【モバマス】加蓮「止まない雨を」 (47)
トリップ大丈夫かな?
オッケーそうならやっていきます
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「私、梅雨が好きなんだ」
静かな夕方前の事務所で。
唐突に、加蓮はそう言った。
「──そりゃあまた、なんで?」
PCの画面と向き合いながら訊ねる。加蓮は俺のデスクの傍に何処からか丸椅子を持ってきて、そこに腰を下ろしていた。
この場だけを切り取れば。
まるで放課後の職員室で、説教を受けている生徒とその担任教師のような構図だ。加蓮が制服、俺がスーツなので、その感はより強まっているようでもあった。
「奈緒がそわそわする季節だから」
そう応える加蓮は、にやつきながら目配せをして、ソファの方へと顔を向ける。
つられるようにそちらを見ると、そこには神谷さんがいた。
テーブルの隅に折り畳み傘を置き、何度もスマホを確認したり、掛時計を窺ったり……。
落ち着きのない様子で、手元に開かれた雑誌は一向に頁の捲られる気配がなかった。
「なるほろ……」
笑いを堪えて俺も呟いた。
六月も半ばを過ぎて、梅雨は本番を迎えている。外では今日も大粒の生暖かい雨が、街を湿らせるようにして降っていた。
「奈緒ったら可愛いんだよ。この間迎えに行った時は、濡れた髪をごわごわ拭かれたらしくって。『子供扱いされちゃ困るよなー、ホント』なんて私たちに愚痴るんだけど、顔にやけっぱなしでさ」
加蓮の話に吹き出しそうになる。照れと嬉しさをごちゃ混ぜにした表情で、笑う神谷さん。
確かに容易に想像することが出来た。
噂されているだなんて、思ってもいないのだろう。神谷さんはぼんやりとスマホを眺めていた。
──と、彼女の背筋がぴょんと伸びる。勢いそのままに立ち上がり、いそいそと事務所を出ていった。
「……行きましたなぁ」
そう言う加蓮に、俺も続ける。
「彼が帰ってくるようですなぁ」
きっと見送る俺達は揃って、何とも言えないにんまり顔をしていたことだろう。
神谷さんが出ていった直後、ちょっとした悪戯心が湧いた。
スマホを取り出し電話を掛ける。
急に動き出した俺を、加蓮は怪訝そうな顔で見ていた。
「お疲れ様です、先輩。今ちょうど駅に着いた所です」
電話の相手は後輩社員だった。彼の呑気な声の後ろでは、人々のがやがやとしたざわめきが聞こえていた。
「お疲れ。ちょっとお使い頼んでもいいか」
「はいはい、何です?」
「コーヒー切れそうなんだ。ミモザで豆買ってきてくれ」
“ミモザ”は事務所近くのカフェ。店ではブレンドしたコーヒー豆の販売も行っていた。店のお勧めは、苺のタルトらしい。
「分かりましたー。いつものオリジナルブレンドで良いんですかね?」
「それで大丈夫だろ。領収書貰うの忘れないようにな」
「はあい」
間延びした声で電話を切りそうな後輩を留め、付け足して言う。
「今日まともに休む時間なかったろう。適当に休憩してから戻ってこいよ」
「あれ、良いんですか」
「要領良くサボるのも仕事の内さ。どうせ今日はこの後、予定も詰まってないしな」
「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えます」
「そしたら、そういう感じで。はい、はい、はーい」
そんな会話を終えた電話の切り際、 『誰か』が彼に話しかけるのが聞こえた。
「おぉい、プロデュ──」
神谷さんはどうやら間に合ったらしい。
思わずほくそ笑んでいると、脇腹を加蓮に突っつかれる。
「なぁにー。そんな気の利かせ方が出来るんだぁ」
感心半分からかい半分でそう言う彼女に、こちらも冗談交じりに返す。
「神谷さんには、うちの加蓮がお世話になっているんだ。ちょっとしたお礼くらいは、しとかないとな」
ま、確かにねえ。とはにかんで微笑む加蓮に、声を掛ける。
「コーヒー淹れるけれど。加蓮も飲むか?」
「私、コーラが良いなぁ」
「そちらはセルフサービスになっておりまーす」
「げぇー」
二人はそれから四十分程して、戻ってきた。
のんびり伸びをしている後輩と、照れ臭そうにもじもじとする神谷さんが対照的で、何だか可笑しい。
「すみません、休憩有り難く頂きました」
「お帰り。領収書はいつも通り、千川さんまで頼む」
俺の言葉に頷いた後輩は、机に溜まった書類をごそごそと探りながら言う。
「部長に報告と、明日の予定を確認してきますねー」
「ついでに決裁書類、持っていってもらっても良いか」
「良いっすよー」
部屋を出ていく彼を見送って、再びPCに向かおうとしていると、ソファに掛けていた神谷さんがぬっと立ち上がった。
油の切れたロボットのような妙な足取りで、ギシギシとこちらに歩いてくる。
「うわ……え、どしたの奈緒」
幾分気圧されながら、加蓮が訊ねる。
「あー、その、何というか。……お陰で、お茶して帰ってこれたので。お礼みたいな、あれと言うか……」
そう濁しつつ、俺と加蓮にそれぞれ何か手渡してくる。
受け取り見ると、それはミモザで売っているクッキーだった。
顔を真っ赤に染め、頬を掻きながら神谷さんは言う。
「色々気ぃ回してもらって、ありがとうございました」
その言葉が終わらぬ内に加蓮が彼女に抱き付いた。
「奈ぁ緒ーっ♪」
「だぁぁ! 何だよ加蓮っ、違うからな!? そういう、深い意味のあれじゃなくて──」
「奈緒は本当、そういう所可愛いよねぇ」
「話聞けよぉー……」
きゃいきゃいとじゃれ合う二人を眺めていると、事務所の扉が開く。
「お疲れ様です。……あれ。何騒いでるの、二人して」
イヤフォンを外しながら入ってきたのは、渋谷さんだった。神懸かったタイミングでの登場に、思わず笑いそうになってしまう。
案の定、顔を輝かせた加蓮は、生き生きと声を上げた。
「あ、凛! お疲れー。奈緒がねっ、今丁度──」
「ちょお! 加蓮、余計なこと言うんじゃないぞっ」
慌てて抑えようとする神谷さんも、その口元は楽しそうに緩んでいる。文字通り姦しい様子の彼女達に、事務所の空気も華やぐようだった。
三人はそのまま、ソファでしばらくお喋りを続けていた。時計は間もなく十九時を指そうとしている。
彼女達の会話の隙間を見て、俺は加蓮に声を掛けた。
「まだ雨降っているみたいだけど。帰り、送っていこうか?」
迷うことなく、加蓮は答える。
「あ、うん。お願いー」
そんな俺達の会話を聞いていた二人は、呆れるように口々に言った。
「箱入り娘だなぁー、全く」
「駄目ですよ、あんまり甘やかしたら。バカ犬になるんです」
「りーんー? 誰が犬だってー?」
笑顔で威嚇する加蓮を宥めながら、二人にも訊ねる。
「神谷さんと渋谷さんも。良ければ一緒に送っていくよ」
その提案に顔を見合わせた二人は、揃ってニッと笑った。
「あたし今日は凛と一緒に帰るんで、大丈夫でーす」
「ごゆっくり」
ここぞとばかりに、からかい返そうとする神谷さん。そして、澄まし顔の渋谷さん。
俺は二人に振られる形になった。
「……残念だな。両手に花かと思ったのに」
そう言う俺の肩を叩いて、加蓮は唇を尖らせる。
「ここに綺麗な花が一輪、まだ残ってるでしょー」
そんな加蓮を見ながら、渋谷さんがおどけて呟いた。
「わ、棘だらけの花だなぁ」
「ちょっと! どういう意味よ、それぇ!」
途端、二人の追い掛けっこが始まる。
加蓮が鬼で、渋谷さんが逃げ役だ。途中から何故か、流れるような自然さで神谷さんが巻き込まれてゆく。
三人は団子になりながら、笑い声を残して事務所を飛び出していった。
元気な奴等だなあ……。
何だか微笑ましく感じながら、机回りを整理する。しばらくすると、少し息を切らして加蓮が戻ってきた。
「あれ、渋谷さん達は?」
「そのまま帰ってった。すみませんね、棘だらけの花でー」
ふいと顔を背け、加蓮は拗ねるように言う。彼女のそれがポーズだけなのは重々承知していたが、その横顔に笑いながら謝る。
「冗談が過ぎたよ、悪かった。機嫌直してくれ」
俺のその言葉を待っていた。
そう言うように、ぱっと笑顔になった加蓮は声を弾ませた。
「私ぃー、そういえば何だか、お腹空いちゃったなぁー」
「分かった、分かった。何処かで夕飯も済ませていこうか。その代わり、親御さんにはちゃんと連絡しておくこと」
「やっぱ分かってるねぇ。そういう所、大好きだよーっ」
調子の良い奴め。
俺は軽く溜め息を吐きながら、PCの電源を落とした。
「ファミレスといい、ファストフードといい……。本当好きだよなぁ」
ドリンクバーから戻ってきた加蓮に対して、俺はそう言った。
帰り道のファミレスで俺はハンバーグセット、加蓮はドリアとサラダを食べた後のこと。
窓際の席に掛けた俺達は、のんびり会話していた。外では未だ、重そうな雲から漏れるように、雨がぱたぱたと降っている。
「ご飯も美味しい、ドリンク飲み放題、ポテトもたっぷりで良いじゃん」
そう言いながら加蓮は、半分以上ポテトの残った皿を、こちらに勧めてくる。
「毎回残す癖に、なんで『山盛りポテト』頼むんだよ……」
「あれぇ、おかしいなぁ。今日は何かいけると思ったんだけど」
「チャレンジ精神をそんな所で、発揮するなっつうの」
そう突っ込みながら、俺はその内の一本を口にする。多少ふにゃついたポテトは、まだほんのり熱を残していた。
ポテトを少しずつ片付けながら、色んな話をした。学校の話、ドラマの話、ネイルの話、事務所の皆の話……。
笑い声を上げたり手を叩いたりと楽しそうにする彼女。それを見て、俺の胸も思わず弾むのだった。
カップにコーヒーを注いでテーブルに戻ると、加蓮は窓の外を眺めていた。
その横顔が先程までと打って変わり、陰っているようで、俺は目を瞠った。
椅子に掛けながらそれとなく訊ねる。
「外に何か、面白い物でもあったか」
「え。あぁいや、別に」
そう応えた加蓮はさり気なく、こちらの顔色を窺った。彼女は少し間を置いてから窓の外を指差し、囁くように言う。
「あそこに病院があるの、見える?」
窓の外を一瞥してから、俺は答える。
「……あぁ、見えるよ。ここら辺でも一番大きいよな」
加蓮の細く白い指の先には、どっしりとした総合病院があった。黒々とした夜の中で立つ病院は、雨に打たれてその存在感をより強めているように見えた。
「私、小さい頃あそこにも入院してたことがあるの」
「ふうん。そうなのか」
相槌を打つ俺をまた、ちらり、加蓮は窺う。
──あれ、珍しい。
俺は思った。加蓮が言うかどうかを躊躇うだなんて。
言った後しばらくして、謝ったり訂正してきたことは、これまで何度かあったけれど。
彼女は一体何を話そうとしているのだろう。
気付けば僅かに、俺は身構えていた。
やがて決心が付いたのか、そっと深呼吸をしてから、加蓮は声を出す。
「私、梅雨が好きだったんだ」
そして、彼女は話し始めた。
「──あまり縁のないひとは、知らないかもしれないけど。病院って意外と、子供が多いんだよね」
昔を思い返しながら、加蓮はゆっくりと言葉を紡いでゆく。
「入院してる子だけじゃなくて、元気一杯な子達もいて。きっと家族や友達のお見舞いに来てたんだと思う」
宙を見ながら話す加蓮の瞳には、かつての光景が浮かんでいるようだった。
「病院の中庭では、そういう子達がしょっちゅう遊んでた。 やんちゃそうな兄弟が追い掛けっこしてたり、また別の日には女の子達がシャボン玉飛ばしてたり。 親子でキャッチボールしている日も、あったなあ」
溜め息を吐くように、彼女は一度ゆっくりと瞬きをした。
「小さな頃の私にとって、その子達は憧れだった。良いなあ。良いなあって。
私もあんなに大声で笑ってみたい。目一杯走ってみたい。転んで、膝を擦り剥いてみたい。
そう思いながら窓ガラスに顔を押し付けて、私は三階の病室から、中庭をずっと見下ろしてた。
……あんまり窓に貼り付いて見てるから、おでこが赤くなったりしてね。看護婦さんに笑われたことも、あったっけ」
今度は実際に、小さく溜め息を吐いた。
何故だろう。
俺には加蓮がまるで、懺悔しているように見える。
「けれど、ね。……ずっとそうしていると、胸の奥が何だかザラザラしてくるの。
わくわくしながら見ていた景色が、徐々に色褪せてきて。
どうして私はこんなに何もさせてもらえないんだろう。私が何か悪いことをしたのかなあ。
……そんな事ばかり、考えるようになってきちゃって。悔しくって。歯痒くって。苛立って。
窓にもたれたまま、ぼろぼろ泣いちゃうことだって、何度もあった」
眉を僅かにしかめて、加蓮は続ける。
「はしゃいだ男の子が上げる歓声が、耳障りだった。
点滴管やナースコールのコードが、自分を縛りつける縄に見えて、悲しかった。
笑ってる女の子に点滴パックを投げつけたら、どんな顔するだろう。
あのチビッ子、恐い婦長さんに叱られちゃえば良いのに。
大きな犬がやってきて、あの子達のお尻に噛み付かないかなあ。
そうやって、妬んで、恨んで、憎んで……。
ふふ。今になって思うとさ。そんな荒んだ内心じゃ、良くなるものも良くならないよね」
そう呟き、自嘲的に笑う。
吐いた言葉は加蓮の痛みそのものだった。グロテスクな程に純粋で、生々しい。
幼い頃のその感情は時の経過にも削れることなく、未だに鋭い棘を残していた。
「そんなに辛いなら、見なければ良い。そう思うでしょ?
……駄目なんだよね。 駄目、だった。
気付かない振りしてても、身体が自然と窓辺に吸い寄せられて。見ない振りしてても、目が勝手に走る姿を追っていて。
人って本当、不思議なんだ。
嫌いな物からは目を逸らせても、憧れる物から目を逸らすことは……出来ないみたい」
そこでふと我に返ったように、加蓮は俺の顔を見た。そして苦笑する。
俺は今、一体どんな表情をしているのだろう。
「本当、ひねくれた子供だよねー。陰湿でいけ好かないクソガキだって、自分でも思うもん」
虚勢を張るように明るい声を出す加蓮に、胸が痛んだ。
「そんなこと──」
慰めを口にしようとする俺を、加蓮は静かに目で制する。
ま、もう少し私の話を聞いていてよ。
そんな表情でこちらを見る彼女を前にして、俺の薄っぺらな言葉は、喉の辺りで詰まって消えた。
「でもね、一番辛いことは。走る子達を羨みながら眺めることじゃなかった。見ないように堪えることでもなかった。
……自分が嫌な奴だって気付くのが、一番辛かった」
何かを噛み締めるように、加蓮は口をぎゅっと結んで、再び開いた。
「どんなに小さくてもね、やっぱり分かるの。あの子達は元気に遊んで無邪気に笑っているだけ。それを勝手に妬むのも恨むのも全くの筋違いだ、って。
それでもそう思ってしまうのは、きっと私が意地悪な奴だからだ、って」
ふと見ると、加蓮の喉が震えていた。まるで、昂る感情を必死に抑え込んでいるように。
「それに気付く度、私は心の中で誰かに罵倒されるの。『あぁ、お前は何て嫌な奴なんだ。何て卑怯で、狡くて、浅ましい子供なんだ』って。
そんな自分の嫌な所に気付いてしまうと、身体中から力が抜ける位、やるせなくなるんだ。
……それが、どんな事よりも辛かった」
そう言いながら加蓮は胸にそっと手を置く。そして古傷を慈しむように、柔らかく撫でた。
「だから、私は梅雨が好きだった」
「雨が降れば、誰も中庭で遊べないから。
男の子も女の子もきっと皆、私と同じようにこうして外を眺めている。
そう思うと、何だか皆と同じラインに並べた気がして凄く安心した。
それに、誰が遊んでいるのも見ないで済めば、誰も妬まないでいられる、誰も恨まないでいられる。私は、私の嫌な所を見ないで済む。
そう思うと、溜め息が出る位ほっとした。
──あの子達の不幸が、私にとっての安らぎだった」
「だから、私は梅雨が好きだったんだ……」
加蓮はそう繰り返した。そして、ぽそりと言う。
「ごめんね。いつも優しくしてくれて、甘やかしてくれるけれど。私は本当はそんな、醜くて、汚くて、卑しい子なんだ。……ごめん」
見えない古傷から、血が滲んでいた。
疼きを抱えた加蓮は疲れたような微笑みを浮かべている。
俺は彼女に、何て声を掛けてやれば良いのだろう。
何て応えてやれば良いのだろう──。
迷いを捨てるように、俺は温くなったコーヒーを飲み干した。
「……加蓮。人の美しさって、何だと思う」
彼女は沈んだままの瞳で、こちらを見つめている。
「誰にでも優しくすれば、良いのかな。 全ての人に思いやりと愛情を持てば、良いのかな。 過ち一つない清らかな日々を送れば、良いんだろうか。……そんな下らないこと、聖人かキリストにでも任せておけ」
俺の言葉に加蓮の目が少し和らぐ。
もう、またそんな乱暴なこと言って。
「妬みも恨みも、人の自然な心の動きだ。何も後ろめたく感じる必要なんてないんだ。
そりゃあ、そう思わずに済むのなら、それに越したことはないぞ? 苦しみはより少なく、痛みはより小さい方が、生きるのは楽だからな」
──だけどな、加蓮。
「誰かの傷を癒せるのは、傷付いたことのある人だけだ。 誰かの悲しみを慰められるのは、悲しさを知っている人だけだ。 誰かの寂しさに寄り添えるのは、寂しい思いをした人だけなんだよ。
……お前が後ろめたく思うその感情が、今の加蓮の優しさを作り上げているんだ」
それで、いいんだよ加蓮。
常に完璧に正しくいれる人なんて、いないんだから。
“完全に正しい人”なんて存在するのならば、それは最早──人ではないんだから。
「喜んで、怒って、笑って、悲しんで。
時には妬んで、愛して、恨んで、憧れて、泣き散らして。
そうやって傷付きながら、汚れながら。
それでも誠実であろうともがき続ける加蓮を……俺は美しい人だと思う」
「随分、格好悪い『美しさ』だなあ」
目元をぎこちなく細めながら、加蓮は皮肉を言う。そんな彼女に俺も口元を緩めて応えた。
「もがいてる様なんて誰でも格好悪いもんさ。汗かいて、涙溢して、反吐はいて。みっともなくてこの上なくダサい。
でも人間が生きるのって、きっとそういうことだと思うんだ。
長い入院生活の中で人が生きること、そして死ぬことを眺めていた加蓮なら。……何となく、分かるんじゃないのか」
何かを堪えるように、加蓮は小さく下唇を突き出していた。
泣き出す直前の幼稚園児みたいで、少し微笑ましい。
「加蓮がここにこうして居てくれることを、本当に感謝しているんだ。
俺だけじゃない。神谷さんも渋谷さんも、事務所の皆も、ファンも、ご家族も、クラスメートも。
きっとそれぞれ、お前に救われている部分がある。
……加蓮のその美しさを、俺は心から誇りに思っているよ」
俺の話を聞き終えた加蓮は、ぱっと目を片手で隠し、身体ごと横を向いた。
「あの、ごめん。……ちょっとマスカラ取れちゃった、から。御手洗い行ってくるね」
「ゆっくり直しておいで」
加蓮の上擦った声に気付かない振りをしてそう応えた。
マスカラなんてしていなかっただろうが、意地っ張りめ。
この言葉が適切かどうかなんて、分からなかった。ただ嘘のない気持ちを伝えたかった。誠実であろうとする加蓮に、誠実に向き合いたかったのだ。
皿に残った最後のポテトを口に入れた。
油を吸って冷めきってはいたが、それでも俺には美味しく感じられた。
しばらくして、加蓮は何故か足音高く戻ってきた。どさっと乱暴にソファに掛け、尖った声を出す。
「私、パフェ食べるっ」
「……はぁ?」
何だこいつ突然に。
そう思って自然と半笑いになる俺を、彼女は睨んだ。
「何? 何か問題、ある?」
怒った振りで泣き顔を誤魔化すつもりなら、目元の充血を抑えるのが先だろうに。
俺が声を殺して笑っている間に、加蓮は店員を呼んで注文していた。
「苺のパフェとー、チョコバナナパフェで」
「おい、ちょ──」
「ご注文は以上でよろしいでしょうか」
「大丈夫でーす」
店員が去ってから、加蓮は俺にべーっと舌を出した。そんな彼女に恐る恐る訊ねる。
「へぇ、凄いな。二つも食べるのか」
「えぇっ! 私一人に食べさせるつもりー?」
「お前なぁ。勝手に……」
「ねっ? おねがぁい♪」
甘え声でそう言って、こちらに蕩けるような笑顔を向けてくる。
ちくしょう、この野郎。
誇りに思っている美しい加蓮に対して、俺は小さく舌打ちをした。
やって来たパフェに手を付ける頃には、加蓮もすっかりご機嫌になっていた。
まぁ元々怒っていなかったのだから、当たり前ではあるのだけれど。
「どう、私の選んだパフェは?」
「あんっまい。……けどまぁ、たまには悪くないかもな」
「ほら、でしょう? 喜ばせるために注文したんだから、感謝してよねぇ」
小生意気な口を利けているのだから、上々である。
パフェは器に驚異的なバランスで盛られていた。六月特有の湿気った空気を吹き消すような、その冷たさが心地好かった。
「──さっきの話に、もう一つ付け加えるんだけどさ」
「うん?」
間抜けな声で相槌を打って、俺は顔を上げる。
加蓮はこちらを見ていなかった。さも何でもないことを言うように、熱心にクリームをつつきながら、口を開く。
「昔より今の方がずっと、私は梅雨が好きだよ」
加蓮のその言葉を、パフェを口に運びながら、俺はしばらく考えていた。
梅雨が好き。
同じに見えても、理由が異なる昔と今。
子供達が外で遊べないという不幸が、自分にとっての癒しだったから、雨を願っていた昔。
そして、親友のときめきや幸せが、自分にとっても嬉しくて、雨を願っている今。
──誰かの不幸を喜ぶ昔よりも、誰かの幸福を喜ぶ今の方がずっと好き。
そう、彼女は言ったのだった。
それは何だかとても良いことだ。
そういう風に俺は思った。
「……なぁ、加蓮」
「んー、何?」
「パフェ。お代わりしても良いぞ」
「何言ってるの。もう食べられないって、流石に」
そう返しながら笑い声を上げる加蓮を、暖かく感じる。
神様がくれたこの優しい時間が、いつまでも続けば良い。自然とそう願っていた。
帰りの車内は静かだった。無理に会話をしなくても、居心地は良い。
加蓮は助手席で膝にブランケットを乗せたまま、ぼんやりとしている。
窓に散った水滴に街灯が滲んで、星のように煌めいていた。
あ、そうだ。
そんな中で加蓮は呟く。そして運転席の俺へと顔を向け、明るい声を出した。
「ねえ。やっぱり私は梅雨が好き」
「ふふっ。どうしてだ?」
「こうして、一緒に帰れるから」
「……ん、そっか」
一面曇った“星空”の下、車を走らせる。外では未だ雨が降っていた。
止む必要も、ないと思った。
【終わり】
ありがとうございましたー
色々拙くてすいませんー
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