「キョン、どうかしたのかい?」
「え? 何がだ?」
「さっきからずっと上の空だよ」
中坊の頃、迫り来る高校受験を目前にしてまったく勉学に取り組む姿勢を見せなかった俺に痺れを切らしたお袋に指図され、学習塾に放り込まれた。そうした経緯で漫画やゲームを取り上げられて勉強漬けを余儀なくされた可哀想な俺の唯一の娯楽はライトノベルであり、申し訳程度の挿絵の存在を親が知らないのを良いことに読み耽っていた。ライトノベルはシリーズ形式で何冊も刊行されている作品も多くなかでも好きなシリーズがあった。
「ああ、なるほど。ニュースを見たんだね」
1巻からコツコツ読み進めてようやく最新刊に追いついた俺は、その作品の続きが読めないという現実に直面した。この世の中にはどうしようもないことがあって、それを現実と呼び、受け入れるしかないことを俺は学んだ。
「あの作品、僕も好きだったよ」
「佐々木が?」
「意外かい? 僕もたまにはラノベを嗜む」
いつも小難しい本ばかり読んでいる佐々木がこの作品を読んでいるとは思わなかった俺がようやく視線を向けると、くつくつ微笑み。
「まるで迷子だね。大丈夫。分かち合おう」
「分かち合うって、何を?」
「世界の喪失の、哀しみを」
世界の喪失。そう佐々木は表現した。そこで俺はこの虚無感の正体を理解した。今朝、ニュースを見たあの瞬間に作品を通じて自分の中に広がっている世界が、喪われたのだと。
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「なあ、佐々木……教えてくれ」
「僕に答えられることなら、なんでも」
「どうして世界は回り続けているんだ?」
俺は現実を受け入れられなかった。時が止まってもおかしくないと思うほどに、喪失してなお回り続ける世界に違和感を抱いていた。
「世界が回り続ける理由は、たとえばそれでも生きていかなければならないとか、後世に何かを遺し伝えるためだとか、そんな綺麗なものではなくただの惰性だと、僕は思うよ」
惰性。ならば、いずれは止まるのだろうか。
「回転が緩やかになると、誰かがまた勢いをつけて回してくれる。そうやってこの世界は回り続ける。そう考えるとロマンチックだ」
果たしてロマンチックだろうか。現実的だ。
「キョン。キミが止まりそうになったら僕がそっと背中を押してあげる。親友だからね」
そう言って労るように佐々木が背を撫でる。
「お前は優しいな」
「違うよ。僕はただ、キミの哀しい顔を見るのが堪らないから、だから自分のためだよ。あの作品が好きだったのも、キミが熱心を読んでいたから興味を持ったに過ぎない。言わば、それが僕の世界を回転させる原動力というわけさ」
自分のためにしたことで他人を救えるのならば、俺はそいつを尊敬する。偽善や自己犠牲を超えた救いがそこにはあり、嬉しかった。
「佐々木、訊いてくれるか?」
「もちろん。僕はキミの親友だからね」
俺は作品について佐々木に語った。その作品の魅力。どこに惹かれ、何を楽しんだのか。
ツンデレヒロインを守る少年のひたむきさ。
若さ故の過ちでドキドキハラハラする展開。
基本的に第三者視点で描かれるその作品は文法や書体は重要視せず、描写も細かくない。
けれど、読者が、まるでその場でやり取りを眺めているような、そんな没入感があった。
作者自身が自分の目で見たことを自分の感情を踏まえて伝えるような作風が好きだった。
そして現実に直面した俺の心境を吐き出す。
「俺はずっとあの作品を読んでいたかった」
ずっとずっと、シリーズが終わっても。外伝でもなんでもいいから存在して欲しかった。
なんなら、新シリーズも追いかけたかった。
「これを読んでみてくれ」
「これは?」
「俺が書いた」
スマホのメモ帳に、その作品の二次創作を書いてみた。けど、駄目だった。どれだけ作風を真似ても、どこか違う。別人でしかない。
「俺は、その作者には、なれない」
言葉に出すと諦めがついた。実に情けない。
「やれやれ。まったく我ながら愚かだよな」
「僕はキミを愚かだとは思わない。キョンがやろうとしたことは崇高であると僕は思う。けれど、キミのやろうとしたことが困難であることは確かだ。それは、不可能だと思う」
不可能だ。不可能だった。もう存在しない。
「キョン。僕の話を訊いて」
「ああ。もちろん、訊くぜ」
自分だけ言いたいことを云って、お前の話は訊きたくないなど、そんなことは言わない。
佐々木は俺の書いた駄作を読みながら語る。
「本題に入る前にまず教えて欲しい。キミは初めてこの二次創作を書いたのかい?」
「ああ。とはいえ、読んでる最中にIFルートみたいなものは考えていたがな」
「そうかい。それを踏まえた上で僕は改めてこの二次創作を個人的に興味深いと思う」
改めて言われるとなんだか恥ずかしくなる。
「いいよ。駄作だってことはわかってる」
「駄作か良作かはともかく、この作品にはキミの考えや感情が反映されている。それが僕は興味深くて、なかなか楽しませて貰った」
俺の考えや感情。それこそがこの作品を駄作たらしめているのに佐々木は変わった奴だ。
「あの作者はそれが売りだったからな」
「うん。僕もその作風が好きだったよ」
「だが思考をトレースするのは難しい」
「うん。どこかで無理をして嘘を吐く」
やはりわかるか。俺の考えではない部分が。
「書いてみてよくわかった。書きたいことを書いて読者を楽しませる作者の凄みがさ。そして、それがどんなに、困難かってことを」
書きたいことを書いても読んでる奴が面白いとは限らない。中にはプロとして読者の望みを作中に反映させる作者もいるだろうが少なくともこの作者はそうした書き方ではない。
「俺は、あの人のようには、なれない」
生まれも育ちも違う。俺とその作者は別人。
「俺はあの人のように、なりたかった」
自分で云ってしっくりきた。それが望みだ。
「キョン。冷たいようだが、もしも僕にキミの願望を実現する能力が備わっていたとしてもその願いを叶えるあげることは出来ない」
「何故だ?」
「キミはキミだからこそ、僕の親友たり得るからさ。キミがキョンじゃないと……困る」
哀しそうに目を伏せる佐々木に俺は謝った。
「悪い。ただの妄言だ」
「キミの願いだ。謝る必要はないさ。僕のほうこそわがままを云って、申し訳なかった」
わがまま。なら、俺の願いはただの駄々だ。
「それにしても……キミの作品のこのオチ」
「ああ。酷いもんだろ?」
「なんで主人公とヒロインが脱糞するのさ。裏腹でハラハラしてもお腹は下さないよ?」
「フハッ!」
なんでだろうな。生まれや育ちの影響かな。
「キミはきっと、この作品に対する賞賛を原作者に捧げたいのだろうね。この二次創作を読んだあとに原作を読むといかにオリジナルが素晴らしいかがわかる。やれやれ、だね」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
わざわざ分析するまでもない。オリジナルあってこその二次創作。賞賛されるべきは原作者であることは明白だ。だから、俺は嗤う。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「止まりかけた世界が回って、なによりだ」
たとえ惰性と呼ばれようとも、世界は回る。
原動力は俺の薄汚い愉悦と、呆れつつもそばに居てくつくつ喉の奥を鳴らす親友の笑み。
「どんな未来が僕らを試しても、親友だよ」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
ときめきが、遠い世界に届くことを願って。
「ふぅ……佐々木。次はお前が書いてみろ」
「仕方ないな。キミが嗤えるお話を書くよ」
受験そっち除けで俺たちは二次創作に耽る。
【キョンと佐々木の喪失】
FIN
先日、『私のほうが先に好きだったので。』という作品と出会いまして、これがまた素晴らしいお話で存分に楽しませて頂きました。
世界が止まりかけている方におすすめです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
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