提督「漂流するラヴレター」 (13)
早朝。提督は鎮守府の見回りを行っていた。
管理者として自分の目で鎮守府の状況を確認する必要があるのだ。けれど、それはほとんど気楽な散歩のようなものであった。
港の方に出ると冬の潮風が提督を凍えさせる。提督は制服の襟を首に巻き付けるようにして散策を始めた。
特に代わり映えもしない景色を眺めながら歩いていると、鎮守府の港を囲うように切り立った岩の崖壁と海の合間に人ひとり通れそうな横道があることに気付いた。
港の主な設備から離れ、鎮守府の端も端、人工的な領域と自然的な領域が混じった曖昧な場所であった。恐らく艦娘も知らない道であろう。
「これはもしかしたら敵の侵入経路に使われるかもしれん。安全を確認せねば」とは言ったものの、内心は少年的な冒険心が主であった。
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濡れた岩と砂に注意しながら崖壁を海沿いに進むと、小さな空間がひらけていた。そこから遠くに水平線が見え、足元では静かに波が揺れている。
思わぬ秘境の景色に喜びを感じるのも束の間、寒さで提督はぶるぶる震えた。いかに静かな波風であっても、季節の風であることに変わりはなかった。
引き返そうと足の向きを変えた時、提督は波際に揺れる小瓶を見つける。指先が冷たいのを我慢して拾い上げる。中には紙が丸められて入っていた。
真新しいコルク栓を抜いて中を確認する。「これはまたベタな」。それは内容的にも状況的にもロマンチックなものであった。
「で? それをわざわざ持って帰ってきたわけ? ほんといい年して何しているのよ、クソ提督」
執務室に戻ると、遅いと文句を言ってきた曙にことの経緯を説明した。「……というかよくあそこを見つけたわね」「なんだ? 曙は知っていたのか。かなり端の方だったんだが」「なによ艦娘だし私が知っていても変じゃないでしょ!」
普段から曙は話を続けていくと語調の強さが上がっていきがちな娘であったが、特に今日は少し機嫌が悪いのかもしれないと提督は思った。
「で、どうするのよ? それ」「ああ。返事でも書こうかと」「はあ?」。曙は信じられないとでもいう表情をした。「バカなの? あんた? 名も知れない相手に?」「こうして届いたってことはこちらからも瓶詰めした手紙を返せば届く道理だろう?」
「ほんと、相手も相手なら、提督も提督ね」「なんだって?」「クソ提督の道楽には付き合いきれないって言ったのよ!」。そのまま曙は執務室のドアを強く閉め出て行った。
失敗したなと提督は思った。もとより曙はこうした無意味なロマンチック性というのを嫌う傾向を示していた。
ドラマのラブロマンスなんかでもすぐチャンネルを切り替え悪態をつく始末で、曰く「回りくどい」だそうだ。
提督は少々からかい過ぎたかと反省するのも束の間、うきうきした様子で筆を紙面に滑らしていった。
翌日の早朝、曙が部屋に帰るとルームメイトの潮がいなかった。どこに行ったのか考えていると後ろからドアの開く音。「あ、曙ちゃん。入れ違いになっちゃったみたい」
「ちょっと潮! どこに行ってたの、よ……?」「ええと、曙ちゃんを探しに……って曙ちゃん?」「……それはなに?」「これ? 波打ち際に流れ着いてたから持ってきちゃった」。
潮の手には手紙入りの瓶が収まっていた。「それ中はもう見たの?」「うん! 宝の地図かと思ったんだけど、違って、情熱的な恋文だったよ! 曙ちゃんも見る?」「私は、いいわよ」「……そういや曙ちゃんはこういうの確か嫌いだったっけ?」
「……それでそれどうするの?」「うん! せっかくだし返事でも出そうかと」「名前も知らない相手に? 届く保証もなく?」「こっちに流れ着いたってことは、こちらからも相手に流れ着くのは道理でしょ?」
何が道理なものか、曙は苦虫を噛み潰したような顔をした。潮はロマンチックなものに心惹かれるという内気な少女にありがちな性質を持っていたのだ。
「そう、まあほどほどにしときなさいよ」「うん」。曙としては己の都合で友人の楽しみまで奪う気にもならず、やんわりとたしなめる程度に留めておいた。
提督と潮の奇妙な文通が始まった。曙は見知った両人が相手も知らず恋文のような甘ったるいやり取りをしている様子を想像すると何とも言えない気分になるのだった。
仕事で執務室に行けば、提督が嬉しそうに手紙の小瓶を見せてきたし、勤務が終わり部屋に戻れば潮がなんと返信したものかと控えめに相談してくる。
「というか、どんな話題をやり取りしているのよ?」。曙は今の状況が何とも居心地悪いので、潮に探りをいれた。
「え? ええと……今日のお昼ご飯に何を食べたかーとか、近くで季節外れのお祭りがあったーとか……?」。それは曙が想像したような内容とは違った。何というか淡泊。いやむしろ恋人だからか? 確かめるべく曙は潮に尋ねた。
「ええ!? 恋人だなんて、そんなことないよ! 相手のことは名前も顔も知らないんだよ?」。さも自分に常識のあるような潮の言いように曙は何か非常に納得のいかない気持ちになる。
ならばと、「じゃあ、潮、明日の朝のことなんだけれど……」と曙は潮に切り出すのであった。
海は白じみ、波は静かに揺れる明くる朝。横道から繋がるあの空間で提督と潮は出会った。曙が二人のそこにいく時間帯を調整したのだ。
提督は手ぶらであったが、潮の手には今日流そうと思っていた小瓶が握られている。
それで提督は全て納得したかのように言った。「なるほど相手は君だったのか潮。いや、確かにご飯もこちらの地方寄りだったし、季節外れの祭りイベントの話と何となく予兆はあったか」
「私は提督がこの文通相手だと知っていました」「なに? 知っていた?」「はい。実はここって海流の都合で瓶のような小物を流しても必ずここに戻ってくるんです。で、ここを知っている人となると……」
「ならば、潮は相手が私だと分かってて手紙を出していたのか」「はい」「ならば、あの最初の情熱的な恋文への返事も潮にせねばな」「いいえ」「いいえ?」
「正直に言いますと、提督が最初に受け取ったラブレターは私が書いたものじゃないんです」「……となるとここの立地上、鎮守府にいる他の誰かがあの恋文を書いて流したことになるのか」「はい。そんな情熱的でロマンチストな人がいることになりますね」
そう言って潮は静かに微笑むのであった。
おわり
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