荒木比奈「ジャスト・リブ・モア」 (32)
この争いを 終わりに出来る誰かは 天下無双の勝者
止まんな ビビんな 思ったそのまま初投稿です
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荒木比奈「昨日今日あした未来」
荒木比奈「昨日今日あした未来」 - SSまとめ速報
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前作ですが、読まなくても大丈夫です
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1523199620
「じゃあ、お話ししまスね」
これは、「物語はいつも、出会いから始まる」って、私がより強く思うようになったお話だ。
4月10日。
「あ、もう昼だ」と、私はそう思いながら目を覚ました。コタツに入ったままの下半身は汗をかいて蒸れていて、少し不快。
日光はカーテンで遮られていて、薄明かりの中、目をこすってメガネをかける。部屋の中には甘ったるい匂いと、アルコール臭が充満している。昨日食べたケーキと、初めて飲んだビールの残り香だろう。
テーブルの上には空き缶とペットボトル、チキンの骨、床にはスナック菓子の空き袋と、もう散々な状態。二十歳になって初めて迎える朝(昼)が、こんなぐうたらでどうしようもないのは、どうも私らしいというかなんというか。
昨日は、私の二十歳の誕生日だった。高校時代の友達(彼女も二十歳)が私の家に来て、一緒に食べて飲んで、空が白くなりかけるまでアニメをぶっ続けて鑑賞した。後半辺りの記憶はすっ飛んでいる。
まだ彼女はこたつの中で寝ていたままだった。てらてらと輝き、口から一筋の筋を描き絨毯を汚しているヨダレは、見ない振りをして無視をした。
「……」
涎を垂らし、だらしなく眠る彼女。そんな彼女の寝顔を見ると、彼女が授業中によく居眠りしていたことを思い出す。そして、受験期に、真剣な顔をして机へ向かっていたことも同じように思い出す。私がノートに落書きをしている間、彼女は苦手な英文法を克服しようとしていた、頑張って居た彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
そんな彼女も、今ではもう大学生。受験に合格した彼女に、半ニートで、起きてご飯食べて漫画描いて寝て一日を終えるだけの私とは、全く違う世界の人間になっているような感覚を覚える。
高校のときは、おんなじオタクな女子高生だったのに。私が進学せずに半ニートでぐうたらして過ごしている間も、彼女は勉強して、バイトをして、就活をして、恋人と過ごして。
いつから、彼女とこんなに遠ざかっちゃったのだろう。そう少し考えて、遠ざかったのではないと言うことに気がついた。遠ざかったんじゃない。私が進まなかっただけなんだ。
モラトリアムにしがみついて、ずっと同じ所にいた私と違って、彼女は先に進んでいったんだ。
『比奈にもいつか、きっと夢が見つかるって!』
ビールを飲んで、顔を赤くした昨日の彼女。私への気遣いからか、励ましからか出たであろうその言葉が、一夜空けた今になって、私の心にのしかかる。
「夢……」
……思えば、私には夢も何も、したいことがなかった。ただ「誰にも邪魔されず漫画が描ければいいや」と、それだけを考えて。「やりたいことが見つかるまで」と、親にわがまま言って、一人暮らししながら漫画を描いて、「なんとなく」で過ごして、早一年。
私は未だ、自分が何をしたい人間なのか分からなかった。
絵を描くのは楽しいし好きだ。けれど、ならばその道でプロを目指すのかと問われると、私は首を縦に振ることは出来ない。
結局の所、私は弱い人間なのだ。
夢からも、現実からも目を背け、逃げ道を選ぶような、そんな、弱い人間。
「……はぁ」
昨日は楽しく過ごせていたのに、少しの言葉だけでこうも気分が落ち込むなんて。……今まで散々現実から目をそらしてきた分のツケ、なのかな?
「んぁ……」
ふと、コタツで寝ている彼女の影がもぞりと動いた。でも、どうにも様子がおかしい。
彼女が口を開き、「ゲロ吐」との言葉を発しようとした瞬間、私は彼女を担ぎ上げ、トイレへと連れて行った。
ゲロ音がトイレからも漏れ出しているので、私は部屋に避難した。彼女が青い顔で出てくる
「マジごめん…」
「いいっスよ…」
「吐くだけ吐いたらみたいで本当にごめん…」
吐き終わって(律儀にトイレの掃除もした)彼女が、申し訳なさそうに謝り、そうして帰って行った。今日は、大学でサークルの活動があるらしい。遅刻は免れないみたいだけれど。
玄関で見送った後、部屋に戻る。冷蔵庫の中、昨日食べきれなかったケーキを、遅めの朝食に決めた。
甘いものを食べているはずなのに、さっきまでの思考が邪魔をして、苦い気分になった。
ケーキも食べ終え、チキンの骨を片付け、ゴミをひとまとめに。とりあえず元の部屋の綺麗さは取り戻せた気がする。
さて、と。
誕生日気分はもう終わり。これからは、描きかけの原稿を進めないと。それに、何かに没頭していないと、また見えない現実に押しつぶされてしまいそうになる。
逃避するように机に向かい、ペンタブを起動させ、筆を握り線を走らせていく。しかしどうしてか、作業スピードは今までで最低なくらいに遅かった。
今描いているのは、王道もいいところのボーイミーツガールもの。恋する少年少女の、夢を叶えるまでを描いた全32ページ。「物語はいつも出会いから始まる」という信念の下、自分の好きなところを詰め込みまくったストーリー、だけれど。
これまでよりも筆が乗らない。これまでより、自分の描いた物語に魅力を感じられない。そんなハズはない、とネームを読み返していく。
夢に向かって頑張る姿を描いたんだ。やりたいことをひたむきにする姿を描いたんだ。ネームを切るときは、気分が乗っていたのに。でも、どんどん心が、締め付けられるようになって、頭が痛くなって。
「……あれ?」
気がついたら、涙を流していた。
何度目元を拭っても、ジャージの袖口の染みが広がるだけで、涙は一向に止まらない。
ああ、もう、最悪の気分だ。
原稿のデータは保存せずに、ペンタブの電源を落とした。それから、涙を止める術のない私は、枕に顔を埋め、ただひたすらに情報をシャットアウトした。何も考えないように頭の中を空っぽにして、ただ時間が過ぎるのを待った。
気がついたら眠っていた。起きたら胸と頭が痛かった。気分は最悪のままだった。
ベッドの上から、ペンタブに向かって目を向ける。でも、原稿を進める気なんて全く起きなかった。……明日取りかかろう。大丈夫、きっと明日になったらまたいつも通りの私になって、いつも通り〆切りギリギリには間に合うだろうから。
『明日から本気出す』と決意したところ、乾いた音がした。どうにも間抜けなそれは、私のお腹から出た空腹のサイン。
どれだけ気分が落ち込んでも、関係なしにお腹は減る。だったらせめて、少しでも良いものを食べて、少しでも気分を戻そう。
行きつけのラーメン屋にでも行こうと、財布を手に取る。と、妙にそれが薄くなっていることに気がついた。ああ、昨日の出費のせいだ。調子に乗って散財してしまったんだった。
……しょうがない。銀行に寄ってから、ご飯にしよう。
外に出る。もう夕方になっていた。太陽は沈みかけているし、吹く風はまだ冷たくて、ジャージとTシャツだけだとまだ肌寒い。
ポケットに財布と携帯電話、家の鍵だけを入れて、階段を下りていく。
道路に出て、目的地に向かって歩いて行く。オレンジがかった空は、どんどん紫色に染まっていっている。
道すがら、多くの人とすれ違い、追い越された。部活帰りの高校生。バイトに向かう大学生。仕事終わりのサラリーマン。食事に向かうOL。家から離れるほど人の数は増えていって、通りに出ると、大勢の人が、私の隣を通り過ぎていく。たくさんの人と、すれ違って、追い抜かれていく。
半ニートの私とは違って、みんながみんな、キラキラして見えた。人々とすれ違う度に、「私はこのままで良いのだろうか」という、言いようのない不安が、足に纏わり付いてくるようで、踏み出す足が、どんどん重くなっていく。
言いようのない不安と、将来に対する諦めのような何か。それらを抱えたまま歩いて行く。心臓はやけにうるさいのに、頭は逆に冷静で、何だろう、こんな感覚は初めてだ。
初めての感覚に戸惑いながら、重ったるい足を動かしていく。人混みの中で、なるべく下を向いて、歩き続ける。すると、交差点で赤信号に引っかかった。ここを渡れば銀行だというのに、待ち時間がやけにもったいなく感じる。時間なんて、これから先いくらでもあるだろうにと、自虐気味に心の中で呟いた。
自動車が目の前を横切る様を、ぼんやりと眺めながら、赤信号が切り替わるのを待つ。なるべく何も考えないように、ぼんやりと。
暫く待つと、特徴的な電子音が鳴り、それと同時に周りの人がどんどん私を追い抜いていく。出遅れた私は、それに吐いていくようにして、横断歩道を渡っていく。
ハズだった。
突然、がっしりと、右の手首を捕まれる。
「!? え? 何!?」
驚いて体をびくっとさせながら、反射的に後ろを振り返る。
そこには、スーツ姿の男が、思い詰めたような顔で、私の手を掴んでいる光景が。いや、どういう状況?
「あの…っ!!」
その男は手首を掴んだまま、喉の奥から絞り出すように、私に言葉を投げかけた。
「お願いがあります!!」
ジェットコースターもびっくりの急展開が私を襲う。道行く人々は、私達のほうをチラチラと見ながらも、関わらないように早足になって横断歩道を渡っていく。
お願い? お願いって…。
「な、何っスか……?アタシ、半ニートなんで、お金なら、ないっスよ」
「お金? いや違う! そうじゃ無くって!」
男の人は、周りを見渡し、「ちょっと場所を変えても良いですか?」と、私に問いかけてきた。私もチラチラと見られるもの嫌だし、それになぜか、この人のお願いを断りたくないと思って私はそれを了承した。
近くの喫茶店へ並んで入る。お客さんからもあまり見られない隅っこの席で、男の話を聞いていった。
「芸能事務所のプロデューサー?」
「ええ。…俺は、そこにあるCGプロダクションで、プロデューサーとして働いているんです」
「…ああ、あそこの。…で、そのプロデューサー様が、日陰者のアタシに何の用っスか?」
「…単刀直入に言います。俺はあなたを、アイドルとしてスカウトする為に、お声かけをしました」
アイドル? スカウト? へぇ、それはまあ、たいそうなことで。で、私がアイドルに……って。
「……アイドル!? アタシが!? いやいやいやいやいや! 無理! 無理っスよ~!」
「まあとりあえず、これだけでも」
苦笑いしながら、彼が懐から何かを取り出し、手渡してきた。長方形のそれは、目の前の男が、芸能事務所の人間だと示す名刺だった。事務所の電話番号から個人用のメールアドレスまで、右下にびっしりと連絡先が書かれている
「あ、こりゃご丁寧にどうも……って、いやいやいや、連絡はしないっスよ? だってアタシ、アイドルなんて向いてないんで!」
体の前で両手を振って、思いっきり拒否の態度を示す。私がアイドルに…って、自分で言うのもアレだけれど、目の前の人が的外れなことを言っているような気がして。
「ははぁん、アナタ、さてはその目、かなり節穴っスね~?」
冗談のように自分には無理と、言ってやった。それから、少し言い方がキツくなってしまった、しまったと、気分が落ち込んでいるからってそれを会ったばかりの他人にそれをぶつけるなんて、と後悔をする。
けれど、目の前の人は、そんなことは全く気にしていないとばかりに、口を開いた。
「俺は」
真剣な面持ちで、彼はアタシに向かって言う。
「俺は本気です。」
「荒木さん。俺はあなたをアイドルになってもらいたいと、心の底から思っています」
真っ直ぐ私の方を見ながら、彼は言葉を紡ぐ。私は彼の視線の耐えられず、うつむきながら、また反論する。
「……そもそもアタシ、そんな華やかな場所は似合わないっスよ」
「きっと似合います。あなたなら」
矢継ぎ早に言葉を付け足される。落ち着いた声色から、彼が嘘を言っていないと言うことは否応なしに分かった。この人は、本気で私をアイドルにって、そう思っているんだ。
「アタシが…」
私は自分の事を、社会の片隅で、コッソリ生きていくのが性に合っている人間だと思っていた。漫画を描いて、食べて、寝てれば幸せな生き物なのだと、そう思っていた。
歌はアニソンしか知らない。運動はてんでダメ。人を楽しませるような会話力も、誰かを惹きつけるようなカリスマ性もない。そんな、こんな私が。
「アイドル…」
「はい」
彼は、私に向かって深々と頭を下げた。下げすぎてテーブルにおでこをぶつけていた。「いってぇ…」と零してまた顔を上げた。
「どうか、考えてくれませんか?」
チクタクと、時計の秒針の音をBGMに、私は昨日投げかけられた言葉を思い返していた。
『比奈にもいつか、きっと夢が見つかるって!』
これは、夢じゃあないだろう。私はアイドルに憧れたことなんか、一度もない。
でも。アイドルになることが夢じゃなくても、さっきとは打って変わって、「やりたくない」とは、言いたくなかった。
「このままじゃ嫌だ」「逃げたくない」「弱い自分と向き合いたい」「自分で描いた物語のようにキラキラしたい」「今とは違った自分になりたい」…そんな思考が、私を内から奮い立たせる。今まで見えていたのに無視してきた思考が、今になって力をくれるような感覚を覚えた。
「………やりまス」
「…!」
「アタシ、アイドル、やってみようと思いまス」
気がついたら口が動いていた。思考がはっきりとしないまま同意をすると、目の前の彼の瞳が、今まで以上に輝きだした。
「本当ですか!!」
ありがとうございますと、彼はまた頭を下げる。安心と満足を詰め込んだ表情の彼を見ると、なぜかこっちの心も満たされるようだった。
彼…プロデューサーさんと別れる前に、アタシは一つ条件を出した。それは、「アイドルするのは、今描いてる32ページを終わらせてから」というもの。プロデューサーさんは「終わったら連絡して欲しい」とだけ言って、もう一枚名刺を渡してきた。もうもらいましたよと指摘すると、恥ずかしそうに懐にしまった。
そして今は、ペン入れの真っ最中。驚くほどに筆は乗り、過去でも一、二を争うほど作業スピードがいい。
今日のことは、自分にとって革命だった。今まで決意というものをしてこなかった私が、他人がきっかけではあるけれども、初めて、道を選べたような気がしたから。嬉しかった。変われたような気がした。もちろん、まだ弱い部分は多いけれど。
ご飯はコンビニ弁当にした。もう、それで十分だった。あ、でもアイドルをするのなら、これから食生活とかには気をつけないと行けないのかな?
だってアイドルって、スタイルがいい人が多いし。これまでみたいに好き勝手に食べるのは控えた方が良いのだろう。だって、アイドルになるんだし。
アイドルに…アイドル…。
「……そうかぁ……アタシがアイドルかぁ…まいったなぁー……なんかワクワクしちゃうなぁ…ウフ…ウフフ…」
ニヤニヤと、気持ちの悪い独り言を呟き妄想しながら、筆を走らせていく。
脱稿まで、あとちょっとだ。
◆◇◆
「と、まあ、こんなところっスね」
一年後の4月9日。私は21歳になっていた。今日は、家に奈緒ちゃんと菜々ちゃんをお家に招いて、鍋を囲んでの小さなパーティ。去年の彼女は、今年は彼氏の家にお泊まりらしい。リア充め。
今から364日前の出会いを、リクエストの元、奈緒ちゃんと菜々ちゃんに話す。私が将来に対して悩みを抱えていたとか、メンタルが弱っていたとかそういうのは抜きに、「こういう言葉をかけられたよ」「こういう感じで誘われたよ」って所だけを抽出してお話した。
「じょ、情熱的だったんだな…」
「ナナはなんて言うか、話を聞く限りですけど、普段のあの人からは全く想像出来ないですねぇ」
「ああ、本人も言ってたっス。『あのときはどうかしてた』って、照れながら」
「どうかしてたって」
小鉢によそっておいた白菜を頬張る。出汁がきいていてとても美味しい。ちゃんと噛んで、飲み込んでから、二人に言葉をかけた。
「…で、アタシ的にはお二人のスカウトとか、きっかけのお話も聞きたいんスけど」
「え?」
「はい?」
二人が箸を止める。私はそのすきに鍋から鶏肉を取る。良い感じに煮えてて美味しそうだ。
私達は三人とも担当のプロデューサーさんが違う。それ相応、三者三様の出会いをしたはずだ。普段聞けないようなことだし、この機会に聞いてみたい。
「ささ、お二人も」
「…いや~、アタシはそんな…」
「な、ナナもちょっといいかなぁ~って…」
「な、なんでっスか!アタシだけだと恥ずかしいじゃないっスか!」
無理強いは良くないけれど、なんかこれは、ちょっと腑に落ちない。私はしぶしぶ納得しながら、鶏肉を口に運ぶ。美味しさで何かどうでも良くなった。
午後11時30分。鍋もケーキも食べ終わって、後片付けも(「主役は座ってて」と主に二人が)した。二人はもう寝ている。明日がオフの私と違って、二人には仕事があるし、このままぐっすりとしてもらおう。本当はまだまだおしゃべりがしたかったけど、しょうがないよね。
私は一人起きて、スマホの画面を眺めていた。
今朝、件の彼から届いた、私の誕生日を祝うメッセージ。
年度初めとか、新人の教育とか諸々が重なって忙しかったらしく、私は今日プロデューサーに出会えなかった。…今日どころか、ここ最近、普通に一緒の時間が減ってしまっている。忙しいものはしょうがないと思ってはいるけれど、やっぱり直接会いたくなってくるわけで。彼に出会えたことで、私と、私の人生が大きく変わったことに対する、一年分の感謝を、一年経った今日、直接伝えたい。でも、それはもう叶わないことだ。
…いや、急にそういうの言っても、重くて引かれるんじゃない?そう考えると、直接会えなくて良かったような。
スマホをコタツの上に置き、腕を広げて体を伸ばす。背中を大きく反らしたらパキッと音が鳴った。
気持ちを切り替えるように大きく息を吸い込んで、吐き出そうとする。
そんなときだった。
コタツの上のスマホが震える。反らした分の反動をつけて、元の姿勢に戻り、画面を見る。と、同時に吐き出せなかった息を、一気に吐き出してしまった。
画面には、今日会えなかったその人の名前が光っていて。
スマホを手に取る。でも、すぐには電話に出られなかった。二人は寝ているよね?でも話し声で起きたりとか、その流れで話を聞かれたりとかされたくないし。
悩んでいる間にもコール数は増えていく。まずい、このままだと寝ているって思われて切れちゃうかも。ドアの近くは二人が寝ていて防がれている。一番近くで一人きりになれる場所、どこかどこかと探して、私はベランダに飛び出した。
風が冷たい。でも体は熱い。大慌ててで電話に出る。
「も、もしもし!」
『もしもし、あ、寝てた? 起こしちゃったならごめ』
「大丈夫っス! ずっと起きてましたから!」
『…そっか。ごめんね、急に電話して』
仕事がやっと一段落ついたんだ。と彼は説明した。声色からは、少し疲労感がうかがえた。
「お、お疲れさまっス」
『ありがと』
疲れていながらも、彼の声は落ち着いていた。それに対して、私は巡り合わせのような、ご都合主義のようなこの状況で、心臓がバクバクしていた。だって、さっきまで思っていた人から電話がかかってくるなんて思っても見なかったことだし。
「で、でPさんは何の用っスか?」
『ああ、たいしたことじゃあないんだけど』
そこで彼は、一息吐いて、私の耳元で言葉を紡ぐ。
『…誕生日、おめでとう!』
「…………あ……ハイ………」
『日付が変わる前に、言えて良かったよ』
そう言われてハッとして、ベランダから部屋の中をのぞき込み、壁掛け時計を見る。11時56分。私の誕生日は、まだ終わっていなかった。
『プレゼントは、今日中には無理そうだから、せめて言葉だけでも直接』
電話越しで、彼はそう言って照れくさそうに笑う。こんなの、卑怯過ぎる。
「……Pさん」
『ん?』
「……ありがとうございまス」
軽い放心状態になってしまった。ああ、もう言っちゃおうかな。一年前から今までのことを。
うん、今しかない気がする。
「Pさん」
『何?』
「ちょっとお時間、いいっスか?」
それから私は、二人には話していない所まで彼にお話した。将来に対して抱えていた不安、夢がなかった事による焦燥、出会えてから見つかった目標。支離滅裂で、所々跳んじゃうけど、思いが止まらずあふれ出る。
「アイドルとして楽しい日々を送ることも出来て…だから…アタシ、Pさんには感謝しかないんスよ」
彼は、ずっと黙って聞いてくれた。
「強くなれたのはPさんのおかげっス」
あふれ出るものを、まとめてまとめて、言葉にして彼に伝えていく。夢をくれた人へ、感謝を届けていく。
「だから、本当に、ありがとうございまス」
自分の中にある言葉だけじゃ足りない気さえする。でも、今伝えられる分だけは、必死になって伝えた。
「……あの、なんか急に重い話をしてごめんなさい」
そうして我に返ったら、恥ずかしさと申し訳なさが襲ってきた。
『いいや』
私の話を聞いた彼が、閉じていた口を開いた。その口調は、やっぱり穏やかだった。
『…話してくれてありがとう』
「ああ、いや、こっちも聞いてもらえてありがたいっス…」
恥ずかしさはあるけれど、聞いてもらえたことは嬉しかった。自分の事を、もっと知ってもらえたような気がしたから。
『うん…うん、そっか』
私達は、もっともっとお話をした。この一年の、二人で過ごした時間の話。話していると、全てが懐かしくて新しくて、出来ることならもう一度、なんてことも思ってしまう。
気がつけば日付は変わっていて、私の誕生日は終わり、私達が出会った日になっていた。そこで、彼が私に問いかけてくる。
『明日さ、比奈はオフだよね?』
「はい? そうっスけど…」
『渡せなかったプレゼント、渡しにいくよ』
「え…いやいやそんな! もう十分っスよ!」
『まだ何も渡してないけど』
そっちがそうでも、こっちはもうたくさんもらいすぎている。これ以上は私の体と心では抱えきれない。
『僕も明日は、少し楽になるからさ。仕事が終わったら、連絡するよ。夕方くらいになると思う』
「ああ…はい…じゃあ…」
固辞して無碍にするのも、私には出来ない。
『うん。じゃあまた。おやすみなさい』
「はい、おやすみなさいっス…」
電話を切る。夜風は冷たくて、このままだと風邪を引くかも。でも、私は部屋には入れなかった。心臓はうるさいし、体はこんなに熱いのに、こたつになんて入れるわけがないだろう。
気持ちが落ち着くまで、私は夜風に当たることにした。
◆◇◆
比奈との通話が終わり暗くなったディスプレイを一瞥し、スマホを懐にしまう。それから、仕事用に椅子に座り直した。
『アタシ、Pさんには感謝しかないんスよ』
『強くなれたのはPさんのおかげっス』
『だから、本当に、ありがとうございまス』
比奈の言葉を反芻していく。それから、ため息にも似たものを大きく吐いた。
僕には、夢がなかった。正しく言えば、子供の頃からの夢に破れ、やりたいことが見つからなかったのだ。
成り行きでプロデューサーになった後、夢破れた自分を恥じ、過去に決別しようと思った。無理に一人称を変え、髪型を変え、口調を変え、自分を変えようとした。その全てが中途半端に終わった。我ながら情けなかった。
でも、比奈は俺とは違った。自分の過去と向き合い、弱さを認めて、その上成長をしようとしている。「強くなれた」と彼女は言ったけど、そうじゃない。彼女は最初から、自らの弱さと向き合う強さを持っていたのだ。俺なんかよりも、ずっと強い。
それに、感謝しかないのはこっちだって同じだ。夢破れて何も無かった自分に、夢をくれたのは比奈なんだ。
「荒木比奈のプロデュース」という夢をくれたのは、他でもない、交差点で出会った彼女なんだ。あのときから、僕の人生は再スタートを切ったんだ。比奈みたいに弱い自分と向き合いたいと、心の底で思えるようになった。だから、お礼を言うのはこっちの方なんだ。
さっき、比奈は多くのこと話してくれた。僕はただ聞くことしか出来なかった。ありがとうが言えなかった。届けたいことを届けられなかったんだ。僕のことを、話すことが出来なかった。
「まだまだだな、僕は…」
自己嫌悪にかられて、それから決意をした。比奈に、自分の事を話して、そして感謝を伝えよう。夢をくれたことに、ありがとうと言おう。
比奈のように、強くなろう。
それらを心に刻んで、僕は椅子から立ち上がる。今日はなんだか、歩いて帰りたい。あの交差点に、もう一度行きたい気分だった。
◆◇◆
私は、ベランダで後悔をしていた。急にあんな事を言い出して、引かれてないかと言うこと。懸念していたはずなのに、なんだ、私は浮かれていたのか。浮かれていたな、うん。
でも、彼なら引かずに受け止めてくれる気がする。もっとダメなところとか、弱いところを見せている気がするし。彼はこれくらいじゃ引かないかも…。
すがりつくような希望を持ったまま、夜空を見上げる。月と星が、黒色の中で光り輝いている。それに心を奪われ、寒さなんて気にせず、ずっと上を見上げていた。
「あ」
ぼーっとしていると、ふと気がついた。
「アタシ…初めてPさんに誕生日を祝ってもらったんだ…」
普通に考えれば分かることに、今さら気がつく。
『誕生日、おめでとう!』
電話越し、耳元で囁かれた言葉を思い出しながら、空を眺めニマニマする。
「へへ…えへへへ…」
物語はいつも、出会いから始まる。そして、終わらない限りそれは続いていく。来年、再来年、ずっとずっと先まで、いつまでも祝ってもらえればいいなと、流れていない星に願った。
輝く星にさよならをして、私は部屋に戻る。寝ている二人の邪魔をしないように、冷えた下半身をコタツに入れる。
「えへへへへぇ…」
ずっと先のことを思うと、中々寝付けなかった。今日は、長い夜になりそうだ。
ここまでです、ありがとうございました。荒木比奈さん、誕生日おめでとうございます。総選挙はどうぞ皆様、よろしくお願いします。
「もう何もかも終わったんだな。通りで安らかな気分な訳だ」
「ああ、貴虎。あんたはもう十分すぎるほど苦しんだ。あんたが背負っていたのは、一人で引き受けるには重過ぎる荷物だったしな」
「もう楽になっていい…そうなんだろう?」
「まあ…ね。だけど一つだけ、まだ頼みたい事がある」
「この期に及んで、か」
「あんたにしか出来ない。他の誰でも駄目なんだ」
「私に…何をしろと?」
「ミッチを、天井に行かせてやって欲しい」
「…あいつが私の課金を受け取るだろうか」
「大変なのは分かってる。今ではもう、あそこの場所(プラチナオーディションガシャ)はあんたにとって辛い場所になるだろう。いっそこのまま眠り続けた方が幸せになるかもしれない。でもな…ミッチに伝えて欲しい。どんなに運が悪かろうと、天井を迎えてアイドルをお迎えすることが出来るって…」
「それは私にも出来なかった事だ」
「諦めないで欲しいんだ。人は変わる事が出来る! 俺みたいな奴でさえ違った自分になれたんだ……リボ払いだよ! 貴虎! 今の自分が金なしなら、後の自分が払えばいい。それが出来るって事をミッチにも教えてやってくれ。貴虎、あんた自身が変わる事で…」
「そうか…確かに難題だな」
「引き受けてくれるか?」
元ネタは
モーターサイクルとセントエルモの火です
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