【艦これ】19とアイスを食べるだけの話 (10)
雨降りは嫌だ。湿度が高いのも嫌だ。肌にまとわりつくような暑さは輪をかけて嫌だ。
六月、七月と不快指数は極大で、梅雨明けが報じられたちょうど八月一日、俺は執務室の机に突っ伏して呻いていた。
じりじりと肌を焼く陽の光が嫌だ。
ああ、人間はなんて我儘な生き物なのだろう。あれだけ雨よ降るな、さっさと晴れろと請うていたのに、いざ日差しが降り注げばそれさえもまた嫌になる。
遮光をすれば籠った空気で気分が悪くなるし、調子の悪いクーラーは三十分ごとに理由もわからず作動を止める。なんともまぁうまくいかないことか。修理の依頼はしたものの、この時期はやはり電気屋も繁忙期、即座に対応とはならない。そもそも泊地の備品であるがゆえに、申請してから承認が降りるまでがまたとにかく長い。
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「……なにやってるの?」
イクがアイスキャンディを齧りながら部屋の入口に立っていた。あれほどノックをしろと――いや、空けっ放しにしていたのは俺だ。空気の通りをよくするために。
溶けたアイスが液体となってぽた、ぽた、廊下に一滴ずつ染みていく。イクは指に、手首に伝ったそれを舌で舐めとった。なんとも扇情的な光景であったが、幸か不幸か頭は茹っている。下半身は反応しない。
「あちぃ」
「うんうん、わかる。ほんっと、あっついのね」
「茹だるぜぇ」
「熱中症にだけは気を付けてよ?」
「おう、おう」
スチールデスクはひんやりとしていて気持ちがいいものの、すぐに人肌でぬるまってしまう。少しだけ体を動かして、まだ仄かにでもひんやりとした場所を探す。
そんな俺の姿を見て、イクはぼそりと「毒虫みたい」と呟いた。グレゴール・ザムザの名前くらいは知ってはいるが、毒虫そのものにはとんと見識が及ばなかった。
イクが裸足をぺたぺた鳴らして近寄ってくる。スクール水着。科学の粋を集めて作られた特製仕様。僅かに肌や髪が濡れているようにも見える。シャワーでも浴びていたか、海に潜っていたか。
しゃり。随分と柔らかくなったアイスキャンディの音。少し大きめに噛み砕いた破片を、イクはその口の端に咥えて、首の角度を九十度、俺と合うように傾げた。
少しぽってりとした、厚みのある唇が、アイスキャンディの破片とともに俺の口元へとやってくる。俺は拒まず、寧ろ積極的に受け入れるようにその破片を啄み、偶然を装って彼女の唇を、そしてその奥の舌さえも啄んでみる。
あちらもまた拒まなかった。破片が互いの口のちょうど間で急速に溶けていき、その際に俺たちから熱は奪われているはずなのに、不思議とそんな気はしない。
すっかりと溶けて小さくなった欠片をイクが最後に舌で押しやり、俺の口の中へと納める。彼女の舌はところどころ冷たく、ところどころ熱い。
ぷは、と空気の漏れる音がした。それがどちらのものだか不明瞭なままに、俺たちは顔を離す。
アイスキャンディはソーダ味だった。懐かしい味。安っぽい味。すぐに鼻から抜けて消えてなくなるくらいの薄らとした。それよりもよほどイクの芳香が強烈であるくらいには。
「提督」
イクは笑った。もしくは、笑っていた。
言葉が続くと思ったが、それ以上はなにもなかった。無言のままに手と手が重なる。彼女の左手と、俺の左手。机の上で交差するように。
その交差はまるで不自然極まりなかったが、その意味はすぐに知れる。かちん、かつん、互いの左手、その薬指に嵌った指輪が、軽やかに、愉快そうに、ぶつかって音を鳴らす――否。イクが音を鳴らしている。
右手に持っていたアイスキャンディはその殆どが溶けていて、根元の方に少し残っているだけだ。細く白い指先を水色の液体が濡らしている。
イクが差し出してきたそれを、何のためらいもなく口に運ぶ。そのまま人差し指を舌先でくすぐった。イクは僅かに体を震えさせたが、それが身動ぎなのか身震いなのかはわからない。
アイスの棒が机に落ちる。しかし今の俺には代わりがあった。爪の感触を確かめたり、関節を僅かに噛んだり……感じるいたずらの共犯者めいた昂揚。
ゆっくり、遅々とした、蝸牛のような鈍さで指を口から引き抜いていく。
重なり合った左手は汗ばんでぬめる。左手同士でうまくかみ合わないのを構いもせず、俺たちは強く手を握った。あるいは、だからこそ、強く。
暑いのもたまには悪くない。
《おわり》
――――――――――
おしまい
リハビリ
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