渋谷凛「愛を込めて花束を」 (22)


昔、父に連れられ花畑に行ったことがある。

思えば、私が両親の仕事を強く誇りに思うようになったのは、あれからだったのだろう。

もちろん、それまでも両親の仕事は子供ながらに素敵なものだと思っていたし、うちの花を手にしたお客さんの笑顔を見るたび両親に憧れや尊敬の念を抱いていた。

けれど、やっぱり。

私が花屋という職業のなんたるかを意識したのも、両親の偉大さを思い知ったのも、たぶん父と花畑に行ったあの日からだ。

そんなことを、胸に抱えた花束を見て、思い出した。


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◆ ◇ ◆ ◇

帰りの会が終わって、学級委員の子が元気よく「起立!」と言った。

三十を超える椅子が後ろに下がる音が、教室中に響く。

「気を付け! さようなら!」

続いてクラスみんなで声を揃えて復唱する。

「はい、さようなら。明日は図工あるから彫刻刀忘れちゃダメだぞー」

担任の先生がにこりと笑って、手を振る。

すぐさま、ばたーんという音を立てて前方の扉が開く。

ランドセルを肩にかけ、もう片方に大きなエナメルのバッグを提げた男子の集団が教室を飛び出していった。

先生はちょっと顔を顰めて「あいつらはホントにもう」とこぼす。

そういえば、今日の給食の時間に「今日の部活は次の大会のメンバーを発表するんだぜ」とかなんとか言っていたっけ。

男子はばかだなぁ、と思う一方で、あれだけ何かに夢中になっているのは少しだけ羨ましくも感じる。

なんてことを頬杖をついて思案していたところ、別のクラスの友達が教室の外から私を呼んだ。

「凛ー、帰ろー」

「んー」

机の横にかかっている体操服が入った手提げを取り、ランドセルを背負った。




「凛のクラス帰りの会長いよー」

「ね。いつものことだけどさ」

「男子がばーんって飛び出してくの、ちょっとわかるもん。ばーんって」

彼女は言うと同時に両手足を大袈裟に広げる。

「なにそれ」

「ばーん、って感じのポーズ」

「ぷっ、ふふふ。変なの」

つぼに入ってしまった私は、お腹を抱えて笑ってしまう。

「変じゃないよー。これ以上ないくらいばーんって感じだってば。ほら」

味を占めた彼女が再びばーんのポーズをして、私に迫る。

なんとか笑いを抑えて、近付いた隙に彼女の両手を掴んで降ろさせた。

「わかったから、ほんと。帰ろ」

私が言うと、彼女は不満そうにした。

「もうちょっとこのネタで攻められると思ったんだけど、だめかー」




下駄箱に上靴を戻し、スニーカーに履き替える。

左、右と土間につま先を打ちつけて運動場へと出た。

運動場は、遊具などに腰掛けて雑談をしながら帰宅を先延ばしにしている生徒や、部活動の準備をしている生徒で賑わっている。

ぼうっとそれらを眺めていると、靴ひもを結んでいた友達が駆け寄ってきた。

「おまたせー。帰るぞー!」

彼女は体をぶんぶん振って、言う。

その動きに伴って、ランドセルに提げられている給食袋もぶんぶん振られて、私に当たる。

「痛い」

「給食袋アタック」

「いいから」




校門へ向かうとき、もう既に練習着に着替えているクラスメイトと鉢合わせた。

「あ、渋谷」

「……同じ帰りの会にいたよね?」

「おう。最強だからな」

「意味わかんないし」

「んじゃあ部活行くわ!」

「ん。最後の大会、スタメンだといいね」

グローブを小脇に抱え、バットを担いで走り去るクラスメイトから視線を横で見ていた友達に戻すと、やたらとにやにやしていた。

「何」

「凛はモテるなー、と思って」

「モテないよ」

「嘘おっしゃい」

「ほんとだから」




友達と取り留めのない……どころか意味もまるでない会話を交え家路を辿る。

「野球ってさー、怖くないのかな」

「? 何が?」

「何百キロって速さのあんなかたいボールが飛んでくるんだよ。当たったら死んじゃうよ」

「あー。そう考えると怖いかも」

「でも凛は野球の格好似合うかもね。バスケとかもいいかも。あ、そういえば今日の給食の話なんだけど」

彼女にはおよそ脈絡というものがなく、このように話題は目まぐるしく変わる。

いちいちツッコんでいたらキリがないため、私は移ろいゆく話題の流れに身を任せることにしている。

だから、今日も別れ道まで、そうして歩いた。



家に着いて、お店側から中に入ると父がカウンターで花束を作っていた。

「ただいま」

声を投げると父は視線を上げる。

「おかえり。お母さんがおやつ用意してくれてるぞ」

「ほんと? やった」

「手、洗うんだぞ」

「うん」

父の横を通って、玄関へ行き靴を脱ぐ。

それと同時に二階の方から階段を駆け下りる軽快な音が聞こえてきた。

爪がフローリングと触れ合って奏でられる、どこか楽しげな音。

うちの看板犬である、ハナコだ。

いつも、ハナコは私が帰ってくるとすさまじい勢いで階段を駆け下り、リビングを素通りして玄関まで一直線にやってくる。

同じように今日も猛烈なタックルで私は出迎えられたのだった。




キッチンでお米を研いでいた母にただいまを言って、洗面所に向かう。

そうして手洗いとうがいを終え、リビングに戻りソファに倒れ込んだ。

ハナコは間髪入れずに私の上に飛び乗り、お腹の上で丸くなった。

「凛ー、ダイニングにおやつ置いてあるわよ」

「今動けない」

私がそう返すと、水道の音が止まった。

ハンドタオルで手を拭きながら母が私のもとまでやってきて。ふふふと笑う。

「これは仕方ないわね」




研いだお米を炊飯器にセットしてきたらしい母は、その帰りにダイニングテーブルから私のおやつを持ってきてくれた。

「私の座る場所もあけてちょうだい」

ぐっ、と腹筋に力を入れて、背中の上のほうだけを反らせた。

母は「もう」と言いながら、できあがった隙間に腰を下ろし、私の頭を膝の上に乗せる。

そして私の口へおやつを放り込んでくれた。




研いだお米を炊飯器にセットしてきたらしい母は、その帰りにダイニングテーブルから私のおやつを持ってきてくれた。

「私の座る場所もあけてちょうだい」

ぐっ、と腹筋に力を入れて、背中の上のほうだけを反らせた。

母は「もう」と言いながら、できあがった隙間に腰を下ろし、私の頭を膝の上に乗せる。

そして私の口へおやつを放り込んでくれた。




そうやって私がハナコと母とだらだらとしていたところ、父も家の方に上がってきた。

「あら、どうしたの?」

「いや特に用事はない。けど、注文分は作り終わったから一息入れようかと」

「内線ちゃんと出してきたの?」

「もちろん」

「じゃあ、コーヒーでも淹れましょうか」

言って母が立ち上がり、私の頭はソファにぼすっと着地した。

私もちゃんと起きて普通に座り、父の分のスペースをあけた。




「凛もコーヒー飲む?」

「私はまだ水筒のお茶残ってるからいい。あ、私が淹れてあげようか?」

「いいの?」

「うん。お母さんはお父さんと座ってていいよ」

ハナコを父に預けて、キッチンへ向かった。

淹れるといっても、どこにでもあるコーヒーメーカーを使うだけだから、難しいことは何一つない。

フィルターをセットして、粉を入れて、ボタンを押すだけ。

待っていればコーヒーが落ちてくる。

それをマグカップに注いで父と母に持っていった。




「はい」

「ん。ありがとな」

「お礼にまたアレンジメント教えてよ」

「そういう作戦だったか」

マグカップを受け取って父が言う。

「何、お父さんタダで凛に教えてあげてないの?」

悪い笑みを浮かべる父を母がつねる。

「いやそんなことないって、な? 凛」

母が私に目配せをする。

おそらく、父が不利になる発言をして欲しいのだろう。

「この前はコンビニにおつかい行かされた」

だから私は母の要望通りの発言をした。

「ちょっと、凛」

「これはお仕置きが必要よね」

「待って。ストップ、目が怖い。凛助けて」

父と母がじゃれているのを横目に、別のソファへと移る。

ハナコも私についてきて、膝の上に乗ってきた。

「そういえば、凛はなんでアレンジメントが上手になりたいの?」

「特に理由はないんだけど……やっぱり自分より上手なお手本があるとそれに近づきたい、って思っちゃって」

「ほんと、凛は負けず嫌いよね」

「でもな、凛。お父さんなんか目標にしてちゃダメなんだぞ」

「?」

私が頭上にはてなマークを浮かべていると、母が「出るわね。お父さんの持論」と言った。




「花はさ、自然に咲いてるのが一番綺麗なんだよ」と父が言う。

そこから、怒涛の語りが始まった。

何度も聞かされているのであろう母は呆れ気味だ。

私はというと、あまり言っている意味がよくわからなかった。

たぶん父は私が理解していないのを察したのだろう。

「よし。花畑に行こう。お母さん店番お願い」

車のキーを握りしめて、父が立ち上がった。

「凛、悪いけど行ってあげて。言い出したら聞かないから」

母はため息をついていた。




言われるがままに父に連れられ、車に揺られること一時間ほどで、どうやら目的地に到着したらしかった。

周囲の風景を見るに大きな公園だろうか。

花は家にたくさんあるし毎日見ているのに、と思ったけれど口には出さず父のうしろを歩く。

少しの後に、一面の花畑が広がっている場所に出た。

見渡す限りの空色だ。

まだ少しだけ冷たい風に吹かれて、空色の海は波打つ。

その様を見て「わぁ」と声を上げてしまった。

父はその方向を指差して「あれはね」と言う。

そこを私が「ネモフィラ」と遮った。

「花言葉は、どんな場所でも成功できるとか、可憐とか。育てやすい方……だった気がする」

「すごいな、凛は。そう、ネモフィラ」

父がくしゃくしゃっと私の頭を撫でた。

ずっとずっと小さい頃に父と母にねだって買ってもらった植物図鑑とおこづかいを貯めて買った花言葉辞典。

これらを対応させながら読んでいた私は家で扱っているものについてはそれなりに頭に入っていた。

眼前に広がっている空色の海にしても、そうだった。

うちでも種や苗を扱っている。

「さて、ちょっと座ろうか」

言って再び歩き始めた父のあとをついていく。

そして手頃なベンチに腰掛けて父は大きく息を吐いた。




「凛はこの花畑を見てどう思った?」

質問の意味がよくわからない。

でも、何も返事をしないわけにもいかないから、思った通りのことを伝えることにする。

「綺麗だと思った」

私の感想を聞いた父はしきりに、うんうん頷いて「そうなんだよ」と言い、さらに「まだまだ及ばない」と続けた。


◆ ◇ ◆ ◇

いつかの景色を思い出して、胸がきゅうっとなる。

待ち合わせの時間までは、あと十五分ほどあった。




それから五分としないうちに、私のいるこの部屋。

事務所の第二応接室に扉を三度ノックする音が響く。

抱えた花束を後ろ手に隠し「どうぞ」と言った。




ゆっくりとドアノブが回り、控えめに扉が開く。

プロデューサーが入ってきた。

一瞬だけ私の背中の方に視線がいくのが分かった。

隠し切れていないであろうことはわかっているから、それはいい。

こういうのは勢いだ。

ずいっと一歩前進して距離を詰め、目の前に花束を出した。

「誕生日おめでとう。プロデューサー」

「ちょっと泣いてもいい?」

「いいよ。私しかいないし」




ちょっとの沈黙の後、プロデューサが口を開く。

「覚えててくれたんだな」

「うん。っていうか、毎年忘れたことないでしょ?」

「そうなんだけどさ」

「だけど?」

「……プロポーズされるかと思った」

「ぷっ、あはは。変なの」

「それくらいびっくりしたんだよ。この花束は凛が?」

「うん。使わせてもらったのは家の花だけど、選んだのも包んだのも、私」

「すごいな」

「まだ全然だよ」

「ご両親には勝てない、ってこと?」

「それもそうだし、もっと上も」

「もっと上?」

「うん。昔ね、お父さんが言ってたんだ。花は自然に咲いている姿が一番、って」

「花屋なのに?」

「そう、花屋なのに。私はこの考え方が好きなんだよね。だって自然のものが一番だと思っているからこそ、その魅力に一歩でも近づけるように。ともすれば負けないように、ってことでしょ」

「あー、なるほどなぁ。見据えてる先が素敵だなぁ」

「私もそう思う。それにあとね、ここからは私の考えなんだけど。人の手が入って初めて出る魅力もあると思うんだよね。おこがましいのかもだけど」

「ああ、うん。わかるよ。この花束が実際そうだから」

「そう、だといいんだけど」

「自然では絶対に隣同士で咲かないような花だって、表現できる、ってことだろ?」

「……言いたいこと言われちゃったな」

「あー、ごめん」



「……まぁ、うん。と、いうわけで。すごく長くなったんだけど」

ごほん、とあからさまな咳払いと前置きをして、もう一歩。

私は距離を詰める。

「私の作った花束。受け取って欲しいな」

差し出した花束をプロデューサーは満面の笑みで受け取ってくれて、しばしの間花束を眺めていた。

「本当にありがとう」

「うん。どういたしまして……になるのかな。正直、渡すの結構緊張したんだけど……喜んでもらえてよかったよ」

「めちゃくちゃ嬉しいよ」

「めちゃくちゃってどれくらい?」

そんな私の軽口に対して、プロデューサーは花束を机の上にゆっくりと置く。

「見てて」

そして両手足を大袈裟に広げ「これくらい」と言った。

「なにそれ」

「ばーん、って感じのポーズ」

「……もしかしてそれ、流行ってるの?」



おわり

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