Everyday Waiting Bar Omniheal -世界劇酒辞典- (20)



ここは、とある町の酒場「Everyday Waiting Bar Omniheal」

そして、ここへ定期的に訪れる1人の青年がいる。
いつものように小麦と塩と薬草をふんだんに使ったゴーゼビールを飲みながら、溶かされる前のラクレットチーズのように厚みのある「世界劇酒辞典」を読むツマミとして嗜んでいる。
暖色照明が明るさを操り、グラスの重なる音やしゃべり声、バーテンダーの振るシェイカーが複数の液体に魔法をかけていくなかで、
青年はサトウキビの搾りカスから作られた紙をめくる行為・音・未知への旅がたまらなく好きだった。




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行き先のインデックスを目で追いながらグラスを持つ。
1口目からの深呼吸を経て、2口目の回復を味わっているとき、今夜も辞典の中に海路を見出した。

青年「妖精の、涙…」

別のテーブルでは艶やかな曲線を描いたカクテルグラスへ、鮮やかなブルーの液体が注がれていく。


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-妖精の涙 Fairy’s Tears-


白ワインに妖精の涙を加えるとアルコールとCO2に反応して一瞬で金箔や銀箔ができる。

それも涙によって金か銀か、もしくは2つが混ざり合った箔が形成され、その形状も涙によって違いがある。味わいにはほんの微かな塩気と酸味が加えられる。

ある特定地域の妖精や、国の定めたFT法(Fairy's Tears法)のもとで認められた高貴な血統の妖精から抽出された涙は、組合と認可された酒造家との間でのみ、高額な値で取引されている。

また妖精の涙の入った、白・赤・ロゼ・オレンジ・黄・藁・スパークリングなど、ワインやお酒に定義される全ての液体を蒸留することは法律で禁止されている。


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青年「…なぜ禁止なんだろう?」


そのときバーの扉が開いた。
一瞬風が舞い靴音が響く。入店してきた旅人のような風体の男は、店全体を見渡したあと辞典を読んでいる青年の席に向かった。

「となり、いいか?」




青年「…ん?あ、はい。どうぞ」
青年は夢中になっていた世界からリレミトで還り、旅人は青年の手元を見る。

旅人「…妖精の涙か…興味があるのか?」

青年「…はい。お酒の世界に、もともと興味があって」

旅人「そうか」

そう言うと旅人は再び辞典へ目を通した。




旅人「…これには白ワインの場合しか書いてないな。赤ワインの場合が載ってない。それになぜ蒸留してはいけないのかも」

青年「ご存知なんですか?」

旅人「赤ワインの場合はスパイシーさが増す。その酸化熟成させたような、ブルーチーズに似た苦味・エグ味が好きな愛飲家もいるんだ」

青年「へえ。玄人向けの味わいなんですかね?」

旅人「そうだな。これにはウォッシュチーズや長期熟成させたブルーチーズがよく合う。
    俺は蒸留させたものの方が好きだが、なぜ蒸留してはいけないのか辞典になら載せるべきだな」

青年「…蒸留するといったいどうなるんですか?」




旅人「…今の法では禁止されているが、蒸留されたそれをワンショット飲むと軽い幻覚作用や身体の性的な火照りが一晩中続く。
    昔はそれが魅せる幻覚を特に芸術家が好み、また効能は娼婦達にも愛されていた。
    一種の媚薬として当時の娼婦たちはみんな隠し持っていたんだ。
    気分が乗らないときの頼みの綱としてな。
    その時の小瓶の装飾の芸術性を競い合う大会まであったくらいで、国の所有する美術館の蔵には、展示されていたものがまだ残ってるはずだ」

青年「ほおー。やはり、禁止されてない当時はよくお飲みに?」




旅人「はは。そりゃあもうな。
    昔、愛した女がいて絶対に孕ませたかったからよく使ってたんだ。ただ、当時一度だけ俺は調子に乗って飲み過ぎてな。こいつは飲みすぎると2日酔いと副作用が恐ろしく強いんだ。
    まず、2日酔いの気持ち悪さは尋常じゃない。他の酒を完全に凌駕してる。
    そして、それだけじゃないのが妖精サンの本性でな」

青年「本性…」




旅人「その気持ち悪さのあとの無気力感、どうしようもないほどの「死にたい願望」が何度も津波のように襲来する。
    薬物はまたそいつを摂取すれば、次の快楽が副作用の感覚を吹き飛ばしオーバードーズしていくが、こいつの場合、
    その副作用の苦しみから逃れるには耐え忍んで波を乗り越えるか、本当に死ぬしかないんだ」

青年「ええー…」

旅人「そいつをまた飲んだり他の何かを摂取しても意味はない、気分の落ち込みが深すぎて身体がついてこない。
    そんなことをしようとも思わないくらいの無気力感を経て、一瞬治ったと感じたあと、猛烈な死にたい気持ちに襲われる。
    あれに耐えられるやつはなかなかいない。
    だからみな摂取量を命がけで守ってたんだ。だが、俺みたいに節操のないやつも世の中にたくさんいてな。
    耐えられず自害したり、「頼むから殺してくれ」と戦士や賢者、召喚士、魔法使いへの『殺しの懇願』が殺到したり、自殺希望者が大量に飲み込んだりで大問題になった」

青年「うわ…そんなことがあったなんて」




旅人「歴史は隠され繰り返されるものだ。ひどいものだよな。
   それで、国はとうとうこいつをグレーゾーンから真っ黒で危険な酒類として完全に禁止しちまったんだが、
   今でも王族たちは自家製法や闇ルートで密かに使ってるって話だ。
   「子孫繁栄のため、致し方ない」ってとこだろう。

青年「…その時は、どうやって副作用から立ち直ったんですか?」
旅人の目が変わる。
ただの鉱物から、精製されたマテリアへと。




旅人「…あの時はそうとう酷かった。
   当時の仲間に回復魔法をかけてもらいながら、死なない程度に定期的に抜けるだけ血を抜いてもらう。
   血が足りなくなるから、血を作る栄養素を摂取しながらな。
   ここまででも相当な辛さだったが、とうとう耐えられなくなると仲間に眠りの魔法をかけてもらうんだ。
   起きてると死にたくなるからな。
   寝ながら排泄したり嘔吐したり、血を抜いてもらいながら、
   とにかく自分の身体からあの酒の成分を取り出していくことが必要だった」

青年「毒消しの魔法や薬草も効かないと?」




旅人「そう、毒消し草は効かないんだ。だから回復魔法や薬草で一瞬の安らぎを得るしかない。
   それに厄介なんだが、キアリー系は唱えると唱えた側にその苦しみが移る。まるで妖精の邪念だ。ただでは終わらない。
   俺が魔法使いに唱えられていたら、俺は治るがその魔法使いに症状が移る。
   自分の過ちだ。それは避けた」

青年「なんて厄介な…」

旅人「それに、呪いではないから解呪魔法は効かない。さらに拍車をかけて怖ろしいのは、1度死んだら決して蘇生魔法で生きかえらないことだ」

青年「えっ…」




旅人「蘇生魔法の力を吸い込んでいく。
   そしてその力が強いほど死体はみるみる腐敗し、腐敗魔法は正比例する」

青年「…」

旅人「生が反比例していく様は、いわゆる地獄の可視化だ」

青年「想像するだけで…きつい…」

旅人「まあ、その代わりっちゃなんだが、普段見られないものも見れたけどな」

青年「?」




旅人「当時、目が覚めた瞬間に自分を殺したくなる気持ちを抑えられずに、自分たちへ向けてメテオを使いそうになったんだが、」

青年「メテオ…」

旅人「あのとき、魔法を唱えて空を暗くしてから、何とか正気に戻ったときの景色は今でも覚えてる。
   幻覚も相まって、真っ黒い空から溢れる一筋の天使の梯子から、たくさんの天使達が俺を止めに舞い降りているように見えた」

青年「命がけの2日酔い…ですね…」




旅人「ああ。ちなみに、そのとき抜き取った血が植物にかかると一瞬で枯れていった。つまりそれほどの負のエネルギーが、妖精の涙にはあるってことだな。
   妖精の本質に、強い負の要素と好色のエキスが根強く関わってるんだろう」

青年「はあー。今とんでもなく凄い話を聞かせてもらっているように感じます。
   それを僕なんかに。さっきからずっとドキドキしっぱなしですよ」

旅人「そんなにへり下ることはない。
   いずれ必要になることだ」

青年「?それを飲む機会が、これから先にあると?」



旅人「そういう時もあるだろうな。
   人生何が起こるか分からない。
   ふと立ち寄った飲み屋で、本当の危険性を知らない愚か者が誘い酒することもあるかもしれない。
   その時に覚えておけば、その場を凌げる。
   相手のことも助けれられるかもしれない。
   知識とは、そういうものだろう?」

青年「…そっか、そうですね…裏ではまだ出回ってるんですもんね」

旅人「ああ。それも王族も手を出さない、何が入っているのかさえ分からない粗悪品だ」

青年「…でも、なぜそれを僕に教えてくれるのですか?」



旅人「…お前は良い目をしてる。
   だがまだ若い。
   色んな世界があることを知っておく必要がある」

青年「僕がですか?」

旅人「そうだ。この店にはたまに来るのか?」

青年「はい。羊の世話や大工仕事がひと段落したときに」




旅人「…そうか。ならまたいつかここで会おう。
   まだ話せることがたくさんある。
   もし興味があれば、の話だが」

青年「もちろんです!
   普段はいつ頃いらっしゃいますか?」

旅人「俺はたまにいる。だが、自分の仕事が一区切りついてからでいい。
   その方が話に集中出来るだろう?」

青年「そうですね…何だか楽しみがまた1つ増えました!
   またぜったいー」




旅人「いや、その先は言わなくていい。
   面倒くさいようだが、俺たちみたいな人間はそういう約束はしないほうがまた会える確率が上がるんだ」

青年「それは…一種の人生哲学ですか?」

旅人「いや、この世界のルール、とまで言っていいほどの大きな力だ。だから、また気が向いたら2人で飲もう」

青年「そうですか…いや…確かに。…会えなくてもいいやーくらいの気持ちで、またいつか」

旅人「はは。そうだな。それじゃ、またな」



おわり

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