【ミリマス】静香「ユートピア」 (146)


第一章 遠い日の落書き






それは一本の電話から始まった。
いえ、また……動き出したのよ。




「関東テレビの者ですが、最上静香さんの携帯ですか? 
 実は半年後に特大歌謡祭ヒットパレードという番組を企画をしているのですが、
 是非そこで最上さんにまたステージで現役の頃のように唄って踊って欲しいんですよ」


そんな内容だった。



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少しだけ話をしたあと、私は通話を終えた携帯を見つめていた。
携帯の画面が放つブルーライトが目に刺さり、幻を私に見せる。
今でも思い出そうとすれば鮮明に蘇る記憶の数々……。
煌めくペンライトたちはまるで星の海のようだった。
苦しいことも辛いこともあったけど、その分私自身も輝きを放っていた。


でももう……たくさん笑い、たくさん泣いたあの頃の私はもう居ない。




今、ここにいるのは今日の夕飯の献立を考えるどこにでもいる日本の主婦。
学校から帰ってきた娘には宿題をしろと口うるさく言い聞かせ、
帰ってきた旦那には小言をついつい言ってしまう。


そんな……どこにでもいる主婦なんだ。
最上だって、本名だったけれど、今じゃ旧姓。


私は14歳の頃に親との約束で夢にまで見たアイドルを期限付きで始めさせて貰った。
当時私を担当してくれたプロデューサーは頼りないこともあったけど、
それでも私を、私達のユニットをトップアイドルへと導いてくれた。


16歳の時、アイドルを続けさせて欲しいという期限延長を
プロデューサーやユニットの仲間、事務所の仲間たちが総出で
私の父親のところにきて抗議したことを今でも覚えている。


あの時、私には「高校生になるまでが期限だ」と父は言っていたが、
大幅に延長してくれた。
当然、父の面子もあるのだが、みんなに圧倒されながら渋々許可を出した。


私は、みんなが帰ったあと母親の背中に隠れるようにして数週間を過ごした。
あんな風に押し切ったので父親と顔を合わせるのはどうにも気まずくて。


それからしばらくして……私は27歳で引退した。
東京ドームを埋め尽くす超満員の私の引退兼解散ライブ。

客席のあちこちからすすり泣く声が聞こえ、
涙を拭いながらペンライトを振るファンの姿が見えていた。
私とユニットメンバーはそれに答えるべく全力を尽くした。


出し切った。何もかも。


終わった後、
花束を渡すあの子は最後の最後で顔をぐしゃぐしゃにして
大粒の涙をぼろぼろこぼしながら

「あなたのことがずっとずっと大好きで、
ずっと……ずっと羨ましかった」

と初めて告白され、私はみんなと抱き合って小一時間泣き続けた。



その時の温かさも全部。
全部、全部覚えている。



――局からの電話のあとすぐに当時のプロデューサーからも電話がきた。
当時のプロデューサーからも電話がかかってきた。
内容は先に局の方からかかって来たそれと同じだった。


テレビ局の考えそうなことだった。
昔懐かしい、あの頃のアイドルをもう一度ステージに引っ張り上げ、
当時の私やユニットのみんなに熱狂していたファンたちにあの頃を思い出して浸ってもらおうという企画だろう。

私も小さい頃はそういう企画を何度か観てきたし、
自分が現役でアイドルをやっている頃も観ていた。
歳を重ねた女性が美しいドレスを纏い、
老いてなお美しいその美貌と付け加えられた妖艶さで魅了をする。
その気迫をどこかで観ながらも、
内心は鼻で笑っていたところもあったし、眼中になかった。


自分のことで精一杯だった。
少しでも隙を見せれば喰われてしまう。
全員がライバルだったから。



……。


一通りの説明を私にしたあと、プロデューサーは私に昔と変わらない調子で問う。


「それで、どうする? 受けてもいいし受けなくてもいい」


「少し悩んでいるところです」


他のみんなを思い出す。どうしているのだろう。
みんなならこのことを聞いたらどうすると言うのだろう。



クレシェンドブルーという私が愛した5人のアイドルユニット……。


野々原茜さん。
確か事務所を移ったあと地方のバラエティに引っ張りだこになって、
どこかで毎年のように小さいライブショーをやっていると聞いていたけど、
5年くらい前からそれも聞かなくなった。


北上麗花さん。
消息不明。生きているのか死んでいるのかも分からない。
誰も……誰に何を聞いても分からないまま。
事務所を辞める前からもう連絡が取れないことがよくあったみたいで、
どこで何をしているのか分からないまま、
私はあの人にお別れの言葉もちゃんと言えてない。



箱崎星梨花。
ユニット解散後、すぐに大学に入り直したというところまでは聞いているけれど、その後は不明。
星梨花の実家は何度か遊びに行ったことがあるので場所は分かっているけれど、
私の職場の沿線ではないので行っていない。
おそらく忙しいのだろうし、きっと会えないと思う。


北沢志保。
私のライバルと言ってもいい彼女が一番連絡をとっていた。
最後に会ったのは彼女の結婚式の時に呼ばれて会った、それっきり。
私の時はすっかり引退したあとで結婚したものだから
それほど騒ぎにはならなかったけど、
志保の場合は女優路線に転向して何年かしてからの発表だったから世間も驚いていた。
その頃には彼女の気難しいところはすっかり世間に知れ渡っていたので
「大丈夫か?」という声がたくさん上がっていた。
当然私も思った。
あと年一回、あけましておめでとうのLINEは必ずする。
なんとなく、一番切りたくない存在。



電話越しのプロデューサーさんに聞く。


「みんなはなんて言いますかね」


「志保が珍しくOK出したそうだぞ。ああでも条件があるとか」


まあ今でもテレビで見かけるもの。志保は当然そういうのも断らないわよね。


「条件って?」





「静香が出ることだ」






ああ、それで私のところに電話がかかってきたんだ。
という納得と、私自身は結局志保のバーターでしかないということにショックだったが、すぐに諦めた。

そりゃあそうでしょう。もう引退して何十年も前になるもの。
2LDKのお世辞にも広いとは言えないマンションの一室で、
リビングに広がる娘の洋服に目が行く。
ため息もつき飽きたというくらい、誰に似たのか。
旦那は何度言っても真面目に娘を注意することはしない。


プロデューサーには
「また連絡してください。前向きに検討します」
とだけ言い。

電話を切った。



その後、志保にはLINEで嫌味を送ってやろうと会話の履歴から漁っていく。
その手の動きは軽やかだった。
正直に言うと、久々にやり取りができる口実ができて嬉しかったのだと思う。
ママ友たちのLINEからずいぶんと下に行って、志保の名前を見つける。

志保の画面をひらくと「あけましておめでとう」だけポツリとやり取りしてある。



私はそこに
「テレビ局から出演依頼の電話が来たのだけど、私が出るなら出るって言った?」
とぶっきらぼうに送る。

私はそれからキッチンの片付けをする。
洗い終わり、綺麗に拭いてから使い終わった食器を元の場所に戻していく。
戸棚を閉めた頃にはキッチンの端っこに置いていたスマホが光っているのを見る。

志保からだ。
すぐに分かった。
あの子、返事だけは早いのよね。



「言った」という文字だけが来ていた。
見ているとそのあとに「いやだった?」と付け加えられた。



「平気」

「プロデューサーが引退した静香のこと一時預かりにするって」

「そうなんだ」

「そう。出演料とかそこから振り込まれるから」

「プロデューサーのとこにマージン取られるわけ?」

「さあ? 聞いてみないと分かんない」

「正直いくら貰うかにも寄るんだけど」

「わかる。確認しておく」



淡白なやり取りが続く。
あの子暇なのかしら?



「もし、出るなら練習期間と打ち合わせがあるから」

「わかった」

「ミニ静香は元気?」


ミニ静香とは私の娘のこと。志保はそう呼ぶ。
娘は志保のことをお姉さんと呼ぶ。(強制させられていた)



「元気すぎ」

「良かった。今度誕生日よね」

「そう」

「Amazonから好きそうなの送っとく」

「5000円以下でお願い」




以前志保は娘の誕生日に5万円分の子供服を大量に送りつけてきたことがある。
しかも志保好みのやつばかり。

私の娘はそのせいで安い服を好まなくなってしまったし、
志保にはすっかり猫なで声を出すようになった。
悪い大人だ……。


まあ、可愛がってくれるならそれにこしたことはないのだけど。


志保には生意気そうな顔した猫のスタンプを送りつけるだけで、
それ以降返していない。
あとは志保がギャラのことを聞いてくれるのを待つだけになった。

ふう、とため息つく頃に玄関ではドタバタと足音がする。
それから勢いよく開くリビングの扉から娘が飛び出てくる。



「ママ!! 明日牛乳パック使うんだけどある!?」


「あんたなんでもっとそういうの先に言わないの!!」





第二章 新しい困難






――数日後。
私は都内のA局に来ていた。


別にアイドルやこの業界に未練はない。
でも、なんとなくもう一度みんなに会えると思ったら出たくなった。
それに、こういうお誘いをテレビ局からされることは、実は初めてだった。
そのせいで舞い上がっていたのかもしれない。




私は慣れていたはずのテレビ局の受付で手続きをなんとか済ませる。
こんな所まで私の知らない風に変わってしまっていたらどうしようかと
内心ビクビクしながら受付をしていた。

案内された通りに局内を進んでいく。
テレビ局の廊下には今やっているドラマのポスターが張られていたりする。
その中に、かつての仲間たちの姿はもうほぼ見ないし、
パッと見てすぐに分かる人なんて居ない。


受付で指定された会議室に到着した私はノックしてから部屋に入る。
扉を開けた瞬間にキツい香水の匂いと、
加齢臭とは程遠い、乳臭い匂いの充満した部屋が広がっていた。

それに、これは何の匂い?
柑橘系の制汗剤……?




会議室に既に入っていた何十人という十代か二十代の女の子たちは一瞬だけ、
部屋に入ってきた私を見るのに静まり返る。


「失礼します」


と深くお辞儀をしてから私は適当に空いている椅子に座る。
そこまでの一連の私の動きを見た若い女の子たちは再び自分たちの会話を始める。
その会話の内容はどうにも私のことをこそこそと話しているようだった。
あまりいい気分ではない。


私はそういう声には極力耳を貸さないようにしていたが、
一人の女の子が私に声をかけてきた。



「あの、休憩されているところすみません、もしかして最上静香さんですか?」


声をかけてきたのは見るからに10代の女の子だった。
そのキラキラした私のこと見る瞳で
すぐに私のことを知っている子だと理解する。


「ええはい、そうです。私のこと、知ってくれているんですか?」


その会話が始まると近くで
「あ~聞いたことあるかも」
という声が聞こえる。
その女の子はそれはもう嬉しそうに「もちろんです!」と言う。
その声が少し響いてまたしても私は注目を浴びてしまう。


「私、大ファンだったんです!」


――だった。


過去形か。
細かいところに引っかかるようになったのは
娘の嘘を見抜くために身についた悲しいスキルね。
でもこれはきっと興奮しているせいで言い間違えたのよ。
私はスルーを決める。



「ありがとう。ごめんなさい、お名前を聞かせていただいても良いかしら」


「私、シーガールズっていうアイドルユニットの羽村です!」


「そう、羽村さんありがとう。あの一つ教えて欲しいのだけど、
 この部屋は特番の打ち合わせであってますか?
 私部屋を間違えたんじゃないかと心配で」


羽村さんは私の質問に即答する。
笑顔が眩しい……。



「合ってます!
 この部屋は特番に出演する女性アイドルの打ち合わせ部屋なんです。
 ってさっきスタッフさんたちが言ってました!」


「そう、良かったわ。ありがとう」


「いえ、こちらこそ。何か分からないことがあればまた聞いてくださいね!」


「ありがとう。そうしますね」



そう言うと羽村さんは深く一礼してから自分たちのユニットの方へと戻っていく。
そのタイミングで部屋には番組のプロデューサーが部屋に入ってくる。



番組プロデューサーが入ってくると、
これまでダラダラとお喋りしていた若い女の子たちは
人が変わったように一斉にガタン!と起立し、
「おはようございます!」と大きな声で挨拶をした。

あまりの統率力に軍隊を彷彿させた。

気遅れした私はせめて年寄りなりに品の良さを見せようと
丁寧に立ち上がり深くお辞儀をしてみせた。
そして、そんな有りもしない品性を演じて見せたことを私は少し恥ていた。
娘が今のを見たらきっと「余所行き」って馬鹿にされる。


志保はそのプロデューサーの後ろをツカツカと付いて歩いて入ってきた。
私はようやく見知った顔を見れて安心する。

良かった、私だけが来るというドッキリじゃなかった!
現役の頃にいくつこの手のドッキリに引っかかったことか……。
顔を真っ赤にして怒る私の映像は当時嫌と言うほど世間に流された。



部屋中の若いアイドル達は志保のことを見るなりにざわつく。
無理もないわね。今じゃかなり大物の女優だもの。


「あれ、北沢志保さんじゃない……?」

「嘘、なんで……?」

「ほら、昔アイドルやってて」

「あー、それで?」



志保はそんな中、若い群衆から離れぽつんと座る私を見つけるなり
「よっ、お疲れ」と片手をひらひら挙げながらこちらに来る。

私は近づいてきた志保のその手をぱんっと叩いてぎゅっと掴む。
なんとなく会うとこんなハイタッチ紛いのことをするのがお決まりになっている。






「仕事?」


「そう。ギリギリまで詰められちゃって。この打ち合わせのあとも仕事。駅までなら途中タクシー乗せるわね」


「ありがとう」


志保はガサガサと肩に掛けていた鞄から水を出すと
半分くらい入っていた500ミリのペットボトルの中身をいっきに飲み干した。


「はぁ……生き返る」


近くの机から資料が回ってくるのを私は志保に渡す。
プロデューサーはその資料をもとに
今回の特番についての説明を始めた。




最初に聞かされていた内容と殆ど相違無かった。


今回の『特大歌謡祭ヒットパレード』は今をときめくアーティスト達が大集合して、
自分たちの代表作とも言える曲を披露する。
そこには懐かしのあの人やあの人が登場するという流れだった。


私はいつの間にか進んでいったこの時代から取り残されて
「懐かしいあの人」になってしまった。
未練はないけれど、現実に突きつけられると少し悲しくなる。


基本的には今ヒットしている曲をやるのだが、
私たちはその「懐かしのあの人」という特別枠で登場する事になる。

そこで今回の目玉として私と志保が呼ばれた訳だったが、
クレシェンドブルーの集まりがあまりにも悪かったため、
他の若いアイドルたちにはバックダンサー、
コーラスをやってもらおうという企画だった。

今回はそのメンバーの顔合わせらしい。



会議中、それが発表されると先ほどの羽村さんからの熱い視線と
「頑張ります! 任せてください!」
と言ってるかのようなジェスチャーを貰う。


会議室の中を見渡すと
あまり良くない顔をしている女の子もチラホラ居る。
当然ね。

要は
「君らじゃなくてこの懐かしいおばさんたちのサポートに回れ」
って言われてるようなもの。
反発する意見があって十分でしょ。



そして、かくいう私の隣で、
話が進むに連れて段々椅子に寄りかかる角度が鋭くなっている志保も
この企画によく思っていなかったのだろう。


「ということで、またレッスンの日時は
追って各事務所の担当マネージャーから聞いてくださいね!」


と空気の悪いのを察した番組プロデューサーは
そそくさと打ち合わせを切り上げてしまった。
殆ど私らの質問など受け付けぬように。




「静香どう思う?」


「どうって、まあ私はもうすっかり引退してるから全然だけど
 ……サポートに入って貰えるなら嬉しいかなって」


「はぁ」


志保は私までも睨みつけながらため息をつく。


「私たち、すっかり歳だから二人じゃ出来ないと思われているのよ。
 舐められたもんだわ」


志保は周りの女の子達には聞こえないように言う。
昔なら志保はその場であのプロデューサーに
真っ向から噛みつきに行っただろう。
彼女も人として成長したってことかな。



だが、私たちの前に更なる不安要素が舞い込んでくる。


「あの、北沢志保さんと最上静香さんですよね」


「はい」


そう声をかけられた私たちは顔をあげると2人の女の子が立っていた。
その後ろには慌てふためく羽村さんの姿がある。


「シーガールズの上野です」


「……同じく川崎です」


「上野さん、川崎さん……何か?」



さっきの羽村さんとは大違いの雰囲気をまとった2人が目の前に立つ。
私はさっそく2人の勢いに呑まれかけるが
志保は相変わらずどっしりと構えている。


「今回の話、申し訳ないのですが、丁重にお断りさせていただきます」


正直この時、この話が出たのは「まあ何というか仕方ないかな」とも思っていた。
でもそれを直接こんな形で伝えてくるのは中々勇気があるどころか、
そんな肝の座ったことをするのは私が現役の時代でもそうそう居なかった。
志保はちょくちょく何かやらかしてたりするけど。


正義感が悪い方向に働いた結果がこれかもしれない。
正義の反対にあるのは別の形の正義なんだ。



「だめだよ! せっかく貰ったお仕事なんだから!」


羽村さんは上野さんの言葉を訂正するかのように振る舞うが、
上野さん、川崎さん両者のだす空気はそんなことでは揺るがない。


「……事務所から断りの連絡が行くと思います」


それだけを川崎さんが伝えると三人は帰ってしまった。
最後に羽村さんだけが、頭を深く下げて先に行く二人を追っていく。



しーん、と静まり帰った会議室。
椅子に寄りかかる志保はぎしっと、
音を立てながら起きあがると、
「私たちとやると出番が減るのでやりたくないってさ」と言った。
そんな解釈の仕方しなくても、とは思ったが、要はそういうことなんでしょう。


静かになった会議室を出て私は志保の手配したタクシーで局から近い駅まで送ってもらう。
タクシーの中では仕事、それから旦那の愚痴をべらべらと志保は喋っていた。


「ねえ、志保。今までこんな依頼来てた?」


「来てたわ」


志保は少し考えたあと、
窓の外をつまんなそうに見ながら続けた。



「でも、どれもこれもクレシェンドブルーでって話だったから断ってた。
 私がOK出したら他のみんなに聞こうとしてたみたいよ」


プロデューサーは一番テレビでの露出がある志保にまず許可を得ようとしていたらしい。
というかテレビ局からの要望もそうなんだと思う。
「まず北沢志保が出るか出ないか」
これが重要なんでしょうね。


「なんで今回だけ受けたの……?」


どれもこれもと言った彼女だったが、
私の知る限りでは志保はそういう番組に出たことはなかったと思う。




「……なんとなく」


志保は相変わらず窓の外を見ながら、適当に言った。


「ねえ……ミニ静香は元気?」


私はうっかり娘に対しての愚痴が溢れ出しそうになるのを
ぐっと堪えて「元気よ」とさらっと言う。

この前もLINEで聞いてきたのに、忘れたのかしら。



「そう。あ、ねえ。久しぶりに会いたいから収録の時、連れてきてよ。
 観覧で一般入れるんでしょうし」


「え? ……うん、分かった。たぶん来ると思うから聞いてみる」


「私がすごいお姉さんだってところ見せてやるから絶対連れてきなさいよ」


志保はそう言いながら笑っていた。
それから駅について車を降りる際に志保に
「あとでラインするわ」とだけ言ってこの日は別れた。



――後日。
プロデューサーから連絡が入ったのは例の件でのことだった。


「静香、『あんた達みたいな小娘とは出来ないって言われた。
 こんな悲しい思いをしたのは初めてだし、
 嫌な気分を引きずったままではステージに上がることはできない』
 ってクレームが来てるんだが? そんなこと言ったの?」


私は電話越しにため息をつく。

リビングでソファに転がりながらテレビを見ている娘にも目が行きため息はより深くなる。
プロデューサーはため息を聞いて「まあ、言うわけ無いよなー」と分かってくれた。
あれだけの長い期間一緒にやってきたからこそ分かってくれる。



「まあそれを受けての向こうが言った言葉がこうだ。
 『私達だってもっと売れていかないといけないのに、
 こんなところで過去の人達のバックダンサーなんてもので
 収まっていい器ではないからやらない』
 と言い返してしまったことは反省している。だそうだ。
 そんな酷いこと言われたのか?」


「いいえ。でもそれが本心ね」


私はその気持ちが痛いほどわかってしまった。
あの頃、現役でもっと尖っていた私や志保が同じ境遇に居たら、
上野さんや川崎さんのように直談判する勇気はなくても
プロデューサーに対して猛抗議をしただろう。

プロデューサーは電話越しに
「最近の若いのは~」とべらべら喋っていたが、
そんな声を聞いて思い出した。



彼自身はとっくに忘れているのかもしれないが、
私や志保に向かってプロデューサーは




「いつかしっぺ返しが来るぞ」




と忠告したことがあった。

誰にも迷惑かけていないのに、バカバカしい。
と流していたが、そうか。
今頃になって来たのか。


「彼女たちがやりたくない、ということを無理にやらせるわけにはいかないわ。
私と志保2人でステージには立つから、
そう番組のプロデューサーにも伝えておいて」



とプロデューサーに告げ、電話を切った。
電話を切ったスマホの画面には志保からのLINEが入っていた。


「あの小娘どもつぶしたろうかな」


「ふっ……」鼻で笑ってしまった。
彼女は変わらないようだ。





第三章 出来ていたこと






レッスン初日。


先にスタジオに来て私は柔軟体操をしていた。

体型が大きく変わったと言うことはないが、
明らかに身体は堅くなっている。
これは果たして柔軟になっているのだろうか。

自然と出来る範囲をキープしている。
身体はみしみしと言っている。
昔はもっと無茶出来たような気がするけど、
いろんなことが頭をよぎってしまう。


自分のこと、身体のこと、家庭のこと、娘のこと。
まっすぐ伸ばした足の裏だって触れたのに
……今じゃ膝下のスネをさわる程度。





足を開いてみる。
昔は綺麗に開いたのに今じゃ膝は勝手に曲がってしまい、
綺麗に開くことが出来ない。




出来ない。



急に私は思いつきで昔の映像をYouTubeで引っ張り出した。
映像は私たちのライブ映像。
小さなスマホに流れる映像、
それに合わせて踊ってみよう。



イントロが始まる。
「Shooting Stars」だ。覚えている。
目を閉じる。
覚えている。目の前にはペンライトの海が広がっている。みんなの立ち位置も分かる。
私の取るポーズが分かる。


何度もやった。
何度も何度も何度も踊って、唄った。



でも……。


曲は始まってすぐ、3つ目のステップが分からなかった。
私はすぐに画面を見る。
画面の中で動く、踊っている私を見て思い出す。
そうだ、この動き。
手を大きくあげて、顔の前に手を……。



その次は何……? どうするんだっけ。


あれ。


おかしいなぁ……。


あんなにやったのに。


それは覚えているのに。


思い出せない。





私は踊るのを辞めて、映像を見て思い出すことを優先し始めた。
片手で持つスマホに、空いた片手で空を切るように手だけ振り付けを入れていく。


段々思い出してくる。


段々……。思い出すたびに思い知る。




こんなに、忘れていたんだ。





私はいよいよ、スマホを置いて一回通しで踊ってみようとした。
踊れる、思い出している。
そう、これがいい。
これでいい。


でも、体力が……。ステップが早い……。
追いつけない。



結局、私は最後まで踊りきることは出来なかった。
途中で息は続かない、足がもたつく。
声が思うように出ない。
もしかしたら呼吸の方法から忘れているのかもしれない。


参ったな。
昔の私が背後に立っている気がする。
キツい目つきでヨレヨレの私を睨みつけている。
そんな気さえしてきた。


私は途方に暮れてしまった。
呆然と立ち尽くすところに志保がやってくる。




「お……よう……いまーす」


お酒にやられたような、カスカスの声で入ってきた。
でかいサングラスの割にはラフな格好、
手にはやたら色々入ってるコンビニのビニール袋。


「はぁ……、今日レッスンなんだけど、何それ」


「はい」


袋から出してきたのは栄養剤だった。
一本渡されたのを受け取ってしまう。
志保も着替える前から栄養剤を一気飲みした。




「あ゛~、やるわよ。……って、どうしたの?」


「いや、……昔の動画見ながらちょっと踊ってみたんだけど、全然できなくて」


「かーっ! リーダーがこんなんだからみんな集まんないのよ」


「じゃあやってみなさいよ。ほら、音楽かけるから」


「おうおう、やったろうじゃないのよ。見てなさい。真のリーダーが誰かを」







(10分後)






「ハァハァ……ま、もう無理……ちょ、休憩……」


「まだ動けてないわよ、2番のサビもまだじゃない」


「ゼェーハァー……ま、待った待った。え……? これ曲違くない?」


「違くない。これよ。私達がかつて土砂降りの雨の中唄ったやつ」


「もし、この当時の私が目の前に現れたのなら一発ぶん殴るわね。
 そんな雨ん中、無理してんじゃないわよって」


「それ間違いなく殴り返されるわよ。だらしない!って」



昔の自分の映像を見て
志保も同じような絶望を感じてるのかな……。


「そういえばギャラは納得したの?」


「まあ、ぼちぼちってとこかな」


「そう」


志保はそう言いながらスタジオの床に大の字になって倒れた。
それからひっくり返ると匍匐前進で自分の持ってきたビニール袋から缶チューハイを取り出した。
待て待て待て!


「こらぁ! 何してるか!」


「だー! 離しなさいよスカポンタン!」


今どき訳わかんないそんな言葉で罵ってくる人いないわよ。




「とりあえず、基礎体力と振りだけでも覚えなおしましょう……」


「そうね……」(カシュッ!)


「お酒に逃げるな」




とはいえ、志保の方が私よりも動けていたのは事実。
でも、悔しいという感情が全く湧かなかった。
仕方ないと言い聞かせていた。


志保は寝転がりながらまた動画を見始めた。
画面に映る自分のギラギラした目が怖くなった。
そうか、私なんだ、これ。



この日は二人でスマホの映像を見ながら振りを
確認していっただけに終わってしまった。





それから私は、
仕事から帰ってきては夜の筋トレ、ランニング、ダイエット、肌ケアに明け暮れるようになった。


娘には今度テレビに出るということは言ってある。
「へえ~」とだけ冷めた反応をしていたが、
ハッと我に変えるように「松風くんに会う!?」と私に詰め寄ってきた。


娘のイチオシの男性アイドルらしいが、
そんなに好きだったとは知らなかった。

前に聞いた時はクラスのみんなが好きだからって、
まるでその人のことを知っていないと
学校で付いていけないみたいな言い草だったのだが、
あれは恥ずかしくて母についた嘘だったのかな。



「分からない」と言うと、
また娘は「なぁんだ」と手に持っていたスマホに目をやるのだった。
スマホの画面には娘のイチオシアイドルである
松風くんらしき男性が映っているのがチラッと見えた。


娘は私が昔アイドルをやっていたことを知っているし、
随分前までは「すご~い!」と言ってくれていたのだけど、
今はあんまり興味がないようだった。

私もそこまで興味がないだろうと思って
あまり自分からは昔のことは喋ることはない。

それに今では時々、ムスっとしながら私に
「~~ちゃんのママがママのサイン欲しいって言ってたって言ってた」
とまるで業務連絡のように伝えてくる。

私にはこれが申し訳なくて仕方ないのだった。
たまに話す友人は自分ではなく自分のママに興味がある人ばかり。
これが娘にとって面白い訳がない。



授業参観に私が行こうものならその日はもう一日機嫌が悪い。
教室に来るママもパパも、クラスの子どもたちもみんな興味津々で私を見る。
隣のクラスのママやパパなんかは代わりばんこに教室を覗き込んでくる。


それでいて質問攻めに遭うのは私ではなく娘だ。
何度「もう来なくていい!」と怒られたことか。
パパが仕事で行けないんだから仕方がないの、
と根気強く説き伏せることの繰り返し。



志保はいつの間にか、娘とLINEを交換していたみたいだが、
私の二の舞にならないように
女優である志保との繋がりがあることは秘密にしているみたいだった。


一方、志保も仕事の忙しさから子供は産んでおらず、
娘を愛でたいという気持ちを私の娘で晴らしている。
子を産まない理由は色々と聞かされているが、
真相はエグくて笑い話にはまだ消化できていないので、話せない。

娘は、志保のオフィシャルブログで代官山のカフェに行った、
みたいな記事の写真に明らかに娘のスマホが写り込んでいた。(スマホケースで分かった)

私に隠れて時々会いに行ったりしているみたい。
というか写り込ませたのわざとでしょ。




――自主トレに明け暮れる中、
ヨレヨレのジャージでランニングから帰ると
リビングで娘が誰かと通話をしていたのだが、
私の「ただいまー」という声を聞いて焦って切っていた。


ははーん? 彼氏か?


娘はリビングのテーブルに学校のプリントを広げていたが、
慌ててファイルにしまってそのままランドセルに放り込んでいた。宿題?





「ただいま、宿題してたの?」


「うん、おかえり。ご飯何ー」


「ねえさっき誰と通話してたの?」


「えー、してないよー」


「え~? してたじゃない。あ、切るね!って聞こえたけど」



娘は一瞬「聞こえてたのかよ」という顔をしたが、
これ以上イジると機嫌が悪くなって
部屋に篭もって夕飯を食べなくなってしまうので、
追求することは無かった。



そう言えば収録に来るかどうかまだ聞いてなかった、と思い出す。



「観覧で一般の人入れるんだけど、来る?」


「ママのテレビ出るやつ?」


「そうそう、志保も会いたいって」


「うん……行こうかな。
 あ、もしかして誕生日のプレゼント貰えるのかな!?」



急に元気になる娘に「ははっ、そうかもね」と乾いた笑いが出てしまう。
志保と会うのは少し規制かけた方がいいんだろうか……?

でもそんなことしたら絶対志保から怒られるよなぁ。
私はため息が出る。
可愛がってくれてるから別にいいか。





その日の夜、プロデューサーから電話がかかってくる。



「遅くにすまんな」


「いえ、どうしました?」


「ああ、こっちで説得したのが効いたのか、
 シーガールズの子たちがやっぱりコラボしたいという話になった」


今更? 一度崩れた話だったけど、
局のお偉いさんから何か言われたのか、それとも……。


「静香、なーんか、嫌な予感がするんだよなぁ。
用心してかかれよ。合同の第一回レッスンは二週間後だ」


二週間後か……。もう時間があまりないわね。
今からもう一度ランニングに行くべきか……いえ、今日は身体がきしんでもう無理ね。



この日から二週間、私は基礎体力作りに加え、
課題曲になっている「Shooting Stars」の振り付けも頭に入れるようになった。

仕事に家事にやることは沢山だけど、
なんでか、日々の疲れや嫌なことが消えていた。
疲れすぎて感じることも出来なくなったのかも。


会社の上司や一部の人には事情を説明し、
定時上がりになるべくしてもらって帰ってから、
娘の夕飯もかなり適当になったが、
なんとか用意してから自分の自主トレに励む。

寝て起きて仕事して、
昼休みは人の居ない非常階段で小さく振り付けをしながら動画見て、
帰ってきてご飯作って自主トレして、寝る。

これを繰り返していた。




――合同レッスン直前の日、
ようやく志保とスケジュールが合い二人だけでレッスンをする。


どことなく合う2人のタイミング。
志保もあれから相当苦労して振りを頭に入れていたようだった。
100点満点中、実に88点と言ったところ。
それでも急ピッチで進めた準備にしては上出来でしょう。


「これにシーガールズさんたちの振りも合わさって……って感じよね」


「ええ、若い連中の鼻っ柱を折ってやりましょう」


「もう……すぐそうやって争い事にしようとする」


「はいはい」
と言いながら志保は子供みたいな笑顔を見せた。
まるで「久しぶりに怒られた」とでも言いたそうな顔をしていた。

なんとなくここ最近の志保のことだと、これが一番頭に残っている。




――翌日。




私達2人は10数人いる若いアイドルたちに囲まれていた。


彼女らはまず自分たちが「Shooting Stars」を踊ってみると言い
私役、志保役の人もわざわざ用意して踊ってみせてくれた。

しかし、その「Shooting Stars」は私達の知らない
彼女らなりのアレンジが”大幅”に加わったものだった。

激しく、鮮やかで、華やかである。


もしかしたら私達の全盛期を上回るパフォーマンスかもしれない。
時代はとっくに私たちを置いて進んでいったのね。

そして彼女たちは平気で「じゃあ今のでお願いします」と言うのだった。





今入ってくれていた私役と志保役の子が抜けて私たちに入れと言わんばかりに空間を作る。
そこは死刑台にも等しい場所に私は思えた。
あんなの出来っこない。


「あの、私たちの曲の振りはこんなに難しいものではないのだけど」


「え? じゃあせっかく用意したのが無駄になりますけど、
 私たちはお二人の久々のパフォーマンスが成功するように
 全力を尽くして良いものがテレビで放映出来るようにしたいだけなんですけど?
 なんで出来ないんですか?」


この子、名前なんて言ったかしら。
レッスンスタジオでは私のことを知っていて
話しかけてきてくれた羽村さんは見当たらなかった。

最初から喧嘩腰なのがあまりにも見え透いていた。
この若い子たちの誘いに私は絶対に乗るべきではないし、
志保は言われっぱなしの私を黙って見ている。

でも分かる。長年見てきた彼女のことだから。
あの眉間のシワの寄り方、相当キレてるわね。

あなた、今でもその表情するのね。



「え? あの! じゃあ覚え直せって言うんですか?」
「エー、せっかく用意したのにー」
「っていうかほんとに練習してきたんですかー?」
「これくらい出来なきゃねぇ~」
「ねぇ~。わかる~」


冷や汗が出る。
目の前の景色が少し歪んでくる。
そんな私を見かねた志保がようやく動き出す。
私の肩を強めにポンと叩き、前に出る。



「悪いけど、こんなのしてくれなんて頼まれてないの。
 私たちも頼んでない。

 あのね、私たちは昔懐かしいおばさん達なのよ。
 昔の懐かしさを視聴者に味わって貰いたいの。分かる?

 テレビに出続けたいんだったら、
 自分たちのことを考えるのは多いにけっこうだけど、
 見ている視聴者のことも考えましょう?

 こんな変わり果てた曲を見ても何も思わないわ。
 視聴者が見たいのは昔の、
 あの曲を、
 あの時の振り付けで、
 変わらない歌声で、
 老いた私たちが唄うところが見たいの」





志保は検索用のキーワードを言い、
全員にYouTubeにアップロードされている私たちのダンスレッスンや、
解説などのビデオを見るように言った。

しかし、誰1人として見る気配などなかった。



プロデューサーの言葉がパッと蘇る。



「嫌な予感がする」


「用心してかかれよ」


「いつかしっぺ返しが来るぞ」



若い子たちはヒソヒソと嫌な話声をたてたのち、
帰り支度をバーッと済ませて、全員出て行ってしまった。

そして、最初に私達に突っかかって来た子は鋭い目つきで言う。
手には一枚のDVD。






その目は……。




「はい、これどうせ出来ないと思ってたので焼いてきました。
 一週間で覚えて置いてください。
 また一週間後の合同レッスンでやりますので。
 私たちは変える気はありません。多数決って分かります?
 これが出演者側の総意ってことで。
 テレビで唄って踊りたいならこれくらい出来て視聴者の心、
 鷲掴みにできないと……この先ドラマの現場でも苦労しますよ……。
 それじゃ、お疲れ様です」




その目は……




まるで昔の私たち2人を見ているようだった。







レッスンスタジオの重い扉がガチャンと大きな音を立てて閉められる。
昔何度も来たスタジオなのに、今はここが牢獄のように感じる。


正面の鏡に立っているのはヨレたおばさんだった。
私の背後に昔の私の幻が見える。
キツくにらみつけている。
今の私には睨み返す力も残ってない。


隣に立つ志保は受け取ったDVDをただ見つめていた。
サラリと揺れる髪からピアスのされていない穴だらけの耳が見える。
耳は真っ赤に燃えていた。




「……静香」

「……なに」

「どう思った?」

「……まるで昔の私たちだったわ」

「ええ、私もそう思った。自分を見ているようで本当に嫌」

「正直できそうにない」

「あれは難しいと思う」

「でも」

「ええ」


嗚呼、懐かしい。
この感じ……。この感情……。

娘や旦那に時々涌くだけの
無意味だった感情がグツグツと煮えたぎる。



志保に触発されているだけなのかもしれない。
このパワーがいつまで保つか分からない。
でも、今はこの力に頼るしかない。
この感情は……まさしく怒りそのものだった。





「やるわよ静香」


「当然よ志保」





その日、夜の11時まで2人でがむしゃらに踊り続けた。
2人の瞳にはあの頃と同じ炎が宿っていた。



第四章 燃える道を行け






それからというものの。
私は筋肉痛と慢性的な疲労で身体がバキバキになり、日中の仕事もミスの連続。
職場の上司には心配されるようになった。



「一回の出演で何もそこまでしなくても……」



そうは言うけれど、私のように久しぶりにメディアに出てくるようなら
録画されたデータをネットの動画サイトにアップロードされるだろうことは予想が付く。

武様な姿を見せるようじゃコメント欄が炎上しかねない。
それは当然、現在も芸能界で活躍する志保にも飛び火する可能性はあるし、
そうなれば大きな迷惑をかけることになる。
それは避けたい。



そんなある日の昼下がりのこと。
私のスマホには一件の着信が入る。登録した嫌な名前が画面に表示される。
娘の通う小学校の名前だった。


頭に瞬時に過るのは、風邪の可能性。
でも、今日の朝は確か元気に学校に行ったはずなんだけど……。


私はスマホを持って廊下に出る。


「ええ!? すみません! す、すぐ行きます! すみません」


偶然不在だった上司にはメールをうつのも煩わしく、
手書きでメモを書きなぐり、それを置いて会社を飛び出した。

上司に早上がりする理由のメールをスマホで打ちながら
先ほど電話で学校から言われたことを思い返し、整理する。



「実は、クラスで男子相手に喧嘩したようでして、
 こちらもまだ詳しい事情は分かってはないのですが、
 えー、膝を擦りむいてケガをしていまして、
 ご本人も相手の男の子にケガをさせているんです。
 そのことを凄く病んでいて」


廊下から事務所内に聞こえてしまうくらい大きな声でびっくりしてしまった。
最近自主的なボイトレもやってるせいで尚更いつもよりも大きな声が出た。

おかげで廊下から机に戻る間に何人かに「どうしたんですか?」と聞かれてしまった。


私はこの時相当顔が青かったと思うし、
かなりパニックになってたんだと思う。
社内で履いてるスリッパで出てきちゃった……。
駅で安い叩き売りされてる靴を買った。
手痛い出費……。あとで娘に話して一緒に笑おう。



まあ、パニックになるってのも無理もない。
こんな問題を娘が起こすなんて初めてだった。

幼稚園で風邪を引いたとか、急に熱を出して、
インフルエンザかもしれないから、という連絡で引き取りに行ったとか。
そういうことは何度かあった。

家ではだらだらしてたりすることもあるし、
私に対して生意気な口を聞くこともあるけど、
そんな乱暴なことをする子じゃない。

担任の先生も女の先生で凄く良い人で
一年生のころから運良くずっと同じ担任をしてくれている。
娘も先生のことが好きだし、先生も娘のことは良く見てくれている。


学校に着いて職員室に行く。
自然と早歩きになってしまう。

息を切らしながら「失礼します」と職員室に入ると、
直ぐに担任の先生とは別の先生が出迎えてくれる。

多分私のことを知っている世代の男性教師で、
事前に事情を把握していたためか、すぐに保健室の方に案内してもらう。



「今は保健室にいますので。
 相手の男の子は今別の教室に移ってます。
 今日のことは相当ショックを受けているみたいなので
 優しくしっかり話を聞いてあげてください」



それだけ言うと私だけを保健室に入れた。
中には保健室の先生と思しき白衣を着た女性と、
担任の先生がベッドにちょこんと座ってる娘と話をしていた。


扉を開ける音で私に気付いた娘は今にも泣きそうな顔になった。
担任の先生はすぐに立ち上がり私をまた廊下に連れ出した。



「ご迷惑おかけして申し訳ございません。
相手の男の子は大丈夫でしょうか!?」

「ええ、大丈夫です。
幸い向こうは強く打ったぐらいで少したんこぶになってるだけだと思います。
今は2人を別々の部屋で預かって、それぞれから事情を聞いてました」

「あの、一体何があったんですか……!?」

「実は……」





一番の理由は
「人には見られたくないものを見られそうになった」
というものだった。
先生は順を追って説明してくれた。


今日の授業の一貫で色々な職業について勉強をしていたのだそう。
世の中の全てのものが誰かの仕事によって出来上がっている。
ここまでだと、別になんてことない社会科の授業だが、
娘にとっての地獄はここから始まってしまった。



「それじゃあ今日はみんなのなりたい職業を書いてみようか!」
「俺ユーチューバー!」
「お前じゃ無理だろー!」


賑やかな娘のクラスの様子は
何度か訪れた授業参観以外の抜き打ちの授業風景を
撮影した動画を見ているので知っている。

娘はクラスの中で特別発言権がある訳でもないが
中心グループからは外れてはいないのもここで確認していた。
その娘にクラスのお友達数人がただの雑談程度で会話を始めた。




「やっぱり歌手になるの!?」
「え! ならないよ!」
「えー、じゃあ何になるの!」


そういうやり取りが始まったとき娘は
さっと自分の書いた紙を折りたたんで見えないようにしたのだが、
クラスの男の子の1人がそれを取り上げたのだった。


取り上げた時点でかなり怒っていたみたいだが、
それを面白がったその子はそれを無視して男子数人でたらい回しにしていた。

娘はおっとりしている所も少し天然な所もあって、人からいじられると面白い反応をするらしい。
からかうと面白い女の子として人気があった。
私はそれを前に担任から聞かされて知っていたのだけど、娘には黙っていた。


だって、……そんな不名誉な人気のあり方は、たぶん私の血筋だから。



で、先生はこの時、別のグループの真面目な相談を
聞いていて目を離していたと言い
「注意不足でした申し訳ございません」
と深く頭を下げてくれていた。


そして、最初に取り上げた男子の手元に戻ってきて、
読んでやろうと丸めた紙を広げようとしたところを、椅子で殴りつけたという。

思わず「え゛!」と声が出てしまった。

いや、それ大丈夫なの……?
でもたんこぶで済んだ? って言ってるし……。


クラスみんなも娘が怒りに満ちた大きな声を出して、
そんな行動を取ったので騒がしかった教室内が一瞬で静まり返ったという。

誰も、こんないつものちょっとしたおふざけで娘の怒りが爆発するなんて思わなかった。
先生もそうだった。
でも、娘にとってそれは最重要事項で禁忌だったんだろう。




そして、私にはもうそれ以上に気になって仕方ないことがあった。
娘はいったい、なんと書いたのだろう。
娘はいったい将来何になりたいのだろう。

そんなに見られたくないものなのかな。
それと同時に何故か旦那に対して
「だから公立はやめようって言ったのに!」
という怒りが涌いてきた。

まあそれは今は関係ないので、
家帰って顔見たら思い出して言おう。


それから保健室から娘を連れ出すことに。
娘は「ごめんなさい」と謝ってきたけど、

私は
「謝る人が違うわ。椅子で殴りつけたって? ちゃんとその子には謝ったの?」

「ううん、まだ……」

「そう……明日頑張って謝れる?」

「……がんばる」


背中が丸まって小さくなってしまった娘の姿がいたたまれない。
私もいつかこんな風に怒られたことあったっけ……。
ため息が出てしまうのを堪えて飲み込む。



「うん、よし。今日は帰りましょ」


娘のランドセルを担いであげる。うっ、意外に重いわね。
夕焼け空の下、しょぼくれた娘と家に向かって歩き出そうとしたところ……。



「すみませんでしたぁぁ……!!!」



と目の前に割り込んでくるおば様が1人。
ぱっと思い出す、たぶん相手の男の子のお母さんかな?

それにこの顔、何回か見たことあるのは授業参観ね。
授業参観にも関わらず、
いつも通りはしゃぐ男の子を「前向きなさい!」と
殴りつけにずかずか教室のど真ん中を歩いて行ったパワフルお母さんだ。




あまりの急な登場にたじたじの私と娘だった。
そして、すぐにパワフルお母さんがギロリと睨みつける方にはトボトボと歩く少年が一人。

あの子が相手なんだ。
隣で娘が緊張に強ばるのが痛いほど伝わってくる。

こういう時、世の中のお母さんはどうするのだろう。
もっと世間一般のドラマを見ておくべきだったし、出演するべきだったなぁ。

とは言え、私の娘が先に手をあげてしまったのは事実。
謝るべきところは謝らないといけない。


「い、いえ、こちらこそうちの娘が申し訳ございませんでした」



パワフルお母さんの勢いに圧倒されて少し口ごもってしまったけれど、
ピシッとした姿勢と態度で頭を下げる。

娘よ、母はあなたのために今頭を下げています。
という娘に対しての意思表示も込めていた。
私の服の袖をぎゅうっと掴む強さが増したのでたぶん伝わっているのでしょう。


その後、相手のお母さんはすごい速さで少年を目の前に連れて来て、
頭を押さえつけるようにしながら何度も謝り続けた。
さすがの娘も耐えきれず自分からちゃんと謝っていた。

我が娘ながら人に頭を下げることの勇気を学んだ成長の瞬間に立ち会えて、
私はまた少し感動するのだった。



その感動をしみじみと味わいながら帰りの道を歩く。
陽は沈みかけで空は真っ赤に燃えているようだった。
なるべく私の方から気が紛れるような会話を続けていく。


今日何食べたい?

ママはコロッケ食べたいかなー。どう?

そういえば、今日のドラマ楽しみじゃない? 続き気になるもんねー。



どれもこれも生返事の娘だった。

それに私も、じっと頭に残っていたのは娘が一体将来何になりたかったのか、だった。

それをその時、娘の口から聞くとは私は思ってもいなかった……。









「ママは笑わない?」


「ん? 笑わない」


「絶対?」


「うん、絶対」



「私ね、大きくなったら――――になりたい」



「そっか……。うん、応援する」




初めて聞いた。
知らなかった。
そうだったんだ。




じゃあ私、――私がまず頑張らなくちゃ。
志保は……たぶんこれを知ってこの仕事のオファーを受けたんだ。
だから娘を連れてこいとか言ってたんだ。
全部がつながっていく。
教えてくれたら良かったのに……。


「ねえ、ママはどうして引退したの?」

私はいつもこの質問にはこう答えていた。

「あなたと出会うためよ」

少し我ながら臭い答えで言う時にいつも半笑いになってしまうのだけど、
あの日ばかりはこの質問に本当のことを答えた。




「トップっていざなってみると、あれ?ってなったの。

だってこれまで目指してきたものに実際になってしまって、困っちゃったのよ。
トップの次は何になればいいんだろう?

どこに行けばいいんだろう? 
私がなりたかったアイドルってなんだったんだろう? 

子供の頃に夢見てたあのアイドルになれたら
どんな思いをするんだろうなんて考えなかった。

ただ、なりたいという思いでなってしまって……。
でもそれで満足だったの。
嬉しかったし自分の夢が叶った!っていう。

燃え尽きたって言うのかな。

でもね、あの時私の周りにいたライバルたちは
どういう思いをしていたんだろうっていうのも考えたの。
きっと悔しい思いをしたし、
すぐにでも私を追い越そうと努力を重ねる人たちが
たくさん出てくると思ったし、実際に出てきた。

私は自分がトップであるという場所から引きずり降ろされるのが嫌で、怖くて、
だから引退っていう逃げ道を作って逃げたんだと思う。

目的が分からなくなって、
それでも心の中にある満足感に導かれるままに引退を決意したの。

ママはね……結局怖くなって逃げたんだ。
なんか、……うまく言えないけど、
その場所にいるのが急に怖くなって逃げ出したんだ……」





最後、私は冗談っぽく半笑いで誤魔化すように言ってしまったが、
全部本当のことだった。



「そっか。……どんな景色だった」

「景色……か。それは口で言っても分からないかな。実際に見ないと」

「そっか……。あのね、ママの曲でさ」

「うん」

「Catch my dreamって曲あるじゃん」

「うん」




娘は何か言いかけて、
言おうか言うまいか迷いながら、
独り言のように言った。




「……良い曲だよね」

「……うん、私もそう思う」



それだけ言うと娘はまた強く私の服の袖をぎゅうっと掴んだ。
たぶん、私はこの日のことを絶対に忘れることはないと思う。





第五章 新しい発見




……ここまでとは。


流石にそこまで露骨に悔しがることはなかったが、
スタジオは静まり返り、シーガールズの女の子達は驚いていた。

私たちは荒削りでありながらも、
かつての焔を宿した熱いパフォーマンスを見せた。
唄い踊りきった私達ですら最後キマった時に確かな手応えを感じていた。


しかし、誰も何も言わない。
彼女たちの世界ではこれが当然なのだから。
ここがスタート地点なのだから。
だけど、確実にみんなの中で私たちの認識は変わりつつあった。




昔流行ったおばさん達から、
本気出したらそこそこやってくれるおばさん達くらいになったのかしら。


まあ、多分志保もそうだけど、これがかなり限界で
……肩で息をしているのを気合いで隠しているけど、
一番最初に私たちに突っかかってきたあの子には見透かされていると思う。

でも周りが「すごい……!」となっているムードを崩すことはなかった。
これから練習をしようというのに志気に関わるからだろう。


前の練習の時には居なかった羽村さんが飲み物を持ってきてくれる。
あまりにも強引にグイと渡してくるものだから受け取ってしまう。
全力のパフォーマンスのあとでそれを突っ返す気力はなかった。



「あの、凄かったです! 私、前の練習の時は来れなかったんですけど、
 今日生でパフォーマンスを見れてやっぱり感動しちゃいました!」


「ありがとう、あとで飲み物のお金払うわね」


「いいんです! これは生でパフォーマンスが見れたことに対する観覧料ですから!」


そう言って眩しい笑顔を私と志保に向ける。観覧料て……。
私達はそんなお金取れるパフォーマンスでは無かったわ。
まだまだ荒削りの駆け出しレベルだと思う。





「でも私たち、かなり限界で、今みたいなパフォーマンスは出来て一日に一回までよ」


「それでも十分すごいものだったので、やっぱりすごいです!」



そう言っているところで他のメンバーに呼び出されて
羽村さんは目の前から居なくなってしまった。
志保は入念に脚関節をストレッチしていた。



「志保?」


「膝、ちょっとやばいかも」


昔なら「なんでもない」とピシャリと言われてしまったなぁと、
座りながらストレッチする志保を見下ろす。




「どのくらいいける?」

「今日はもう、あとは緩めね」

「うん。私があとは話してくるからゆっくりでの合わせにしましょう」




私は単身でシーガールズの元へ行き話をする。

志保が脚の不調を訴えている。
今日ここでこれ以上の無理は出来ない。

でも先に進めないといけないので
全体の合わせの動きは入れたいからゆっくりでもお願いしたい。
ご迷惑ばかりかけて申し訳ない。

そう、私は最後頭を下げた。
なんだか最近、頭を下げてばかりね……。



それを横で聞いた羽村さんは
すぐに鞄からアイシングパックを取り出し志保の元へ駆けつけた。
慣れた手付きで処置を施していく。


「ありがとう……」

「はい! 私ドジなんでよく脚とか怪我しちゃうんです。
 だから、こういうの結構持ってるんですよ」


羽村さんの無邪気な笑顔を見る志保は驚きはしたが、
そのあとすぐ優しい笑顔を見せた。

あれはかつて星梨花に見せていた笑顔だったなぁ。
変わらないなぁ。ああいう真っ直ぐすぎる子が志保は大好きだった。



「私も……先日はすみませんでした」

「え!?」


シーガールズの子は私に頭を下げた。
意外だった……。
先日の件もあるから
「これくらいまあ普通ですよ、全く迷惑ばかりかけて……!」
とか怒られると思っていた。


「正直……出来ないと思っていました……」



私だってもう出来ないと思ってた。
でもあなた達とのこともそうだけど、
私の中で譲れない出来事があったというだけ。

何よりも私の中で火がついた。
どうしてもやらないといけないことができた。



「私……クレシェンドブルーさんのライブ行ったことあるんです」

「え!? そうなの!?」



羽村さんは明確に私にファンだって言ってくれたけど、
もしかしてこの子も……。



「始めはすごく嬉しかったんです。
でも初めての会議での顔合わせの時、
……なんていうか時間って残酷だなって。
私勝手にショック受けてました」


要するに変わり果てた私の姿に残酷だなって思ったわけね。
老いって確かに残酷よね……。
それは私も今回のことで痛いほど身にしみたわ。


「わかるわ……。老いって残酷なのよ。
私、今すっごく我慢してるけど、
肩で息してるの必死に隠してるの」



と、ゼーハー言うのを我慢しなくなって、
私がぐったりしだしたらその子は目を丸くして驚いていた。

この子だって芸能界に入ってそれなりにやってきたはずだろうに、
でも私はこの子の夢を少し壊してしまったのかもしれない。
そのことには少しだけ罪悪感が湧く。


「勝手に幻想押し付けて……すみませんでした。
でも、それでもあの時の御二人は、クレシェンドブルーは……やっぱり健在でした」


その時、鋭い目をしていた目の前の子は、
アイドルに憧れを持つ夢を見る女の子ようにキラキラした瞳を見せた。




正直、この時に少し後悔していたが、もう遅かった。
これを境にこの日の練習で休憩を挟むたびに
「実は私もファンで……」
という子がポロポロ出てくるのだった。

もしかしたら私は自分がやった功績というのを
あまりにも過小評価し過ぎていたのかもしれない。

私はそれほどの影響を後世に与えていた……? 
だとしたらとても光栄なことだけど、
今の私の姿はとてもじゃないけれど、
そんな子たちに顔向けできるものじゃない。
それがとても心苦しいだけだった。


すごいアイドルだった、という自覚も無いに
等しい私の現在はどこにでもいるただの主婦。

今の進化したアイドル業界の前線を進み続けている
この子たちの方が私よりもよっぽどすごいことをしているのに。
もし私がこの時代で14歳だったら……果たしてついて行けた分からない。




志保はこの子たちを練習終わりに掌返しだと私にだけこっそり非難した。
昔ならその場で突っかかって猛烈に非難していただろうに。

私は「そうね」とだけ返した。
「何笑ってんのよ」と肩をペシッと叩かれたけど。


私達は羽村さん経由でほぼ全員の連絡先が繋がり、
私や羽村さんを中心に集まれるメンバーが集まって練習をするようになった。

その練習の合間には決まって
アイドル業界がどんな風に変化していて、
私達がどのような功績を残したのかというのが良く語られていた。



羽村さんはそのあたりにとても詳しく教えてくれた。

クレシェンドブルーというユニットは
現代アイドルの基礎とも呼ばれるパワフルなダンスと歌と
そのストイックさ、それからファンへの誠実な態度。

しかし、決してファンに近づきすぎることもなければ、
ファンを無闇に近づけさせない絶対王者の風格を持っていたという。

子供の頃でもその歌やパフォーマンスの鋭さや荒々しさはビリビリと伝わっていた。
まさに女子が憧れるカッコイイ女子がそこに詰まっていたという。
その頂点が私と志保だったらしい。
特に私と志保のダブルセンターの曲に対しては
「あのバチバチ感がほんっとうに堪らないんです」と言っていた。



正直、ただ……本当に不仲だっただけで、
バチバチ感を演出していたわけではなく、
本当にバチバチしていた。

さすがに私はこれ以上彼女たちの夢を壊したくないなぁ
と思い演出ということにしておいた。
私と志保が完全に和解したのはユニット解散後なのだけど、
舞台裏では手を取り合い崖を登るCMが如く熱い協力プレイがきっとあるんだろうと思われていた。


また、私達がシアターという大きな拠点で
月に1回の定期公演をするという基盤も
その後のアイドル業界では大きく影響されていた。

そのおかげでアイドルが常駐するタイプの劇場が
全国に乱立しては多大な借金と共に消えていくということが跡を絶たなかった。
皆が一攫千金を狙い、外せば相応の地獄を見る。



それはこのシーガールズというアイドルたちも決して他人事ではない。
私達は本当に偶然生き残ったに過ぎないんだ、と。運が良かったんだと。

借金に溺れ表の業界から姿を消した子たちは何人もいる。
昨日共演したはずの他所の事務所の女の子が
今日になったら居なくなっているなんてことが時々あると聞いた。


そういう過激になっていくアイドル戦国時代は誰もが
唄って踊れるだけじゃない”何か”を求めてもいた。

例えば、私達の同期に居たロコというアイドルのようにアイドル×アーティスト、
例えば舞浜歩のようにアイドル×ブレイクダンスといったような世間の認知を欲していた。


世間はもういつの間にか、
可愛い女性というのは全員唄って踊れるが前提になっていて、
そこに何を付け加えられた人なのかを見るようになっていたという。

それもこれも奇人変人の集まりだった765プロシアターのメンバーが原因だったという。

それはなんというか、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
世界各地で活躍するようになったシアターメンバーたちが
日本の常識をじわじわと塗り替えていったのだそうだ。




私は割と早い段階でアイドル業界の頂点に立ってしまって引退したので、
そういう情勢の変化を全くと言っていい程知らなかった。
当然志保は知っていたようだけど。


志保はユニットで活動している内からそういうのを
肌感覚で感じ取って女優路線に転向したのかもしれない。

あの子のことだから天性の勘で生き抜いているんだと思う。
もしくはこういう激化するアイドル業界とは
少し違う女優業に逃げ込みたかったのかもしれない。


でも私はこの話を聞いて、怖い業界になってしまったなぁ、だなんて思わなかった。

むしろ面白い業界になったと思う。

隙間を見つけて、パイを奪い合う、そういう競争の激しい場所になったんだ。
私ももう少しやっていれば良かった……。
そう、純粋に思ってしまった。



私はどんなアイドルになっていたのだろう。




シーガールズの女の子たちはこの業界のことをみんな熟知している。
よく勉強しているし、よその事務所のライブ情報も詳しく知っている。
アンテナの強度が主婦に成り下がった私とはまるで違う。

隙あらば喰らうつもりで狙いに行っているし、
こちらも狙われている覚悟がある。
だからこの子たちもこんなおばさん相手になんてしていられなくて、
激化するこの業界で生き抜くのに必死なんだ。


そうだ、私だって自分の時は自分のことで精一杯で、
昔流行った人の歌やパフォーマンスなんて興味なかったし、
見向きもしなかった。
でも、覚えているものがある。

気迫。

彼女らの真っ向から向けられた敵対心。
若い者には負けないぞ、という強い意思は確かに感じていた。

もしかしたら私はその気迫に負けて目をそらして
そっぽを向いていただけで勝ったつもりでいたのかもしれない。
そういう意味では、私達のパフォーマンスを見て
心を改めて非を認めたシーガールズの子たちの方が何倍も強い子たちなんだ。



何もかも、今を走り抜くこの子たちや、志保には敵わないんだ。





――そうやって練習しながらあっという間にリハを終わらせて本番に望んでいた。



当日の朝、昨晩は早めに就寝したはずなのに、何度も目が覚めた。


寝ることを諦めた4時過ぎに熱い紅茶を淹れた。
なんとなく志保にLINEで「今日はよろしく」と送ってみる。
送った瞬間に既読がついたのでびっくりした。


数秒後に

「びっくりさせないで」
「よろしく」
「起きてたの?徹夜?」

と矢継ぎ早にメッセージが飛んでくる。




「違う」
「ねれないだけで。もう起きてようかなって」


「まあ本番は夜なんだからあんまり体力使わないようにね」


それ以降私は了解と書かれたスタンプを1つ送って、
椅子に座ったまま「ふぅ」とため息をつく。

薄暗い部屋に素足がひんやりとする。
それでも寝れる気がしなくて、私は自分の昔の動画を見始めた。

何でも良かったはずなのに、自分の動画だった。
この頃、本当に仲が悪かったのに、
腕組む振り付けや目を合わせるものがやたらあったなぁ……。



フェスの会場で大雨の中でやったこともあった。
びしょ濡れになりながらやった。
懐かしい。麗花さん意外風邪引いた気がする。


星梨花の成人記念のライブもやった。
メンバーそれぞれ成人する度にやっていた恒例行事ではあったけれど、
この日のお客さんやメンバーの泣き方が異常だったのはよく覚えている。
星梨花はそれに対して慌てるばかりだったけれど。


765プロシアター全員が参加するアイドル運動会にチームで出たことがあった。
あの時は星梨花のカバーをするのに4人が必死になっていた。
結局優勝はできなかったけれど。
確か私と志保が協力競技でグダグダだったせいで負けた気がする。




太陽が登ってくるのがカーテン越しに分かる。

こういう時間になってやっと眠気が襲ってくるものよね。
大あくびを1つして、いつもセットしてあるスマホのタイマーが鳴るまでの時間を見る。
あと1時間か。
少し寝よう。いややっぱり最後に振り付けの確認しようかな。
椅子に座ったまま鼻歌でスローテンポにした振りを始める。
カーテンの隙間から漏れて入ってくる朝日がスポットライトのよう。




そのスポットライトの向こうに輝く星の海を幻る。






――て。



――起きて。




「ママ?」

「へっ!?」



気が付くと私は椅子に座って眠っていたらしい。
いつも起こす娘に、起こされてしまった。

あとで聞いたらいつもなら起こしに来るママが来ないから
おかしいと思って自分で起きてきたのだという。
じゃあいつも私が起こさなくても自分で起きれるんじゃない……。



「もう、朝ご飯はー?」


と、娘は急かすように私に言う。
娘には近い内に朝ご飯は自分で作ってもらうようにしようかしら。

娘の誰に似たんだかお小言が聞こえてくる。

「今日本番なんでしょう」
「こんなところで寝たらだめってママがいつも言うのに」

私はごめんごめんと言いながら起き上がる。
少し身体が痛かった。


いい加減朝食の支度をしないと、出しっぱなしにしていた紅茶に手を伸ばす。
あれだけ出ていた湯気はすっかり消えて、口をつけても冷たくなっていた。
それでも勿体無くて口に流し込んでから流し台に軽くゆすいでから入れておく。



朝食が出てくるタイミングですっかり身支度の終わった旦那が卓につき、朝御飯を食べ始める。


「今日、本番の収録だから晩御飯遅くなりそうだけど、どうする?」

「ああ、そうか。食べてくるよ、そしたら」

「そう、分かった。よろしくね」

「母さん……頑張ってな」

「うん、ありがとう」


これまで何も言ってこなかった旦那だったが、
ここに来て少しだけ後押しをしてくれた。

でも別に「言ってくれたらいいのに」とは少し思ってはいたものの、
いざ本当に言われるとなると、嬉しくはあるけど、
底からパワーがみなぎる! という程ではなくてどこか淋しさを勝手に感じていた。

娘はとっくに食べ終わって朝の支度をバタバタとしていた。
あれほど昨日の夜に「明日の準備は終わったの?」と聞いていたのに。




「今日電車は大丈夫? 一人で来れる?」

「うん、そっちの準備は大丈夫」


本番は夕方からの収録。
ずっと前に私は休みを会社に出していたから
今日はゆっくりと収録現場に向かうことができる。
旦那も娘も家から出ていく姿を見送って、私はゆっくりと自分の準備をする。


――その日のお昼前。
またしても慣れないテレビ局の受付をする。
前に来たのはシーガールズの子たちとの顔合わせの時だったか。
その時には思わなかったのに、何故か今、テレビ局の廊下を懐かしいと感じていた。



楽屋では大御所に挨拶に行き、お久しぶりです、
と挨拶をする方もいればはじめましての挨拶の方もいた。

私自身も娘の影響で「あ~テレビで見る人だ!」という興奮を必死に抑えながら挨拶をする。

その中にはあの頃聞いていましたという方もいたし、
スタッフでさえも私の楽屋に挨拶をしに来る程だった。

楽屋は志保と一緒にしてもらっていたので、
志保の方ばかり見ている本当は志保狙いなんだろうな、というスタッフも紛れていた。

入ったばかりで挨拶に行けと言われたから来たみたいな人も楽屋にやって来た。

志保に
「あの時、スタジオの隅っこで怒鳴られてて、
正座させられていた坊主頭の男の子覚えてる? 
今ああなってるのよ」
とこっそり指さされ教えてもらった先には
筋骨隆々の坊主頭の男性が若い社員を怒鳴っていた。




私は視聴者だけが懐かしむための番組企画なのかと思っていたけれど、
それだけじゃなかったことをようやく分かった。

こうやってスタッフの間同士でも
懐かしいあの頃の話をしている様子があちこちで見られていた。

スタッフたちにとっても”あの頃”という
貴重な記憶の追体験は何よりも格別な味がするのだろう。
上の世代のスタッフたちは特にそうだったが、
どこか皆が心の中で同窓会を開いて楽しそうに仕事をしている。


リハーサル前に娘からのLINEが届く。

「学校終わった」
「今から電車乗る」

私はそれに「気をつけてね」とだけ返し、リハーサルに向かう。




私と志保は靴だけ本番用に履き替えて、
緩い服装のままスタジオに入る。

そこにはシーガールズのメンバーはすでに全員揃っていて、
私達にいつかの会議室で見せた軍隊式の挨拶をかますのだった。

志保はそれに対して「よろしくお願いしま~す」と緩い挨拶を交わす。

彼女らもその志保の様子もさすがに見慣れいるようで普通に志保に話しかける娘も居た。
ああ見えて案外後輩に好かれるのよね。実は面倒見がいいから。


「最上さん、今日はよろしくお願いします!」

「羽村さん、よろしくね。さすがに緊張してきちゃうわね」

「えへへ、大丈夫です! なにかあっても私達がいますので」


羽村さんは笑顔でそう答えた。
それから私達はリハーサルを粛々と行っていく。



一度通しで踊ってみようということでやることに。
私や志保はここを全力でやると本番で出来なくなるので
40%の力しか出さずに踊り切ることに。

それでもスタッフたちから「おお……」という声が漏れる。
ここだけで確かな手応えがある。


きっとうまくいく。


そう言えば、両親が住む実家に遊びに行った時に見せてもらった絵を思い出す。
私が子供の頃にクレヨンで描いた絵だった。
真っ白のひらひらの服に、手には黒いものを持っている。たぶんマイク。
頭の上からは黄色い光、スポットライトが私を照らしている。





今、私は志保とお揃いのデザインされた白いドレスを着ている。
メイクさんにされるがままにメイクされていく。
隣の志保は緊張しているのかあまり喋らなかった。
いや、たぶん私が緊張していて何も喋らなかっただけなのかもしれない。


メイクさんは私たちに「昔見てました」と
話題を振ってもらいようやく私も志保もポツリポツリと喋りだし、
最後には私の担当のメイクさん、志保の担当のメイクさん、
それから私達4人で大笑いしながら準備を勧めていた。


LINEを見ると「ママ、頑張ってね!」とメッセージが入っていた。


靴の紐を固く結ぶ。
志保は私を見て拳を突き出して言う。





「いつものあれ、頼むわ」


「ええ……行きましょう志保」


今、ここにいるのは2人だけ。
でもきっと届いてるはず、私達の絆は。





「ミラクル起こせ……!!」


「クレシェンドブルーッ!!」








第六章 ユートピア









あれから――。


地上波というのは恐ろしいもので、
仕事をしていても別の部署だったり
別の階の人だったりが私を見に現れたりするようになった。

おかげで同じフロアの誰かから「仕事に集中できない」とクレームを受け、
私は別室のほぼ個室みたいな部屋に異動させられてしまった。

何で、私ばかりそんな目に……と思ったが
上司や会社の人たちは私にとても丁寧に謝ってくれていたので、
仕事を奪われなかっただけまだ良いか、と思うことにした。



あの時のテレビの企画はテレビ局側からは大満足の行くステージだったそうだ。

結局のところ、私達がどれだけ気合いを入れようと視聴者が見たいのは
今をときめく若いアイドルや勢いのあるバンドサウンドだった。

番組の流れで言えば3時間もある特番の一曲に過ぎないことを
収録の段階でようやく思い知ったのだった。

若い世代にとって私達の番はせいぜいトイレ休憩タイムでしかなく、
お父さんお母さん世代には子供たちに付き合って見る中で唯一
「懐かしい」と楽しめる時間になったのだと思う。

私と志保が二人並んで唄い上げた”たった一曲”は、
私たちからしても成功したと言ってもいいものだった。
十分、私達はよくやった。

久しぶりに浴びるスポットライトは私を芯から熱くさせ、迎え入れてくれた。

それと同時に今の私には見合わない、不釣り合いな欲を持たせた。

もっと唄いたい。
もっとステージに立ちたい。
出来ることならこの一曲が終わらなければいいのに。




眩いばかりのステージの上から観覧に入っている一般のお客さんが見えた。

若い人ばかりで、
本当はこのあと控えている男性アイドルグループの方をメインに見に来たんだろうけれど……
それでもみんなテレビで見たことのある馴染み深い志保のことを目で追っている。

あの女優が目の前でキレキレに踊って唄ってるんだもの。
誰だって釘付けになるわよ。


そんな中で私の娘だけは私をじっと見ていた。

身動きひとつせずに真っ直ぐに見て来たので、
その視線を感じた私はすぐに娘に気がついた。


その目は「私のすごいママ」を見る目ではなくて、
「私がこれから超えないといけない目標」を見ているように感じた。



放送し終わったあとの世間一般の反応を見てみたが、
私のことは結局

「あの人だれ?」
「なんで北沢志保が一緒に唄ってるの?」
「北沢志保と一緒に唄っている人はだれ?」
という反応ばかりだった。
当然ね。

でもやっぱり中には
「もがみんだ!」
「懐かしい~」
「変わらないね」
「今なにしてるんだろう」という私宛の反応もちらほら見られた。

不思議なことに
「いまどこかでボーカルレッスンの先生やってるらしい」とか
「ピアノ教室の先生になってるらしい」とか色んな噂が飛び交っていた。

普通に一般企業でこっそり事務仕事してるだけなのだけど。
まあイメージのために黙っておこう。
というかどこで否定をしていいのか分からないし、
その場所も機会も無い。



志保はあれから歌の仕事がいくつか来るようになったのだとか言うが、
全て断っているのだそう。

でも舞台女優とか歌を唄う役の時は唄ったりしているとか。

「それは何の基準でそうしてるの?」
と娘が聞いたら志保はそれに対してこう言っていたらしい。


「役者としての私はそういう役を演じないといけないんだから、
 歌を唄う役だって言われたら、そりゃあ唄うわよ。
 でもアイドルとして唄えって言うんだったら話は別よ。

 私はクレシェンドブルーというアイドルユニットの一人。
 でもクレシェンドブルーは解散したの。だから唄わない」





娘はそう答えた志保に対して納得いってない表情をしていた。
唄えるんだから唄えばいいのに、と不満なのだろう。

でもそれを聞いた私はなんだかとても嬉しくなってしまった。

現役時代、何度も何度もぶつかりあっていがみ合って、
口論を繰り返し、実力でねじ伏せて、理論で説き伏せられて。

でも、あの子が居たからあそこまで私は来れた。
あの子と巡り会えたから今の私がある。

もし、現役の時、素直に認めあっていたら
もっと高みに行けたのかもしれない、なんて何度思ったことか。




引退兼解散ライブが終わりステージ裏で
メンバーを代表して志保から花束を貰う時、
志保は少しうつむきがちに言った。


「お疲れ。まあ……よくやったわ。すごくいいステージになったと思う。お疲れ様」


「うん、ありがとう」


持っている花を受け取ろうと手を伸ばした時、
志保は中々渡そうとしなかった。




どうしたのだろう? と思っていたら、
バッと顔をあげた志保は涙でぐしゃぐしゃの顔を私に向けて、
震える声で言った。



「あなたのことがずっとずっと大好きで、
 ずっと……ずっと羨ましかった。
 どうして……辞めるなんて言ったの! 
 ばか! もっと……ずっとあなたと唄いたかったのに!」


もう27歳にもなる頃だったのに、
志保は真っ先に声をあげて子供のように泣きじゃくった。

花束を持ったまま私に体当たりするように抱きついてきた彼女を見て
星梨花も茜さんも麗花さんまでもが泣きながら私にしがみついてきた。




「どうして今言うのよぉ……」


志保の持っていた花はすっかり押しつぶされて、
ぐしゃぐしゃになっていた。

ずるずると崩れ落ちる私達はその場でわんわん泣き続けた。
今でもこの日のことは思い出しては泣きそうになる。





あれから――。



そんな地上波出演に狂わされていた私の生活が
足音も無く徐々に戻っていく最中プロデューサーから連絡が来る。


なんでも私に会わせたい人がいるというので
都内の喫茶店で待ち合わせをして、
久しぶりにプロデューサーに会うことになった。

プロデューサーの横には見知らぬ女性が座っていたので、
この男もついに身を固めるのか、
と一瞬思ったがそんな報告を私に何故するのだろうという疑問とともに、
女性の顔を見た瞬間にそんな考えは吹き飛んだ。



野々原茜だった。



店に入ってくる私を見るなり「久しぶり~!」と甲高い声で泣きついてきた。



「あ、茜さん!? どうしてここに」


あの特番の時だって顔を出さなかったのに今になって何故……。宗教の勧誘?
しかし、その真相はプロデューサーが整理しながら話してくれた。


あの時、茜さんは病気で入院していて誰ともろくに連絡を取れていなかったのだという。
だからプロデューサーからの番組のオファーにも結局返事が出来ず、
出来たとしても断ることになっていたのだという。

というか、プロデューサーは茜さんが入院していることも
全て知っていた上で私や志保には話さなかったらしい。

……まあ理由は単純で私達がそっちを心配して練習が疎かになるからだという。
否定できないのが悔しいところ。

これに茜さんも「そうなるんだったら知らせなくていい」と同意したそうだ。


それから茜さんからは意外なことも聞いた。


「誰とも連絡が取れない状態だったのに、麗花ちゃんだけはお見舞いに来てくれたんだよね」


「麗花さんが!?」


生きていたんだ。そっか、良かった。
あの人がいまどこで何をしているのかも分からなかったし、
生きているのか死んでいるのかも分からない状態だったから、
それだけでも知れたのが本当に良かった。


「今はヒマラヤの近くで馬に乗ってるとか言ってた……」




茜さんは頭を抱えながら言っていた。
その気持はよく分かる。あのひとのことはやっぱり良く分からない。

茜さんは麗花さんとのツーショを見せてくれたが、
寝ている茜さんをバックに自撮りしている麗花さんだった。

お見舞いに来た日、夜に「ツーショ撮るの忘れた」と思っていた茜さんだったが、
寝ている隙に何故か戻ってきた麗花さんが撮っておいたらしい。

後日、いつのまにか加わってる写真に驚いてひっくり返ったと茜さんは言っていた。
麗花さんは殆ど変わっていなかった。
若々しく今でも透き通る声で唄っていそう。




「それから星梨花ちゃんは今は医療系の機器メーカーの主任だとかで
私の入ってた病院でその機械を使ってたみたいなんだよね。
で、星梨花ちゃんもお見舞いに来てくれたんだよね」


その時のツーショも見せてもらえた。
星梨花はすっかり成長していてパッと見ても星梨花かなんて分からなかった。
髪もショートでスッキリしていて、
ぴしっと着こなしたパンツスタイルのスーツがかっこよかった。



「茜さんは今は……?」



みんなが色々な所で元気にしていたのに、
茜さんは病気だったとか。
様子を見る限りは多少頬のあたりが痩せこけてはいるものの、
瞳に宿るパワーは昔と変わらない。
もうだいぶ良くなってきて回復していってるんだろうな。


「そう、よくぞ。よくぞ聞いてくれました。
 本題なんだよ、これが。
 今、実はタレント事務所も退所して、バーを経営しているんだけどね。
 そこでさ、唄ってみない?」


「えっ!? 私がですか!?」





茜さんはテーブルを飛び越すように立ち上がる。
確かに5年くらい前から地方の事務所に移って
そこでミニライブか何かしてるみたいなのことは聞いてたけど……
まさかそんなことを始めていたとは知らなかった。

聞くと茜さんは小さい箱を転々としていくうちに、
自分にあった小さい箱を持ちたいと思うようになり、
そこで売れない歌手やミュージシャンの発表の場や足掛けになるような場所を
作れたらと思うようになったらしい。

それでまずは話題性として私に来てもらうようにしたいとのこと。
回数はそれほど多くなくてもいいから、ということだった。


私はこの時、あの子達のことを思い出していた。
そして、何よりもステージに立ったときに感じてしまった物足りなさを、悔いた。
シーガールズというこの激化したアイドル業界を突き進む女の子たち。

あの子達から色々と現在の業界について教わるごとに「面白い」と
思うようになっていった私の気持ちが
この茜さんの言葉をきっかけにまた現れたのだった。



確かに、私にはシーガールズの女の子たちのように
大きなステージでド派手に立ち振舞、
鮮やかなパフォーマンスを決めることは出来ない。

でも茜さんの言うような条件で唄うならそれでもいいかもしれない。


娘に相談してみようかな。
志保に相談したら即決で「やれ」って言うに決まってるもの。
娘はなんて言うだろうか。


茜さんたちにはその場では答えを出さなかった。
こういう時にいつも出てくるのは娘の顔で、旦那の顔で……。
でも私の中ではもう答えは決まっていた。

話をしたら旦那は「やりたいようにやりなよ」と言う。
そういう癖に家事は未だにお風呂掃除くらいしかしないんだけど、
少しは手伝ってくれるようになるのかしら?



一方、娘は呆れたように言った。



「ママさぁ……全然引退する気なんて無いんじゃん。なんで引退したの?」


「子供の頃から見ていた夢をちょっとだけ描き変えただけよ」


「……描き変えすぎじゃないそれ?」




あれから――。



……私はまたステージに立つようになっていた。
でも今度は大きなカメラがあったり
たくさんのお客さんが居たりもしない。

数えられる程のお客さんがゆったりとお酒を嗜みながら、
こちらの様子を伺うように見ているだけ。

時にはピアノで、人の話し声の妨げにならない程度に、
緩く、他愛もない曲を弾く。タイトルなんて無い、
適当な即興の曲を弾く。





私は茜さんの誘いを受けることにして
週2度だけ夜の6時から都内のバーで唄っている。

演奏を手伝う茜さんを含んだジャズバンドのメンバーとも
だんだん馴染んできて、
演奏後は朝まで反省会と称してメンバーと飲んだくれるようになった。


志保は月1で顔を出す。時々夫婦で来るとか。

星梨花は半年に1度くらい現れるらしい。
でも深い時間帯に来て、1時間で2杯程カクテルを飲んだあとすぐに帰ってしまうとか。
まだ私は遭ってない。

それから国内からのクール便では
必ず熊とか猪とか鹿とかの肉が冷凍で送られてくる。
茜さんは「あらゆるところからうちの店宛になんか送りつけてくるんだよね」と困っていた。
嫌そうではなかったけど。




あれから――。


そうやって時々ステージに立つようにはなったけど、
相変わらず娘には口うるさく宿題をしろと言い、
旦那には小言をつい言ってしまう。

今日の晩御飯だってあとで電子レンジで
温めて食べられるようなものを作らないといけない。
今日は茜さんの店だから夜は留守にしてるし。


朝になってから支度をバダバタする娘に色々文句を言いながらも聞く。





「今日からでしょ? レッスン。場所は大丈夫?」


「うん、それは平気……。でもどうしようママ~、私全然センスなかったら……。着いていけるかなぁ……」


「何を今更……。大丈夫よ、今日からなんだから。一歩ずつ、ゆっくりね」



子供の頃に見ていた夢は漠然とアイドルになることだった。
アイドルになってからの夢はトップアイドルになることだった。
引退したあと、私がなんとなく描いていた幸せの空間は現実となり、ただ時が過ぎていった。

思い切り恋をして、好きな人と結ばれて、子供ができて、大切な家庭が出来た。
この理想だった私の生活を、描く夢を私はまた描きなおす。





あの日の夕暮れの帰り道を今でも思い出す。






「ママは笑わない?」


「ん? 笑わない」


「絶対?」


「うん、絶対」




「私ね、大きくなったら”ママみたいなアイドル”になりたい」




「そっか……。うん、応援する」









今夜、私はまたステージに立つ。
古くから知るメンバーが営むバーにある小さなステージ。

店の名前は”クレシェンドブルー”。



今日も私は歌を唄う。






おわり





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