「行ってきます」
独り言を口にし、玄関の扉を閉め、施錠した。
数歩進み、振り返ると、立派な一戸建てだ。
この高級住宅地の中でも、その広い敷地面積と、洒落た外観は群を抜いていた。
つまり、周囲よりも資産価値が高い家だ。
母親の恋人の稼ぎが良いことが、よくわかる。
「あれ、髪型変えた?」
「暑くなってきたから、切っちゃった」
登校して、教室に入ると、女子高生達の華やかな会話がそこかしこで聞き取れた。
自分の席に着きながら、無意識に髪に触れる。
実は私も、2週間ほど前に髪を切った。
とはいえ、3センチほど。
もともとそこまで伸ばしてはおらず、見た目の印象は然程変わってはいない。
だから、誰にも気づかれなかった。
なんてことは、ただの言い訳に過ぎず。
ただ単純に、自分は目立たない人間だから。
それが理由で、それが私の個性だった。
「……まあ、いいんだけさ」
溜息交じりに独りごちる。
そして、すぐに自省する。
そうしなければ、堕落してしまうから。
このままでは、良くない。
良いわけがない。
そんなんじゃ、この先やっていけない。
価値のない人間になんて、なりたくなかった。
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「どうかしたの? 朝から溜息なんて吐いて」
ブルーな気分に浸っていると。
美しい声音が、耳に届いた。
振り返ると、清楚な美人が座っていた。
「何か、悩みごと?」
「あ、いや……別に、そんなんじゃないよ」
思わず見惚れてしまってから。
愛想笑いを浮かべて、茶を濁した。
まったく、朝から心臓に悪い。
いや、眼福だけれども。
同性が見惚れるほどの美貌。
それが、彼女の個性である。
とはいえ、それは彼女の価値ではない。
彼女の価値はもっと偉大なものだ。
こんな無価値な私に親しく話しかけくれる。
さっきは私の髪の長さの変化に誰も気づかないと言ったけれど、それには語弊があった。
彼女だけは、違った。
彼女だけは、気づいてくれた。
故に、この美人さんはただの美人ではなく。
私にとって、とても価値ある美人さんなのだ。
「それならいいけど……」
「心配しなくても、へーきへーき!」
ヘラヘラして、誤魔化して。
なんとか疑いの眼差しから逃れると。
美人は視線を下げ、物憂げな溜息を零した。
「そっちこそ、どうかしたの?」
「……なんでもないわ」
「とてもそうは見えないんだけど……」
うーむ。どうも、気になる。
美人が物憂げだと、こうも気を惹くものか。
無価値な私とは、えらい違いだ。
改めて、顔面偏差値の格差を、思い知った。
「何か悩みがあるなら聞くよ?」
「でも、迷惑になるかも知れないし……」
「そんなの気にしなくていいよ!」
我ながら、かなり食い気味だったと思う。
なんとかして、美人さんの力になりたかった。
それは、もちろん善意であるが、本心は。
そうすることで、自分の価値を上げたかった。
彼女に必要とされたい。
彼女の役に立ちたい。
彼女に認められたい。
そうした浅ましい願望が根底に含まれていた。
「お願い、悩みを聞かせて!」
一生のお願いとばかりに手を合わせて拝むと。
「わ、わかったから、拝まないでよ! もぅ」
有難や有難や。
どうやらこの美人さんは押しに弱いらしい。
案外、ガードが甘い。
なんだか、心配になってしまう。
「実はね……」
そして、その心配はすぐに現実のものとなる。
「ただいま」
「あ、お父さん。おかえり~」
場面は変わって、下校後。
私はいつも通り、父親のアパートへ向かった。
そこで夕飯を作り、父親が仕事から帰宅してから、一緒に食べる。それが日常である。
両親が離婚してから、ずっとそうしてきた。
「遅くなってすまん」
「遅くまでお疲れ様。ご飯、出来てるから」
クタクタになった父親を労う。
遅くまで残業しても、稼ぎは悪い。
そんな父親は、母親にとって無価値だった。
だから、母親に見限られ、捨てられた。
「美味しいよ」
「ありがと」
美味い美味いと、父親は私の料理を食べる。
美味しい以外の感想を貰ったことはない。
それでも、満面の笑みから、本心だとわかる。
「どうかしたのか?」
「えっ?」
食後。
2人で皿を洗っていると、不意に尋ねられた。
首を傾げると、父親は皿を洗いながら笑った。
「これでも父親だ。娘が何か悩んでいることくらいはわかる。もし良かったら、話を聞くよ」
悩んでいる素振りを見せたつもりはなかった。
父親の勘とは、存外鋭いものらしい。
しかしまあ、隠す必要もないので、話そう。
「今日、後ろの席の子から頼まれてさ……」
「ほう? どんな頼みごとだ?」
「クラスの男子とデートすることになった」
さらりと打ち明けると。
父親は大いに取り乱し。
デートに役立つ助言は、一切、貰えなかった。
「……流石に早く来すぎたか」
週末。
待ち合わせ場所の駅前にて。
集合時刻の30分前に現地に到着。
周囲を見渡すも、敵影及び友軍の姿なし。
どうやら、私が一番乗りの模様。
まるで、一番乗り気みたいに思われる。
それは困る。恥ずかしい。
「とりあえず、時間を潰そう」
とはいえ、どのように時間を潰すべきか。
友達と遊びに行く機会なんてほとんどない。
だって、友達なんて居ないから。
だから、時間の潰し方すら、知らない。
「本屋で立ち読み……いや、他の客に迷惑か」
無価値な私には矜持があった。
それは有害な存在にだけはならないこと。
無価値でも、無害でありたい。
いや、無価値だからこそ、無害であるべきだ。
何故なら無害ならば、迫害されることはない。
そうやって、校内に蔓延る虐めを免れてきた。
「となると、喫茶店でコーヒーでも……」
「あの、すみません」
「はひっ!?」
頭の中に警告音が鳴り響く。
いきなりロックオンされた。
周囲に敵影はなかったのに。
背後から響いた声は男の声。
父親ではないようだ。
知らない男から声をかけられた。
そんな経験は未だ嘗てなく。
混乱しながら振り向くと、そこには。
「待ち合わせ場所、ここで合ってますよね?」
「えっ?」
「今日のデートの付き添いの方ですよね?」
「えっ? えっ?」
「自分も、友達の付き添いで来ました」
なるほど。
ようやく、理解した。
彼が、今日のデートの付き添い君か。
クラスメイトの筈なのに、覚えがない。
印象に残らない顔立ちと、雰囲気。
その理由は色素の薄さにあると思われる。
茶色がかった髪と、瞳。そして白い肌。
唯一の特徴である眼鏡も、地味な代物。
まるで、男子バージョンの私みたいだ。
なんだか、親近感を覚えてしまう。
ちなみに、私も付き添いなので立場は同じ。
しかし、彼の置かれている立場は複雑だった。
「とりあえず、喫茶店にでも入りませんか?」
「あ、はい」
くそ。主導権を奪われた。
まあ、別にいいんだけどね。
私は素直に、彼の後に続いて、店内に入った。
「どれにします?」
「それが、メニューを見てもわからなくて」
「あはは……実は僕も同じく、困ってます」
どうやら、彼も私と同じく慣れていない様子。
またしても、親近感を覚えてしまう。
思わず苦笑いをすると、彼も苦笑で返した。
結局、無難にカフェオレを2人で注文。
それをひたすら、黙々と、飲む。
なんだか気まずくて、口を開いた。
「あの……」
「はい、なんですか?」
「その……初めまして」
「一応、クラスメイトですよね?」
「あ、そうだった」
何を言っているのやら。
自分の言動のおかしさに笑うと。
彼も噴き出すようにして笑って。
なんだか、気が合う人だと感じた、その時。
「あっ! 居た!」
店の入り口から聞き覚えのある声が響いて。
パタパタとこちらに駆け寄る、美人さん。
その後ろから、やたら髪型が決まっているスポーツ万能そうなイケメンの男子が入店。
ようやく、主役である御二方の、お出ましだ。
「もう。待ち合わせの時間、過ぎてるわよ」
「ごめん、ついうっかり」
指摘されて時計を見ると、5分オーバー。
「お詫びにご馳走するから」
「それなら、許してあげる」
ああ、良かった。
コーヒー1杯でその笑顔を見れるなら。
私は何杯だって、ご馳走してあげよう。
そんな思いから、つい財布の紐を緩めると。
「僕も半分出しますよ」
「えっ? いいの?」
「遅刻の共犯ですから」
共犯の付き添い君が、折半を申し出てくれた。
意外と優しくて、気遣いが出来るようだ。
そんな彼に、すかさずイケメン君が物申す。
「いや、お前は俺に奢れよ」
「なんですか? カツアゲですか? 怖いなぁ」
「ひ、人聞き悪いこと言うなよ!?」
「だったら、自分で払って下さいよ」
なんとも男子高校生らしい会話だ。
そのやり取りを見て、私と美人さんは笑った。
デートの滑り出しとしては、上々だろう。
「ところで、あの2人、どう思います?」
「えっ?」
あれから電車で遊園地に向かい。
美人さんとイケメン君に付き従い。
しばらく、2人のデートを見守って。
不意に、付き添い君に、そう尋ねられた。
「お似合いだとは、思うよ」
「ですよね。本当にお似合いのおふたりです」
見たままの印象を述べると。
彼は頷いて、異論はないらしい。
しかしながら、それは困るのだ。
それを受け入れて貰っては、困るのだ。
「あの子、綺麗だよね」
「はい、とても綺麗ですね」
「とっても美人で、すっごく良い子なんだよ」
「ええ、そうらしいですね」
私の後ろの席の女の子は、美人だ。
しかも、すごく良い子。
同性の私から見ても、魅力的に思える。
ならば、付き添い君にだって、そう映る筈だ。
「あなたもあの子と付き合いたいって思う?」
何気なく、尋ねたつもりだった。
しかし、それを聞いた、その瞬間。
夕暮れの遊園地に冷たい風が吹いた気がした。
「……彼女は、僕の友人の好きな人ですよ?」
こちらに向けられた付き添い君の視線は。
印象の薄い彼のものとは、思えぬほど。
鋭利に尖り、私を射抜き、身動きが取れない。
眼鏡の奥の茶色い瞳に、怒りが見て取れた。
「横取りすることは……とても、悪いことです」
そんな正論を真正面から諭されて。
私は頷くことしか、出来なかった。
何ひとつとして、言い返せなかった。
『無価値であっても、無害であるべき』
彼も、その矜持を、持ち合わせているらしい。
「……とはいえ」
まるで、ひと息つくように。
おもむろに眼鏡を外して拭きながら。
彼は話題を変えた。変えて、くれた。
そのことに、私は心から安堵する。
あのまま、彼が怒ったまま。
何も言わずに黙りこくって。
あの、冷めた目をし続けていたら。
きっと私は、泣いてしまっていただろう。
あの瞬間。
彼にとって、私は敵だった。
友達の女に手を出せと、そう口にしたのだ。
怒らない方がおかしい。
私は彼にとって、有害だった。
そのことに遅まきながら、気づく。
そして、彼がそれを赦したことも伝わった。
だから私は安堵した。安心した。
緊張の糸が切れて、結局、私は泣いた。
「……ご、ごめん、なさい」
「別に、もう怒ってませんよ。それよりも」
とにかく、謝ろうとしたのだが。
彼は強引に話題を変更しようとする。
それもまた、彼の優しさのように思えたので。
私は涙を引っ込めて、素直にそれに従う。
「……何?」
「あなたは、このままで良いのですか?」
なんのことだろうと思いつつ。
なんとなく、予感はしていた。
彼もまた、現状を良しとしていないのだと。
どうやら、私と同じ悩みを抱えているらしい。
「僕は人から必要とされる人間になりたい」
それは、決意がこもった、宣言。
いや、願いなのかもしれない。
切実な願望であると、そう思えた。
何故ならば、私もまた、そう願っているから。
「私もそう思う」
「だったら、話は簡単です」
同じ願いを抱いていると打ち明けると、彼は。
「互いに互いが必要な関係になれば解決です」
そんな、わけのわからないことを、口にした。
「それは、具体的には、どんな関係?」
「だから、僕とあなたが付き合えば……」
「それは、ダメ」
遊園地に、今一度、冷たい風が、吹き荒れた。
「……なるほど、そういうことですか」
拒絶の意志を視線に込めると。
彼は事情を察したようで、苦笑した。
わかってくれたならば、臨戦態勢を解く。
「難儀な立場ですね」
「それはお互い様」
「しかし、僕の友人は報われないなぁ」
私が美人さんから頼まれたこと。
それは、このデートの付き添い。
そして私が付き添うことによって。
人数合わせで、彼を呼び出す口実が出来た。
イケメン君は美人さんのことが好き。
しかし、美人さんには既に好きな人が居た。
それでもイケメン君はデートに誘い続けた。
押しに弱い美人さんは、渋々それを承諾。
そして、それを利用して奇策に打って出た。
全ては、イケメン君の友人を呼ぶため。
美人さんの想い人を、呼び寄せるため。
そのために、私はこの場に居合わせている。
その思い人こそ、彼。付き添い君である。
つまり、美人さんは付き添い君が好きなのだ。
初めは、その理由がわからなかった。
印象に残らず、パッとしない男子。
彼の何処が良いのかと、そう思った。
しかし、接してみると、その良さがわかった。
無価値であっても、無害で、優しい良い人。
それこそが、付き添い君の、価値なのだ。
「私はもう二度と、有害にはなりたくない」
必要とされたい。
価値ある人間になりたい。
それは、切実な願いだ。
しかし、同じくらい、矜持を大切にしたい。
「それについては、僕も同意見です」
「だから、ごめんなさい」
だから、あなたとは付き合えない。
気が合うと、思った。
優しさに、救われた。
お互いに必要な関係になりたいと思えた。
しかし、その願望は、有害だ。
私の後ろの席に座る、美人さん。
こんな私を気にかけてくれる、良い人。
かけがえのない大切な友人の、想い人。
それを横取りすることは、悪だ。
「……とはいえ」
またそれか。
また話を逸らすつもりか。
先程は、それで救われた。
けれど、今回は話を逸らすつもりはない。
これは、逸らしてはいけない話題だ。
「そう睨まないで下さいよ」
「私を怒らせないで」
「怒らせるつもりなんてありません」
「あなたを……嫌いに、なりたくない」
懇願すると、彼は困ったように笑って。
「……もう、どうしようもないでしょう?」
その、諦めたような口調が、酷く気に障った。
「それは、どういう意味?」
「誰かにとっての有害にならないと、僕らの願いは生涯、叶わないという意味です」
「嫌だ」
なんだそれは。
話にならない。
それでは、本末転倒だ。
仮に、そうして私が彼と付き合っても。
美人さんと私は、敵対関係になる。
私はかけがえのない友人を失うのだ。
「人ごとだと思って、勝手なこと言わないで」
「でも、事実ですよね?」
「あなたって、最低。見損なった」
まるで、定型文のやり取りだ。
こうして、彼は私に嫌われた。
そんな流れが、出来上がった。
「さよなら……ありがとう」
「はい、どういたしまして。それでは、また」
まだデートの最中だけど、私は帰る。
こうして喧嘩別れするのが、最良だろう。
そのように、付き添い君が誘導してくれた。
仕方ないので、美人さんにはあとで謝ろう。
同じ人を好きになって、ごめんなさい、と。
そうして私は美人さんと敵対する。
せめて裏でコソコソせずに堂々と。
彼女にとっての有害となることで。
無価値な自分を、変えてみせよう。
【無価値の矜持】
FIN
1レス目の「……まあ、いいんだけさ」 は、「……まあ、いいんだけどさ」 の間違いです
確認不足で、申し訳ありません!
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