【鬼滅の刃】善逸翁霹靂譚 (66)

・捏造成分が多いです
・舞台は主に昭和63年となっています
・オリキャラが出ますが、主人公ではなくモブの語り手という形です
・登場人物の寿命を勝手に設定しています
・【重要】原作とも現実世界とも違う世界線です(とくにオチ)

その辺りを許してくれる方だけお読みください

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1608110079

 小説投稿サイト、なるものを初めて利用する。

 実際にデータを打ち込んでくれるのは友人の編集者であるB君だからインターネットの扱いについての問題はないと思うのだが、何分スマートホンの扱いにも苦労する老人のやることである。

 読者諸氏におかれては、細かい不備があってもどうかご容赦願いたい。仮に間違いや問題点があっても一旦投稿した記事はもう訂正できぬとのことで、年甲斐もなく緊張している。

 私の名は仮にAとしておく。この話においては私の実名の重要性など下の下もいい所だからだ。文芸誌や週刊誌の雑誌記者をしていたというポイントだけ頭に置いて頂ければ良い。今は引退している。

 小説の導入としてはどうにも不細工な感じになってしまっているのは承知の上だ。言い訳がましいとは思うが一応理由はある。この投稿記事がフィクションの物語ではなく、実のところほぼ、私の体験談のようなものである故だ。

 何故一個人の体験談などを小説用のインターネットに投稿しようと思ったのか? それは、私の目的のためにはどうしてもまず、彼の人の逸話を読者諸氏に紹介しておく必要があるからである。



 ──彼の人の名を、我妻善逸という。

善逸翁と出会ったのは、昭和63年の八月であった。天皇陛下のご病状が思わしくないことが国民に伝わるよりも少し前だったのをはっきり覚えている。西暦でいえば1988年、今から約三十年前だ。

暑い夏だった。バブル景気の絶頂期でもあり、忙しなく行きかう人々の間には楽観的な、明るい雰囲気が漂っていた。ディスコだの、トレンディドラマだのが流行っていた。株の値段も土地の値段も永遠に上がり続けるものだと皆が信じ込んでいた。まず浮ついた時代だったといっていいだろう。どこかに時代の変わり目のきざはしを感じた者ぐらいは居たのだろうが、その懸念が口に出されることは遂に無かった。

きっかけになったのは確か八月の上旬だったはずだ。ちょうど取材の帰り、赤坂で大学時代の友人であり当時総合商社に勤務していたC君とばったり出会い、せっかくだし涼しい喫茶店で一服でもしようじゃないかということになったのである。当時の勤務形態ではこの程度の道草ぐらいは許容されていた。まだスマートどころか初期のタイプの携帯すら存在しない時代である。若い読者だと見たことすら無いのではと危惧するが、ようやく前年に出回りだしたポケベルもまだ支給されていなかったので、いきなり呼び出される心配もない。

今のような小洒落たコーヒーチェーン店が世界中に展開してくるのはもっとずっと後になってからであり、私達が入ったのは当時主流の個人経営、昔ながらの喫茶店だった。扉を開ければ中には客たちが吐き出す煙草の煙が濃く立ち込めていた。禁煙席を分けている喫茶店などほとんど無かったと記憶している。何しろ飛行機の中にすら喫煙席があったぐらいだ。

当然のように私たちもセブンスターをくゆらせつつ互いの話に興じる。仕事の内容に話が及んだところで、私は最近扱おうとしているネタを何気なく口にした。

ここで読者諸氏にもお訊きしたい。鬼殺隊、という単語をご存知だろうか?

その3か月前に私は初めて耳にしていた。胃癌の治療のために入院中の大叔母に突然呼び出されたときのことである。

親族同士の集まりで何度か顔を合わせたぐらいで、どちらかというと疎遠な間柄なはずの大叔母が私を指名したのは、後でわかったことだがどうやら私がマスコミ関係者だということが理由らしかった。実際はただの雑誌記者であり少し意味合いが違うのだが。

病床で彼女が語った内容は奇々怪々もいい所であった。曰く、時代は大正、闇夜に跳梁跋扈する人を喰らう鬼を倒すために組織されたのが、鬼殺隊という組織だったと。そして、その組織を支援する役割を帯びていたのが、藤の花の家紋を掲げる家々──つまり、我が一族もその一つだった、というのである。

確かに実家の家紋が藤の花だということは知っていたが、そんな裏話などついぞ聞いたことがない。

大叔母には申し訳ないが、年齢と病気がもたらした他愛の無い妄想としか思えなかった。なにせその鬼たちというのは、特別な製法で鍛えた刀で首を撥ねるか日光の中に引きずり出さない限り死なず、まるで魔法のような特殊能力を持ち、さらには傷つけてもたちまち再生する能力を備えていたというのだ。

まるで昔話だ。ホラにしても出来が悪い。もちろん鵜呑みにするはずもなかった。

だが、痩せ衰えた腕に点滴を刺された大叔母が向けてくる視線はあまりに真剣で、妄想にせよ言下に否定することは躊躇われた。

そのため私は質問で論点を逸らすことにし、「それにしても、何で今更大正時代の話なんて持ち出したんだい」と聞いてみたところ……

「鬼舞辻無惨が死んで鬼殺隊が解散したことで、我ら藤花の家々の役割も終わった。後は口をつぐみ過去に葬るのみ、と思っておったのじゃが……それは間違いだった、と気づいたからだわえ」

と、しわがれ声で言うのである。

ちなみにキブツジというのは鬼の首領の名前とのことだ。

「間違いって……何が?」

「お館様も、おまえたちがそう思うのなら好きにしなさいと仰ってくだすった。だからAよ」

問いに明確な答えは返さぬままに、骨と皮ばかりになった手でいきなりがしりと手首を掴まれて、私は思わず飛び上がるところであった。

「お前がやっておくれ。あの方たちの想いと誇り高き戦いを、どうか語り伝えておくれ……!」

雑誌記者という肩書は度々厄介ごとを持ち込んでくるものだが、まさかそれが身内からとは思いもしなかった。それ以上情報を集めようにも、それから程なく大叔母は人事不省になってしまい、2週間後には逝ってしまった。残されたのはわずかな手がかり……鬼殺隊の中心人物だという数名の名前のみである。

とはいえほぼ遺言のような形になってしまったこともありさすがにないがしろにするのも気が引けて、本来の業務の傍ら、今でいうスキマ時間に少し情報収集の手を広げてみたところ……

意外にも、ぽろぽろと出てくるのである。藤の家紋を持つ家々から。鬼殺隊の逸話が。

発信源はおおむね東京付近であったが、地方にもいくつかそんな伝承があった。大正時代にそういう名前を関した組織があり、それに協力する者たちがいたことだけは、どうやら史実と言っていいようなのである。

もちろん不死身の鬼などが現実に存在するわけもない。私は何らかのテロ集団と、それに対抗する組織との縄張り争いのようなものがあったのではないかと想像していた。組織というのが私的なスポンサーを持つ集団だというのがちょっとよくわからないが、大正時代に刀をぶら下げて歩いていたというのも事実だとするならば犯罪者集団と五十歩百歩の内実だと仮定すればなんとか辻褄は合うか。

こうなってくると私も少し興味が出てきた。ところがそこで立ちはだかったのが年月と戦争という壁である。大叔母と同じく、半世紀以上を経て突然重い口を開く気になった老人たちの齢は軒並み八十、つまりその当時の日本人の平均寿命を優に超えていた。存命していても、耳が遠いか、記憶があやふやになっているか、あるいは何かの病で喋れないか、その全てか。なかなかまともな情報が得られない。では文献はどうかというと、大戦時の東京大空襲のため、当たれそうなものは軒並み焼失してしまっていたのである。

だからC君に対して私がその鬼殺隊という言葉を口にしたのはまさにただの愚痴としてだけであり、

「ええっ? ボケちまった本家の爺様が確か最近、同じような事を言ってたらしいがなぁ。キサツタイとかいうのに入ってて、鬼をばっさばっさと倒してたとかそんな話を、息子に書きとらせたとか……」

などというズバリ求めていた情報が返ってくるなんて夢にも思っていなかったから本当に驚いた。

「な、何っ!? その爺様、名前はなんていうんだい!?」

我妻善逸。それは確かに、大叔母の話に出てきた鬼殺隊の中心人物のなかでは数少ない、生存者の一人とされる名前だった。

「あんたですかいねぇ。わしに会いたいってぇ……おっしゃってる人ってのは」

C君の紹介で牛込の我妻邸を訪れ、善逸翁に初めて会ったとき。私は正直、失望を禁じえなかった。

鬼だのなんだのは妄想やら幻覚の類だとしても、凶悪なテロリスト集団を狩る組織の実行部隊の生き残りのはずの人である。背筋をぴしりと伸ばし着物姿も威風堂々とした、矍鑠と厳しい視線を纏った人物を期待してしまうのはやむを得ないところだろう。だというのにがらりと玄関を開けて現れたのは、よれよれになったTシャツにほつれたジャージのズボンを穿き、だらしなくサンダルを突っかけたよぼよぼの老人だったのだから。

「へぇへぇ。鬼殺隊、ねぇ。もちろん入ってましたよ。並みいる鬼どもをわしの刀で軒並み切り倒し、その活躍に女房も、ワシにすっかりべた惚れの夢中になってしまいましてなぁ……ぐふっ……ぐふふふっ……禰豆子ったら、もういやんっ……」

一応C君の事前情報で、1年前に長年連れ添った奥方に先立たれてからめっきりボケてしまった(この時代、認知症という現代のコンプライアンスに沿った用語はまだ存在しないのである。当時の言葉遣いに準ずることをお許し願いたい)とは聞き及んでいた。

しかしこれは予想以上、いや予想以下だ。この様子では奥方と死別したことすらちゃんと認識できているか怪しい。

とはいえ、貴重な生き証人であるから丁重に扱うにしくはない。善逸翁が以前息子や孫に書きとらせたという記録が見つかればいいのだが、せっかくわざわざ作成したというのにそのノートを老人本人がどこに仕舞ったのか忘れてしまっていくら探しても見つからないというのだから、後は本人からどうにかして聞き出すしかないのだ。

ちょうどお昼どきだし、どこかでご飯でも食べながらお話を伺えませんかと訊ねてみたところ、それまでよぼよぼと彷徨っていたはずの視線が急にしゃっきりギラリと輝いた。

「ほほう、奢りですかな? わし、”志満銀”の鰻重と肝吸いが大好物なんじゃが……これだけ暑いと、精を付けないといけませんからのぅ……いひっ、いひひひひっ……♪」

この干乾びる寸前という風情のご老人が今更精を付けてどうしようというんだろう、という疑問が湧かなくはなかったが、この時代、接待交際費の扱いが今よりよほどルーズだったこともあり、諦めて神楽坂へと向かう。老人はわずかにびっこを引いており、片手で杖を突いていた。何でも若い頃に脚をひどく負傷して、一度は治ったものの最近また古傷が痛むのだという。

途中本屋の前を通りがかるとまた目を輝かせて、
「おお! ナンノちゃんのぐらびあが出ておる! 折角じゃしこれも一冊奢って貰えませんかの? いんたびゅーのぎゃらのついでということで……♪」
などと言い出すので南野陽子の写真集まで購入する羽目になった。確かに当時のアイドル四天王であり知らぬ者がいないほどの大人気ではあったが、今年米寿を迎えようという爺さんが鼻の下を伸ばしているのはさすがに気色が悪かったと告白しておこう。申し訳ないが。

どうにか鰻屋にたどり着いて、特上の鰻と肝吸いを注文する。年齢にしては善逸氏の食欲は旺盛だった。機嫌が良さそうになったのを見計らって、いろいろと当時の逸話について水を向けてみたのだが……

「ああ……あのときは楽しかったなぁ……炭治郎も伊之助も禰豆子も、皆が元気で……あの家での毎日毎日が夢のようだった……あの頃は、本当に本当に楽しかったなぁ……」

私はテロリスト集団との血生臭い決闘や鬼殺隊なる謎の集団の実体について訊きたいのに、氏の記憶と話の内容はいつでも、あっという間に、鬼の首領を倒した後に山の中の小さな家で仲間たちと暮らした、限られた短い日々へと戻っていってしまうのである。

「ああ、無惨が死んだ後は……これで平和な世の中がやってくるんじゃと喜びましたがなぁ……蓋を開けてみればほれ、震災やら、戦争やら、原爆やら……鬼よりも人や自然の方が余程たくさん人を殺しておる。無惨のやつも今頃地獄で目を回しておるじゃろうて……わっはは……」

自嘲気味の笑いを漏らしたかと思えば、鰻を食べ終えた後など、彼は辺りはばかることなく大粒の涙を零した。

「ああ……炭治郎にも、こんな旨い鰻を食わせてやりたかったなぁ……アイツは特別だから、痣なんかあったってきっと長生きするって思ってたのに……俺……俺……もっともっとアイツと一緒に過ごしたかったよ……もっともっと一緒に笑いたかったよ……」

顔に一世紀弱分もの皺を刻んだ善逸翁が、さきほどはアイドル写真集にだらしなく鼻の下を伸ばしていた老人が、このときばかりは、まるで少年のように泣くのである。

翁は特に、この炭治郎という人物に対する思い入れが激しいようであった。続柄としては彼の義兄に当たるはずだが、実際には親友の間柄であったのだと想像できた。若くして早逝したため共に過ごせる時間が短かったのも関係しているのだろう。

取材者としては、なんとか氏を宥めて有益な情報を引き出すべきであったが、私は何故かそうできなかった。ただ黙って、ほうじ茶が冷めていく湯飲みを両手で包んだまま、ただ話を聞いていた。

二度と戻らぬ彼の若く輝かしき日々に、共に想いを馳せるような気分で。
 

「次は紀の本のあんみつなぞがよろしいですな。あそこは抹茶最中などもなかなかグーで……」

店を出たとたん、翁はさっきまで大泣きしていたのが嘘のようにけろりと次のギャラ、あるいは賄賂を要求してきたが、もう不思議と、私は苛立ちもしなかった。むしろこのまるで経てきた年月なりの風格というものを備えていないだけでなく、どこか少年のような純粋さを感じさせる老人の話をもっとじっくりと聞いてみたいという心境に変わりつつあったのである。

「構いませんが、少々銀行に用があります。済ませてからでよろしいですか?」

氏は快く了承してくれたので、歩いて数分の三友銀行の支店へと向かう。そのときはあんな事件に巻き込まれるなんて思いもしていなかった。

インターネットバンキングなどはもちろん、ATMすらまだ少なかった時代である。銀行業務の取り扱い量は現代よりもずっと多かった。窓口で支払いの用紙を提出し、善逸氏が座れるよう待合の椅子を探そうとしたときである。

覆面をした数人の男が、手に何か黒い棒状のモノを構えて入り口から走りこんできたのである。

一人がそれを上に向け、一瞬後に猛々しい破裂音が響き渡ったことで、それが銃だとやっと理解できた。

とたんに上がりかける悲鳴を遮るように、男の一人がドスの効いた声でがなり立てる。

「全員その場で両手を挙げろ! 少しでも動いたらタマぁブチ込むぞ!」

 これが世にいう、三友銀行神楽坂支店強盗事件の幕開けであった。

今でこそ銀行強盗という犯罪はほとんど聞かれない。銀行よりずっと警備が手薄で盗みやすく24時間いつでも押し入れるコンビニ、あるいはファストフード店という存在が登場したことが大きいが、最近ではハッキングによる犯罪も増えているようである。犯罪者も在宅ワークの流れということのようだ。

しかし当時はまだ、年に数件ぐらいは新聞を賑わせていた。まさかその瞬間に居合わせてしまうなんて、私も善逸老人も運が悪いにも程があるが。

「おらっ! 早くありったけの現金を詰めやがれ! 少しでも怪しい真似しやがったらタダじゃおかねえぞ……!」

後で思うに、Gun&Runという手口だったようだ。入り口に車で乗り付けておいて集団で押し入り、金を奪ってすぐにトンズラするというやり方である。素早く済ませれば警備の隙を突くことができるともいえるし、あまり綿密でない雑な計画という言い方もできる。

強盗たちは6人もおり、それぞれが手に拳銃らしきものを振り回していた。おそらくトカレフであったのだろう。あまり性能の良い銃ではないという話だが、殺気立って目を血走らせている男たちの手にあれば十分過ぎる脅威だ。

私は無力な一般市民である。しかも、隣には私以上に無力な九十歳を目前にしたよれよれの老人がいる。ただ犯人の命令通りに両手を挙げたまま、嵐が無事に過ぎ去るのを待つしかない。そのはずだったのだが……

その場に居た誰もにとって不幸なことに、私達のすぐ横で母親に抱えられて椅子に座っていた3歳ぐらいの女の子が、恐怖のあまり火のつくような勢いで泣き出してしまったのだ。

「んなっ、何やってんだっ。すぐにそのガキを黙らせろ……!」

「ひいっ!? ゆ、許してっ、許してくださいっ……!」

冷静に考えれば、泣いている子供など放っておいて金を奪って逃げればいいだけのことである。しかしこんな極限状態で冷静に判断できるものなど、犯人側を含めて誰もいなかった。震えながら子供を守ろうと覆いかぶさる母親に、強盗の一人が銃を突きつける。

「っやっ、やめっ……たまえっ……!」

私は毅然として制止の声を張り上げた。……と書ければ良かったのにと思うが、実際の所、反射的にこぼれ出た声は小さく震え、おまけに裏返っていた。情けない限りだが、別に正義のヒーローを演じたかったわけではないのである。ただ私にも同じ年頃の娘が居て、反射的に声が出てしまってからすぐ後悔したものの、もはや引っ込みがつかなかっただけ、なのだった。子を持つ親ならこの感情、わかってもらえるのではないだろうか。

しかし出てしまった声はもう取り消せない。

「あ……? てめぇ、俺に指図する気か……?」

強盗の銃が、ぴたりと私を向いた。極限まで苛立ちを漲らせた男は、何のためらいもなく引き金に指を掛ける。銃口の内側の金属がかすかに光を反射するのが見えるほどの近距離で、私は唐突に、避けようがない自分の死という現実に向き合わさせられていた。

正直に言おう。鰻屋を出るときに便所に寄っていなかったら、間違いなくその瞬間に失禁していただろうと。痛いのも苦しいのも恐ろしいが、それ以上に同い年の妻と、もうすぐ高校受験の息子と、まだ幼稚園児の娘を残して死ななければならないのかという辛さ焦りが脳を駆け巡る。
 

──その、次の瞬間である。

「ぴ……ぴ……ぴぇぇぇぇぇ~っっ!!! じゅじゅじゅじゅじゅ、銃っっ!???」

突如、メンドリが絞め殺されるときのようなけたたましい声が響きわたった。緊迫した情勢も忘れて視線をやると、そこには杖を片手に持ったままブリッジするような姿勢でぷるぷるぷるぷると床に仰向けになっている善逸老人がいたのである。

銃を向けていた強盗があんぐりと口を開ける。さらに二人ほどの男が異常に気付いて近づいてきた。

「あ? 何やってんだ?」

「い、いやこのジジイが急にひきつけを起こしやがって……」

私には善逸老人が恐怖のあまり奇行に走っているように見えた(C君曰く、氏は親族全員に太鼓判を押されるほどの極端な臆病者なのだそうである)が、強盗の意見も一理あった。何故なら犯人も私も唖然と見守っている間に、ぷるぷるした氏の動きがぴたりと止まり、そのままぐったりと床の上に大の字になってしまったのだから。

「な……なんだぁ……?」

「ビビり過ぎてポックリ逝っちまったのか?」

「まあそんなら……弾丸一発浮いたと思えばいいか。そんじゃあ……」

あっけにとられた様子から凶暴さを取り戻した強盗が再び私に銃を向けようとしたとき。

翁が、再びゆっくり、ゆらりと立ち上がったのだ。両手をぶらりと垂らして。片手には杖を持ったままだ。

「おいおい、さっきから何なんだジジイ。いい加減にしろよ?」

「いいから寝てろや。というか逝ってろや」

強盗たちが銃を振り回しながら軽い苛立ちを向けるが、私には。

さっきまでの臆病なよぼよぼの老人とその無言で圧を放ちながら立ち上がった存在との間には、何か決定的な差異があるように見えた。

「……の、……きゅう」

先ほどとは気配が違う。

汗も震えも止まっている。しゅうしゅうと蒸気機関車が立てるような音が聞こえる。彼の食いしばられた、入れ歯の間からだ。

これは……この力強い響きは、呼吸の音、なのか──?

そして、何よりその体捌き。先ほどまでの足腰の弱った高翌齢者のものではない。低く撓められ、深く杖を逆手に構えたその姿勢は、まるで放たれる直前の弓矢のように引き絞られていて……

「……れき、……っせん」

 次の瞬間、衝撃と閃光がスパークした。

あのとき起こったことを、他にどう説明すればいいのか、私にはわからない。

確かに一瞬、善逸翁の体が前方に飛び出したように見えた。その直後、激しい衝撃音が立て続けに何度も響いて、銀行内の空気が嵐のような勢いで掻きまわされ、老人よりもはるかに体格で勝る武装した犯罪者たちはことごとくが跳ね飛ばされ、打ち付けられ、きりきり舞いしてカウンターの奥に突っ込んでいき、一人は開けさせようとしていた巨大な金庫の頑丈な扉にものすごい勢いで激突したのである。私に銃を向けようとしていた犯人など、どこがどうなったのか、打ち上げられた天井に頭を全部めり込ませた状態でぴくぴくと細かく痙攣し……しばらくしてぱたりと動きを止めていた。

そしてそのコンマゼロ点何秒かの間に、善逸翁の体は、銀行の端から端まで移動していたのである。剣戟を放った後の、残心の姿勢で。

まさに霹靂。言葉で言い表すとしたらそれしかない。
 

パトカーのサイレンが鳴り響き、どやどやと警官たちが乗り込んできたのはその直後だった。もちろん抵抗するどころか、意識がある状態の犯人など一人もいなかった。

そんな状況だというのに、私は早々と事情聴取から開放された。

「うぇっ? 何? 何が起こったのっ? ていうか腰! 腰めっちゃ、痛ったいんですけどっ? これやった! 絶対ギックリやっちゃってるよぉ~っ……!」

と、善逸氏がおよそ分別のある老人とは思えないほどに取り乱して泣きわめきのたうち回ったため、病院に付き添う必要があったからである。幸いレントゲン上骨には異常なく、鎮痛薬と湿布薬を処方されて氏は大人しくなり、家に送り届けることができた。

あの事件については新聞でリアルタイムで読まれた方もいるだろうし、インターネットで検索して今お知りになった方もいるだろう。押し入ってきた強盗達が何故か突然仲間割れを起こして同士討ちとなり捕まったという、世にも間抜けな結末を迎えたという顛末が記されているはずだ。

だがそれは正しくない。状況を説明できなかった警察がひねり出した、無理やりなこじつけだと私は考えている。

だが、私の考えを証明することもできなかったのだ。当時でも確かに防犯カメラぐらいは設置されていたが、数は少ないし画質は悪いし、おまけに事が起こった瞬間に破壊されてしまったため、強盗達が吹き飛ばされる瞬間は捉えられていないのだ。

あの母娘を含め、銀行にいた人間の誰もが強盗達の銃に気を取られていて、翁の動きを見ていなかった。見ていたのは結局私一人なのだが、私の動体視力では発端と結果しか見届けられなかった。氏が本当に何をしたのかは、本人ですら知らない。すべては闇の中なのである。

ただ、後で計算してみたところ、強盗が打ち倒されている間に氏が移動した速度はカール・ルイス(※入力者注:1979年から1996年までオリンピックを席巻した陸上選手)などおよびもつかない、まさに紫電としか呼びようの無い数値を叩き出しているだろうことがわかった。

もはや人間業ではない。

犯人たちはいずれも重度の打撲傷を負っていたが、全員治療を受けて通常通り裁判を受け刑に服した。

彼らは幸運だったのだと思う。

もし翁が後十歳若ければ。あるいは手に持った得物が軽量のプラスチックの杖ではなく、刀とは言わないまでも木刀のような硬さと重さを備えたものであったのなら……

間違いなく6人とも、首と胴体は泣き別れしていたに違いないと思えてならないからだ。

さてその後である。

私は何度か翁と会う機会を得たが、結局あの日以上の鬼殺隊についての話を聞き出すことはできなかった。そうこうしているうちに天皇陛下の重篤が伝えられ、世は重要性の低い話題を取り扱うことが憚られる自粛ムードとなり……翌年、年号が平成と改められた。

時代は急速に変わりつつあった。

私はそれまで担当していた歴史関係の雑誌から異動となり、証言を得られる取材相手もどんどん減り、鬼殺隊についての調査は尻すぼみのお蔵入りとなった。善逸翁もとうとう亡くなった。私にできたのは葬儀で頭を下げ、せめてもの香典を差し出すことぐらいであった。

バブルは弾け、大震災は二回も起こり、浮かれた時代は終わりを告げた。私は記者を引退した。

リタイアした後も、あの日の大叔母の遺言を叶えられなかったという心残りは続いていた。

高翌齢になった証言者たちが何故、突然重い口を開き始めて鬼殺隊のことを語り伝えようとし始めたのかという疑問も、謎のままに終わろうとしていた。

ところが、先日のことだ。故・善逸翁のご家族から、突然のご連絡を頂いたのである。

なんと自宅の倉庫から、翁が書きとらせた伝記(ご家族は嘘小説と呼んでいたが……)を、ひ孫さんが発見したというのである。しかもひ孫さんが読み終えた後、わざわざ原本を私に郵送してくれた。

取材から三十年も経っているというのに、何故そこまで親切にしていただけるのかと疑問に思われるだろうか?

実は、病院などに送り迎えしたり、翁の記憶が無かったりしたせいか……ご家族の間では私はなんとあの事件のとき犯人から善逸翁をかばった恩人、ということになってしまっているのである。

もちろん事実は逆だ。命を救われたのは私の方だし、翁の名誉のためになんとか訂正しようともした。だがなんとも、説得力のひねり出しようがなかったのである。翁があのプラスチックの杖一本で瞬く間に6人もの凶悪犯を打ち倒したなんてこと、私ですら半分信じかねているのだから。
 

というわけで、私は”善逸伝”と名付けられたその記録を読み、B君の尽力で内容をスキャナーして貰い(最近では原本を傷つけずに高速で大量に読み取りできる機械があるのだそうだ。技術の進歩というのは窮屈なときもあるが、こういう時は本当に有難いと思う)すぐに送り返した。

そして私たちは──ここでいう”たち”というのは私とB君や翁のご家人を含めた”たち”であり、同時に私と善逸翁自身の二人をも指す”たち”だと勝手に思っているのだが──こう判断した。


この資料は世に送り出さなければいけないものだ、と。
 
できる限りの人たちの目に触れ、語り継がれるようになってくれないか、と私たちは願っている。
 
もちろん、物語性や話題性がどうだとかそういう欲得づくの経緯ではないと断言できる。
 
では何故かというと……
 

ここからは私事になるが、風邪のような症状が何カ月も良くならないので最近病院に行ったところ、ステージ4の肺癌だと診断されたのである。余命はせいぜい2.3カ月で、治療法はないとのことだ。実のところこの文章も、ベッドの上でB君に口述筆記して貰っている状態なのである。

念のため申し上げておくが、別にこの文章で同情を買おうというわけではないので、読者諸氏におかれてはどうかお気になさらぬよう願いたい。

善逸翁ほどではないものの、私も程々に長生きできた。子供も独立したし、妻の老後も心配はない。何より、あの時善逸翁に救われていなかったら、あの場で断たれていた命である。今更未練などない。

ただ……こうして余命短い身になってみて初めて、あのときの大叔母や、その他大勢の藤花の家の者たちが鬼殺隊の物語を語ろうとした理由が分かった気がするのである。


それは、命を、想いを、受け継ぎたいという祈りだ。

自分の命の火が消えようとも、友に、家族に、愛する者に生きてほしい、幸せになってほしいという願いだ。


鬼殺隊の面々は、愛する者を守るために、もっと若き者に使命を受け継ぐために、命を散らしていったという。

彼らの墓がどこにあるのかも私たちにはわからないが、それでもきっと、彼らの想いと命は、連綿と私達に受け継がれている。

鬼の頭領は死に、人食い鬼の脅威は去ったのかもしれない。

だがいつなんどき災害が、疫病が、あるいは戦争が、愛する人を苦しめることになるかもしれない。

そんなときには金も必要だろう。政治力も、武力も必要かもしれない。

しかし何よりも忘れてはならないのは──

どんなときにも私たちを支え、理不尽と戦う力を与えてくれるのは、その”受け継ぎたい”という想いだと、善逸伝は伝えようとしてくれている気がするのである。

老人の昔語りが長くなってしまったが、ここまでが序文である。

ここから先の本文は、B君がスキャナーしてくれた善逸伝の画像ファイルのデータとなる。

善逸翁のご家族のご意向で、著作権はフリーとなっている。

この投稿の一番最後のリンク先の、URLをクリックすれば見られるそうだ。ぜひ読んでみていただきたい。そして、できることなら語り伝えてもらえればと思う。

どのような形でもよい。口伝えでもいいし、マンガにしてもいいし、小説にしてもよい。そのためにここの投稿サイトを選んだのだから。

そしてもし仮に、この物語が人口に広く膾炙されるようなことがあれば……そのリンクはもう不要になるので、B君が削除してくれるそうだ。

その際はあなたがこれを読んでいるスマートホンなりパソコンなり、あるいはあなたの自宅の本棚なり街の映画館なりで、若き日の善逸翁たち、鬼殺隊の誇り高き戦いの物語を見届けてもらえればよいかと思う。

えっ、もうとっくに、何度も何度も見届けているって? それは重畳。お節介な老人の勇み足と笑い捨てて頂きたい。



最後に、鬼という生物についての記載に対する疑問なのだが……
 
今では私は、鬼は実在したのではないか、と思うようになっている。

根拠はある。

病床の老人の脳裏には、いまや薄れかけつつあるあの夏の日の記憶を眩く裂くかのように、まごうことなき真実の輝きがはっきりと映っているからだ。


煌めき閃いた瞬絶の霹靂と、それから……

亡き友を想って流された涙の中に。
 

    平成26年 ×月〇日

【リンク先は削除されています】

終わりです
読んでくれた方ありがとうございました

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