長富蓮実「その名は、ハスラー♪」 (160)

P「中古ソフト屋でもなく、アニメショップでもなく、家電リサイクルショップか……いや、これは確かに盲点だ」

 島根へ出張に行く。事務所でみんなにそう言った時、神谷奈緒と荒木比奈の2人が、俄然興奮して詰め寄ってきた。

奈緒「あ、あのさ。島根には未だにLDとか売ってるとこ、普通にあるんだよな」

比奈「時間があったら、のぞいて来て欲しいっス」

P「LD? LDってつまり、レーザーディスクか?」

 俺はおもいっきり面食らう。今のこのご時世に、レーザーディスクだと?

奈緒「ああ。アニメでさ、DVDでは発売されてないけど、LDなら出てるのって結構あるんだよ」

比奈「有名どこだと、YAT!安心宇宙旅行とか、ミラクルガールズとか」

奈緒「そうそう! そういうの、見たいんだよ。時間があったらでいいからさ!」

比奈「お願いするっス! ハスラーさん」

P「……そのあだ名で俺を呼ぶな」

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 念のために言っておくと、この2人は俺の担当アイドルではない。
 いや。今はもう俺は、1人のアイドルも担当していない。

P「しかしまあ保証はできないが、時間があればな」

 とはいえ、口ではそう言ったものの、可愛い所属アイドルの頼みではあるわけだし、彼女たちとは気心も知れている。
 彼女たちの頼みだ、少しぐらい骨を折ってもよかろう――
 そう思ってはいたが、なかなかそういう店は見つからず、現地であちこち話を聞いて教えられたのはなんと、家電リサイクルショップだった。それも、地域密着の小さな店舗だ。
 その一角に、中古LDプレイヤーと共に雑多にLDが並べられている。

P「こりゃあネットにも噂だけで、のってないはずだ。さて……アニメのLD……ん?」

 見ればムーミンのLDの横に、懐かしいアイドルのLDが並んでいる。

P「ああ、懐かしいな。みんな今はもう大物だとか、大御所なんて呼ばれてるんだよな。あの頃は、みんな……若かったよな」

 古い記憶が脳裏をよぎる。思わずLDに手が伸びる。
 と――誰かの手が、俺の手と重なった。

蓮実「あ……ごめんなさい。どうぞ」

P「あ、いや。買うつもりはないんだ。ただ、懐かしくてつい……あなたこそどうぞ」

 言いながら可笑しくなった。
 相手は若い女の子だ。おそらく高校生ぐらいだろうが、そんな娘が、俺が担当していたような時代のアイドルに興味があるはずがない。

蓮実「いいんですか? では、お先に失礼しますね」

 なんとそう言うと彼女は、にこにこしながらLDを手に取ると、熱心にジャケットの表も裏も眺めている。

蓮実「あ、これ武道館ライブのLDだ。うわあ、フフフフフンフーン♪」

 店内は少しほこりっぽく、天窓から太陽の光が射し込んできて、それはチンダル現象を引き起こしながら控えめにキラキラと光っていた。
 その光の柱の中で、その娘は目を閉じてハミングをしながら、懐かしい振り付けを踊っていた。

 俺は一瞬、自分がどこにいるのか忘れた。
 舞台袖から見る、あの光景が目の前に広がったようだった。。
 アイドルが神聖視されていた、あの時代に自分が還ったような気がした。

蓮実「……あ」

 気がつけば、彼女は頬を赤く染めて俺を見ていた。
 そう、いつの間にか俺は彼女を凝視していた。

蓮実「し、失礼します」

 LDを胸に抱え、レジへと向かおうとする彼女を俺は必死で呼び止めた。

P「待ってくれ! 君、名前は?」

蓮実「え? あ、あのう……」

P「いや、俺は怪しい者じゃない」

 言いながら俺は、名刺を取り出す。
 久しく使っていない、プロデューサーやスカウトマンとしての名刺だ。

蓮実「芸能事務所? それも確か……あ、あの、もしかして有名なアイドル事務所の!?」

P「そうだ。君、アイドルに興味は……」

蓮実「はい! 私、アイドルが大好きなんです」

P「君も……アイドルをやってみる気は?」

 俺は、きっと彼女は大きく頷くだろうと思っていた。
 見るからに可愛い。そしてそれだげなく、清純な雰囲気。
 アイドルが好きだと聞き、きっと喜んでOKをしてくれると思いこんでいた。

蓮実「……私は……」

P「ん?」

蓮実「私が憧れているのは、今のアイドルじゃないんです。こういう……お母さんが大好きだった、昔のアイドルなんです」

 まるで隠れるように彼女は、LDを俺の前にかざしながら言った。
 なるほど。母親の影響か。
 それにしても、アイドルも様変わりした。
 以前のアイドルは、確かに日常からはかけ離れたイメージで捉えられていた。
 どこかおとぎ話のような……だがそれだけに夢に彩られた存在だった。

蓮実「もちろん。今のアイドルも好きです。みんな可愛いし、ダンスとか曲もすごく楽しいです。でも、私がなりたいのは……」

 そうか。
 この娘は、わかってる。現実を理解している。
 夢の世界から来たようなアイドル。
 一定の距離をおいて、応援してくれるファン。
 今はもう、そういったものはないのだ。
 時代の流れの移り変わりに、過ぎ去ってしまったのだ。
 俺だってそれは、わかっている。

P「とりあえず……名刺だけは、受け取ってくれないか。そして、もしその気になることがあったなら……」

蓮実「……あったなら?」

P「俺と、夢を育てよう……」

蓮実「……」

 彼女は少し考えるように目を伏せた。
 後から思えば、なんとも無謀な事を言ったものだ。後先など考えていなかった。
 だが、言わずにはいられなかった。
 いられなかったのだ……

P「君の名前は?」

蓮実「長富……蓮実です」

P「長富蓮実さんだね。覚えておくよ。そして……待っている」

 目を離さず黙っている俺に、彼女はしばらく困ったようにしていたが、やがてぺこりと頭を下げると小走りに去っていった。LDを抱えて。


奈緒「ど、どうだった!?」

比奈「めぼしそうなLDは、あったっスか!?」

 帰京して2人に詰め寄られ、あの時の記憶が蘇る。
 まるであの頃の雰囲気を。そのままに持った少女。
 長富蓮実のことを。

 あれから連絡はない。もしかと思って、久しぶりにケータイの電源を一日中切らずにいたのだが、俺のケータイが鳴ることはなかった。

奈緒「な、なあ!」

比奈「どうしたんスか? ハスラーさん」

P「……その名で俺を呼ぶな。いや、実は家電リサイクルショップにアニメのLDがあることはあったんだがな、2人が言ってたようなアニメはなかったぞ」

奈緒「そうなのか……ちょっと残念だな」

比奈「家電リサイクルショップっスか。なるほど、それは通販とかやってないはずっスね」

P「アニメって言っても置いてあるのは、ムーミンとかそういうのだけだったな」

奈緒「……え?」

比奈「……ムーミン?」

P「ああ。別に珍しくもないだろ、ムーミンとか」

奈緒「どんな……ムーミンだった?」

P「どんな、って……そういや、グッズとかで見かけるムーミンとはちょっと違ってた気がするな。ムーミンってジャケットに書いてあったからわかったけど、言われてみるとムーミンってあんなだっけかな」

比奈「ちょっと待つっス。もしかしてそのムーミンっていうのは……」

 スケッチブックを取り出すと、荒木比奈はシャシャシャという軽快な音をたてながらシャーペンで何かを描き始める。

比奈「こんな顔じゃなかったっスか!?」

P「ん? おお、そうそう。こんな顔のムーミンだったな。あれはなんだ? 海賊版か何かか?」

奈緒「比奈さん、これってやっぱり!」

比奈「間違いないっス! 幻の1969年の東京ムービー版ムーミンLDっスよ!!」

P「? なんだそりゃ?」

奈緒「日本で最初のムーミンのアニメなんだよ。色々あって、DVD化されてない上に、される見込みもない幻のアニメなんだ!」

P「色々?」

比奈「原作者と揉めたんス……そ、それよりもこのムーミン見たいっス! 今から買ってきて欲しいっス!!」

P「無茶言うな。もう帰ってきたんだから」

奈緒「あああ~! ハスラーさんに説明しておくんだった~!! まさかそんなお宝LDが、普通に売られてるとは……!!!」

P「1枚100円だったな」

比奈「うわああああああーーー!!!」

奈緒「島根、おそるべし……」

比奈「島根でお仕事がある機会を待つしかないっスか……」

P「もしくは、誰かが島根からやって来る時に……」

 言いかけて俺は自嘲した。
 まだ期待しているのか?
 あの娘からの連絡はない。
 俺だって、今からプロデュース業なんてできるのか?
 俺が!?
 今から!?

 時代は流れ、去っていくものだ。
 時計だって壊れれば針は止まる。だが、戻らない。
 今から俺が、プロデュースなどできるものか。

 あの娘にしてもそうだ。
 あの娘――長富蓮実の、夢見る世界はもうない。
 プロデューサーは、アイドルが夢見る世界へエスコートするのが仕事だ。
 だが、彼女の夢見る世界は……もう、ないのだ。

 その証拠に、みろ。俺のこのケータイだって――鳴らな……

 ♪♪♪~♪~♪♪~♪

P「!?」

奈緒「あれ? ハスラーさん?」

比奈「ケータイ鳴ってるっスよ?」

P「……」

 鳴るのか……鳴ったのか。
 俺は二つ折りのケータイを開く。知らない番号だ。
 もしかして……
 期待が高まる。

蓮実「もしもし? あの、私……」

P「長富さんだね!?」

蓮実「あ……はい。あの、先日……」

P「ああ。その気になって……くれたのかな?」

蓮実「まだ……迷ってます。でも……」

 迷っているということは、脈アリだ。

P「一度……事務所に来てみませんか?」

蓮実「え?」

P「ええ。なる、ならないはおいておいて、アイドルの実際の様子を見学に来ませんか?」

蓮実「見学……ですか」

P「そうです。それを見てから、色々と考えてもいいんじゃないでしょうか」

 しばらく電話の向こうで彼女は黙っていたが、やがて言った。

蓮実「では……お願いします」

 俺は、大きく息を吐いた。
 これは彼女をアイドルにする、第一歩だ。
 彼女と日時を打ち合わせると、俺は恐縮しながら口を開く。

P「ところで、その……上京する際にひとつお願いがあるのですが……」

蓮実「は、はい。なんでしょう?」

P「先日、あなたとお会いした店、覚えておられますか?」

蓮実「? はい」

P「あの店でですね。LDを……買ってきて欲しいのですが」

蓮実「? はあ」

P「その、ムーミンの」

蓮実「……あの、お好きなんですか?」

P「え?」

蓮実「その……ムーミンが」

P「あ、いやいやいや! 俺ではなくて、見たいと言っている娘がいるので」

蓮実「そうなんですか。わかりました、忘れずに持って行きますね」

奈緒「な、なあハスラーさん。もしかして今の……」

P「その名で呼ぶな! そうじゃないと……やっぱり買ってきてもらうのをやめるぞ」

 俺がニヤリと笑うと、神谷奈緒と荒木比奈は頷いて抱き合った。
 いや、俺も嬉しい。あの……長富蓮実が、やってくるのだ!


蓮実「大きなビルなんですね」

P「この中に、事務所もレッスン場も揃っている。寮は別の場所だが」

 一週間後、長富蓮実はやって来た。
 ふんわりとしたワンピースを着た彼女は、その雰囲気も相まって人目を惹く。今時のファッションとは一線を隔す、独特のセンスだ。
 それがよく似合っている。

蓮実「実は……ここに来る途中で、スカウトを名乗る人に声をかけられました」

 さすがに目が利く。
 これだけの可愛さと雰囲気を持った彼女だ、それは不思議ではない。

P「なんと答えたんですか?」

蓮実「いただいた名刺をお見せして、これからそこへ行くんです、と……」

P「先約を優先していただいて、感謝します」

蓮実「先に声をかけてくださったから来たわけではありませんよ? それに……まだアイドルになると決めたわけではありませんから」

P「ええ。それでも……ありがとう」

 少し照れたようにはにかんだ彼女。
 そういった仕草や振る舞いも、今時の娘とは少し違う。

蓮実「そういえば」

P「はい?」

蓮実「ハスラー、と呼ばれているんですね」

P「……誰から聞きました?」

蓮実「その、声をかけてきたスカウトの方が『ハスラーが先に声をかけてたのか……』と」

P「私自身は、その呼ばれ方を好ましく思っておりません」

蓮実「まあ、そうなんですか?」

P「ええ」

蓮実「なんだかかっこいいなあ、と思ったんですけど」

P「……」

蓮実「ハスラーってあれですよね、ビリヤードの……」

P「長富さん」

蓮実「はい?」

P「どうか……その名は、ご容赦願いたいのです」

蓮実「あ……はい」

P「事務所でも、みんなにそう呼ばないようにとお願いをしているので……」

奈緒「ハスラーさーん!」

比奈「その娘っスか!? ハスラーさん!?」

P「……その名で俺を呼ぶな」

奈緒「まあまあ。もう今更、変えられないよ」

比奈「じゃあなんて呼べばいいんスか? ハスラーさん、もうプロデューサーでもないっスよ?」

P「……うむ」

蓮実「ふふっ」

 見れば、両手で口元を隠しながら蓮実は笑っている。
 その仕草に、わかってはいても俺は引き込まれる。

蓮実「私も……ハスラーさんでいいですか?」

P「その名で俺を……」

比奈「あー、いいっスよ。みんなそう呼んでるし」

奈緒「それよりもしかして、島根から来た娘ってのは……」

蓮実「あ、はい。私だと思います」

奈緒「そうなんだ。じゃあ、これからよろしくな。あたし、神谷奈緒」

比奈「アタシは荒木比奈。一緒にがんばるっス」

蓮実「え? ええと、私は……」

P「2人とも、長富さんは見学者だ」

奈緒「見学?」

蓮実「今のアイドルの方って、どういう活動をしておられるのかを見せていただけるということで……」

比奈「アタシらの普段っスか?」

P「そうだ、良かったら2人で長富さんを案内してあげてくれないか。年も近い現役アイドルの方が、色々と話も弾むだろうし」

奈緒「ん、いいよ」

比奈「喜んでご案内するっス」

蓮実「あ。では、よろしくお願いしますね」

P「頼むな」


奈緒「と、だいたいこんなトコかな」

比奈「今はまだデビュー前っスけど、アタシらも売れてきたら忙しくなるんスかねえ」

蓮実「お2人はもうすぐ、デビューされるんですか?」

奈緒「ま、まあな。それでも自分がもうすぐアイドルになるとか、まだ信じられないけどさ」

比奈「アタシもっスよ。まさか、自分がアイドルになるとは思わなかったっスからねえ」

蓮実「そうなんですか? お2人とも、すごくお綺麗で可愛くて、やっぱり本当のアイドルの人ってすごいなあって思ったんですけど」

奈緒「あ、ありがとな。最初にスカウトされた時は、ちょっと半信半疑だったけど」

比奈「今は、アイドル目指して良かったと思うっス。あ、でも夏と冬のスケジューリングは大変そうっスけどね」

蓮実「お2人ともやっぱり、ハスラーさんにスカウトされたんですか?」

奈緒「ん? あ、いや。ハスラーさんはなんていうか、そういう立場じゃなくてアドバイザーみたいな人だからなあ。あたしらのプロデューサーの上司っていうか」

比奈「でも色々親身になってくれるっス。昔はプロデューサーだっただけあって、裏方に回っても気が利く人っスよね」

蓮実「今はもう……プロデューサーじゃないんですか?」

奈緒「? うん。蓮実ちゃんだっけ? 蓮実ちゃんがアイドルになっても、担当プロデューサーにはならないんじゃないかなあ」

比奈「もうあの通りのお歳っスからねえ」

蓮実「私……自分がアイドルになるなら、あの方に……プロデュースしていただきたいです」

奈緒「え……ハスラーさんにか?」

比奈「それは……」

蓮実「ですけど、私自身もまだアイドルになると決めたわけではないですし……」

奈緒「あ、でもそれはなった方がいいんじゃないかな」

比奈「っスね。蓮実ちゃん可愛いっスから」

蓮実「まあ、ありがとうございます。自分ではよくわからないんですけど、本物のアイドルの人に言ってもらえると、なんだか嬉しいですね」

奈緒「いや、ホントそう思うぞ」

比奈「一緒にアイドルやれたら、嬉しいっスよ」

蓮実「……はい。あ、そうだ、頼まれていたものハスラーさんにお渡しするの忘れていました」

奈緒「頼まれていたもの……? あ、もしかしてLDか!?」

蓮実「はい。ムーミンの」

比奈「それ、頼んだのアタシらっス!!」

蓮実「え? あ、そうだったんですか」

奈緒「見よう! 今から!! 今すぐ!!!」

蓮実「でも、LDプレイヤーがあるんですか?」

比奈「それがあるんスよ。この事務所には」


ちひろ「え? さっきの娘、ハスラーさんが担当されるんですか!?」

P「その名前で呼ばないで下さい……いけませんか?」

ちひろ「いけなくはないですけど……いえ、立場というものも考えていただかないと」

P「立場もなにも、俺はもう一線を退いたただの元プロデューサーですよ」

ちひろ「世間はそうは見ません! いい加減、それを自覚していただかないと」

P「……」

ちひろ「あなたが肩書きで呼ばれたくないとおっしゃって、みんなあだ名で呼ぶようになって。今度はそれも嫌だと……聞き分けのない子供みたいなことばかり」

P「う、うむ……」

ちひろ「そもそもですね!」

P「ま、まあそういったことは、今度ゆっくり……とにかく、長富さんがアイドルになるならその時は担当をするから……じゃあ!」

ちひろ「あ! 待ってくだ……もう!!」


奈緒「おおおー! フローレンじゃない。ノンノンだ!!」

比奈「動いてる大塚康生さんデザインのムーミンも、いいっスねえ!!!」

蓮実「うふふ。喜んでいただけて良かったです」

奈緒「すごいなあ、島根にはまだこんなLDが売られているんだな」

比奈「探せばまだまだ、ありそうっスよね」

蓮実「どうでしょうか……? 私はそういう目利きではないですし」

奈緒「蓮実ちゃんも、いい意味で古風っていうかあたし達とは違う雰囲気があるよな」

比奈「親しみやすいのに、ちょっと近寄りがたい空気があるっスよね」

蓮実「……そう言っていただけるのは嬉しいです。私……昔の清純派アイドルに憧れているんです」

奈緒「それって80年代ぐらいの?」

蓮実「はい。でも……今、そんなものを求めている人がいるでしょうか……私がそれを目指しても、誰からも必要とされていないとしたら……」

比奈「いるに決まってるっスよ」

蓮実「え……?」

比奈「アタシら、今こうして初めて昔のムーミンを見たっスけど、先入観なしにいいと思うっスからね」

奈緒「うん。あたしアニメ好きだから、昔とか今とか関係なくいいものはやっぱいいからな」

蓮実「……このレッスン場、驚きました」

奈緒「ん?」

蓮実「LDプレイヤーが、置いてあったので。友達の家とかにもないですし、もううちの家だけにしかないのかと」

比奈「カラオケでLDがけっこうあるっスからね。あたしらもレッスンや遊びで、たまに歌うっスよ」

蓮実「それこそ都会の東京には、もうないのかと思ってました。ここに……私の居場所がある、そう言われてる気がしました」

奈緒「……な、なあ」

比奈「良かったら、一緒に……アイドル、やらないっスか?」

蓮実「……ハスラーさんが、プロデューサーになってくださるなら」

奈緒「うーん」

比奈「それは……」

P「いいだろう」

奈緒「え!?」

比奈「あ、ハスラーさん!?」

P「今日から俺が、長富さん……いや、蓮実のプロデューサーだ」

蓮実「よろしいんですか?」

P「ああ。いや、こちらこそよろしく頼む」

奈緒「……え?」

比奈「ちょ……事件っスよ。こりゃ、ちょっとした事件っスよ。ハスラーさんがプロデューサー復帰っスか!?」

P「大袈裟なこと言うな。俺は別に大したプロデューサーなんかじゃない。だが……」

蓮実「え?」

P「いや、だからこそ……いいのか? 俺で」

蓮実「ハスラーさんは、私に言いましたよね。『一緒に夢を育てよう』って」

P「? ああ」

蓮実「私をトップアイドルにしてやる、とか、夢を叶えてやる、じゃなくて。一緒に……夢を育てようと言ってくださいました。私はそれが、嬉しかったんです」

P「そうなのか」

蓮実「一緒に、夢を育てる、そう言われたから私は電話をしたんです。その言葉が……嬉しかったから……だから、ここに来ました」

P「じゃあ……改めて、よろしく頼む。一緒に……夢を育てよう」

蓮実「はい。お願いしますね」

P「プロデューサーとしての俺のポリシーとして、プロデューサーは担当となったアイドルの為に、家族以上親身になる。というものがある」

蓮実「家族以上に……ですか?」

P「そうだ。今日から俺は、家族と同様以上に蓮実を大事にする。蓮実と、蓮実と俺の夢の為に、だ」

蓮実「はい。そのこと、私……覚えておきます。そして私も、がんばります。自分とハスラーさんの夢の為に」

 俺は少し照れて笑った。

P「……その名で、俺を呼ぶな」

蓮実「はい。ハスラーさん」

   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


『長富蓮実の日記』

 私、長富蓮実はアイドルになる事に決めました。
 自分の好きな、そして憧れの存在に……
 今はもう存在しない。そうわかっているものに、それでも私は……

 私の夢は大それていて、それでいて小さな、そういうものだと思っていました。
 その夢を見つけて、一緒に育ててくれる……その人がいてくれた事が嬉しくて。
 だから一歩を踏み出せた気がします。

 けれど……
 実はそれは、私が思っているほどには小さな事ではなかったようなんです。


   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

比奈「は、は、は、蓮実ちゃん!? 大変っスよ!! 大ごとっスよ!!!」

蓮実「はい?」

奈緒「し、新聞だよ! 見たか!? 見てないのか!?」

 事務所からそう離れていない寮に、蓮実と仲良くなった荒木比奈や神谷奈緒は何かにつけて訪ねている。

蓮実「新聞……あら? まあ!」

 スポーツ新聞を広げると、その片隅に小さく踊っていた文字は……

蓮実「往年の伝説的プロデューサー、電撃カムバック! 業界も震撼……中には、年寄りの冷や水との声も……まあ!!」

奈緒「ハスラーさんのプロデューサー復帰、もう知れ渡ってんだよ」

比奈「しかもそれが、新聞の記事になるっスねえ」

蓮実「あの……私、今更なんですけど、あのハスラーさんってそんな有名な方なんですか?」

奈緒「やー……あたしもよくは知らないんだけどさ」

蓮実「?」

奈緒「大御所歌手のSちゃん……あ、いやMさんっているだろ?」

蓮実「え? はい! 私、大ファンです!! カセットも大事に持ってます!!!」

比奈「カセット? あ、いやまあ、そのMさんのプロデューサーだったっスよ。ハスラーさんは」

蓮実「……え?」

奈緒「だからさ、Mさんの担当プロデューサーだったんだよ。昔」

蓮実「えええ!?!?!?」

比奈「ずいぶんとタイムラグがあったっスね」

蓮実「だって……ええ? 本当に? Sちゃんの? ハスラーさんが!?」

P「その名で、俺を呼ぶな」

奈緒「あ、ハスラーさん」

P「だからだな、その名で……」

蓮実「ハスラーさん!」

P「……だから」

蓮実「やっぱりハスラーさんは、偉い人だったんですね……すみません、今まで。何も知らなかったものですから」

P「……その記事か。つまらん記事だ」

 俺はまだ読んでいる途中であろうその新聞を、蓮実から取り上げパンと叩く。

比奈「そんな」

P「骨董品だと思っていたヤツが、まだ動いた。それだけの記事だ。なんの面白みもない」

蓮実「ですけど!」

P「こんな記事よりも蓮実、君だ」

蓮実「え……?」

P「長富蓮実が、これから羽ばたいていく。見てろ、デビューのあかつきにはこんな小さな記事じゃない。もっと大きな記事にしてやるからな」

蓮実「……はい! 私、期待していますね」

 その芸能裏面の小さなゴシップ記事に興味や関心を寄せた者は、実際ほとんどいなかった。
 荒木比奈や神谷奈緒は、旧知な上に蓮実のこともあり騒いでくれたが、かつての俺を知っている人間でも、その大多数は記事を読んでも「へえ」ぐらいの感想しか漏らさなかった。
 『ほとんど』だとか『大多数は』ということは、例外もいたという事だ。
 そう、1人だけ大騒ぎをした人間がいた。
 その人物については、また後で紹介することになる。
 それよりも蓮実だ。
 まずは基礎的な実力を知るため、本人に色々と聞いてみる。

蓮実「身体を動かすのは、嫌いではないですけど……得意というわけではないですね」

 ふむ。

蓮実「歌うのは好きです。お友達とカラオケとかにもよく行きます。そうそう、お婆ちゃんの家にはまだ、8トラのカラオケ機もるあんですよ」

 なるほど……8トラ!?

蓮実「お化粧はあまり……もちろんそれなりにはやってますけど……主にお母さんに教わっています」

 わかった。

 この娘はきっと、あの時代に生まれていたなら大成したかも知れない……と、ずっとそう思っていたが、実状はやや違う。
 俺がバリバリとアイドルをプロデュースしていた頃、蓮実のようなアイドル像は理想だった。
 お姫様のように品がよく、無垢で、世間知らずだが芯は強い……そういう娘だ。
 だが実際には、アイドルになろうという娘はそうではない――まあ、俺の知る限りは。
 口調は荒く、キツい化粧、そして態度。
 逆もいた。オドオドし、言われないと何もできない娘。
 それらの娘を、四苦八苦してアイドルにしていったものだ。

 しかしこの長富蓮実は、違う。
 島根という、未だにLDが売られているような環境のせいだろうか。
 あるいは、この娘の母親の影響だろうか。
 それとも、蓮実自身の資質によるものだろうか。
 いずれにしても、この娘は自然にあの頃のアイドルの理想像を体現している。

 それだけに、あの時代に蓮実が売れたかということには、疑問がある。
 無論、ある程度の名声は博しただろうとは思う。
 だが周囲は天然とか作り上げられたものとか関わりなく、蓮実と同じような娘ばかりだ。
 彼女らは、その中で少しずつタイプを変えて売れていった。

 蓮実は純粋な、これ以上ないほどの天然の原石だ。
 そこに一点の曇りもない、本物――
 正当派以外の売り出し方が、他の選択肢が、彼女にはないのだ。

 そして彼女は現代を生きる、今の少女だ。
 彼女も、そして俺も理解している通り、希少種どころか絶命危惧種だ。
 この今の時代に、彼女を売るには……

蓮実「レッスンですね。覚悟はしています」

 驚いたことに蓮実は、強い決意を秘めた表情で俺に言った。

P「覚悟、とは?」

蓮実「私みたいな娘がアイドルになるには、相当厳しいレッスンが必要でしょうから」

P「今蓮実が言った言葉通りの意味ではないが、現実的には厳しいレッスンになる」

 と、蓮実はそれまでの厳しい表情から一転、クスクスと笑いだした。手の甲を口に当てる仕草が、可愛い。

P「なんだ?」

蓮実「典型的な、ハスラーさんの言い方だなあって」

P「その名で、俺を呼ぶな」

蓮実「でも、蓮実とハスラーって同じ『はす』って言葉が入ってて、お似合いだと思うんですけど」

P「……いいか、蓮実はアイドルとしての素養を十分に持っている。だが、それは今のままでは宝の持ち腐れだ」

蓮実「まあ」

P「だからレッスンをするんだ。なに、腐れない宝にしてやる」

蓮実「いえ」

P「ん?」

蓮実「私にアイドルの素養がある、ってハスラーさんが言ってくれたのが嬉しくて」

P「……そうでなければ、君をスカウトなどしやしない」

蓮実「面と向かって言ってくださったのは、初めてでしたから……」

P「……そうだったか?」

蓮実「私……今日のこと、忘れません」

P「……なんと言っていいかわからん。レッスンを始めよう」

 そして実際に、総合的なレッスンをやらせてみてわかった。
 なるほど、蓮実は運動神経は悪くない。ただ、取り立てて良くもない。
 そして歌唱力は、高い。
 気持ちが歌にこもっている。

 これは、言えば簡単なことに聞こえるが、実際には難しい。
 上手く歌うとか技巧的な話ではない、しかも蓮実の歌うのは実体験が伴わない、昔のアイドルソングだ。
 今は身近な題材とか、等身大な自分を歌った歌が多い。
 しかしかつてのアイドルソングは、それこそ夢の世界の歌だった。
 蓮実はそうした歌を、気持ちを込めて歌うのが上手い。天才的と言ってもいい。

P「歌唱に関しては、下手にこちらがアドバイスとかしない方がいいかも知れないな。基礎レッスンだけでいい。細かな技術面も、それで覚えられるだろう」

 しかしその一方で、問題もある。

トレーナー「ワン、ツー、ワン、ツー。ハイそこでターン!」

蓮実「あ、えっと……きゃっ」ドスッ

P「……」

 レッスンの必要は、ここだな。

P「今日からは基礎レッスンに加え、さらに本腰を入れたレッスンにとりかかる。まずは重点的にダンスレッスンをおこなっていくからな」

 その言葉に、蓮実は強く頷くとポシェットからハチマキを取り出した。
 いや――ハチマキにしては長い。と、蓮実はそれを器用に肩から脇にかけて通すと背中で斜め十字に交差させて留める。

 なんと襷だ。それをワンピースの上からしている。
 こうなるともう、80年代だか昭和だかレトロだかなんだかわからなくなってくるが、蓮実がやると自然でしかも可愛らしくなるので何も言えなくなってくる。
 不思議なものだ。

奈緒「なあなあハスラーさん、しつもーん!」

P「俺をその名で呼ぶな。なんだ?」

奈緒「蓮実ちゃんはさ、レトロアイドルっていうか、80年代アイドルを目指してるんだろ?」

比奈「そうそう。ならそんな激しいダンスは必要ないんじゃないっスか? 蓮実ちゃんらしい、穏やかでふんわりした振り付けを……」

P「……」

 2人の言っている事も、わからないではない。
 だが……
 蓮実にはやはり、ダンスレッスンが必要だ。

P「基礎レッスンはトレーナーさんにお願いしていたが、それに加えて今日は特別コーチを頼んだ」

蓮実「はい。がんばりますね」

奈緒「特別コーチ? 誰だ?」

比奈「待つっスよ。なんだかいやーな予感がしてきたっスけど……」

若林智香「ひゃっほーぅ☆ 若林智香です。よろしくお願いしまーすっ!」

比奈「げえーっ!」

奈緒「智香ー!」

智香「ジャンジャーンっ☆ あ、あなたが長富蓮実ちゃんかな? 今日は一緒にダンスレッスンやろうねっ!」

蓮実「あ、はい。ええと、若林智香さんですね。こちらこそ、よろしくお願いします」

比奈「ちょ、ちょっと蓮実ちゃん!」ヒソヒソ

蓮実「はい?」

奈緒「逃げるんだよ! 今ならまだ間に合うから!!」ヒソヒソ

蓮実「え?」

P「若林智香さんも、3人と同じようにデビューを控えている候補生だ。だがダンスの実力では所属アイドル中でも1,2を争う」

蓮実「すごいですね。私、ダンスが上手く出来なくて……どうかよろしくご指導のほどを」

智香「あ、そんな堅苦しくならなくても大丈夫っ☆ 一緒に楽しく踊ればそれでO.K!」

蓮実「え? ええと……一緒に踊ればいいんですか?」

P「ああ。特別コーチとは言ったが、4人はまだデビュー前の同輩だからな。それに蓮実も基礎レッスンでダンスはやっている。一緒に踊ればそれでいい」

奈緒「それでいい、っハスラーさんは言うけど、その一緒に踊るってのが大変なんじゃないか……」

比奈「ま、待つっスよ。それよりもハスラーさん今、4人はって……」

P「うむ。2人のプロデューサーからも許可をもらってきてるぞ。いや、むしろよろしくお願いしますと言っていた。4人で集中ダンスレッスンだ」

智香「はいっ☆」

蓮実「はい!」

奈緒「えー……」

比奈「なんでこんなことに……」

~3時間後~

比奈「蓮実ちゃーん。生きてるっスかー?」

蓮実「……はい……なんとか……」

奈緒「無茶だよハスラーさん。蓮実ちゃんに、こんなハードなダンスレッスンなんて」

蓮実「そう……でしょうか?」

比奈「蓮実ちゃんには蓮実ちゃんなりの、蓮実ちゃんに合ったレッスンってあると思うんスよ」

奈緒「だよなー。こんな床に突っ伏して、動けなくなるようなレッスンに意味なんてないんじゃないのか?」

蓮実「これは、私がふがいないからです。ハスラーさんのせいじゃありません」

比奈「……まあ」

奈緒「蓮実ちゃんがそう言うなら……」


比奈「どういうことっスか!?」

奈緒「蓮実ちゃんが言わないならあたしらが言わせてもらうけど、あんなハードなダンスレッスンになんの意味があるんだよ!!」

P「なんだ、藪から棒に」

比奈「ハスラーさんは、もっと話のわかる人だと思ってたっス」

奈緒「あたしらの時みたいに、もっと蓮実ちゃんに親身になってあげてくれよ」

P「言っておくが、蓮実の為だ」

比奈「蓮実ちゃんに必要なんスか? ダンスレッスンが」

P「ダンスのできないアイドルが、今いるか?」

奈緒「蓮実ちゃんが目指しているのは、今のアイドルじゃないんだろ!」

P「2人は誤解している」

比奈「え?」

P「蓮実が目指しているのは、かつてのアイドル像かも知れない。だが、いるのは今だ。デビューするのも、活動するのも、今の時代なんだ」

奈緒「で、でもさ……」

P「それにあの時代のアイドルたちも、ハードなレッスンをしていた」

比奈「そ、そりゃあ楽をしてたとは思わないっスけど」

P「今みたいなダンスはそのものがなかったが、やらせればできたんじゃないかとも思う」

奈緒「ほ、ほんとに?」

P「まあ、そういう基礎はあったということだがな。いずれにしても、2人とも蓮実にお節介焼いてる場合じゃないぞ」

比奈「えっ?」

P「うかうかしてると、蓮実に追い抜かれかねないぞ」

 俺の言葉に、比奈と奈緒は顔を見合わせていた。
 次の日から、2人は今まで以上にレッスンに取り組むようになったらしい。
 2人のデビューは、もうすぐだ。
 さて、蓮実は――

~1週間後~

智香「と、ここでターンで……フィニッシュっ!」

蓮実「タ、ターン……はい!」

奈緒「お、おおー……」

比奈「や、やるもんスねえ……」

智香「うんうんっ☆ バッチリとキマってたよ」

蓮実「ありがとう……ございます。智香さんが一緒に踊ってくれたからです」

奈緒「いやあー……ついていけただけでもスゴいよ」

比奈「っスね」

P「そうだな。ステップも一通り踊れるようになったな」

蓮実「そうですね。頭であれこれ考えるより先に、体が覚えちゃいました」

智香「蓮実ちゃん、才能あるよっ☆」

P「ありがとうな、若林さん。世話になった。ダンスはやはり、身体に染み込ませるに限るからな」

蓮実「本当にそうなんですね」

P「……息があがってから、元に戻るのも早くなったな」

蓮実「え? あ、はい、本当ですね」

P「これなら、歌いながら仕草で情感を込めるのもできるだろう」

奈緒「え? その為のダンスレッスンだったのか?」

P「まあな。蓮実はもともと、想い描いてるイメージを歌に込めるのは上手い。だが、歌いながら振り付けをやらせると、歌も振り付けも物足りなさを感じていた」

比奈「なあるほど。それで体力向上とステップを覚えるのの一石二鳥を狙ったワケっスね」

P「いや、一石二鳥じゃなくて三鳥だな」

智香「えっ?」

P「声量も増してるはずだ。なにより基礎的な力は、体力だからな」

智香「でも……」

P「ん?」

智香「それじゃあアタシは、もう 伸びしろはないんですかっ?」

P「若林さんは……いや、神谷さんや荒木さんはそろそろ売り出しに入る予定だ」

比奈「えっ!?」

奈緒「ほ、本当か!?」

P「と、みんなの担当プロデューサーが言ってたぞ。3人とも、上達したから……な」

智香「ひゃっほーぅ☆ じゃあアタシ達みんな、デビューですね」

P「うむ。蓮実」

蓮実「はい」

P「とりあえず準備は整った。よくがんばったな」

蓮実「夢への第一歩、ですね」

P「そうだ。そして、今日のこの記念すべき一歩を祝して、蓮実にいいものをやろう」

蓮実「え? なんですか?」

P「蓮実……君の、キャッチコピーだ!」

奈緒「……え?」

比奈「きゃ、キャッチコピー……っスか?」

智香「あ、アイドルにもキャッチコピーってあるんですかっ?」

蓮実「まあっ!」

奈緒「え?」

比奈「え?」

智香「え?」

蓮実「キャッチコピー……嬉しいです! なんだかこれで私も、本当のアイドルになったって実感が出てきました!!」

P「だろう!? そうだろう!?」

奈緒「……えっと」

比奈「そういう……」

智香「ものなの?」

蓮実「どんなキャッチコピーなんですか!? 私のキャッチコピーは」

P「『再新鋭のレトロアイドル新発売』……どうだ?」

奈緒「えっと……」

比奈「うーん……」

智香「ど、どうなのかなっ?」

蓮実「……私、泣いちゃいそうです」

奈緒「え?」

比奈「そこまで……」

智香「かなっ?」

蓮実「おかあさーん!」

奈緒「? ま、まあでも、思ったよりいいコピーかな」

比奈「そ、そうっスね。蓮見ちゃんの目指すレトロを、現代でやるってのがわかるっスよ」

智香「アタシ達には、そういのないんですかっ?」

P「俺は3人の担当じゃないが……そうだな『ツンデレ寒地荒原』と『ジャージド・ドレスコーデ』と『月夜の番ばかりじゃない娘』とか……どうだ?」

奈緒「却下!」

比奈「ダメっス!」

智香「プンプーンっ!」

P「あれ?」

奈緒「なんだよ、蓮実ちゃんのキャッチコピーと違いすぎだろ!」

比奈「アレっスよ。自分の担当の娘だけ可愛いんスよ」

智香「これが……依怙贔屓……」

蓮実「まあまあ、みなさんのキャッチコピーは、きっとみなさんのプロデューサーさんが考えてくださいますよ」

奈緒「いや、欲しいわけでもないんだけど……」

蓮実「このキャッチコピー、大切にします」


P「さて、まずは現場での仕事となる」

比奈「お、どんな仕事っすか?」

奈緒「やっぱり歌番組とかなのか?」

智香「それとも、誰かのバックダンサーとかっ?」

P「うむ。比奈や奈緒、そして智香の担当プロデューサーはそういうのを考えているようだが」

蓮実「じゃあ、ハスラーさんは違うんですね」

P「そうとも。蓮実の現場、第一歩は……これだ!」

比奈「? なんスか? この木の箱」

奈緒「みかん……って書いてあるな」

蓮実「まあ! みかん箱!?」

智香「あれ? 蓮実ちゃんは知ってるの?」

蓮実「この上に乗って、歌うんです。まだ誰も気にかけない……それでも必死に歌う……下積みからのスタートですね!」

P「大変だったんだぞ。今の時代、なかなか木のみかん箱が見つからなくてな!」

比奈「……どうにもあの2人のノリについていけない部分があるっスよね」

奈緒「上に乗るのに下積みっていうのが、よくわからない」

智香「あ……あははっ☆」

P「なんとでも言え。場所は、蒲田だ」

蓮実「はいっ!」

比奈「え? 蒲田に?」

 蒲田にあるショッピングセンターの屋上には、観覧車がある。
 本当はデパートの屋上でのミニコンサートもいいかと思ったが、今の時代なかなかそういう場所はない。
 池袋と吉祥寺には今もデパートに屋上遊園地があるにはあるが、それに固執するのも問題があるかも知れないと思い直し、選ばなかった。
 蓮実は、今の時代のレトロプリンセスなのだ。あの時代を踏襲しつつ、今の在りようの中で活躍をさせてやりたい。
 観覧車前にポツリと置かれたみかん箱と、スタンドマイク。そしてその前に並べられたパイプイス。
 観覧車には『長富蓮実ミニライブ』の横断幕を張った。
 今後の試金石として、どれだけの注目が集まるかと告知はネットのみで行ったが、それでもパイプイスには何人かのお客さんが座っている。

P「良かった」

蓮実「誰もいないことも予想していたんですけど、お客さんがいらっしゃいますね」

P「ああ、ありがたいな。そしてあのお客さんたちが、後に自慢できるようになろう。あの長富蓮実の最初のステージに、自分達はいたんだぞ……って」

蓮実「はいっ!」

 取材らしき人もいることはいる。とは言ってもカメラだけを抱えた人が1人だけ。

蓮実「じゃあ……行ってきます」

P「ああ。ここで見ている」

 蓮実は笑顔で頷くと、みかん箱へと向かって行った。

蓮実「みなさん、初めまして。長富蓮実です。今日は私の、最初の舞台へようこそ。がんばって歌いますので、声援よろし……」

 一瞬、機材のトラブルかと思った。
 蓮実の声が途切れる。
 しかしトラブルではなかった。
 見ればみかん箱の上の蓮実が、驚きに固まっている。

P「なんだ? なにがあった!?」

 蓮実の視線は、客席に座った1人の女性に注がれている。
 ここからではよく見えないが、大きな帽子にサングラスをかけているようだ。

P「誰だ?」

 俺がつぶやくと同時に、ようやく弾かれたように、蓮実が動き出す。

蓮実「ごめんなさい。私ったら初めてで緊張しているみたいです。では改めまして、まずは聞いて下さい。『サヨナラ夏休み』です」

P「なに!?」

 予定と違う!
 俺が指定したのと全然違う曲を、蓮実は歌うと観客に言った。
 スタッフも狼狽えた表情で俺を見る。
 刹那のこの一瞬、俺は錆び付きかけているかも知れない頭の中のモーターを、フルで回転させた。

 蓮実が段取りを間違えるとは思えない。そしてこの為に練習した曲を、直前で代えるなどよほどの事だ。
 つまり今、俺の伺い知れないそのよほどの事が、あのみかん箱の上でおきているに違いないのだ。
 そう、なんの考えもなしにこんなことを蓮実がするわけがない。
 俺は蓮実と、蓮実の判断を信じることにした。

 俺はスタッフに小声で指示を出す。

P「サヨナラ夏休みで」

 予定していた曲ではないが、蓮実が好んで練習していた曲だ。スタッフも数秒程度のラグでイントロが流し始め、蓮実もフリを踊り始める。

 懐かしい曲だ。この歌は、昔担当していた……

P「あ!」

 遅ればせながら、俺は客席にいる女性が誰であるかを悟った。いや――なぜ気がつかなかったのか。やはり俺の脳味噌は、錆び付いているに違いない。

蓮実「期待していたのよ♪
   気になるアナタ、鳴らない電話♪
   夢見ていたのよ♪
   2人ですごす南の島を♪」

 昔、俺が担当していた……そして最後に担当し、なおかつ一番売れた娘の持ち歌。
 しかも、それだけじゃない。
 その娘が、初めて作詞をした歌だ。

 少し恥ずかしそうに、それでいて期待を込めた瞳で俺に手書きのノートを見せてきた、あの娘……

蓮実「バイバイ夏休み♪
   私の夢よ、サヨナラ♪」

 蓮実の歌は、本物だ。
 そして何より、大好きなあの時代の歌だ。
 それを自分の歌のように、歌いこなしている。
 まばらな観客も、次第に手拍子を入れてくれ始めている。
 席に着いていない通行人も、何人かが「おや?」という表情で立ち止まって蓮実を見ている。
 俺と蓮実が「こうなるといいな」と考えていた、理想の形だ。

 だが俺は、苦い顔をした。

P「あの娘は……気に入らんだろうな……」

 嫌な予感ほど的中する。
 客席の女性は、帽子とサングラスを外すと立ち上がった。

記者「あれ? え!? Sちゃん!?」

MS「ちょっと大胆な水着♪
  アナタのために友達にもナイショで買ったのよ♪」

 彼女は歌いながら、蓮実の隣に立った。
 そして2人で歌い始める。

蓮実・MS「蓮実「バイバイ夏休み♪
     私の夢よ、サヨナラ♪」

 その場は大混乱となった。
 彼女はMS。
 俺が担当していた、そして最後に担当し、なおかつ一番売れた娘だ。

 蓮実は彼女の大ファンを公言している。当然に、客席にいる彼女にすぐ気づいたのだろう。
 記者も観客も騒然とする中、Sは何事かを蓮実の耳元で口にすると、足早にその場を去っていった。
 その際彼女は、ちらりと俺の方を見ると軽く会釈をしていった。

   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


『長富蓮実の日記』

 信じられません! 私、あの憧れのSちゃんと歌っちゃいました!!
 まさか私のデビューイベントに来てくれるなんて、思いもしませんでした。
 本当はもっと、色々お話をしたかったんだけれど、お忙しいんでしょうね。すぐに帰ってしまわれました。仕方ないですよね。
 でもそれだけに、そんな忙しいSちゃんが私のために来てくれた事は、すごく嬉しい。
 ありがとう、Sちゃん。
 あ、もう私もデビューはしたんだし、Sちゃんって呼んじゃいけないのかな? どうなんだろう、Mさん? それても芸能界の先輩だからM先輩? どうしましょう……
 またお目にかかる機会があったら、その時に考えようかな。
 あるよね、また……機会。
 だって最後に、Sちゃん「またね」って囁いてくれたんですもの。
 ……うーん。やっぱり、私にとってSちゃんはSちゃん、なのかな。

 いずれにしても、目指していたのとはちょっと違った形のデビューイベントにはなったけれど、記憶に残る大切なデビューイベントになりました。
 次は、私1人でもお客さんを盛り上げないといけませんよね。


   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 翌日、スポーツ紙を筆頭に新聞各紙芸能面の1面を、今回のこの件が華々しく独占した。
 が、記事の多くはSについてばかり書かれている。
 記事の対象主体が、蓮実ではなくSなのだ。

奈緒「自身のファンを公言する新人アイドルを、お忍びで激励……」

比奈「自らの持ち歌を、共に熱唱……」

智香「歌唱後は、アドバイスをする姿も……」

 やられた。
 正直、他のどんな妨害をしてこられるより厄介だ。
 Sばかりが目立ち、肝心の蓮実は完全に脇役となってしまっている。Sの引き立て役にされてしまっている。
 記事はその後、今後予定されているディナーショーもあっと言う間に完売した、と結ばれている。

 しかし、一番の問題は……

蓮実「あのSちゃんと一緒に歌えたなんて私、夢みたいです……!」

 蓮実が浮かれている点だろう。

 その喜びもわからなくはないが、自分が窮地に立っていることを理解しているのだろうか。自分のデビューイベントを、実質つぶされた形なんだぞ。
 わかっているのか、蓮実。

蓮実「それは大丈夫ですよ」

 それでも嬉しそうに、蓮実はそう言う。

P「なぜだ?」

蓮実「私、ちゃんとレッスンをしましたから」

P「?」

 なんだ? どういうことだ?

蓮実「ハスラーさんに、みっちりとレッスンを仕込まれて、その上で合格をもらったんですよ? 私は」

 可愛く右腕で、ガッツポーズをしてみせる蓮実。
 その仕草は自信と確信に満ちているが、俺にはどうにもわからない。
 いや、そう言えば……

奈緒「まあ、そういうことだよな」

比奈「ところでアタシらのデビューも、記事になったっスよ」

智香「けっこう話題になってるんですよっ☆」

 この娘らも、似たような反応を示しているのはなんだ?
 俺の事が記事になったり、蓮実のレッスンがハードだった時は、あれほど騒いでいたのに、だ。
 なぜだ?

奈緒「蓮実ちゃんがすごいのは、もうわかってるからさ」

比奈「特に80年代のアイドルソング歌わせたら、そりゃもうかなわないっスよ」

智香「あのレッスンを乗り越えてきたんですからっ☆」

 ……そういうものだろうか。
 こういう事があると、俺は自信を失いそうになる。
 やはり俺は、古いのだろうか。
 ハスラーなんて呼ばれている俺は、やっぱり……

ちひろ「あの……ええと、ハスラーさん。お電話なんですけど」

P「ちひろさんまで俺をハスラーと呼ぶのは、やめて……」

ちひろ「Mさんです」

P「なに?」

ちひろ「MSさんからお電話です」

P「……もしもし?」

S「ご無沙汰してます」

P「こないだ、会ったと思うが?」

S「あの時は、ご挨拶しなかったので」

P「そうだな。すぐに帰ったようだったから」

S「単刀直入に用件だけ言いますね。先日のあの娘……えっと、なんて娘でしたっけ?」

P「蓮実、だ。長富蓮実」

S「……」

P「なんだ?」

S「名前で呼んでるんですね」

P「担当だからな」

 電話口の向こうで、何かが割れる音がした。

P「どうした? 大丈夫か?」

S「ええ。ところでそのに蓮実ちゃんに、先日のお礼をしたいと思って」

P「礼だと?」

S「私のディナーショーに、ご招待するわ。チケットも既に送らせていただきましたので」

P「どういうつもりだ? あ、おい!」

 電話は切れてしまった。

蓮実「Sちゃん、なんですって?」

P「ディナーショーに招待する、とさ」

蓮実「……え? もしかしてSちゃんのですか!?」

P「そりゃそうだろう。どうする?」

蓮実「行きます! 私、行きたいです!!」

奈緒「な、なあ、確かMSさんのディナーショーチケットって」

比奈「そうっスよ。値段もさる事ながら、取れないので有名なプラチナチケットっスよ!」

智香「あ、アタシ達のはないんですかっ!?」

P「招待されたのは、蓮実だからな。そうか、行くか」

蓮実「なにか問題があるんですか?」

P「先日のこともあるし、ただで終わるわけはないだろうな……それでも行くんだな?」

蓮実「はい。あ、えっと何を着ていけばいいんでしょうか!」

奈緒「いいなー! まあやっぱドレスかな?」

比奈「学生なんだから、制服っていうのもアリじゃないっスかね」

智香「衣装で行ってもいいかもっ☆」

 はしゃぐ蓮実と、他の娘たち。
 どうにも緊張感がない。いや、俺が心配すぎているのか?
 先日のデビューライブの件といい、蓮実たちと俺の間に、何ともいえないズレがあるような気がしてならないのだが……


 その日のうちに、Mから送られたチケットが届いた。ということは、電話してきた時にはもう送っていたことになる。そして、宛名は『長富蓮実様』となっている。
 なんだ、ちゃんと名前もわかってるんじゃないか。
 が、それはまあいい、それはいいのだが……

P「チケット、まさか1枚しか送ってよこさないとは……」

蓮実「私なら大丈夫ですよ? 会場もホテルでわかりやすいですし」

P「行くことは心配していないが、無事に帰ってこられるかだ」

 無論、物騒な真似などはされないだろうが、先日の件もある。現場で何をしてくるか……

蓮実「?」

P「ともかく、1人は心配だな」


蓮実「あの。私、本当に私服で良かったんですか?」

P「ああ。その蓮実の私服こそが、蓮実らしい可愛さの体現だからな」

 蓮実は少し頬を赤らめる。

蓮実「でもこれ、古着屋さんで買ったんですけど……」

P「関係ない。よく似合っているからな」

 とうとう蓮実は真っ赤になった。
 別に古着だからといって恥ずかしがる必要など、本当にないのに。

蓮実「それにしても」

P「うん?」

蓮実「チケット、ご自分のはどうやって手に入れられたんですか? 取れないので有名なチケットだそうなのに」

P「まあ……それなりにこの世界にもコネはあるからな」

 きっとSもそれを見越して、1枚だけチケットを送ってきたのだろうが……

蓮実「やっぱり、ハスラーさんはすごい人なんですね?」

P「そんなわけはない。単に、古い知り合いが多いだけだ」

蓮実「……」

P「どうした?」

蓮実「Sちゃん……担当だったんですよね?」

P「え? ああ」

蓮実「どんな……娘だったんですか? 担当しておられた時……」

P「どんな……か」

 初めて会った時を思い出す。
 そういえば彼女は、ちょっと変わった経緯でアイドルになったんだった。

蓮実「知ってます。確か、歌をテープに録音して送ってきたんですよね」

P「ああ。つまり最初は、歌声が評価されて面接となった。だが、その時は不採用だったな」

 当時のSは、まだ磨く前の原石だった。それを磨けば光ると、俺はプロダクションを必死に説得した。
 その甲斐あってか、高校を出た後に候補生としてなら契約をしてもいいというゴーサインが出た。
 それを電話口で話した翌日、彼女は単身九州から上京してきた。聞けば、高校も中退してきたという。無論プロダクションの言う『高校を出た後』というのは、高校を卒業したら、という意味だったのだが彼女は文字通り高校を飛び出してきてしまったのだ。
 唖然として「早まったことを……」と言う俺に彼女は、「善は急げといいますから」と悪びれもせず、すまして答えた。
 俺も驚いたが、プロダクション側も仰天し、動揺した。
 その頃はまだ寮などという設備はなく、住む当てもなく上京してきたSを、当時の社長は自宅に住まわせてくれ、ツテのある高校に転入をさせてくれた。
 すべてはまだ高校生である、いち少女をその気にさせたという後ろめたさからの好意であったが、Sは社長宅全体に響くような声で毎日ボイスレッスンをし、高校でもトップクラスの成績を出してみせた。
 無論、その陰でSがどれほど涙ぐましい努力してきたのかを、担当である俺は目にした。
 いわばそれは、Sのアピールだ。だが、そのアピールには彼女の必死さがこもっていた。


蓮実「最初にお食事を済ませるんですね。私、食べながらSちゃんの歌を聴いたりするんだとばかり思っていました」

P「そういう形式というか、流れのディナーショーもあるがな。Sはもっぱら、まず食事をしてその後でショーが始まるようだ」

蓮実「? ようだ、というのは?」

P「いや、実はSのディナーショーに来るのは初めてだからな。そう言えば」

蓮実「……Sちゃん」

P「ん?」

蓮実「名前で呼ぶんですね」

 なんだ? 最近も、似たようなことを言われたぞ。
 なんなんだ?

P「担当だったからな。いやまあ、ずっとそう呼んでいたからだが……確かにもう担当でもない余所の事務所の娘をそう呼ぶべきじゃないか」

蓮実「別にかまわないとは思いますけど……」

 そう言う蓮実は、歯切れが悪い。
 が、言われて考えてみると担当とプロデューサーというのは、不思議なものだ。
 家族や友達では、もちろんない。
 しかしただの仕事仲間、というのとも違う。
 栄光や夢のため、共に戦う同志……とでも言うべきだろうか。しかしそれだけにやはり、時に家族のような、友のような、そして仲間意識をもってもいる。
 だからこそ、担当の娘を名前で呼んだりするのだ。
 いやまあ、少なくとも俺はそうだ。

蓮実「それにしても、美味しいお食事ですよね」

 話題を変えるように--事実そうなのだろうが--蓮実が言う。
 有名ホテルだけに、食事もまた豪華だ。無論、これだけでカネの取れるコースでもある。

P「いわゆるモダンフレンチ、というやつか」

蓮実「詳しいんですね」

P「そうでもないさ。今の流行というだけのことだ」

 それよりも少し驚いたのは、蓮実のテーブルマナーだ。こういう場が初めてにしては、きちんとしている。いや、堂にいっていると言ってもいい。
 俺が教えることなど何もない。
 もしかして、初めてではないのだろうか。
 それを聞こうとしたところで、正装ではなくスーツ姿の男が汗をかきながらやって来た。
 しかもその汗は、冷や汗だ。

男「申し訳ありません……Mが、差し支えなければと申しているのですが……」

 Sのマネージャーか。
 口ではそう言っているものの、冷や汗をハンカチで拭うその様子から、明らかにSが無理難題を言っていることが見て取れる。

男「ショーの前に、長富様に歌を1曲ご披露願えないかと……先日の歌が、とても見事だったとのことでして……」

P「なんだと? 前座をやれと言うのか!?」

 俺は憤るが、それを蓮実がにこにこしながらやんわりと制してきた。

蓮実「ええ、喜んで。ご招待いただいたんですから、お礼に歌わせていただきますね」

P「蓮実!」

蓮実「それにハスラーさん。ここにいるお客さんに、私の歌を聞いていただける、いい機会ですよ?」

 営業的思考としては、それはある意味正しいかも知れない。人前で歌を聴いてもらえる、いい機会だ。
 しかし事はそう簡単ではない。
 ここにいるのは、Sの歌やトークを聞きに来た客ばかりだ。そこで、S以外の者が歌ったとして、例えその歌が上手くても受け入れられかねないだころか、反感や不満すら招きかねない。
 ここはSのホームであり、演者としての蓮実にはアウェーなのだ。

男「助かります!」

蓮実「いいえ。一生懸命、歌わせていただきますね」

 進んでいく話に、俺は慌てて口を挟んだ。

P「いいだろう。だが、曲はこちらが指定するぞ」


P「Sの曲なら、どれでも歌えるな?」

蓮実「それは大丈夫ですけど。衣装が……」

P「いや、そのままでいい」

蓮実「そうですか? では、行ってきます」

 ステージにスポットライトの灯が入る。
 予定より早い始まりに、観客は軽くざわめく。
 が、ライトに照らされたのは、お目当てのSではない。
 ざわめきは、少し大きくなる。

P「蓮実、遠慮会釈なしだ。頭からぶちかませ」

 俺の席からステージまでは距離がある。
 聞こえないだろうと思ったが、俺がそう言うと蓮実は俺をみて頷いた。

 イントロが流れると、観客のざわめきが止まる。

蓮実「映画みたいな♪ 恋がしたいのよ♪
   あなたは笑うけれど♪
   映画みたいな♪ 恋がしたいのよ♪
   あなたとしたいのに……ばかね♪」

 この曲は、Sのデビュー曲だ。
 化粧品のCM曲で、本来ならSがCMにも出演するはずだった。
 しかし他社アイドルの強引な売り込みで、SのCM出演は取りやめとなり、歌だけが採用された。

 ところが逆にその歌が話題となり、結果的にSは「あの歌を歌ってるのは誰?」と一躍注目を浴びた。
 もちろん、Sのディナーショーに来るようなお客さんは全員がそういうエピソードを知っている。
 この曲のイントロを聞いただけで、そうしたエピソードやSのシンデレラストーリーの第一歩に思いを馳せられる人たちだ。
 そのお客さんたちが、蓮実が歌うこの曲で言葉を失った。
 聞きなれたはずの、そして今や世に流れることない、この曲といえばSという歌を聞いて、お客さんはみな押し黙った。

P「みたか! いや、聞いたか蓮実の歌を!!」

 伸びのある歌声、響く声質、そして力強い歌い方。
 すべてに観客は驚き、そして興奮した。
 その証拠に蓮実が歌い終わると、客層からか観客は静かにしかし一斉に蓮実に歩み寄った。
「お名前は?」「アイドルなの?」「Sちゃんとのご関係は?」次々と発せられる質問に、蓮実は戸惑っている。
 と、見ればステージ袖から、Sが不安そうにステージをのぞき込んでいる。

 Sにしてみれば、あてが外れたという所だろう。
 アウェーでのステージで緊張させ、例え失敗はなくとも体のいい前座をさせるつもりだったに違いない。
 しかし今やSは、不安に泣きそうな顔をしている。

P「しかたない」

 俺はSの元へと歩を進めた。。

P「なあS、蓮実を助けてやってくれないか?」

S「え?」

P「まだあんなに騒がれた経験がないんだ、あの娘は。どうしていいかわからなくて困ってるんだよ、なあ頼む」

 ちょっと考えていたSだったが、俺の目を見てハッとしたようにしてから笑う。

S「そう……じゃあ、しょうがないわね」

 ようやくSはステージに上がる。
 当然に観客は歓声を上げる。

S「さあ皆さま、私からのサプライズゲストは、存分に楽しんでいただけたかしら? 私の大事なお友達を、ご紹介するわね。長富蓮実ちゃんです」

 そう言うとSは、すらすらと蓮実のプロフィールを諳んじてみせた。もしかして俺より詳しいんじゃないかという細かさだ。
 それからSは蓮実と共に先日も歌った、サヨナラ夏休みを歌った。
 そしてディナーショーの最後のアンコールで、再び蓮実を伴ってステージに上がる。観客は手放しの拍手で二人を迎える。

S「なに歌おうか?」

蓮実「あ、私『抱きしめたい! ミス・シンデレラ』が大好きなんですけど」

S「あら嬉しい。でもあの曲、私の歌の中ではあんまり売れなかったのよね」

蓮実「でも……いい歌だと思います」

S「よーし。じゃあ歌おうか、未来のシンデレラと」

 一瞬、小首を傾げた蓮実だったが、すぐに大きく頷くと二人は歌い始めた。

 ディナーショーは、大盛況のうちに幕を下ろした。
 どのお客さんも、みな満足げな表情で帰っていく。
 そう。今日のお客さんは普段とは違う、特別なディナーショーを体験できたお客さんなのだ。

P「さて、説明してもらおうか」

 いつの間にか、蓮実と談笑しているSがキョトンとした顔を見せる。

P「こないだといい今日といい、何が目的だ?」

 俺に言われてSはしばらく考えていたようだが「あ!」とひとこと言うと、頬を膨らませてそっぽを向く。

S「……プロデューサーさんが、ウソをついたからです」

P「は?」

蓮実「まあ! 本当ですか?」

S「ええ! 私には、ああ言ってたのに……」

P「いや待て待て、ちょっと待て。なんの話だ!?」

S「プロデューサーさん、言ったでしょ! 私の担当を外れる時に……」

 俺がSの担当を外れる時!? 何十年前の話だ!?
 いや、あれは確か……



S「担当を外れる!? プロデューサーさんがですか!?」

P「そうだ。Sのお陰で、俺も昇進することになった。この俺が部長だとよ。まあ今後は後進の指導や、経営やらをやることになるな」

S「そうなんですか……じゃあ、他の娘を担当するわけじゃないんですね?」

P「ああ。Sは、俺が現場で担当する、最後のアイドルになるわけだな」

S「残念ですけど……でもプロデューサーさんを出世させられたのが私なら、それはやっぱり嬉しいです」

P「感謝している。出世がしたくて担当したわけじゃないが、社にも世間にも認められる仕事をさせてくれた、そして最後に担当したSのことは絶対に忘れん」

S「はい! 今までありがとうございました!!」


P「もしかして、ウソって言うのは……」

S「プロデューサーさん、私が最後に担当するアイドルだ、って言ったじゃないですか~。それなのに……それなのに~!!!」

 大泣きを始めるSを前に、俺は膝から崩れそうになる。
 なんだそりゃ?
 別に俺なんかがSの最後のプロデューサーだろうと、そうでなかろうと、大した問題じゃないだろうに。
 ……違うのか?

蓮実「ハスラーさん? それは、Sちゃんに謝ってあげてくださいね」

 いやいや、待て待て。俺は蓮実の担当になる為に、プロデューサーに戻ったんだぞ?

蓮実「Sちゃんは、ハスラーさんに親愛と敬愛の念を抱いていたんですよ。それは……私にもわかります。だから可哀想なんです」

 そ、そういうものなのか?
 女の子というのは、時々俺のような男の理解が及ばない存在になる。
 まあSはもう、女の子というような歳ではないが……
 いずれにしても、これは分が悪い。
 俺は話の矛先を変えた。

P「結果として嘘をついた形になったのは、本当に申し訳ない。だがS、忘れてはいないか? 俺が言ったこと」

S「え? プロデューサーさんの言った……こと?」

P「いつか言ったよな。プロデューサーは担当となったアイドルの為に、親身になる。家族以上に、と」

S「確かにそれは……はい。覚えてます」

P「俺はSを、妹とか娘のように思っていた」

S「まあ! はい。私もプロデューサーさんを、お父さんみたいに思ってました」

P「そして今は、蓮実のことも娘みたいに思っている」

蓮実「まあ、そうなんですか?」

P「ということは、だS。Sにとって蓮実は、家族みたいなものだろう!?」

S「え?」

蓮実「え?」

P「違うか!?」

S「そうか……そうね、そうよね。同じプロデューサーさんの担当なんだから、蓮実ちゃんは私の妹も同然よね!!!」

蓮実「え? ええーっと……そう、なるんでしょうか……?」

P「そ、そうだとも! そういうことだ!!」

 この際だ。俺はSに乗ることにした。
 実際、担当は娘みたいなものだし、娘同士仲良くしてくれる方が嬉しい。

S「蓮実ちゃん。これからはなんでも私に……お姉さんに聞いてもいいからね」

蓮実「あ、ありがとうございます。あの……ではひとつだけ、ご相談してもいいですか?」

S「もちろんよ! なに?」

蓮実「今の時代に、レトロアイドル……いえ、80年代のアイドルを目指しても、いいんでしょうか」

 大丈夫か、ではなくいいんでしょうかというのが蓮実らしいが、やはりまだ蓮実の心には、レトロアイドルを現代でやっていく不安があるのだろうか。

S「70年代や80年代のアイドルより昔の歌、歌ったことはある?」

蓮実「え? す、少しならありますけど」

S「不勉強ね」

蓮実「……すみません」

S「私はあるわ。過去に話題となったり、人気を博した曲は必ず歌ってみた」

 言われて俺も、思い出した。そうだ、この娘は暇さえあれば歌っていた。どんな曲でも。
 そうやってこの娘は、その年の全ての賞を総なめにし、伝説的と呼ばれるほどのアイドルになったのだった。

S「私はもう、プロデューサーさんはその時を止めたんだと思ってた。もう、あの頃みたいには、プロデュースとかはしないんだろうな。そう思ってた」

P「なんだ? 急に。俺もそう思っては、いたんだけどな」

S「でも、プロデューサーさんは止まっていなかった。プロデューサーさんの時間は動き出した。私はそれが嬉しいけれど、悔しかった……!」

蓮実「え?」

S「どんな娘が、私の大事なプロデューサーさんの、止まった時を動かし始めたのか、ってね」

 ウインクしながら、Sは蓮実の手を取った。

S「信じなさい。あなたには、止めた時を動かす力がある。そう、時計は止まることもある。そしてその針は、再び動き出したとしても、もう戻らない。時代は流れ、変わっていくもの……だけどね」

蓮実「はい」

S「時計の針はぐるっと回って、また今という時を刻んでいくのよ」

蓮実「……よくわかりました。私、憧れを目指します。自分が今、あのアイドル達みたいになれるように!」

 Sは笑った。そして俺の方に向き直る。

S「今は、ハスラーって呼ばれているんですね」

P「おいおい。お前まで、そう呼ぶ気じゃないだろうな」

S「私にとってプロデューサーさんは、いつまでもプロデューサーさんですから」

 少し安心する。あれから色々あっただろうに、この娘は変わらない。

S「その色々が、私を私にしてくれたんです。それに、プロデューサーさんですよ? 私に言ったのは」

P「え? なにをだ?」

S「トップアイドルになった時、変わるのはその娘じゃない。周囲が変わるんだ、って」

P「そうだったな……」

 そう、S以外にも俺は何人もの娘をトップアイドルに導いてきた。その度に見てきた、トップアイドルと呼ばれるようになり、生活や環境が変わっても結局その娘の本質は、いつまでもそのままだった。

P「Sも、そうなんだな」

 照れたように笑うSは、昔と少しも変わっていなかった。
 そして蓮実とSは抱き合って、別れた。
 帰途、蓮実は俺に言った。

蓮実「私、まだまだ勉強不足でした。ハスラーさんに、レッスンをつけてもらって、実力ができた気になってました」

P「実力が上がったのは間違いじゃない」

蓮実「でもそれは、あくまで土台だったんですよね。私……もっとがんばります」

P「……何をやろうとしてるのかは想像がつくが、まあ……あまり無理をしないようにな。喉を痛めてはなんにもならんぞ」

蓮実「わかりました」

 ここでスポ根もののような、地獄の特訓が始まるのではないかと俺はちょっと思っていた。いや、少なくとも蓮実はそのつもりだったかも知れない。
 しかしそういうことにならないのは、今は昭和ではないからなのだろうか……


   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


『長富蓮実の日記』

 Sちゃんのディナーショー、とっても楽しかった。
 何を着ていくかさんざん悩んだけど、ハスラーさんが勧めてくださった私服にして……良かったのかな。
 でも、ハスラーさんが「似合っている」と言ってくれたのは、嬉しかった。
 お友達には「どうして古着?」「蓮実にはブランドものでも似合うのに」とか言われちゃうけど、やっぱり私は古着が好きなんですよね。
 古くても良いものは良いんです。そう、古着が私に言ってくれてるような気がするし、それになにより絶対可愛い。
 ちょっと古いセンスは、私にはとても魅力的。
 だから今日、ハスラーさんに私の私服を「似合ってる」って誉められたのは、私自身も含めて誉められた気が……えっと、ちょっと自惚れちゃったかしら。
 それに、ディナーでのお作法も、きちんとできたみたいで良かった。ハスラーさんはもちろん、きちんとしたテーブルマナーでしたし、私も奈緒さんや比奈さんをはじめ、桃華ちゃんや響子ちゃん、それからそうそうフレデリカさんや、まだお目にかかったことはないのですけれど文香さんという方の特訓のおかげで、恥をかかずにすんだみたいです。
 みなさん、ありがとうございました。

比奈「え? 特訓っスか?」

奈緒「ディナーショーの特訓……って、なにやるんだ? 蓮実ちゃんは、あくまでお客さんで出演するわけじゃないんだろ?」

蓮実「いえ、テーブルマナーをこの機会に学びたいと……私、ちゃんとしたテーブルマナーってよく知らなくて」

智香「そう言えば会場、超高級ホテルだったねっ☆」

比奈「あー、なるほど。そりゃちょっとアタシもたじろぐっスね」

蓮実「なにより、担当アイドルの不作法で、ハスラーさんに恥をかかせてもいけないですし」

奈緒「えらいなあ。でも、あたしもテーブルマナーなんて、全然知らないんだよなあ」

智香「アタシも。そういえば、ディナーのメニューってなんなのっ?」

蓮実「チケットには書いてないんですけど、ホテルはフランス料理で有名な料理長さんがおられるそうですので、フランス料理じゃないかなって思うんですよね」

智香「じゃあ、フランスに詳しい人に聞こうよ!」

蓮実「そういう方が、お知り合いにいるんですか?」

比奈「ウチは所属しているアイドル、多いっスからね」

奈緒「探せばきっといるって」


智香「というわけで、本場出身の方においでいただきましたっ!」

宮本フレデリカ「ハーイ。ナイスチューミーChu! ゴキゲンイカガ、フレちゃんです」

蓮実「はじめまして、長富蓮実です。今日はよろしくおねがいします」

フレデリカ「まあまあ、そう堅くならないで。フランスのことならパリ出身の私に聞いて聞いて。リスン・アンド・リピートアフターミー」

蓮実「まあ! 花の都パリから来られたんですか」

フレデリカ「オフコース。禅智内供もビックリ、ハナの都からきました。」

比奈「じゃあひとつ、質問してもいいっスか?」

フレデリカ「イーヨ、イーヨ。紫のロバ、イーヨー」

比奈「日本でも絵本やアニメで人気のバーバパパは、本場フランスの発音だと『バルバパパ』になるって聞いたことあるんスけど」

奈緒「そ、そうなのか!? ど、どうなんですか? 本場の人!」

フレデリカ「オー……イエス、イエス!」

比奈「NHKで放映していたアニメ、ファーブル先生は名探偵なんスけど、原案となったファーブル昆虫記の作者アンリ・ファーブルは、フランスではほぼ無名で一般の人はほとんど知らないって聞いたことあるんスけど」

奈緒「ええっ、偉人伝のシリーズだととたいてい名前が入っている、あのファーブルが!? ほ、ホントなんですか、本場の人!?」

フレデリカ「ンー……イエス、イエース!」

比奈「噂はすべて、本当だったわけっスね……」

櫻井桃華「遅くなってしまいまして、申し訳ありません」

五十嵐響子「準備の方、出来ましたよ!」

蓮実「あ、ええと……確か、お2人も同じアイドルの……」

奈緒「紹介するな。櫻井桃華ちゃんに、五十嵐響子ちゃん。2人ともウチのアイドルなんだ」

比奈「桃華ちゃんはディナーの作法とか詳しいし、響子ちゃんはお料理が上手だから頼んだっス」

蓮実「まあ、私の為に申し訳ありません」

桃華「とんでもありませんわ。マナーを身につけたいという向上心、感服いたしましてよ」

響子「フレンチってわけにはいかなかったけど、サラダにスープ、メインディッシュはハンバーグと代替がきくメニュー作ってみました!」

蓮実「本当に……美味しそうです!」

桃華「ではまず、スプーンですけれど、基本的に並べてあるものを外側から使っていけば間違いありませんわ」

智香「待って待って蓮実ちゃんっ! はーい、頼まれていたもの持って来たよっ☆」

蓮実「これは……随分と大きくて分厚い本ですけど……」

智香「文香さんから借りてきたんだっ☆」

蓮実「文香さん……とおっしゃる方、私まだお目にかかったことないですよね?」

奈緒「うん。本を読んでること多いしな」

比奈「仕事以外では、お部屋にこもってる事多いっスからね」

蓮実「それで、その本はどうするんですか?」

智香「これを……こうして……」

蓮実「ええっ!? わ、私の頭の上に!?」

桃華「こうして頭を動かさないように、お食事を召し上がって下さいまし」

蓮実「え? ええ?? こ、これで食べるんですか? もし、本が落ちたら……」

智香「汚しませんから、って言って借りてきたから、気をつけてねっ!」

蓮実「えええええええーーー???」

フレデリカ「がんばれハスミンー♪」


   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


城ヶ崎美嘉「ハーイ★ それではフーテンの美嘉ちゃん、いっきまーす★」

比奈「待ってたっスよー!」

奈緒「よっ! カリスマ!」

美嘉「アタシがいたんじゃ~カリスマになれぬ~♪ わかぁっちゃいるん~だ妹よ~♪」

蓮実「い~つ~かファンがよろこぶような~♪ レトロアイドルに~な~りたぁ~くて~♪」

智香「Fuwa! Fuwa! Fo!! Fooo!!!」

P「……なんだこれは」

 レッスン場はライトがカクテルライト仕様になっており、そこで所属アイドルの娘らがカラオケを歌っている。

比奈「蓮実ちゃんが特訓するって言うから、おつきあいしてるっスよ」

奈緒「レッスン場のカラオケLD、全制覇チャレンジ!」

智香「歌詞も自分風に変えちゃってO.K.!」

 一見、彼女たちは楽しいレクリエーションをしているようにも見えるが、実際にはそれほど楽なことではない。
 レッスン場には数百枚のLDがあり、1枚あたり10から20曲入っているのだ。

P「特訓も楽しく、か……」

 それは確かに理想かも知れない。
 楽しいからこそ意欲も出て、続けられる。それなら効果も出る。至極当然のことだ。
 事実、蓮実の歌唱力と表現力は、更に高まったと思う。
 なにより、自信を持ちつつある。
 言うことなし、だ。

 だが――

 俺は間違っていた。
 俺は、長富蓮実という、遅れてやってきたあの時代の申し子を、甘く見ていたのだ……

 ある日、俺はレッスン場のLDをふと見ていて気がついた。
 LDには、今時の可愛いシールが付箋のように貼ってある。いや、貼ってあるのとないのがある。

P「歌い終わったLDにはシールが貼ってあるんだな」

 そう思っていたが、よく見るとそれとは別にLDのジャケットとフィルムの間に押し花が入れてあるのとないのがある。

P「……」

 こんなことをする者は、おそらく……


P「寮から近いとはいえ、通学前の早朝からレッスン場とは感心しないな」

蓮実「あ! ハスラーさん。どうして……」

P「聞いたぞ。みんなとの自主レッスンの後も、また戻ってきて歌っているらしいな」

蓮実「みんなとの特訓も、楽しいです。でも、それだけでは足りないんじゃないかと思って」

P「それで、自分だけで別にもう一周LD巡り、か……」

 呆れたものだ。
 努力と根性。
 今の時代なら笑われてしまうような精神論を、この娘は実行している。それも、この俺にさえ隠れてだ。

蓮実「アイドルが実力をつけるのに、レッスン以外に何があると思います? ハスラーさんは」

 それは問いかけではない。確固たる、蓮実の決意だ。

P「俺に内緒にしなくてもいいだろうに」

 と、蓮実は頬を染めて、顔を伏せた。

蓮実「だって……恥ずかしいじゃないですか。それに……」

P「それに?」

蓮実「ファンのみなさんやハスラーさんには、結果だけを見て欲しいんです。努力したから偉かったね、がんばったね、じゃなくて。私のステージで私を誉めて欲しいんです」

 熱いもので俺の胸はいっぱいになり、双眸から溢れそうになる。
 だが、だめだ。
 この娘の努力と根性、そして想いに応えのるはそんなことで、ではない。
 なぜなら俺は、プロデューサーなのだから。

P「今、アイドルが実力をつけるのに、レッスン以外に何があるかと言ったな?」

蓮実「え? あ、はい」

P「それを俺が、教えてやる」


比奈「ネットではずいぶんと、話題になってるっスよ」

奈緒「ディナーショーのお客さん、SNSで発信してくれてたからな」

 これは俺にとって嬉しい誤算だった。
 SNSという存在は知っていても、自分ではやっていないし、なによりネットそのものを広告だとか告知・紹介程度にしか利用していないし、それもそもそも自分でやっているわけではないのだ。
 だが、あの最初のイベントに参加してくれた人や、ディナーショーのお客さんからの発信で、蓮実の名前は少し知られるようになっている。
 あのSを彷彿とさせながらもまた違った、そして素晴らしい歌声と、容姿やファッション。そういったものがあちこちで語られている。
 いや、そのネットですら検索してもウチのHPの所属一覧に名前があるだけの存在で、噂の歌声を実際に聞いた人はごく一握りの存在だ。

P「なるほど、それでか」

智香「どうしたんですかっ?」

P「いや。歌番組への出演交渉が、やたらスムーズだった理由が、な」

 こうした依頼は普通、なかなか受けてもらえない。その為に所属している、いわゆる『売れて』る娘と一緒に売り込んだりするのだが、蓮実の名前にディレクターは一も二もなく首を縦に振った。
 なるほど、こういうことだったのか。

P「なら遠慮などすることはない。蓮実」

蓮実「はい」

P「アイドルが実力をつけるのに、レッスン以外に何があるか……それはな、現場だ。現場での経験だ」

蓮実「それが、ハスラーさんの教えなんですね?」

P「そうだ。現場は、そこにいるだけでアイドルを成長させる……蓮実、 最新鋭のレトロアイドル発進だ!」

蓮実「私、がんばります!」

 世間が蓮実に興味を持ち始めている今、ここで一気に蓮実を売りだそう。そう考えていた。
 実力は間違いなくある。いや、さらに磨かれている。
 ここまでハプニング続きだったが、いよいよ満を持した形で蓮実を売り出せる、そう思った。
 もうSからの、半ば妨害じみた介入もないだろう。そう思っていた。

 俺は、甘かった……


 蓮実のテレビ出演が翌日へと迫ったある日、Sがブーブーエスで会見を行うという報が入った。
 なんとはなしにチャンネルを合わせると、Sが総指揮のアイドル特番の制作会見だった。

記者「では単なるバラエティーではなく、賞レースでもあるわけですね?」

S「そうよ。名付けて、グレイテスト・ヒッツアイドル決定戦。アイドル限定の、歌謡大賞にしたいの」

記者「Sさんは番組の統括責任者だということですが、審査員もされるんですか?」

S「私が審査をすると、私の好みで選んでしまうからダメね。それに歌唱を審査する、作詞家や作曲家の先生達が協力してくださるから、そちらにお任せするわ」

 そう言ってSが述べた作詞家と作曲家たちは、いずれ劣らぬ著名な人たちだ。その人選に間違いはない。おそらく八百長などをするわけもないだろう。

記者「Sさーん、優勝予想をお願いできますか?」

S「あら……自分の名前を言ってもいいのかしら?」

 そう言って笑うSに、記者達からもドッと笑いが漏れる。「流石に芸能界の長いSちゃん」「エンターテイメントとユーモアを理解している」「彼女一流のジョーク」と、後に各紙に載った記事には書かれた。
 だが問題は、その後だ。

S「そうね……この番組がもっと以前の企画だったら、私も自信を持って『もし出場したのなら、優勝はMSよ』って言ったと思うけど、今は違うわ。すごい娘がデビューしているもの」

記者「え? そ、それは誰です?」

S「蓮実ちゃん……長富蓮実ちゃんよ」

 会見場は、記者達のザワザワとした声で騒然となる。
「誰?」「誰だ?」「待てよ。確か……」

記者「その長富蓮実ちゃんというのは……誰ですか?」

S「まあ、不勉強ね。きっとこの芸能界を席巻することになるであろう、アイドルの卵よ」

記者「その娘が優勝候補、筆頭だと?」

S「もちろんよ。彼女を見れば、そしてその歌を聞けば、みなさんにもそのことは当然理解していただけると思うんですけどね」

 報道陣がザワザワとしたまま、会見は終わった。どの社もスマホを操作したりどこかに電話をしている。
 おそらく蓮実について検索したり、本社に問い合わせているのだろう。
 そう、ネットでは大変な騒ぎになっていた。


P「なんてことだ……」

 俺は、虚空を見つめて呆然とする。
 今回はSに悪気も、妨害の意図も、何もない。
 ただ単に、正直な感想を述べただけだ。
 無論、そこに妹に対する身びいきもあったかも知れない。
 だがそれにしても、Sは記者の質問に、彼女なりに真摯に答えただけのことだ。

 しかし何と言っても時期が悪い。
 そのブーブーエスの音楽番組に、明日出演するんだぞ蓮実は。

ちひろ「ハスラーさん、ブーブーエスからお電話なんですが……」

 おいでなすった。
 電話の用件は、聞かずともわかる。
 既に各局ワイドショーでは、Sの話した『長富蓮実とは?』『謎のアイドル!?』『あのSちゃんも認める実力者』と特集が賑わっている。
 ブーブーエスとしても、蓮実を特集したいのだろう。

P「明日のテレビ収録は、中止となった」

蓮実「え……」

P「今日、なにがあったか知っているか?」

蓮実「小耳には挟みました。Sちゃんのアイドル番組の制作会見……ですよね」

P「そうだ。今回は、Sに悪気も何もない。だが、結果的に俺がSの担当であったことが遠因となったのなら、蓮実には申し訳ない」

蓮実「そんなことはありませんよ。ハスラーさんと夢を育てるのは、とても楽しいです」

 健気にも蓮実はそう言ってくれる。
 だが俺はやはり、申し訳なさばかりが胸をよぎる。

 そもそもが、若くて体力があればもっとバリバリと営業してやれているんじゃないだろうか?
 SNSもそうだが、今の時勢にあった売り込みとか戦略も立てられたんじゃないだろうか?
 かつての付き合いやコネクションはあるものの、俺はひけらかしのタンタリズムのような気がしてそれらをあまり活用しなかったが、それも間違いじゃなかったのか?

 時の流れは早い。
 芸能界やメディアというのは、それに輪をかけている。
 そんな今、かつての経験などを頼りにプロデュースをするのは、間違いだったのだろうか。

 この長富蓮実という金どころか金剛石の卵は、俺でなければ前途洋々たるデビューが果たせたのではないだろうか……?

蓮実「それは、違います」

 珍しく蓮実が、毅然と言う。

蓮実「ハスラーさんが、私は大好きです。憧れながらも、今はもう存在しないとあきらめていた80年代アイドルへの道を、ハスラーさんは示してくれました。その為に私を鍛えてくれました。そして、一緒に歩いてくれています」

P「……」

蓮実「だから私は、迷わずここまで来られました。今、私は夢に向かって進めていると、実感してるんです」

 ありがたい言葉だ。
 だがそれでも俺には、迷いがある。

比奈「ただいまーっス。あれ? どうかしたっスか?」

奈緒「なんか真剣な話?」

智香「アタシ達ら、外しましょうか?」

P「いや、ちょうどいいかも知れん。みんなはなぜ、俺がハスラーとあだ名されるか知っているか?」

比奈「いや……そう言われると……」

奈緒「あれだろ? ハスラーって博打打ちって意味なんだろ?」

蓮実「ええ。それに、そういう名前のビリヤードの映画を見たことがあります。ああいう戦う男の世界の雰囲気からかなあ、って思ってたんですけど」

智香「戦う男……一か八かの大勝負を仕掛ける、そういう仕事ぶりから呼ばれてる……とか」

P「ハスラーが博打打ちという意味なのは確かにそうだが、俺がそう呼ばれるのには別の由来がある」

蓮実「それは、どんな由来なんですか?」

P「……かつて冷戦の時代、アメリカ軍はある航空機を制式採用した。当時の最新鋭の爆撃機だ」

蓮実「はあ……」

P「B-58超音速爆撃機、その愛称が……ハスラーだった」

蓮実「超音速……ばくげきき……?」

P「B-58ハスラーは、アメリカ空軍初の超音速爆撃機だった。要はものすごい速さで現地まで飛んでいき、爆撃をして去っていく……そういう想定の航空機だった。だが……」

蓮実「?」

P「ハスラーは制式採用されたものの、実際に配備された時には戦略的にもコンセプトとしても、そして機体も既に時代遅れになっていた」

蓮実「時代遅れ……」

P「事実ハスラーは、一度も実戦に出ることはなかったのさ」

蓮実「ごめんなさい、ハスラーさん。いえ……プロデューサーさん」

P「? どうした急に。今更いいぞ、今まで通りハスラーで」

蓮実「そんな思いをしておられたのに……私、知らなかったものですから、ずっとハスラーさんなんて呼んでしまって……」

P「揶揄の意味を込められてのあだ名だってのは、知ってたさ。だがな」

蓮実「?」

P「言われても仕方ない……そうも思っていたさ。図星を指されていたから、俺もそう呼ばれたくなかったかも知れない」

蓮実「そんなこと……」

P「事実、現場を離れてからは俺は大した業績を残しちゃいない。俺が担当を外れ、その後は個人事務所を立ち上げて自立したSが今も人気なのとは逆にな」

 そう。後進の育成も、プロダクションの経営も、プロデュース業ほどには手腕を発揮はできていない。
 それでも、社は躍進をしている。
 それは、俺ではなく社全体での業績という結果論だ。自分が何もしていないのは、俺自身が一番よくわかっている。

蓮実「Sちゃんが、今もビッグネームなのはわかりますけど、それもそもそもSちゃんを育てたのはハスラーさんなんでしょう?」

P「今となっては、それもあやしい。いや、世間はそう思っている。Sは大スターになる素養をもともと持っていた。誰が担当になっていても、伝説と呼ばれるアイドルになっただろう、ってな」

蓮実「そんな! そんなはずありません!! Sちゃんの才能を見いだして、プロダクションを必死に説得したのはハスラーさんなんでしょ!? Sちゃんだって、今もあんなにハスラーさんを慕っているじゃありませんか!!!」

 珍しい、感情を露わにした蓮実の言葉に、俺は視線を落とす。
 Sに才能があったのは間違いない。そしてそれをSは、必死で磨いた。結果、世で評価された。

 俺でなくても良かったのではないだろうか――?

 Sを担当している時にも俺は、ふとそう考えることがあった。自分以外の者が担当だった時、Sはどうなっていただろうか……

蓮実「Sちゃんはきっと、上京してこなかったと思います」

 今度は穏やかに。しかし確信を持って蓮実が言う。

P「……それはなぜだ?」

 蓮実は少し頬を赤らめ、それでもはっきりと言った。

蓮実「私が、そうだったからです」

 そうだったな――
 俺が担当をしてくれるなら、アイドルになる……そうこの娘は言ってくれたのだった。
 一緒に夢を育てよう、そう言ったから彼女はアイドルになってくれた。
 夢を……一緒に育てる!

P「そうだったな。夢を一緒に育てる……だったな」

蓮実「はいそれに……大丈夫ですよ。ハスラーさん。ハスラーさんが優秀なのは、私が証明してみせます」

 大らかな蓮実の、いつもの――いや、いつも以上の笑顔。
 なんなんだろう、この娘のこの笑顔は。
 余裕は……?

蓮実「蓮実には、凄腕のプロデューサーさんがついているんですから。その人は、私を見つけて、私と同じ夢を育ててくれて、私を育ててくれたんですから。その私がトップアイドルになったらそれは、ハスラーさんの実力なんです!」

P「……それが蓮実、君の自信の根拠なのか?」

蓮実「はい」

 無垢な、それでいて確固たる蓮実の返事。
 そうか――俺か。俺がこの娘の自信だったのか。

 全てがわかった気がした。
 俺はこの瞬間、理解した。
 俺が、この娘を時に大胆に、そして時に笑顔に、更には余裕を与えていたのだ。

蓮実「それにハスラーさん? 心配しなくてもレトロは、アイドルと戦闘機の組み合わせを経験済みなんですよ?」

P「……なんだと?」

奈緒「あ! マクロスだな!!」

P「まく……ろす?」

比奈「おお! アタシの歌を聞け~っス!」

P「?」

智香「キラッ☆」

P「?」

奈緒「いやいや。蓮実ちゃんならここは……」

蓮実「ハスラーさん?」

P「ん? な、なんだ?」

蓮実「出会い、おぼえていますか」

P「え? あ、ああ」

比奈「名言、きましたっス!」

智香「おぼえてい~ます~か~♪」

 一瞬、理解できたような気がしたが、やはりこの娘たちのノリはよくわからない。
 それでも、蓮実の自信の源泉は理解できた。

 そうか、俺か。
 俺だったのか。

 わかった。
 それなら俺が、なんとかしなくちゃならない。


 翌日にはSの番組への正式なオファーが届いた。
 バラエティー的な側面もある番組だがやはりメインは、歌謡トーナメントだ。
 8人のアイドルが歌を含めたパフォーマンスを披露し、勝ち抜き戦で優勝を決める、とある。

P「どうだ? 神谷さんや荒木さん、若林さんも参加するか?」

 オファーには、トーナメント参加のアイドルも随時募集中とある。どうやら蓮実の他にはまだ1名しか参加予定がないようだ。

智香「それって、レトロアイドルじゃなくても参加できるんですかっ?」

P「特にそういう規定は見あたらないな……アイドルなら誰でも参加していいみたいだ」

奈緒「あ、でもさ。こないだ思ったんだけど、ちょっと前のアニメの主題歌とかで参加するのはアリかも知れないよな」

比奈「おおー。そりゃいいかもっスね」

 結局、神谷さんと荒木さんのプロデューサーにも話を入れ、2人はトーナメントに参加することとなった。若林さんは、応援に徹するという。

P「蓮実、当初の予定とは違ってしまったが、出た賽の目を楽しもう。世間の注目の集まっているここで優勝して、一気にトップアイドルへと駈けあがろう」

蓮実「はい! Sちゃんの前で優勝します」

 頼もしいな。
 蓮実の宣言を聞き、俺は微笑んだ。

   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

蓮実の日記

 こわい。

 怖い恐いこわい!

 いきなりのテレビ出演に、歌で勝負。それもSちゃんや一流の先生方の前で……

 ハスラーさんにはああ言ったけれど。内心、不安でいっぱい。

 レッスンはしました。
 けれど、ハスラーさんが言っていたレッスン以外の成長方法……現場での経験が私にはまるでありません。
 収録までもう日がないのに……

 今にもも不安に押しつぶされそうです。

 今夜も眠れそうにないな……


   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

蓮実「あの、今日のレッスンは外でするんですか?」

P「そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるかな」

 少し青い顔をしていた蓮実から、笑みがこぼれる。

蓮実「典型的な、ハスラーさんの言い方ですね」

P「……そう言うと思った」

蓮実「まあ、わかっちゃうんですか?」

P「そろそろ、つきあいも長くなった。お互いのことも、理解できてきたからな」

蓮実「じゃあ……私が今、何を考えているか。ハスラーさんはわかりますか?」

P「そうだな。明日の収録が恐くてたまらない……といったところかな」

蓮実「!」

P「当たらず言えども遠からず、か?」

蓮実「いえ。大当たり……です。でも……!」

P「言っておくが、それは悪いことじゃない。初めての収録を前にして、なんの根拠もなしに自信満々でいられても、それはそれで問題だ」

蓮実「そういう……ものですか?」

P「コトの重大さを理解していたら、とても楽観的に構えていられないだろうからな。恐いということはそれだけ、現状把握ができているということだ」

蓮実「私……このままでは優勝どころか、まともに歌うこともできないんじゃないかと」

P「蓮実。君には実力がある」

蓮実「……はい」

P「そしてこれから、足りない部品を追加する」

蓮実「え?」

P「現場での経験、さ」


カメラマン「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

蓮実「え? あ、はい。おはよう……ございます」

P「蓮実。これから君は密着取材を受ける」

蓮実「密着……取材ですか?」

P「新人レトロアイドル長富蓮実、テレビデビューとその番組内での奇跡の優勝を、あますところなく収録! というドキュメンタリーのな。これから明日の優勝まで、蓮実はずっとカメラに撮られている」

蓮実「! そうか。じゃあハスラーさん、今から明日の番組終了までずっと私は……」

P「そう。現場にいることになるな」

 本来出演するはずだった蓮実の歌番組がキャンセルとなり、俺は代わりの条件をブーブーエスに打診した。
 今、注目されている長富蓮実の、テレビデビューを前日の舞台裏から密着取材して放映してはどうか、と。
 ディレクターは、一も二もなく承知してくれた。
 無論そこには、蓮実が優勝できなかったとしても、注目されいる彼女の貴重な映像が独占できるという読みがあったであろうことは推測される。
 が、それこそそんなこはこっちの知ったことではない。要は、蓮実の為のレッスンなのだこれは。

 密着取材は、インタビューから始まる。が、カメラチェックの段階で、視線の定まらない蓮実に、俺は注意を与える。

P「蓮実、どんな時にもカメラを意識しろ。その位置を把握しろ。どう見せるかを考えろ」

蓮実「はい。あの……どこを見ればいいんですか?」

P「カメラはレンズじゃなくて、その少し下を見ろ。ちょうどレンズを見ると、文字通り上から目線になる場合がある」

蓮実「わかりました。他に注意する所はりますか?」

P「必ずしもカメラを見続けなくてもいいが、自分からカメラが見える位置と角度はキープしろ」

蓮実「私からカメラが見えるってことは、カメラからも私が見えてるってことですよね」

P「いいぞ。察しが早いな」

 考えてみれば、蓮実は80年代アイドルを見て育っている。可愛く撮られた映像を数多く見ている彼女は、ちょっとしたコツや心がけを教えればそれが見てきた経験の中で気づくことができる。
 それだけ早く、正確にその意味に気づけるのだ。

P「じゃあすみません、最初からお願いします」

カメラマン「はい」


カメラマン「あなたにとって、アイドルとはーー?」

蓮実「私は、母からアイドルの歌や世界を教えてもらいました。だから、小さい頃から今ではレトロと呼ばれる世代のアイドルに触れて、成長してきました。私にとってアイドルとはーー身近で、それでいて遠い遠い夢の世界です」


カメラマン「夢ーーとは?」

蓮実「一言であらわせば、憧れ……でしょうか。でも、それだけではありません」

カメラマン「それは?」

蓮実「私も誰かの夢に、憧れになることです」

カメラマン「明日のトーナメントに対する意気込みを」

蓮実「私はまだ、デビューしたばかりです。ほんの小さな存在です。その私が……こんなことを言ったら、生意気だと思われるかも知れません。笑われるかも知れません。でも……優勝します。絶対」

 インタビューを撮り終えると、俺たちはレッスン場に移動する。
 レッスン風景を撮ってもらうが、さすがに蓮実はもう撮られ方を掴んできている。堂々とした、それでいてカメラを意識していないかのような歌とダンスを一通り終える。
 が、それはあくまでレッスンの冒頭部分だ。まだ蓮実の体力も満タンの状態でのことだ。

P「と、ずっと撮り続けられてお疲れでしょう。社食ですが、用意をしています。ひと休憩入れましょうか」

カメラマン「いいんですか? ありがとうございます!」

 この手の取材は、取材対象が食事を摂っていても自分は食べられない。
 それ故にハードなのだが、俺は気を利かせたフリをしてカメラマンに休憩をとってもらう。そしてその間に……

P「さて、本番のレッスンだ」

蓮実「はい。ヘトヘトになるまで、がんばりますね!」

 満面の笑みでカッツポーズをする蓮実。
 頼もしく、そして可愛い娘だ。

 午後からは、いよいよSの番組収録だ。と言っても、本番であるトーナメント戦は明日で、今日はその顔合わせとCMと組み合わせ発表の収録だ。

奈緒「お、蓮実ちゃーん。一緒に収録だな」

比奈「テレビ局……緊張するっスね」

蓮実「お2人が一緒で、心強いです。一緒に決勝とかで優勝を争えたら最高ですよね」

奈緒「それも、憧れの人の目の前で、だろ?」

蓮実「え?」

比奈「ほら、あそこにいるっスよ」

 神谷さんと荒木さんが指す先には、スタジオ内を細部までチェックし指示を出しているSの姿かあった。
 なかなか堂に入った番組ディレクターぶりだ。

蓮実「そうですね……でも、大切なのはSちゃんよりも対戦するお相手の方です」

奈緒「まあ、そうだよな。あたしらも、レトロなアニメの主題歌とか練習してきたからな」

比奈「もし対戦することになったら、全力で歌うっスからね」

蓮実「はい! 楽しみにしていますね」

 もう既に蓮実は、カメラの位置を的確に捉えて身体の向きを変えて2人と話している。
 その順応力に、俺は感嘆する。
 まるであの頃のSみたいだ。

P「ウチの3人の他には……余所のプロダクションの娘が4人か」

 収録が始まる。
 それぞれの娘の簡単なプロフィールを司会が読み上げ、呼ばれた娘は箱の中から番号の書かれた札を取り出す。

司会「荒木比奈さん。②番!」

奈緒「え!? あたし①番……ってことは……」

司会「これはなんという偶然か。一回戦最初の対戦は、同門の所属事務所対決! 神谷奈緒さんと、荒木比奈さんの激突となりましたーー!!」

奈緒「最初から比奈さんが相手かあぁ~!!」

比奈「ってことっスね。手加減はナシっスよ」

奈緒「うーん……ちょっとびっくりしたけど、やるからにはあたしも勝つつもりでやるよ!」

比奈「その意気っス。あ、蓮実ちゃんの番っスよ」

蓮実「はい。行ってきます」

 蓮実が札を引く。
 番号は……

司会「長富蓮実さん。⑦番!」

蓮実「ラッキーセブンですね。嬉しいです」

 俺はトーナメント表を見る。
 ん?

奈緒「対戦相手の⑧番のとこ、空白……だよな?」

 言われてみると確かに、会場には蓮実と神谷さんに荒木さん。そして余所の事務所の娘が4人……合計で7人しかいない」
 急な募集で、アイドルが8人は集まらなかったのか?

 いや、俺の予想は外れていた。

比奈「ということは、蓮実ちゃんは不戦勝……?」

奈緒「それに⑦番ってことは、あたしたちのどちらかが勝ち上がったら決勝は蓮実ちゃんだな」

 荒木さんと神谷さんの予想も外れていた。
 この時、それまで黙ってニコニコしながら収録を見ていたSが、不意に口を開いたのだ。

S「蓮実ちゃーん」

蓮実「え?」

S「これ、これ」

 ポケットからSが取り出したのは、トーナメント札。
 その番号は……

蓮実「⑧番……」

S「どこかで蓮実ちゃんと当たりたいなあって思ってたけど、まさか最初から対戦できるなんてね」

P「確かに……」

 Sは自分が審査員をしないとは言ったが、自分が出場しないとは一言も言ってはいない。
 いや、会見での優勝予想。あそこで自分の名前を出したのは……すべて本心だったのだ。リップサービスやジョークなどではなく。
 それより問題は蓮実だ。
 蓮実にとってもこの事態はショックなはずだ。
 どうだ? 蓮実……

蓮実「ええ。Sちゃんが出演してくれて、それも対戦できるなんて楽しみです。私……負けませんからね」

 後にこの時のVを見ると、蓮実は実に堂々とSに対して答えている。
 カメラ目線ではないが、とても良い表情をしている。
 そしてそれは、彼女の成長を物語っている。
 収録中は、常にカメラを意識するということができている証拠だ。
 ただ、この時のカメラが蓮実の表情を追ってくれていて、正直助かった。
 なぜなら蓮実の足は、小さく震えていたからだ。


カメラマン「対戦相手、意外な相手でしたが?」

蓮実「そうですね、驚きました。でも、同時に嬉しいです」

カメラマン「Sちゃんは、憧れの人だから?」

蓮実「はい。でも、それだけではないかも知れませんね」

カメラマン「というと?」

蓮実「勝とか負けるとかじゃなくて、私のせいいっぱいをぶつけられる相手だから、です」

カメラマン「?」

蓮実「余計なことを考えず、自分ができる全てを明日は出し切ります」


 その夜、俺は蓮実に電話をした。
 こういうことは珍しいことだ。レッスン等で気になったことがあれば、平素ならその場で蓮実と意見交換ができるからだ。

P「なかなかの回答だったな、帰りの車中でのインタビューは」

蓮実「……本心ですよ? 少なくとも私は、そのつもりです」

P「ああ、そうじゃない。それはわかってるんだ。よくそれが言えたな、ということだ」

蓮実「それしか……思いつかなかったんです」

P「……なあ、蓮実。明日だがな」

蓮実「はい?」

P「Sのことは、忘れろ」

蓮実「どうして、ですか?」

P「勝てないからだ」

蓮実「!」

P「勘違いするなよ。蓮実ならSと張り合っても勝てるかも知れん。いや、その見込みはある。だが、同じ土俵で戦うならSが有利だ」

蓮実「じゃあ、どうすればいいんでしょうか?」

P「明日、なにを歌うつもりだった?」

蓮実「それはSちゃんの……あ」

P「定番の80年代アイドル曲をやろうとすれば、Sは大きな壁だ。そしてそれは、Sの曲を選ばなくても……」

蓮実「あの頃の他のアイドルとSちゃんとの比較になっちゃうんですね」

P「そう。そしてSはあの時代の女王だ。そういう選曲は賢明ではない」

蓮実「わかりました。じゃあ、こういうのはどうでしょうか……」

 蓮実の提案は、意外ではあったがそれだけに彼女なりの勝算を感じさせた。
 俺はその案に許可を出した。

P「しかし、できるのか?」

蓮実「まあ、ハスラーさん? できるか、っていうのは疑う言葉ですよ?」

P「そうだな。じゃあ俺は、準備をしておく。明日は……がんばれ」

蓮実「はい。楽しみにしておきます」

P「蓮実はしっかり眠っておくんだぞ」

蓮実「蓮実は、ってことはハスラーさんは寝ないつもりなんですね?」

 なかなか鋭い指摘だ。だがここで、蓮実に余計な心配をかける事はできない。

P「この歳で無茶はできない。心配するな」

蓮実「……わかりました。では、明日の朝」

P「わかった」

 俺はその足で、レッスンルームへと向かった。


蓮実「おはようございます」

ちひろ「という事です。遠慮なさらず、私を呼んでくだされば良かったのに……あ、蓮実ちゃんおはよう」

P「うむむ……いや、助かった。蓮実、おはよう」

蓮実「どうされたんですか?」

P「いや……やはり俺だけでは色々と難しくてな。ちひろさんに助けてもらった」

蓮実「まあ、ありがとうございます」

ちひろ「いいえ。蓮実ちゃん、今日はがんばってね」

蓮実「はい! それで、あの……」

P「準備は万端だ。時間は少ないが……いけるな、蓮実」

 俺は楽譜を蓮実に渡す。

蓮実「ええと……はい、これなら大丈夫です」

P「よし、じゃあかけるぞ」


 ブーブーエスでの収録が始まった。
 当初はバラエティ的要素もあるとのことだったが、今回は初回スペシャルでトーナメントのみの収録だという。
 まずはウチの事務所の神谷さんと、荒木さんの対決だ。

奈緒「心に響く♪ 好きという君の声♪
   優しい気持ちは♪ 宇宙の果てまで♪
   届くのーかなー♪」

比奈「ゴーゴー♪ ゴーカイ♪
   ゴーゴー♪ タタカイ♪
   銀の翼で♪ 敵を撃て♪」

智香「奈緒ちゃんは宇宙開拓をテーマにしたアイドルアニメの主題歌で、比奈さんは合体ロボットアニメの主題歌なんですよっ☆」

P「詳しいな」

智香「2人の特訓につき合いましたからねっ!」

P「特訓とは? 具体的には何を?」

智香「やっぱりアニメの主題歌っていうことは、そのアニメの主題、つまりテーマを突き詰めないといけないということで」

P「? それで?」

智香「そのアニメ全話、視聴しましたっ☆」

P「ふうむ……それって、何話ぐらいあるんだ? 1クール12話ぐらいか?」

智香「奈緒ちゃんの宇宙開拓アイドルアニメは、全4部で合計178話……」

P「なに!?」

智香「に加えて、新章が100話と続編が76話。そして先々月から新しいシリーズが放映中ですっ!」

P「それを全部見たのか!?」

智香「そうですよっ?」

P「よく見られたな……荒木さんはも、そのぐらい見たのか?」

智香「比奈さんのアニメは52話だったんですけど」

P「そうか、安心した」

智香「劇場版が20作作られてましたっ☆」

P「……」

司会「審査員の集計が出揃いました。勝者は……神谷奈緒ちゃん!」

比奈「あー……負けたっスかー……」

奈緒「やった! ごめんな、比奈さん」

比奈「いや、いい勝負だったっス。次もがんばって欲しいっス」

 神谷さんと荒木さんは握手をし、カメラがそれをアップにする。いい絵だ。


 そしてSの番が来る。Sが選んだ曲は……

S「期待していたのよ♪
  気になるアナタ、鳴らない電話♪
  夢見ていたのよ♪
  2人ですごす南の島を♪」

P「サヨナラ夏休みか……」

 やはり思い入れのある曲を、往年の歌唱とフリで歌い踊るSは、やはり魅力的だった。
 続いての蓮実は……

蓮実「青空に輝く雲~♪
   光る風 頬に受け走る~♪」

 蓮実の歌い出した曲に、Sは首を捻る。
 懐かしい曲調ではあるが、聞き覚えがないのだ。
 それも当然だろう。あの時代……80年代の曲だ。だが、Sは知るまい。
 そう。S自身も言っていた。話題になった曲は必ず歌ってみた、と。
 では、話題になっていない曲は?

 いつの時代、どの場所でも知られざる名曲というものが存在する。
 良い曲でなければ売れない。だが、良い曲なら必ず売れるのかーー?
 答えはNOだ。
 良い曲が必ず売れるなら、俺のようなプロデューサーという職業は必要ない。
 良い曲とその歌い手をプロデュースし、世に出し、多くの人に聞いてもらうのが俺の仕事だ。良い曲が無条件で売れるはずがないことなど、骨身に染みてよくわかっている。
 だがSは、自身をプロデュースしているとは言っても、やはりその本質はアイドルーー表現者だ。

 蓮実が歌っているのは、Sの曲が絶賛されていた当時、それほど売れることはなく、さして話題にはならなかった、だが聞けば誰もが認める隠れた名曲なのだ。

 蓮実はこの曲を、例のレッスン場に置いてあるLDの山から見つけだしていた。好んでよく歌っている。

S「こんな曲……初めて聞いたわ。でも……いい曲ね」

 Sも素直に認めている。いや、そもそもはこの娘は素直ないい娘なのだ。
 そして審査員の採決は……

司会「それでは審査を、お願いします。Sちゃん、蓮見ちゃん、蓮見ちゃん、Sちゃん、Sちゃん、Sちゃん、蓮実ちゃん、蓮見ちゃん、蓮見ちゃん、蓮見ちゃん……4対6! 勝者、長富蓮実ちゃんです!」

比奈「お……ま、マジっすか!?」

奈緒「やったよ! 蓮見ちゃんの勝ちだよ!!」

智香「ひゃっほーぅ☆☆☆」

蓮実「私の……勝ち? ほ、本当……に? 私が……?」

S「もう、しっかりしなさい。そんなんじゃ、お姉さん悔しくても泣くに泣けないじゃない」

蓮実「Sちゃん……私、私……」

S「おめでとう。あなたの勝ちよ、蓮見ちゃん」

蓮実「Sちゃーーーん!!!」

 感極まった蓮実は、Sに抱きついて泣き出した。
 蓮実を抱きしめるSの目にも、涙が光る。が、それはおそらくきっと、悔し涙なんかではないだろう。

S「私の知らない、名曲かあ……やるわね」

蓮実「ごめんなさい。Sちゃんの番組なのに……」

S「そんなことはいいのよ。私の番組で、やらせやおもねりなんてイヤだし」

 涙顔で笑うSは、それでも少し悔しそうに蓮実に言った。

S「アイドルとして活動してもう40年よ、私も。とっくに全盛期は過ぎたわ……」

蓮実「Sちゃん……」

S「とっくに、ね」

蓮実「そんなこと……」

S「でも蓮実ちゃん、あなたのお陰で今日、こんなにも楽しく歌うことができたわ。いちアイドルとしてね。あなたは私の時も動かしたのよ」

蓮実「光栄です。お姉さん」

S「私もまだまだ引退なんてしないわよ。また……歌いましょう、ステージで」

蓮実「はい!」

 芸能界のレトロアイドル姉妹は、再び抱き合った。
 審査員もスタッフも参加アイドルも、みな笑顔で拍手をした。

 そして当然、優勝したのは。

司会「優勝は、長富蓮実ちゃん!」

奈緒「あー、負けたかあ……でもすっごく楽しかったよ」

蓮実「はい。私も、奈緒さんのレトロアニメ主題歌も素敵でした」

奈緒「またあたしとも歌ってくれよな」

蓮実「はい! 喜んで」

 Sの番組、グレイテストヒッツショウは蓮実の優勝で幕を閉じた。
 視聴率は高く、またこの番組をきっかけに、テレビやラジオでレトロアイドルソングが脚光を浴び、蓮実は引っ張りだこになった。
 レトロ調の新曲も、飛ぶように売れ、もちろん今の時代のネットショップでのデータ販売もあったが、蓮実は今の時代珍しいアナログレコードも販売し、それも驚くほど売れた。
 結果としては、Sとの対戦が生んだ嬉しい誤算だが、実はもうひとつ蓮実にとってのささやかな誤算があった。
 独占密着という経験を経て、蓮実はもうカメラの前ではうろたえることはないだろうと俺は思っていたが、実際はそうではなかったのだ。
 それは、グレイテストヒッツショウ後の記者会見でのことだった。

記者「おめでとうございます。今の心境は?」

蓮実「本当に、夢みたいです」

記者「Sちゃんに、勝てると思いましたか?」

蓮実「そういうことは考えませんでした。ただ、ファンのみなさんに喜んでいただける歌をうたえたら、と思ってました」

記者「そういえば蓮実ちゃんとSちゃんは、プロデューサーが同じ方なんですよね?」

蓮実「はい。私をスカウトしてくださったんです」

記者「どうです? 社長さんがプロデューサーというのは?」

蓮実「そうですね、社長さんがプロ……え?」

記者「やはり緊張したり、気をつかったりもされるんですか?」

蓮実「社長さんが……プロデューサー?」

記者「あれ? まさかご存じないはずはないでしょう? 蓮見ちゃんの事務所の代表取締役社長のPさんが、直々にプロデュースに乗り出すと以前記事にも……」

蓮実「ええええええっ!?」


P「なんだ、知らなかったのか」

蓮実「し、知りませんでしたよ! いえ、あの……すみません。今まで。私そんな、社長さんにプロデュースをして欲しいとか、まだ所属してない頃からそんな無茶をお願いしてたなんて……」

奈緒「そういえば、あたしも言わなかったかな」

比奈「なんとなく、知ってるんじゃないかと思ってたっスからね」

智香「誰もハスラーさんのこと、社長さんとか言わないしねっ☆」

蓮実「いえ、言ってくださいよ! 名刺にもそんな肩書き、書いてありませんでしたし……」

P「あれはスカウト用の名刺だしな」

蓮実「どしよう私……そんなこと全然知らなかったから……」

奈緒「まあまあ。別に今まで通りでよくないかな」

比奈「そうっスよ。ハスラーさんは、ハスラーさんなんスから」

智香「変わらない良さのレトロが蓮見ちゃんの信条でしょっ?」

蓮実「そういうわけには……」

P「じゃあどうする? 今日からは社長さんって呼んでくれるのかな?」

蓮実「ハスラーさんを社長さんなんて……ああ、でも……」

P「別にいいさ、神谷さんの言う通り今まで通りで」

蓮実「いいんですか?」

P「これからも、やっていこう。止まった時を動かすアイドルと、止まった時を戻すプロデューサーとして、な」

蓮実「じゃあ……お願いします、ハスラーさん」

P「ああ。最新鋭のレトロアイドルの活躍は、これからだからな!」

蓮実「そういえば、亜季さんから聞きました」

P「大和さんから?」

 大和亜季は、やはりウチに所属するアイドルの1人だ。
 サバゲー好きだが、それに限らずミリタリー関係にも造形が深い娘だ。

蓮実「ハスラー……B-58超音速爆撃機は、確かに一度も実戦に出ることはなかったそうですけれど……」

P「?」

蓮実「ハスラーは、世界で初めて沈む夕日を追い越して飛んだ飛行機なんだそうですよ」

P「ほう、それは知らなかったな」

奈緒「沈む夕日を追い越して……って、どういうことだ?」

蓮実「夕日が沈んでいくものなのは、奈緒さんもご存知でしょうけど、その沈んでいく速さよりも早く飛んだら……どうなると思います」

智香「え? もしかして……」

比奈「夕日が……また登っていくとかっスか?」

蓮実「はい。ハスラーは沈む夕日を逆再生するように、再び登っていく光景を目にしたそうですよ」

 蓮実の嬉しそうな顔に、俺は少し照れくさくなる。
 彼女が話しているのは、俺じゃない。時代に乗り損ねた超音速爆撃機のことだ。
 だが、俺は少し誇らしく、更に少し照れくさい。

蓮実「これからも、私と一緒にハスラーさん」

P「……ああ、レトロ旋風を巻き起こしていこうな!」


   お わ り

以上で終わりです。おつき合いいただきまして、ありがとうございました。

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