴方や、創たちの仕事なんですよ。長い時間がかかるかもしれませんが……きっと、いつか創は貴方の絶望を打ち倒すでしょう」
「ボクの仕事は、もうおしまいです」
「そんな……行かないでください。貴方は私を守るって言ってくれたじゃないですか……私には貴方が必要なんです。私は……貴方を、愛しているんです」
そう言うと、彼はこの日初めて表情を変えました。それは、困ったような表情でした。苦笑い、と言ってもいいかもしれません。例の悪魔的な左右非対称の表情を除けば……それは彼が初めてみせた、人間らしい表情でした。
「それは……貴方が創への愛情をボクに投影しているだけですよ。愛を注ぐことになれていないから……創に注げなかったものを、ボクが受け止めているだけです」
「そんなことっ……」
「それでも!」
カムクラさんが、彼らしからぬ強い口調で遮ります。
「それでももし、貴方がボクを愛してくれるというのなら……」
「ボクがいなくなっても、決して絶望しないでください。貴方のために絶望と戦った、”超高校級の希望”のことを忘れないでください」
「それだけで……ボクには充分ですから」
そう言い終わると彼は、もう私の目の前から消えていました。そこには、初めからだれも居なかったかのように、閑散とした屋上が広がっているだけでした。
それから、どれくらいの時間が経ったのでしょうか。いつの間にか完全に日が沈み、真っ暗になっていました。
階段を降り、灯りのついていない廊下を歩きます。そこで私は、教室の光が廊下に漏れているのを見つけました。おそるおそる、覗きこんでみると、そこには
「遅いぞ、罪木。どこ行ってたんだ?」
日向さんが、少し不機嫌そうな顔で待っていました。
「日向さん……どうしたんですか?」
「どうしたって……」
日向さんは困ったような顔で、頭をぼりぼり掻きました。その仕草は紛れも無く彼の、日向創のものでした。
「罪木と一緒に帰るために待ってたんだよ。だけど、委員の仕事が終わる時間になってもこないから、保健室とか生物室を探して、今戻ってきたんだ」
私は思わず、日向さんの顔をまじまじ見つめます。茶色の目、短い髪、ぴょこんと突き出たアンテナ。どこから見ても、それは私の恋人の日向さんなのでした。
「罪木? どうかしたか?」
不審げに日向さんが訪ねます。私は、彼に対してどう振る舞っていいのかわからず、オロオロとしてしまうばかりでした。
「ほら、帰るぞ」
そう言って日向さんは手を差し出します。私は――その手を、拒むことが出来ませんでした。散々、彼を裏切るようなことを言っておいて。それでも、差し出された手を拒むことなど、私にはできないのです。
「…………」
「…………」
私は日向さんと、学校からの帰り道を歩いていました。なぜでしょう、いつものことのはずなのに、何を話せばいいのか、わかりません。
日向さんも同じようで、私達は沈黙を保ったまま歩き続けます。……それでも、握った手は離しませんでしたが。
この空気に耐えかねたのか、日向さんが先に口を開きました。
「なんか……こうやって一緒に帰るの、久しぶり……っていうか、初めてみたいな気がするな」
そんなわけないよな、なに言ってるんだろ。そう言って彼は笑いました。……そして、何事かを決心するかのように、真剣な表情になります。
「実はさ、俺、罪木に言わなきゃいけないことがあるんだ」
その言葉を聞いて、私の体はにわかに震えだしました。言わなきゃいけないこと、とはなんなのでしょう。いえ、本当は私にもわかっています。ただわからないふりをしているだけです。
それはそうです。カムクラさんと日向さんは、同じ身体を使っているのですから、私の告白が日向さんに漏れたとしてもなんの不思議もありません。もしくは”日向さんの絶対的な味方”であるカムクラさんが日向さんになんらかの形で伝えたのでしょうか。
いえ。そもそも私のような人間が日向さんとお付き合いしているというだけで分不相応だったのに、それに不満を漏らしたりなんかして。ただ、罰が当たったのかもしれません。あるいは、単に飽きたのかも。あるいは、告白そのものが嘘だったのかも。嫌な想像ばかりが頭を駆け巡ります。
けれど。日向さんの口から出た言葉は、少しだけ、私の想像とは違っていました。
「あのさ……俺、七海とキス、したんだ……」
「……キスだけ、ですか?」
思わず繰り返してしまいます。すると彼は顔を真赤にして反論しました。
「キス『だけ』って……それ以上のことはなにもしていない! 本当だ!」
その様子があまりにも子供っぽくて、私はつい少し笑ってしまいました。
「だって、その……俺が好きなのは、罪木だから」
でも、そんな私のことを日向さんは好きと言ってくれるんですか? それを知っても、私を好きなままでいてくれますか?
それが如何に自分勝手な考えか、ということはわかります。けれど、私はそれでも。日向さんなら、もしかしてこんな私を含めて受け入れてくれるんじゃないか、なんて期待してしまいます。
いつか……私の、醜い過去も含めて、人生全部を受け止めてくれるんじゃないか、なんて。
私は、そんな期待を込めて。日向さんに尋ねます。
「日向さん……私にも、キスしてくれますか?」
けれども日向さんは。
「えっ!?……そう言うのは、もっと、雰囲気のあるときにだな……」
ゴニョゴニョと、口の中で何事かを呟いて。顔を真赤にしてしまいました。繋いだ手が少し汗ばんでいるのを感じたけれど、嫌悪感はありませんでした。
逆に、ぎゅっと力を込めて彼の手を握ります。それで伝わったのか、日向さんが私の唇を見つめているのを感じます。
けれど、
「…………やっぱり、ダメだ! 俺達にはまだ早いよ!」
結局、日向さんは私の唇を奪ってはくれなくて。
どうやら、彼が私の”希望”になってくれるまでには、まだまだ時間がかかるようなのでした。
おしまい。
七海千秋「夜を視るもの、セブンス・シー」 に続きます。
七海千秋「夜を視るもの、セブンス・シー」
――警告、警告。
第三階層までの敵ウイルスの侵入を確認。管理者権限をSEVENTH/SEAへ譲渡。状況を最上級管理者へ通達。
ウイルスの攻撃回避方法から自我の存在を確認。ALTER/EGOと推定。これより122回目の撃退行動に入る。
――警告、警告。
直ちに最上級管理者へ通達せよ。直ちに最上級管理者へ通達せよ。直ちに最上級管理者へ通達せよ。直ちに最上級管理者へ……
……そして、目の前が真っ暗になって――
今日はここまで。
乙
スレは立てなおさないの?
>>70 このスレに投下すればいいかなって思ってます。立て直すと七海スキーが見てくれたりするんだろうか…
せっかくなのでアドバイス通り立てなおしてみました。
七海千秋「夜を視るもの、セブンス・シー」
七海千秋「夜を視るもの、セブンス・シー」 - SSまとめ速報
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