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今、765劇場女子更衣室に不埒な輩の影迫る!
辺りを警戒しながらやって来た、二つの怪しい人影はその手に大きな荷物を持ち、
用意していた合鍵を使って錠を外すと秘密の園の門を開けた。
するとそこにはなんの変哲も無いロッカーと、使い込まれた古い長椅子。
それに各種着ぐるみがスペースを占拠する空間はスウィートな乙女スメルで満たされている。
扉を開いた人影は、躊躇なく更衣室に侵入すると辺りを見回し笑い出した。
「くふふふふ……っ。思った通り、ここは劇場内でも特に甘美な匂いで満ち満ちている場所であるな!」
影の正体は男である。人相平凡、背格好普通。歳は二十歳のそこそこか。
彼は後ろに従えていたもう一人の人影の方へと振り返ると。
「亜利沙、手早く準備しろ」
「ラジャーです! プロデューサーさん」
亜利沙と呼ばれたその少女は、元気よく返事をすると手にした荷物へ目をやった。
それはいわゆる一つの掃除機で、彼女は電源コードをカラカラと伸ばすとプラグをコンセントにさした。
掃除機はキャニスタータイプ。予め吸引ノズルを取り外したホースだけを構えて意気揚々と亜利沙が訊く。
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「それで、早速始めますか? ありさの準備はいつでも来いのバッチグーです!」
「ふっ、そう急ぐこともあるまい。連中はレッスンルームへ行ったばかり……作業時間はたっぷりとある」
プロデューサーと呼ばれた男は亜利沙の問いに答えると、
自分も手にしていたハンディクリーナーを掲げてニヤリと怪しく笑って見せる。
……この二人、これから更衣室の掃除を始めようとでもいうのだろうか?
否、彼らの目的は別にある。
それぞれが持っている掃除機は、この日この時の為に徹底した分解掃除を行った一品。
言うなれば完全清潔掃除機で、その内部は汚れの一つ残っておらず、
それを、今から、たっぷりと、更衣室中に広がる塵や埃で汚そうなどとは思って無い。
彼らが集めるつもりでいるのはこの部屋の中の空気だった。
室内には十代、二十代の若き女性アイドル達が残していった芳香が。
すなわち普段使っている香水や、汗の匂いの混じった独特な香りが空気となって存在した。
それを、この男は協力者でもある松田亜利沙の手を借りて、
掃除機という文明の利器の中に閉じ込めてしまおうとしているのだ。
「いいな亜利沙? 我々の目的はただ一つ。集めた更衣室の空気を使って巨万の富を築くことだ。
かつては古の神がそうしたように無から有を生み出すことだ!
収穫したての果実の如きみずみずしい香りを素敵な容器へと移し替え、暁には!! 劇場売店で売って売って売りまくって――」
「儲けた利益で設備投資。劇場を大きくするんですよね!」
「その通ぉうりっ! しかも元手は殆どタダ同然。これに産地直売の強みを活かした良心的な価格設定と、
現地でしか買えない"限定"という名のブランドを付加した商品化……売れる! 売れるぞ! 俺には分かるっ!!
幾多のアイドルをプロデュースして来たこの手腕を振るった大作戦!
――ぐっふっふっふっふ、普段何かと口やかましい律子の奴もその鼻先に札束を突きつけられたならば何も言えまい。
むしろこの商才溢れる俺のことを、稀代の錬金術師として崇め奉り敬うことにもなるだろう!」
そうして男は阿呆のような高笑い一つ、掃除機のスイッチをポンと入れた。
亜利沙も彼に倣って辺りの空気を集めだす。
機械の駆動音が室内を満たし、二人はせっせとノズルをあちらこちらへと向けていく。
とはいえ、ハッキリ言ってその様子は滑稽以外の何者でもない。
それは確かに、掃除機の仕事はゴミを吸い込むことなのだから、電源さえ入れれば周りの空気を吸い込みだす。
そうして掃除機本体にセットされているゴミパックには確かに空気も入るだろう。
だが小さな隙間は無数にある。そもそも排気もされている。
結果、集められるのは塵や埃やあくただけで……。
「でもプロデューサーさん。それならその辺の空気でも変わらないんじゃ」
「まぁ、それを言ったら元も子もないが……。だけど亜利沙よ、お前だって思う存分甘露を味わってみたいだろう?」
なんて二人のやり取りが事前にあったほどだ。
だからこうして掃除機を動かしているのも、あくまで産地偽装はしていないと言い張る為のパフォーマンス。
彼らも「万に一つの確率で吸い込めれたらいいんじゃない?」程度の心持ちで、
本来の目的は更衣室という空間を誰のも邪魔されずに堪能する事だけにあった。
そうしてしばらく経った頃。
「プロデューサーさん。ありさ、ふと思ったんですけども」
「なんだ?」
「形の無い空気や香りを集めるより、アイドルちゃんの落とし物を……。
例えば、髪の毛とかを集めた方が買い手はより取り見取りなんじゃ」
けれども亜利沙の提案は、「大馬鹿者!」の一声でものの見事に一蹴された。
「亜利沙、お前はアイドルの抜け毛や何やらが本当に欲しいと思えるのか?
温もりも香りも感じられる服や下着よりは数段落ち、無味無臭の劣情堪らん妄想を掻き立てるだけの毛なんぞを
……そんな変態チックな代物を集めてきゃっきゃムフフとしたいのか?」
「したいですっ!」
「人としてのモラルを疑うぞ!? ならんっ! 愛でる気持ちと言うのはだな、
肌と肌とを直に触れ合わせてこそ芸術的にも昇華される――第一、お前だってウチのアイドルの一人だろうが。
この更衣室だって使ってるし、誰とも知れん第三者に己の抜け毛が渡るなど……。
うぅ! その使い道を想像するのも恐ろしい」
言って、男は自らの肩を抱くと大げさに震えて見せたのだ。
そんな彼の目の前で亜利沙が急に動きを止め、ひゃっと大きく息を吸い込んだ。
「だからといって香りの地産地消も認めんぞ」
しかし、固まった彼女の返事は無い。
掃除機の音がうるさくて声が耳まで届かなかったのかな?
一瞬はそう訝しんだプロデューサーだったのだが、彼は彼女の視線が己の背後、
ちょうど更衣室の入口へと向けられていることに気がついた。
……確認するには勇気がいる。
「亜利沙」
「ふぁい」
「……ヤバい奴か?」
返事の声は震えていた。コクコクコクと亜利沙が頷いたのとほぼ同時に、
彼は背後から自分の名前を呼ばれて凍りついた。
それは聞き覚えのある忘れられない声である。
次いでトントンと肩も優しく叩かれる。
まるで死刑宣告のようであった。
いや、実際のところ同じような意味を持つのだが。
「……更衣室の扉が開きっぱなしになってたから、何事かと思って覗いたんです」
男が恐る恐ると振り返れば、そこには腕を組んだ女性が立っていた。
先にも出ていた"口やかましい"律子嬢が、
掃除機を持って奇怪な企みに精を出す二人の姿を睨みつける。
そのメガネのレンズを通して向けられる視線のとても鋭いこと!
亜利沙はたちまちのうちに萎縮して、プロデューサーはたじたじと後ろに後ずさった。
「そうすると掃除機を持ったお馬鹿さんが、空気を売るとかなんだとか……。
ここはいつから海の底や宇宙の果てになったかと頭を抱えちゃいましたよ」
すると男は途端に真剣な顔になって。
「なに!? それは世に言う頭痛の症状だ。
律子、こんなところで油を売ってないで今すぐ亜利沙と救護室に――」
「行ったほうがいいと心配してくれるんですか?
えっ、優しい。ありがとうございます――って、なるワケないじゃありませんか!」
「あ、やっぱり?」
「しかもさり気なく亜利沙に私を押しつけて、自分は逃げようともしてませんでした?
……はぁ、全く。どうしてこんな人がアイドルのプロデューサーをやれてるのか」
呆れたように言う律子に「愚問だな。俺が優秀なスタッフだからだよ」と男は答えたが……無視。
発言がスルーされていじけてしまった彼に代わり、亜利沙がおどおどとした調子でこう訊いた。
「で、でも律子さん。ありさたちはまだ悪いことなんてしてませんよぉ~!」
とはいえ、亜利沙はこのセリフから"まだ"を取り除いておくべきだったろう。
律子の眉がぴくりと上がる。悪いことなんてしていない?
ほほう、どうやら罪の自覚が足りないわね――そう雄弁と語る視線でもある。
「あのね! 施錠してある更衣室に無断でズカズカ入り込んで、空気を売るとかなんだとか、
トンチキな計画の為に備品の掃除機振り回して、あまつさえその現場を他人に見られたら弁明より先に誤魔化そうとしたり開き直る!」
「やぁ~んっ! ま、待って下さい律子さん! ありさ、別にそんなつもりは――」
「なくても結構、問答無用、この場にいるだけで同罪です! おおかた『人目も気にせず
更衣室の空気を好きなだけ吸い放題だ』とかいう餌を条件に、プロデューサーに焚きつけられでもしたんでしょ?」
すると亜利沙は驚きにその目を見開いて。
「んなっ!!? ど、どうしてわかっちゃうんですか?」
けれども彼女以上に驚いたのは、単なる当てずっぽうが事実であると言われてしまった律子の方だ。
小さく嘆息した彼女は亜利沙に哀れむような視線を向けると。
「……アンタ、もう少し人としてのモラルを持ちなさいよ」
「うぅ、律子さんにまで言われちゃった……」
「そうだぞ亜利沙。お前はちょっと非常識だ」
「その元締めみたいな人が何を言うか!! プロデューサー? この件は社長に報告しますからね――きゃあっ!?」
突如として更衣室に響く律子の悲鳴。
何を隠そう、部屋を出ようと踵を返した彼女のことを引き留めるため、
プロデューサーがその足に縋りついたのだ!
「ちょっと、セクハラ! 放してください!!」
「いやじゃ、見逃してくれるまで放すもんか! むしろ見逃さんでええから
もう少しだけこの頬ずりしたくなる感触を――ええい、亜利沙も手伝え! まだ律子の右足が残ってる!」
「でもプロデューサーさん、アイドルちゃんに妄りなお触りは厳禁ですよっ!」
「非常事態だ! 俺が許可するから構わん、やってしまえ!」
「許可しなーいっ! 亜利沙、アンタ分かってるでしょうね!?」
「あう、あう、ありさは、ありさは、ありさにとっての正解とは……!?」
まさに現場は大混乱。
亜利沙が自分を律して真っ当な評価を得たいなら、
ここはプロデューサーの頬を張ってでも引き離して律子を助けるのが自然。
けれども本音を明かすなら、亜利沙だってこれ幸いとばかりに抱き着いて、
どさくさに紛れる形で彼女の足の感触を思う存分楽しみたい。
楽しんでみたいと思ってしまうファンの業。
「早やくしろ亜利沙、逃げられる前に!」と目の前の男が必死に叫ぶ。
「ひゃっ!? やだっ、ちょっと! ドコまで手を伸ばしてるんですか!」と目の前の女は恥じらいながら声を荒げる。
……二人の様子を見て亜利沙の決意は固まった。選択は二つ、未来は一つ。
「……ごめんなさい。これからもありさは真っ当な一人の人間として、お日様の下でも堂々と夢を求めていきたいんですっ!」
そうして彼女は決断した。男が床に放り投げていたハンディクリーナーを拾い上げ。
「南無三!」
「ごふっ!?」
と、言った具合に律子をピンチから救い出した。
……やり方は多少乱暴だが、今は非常事態だ仕方がない。
「あ、ありがとう亜利沙。助かったわ」
そうして亜利沙はお礼を述べた律子に微笑むと、
次の瞬間には油断した彼女の足に力一杯しがみついた!
再び律子の悲鳴が上がる。
その足に頬を擦り寄せて、亜利沙は常に心に抱いているアイドルちゃんへの愛情を高く昇華させる。
「これが、これがありさの生きる道! 死なばもろとも、プロデューサーさんの仇はしっかりキッチリ取りますから――!!」
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「――で、結局トイレ掃除の刑か」
ぼやき、男はまだ痛む頬をさすりさすり鼻をすする。
反対の手には便器掃除用の雑巾が握られており、
視線は床のタイルにブラシをかける亜利沙へと向けられていた。
つい先ほどまで律子によってこってりと絞られた後の二人である。
これより一週間はクレンザー片手に過ごす日々が待っている。
……だが、転んでもただでは転ばぬプロデューサー。
彼は便器を磨きながら呟いた。
「なあ亜利沙」
「はい?」
「更衣室がダメならこのトイレのさ」
「プロデューサーさん。流石にそれは人としての正気を疑いますよぉ……」
「じゃあ、トイレットペーパーにアイドルの匂いをつけるなんてのは?
今度は可憐も抱き込んで、みんなが使ってる香水を元に試作品を――」
そうして亜利沙に笑顔で言われるのだ、「地獄の果てまで一緒です」と。
……ちなみに事の顛末は言わずもがな。
その後も二人の掃除区域は順調に拡大を繰り返し、
いまだ罰が終わる目途はてんで立っていないという。
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以上おしまい。
お読みいただきありがとうございました。
りっちゃんの胃が心配になる事務所だ
乙です
>>1
松田亜利沙(16)Vo/Pr
http://i.imgur.com/IfsfgHL.jpg
http://i.imgur.com/m2PIPUk.jpg
>>6
秋月律子(19)Vi/Fa
http://i.imgur.com/CsS9iik.jpg
http://i.imgur.com/UFGcgDL.jpg
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