向井拓海「ひざまくら」 (15)

「……プロデューサー」

 二人きり。プロデューサーの部屋の中。何人ものアイドルやスタッフ達が出入りする事務所の建物の、だけどアタシとプロデューサー以外には誰も入ってこない個室の中。
 もうすっかり使い込んで慣れ親しんだソファの上に身体を乗せる。二人用のそれの端のほうへ腰を下ろして、今日は太ももを開かず閉じる。そこへ乗せやすいように。それを撫でやすいように。
 そうして座る。そして乗っける。プロデューサーの頭をアタシの上へ。膝枕。アタシが、プロデューサーを。

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「……プロデューサー」

 それから十分ちょっと。瞬きをするくらいの一瞬だったようにも感じるし、無限に思い返して噛み締められるくらいの長く満たされた時間だったようにも感じるけど、壁に掛かった時計の針によればどうやら十分をちょっと過ぎたくらいらしい。
 膝枕。無防備に預けられた頭を太ももの上へ受け止めて、そのまま目を閉じ口も結んだプロデューサーを同じく無言で、でも逆に目は閉じずまっすぐじっと見つめながら時間を重ねるこれ。これを始めてからもう十分。
 始まりはプロデューサーから。……プロデューサーの担当するアイドルは今アタシだけ。だから仕事はアタシのため。朝からいくつも作ってる書類も、何度も繋ぐ電話も、繰り返し送り送られてくるメールも、その何もかもがアタシのため。だから断れなくて。プロデューサーの「仕事で疲れたな。拓海に癒してほしいな」なんて言葉を。断らず……本当は断る気なんて欠片もなくて、むしろアタシのほうからさせてほしいくらいで、でもアタシのほうからはそんなこと言えなくて。だからそれに気付いてるプロデューサーが、自分の発言ってことにしてくれてるこれを受けて。少し迷って拒むような形だけ嘘のふりをしてから、それからこれは始まった。今日もまた。そうして。
 終わりは特に決めてない。アタシのレッスンは済んでるし、プロデューサーの仕事も纏まってる。だからきっとギリギリまで……今日もいつも通り家へ送る前にご飯も一緒してくれるんだろうから、それをして家に着くのが門限を破らないギリギリまでは続けてくれるんだろう。アタシはべつにもっと遅くまで一緒だって構わないし、むしろそのほうが嬉しいんだけど、でもまあ体裁ってやつがあるらしい。だからそのギリギリまで。その頃になったらプロデューサーが起きて終わらせてくれる。……アタシから終わらせるのは、たぶん無理だから。

「……プロデューサー」

 名前を呼ぶ。呼んで、少し待つ。目を閉じたプロデューサーは動かない。その無抵抗を確かめて、それから手を触れさせる。
 耳の縁、輪郭をなぞるように指先を這わせて撫でる。耳たぶを指の間に挟んで甘く食む。外から隠れた付け根の辺りをゆっくりと撫で上げて、そこからそのまま離すことなく頬まで滑る。そんなふうにして、それまで置き場に困って空を泳いでた手を触れさせる。
 プロデューサーは拒まない。受け入れてくれる。無抵抗で答えてくれたその通り。

(……これを許してもらったのはもうずっと前なのに、でもやっぱ……ああ、慣れねえもんだな……)

 プロデューサーは許してくれない。どうしても駄目なこと。アイドルとして、まだ許されちゃいけないこと。それをしっかり許さない。アタシの言葉を聞いて、それを許していいか考えてくれる。駄目ならちゃんと言ってくれて、良いなら無言で受け入れてくれる。
 出逢った時からそう。仕方なさそうに苦笑しながら、楽しそうに笑いながら、真剣な目で見つめ返しながら、いろんなアタシを許してくれた。背中を押してくれた。手を広げて受け止めてくれた。……目を閉じて自由にさせてくれた。
 いつもの通り。だからアタシは今もそう。何度も繰り返し重ねてるこの触れ合いの中、また何度も許しをもらう。もう許されたこともまた。まだ分からないものを新しく。前に許されなかったものも改めて。

(前よりも、そりゃまあ少しは落ち着いてる。同じことやってんだからそりゃあまあ。……けど)

 頬を撫でる。摘まむ。つっつく。前にもやったみたいに。指で遊んで愛で弄る。
 前にも同じようにはした。だからその時よりも冷静に落ち着いてるはず。だけど、だからこそ、そうなったからこそ見えるもの、前は気付けなかった初めてのプロデューサーを見付けてしまって、だから結局またこんな。ドキドキする。照れ臭くて恥ずかしくて、それに凄く温かい。

「……プロデューサー」

 また呼んだ。今度もプロデューサーは動かない。
 許してもらえたのに甘えて抱き寄せる。頬へ添えていた手を滑らせて、胸の前辺りでソファから投げ出されてたプロデューサーの腕を持つ。力無く委ねられたそれを傍まで導き引いてきて、胸元へと抱き締める。
 離さないようにしっかり掴んで。押し付けるように胸の中へ抱き込んで。だらん、と垂れた手の甲へそっと顔を近付ける。
 少し腕の辛い体勢にしてしまってはいるけれど、まあたぶん大丈夫。拒まれないならそういうことなんだろう。それならアタシのほうから離す理由なんてない。許されるだけしてしまおう。

(……でっけえなあ)

 見つめる。唇が触れそうなくらいのすぐ近く、胸に抱いたそれを吐息で濡らしながら見つめて思う。
 自分とは違う手だ。女の自分とは違うゴツゴツとした男の手。子供の私とは違う、皺の刻まれ始めた大きくて温かい大人の手。……ああやっぱり、アタシとプロデューサーは遠いんだな、なんてことを。
 プロデューサーは大人で、そんなプロデューサーにとって自分はまだ子供。求めるのはいつだってアタシからで、プロデューサーはそれに応えてくれるだけ。今のこれもそう。格好だけはプロデューサーからするみたいに取り繕ってくれるけど、実際求めてるのはアタシばかり。応えてもらえてるだけ。許せる範囲で許してもらえてるだけ。その先は叶わない。プロデューサーのほうから、アタシを求めてはもらえない。

(ドキドキしてんの全部伝わってんだよな、これ……。ちゃんと。アタシの気持ち)

 胸へ抱いたプロデューサーの腕、速く鳴る胸の鼓動を隠さずそこへ伝えて送る。
 もう伝わってるのは分かってるけど。前にこれと同じようにした時にはもう。そのずっと前、こうして触れ合うのを許してもらう前からきっと。そんなのは分かってるけど。でもまた。改めて。
 伝わってるなら、もっと。プロデューサーの中のアタシが薄まらないように。もっと大きく、もっと深いものになるように。
 抱き締めた腕を更に強く、深く優しく包み込む。離さないように、独占して譲らないように、挟むように包み込む。
 手首から下はアタシに埋もれて包まれて。その狭間の谷から顔を出した先は握られて、それまで頭を撫でていたもう片方にも触れられる。
 プロデューサーの腕を抱く。手を重ね指を絡めて、そうしてアタシと結ばせる。

(……プロデューサーは、してくれてねえんだな……。……ドキドキ。アタシに。今日も。……まだ、アタシじゃ足りてねえんだ)

 たぶん本当はしてるはず。ドキドキ。アタシのそれが大きすぎて感じられないだけでプロデューサーも。……感じられないくらいに少しだけ。
 それに少し心が波立つ。悔しいような悲しいような、奮い立つような。
 分かってること。一回り違うんだ。世間からしても、プロデューサーからしたってアタシは子供。手を伸ばすのはいつだってアタシのほう。だけどそれを、改めてまた見せられて。それに心がざわ、と震う。

(まだ足りない。……けど、手放さずにいられてる)
(夢中になるくらい魅せるにはまだ足りてねえんだろうけど……。けど、アタシ以外他の誰かに目移りしねえくらいには、そんな暇もなけりゃ気も起きねえくらいには、アタシのことを見させてる)
(プロデューサーの傍で、輝けてる)

 悪い虫を退治するのは訳もない。そんなの慣れたもんだ。どうにだってしてやれる。
 だけどそうじゃないのに手は出せない。湧いて出てきて擦り寄ってくるどうしようもない虫じゃない、綺麗で、格好良くて、熱く眩しく輝くような。プロデューサーのほうから手を伸ばさせるような、そんな誰かには振るえない。
 アタシより輝く誰か、その輝きを消したりするのは……それに泥を塗るようなのは、アタシには絶対できない。それができるならそれはもうアタシじゃないし、そんなやつはきっとふさわしくない。プロデューサーのことがどんなに……こんなに好きでも、こんなに好きだからこそ、それは絶対やれないこと。

(アタシが一番だ。プロデューサーの、一番だ)
(一番近い。一番深い。一番アタシが輝いてる)
(今、プロデューサーの一番はアタシなんだ)

 だからアタシは輝くしかない。
 周りは綺麗な輝きだらけ。その中で、それでも一際輝けるようにならないと。一番に輝く頂上に、シンデレラって場所にまで届かないと。
 目移りなんかさせない。夢中にさせてやる。いつかアタシが大人になった時、今度はあっちから手を伸ばさせてやる。アタシはもうアタシのことをプロデューサーにあげてんだ。だからいつかプロデューサーのことだって貰ってやる。アタシ以外見させない。
 そのためなら何だってできる。何がなんでも欲しいものがあって、それを手に入れるための方法まで分かってるんだ。なら何でもやってやれる。どんなに大変な道でも、進むべきそれが見えてるんなら。

(アタシんだ。今はまだ。これからもきっと)
(プロデューサーのアイドルはアタシだけ。こいつの女はアタシだけ)
(絶対に譲らねえ。それだけの女に、ふさわしいシンデレラになってみせっから)

 手をなぞる。指の腹でゆっくりと。そっと優しく柔らかく。
 手の甲を。手のひらを。手首を。指先を。埋まってしまって触れられない腕は、代わりに強く挟み込んで。
 なぞる。舐めるみたいに。キスするみたいに。

「……プロデューサー」

 呼ぶ。一瞬ぴく、と小さく震えた。
 プロデューサーのこと。アタシのことは全部ちゃんと分かってる。だからきっと考えて。一瞬の間を置いて。そして、静かな無抵抗を選んでくれた。
 許された。まだ叶えてない新しいこと。したいとずっと願ってたこと。

(……プロデューサー)

 キス。
 軽く触れる、ほんの少し重なるだけの、思いを込めた深いキス。
 アタシを魅せるその在り方に敬愛を。どうかこの想いを叶えてほしいと懇願を。嘘なんか微塵もない本気の好意を。アタシをここまで導いてくれたことへの感謝を。プロデューサーへの思いを込めて。
 少し前までは知りもしなかった。興味も無ければ縁も無かった。なのにすっかり知ってしまった。したいと願うようにさえなった。夢に見た。想いを伝える、意味のあるキス。
 それを何度も。繰り返し、繰り返し。許してもらえた場所の限りに。委ねてくれた手のすべてへ唇を。

(顔が熱い。胸がうるせえ。手が震えて止まらねえ)
(壊れちまいそうなくらい身体が跳ねる。このままじゃ死んじまいそうで……けど、絶対やめたくない)
(好き、が止まらない。どうしようもないくらいに胸の奥から込み上げてきて、もう苦しいんだってのに溢れてきて止まらない)
(大好きだ、って……。アタシん中、それだけになっちまう……)

 心の中で繰り返す。
 アタシ以外なんて目に入らないくらい輝き続けてやる。アイドルとして女として、一番高いところまで登ってやる。そしていつかアンタのほうから手を伸ばさせて、正真正銘アンタをアタシのもんにしてやる。
 ずっと思ってきたことを改めて繰り返す。何度も何度も。唇から沁みて伝わるように。自分の中の決意を深めるように。プロデューサーへのアタシの気持ちを。

(……ああ)
(ああもうほんと……)

 アタシの吐息と唇に触れられて、プロデューサーの手が濡れていく。手の全部。指先から手首まで。手の甲も手のひらも。濡れて、アタシに全部染まってく。アタシのものになっていく。
 軽くそっと触れるキス。だけどアタシが残るように。アタシを刻んで、アタシの存在を塗り込むように。想いを尽くして繰り返す。
 好きだ。大好きだ。大切なアタシのプロデューサーへ、アタシに尽くせる想いのすべてを。

(プロデューサー……)
(……プロデューサー……アタシ……)
(大好きだ……。アタシ……アンタのこと……愛、してっから……」

以上になります。

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