キョン「まるで少女漫画の男の子みたいだな」佐々木「それはキミだろう?」 (8)

「佐々木さん、これ貸してあげるー!」

中学時代に佐々木という友人が居て、同じ塾で席を並べていたこともあり、俺が塾で使う参考書などを自宅に忘れた際などはそれを取りに家に立ち寄ることもあったのだが、頑なに玄関より先に踏み入ろうとはしなかった。

「これは……?」
「すっごく面白いから読んでみて!」

そんな佐々木が今日も今日とて玄関で靴も脱がずに置物と化しているとすかさず妹が無遠慮に何やら押しつけた。愛読の少女漫画だ。

「ありがとう。大事に読ませて貰います」
「うん! 読み終わったら感想きかせてー」

何がそんなに嬉しいのか朗らかな妹に釣られたのか佐々木も珍しくシニカルでない微笑みを浮かべていて、兄として妹によくやったと褒めざるを得ない状況が生み出されていた。

「悪いな、うちの妹が」
「悪くもないのに謝罪するのは感心しないな。むしろあんなにも可愛らしい妹さんをキミはもっと誇るべきだ。それともキョンは身内を褒めるのが恥ずかしいお年頃なのかな?」

妹が可愛らしいことは俺が誰よりも熟知しているしそれを恥だなんて思ったことはない。
では何故、わざわざ謙遜したのかと言うと。

「なるほど。知り合いに妹さんを褒めて貰って悦に浸りたかったわけか。恐れ入るよ」

やれやれと首を振りながら先程の花咲くような微笑みとは似ても似つかぬシニカルな笑みを浮かべながら、佐々木はくつくつと笑った。

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「よう、佐々木」
「ああ。おはよう、キョン」

さて、その翌日。学校でのことである。
俺は朝っぱらから珍妙な場面に遭遇した。
佐々木が自席で熱心に漫画を読んでいた。

「それ、妹の漫画か?」
「うん。なかなか興味深い作品だよ」

やたらと目がデカくて鼻と顎が尖っているイラストが表紙を飾っているその少女漫画に興味深いなんて感想は相応しくないと思うが。

「絵の好みはともかく、キミの妹くらいの年頃の少女が男性に対してどのような理想を抱いているのかこれを読めばよくわかる」
「白馬に乗った王子様的な奴か?」
「いいや、その認識はもはや古いらしい。現代的な少女が理想とする男性像は、ちょっと嫌味で根は優しいタイプが好まれるらしい」

話してみると実は良い奴だったパターンか。
よく言えばギャップ萌えという奴で、悪く言えば誤解されやすいだけの不器用な男だな。

「不器用な男性に惹かれる深層心理には幼い母性があるのだろうね。おままごとを好む年頃だし、世話を焼きたいのは本能なのだよ」
「なるほどな。でも結局、女子の方が男子よりも精神的な成長が早いから不器用で手のかかる男はすぐに嫌われちまうだろうけどな」
「おやおや。まるで実体験に聞こえるよ?」

あくまでも一般論のつもりだ。邪推するな。

「キョンがいつまでも大人になりきれないのはともかく、そういう男性を放ってはおけない女性は一定数は存在している筈だよ」

ヒモを養う金持ちの女みたいなもんか。
或いは夢を追う若い男に出資するスポンサー的な感覚か。どちらにせよ理解出来ないな。

「やれやれ。世話の焼き甲斐のない男だね」
「誰が世話の焼き甲斐のない男だ」
「キョンは安定思考だからね。極力リスクを負わないで済む道筋を探しつつ、リスクを上手く回避してリターンを得ることに対する憧れも捨てきれない。そういう所さ」

そういう所がなんだって? 訊いてやろう。

「そういう所が、かわいいから世話を焼きたくなるのさ。少しは理解出来たかい?」

さっぱりわからんな。もう一度言ってくれ。

「ダメだよ。二度はない。癖になるからね」

まるで飼い犬を躾けているような言い草には腹が立つがひとまず大人しく黙っておいてやろう。どうせ俺は世話の焼き甲斐の無い男さ。

「拗ねるのはやめたまえ。それは女子の特権だ。拗ねれば自分の望みが叶うと学習した男はヒモにすらなれない。キミが男ならあくまでも自分の望みを叶えるために努力をするべきだ。不器用でも、遠回しでも、必死にね」

そんな説教をされた俺はどんな顔をしていたのだろう。じっとこちらを見つめていた佐々木の眉が優しげに下がったので、それなりに同情を引く悲壮感が浮かんでいたのだろう。

「ほら、見たまえ。この少女漫画でも不器用な男の子が自分を変えようと頑張っている。そんなひたむきさに我々女子は胸がときめくわけだ。力になってあげたいと思わせるようになれば晴れてキミも立派なヒモの一員さ」
「嬉しくないし、なりたくもない」

この少女漫画の男の子が将来ヒモになったら妹も含めて読者全員が嘆き悲しみ、泣くぞ。

「おっと。僕としたことがつい熱くなりすぎたようだ。読書感想文に私情を挟むようなエゴは持ち合わせていないつもりだったが、どうやら僕も精神年齢が下がっていたようだ」

佐々木がどんな幼児だったのかは興味ある。
こいつにも我儘な時期があって自分の思い通りにならない時に泣いて喚いた経験があったのだろうか。今の姿からは想像出来ないな。

「さて、どうだっただろうね。この世の中にはどうにもならない、どうしようもないことが存在していると気づいたのは果たしていつ頃だったか。残念ながら忘れてしまったよ」

そう言われると俺も記憶が定かではないな。
欲しい物が買えないだの好物が食えないだの幼稚なことはともかくとして、どうしようもない無常感ってのはそれこそ親しい人間の葬式でもなければ理解することは出来まい。

「そうだね。言い換えるなら取り返しのつかない不可逆に直面した瞬間だ。覆水盆に返らずとも言う。やり直せることとやり直せないことの明確な違いを知った瞬間、人間はとても臆病になる。それが成長というものさ」

嫌だ嫌だ。具体例なんざお互い口が裂けても言えないだろうが、それなりに抱えている。
なにせ同じ年月をそれぞれ生きているのだ。
生きていれば誰でも間違えるし失敗もする。
大抵のことはやり直せるし、挽回も出来る機会も訪れるだろうが、例外は存在するのだ。

「キョンは間違えたくないと思うかい?」
「誰だって……そう思うだろう」
「そうだね。でも少し見方を考えれば、これまでさまざまな間違いを犯したキョンが今この瞬間、僕の目の前に存在してると言える」

はっとして佐々木を見つめるとしてやったりみたいな顔をしてシニカルな笑みを浮かべていた。負けを認める。素直に感銘を受けた。

「お前だって、そうなんだろう?」
「そう。お恥ずかしいことにね」

これまで犯した佐々木の数々の失敗とやらが何かは知らないが、それが今の佐々木を作り上げたのだと思えば悪くない気持ちになる。
同じようにそれが今の俺を作り上げたのだ。

「なあ、佐々木」
「なんだい、キョン」

パタンと本を閉じて、こちらを見つめてくる佐々木の瞳には少し怯えが混じっていた。
誰だってそうだろう。間違えるのは怖いさ。

「例えば今この瞬間、俺が間違えたら……」
「もちろん、友人としてキミを叱るよ」
「叱られるのか……それは怖いな」
「でも嫌うことはない。それでも怖い?」

ふっと、恐怖が薄れていく。魔法のように。

「まるで少女漫画の男の子みたいだな」
「それはキミだろう?」

格好良く、くつくつ笑う佐々木はたしかに、対象年齢がいくらか上に見えた。中学時代に佐々木と出会えた俺にはドンピシャである。

「じゃあ、叱ってくれ」
「うん。どんな間違いを犯したの?」
「実はその漫画を妹に借りたことがあってな。もちろん、無断で拝借したんだけどさ」
「それは良くないね。もうしちゃダメだよ」
「待て。この懺悔には続きがあってな……借りて読んでる時に糞がしたくなってさ」
「うん?」
「読みながら用を足そうとしてトイレに持ち込んだんだけど、なんと紙を切らしてて……」
「……それで?」
「丁度、お前が今読んでた次のページをビリビリっと破いてよく揉んでから尻を……」
「もう嫌い! 僕、キョンのこと嫌い!!」
「フハッ!」

覆水盆に返らず。出した糞は、戻らない。

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「なに嗤ってんのさ!? 反省して!!」

これが嗤わずにいられるかっての。
佐々木に嫌われちまった。悲しい。
高らかに嗤いながら、俺は泣いた。

「ううっ……畜生……畜生……!」

妹の漫画で尻を拭いた時は多少の罪悪感はあれども、ここまで後悔するとは思わなんだ。
いつか妹にバレたら新しく買ってやれば済むと思っていた。しかし、まさか貸すなんて。
こんなことになるなら糞塗れのまま拭かなきゃ良かった。お袋に怒られるだけで済んだ。

でも。それでもさ、佐々木。これが、俺だ。

「開き直るのはやめたまえ。謝罪が先だ」
「ごめんなさいでした」
「まったく……少しそのまま待ってて」

観念して素直に土下座すると佐々木はやれやれと首を振りながらパラパラと漫画を捲り、該当の破れた箇所を見つけるとふらりと教室から出ていった。独り正座で残される、俺。

「お待たせ」
「どこに行ってたんだ?」

数分で戻ってきた佐々木に訊ねると、なにやら珍しく紅潮した顔を逸らしつつ、答えた。

「キミの世話を焼きに……ちょっとね」

はて、どういう意味だろう。頭上にクエスチョンマークを浮かべながらポカンとする俺に佐々木は少女漫画を手渡してきた。中を読んでみろということかと思いパラパラ捲ると、見つけた。俺が破いたページだけでなくその次のページも破かれている。これはまさか。

「見ての通り、これで僕も同罪だから。だから半分ずつお金を出し合って新品を買って、そして一緒に妹さんに謝ろう」
「佐々木……」
「正しくないことはわかってる。でも僕は」
「お前は不器用だけど、良い奴だ」

妹に新品を買ってやったあと、この敗れた少女漫画は俺の家宝にしよう。そう決めた。
俺たちは正しくはないかも知れないが、それでも間違いではなかったと、俺は信じたい。

「お前がヒモになったら養ってやるよ」
「やれやれ。それはこっちの台詞だよ」

馬鹿だねキミはと、佐々木は笑う。
くつくつと喉を鳴らして、シニカルに。
対象年齢は高いが、その分、魅力的だった。


【キョンと佐々木の失敗】


FIN

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