アナスタシア「しとしと、わくわく」 (15)


教室の窓から見える曇り空のせいでしょうか。
あるいは教室内で今まさに行われている現代文の授業のせいでしょうか。
それともその両方でしょうか。


教科書を抱えてむむむと小さく唸るアーニャの眉は今日も今日とて下がり気味。
いくらにこにこ笑顔がトレードマークの彼女とは言っても、
未だ苦手な科目の一つである現代文の授業ばかりは、
やっぱり如何ともし難いところはあります。

いつもなら彼女の座る窓際の席からいっぱいに広がる青空を眺めて、
遠い宇宙の果てにまで想像の翼を広げ、
束の間の気分転換を図ったりするのです。


けれど、七月に入って一週間が経とうかという東京に梅雨明けの一報は届かず、
健気な視線は分厚い雲に通せんぼされるばかり。

アーニャの口からも思わず物憂げな溜息が一つ、
ふぃよと机の上へと零れ落ちてしまいます。

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これまた曇り気味の窓ガラスを背景にまろび出たその仕草は、
さながらキャンバスに描かれたモノクロの絵画のようで。
ただその二つの深い青の瞳と、くるくる回される真っ赤なシャープペンシルばかりが、
何よりもその作品の完成度を高めていました。


そんな一作をうっかり鑑賞してしまったのは、
教室に居る三十名あまりの中で彼女の右隣に座る山崎さん、ただ一人だけでした。

どんなクラスメイトにも笑顔で駆け寄っていくアーニャの、
少しばかり翳の差した横顔に、不思議と山崎さんの胸が高鳴ります。


山崎さんは胸元のリボンタイを握りながら、
言い知れぬその感情に何か名前を付けようとして、
きっとそれは、それは愚かなことでした。



 「――それでは、ひらひら降る、これはどうか。まだ足りない。
  さらさら、これは近い。だんだん、雪の感じに近くなって来た」

 「はい。次の人?」


現代文の岩山先生の授業では新しい作品を扱う度に行われている、
一人ずつ交代制の音読。
今日の授業からは太宰治の『千代女』を学んでいくようです。


新しいようで新しくない、美しくもやや時代がかった文章に、
アーニャの口からまた一つ、憂鬱がふぃよと転げ落ちていきます。
山崎さんがそっとリボンタイの位置を直しました。


 「これは、面白い、とひとりで首を振りながら感服なさって腕組みをし、
  しとしとは、どうか、それじゃ春雨の形容になってしまうか――」



 ……シトシト?


不意に耳へ飛び込んできた懐かしい響きに、
ゆるり成層圏まで漂いかけていたアーニャの意識が一年四組の教室へと無事着陸しました。

滑りがちなページに頑張って視線を走らせると、
やはり聞き間違いなどではなく、しとしと、なる四文字が紛れるようにして記されていました。


シト、はロシア語で『なに?』という意味。
シトシト、はロシア語で『なになに?』という意味を持ちます。

その一方でしとしとは、
もちろん雨がぱらつく様子を表す日本の擬音語、また場合によっては擬態語でもあります。


意味も経緯も何ら関連の無い二つの言葉が、
ロシアと日本の架け橋たるアーニャの上で具合良く重なります。
それは彼女のツボにぴったりと嵌ってしまう形だったので、
ぷっ、と、堪らずアーニャは小さな笑みを零してしまいました。


みんなの邪魔をしないように遠慮し、立てた教科書の裏に隠してしまった笑顔を、
やっぱり山崎さんだけが見てしまいました。


  ◇ ◇ ◆


 「円卓会議を執り行う! 騎士共よ、剣を置き卓へ就け!」
 (緊急会議です。席に着いてくださいっ)


今年度に入って三回目の開催となる円卓会議でした。
本日、騎士団長たる蘭子の他に小会議室へ集まったのは、
なかなか出席率の高い芳乃と、
ちょうど切れていたお茶菓子を買って帰って来たばかりの茄子でした。

 「みたらし団子とヨモギ餅、どっちがいいですか?」

 「フローラの恵みを」
 (ヨモギ餅がいいです)

 「みたらしを頂きますー」

 「ふふっ。いまお茶も淹れてきますねー♪」


ともあれ、お腹が減っては何とやら。
それに今はおやつの時間でもありました。

火急の会議ではありますが、まずはみんなで腹拵え。
甘味を栄養にお喋りの花を咲かせつつ、食後の緑茶までしっかりと堪能し、
蘭子は満足そうな吐息を零しました。



 「円卓会議を執り行う! 騎士共よ、剣を置き卓へ就け!」
 (緊急会議です。席に着いてくださいっ)

 「はーい」

 「ここにー」


今年度に入って三回目となる円卓会議が開催となりました。
キャスター付きのホワイトボードをがらがらと部屋の中央まで引っ張って来ると、
漆黒のマーカーペンで丸っこい文字を手早く刻み付けていきます。


 『アーニャちゃんを元気にしちゃおう大作戦!』


第一回や第二回にも劣らぬ、重要極まりない議題でした。
蘭子がホワイトボードをぺしぺし叩くと、芳乃と茄子は揃って首を傾げます。

 「雪華の姫君は暗雲の彼方に救いを渇望しているわ。由々しき事態ね」
 (最近、曇り空ばっかりで星が見れてないみたいなんです。何とかしたくって)

 「今日も雨ですもんねー。笹まで用意してくれたのに」

 「雨は天にも通じー恵みを齎すものですがー、過ぎれば毒とも転じましてー」


そう。本日は七月の七日、七夕のその当日でした。


事務所のロビーにも立派な笹が飾られていて、
色とりどりの短冊も結ばれてはいるものの、空模様は依然として芳しくなく、
年少組のアイドル達は窓の外を残念そうに見上げているばかりです。

ですが例年、七夕の夜は雨が降りがちなもの。
仕方の無い事ではあるのですが、そこは蘭子も堕天使ですから。
天の神様の言う通りというのはちょっとだけ悔しかったりします。


 「……あっ! そうです、あれがありましたねー」

ぽんと両手を合わせた茄子が何かを探しに小会議室を出て行きました。
すぐに帰って来た彼女の手に握られていたのは、
箱ティッシュと麻紐と、それからサインペンが数本。


それを見てピンときた蘭子も芳乃も顔を見合わせて、笑いながら頷き合うのでした。


  ◇ ◇ ◆

少しだけ小降りになってきたような気もする雨が、アーニャの差す赤い雨傘を叩きます。

本日の授業を終えて事務所へ向かう彼女の足取りは、
午前中に比べれば随分と軽いものへと変わっているようでした。
スキップとまではいきませんが、
周りに通行人が居なくなったタイミングを見計らって傘をくるりと回したり、
その下で揺れるアーニャの表情も、憂鬱そうな様子は見えません。


 「しとしと、ぽつぽつ。ぱたぱた、しとしと……♪」


くるりとまた傘を回しながら、アーニャが小さく呟きます。


パカパカや、それこそシトシトのように、
ロシア語にも繰り返す類の言葉は幾つもあります。

けれど、それを踏まえても、アーニャは日本語のオノマトペが大変お気に入りでした。



あつあつのコーヒー。きらきらと光る星――


身近で普通の物事を表す言葉が、
こんなにもたくさん、こんなにも可愛らしく存在しているのは、
ロシア生まれのアーニャにとって新鮮でした。
子供でも分かるような簡単な言葉なのに、
そこに含まれている意味は、決して単純な事ばかりではなくて。


 「……しと、しと♪」


呟く度に、雨の妖精達が舞い踊っているよう。
しとしと、シトシトと呟きながら自分の周りを遊び回るレインコートの妖精を想像して、
アーニャはまたご機嫌そうに呟きました。


学校にいる間はざぁざぁと表現するべきだった雨も、
事務所へ辿り着く頃にはぽつぽつと呼ぶのが相応しいくらいの勢いにまで治まっていました。

玄関ロビーの自動ドアを潜った途端、目に飛び込んでくる立派な笹の前で、
何人かのアイドル達が賑やかに作業をしています。
その中に混ざっていた蘭子を見つけて、アーニャも混ざろうと近付こうとした途中、
異様な光景に彼女の体はぴたりと固まってしまいました。


出社したアーニャへ一番に気付いた蘭子は嬉しそうに、
ちょっと得意げな様子でぶんぶんと手招きを繰り返しています。

 「おお、姫君よ! 荒ぶる雷神もようやく鉾を収めるようね!」
 (アーニャちゃんっ、こっちー! どう? 雨、やんできたでしょー!)

 「……ら、蘭子……? それ……」

 「ククク……見よ、荒ぶる雷神をも黙らせる我らが儀式……!」
 (えへへー。凄いでしょ。ほら、見てみてっ!)

ぷるぷると笹を指差しながら口を開けるアーニャへ、
蘭子は両手を広げながら、笹がよく見渡せるように道を開けました。


短冊と一緒に吊るされていたのは、個性豊かなてるてる坊主たち。
茄子に芳乃、それから楽しそうな雰囲気に釣られてやって来た年少組のアイドル達が、
賑やかにお喋りを交わしながら新たな坊主を結び付けていきます。

計十三個目となるてるてる坊主はアーニャによく似ていて、
銀の髪と青い瞳が、枝先に結ばれた麻紐に吊るされてゆらゆらと揺れていました。


 「我が右腕よ、共に世界の半分を……む、どうした?」
 (アーニャちゃんも一緒に……あれ、どうしたの?)

 「……く」

 「……く?」



 「――黒魔術、ダメーーっ!!」


  ◇ ◇ ◆

 「ズェベルシーニェ! 奈緒坊主、できました♪」

 「うん。特徴をよく捉えてる」

 「とりあえずモサモサさせときゃいいとか思ってないか?」

 「見て凛、アーニャ。私も奈緒坊主できたよ」

 「二つ作る必要あったか? モサモサさせときゃいいと思ってるよな?」


てるてる坊主という風習を何とかアーニャに理解させ、
元通りのにこにこ笑顔で坊主作りに参加してもらった頃には、
雨はもうほとんど止んでいました。

茄子と芳乃が満足気に頷いている隣でみんなの坊主作りを見守っていた蘭子が、
寂しげに隅へ寄せられた短冊に目を留めます。
サインペンのキャップを外し、少し考えてから、さらさらと願い事を書き上げて。


 『ロシアにも、てるてる坊主が広まりますように  蘭子』


そう書かれた短冊を、アーニャ坊主の隣にそっと結び付けるのでした。


  ◇ ◇ ◆


 「あの、アーニャさん」

 「シト?」


梅雨明けとなった七月八日は、
待ち切れなかった夏本番がさっそく走り回ったかのように、
朝から蒸し暑い一日になりそうな気配を漂わせています。

二時間目の後の休み時間、山崎さんは一世一代の勇気を振り絞ってアーニャに話し掛けました。
今までアーニャから話し掛ける事はあっても、
山崎さんから話し掛けられる事はほとんど無かったので、
それだけで嬉しくなったアーニャは、にこにこと山崎さんに微笑みかけます。


山崎さんがリボンタイをぎゅっと握りました。


 「えと、ううん。昨日の現文、ちょっと笑ってたけど、どしたのかな、って」

 「フフッ……知りたい、ですか?」

 「……うんっ!」


しとしと、ぽつぽつ、てるてる。


この国には色々な言葉があって、
その中には様々な意味や、思い出や、気持ちが詰まっていたりします。


 「実は、ですけど――」



それはきっと――彼女の胸の、どきどきにも。


おしまい。


http://i.imgur.com/eOWrZ1n.jpg
http://i.imgur.com/yW57fsU.jpg

梅雨明けと言えばアーニャちゃん
という事で以前に頒布した同人誌から引っ張ってきたやつです

前作とか
モバP「Uber Kaede……?」 ( モバP「Uber Kaede……?」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1590312353/) )
もしもし、そこの加蓮さん。 ( もしもし、そこの加蓮さん。 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1587809543/) )
アナスタシア「流しソ連」 神崎蘭子「そうめんだよ」 ( http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1501850717 )


ちなみに微課金なのでSSR楓さん5着目と肇ちゃん4着目とアーニャちゃん5着目の波状攻撃に震えてる
誰か助けてくれ

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