南千秋「お前よりも藤岡を好きだという自信がある」南夏奈「はあっ!?」 (8)

「喜べ、千秋。今日は私が一緒に寝てやろう」

そんな恩着せがましい物言いで人の布団に入ってくる馬鹿野郎に、私は無言で肘打ちした。

「ぐふっ……な、なにを照れてるんだ、千秋」
「照れてないよ」

ただただ、ひたすらに迷惑だっただけだ。

「どうしてそこまで拒絶する!? たまには可愛い妹と添い寝したっていいじゃないか!」
「気持ち悪いんだよ、バカヤロー」

鼻息を荒くして頬擦りしてくる夏奈に悪態を吐きつつも、可愛いと言われたことだけは素直に喜ばしく、私は仕方なく抵抗を諦めた。

「ふぅ……ようやく観念したか」
「さっさと寝なさいよ、バカヤロー」
「まあそう急くな、千秋。すこし話をしよう」

まあ、そんなことだろうと思った。
おそらくこの馬鹿やろうは寝る前に馬鹿なことを考えて眠れなくなってしまったのだろう。
ちょうど、私も寝つきが悪かったので眠くなるまではこの馬鹿野郎の馬鹿馬鹿しい話に耳を傾けるのも悪くないと思い、話とやらを促す。

「なんだ、改まって」
「千秋」
「なんだよ」
「義理の兄は欲しくないか?」

この姉は予想の斜め上をいく馬鹿野郎だった。

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「義理の兄ってお前、誰かと結婚するのか?」
「将来的にという意味だ」
「春香姉様を差し置いて何をほざく」

そりゃあ将来的にならばこの馬鹿野郎にも結婚相手が見つかるかも知れないが、まずは春香姉様がお嫁にいくのが道理であると私は思う。

「春香はあれで私生活がだらしないからな。なかなか良い相手が見つからないかも知れない」
「お前はもう見つけたような口ぶりだな」
「少なくとも貰ってくれそうな奴はいる」

そんな危篤な奴など、あの男以外には居まい。

「藤岡か?」
「どうしてそう思う?」
「質問に質問で返すんじゃないよ、馬鹿野郎」

図星を突かれた癖に余裕な顔に腹が立った。

「まあ、あいつがどうしてもと言うならやぶさかではないと言うか、やむを得ないと言うか」
「他に選択肢なんてないんだよ、バカヤロー」
「ふふっ……たしかに、そうかもしれないな」

わりとキツい悪態を吐いたのに夏奈は全然へっちゃららしく、幸せそうに微笑んでいる。
そんな反応をされると敗北感を感じてしまうので、一矢報いねばならないと思い、尋ねた。

「お前、藤岡のことが好きなのか?」
「あいつが私に惚れているんだよ!」

ムキになって言い返してきた夏奈を見て、ほっと安堵した私は、一気に攻勢に転じた。

「しかし夏奈、結婚は好き同士がするものだ」
「ぐっ……それは、たしかに」
「もしも仮に、万が一、藤岡がお前のことを好きだとしてもお前が藤岡を好きでないのならば結婚は成立せずに、お前は一生独身のままだ」
「だ、だから、一生独身は嫌だから、私は妥協に妥協を重ねて藤岡でもいいかなと……」

どこまで上から目線なんだこの馬鹿野郎は。
これではあまりにも藤岡が不憫だと思った。
ちょっと夏奈をこらしめてやるべきだろう。

「妥協は良くないぞ。一生の問題だからな」
「そんな、いくらなんでも大袈裟すぎるぞ」
「なにが大袈裟なものか。考えてもみなさいよ。この先、何十年も一緒に過ごして、最終的には同じ墓に入るんだぞ。そんな相手を妥協で決めるなんて真性のアホがすることだ」
「……たしかに」

夏奈は真性アホなので丸め込むのはたやすい。

「なんなら私が代わってやろうか?」
「へっ?」
「私が藤岡と同じ墓に入ってやる」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! どうしてそうなるのかさっぱりわからないぞ!?」
「お前よりも藤岡を好きだという自信がある」
「はあっ!?」

よしよし。首尾は上々。夏奈は泣きそうだ。

「こら、千秋。からかうのはよしなさいよ!」
「からかってなんかない。私は本気だ」

泡を食って喚く夏奈の狼狽ぶりに、今にも笑いそうになるのを堪え、真剣な表情で告げると。

「千秋……いい加減にしろ」

すっと、夏奈の目が据わり。
その瞳の奥に真っ黒な炎が揺れていた。
ゾクリと背筋が凍る。めっちゃこわい。
本能的な危機感を覚えた私は無意識に謝った。

「……ごめん。冗談だから、許して」
「ん? なんだ、冗談か! それならよし!」

良かった。いつもの夏奈に戻った。
しかし、恋は人を変えると言うが。
これほどとは思わなかった。反省。

「夏奈」
「んー? どした、千秋」
「まだお嫁に行かないよね?」

久しぶりに姉に叱られ、気持ちが落ち込んでしまった私がついつい弱音を吐くと、夏奈は何が嬉しいのか満面の笑みを浮かべて頭を撫でた。

「当たり前でしょうが。まだまだ先の話さね」

あとどれくらい。
何度、夏奈は私の頭を撫でてくれるだろう。
そう考えるとこのひとときが何だかとても貴重なものに思えて私はぎゅっと姉を抱きしめた。

「義理の兄なんか要らないからそばに居て」
「ん。考えておこう」

私の姉は馬鹿野郎だけど、優しくて大好きだ。

「ところで、千秋さんや?」
「なにかね、夏奈さんや?」
「さっきから妙にお布団が冷たいんだけど?」

ああ、ついにきてしまったか。運命の刻が。

「夏奈が悪いんだもん」
「私がいったい何をしたと?」
「こわい顔をしたでしょうが」
「だから?」
「おしっこを漏らしたんだよ! バカヤロー!」
「フハッ!」

ああ、あと何回。何十回と。
夏奈の愉悦を耳にするのだろうか。
早いところお嫁に行って欲しいものだ。

「フハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「その嗤い方はやめなさいよ! バカヤロー!」

高らかな哄笑で耳がやられた。
まったく、困った姉だ。心底腹が立つ。
それでも夏奈は私の姉であり代わりは居ない。
妥協に妥協を重ねて、存在を許してやろう。

「ふぅ……なあ、千秋よ」
「なんだよ、バカヤロー」
「こんな私でもお嫁にいけるだろうか」
「いけるわけないだろ、バカヤロー」
「ふふっ……それは困ったなあ」
「ずっと私の傍に居なさいよ、バカヤロー!」

隣でおしっこを漏らしてもヘラヘラ嗤って抱きしめてくれる姉など、この馬鹿野郎以外には居ないだろうと考えれば、妥協も悪くなかった。


【夏奈の嫁入り前々前夜】


FIN

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