「キョン。キミは自分という存在を客観視した際に嫌悪感を抱いたことはあるかい?」
なんの脈略もなく訊ねられた俺が視線を向けると、中学の冬服に身を包んだ佐々木は窓の外に目を向けており、何か珍しいものでも見えるのかと思って目を凝らすも、寒々しい晩秋の曇り空くらいしか特筆すべきものは見当たらなかった。
「自分のことを好きになるにはどうしたら良いのだろうね。皆目見当もつかないよ」
自分のことを好きな人間なんざロクな奴じゃないだろう。すると佐々木はくつくつ笑い。
「ロクでなしか。それは魅力的な在り方だが、失うものがあまりにも大きすぎる」
「たとえば?」
「大切な友達、かな」
そんな歯の浮くような台詞に限って目を見て話していると本当に友達が居なくなるぞ。
「もしも僕の日常にキミが居なくなったらどうなるのか、それは実に興味深いね」
別にどうにもなるまい。地球は回り続ける。
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「それにしても意外だね」
「何がだ?」
「キミが人目を気にしていることがだよ」
失礼な。俺だって少しは人目を気にするさ。
「結局のところ、自分自身と向き合うためには鏡に頼らざるを得ず、その代用として周囲の人間と関わり、反応を得ることで己の良し悪しを見定めているのかも知れないね」
「虚しいな」
身も蓋もない結論に辟易とすると何が面白いのやら、佐々木は愉快そうにくつくつ笑う。
「キミは他者との関わりにもっとマシなリターンを求めているのか。承認欲求かい?」
「どうだかな」
承認欲求という言葉自体悪いイメージしか湧かないが、誰かに認めて貰えたら素直に喜ぶべきだとは思う。意地を張るだけ損だから。
「省エネ思考だね。キミはなるべく労力を割きたくないわけだ。そしてそれは現代社会においては共通認識と言えよう。わざわざ性格の合わない相手と仲良くしようだとか、相手の趣味嗜好に合わせる努力だとか、そんなものはこの先必要なくなるのだろうね」
そうやってすぐ極論を持ち出すのはやめろ。
「いくら議論を重ねても結局行き着く先は極論だ。ならば最初から極論が最も省エネさ」
「折衷案や妥協案だってあるだろうが」
反論すると佐々木は皮肉げに嘲笑しながら。
「折衷案や妥協案は解決策とは呼べない。問題を解決することを諦めて落とし所を見つけているだけだ。棚上げや先送りにしてね」
そうかも知れないがそれが世の中で社会だ。
「そうだね。だからこそ、この世の中は自分自身を好きになれない者が溢れている。自分の好きなことを好きなように出来ないことに誰しも不満を抱きながら不承不承にこの世の中や社会のルールに従っているわけだ」
まるで反抗期真っ盛りの中坊のようなことを中学生の佐々木が口にするのがシュールだ。
「キミの僕に対する印象は恐らく、僕自身のそれとは大きくかけ離れているのだろうね。僕はこうして友人に愚痴ることに違和感などないが、キミにとっては違うようだ」
面白くなさそうに鼻を鳴らして訊いてきた。
「時にキョン。キミの目には僕はどう映る? 見たままでも印象でも構わないから歯に絹着せずに遠慮なく言ってくれ」
佐々木をひとことで表すならば。そうだな。
「大人びたガキ」
「なるほど。まさしく、ぴったりだね」
嬉しげにくっくくと佐々木は肩を揺らした。
「ではそんな辛辣なキョンに訊ねようか」
「なんだよ、改まって」
「どうしたら大人になれるんだい?」
さて、どうだろうな。
そもそも今現在、中坊の俺が知る筈もない。
逆に大人びた佐々木のガキな部分と言えば。
「僕の胸部に何か言いたいことが?」
「言わせて貰っても構わないのか?」
察した佐々木がジト目で睨んできたので口に出す前に確認を取るとやれやれと肩を竦め。
「キョンに好かれるのは苦労するね」
なんだそれは。
もともとはどうしたら自分を好きになれるかという話だった筈だろう。論点をズラすな。
「ついさっき話した通り、自己を評価するためには鏡に映らなければならない。だから僕にとってキョンの評価は価値があるわけさ」
くだらない。自分の価値を人に測らせるな。
「おや? 怒っているのかい?」
「別に」
「キミは優しいね。優しくて、潔癖だ」
優しいことは弱さで潔癖は自尊心のせいだ。
「キミは自分が弱くてプライドが高い人だと認識しているわけか。それはなんとも……」
「なんだよ」
気恥ずかしさからぶっきら棒に促すと、佐々木はまるで少女のように顔をトロけさせて。
「かわいいなって」
「……お前にだけは言われたくない」
どう考えても可愛いのは佐々木のほうでそして気づいた。ここが佐々木のガキな部分だ。
「こほん。どちらかと言えば、精神年齢が高い女性のほうがかわいい男の子に弱い筈さ」
「そうなのか?」
「そうとも。僕みたいに恋愛なんて一時の気の迷いで精神病だと言い張る女は、そうした男に弱い。これは紛れもない事実だよ」
断言するのはいいが捉えようによっては自分はあなたに惹かれていると聞こえるんだが。
「おやおや。キミは女性にカマをかけるような卑怯者なのかい? 相手が自分に対して好意を抱いていると確信してから動く男は嫌いだな。男なら勝ち目のない勝負をしたまえよ」
「ふん。どうせ俺は嫌われ者さ」
そうやって挑発したり急かしたりけしかけてくるような女なんてこっちこそお断りだね。
「やれやれ。そうやって拗ねて気を引こうとするのも良くないよ。将来が心配だな」
「ほっとけ」
「僕が放って置いたところで他の女の子が放って置けないだろうさ。キミは罪な男だね」
言いたい放題言いやがって。こうなったら。
「じゃあ、試してみるか?」
「え?」
「たしかに俺は自分に自信がない情けない男だ。だがそこまで言うなら勘違いすることもあるかも知れない。勘違い、してみるか?」
この世の中には"ヤケクソ"という便利な言葉があって、中坊の俺にはうってつけだった。
たまには安全牌を拾わずにいってみようか。
「佐々木」
「な、なんだい?」
「お前はかわいい」
「そ、そうかな……?」
思えばこれまで面と向かって佐々木にかわいいと言ったことはなかった。俺なんかに言われても嬉しく無かろうと思っていたからだ。
しかしどうだ。現に、佐々木は照れている。
「俺はどうやら大人びたガキに弱いらしい」
「そ、そうなのかい……?」
「恋愛なんて一時の気の迷いで精神病だって言い張っている女がガキみたいに笑っているところが魅力的だ。佐々木、お前のことだ」
だからさ、と。俺は気づいたら怒鳴ってた。
「自分が好きじゃないなんて言うなよ!」
「キョン……」
怒っているわけではなく、やるせないのだ。
「……らしくないことをすると疲れるな」
「疲れさせてごめん……でも嬉しかった」
どうやらイキった俺の言葉は正しく佐々木に伝わったらしく、ホッと安堵した俺が思わず浮かしてした腰を席に下ろした、その瞬間。
ぶちゅっ!
「ほえ?」
「フハッ!」
やれやれ。熱くなりすぎて漏らしちまった。
「キョン! そういうの良くないよ!!」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「ほんとにもぅ……泣けてくるよ」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
悪いな、佐々木。でもこれが俺なんだよ。
「ふぅ……泣くほど嫌だったのか?」
「ぐすっ……泣くほど嬉しかったのに臭い」
「臭くて悪かったな」
「ううん。僕は存外、臭いのが好きらしい」
「……そうかい」
便臭を漂わせながらふと窓の外を見やると、分厚い雲の裂け目から一筋の光が降り注いでいて灰色の冷たい世界が淡く色づいていた。
【キョンと佐々木の便秋】
FIN
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