【モバマス】桃華お嬢様(20)の華麗なる事件簿 (17)

小説を書きます。

登場人物
 櫻井桃華(20)・・・アイドル
 古坂昇(50)・・・事業家
 古坂真央(19)・・・昇の娘
 桜塚(21)・・・古坂家の運転手兼、使用人、男性
 角田進(48)・・・豪商
 角田友樹(23)・・・進の息子
 村本(21)・・・角田家の使用人、女性
 坂本(62)・・・角田家の使用人、女性
 枡野(54)・・・角田家の使用人、女性


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 砂地を踏むタイヤがじゃりじゃりと音を立てる。僕は駐車場に車を入れ、ギアをパーキングに入れてサイドブレーキをしっかりとかけた。
 車を降りようとすると、遠くから別の車が道を走る音が聞こえ、僕は動きを止める。

「どうしたのかね?」

 後部座席から主人である古坂昇氏に尋ねられる。

「はい、別の車が近づいているようでしたので……」

 僕は運転席の窓を開け、窓から身を乗り出して音のした方を見た。黒いフォードが坂道を上り、駐車場の前で停止した。運転席に座る白髪の男性が目でこちらに合図する。こちらが降車するところだったのを察したのだろう。僕は会釈して、窓を閉め車外に出た。
 後部座席のドアを開ける。

「お待たせしました」

「ああ、ご苦労だった」

 昇氏がねぎらいの言葉をかけてくれる。僕は反対側の後部座席のドアも開けた。

「お待たせいたしました、真央お嬢様」

「運転ありがとう桜塚。疲れていない?」

 お嬢様が僕に微笑みかけてくれた。僕も微笑を返し、首を横に振る。

「お気遣いありがとうございます、大丈夫です」

 お嬢様の下車を確認して、僕はドアを閉めた。

「あの洋館だな。桜塚、荷物をよろしく頼む」

 昇氏は道の先、坂の上に見える洋館へと歩きだす。お嬢様がそれに続いた。

「畏まりました」

 僕は歩いていく二人に礼をする。それから、待たせてしまっているであろう黒いフォードの方へと向きなおった。
 と、駐車場の手前でアイドリングしているフォードから、一人の女性が降り立った。使用人の手を借りずに自らドアを開けて降りてきたのは、薄桃色のワンピースを身に纏う、緩やかなウェーブのかかったブロンドの麗人。今回の会合の「見届け人」として参加する、二十歳になったばかりの櫻井家令嬢、櫻井桃華その人だった。

「ごきげんよう」

 赤い日傘を差した桃華嬢は僕をみて恭しく礼をする。長いブロンドが頭の動きにふわりと追従した。

「あ、そ、その」

 使用人に過ぎない僕にまさか声をかけていただけるとは思っておらず、僕はぎこちなくお辞儀をした。

「ありがとう、気を付けてね」

 桃華嬢は運転手に声をかけ、桃色のキャリーカートを自分の手で引いて、坂を上がって洋館へと向かっていった。僕はその後ろ姿にしばし見惚れ、目で追いかける――と、桃華嬢を見つけて立ちどまっていたのであろう真央お嬢様が視界に入った。真央お嬢様は咎めるような目で僕を見ていた。
 僕は慌てて視線を外し、荷物を取り出すために車の後部のトランクを開けた。

 本日催される会合の目的は、結婚を前提とした両家の顔合わせである。僕の雇い主である古坂家の長女と、洋館の持ち主である角田家の長男がその結婚の当事者だ。会場の洋館は角田家の所有する別荘で、都市部から車で数時間かかる山中にある。
 結婚は包み隠さずに言えば政略のためだった。古坂家が営んでいる事業は国内で成功を収めており、時勢に乗って海外へと進出したいと考えていた。そのため、古坂家の事業分野について、海外に伝手のある人物を探していた。その条件に合致した角田家が古坂家に事業の海外進出を手伝えないかと話を持ち込んだのだ。しかし両家ともに、相手がいつ別の同業と手を結びなおすかわからない。そのため、お互いの子を結婚させてしまうことで、関係を盤石のものとする狙いだ。
 家の為に個人が振り回されるなど、まるで二世代前のドラマのような話だが、ある程度以上の家格の世界ではまだまだ現実的な出来事だということだ。
 その顔合わせ見届け役、家の都合に流される二人の仲人となるのが、社交界にその名を轟かせる櫻井家だった。本来であれば櫻井家の当主が来る予定だったのだが、都合が合わなくなり、代理としてその娘、櫻井桃華嬢が参加することとなった。
 桃華嬢について説明は不要だろうが、念のために記しておく。桃華嬢は櫻井家の娘でありながら、十二歳のときから現役のアイドルとして活動、現在も第一線を走り続ける超有名人である。美貌と気品を兼ね備えながら、気取ったような雰囲気のない彼女は、近年では芸能界だけでなく財界での活躍も目覚ましい。
 会合は一泊二日。これから両家と桃華嬢の顔合わせが行われ、そのまま夕食、一夜をこの洋館で過ごし、翌朝にそれぞれが帰路につく。
 僕、桜塚は、その顔合わせに参加する古坂家の使用人兼運転手だ。
 僕はトランクに詰めた古坂家のスーツケースと、自分の荷物のボストンバッグを抱え、ひとつ息をついてから、車に鍵を掛けて洋館へと向かった。

「ようこそ! 窮屈な場所で申し訳ないが、どうか寛いで頂きたい」

 洋館の玄関で、角田家の代表である進氏はそういって、昇氏と真央お嬢様、桃華嬢へ順番に微笑んだ。進氏の隣には息子の友樹氏、二人の後ろには若い女性の使用人、村本さんが控えている。
 僕は友樹氏を見る。ワイシャツにスラックスの似合う細身長身のさわやかな青年だ。

「お招きいただき、感謝いたしますわ」

 桃華嬢が礼をする。

「この度は、お世話になります」

 昇氏が言い、昇氏とお嬢様がそれぞれ頭を下げた。

「さあさあ、まずは冷たいお飲み物でも。お荷物は……」

「彼が。桜塚と言います」

 昇氏が僕を角田氏へと紹介したので、僕は深く頭を下げた。

「桜塚です」

「ああ、顔をあげて。寛いでください。それでは、村本さん、よろしく」

 呼ばれた村本さんは一歩前に出る。

「使用人の村本です。本日、使用人は私のほか、坂本と枡野というものがおります。桜塚さんはこちらへ、皆様がお泊りになるお部屋にご案内します」

「わかりました」

 僕はスーツケースを持って、村本さんの方へ。
 昇氏とお嬢様は、進氏に連れられ大広間へと向かった。
 僕は大広間へ向かう三人の方を見る。お嬢様がこちらを振り向いたので、僕は少し会釈をして、村本さんの方へと歩いた。

「……よろしく」

 僕が言うと、僕の前を歩く村本さんは僕の方を振り返らずに「ええ」と軽く返事をした。

 通された部屋はツインの洋室だった。ここに昇氏とお嬢様が泊まることになる。僕は入口近くでスーツケースを開くと、昇氏とお嬢様の荷物をそれぞれのベッドに置いた。空になったスーツケースと自分のバッグを持って、その隣の部屋に入る。こっちは僕が泊まる部屋だ。
 僕はボストンバッグを床に置くと、一人になった解放感から、息を吐いてベッドに寝転んだ。天井を眺めながら洋館の構造を思い浮かべる。正面玄関を入って左手に大広間。右手側にはキッチンと思われる部屋が見えていたので、おそらく浴室、手洗いなどが配置されているエリアだろう。玄関の正面は二階への階段がある。寝泊りに使う部屋は両家も使用人もすべて二階だった。階段を上がって左右に三部屋ずつ、それぞれ階段に近い最も近い部屋を両家の親子が使い、その隣に両家の使用人。僕の部屋の隣を桃華嬢が使用するとのことだった。残った一室も角田家の使用人が使う。
 ポケットに入れていた携帯電話が震えた。僕はベッドに寝ころんだまま携帯電話を取り出す。お嬢様からメッセージが入っていた。このまま両家と桃華嬢で歓談し、そのあとに使用人も含めて夕食とのことだった。そのあとには僕の疲れを気遣う内容が続いており、僕は了承とお礼の旨を返信すると、そのまま目を伏せた。長時間の運転のせいか、すぐに意識が遠のいていく――

 ノックの音で目が覚めた。

「はいっ!」

 応えながら、両足で反動をつけて身体を起こす。そのまま扉まで歩いて開くと、そこには桃華嬢が笑顔で立っていた。

「あ……っ」

 思ってもいなかった状況に一瞬、脳がフリーズする。

「桜塚さん、でしたわね? 夕食の用意が整ったようですわ。今、皆さんにお声掛けしているところですの。準備ができましたら、大広間へ」

 桃華嬢は両手を背中の後ろで組んで、小首を傾げて笑顔で言う。

「あ、はい、すぐに降りていきます」

 そう答えると、桃華嬢は一つ頷いて、階段の方へと歩いて行った。僕はしばしその姿を見送る。
 両家の縁談の見届け人である桃華嬢は、今回の会合で考えれば最も格上に位置する。そんな人物が、一介の使用人に過ぎない僕に、夕食の時間であるとわざわざ声をかけて下さった。有難いというよりもむしろ畏れ多い。しかし、その気さくさが桃華嬢という人なのだろう。
 僕ははっとして、部屋の中にある鏡台で自分の姿を確かめ、ほっと胸をなでおろす。寝起きのままで応対してしまったが、失礼にあたるような姿ではなかった。僕は荷物の中のフェイシャルシートで顔を拭うと、大広間へと向かった。

 夕食は和やかに進んだ。縁談は支障なく進んだようだ。そうそうあることではないが、こういった機会で高級な食事に恵まれるのがこの仕事の役得だ。テーブルマナーが身に着くまでは味を楽しむ余裕もなかったが、慣れた今では、僕の収入では到底ありつけない食事を楽しむことができる。

「そういえば、桃華さんの出演されている番組、拝見いたしました、先週の」

 古坂氏が桃華嬢に話を振る。

「あら、確かクイズ番組だったかしら……お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ」

 そう言って、桃華嬢は手に持っていたカップを置くと、困ったように笑う。

「いやぁ、演出だったのでしょう?」

 古坂氏と雑談する桃華嬢をぼんやりと見つめながら、僕は自分のカップを口に運ぶ。食後のコーヒーだった。夕食が終わった今、角田氏の使用人三名は退出し、夕食の片付けと風呂の用意をするとのことだった。
村本さん以外の二人は中年の女性で、長い間角田家の使用人として働いているとのことだった。
 桃華嬢は薄桃色のワンピース姿であることには変わりないが、外で会った時には肩にかけていたショールを外している。桃華嬢は今日参加している中で最もシンプルな装いだった。飾り気がない、それなのに、二十歳とは思えない気品と風格を備えている。
 古坂氏が話題にしていた番組なら僕も見ていた。現役のアイドルとして活躍する桃華嬢は、バラエティ番組ではセレブリティというキャラクター故に、庶民のタレントからいじられるシチュエーションも多い。
 そのような演出に引っ張られて品が下がるでもなく、なおそこに華として咲き続けられるところが桃華嬢のすごいところだ。芯がある。
 芸歴の長い桃華嬢には長年のファンも多い。何を隠そう僕もその中の一人だ。今日の会合で直にお目にかかれるかもしれないという期待はあったが、まさか先程のように話しかけてもらえるとは思ってもいなかった。格の高い人は相応に人柄も優れているということだろうか。
 と、僕は時計を見てから、立ち上がる。

「失礼します、少し……外します」

 単にトイレに行くだけなのだが、そう言って中座した。
 部屋の中に両家の人間と桃華嬢を残して、ロビーを通って反対側、洗面室のある方へ向かう。キッチンの方でカチャカチャと食器を洗う音がしている。洗面室自体に扉はない。レースのカーテンを超え、洗面台の向こうに衝立があり、その奥に男性用小便器と個室が並んでいる。僕は扉を開けたまま、洗面台の鏡で自分の顔を見た後、ポケットの携帯電話を取る――
 と。

「がっ!?」

 衝撃。
 右後頭部にモノが当たる感触。僕はそのまま両手を洗面台につく。が、そのままずるずると床に膝をついた。視界が暗くなっていく。床にうつぶせになる。前に手を伸ばす、視界は真っ暗に――

「一体、どういうことなんだ!」

 怒号のような声が聞こえて、僕は目を開いた。蛍光灯の光が飛び込んできて、眩しさにたまらず目を細める。

「桜塚! 気が付いたのね!」細めた視界の内に見えたのは真央お嬢様の心配そうな表情だった。「ああ、よかった……!」

「これは……」

 僕は頭を動かして周りを確認しようとする。

「まだあまり動かないで、安静にしたほうがいいわ」

 真央お嬢様が僕の頭に手を触れ、僕を制した。僕は眼球だけで見回す。
 古坂氏、角田氏父子、村本さんら三名の使用人、そして桃華嬢が僕を囲むようにして心配そうな顔で見下ろしている。

「……僕は、一体」

「桜塚君が何者かに襲われてトイレに倒れていたところを、桃華嬢が発見したんだ」

 古坂氏が難しい顔をして言う。

「桜塚さん、まずはゆっくり呼吸を。痛みがあれば教えてください」

 桃華嬢が僕の傍らに座り込み、手のひらを僕の額に添えた。僕は緊張する。ゆっくりと深呼吸。痛み、呼吸の支障は感じられなかった。

「……大丈夫みたいです」

 僕が言うと、桃華嬢は真剣な顔で頷いた。

「それでも、頭を殴られているかもしれませんから、暫くは安静がよろしいですわ。……発熱は無いようです。少し時間を置いてから、身体を起こしましょう。どなたか、濡らしたタオルをご用意いただけるかしら」

 桃華嬢が使用人たちを見、枡野さんが動き出そうとした。その時。

「お待ちになって」桃華嬢が枡野さんに声をかける。「……村本さんと、坂本さんも一緒に行った方がよろしいですわね」

 その言葉に、その場の全員が身を固くした。

 僕が目を開けてから更に三十分程度経った頃、僕は改めてボディチェックを受け、異常がないことの確認が済んでから身体を起こした。部屋の中には重い空気が漂っている。無理もない。僕の身に起きた事件のことを考えれば当然のことだ。

「……戻りましたわ」

 桃華嬢が昇氏、枡野さんと共に部屋に入ってくる。桃華嬢が、僕が殴られた現場や館の内外の状況を確認しておきたいと申し出たため、昇氏と枡野さんが同行したのだ。それ以外のメンバーは大広間のダイニングテーブルについていた。

「いかがでしたか」

 進氏が心配そうな顔で尋ねる。
 桃華嬢は腰に手を当て、深く溜息をついてから続けた。

「現場におかしな状況はありませんでしたわ。お手洗いの窓は人が通れる大きさまで開かない造りです。玄関は施錠されたまま。鍵穴が荒らされた様子もありません。皆様のお部屋も、死角まで確認しましたが、怪しいところはありません。館の周りを確認してみたけれど、こちらも異常はありませんでした。駐車場の防犯カメラにも怪しい人影はありませんわ」

「櫻井さん、それってつまり……」

 友樹氏が戸惑いの声を漏らす。

「ええ」桃華嬢は困ったように頷いた。「桜塚さんを襲った犯人は、この中にいる可能性が高い、ということですわ」

 沈黙。
 僕は目だけで周りを見回す。全員が同じような表情をしていた。

「……これは、冗談ではありませんぞ」

 昇氏が低い声で言う。

「この館の中に、桜塚に暴行を働くものがいる。私と真央は常に一緒にいたため、桜塚を襲うことはできません。つまり、角田さん、あなたの家の誰かということになる。あのようなことをする人間がいる家に、自分の娘を嫁がせるのは、いくらなんでも安心できません」

 昇氏はそう言って、進氏、友樹氏、それから使用人の面々を強い目で見た。

「そ、それは……」進氏は頬に手をやって唸る。「お気持ちはわかりますが、私たちも戸惑っているところで……一体、どうしてこんなことに……」

 誰も何も発言できないでいると、桃華嬢がすっと立ち上がった。

「わたくしは、と言いたいところですが……お手洗いに立って、倒れていた桜塚さんを見るまでのあいだはずっと古坂さんたちと一緒におりましたので、犯行のしようがありませんわね」

 困り笑顔で言い、テーブルの前に出ると皆の方に向き直る。

「この件、わたくしが預からせていただきますわ。皆様からお話を聞かせていただきたいと思いますので、ご協力よろしくおねがいいたします」

「へっ……?」

 昇氏が間の抜けた声を挙げた。

「せっかくご両家のお話がまとまりそうでしたのに、つまらないことでご破談になってはいけませんわ」桃華嬢は発奮する。「ご心配には及びません。弁護士の体験をしたこともありますの。論理的に状況を整理するのは得意とするところですわ」

 言って、桃華嬢は桜色の唇の端を持ちあげて、にっこりと笑った。両手でワンピースのスカートをつまみ、優雅に礼をする。長いブロンドが頭の動きに合わせてふわりと踊った。
 誰も、何も言えなかった。それぞれの家の立場もあるにはあるが、ここまで自信満々に言われては水を差す気になれない。
 僕は、桃華嬢のまぶしい笑顔に魅力を感じる半面、大きな不安を感じてもいた。

 それから、桃華嬢は館の中の人間一人ずつを自室に呼び出し、アリバイの聞き取りを行った。僕も呼ばれ、殴られた当時の行動をつぶさに尋ねられた。僕が自分に起こったことをそのまま話すと、桃華嬢は丁寧にメモを取っていった。
 そして、全員の聞き取りを終えたとき、案の定、事態は行き詰まった。

「困りましたわね……」

 桃華嬢は部屋に置かれた椅子に座り、腕組みをしてうーんと唸った。

「あの」僕はそっと尋ねる。「どうして、僕の部屋で……」

 桃華嬢が事件について思索を巡らせているのは、自室ではなく僕にあてがわれた部屋だった。さすがに、密室に二人きりになってしまうのを防ぐため、扉は開け放している。
 桃華嬢が館の中の全員に聞き取りを終えたあと、それぞれが風呂を浴び、自室に戻った。安全と相互の監視のために、両家は親子と使用人たちそれぞれが一人きりにはならないように行動している。

「あら」ネグリジェ姿の桃華嬢は当然のように言う。「一人で考えるよりも、二人で考えたほうがいいアイデアが浮かぶかもしれませんわ」

「それなら、櫻井さんの車を運転してきたあの……」

「彼なら家に帰しましたわ」

「えっ?」

 僕は思わず高い声をあげた。それなら、桃華嬢はどうやって帰るのだろうか。

「わたくし、明日はお仕事がありますの。だから、私のプロデューサーちゃまが迎えに来て下さいますのよ」

 そう言って、桃華嬢はうっとりとした顔で頬を染めた。

「さて、気を取り直してもう一度考えてみましょう」

 桃華嬢は机の上に置いた紙を見つめる。紙にはこの館の人物が、夕食以後どのような行動をしていたか記録してある。

「古坂さん父娘はずっと広間に。角田さん父子は、それぞれが別のタイミングで自室に一度ずつ戻っていて……お手伝いの三人は、キッチンとお風呂とを行ったり来たり。……桜塚さんがお手洗いに向かった時間には、進さんが部屋を離れていたようですが……」

 桃華嬢はそこで溜息をつくと、紙を一枚めくる。もう一枚の紙には、この館の見取り図が書かれている。

「お手洗いに向かうには、キッチンとお風呂の前を通らなくてはならない。作業をしているから、キッチンやお風呂の扉は開いたり閉まったり、人も行き来している……桜塚さんが襲われたお手洗いの、洗面台部分は個室になっておらず、廊下から丸見え。桜塚さんを襲うとして、その行きと犯行中、帰り、すべて目撃されないようにするのは難しいですわね。いったい、どうやって……」

「やはり、愉快犯なんじゃないでしょうか、たまたま、トイレに居た僕を襲ったというわけで……」

「窃盗や、怨恨でもなく?」桃華嬢は真剣な目で僕を見る。「どうして? 理解できませんわ」

「そりゃ、理解できないから愉快犯なわけで……」

「愉快犯だとしたら、誰が犯人だと思いますの?」

「……」

 僕は口をつぐんだ。短い時間しか接していないが、今この館に居る人達は全員“まとも”だった。
 愉快犯というのは、さすがに浅慮だったかもしれないと僕は反省する。

「答えが判らないから、狂気じみた犯行だと思うのは簡単ですわ。でも、それではきっと、犯人の思うつぼだと思いますの」

 桃華嬢は真剣な目で言う。言い返せない僕を前に、桃華嬢はふっと表情を緩めた。

「ああ、でもこのまま悩んでいても、夜が更けてしまいますわ……明日の仕事にも支障をきたしてしまいます。……悔しいですけど、背に腹は代えられませんわね」

 桃華嬢は机に置いていた携帯電話を取り、操作する。なにやらメッセージを送っているらしく、断続的に桃華嬢の携帯電話が震えている。十五分ほどそうしていただろうか、桃華嬢は携帯電話を耳に当てた。相手からの通話リクエストらしい。

「ごきげんよう。ええ、ええ。それで……」

 桃華嬢はしばらく相槌を打っていたが、やがて、驚いたように目を開いた。そして、空いているほうの手をそっと唇のあたりに当てる。

「……確かに、あなたの言う通りですわね。それが一番腑に落ちますわ……でも、そうだとすると……」そこで、桃華嬢は溜息をついた。「電話をしなくてはならないところが増えてしまいましたわ。でも……ありがとうございます。おかげで、解決しそうですわ。ええ、それでは、また。おやすみなさい、よい夜を」

 そして、桃華嬢は通話を終了した。

「犯人が、判ったんですか?」

 僕の問いに、桃華嬢は微笑む。

「事態の解決はできると思います。明日の朝、皆さんを集めましょう」

 そして、桃華嬢は僕の部屋から立ち去って行った。
 僕は開きっぱなしの僕の部屋のドアを見て、しばし呆然としていた。

「桃華さん、犯人がわかったというのは、本当ですか」

 翌朝。全員が集まった広間で古坂氏が口を開いた。

「古坂さん、これから、今回の件について、わたくしの考えを述べさせていただきますわ」

 桃華嬢は全員を見回す。

「桜塚さんが何者かに襲われたこの事件、首謀者は……」桃華嬢は、一人の人物をまっすぐ見据えた。「角田友樹さん。あなたではなくて?」

「は……?」声を挙げたのは、友樹氏ではなく、親の進氏の方だった。「そんな、友樹がどうして桜塚さんを襲う必要があるんですか? 何か、証拠でもあるというんです? そもそも、昨日の聞き取りで、友樹は犯行があると思われた時間、古坂さん親子と共にいたことが明らかになっているではありませんか」

 進氏は声色こそ抑えていたが、その顔にはうっすらと怒りが見て取れた。

「ええ。進さんのおっしゃる通りですわ」

 桃華嬢はあっさりと認めた。

「それなら……!」

 声を挙げようとした進氏を、桃華嬢は指を一本立てて制する。

「今回の件、皆さんの行動から真実を導くには、あまりに情報に不足していますわ。判っているのは『外部の犯行ではない』ということくらい。桜塚さんを襲った凶器すらも不明です。桜塚さんのお怪我も心配ないようですし、物語のミステリーのように警察の力を借りて科学的な捜査をするようなことも期待できません。ですから、犯行までに起こったことから導くのではなく、犯行によって何が起こったか……推理は、ここからすべきなのです」

 桃華嬢はゆっくりと歩きだす。

「古坂昇さん……犯行によって、何が起こったか、おわかりになりますか?」

 桃華嬢に問われて、昇氏はふっと視線を泳がせる。

「ええ、それは桜塚が気を失って……」

「もう少し先ですわ」

「みんなが集まり……」

「もう少し」

「桃華さんがアリバイを訪ね……」

「ああ、行き過ぎました。昇さんご自身の仰ったことですわ」

「私が……? ああ、危険な人物がいる家に娘をやれませんから、縁談を白紙に」

「そう!」桃華嬢はぱん、とひとつ拍手をする。「今回の件で結果として起こったことは、両家のお話が破談となったことなのです。仮に桜塚さん、または館の誰かを襲うこと自体が目的だったとしたら、犯行があまりに雑ですわ。桜塚さんの怪我も軽いですし、洗面所の中で襲うよりも、個室や館の外に呼び出す方が得策です。状況からして金銭目的というのも考えづらいですわね。しかし目的が、両家の縁談を破談にすることそのものだとしたら、桜塚さんに重傷を負わせる必要もありませんし、内部犯だと思わせなくては意味がありません。犯行後すぐに桜塚さんが発見されることが、むしろ望ましくなります」

「しかし、それでも洗面台の前で犯行に及ぶのは、使用人たちに見られるリスクが高いのでは?」

 昇氏が言うと、桃華嬢は頷く。

「ええ。ですから私は、友樹さんを“犯人”ではなく“首謀者”ではないかと指摘させていただきました。この件、友樹さんと使用人のどなたかの協力によって行われたのではないかしら。実際の犯行も、使用人のどなたかの手によって行われたものなのではないかしら」

 桃華嬢は使用人三人を見回す。三人とも、唇をぎゅっと閉じて黙って直立していた。

「桃華さん、それは黙っていられませんよ。それなら、使用人の誰かが首謀だというべきです。どうして、犯行とは関係のない友樹が」

 進氏が声を荒げて言うが、再び桃華嬢から手で制されて押し黙る。

「ここからは友樹さんにお訊ねしますわ。……友樹さん、正直にお答えくださいね。……本当は、結婚がお嫌なのではなくて?」

 桃華嬢からまっすぐ見られ――友樹氏は、ふっと視線を外した。

「……はい、桃華さんの、言う通りです」

「坊ちゃま!」

 友樹氏が絞り出すように言うと、坂本さんが悲痛な声を挙げた。

「……友樹、どうして……」

「好きな女性が居る……だから、望まない相手との結婚を、したくなくて」

「……」進氏は唇を嚙んだ。「そんな……今更、誰なんだ、その、女ってのは」

 混乱と、計画を乱されたことと、友樹氏の心に踏み込んでいる後ろめたさが同居しているのだろう、進氏はちぐはぐな表情で声を漏らした。
 友樹氏は黙っていた。が、その時、村本さんがすっと前に出た。

「私です」

 村本さんはきりっとした目で、進氏に対峙する。

「は……?」

 進氏が裏返った声を挙げる。

「私が坊ちゃん……いえ、友樹さんとお付き合いをさせていただいています。分不相応とは理解して……」

「当たり前だろう!」

 進氏が怒声を挙げたときだった。

「おやめになって!」桃華嬢が大きな足音を立てて二人の間に割って入る。「つまり、今回の件は、友樹さんと村本さん。このお二人の愛を守るために実行されたということですわね? ああ、なんて美しいんでしょう。そう、坂本さんと、枡野さんはこのことは?」

「……ご主人様、申し訳ありません。存じておりました」

「私も。知っておりました。坊ちゃんたちに協力させていただいています」

 坂本さんと枡野さんが、それぞれ進氏にむかって頭を下げる。

「ど、どうして……そんな」

 進氏は声を震わせた。

「どうして?」桃華嬢は不思議でたまらないと言った声をあげる。「簡単な事ですわ。愛する二人が親の政略の為に引き裂かれる、こんな時代錯誤なことがまかりとおってしまったら、お二人はいよいよ駆け落ちしなくてはなりませんものね?」

 桃華嬢は、使用人の二人に向かってウインクした。

「しかし……それは……」

 古坂家とのあいだで予定していた事業のことを出したいのだろうが、それをはっきり口にもできない様子で、進氏はもごもごと口の中でなにやら呟いている。
 桃華嬢は天を仰いだ後、両手を胸の前で組んで、語り始めた。

「もし――もしも、友樹さんと真央さん、お二人に以前からの想い人がなく、これから親交を育むことに抵抗がないのであれば、新しい縁が生まれることはとても素晴らしいことだと思いますわ。でも、友樹さんには既に想う人がいる。その愛を壊してまで得るものにわたくしは価値があるとは思えません」

 桃華嬢は真央お嬢様の前に歩いていく。

「ですから……真央さん、本当に申し訳ありませんが、昨日のご結婚のお話は、わたくしの顔に免じて、一度白紙に、ということでよろしいかしら」

「あ、は、はい……」

 真央お嬢様は、目をぱちくりさせながら肯定した。桃華嬢はにっこり微笑むと、その笑顔のままで昇氏を見る。

「昇様も、よろしくおねがいいたしますわね」

「あ、あぁ……うむ……」

 昇氏は曖昧な返事を返す。昨日の時点で破談を言いだしていた昇氏は急展開についていけないようだった。

「さて!」桃華嬢は両手をぱん、と打つ。「両家の縁談については、白紙ということで決着しましたわね。ですが、わたくしは昨日、ご両家からお話を伺って、共同で進めようとされている事業についてはとても魅力と感じましたの。父も同じ意見のようでしたわ。ですから、事業については櫻井家が間を取り持たせていただきたいと思います」

「は?」
「え?」

 昇氏と進氏が同時に声を出した。

「ご安心なさって、この件についても父とは既にお話をさせていただいています。櫻井家は両家の仲人としてではなく、ビジネスパートナーとしてこの件に参加させていただきたいと思っておりますわ。いかがかしら?」

 桃華嬢は昇氏と進氏それぞれに笑顔を向ける。

「そりゃあ……」

「まあ……」

 二人は曖昧ながらも肯定の意思を示した。元々、そっちが本丸だったのだから当然だろう。元々、共同で事業を行う基盤を盤石にするための結婚だ。櫻井家が間に入れば、櫻井家に造反する愚を犯すはずなどないのだから、当初の目的は達成される。

「さて、これで事業の件も解決ですわね」

 桃華嬢は次に、僕の方を見た。

「最後は桜塚さんですわ。桜塚さん、わけもわからず襲われ、大事には至らなかったもののとても怖い思いをされたと思いますわ。……決して許されることではありませんが、今回の件、わたくしに免じて、どうか、友樹さんと皆様をお赦しいただけませんか?」

「あ……」僕は戸惑う。「その、大丈夫、です。別に、怪我も……してませんし」

 僕は友樹氏をちらりと見た。目を伏せて、すまなそうに俯いている。

「ありがとうございます」桃華嬢はスカートを摘まんで、恭しく礼をする。「これで、すべて解決ですわね」

 桃華嬢はもう一度みんなの前に歩いてくる。

「さて、幸い、皆様の出発の前に全てを解決することができましたわ。古坂家の使用人、桜塚さんが何者かに襲われた事件、これは両家の都合で臨まぬ結婚を強いられた友樹さんが、結婚を破談にするために使用人の皆様と計画したものだった。両家の当初の狙いであった盤石な関係は、櫻井家が間に入ることで解決、友樹さんと村本さんの愛は守られ、一件落着、といったところですわね」

 桃華嬢はそこで、ひとつ溜息をつく。

「本当は、わたくしだけで解決したいところだったのだけれど……昨晩、お友達の知恵を借りましたの。ですから、どうしても言わなくてはならないことがありますわ」

 言うと、桃華嬢は両手を腰に当て、すこし身を乗り出すようにして、勝気な顔で言った。

「論破、ですわ」

 そして、両家は今後もビジネスパートナーとして良い関係を築くことを約束した。友樹氏と村本さんの交際については、進氏はまだ戸惑いが多いようだったが、それでも桃華嬢が絶賛していたのが効いたのか、概ね好意的に受け入れているようだ。
 お嬢様も戸惑いはあったが、もともと家が決めた結婚だったため、特にショックを受けているわけでもないらしい。
 古坂家は荷物をまとめ、車に乗り込んだ。車を出そうとしたとき、道の向こうから、グレーのステーションワゴンが走ってきた。
 館の近くに停まったその車に、カートを引いた桃華嬢が嬉しそうな顔で駆けていく。中から出てきたスーツ姿の人物に何か言われて、桃華嬢は頬を染めてはにかむと、その人物の腕に軽く抱き着くようにしてから、車に乗り込んだ。
 なるほど、あれが桃華嬢の言っていた“プロデューサーちゃま”か、と僕は思う。
 僕はほんの少しの嫉妬を覚えつつ、車のエンジンを始動した。ステーションワゴンが走り去っていくのを見ながら、車のトランクに積んだ自分の荷物に意識を向ける。
 出発前に、桃華嬢にお願いして手帳のフリーページにメッセージ入りサインをもらっていた。もし見られたら怒られるかもしれないが、一ファンの行動ということで許してもらおう。

「それでは、出発します」

「頼む」

 昇氏から返事をもらい、僕はアクセルを踏んだ。
 前に進まなくてはならない。

「――と、いう顛末だったそうです」橘ありすはカップの紅茶を口に運ぶ。「推理の通りで幸いでした、もし見当違いだったとしたら、桃華さんに恥をかかせてしまうところでした」

 ありすは口では謙虚に言っていたが、表情は得意げだった。
 その顔を見て、話を聞いていた人物――鷺沢文香はほほえましく思い、頬が緩んだ。
 桃華が何か厄介ごとにぶつかったとき、ありすが協力して解決し、ありすが後日それを文香に報告する。文香はそんな報告をこれまでに何度も聞いていた。時には、桃華がありすの悩みを解決したことを桃華から聞くこともあった。そのときには、桃華はありすがするのと同じように得意げな顔をしているのだった。

「文香さんは、どう思いましたか、この事件」

 問われて、文香はカップを置く。

「……そう、ですね……面白いお話でした。さすが、ありすちゃんです……でも、ひとつだけ、気になっていることがあります」

「何でしょうか?」

「どうして、古坂家の使用人……桜塚さんが狙われたのか。誰もお手洗いに立たなければ、この事件そのものが成立しなかったはずです。身内を襲えば効果が薄いと考えたのか……でも、抵抗されたり、気絶させられなかったり、もしくは大けがをさせてしまったら、どうするつもりだったのでしょう」

「それは……」

「これは、想像にすぎないのですが……もしかして、桜塚さんは計画の協力者だったのではないでしょうか。凶器も見つからなかったようですし、殴られて気絶したふりをして、発見されるのを待つ……」

「そうかもしれませんが、だとすると、桜塚さんにどんなメリットがあったのでしょう」

「例えば……桜塚さんにも何らかの事情があった。そうですね、ひょっとして、真央さんとお付き合いされていた、ですとか……さすがに、考えすぎかもしれませんが」

 文香に言われて、ありすはしばし考え込む。

「文香さんの言う通りかもしれません……ううん、気になりますが、たしかめようがありませんね」

「書物のように前のページを振り返ることができればいいのですが、現実はそうもいきません。……もしそうであれば、二人の行く末が明るいことを祈りましょう。また、お話をきかせてください、ありすさん」

「はい」

 二人はその後もしばらく、談笑しながら紅茶を楽しんでいた。


 終

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