五十嵐響子「Pさんは泣き虫」 (57)

SSを書くたびに各所から「[ピーーー]」「精神病院に行け」「二度とSSを書くな」「戻って来るな」「精神病院に行け」「自殺しろ」と絶賛の声が上がっているので初投稿です。
地の文キャラ崩壊に勝手な設定など沢山ありますのでもう無理な人は読まない方がいいです

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P「うわぁあああああゴキブリだぁあああああ!!!! なんで事務所にリスポーンするんだよぉおおお!!!」

ちひろ「ちょっ、落ち着いてくださいPさん!」

P「マジでダメなんですよゴキはぁああああ!!! かさかさするしエグイし!!! あともう生理的に無理!! 絶滅希望種ですよぉおおお!!!」

ちひろ「私もダメですよ一人で逃げないでくださいPさぁああん!??」

響子「私が行きますっ!」

ちひろ「響子ちゃん!?」

響子「せいっ!」パシーン

P「一撃だと!?」

響子「ふっふっふ……鍛え上げた私の新聞紙の前では、ひとえに風の前の塵に同じです」

ちひろ・P「やだ、カッコいい……」

響子「この子は私が始末しましたので……あ……」

P「……」涙ドバー

響子「ま、また泣いてる……」

ちひろ「全く、Pさんの泣き癖にも困ったものです」

響子「いや、ちひろさんも少し泣いちゃってますよ」

ちひろ「ひぇ……」

 私のプロデューサーは、泣き虫です。すぐに泣いてしまいます。何かあったら、涙を流します。
 私と初めて会った時もそうでした。

 Pさんの泣き虫メモ。
 どうやら、悲しいことや辛いことがあったときや、刺激あるモノを食べた時以外にも涙を流す時もあるみたい。嬉しいときがそれ。

 それは、私が鳥取にある実家で、お買い物からの帰路をゆっくりと歩いていた時のお話です。
 私はいつもより少し多めに買った野菜を持ちながら、途中何度か休憩を挟みながら帰っていました。その時は、私は丁度家の近くの公園のベンチに、深く腰をかけていました。
 流れる汗が髪を肌に張り付けてしまいます。髪、切っちゃおうかな、なんていつも考えているのですが、結局そんな暇はなく、仕方ないのでサイドテールにしてまとめています。前髪だけは自分でも切れるのですが、流石に後ろ髪を弄る勇気はありません。ハンカチで汗を拭いて、もう一息。
 見れば、満遍ないオレンジが、公園を浸しています。いつもは黄色に見えるジャングルジムが、やけに鈍く、オレンジに輝いています。少し、目に刺さります。
 時期は八月中旬だったでしょうか。太陽が傾いていたとはいえ、相当キツイ日差しが、公園に差し込んでいました。私以外には遊んでいる子供もおらず、公園は閑散とした雰囲気で満ちています。なんだか私だけが夕暮れに取り残されたみたいで、少しだけ哀愁の感情が沸き上がってきました。
「よしっ」
 と意気込んで、私はベンチから立ち上がりました。荷物は実に重く、持っただけでもどっと汗が噴き出しましたが、家までは後少しです。公園を抜けて、近道。横断歩道を渡って、道をまっすぐ進むだけです。

「……」
「……」
「……え」
「……」
 横を見れば、知らないおじさんが座っていました。いえ……おじさんと言うほど老けては見えません。お兄さん、といったところでしょうか。とはいえ、彼から溢れ出る負のオーラから察するのに、何か落ち込んでいることがあるのは、想像に難くありません。真夏だというのにきっちり着こなした黒のスーツ。汗一つかいていないような、乾いた表情。全く音もなく私の横に座ったにしては――どこか幽霊めいていました。 
「こ、こんにちは……」
 一応、声を掛けました。不審者に会ったら元気の声を掛けるか、何かされそうになったら逃げなさい――そう先生に言われた小学生時代を思い出しました。もしこの人が不審者でなかった場合、今にも死にそうな顔をしている見知らぬ人です。いえ、見知らぬ人だからといって放置するわけにもいかないのですが。

「こんにちは。一つお聞きしたいことがあるんですが、良いですか?」
 丁寧な言葉を話す人だな、と思いました。私なんてどうせ子供に見えるんだから、敬語なんて使わなくてもいいのに、と直感的に思いました。
「なんですか?」
「なんでこの辺、自販機がないんですか……?」
「……」
 乾いた声でした。
 というか、汗をかいていないというのは、熱中症の初期症状でしたね。その人は間違いなく、熱中症の人でした。
「飲み物でしたらありますよ。どうぞ」
 私は買い物袋からペットボトルを一本取り出して、彼に渡しました。彼は「いいんですか?」なんて遠慮していたようなので、私は「困ったときはお互い様です」と飲み物を押し付けました。こういう時のために買いだめしようとしていたスポーツドリンク、さっそく一本なくなってしまいました。飲み干したころには、彼はぽろぽろと泣いていました。
「美味しいなぁ……」
「な、泣くほどですか……」
 私にとって、大の大人が目の前で泣いているという光景は、少し異常に映りました。汗を取り戻すように顔を伝い涙が、ゆっくりと流れていきます。

「ふぅ、ありがとうございました。助かりましたよ」
 空になったペットボトルを大切そうに持って、その人は言いました。
「自販機を探して街中を歩き回ったのですが、中々発見できず……」
「実は一本抜けた路地裏なんかにあったりするので、地元民でもないとわかりにくかったりするのかもしれませんね」
「危うく死ぬところでした」
「現代日本で枯死って……」
 とはいえ、そう冗談でもない現実でした。
「あ、お金。返しますよ」
「そんな、いいですよ」
「そういうわけにはいきません。それと――」
 そういって、その人はお財布を取り出して、二枚の紙を取り出しました。
 片方はお札で、もう片方は名刺。
「おつりは貴方の好意です。もう一枚は、お誘いの一枚」
「お誘い?」
「僕はアイドルのプロデューサーをしているのです。貴方、アイドルになってみませんか?」
 宗教勧誘かと思いました。

「つ、ツボとか売りつけたりしますか?」
「そんなことはしませんよっ! 普通のアイドル事務所ですよ! 小日向美穂とか、緒方智絵里! あと城ケ崎姉妹! 知りませんか?」
「すみません、世情には疎くて」
「大丈夫か若者世代……」
 こほんと咳ばらいをひとつ。
「と、とにかく。僕はアイドル事務所の者です。CGプロって言います。調べれば出ると思いますし……っていうか、テレビとか見ないんですか?」
「アニメや教育番組だとよく見るんですが、弟達がニュースを嫌うので……」
「……なるほど」
 機知に富んだ人だな、とも思いました。それとない私の言葉を掴んで、察してくれたようでした。
「じゃ、あんまり踏み込まない方がいいでしょうか」
「いえ、それほどのことでもありません。弟や妹が沢山いて、家族は遅くまで仕事で忙しいので、私がきょうだいの面倒を見ているだけです」

「……よく出来た人だ」
「そんな……そんなことはありませんよ」
「猶更あなたが欲しい」
「え?」
 まるで、プロポーズのようでした。
「綺麗で輝いていて、燦々と照らす太陽よりも眩くて明るい。貴方、気づいてないかもしれませんが、僕を初めて見た時、笑ったんです。良い笑顔でした。黄金に煌めく笑顔だと思います。そんなあなたは、きっとどこでも輝ける。そしてそれを知っているのが僕だけなのは、凄く勿体ない」
「……」
「ここで出会ったのも何かの『縁』。僕とアイドルの階段を、駆け上ってはくれませんか?」
 恥ずかしいセリフでした。

 その人は出張でたまたま鳥取を訪れていたそうです。担当していたアイドルともはぐれ、一人行く当てもなく彷徨っていたところを、ばったり私に出くわしたそうです。「もし出会っていなかったら本当に枯死しちゃってたかもしれませんね」なんて私が言ったら、彼は「きっと出会っていたと思う。それも『縁』だし、多分前世でも会ってるし、来世でも会ってる。いわゆるティンと来た、ってやつだね」と言いました。歯が浮いちゃうような恥ずかしいセリフ。思わず顔が真っ赤になってしまいましたが、彼はなんでもないような顔で仕事を続けていました。
 それから私は一旦家に戻って、きょうだいの世話をしていました。しかしまあ、よく気付くもので、私のいつもより遅い帰宅と僅かな気分の変化から何かを読み取ったのか――実にアッサリ、彼からもらった名刺に辿りつきました。
「ねーちゃん、アイドルになるの?」
「げっ」
 思わずそんな声が出たのを覚えています。

「本当? すごーい! 歌って踊るんだ!」
「フリフリのドレスを着てー」
「テレビにも出るんだー!」
「ちょっと待って落ち着いて?」
 お鍋の火を一旦止めて、私はきょうだいを全員集合させました。
「とにかく! 私はアイドルにはならないから!」
「なんねーの?」
「ならないんだ……」
「そっかー」
「なんで?」
「なんでって……」
 言葉に詰まりました。貴方たちの面倒を見るから、アイドルにはならないのよ、なんて言えるはずがありません。そんな酷いこと、考えただけでも身の毛のよだつような悪寒が全身にまとわりつきました。

「えっと……私は……今の生活に、満足してるから。アイドルなんて、ならないよ」
 嘘でした。嘘をつきました。苦しい嘘でした。熱湯をかけた真綿で、首を絞めているような気分になりました。最悪でした。私は吐き出すようにそれだけ言うと、台所に戻りました。
 事実、私の意見は正しいものだったと思います。今思い返しても、あのセリフが間違っていたとは思えません。けど、何が正しくて何が間違っているかなんて、誰にもわからないのです。
 調理が済むと、少しだけ時間に余裕が出来たので、私は部屋に戻って自分のタンスを開けてみました。父に買ってもらった、私だけのタンスです。中には私の衣服だけではなく、学校で使う教科書やノートを横にして入れてあります。それだけでなく――昔お気に入りだった、玩具のマイクが入っています。入っているのはそれだけです。他の玩具は全部きょうだいに流してしまいました。けれど、どうしてもこのマイクだけは、渡せませんでした。少しだけ埃をかぶっていて、色も褪せている。そんな、安値の玩具のマイク。つい、下唇を噛んでいました。良くないな、と思いました。私はそのマイクをもう一度タンスにしまうと、きょうだいに夕食を告げました。

 結局、その話は両親にまで伝わってしまったようでした。話がどう逸れて曲がって捻じれたとしても、私がプロデューサーなる者から名刺を貰ったという事実は変えられません。結果、両親は運よく都合があったのか、夜遅くに私を呼び出して、三者面談が始まりました。
「響子」
「……はい」
 二人は横に並んで正座して、私の前の座っています。私も真似をして、二人の前に正座しました。家は静まり返っていて、いつも騒がしい居間が、やけに冷たく感じられました。
「アイドル、してみたいのか?」
「いや、いいよ。私じゃ無理だもん」
「……別に怒ってるわけじゃないんだ。お前の希望を聞きたいだけだ」
 少しため息をついて、父は言いました。その声は呆れたようでもあり、諦めたようでもあり――諦めきれないようでもありました。
「……無理だってば」
「希望を聞きたいだけだ」
「……」

「――CGプロダクション。調べたがかなり有名どころだ。社内でもここのアイドルのファンっていうのは少なくなくてな。高垣楓や城ケ崎美嘉と言ったアイドルの人気は言わずもがな。調べるまでもなく最高レベルの事務所だよ。お前が知らないはずない」
「……」
「繰り返すぞ。俺はお前の希望が聞きたいんだ。今まで愚痴一つ吐かずに、本来ならば俺がするべきだった家族の世話を任せきりにしていた。そんな大切な娘が、アイドルになろうというのならば、俺は応援する」
「母さんもそうよ。私たちが言うのもなんだけどね……響子は溜めすぎる性格だから。苦しいことも悲しいことも、溜め込んじゃう。涙だってね」
 ハッと顔を上げました。
「やりたいこと、したいこと。やってみたいこと、してみたいこと。なんだってでしょう。まだ響子は子供なんだから。何もかもをあきらめる必要はないわよ」
「それに、俺はまだ知ってるぞ。響子が……未だにあのマイクを捨てられないことも」
「!」
 なんで知っているのでしょうか。顔が燃えるように熱くなります。顔だけではなく、背中やお腹――体全体が、発火しているかのようです。

「アレはただの食玩の玩具だ。そんなことは俺もお前もわかっているだろう。だけど、捨てられないってことは、そういうことなんだろう。思い返してもまだ新しい記憶だ。お前が、アイドルを夢見ていた頃は」
「いつからか、そういうお話さえしてくれなくなったわね。一緒にいる時間が短くなっちゃったのもあるだろうけれど……響子は、私たちといる時間が少なくなってから、良い子になった」
「……」
「……えっと、今から俺は少しばかりキツイことを言うぞ」
「……」
「家族を夢を諦めることの言い訳に使うな」
「……」
「逆だ。逆なんだよ。俺たちがお前の夢を応援しなかったら、一体だれが、応援するんだよ」
「……うん」
 その晩、私は二人の前で頭を下げました。頭を下げながら――あの時泣いていた、男の人のことを思い出していました。

 しばらくして名刺に書いてあった電話番号を辿ると、聞き覚えのある声がしました。
『はい、CGプロの……』
「Pさん!」
『は、はい!? ってその声は、先日助けてくれた……』
「私、アイドルになります!」
『……はい。そうですか。嬉しいです』
「はいっ!」
 それが、一歩目です。

 私が単身東京を訪れると、彼は羽田空港まで迎えに来てくれました。予めそういう約束だったとはいえ、ここまで懇切丁寧に扱ってくれるとは思ってもいませんでした。
 昔見た干からびたミイラみたいだった顔からは一転して、きらきらした宝物を見つけた子供みたいな顔をしていました。私を見つけるや否や駆け寄ってきて、早口に色々と説明してくれました。
「えっと、五十嵐響子さんですね」
「はい、Pさん」
「高校は東京に転入。しばらくはうちの女子寮に空きがあるので……」
「もう荷物は送っちゃいました。今日のお昼には届くって」
「そうですか。じゃあゆっくり向かいましょう。詳しくは、ご飯でも食べながらにしましょうか」
 私はこの時、生まれて初めてSuicaなるものを購入しました。びっくりしました。こんな便利なものがあったら、切符なんて売らなくていいんじゃないかな、なんて思いました。
「携帯は持ってますよね」
「いえ、持ってないです」
「……今どきの女子高生が?」
「偏見ですよ」
 少しだけ嫌味っぽく言うと、彼は笑顔のまま固まって謝りました。
「いや申し訳ない。勝手に持ってるもんだと思っていまして……」
「あはは、わざとですよ」
「……むぅ」
 子供っぽく頬を膨らませる仕草は、なんだか見ていて凄く安心しました。

 電車に揺られること一時間弱。
「この駅から降りてすぐにプロダクションがあります。覚えておいてくださいね」
「はい」
 さらさらとメモ帳に書き込みます。
「じゃ、ご飯でも食べましょうか。行きつけのご飯処があるのです」

 Pさんに連れられるまま入ったご飯処は、木の匂いのする和食店でした。入ってすぐにカウンターがあり、狭く身動きのとりにくい部屋を、どうにか横断するように歩いて奥のテーブルまで歩きます。
「また新しい子かい」
「はい。原石です」
 おばあさんが話しかけてきました。
「五十嵐響子です。よろしくお願いします」
「あらまご丁寧に。御贔屓にね、響子ちゃん」
「気に入られたみたいで良かった」
「……」
 テーブルに座ると、Pさんは一人話始めました。
「このお店が出来たのは戦時中にまで遡るらしい。いわゆる東京大空襲の戦火を逃れ、何度も増築、改築を繰り返しながら今まで続いているんだって。周囲のテナントは刻一刻と変化し、じき100年は経とうというのに変わることのない老舗和食店。『あきない』。お店の名前は諸説あるけど、ここ最近じゃあ「飽きない」と「商い」を掛けたってのが有力。和食と銘打ってはいるものの意外と洋食も美味しくて、カツカレーなんかは絶品だ。仕入れもこだわっているらしく、魚料理なんかになると手の込みようが凄いけど、仕入れの問題から夕方からしか出ない。夕方からは居酒屋みたいに店の雰囲気が変わるのもポイント。お酒も種類が多くていいけど、日本酒や焼酎しかないしそもそも沢山人が入れないのが難点だね」
「……」
「あ」

 饒舌に語るPさんをじっと眺めていると、ふと我に返ったように顔を染めました。見ていて飽きない人です。
「……Pさんは、何を頼むんですか?」
「……えっと、ざるそば」
「……ざるそば、ですか」
「はい。メニューはそこそこ多いから、適当に選ぶと良いですね。外れはないです」
「じゃあ、私もそうします。ざるそばを二つ」

 注文した料理が来る間暇だったので、Pさんとお仕事の話になりました。
「ひとまずアイドルになりたい、ということでわざわざ東京までお越しいただきありがとうございます」
「いえいえ」
「で、さっそくなんですが、これからのお話です。まずはレッスン等の基礎練を多めに組んで、アイドルとしての素養を伸ばします。順調に育ってきたらライブバトルなどで着実に知名度を上げつつ、ゆくゆくはCDデビューというカタチでのメジャーデビュー。ここを起点に、五十嵐さんのアイドルとしての方向性を定め、歌のヴォーカルパフォーマンスなど、どういったアイドルになるかを定めて進んでいきましょう」
 いきなりお仕事の話になって面食らってしまったというのもありますが、そこまで綿密に物事を組んでいてくれた、というのは驚きでした。
「私、決めてきたことがあるんです」
「はい」
「お姉ちゃんアイドルになります!」
「……」
「みんなのお姉ちゃんアイドルになるんです!」
「任せてください。僕が立派なお姉ちゃんアイドルにしてあげますからね!」
 どん、と胸を叩くPさん。凄く頼もしい姿でした。

「ぅうう~~……」
「ええ……」
 わさびで泣いていました。
「鼻に来るんですよ……」
「いや来ますけど……」
 同じものを注文した私だから言いますが、そこまで刺激のあるわさびでもありませんでした。多少涙が出そうな刺激でしたが、全然堪えられる程度です。というか、苦手なら入れなきゃいいのに、なんて思いました。
 ぽろぽろと涙をこぼしています。その姿に、不意に先日の彼を重ねました。
「……」
 ずるずる、とそばをすすってはまた涙が零れます。
「ぅうう~~……」
「……」

ちひろ「Pさん、お昼ご飯ですか?」

P「はい、ちょっと遅めですけど」

ちひろ「美味しそうなお弁当ですね。やっぱり響子ちゃんですか?」

P「最近は毎日作ってくれるんですよ。響子のお陰で最近は健康になっちゃって自分が自分じゃないみたいですよ」

ちひろ「へぇ、料理だけで結構変わるものなんですね」

P「いやー、朝は響子からのモーニングコールで起こされて、事務所までは歩くようにしてます。変わったことと言えばそれくらいですけど、なんだか体が軽くなった気がするんですよね」

ちひろ「朝は響子ちゃんに起こされてるんですか?」

P「はい」

ちひろ「しかもお弁当は手作り……」

響子「こんにちはーっ!」

ちひろ「あらこんにちは、響子ちゃん」

P「あ、響子。お弁当美味しかったよ」

響子「それは良かったです!」

P「特に唐翌揚げが素晴らしいね。冷たくても美味しい唐翌揚げなんて、また腕を上げたなぁ」

響子「えへへ、雑誌に書いてあったのを真似しただけですよっ」

ちひろ(もう結婚すれば??????)

 Pさんの泣き虫メモ。
 自分のせいで悲しいときは、絶対に人の前じゃ泣かない。

 しばらくアイドルとして下積みを積んでいると、どうやら私にはそんなにアイドルの素質がないことがわかってきました。歌はそこまで上手じゃないし、ダンスもまちまち。顔は良いってPさんは言ってくれますが、自信はありませんでした。だから、胸の奥で燻っていた感情――暗くて、グツグツして、胃でアツアツになるまで煮込んだシチューみたいな――が、いつ噴火してしまわないか、心配でした。
 その日は、私の初めてのライブバトルの日でした。二人の新人アイドルが、課題曲を歌ってパフォーマンスで勝負する。審査員だけではなくネット投票も行われ、新人発掘番組にしては中々の規模でした。私はそこで新人アイドルとして、とあるアイドルとバトルすることになりました。
 北条加蓮。聞いたこともないような子でした。
 彼女は既に二度ライブバトルに出ているらしく、私とのバトルで三回目の経験者だったそうです。
 結果から言えば、私はその子に負けました。
 僅差、ではなかったようです。大敗というわけでもなかったようです。まあそれなりの得点差。私は彼女に、あっさりと負けてしまいました。敗北したという屈辱よりも、勝てなかったという呆然よりも、私を揺らしたのはPさんの涙でした。
 あ、また泣いてる。そんな風に思いました。
 結果が出るのはバトルの翌日ですので、前日の夜のうちに私は結果を知っていました。Pさんと買いに行った携帯で知りました。そうして、気を抜かれた亡者のような足取りで事務所に向かうと、床で芋虫みたいに泣き寝入りしているPさんを発見しました。

 唖然、でした。大の大人が、床で目を腫らしながら眠っているのです。慌てるよりもまず、呆れてしまいました。
「Pさん、風邪引きますよ!」
 といっても、もう遅いのでしょう。おそらく、一晩中事務所で何か仕事をしていたに違いありません。その途中で寝ちゃったのでしょう。であれば、今さら毛布をかけようとも手遅れです。
「んん……」
「起きてください! 床で寝ちゃうと、体がきしきしになっちゃいますよ!」
 私が抱き起そうとして気がつきました。やけに、軽かったのです。成人男性とは思えないほど軽い身体。いえ、それなりに体重はあるのですが、私でも簡単に抱き起せてしまうほど華奢で壊れそうな体でした。次の瞬間には、水滴みたいにするりと抜けて、地面で弾けて砕けてしまいそうに思えました。
「響子……」
「はい、響子です」
「ごめん響子~~~~!!!! 僕のせいだぁ~~~!!!!」
「は、はひ!?」
 それから、Pさんはわんわん泣いてしまいました。すぐに大声を出すのはやめてくれましたが、しばらくすんすん鼻を吸って、泣いていました。私はというと、それを見るだけしかできず、ただ呆然と眺めているだけでした。

「落ち着きましたか?」
「……うん」
 なんだか、立場が逆です。
「ごめん響子。僕が悪い」
「そんなわけないじゃないですか。勝てなかったのは、私が原因です」
「違う。大切なこと言い忘れた」
「……?」
「忙しくって忘れてた。君なら伝えなくてもわかるって胡坐をかいてた。適当なことをした。ごめん」
「……」
「君は笑った顔が可愛いんだ。朝昇る太陽よりもきらきらで、夜照らす月なんかよりいっぽど明るい。すべてを照らす母なる明かりなんだ」
「ぅ……」
 相変わらず、恥ずかしいセリフでした。
「だから、笑って。笑ってほしかったんだ。ライブで、あの会場で――壇上で。君を見せてほしかった。けど、伝えてなかった」
「笑顔……ですか?」
「うん。それが君の魅力だ。勿論他にもたくさん魅力はある。僕の知らない魅力もあるだろう。だから響子のことはもっと知りたいし、もっとみんなにその魅力を知ってほしい。そのために、君は輝かなくちゃならない」
「……」

「燦々とみんなを照らす太陽。それがアイドルなんだ」
「……はい」
 Pさんは語り終えると、ティッシュを一枚使って涙を拭きました。
「じゃあ、なんで……泣いていたんですか?」
 だってそれは、私がするべきことで。
 私がするはずのことです。
「だって君は、泣かないだろう?」
「……」
「だったら僕が泣くよ。君が泣かないなら僕が泣く。みんなが悲しいとき、僕が泣く」
「わ、わかりません。なんで私が泣かないからって、Pさんが……」
「悲しいときは泣くもんだ。悲しがるもんだよ。僕は響子がライブバトルで負けたのはすっごく悔しいし悲しい。あとやっぱり、響子にも悲しがってほしい」
「……何故ですか?」
「悲しいときに悲しいって言えない人間は、いつか壊れちゃうよ。ダムと一緒だ。悲しいときは悲しいって言って泣いて、嬉しいときは嬉しいって言って笑うんだ。それで良い。それだけなんだ。だから、響子」
「……」
「君にはいつも笑っていてほしい。特に、壇上ではね」

響子「Pさん、どこにいるか知りませんか?」

ちひろ「トイレですよ。多分」

響子「多分?」

ちひろ「多分ですね。けど、ほぼ間違いなく、です」

響子「……それはなんで?」

ちひろ「仕事、切られたんですって」

響子「?」

響子「……Pさーん?」コンコン

P『うう……入ってる……』

響子(本当にトイレだし……泣いてるし……)

響子「どうかしたんですか……?」

P「お仕事、切られちゃった。僕のせいで。響子のレギュラー企画、あったのに」

響子「はぁ……」

P「はぁ、じゃないよ! 大問題だよ!」

響子「いえ、いつもなら私の前で泣くから……心配で。正直、レギュラー番組なんてどうでもよいです」

P「……」

響子「……」

P「他人の前で泣くわけにはいかないよ」

響子「はぁ……何故?」

P「男の子の意地っ!」

響子「……」

響子(どうせなら出てきてくれれば……嬉しいんだけど。いや……うん、そういうことかも)

響子(私、もっとPさんのこと、知りたいんだ……)

響子(この人が何を考えてどう思っているのか、知りたいんだ……)

響子(そして……)

響子(助けになりたいって、考えてる)

 恋の音色は突然に、からんと音を立てて鳴りました。拍子抜けするほどアッサリと、私の中にすとんと落ちて来ました。私はそれを受け止めて、ああ、なるほどね、と思いました。なるべくしてなったんだろうな、と思いました。
「Pさん、お弁当です!」
「ぅえ、お弁当?」
「はい。最近Pさん、体重が落ちているようなので」
「なんで知ってるの?」
「とにかく、食べてくださいね! 栄養満点ですから!」
 それだけ渡して、私はそそくさとその場を離れました。
「……ちひろさん、僕が買ってきたコンビニのうどん、食べてくれます?」
「さあ? 両方食べたらいいんじゃないですかーっと」

 その日から、私はPさんにお弁当を作り始めました。そういえば、Pさんが私のことを「響子」と呼んでくれるようになったのも、ここらへんでした。
「聞いて聞いて響子! セカンドシングル! 曲! やった!」
「お、落ち着いてくださいPさん……」
「やったぁ~~~……っ!」
 絞り出すような声の後、彼はガッツポーズをしながら涙を流しました。また、彼の涙を見ることになりました。嬉しくて出る涙。私にはそれが宝石のように見えて――今では少しだけ、うらやましかったりするのです。
「いよいよ響子を世間に知らしめる時が来たね!」
「知らしめるって……」
「いやーやったやった。これで今夜は安心して熟睡できる。今度、収録やるから歌詞カードは明日にでも用意するね」
「あ、はい」
「うふふふふ~」
 なんだか、子供っぽいというか、女性らしいというか。女々しい?

 ともかく、そんな風にPさんは喜びながら、ちひろさんのもとへとスキップしていきました。
「ちひろさん、今夜は飲みに行きませんか?」
「あら、随分と都合が良いというか」
「羽振りが良いんです」
 ひらひらと手を動かすPさん。誘蛾灯に誘われる子虫のように私はPさんの元へ行き――。
「私も行っていいですか?」
 そんなことを、口にしていました。
「え、響子が?」
「あら、いいんじゃないですか。一人増えたって変わりはないでしょうに」
「まあそうですけど。まだ響子は未成年ですからね」
「ふふ、Pさんが飲まずに監督でもすればいいんじゃないですか?」
「……ちひろさんは飲むんですか?」
「しかもタダ酒です」
「……」
 Pさんはしばらく考えてから、頷きました。
「……セカンド祝いってことで」

 『あきない』を訪れると、昼間とは変わった怪しげな雰囲気が私を出迎えました。
「ちょっとあんた、未成年連れ込むとはいい度胸だね!」
「いやー僕は飲みませんので。今回は保護者みたいなもんです。響子にも飲ませません」
「……ま、結局法律を守ればどうだって良いんだけど」
「ドライで助かります」
 変わらない姿のおばちゃんで少し安心しながら、あの時と同じ奥のテーブルに座りました。
「飲むときは座敷が良いんですがね」
「ここが好きなんです。払うのは僕なんですから」
「はーい」
「……」
 つい口から出てしまったとはいえ、少々無造作すぎたというか、早計すぎた感じはありました。私のせいでPさんがお酒を飲めないどころか、多少プレッシャーのようなものを感じてはいないか、心配になったのです。
「ま、折角の良い機会だからね。腹を割ってお話しようじゃないか」
 別に全然、Pさんは気にしていなかったようですが。

 しばらくは出て来る刺身をつまんでいましたが、ちひろさんの前にお酒が運ばれてからはもう大変。普段から鬱憤が溜まっているのか、マシンガントークが炸裂し、Pさんが上手に往なしていました。会話の内容は専ら仕事量が多すぎる、給料は納得しているが休日がない。休日があったとしても起きたら昼すぎだしやることがない、だのと管理職の苦労が伺えます。
「それにしても、Pさんは結婚とかしないんですか」
 独身が二人よればそういう話にもなるようで。私がいても――酔っているのか、それともわざとか――ちひろさんはお構いなしに、そう投げかけました。
「結婚ですか……ま、考えてはいるんですけどね……」
「考えてるんですか?」
「相手もいないし、考えてるだけですよ。もし結婚したら、どうなるんだろうなぁって」
「へぇ」
 にやりと笑うちひろさん。
「どうなると思います?」
「すぐ離婚しそうだなぁって」
「……」
「朝から晩まで仕事仕事仕事って感じですからね。ろくに構ってもやれない。出張も多い。家のことは手伝えない。こんなんじゃ、結婚なんて夢のまた夢ですよ」
「現実主義なんですねぇ」
 ジョッキを傾けながら、赤い頬にビールを流し込んでいきます。
「おばさん、日本酒いつものー!」
「あいよー!」
 居酒屋らしからぬ快活さで、キッチンから声が飛んできました。

「ま、現実見てなきゃ夢も見れませんか」
「その通り」
「……昔言ってましたね」
「ええ。物事は一側面だけ見ても仕方ないんです。表があれば裏がある。逆もまた然り。両方見ることは出来ませんが、片方ずつ見ることは出来る。けど多くの人は、その一手間を惜しんでしまう。注意書きを読まない。やるべきことをしない」
「――料理と同じですね」
「うん、そうだね響子」
 ぽん、と私の頭に手を乗せるPさん。普段では絶対にしないようなことです……雰囲気に酔っているのでしょうか。
「大切なのはその一手間です。理解しようとすること。通販サイトのレビューだけを読んで満足しちゃうタイプと同じですね。物事の本質を理解できていない。だから、一通り全部理解できる範囲で、理解すべきなんです。人間限界はありますが……その手間を惜しむことこそ、本質的には惜しいことなのです」
 私の頭を撫ぜるように手を動かします。いえ、実際に撫でているのでしょう。少しくすぐったくて、気持ちよいです。
「結婚生活も同じです。幸せなことだけ見ていては、成功しない。アイドルのプロデューサーもね」
「ふぅん。一見ドライですね」
「でしょうか」
「石橋を叩いて渡るタイプというか……いえ、私自身慎重な人は好きです。例えば次の瞬間には足元が崩れ落ちてしまうかもしれないと考えながら歩く人と、何も考えずに前だけ見て歩いている人では断然前者が好きです。人はそれを杞憂と言いますが……私には、それこそ手間を惜しまないタイプだと思います」
「はは……なんにでも通用する話じゃあありませんけどね」

 Pさんはウーロン茶をくいっと飲み干しました。
「さて、今何時かな」
「十一時です」
「へぇ。ところで何か忘れてる気がするんだけど、何かわかる?」
「女子寮の門限ですか?」
 ちひろさんが、そんなことを言いだしました。
「女子寮の門限は十時ですね。かなり厳しいらしく、十時を過ぎて帰ってきた子が門の前で寒空の下地べたで寝ている光景はクリスマスの風物詩です」
「悪趣味すぎる」
「さぁて、困りましたねPさん。どうします? 響子ちゃんは寮に帰れず、行く当てもない。こっちでは友人の家に泊めてもらうことも、今の時間では困難でしょうね。さあ、どうします?」
「今からホテルを手配するよ」
「ほう! 近場のホテルまで数駅離れています! 電車で向かって30分というところでしょうか! 終電には間に合いますが今話題のアイドルが翌朝一人で迎えもなく電車でこの駅まで? 通勤ラッシュに揉みこまれ? 何があるかもしれないというのに!?」
「くううう! 謀りましたね!」
「謀りましたよ!」
「素直!」
 なんだか大変なことになってきたことだけはわかります。
「えっと、とりあえず、私は、どうすれば……」
 そっと手をあげました。助け船を求めました。ちひろさん、助けてください、と!
「Pさんの家に、行けばいいんじゃないですか?」
「はえ?」

 Pさんの泣き虫メモ。
 悲しいときは一人で泣く。トイレに籠る。けど、最近は私の胸で泣くようになった。子供みたいで可愛い気がするけど、失礼かな?

 Pさんの車に揺られるがまま、私はPさんの家にやってきました。
「えっと……変なものとかはないと思うから、上がっちゃって。文春にすっぱ抜かれるのは怖いからね」
 大きくも小さくない、シンプルな二階立てアパート。その一階の角部屋に、Pさんは住んでいるようでした。都心から少しだけ離れた、閑静な住宅街。辿り着くころにはすっかり静かになっていて、まるで私たちだけが歩いているようでした。
「お、お邪魔しまーす」
 声が震えました。
 不肖五十嵐響子、男の子の家に遊びに行ったことはおろか、お付き合いをさせていただいたことさえないのです。Pさんは「処女性があって良い」と言いますが、それって経験不足ということではないのでしょうか。というわけで、男性の部屋に入るのは生まれて初めてでした。実家には男子もいますが、部屋は一緒でした。つまり、男の子らしい男の子の部屋を見るのが、初めてなのです。
 内装は変わったことはない、六畳一間のシンプルさ。テーブルや椅子、机やベッドなんかは見えますが、これといって散乱したりしているようには見えません。むしろ、最低限のモノしか置いていないような――いや、そもそも、あまりモノを置かないようにしている、という風に感じました。
「お風呂は悪いけど着替えもないし、こんな夜中に洗濯機を回すわけにもいかない。明日朝早くに帰って、寮で着替えてくれるかな」
「あ、はい」
「寝巻無いと寝られないタイプ? 僕の服、大きいかもしれないけど貸そうか?」
「えっ……はい! 是非貸してください!」
 言ったあと、なんだか少し恥ずかしくなりましたが、もう後には引けません。ここまでくれば押して押して押しまくるだけ! 美嘉ちゃんが乗ってた雑誌にもそう書いてありました!
「じゃ、もう寝よう。それとも、少し寝る前にココアでも飲む?」
「じゃあ、ココアください」
「了解しましたお嬢様」
「……都合が良いんですね」
「だから、羽振りが良いの」

 Pさんがココアを入れている間、私は部屋でゆっくりしていました。
 見回しても、大したものはないように思えます。趣味がないように思えました。何かが飾ってあるとか、何かを大切にしているだとか。写真一枚、部屋にはないのです。ただ、寝るためだけの部屋。一人暮らしって、そういうものなのでしょうか。
 ――ああ、そういうものですね。
 私もそうです。
 趣味はありません。ないので、仕方なくプロフィールには家事全般と書きました。そんなものは趣味じゃありません。私だってわかっていました。けれど、書くことがなかったのです。他の女の子みたいに、長電話や読書、映画鑑賞だとか、そういう趣味が、私には欠如していたのです。
 人とのおしゃべりを楽しむことは出来ます。本を読んで面白い、とも思います。映画を見て楽しいとも感じます。けれども、能動的に人とおしゃべりしようとしたり、読書したり、映画を見ることないのです。それはつまり、趣味ではないということ。
「……」
 なんとなく、テレビでもつけようとリモコンを取ってみました。ボタンを押します。反応しません。あれ、おかしいな、と思ってコンセントを見ても、ちゃんと刺さっています。電池が、切れているみたいでした。
 少し、退廃的な同感をしてしまいました。

「お待たせ。ヴァンホーテンしかなかったけど、いいかな?」
「あ、はい」
 渡されたコップを傾けます。少し濃すぎるくらい、濃厚な甘さ。体全身に伝わるような、じんじんする暖かさ。安心する味でした。
「僕は床で寝るよ。カーペットも敷いてるし、大丈夫だ」
「いえ、私が床で寝ます。押しかけてしまった邪魔者ですから」
「まさか。響子が邪魔者なわけないよ。大切な人は大切にしたい、と思うんだ僕は」
 彼もココアを飲みながら、そんなことを言いました。
 恥ずかしいセリフ、でした。
「……じゃ、じゃあ」
「……」
「二人でベッドに、入りましょうか」
「……」
「……」
「……マジ?」
「マジ、です……」
「……」
「……」
「そっか……マジか……」
「……」
「いいよ」
「……マジです?」
「マジだよ」
「どのくらいマジですか?」
「100」
「100ですか……」
 コップを傾けます。
「じゃあ、寝ましょうか」

 電気を消すと、いよいよわけがわからなくなってきました。何故私は、Pさんの部屋で、Pさんのベッドで、Pさんと寝ているのでしょうか。
 あ、ベッドの中、Pさんの匂いが凄いです。濃厚なPさんの匂いです。なんていうと、少し変態みたいですね。
 Pさんと背中合わせでベッドに入っていますが、互いの身じろぎはおろか吐息、心拍さえもわかってしまう距離です。もとより二人で入るベッドではないのです。彼の息が、耳元でしているようにさえ感じます。
「P、さん」
「どうしたの?」
「もしかして、私って魅力ありませんか?」
 これは、卑怯な言葉でした。我ながらずるい言葉でした。
「……襲ってほしいの?」
「い、いえいえ、そんなわけじゃ!」
「……そ。安心した。僕は間違ってなかった」
「……」

 ぼそぼそと呟くように、私は話しました。
「実は、女子寮に門限なんてないんですよ」
「……知ってる」
「夜遅くに撮影がある子もいますからね。基本いつでも空いてます」
「知ってる」
「ちひろさんの嘘に、乗っちゃいました」
「知ってる」
「期待、しちゃいました」
「……知ってる」
「好きです」
「……」
 知ってる、とは。
 言わなかった。
「僕と君は、似てる気がするんだ。なんとなく、直感でね」
「……」
「趣味がない。どこか他人と違っていて、違和感があって、狂っていて。でもそれを自覚していて、狂っていないフリをしている。あの時公園で君にあったのは、間違いのない『縁』だ。今こうしてここにいるのも、きっとその延長線」
 なんでもないような声音。
「僕も好きだよ」
「……」
「……今日はもう寝よう。疲れただろう」
「……はい。その……」
「……」
「ありがとうございます」

P「響子ぉおおお~~~!!!!」

響子「は、はぃい!? なんですか!?」

P「オリコン一位おめでと~~!!!」

響子「え……」


響子「え!!???」


響子「私がですか!?」

P「うん……」涙ドバー

響子(また泣いてる……)

響子「……Pさんのお陰ですよ。ありがとうございます」

P「僕は何もしてないぞぉお響子が凄いんだ……!」

響子「はぁ……」

ちひろ「こうなるとPさん、かなり面倒ですよね」

 久しぶりに実家に帰る時間が出来たので、Pさんと一緒に鳥取県に帰省しました。
 時期が丁度夏休みに重なったということもあり、鳥取空港に、きょうだい達は全員出揃っていました。
「あ、身長伸びてる!」
「へっへっへー、どうだー!」
「もう越されてる……流石成長期……!」
 色々ありましたが、私は元気です。アイドルとしても立派に成長出来て、それなりに有名にもなりました。趣味も出来ました。大きな一歩です。
「五十嵐父です」
「五十嵐母です」
「これはどうも、響子さんの担当プロデューサーをしております。とりあえず、名刺をば……」
 怖気づきながらもとりあえず名刺を渡すPさんは、なんだか見ていておかしかったです。
「ふふ」
「どうした?」
「いやね、響子が笑ってくれたから。久しぶりに見たわ」
「……そうだな」
 嬉しそうに笑う両親。私はまた、笑っていました。

「お母さん、私、趣味が出来たの」
「趣味?」
「うん。アイドル!」
「……そっか」
 なんでもないことかもしれません。なんでもないようなことかもしれません。けれども、私にはとても大切で外せない、何よりも重要な一歩なのです。
「嬉しいわ」
「ああ、男を連れて帰ってこなきゃりゃもっと嬉しかった」
「うっ」
 父に小突かれて、呻くPさん。今日は頑張ってください。手助けは出来ません。
「夢は見えた?」
「ずっと昔から見えてる」
「そう」
「思っていたよりも、変化は小さいものだった。もっと劇的なものだと思っていたんだけど……まるで月の満ち欠けみたいに、少しずつ変化していくものだったよ。私の夢は、希望は……少しずつ輪郭を帯びて、きらきらと輝いていったんだ」
「……恥ずかしいセリフね」
「誰かさんがいつも言いますからねっ」

 懐かしい実家に戻る頃には日も暮れていて、私はさっそくエプロンをつけて台所に立ちました。
「響子、手伝うよ」
「あれ、両親が沢山お話をしたいと言ってましたよ?」
「響子の隣にいた方が休まる。なんというか、そう、アウェーなんだ」
「じきにホームになりますよ」
「……ちょっと上手いことを言われてしまった」

「じゃあ、ご飯炊いてください。私は溶き卵を作るので」
「オムライス?」
「はい。得意料理です」
「そっか。じゃあケチャップも出して、と……」
 テキパキとお米を水で洗っていくPさん。もう、言わなくても慣れた光景です。
「……さっき、言ってたね。まるで月の満ち欠けみたいだって」
「……はい。そうだと思っています」
「その通りだと思うよ。僕も、君との日々はそうだったと思う。一気に変わりはしなかった。少しずつ、毎日石を磨くようなもんだ。ただ、僕が磨いていたのは宝石の原石だったようだけどね」
「……恥ずかしいセリフ」
「あはは」
 そうしていると、向こうからきょうだいたちが駆けて来ました。Pさんが逃げ出したことを機敏に察知したのでしょう。
「あー、にーちゃんがなんかやってる!」
「私も手伝う!」
「よし、俺も!」
「うぉおお、一気に押し寄せてくるね。手伝ってくれるの?」
「うん!」
「じゃあ一緒にご飯を洗おう! わかるよね?」
「水責めにして痛めつける」
「おーい響子、なんか歪んだ感じに育ってるんだけどー?」
「思春期だからじゃないですか?」
「疑問を投げかけられても」
 Pさんがきょうだいたちと仲良くしているのを見ると、なんだか私まで嬉しくなってきます。
「よーし、頑張るぞ!」


 その日のご飯は、今までで一番幸せで楽しいご飯になりました。

「響子って、泣くんですね」
「当たり前です。楽しければ笑うし、悲しければ泣く。僕も一緒です」
「……そうですね」
「ゼロからイチになった……ってわけじゃないんだと思います。きっと、マイナスからゼロに戻っただけで。僕も似た経験があるので、わかります」
「……そう。大変だったでしょう」
「そうでもないんです。ゼロから見える景色と、イチから見える景色と――マイナスから見える景色はそれぞれ違います。全部が全部正しいわけでもなく、全部が全部間違っているわけでもない。だから、物事は多角的に見る必要がある。響子はそれが出来ていなかった。なら、あとは土台を用意して色々見せてあげればいい。それこそ、ガラスの靴を履かせてかぼちゃの馬車に乗せて、お城に連れて行って」
「……響子の恥ずかしいセリフって、貴方のものだったんですね」
「……かもしれませんね」
「……これからも響子のこと、よろしくお願いします」
「任せてください」

「僕が立派な、お姉ちゃんアイドルにしてみせます」

 Pさんの泣き虫メモ。
 よく、笑います。

おしまい

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