【ミリマス】げき子「鈍色の光を見つけて」 (22)

最初の記憶は、みんなの笑い声だった。

鈴が鳴るような桃色の声。芯が通っていて澄んだ桔梗色の声。
包み込むような優しい檸檬色の声。
ひとり、またひとりと楽しそうな声が聞こえるたびに、無機質だった私の心は暖かくなっていった。

みんなの声を聞いているだけで、私は心地よくて、幸せで。いつまでもこの幸せが続いてくれたら、って思ったんだ。


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ある時、気がついたら私はそこにいた。
白飛びした視界は、まるでガラスの曇りが解けていくようにだんだんと鮮明になっていく。
何度か瞬きをして、私はゆっくりと瞼を開いた。

そこは、床一面が板張りになっている大きな広間だった。
目の前にはCDやDVDが詰め込まれた棚があって、そのすぐ横の壁には大型のモニタが据え付けられている。
その近くにはホワイトボードが何枚も並んでいて、その全てに書き込みがなされていた。
後ろを振り向くと、壁一面をほぼ埋めてしまうほど大きな鏡が貼られていた。
――ここは、765プロライブ劇場のレッスンルームだ。


これは、私が「げき子」と名乗るようになるよりも、ずっと前のお話。
私の、最初の記憶。


このときの私は、自分が何者であるのかも、なぜここにいるのかも分からなかった。
私が知っていたのは、ここが765プロライブ劇場という名前の施設であること――この劇場が、アイドルたちが共に過ごし、公演を通してファンたちと夢を共有する場所である、ということだけだった。

壁に貼られたコルクボードに、写真がいくつか貼られていた。
写真の中の少女たちは、長い髪を振り乱しながら、ステップを踏んでいる。
レッスンの最中だろうか? その表情はあまり余裕があるようには見えなかった。

ただ、その瞳たちは力強い輝きを纏っていた。瞳に宿る色は一人一人違っていて、その一つ一つが彼女たちを突き動かしているのだと分かった。

最後の写真は、彼女たちがステージに立っている姿を舞台袖から映したものだった。
アイドルたちはいま、煌びやかな衣装を身にまとって、色とりどりの光の波に包まれている。
彼女たちの頬には幾筋もの汗が伝っている。そして、その横顔はどれも、夢を抱きしめた喜びで満ちていた。

彼女たちは、光り輝くステージに立つ、たった一瞬のために青春を懸けている。
その姿は、生まれたばかりの私にとって、あまりにも衝撃的だった。
私も、彼女たちみたいに自分だけの色を纏えたら、どんなに素敵なんだろう――そう思った。


そのとき、天井の蛍光灯が、ジジと音を立てて明滅した。
天井を見上げてみたけれど、とくに変わった様子はなかった。


部屋を見回していると、さっきまで見ていたレッスン風景の写真がこの部屋で撮られたものだと分かった。
今はしんとしていて静かだけど、きっとレッスン中は、音楽に合わせて、部屋にダンスシューズの音が響いて……。
私は、まだ私が知らないそんな景色に想いを馳せながら部屋を歩いていた。

そこで私は初めて、鏡に映る自分を見つけた。

年齢は、写真に写っていた子たちと同じくらい――十五、六歳くらい――かな?
さらさらとした綺麗な黒髪は、腰の少し上あたりまで伸びている。
垂れ目気味なのもあって、少し大人しそうな子のように見える。
ただ、右側の髪は、白い飾りのついたヘアゴムで一摘み分だけ束ねられていて、そのせいか、少しだけあどけない雰囲気もあった。

私は、写真の中のアイドルと同じレッスンウェアを着ていた。
足元には、真っ新な白いトレーニングシューズ。
まるで特注品みたいに自分の足にぴったりだった。
私は何だかそれが無性に嬉しくて、小さくステップを踏んだ。
魔法使いに魔法をかけてもらったシンデレラも、きっとこんな気持ちだったのかも。


それから私は、廊下へ出た。
私のことを誰かが呼んでいるような気がして、胸の高鳴りが大きくなる方へ、歩いていく。

ある大きな鼠色の扉の前で、私は立ち止まった。
私はこの場所を知っている。劇場のステージへと続く扉だ。
胸に手を当てると、心臓がどきどき鳴っているのがよく分かった。

鼓動の音を静めるように、何度か深呼吸をした。
ドアノブに手を掛けて、体重をかけながら、私は扉を開けた。


扉の先、黒い暗幕を潜り抜けると、そこは舞台袖だった。
演出用の機材や大道具が所狭しと並べられていて、その奥には袖幕の隙間からステージが見えた。

ステージの上は、小さな蛍光灯でまばらに照らされているだけだった。
機材の横をすり抜けながら辺りを見回したけれど、自分以外誰もいないようだった。
辺りは少しだけ肌寒くて、シューズの擦れる音がよく響いた。

思い切って、私は舞台袖から飛び出した。
すると、たった数歩で、私の世界は変わっていった。
目の前がいきなり開けて、たくさんの客席が目に飛び込んできた。
一階席は、あんなに奥まで席が並んでいる。二階席だって、あんなに上の方までファンの人たちが集まるんだ。

二番、一番……〇番。
ここが、ステージの真ん中。

大勢のお客さんで埋まった客席を想像して、なんだか胸が温かくなった。
たくさんの歓声が飛び交って、ペンライトの光を浴びて……。
みんなは、こんなに素敵な場所で公演をしているんだ。

ねえ、私の色って何色かな?
今の私はまだ、何にも染まっていない透明で……。
でも、きっとこれから色づいていくんだよね。

この場所でならきっと、私だけの色が見つけられる気がした。
みんなと一緒なら――。


だけど、破局はすぐそこで待っていたんだ。

私は、私のことをもっと知りたいと願った。
ただ、それだけだったのに……ううん、きっと知りたいと願ってしまったからなんだ。


私は、劇場の控室で、一冊のアルバムを見つけた。
とても分厚くて、棚から取り出すのも一苦労だった。
『劇場の日々』――そう名前のつけられたアルバムの表紙は、カラフルな色ペンとシールで、隅まで綺麗にデコレーションされていた。
両手に感じるこの重さの分だけ、今の私がまだ知らない、この劇場で積み重ねられてきた時間がある――そう思うと胸が落ち着かなかった。

机の上までそっと運んでから、私はどきどきしながら表紙を開いた。
私の目に飛び込んできたのは、劇場で過ごすみんなの毎日が切り取られた、たくさんの色鮮やかな瞬間たちだった。
アルバムの中に映し出された世界は、賑やかで、ちょっぴり騒がしくて……みんな素敵な笑顔をしてる。

だけど、そこに私はいなかった。

どれだけページを捲って、どれだけ探しても。
信じたくなかった。嘘だと思った。

でも、アルバムの中のみんなの笑顔を見たら、それが本当の事なんだ、って分かってしまった。
だって私は、みんなのその笑顔がずっと大好きだったから。
ニセモノだなんて、思えるはずがなかった。

私は、みんなのことを、ずっと前から知っていた。
それなのに――私はずっと劇場のみんなの側にいたはずなのに、みんなに私の声は届いてなかった。
みんなが劇場で過ごしてきた日々の中に、私は居なかった。

私は、みんなみたいになれない。だって、私は……。


……もし何も知らないままでいられたのなら、どれだけ幸せだったのかな。

劇場のみんなと一緒に過ごして、隣で同じ景色を見て、同じ未来へと進んでいく――それだけで私は良かった。
それなのに、私が欲しかったものは、私がどれだけ手を伸ばしたって、もう叶わない。

アルバムを閉じて、本棚に戻した。
背表紙から指が離れる瞬間、自分の体から何かが抜けていったような気がした。
私は本棚の前で立ち尽くしたまま、動けなかった。

――私は、どうしてここにいるんだろう?
私の声は誰にも届かなくて、そのまま薄暗い部屋の中で消えていった。




新緑に染まった木々たちが海風で揺れて、さらさらと音を立てている。
窓辺に寄ると、音のざわめきに合わせたみたいに湿った潮のにおいがした。

あの日からいくつかの季節が過ぎて、今はもうすぐ夏が始まろうとしていた。
だけど、私の心の奥は、まるで失くしものが見つからないみたいに、ぽっかりと空いたままだった。

この劇場では、これまで色々なことがあった。
数え切れないくらいたくさんの公演があって、その数と同じだけ、アイドル一人一人に物語があった。

アイドルのみんなは、アイドルとしての活動の日々の中でたくさん悩んだり迷ったりする。
それでもみんなは、最後には自分だけの答えを見つけて、公演の舞台の上へと駆け出していく。
そんなかけがえのない日々が積み重なるたびに、ステージの上のみんなの輝きは大きくなっていった。
私は、この劇場で成長していくみんなを見るのが好きだったし、そんなみんなの側にいられて私自身もちょっぴり誇らしかった。

だけど……私は本当にみんなの力になれてるのかな?
そんな不安が私の胸の奥に張り付いて、ずっと離れなかった。


お昼の時間を少し過ぎた頃、劇場のみんなはエントランスに集まっていた。
今日劇場にいた子たちは全員いるみたい。だいたい二十人くらい、かな。
これだけの人数が集まると、広いエントランスも少し手狭に感じた。

私たちの視線の先にいたのは、エレナちゃん、恵美ちゃん、琴葉ちゃんの三人、それと劇場のプロデューサーだった。

「見送りに来てくれてありがとネ♪」

「にゃはは、こうしてみんなに囲まれてるとちょっと照れくさいな~」

「うん。私たち頑張らないとだね」

三人とも小さなキャリーケースを引いていて、変装用の帽子を目深に被っていた。

琴葉ちゃんたち三人は、以前から「トライスタービジョン」というユニットとして劇場で活動してきた。
もともとは定期公演での歌唱メンバーから始まったユニットだったけれど、ある有名音楽番組への出演を切っ掛けに劇場の外のお仕事が増えていって、今では世間的にも注目のアイドルといった感じだ。
劇場のアイドルたちの中でも、メディアでの露出や知名度の大きさは、頭ひとつ抜けている。

実際、39プロジェクトのメンバーとしては初めて単独全国ツアー公演を行うことがずっと以前から決まっていた。
そして、そのツアーの幕開けとなる初日公演が、明日行われる。

私は、そんな三人の姿を、他のアイドルたちの陰に隠れるようにして見ていた。

本当は、みんなのように何か琴葉ちゃんたちに声をかけてあげたかった。
些細なことでも、なんでも。それなのに、今の私にはそれが上手くできそうになかった。


もしも私がアイドルだったのなら、こんな想いは知らないままで居られたのに。
もしも私がプロデューサーだったのなら、みんなの隣で、みんなをずっと支えることが出来るのに。

私の心に、嫌な感情が蛇のように纏わりついて離れなかった。


三人を見送ったあと、私は劇場の屋上にいた。
この場所だと、一人になれるから。

建物の壁際に据え付けられた腰掛けに、私は腰を下ろした。

ふと、そこから空を見上げた。
目の前にあったのは、今にも泣き出しそうな曇り空だった。
まるで今の私みたいだ、と思った。

劇場のみんなは、それぞれの輝きを持って光っている。
客席に広がるペンライトの光を受けて、スポットライトを浴びて、みんなはどんどん輝いていく。
それは私にとっても嬉しいことのはずなのに、私は――。

左後ろの方で、小さく、何かが軋むような音がした。
それが屋上の扉が開いた音だと気づいたのは、それから少し遅れてのことだった。

どきり、と心臓が大きな音を立てた。
誰かが来てしまった。
真っ白になった頭で私ができたのは、咄嗟に濡れた目尻を拭って隠すことくらいだった。


「げき子さん。……良かった、ここにいたんですね」

壁の影から顔を出したのは――箱崎星梨花ちゃんだった。

「星梨花ちゃん、どうしてここに……?」

「げき子さんを探してたんです。その……琴葉さんたちをお見送りしたとき、げき子さんが、なんだか元気がないように見えたので……」

その声は、いつもの鈴が鳴るような可愛らしい声と違って、明らかに心配の色を纏っていた。
……本当は私がしっかりしなきゃなのに、星梨花ちゃんに心配をかけちゃって。だめだなあ、私。


「……ありがとう、星梨花ちゃん。私のことを心配してくれて」

 私は、少しだけ深く息を吐いた。

「でも……大丈夫。これは、私の問題だから」

ごめんね、星梨花ちゃん。
――私のこの不安は、誰にも相談できないの。
だって私は、みんなに本当の私を打ち明けることなんて、できないから。

「星梨花ちゃんに話しても、きっと星梨花ちゃんを困らせちゃうだけだと思うから……」

言葉を口にするたびに、心が段々と重たくなっていった。
胸が苦しくて……私は腕を縮めて小さくなることしかできなかった。

「げき子さん……」

それは、小さくか細い声だった。
私はそんな星梨花ちゃんの声を聞いてしまったから、胸がずきんと痛んだ。


運河の方から微かに風が吹いた。葉が擦れる音がした。

「わたしは……わたしは、げき子さんにそんなこと言ってほしくないです」

私の耳に飛び込んできたのは、星梨花ちゃんの声だった。
静かで、芯の通った声だった。

「……確かに、げき子さんの話を聞いても、私は何もできないかもしれません。……わたしは劇場の皆さんと違って、まだ上手くできないことも多くて……」

「そんなこと……」

「それでも――わたしは、げき子さんのお話を聞くことくらいはできます。もし今のげき子さんの気持ちが少しでも楽になるかもしれないなら……話してほしいです」

――その言葉を伝えるのに、一体どれだけの勇気が必要だったんだろう。
星梨花ちゃんの瞳は、ずっと私を見つめたままだった。


「……星梨花ちゃんは、強いね」

ぽつり、そう溢れた。

「……劇場を出ていく琴葉ちゃんたちを見て、みんなどんどん先へ進んでいっちゃうんだな、って思ったの」

そのときのことが、瞬きするたびに瞼の裏に浮かぶ。
あのときの私の心は、暗く悲しい気持ちで押しつぶされそうになっていた。
だけど、今なら、少しだけ言葉に出来そうな気がする。

やっぱり――私は、劇場のみんなのことが大好きなんだ。
みんながアイドルとして輝いているのを見て、それで私も何か頑張りたい、応援したい、って思ったんだ。

それなのに……。

「みんなの力になりたい、って思うのに……私が劇場のみんなにしてあげられることって、何もないんじゃないか、って……」

今までずっと、言葉にする事ができなかった。
それを声に出してしまったら、本当のことになってしまいそうだったから。
私が劇場に居る理由も、何もかも消えて無くなってしまうような気がして――怖かった。
今だって、身体の中が全部ぐちゃぐちゃにかき回されたみたいで、息をすることさえ苦しい。


そんな中、私の手に、何かが触れた。
柔らかくて暖かくて、きゅっと私の手を握った。
それは、星梨花ちゃんの、小さな両手だった。

私が顔を上げると、目の前に星梨花ちゃんがいた。

「わたしも……以前げき子さんと同じことを悩んだときがありました。可奈さんと海美さん、志保さんとのユニット――『Clover』のために、わたしは何ができるんだろう、って」

 私の手を握ったまま、星梨花ちゃんは少し伏し目がちに話し始めた。

「でも……そんなとき、亜利沙さんがわたしに『たとえ小さく儚いと思っても、そこにいることに絶対意味はある』、『わたしの輝きで救われる人もいる』って言ってくれたんです。
 だから、わたしも『Clover』の一員として……劇場のアイドルとして、わたしが今できることを目一杯頑張ろう、って思えたんです」

星梨花ちゃんの手から伝わってくる温もりが、ひときわ強くなる。
それが私の腕から体へと染み込むように伝わって、胸の奥の絡まった結び目が解けていくような気がした。

「星梨花ちゃんみたいに、私も見つけられるかな……? 私がみんなにできること……私の、輝き」

「きっと、大丈夫です。げき子さんも、きっと……」

私たちは、祈るように手を重ねた。

私だけの輝き、私だけの光――それが本当に私の中にあるのか、まだ見当だってつかない。
だけど、星梨花ちゃんの手の暖かさが心地良くて、もう少しだけこうしていたいと思った。


「星梨花ちゃん、さっきはありがとう。私も、星梨花ちゃんみたいに頑張ってみるね」

「はい、げき子さん。一緒に、頑張りましょう!」

まるで花が咲いたみたいに、星梨花ちゃんが微笑む。
その笑顔が眩しくて、つい私も口元が緩んだ。

ふと、私は空を見上げた。
そこにあるのは、さっきまでと何も変わらない、鈍色の曇り空だった。

――だけど、今はそんな天気も少しは好きになれそうな気がした。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
本日2022年11月25日は、MTW08がリリースされてから丁度2周年だそうです。
というわけで、げき子のお誕生日(仮)ということで書きました。

本SSは、MTW08のCDドラマより少し前の頃に焦点を当てています。
MTW08以前のげき子にはこういう物語があったのかな、と妄想していた内容を頑張って出力しました。

途中、Blooming Cloverの世界観をお借りしました。
実はBC3巻~5巻の星梨花の物語も、MTW08ドラマの海美エレナげき子も、「自分に出来ることってなんだろう?」というのが共通したテーマなんですよね。

本SSの背景となった楽曲を紹介しておきます。
https://www.uta-net.com/song/275891/
併せて聞いていただけると、なにか発見があるかもしれません。

げき子ちゃん、もっといっぱい出てくれ。
ゲーム本編にも出てほしいし、なんならミリアニにも出てほしい。うう……。

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