渋谷凛「なぞののうりょく」 (15)
よく振った炭酸飲料を開けたときみたいな音をたてて、電車のドアが開いた。
乗客たちはそれが「よーいどん」の合図であるかのように、一斉に降りていく。
携帯電話を鞄へ戻し、その流れに私も乗った。
乗客たちは電車を降りた後も一糸乱れぬ動きでエスカレーターに吸い込まれていく。
その様子をぼんやりと眺めていたところ、不意に肩を叩かれた。
見つかってしまったか、と伊達眼鏡を外し、笑顔に切り替える。
そこには見慣れたスーツ姿があった。
「なんだ。プロデューサーか」
「なんだとはご挨拶だなぁ」
「だって、ファンの人に見つかったのかと思ったから」
「あー。……いや、見つかりたくないんならもっと変装したらいいだろ」
「してるよ。ほら」
左手で眼鏡のフレームを軽くつまんで、上下させてみせる。
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「伊達眼鏡を信用し過ぎだと思うけど」
「案外気付かれないもんだよ」
「じゃあ今の状況はどう説明するの」
「プロデューサーは特殊だから」
「特殊、って。まるで俺がおかしいみたいな言い方やめて」
「実際おかしいでしょ? こんな人だらけのホームなのに」
「そうかなぁ」
「っていうか、プロデューサーは何してたの?」
「ん。俺は先方と打ち合わせから帰って来て、それで一本メールだけここで済ませちゃおうと思って、座ってメール打ってたんだよ」
「そっか。じゃあお疲れ様だ」
「いえいえ」
「で、偶然目の前のドアから私が降りてきた、ってこと?」
「いや、ふと視線を上げたらさ、電車がホームに入ってくるとこでな」
「うん」
「ぼけーっと、見てたら凛っぽい姿が見えたから」
「確かめてみたらビンゴだった、ってこと?」
「そう」
「……どんな動体視力してるの」
「すごいだろ」
「うん。プロデューサーやるよりも野球とか、そういうのやってた方がよかったんじゃないかな」
「野球やってたら凛に会えてないからなぁ」
「はいはい」
「あれ、結構殺し文句のつもりだったんだけど」
「蚊も殺せないと思うよ」
「無益な殺生はしない主義だからな」
「ああ言えばこう言うよね。ほんと」
止まらない軽口を無理矢理にでも終了させるため、プロデューサーを改札まで引き摺って行った。
駅の外の雑踏に混ざり、事務所を目指す。
正直なところ私は事務所に行く理由はもう既に達成してしまっているのだけれど、そこはそれ、着くまでの間に新たな理由を考えれば問題ないだろう、と自分で自分に言い訳をする。
「日、長くなったよね」
「仕事終わりで外に出たときに空が明るいとちょっと嬉しくなるよな」
「そうだね。時間は変わらないはずなのにね」
「そうなんだよなー。何も変わらないはずなのに、なんとなく得した気分になるのが不思議だ」
「ね。改めて考えると変な感じ」
「俺は小学生の頃、門限が十八時だったんだけどさ」
「うん」
「春から夏の終わりくらいまでは十九時ギリギリまで遊んでてさ」
「怒られてた?」
「そう。それでその度に、まだ太陽が出てるだろー、って言ってた」
「つまり、プロデューサーは小さい頃から言い訳の天才だったって話?」
「日が長くなったよね、って話だろ」
「そうだっけ」
「凛から言い出したのに」
「あ、全然話は変わるんだけどさ」
「ん?」
「さっき、プロデューサーは特殊っていう話をしたでしょ?」
「ああ、うん」
「ちょっと気になってさ、あれどうなってるのかな、って」
「どう?」
「何を目印に私を見つけてるんだろう、って思ったんだよね」
「あー。言われてみれば」
「プロデューサーもよくわかってないの?」
「そう。いつもなんとなく」
「やっぱり特殊能力か何かなんじゃないかな」
「幣プロダクション謹製、凛探知機内蔵型プロデューサー」
「ロボットだったの?」
「かもしれない」
「なにそれ」
「知らない内に、千川さんに改造されてて、高性能プロデュースロボットにされたんだ。きっと」
「ちひろさんそんなことしないでしょ」
「悪の科学者チヒロ・センカワによって改造され、毎日過酷な労働を強いられている悲しきロボット」
「そっか」
「しれっと流された」
「だってそんなに面白くないし」
「じゃあロボットってことを証明してやる」
「またわけわかんないこと言い出したね」
「俺は今から向こうのコンビニに入って、コーヒーを買ってくる」
「うん」
「凛はその間に、この人混みのどこかへ隠れる」
「それでプロデューサーが私をすぐに見つけられたら勝ち、ってこと?」
「そう」
「私が勝ったら何かある?」
「おうちまで送る」
「いつものことじゃないかな」
「んー。じゃあ、勝った方が負けた方に何でも一つ言うことを聞かせられる、とか」
「何でも」
「あ、でも過激なのはダメだぞ。ビルの最上階から飛び降りろ! とか」
「そんな命令して私に何の得があるって言うの」
「自由落下していく人間を眺めることができる」
「トラウマになるよ」
「それもそうか」
「まぁ、とりあえず、命令は軽いものだけ、ってことでいいんだよね」
「ん。どれくらいを上限にする?」
「どれくらい……うーん、シュークリームおごり、とか」
「凛が食べたいんでしょ」
「よくわかったね」
「まぁいいや。んじゃあ、それで」
プロデューサーは言い終わるとすぐにコンビニへ向かって駆けて行った。
いつものことではあるが、また突拍子もないことを言い出すものだと、半ば呆れながら、改めて駅前の雑踏を眺める。
カフェの前は分かりやすいし、駅の構内だとちょっと反則かもしれない。
などと、あれこれ考えた末に最も人が集まっているモニュメントのある広場に決めた。
羽織っていたジャケットは脱いで左腕にかける。
さらに化粧ポーチからヘアゴムを一つ取り出して、簡単に髪をまとめて、準備は完了だ。
プロデューサーはきっと、さっきまでの私の服装と、髪型が頭に残っているはずだから、ここまで変えてしまえば、見つかることもないだろう。
勝ちを確信しながら、鞄から携帯電話を取り出して、駅前にあるスイーツを検索する。
さて、どれを買ってもらおうか。
手元に視線を落とし、色とりどりのスイーツたちを眺めていたとき、画面上にメッセージを受信したことを示す通知が表示される。
送り主はプロデューサーで、内容はただ一言『勝ち』とだけ。
視線を上げる。
目の前には、にやけたムカつく顔のプロデューサーがいた。
「ずるしたでしょ」
「するわけないだろ」
「じゃなきゃこんなに早く見つけられないって」
「やっぱりロボなのかもしれない」
「ちょっと信じてもいいかな、って思えちゃうのが怖いよね」
「まぁロボではないんだけど、でもホントになんとなーくこっちの方かなぁ、って思って視線向けたらさ、いたんだよな」
「そんなに目立つような見た目じゃないと思うんだけど」
「目立つよ。凛は」
「そうかな」
「絶対に凛を見つけられる、っていう根拠のない自信が俺にはある」
「根拠はないんだ」
「だって謎の能力だからな」
「それもそっか」
「……まぁ、それなら、これからも、さ」
「うん」
「見つけてね。いつでも、どこでも」
「もちろん」
プロデューサーはにっ、と口角を上げて「さて、勝ったことだし、命令だけど」と言う。
忘れられていなかったか、と苦い笑み浮かべながら立ち上がる。
いいだろう。
受けて立ってやる。
身構える私を指でさして、仰々しい手振りと共に高らかにこう言った。
「これから俺はシュークリームを二つ買う。しかし、二つも食べられないので、一つ食べろ」
おわり
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