「この衣装を……私が?」
最初にプロデューサーさんから衣装のデザインを見せてもらったとき、初めに感じたことは私に似合うのかな? ということでした。これまで私が着てきた衣装は可愛らしいものが多く、今回のようなボーイッシュでフェミニンなパンツスタイル衣装は斬新でした。
「どうかな? 似合うと思うけど。ほら、美穂って結構ボーイッシュなところがあるし。この衣装だとオトナな印象も与えるかも」
そう言われたのは初めてです。
「バレンタインのお仕事でね。お菓子の洋館の女主人って設定なんだ」
言われてみると、全体的にゴシックでオトナなこの衣装はチョコレートを纏っているようにも見えます。視覚から味を判断するのもおかしな話ですが何だか苦そうな色合いです。
「コンセプトはビターアンドスイート、ってところかな。今までとはちょっと違った演技のお仕事だけど、うまくいけば既存ファンは美穂の新しい魅力に気付けるし新規のファンも増えるだろう。ビッグチャンスだと思うんだ」
駆け出しの頃から何となくではありましたが舞台や声優といった「演じる」お仕事に興味を持っていた私にとって、このお仕事は渡りに船。少しばかりの不安はありましたが引き受けることにしました。
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「うーん、ボーイッシュか……」
手洗い場の鏡に映る自分の顔を改めて見つめ直す。よくみんなからは「可愛い」、「キュート」と言われることはあるけど、ボーイッシュという言葉を使われたのは17年間の人生で初めてのことです。
「お、オレの女に……うぅ、似合わないよぉ……」
鏡にドンと腕を伸ばしてみて流行り? の鏡ドンをやってみましたけど、イケメンさんはどこにもおらず自分の行動に顔を真っ赤にしている女の子が1人映っているいるだけ。
「まだまだ子供だよね」
背伸びしてみても人生経験の足りないひよっこであることに変わりはない。このままじゃきっと、馬子にも衣装って言われちゃう。
「そこで私は考えました! だったらオトナになろう! ってね!」
と、ちょっぴり衝動的な理由で私はオトナになることを目指しました。
「ではこれより小日向美穂脳内会議~大人ってなんだ?~を始めます! 皆さん、何をすればオトナになれるかをプレゼンしてください!」
「は、はい議事長!」
「どうぞ! 小日向美穂さん!」
「え、えーっとですね。やっぱりコーヒーをブラックで飲めると大人になったって感じがしませんか?」
「採用します!」
小日向美穂オトナキャンペーン その1 違いが分かる女を目指そう!
「お、おはようございます!」
これからブラックコーヒーを飲む――というオトナの階段を登る儀式を前に、緊張してかぎこちない足取りでコーヒーマシンの前に立ちます。カップを取ってコーヒーを抽出。いつもならここでお砂糖とミルクも入れるのですが、今日の私は違いのわかるオトナ。ありのままの苦味を受け止めます。そう、それこそがオトナへの第一歩なのです。
「やぁ美穂さん。君もブラックで飲むのかい?」
「飛鳥ちゃん」
なにも入れず立ち去ろうとすると一足先にコーヒーを淹れて飲んでいた飛鳥ちゃんが話しかけてきました。私は彼女と向かい合って椅子に座ります。
「こんな冷え込む朝はコーヒーが一番だ。微睡みからボク達を現実に導いてくれるしね」
「さっき君も、って言っていたけど飛鳥ちゃんもコーヒーをブラックで?」
「ああ、そうだとも。カップの中の闇を白く染めるのは趣味じゃないからね。天の川を望むにはまだ早すぎる」
難しい言い回しですがミルクは入れないよ、ということでしょうか。私よりも年下なのに。オトナです。
「あれ? 飛鳥ちゃん、それ」
一人感心していると机の端に砂糖が入っていた袋のゴミがあることに気付きました。私は入れてませんし、これを使ったのは。
「苦味を受け入れたいのは山々なんだけどね。どうやらボクの味覚がそれを許さないらしい。別に逆らわなくても良いだろう?」
「要するに……砂糖は入れているんだ」
「ん、んん……」
あっ、図星だったみたい。飛鳥ちゃんは一口飲むと追加で砂糖を足す。まだ苦かったみたいだ。
「それじゃあ私も……」
これを飲み干せばオトナ、これを飲み干せばオトナ……。
「苦い……」
「そのにがさが、甘さをも引き立てるのさ」
飛鳥ちゃんがさりげなく持ってきたミルクと砂糖を混ぜてようやく飲み干せました。
「ブラックコーヒーを飲み干せなかったため、この案は没となります。他の小日向さんは意見がありますか?」
「は、はい!」
「はい小日向さん!」
「英語の歌を歌うとオトナなイメージがありませんか?」
「なる程……洋楽を歌う……採用します!」
小日向美穂オトナキャンペーン その2 洋楽をレッツシンギン!
「美穂ちゃんとカラオケに行くのって久しぶりだなぁ」
「CDデビューした時以来になるのかな? Masque:Radeの時もそんな時間なかったし」
「うん。あの時川島さんがハッスルしてさー、懐かしいなぁ」
「ふふっ。今でも覚えてる」
いきなり洋楽を歌いたいです! とプロデューサーさんに言っても面食らうと思うので、まずはカラオケから始めることにします。たまたま一緒にレッスンを受けていた李衣菜ちゃんを誘うとふたつ返事で行こう行こう! と盛り上がったので一緒にカラオケ店へ。
「どうする? 先に歌ってもいいかな?」
「うん。いいよ。選曲に時間かかりそうだから……」
(と言ってはみたものの)
洋楽を歌おう! と意気込んではみたものの、よくよく考えれば私は全くと言っていいほど海外の曲に明るくありませんでした。ビー○ルズとかクイ○ンといった有名どころは聞いたことがありますけど、フルで歌えるか? と聞かれると躓いてしまいそう。李衣菜ちゃんの歌が終わるまでに選ばないと!
「ふぅー! やっぱ歌うのって楽しいや! 美穂ちゃんはドの曲を……」
「ソ、ソの曲です!」
「ど、ドレミの歌……?」
李衣菜ちゃんの目が点になりました。いきなり英語の難しい歌から始めるよりも、誰もが知っているドレミの歌から英語で歌って……ええ!?
「レ、レッツスタートアットザビ、ビニギング~!」
「あっ、レから始まった」
流れてきたのは私たちがよく知るドーナツのドじゃなくて音楽の先生が子供に歌い聴かせるような歌詞。上に読み方が載っているとはいえ思わぬ展開にすっかりテンパっています。
「ド! アディアー! え、えー?」
ようやく流れてきたよく知っている部分もドーナツじゃない別の単語が出てくる始末。盛り上がる伴奏のテンションに煽られるように私も声量が上がりますがリズムも発音もついていくのに必死です。
「ラーララララー♪ ラララーラーラーラーラー♪」
最終的に全てラになってしまいました。
「な、中々ロックなアレンジのドレミの歌だったね……」
李衣菜ちゃんのフォローが却って私の心にグサリと刺さります。
「うぅ……もうドもレもミもファも当分見たくないです……」
アイ【ダメ!】ルとして如何なものかと思う発言まで飛び出るカ【ダメ!】オケはわた【ダメ!】の心に傷を付け……。
「ノってるー!?」
「いえーー!!」
李衣菜ちゃんが盛り上げ上手だったおかげで、ナンダカンダでストレス解消になりました。ただまだまだオトナへの道のりは遠いです。
「洋楽はまだ早かったようです。他にアイデアはありますか?」
「はい」
「小日向さん、どうぞ」
「いつも抱いているクマさんのプロデューサーくんなんですけど、彼の存在が私を子供っぽくしている気もするんです」
「ふむ……」
「だからここは思い切って! ちょーっと高級なくまさんを自分へのご褒美として買うのはどうでしょう?」
「確かに、高級なくまさんはオトナのたしなみって感じがします。採用!」
小日向美穂 オトナキャンペーン3 テディを抱いてオトナな美穂ちゃん!
「美穂ちゃん、どうしたのその荷物?」
「おはよう美由紀ちゃん。ちょっと通販で買ったんだ」
「わー! くまさんだね! プロデューサーくんのお友達?」
「ふふっ。そうなるかな?」
カタログで気に入った子を注文して数日。ちょっと高級なくまさんが私のもとへと届きました。高級感のある茶色い毛並みが照明の光を浴びてキラキラと光っているような気がします。ギュッと抱きしめるとふかふかして気持ちがいい。ヘにゃっと顔が緩んでしまうけど私はオトナ。年下のみゆきちゃんの前ではだらしない顔を見せるわけにはいきません!
「またみゆきにも触らせてね!」
「うん、いいよ。じゃあね!」
お仕事に向かう美由紀ちゃんをくまさんと一緒に見送って自分の部屋へ。
「えへへ……くまさんに囲まれてるっ」
プロデューサーくんとオトナくん(いま命名しました)を両方ベッドに並べて抱き抱えて倒れこむ。右に左にふわふわの波が押し寄せてきて心地良い。これこそが大人の娯楽なのかもしれません。
「このまま……眠っちゃいそう……すぅすぅ」
オトナな気分のまま、私は微睡みへと落ちていきました。
「美穂ちゃーん! 晩ご飯の時間ですよー?」
「起きないとハンバーグ食べちゃうのにゃ!」
「美穂ちゃん、全然出てくる気配ないです」
「! もしかして熱を出して寝込んでいるんじゃ」
「インフルエンザも流行っているからもしそうだったなら大変です! みくちゃん! 管理人さんを呼んで鍵を!」
「わ、わかったにゃ!」
「美穂ちゃん! 大丈夫か……にゃ?」
「すぅ、すぅ……」
「くまさんが……2匹?」
「すぅ、すぅ……ん? あ、あれ? 響子ちゃんと……みくちゃん? おはよう」
「……美穂ちゃん。もう、夜ご飯の時間にゃ」
「……ふぇ?」
時計を見る。8時31分。確かくまさんが届いたのが9時頃で……。
「12時間近く……お昼寝してた?」
「ずこっ! 寝すぎにゃーー!!」
ダブルくまさん体制は心地良すぎる眠りを提供してくれました。それこそ響子ちゃんとみくちゃんが鍵を開けて入ってこなかったら私は翌日までぐっすりと眠っていたかもしれません。
「もう! 心配したんですよ!」
「インフルエンザだったらどうしようって怖かったにゃ!」
「すみませぇん……」
2人にお説教をされる姿はオトナとは程遠いもので。この一件によりダブルくまさんは危険だ! ということでオトナくんは寮内の休憩室に置かれることになりました。時々ほかのアイドルが彼に抱きついてはひゃーんとしている姿を見ることができます。
「はひゃーん……」
「次みゆきが触るねー!」
特に無表情で抱きしめているのあさんの姿はオトナと言っても差し支えなかった気がします。
「はあ……」
あれからも色々と脳内会議をしてオトナな行動を取ってみようとしたのですが、根が子供なため中々うまくいかず、むしろ自分のひよっこっぷりを見せ付けられる結果となっていました。
「折角の衣装なのに、このままじゃ似合わないよ」
「おや、美穂くん。どうしたのかな、ため息をついて」
「あいさん。お疲れ様です」
東郷あいさん。事務所でも有数のオトナアイドルです。思えばあの衣装も彼女が着ると格好よく決まるような気もします。
「お疲れ様。随分と君はお疲れのようだ。私でよければ話を聞くが、どうかな?」
「ちょっと今、オトナになろうと頑張ってたんですけど上手くいかなくて」
「……ふむ。話してごらん」
あいさんがおごってくれたコーヒー(勿論甘いやつ)を飲みながらこれまでの経緯を話します。背伸びしてオトナになろうとしても苦い結果ばかりだったこと、このままじゃ次のお仕事もうまくいくか不安だということ。あいさんは私の馬鹿げた失敗も笑うことなく真摯な瞳で向き合ってくれました。
「ということで、中々オトナになれないんです」
「なるほどね。背伸びしたくなるお年頃、ってところか。ふふっ、懐かしいな。私にもそんな時期はあったんだ」
「そうだったんですか? なんだか意外かも」
「そう昔のことじゃないよ。これでも23歳、美穂くんが小学1年生の時の6年生さんだしね。我ながら阿呆な事をした時もあったさ」
コーヒーを飲む姿ひとつとっても洗練されて大人びている、そんな彼女にも私のような時期があったのかな。
「少しでも早く大人のステージに立ちたいと思ってあれやこれやと試行錯誤してみたり。苦い思い出も多いけど、それはそれで悪いことじゃない。苦味が甘味を引き立てる。人生においても同じ事が言えるんじゃないかな」
「人生……」
「だから今は、もっと遊んでいいと思う。結論を急ぐにはまだ早い、人生を楽しむことを優先するべきかな」
いつかはそれが許されない時が来るだろう。願おうが願わまいが、私たちはオトナになってしまうのだ。
「少し、気が楽になりました」
だから今だけは、背伸びしたコドモのままでも悪くはない。甘くて苦くて目が回りそうな毎日を歩き続けて、オトナになれば良いんだ。
「でももう少し、オトナキャンペーンは続けようと思いますっ。どんな大人になれるかわからない今だからこそ、試行錯誤したいんです」
「良い顔になったね、美穂君。いつか君が大人になる日を私も楽しみにしているよ」
「はい!」
そうして今日も、脳内会議は目まぐるしく踊るのでした。
以上になります。新しいSSRが可愛くて筆が進みました。HTML処理してまいります。お付き合いくださった方ありがとうございました。
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