【モバマス】加蓮「止まない雨を」 (47)

トリップ大丈夫かな?
オッケーそうならやっていきます

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1552290845

「私、梅雨が好きなんだ」

 静かな夕方前の事務所で。
 唐突に、加蓮はそう言った。

「──そりゃあまた、なんで?」

 PCの画面と向き合いながら訊ねる。加蓮は俺のデスクの傍に何処からか丸椅子を持ってきて、そこに腰を下ろしていた。

 この場だけを切り取れば。
 まるで放課後の職員室で、説教を受けている生徒とその担任教師のような構図だ。加蓮が制服、俺がスーツなので、その感はより強まっているようでもあった。

「奈緒がそわそわする季節だから」

 そう応える加蓮は、にやつきながら目配せをして、ソファの方へと顔を向ける。
 つられるようにそちらを見ると、そこには神谷さんがいた。

 テーブルの隅に折り畳み傘を置き、何度もスマホを確認したり、掛時計を窺ったり……。
 落ち着きのない様子で、手元に開かれた雑誌は一向に頁の捲られる気配がなかった。

「なるほろ……」

 笑いを堪えて俺も呟いた。


 六月も半ばを過ぎて、梅雨は本番を迎えている。外では今日も大粒の生暖かい雨が、街を湿らせるようにして降っていた。

「奈緒ったら可愛いんだよ。この間迎えに行った時は、濡れた髪をごわごわ拭かれたらしくって。『子供扱いされちゃ困るよなー、ホント』なんて私たちに愚痴るんだけど、顔にやけっぱなしでさ」

 加蓮の話に吹き出しそうになる。照れと嬉しさをごちゃ混ぜにした表情で、笑う神谷さん。
 確かに容易に想像することが出来た。

 噂されているだなんて、思ってもいないのだろう。神谷さんはぼんやりとスマホを眺めていた。
 ──と、彼女の背筋がぴょんと伸びる。勢いそのままに立ち上がり、いそいそと事務所を出ていった。

「……行きましたなぁ」

 そう言う加蓮に、俺も続ける。

「彼が帰ってくるようですなぁ」

 きっと見送る俺達は揃って、何とも言えないにんまり顔をしていたことだろう。


 神谷さんが出ていった直後、ちょっとした悪戯心が湧いた。
 スマホを取り出し電話を掛ける。
 急に動き出した俺を、加蓮は怪訝そうな顔で見ていた。

「お疲れ様です、先輩。今ちょうど駅に着いた所です」

 電話の相手は後輩社員だった。彼の呑気な声の後ろでは、人々のがやがやとしたざわめきが聞こえていた。

「お疲れ。ちょっとお使い頼んでもいいか」

「はいはい、何です?」

「コーヒー切れそうなんだ。ミモザで豆買ってきてくれ」

 “ミモザ”は事務所近くのカフェ。店ではブレンドしたコーヒー豆の販売も行っていた。店のお勧めは、苺のタルトらしい。

「分かりましたー。いつものオリジナルブレンドで良いんですかね?」

「それで大丈夫だろ。領収書貰うの忘れないようにな」

「はあい」

 間延びした声で電話を切りそうな後輩を留め、付け足して言う。

「今日まともに休む時間なかったろう。適当に休憩してから戻ってこいよ」

「あれ、良いんですか」

「要領良くサボるのも仕事の内さ。どうせ今日はこの後、予定も詰まってないしな」

「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えます」

「そしたら、そういう感じで。はい、はい、はーい」

 そんな会話を終えた電話の切り際、 『誰か』が彼に話しかけるのが聞こえた。

「おぉい、プロデュ──」

 神谷さんはどうやら間に合ったらしい。
 思わずほくそ笑んでいると、脇腹を加蓮に突っつかれる。

「なぁにー。そんな気の利かせ方が出来るんだぁ」

 感心半分からかい半分でそう言う彼女に、こちらも冗談交じりに返す。

「神谷さんには、うちの加蓮がお世話になっているんだ。ちょっとしたお礼くらいは、しとかないとな」

 ま、確かにねえ。とはにかんで微笑む加蓮に、声を掛ける。

「コーヒー淹れるけれど。加蓮も飲むか?」

「私、コーラが良いなぁ」

「そちらはセルフサービスになっておりまーす」

「げぇー」


 二人はそれから四十分程して、戻ってきた。

 のんびり伸びをしている後輩と、照れ臭そうにもじもじとする神谷さんが対照的で、何だか可笑しい。

「すみません、休憩有り難く頂きました」

「お帰り。領収書はいつも通り、千川さんまで頼む」

 俺の言葉に頷いた後輩は、机に溜まった書類をごそごそと探りながら言う。

「部長に報告と、明日の予定を確認してきますねー」

「ついでに決裁書類、持っていってもらっても良いか」

「良いっすよー」

 部屋を出ていく彼を見送って、再びPCに向かおうとしていると、ソファに掛けていた神谷さんがぬっと立ち上がった。
 油の切れたロボットのような妙な足取りで、ギシギシとこちらに歩いてくる。

「うわ……え、どしたの奈緒」

 幾分気圧されながら、加蓮が訊ねる。

「あー、その、何というか。……お陰で、お茶して帰ってこれたので。お礼みたいな、あれと言うか……」

 そう濁しつつ、俺と加蓮にそれぞれ何か手渡してくる。
 受け取り見ると、それはミモザで売っているクッキーだった。

 顔を真っ赤に染め、頬を掻きながら神谷さんは言う。

「色々気ぃ回してもらって、ありがとうございました」

 その言葉が終わらぬ内に加蓮が彼女に抱き付いた。

「奈ぁ緒ーっ♪」

「だぁぁ! 何だよ加蓮っ、違うからな!? そういう、深い意味のあれじゃなくて──」

「奈緒は本当、そういう所可愛いよねぇ」

「話聞けよぉー……」


 きゃいきゃいとじゃれ合う二人を眺めていると、事務所の扉が開く。

「お疲れ様です。……あれ。何騒いでるの、二人して」

 イヤフォンを外しながら入ってきたのは、渋谷さんだった。神懸かったタイミングでの登場に、思わず笑いそうになってしまう。

 案の定、顔を輝かせた加蓮は、生き生きと声を上げた。

「あ、凛! お疲れー。奈緒がねっ、今丁度──」

「ちょお! 加蓮、余計なこと言うんじゃないぞっ」

 慌てて抑えようとする神谷さんも、その口元は楽しそうに緩んでいる。文字通り姦しい様子の彼女達に、事務所の空気も華やぐようだった。


 三人はそのまま、ソファでしばらくお喋りを続けていた。時計は間もなく十九時を指そうとしている。

 彼女達の会話の隙間を見て、俺は加蓮に声を掛けた。

「まだ雨降っているみたいだけど。帰り、送っていこうか?」

 迷うことなく、加蓮は答える。

「あ、うん。お願いー」

 そんな俺達の会話を聞いていた二人は、呆れるように口々に言った。

「箱入り娘だなぁー、全く」

「駄目ですよ、あんまり甘やかしたら。バカ犬になるんです」

「りーんー? 誰が犬だってー?」

 笑顔で威嚇する加蓮を宥めながら、二人にも訊ねる。

「神谷さんと渋谷さんも。良ければ一緒に送っていくよ」

 その提案に顔を見合わせた二人は、揃ってニッと笑った。

「あたし今日は凛と一緒に帰るんで、大丈夫でーす」

「ごゆっくり」

 ここぞとばかりに、からかい返そうとする神谷さん。そして、澄まし顔の渋谷さん。
 俺は二人に振られる形になった。

「……残念だな。両手に花かと思ったのに」

 そう言う俺の肩を叩いて、加蓮は唇を尖らせる。

「ここに綺麗な花が一輪、まだ残ってるでしょー」

 そんな加蓮を見ながら、渋谷さんがおどけて呟いた。

「わ、棘だらけの花だなぁ」

「ちょっと! どういう意味よ、それぇ!」

 途端、二人の追い掛けっこが始まる。
 加蓮が鬼で、渋谷さんが逃げ役だ。途中から何故か、流れるような自然さで神谷さんが巻き込まれてゆく。

 三人は団子になりながら、笑い声を残して事務所を飛び出していった。


 元気な奴等だなあ……。
 何だか微笑ましく感じながら、机回りを整理する。しばらくすると、少し息を切らして加蓮が戻ってきた。

「あれ、渋谷さん達は?」

「そのまま帰ってった。すみませんね、棘だらけの花でー」

 ふいと顔を背け、加蓮は拗ねるように言う。彼女のそれがポーズだけなのは重々承知していたが、その横顔に笑いながら謝る。

「冗談が過ぎたよ、悪かった。機嫌直してくれ」

 俺のその言葉を待っていた。
 そう言うように、ぱっと笑顔になった加蓮は声を弾ませた。

「私ぃー、そういえば何だか、お腹空いちゃったなぁー」

「分かった、分かった。何処かで夕飯も済ませていこうか。その代わり、親御さんにはちゃんと連絡しておくこと」

「やっぱ分かってるねぇ。そういう所、大好きだよーっ」

 調子の良い奴め。
 俺は軽く溜め息を吐きながら、PCの電源を落とした。


「ファミレスといい、ファストフードといい……。本当好きだよなぁ」

 ドリンクバーから戻ってきた加蓮に対して、俺はそう言った。

 帰り道のファミレスで俺はハンバーグセット、加蓮はドリアとサラダを食べた後のこと。

 窓際の席に掛けた俺達は、のんびり会話していた。外では未だ、重そうな雲から漏れるように、雨がぱたぱたと降っている。

「ご飯も美味しい、ドリンク飲み放題、ポテトもたっぷりで良いじゃん」

 そう言いながら加蓮は、半分以上ポテトの残った皿を、こちらに勧めてくる。

「毎回残す癖に、なんで『山盛りポテト』頼むんだよ……」

「あれぇ、おかしいなぁ。今日は何かいけると思ったんだけど」

「チャレンジ精神をそんな所で、発揮するなっつうの」

 そう突っ込みながら、俺はその内の一本を口にする。多少ふにゃついたポテトは、まだほんのり熱を残していた。


 ポテトを少しずつ片付けながら、色んな話をした。学校の話、ドラマの話、ネイルの話、事務所の皆の話……。

 笑い声を上げたり手を叩いたりと楽しそうにする彼女。それを見て、俺の胸も思わず弾むのだった。


 カップにコーヒーを注いでテーブルに戻ると、加蓮は窓の外を眺めていた。

 その横顔が先程までと打って変わり、陰っているようで、俺は目を瞠った。
 椅子に掛けながらそれとなく訊ねる。

「外に何か、面白い物でもあったか」

「え。あぁいや、別に」

 そう応えた加蓮はさり気なく、こちらの顔色を窺った。彼女は少し間を置いてから窓の外を指差し、囁くように言う。


「あそこに病院があるの、見える?」

 窓の外を一瞥してから、俺は答える。

「……あぁ、見えるよ。ここら辺でも一番大きいよな」

 加蓮の細く白い指の先には、どっしりとした総合病院があった。黒々とした夜の中で立つ病院は、雨に打たれてその存在感をより強めているように見えた。

「私、小さい頃あそこにも入院してたことがあるの」

「ふうん。そうなのか」

 相槌を打つ俺をまた、ちらり、加蓮は窺う。


 ──あれ、珍しい。
 俺は思った。加蓮が言うかどうかを躊躇うだなんて。
 言った後しばらくして、謝ったり訂正してきたことは、これまで何度かあったけれど。

 彼女は一体何を話そうとしているのだろう。
 気付けば僅かに、俺は身構えていた。


 やがて決心が付いたのか、そっと深呼吸をしてから、加蓮は声を出す。


「私、梅雨が好きだったんだ」


 そして、彼女は話し始めた。


「──あまり縁のないひとは、知らないかもしれないけど。病院って意外と、子供が多いんだよね」

 昔を思い返しながら、加蓮はゆっくりと言葉を紡いでゆく。

「入院してる子だけじゃなくて、元気一杯な子達もいて。きっと家族や友達のお見舞いに来てたんだと思う」

 宙を見ながら話す加蓮の瞳には、かつての光景が浮かんでいるようだった。

「病院の中庭では、そういう子達がしょっちゅう遊んでた。 やんちゃそうな兄弟が追い掛けっこしてたり、また別の日には女の子達がシャボン玉飛ばしてたり。 親子でキャッチボールしている日も、あったなあ」

 溜め息を吐くように、彼女は一度ゆっくりと瞬きをした。

「小さな頃の私にとって、その子達は憧れだった。良いなあ。良いなあって。

 私もあんなに大声で笑ってみたい。目一杯走ってみたい。転んで、膝を擦り剥いてみたい。

 そう思いながら窓ガラスに顔を押し付けて、私は三階の病室から、中庭をずっと見下ろしてた。

 ……あんまり窓に貼り付いて見てるから、おでこが赤くなったりしてね。看護婦さんに笑われたことも、あったっけ」


 今度は実際に、小さく溜め息を吐いた。

 何故だろう。
 俺には加蓮がまるで、懺悔しているように見える。


「けれど、ね。……ずっとそうしていると、胸の奥が何だかザラザラしてくるの。
 わくわくしながら見ていた景色が、徐々に色褪せてきて。

 どうして私はこんなに何もさせてもらえないんだろう。私が何か悪いことをしたのかなあ。

 ……そんな事ばかり、考えるようになってきちゃって。悔しくって。歯痒くって。苛立って。

 窓にもたれたまま、ぼろぼろ泣いちゃうことだって、何度もあった」

 眉を僅かにしかめて、加蓮は続ける。


「はしゃいだ男の子が上げる歓声が、耳障りだった。

 点滴管やナースコールのコードが、自分を縛りつける縄に見えて、悲しかった。

 笑ってる女の子に点滴パックを投げつけたら、どんな顔するだろう。

 あのチビッ子、恐い婦長さんに叱られちゃえば良いのに。

 大きな犬がやってきて、あの子達のお尻に噛み付かないかなあ。

 そうやって、妬んで、恨んで、憎んで……。

 ふふ。今になって思うとさ。そんな荒んだ内心じゃ、良くなるものも良くならないよね」


 そう呟き、自嘲的に笑う。

 吐いた言葉は加蓮の痛みそのものだった。グロテスクな程に純粋で、生々しい。
 幼い頃のその感情は時の経過にも削れることなく、未だに鋭い棘を残していた。

「そんなに辛いなら、見なければ良い。そう思うでしょ?

 ……駄目なんだよね。 駄目、だった。

 気付かない振りしてても、身体が自然と窓辺に吸い寄せられて。見ない振りしてても、目が勝手に走る姿を追っていて。

 人って本当、不思議なんだ。
 嫌いな物からは目を逸らせても、憧れる物から目を逸らすことは……出来ないみたい」


 そこでふと我に返ったように、加蓮は俺の顔を見た。そして苦笑する。

 俺は今、一体どんな表情をしているのだろう。


「本当、ひねくれた子供だよねー。陰湿でいけ好かないクソガキだって、自分でも思うもん」

 虚勢を張るように明るい声を出す加蓮に、胸が痛んだ。

「そんなこと──」

 慰めを口にしようとする俺を、加蓮は静かに目で制する。

 ま、もう少し私の話を聞いていてよ。

 そんな表情でこちらを見る彼女を前にして、俺の薄っぺらな言葉は、喉の辺りで詰まって消えた。

「でもね、一番辛いことは。走る子達を羨みながら眺めることじゃなかった。見ないように堪えることでもなかった。
 ……自分が嫌な奴だって気付くのが、一番辛かった」


 何かを噛み締めるように、加蓮は口をぎゅっと結んで、再び開いた。


「どんなに小さくてもね、やっぱり分かるの。あの子達は元気に遊んで無邪気に笑っているだけ。それを勝手に妬むのも恨むのも全くの筋違いだ、って。
 それでもそう思ってしまうのは、きっと私が意地悪な奴だからだ、って」

 ふと見ると、加蓮の喉が震えていた。まるで、昂る感情を必死に抑え込んでいるように。


「それに気付く度、私は心の中で誰かに罵倒されるの。『あぁ、お前は何て嫌な奴なんだ。何て卑怯で、狡くて、浅ましい子供なんだ』って。

 そんな自分の嫌な所に気付いてしまうと、身体中から力が抜ける位、やるせなくなるんだ。

 ……それが、どんな事よりも辛かった」


 そう言いながら加蓮は胸にそっと手を置く。そして古傷を慈しむように、柔らかく撫でた。


「だから、私は梅雨が好きだった」


「雨が降れば、誰も中庭で遊べないから。
 男の子も女の子もきっと皆、私と同じようにこうして外を眺めている。

 そう思うと、何だか皆と同じラインに並べた気がして凄く安心した。

 それに、誰が遊んでいるのも見ないで済めば、誰も妬まないでいられる、誰も恨まないでいられる。私は、私の嫌な所を見ないで済む。

 そう思うと、溜め息が出る位ほっとした。

 ──あの子達の不幸が、私にとっての安らぎだった」


「だから、私は梅雨が好きだったんだ……」


 加蓮はそう繰り返した。そして、ぽそりと言う。


「ごめんね。いつも優しくしてくれて、甘やかしてくれるけれど。私は本当はそんな、醜くて、汚くて、卑しい子なんだ。……ごめん」


 見えない古傷から、血が滲んでいた。

 疼きを抱えた加蓮は疲れたような微笑みを浮かべている。

 俺は彼女に、何て声を掛けてやれば良いのだろう。
 何て応えてやれば良いのだろう──。


 迷いを捨てるように、俺は温くなったコーヒーを飲み干した。


「……加蓮。人の美しさって、何だと思う」


 彼女は沈んだままの瞳で、こちらを見つめている。


「誰にでも優しくすれば、良いのかな。 全ての人に思いやりと愛情を持てば、良いのかな。 過ち一つない清らかな日々を送れば、良いんだろうか。……そんな下らないこと、聖人かキリストにでも任せておけ」


 俺の言葉に加蓮の目が少し和らぐ。
 もう、またそんな乱暴なこと言って。


「妬みも恨みも、人の自然な心の動きだ。何も後ろめたく感じる必要なんてないんだ。
 そりゃあ、そう思わずに済むのなら、それに越したことはないぞ? 苦しみはより少なく、痛みはより小さい方が、生きるのは楽だからな」

 ──だけどな、加蓮。


「誰かの傷を癒せるのは、傷付いたことのある人だけだ。 誰かの悲しみを慰められるのは、悲しさを知っている人だけだ。 誰かの寂しさに寄り添えるのは、寂しい思いをした人だけなんだよ。

 ……お前が後ろめたく思うその感情が、今の加蓮の優しさを作り上げているんだ」


 それで、いいんだよ加蓮。

 常に完璧に正しくいれる人なんて、いないんだから。
 “完全に正しい人”なんて存在するのならば、それは最早──人ではないんだから。


「喜んで、怒って、笑って、悲しんで。
 時には妬んで、愛して、恨んで、憧れて、泣き散らして。
 そうやって傷付きながら、汚れながら。

 それでも誠実であろうともがき続ける加蓮を……俺は美しい人だと思う」


「随分、格好悪い『美しさ』だなあ」


 目元をぎこちなく細めながら、加蓮は皮肉を言う。そんな彼女に俺も口元を緩めて応えた。


「もがいてる様なんて誰でも格好悪いもんさ。汗かいて、涙溢して、反吐はいて。みっともなくてこの上なくダサい。

 でも人間が生きるのって、きっとそういうことだと思うんだ。

 長い入院生活の中で人が生きること、そして死ぬことを眺めていた加蓮なら。……何となく、分かるんじゃないのか」


 何かを堪えるように、加蓮は小さく下唇を突き出していた。
 泣き出す直前の幼稚園児みたいで、少し微笑ましい。


「加蓮がここにこうして居てくれることを、本当に感謝しているんだ。

 俺だけじゃない。神谷さんも渋谷さんも、事務所の皆も、ファンも、ご家族も、クラスメートも。
 きっとそれぞれ、お前に救われている部分がある。

 ……加蓮のその美しさを、俺は心から誇りに思っているよ」

 俺の話を聞き終えた加蓮は、ぱっと目を片手で隠し、身体ごと横を向いた。

「あの、ごめん。……ちょっとマスカラ取れちゃった、から。御手洗い行ってくるね」

「ゆっくり直しておいで」


 加蓮の上擦った声に気付かない振りをしてそう応えた。
 マスカラなんてしていなかっただろうが、意地っ張りめ。


 この言葉が適切かどうかなんて、分からなかった。ただ嘘のない気持ちを伝えたかった。誠実であろうとする加蓮に、誠実に向き合いたかったのだ。

 皿に残った最後のポテトを口に入れた。
 油を吸って冷めきってはいたが、それでも俺には美味しく感じられた。


 しばらくして、加蓮は何故か足音高く戻ってきた。どさっと乱暴にソファに掛け、尖った声を出す。

「私、パフェ食べるっ」

「……はぁ?」

 何だこいつ突然に。
 そう思って自然と半笑いになる俺を、彼女は睨んだ。

「何? 何か問題、ある?」

 怒った振りで泣き顔を誤魔化すつもりなら、目元の充血を抑えるのが先だろうに。
 俺が声を殺して笑っている間に、加蓮は店員を呼んで注文していた。

「苺のパフェとー、チョコバナナパフェで」

「おい、ちょ──」

「ご注文は以上でよろしいでしょうか」

「大丈夫でーす」

 店員が去ってから、加蓮は俺にべーっと舌を出した。そんな彼女に恐る恐る訊ねる。

「へぇ、凄いな。二つも食べるのか」

「えぇっ! 私一人に食べさせるつもりー?」

「お前なぁ。勝手に……」

「ねっ? おねがぁい♪」

 甘え声でそう言って、こちらに蕩けるような笑顔を向けてくる。

 ちくしょう、この野郎。
 誇りに思っている美しい加蓮に対して、俺は小さく舌打ちをした。


 やって来たパフェに手を付ける頃には、加蓮もすっかりご機嫌になっていた。
 まぁ元々怒っていなかったのだから、当たり前ではあるのだけれど。

「どう、私の選んだパフェは?」

「あんっまい。……けどまぁ、たまには悪くないかもな」

「ほら、でしょう? 喜ばせるために注文したんだから、感謝してよねぇ」

 小生意気な口を利けているのだから、上々である。
 パフェは器に驚異的なバランスで盛られていた。六月特有の湿気った空気を吹き消すような、その冷たさが心地好かった。

「──さっきの話に、もう一つ付け加えるんだけどさ」

「うん?」

 間抜けな声で相槌を打って、俺は顔を上げる。
 加蓮はこちらを見ていなかった。さも何でもないことを言うように、熱心にクリームをつつきながら、口を開く。

「昔より今の方がずっと、私は梅雨が好きだよ」

 加蓮のその言葉を、パフェを口に運びながら、俺はしばらく考えていた。

 梅雨が好き。
 同じに見えても、理由が異なる昔と今。

 子供達が外で遊べないという不幸が、自分にとっての癒しだったから、雨を願っていた昔。

 そして、親友のときめきや幸せが、自分にとっても嬉しくて、雨を願っている今。

 ──誰かの不幸を喜ぶ昔よりも、誰かの幸福を喜ぶ今の方がずっと好き。


 そう、彼女は言ったのだった。

 それは何だかとても良いことだ。
 そういう風に俺は思った。


「……なぁ、加蓮」

「んー、何?」

「パフェ。お代わりしても良いぞ」

「何言ってるの。もう食べられないって、流石に」

 そう返しながら笑い声を上げる加蓮を、暖かく感じる。
 神様がくれたこの優しい時間が、いつまでも続けば良い。自然とそう願っていた。


 帰りの車内は静かだった。無理に会話をしなくても、居心地は良い。

 加蓮は助手席で膝にブランケットを乗せたまま、ぼんやりとしている。

 窓に散った水滴に街灯が滲んで、星のように煌めいていた。


 あ、そうだ。
 そんな中で加蓮は呟く。そして運転席の俺へと顔を向け、明るい声を出した。

「ねえ。やっぱり私は梅雨が好き」

「ふふっ。どうしてだ?」

「こうして、一緒に帰れるから」

「……ん、そっか」


 一面曇った“星空”の下、車を走らせる。外では未だ雨が降っていた。


 止む必要も、ないと思った。


            【終わり】

ありがとうございましたー
色々拙くてすいませんー


前回書いたこちらもどうぞよろしく

乃々「キレイな夢を見たんだ」
【モバマス】乃々「キレイな夢を見たんだ」 - SSまとめ速報
(https://ex14.vip2ch.com/i/read/news4ssr/1549899093/)

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom