【わたモテ】むしゃぶりつくうちもこ (110)


わたモテの内笑美莉と黒木智子の百合カップリングSS
少しずつ公開しないと書く気起こらねえなこれ、になってスレ建てたので、書き溜めはない


注意点

・うちもこ性行為経験済前提(恋人関係ではない)
・地の文多量

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1552501336




 笑美莉《えみり》は智子《ともこ》にむしゃぶりついた。



 ※

 朝の冷たさにその身を縮《ちぢ》ませて、ひとりきり、わずかに肩を震《ふる》わせた彼女の立ち姿は武者震《むしゃぶる》いに似ていた。

 何よりも、彼女の鬼気迫ったまなざしが。

 首元から太もものあたりまでをゆったり包む落ち着いたベージュ色、ステンカラーコートの装《よそお》いには、意中の相手に少しでも大人っぽく見られたいという彼女の期待が反映されているのかもしれない。

 全身に、緊張によるこわばりが見て取れた。

 胸の前に交差して組まれた腕は、まるで彼女を守る鎧《よろい》のように頑なだった。

 鎧の内側には、二月の寒空に似つかわしくない軽装と、痩せて骨ばった少女の身体と、柔らかい心があった


 彼女は往来で行き過ぎる有象無象《うぞうむぞう》には目もくれず、ほんの一メートルほど先の地面、灰色のコンクリートが描く単調でつまらないタイル模様を凝視《ぎょうし》している。

 その頭の中では、刻々と数字が積み上げられている。

 いちまんごひゃくさんじゅういち。いちまんごひゃくさんじゅうに。いちまんごひゃくさんじゅうさん。

 一ずつ積み上げられるそれらの数字は、彼女が余計なことを考えてしまわないように注意を逸らしてくれるおまじないだった。

 何が余計なことかは彼女自身にもよくわからなかった。

 しかし、ひとたび気を抜けば取り込まれてしまいそうになるわけのわからない大きな切迫感があった。

 切迫感は、マスク越しに吸い込んだ朝の冷たさと混ざって、固体のフリをして、彼女のお腹の中で凝《こご》っていた。


 コートのポケットから黒いコードを伸ばしたイヤホンが、彼女の両耳に爽やかなラブソングをリピートし続け、外界の雑多な音の刺激から彼女の柔らかい心を守っていた。

 だから、待ち人の到着を、音ではなく視覚的な情報で知った。

 彼女が見つめるタイルの上に突如現れ静止したスニーカー。

 カーキ色の生地がダブついた単色のラフなジーンズ。

 私は、いま見られている。

 そう思った途端彼女の心臓は、ドクンと跳ねる。

 彼女は俯《うつむ》かせていた顔を上げる。

 束の間の熱が、手足の先までじんわりと行きわたる。

 音楽プレーヤーの再生を止めるためポケットに利き手を突っ込んで、はじめて自分の手が発汗にひどく濡れていると気づく。

 彼女――笑美莉が何か言うよりも先に、

「お、おはよう」

 と智子は言った。


「あ、うん」

 と笑美莉は言った。口元を覆うマスクで声はくぐもっていた。

 一拍置いて、気を取り直して、マスク越しでも十分なようにやや大きくはっきりした発声を意識して、

「おはよう」

 と笑美莉は言った。笑美莉は、手汗がひどいことになっているのを智子に悟られたくなかった。

 だってなんだか恥ずかしいから。

 ハンカチは持っていた。

 それでも、手を突っ込んだままになっているポケットの裏側と、もう片方の手は添えていたズボンの表の生地で、それぞれごくさりげなくぬぐった。


「体調、大丈夫そう?」

 と智子は尋ねた。

「うん。大丈夫。全然平気。起きて、動いてたらずいぶん楽になった」

 と笑美莉は答えた。

「そっか。じゃあ行こうか。……えっと、映画の時間まで余裕あるけど、何する?」
「なんでもいいよ」

 あなたと一緒なら。

「なんでもいいは……困るけど」

 智子は苦笑した。

 その笑顔が、笑美莉はすごく好きだった。


「行こ」

 と笑美莉が促す。

「どこへ?」

 智子が尋ねる。

 どこへ?

 どこへでも。

 あなたと一緒なら。

 笑美莉は利き手を伸ばして、ひとつまたひとつと指を絡めて、智子の片手を捕まえた。

 今はもう汗に濡れてはいない、冷たくなった手のひらと、指先で。

今日はここまで
この分量でこれくらいになるんか

SS速報でスレ立てるの久しぶりすぎて、勝手がわからん
例えば性行為描写さえしなければ、百合セーフティセッ●スについての話とかこっちでやってもいいのか?とか


むしゃぶり‐つ・くの意味

出典:デジタル大辞泉(小学館)

[動カ五(四)]《「むさぶりつく」の音変化》夢中でしがみつく。すがりついて、離れまいとする。「母親に―・いて泣く」

[補説]「武者振り付く」とも当てて書く。



 目をつむると、座席のヘッドレストに首を預けている心地よさがいよいよ高《こう》じてきて、笑美莉はうとうと寝入ってしまいそうになった。

 前方のスクリーンでホラー映画が上映されている最中《さいちゅう》であるにもかかわらず。

 映画のお話がつまらないとか、怖くないとか、そういう理由では特になかった。

 ひどい寝不足だったのだ。


 上映に伴い天井の照明は全て消灯されている。

 おかげで周囲の薄暗がりが今更の眠気を誘ってくる。

 スクリーンやスピーカーからの派手な光や音の刺激をもってしても、それは抗いがたいほどの眠気だった。

 昨日から、ほとんど一睡もできていなかった。

 今日という日が楽しみ過ぎて。

 どうしても上手く眠れず、布団の中で朝を迎えて、笑美莉は気づいた。

 どうやら風邪の初期症状っぽい、と。

 上手く眠れていたら、もしかしたら、こうはならなかったのかな。

 後悔は先に立たず、身体は気怠く、のどはいがらっぽい、


 実は、風邪ではないのかもしれなかった。

 ただの寝不足。

 その可能性は残されていた。

 しかし、笑美莉は智子に、

『風邪ひいちゃった。風邪うつしたくないから、今日の映画はなしにしよう』

 とスマホでメッセージを送った。

 すると、

『お見舞い行くよ』

 智子から返信が来た。


『いいよいいよ。わざわざお見舞い来るほど悪くないから。うつしたくないだけだし』
『悪くないの? ほんとに?』
『本当だよ』
『うつしたくないだけなの?』
『だからそうだって』
『映画行こうよ。こっちにうつっちゃってもいいから。からだ悪くないならさ』

 笑美莉は、返信を躊躇《ためら》った。


『ダメ? 悪くならないよう一日安静にしたい?』

 と智子から最後の一押しをされて、

『いいよ。行こ。待ち合わせ時間通りで』

 笑美莉はそう答えた。

 そして、事前の約束通り二人で映画館を訪れた。

 待ち合わせた際「起きて、動いてたらすっかり楽になった」と笑美莉が智子に語ったのは嘘ではなかった。

 来て良かった、と映画を鑑賞しながら笑美莉は思った。


「ヒッ」

 隣から大げさにしゃっくりを飲み込んだような奇妙な声がして、スクリーンから視線を外し、笑美莉が一瞥すると、智子は怯えているようだった。

 智子はポップコーンを置いたりする椅子のひじ掛けを力強く掴《つか》んでいた。

 笑美莉は、まずはごくさりげなく自分の手を拭ってから、智子の手をとった。

 包み込むようにその手を握った。

 笑美莉はほほ笑んだ。

 マスクで覆った口の端を歪《ゆが》ませて。

 智子を安心させるつもりで手をとったのに、握った手の感触に安心させられたのはむしろ笑美莉の方で、それから笑美莉は、映画の最後まで眠らないでいるために大変な努力をすることとなってしまった。

今日はここまで
短いが、これ単体で読めるようにしなきゃなー、と今更プロットまともに組んでるのでまあこの辺で

前回のぶん投稿してから、あー、ここ文章おかしいーを三か所くらい把握しましたがまあこのままでいきます
これ、スレッド形式で投稿する用に文章を一文短くしたりとか全然してないし、そもそもどういう行間が読書環境ごとに違いあっても読みやすいんだろう、も何もわからんので困る

 ※

「面白かったね、今日の映画」

 と笑美莉は言う。

 その言葉に嘘偽りはなく、嘘偽りのない言葉を智子に向かって口にした、ただそれだけのことで、笑美莉は幸福を感じていた。


「面白かったけど、ひとりだったらヤバかったわ」

 と智子は言った。

 それからいくぶん恥ずかしそうに微笑んだ。

 笑美莉に向かって。

 無邪気な言葉だった。

 ひとりだったらヤバかったわ。

 怖かった。

 ひとりじゃないから、怖くなかった。

 ヤバくないほどには。

 そうやってなんでもない言葉の含意を味わうにつれて、笑美莉の中で、段々と幸福がかき混ぜられてゆく。

 怖くなかったのは、私がいたから。


「あそこに座ろうか」

 と智子が顎《あご》で軽く示した。

 智子が示したのは窓際のカウンター席。

 二人は、全国でチェーン展開をしている有名なカフェテリアを訪れていた。

 映画館で映画を見た帰りだった。

 二人とも、映画館でポップコーンやドリンクは頼まなかった。

 映画を見ているあいだに午後になっていた。

 昼食はまだだった。

 立ったまま、ホットコーヒーと、卵とハムのサンドウィッチが載ったトレイをカウンターテーブルに置いてから、

「ちょっとトイレ」

 見てて、と智子はテーブルの上のトレイを指さす。


「ん」

 笑美莉は頷く。

 智子が離れていくのを横目に、自分の席、つまりは智子の席の隣に腰を下ろした。

 窓の外を眺めた。

 ごくありふれたショッピングモールの光景だった。

 智子と笑美莉が訪れたのは、ショッピングモール内で営業している映画館だった。

 ショッピングモールを出る前に目についたカフェテリアで足を止めた。

 そして、この席を選んだ。

 だから、窓の外ではごくありふれたショッピングモールの光景が広がっていた。

 有象無象が笑美莉の前を窓越しに通り過ぎていった。


 笑美莉はあくびをする。

 店内の暖房がかなり効きすぎている気がして、ずっと着たままだったコートを脱ぐ。

 中から二月にはふわさしくない軽装が現れる。

 隣の空席へと視線を移した。

 トレイの上では、サンドウィッチは当然変化せず、変化といえば、コーヒーのカップからか細く湯気が立ちのぼるばかり。
 
 笑美莉は、ドキリとした。

 自分が、どんなに智子のことが好きなのかを気付かされてしまったから。

 これからこのカップに智子の指が触れるのだと想像した。

 指の感触を想像した。

 智子の指に触れられた感触を思い出した。

 それだけで、好きの気持ちは胸の奥から溢れてくる。

 笑美莉の意思にかかわりなく。

 衝動的に。

死ぬほど区切りが悪いが今日はここまで ここで粘ると生活に支障が出そうなので

しばらく風邪でくたばっていました
題材へのリアリティですね
あと、プロットの細部に苦心していました
苦心というか、うっちーの感情が私の中におりてこない(?)日々が続いてたので、書こうとすることができなかったんですが
この感じ伝わるか?

ともあれ、苦心のおかげでプロットは細部の見通しがよくなり、あとは余暇にガシガシ書いていくだけなので、ようやく更新に移れるはず
こんな手間かけるつもりなかったのに
うっちーが難しい女なのが全部悪い


 いつものことだった。

 自分の部屋にこもり、ひとり受験勉強をしていて、あるときまではうまく研ぎ澄まされていた集中が、ギリギリまでひねりを加えたゴムの弾性を解き放つように不意にみるみるほどけてゆき、勉強も、将来も、今という時間も、内心に巣食う数々の不安の種も、私という存在さえも、全部ここではないどこか底の底まで落っこちてしまうそんな頼りない一瞬があったとして、その瞬間、笑美莉がまず思い出すのは必ず智子のことなのだった。

 なんでもないことをきっかけに、好きの気持ちは溢れてしまう。

 好きを気付かされる。

 もうすこしシャーペンの芯を出そうと、指でシャーペンをノックしたとき。

 疲れて、机に肘をついて、天井を見上げながら、首を回したとき。

 お風呂の湯舟に浸かろうとしたら思ってたよりもお湯の温度が熱かったとき。

 ご飯を食べていて、おいしいな、と思ったとき。


 たとえ脈絡がなくても、智子を思い出してしまう。

 それは、いつものことだった。

 いい加減、ちゃんと向き合ってもいいころだと笑美莉は思っていた。

 今日の笑美莉には目標があった。

 映画を智子と一緒に見るという外出の目的とは別に。

「付き合って」

 その一言《ひとこと》を口にするつもりだった。

 智子に向かって。

 どう話を切り出すかはとっくに決まっている。

「私たち、そろそろ卒業だね」


 笑美莉は隣の空席、智子のトレイから視線を外し、カフェテリアの床を見つめ始めた。

 鬼気迫ったまなざしで。

 どうにか気持ちを整えようとしていた。

 やがて、智子がトイレから戻ってきて、自分の席に座った。

 しばらく飲食と歓談にふける。

 智子が、意味もなく笑いながら、

「私のと違うメニュー頼んでおけば、ちょっと交換したりできたのにさ」

 と自分が選んだのとまったく同じコーヒーと、卵とハムのサンドウィッチがそれぞれ載った笑美莉のトレイを指さしたところで、不自然に会話が途切れ、二人のあいだに重たい沈黙が垂れこめて、いきなり、

「私たち、そろそろ卒業だね」

 と笑美莉は言った。

 ぽつりと、静かな声で。

 それが、なんでもないことに聞こえるよう努めていた。


 卒業だね、と言われて、智子は何も答えなかった。

 沈黙を守っていた。

 笑美莉は、無意識に下唇をかみしめていた。

 カウンターテーブルのしたで、膝の上にお行儀よく揃《そろ》えられた笑美莉の両手は、力強く握りしめられ、強張っていた。

 その片方を、優しく包むものがある。

 智子の手のひらだった。

 おかげで笑美莉は、すごく安心する。

 笑美莉は、智子が好き。

 ――智子も、笑美莉が好き。

 それが、都合のいい妄想ではなく事実だという日頃の確信をより一層強化する。

 智子を好きという感情で胸の中がいっぱいになる。

 だから、

「付き合って」

 という言葉が、笑美莉の声帯を震わせる瀬戸際まで、喉の奥からせり上がる。

 にもかかわらず、

「付き合って」

 そのささやかな言葉が、どうしても出てこない。

 重なったお互いの手のひらが、じわじわと汗ばんでいくのが笑美莉にはわかった。

今日はここまで
展開が地味

全体が、

1待ち合わせ――2映画館――3カフェテリア――4夢/家――5看病

という構成で、5からがお話として本番なので、まだ地味が続く模様


この頃はBlue Stahli『Kill Me Every Time』を聴きながらこのSSを書いている
もこっち好きそうな感じない?
Blue Stahli

 ※

 笑美莉は夢を見ていた。

 夢の中で笑美莉は一国のお姫様だった。

 彼女こそはまがい物の長髪姫《ラプンツェル》。

 ラプンツェルは、部屋の壁に埋め込まれている姿見に向かって語りかけようとしている。

 姿見の鏡面はほとんど真っ白に近い不透明で、今はまだ何物も映してはいない。

 それは、魔法の姿見なのだった。


「鏡よ鏡、鏡さん。この世で一番美しいのはだあれ?」

 姿見は答えた。

 智子の声で。

『それはエミリ姫にございます』

 そして、鏡の前に立つ笑美莉の姿がそのまま映し出される。

 そこにいるのは、けがれのない真っ白で煌《きら》びやか、裾の大きく膨らんだ豪奢《ごうしゃ》なドレスを着こんだ智子。

 ――夢の中の笑美莉は、智子と同じ外見をしている。


「これはこの世で一番美しい者の容姿ではないわ」

 と笑美莉。

『バカなことを。
見え透いた嘘をおっしゃらないでください。
この世で一番美しいとエミリ姫がお慕いになっているのは、ラプンツェル、あなたではないですか』
「これのどこがラプンツェルだと言うの」

 弱々しい笑みを浮かべる笑美莉。

 智子と同じ外見をした夢の中の笑美莉は、当然、童話『ラプンツェル』の主役である彼女《ラプンツェル》のような御髪《おぐし》を蓄えてはいない。


 ラプンツェルとは、本来なら例えばこうあるべき存在だ。

 むかしむかし、親元から魔女にかどわかされた赤ん坊がおりました。

 赤ん坊は、魔女の手で大切に大切に養われ、見目麗《うるわ》しい女の子へと育てられてから、ある日、とある森の中に聳《そび》える塔の天辺《てっぺん》に閉じ込められてしまいました。

 塔の天辺から地上まで届いてしまう驚くべき長さとこの世に二つとない美しさを兼ね備えた見事な頭髪が、特徴的な女の子でした。

 幽閉されている彼女は、それでも森を訪れた運命の王子様と邂逅《かいこう》を果たし、塔の中で日々の逢瀬《おうせ》を重ね、魔女に塔から放逐《ほうちく》され、最後には王子様と幸せな暮らしをおくるのです。

 めでたしめでたし。


『あなた様の美しさは、猛烈な熱風があらゆる起伏を吹き散らしていったあとの冷えた砂漠のように滑らかで平坦な生白い体躯《たいく》』

「それは、美しいと呼べるのかしら?」

『あなた様の美しさは、光の乏しい深海で夜色《よるいろ》に染まりきってしまった魚の瞳のように濁《にご》っている寝不足の隈《くま》に縁どられがちなギョロギョロとした無遠慮な両目』

「それは、美しいと呼べるのかしら?」

『あなた様の美しさは、いまだ生まれぬひな鳥のため、尾羽を集めせっせと巣作りに励《はげ》む母鳥の不器用な揺り籠を思わせる乱れた黒髪』

「それは、美しいと呼べるのかしら?」


 そうやって疑問を口にしながらも笑美莉にはわかっていた。

 己の下腹部に手を伸ばす。

 美しいものに指さきで触れたくて。

 痩せて骨ばった少女の身体。柔らかい心。

 しかし、笑美莉が着込んだドレスは金属製の巨大なクリノリンが内側からスカートを膨らませることでその体型を形作っており、クリノリンの構造上、下腹部に指さきで触れることは現状不可能だった。

 自力でドレスを着脱することすらままならないのだ。


 代わりにもう片方の手で頭部に触れた。

 乱れた黒髪に。なんでもないもの。智子の黒髪に。

 そして、優しく梳《す》くように撫でさすりながら、囁《ささや》きかけた。

 鏡の中に映る智子に向かって。

「好き」
「気持ち悪い」
「可愛い」
「キモい」
「大好き」
「優しくしないで」
「もっと優しくして」


 指先と、手のひらと、言葉による愛撫《あいぶ》。

 笑美莉は、自分の言葉に傷つき、興奮し、慰《なぐさ》められ、自己嫌悪する

 そして、身体も心もどんどん気持ちよくなってゆく。

 更なる快楽を求めて、頭を撫でる指先に、手のひらに、言葉がもたらす感情に、笑美莉はどんどん意識を集中する。

 それらが最高潮に達したところで、慈《いつく》しみのこもったとろけるような柔らかい声で、

「もっと苦しめばいいのに」

 と言った。はっきりと、言い切った。

 鏡の中の智子に向かって。


「もっと苦しめばいいのに」

 念押しで、もう一回。

 ぞっとするほど冷たい声で。

 笑美莉は、胸が張り裂けそうな苦しみを感じた。

 ああ、もっと苦しめばいい。

 こんなことを思ってしまう私なんて。
 


 鏡に背を向ける。

 反対側の壁、この部屋の唯一の出口となりうる窓際へと歩み寄る。

 この部屋に扉はない。

 髪が長くないラプンツェルは、運命の王子に出会うことができず、したがって魔女が自らの意思で彼女を解放しない限り、五体満足ではこの塔を出られない。

 いつまでも、いつまでも。


 笑美莉は窓の外を見下した。

 笑美莉がいるのは、湖畔《こはん》に立つ尖塔《せんとう》の天辺に設《しつら》えられた部屋だった。

 真っ白な霧《きり》に閉ざされ、見通せない世界。

 しかし、少なくともここは森の中ではない。

 彼女こそはまがい物の長髪姫《ラプンツェル》。

 尖塔の天辺から遠く離れた水面《みなも》は、笑美莉から見て、薄気味悪いほど凪《な》いで見えた。

 世界は静かに待っていた。

 笑美莉の決断を。

 躊躇《ちゅうちょ》と、諦観《ていかん》と、期待。

 それらが、ゆっくりと混ざり合う。


 結局覚悟なんか決まりきらないまま、一つ目の巨人が何かの間違いで一滴《ひとしずく》の涙をこぼすみたいにドレス姿のお姫様はあっけなく真っ逆さまに落ちていって、砕け、身体は散り散りになって、湖面では高い水しぶきが上がりました。

 世界が張り裂けるような巨大な音。

 人と水が思い切りぶつかり合った音。

 しかしそんな騒ぎは束の間のことで、お姫様は泡となって、人知れず、跡形もなく消えてしまいました。

 おしまい。

今日はここまで
おしまい(ここからが本題)

今回の更新ぶん死ぬほど場面の意義がわかりづらいのではないか?
という気がするが、書きたいことのフックとして必要なので

一応ふんわり前日譚として設定している
(公式と矛盾があれば、並行世界として処理して都合のいいところだけつまみ食いしよう程度の緩い姿勢)
の二次創作SS(R-18)うちもこックスを一年前?くらいに私はPixivで書いていて、そっちを読むと多少は想定している文脈がわかるかもしれない
そうかな?

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9773997
コレ。前日譚読まなくても最終的にはちゃんと読める形にプロットは整えてあるつもりだけれど……



 おしまいになった夢から浮かび上がって、現実の水面から顔を覗かせる。

 眠りから目覚める。

 笑美莉は風邪の悪化を自覚した。

 映画館でホラー映画を見ようと出かけた笑美莉と智子、二人の一日の締めくくり、帰り道で智子と別れたころから、笑美莉は身体の怠さやのどの痛みが朝よりも辛くなっている気がしていた。

 夕方だった。

 夜になるころには、おそらく高い熱が出始めていた。

 ごほごほ、と乾いた咳《せき》も出始めていた。

 それでも、昨日が徹夜に近かったぶん、たくさん眠ったらすぐによくなるかもしれない、となけなしの希望を抱いて、いつもより早めに床に就いて朝になった。

 それが今。


 悪寒に震えていた。

 布団の中は寒かった。

 なのに身体の表面は熱かった。

 せきが出る。

 鼻水も出る。

 体温計で体温を測ると、やっぱり高い熱が出ていた。

 悪寒、せき、鼻水、高熱、その全部が、苦しかった。

 苦しいのは嫌だった。


 まずはバナナと水道水で最低限の栄養と水分を補給して、寝起きの胃を動かしてから、家に常備してあった風邪薬を服用し、症状を鎮《しず》める。

 熱とのどの痛みにはイブプロフェン。

 せきにはL-カルボシステイン、アンブロキソール塩酸塩、ジヒドロコデインリン酸塩、dl-メチルエフェドリン塩酸塩。

 鼻水にはクロルフェニラミンマレイン酸塩。


 布団の中に戻って、医薬品の効能効果が身体に浸透《しんとう》するのを待ちながら、大人しく眠りを待った。

 誰かに、そばにいて欲しかった。

 こんなとき、笑美莉が一番そばにいて欲しい誰か。

 それは、親でも友だちでもない。

 笑美莉はこう思っている。

 恋は病に似ている、と。

 そばにいて欲しい。

 風邪をうつしてしまうかもしれないのに。

 うつしたくないのに。


 笑美莉は我儘《わがまま》の気持ちを、咳とともに溢《あふ》れてくる唾液でごくんと飲み下した。

 我儘を飲み下しても、無性にひとりが寂しいことには何も変わりがなくて、耐えられなくて、友だちにスマホでメッセージを送り、辛さを慰《なぐさ》めてもらう。

 返信したり、返信を待ったり、やり取りを何度も繰り返しているうちに、いつの間にかうとうと寝入っている。

 目が覚めると、ベッドの足元のカーペットにあぐらをかいて智子が座っている。

 はっ!?

 なんでいんの……?

 呼んでないのに。

 キモイキモイキモイキモイキモイ……。


 そばにいて欲しかった。

 嬉しくて、苦しくなった。

 咄嗟《とっさ》に蓋《ふた》つきのゴミ箱に捨ててあるティッシュの存在を思い、緊張し、笑美莉は安堵《あんど》する。

 蓋があるから、見られる心配はない。

 鼻水をかんでくしゃくしゃに丸めて捨ててあるティッシュ。

 智子には見られたくなかった。

 汚くて、なんだか恥ずかしいから。


「お、おはよう」

 と智子は言った。

「あ、うん」

 と笑美莉は言った。風邪でのどをやられている割にはクリアな声で。

 二人の距離は、飛沫《ひまつ》が感染を媒介するのに必要な近さを十分満たしている。

「机の上にあるからマスク取って」
「ん」

 立ち上がり、視線を笑美莉から外した智子。

 来てくれてありがとう。

 頭の中で、これからの予行演習をする笑美莉。


 マスクが手渡されて、装着し、それから再び二人の視線が絡み合って、

「おはよう」

 と笑美莉は言った。

 口元を覆うマスクで、声はくぐもっていた。

「あの、ひどい風邪だって、えっと、聞いた、から……」

 と智子はつっかえつっかえ言いながら、無意識に唇を噛んでいた。

 続けたかったのに、続けられなかった言葉。

 心配だったから来た。

 笑美莉が寝入る直前までメッセージを送りあっていた友だちを介して、風邪の悪化を知った智子は、わざわざ笑美莉の家までやって来た。

 様子を見に来てくれた。


 笑美莉はほほ笑んで、

「来てくれてありがとう」

 と言った。

今日はここまで


 照れくさそうにほほ笑み返しながら、

「何してほしい?」

 と智子が尋ねる。


「来てくれた。それだけで十分だよ」
「私としては、看病に来たつもりだから、何か言ってくれないとむしろ困るんだけど」

 そうなんだ。

 看病――ずいぶん似合わない言葉だなあ、と思いつつ、智子を困らせないで済むように笑美莉は考えてみる。

 してもらいたいこと。

 特に思いつかなかった。

 そばにいてくれて嬉しい。

 それだけ。

 しいて言えば、風邪をうつしたくない。


「とりあえず、ご飯にしよっか」

 と智子が言う。

 笑美莉は頷く。

 智子が部屋から出てゆく。

 もうお昼になっていた。

 薬を飲んで、眠ったおかげで、昨日の晩や朝起きたときよりはだいぶ楽になっていた。

 智子が部屋に戻ってくる前に、枕もとのティッシュ箱からティッシュを取り出して、鼻をかむ。

 昨晩《さくばん》、ベッドの下に移動しておいたゴミ箱の蓋を開けて捨てる。

 それで少し気分がすっきりする。


 やがて智子が戻ってきた。

 智子は開口一番、

「私が作ったわけじゃないから安心して。
キッチンで、完成したのを受け取ってきただけだから。食べなれた家庭の味だよ」

 と言った。

 卵雑炊《ぞうすい》の入った土鍋を載せたお盆をひとまずカーペットに置きながら。

 ピッチャーから冷えた麦茶をコップに注いだり、てきぱきと食事の準備を整えてくれる智子を見ながら、そういえば、手料理まだ食べたことないな、と笑美莉は思った。

 お菓子を手料理に含めるなら話は変わってくるけれども。

 笑美莉は思い出す。

 キモ甘かったチョコレートのことを。


「はい。アーン」

 過去を回想し、うわの空になりかけていた笑美莉を、智子が現実に引き戻す。

 智子が持つスプーンの上に卵雑炊があった。

 スプーンは、笑美莉の口元を向いていた。

 笑美莉に食べさせてあげようとしている。

 智子の意図は明白だった。

「や、自分で食べれるから」

 利き手をぶんぶん横に振って遠慮しようとする笑美莉に、

「看病。看病だから」

 ニヤニヤと、智子がスプーンを押し付けてくる。

 笑美莉の顔は真っ赤だった。

 食べさせてもらう。

 すごく恥ずかしかった。

 なんだか赤ん坊扱いされているみたいで。


 だけれども、わざわざ看病をしに来てくれたのに、恥ずかしいから、自分で食べられるから、とせっかくの好意を邪険にするのはどうなのか。

 そんな風に思って、葛藤して、結局笑美莉は受け入れた。

 恥ずかしいという感情の大きさからすれば、だいぶ心の中で無理をして。

 恥ずかしさを押し殺した。

 唾液で飲み下した。

 自分の顔の火照りの激しさに、看病のせいで熱が上がって、かえって身体に悪いんじゃないか、とかなんとか考えながら、黙々と食べる。

 味もほとんどわからないくらい勢いよく噛んだ。


 最初は余裕を見せていた智子も、笑美莉の予想以上の狼狽《ろうばい》ぶりに思うところがあって、恥ずかしさを滲《にじ》ませてゆく。

 羞恥《しゅうち》は伝染する。

 笑美莉の昼食は順調だった。

 ひとりで食べるよりはゆっくりにならざるをえないにしても。

 そして、智子も笑美莉も、二人とも、お互いに負けじと恥ずかしがりながらではあったが。

 笑美莉の食事の終わりが見えてきたころだった。

 それまで笑美莉に食べさせることに集中して無言だった智子が、

「風邪ひいたとき、弟にもこんなことしてあげたことないな」

 とぽつりと呟《つぶや》いた。


 笑美莉は、

「じゃあ私以外なら、誰にこういうことしてあげるの?」

 と間髪入れずに尋ねた。

 咀嚼《そしゃく》と、スプーンが口の中に挿《さ》しこまれる合間、ちょうどよいタイミングで。

 智子は苦笑した。

 その笑顔が、笑美莉はすごく好きだった。

 優しくされるのも、好き。

 好きだけど、優しくされると苦しくなる。

 笑美莉は恐れている。

 自分の意思ではコントロールできない苦しみを。


 苦しみは、自分の思い通りにはならない。

 苦しみは、どこにでも転がっている。

 智子の視線が、ふたり一緒にいるのに、ふとした瞬間《しゅんかん》、笑美莉を向いていなかったとき。

 智子の両手の爪が長かったとき。

 智子が、お洒落《しゃれ》をしていたとき。

 智子が優しくしてくれたとき。

 そんなとき、智子への感情で心がささくれ立って、苦しくなってしまう。

 笑美莉の意思にかかわりなく。衝動的に。


 だから、笑美莉は思っている。

 恋は、病に似ている、と。

今日はここまで


「次は何をしたらいい?」

 と智子は尋ねた。

 空になった土鍋が載ったお盆を、智子がキッチンまで持っていって片付けて、一段落《いちだんらく》ついたあとだった。

 食べ始めるまで笑美莉は食欲がないつもりだったが、ゆっくり食べたことで、意外とたくさん食べられた。

 ゆっくり食べることができたのは、食べさせてあげるというまどろっこしい手順を智子が食事に持ち込んでくれたおかげかもしれない。

 ただ、だからといって、智子にしてもらいたいことが新しく笑美莉に思いつくわけでもなかった。


「うーん」

 と笑美莉はうなる。

「何か困ってることとかさ」
「……トイレ行くのがしんどいのはあるかなぁ」
「じゃあ今――」
「今、行きたいわけじゃないよ」

 一蹴《いっしゅう》した。

 トイレに今行きたいわけではないのは紛れもなく事実だったし、笑美莉は思い浮かべている。

 トイレに連れていってもらって、扉の外で、用を足しているときの音を聞かれたら恥ずかしい。


 笑美莉は、

「昨日帰ってから熱がぐんと上がったから、様子見で、お風呂入らなくて、身体洗えてないのは気になってる」

 と言った。

 いくら智子でも、お風呂に入れてあげる、とは流石に言い出さないだろう。

 そういう計算があった。

 それに、薬で症状がだいぶ楽になっているとはいえ、お風呂にはまだ入るつもりがなかった。

 お風呂に入ろう、と言われても断るための理由がちゃんとあった。


 けれど、智子は、

「じゃあ、タオルで身体ふいてあげるよ。
熱出して布団の中でじっと寝てると、汗、服の中でベタついて嫌でしょ。嫌じゃない?」

 という提案をしてきた。

 嫌じゃない、と笑美莉は言えなかった。

 それは、智子に嘘をつくということだから。

 汗が、服に染みて、体にまとわりついてくるように思えて、ずっと嫌だった。

 だから、身体を拭いてもらえるのは嬉しい。

 一方で、智子に汗に濡れた身体を見られるのも嫌だった。

 触られるのも嫌だった。

 だってなんだか恥ずかしいから。

 今日まで何度も何度もお互いの裸を見せ合って、それ以上のことだってしてきた仲だというのに。

 恋人同士ではないけれども。

 今更の羞恥。


 お湯で温めて絞ったタオルと、乾いたタオル、身体を覆っておくためのバスタオル、着替え、と意外に本格的な用意が智子によってなされて、清拭《せいしき》が始まる。

 まずは髪の毛から。

 笑美莉は服を着たまま、ベッドから上半身だけを起こして、下半身は掛布団に包まれているL字の姿勢で、されるがままに受け入れる。

 智子の指が、ぬくいタオル越しに笑美莉の頭に触れる。

 智子の指先が、わしわしと、笑美莉の頭の上で撫でさする動きをする。

 すると、笑美莉の中で予期せぬ変化が起こった。


 それまで大人しくなっていた悪寒の震えが、唐突にぶり返してくる。

 同時に智子への好きの気持ちも溢れてくる。

 二つは、笑美莉の意思にかかわりなく。

 衝動的に。

 鬼気迫ったまなざし。

 ゆらめく想い。

 言葉が、笑美莉の喉《のど》の奥からせり上がる。

 二つの想い。

 重さと、軽さ。

 好きと、悪寒。

 ゆらぐ意思。


「付き合って」

 と、

「もう全てを終わりにしよう」

 

 笑美莉は、

「私たち、そろそろ卒業だね」

 と言った。

今日はここまで
作中で「直接的な肉体関係」の行為描写をやるつもりはないんですが
「直接的な肉体関係」が既に二人のあいだにあることをどれくらい作中でやっていいのかわかんないですよね
板に来たの久しぶり過ぎて
私が熱心に利用してた頃はRなんてなかった(はず)

セ―ファーセッ●スとかそういう言葉、作中で使っていいのか?


 卒業だね、と言われて、智子は何も答えなかった。

 沈黙を守っていた。

 髪を拭くのが一通り終わって、顔を拭いてもらって、指、手、腕、と続き、身体の番《ばん》がくる。

 笑美莉は智子に服を脱がせてもらう。

「脱がすから、腕上げて」

 智子からの言葉は、ただ、それだけ。

 平然とした声音《こわね》。


 笑美莉にはわかる。

 智子は欲情している。

 顔を見ればわかる。

 だからといって、服を脱がされながら笑美莉が感じている強烈な羞恥を智子も感じていることにはならない。

 汗にまみれた身体を智子に見られるのがすごく恥ずかしい。

 汚れた身体に、智子に触れてもらうのが、嬉しくて、とても苦しい。

 笑美莉から見れば、智子は平然としている。

 いつもと何も変わらない。

 それは誤差の範囲だった。

 だとしても、全てを変えてしまう方法ならある。

 一言で。


「付き合って」

 笑美莉がそう言えばいいのだ。

 笑美莉にはわかっていた。

 でも、全てが変わってしまったら?

 始まってしまったら、きっといつかはおしまいになる。

 恋は盲目。

 遠くを見通すことを拒んでいた甘い霧も、笑美莉の目前から、晴れ晴れときえさってしまう。

 そんな日が、いつかは訪れるに違いない。

 だって熱は冷めるものだから。


 恋は、病に似ている。

 おそらくそれは、人生というひとりの人間にとって一番大きなものさしで測ってしまえば、他愛もない風邪を患《わずら》うようなもの。

 いっときの気の迷い。

 恋煩い。

 全てがおしまいになって、十年、二十年、あるいは三十年が経過して、あれは仕方がない結末だった、いい思い出だ、そうやって冷静に振り返るようになる。

 ――その可能性は、許せない裏切りだった。

 未来ではなく、今という時間を生きている笑美莉にとっては。


 智子を好きという気持ち。

 自分がかけがえがないと感じたものに対しての裏切り。

 智子に対しての裏切りというよりは、自分自身に対する裏切り。

 特別な好きの重さを捨てて、軽くなる。

 楽になる。

 そうではなくて、もっと傷つくべきなのだ。

 恋の重力によって。

 この世界の他のどんなものでも、笑美莉をそれ以上深くは傷つけられない徹底ぶりで。

 学校の屋上から身を投げて、頭から落ちて、地面にぶつかって、心が詰まっていた容器がぐしゃぐしゃに砕けてしまうように。

 恋が、笑美莉にとって、本当に大事なものであるならば。

 しかし、苦しみは笑美莉の意思ではコントロールできない。

 良くも悪くも。


 笑美莉は恐れている。

 自分の意思ではコントロールできない苦しみを。

 笑美莉は恐れている。

 自分が、大切な苦しみを忘れてしまうことを。

 時間の経過によって。

 時間は、風邪薬が風邪の症状を和らげるように苦しみを弱めてしまう。

 人生の一部分をなす特定の過去、つまりは大切な記憶、感情、笑美莉が感じたあらゆるものの重さを軽くしてしまう。

 だから恐ろしい。

 だから、


「もう全てを終わりにしよう」

 笑美莉と智子にとって、まだ始まる前の全てのことを。

「付き合って」

 その気持ちを言葉にして始めなければ、手を伸ばすための先がきっとそこには残されていると信じていられる。

 始めてしまえば、長い長い人生のなかで、次はどこを目指せばいいのだろう。

 結婚?

 生涯の伴侶?

 今はまだ、全ては甘い霧の中。

 笑美莉が抱える不安と、自嘲。

 心のどこかで、無意識で、笑美莉は自分の不安をさげすんでいる。

 こんなものは、理由をつけて、やるべきことをだらしなく先延ばしにしているだけだ、と。


 もしもこの不安を智子に言葉にして伝えたら。

 前向きに、励ましてくれるかもしれない。

 悪い未来ばかりじゃない、とか。

 二人なら大丈夫、とか。

 今を楽しめばいい、とか。

 まるでなんでもないことみたいに軽々と。

 ――だとしたら、それは絶対に許すことができない。

 心のどこかで、笑美莉は思っている。

 いっそ壊れてしまえばいい。

 世界で一番ロマンチックなキスを交わして、ドキドキで、二人の心臓が破れてしまえばいい。

 もっと苦しめばいいのに。

今日はここまで
プロット上だと存在したセーファーセッ●スへの言及、実際書くと消滅したので勝手に健全になった
まあそういうこともある


「ごめんね」

 と智子が謝った。

 バスタオルを笑美莉の上半身にかけていたとはいえ、風邪を治すため安静にしている必要がある笑美莉の服を脱がせて、身体を拭き終わるまでかなり長い時間をかけてしまったことについての謝罪だった。

 服を着直させてもらって、笑美莉は、

「横になりなよ」

 と智子に言われた通り、素直にベッドで横になる。

 かけ布団をかぶる。

 部屋は静かだった。


「次は何をしたらいい?」

 と智子はもう言わなかった。

 笑美莉もこれ以上智子にして欲しい何かを思いつかなかった。

 智子が、

「寝た方がいいよね。帰るよ」

 と言った。


「待って」

 小さな声だった。

 マスクで声がくぐもって、余計聞き取り辛かった。

 智子が帰るまで、笑美莉はマスクをずっとつけているつもりでいた。

 風邪をうつしたくないから。

 笑美莉は布団の中で自分の身体をかき抱いた。


「まだ帰らないで」

 自分の冷たさに、凍えてしまいそうだった。

「もう少し、そばにいて」

 そして、私を抱きしめて、温めて。

 笑美莉は智子に風邪をうつしたくない。

 だから、抱きしめてもらう代わりに、

「手を握っていて」

 そうお願いした。

 まだ、智子にそばにいてもらうために。

 そばにいて欲しい。

 そばにいてくれて嬉しい。

 それだけで、笑美莉は幸福だった。


 智子の両手が、布団からはみ出した笑美莉の片手を捕まえた。

 優しく手のひらを包み込んだ。

 笑美莉の手は、汗ばんでいた。

 智子はそばにいてくれる。

 笑美莉にはわかっている。

 智子は、笑美莉が好き。

 笑美莉も、智子が好き。

 だから笑美莉は何よりも恐れている。


 愛が、自分の中の悪い気持ちを抑えてはくれないことを。

 自分の意思ではコントロールできない苦しみよりも、自分が、大切な苦しみを忘れてしまうよりも、その恐れは大きかった。

 もっと苦しめばいいのに。

 智子にそんな感情を抱いてしまう自分のことがたまらなく嫌だ。

 愛ゆえに、邪《よこしま》な気持ちが生まれるならば、歯止めはどうやったらかけられるだろう。

 智子を傷つけてしまわないための歯止めを。

 笑美莉は、智子を苦しめたくなかった。

 もっと苦しめばいいのに。

 そう思ってしまうのも、笑美莉の心のまた一部分なのだとしても。

 二つは両立し、ゆらいでいた。


「眠りなよ」

 と智子が言う。

 笑美莉は目を瞑《つむ》った。

 部屋は静かだった。

 やがて笑美莉の手のひらを包んでいた智子の両手、その片方が笑美莉の頭に伸びる。

 智子が笑美莉の頭をよしよしと撫で始める。

 笑美莉を甘やかす。

 頼まれた通り、手は握ったままで。



 笑美莉は嬉しくて、苦しくなる。

 智子に優しくされると、笑美莉は苦しくなる。

 自分が智子にはふさわしくないと感じてしまう。

 もっと苦しめばいい。

 こんなことを思ってしまう気持ち悪い私。

 私こそ、もっと苦しめばいい。苦しむのがふさわしい。もっともっと苦しめばいい。


 いったいいつからだろう。

 あんなに気持ち悪くて不快だったのに、不快ではなくなって、気がかりで、今度は私の方がどんどん気持ち悪く、不快になっていった。

 笑美莉の中で後悔があるわけではなかった。

 ただ、ここで終わらせれば、全ては丸く収まるかもしれない、とは思っている。

 智子が、笑美莉と同じくらい好きの気持ちに絡めとられてしまう前に。

 取り返しがつくうちに。

 悪い魔女は、お姫様を開放しなければならない。

 外の世界に。

 自らの決断によって。

 傷つけて、壊してしまう前に。

 その柔らかい心を。痩せて骨ばった身体を。

 まだ、間に合うかもしれない。

 智子の好きが、大きくなりすぎる前に。


 ゆっくりと、笑美莉は両目を開く。

 そして、

「私のどこが好き?」

 と智子に尋ねた。

 智子は少し考えて、笑美莉の頭を撫でていた手と、笑美莉の手のひらを握っていた手、両方を離して、マスクの上からいきなり笑美莉の唇へ口づけをした。

 マスクを隔てた感触は曖昧で、そのキスを、唇よりもむしろ視覚的な情報で笑美莉は感じ取った。

 突然のキスに困惑し、顔を真っ赤にして恥じらう笑美莉に、

「そういう顔が好き」

 と智子はほほ笑んだ。

 平然と。


 嬉しくて、苦しくなる。

 笑美莉にとって、その平静さは、好きがまだ大きくなりすぎていないことの証明だった。

 安堵した。

 許せなかった。

 だから、

「私たち、そろそろ卒業だね」

 とこれまで何度も口にしてきた言葉から始めて、一息ついて、努めて普段通りの声音を取り繕《つくろ》って、


「もう全てを終わりにしよう」

 と笑美莉は言った。


 結局覚悟なんか決まりきらないまま。

 智子は何も言わなかった。

 それでも、表情を見ていれば、変化はわかる。

 湖面で波紋が大きくなるようにどんどん智子の眉間の皺が深くなってゆく。

 笑美莉の言葉の含意が、智子にも浸透する。

 何を終わらせるのか?

 それは、始まる前の全てのことを。

 智子は傷ついていた。

 智子の表情が笑美莉に問いかけていた。

 どうして、そんなことを言うの?


 笑美莉は、胸が張り裂けるような苦しみを感じた。

 全部、嘘だと言いたかった。

 つまらない嘘、と。

 付き合って。本当はそう言いたい。

 心からそう思ってる。

 言えなかった。

 心のどこかに、智子の苦しみを喜んでいる笑美莉がいる。

 どんなに苦しみが大きくても、喜んでいる自分がいる限り、吐き出した言葉を取り消すわけにはいかない。

 智子に嘘はつけない。


 不意に笑美莉は、尖塔の天辺から飛び降りたような非現実的な浮遊感に襲《おそ》われた。

 このまま死んでしまうかもしれない。

 心が、壊れてしまうかもしれない。

 あまりにも苦しくて。

 苦しいのは嫌だった。

 もっと、苦しめばいい、と笑美莉は思った。

 粉々になるくらい。

 もう二度と治らないくらい。

 全てが、終わってしまう。

 終わってしまえばいい。

 部屋は静かだった。


 やがて智子が、眉間の皺が跡形もなく消え去った普段通りの顔で、

「バカなこと言ってないで、早く風邪を治しなよ。
 体調悪いから、変なこと言っちゃうのはしょうがないけどさ」

 と言った。

 それは、穏やかな拒絶だった。

 まだ始まる前の全てを終わらせることの。

 それは、許容でもあった。

 笑美莉が、智子が笑美莉を好きだとわかっていて、言葉の力で、唐突に智子を傷つけようとしたことの。


「だからそんな顔しないで」

 智子はそう続ける。

 表情とは裏腹に、さきほどから、智子の声は震えていた。

 智子は、

「もっと、簡素《シンプル》な顔の方が似合うよ」

 と締めくくった。不器用にほほ笑んだ。

 優しさが、嬉しくて、苦しくなる。

 好きの気持ちが、胸の奥から溢れる。

 笑美莉の意思にかかわりなく。衝動的に


「ごめんね」

 そう言って、笑美莉は智子にむしゃぶりついた。

 ベッドからほとんど飛び降りるような勢いで。

 智子の身体に全身を押し付けた。

 痛いくらい強く、強く。

 溢れる涙は、智子の服の上でとけていった。

 智子の背中を交差した腕で締め付けた。

 嗚咽《おえつ》した。

 嬉しくて、苦しくて、悲しかった。

 終わらなかったことに安堵した。

 笑美莉にはわかっていた。

 このままだと、私の風邪をうつしてしまうかもしれない。

 わかっていても、むしゃぶりつくのをやめられなかった。


「いいよ」

 優しい声で、智子が囁《ささや》く。

 笑美莉の耳のそばで。

「知ってるよ。意外と、我儘《わがまま》なお姫様気質だもんな」

 まるで笑美莉の全てを見透かしたような口ぶりだった。

 いつもならムッとするような言葉だったが、嬉しい、と笑美莉は思った。

 苦しくもあった。


 それから笑美莉が落ち着くのを待って、智子は改めて笑美莉を寝かしつけた。

 ベッドの上で横たわり、目を瞑《つむ》った笑美莉。

 すーすーと寝息を立てていた。

 部屋は静かだった。

 部屋の薄闇に隠れて、ひとり智子はほほ笑んだ。


 智子は、

「もう全てを終わりにしよう」

 と笑美莉に言われてから、力強く握りしめていた拳《こぶし》をようやくほどくことができた。

 布団からはみ出した笑美莉の片手に向かってその手を伸ばした。

 ひとつまたひとつと指を絡めて、おずおずと捕まえる。

 温かな手のひらと、指先で。

 その手はじっとりと汗ばんでいた。



 終わり

今日はここまで、と言ったが最後まで書けたので投稿してしまった
スレの日付見ると一か月以上ダラダラ書いてましたね


内容面では、部分部分書き終わったらポンポン放出してたので、細かい描写で色々やらかしていて、
もこっちがお見舞いに来て、うっちーがマスクをつけて、ご飯食べさせてもらう間にマスクとった描写がない
とかうーんな感じの瑕疵は散見してるんですが、全体としては、大まかなやりたかった筋をどうにか無事に辿れました

HTML化依頼だしてきます

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom