小日向美穂『夢幻』 (15)
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〇
ミホはまず、ここはどこだろう? と思った。
澄み切った空、青い草の匂い、穏やかな日差し。見覚えのない、だけど、どこか懐かしさを感じる景色が広がっている。
直前までの記憶が定かではない。なぜ自分はこんなところにいるのか。
ミホはきょろきょろと辺りを見回した。
どの方角も、ただただ見渡す限りの草原が続いていて、村に帰ろうにもこれではどちらへ歩き出せばいいのかもわからない。
どうしよう、と考えていると、視界の片隅に白い塊が映った。白いのは外套だ、人が倒れている。
駆け寄ったミホが、その顔をのぞきこむ。金色の髪をした男の子だった。歳は自分と同じか、少し下ぐらいだろうか。その肌はまるで死人のように青白い。
一瞬、悪い予感が脳裏をよぎるが、少年がかすかに身じろぎをするのを見て、ミホはほっと胸をなでおろした。
さて、この少年は何者だろう。
なんとなく、少し目を離したら消えてしまいそうな、はかなげな雰囲気がある。失礼かもしれないけど、本当に生きた人間だろうか、とミホは思った。
少年のまとう白い外套は、見た目はぱりっとしているのに触れてみると驚くほどに柔らかかった。絹糸で織ったものかもしれない。すその端を手に取ると、薄手なのにそれ自体が熱を発しているかのように温かさが伝わってきた。
貴族様だろうか。よく見れば、かたわらには細やかな装飾のほどこされた剣が落ちている。
小さな村での閉鎖的な生活を送るミホにとって、貴族というのは噂話でしか聞くことのない、雲の上の存在だ。生まれてから一度だって見たことはない。でも、だからこそ、自分や村のみんなとは明らかに違うこの少年は、きっと貴族なのだろう、と思った。
どなたかは知らないけど、やがて日も暮れるだろうし、こんなところで寝かせておくわけにはいかない。ミホは名も知らぬ少年の体を軽く揺さぶった。
「ううん」と小さなうなり声を上げて、少年がまぶたを開く。きれいだ、と思った。
ミホは宝石のように輝くふたつの紫色の目を、呆けたように見つめていた。
しばらくそうしたあと、はっと我に返る。
目を開いたと言うことは、相手も自分を見ているのだと気付き、ミホの頬が羞恥に染まる。
「ご、ごめんなさい! 倒れていたから起こそうと思ったんだけど。あの、私はミホって言います。あなたは?」
ミホは慌てて跳びすさり、深々と頭を下げた。
「ボクは……」
少年が体を起こしながら、鈴の音のような透き通った声をもらす。
ミホは胸に手を当てて、続きの言葉を待った。
★
平べったい布団の中で、ミカは目を覚ました。
隣に目を向けると、並べて敷いた布団の中で妹のミホが寝息をたてていた。幸せそうな寝顔だ、きっといい夢でも見ているのだろう。
ミカは布団をたたんで部屋の隅に積み上げ、薄紅色の長い髪を申し訳程度に整えてから、庭にいる二羽の鶏、シキとシューコのもとへと向かった。
雌鶏のシキとシューコは、交代で一日一個の卵を産む。ミカが朝起きて始めにやることは、その卵を回収することだった。しかし、今日はその卵が見当たらない。
この二羽は何日か卵を産まない時期もあるのだが、それは一定の周期をもって訪れていて、ミカの記憶ではまだしばらく先になるはずだった。
どうしたんだろう、具合でも悪いのだろうか。
そう思い、様子を伺うが、シキもシューコも元気そうに走り回ってはお互いを小突きあっていた。
そういうこともあるか、今日はただ卵を産む気分ではなかったのだろう、残念だけど。
ミカは気を取り直してミホを起こすことにした。
揺り起こされたミホは、ぴょこんと一束跳ねた黒髪をゆらゆらと揺らし、まぶたをこすりながら、「夢……」とつぶやいた。
ミカは寝ぼけまなこのミホを引っ張って、畑へと向かった。ふたりは自分たちの畑というものを持っていないため、近所に住むセンカワさんの畑で農作業を手伝い、収穫物をわけてもらうことで生活している。
ミカとミホは手分けして小麦畑の土入れにはげんだ。しかし、作業中もミホはまだどこか、心ここにあらずというふうに見えた。
「ミホ、今日なんか変ね、なんかあったの?」
小休止しているとき、ミカはミホに訊いてみた。
「んー、ちょっとねー」
「なに? 男のことでも考えてた?」
「えっと……うん、まぁ」
予想外の答えだった。冗談で言ったつもりだったのに、子供だと思っていたミホも、とうとう色を知る歳なのか。
「え、本当? 人間なんかより枕を愛してるはずのミホが……」
「なんかひどいこと言われてる気がするなぁ」
「誰よ、相手はどこの男?」
「金髪で紫色の目をした、貴族様だよ」
「……なに? なんて?」
「夢で会ったんだよ」
「なんだ、夢か。なにごとかと思ったよ……」
「うん、でもあの子は」
ミホは、なにやら考え込むように目を閉じた。
「……オバケかもしれない」
「へ? オバケ?」
「うん、肌が青白くって……あと、なんとなくだけど、私たちとは違う感じ。うまく言えないけど……」
「ふーん?」
夢ならオバケが出ようが貴族が出ようがおかしくないか、とミカは思った。
その一方で、なにか不吉なものも感じた。ミホの『なんとなく』は当たるのだ。センカワさんがミホの『なんとなく悪い予感』を無視して肥溜めに落ちたことは記憶に新しい。
「オバケだかなんだか知らないけど、取り殺されたりしないでよ。ミホが死んだら誰がアタシのごはん作るのよ」
「そんなの自分で作りなよ」
「まあいっか、それでオバケの彼はどんな感じ? 貴族様っていっても、色々いるでしょ」
「えーと、剣を持ってた、かな? 持ってたというか、落ちてたんだけど」
「ああ、じゃあきっと騎士様ね。やめときなさい、騎士なんて人殺しよ。オバケ君も戦争で人を殺して、自分も殺されてオバケになっちゃったのよ」
「そうかなぁ……」
ミホは不満げにつぶやき、「うーん」と唸り声をあげた。
「せめて、名前ぐらい聞いておきたかったな」
〇
ミホは「やった」と思った。
昨日と同じ草原だ。だったら、どこかにあの少年もいるはず。
「また会ったね」
後ろから声をかけられる。あの鈴の音のような声だ。
振り返ると、昨日と同じ姿の少年がそこにいた。少し、足元が定まらないかのようにふらふらと身を揺らしている。
やっぱりオバケだろうか? と思ったが、恐怖は感じなかった。
「こ、こんにちは! なのかな? ええと、私は」
「聞こえてたよ。ミホ、でいいんだよね」
「光栄でございます! 本日はお日柄もよく……」
ミホがしどろもどろになっていると、少年はさえぎるように片手を上げた。
「待って、普通に喋ってくれていいよ」
「え、でも……」
「ボクもそのほうが楽だな。堅苦しい言葉使われると疲れちゃうから」
「う、うん。じゃあその、名前教えてくれる?」
ミホが問いかけると、かすかに少年の表情が曇った。
「名前は……」
少年は困ったように眉を寄せている。
ひょっとして覚えてないのだろうか。オバケだから、生きていた頃の記憶があいまいなのかもしれない。
「あの、無理しないで。どうしても聞かなきゃならないってわけでもないから」
「うん……でも、名前がないと困るよね?」
それもそうだ。いくらなんでも、オバケさんなんて呼ぶわけにもいかないし。どうしたものだろう……
「ねぇ、私が呼び方決めてもいいかな」
「うん? いいけど、どんなの?」
「ピィ、ってどう?」
少年はきょとんとして、「ピィ?」と繰り返した。
ミホがその呼び名を思いついた理由は、少年のものであろう、地面に放り出したままにされている剣の鞘に、アルファベットのPを模したような紋章が刻まれていたからだ。
言ってみてから、いくらなんでも安直すぎるだろうか、と思ったが、
「ピィか、うん、気に入った。これからボクのことはそう呼んでくれる?」
少年はほほ笑みながらそう答えた。
「よかった! よろしくね、ピィ」
それからミホは、草原に横たわる剣に目を向けた。
『やめときなさい、騎士なんて人殺しよ』という、姉の言葉を思い出す。
「ピィは、その……騎士さんなの?」
「ん?」
ピィが怪訝そうな顔を見せる。だがすぐにミホの目線を追い、「ああ」と得心がいったような声を出した。
「戦争とか、行ったりしたのかな?」
ミホは、かぼそい声で問いかけた。
こんなに優しそうに見えるピィも、人を殺したりしたのだろうか。
「いや……」
ピィは剣を拾い、その柄をミホに差し出した。
「持ってみて」
ミホはおそるおそる、その柄を握った。ピィが手を離す、予想した重みは訪れなかった。
鍬よりもずっと軽い。なんでだろう、剣もオバケ?
「ボクは生まれたときからずっと病弱でね、ほとんどをベッドの上ですごしてるから、戦争には行ったことがない。その剣はただの飾りだよ。人どころか、トマトだって斬れない」
とピィは言った。
よかった。ピィは人殺しなんかじゃない。
そして、ピィはきっと病気で死んじゃったんだ。こんなに若かったのに、なんだかかわいそう。
★
今日も鶏たちは卵を産んでいない。ミカは庭で途方にくれていた。
どうしたんだろう、昨日がどちらの当番だったのかはわからないが、二日連続で卵がないということは、シキもシューコも周期を乱しているということになる。二羽が示し合わせて環境の改善でも要求しているのだろうか。
泥棒、ということは考えられない。この二羽はミカ以外の者が卵に手を伸ばすと、けたたましく鳴き声をあげるのだ。それは妹のミホに対しても同じで、ミカが卵拾い役を担っている理由でもある。
「ねえ、卵産んでくれないかな? あなたたちががんばってくれないと、アタシもミホも困っちゃうの」
ミカはそう言って、シキとシューコの頭をなでた。
言葉が伝わった様子はなく、二羽の鶏は気持ちよさそうに全身の羽毛を逆立てて、ミカの手に身をすり寄せた。
ミカはため息をついて、幸せそうに眠る妹を揺り起こしに行った。
「シキとシューコ、具合悪いの?」
農作業の最中、ミホが問いかけた。
「うーん、見たところでは元気そうなんだけどね」
「きっと、ちょっと休みたくなったんだよ。すぐにまた、おいしい卵産んでくれるよ」
能天気なものだ、とミカは思った。とはいえ、悩んだところでアタシが卵を産めるわけでもない。少しはミホを見習ってのんきに構えておいた方がいいのかもしれない。
「そういえば、ずいぶん楽しそうにしてるけど、またオバケの少年の夢でも見たの?」
「うん、会えたよ」
「……会えたんだ」
狙って思い通りの夢を見るとは、なかなかたいしたものだ。アタシはいい夢の続きなんて見れたためしがない。
「ピィはね、貴族様なのに気取ったところがなくて優しいんだ」
「ピィ?」
「名前覚えてないみたいだから、私が付けたの。アルファベットのP」
「ああ、そうなんだ……」
アルファベットのピィ。そんな小鳥じゃあるまいし、と思ったが、それはそれでミホらしいのかもしれない。
「ところで、ミホ体調悪い? なんか顔色悪いよ」
朝から気になっていることだった。本人がなにも言わないし、気のせいだろうかと思っていたが、かなり時間が経った今も、やはり具合が悪そうに見える。
「うん? べつに、なんともないよ?」
「本当に? 急に倒れたりしないでよ、ミホが倒れたら誰がアタシのごはん作るのよ」
「だから自分で作りなよ」
二人は話を切り上げて農作業に戻った。
ミカはミホから目を離さないよう注意をはらっていたが、ミホは特に変わった様子もなく、黙々と作業にはげんでいた。
夜もふけ、ミホとミカは並んで床につく。
「明かり消すよ」
ミカは、すでに布団にもぐり込んでいるミホに向けて言った。
「うん」
またピィとかいうオバケの少年と会うのを期待しているのだろう。ミホはどこかうきうきとした声で答えた。
ミカは自分の布団に潜りながら、少しだけ不安になった。ランプの火を落とす直前に見たミホの顔は、まだ青いままだった。
〇
「ミカは私のお姉ちゃんで、ながーい髪してるの。ふたりで住んでるんだよ」
記憶があいまいかもしれないピィに、あれこれ質問するのはよくない、と思ったミホは、自分の暮らしをピィに聞かせていた。
「ミホが住んでいるのは、なんていう村?」
ピィが問いかける。
「デュラム村っていうんだ。すごい田舎だから、ピィは知らないかもしれないけど」
「デュラム村か……ミホの家はどのあたり?」
「ええとね、村に入って少し行くと大きな牧場があって、その向かい側に小麦畑があって、そこから二軒となりの小さいおうち。せまいけど庭があって、鶏飼ってるんだ」
「鶏?」
「うん、シキとシューコっていうの。私には全然なついてくれないけど、二羽ともかわいいよ」
「へえ、そうなんだ」
こんな話で、退屈じゃないかな? と様子をうかがうが、ピィはいつも親しげな笑みを浮かべて、楽しそうに聞いてくれていた。
だけどときどき、ほんの一瞬だけ、ピィはどこか寂しそうな表情を見せることがある。
「ねえ、ピィ」
「ん、なに?」
「もし思い出したらでいいから、いつかピィの話も聞かせてね」
ピィは少しの間、考えこむように黙って、こくりとうなずいた。
◇
少年はベッドから身を起こした。
熱は、少しはひいたようだ。まだ体は重いが、これまでほどじゃない。
「馬を用意してくれ」
かたわらの、姿勢のいい老人に向けて言った。
「寝てらしていなくて大丈夫ですか?」
「今日は気分がいいから、たまには外の空気を吸いたい」
そう言って、少年は久々に床に足をつけた。ほぼ寝たきりの生活で、すっかり萎えきっている二本の脚は、自身の体重を支えることにも慣れておらず、少し足元がふらついた。
「そうですか……ですが、馬はまだやめておいた方がよろしいかと。なんでしたら馬車を用意させますが」
老人は体を杭が貫いているように背筋を伸ばしたまま言った。
「うん……それじゃあ馬車を頼む。それから着替えと、花束を」
「花束ですか?」
「そう、花束。種類はまかせるよ」
★
今日もミホの顔色が悪い。もはや蒼白と言っていいほどに。
「今日は寝てなさい」
とミカは言った。
「へいきだよ? どこも具合悪くないし」
「どう見ても悪いでしょ。おとなしく寝てなさい」
「だいじょうぶなのになぁ。ミカのほうこそ、なんか顔青いよ」
「だとしたらアンタが心配だからよ。今日は一日寝てること! いいね!」
「はーい……あ、そうだ。昨日もピィに会えたよ!」
嬉しそうに言うミホに返事は返さず、ミカは庭へ向かった。
まさかオバケのピィ君に本当に取り憑かれてるんじゃないだろうか。勘弁してよ、本当に。
「……アンタたちも、相変わらずか」
鶏たちは今日も卵を産んでいなかった。ミホに栄養をつけさせてあげたかったのだが。
「あのね、シキもシューコも、卵産めなくなったら食べられちゃうんだよ。わかってる?」
ミカは鶏たちの前にしゃがみこんで言った。
それをなでてもらえるものと勘違いしたのか、シキとシューコはミカのもとに駆け寄って頭を差し出してきた。
ミカは、二羽の頭を交互になでてため息をついた。
そうだ、卵をゆずってもらおう、とミカは思った。
隣のエルヴェさんは鶏を六羽も飼っている。日頃さしたる交流はしていないが、妹の具合が悪いと言えば、断られはしないだろう。
「おはようございます。お願いがあるのですが」
ミカはエルヴェさんの家の戸を叩いて声をかけた。返事はない。まだ寝ているのだろうか。
「朝早くからすみません、ちょっとよろしいですか?」
戸を少しだけ開き、中に向けて言う。やはり返事はない。
失礼かと思いながらも、ミカは家の中に一歩足を踏み入れた。そして、どこか奇妙な感覚を受けた。
人の気配がない。それも、ただ留守にしているというのではない。はるか昔からここには誰も足を踏み入れていないかのように、そこには人間の生活の匂いというものがまったく感じられなかった。
家の裏手にある庭へとまわる。柵の中にいるはずの六羽の鶏は、煙のようにその姿を消していた。
頭に手を当てて考え込む。
エルヴェさんは引越しをしていたんだ、そうに違いない。ミカはそう思って気を落ち着かせることにした。でもいつの間に? アタシやミホにも知らせずに?
とりあえず卵はあきらめて、仕事に向かうことにしよう。ミホが具合が悪くて休むことを伝えなければならない。
畑の持ち主であるセンカワさんの家の戸を叩く。返事がない。
ミカは戸を開けて家の中へ入った。誰もいない。いた気配もない。
おかしい。昨日もおとといも、アタシはここに来て農作業の手伝いをしたはずだ。そのとき、センカワさんにあいさつを――していない?
混乱している、と思う。
そう、アタシは確かに、ミホと一緒にここへやってきて農作業をした。これは間違いない。
いつもなら、その前にセンカワさんにあいさつをして、その日の作業の指示を受ける。しかし、昨日とおとといは会った記憶がない。その前は?
ここ最近、アタシは誰と会話をしただろう。ミホと……あとはシキとシューコに一方的に話しかけただけ? こんな小さな村で、誰にも会わないはずがないのに?
ミカは得体の知れない焦燥に駆られて自分たちの家に走った。
人の声がしない。牛や豚の鳴き声がしない。いつから? どうして変だと思わなかった?
息を切らせながら、荒っぽく戸を開く。
ミホはそこにいた。きょとんとした顔で、息を弾ませて戸にもたれかかるミカを見返している。
「なにしてんの、寝てなさいって言ったでしょ」
ミカは、ほっとした気持ちを隠すように、わざとぶっきらぼうに言った。
よかった。なにが起きているのかはわからないけど、ミホはまだここにいる。相変わらず顔色は悪いけど。
「ねえ、ミカ……」
「なに?」
「シキとシューコが、いなくなっちゃったよ」
◇
少年は用意してもらった花束を受け取り、馬車に乗り込んだ。
「どちらへ向かわれますか?」
腰に剣を携えた、若い御者が問いかけた。
「デュラム村に行ってくれ」
「デュラム村ですか? なぜそのようなところへ……」
「いいから、行ってくれ」
「……かしこまりました」
納得していない表情のまま、御者は鞭を振るい、馬を走らせた。
そこは、血の匂いで溢れかえっていた。
「これは……野盗の集団にでも襲われたのでしょうか」
「そうだろうね」
村の入り口に人の死体が転がり、道を塞いでいた。
少年は馬車を降り、転々と続く死体をよけて村の中心部へと歩を進めた。
やがて大きな牧場が見えてきた。柵の中ではたくさんの牛や豚が倒れている。その近くには焚き火をした跡と、家畜のものであろう肉塊が残されていた。
この村を襲った盗賊が食べたのだろう。が、到底食べきれるものではない。ほとんどの家畜は、おそらく遊び半分で殺されただけだ。
「ひどいものですね、いつ襲われたのでしょう。あまり日は経ってないようですが……」
あとをついてきた御者が口元を手で押さえながら言う。
三日前だろう、と思ったが、口には出さなかった。
向かいの小麦畑から二軒となりの家。少年は教えられた道順をたどる。
小さな庭に、二羽の雌鶏が死んでいた。
「ついてくるな」
背後の御者に向けて言う。
「しかし、私は護衛も兼ねておりますので」
「命令だ」
振り返ると、御者はまだなにか言いたそうに口を開いていたが、そこから声は発せられることはなく、足を止めて、姿勢を正した。
庭に張り巡らされた柵をまたぎ、倒れた鶏たちの前にしゃがみこむ。そして、花束の中から二輪の花を抜き取り、彼女らの前に置いた。シキとシューコ。
少年は家の戸を開き、中に入った。
そこには、背中を斜めに切り裂かれた少女が、うつぶせに倒れていた。逃げようとしたところを斬りつけられたのだろう。薄紅色の長い髪、ミカだ。
少年はミカを抱き起こし、仰向けに寝かせなおした。それから、驚愕に見開かれた目を閉じさせ、胸の前で手を組み合わせた。最後に、花束の中から一輪の花を抜き取り、その手に差し込んだ。
ミカが倒れていた先に、部屋がひとつあった。姉妹の寝室だろう。
花束を抱えなおして立ち上がり、少年はその戸に手をかけた。
〇
ミホは一瞬、ここはどこだろう? と思った。
……なにを考えているんだろう、私は。ここはピィと会える草原だ。
ピィは、いるかな?
「ミホ」
と声がかかる。
少し離れたところからピィがこちらに向かって歩いてきた。今日はきれいな花束を持っている。
「はい、あげる」
そう言ってピィは花束をミホに差し向けた。ピィの髪の色と同じ、黄色い花だ。
「私に?」
「もちろん。あとミカと、シキとシューコにもね」
「わぁ、ありがとう!」
礼を言いながらも、ミホは少しだけ不満を感じた。なんだ、私だけのためじゃないのかと。
ミカはともかく、なにも鶏にまで分けてあげなくてもいいのに。
「ボクの名前、知りたい?」
唐突にピィが問いかけた。
「えっ、思い出したの? 知りたい!」
そう答えると、ピィは名前を教えてくれた。どこか聞き覚えのある名前だった。どこだろう?
「あ、この国の王子様と同じ名前だね!」
ミホが言うと、ピィは声を上げて笑った。なにか、おかしなことを言っただろうか。
「そうなんだ。だから、本当は忘れてたわけじゃないんだけど、ちょっと名乗るのに抵抗があって」
「どうして? 王子様と同じ名前、すてきじゃない」
「うーん……でもボクは、ミホが付けてくれたピィのほうがいいな」
私が付けた名前をそんなに気に入ってくれてるんだ、と思って、ミホは嬉しくなった。
「じゃあ、私はずっとピィって呼ぶね」
「うん、ありがとう。村での生活は、寂しくない?」
「寂しくなんかないよ、ミカがいるもん」
どうしてそんな当たり前のことを訊くのだろう? と思いながら、ミホは答える。
「そう、それならいいんだ。お姉ちゃんと仲良くね」
そう言ってピィは、涼しげな笑顔を向けてくる。
夢の中ではピィがいて、目が覚めればミカがいる。私は幸せ者だなぁ、とミホは思った。
*
今日は小日向美穂と城ヶ崎美嘉が出演する、一話完結のドラマがテレビで放映される日だった。
撮影自体はとっくに終えたものだが、放映日が近づいてきたとあって、ここ数日、事務所や女子寮で話題の種となっており、同僚アイドルたちは、この日を今か今かと待ち構えていた。
美穂は自室でひとり、こっそりとそれを観るつもりだったが、事務所で島村卯月と五十嵐響子につかまり、うまく断り切れずに女子寮の響子の部屋に連れ込まれた。そして響子の手によって、またたくまにお菓子や飲み物の準備が整えられ、三人で観賞会をすることになった。
「美穂ちゃん、かわいかったです!」
卯月が言った。テレビではスタッフロールとエンディングの歌が流れている。
「あ、これで終わりなんですね」
「うぅ……恥ずかしかった……」
画面の中で自分が動き、しゃべり始めたときは、恥ずかしさのあまり顔から火が出そうだった。たぶん耳まで真っ赤になっていたと思う。幸い、放映中はふたりの目はテレビに釘づけになっていて、隣にいる私に向けられることはなかったけど。
「こういうのは、本人がいないところで見ようよ……」
つい恨みごとが口をつく。今更言っても仕方がないんだけど。
「でも、かわいかったよ。なんといっても主役だし!」
「はい、美穂さんの演技、とてもよかったです」
「そ、そう……かな?」
美穂は顔をそむけてぽりぽりと頬をかいた。ストレートに褒められると、それはそれで恥ずかしい。
撮影のときは、恥ずかしがったり緊張したりで何度も失敗し、リテイクを繰り返したものだけど、こうして出来上がったものを見てみると、自分でもなかなか悪くないような気がした。
「美嘉さんも見事でしたね。さすが本職のお姉ちゃんといったところでしょうか」
「本当に美穂ちゃんのお姉ちゃんみたいだったね」
美穂は話題の矛先が美嘉に向いたことで少しほっとした。
美嘉ちゃんも今頃は家でテレビを観ていて、莉嘉ちゃんからあれこれ言われているのかもしれないな、と勝手なシンパシーを感じる。
「さすがに死体役をやらされるとは思ってなかったみたいだけどね」
美嘉の熱演は、現場でもすこぶる評価が高かった。特に、あの迫真の死体は、当分語り草になることだろう。
「ピィ君役の人は、ふだんもあんな感じなんですか? あの人もアイドルなんですよね」
「ううん、ぜんぜん違う。いつもは明るくて面白くて、ちょっと子供っぽい感じかな? まだ十五歳なんだって、演技に入ると別人みたいだよ」
「へえ……私と同い年なんですか、すごいですね」
響子が感心したような声を漏らした。
「ところで、卯月ちゃん時間はだいじょうぶ?」
美穂は言った。美穂と響子は寮だが、卯月は実家住まいだ。仕事やレッスンで帰りが遅くなるときは、家族が心配するとのことで、いつも家に電話をかけていた。もう外はすっかり日が落ちているころだろう。
「あっ、そろそろ帰らないと」
美穂と響子は寮の入り口まで卯月を送ることにした。
他愛のないおしゃべりをしながら三人で並んで歩くうち、美穂はふと、響子の口数がやけに少ないな、と思った。少し顔色が悪いようにも見える。
「――響子ちゃん?」
うつむき気味だった響子が、びくりと顔を上げる。
「あ、ごめんなさい。なんですか?」
「なにかぼうっとしてるから、どうしたのかなって」
「……えっと、さっきのドラマなんですけどね。お話が、予想してたのとだいぶ違ったから、ちょっとびっくりしちゃって」
響子は照れ隠しをするように頭を掻いた。
「ああ……うん、悲しいお話だったね」
実のところ、撮影のときは、美穂は台本を覚えるのに必死で、ほとんど自分の出るシーンしか読んでいなかった。全体のストーリーは今日の本放映を見て初めて知ったようなもので、少なからずショックもあったから、響子の気持ちはよくわかった。
なんとなく会話が続かず、黙って歩いていくうちに、寮の入り口に到着した。美穂と響子は足を止め、卯月だけが自動ドアに向かった。
「だいじょうぶだよ、夢だから」
ふいにくるりと振り返り、卯月が言った。いつもみたいに明るく、にこにこと笑って。
「覚めればぜんぶ忘れられるよ」
夕闇に溶け込んでいく卯月を見送り、美穂はもときた道を引き返した。静まり返った廊下に、足音だけが響いていた。
……どういう意味だったんだろう? もしかして卯月ちゃん、さっきのドラマの筋を勘違いしてるのかな?
気が付くと、隣を歩いていたはずの響子の姿がなかった。
部屋に戻ったのだろうか。なにも言わずに、ということはないと思うから、私があいさつの言葉を聞き逃してしまったのかもしれない。
でも、わざわざ部屋を訪ねるほどのことでもないか、と思い、美穂は自分の部屋に帰った。
ベッドに腰かけると、やけにまぶたが重く感じた。緊張しながらテレビを観ていたから、終わって気が抜けてしまったのかもしれない。今日はもう寝てしまおうか。
そういえば、今日は寮の中がやけに静かだ。人の気配というものがまるでしない。みんな、お仕事で忙しいのかな?
忙しいのはいいことだよね。私も負けてられない、もっとがんばらなくちゃ。
……今は眠いから、また明日からね。
あくびを漏らしながらベッドにもぐりこみ、熊のぬいぐるみをたぐり寄せる。『プロデューサーくん』と名付けたそれをぎゅっと抱きしめて、美穂は目を閉じた。
寝るのは好きだ。
いくらねぼすけだと笑われても、これだけはゆずれない。
暖かいお布団や陽だまりにつつまれていると気持ちがいいし、夢だって見れる。
できれば楽しい夢がいい。夢の中では、私はなににだってなれる。
すうっと意識が遠のいていき、まるで空を飛んでいるみたいな心地よさが身をつつむ。
「おやすみなさい、プロデューサーくん」
今日も、いい夢が見れるといいな。
~Fin~
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