渋谷凛「最愛の人」 (92)


アイドルマスターシンデレラガールズの二次創作SSです

よろしくお願いします

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──病院──

文香「『女か虎か』という物語をご存知ですか?」

文香「自分と他人の幸福を天秤にかけて、どちらかを選択しないといけないというお話です」

文香「病院の面会時間にはまだありますから、あなたが不在にしていたこの2週間についてお話をさせてください」


──

キーン…

奈緒「あれプロデューサーさんが乗ってる飛行機かな」

加蓮「違うよ。朝の便で出たんだからもうとっくに日本にいないはずだよ」

奈緒「それにしても出張か。海外だなんて大変そうだ」

加蓮「確かに大変そう。お土産選びに手間取っちゃいそうで」

奈緒「全くお前は……なぁ凛、お前も心配だよな」

凛「……別に、どうとでもなるんじゃない」


奈緒「……なんか凛のやつ妙に不機嫌じゃないか?」

加蓮「来週自分のミニライブがあるのに、このタイミングで出張に行かれたこと根に持ってるんでしょ」

奈緒「いわゆるやきもちか。可愛いところあるなあいつ」

加蓮「ね。私から言わせると少しあざといけど」

凛「……あのさ、全部聞こえてるから。そしてそんなこと思ってないからね」

奈緒「あはは、冗談だよ。お昼ご飯食べに行こうぜ」

加蓮「いいね~どこ行く? マック、バーキン?」

奈緒「不健康だろ。せめてモスバーガーにしないか?」

凛「ロッテリアがいいな」


イラッシャイマセー

加蓮「そういえば、卯月の話聞いた?」

奈緒「ん? なんのこと?」

加蓮「テレビのレギュラー決まったんだってさ」

奈緒「へぇ、すごいな! 凛は知ってたか?」

凛「うん。本人から聞いてたから」

オマタセシマシター

奈緒「おー、きたきた!」

加蓮「さっそく食べよう!」


凛「いただきます」

パク …ピュッ

凛「あっ」

奈緒「あちゃ~。ケチャップが襟に飛んじゃったな」

凛「どうしよう……この格好で午後のインタビュー受けるつもりだったのに」

加蓮「事務所に戻ればシャツの替えぐらい置いてあるよ」

奈緒「そういうことだ。気にせず食べようぜ!」

凛「う、うん」


──事務所──

凛「シャツの替えを探してくるから、2人は適当にぶらついてて」

ガチャ

凛(とりあえず、端から順にロッカー見ていこうかな……)

凛(……一番最後まで見たけど見つからない。シャツぐらい備蓄してそうなものなのに)

凛(ちひろさんに聞けば一発なんだろうけど、今日はあいにくお休みだし、プロデューサーは海外……)

凛「……」

凛「……どうして出張なんてしたの、プロデューサー」


楓「仕事だからじゃないですか?」

凛「わっ!?」ビクッ

楓「他に理由はないと思いますが……」

凛「驚いたのはそこじゃないから! 楓さん、いつからそこにいたの!」

楓「私は最初から事務所のソファにいましたよ。凛ちゃんが不審な動きをしてるので、こっそり偵察に来たというわけです」

凛「別に不審な動きなんか……単にシャツを探してただけだよ」

楓「プロデューサーのシャツをですか?」

凛「新品のシャツ!」

楓「うふふっ。冗談ですよ」クスクス


凛「邪魔するならソファーに座っててください」

楓「新品のシャツなら医務室に置いてあったはずです」

凛「え、それ本当?」

楓「本当です。楓さん嘘つかない」

凛「なぜ棒読み……少し不安ですけど、医務室行ってみます。ありがとう」

楓「いえいえ。お役に立ててよかったです」

バタン

楓「……凛ちゃん。寂しい時は寂しいと、ちゃんと伝えないとダメですよ」


──医務室──

コンコン

凛「失礼します……ってあれ」

文香「……凛さん。お疲れさまです」

凛「なんで文香がここに?」

文香「体調がすぐれないので医務室に来たのですが、担当の方が席を外されてしまって」

凛「大丈夫?」

文香「ええ、お薬はもう貰いましたから。凛さんは何のご用で?」

凛「シャツの替えを探しに来たんだ」

文香「ああ、それならここに」ガララッ


凛「よかった。勝手に使っちゃっていいかな?」

文香「はい。後で私から報告しておきます」

凛「ありがとう文香。そっちのベッドスペースで着替えちゃうね」

ジャッ

凛「……」ゴソゴソ

文香「……凛さんは、卯月さんと仲が良いですよね」

凛「? どうしたの突然。そりゃまぁ仲良しだけど」

文香「さっき卯月さんが尋ねてきました。本のことで聞きたいことがあると」

凛「そうなんだ。たぶん新番組のことで勉強してるんだろうね」

文香「勉強?」

凛「卯月のコーナー、童話や逸話について紹介するものらしいから。……何について聞かれたの?」


文香「『女か虎か』について聞かれました」

凛「なにそれ?」

文香「有名な逸話です。あらすじだけ話しますと……」

──

ある国の身分の低い若者が王女と恋をしました。

それに怒った国王はその国独自の処刑方法で若者を罰することにしました。

その方法とは2つの扉のひとつを選ばせることです。

ひとつの扉の向こうには餓えた虎がおり、扉を開けばたちまちの内にむさぼり食われてしまいます。

もうひとつの扉の向こうには美女がおり、そちらの扉を開けば罪は許されて彼女と結婚することが出来ます。

王の考えを知った王女は、死に物狂いで2つの扉のどちらが女でどちらが虎かを探り出しました。

しかし王女はそこで悩むことになります。

恋人が虎に食われてしまうなどということには耐えられない。

そして、自分よりもずっと美しい女性が彼の元に寄り添うのもまた耐えられない……。

王女は悩んだ末に結論を出し、若者に扉を指差しました。


文香「……」

凛「……王女はどっちを指差したの」

文香「うふふ。それは卯月さんの番組を見て確かめてください」

凛「……それもそうだね。……よしと。シャツの場所教えてくれてありがとう」ジャッ

文香「いえいえ。もう行かれるんですか?」

凛「うん。文香はまだ大丈夫なの?」

文香「はい。今日はもうレッスンはないので、担当の方を待ってから帰ろうと思います」

凛「そっか。じゃあお大事に」

バタン


──

ワンツー ワンツー

加蓮「はぁ……はぁ……」

奈緒「ふぅ……」

トレーナー「次回までに今日の振り付けを覚えてくるように。解散」

加蓮「はぁー……」ペタン

凛「はぁ、はぁ……水買ってくるけど欲しい人いる?」

加蓮「ごめん凛、頼むわ……」

奈緒「あたしも付いて行くよ、凛」


テクテク

奈緒「加蓮は今日体育あったんだってよ。しかもランニング」

凛「え? トレーナーさん、そのこと知ってるはずだよね。時間割渡してあるから」

奈緒「いいや、何かの振替で急に体育になったんだと。加蓮のやつわざと報告しなかったんだ。負けず嫌いなんだから……」

凛「……」

奈緒「そういえば、来週のミニライブへの準備は順調なのか?」

凛「まあね。準備といっても既存曲を2曲歌うだけだから、喉の調整しかしてないけど」

奈緒「そうか。まあミニライブ自体、凛は何回もやってきてるもんな」

凛「うん」

奈緒「あとは心構えぐらいか。なんてったって今回はプロデューサーさんがいないんだから」

凛「……別に、いつも通りやるだけだよ」

奈緒「あはは。やっぱり凛はたくましいぜ」


チャリン

奈緒「加蓮は水だったな。あたしはポカリにしようっと」ピッピッ

凛「私は……ん?」

凛(中庭のところで、卯月がベンチに座ってる……)

奈緒「卯月じゃん。1人で何してるんだろう」

凛「うん。休憩中かな」

奈緒「凛、行って話してこいよ。あたしは加蓮に水を届けてくるから」

凛「そう? ありがとね」

奈緒「またあとでな」


ザッ

凛「おはよう、うづ……」

卯月「はい。もしもし」

凛(電話中? 誰とだろう)

卯月「はい、卯月です。お久しぶりです、プロデューサーさん」

凛「!」サッ

卯月「?」

凛(な、何で私隠れたんだろう。でも、今から出ていくのも変だし……)

卯月「……あ、いえ。今後ろに誰かいたような気がして。でも気のせいだったみたいです」


卯月「それで何かあったんですか? 急に電話をかけてくるなんて」

卯月「あぁ、番組の件ですね。今のところ順調です。さっきミーティングを終えてたところで」

卯月「初回収録ですか? 早くて2週間後ぐらいになると思いますけど……」

卯月「え? その時までになんとか間に合わせて帰るようにするって?」

凛「……!」

卯月「ふふ、ありがとうございます。詳しい日程が決まり次第連携しますね」

卯月「はい、プロデューサーさんもお体に気をつけて下さい。失礼します」ピッ

ガサッ

卯月「ん?」

凛「あ……」

卯月「あれれ、凛ちゃん?」


卯月「さっき誰かがいたような気がしたんですが、凛ちゃんだったんですね」

凛「あ、うん。……ごめん、話しかけるタイミング失っちゃって、電話の内容聞いちゃった」

卯月「うふふ、気にしませんよそんなこと。むしろ気を遣わてしまってすみません」

凛「……」

卯月「聞きました? プロデューサーさん、わざわざ私の初回収録の時間に合わせて帰ってきてくれるんだそうです」

凛「うん……」

凛(それだけ卯月は、プロデューサーから期待されて──)

卯月「きっと私、プロデューサーさんに信頼されてないんですね」


凛「……え?」

卯月「もっとしっかりしなくちゃ……島村卯月、頑張ります!」

凛「……」

卯月「凛ちゃん?」

凛(そんなことないよと言ってあげたかった)

凛(プロデューサーは卯月に期待してるから、大事にされてるから帰ってきてくれるんだよって)

凛(でも、その慰めの言葉の反対側は、私をないがしろにしているという意味でもあったから)

凛(だから私は凍りついてしまって、卯月に肯定も否定もできなかった)

卯月「……そろそろレッスンが始まるので、行かないと。また今度ゆっくりお話しさせてください。それでは」ペコリ

タタタ…


──翌日──

凛「……」スッ

凛「……」ポチポチ

凛「……」スッ…

同級生「さっきから電話帳を行ったり来たりしてばかりだね」

凛「……連絡先の整理してるだけだよ。ていうか画面勝手に覗かないで」

同級生「とか言って本当は彼氏なんじゃないの~。きゃ~、スキャンダルだ!」

凛「はいはい。想像にお任せするよ」


同級生「でもぶっちゃけた話さ、アイドルなんてやってたら選び放題なわけじゃん。誰かと付き合おうとは思わないの?」

凛「お、思わないよ……」

同級生「どうして? 事務所が恋愛NGとか?」

凛「規約とか関係なく、今は興味ないから」

凛「……それに、もしかしたら悲しむファンがいてくれるかもしれないし」

同級生「……」

凛「じゃあ私、もう帰るから」スッ

同級生「……凛ってさ」

凛「?」

同級生「結婚できなさそうだよね」

凛「はぁ?」


バイバーイ

凛「今日は仕事もないし、これからどうしようかな」

凛「……買い物でもするか」

──渋谷駅前──

凛(といっても、特に欲しいものもないんだけどね)ウロウロ

?「ぐへへ、かわいらしいお嬢ちゃん」

凛「……」

?「1人でお買い物? よかったらお姉さんとデートしない?」

凛「……何やってるんですか、楓さん」

楓「うふふっ、ばれましたか」パカッ


アリガトウゴザイマシター

楓「うっかりナンパしちゃったお詫びに、チョコレートアイスクリームをあげます」

凛「あ、ありがとう……そのお面はなんなの」

楓「商店街の福引きで当てたんです。欲しいならこれもあげます」

凛「絶対いらない……」

楓「それよりも、本当に1人で買い物していたんですか?」

凛「うん。別に誰かを付き合わせるようなことでもないしさ」

楓「お~。凛ちゃんは考えが大人っぽいですねぇ」

楓「……しかし、子供らしく振舞うのも時には悪くない。大人のお姉さんはそうも思いますよ」

凛「? なんの話ですか?」

楓「うふふ、なんでしょうね……この後アクセサリーショップに行くのですが、凛ちゃんもご一緒にどうですか?」


──ショップ──

楓「このピアス、凛ちゃんにとってもよく似合いそう」

凛「んー、ちょっと子供っぽくないかな。私はもっとシンプルな方が」

楓「子供っぽいことの何が悪いんですか。ほらほら、絶対に似合いますよ」

凛「そうかなぁ」

楓「お姉さんが買ってあげるから、騙されたと思って明日つけてきてっ。店員さん、これひとつー!」

凛「ちょ、ちょっと」


──翌日・事務所──

凛「おはよう」ガチャ

奈緒「おっす凛」

加蓮「おはよー……ん? 今日はやけに可愛いピアスしてるんだね」

凛「これ? 昨日買った、ていうか買ってもらったんだ。こういうのあんまりつけないんだけど……どうかな?」

奈緒「すごくいいよ、凛の意外な一面って感じで!」

凛「そう? ありがと」

アハハハ…


──

加蓮「じゃあね、お疲れ様~」

奈緒「また明日な!」

凛「うん。じゃあね2人とも」

テクテク

凛「あ、レッスンルームに水筒忘れてきちゃった。取りに戻らないと」

ガチャ

卯月「……」ブツブツブツ

凛「卯月?」

卯月「あっ、凛ちゃん!」


凛「こんな時間にレッスン室で何してるの?」

卯月「収録に備えて発音の練習をしていたんです。えへへ……」

凛「電気ぐらいつけなよ。びっくりするじゃん」パチッ

卯月「すみません。練習に夢中になってたら暗くなってるのに気がつかなくて」

凛(昼からずっと練習してたってことか。私たちが使い終わったあと、今までずっと……)

卯月「ここ使うんですか? すみません、すぐに移動するので」

凛「卯月。このあと暇?」

卯月「えっと、まだ練習を……」

凛「練習のしすぎは逆効果になるよ。いいから私についてきて」

卯月「は、はい……」


──カフェ──

凛「アイスコーヒーひとつください」

卯月「あ、私はミルクティーを……」

ゴユックリドウゾー

卯月「……」

凛「どしたの。飲みなよ?」

卯月「あ、はい」ゴク…

凛「……元気ないね。いつものおしゃべりな卯月とはえらい違いだよ」

卯月「そ、そう見えますか? 私、元気ないですか?」

凛「うん、少なくとも私にはそう見えるよ。全く、自分の体調に鈍感なのは相変わらずみたいだね」クス

卯月「えへへ、凛ちゃんには全部見抜かれちゃうなぁ」


卯月「……実は、悩んでることがあるんです」

凛「何?」

卯月「新番組のことです……前にも少しお話しましたが、童話や逸話の紹介をするコーナーの担当をするんですけど」

凛「知ってる。今はそれに向けて色々勉強中なんでしょ?」

卯月「はい」

凛「準備がうまくいってないとか?」

卯月「い、いえ、準備自体は今の所順調に進んでいて。でも、その、プロデューサーさんから……」

凛「プロデューサー?」

卯月「プロデューサーさんから、毎日のようにメールが届くんです」


カラン

卯月「夜の19時になるとほとんど必ずメールが来て、今日の進捗とか、悩み事がないかとかをご報告するんです」

卯月「それ自体は全然嫌じゃなくて、むしろありがたいな、優しいなぁって思っているんですけど」

卯月「でも逆に言えば、それは私のことをあんまり信頼していないってことなのかもって……」

卯月「私に任せておいたら、絶対に失敗しちゃうって思われてるのかなって……」

卯月「でも、プロデューサーさんが本当は私のことをどう思っているのかなんて、直接聞けないから」

卯月「だから不安をなくすために、できる限りいっぱい練習してるんですけど」

卯月「凛ちゃんの言う通り、練習すればするほど事態がよくなるわけじゃないってことは分かってて」

卯月「……凛ちゃん」

卯月「私は、どうしたらいいんでしょう……」


凛「……」

卯月「……」

凛「……卯月。きっとプロデューサーは」

プルルルル

卯月「あっ、プロデューサーさんから……」

凛「……電話、出なよ」

卯月「す、すみません……はい、もしもし」ピッ

卯月「お疲れ様です。卯月です。はい、大丈夫ですよ」


卯月「今日はピンチェのレッスンと、少し自主トレをしてました」

卯月「あ、いえ、番組の方とはお話ししてないです。そちらに特に動きはありませんでしたので」

卯月「時間の詳細もまだ決まってなくて。はい。はい……」

凛「……」ゴク…

卯月「……そうですね。もし聞かれたらそうお伝えしておきます。いいえ、こちらこそありがとうございます」

卯月「え、お土産? ……うふふ、そんなことありませんよ、嬉しいです。ありがとうございます」

卯月「はい、期待しちゃいますっ。はい、はい……それではまた明日。おやすみなさい」


ピッ

卯月「……ごめんなさい。話の途中だったのに」

凛「ううん。プロデューサーはなんて?」

卯月「収録の話と、お土産の話を少し。なんでもすごく美味しいお菓子を見つけたそうで」クスクス

凛「そっか……よかったね卯月」

卯月「? 凛ちゃんはお菓子楽しみじゃないんですか?」

凛「……私の分もあるのかな」ボソ

卯月「すみません。今なんて?」

凛「なんでもない……話を戻すよ」


凛「私からは単なるアドバイスになるんだけど……もっとコミュニケーションをとっていけばいいんじゃないかな」

凛「今みたいに電話とか、メールでもやり取りしていけば、だんだんあの人の本音がわかってくると思うよ」

卯月「コミュニケーション……」

凛「うん。仕事の話とかじゃなくプライベートの話とかもたくさんして、今まで以上に仲良くなってみなよ。そしたら今まで見えてなかった部分が見えるかもしれない」

凛「プロデューサーのことを分かった上で、最後は卯月が自分で決めなくちゃ」

凛「相手にどう思われているかっていうのも、突き詰めれば、自分がどう思われたいかってことなんだからさ」

卯月「……」


凛「私に言えるのはそのぐらいかな。……ごめん、なんか説教くさくなっちゃったね」

卯月「そんなことないです。とても勇気の出る言葉で、その、私……」ウルウル

凛「ちょ、ちょっと卯月。なんで泣いてるの?」

卯月「だって……今までこんなこと誰にも相談できなかったから……こんなに真剣に考えてくれたことが、本当に嬉しくて……」

凛「卯月……」

卯月「ぐすん……ふふふ、やっぱり凛ちゃんはすごいです。頼りになるなぁ」

凛「……別に、すごくなんかないよ」

凛(だってこれは、自分が実現できない理想ごとを、偉そうに卯月に言っただけなんだから)


──帰り道──

凛「私この道まっすぐだけど……1人で大丈夫? 家の前までついていこっか?」

卯月「ありがとうございます。でも大丈夫ですっ」ニコッ

凛「ふふ……やっと見れた、卯月のその笑顔」

卯月「ご心配をおかけしました。島村卯月、復活です!」

凛「ふふっ。また何か悩みができたら、私に相談してくれていいからね」

卯月「はい。ありがとうございますっ」パアアッ

凛「ふふ……それじゃあ、ばいばい」クルッ

テクテク

卯月「……凛ちゃんは本当にすごいです」

卯月(凛ちゃんはいつも私の一歩先を行っています)

卯月(私より年下なのに私よりずっとしっかりしてて、プロデューサーさんともずっと仲良しで、お互いのことを理解してて……)

卯月(私も、凛ちゃんのように……)グッ


──翌日──

凛「……」ジー

加蓮「どしたの。スマホを凝視して」

凛「……なんでもない」スッ

加蓮「ふーん? 変な凛」

コンコン

文香「失礼します」

加蓮「あれま、珍しいお客さんだ。ここトライアドの控え室だよ?」

文香「はい。凛さんに用事がありまして。来ていただけますか」

凛「え、私?」


──

凛「何の用事?」

文香「実は、卯月さんから手紙を預かっていまして。これを渡してくださいと」

凛「卯月が? なんだろう……」スッ

卯月『凛ちゃんへ。先日は本当にお世話になりました。とても気持ちが軽くなりました。凛ちゃんのおかげです』

卯月『そのお礼に、私が選んだピアスをプレゼントします。楓さんに聞いたんです、凛ちゃんは最近、ちょっとかわいめのアクセサリーに凝ってるって』

卯月『気に入ってくれたら嬉しいです。また今度、お茶にご一緒させてください。卯月より』

凛「……」ポロッ

文香「あら、可愛らしいピアスが入っていましたね。モチーフはお花でしょうか?」

凛「うん。多分リンゴの花だ。卯月らしい可愛いチョイスだね」


凛「でもなんで文香がこれを?」

文香「卯月さんは今日の朝から明日の夜まで、楓さんと一緒に地方でロケなのだそうです。どうしても早く渡したいというので、私がお預かりしたんです」

凛「そっか、ありがとう文香」

文香「いいえ。お礼は卯月さんに。そんな素敵なプレゼントをしてくれたのですから」

凛「うん……」

文香「……やっぱりお2人は、仲がよろしいのですね」

凛「え?」

文香「お互いのことを信頼し、自分以上に相手のことを大切にしている。そんな強い友情を感じます」

文香「卯月さんはこうも言っていましたよ。明後日のミニライブは、何があっても絶対見に行くと」


──地方・旅館──

カポーン

楓「う~ん。仕事終わりの温泉はやっぱり最高ですねぇ」

卯月「はい。癒されますー」フニャー

楓「そしてここで日本酒! これこそ旅館の一番の醍醐味ってものです。どうですか卯月ちゃんも一杯……」

卯月「もう楓さん。冗談でもそんなこと言っちゃダメですよ」

楓「えへへ、怒られちゃいました。では1人だけ申し訳ありませんが、いただきます♪」

卯月「はい。いただいちゃってくださいっ」


楓「……卯月ちゃん。今日は元気みたいで安心しました」

卯月「え?」

楓「どうも最近元気がないようで、心配していたんです。しかしそれは杞憂だったみたいですね」

卯月「……いいえ。本当に元気がなかったんだと思います。私の自覚がなかっただけで。でも凛ちゃんとお話しして、前向きになることができたんです」

楓「凛ちゃんが……うふふ。それは何よりです」

卯月「はい。凛ちゃんってやっぱり凄いんです。私がずっと悩んでいたことを、聞いてすぐにアドバイスしてくれて……」

楓「……」

卯月「えへへ。私も凛ちゃんみたいになりたいって思いました。凛ちゃんのようなしっかり者に……」

楓「……なるほど。確かに凛ちゃんはしっかり者ですね」


楓「でも、忘れないでくださいね。凛ちゃんだって、卯月ちゃんと同じだということを」

卯月「? いえ、凛ちゃんは私なんかより全然すごくて……」

ザパーン

少女「きゃっきゃ」

母親「こら。飛び込んじゃダメでしょ!」

楓「……私たちはそろそろ上がりますか」

卯月「はいっ」


──翌日──

卯月「楓さんっ。起きてくださいっ」

楓「むにゃむにゃ。まだ時間じゃないですよ~。番組ディレクターさんも少し遅れてもいいって言ってましたし……」

卯月「遅れちゃダメなんです。明日は凛ちゃんのライブがあるんですから、スケジュール通りに撮影を終えないと!」

楓「そ、そんな~。朝のまどろみの中でフカフカのお布団にくるまれながらゴロゴロするのが旅館の一番の醍醐味なのに~」

卯月「昨日と言ってることが違うじゃないですかー!」

楓「むにゃむにゃ……」

卯月「楓さん、起きてください~っ」


──会場──

凛「……」

スタッフ「渋谷さん。どうかしましたか?」

凛「いえ……友達がわがままな大人に手を焼かされているような予感がして」

スタッフ「へ?」

凛「なんでもないです。それで、明日はこの位置に立てばいいんですね?」

スタッフ「はい。渋谷さんは2番目の登場なので、1番目の方と交代という形になります。タイミングはこちらから指示するのでご安心を」

凛「お願いします」

スタッフ「次に歌う予定の曲についてですが……」


タダイマー

凛母「お疲れ様。どうだった?」

凛「順調だよ。みんなわかりやすく説明してくれたから、安心して歌を歌える」

凛母「そう。今日はご飯食べたらすぐ寝るんだよ」

凛「わかってる。ありがとね」

バタン

凛「……」スッ

凛(……毎日毎日スマホの画面を眺めるだけ。卯月に偉そうなこと言っておいて、私は……)


プルルルル

凛「! もしもし、プロデューサー?」ピッ

卯月「あ……う、卯月です」

凛「……ごめん。着信誰からか見ずに取ったから」

卯月「いえ……もしかして、プロデューサーさんに電話するところだったんですか?」

凛「え? あ、えっと……」

卯月「すみません気が利かなくて。私からは『明日見に行きます、頑張ってください』と一言だけ。それではっ」

凛「う、卯月」

ツー ツー…

凛「切れちゃった……」

凛「……」


ピッピッ…

凛「……」ドキドキ

プルルルル

プルルルル…

音声『現在通話中のため応答できません』

凛「……」

凛「……」

凛「……おやすみ。プロデューサー」


──翌日・会場──

奈緒「よっ、凛。気分はどうだー?」

加蓮「席にいても暇だから応援に来たよー」

凛「ふふ、わざわざありがとね。奈緒、加蓮」

奈緒「未央とか乃々とか、他のアイドルも見に来てるみたいだぜ。お前友達多いなぁ」

加蓮「2番目だっけ。後ろの方で見てるから。余裕があったら探してね」

凛「うん。ありがとう2人とも」

奈緒「じゃあまた後でなー」

テクテク


凛「……」

ピコン

凛「あれ、メール? 誰からだろう……」

凛「!!」

凛(会場から聴こえてくる歌や歓声が遠のいて聴こえた)

凛(メールはプロデューサーからのものだった)


ガチャ

卯月「はぁ、はぁ。凛ちゃん!」

凛「……」

卯月「ごめんなさい、なんとかギリギリについて。はぁ、はぁ……」

凛「……」

卯月「……凛ちゃん? どうかしましたか?」

凛「……ううん、ごめん。プロデューサーからのメールを見てたんだ」

卯月「あ、そうだったんですか。なんていうメールですか?」


凛「一言だけ。き、昨日の電話なに?って」

卯月「あ、やっぱり電話したんですね。すみません、邪魔してしまって」

凛「ううん……」

卯月「やっぱりコミュニケーションって電話の方がいいんですかね。私もメールより、電話でお話しする方が好きなんですが」

卯月「昨日はどんなことを話されたんですか?」

凛「えっと……」

卯月「?」

凛「……ごめんね卯月。あんまり、よく覚えてなくて」

卯月「あ、いえ、こちらこそすみません。取り留めのない雑談も大事ですからねぇ」


卯月「私も最近よく雑談するようにしてるんです」

卯月「メールとかも、今まではお仕事の報告をする返信が多かったのですが、それだけじゃなくて」

卯月「今日あった面白い出来事とか、美味しかった食べ物とか、何気ないこともお話しするようにしたんです」

卯月「そうしたら、凛ちゃんの言う通りプロデューサーさんがどんな人かわかってきた気がします」

卯月「……私、プロデューサーさんのこと誤解していたのかもしれません」

卯月「信用されていないと感じていた毎日のメールも、本当は絶対に成功してほしいっていう思いやりだったのかも……」

卯月「考えてみればそうですよね。無視されるより全然ありがたいですから」

ワァァァ!

卯月「あ、歌が終わったみたいです。私、観客席に戻りますね」

卯月「がんばってください、凛ちゃん!」


スタッフ「続いては、ガラス靴の歌姫、渋谷凛の登場だー!」

ワァァァ!

凛「……」

未央「待ってました~!!」

卯月「凛ちゃーん!!」

凛「……強く、そう強く……」

凛「あの場所……走り……」

ラララー ラララー ラーララー♪


奈緒「……どうしたんだ凛のやつ。歌詞飛んだか?」

加蓮「いや、様子がおかしいよ。ずっと棒立ちだし」

凛「……ゆく、時間取り戻す……ように」

凛「駆けて…………」

凛(あれ。歌詞。なんだったっけ。思い出せない)

凛(なんだか舌がしびれて、息が……)

…ザワザワ

奈緒「おい、やばくないかあいつ」

加蓮「は、早く幕降ろしてよ! 私行ってくる!!」

卯月「凛ちゃん……?」


──控え室──

凛「ごめん、今は誰とも話したくないから──」

バタンッ!!

加蓮「凛……」

奈緒「すみません。きっと何か事情があるんです。凛に限ってあんなこと」

スタッフ「それはわかっています。3人目の方に急いで準備してもらいますので、あなたたちは渋谷さんを頼みます」

タタタッ

卯月(凛ちゃん、何があったの……)

奈緒「くそっ、こんな時にプロデューサーさんがいてくれれば」

加蓮「無茶だったんだよ、1人でライブなんて。気丈に見えて本当は心細かったんだ」

奈緒「……とにかく、一旦プロデューサーさんに報告しよう。あたしがメールしていいか?」

加蓮「うん、お願い。きっと驚くね。プロデューサーここ最近、凛と全く連絡とってなかったから」


卯月「──え?」

奈緒「次の人へのつなぎはスタッフさんに任せて、私たちはお客さんの方をなんとかしよう。未央や乃々たちにも手伝ってもらうんだ」

加蓮「わかった。観客席に戻って話してくる。奈緒と卯月はここにいて、凛のことを見ておいてほしいから」

卯月「ちょ、ちょっと待ってください。凛ちゃんとプロデューサーさんが、連絡をとっていなかった?」

奈緒「ああ、そうだよ……もちろん凛のことを頼りにしてのことだと思うけどな」

加蓮「反省しなきゃだよね、私たちも含めて。知らない間に凛に負担をかけていたんだから。……冗談でもあんなこと言うんじゃなかった」

卯月「……」

 卯月『無視されるより全然ありがたいですから』

卯月「あ……」サー


──握手会──

スタッフ「……本当に大丈夫なんですか」

凛「はい。握手会には出席します。いえ、させてください」

スタッフ「欠席しても構わないんですよ。……これはあなたのためだけに言っているわけじゃありません。この意味わかりますね」

凛「はい。もうあんな真似はしません」

スタッフ「……ファンの皆さんには、過労からのミスだと説明しておきます。くれぐれも無理はしないでください」

ザワザワ

ファン「凛ちゃん! 大丈夫ですか、体調がすぐれないって聞いたんですけど」

凛「大丈夫です。さっきは本当にすみません」ギュッ

ファン「い、いえ。次回を楽しみにしてますっ」


凛「……次の方、どうぞ」

卯月「……」

凛「あ、卯月……」

卯月「……」ガタガタガタ

凛「……卯月、そんな顔しないでよ。私より顔が真っ青じゃん」

卯月「り、凛ちゃんは信頼されてるから……私は、グズだから。だからに、決まってます……そうに決まってるじゃないですか……」

凛「……」

卯月「ごめんなさい、辛いのは自分1人だと思い込んで……私、私は……」ボロボロ

凛「……」

凛(どうして卯月が泣くの?)

凛(どうして卯月はいつも、私が泣きたい時に泣くの?)


──

凛『はぁ、はぁ……』

スッ

凛『あ、プロデューサー。タオルありがと』

凛「え? 今日のレッスンは妙に息が上がってなかったったかって?』

凛『……ふっ。やっぱりプロデューサーに隠し事はできないね』

凛『実は今日の授業、振替で体育になったんだ。それで結構疲れちゃってさ』

凛『……嘘をつくつもりはなかったんだ。ただ、学校を理由にレッスンを簡単にされたくなくて』


アハハ…

凛『ちょっと、笑わなくたっていいじゃん。真面目だなぁって……それ褒めてくれてる?』

凛『……私はまだアイドルになってから日が浅いし、芸能界がどういう場所なのかよく理解できているわけでもない』

凛『だけど、やるからには本気で挑戦していきたいって思ってるから』

凛『そのためには、プロデューサーのサポートが不可欠なわけで……』

凛『……もう。恥ずかしいこと言わせないでよっ』

凛『とにかく、私のことを1番近いところで見守っててね』

凛『約束だよ、プロデューサー』

──


──凛の部屋──

凛「……」パチ

凛「……どうして、あんな昔の夢を……」

ピンポーン

凛「?」

凛母「凛。卯月ちゃんがお見舞いに来てくれたよ」ガチャ

凛「卯月……」

凛母「? なにその顔」

凛「……ごめん。今は寝込んでるって言っておいて」

凛母「あんたらしくないこと言うのね。伝えたいことがあるなら直接言いなさい」


…ガチャ

卯月「失礼します……」

凛「うん……」

卯月「……」

凛「……」

卯月「……あの」

凛「ごめんね、卯月」

卯月「!!」


凛「こんなことで卯月に心配をかけちゃって、本当ごめん」

卯月「り、凛ちゃんが謝ることなんて何にもないです!」

凛「全部私のせいだ」

卯月「ち、違うよ……」

凛「いや、こうして卯月に出向いてもらってる時点で、これは私の責任だよ」

卯月「な、なんで、なんでそんなこと言うの……」ジワ

凛「……」

卯月「お願いだから、そんな悲しいこと言わないでください……」

卯月「うぅ、うっ……」ポロポロ


凛「…………まただよ」

卯月「……えっ?」

凛「まただよ……私が辛い時、必ず卯月が泣くんだ。どうして卯月が泣くの。卯月は、泣く必要ないよね?」

卯月「凛ちゃん……?」

凛「卯月はとても恵まれた人だよ。仕事も順調で、みんなから愛され、大事にされてる」

凛「それに比べて私は……」

凛「……もう2度とあのミニライブには呼ばれない。プロデューサーにもきっと失望された」

凛「泣きたいのは、私の方だよ……」

ポタ…

卯月「…………」

凛「……ごめんね。私最悪だ。よりによって卯月に当たるなんて……」


ギュッ

凛「……卯月?」

卯月「凛ちゃん。ごめんね、私が鈍感なばっかりに、凛ちゃんの気持ちに気づいてあげられなかった」

凛「ううん、卯月が謝る必要なんて──」

卯月「凛ちゃん。いいの、もういいんだよ。もう凛ちゃんに辛い思いなんて絶対にさせないからね」

凛「卯月……?」

凛(この時、卯月は何かを決心した顔をしていた)

凛(そしてその決心が、良い決心でないことも表情からわかった)

凛(わかっていながら止められなかったのは、それができないほど強く抱きしめられていたから)


──

奈緒「今日から凛が復帰する。分かってると思うけど、いつも通~りな感じで話すぞ」

加蓮「いつも通~りって?」

奈緒「こんな感じだ。おはよう!」ニカ

加蓮「胡散くさ……」

奈緒「ほっとけ!」


加蓮「……そう言えば、プロデューサーにはもうメールした?」

奈緒「あーうん。凛が体調不良とだけ取り急ぎ送っておいたよ」

加蓮「……『プロデューサーのせいで』が抜けてない?」

奈緒「ば、バカ。そんな言い方ってないだろ。原因もまだハッキリしてないし……本人は風邪だって言ってるんだぜ?」

加蓮「凛が風邪なんかで3日も休むわけないでしょ」

奈緒「……」

加蓮「……ごめん。私がイライラしたってしょうがないんだけどさ」


ガチャ

凛「おはよう」

加蓮「あ、凛。おはよう。待ってたよー!」

奈緒「もう風邪は平気なのか?」

凛「うん。2人には迷惑かけたね」

奈緒「気にすんなって! さあレッスン再開だ!」

凛「うん……ねぇ、卯月の姿を見なかった?」

加蓮「卯月? さあ、知らないけど」

凛「そう……」

奈緒「何か用事か? レッスンの時間ずらすこともできるけど……」

凛「ううん、そういうわけじゃないよ。レッスンを始めようか」


──テレビ局──

局員「うーん、島村さん。そんなこと言われてもねぇ」

卯月「そこをなんとか……」

楓「?」

局員「じゃあまあ、もし仮にそういうことになったら、島村さんの意見を伝えておくから」

卯月「ありがとうございます!」ペコ

スタスタ

卯月「……」

楓「卯月ちゃん? どうかしたんですか?」

卯月「あ、楓さん」


楓「何かお願い事をしてるように見えましたが」

卯月「ええ。少し相談というか、なんというか」

楓「……?」

卯月「……楓さんの言う通りだったんです。私、凛ちゃんのこと全然わかっていなくて」

卯月「しっかり者だって思い込んで、凛ちゃんに甘えてばかりだった」

卯月「次は私がしっかりする番なんです……」

楓「卯月ちゃん、何かあったの?」

卯月「いいえ。失礼します」

スタスタ


──

凛「卯月の様子がおかしい?」

文香「はい。昨日私のところに尋ねられてきたのですが……」

 卯月『本のこと、凛ちゃんに教えてもらえませんか?』
 
文香「という風におっしゃっていて」

凛「? どういうこと?」

文香「私も意味をはかりかねていて……顔色もすぐれないようでしたので、何かあったのかと」

凛「……話してくれてありがとう。私から直接卯月に聴いてみるよ」ダッ

文香「あ、凛さん……」

タタタ…

文香「……お気をつけて。何か、とても嫌な胸騒ぎがします」


──

ピンポーン

凛「卯月ー? いないの?」

…ガンッ

凛「?」

ガンッ ガンッ…

凛(なんだろうこの打撃音。部屋の方から聞こえるみたいだけど)

ガンッ ガンッ…

凛「……卯月ー! 明日は事務所に来る日だよねー!」

凛「私、事務所で待ってるからね! 絶対に来るんだよー!」


──事務所──

チクタク…

凛(卯月、遅いな……)

凛(今日は明日の収録に備えた最終ミーティングのはず。まさか来ないなんてこと……)

ガチャ

卯月「おはようございます」

凛「あ、良かった。うづ──」

凛(制服姿で現れた卯月は、左手に白い包帯を巻いていた)


凛「……卯月?」

卯月「……えへへ」

凛「ど、どうしたのその腕」

卯月「骨折しちゃって」

凛「は?」

卯月「転んで折っちゃったんです。えへへ」

凛(全身の血の気が引いていくのが分かった)


卯月「明日はもう新番組の収録だっていうのに、私ってば本当にダメだなぁ」

卯月「でも、こんなこともあろうと、局員の方には事前に話を通しておいたんです」

卯月「私が怪我や病気で出演できなくなったら、代わりに凛ちゃんを出してくださいって!」

凛「う、卯月……そんな、どうして……」

凛「自分で骨を折るなんて……」

卯月「ち、違いますよ。転んだだけです、わざとじゃないんです」オドオド

凛「卯月……」

卯月「本当です! なんで私が骨折したのかを説明すると……」

凛(その後、卯月が何かを言っているのを、呆然とした脳内の片隅に置いて、私はひどい後悔にかられていた)


凛(卯月に抱きしめられたとき、無理にでも振りほどいていれば)

凛(卯月から相談を持ちかけられたとき、強がらず自分の気持ちを打ち明けていれば)

凛(あるいはもっと前に、プロデューサーに何か一言でも伝えられていれば……)

凛(頭の中で巡らせた後悔は、全てがもう遅かった)

凛(卯月は正気を失ってしまっている)

──


卯月「っていう経緯があって、私は骨を折ってしまったのです」

凛「……卯月、病院に行こう」

卯月「え? だ、ダメです。私はこの怪我の説明のため、番組関係者ほうぼうの元へ行くてはいけませんから」

凛「今本当のことを言いたくないならそれでも構わない。とにかく病院に行って、お医者さんに診てもらおう……」

卯月「そ、そんなことよりも、凛ちゃんを代役に決定してもらうことの方が先です」

凛「卯月……もういいんだよ!」

卯月「良くありません!! 私は、私が絶対に……!」

ダッ

凛「卯月! どこに行くの!?」

タタタタ…


凛(1人きりになった静寂のなか、私は考える)

凛(卯月のこれからのことを)

凛「卯月は番組関係者に怪我のことを話しに行った。でも卯月の言い分なんてすぐに嘘だと見破られる……」

凛(卯月が私を推薦して、その直後に骨を折った。これが私に番組を譲るための卯月の自傷ということは、誰の目から見ても明白だ)

凛(辞退するために自分の骨を折ったなんてことがわかれば、卯月は今後アイドルとして活動することは難しいだろう)

凛「…………」

凛(骨折を偶然のものだと思わせる方法は無いか……卯月の行動に一貫性をなくせば、もしかすると卯月の言うことを信じてくれるかもしれない)

凛(卯月は私に番組を譲るために自傷した。その動機を誤魔化すためには……)

チク…タク…

凛「私が卯月よりひどい怪我をすればいい」


凛(そうすればミニライブでの失態と合わさって、仕事から逃げたのは私ということになる)

凛(卯月への疑いの目を私に移すことができる)

凛(私はアイドルとして終わるけど、それでも卯月を助けることができる)

凛「そうと決まれば家に帰って……いや遅すぎる。そうだ、この事務所にちょうど窓があった──」

ガラララララ

凛「……はぁ、はぁ」

凛(身を乗り出して下を見つめる。汗がゆっくりと時間をかけて落ちていった)


凛(どこで間違えてしまったのだろうか)

凛(今となっては、それはもうわからない。わかるのは、私は今大いなる選択に迫られているということだ)

凛「……」
 
 加蓮『凛。おはよう。待ってたよー!』

 奈緒『さあレッスン再開だ!』

凛(私の体は私だけの体じゃない。なんの関係もない人を大勢巻き込むことだってありえる)

凛(それに、プロデューサーはなんて言うかな)

凛(私が飛び降りたと知ったら、もう2度とあの日のように、私に笑いかけてくれる日は来ないだろう)

凛「それは、嫌だな……」

凛「……」


──

同級生『……凛ってさ』

凛『?』

同級生『結婚できなさそうだよね』

凛『はぁ?』

同級生『帰るんでしょ? バイバイ、また明日』

凛『あ、うん……』スッ

凛『……いや、ちょっと待って。具体的にどこらへんでそう思ったの?』クル

同級生『あはは、凛でも気にするんだ』

凛『そりゃするよ、そんな言い方されたら……』


同級生『別に悪口のつもりで言ったんじゃないよ。ただ……凛の考え方は、優し過ぎるから』

凛『優しい?』

同級生『ファンのことを考えると恋愛できない。それってつまり、自分の幸せのために他人の不幸を選べないってことでしょ』

凛『……』

同級生『とても優しい考え方だと思う……だけど凛。幸せになるためには、決断することも必要だよ』

同級生『いつか愛する人ができたとき、それ以外の人を切り捨てるという選択を必ずや迫られる』

同級生『取捨選択して、最後まで捨てられなかった人のことを指して』

同級生『人は「最愛の人」と呼ぶんだから』

──


凛「……」

凛「…………」


凛(そして、私は決断した)

凛(最愛の人の笑顔を守るため、どちらかを捨てる決断を)

凛(ピアスが外れて落ちていった)

凛(リンゴの花。たしか、花言葉は……)

────

──


──病院──

文香「『女か虎か』という物語はリドル・ストーリーと呼ばれ、結末が存在しません」

文香「より正確に言うと、結末の解釈を読者に委ねるのです」

文香「王女が指差した扉の先に、女がいたのか虎がいたのか」

文香「あなたはどちらだと思いますか?」

文香「凛さんは卯月さんのため、事務所から飛び降りたのでしょうか」

文香「それとも自分や仲間のため、思いとどまる決断を下したのでしょうか」


文香「どちらにせよ、この先の病室にいるのは1人きりなのです」

文香「プロデューサーさん、あなたはどなたのお見舞いに来たのですか?」



おわり


お疲れ様でした

見てくださった方、ありがとうございました


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