二宮飛鳥「トーキングヘッド」 (28)

 プロデューサーが嫌いだ。

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 なぜアイドルになったのかって。志望動機。ライブの真っ最中にそんなことを考えた。
 そう、居場所だった。ボクは居場所が欲しかったんだ。
 学校と家以外の。非日常で、ワクワクするくらい騒々しくて、退屈なことなんか何もない場所。 
 此処がそうだろうか?
 盲目な聴衆達にとって聞きざわりのよい歌を紡ぎながら、 耳障りな音で満たされた会場を見渡す。
 男、男、子ども、男、男。男達と、そうなるまえの子ども。ステージから遠い、遠すぎる隅に少女。
 キミ達は知ってるかい。
 ボクは、ここにいる全ての人間を軽蔑している。ボク自身でさえ。
 ボクは、アイドルとして成功するために自分を偽った。
 分かりきった顔をしながら、本当は何も分かっていない大人。
 肉で出来た歯車を焦がしながら、腐れ落としながら、回っていく社会。
 口先ではそれらを攻撃しながら、ボクはそいつらにペコペコ頭を下げることでアイドルになった。ありのままのボクを抱きしめててくれる場所なんて、アイドルの世界には存在しなかった。そう理解したから。

 でもキミ達は、そんなボクが好きなんだろう?
 『アイドル』として括弧で囲われた二宮飛鳥が、好きで好きでたまらないんだろう?
 ボクの髪。ボクの瞳。ボクの胸。ボクの指。ボクの大腿部。ボクの臀部。ボのつま先。
 ボクの身体。魂のないからっぽの抜け殻。
 自分でも分かっていた。生意気だって。痛いヤツだって。でも、何かできると思っていた。純然たる二宮飛鳥という存在がセカイに、小さな足跡を残せるはずだと、信じていた。
 ボクはどこにいった?
 此処にいるはずなのに、いつも探してしまう。
 向かいのホーム。路地裏の窓。移動中の、どこか知らない街の風景の中。
 新聞の隅でも現地のホテルの鏡の奥でも。
 時々は、冷蔵庫の中をさらって。
 かつてのボクを知っていたひとも場所も、ボク自身が届かない場所に置いてきてしまった。家を離れて女子寮に住んで。東京の、プロダクションの息がかかった私立高校に通って。
 電話やLINEで連絡をとろうとして、いつも諦める。アイドル活動が忙しくなり始めた頃に、友情にも時効があるということを知った。今は友達がいない。“ぼっち”ってやつだ。

 家族とはもう何年も話せていない。
 ボクがアイドルになることを打ち明けた時、母さんは猛反対した。一時の楽しさに誤魔化されないで未来(サキ)のことを考えて、だったっかな……。
 アイドルになったら、成績がガクンと落ちた。当然だ。ボクには器用さ、要領のよさといったものが欠如していた。そんなものが欠片でもあれば、そもそもアイドルになろうとはしなかっただろう。家族と友達に囲まれて、それなりに人生を頑張って、それなりに楽しく生きれたんじゃないか?
 今はとても、“アイドル後の二宮飛鳥”を想像できない。いや、想像したくないというのが本音さ。アイドルでなくなったボクに、何が残されているかなんて。

 そもそもボクは、なぜアイドルになれてしまったんだろう。LIVEが終わって、白けた廊下を歩きながら考えた。現在(イマ)は陽射しに視界が明滅する夏だけど、ここは冷房のせいで、血が凍りつきそうなくらいだ。
 寒い。寒すぎる。LIVEの衣装はボクを守ってくれない。冷気からも、突き刺さるように生々しい視線からも。このままじゃ、タチの悪い感染症に罹患してしまうかもしれない。孤独(ヒトリ)では、立ち上がれなくなるかもしれない。

 はやく温かい場所へ行かなくては。そう思った瞬間、ボクの肩に、温かいタオルがかけられた。

「“お疲れ様”って不思議だよな。疲労はよくないものなのに、なんで“様”づけで呼ぶんだ?」
  
 また、大して真剣に考えてもいないことを言ってる。つくづく、考えるより先に口が動くヤツ。
 悲しいけれど、それがボクのプロデューサーだ。今日も黒いスーツと白いシャツ。たしか海外だと、黒いスーツはパーティ用でビジネスには使ってはいけないんだっけ………どうだったかな。

「どうでもいい」

「どうでもいいな」

 プロデューサーに言ったわけではないけど、会話が成立した。ボク達はいつもこんな感じだ。お互いにとりとめのない、おもしろくもないことを言いながら、なんだかんだで一緒でいる。でも、彼が好きかと言われたらそれは正反対。
 ボクはプロデューサーが嫌いだ。思ってもないことを平気で言って、自分のことは滅多に言葉に出さないから。そのくせに、ボクには「何でも話してくれ」って笑うから。知る権利の一方的な行使が気にくわない。
 だけど悔しいことにプロデューサーがいなければ、ボクは今の地位を手にしていなかった。

 子供がアイドルになるためには親の許可がいる。プロデューサーはお世辞、統計、自分の肩書き、プロダクションの実績その他諸々をフルに活用して、お母さんを丸め込み、契約書にサインをさせた。完全に納得はしていなかった。
 でもこの国で書類に名前を書くということは最も強力な意思表示だから、お母さんはボクのアイドル活動に賛同した、ということになる。少なくとも法的には。
 プロデューサーの言葉は軽いけど、威力がある。ひとの心や姿を簡単に歪めてしまう。決して嘘はつかないけど、ひとが各々に持っている真実を、客観的な事実で塗り替える。
 お母さんが震える手でサインをしたとき、ボクは感謝すべきだった。でも、まず最初に覚えたのは嫌悪感だった。ボクに対してはあれだけ強く反対したのに、プロデューサーの前では簡単に折れてしまった。
 ボクはお母さんを愛していたはずなのに、その嫌悪感が今でも尾を引いている。そうさせたのは他に誰でもない、ボクのプロデューサーだ。

「早く帰りたいよ」

「着替えてからにするか? そのまま荷物だけ持って帰るか?」
 
「灰被りに戻りたいな」

 プロデューサーに手を引かれて、ふたりで更衣室に向かった。手があたたかかった。

♢♢

 久しぶりのオフ。女子寮に備え付けのベッドはやわらかいのに、やけにスプリングが効いていて、長い付き合いになるのにひどく冷淡だと思った。
 出掛ける元気も勇気もなくて、ボクは冷房の効いた部屋でネットサーフィンに興じた。
 別に楽しくなんかないけど……現在体力や神経を摺り減らさずにできることといったらテレビのリモコンを押すか、ラジオのアンテナを立てるか。もしくはiPhoneの液晶を上から下へなぞることくらいだ。そしてボクの部屋にテレビはなく、ラジオのつまみを回すのも面倒だ。
 膨大な情報の海にゆくあてもなく浮かんでは、流される。たまに綺麗な魚に目を留めることはあるけど、目を奪われることはない。何かを好きになるということは、何かを嫌いになることよりも遥かに心を消耗するものだと、最近気付いた。
 だから、ボクは漫画を描くのをやめてしまった。疲れるから。金に飽かして道具は集めたけれど、結局手つかずのまま押入れにしまってある。
 ふと思いついて、プロダクションのHPにアクセスする。そして、『所属アイドル』の表示を指で押し込む。
 そこに『二宮飛鳥』がいる。高校に進学してからスリーサイズの更新が増えて、顔立ちも大人びたものに差し替えられている。趣味の欄はあの頃のまま。最近は髪のこともプロフェッショナルに任せっきりだから、何一つ合っているものがない。

 これが他人から観測されたアイドル、『二宮飛鳥』の実像。真実ではないけど、虚像というには生々しすぎる。第二の窓から他者が2B以下の鉛筆でスケッチしたボク。あまりに黒黒と鮮明なのに、消えやすく、しかも修正がしやすい。
 ボクだけじゃない。他のアイドルだって、所謂“事情”といったものが絡んで勝手にアップデートされたり、逆に“勝手”が認めれらなかったりする。まぁそれでも「アイドルではなかった」ことにされることに比べれば随分マシだと自分に言い聞かせて、みんな頑張っている。それが報いられることは少ないけど。
 報い、か。ボクは『二宮飛鳥』のファンサイトにアクセスしてみた。現在の会員数は16,575人。その数字が多いのか少ないのかは、よく分からない。でも、その数字がアイドル『二宮飛鳥』の存在を肯定し、あるいはちっぽけな人間としてのボクの食い扶持を支えているということだから、まったく有難いことだと拝むべきだろう。たとえその数値の増加が、【ロコガール】の企画の時から著しい上昇傾向にあるとしても。あの時は随分恥ずかしくて、正直今でもあのカメラマンの視線と、写真集の売り上げが物語っている事実には寒気がするけれど、“おかげさま”でやっている。

 iPhoneをどこかに放って、エアコンの温度を2℃上げる。ひとにやさしく、地球にやさしく。肌が汗ばんできたから、Tシャツとホットパンツを脱ぎ捨てる。これでちょうどいい。
 そういえば、誰が言ったんだっけ。“在るから見えるんじゃなくて、見えるから在る”。今のボクは、ボク自身を除けば誰からも観測されていない。でも一方で、アイドルとしての『二宮飛鳥』は16,575人のうちの何人か、何十人か、もしくは何百人かが何かしらの媒体を通してリアルタイム(だろうか?)で観測している。つまり、某理論でいえば此処にいるボクよりも『 』の彼女のほうが存在として“確か”ということになる。ボクよりも、二宮飛鳥らしい存在。
 それとも、観測者によってそれぞれの『二宮飛鳥』が無数に存在しているのだろうか。そのうち技術が進んだら、『二宮飛鳥』の記憶が埋め込まれたクローンが観測者達の好みに応じて成形されたり、『二宮飛鳥』だけで五人組のユニットが作られたりするかもしれない。イマ、此処にいるボクを置き去りにして。
 久しぶりに難しいことを考えたせいか、“頭痛が痛い”と言っても差し支えないくらい頭が痛い。
 ボクの、ただの二宮飛鳥の声を誰かに届けたい。
 
 痛いよ。

♢♢♢

 久しぶりに粧し込んで、高校へ向かう。“通っている”とは言えない程、ボクは授業を休みに休んでいる。いわゆる“ライブ”で皆と同じことを勉強することは殆どなくて、今日も単位をもらうための補習を受けにいく。
 学校は社会に出るための準備をする場所、というのが定説だけど、であればボクは一体何のために車に乗っているんだろう。とっくの昔に社会の歯車としてキビキビと回っているし、預金の末尾に0を付け加える作業も板についてきた。
 運転手に尋ねてみたいところだけど、彼の神経を逆撫でするだけだろう。ボクも随分気の利くヤツになったものだ。

 中学生の頃は、教師は生徒を苛々させる為に存在すると思っていたけれど、こうもお世話になってしまうと、ただひたすらに頭が下がる。
 ボクが馬鹿にならないように一生懸命に、わかりやすく教えてくれるし、妙な下心を出してボクに取り入ったりしない。せいぜい彼ら、彼女らに迷惑をかけないように勉学をがんばらなきゃいけない。
 だけど数学の三次関数ばかりはお手上げで、ひどく退屈した。このような時一般の高校生……クラスの皆はどうしているんだろうか。
 ボクは形式上は2-4というクラスにいることになっているけれど、クラスメイトの顔を覚えていない。覚えているのは、入学式のときの歓声だけ。
 『二宮飛鳥』のクラスメイトになれったって。ひょっとして、他のクラスの友人に自慢したりしたかな………『クラスメイト』をサボタージュしていることが申し訳ない。

 ノートの端に、前より随分下手になったイラストを描いたり、外に見える雲が風に流されていく様を見送ったりしながら、ボクは補修をやり過ごした。あとは、貰ったプリントを唸り声を上げながら解いて、中間と期末のテスト(追試扱いだろうか)で馬鹿を見せなければ大丈夫。

 そそくさと教室から退出しようとすると、襟首を掴むように声がかかった。時間があれば進路相談室へ寄って欲しい、と。
 寄るだけで済めばいいと願いながら、廊下に出る。もう夕方と呼ぶべき時間だけれど、夏の陽射しは容赦がない。リノリウムの床と、そこを歩くボクをじりじりと照らす。
 窓と反対側の壁に、影がくっきりと浮かび上がる。当たり前に、ボクと同じ動きをする。手をかざすと、“あちら”もそうする。
 
「ハロゥ、『二宮飛鳥』」

 “Hello”とも、“How low”ともつかない、妙な言葉が口から飛び出した。これは英語も頑張らなくちゃいけないな………。


 職員室からも教室からも離れた場所、廊下の突き当たりに進路相談室があった。突き当たりだから、そこに行くしかない。
 ノックをしてから汗ばんだノブを回すと、古くなった本の匂いがした。その発生源は、棚の中で散らかっている進学関連の書籍。もう捨てたって構わないくらい年季が入っている。ボクより年上の本の山。同い年のものあるけれど、どうせ来年には用済みになるだろう。
 奥のテーブルには年配の女のひとがいる。知らないひとだけど、多分これからボクに有難い“お説教”をしてくださるのだろう。
 椅子のそばに突っ立っていると、座ってもいいと言われたのでその通りにした。意外、というような顔をされた。
 彼女にとっては意外だっただろうか。目上のひとに呼び出される回数が多いから、こういった動きが身体に染みついてしまった。
 女のひとはおっかなびっくりといった様子で、しばらくボクの挙動を窺っていた。珍しい生き物でも見るような瞳。ボクが『二宮飛鳥』だとはいえ、同じヒト科ヒト属の仲間じゃないか。
 何十秒か、何分か経ったとき、彼女はおずおずと口を開いた。

「二宮さんは、高校を卒業したらどうするの?」

 何をしたら許してくれますか。そんな言葉を喉の奥に押し込めて、ボクはじっと相手を見つめ返した。目元にシワ、髪には白髪が混じっている。ぎこちない笑顔が、さらに外見の老化を進めている。ボクも50年後くらいにはこうなるのだろうか。
 そう思うと、あまり刺々しい言葉を彼女にぶつけるのは憚られた。むしろ、“このひとを喜ばせなければいけない”とさえ思った。悲しき哉、アイドルの性(サガ)。

 高校……ボクは高校を卒業したら、大学に進学しようと思っています」

「うん」

 相手の表情がやわらいだ。この線で行こう。

「教育学部のある大学へ行って……どことは決めてないのですが、教師になろうと思っています」

 今思った。三歩歩いた先でもそう思っているかは保証できないけどね。

「それはいいね」

 彼女が“いいね”をくれた。OK、これで万事解決。お互いに幸せだ。
 だから早く解放してくれ。『二宮飛鳥』を独占するなんて、ボクはともかく『二宮飛鳥』のファンが許さないぞ。
「アイドルの世界は大変だし、保険は多い方がいいよ」
 
 [ピーーー]。
 そんな言葉も胸の奥にしまった。事情を知りもしない他人からの憐憫ほど苛々させられるものはない。たとえ、彼女が事実を述べているのだとしても。
 貴女は翌日一歩も動けなくなるまでレッスンをしたことがあるのかい。
 キミはいやらしい目で見られることを承知で肌を晒したことがあるのかい。
 お前は…………どうでもいいや、こんなやつ。

「そうですね」

 ニコニコと笑って、ついでに相手と握手をして、相談室から飛び出した。
 随分大人になったものだ。誰かボクを褒めてくれ。このボクを。

♢♢♢♢

 夏の陽射しがやや大人しくなった頃、ボクはバラエティ番組に出演した。司会者は好きなタイプの人間じゃなかったけど、またプロデューサーに丸め込まれた。プロデューサーなんか嫌いだ。
 『10代ティーンネージャーズ女子達の恋愛事情』……ボクでも分かる、めちゃくちゃなタイトリングだ。端的に言って、頭が悪い。視聴者の頭が弱いから合わせたのだろうか。
 凡そこの場に相応でない、50代の赤い顔をした男性司会者が質問してきた。

「飛鳥ちゃんは、今好きなひととかいるの?」

 嫌いなひとならすぐに二人言えるよ、先ずはキミだ………そう言いたいのをぐっとこらえて。

「ファンのみんな、かな」

などという、あまりにも月並みな台詞を吐いてみた。ついでにエクステを軽くかきあげると、観客席からわざとらしい声援が上がった。イエローモンキーめ。

「嘘〜? 女の子なんだから、好きなひとの一人や二人いるでしょ?」

 “女の子なんだから”って何だよ。
 そもそも女の子でないキミが何を知っているんだ。苛々する。10代はキレやすいという言葉を、脳内の血圧で実感する。頭が熱い。
 
「ファンのことを考えると、特定の個人を好きになるなんて到底考えられませんね」

 大げさなジェスチャアを交え、ボクは司会者の言葉を否定した。色恋の歌を散々歌ってきた身分だけど、こう言いたい。
 誰かを好きになるってことがそんなに重要なことだろうか。誰かに恋をしなくっちゃ、ボクらは一人前になれないのかい?

「それじゃあ、結婚願望はある?」 
 
「ないね」


 アイドルになって、社会について分かったことが山ほどある。そのうちの一つが、他人の人生に標識やゴールを用意しがたる人間があまりに多すぎるということ。親、教師、そして目の前の彼。偉いひと、あとは……数えるのも面倒な程だ。
 司会者はあからさまに“つまらない”というような顔をした。悪いね、つまらない人間で。

「へえ〜……。あるひとからの情報だと、“アイドルを引退したあとは教師になりたい”とか言ってたらしいけど、アイドルを辞めたあとも結婚するつもりはない?」

 思わず苦笑いした。ボクが数秒で思いついた、消費期限当日の“将来の夢”がリツイートまでされているじゃあないか。“いいね”だけで済ませてくれればいいものを……畜生。本気で勉強を頑張る羽目になったじゃあないか。

「その時になったら考えますよ」

「飛鳥ちゃんは人生になげやりだね」

「アイドルになるくらいだからね」

 司会者と会場から笑い声。なかなか悪い気分ではない。
 これも悲しき哉、アイドルの性。

 ボクの、いや『二宮飛鳥』の発言に“どうだっていい”ものはない。まったく有難いことに、ボク自身がなんとも思っていなくても、周りは過剰な反応で応えてくれる。つまらなければ“アイドル辞めろ”、“テレビに映るな”くらいの剣幕で叩いてくるし、面白ければ耳が痛くなるほど声援を送ってくる。「はいはい」と流してくれるような人間が、もう一人くらいいてくれればいいのにな。


 収録が終わった後のプロデューサーの車の中。後部座席の、遮光用のカーテンは人々の視線を遮ってくれる。
 運転席の背に足を乗せて、あー、とも、うー、ともつかない唸り声をあげる。身体も疲れたけど、なにより心が重怠い。楽しくもないことをあたかも楽しそうにして、なおかつ周囲をそれなりに盛り上げるなんて。
 仕事が終わった後の、このべっとりとした黒いセダンの中だけが、ボクの唯一安らげる場所。何もしなくていい。『二宮飛鳥』からも、ボク自身からも自由になれる。

「足元のクーラーボックスから好きなのを選んでいいぞ。
 アイスも入ってるからな」

「夕食は好きなものを食え。トレーナーさんから許可はとってあるから」

「帰りに寄りたい場所はあるか?
 あまり人目が多いところは困るけどな」

 ボクは適当に、“うん”とか“はいはい”と言ってるだけでいい。自分を含めて、ここなら誰も楽しませなくていい。プロデューサーを楽しくさせる義理はない。
 所詮、口先がよく回るだけ。ボクの稼ぎで食っている男だ。ついでに、ちっとも感謝してない相手の前でも、“おかげさまで”なんて顔が出来る男。そういうところも嫌いだ。だから相手なんかしてやるもんか。

「来月のLIVE、うまくやれそうか」

「おかげさまで」

♢♢♢♢♢

 秋から急に冷えて、ボクは性質の悪い風邪をひいた。いつも寒気がしているのに、頭はぼんやりと熱い。関節がギリギリギリリと軋んで、ぎこちない。油を差してないロボットのようだ。
 
 でも今回のLIVEは……今回のLIVEも、簡単に投げ出していいものじゃない。『二宮飛鳥』のデビューから、ちょうど4周年。
 5、10周年でいいじゃないか、と最初は考えた。でも……ボクがいつ使い物にならなくなるか分からないから、こういった馬鹿騒ぎは多いほうがいいのだろう。美味しいものは美味しいうちに。
 
 所謂事情といったものを全て飲み込んだ上で、ボクは体調不良のまま会場に赴いた。顔色はメイクでごまかせる。「歌は、最悪“口パク”でなんとかする」と言われた。偉いひとから。そこまでやるなら前回の映像をスクリーンで流すだけでもいいじゃないか。ボクは完全に腐っていた。そして苛々していた。
 衣装は、それを衣装と呼ぶのが憚られるほどに薄く、頼りなく、そして表面積が小さかった。背筋がゾクゾクとした。心臓がドキドキした。限りなく最悪な意味で。
 失敗する。ボクは確信した。鏡台に写る自分の顔は、どう上品に言葉を選んでも“クソガキ”と形容するに相応しかった。
 
 それを一切繕わずに、ボクはステージに上がった。プロ失格? 合格? どっちだろう。
 だけど、観客達はそんなことに気付きもしないで。

「飛鳥!! 飛鳥!! 飛鳥!! 飛鳥!!」

 きちんと盛り上がっている。
 思わず笑い出しそうになった。まるで人懐っこい犬だ。ボクが主人か? それともボクが犬か、キミ達の?
 こんなセカイが見たかったわけじゃない。ボクはもっと、もっと…………ボクの、いろんな言葉を、みんなに届けたいのに。
 歌と歌の間、遂に言ってしまった。

「嫌いだ」

 その言葉は澄み渡るように、ホールの隅々まで広がった。観客席から、誰を、という声が上がった。キミ達が、とボクは返した。
 でもマイクの電源が切られていた。察しがいいな。

「クソプロデューサー」

 それはただの呟きで。誰にも聞かせるつもりはなかった。
 しばらく場内は騒めいた。ボクはそれを黙って見つめていた。でも、次の曲が始まると喧騒は別の意味に変わって、ボクも切り替わった。パチリパチリと、スイッチを誰かに押されたみたいに。

 LIVEが終わった後、結局自分が何をしたかったのか分からないまま、更衣室へ向かった。もう帰らなきゃ。熱のせいか、風景が歪んでいる。空調の音がやけに耳に吹きつける。まるで嵐の中にいるようだ。吐き気がするのは、体調のせいだけだろうか。
 気を紛らわすために口笛を吹きながら歩く。曲名は思い出せない。でも、多分好きだった歌。イントロから終わりまで、ボクは覚えている。歌詞だって、きちんと覚えている……つもりだ。
 でも、ボクはその歌を最後まで奏でることができなかった。プロデューサーが邪魔をしたから。

 更衣室の前で、頭から血を流して倒れていたから。

 ボクはどんな声を出したんだろう。どんな顔をしていたんだろう。笑っただろうか。 
 

♢♢♢♢♢♢

 プロデューサーを殺害したのは、ボクのファンだったらしい。
彼女はまだ中学生だという。警備のひとによれば、ボクによく似ていて、だから彼女は簡単に忍び込めた……らしい。
一応ボクも当事者のひとりのはずなのに、“いう”とか“らしい”くらいの事ぐらいしか知らない。 具体的に分かったからといって、どうしようもないけど……。
秋風はだんだんと澄んだ匂いに変わって、ボクには新しい担当者がついた。若々しくて清潔感があって、誠実な女のひとだった。少なくとも、表面上はそう見えた。あと、口が軽くない。
 “よろしくお願いします、二宮さん”。そう言って差し伸ばされた手は、爪もきちんと手入れがされていて綺麗だった。そして、ひどく冷たかった。

 彼女は、ボクから何から何まで聞き出そうとした。いろいろなものの好み、嫌い。家族のこと、交友関係、自分に望むこと。それから、前のプロデューサーとのこと。
 引き継ぎなんてろくにできていなかったから、彼女なりに、必死にボクのことを知ろうとしていたんだろう。ごく些細なことにも機敏に、過剰に反応した。
 “私のことは友達だと思って”と言っていたけど、まるで奴隷だった。しくじれば殺される、というくらいの恐怖が透けて見えた。
 それが最初は面白くてからかいもしたけれど、次第に鬱陶しくなってきた。やることなすことに青い顔をされれば、ボクじゃなくたって息が詰まるだろう。こちらとしても彼女を怯えさせないように色々気を遣わなくちゃいけないし、どんな仕事をするにしても、思い切ったことができなくなってしまった。

 自分が、かつてない程つまらない人間になっていくように感じた。だけど仕事は増えた。馴れ馴れしく話し掛けられる機会が増えて、“丸くなった”、“仕事のやり方が上手くなった”とか、好き勝手に言われるようになった。“親しみやすくなった”、とも。
 それに対してもボクは波風を立てたくなくて、“おかげさまで”、と返した。怒るような気概さえ湧かなかった。形式上は褒められているのだから、噛み付いても損をするのは此方の方だ。笑って受け流すのが“大人”だろう。
 ボクだって、永遠に10代のままでいられるわけじゃない。あと数年で20代だ。そうしたら、何をするにも責任が伴うようになる。いまのうちに精々貯金をしておくべきだろう。実績やコネとか、とにかく、色々……。

 夜。ベッドの中で眠りに就くとき、よく“前”プロデューサーのことを考えた。苛々することは多かったけれど、死んでいいほどひどい人間じゃなかった。
 別に彼の死に責任を感じているわけじゃあない。でも、彼がボクを見つけてくれたから。
 
『キミは、誰だい?』

『珍しい鳥を捕まえるおじさんだ』

『そこの交番まで競争しようか』

 今思い出しても、ちょっと笑える。

♢♢♢♢♢♢♢

 大晦日も勿論仕事だった。『二宮飛鳥』を独占するのはたとえボクでも許されない、というわけだ。
 どう使われるのか分かったものではないチャリティ、感動的なほど白々しい感動ポルノ、面白さが全く理解できない大声を出すだけのお笑い。無感情になれたことが幸いと思えるような番組構成。
 こんなことならもっと歌の仕事を増やしてもらって、紅白隊のほうに参加したかった。でも彼女とは、そういうことが言える間柄ではない。
 プロデューサー……前のプロデューサーのときも嫌な仕事はあった。だからボクは、丸め込まれることの方が多かったけれど、時々は噛み付いた。それで仕事が終われば、“ああ疲れた”という顔をして、あの黒いセダンの中で好きに振舞っていた。
 今は、誰かを嫌いになることもできない。だって、ボクの周りに悪人はいないのだから。あの教師も悪気があったわけじゃない。あの司会者も、無知で身勝手なだけで悪意があったわけじゃない。今の……彼女も、ただ一生懸命なだけだ。

 ニコニコして、話を振られればそれなりに話して、ニコニコして、拍手。そうやっているうちに、仕事の終わりが近づいてきた。番組は続くけれど、ボクは未成年だから。
 適当にタクシーでも拾って、どこかのコンビニに寄って、帰って、食事して、寝よう。明日も仕事だ。浮かれている暇はない。

 そんなことを考えていると、司会者が“最後にサプライズがある”と言った。会場がわざとらしくどよめいた。さて、リハーサルにはなかった展開だ。どんな顔をすればいいだろう。

「二宮飛鳥さんの、ご両親が会場にお見えになってます!!」

 スクリーンに、見知らぬ物語が映っている。『二宮飛鳥』の半生。見覚えがないことばかり。なぜって、そこで話している「二宮飛鳥をよく知る人物」がボクがよく知らないひと達ばかりだから。
 小学生の頃は内気で。中学生の頃はクラスの人気者で。高校に入ってからは他の学生と積極的に交流し、クラスをリードする。将来の夢は教師で、都内の大学に進学するためにもう勉強中。
 現在はアイドル活動のために親元を離れ、家族を恋しく思いつつも日々の忙しさに、連絡が取れない日々。笑い出したくなるくらい、ちぐはぐで、滑稽だ。
 
 ボクの前に現れた母さんと、父さんは、当然だけど歳をとっていた。ボクと一緒にいたときよりも。まるで別人のように見えた。
 ふたりが笑う。ボクも笑い、ふたりを抱きしめる。会場から拍手。

 


 プロデューサー。彼が、嫌いだった。
 でも今……キミと話したいことが山程ある。





おわり

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