男&女「失われるもの」 (58)


男「『隊長、現場に到着しました』『応答願います』『窓は開いていたのか』『はい、運よく開いていました』『上出来だ、まずは周囲に人がいないか確認だ』」

男「『周囲に人はないようです』『油断するな、どこに隠れているのかわからないぞ』『しかし、お言葉ですが隊長、今年廃校になる中学に誰かがいるものでしょうか』『念には念を、というやつだ』『見つかると最悪警察が来る』『はっ、わかりました』」

男「『た、隊長』『どうした、男隊員』『だめです、鍵がかかっています』『どこにだ』『ドアノブにです」これではこの部屋から出られません』『慌てるな、一回外に出て、他の窓に挑戦してみるんだ』『はい』……」

男「なんつってな」

男「いやぁ、しかし、懐かしいなぁ。ここはどこだ。なにもないけど……あぁ、教室か。電気は……とおってないよな、さすがに」

女「あの」

男「……え?」

女「あの」

男「……」

女「あのー」

男「……」


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女「なにしてるんですか、こんなところで」

男「こ、こんばんは」

女「……」

男「あの?」

女「なにしてるんですか」

男「え? いや、別に」

女「……」

男「怪しいものじゃ」

女「……007?」

男「え? いや、別に」

女「すっごく怪しい……」

男「……」

女「なんですか」

男「え? いや、別に」

女「はぁ……」

男「……」


女「なんで、スパイみたいな?」

男「え? いや、別に」

女「……それだけしか、喋れないんですか?」

男「え? いや、別に」

女「……」

男「……」

女「あの」

男「え? いや、別に」

女「……」

男「いや、違います」別に、そんな、違いますよ」

女「……変なの」

男「だって、驚きますよ」

女「なにしにきたんですか」

男「……だって、ねぇ」

女「はぁ」

男「なんですか」

女「……泥棒?」

男「違いますよ」

女「……」

男「違います」


女「忍び込んでおいて、説得力なんてないですよ」

男「泥棒じゃありません、信じてください」

女「……変な人」

男「たまに言われますけど……」

女「……」

男「あ、その、警察には通報しないでください。お願いします」

女「やっぱり」

男「え」

女「泥棒?」

男「違いますって」

女「証拠は」

男「本当に泥棒だったら、逃げるか、あなたをどうにかしてますよ」

女「……まぁ、110番なんてしませんけど」

男「ありがとうございます」


女「……」

男「なんですか?」

女「したら、わたしも捕まりますから」

男「したら?」

女「通報。通報したら」

男「……あぁ、そうか。そうですよね。うん」

女「どうしてここに」

男「え? いや、別に」

女「……」

男「……」

女「入っていいですか?」

男「え?」

女「中」入っていいですか?」

男「あ、あぁ」

女「いい加減肌寒いので」

男「すいません、春ですもんね」

女「……工事のひとですか?」

男「いいえ」

女「うん。知ってます」


男「あ、そうですか」

女「夜にいるわけないですもん」

男「夜にいるのは警備員じゃないですか、普通」

女「警備員なんですか?」

男「違いますけど」

女「それも知ってます」

男「なんなんですかさっきから」

女「怪しい人への対応としては間違ってないと思いませんか」

男「あんた、自分のこと言えた義理じゃないでしょ。何言ってるんですか」

女「わたしは関係者ですから」

男「関係者」

女「ここの。この中学の」


男「……先生?」

女「違います」

男「じゃあ、父兄?」

女「そんな年齢に見えますか?」

男「いや、あの、すいません」

男「卒業生ってことですか?」

女「そうです」

男「それなら俺もですけど」

女「卒業生ってこと?」

男「はい」

女「ふーん」

男「なんですか」

女「なんでもないです」


男「……」

女「それで、なにしに来たんですか。卒業生さんは」

男「いろいろですよ、いろいろ」

女「そんな言葉でごまかされませんよ」

男「大体、あなたこそ泥棒じゃないんですか?」

女「なんでですか」

男「だって、深夜の廃校に忍び込んで……」

女「八時を待ってるんです」

男「え?」

女「八時ですよ。花火。八時から、河川敷で。あるじゃないですか。春の花火大会」

男「あぁ」

女「それです」

男「それって、見るんですか?」

女「はい」

男「ここから?」

女「だから、はいって言ってるじゃないですか」


男「でも、河川敷ですよ。花火の場所」

女「屋上で見たいんです」

男「屋上?」
女「はい。よく見えるんですよ、屋上からだと。花火」

男「そのためにここへ?」

女「はい」毎年の習慣なんです」

男「毎年って、去年も?」

女「去年は、残念ながら見れなかったんですけど」

男「不法侵入ですよ」

女「お互い様じゃないですか」

男「まぁ……」

女「それで? 次はわたしが聞く番ですよ」

男「……」

女「答えないってのはずるくないですか。わたしはちゃんと教えたんですから。不法侵入ではありますけど、泥棒じゃないです」

男「言ったって信じません」

女「それはわたしが判断します」


男「……同じですよ」

女「同じって? 花火?」

男「はい。屋上で」

女「うそだ」

男「うそじゃないです」

女「うそだ。今考えた。絶対」

男「違いますって、信じてください」

女「だって、去年いませんでしたよ、あなた……あー、名前は?」

男「男っていいます」

女「わたしは女といいます。で、今までここに来たことないですよね」

男「ないですけど」

女「だから、それがうさんくさいって言ってるんです」

男「ほら、信じないでしょう」

女「なんで屋上で花火なんか見ようと思ったんですか」

男「……友達との約束です」

女「約束?」

男「そうですよ。いつかここの屋上で花火見ようって話してたんです」

女「その友達は」

男「わかんないです。まだ来てないみたいですけど」

女「ふーん……」

男「本当ですよ」


女「……わかりました。聞いたのはわたしです。保留にします。……どうせここに盗みに入ったって、なにもないのは明らかですしね」

男「本当ですからね」

女「……」

男「……」

女「この学校の名前は」

男「なんですか」

女「クイズです。答えられたら、本当ってことで。卒業生なんでしょ、男くんは」

男「でも、それなら、えっと……」

女「女」

男「女さんの信憑性は」

女「クイズ出せるんだから、いいでしょう」

男「だけどこれだと、どっちも知ったかぶりしてるとき、始末がつかなくなるんじゃないですか」

女「お互い自分は本当だと知ってるんだから」

男「まぁ……」


女「この学校の名前は?」

男「丸山中学校」

女「何階建て?」

男「四階建て」

女「職員室は何階?」

男「二階」

女「創立何年?」

男「……六十四年?」

女「校長の名前は?」

男「それは、年によって違うんじゃないですか」

女「あぁ……何期生ですか」

男「……覚えてないです。あんまり」

女「まぁ、普通はそうですよね」

男「覚えてるんですか」

女「49期」

男「へぇ」

女「ちょうど50周年記念式典みたいなものをやったんですよ、在学中に」

男「あぁ、それなら、なんとなく覚えてそうですね」

女「くだらないことでしたけど」

男「無駄なことほど覚えてるもんですよ」

女「そうですね」


男「それで、信じてもらえたんですか」

女「あぁ、そうでしたね。信じますよ。発言には責任持ちます」

男「やっとか」

女「凄い偶然ですね。今まで一度もこんなことなかったんですけど」

男「今まで? 今までに何度も?」

女「まぁ、そうですね。年に一回。常連です」

男「真っ黒……」

女「ばれなきゃいいんですよ。ばれなきゃ」

男「……」

女「なんですか」

男「いや、別に」

女「口癖ですか、それ」

男「……」

女「いま、いや、別にって言おうとしましたか」


男「……いきなり距離つめてきますね……」

女「そうですか? いつもどおりですけど」

男「女さんのいつもは知らないですけど。俺はそう思います」

女「ふーん」

男「さっき、顔がだいぶ怖かったですよ」

女「怪しい人に会ったら警戒するでしょう」女性なら誰だって」

男「まぁ……」

女「変質者で、変なことされても困りますし」

男「しませんよ」

女「……」

男「しませんって」

女「最初から、変だな、とは思ってたんですよ。お茶目でしたから」

男「え?」

女「隊長! って」

男「……」

女「怒らないでくださいよ」

男「あれは、なんていうか、出来心です」

女「気分がのりますよね、深夜の学校って」

男「……まぁ」


女「肝試しみたいな感じってありますよね」

男「そのまま学校の怪談ですから」

女「学校の怪談」

男「映画で」

女「あぁ、ありましたね、そんなのも」

男「はい」

女「そういえばうちにもありましたよね」

男「うちって、ここ?」

女「そうです」

男「学校の怪談?」

女「っていうんですかね。七不思議」

男「そういえば聞いたことある気がします」

女「肝試し、ここにしに来ました。なにも見つかりませんでしたけど」

男「当然ですよ」

女「でも、やっぱり夜の学校って怖いじゃないですか。たくさん人がいる昼間の学校しか知らないわけですし」

男「一人で?」

女「まさか。友達とですよ」

男「ふぅん」


女「手紙やり取りしてるうちに、エスカレートしてしまって」

男「手紙?」

女「授業中にこっそり手紙のやり取りするんですよ」先生に見つからないように」

男「女子がやってました」

女「男子はやんないんですよね、こういうの。不思議と」

男「俺はやったことないですね」

女「いつの時代も男子と女子がやることは変わらないんですかね」

男「人は変わっても、時代は変わりませんから」

女「そうですね」

男「小学校は男子がばか。中学も男子がばかで、高校に入ると女子がばか」

女「なんですか、それ」

男「持論です。で、大学は、男子も女子もばか」

女「至言ですね」

男「至言?」

女「えーと、面白いですね、って意味です」

男「時代は変わりませんから」

女「そう思います。わたしも」


男「……」

女「どうかしました?」

男「なにが?」

女「不機嫌そうに見えるので」

男「……生まれつきです」

女「泥棒扱いしたこと、気に障りましたか?」

男「してません」

女「……」

男「してません。気にしないでください」

女「わかりました。すいません」

男「謝らなくてもいいですけど」

女「……」

男「……」

女「偶然って怖いですよね。わたし以外に人がいるなんて思いませんでした」

男「……」

女「男くん?」

男「そうですね」


女「……」

男「……」

女「あの」

男「慣れてないんですよ、こういうのに」

女「はぁ」

男「……まぁ」

女「はい」

男「……慣れてたら、変なんですけどね」

女「そうですね」

男「……ここってなんですかね」

女「なにって、どういうことですか」

男「なにに使われた教室なのかなって」

女「ここは、確か普通教室ですよ。わたしのときは……一年七組でしたっけ」

男「そんなにクラスがあったんですか?」

女「全学年、八組くらいまではあったと思いますよ」

男「へぇ」

女「男くんのときはどれくらいあったんですか、クラス」

男「五組でした」

女「減ったんですねぇ」

男「……訂正します」

女「え?」

男「時代も変わりますね」


女「……」

男「さっき言ったじゃないですか。時代は変わらないって。だから」

女「そうですね」

男「……教室の割には、机も椅子もないんですね」

女「教室の中のものは、もう運び出されてますよ」工事に邪魔なのと、他の学校でも使うからなんじゃないですか」

男「……」

女「殺風景ってこういうこと言うんでしょうか」

男「黒板もないし」

女「でも、壁とかはよく見たら、画鋲の穴だらけですよ」

男「へぇ。本当だ」

女「プリントに、給食の献立に」

男「学級目標……」

女「学級目標! 懐かしいなぁ。なんでした?」

男「覚えてないです」

女「そうかぁ。まぁ、しょうがないですよね」

男「……」


女「このあたりに時間割とかありませんでした?

男「……確か、『毎日を楽しく過ごす』」あと、『一日一善』」

女「学級目標ですか」

男「まぁ」

女「わたしは、なんだっけな。『ほがらか』だったか、『すこやか』だったか」

男「学級通信みたいですね」

女「かもしれません」

男「扉以外の出入り口ってないですかね、この部屋に」

女「ないでしょう」

男「ここだけか」

女「力ずくなら、出られないってこともないんでしょうけど」

男「そういうのは、ちょっと」

女「ですよね」

男「えぇ……」

女「……」


男「まだ防犯装置とかって作動するんですかね」

女「でも、ここ、今年解体ですからね。電気も通ってないみたいだし、それなら防犯装置とかは作動しないんじゃないですか」

男「そういえばそうですね……」

女「電気つけたら、本当に通報とかされますけどね」

男「あぁ」

女「警備の人、見ました?」

男「いえ」

女「わたしも見てないんです。やっぱりいないんですかね」

男「夜ですし」

女「廃校に泥棒なんて、入りませんしね」

男「そうですね、普通は」

女「……」

男「今は内からでも鍵開けられないんですね」

女「防犯がどうとかいうので、ちゃんとした鍵がないとだめみたいですよ」

男「そうかぁ」いつの間に変わったんだろう」

女「結構最近らしいですけど、わかんないです」

男「ていうか、前はどうやって入ってたんですか」

女「窓の鍵が壊れてるトイレがあって、そこから」


男「今は?」

女「木の板打ち付けられてましたね」

男「あぁ、そりゃそうですよね」

女「屋上の合鍵はあるんですよ」

男「合鍵?」

女「はい。こっそりと作りました」

男「……いいんですか?」

女「中学時代から持ってます。もう時効ですよ。たぶん」

男「……」

女「どうしました?」

男「女さんのほうが、俺なんかよりずっと怪しいです」

女「誰にも迷惑かけてないから大丈夫ですよ。許してもらえます」

男「……はぁ」

女「どうしたらいいんでしょうかね」

男「……行くなら、力づくしかないと思いますけど。本当に行くなら」

女「……」

男「扉、蹴ります?」

女「うーん……」


男「……」

女「あんまり母校を壊すのも気が引けますけど」

男「俺もいやです」

女「言い出したの男くんでしょう?

男「本当に行くならの話ですよ。誰もやろうだなんて言ってません」

女「不法侵入だけでも犯罪なのに」

男「自覚はあるんですね」

女「なんの?」

男「犯罪だっていう」

女「どうしてですか」

男「自覚なさそうなんで」

女「男くんは不法侵入は初めてなんですよね」

男「普通初めてです」

女「いや、でも、わたしは毎年ここに来てますから」

男「さっきも言ってましたね」

女「義務みたいなものなんです」

男「義務?

女「はい」

男「花火が?」

女「花火が」


男「そんなにですか」

女「全国的に見ても大きい花火大会でしょう。二万発って。遠方から来る人だっているんですから」

男「そうですね。人でごった返しますし」

女「来場者が……何万人だったか忘れちゃいましたけど、かなりの数ですよね」

男「新聞社主催でしたっけ」

女「はい。マスコミはお金があるんですね、不景気なのに」

男「宣伝費みたいなものなんじゃないですか。プロ野球みたいに」

女「あぁ」

男「そうか……改めて考えると、本当に大きいのか……」

女「規模がですか?」

男「あぁ、はい」

女「二万発ですからね」

男「地元だからってみくびってました」

女「近すぎると気がつかないってことなんですかね。地元の誇りですよ」

男「そうか……」


女「この花火大会があるから、この地方は花火師が多いらしいですよ」

男「花火師に知り合いが?」

女「いや、そういうわけじゃないですけど」

男「確かに数が多くないと二万発なんて作れませんもんね」

女「種類も豊富ですし」

男「種類? 花火のですか?」

女「『ワイドスターマイン』『虎の尾』『菊』『しだれ柳』。なんでもやります。見たことあるならわかりますよね」

男「花火には疎くて、名前じゃわかんないですね」

女「ワイドスターマインは、小さい花火がたくさん打ちあがります。虎の尾は、もっと軌跡がはっきりしたやつ。菊は普通の花火で、しだれ柳は炸裂した後にゆっくり火花が落ちていくやつです」

男「詳しいですね」

女「ちょっと調べたら、すぐにわかりますよ」

男「へぇ」

女「好きなんですよ、花火」

男「はい。わかります」

女「知ってたほうがもっと楽しめると思いますし」


男「花火、説明してくれませんか」

女「説明?」

男「はい。見ながら」

女「あんまり期待しないほうがいいと思いますよ」

男「だめですか」

女「そういうことではないんですけど……」

男「そうなんですか?」

女「はい。まぁ、本当に期待しないほうがいいです」

男「まぁ、気が向いたらでいいですから」

女「……」

男「今年で何回目でしたっけ」

女「花火大会?」

男「はい」

女「今年で60回。ちょうどです」

男「……ずっと前からやってるんですね」

女「凄いですね」

男「変ですよね。春に花火って」

女「普通は夏にしますもんね」

男「夏は、まぁ、別の花火大会ありますけど」


女「夏は納涼ですけど、春は豊作祈願ですよ」

男「そうなんですか?」

女「このあたりって、畑とか、水田とか、多いじゃないですか。神様に花火を見せて楽しんでもらって、五穀豊穣を願ってるみたいですよ」

男「初めて聞きました」

女「神事での舞とかの代わりみたいなことを聞きましたけど、人づてなので、あんまり言いふらさないでくださいね」

男「……昔の話って聞いたことあります?」

女「いや、ないです。男くんは?」

男「そうですね。昔は、『三重芯変化菊』ってのが打ちあがってたらしいです。知ってますか?」

女「いいえ」

男「凄く作るの難しいらしくて。今はもう打ち上げてないらしいです、作れる人がいないから」

女「男さんだってよく知ってるじゃないですか」

男「祖母からの受け売りですよ」

女「このあたりの人だったんですか」

男「はい。地元民です」

女「……今日はいい天気だし、昨日が雨だったから、花火、よく見えると思います」

男「雨が降るとよく見えるんですか?

女「空気中のごみとか埃が雨で流されるらしいんですよ」空気がちょっときれいになるって聞きました」

男「へぇ」


女「風も涼しくて」

男「そうですね」

女「……こんな日でした。暑くて、涼しい日」

男「去年も?」

女「いえ、肝試しの日です」なんか思い出しちゃいます」

男「……」

女「ひとつ、深夜になるとどこかの階段が十三段になる」

男「……」

女「ふたつ、人体模型が夜走る」

男「……」

女「聞いたことあります? みっつ、」

男「女子トイレに花子さんが出る」

女「……」

男「……どうしました」

女「ちょっとびっくりして」

男「……」


女「……よっつ」

男「ひとりでに演奏するピアノ」

女「いつつ」

男「校庭に立つ三本足の老人」

女「むっつ」

男「死者の校内放送」

女「ななつ」

男「最後の怪談を知った人は、」

女「死ぬ」

男「……なんで覚えてるんだろう」

女「無駄なことほど覚えてるもんです」

男「確かに」

女「もしかして中学時代、怪談の真偽を確かめに行きましたか」

男「不法侵入は今日が初めてですよ」

女「わたしはそうでもないです」

男「いいんですか、それ」

女「別に泥棒とかじゃないです。大丈夫です」

男「そういうことじゃないと思いますよ」

女「子供なら許されるんですよ」

男「それは子供だからでしょう」

女「母校に来たら、誰もが子供に戻るんですよ」


女「だって、さっき、わたし入りましたから。この部屋」

男「あ、そうなんですか」

女「本当は、鍵の壊れてる窓ガラスがあったんですけど」

男「あぁ、さっき言ってた」

女「入れなくて、ここ見つけて……」

男「俺より先に?」

女「そうですね。……扉の鍵開いてないから出ていけなくて、他の窓開いてないか調べにいって」

男「あ、俺も同じことしようと」

女「ちょっとダメでした。開いてませんよ」

男「本当ですか?」

女「はい。まぁ、ガラスを割って入れないこともないんでしょうけど」

男「それは、ちょっと」

女「ですよね」

男「……」

女「どうかしました?」

男「どこかで会ったことありますか?」

女「わかんないですけど、たぶんないと思います」

男「あ、そうですか」

女「会ったことありましたっけ」

男「いえ……」


女「なんでそう思ったんですか?」

男「なんとなく、そう思いました」

女「よく言われるんです、初対面でも物怖じしないって」

男「はぁ……」

女「お邪魔でしたか」

男「いえ、そういうわけでは……」

女「偶然ってやつですよね」

男「予想できませんよ、こんなの」

女「わたしも。初めてですよ、ここで人にあったの」

男「まぁ、夜にここで人にあったら、警備員でしょうけど」

女「ですね。きっと怒られるんでしょうね」

男「絶対ですよ」

女「そういう意味では、会ったのが男くんっていうのは、不幸中の幸いでした」

男「不幸、ですか」

女「え、いや、別に」

男「面白くないです」

女「すいません」


男「……」

女「さっきからじろじろ見て、どうかしました?」

男「え、いや、別に」

女「恥ずかしいんですけど……」

男「あ、すいません」

女「暗くても、一応顔は見えますから」

男「……」

女「なんですか」

男「俺も、泥棒かと思いましたよ」

女「なにが?」

男「窓から顔覗かせてたとき。女さんが」

女「わたしも同じです。だって『隊長!』ですし」

男「普通、泥棒だったらふざけたりしませんよ」

女「こんなときに普通って価値観を持ち出すのはお門違いなんじゃないですか」

男「同意しかねますねぇ……」

女「ノリノリで通信の真似をしながら、夜の廃校に男が一人」

男「……」

女「怪しい」

男「わかりませんか? その感じ」

女「わかります」


男「……どうしましょうね」

女「暇ですか」

男「……」

女「探してみますか?」

男「なにを」

女「怪談」

男「……校内入れたら、屋上行くんじゃないですか」

女「そうですね、そのとおりです」

男「ばかにしてません?」

女「なに言うんですか」

男「……座ったらどうですか」

女「(座って)……花火早く始まりませんかねぇ」

女「今何時ですか」

男「七時四十五分です」

女「四十五分」

男「あと十五分」


女「……」

男「……」

女「中学のころ、わたし、天文部に入ってたんですよ」

男「この中学にそんなのありましたっけ」

女「弱小でしたしね……。わたしがいなくなってすぐ潰れちゃった、みたいなこと聞いてましたけど……。まぁいいや。それで、結構頻繁にこの学校の屋上で、星を見てたんですよ。その流れで、なんか、花火を見たんです、ここの屋上で」

男「よく怒られませんでしたね」

女「先生いましたから。というか、先生が呼んだんです。花火見るぞって。確か」

男「へぇ」

女「水原先生ってわかります?」

男「いや、わかんないです」

女「あぁ、じゃあ、結構年齢違うのか。何歳?」

男「二十歳です。大学生」

女「いいなぁ、若くて」

男「二十歳は若いんですか」

女「一年前のわたしも懐かしいんです」

男「女さんは?」

女「……」

男「女さん?」


女「……デリカシーがないとかよく言われません?」

男「あ。すいません」

女「とりあえず、年齢は不詳ってことにしといてください」

男「はぁ」

女「花火……今年できっと最後になりますね。ここで見るの」

男「でしょうね。二年前でしたっけ。廃校になったの」

女「最後の生徒が卒業したのが、うん、確かそのころだったと思います」

男「どうなるんでしょうかね」

女「なにが、ですか」

男「工事して、壊すじゃないですか。ここ。そのあと」

女「なんか老人ホームになるって聞きましたけど」

男「そうか。……駅は近いし、敷地も広いし、ちょうどいいのかもしれないですね」

女「そうですね……」

男「……」

女「廃校、か」

男「……僻地だけの話だと思ってました」


女「……生徒の少ない学校をいくつか運営するより、まとめて生徒の多い学校をひとつ作ったほうが効率的ってことなんでしょうね」

男「どういうことですか?」

女「知らないんですか? 新しい中学校ができたんですよ。ここと、あと二つの中学が潰れて、新しいところに中学生をみんな入学させてるみたいです」
男「へぇ……」
女「こちらの人ではないんですか?」

男「大学はちょっと離れてまして。用事があって、帰省中です」

女「そうですか」

男「はい」

女「……」

男「……」

女「どうするんですか?

男「はい?」

女「花火」

男「はぁ」

女「屋上まで行けないから」

男「そうですねぇ」

女「そうですね、じゃなくて」

男「どうするんですか?」

女「花火?」

男「はい」


女「そうですねぇ、どうしましょう」

男「女さんも同じじゃないですか。俺と」

女「なにが?」

男「そうですねって」

女「あぁ、そうですね」

男「また……」

女「難しい問題ですねぇ」

男「……本当に」

女「……」

男「……」

女「帰らないんですか?」

男「なんで?」

女「屋上上れませんよ」

男「そうですね」

女「花火見るんじゃなかったんですか」

男「まぁ、ほら」花火は屋上じゃなくても見れますし」

女「……」


男「それに、女さんだって帰らないんでしょう?

女「考え中です」

男「俺もです」

女「他にも高いところあるじゃないですか」

男「なんか、俺を帰らせたいみたいな感じですけど」

女「そんなことないですよ。気にしすぎです」

男「屋上かぁ」

女「汚いところですよ。苔とかで滑るし」

男「そうなんですか」

女「制服のスカート、気をつけないと段差とかに引っかかって、すぐ汚れるんですよ。壁も汚いから、手とかつけないし」

男「そうなんですか」

女「はい。ただ、それでもいいところです」

男「いいところ?」

女「きれいなんですよ、景色」

男「……」

女「低すぎず、高すぎずって感じで」

男「……」


女「マンションとかだと、高すぎるんですよね。学校の屋上が一番ちょうどいいような気がします。今でも」

男「高さですか」

女「思い出補正なのかもしれませんけど」

男「いや、なんとなくわかります」

女「学校を出て、帰り道、通学路。プールの横を通って、信号渡って、ちょっと寄り道したらおもちゃ屋があるんです。たまに友達とそこで駄菓子買ってました。チューブに入った蛍光色のゼリーとか、麩菓子とか、氷砂糖とか」

男「おもちゃの河野?」

女「あ、たぶんそうです。凄い、よく覚えてますね」

男「……俺もよく使ってたんで」

女「マンションからだと、高すぎて、遠くの景色まで見えるのはいいんですけど、そういう知ったところが見れないんですよね。でも学校の屋上からだと、見えるんですよ。それで友達とはしゃいでました。家を探したりして」

男「友達」

女「天文部の」

男「で、おもちゃ屋に。帰り道」

女「おもちゃ屋の、駄菓子コーナーです」

男「中学生のころですよね?」

女「バカにしたでしょう?」

男「いや、そんな」


女「いいよ、バカな学生が集まってたんですよ、天文部。思考回路が子供っぽいのが」

男「そんなこと言ってないじゃないですか」

女「目は口ほどにものを言うんですよ。いいんです、おばあちゃんが楽しかったから」

男「……」

女「あと八分」

男「屋上まではたどり着けず、か」

女「あきらめるんですか?」

男「あきらめるしかないでしょう」

女「屋上行きたくないんですか」

男「蹴破りますか?」

女「……質問に質問で返すのは、あんまりマナーがよくないですよ」

男「蹴破りますか?」

女「……無理、か」

男「無理でしょうね……」


女「どうして屋上に行きたいんですか」

男「花火見るためですよ?」

女「でも、初めてなんですよね。花火を屋上で見るの」

男「まぁ、はい」

女「よく思いついたなって思って」

男「俺じゃないんです」思いついたの」

女「友達のほう?」

男「はい」

女「あぁ、校舎がなくなる前にってことですか」

男「いや、単なる偶然ですよ、タイミングは。二十歳になったら、屋上で花火見ようって約束してたんです」

女「青春ですね」

男「……いや、違う。最初はただ、屋上に上りたかったんです。花火は……なんでだろう。確か、友達が言いだしたのは覚えてるんですけど」

女「その友達は?」

男「このとおりです。まだ来てません」

女「連絡とかはありましたか?」

男「いや、ないです」

女「近くに住んでるんですか? 友達」

男「さぁ」引っ越したって話は聞きませんけど」

女「どうしたんですかね」

男「まぁまだ八分ありますし」

女「そうですね」


男「俺が早く来すぎたくらいですよ」

女「迷ってるのかもしれませんね」どこから入るのか、とか、どこが開いているのか、とか」

男「それはありそうな話です」

女「連絡とかはしないんですか」

男「あ、俺、アドレス知らないんで」

女「え?」

男「え?」

女「知らないんですか?」

男「来ますよ。あいつは。大丈夫です。わかるんですよ」

女「そうですか……」

男「親友なんですよ、そいつ」

女「親友」

男「恥ずかしいですけど。自分で言うな、って感じで」

女「いいと思いますよ。親友。そう言えるのって」

男「濱田っていうんですけど、そいつ。ばかなやつでして。一時に待ち合わせして、一時十分に目を覚ますみたいな、そんなやつです」

女「そうなんだ」

男「はい。遅刻は慣れっこです」

女「……」


男「だから来ます。もしかしたら遅刻するかもしれませんけど、来ます。今走ってる最中ですよ、きっと」

女「うん」そうですね」

男「女さんは毎年ここへ?」

女「はい」

男「花火を見に」

女「はい。去年は見れませんでしたけど」

男「律儀ですね」

女「義務ですから」

男「あぁ、まぁ」

女「言ったじゃないですか。好きなんですよ、屋上」

男「屋上で花火も」

女「当然です」

男「うん、よさそうですね。なんか」

女「花火に近いですし。空に近いだけ」

男「空に近い」

女「はい。四階ぶんだけ」

男「そうですね。空に近い」


女「……」

男「変な話、いいですか?」

女「いいですけど」

男「花火って、丸いじゃないですか。大体」

女「……はぁ」

男「横から見たら、どうなると思いますか?

女「それは、丸いんじゃないですか。横から見ても」

男「そうですよ」

女「え?」
男「映画があるんですよ。そういう」

女「よくわかんないです」

男「『打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか』」

女「っていうんですか? その映画」

男「はい」

女「それで」

男「説明しづらいですけどね。小学生の男子が、クラスの女子をめぐって、賭けをするんですよ。早く25メートル泳いだほうが、付き合うって」

女「はい」


男「普通はどっちかが勝って、そのあとを描いて終わりじゃないですか。違うんですよ」片方が勝った場合と、もう片方が勝った場合の二種類作ってるんです」

女「へぇ」

男「パラレルワールドっていうんですかね。結構斬新で、いい映画でした」

女「それで、打ち上げ花火は?」

男「映画の中で、子供たちがしゃべるんです。打ち上げ花火は、下から見たら丸いけど、横から見ても丸いのか」

女「……」

男「子供たちは、灯台に登って花火を横から見ようとするんです」

女「借りられますかね」

男「借りる?」

女「あ、ビデオとかです。DVDとか」

男「大丈夫でしょう。そこそこ古いですけど、有名みたいですから」

女「パラレルワールド」

男「平行世界」

女「あれですよね、別の世界のこと」

男「はい。たとえば、校舎に不法侵入しなかった俺とか、女さんとかが、いるわけですよ」

女「あんまり大きな失敗とか、直すの怖くないですか」

男「どうだろう」

女「あるんですかね、そんな世界」


男「どうなんでしょう」

女「あったらいいな」

男「確認できなきゃ、ないのと同じですよ」

女「まぁ、そうですけど」

女「廃校にならなかった未来もあるのかな」

男「パラレルワールドに?」

女「うん」

男「あったらどうします?」

女「どうしようもないですけど」

男「今何分ですか」

女「五十八分。あと少しです」

男「そっか」

女「天気よし。気温も上々。花火日和ですね」

男「はい」

女「国道二四二号線、交通渋滞らしいですよ。今年も見に来てる人がたくさんいるんですよ、きっと」

男「二万発ですからね」

女「見たいんですか?」

男「ここで見ますよ」


女「河川敷に見に行けばいいのに」

男「だから、約束なんですよ。友達との」

女「だから、友達と河川敷に見に行けばいいじゃないですか」

男「言い出したの俺じゃないんですよ」

女「言いだしっぺ、来てませんよ」

男「来ます」

女「家に呼びに行ってみるのは?」

男「そんな、わざわざ」

女「あと一分」

男「一分」

女「河川敷にいったことあります? 花火を見に」

男「はい」

女「やっぱり凄い人だかり?」

男「あ、行ったことないんですか?」

女「ずっと屋上から見てましたから」

男「あぁ」

女「それもあるし、風邪のウィルスもらってきそうで」


男「お祭りですからね。でも、楽しいですよ。家族で行くんです」

女「わたしも、両親に誘われました。六十近くなっても、二人で手をつないで花火見に行くんですよ」

男「いいじゃないですか」

女「はい」見てるこっちが恥ずかしくなるくらい」

男「まだですかね」

女「もうそろそろ――」




男「――あ」
女「――あ」



男「……」
女「……」

男「……」

女「……」

男「なんで、見えないんだ?」

女「……」

男「なんでだよ」

女「……」

男「晴れてるだろうが!」

女「マンション」

男「え?」

女「マンション建ったんです。去年の春に。十四階建ての」

男「……」

女「花火にそれが重なってるんです」

男「……」

女「ほら、また光った」

男「……」


女「光の速度は秒速三〇万キロメートル。音の速度は秒速三六〇メートル」

男「……」

女「知ってました?」

男「……」

女「だから、やめたほうがいいって言ったのに」

男「知ってたんですか」

女「……はい」

男「マンションのことも、花火のことも」

女「はい」

男「それならなんで言ってくれなかったんですか。面白かったですか、俺が、見えもしない花火を楽しみにしてる姿は」

女「……だって、男くん、教えてもやめないでしょう」

男「そんなのわかんないです」

女「友達、待ってるんじゃなかったんですか」

男「時間になっても来ないから、帰るかもしれない」

女「時間まではいる」

男「なんですか」

女「そういうことでしょう」

男「そうですけど……」

女「それなら、花火は見るじゃないですか。必ず」

男「……」


女「どうしました」

男「屋上なら見えるかもしれない」

女「壊すんですか」

男「ここからじゃ花火が見えないじゃないですか」

女「屋上に行っても同じですよ。たぶん」

男「行ったんですか」

女「はい。去年」

男「去年は屋上に行ってないって」

女「花火を見てないって言ったんです」

男「見えなかった?」

女「見えませんでした」

男「うそだ」

女「うそじゃないです」

男「どうやって入った」

女「不法侵入」

男「窓の鍵は」

女「ガラスを割りました」

男「中の扉は!」

女「蹴破りました」


女「屋上の扉には、合鍵があります」

男「……でも、今年は見てないんですよね」

女「そりゃそうですけど」

男「じゃあわからない」

女「……」

男「確かめるまでは、わからない。そうでしょう」

女「でも、見えませんよ。きっと」

男「見える」

女「だって、まだ来ないじゃないですか。友達」

男「来ます。遅れてるだけです」

女「連絡もとってないんでしょう」

男「約束したんですよ。屋上で花火見ようって」

女「……」

男「約束したんだ!」

女「……」

男「来ます。来るんです」

女「本当に?」

男「来る!」


女「……この学校、四階建てですよ。見えるわけないです」

男「行かなきゃわからないでしょう」

女「花火見ましょうよ、ここで」

男「ここじゃ見られないから屋上に行くんです」

女「それでも」

男「それでも?」

女「はい。それでも、ここで」

男「わけわかんないです」

女「わたしもよくわかんないです。でも、今はここから見たい気分なんですよ。花火」

男「だから、花火は見えないでしょう」

女「はい」

男「そんなら、ここにいたって意味ないじゃないですか」

女「嘘です」

男「え?」

女「わたし、別に花火を見に来たわけじゃないです」

男「……」

女「驚きました?」

男「別に……」


女「……」

男「わけわかんない」

女「わたしも」

男「俺のほうがわけわかんないです」

女「……」
男「……」

女「あのマンション、元はなんだかわかります?」

男「……」

女「あのマンションが建つ前」

男「……」

女「わからない?」

男「……空き地。だだっ広い空き地」

女「うん。小学生のとき、よくドッジボールしたもんだけど」

男「俺は、野球でした。学年があがったらサッカー。中学以降は、あんまり使わなかったかも」

女「やっぱりみんなあそこで遊ぶんですね」

男「はい。グラウンドは、部活とか、少年団とかが使ってて」

女「わたしもそうでした」

男「そうですか……」

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