千川ちひろ「竹芝物語」 (351)

 お城に迷い込んだ異国の兵士は、城主からの誘いを断りました。

「私の帰りを待つ人達の元へ、帰らなくてはなりません」



「では、私が道標となりましょう」

 お姫様は、頷きました。

「あなたが行かれる道を迷わず選択できるよう、明るく照らす星明かりとなって」



 兵士はお姫様の下を、永久に去りました。

 でもそれは、ちっとも寂しいことではありません。

 なぜって――。


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   * * *

 とある部署の新人プロデューサーさんは、私の顔を見るなり泣きそうな顔をして狼狽しました。

「せ、千川さん、ごめんなさい。許してください……!」

 私の手には、彼が作成した活動経費に関する報告書があります。
 いくら電卓を叩いても金額が合わないので、事情を聞きたかっただけなのに。

 そんなに私、プロデューサーさん達から怖れられているのでしょうか。

「領収書の添付漏れですね?」
「は、はい……そう、だと思います……」
「よくある事です。でも、あんまり金額が大きいとね」

 彼が忘れたのは、営業先との交際費、つまり懇親会の領収書です。
 相手方にナメられてはいけないと、先輩からの入れ知恵で、結構お高いお店を使ったんだとか。

「会社のお金というのは、適正に管理されなければなりません。
 さらに言えば、我が社の活動を支援してくださる人達に対し、346プロダクションはその事実を説明する責任があります。
 それを証する書類を取りまとめ、上席に報告するのは、私達事務員の大切な仕事の一つなんです」
「はい……」

「領収書が無い活動経費を決算に計上してしまっては、経費の不適正利用を疑われてしまいます。
 346プロの信用の失墜にも繋がりかねません。分かりますね?」

 新人プロデューサーさんは、すっかり体を縮こませ、小動物のように震えてしまっています。


 私は、ニコッと笑い、バッグからエナドリを一本取り出して彼のデスクの上に置きました。

「だから、次からは気をつけてくださいね♪」


「せ、千川さぁぁん……!」

 張り詰めた緊張の糸が切れたのでしょうか。
 安堵しきった彼は、男だてらに、とは言いませんが、すっかり泣き出してしまいました。

 あまりジロジロ見てしまっては失礼かなと思うので、そのまま会釈して彼の下を去ります。

 私がいる346プロダクションは、自分で言うのもなんですが、芸能事務所の中でも大きな方の会社です。
 数ある部門の中でも、ここ数年になって特に力を入れているのが、アイドル事業。

 先ほどの彼は、年若い子が多いアイドル達の活動を導く、プロデューサーと呼ばれる人達の一人です。
 現状で我が社のプロデューサーは、一人当り概ね5人から10人程度のアイドル達を担当しています。
 それなりに潤沢な人材を擁する我が社ですが、所属するアイドル達もプロデューサーに輪をかけて多いのです。

 そんなプロデューサーさん達の活動を、庶務事務の面でサポートする私達事務員の仕事量も、生半なものではありません。
 だから、書類の円滑な処理のために、ある程度厳しい物言いになってしまうのは、どうか許して欲しいなぁと思っているのですが――。

 やはり、プロデューサーの人達からは、ちょっと煙たがられてしまいがちなようです。
 うーん、どうしたものかしら――。

「千川さん」


 後ろから声をかけられ、振り返ると、見上げるほどの大きな男の人がそこに立っていました。

 彼は、シンデレラプロジェクトという346プロ肝入りのアイドル事業の主導を任された、通称CPさん。

 我が社の中でも、偉い人達から相応の期待を寄せられている、指折りの敏腕プロデューサーです。
 提出してくれる書類の不備も、彼の場合ほとんどありません。

「お疲れ様です。どうかされましたか?」

 返事をすると、なぜかCPさんは、気まずそうに首に手を回しました。
 困った時にする、彼の癖です。

「いえ……シンデレラプロジェクトの活動について、一つお尋ねしたい事がありましたので」
「? 私に、ですか?」
「はい」

 ご自身の担当されるプロジェクトについて、私に尋ねたい事?
 知らず、首を傾げてしまいます。

 そんな私の反応も、CPさんは織り込み済みだったのでしょう。
 小さく首肯して、その大きな体格からは不釣り合いに思えるほど、ひどく丁寧にお話を続けます。

「つかぬ事をお聞きするようで、恐縮です。
 もしお分かりになればで、結構なのですが……」
「はい」


「私以外のプロデューサーが、もう一人、サブで就くという話について、何かご存知でしょうか?」

「……サブの、プロデューサー?」
「はい」
「シンデレラプロジェクトに、ですか?」
「そうです」

 私は顎に手を当て、傾げた首をますます捻りました。

「聞いたことありません。本当のお話なんですか?」
「今西部長から、先日、内々で私にお聞かせいただいたもので」

 今西部長というのは、彼をはじめとするプロデューサーさん達が所属するアイドル事業部の監督者です。
 その人がCPさんに対し、直々にそういうお話をするということは、まず間違いの無いことなのでしょう。

 でも――。

「随分と、急ですね」

 来期のプロジェクトが本格始動する予定の時期まで、もう1ヶ月を切っています。
 私がポツリと漏らした言葉に、彼は頷きました。

「今西部長にお聞きしても、経緯まではお話しいただけませんでした。
 その時の表情を見るに、特段の邪な事情があるものでは無いと、私なりに推察はしているのですが……」

 CPさんは、鼻で小さくため息をつきました。
 仏頂面を崩さない――もとい、あまり負の感情を表に出さない彼には珍しい表情です。
 それだけ、この人なりに重圧だけでなく、不安や心配も抱えているのかも知れません。

「より管理側に近い千川さんの方で、何か情報をお持ちではないかと思い、呼び止めてしまいました。
 申し訳ございません」
「いえ、私こそお力になれず、ごめんなさい」

 彼の不安を少しでも解消しようと、私はバッグからエナドリを一本――。

 あ、無いっ!?
 しまった、さっき渡したのでもう――。

「ありがとうございます」


 バッグをゴソゴソ漁る手を止め、見上げると、CPさんは小さく笑っていました。
 エナドリを握った手を、顔の横で控えめに揺らして見せます。

「お陰様で、間に合っております」

「……アハハ、そうでしたか」

 常套手段を見破られ、すっかりバツが悪くなった私は、頭を抱えてしまいました。

 十数名の候補生達からなるアイドル育成プロジェクト――それが、シンデレラプロジェクトです。
 先述の通り、346プロはこれを目玉事業として位置づけ、毎年候補生を募り、あるいはスカウトし、未来のトップアイドル達を排出していきます。

 事業の立ち上げは昨年からであり、今度CPさんが担当するのは第二期生です。
 一期生のアイドルさん達が作ってくれた勢いを衰退させることなく、安定軌道に載せるための今期は、前期と同じかそれ以上に大事なシーンです。

 そのプロジェクトに、サブのプロデューサーを配属させる――?


 なぜ、そんな大事な話が前もって決まっていなかったのでしょう?
 急に決まったのだとしたら、そうならざるを得なかった事情はなんだったのでしょう?

 外部からの圧力――? はたまた、お金――?



「……千川さん?」
「は、はいっ!?」


 ボーッとしていた所へ、先方の担当者さんから声をかけられ、ハッと我に返りました。

 久しぶりの出張、それも1対1の他社さんとの打合せ中に、まさか余計な考え事をしてしまうなんて――!

「す、すみませんっ!」
「あぁいえ、そんな……お持ちよりいただいた資料、大変分かりやすくて助かります」

 打合せ先は、竹芝にある某イベントホールの管理会社さん。
 アイドル達のライブ会場として、346プロも贔屓にしている場所であり、来期の年間使用予定について摺り合わせをしていたところでした。

 他にも懇意にしている会場はあるのですが、今年は運悪く、施設の改修工事等による一時閉鎖や規模縮小が、どこも相次いでいます。
 今期、このイベントホールさんにはサマーフェスから終始お世話になる見込みであり、大事にしなきゃいけない相手方です。

 それなのに――お互い、気心の知れた仲ではありますが、打合せ中に上の空になるなんてもってのほかです。
 でも、担当者さんは笑って許してくれました。

「そんな、恐縮ですっ。私、とんだご無礼を……!」
「いえ、そんな畏まらないでください。
 珍しいですね、千川さんが物思いに耽るなんて。何かご心配な事でもあったのですか?」
「あ、いえ、その……アハハ、アハ……」

 弊社のお家事情をわざわざお話する気にもなれず、私はただただ閉口するしかありませんでした。

 ううぅいけないいけない――!

 ただでさえ通常業務でテンテコ舞いなのに、余計なことで思い煩う暇なんて私にはありません。
 誰が呼んだか、346プロの屋台骨を影で支える“鬼の事務員”千川ちひろの名折れです。

 全然鬼でも悪魔でもないんですけど。

「あーもう……!」

 往来でつい、少し大きめの独り言を呟いてしまいました。
 慌てて咳払いして、辺りを恐る恐る見回します。


 都内でも有数の国際競争拠点である竹芝の、綺麗で大きなペデストリアンデッキは、今日も大勢の人々が行き交います。
 私一人が変な挙動をしたところで、誰も気に留める人などいません。

 ホッとしたような、一抹の寂しさを覚えたような――。
 いいえ、ここはポジティブに考えましょう。

 そうだっ。
 せっかくこんなオシャレな所に来ているんだし、どこか流行りのカフェにでも行ってみようかしら。

 ちょっと豪勢なスイーツを食べてから事務所に戻っても、普段の働きぶりを考えれば、きっとバチは当たりません。
 そうそう、この間テレビで観たゴージャスでセレブなプリンのお店が、ちょうど確かこの辺に――。


「……?」

 大勢の人々が行き交う、竹芝のペデストリアンデッキ。


「こんな感じで、どうかな?」


 すれ違う人のことなど、誰も気にも留めないその場所で、明らかに異質な空間が、そこにはありました。


「……ご親切、感謝いたします」


 少なくとも、私にとっては。



 私の目の前にいたのは、紺色の着物を身に纏う、青みがかった髪色をした女の子。
 まるで、おとぎ話の世界から飛び出してきたかのような――それでいて、錯誤感を伴わないほどに自然な気品を感じさせる少女。

 そして、その子の前で膝をつき、履き物を履かせるスーツ姿の男性。


 大袈裟かも知れませんが――正しく、シンデレラの物語のクライマックスシーンをこの目で見ているかのようでした。

「礼には及ばないよ。
 俺の方こそ、手間取ってしまってすまない」
「いえ……いただきました、貴方さまのハンカチ……必ず、お返しにあがります」

 男の人は立ち上がると、照れくさそうに顔の前で手を振りました。

「あぁいや、いいよ。良かったらもらってくれ。
 これからは気をつけてな」

「……ありがとうございます。このご恩は、忘れません」

 女の子は、深々と彼に頭を下げると、名残惜しそうに何度も振り返りながら、彼の下を去って行きました。


 男の人は、そんな彼女の姿が見えなくなるまで見届けると、ふぅっと息をついて、踵を返します。
 そして――。

「?」
「……あっ」

 ついボーッと、一部始終を眺めていた私と、目が合いました。



「あ、いえ、えぇと……」

 何か悪いことをした気分になって、妙に据わりが悪くなってしまった私は、ドギマギとしてしまいます。
 どうにかして取り繕おうと、当たり障りの無い雑談を探さなくては――!

「あ、あの……さっきの子は?」


「あぁ。うーん、と……」

 そう聞くと、今度は男の人の方が、何となくバツが悪そうに頭を掻きました。
 余計なことを、聞いてしまったかしら――。

「履いていた下駄の鼻緒が切れちゃったみたいですね。
 困っていそうだったから、俺の」

 言いかけて、慌てて咳払いをして彼は言い直しました。

「私のハンカチを、こう……5円玉を通して引っかけて、鼻緒代わりにくっつけてあげたんです」
「へぇぇ、そんなやり方が……随分と器用ですね」
「あぁいえ」

 なぜか自嘲気味に笑いながら、大袈裟に手を振ります。

「あの子から教えてもらったんです。
 私はその、どこかその辺のコンビニでセロハンテープでも買ってこようかと思ったんですが」
「まぁ、ふふっ。
 だとすると……さっきの子もさすが、あの着こなしをしているだけあって、応急処置にも詳しいんですね」


「あの子も、彼女のプロデューサーから教えてもらったみたいですね」

 彼が何と無しに答えたその言葉に、私の胸の奥が跳ねました。

 知らず凝視するような視線を向けてしまった私の表情を見て、彼は「あぁ」と、恐縮そうに頷きます。

「すみません。プロデューサーって何のことだ? って感じですよね。
 えぇと、プロデューサーというのは…」
「いえ、知っています」

 言葉を遮るように答えた私に対し、彼の方も少し驚いたような顔になりました。

「アイドルの活動を企画して、導く人……とすると、あの子もアイドルなのですね」

「……そうなります」


 一体何者なのか――そう聞きたいのは、私も彼も同じだったでしょう。
 私は、バッグに手を伸ばし、名刺ケースを取り出しました。

「申し遅れました。私、こういう者です」

 普段、決まった協議先しかいない私にとって、誰かに名刺を渡すのは、何気に久しぶりです。



「あなたが……」
「えっ?」

 彼は、受け取ったそれをしばらく黙して見つめ、どういう訳か、感心ように息をつきました。

「まさか、こんな所で346プロの方にお会いできるとは思いませんでした」

「どういう意味ですか?」
「あぁ、すみません」

 コホン、と強めの咳払いをして、彼は今一度姿勢を正し、腰を折りました。


「来月から御社でお世話になりますプロデューサーです。
 どうかよろしくお願い致します」


「え?」



 忘れもしません。

 プロデューサーさんと私、ひいては346プロとの物語は、ここ竹芝で始まったのです。

   * * *

「んもぅ!! サブチャン聞いて!
 李衣菜チャン、またみくの貸してあげた漫画の帯勝手に捨てたー!」
「す、捨ててないってば!
 ちょっと破れちゃって、そのまま返すのも悪いから取ってある、って言ってるじゃん!」
「ふーん、で、その帯はどこにあるの?」
「あ、えーっと……どこだろう、たぶん私の部屋のどこかにはあると思うんだけど」
「それ、世間一般的には取ってあるって言わないにゃ!!」
「何だよ! 捨てたわけじゃないでしょ!」

「アハハハ」
「アハハじゃなくて! サブチャンも笑うのやめるにゃ!」


 みくちゃんと李衣菜ちゃんは、今日も喧嘩の種が絶えないようです。
 彼のデスクの前で言い合いをする二人に対し、プロデューサーさんは困ったような顔をして笑いました。

「まぁまぁ、李衣菜も悪気があった訳じゃないんだろ?」
「あ、当たり前です」
「何で一瞬言葉に詰まるにゃ」
「ううぅ~いちいちいちいち…!」

「やめろって。いいか?
 李衣菜はほんの少しそそっかしい所があるから、これからは気をつけるんだぞ。
 みくも、李衣菜はこれで反省してるんだし、あまり責めすぎないで大目に見てやってくれないか」

 彼がそう優しく諭すと、二人は並んで腕を組み、「うーん」と唸りました。

「まぁ、サブチャンがそう言うなら……」
「私も、悪いことをしたのは事実だし……」

「なっ? ほら、過ぎた事をいつまでも気にしてないで、レッスン行ってこい。
 もう皆、とっくに向かって行ったみたいだぞ」
「えっ、ウソ!?」
「やばっ! 急ごう、みくちゃん!」

 彼の言葉に、みくちゃんと李衣菜ちゃんは慌てて事務室を飛び出して行きました。


「お上手ですね、彼女達の相手」

 横に着けたデスクからそっと声をかけると、プロデューサーさんは笑いながら首を捻りました。
 急かすような言い方をしていましたが、確かシンデレラプロジェクトの子達のレッスンは、時間的にまだ余裕があったはずです。

「上手というか……何だか、アイツらの愚痴とか雑談を聞かされてばかりですね」
「あの子達も、言いやすいんだと思います。
 プロデューサーさんの雰囲気がそうさせているんですよ、きっと」

「それならいいんですが……俺にできるのは、こんな事くらいですし」

 そう言って、彼はもう一度誘い笑いをしつつ、パソコンに向き直りました。
 先日私が指摘した書類の不備を、訂正してもらっているのです。

「ちひろさん、ここはどうすればいいですか?」
「えーと……あら、そもそも記入する所が間違ってますね」
「あ、あれっ!? すみません!」

 少しそそっかしいのは、李衣菜ちゃんもプロデューサーさんも一緒のようです。
 ふふっ♪

 初めて会った時から、そんな予感はしていましたが――。
 彼こそが、シンデレラプロジェクトにサブで就くことになったプロデューサーでした。

 それとなく、346プロにやってきた経緯を聞いてみても、彼は何となく笑いながら鼻を掻き、はぐらかすばかりです。

「そういうのは、俺がどうこう言えるような話じゃないかなぁと」
「はぁ……」
「あ、でもっ、別に怪しいモンじゃないです! 本当ですよ!?」
「いえ、別に疑ってないですって」


 通常、一つのプロジェクトに複数のプロデューサーが就くことは、極めて異例です。
 少なくとも、346プロにおいては。

 監督者が二人もいると、アイドル達もどちらの話を聞くべきか迷ってしまいます。
 それに、もし方向性に違いが生じれば、プロジェクトそのものが立ちゆかなくなる事だって多分に考えられるでしょう。

 私もCPさんも、当初はそれを懸念していました。

 加えて、年齢不詳、って言ったら失礼かも知れませんが――。
 彼が醸し出す雰囲気は、新人さんが出すそれではありませんでした。

 飄々としているようで、落ち着きのある立ち居振る舞い。
 先ほどのみくちゃん達の相手の仕方からもうかがえる、自分の立場を弁えた上での、年頃の女の子達に対する場慣れした対人能力。

 私もCPさんも、直感しました。
 普段一緒にお仕事をされているCPさんの方が、より強く確信しているようです。


 素人ではない――。
 この人は、以前どこかの事務所でプロデューサーを務めたことがある――。


 それなのに、経緯を尋ねても教えてくれない。
 まして、始動の直前に急遽シンデレラプロジェクトに就くことになった、前代未聞となるサブのプロデューサー――。

 疑っていない、とは言ったものの――不信感がまったく無いかと言われれば、ちょっと難しいです。


 それでも――。

「おっつかれー! サブサブいますかー!?」

 事務室のドアがガチャッ! と勢いよく開き、未央ちゃんがお部屋に入って来ました。
 栗色のハネッ毛と人懐こい大きな声がトレードマークの、シンデレラプロジェクトの元気印です。

「んー? おぉ、どうした未央?」
「あ、いたいた! ねぇサブサブ、私達のユニット名、一緒に考えてくれない?」
「俺が? ていうか、その呼び名は何とかしてくれないか……」

 サブPと呼んでほしい、というのは彼自身の要望でした。
 誰に対しても楽しいあだ名を付けたがる未央ちゃんにとっては、据わりの悪い呼び名だったのでしょう。

「いいじゃん別に。
 ほらー、私達を見て何か思うことは無いのかねサブサブ~?」
「ちょっと未央。サブP、困ってるでしょ」

「私達三人で考えていても、あんまり良いのが思い浮かばなくて……。
 サブPさん、手伝っていただけませんか?」

 未央ちゃんの後ろから、凜ちゃんと卯月ちゃんもやってきました。
 シンデレラプロジェクトにおいては、彼女達三人がユニットを組むことになったようです。


 プロデューサーさんは、卯月ちゃんから受け取ったメモ用紙を見ながら、いつものように優しく穏やかに笑いました。

「CPさんには相談したのか?」
「そりゃあ聞いたけどさ、全然相手にしてくれないのだよコレが。
 無表情のまんま「本田さん達の自主性を、尊重したいと考えます」って言われちゃって」
「アハハ、似てる似てる」
「でしょ?」

 彼が笑うと、未央ちゃんもどこか嬉しそうに顔を綻ばせます。

「でも、こういうのはやっぱり、未央達が自分で考えて決めた方が良いと思うんだ」

 プロデューサーさんは、メモ用紙をそっとデスクにおいて、小さく頷きました。

「これからこの三人でアイドルをやっていく上で、そうして悩んだ経験も、いずれ大切な思い出になると思う。
 CPさんも、そういう意図があったから、君達にユニット名を任せたんじゃないかな」
「ふーん、そういうもんかなぁ?」
「そうだとも」

 そう言いきるプロデューサーさんの口調は、どこか誇らしげでした。
 おもむろに立ち上がり、未央ちゃん達三人を順番に見渡しながら、彼は続けます。

「CPさんのように、所属アイドル一人一人の活動計画を、あれだけ丁寧に、緻密に作り上げている人を、俺は見たことが無い。
 彼自身はあまり言っていないのかも知れないが、皆のデビュー時期とか、PRの仕方とか、君達の特性をよく考えながら企画している。
 この人は、君達アイドルとしっかり向き合っているんだなって、感心したよ」

「そうなんですか……」
「あの人、いつも「現在、企画検討中です」としか言わないから」
「ハハハ、凜も結構モノマネ上手いなぁ」
「ッ……そんなんじゃない」

 ニコリと、彼女達を勇気づけるように、プロデューサーさんは優しく語りかけます。
「そんな人が、君達に任せると言ったんだ。
 彼のことを信じ、安心して悩んでいいと俺は思う」

「安心して悩め、ってなんか矛盾してない?」
「それも一つの経験さ。大丈夫、君達はちゃんと上手くいくよ」
「そ、そうですね! えへへ」

 彼の諭すような語り口に、卯月ちゃんだけでなく、未央ちゃんや凜ちゃんも、どこか安心したように目配せしあったのでした。

 彼がやってきてから、このようなやり取りは度々目にすることがありました。

 プロデューサーさんのデスクは、事務員である私達のスペースに設けられています。
 346プロの書類の作り方に不慣れな彼が、逐次私に見てもらいながら仕事ができるように――ということではなく。

 通常、346プロに所属するプロデューサーは、当然に専用のフロアにまとめてデスクを設けられます。
 CPさんのように、少し上の立場になると、個室を設けられることも。

 ただ、急遽配属された彼には、空いているデスクがこの事務員のスペースにしか無かったのです。
 当然に、CPさんのデスクからも離れています。


 それでも、プロデューサーさんのデスクには、シンデレラプロジェクトのアイドルの子達が、よく訪ねに来ていました。

 CPさんと比べて、物腰が柔らかで話しやすい雰囲気だというのも、多分にあったでしょう。
 他愛の無い世間話から、アイドルとしての活動に関わるお話まで、皆色々なことをプロデューサーさんに話しに来ます。

 そう言った彼女達の話へのプロデューサーさんの対応には、一環していることが一つありました。

 それは、CPさんの姿勢を最大限尊重する、ということです。

 安易に自分の考えをアドバイスとして述べて、メインの担当であるCPさんのお株を奪うような事を、彼は決して行いませんでした。
 最後には必ず一言、「CPさんを信じろ」と言い添えるんです。

 仕事上はCPさんと対等な関係ではあるものの、サブとして、自分からは出しゃばりません。
 プロジェクトの皆がCPさんと良好な関係を保てるよう、彼は終始一歩身を引いて、場を取り持つことに徹しました。

 つまり、私やCPさんが当初抱いていた懸念――。
 チームに船頭が複数いた時の立ち回り方も、自身に求められる役割も、彼はよく心得ていたのです。

「あの人には、いつも助けられています」

 先日、近況を聞いた時、CPさんはこう答えました。
 この人の性格を考えれば、決してお世辞ではないのだと思います。

 ちょっとカタいけれど冷静で着実な処理を行うCPさんと、ちょっとそそっかしくも穏やかかつ柔らかな物腰のプロデューサーさん。
 お互いに足りない部分を補い合えるお二人は、きっと噛み合っていたのでしょう。

「プロデュースの方針について、幾度か相談をしたことがありますが、出される答えはいずれも非常に的確で明瞭です。
 随所にうかがわせる豊富な経験量から、私のサブに甘んじる器では無いと思われます」

「それは、その……私に言われても、ですね?」
「す、すみません」
「あぁいえ」

 やんわりと制すると、CPさんは慌てて手を振り、それを首に回しました。
 この人がこれだけ熱を持って何かを語るということは、あまり記憶にありません。


 しかし――本当に、一体何者なんでしょう?

「……ちひろさん?」
「!? は、はいっ!?」

 声をかけられて、ハッと我に返りました。
 いつの間にか手を止めて、彼のデスクをボーッと眺めていたようです。
 最近、こんな事ばっかりです。

「す、すみません」
「いえ、こちらこそ……もう一度、この社内を案内してもらえたらと思ったんですが」
「社内を?」

「実際にアイドル達が使う施設を、もっと詳しく見ておきたいなぁと」

 346プロ事務所内の各施設については、もちろん、プロデューサーさんがやってきた日に、私がひと通り案内しています。
 ただ、彼が言うように、それらの一つ一つについて詳細に説明する時間はありませんでした。

「あぁいえ。ちひろさんもご自分の仕事があると思いますし、無理なら…」
「いえ、大丈夫です、よ……?」

 本当は、夕方までに片付けておきたい明細書とか決裁があったのですが、うーん――。


 と、人知れず悩みつつ、ふと廊下に目をやると、とある女の子の姿が目に留まりました。

「美嘉ちゃん」

 声をかけると、彼女はピンク色の鮮やかなポニーテールを揺らして、クルリとこちらへ振り返ります。


 城ヶ崎美嘉ちゃん。
 シンデレラプロジェクトの1期生で、未央ちゃん達2期生の先輩にも当たる子。
 若年層を中心に、流行の最先端として多くのファンから絶大な支持を得る、346プロが誇る“カリスマギャル”です。

「あっ、ちひろさん、お疲れー★ 呼んだ?」

 美嘉ちゃんは、挨拶代わりのウインクをキメつつ、こちらに歩み寄ってくれます。
 チラリとプロデューサーさんの方を見ると、彼女の派手なビジュアルに少し圧倒されたのか、やや身じろぐのが見えました。

「新しく来られたプロデューサーさんに、社内を案内してもらえないかなーって。
 ほら、トレーニングルームとかスタジオとか。あまり時間をかけて紹介できなかったから」
「あぁ、そういうこと?
 オッケー。アタシで良ければ全然大丈夫だよ★」

 美嘉ちゃんにお願いしつつ、私はプロデューサーさんに向き直りました。

「こちら、346プロきっての稼ぎ頭、城ヶ崎美嘉ちゃんです」
「い、いえ、知っていますが……」

「派手派手に見えちゃうかも知れませんが、心根が素直でとっても真面目な子です。
 親身に案内してくれると思いますよ。ねっ?」

 私が目配せするが早いか、美嘉ちゃんはプロデューサーさんの手をガシッと取りました。

「うぉっ!?」
「ホラホラ、プロデューサーがそんな遠慮なんかしちゃってどうすんの。
 ウチのアイドルの面倒見ていくんだし、もっと図々しくなんなよ。さっ、行こう!」

 そのままプロデューサーさんを文字通り引っ張って、美嘉ちゃんは事務室を後にしていきました。


 こういう時、美嘉ちゃんは本当に頼りになります。
 346プロだけでなく、アイドル業界のこともよく知っていて、実績も経験量も十分。
 アイドル達の先輩として、私達やプロデューサーにとっても、正しく痒い所に手が届く、ありがたい存在です。



 一方で――この日を境に、プロデューサーさんの行動にある変化が訪れました。

 デスクにいる時間が、目に見えて少なくなったんです。

「ほら、杏。こことか良いんじゃないか?」
「うんうんっ! 杏ちゃんもぉ、ここなら安心してゆ~っくりお昼寝できるにぃ☆」

 倉庫へ備品を取りに、廊下を歩いていた時のことでした。

「そんな調子の良いこと言って、杏のこと騙そうとしないでくれるかなぁ」

 少し珍しい組み合わせだなと思いました。
 というか、この人達がここにいる事が何となく新鮮です。


 サウンドブースの前で、プロデューサーさんときらりちゃんが、何やら熱心に杏ちゃんに語りかけています。
 説得、しているような――?

「騙すとはなんだ。
 お前が昼寝をするのに適した静かな部屋を、俺ときらりでこうして提案してるんじゃないか」
「だってここ、歌とかラジオの収録やる部屋でしょ?
 うっかり誰か入ってきた時に杏が寝てたら、杏怒られるんじゃない?」
「うぇぇっ!?」
「ぐっ……まさかお前、知ってたのか?」
「いや、扉の上に【収録中】ってランプあるし」
「あ、あぁっ!?」

「お、お疲れ様で~す……?」

 取り込み中らしき三人に、恐る恐る声をかけました。
 無視して通り過ぎることもできないですし。

「あぁ~! ちひろさん、おっすおっす☆」
「ちひろさん何とかしてよ。この二人が杏に仕事させようとしてくる」
「な、違……いや、違くないだろ。仕事しなきゃいけないのは何もおかしくないぞ」

「一体、どうしたんですか?」

 穏やかな物腰による調和を是とするプロデューサーさんとしては、らしくない雰囲気でした。
 先ほどの杏ちゃんの言いぶりからすれば、想像はつきますが――。

「……うーん、しょうがない、正直に言うか。
 杏の次の仕事がラジオ番組のゲスト出演だったので、彼女にバレないようブース入りさせるつもりだったんです」
「やっぱり」
「ちひろさん、気づいてたのぉ?」
「杏ちゃんには、よくある事だなぁって」

「仕事をさせたいなら、素直にそう言ってくれりゃいいんだよ」

 杏ちゃんは、くたびれたウサギのようなお人形を抱きかかえながら、ぶっきらぼうにため息をつきました。

「素直に言った所で、お前が素直に聞いてくれるとは思わなかったんだよ」
 と、プロデューサーさんも珍しくムスッとした表情で返しますが、杏ちゃんは動じません。

「杏が一番イヤなのは、面倒なことなの。
 もちろん仕事なんかしないに越したこと無いしやりたくないけど、どうせやるしか無いんだったらサッサと済ませて帰る方が効率的でしょ。
 きらりもサブPも、慣れないウソっこきなんかしたってバレるに決まってるんだし、無駄な労力を二人が杏に仕向けるのは杏も面白くないって話」


 杏ちゃんの声色は、普段と同じでした。
 怒るでも非難するでもなく、いつものように何となく不満げにボヤいて、お腹をボリボリ掻きながら欠伸をかいて――。

 決して自分のペースを乱さない杏ちゃんの姿に、プロデューサーさんもきらりちゃんも、どこか感心していたように目を見開いています。

「だから、今度からはちゃんと言ってよ。
 CPの言うこと信じろって言ったのはサブPでしょ。
 CPに従う方が面倒くさくないと判断したら杏もそうするし、そうじゃないならそうしないからそういう事で」
「あ、あぁ……そうか」

 そのまま、杏ちゃんはウサギの耳をズルズルと引っ張って、自分からブースの中へと入って行ったのでした。

「……アイツは大したタマだな」

 無事に杏ちゃんのお仕事が始まったのを見届けてから、プロデューサーさんが呟きました。
 隣に立つきらりちゃんが、嬉しそうにプロデューサーさんの顔を覗き込みます。

「杏ちゃんはぁ、いざって時はす~っごくスゴイんだにぃ☆
 どんなお仕事もぉ、ぶわわぁ~~!! わきゃぁ~~!! ってやっつけちゃうの」
「ハハハハ、そうかそうか」

 すっかりいつもの調子に戻ったプロデューサーさんが、きらりちゃんの言葉に穏やかに頷きました。

「担当アイドルのことを信じる……なかなかどうして、基本的な事がままならないものだな」
「サブPちゃん?」
「ん、いや」

 プロデューサーさんは組んでいた腕を解き、かぶりを振ります。

「俺も以前、一人で空回っていた時があってな……それを思い出しただけさ」
「ふ~~ん……?」


 プロデューサーさんの目線に合わせ、ほんの少しだけ首を傾げ、不思議そうに見つめるきらりちゃん。
 肩をすくめ、彼はきらりちゃんと目配せしました。

「きらりは、杏やシンデレラプロジェクトの皆のこと、好きか?」
「もっちろん!
 皆みぃ~んな、きらりのことハピハピしてくれるし、きらりも皆のこと、もっともっとハピハピしたいなぁ☆」

「きらりは偉いなぁ」

 そう言って、不意にプロデューサーさんはきらりちゃんの頭に手を伸ばし、優しく撫でました。

「ふぇっ!?」

 途端に、きらりちゃんの顔が真っ赤になりました。
 大きな体をキュッと縮こませ、どうしたら良いのか分からない様子で微動だにできないでいます。


「……!? う、うわっ! すまん!」

 なぜか、慌ててプロデューサーさんは手を引っ込めて、飛び退きました。
「つい、いつもの癖というか、そうしなきゃという感じがして……」

「う、ううん……えと……」

 きらりちゃんは、先ほどまで彼が撫でていた頭を擦りながら、モジモジと控えめに笑いました。

「きらり、おっきくて可愛くないかなって……頭、撫でられたり、っていう、女の子みたいなこと、あんまり無くて……」
「何を言ってんだ。きらりは十分女の子らしいし可愛いだろう」
「うぇぇっ!?」

 あっ、と声を漏らし、これ見よがしに咳払いをして、プロデューサーさんは続けました。

「世間一般的にというか、少なくともCPさんはそう思っているはずだ、という意味だ」

「……うぇへへへ、ありがとうサブPちゃん☆」

「……いつもの癖?」

 思わず、先ほどの彼の言葉に反応してしまいました。
 プロデューサーさんがこちらを振り向いたのを見て、ようやく私自身がそう呟いた事に気がつきました。

「あぁ、いやその……」

 プロデューサーさんは、何となく笑いながら、鼻を掻きました。
 まるで、慌てて取り繕う言葉を探すかのように。 

「きらりに似た雰囲気の子を知っている、ってだけです。
 身長こそまるで正反対だけど、しっかり者で、健気で、仲間思いで」

「その子も、アイドルなんですか?」


 私がそう聞くと、彼はしばらく間を置いた後、首肯しました。

「まぁ、ね」

 またある日のことでした。

 他部署の事務員さん達との会議を終えて、事務室に戻る際、私には密かにお気に入りのルートがあります。
 綺麗な噴水と、その周りを花壇で彩られた中庭――。

 ちょっと遠回りですけど、時の流れを感じられるこの景色が私は好きで、それを見ることのできる廊下をよく通るんです。

 その中庭で――。


「蘭子、すまん! もう一度そのスケッチブックを見せてくれ!」
「ぴぇっ!? き、気安く禁忌に触れてくれるなっ!」
「禁忌って、そんな物騒なものなのか!?」

 プロデューサーさんと蘭子ちゃんが、大騒ぎしていました。


 幸いにして、というべきかは分かりませんが――二人がいる中庭は、言うまでもなく屋外です。
 廊下にいる私の存在に、彼らは気づいておらず、気づく暇も無い様子でした。

 そぉっと影に隠れて、二人の様子を見守ってみることにしました。


「あ、分かった! スケッチブックじゃなくて、グリモワールだったな!」
「そういう意味じゃなくってぇ……!」

 蘭子ちゃんは、意固地になって秘蔵のスケッチブックを両腕で抱きかかえ、涙目になって首を振っています。
 プロデューサーさんからも距離を取って――というより、ほとんど噴水の真反対側の位置を保つように逃げているようでした。

「ううむ、ま、まいったな……」

 プロデューサーさんも、ほとほと困った様子で頭を掻くことしかできないといった様子です。


 人当たりの良いプロデューサーさんが、これほどまでに蘭子ちゃんに拒絶されるなんて――。
 蘭子ちゃんも、ちょっと恥ずかしがり屋さんな面はあるものの、一体何があったというのでしょう。

「見せることが難しいというのなら、えぇと……ほら、これ!」

 プロデューサーさんは、手に持っていたファイルをゴソゴソと漁り、蘭子ちゃんに一枚の紙を見せました。

「!?!? へぇあっ!?」

 途端、蘭子ちゃんの顔が湯気が出そうなほどに赤くなりました。
 必死にそれを抑えるように両手を顔に当てますが、動揺が収まる様子はありません。

「こ~んな際どい衣装をお前が希望してたって、CPさんに進言してやるぞ! いいのか!?」
「じょ、冗談ではないわ!
 真理とかけ離れた偽りの偶像が、我が魂が行き着く先の覇道であるものか!」
「なら教えてくれ! お前の目指す道はなんだ!?」

「え……?」

 プロデューサーさんは、掲げていた手をダラリと垂らしました。
 その手に持つ紙には――。

 んまっ! なんてあぶない水着。

「確かに、蘭子……君は言葉遣いが少し変わっているのかも知れない。
 自分の意志を、相手に伝えるのが苦手なのかも知れない。
 でも……CPさんも俺も、君自身の口から、企画についての話を聞きたいだけなんだ」

 ちょうど私は、プロデューサーさんと蘭子ちゃんが噴水を挟んで向かい合うのを、横から見ている形でした。
 少しトーンを下げ、蘭子ちゃんに語りかける彼の横顔は、普段より少しシリアスに見えます。


「すべては一歩の勇気から」


 プロデューサーさんのその一言には、なぜか、得も言われぬ凄みがありました。
 先ほどまで泣きわめかんとばかりだった蘭子ちゃんも、彼から目を離せずにいるようです。

 そして、私も。

「自分の内面を誰かに見せるというのは、とても勇気がいることだ。
 でも、CPさんや俺が本当の意味で君を理解するためには、俺達だけが歩み寄っていくだけではどうしても足りない。
 だから……君にも、その一歩を踏み出して欲しい」
「……我が友が、私を?」

「約束する。CPさんも俺も、絶対に君を拒絶なんてしない」
「……!」

 プロデューサーさんの表情は、今回は、穏やかになることはありませんでした。
 彼女の目を真っ直ぐに見つめ、固く顎を引きながら続けます。

「個性が勝負の業界だ。
 俺達プロデューサーには、蘭子が見せる世界観が絶対的な武器になるという確信がある」


 気がつくと、プロデューサーさんと蘭子ちゃんは、手を伸ばせば届く位置にまで近づいていました。
 いつの間にか、彼は蘭子ちゃんの傍まで歩み寄っていたのです。

「お前の言う覇道、お前の望む通りに歩ませる心の用意は、俺達は既に出来ている。
 後はお前次第だ、蘭子」

 そう言って、プロデューサーさんは右手の小指を差し出し、指切りげんまんを蘭子ちゃんに促したのです。

「サブP……」

 蘭子ちゃんは、モジモジと手を揉みながら、俯いてしまいました。
 プロデューサーさんの表情も、やや曇ってしまったように見えます。

 ですが――。


 意を決したように、蘭子ちゃんは顔を上げました。

「あ、あのっ、私…!」


 グゥゥゥゥ~~~ッ……。


 と、廊下にいる私にも聞こえてくるくらい、お腹の鳴る大きな音が聞こえました。

「……!?!?」

 慌てて蘭子ちゃんは、プロデューサーさんに背を向け、その場に屈み込みます。
 案の定、先ほどの音の主は、蘭子ちゃんのようです。

「……ハッハッハッハッハ!」

 プロデューサーさんは、大きな声を上げて笑いました。
 私も、釣られて笑ってしまいそうになりますが――。

 すぐに涙目になって立ち上がった蘭子ちゃんに失礼な気がしたので、何とか堪えます。

「我が魂の慟哭を嘲笑うなっ!!」
「わ、悪い悪い……ハハハ、アハハハハ……!」
「ううぅぅっ……!!」

「そろそろ良い時間だし、メシでも食いに行こう。CPさんや他の子達も誘ってさ。
 蘭子の好きなもの、何でもいいぞ。何が食いたい?」


 そう言われた蘭子ちゃんは、やはり俯き加減ではあったものの、やがて気恥ずかしそうに彼に進言しました。

「……ハンバーグ」

 またまたとあるその日。

 プロデューサーさんは346プロの中庭にあるカフェにいました。
 コーヒーを片手に、テーブルの上に広げた書類を難しそうに睨んでいます。

「あっ、ちひろさん」

 それでも、私と目が合うと、すぐに顔を綻ばせ、いつもの人懐こい笑顔を見せてくれます。

「さ、サボッているわけじゃないんです」
「見れば分かりますって」

 ニコリとこちらも笑顔を返して、向かいに座りました。
 彼が読んでいたものは――。


「……企画書、ですか?」
「えぇ」

 ただ、よく見てみると、どれも既に始動している企画のものでした。
 プロデューサーさんが新しく作成中のものとばかり思っていたのだけど――。

「今の俺には、そこまでの裁量は346プロから与えられていません」

 まるで私の抱いた疑問をすぐに汲んだように、プロデューサーさんが口を開きました。

「あくまで俺はシンデレラプロジェクトのサブプロデューサー。
 ただ、新しくプロジェクトに加入したい子がいれば、その手助けをしてやりたい。
 そこで、この346プロでの成功事例を参考にしながら、CPさんに掛け合う手筈を目下検討中ってところです」
「へぇぇ……」

 何でも、自分の代わりにCPさんに企画してもらうための段取りを整えるのだとか。


 この人も大概、熱意のある人――いいえ、というよりも。

「力が有り余っているんですね」


 皮肉めいた言い方に聞こえたかも知れません、が――。

 プロデューサーさんは、サブとしてのご自身の本来業務をしっかりこなしています。
 その上で、自分からそれ以上の仕事を求めているのです。

「うーん、有り余っている、というよりも……」

 彼は少し困ったように首を傾げながら、手に持っていた書類をテーブルに置きました。

「せっかく346プロに来たのだから、学べることは何でも学んで吸収しておきたいと言いますか」

「吸収……ですか?」
「……あぁ、いえ。ハハハ」

 ほんの少し気になる言葉があったので、そっと聞き返すと、途端に彼は言い淀みました。
 何となく笑いながら、鼻を掻く。

 この346プロに配属された経緯を聞いた時の、あのはぐらかし方と同じです。


 346プロから学んで吸収するという、どこか他人行儀な言い方が、胸に引っかかります。
 ともすればこの人は――346プロに長居する気が無い?

 ――さすがにそれは、早計かしら。


「あっ、ちひろさんっ!」

 声のした方を振り向くと、私の姿に気づいたメイドさんがパタパタと駆け寄ってくるのが見えました。

「菜々さん。私の分は、注文を取らなくて大丈夫ですよ」
「いえいえ。そんなこと言わずに、どうぞごゆっくりしていってくださいね」

 安部菜々さん。
 プロダクションの敷地内にある『346カフェ』の看板娘です。
 専らバラエティ路線で活躍する子ですが、仕事が無い日はこうしてアルバイトとしてカフェのお仕事もする頑張り屋さん。

「じゃあ、ちひろさんの分は俺が出しますよ。
 この、346ハーブティーってヤツをください」
「あ、ちょっと」
「はーい♪」

 プロデューサーさんからの注文を受けた菜々さんは、意気揚々とホールの方へ戻っていきました。


「彼女も、近いうちにシンデレラプロジェクトへ引き入れたいと思っているアイドルの一人です」

「菜々さんが、ですか?」
「えぇ」

 何でも、このカフェを利用する中で菜々さんと会い、アイドル観を語り合ううちに、そういうお話が進んでいったんだとか。

「確かに、菜々さんが抱くアイドルへの憧れと熱意は、目を見張るものがあります」
「そうでしょう? シンデレラプロジェクトに合流したら、他の子達にとっても良い刺激になると思うんです。
 菜々さん自身も、共に切磋琢磨し合う仲間がほしいと、このカフェでよく言っていましたし」
「へぇぇ」

 ただ、と言って、プロデューサーさんは手元の資料に目を落としました。

「言うまでもなく、シンデレラプロジェクトはCPさんが担当です。
 彼の意向を確認することなく、俺の勝手で話を進めることはできません」

「そうですね」

「お待たせしましたぁ~!」

 私が相槌を返すや否や、菜々さんが私の分の紅茶をトレイに載せて到着しました。
 え、早いっ。

「はいっ、ちひろさん。
 今朝摘んできた346ガーデン特製ハーブを贅沢に使ったハーブティーです。
 ナナ特製のウサミンクッキーも一緒にどうぞ♪」
「あら、ありがとうございます、菜々さん」

 良い香りのハーブティーの隣に置かれた、可愛らしいウサギさんの顔をしたバタークッキー。
 パッチリお目々にマツゲも描かれていて、芸が細かいです。
 お仕事には妥協を許さない菜々さんの性格がよく現れています。

「菜々さんが作ったのか、これ。
 ほぅ……どことなく90年代の作風を思わせる、懐かしいデザインだ」
「ふ、古くさくなんて無いですよね?
 ていうかプロデューサーさん、ナナの事はさん付けじゃなくて、“ナナ”って呼んでくださいって言ってるじゃないですか!」
「うっ! す、すまない!
 ただ、どうしてだろう、なぜかそう呼ばなきゃっていう妙な使命感が……」

 胸にトレイを抱え、ムスッとほっぺを膨らませて見せたあと、すぐに菜々さんは「キャハッ☆」と私達にキメポーズをしてみせました。
 星マークがピョンっとウサギさんのように彼女の周りを飛ぶのが目に見えるような、可愛らしいピースサインです。

「サブPさんの評判は、シンデレラプロジェクトの子達からも聞いています。
 ナナのために、サブPさんが各方面に動いてくださっていることも」

 スカートを揺らし、その場でクルリと滑らかなターンを披露してみせて、菜々さんは和やかに手を振ります。

「いつかきっと、アイドルのナナを素敵なステージへと導いてってくださいね?
 楽しみにしていますっ」

 プロデューサーさんが頷くのを待たずして、菜々さんは他のテーブルの注文を取りにパタパタと駆けて行きました。


「……彼女はきっと、自分の行動が自分の思う通りに行かないことに慣れている」
「えっ?」

「ここでバイトをしている彼女と初めて会った時に、何となくそんな気がしました」

 彼女が去って行った方へ視線を向けたまま、彼は続けます。

「今、「導いてくれ」と言った菜々さんは、俺の返事を聞かずに俺の元を去って行きました。
 たぶん彼女自身、サブのプロデューサーである俺にそれを叶えるのは難しいことを知っていて……。
 自分の希望を面と向かって否定されるのが、怖かったのかなって思うんです」

 プロデューサーさんは、おもむろに自分のカップを手に取りました。

「アイドルに対する憧れが人一倍強い分、そこへ至る道のりの厳しさも知っている。
 もしかしたら、これまでにも幾度か挫折を経験したことがあったのかも知れない。
 何より、彼女はとても優しくて控えめな性格です」

「アイドルには、向いていないと?」

 私が尋ねると、彼は「いいえ」と強い語気で否定しました。

「なりたいという夢を強く抱ける子が、アイドルに向いていないはずがありません。
 彼女達の夢を叶えるのは、プロデューサーの仕事です」

 プロデューサーさんはコーヒーを一口啜ると、改めて資料に向き直り、難しそうな表情に戻りました。

 この人は、この仕事が好きなんだなぁ。

 やはり、この人が抱く自信と誇りには、虚栄や自惚れとは違う、確かな経験量から来る厚みを感じます。
 今の一言からも、それは明らかでした。


 私も、菜々さんのハーブティーを一口啜り――あっ、おいし。

 ふぅっと息をついて、資料に目を落とすプロデューサーさんに向き直りました。
 そう、今日はこの人に用があってここへ来たのです。

「勝手にできる裁量が、今の自分には無いと……そうプロデューサーさんは仰いました」

 彼は資料を持つ手をピクリと揺らし、顔を上げました。
 キョトンという擬音が聞こえてきそうな、少し間の抜けた表情です。


「もし、その裁量が与えられるとしたら、どうでしょう?」


 私がそう言った途端、彼の目が大きくなりました。

「まさか……俺がシンデレラプロジェクトのプロデューサーに?」
「いいえ、そうではないのですが……よいしょ」

 私はバッグを漁り、中から一冊のフラットファイルを取り出して彼の前に置きます。

 不思議そうにそれに手を伸ばし、表紙をめくったプロデューサーさんの口から、「えっ」という声が漏れました。


「美嘉ちゃんには今、担当プロデューサーがいません。
 必要な時は、手の空いているプロデューサーさんに、自分から適宜協力を仰いではいるのですが」

「俺が、城ヶ崎美嘉の担当プロデューサーに?」

 私は頷きました。
 実は、私がCPさんを通じて、密かに上層部に掛け合ったのです。

 まさしくプロデューサーさんが、CPさんを通じて企画を通そうとしたのと同じように。

「前にも言った通り、美嘉ちゃんはキャリアが長いですし、ここでの仕事の仕方もよく知っています。
 多少分からない所があったとしても、彼女ならフォローしてくれるでしょうし、初めて担当する子として最適だと思いますよ」

 そして、346プロから何かを学び取りたいのなら――。
 それがどういう目的によるものかは、私には分かりません。

 ただ、彼の力量を量るには最適であろうと、CPさんもお話されていました。
 私自身、美嘉ちゃんとプロデューサーがどのように刺激し合うのか、興味が無いと言えば嘘になります。

 美嘉ちゃんもまた、彼に興味を持っているようで、内々で打診をした際にも「望むところだよっ★」と快諾してくれました。


「…………」

 ジッと資料に目を落としたまま、まるで石像のようにプロデューサーさんは押し黙っています。
 何か、悩み事でしょうか?



「どうしても、俺が……」


「プロデューサーさん……?」

「……いえ」


 顔を上げたプロデューサーさんの眼差しは、これまで見たことがないほど、ある種の覚悟を帯びた真剣そのものでした。

「分かりました」

   * * *

 気づくと、346プロダクションのサマーフェス開催まで、あと2ヶ月ほどになりました。

 毎年の定例開催であり、会場となる竹芝のホールさんにも、内容はよくご存知いただいています。
 イベント会社さんの応援も、機材の手配も既に終えたところでした。

 後は、アイドル事業部のプロデューサーさん達の動向を見ながら、当日の段取りについて詳細を詰めていくのですが――。

「おい、聞いたか」


 デスクから顔を上げ、声が聞こえた方へ目をやると、廊下で二人のプロデューサーの方達が立ち話をしているのが見えました。


「あぁ知ってる。城ヶ崎美嘉の話だろ」

「歌番組、グラビア、イベントへの営業に加えて、スポーツ用品メーカーとのタイアップ……
 最近、目に見えて活動が活発になってきているな」
「新しく就いたプロデューサーが、ガンガン仕事を入れて売り込んでいるらしい」


 プロデューサーさんの話が聞こえ、知らず肩がピクリと揺れます。


「まぁ、元々オールラウンドに立ち回れる子だし、素質もキャリアも十分にある。
 誰が担当に就いても、それなりに活躍できていたとは思うけど……」
「敏腕、と言うのは容易いが……オーバーワークじゃないのか、アレは」
「やっぱ、お前もそう思うよな」


 彼らは事務員のデスクから背を向ける格好であり、こちらからでは表情が見えません。
 ですが、どうやらあまり良くない雰囲気のようです。


「大方、初めて担当したアイドルが金の卵だったんで、舞い上がってるんだろう。
 しかし、あのままじゃ彼女も潰れてしまう。早いうちに誰かが何とかしないとマズいぞ、たぶん」
「誰かって、誰だよ? 今西部長にでも進言するか?」

「それがな……部長は、今の連中の状況を黙認しているらしい」
「はぁ!? アレを問題が無いとでも思っているのか?」
「今西部長、やたらとあのプロデューサーの肩を持つというか、信用しているみたいなんだよな。
 この間入ってきたばかりのクセに」
「へぇぇ~~……ワケありなのかねぇ」


 その後、お二人は予定があったのか、時計を確認して、各々別の方へと歩いて行きました。


 ふと、隣のデスクに自然と視線が動きました。
 そこにはもう、プロデューサーさんはいません。

 美嘉ちゃんを担当することが決まってから、正式にプロデューサーさんは、専用のオフィスに自分のデスクを用意されたのです。
 ちょっと前までは、毎日のようにお話をしていたのですが、最近は顔を見ることも少なくなりました。

 もちろん、パッタリと会って、以前と変わらずに世間話をすることもあるのですが――。

「ハァ、ハァ……くっ……!」


 いるかなと思い、そぉっとトレーニングルームの扉を開けて中を覗いてみます。

 ドアの隙間、狭い視界に写ったのは、大量の汗を流して両膝に手をつき、肩で息をしている美嘉ちゃん。
 そして――。

「美嘉、どうした! さっき休憩したばかりだぞ!」

 トレーナーさんの声ではありません。
 姿は直接見えませんが、男性の低い声――これは、プロデューサーさんの激です。

「お前の体力はそんなものか! それでよく練習量が人一倍などと言えたものだな!」
「ぐっ、う……何の! まだまだヤレるよアタシ!!」

 膝をバシンッと叩き、身体を起こした美嘉ちゃんは、ダンスレッスンを再開しました。

 私は言葉を失いました。
 ターンをした際、垣間見えた美嘉ちゃんの表情は、これまで見たことがないほど鬼気迫るものだったからです。

「人が……変わった?」
「ちひろさんは、そう思わない?」

 たまたまその日、シンデレラプロジェクトの事務室にいたのが、きらりちゃんと杏ちゃんでした。
 346カフェに連れて行って近況を聞く傍ら、プロデューサーさんの事にも触れてみると、二人から意外な言葉が返ってきたのです。

「美嘉ちゃん、とぉっても頑張り屋さんで、皆の前ではクヨクヨ~ってしない、しっかり屋さんだにぃ。
 でも……」
「ありゃやり過ぎたよ。杏が同じことされたら、迷わず労基に訴えてるね」

「これまでもそういう、兆候というか……こうするかもなーっていう感じは、あの人にありましたか?」

 慎重に尋ねた私に対し、杏ちゃんは肩をすくめました。

「まぁ、言うほど杏達、そんなに深い仲でもなかったけどさ。
 人が変わったというより、サブPは元々ああいう人だったんじゃないの?
 知らないけど」


 きらりちゃんの言う通り、美嘉ちゃんは人前では絶対に弱音を吐かない、強い子です。
 それに、なまじポテンシャルも高いので、多少の無茶ができてしまうというのもあるのでしょう。

 だから、プロデューサーさんの無茶な要求にも応えることができてしまう――。

「美嘉ちゃん自身は、どのように思っているんでしょう?」
「未央がそれとなく調子を聞きに行ったみたいだけど……やっぱ、無理してそうだったって」
「そう……」

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「人が……変わった?」
「ちひろさんは、そう思わない?」

 たまたまその日、シンデレラプロジェクトの事務室にいたのが、きらりちゃんと杏ちゃんでした。
 346カフェに連れて行って近況を聞く傍ら、プロデューサーさんの事にも触れてみると、二人から意外な言葉が返ってきたのです。

「美嘉ちゃん、とぉっても頑張り屋さんで、皆の前ではクヨクヨ~ってしない、しっかり屋さんだにぃ。
 でも……」
「ありゃやり過ぎたよ。杏が同じことされたら、迷わず労基に訴えてるね」

「これまでもそういう、兆候というか……こうするかもなーっていう感じは、あの人にありましたか?」

 慎重に尋ねた私に対し、杏ちゃんは肩をすくめました。

「まぁ、言うほど杏達、そんなに深い仲でもなかったけどさ。
 人が変わったというより、サブPは元々ああいう人だったんじゃないの?
 知らないけど」


 きらりちゃんの言う通り、美嘉ちゃんは人前では絶対に弱音を吐かない、強い子です。
 それに、なまじポテンシャルも高いので、多少の無茶ができてしまうというのもあるのでしょう。

 だから、プロデューサーさんの無茶な要求にも応えることができてしまう――。

「美嘉ちゃん自身は、どのように思っているんでしょう?」
「未央がそれとなく調子を聞きに行ったみたいだけど……やっぱ、無理してそうだったって」
「そう……」

>>55は誤りで、>>56が正です。
すみません。

「ちひろさん」

 きらりちゃんは、悲痛そうな声色で私に呼びかけました。

「サブPちゃんはきっとぉ……美嘉ちゃんのこと、イジワルしたいって思ってやってないよぉ。
 美嘉ちゃんならやれるって、いっぱい信じてるから、いっぱいいっぱい頑張ってほしいんだにぃ」
「それで美嘉が潰されちゃったら元も子もないでしょ」
「あ、杏ちゃぁ~~ん!!」
「おぅわっ!?」

 淡泊な横槍を入れられ、いきり立って杏ちゃんを思いきり高い高いするきらりちゃん。
 ワイワイと大騒ぎする彼女達の前で、私は一人思案に耽っていました。


 調和を是とするプロデューサーさんの、優しく穏やかな顔が脳裏に浮かびます。
 アイドルの子達に向けられたあの表情が、その場を取り繕うための偽りのものだったとは、私にはどうしても思えません。

 ただ――彼の本来の仕事ぶりを、私は見たことが無かったのも事実です。
 プロジェクトのサブではなく、アイドルの担当プロデューサーとしての彼の姿を。

 CPさんを立てて一歩引いていた彼は、本当は――担当アイドルを酷使するようなプロデュースを望んでいたのでしょうか?


「あ、あのぉ……」

「あ、菜々さん」

 気づくと、菜々さんが気まずそうな顔をして、私達のテーブルの傍に来ていました。

「他のお客さんが怖がっちゃうので、あんまり暴れないでほしいのですが……」

 菜々さんは、二人をそぉっと遠慮がちに指差しました。
 飛行機のように両手を広げた杏ちゃんを、きらりちゃんは上に掲げてぶんぶんしています。
 ちょっと楽しそう。

「お騒がせしてごめんなさい。ところで、菜々さん」
「はい、何でしょう?」

「美嘉ちゃんとプロデューサーさん、最近ここに来ていたりしますか?」


 そう聞くと、菜々さんはますます表情を曇らせました。

「はい……よくお越しいただいています」
「二人は、どんな様子でしょうか?」

「ナナが勝手なことを言うのもアレですが……。
 あんまり、楽しそうな雰囲気には、見えないかなぁって……」

 話によれば、このカフェには仕事の打合せで結構頻繁に来ているようです。

 ただ――その時のプロデューサーさんは、極めて冷淡であり、強い口調で美嘉ちゃんに迫る時もあるようでした。
 美嘉ちゃんも、ここで彼と笑って話している姿を見たことが無いそうです。

「サブPさんは、美嘉ちゃんのこと……あまり得意ではないのでしょうか?」

 菜々さんは、とても心配そうでした。
 自分のプロデュースについて親身に動いてくれていた彼を見ている菜々さんからすれば、不安に思うのも無理はありません。

 でも――プロデューサーさんが美嘉ちゃんのことを嫌っているとは、私には思えませんでした。
 ちょうどこのテーブルで、美嘉ちゃんの担当となったことを彼に告げた時の、気力漲るあの表情が思い出されます。


 一体、何があったというのでしょう――?



 その足で、私はCPさんに会いに行きました。
 ご出張の時も多いのですが、ちょうど事務室隣のデスクにてご在室だったようです。

「? ……千川さん」

 ノックして中に入ると、CPさんは少し驚いたように顔を上げ、すぐに真剣な表情になりました。
 私の様子から、何を話しに来たのかを察したのでしょう。

「今西部長は、美嘉ちゃんとプロデューサーさんの件について、黙認されていると聞きました」

 前置きを抜きに、開口一番にそれを質すと、CPさんは椅子の背にもたれることの無いまま、首に手を回しました。

「そのようです」
「それは、どうしてでしょう?」

「今西部長として、城ヶ崎さん達の件を問題と捉えていないから……としか、今は言えないかと」


 実際、美嘉ちゃんもプロデューサーさんも、目に見える形で結果を示しています。
 確かに、部長の立場を考えれば、その成果を重んじるという判断は、決して不思議なことではないでしょう。

 それでも、二人の間に不和があるとするなら、容易に看過できることではありません。

「CPさんは、どのように思われますか?」
「…………」

「美嘉ちゃんとプロデューサーさん、お二人の間には笑顔が無いと、菜々さんも言っていました。
 自分自身で楽しくなれないアイドルが、どうしてファンの人達を楽しませることができるでしょうか」

 ――つい、勢い任せに言ってしまい、我に返ります。

「すみません……こんな事、CPさんに言われても困っちゃいますよね」
「いえ。千川さんの仰ることは、もっともであると私も思います」

 そう言いながら、CPさんの表情は険しいままでした。

「ただ……どうしても腑に落ちないのです」
「何がですか?」
「あの人の、態度の変わりようについて……まるで別人のようである点もそうですが」

 別人――杏ちゃんやきらりちゃんも言っていたことでした。

「決して彼は、アイドルをいたずらに酷使しよう、冷たくあしらおうなどという人ではないと思います。
 私が知りうる彼の姿勢は、アイドルに対する深い敬愛を随所に感じられるものでした」
「敬愛……それはその、アイドルやプロデューサーとしてのお仕事が、好きであると?」

 そうでなくてはできない仕事とも言えますが、と彼はやや自嘲気味に言い添え、続けます。

「それゆえに、今のあの人の姿勢が、分かりかねております。
 言うなれば……非常に奇妙な言い方になりますが……」
「どうぞ」


「まるで、城ヶ崎さんへ意図的に、冷たく接しようとしているかのような……」

 意図的に――美嘉ちゃんに、ぞんざいな扱いをしている?

 自分に与えられたもの以上の仕事をあれだけ探し回っていたプロデューサーさんが、いざ自身の担当ができた際に、その子を大切に扱わない。
 それも、意識的にそうしようとしている。

 状況から見て、一つの可能性として考えることに、納得はできます。
 ですが、理解ができません。

「それはとても……奇妙なことですね」
「申し訳ございません」
「い、いえ、CPさんが謝ることでは……」

 二人で首を捻っていると、突然、部屋の入口のドアがガチャッと開きました。

「あ、あのっ!」


 中に入ってきたのは、蘭子ちゃんでした。
 綺麗な色白の顔を真っ青にして、呼吸を整えるのも待たず、彼女は必死に私達に訴えます。

「ろ、廊下で……!」

 混乱している蘭子ちゃんに言われるがまま、私とCPさんがついて行くと、廊下のベンチの前で蘭子ちゃんは立ち止まりました。

「えっ……あ、あれ……!?」
 困惑しきった顔でキョロキョロと辺りを見回し、今にも泣き出しそうです。

「わ、我が友……先刻まで、慈悲無き求道を突き進む、かの仲間が……」
「神崎さん、落ち着いてください。一体、何が起きたのでしょう?」

 CPさんに諭され、蘭子ちゃんはひぃ、ふぅと呼吸を整えると、ようやく彼女は少し落ち着きを取り戻したようでした。

「み、美嘉ちゃん……さっき、このベンチで倒れていて……」


 そろそろ陽が沈みそうな時間でした。
 私達がいた所は、別館の上階の端っこであり、その先にあるものはエステルームくらい。

 そのエステルームも、既に開いている時間は過ぎており、こちらの方へ人が通ることはほとんどありません。

「私、その……エステルームに忘れ物をして、取りに行こうとしたら……!」
「美嘉ちゃんが、ここで?」

「既に誰かが城ヶ崎さんを見つけ、医務室まで送り届けたのかも知れません」

 そう言って、CPさんは携帯電話を取り、医務室の番号へダイアルしました。
 でも――。


「……医務室には、来ていないとのことです」

 美嘉ちゃんが、行方不明――彼女の状態を考えれば、楽観視できるものではありません。

 三人で手分けして探すことを決め、別館内を駆け回っていると、じきに蘭子ちゃんの叫ぶ声が聞こえました。

「美嘉ちゃんっ!」


 慌てて駆けつけた先は、階段の踊り場でした。
 蘭子ちゃんに介抱された彼女は、レッスン着姿で隅っこにうずくまり、荒い息を繰り返しています。

「だ、大丈夫だって……心配、しないで……」
「でも……!」

「大丈夫っつってんじゃん!!」

 美嘉ちゃんは、乱暴に蘭子ちゃんの手を払いました。
 ひぃっ、という蘭子ちゃんの小さな悲鳴が、踊り場にしぃん、とこだまします。


「ッ……ごめん……」

「美嘉ちゃん」

 ほどなくして、CPさんも到着したようでした。
 背後からの彼の足音を聞きながら、美嘉ちゃんに声をかけると、彼女はようやく私を視認したようです。

「ちひろさん……え、へへ……」

 美嘉ちゃんは、私にニカッと笑いかけました。
 渾身の空元気を振り絞ったのであろうその表情は、普段のキメ顔とはかけ離れた、力の無いものでした。


「顔色が、良くないようです」

 CPさんが、彼女に歩み寄ります。

「アイドルは、身体が資本です。
 無理をすることなく、しっかり休んで回復に努めることも、プロとしての大切な仕事です、城ヶ崎さん」

「ずっと残業してばっかの……アンタに、言われたくない……ふふ……」

 精一杯の皮肉で答える美嘉ちゃんの顔には、生気が感じられません。
 今にも倒れてしまいそう――。

 いいえ、彼女は事実、先ほどまで倒れていたのです。
 蘭子ちゃんが私達を呼びに行っている間、たまたま目を覚ました美嘉ちゃんは、誰かに見つかる前にその場を離れたのでしょう。
 今の姿を誰かに見られたら、休めと言われる――それを彼女は恐れたのだと思われます。

 ですが、なぜ休みたくないのでしょうか? 
 なぜ、そうまでして身体を酷使するのか――思い当たる節は、一つしかありません。


「プロデューサーさんのせいですね?」

 私の言葉に、美嘉ちゃんは肩をピクリと揺らしました。

「彼を、美嘉ちゃんの担当から外させましょう」
「……ちひろさんが?」

 美嘉ちゃんは首を傾げてみせます。
 一介の事務員に、どうしてそんな事ができるのかと言いたげの表情です。

 ところが、私にはそれができちゃうんです。

「元はといえば、私が進言したんです。CPさんを通じて、今西部長にね」
「! ……あの人を、私の担当にするよう、ちひろさんが……?」
「えぇ、そうよ」

 素性が分からない彼のことを、もっと知りたいと思った。
 だから、彼の力量を知るために、誰か担当を正式に就けることを思いついた。

 白羽の矢が立ったのが、彼女――そして、矢を立てるよう仕向けたのは何を隠そう、私です。

「今、美嘉ちゃんが苦しんでいるのだとしたら、プロデューサーさんだけでなく、私にも責任があります。
 私も、事務員の身ではありますが……アイドルが倒れてしまうほどに負担を強いるプロデュースが、健全とは思えません」


「……余計なこと、しないでよっ!」

 踊り場の手すりをガシッと握りしめ、美嘉ちゃんは身体を起こしました。
「アタシはまだ、あの人のこと……何も分かってない!」

「美嘉ちゃん……?」

 急に激情を露わにした美嘉ちゃんに、私達は圧倒されました。
 一体、何がここまで彼女を――?

「そりゃあ……ちょっと、ムカつくこと言われたり、するけど……でも、まだ待ってよ。
 あの人、何だかおかしいんだ」
「おかしい?」

「無茶ぶりがすごい、って意味じゃなくてね……何だか、無理してるみたいでさ」

 ふふっ、と誘い笑いをしました。
 話しているうちに、少しずつ元気を取り戻しているようにも見えます。


「キツいこと言ったり、させたりするクセに……ふとした拍子に、ヘンに気遣ったり、支えてくれたり……
 たぶん、よく分かんないけど……あの人、アタシに自分の素を見せないようにしてる」

「それは、プロデューサーとアイドルという関係としての、一定の距離感を保とうとしている、と?」
「あぁ……距離感、か」

 CPさんの言葉に、美嘉ちゃんは頷きました。


「そうかもね……距離感……
 なんかさ……まるで、ワザとアタシに嫌われようとしてんのかな、って、思える……」

 その一言に、私はもとより、CPさんもハッと驚いたことでしょう。
 なぜなら、美嘉ちゃんの推察は、意図的に冷たくあしらっているという彼のそれと同じだったからです。

「あの人、絶対、本音隠してる……本当はきっと、優しいはずなのに、アタシを一生懸命突き放してる。
 何でなんだろう、って……それが分かるまで、アタシはあの人に、ついて行きたいんだ。
 無茶をしてるのは、ぶっちゃけ、ゴメン……気をつけるからさ、皆には言わないで。
 言ったら、きっと、あの人アタシの担当を外されちゃう」


「あ、あの……」

 それまで黙って様子を見守っていた蘭子ちゃんが、恐る恐る手を上げました。

「私も……そう、思います」
「蘭子ちゃん……?」

「サブP、私のこと……一生懸命、いつも話、聞いてくれたから。
 私のやりたい事、引き出そうと、ずっと親身になってくれたんです」
「神崎さん」

 蘭子ちゃんの言葉に、CPさんは頷きました。

「あなたのプロデュースをするに辺り、彼には大変助けられました。
 私と神崎さんの橋渡しをしてくれただけでなく、神崎さんの思想を丁寧に言語化し、私に教えてもくれました。
 彼自身、きっと神崎さんのことを案じていたのだと思います」

「私を……」

 蘭子ちゃんは、元来とても引っ込み思案で恥ずかしがり屋で、自分の気持ちを素直に伝える事が苦手だと、CPさんも彼も評していました。
 派手派手しい見た目や立ち居振る舞いも、そんなナイーブな内面を隠すためのポーズなのでしょう。

 そんな彼女の力になりたいと、プロデューサーさんは当初あれだけ拒絶されながらも、粘り強く接触しようと試みていたのでした。

「ずっと……私みたいな人を、助けようとしてくれたから、だから……
 私も、美嘉ちゃんと同じこと、思うんですっ」


「蘭子ちゃん」

 ハッと呼びかけられ、蘭子ちゃんは美嘉ちゃんの方を向きました。
 美嘉ちゃんは、ニカッといつものカリスマスマイルを見せ、握り拳を彼女に向けています。

「アタシに任せてよ★
 あの人のホンネを聞き出すまで、どこまでも食らいついてやるからさ。
 蘭子ちゃんとアタシが考えていたこと、本当なんだってのをこの目で見て、証明してやろうじゃん」

「美嘉ちゃん……!」
「ほら、手」
「うんっ」

 蘭子ちゃんは、嬉しそうに握り拳を作り、美嘉ちゃんと突き合わせたのでした。


「……とはいえ、CPさん」
「はい」

「管理側として、今の状況を静観しているわけにもいきません」

 そう話す私に、美嘉ちゃんは「えっ?」と驚いた表情を向けました。
 CPさんは頷き返し、同意を示します。


「大丈夫です、美嘉ちゃん。悪いようにはしません」

 やはり、あの人自身の口から話を聞かないことには、彼の考えなど分からないですよね。

 日はすっかり暮れてしまいました。
 アイドル達はほとんど残っていませんが、事務所のスタッフにとっては、むしろここからが本番な人もいます。

 とりわけ、プロデューサー達がいるオフィスフロアは、不夜城と揶揄されるほど、何時でも煌々と明かりが灯っています。
 346プロに所属するアイドル全員がオフシーズンに入ることはまず無いため、必ず誰かしら、遅くまで残業しているのです。

 かく言うプロデューサーさんも、当たり前のようにせっせとデスクワークをしていました。


「あっ、ちひろさん」

 私の姿を見留めると、彼はいつものように笑顔を私に見せてくれました。
 この笑顔が、この人の本当の姿――?

「お疲れ様です。精が出ますね」

 そう言いながら、挨拶代わりのエナドリをデスクに置きます。

「ちょうど良かった。探しものがあって……
 346プロ所属アイドル達の、過去のバラエティ方面の活動記録とかが一覧で整理されたものを見たいんですが、そういうのってありますか?」

 話を聞くと、美嘉ちゃんを某スポーツバラエティ番組のゲスト枠に出演させるべく、オーディションを受けさせるつもりのようです。
 その戦略を練るために、過去の事例を参考にしたいのだとか。

 なおも新しい仕事。
 それも、見るからに体力勝負の仕事を、この人は美嘉ちゃんに――。

「……資料室に行けば、たぶんあると思いますよ。一緒に行きましょうか?」
「良いんですか? いやぁすみません、助かります」


 私は、嘘をつきました。

 資料室には、長い歴史を持つ346プロの、各部門の過去の活動期録が紙ベースで保管されています。

 ですが、アイドル部門はまだ創られて新しいものです。
 活動期録が電子データにてアーカイブ化するシステムがとっくに構築されてからの創設であり、それらは社員個人の端末から容易にアクセスし、閲覧できます。

 つまり、彼が求めるものを探しに、資料室へわざわざ足を運ぶ必要など無いのです。

 資料室に連れられたプロデューサーさんは、その資料の量に圧倒されたようでした。
「う、うわあぁぁ……これは、全部目を通そうと思うと、気が遠くなりますね」

 彼を中に入れた後、私は後ろ手にドアを閉め、内側から鍵をかけます。

「おそらく、全てを把握している人は、たぶん社内にもほとんどいないんじゃないかと思いますよ」

 ハハハ、と彼は頷き、私に向き直りました。

「それで、アイドル部門の資料は、どこにあるのでしょうか?」
「ここにはありません」

 私は、ワザとあっけらかんと答えてみせました。

「こんな所に来なくとも、実は普通に個人のパソコンから電子で見れるんです」


 そう告げられたプロデューサーさんには、思いのほか、驚いた様子は見受けられませんでした。

「……俺に何か、用があると?」

「美嘉ちゃんのことです」

 彼は表情を変えません。
 黙ることで、私に話の続きを促しています。

「皆、心配しています……。
 美嘉ちゃんが今日、廊下で倒れていたこと、プロデューサーさんはご存知ですか?」
「……美嘉が?」

「明らかに無茶をしているんです、美嘉ちゃん。
 でも、あの子は……あなたこそが無茶をしていると言います」


 急に私は、胸が苦しくなりました。
 それは、この資料室がロクに窓もついていない、閉塞された空間だからではありません。

 もしこの二人が、お互いに無茶をし合っているのだとしたら――。

「本当なんですか?」
「…………」

「どうして、美嘉ちゃんに対しては……いつもの優しいプロデューサーさんであろうとしないんですか?」

 なぜ、そんな苦しい思いをわざわざしなくてはならないのかと、やるせない気持ちでいっぱいです。

「……好かれるべき人間ではないからです」
「えっ?」

 彼は、どこか寂しそうな笑顔を浮かべました。

「今西部長もきっと、俺の事情を汲んだ上で、見逃してくれているんだと思います」
「あの……それは一体、どういう……」


「今はまだ、詳しいことは言えません。すみません」

 プロデューサーさんはそう言って私に頭を下げ、出入口に向かおうとしました。
 慌てて私は身体を張って、彼の前に立ち塞がります。

「事情を話してくれるまで、ここを動きません」


 彼は、鼻をポリポリと掻きました。
 アハハ、と――何となく笑いながら。

「困ったな……」
「お話できないと言うのなら、せめてできない理由を聞かせてください」

「それ、もう答えになっちゃうので、どのみち言えないんですよ」

 鼻でため息をついた後、プロデューサ-さんは再度私に頭を下げました。

「俺も正直、悪いと思っています。
 不義理な行いだって……不信感を抱かせて、皆を困らせてるってことも。
 でも……どうか、分かってください」

 なぜ頑なに、彼は秘匿するのでしょう?
 何がそこまで都合が悪いのでしょう?

「どうしても……言えないのですか?」
「……えぇ、申し訳ありませんが」

 今度は、この人のことが腹立たしくなりました。

 あんなに美嘉ちゃんが、プロデューサーさんに歩み寄ろうとしているのに――。
 蘭子ちゃんも菜々さんも、きらりちゃんも、皆が心配しているのに!

「……分かりました」
「お心遣い、ありがとうございます。鍵、開けてくれますか?」

「じゃあ、今度のサマーフェス、シンデレラプロジェクトが美嘉ちゃんに勝ったら、ちゃんと話してください」


「えっ?」


 実はここに来る直前、CPさんと内々で相談していた事でした。

 サマーフェスにおけるシンデレラプロジェクトの成績を、彼の経歴を引き出すための交換条件にする――。
 その事について、私は予めCPさんに了解を取ったのです。


「……どういう意味でしょうか?」

 さすがに困惑を隠しきれないプロデューサーさんに、私は解説をしてみせます。

「サマーフェスは、当然に346プロの社内イベントであり、表向きには競争性はありません。
 ただ、346プロの非公式ファンサイトには、大規模な投票システムがあるのをご存知でしょうか?」
「い、いえ……って、まさかそれを使って勝敗を決めようってんじゃ……!?」

「非公式といえど、業界に非常に精通した管理人さんによる更新が頻繁に行われ、日毎のアクセス数も相当なものです。
 ネットニュースなどでも毎年取り上げられますし、業界人からの注目度も高い一大情報サイトなんですよ」


 もちろん、346プロとしても、このサイトによる情報を基とした事務所運営を行うなどということはありません。
 事務所のプロデューサーやアイドル達に対しても、これを無闇に閲覧し振り回されることが無いように、という触れ込みが成されています。

 ――建前上は。

 どれだけ注意していようとも、人の目や口には戸を立てられないというのが、昔からの世の常です。
 公言はされないものの、一部にはこのサイトから得られる情報を参考にする人もいるらしい、というのが現状です。


「俺は反対です」

 プロデューサーさんは、キッパリと反論しました。

「非公式のサイトによる投票結果を判断材料にする、という事についてもそうですが……
 そもそもプロデューサーが自分の都合のために、担当アイドルを賭け事の道具として扱うなんて、道理にかないません」

 彼から明確に異を唱えられるのは、初めてでした。
 その険しい表情からは、私の提案に対する不満がありありと伝わってきます。

「第一、CPさんはそのことを承知しているんですか?」

 そしてやはり、CPさんへの尊重を忘れない――。


 私は、毅然と答えます。

「元はと言えば、プロデューサーさんが私達にちゃんと説明してくださらないからです」
「! ……ッ」

「もちろん、あなたの仰る通り、アイドルを内輪の勝負事に持ち出すことは、私達も決して本意ではありません。
 でも、正面切って尋ねてもお答えいただけないのであれば、こちらもそういう手段を取らざるを得ないんです。
 外法には外法を、と言っては失礼ですが……正論による交渉のテーブルを先に立ったのは、プロデューサーさんの方です」

「…………」


 実際のところ、CPさんからも非常に難色を示されたお話でした。
 事の経緯を明らかにするためだけに、そのような行いをするのであれば、触れずに黙っているままでも良いのではないか、と。

 ですが、どうしても私には我慢がならなかったのです。
 納得を得られないまま、苦しんでいる――美嘉ちゃんだけでなく、他ならぬ彼自身も。

 ずっとこのままで良いとは、私には思えません。

「……分かりました」

 しばらく悩んだ末に、プロデューサーさんは首肯しました。

 逆に言えば、それだけ苦渋の選択であってもなお、彼は自身の経緯について秘匿することを選んだことになります。

「ちなみに、美嘉ちゃんにはこの事を話していません。シンデレラプロジェクトの子達にも」
「当たり前です」

 彼は腰に両手を当て、深いため息をつきました。

「たとえ事情を知っていようと、美嘉はワザと負けるために手を抜くような事はしません。
 それでも、混乱はするでしょうから……俺からも、言わないようにします」

 そう――彼への理解を深めたい美嘉ちゃんにとっては、この賭け事を知ったら、ワザと負ける事を選択する可能性も考えられます。

 でも、プロデューサーさんは――彼女はそんな事はしないと、明確に言い切ったのです。


「美嘉ちゃんのこと、信頼しているんですね」

 私がその場を退きながら聞くと、プロデューサーさんは俯いたままかぶりを振りました。

「信頼を押しつけているだけです……今はまだ」

 そう言って、彼は私に頭を下げ、ドアノブに手をかけて資料室を後にしていきました。

「…………」

 一人残された資料室にて、先ほどのプロデューサーさんとのやり取りを反芻します。


 事情を話したくないプロデューサーさんが、自身の都合のために正論を振りかざし、賭けに乗ることを拒んだ――。
 見方によっては、そういう解釈もできますし、不自然とも言い切れません。

 ですが、賭け事を持ち出した時の、彼の真に迫った表情――私は、あれは本心なんだと思いました。

 CPさんの仰った、アイドルへの深い敬愛――。
 彼自身は、信頼の押しつけだと自嘲していましたが、私にもそれが分かりました。


 でも、だからこそ分かりません。

 プロデューサーさんにとっても不本意な、苦渋の決断をしてまでも、頑なに事情を話さないその理由は一体なんなのでしょう?
 誠実が彼の本質であるならば、今の彼はあまりにもチグハグで、不自然です。

 開催まであと2ヶ月を切ったサマーフェスが終われば、それが明らかになるのでしょうか?


 胸の奥がチクリと痛むのを感じながら、事務室へと戻る途中でした。

 我が社の代表である美城会長のご子息が、近くアイドル部門の常務取締役に就任されるという噂話を耳にしたのは。

今日はここまで(全体の約4分の1くらいになります)
今後は、12/10(木)20時~0時頃に4分の1を、12/12(土)14時頃以降に残りを投下していければと思います。
 ※12/11(金)はお休みします。

   * * *

 346プロのサマーフェスは、昨年までは国立公園の一画をお借りして開催していました。
 一方で、今年は先述の通り、初めて竹芝の屋内ホールにてセッティングしたのですが、それは我が社ながら英断だったようです。
 天候に左右されずに行えるというのは、運営側としてとても安心です。

 ただ、フェスやライブは、会場さえあれば良いというわけではなく、当然に主役となるアイドルの子達も必要です。


 サマーフェス当日。
 関東を直撃した爆弾低気圧による記録的な大雨と雷のために、各路線の電車が大規模な信号機トラブルに見舞われました。
 その影響で、一部の子達の到着が、大幅に遅れてしまったのです。

「アタシにやらせてください」

 開催を2時間後に控えた舞台裏で、プロデューサーさん達をはじめ、スタッフの皆でセットリストの見直しをしていた時のことでした。

「遅れる子達の出番を後に回して、誰かが場を繋げばいいんでしょ?
 莉嘉の『DOKIDOKIリズム』ならアタシ、莉嘉の練習に散々付き合ってあげたし、ちゃんとやれます」

 美嘉ちゃんが私達の輪に加わり、そう進言したのです。

 到着が遅れてしまうのは、高垣楓さんに川島瑞樹さん、輿水幸子ちゃんや十時愛梨ちゃん――。
 シンデレラプロジェクトの1期生であり、我が社の看板でもあるシンデレラガールズの大半が、足留めを食らったのです。

 それに、シンデレラプロジェクトは『凸レーションズ』の3人――つまり、きらりちゃんとみりあちゃん、そして莉嘉ちゃんです。

 いずれも皆、午前中に別の場所でのお仕事を終えた後、こちらに向かう時に電車が止まったそうです。
 タクシーに切り替えたものの、乗り場が行列をなしていた上、どこの幹線道路も大渋滞となっているようで、こちらにいつ着けるのか、見通しすら立ちません。

「他の人達に応援を頼もうにも、どのみち会場に来れるか怪しいし。
 今いる人で何とかしようとしたら、アタシが動くのが一番良いですよね?」

「いや、そ、それであれば『NUDIE★』とか、美嘉さんの曲で繋ぐ方が…」
「たぶん音源用意してないでしょ?
 それ抜きにしても、莉嘉の曲とアタシの『TOKIMEKIエスカレート』は、えっと……
 対比? っていうのが良いトコもあるし、続けてやった方がいいと思います。
 きっと莉嘉も納得してくれます。やらせてください」

 美嘉ちゃんの言葉には、説得力、というよりも――スタッフさんの反論を許さないような気迫がありました。
 その場にいた皆は、ますますの躍進を遂げているカリスマギャルの提案を、無碍に扱う事ができません。

 結局のところ、美嘉ちゃんの提案通りに行う事となりました。
 しかし――。

「美嘉」

 トイレに行くと言って外に出た美嘉ちゃんを、プロデューサーさんが廊下で呼び止めるのを見かけました。
 彼らが二人きりで話をするのを見るのは、初めてです。

「何?」

 振り返った美嘉ちゃんは、極めてフラットにプロデューサーさんに返事しました。
 何でもないかのように努めているようにも見えます。

「なぜあんな事を言ったんだ」
「あんな事って?」
「とぼけるな」

 少し大股になって、プロデューサーさんは彼女に歩み寄ります。

「お前の出番が2曲続いてしまうことになった。
 それに、『DOKIDOKIリズム』も『TOKIMEKIエスカレート』も、非常にダンサブルな曲だ。
 分かっているのか?」
「当たり前でしょ、アタシとアタシの妹の持ち歌だし」

「あんなセトリを無理に組む必要なんて無かったと言っているんだ。
 1曲歌うだけでも相当に体力を削られる。ましてインターバルも無しに2曲続けてやるなんて、並大抵のことじゃない」

 ――それは、私も心配していたことでした。

 通常、セットリストは出演するアイドルの子達が順番に、あるいは交互に登場するように組みます。
 2曲続けて登場することも無くはないですが、その場合、パート分けのあるユニット曲かバラード等、体力的な負担が比較的少ないもので組むことが通例です。

 プロデューサーさんの言う通り、ソロで2曲続けて――しかも、どちらもアップテンポでダンサブルな曲です。
 フルで2曲歌い踊り続けるのは、美嘉ちゃんといえどかなりハードになるはずでした。


「プロデューサーがアタシを信じられなくてどうすんの?」

 美嘉ちゃんは、プロデューサーさんに毅然と答えました。

「ていうか、知らない?
 これまでもアタシ、そういうの何度かやった事あるんだよ。心配なんか要らないって」
「心配はしていない。
 俺もあの場で、お前の提案に反論や訂正もできなかったしな。でも」

 ちょっとぶっきらぼうに言う美嘉ちゃんに、プロデューサーさんはさらに問い質します。

「俺が聞いているのは、なぜお前があの場であんな事を言ったのかってことだ。
 スタッフさん達に対する、あの言い草……俺には、お前がどこかムキになっているように見えた」

「……よく見てんじゃん」

 相手を評価する言葉とは裏腹に、美嘉ちゃんの顔が、少し不機嫌そうになってきています。

「でもそれ、ムキにさせてる側が言うことじゃなくない?」


 そう言われたプロデューサーさんは、一瞬言葉が詰まったように見えました。

「何の話だ」
「そっちこそとぼけないでよ。アタシ知ってるんだからね」
「何をだ、聞かせてくれ」

「賭けの話。
 シンデレラプロジェクトの子達がアタシに勝ったら、アンタが346プロに来た事情を聞き出せるって言うんでしょ?」


 美嘉ちゃんが言った事は、きっとプロデューサーさんには衝撃だったことでしょう。
 もちろん、私にとってもです。

 ふと、プロデューサーさんと目が合いました。
 柱の陰に隠れて様子を見守っていた私に向けられた彼の視線は、一瞬でしたが、とても恨めしげでした。
 バラしたのか、とでもいいたげの――。

 当然、私には身に覚えが無いので、慌てて顔の前で手を振ります。
 それが彼に信じてもらえたのかは分かりません。

 小さくため息をつき、プロデューサーさんは美嘉ちゃんに向き直りました。

「仮にそうだとして、お前があそこであのように出しゃばる理由にはならない」
「なるよ」
「えっ?」

 そう言い切る美嘉ちゃんに、プロデューサーさんは明確に驚いた表情を見せました。

「勝負だってんなら負けてらんないじゃん。
 プロデューサーに今日まで育ててもらった以上、アタシにだって義理はあるでしょ?」

「義理なんか、感じる必要は無い」
「それはアタシが決めることでしょ。アタシの感情なんだし」
「あのな……」

 言い返す言葉を探すように頭をクシャクシャと掻いて、やがて観念したように彼はため息をつきました。

「まぁ、お前の考えている事が分かったよ。
 このフェスでの自分の活躍を観客に対して派手に印象づけて、得票数を稼ごうって腹か」
「そういうことっ★
 ま、ファンサイトでそんな投票イベントがあること自体アタシは知らなかったから、勝手は分かんないけどね」

 プロデューサーさんの言った通りでした。
 私達の賭け事を知った美嘉ちゃんは、それでも自分が勝つことを選んだのです。

 いいえ。自分とプロデューサーさんが勝つことを。

「お前はつくづく強気なんだな」
「お客さんを楽しませようってアイドルが調子にノッてなきゃ話になんなくない?」
「詭弁だよそれは。でも」

 プロデューサーさんは、呆れたように――でも、小さく笑いました。
 それは、美嘉ちゃんを担当してから彼女に向けられた、初めての笑顔だったのかも知れません。

「すまない、お前には世話をかける。任されてくれるか?」
「トーゼン★ ねっ?」

 そう言って握り拳を突き出す美嘉ちゃんに、プロデューサーさんは頷き、それに応えたのでした。

 その後、改めて開かれた直前のミーティングでは、再度セットリストの見直しが行われました。
 美嘉ちゃんの体力面を危惧したCPさんの提案により、美嘉ちゃんの『TOKIMEKIエスカレート』が3つほど繰り下がりそうになったのです。

 でも――。

「いえ、このままでやらせてください」

 そう強く主張したのは、言うまでもなくプロデューサーさんでした。

「確かに、ダンサブルな曲を続けて行わせることはリスキーですが、今の美嘉は気力も充実しています。
 むしろ、この土壇場でセットリストを組み直すことの方が、良い結果に結びつかなくなる可能性が高い。
 モチベーションの低下だけでなく、アイドル間でのイメージの共有にも支障が出ます。だから」

 彼はCPさんをはじめ、スタッフの皆さんに頭を下げました。

「お願いします。アイツを信じてやってください」


「……確かに、そうですね」

 沈黙を破ったのは、CPさんの一言でした。
 顔を上げたプロデューサーさんに、CPさんはニコリと頷き、皆を見渡します。

 CPさんもまた、プロデューサーさんに強い信頼を置いていることを思い出しました。

「城ヶ崎さんで行きましょう」

「……ありがとうございました」

 ミーティングが終わった後、プロデューサーさんはCPさんに駆け寄り、改めて頭を下げました。
 CPさんも足を止め、彼に向けてかぶりを振ります。

「いえ。私の方こそ、出過ぎた事を言いました。
 申し訳ございません」
「そんな事は……」
「ただ」

 CPさんが、チラリと私の方へと視線をやりました。
 知らずドキリとしてしまいます。

「先ほど、千川さんからお聞きしました。
 城ヶ崎さんが、例の話について知っていたと」
「……ええ、そうなんです」

 二人の方へと歩み寄り、私は頭を下げます。

「黙って見ていて、すみません。でも…」
「分かっています。ちひろさんがバラしたわけではないんでしょ?」
「は、はい……」

「一体、城ヶ崎さんは誰からあの話を聞いたのでしょうか……」

 アクシデントに見舞われた以上、実際私はもう、勝敗の行方は半分どうでも良くなってきていました。
 今望むことは、美嘉ちゃんをはじめ、アイドルの皆が無事にステージを完遂してくれることだけ。

 どのみち、美嘉ちゃんが期待通りのパフォーマンスを発揮すれば、このサマーフェスのMVPは自ずと彼女になるでしょう。
 ファンサイトの得票数も、きっと。

 だから、勝敗はもう見えたようなものなのです。
 何も起きなければ――。



 控え室を、そっと覗いてみます。
 かな子ちゃんが作ってくれたクッキーを囲んで、皆で本番前の談笑を楽しんでいる中に、美嘉ちゃんもいました。
 頼もしいことに皆、リラックスしているようにも見えます。

「美嘉ちゃん」

 ドアのそばからそっと呼びかけると、美嘉ちゃんは私の姿を見つけ、こちらに駆け寄ってくれました。
 廊下まで連れ出すと、二人きりです。


「美嘉ちゃんに、謝らなきゃって思って」
「何が?」

「さっき、プロデューサーさんに言っていた話……賭けの話というのは、元はと言えば、私が言ったことなの」

 私は、事の顛末を打ち明けました。

 私が余計な事を言い出さなければ、美嘉ちゃんがこのサマーフェスで、無理をして気張る必要なんて無かったのです。
 アクシデントのせいにするのは簡単ですが――やはり、私の行いは外法だったのだと、認めない訳にはいきません。


「そうなんだ」

 美嘉ちゃんはボンヤリと呟きながら、ツインテールに整えた髪を手持ち無沙汰そうに弄りました。

 私は、美嘉ちゃんを今一度見つめ直します。
 自身の行いにより生じた事から、目を背けまいと。

「だから、美嘉ちゃんがもう無理をする必要は無いの。
 セットリストの組み替えは、今ならまだ間に合います。
 私の言い出した事で、美嘉ちゃんがこれ以上負担を強いられる必要なんて無いんです」

 我ながらひどい言い草だなぁって、嫌になります。
 直前のセットリストの組み替えは混乱の元だって、さっきプロデューサーさんが言っていたばかりなのに。

 今の私は、美嘉ちゃんを追い詰める原因を作っておきながら、彼女に対し、我が身可愛さの弁明をしているに過ぎません。

「だから、本当に……ごめんなさい、美嘉ちゃん……」

「そうなれば、アタシもシンデレラプロジェクトに負けて、ちひろさんもあの人から事情を聞き出せるって?」


「えっ……」
「アハハ、ジョーダン★」

 一瞬言葉に詰まった私に、美嘉ちゃんは笑って手を振りました。

「ゴメン、ちひろさん。
 でも、アタシは別に負担だなんて思ってないよ。
 あの人にも言ったけど、これくらいの事は何度もあったし、慣れてるからヘーキ。それにさ」

 どこか照れ臭そうに、頬を指で掻きながら、美嘉ちゃんは続けます。

「あの人の言う通りだよ……アタシ、あの人にムキになってる。
 アタシはもっとやれるんだって。これくらいの事、何でも無いんだって、あの人に認めさせたいんだ。
 だから、これはアタシの問題。ちひろさんは、何も気にする必要無いってこと。いい?」


「美嘉ちゃん……」
「まぁ、アタシがコケたらそれはそれであの人の事情を聞けるらしいし、どっちに転んでもアタシにとってはオイシイ話、かな?
 なんてね、ふふっ★」

 ――この子には、本当に頭が上がりません。
 私が勝手に抱いていたわだかまりも、不安も、アッサリと吹き飛ばしてくれます。

「……ありがとうございます、美嘉ちゃん」


 本当は、例の話を誰から聞いたのかについても、聞き出したかったのですが――それは、無粋だと思いました。
 今の私に、ここまで温かい言葉をくれた美嘉ちゃんから、それ以上を求める筋合いはありません。

 美嘉ちゃんもまた、自分からはその話を切り出しませんでした。
 話したくないのなら、それでいいんです。

 きっといずれ、分かることのような気がします。

 セットリストは、最初に小日向美穂ちゃんや佐久間まゆちゃんといった先輩組が先陣を切ります。
 シンデレラプロジェクトの出番は、真ん中より少し後半。
 そして、美嘉ちゃんはその手前です。

 私の拙いアナウンスをもって本番が始まると、会場の熱気がすぐに舞台袖にも届いてきました。
 外が悪天候であることを忘れてしまうような歓声が、3000超もの席数を誇る竹芝のホールを埋め尽くしています。

 そうして順調にセットリストを消化していくうちに、遅れていたアイドルの子達も、到着見込みの連絡が続々と入ってきました。


「なぁんだ。この分だと、アタシが出しゃばる必要も無かったかな」

 楓さんや莉嘉ちゃん達が間もなく到着するとの連絡をプロデューサーさんから聞いた美嘉ちゃんは、腰に手を当て、首を捻りました。

「どのみち吐いた唾は飲めないぞ。
 それに、お前の心意気は無意味なんかじゃない」
「分かってるって」

 今は、堀裕子ちゃんの『ミラクルテレパシー』。
 その次に、星輝子ちゃんの『毒茸伝説』が入った後、美嘉ちゃんの出番です。


「美嘉」

 プロデューサーさんは、普段にも増して神妙な面持ちで、改めて美嘉ちゃんに向き直りました。

「実は前にも、似たようなことがあったんだ……
 ライブの当日にトラブルがあって、ダンサブルな曲を一人に二曲続けて歌わせたことが」


「……前に担当していた子、とか?」

 美嘉ちゃんが慎重に聞くと、プロデューサーさんは小さく鼻を鳴らしました。

「未熟さ故の苦い思い出さ。
 だから、今日のお前の提案にも、ついムキになってしまった。すまない」
「ううん、いいって。その代わり」

 美嘉ちゃんはプロデューサーさんに向けてギャルピースをして、渾身のカリスマスマイルを見せました。

「そういう話、もっと後で詳しく聞かせてよね★」


「……もう一度言うけど、俺は何も心配をしていない」

 プロデューサーさんは苦笑しながら頭を掻き、その手を開いてみせます。

「頼んだぞ。全力を出しきってこい」
「うん!」

 パァンッ!
 と美嘉ちゃんが彼の手を叩き、輝子ちゃんが捌けた後のステージへと駆けて行きました。

 結果から言えば、美嘉ちゃんも、その後のシンデレラプロジェクトのステージも、大成功と言えるものでした。

 ダンサブルな二曲――『DOKIDOKIリズム』と『TOKIMEKIエスカレート』を続けてこなした美嘉ちゃんは、その後のMCも器用にこなしてみせたのです。

 後に控える後輩達の見所とエールをしっかり伝え、彼女達の緊張を解きほぐしてステージを後にした美嘉ちゃんは、正しく今回のフェス成功の立役者でした。


 とはいえ、さすがに美嘉ちゃんも堪えたようです。

 舞台袖に戻るなり、彼女は目に見えて足がフラフラの状態になりました。
 お客さん達に疲れを見せないよう、ステージの上では無理をしていたのでしょう。

 プロデューサーさんが美嘉ちゃんの前に立つと、美嘉ちゃんは倒れ込むように彼の胸に身体を預けました。

「大丈夫か?」
「へへ……どーよ?」
「大丈夫かと聞いてるんだ、こっちは」

「逆に聞くけど……大丈夫そうに見える?」


 そう言われたプロデューサーさんは、美嘉ちゃんの頭を優しく撫でました。

「もう2、3曲はやれそうだな」

「アハハ……ホント、スパルタだね、プロデューサー」
「お前が生意気な事ばかり言うからだ。
 ほら、もういいだろ、さっさと離れてくれ」
「えぇ~? いいじゃん、何、照れてんの?」

「馬鹿を言うな」
「ふふっ……!」

 そう言いながら、プロデューサーさんは愛おしそうに美嘉ちゃんの頭をクシャッと撫でていました。


 二人の姿を見て、ようやく確信できました。

 やはりプロデューサーさんは、優しい人です。
 シンデレラプロジェクトのサブをしていた時と変わらず、穏やかで柔らかくて。

 信頼の押しつけなんかじゃありません。
 彼の腕に抱かれる美嘉ちゃんは、とても嬉しそうでした。



  ――好かれるべき人間ではないからです。

 不意に、彼の言葉が思い出されました。

 まだ不明のままなのです。
 プロデューサーさんが美嘉ちゃんに対し、冷たい態度を取っていた理由について。

 好かれたくないとするなら、今のあの二人の様子は、プロデューサーさんにとって望ましくないとでも言うのでしょうか?
 あんなに穏やかで、二人とも笑っていて、幸せそうなのに。



 悪天候にも関わらず、これまでにも類を見ないレベルの成功をもって幕を下ろした、346プロのサマーフェス。
 シンデレラプロジェクトをはじめとしたアイドルの子達も、これを足掛かりとして数多くの仕事が舞い込む事になります。

 ですが、先述の謎が明かされることの無いまま、プロデューサーさんは美嘉ちゃんの担当を降りることになりました。

 海外の支社から帰国し、新しくアイドル部門の統括重役に就任した、美城会長の一人娘――。
 美城常務が、継続しているアイドル事業の全てを白紙に戻すと宣言したからです。

   * * *

「私は彼の事を信用していない」

 常務室に入り、真意を問い質した私に、美城常務は淡泊に答えました。
 ついこの間その席に就いたばかりとは思えないほど、その姿は泰然としており、言い知れぬ迫力を漲らせています。

「で、でも! いくらなんでも、少し急と言いますか……
 アイドルの子達の間にも混乱が広がっていますし、事実として彼女達はあの人の事を信用しています」
「それがどうした」
「どうした、って……!」

「君はどうなんだ?」
「えっ?」

 常務はデスクの上で手を組み、私を睨み上げました。


「聞いた話によれば、彼は君に、この346プロへ来た経緯について満足に説明できていないらしいな」
「……!」

「後ろ暗い事情でないのであれば、臆面も無く公明正大に話すことができるはずだ。
 混乱と君は言ったが、説明すべき事を秘匿し、混乱を助長させる人間を信用できると言うのか? 君は」

「わ、私は……」

 常務の仰る通り、彼に対する疑念は、私の中で依然燻り続けたままです。
 でも、今この場でその事を持ち出したくありませんでした。

 それを認めたら、プロデューサーさんがもう、私達の下を離れていってしまう気がして――。

「彼には特定の担当アイドルを回さない代わりに、庶務事務を担当させることにする」


「えっ……」
「つまり、君の直属の部下だ。直接の指導は君に従うよう、彼には既に伝えてある。
 君には負担を強いることになるが、よろしく頼む」


 ――既に伝えてある?

 プロデューサーさんは、もうプロデュースをしないことを了解しているというのでしょうか?

 美城常務は席を立ちました。

「他に言いたい事が無いのなら、話は終わりだ。
 私にはこの事務所が持つポテンシャルを早急に、全て余さず把握する責務がある」

 そう言って、常務はカツカツと靴音を鳴らして常務室を出て行きました。
 事務所内の施設やシステムをこの目で確かめるのだと言います。


 私達の新たな上役は、随分とバイタリティに溢れた、主導性の強い方のようです。

 彼のデスクは、再び私の隣に戻ってきました。

「ちひろさんすみません、この書類なんですけど」

 今日もプロデューサーさんは――いえ、正確にはもうプロデューサーじゃないのですが。
 私のチェックを請うために椅子を引いて相談に来られます。

 その表情は、こっちが拍子抜けするくらいに普通でした。
 まるで、ついこの間までプロデューサーであったことが嘘だったのかと思えるくらいに。

「……えぇと、うん。よく出来ています。
 ただ、このセルの端数処理がなっていないようなので、そこさえ修正してもらえれば大丈夫かと」
「あれ? そうですね、すみません。
 すぐに直します。ありがとうございます」


 黙々と備品購入に際する見積資料の作成を進める彼の姿を見て、私は何だか、この人の事が分からなくなってしまいました。
 遠く感じる、というか――。

 いくら常務の命令とはいえ、ここまで割り切ることができるものでしょうか?

 美城常務が命じた解体の対象は、シンデレラプロジェクトも例外ではありませんでした。

 ただ、これについては、アイドル事業部の発足に携わった今西部長肝入りのプロジェクトでもあります。
 さらにCPさんも、常務が解体を言い渡した会議の場で即座に反意を示しました。

 結果として、プロジェクト解体の代替案――。
 端的に言えば、今のシンデレラプロジェクトの継続が即時的な成果をもたらすことを示す、企画書の作成を言い渡される事になりました。
 困難なお仕事ですが、問答無用で解体されるよりはマシであると、CPさんは前向きです。


 ですが、プロデューサーさんは、常務の決定に抵抗の意思を示しませんでした。
 美嘉ちゃんの担当プロデューサーを降りる事を、素直に受け入れたのです。


 一方で、美城常務自身が主導するアイドル事業が近く発足されるとの話が、私の耳にも聞こえてきました。

 別世界のような物語性とスター性という、346プロアイドル部門の新しいブランドイメージ確立のための新企画、『プロジェクトクローネ』。

 シンデレラプロジェクトの凜ちゃんやアーニャちゃんに加え――。
 美嘉ちゃんもまた、その企画のメンバー候補として名を連ねているとのことでした。

「せっかく良い感じになってきたなぁって思ったのに……」

 346カフェの屋外テラスで、ついため息が出てしまいました。
 うだるような暑さはだんだんと和らぎ、中庭を通り抜ける乾いた風が秋の気配を感じさせます。

「常務が美嘉ちゃん達を自分のプロジェクトに組み入れようと、強引に解体させたようにも思えると言いますか…」
「サブPがそれで納得してるなら別に良くない?」

 向かいに座る杏ちゃんは、椅子の上にあぐらを組みながらぶっきらぼうに答えます。


 解体が言い渡されるに伴い、シンデレラプロジェクトの事務室は、地下の物置部屋への引っ越しを余儀なくされました。
 CPさんの企画が通るまでの間、当面はその部屋を活動の拠点にせざるを得ないようです。
 
 皆でお掃除をしたとのことでしたが、傍から見ると、お世辞にも良い環境とは言えません。
 これでも随分マシになったと智絵里ちゃんは言っていたので、お掃除する前の状態は推して知るべしです。

 そんな新しいシンデレラプロジェクトの事務室に顔を出したら、杏ちゃんと美波ちゃん、アーニャちゃんがいました。
 やはり、彼女達の近況が気になったのでカフェに誘うと、快くオーケーしてくれたのです。
 杏ちゃん以外は、ですが。


「サブPさんは、そんなに落ちこんでいる様子は無いのですか?」

 美波ちゃんの言葉に、私は持ちかけたカップを置き直し、首肯しました。

「以前、あの人がこのカフェで言っていたんです。
 346プロで、学べるものは何でも学んで吸収したいんだ、って」

「アー……吸収、ですか?」
「勉強するとか、経験を得るって意味よ、アーニャちゃん」

 美波ちゃんが解説をしてあげても、アーニャちゃんは握り拳を顎に当て、首を捻っています。

「サブPが勉強したいこと、プロデュースのことでは、なかったですか?」
「うん……それに、ちひろさん。
 346プロから何かを学びたいっていうのは、サブPさん……
 あまり良くない言い方ですけど、346プロを何かの腰掛けというふうに考えているのでしょうか?」


「それなんですよねぇ~」

 ラブライカのお二人から核心に近いであろう部分を突かれ、私はもう一度嘆息しました。

「事務員としての所見ですが、細かな事務処理の仕方は会社によって様々であり、346プロには346プロのルールがあります。
 仮にあの人が、346プロから早々にどこかへの転職を考えていたとして、346の事務仕事の経験を満足に生かせる場なんて、そうは無いんじゃないかなぁって」

「転職?」

 それまでつまらなそうに話を聞いていた杏ちゃんが、急に身を乗り出してきました。

「サブP、転職すんの?」
「まだそうと決まったわけではないですよ」
「でもそれ、興味深いね」

「興味深い?」

 オレンジジュースをストローで吸う杏ちゃんの顔を、美波ちゃんが不思議そうに横から覗き込みます。

「だって、あんなに仕事の虫になってた人だよ?
 シンデレラプロジェクトのサブやってた時も、美嘉の担当やってた時も、尋常じゃない熱の入れようだったじゃない。
 ちひろさんが言ったみたいに、事務仕事がスキルアップに繋がらない事をサブPも承知済みなんだとしたら」

 ずごごご、と飲み干したジュースを置いて、杏ちゃんはニヤリと笑いました。

「もうサブPはサブPなりに、346プロに見切りをつけて、そういう準備を進めてるのかもね。
 どこに行くつもりなんだろ? こんな大企業を辞めて、次の居場所で待遇が向上する算段があるのかなぁ」


「辞める、と言ったって……」

 まだあの人は、346プロに来てそろそろ半年、というくらいなのです。
 既に転職先を見つけているならば、入社したその日から転職活動をしていない限り、時間的に辻褄が合いません。

 それとも、転職先などない――?
 とにかくこの会社から逃げ出すことを第一に考えたくなるくらい、ここの仕事が嫌になった?

 いや、まさか。


「サブP、プロデューサーのお仕事、ヴィエースィラ……とても楽しそうでした」

 テーブルの紅茶に視線を落としながら、アーニャちゃんがポツリと呟きました。

「アンズの言う通りです。
 サブPは、プロデューサーのお仕事の、アー、ムシ? ですか?
 とても一生懸命でした。きっと好きだから、一生懸命でした。
 アーニャは、そう思います」


「アーニャちゃん……そうね」

 美波ちゃんは、アーニャちゃんに優しく頷き、私の目を見ました。

「サブPさんがもう一度、誰かのプロデュースをするよう、進言してみるのはいかがでしょう?」


「進言、って……常務にですか!?」
「他に誰かいるんですか?」

 理知的に見えて、美波ちゃん、なかなか思い切ったことを言いますね――。
 それとも、他人事だと思っているのでしょうか?

 この間ちょっとお話をした時も、なかなかの迫力でしたし――。
 いくら私でも、あの常務に面と向かってこれ以上意見をするのは、ちょっと――。


 あっ。

「今西部長」

 私は、ポンッと手を打ちました。

「できない事は、無いかも知れません」
「本当ですか!?」

 そうです。
 役職こそ美城常務の下ですが、今西部長は常務のお父様である美城会長とも旧知の間柄であり、社内でも強い影響力を持っています。
 かの常務も、昔は部長がお目付役をしていたらしく、私達部下の目に触れない場では、今西部長に敬語を使っているらしいと聞きます。

 今西部長の言うことなら、美城常務も聞き入れてくれる可能性は十分にあります。


「どのみちさ、まずはサブPの意向を聞かない事には話にならないでしょ」

 ちょっとだけ舞い上がっていた所へ、杏ちゃんに冷や水を浴びせられ、皆で思わず口をつぐみます。
 ぐぬぬ。その通りですが――まぁ、ともかく。

「では、私はプロデューサーさんにそれとなく打診をしてみます。
 美波ちゃん、悪いけれど、誰かプロデューサーさんの担当になりたい子がいないか、探してもらえるかしら?」
「全然悪くないですよ。お安いご用です」


「あっ、今のお話! ナナがっ!」

 方針が概ね決まり、席を立とうとしたところで、いつの間にか菜々さんが私達のそばに立って手をピョンッと伸ばしていました。

「ナナがそれに名乗りを上げてもいいですか?」

「え、えぇもちろん……私達に決定権は無いですし」
「本当ですか!?」

 トレイを胸に抱えながら、菜々さんはうさぎさんのようにピョンピョンと飛び跳ねました。

「やったやったぁ!
 苦節幾数年、ナナもようやく担当プロデューサーさんの下でアイドル活動が……!」
「? クセツ……とても長いですか?」
「えっ!? あ、あぁぁアーニャちゃん、いえいえ、これは一種の比喩表現でして……!」
「ヒユ?」

 アーニャちゃんに無自覚のツッコミを入れられ、一人で動揺している菜々さん。
 何はともあれ、ようやく担当プロデューサーができるチャンスを得られた事が、彼女にとっては何よりも嬉しいようです。


「ちひろさん。ちなみに、人数は何人でも?」
「うーん、そうですね……5人までにしましょうか。クインテット」

 たぶん、美波ちゃんに声掛けをお願いしたら、シンデレラプロジェクトの子達から見繕う事になりそうです。
 あまり多すぎても、CPさんにご迷惑をおかけしちゃうかもですし。

 美波ちゃんに後は任せ、私は席を立ちました。



「……いえ、ご心配には及びません」


 事務室に戻る途中、廊下で声が聞こえました。

 ピタリと足を止め、辺りを見回すと、廊下の奥。
 観葉植物と柱の影に隠れ、誰かと電話で話をしているらしい男の人が見えます。


「大丈夫です。社長のお手を煩わせるわけにも……はい、そうです……」


 案の定、その人はプロデューサーさんでした。

 デスクに備えてある会社の電話ではなく、わざわざ席を立ち、自分の携帯を使って話しているのです。
 同じフロアにいる私達には、あまり聞いてほしくないお話を、誰かとしているのだと――。


  ――説明すべき事を秘匿し、混乱を助長させる人間を信用できると言うのか? 君は。


「……ッ」

 美城常務の言葉が、嫌なタイミングで思い出され、胸が苦しくなりました。


「俺は十分に満足していますから……はい、はい……
 そうですね……苦労を掛けてすまなかったと、皆にも伝えてください……ありがとうございます。では……」

 私は、事務室へと一目散に駆け出しました。

 他の同僚達がビックリしてこちらを見るのも厭わず、素早く着席し、呼吸を整えます。
 あたかもずっと前からそこにいたかのように。


 やがて、プロデューサーさんが戻ってきました。

「……あら? おかえりなさい、プロデューサーさん」

「俺はもうプロデューサーじゃないですって。
 しかし、それにしても……事務仕事って大変ですねぇ、目が回りますよ」
「いえいえ、もう半分以上も処理されているじゃないですか」

 肩を回しながら席に着いたプロデューサーさんに、私はニコリと微笑みかけ、エナドリを差し出します。

「こちらに就いて間もないのに、よくやってくださっています」
「このエナドリと、ちひろさんのご指導のおかげですよ」
「ふふっ、お上手ですね♪」


 ――この人は、この346プロに来てからずっと、そうだったのかも知れません。

 ずっと、自分を隠している。
 あるいは、それ以上にもっと大きな何かを、私やアイドルの子達に――。

 辛くはないのでしょうか?


「そうだ、ちひろさん。
 この書類なんですけど、どれもフォーマット同じですし、一部代表的なものを決裁すれば後は省略、って処理の仕方はダメですか?
 その方が、俺達も上司の人達にとっても仕事を減らせるし、良いんじゃないかなって」

「あぁ~、それなんですけどねぇ……
 私も同じ事は思うんですけど、それ、ダメなんですよ」
「えぇ、ダメなんですか?」
「言うなれば『346ルール』みたいな、社内にはびこる暗黙の了解みたいな所がありまして」
「そうかー。大企業ともなると、やっぱり慣習ってあるんですねぇ」
「割を食うのは、いつだって私達みたいな下っ端ですけどねー」
「あーあ、そこはどこも同じなんですね、ハハハ」
「ふふっ♪」


 あなたの裏の姿を垣間見たことを隠して、上っ面な掛け合いをしてみせる私は――こんなにも苦しいのに。


「…………」


「? ちひろさん、どうかされましたか?」

「……プロデューサーさん」
「ハハハ、ちひろさん。だから俺はもうプロデューサーじゃ…」


 バシンッ!!

「……!?」

 ビックリして身じろぐプロデューサーさんの姿が、視界の隅に写りました。
 おそらく、他の同僚達もそうだっただろうと思います。

 差し詰め、とうとう“鬼の事務員”千川ちひろが、癇癪を起こしたとでも思われたのかも知れません。


「はぁ、はぁ……!」

 デスクの上に叩きつけた書類は、来年度の予算編成に関する各部の要望書でした。
 あと2時間以内にはデータ入力を終えて集計し、資料として体裁をまとめて上司へ報告しなければならない、とても大事なものです。

 でも、そんなもの――今の私には、どうでも良くなってしまったのです。

「プロデューサーさん、ちょっと来てください」
「は、はい……」

 彼を連れて出たのは、別館の屋上でした。

 少し前までは、タバコを吸う人達の喫煙スペースとして、よく利用されていた場所です。
 でも、世間の流れに従い、我が社でも禁煙の流れが加速していくにつれ、次第に人が少なくなっていきました。

 非喫煙者の私にとっては、お昼休み、たまにここのベンチでお弁当を広げる機会も増えたのですが――それは置いといて。


「お話があります」

 今日も屋上は、私達以外誰もいません。
 秋が近づく空の陽は早くも傾きかけており、眼下に見える幹線道路には、下校途中と思われる近所の高校生達が歩いているのが見えます。

「あなたに、担当していただきたい子がいます。
 もう、打診はしていて……美城常務には、今西部長を通じて進言してみるつもりです」

 振り返り、彼の姿を見つめながら――ふと、何でこんな事をしているんだろうって、自問しました。
 一介の事務員が、この間来たばかりのプロデューサーのお仕事に、ここまで介入する筋合いなどありません。

 でも、どうしてでしょう。
 そうせざるにはいられなかったんです。

「もうプロデューサーではないと、あなたは言いますが……もう一度、プロデューサーになりませんか?」

「……お気持ちは、ありがたいんですが」
「ッ!?」

 プロデューサーさんから返されたのは、遠回しで優しい語り口による、明確な拒絶でした。

「俺には、もうここでプロデューサーをする筋合いがありません」


「……たとえあなたには無くても、あなたを必要としている子がいます。
 安部菜々さんのこと、プロデューサーさんもずっと案じていたじゃないですか!」
「あぁ、菜々さんか……」

 彼は困ったように頭を掻き、遠くの方へと視線を投げ出しました。

「彼女にも悪いことをしたな……でも…」
「でもじゃありませんっ!」

 ズカズカと彼の元に歩み寄ります。いっそ胸ぐらを掴んでやりたいくらいの勢いです。

「理由は聞きませんよ。どうせ教えてくれないんでしょう?
 だったら美嘉ちゃんをもう一度担当するのはどうですか?
 あのサマーフェスで、あなたも美嘉ちゃんも本当に楽しそうでした。忘れたとは言わせません。
 あれだけ美嘉ちゃんのために骨身を削っていたあなたが、まさか美嘉ちゃんを担当したくないだなんて言わな…!」
「美嘉は難しいでしょう」

「えっ?」

 彼は肩をすくめ、自嘲気味に笑いました。


「たぶん美嘉も、もう俺が担当するのは嫌だって言うと思います」

「なんで……?」

 私には、訳が分かりませんでした。
 都合の良いでまかせを言って、私を突っぱねようとしている――。
 そう思えたなら、どんなに楽だったでしょう。

 でも、違いました。
 まるで彼自身、それが嘘であってほしいと思っているかのように――彼の目は、本当に寂しそうでした。

「……確かめさせてください」

 そう言って私が踵を返そうとした時、プロデューサーさんの携帯が鳴りました。


「……ッ」

 携帯の画面を見た途端、彼は少し険しい表情をさせ、私の顔を覗うようにチラリと見ました。
 その様子から察するに、私には話の内容を聞かせたくない相手――先ほど廊下で話していた相手だと思われます。

「……失礼」

 彼は私に小さく頭を下げ、私に背を向けてその電話に出ました。


 私もまた――彼の方を振り返ることなく歩き出し、携帯を取りました。
 こんなに穏やかならぬ気持ちになるのは久しぶりです。

 画面には、美波ちゃんからの着信通知が表示されています。
 彼の相手にムキになるあまり、全く気がつきませんでした。

 階段を降りながら美波ちゃんに折り返します。 


『……はい、新田です』
「千川です。美波ちゃんごめんなさい、電話に出られなくて」
『ちひろさん、その……一応、やりたいって人、集まったので……』

 一度、こっちに来てくれませんか――。

 そう言われ、やってきたのは、シンデレラプロジェクトの事務室でした。
 中に入ってみると、およそプロジェクトのほぼ全員が集合しているように見えます。
 それと――あ、菜々さんも。

「お待ちしておりました、千川さん」

「!? わっ、CPさん」

 すぐ隣にCPさんが立っていたので、思わずビックリして飛び退いてしまいました。
 そうか、以前は別室だったけど、ここに来てからはアイドルの子達と同じお部屋なんですね。

「新田さんから、事情はお聞きしました。
 あの人に、もう一度アイドルの担当を依頼するというお話には、私も賛成です」

 元々、彼の手腕には一目も二目も置いていたCPさんです。
 アイドルのプロデュースを続けさせて、その仕事ぶりを観察したいという気持ちは強かったことでしょう。

「シンデレラプロジェクトとしましても、本件については協力を惜しみません。
 メンバーの皆さんにも、話は通してあります」

「えぇ、ありがとうございます」

 しかし――。

「……さすがに、ここにいる全員が、という訳ではないですよね?」
「はい」

 頷いて、CPさんはメンバーの皆の方へと目配せをしました。

 ズラリと並んだシンデレラプロジェクトの子達のうち、私の前へと一歩歩み出たのは――。


「諸星さん、双葉さん、神崎さん、安部さん……以上の4名を、シンデレラプロジェクトから選出致しました」


「菜々さんは、プロジェクトのメンバーではないのでは?」
「あぅ……す、すみません、ナナ、年甲斐も無く出しゃばってしまい…!」
「あぁいえ、私の方こそつまらない事を……」

 年甲斐も無く、ね。
 幸いにしてツッコミを入れる子がいなかった事に内心ホッとしつつ、しかし――なるほど。

 菜々さんは、以前からカフェでプロデューサーさんとの繋がりがありましたし、先ほども一番に名乗り出たほどです。
 今回のメンバーの中では、もっとも意欲がある子かも知れません。

「ククク……瞳を持つ者の心に今再び炎を灯し、その秘術を引き出すは我らの役目よ!」

 蘭子ちゃんも、親身に話を聞いてくれた経緯から、彼に対して恩義を感じる部分があったのでしょう。
 久々に見せる独特の調子から、彼女なりの気概を感じます。

 ただ――。

「ちょっと意外……ですね」
「別にやりたくてやる訳じゃないよ」

 これ見よがしに欠伸を掻く杏ちゃんを、きらりちゃんが宥めます。

「サブPちゃんと、もっともぉ~っとハピハピできるの、杏ちゃんも絶対楽しいにぃ☆」
「ほら、こうして半ば強制連行されてんの」

 きらりちゃんは、自分の持つ女の子らしさに、プロデューサーさんから自信を与えてもらえたと言っていました。

 ちょっと鬱陶しそうにしていますけど、杏ちゃんも彼の動向には興味を示していましたし、満更でもなさそうです。


「この4人ですか」
「いえ、もう一人います」

「え?」

 私の言葉に訂正してみせた美波ちゃんでしたが、どうにも様子が変です。
 ちょっと、落ちこんでるような――。

 この中に、まだ名乗り出ていない子が?
 皆を見渡していると、怪訝そうな私の様子を斟酌したらしい未央ちゃんが、申し訳なさそうに手を振りました。

「いやいや、本当はこの未央ちゃんも隙あらば加わりたいなって思ってたんだよ?
 でも、気づいたら残るところ定員1名ってなっててさー」

「みりあもやりたかったんだけど、やっぱりここは、止めといた方がいいかなーって」
「うーし偉いぞみりあちゃん気ぃ遣いだなー、未央ちゃんがナデナデしちゃう、よぉしよしよし」
「えへへへ」

 みりあちゃんの頭をグリグリする未央ちゃんにクスリと微笑みながら、かな子ちゃんが補足してくれます。

「満場一致で、もう一人の子は最初から決まっていたんです。
 アイドルの中でも一番サブPさんのことを知っているし、きっと皆のリーダーになってくれるって」

 その話を聞いて、私はすぐに察しがつきました。


「美嘉ちゃん、ですね?」

 やっぱりそうでした。
 皆も、あの子に入ってもらった方が良いと考えていたんです。

 でも――なぜか皆、押し黙っています。

「……?」

 否定されないというのは、きっと私の言った事は間違っていないのでしょう。
 ただ、この空気は一体――。


「お姉ちゃん……」


「……莉嘉ちゃん?」

 気づくと、美嘉ちゃんの妹の莉嘉ちゃんが、俯いて肩を震わせていました。

「やらない、って……アタシはもう、いいから、って……」

「……それは、どうして?」
「分からないよ!
 お姉ちゃん、何も話してくれないんだもん……何も……!」


 もう俺が担当するのは嫌だって言うと思う――そんなプロデューサーさんの言葉が、頭をよぎりました。
 まさか、本当にそうなの?

 しかも、その理由を言わないだなんて――まるで、プロデューサーさんです。

「なのに、一人でふさぎ込んで、機嫌悪そうで……
 アタシ、分かんないよ! なんであんなに悔しそうに……!」
「莉嘉ちゃん、落ち着いて」

 どうやら、並々ならない事情があるようです。
 直接話を聞かない事には、お話になりません。

「城ヶ崎美嘉さんを本件のメンバーに加えるのは、ここにいる皆の総意です。
 代替案は考えておりません」

 CPさんは、そう言い切りました。
 普段なら、不足の事態に備えて二の手、三の手を講じる彼にしては、とても強気の姿勢と言えます。

 そして、皆がそれで了解しているというのなら、話は早いです。


 卯月ちゃんの話によると、美嘉ちゃんはトレーニングルームにいたとのことでした。
 脇目も振らず、一心不乱に自分を追い込んでいるようであり、とても声を掛けられる雰囲気では無かったようです。

 ですが、それは卯月ちゃんのような、心根の優しい穏やかな子であるが故です。
 鬼でも悪魔でもありませんが――不肖、千川ちひろが鬼となるべきシーンであるというのなら、ここは喜んで。

「皆は、ついて来ないでください。CPさんも。
 美嘉ちゃんと、1対1でお話をしてみます」

 私の提案に、皆は同意してくれました。

 目的のお部屋へ向かう道すがら、私はずっと考え事をしていました。
 言うまでもなく、来年度の予算資料に関することではありません。

 プロデューサーさんと美嘉ちゃんの、これまでの経緯についてです。

 多少の衝突はあったそうですが、サマーフェスではあれだけ強い信頼関係を見せていた二人です。
 お互いに、思い入れが無いはずはありません。

 それなのに、プロデューサーさんは、自分が担当になるのは美嘉ちゃんも嫌だろうと推察し、現に美嘉ちゃんは断ったのです。
 莉嘉ちゃんの言う通り、もし美嘉ちゃんが本当に、プロデューサーさんの事を拒否しているというのなら――。


 考えられる理由は、おそらく二つです。

 一つは、美嘉ちゃんが彼の事を、本当に心の底から失望しているという理由。
 すなわち、プロデューサーさんが彼女に対し、すっかり幻滅させるような事を言ってしまった可能性。

 もう一つは、本当は一緒にお仕事をしたいけれど、それが敵わない何かしらの事情があるという説。


 気になるのは、美嘉ちゃん自身が「やらない」「もういい」と言っているという話です。
 一緒に「できない」のではなく――。

 美嘉ちゃんは、プロデューサーさんのことを嫌いになったのでしょうか?

 いずれにせよ、一つだけ言える確かな事があります。

 トレーニングルームの扉をそぉっと開けて、中を覗いてみます。

 部屋の奥の、大鏡と窓際の壁に挟まれた隅っこの方――。
 虚空を見つめるような表情で、美嘉ちゃんは床に腰を下ろしていました。
 ペットボトルを手に、タオルを首に巻いて、休憩中のようです。


 すぅっと扉を開けて、中に入ると、美嘉ちゃんはボーッとした表情のまま、その顔を私の方へと向けました。

 汗はすっかり引いているように見えます。
 どのくらいその状態でいたのでしょう。


「……ちひろさん」

 しばらく沈黙したのち、美嘉ちゃんは何がおかしいのか、フッと鼻で笑い、立ち上がりました。

「あの人のこと?」
「そうです」

「いい」

 言うまでもなくそれは、グッドではなく、ノーサンキューの方の「いい」でした。
 ある程度、覚悟はしていたはずですが――。

 先のプロデューサーさんと同様に、明確な拒絶を前にすると、結構堪えます。

「アタシはやらないから。
 ほら、その、なんだっけ……常務って人の、プロジェクトクローネとかいうヤツ?
 アレで忙しくなるだろうし、未央とか、もっと他にやりたい子いたんでしょ?
 その子が入れば……」


 ――急に、美嘉ちゃんは言葉をピタリと止め、俯いてしまいました。

「……美嘉ちゃん?」

 自分ではなく、他にやりたい子にやらせればいい。
 おそらくそう言いたかったのでしょうし、それは一見、もっともであると思われます。

 ですが、なぜそこまで言って、言い淀むのでしょう?


 ここに来るまでの間に整理し、一つだけ得ることのできた確信を、彼女にぶつける時です。


「あの人の事について……何か、話を聞いたんですね?」

「……!」

 美嘉ちゃんの肩が、ピクリと揺れました。

「この346プロに配属された経緯や、彼が抱えている事情を……」

 ――何となくですが、検討はついています。
 いいえ。私自身、気づかないフリをしていただけなのかも知れません。


「近いうちに、プロデューサーさんは……346プロを去るつもりでいる、ということでしょうか」



「……ねぇ、ちひろさん」

 美嘉ちゃんは俯いたまま、拳をギュッと握りしめました。

「前にさ、言ったよね?
 アタシをあの人に担当させるの、ちひろさんが偉い人達に進言してくれたからだ、って」
「正確には、CPさんを通じて、ですけどね」

「そのさ、えっと……もし、もしだよ?
 変なコト、言うけど……聞き流してくれて、いいけど、もしさ……」


 かぶりを振り、美嘉ちゃんは顔を上げました。
 それは、今にも泣き出しそうな、悲痛に満ちた笑顔でした。

「そういうの、他の事務所に対しても言えたり、する?」

「? ……どういう事ですか?」
「アハハ、ゴメンゴメン。
 意味分かんないよね……ホント、バカみたい……」

 美嘉ちゃんは、わざとらしく大きな声で笑い、頭をクシャクシャと掻きます。
 大袈裟な仕草になりすぎて、手を掻き上げた勢いで首に巻いていたタオルを引っかけ、床に落としてしまいました。

 それを見つめるように、彼女はまた、視線を床に落とします。


「だから、その……例えば、他の事務所の人に、ウチの人間になれ……とか?」

「……プロデューサーさん、まさか」

「…………」


 美嘉ちゃんは、タオルを拾い上げ、元いた部屋の隅へとスタスタ歩き出しました。
 置いてあったバッグに荷物を押し込め、肩に背負って私に向き直ります。

「やっぱさ……聞き流してなんて、ムリ?」

「そこまで聞いてしまっては、ね」
「そっか」

「プロデューサーさん本人から、聞いたのですか?」

 美嘉ちゃんは俯いて、首を振りました。

「それじゃあ、今西部長……?」

 ――美嘉ちゃんは、俯いたまま答えません。
 そもそも、あの今西部長がわざわざ混乱を助長するような事をアイドルに伝えるとは思えませんでした。


 となると――。

「……美城常務、ですか」



 ――――。

「ちひろさん、いるっ!?」

 突然、入口の扉がガチャッ!と開きました。
 慌てふためいた様子で中に入ってきたのは――。


「!? ……り、凜ちゃん?」
「……!?」


「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 急いで走ってきたのか、凜ちゃんは肩で息をしていました。
 歳の割にとてもクールで冷静な彼女にしては、らしくもない、随分と慌てた様子です。

「どうしたんですか、凜ちゃん?」


「プロデューサー、やるって」
「えっ?」

「だから、美嘉達のプロデュース。常務が命令したみたい」


「……えっ!?」

 まだ私からは、常務はおろか部長にさえ、何も話をしていません。

 凜ちゃんの話によれば、急にプロデューサーさんを呼び出し、その場でそれを命じたようです。
 まさに鶴の一声――というより、藪から棒どころか、手の平返しと言ってもいいくらいの急転直下です。

「私、クローネの用で常務の部屋に行って、その話をしたら……そういう話になった、って」
「何で……?」

 あまりに突然の事すぎて、頭が混乱しています。
 隣の美嘉ちゃんは、もっとでしょう。

 何か事情があったのは間違いないはずですが、常務にそれを質して素直に答えてくれるでしょうか?
 それとも、プロデューサーさんがプロデュースをしてくれるというのなら、何も聞かずにそれで良しとするべきでしょうか?


 結果的に、話は決して楽観できるものではありませんでした。

 そして、プロデューサーさんの急な人事の後、346プロ内でにわかに妙な噂が立ち始めたのです。


 346プロが、他の芸能事務所の買収を計画していると。

   * * *

 プロデューサーさんのデスクは、再び専用のオフィスフロアに戻る――ことはなく。
 変わらず、私のデスクの隣に留まりました。

 それは、美城常務の指示であり、私が内心望んだことでもあり――。
 プロデューサーさんご自身の希望でもあったようです。


 美城常務がなぜ、そう指示したのかは分かりません。
 そもそも、プロデューサーさんの人事を急に変えた事の真意さえも、私にはまだ。

 でも、常務がプロデューサーさんの事を、厄介な存在だと捉えている事は明らかでした。
 ただでさえ異質な注目度を有する彼のデスクが、そのオフィスに舞い戻る事で、多少なり混乱が生じうると考えたのかも知れません。


 一方、私としては、やはり彼のことを間近で見守っておきたいという気持ちがありました。

 美嘉ちゃんの言葉から察するに、彼との別れは、きっと近いうちに訪れるのだと――今では、冷静に考えることが出来ています。
 ですがせめて、彼が何を求めにこの346プロへやって来たのかを知りたいのです。
 それまでは、もっとプロデューサーさんの事を――。


 ただ――。


「俺は、君達のプロデュースを行う事に同意していない」

 きらりちゃん、杏ちゃん、蘭子ちゃん、菜々さん、そして美嘉ちゃん。
 トレーニングルームに集合した5人のアイドル達に向かって、プロデューサーさんは開口一番、そう言いました。

「で、でもぉ……常務からそう言われたんでしょぉ?」

 皆に動揺が広がります。
 きらりちゃんから恐る恐る尋ねられても、取りつく島も無いほどに、彼は冷徹な態度を崩しません。

「346プロ側から一方的に言い渡されたに過ぎない。
 仕方なく、こうして体裁こそ取り繕ってはいるが、実態の伴わないプロジェクトになるであろうことは予め覚悟してほしい」

 346プロ側――という他人行儀な言い方は、彼がこの事務所を離れようとしているという、私の中の疑念をますます強くさせます。


「じゃあさ、サブP。1コ質問」

 スッと手を上げたのは、杏ちゃんでした。

「あっ、今はサブPじゃないか」
「どうでもいいよ。好きに呼べばいい」

「じゃあ遠慮なく。サブPはさ、ここからどこかへ転職する予定があるの?」

 極めて端的で直球な杏ちゃんの質問に、皆がさらに驚きました。
 回りくどい事を嫌う彼女らしい言動ではありますが――。

 そんな中、プロデューサーさんは顔色一つ変えずに、小首を傾げてみせます。

「何の話だ?」

「ここを辞めて、どこか他の事務所とか、違う業界に行ったりとかしないの?
 最近のサブPの奇行を見るに、てっきりここを出て行く算段がもうあるんだと思ってたけど」


「奇行とは心外だな。俺には転職をする予定なんて無いよ」


 肩をすくめ、鼻を鳴らして答えた彼の言葉に、杏ちゃんが「えっ」と声を漏らしました。
 それまで伏し目がちだった美嘉ちゃんも、思わず顔を上げます。

「サブP、辞めないの?」
「誰がどんな憶測でそんな事を言い出したのかは知らないが、346プロを辞めるなんてことは無い」


 杏ちゃんは、プロデューサーさんの顔をしばらくジッと見つめて、息をつきました。

「嘘じゃなさそうだね。
 サブP、嘘をつくの下手だから、見ればすぐ分かるはずなんだけど」
「それじゃあ……!」

「勘違いをしないでくれ」

 菜々さんの表情がパァッと明るくなったのも束の間、プロデューサーさんがピシャリと釘を刺しました。

「俺は皆のプロデュースをする気なんて無い。
 皆の方こそ、俺なんかに構う事など考えず、誰か他のプロデューサーに鞍替えするよう動いた方がいい。
 何なら、俺も斡旋には協力するし、シンデレラプロジェクトの所属だった子達は早々に元へ戻るべきだ」

「どうして……?」

 蘭子ちゃんがポツリと呟き、やがてぶんぶんと頭を振って続けます。

「我が友は、我らと共に歩む気概が潰えたと言…」
「蘭子、君の言葉はよく分からない」
「! ……ッ」

 蘭子ちゃんは言葉を詰まらせました。
 目には涙がウルウルと溜まり、今にもこぼれ落ちそうです。

「な、ナナ達のこと、プロデューサーさんは嫌いになっちゃったんですか……?」


 それまで無表情を貫いていたプロデューサーさんの顔が、少しずつ曇ってきたように見えました。

「…………」
「プロデューサーさんがプロデュースをしたくない理由は、ナナ達にあるんですか?」


「…………」

 とても苦しそうな彼の表情を見て、再確認しました。
 プロデューサーさんとしても、あのような露骨に冷たい態度を取ることは、決して本意では無いのです。

 嘘をつけないプロデューサーさんが、菜々さんの質問に答えられない事が、何よりの証拠でした。


「……そんなに俺にプロデュースしてほしいのか」

 深いため息をついて、プロデューサーさんが皆を見渡します。
 蘭子ちゃんは小さく頷き、他の子達も、真っ直ぐに彼のことを見つめ返しています。


「なら条件を出そう」


 そう言って、プロデューサーさんはきらりちゃんの方へ向き直りました。
 彼女の大きな身体がピンッと伸びます。

「きらり。君は『グラン・コレクト』のオーディションに合格してみせろ」
「……ふぇっ!?」

「彼らの眼鏡に適うトップモデルの仲間入りを果たせたなら、君のプロデュースをする」

 プロデューサーさんが言った『グラン・コレクト』とは、国内でも最高峰のファッション・ショーです。
 権威ある国内外のアーティストやモデルさんが勢揃いするものであり、346プロのモデル部門でさえ過去に出場できた人はいません。

「杏は、そうだな……仕事をしてもらおうか。週七で」

「週七? え、休み無し?」
「内容は何でもいい。グラビアでも番組収録でも、地方の営業でも、好きにすればいい。
 ただ、自分で仕事を取ってくるんだ。他のアイドルのプロデューサーに頼み込んで、それに同行するでも良しとしよう」

「随分アバウトで乱暴な条件だね。労基に訴えるよ?」

 杏ちゃんが鼻を鳴らしても、プロデューサーは動じません

「好きにするんだな。条件が合わないというのなら、この話は終わりだ」
「…………」


「蘭子」
「は、はいっ……!」

 ひどく突拍子も無い言い草を続けるプロデューサーさんを前に、蘭子ちゃんは早くも不安そうです。

「君は『オールド・ホイッスル』に出演して、武田蒼一氏に実力を認めさせ、彼に曲を作ってもらえ」
「えっ……」

 業界屈指の音楽プロデューサー、武田蒼一氏が監督する音楽番組――『オールド・ホイッスル』。
 その番組に出演するには、氏から直々のオファーを得る以外に無く、未だかつて、番組史上アイドルで出演を果たした人は唯一人しかいません。
 まして、曲を作ってもらった事がある人なんて――。

「菜々さん」
「な、ナナは……あの……」

 普段ならさん付けを注意する菜々さんですが、すっかりプロデューサーさんに気圧され、何も言い返せずにいます。

「『アイドルアルティメイト』で優勝してみせろ」
「……はっ!?」

 プロデューサーさんが提示したのは、国内トップクラスのアイドル達が勢揃いする一大フェスイベントです。
 アイドルなら誰もが夢見る大舞台こそが『アイドルアルティメイト』であり、出演するには相応の実績を摘まなくてはなりません。

 まだアイドルとして満足に活動できていない菜々さんには、あまりに酷な条件です。

 そう――あまりにも無茶苦茶です。

 彼がプロデュースの条件として突きつけたものは、そもそもプロデューサー自身がそれに適うようアイドル達を導くべきもの。
 言わば、彼自身が行うべき仕事であり、彼自身が目指さなければならないものでもあるのです。

 自分の立場を棚に上げ、一方的にアイドル達に無理難題を押しつけるその姿は、横暴そのものでした。


 プロデューサーさんが、デスクを私の隣のままとなるよう望んだのは、アイドル達のためではありません。
 むしろ、彼女達から――プロデュースの現場から、少しでも遠ざかるためだったのです。


 そして、最後の一人へとプロデューサーさんは向き直ります。

「美嘉、君は…」
「玲音さんにライブイベントで勝つ」

「……何?」

 美嘉ちゃんは、真っ直ぐに彼を睨み上げました。

「どう? 文句ある?」


 プロデューサーさんが提示するより先に、美嘉ちゃんの方から条件を突きつけてみせたのです。
 しかし――。

「本気で言っているのか? 美嘉」

 言うまでもなく、全てのアイドル達の頂点。
 史上唯一のオーバーランク・アイドル。

 遙か雲の上の存在とも言える玲音さんを相手に、ライブ対決での勝利を公言することの重みは、美嘉ちゃん自身が一番良く分かっているはずです。

「よく分かったよ。
 アンタは本当にアタシ達と、これっぽっちも付き合う気なんか無いんだってこと」

 美嘉ちゃんは、悔しそうに唇を噛み、肩を震わせました。

「でも……それでも、分からせてやるんだ。
 アンタの代わりが務まるプロデューサーなんて、どこにもいないんだって。
 どんなに無理だとしても、アタシ達は……アタシは、そんなの認めてないんだって」


 息をつき、美嘉ちゃんは顔を上げました。
 大きな瞳から涙を流すその姿に、誰もが息を飲みました。

「プロデュースをしたくない? つまんないウソを言わないでよ!
 百歩譲ってウソじゃないとしても、今に是が非でも担当したいって思わせてやるんだから!!
 アタシは……! 絶対に、諦めないから……!!」

「……結果が全てだ、美嘉」

 美嘉ちゃんを諭すようなプロデューサーさんの語り口は、穏やかでしたが、およそ説得に足る内容ではありません。

「なぜお前がそうまでして俺にこだわるのか知らないが……
 俺は、お前達の過程の努力を評価するつもりは無い。
 いいか、無駄な努力はよすんだ。お前が一番分かっているはずだろう」
「うるっさい!!」

 美嘉ちゃんは悔しそうにかぶりを振りました。

「まるでアタシを……言うこと聞かない、子供みたいに……!!
 分からず屋なの、プロデューサーの方じゃんっ!! バカッ!!」

「み、美嘉ちゃん……!」

 溢れんばかりの激情を吐き出し、ボロボロと流れる涙を振りまいて、美嘉ちゃんは大股歩きで部屋から出て行ってしまいました。


「…………」

 プロデューサーさんは、頭をポリポリと掻き、両手に腰を当ててため息をつきます。

「皆……俺がさっき皆に言った事は、全て戯れ事だ。
 ふざけた条件に付き合い、無駄な労力を費やす必要なんてどこにも無い。いいな」



「サブPちゃん、あのね?」

 皆の視線が、きらりちゃんに集まります。
 どういう訳か、とても楽しそうに笑っています。

「……ありがとにぃ☆ きらりにこぉ~んなおっきい目標をくれて♪」
「えっ?」

「出来るかどうか分かんないくらいおっきな夢の方が、たくさんきゅんきゅんパワーでハピハピできるゆぉ☆
 サブPちゃん、きらりから目、放せなくなっちゃうの、楽しみだなぁ~♪」

「何を言っ…」
「ククク……!」

 困惑するプロデューサーさんの言葉を、これ見よがしに忍ぶ蘭子ちゃんの笑い声が遮りました。
 案の定、彼女は額に手を当て、いかにもそれらしいポーズを決めています。

「覇道を突き進むは、このグリモワールにて既に定められし事!
 約束の地があるなら、たとえ那由多の果てにある茨の道も恐れる道理など無いわ!」

 ぶわっ! と雄々しく手を振り出し、蘭子ちゃんは見栄を切りました。
 彼女も、引くつもりは無さそうです。


 プロデューサーさんの目が、菜々さんの方へと向きます。
 彼女は、モジモジと身体の前で手を揉んだのち、顔を上げました。

「ナナも……やります」

 それは普段と比べ、あまり大きくはないけれど、力強い決意を滲ませる声色でした。

「ずっと、憧れていました、IU……アイドルアルティメイト。
 ナナがIUに出れるんだとしたら、こんなに嬉しいことはありません」

「分かっているのか?
 IUに出場するには、業界関係者からの推薦以外では、IU予選大会あるいは特定のオーディションでの優勝が必要だ。
 その予選とかに出るのだって、相応の実績が評価されてからの話になる。
 つまり、君はスタートラインに立つ事すらできない。最初から話になっていないんだ」

「プロデューサーさんこそ、分かっていませんねぇ~」

 菜々さんは、含み笑いを浮かべながらチッチッと指を顔の前で振りました。
 なんかこのジェスチャー――古臭いとは言いませんが、まともに見たのは久しぶりのような気がします。

「ウサミンリサーチによれば、IUの出場条件は近年改正されて、新たに一つ追加されたんですよ」
「何だって?」

「それは、ファン投票。
 開催時期の数ヶ月前に開設される特設サイトの自由投票欄で、最多得票数を獲得したアイドルが一人、出場できるようになったんです。
 業界のコネや、ライブ等による優勝経験が無くても、ファンの人達からの知名度と熱い支持があれば、菜々にも可能性はあります!」

「いや、それは……第一、数ヶ月前ってもうそろそろ開かれ…」
「あるんです、可能性はっ!
 というわけでナナは、これから地方巡業の旅に出ます。
 協力してもらえる人を探して、たくさんの人達にウサミンって呼んでもらえるように、いっぱい顔を売ってきますねっ!」

 プロデューサーさんは、頭を抱えてしまいました。
 よりにもよって、業界研究に余念が無いアイドルオタクとも言うべき菜々さんに、わずかでも可能性の芽を与えてしまった、という表情です。


「……まさか、お前まで付き合うだなんて言わないよな?」

 そして、まるで助けを求めるように、残る一人に向き直ります。
 プロデューサーさんが慎重に尋ねると、杏ちゃんは肩をすくめました。

「杏的にも残念だけど、サブPが想定してたようなWin-Winにはならないみたいだね」
「何だと?」
「まっ、この流れで杏だけ抗っても立場が無さそうだし。
 お仕事、何でもいいんでしょ? まぁ心配しないでよ。
 レギュレーションの編み目をかいくぐって最低限の努力をしてサボるのは、自慢じゃないけど杏得意だから」

「馬鹿な……!」

 ひどく困惑するプロデューサーさんを見て、杏ちゃんはニヤニヤと楽しそうに笑いました。
 あまり底意地のよろしくない所が、彼女にはあるようです。

 でも、口には出さなくとも、それは皆との調和を大事にしてこその言動であることは明らかでした。


「……勝手にしろ。俺は知らないからな」

 やっとの思いで絞り出すように、プロデューサーさんはそう吐き捨て、部屋を後にしていきました。

 彼の言った言葉が、私はずっと胸に引っかかっています。

 346プロを辞めることは無い――。


 額面通り受け取るのなら、それはきっと喜ばしい事であるはずです。
 私が勝手に抱いていた疑念が晴れて、アイドルの子達も、まだあの人と一緒にいられることを意味する言葉なのだと。

 なぜ、そのように信じ切る事ができないかと言うと、美嘉ちゃんです。
 事情を一番理解しているはずの美嘉ちゃんの、あんなに悔しそうな姿――。

 そして、私はとある憶測にたどり着きました。


 346プロを辞めないことと、346プロを去ることが、矛盾しないのだとしたら?



  ――例えば、他の事務所の人に、ウチの人間になれ……とか?

「他のプロダクションの買収騒ぎか」

 少し提出が遅れてしまった予算資料と一緒にお渡しした芸能雑誌を、美城常務はデスクの上に投げ置きました。

「まさか、君までこんな荒唐無稽な噂話を信じているなどとは言わないだろうな?」

「……火の無い所に、煙は立たないとも言います」
「信じられないな」

 美城常務は椅子をグルリと回転し、背面にあるガラス張りの眼下に広がる街並みへと視線を移しました。

「君はもう少し賢い人物だと思っていた。
 城を築き上げようという者達が、つまらん戯れ事にいちいち振り回されていては話にもならない」


「嘘だと仰るのなら……嘘だと、この場で否定していただきたいんです」

 私がそう言っても、常務はまるで素知らぬ振りです。

「私はアイドル部門の統括だ。
 346プロダクションという会社全体の運営そのものに関わる事を、自身の一存で決められる立場ではない。
 故に、私にはこんな事に口を挟む意思も権限も無い」

「ですが、常務は美城会長のご子息です」


 美城常務は背を向けたまま、顔を半分だけこちらに向け、私を睨みつけました。

「常務が、プロデューサーさんをあまり快く思っておられなかった事は、存じ上げています。
 彼のことを、プロデュースの場から引き剥がし、346プロから追い出そうとしていた事も」

 それは、私の目にも明らかでした。
 なぜそうしなければならないのか、ずっと不思議でした。

「それは、あの人が……346プロの人間ではないからではないでしょうか?」


「…………」

「だから、美嘉ちゃんにも彼の素性について話をした。違いますか?」
「何?」

 美城常務の語気が、急に強くなりました。
 気圧されてはなるまいと、私も唾を飲み込み、顎をグッと引きます。

「彼の周囲に疑念と混乱を与えるために……
 私とあの人との賭け事について、美嘉ちゃんに話をしたのも、常務ではなかったでしょうか」

「何の話だ」

 呆れるように息をついた常務は、改めて椅子に背を預け直しました。

「あのサマーフェスは、城ヶ崎美嘉を始め、アイドル達による危機意識が上手くプラスに働いた事で収めた成功だ。
 何を賭けたかは知らないが、仮に私がその賭け事とやらについて知っていたとして、わざわざそれを彼女に伝えても何一つ有益な事など無い」


「誰もサマーフェスの話だなんて、言っていません」
「……!」

 背を向けたまま、美城常務の身体が一瞬強張ったのを、私は見逃しませんでした。

 やっぱり、常務だったんだ――。


「彼はアイドルを自身の道具としか考えていない……そう思い込ませるために、常務は美嘉ちゃんに、賭け事の話を明かしました。
 でも、美嘉ちゃんはそれで失望するどころか、逆にそれをフェス成功に繋げるための気力に変えたんです。
 だから、もう一度美嘉ちゃんとプロデューサーさんを引き離すために、あなたは美嘉ちゃんに、彼の素性を明かした」


「……その賭け事を、私がいつ知ったと?」

 椅子をこちらに向け直し、美城常務は私を睨み上げました。

「公式ファンサイトにて、私の身に覚えのない管理者権限によるログイン履歴がありました」

 資料室でその話をプロデューサーさんに持ち出した、あの日――。
 私はもう一つ、彼に嘘をつきました。

 賭け事の場として、私が提示した346プロのファンサイトは、非公式ではないのです。
 また、投票によりアイドルの優劣を競った事実も、過去にありません。


 ファンや有志の方々の手で編集できるページも、用意されてはいます。
 ですが、それらの更新は全て、346プロの情報システム担当である私の承認を経た上で反映される仕組みになっています。

 つまり、彼に説明した「業界に精通した管理人」とは、何を隠そう私のことです。

 ただ、事務所の社員には、これを無闇に閲覧してはならないというお触れがあるのは事実です。
 悪意のある二次情報が、私の監視の目をかいくぐって反映される可能性も無くはないからです。
 やっぱり、私一人で全て監視するというのも、荷が重いですし。


 そして、あの日の翌日、私は――。
 サイト設立以来初めての投票ページを作成し、サマーフェス終了時に更新されるよう、タイマーをセットしました。

 順当に行けば、そのページがアップされてしまうはずだったのです。

 ですが、そうはなりませんでした。
 私は、内心ホッとした一方で――当然、不思議に思いました。

 管理者権限のログインIDとパスワードを付与されている者は、私の直属の課長と、今西部長と、美城常務だけ。

 課長は、すっかり私にそれらの更新を丸投げ、もとい一任しています。
 一度も触ったことすら無く、大方とっくにIDとパスワードも忘れていることでしょう。
 今西部長は、なおのことそうだと思われます。

 となると――。
 着任早々に、事務所の全てをこの目で確かめるという姿勢を見せていた、主導性の強い上役――。

「状況的に見て、あのページを削除した人物としては、美城常務が最も可能性が高いと思ったんです」



「……そのページを出力し、シンデレラプロジェクトのプロデューサーに、それを見せた」

 私は、ハッと息を呑みました。

「彼らとしても、決して本意ではなかったらしい事は、彼からの説明で理解したつもりだ」


 常務は椅子から立ち上がり、大きなデスクを回り込むように、私の方へと歩み寄ってきました。

「概ね、君の推察した通りだ。
 城ヶ崎美嘉をはじめ、我が事務所のアイドルとあのプロデューサーを引き合わせる事は、アイドルにとって有益ではない。
 そして、彼自身にとってもだ」

「それは……あの人が近いうちに、この346プロを去るからですか?」

 私の声は、きっと震えていただろうと思います。
 それは、重役と間近に相対したからではありません。

「そうだ」

 常務の言葉に、私はなぜか、ひどく落ち着きました。
 暗澹とした諦めと言った方が正しいかも知れません。しかし――。

 すぐにそれは、無理やり晴らしました。

「ではなぜ、彼をもう一度美嘉ちゃん達の担当プロデューサーとなるよう命じたのですかっ!?」


 美城常務は、ほんの少しだけ押し黙ったのち、ため息をつきました。

「要請があったからだ」
「えっ?」

 要請――プロデューサーさんについての?

「それは一体、誰から……いいえ、どこからの」
「じきに分かるだろう。それともう一つ」

 デスクの上にあった雑誌を手に取り、常務はそれを私に差し出しました。

「この噂は事実ではない。
 それはアイドル部門の統括として、そして会長の腹づもりを知る者として、明確に否定させてもらう。
 だが……当たらずとも遠からず、というべきか」

「……どういう事ですか?」

 雑誌を受け取った私は、心臓が嫌な高鳴りを続けるのを押さえることができません。


「我が346プロが組み入れようと考えたのは、事務所ではなかったということだ。
 もっとも、肝心の相手からは断られてしまったがな」



 ――気づくと美城常務は、入口のドアを開けて、そこに立っていました。

 私は、ほとんど放心状態のまま、しばらくその場に立ち尽くしていたようです。

「用が済んだのであれば帰りたまえ。
 混乱をさせてしまったなら、すまなかった」

 プロデューサーさんが担当した5人のアイドル達は、1ヶ月も満たない間に、目覚ましい飛躍を遂げていきました。


 きらりちゃんは、その長身を活かしたモデル業を率先して行いました。

 圧倒的なプロポーションを持つ子ですし、個性の面で競合できる相手もいません。
 CPさんも全面的に協力し、それらの仕事を内々に斡旋していったことで、業界でもかなりの注目を浴びるようになりました。

「こういうのはぁ、ココをこうして……えいっ♪
 こんなワッペンを付けてあげると、すっごく可愛くなるんだにぃ☆」

 元々自分でも可愛らしいお洋服や小物を作る趣味を持っていた子です。
 トップモデルとして、等身大の女の子として、情報を発信し続けるきらりちゃんは、幅広い年齢層から多くの支持を受けるようになったのです。


 蘭子ちゃんは、なんと、武田蒼一氏と直に合う機会が得られたのです。

 これは、私の前で泣いてしまった新人プロデューサーさんから偶然にも活路が開かれたものでした。
 あの日、新人さんが懇親会を開いた相手方――その中に、武田氏とコンタクトを取れる人物がいたのです。

「蘭子ちゃんの未来がかかっています。
 先方へのご連絡とアポイントの獲得について、引き受けてくださいますね?」
「ひぃっ!? や、やります、やらせていただきますっ!!」

 瓢箪から駒というべきか。
 兎にも角にも、その新人さんのお尻を目一杯叩き、何とかマッチングの実現にこぎ着けました。

 当日、蘭子ちゃんは大いに緊張したそうですが、武田氏の人柄に助けられ、次第に持ち前のキャラクターを発揮できるようになると、
「君、面白いね」
 と興味を持ってもらい、直々にボーカルトレーニングを受ける約束まで取りつけたそうです。


 菜々さんは、広報部の全面的なバックアップを得た上での地方営業に奔走しました。
 専用の動画配信チャンネルも設立し、現地での映像を逐次更新することで、その土地のファンを地道に獲得していったのです。

「こ、これはえぇと……アレですか、語尾に「なう」って言うヤツでしたっけ?」

 SNSの活用に慣れていない菜々さんを、現地での動画配信ができるようにするまで教育するのも、実は少し大変でした。
 でも、次第に動画のコメント欄には「次は○○に来てほしい」というフォロワーさんからのリクエストが多数寄せられるほどの人気チャンネルになったのでした。


 杏ちゃんはというと――あら?

 346カフェで、のんびりお茶しているようです。

「お仕事、しなくていいんですか?」

 そう聞きながら、向かいの席に座ってみます。
 やはり、彼女はプロデューサーさんの出した条件に、付き合う気が無いのかしら。

「もう1~2分したら始めるよ、お仕事」
「えっ?」

 ニヤリと、明らかに確信犯っぽい含み笑いを見せた後、杏ちゃんは自分の目の前にタブレット端末を載せました。

「どれどれ……おっ、繋がった。菜々ちゃーん、聞こえる?」
『はいはーい! バッチリ届いてますよー杏ちゃーん!
 皆さんも一緒に杏ちゃんにウサミン電波を届けましょう、いいですかせーの!!』

『ウッサミーン!!』

「いやうるさいって」
 笑いながら、杏ちゃんはタブレットの画面に向かって手を振ります。

 そうです。
 杏ちゃんは菜々さんとタッグを組み、菜々さんの地方営業に同行していたのです。
 リモートで。

「レギュレーションには違反していないでしょ。これぞ流行りのリモートワーク、ってね」
「でもそれ、菜々さん一人が頑張っているんじゃ……」
「菜々ちゃんの広報活動は杏も一肌脱いでるから、お互い様の持ちつ持たれつ。Win-Winだよ」

 実際、菜々さんの動画配信チャンネルのコメント欄を見ると、杏ちゃんの存在も動画の名物になっているようです。

 時折しでかしてしまう菜々さんの天然ボケに、杏ちゃんがやんわりツッコんだり。
 あるいは、杏ちゃんの「仕事しない」キャラが、ある種の癒やしになっていたり。

 確かに、杏ちゃんは毎日仕事をしています。
 毎日、ほんのちょびっとずつでも菜々さんのチャンネルページを更新したり、一部ワイプで出演したりと、なかなかの働きぶりです。



 そして――。


『今のアタシなら、きっと誰が相手でも負けないって思います。
 ライブ対決に負けるような“カリスマギャル”なんて、ファンの皆も求めてないでしょ?』

 渋谷のメインストリートにある大きな電光掲示板に、今日も美嘉ちゃんの姿がデカデカと表示されました。
 最近、ますますメディアへの露出を増やしています。

 それは、プロデューサーさんを通して行っている活動ではありません。
 彼女自身が多方面の取材に応じ、必ず決まって話すことが、ファンのみならず業界全体で大きな話題を呼んでいるのです。


『何なら、玲音さんにだって負けないよ、アタシ☆
 機会があるなら、いつだって挑戦させてほしいな。絶対に楽しいライブ対決にしてみせるから!』


 それはまさに、オーバーランクに対する宣戦布告と言っても良い内容でした。

「どうしてアイツ、わざわざあんな事を……!」

 連日のように寄せられる問合せの電話を置き、プロデューサーさんは頭を抱えました。

 メディアはこぞって美嘉ちゃんと玲音さん、二人のライブ対決の実現を煽り立てました。
 ネット上では、二人の対決に期待を寄せる声と、美嘉ちゃんを傲岸不遜だと非難する声と、およそ半々といったところです。

 いずれにせよ、美嘉ちゃんの発言をもって、それは遠からず実現させなくてはならなくなりました。

 なぜなら、その話を耳にした玲音さん当人が、すっかり乗り気になってしまったからです。
 大手メディアに向けて「ぜひやろうよ」と、実に楽しそうに答えていた姿が、ますます業界を沸かせました。


 普段の美嘉ちゃんは、決して驕り高ぶった態度を取ることなんてありません。
 目上の人に対する礼節をしっかりと弁え、現場のスタッフさん達にだって一人一人に頭を下げ、挨拶を交わすような子です。

 まして、相手はかのオーバーランク。
 美嘉ちゃんが畏敬の念を抱いていないはずがありませんでした。


「ああして公然と啖呵を切ることで、自分を追い込んだんですね……」

 私がポツリと漏らした言葉に、プロデューサーさんはため息をつきました。


「馬鹿なことを……くそっ」

 拳をデスクに叩きつけた後、「俺もか」と、小さく呟くのが聞こえました。

 美嘉ちゃんと玲音さんのライブ対決について、日程はアッサリと決まりました。
 玲音さんのスケジュールが過密すぎるので、逆に選択肢が無かったのです。

 ただ、その日にちょうど空いている会場が都合良くあるかというと――ありました。


「サマーフェスと同じ会場ですか」
「困った時の、最後の受け皿という存在ですね」

 快諾してくれた竹芝のイベントホールの管理会社さんに、二人でご挨拶に行きます。
 担当者さんは、プロデューサーさんを気に入ってくれたようです。


「346プロに現れた風雲児として、業界ではちょっとした有名人ですよ。
 例の城ヶ崎美嘉ちゃんや、最近賑わせている安部菜々ちゃんの担当プロデューサーもあなたでしょう?」
「は、はぁ……」

「エンタメ業界は近年不況が続いていますからね。
 今後も346プロさんの方で、何か景気の良い話題を提供してもらえると、我々としても助かりますよ」


「……そうですね」

 担当者さんの言葉に、プロデューサーさんは曖昧な返事を繰り返すことしかできていませんでした。

 PRやチケット販売の段取りを確認し、その場はお開きとなりました。
 事務所に戻ったら、これらの仕事を大急ぎで進めなくてはなりません。

 11月下旬に急遽セッティングされたライブ対決本番まで、もう一ヶ月も無いのです。


 竹芝のペデストリアンデッキにも、寒風が吹きすさぶようになりました。
 そろそろ厚手のコートを着ていないと、外を歩くのが少々辛い時期です。

 二人並んで歩いていると、ふとプロデューサーさんが足を止めました。


「? ……どうかされましたか?」

「ここで会ったんでしたね、俺達」


 ――多くの人が行き交うデッキの、あの手すりの辺りだったでしょうか。

 紺色の着物を纏った女の子の前で膝をつき、履き物を履かせている男性の姿が鮮明に思い出されます。

「もう8ヶ月か……」
 プロデューサーさんは、物憂げに眺めたまま、立ち尽くすばかりでした。

「俺は346プロで、一体何ができたんだろうなぁ」


「たくさんやりました。やってくださいました」
 隣に立ち、彼の横顔を見上げます。

「それに、まだ終わっていないじゃないですか。振り返るのは早いですよ」

 チラリとプロデューサーさんは視線を向け、フッと自嘲気味に鼻を鳴らしました。

「それはそうかも知れないけど……でも、彼女達を振り回してばかりだった」

 プロデューサーさんはかぶりを振り、空を見上げました。
 昨日までは秋晴れが続いていたのに、どんよりとスッキリしない曇り空です。

 この人はなぜ、負い目を感じているのでしょうか。
 何を一人で、勝手に――。


「美嘉ちゃんが玲音さんに負けたら、きっとプロデューサーさん、自分の責任だって言うつもりでしょう?」

 プロデューサーさんが、驚いた顔をして私の方を向きました。

「それは、しない方がいいと思います。
 美嘉ちゃんだけじゃありません。きらりちゃんも蘭子ちゃんも、菜々さん、あるいは杏ちゃんも……。
 プロデューサーさんが与えた条件を達成できなくても、下手にあの子達を慰めちゃいけないと思います」

「どうしてですか?」

 少し鼻息を荒くして身体ごと向き直った彼に、私もまたしっかり見つめ返して答えます。

「あの子達は、今まさに成長の最中です。
 自分で走った末にたどり着く結果を、自分で認めさせてあげてください。
 大人の都合で、責任だけをあの子達から掠め取るようなやり方は、きっとあの子達だって納得を得られません」

「それには同意できません、ちひろさん」

 プロデューサーさんは、語気を強めました。

「俺が与えた無茶な要求に、あいつらは苦しみ、振り回されています。
 その結果に対して、俺が責任を取らなければ、誰が責任を取るっていうんです。
 そんなの、俺は……」


「……なるあなたに」
「えっ」


 私の顔を凝視するプロデューサーさんの姿が、みるみるうちに滲んでいきます。

 プロデューサーさんだけじゃありません。
 向こうの手すりも、デッキも、往来を歩く人々の姿、向こうのビル群やその先に広がる灰色の雲も私の頭の中も――。

 全部グチャグチャになって、もう、何が何だか分かりません。

 今さら何を一人で――勝手なこと――!



「どうせいなくなるあなたに、何の責任が取れるって言うんですかっ!!」

「……!」

 都内でも有数の国際競争拠点である竹芝の、綺麗で大きなペデストリアンデッキは、今日も大勢の人々が行き交います。
 私一人が変な挙動をしたところで、誰も気に留める人などいません。

 だから――あなただって――!

「自己満足の……安い、慰めなんて……!!」

「ち、ちひろさん……」



「プロデューサーさんっ!」


 突如、彼を呼ぶ声が聞こえました。
 私達二人の間に流れる重苦しい空気を叩く、快活で、高くて、柔らかくて――どこか悲痛そうな女の子の声。

 声のした方を向いて、私は思わず目を見張りました。


 私だって業界人です。
 キャスケット帽と大きな黒縁眼鏡で変装していても、明らかにその子だと分かります。

 昨年度アイドルアワードを受賞した、765プロダクション所属アイドルの、不動のセンター。



「春香……!」

 プロデューサーさんもまた、彼女を前に釘付けになっていました。
 まさかこんな所で会おうなどとは、考えもしていなかったのでしょう。

 天海春香さんは、キャスケット帽を取りました。
 トレードマークとも言える愛らしい赤のリボンが、デッキの風にあおられ、儚げに揺れます。

「プロデューサーさん……!」


 まるで、数年来の再会を果たす家族のように見えました。
 おそらく、それは彼らにとって、事実そうであったのだと直感したのです。


「ちひろさん……すみません」

 プロデューサーさんは、私に向けて頭を下げました。
 私もまた、何も聞かずに頷き返します。

「先に……駅の方へ行っていますね」


 彼らの間には、積もる話があるに違いありません。
 私が邪魔してもいけないと思い、彼に依頼されるまでもなく、私は場を外しました。

 いよいよ覚悟を決める時が来た。
 先に駅へと辿りつき、改札の前で一人待つ私の胸中は、その気持ちに支配されていました。

 私はまだいいんです。
 美城常務からお聞きしていたことでしたし、予測もしていました。
 仕事も、元に戻るだけです。彼がいなかった時の状態に。

 ですが――。


「すみません」

 顔を上げると、プロデューサーさんがすぐそこまで駆けて来ていました。
 随分急いできたのか、肩で息をしています。

「俺は……」

「私は、いいんです。もう、大体分かっています。でも……」


 私は、プロデューサーさんの顔を直視することができませんでした。

「あの子達には……ちゃんと説明をしてあげてください。
 CPさんや、シンデレラプロジェクトの皆にも……」


 少し押し黙った後、「はい」という彼の短い返事が聞こえ、私は駅へと向かいました。

 その日のうちにCPさんにお願いし、アイドルの子達をシンデレラプロジェクトの事務室に呼び集めました。
 何事なのか分からず、未央ちゃんのようにキョトンと首を傾げる子もいれば、薄々何かを勘づいてそうな子もいます。

 ドライエリアから差し込む夕陽に照らされ、彼女達の前に立ったプロデューサーさんが、口を開きました。



「皆……俺は、346プロの人間ではない」


「765プロから、派遣交流でこの事務所にやってきたプロデューサーなんだ。
 そして、年内をもって346プロでの配属を終え、俺は765プロに戻ることになる」


「今まで言うことができなくて、すまなかった」

今日はここまで。
明日はお休みして、明後日の14時頃以降に残りを投下していければと思います。

   * * *

「皆、今日は来てくれてありがとう!
 こんなに熱くステキな夜を分かち合うことができて、本当に嬉しいよ。
 それも、この機会を与えてくれた城ヶ崎と346プロさんのおかげだ。改めて、心から感謝と敬意を表したい」


「もちろん、楽に勝てる相手だと思ってはいなかったさ。
 だけど、城ヶ崎のパフォーマンスは、アタシの想像を遙かに超えていた。
 こんなに脅かされるなんて……フフフッ、勝負を終えた安心からか、喜びと同時にワクワクが止まらないな」


「この場で皆に約束しよう! 城ヶ崎からのリターンマッチは、最優先で受け付ける!
 アタシの最大のライバルとして、共に最高のステージを共有し合う友として、いつでもこの会場に呼んでほしい!
 それまでアタシも城ヶ崎も、今日以上に皆を楽しませられるようトレーニングを重ねることを誓うよ!
 また会おう、皆っ!!」

「転職する予定も、346プロを辞めることも無い、か……」

 12月を間近に控え、346カフェの屋外テラスも、そろそろ閉鎖の時期です。
 それまで鮮やかな紅葉を楽しむことができた中庭も、すっかり葉が落ちきってしまいました。

「確かに、嘘じゃないよね。元々346プロの人間じゃないんだから」

 タブレット端末をつまらなそうに弄りながら、杏ちゃんは独り言のように呟いています。
 菜々さんの動画チャンネルも、依然として好評ではあるものの、一時期よりかは少し再生数が落ち着いてきたようです。

「皆の近況、って言ったっけ?
 意外と普通だよ。菜々ちゃんはこの通り、地道に活動を続けてる。
 きらりと蘭子ちゃんは、少なからずショックで沈んでた時期もあったけど、今じゃ平静を取り戻して結構元気」

 端末の操作を終えると、杏ちゃんは椅子の上であぐらを組み直し、天井を見上げて大欠伸を掻きました。

「まぁ、いざとなったら皆シンデレラプロジェクトに行けばいいんだし。
 あ、ちひろさん知ってたっけ? CPが出した企画書、常務も認めたんだってさ。だから一応、解体は回避できたって話。
 シンデレラプロジェクトの皆も、クローネと掛け持ちしてる子も、何だかんだ仕事が忙しくなってきたみたいだね。
 そんなに心配するほどでもないと思うけど」

 杏ちゃんのお話に、私はひとまずホッとしました。
 決まった事を認められず、いつまでも塞ぎ込んだり、行き場の無い感情を周囲にぶつけてしまうような子は、どうやらいなさそうです。

 皆――大人なんだなって、思います。

「ちひろさんの方こそ、どう?」
「えっ?」

「サブPは元気そう?」


 私は、顎に手を当てて「うーん」と唸りつつ、彼の近況を振り返りました。

「……表面上は?」
「そういうの、一番面倒くさいパターンだよね」
「い、いえ。私の観察眼も、あまり当てにはならないと思いますし」

 慌てて取り繕いつつ、私は自分のカップを手に取りました。
 ハーブティー、ちょっと冷めてしまったみたいです。

「ただ、最近はなんだか、忙しそう。
 それはそうだと思います。元の事務所に戻られるのですから、あまりボーッとしてもいられないのかなって」

「なら安心したよ」

 杏ちゃんはオレンジジュースをずごごご、っと飲み干し、テーブルに置きました。

「余計な心配をかけさせちゃってるかなって、きらりも蘭子ちゃんも心配してたからさ。
 向こうがこっちの心配をしてる余裕も無いって言うんなら、何よりだね」

 鼻を慣らして椅子の上からピョンッと飛び降り、杏ちゃんは私に後ろ手で手を振りました。

「ま、向こうに戻っても達者で、とかなんとか適当に言っといてよ。
 ……あ、これ杏じゃなくて、皆が言ってたってことで。それじゃ、後はお会計お願いします」


「待ってください」

 私は、杏ちゃんを呼び止めました。
 彼女も、思うところがあったのか、すぐにピタリと足を止めます。

「……美嘉ちゃんは、どうですか?」


 杏ちゃんは、こちらを振り返らないまま、ポツリと答えました。

「まぁ……一番面倒くさいパターンだよ」

 事務室へ戻ると、驚くべき光景がありました。

「こぉら、莉嘉!
 みりあちゃんもかな子ちゃんも、智絵里ちゃんもさっさと自分の所に戻る!
 さっきスケジュール見たけど、アンタ達もこんな所で油売ってる場合じゃないでしょ?」

 プロデューサーさんのデスクの隣で、美嘉ちゃんが莉嘉ちゃん達に、何やらお説教をしているみたいです。
 彼は、少し狼狽えているようでした。

「で、でも、サブPさん忙しそうだし、せめてクッキーでもって…」
「心配しなくても、かな子ちゃんの気持ちは伝わってるって。
 そうでしょプロデューサー?」
「あ、あぁ……そうだな」
「ねっ?」


「みりあは、もっとサブPとお話したいな、って……」

 得意げにウインクをキメる美嘉ちゃんを前に、みりあちゃんが身体の前で手をモジモジさせながら呟きました。

「美嘉ちゃんも……そうでしょ? もっとサブPと一緒にいたいって、思うよね?」
「そうだよ!
 お姉ちゃん、ウチに帰ってからもずーっと自分の部屋に閉じ籠もってるじゃん!」
「なっ……ば、り、莉嘉! 何余計なこと……!」

「ごはんー! って呼んでも全然来ないし、絶対サブPくんのこと、何とかしたいって思ってるんでしょ!?」

 美嘉ちゃんは「あーもう」と呆れ気味に頭をクシャクシャと掻いて、これ見よがしに大きなため息を吐きました。

「何とかって何よ。あのね、いーい?
 皆にとっては初めてのプロデューサーだから一大事なのかもしんないけど、アタシはとっくにそういうの経験してんの。
 よく考えなよ、学校の担任の先生が変わるのと同じだよこんなの。あ、こんなのって言ったら失礼だけど……でも!
 この先もプロデューサーが変わることはあるんだし、いちいちウジウジしてたらアイドルやってらんないでしょ?」

 美嘉ちゃんは腰に手を当て、莉嘉ちゃん達の顔を順番に見渡しながら、「うんっ」と大きく頷きました。
 誰に対するものでもなく、自分を納得させるための動作に見えます。


 そのまま、彼女はプロデューサーさんの方へと向き直りました。

「アタシがヘコんでるとでも思った?」
「えっ? あ、いや……」
「アハハ、そんなキョドんなくたっていいじゃん★」

 ケラケラと茶化すように笑って、彼女は続けます。
 どこまでも笑顔で。

「アタシ、玲音さんと対決して良かったよ。
 玲音さんも言ってくれたけど、ホントに楽しかったし、何より、思った以上に勝負になれたことが、嬉しくてさ……達成感はあるんだ。
 だから、次はもっとやってやるんだって、燃えてるよ! 落ちこんでるヒマなんか、アタシには無いって★」

 美嘉ちゃんと玲音さんのライブ対決は、おおよその下馬評通り、玲音さんの勝利に終わりました。

 ですがそれは、身内の欲目を抜きにしても、惜敗と評価して良い内容だったと言えます。
 ライブ終了後、玲音さんが美嘉ちゃんをたくさん褒めてくれたこともそうですが、観客達による投票結果も、非常に肉薄していました。

 ライブ前は美嘉ちゃんに多く寄せられていた心ない誹謗中傷も、ライブ後には軒並み少なくなったことも、その証左です。
 敗れこそしたものの、あのライブ対決は美嘉ちゃんの株を大きく上げるものとなりました。


 美嘉ちゃんだけじゃありません。

 きらりちゃんは、依然として新進気鋭のアイドル兼モデルとして、その個性も手伝って今ではかなりの著名人です。
 蘭子ちゃんも、武田蒼一氏から直々のボーカルトレーニングを受けた事で、業界でも評判を集めるほど歌唱力が飛躍的に伸びました。

 菜々さんと杏ちゃんも、先述の通りSNSを活躍の場として、主に若年層の間で話題を呼び続けています。
 その勢いたるや、全国放送の大手ニュース番組でも取り上げられるほどです。

 つまり、プロデューサーさんが彼女達に課した条件によって、皆、アイドルとして大きな成長を遂げていったのです。

「あの人の経歴には驚きましたが、大いに納得を得られるものでした」

 CPさんは自分のパソコンを操作して何かを印刷し、椅子から立ち上がりました。
 手に持った紙には、765プロダクションの活動実績が記されてあるようです。

「これは……」
「彼が赴任する前の765プロのアイドル達は、失礼ながら、お世辞にも満足な活動が出来ているとは言い難いものでした。
 ですが、赴任して一年足らずで所属アイドル達全てを高ランクへと成長させ、さらには“シアター”と呼ばれる新規プロジェクトも発足されるようです」

「極めつけは、アイドルアワードを受賞した、天海春香さん……」
「そうです」

 これら全てが、プロデューサーさん一人の手腕によるものだとしたら――。
 いいえ、アイドル達自身による非常な努力も、当然にあったことでしょう。

 それでも、彼が来たことで、765プロは確実に変わった。


 ですが、疑問は未だに残されたままです。

「彼は……プロデューサーさんは、どうして今まで黙っていたのでしょう」

「これは、私の勝手な推察になりますが」

 資料から目を離すと、CPさんの真っ直ぐな瞳がありました。
 この人は、あまり器用な人ではないので、大事なお話をする時、中途半端に誤魔化して取り繕うということをしません。

「まず、自身の事を色眼鏡で見られる事を避けたかったのかも知れません」
「色眼鏡……なるほど」

 今日の765プロ隆盛の立役者として、業界でも知られるプロデューサーが来たとなれば、我が社の社員も気を遣うでしょう。
 それだけでなく、もし下品なメディアに嗅ぎつけられたら、根も葉もない事を言われかねません。

 でも――。

「それは……結果論かも知れませんが、アイドルの子達のためを思う行動だったとは、私には思えません」


 私に同意してくれたのでしょう。
 CPさんは、小さく頷きました。

「……それとは別に、より確度の高い理由がもう一つあります」
「何ですか?」

「記憶していた限りでは……自分は346プロのアイドル達と、親密な関係になるべきではないと、あの人は仰っていたかと」
「!」


  ――好かれるべき人間じゃないからです。

「それは……いずれ765プロに戻る身だから?」
「……打ち明けるタイミングが遅ければ遅いほど、アイドル達からの心証は悪くなります」


 私は、地団駄を踏みたい気持ちになりました。
 なぜそんな、面倒になると分かっていることを望んで行う必要があるのでしょう。

「そんなの……最初から、こっちに来なければ良かった話じゃないですか。
 なんで、あの人……その先に何を期待したんだか、分からないですよ……!」

 悔しくて、たまりません。
 最初から来なければ、初めからアイドルの子達も、悲しんだり、振り回されたりしなくて済んだはずでした。

「どうして、346プロに来たんですか……!
 こんな、誰も幸せにならないようなことが、どうして起きたっていうんですか!?」


「美城常務曰く、「罪を背負った」のだと」

 CPさんの言葉に、私は顔を上げました。

「? ……罪、って?」

「常務も、理解をされてはいないようです。
 ただ、346プロにやってきた経緯として、あの人がそう言っていたと……それともう一つ」

 CPさんは、手元の資料に目を落としました。

「あの人が346プロで、何かを学び取りたいと考えていたのは、真実だったのだと思います。
 ですが、アイドル達と親密になる事を恐れ、シンデレラプロジェクトのサブとして配属される事を望んだ……」
「……!」

「彼がなぜ346プロに来たのか、また、自ら望んでのことだったのかは、分かりません。
 ただ、彼はこの346プロで……良くない意味で、空気のような存在でありたかったのかも知れません。
 それが適わなくなり、身の振り方を考えた末に、いっそ憎まれ役となることを選んだのではと。
 親密な間柄となって、その後の別れが辛くなることよりも」

「で、でもあの人は自分からアイドル達を担当……!?」


 私は即座に反論しようとしました。
 でも、気づいてしまったのです。

 彼は確かに、サブのプロデューサーとしての仕事以外の業務も、自分から率先して行っていました。

 ですが、それはあくまで自分に与えられた裁量の範囲内でのことでした。
 自分が望んだ範囲内での――。


 そうです。
 あの時の、CPさんを最大限尊重するという彼の姿勢は、CPさんのために自らが一歩引くという献身ではありませんでした。

 彼は、いつだって346プロのアイドル達に対し、一定の距離感を保ちたかったのです。
 CPさんとアイドルの橋渡しを行い、彼にそれを押しつけることで、逆に自分自身はアイドル達と距離を置く。

 そして、明確にそれを越える裁量を与えてしまったのは、私。

 美嘉ちゃんの担当プロデューサーとしての道を彼に提示したのは、他ならぬ私だったのです。


「わ、私が……」

 でも、親密になるのを避けようとして、ワザと冷たく当たって――結果として美嘉ちゃんも、自分自身も追い込んで――。

 挙げ句の果ては、5人のアイドル達を担当することに――それも、私が皆に――。


「私が……狂わせた……?」

 それでもなお彼は、突き放そうとした。
 いずれ離ればなれとなる身であることを知っていたから。

 心根の優しいプロデューサーさんは、彼女達を悲しませまいと、誰も知り得ない本当の事情を隠して――。
 わざと憎まれ役を装って――。


 希薄な関係であり続けたかった彼の想いを無視して、自分勝手な考えであの人やアイドル達のことを振り回したのは――。


「千川さん」
「……!」

 ハッと我に返ると、CPさんの大きな手が私の肩を掴んでいました。
 彼の厳つい顔を目の前にしても、まだ意識がボーッとしています。

「あなたが責任を感じる必要はありません。どうか、お気を確かに」

「はい……」



 プロデューサーさんがプロデュースしたアイドル達は、皆大きな成長を遂げました。

 それは、彼にとっては皮肉と言えたのかも知れません。
 あるいは、私達にとっても。

 プロデューサーさんから屋上に誘われたのは、それから数日経ってからのことでした。


「本当は、半年間の予定だったんです。9月末までの」

 白い息を吐きながら、彼は誘い笑いをしました。

「でも、ちょうどココにいる時でしたね……。
 ちひろさんと話をしている途中で、社長から電話があって、「3ヶ月延ばしといたから」って急に言われて。
 あれは参ったなぁ。ウチの社長、いつも話が急なんですよ。それも勝手にです」

 私は合点しました。
 あの時プロデューサーさんが出た電話の相手が、765プロの高木順二朗社長だったとは。

「それで、美城常務からも実は、引き抜きの話がありまして」
「断ったそうですね?」

「……常務から聞いたんですか」

 プロデューサーさんは、頷きました。
 申し訳なさそうで、寂しそうな表情でした。

「346プロの子達に好かれまいと、わざと俺は無茶な要求をし続けてきました。
 でも、あの子達は難なくそれについてくる、答えてくる……それを可能とするだけの資質も、事務所のバックアップもある。
 俺は、346プロを甘く見ていました」

 かぶりを振って、プロデューサーさんは私に向き直り、姿勢を正しました。

「CPさんの言った通り、ちひろさんもあの子達も、誰も悪くありません。
 俺が中途半端な行いをしたことで、アイドルの子達は傷つきました。
 今回の混乱の責任は皆、俺にあります」

 そう言って、彼は私に深々と頭を下げました。


 私は、かけるべき言葉が見つかりません。

 傷ついたのは、彼だって同じなのです。
 それなのに、こうしてわざと憎まれるような事を。

 どうして――。


 どうして事情を話してくれなかったんですか。
 知っていたら私だってわざわざ余計な手回しをすることなんてありませんでした。
 まるで私が皆を引っかき回したみたいな事になっちゃってますけど私だって迷惑してるんですよ。
 最初から来なきゃいいのに勝手にこっち来て悩んでりゃ世話無いんですよ。付き合わされた方はいい迷惑なんです。
 あなたの言う通りですよ。私は何も悪くありません。あなたが勝手に面倒くさい事をして勝手に、勝手に私達をっ!


 ――ッ!

 ――ダメです。
 とても言えません。


「もう…………やめてください……」

 消え入りそうな声でそう言うのが、私にはやっとでした。


 どうして――彼はどうして、346プロに――。
 どうしてこんな事になったのか。

 もう、一ヶ月もありません。
 それが明らかにならないまま、彼と過ごした日々は、終わってしまうのでしょうか――?



 それ以来、プロデューサーさんとは、言葉を交わすことが少なくなりました。
 実際、雑談を交わす暇も無いほど、彼が忙しいというのもあります。

 いいえ――きっと、わざと忙しくしているんです。


 ゆっくりと皆、元に戻っていく。
 いつしか私達は、約束された別れの時が来ることを、ひどく落ち着いた気持ちで待つようになっていきました。

 12月に入ると、プロデューサーさんは不在の時が多くなってきました。
 聞いてみると、765プロに足繁く出張しているのだそうです。

 いよいよ戻る準備を整えているんだな――。
 そう思いながら、その日もつまらない見積書類の作成をしていた時のことでした。


 突然、事務室の扉がバンッと開き、飛び込んできたのは――菜々さん?

「ち、ちひろさん! 大変です、すぐに来てくれませんか!?」
「どうしたんですか、菜々さん。落ち着いて」

「美嘉ちゃんが、レッスン中に倒れて、医務室へ……!」


 すぐに書類を置いて、菜々さんと一緒に医務室へと走ります。

 また倒れるほどに無茶をするなんて――。
 でも、どうして?

 もう彼女が身を削る必要なんてありません。
 そうしたところで、もう――。

 医務室の前には、他に参加していたであろうアイドルの子達が、心配そうにたむろしていました。
 よく見ると、あの時のメンバー――きらりちゃんに杏ちゃん、蘭子ちゃんの3人です。
 ちょうど、その5人でレッスンをしていたようでした。

「ちひろさん……!」
「皆、ちょっと通してください」

 きらりちゃんの大きな身体をどかしてもらい、私は菜々さんと一緒に医務室の扉を開けました。
 中に入ると、ベッドで寝ている美嘉ちゃんの隣に、お医者さんとCPさんと――。

「み、美城常務……?」

 なぜか、常務もおられます。
 一体どういう経緯で、と問い質したくなる私に、お医者さんが「お静かに」と淡泊に私と菜々さんに注意しました。

「容態はどうなんだ」

 美城常務はこちらには一瞥もくれず、お医者さんに問います。

「貧血ですね。軽度の栄養失調によるものかと。
 点滴は打ちましたので、この先しっかり食生活を改善して療養すれば、彼女くらいの若さであれば3日ほどである程度快復するでしょう」

 つまり、3日は安静にしなさいとのことです。
 ひとまず容態が安定しているようなので、お医者さんは間もなく退室されるとのことでした。

「大きな問題は無いかと思いますが、今日は自力での帰宅は止めさせた方がいいでしょう。
 城ヶ崎さんが目を覚ましたら、できれば車を手配してあげた方が良いかと思います。
 くれぐれも無茶をすることが無いよう、この子のプロデューサーにもよくお伝えください」


 お医者さんが出て行くのと入れ替わりで、外で待っていた3人がお部屋に入ってきました。
 邪魔になるかも知れないと遠慮していたそうですが、お医者さんから了解を得たようです。

 お医者さんが言った通り、大事には至らない旨を説明すると、皆は一様に安堵のため息を漏らしました。


「なぜ彼女は無茶をした」

 医務室に漂う空気が弛緩したのも束の間、美城常務がピシャリと私達に問いかけます。

「玲音とのライブはもう終えた。
 彼女は今、明確に喫緊の目標を有してはいなかったはずだ」

「そ、それは……」

 常務の仰る通りです。
 プロデューサーさんだって、お医者さんに言われるまでもなく、美嘉ちゃんがここまで自分を追い込む事を望んではいません。

「莉嘉ちゃんも言っていたんですが……。
 美嘉ちゃん、家でも最近あまり食事をとらないみたいで……それで、栄養失調になったのかも知れません」
「自己管理ができていないと……つまり、彼女自身の問題か」

 美城常務が美嘉ちゃんの顔にジッと視線を落とします。
 強く糾弾するような目つきに耐えきれず、半ば言い訳がましく言ったものですが――そういえば、少し頬がこけているかも知れません。

「いずれにせよ、これが繰り返されるようなら、彼女にも正式にプロジェクトを転属してもらう事になる」
「? 転属、ですか?」


「プロジェクトクローネ、ですね?」

 CPさんの言葉に、常務は頷きました。

「彼女の起用を前提としたクインテットユニットの構想が既にある。
 私のプロジェクトの傘下に入っていれば、少なくともこのような無茶をさせる事は無い」

「無茶をさせないという条件であれば、シンデレラプロジェクトも選択肢に入ります」
「彼女は君のプロジェクトの1期生だろう。
 卒業生が再度編入されるような事態となっては、他の子達に対しても示しがつくとは思えないが」

「み、美嘉ちゃんはっ!」


 急に声を上げたのは、蘭子ちゃんでした。

「!? ぴぇっ……!」

「気にするな。言いたい事があるならこの場で言いなさい」

 意図せず皆の視線を集め、硬直する彼女に、常務が促します。
 気のせいか、その声色はほんの少しだけ、普段より優しげな感じがしました。

 小さな咳払いを何度かして、ひゅぅっと呼吸を整え、蘭子ちゃんは口を開きました。

「美嘉ちゃんは、サブPとまだ……一緒にいたいはずです」
「蘭子ちゃん……」

「私も……いなくなっちゃうんだったら、いなくなる時まで、一緒にいたい、です。
 寂しい思い出のままじゃなくて、良い思い出を作ってから……お別れしたいんです。
 だから……お願いしますっ」

 身体の前で手をピンッと置き、彼女が出来うる限りであろう最大限の丁寧なお辞儀で、蘭子ちゃんは常務に懇願しました。

「美嘉ちゃんと、私達も一緒に、やらせてください。
 まだやりたいんです。お願いします!」

「きらりからも、お願いしますにぃ!」

 大きな身体でぶわっ!とお辞儀するきらりちゃんに、私は一瞬身じろいでしまいました。
 一方で、常務はそのお固い姿勢を崩しません。

「『やりたい』というのは、必ずしも行動理由の全てではない。
 我々管理側は、君達アイドルの健康面も管理する責務がある。
 それが担保されないプロジェクトの継続を認めるわけにはいかない」


「それは、ちゃんとナナ達がこれから美嘉ちゃんに「めっ!」てします!」

 すかさず食い下がったのは、菜々さんです。

「今回のことは、プロデューサーさんだけでなく、年長者であるナナのチョンボでもありました。
 だから、ナナも肝に銘じてちゃんと……!」
「? 菜々ちゃん、美嘉ちゃんやきらり達とも同い年でしょぉ?」
「えっ!!? あっ、いや、そ……た、誕生日!!
 ほらっ、ナナは5月生まれで、皆さんはもっと後というか、そういう意味でですね!?」
「いや、数ヶ月しか……」

 また菜々さんが自爆しています。
 でも、彼女の一生懸命さに嘘はありません。


「彼自身は、どう思っているだろうな」

 美城常務の言葉に、皆が「えっ」と言葉を失いました。

「君達の言い分はわかった。
 そこまで言うなら、まずは君達の意向に従うとしよう。
 プロデューサーである彼と、城ヶ崎美嘉も含めてな」


「待ってください」

 踵を返し、退室しようとする常務の背に、私は声をかけました。

「常務は、プロデューサーさんを346プロに引き入れようとして、彼から断られたと」
「……なぜ今その話をする」

 アイドルの子達に、ざわめきが広がります。
 常務の仰ることはもっともですが、聞かないわけにはいきません。

「ずっと気になっていました。
 あれほど厄介に思っていたはずの彼を、どうして引き入れようとしたのですか?」

「何ということは無い。
 確かに目障りではあったが、346の機密に少しでも触れた以上、懐柔した方が都合が良いと考えただけだ」

 にべも無く言い捨て、再び歩き出そうとする常務の前に、CPさんが立ちはだかりました。

「今度は君か。用件があるなら手短に」


「彼女達のプロデューサーは、「罪を背負った」と言ったのだと、常務からお聞きしました。
 その真意を、常務はどのようにお考えでしょうか」


 常務は、しばらく考え込むように押し黙りました。
 アイドルの子達も、聞き覚えの無いであろうお話に、困惑しっぱなしです。


「彼はここに来る前、アメリカへ研修に行っていたらしい」

「アメリカ?」

 765プロから、アメリカへ――?

「憶測でしかないが……
 765プロにいた頃の彼が順風満帆であったとするなら、その時の事を言っているのかも知れないな」

 常務が退室されて間もなく、私達はアイドルの子達にも帰るよう促しました。
 美嘉ちゃんは眠ったままですし、いつまでも皆でこの部屋にいても仕方がありません。

 ――という杏ちゃんの提案によるものです。
 それは、ごもっともでした。

 眠っている美嘉ちゃんのベッドの前にある丸椅子に、CPさんと二人、残って腰掛けます。


「海外での経験もあったとは……初めて知りました」

 CPさんは、膝に手を置き、背をピンッと伸ばしながら呟きました。
 重役の前でも、新入社員の面接でもないのに、この人はいつでもひどくお行儀が良いんです。

「元々、知らないことの方が多いです」
「それは、そうですね」

 フッ、と小さく笑ってくれて、私も少し安心します。

 美嘉ちゃんは、変わらずにすぅすぅと安らかな寝息を立てています。
 彼女がこうしてゆっくり休むのは、いつ以来だったのでしょう。

「先ほどの神崎さんの言葉で、気になることがあります」

 思わず、CPさんの方へと顔を向けます。
 先ほど、ちょっとだけ緩んだ表情が、元の仏頂面に戻っていました。

「寂しい思い出のまま、いなくなる、と……そう言っていました」
「……えぇ」

「結果だけを見れば、彼女達は申し分の無い結果を出してきています。
 ですが、満たされていない何かがあるのなら……」

「…………」

 今のままではいけない――アイドルの子達は、そう思っているんです。
 そして、諦めたくないのだとも。


「プロデューサーさんがやってきてからの日々は、混乱もありましたが……活気に満ちたものでした」

 ふと、彼がやってきてからの日々を思い出します。

 私の隣で、書類の作成に四苦八苦しつつ、アイドルの子達に柔らかな笑顔で対話をする情景。

 美嘉ちゃんに冷たい態度を取りながらも、資料室で隠しきれない敬愛を示したあの日。

 サマーフェスで見せた、担当アイドルへの愛おしそうな笑顔。

 菜々さん達の言葉を前に、不本意を抱いて苦しむ姿。


「私達の中心には、あの人がいて……振り回されながらも、気づけばずっと前に進んでいました。
 言うなれば、不思議な魔法にかけられたみたいに……ひょっとしたら、彼自身もかかっていたのかも知れません」
「魔法、ですか」

 そう。何かをせずにはいられなくなる魔法。

 私も、一概にそれのせいにする訳ではないですが――十分に、出過ぎた真似をしてしまいました。

 12月が終われば、魔法は解けて、私達は元の日々に戻ります。
 それはきっと、ある種の凪と呼べるような、平和で穏やかなものとなるのでしょう。

「自分が満足できていない事を知ることと、それを知らずにいることは……どちらが幸せなのでしょうか?」
「…………」

「彼女達がプロデューサーさんと走り続けていった先に、果たしてゴールはあるのか、それはどんなものなのか……。
 それがちょっとだけ、不安です」

「……それを知りたいのかも」

「えっ?」


 美嘉ちゃんは、ムクリとベッドから起き上がりました。

「なんてね」

「美嘉ちゃん、起きていたんですか」
「今起きたトコ。
 ごめんね、心配かけちゃったみたいで、って……うわ、もう夜じゃん」

 すっかり暗くなった窓の外を見て、美嘉ちゃんが顔をしかめました。
 時間帯だけ見ればまだ夕方のはずなのですが、冬が深まってきた今日では、陽が落ちるのもあっという間です。


「城ヶ崎さん」

 CPさんが、岩のような姿勢をさらに正して彼女に向き直ります。

「医療スタッフは、3日ほどの静養をあなたに求めています。
 今後も同様の事態があれば、プロジェクトの正式な転属も視野に入れると、常務も仰っていました」
「……うん」

「諸星さん達も、皆、あなたのことを心配しています。
 どうか、これ以上のご無理はなさらないでください」


 しばらく黙ったのち、美嘉ちゃんは素直に頷きました。

「今回はアタシ、何も言えないね……本当、ごめん」

「分かっていただけたなら、何よりです。
 極力、お身体を大事にされた方が良いでしょう。
 後ほど、タクシーを手配します」

 そうCPさんが提案すると、美嘉ちゃんは慌てて手を振りました。

「えっ!? い、いいよ大丈夫だって!
 アタシんち埼玉だよ? そんな大袈裟な……」

「美嘉ちゃん。自分の体調は、ちゃんと自覚しなきゃダメですよ?」

 見かねて私が釘を刺すと、美嘉ちゃんは「うっ……」と閉口しました。

 つい先ほど、レッスン中に気を失って倒れていた女の子の「大丈夫」なんて、当てにできません。
 第一、346プロが誇るカリスマギャルが、タクシー程度でビビってどうしますか。


 有無を言わさぬ圧で美嘉ちゃんの反論を封じ、黙って従ったのを確認すると、私はCPさんにデスクへ戻るよう提案しました。

「シンデレラのフェスに向けたご自分のお仕事が、まだ残っているでしょう?
 タクシーは私が手配しますから、CPさんは事務室へお戻りください」
「しかし、千川さんの方こそお忙しいのでは……?」
「この時期は、そうでもありません」

 CPさんは逡巡した後、その場を立ち上がり、頭を下げました。

「……では、お言葉に甘えます」
「CPさんも、どうかお身体にはお気をつけて。
 エナドリ、いります?」

「おかげさまで、間に合っております。それでは」

 CPさんが出て行くと、二人きりの医務室は途端にお部屋が広くなりました。
 タクシーを呼びに席を立とうとすると、美嘉ちゃんに止められたので、まだ私は椅子に座ったままです。

「ちひろさんはさ、どう思ってる?」
「何をですか?」

「プロデューサーが、まだアタシ達と一緒に走り続けたいって、内心思っているかどうか」


「……走り続けたいんだと思いますよ」

 私の回答は、明確な確信ではなく、ある種の願望を少なからず含んだものでした。
 それでも、美嘉ちゃんに対しては、そのように答えるべきだとも。

「ただ……卑怯な言い方になりますけど、どうしようもない事情というものは、あります。
 大人だからと言って、魔法が使えるわけじゃなくて……出来ることと、出来ないことがあるんです」
「それは、分かってる」

 美嘉ちゃんは、とても冷静でした。
 小さく頷いて、お布団の上で握った手に視線を落とします。


「アタシもね……大人になんなきゃ、って。
 ウチ、莉嘉もいたし、そういうの普段からずっと思って、自分なりに気をつけてたつもり。
 だから……もう、分かってる」

「……美嘉ちゃん?」

「アイドルって、遊びじゃないんだから……ワガママなんて、言ってられないんだってこと」

 鼻で小さく笑い、美嘉ちゃんは顔を上げました。


「アタシ、プロデューサーとはもう…」

「美嘉っ!!」


 ガチャッ!と突然扉が開き、中に入ってきたのはプロデューサーさんでした。

「はぁ……はぁ……!」
「プロデューサーさん……今日は、こっちへ戻らない予定だったんじゃ?」

「残務があったことに気づいて、引き返してきたんです。
 そしたらさっき、廊下でCPさんと会って……事情は聞きました」

 走ってきたのか、息が整うのも待たず、プロデューサーさんは美嘉ちゃんの元へと歩み寄ります。

「……プロデューサー」
「美嘉、一体どうして無茶をしたんだ。
 怪我はないか? 身体の具合とか、頭がボーッとしたりとかそういう…」
「ウザい」

「えっ?」

 美嘉ちゃんの表情は、ひどく冷たい怒りに満ちているようでした。
 先ほどまで、私とお話をしていた時とは、まるで別人です。


「こっちの面倒見る気が無いとか言っときながら、何その言い草。
 実はお前のこと心配してたんだー、なんて恩着せがましいイイ人アピールとかマジキモいし腹立つ。
 何しに来てんの今さら?」

「美嘉……」

「大体さ、プロデューサー名乗っときながら担当アイドルの健康状態とかキチンと把握する気も無いわけ?
 それともアタシの自己責任? 散々アタシを追い込んでおきながら、いざって時は手の平返し。ハッ」

 大袈裟に鼻を鳴らし、これ見よがしに肩をすくめて、美嘉ちゃんは彼をなじり続けます。

「よくそんなんで今までやってこれたね。
 765プロのアイドルって、アンタみたいな人にもついてくるようなお人好しだったんだ? 皆?
 マジウケんだけど、おんなじノリをこっちでやられてもフツーに困るし、その結果がご覧の有様ってヤツ。あり得なくない?」

「…………」
「み、美嘉ちゃん! そういう言い方は…!」

「いい加減にしてよ」

 美嘉ちゃんのプロデューサーさんに対する厳しい非難の目が、より一層強くなりました。


「散々アタシ達を引っかき回して混乱させて、好き放題して帰るんでしょ?
 アンタなんか災害だよ。災害。
 さっさと帰ればいいじゃん、アタシ達のことなんかほっといてさ。気遣ってますよアピールとかいらないしウザすぎ。
 もうこれ以上アタシ達に付きまとわないで。アンタなんか……!」

「…………」


「……アンタなんか、来なきゃ良かったのに!!」



「…………」

 プロデューサーさんは、終始無言でした。
 何も言い返すことなく、弁明も――同意も、謝罪もすることもありません。

 黙して、今にも涙がこぼれ落ちそうな彼女の瞳を見つめ、踵を返して部屋を出て行ってしまいました。

「ぷ、プロデューサーさん!」

 慌ててプロデューサーさんを追いかけます。
 逃げるように去って行ったものの、それほど急ぐ様子はなかったため、難なく彼の横に追いつくことができました。

 そう――早歩きでも大股歩きでもなく、極めて普通に歩いていました。
 まるでそのようにしようと、努めているかのように。

「プロデューサーさん!」

 あれは、美嘉ちゃんの本意なんかでは決してありません。
 あんなに誰かを責め立てる美嘉ちゃんは――。

「美嘉ちゃんは、本心であんな事を言ったわけでは……!」
「分かっています」


 プロデューサーさんは、前を向いたまま、その歩みを止めることはありませんでした。

「曲がりなりにも……彼女の担当プロデューサーでしたから」

「プロデューサーさん……」


「俺が望んだとおりの別れを、美嘉は受け入れました。
 これ以上深い付き合いにならないよう、袂を分かつことを。
 俺には、あの場で美嘉の真意を質す筋合いも、ましてそれを否定する道理もありません」


 気づくと、プロデューサーさんの背がどんどん遠くなっていました。
 私の足は、まるで根っこでも生えたかのようにピタリと床に吸い付き、前に踏み出すことができません。

 すぐに彼に追いついて、前に立ちはだかって、それを否定しなきゃいけないはずなのに――!


「気分が晴れました。
 これで何の未練もなく、765プロに戻ることができます。
 やはり……深入りなんて、するもんじゃない」

「プロデューサーさん……!」

 俺が望んだ通りの別れって、何ですか?
 絆を深め合ったはずのアイドルと、あんな喧嘩別れみたいな終わり方って、ありますか?

 悲しい思い出を作るために、わざわざあなたは346プロへ来たんですか――?


 聞きたいことが、次から次へ溢れ出てきます。
 しかし、それらはもう、彼には届かなくなっていく。

 あの人は、この物語を終わらせようとしています。
 自分が最後まで憎まれ役となったまま、それ以上のものを求めまいとしています。
 美嘉ちゃんは、そんな彼の意志を汲んだのです。


「…………美嘉ちゃん……!」

 妙な胸騒ぎがして、私は走り出しました。
 振り返り、元来た道を、医務室の方へ。

 当たってほしくない予感は当たりました。
 ベッドの上から、美嘉ちゃんがいなくなっていたのです。

 急いで辺りを探し回ります。
 こんな事なら、さっさとタクシーを呼んで彼女を押し込んでおけば良かった!

 ですが、外に出ると、幸いにして美嘉ちゃんの姿はすぐに見つかりました。

「美嘉ちゃんっ!」


 正門へ向かうメイン通路。
 既に葉っぱが落ちきった大きな桜の木の下を歩く、美嘉ちゃんの後ろ姿がピタリと歩みを止めました。

 急いで駆け寄ります。

 美嘉ちゃんは――普段の堂々とした姿がまるで嘘と思えるくらい、小動物のように背を丸めて俯いています。

「ちひろさん……」

 外灯に照らし出された美嘉ちゃんの笑顔は、まるで線香花火のような――。
 最後の空元気を振り絞るかのように見えました。

「これで、良かったんだよね……? アタシ……」


 美嘉ちゃんなりに、精一杯考え抜いて出した結論のはずです。
 プロデューサーさんや――おそらく、346プロの皆のことも考えて、彼女はあの別れを選択しました。

 だけど――。

「美嘉ちゃんは……それで良かったと、思えるんですか?」

 私にとって、今の美嘉ちゃんの姿は、とても見ていられたものではありませんでした。

「美嘉ちゃんには、もっと胸を張って、伸び伸びと自分の心に正直でいてほしいんです。
 大人の事情に配慮するのは、大人の仕事。
 美嘉ちゃんまで、そんな事に気を遣って……自分の心を、痛めてほしくないんです」


 莉嘉ちゃんのお姉ちゃんとして。事務所のアイドル達の先輩として。
 彼女はいつも、周りの人達に気を配ってきたことでしょう。

 必要以上の優しさが、彼女を苦しめるというのなら――私は、もっと美嘉ちゃんには、子供になってほしい。


「そんなの、ズルいよ……」

 美嘉ちゃんの口から、掠れたような声がポツリと漏れました。

「どうしようもない事情はある、出来ることと出来ないことがあるって……言ったじゃん」
「美嘉ちゃん…」
「どう足掻いても、ダメなんだって……だから、せめてあの人の望む通りに、しようって……!」

 美嘉ちゃんの瞳が、見る見るうちに潤んでいきます。
 それに比例するように、震い迷える声は明確な力を帯びていきます。

 それは、無念と怒りと、自分自身を取り巻く状況への怨嗟を無遠慮に吐き出すかのようでした。

「自分の思う通りに、したかったよ……当たり前じゃん、そんなの、でも……!
 お、大人に、ならなきゃって……諦めなきゃ、って、アタシ……!!」

「誰かのために、自分を犠牲にすることが……必ずしも、大人なわけじゃないんです、美嘉ちゃん。
 仮にそうだとしても、大人のために、美嘉ちゃんのような子が譲らなきゃいけない事の方が、間違っているんです」

「でも、そんなのワガママでしょっ!!
 あの場でアタシがいくら喚いたって、何も変わらない……何も、でき……う、あ……!!」

 美嘉ちゃんの瞳から溢れた涙が、地面にいくつも落ちました。
 堰を切ったそれは、滝のようにボロボロと流れ、止まる術を知りません。

「頑張って……もう、何をどう、頑張ったらいいか、分かんなくて……!
 それでも、いつか、頑張り続けたら、何かが、変わる、かなって!!
 でも、何も変わら……う、ぐ……!!」

「美嘉ちゃん……」

「いくらがんば、て……! 結局、自分を納得、させるだけで……う、ぅ……!!
 ただの、自己満足で……アタシ、なにも、できな、かっ、あ、あぁ……!!」


 美嘉ちゃんを抱きしめると、彼女の身体はあっけなく私の腕の中に収まりました。

 こんなに小さな肩に、この子は色んな想いを背負っていたのだと、気づかされます。


「あの人、ずっと、つらかった……!! アタシ、あんなヒドい事……!!
 人を傷つけるの、あんな、つらい事だっ、たんだ、て……しらな、ひっ、ぐ……う、うぅぅ!!」

「プロデューサーさんは……全部、分かっています。
 美嘉ちゃんの気持ちも、皆……美嘉ちゃんだけが、負い目を感じる必要なんて、無いんです」


「う、あ、あああああぁぁぁぁ……!!」

 美嘉ちゃんは、私の服をギュッと掴んで、泣きました。
 今までずっと我慢してきたものを、全て吐き出すかのように、たくさん――。

 こんなに溜め込んでいたのは、彼女自身が優しくて、気ぃ遣いすぎるというのもあるでしょう。
 でも、だからといって、美嘉ちゃんがこんなにも悲しまなくてはならない理由にはなり得ません。

 彼女を苦しめたのは、プロデューサーさん、そして――私。

「ごめんなさい、美嘉ちゃん……」
「ひぃ、ぃ……ああぁぁぁ……!!」

 彼女が大人の選択を迫られる状況へと追い詰められてしまった原因は、私にあります。

「本当に……ごめんなさい」


 やりきれない想いの逃げ場を求めて、私は空を見上げました。

 分厚い雲に覆われているのか、すっかり夜になっているはずなのに、空には星明かり一つ見えません。

 電球が切れかかった頼りない外灯の下、私達の周りにはほとんど一寸先の行き場も見えない闇が広がるようでした。

 ですが――美嘉ちゃんの泣く姿を見て、ようやく気がつきました。

 このままで終わっていいはずがありません。

 私達とプロデューサーさんの物語が、こんなにも辛く悲しい結末であってはなりません。


「美嘉ちゃん……何とかします」
「えっ……?」


 そして私の頭に、これを打開するための、一つの考えが思い浮かびました。

 あるいはそれは、魔が差したと言っても良いのかも知れません。


「絶対に、私が何とかします。待っていてください」

   * * *

 その日、私は有給休暇を取得しました。

 どうせ毎年、掃いて捨てるほど余ってしまうものです。
 たまの一日くらい、こうして突発的に消化したところで、翌日以降に仕事が溜まってしまう以外、どうって事はありません。

 ただ、今日私が休暇を取ったのは、余暇のためではありませんでした。


 最寄り駅を降り、地図を確認しながら目的のビルへと徒歩で向かいます。

 昼間でも、吐く息がすっかり白くなるほどに、季節は移ろいました。
 手袋してくれば良かったなぁと悔やんでも、今は悴む手を代わりばんこに暖めるしかありません。


 やがて、目的地に近づくと、何やら騒がしい工事の音が聞こえます。

 どうやら、建物を新しく建設中のようです。
 外に立てかけられた看板を見て、合点がいきました。

 これが“劇場(シアター)”――。
 CPさんから聞いたお話よりも、かなり大掛かりなプロジェクトのようです。

 そして――。

 建設作業現場の隣に立つ雑居ビルを見上げます。

 1階には「たるき亭」と書かれた看板。
 その上には――窓ガラスにガムテープで「765」の文字。

 エレベーターが見当たりません。
 脇にある狭い入口から、屋外階段を上ります。


 こんな所に、あの765プロが――。

 いえ、芸能分野に手広く事業を展開している346プロの方が、おそらくは異質なのでしょう。
 アイドル事業一筋の芸能事務所に出向くというのは、ふと思い返すと、私には記憶がありませんでした。


 3階まで上がると、唐突に扉が目の前に現れました。
 芸能プロダクション、765プロダクション――ここね。

「ひいぃぃっ!! ご、ゴキブリぃぃ!!」
「!?」

 突如扉が開き、中から女の子が飛び出してきました。
 勢いよく階段を駆け下りるその子に向けて、お部屋の中から別の声が聞こえてきます。

「ゆ、雪歩ー!? 誤解さー、ゴキブリじゃないぞー!
 こらっ、ハム蔵! 雪歩をビックリさせちゃダメでしょ!」

 その声に、階段を駆け下りた少女は、踊り場からヒョコッと臆病そうに顔を覗かせます。

「ほ、ほんとに……? あれ?」
「もうっ、雪歩も雪歩だぞ。そそっかしいったら……お?」


「あ、あの……346プロの、千川と申します」

 先ほど飛び出してきた子は、萩原雪歩さん。
 そして、その子を追って出てきたのは、我那覇響さん。

 完全に出鼻を挫かれた形で、いささか据わりが良くないですが、気を取り直して。
「音無さんと、お約束をさせていただいていたのですが……」

「お、お客さんですか!?
 す、すみません、私……まともな応対もできないこんなダメダメな私なんて!!」
「わーっ!! 雪歩、こんな所で穴掘っちゃダメさー! 掘るならせめて隣の工事現場ぁー!」


「あらあら~。小鳥さんのお客さんがいらしたんですね~」

 踊り場で大騒ぎする二人を尻目に、別の女の人がのんびりとした様子で中から現れました。

 この人は、音無さんではなく、アイドルの――。

「三浦あずささん、ですね」
「あ、あら~。ご存知なんですか~?」
「もちろん、存じ上げています。
 お忙しいところへお邪魔してしまい、すみません」

 頭を下げる私に、三浦あずささんは優しく穏やかに応えます。

「いーえー。
 ただ、ごめんなさい、小鳥さん、ちょっと今出ていまして~。
 もう少ししたら戻ると思うんですけど、う~ん」
「そうでしたか。こちらこそ、早めに来てしまいましたので」

「よろしかったら、どうぞ中でごゆっくりお待ちになってください」

 中に入ると、右奥に事務員さん用と思われるデスク群。
 左奥にパーテーションで仕切られ、ソファーの置かれたスペースがあり、そこに通されました。
 どうやら、ここが応接スペースのようです。


「あの、すみません、これを……つまらないものですが」

 手土産を三浦あずささんに差し出すと、彼女は途端に目を輝かせました。

「あら~! これ、知ってます。お高かったでしょう?」
「いえ、そんな、それほどのことでは…」

「このゴージャスセレブプリン、伊織ちゃんがたまに買ってきてくれて、その度に皆大喜びなんですよ~。
 全然つまらないものなんかじゃありません。ありがとうございます~、嬉しいわ~」

 私も、こういうのは自分では買いません。
 ただ、いつぞやの新人プロデューサーさんではないですが――やはり、他社さん相手には、見栄を張りたくなるものです。

「あ、すみません、伊織ちゃんというのは…」
「いえ、存じています。竜宮小町のリーダーさん、ですよね?」
「そうなんですよ~、本当にしっかり屋さんで、とっても頼りになるんです~」

 素直に、とてもアットホームな事務所だなと思いました。
 応接スペースのすぐそば、向こうのテレビ台の前で、さっそく私の手土産でお茶会が開かれているのが見えます。

「ねーねー、あずさお姉ちゃんもこっち来て一緒に食べようYO→!」
「あーっ! 真美、そっちはお客さん来てるんだから邪魔しちゃダメかなーって」

「あらあら、ありがとう真美ちゃん、やよいちゃん。
 よろしかったら、千川さんもご一緒にいかがですか?」
「えっ? い、いやいや、私がお持ちしたものですから…!」
「いいんですよぉ、こういうのは皆で食べた方が美味しいですし、私達だけだと食べすぎちゃいますもの、ねっ?」

 萩原雪歩ちゃんが淹れてくれたというお茶も一緒に、なし崩し的に私にも一つ手渡されました。
 恐縮しながら、一口――。

「……! うわ、おいしっ」
「ほら~、言ったでしょう? とっても美味しいんですよ~」

 そう言いながら、三浦あずささんは既に半分以上進んでいるようでした。
 平時はおっとりとしていながらこのスピード――どうやら本当にお好きなもののようです。

 ふと、パーテーションの奥に見えるホワイトボードに目をやります。
 当月分のメンバーの予定を示すそれは、ビッシリと真っ黒に埋まっていました。


「今日はプロデューサーさん、こちらには来られないみたいですね~」

 不意に向けられた三浦あずささんの言葉に、私はドキリとしました。
 いつの間にか、そのホワイトボードを凝視しすぎていたのもありますが――。
 まるで、私の考えを見通したかのようです。

「す、すみません。ちょっと」
「お元気にしていますでしょうか、プロデューサーさん」

「は、はい」

 プリンをテーブルの上に置き、姿勢を正します。


「あの人の判断は、いつも的確です。
 それに、誰に対しても穏やかに柔らかく接してくれるので、アイドルの子達も皆、彼のことを信頼しています」

 シンデレラプロジェクトのサブでいた時の、プロデューサーさんの事を思い出しながら、話します。

 あの頃は、とても平和でした。
 皆が笑っていて、誰も苦しんだり、悲しんだりしなくて――。

 それこそ、彼が求めていたもの。
 深い付き合いをせず、ただ和やかな雰囲気を醸成する事にのみ心血を注いで、空気のように彼は去るはずだった。

 歯車が狂ったきっかけは、もう分かりきっているんです。


「彼のおかげで……皆、アイドルとして大きな成長を遂げました。
 とても大人で、頼りがいがあって……すごく、冷静な視野で物事を見定めて、私も助けられています」


「あら~、そうだったんですか~」

「えっ?」

 あまりネガティブな事は言わないよう、なるべく言葉を選んだつもりです。
 でも、目の前の765プロアイドルさんから返ってきたのは、意外な反応でした。

「346プロさんでのプロデューサーさんは、大人で冷静だったんですね~」

「えっ、その……それは、どういう?」
「あ、あらあら、ごめんなさい。
 えぇと、プロデューサーさんが、大人で冷静じゃないっていうんじゃないんです」

 三浦あずささんは、手をパタパタと顔の前で振った後、空になったプリンをテーブルに置いて、フフッと笑いました。

「プロデューサーさん、良い人なのですけれど、ちょっとだけ、おっちょこちょいな所があるんです。
 根拠のない精神論を言って、律子さんから注意されたり、たまに変な事をして、伊織ちゃん達から怒られたり」
「た、たまに変な事、というのは?」
「うーん、伊織ちゃんがお着替え中に、更衣室のドアを開けちゃったり、美希ちゃんと温泉に入りそうになったり、ですね~」
「は、はぁ……」


 彼女の口から聞かされたのは、プロデューサーさんの意外な一面でした。
 私の中では、実務面でとても優秀で、必要に応じ冷徹になれる人という印象でしたが、ここでは人情味に溢れる人だったようです。

 つまり、346プロにいる間は、良くない言い方をすれば、お行儀良くしていた――自分を隠していた事がうかがえます。
 派遣先で失礼が無いよう、気を張っていたのかも知れません。

「でも、ふふ……そういう、とても一生懸命な所に、皆が惹かれるんだなぁって思うんです」

 遠い目をしてそう言うと、三浦あずささんはお茶を取りました。
 その穏やかな微笑みには、彼に対する強い信頼が根底にあるのだと分かりました。


「プロデューサーさんが戻ること……765プロの皆さんは、心待ちにされていますか?」

 言った後で、これは聞くべきではないと後悔しました。
 下手な気を遣わせてしまう。何より、聞いたところで詮無いことです。

「う~ん、そうねぇ……」

 頬に手を当て、三浦あずささんは少し物思いに耽るような表情になりました。
 その表情は、目の前の私のために言葉を選んでいるのとは、少し違う気がします。

「もちろん、楽しみですし、皆……特に、美希ちゃんなんかは、とっても待ち遠しかったと思います。
 でも……ちょっとだけ、心配です」
「心配?」

「プロデューサーさんに、思い残しが無いかどうか、です」

 その言葉に、私の胸の奥がズキリと高鳴りました。

「プロデューサーさん、346プロさんに行かれる前は、アメリカに行っていたんです」
「え、えぇ、存じています。ちなみに、どんなご事情で?」
「研修、って仰っていたかしら……でも」

 湯呑みを手の中で揉むように回しながら、彼女は少しだけ首を捻ります。

「私も、詳しくお聞きしていないのですが……アメリカから帰ってきたプロデューサーさんは、どこか悲しそうでした。
 もしかしたら、あっちで辛い経験があったのかも知れないって、皆勘づいていました。
 誰も追求しませんでしたけれど、アメリカでの出来事を、あの人はあまり自分から話さなくて……その表情を見て、そう直感したんです」

「そう、だったんですか……」

 美城常務の推察は、どうやら正しかったようです。
 あの人は、アメリカで受けた心の傷を癒やすため――かどうかは分かりませんが――何かしらの理由で346プロへ来た。
 でも、それは一体――。

 と、その時、事務所の入口の扉が開く音が聞こえました。


「ふぅ~~寒い寒い。
 ほんと工事現場の人って鉄人ねぇ、尊敬しちゃう……あっ」


 背を丸め、手を揉みながら、カチューシャを着けた女性と目が合いました。
 口元にほくろがあって、コートの下に緑色の制服を着た――たぶんこの人が、この765プロの事務員さん。

「あら~、お帰りなさい小鳥さん」
「あっ、み、346プロさんっ!?」

 途端、小鳥さんと呼ばれた女性は、ガバッ!と勢いよく私に向けて頭を下げました。

「す、すみませんっ!!
 ちょっと隣のシアターの建設現場でのお打ち合わせが長引いてしまって、お待たせを……!」
「いえ、そんな、お気になさらないで…」

 平身低頭して謝り倒す彼女の隣で、サイドテールを下げた愛らしい女の子が、パーテーションの上からヒョコッと顔を覗かせました。

「ヘイヘーイ、ピヨちゃん、工事現場のおっちゃん達は今日もムキムキだった?」
「えぇそりゃあもう、あんな逞しい腕、滲み出る汗。
 そうして日がな繰り広げられる男と男の共同作業、肌と肌とのぶつかり合い、妄想が捗……ぴよっ!?」

 ちょっかいを出してきた双海真美ちゃんは、にししっと意地悪そうに笑っています。

「んっふっふ~、ピヨちゃんは今日もへーじょー運転ですな→」
「ま、真美ちゃん~~っ!!」

 タタタッと走り去る彼女を見つめ、ため息を一つつくと、音無小鳥さんは私達に向き直りました。

「ごめんなさい、お客様を前にお見苦しい所を……あずささん、ありがとうございます」
「いーえー。私は、外した方がよろしいでしょうか?」
「うーん、そうですね……すみませんけど、たぶん」
「分かりました」

 三浦あずささんは、素直に応じると席を立ち、私にニコリと笑いかけました。

「ちょっと落ち着きが無いかも知れませんけれど、皆良い子達なんです。
 どうか、自分の家だと思って、おくつろぎになってくださいね」
「は、はい。ありがとうございます」


 応接スペースを離れた三浦あずささんは、そのまま他の子達のお茶会に合流していきました。
 彼女の周りを、高槻やよいちゃん等、年少組の子達が楽しそうに囲んでいるのが見えます。

 とても包容力があって、でも、時折芯に迫る事を踏み込む――不思議な魅力を持った人。

「改めまして」

 オホン、っと咳払いをして、目の前に座る音無さんが姿勢を正しました。

「ようこそ765プロへお越しくださいました。
 当事務所の事務員をしております、音無小鳥と言います」
「346プロの、千川ちひろと申します。
 今日は、お時間をいただいてありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」

 音無さんは私の方へ向けて、一つの書類をテーブルの上に置きました。

「今日は、契約書を今一度ご確認されたいと」
「えぇ。すみません、本来であれば私共の方で確認すべきことなのですが……」
「いえいえ、お安いご用です。
 346プロさんくらい大きな会社ともなると、色々難しいこともあるんだろうなぁって思いますし」
「恐縮です」

 改めて一礼し、私は書類に手を伸ばしました。


 それは、プロデューサーさんの派遣交流について、765プロと346プロとの間で交わされた契約書でした。
 お給金は――あぁ、やはり765プロさんから支出する約束になっていたんですね。
 なるほど、どうりで――そして。

 確かに、これは346プロの社判――私自身、毎日毎日何度も取り扱っているものでした。
 間違いなく、我が社の印鑑登録証明のそれと同じ印影です。

 今さら疑っていた訳ではありませんが――本当に、そうだったんだ。

「この契約書のとおり、当初は4月1日から9月末までの、6ヶ月間の予定でした。
 ただ、私達の社長がプロデューサーに打診をして、346プロさんにも直接掛け合い、3ヶ月間の延長をしたんです」

 説明をしながら、音無さんは別の一枚紙を私に提示しました。
 変更契約書と題されたそれは、当初契約における派遣期間の条項を変更する旨が示されています。
 状況的に考えれば、後付けで作成されたものなのでしょう。


「単刀直入にお聞きします」

 書類を置き、私は今一度、音無さんを真っ直ぐに見つめました。

「この契約書が交わされた背景というのは、一体どのようなものだったのでしょうか?」

「つまり、弊社のプロデューサーが、346プロさんに派遣されることになった経緯、ということですね」
「そうです」

 今日、私が765プロに来た目的の一つは、プロデューサーさんが346プロにやってきた事の裏付けを知ることでした。

 そのために、まずは両社の間で交わされた文書を確認すること。
 これは、先述の通り346プロの中で確認すべきことでしたが、これの管理をしているであろう美城常務が取り合ってくれませんでした。
 他社とのデリケートな密約を、不用意に末端まで共有すべきでないという意図があったのかも知れません。

 そのため、不本意ながら、やむなく765プロ側に協力を求めることになった次第です。
 予め、駄目元でお願いしたものですが、アッサリと聞き入れてもらえた辺り、融通の利くありがたいお相手だと思います。


 そして、その密約がどのような経緯で交わされたのかを知ること。

 なぜ、プロデューサーさんが346プロに来なければならなかったのか。
 346プロのアイドル達と深い関係になることを避けたいのなら、最初からそんな選択肢などあり得なかったはずです。


「お問い合わせいただいてから、私も社長の高木から、大まかな事情を聞いてきたところです」

 大まかな?
 私が知りたいのは詳細です。曖昧なお話は、もうコリゴリなんです。

 図々しく乗り込んでおきながら、なおも手前勝手でいる私の意図を斟酌してくださったのか、音無さんは少し恐縮そうに続けます。

「直接の経緯としては、高木の方からの提案だったようです」
「高木社長から、プロデューサーさんに?」
「はい」

 いつも思わせぶりな事しか言わないんです、と、頬を掻きながら音無さんは「アハハ」と誘い笑いをしました。
 その調和を取り持つような、彼女の朗らかな雰囲気が、シンデレラプロジェクトの皆と話していた時の彼に重なります。

 なるほど――あの人はやはり、この事務所のプロデューサーなのだなと、改めて思い知らされます。

「プロデューサーさん、346プロに来られる前は、アメリカに行ってらしたと。
 それで、おそらくは……何か、心に傷を負うような出来事があったのではと、推察しています」
「……そこまで、ご存知なんですね」

 途端、柔らかな笑顔がフッと消え、彼女は寂しそうな表情になりました。

「私も、直接は聞いていません。
 社長室で、ちょっとだけ聞こえてきたお話から察するに……。
 お仕事、失敗して、現地で一緒にお仕事をしていた子を、傷つけちゃったみたいです」

「現地で一緒に? ……その子も、アイドルを?」
「それは、分かりません。
 ただ……お互い、積極的に交流をしていて、プライベートでも仲良しだったみたいですね」

 日本人と欧米人の積極性の違いは、今日でもよく知られた通りです。
 強い否定を苦手とするあの人だと、現地仕込みのアクティブな子には流されてしまうのでしょう。

 美嘉ちゃんとの初対面の時、グイッと手を引く彼女にタジタジになっていたのを、ふと思い出しました。

「その子に深入りをすることが、結局は……プロデューサー曰くですが、良くなかったと。
 結果を出すことができず、なまじ深い付き合いとなった分、別れの時に必要以上に傷つける事になったと、ずっと悔やんでいたみたいです」

「……深入りが、悪だと?」
「はい……それで、社長が」

 ううん、と咳払いをして、音無さんは顔を上げました。


「高木がプロデューサーを、叱責する声が聞こえました。
 キミの考えが真実かどうか、確かめさせてあげよう、って……。
 プロデューサーとして、それを見出せないのは、キミの罪だと」


「罪……」

 常務が言っていた事でもありました。

 あの人はアメリカでの一件で、プロデューサーとしてのアイドルへの向き合い方に疑問を持った。
 それを、765プロの高木社長は、正そうとした――?


「最初は、961プロに派遣しようとしたみたいです」

 音無さんの表情に、ほんの少し柔らかさが戻りました。

 961プロと言えば、社長の黒井祟男氏がかなりの強硬派で知られる、業界内でも有名な芸能プロダクションです。
 昔ほど悪い噂は聞かなくなりましたが、他社への挑発的かつ攻撃的な社風は変わらず、我が事務所も警戒している事務所でした。

 そんな事務所の話をする時に、なぜ音無さんは、ちょっと嬉しそうに――?

「案の定、断られちゃいました。
 黒井社長が直々に怒鳴り込んできて、お前達のような弱小事務所の願いなど誰が聞き入れてやるものかー、って。ふふっ♪」

「しゃ、社長自ら、ですか!?」
「黒井社長、ウチの社長と仲良しなんです。
 だから、黒井にしか頼めない事なんだよぉって、高木も頭を下げていたんですけどね」

 噂に聞いた以上に、アグレッシブな社長のようです。
 ですが、音無さんはなおも楽しそうでした。

「散々この応接スペースで怒った後、黒井社長がこう仰ったんです。
 そんなに言うなら、貴様のお荷物プロデューサーなど、我が最大の驚異となりうる事務所へ押しつけてやる、って」

「……その事務所って」
「はい、346プロダクションさんです。
 つまり、両社の契約に当たっては、黒井社長も一枚噛んだみたいです。
 美城会長とはお互いに旧知の仲だそうですし、高木も、黒井のおかげでスムーズに事が進んだ、って喜んでいました」


 な、なるほど――。

 言い方は良くないですが、他社のプロデューサーという混乱の種を、誰がなぜ弊社に寄こしたのか、理解しました。

 黒井社長は、傷心したあの人をこの346プロに押しつけることで、何かしらネガティブな事象が起きる事を期待したのでしょう。
 その隙を突いて、961プロが出し抜く事をも考えていたとするなら、合点がいきます。

 一方で、黒井社長が善意で橋渡しをしてくれたと思い込んでいる辺り、高木社長はだいぶお人好しな方のようです。

「ただ」

 何かを思い出したように、音無さんは急に押し黙り、視線を落としました。

「お、音無さん……?」


「最近、こちらにも時々顔を出してくれますが……。
 プロデューサーさんは、あの時よりも辛そうに見えます……」


「…………」

 順調にやっている、と――。
 聞かれたら、当たり障りの無い事を答えるつもりでしたが、どうやら見透かされていました。

 当たり前です。
 765プロの人達の方が、ずっと彼との付き合いが長いのですから。


「高木はプロデューサーの、アイドルに対する向き合い方を改めてほしくて、346プロさんへ派遣しました。
 ウチとは違い、人材が潤沢で会社としての歴史も長く、体制も組織的に構築された大きな事務所での、プロデュースの仕方を学ぶ事で、自分を見つめ直すことを。
 でも……プロデューサーさんは、見つめ直すどころか、ますます自身の考えを深めてしまったように思えるんです。
 やはり、アイドルに深入りなんてするものではないと……先日も、ふと漏らしていたのを、聞いてしまいました」

「……えぇ」


  ――やはり……深入りなんて、するもんじゃない。

「……千川さん」

 音無さんは、悲痛な面持ちで私を見つめました。
 まるで私に助けを求めるかのように。

「私達の考えは、間違っていたのでしょうか?
 彼の姿を見るに、きっと346プロさんのアイドルさん達も、辛い思いをされたのではと……。
 私達が交流を結ぶことは、私達にとって、悪いことにしかならないって、そう結論づけるしかないのでしょうか?」


「……その件で、私からもお願いしたいことがあるんです」
「えっ?」


 私が今日、765プロに来た目的は、もう一つあります。

 それは、先ほどまでのお話を踏まえ、ここからが本題と言っても良いものでした。

「ひょっとして、さらに派遣期間を延長してほしい……とか?」
「まさか。弊社も、この期に及んでそんな事を言うつもりはありません」

 今日の私の行いは、事務員としての業務の範疇を完全に越境しています。
 出張の用務としてバカ正直に申告しては、いくらウチの課長だって通してもらえるとは思えません。

 だから、私は今日、有給を取りました。
 上長に秘密裏に事を進めるために――。
 プロデューサーさんや美嘉ちゃん達への、救いを見出すために。

 私が招いた悲しみの結末を、変えるために。

 唾を飲み込み、咳払いを一つします。
 聞き入れてもらえるかどうかは出たとこ勝負。緊張で心臓が爆発しそうです。

 ですが、ここまで来て引き下がれません。



「765プロさんに、ぜひ、弊社のミニライブへのご協力をお願いしたいんです」

「ミニライブの協力、ですか……?」


「具体的には、楽曲の提供とダンス指導……あるいは、共演」

「は、はぁ……」

 怒られるかな、と内心恐る恐る申し上げたのですが、当の相手方はポカンとしています。

 そう言えば、相手は事務員さんなのです。
 おそらく、それを良しと判断できる立場ではないし、もっと詳しい方が別にいるのでしょう。

 例えば、彼とは違う、別の――。

「ただいまなのー!」


「こぉらー美希! 帰ったらまず手洗いとうがいをしなさいっていつも言ってるでしょ!」

 玄関から、またも賑やかな声が聞こえました。
 765プロの誰かが、帰ってきたようです。

「お帰り亜美ー! あっ、いおりんもしやその手に持っているのは……!」
「にひひっ♪ またあんた達に買ってきてあげたわよ、ゴージャスセレブプリン」
「うぎゃー! やっぱりだー、プリンが被っちゃったぞー!」
「え、えぇっ!?」
「うあうあー! 何で亜美達が帰るまえにゴージャスセレブプリンがあるのさー!?」


「ったく、いつもいつも落ち着きがないんだから……小鳥さん、お疲れ様で…?」

 コートを脱ぎながら、眼鏡をかけた黒スーツ姿の女性が応接スペースにやってきました。
 彼女は、プロデューサーさんとは別のプロデューサー。

「お世話になっております。346プロダクションの千川ちひろと申します。
 竜宮小町の担当プロデューサーの、秋月律子さんですね?」

「えっ? あ、は、はいっ。
 そっか、今日お見えになるんでしたよね。すみません騒々しくって」

「346プロ!?」


 パーテーションがガタッと揺れ、一人の女の子が顔を出しました。

「ミカの事務所の人!?」

「ほ、星井美希ちゃん……!」
「うん、ミキだよっ。
 ねぇねぇ、346プロの人なの? ミカってどんな子? 普段もキラキラしてる?」
「こ、こら美希っ。大事な話の最中……!」

 眩いのは、彼女が金髪だからではありません。
 人を惹きつける、アイドルとしての天性をまざまざと見せつける、765プロきってのエース。

 まだ年若いはずですが、相対するとこんなにもオーラがあるものなのかと、驚かされます。


「美希。お客さん、困らせては悪いから、私達は向こうへ行っていましょう」

 星井美希ちゃんの後ろから、別の女の子が恐縮そうに声をかけます。
 青みがかった長髪と、いかにも生真面目な性格を思わせる凜とした表情が印象的な子。

 決して大きくは見えないあの口から、強く豊かに伸びる美しい歌声が発せられるんだ――。
 どこか神秘的ですらあります。


「如月千早さん。いいえ……ご迷惑、というものではありません」

 私は、かぶりを振りました。
 そうです。この際、アイドルの子達にも同席してもらえた方がいいでしょう。

 しかし――。

「星井美希さん、あの…」
「ムー……ミキのことは、ミキでいいのっ。星井サン、なんていらないよ?」
「そ、そうですか……み、美希ちゃんは」
「うん」

「さっき、ミカがどうって……それって、弊社の城ヶ崎美嘉のことですか?」


「へーしゃ、っていうの、よく分かんないけど、ミカはそのミカなの。
 この間、玲音って人とすっごいライブバトルしたでしょ?」

 美希ちゃんは私の隣にストンと座り、私の目を間近で見つめてきました。
 かの眩しさのあまり、思わず身じろぎしてしまいますが、彼女は全く動じる様子はありません。

「あれテレビで見たの。すっごかったよ!
 玲音ももちろん凄かったけど、ミキ的には、ミカの方がずっとキラキラしてたって思うな」

「美嘉ちゃんの方が、ですか?」
「ウチの美希、あのライブ対決以来、すっかり城ヶ崎美嘉さんのファンなんです」

 秋月律子さんが呆れ気味にため息をつくのを尻目に、美希ちゃんは変わらず目をキラキラさせ続けています。

「だって、玲音って人、完璧すぎてつまんないもん。
 ミカの方が、玲音と比べると色々「あれ?」って思う所あるけど、でも、ずっと迫力あったよ。
 何が何でもやってやるー! って、すごい熱い気持ちを感じたの。
 ステージの上で、こんなに一生懸命になれるもんなんだって。心に響くもの、できるんだって」

「み、美希ちゃん……」
「だから、ミカやミカの事務所の人と、お話してみたいって思ったの。
 ハニ、じゃなかった。プロデューサー、キギョウ秘密だって、全然そういうの話してくれないんだもん」

 ぷくっと頬を膨らませ、ふんぞり返って見せた後、すぐに彼女は「アハッ」と笑いました。

「なんて。ミキ、知ってるよ?
 ミカのプロデュースしてたの、ミキ達のプロデューサーだったんでしょ?」

「え、えぇ……そうです。
 美嘉ちゃんとプロデューサーは、お互いを…」
「違うの」

「……えっ?」


 美希ちゃんは、かぶりを振りました。
 彼女の瞳は、まるでこちらの真意を質すかのような、何物をも恐れることのない、どこまでも真っ直ぐなものでした。

「ミキ、もう分かってるの。
 プロデューサー、ミカとケンカしちゃったんだ、って。
 言わないけど、あんまり良くない事になっちゃってるの、分かってるんだ」

「それは、私達も同感です」

 応接スペースの入口側に立ち、話を聞いていた如月千早ちゃんが、口を開きました。

「少しだけだけど、春香が……二人きりでプロデューサーと話をしたあの子も、心配していました。
 あんなに辛そうな顔をしたプロデューサーは初めて見る、って。
 私達も、何かできることは無いのかって、ずっと悩んでいたんです」

「ミキ達のプロデューサーが、ミカ達の事務所でオソマツするはずが無いの。
 もし困っているなら、ミキ達がちゃんとプロデューサーを支えてあげなくちゃって。
 そういうの、同じ事務所のヨシミだって思うな」


「おやおやぁ~、兄ちゃんの話かぃミキミキ~?」
「ほんっと、いつまで経っても世話を焼かすんだから、アイツ」
「わ、私も……お世話してもらった分の恩返し、まだできていないから、そのっ」
「今がまさにそのチャンスじゅゎ~ん、ゆきぴょ~ん?」
「ひょっとして私達、346プロに行けたりするんですかー!? うっうー!」
「困ったことがあったって、自分達に任せればなんくるないさー! なっ、ハム蔵?」

 応接スペースの話を聞きつけ、続々と765プロのアイドル達が集まってきました。
 三浦あずささんは、食べ途中だったのか、ゴージャスセレブプリンを両手に持っています。

「み、皆さん……」

「えぇっと、そうですね……ウォッホン」

 大袈裟な咳払いを一つして、皆の注目を一手に引き受けると、秋月律子さんは眼鏡をクイッと直しました。

「こういう具合に、弊社は何かにつけて首を突っ込みたがる物好きばかりなんです。
 だから、何かお困り事があるのなら、遠慮無く私達に言ってください。
 どうせウチの社長だって、二つ返事でGOサインを出すに決まってるんですから。ねっ?」

「秋月さん……!」


 胸の奥で重く凝り固まっていた燻りが、嘘のように晴れていきます。
 悲しい結末しか見えない絶望を、あっさりと吹き飛ばしていくそれは、今ではまだ不明瞭な自信と勇気。

 それでも、この人達となら――。

「765プロの皆さん……どうかお願いします」


 きっと何かができると、信じさせてくれる。

「どうか力を、貸してください」


 私の心にかかっていた分厚い雲の間に光が差し込み、爽やかな風が吹くのを感じました。

   * * *

「随分と、君は勝手な真似をしてくれたようだな」

 大きなデスクの上で手を組み、美城常務は私を睨み上げます。
 まぁ、いつもの事です。

「さて、何の事でしょう?」
「この期に及んで、とぼけるつもりか」

「事実として、先方の代表から正式に申し入れがあったと聞いています。
 今後も良好な関係を築いていく事を考えれば、無碍にする事は得策ではないかと」
「それは君が判断する事ではない」

 大きめのため息をつき、常務は椅子をクルリと回転させました。


「彼に伝えておけ。
 楽をしてホームへ帰れるとは思わない事だ、とな」

「……はいっ」

 私は勢いよく一礼し、常務室を後にしました。

 あの後、秋月律子さんは高木社長へ、私の依頼した件について報告をしたそうです。
 すると、なんとその日のうちに高木社長は美城代表へと直接電話し、話を取りつけたのだとか。

 二つ返事でOKをするという、秋月さんのお話を疑っていたわけではありませんが――およそ弊社では考えられない身軽さです。
 美城常務の外堀を埋めることも含め、765プロ総体として、この件に協力する姿勢を示してくださいました。


「プロデューサーさん」

 私の隣で、いそいそとファイルの整理をしている彼に、声をかけます。

「何でしょう?」

 もう、約束の期間まであと3週間ほどです。
 デスクの上はほとんと書類が残されておらず、いつでも帰れると言わんばかりの準備の良さです。

 が、そうは問屋が卸しません。

「ちょっと、ついてきてください」
「は、はぁ……」

 何の用だろうと訝しむプロデューサーさんを、黙って事務室から連れ出します。


 あなたは、プロデューサーさんなんです。
 忘れているのなら――ここでの出来事を忘れようとしているのなら、思い出させてあげなくちゃ。

「トレーニングルーム?」

「どうぞ、中へ」

 彼を促し、その扉を自分で開けさせます。
 中に入ると、彼の担当アイドル――。


「美嘉……きらりに杏、蘭子、菜々さんまで」

「待ってたにぃ、サブPちゃん☆」

 彼の姿を見留めたきらりちゃんが、嬉しそうに顔の前でピースしてみせます。
 それを皮切りに、他の子達も安堵したように頬が緩みました。

「一体何をしているんだ、皆してこんな所で」
「この事務所のアイドルを相手に、ナンセンスな質問だね」
「何?」

「その質問、たぶん今から来る子達の方が、もっと聞きたくなると思うよ」

 杏ちゃんがニヤリと不敵な笑みを浮かべます。
 何のことだか、サッパリ要領を得ていないプロデューサーさんが困惑していると――。



「こんにちはなのー!」

 突如として、用具室の扉がガチャッと開き、中から美希ちゃん達が飛び出しました。

「!? み、美希っ!?」
「ハニー、ひっさしぶり~。あれ、やっぱりちょっと痩せたね?」
「わっ、ぶ!? な、何をする、こらっ!」

 登場を予想だにしていなかったであろう彼女から無遠慮に頬を突かれ、プロデューサーさんは大いに混乱しています。
 その様子を見て、杏ちゃん達5人はおかしそうに笑いました。

「もう、美希。他所の事務所にいるんだから、もう少しお行儀良くしなさい」
「まぁまぁ伊織、美希もせっかく久々にプロデューサーに会えたんだから」

 呆れながら続いて出てきたのは、水瀬伊織ちゃん。
 そして――菊地真ちゃん。

「な、なっ……!?」


 今回、765プロからの応援要員として、5人のアイドル達が選抜されました。

 美嘉ちゃんに並々ならぬ興味を示す、星井美希ちゃん。
 竜宮小町のリーダーとして、まとめ役にも慣れている水瀬伊織ちゃん。

 菊地真ちゃんは、そのダンスの適正の高さから選ばれました。
 我那覇響ちゃんも同等の実力の持ち主ではありますが、他のアイドルへの指導という点では、彼女の方が向いているようです。

「ボクもあまり人のこと言えないけど……。
 響だと教える時、「わー」とか「ぶわー」とか、どうしても抽象的な言葉が多くなりますからね」

 そう言って満更でも無さそうに頭を掻く菊地真ちゃんの後ろから、別の子が顔を覗かせ、頭を下げました。

「プロデューサー、お久しぶりです」

「千早、お前まで……!」

「私なんかに心配されるようになっては、プロデューサーも形無しですね」

 如月千早ちゃんは、もちろんボーカルトレーニングの担当です。
 かの武田蒼一氏の音楽番組『オールド・ホイッスル』に出演した唯一のアイドルというのは、如月千早ちゃんだったのです。

「は、はわわ……!」
「神崎さん。初めまして、如月千早です」

 神崎蘭子ちゃんにとっても、大いに刺激になるはずでしたが――案の定と言うべきか、緊張しちゃっているみたいです。
 そんな彼女に、千早ちゃんはニコリと優しく微笑みました。

「武田さんに実力を見出されたという話、プロデューサーから聞きました。
 私なんかがどこまでお役に立てるか分からないけれど、歌については、できる限り力になるわ。
 これからお願いします」
「こ、こちらこそぉ!? え、うっ、魂の赴くがままにっ!」
「た、魂……!?」

 お互いに困惑し合っている二人を見て、皆がクスクスと楽しそうに笑っています。
 こういう空気、何だか久しぶりです。


 そして、最後の一人は――。

「……お前も来ていたのか、春香」

 観念したように声を漏らすプロデューサーさんの見つめる先に、皆の視線が集まります。

「諦めたくないっていう、346プロさんの気持ちは……私達も、同じでしたから。
 だから、346プロさんの力になりたいって、そう思ったんです」


 天海春香ちゃんは、胸の前に載せた手を握りしめました。

「プロデューサーさんも、一緒のはずです。
 このまま悲しいお別れを迎えたくない、って……。
 簡単に見限れるような子達と一緒にいたんじゃないって、そう信じたいはずです」

「春香……」


 プロデューサーは、かぶりを振りました。

「俺を……もう俺を買い被らないでくれ。
 俺には、皆の期待に答えられるような事なんてもう…」

「買い被りますっ!」

「えっ?」


 勢いよく口を挟んだのは、菜々さんでした。

「だってナナは、カフェでプロデューサーさんと交わした約束を、守ってもらえていません。
 いいえ、たとえ約束を抜きにしても、ナナはまだ、プロデューサーさんと一緒にお仕事したいんです。
 せっかく増えてきたナナのファン達と、ステージ上で「ウッサミーン!」ってコールする姿、見て欲しいんですっ!」

「菜々さん……」
「……! す、すみません、うっ、く……歳を重ねると、涙腺が弱くなって……!」

 感極まり、瞳からポロポロと流れる涙を一生懸命拭きながら、菜々さんは続けます。

「お別れするのは、辛いです……。
 それを知りながら、一緒の時を過ごすのは辛いことだって事も、分かっています。
 でも、それでも……ナナは、プロデューサーさんに最後までプロデュースを続けてほしいって!
 そう願うのはワガママですか!?」


 菜々さんがプロデューサーさんを求めるのは、初めて出会った担当プロデューサーを逃したくない身勝手ではありませんでした。
 彼女もまた、別れを認めていて――それでも、彼との思い出を少しでも美しいものにしたいという願いからくる涙でした。


「いい加減、目を覚ましなよ」

 美嘉ちゃんが、プロデューサーさんの前に歩み寄ります。
 とっくに涙は出し尽くしたので、これからはもう泣かないと、彼女は言っていました。

「アタシも、覚めたからさ……美希ちゃん達のおかげで」
「美嘉……」
「深入りしたくないっていうアンタの気持ち、ちょっとだけ分かったよ。
 でもさ」

 かぶりを振り、人差し指をプロデューサーさんの胸にトンと置いて、美嘉ちゃんは彼を見上げました。

「深く関わり合おうともしないで、どうやって担当アイドルのこと理解しようっていうの?」
「……!」

「傷つかずにトップを目指そうなんて、都合の良いこと考えちゃいないよ。
 ていうか、お互いに苦しいから、支え合うんだって、そういうモンなんじゃないの? アタシ達はさ」

 クルッと、美嘉ちゃんはすっかり彼女の隣を占領している美希ちゃんの方を振り向きました。

「ねっ、美希ちゃん?」
「んー、ミキはミカじゃないから、よくわかんないけど、ミカが言うならそうなの!」
「アハッ★ 何それ」

 ぷっと吹き出し、美嘉ちゃんはプロデューサーさんにニカッと笑いかけました。
 久々に見る、カリスマギャル会心のキメ顔です。

「こんな魅力的なアイドル、目の前にいてまさかほっとくなんて言わないよね?」


 美嘉ちゃんはきっと、美希ちゃんに勇気をもらえたのだと思います。
 心にもない言葉だったとはいえ、一度は三行半を突きつけた彼に、こうも明るく語りかけることは、彼女自身も相当な覚悟があったに違いありませんでした。


「美嘉……皆」

 その覚悟を、プロデューサーさんは受け止めたのだと、顔を上げて皆を見渡す彼の表情を見て分かりました。

 しぃんと静まり返り、皆がプロデューサーさんの言葉を待っています。



「765プロは……」

「765プロは……小さくて、人と人との距離感が近い事務所だ。
 俺が346プロに来たのは……上役の意向もあったが、俺の望みでもあったんだ。
 それは、単にデカい会社に勤めて自分のキャリアに箔を付けたいっていう、前向きな野心なんかじゃない」


 彼の声は、今まで聞いたどんな声よりも湿っぽくて、とても真に迫っていました。
 これが、プロデューサーさんの本当の声――。

 一切の飾り気も無い、ありのままの気持ちを聞き逃すまいと、皆が彼の言葉に静かに耳を傾けています。


「俺は海外での経験から、仕事上のパートナーとなる相手とは深い関係になるべきではないと心に誓った。
 特に、短期的な、将来の別れが約束されている場合は、なおさらだ。
 片や346プロは、きっとその辺りの統制や当事者間の意識も、よろしく出来ているんだろうと思った。
 これだけ人材が多い会社だ。良い意味で希薄で、個人の意志が介入する余地無く、システマティックに仕事を処理する体制があるのだろうと」


 そこまで言って、プロデューサーさんは言葉を切って俯き、拳を握りました。
 無念さを滲ませる、とても険しく、苦しそうな表情――。


「でも……違った。
 CPさんの、あんなに泥臭く仕事をして、アイドル一人一人と向き合う姿は、765プロにいた頃の俺と同じだった。
 それは、ある種の勇気をもらえたと同時に、俺の過去を……海外での経験を経てたどり着いた俺の考えを、否定されるに等しかった。
 その事実から目を背けようと、俺は……俺は、皆に辛く当たってしまった」

 肩を震わせながら、彼はアイドルの子達に頭を下げました。


「許してくれとは言わない。
 だけど……もし、なおも俺のことを必要としてくれるなら。俺に償いをさせてもらえるのなら……。
 もう一度、俺を信じてもらえるだろうか。皆の夢を、裏切らなくて良かったと、信じさせてもらえるだろうか?」



「バッカじゃないの?」

 あまりに辛辣な言葉をぶつけたのは、水瀬伊織ちゃんでした。
 皆が驚いたように、彼女の方を振り向きます。もちろん、プロデューサーさんも。

「深い関係になるべきではない、って……。
 そんなの、あんたが私達と765プロで過ごした日々を、あんた自身が否定するようなものじゃない」
「うっ……!」


「そうそう。
 それにさ、信じさせてもらえるか、じゃなくて」

 美嘉ちゃんが同意のこもった呆れ気味のため息をつきながら、プロデューサーさんに握り拳を突き出します。

「一緒の夢、信じよう……でしょ?」

「美嘉……」
「ほら、手。待ってんですけど」

 退屈そうにしている美嘉ちゃんに、プロデューサーさんはバツが悪そうにフッと笑いました。


「もう時間もあまり無いんだから、ちゃんとついてきなよ?」

「……あぁ、そっちこそな」


 二人が握り拳をお互いにトンッと突いたのを確認して、菊地真ちゃんは満足げに頷くと、一際大きな声で皆に呼びかけます。

「よぉーっし! 本番まで残りあと二週間!
 ボクも死力を尽くしてジャンジャンバリバリ付き合うから、これから皆で張り切って行くよー!!」
「真、そんなうるさい声出さなくたって聞こえるわよ、もう」
「な、う、うるさいって何だよ! 皆で気合いを出そうとしたんじゃないか!」


「あーあ、他所の人が来ちゃうんじゃ、これからしばらくはあまり怠けらんないかー」

 お腹をボリボリ掻きながら、つまんなそうにボヤく杏ちゃんに、伊織ちゃんが反応します。

「ふーん、あんたが双葉杏ね?」
「そうですけど」

「律子から聞いてるわ。今回のメンバーで一番の曲者だって」
「杏ほど素直な人間はそういないと思うけどね。主に自分の欲望に」

「やれやれ……まっ、あんたみたいな問題児の扱いは、自慢じゃないけどこの伊織ちゃんも心得ているわ。
 あんたの面倒は主に私が担当するから、覚悟しなさい」

 鼻息を荒くして伊織ちゃんが指を差すと、杏ちゃんは「うへぇ」と面倒くさそうに口をへの字に曲げたのでした。


「ところで……俺達は一体、これから何をしようというんだ?
 本番まであと二週間、とか真が言っていたけど……」

 ふと、プロデューサーさんが思い出したように首を傾げたのを見て、すかさず私が彼の隣にズイッと歩み寄ります。

「うわっ、ち、ちひろさん?」
「ふふふ、それはですね」

 彼が知らないのも無理はありません。まだ知らせていないのですから。
 CPさんや秋月律子さん、竹芝のイベントホールさんとの間で相談して決めたことを、まだ。

 人差し指をピンッと立て、含み笑いを浮かべます。

「765プロさんとのコラボ企画による、クリスマスライブへの出演です」
「クリスマスライブ、ですか? え、あと二週間で!? 会場は!?」

「楽には765プロへ帰してもらえないそうですよ、プロデューサーさん?」

 そう言って、私はバッグをゴソゴソと漁り、プロデューサーさんへエナドリを一本差し出しました。

 そうなのです。

 765プロさんとの協同企画により、急遽決まったのが今回のクリスマスライブ。
 何せ、プロデューサーさんが765プロに帰るまでに開催しなくてはならないのですから、全てがもう大忙しです。
 CPさんの企画であるウィンターフェス『シンデレラの舞踏会』は、時期的に年明けになってしまうため、これにねじ込むことは出来ません。

 それに、今回ばかりは竹芝のイベントホールさんにも、さすがに難色を示されました。
 困った時の、という便利屋扱いも失礼千万ですが、いかんせんクリスマスシーズンや年末は繁忙期であり、予約が既に一杯なのです。

「いくら346プロさんのお願いといえど、物理的にちょっとですね……」
「うーん……それはまぁ、そうですよねぇ……」


「それでしたら、765プロが押さえた枠を使ってください。
 というより、765プロのライブに、346プロさんがサプライズゲストとして参加するのが良いのではないでしょうか?」


「えっ!?」

 打合せに同席してくれた律子さんの提案に、私達は一瞬耳を疑いました。
 曰く、765プロさんもちょうどその時期に竹芝のこのホールを押さえており、クリスマスライブを開催予定とのことなのです。

 で、ですが――!

「いや、それはさすがに悪いです!
 346プロの問題に端を発するイベントなんですから、ウチで始末をつけないと私共の上司が知ったら何て言うか…!」
「あら? 水くさいですね。
 ウチのプロデューサーの問題なんですから、ウチにも一肌脱がせてもらえないと、こっちも立場が無いんですけど?」

 律子さんは、得意げにキラリと光る眼鏡を片指で上げました。
 そう言われてしまうと、私やCPさんには、返す言葉がありません。


 かくして、765プロのクリスマスライブに、美嘉ちゃん達が参加する事が決まったのです。
 これに向けたレッスンを、765プロの子達と一緒に行う。

 それは正しく、我が事務所のアイドル部門創立以来初めての、他社さんとの共同作業でした。

 こんなに話が大きくなるとは――いえ、元はと言えば全て私が仕組んだことなのですが。

「1、2、3、4、1、2、3、4、……!」

 菊地真ちゃんが皆を鼓舞しながら、最前列でダイナミックなダンスを披露してみせます。
 まるで全身にバネが付いているかのような、しなやかでキレのある動きです。

 ですが、ウチのアイドル達も負けてはいません。

「にょ、わっ……! むむ……!」
「きらり、そのパートは焦らなくて大丈夫! 落ち着いて次をしっかり!」
「う、うんっ!」


「アーアーアーアーア~~♪」
「とてもよく出来ているわ、神崎さん。
 もう少し、気持ち高めに音程を取った方が、会場の後ろの方の人達にも、通りよく聞こえると思う」
「おぉ、我が調べにさらなる魔力がっ!」


「うわぁぁ……千早ちゃんはやっぱり凄いですねぇ。あんなに若いのに……」
「歌は私も千早ちゃんに教えてもらったから、一緒に頑張ろう、菜々ちゃん。ねっ?」
「ひえぇ!? あ、アイドルアワードの春香ちゃんに励まされちゃったんじゃ、ほぁ、骨身を削らない訳にはっ!!」
「そ、そういうのは止めようってぇ!」

 たまにトレーニングルームを覗きに行くと、765プロのアイドルさん達がいつもいて、一緒にレッスンをしてくださっています。
 本番当日は、自分達の出番もあるはずなのに、このような献身的な行いは本当にありがたいです。

「ちょっと! せっかくこの伊織ちゃんが付き合ってあげるっていうのに、何なのよその態度!」
「杏はもう今日の分の運動量は消費したから大丈夫だよ。飴いる?」
「いらないわよ! あーもう、亜美達以上に厄介ね、この子!」
「皆が働きすぎなだけなんだけどねー……ん、これ。果汁100%オレンジ味」
「だからいらな……へぇ、悪くないじゃない」

 ――あの子達は、違う方向性で良いお友達になれているようです。


 そして、このレッスンにおいては、それまでと少し異なった光景が見られるようになりました。

「よっ! ……とっ、ふ……!」
「すごいすごい! やっぱりミカはカッコいいの!」
「へへッ、トーゼン★ ていうか美希ちゃんもすごいよ。何かスポーツやってたの?」
「んー……体育?」
「……あ、そう。そりゃすごいわ」


「皆、ちょっと給水を持って一旦こっちに集まってくれ」


 パンパンと手を叩き、プロデューサーさんがホワイトボードの前に皆を招集します。

「会場の見取り図なんだが……こっちの扉は当日閉鎖されて使えない。
 だから、この下手側から暗転中にスタンバイして、終わったら上手側の舞台袖へ速やかに捌けた後、反響板の裏を回り込んでほしいんだ。
 次の曲の事を考えると、ここの繋ぎはできる限りシームレスに行いたい」

 ボードに書かれた図を指し示しながらプロデューサーさんが説明をしていると、菜々さんがハイッと手を上げました。

「ナナ達の前後の765プロさん達は、どこに捌けたり待機するんですか?」
「皆の出番の前には、小鳥さんの紹介アナウンスがあるから、前の子達はそこまで急いで捌ける必要は無い。
 後に登場する子達については、皆がステージにいる間に同じ下手側の舞台袖へ移動できればいい」

 その後、手を上げたのは伊織ちゃんでした。

「終わったらさっさと次に行くんじゃなくて、終わった後に346プロの子達の挨拶でも挟んだらどう?」
「えっ?」

「せっかくのゲスト枠なんだし、出番が終わって「はいさようなら」じゃ、扱いがぞんざいすぎるわよ」

 伊織ちゃんの意見に、隣に座る真ちゃんがウンウンと頷きました。

「そ、そうか……そうだな」
「まぁ、あんたにとってはどっちも身内みたいなもんだし、あんまり気を回す事を考えられなかったのも分かるけど」


「プロデューサー」

 今度は、美嘉ちゃんが手を上げました。

「アタシは、皆と一緒に出たいな」

「皆って?」
「だから、ここにいる皆」

 隣にいる美希ちゃんと頷き合い、美嘉ちゃんはニコリと笑いました。

「せっかく、って伊織ちゃんも言ってくれたけど……せっかく許してもらえるんなら、トコトン欲張りたいんだ」


「私も、賛成ですっ」

 春香ちゃんが、勢いよくスクッと立ち上がりました。

「春香、発言の前に挙手」
「うっ! ご、ごめん伊織……でも、せっかく皆でやってきたんだよ。
 ここにいる皆……ううん」

 春香ちゃんは、首を振りました。

「ここに辿り着くまでに、皆が出会ったたくさんの人達との積み重ねがあって、今があるんだって思うの。
 だから、その巡り合わせで、こうして集まれた奇跡、クリスマスライブでも大事にしていきたいなぁって思うんです!」

「アハッ☆ 何とも春香らしいの!」

 美希ちゃんが合いの手を打つと、春香ちゃんは照れ臭そうに「えへへ」と頭を掻きました。
 ともすれば気恥ずかしささえ伴うはずのその一連の言動に、皆が疑いなく信頼の目を向けている辺り、765プロ不動のセンターというのは伊達では無いのだと気づかされます。

「皆の気持ちは分かった。もっともだと俺も思う」

 頷くプロデューサーさんに、再度皆の視線が集まります。

「でも、やはり俺は、このステージは美嘉達5人で行うべきだと思うんだ。
 曲の途中から、サプライズで他の皆が合流するのはアリだとしても……少なくとも開始時点では、5人であってほしい」
「どうして?」

「最初から765プロの皆と一緒に出演しては、ゲスト枠としての意義が掠れてしまうと思うんだ。
 346プロの5人を目立たせる、5人を会場に認識させることは、儀礼的であろうとも行われるべきだと俺は思う」
「た、確かに……」

 アッサリと引き下がってしまった春香ちゃんに優しく微笑みかけ、プロデューサーさんは続けます。


「それに、俺が見たい。
 さっきはぞんざいな扱いを考えていながら、今度は私物化だと怒られるかも知れないが……せっかくだから、というヤツだ。
 何よりも、この346プロで得たものの一つの集大成として、お前達のステージを、しっかりとこの目で」

「我が友……」

 蘭子ちゃんが感極まりそうな顔をしている横で、杏ちゃんが気だるそうに手を上げました。

「さっきからずーっと気になってんだけどさ」
「どうした、杏?」


「杏達、何かユニット名って無いの?」



「えっ!?」
「いや、「えっ」じゃないでしょ」

 アイドルの子達が一斉に言葉を失ったことに、杏ちゃんは呆れた様子でため息をつきました。

「それについて、実は俺も、考えていたものがある」


 再び、視線がプロデューサーさんに戻りました。

「だがこれは、俺も皆と一緒に考えたいんだ。
 そうして悩んだ経験も、いずれ大切な思い出になると思うから……皆の意見も、遠慮無くぶつけてほしい」


「ふーん?」

 伊織ちゃんが、意味ありげに鼻を鳴らしました。

「な、何だよ伊織」
「さっきの「この目で見たい」発言といい、なーんか響きがいちいちイヤらしいのよね。変態」
「えっ!? な……!」
「それ、ナナもちょっと思ったかなーって」

「ナナ。プロデューサーがヘンタイさんなのは今に始まったことじゃないの」
「こ、こら美希! フォローになってないぞ!」
「そっ、そう言えば我が友、最初の頃は私にあぶない水着を着せようと……!」
「蘭子っ! 何でその話を今持ち出すんだ!?」

 途端に、アイドルの子達の間でどよめきと失笑が広がっていきます。

「えぇぇっ、プロデューサー、またそんな事があったんですか!?」
「またとはなんだ!?」
「真ちゃん、誤解だにぃ! サブPちゃんは蘭子ちゃんのためを思ってちょーっとだけ思い切ったえち…!」
「やめろー!! そういう話はもうやめろー!!」


「まっ、細かい話はこの際大目に見てあげるから」

 一通り騒がれたところで、美嘉ちゃんは話を切り、ニカッと悪戯っぽく笑ってみせます。

「もったいぶってないで、さっさと教えてよプロデューサー。
 そのイケてるユニット名をさ★」


「あぁ、聞いて驚けよ」

 プロデューサーさんも負けじと鼻を鳴らし、それに応えました。

 プロデューサーさんが、こうして能動的にアイドルの皆と関わり合いを持っている。
 それは、プロデューサーの本分を考えれば、至極当たり前の事なのだと思います。

 ですがそれは、今まで見られなかったこと――。
 残された時がわずかとなった今、ようやく見ることが出来たこと。

「千川さん?」


 ふと、声をかけられ、振り返ると、CPさんが立っていました。
「どうか、されましたか……?」

 廊下から、窓越しにトレーニングルームの様子を見つめていた私が、不可思議に見えたようです。

 無理もありません。
 気づかないうちに、数十分近くボーッと廊下に立って、中を眺めていたのですから。

「! ……す、すみません、つい」

 慌てて指で目尻を拭う私を見て、CPさんは色々と斟酌したようです。
 それ以上は触れず、彼も私に倣い、中の様子を見つめました。

 アイドル達に囲まれ、ワイワイと大騒ぎしながら語らい合うプロデューサーさんの姿を。


「良い、笑顔です」

「……はい」

 きっと、これがあの人の本来の姿――私がずっと、見たかったものでした。

「んもぅ!! サブチャン聞いて!
 李衣菜チャン、またみくの目玉焼きに勝手に醤油かけたー!」
「それはちゃんと謝ったし、これからは気をつけるって言ったでしょ!
 ていうか、ソースの方が邪道だよ! そんなの何だって全部ソース味になるじゃん!」
「醤油だって全部醤油味になるでしょ!
 人のものに了解も取らないで勝手に手を加えることの方がよーっぽど邪道にゃ!」
「何さっ!!」
「何にゃ!!」

「あ、あのぅ、二人ともケンカは…」
「「雪歩ちゃんは黙ってて!!」」
「ひぃっ!?」

「アハハハ」
「アハハじゃなくて!! サブチャンも笑うのやめるにゃ!!」


 ライブ本番までの間、765プロから応援に来てくれたのは、春香ちゃん達だけではありません。
 レッスンに直接参加しない子達も、こうしてプロデューサーさんのデスクに度々遊びに来てくれました。

「ふ、二人とも落ち着くさー!
 ほらっ、自分の作ったサーターアンダギーでも食べようよ。
 出来たてホヤホヤがすーっごく美味しいんだぞ!」

「ひ、響ちゃん、それ、さっきかな子ちゃんが全部食べちゃって……」
「うえぇっ!? ぜ、全部!?」
「美味しいから大丈夫だよー」
「全然大丈夫じゃないぞ!
 うわーん、どうやったらそんなに一杯食べれるんだー!?」

 そうして、346プロの子達との交流も自然と生まれていきます。
 プロデューサーさんは、346プロへの遠慮もあってかやや困り気味でしたが、とても楽しそうでした。


「お前達、そろそろ765プロに戻れよ。346プロさんにも迷惑だろ」
「おやおやぁ~?
 346プロ“さん”だなんて、兄ちゃんはもう765プロの人間でいる気かね?」
「な、何っ!?」
「けーやく期間はまだ終わってないし、終わっても兄ちゃんの机はもう無くなってるかもYO?」
「そ、そんなワケあるか!
 そもそも俺が言っているのは、あまり他所の事務所で騒ぐなっていうマナーをだな…!」

「そうですよ。
 他所の事務所では、騒いじゃダメですよね、亜美ちゃん、真美ちゃん」
「う、うぅ……!」
「ごめんなさい、美波お姉ちゃん……」

 しゅんとしてしまった亜美ちゃん達に対し、美波ちゃんが優しく笑いながら、隣のアーニャちゃんに目配せします。
 アーニャちゃんは、ニコリと微笑みました。

「ダー。ヨソじゃなければ、騒いでもいいですね?」

「えっ?」

「アミも、マミも、同じライブ頑張る、プリヤーチェリ……仲間です。
 ヨソモノでは、ありませんね?」

「うわーい! やったー、ありがと→アーニャん!」
「イェ→イ! アーニャんタッチ!」
「ふふっ、タッチ♪」
「何言ってんだお前ら!!」


 クリスマスライブへの出演が決まってから本番までの、約二週間。
 最後に残されたそのわずかな時間、プロデューサーさんの周りには、まるで花が咲いたかのようでした。

 アイドル達も、プロデューサーさんも、別れの時を悲しいものにするのではなく――。
 明るく美しいものにしようと、皆――。

 ここに来た当初の、飾られた穏やかさとは違う、心の底から笑い合う彼の周りには、アイドル達の温かな笑顔がありました。

 そして、時は経ち――。

「はい、はい……いやぁ、ありがとうございます。
 それでこちらは支障ありません……えぇ……」

 受話器を肩に挟みながら、プロデューサーさんは慌ただしく手帳にペンを走らせています。
 本番を明日に控え、ライブの協力会社さん皆に、最終確認のための電話を取っていました。

「助かります。それであれば大丈夫そうですね……
 えぇ、こちらこそよろしくお願いします。はい、失礼致します」

 最後の協力先への受話器を置き、プロデューサーさんはフゥーッと天井を見上げて息をつきました。


 先日までは綺麗に片付いていたはずの彼のデスクは、いつの間にかクリスマスライブに向けた書類でいっぱいです。
 あと二、三日でこの会社を去る人のものとは、とても思えません。

「お疲れ様です、プロデューサーさん」

 時刻は夕方でした。
 窓の外から夕陽が差し込み、オレンジ色に染め上げられた事務室で、今は二人きりです。

「えぇ……どうやら、明日は何とかなりそうです」
「アイドルの子達も」
「そっちは元から心配いりません。俺の方がよっぽど、ね」

 エナドリを彼のデスクに置いて、私は肩をすくめました。

「確かに」
「ちょっと。フォローする所でしょう、そこは」
「ふふっ♪」

 お互いに声を上げて笑います。
 まるで、これまでもずっと、一緒に仕事をしてきたかのような――。

 これからずっと、この人が346プロからいなくなる事が、嘘のように思える時間が流れています。



「……終わるんですね」


 思わず、そう言ってしまったようです。


「……!? あ、いえ、あの……!」
「ちひろさん」

「えっ?」

 プロデューサーさんは、おもむろに立ち上がり、ニコリと穏やかに笑いました。


「行きたい所があるんです。
 ちょっと、付き合ってもらえませんか?」

 この人から突然のお願いをされるのは、今に始まった事ではありませんでした。
 自分の仕事を前に進めるために、ある時は各施設の案内を、ある時は資料の在処を私に求めたり――。

 でも今回は、それまでのものとは毛色が違います。
 それはきっと、お仕事の話ではないからだと、プロデューサーさんの目を見て、何となく分かりました。


「え、えぇと……ごめんなさい、どうしても今日中に片付けなきゃいけない書類があって……。
 それを処理してからでも、いいですか?」
「えぇ、もちろんです」


 プロデューサーさんは、デスクを一通り片付けたのち、出口に向けて歩き出しました。

「行き先は、後で教えます。現地でお会いしましょう」
「は、はぁ……」

 ――行っちゃった。


 一体、何だろう?
 随分と思わせぶりな――。


 ――ハッ!?

「い、いやいやいやいやいや! まさかそんな……!」

 チラリと脳裏をよぎった可能性を瞬時に消し去ります。
 ちゅ、中学生じゃあるまいしっ!?
 私だってそんな、乙女チックな夢を見れるような歳じゃありません。


 でも、本当に心当たりが無い――。

 普段ならパパッと片付いてしまう類の書類も、雑念に囚われて些細なミスを繰り返し、無駄に手間取ってしまいます。



「毎日いつも、精が出るね」

 一人きりで仕事をしていた事務室に、とある人影がふらりと現れました。


「い、今西部長!?」

 立ち上がり、頭を下げると、今西部長は手を振りました。

「あぁいや、お構いなく。邪魔してすまない」
「いえ……」


 部長は、それまでプロデューサーさんが座っていた椅子にゆっくりと腰を下ろし、ふぅーっと息をつきました。

「明日はライブとのことだが、首尾は順調かね?」
「はいっ。プロデューサーさんもアイドルの子達も、765プロさんのご協力もあって、とても充実しています」
「それは良かった」

 今西部長は、ずっとプロデューサーさんのことを影ながら気にかけておられました。
 彼の事情もよく知りながら、事務所内で難しい立場にあった彼が冷遇されることの無いよう、よきに計らっていた事も知っています。


「……部長」
「ん?」

 今さらこんな事を聞いても、仕方の無いことなのかも知れません。
 でも、上役と二人きりというシチュエーションは、私にある種の軽率さを抱かせたようでした。

「どうして部長は、あの人に便宜をはかったのでしょうか?」


「さて、何のことだろうか」

 そう言って、ニコニコとしながら自分の頬を擦っています。
「ただね、うん」

「……ただ?」


「シンデレラプロジェクトの彼のことを?」

 CPさんの事を話しだす部長の目を見て、私は部長が何を意図しておられるのか、合点がいきました。

「……はい、存じています」


「かつての彼のように、プロデューサーとなる者が無口な車輪となっていくのは、見過ごしたくなかった。
 アイドルとの繋がりを持とうとしないのは、やはり、私には良いことだとは思えなくてね」


 シンデレラプロジェクトは、今西部長がその発足のために奔走したものであり、部長は言わば生みの親とも言える人です。
 自分にとっても思い入れが強い事業に携わるCPさんに、一際目を掛けていたのも今西部長でした。

 そんなCPさんのかつての姿を、プロデューサーさんに重ねたのだと――。

「高木社長とも、先日話をさせていただいてね」

 部長は、満足げに頷き、席を立ちました。

「どうやら、老いぼれ達の心配は、杞憂に終わるとのことらしい。
 君からも同じ話を聞けて、何よりだった」

「わ、私達は!」

 お部屋を出ようとする部長を呼び止め、私は立ち上がりました。


「私達には、きっと色々な道があります。
 だからこそ迷うのかも知れませんが、でも……。
 アイドルの子達が笑顔であるかぎり、きっとその中に、私達の正しさが見出せるのだと、今はそう信じたいです」

「そうだね」

 今西部長は、優しく微笑みました。

「ありがとう。美城会長にも、常務にも、良い報告ができそうだ」


 私が礼をお返しするのも待たず、部長はお部屋を後にして行かれました。

「……迷う、か」

 自分で言った言葉をなんとなしに反芻して、時計を見ます。
 う、うわっ!?

 いけません、いい加減に残務に時間をかけすぎました。


 急いで戸締まりをして、事務所を出発します。
 携帯を確認すると、プロデューサーさんからのメールが届いていました。

 そこに記された目的地は――。



「…………お寺?」

 済海寺――。


「入口は大通りではなく、裏の通り沿いにあります……はぁ」

 電車に揺られながら、プロデューサーさんからのメールの内容を見直しつつ、地図を確認します。
 場所的に考えて――当たり前ですが――そういう乙女チックなものではない事に、まずは安堵したものの――。

 一体ここに、何が?



 最寄り駅である田町駅を降りる頃には、すっかり陽が暮れていました。
 駅前にはクリスマスを祝う色とりどりのイルミネーションが飾られ、人通りもあって辺りは賑やかです。

 あぁ、もうそんな季節かぁ――。
 ま、私達の業界では大事なかき入れ時ですけれど。

 と、誰にともなしに一人嘆息し、携帯の地図アプリを見ながら目的の地へと足を運ぼうとした時でした。

「迷い人には……」


 ――え?



「真、便利な世になったことでしょう。
 ですが、この街の明るさ故に、星は自ら煌めく事を忘れ、見えにくくなったものもあるのかも知れません」



 その女性は、静かにそこに立っていました。
 日本人離れしたプロポーションと、銀色に輝くウェーブがかった長髪という、一目で人を惹きつける外見。

 それでいて、錯誤感を伴わない自然な気品――。
 あの日、竹芝であったあの子とは、似ても似つかぬようで、どこか通ずる雰囲気を感じる、765プロアイドル。


「御機嫌よう。
 貴女をお待ちしていました、千川ちひろ嬢」


「四条貴音さん……」

 仕事帰りの人々がせわしなく行き交う駅前の、イルミネーションの光に照らされ、その人はどこか妖しい笑みを浮かべていました。

21時頃まで席を外します。
残りはあと2割ほどで、1時頃までに完結できればと考えています。

   * * *

 薄紫色のコートを自然と着こなし、優美に佇むその姿は、とてもサマになっていました。
 我が社のモデル部門の第一線で働くトップモデル達と比べても、全く遜色がありません。

 そんな彼女が、どうしてここに?
 私がここへ来るのを待っていたと言いましたが、何用で――。

「済海寺に行くことは叶いません」
「えっ?」

 四条貴音さんは、フッと意味ありげに小さく笑いました。

「プロデューサーと貴女が求めるものは、そこには無いのです、千川嬢」
「でも、私はあの人から、そのお寺に来て欲しいと言われて……」


「貴女は、自分が何を求めているのか、自分で理解できているでしょうか」

 そう言われて、思わず息を呑みます。

 初対面の私に向かって、この人はいきなり何を言うのだろう。
 知った風な口を聞いて、失礼な人だと言い捨てることは簡単です。

 ただ、彼から示されたそのお寺で、私が何を得ようとしているのかは、私自身何も――。

「分かりません」


 彼女は、黙して私を見つめています。
 驚くほど神秘的で、赤紫色に光るその瞳は、吸い込まれそうな魔性があります。

 黙っていると気圧されてしまいそうになるので、必死で捲し立てます。

「分からないから、彼の下へ……プロデューサーさんの下へ行くんです。
 私にとって得られるものがあるから行く、などという打算的な想いなんてありません。
 プロデューサーさんがそこにどんな期待を込めたのか、知りたいから行く……いいえ。
 彼に呼ばれたから行く。今の私が考えるのは、それだけです」


 ――勢い任せに、ちょっと余計な事を言ってしまっていないかしら。
 ふと冷静になると、ついて出た言葉に妙な気恥ずかしさを覚えてしまいます。

 だから、ここはいっそ感情的になってみましょう。
 理由はともかく、この人は私を、試そうとしている。

 四条貴音さんは、静かにゆっくりと瞬きをしながら、空を見上げました。


「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
 人をも身をも 恨みざらまし」


「えっ?」

 ――歌?

 首を傾げる私に、彼女はそれを注釈してくれました。

「もし彼の人との出会いさえ無ければ、彼の人も、自分自身をも、恨みがましく思わないで済んだのに……。
 出会ってしまったがために、会えない時を思い煩う心を歌ったものです」


 百人一首にも載っている、有名な歌なのだそうです。
 まるで私に当てつけたかのような歌。

 いいえ――当てつけだと思わされている事に、腹が立っているだけなのかも知れません。

 そんな私の穏やかならぬ心情を見透かすかのように、彼女は再び鼻で小さく笑いました。

「たとえプロデューサーとの別れを良きものに出来たとしても、その後に待ち受ける寂寥を、貴女は耐える事ができるでしょうか」

「……四条さんは、寂しかったのですね」

 私の問いに、彼女の眉がピクリと動いたのが、微かに見えました。


「弊社があなた達のプロデューサーさんを、長い間お借りしてしまったことは、申し訳なく思います。
 だから、この寂しい気持ちを少しでも紛らわせようなどという、都合の良い事を考える気なんてありません。
 それどころか」

 そうです。
 寂しいに決まっています。
 そういう選択を、私達はしました。

 深い付き合いになればなるほど、別れが辛くなることを知った上で、私達は精一杯繋がり合うのだと決めたのです。

「もっともっと寂しくなるであろう時を、私達は望んで過ごしました。
 765プロの人達が抱いたそれに負けないくらい……でないと、あの人に346プロに来てもらえた甲斐がありません。
 それだけ強い想いを抱くことが、彼のプロデュースなのだと……彼自身、それを信じたいと、最後に願ってくれたんです」

「信じたい……」

 ポツリと無意識に反芻する四条貴音さんの声は、それまでとは違い、熱量のこもったものでした。
 彼女の心にそれが響いたのだと、私は見留め、続けます。


「アイドルに深入りしないプロデュースを良しと悟った事が、高木社長の仰るあの人の罪であるなら、346プロはその償いのお手伝いをした事になります。
 ですが、彼が346プロで過ごした日々は、決して罰なんかではないんだって、思ってほしいだけなんです」



 依然、多くの人が行き交う喧噪の中、二人の間にどれだけの沈黙が流れたことでしょう。
 やがて四条貴音さんは、おもむろに私に頭を下げました。

「戯れが過ぎました。非礼をお詫びします、千川嬢」
「えっ?」

 顔を上げた彼女の表情は、それまでとは打って変わり、年相応のあどけなさを帯びた明るさがありました。

「私は、プロデューサーから言伝を預かって参りました。
 この先にある済海寺……実はもう、開業時間が過ぎているのです。
 なので、入ることができません」


「へっ!?」

 話によると、16時半になったら閉まっちゃうみたいです。
 プロデューサーさんは、その辺りを把握していなかったようで、ウッカリしていたとのことでした。

「ウッカリ、って……!」
「ふふっ。なので、プロデューサーはひとまず、その寺の前で待ち合わせたいとのことです」
「は、はぁ……」

 肩すかしを食らった気分で、途端に拍子抜けしてしまいました。
 大一番の前日に、何で私達はこんな間抜けな事をしているのでしょう。

 そんな私の表情を、四条貴音さんは楽しそうに見つめています。
 さっきまでとは別の意味で腹立たしい――!


「あの人が346プロで過ごした日々が、真のものであったか」

 唐突に開かれた彼女の言葉に、再び私の身体が硬直しました。

「それを知りたくて、でも……彼が変わっていた時のことを考えると、怖くて……。
 ずっと、会いに行くことができませんでした。
 貴女のプロデューサーに掛ける想いを通して、それを知りたかったのです。
 試すような真似をして、申し訳ございません」

 再び、四条貴音さんは深々と私に頭を下げました。


 思えば、彼女は一度も346プロに顔を出すことはありませんでした。
 765プロであの人と過ごした思い出が強すぎて、それが壊れてしまう事を恐れていたのでしょう。

 彼女もまた、プロデューサーさんを人一倍大事に想っている765プロアイドルの一人でした。

「いいえ」

 私はかぶりを振ります。

「春香ちゃんも言っていました。この出会いは奇跡だったんだ、って。
 たとえ別れてしまう運命だとしても、出会えた喜びを大事にできたことを、私達の誇りとしませんか?」


 顔を上げ、四条さんはフッと笑いました。


「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
 われても末に 逢わむとぞ思ふ」


 また、歌――でも、きっとこれは、ポジティブな印象を受けます。
 そしてそれは、当たったみたいです。

「岩にせき止められた急流が、ひとたび別れたとしても、いずれまた一つになる……。
 それと同じく、たとえ今は愛おしい人と別れたとしても、また必ず会おうという願いを込めた歌です。
 激動のアイドル業界……貴女に良き別れと、美しき出会いがありますことを」


「……ありがとうございます。四条さんにも」

 穏やかに小さく手を振る彼女に別れを告げ、私はお寺までの道のりを再び歩み出しました。

 デッキを渡り、大通りの裏手の繁華街を歩いて、信号を越えます。
 その先にある道は、ほんの少し坂道になっていて、地味に上るのが大変です。

「よい、しょ……ふぅ……ふぅ……」

 地図から想像していたよりも、結構歩きます。
 年がら年中デスクワークばかりで、体力も無いせいか、息も上がってきました。

 そして、ようやく坂を上りきり、少し歩くと、目的地であるお寺――済海寺の門が、唐突に左手に現れました。


「……? あれ、開いてる」

 なぜか門は開いています。
 四条貴音さんの話だと、既に中には入れない時間のはずです。

 プロデューサーさんの姿が見えません。
 妙だなと思いながら、おそるおそる門を渡り、その先まで進んでみます。


 プロデューサーさんは、門から伸びる石畳の中央に立っていました。
 暗くてよく見えませんが、横の方にある何かをジッと見つめているようです。

 そっと歩み寄り、そばまで近づいてみます。

「……あ、ちひろさん」

 彼が見ていたのは、植栽の奥に立っているお堂でした。
 手前側には、何やら仏像らしきものを映した大きめの写真が立てかけられています。

「こんな時間に入って、大丈夫だったんですか?」

 黙って入って、怒られたりしないかしら。
 そんな心配は、どうやら後の祭りのようでした。

「いえ、本当はやっぱダメだったみたいです。
 俺が来た時、入口の門が閉まっていて、開かないかなーってその門をガチャガチャやってたら、警察が来ちゃって」

「え、えぇぇっ!?」
「ハッハッハ」
「いや笑い事じゃないですよ!
 そのまま御用になってたらどうするつもりですか! 明日は大事なライブなのに!」
「すみません」

 傍から見たら、完全に不審者だったのでしょう。
 この人も、大概無茶なことをします。


「でも、どうしても今日このお寺を見させていただきたいんです、って謝り倒したら、住職も許してくれて」
「そんな危ないことを……」

「本堂や、あそこのお堂なんかは、さすがにもう開けられないみたいですけどね」

 プロデューサーさんはお堂を眺めたまま、しれっと答えました。
 私が来る前からずっと見ていたのだとしたら、よっぽど気になっているみたいです。

「クリスマスライブの成功に向けた最後のひと仕事が、仏様への願掛けですかぁ……。
 アイドル達のために、やれることは何でもやろうという気概は、大変立派だと思いますよ」
「いえ、この後事務所に戻ります」
「えっ?」

 プロデューサーさんは、事も無げにサラリと言って、笑いました。

「まだまだ仕事、残してますからね。
 デスクも全然片付けてないですし、今日は徹夜です」


 ――それなら、私も付き合ったのに。
 今日中に片付けたい仕事があるからなんて、私だけ仕事を済ませて彼を待たせてしまったことが、申し訳ないです。

「あぁいえ、ちひろさんは別に気にしなくていいんです。
 むしろこうして付き合ってくれてありがたいというか、元々急なお願いをしたのは俺ですし」

 そうして、私をそうやって気遣ってくれる――。

 こんなの、ますます私の立つ瀬が無いじゃないですか。
 謝る余地を残してもらえないのは、それなりにみじめな気持ちにもなるんです。

 ナチュラルに負い目を与えてくれるの、困るんだけどなぁ。
 なんて――。

 そういった、この人との語らいももう、終わってしまうんです。



「……本当に、終わってしまうんですか?」

 事務室で思わず漏れてしまった言葉を、もう一度。
 今度は無意識ではなく、明確に噛みしめて、彼に投げかけます。

 どうしようもないことは、分かりきっているのに。


「……346プロと765プロ、両社の契約で決まったことです。
 お偉方の鶴の一声がまたあれば、話は別かも知れませんが、少なくともウチの高木はもう、俺に納得しています。
 346プロさんも、これ以上派遣期間を延長しようなどとは能動的に考えないでしょう」

 プロデューサーさんは、極めて淡泊に答えてくれました。
 私や自分自身に、諦めを促すように。

「だから、明日のクリスマスライブが、俺の最後の仕事です。
 それが終われば、俺は346プロを去り、765プロへと戻る。そういう約束です」


「そうですね」

 言いながら、私は美嘉ちゃん達の事を思い浮かべました。
 プロデューサーさんと、彼を慕うアイドル達との繋がりが、終わってしまう。

 私はいいんです。大人ですから、割り切ることはできます。
 できると思います。

 でも――。

「ちひろさんが、気を病む必要なんてないんです。
 俺が他所から来て、それが戻るだけのこと。
 すべての原因者は、俺です」

「ううん、違うんです」

 私は、かぶりを振りました。
 そうやって、私のことを気遣うのはもう、やめてほしいんです。


 そうです。

「……ずっとプロデューサーさんに、謝らなきゃと思っていました」


 この人も、CPさんも、責任を感じる必要は無いと言ってくださいました。
 でも、やはりそれは違います。


 事情を知らなかったとはいえ、アイドルと深く関わり合いを持つまいと誓った彼を、私はその渦中へと巻き込みました。

 心の傷を庇おうと、彼はアイドル達に対して不本意な態度を取り、それが彼女達だけでなく、ますます彼自身をも傷つけたのです。

 それでも私は、彼の気持ちも知ろうともせず、彼のプロデュースを見たいという自分勝手な思いだけで、なおも放っておこうとしなかった。


「美嘉ちゃんをはじめ、アイドル達にも、プロデューサーさんにも辛い思いをさせてしまったのは……
 事務員としての本分を忘れた、私の身勝手によるものでした。
 本当に、ごめんなさい……許してほしいなんて、言いません。
 本当に……私、本当に酷いことを……!」



「ちひろさん」

 プロデューサーさんの声が聞こえ、顔を上げました。
 どこか、悪戯っぽいような、なぜか得意げな顔をしている彼が目の前にあります。



「ちひろさんは、竹芝物語ってご存知ですか?」

「……竹芝?」
「えぇ」

「かぐや姫の、ではなくて?」
「それは竹取物語でしょう」

「竹芝って、あの竹芝ですか?
 明日ライブをやる、あの」

 意味も意図も分からず、ただただ疑問符を浮かべるばかりの私に対し、彼はニコニコと笑ったままでした。

「その辺は、どうやら諸説あるみたいですね。
 俺もふと気になって、この間調べたのですが、由来は更級日記に出てくる地名のようです」
「更級日記、ですか……?」

 国語の教科書でしか聞いた覚えが無いものを聞かされ、しらず目が瞬いてしまいます。 
 事実、千年以上も昔に作られた物語とのことでした。


「異国の地から意図せず宮廷に派遣され、衛士としての任に就いた男と、その宮廷のお姫様のお話です。
 退屈な警護を行う中、男が故郷を想いながら独り言を呟くと、それを聞きつけたお姫様が、その男を呼び寄せてお願いしたそうです。
 面白そうだから、ぜひ私にもお前の故郷を見せてほしい、と」

「……宮仕えの兵士さんが、お姫様を宮廷から連れ出したと?」

「話によれば、コッソリ宮廷から連れ出したということのようですね。
 要するに、身分の違う者同士のランデブー、ってヤツです」

「へえぇ~」

 禁じられた恋、というものでしょうか?
 今も昔も、そういう題材は人々の間でポピュラーに扱われているようです。


「それ、最後はどうなるんですか?
 その兵士さん、お姫様を攫ったことになるんだとしたら、お殿様に罰せられちゃったり……?」

「いいえ、そこは意外とご都合主義みたいで。
 結局、お姫様がその地で男と暮らすのだという強い意志を示すと、お殿様……というか、帝ですね。
 帝はもう、じゃあしょうがない、と言って男にその国を任せて、二人は幸せに暮らしました……というお話のようです」

「あ、そんな感じなんですか」

「で、その男と姫が末永く暮らした屋敷が、やがて姫が無くなった後、寺として作り替えられた。
 それが竹芝寺。で……」

 プロデューサーさんは、地面を指差しました。


「その竹芝寺の跡地が、この済海寺……というわけなんです」

 竹芝物語――。
 東京に伝わる中でも最古のお話らしいそれを、今日まで知る機会は全くありませんでした。

「ちひろさんと出会ってからというもの、今年はやけに竹芝に縁があるなぁと思ったもので……。
 でも、結局あっちの竹芝との関係性は判然としないみたいですね。距離的には結構近いけれど」


「プロデューサーさんから見て、お城から連れ出したいお姫様は、346プロにいましたか?」


 自分でも意地悪だなぁと思う質問を、彼にぶつけてみます。

 ひょっとしたら、彼がこのお寺に行きたかったのは、かの物語に登場する兵士さんの気持ちに触れたかったからではないでしょうか?


「……正直に言えば、いました。それもたくさんね」

 照れ臭そうに誘い笑いをしながら、プロデューサーさんは空を見上げました。

「でも、やはり彼女達は、この346プロのアイドル達です。
 俺の勝手で決めるのは良くないとか、そういう事じゃなく……彼女達は346プロで生きていくのだろうと、何となく感じました。
 だから、未練も悔いもありません」

「そう、ですか……」

 プロデューサーさんの語り口は、とても明瞭でした。
 諦めとか投げやりな気持ちなどではなく、本心で納得しているのだろうという清々しさを感じさせるものでした。

 それじゃあ、どうしてここへ――?


「どちらかと言うと、俺が気にしたのは彼女達よりも……アメリカで出会った子のことを、ね」

「……研修で行かれていた際に出会ったという?」

 プロデューサーさんは、空を見上げたまま「えぇ」と答えました。


「その子はシアトルの出身で、女優への道を目指して単身ハリウッドに出てきていたようです。
 俺も、研修先はハリウッドで、そこで何となく似たような境遇を感じてね」

「積極的で、押せ押せな子だったのかなって」
「ハハハ、まさか」

 白い息を空に溶かして、彼は賑やかに笑い飛ばしました。

「俺の方から交流を持ちに行ったんです。
 彼女、クールで孤高というか、孤独な感じがあって……765プロでいえば、千早のような子でした。
 一人で思い詰めていそうで、放ってはおけなかったんです」

 私が勝手に抱いていたイメージとは、正反対の子だったようです。
 お人好しだったプロデューサーさんは、異国の地においてその子を見つけ、彼女の助けになりたいと思ったようでした。

「俺が彼女に、英語やアメリカでの慣習とかを教わる代わりに、彼女に困り事があったら俺がその手伝いをする。
 持ちつ持たれつの関係でやっていこうと提案したら、彼女も応じてくれてね。
 それなりに仲良くさせてもらって、いつしか彼女のプロデューサーとしての仕事も順調にできていて……」


 ――そこまで言うと、プロデューサーさんの言葉が途切れました。


「……?」


「……こっちでいう、オーディションのようなものを受けたんです。
 会場には、同じく女優を目指す、彼女の姉も受けに来ていて……結果的に俺達は、勝ちました」


 その言葉の内容とは裏腹に、プロデューサーさんの表情は、とても悲しそうでした。

「オーディションが終わった後、彼女は途端に、空虚になりました。
 姉の存在は彼女にとって目標であり、それを越えたことの達成感で、軽度の燃え尽き症候群になったのかなって、最初は思いました。
 けど、それは間違いで……自分自身の意義というか、存在理由が分からなくなったみたいなんです」

「自分の存在理由が?」

「俺は」

 彼は拳を握りしめました。

「俺は彼女の力になりたいと、あらゆる手を尽くしました。
 レッスンに顔を出して、トレーナーと綿密なディスカッションを交わしたり、有識者を探してアドバイスを募ったり。
 アンテナを走らせてトレンドの流れにも気を配ったし、当然に彼女自身の健康面でのケアとか、PRもたくさん行いました。
 彼女の、姉に対する想いの強さも知っていたから、なおさら……」
「それはプロデューサーとして、至極真っ当なことなのでは?」

「違ったんです」

 強い否定が辺りを切り裂き、しんと重たい空気が漂っていたお寺を走ります。

「自己実現……つまり、自分自身の力で目標を達成するという過程を、俺は彼女から奪ってしまった。
 助けになりたいと、過保護になりすぎたあまり、彼女は自分が分からなくなってしまったんです。
 自分は何のためにいるんだろう、って……誰かの助け無しには得られない夢を、自分のものだと言い張る事に、疑問を感じてしまったようです」

「一緒に頑張れる人がいるというのは、決して悪い事なんかじゃ…!」
「もちろんそうです。
 でも、それは日本人的な感覚かも知れなくて……事実、彼女はとても責任感の強い子でした」

 ロー・コンテクスト文化圏である欧米は、事物をハッキリと明文化させ、責任の所在や行動主体をクリアにする傾向があると聞きます。
 私達の「皆で一緒に頑張ろう」という発想は、彼女の存在意義さえも曖昧にしてしまうものだったのかも知れません。

「彼女に対する俺の行いは、信頼の押しつけ……自分の自己満足で、彼女のためにはならなかった。
 そしてそれは、765プロの子達にも、無意識的に行ってしまっていたのではないかと」
「プロデューサーさん……」

「所詮、ステージに立つのはアイドル達。
 裏方である俺は、彼女達に対して一定の距離感を保ち、ビジネスライクで付き合うのが正しいのだと……。
 アメリカで別れた際の、彼女の辛そうな姿を見て、悟ったんです」


 ――彼の心の奥底にあったものが、ようやく分かりました。

 別れが辛くなるからという理由だけで、希薄な関係を築こうとしたのではありません。

 プロデューサーさんは、自身の行いがアイドル達の目指す夢の意義を奪う可能性を恐れたのです。
 だから、深入りをするまいと誓った。



「でも、彼女達に……美嘉達や春香達に、教えてもらえました。
 それは違うんだってことを」
「えっ?」

 もう一度、空に向けてふぅっと息をつくと、再び彼は私にニコリと、人懐こい笑顔を見せてくれます。

「お互いに苦しいから、支え合うんだってこと……本当にその通りで。
 それに、伊織も言ってたけど、アメリカでの教訓を肯定したら、逆に765プロの子達との思い出を否定してしまう事にもなる。
 だから、俺にはもう……正直どうしたら良いのか、分かりません」

「わ、分からないって……!?」
「結論を急ぎすぎていたんです。俺はきっと」

 予想外の結論に困惑する私を尻目に、彼は爽やかに笑い飛ばし、満足げに息をつきました。


「だから、ずっと考え続けるのだと思います。
 アイドル達と共に、何度でも泣いて、怒って、ぶつかって……何度でも笑ってやるのだと、ようやく心に決めました」

「プロデューサーさん……」

「あの日の俺に、アメリカで出会った彼女を日本に連れていくだけの気概があったなら……。
 その身勝手は彼女のためになっただろうかと、結局ここに来ても、分かりませんでした。
 ですが、ちひろさん」

 プロデューサーさんの優しい眼差しが、私の視線とピッタリに重なり合います。

「たとえあなたが身勝手だと言おうとも、俺はそれに救われたんです。
 346プロのアイドル達との交流のおかげで、俺は確たる誓いを持ってこれからもプロデューサーを続けることができる。
 こんなに嬉しい事はありません」

「プロデューサーさん……!」


「ずっと言おうと思っていました。
 本当に、ありがとうございます、ちひろさん」



「え、えへへ……もう、やめてくださいっ」

 イヤだなあ。
 もう泣かないって、思っていたんだけど――。

「何を泣いてんですか、泣きたいのはこっちの方です。
 これから帰って徹夜仕事が待ってるんですから」

「ぐすっ……あら、そんな文句を言うんだったら、私も付き合いますよ?」

 目尻を拭い、みっともなく鼻を啜って、精一杯笑いました。

「えっ? ちひろさん、今日中に片付けなきゃいけない仕事を処理してきたんじゃ……?」
「片付けなきゃいけない仕事はね。
 今日中に“片付けておきたい仕事”は、いくらでもありますから」

「いや、それ……。
 まぁ、遅くとも0時までには寝てくださいよ。お肌、荒れちゃうでしょ?」
「寝るまでが今日です」

 エヘンと胸を張って答えてみせると、プロデューサーさんは呆れるように鼻で笑いました。

「346プロの事務員は逞しいですね。ウチの人にも見せてやりたいです」


 そうして、私達は笑い合いながら事務所に戻りました。

 お城に迎え入れることも、お城から連れ出すことも適わない二人。
 それでも、得難きものを確かめ合い、12月が終われば解ける魔法の最後の輝きを、最高のものとするために。

 ふと空を見上げると、都会の喧噪から少しだけ離れた冬晴れの空に、煌めく星達が瞬いているのが見えました。

   * * *

「そういえばさー、貴音ぇ」
「どうしたのですか、響?」

 舞台袖で入念に屈伸を繰り返しながら、響ちゃんが貴音さんに声を掛けました。

「どうして貴音は346プロに遊びにこなかったんだ?
 事務所も綺麗だったし、アイドルの子達も皆仲良くしてくれて、すーっごく楽しかったんだぞ?」
「それは、トップシークレットですよ」
「思わせぶりだけどそれ、大した意味ないでしょ」

 貴音さんはニコリと小さく笑い、響ちゃんの頭を優しく撫でました。

「わ、わっ!? な、何するんさー貴音!」
「太陽の如き貴女の勇気と明るさは、皆に元気をもたらします。
 私のような者にも……真、ありがたい事です」

 響ちゃんの頭から手を放すと、彼女は美希ちゃんに目配せし、プロデューサーさんに向き直りました。

「では、行って参ります、プロデューサー」

「あぁ。頼んだぞ三人とも」
「へへっ、なーんくるないさー!」

「ミカ達に負けないくらい、ファンの人達の心、釘付けにしてくるの!
 ちゃんと見ててよね、ハニー!」

 そう言って、美希ちゃん達は竜宮小町が捌けたばかりの、熱気溢れるステージへと駆けて行きました。


「まったく……人前ではハニーなんて呼び方、やめなさいっていつも言ってるのに」

 口をへの字に曲げてため息をつく律子さんを、プロデューサーさんは困り顔で宥めました。

 765プロのクリスマスライブは、超満員となりました。

 私達346プロ側のコラボ出演があったからだと、プロデューサーさんや小鳥さんは仰ってくださいましたが、それは違います。
 だって、そのPRをする前から、チケットが瞬く間に完売していたのを、私は知っているからです。

「凄いね」

 私達の隣に立って、美嘉ちゃんがポツリと呟きました。
 視線の先にあるのは、輝くステージの上でダイナミックに歌い踊る、美希ちゃん達プロジェクト・フェアリーの姿があります。
 765プロにしては珍しい、攻撃的かつ挑発的な楽曲『オーバーマスター』が、ますます会場のボルテージを上げていきます。

「勝てそうか?」

 プロデューサーさんがそう聞くと、美嘉ちゃんは肩をすくめました。

「そんなんじゃないでしょ、今日のはさ。でも……負けないよ★」
「あぁ、その意気だ」

 満足げに頷くと、プロデューサーさんは辺りを見回しました。


 彼の視線の先には、目一杯に屈んであげたきらりちゃんと、精一杯背伸びしたやよいちゃんが仲良くハイタッチをする姿。
 そして、蘭子ちゃんの衣装の結び目を直してあげている雪歩ちゃん。

 あずささんに対して何故かタジタジになっている杏ちゃんの横では、真ちゃんにストレッチを手伝ってもらい絶叫している菜々さんが見えます。

「失礼」

 ふと、野太い声が聞こえたかと思うと、楽屋の方からCPさんが姿を現しました。
 その後ろには、シンデレラプロジェクトの子達もゾロゾロと総出でついています。

「CPさん……」
「ご迷惑かも知れませんが、こういう機会ですので、皆で激励にまいりたいと」
「迷惑だなんて。願ってもない事ですよ」


「サブP」

 CPさんの横で、声を掛けたのは凜ちゃんでした。

「今さら、私なんかが余計なお世話を言ってもしょうがないと思うけど……。
 悔いとか、残しちゃダメだよ」

「そうそう。後で忘れ物したから取りに来たーなんて言ったって、聞き入れてやらないぞー?」
「み、未央ちゃんっ、そこは申し開きを聞き入れてあげましょうよぉ」
「しまむーもさ、結構言うよね?」

 卯月ちゃんの天然っぷりに皆で笑うと、凜ちゃんは気恥ずかしそうに顔を赤らめて咳払いをしました。


 その様子を楽しそうに見つめて、プロデューサーさんが答えます。

「ありがとう、凜。それに皆。
 悔いならもう無い。皆のおかげだ」

 そう言って、彼はシンデレラプロジェクトの皆の顔を一人一人見渡しました。

「そして、すまなかった。
 今度会う時は、ライバル同士だ。
 俺に恨みがあったら、遠慮無くそれをエネルギーにして765プロにぶつけてやってくれ」
「ちょ、ちょっと、プロデューサー!?」

 慌てて千早ちゃんがツッコミを入れると、プロデューサーさんは頭を掻きながら誘い笑いをしました。

「そうでもしないと、やってられないだろ?
 こんなプロデューサーに散々振り回されて、せめて恨みでも売ってあげなきゃ彼女達も浮かばれない」
「それは、そうかも知れませんが」
「え、認めちゃうのか!?」


「ふふっ……上手く言えないけどさ」

 皆で大笑いする中、プロデューサーさんの隣にいる美嘉ちゃんが、鼻の頭を掻きました。

「アンタって、やっぱり765プロのプロデューサーなんだね」

「ガッカリしたか?」
「ううん」

 かぶりを振り、彼を見上げる美嘉ちゃんは、とても満足げでした。

「何ていうか、嬉しいな」
「何だそりゃ」
「アハハ」

 途端、会場から聞こえてくる歓声が一際大きくなりました。
 気づくと、プロジェクト・フェアリーの曲が終わったようです。

「……来たな」


「ただいまなのー!」
「お客さん、しっかり暖めてきたぞ!」

 煌めく汗を振りまきながら、彼女達はプロデューサーさんとハイタッチを交わしました。

 そうです。
 この次はいよいよ、紹介アナウンスがなされた後、彼女達――346プロアイドル達の出番です。


「ほら、プロデューサー」

 後ろの方から、伊織ちゃんが声を掛けました。

「大一番を控えたあんたのアイドル達に、何か言うべきことは無いの?」

「じゃあ、お客さんを待たせるのもなんだし……一言だけ」


 あれだけ大騒ぎしていた舞台袖が、しんと静まりかえりました。
 皆が、美嘉ちゃん達5人のアイドルに向き直ったプロデューサーさんを見守っています。


「皆……俺をお前達のプロデューサーにしてくれて、ありがとう。
 異なる事務所のそれぞれに担当アイドルがいたことは、これまでどのプロデューサーも経験し得なかったこと。
 それは正しく、俺の誇りだ」


「せいぜい誇りにしてもらわなきゃ困るよ」

 どこか皮肉めいてそう言ったのは、杏ちゃんでした。

「そっちでも杏達のPRをして、杏達の印税の足しにでもしてもらわなきゃ、こっちで馬車馬みたいに働かされた甲斐が無いし」
「はは、そうだな」

「我が友っ!」

 ぶわっ!と大きく腕を振り出し、蘭子ちゃんが見栄を切りました。
 雪歩ちゃんのおかげで衣装の結び目は何とか直り、安心して腕を振り回せるとイキイキしています。

「異世界にて開かれし聖夜の宴……互いの旅路を祈る祝福の鐘を盛大に打ち鳴らすは、我らの務めよ!
 凍れる時に終わりを告げ、互いの天(そら)に抱きし星の煌めきを、我らの新たな血の盟約としようぞ!」
「あぁ、もちろんだ蘭子」
「……っ!」


 嬉しそうに顔を輝かせる蘭子ちゃんに頷いて、プロデューサーさんは菜々さんに向き直りました。
 菜々さんはもう感極まっているのか、俯いています。本当に涙腺がユルユルのようです。

「ステージ上では、泣いちゃダメだぞ、菜々さん」
「わ、分かってますよぉ……グスッ……!」

 ゴシゴシと、手袋の甲で顔を拭いて、菜々さんは鼻を赤くした顔を上げました。

「ウサミン星人は、キメる時はちゃんとキメる事で、ファンの方々の間でも有名なんです。
 絶対に、プロデューサーさんが346プロに来てくれて良かったって思えるようなステージにしてみせます!
 ねっ、きらりちゃん!」

「うんうん、もっちろんだにぃ☆」

 同意を求められたきらりちゃんは、バァッと手を大きく振り上げました。
 危うく天井に届いてしまいそうな勢いです。

「みんなで積み上げたきゅんきゅんパワーで、会場のみんなとハピハピするの、すっごく楽しみだにぃ!
 サブPちゃんがきらり達にくれたもの、今度はきらり達がお返しする番だゆぉ♪」
「俺が与えた混乱への仕返しか?」
「ち、違うってぇ! もうっ!」
「ハハハ、冗談だ」

 手を振りながら茶化してみせた後、ふぅっと一息をついて、彼は美嘉ちゃんに向き直りました。


「……しっかり目に焼き付けておいてね。
 アンタにもこんな担当アイドルがいたんだって……絶対に、忘れさせてやらないんだから」

「当たり前さ。俺はお前達のプロデューサーだからな」
「ハハッ★」


「……出番だ。行ってこい」

 プロデューサーさんが掲げた手を目がけて、美嘉ちゃん達は嬉しそうに、次々に思いきりハイタッチをしていきます。
 そうして、暗転中の舞台へと一目散に駆けていきました。


「それでは、私達もこれで」
「えぇ」

 CPさん達とシンデレラプロジェクトの子達も、舞台袖から撤退していきます。


「プロデューサー。
 私は社長から電話がかかっていたようでしたので、ちょっと一旦外します」
「? あぁ」

 律子さんもそう言って、小首を傾げるプロデューサーさんを残し、そそくさとその場を後にしていきました。



 舞台袖には、765プロアイドル達に加え、私とプロデューサーさん、小鳥さんが残りました。


「ところで、ちひろさん」
「はい」

 美嘉ちゃん達が去って行った舞台の方を見つめながら、プロデューサーさんは口を開きました。

「こんな時になんですが……何で俺のことを、プロデューサーさんって呼び続けたんですか?」
「何でって?」

「事務員だった時もそうですが、サブのプロデューサーだった時も……頑なに俺のことを、“プロデューサーさん”って。
 それだけが、俺は不思議でした」


 ――いざ聞かれても、困りますけれど。

「プロデューサーさんだからとしか、答えようがありません」

 肩をすくめて彼に笑いかけつつ、私は会場アナウンス用のマイクが設けられた席に着きました。

「誰か「コレだ!」と思うアイドルを担当してこそ、プロデューサー。
 あなたを一目見た時から、この人には絶対に、サブなんかじゃなく、担当アイドルがいなきゃおかしいんだって。
 そう信じていたんだと思います」


「……そう言えば、先日いただいたチケットですが、俺は使いません」

 プロデューサーは、満足げに頷きつつ、鼻を掻きました。

「ライブにおける俺の居場所は、いつだってこの舞台袖です。
 俺は“プロデューサー”ですから」
「えぇ、知っています」

 実は、私達346プロからの提案で、プロデューサーさんには関係者用の席を1席、確保していたんです。
 ご自身が担当したアイドルの晴れ舞台を、ぜひ観客席から見てもらいたいと思って。

 でも、それは無粋な提案でした。
 彼にとって、担当アイドルの晴れ舞台を見守る場所は、この薄暗い舞台袖しかあり得ないのだと。

「だから、チケットは彼女に託しました」
「? 彼女って?」

「アメリカで出会った、あの子です。
 おそらく、直接会場には来れないけれど、ライブ配信を視聴すると言ってくれて」

 聞けば、765プロダクションの専用配信チャンネルから、今日のライブを生放送で視聴できるのだそうです。
 視聴用のパスコードは、チケットに印字されているとのことでした。

「今さらこんな事をして何になる、とも思いましたが……やはり、諦めきれないもんですね」


「きっと見てくれますよ。
 苦楽を共にしたプロデューサーさんからのラブレターを、その子が放っておくはずがありません」

 私は大真面目に言ったつもりでしたが、プロデューサーさんはフンッと茶化すように鼻を鳴らすだけでした。



「……時間を取らせました。
 じゃあちひろさん、よろしくお願いします」
「はいっ」

 本当は、彼女達の紹介アナウンスは、小鳥さんが行うはずでした。
 でも、小鳥さんから提案されたんです。

「ちひろさんもどうか、あの子達の……プロデューサーさんの力になってあげてください。
 その方が、あの人もきっと喜びます」

 アイドル達はともかく、他社の事務員である私にまで見せ場を用意してもらうなんて、些か恐縮ですが――。
 任された以上は応えなければ、346プロが誇る“鬼の事務員”千川ちひろの名が廃ります。

 全然鬼でも悪魔でもないんですけれど――。
 まぁ、一人で勝手に釈明していれば世話無いか。


 ふふっ、と一人、自嘲じみて小さく笑います。
 スタンバイが整った旨をスタッフさんから聞き、コホンと咳払いをした後――。

 私はマイクのスイッチを入れ、ボリュームのつまみを押し上げました。

『皆様、本日はこの765プロさんのクリスマスライブで大変な盛り上がりの中、失礼致します。
 私、346プロダクションという芸能事務所で事務員をしております、千川ちひろと申します』

 ウォォォォオォォォォォ---ッ!!!!


 ――!?

 な、何だか私のアナウンスでさえ、既に凄い反応です。
 思いのほか、765プロファンの方々の間での私の認知度も、畏れ多くも結構あるようでした。

『……ありがとうございます。多大なるご声援、誠に恐縮です』



『ところで皆様……話は飛んでしまいますが、会場にお越しの皆様は、道に迷われた際、どうされますでしょうか?』

『スマホで地図アプリを起動する、友人や知人に電話して聞く……。
 きっと多くの方は、そうされるのではと思います』



 意図せず異国の城に仕える事になった兵士と、その城のお姫様。

 かの物語のように、たとえ両者が添い遂げる結末にはならずとも、お互いの未来を尊重し合い、祈り合えるのだとしたら――。

 この先、迷い傷つくことがあったとしても、その希望に満ちた輝きを胸に抱くことができたなら。



『一方で、技術が今ほど発展していなかった時代……人々は星の明かりを頼りに、自身の道を見出したと言います』

『文字通りの道標として、方角を知るために空を見上げた人もいれば……。
 彼方にいる想い人も、同じ光を見ている……そんな願いを馳せて、生きる力に変えた人もいたでしょう』

『迷える子羊達に、パンとワインのご用意はありませんが、輝ける未来を信じる勇気を……。
 今夜、346プロのアイドル達が披露するステージは、そんな想いが込められたものとなります』


『聖なる夜に舞い降りた、346の星々達による夢の共演を、どうぞ心ゆくまでお楽しみください』


 ワアァァァァァァァァァ---!!! パチパチパチパチパチパチ…!!

https://www.youtube.com/watch?v=ghBmhPL7AmA












 ~~♪

 ウオオォォァァァァアアァァァァァァァァ----ッ!!!!! パチパチパチパチ…!!!



  空見上げ 手をつなごう
  この空は輝いてる
  世界中の手をとり
  The world is all one!!
  Unity mind.


   CINDERELLA STARLIT 【 The world is all one !! 】

 STARLIT(星明かり)――それが、プロデューサーさんの考えたユニット名でした。

 当初は『スターリット』の一語だけだったのですが、より346プロらしさを示した名前にしようという皆の意見により、『シンデレラ』を頭に付け加えたものです。

 これについては、CPさんにも了解を取るべく相談したのですが、CPさんは穏やかにこう答えました。


「私のものではありません。
 シンデレラの称号は、他ならぬ彼女達のものです」


 346の城に迷い込んだプロデューサーさんを救い出す、星達の煌めき。

 それは、彼が抱いた346プロアイドルへの感謝が込められたユニット名。

 でも、その想いは実のところ、一方向ではありません。


  ねぇ、泣くも一生
  ねぇ、笑うも一生
  ならば笑って生きようよ 一緒に


「彼女達……ずっと一点を見つめていますね」

 彼の隣に立ち、そう指摘すると、プロデューサーさんは肩をすくめました。

「会場へのアピールとしては、マイナスですよ」
「ふふっ」


 そう――『シンデレラ・スターリット』の5人は皆、会場の中央にただ一つ残された空席の方へと向いていました。
 そこに座り、見守ってくれるプロデューサーさんの姿を追い求めて。

 彼女達もまた、彼に対するこれまでの感謝の想いを、このステージに込めたのです。


  顔を上げて みんな笑顔
  力あわせて 光目指し
  世界には友達
  一緒に進む友達いることを忘れないで!


「ですが……」

 そう言って、プロデューサーさんは腕組みをしたまま、黙してジッと舞台の上を見守りました。

 微動だにしていないかと思えば――よく見ると、組んだ腕の上で指をトントンと叩き、リズムを刻んでいます。

 ――ふふっ。

 この人は身体の芯からプロデューサーなのだという、私の見立ては当たっていたようです。
 アイドル達と一緒になって、戦っています。

 そうでなきゃ、おかしいもの。

 黙して小鳥さんと目配せをします。
 彼女も同じ事を考えていたようで、二人で忍ぶように笑い合いました。


  ひとりずつ 違うパワー
  ひとつに重ね合えれば
  この地球の未来は The beam of our hope
  晴れわたる この気持ち
  まっすぐに輝いてる
  世界中の手をとり
  The world is all one!! The world is all one!!
  Unity mind.

 さぁ、いよいよCメロです。
 ここで用意していたサプライズがあります。


  前を向いて 前を向いて


 突如、伊織ちゃんと真ちゃんが上手から登場し、会場がますます歓声に沸き立ちます。


  ほら、空を見上げよう


 今度は、下手から春香ちゃんと千早ちゃん、美希ちゃんも合流し、会場は大喜び!
 ここまでは台本通り、ですが――。


  前に進もう 前に進もう


 クライマックスを迎えるや否や、舞台の上手と下手から、一斉に19名のアイドル達が躍り出てきました。

 そうです。
 出番を控えていた765プロアイドル達と、きらりちゃんと杏ちゃん、蘭子ちゃん達を除くシンデレラプロジェクト11名全員です。

 先ほど電話があったと言って出て行った律子さんも、ステージ衣装に着替えて登場したのです。
 バレないよう、彼に隠れて。


  人生は楽しめる Sympathy & Teamwork


「ハッハッハッハ」

 それを目にしたプロデューサーさんは、声を上げ、手を叩いて笑いました。
 彼にはずっと、秘密にしていたことだったのです。

 シンデレラプロジェクトの子達なんて、私服で舞台袖の応援に来ていたんです。
 それが、観客席へと撤収したかと思いきや、衣装に着替え、765プロの子達と共にステージに合流する。
 そんな荒唐無稽なサプライズを、プロデューサーさんはひどく愉快に感じてくれたようでした。

「誰が言い出したんです、これ? 春香?」
「さぁ、誰なんでしょうねぇ?」

 プロデューサーさんは、ただただ呆れたと言った様子でかぶりを振ります。


「確かに『団結』がテーマの曲ですが、何でもやりゃあいいってもんじゃない。
 あまりに散漫になりすぎて、観客だってどこを見たら良いか分からないでしょう。
 俺だったらこんな狭苦しい演出、絶対に良しとしないし……あーあ、ほら見てください。
 大方、全員で合わせる時間も取れなかったんでしょう。ダンスも皆バラバラだ」


 ぶつくさと文句を言いながら、それでもプロデューサーさんは笑ってくれていました。

 ステージ上には、事務所の垣根を越え、美嘉ちゃん達『シンデレラ・スターリット』をセンターにした総勢29名のアイドル達。
 それらはさらなる煌めきを放ち、互いに手と手を取り合う団結の尊さを歌います。


  ひとりでは出来ないこと
  仲間となら出来ること
  乗り換えられるのは Unity is strength
  空見上げ 手をつなごう
  この空はつながってる
  世界中の手をとり
  The world is all one!! The world is all one!!
  Unity mind.

 ワアアアアアァァァァァァァァァァァァ---!!!!! パチパチパチパチ…!!



 地鳴りのような大歓声に手を振り、美嘉ちゃん達5人が一歩、前に歩み出ました。


「私達はぁーっ!!」

「『シンデレラ・スターリット』ですっ!!!」


「ありがとうございましたぁーーーっ!!!」


 ワアアアアァァァァァァァァァァ---……!!!!





「ですが……良い笑顔だな、って思います」





 私から語るクリスマスライブのお話は、これでおしまいです。

 そして、魔法にかけられたような12月は終わり――。



 年が明けると、プロデューサーさんは346プロの下を永久に去りました。

   * * *

「いやぁ~、ウチのプロデューサーも一時はどうなることかと思ったが……
 雨降って地固まる、と言ったところかな?」

「フンッ! そのままボロボロに崩れてさえいれば良かったものを」

「いやいや、あぁして立ち直ってくれたのも、元はと言えば機会を与えてくれた黒井のおかげさ。
 美城君へ口利きをしてくれたお前には、感謝しているよ」

「勘違いをするんじゃあないぞ、高木。
 私は貴様のプロデューサーがどうなろうと知ったことではない。それに」

「それに?」


「346プロの弱体化を狙ってあの軟弱プロデューサーを仕向けたのに、どうして346も765も勢いづく事になったのだ!」

「ハッハッハ、それは当人達を前にして言うことではないだろう。
 なぁ、美城君?」

「黙れ! いいか、よく聞け美城よ。
 私がその気になれば、貴様の娘が唱えるお姫様の城などというくだらん妄想など、いつだって塵芥にできるのだ。
 貴様の城なんて、シンデレラじゃなくて3匹の子豚の小屋だ、小屋!」

「三男坊が建てた、頑丈な方の小屋かい?」

「頑丈じゃない方のだっ!! いちいち言わせるな!」

「ハッハッハ、まぁまぁ……。
 そうだ。そんなに言うなら、今度お前の事務所も同じ事をやってみるといい」

「何だと?」

「人材交流さ。
 異なる事務所の間でそういう取り組みを行うことは、決してマイナスにはならない。
 今回の一件で、お前にもよく分かっただろう?」

「大きなお世話だ。
 第一、我が961プロはプロデューサー制などという軟弱な体制を敷いていない。
 寄こすも受け入れるも、そもそもの筋合いが無いのだということを、貴様には散々説明をしたはずだがな」

「そうだったか。フ~ム……」

「やりたいのなら、せいぜい346と765のお人好し同士、仲良くおままごとでも続けるんだな。
 なんなら、今度は逆にでもしたらどうだね?」

「逆って……346から765へ、ということかい?」

「弱小プロダクションに子豚が迷い込めるだけの余地があればの話だが?
 ハッハッハ、コイツはいい!
 あんな狭っ苦しい事務所を見て、お姫様気取りの豚共が卒倒する様をぜひ見てみ……」


「……フム」

「? ……何を考えている、高木」

「いいね、それ」

「は?」



「……美城。貴様まで、何を満更でも無さそうな顔をしているのだ」

   * * *

「千川さんっ!」

 とある部署の元新人プロデューサーさんが、嬉しそうな顔をして私に駆け寄ってきました。

「この間話していたオーディション、無事に受かりました!」
「あらっ、やりましたね! おめでとうございます!」
「はい! これを足掛かりにガンガン業界に売り込んで、アイツの存在感を知らしめてやりますよ!」

 キー局の番組のゲスト出演枠を決める大きなオーディションが、通ったとのことです。
 彼も担当アイドルの子も、多大な苦労を重ねていた事を知っていたので、私まで自然と嬉しくなります。

「それで、そのぉ……PRにかけるための予算をですね、頂戴したいなぁ、なんて、えへへ……」

「? そっちの予算は、広報部さんに既に回してありますけど」
「えっ? で、でもっ!
 あっちに聞いたら、もう新規に回す分の金は無いって言われたんですよ!」

「この前の予算要望の時に、その辺りを見込んでしっかり要求しなかったからじゃないですか?」
「うっ……!」

 痛い所を突かれ、彼はたちまち返す刀を失ってしまったようです。
 まぁ、突いた側が言うのもなんですが、こういうケースの責任は大体決まってるもんなんですよね。

「まさか、ご自分の担当アイドルがオーディションに受かる可能性を考慮していなかった、なんて話ではないでしょう。
 それを抜きにしても、本当に必要なお金であるなら、常に先を見越して十分な精査が成されてあって然るべきです」
「う、ううぅ……」

 元新人プロデューサーさんは、その場に立ち尽くしたまま、すっかり体を縮こませ、小動物のように震えてしまっ――。
「うぅぅ、分かりました!」
「?」


「こ、今回は俺の不手際です!
 何とか俺の先輩達にひたすら謝り倒して、どうにかPRの経費を恵んでもらえないか掛け合ってみます!
 ちひろさんや広報部さんには、ご迷惑をお掛けしません!
 自分の不始末は、自分で何とかします!!」


 ――うーん、決して悪い人ではないのですが。

「それ、自分で何とかできていないのでは?」

「あぅ……!」

「第一、その先輩さん達の担当アイドルのためのPR予算を、一部犠牲にすることにもなっちゃうでしょう」


 私は、バッグから手帳を取り出し、メモを書き加えました。

「いくら必要なんですか?」
「へっ?」


「こういう事もあろうかと、流用のために確保してある臨時調整金という予算枠が、あるにはあります。
 アイドル一人のPRにかかる当面の経費程度なら、何とか賄えると思いますから、後で流用理由書と事業計画をウチにくださいね♪」


「せ、千川さぁぁん……!」

 張り詰めた緊張の糸が切れたのでしょうか。
 安堵しきった彼は、男だてらに、とは言いませんが、すっかり泣き出してしまいました。


「4月から入ってくる新人さんにも、ちゃんと教えてあげてくださいね。私の代わりに」


 あの人にも、こういう時があったのかなぁ――なんて。
 ふふっ♪


 私は踵を返し、常務室へと足を運びました。

「失礼致します」

 部屋に入ると、常務はいつからそうしていたのか、手元の書類を難しそうな顔をしてジィーッと見つめています。

 その書類は、私にも心当たりがありました。


「……君は、上役を便利屋か何かのようにでも考えているのか?」

 開口一番、常務は私に問い質しました。
 随分と藪から棒です。

「何の事でしょう?」
「君があの事務所と未だに繋がりを持っていることは知っている」

 書類をデスクの上に投げ置き、いつものように手を組んで私を睨み上げてきます。

「父から……会長から、またしても無茶な依頼があった。
 目の上のタンコブをどのように扱えば良いものか、君からもぜひご教示賜りたいものだと思ってね」

「本当に知らないんです」

 私はニコリと笑って返します。

「今回の一件は、私は何も関知していません」
「誰もこの書類の内容について話をしないうちから、随分と知った風な口を利くじゃないか」

 いつぞや鎌をかけられた事の仕返しとばかりに、常務は鼻を鳴らしました。
 でも――。

「既に皆知っています。
 それは、この事務所の皆が……少なくとも、当事者となる人達は皆、それを待ち望んでいたからです。
 それがようやく、先方からの申し入れによって日の目を見たのだと、私は先方の事務員さんから教えていただきました」

 フンッ、と面白くなさそうにため息をつき、常務は先ほど投げ置いた書類を手元に引き寄せながら、引き出しを開けました。
 中からご自分の印鑑を取りだし、書類に判を押して私に差し出します。

「くれぐれも、346のブランドイメージを損ねることの無いように」
「ありがとうございます。
 それと、4月からの専務昇格、おめでとうございます」

「君があっちにいる間に、また役職が変わっているかもな」

 そう言ってクルリと椅子の背を向ける間際、常務の口角が上がっているように見えました。


 この人も、そういうお茶目な皮肉、言うことあるんだなぁ。

「働きすぎないよう、お身体はくれぐれも大事にしてくださいね♪」

 そう言って、私はバッグからエナドリを一本取り出し、常務のデスクに置いて失礼させていただきました。

 お聞きした話によれば、765プロからの正式な申し入れがあったのは、3月に入ってから。
 でも、実際のところ、1月中には既にそういう話が、お偉いさん方の間で決まっていたみたいです。

 765プロの高木社長と、ウチの美城会長――さらには、961プロの黒井社長も一枚噛んだのだとか。

 目の上のタンコブだと、美城常務は会長の勝手な振る舞いを迷惑がっていましたが――。
 何だかんだで判を押してくれる辺り、私達を応援する気持ちはあるのでしょう。


「千川さん」


 廊下を歩いていると、前方からやってきたCPさんと出会いました。

「諸星さんと双葉さん、神崎さん、安部さんについては、先ほど必要書類を提出させていただきました。
 城ヶ崎さんは……おそらくは、常務が取り次いでくださるかと思います」
「ありがとうございます」


「我が事ではないものの……不思議と、気分が高揚するものですね」

 穏やかに微笑むのを見て、私もつい頬が緩んでしまいます。
 この人、結構お堅い人のはずなのになぁ。

「この間電話でお話したんですが、すごく忙しいみたいです。
 ひょっとしたら、CPさんにもいずれお呼びがかかるかも知れませんよ?」
「その時が来るのであれば、ぜひいつでも」

 CPさんは、力強く頷きました。
 いずれ来るかも知れない機会に向けて、心づもりは万端のようです。


「何かお困り事があれば、遠慮無くご連絡ください。
 ご武運をお祈りします」

「ありがとうございます。
 CPさんも、何もなくてもご連絡くださいね」
「はい。それでは、失礼」

 丁寧に私にお辞儀をして、彼は私の下を去って行きました。

 765プロから346プロへの人材派遣は、昨年でその取り組み期間を終えました。
 彼は――プロデューサーさんはもう二度と、346プロに来てくれることはありません。

 ですがそれは、プロデューサーさんに二度と会えないことを意味するわけではなかったんです。
 だから、ちっとも寂しいことではありません。

 なぜって、私達が会いに行けば良いのですから。


 346プロからの派遣メンバーとして、選ばれたアイドルは5人。
 きらりちゃんと杏ちゃん、蘭子ちゃん、菜々さん、美嘉ちゃん――。

 シンデレラプロジェクトをはじめとする他のアイドルの子達も皆、『シンデレラ・スターリット』の5人が行くことに賛同していました。

 美嘉ちゃんは、あのライブが終わった後、美城常務が主導するプロジェクトクローネに正式に配属されました。
 だから、美嘉ちゃんの手続きについては、常務が直接取りなしてくれるのでしょう。

 そして、今回の765プロへの人材派遣は、なんと346プロだけではなく、他の事務所からも募るというのです。
 その中には、283プロダクションという事務所の名前もありました。

 あの日、竹芝でプロデューサーさんと初めて会った時、プロデューサーさんが履き物を履かせてあげていた女の子――。
 283プロ所属のアイドル、杜野凜世さん。

 彼女もまた、今回の参加メンバーに選ばれたのだそうです。
 プロデューサーさんがいる事務所に、彼女も興味を惹かれたのかも知れません。

 それに、765プロの新規プロジェクトである“劇場(シアター)”立ち上げに際する5人の候補生達――。


 パッと想像するだけでも、当初の765プロの規模から考えれば、かなりの大所帯になるのは目に見えています。
 事実、事務仕事も膨大になり、猫の手も借りたい状況なのだと、765プロの小鳥さんは電話口で嘆いていました。

 そこで、当初はアイドルだけだったはずが、事務員の応援についても、小鳥さんから依頼があったのです。
 283プロの事務員さんにも、同様にヘルプを依頼しているそうなのですが――。


「346プロでは見せなかったであろう、プロデューサーさんの色々な顔……
 もっと知ってみたいと思いませんか?」


 電話口で、小鳥さんから得意げにそう言われてしまっては、聞き捨てる訳にはいかないじゃないですか。

 なので、一応ウチも大企業ですし?
 余裕を見せようと、二つ返事でその挑発に乗ってやったのです。

 小鳥さんも、まったく人が悪いです。ふふっ♪

 トレーニングルームの前を通り過ぎると、元気な声が聞こえてきました。

「ほらほら、皆だらしなくない? もっとしっかりやろっ!」


 檄を飛ばしているのは、美嘉ちゃんでした。
 屋内とはいえ、さほど暖房を強くかけていないはずのその部屋で、キラキラと大粒の汗を振りまいているのが見えます。

「にゃははは、美嘉ちゃんすごいやる気だねー。ひょっとして発情期かにゃ?」
「発じょ……!? な、何言ってんの志希ちゃん! そんなんじゃないしっ!!」
「あー、そういや今度行く事務所で愛しのプロデューサーさんが待ってるんだったっけ?
 こりゃ赤飯炊いとかなきゃねー、いやーお腹いっぱいやわー」

 なるほど、これが常務の仰っていたクインテットユニットかぁ。
 他の4人の子達も、美嘉ちゃんに負けず劣らず個性的なメンバーばかりです。

「あのね! アタシは別にそんなんじゃないって何度も言ってんじゃん!」
「図星を指された時ほどムキになる、なんてね。
 ただでさえ競争は激しい上に、あっちには既に関係を築いた子もいるでしょうから、一筋縄ではいかないと思うけど?」
「何でアタシが競争しなきゃいけないの!? いいからさっさとレッスン…!」
「ねーねーミカちゃん、知ってた?
 アイラビューをフランス語に訳して日本語で言い直すと、月が綺麗になるんだって!」
「どうでもいいし、何でフランス語かませたの!!?」

 賑やかな声が絶え間なくこだまするトレーニングルームを眺めていると――。

「あ、ちひろさん!」


「あら、菜々さん達、お疲れ様です」

 菜々さんときらりちゃん、杏ちゃん、蘭子ちゃん。
 今度派遣される『シンデレラ・スターリット』の皆さんです。

「美嘉ちゃん、中にいりゅ?」
「えぇ、とても楽しそうですよ」


「うわぁ、こんな集団の中に入る勇気は杏無いよ……どっかで時間潰さない?」

 窓から覗いて顔をしかめる杏ちゃんを、菜々さんが叱責しました。

「ダメです!
 明日からナナ達、765プロさんでお世話になるんですから、ちゃんと初めのご挨拶を皆で考えていかないと」
「だから、今じゃなくても明日出る前とか…」
「鍛錬無き魔力に輝きが宿ることなど無いわ!
 茨があるならたとえ……うわ、LiPPSの人達」

 蘭子ちゃんも、どうやら中にいる子達の雰囲気に圧倒されているようです。
 これから他社さんに行こうって人達が、こんな事でビビってどうしますか。


 私は、トレーニングルームの扉をガチャッと勢いよく開けました。

「美嘉ちゃーん! 皆さんがお呼びですよー!」

 その瞬間、助けを求めるような美嘉ちゃんと、新たな標的を見つけた4人の子達が一斉にこちらへ振り向きました。

「な、ち、ちひろさんっ!?」
「にょわー☆ みんなー、ちょっと美嘉ちゃん借りるにぃ♪」
「じゃ、杏はこれで」
「ぴぇっ!? け、結界を張る前に解き放たれては……!」

「おや」
「ほう」
「あら」
「ンー?」

「みんな、助けて、ていうか逃げてぇーっ!!」

 この賑やかな様子なら、765プロへ派遣されている間も、彼女達は元気に楽しくやっていけそうです。

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