鷹富士茄子「幸運にめぐまれて」 (143)

ゆっくりやってきます

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 私は生まれながら人より少しだけ運の良い子でした。
それを自覚したのはいつのことだったでしょうか。残念ながら今となっては思い出せませんが、私は確かに運の良い子だったのです。
例えば双六。私は決まって誰よりも早くあがりを迎えます。例えばトランプ。ババ抜きで負けたことは一度もありませんでした。
古今東西あらゆる勝負事においては、勝ちを得るということが至上の目的でありましょう。
それが例えカードゲームであれボードゲームであれ、子供にとっては間違いなく真剣勝負の場であったのです。
ですから、常に勝ち続けた私は、毎日をとっても面白可笑しく過ごせていたような気もします。


 とはいえ運の善し悪しとは時と場合によって大きく変化するものでもありました。
例に挙げた二つでいえば、あがった私はやることが無くなってしまい、賽の目に引いた札に、一喜一憂する彼らを見てぼんやりとするだけしかないのです。
そういった遊びで常に勝つ私は、彼らにとっては間違いなく運が良いと見えたでのしょうが、一足先に暇になってしまった私にしてみれば運が悪いとも言えるのです。
皆が楽しそうにしている中、一人暇を弄ぶというのは子供心にとって非常につまらないことでした。
そして、何時であっても何であっても私に負け続ける結果しかない彼らも面白くはなかったのでしょう。
気づけば、私たちは体を動かす遊びをすることが多くなっておりました。


 そんな風にして外での遊びを覚えたのですが、今となっては、そのお蔭で体を動かすことが嫌いではないということも、私の運が絡んだ結果なのかもと思ってしまいます。
そうして考えてみると、やっぱり私は運の良い子なのでしょう。それも生まれながらにして。私は、私の出生からして出来過ぎていたのでありました。

 
 年明けと同時に私は、いえ、私と両親、そして親戚一同の皆様方は記念すべき日を迎えました。
さすがに親戚一同の皆々様まで含めますと、少し見栄を張り過ぎたかもしれません。しかしながら、お目出度い日であったことには変わりないはずでしょう。
積雪に覆われた八雲山が、赤々と燃える太陽の熱を反射してきらきらと一面に眩い光を放ち始める頃に、私は産声を上げたのでした。
朝靄にぼやけた空は朱と藍が入り混じっており、それが日の昇りにつれて霞がかった遠くの山々の輪郭をゆるやかに顕としていく様は、非常に幻想的であったと聞きます。
惜しむらくは私がその光景を直接目にしていないことですが、それもきっといつか叶うことでありましょう。

 
 そんな穏やかさを見せる景色とは裏腹に、病院内は大童でありました。その時分には、既に母の陣痛が始まっていたそうなのです。
商売とはいえ、年末年始も休むことの出来ないお医者様には大変頭が下がる思いで一杯です。特にお正月に生まれた私は足を向けて寝る訳にはいかないでしょう。
俄に慌ただしくなった院内でしたが、そんな中で父が目を覚ましたのは、お産も済み後は産湯に入れるだけとなった頃合いだったそうです。
我が父ながら、初産の母をおいて一人眠りこけていたというのですから、さすがに閉口せざるを得ませんでした。
ですが、その父がみた夢というのが私の名の由来でもあるのですから、世の中とは本当に分からないものです。

 
 私を抱いた父は、酷く興奮して何度も何度も夢をみたと医師に看護師に、そして母に繰り返しました。
産後の疲れもあり、要領の得ない父の言葉に母は苛立ちを隠せなかったらしく、院内に響き渡るほどの声量で彼を一喝した話は、いまだに我が家の笑い話として残っています。
そのお陰で漸く落ち着いた父が口にしたのは次のようなことでした。


曰く
夢をみた。それも大変ありがたい夢であった。
初夢に出ると良いとされる富士と鷹と、そして茄子が出てきた。
目が覚めたら娘は既に産まれており、昔の人の話も馬鹿にできないと思った。
富士と鷹はもうある。だから娘は茄子にしよう。


 そうしてこの世に生を受けたのがこの私であるのです。
鷹富士というありがたい家に生まれ、茄子と書いてカコ。一月一日に両親の腕へと迎えられ、院内の窓からは八雲山を望む景色が広がっておりました。





 出生から出来過ぎていた私でしたが、まさか自分の運命までも大きく変えてしまうような出来事にまでも遭遇するとは露ほどにも思ってはいませんでした。
なにせ運が良いとはいっても、当たり付きの自販機がガコンガコンとコインの数に合わない音を立てたりだとか、行く先々の信号機が青色を灯し続けるなどの小さな事ばかりであったのです。
ですから、あの夢の様な一時を送れたのは私にとって、いえ私だからこそ、非常に幸運に恵まれた日であったのだと思えるのです。
私が面白可笑しい数日を過ごし、その終ぞにとある男性と巡り合ったのは、茂る木々が新緑鮮やかな葉を陽光にきらきらとさせ、どこか爽やかな風の吹く五月もそろそろ終わり差し掛かった日のことでした。

 
 その日の私は、島根の実家を出て一人岡山駅へと向かっておりました。
いま話題のアイドルグループである、トライアドプリムスの三人が岡山で小さいながらもライブを行うとの話を耳にしたのです。
私はアイドルに熱烈な興味を抱いていた訳ではありませんでしたが、運の良さで世の中を二十年とちょっとを渡り歩いてきた自負があります。
ブラウン管の向こうに住まう方々が、こんなにも近くまで来るというのはきっと何かの巡り合わせ。
そこへ行けば、とっても面白可笑しい日を過ごせるに違いないとの確信がありましたので、直ぐさまチケットの注文にと取り掛かったのでした。

 
 トライアドプリムスの一人、渋谷凛さんは既にソロデビューを果たし、ヒットチャートにも名前が挙がり始めた頃合いでしたので、ユニット結成の報は人々の興味を充分に惹いたことでありましょう。
ですから、チケットを入手するのも困難かと思われましたが、そこは運の良さに定評のある私です。大して労せずにそれなりの席を確保することが出来ました。
そして迎えた当日であり始まりの日。
今日は一体どんな面白いことが待ち構えているのだろう。
そう、逸る気持ちを抑えながら、私は一人電車に揺られておりました。

 
 岡山駅に着いたのは、時計の針が十二を指して綺麗に重なっていた時のことです。
入場が十六時半からですので、少し時間が空くことになります。
すっかり空っぽになってしまったお腹が今にも悲鳴を上げそうでしたが、私はまず宿の確保へと向かいました。
折角遠出をして来たのですから、明日一日は街中を面白いことを探して練り歩き、明後日の電車で島根へと帰るつもりでいたのです。
とはいえ二泊もするとなると、さすがにお財布の中身とも相談しなければなりませんので、比較的安価だといわれているビジネスホテルに泊まることに決めました。
親切な駅員さんに話を聞けば、十分と歩かない内に何件もあるそうなのです。私はその中からおすすめだと言われたホテルへと足を進めることとしました。

 
 土曜の昼間ということもあり、往来は人々で賑わっておりました。
大変に天気の良い日ですから、家族連れの姿も多々目につきます。
両親に挟まれた女の子が仲睦まじく両の手を繋いでいる様子などを見れば、自身の幼かった頃が思い出されて非常に温かな気持ちとなりました。
「次の休日は、両親と一緒に何処かへ行こうかしら。」
そんなことを考えながら歩いていますと、何やら賑やかな三人組を見かけたのです。

 スーツ姿の男性と、双子なのでしょうか顔つきの似通った女の子が二人。甘い香りが漂う洋菓子屋さんの前で話し込んでいました。
私が立ち止まって見ていると、男性は彼女たちを残して一人店内へと入っていきます。
すると彼女のたちは、弾かれるようにしてその隣にあるコンビニへとぱたぱた駆けて行くのです。
とりたて珍しい光景ではないのかもしれませんが、なぜだがその時の私は彼女たちのことが無性に気になってしまい、後を追うようにしてコンビニの自動ドアを抜けました。
店内をきょろきょろと見渡すと、先程の二人が化粧室へと駆け込む姿が見られます。
不思議なことに一人づつ入るのではなく、二人同時にスライド式のドア奥へと消えていくのでした。
そんなに急いでいるのなら、洋菓子店とコンビニとで別れればいいのでは?
彼女たちの行動に頭を悩ませていること数分。入った時と同じように二人揃って扉から姿を現すと、またもやぱたぱたと駆けて行きます。
私も直ぐに追いかけようと思ったのですが、何も買わずに店を出ることに気が引けてしまい、レジ前に陳列されたガム一つの会計を済ませてからその場を後にしました。


 コンビニを出ますと、先程の二人は洋菓子屋さんの前できゃあきゃあと何やら楽しげな様子であります。
男性の姿はありません。まだ店内から戻ってはいないようです。それも無理のないことでしょう。
少し離れたこの場所でさえ、甘く幸せな匂いが鼻腔へと届くのです。店の外ですらそうなのですから、中の様子は言わずもがな。
それに加えて視覚にまで訴えかけてくるのですから、時間がかかるのも当然でしょう。
私のような人間ですと目移りばかりしてしまうものですから、蛍の如くあっちへふらふらこっちへふらふら、と気づけば烏の鳴くまでに迷ってしまいそうです。
まったく、熊野の烏がなんとやら。もっとお菓子を見ていたい、といった所でしょうか。……主と一緒に、ならばもう少し色っぽい話にもなるのですけれど。
甘い恋よりお菓子がお相手な辺り、まだまだ私はお子様なのでしょう。


 待つこと暫くした後、漸く男性が戻って参りました。
右手には白い紙袋が提げられており、心なしか甘い香りがより一層と広がったような気もいたします。
男性は待ち受けていた二人を見ると、何やら溜息をひとつ。そして、とんとんと彼女たちの頭を軽く小突くのでした。

「やっぱり直ぐバレちゃったか。」と少女の一人は言います。

「当たり前だろう。いくらお前たちが似ているからって、入れ替わって気付かれない訳が無い。」

男性の声は、多分に疲れを含んでいるように聞こえます。
彼の話からすれば、どうやら二人はコンビニの中で互いの衣服を入れ替えていたのでしょう。双子ならでは遊びです。
どうせならもっと近くで見ておけば良かったと少し後悔。もしかすれば私にも二人を見分けられたのかも知れないのに。

「でもでもー、あずさお姉ちゃんには気付かれなかったよー?」

「あずささんは……。あずささんは良いんだよ。」

それより差し入れも買ったから行くぞ。
そう、無理矢理に話を切り上げると男性は背筋を伸ばして真っ直ぐと歩いてゆきます。
待ってよと追い駆ける双子の姿はまるで仔鴨のよう。前を歩く親鴨は、歩幅を小さく出しました。





 三人を見送ると、私は当初の目的を果たすために彼らとは反対方向へと向かいました。
文明の利器とは非常に素晴らしいものでして、携帯電話が示す通りに歩を進めますと、程なくして一件の建物が見えてまいります。
ビジネスホテルなどといいますから、私はビルのように素っ気無い建造物を想像していたのですが、それは偏った考えであったようです。


 下から上まで白磁に染め上げられた建物は、青々と広がる空に浮かび上がるようにして聳えております。
その空には雲一つなく、燦々とお日様が御座しますのですから、ホテルの一面が白い煌めきを放っており、その輝きたるや目が潰れてしまいそうでした。
それでも凝らして見れば建物の随所には飾り彫りが施されていまして何だか、お子様の私が泊まるには場違いではないのでしょうか、といった気持ちになってしまいます。
門構えも堂々たるものでして、どこぞの宮殿を思わせる風情です。左右の柱にはランプを模したと思われる白熱灯が拵えられており、その両柱を繋ぐようにして緩やかなアーチ状に屋根が渡し架けられていました。
その居住まいたるや余りにも見事。思わず私はお財布とにらめっこをするのでした。
まるでお伽噺に迷い込んだかのような心持ちとなりましたが、この国はどうにも土地が狭い。ホテルの景観を損ねてしまう、などとまでは言うつもりはありませんし、致し方のないことでしょう。
両隣には古びた金物屋や、あらゆる国々から取り寄せたであろう、使い道も分からぬ雑多なモノが積み重なる、雑貨屋と呼んでも良いものかと迷うような胡乱な店まで軒を並べているのですから、本当に日本という国は可笑しなトコロであります。
私はその怪しげな雰囲気の雑貨屋に心惹かれる思いでしたが、まずは荷物を減らそうと白塗りのアーチをくぐって進みました。


 自動ドアを抜けると、当たり一面には真白の空間が広がります。
石畳の床を歩けばこつこつと甲高い音を鳴らします。ロビーに置かれた革張りのソファにはスーツ姿の男性が一人。響く足音にこちらへと目を向けますが、直ぐにその視線は新聞へと戻りました。
受付には若い女性が一人詰めておりました。


「ご予約の方ですか。」女性は言います。

「いえ、違います。部屋に空きはありますか?」

「シングルでよろしいでしょうか。」

「はい。……なるべくお金のかからない部屋をお願いします。」

恥を承知で私が申しますと、お姉さんは少し微笑んだように思えました。


 受付の方はパンフレットを開き、三つのプランをこちらに示しました。
一つは食事なし。一つは朝食のみ。そして最後の一つは朝食と夕食の二食付きです。

「学生さんですか?」

「はい。」と答えますと、続けて彼女は「観光ですか。」と尋ねます。

「ええ。後は――。」

受付台には段々となった小さなケースがあります。目の前に広がったパンフレットも、細長く折りたたまれてそこに収められております。
そのケースの一段目には、私の本日の目的であるライブイベントの案内も立て掛けられており、ステージ衣装を身に纏った三人の写真がプリントされていました。
私の視線がその一点に留まったものですから、彼女は当たりをつけたのでしょう。

「……ひょっとして、トライアドプリムスですか?」

「はい。」

私がそう答えると、彼女は大きな瞳をきらきらとさせるのです。


「いいですねぇ。私も好きなんです。特に奈緒ちゃんがお気に入りなんですよ。」

そう口火を切った彼女は、次から次へと耳の休まる間もない程に神谷奈緒さんの魅力について語ります。
恥じらった表情が可愛いですとか、ぶっきらぼうな口調から垣間見える思いやりのある性格が良いですとかと、その勢いは最早留まる所も知りません。
どうやら彼女は熱狂的なファンであったようでした。
それだけに「有給が残っていれば……。」と呟く姿は大変に涙を誘うものであります。
ですから女性の側にやってきた従業員らしき男性が小さく咳払いをしても、私は彼女を攻め立てる気にはなりませんでした。


「当ホテルの従業員が大変失礼を致しました。」

 深々と頭を下げた男性に私は大いに恐縮してしまいます。
多少、面食らってしまったことは否定できませんが、とても楽しいお喋りでしたのです。
いかに神谷奈緒さんが好きかということも十二分に理解できましたし、アイドルとしてスタートしたばかりの彼女への興味も湧き出てきました。
観光案内業務に含まれても良い内容でしょう。
私はその旨を伝えるのですが、男性の方はお詫びにと宿泊費を割り引くと申し出まして一向に譲る気配もありません。

 
割引を。
いえいえお気になさらず。
ここはどうかこちらの顔を立てると思って。
本当に大丈夫ですから。

 
 そのような互いに引かぬ押し問答を繰り返して不毛な時間を過ごすこと暫く。
いつまでも続くかと思われた水掛け論は、なんとも間抜けで気の抜けた「くぅ」という音を最後に途絶えます。
穴があったら入りたい。いえ、無いのならば掘ってでも埋まりたい。
この時ほどスコップを持っていないことを後悔することはこの先もきっとないでしょう。
先に昼食をとるのだったと、今になってはどうしようもないことを私は思うのでした。

 
 三人の間に気まずい沈黙が流れます。
私は一目散に逃げ出したい思いで一杯でしたので、割引を固辞することなど最早どうでも良いことでありました。
女性から手渡されたカードキーには二食付きと記載されており、館内にあるレストランに入る際には係員の方に提示するようにとの説明を受けます。
お礼もそこそこに私は足早にエレベーターを目指します。エレベーターはフロントからよく見える位置にありますので、内心穏やかではありません。
あれだけの失態を演じてしまったのですから、早いうち狭い箱の中に入ってしまって一人になりたかったのです。これ以上、情けのない姿を衆目に晒すのは乙女の沽券に関わりましょう。
「中に誰もいませんように。」
そう念じながら、上を向いた矢印のボタンを押すと間髪を入れずに「チン」と甲高いを音を立ててエレベーターが到着いたします。
扉にぶつかりそうになりながらも乗り込むと中に人影はなし。常日頃からお世話になっている運の良さに、私はより一層と感謝するのでした。

とりあえずここまで
なるべく10月前には終わらせたいと思います
読み易さは色々考えた挙句放棄した


 エレベーターを三階で降り、私は岡山での宿となる306号室を探します。細い通路の両側には、重厚感のある深い色合いの木製扉が並んでいました。
その造りがやっぱりお高そうなので「ビジネスホテルとは何ぞや」といった疑問を抱かずにはおれません。私はどうにもそういった偏見を拭い去ることはできなかったようです。
壁にはプレートが拵えられて行く先々を示します。私はそれを頼りに306号室へと辿り着きました。
カードキーを差し込み扉を抜けたワンルームの部屋にはベッドやテレビ、小洒落た観葉植物などが収められておりました。
取りあえずとカーテンを開ければ眼下に岡山の町並みが広がります。高く澄んだ青い空には赤い風船が一つ。ゆるゆると吸い込まれてゆきました。


 ベッドの側にはサイドテーブルが備え付けられており、そこにはデジタル式の時計が置かれております。そろそろ十二時二十分になろうというところです。
私はつい先程の出来事を早々に忘れてしまいたかったのですが、そうそう上手くいく訳もありません。
せめてこれ以上の無様は晒すまい。人間というものは過去に学ぶ生き物なのです。
今度は空腹を満たすためにと、足早に部屋を後にしました。
エレベーターを降りると先程のロビーへと出ます。受付には神谷奈緒さんについて熱心に語ったお姉さんが変わらずに詰めております。
彼女は私の姿を認めると小さく手を振りました。私も軽く会釈を返しましたが、忘れようとした矢先のことですので何とも言えぬ心持ちでありました。


 ホテルを出ると駆け抜ける自動車のエンジン音や人々の話し声などが一斉に飛び込んでまいります。
私は何の気もなしに空を見上げました。お日様は中天高く。相も変わらず温かな日差しを降り注いでおります。
どこまで飛んでいけたのでしょう?
ふと思い出したものの、赤い風船はもう見つけられませんでした。






 アーケードを歩くこと少し。実家近くでもよく見かける、全国チェーンのハンバーガーショップへと立ち寄りました。
折角遠くまで来たのですから、もっと意匠を凝らした所に、などと皆様は思うかも知れませんし、私もそう思います。
事実、私は狭い路地にあります、知る人ぞ知る隠れ家的お店のように、大人の香り漂うところで食事を済ませたかったのです。
ですが今日の所は諦めて明日の楽しみとすることにしました。
ジャズが流れ、古ぼけながらもどこかお高そうなテーブル。口元を抑えて上品に微笑む女性に、軽快なアメリカンジョークを嗜む男性。
……なんだかお食事処というよりかはバーといった風情の想像ですがこの際置いておきましょう。
ともかく、そういった「あだるてぃー」な場所で、情けなくもお腹のひとつやふたつ鳴らしてしまう私。
居合わすは心身ともに成熟した大人ばかりですから、「子供のすることだ。」と笑って、紳士淑女の皆々様はお許しになって下さるかも知れません。
しかし私はそうもいかないのです。今度こそ、小さくなってそのままに消えてしまいたくなること違いないでしょう。


 一番安いハンバーガーセットを頼み「ご馳走様でした。」と手を合わせた私は、来た道を辿ってホテルを目指します。
より正確に言えば、ホテルの側にあったあの雑貨店を目指しておりました。
怪しげな雰囲気などという言葉がありますが、この店ほどそれを体現したようなものは中々お目にかかれないのではないでしょうか。
ショーウィンドウには日本人形西洋人形から始まり、ハワイのお土産などで見るような木彫の人形に、今は懐かしい人面犬のフィギュア。おまけに人面魚育成ゲームソフトまでもが並んでおります。
その隣には能面やパピヨンマスク、オペラ座の怪人がつけていそうな仮面に、どちらが上なのか下なのかも分からぬどこぞの民族のお面。さらには槍のようなものがひとつ。
そして入り口付近からは、ぷんと何やら強烈な匂いが漂ってまいります。これはあれです。バスや電車で香水を強めに振りかけた女性に囲まれた時の匂いです。
お店の前に立ったはいいものの、一歩を踏み出すには些かムツカシイ所であります。
ゆらゆらと、何だか紫色の煙が立ち昇るように思えて私の頭はくらくらとしました。


 宿泊するホテルの側に、ここまでアヤシイお店があるのも何かの思し召し。
そう、何とか気勢を奮い立たせて私は扉を開きました。
「カランコロン」と鐘の音が響く中、歩を進めてまいります。
外はあれだけ天気が良いにも関わらず、店内は冬の曇り空のように薄暗くありました。
天井には裸電球がひとつありますが、お世辞にも役割を果たしているとは言い難いでしょう。
光は天井付近にまでも積み重なった商品に遮られ、その上の埃を照らすのみ留まっておりました。
 

 
 壁には全国各地のペナントや外国のナンバープレートに絨毯のような毛織物、ショーウィンドウにもあったお面、優勝旗のようなものも貼り付けられてあります。
眼前の棚には、皿のない天秤や自由の女神の置物、罅割れたワイングラスに文字盤が左右反転した時計など、分類分別区別もなしに陳列されています。
奥を覗き込めば、レジカウンターと思しき所に老婆が一人、椅子に腰掛けているように見えました。
伸びるに任せた灰色の髪。黒い外套に、黒いトンガリ帽子。トドメとばかりにその手には杖までもが握られております。
まるっきりお伽噺から抜け出た悪い魔女のような風貌でありました。
その姿が余りにお似合い、余りに微動だとしないものですから、等身大の人形ではないかと思い始めた頃、ゆうっくりと彼女は手招きをするように動きました。
辺りを見回したところで、私の他にお客さんの姿は影も形もありません。せいぜい、じいっと西洋鎧が仕えているだけです。
漫画のように鎧が独りでに動いたりは――まず、しないはずでありましょうと思いますから、高い確率で老婆は私を呼んでいるのでしょう。
生唾を飲み込み、おそるおそると足を踏み出しました。


 先程は気づかなかったのですが、カウンターの上には赤子の頭くらいの水晶球が置かれております。
これはいよいよ魔女に違いない、と私は確信を強めずにはいられません。
食い入るように水晶球を見つめていたものですから、老婆は「これかい?」と、しゃがれ声を発しました。

「占いにつかったりもする。」

「占いもされるのですか?」

私は魔女に問います。
よくよく考えてみればおかしな言葉でありますが、魔女は占いをするものとの純粋な思い込みを私はまだ失っておりませんでした。
しかしながら彼女は首を振ります。

「しない。占いなんてものは信用ならない。だからコイツをつかうのさ。」

水晶球を、老婆は杖で小突きます。私が想像していたよりもずっと鈍い音でした。
似せモノだよと彼女は笑います。


「そもそも、占いなんてものは存在しなかった。昔々の世には、本物しかいなかった。」

「本物、ですか?」

「そうさね。彼らは占いなんて曖昧なものでなく、予知という確固たるものを持っていたのさ。」

「……はぁ。」

「お嬢ちゃんは、もし『今夜は雪が降る』なんて言われて信じるかい?」

「いえ。流石に突拍子もないことですから……。」

「だろう? でもそういった予言を信じさせる必要が、彼らにはあった。」

彼ら、という発音に老婆は力を込めます。

「だから、小道具をつかったんだよ。神様の言葉だとかの、神秘の力という小道具をね。」

そう言って彼女は視線を水晶球へとやります。私もつられるようにしてそちらへと目を向けました。
長い間磨いたりと手入れをしていないようでして、表面は小さな傷や埃で覆われております。
コツンと、老婆はまた水晶を叩きました。


「まぁ、そんなもので信じる奴は最初から信じてたと思うがね。少なくとも説得力は微増でもしたんだろうさ。
 亀の甲羅で吉凶を占う話なんかは聞いたことあるだろう? それにお嬢ちゃんは、水晶球を占いにつかうものだとも思った。」
 
老婆は続けます。

「そんな風習が残ったもんだから、怪しげな道具をつかう占い師なんて胡散臭い連中がそこかしこに蔓延っている。
 本物は小道具なんて、あってもなくても当たるもんさ。
 マガイモノの連中は、曖昧な表現で煙に巻いたり誰にでも当てはまるような事を言ってるだけだというに……。
 盲信的になる奴が少なからず居るってのが信じられんよ。」

「でも、信じていなくたって、占いに背中を押されたいって人も居るんじゃないでしょうか?」

特に、私などは験担ぎなんてものを多用するきらいがありますから、占いを切欠にしたいという気持ちもわからない訳ではありません。
今回のことも、偶々アイドルが近くに来るからといった理由からのお出かけなのです。

「それくらいの気持ちで丁度いいよ、占いなんてものは。信じ過ぎてはいけない。
 ……まぁ、客の相談に即した未来を示すのならば、カウンセラーとでも名乗れば良いと思うね、アタシは。」

「それは……何だか身も蓋もない気がします。」

そんなモンだ、と彼女は笑い、そして言うのです。

「だから、アタシは占いはしないのさ。」

つまらないと吐き捨てるように、そう言うのです。


「こんな話をするために呼んだんじゃなかったんだよ。えーと、確かこの辺りに――。」

ふぅと息を吐いた彼女は、がさがさと何やらカウンターの下を漁り始めました。
どこにそんなスペースがあったのか、石膏像やら木彫の熊やらが引っ張り出されては水晶球の隣に並び始めます。
ボウリングのピンがカウンターの端に置かれた所で、漸く老婆は「あった。あった。」と身を起こしました。
彼女の手には醤油受けがあり、その上にちょこんとヘアピンがのっています。

「これは……猫?」

ヘアピンには、黒い猫のデフォルメされた顔があしらわれていました。

「そう、黒猫のヘアピンだよ。お嬢ちゃんに猫のご加護がありますようにとね。」

「黒猫のご加護ですか?」

「何だい? 不吉だとでも思ったかい?」

こちらを見透かしたように老婆は口元を大きく吊り上げます。

「そんな迷信を信じてるようじゃ駄目さね。縁起が悪いとすると同じくらいに縁起が良いものともされてるんだよ。
 特にこの国じゃあ良いものされることの方が多いくらいさ。黒猫が不吉だなんて、外から入ってきた風習だ。」

締めくくりに、「黒い招き猫を見たことはないかい?」と彼女は問いかけました。

「そういえば、確かに見たことはあります。」

「だろう? アレは厄祓いの意味合いがあるんだよ。日本だと黒猫は、結核や色恋にもご利益があるとされていたのさ。」


 そんな有難いお話を聞いた私は、何だかこのヘアピンが愛おしいものに見えてきたのですから現金なものです。
代金を支払おうと鞄から財布を取り出すのですが、老婆はお金を受け取ろうとしませんでした。

「若い子と話す機会なんて、この歳になるとそうそうないのさ。」とは彼女の言葉であります。

それでは悪いと言うのですが、年長者の言葉は聞くものだと、私はひとり暖簾を押すばかり。
しかし、先程は不意の出来事で折れたばかりですから、ここは引く訳にはいかないのです。
『幸運とは享受するばかりではいけないものだ』とは母の教えであり、口癖の様に何度も何度も繰り返し私に言い聞かせていた言葉であります。
ならばせめてもと、私はコンビニで買ったガムを取り出しました。

「これはガムかい? こんなハイカラなものは、久々だよ。」

お嬢ちゃんも強情だねと、人懐っこい笑みを浮かべながらお婆さんは言いました。


ここまでです
また溜まったら投下します


 埃っぽい店内から出ますと、初夏の日差しが降り注ぐものですから、その眩さに私の目は少しちかちかとしてしまいます。
知らず汗をかいていたようで、緑薫る風が大変に心地良く感じられました。
うきうき気分で先ほど物々交換で手に入れましたヘアピンをさし、「さぁ、姿を見せて黒猫さん。」と意気込んでみたはいいものの、そう上手く事が運ぶ訳ではないようです。
しかし私は気を落としたりはしないのです。世の中というものは何事も巡り合わせでありますから、きっとご縁がありましたらそのうちに良い運びとなりましょう。
ライブの開演までは、まだまだ時間はあります。このまま街中を練り歩いてみても良いのでしょうが、私は部屋に戻ることを決めました。
少しとはいえ、うら若き乙女が汗のしたたるままに、というのは宜しくありません。それに楽しみは後に回せば回すほど期待が膨らむものなのです。
シャワーで汗を流しゆっくりしましょうと、私は体を九十度右へと向けました。
人々の行き交う往来には後ろ髪を引かれる思いでしたが、街中を歩かずとも実家では映らないチャンネルを眺めるというものも旅先の楽しみでありましょう。

 


 バスルームから出ると濡れた髪もそのままに私はベッドへと腰掛けます。
我ながら少しお行儀が悪いかも知れません。こんな姿を母に見られでもすれば、たちまちに有難いお小言を頂くに違いないでしょう。
肩に掛けたタオルで髪の湿り気を取りながら、リモコンの電源ボタンを押します。
もはや普及しきった液晶テレビが音もなく画面を映しだしました。ぶおん、と鈍い音を発するブラウン管も今では目にする機会は殆どありません。
幼心には、あの音ひとつでわくわくと胸を弾ませたものでした。今から面白いものをお見せしますよと、テレビが一声かけてくれていたように思えたのです。
映像は綺麗になり、場所も取らなくなった液晶テレビは確実にブラウン管よりも進化したと言えるでしょう。
それでも。
慣れ親しんだ音が聞こえないというものは、何だか無性に寂しくなるのものでありました。


 順繰りにチャンネルを送って見つけた地方局に合わせ、私は白いタオルをアルミ製のラックへとかけました。
髪先はまだ僅かに湿ってはいますが、この陽気ですから直ぐに乾くことでしょう。
モニターからは若い女性の声が聞こえてまいります。
そちらへと目を向ければ、マイクを持ったレポーターらしき女性と画面中央に立つ年老いた男性が一人。
その後ろには、何やら立派な蔵のようなものが聳えておりました。
画面の女性は一言二言と問いかけ、件のご老人は威厳に満ち溢れた重々しい口調で答えます。
左上のテロップには、『焼き物の里を巡る』と記されておりました。


 代々陶芸を営んできたという男性は、取材陣を蔵の中へと案内しました。
そこには急須や湯飲み、花瓶や茶碗などが数えきれない程に収められております。
「最近はこういったものもつくっている。」そうお爺さんが持ちだしたのは取手とソーサーのついたコーヒーカップでした。
備前焼で作られたそれは、白い洋食器と比べて暖かな印象を受けます。土の色合いや質感がそう感じさせているようでした。
 画面は移り、次に映しだされたのは少し罅の入った湯飲み茶碗です。

「失敗なさることもあるのですか?」と、女性はそれを見て意外とばかりに問いかけました。

「勿論ある。土と向き合うは、自分と向き合うと同じ。心が乱れれば、土も、また乱れる。」

男性は続けます。

「それは孫が作ったものだ。この所どうも上の空に見える。難しい年頃だけに、俺じゃあ如何ともし難く歯がゆいばかりだ。」

「お孫さんはお幾つなのですか?」

「じきに十六だ。最近の女の子は何を送っていいのか分からんから困ってしまう。」

「ああ。プレゼントですか? 昔は何を?」

「あの子の食器は全部俺が作った。 今までは喜んで受け取ってくれたんだがねぇ……。」

 
 少し、しんみりとした様子のお爺さん。心なしか、一回りほど小さくなったように思えます。
十六といいますともう高校生でしょうから、焼き物よりも服やアクセサリーといったものに心惹かれる年頃なのかも知れません。
自分の焼き物が喜ばれなくなったお爺さんの心中は察するに余りあることでしょう。
寂しそうに伏せた目が、一層と哀愁を誘います。
そんなことを私は思います。画面の向こうのお姉さんも同じことを思ったようでして、慰めるようにして問いかけます。

「高校生くらいになってしまうと、焼き物よりも洋服などの方が、お孫さんは喜ばれるんでしょうかねぇ。やっぱり、少し寂しいですか?」

彼女の言葉に、男性はおずおずと口を開きます。

「いや、焼き物でも喜んでくれはするんだが……。なにぶん焼き過ぎた。もう置く所がないと、済まなそうに言われたよ。」

その答えが少しばかり予想と違っていたものですから、私と、レポーターの女性はきょとんとしてしまいます。
彼女の表情を見て、今度はお爺さんがきょとんとするのでした。


 ……なんだかどっと疲れてしまったように思います。
別にお爺さんが悪いわけではないと分かってはいても、このやり場のない思いをどうすればいいのか、非常に悩ましいところであります。
その後、画面上には威厳の欠片もない好々爺と化した男性が、延々とお孫さんについて語り続ける姿が映しだされておりました。
もはや惚気けるといってしまってもよい語りっぷりであります。レポーターのお姉さんも、どこかぐったりとして見えたのはきっと気のせいではないでしょう。
素晴らしき哉、孫への愛。
一昔前、『孫』と題された歌が一世を風靡したことが思い出されます。
間違いなく、このお爺さんも買っていることでしょう。
画面上には、依然として微笑ましい光景が広がっております。
久しぶりにと、私は携帯電話を取り、未だに黒電話を使い続ける懐かしい匂いのする日本家屋へと繋げます。
お祖父さんの声は、八十をとうに越えたとは思えない程に元気なものでした。




 
 他愛のお喋りをして、テレビを眺めたりホテル内を探検したりとしているうちに、いよいよその時が近づいてまいりました。
部屋に戻った私は、忘れ物がないようにと手荷物の確認を始めます。
お財布。携帯。ハンドタオル。チケットにヘアピン。
万事抜かりなしでございます。
意気揚々と扉を抜け、バスを待つために岡山駅へと向かいました。


 バスに揺られること二十分ほど。遠き山に日は落ちて、辺りは橙色の柔らかな光に包まれております。
ライブの行われるホール近くではぞろぞろと人々が降車していきます。勿論、その人々には私も含まれておりました。
ホールまでは更に十分ほど歩くため、車内では迷わないかと不安でありましたが、同乗していた気合の入った方々のお陰でどうやら杞憂と終わりそうです。
楽しげに会話を交わす彼らの後ろを、私はのんびりと歩いて行きました。
通る先々の店には今回のポスターが店頭に貼られており、その数が次第に増えていくと、どんどんと会場が近づいてくるのを感じます。
彼らもまた、そうであるように、その語り口は少しづつ熱のこもったものとなってゆきます。
渋滞の続く車道を横目に歩を進めると、白い楕円形の建物がだんだんと左上に見えてまいります。
角を折れた先、緩やかな坂道の上に、その建物はありました。


 会場の敷地内には、老若男女を問わずと数多くの人々が集っております。
建物の入り口までの道のりには、色取り取りの出店が並んでおり、縁日のような眺めでございます。
そして、敷地内の一番目立つ所には、運動会で見かけるようなテントが幾つか並んでおり、こぞって人々はそこを目指しているようでありました。
焼きトウモロコシや、りんご飴、たこ焼きにお好み焼きなど、お祭りの匂いに誘われそうになるものの、どうにか踏み留まった私は、人波に乗って白いテントを目指すのでした。
 


 テントの内いくつかは実行委員会の本部といったところでしょうか。
お揃いの上着と帽子を身につけた方々が、無線で連絡を取り合ったり集ったファンたちを誘導したりと、まさに八面六臂の大奮闘であります。
そういったテントを二つほど挟んだ先には、やはり同じように人々が犇めき合うテントがあります。
係員の数に見合わないほどの人々が詰め寄っているあたり、どうやらグッズ販売を主としたもののようでした。
ちょうど私が居る本部前で人波は左右に別れております。左に流れれば建物入口へ、右へと流れればグッズ販売所へ。
私は右へと流れていきました。


 漸くと品物が見える位置へとつけた私は、「この経験だけでちょっとした本が書けそうだ。」と、仕様もないことを思います。
それ程までに、人の波を掻き分けて進むというのはなかなか過酷な旅路でありました。
眼前に置かれた幾つもの長机には、彼女たちゆかりの商品が所狭しと並べられております。
団扇やTシャツにブロマイド、マフラータオルにスポーツキャップ、渋谷凛さんのシングルCD、それとこうしたイベントには必需品だと聞く光る棒、サイリウムなど。
その中から私が選んだものはCDとサイリウム、それとマフラータオルでした。
人混みから離れて、少し開けた木陰で早速とサイリウムを取り出します。

こうして手にするのは、果たして何年ぶりでしょうか?


幼かった時分に、お祭りの度によく母が買い与えてくれたことを思い出します。
どうやら私は子供の頃から変わらずに好奇心というものが並外れて強いタイプであったらしく、人混みに紛れるようなことあれば一息の間に迷子になるという、なんとも役に立たぬ特技を持っておりました。
お祭りの度に行方不明となるのですから、残された両親は常に気が気でなかったことでしょう。
当然、二人としては迷子になる前に防ぎたかったろうでしょうが、余りにも私が逸れてしまうのが早いのです。
そうしたありさまでしたから、悩んだ末に導き出した苦肉の策として、輪っか状にしたサイリウムを首飾りの如く常にかけておくこととなったのです。
最も、私の所在はスピーカー越しに知ることの方が多かったようですが。
「たかふじかこちゃん、たかふじかこちゃん。」とアナウンスされたのは、スポーツ選手に次いで多いのではないかと思います。


 サイリウムのパッケージは懐かしいような、そうでないような、と曖昧な印象を覚えました。
子供の頃から変わっていないようにも、全く見たことがないような気にも思えるのです。
要はパッケージなど気にしているようなお子様ではなかったということなのでしょう。
あれだけお世話になっていながら、私の興味は常に袋の中にしかなかったようです。
パッケージデザインを担当した方には、少しだけ申し訳のないような気になりました。
 


 そんな感傷に浸ったものですから、今回はその仕事ぶりをしっかりと目に焼き付けておこうと隅々まで眺め回します。
するとなんとも珍しいことに気が付きました。購入したサイリウムは三本入りなのですが、その表記が少し変わっているのです。
一つは赤。一つはオレンジ。そして残りの一つが蒼。青ではなくて蒼なのです。

「青では駄目なのかしら?」

一人、ぼんやりと呟いた言葉。当然ながら返事などあるはずがないと思っていたのですが、近くにその答えを知る男性がいたようでした。

「アイドルにとってイメージカラーというものは大切なのだよ。青と蒼。
 一見、変わりの無いように思えても、文字から受ける印象とは大きく違うものだろう?」

声の主へと、私は視線を向けます。
そこに立っていたのは、四十になろうかという中年の男性でありました。
きっちりとスーツを着こなし、白髪も目立ち始めるだろう年頃にも関わらず、その髪は黒々としております。
顔には深い皺があります。男性が笑うと、より一層と深く刻まれるのでした。


 私が受けた印象は、清潔で温厚そうな方だというものでした。
人間というものは、どうにも初対面の方を値踏みとまではいかずとも、それなりに見極めようとしてしまうものなのです。
そうしたことは勿論、私も例外ではなく、彼もまたそうでした。
ゆっくりと上から下まで往復すること二回。
流石に居心地が悪くなってしまい、おずおずと口を開きかけた所で、男性は急に声を上げたのです。

「ピーンときた!」

「え? え?」

「いいねぇ、君。間違いないよ、間違いない。」

余りの出来事に理解が追いつかず、クエスチョンマークを浮かべるばかりの私。間違いないって、何が間違いないのでしょう?
しかしながら彼はそんなこともお構いなしに次々と言葉を発します。さながらマシンガンの如くです。
呆気に取られていた私でしたが、助け舟は意外と早く到着致しました。


「社長! 一体何やっているんです? 早くしないと時間がなくなってしまいますよ!」

若い女性の声でございます。
タッタッタと、子気味の良い音を立てながら、彼女はこちらへと駆け寄って参りました。
声の通り、二十代も未だ半ばに差し掛かっていないような若い方でした。
茶色い髪はアップに、顔には眼鏡、黒いパンツスタイルのスーツをしゃんと着こなし、如何にも仕事の出来る女性といった風情であります。

「律子君。」と男性は言いました。

「律子君、じゃありませんよ。もうプロデューサー殿は着いてるんですから。
 敵情視察も兼ねて挨拶に行くと言ったのは社長じゃないですか。ホラ、さっさと行きますよ?」

「し、しかしだね律子君……。ピーンと、そう! ピーンときたのだよ!」

「ピーンときたじゃないですよ。これ以上、人を増やして私たちを過労死させる気ですか……。
 現状の数で一杯一杯です。今日だって、全員で来たら事務所が回らないからって音無さんを置いてきたんでしょう?
 ……まぁ、彼女の場合は稀にサボってたりするので何とも言い難いですが。」

「ぐぅ……。だがね、間違いなく彼女は売れる! 私のカンがそう言っているのだよ! これ程の逸材を逃してしまうのは勿体無いと思わないのか!」

「思いません。私の仕事は事務所の子たちをサポートすることです。どうしてもというのなら、先に裏方を増やしてからにして下さい。」

「そうしたいのは山々だがね……。中々そっちはピーンとくる人材がいないのだよ。
 私としても君たちには苦労をかけてばかりで申し訳ないと思っている。しかし、しかしだね、どうか彼女だけは――。」

「駄目です。さぁ、もう行きますよ。彼女を招き入れたいのなら、せめて後一人か二人増やしてからです。
 人間なんて、縁があればまた会えるものですよ。」

そう、無理矢理に話を切り上げた彼女は、ずるずると男性を引き摺って行きました。
まるで嵐のような方々でございます。

「一体、何事だったのでしょう。」

一人呟いた言葉に、答える方は今度こそおりませんでした。

本日分終わり

今週中にはどうにか5レス程度ですが書きあげますのでもう少しお待ちを
なんもかんも侍道が悪い


 人波に押されるようにして私はホールへと入場いたしました。
郵送されたチケットは、ちょうど会場の真中辺りですから、彼女たちの姿を見るには少し物足りないところです。
その代わりにステージ一面を見渡せるような位置でありました。
場内はざわめきたち、開演を今か今かと待ち構える人々の熱気に満ちております。
右を見れば法被の男性。左を見ればうら若き乙女たち。いずれもその目は爛々と。さながら「瞳の光はすべて星」といった具合でございましょう。


 そんな中、私はといいますと、抗い難い欲求に両手をわきわきとさせるも、理性を総動員して必死に堪えておりました。
ライブの始まる前からサイリウムを開封してしまったものですから、目の前にあるのは裸の棒が六本。
使い方は簡単。折ればたちまち「ぱぁっ」と光ります。
そんなものが膝の上にちょんと置かれているのです。折ってはいけません、というのは土台無理な話でありましょう。
しかしながら、それは懐が暖かければの話です。些かお軽くなったお財布をお持ちの私は、寒さにじいっと耐える他ありませんでした。


 場内が暗闇に包まれたのは、ついに根負けした私がサイリウムへと手を伸ばし掛けたのと時をほぼ同じくしてでございます。
音もなく落ちた照明につられるようにして、人々の間にも静寂が広がっていきます。ただの静寂ではありません。耳の痛くなる程の静寂でありました。
次いで会場内は張り詰めた空気に満ちていきます。周囲の気配に引き摺られ、知らずぴんと背筋が伸びてしまいます。
何だか、私は大学入試を思い出してしまいます。
そして。
アップテンポのメロディーと力強い少女の歌声が響き渡れば、引き絞られた矢を射るように会場内は弾け飛ぶのでした。


 少女――渋谷凛さんは、駆けながら飛びながら跳ね回りながらステージを使います。
凛さんの動き合わせて、客席では蒼一色のサイリウムが右へ左へ、前へ後ろへと振られます。
一糸乱れぬ蒼の光を受けた彼女は一層と輝きを煌めきを増していくのです。
ファンの声援に凛さんは応え、彼女のパフォーマンスにファンが応える。
そして更に凛さんが応えるといったように延々と円を作り続ける様に、渋谷凛はアイドルになるべくしてなった少女であると感じずにはおられません。
ですから、ステージ上を所狭しと歌い舞う彼女の姿は「もっと大きな舞台を。」と訴えているようでもありました。


 彼女は中央付近に戻ります。
客席を見据え歌う視線と、舞台へと向けた私の視線が絡み合いました。
勿論、気のせいに違いないのですが、その時、確かに見つめ合っていたと私は信じたのです。
それだけで充分でありました。靡く黒髪。揺れる蒼いドレス。名の通り凛とした瞳。
まばたきをするよりも短い間でありましたが、私は初めて渋谷凛という少女を真正面から見据えたのでした。
瞬間、反響する音は雑音と化し、ファンの声援ですら煩わしく思えます。
そうしたノイズの中で、彼女の歌だけが真っ直ぐ、真っ直ぐと私の耳に飛び込んでまいります。
一切の音を打ち倒し、彼女の声のみが鮮明に耳へと届いてまいります。
その歌声は音叉のように私の体を震わせ、唐突とアイドルというものを理解させたのでした。

取りあえず5レス
また作業に戻りますが今日はここまでです

 
 次いでステージの両袖から姿を見せたのは神谷奈緒さんと北条加蓮さんであります。
橙色にも似た、明るい髪をさらさらと流しながら、北条加蓮さんは踊ります。
ステップは軽やかに。振るう腕は、指の先までもぴんと伸びております。
時折、こちらへと見せる笑顔には、女の身である私にでさえ、くらりと来るものがあるのです。
その様は疑いようもなく可憐でありました。


 茶色の髪を馬の尾の如く揺らすは神谷奈緒さんであります。
私が宿としている、ホテルの受付のお姉さん一押しの子です。
加蓮さんが羽毛の様に舞うのなら、彼女は羽ばたきそのものでしょう。
大空に憧れぬ鳥が居りません。
彼女の力強く躍動するその姿は、青く澄んだ彼方へと恋焦がれているように思えるのでした。

 
 程なくして曲が止むと、三人はステージ中央へと揃います。
彼女たちは互いに微笑み合い、客席へと大きく手を振りました。
割れんばかりの歓声がホール内に木霊すれば、彼女たちはまた笑い合うのでした。

「みんな、今日はありがとう。」

渋谷凛さんの言葉に、蒼いサイリウムが一斉に振られます。
まるで打ち合わせでもしていたのではないかと思う程に、乱れなく揃っています。
呆気に取られた後、遅れまではを取らないようにと私は慌ててサイリウムを振りました。
彼女たちが気付くようにと、力一杯振りました。

 
 ちょっとした彼女たちのお喋りを挟みと、再び会場内にはメロディーが流れます。
その中を三人は入れ替わり立ち代わり、声を音に乗せて運び続けました。
途切れること無く続く歌は、やがてステージを。客席を、そしてホール中を満たしてゆきます。
私の中にだって、当然の如く音楽は満ち溢れておりました。


 音に包まれるということがここまで幸福であることなど、私は知らずにおりました。
今日、この場所に来なかったのならばきっとこの先も知ることはなかったろうと思います。
ですから、私は持ち前の運良さに一層と感謝せねばならぬでしょう。

ご先祖さまに感謝すればいいのかしら?

拝む宛先を考えている内に、また新たな曲がかかります。
振り上げたサイリウムは、既に光を失っておりました。


 楽しい時間とはあっという間に過ぎてしまうもので、残るサイリウムも一本、一本、また一本と色褪せてしまいます。
新たなサイリウムを折る度に、「この時間がもっと続けば良いのに。」と子供染みたことを思わずにはいられませんでした。
当たり前ですがそんな願いは叶うこともなく、最後の曲となってしまいます。
曲名は『Melted Snow』
尊敬しているという先輩アイドルの歌であるそうです。
しっとりとしたバラードソングです。
天井からは、ひらひらと紙吹雪。純白のそれは、雪を模したものなのでしょう。
溶けること無く積もる雪の中、彼女たちはトライアドプリムスとしての足跡を残したのでした。


 彼女たちが去ったステージ。残された私たちはアンコールを叫ぶのみです。
汗の流れるままに。声も枯れんばかりに。乙女の嗜みなどかなぐり捨てて叫びます。
明るかった照明が音もなく落ちれば、歓喜の声が響きます。
ステージへと駈け出した三人と、聞き覚えのあるメロディー。
力強い歌声と、アップテンポのあのメロディー。
本日、一番最初の歌。三人の歌う始めの歌。トライアドプリムスはじまりの歌。


 後のことは、もう覚えておりません。
気づけば、こうしてホテルのベットに腰掛けておりました。
どうやって戻ってきたのか――勿論、向かった時とは逆の道を辿ったはずですが――こうしてぽうっと呆けているのでした。
手荷物の確認をしても、特に問題は無いようですから、無事に帰って来れたのだと思うほかにありません。
記憶が抜け落ちるというのは何分初めてのことですから、心許ないことばかりであります。
帰り道を思い出そうと頭を捻れってみても浮かぶは彼女たちの姿ばかり。
その度に胸が熱くなり、体中が火照っているような気がするのです。
ぎゅうっと抱き締めた枕が、ひんやりとして心地が良いのでした。

 明くる日。岡山滞在二日目も、文句のつけようがない程に晴天でございました。
ベージュのカーテンからは僅かに陽光が漏れ、ベッドの足元に薄く影を作っております。
寝ぼけ眼を擦りながら、揺れるカーテンを開けば何処までも澄み切った青。名も知らぬ山の緑と、そこに架かった雲の白。
目にも鮮やかな景色であります。
窓を開けて、うんと伸びを一つ。清々しい空気をお腹いっぱいに吸い込めば、ぼんやりとした頭も忽ちすっきり。
後はと、少しハネた髪を気にして手に取るはタオル。
当然ながら、身だしなみを整えるのも大切な乙女の嗜みに違いありません。

 
 シャワーを浴びて今度は体もすっきりさせた後は、ホテル内のレストランで食事を済ませました。
部屋へと戻るとデジタル時計は直に八時半を回ろうかといった所です。
二日目は面白いもの探して練り歩くといった予定ですが、出立するには些か早い時間でしょう。
この時分ではお店も殆ど開いてはいないでしょうし。
暇を持て余して点けたテレビは、昨日の地方局にチャンネルを合わせたままでした。
全体的に白っぽいセットで放送されているのは朝の情報番組。
昨日のライブはこの地に住まう方々の興味を惹くには充分であったとみえて、ちょうどトライアドプリムスの特集が始まるようでした。
これ幸いと、私は現代っ子らしくテレビに齧りつくことを決めるのです。
 


 画面に映るはトライアドプリムスのライブ風景。
熱気に満ち溢れた人々と、揃いに揃ったサイリウムの光が思い起こされれば。
頭の中には彼女たちの歌声が響き渡り、音に包まれた幸せを思い出すのです。
広がったメロディーが口を衝き、私の顔は自然と綻ぶのでした。
テレビから一層大きな歓声が漏れると、カメラはステージ上に立つ少女たちを捉えます。
きらきらとしたスポットライトの中に立つ三人は、それが霞んでしまうほどの輝きをもっております。
激しいダンスの時折、珠となって弾ける汗が何とも美しくありました。


 次いで映し出されたのはレポーター風の女性と三人の姿。
どうやらインタビューを受けている時の映像のようです。
四人は椅子に座り、互いに言葉を交わしておりました。

「厳しい世界だから、歩みを止める訳にはいかないんです。
 確かにレッスンが辛い時もあるけど、その一つ一つが明日に繋がると知っているから、頑張れるんです。」

語ったのは渋谷凛さんでございます。
彼女の言葉を、レッスンの風景と併せて流すのですから、その力の入れようったらありません。
踊る三人の少女。一糸乱れぬと言って良い程で、その動きには澱みも無いように思えます。
それでも、手拍子を打つ女性には足りないと見えるのか厳しい言葉が飛ぶことも少なくありません。
その度に、少女たちは絞りだすようにして「はい!」と答えるのです。
息も絶え絶えになりながらも、彼女たちの瞳は強く強く光を宿しておりました。


 画面は戻って再び腰掛けた四人を映し出します。

「しんどいよね、本当に。それに時々古臭い例えをするんだ。私たちのプロデューサーって。」

レポーターらしき女性に返したのは北条加蓮さんでありました。
悪戯っぽく笑う彼女の言葉には、どこか茶化すような響きが含まれているように感じられます。

「何だっけ? 忍者は植えた木を飛び越えるとかいうやつ。」

問いかけるようにして、北条加連さんは隣を見ます。
そちらには神谷奈緒さんが座っておりました。

「あれか。確かに今時あの例えは中々聞かないよなぁ。あたしとしては声かけられた時のがもっとないと思ったけど。」

「あっ、確かにスカウトされた時も酷かったよね。私なんか、ヘンな宗教に引っかかったと思っちゃった。」

からからと笑う北条加連さん。

「……後で怒られても知らないよ? プロデューサーってば、あれで結構気にしてるんだから。」

「大丈夫。それくらい笑って許してくれるよ。それにそういうちょっと抜けた所も私好きだし。」

そんな彼女に向けられた渋谷凛さんの言葉でしたが、当の本人はどこ吹く風といったご様子。
ぎゅっぎゅっと、手のひらを開いたり閉じたりとしながら、北条加連さんはカメラから少しそれた位置に微笑みかけます。
それを追うようにして、目線を彼女と同じ所へと向けたレポーターの女性は、少し困ったような顔で笑うのでした。


 仲良き事は美しき哉。きっと、彼女たちの視線の先には件のプロデューサーがいらっしゃるのでしょう。
アイドルしてのパフォーマンスが優れている理由には、当人たちの頑張りも勿論ですが、裏方である人々の献身もまた、大きく影響しているに違いありません。
先程のレッスンの先生然りプロデューサー然り。
彼女たちを支える方々との関係が円滑であることは、応援し始めた私にとっても喜ぶべきことであります。

「昨日できなかったことが今日にはできるようになって。今日できないことがきっと明日できるようになる。
 階段を一段ずつ昇るみたいに、私たちは一歩一歩進んでいく。そしていつかはね。一番高い所に辿り着くんだ。」

だから、さっきは古臭いなんて言ったけど、私は結構気に入ってるんだよ。

柔らかく微笑む北条加蓮さん。
今までの賑やかさは鳴りを潜め、彼女の表情は透明さと儚さを併せ持つ、硝子細工のような美しさでありました。

「そうだね。加連の言うようにちょっと抜けてるプロデューサーだけど、私たちはあの人を信じてるし、あの人も私たちを信じてくれていると思う。」

「まぁ、だからかな。自分たちのためってのも勿論あるけど……。応援してくれる人や支えてくれる人たちのためにも、行ける所まで行きたい。
 結果として一番上にまで届かなくても、誰かが笑顔になってくれるのなら、あたしはアイドルになって良かったって、心の底から思える。」

加連さんの言葉を、凛さんが受け、奈緒さんが締め括る。
照れくさそうに笑い合う少女たちを見つめるレポーターの目は、優しさに満ち溢れておりました。


誰かの笑顔のために。

素晴らしい言葉でございます。
私などは彼女たちの歌に踊りに魅せられたのですから、正しく奈緒さんの言う通りでありましょう。
脳裏に浮かぶは三人のレッスン風景。
厳しい練習に耐え、大粒の汗を流す少女の姿。
性も根も尽き果てて、絞りだすように答える姿。
それでも、なお強く輝く瞳の光。


 そして私は不意に気付くのです。何故、三人を見て美しいと思ったのかを。
それは簡単なことで、とても難しいこと。
何かを頑張るということ。
目標に向けて努力を続ける人間というのは、愛おしい程に美しいということでございました。
生来の運の良さに頼ってしまうきらいのある私ですから、その姿がより一層、眩しいもののように思えたのでしょう。
もし自分も彼女たちのように輝けるのならば。
そしてその姿で誰かを笑顔にできるのならば。
こんなにも素敵なことはきっとないのでしょうと、私は独り言つのでありました。

 
 世間一般では休日とされる日曜日。ですから駅前は昨日以上の活気に満ちておりました。
車のエンジン音。電車のベル。子供の声に携帯電話の着信。
一つ一つは雑音にしか過ぎずとも、重なり合えばどことなく調和がとれているように思えるのですから、なんとも不思議のなものでございます。
全ては人の発する音。彼女たちの歌も音。

人間は奏でるために生きている。

などと、取り留めなく浮かんだことに、おエラそうな肩書をつけて仰々しい名前を記せば、含蓄ある言葉にでも聞こえてくるのでしょうか。
ノーベル賞受賞歴多数の哲学者、ア=ウスートラ=ロピテクス、みたいな。
余りに馬鹿らしい、自分の考えに思わず笑ってしまいそうです。
往来の真中で、一人佇みクスクスと声を漏らせば、世のお母さん方はこぞって子供の目を隠すことでしょう。
世間には、見てはいけないことや、聞いたり言ったりしてはいけないことが数多くあります。
ですから、それをきちんと教えこまれたお猿さんたちはきっと健やかに育っていくに違いません。そのうち教育学者にでもなるんじゃないでしょうか。
何せ私の頭の中では哲学者になりノーベル賞まで獲ったのですから!



 今度こそ、本当にヒト様には見せられないような思考に辿り着いた所で、漸くのブレーキ。
終着点は大いにズレていたものの、昨日のライブが切符になったことは間違いありません。
意図してなくては気付けない。私たちの暮らしは、常に音に包まれているということ。
それは電子音であったり、自然の音であったり犬や猫の鳴き声であったり。そして、歌であったり。
どれを心地良いかと感じるかは人それぞれでありましょう。
私は、雑音と切って捨てられても何らおかしくもない、この喧騒を気に入っているようでした。
なぜならその音は人々の営みであるのですから。


 人々の流れに乗って幾星霜――と、流石にそこまで言い張るつもりはありませんが、中々思い通りに行くものではありません。
どうにも昨日のお婆さんのお店が衝撃的過ぎたらしく、面白そうなものセンサーにビビっと来るようなものが見つからないのでございます。
薫風爽やかに暖かな光を注いでいたお日様も今では中天に達し一足早く夏の輝き。五月雨が蝉時雨となってしまいそうな程です。
そろそろ一息入れようかしら、というところで都合良く自動販売機。お誂え向きにベンチまであるのですから、神さまのサービスは至れり尽くせりであるようです。
硬貨を入れるとガタンと吐き出された缶が一本。新商品やお茶と迷った末に選んだのはサイダーでした。夏が近づくと無性に飲みたくなるのはなぜなのでしょうか。
プルタブが気持ちの良い音を響かせ、しゅわしゅわと白い泡が立ち昇る。透明な液体を流し込めば、そこかしこで弾け散る。
やがて刺激はすっかりと消えてしまい、後には少しの寂しさが残ります。
それは、何だか線香花火と似て、夏が恋しくなる味なのでした。


 ぼんやりと人波を眺めていれば、どこからか「にゃあ」との声。
あらと視線を落とすと、いつの間にやらベンチの前にでっぷりと丸い猫が御座します。
耳の上から尻尾の先まで真っ黒けの猫ちゃんは、再びひと鳴きすると、よっこらせとでもいう様子でのろのろと立ち上がりました。
そのまま、『とてとて』というよりは『ぼてぼて』といった具合で歩くと、こちらを気にするように何度も振り返ります。
その時ビビビと流れた電流。
私が猫ちゃんに近づけば、彼は満足気に尻尾を揺らす。
嗚呼! 間違いありません。やっぱりお婆さんは魔女なのでしょう!
髪飾りに手を当てて、思い返すは彼女の姿。迷い一つもなしに私はこの子の後を追うことを決めたのです。


 猫ちゃんはすれ違う人々を気に留めることもなく、ずんずんとアーケードを進んで行きます。
天下の往来もなんのその。全ての道は我がものであるといった風情ですから、自然と人間の方が避けていくのでした。
後に続く私はモーゼにでもなった気分です。最も、人の海を割っているのは猫ちゃんなのですが。
さて、この黒猫さんはこのままアーケードを行くのかと思ったのですが、途中細い裏路地へと進路を変えます。
それだけならまだ良いのですが、ブロック塀に登ったと思ったら今度は小さな穴を。
それも人ひとりがやっとといった大きさのものをくぐったり、人さまの庭を我が物顔で横切ったりとするのですから付いていく私は随分と苦労させられたのでした。
生け垣をくぐり抜けた先の、縁側に座った品の良さそうなお婆さんがこちらへと向ける生温かい視線は、当分忘れられないこと違いないでしょう。


 体中に葉っぱや埃をつけて漸くに辿り着いたのは木造の建物。
何とか読める、掠れた文字を追えば食堂と書かれているらしく、どうやら飲食店であるようでした。
猫ちゃんは器用に引戸を開けると、ゆったりとした足取りで中へと消えていきます。
子供のような冒険をすませ、程よくお腹はすいております。先導する猫がはいっていったこともあり、私は「御免下さい。」と暖簾をくぐりました。

「いらっしゃい。」

そう答えたのはカウンターテーブルに座った男の人です。
上着を脱いだスーツ姿で、とても店主のようには見えません。
彼の前には食べかけのピザもあることから、どうやらお客さんでしょう。
きょろきょろ見渡せばカウンターの内側に一人。
猫ちゃんと同じく丸々とした恰幅の良い男性が椅子に腰掛けたまま眠っているようでした。
私が一つ開けた隣に失礼すると、そのスーツ姿の方は身を乗り出してご主人に声をかけます。

「えびすさん、大黒が客連れてきたよ。」

そう、何度か繰り返してから漸くと起きた主人は「いらっしゃい。」と大きな欠伸を隠そうともせずに言いました。


 「済まないねぇ。昔からこういう奴なんだよ、コイツは。」

ポリポリと後頭部を掻きながら男性は言います。

「いえ、どうやら私がお邪魔しちゃったみたいで。」

「そんなことはないさ。」

客商売で寝てる方がおかしいんだと、彼は笑いました。

「エビスさま、なんてとても有難いお名前なんですね。」

私に答えたのは先ほど同じくスーツ姿の男性です。

「アダ名だよ。よく似てるだろう。」

そう言われてまじまじと見てみますと、確かにエビスさまを彷彿とさせるお顔立ちでございます。
目尻は大きく垂れ下がり、耳は人の倍近く。鼻の下辺りからは、ナマズの様な細いヒゲがにゅるりと。
思わず拝んでしまいそうなるほどのご尊顔でありました。

「それでいつの間にかクロまで大黒なんて呼ばれるようになったよ。」

やや間延びした声で、ご主人は言います。
人の好さそうな笑顔を浮かべておりました。

「そりゃあ、あの居住まいだ。お前さんがえびすなら、大黒とでも呼びたくなるよ。」

スーツ姿の男性が目を向けた先には、座布団にどっぷりと構えたお猫さま。
くあと一つ大欠伸。どうやら飼い主に似るというのは本当のことのようです。

 
 程々に会話を楽しむと、そろそろ空腹が気になってくるものですから私は辺りを見回します。
カウンターの上、壁、振り返ってテーブル席の方。どこを見てもお品書きが見当たりません。
これは困ったなどと思っていると、男性が声を掛けてくれました。

「好きなものを頼めばいいよ。ここには何でもある。」

「何でも、ですか?」

「そう。何でもさ。不思議と何でもあるんだよ。
 いつかは無いものを頼んでみようと意気込んでいるんだが、毎回負けっぱなしさ。」

随分と貢いでしまったよ、と笑いながら彼はピザを頬張ります。
何でもある、と言われてしまえば男性のように思ってしまうのも無理ないことでしょう。
私だって、当然です。鼻息が荒くなってしまうのも仕方のないこと。ええ仕方のないことなのです。
とはいえ、頼んでおいて残してしまう訳にもいきません。それにあんまり女の子らしくなくてもいけないのです。
所謂乙女の体面といったものであり、これらには中々に頭を悩ませることとなりました。



 あーでもない、こーでもない。むむむと暫く唸りながらやっと決まったのはフォー。
米粉で作るベトナムの麺料理でございます。
それも唯のフォーではありません。日も昇り少し気温が上がってきた時分ですから、冷製のものを頼んでみましょう。
これならそう易々と用意できるものではないに違いません。
ヘルシーで少しお洒落っぽい料理ですし、うら若き乙女の体面といった観点からも何ら問題のないチョイス。
我ながら上出来です。
ちなみに。
しめ鯖はぎりぎり体面を保てる料理で、とろろ揚げまでいくと許容範囲外でございます。
さぁ、迎えるは戦いの時。
対面する主人はにこにこ顔のまま。
姿勢を正し、努めて平静に。

「フォーを一つ。冷製のものをお願いします。」

ここに決戦の火蓋は切られたのでありました。




 などと意味もなく盛り上げてみましたが、結論から言えば完敗の一言。
私の注文から一拍程間を置いた後、ご主人は「あるよ。」と短く発します。
彼の言葉の通り、十分程でカウンターの上にはフォー。
いくらなんでも早過ぎではないでしょうか。
一口運べばつるつると滑らかな喉越しに、柚子なのか柑橘系の香り漂うスープが一杯に広がります。
「美味しい。」と思わず溢せは、隣の男性は呵呵と笑い、店主はしたり顔。
……悔しいことにぐうの音も出ないとはこのことでしょう。
食後に出されたお茶まで美味しいのですから、これでは文句のつけようがありません。
そうなると気になってくるのは、なぜこの短時間で突飛なものを用意できるのかということです。
真っ直ぐと、はたまた遠回しに秘密を聞いてみたり、カウンター奥の厨房をきょろきょろと。
思いつく限りに試したのですが結果は芳しくありません。
じぃっと彼の目を見てみても、主人は依然としてにこにこ顔を崩さず、答えるつもりはないようでした。

気づけば年が明けているという恐怖
本日はここまででございます


「結局のところ、なんでああも次から次へと頼んだものが出てくるのか分からん。」

ピザを食べ終えた男性は胸元のポケットへと手を伸ばしましたが、何かに思い当たったようにカウンターへと下ろします。

「……もう歳なんだし、いい加減に辞めたらどうなの?」

店主の問いかけに彼は「こればかりはどうも」と困ったように笑いました。

「この歳だから辞められないんだよ。すっかり染み付いちまった。」

「そのくせ変な所は律儀だ。子供と女の前じゃあ吸わないんだから。」

「まァ、なんというかね。……最後の矜持みたいなモンさ。これを破ったらお天道さまに申し訳がたたねぇ。」

「男の前でも吸わないって、そこに一つ足せばいいだけだと思うけどね。」

「それなら簡単だよ。なにせ一人の時なら吸えるんだから。」

声を上げて笑う男性。これ見よがしにと溜息をつく店主。
猫ちゃんは退屈そうに尻尾を揺らしておりました。


「さて、そろそろ行くかね。」

席を立った男性は、財布から千円札を三枚カウンターの上に置きます。
「もしかして、ちょっぴり値の張るお店なのかしら」と、思わず財布と睨めっこ。
そんな私を見て主人は「大丈夫だよ」と言います。

「代金はアイツから貰ってある。」

先程の男性のことなのでしょう。上着を小脇に抱え、緩めたネクタイを締め直しております。

「いえ、そんな。申し訳ないです。」

私の言葉に、彼は笑って答えました。

「気にすることじゃないさ。この店に着くまで随分と大変だったろう。
 なにせ常連でも迷うとこにある。三度に一度辿り着くかどうかって所だからな。」

確かに、細い路地を幾つも曲がり漸くと到着したのは、既に方向感覚もすっかりと音を上げきった後でありました。
私はともかく、常連の方々ですら辿り着けないことがあるというのですから、本当に変わったお店でございます。
そんなことを考えている間にも男性は言葉を続けておりました。

「そんな所に店なんて構えるから一見さんとなんか合うことも少ない。
 そして彼らは大抵一見さんのままだ。
 折角面白い店なのに、それじゃあ寂しいだろう?
 だからかね、またここで会えたらっていう願掛けのようなモンさ。
 今回は俺が持つから、次はお嬢ちゃんが持っとくれってね。」

「まぁ! 素敵なお話!」

「だろう?」

ニカッと笑う男性はどこか少年のようで。
不思議と惹きつけられるものがあります。
袖振り合うもなんとやら。
ヘアピンからの一連は、きっと、そういうことなのでしょう。

「でしたら、ここはお言葉に甘えさせて頂きますね。」

「オウ。」

片手を上げた男性が扉へと手を伸ばします。
時を同じくしてガラガラと開かれる引戸。
次いで聞こえたのは「済みません」という女性の声でした。

「珍しいこともあるもんだ。」

道を譲った男性は目を丸くしながら言います。

「一日に二人も来るとはねぇ。しかもクロが連れてきた訳でもないみたいだし。」

彼に続くようにして口を開いた店主にも、やはり驚きの色が浮かんでいるようでした。
彼らの口振りからすれば常連の方ではないらしく、黒猫ちゃんの力も借りずにここまで来たのでしょう。
そう考えてみると二人の反応にも頷けます。通い慣れていないお客さんというのは本当に珍しいようです。
事情を知らぬ女性はというと、当然のように店主と男性との反応に首を傾げておりました。

渦中の彼女はまだ若い方です。歳で言えば私よりも一つか二つくらい上といったところでしょう。
藍色に近い髪を肩上程に切り揃えていますが、前髪の辺りからはぴょんと一房飛び出しており、それが何とも可愛らしくあります。

「何か、食べるかい?」

店主は彼女へと問いかけます。
少し迷った素振りをした彼女は「何があるのでしょう」と返しました。

「何でもある。」

「何でもありますよ。」

図らずとも揃った言葉に私と男性は笑い合います。
彼はまた少年のようにニカッと。私もそれを真似て。
女性は不思議そうに私たちを見比べ、店主はやれやれと肩を竦めたようでした。

「何でもですか?」


「そう。何でも。」

どこかで見たようなやり取りを繰り広げる店主と女性の横で、男性が財布を開くのを見た私は彼に声をかけることにしました。

「払われるんですか?」

「ああ。さっきも言ったろう?」

「はい。……それでなんですけど、私に払わせて貰えませんか?」

「俺が言うのもなんだが、返ってくる保証なんてないぞ?」

「それでも良いんです。返ってこようがこまいが、きっとどうでもいいのでしょう?」

私の言葉に彼は我が意を得たりとばかりに笑います。

「それなら俺が言うことは何もねェ。」

指先を丸め、男性は軽く腕を掲げます。
私が小首を傾げれば「乾杯だ」と言いました。
それを聞き、改めてと彼の手を見てみれば、確かに見えないグラスを握っているかのようで。
「何にしましょう」と私もグラスを形作るようにして掲げます。

「新たな住人に、かな。」

「それは良いですね。」

「ン、それじゃあ。」

「新たな住人に。」

ちりん、と私たちは確かに打ち合う音を聞いたのでした。


ちょっと短いですがここまで
ダラダラとやってきましたがもう一度か二度の投下で完結すると思います
毎回保守して頂いて申し訳ありません

速報が落ちていた所で書き溜めは進んでないという不具合
近い内に投下しますのでいま暫くお待ちを

 
 男性が去った後、私は「お幾らですか」と店主に問いかけます。
彼は既に仕事を終えたらしく、先程の女性の前にはサンドウィッチが並べられておりました。

「幾らでも良いよ。ウチは値段を決めてないんだ。お勘定はいつもお客さんの気持ちだよ。」

聞きようによっては些かズルいお話ですが、ご主人が言えば不思議と腑に落ちていくのでした。
それならと取り出したるは野口さん。
渡す相手がえびす様なのですから少々奮発です。
千円札を一枚手渡し、お店を出ようとすると店主は私を引き留めます。

「まぁ待ちなさい。帰るのなら彼女と一緒にするといい。」

彼女、というのは先程の女性のことでしょう。
美味しそうにサンドイッチを頬張る姿は中々に可愛らしいものがありました。
何故、と言いたげな私の視線に、「迷ったら大変だろう」と店主は答えます。

「迷う、ですか?」

「ああ。お嬢ちゃんはクロについてきたんだろう。 一人で帰れるのかい?」

そう言われてみれば確かに心許ないものがございます。
ブロック塀の迷路に破れた生け垣と、ちょっとした冒険のような往路を思い返し、私は彼女の隣へ腰を落ち着けるのでした。

「こんにちは。」

花咲くように綻んで、彼女は言います。
自然とこちらまで笑顔になってしまう、心がぽかぽかとするような笑みでした。

「いいお店ですね。」

古臭くもどこか温かみを感じる木造の店内。
表面に細かい傷を数え切れない程に刻む、鈍とした光沢を放つカウンターを慈しむように撫でながら。
その女性は言いました。

「はい、とても。こんなお店に辿りつけるなんてとってもラッキーです。」

黒猫の髪留めを思い、私は言葉を返します。
そしてこの、あみだくじのような、網目のような、そんな糸を辿るかの如き巡り合わせを、二人に話してみたくなったのでした。


 「あみだくじってのは何とも面白い例えだねぇ。
  人生ってのも似たようなもので、先の見えない道をあっちこっち曲がりながら進むものだ。
  でもあみだくじと違ってね、どこを折れるのか決めることが出来る。人の一生というものは、言わば選択の繰り返しだね。」

頬杖をつき、やや間延びした声で店主は言います。

「今日何するか。明日何するかは当然として、今日の食事をどうするかなんて些細なことだって選択だ。
 道を歩いていてもそう。十字路を真っ直ぐに進むのか、左右に折れるのか、将又引き返すのか。僕達は常に選び続けなくちゃあいけない。」

私は黙って聴いておりました。
人生の先輩のお話というものは、身の助けとなることが多いのです。
彼女もきっとそう思ったのでしょう。真剣な面持ちで聴き入っているようでした。
グラスの水で僅かに唇を湿らせてから、彼は言葉を続けます。

「その時その時の選択に後悔を残さないのが一番なのだけど、それはきっと無理だろうね。
 だから僕はせめて納得のいく選択をして欲しいって思うよ。どんなに悩んだっていいから必ず自分で決めること。
 他人に決めてもらったことなんて、後悔の種になることの方が多い。重要な決断なら尚更だ。
 ましてや神頼みなんて行けないよ? 神様が手助け出来るのは十字路進んだ後だからね。」

店主はそう締めくくります。
とても興味深いお話でしたのに、当の本人は少しだけバツの悪そうな表情でありました。

「僕も歳かな。若い子に余計なお小言を漏らすようになるとはね。」

そんなことは、と言いかけた私でしたが、彼の言葉はそれを遮ります。

「いいのいいの。若いうちは人の忠告なんて話半分に聞いとくもんだ。
 冒険をして、ちょっと痛い目を見た所でそれも勉強。四十五十となれば嫌でも腰を落ち着かせなくちゃあならなくなる。
 若さを大切に。小さい頃の想像とは違っていてね、大人なんて出来ることがどんどん無くなっていくものさ。」
 
――っといけない。言ってるそばから面白みのない話ばかりだ。ああ、イヤだイヤだ。歳は取りたくないね。

ボヤく主人の横でにゃあと猫ちゃんが一鳴き。
その声色は慰めているというよりも、「いつものことだ」と言っているかのようでありました。

 


 ごちそうさまと二人と一匹が店を出た頃には、あれだけ眩いかったお日様もすっかりと色を変え、既に西へと大きく傾いておりました。
足元からは影が細く長く伸び。道の端で折れ曲がって、いつの間にやらヘンテコな姿となってブロック塀に映り込みます。
面白がって私が手を振るように動かせばブロック塀の中からも手を振り返してくれるのでした。
ヘンテコな影に私が愛嬌を感じて始めていた所に「にゃあ」と一声。
存在を示すかのように鳴いた猫は、私と先程の女性の視線が自身に向いたことに理解すると満足気に髭を揺らします。
そして尻尾の先をぴんと立てゆったりと歩み始めました。
迷路のような入り組んだ路地を、庭の庭の如くすいすいと進む猫ちゃんの後に、私たちは並んで続きます。

「お食事代、持っても貰っちゃって済みませんね。」

隣を歩く女性はしきりと頭を下げ、繰り返し繰り返し言いました。

「いいんです。私も払って貰っちゃったんですから。」

「そうなんですか?」

少し驚きを見せる彼女に、私はあの男性の話をします。
興味深そうに経緯を聴いていた女性は、私が話し終えるとあのぽかぽかとするような顔で笑うのでした。

「ロマンチックですねぇ。」

うっとりと右手を?に当てる彼女。
その所作は、美しくて綺麗で可愛くて、そしてなんだかとっても愛おしく思えるものでありました。
思わず見惚れていた私に「運命の人って信じますか」と夕日を纏った彼女は問いかけます。

「運命の人ですか?」

「ええ。白馬に乗った王子様や赤い糸のお話。」

「あると思います、きっと。」

私の答えに女性は小さく笑います。

「素敵よねぇ。でも私、貴女やあのご主人のお話を聞いていて思ったの。運命の糸って赤だけじゃないんじゃないかって。
 貴女の言った通り細い糸を辿るような出会いなら、私たちの小指には色取り取りの運命の糸が結ばれていて、それがきっと誰かに繋がっているの。
 それは友人であったり仕事仲間であったり、まだ知り合っていない誰か。
 そう思うとね、朝すれ違っただけの人であっても、何かしらの縁があるんじゃないかって気になるの。」

 柔らかく?を撫ぜる風に彼女は目を細めます。
にゃあと先導する黒猫が鳴き、丁字路を左に折れました。
静かだった裏路地にも少しずつ大通りの喧騒が近づいてまいります。


 「だからかしら? こうしてお互いに会話を交わしたのなら、きっと、この出会いは意味のあるものだったと思えるんです。」

再び路地を折れると、より一層人々の声や行き交う自動車のエンジン音が大きくなってきます。
もうすぐ終わりを迎えるのでしょう。

「私は、貴女やあの男性のように食事代を持つことは出来なかったけれど。」

狭まった道は次第に広がり。

「代わりの験担ぎを思いついたんです。」

見知らぬ景色から、少しだけれど見覚えのある景色に変わって。
差し掛かかった十字路を、猫ちゃんは私の思った通り右へと折れました。

「だから、ここでお別れしましょう。お互いのことをよく知らない二人として。
 色々と聞いてみたいことはあるけれど、それは次の機会に。それが私の験担ぎ。」

にゃあと鳴く猫ちゃんの声も、人々の声に掻き消され私の耳には微かに届くばかりです。
長い路地を抜け、駅近くのアーケードに私たちは立っていました。

「今度あった時、まずは貴女のお名前を教えて下さいね?
 もし、私たちを運命の糸が繋いでいるのなら、きっとその日が来ると思うんです。」

燃えるような夕焼けを背に彼女は言います。
指切りをするように、ぴんと小指を立てて。

「きっと、私たちは繋がってると思いますよ。」

小指を立てて、彼女にそう返します。
きらきらと。
彼女のその指が、光を反射して煌めいたように見えるのでした。

 


 名前を知らないままで、見知らぬ二人のままで別れた後、私はぶらぶらと駅前を散策しておりました。
折角と密度の濃い一日を過ごしたのですから、このままホテルへと戻るのでは勿体無く思えたのです。
余韻に浸りながらお茶の一杯でも飲もうかしらと、ちょうど良いお店を探し歩く途中、思い返すのは彼女の言葉でした。

「すれ違うだけでも何かしらの縁がある、か。」

少し疲れの見えるサラリーマン風の男性。
友達と笑いながら歩く高校生。
何やら吹っ切れたような表情の少女。
幸せそうに言葉を交わす親子連れ。
私が、真っ直ぐにホテルへと向かうことを選んでいなければ、すれ違うこともなかったのでしょう。
そう思うと、何だか彼らとも糸が繋がっているように思えてくるだから不思議なものです。
こうしてまだ見ぬ誰かを求め歩いているうちに、目的であった喫茶店を通り過ぎたことに漸くと気付き、慌てて引き返すのでした。

 運ばれたアイスティーにミルクを垂らし、スプーンで掻き混ぜる。
始めは二色でも、いずれは混ざり合った色になるのでしょう。
私と彼女の道も、いつかこのカップの中のように交わる日が来るのだろうと思うと、自然と?が緩んでしまいます。
すっかり一色となったアイスティーを口に含み、この二日間で出会った人々を思い返し、私は幸せな気持ちに包まれるのです。

 その方が声を掛けて来たのはそれから暫くの後。
長針が九を指し、じきに六時になろうという頃合いのことでした。

「失礼、相席させて貰ってもよろしいですか?」

若い男性です。
皺のないスーツに身を包み、人当たりの良さそうな笑みを浮かべておりました。
普段ならば流石にお断りをしてしまうのですが、特別がたて続けに起きたこの二日間のことです。
これも何かのご縁、と。
思い切って私は彼を席に迎えることに決めたのでした。

「いや、無理を言って済みません。怪しい者であるつもりはないですから、一応。」

コーヒーを注文すると、「人と待ち合わせをしているんだ」と私の向かい側に腰を下ろします。

「だから少しの間さ、話相手になってもらおうかなって思ってね、君に声を掛けてみたんだ。
 そのお礼って程でもないけど、ここの代金はこっちで持つから好きに頼んでいいよ。」

「いえ、大丈夫です。そろそろ出る所でしたから。」

「それは引き留めちゃって悪かったね。無理を言ったのはこっちだし、帰ってしまっても大丈夫だよ?」

「いいんです。色々なことのあった日ですから、その最後に貴方とお話してみてもいいかなって、そう思ったんです。」

「……何だかプレッシャーだなぁ。じゃあ、なるべく面白いお話を。」

シンデレラって知ってるかい?

男性はそう言いました。


 「ええ、勿論知っていますよ。」

「有名なお伽話だもんね。そりゃ当然か。じゃあこっちも知っているかな?
 実はね、俺はそのお話に出てくる魔法使いなんだ。」

「あら、それは知りませんでした。でも私、信じちゃいます。何せ今日は魔女に恵比寿様にもあった日ですから。」

そう言葉を返すと、その男性は少し面食らったような表情をします。
それを見て思わず笑ってしまったものですから、彼は冗談だと思ったのでしょう。
「それは凄いな」と大して気に止めていないように答えました。

「魔法使いだと仰ったのに信じていないのですか?」

「あー、その……。何か調子狂うなぁ。
 魔法使いってのはものの例えでね、実はこういう者なんだよ。」

そう言って男性はこちらに名刺を差し出します。
そこにはCGプロダクションという社名と、プロデューサーの肩書のついた彼の名前が記されていました。

「CGプロダクション? プロデューサー?」

「そう。シンデレラガールズプロダクション。C.Gってのはその略称だね。
 芸能事務所、それもアイドルの育成に重点を置いたプロダクションだよ。そして俺はそこのプロデューサーってこと。」

「だから魔法使い、ですか?」

「うん。まぁ、プロデューサーって言っても実態は雑用のが近いけどね。」

「どんなお仕事なんです?」

「何でも。アイドルに関することは何から全部だよ。そしてスカウトも。」

コーヒーを一口。彼は口に含むと真剣な様子で言いました。

「うちでアイドルをやってみる気ないですか」と。


「やります。」

「ゆっくり考えてって――え?」

彼は目を白黒とさせて、思わずコーヒーを取り落としそうになりました。
まさか直ぐに答えが返ってくると思ってもいなかったようです。

「一応、理由を聞いてもいいかな?」

コーヒーをテーブルに戻して彼は問いかけます。

「昨日、私は初めてライブというものに行ったんです。」

「昨日? ひょっとしてトライアドプリムスのかい?」

「はい」と私が返しますと、彼は如何にも驚いたといった風情で口を開きます。

「凄い偶然だな。彼女たちはうちの所属アイドルなんだよ。」

「これも巡り合わせなのでしょうね。」

対して私は余り驚きませんでした。
心の何処かで、きっとそんな気がしていたんだと思います。

「それでですね、ステージで歌い踊る彼女たちを見て、とっても楽しくてとっても幸せな気持ちになったのです。
 だから私は思ったんです。彼女たちのように、皆を笑顔に幸せにしたいって。」

「うん、そう思ってくれるのは嬉しい。
 でもね、アイドルになってステージに立つっていうのはね、とっても大変なことなんだ。
 血の滲むような努力を繰り返し繰り返し、来る日も来る日もレッスンに明け暮れて漸くと迎えることの出来る晴れ舞台だ。
 君は、それでもアイドルをやるかい?」

幸福は享受するだけではいけないという母の教え。
人生は選択の連続だという恵比寿様。
出会いには意味がある言った彼女。

そして――

黒猫のヘアピンに手を当てて。
それぞれの糸が、今この瞬間一本に繋がったのだと、私は確信しました。

「それでも。私はアイドルになりたいって、心の底から思うのです。」

真剣な顔をしていた彼は、ふっとその表情を緩め。

「いい笑顔だ。君ならきっと問題ないだろう。」

柔らかく微笑み言うのでした。

 



 こうして私たちは別れました。
見知らぬ男性と私から、プロデューサーと鷹富士茄子となって。
そしてこの別れと同時に、今回の劇的な二日間の旅も終わりを迎えるのです。
とはいえ私の物語は終わった訳ではなく、むしろ始まりと言って良いのですから、それからのことを少しお話して今回の幕とさせて頂こうかと思います。
皆々様にはもう少しお付き合いして貰いましょう。

 

 なんとか両親を説得した私は、東京にある事務所の女子寮へと居を移しておりました。
隣室には、同じく岡山でスカウトされた藤原肇さんを迎えております。
地元がそこそこ近く、同じく地方から出た身ともあって、彼女とは今も随分と仲良くさせて頂いています。
趣味の話となり、自作の、失敗した茶碗をテレビで流された時は恥ずかしかったと彼女は言いました。
偶々それを見たことを伝えると、真っ赤になって「あうあう」と言葉にならない呻きを漏らす彼女はこの上なく可愛らしくありました。
それからトライアドプリムスの三人を加え、話はスカウトされた時のことに移ります。

「あ、それ聞きました。何かの宗教みたいだって言ってたって。」

加連さんがスカウトされたことを話すと、肇さんは言います。
私もテレビで見た覚えがありました。

「ああ、プロデューサーが言ってたんだ。
 唯でさえスカウトなんてアヤシイ仕事してるのに、胡散臭さを足さなくてもいいよね。」

加連さんはからからと笑います。
肇さんの時のことはどうだったのかと、凛さんが問いかけると彼女は「太公望でした」と答えました。

「太公望?」

「はい。釣り糸を垂らしている時に声を掛けられたんです。釣れますかって。」

くすくすと笑う彼女。
凜さんの時はどうだったのかと、可愛らしい笑みを浮かべたままに尋ね返します。

「私の時? 別に普通だったかな。何でも最初にスカウトしようと決めたのが私だったみたいで。」

「凛はプロデューサーのハジメテのヒトだもんね。」

からかうように言う加連さん。

「その言い方禁止!」

少し声を荒らげる凛さん。
そんな二人に溜息を溢し、私のことを聞いたのは奈緒さんでした。

「茄子さんの時はどうだったんです?」

「私の時ですか? 私の時はシンデレラでした。」

「うわ、プロデューサーが考えそうなことだ。」

「ふふっ。CGプロでそれらしいですものね。」

「で、なんて言ってきたんですか、あのプロデューサー。」

「俺は魔法使いだって。」

「それでシンデレラになるって決めたんですか?」

一通りからかい終わったのか、加連さんが言います。

「いいえ、私は魔法使いになりたかったんですよ。」

「どういう意味ですか。」

あっけらかんとした彼女とは違い、すこしうんざりとした表情をみせる凜さん。
私は彼女に答えます。

「私は皆を笑顔に、幸せにしたいって思ったんです。
 一番上に届かなくても、私の姿を見て誰かが笑顔になってくれるのならばそれで良いって。」

「あれー? どこかで聞いたことある言葉だねぇ。」

茶化すような加連さんの言葉に、「知らねぇ」と奈緒さんはそっぽを向くのでした。


以上で完結となります。ダラダラとご迷惑をお掛けしました
所々括弧内にいらぬ句点が打ってあったり誤字が多かったりと色々とアレですが今までお付き合い頂きありがとうございます

ちなみに『夜は短し~』辺りをイメージしていたので少しビビリました

>>132
何故かウチのJaneだと文字化けしてるので

柔らかくほおを撫ぜる風に彼女は目を細めます。




初夢とは本来一日から二日に掛けて見るらしいですね
最近まで知らかった

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