『冬コミ用の新作を読んで欲しいの』
そんな依頼が、黒猫こと五更瑠璃から高坂京介に伝えられたのは12月初旬のことであった。
毎年年末に開催される同人誌即売会、冬季コミックマーケットに合わせて同人作家である黒猫は新作を書き下ろしたらしい。
それを読ませるとはすなわち、京介に対して何かしらの意見や感想を求めていると踏んだ彼は、自らのオタク知識の不足を気にしていた。
「本当に俺で良かったのか?」
「ええ、あなたに読んで欲しいの」
「桐乃とか沙織の方が詳しいと思うぜ?」
「あなたの意見が聞きたいのよ」
そこまで言われては読むしかなかった。
自室に黒猫を招いた京介は椅子に腰掛けて、手渡された原稿用紙の表題を見て眉根を寄せた。
「私の弟がこんなに可愛いわけがない?」
「所謂性転換モノよ」
性転換モノ。二次創作における定番である。
登場人物の性別を入れ替える物語の総称だ。
それはいいのだが、妙に題名が引っかかる。
「なあ、もしかしてこれって……」
「とにかく、読んでみて頂戴」
懸念を伝えようとするも、押し切られた。
嫌な予感しかしないのだが、覚悟を決めた。
ライトノベル調に何枚かの挿絵が添えられた、黒猫書き下ろしの性転換作品の項をめくった。
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黒猫の作品は姉弟をテーマにしたものだった。
主人公の女子高生には中学生の弟がおり。
目鼻立ちが整い、スポーツ万能な才色兼備。
対して姉は冴えない喪女という設定である。
そんな姉と弟は、幼い頃は仲睦まじかったものの、お互いが思春期になるにつれ疎遠となり、互いにどう接して良いのかわからなくなった。
そんな折、深夜寝ていた姉を弟が起こして。
『姉ちゃんに人生相談があるんだけど』
そう相談を持ちかけて、物語が幕を開けた。
「なあ、黒猫」
「どうかした?」
「なんかすげー身に覚えがある話なんだけど」
苦い顔をして京介が拒絶反応を示すと、勝手知ったる顔で彼のベッドに横たわり、うつ伏せで枕に顔を埋めた黒猫は、冗談めかした口調で。
「なんなら私が朗読してあげましょうか?」
「……いや、遠慮しておく」
どんな拷問だと思いながら、リタイアは認められないらしいと察した京介は、仕方なく自分達兄弟が題材となった二次創作物を読み進めた。
『俺のコレクション、どう思う?』
『率直に言って、身の危険を感じるわね』
作中の姉弟の会話に京介は同感であった。
ある日いきなり夜中に起こされ、弟の自室に向かうと大量のオネショタエロゲを見せられる。
男女の性別が逆転しただけで完全に事案だ。
「黒猫、もうギブアップしてもいい?」
「そこからが面白いのよ」
「どうせ親父に弟のブツがバレるんだろ?」
「貴方に先見の明があるとは知らなかったわ」
うるせと、悪態を吐きながら、懇願した。
「なあ、頼むからもう勘弁してくれよ」
「それじゃあさっき言った通り私が朗読するわね。『あのね、パパ聞いて。このゲームは私の物なの』『お前は自分が何を言っているのかわかっているのか?』『あーもう! ごちゃごちゃうるさいわね! 私はオネショタモノの成人指定シュミレーションゲームが大好きなのよ!』」
「もう家庭崩壊だろ、それ……」
その詭弁は兄だからこそ通用した妄言だ。
いや、妄言なので一切通用などしていないが。
とにかく、姉が口にしていいものじゃない。
「そもそもオネショタって……」
「あら、ご存知なかったかしら?」
むくりとベッドから身を起こした黒猫は、京介が見たこともないほど大人びた表情と口調で。
「京ちゃん。それを読み終わったら、今日はお姉ちゃんと一緒にお風呂に入りましょうか?」
「入るー!」
なんだよ、オネショタ最高じゃねーか! と。
単純で京介はすっかり頭が悪くて沸いてしまった男子中学生に戻り、瑠璃ねーたんと早くお風呂に入りたくて残りのページを一気読みした。
『姉ちゃん、もういいよ……』
父親や世間体に屈して、諦めムードな弟に。
『何言ってんのよ、全部お姉ちゃんに任せなさい。あんたの大事な物は私が守ってあげるわ』
『どうしてそこまで、俺なんかの為に……』
姉は普段は見せない熱い感情をぶちまけた。
『たしかにあんたは可愛げがなくて生意気で癪に障るクソガキだけど、それでもあんたは私の弟で、どんだけ冷たくされても、ムカつくこと言われても、どうしたって見捨てらんないのよ! だって私は、そんな弟を愛してるから!』
そうして弟のコレクションは救われた。
その趣味によって巻き起こる様々な騒動。
その度に、姉は弟の為に奔走し、解決した。
最終的には姉の幼馴染の男子と弟が取っ組み合いの喧嘩が勃発したものの姉弟姉が勝利した。
画して姉弟は末永く幸せに暮らしましたとさ。
「めでたしめでたしね」
「めでたいのか?」
「少なくとも、愛でたくはあるわ」
読了感はなんとも言えない。
京介は正直、げんなりしていた。
けれどまあ、これはこれでありかと思った。
「まあ、色々文句は言ったけど面白かったよ」
「ふふっ。気に入って貰えたのなら満足よ」
素直に面白かったと感想を口にすると自分の書いた物語が褒められたことが嬉しかったのか、黒猫は珍しく満面に微笑み、ちょいちょいと手招きをすると、近寄った京介の頭を撫でた。
「俺、オネショタに目覚めそうかも……」
「いいえ。あなたは既に目覚めているわ」
お得意の中二台詞で締めくくった黒猫に辟易としつつ、中二全開の姉キャラも存外悪くないと京介は思い、いやむしろ中二なのは作中に登場した弟であるべきだろうと、ぼんやり思った。
【私の弟がこんなに可愛いわけがない】
FIN
おまけ
「おまけ?」
「ええ、そうよ。でも気をつけて」
「なんだよ、どんな危険があるってんだ?」
「これより先は禁忌と呼ばれる禁断の闇の領域……覚悟のないものは呑まれてしまうかもしれない。努、そのことを忘れずにお読みなさい」
「禁忌なのか禁断なのかどっちかにしろよ……」
黒猫に課せられた苦難を乗り越えた京介は、さあ、瑠璃ねーたんとお風呂だー! と、息巻いたが、かつての元カノとの交際はとっくにの解消されており、また血縁関係の事実もなかったので、当然その約束が果たされることはなく、代わりにおまけと称された小冊子を手渡された。
「続編ってわけではなさそうだな」
「あくまで番外編よ」
物語に連続性はなく、姉弟は険悪なまま。
けれど、最初から互いに意識し合っていた。
冒頭からラッキースケベが連続する展開だ。
「意外だな、お前がこんなの書くなんて」
「私だって日々成長しているのよ」
「成長、ねぇ……?」
果たしてこの頭の悪い文章は成長と呼べるのだろうかなんて、失礼なことを考えながら首を傾げた京介を見て、黒猫は何やら誤解をして。
「ど、どこを見ているのよ!? いやらしい!」
慌てて定番のゴスロリ服のフリルに覆われた発育不充分な胸元を庇った黒猫に怒鳴り散らす。
「み、見てねーよ!? だいたい付き合ってた頃からちっとも成長してねぇじゃねーか!!」
「んなっ!? くっくっくっ……良い度胸ね」
ショックを受けたのも束の間、京介に侮辱された黒猫は怒りを通り越して逆に冷静となり、何やら不敵な笑みを浮かべ、舌舐めずりをした。
「な、なんだよ……急に笑い出して」
「あら私が怖いの? 京ちゃん」
「その呼び方はやめろ!?」
幼馴染でもない年下の女の子にガキ扱いされると京介はなんだか落ち着かなくて取り乱した。
「どうしたの、京ちゃん」
「だから、やめろってば……」
「お熱でもあるのかしら?」
ピトッと、ひんやりした手が額に触れた。
「ね、ねーよ! 熱なんか!!」
「でも京ちゃん、お顔が真っ赤よ?」
「あ、赤くねーし……」
「風邪の引き始めかも知れないわね」
「だ、だから風邪なんて……」
「お姉ちゃんがあっためてあげるからおいで」
「うん、行くー!」
もうダメだった。ダメダメだった。
年上の威厳だのプライドだのは捨ててきた。
再び馬鹿な中坊に戻った京介を見て、黒猫は。
「ふっ……他愛もない」
勝ち誇り、溜飲を下げて、ベッドに飛び込んできた京介をひらりと躱して、椅子に座った。
「ね、ねーたん……?」
「京介」
「は、はひっ!?」
「弟はね、姉の足を揉む義務があるの」
事ここに至ってようやく京介は罠に嵌められたことに気づいて、足を伸ばす黒猫に抗議した。
「ふざけんな! 幼気な男子中学生の3分の1の純情な感情を弄びやがって! お前は鬼か!?」
「つまり、3分の2は劣情というわけね?」
「ぐっ……!」
「さあ、早く足を揉みなさいな。劣情の塊」
残りの不埒な欲望を言い当てられた京介はそれ以上何も言えず、黙って黒猫の美脚を揉んだ。
「なかなか上手いじゃない、京ちゃん」
「黒猫、覚えてろよ……」
「弟に足を揉まれて、お姉ちゃん幸せ者だわ」
けっ。何がお姉ちゃんだっつーの。
京介は憤まんやるせない思いで一杯だった。
ちょっと美人で大人びているからって。
ちょっと綺麗な美脚だからって好き放題やりやがって、でもまあ、こんな姉貴が欲しくないと言えば嘘になるし、むしろ大歓迎だし。はっ!
「も、もう終わりだ!」
「あらそう? それは残念だわ」
名残惜しそうに足を撫でるのをやめなさい。
「ん? どうかした、京ちゃん?」
「べ、別になんでもねーよ……」
別に儚げな横顔に見惚れてなんかねーし。
別に足を揉んだ手からいい匂いとかしないし。
別れたことなんか全然後悔してねーし。
「続き、お姉ちゃんが読んであげようか?」
「……自分で読める」
「まあまあ、お姉ちゃんに任せなさいな」
そう言って黒猫は京介の隣に横になった。
「あ、あの、黒猫さん? 流石に添い寝は……」
「姉弟って設定なんだから変なことは禁止よ」
「わ、わかってるっての!」
ジト目をされた京介はもう何も言えなかった。
「それで、どこまで読んだのかしら?」
「たしか、この辺りだな」
「そう。それなら、物語は佳境に入ったわね」
「佳境って、いったい何が起きるんだよ」
「何もかも、よ。せいぜい期待してなさい」
キョトンと首を傾げる弟に姉は妖艶に微笑む。
『姉ちゃん! もうヤバイ! もう出ちまうよ!』
『外で出しちゃ駄目よ! 絶対許さないから!』
『俺だってそりゃ中で思い切り出してーよ! 』
『だったら我慢しなさい! あと少しだから!』
『だからもう無理だって言ってんだろーが!』
『あんたなら頑張れる! 私の弟でしょうが!』
『姉ちゃんにいったい俺の何がわかんだよ!』
『あんたも私の気持ちを考えて中で出して!』
『だからそうしたいのはやまやまだっての!』
なるほど、たしかに字面的には佳境であった。
「黒猫さん」
「何かしら?」
「これさ、絶対わざとだよね?」
「なんのことかしら。さっぱりわからないわ」
「明らかに読者を騙そうとしてんじゃねぇか」
「騙されるほうが悪いのよ。これは挑戦状よ」
汝、作者の意図を読み解くことが出来るか。
ミステリ作品は作者からの読者への挑戦状。
もっともこの作品はミステリではないけど。
それでも次のページで読書は度肝を抜かれる。
『ね、姉ちゃん! 早く出てきてくれよ!?』
『ま、待ちなさいよ! まだ拭いてないから!』
高坂家にひとつしかないトイレの個室前にて。
両親は揃って出かけており、家には姉弟だけ。
仲の悪い姉弟はトイレの中と外で怒鳴り合う。
『いつまで小便してんだよ、馬鹿姉貴!!』
『お、女の子は時間がかかるのよ馬鹿弟!!』
そうこれは親の居ない家で繰り広げる、姉と弟の禁断の情事などでは一切なく、ただ単純に。
『俺はもう、うんこが漏れそうなんだよ!?』
『うんこって言うな! おしっこかけるわよ!』
大と小、便と尿の、仁義なき戦いなのである。
『姉ちゃん、マジやばい! ほんと出そう!』
『だからすぐ出るから待ちなさいってば!』
『ちょっとだけ! ちょっとだけ鍵開けて!』
『嫌よ! まだパンツ穿いてないんだから!』
『パンツなんて穿かなくたって平気だろ!?』
『んなわけないでしょ! 馬鹿じゃないの!?』
切羽詰まった弟のもう限界に顔を真っ赤して抗議する姉は弟に対して異性として意識していることが丸わかりなのだがそれどころではなく。
『あっ』
『……えっ? 何よ、あって。どうしたの?』
不吉な吐息を扉ごしに耳にした姉は焦った。
『ねえ、ほんと大丈夫? 私、あんたのうんちパンツを手揉み洗いすんのほんと嫌なんだけど。あんたがうんち漏らす度にパパとママにバレるのが嫌だからっていっつも私のところに持ってくるのほんと迷惑なんですけど!?』
最悪の事態がよぎりまくし立てる姉であったが、扉の向こうからは一切何も聞こえなくて。
『ちょっと! なんとか言いなさいよ!?』
不安になった姉が堪らずトイレの扉を開けた。
『はい、ちょっとごめんくださいね』
『きゃあっ!? なんで入ってくんのよ!?』
『押して駄目なら引いてみた』
『ふざけんな! 早く出てってよ!?』
『誰が出ていくか! 出すまで出ないからな!』
ようやく開いた扉からスルリと弟が侵入した。
『姉ちゃん、ここは一時休戦しよう』
『まずは回れ右しろ。話はそれからよ』
『わかった』
休戦を申し出た弟に条件を突きつけ後ろを向かせて、ひとまず建設的に話し合うことにした。
『あのね、お姉ちゃん今トイレ中なの』
『見りゃわかるよ』
『わかるなら、外で待ってなさいよ』
『トイレの中と外じゃ精神的に差があるんだ』
『なにそれ、どういう意味?』
『廊下で漏らすのは人としての尊厳を失う』
『そうね』
『トイレの中なら間に合わなくても、まあいいか、姉ちゃん洗ってくれるし、と思える』
『ふざけんな! 自分で洗いなさいよ!?』
一刻の猶予もないのに呑気な姉弟であった。
『俺が漏らすと姉ちゃんが困るだろ?』
『あんたひとりで困ってなさいよ』
『弟を……見捨てるって言うのか?』
『中学生にもなって漏らす弟なんて知らない』
姉の冷たい言葉に、弟はむっとして言い放つ。
『よし、わかった。このまま漏らしてやる』
『は、はあっ!? ちょっとあんた、本気?』
狭い個室の中で後ろを向いている弟の臀部は丁度姉の顔の前にあって、冗談ではなかった。
『さぁーて、いっちょ世界を救ってくるか』
『やめて! お姉ちゃんの世界が壊れちゃう!』
泣きながら懇願する姉に弟はやれやれと首を振り聡明な頭脳で導き出した折衷案を提示した。
『なら、半分こしよう』
『は、半分こって、何を……?』
『便器に決まってんだろ?』
んなこともわかんねーのか? みたいな。
そんな風に弟に嘲笑われて、カチンときた。
何よ、中坊の癖に。オネショタ好きの癖に。
姉のプライドを刺激され後に引けなくなった。
『姉ちゃん、尻デカすぎ』
『う、うっさい! 黙れ! 気にしてんだから!』
とまあ、そんなこんなで姉弟は尻を突きつけあって、便器を半分ずつシェアすることに。
『ほんとにあんたは昔から忙しないんだから』
『仕方ないだろ。腹が痛かったんだから』
『どうせ拾い食いでもしたんでしょ?』
『いやたぶん姉ちゃんが作った昼飯のせいだ』
言われて姉のこめかみに冷や汗が流れた。
今日は両親が不在なので、昼は自分が作った。
少々焦げたり、調味料を間違ったけれど。
特に不満を言われなかったので安心していた。
『何よ今更……残さず食べたじゃないの』
『そりゃ食うだろ。残すわけないっての』
『でもお腹壊すくらい不味かったんでしょ?』
『うん。すげー不味かった』
やっぱそうかー塩と砂糖間違えたもんな、と。
はっきり不味かったと言われてしょぼくれる姉に、背中合わせの弟は再びはっきりと告げた。
『でも食うよ。どんなに不味くても残さずに』
トイレに響く真摯な弟の声音にドキッとして。
思わぬ不意打ちを受けた姉は、頬に手を当て。
すっかり火照った身体を必死に落ち着かせた。
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