美穂「一期一会のアルペジオ」 (866)

美穂「小日向美穂、一期一会」のセルフリメイク。加筆修正をしています。

予告しておくと元のSSよりも長くなるかと思いますが、お付き合い頂けたら嬉しいです。

小日向美穂(17) http://i.imgur.com/SHQOXE8.jpg

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1386945634

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Life is like a box of chocolates.
You never know what you’re gonna get. By Mrs.Gump

人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないと何が出てくるか分からない。 ミセス・ガンプ(フォレスト・ガンプ/一期一会)

――

例えお婆ちゃんになったとしても、その日のことは忘れないだろう。
校庭に植えられた金木犀の甘い香りが秋の訪れを感じさせた、これ以上ないぐらい爽やかで、最高の日向ぼっこ日和だった。

土曜日の授業はお昼まで。4時間目の授業が終わり、いつも通りの簡易な連絡しない帰りのSHR。

「昨日女子生徒にアイドルにならないかと声をかける事案が起きました。近くに警察がいたため事なきを得ましたが、まだ変質者は捕まっていないようです。特に女子は気をつけて帰宅してください」

先生が言うにはなんでも道行く女の子にプロデューサーを自称する男性が出没しているらしく、

『君可愛いね、アイドルにならない?』

と声をかけているようだ。

所謂スカウトマンだとは思うけど、学校は変質者として見ているみたい。それもそうか、とひとり納得する。

仮にその男の人が本当に芸能関係者でも、スカウトなんて東京みたいに大きな街でやるものなんじゃないかな? わざわざ熊本まで来るなんて物好きな人かも。

「私には関係ないかな」

誰にも聞かれないようにつぶやく。本物のスカウトさんだとしても学校の言うように単なる変質者だとしても、私には逆立ちしたって縁のない話だ。
……逆立ちは未だに壁がないと出来ないけど。

『シンゴー!! シンゴー!! 裸になって何が』

「ぶふっ!」

「小日向さん?」

「す、すみません!! い、今のは無しで!!」

……ひどいものを想像してしまった。変質者だとしたら、私を襲っても面白くないですよ! と強く心の中でお願いする。

「ねぇねぇ美穂ちゃん! 今日って忙しかったりする?」

「え?」

さっきの先生の話をぼんやり考えていると、後ろから焦った表情の友達が声をかけてきた。

「実はさ……今日臨時の委員会があるんだけど、歯医者を予約していてもう出なきゃ間に合わないんだ。お願い! 代わってくれないかな? ダメ? なんでもしまむ……とは言えないけど、出来る範囲でするからさ!」

「わ、私?」

「この通り! お願いします!!」

いきなりの申し出に面食らうも、友達は両手を合わせて必死でお願いしている。傍から見ると私が謝らせているみたいだ。
うーん、そこまでされたら、代わってあげなきゃと思ってしまうよ。

「うん、良いよ」

「ありがとう美穂ちゃん! 今度この埋め合わせは絶対するから! じゃあね!」

彼女はそう言って駆け足で教室を出る。

「えっとこれは……クリスマス実行委員会?」

机の上にはクリスマス実行委員会と大きくと表記されたファイルと、提出しないといけないであろう書類の山。
クリスマスパーティーに向けての会議のようだ。結構時間がかかっちゃいそう。

私の通う津田南高校には一風変わった行事がある。それがこの毎年12月に行われるクリスマスパーティー。名前通りのイベントで、全校生徒が集まってクリスマスを祝うというものだ。

「今年の開催日は……、あっ」

12月16日――。365日のうちできっと一番大切な日、私の誕生日だ。
たまたまイベントと日が重なっただけなのに、それだけでなんとなく特別な誕生日になる。根拠はないけど、そんな気がしていた。

「そろそろ行かないと。でも、どの教室だろう?」

友達に聞き忘れていた。周りの子も知らなさそうなので、私は職員室まで降りて先生に場所を尋ねる。

「2年4組よ?」

どうやら隣の教室だったらしい。わざわざ一階まで降りたのにこの仕打ちはちょっぴり辛いな。

「お腹すいたな……」

教室を見るとそろそろ始まりそうで、昼食をとる時間はなさそうだ。鳴いてしまいそうなお腹に気合を入れて会議へと臨む。どうか鳴りませんように――。

「はぁ、疲れたよ……」

腕時計を見るともう14時を過ぎている。委員会は私が思っていた以上に大変なものだった。

気合を入れたにも関わらずお腹の虫は鳴いてしまうし、代理出席でこれまでの会議の内容を把握していなかったため理解が追い付かず、
1人てんやわんやしてしまいそれを見かねた委員長さんがその都度補足説明をしてくれた。

結果、委員会はその分終わるのが遅れてしまい、周りの皆に迷惑をかけてしまった。

教室を出る時、それはもう申し訳ない気持ちでいっぱいだった。もし次も頼まれたのなら、キッパリと断っていると思う。
……それでも断れないのが私なんだけど。

「バス、間に合うかな……。急がなきゃ」

玄関を出た私はバス停まで走る。土曜日と言うことで、バスはそこまで通っていない。次のバスを逃してしまうと30分もバス停で待たないといけないのだ。

「おねがい、間に合って!」

と威勢良く駆け出したものの、空腹と日頃の運動不足がたたってすぐにバテて歩き出す。バス停につく頃には息も絶え絶えで、周りから見た私は今にも倒れそうに映っていたと思う。

バス停にはベンチはあるけど屋根はついていない。
春とか秋はまだ良い、だけど夏は日差しがガンガン照りつけて、雨の日はベンチが濡れてしまうので立って待たないといけなくて不評だったりする。

だけど私は木々から漏れる暖かな日差しを、体一杯に浴びることの出来るこのバス停が大好きだった。

友達に言ったら変わってるねって言われちゃったけど、共感されなくても構わない。ここは私だけのベストプレイスなんだから。

「あっ、行っちゃったか」

お目当てのバスはバス停に着く少し前に行ってしまったようだ。向こうを見ると小さくなったバスが去っていく。
時刻表を確認すると次の停車まで30分もある。近くにコンビニが有れば時間を潰せたけど、生憎学校の周りにはなにもない。

さて、どうしようかな? 時間よ戻れ! と念じてみても時計は規則正しく右回りに動いている。

「ふぁあ、眠くなっちゃった……」

秋の爽やかな風と心地良い陽光の中、ベンチに座るとやっぱり眠気が訪れる。
何も抗う必要はない。背もたれに体を預けて、優しい誘いに身を任せて眠りの中へと飲み込まれていくとしよう。

「すぅ……」

大丈夫、20分ぐらいしたら起きるから――。
私の意識は夢の世界へと緩やかに沈んでいく。さてさて、今日はどんな夢を見るのかな……。

――

プロデューサーの心得その1 とにかく足を使え!

「君、アイドルに興味あったりしない? え? 間に合ってる? いや、間に合ってるってどういうこと?」

心得その2 勧誘は1人に対して3回まで。それ以上やってダメなら諦めよう。

「あの! 芸能事務所でプロデューサーをしている者なんだけど……。へ? 通報する? いやいや、全然怪しい者じゃないからね! ほら、名刺! 知らない事務所だから怪しい? そりゃあ今はまだ無名だけど、いつかは765や961にも負けない事務所に……って110番するのは止めてください!」

心得その3 ティンときたその直感を信じよう!

「ねぇ君! 行っちゃった……。ひょっとして俺、才能ないのかな……」

断られたのは彼女で何度目だろうか。10人目からは数字を数えていない。とにかく、沢山断られたということだけは分かる。サッカーの紅白戦ぐらいは出来るだろう。
恐らく人生の中でこれほど女性に振られるなんて経験はそうあるまい。いや、あってたまるか。

「はぁ、今日明日中に1人勧誘、本当に出来るのか?」

ハァと溜息が漏れてしまう。あの日友人の代わりにバイトのシフトに入ったことが、俺の運命の分岐点だったのだろう。

『君、アイドルプロデュースをしてみないかい?』

『はい? アイドル……なんですって?』

バイト先にやって来た眼鏡のおじさんは唐突にそう言った。なんでも新しく芸能事務所を設立するにあたって、新たにプロデューサーを雇う必要が出来たとのことだった。

どうして俺に話したか聞くと一言『ティンと来たから』とだけ答えると、バイト中にも関わらず、面食らった俺を強引に事務所へと連行していった。
その間わずか数分。実に見事な手際だ。

事務所に着くなりおじさんは俺にこう言った。

『今週中に1人スカウトして、プロデュースして欲しい』
よくわかっていない俺をよそに、おじさん(実は社長だった!)と緑の服が似合う可愛らしい事務員さんから色々な説明と説得を受けて。

『ガンバリマス?』

少々強引な形で俺は芸能事務所に就職してしまった。

就職難という時代を考えると、羨ましい話かもしれない。この事務所が普通の企業ならの話だが。

所要時間は1時間もなかった。トントンと話が進んでしまったため、正直言って今でも実感がない。プロデューサーとマネージャーの違いを答えろと言われても正しい返答が出来ないと思う。

それでも俺はこの仕事をしてみたいと思えた。どうしたかは分からない。ただこれも縁だ運命だと考えると、自然に契約書にハンコを押していたのだ。
ちなみにハンコは事務員さんが持ってきてくれた。なんで都合よく俺の苗字のハンコを持っていたのかは……不明だ。

プロデューサーとしての最初の仕事は未来のトップアイドルの原石たちをスカウトすることだった。
社長からは3ヶ条のシンプルすぎる指南書だけ渡されて、そのまま外へと放り出される。
俗に言うOJTってやつだろうか。ただ俺の場合、ロクな説明もなくいきなり社会に投げ飛ばされてしまったのだけど。

ああだこうだ嘆いても仕方ない。とにかく自分の琴線をくすぐる存在を求めて俺はひたすら声をかけまくった。

アイドルなんて誰もが夢見るお仕事だ。アイドルやらないか? とスカウトされたら、みんなホイホイついてくるだろうと楽観的に思っていたのは最初だけで。

『アイドルに興味ない? あっ、ないですか。すんません』

3人目に声をかけたあたりでようやく、自分が思っている以上にやおいかん(大変な)事に巻き込まれたばい、と気付くことが出来た。

笑顔で言ってみても女の子達の反応は暖かいものじゃない。ある時は新手のナンパと勘違いされ、ある時は通報されて。2分だけでも1分だけでもと言ってみても誰も話を聞いちゃくれない。

東京、横浜、名古屋、大阪――。どんどん西に向かって燻っている原石を探し続けるも、俺の勧誘の仕方が悪いのか事務所が全くの無名なのがいけないのか、
それとも最近の若い子はアイドル自体に興味がないのか結果は芳しくなかった。

もっと深く考えてハンコを押すべきだったと後悔したこともあるが、それ以上に社長の言葉が俺の中で繰り返されていた。

『未来のトップアイドルを君の手で育ててみないかい?』

社長たちは俺を信じている。そして俺自身、この手でトップアイドルへと導けたらと朧げながらも思い始めていた。
どうしてだか分からない。そもそもアイドルプロデューサーなんて数日前まで考えてもいなかったし。

ただ、どこかで期待しているモノが有るのだろうとは思う。世界を変えてしまえるような存在が、どこかに眠っていることを。
泣き言を心の中にしまって先日更に西へ向かい、実家に帰るついでに熊本にやって来たのだ。

「町並みはあまり変わらないな。味のれん、まだあったんだ」

何年か振りに地元に帰って来たけど、学校への道は殆ど変わっておらず不思議と安心出来る。
やはり日々目まぐるしく変わっていく都会は俺に合っていないのかもしれない。

「さっきの子、南高の生徒だよな。制服も変わってないし」

見覚えのある制服に懐かしさで胸が一杯になるが、帰省で熊本に来たわけじゃない。今の俺はプロデューサーだ。
すべきことは、過去を省みず未来のトップアイドルを見つけ出すこと。 そのためにも、とにかく声をかけなければ。

「ん? あのバス停、まだ屋根がないんだな」

学校への道を歩いていると小さなバス停を見つける。学生時代俺も使用していた思い出の場所だ。

「ベンチは出来たんだ。おや? 誰か寝てる?」

先客がいた。近づくとベンチに座ったまま眠っている少女が1人。起こさないように音を殺して隣に座る。

「えーと、寝てます?」

程よく暖かい陽だまりの中、彼女はすぅすぅと可愛らしい寝息を立てている。気付かれないようにそっと顔を覗き込む。
この制服は俺の母校と同じものだ。という事は、後輩になるわけか。

第三者が見たら間違いなく通報するだろう光景。だけど今ここには彼女と俺しかいない。まるで時間が止まってしまったかのような感覚。
いや、止まってなんかない。空から揺れ落ちて来た白い羽が時の流れを主張していた。風に揺られながら羽はアクセサリーのように彼女の頭の上に落ちる。

「……この娘、可愛いな」

名も知らぬ少女は、猫のように眠っている。ただそれだけなのに俺は彼女に心を奪われた。

今なら社長の言ったことが、分かる気がする。

「ティンときた」

上手く説明は出来ないけど、全身にビリビリっ! と電流が走ったんだ。

相手は名前も何も知らない少女なのに、俺自身の全てを賭けたい、トップアイドルへと導きたいと思えた。
これを一目惚れと呼ばずなんと呼ぼうか。

「ん、んん……」

「へ?」

両膝にかかる心地よい重み。さっきまで覗いていた顔が今は膝の上に。

「すぅ……」

「え、えーっと……。どうしよう」

思ってもいなかった展開に少しドギマギしてしまう。彼女はと言うと、幸せな寝息を立てながら、俺の膝に羽のついた頭を預けている。
このまま動いてみようものならベンチに頭をぶつけてしまう。それは可哀想だ。

「あのー。バス来ました、よ?」

「ふにゅぅ」

向こうから排気ガスを吐きながら、えっちらほっちらゆっくりとバスがやって来る。焦る俺と対照的に、彼女は一向に起きようとしない。

バスのドアが開くとお婆ちゃんが降りてくる。お婆ちゃんはこちらを見るとにっこりと笑い歩いていった。どうやら何か勘違いをさせてしまったみたいだ。

「……」

バスの運転手は、おたくら乗るの? と言わんばかりにこっちを見ている。無言のプレッシャーがちょっと痛い。

「あはは、次の奴に乗ります。すみません」

運転手は軽く頭を会釈すると、バスのドアは閉まり遠く小さくなっていく。本当なら彼女を起こすべきなんだろうけど、もう少し彼女の寝顔を見続けていたいと思っていた。

彼女が目覚めたのは、5分ぐらいしてからのことだった。

――

「うーん、今何時……」

ゆっくりと意識が覚醒していく。今は何分だろうか、バスはまだ来ていないかな……。
あれ? 頭に当たるこの柔らかい感触は何だろう……。ベンチじゃない? 恐る恐る目を開けると――。

「おはよう。って言えばいいのかな?」

「え?」

「チャオ」

上から少し戸惑ったような男の人の声。あ、あれ? 今私、男の人の膝で寝ていた?

「どうかした? 顔が赤くなって……」

「え、ええええ!? ええ!」

驚きのあまり頭を勢いよくあげる。それが間違いだった。

「痛い!」

「ほげっ!?」

見事顎に頭突きを一発かましてしまい、男の人は苦悶の表情を浮かべる。

「す、すすすみましぇん!」

「き、君の方こそ大丈夫かな? 頭痛くない?」

顎を抑えながら彼は私を気遣う。

「ここちらこそぉ! 御顎さん大丈夫ですか!?」

色々なことが同時に起きたためテンパってしまい、自分でも何を言っているか分からない。

「お、俺は大丈夫だよ。ほら、御顎さんもぴんぴんしてるし……たた」

「ほ、本当にゴメンナサイ!!」

「ははは、大丈夫だって……」

そうは言うものの、若干涙目になっているし強がっているようにしか見えない。

私は彼に謝り倒し、彼はその全てに気にしないで良いよと言ってくれる。全力のキャッチボールを繰り返している内に、2人とも落ち着いて来ていつものペースに戻ることが出来た。

「え、えっと! 隣にす、座った時に、わ、私が倒れこんできた、ってことですか!?」

といっても私は極度のアガリ症で恥ずかしがり屋なので、普段から落ち着きがないと良く言われる。
特に初対面の相手だともう聞いちゃいられない。彼の顔からも困惑の二文字が見て取れる。

「まぁ、そうなるかな。でも起こすのも悪い気がしてさ。凄く気持ちよさそうに眠っていたし」

「す、すみません……。もし乗りたかったバスに乗れなかったら……」

「いや、謝らなくていいんだよ? あんな気持ちの良いお日様の中、眠くならない方が無理あるって」

仕方ない、仕方ない! と彼は笑いながら言ってくれる。それすら私に気を使ってくれているんだと思うと、余計申し訳なくなる。
しかしいつまでも彼を困らせるわけにもいかない。

「ふぅ……」

よし、落ち着こう。深呼吸して……。

「落ち着いた? えっと君の名前は……?」

顔を掻きながら彼は名前を聞く。どうしたんだろう?

「な、なな名前、ですか!? え、えとっ! こ、小日向……、小日向美穂です」

よくよく考えると、この時よく素直に名前を教えたものだと思う。もし彼が変質者だったならどうなっていたことか。

「小日向美穂、か。良い名前だね。君にピッタリの名前だ」

「ええ!?」

名前を褒められたのなんて、いつ以来かだろうか。しかも初対面の相手にだ。
恥ずかしそうにはにかんだ笑顔で、そんなクサい台詞を吐く彼の顔を私はまともに見ることが出来なかった。

「も、もしかして気に障った? 俺本心で言ったんだけど……」

しまった! と言うように彼は慌ててフォローを入れる。

「い、いえ! ありがとうございまする!」

「まする?」

「うぅ、そこは繰り返さないでください!」

「あっ、ごめん」

リンゴの様に赤くなっているであろう顔を見られないように、彼の視線から顔をそむけた。

「えっと、小日向さん?」

「な、なんでしょうか?」

「あのさ、実は俺こういうものなんだ」

彼は胸のポケットから長方形のケースを取り出すと、私に名刺を見せる。

「DazzlingProductionプロデューサー――、へ? プ、プロデューサー?」

「そっ、プロデューサー」

「プロデューサーって、あのプロデューサーさん?」

「どのプロデューサーのことを言っているか分からないけど、多分君が思っている通りだよ」

何となくだけど理解は出来た。でもどうしてそんな人がここに……。

「で、起き抜けに凄い話をするけど……、小日向さん」




「アイドルに興味が有ったり、しない?」

「えっ?」



アイドルに興味が有ったりしない? あれ? これって……。

『昨日女子生徒にアイドルにならないかと声をかける……』

「先生が言ってた人?」

「へ?」

「そ、その! せ、先生が、言ってたんです。ア、アイドルにならないかって、こ、声をかける事件が有ったから気を付けるように、と……。ええ!?」

「それ、俺のこと?」

言ってから気付く。この名刺がもし偽物だったら? 本当に変質者だったら?
私は無意識のうちに彼から距離をとってしまう。

「あー、そりゃ怖いよな。小日向さん、こんなんでも一応ちゃんとしたプロデューサーなんだ。実績も何もなくて信用に値しないかもしれないけど」

真剣な眼差しで私を見ながら彼は言う。おもむろに携帯を取り出し、何かを検索し始めると、私に画面を見せた。

「DWプロジェクトスタート?」

トップにでかでかと書かれている一文を音読する。どうやら芸能事務所のようだ。

「うちのホームページだよ。これで信用出来るかは分からないけど、ちゃんとした事務所ってことを分かって欲しいんだ」
「まぁ出来たばかりで、怪しい事この上ないと思うかもしれないけど。俺たちは本気で動いているよ」

彼の顔と携帯画面を交互に見る。はっきり言って怪しいことこの上ない話だ。
だけど私は彼の言っていることに嘘はない、嘘を吐いている目じゃない。そう感じていた。
何故かと聞かれても、はっきりと答えることはできない。言ってしまえば、直感なのだから。

「は、はい。ちゃんとした事務所ってことは分かりました。あれ? ってことは……」

私今、アイドルにスカウトされている?

「どうかな。小日向さん、アイドルに興味ないか」

「えええええええ!?」

「のわっ!!」

急に大声を出した私に驚いて、彼は大袈裟にのけぞる。

「こ、小日向さん?」

「わ、わ、わ、わたっ! 私が、アイドルぅ!?」

「とりあえず、落ち着こうか小日向さん。ほら、深呼吸深呼吸」

「お、落ち着いていられましぇんよぉ! だ、だだってぇ! あ、あ、あ、アイドルですよ!? む、無茶苦茶です! そ、そんな髪形を変える感覚で言われても、こ、ここ困ります!!」

「まぁ無茶苦茶な話かもしれないね。正直俺も、実感が湧いてないし」

私が落ち着いたのは、バスがやってきた後のこと。ベンチに座っておきながら乗らない私たちを、運転手さんはしかめっ面で見ていた。

「落ち着いたかな?」

「は、はい。すみません。ご迷惑をおかけして」

「仕方ないさ。急に言われたら誰だって驚くよ」

「え、えっと! 聞いていいですか?」

彼がアイドルを探していることと私がスカウトされたということまでは理解出来た。
だけどこれだけはどうしても解せなかった。

「どうして……私なんですか? 私なんかより、もっと素敵な人、たくさんいるはずです」

アイドルにスカウトされる人って言うのは、もっと可愛らしかったり、もっと美人だったりするはず。言ってくれれば、学校の可愛い子を紹介だってする。アイドルに興味がある子だっているだろう。

なのに彼は、どうして私なんか……。

「……と来たから」

「へ?」

「ティンと来たんだ! 小日向さんならトップアイドルになれるって!!」

「えええ!? わ、私がトッピュアイドル!?」

「そうだよ! トップアイドルさ! 誰からも愛され、人々に夢を与える。そんな素敵なアイドルに君ならなれる、そう思っている! だから」
「俺は君をプロデュースしたい。誰よりも魅力的な女の子にしたいんだ」

彼の言葉に納得するに値する根拠なんてどこにもない。
第一テレビに出ているだけでも十分凄いのに、その上トップアイドルなんてエリート中のエリート。ほんの一握りしかいない。

確かに私だって女の子だ。テレビの向こう側で輝いている彼女たちに憧れたことだってある。
でもそれは私には縁のない話だから、と割り切っていたからこそ憧れることが出来たんだと思う。

だけど今、彼はそんな現実味のない夢物語に私と一緒に描いていこうと言っている。
普通の女の子だった私を、普通じゃない世界へと誘っているんだ。


「――さん」

アイドルになる。つまりそれは熊本から出ることを意味している。
家族と離れ友達とも別れて、知り合いのいない東京で1人戦うということ。

「私にはやっぱり……」

私の名前は小日向美穂、16歳。12月16日生まれのO型、特技を聞かれても思いつかないような、何のとりえもない普通の女の子。
恥ずかしがり屋で、緊張しいで不器用で気弱で。

歌って踊るアイドルたちの姿をテレビの前で見ている方が似合っているのに。

例えアイドルになったとしても、彼を失望させてしまうに決まっている。貴方が思っているほど、私は素敵な女の子じゃない。
ネガティブな感情が私の中でぐるぐると巡る。

ゴメンナサイ――。そう言ってしまえば何も考えなくていい。彼は私を諦めて次の女の子を探すだろう。
だから私は……。

「わ、私は……。満足に喋ることが出来ないぐらいあがり症ですし……」

「一緒に克服していけばいいさ。俺も結構あがりやすいタイプだし」

「絶対、後悔させてしまうと思い」

「小日向さん、俺を信じて欲しい」

貴方を信じる?

「そして俺が信じている、君自身を信じて欲しいんだ」

「私を……、信じる?」

「そう。君なら出来る、俺が導いてみせる。夢のステージへ、輝く世界へ」

夢のステージ。カメラに映る彼女たちは、とても素敵に輝いていて――。

私も、彼女たちのように輝けるのかな? 自分に自信を持てるようになるのかな?

「大丈夫、君は変われる。どんな理想も叶えられる。世界だって変えることが出来る! 魅力がないというなら、見つけていけばいいさ。小日向さんにしか出来ないことは絶対ある。それを一緒に探して行きたい」

彼は心を、全てを私にぶつけてくる。

「だから小日向さん、俺と一緒に頑張ってくれますか?」

私は……。

「はい!」

力強く、そう答えた。

暖かな木漏れ日の中生まれた決意。これが私と彼のファーストコンタクトだった。

――

ティンときたその直感を信じろ。一体何のことか分からなかったが彼女に出会った時、身を持って体験した。

体に電撃が走る、と言えばいいのだろうか。彼女が言ったように、もっと可愛い子はいた。綺麗な子もいた。

良くも悪くも普通な少女、それが彼女に対する印象だ。だけど今まで声をかけた女の子以上に、
俺は彼女をプロデュースしたいと思ったんだ。顎に頭突きを食らったことなど、些末なことだ。

臭いセリフを吐くと、運命の出会いとでも答えるだろう。
きっとおじさんが俺をバイト先から連れ去ったのも、彼女に出会うためだって、そう考えていた。

彼女との出会いは、ノルマとかそんなものを忘れてしまうぐらいだった。

「えっと、プ、プロデューサー、で良いんです、よね?」

「あ、うん。小日向さん、ありがとう。俺を信じてくれて」

ようやく乗れたバスはがたがたと揺れている。車窓から見る景色も懐かしくて、学生時代の思い出が蘇る。友達たちと馬鹿な話をしながら歩いた道だ。
高校の時の俺はこんなことになるなんて予想だにしていなかっただろうに。

「……」

隣の席に座る彼女はまだ慣れていないのか恥ずかしそうにこちらを見ており、目が合うと逸らされてしまう。
悪意はないだろうが、少し傷つく。

「そうと決まれば、親御さんに説明しないとね。小日向さん、ご両親は何時ごろに揃う?」

「えっと、お父さんの仕事が17時ごろに終わるから……。家に着くころには帰っているかと思います」

「さてと、気合を入れてかからないといけないな。なんせ目に入れても痛くないぐらい可愛い娘さんを預かるんだ。覚悟を決めないと」

「か、可愛いって……。恥ずかしいです」

まるで結婚報告に行くみたいだな、なんてくだらないことを考える。
もしそれを彼女に言ってしまえば、顔から血を出してしまうぐらい照れてしまいそうだ。

小日向さんのお嫁さん姿か……。隣に立つ人が羨ましいな。

「プロデューサー? 顔、真っ赤ですよ?」

どうやら俺も顔に出ていたようだ。小日向さんは笑いながら指摘する。

「き、気にしないでくれ!」

「ふふふっ、プロデューサーも一緒なんですね」

「むぅ」

ふんわりとした柔らかな微笑。いつの日か彼女の笑顔が、日本中を幸せにする。そう思うと俄然やる気が出てきた。

「えっと、私の家ここです」

バスから降りて、少し歩くと小日向と書かれた表札を見つけた。どうやら彼女の家はここらしい。
――懐かしいな。そう心の中で呟く。

「君の家、ここだったんだ」

「へ? プロデューサーさん知っていたんですか?」

彼女は不思議そうに俺を見る。

「小日向さんには話してなかったかな。俺さ、この町出身なんだよね」

「ええ! そうだったんですか? 意外です……」

「そっ、だからこの町でスカウトしていたんだ。俺の実家、ここから10分ぐらい歩いたら所にあるんだ」

「そ、そうだったんですか!」

つくづく、縁と言うのは不思議なものだと思ってしまう。家が近いとはいえ年齢も違う男女だ。
普通に生きていれば、こんな形で彼女と交わることもなかっただろうに。

「子供ころは大きくなったらこんな家に住んでやる! って意気込んでいたっけ。いや、懐かしい懐かしい」

「ふふっ、でもお父さんローンを無茶して組んだらしくて、毎日ひぃひぃ言っていますよ。プロデューサー、ちょっと待ってくださいね」

「あっ、うん」

小日向さんはそう言って、家の中へ入っていく――。

「ちょっと待った」

「へ?」

俺が呼び止めると、彼女はキョトンとした表情で俺を見ていた。彼女に近づいて、頭に付いたままのそれを取る。

「きゃっ」

「良し、取れた。さっきのさっきまでこれの存在を忘れていたよ」

「え、えっと……。羽ですか?」

「うん、見事なまでに白い羽。小日向さんが寝ていた時に付いたのだけど、教えるタイミングを逃しちゃってさ。それに、自然なものだから取るのを忘れちゃっていて。何の鳥だろうね、ハトかな?」

「そ、そうだったんですか。ってことは、い、今の今まで、ずっと付いていたんですよね? う~、何でバスに乗る前に教えてくれなかったんですかぁ」

「ははは、ごめんごめん」

「はぁ、絶対皆笑っていましたよ……」

しょんぼりとする小日向さんをよそに、俺は羽をかばんの中に入れた。

「あれ? それ、持って帰るんですか?」

「あー、うん。記念品ってとこかな」

なんせ彼女との最初の思い出なのだ。なんとなくだけど、取っておきたいと思えた。
使い道を聞かれると困るが、スケジュール帳のしおりなんかにちょうどいいかも知れない。

「え、えっと。き、気を取り直して。呼んできますね?」

今度は呼び止めず、家に入る彼女を見守る。数分程外で待っていると呼びに来た。

「プロデューサーさん、入って大丈夫ですよ」

「よし! 行くか」

ネクタイをビシッと決め、顔を叩いて気合を入れる。さぁ、戦いの始まりだ。

「失礼致します!」

「……」

ドアを開けると、険しそうな表情をした男性。父親だろうか?

「お父さん、この人がプロデューサーです」

「ダズリンプロダクションの――です。本日は小日向美穂さんを是非とも我が社のアイドルとしてスカウトしたく、参じました」

「……こちらへどうぞ」

抑揚無く言われ、少し怖くなる。でもここで怖じ気つくわけにいかない。

数分後。

「いやー、君がこの町出身だったなんてね! 驚いたよ」

「は、ははは……」

「母さん! 彼にもお酌お酌! 美穂、プロデューサー君のお椀が空になっているじゃないか。入れてあげなさい」

「はいはい、待ってくださいねっと。失礼しますね」

「プロデューサー、お、大盛りが良いですか!?」

「じゃ、じゃあありがたく貰っておこうかな、うん」

結論から言うと、俺は小日向家に歓迎された。

最初こそどこの馬の骨か分からない男の登場に、ご両親は良い顔をしていなかったと思う。
だけど俺が小日向さんをトップアイドルにしたいこと、責任を持って最後まで面倒を見ること、
何より小日向さん自身がアイドルを目指したいと自分の言葉で伝えると、少しずつ表情は緩んでいった。

ただ、受け入れられた最大の理由は、俺がこの町出身だったということだろう。嫌な沈黙が続く中、小日向さんがご両親に俺が近所の出身だということを言ってくれた。

するとどうだろう。ご両親は少し驚いた表情を見せるも、次第にローカルな話題へと移行していった。
どこの学校出身か、どこの美容院に行っていたか、美味しいだご汁のお店はどこか。とにかく話題は尽きない。
特に小日向さんと同じ高校出身と言う話は大いに盛り上がった。どうやらご両親も母校は同じだったようだ。

結果、思っていた以上にスムーズに話は進んでいった。素性も分からないような人間よりも、同郷の人間に預ける方が良いということだった。

「美穂がこうやって自分で何かを始めたいって強く言ったのは、初めてでした」

とは御袋さんの談。その表情は、嬉しそうにも寂しそうにも見えた。

「以上で用件はすべて終わりですね。それでは、失礼いたします」

「待ちたまえ! 折角なんだ、食べていきなさい」

「え? ですが」

「構わん構わん! ささっ、座りたまえ!」

難しい契約の話もそこそこに終わらせて、お暇しようとするも親父さんに捕まっていまい、
小日向家で晩御飯を頂いて今に至る、と言うわけだ。

「ねぇプロデューサー君、どうして美穂をスカウトしたの?」

熊本名物の代表格である馬刺しをつついていると、御袋さんが聞いてきた。

「彼女ならきっとトップアイドルになれる、そう思ったんです」

「ふーん、そうなんだぁ」

御袋さんはなぜかニヤニヤしながら俺のコップにお酒を注いでくれる。何か変なことを言っただろうか?

トップアイドルになれると言うのはお世辞じゃなくて、本心からそう思っている。
確かにもっと探せば、より良い原石はいるかもしれない。
だけど輝かせたいと、魅力を日本中に伝えたいとここまで強く思えたのは、彼女が初めてだった。
そしてきっと、今後彼女以上の女の子は現れることは無いだろう。そう断言しても良い。

「そうだぞ! 君の眼は正しいじょ! うちの美穂は世界一可愛い!! キュートしゅぎる!」

「わっ!」

酔っぱらって俺の肩に手をやる親父さん。ゴメンナサイ、お酒臭いです。

「お、お父さん! ゴメンナサイ、プロデューサー。お父さん、絡み酒しちゃうタイプで。強くないのに……。ほら、お父さん。プロデューサーが困っているでしょ?」

小日向さんは俺から親父さんを引き離そうとするが、親父さんはそのまま眠ってしまう。
これじゃあ失礼しようにも出来ないな。

「あ、あのー。お父さん?」

「わらひは君のとうはんではない!」

「うわぁ!」

恐る恐る声をかけてみると、突然叫びだし、また眠ってしまう。『お父さん』というワードに反応してしまったのだろうか。

「お父さん、寝るなら布団で寝ないと!」

「まぁまぁ、お父さん、寂しいのよ。お酒でも飲まないとやっていけないぐらいにね」

御袋さんも遠くを見るかのような、寂しそうな目をして言う。

「え?」

それもそうだ。一緒にご飯を食べて感じたけど、ご両親は小日向さんのことを何より愛している。
だから本当は家を出て行って欲しくないのだろう。特にこの親父さんは過保護なぐらいだし。
でも彼らは、彼女の夢を応援してくれた。俺たちの活動を認めてくれたんだ。

ならばそれに全力で答えるのが、プロデューサーだ。

「プロデューサー君。お願いだけど、時々で良いから、美穂の顔を見せてくれないかしら?」
「忙しくなるのは分かっているけど、やっぱり私たちも寂しいのよ」
「無茶言っているのは分かっている、でもそうでもしないと、お父さんも辛いと思うの」

「はい。約束します」

間の抜けた寝顔を見せる親父さんを一瞥して、俺は答えた。心なしか小日向さんも少し安心した顔をしている。
やっぱり彼女も覚悟していたとはいえ、親から離れるということが、不安だったのだろう。

「ありがとう。それより、プロデューサー君」

「はい、なんでしょうか?」

「君、美穂がタイプなの?」

「ぶっふ!」

「お、おおおお母さん!? プ、プロデューサーさん! 大丈夫ですか!? お茶入れますね!」

「美穂、それお酒よ?」

「ま、間違えました!」

突然御袋さんがそんなことを言うものだから、思いっきり咽てしまう。もし口に何か含んでいたなら大惨事だっただろう。

「い、いきなり変なこと言わないでくださいよ!」

「あら、ごめんなさい。でもその反応は、図星かしら?」

「え、えっと小日向さん。今の気にしなくていいからね、ね?」

「は、ははい! そ、そですよねぇ! 私が好みなわけないじゃないでしゅか! もうお母さんったらもう!」

ニヤニヤと笑う御袋さんに、顔を真っ赤にしている男女2人。

「あ、あはは」

「う?」

互いに顔を見るのが恥ずかしくなり、そっぽを向いてしまった。これじゃあまるで初心な中学生カップルだ。
いや、彼らの方がまだ堂々としているか。

「そうだ、プロデューサー君はどうするの?」

「えっと、実家がこのあたりなので、家に帰ります。また明日、学校の方にも説明しなくちゃいけませんし。今日は晩御飯ありがとうございました」

事務所の方にも連絡しないといけないし、小日向さんの新しい家や学校の入学手続きもしないといけない。
アイドル候補生を見つけるだけで仕事が終わるわけじゃない。むしろその後の方が大変だ。

「こちらこそ。プロデューサー君、美穂のこと、よろしくお願いしますね」

「はい! 任せてください。それでは失礼し」

「プ、プロデューサー!」

ドアノブに手をかけ、出ようとしたところで、小日向さんに呼び止められる。
相変わらず恥ずかしそうにこっちを見ているけど、深く呼吸をした後覚悟を決めたように口を開く。

「私、頑張りますから! だから、一緒にトップアイドリュ目指しましょう! うー、噛んだぁ」

「ああ、頑張ろうな!」

彼女はやる気だ。俺はプロデューサーとして、ファン第一号として、彼女の夢を叶えてやりたい。

――

「うーん、どうしよう」

プロデューサーが帰った後、私はラジオを聴きながら机に置かれた紙と睨めっこしていた。

プロフィール作成、それが私のアイドルとしての初めての仕事らしい。
出身地から生年月日、……恥ずかしいけどスリーサイズ。そこまでは別に悩む要素もないため、すらすらと書けた。

だけど問題はこの3つ。

「趣味と意気込み、アピールポイントかぁ……」

私にはこれといった趣味がない。クラブや習い事をしていたというわけでもなく、
読書とか料理も趣味かと言われると違う気がする。

私は本当にどこにでもいる普通の女の子だ。ただ普通の女の子でも、1つや2つ趣味があるだろうから、
それすらもパッと出てこない私は、逆に普通じゃないのかもしれない。

「奇をてらった方が良いのかなぁ」

いや、嘘や適当を書いても仕方ない。スポーツが趣味です! と言った所で、スポーツチャンバラの仕事が来ても、私は何も出来ないんだし。

「他のアイドルたちってどんなプロフィールを書いているんだろ?」

確かプロデューサーは私のプロフィールもHPに載せると言っていたっけ。
だから今活躍しているアイドルたちの趣味や自己PRも検索すれば出てくるはず。

『それじゃあ次のお便りを紹介しますねっ!』

真っ先に浮かんだのは、今聴いているラジオのパーソナリティーの名前だった。

島村卯月――。私と同じ年齢にも関わらず各種メディアに出ずっぱりの、
今最も勢いのあるユニット『New Generation Girls』通称NG2のリーダーだ。

東京に行けば、彼女にも出会えるのかな。テレビに映る笑顔には裏があって、実は怖い人だったら嫌だな。

「あっ、出て来た」

NG2―島村卯月 趣味:友達と長電話

「こんなので良いのかな?」

思っていた以上に普通な趣味だったため、少し拍子抜けする。確かに他のアイドルたちに比べて普通の女の子、って印象が強かったけど趣味も特別なものでは無かった。実に卯月ちゃんらしいとも言えるけど。
私に当て嵌めてみたら……、なんだろう?

『また来週っ! お相手は、島村卯月でした!』

「うーん、困ったなぁ」

あれこれ悩んでみたものの、結局私は翌日の日曜日になっても思いつかず、1日を終わらせてしまった。
プロデューサーの話によると、明後日には熊本を出て活動を開始していくらしい。
本当に急な話だなぁと、他人事のように思う。

「1日、無駄にしちゃったかな」

0時を過ぎたあたりで、ちゃんと友達と思い出を作っておくべきだったと後悔してしまった。
そう言えば、彼女たちは私がアイドルになるということすら知らないんだよね。

「私、本当にアイドルになれるのかな」

プロデューサーを信じていないわけじゃない。お父さんもお母さんも彼を信じているし、私が一番彼のことを分かっているつもりだ。
彼の熱意に当てられて、私もトップアイドルになれるんだって。そんなファンタジーも不思議と実現するんじゃないかな? と思っていた。

だけど今私は自分の持つ誰にも負けない魅力はなんなのか、それすらも分からないでいる。
スタートラインにそもそも立っていない。刻み付ける時計の針が私を急かすけど、慌てても思いつかないんだ。

「寝ちゃおう」

このまま起きていても仕方ない。なら明日じっくり考えよう。

月曜日。朝起きるとプロデューサーからメールが来ていた。どうやら学校には話が付いたようだ。

「……」

今ならまだ間に合う。怖くなりました、自分には出来ません。そう言えてしまえばどれだけ楽なことか。
でも逃げるのは嫌だった。変わるって決めたんだから……。

「そうだ。みんなに聞いてみよう」

自分自身で分からないなら、友達に聞いてしまえばいいんだ。きっと私が知らない、私の魅力を知っている人もいるかもしれない。

「みーほちゃん!」

「ひゃい!? な、何!?」

「あー、ごめんごめん。驚かせちゃった?」

学校に着くといきなり、無邪気な笑みを浮かべる友達に肩を叩かれた。

「そうそう、聞いたよ? アイドルになるんだってね! 学校中その話題で持ちきりだよ?」

「え? もう知っているの!?」

「何でも昨日部活中の子がさ、偶然聞いちゃったんだって。そこからはもう凄いスピードで広まったわけですよ」

学校に行くまでの道中、ジロジロと見られている感覚に陥っていたけどどうやらそういう事みたい。
もうみんな知っているなんて。情報の伝達の速さに、只々驚くばかりだ。

「ってことは美穂ちゃん東京に行くのかぁ、寂しくなるね」

「うん。自分でもまだ、あんまり実感がない、かな」

アイドルにスカウトされたのがほんの2日前のこと。
私の住んでいる世界は、急激に変わり始めようとしていた。ボヤボヤしていると置いていかれてしまう。

「あっ、忘れてた。これ、実行委員会のファイル」

鞄の中からファイルを取出し、友達に渡す。この高校生活最後のクリスマスパーティーも、私は参加出来ないのだ。なんと言うか、皮肉な話だ。

「ありがとう美穂ちゃん! でも困ったな、美穂ちゃんに埋め合わせできる前に東京に行っちゃうのかぁ」

彼女は申し訳なさそうに俯く。

「あっ、ちょっと良いかな?」

そうだ、彼女に聞いてみよう。

「1つお願いしていい?」

「お願い? 何なりとどうぞ!」

「今こんなの作っているんだけど、自分の魅力って分からなくて……」

プロフィール表を机の上に置くと、友達はそれを物珍しそうに手に取って蛍光灯の光を浴びせてみる。
そんなことしても、暗号なんて浮かんでこないと思うけど……。

「ダズリンプロダクション……。ほほー、本格的ですなぁ。どこの事務所か知らないけど」

「新しく出来たばっかりだから仕方ないよ。で、今趣味と意気込みと自己PRで悩んでて。意気込みは自分で考えなきゃいけないんだけど、自分がアピールできるところって、パッと出てこなくて」

「成程成程、私の魅力って何? ってとこね。そうだねぇー、美穂ちゃんのアピールポイントは……」

友達は私の顔とプロフィール表を交互に見ながら、少し考えるそぶりを見せる。
やっぱり私の魅力って、そうないのかな……。

「ど、どうかな……?」

「うーん。やっぱり……笑顔、じゃないかな?」

「笑顔?」

得意げに言う彼女の3文字をそのまま返してしまう。

「そっ。まぁぶっちゃけちゃうと、美穂ちゃんのいいところなんて数えきれないほど有りますよ」
「誰にでも優しいし、恥ずかしがり屋だけどいざって時にはしっかりするし、とにかく可愛いし!」
「その中でも、私は美穂ちゃんの笑顔が一番好きかな」

「か、可愛い……」

「今真っ赤になっている美穂ちゃんもすっごく可愛い! よっ、日本一! てか世界レベル!!」

友達が大声で囃し立てるものだから、予鈴が鳴っても私の周りにはぞろぞろと人が集まってくる。

「小日向さんの良いところ? そうだね、やっぱり癒し系ってとこじゃない?」

「いやいや、やっぱ歌じゃない? 前カラオケに一緒に行ったけど、凄く上手かったし! 選曲もマッキーって渋いよね!」

「そうそう! あの曲カバー出来たらイイネ! えーと……近く近くだっけ?」

「デュフフ、ここは敢えてあーえーて!! 脱ぐと凄いんですって書くべきですぞ! と、いうわけで脱いでもらえませぬかな?」

「お前は何を言っているんだ。……尻だろ常識的に考えて」

「常識的に考えてアンタらの発送がキモいわ」

ワイヤワイヤと盛り上がる。先生がやって来るまで、私の良いとこ探し会議は続いた。

「ふふっ」

破られたレジュメには、みんなの考える私の魅力が裏っ側まで羅列されている。
自分でも思っていた以上に多くて、なんか嬉しいな。

お昼休みの時間。私の席は窓際の日の当たる場所。ご飯を食べた後はやっぱり眠くなっちゃう。まるで猫みたいだにゃーん……。

プロデューサーの言葉を借りるなら、こんないい場所で寝ない方がおかしいんだ。
あっ、これってある意味趣味になるのかな……。

「美穂ちゃん?」

「ん? にゃあに?」

「あ、眠かった? ごめんね話しかけて」

「ううん、少し気持ちよくて。すぅ」

「あらま、寝ちゃったか」

「すぅ、すぅ……パンダの尻尾は白色です……」

予鈴の音で目覚めた時、ふとプロフィール表を見てみると、趣味の欄に『ひなたぼっこ』と丸っこい字で書かれていた。

「知っている人は知っていると思いますが、小日向さんが東京でアイドルとして活動するために、転校することになりました。小日向さん、前に来てくれる?」

「は、はい!」

授業後のSHRで、私は皆の前に立っていた。

「え、えーっと……」

クラスのみんな34人と1人の先生。私はその人数だけでも、心臓がバクバクとしていた。

「す、凄く急なんですけど、私アイドルに、なっちゃいました! あ、あの! 私、絶対みんなのこと忘れましぇん! だから、応援してください!」

何回噛んだか覚えていない。これがドラマの撮影だったなら、監督に怒られちゃう。

「美穂ちゃん頑張れー!」

「応援しているからね!」

「んんwwwぺゃっwww応援する以外ありえませんなwww」

「こらこら、泣かないでよね。先生まで泣いちゃうじゃない」

割れるような拍手の中、クラスメイトの皆は私に温かい言葉をかけてくれる。
それがとても嬉しくてポロポロと涙が溢れ、先生がハンカチで私の目元を拭いてくれた。

「それじゃあ今日は美穂ちゃんの門出を祝って! ぱーっとやっちゃいましょう!」

友達の合図で大いに盛り上がる皆。私は彼らに流されていくように、色んな所へ行った。
ボーリングをして、プリクラを取って、買い物をして。最後の思い出を作るかのように、私たちは今を全力で楽しんだ。

「あー、楽しかった! ねぇ美穂ちゃん! またこっちに帰ってくるよね?」

解散してバス停へ向かう途中、友達が尋ねる。

「うん、月に1回ぐらいになると思うけど、お母さんたちに顔を見せなさいって。だからその時、また遊べるかな」

「そっか、だよね。その時また遊ぼうね!」

屈託のない笑顔で彼女は言う。この笑顔も私が与えた笑顔なら、それは素敵なことだと思う。

「うん。ありがとう」

「じゃあ私はここで、美穂ちゃん。バイバイ」

「うん、バイバイ」

帰ってプロフィール表を作ろう。今ならきっと、一番の私をアピールできると思う。

Dazzling Production

アイドル名 小日向美穂
ふりがな  こひなたみほ
年齢    16
身長 155cm 体重42kg
B-W-H    82-59-86
誕生日  12月16日
星座   射手座
血液型 O型 利き手 左
出身地  熊本県
趣味   ひなたぼっこ
意気込み ファンの皆様に愛されるアイドルになります!
自己PR みんなを笑顔にするのが好きです! 私の笑顔で、幸せな気持ちになってくれたらうれしいです!

「こんな感じかな?」

プロフィール表を書き上げて、ほっと一息。あれだけ悩んでいたのに、
きっかけ1つでこんなに楽にできるものとは思わなかった。

「明後日、かぁ」

明後日の朝、私は熊本を旅立つ。東京に何が待っているか分からない。良いことばかりじゃないだろう。
きっと辛いことも沢山ある。逃げたい、そう思う事もあるかも知れない。

それでも私は頑張るしかないんだ。ここではない、遠く遠く離れた東京で。

「美穂、入っていいか?」

明日は準備をしないといけない。寝ようとベッドに入ろうとすると、お父さんがドアをノックする。

「う、うん。良いよ」

「じゃあ入るよ」

お父さんが私の部屋に入るのなんて、久し振りかもしれない。いつもは恥ずかしがって入れようとしなかったけど、今日だけは特別なんだ。

「美穂、プロデューサー君は確かにいい男だ、私が保証しよう。だけど、どうしても乗り越えることの出来ないことがお前たちを待っているかもしれない。辛くなったら、いつでも帰ってこいよ」

「お父さん……」

「アルバムを見ていたんだ。あんなに小さくて泣き虫だった美穂が、アイドルになりたいって言えるまで強くなった。親として嬉しくも、寂しくもあるな」

「そういう事、言わないでよ……。私まで寂しくなるよ」

「ああ、悪かった」

いつもと違ってしんみりとした父親に、私まで寂寥感に苛まれてしまう。

「だがな、美穂。これだけは覚えておいてくれ。私たちは、何があってもお前たちの味方だ。どんな時でも、お前たちを応援しているよ」

「ありがとう、お父さん」

「美穂、そろそろ寝なさい。明日の準備があるのだろ?」

「うん、お休み」

「お休み」

今生の別れと言うわけじゃない。その気になれば戻れる距離だし、嬉しい時も辛い時も電話をするだろう。それでも、寂しい物は寂しい。

私はまだ16歳、結婚できる年齢だとか十分大人だと言われても、まだまだ子供だ。
だけど私はこれから待っている未来に心を震わせていた。勿論不安もある、だけどそれ以上に期待が大きいのだ。

どんな人に会うのかな?
アイドルとしてやっていけるかな?
ちゃんと1人暮らしできるかな?

「えへへっ」

色々な感情がない交ぜになったまま、私はベッドに潜り込んで携帯を見る。
携帯に張られているプリクラには恥ずかしそうに笑う私と、クラスメイト達。
おんなじ教室にいなくても、皆応援してくれるんだ。

それに――。

『俺が信じている、君自身を信じて欲しい――』

「うん、行けますっ」

そうだよね、私は1人じゃない。

翌日、私は朝から準備に追われていた。必要な物を業者に送ってもらい、手荷物をまとめる。

「ふぅ、終わったぁ」

16年間の思い出が詰まっていた私の部屋は、すっかり綺麗になってしまった。全ての作業が終わり、時計を見ると16時だ。
どうしようかなと考えていると、母親が私の部屋に入ってきた。

「美穂、終わった?」

「あっ、うん。どうしたの、お母さん」

「お父さんがね、どこかに食べに行かないかって。美穂が行きたい所どこでも連れて行ってくれるってさ。食べたいものない?」

「私の食べたいもの?」

「そう、思いっきり贅沢しちゃいなさい!」

私の食べたいもの……。回らないお寿司? ステーキ? 熊本ラーメン? どれも違う気がする。

別に特別じゃなくても良いよね?

「ううん。私はやっぱり、お母さんのご飯が食べたいかな?」

「ええ? そんなので良いの?」

予想外の答えが帰って来たのか、お母さんは面食らった顔をしている。

「うん。特別な物ってそのままもう会えないみたいで……。ダメかな?」

「そっか。美穂がそういうのなら、そうしましょうか。今日は腕によりをかけて作っちゃうわよ!」

「ありがとう、お母さん」

アイドル前夜、私は家族と過ごした。献立も豪華な物じゃない、極々普通の晩御飯だ。特別なものなど何一つない。

「「「ご馳走様でした」」」

暖かな食事も終わる。明日からは1人で全部済ませなくちゃいけない。
守ってくれる人はいるけど、それでも自分の行動全てに責任を持たないと。

「それじゃあ……、美穂これあげる」

「お母さんこれは?」

「お料理の本よ。忙しいからって外食ばかりしちゃだめよ? 少しは自分で作れるようにしないとね」

お母さんが愛読していたお料理本だ。数冊束になっていて、持つとちょっと重かった。

「ありがとう、お母さん。自炊頑張ってみるね」

「あー、美穂。ちょっと耳貸しなさい」

「?」

言われるままにお母さんに耳を傾ける。お母さんはお父さんに聞こえないように声のトーンを落として、

「これで練習して、プロデューサー君に美味しいお弁当作ってらっしゃい。ポイント高いわよ?」

「お、おかあさん!?」

とてつもない爆弾を投げかけてくれました。

「ふふっ、冗談よ」

「そ、そそういう冗談はやめてよぉ、もう!」

「? 美穂、どうかしたのか?」

「い、いや! なんでもないよお父さん!」

今の会話をお父さんに聞かれていたらどうなっていたのだろう?
プロデューサーの身に何か起こるかもしれないので、黙っておく。

「さて、美穂。これを持って行きなさい」

「これは、通帳?」

緑色の郵便通帳とカード……、口座?

「ああ、今まで渡していなかったが、自分で管理していかないとな。無駄遣いはするんじゃないぞ?」

「あ、うん……」

真剣な目をするお父さん。一体いくら入っているのだろうかと、恐る恐る通帳の中身を確認する。

「え?」

私は思わず言葉を失う。そこに書かれていた数字は、100万円。こんなに軽いのに、目が飛び出るほどの価値があるなんて。

「お、お父さん! これ……」

「何かと入用だろう? 大学入学用に取っておいたのだが、事態が事態だからな」

「それでも! 100万円は多すぎるよ。受け取れないよ……」

うちも決して裕福とは言えない。家のローンもまだあるし、毎日毎日お母さんは家計簿に頭を捻らせている。
それなのに、100万円を私に託そうとしている。

「良いんだ、美穂。私たちは、お前に夢を叶えて貰いたい。娘が自分の夢を叶えることが、私たち親の夢なんだから。100万円ぐらい、投資してやるさ」

「お父さん……」

「それに、東京は物価が高いからな。言っておくが、無駄遣いするんじゃないぞ?」

「娘が親を心配しないの! なくしちゃダメよ?」

余裕もないはずなのに、お父さんとお母さんはそれを億尾にも出さずニッコリと笑う。

――ずるいよ、そんなの。受け取るしかないよ。

「ありがとう、お父さん。いつかきっと、返すから」

夢は1人で見るものじゃない。お父さんお母さん、友達、そしてプロデューサー。応援してくれる人がいて、初めて見ることが出来るんだ。

「ねぇ、お父さん。お母さん、お願いがあるんだけど……」

熊本最後の夜、私はお父さんとお母さんと川の字になって眠った。突然の提案に、2人とも恥ずかしそうにしていたけど布団に入ると幼い頃のように私の耳元で子守唄を歌ってってくれた。
こうやって甘えることが出来るのも、最後かもしれないんだ。恥ずかしがらずに、甘えちゃえ。

「私、頑張るから」

寝静まった2人を起こさないようにそっと呟いた。

「美穂ちゃん、向こうでも頑張ってね!」

朝も早いというのに、空港には友達たちが集まっていた。学校は大丈夫なの? と聞いてみたら、先生が『課外授業です』と言って笑っていた。

皆と違う道を進んでいくけど、それでも彼女達と過ごした時間はきっと忘れないだろう。
ううん、忘れたくない。

「えーと、クラス一同から、寄せ書きの贈呈です!」

可愛らしいクマさんの絵が描かれた色紙に、先生とクラスメイト1人1人のメッセージがギッシリと書かれていた。

――頑張れ! 負けるな!!
――向こうに行っても私たちのこと忘れないでね!
――絶対CD買います!
――実は好きでした!!
――しぶりんのサインもらってきてね!!

短いものから3行以上使った長いもの、中に大胆な告白にサインのおねだりも。色とりどりのペンで書かれたメッセージが、私の心を暖かなものにする。

「いい友達を持ったな、美穂」

「うん。お父さん、お母さん、みんな。今まで、ありがとうございました! 私、頑張ります!」

パチパチパチと拍手が起きる。でもここは空港なので、他のお客さんもたくさんいるわけで……。

「あのー、盛り上がっている所申し訳ないんですけど、そこに集まられたら他のお客さんが乗れないので、少し動いて頂けますか?」

「え? あっ、その……」

見ると両親とクラスメイト以外にも、全く知らない人たちが集まってきていた。えっと、やじ馬さん?

「しし、失礼します!」

恥ずかしくなって顔を隠すように、飛行機へと走る。パシャリって音がしたけど、もしかしたら写メられた?

「う、うぅ。最初からズッコケちゃったよ……」

座席に座ってため息を1つ。本当にこんな私でも、アイドルとして輝けるのかな、プロデューサー?

『俺の信じている君自身を信じて欲しい』

彼の言葉が頭の中で響く。そうだよね、自分自身を信じなきゃ何も始まらない。

轟々と鈍く響く音を立てて、飛行機は動き出す。窓の遠く向こうではみんなが手を振っている。
私は彼女たちに答えるように手を振り返す。

何度も何度も、見えなくなっても私は手を振り続けた。

「大丈夫、私は出来るんだ!」

バイバイ、みんな。私、トップアイドルになって見せます!

「えっと、ここで待っていればいいのかな?」

大きな鉄の塊に揺られること1時間半。私は東京羽田空港に着いていた。意外とすぐについてちょっとビックリだ。授業2時間分だもの。
これならいつでも熊本に帰ることが出来る。――お金が少々かかるけど。

手持無沙汰になった私は時計を確認する。プロデューサーが迎えに来るまでまだ時間がある。
少しだけ色々回ってみようかな。

「うわぁ、東京って凄いなぁ」

まるで早送りをしているかのように、人々は行き来する。この中に飛び込んで行ったらそのまま流されてしまいそうだ。

「キャッ!」

どんがらがっしゃーん! そんなことを考えながら歩いていたからかな。私は何もないのにつまずいてしまい、すってんとこけてしまう。

「いたた……、頭打っちゃった」

ヒリヒリとする額を抑える。たんこぶは出来ていなくて取り敢えず一安心。

「お客様、大丈夫でしょうか?」

立ち上がろうとすると、手を差し伸べられていることに気が付いた。

キャビンアテンダントの人かな、凄く綺麗な人だ。やっぱり都会の女の人って、みんな美人――。

「お客様?」

「あっ、はい! え、えっと、ごめんなさい! だ、大丈夫ですす!」

心配そうにこちらを覗き込むCAさんの顔があまりにも近かったものだから、不覚にもドキっとしてしまった。
も、勿論そ、そういう性癖はない……、はず……。

「そ、その! ありがとうございました」

「どういたしまして。失礼いたします」

軽く会釈するとCAさんは歩いていった。仕事の邪魔、しちゃったかな。

「でも今の人、本当に綺麗だったなぁ。私と大違い……」

青くスラッとした制服を着ているからか、歩いているだけでも凛々しく見える。それに比べて私は……はぁ、自信を無くしちゃいそうだ。

あの人もステージに立てばきっと素敵なアイドルになれるはず。プロデューサーさんもああいう人をスカウトすればいいのに。

「そんなことないさ。小日向さんには小日向さんの良さがある」

「へ?」

「やっ。待たせたね小日向さん」

「え? プロデューサー?」

私の名前を呼ぶ声に振り返ると、そこにはプロデューサーが。

「少し早く来ちゃってさ。ブラついていたら小日向さんが転んでいるのを見つけたんだ」

「み、見ました?」

「あー、うん。バッチリと」

バツの悪そうに私から目を逸らす。

「わ、忘れてくださぁい!」

「うわっ!」

ポカポカと彼の胸を叩く私。自分の顔を見ることは出来ないけど、きっと涙目になっているんだと思う。

「小日向さん、俺としては凄く嬉しいんだけど、人の目があると言うか……」

「へ?」

ああ、どうして私は自分から目立つようなマネをしてしまうんだろう。ちらほらと私たちを見て笑う声が聞こえてくる。
あっ、今誰か写メった!

嗚呼、今すぐに机の下にでも隠れたい。そう思っちゃった。

――

「えーと、プ、プロデューサー! 今からどちらに向かうんですか!?」

「まず一旦小日向さんの新居を案内しておかないとね。引っ越し作業は終わっているみたいだから、手荷物を置いて事務所に向かうかな。そこで色々とすることが有るんだ」

「す、すること、ですか?」

「そこまで怯える必要はないぞ?」

まず社長と事務員さんを紹介しなくちゃいけない。緊張しいな彼女だけど、この2人なら大丈夫だろう。

次に衣装合わせ。これは男の俺じゃなくて、事務員の千川ちひろさんが担当する。 流石に俺が着せ替えるわけにもいかない。

そして最後にあいさつ回り。昨日まで普通の女子高生だった彼女の知名度は当然0、お弁当についている緑色のギザギザしたアレことバランの方がまだ知名度が高い。
だからここでお世話になる皆様に小日向さんの顔と名前を売らなくちゃいけない。

作曲家の先生、レッスンを見てくださるトレーナー、宣材を撮ってくださるスタジオのスタッフ、その他沢山――。
すべきことは山積みだ。全部終わるころには、2人ともクタクタになっているだろう。
それでも翌日からの活動は待ってくれない。トップアイドルへの道のりは長く険しいのだ。

「うん。今日からバリバリ活動していくんだけど、その前に」

「な、なんでしょうか?」

この問題を解決しなくちゃいけないな。

「ねぇ、小日向さん」

「は、はい!」

「やっぱり、まだ慣れない?」

「え?」

俺の質問の意図をつかめなかったのか、キョトンとした顔を見せる。
その反応も可愛らしいと思えるのは彼女の才なのか、俺が入れ込み過ぎているからなのか。

「まっ、無理はないかな。良く知らないような男と2人っきりで車に乗っているんだし」

「あっ、そ、そうですね」

「うっ、そう素で返されたらくるものがあるな」

だけどまぁ仕方ないことかもしれない。

熊本から出たばかりの少女が右も左も分からない東京で、ほんの4日前に出会ったばかりの男と2人っきりのドライブ。
彼女じゃなくても身構えてしまうだろう。

それに彼女はアガリ症で緊張しいな所がある。個性といえば個性だけど、それが通用するほどこの世界は甘くない。
寧ろ強引に自分を売り込める子の方が大成するはずだ。そう言う意味では、小日向さんの性格はアイドルに向いていないのかもしれない。

だけど俺は、彼女をトップアイドルにすると誓ったんだ。
雪の上を歩くようにゆっくりでも良い、しっかりと一歩一歩進んでいかないといけない。

小日向さんが安心して活動できるように、俺は走り回らないと。

「そうだなぁ。目的地に着くまで結構時間があるし……それまでさ、互いのことをもっと知るってのはどうかな?」

「た、互いのことをもっと知る?」

「そっ。アイドルとプロデューサーってさ、いわば二人三脚で頑張って行かなくちゃいけない。そのためにも、俺は小日向さんのことを知りたいし俺のことを君に知って欲しい」
「どうかな? 勿論やましいことなんか聞かないよ? 好きな食べ物だったり好きなことだったり、他愛のないことをね」

よくよく考えると俺自身彼女のことをほとんど知らないのだ。先にFAXで届けられたプロフィールには目を通しているが、それ以上のことは知らない。
良くもまぁそんな状態でトップアイドルへと導いてやるなんて言えたものだ。
時間はあるんだ、これからたくさん知っていけばいいか。

「わ、分かりました! それじゃあ、えーと……」

難しい問題を解くように、少し真剣な表情を浮かべる小日向さん。そこまで深く考えなくていいのに。

「じゃあ俺から聞くね。小日向さんの好きな食べ物は?」

「え、えっと! 私の好きな食べ物は……」

「へぇ、そうなんだ。ちょっと意外だったかも」

「そ、そうですか? 友達にもよく言われるんです。それじゃあ私の番ですね」

「さっ、なんでも聞いてくれ!」

「好きな動物を教えてください!」

「動物? そうだな、昔犬を飼っていたっけか」

ラジオから流れる人気アイドルユニットのラジオをバックに、俺と小日向さんは会話のラリーを続けていた。

最初こそはぎこちなく恥ずかしそうに答えていた彼女も、俺と話すことに慣れてきたのか、少しずつスムーズに言葉を紡げるようになっていく。

好きな科目、好きな番組、好きな動物。決して特別なことなどしていないし、気の利いたことも言えない。
だけど俺たちは徐々に距離が近づいている。そう感じていた。

「そうなんですか。私はクマが好きなんです」

「クマが? これまた意外なのが飛んできたな。猫とかが好きだと思っていたけど」

日向ぼっこが大好きな猫は、彼女そっくりだ。みほにゃんか……。

『は、は、恥ずかしいけど頑張りますにゃん!』

どこかで誰かのアイディンティティーが崩壊した音が聞こえた気がするけど、まぁ方針としては有りかもしれない。

「猫も好きですけど、クマが一番です。赤ちゃんのクマってすっごく可愛いんですよ。ギューってしたいぐらいです!」

「そういや、その服もクマの絵が描かれてるね」

「はい。友達が誕生日にくれたんです」

幸せそうな表情で答える小日向さん。クマと聞くと、どうしても獰猛な動物の代表として出てしまうのだが、
それを口にするのも可哀想なので黙っておく。

「そうだな、いつかクマの赤ちゃんと共演できる日が来ればいいね」

「はい! わ、私、頑張りますね! あっ、これ見てください! クラスメイトの皆がくれたんですけど、この絵が可愛いんですよ」

「ははっ、今運転しているからまた後で見せてもらうよ」

「あっ、ごめんなさい……」

「何、気にしなくて良いよ。小日向さんも俺に慣れてきたって事だろうし」

「そ、そうですか? えへへ……」

手ごたえは十分に感じることが出来た。小日向さんも俺に対して、遠慮がなくなってきている。

そうこうしている内に、新居が近づいてきた。楽しい時間と言うものは、本当に早く過ぎていく。

「そろそろ着くから。最後に一つ。小日向さんの好きなことって何かな?」

「私の好きなこと、ですか?」

「そっ、好きなこと」

「私の好きなことは……、笑わないですか?」

伏し目がちに俺を見ると、小声で答える。何か変わった趣向でも持っているのだろうか。

「ん? 笑わないよ。言ってごらん」

「本当ですか? じゃ、じゃあ言いますよ。私、日向ぼっこが好きなんです」

「日向ぼっこ、か」

プロフィール表にも書かれていたっけか。あれだけ自体が違ったから、恐らく友達か誰かが書いたのだろう。

「はい。や、やっぱり、可笑しいですか? うぅ、変な趣味って思われちゃったかな……」

見る見るうちに顔が真っ赤になっていく。
そう言えば、彼女と初めて出会った日も、木漏れ日暖かなバス停で、無防備に寝ていたっけか。

あの寝顔に、俺はティンと来たんだ。

もしも彼女が日向ぼっこをしていなかったら、俺は他の誰かをプロデュースしていたのだろうか。
……そんなこと考えても仕方ないか。今俺が考えるべきことは、彼女をどうプロデュースするか。他の女性なんて、目に入るものか。

「変だとは思わないよ。日向ぼっこ、気持ちいいもんね」

「は、はい! 気持ちいいです! そ、その、暖かなお日様の中でのんびりすると、嫌なことも忘れられちゃうんです」
「あっ、わ、私のお勧めはやっぱりあのバス停ですね! 木の間から漏れる陽光が、眠りの世界へ優しく誘ってくれるんです。こ、今度プロデューサーもどうですか?」

「ッ、あはは!」

「ええ!? わ、笑わないって言ったのに! 酷いです!」

「ご、ごめんごめん……。小日向さんがここまで盛り上がるなんて思わなかったからさ。堪えるのは無理だったよ」

「も、もう! プ、プロデューサーなんか知りません!」

「あ、あはは……。ごめんなさい」

その後小日向さんが顔を真っ赤にして止めてくれるまで、俺はひたすら謝り続けた。
しかし小日向さんがここまで語ってくれるとは驚きだった。日向ぼっこ、恐るべし。

しかし日向ぼっこ、か。彼女のために仕事を取って……、ってそもそも日向ぼっこだけの番組って需要あるのか?

「申し訳ございませんでした!」

「あ、あの。わ、私そこまで怒ってないですし、ってそもそも怒ってなんかないです。なんか、ごめんなさい……」

担当アイドルに謝らせる新人プロデューサー。社長が見ていたら、減給ものだな。

――

「さぁ、着いたよ。ここが小日向さんの新しい家だよ」

「は、はい! す、素敵なおうちですね」

「おいおい。まだ中を見ていないだろ? 高校生のひとり暮らしってことで、あんまり豪華なところではないけどね。それでも過ごしやすいはずだよ」

プロデューサーから荷物を預かり、ドアの鍵を開ける。

「し、失礼します!」

「プッ……! 小日向さん、ここ君の家なんだから、失礼しますは違うよ」

「そ、それもそうですね! えっと、ただいま!」

他の人の部屋を見たことがないから比べるのもおかしな話だと思うけど、私の部屋は1人暮らしをするには広い方だと思った。
いや、まだ荷物を空けてないからそう見えるだけかな。部屋の隅には梱包された段ボールの山が1か所に纏められている。熊本から届けられたものだ。

「あっ、ここ。お日様が当たるんですね」

「そうだな。日当たりも良好、事務所や学校へもバスがあるから立地はいい方だと思うぞ」

ベランダに出ると暖かな陽だまり。洗濯物も良く乾きそうだ。ここにお布団を置いたら、気持ちよく眠れる自信がある。

少し遠くを見てみるとバス停に緑色のバスが止まっているのが見えた。残念ながら向こうにはベンチも屋根もないみたいだ。

「さてと、ここでゆっくりしていたいのも山々なんだけど、小日向さん。事務所に行こうか」

「あっ、はい!」

いつまでもベランダで暖まっているわけにもいかないみたい。名残惜しいけど、これからいつでも出来るんだから我慢しておく。

キャリーバックを置いて、貴重品とポーチだけを持って部屋を出る。えっと、忘れ物ないよね?

「じゃあ行こうか」

「はい。えっと、……行って来ます!」

返事を返してくれる人はもういない。それはとても寂しいことだけど、私たちは繋がっている。笑顔で私を見守ってくれている。

たとえどんな遠くに行っても、この絆だけは切れることは無いんだから。

「さぁ、ここが今日から君の所属する事務所、ダズリンプロだ」

ダズリンプロダクション――輝く事務所、って直訳したら変な感じだ。社長の頭が輝いているのかな? それとも……あの曲かな。

「あのー、社長さんと事務員さんってどのような方ですか?」

「あ、気になる? どちらも優しいくて良い人だよ、小日向さんの活動を、最大限サポートしてくれるよ」

そう言ってもらえて、一安心。もし893さんみたいな人が出てきたら、私は泣いて熊本へと逃げ帰っていたと思う。

「ふぅ、良し!」

緊張で心臓はバクバクと鳴っている。正直言うと、やっぱりまだ怖い。
だけど同時に、新たな出会いを楽しみにしている私もいる。まだ見ぬ2人に不安と期待を抱いて、事務所の扉を開けた。

「ただ今戻りました!」

「し、失礼します!」

事務所の中へ一歩踏み出す。靴1つ分ぐらいの小さな一歩だったけど、私にとっては月に降り立った一歩よりも大きな一歩だ。

「ほう、彼女が……」

「あら、プロデューサーさん。それに美穂ちゃんですね。ようこそダズリンプロダクションへ!」

「は、はい! こ、こ、小日向美穂です! き、今日からお世話になります! よろしくお願いいたします!」

なんと言ったかは覚えていない。その時私の頭の中は真っ白だったから。
嫌われないかな?
変な子と思われないかな?

色々心配していたけど、口に出すと消えてしまった。

「うむ、元気があっていい子だ! 君を信じて良かったよ、プロデューサー君」

「そうですね、社長。2人とも、もっとこっちに来ませんか? 今お飲み物入れますね。プロデューサーさんはコーヒーですよね? 美穂ちゃんはコーヒーと紅茶、どちらが良いですか?」

「えーっと、じゃあ紅茶でお願いします」

「分かりました! じゃあ美穂ちゃん、少し座って待っていてくださいね」

事務員さんは人懐っこい笑顔で私を座らせると、棚からティーセットを取出し慣れた手つきでお茶を煎れる。

「はい、どうぞ」

「すみません、わざわざ。いただきます」

「あ、ありがとうございます。えっと、いただきます」

プロデューサーさんがカップに口をつけるのを確認して、私も真似るようにカップを口に近づける。
ふんわりと甘い香りが鼻を通っていく。何の香りだろう。

「美味しい……」

私はお茶のことに詳しいわけじゃないけど、この紅茶が美味しいということだけは分かる。
お茶そのものの美味しさもあると思うけど、やっぱり煎れてくれる人の技量が高いのかな。私が今まで飲んだ紅茶の中で一番美味しい。

「ふふっ、ありがとうございますね」

事務員さんは相変わらずニコニコと笑っていて、それに釣られて私も頬が緩んでしまう。

良く見ると胸に手書きの名札が。えっと、ちひろ?

「あっ、自己紹介が遅れましたね。私、この事務所で事務員をしている千川ちひろです」

「そして私がこの事務所の社長の、――だ。分からないことが有れば、なんでも聞いてくれ」

ちひろさんと社長か。プロデューサーさんが言っていた通り、優しそうな人で良かった。

だけど1つ、ちょっとした疑問が。

「え、えっと、1つ聞いていいでしょうか?」

「うむ、何でも聞きなさい」

「私以外のアイドルさんって、いないんですか?」

もしかしたら今仕事中の先輩がいるかもしれないが、今この事務所には私を合わせて4人しかいないのだ。

事務所内を見渡してみると他にアイドルがいるような形跡はない。それどころか、本当に芸能事務所か尋ねたくなるぐらいだ。
思い返せばHPを見ても所属アイドルの欄は何処にもなかった――。いや、まさか……。

「もしかしてプロデューサーさん、説明してなっかったんですか?」

「うっ、そう言えば出来たばかりとしか言っていませんでしたね……」

ちひろさんの質問に、プロデューサーさんは苦い顔をする。えーと……嘘だよね?。

「す、すみません。こ、これってつまり……」

「君の考えている通りだよ。わが社の所属アイドルは」

その続きは聞きたくない!! 普段信仰しない神様に祈ってみる。
だけど、現実はなんと残酷なことか。社長の言葉は、私の一縷の望みを破壊してしまった。

「……小日向君、君一人だ」

「えっと、その……。大丈夫! 小日向さんならいけるって!」

「そ、そうですよ! ほら、美穂ちゃんだけだから、うちに来た仕事を独占出来るんですよ!!」

仕事独占かぁ。それはとても嬉しい話……。

「え、ええええええ!? わ、わひゃ!! わ私1人いい!?」

分かってはいたけど、お約束のように悲鳴を上げる。

お父さん、お母さん、クラスの皆。私のアイドルライフは、前途多難です……。

「その、すまん! ちゃんと説明していなくて……」

「い、良いんです! プ、プ、プロデューサーさんが悪いって訳じゃありませんし……、それに確認しなかった私も悪いんですから!」

「いや、これは俺が悪い!」

「そんな! 私が悪いです!」

1人では出来ないこと、みんなとならば出来ること。いつだったかそんな歌があったっけ。
だけど今私が置かれている状況は、まさに一人ぼっち。流石にこの展開は予想もしていなかった。

自分たち以外に人がいてもお構いなしに、私とプロデューサーは互いに謝罪の応酬を繰り広げる。
私が悪い、俺が悪い、新井が悪い。どちらも折れずに平行線。

「あー、2人とも良いかね?」

「「は、はい!」」

そんな私たちの不毛なやり取りを、社長さんが鶴の一声で終わらせる。
優しそうな人だと思ったけど、 やっぱり社長と言うだけあって貫禄が凄い。

「コホン。この事務所は新しく設立したばかりの事務所でね。言ってしまえば0からのスタートを切るということなんだ」

「わ、私が第一号ってこと、ですか!?」

「うむ、この事務所として最初に売り出すアイドルは、他でもない君だよ」

言ってしまえば、それは個人事務所と同じこと。この事務所も社長さんもちひろさんもプロデューサーも、私一人のためだけに動いてくれる。
それはなんと贅沢な話だろう。

「責任重大、と思っているのかね?」

「え?」

まるで私の心を覗いているかのような社長の言葉。こんな状況に立たされて責任を感じるななんて、無理な話だ。

「確かに、この事務所の存続は君にかかっているだろう。オブラートに包んで言ったところで、その事実は変わらない。だが」

社長は優しい目で私を見て続ける。

「彼が信じた子だ。大丈夫、君ならトップアイドルになれる。輝くステージで新たな時代を切り開くことが出来る。私も確信しているよ」

「で、でも私は……」

これはきっと最後のチャンスだ。ごめんなさい、そんなの無理です――。

どうしてだろう。そう言うことも出来たはずなのに、私は口にしたくなかった。
弱音を吐かないように、口を強く噤む。

「小日向さん、俺は君となら出来る。――そう信じている」

「プロデューサー……」

初めて出会った時から、そう自信満々に答えるプロデューサー。本当にどこからそんな自信が来るんだろう。

「私もそう思います。大丈夫ですよ、美穂ちゃん!」

「この事務所の歴史をさ、作って行かないか? シンデレラプロを大きくするんだ。そうすれば後輩たちも出来る」
「それに、アイドルはこの事務所だけじゃないさ。アイドル戦国時代の今、いくつもの事務所があるし色々なアイドルたちもいる。君と同世代の子から、小学生まで幅広くね。ライバルも仲間もいる、君は1人じゃないよ」

1人じゃない――。私には応援してくれる皆がいる。夢を託してくれた両親がいる。
そして何より、こんな私を信じてくれる人たちがいる。それだけで十分だ。

大丈夫、私は変われるはず。

「おっ、良い目をしているね。気合は十分ってところかな?」

私の変化を感じ取ったのか、社長も声を弾ませる。

「はい! わ、私ここで頑張ります! トップアイドルになります!!」

「良く言った! 目指せトップアイドル!」

「よろしくお願いします!!」

きっとうまくいく。どうしてかと聞かれても答えられないけど、なんとかなるんだ。
そう思えたのは、ちょっとした進歩なのかな。

「はぁ、疲れたぁ……」

あの後、ちひろさんの元衣装合わせをし、私を連れて今後お世話になる方々へのあいさつ回りに向かった。
ついさっきまでテレビ局やスタジオを回っており、家に着いたのは22時過ぎだ。
夜も遅く女子高生が1人で帰るには危険なため、プロデューサーに送って貰えたんだけど彼はというとこの後もまだ仕事があるみたいだ。

「アイドルって大変だなぁ……」

シャワーも浴びずにそのままベッドに吸い込まれていく。まだ本格的に活動が始まっていないのに、この疲労感。

その上明日からは学校もある。学業と仕事の両立については特に言われなかったけど、
それは言わなくても分かるよね? って事なんだろう。ますますプレッシャーがかかる。
アイドル活動のせいで学生の本分である勉学がおろそかになっちゃ、本末転倒だもんね。

「今日はお疲れ様でした。お仕事頑張ってください、と」

今もどこかで汗を流しているであろうプロデューサーにメールを送る。
絵文字もないようなシンプルなメールだけど、私の気持ちが伝わってくれたらうれしいな。

「シャワー、浴びなきゃ……。すぅ」

立ち上がろうとするも柔らかく暖かな布団の誘惑には勝てず、私はそのまま意識を失っていく。
こうして私の東京デビューは、あっちにこっちにドタバタしながらも幕を閉じた。

「って昨日シャワー浴びてないんだった!」

翌日。朝起きてすぐに昨日そのまま寝ていたことを思い出し、慌ててシャワーを浴びる。
勿論風邪をひかないように念入りに体を拭く。活動を初めていきなり体調を崩すようじゃダメだもんね。

「行って来ます!」

自炊をしなさいと口酸っぱく言われてもいきなりは無理でした。買いだめしていた菓子パンで朝ご飯を済まして私は新しい学校へと向かう。

今度はどんな出会いがあるのかな?  私の足取りからはウキウキが見て取れただろうな。

学校行きのバスに揺られていると、プロデューサーからの返信が来ていることに気付く。受信時刻は深夜2時。その頃は夢の中で黄色いクマさんと野球をしていた頃だ。
そんな遅い時間まで頑張っていたのかな?

『ありがとうな。小日向さんも大変だと思うけど、一緒に頑張ろうな』

「あっ、可愛いかも」

私のために選んでくれたのか、文末には可愛らしいクマさんの絵文字。それを見て私はホッコリする。

「えへへ」

携帯電話を見て頬を緩ませる女の子。周囲の人は、恋人からのメールを見ているとでも思うのかな。
そう言えば――、彼に恋人はいるのだろうか? プロデューサー、優しい人だしちょっと格好いいし……。居てもおかしくないかな。

「あっ、降ります!」

メールをずっと見ていたからか、バスが学校についていたことに気付かなかった。
気付いた時にはもう遅い。バスは次の停車駅へと向かっていく。

幸い次の停車駅が学校から歩いて2分程度の場所だったので、なんとか遅刻せずに済んだ。

「え、えっと! 小日向美穂です! そ、その! よろしくお願いします!」

新しいクラスは2年2組。季節はずれの転校生にクラスの皆は不思議なものを見るような目で見ていた。
私と言うと、やはり緊張と恥ずかしさに支配されてしまい碌な自己紹介が出来なかった。これでアイドルになるって言うんだから、少しばかり情けない。

そんな自己紹介だったから馴染めなかったらどうしようという私の心配とは裏腹に、転校生の宿命と言うべきか休み時間私はクラスの皆に取り囲まれた。

「ねえ小日向さんってアイドルなんでしょ?」

「え、ええ? ど、どうして知っているんですか!?」

「んっふっふー、都会の情報力舐めちゃあいけないよ? ってのは冗談で、昨日先生から聞いていたんだ。明日から転校生が来る、しかもその子はアイドルになるため上京してきた子だってね」

「そっ。だからみんな食い入るように見ていたんだよ。アイドルって言うからどんな可愛い子が来るんだろうって。学校中その話題で持ちきりだったんだ」

「しかしこの学校も凄いね。まさかアイドル2人目とは」

え? 2人目?

「わ、私のほかにもアイドルさんがいるんですか?」

「あっ、先生から聞いてない? 最近は忙しいみたいだから、あまり学校に来てないんだけどね。今日は来ているんじゃないかな」

「ど、どんな子ですか!?」

「隣のクラスなんだけどさ、多分小日向さんも知っている子だよ。こないだCDデビューも果たしたし。おっ、噂をすれば何とやらってね」

目くばせする方向には、ちょっと癖っ毛な茶髪をなびかせながら、駆け足で私の席に向かってくる女の子。
あれ? この子ってまさか……。

「あっ、この子が小日向さん?」

「は、はい。そうです……」

「? 私の顔に何かついている?」

「し、島村卯月……、ちゃん?」

「ピンポン♪ 新人アイドルの島村卯月です! と言っても、実は芸歴1年ぐらいあるから新人でもないんだけどね。私も名前が売れてきたって事かな?」

私の目の前にいるのは、学校指定の制服に身を包んだNG2の島村卯月ちゃん。彼女のことを知らないって人はそういないだろう。
テレビを見ていたら、どこかしらで必ず見るぐらい活躍しているんだから。

そんな凄い人が私と同じ学校、しかも隣のクラスだなんて。何と言う偶然か。驚きを隠せない私をよそに、長電話が趣味という彼女は続ける。

「話に聞いていたけど凄く可愛いなぁ。ねえ、美穂ちゃんって呼んでいいかな?」

「え、ええ?」

「美穂ちゃんは熊本から来たんだっけ? 私あんまり知らないんだけど、熊本ってどんなところ?」

「え、えっと……ば、馬刺しが美味しいです」

「馬刺し? うーん、お父さんは好きだけど私はあまり食べてことないかなぁ。今度分けて貰おうっと。他には他には?」

「そうだ! 熊本弁ってどんなのかな? ばってんとか?」

「え、あの……。その……」

ポンポンポンと言葉が紡がれていき、私は処理しきれなくなる。ああ、これが本物のアイドルと、ビギナーに毛が生えた程度の私との差なんだろう。

「うーづーき、落ち着きなさい」

「美穂ちゃん困ってるじゃん。卯月のペースではしゃぎすぎ」

「あっ、ゴメンね。同じ学校にアイドルの子が来るって言うもんだから、少し興奮しちゃって……。えへへ」

私の顔に困惑の表情が浮かんでいたのだろうか、島村さんはバツの悪そうな顔を浮かべる。

「もしかして、気に障っちゃった?」

「い、いえ! 大丈夫です、問題ありません! え、えっと熊本は、ラーメンもあります。熊本ラーメンは凄く美味しいです!」

折角話題を振ってもらったのに、英文をそのまま訳したような事しか言えない自分がそこにいた。
こういう時、歌うように言葉を紡げる人が羨ましくなる。

次振られた時に同じ踵を踏まないよう、熊本について勉強しておいた方がいいかも。よくよく考えると、今まで住んでいた町のことをほとんど知らないでいたんだ。
東京に来て初めて気付くなんて、少し皮肉な話だ

「熊本ラーメンかぁ。そういうのもあるんだ。今度学食のおばちゃんに作って貰おうかな」

「いくらあんたの注文でもそれは無理だっつ?の!」

「あだっ! 頭を叩くなんて酷いよー!」

涙目の島村さんを中心に、ドッと笑いが起きる。

「ホント酷いと思わない? 私一応アイドルだっていうのに、この仕打ち。芸人じゃないのにね。美穂ちゃんからも言ってあげてよ! もっと労わってあげてって!」

「え、えっと……、でも楽しそう、かな」

「そんなー! あだっ! だから叩かないでー! スリッパは勘弁!」

「ふ、ふふふ!」

目の前で繰り広げられるコントのような光景に、私も笑いがこぼれてしまう。

「美穂ちゃんも笑ってないで助けてよー!」

「あはは、ごめんなさい、可笑しくて……」

「はぁ、芸能人と言うのは辛いものです。でも、美穂ちゃんの笑顔が見られたからよしとしようかなっ!」

「え?」

島村さんは眩いばかりの笑顔を私に向ける。こんな素敵で楽しい笑顔が出来る人っていたんだ。

「美穂ちゃんさ、凄く良い笑顔をしていたよ? 疲れなんか吹き飛んじゃうような、癒し系って感じかな? アイドルになったばっかりで凄く不安かもしれないけど、その笑顔が有ればみんなを虜に出来ると思う! 私が保証するね!」

卯月ちゃんからお墨付きをもらう。自覚はなかったけど、私の笑顔は癒し系に見られるらしい。もし私の笑顔で誰かが元気になれたら、とても嬉しいな。

「それと私のこと、卯月って呼んで欲しいな。苗字だと服屋さんの名前みたいだし……」

「は、はい! えっと」

「ハイじゃなくてうん! 敬語とか使っちゃダメだよ?」

「でも、しま卯月ちゃんの方がデビュー早いから」

「そんなの、たかだか1年程度、カレンダー12枚めくっただけだよ。それに、私も同世代のアイドル友達欲しかったから! 今組んでいる2人って年下コンビだし、少し肩身が狭かったと言いますか……」

「凛ちゃんだっけ? 黒髪の子の方がアンタより数倍大人びてるけどね」

「もう! これでも頑張ってるの! だから、タメ口で良いよ。クラス隣なんだし」

「う、うん。分かった、卯月ちゃん」

「うんうん! これで私たちはもう友達だね! そうだ、アドレス交換しようよ」

「あっ、うん。ちょっと待って」

卯月ちゃんとアドレスを交換すると、私も私もと行列が出来ていた。途中でチャイムが鳴ってしまったため、
後ろの人まで回らなかったけど、この学校の皆も私を受け入れてくれた。卯月ちゃんと言う心強い仲間が出来た。

携帯電話のアドレス帳には、新しい名前がたくさん。まだ顔は憶えられていないけど、これから憶えて行かないと。

「そうだ、みんなにもメールしなきゃ」

不意に熊本の皆の顔が浮かんでくる。みんな元気しているかな? 
昨日別れたばかりなのに、もう数ヶ月会っていないかのような錯覚さえ感じていた。

「私は元気にやってるよ、っと」

新たなクラスの皆と卯月ちゃんと撮った写真を添付して、送信。

『卯月ちゃんじゃん! 今度帰ってきた時はサインお願いね!』

送ってすぐに返事が返ってくる。どんなに離れていても熊本の皆との思い出は色褪せないし、これからも紡いでいける。
でも今は、こっちの生活に慣れないと。

「うん、頑張ろう!」

東京での生活も、何とかなりそうだ。

とりあえず一旦切ります。小日向ちゃんの誕生日が近いということで全力で開き直ってリメイクしました。

16日までにある程度進めたいけど間に合うのか少し難しいですね。規制食らってPC→携帯→PCで投下しているので、投下するだけでも結構疲れました、寝ます。

最初の方は元のSSと大きく変わっていませんが、中盤から結構弄っています。以前の話には出てこなかったアイドルも出す予定です。
それでは失礼します

マジだ>>81のシンデレラプロはダズリンプロです、すみません。プロダクション名変え忘れとか変更漏れが他にもありそうで怖いです。
意外と元SS読んでいた人が多くて嬉しいです。リメイクするからには元よりも面白い話になればと思います

「へぇ、島村卯月が同じ学校だったんだな」

学校が終わると私はバスに乗って事務所へと向かった。今日の予定は、人生初のレッスンだ。
プロデューサーの車に乗ってレッスン場へ向かう。

「はい。凄く可愛い子で、笑顔が素敵なんです」

「あの笑顔は人気があるからなぁ。お、そろそろかな。小日向さん、テレビつけて御覧」

「? はい」

プロデューサーに言われるままテレビをつける。映し出された小さな液晶の中には、3人の女の子。

その中の1人は、ついさっきアドレス交換をした。

「う、卯月ちゃん!」

テレビに映る卯月ちゃんは、あの眩しい笑顔を見せてステージに立つ。彼女の後ろには、残りの2人が彼女を引き立てるように踊っている。黒髪のクールな渋谷凛ちゃん、子供っぽさが抜けきらない本田未央ちゃん。彼女たちは私よりも年下だが、芸歴は先輩だ。

「?♪」

「わぁ……」

テレビから流れてくる可愛らしい歌声、見惚れてしまうようなパフォーマンス。私は彼女たちに心を奪われてしまった。
これが本当に数か月前にデビューしたばかりの子たちなんだろうか?
彼女は本当に、クラスの皆に弄り倒されていた卯月ちゃんなんだろうか?

もしこれを生で見ていたのなら、溢れんばかりのパワーに圧倒されていたと思う。

「へぇ、島村卯月が同じ学校だったんだな」

学校が終わると私はバスに乗って事務所へと向かった。今日の予定は、人生初のレッスンだ。
プロデューサーの車に乗ってレッスン場へ向かう。

「はい。凄く可愛い子で、笑顔が素敵なんです」

「あの笑顔は人気があるからなぁ。お、そろそろかな。小日向さん、テレビつけて御覧」

「? はい」

プロデューサーに言われるままテレビをつける。映し出された小さな液晶の中には、3人の女の子。

その中の1人は、ついさっきアドレス交換をした。

「う、卯月ちゃん!」

テレビに映る卯月ちゃんは、あの眩しい笑顔を見せてステージに立つ。彼女の後ろには、残りの2人が彼女を引き立てるように踊っている。黒髪のクールな渋谷凛ちゃん、子供っぽさが抜けきらない本田未央ちゃん。彼女たちは私よりも年下だが、芸歴は先輩だ。

「~♪」

「わぁ……」

テレビから流れてくる可愛らしい歌声、見惚れてしまうようなパフォーマンス。私は彼女たちに心を奪われてしまった。
これが本当に数か月前にデビューしたばかりの子たちなんだろうか?
彼女は本当に、クラスの皆に弄り倒されていた卯月ちゃんなんだろうか?

もしこれを生で見ていたのなら、溢れんばかりのパワーに圧倒されていたと思う。

「どうだい、凄いよな。彼女たちも小日向さんと同じように、数か月前にデビューしたばかりなんだ」
「シンデレラガールズプロダクションの生んだ新時代を切り拓くアイドル、New Generation Girls。略してNG2。デビュー以来飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍している、正しくアイドル界の超新星だ」
「まだまだ完成度は荒削りだけど、3人の持つパワーがファンを魅了し続けている。今最も勢いのあるユニットだね」

「やっぱり卯月ちゃん、凄いんだ」

それに比べて私は、とネガティブな感情が生まれそうになる。私一人だけだったなら、きっと心が折れていたかもしれない。

でも――

「凄いさ。ここに立つまでどれだけ努力したか、想像もつかない」
「だけどさ、小日向さんも負けちゃいない。君には君の良さがある。だから、これから目いっぱいレッスンして、歌を出して、追い付いてやるんだ。いや、追い越してやろう!」

「は、はい!」

でも私は1人じゃない。卯月ちゃんに負けないぐらい、素敵な仲間がいるんだから。

「1つ彼女たちについて話しておくと、NG2は8部門制覇を狙っているんだ。トライエイト、なんて言ってたりするけどね」

「8部門制覇、ですか?」

8部門? トライエイト? 聞きなれない言葉にハテナマークが浮かぶ。

「アイドルアカデミー大賞とアイドルアルティメイトって知ってる?」

「は、はい! それは私でも知ってます。どう違うかはイマイチ知らないんですけど……」

アイドル駆け出しの私でも、名前ぐらいは知っている。とはいえ前回誰が受賞したかまでは知らないんだけど。

「簡単に説明すると、アイドルアカデミー大賞――IAは5つの部門賞と、大賞の6つが有るんだ。部門賞と言うけど、簡単に言うと地域ごとでの活躍を評価される、いわばローカル賞ってとこかな」
「大賞はそれと別に色々と条件が有るらしいけど、箝口令が出てるのか誰も詳しくは知らない。どちらにせよ、ノミネートされるための条件もCDの売り上げランキング20位以内など結構厳しいんだ」

「それじゃあアイドルアルティメイトはどんなイベントなんですか?」

「アイドルアルティメイト――IUもニュアンスとしては似ているけど、こっちは予選を勝ち進んでいくトーナメントみたいな感じかな」
「昔は世界一のアイドルを決める大会だなんて言われていて、予選や本選で敗退すれば、敗者の汚名だけが残って引退するアイドルも少なくなかったとか。最近はIAに押され気味だけど、こちらも由緒ある番組だ」

なるほど、そういう違いだったんだ。でも部門賞を合わせても、7つしかない。もう1つはどこに消えたんだろう?

「で、最後にこれは先の2つとはカラーも趣旨も違うんだけど……、いわば新人賞のようなもの。それら8つを8部門なんて呼んでいる。」

「新人賞ですか?」

「うん、と言ってもファーストホイッスルって番組に出場することなんだけどね」

聞いたことのない番組名だ。でも新人賞っていうぐらいなんだし、有名な番組には違いないはず。
私が知らないのは、熊本で放送していなかったということだろう。

「これは一部地域じゃ放送していなかったりするからな。熊本はどう? 俺高校出てすぐに東京に行ったから、どうだったか覚えてないんだよね」

「していなかった、と思います」

「あー、やっぱそうか。前身番組であるオールドホイッスルってのは全国放送だったけど、色々あったからなぁ。いやぁ……あの告白は子供ながらに驚いたな。あの人、今何をしているんだろ」

プロデューサーは昔を懐かしむように言う。流石にオールドホイッスルは知っている。
もしかしたら見ていたかもしれないけど、幼い頃の思い出なのではっきりと覚えていない。
だから彼の言う色々あったの色々が何のことだか分からず、少しもやもやとする。

「話を戻すと……NG2は欲張りにも全部狙おうとしているんだ。かつて伝説と呼ばれたアイドルもいたけど、彼女が活動していた時期はIUだけだったからね。8つとも制覇するとなると、それはもうこの世界に未来永劫名前が刻まれる。銅像が建つレベルだよ」

駅前に自分の銅像が立っている光景を想像すると可笑しくて仕方がない。デートの待ち合わせとかに使われるんだろうな。

「そして既に新人アイドルの登竜門、ファーストホイッスルを乗り越えている。残すは7つ、だな」

いつか彼女たちとも戦わなくちゃいけない日が来るのだろう。私は、本当に行けるのだろうか――。

「ううん、行ける! 私、負けません!」

「よし! その意気だ!」

何度だって言ってやる。私は1人じゃない。

レッスンスタジオに着いた私は、更衣室でジャージに着替えて、トレーナーさんである青木さんの指示に従って体を動かす。

「ワンツーワンツー!」

「はぁ、はぁ……」

「はい、そこまで!」

「ぜぇ、ぜぇ……」

「うーん、動きが悪いわけじゃなんだけど、体力が足りてないですね」

「そうですね。実際には歌いながらやっているわけですし、もっとハードですよね」

――分かってはいた。事務所の皆は優しくて、学校の皆も私を受け入れてくれて、アイドルの友達も出来た。
滑り出しこそは順風満帆に見えたけど、当然厳しいことも辛いこともあるって理解していた。

だけど心のどこかで、体育の延長だと甘い考えを抱いていたのかな。ダンスレッスンがここまで大変な物とは、思ってもいなかった。
きっとボーカルレッスンとビジュアルレッスンも同じぐらい、いや下手するとこれ以上に厳しいかもしれない。

「お疲れさん、はいエナドリ。あっ、一気飲みはするなよ? 却って疲れるからな」

「あ、ありがとうございますぅ……、ふぅ」

息も切れ切れな私に、プロデューサーはスポーツドリンクを渡す。言われた通り、キャップを空けて少しだけ飲む。
うん、美味しい。

「ふぅ、少しだけ回復しました」

「あんま無茶するなよ? と言っても、多少無茶をしてほしいというジレンマがあるんだけどな」

「そうですよね! ま、まだまだやれますよ!」

プロデューサーの言いたいことも分かる。無茶してでも頑張らないと、私は彼女たちと戦うことすら出来ないんだ。

「さてと……いきなりですがレッスンのプログラムを変えないといけませんね。小日向さんに今足りないものは……ズバリ体力」
「まぁ最初からダンスレッスンについてこられる子なんてそうそういないんですが……小日向さんの場合は特に顕著です。体育以外で体を動かしたことがほとんどないみたいなので、まずは体力づくりを中心にしていきましょう」

これまでしてきた運動らしい運動と言うと、家の周りを散歩するぐらいだ。
こんなことならもっと体育に積極的に参加しておくべきだったな、と少し後悔。

「ですので!」

「ですので?」

「?でのすで」

どう言う発音をしたんだろう、今。

「近くに公園があるんですけど、そこを1周。それから始めます。あっ、プロデューサーも走ってくださいね。茶化したバツです」

「お、俺も!?」

公園を走ってくる? そんなのでいいのかな? 私の頭の中では、子供たちが遊ぶような小さな公園を描いていた。
しかしそれは、思いっきり違っていて。

――

「お、おーい……。小日向さぁん、生きてるかぁ?」

「な、何でしょうかぁ、プロデューサー……、はぁ、はぁ」

公園は1周5km。20歳を超えた身には中々キツイものがあった。運動不足なのは小日向さんだけじゃなく俺もだ。
これは明日筋肉痛がやって来るんだろうな……。

途中歩きつつ、子供に追い抜かされつつもなんとか5kmを走り終えた俺たちは、まさに満身創痍と言う言葉がしっくりきた。
立つこともままならず、木の下で2人して寝ころんでいるのだった。

「そう言えば、終われば連絡くださいって言ってたな、あの人。えーと、トレーナーさんは青木さんだったな」
「あ、トレーナーさんですか。今、走り終えました。へ? これを毎日しなさい? そ、そんな殺生な! ちょ、切れてしまった……」

「い、今毎日って言いましたか?」

「そ、そうみたいです、はい。毎日30分、走りなさいと」

なんと言うことだろう。1日の1/48はジョギングに費やされることが決定してしまったのだった。30分あれば何ができる?
……パッと思いつかなかった、ジョギングをするしか無いようだ。

「が、頑張って体力をつけきゃあ!」

「小日向さん!?」

小日向さんは立ち上がろうとするも、まだ足に疲れが残っているのか、膝から崩れ落ちる。

「え、えへへ……。まだ足元がおぼつかない、のかな」

「大丈夫? 怪我してない!?」

「だ、大丈夫です。こんなに走ったのって、初めてですから。プロデューサー、も、もう少しだけこうやって寝ころんでいませんか?」

そう言って小日向さんはゆっくりと目を閉じる。日向ぼっこならぬ、夕日ぼっこってとこだろうか。
まだ紅く色づいていない葉が風に揺られて小日向さんの顔に落ちるも、彼女は気付いていない。
白い羽といい彼女のもとへと何かと落ちてくるな。

「そうだな。実を言うと俺も結構来ているんだ。だからゆっくり……」

「すぅ、んにゅう」

「していてね、小日向さん」

木々の合間から見え隠れする夕日に照らされて眠る彼女は、それはもう可愛くて可愛くて。
このまま時間が止まればいいのに、そうすればずっと寝顔を見ていられる。

「やっぱ俺、入れ込み過ぎかな……」

勿論担当するアイドルが世界一可愛いと信じていないと、この業界を歩いていけないだろう。
それでもだ。初めてのアイドルに入れ込み過ぎてやいないだろうか?

「距離感がうまく掴めないな」

遠からず近からず。プロデューサーとアイドルの距離は、男女の友達同士と同じと言うわけにもいかない。

「すぅ……」

俺の悩みをよそに、小日向さんは可愛らしい寝息を立てて夢の中。隣に寝転がると、俺まで眠ってしまいそうだ。

「そうもいかないんだけどさ」

俺たちに止まっている時間なんかない。だけど今は、こうやってゆっくりしていても誰も怒らないはず。

「プロデューサーさん、流石ですぅ……」

「どんな夢を見ているんだろ」

流石とまで言われる夢の中の俺はどんな奴なんだろう。出来ることなら、現実の俺よりもしっかりしていて欲しいものだ。
夢の中ぐらい、彼女に不自由をさせたくない。

「俺もしっかりしなきゃなぁ」

起きている彼女に認められるプロデューサーになる。当面の目標はそれにしておこう。

――

「はぁ、はぁ……」

「ふぅ、疲れた……。小日向さん大丈夫?」

「え、ええ。5分だけ休ましてください」

「そうだな、その後レッスン場へ向かうか」

「は、はい!」

初レッスンの日から2週間、私たちは1日たりとも休まず公園を走っていた。
走り始めた頃は1周した後にはもうヘトヘトで、次のレッスンに行くような体力は残っていなかったが、
徐々に体力がついてきたのか息が切れることも少なくなってきた。

むしろジョギングを楽しむ余裕が出来てきたと思う。暖かな日差しの中、風を切って走る。実に気持ちいい。

「ふぅ……、やっぱりここは落ち着くなぁ」

走り終わった後、芝生に寝転がる。心地よい疲れの中私は木漏れ日を体いっぱいに浴びていた。冬が少しずつ近づいてきてちょっと寒いけど、温まった体にはちょうど良いぐらいだ。

「光合成をしているみたいだ」

なんてプロデューサーは茶化すけど、成程あながち間違っていないかもしれない。
麗らかな光の中で、疲れを癒す私の姿は花のようにも見えるのだろう。出来るなら、可愛らしい花が良いな。

「さてと、時間だ。いつまでもゆっくりしたい気持ちは分かるけど、今日もレッスンを頑張ろう。特に今日のレッスンは、2週間学んだことをどれだけ活かせているかもチェックするテストでもあるからね」

「テスト、ですか」

「そっ。そろそろレッスンだけじゃ飽きて来ただろ?」

「い、いえ! そんなことないですよ」

とは言うものの、彼の言うように新しいステップへと踏み出したい、と考えている私がいるのも事実。
まだまだ早いと思うし、出過ぎた真似をと言われても仕方ないと自覚しているけど、それだけ活力が有り余っているんだ。
今の私は、結構ハイな気分だ。

「で今日のテストの結果では、CDデビューを早めることになる、そう考えておいてくれ」

「ええ!? シ、CDデビューですか?」

「ああ、突貫工事みたいに感じるかもしれないが、小日向さんは良くやってくれている。だからここらで、お茶の間に出てやろうってわけ」

いつか来るだろうと身構えていたCDデビュー。1か月先か2か月先か、はたまた1年後かと考えていたから、まさか所属して2週間でそんな大きな話がやってくるとは思ってもなかった。
やっぱり芸能界はスピードが違う。思い立ったが吉日、それ以降はすべて凶日。それがこの世界で生きていく秘訣なんだと思う。

「で、でも早くないですか?」

「まっ、そうかもしれないな。だけど実際には振り付けや歌詞を覚えて、何より発表の場を自分の手で掴まないといけないから、結構時間がかかるんだよな。新曲を発表して、ランキングに入るのが4週間後ってとこだな」

「自分の手で掴む、ですか?」

「ああ、社長からも説明はあったと思うけど、オーディションに参加して勝つことで、楽曲を披露する場を作ることが出来るんだ。ファンを増やすには、何よりも露出が一番だからね」

「オーディション……」

小学校の頃の学芸会であったっけ。恥ずかしがり屋な私はいつも、木の役Bだったり、村人Dだったり喋らない役ばっかり選んでいた。
だからこういうオーディションと言う物自体、人生初体験だ。

「今日のレッスンはそのオーディションの練習、と思ってくれればいいさ。ダンス、歌唱、ビジュアルを複合的に見る事になるな」

プロデューサーはさらに続ける。

「まぁ実際のところ、一口にオーディションって言っても色々あるんだけどね。バラエティ番組なら審査員との面接があるし、ドラマや映画の場合演技力が試されるんだけど」
「今俺たちが目指しているのは、新人アイドルの登竜門。音楽番組『ファーストホイッスル』だ」

ファーストホイッスル――。一度彼から聞かされたことがある、トライエイトの内の1つ。新人アイドルの登竜門、だったっけ。

「この番組でピックアップされたアイドルの多くは大きな成功を収めているんだ。君の友達の卯月ちゃんの所属するNG2もこの番組でデビューしたんだ」
「彼女達の今の活躍も、この番組で取り上げられたってのが大きいかな。とはいえ、当然競争倍率は激しい。初参加で合格できるほど甘いオーディションでもないのも事実。卯月ちゃん達だって何回か落ちているはずだ」

「そんな!」

信じられなかった。TVで見た彼女たちのパフォーマンスは、今の私がどうあがいても勝てるものじゃなかったのに、それでも落とされてしまうなんて。

「意外かい? でも彼女たちだって最初は素人に毛が生えた程度だったんだよ? ここでの挫折が彼女たちの糧になったんだろうな、ファーストホイッスルに出演するために彼女たちは合宿までしたって言うし」

今の彼女たちが有るのは、この番組のおかげと言っても過言じゃないのだろう。
挫折を味わっても、周りとの実力差を思い知らされても、逃げずに夢を見続けることが出来る子だけが、輝くステージに立つことを許されるんだ。
華やかな世界の裏は、いつも厳しく泥臭い。

「確かに、IAとIUが年に1回だけに対して、ファーストホイッスルは週単位だ。まぁ野球中継や他番組の特番との兼ね合いでだったりで放送されない日もあるけど、それでもチャンスは多い」
「これだけ聞くと簡単な話かもしれないけど、実際のところは相当ハードだ。1年間通して1度も合格できない人だってざらにいる」

週間放送の番組なんだ、1年間続ければ受かるんじゃないかと一瞬でも思ってしまった私は馬鹿だった。

どうやら現実はそんなに生易しいものじゃないらしい。

「まずはファーストホイッスルに出演すること。それが俺たちの第一の目標だよ」

「そんなに大変なオーディションなんですか……」

「ああ、詳しくは俺も把握し切れてないんだけど、そん所そこらのオーディションとは一線を画しているな。見学は自由だから、一度どんなものか見てこようとは思うけどね」

「そのオーディションの予行演習が」

「そっ、今日のテスト。オーディション内容は非常にシンプルなものだからね」
「アイドルの3要素、ダンス、歌唱、ビジュアル。それをトレーナーさんに見て貰って、OKサインを貰うことが合格条件だ」

確かトレーナーさんがそんなことを言っていた気がする。今の私をグラフにしたら、どうなるんだろう?

「足りないようなら、まだまだ基礎が出来てないってこと。CDデビューは遠くなるって考えておいて」

「分かりました。私、頑張ります!」

どんなオーディションか分からないし、何が待ち受けているかも想像がつかない。
だけど私達は挑まなくちゃいけないのだ。始まりの汽笛を鳴らし、その先の大海原へと旅立つためにも。

「ちょっと恥ずかしいかな……」

少しだけ気障な言い回しをしてみたけど、やっぱり私には合わないかな?

「よしっ、じゃあレッスン場に戻るか。何、いつも通りにやればいいさ。平常心平常心」

そう言って笑うプロデューサー。平常心、か――。
ダンスより歌唱力よりビジュアルよりも、私に一番足りないものだと思う。

「ううん、大丈夫!」

今日まで毎日頑張って来たんだから!

「エン、エ、エントリーナンバーい、1番! ダジュリンプロダクションのこ、ここ……小日向美穂でしゅ! よ、よろ、よろしく! おねっ、お、お、お願いします!!」

「小日向さん、肩の力抜いて、ね?」

「は、はいぃ!」

たった4人。目の前にいるのは、私もよく知っている人ばかりなのに、私が立っているのはレッスン場の木の床なのに、見られていると考えただけで、私はもう頭の中が真っ白になった。
心臓の鼓動は張り裂けそうなぐらいバクバクして、足はガクガクと震えている。まるで脅されているみたいだ。

「いつものレッスン通りにすれば大丈夫ですよ。だからほら、平常心です!」

ちひろさんにまで心配されてしまう。ああ、あがり症な自分が恨めしい。

「は、はい! へ、へい、へいじゅーど……」

うぅ、ダメだぁ……。いつも通りであろうとすればするほど、私の緊張は高まっていくだけだ。

「プロ、プロデューサー……」

情けない声を上げる私を、プロデューサーはじっと見据えている。そのまま時間が過ぎ去ってしまえばいいのに――。
そう思っていると、彼は柔らかい笑みを浮かべた。

「小日向さん、俺たちを審査員と思っちゃだめだよ。そうだな……、クマのぬいぐるみとでも思ってくれ」

「ク、クマのぬいぐるみ……?」

「そっ、なら少しは緊張がほぐれないかな」

みんなをクマのぬいぐるみと思う? 私は目を閉じて、4人の姿をクマのぬいぐるみに置き換えてみる。
えーっと、社長はちょっと太めのおじさんパンダかな。ちひろさんは可愛らしい女の子のクマで、トレーナーさんはなんとなく厳しい目をしたクマ。
プロデューサーは……、ちょっとだけ格好良いクマ。本当に、ちょっとだけ。

ゆっくりと目を開ける。そこには4匹のクマのぬいぐるみがいた。どうしてだろう、ほんの少しだけ、緊張は解れていった。

「大丈夫かな?」

「うん、行ける」

自分に言い聞かせるように、私は小さく呟く。一歩前に出て、クマデュ?サーに目で合図。

「よし、行くか! ポチッとな」

 ラジカセのスイッチが入り、ポップな曲が流れてくる。今日まで何度も聴いた曲だ。振り付けも、歌詞もちゃんと覚えている。アピールするタイミングもバッチリだ。そしてなによりも、

「キラキラ光る この気持ち 愛されること 愛すること」

私は今、こうやって歌って踊っていることを楽しんでいる。

「あなたと生きる すばらしい世界♪」

もしもこれが観客一杯のドームの中だったなら? 輝くサイリウム、割れんばかりの歓声。
それはとっても、気持ちが良いんだろうな。

「え、えーっと……。ど、どうでしょうか?」

曲が終わり、恐る恐る問いかける。気が付くとクマのぬいぐるみは、元の皆に戻っていた。

「そうですね……」

トレーナーさんは腕を組んで考えるそぶりを見せる。私たちは息をのんで続きの言葉を待った。

「合格点を上げてもよろしいかと」

「ええ!? 本当ですか!?」

「やったね、小日向さん! デビューができるよ!」

プロデューサーはまるで自分のことのように、大きなガッツポーズを見せる。社長とちひろさんも拍手をしてくれていた。何だか、照れちゃうな。

「小日向さん! ほらっ!」

「え?」

満面の笑顔のプロデューサーは右手を私に向ける。パー?

「チョ、チョキ?」

「いや、ハイタッチしようと思ったんだよね」

予想していたものと違う行動をとってしまったからか、プロデューサーは決まりの悪い表情で私の右手を見ている。

「へ? そ、そうですよね! な、何やってたんだろ私……」

「ははは、じゃあ気を取り直して……、ハイター」

「コホン、盛り上がっているところ悪いですけど、少しいいですか?」

「ーッチってあるぇ?」

空振り。なんとなく気まずく感じた。見るとプロデューサーも恥ずかしそうにしている。

トレーナーさんは私たちを見渡して口を開いた。

「確かに技術に関しては、曲を出しても良いレベルに達しつつあると思います。ですが、小日向さんの致命的な弱点はまだまだ克服出来そうにないですね」

「私の致命的な弱点、ですか?」

「みなさん十二分に理解していると思いますけど……彼女は極度のあがり症です。彼女の魅力の一つと言ってしまえば反論できませんが、それが通用するほどこの業界は甘くありません。寧ろネガティブな要因です」

厳しい口調を崩さずに続ける。確かにそうだ。いくら練習しても、私のこの性格だけはどうにもならなかった。

観客が自分と親しい間柄の人間ばかりでも、私は緊張してしまい、なかなか一歩を踏み出せなかったんだから。

「とりわけ今目指しているファーストホイッスルのオーディションは、大物Pを筆頭にそうそうたるメンバーが審査をします。ベテランの方でもこのオーディションだけは受けたくないと言うぐらいのものなんです。合格したアイドル達も2度と受けたくないと口を揃えて言うでしょう」
「小日向さんは今のままじゃ間違いなく、異質すぎる場の空気に飲み込まれてしまいます。この場の数十倍、いや百倍も緊張してしまうでしょう。折角高いポテンシャルを持っているのに、活かせないのは勿体ない。ですので」

「えっと、舞台度胸をつける必要があるってことですか?」

「イグザクトリー。オーディション自体は何回でも受けることが出来るとはいえ、経験不足のまま上げるわけにもいきません。ですのでレッスンの回数よりも、営業活動を中心に活動すればどうでしょうか?」

我が意を得たりといった顔で答える。つまりそれって、イベントに参加するって事かな?

「うむ、今のランクだとデパートの屋上でのイベントが関の山かもしれんが、ちょうど良い機会だ。小日向君も本番慣れすることが出来るし、君も今後行うだろうライブの進行を学ぶべきだ」

デパートの屋上と言われても、いまいちピンとこなかった。私の家の近くにあったデパートの屋上には、200円で動くシロクマの乗り物があったことぐらいしか覚えていない。
勿論他にも何かしら有ったはずだ。アイドルが活動していたかもしれない。だけど私には、揺れ動くシロクマの背中に乗っていた記憶しかなかった。

そもそも熊本まで来てデパートの屋上というのも奇特な話だと感じたけど、
名前を売るためにはあちらこちらと地道に活動していかなくちゃいけないのだろう。

まるで白鳥だ。水面を優雅に泳いでいるように見えても、その下で必死にバタ足している。
テレビに出て活躍している人たちも、涙なしでは語れない苦労話があるんだろうな

「厳しいことを言いましたが、逆に言えばファーストホイッスルを乗り越えることが出来れば、活動は軌道に乗ったともいえるでしょう。小日向さん、質問はありますか?」

「えっと、実は私あまり知らないんです。一応プロデューサーからこんな番組だっていうのは聞いているんですけど、熊本では放送していませんでしたし」

「そうですね。確か今日の夜、再放送があったはずです。どんな番組かはそれを見てもらうとして、オーディションについて説明しますね」

再放送か。覚えておこう。

トレーナーさんの話をまとめるとこうだ。

私たちが目指しているファーストホイッスルは、現状の音楽業界を憂う1人の大物プロデューサーによって企画された番組で、スポンサーも殆どつかずプロデューサーと数人の有志が私財を投げ打って放送している。
つまりスポンサーによる援助がない代わり、外部から一切の干渉を受けないと言うある意味聖域とも呼べる番組だ。

いくらなんでもそんな無茶な話を、と思ったけど例のプロデューサーに賛同した有志の方々の名前を聞いて納得した。
これだけのビックネームが後ろ盾にいるなら、何をやっても許されるはず。

そしてこの番組の最大の特徴は、出場者を毎回オーディションで決めているということ。プロデューサーが言うには普通番組に出演するには事務所の営業力が必要で、うちの様な弱小事務所はつけ入る隙がそうないらしい。
ゴリ押しと呼ばれるものは悪ではなく、事務所の必死なプロモーションの賜物だそうだ。

「さっきも言いましたが、この番組はスポンサーをほとんど取っていません。ゆえに、実力のないアイドルをゴリ押しするなんて真似はぜーったいに! 出来ないんです」

絶対に、と言う部分を強調する。よっぽど重要なことなんだろう。

「いくら大手の事務所でも、権力者たる彼らに楯突くことは業界から追放されることを意味していますからね」

成程、権力の正しい使い方ってこういうことを言うのだろうか。悪用されないことを微力ながら願っておく。

「え、えっと……。逆に言えば、参加者全員に平等にチャンスがあるということですよね?」

「その通りです。どんな無名事務所出身でも、彼らの目に留まることが出来れば、出演可能になります。過去の放送を見ても、決して珍しい事例ではありません」
「最近では、NG2の3人がそれに当たるでしょう。彼女たちが所属している事務所も、こことそこまで大きさが変わらないはずです」

「そうなんだ……」

そう言えば、私は卯月ちゃんたちのことを余り知らない。テレビに映っているところや、学校での頑張り屋な彼女を知っているけど、その笑顔の裏では大変な思いをして来たに違いない。
そんな素振り一切見せずに笑っている彼女を、心から尊敬する。

「まぐれやお情けで合格できない分、真に実力だけが評価されます。だからこそ、小日向さんにとっても大きな自信につながるはずです」
「それに他の番組も注目しています。ファーストホイッスルに出たということは、立派な履歴書になるんです」

トライエイトの1つと言うだけあって、やっぱり大きなオーディションのようだ。相当気合を入れないと、飲み込まれてしまいそうだ。

「うむ、そのためにも早速プロデュース方針を固めてくれたまえ」

「そうですね。営業中心にプロデュースしていきましょう。小日向さん、また忙しくなると思うけど、ついて来てくれるかな?」

「は、はい! えへへ」

これから挑もうとしている難関に対する不安はもちろんある。だけどそれよりも、私はCDデビューが決まったことが嬉しかった。
どんな曲が来るんだろう? 可愛い歌かな? きっと鏡を見ると、不思議とニヤついている私の顔があったんだろうな。

「嬉しそうだね、小日向さん」

「ふぇ? い、いやこれは……」

「あはは、喜んでいて良いんだよ? 俺も小日向さんのCDデビューが決まって嬉しいし。確かに課題は多いけど、これから潰していければいいさ」

「も、もう笑わないでくださいよー!」

私だけじゃない、ここにいるみんな嬉しいんだ。社長も表情は緩く、ちひろさんは普段の3割増しぐらいの笑顔で私を祝ってくれる。トレーナーさんも心なしか嬉しそうだ。

「はぁ、今日も疲れたなぁ」

今日のカリキュラムをすべて終わらせて、家に着いた私はそのままベッドへダイブする。ふかふかの布団が心地よく、そのまま眠ってしまいそうになるけど何とか体を起こしてお風呂に入る。

「ふぅ……」

少し熱いぐらいの湯船に入ると、疲れが流されていくような気がした。なんとなく、お婆ちゃんみたいなこと言ってるな私。

「ふふふーん♪」

喉の調子を整えるようにハミング。狭い浴室ではエコーがかかって、いつもより上手に歌えている気がする。飽くまで気がする、だけど。それでもモヤモヤと立ち込める湯気が幻想的なムードを出していて、私は気持ちよく歌えていた。
幸い隣に人はいないらしく、今のところ苦情は来ていない。だから誰にも聞かれてはいないはず。

「そう言えば、ファーストホイッスルの再放送をやっているって言ってたっけ。確認しておかなきゃ」

タオルで体を拭いているときに思い出し、ドライヤーで髪を乾かしてテレビをつける。

「あれ? 卯月ちゃん?」

なんという偶然だろう。今日の放送は、卯月ちゃんたちNG2の3人だった。シックなスーツを身に纏った大物プロデューサーに案内されてソファーに座る。
相手が相手だからか、どことなく動きがぎこちなく、3人とも緊張しているように見えた。

それもそうか。なんせ司会は番組を知らなかった私でも名前は知っているくらいの超大物だ。
若々しく見えるけど、それでも結構なお歳を召していたと思う。後でウィキペディアでも見てみよう。

「やっぱり凄いなぁ」

ここにやって来るまでのオーディションに4回も落ちたこと、強化合宿で海に行ったこと、これからの活動のこと。CMを挟んでレッスン中の様子が映されたり、学校での素の彼女たちが紹介される。

「あっ、私の教室だ」

卯月ちゃんの学生生活ということで、私の通っている学校が映っている。クラスの皆もカメラにこっそり映ろうとしているのが、なんだか微笑ましい。

『~♪』

番組の終わりは、3人による特別ステージ。オーディエンスは大いに沸き上がり、テレビ越しに見ている私も、そこに交じっているような気分になった。

「私も頑張らないと」

歌い終わった3人はやり切った顔をしていて、眩しいぐらいに輝いていた。エンディングテーマと共に次回ピックアップされるアイドルが映される。
えっと、この番組は8月の再放送……。

「本当に少し前だったんだ」

8月の私は、こんな世界に来るなんて毛ほども思っていなかった。大学に行ってどこかに就職して……、だ、誰か? と結婚して。言ってしまえば極々普通の生活がずっと続く、そう信じていたのに。

あの時委員会に代理で参加しなかったら?
あの時バスに間に合っていたら?
あの時寝過ごしてしまわなかったら?

『人間万事塞翁が馬』って、こういうことを言うのかな。ううん、たらればの話をしても仕方ないよね。それでも、こう思うのは許されるはず。

『人生は、チョコレートの箱みたいなもの。開けてみるまで中に何が入っているか分からない』

明日食べるチョコレートは甘いのか、苦いのか。分かっていたらワクワクなんてないよね。

一旦終わります。続きは夜にでも

「ふぅ、楽しかったなぁ」

夜空を駆ける飛行機の中、私は心地よい疲れに包まれながら、この2日間のことを思い返していた。

プロデューサーと両親が約束していた通り、私は熊本に一時帰省していた。
一時と言っても2日間だけで、東京に戻ったらまた忙しいアイドル活動が待ってい
る。送られてきたスケジュールを確認すると、予定は11月一杯に埋まっていた。

内容はデパートの上でのイベントや小さな商店のPRイベントなど、決して華やかとは言えない仕事ばかり。
それでも無名と言っていいような存在の私に与えられた数少ないチャンスだ。
しっかりとこなして自信につなげたい。

そして12月の頭には私たちの目標、ファーストホイッスルのオーディションが入っていた。

少し早くないですか? そうプロデューサーに尋ねると、どうやらトレーナーさんがやや強引に組み込んだそうだ。

プロデューサーとしても、結果がどうであれ現在の自分の力量を確認する意味でも参加すべきだと考えていたようで、私のオーディション初挑戦は、驚くほどすんなりと決まっていった。

『それまで営業とレッスン、休みは殆ど有りません。覚悟しておいてくださいね!』

とはトレーナーさんの談。あの時の彼女の笑顔は、どういうわけか恐怖しか感じなかった。
当分の間、帰ってすぐにベッドに飛び込む日々が続くんだろうな。お母さん、私はまだまだ自炊が出来そうにありません。

『帰ってきたら、これまで以上に忙しくなるが、オンとオフの切り分けは大切だ。節度を守った上で、存分に楽しんできなさい!』

熊本に帰る前、社長は私にそう言ってくれた。熊本から戻ってきたら、今度はいつ実家に帰ることが出来るか分からない。

だからやり残したことの無いように、私は休暇を楽しんだ。

両親と日帰りで温泉に行き、次の日友達と遊びに行ったファームランドでは、パラグライダーに初挑戦。
最初は怖かったけど、勇気を出して飛んでみれば気持ちの良いものだった。

クラスの皆や事務所の仲間にお土産も買ったし、当分帰らなくても大丈夫なぐらい満喫できたと思う。

「プロデューサーもいたら、もっと楽しかったのかな?」

よくよく考えたら、東京に来てから毎日のようにプロデューサーたちに会っていた。だから熊本への飛行機の中、隣に座る人が見知らぬおじさんだったのが、少しだけ新鮮に思えた。

いつも隣の運転席には彼が座っていたし、ランニングだって並走してくれていた。プロデューサーはどんな時も、当たり前のように私のそばにいてくれた。
そしてそれは、これからも。楽しいことも辛いことも、彼と一緒に経験していくのだろう。

「それじゃあまるで夫婦みたい」

なんとなくそんなことを思ってしまう。
夫婦か――。

『ただいまー』

『お、お帰りなさい! あ、あなた! お、おふ、お風呂にしますか? それとも御飯ですか? それとも……わ、わた、わわちゃし!?』

『それじゃあ小日向さんにしようかな』

『あーれー!』

「な、なんてことを想像しちゃっているんだろう私は……想像の中でも苗字呼びだし」

「お食事はいかがですか?」

「ひゃい!?」

1人恥ずかしさで悶絶していると、CAさんが声をかけてきた。そう言えば小腹がすいたかな。
お土産を食べるわけにもいかないし、何か軽い物を買おう。

「えっと、それじゃあ……。あっ、あなたは?」

「うん? ひょっとして、憶えてくれていた?」

「は、はい。凄く綺麗な人だなーって思ってましたから」

「ふふっ、ありがとうね」

「い、いえ……。それよりも私のことを憶えていた方がビックリです」

「こういう仕事だから人にたくさん会うんだけど、貴女みたいに可愛い子は嫌でも憶えちゃうわよ」

「か、可愛い……」

「ほら、そういう赤くなるところとか特にね」

CAさんは悪戯っぽい笑顔で私を茶化す。

「相馬さーん、チーフが呼んでいますよー!」

「あっ、今行くわー! ごめんなさいね、仕事中じゃなかったら貴女と喋っていたかったんだけど、チーフ怒ると怖いのよね。それじゃあ良いお旅を、Have a nice flight!」

相馬さんと呼ばれたCAさんはウインクを残して、去っていく。流石CAさんと言うべきか、立ち振る舞いから何から何まで、優雅な人だ。
それでいてどこか子供っぽくて。そのギャップがまた可愛らしい。

どうしてか分からないけど相馬さんとは仲良くなれそうな、そんな気がした。

「あっ、買うの忘れてた」

小腹はすいているけど、早足でギャレーに消えていく相馬さんを呼び止めるのも悪い気がしてそのまま目を瞑って軽い眠りにつく。
着陸したときにアナウンスがあるから、それを目覚ましにしよう。

「すぅ……」

軽くと言っておきながら結局他のお客さんが全員出た後、相馬さんに起こされたというのは恥ずかしいからヒミツにしておく。

とある日曜日、私とプロデューサーは渋谷区にある大型デパートヨコセヨに来ていた。
来ていた、と言っても買い物じゃなくて、屋上で行われるプチイベントに参加するためだ。

『大きなイベントじゃないけど、舞台度胸をつけるには本番をこなすことが1番だからな』

プロデューサーが言うように、今の私に足りないものは『余裕』だ。授業中先生に当てられただけで緊張しちゃうような私だけど、ずっと甘えたことを言っているわけにいかない。
どうすべきか答えは出ている。数をこなして慣れるしかない。スケジュール帳にはイベントの予定がぎっしりと詰まっていた。

昨日の夜もちゃんと練習したんだ、事務所の皆の前で歌えたんだし、きっと大丈夫――。

「え、えっと……、その! こ、小日向美穂です!? きょ、今日は土曜日ですね!?」

「なんで疑問形やねん。それと今日は日曜日」

なるほどSUNDAYでしたかぁ。ってそうじゃなくて!

「うぅ?、ごめんなさい」

「さぁ、もっかい!」

「は、はいぃ……」

結果から言うと、私の初舞台は散々なものだった。簡易ステージに立った私を待っていたのは、

「み、みみ……、皆しゃん初めましてぇ! こ、こ、こひ! 小日向、美穂です!」

「わぁ、姉ちゃんダレ?」

「ボクもステージに上っていい?」

「え、ええ!?」

彼らからしたら、風変わりな服を着た私の存在は珍しいものなんだろう。
足がガクガク震えている私を嘲笑うかのように、子供たちはステージに上がり込んできた。

「え、えっとあの……」

「こら! 降りなさい!」

「邪魔しちゃダメでしょ!」

「えー!?」

「やーいっ! 捕まえてみろよオニババアァああああ!!!」

「ぬぅぅぅわぁんですってええええ!!」

お母さんが必死で降ろそうとするも無邪気という免罪符の元、子供たちはステージの上を縦横無尽に駆け回る。

「プ、プロデューサー!?」

泣きそうな目でプロデューサーに助けを求める。

「小日向さん! ちょっと待ってて! 今行くから」

必死なSOSが伝わったのか、プロデューサーは子供たちを降ろすためステージに上るけど……。

「さぁ、降りようねー。お母さんが心配して……」

「やーなこったぁ!!」

「宇宙キターーーー!!」

「アーッ!」

「プロデューサー!?」

「いい加減下りなさーい!!」

まさに地獄絵図。子供たちは楽しみたいという欲望のまま暴れ、保護者の方は頭に角を生やして追いかける。

「あぁぁ……」

頼みの綱のプロデューサーも、お尻に強烈なロケットの一撃を食らったためか、患部を抑えて蹲っていた。

――グダグダ。その不名誉な4文字がこれほど似合う舞台も、そうないだろう。

その後なんとか子供たちを降ろすことに成功しステージは再開されるが、あんまりな出来事が起きすぎてしまい、
テンパりにテンパった私は練習の時に出来ていた動きが全くできず、無様にもステージでズッコケてしまう。

その結果、

「きゃっ!?」

「ちょ! こひな……たさん?」

「紫色だー!」

「やーいやーい! よっきゅーふまーん!!! かわいいかおしてえろいんだー!!」

「え? み、みみ見ないでええええ!」

カメラが有るなら放送事故。本年度のNG大賞を取れる自信が有った。 
もしもこのステージが有料だったならば、全額返金した上で迷惑料を払わなないといけない出来になっていただろう。

「いやぁ、大盛り上がりでしたね! アナタ方に依頼してよかったですよ!」

「あ、あはははは……、はぁ」

ただ幸いと言うべきか、お客さんたちはコントのような時間を大いに楽しんだらしく主催者からも苦情が入ることは無かった。
下着を見せてしまったのも、まぁ盛り上がったから良かったということにしておく。

どう考えても芸人思考なのが気にかかるが、そういうことにしておかないと本気で凹んでしまいそうだ。

「なぁ、小日向さん」

「な、なんでしょうか……」

「俺たち……アイドルとプロデューサーだよな?」

「そ、そうですね」

「お笑い芸人じゃない、よな……」

「「はぁ……」」

2人して情けない溜息が漏れてしまう。

「ねーねー。よっきゅーふまんのお姉ちゃん、何で溜息してるのー?」

「幸せ逃げちゃうんだぜ!」

誰のせいですか、誰の。流石に子供相手に言える訳もなく、ぐっと我慢する。また一つ大人の階段を上ったきがする。まだまだシンデレラじゃないんだけど……。

「……練習しよっか」

「……はい」

そんなこんなで私の初舞台は記録的大失敗に終わってしまった。

「こ、小日向美穂です! 今日はお集まりいただきありがたくございます!」

「ワンモアセッ!!」

不測の事態が起きすぎたとはいえ、初めから緊張していたのも事実だ。子供たちの暴走がなくても、緊張のあまりどこかでミスをしていただろうとプロデューサーは言う。
反省会がてら、私は舞台の撤収を待ってもらい挨拶の練習をしているというわけだ。

「お姉ちゃんがんばれー!」

物珍しさからか、観客たちは帰らずに私の練習を見守っている。

「小日向美穂です! 今日はよろしくお願いします! やった! 言えました!」

「良し! これだけやれば、もう緊張することもないだろう」

「よ、良かったです……」

気が付くと、本番の時以上に人が集まっていた。歌ってもないのに、観客席の皆は拍手の雨を降らせる。嬉しいような、情けないような。

ステージの撤収を手伝った後、私たちはデパートの中を目的もなく歩いた。
目についた美味しそうなものを食べたり、事務所の皆にお土産を買ったり、ゲームセンターで遊んだり。

はた目にはデートとして見られていたのかもしれない。でもその時は、気にもしてなかったんだけど。

『フルコンボだドン! もう一回遊べるドン!』

「す、すごいです!」

「結構このゲーム得意なんだよ。さてと、お次は何を……」

「あっ」

装飾のライトが眩しく点滅しているクレーンゲームに、私は目を奪われた。
筺の中に置かれているぬいぐるみ達の中にちょこんと、キュートなクマのぬいぐるみがあったから。

「可愛いですね、この子」

「クマのぬいぐるみか。小日向さん、欲しい?」

「え? で、でも取れないと思います」

「どうかな。やってみるね」

そう言ってプロデューサーは200円を入れると、慣れた手つきでクレーンを操作する。

「よし、狙い通り!」

「す、凄いです!」

アームはお目当てのぬいぐるみの上で止まると、そのまま掴んで元の場所に戻っていく。

「ああ!」

「ありゃっ」

もう少しで開口部だってところで、他のぬいぐるみに引っかかって落ちてしまった。

「くそー、もう少しだったんだけどなぁ。もういっちょ行くか」

プロデューサーは悔しそうに言うと、もう一度200円を入れようとする。

「あ、あの! わ、私がやってみてもいいですか!?」

プロデューサーがしている姿を見て、自分で取ってみたくなる。

「やってみる? それじゃあお金入れるね。やり方は大丈夫?」

「は、はい。何回かしたことありますし。で、でもアドバイスいただけたら嬉しいです」

「それじゃあ俺がそこっ! て言ったら止まってね」

何回かしたことが有るだけで、成功したことは一度もない。だけどプロデューサーもいるし上手くいくかな。

「そこっ」

「え、ええ?」

「あらま、行きすぎちゃったな」

プロデューサーの合図に上手く反応が出来ず、アームはぬいぐるみを大幅に通り過ぎて行き、戻って来ても開口部の上で虚しく開くだけだった。

「はぁ、やっぱりダメなのかな」

「もう一回やる?」

「あっ、はい。お願いします」

200円を入れて再挑戦。結局クマのぬいぐるみが私の手に渡ったのはプロデューサーが2回目の両替を終わらせた後だった。

「え、えっと……、その……無駄遣いさせちゃいましたよね?」

「気にしなくて良いよ。忙しいから特に使い道なんかなかったし、小日向さんも気に入ってるみたいだし、ファン1号からのプレゼントってことでどうかな?」

「は、はい! 大切にします!」

ギュッと抱きしめたぬいぐるみの柔らかな感触に、説明しようのない心地よさを感じた。
それはこの子がフワフワだからか、彼からの初めてのプレゼントだからか。

「そ、そうだ! あれ、一緒に撮りませんか?」

ゲームセンターと言えばこれもある。プリント倶楽部略してプリクラだ。

「プリクラ? ……こ、小日向さんと?」

「い、嫌ですか?」

「そうじゃないよ! で、でもなぁ……」

「何ですか?」

「あ、うん。何でもないよ! さて、どれにしようか。俺こういうの詳しくないからさ、小日向さんが選んでよ」

そうは言うもののプロデューサーはあまり乗り気じゃないようにも見えた。私と写るの嫌なのかな……。

「そうですね……、あっ、これとか可愛いですよ! なんでもアイドルとコラボしているとかで……」

「じゃあそれにしようか」

私とプロデューサーはプリクラ内に入る。中はあまり広くなく、否応なしにくっつかなくちゃいけない。

『……ポーズをとってください。私は今すぐにでも人生にポーズをかけたいです』

「えっと、どうしよう」

「ねぇ小日向さん」

『……3、魂取られますよ?』

「な、何でしょうか?」

「これ、完璧デートだよね……」

『……2、本当に良いんですか? 今なら間に合いますよ……私は手遅れですけど』

「ふぇ?」

「え? 気付いてなかった?」

『1、もう知りません……。すみません』

「えええええええ!?」

「のわっ!」

『はい、ちーずぅー……』

「きゃあっ!」

パシャリ!!

「あははは……よく撮れてるね」

「そ、そうですね!」

出来上がったプリクラには、恥ずかしそうに真っ赤な顔をした2人と、私に抱きつぶされるクマのぬいぐるみ。

色々あって恥ずかしい1日だったけど、楽しかったな。

――

デパートの上の悲劇から数週間、俺たちは順調に仕事をこなしていた。本当に順調かどうかはさておき、着実に小日向さん自身のスキルアップに繋がって来たと思う。

『こ、こひっ! ここ……小日向美穂です! よ、よろしくおにゃがいしましゅ!! うぅ……噛んじゃいまいた』

アガリっぱなしで最初は自己紹介も満足にできなかった彼女だけど、今ではステージやイベントを楽しめるぐらいには余裕が出来てきたんだ。彼女の成長を最初から見ている身からすると、とても嬉しいことだ。

親御さんに見せてみたら、どんなリアクションを取るだろう。親父さん興奮して失血死するんじゃないだろうか。

また学校生活も慣れて来たようで、移動中に度々学校での出来事を嬉しそうに話して来る。
特に多いのが、同じ学校の島村卯月ちゃんの話題。寝る前に電話をしていたりするようでアイドル仲間同士仲良くやっているみたいでなによりだ。

「いよいよ明日ですね」

「ええ、そうですね。あっ、ありがとうございます」

ちひろさんのコーヒーを飲みながら、カレンダーに大きく書かれた文を読み上げる。

「ファーストホイッスルオーディション……か」

ここまで来たんだなぁと少し感慨深くなる。それでもまだアイドル道の入口でしかないと言うのが驚きだ。
本当に本当に長い道のりを俺たちは歩いていかないといけないんだな。ううっ、武者震いしてきたぞ。

「やっぱり早いものですね。なんだかんだ言いながらも2ヶ月ですかね? 俺が社長に強引に連れてこられて、熊本で小日向さんに出会って、彼女をプロデュースすることになって」

「ふふっ、2人とも様になってきましたよ!」

「あはは、ありがとうございます。でも、ファーストホイッスルを乗り越えて初めて、胸を張っていけるんです。まぁ、色々とやり直せたらってことは有りますけど」

まさに光陰矢のごとし。1日1日を無意味に過ごしてきたわけじゃないけど、それでもあの時こうしていたら、
ちゃんとしていれば、と後悔は残る。なんというか、年寄り臭いな俺。

「たらればに縋っても仕方ないですよ! 前にしか道はないんです、だから後退の2文字はありません!」

ちひろさんは熱血教師のようなことを言う。こう見えて意外と熱い人なのだ、目に炎がめらめらと燃えている、そんなビジョンが見えた。

「大丈夫です、プロデューサーさんと美穂ちゃんなら、きっと上手くいきますよ!」

「そうなれば嬉しいですね」

「なりますよ。これまで頑張って来たんですから」

上手くいく、か。明日のオーディション、正直受かるなんて思っちゃいない。それはちひろさんだってそうだろう。だから上手くいく、とニュアンスをぼかしたんだ。

当然最初から諦めているわけじゃないし、記念受験だなんて言いたくない。
小日向さんには全力を出してもらわないと困るし、あの場の空気をしっかりとその身に覚えて欲しい。

明日のオーディションの参加目的は、現状把握の意味合いが一番強いのだ。未来の成功への一歩になると、俺たちは信じている。
例えどんな結末が待っていたとしても、乗り越えないといけないのだ。

「そういえば」

ちひろさんは不意に何か思い出したように尋ねる。この前借りた1000円のことだろうか?

「プロデューサーさんはオーディションを見学したんですよね? ……どんな感じでしたか?」

「先週の話ですね。トレーナーさんの言うようにベテランさんでも2度と受けたくない、とぼやくのも納得しましたよ。あの空気は尋常じゃない」

以前から決めていた通り参加申請のついでに、ファーストホイッスルのオーディションを見学しに行っていたのだ。
俺はその時の光景を忘れてはいない。いや、忘れることが出来ない。

――それほどまでに、強烈な印象を与えたんだ。

会場に入ると俺以外にも多数の芸能関係者が、用意された閲覧席に座っていた。気分はまるで審査員だ。

「確かにこれはキツイな」

関係者はアイドル事務所の人間だけじゃない。連日ワイドショーを盛り上げる芸能記者だっているし、おこぼれを貰いたい他の番組の制作スタッフも観客として並んで座っている。

舞台の上から見ると、壮観な光景だろう。加えて――。

「見学に来られた皆様、こんにちは。『ファーストホイッスル』プロデューサーの武田蒼一です。5分後より公開オーディションを始めますが、その際にいくつか注意点がございます。皆様良識ある大人ですので、間違いはないと思いますが……念のため説明しておきます」

審査委員長を務める大物プロデューサーと、彼の理想に共感する業界の大御所たち。彼らの手の届く距離でアイドルたちはパフォーマンスをしなければならない。
とてもじゃないが俺はあの場に立ちたいと思えなかった。間違いなく待ち時間中にリバースしてしまう。

武田氏による注意喚起が終わりアイドル達の確認に移る。
アイドル1人1人のパフォーマンスを、彼らはひたすら審査し続ける。かなり大変なことだろう。

3分という短い時間の中で、厳正な審査を行わなければならない上にそれが50人も続くのだ。
途中休憩を挟むにしても彼らの集中力は相当削られていくはず。それを殆ど毎週やっているんだから、恐れ入ってしまう。まさにプロって所だな。

楽曲は自由なので、同じ曲と踊りを見続けるなんてことが無いのがまだ救いだろうか。

「……俺が耐えられるかな」

誰にも聞かれないようにこっそりと呟く。と言うのも、来週のオーディションの参加者の順番を決める抽選会が、終わった後に行われるのだ。
一応途中退席も認められているが、小日向さんが相手にしていくアイドルたちのレベルを見極めるためにも、途中で抜けるわけにいかない。

ビデオ撮影でも出来れば後でゆっくりと見られたんだろうが、禁止されているため、自分の瞳で確認しなければ。

「まずは参加者の確認から。名前を呼ばれたら代表者が返事をしてください。それでは、エントリーナンバー1番、服部瞳子さん」

「はい」

武田氏は淡々とした口調で参加者の名前を読み上げている。この時点から審査は始まっているのだろう。
俺の位置からは見えないけど、審査員たちは返事をしたアイドルたちの顔をしっかりと見ているはずだ。
不慣れなのか返事の後に怯えたように震えるアイドルが数人いるのが、何よりの証拠だ。

「全員揃っていますね。それではこれより、審査を始めます。合格者の上限は決まっていません。皆様のパフォーマンスの完成度次第では全員出場と言うこともあります」
「当然逆もまた然り。私たちが求める水準に達していないと判断すれば、残念ですが皆様揃って落選という結果になります」

実にこの番組らしい言葉だ。一切の妥協を許さない方針を取っているため、世間様に見せられるレベルじゃなければ舞台に上げない。
放送スケジュールの都合が有ったとしても、出せないものは出せないのだ。

逆に言ってしまうと、全員が武田氏達の琴線にティンと来たなら全員出演の大盤振る舞い。
まあ未来永劫そんな珍事態はないだろうが、この番組ならある得ると思えてしまうのが怖いところだ。

どちらにせよ、スポンサー様のしがらみも何もなく全て自分たちの責任で運営しているファーストホイッスルだからこそ可能なのだろう。

「脅すようなことを言いましたが、私たちとしては皆様が未来の音楽業界を引っ張っていく存在だと信じています。気張らず、自分の出せる最高のパフォーマンスを私たちにお見せください」

気張らずなんて気楽に言われてもも、この場で自分を保つなんてそうそう出来るものじゃない。

アイドルたちの顔を見ると、初めてのオーディションなのか既に半泣きになっている子、リピーターだろうかさっさと始めてくれと言わんばかりに闘志を燃やす子と様々な表情が浮かんでいる。

彼女たち1人1人にここに至るまでの物語が有る。出来ることなら、誰もが主役になれたらいいのに。そうすれば、誰も傷つかない。
だけどそれは叶いっこない幻影。この業界がそんな優しい世界じゃないのは皆知っている。
血を吐くような努力をして来ても、夢のステージに上がることが出来るアイドルはほんの一握り。

小日向さんは、輝けるのだろうか――。

「それではオーディションを始めます。エントリーナンバー1番からよろしくお願いします」

「はい!」

武田氏の合図で、1番のアイドルが前に出る。えっと、確か服部さんだったかな?

何回か参加しているリピーターなのか、彼女の表情から緊張はほとんど感じない。寧ろ堂々としているぐらいだ。

「ふぅ、今日こそは行ける!」

「?」

どこからか、そんな声が聞こえた。彼女の関係者だろうか?

大人しそうな彼女からは想像のつかない情熱的なな音楽が流れだすと、服部さんはパフォーマンスを始める。
トップバッターと言うことでプレッシャーもあるかもしれないが、そんなものはどこ吹く風、彼女はキレのあるダンスで審査員にアピールをする。

これがファーストホイッスルのオーディションなのか――。

「ありがとうございました」

「はい、ありがとうございます。それではエントリーナンバー2、よろしくお願いします」

「ふぅ、認識が甘かったな……」

25人終わったところで、15分間の休憩が入る。自販機の暖かいコーヒーを飲みながら、俺はさっきのことを思い返していた。

新人ばかりが参加するオーディションだなんて、良く言ったものだ。
プレッシャーのあまり満足なパフォーマンスが出来なかった子もいたが、新人とは思えないようなクオリティを持つアイドルも少なくない。
この番組でなければ、当の昔に出演しているだろうに。

「言っても仕方ないか」

彼女たちは皆ファーストホイッスルのステージ行きの切符を求めているんだし。ここ以外なら、って考えることは野暮だな。

個人的に印象に残ったアイドルを挙げると、トップバッターの服部さん。

とにかく気迫が違った。こう言ってしまうのも失礼な気がするが、彼女のパフォーマンスからは鬼気迫るものを感じた。
執念に憑りつかれていると言ってしまえば良いのかな? 彼女の後に踊った子が少し可哀想になったぐらいだ。
もしそこに美穂がいたら……良い影響は受けないだろう。

「まさに戦場、だな」

この会場の中で、小日向さんは埋もれてしまわない様に、パフォーマンスを見せなければならない。きっと彼女のことだ、順番が後になればなるほど自信を失っていくだろう。

そればかりは運で決まってしまう。今日の俺の運勢は5位。微妙な運勢だが、是非とも若い番号が欲しいところだ。

「さてと、そろそろ戻るかな」

空になったカップをゴミ箱に投げ入れて会場へと戻る。後25人、きちんと見て帰らないと。

「さて、以上で全員のパフォーマンスが終わりました。結果発表は10分後、この場所で行いますので遅れないよう気を付けてください」

武田氏は簡単に挨拶をすると、審査員たちを率いて部屋を出て行く。これからの10分間は、彼女たちにとっては永遠に感じるのだろうか。

参加アイドルたちも緊張が解けたのか軒並みホッとした顔をしている。中にはその場にヘタレ込んでしまう子までいた。

「ふぅ、疲れるもんだな……」

見ているだけだった俺もクタクタだ。さて、これからどうしたものか――。

「おや?」

「プロデューサーさん、どうだったかしら?」

「そうですね……、今までで一番だったと思います」

「本当?」

「はい! だから今回こそは、上手くいきます」

「そう……なれば良いわね」

会場を出ると、何やら聞き覚えのある声が。

こっそりと聞き耳を立てるとエントリーナンバー1番の服部さんと、担当プロデューサーが会話していた。
どうやらさっきの声は彼女のプロデューサーのモノだったらしい。

「だから……、もう少し頑張ってみませんか?」

「……そう言ってくれるのは嬉しい。だけど、もう限界だと思うの」

「そんな! 僕のプロデュースが悪いのなら、もっといいプロデューサーを探します! 瞳子さんの魅力を引き出せるような人に引き継ぎます」

「ううん、そういうのじゃないの。ただ、夢を見続ける事に疲れちゃって。社長さんも言っていたでしょ? 1年で芽が出なければそれまでだって」
「この1年間、私たちはファーストホイッスルへの出場を賭けて頑張ってきた。どこの誰よりも、合格へと執念を燃やしてきた自信は有るわ」

「なら……」

「でも、それだけじゃダメだったのよ。おくりびと――私は何人ものアイドルを見送ってきたわ。肝心の自分は、一向に受からないのに」
「それにね。何時までアイドルの真似事しているんだ、って親に言われちゃったの。アンタもいい歳なんだから、身を固めなさいって」
「だから、今日と来週でおしまい。それがダメだったなら、私は夢を諦める。ごめんなさいね、折角私を選んでくれたのに、結果を出せなくて。行きましょう、そろそろ結果発表だし」

「……すみません」

浮かない顔をした服部さんたちは、近くにいた俺に気付かずに会場へと入っていく。

「……他人事じゃないよな」

1年で芽が出なければそれまで――。

厳しいことをと思うかもしれないが、この業界では半ば常識となっている文句だ。むしろ1年でも長い! と言う人だっているぐらいなんだ。
俺自身は短いと思っているけど、実際多くのアイドルたちは1年間で結果を出してきた。だからこそ、時間が足りない短いというのは甘えでしかない。

今テレビに出ているアイドルたちの多くは、熾烈な生存競争に勝ち残り、1年以内に結果を出してきている。
サイクルの速い業界と言われるのも、こういった裏事情があるのだろう。

確かに俺たちはまだ始まったばかりかも知れない。だけど、着々とタイムリミットは迫ってきていることを痛感させられる。

「俺も戻るか」

誰もが夢を見ることが出来るわけじゃない。見続けるのだって、辛いんだ。

悲しいけれど、それが芸能界。俺たちが駆け上ろうとしている茨の道だ。

「まだまだだよな。俺も」

ふぅと一息ついて、席に座る。少しして、審査員たちが会場に入ってきた。
どうやら審査結果が出たようだ。先ほどまで騒がしかった会場が静まり返る。

「大変長らくお待たせしました。それでは、今週放送のファーストホイッスル出演者を発表いたします」

バラエティ番組ならここでドラムロールが流れるんだろうな。もしくは貯めてCMに入るか。さぁどっちだ。

「……」

武田氏はアイドルたちの顔を一瞥してから、重々しい口を開いた。

「エントリーナンバー22番、エントリーナンバー39番。以上の2組が、今回のオーディション合格者です」

合格したアイドルは脇目も振らずに大声を出して喜んでいる。その一方で、悔しさに涙を流すアイドルたち。明と暗が一瞬にして別れてしまった。

「コホン。喜ぶのも構いませんが、それは後にしてと。さて、今回のオーディションはここ数回で最もレベルの高かったものだと感じました」
「皆様のレベルが上がっていくことは実に喜ばしいことですが、私たちの理想に近いアイドルと言うのはなかなか現れません。それは私たちにも責任があります」

武田氏の理想? とやらが合格の決め手なのだろうか。
随分主観的な気もするが、名だたる彼らが言うぐらいだから、きっと音楽業界にプラスとなる影響を与えることなんだろう。

「しかし幸運なことに、今回は2組私たちの理想とする音楽を紡いでくれるであろうアイドルが誕生しました。今回残念な結果となってしまった方も、是非ともまた挑戦してください。その時には私たちの理想の音楽を紡いでくれることを心より期待しております」

そう言い残して、武田氏たちは出て行く。それと入れ替わるように、局のスタッフが駆け足で入って来た。

「えー、これより来週のオーディションの抽選会を始めます! 参加申請をされた方は、5階会議室までお越しください!」

「5階か。エレベーターは込みそうだし、階段で行くか」

小日向さんと走っていたため、階段を上ってもしんどいと思わなくなった。エレベーターなんて、軟弱軟弱。

「うーん、今回もいなかったなぁ……来週に期待しなきゃ」

会場を出るとき、どこかからそんな声が聞こえてきた。不思議とだけど聴き覚えが有るような無いような。

「気のせいかな」

抽選会場にはオーディション会場で見た人もいれば、抽選会から参加する人もいるようだ。ざっと数えてみると72人。……なんだろう、少し悪意を感じる数値だ。

「……」

やはりと言うべきか、服部さんのプロデューサーも参加している。
彼らの話が本当ならば、次のオーディションは背水の陣と言うこと。今日以上に仕上げてくるに違いないだろうし、なによりあれだけ執着心を見せていた彼女だ。
後のアイドルたちにとって、大きなプレッシャーとなるに違いない。

だから彼らより前の数字が出ることを祈っておかないと。

「多くの参加希望頂きありがとうございます。参加申請の際にお渡しした番号札の順番で、クジを引くようお願いいたします」

そう言えばそんなのがあったっけ。確認すると、番号は40番。これまた中途半端に後ろの方だ。いい番号が残っていればいいが……。

「40番の方、クジをお引きください」

係員に誘導され、ガラガラの前に立つ。2、3周回すと、小さな玉がコロコロと出てくる。書かれている数字は……。

「7、72……」

「ダズリンプロさん、72番です」

この時ばかりは、本当に彼女に申し訳ないことをしたと思った。なんてくじ運の悪さだ。
自分以外の全員が終わった後で、パフォーマンスを行わないといけない。唯でさえ時間がかかって集中力が切れてしまうと言うのに、悪いことは立て続けに起こるもので。

「DeNAプロさん、71番です」

「うげっ、マジかよ」

泣きっ面に蜂、それも夏の凶暴なスズメバチ。不幸なことに直前の71番は……服部さんたちのプロダクションだった。

「え、えーと! 大丈夫ですよ! ほ、ほら! こういう順番性のオーディションって最初の人が基準になりますから、後の方が良いって言うじゃないですか。後だしジャンケンですよ、後だしジャンケン!」

俺の話を聞いていたちひろさんは、努めて明るく振る舞おうとしている。
難しいところだが、彼女の言う様にくじ引きと違って最初にするよりも後の方が有利なのかもしれない。

だが大トリとなると、プレッシャーが半端ない。1人3分、25人ぐらいで休憩を一回挟むとしても、だいたい3時間半も拘束されることになる。
今日だけでも結構疲れたのに、72人となると想像もしたくない。

「うむ、確かにハードなオーディションだ。前でも後でも、違うプレッシャーがかかるからね」

「社長!」

何時の間にやら社長が俺達の会話に参加していた。

「だが、この試練を乗り越えなければ彼女はアイドルとして輝くことは出来ない。ファーストホイッスルはゴールじゃない、通過点だということを忘れないで欲しい」

「はい。それは重々承知しています」

ゴールじゃなくて通過点か、全くだ。今一度意識を改めないと。

「こんにちは! 遅れてすみません。日直の仕事があって……」

「ああ、こんにちは。時間はまだ大丈夫だから、そこまで慌てなくてもいいよ」

そうこうしている内に、小日向さんもやって来た。今日の予定はレッスンだ。

ここの所イベント尽くしだったし、そろそろオーディションに向けての最終調整といかなければ。
トレーナーさんも気合が入っている。レッスンも実入りの良いものになるだろう。

「あ、あのプロデューサー?」

「ん?」

「どうしたんですか? 難しい顔をして」

「あっ、ちょっと考え事をね。心配させてごめんね」

危ない危ない、顔に出ていたようだ。

「えっと、今日もよろしくお願いしますね」

「ああ、頑張ろうな」

彼女の未来のためにも、頑張らないとな。

――

朝起きてご飯を食べて歯を磨く。川柳のリズムに合わせていつも通りの朝を過ごす。

『今日の天気は一日中晴れでしょう』

「晴れ、か」

いつも見ている朝のニュース番組。可愛らしいお天気お姉さんは晴れと予報した。何でも絶好の日向ぼっこ日和だとか。なんとなく幸先が良さそうだ。
そのまま公園に出かけて、日に当たりたかったけど残念なことに今日はそんな暇がない。

「そ、そろそろ……かな?」

着替えを済まし、荷物をまとめる。貴重品良し、ハンカチ良し衣装良し。

荷物の確認が終わったタイミングで、ピンポンとチャイムが鳴る。カメラを見ると、彼が手を振っている。

「あ、はい! 今行きます」

冷たいドアノブを回し、ドアを開けると私の半身のような彼。アイドル小日向美穂は、きっと彼がいてこそ成り立つんだろう。

「おはよう、小日向さん。準備できた?」

「お、おお! おはっ! おはようございます! だ、大丈夫ですっ!!」

大丈夫なんて言っているけど、私の心臓は既に爆破寸前。彼が迎えに来たことで余計大変なことになっている。

「そう? まだ時間はあるから、深呼吸して気持ちを落ち着かせておいてね」

「は、はひぃ!」

「落ち着いてから車に乗ろうか」

ひっひっふー、じゃなくて! スーハーと大きく深呼吸をして、舞い上がっている心を落ち着かせていく。まだまだ緊張は消えないけど、さっきよりかはマシかな。

「だ、大丈夫です」

「よし、それじゃあ行きますか!」

「はいっ! 行ってくるね!」

ベッドの上のクマくんに手を振り部屋を出る。いつもと同じようで違う一日。今日は初めてのオーディションだ。

車に揺られて数分。

「こ、ここがオーディションか、会場、で、ですか?」

「はは、入る前から緊張してどうするの」

「き、き、緊張するなって方が、む、無理です!」

プロデューサーは笑っているけど、私はとても笑えそうになかった。
なんせ私にとって、人生初めてのオーディションがこんな大きな舞台なんだ。
こんなことになるのなら、学芸会で積極的になればよかったのにな。
木の役Bに甘んじ続けてきた自分を今更になって恨む。

「まぁ適度な緊張は必要だよね。特に今回は72人の大トリを務めるんだ。するなってのも、無茶振りみたいなものか」

「うぅ……」

順番ばっかりはどうしようもないことだ。運が悪かったと受け入れるしかない。

『ごめん小日向さん! 俺のくじ運が悪いばっかりに、一番後になってしまった!』

『ええ!? え、えっと何人中、ですか?』

『……72』

『へ?』

『72人中、72番なんだ』

『えええええ!?』

あの時は流石に泣きそうになった。よりによって、私の様な新参者が最後とは。

「ま、まぁ……72って数字は芸能界じゃ縁起のいい数字って言われてるし? アイドルの神様は見てくれるよ、きっと」

「そ、そうですよね!」

ううん、ネガティブになっちゃダメだ。前だけを見て行かなくちゃ。
それに、最後なんだから、後の人のパフォーマンスを見てビクビクする必要もない。

「やるしかないんですよね」

「遅かれ早かれここに挑むつもりだったんだ。今の自分がどの程度通用するか、試してきて欲しい」

「はい!」

「よし、行くか!」

プロデューサーと拳を付き合わせ、会場へと入る。
オーディション自体は13時からだけど、集合は10時だ。

何でも参加者同士の交流の場でもあるとのことで、本番までの間、一緒に柔軟をしたり昼食をとったりして、
情報交換に努めて欲しいと言う主催者の配慮らしい。

そう言えば。恥ずかしながら私の同業者の友達は、卯月ちゃんしかいないのだ。
ここで同じ喜びや悩みを共有する仲間を見つけるのも、悪くないかもしれない。

「皆様、おはようございます。ハローホイッスル総合プロデューサーの、武田蒼一です」

10時になり、説明が始まる。

武田さんによると、今回のオーディション参加者は、欠席者0の72名。

前にプロデューサーが行ったときには50人だったらしいけど、今回のオーディションは、クリスマス時期の特番のオーディションらしく、
いつも以上に参加者が多いとのことだった。……少し感覚が麻痺していないかな? 50人も凄いと思うけど。

確かにクリスマスの特番なら視聴率も高いだろうし、世間から注目される可能性も高いだろう。
ただ望むなら、熊本県でも放送して欲しいかな――。

「オーディションの時間まで、まだ有ります。その間会場はお好きに使えますので、最終調整のほどよろしくお願いいたします」

そう言って、武田さんと大物の皆さんは会場を出て行く。名前だけでも凄いメンバーだと思っていたけど、実際に見てみると迫力が凄かった。

「えっと、どうしよう」

見ると周りのアイドルたちは柔軟を始めていた。短期間の間にグループがいくつか出来ていたみたいで、私は取り残されてしまう。
今更混ぜてって言いにくいし……。どうしよう……卯月ちゃんいたりしないよね?

「ねぇ、良かったら一緒に柔軟しない?」

「え?」

どうしようかと考えていると、後ろから声をかけられる。

「貴女、ここ始めてっぽいし。あの子たちは前回も組んでいたから、入りにくいわね」

透き通った綺麗な声だ。振り向くと、その声に負けず劣らず綺麗な女の人が。この人もアイドルなのかな?

「え、えっと……」

「自己紹介がまだだったわね。私の名前は服部瞳子。瞳の子で瞳子なの。貴女は?」

「こ、小日向美穂です! う、美しい穂波で美穂です! その、よろ、よろしくお願いいたします!」

「よろしくね、小日向さん。緊張しなくてもいいわよ、ほら深呼吸深呼吸」

「は、はい! スーハー、スーハー。ふぅ」

「落ち着いた? それじゃあ始めましょうか」

服部瞳子と名乗る彼女に対する第一印象は、どことなく憂いを身に帯びている、
失礼な言い方をすれば未亡人。そんな感じがしていた。

大人っぽいって言えばそれまでなんだけど、なんだろう? なんとなくだけど……彼女1人だけここにいる皆と何かが違う気がする。
上手く言えないけど、ほのかな違和感を覚えた。

「よいしょ、よいしょっ」

「あら、結構体柔らかいのね」

「そうですか? 褒められたの初めてかもしれないです」

そんな違和感も、一緒にストレッチを始めたころには忘れていた。
私のようなひよっこ相手に教え慣れているのか、瞳子さんのアドバイスはとても参考になった。

もちろんトレーナーさんやプロデューサーの指導を否定するわけじゃないけど、経験に基づく情報と言うものが、一番役に立つのだ。

卯月ちゃんも先輩と言えば先輩だけど、私と同世代なので余り先輩だという実感が沸かない。本人も教えるのは苦手と言っていたっけ。

だから先輩アイドルが出来たのも初めてのことだった。これまでクラブ活動に縁が無かった分、先輩と呼べる人自体初めてだ。

「それじゃあ次は私の方、やってくれるかしら」

交代。深く息を吐き続ける瞳子さんの背中を押すと、そのまま地面にくっつきそうなぐらいに曲がっていった。お酢を飲んでいるのだろうか。

「凄く柔らかいんですね」

「日々の練習の成果よ」

その後一緒に準備運動をして、昼食を取ることになった。

「ちょっと待ってて、プロデューサーを呼んでくるから」

「あっ、それなら私も!」

確か営業先から急なトラブルの電話があったって言っていたけど、もう終わっているかな。
とりあえずかけてみる。2回ほどのコール音で、プロデューサーは出てくれた。

「えっと、もしもし?」

『あっ、小日向さん。さっきは悪いね、1人にさせちゃって。こっちの用事も終わったから今から戻るよ』

「あっ、そうじゃないんです。お昼ご飯、一緒に食べませんか?」

『お昼? そうだな、お邪魔しようかな。どこで食べるの?』

「えっと、分からないです。誘われたんで」

『誘われた? ああ、アイドルにね。でもそれじゃあ俺はお邪魔じゃない?』

「誘ってくださった方も、プロデューサーを呼ぶって言ってましたし大丈夫だと思います」

むしろ全く知らない相手2人と食べるのは、まだ少し怖いから大歓迎だ。

『そう? まぁ情報交換の場にはちょうどいいか。今会場?』

「はい」

『分かった。すぐに向かいます』

プロデューサーが戻ってきたのと、瞳子さんがを担当プロデューサーを連れてきたのはほぼ同時刻だった。

「あれ? 彼ら?」

「はい。ってプロデューサー、知っているんですか?」

「い、いやそう言うのじゃないんだけどさ……」

「?」

「あー、気にしなくていいよ。嫌いな人だとか因縁があるとかそういうのじゃないから」

妙に歯切れの悪い答えが返ってきた。

どうやら前のオーディションの時に会ったことが有りそうな反応だけど、対する瞳子さんたちは初対面のようで、
プロデューサーに初めましてと挨拶をする。

「ダズリンプロと言いますと、僕たちの後ですね」

「ええ。どうもくじ運が悪く、最後になっちゃいましたね。デナプロさんのパフォーマンスを見ている暇もなさそうです」

「ははは。でも早いうちに終わっても、残りの人たちのパフォーマンスを見ることしか出来ないんですよね。死刑宣告を待つ囚人の気持ちを味わえますよ?」

「そ、それはご勘弁願いたいですね」

少しだけ大丈夫かなと危惧していたけど、プロデューサー同士で気が合うようで。
さっきの反応が気になるけど、今は触れなくても問題ないかな。

「それじゃあ行きましょうか。この辺で美味しいところ、案内してあげる」

瞳子さんに連れられて、私たちは小さな喫茶店へと足を運ぶ。

「あら、瞳子ちゃん。いらっしゃい」

「マスター、4人なんだけど、空いている?」

「大丈夫だよ。瞳子ちゃんたちなら、混んでても顔パス余裕だよ」

瞳子さんはマスターと顔馴染みらしく、日当たりのよい窓側の席に案内される。
窓から射す陽光は心地よく、お腹いっぱい食べたなら気持ちよく寝ることが出来るだろう。
と言うより、今の状態でも眠れそうだ。油断していると本当に夢の世界へとダイブしちゃいそうなので、寝るもんか! と強く自分に言い聞かせる。

尤もこれからのことを考えたら、ガッツリ食べるのはよろしくない。歌って踊るんだ、程々にしておこう。

「それじゃあ、このオムライスをください」

「あら、お目が高いわね。このオムライスは、マスターの一押しなのよ。ここに来るたび、私も頼んでるの。オムライス2つね」

同じメニューを選んだからか、瞳子さんは嬉しそうに説明する。

「それじゃあ僕は、カツカレーで。どうしますか?」

「じゃあ、俺も」

「了解しました。オムレツ2つ、カツカレー2つ入ります!」

若い従業員さんは注文を聞き終えると、軽やかな足取りで厨房に入っていく。

「あれって……」

店内を見渡していると、壁に掛けられていた写真に、瞳子さんとマスターが映っていることに気付いた。

「ああ、あれね。私ここでウェイトレスしてたのよ」

「そうだったんですか……」

写真の彼女は今の彼女と違って、明るい笑みを浮かべている。
従業員一同と未来のトップアイドルって書かれているから、お客さんが撮ったのかな。
写真を見ただけで、仲の良い雰囲気が伝わり、素敵な職場なんだなと感じた。

「大分から東京に来てここで働いていたんだけど、その時に彼にスカウトされたのよ」

お隣の県出身なんだ。なんだか意外だった。個人的に、北の方出身な感じがしていたから。
どうしてかと聞かれると、彼女の持つ憂いや寂しさと言うものが、何となく北っぽかったからだ。

うん、理由になってすらいない。

「はい。たまたまこの店でお昼を食べようとした時に、接客してくれたのが瞳子さんなんです。あの写真を撮ったのも、僕なんですよ」

「そうだったわね。彼ったら、注文を聞きに来た私の手を取って、いきなり『アイドルになりませんか!?』って言ったの。流石にあれは面食らったわよ」

「あ、あはは」

服部Pは照れ笑いを浮かべながら水を飲み干す。
やっぱりどのアイドルも、きっかけはいつやって来るのか分からないんだ。
その日瞳子さんがシフトに入っていなかったら、こうして彼と出会うこともなかったんだろう。

この世界に入って、つくづく縁と言うものの意外さを思い知らされるようになった。

一期一会――。いい言葉だ。

本来は茶道の言葉らしいけど、私がその言葉を知ったのはとある映画のタイトルから。
英語の授業でみたその作品の、主人公のどこまでもひたむきな生き様は、未だに私の心の中に残っている。

「お待たせしました、オムライスです」

オムライス2つは運ばれてくるもカレーはまだまだ時間がかかるみたいだ。

「えっと、いただいていいですか?」

「どうぞどうぞ。気にする必要なんてないさ」

「じゃ、じゃあ頂きます!」

スプーンを持ってふんわりとしたオムライスを口に入れる。

「美味しい……」

「言ったとおりでしょ?」

「はい! こんな美味しいオムライス、初めてです!」

お母さんの作ったオムライスも好きだけど、今回はこちらに軍配が上がった。
半熟卵の柔らかな食感がたまらなく口の中で蕩けるようだ。

もしこれをまかないとして出してくれるなら、アルバイトの面接を受けようかなと思えた。

「喜んでもらえて、何よりね。私もいただきます」

オムライスを半分ぐらい食べたところで、カツカレーもやって来る。
2人がこれを頼んだのは、縁起を担ぐ意図でもあったのだろうか。

「頂きます。うん、美味しい」

昼食会は和やかに進む。これからオーディションが待っているということを忘れそうになったぐらいだ。
順次ご馳走様を言っていき、最初に来たにもかかわらず、最後に食べ終わったのは私だった。
3人を待たせてしまったようで、申し訳ない。

「そろそろ会場に戻りましょうか。最終調整もしておきたいし」

「そうですね。すみませんね、お邪魔しちゃって」

「いえいえ、お気になさらず。それでは、オーディションお互い頑張りましょうね」

「はい! 瞳子さん、頑張りましょう!」

プロデューサーたちは気合十分だ。
私もただオーディションを受けて終わるだけじゃなくて、何かしら得て帰りたいと考えていた。

「行きましょうか、瞳子さん」

「……そうね、――で―わりにするのよ」

「え?」

今、何って言ったんだろ?

「ううん、何でもないの。頑張りましょうね」

「あ、はい」

会場へと戻る2人の背中を見送る。私たちも行かないと。

「……」

「プロデューサー?」

「あ、ああ。ゴメン。少し考え事をしてて」

やっぱりプロデューサーの様子もおかしい。何かを隠しているように見えた。鈍い私でも、それぐらいは分かる。

「俺達も戻ろう」

「はい」

だけど私には、彼に何を隠しているか聞く勇気は無かった。
今まで私に嘘なんか吐かなかった彼が、こう隠し事をするのは初めてのことだったから。

「……」

彼は嘘をつくのが苦手なのかもしれない。
気付いているのかな? 本人は沈黙を選んでいるつもりでも、その表情は雄弁で。
それが却って私と彼との間に、測り様のない距離を感じることになってしまった。

「天気、怪しくなってきた?」

空を仰ぐと、太陽は隠れて曇って来ている。どうやら予想は外れたのかもしれない。泣き出しそうな曇天が、なんとなく瞳子さんと重なってしまう。

『……そうね、――で―わりにするのよ」』

別れ際に見せた瞳子さんの思いつめた表情が、何か不吉な出来事を暗示しているかのように思えてしまった

「あれ? どこだっけ?」

オーディション会場に戻る前にお手洗いに行く。さっきも通った道なはずなのに、施設内が少し入り組んでいることもあってか見事に迷ってしまった。

「これじゃあ遅刻しちゃう……」

時計を見ると開始まで7分を切っている。5分前には椅子に座っておきたいけど、間に合うかな……。

「どうかしたかな?」

「えっ?」

プロデューサーに迎えに来てもらおうと携帯を開くと、後ろから声をかけられる。振り返るとそこにはスーツを着たメガネの青年が爽やかな笑顔で立っていた。

「いや、迷っているように見えてね。ここ、入り組んでいて迷っちゃうでしょ? 僕も昔来た時は迷子になったっけ。見た所オーディション参加者っぽいし、案内するよ?」

「い、良いんですか?」

「僕もそこに行く用事があるからね。急がないと武田さんに小言を言われちゃうよ?」

大物Pに小言を言われるなんて、そんなのは嫌だ!

「お、お願いします!」

「それじゃあ行こうか」

王子様のごとく現れた青年さんに連れられて、オーディション会場へと到着する。成程、あの道を間違えたのか。

「あ、あのっ! ありがとうございました!」

「どういたしまして。オーディション、頑張ってね」

そう言うと彼は観覧席へと戻っていく。隣には気の強そうな女性がおり何やら話している。アイドル……、というわけでもなさそうだ。

「何処行ってたのさ。探したんだぞ?」

「すみません、少し迷子になっていて……」

席に着いた私をプロデューサーは困り顔で待っていた。このまま来ないんじゃないかと思っていたのかな?

「確かにちょっと迷うけどね。ソロソロ始まるから、携帯の電源切っておきなよ?」

「はいっ。あっ、メール着てる。卯月ちゃん?」

携帯電話の電源を切ろうとすると、4件のメールが来ていたことに気付く。
携帯ショップから1通、どこから私のアドレスを知ったのか迷惑メールが2通。

そして最後に、私の親友卯月ちゃんから可愛くデコレートされたメール。

『美穂ちゃん今日ファーストホイッスルのオーディション受けるんだよね! 私からアドバイス出来ることはないけど、美穂ちゃんなら大丈夫だよ! 自分を信じてね!』

自分を信じて、か。そうだよね、みんなが信じる私を信じなくちゃ。

「小日向さん。前も言ったように、緊張するのならみんなクマにしちゃえばいいんだ。見ているのは人じゃない、ぬいぐるみだってね。んじゃ俺は席に戻るね、グッドラック!」

プロデューサーはそうアドバイスして、席へと戻る。向かい合う形になっているけど、距離は離れている。
その間に置かれた席に、審査員たちが座るみたいだ。

今までは傍に彼がいたけど、今日は遠いところから私を見守っている。

隣に座るのは仲良くなった瞳子さんだ。だけどオーディションが始まった時、彼女は超えるべきライバルとなる。

私は1人で、この戦いに挑まなくちゃいけないのだ。

「ふぅ……」

深く息を吐いて緊張を和らげる。心臓はまだバクバクしているけど、少しだけマシになった気がした。

だけどそれは、気がしただけで。

「みなさん集まっていますね。まずは参加者の確認から。名前を呼ばれたら代表者が返事をしてください。それでは、エントリーナンバー1番、多田李衣菜さん」

「はい!」

武田さんが淡々とした調子で、参加者の名前を挙げていく。
1、2、3……。それが私には時限爆弾のカウントダウンに聞こえて仕方なかった。

武田さんは怒っているわけじゃないと思うけど、私だけこう取り上げられると、余計緊張してしまう。

「……!」

遠くに座るプロデューサーも、少し困っているように笑っていた。
声を出せないので、そんな目をしないでくださいと目線で合図しておく。


「全員揃っていますね。それではこれより、審査を始めます」

武田さんは相も変わらず冷然と進める。
この調子で実は私、サイボーグでした。と言われても納得しちゃいそうだ。

「初めて参加された方に説明しますが、本オーディションは合格者の上限は決まっていません。皆様のパフォーマンスの出来如何によっては、全員合格も全員不合格とも有り得ます」
「ところで、特別番組枠と言うことで合格者上限が多いのでは? と考えた方もおられるかもしれませんが、私どもとしては妥協してステージに上げるということをしたくありません」
「残念ながらその様な特別措置はない。そうお考えください」

これはプロデューサーから聞いていたことだ。
ただ全員不合格はまだしも、全員合格、舞台に上げますよ。だなんてそんな極端な例は有り得ないと思うけど、
思いっきり番組を私物化している彼らならやりかねない気がする。

番組の私物化なんて言うと、ネガティブに感じるけど、彼らは彼らなりの信念でこの番組を作って来た。
私には計り知れない程の強い思いがこの番組に込められている。

情に絆されず、あらゆる誘惑にも負けず。自分たちが認めた高い水準を持つアイドルだけをステージに上げ続けることで、
ファーストホイッスルは芸能界最後の砦となっていったのだろう。

「……」

「え、えっとその……」

審査員の皆様は能面のように表情を一切変えない。不味いを質問しちゃったのだろうか?

「この番組の有るべき姿は、いわばそれは私たちの理想と言うことになります。私たちは常にそれが伝わるよう、番組を作っていましたが……どうやら努力が足りなかったようですね。それに関しては、私たちの責任です」

顔は眉1つ動いていないけど、少しだけ残念そうに答えた。

「そ、そういう意味では……」

居心地が悪くなって、すぐに訂正する。タケダさん達が悪いんじゃない。
地元じゃ映っていなかったからと研究を怠った私が悪いのだから。

「いえ。事実オーディションに参加された方の中にも、なんとなく参加されているという人も少なくないでしょう」
「それを否定するつもりはありませんが、折角参加して下さるのでしたら少しでも私たちの理想に共感して下さればと思います」
「ファーストホイッスルの理想はずばり、音楽の原点回帰です」

「音楽の原点回帰、ですか」

抽象的な返答に少しだけ困惑するも、なんとなく意味は伝わった。

「はい。かつて私たちは、音楽業界の現状に疑問と憂いを抱き、ファーストホイッスルの前身ともいえる番組を作りました」
「オールドホイッスル、聞いたことが有りますでしょうか? 今の若い方には馴染みが薄いかも知れませんが、そこで私たちは極上の音楽を目指していました」

オールドホイッスル――。記憶が曖昧だけど、見たことあるはず。ファーストホイッスルよりも格式が高く、武田さんが認めた歌手やアイドルのみが出演できたステージ。

そして今、名と形式を変えてファーストホイッスルへと変わっている。それでもきっと、彼らの理想は受け継がれていくのだろう。

「老若男女誰からも愛され、口遊めるような音楽。そこには国境も思想も関係ありません。素晴らしい音楽だけが、心に届くのです」
「しかし私たちの努力叶わず、オールドホイッスルは終了しました。後ろ盾となっていた方の失脚もあり、局としても数字の取れない番組をいつまでも残していくわけにもいかなかったのでしょう」

武田さんはさらに続ける。

「ですが、私たちの理想に共感した若い力が台頭してき、名前を変えて再び始めることが出来ました」
「ファーストホイッスルは、その若い力を中心にピックアップしていっています。これからの音楽業界を牽引する存在を、私たちは求めているのです」
「拝金主義に溺れず、ただ純粋に素晴らしい音楽を届けること。それが私たちの使命であるとともに、皆様に求めていることでもあります」

10年20年、もしかしたら100年以上愛されるような音楽を、彼らは目指している。
そしてその歌を紡ぐに値する存在か、このオーディションで見極めているのだ。
――私にその資格は、あるのかな。

「簡単にですが、ご理解いただけましたでしょうか?」

「は、はい。ありがとうございます。あ、あのっ!」

「ん?」

「な、なら……。熊本でも放送、して欲しぃ……ハッ!?」

い、いきなり何を言ってるの私!? 熊本じゃ映ってませんから、って言い訳しているようなものだよ!?

「かなぁ、と思ったり思わなかったり……。す、すみませぇん! 差し出がましい真似をして!」

「……いえ、そうですね。いくら理想をこの場で語ったところで、テレビを見ていない人には伝わりませんからね。少し局と掛け合ってみるとしましょう、貴重なご意見ありがとうございます」

武田さんは立ち上がり礼をする。私もそれに釣られて起立礼。……今の私、凄く目立っているよね?

「他に質問はございますでしょうか?」

やっぱりみんな手をあげない。武田さんもそれ以上追及することは無く、先に進める。

もしかすると私、目をつけられたのかな……。

「ないようですね。それでは早速始めましょう。エントリーナンバー1番の方、お願いいたします」

「はい」

ロックな音楽が会場に響き1番の彼女はパフォーマンスを始める。それがこの戦いの始まりを告げるファンファーレ。

オーディションは始まった、もうどこにも逃げることは出来ない。

「ふぅ……」

「おっ、いたいた。小日向さん!」

「プロデューサー」

2度目の休憩中、自販機の前でプロデューサーと再会。
長時間拘束されているためか、彼の顔にも明らかな疲労が見えていた。
それは私も同じことだろう。

「ふぅ、慣れないもんだなぁ。前回ならさっきの子で終わってたのに、後1時間チョイあるもんなぁ。小日向さん、体は固くなってない?」

「あっ、大丈夫です。さっき少し体を動かしていましたから」

「そうか、なら大丈夫だな」

プロデューサーは自販機でコーヒーを買うと、私の隣に腰掛ける。いつもぐらいの距離で、少しだけ安心。

「プロデューサーから見て、どの子のパフォーマンスが良かったとかありますか?」

「俺から見て? そうだな……」

コーヒーを美味しそうに飲んでいる彼に聞いてみる。
私からしたら緊張しっぱなしだったため、みんな凄いなと言う小学生並みの感想しか出なかったけど、
プロデューサーと言う目線から見たら、違って見えるのかもしれない。

「俺が審査員なら目をかけるのは、トップバッターのロック娘とか、後42番の子かな」

難しそうな問題を考えるように腕を組んで答える。

「特に最初の子は、小日向さんと同様今回がファーストホイッスル初挑戦と言うことらしいけど、本番慣れしている印象があったかな」
「ロック調の曲で、自分の個性をアピールしていたし。粗削りだけど、今後出てくるだろうな」

彼女の堂々としたアピールは、とても初挑戦とは思えなかった。
場の空気に潰されることなく、自分のカラーを出し続けるのは、とても難しいことだ。それを彼女は、難なくやってのけたのだ。

それに、トップバッターであれだけ出来ると言うのも、相当なものだと思う。

「で、42番の子はなぁ……」

「あ、あの子ですよね……?」

眉を八の字にして困った表情を見せる彼。それも仕方ないだろう。
いくら緊張して周りが見えなかった私ですら、彼女のパフォーマンスとキャラクターは鮮烈に残っているぐらいだ。

「なんと言っても存在感が他の子と桁違いだ。その上、あれだけのパフォーマンスを見せるとは、単なる色物って訳じゃなさそうかな」

42番、名前は確か諸星きらりと言ういかにも芸名みたいな名前だっけ。
今参加者の誰よりも背が高く口を開けば独特の喋り方で、どこか可笑しなテンション。
プロデューサーは色物だなんて失礼すぎる表現をしたけど、その言葉が一番しっくりと来たから始末に負えない。

ただ流石というべきか、武田さんを始めとした審査員たちは顔色一つ変えることなく粛粛と進行した。
……彼女がファーストホイッスルに出たら、放送事故になるんじゃないかな。

しかしパフォーマンスは、色物という嫌な評価を覆す出来だった。

「あのキャラで完成度が高いってのがまたなぁ……。まさに怪物、って表現がよく似合う」

ダンスや歌の完成度は言うまでもない。
加えてアピールのタイミングや、右に倣えを強要されそうな場の空気をものともしない鋼の様な強心臓は私も見習いたいぐらいだ。

「しかも話によると、彼女のプロデューサーは、以前この番組でデビューした双葉杏の担当だと聞くし……。色物育成に定評があるのかね?」

同じプロデューサーが担当している双葉杏と言う人がどんな人かまでは分からないけど、
この番組でデビューしたぐらいなんだから、凄く意識の高い人なんだと思う。

「飽くまで新米プロデューサーの一意見だから、参考になるかは微妙だよ? それに、他人を気にしても意味がない」
「俺たちがすべきことは、自分の最良をやり切るんだ。誰かに影響されるんじゃない、絶対に折れない自分の芯を持ってね」

コーヒーを飲み終えた彼は立ち上がって背伸びをする。
私もそれに倣って、隣で背を伸ばす。うん、気持ち良い。

「俺のマネ?」

「はい、マネっ子です」

「まっ、こうでもしなくちゃ寝ちゃいそうだしな。さてと、行きますかね」

「はい」

「休憩終了3分前です! そろそろ会場にお戻りくださーい!」

係員さんが休憩の終わりを知らせる。私の番まで後1時間と少し。
それまでの間に、逸る気持ちを抑えないと。

「あれ?」

会場に入る前、どこか浮かない顔をしている瞳子さんのプロデューサーを見つける。
何か有ったのかな?

「小日向さん、調子はどう?」

「え、えっと……、バッチリかどうか分からないですけど、少し落ち着いたかなと思います」

「それなら安心ね。さぁ、あと少しがんばりましょう」

椅子に座ると隣の瞳子さんが声をかけてくる。さっきのことを聞こうかと思ったけど、
あまり触れて欲しくないことかもしれないので、そっとしておく。
それが原因で、瞳子さんにプレッシャーを与えちゃうのは本意じゃない。

「それでは、オーディションを再開します。エントリーナンバー51番の方、よろしくお願い致します」

「はいっ!!!!!!」

51、52、53……。3分刻みで、出番と言う爆弾は私へと近づいていく。60番頃から私は、他人のパフォーマンスが気にならなくなっていた。

落ち着いてきたかと言われそうだけどそうじゃない、それどころじゃない。他人のパフォーマンスを見ている余裕なんてなかっただけだ。
それでも時間は進んでいく。ただ淡々と静かにカウントは続き、70番のアイドルも終了する。残り2人、私と瞳子さんだ。

次は瞳子さんの番だ。心の中で、こっそり彼女に頑張れとエールを送る。

「エントリーナンバー71番、服部瞳子です」

彼女に合っているゆったりとした曲が流れてくると、瞳子さんは私たちの目の前で舞い踊る。
その姿を見る人は、彼女を何と形容するだろうか?

顔こそは見えないものの、私には瞳子さんが何かに憑りつかれているようにしか見えなかった。

それは私だけじゃなかったと思う。この場にいる全員が、彼女のパフォーマンスに、
どうしようもないまでの『執念』を感じていた。

彼女に対して覚えた違和感は、こういうことだったのか。

武田さんは飽くまで表情を崩さず、瞳子さんを見続ける。私があの席にいたなら、きっと泣きそうになっているだろう。

「……ッ!」

瞳子さんのプロデューサーが、苦虫を潰したかのような顔で彼女を見ている。彼も瞳子さんに伝えたい言葉があるはずだ。
だけどそれは、届かない。

「……ありがとうございました」

「瞳子、さん」

「……」

曲が終わり、瞳子さんは一礼すると席に戻る。私の隣に座った彼女の顔を、私はちゃんと見ることが出来なかった。

怖かったから?
優しくしてくれた瞳子さんのそんな顔を見たくなかったから?

怖い。踊るのが歌うのが怖い。そう思ったのは、始めてだった。
どうしてこんなに体が震えるんだろう――。

「次が最後ですね、エントリーナンバー72番。お願いいたします」

「は、はい! こ、小日向美穂です! よろしく、お願いいたします!」

――目を瞑る。聴衆を全てクマにしよう。
――目を開ける。そこには真剣な表情の審査員と、厳かな空間。
200を超える数の瞳は、前から後ろから私を見つめていた。

そして場の空気に合わないような明るい曲が流れて来て、私は歌を紡ぐ。
今まで何度も歌ってきた曲なのに、お気に入りの曲なのに。まるで始めて歌うかのような感覚に陥って。

――その後のことは良く覚えていない。

「きゃっ」

「――!」

ただ気が付いた時には、止まらない音楽の中鈍い音だけが響いて、驚くプロデューサーの顔が遠くに見えた。

私の天と地は、逆転していた。

「……」

「あー、うん。小日向さん、ちょっとちょっと」

「……何でしょうか?」

審査結果を待つ間、プロデューサーが心配そうに私のもとへとやって来た。

「その、何が有ったんだい?」

「何って……」

「確かに緊張はしたと思う。あれだけの人の前で歌い踊るのなんて、初めての経験だったから。今までそのような機会を用意出来なかった俺たちが悪いんだけど、今日のパフォーマンスは……」
「正直言って最悪だった。いつもの君なら、もっと出来ていたはずなのに」

いつもは失敗しても、小日向さんなら出来る、大丈夫! と笑顔で励ましてくれた彼が、
悔しそうに唇を噛みしめている。

初めてのことだった。彼がここまで悲しそうな顔をしたのは。

「怖かったんです」

「怖かった?」

「はい。瞳子さんのパフォーマンスを見て、私は自分を失ってしまいました。言い訳に聞こえますよね? 人のせいにするなんて、私最低ですよね」

自分の技術不足が悪いのに。飲み込まれてしまった自分が悪いのに。
優しかった彼女に責任を押し付けてしまった。本当に最悪だ。

だけどプロデューサーはそれを責めることなく、あたかも自分が悪かったかのように頭を下げた。

「すまない、小日向さん」

「え? どうして、プロデューサーが頭を下げるんですか?」

「こうなることぐらい、分かっていたのに……!」

この時の唇を強く噛みしめる彼の表情を、私は一生忘れることは出来ないだろう。
それぐらい、辛そうに見えたのだ。今まで私にそんな素振り、一切見せなかったのに――。

「審査結果発表が始まりますので、出演者の方は会場にお戻りください!」

意味深なことを口走ったものの、最後まで聞くことは出来なかった。
プロデューサーはどうしてか瞳子さんたちを見た時に、担当アイドルに先輩が出来て喜んだというわけでなく、
しまったと言いたげに複雑な表情を浮かべていた。

プロデューサー。一体貴方達の間に、何があったんですか?

「全員帰って来たね。それでは、審査結果を発表します。今回のオーディション、合格したユニットは……、42番、64番、69番の3組です」

「にょわー! 合格したにぃ!」

「いだだだ! 骨が折れる!! てか色々折れた! 杏、引退しまーす!!」

合格したアイドルだろうか、あっちこっちから嬉しい悲鳴が上がる。
42番は記憶に残っているけど、64番と69番は私自身がそれ所じゃなかったのであまり憶えていない。
当たり前だけど、私の名前は呼ばれなかった。
武田さんの前であんな偉そうなことを言っておいて、72人の中で一番出来の悪いパフォーマンスを見せてしまったんだから。

名指しで侮辱されても仕方ない。私以外合格、私だけ不合格でも納得しただろう。

「さて、今回のオーディションは72人といつもより大人数で行ったため、皆様に残る疲労も相当なものだと思います」
「学校の先生のようなことを言いますが、家に帰るまでがオーディションです。下手に寄り道せず、予定のない方はゆっくりと休んで明日からの活動を頑張ってください」
「それでは、これにてオーディションを終了致します」

武田さんはそう締めくくって、会場を出て行く。
それに倣って、アイドルたちもぞろぞろと立ち上がって、帰る用意を始める。

「あら、貴女は帰らないの?」

「瞳子さん……」

隣に座る瞳子さんも、荷物をまとめて出ようとしていた。
彼女の顔は、つきものが落ちたような、そんな穏やかな顔だ。
数十分前の彼女と同一人物とは思えないぐらい。

「すみません。少しだけ、お話しませんか?」

「私と? プロデューサーを待たせているんじゃないの?」

「大丈夫です。少し遅れるって連絡しますから」

「そうね……、風に当たりましょうか。この部屋は熱気で熱いし、ちょっとぐらい寒いぐらいがちょうど良いわね」

「分かりました」

荷物を持って、瞳子さんについていく。
会場の近くのベンチで2人隣り合って座る。空を見上げると、今にも崩れそうな天気。

やっぱり予報は大外れだった。

「まずは、お疲れ様。初めてのオーディション、どうだった?」

「え、えっと……。何も……考えられませんでした。変な話かもしれませんけど、私じゃない誰かが私を操っている。そんな感覚でした」

「変でもないわよ。私も似たようなものだったし。ちょうど今年の1月かしらね? この場所で、私も初めてのオーディションに挑んだの」

瞳子さんは懐かしそうに笑うと、今にも泣きだしそうな曇天を仰ぐ。

「私も彼も右も左も分からないペーペーだった。だからでしょうね、新人アイドル対象なんて謳い文句の地獄の1丁目、ファーストホイッスルにいきなり挑戦しちゃったのよ」

「ッ! そ、そうだったんですか……」

地獄の1丁目だなんて仰々しい例えがなんか面白くて噴き出しそうになってしまう。
うん、あながち間違ってないよね。
その先に2丁目の3丁目もあるのだろうか。……まだこのオーディションは入口に過ぎないことを痛感させられる。

「結果はボロボロ。踊っている途中で靴ひもほどけてこけそうになるし、歌詞を間違えるし。本当に、最悪だったわ」
「その時から、私たちはこのオーディションに合格することに必死になった」
「毎回のように参加して、営業や他番組のオーディションで経験を積んで、あのステージに立ってやるんだってね」
「いつしかそれが、私の夢になっていたの。屈辱を晴らしてやるだなんて、他の皆からしたら小さな夢かもしれないけど、それでも私にとってはアイドルとしての行動理念になっていた」

遠い目をして在りし日を思い返すかのように、服部さん。私はただ、黙って聞くことだけしかできなかった。

夢――。それは誰にでもあるものだ。
みんなが笑顔になれる、日向のようなアイドル。私の夢も他人からしたらちっぽけだなと言われてしまうかもしれない。

だけど夢の大きさは、他人に測れるものじゃない。私たちが見ている限り終わらない。
そう信じていたかったのに。

「……でもね、疲れちゃったのよ。夢を見続けることに、縛られることにね」

「え?」

「私ね……今日のオーディションがダメだったなら、アイドルを引退するつもりだったの」

彼女の言葉は、刃のように鋭くて残酷で。

「そんな!」

驚く私をよそに、自嘲するように彼女は話し続ける。

「アイドルの期限は1年間。その間に結果が出なければ、そこまでの存在なの。もちろん私たちは頑張って来たわ。自分達は輝ける、特別なんだって。でも、無理だった」
「彼も喫茶店の皆もいつでも応援してくれた。頑張ってください、瞳子さんなら出来ます! 根拠なんてどこにもないのにね、凄く心強かった」
「だけど、どれだけ期待されても、私は出来なかったの。私より後にオーディションを受けた子が合格して、いつの間にか自分は何をしているんだろうと思っちゃって」
「知っているかしら? 私、他のアイドルにこう呼ばれているのよ、おくりびとって。結構センスあると思わない?」

「……だから、辞めちゃうんですか?」

「ええ。今日のオーディションは、背水の陣だったのよ。これがダメなら、私は大分へ帰る。プロデューサーと約束していたことなの。一方的にだけどね」
「彼は何度も説得してくれた。凄く嬉しかった。きっと今まで頑張って来られたのは、彼がいたからなんでしょうね」

それが恋心かどうか、分かったもんじゃないけどね。と呆れたように付け加える。

「でも、彼はこんな所でまごついてちゃダメなのよ。私なんかよりも、魅力的な子はいっぱいいた。事務所からも打診されていたはず」
「だけど彼は、最後まで私と共にトップを目指すって言ってくれた。格好悪くても泥臭くても2人で夢を掴もうって決めたのに」

だから彼は、あんな悲しい顔をしていたんだ。
だから瞳子さんは、鬼と見紛うほど必死だったんだ。

自分たちはまだ夢が見られるってことを証明したかったんだ。

「結果は、今日もダメだった。1年間挑んで、1度たりとも受からなかった。何人ものアイドルを見送って、いつか自分もそこに立てると信じていたのに。これ以上続けても辛いだけだから……」

「そんなことっ!」

そんなことない、瞳子さんならいけます! 口に出すのは実に簡単だ。だけどそれは、彼女を縛り付ける無責任な言葉だ。

「……いえ、何でもないです」

認めたくなかった、だけど強引に思い知らされる。
私は無力で何も出来ない、目の前の人の笑顔すら見ることが叶わないと。歯がゆいまでに、私は何も言えなかった。

「人の夢って、どうしてこんなに儚いんでしょうね……」

誰もが惜しまれて去っていけるわけじゃない。彼女に与えられた花道はとても儚いもので、拍手すら許されなかった。
私の目の前で、1つの夢の輝きが消えた――。

「さてと。そろそろ彼も来そうね、雨が降ってきそうだし。ねぇ、小日向さん。あなたは……こうなっちゃダメよ。応援しているから」

「瞳子、さん……」

恨み節とも取れる彼女の言葉が、私の中で何度も何度もリフレインする。
リフレイン――。動詞だと止めるって意味なのに、名詞にすると繰り返すだなんて正反対の意味になるのはどうしてだろうか。

どうせなら、すぐにでも止めて欲しかったのに。
繰り返されるのは刃のように残酷で美しさすら覚えた瞳子さんの悲哀のこもった言の葉たち。

その後、瞳子さんのプロデューサーが彼女を迎えにきた。
口調こそは軽かったものの、なんとか明るく振る舞おうと無茶しているのが私にも分かった。
きっと瞳子さんも気付いていただろう。それぐらい、ごまかし方が下手だった。私の周りには、嘘が苦手な人が集まるみたい。

2人が去ったベンチで私はそのまま座ったまま。

彼女たちはどうなるのだろうか?
瞳子さんは、どうするのだろうか?

これからの自分の活動を考えなくちゃいけないのに、浮かび出てくるのは憂いを帯びた2人の姿。

「雨だ」

ポツポツと降り出した雨は、徐々に強まって滝のように降りしきる。すぐに雨宿りできるところに行けばいいのに、
私はその場から動く気になれなかった。雨に濡れてもお構いなしだ。

「聞きたくなかったよ……」

今私の頬を伝うのは雨なのか、それとも――。

「……風邪ひくぞ」

「……」

雨が当たらなくなったなと思うと、プロデューサーが傘を差してくれていた。
急いできたのだろう、近くのコンビニの袋と値札が付いたままだった。

この場所には私と彼しかいない。世界から隔離されているとまで感じるぐらいの静寂。
耳に入るのは弾けるような雨音と2人分の呼吸の音だけ。

先に口を開いたのはプロデューサーの方だった。

「本当なら……服部さんと引き合わせるべきじゃなかった。こう言っちゃ皆に失礼だけど、彼女の覚悟を知るときっと小日向さんは傷つくと思ったんだ」

そんなに弱いこと思われていたんだ、私。実際間違ってはいなかったけど。

「……プロデューサーは知っていたんですね」

「偶然にもね。だけど……防げなかった。小日向さんの――ううん、これ以上何を言っても言い訳になるな」

だから彼はお昼あんな顔をしたんだ。最初からこうなるって、分かっていたのかな。

「……プロデューサー、1つ聞いていいですか?」

「何かな」

傘を差したままびしょ濡れになったベンチに座る。
一瞬冷たそうに顔をゆがめるも、すぐに真剣な眼差しになる。この切り替えしは流石と言うべきか。

「夢って、本当に叶うんでしょうか?」

私に夢を託して幾度と応援してくれた彼の期待を裏切るような最悪のワード。こんなことを言うなんて、嫌われてもおかしくないのに。見捨てられてもおかしくないのに。

「叶うさ、俺たちが見続ける限りな」

それでも彼は、私を信じてくれる。

「そればっかりですね。……人の夢って儚いんですよ?」

憶えたばかりの言葉を使う子供の様に、瞳子さんの言葉を真似る。

「だけど眩しくもある。例え一瞬のきらめきだとしても、俺達は必死にしがみ付こうとするんだ。……小日向さんは、どうしたい?」

「私は……」

私は……。その続きは、紡がれなかった。分からなくなったのだ、そもそも私は何のためアイドルをしているのか?
今更になって、避け続けてきた命題が大きくのしかかる。きっとこれはアイドルの神様が私に与えた罰なんだ。

「……少し、考えてみようか」

「はい……」

雨は傘に弾かれて飛び散る。私たちは2人して黙り込んだまま、電池の切れたかのようにベンチに座っていた。

帰ろうか、と彼が言ってくれたのは時計の長針が一周したころだった。私は黙って彼の後ろに付いていく。

止まない雨はない、虹は必ず掛かるはずだ。それぐらい分かっている。
だけど私の心に降る雨はそう簡単に止みそうにない。傘を差したところで、雨音は絶えず私の心を水浸しにして、木々を腐らせる。

――季節外れの梅雨が来た。

元SSで載せて下さった画像を載せておきます。一部追加アリ

島村卯月(17)
http://i.imgur.com/1RR4uGT.jpg
http://i.imgur.com/TT3iqzS.jpg

トレーナー(23)
http://i.imgur.com/oTJE2H4.jpg

相馬夏美(25)
http://i.imgur.com/a28ApcY.jpg
http://i.imgur.com/uFLGmta.jpg

プリクラの人(14)
http://i.imgur.com/y32JE68.jpg
http://i.imgur.com/xfyFfkP.jpg

服部瞳子(25)
http://i.imgur.com/Ld9Z6yC.jpg
http://i.imgur.com/c4GxX34.jpg

多田李衣菜(17)
http://i.imgur.com/mBDSJrw.jpg
http://i.imgur.com/ObafTFd.jpg

諸星きらり(17)
http://i.imgur.com/X8Ac0Nb.jpg
http://i.imgur.com/wAt7O6V.jpg

武田蒼一(??)
http://i.imgur.com/dnRud6P.jpg

今日はここまでにします。明日は誕生日になるので、なんとかしてうまく祝えたらと思います。
読んで下さった方、ありがとうございました。

――

「先日のオーディションが響いているみたいですね」

音楽に合わせて踊る彼女を見て、トレーナーさんは険しい顔のまま俺に話しかける。

「ええ、そうですね。どうにか早く振り切って欲しいのですが……」

「彼女にとって、良いオーディションじゃなかったと聞いています。オーディションの詳細な順位が発表されたわけじゃありませんが、参加者の中ではダントツ最下位だったと思っているようですし」
「ですがそれを差し引いても、ここまでモチベーションが下がるとは。……何かあったんですか?」

トレーナーさんは小日向さんに聞こえないように小声で尋ねる。

初めてのオーディションから1週間、俺たちはいつものように活動するはずだった。
『はずだった』というのは、小日向さんのモチベーションが俺達の予想以上に下がってしまったことで、活動に身が入らなくなったのだ。
レッスンをして、イベントに参加して、リベンジを誓う。
そうなればと願っていたのだが、彼女が受けた傷はそう簡単に癒えやしなかった。

「勿論結果もあると思います。ですがそれよりも、仲良くなった先輩アイドルが引退したことが尾を引いているんです。彼女にとって初めての先輩でしたから、尚更衝撃が大きかったみたいで」

「先輩アイドルですか?」

「ええ。ほんの少しだけの間でしたが、小日向さんも彼女に懐いていましたし」

今まで純粋なまでにトップアイドルという夢に向かって走り続けた彼女に、夢を諦めるという残酷すぎる現実を突き付けてしまった。
しかもそれが、彼女と仲の良くなったアイドル。

誰が悪いなんてことは無い。責めることも出来ない。それが芸能界だ。だから小日向さんが落ち込む必要なんてないのに――。

今の彼女に、頑張れという言葉は逆効果な気がして。口に出す勇気が俺にはなかった。情けない。

「このままじゃあの仕事は……」

「あの仕事?」

「いえ、こっちの話です。少し、イベントの依頼が有りまして」

「そうですか。ですが今の状況だと、いい結果は出ないでしょう。後悔するだけです」

「……ですね」

トレーナーさんはバッサリと切り捨てる。否定したくても、俺自身そうなると感じていたから反論できなかった。

そんな俺たちとは対照的に、服部さんの担当プロデューサーは次に目を向けていた。所属事務所の新人アイドルをプロデュースし始めたようだ。確か……トサキだっけか? そんな感じの苗字だった。

結果が思うように出なかったとはいえ、1年近く1人のアイドルを育て続けた経験は嘘を吐かない。
今後彼が俺たちの前に姿を現すこともあるだろう。その時には、小日向さんは先輩になっている。

「はぁ……」

負の感情が全身を蝕み力無く項垂れる。後輩アイドルにはとてもじゃないけど、今のままの姿はお見せ出来ない。

服部さんはどうなったのかと言うと、プロデューサーによると地元の大分に帰ったらしい。
これからどうするかまでかは聞けなかったが、彼は彼女を諦めたわけじゃないらしい。

『夢破れたとしても、もう一度夢を見てもいいんですから。彼女がステージに帰って来られるよう、僕も頑張らないといけませんし。これからですよ、これから!』

一番つらいのは彼なはずなのに、そんなことはどこ吹く風。服部さんを諦めるなんて、微塵も考えていなかった。

『それに……僕がプロデュースした子らを見て、戻りたくなるかもしれませんしね。その時は改めてプロデュースし直します。やられた分、やり返さないと!』

吹っ切れたのか、そう言って笑う顔は晴れやかだった。きっと服部さんにも彼の熱意と本気が伝わるはずだ。俺は信じてみたい。

「俺も見習わなくちゃな……」

誰にも聞こえないように、こっそりと呟く。

「休憩終了! それでは、先ほどのセクションからもう一度」

「……はい」

「小日向さん、気のない返事をするぐらいなら、今日はもう良いです。着替えて帰ってください」

「わかりました……」

反抗もせず、小日向さんは更衣室へ向かう。

「畜生……」

「はぁ、これは重症ですね。少しでも食いついて欲しかったんですが……。正直言うと、かなりショックです」

トレーナーさんは残念そうに言う。先のオーディションでの失敗、夢を見続けることの虚しさと辛さ。

「私の姉がよく言っていました。折角素晴らしい素養を持っていても、たった一度の挫折で終わってしまう人はたくさんいたって。分かりたくなかったんですけど……、こういう事なんでしょうね」

重すぎるダブルパンチから、彼女はまだ立ち上がれそうにない。

本当に、俺はまだまだだ。担当アイドル1人のやる気すら出せなくて、何が目指せトップアイドルだ。

「どうしたものか……」

事務所で弁当をかき込みながら呟く。
弱気なことを言うと、どうすればいいか分からなくなっていた。
励まし続ければいいのか?
きっぱりと切ってしまえばいいのか?

こんな時、彼女を導いてやるのがプロデューサーなのに。自分が情けない。

「何か、悩み事かね?」

「社長!」

「最近小日向君が不調だと聞いていてね。君もそのことで、頭を抱えているのでは?」

「ははは、お見事です」

流石社長、お見通しと言うわけか。

「伊達にこの業界に長くいないさ。初めてのオーディションで立ち直れない傷を負ったアイドルと言うのは、案外いるものだよ」
「その中には、磨きつづければ輝いただろう原石もいた。本当に、勿体無い話だ」

トレーナーさんと似たようなことを言うが、社長が言うと余計重々しく感じてしまう。小日向さんもその1人じゃないかって、沸き起こる後ろ向きな感情をシャットダウンする。

「ええ、全くです」

最初は誰だって夢を見る。だけど辛い現実や、自分の力不足を嘆くうちに、夢を見ることに疲れてしまう。
叶いもしない夢を見るのは時間の無駄、そう考えると前に進めなくなってしまうのだ。

服部さんが珍しいわけじゃない。むしろこの業界では、新陳代謝の様なもの。
彼女が夢を諦めた時、ほかの場所で新たな夢が生まれただろう。

――そうやってこの業界は廻りまわる。

「彼女に関してもそうだ。小日向くんは未来を創ることの出来るアイドルだと信じている」
「だけどなにより、君が彼女を信じなければ彼女は誰と共に進めばいいか分からなくなる。今はマイナスでも、きっとプラスへと戻ってくれるさ」
「なんてったって君が信じた子だからね。私たちはそれを信じるよ」

「そうですね、少し悩み過ぎていたかもしれません」

「うむ。それとだね、もしも彼女のモチベーションがなかなか上がらないというのなら、1つ大技があるよ」

「大技ですか?」

「そうだ。アイドルのモチベーションを上げるには環境を変えると言うのも1つの手。そうだね、例えば……」

「例えば?」

もったいぶるように少しだけ溜める。

「CDデビューを早める、とかね」

「CDデビューを早める、ですか」

「現段階では、オーディションやイベントではカバー曲を中心にしているはずだが、思い切って彼女だけの曲を作ればいい。小日向君とともに成長し、育っていく歌をね」

確かにファーストホイッスルにむけてのレッスンやイベントめぐりで、CDデビューのことはうやむやになっていた。
なるほど新曲か。確かにモチベーションを上げるには持って来いだろう。カバーじゃない、彼女だけの歌か。

「彼女だってアイドルになったからには、自分だけの歌を歌いたいだろう。彼女の適性に合う曲を作るのは大変だと思うが、時間はあるんだ。最良の選択を頼むよ」

「はい」

新曲か。作曲家の先生に相談して……。

「ん? 電話?」

ブルブルと携帯が震え、ポケットの中で着信を知らせる。

「私に構わず出たまえ」

「失礼します。もしもし?」

社長に促されて電話に出る。

『もしもし。えっと、ダズリンプロのプロデューサーさんですか?』

「はい、そうですが……。失礼ですがどちら様でしょうか?」

『あっ、そうですね。自己紹介がまだでしたね。私、音楽プロデューサーの武田の下で修業している者なんですが』

「武田さんのお弟子さん、ですか?」

『まぁそう言うところです』

武田さん自体経歴から何まで謎の多い人物だ。オールドホイッスルの放送開始時期って確か俺が生まれるよりも前だもんな。途中打ち切られてファーストホイッスルへと生まれ変わるまで少しの空白時間はあったが、20年以上も番組を保ち続けているということだ。
……今何歳だ? こういっちゃアレだけど、凄く若々しいんだよな。波紋呼吸法でもマスターしたのだろうか。

しかし弟子がいたなんて初耳だ。声を聴く感じ、俺とそこまで年齢が離れているという感じではない。
……あれ? どこかで聞いたことがあるような? 気のせいか?

『彼の下で音楽表現や作曲を学んでいるんです。えっと、自己紹介はこんな感じで……。急な話ですみません。今お時間よろしいでしょうか?』

「へ? まぁ、大丈夫ですが」

『良かった! それでは今から喫茶エウレカにてお会い出来ますか? きっとあなたたちにとっても悪い話じゃないと思うんです。小日向さんも連れて来られたらありがたいんですけど』

喫茶エウレカと言うとたまに行く店だ。マスターの淹れてくれるコーヒーが俺の原動力だったりする。

「彼女は今学校が終わったところですかね。少し時間がかかるかもしれませんが」

『大丈夫ですよ! それでは、お待ちしておりますね』

そう言い終わると、武田さんの弟子を名乗る男性は電話を切った。
一方的に話が進んでしまったが、話してみた感じ詐欺とかではなさそうだ。

「どうかしたのかね?」

「いや、武田さんの弟子って人から電話がかかって来まして。社長ご存知でしたか?」

「ふむ、彼か……」

「社長?」

「あっ、いや。気にしないでくれ。もしかしたら詐欺か何かと考えているかもしれないが、安心したまえ。彼のことだ、きっとうまい具合に話を進めてくれるだろう」

どうやら社長も知っている人物のようだ。なら信頼しても大丈夫しそうだな。これが何かの切っ掛けになればいいが……。

「こんにちは。遅くなりました」

慣れてきて前ほどどもらなくなったのは嬉しいことだけど、小日向さんの浮かない顔は見たくない。
これが何かの切っ掛けになればいいが……。

「グッドタイミング! 小日向さん、今日のレッスンはお休みだよ」

「え?」

「少し予定が出来てね。今から喫茶エウレカに行くよ」

「は、はい」

「社長、行ってきます」

「うム。彼によろしく頼むよ」

訝しげに首を傾ける彼女を連れて、待ち合わせ場所へと向かう。

そう言えばお弟子さんとやらの名前、聞いてなかったな。名前も知らない相手を信頼すると言うのも妙な話だけど、今の俺達は藁にも縋りたい気持ちだった。

「頼むぞ……神様」

何でもいい、きっかけが必要なんだ。願わくは小日向さんが前に進めるようなそんな出会いが。

どうかこの出会いがどうしようもなく鬱屈とした現状を打破してくれますように。

「あっ、こっちです!」

喫茶店に入った俺たちを、線の細い声が呼びかける。
装飾が眩しいクリスマスツリーの近くの席に、彼は座っていた。

電話で聞いた声は若く感じたけど、会ってみると意外と歳を食っているみたいだ。30前ぐらいだろうか?

「すみません、お忙しい中お呼びしちゃって。あっ、何か頼みますか?」

メニューを開いてこちらに渡す。時期が時期だけに、内装からメニューまでクリスマス一色に染まっている。
俺はいつものようにコーヒーを、小日向さんはミルクティーを注文する。
お弟子さんは俺たちが来る前に飲み終わったのか、テーブルには空のグラスとお皿だけ置かれていた。

「え、ええ!! あ、あなたは!?」

「おっ? 小日向さん彼を知っているの?」

「せ、先日はありがとうございました!!」

「いえいえ、間に合ってよかったよ」

お弟子さんの顔を見るなり目を見開いて驚く。どうやら知り合い? のようだが、どこで知り合ったんだろう? 会場かな?

「先のオーディション会場で迷子になっている小日向さんを見つけまして。それで案内したんです」

名も知らぬお弟子さんは、嫌味のない爽やかな笑顔で答える。顔に髭はなく中性的な容姿をしているが、体つきは鍛えているのか割と男らしい。

「は、はぁ……。その節はありがとうございます」

ああ、あの時か。万が一彼に出会えなかったら、遅刻していたかもしれないんだよな。そうなればオーディションどころじゃない。彼はまさに(アイドル生)命の恩人だ。

「ってことは、あの場にいたんですか?」

「はい。でもまぁ、僕余り目立つタイプじゃないですからね」

と笑いながら言うが、ここまでの色男はそうはいない。中高生の頃は女装が似合いそうな可愛らしい子だったんだろうな。……わぁい、そんな趣味は無いぞ。

「え、えっと! そ、その……今日はど、どのようなご用件でしょうか!?」

やはりほぼ初対面の相手は緊張してしまうのか、小日向さんはいつも以上に吃ってしまう。

「ふふっ、そう固くならなくて結構ですよ。弟子なんて大層なこと言っても、僕が一方的に教えて貰っているだけですし」

それでもあの武田さん直々に指導してもらえるとは、何とも贅沢な話だ。
新人アイドル登竜門のファーストホイッスルに代表されるように、武田さんはベテランでありながらも若いアイドルたちとも積極的に交流を深めており、
また理想を紡ぐためにテレビへの露出も欠かせない。

しかし彼のプライベートな部分は未だに謎な部分が多く、彼の連絡先を知っている人間はひと握りらしい。
この人の謎だけで一冊の本がかけると言われているぐらいだ。そんな武田さんと師弟関係を結んでいるという事は、彼は理想を背負って行く者なんだろう。

「あのー、そろそろ用件を教えてくれたらありがたいんですけど」

「そうですね、そのためにお呼びしたんですし。さてと、今回お呼びした理由は、こちらを聞いて欲しかったんです」

「iPodですか?」

そう言って彼は使い古されたiPodを取り出す。長い間使っていたのか、表面は若干剥げている。

「えっと、実は僕、作曲活動もしているんです。と言っても、この曲が初めてなんですが」

「作曲?」

「はい。ですが曲を作ったところで、誰かが歌わないと形になりません。元々は知り合いに提供するつもりだったんですが、こんな歳して恥ずかしい歌を歌えるかっ! って怒られちゃいまして」
「僕が歌うわけにもいきませんし、ピッタリな子がいないかなーって探していたんです。ファーストホイッスルのオーディションは、番組に出演するためのものであると同時に、僕が歌い手を見出すためのものでもあったんです」

お弟子さんはそこまで言うと、小日向さんの瞳をジッと見据える。

「そうしたら、小日向さん。貴女に会えました」

「わ、私、ですか!?」

お弟子さんは驚く小日向さんをよそに続ける。

「そういう事です。先日のオーディションで確信しました。小日向さんこそこの曲にふさわしい。命を与えて一緒に成長出来る存在だって。本当に驚きましたよ。クサいこと言っちゃうと、運命ですかね」

正直言うと願ってもなかった展開だ。ちょうど新曲で彼女のやる気を上げようと考えていた時に、お弟子さんの提案。渡りに船だ。

だけど、どうして小日向さんなんだろう。
オーディションを見ていたということは、NG2や諸星きらりと言った合格者たちのパフォーマンスも見ていたはずだ。

「で、ですが……、わ、私! この前のオーディションは散々でした」

それに、前回の彼女を見て曲を提供しようだなんて酔狂な人間はまずいない。どこまで物好きな人なんだ?

「確かに先日のオーディションでの小日向さんのパフォーマンスは、お世辞にも良かったと言えません。初参加で緊張していた以外にも要因はあったのでしょうが……。それは本人が一番理解していると思います。僕がとやかく言うことじゃないです」
「ですが、この曲はそんな貴女にこそ歌ってほしいんです。恥ずかしがりながらも、どこまでもひたむきな小日向さんにこそ、歌う資格がある。そう思っています」

お弟子さんは活き活きとした顔で語る。余程この曲の歌い手が見つかったことが嬉しかったのだろう。

「早速聴いて頂きたいんですけど……。すみません、イヤホン一つしかないんで共有してくれたら有り難いんですが」

「え、えええ!?」

喫茶店に流れるクリスマスソングをかき消すぐらい響いた、小日向さんの悲鳴。
なんだなんだと視線を一身に浴びて、彼女は赤くなる。
お弟子さんはそれを達観したように笑っていた。

「元気があっていいですね。僕の親友を思い出しました」

元気で良いのかコレ?

「あのね、順番に聞いたらいいんじゃないの? 小日向さん、先に聞きなよ」

「そ、そうですね! でも……、一緒に聞きませんか?」

「は?」

「えっと、その方が時間も短縮できますし……」

ちょっと言っている意味が分かりません。

「と、とにかく! 聞いてみましょう」

「なんだかなぁ」

1組のイヤホンを2人で共有。なんだこのカップル的な行動は。
こうすることで自然と距離が近くなり、小日向さんはまた赤くなっている。役得、なのか?

「それじゃあ再生しますね。これ、歌詞カードです」

イヤホンから可愛らしいイントロが流れてくる。歌詞カードを見ると、タイトルは『Naked Romance』と書かれている。
Naked……、どういう意味だっけ?

「Naked Romance――。其の儘だと裸のロマンス、ってなっちゃうんで……意訳するなら『ありのままの恋心』ってとこでしょうか」

「ありのままの恋心ですか……」

「わぁ……」

小日向さんも曲に夢中なのか、リズムを取りながら声にならないため息を吐く。
彼の言うとおり、この曲と小日向さんの親和性は高いだろう。

恥ずかしがり屋だけど、秘めた気持ちに気付いて欲しい、か。聞けば聞くほど、彼女のためにある曲だと思えてきた。
確かに恥ずかしい歌詞だけど、口遊みやすいメロディは師匠の目指す老若男女問わず愛される音楽に相応しい。

「えーっと、どうでしょうか? 自分で言うのもなんですけど、結構いい感じにできていると思うんですけど」

お弟子さんはそう言うと、恥ずかしそうに笑っていた。

「そうですね。貴方の言うとおり、小日向さんにピッタリの曲だ。小日向さんはどう思う?」

「え、えっと! す、す素敵な曲だなぁと思いました」

「気に入って貰えて何よりです。どうでしょうか? この曲を、彼女の武器にするのは」
「アイドルを創る要素は歌唱、ダンス、ビジュアルの3つのパフォーマンスをするその人自身、時に可愛く、時に格好よく着飾る衣装、そして歌の3つです」
「この歌には小日向さんを昇華させる、夢を叶える力がある。そう信じています」

自信たっぷりに言うお弟子さんが、とても眩しく見えた。

「え、えっと……。私……」

この曲を歌うということは、武田さんやお弟子さんの意思を受け継いでいくということだ。
それはとても責任の重いもの。今の小日向さんにそれを背負う覚悟はあるのだろうか?

「小日向さんは……歌いたいかい? Naked Romanceを自分のものにしたいかい?」

ホンの少しの静寂が永遠に続くかと思ったその時、彼女の口は再び開かれる。

「……たいです」

「え?」

もう一度、今度はどこまでも届きそうな大声で叫ぶ。

「したいです! は、恥ずかしい歌詞ですけど! 私歌いたいんです!!」

「恥ずかしい歌詞って言われたら照れちゃいますね……でも、ありがとうございます」

喫茶店中に彼女の想いが響く。お客さんたちはなんだなんだと見ていたが、
ノリの良さそうな高校生が拍手をし出すと、周囲もそれに釣られて拍手を始めた。

「は、恥ずかしいよ……」

案の定トマトのように顔を赤らめて恥ずかしそうに視線を伏せる。俺たちが夢を託した小日向さんが、帰ってきたんだ。

「人気者ですね。小日向さん、この歌は貴方たちを明日へと運んでくれるはずです。そして……聞いた人たちの夢へと続いて行きます」
「どうかこの歌とともに成長してください。小日向さんならもっともっと強く輝けますからっ!」

「は、はい! わ、私やってみます!」

彼女の眼は、さっきまでのそれと違った。今の彼女なら海の向こうにも背泳ぎで行けるだろう。

「あ、あの! お名前、教えてもらえませんか?」

そう言えばまだお弟子さんの名前、聞いていなかったな。

「名前ですか? そう言えば言っていませんでしたね。僕は……」




「アキヅキ。秋月涼です」

そう言って、あの時と同じ誰もが恋する笑顔を浮かべた。

「あ、アキヅキ……リョウ?」

「小日向さん世代だと知らなくても無理ないかもね。これでも元アイドル……」

「あ、ああああの! じょ、女装アイドルをされていた!?」

「ぶっ!」

小日向さんがいきなり言うものだから、思わず飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになってしまう。

「い、いきなり核心を突かれちゃったな……」

秋月さんは昔のことを言われて恥ずかしそうに笑っている。しかし……あのリョウちんがこんなイケメンになっていたなんて。確か彼女(彼?)が活躍していたのは、俺が小学校高学年の頃。
当時765プロのアイドルたちが人気だったが、俺は876の3人のファンだった。彼女たちが九州に来た時には親と一緒にライブを見に行ったし、グッズも集めていた。
愛ちゃん絵理ちゃん涼ちん……、とりわけ俺は涼ちんのファンだった。

……だが、男だ。

『実はボク、男の子なんです!!』

『……はぃ? おとこ?』

オールドホイッスルを見ていた俺は、言葉を失ってしまった。
それもそうだ。テレビから消えていた涼ちんがまた番組に出てくれたと思ったら、衝撃のカミングアウト。

テレビの前で俺は言葉を失って2時間ぐらい硬直していた。

とはいえ、そこは子供ながらに訓練されたファン。男性アイドルになっても彼のCDは買っていたし、引退ライブもお小遣いを貯めて見に行ったぐらいだ。
引退後は露出がまるっきり減ったということもあって、今何をしているんだろうと思っていたがまさかこんな所で会えるなんて。

「あのっ、サインもらっていいですか? 俺、ファンだったんです」

手帳を開いてペンを渡す。こんなことなら、色紙を持ってくればよかった。

「ファンだなんてなんだか恥ずかしいなぁ、サインを書くのも久しぶりだし」

「わ、私も良いでしょうか!? 現役時代のことはほとんど知らないんですけど……、Dazzling Worldはいつも聴いています! 好きなんです!」

「前回のオーディションでも歌ってくれたよねっ。やっぱり世代を超えてこう歌われていくと、嬉しいものがありますね」

そう言えばDazzling Worldをオーディションで歌いたいと言ったのは小日向さん自身だっけ。

「だから彼女に興味を持ったってのもあるんですよ。完全に身内贔屓ですね」

自分の歌を歌って貰えて嬉しかったんだろう。小日向さんを見る目は年の離れた兄のようなものだ。

「おっと、そろそろ行かなくちゃ。この曲を物にするのに時間はかかると思います。だけど、小日向さんなら出来ると信じているよ!」

「あ、ありがとうございます! き、期待に! 答えてみせます」

「あの、プロデューサー。色々とご迷惑をおかけしました。もう私は、逃げたりなんかしませんから」
「瞳子さんがもう一度ステージに上りたいって思えるように、頑張りたいんです」

秋月さんが帰った後、彼女はそう俺に言った。

「そうか、そうだよな。服部さんも小日向さんの頑張りを見たら、希望を持ってくれるかもしれないしな」

「はい。だから……私ファーストホイッスルに合格したいんです。この曲でリベンジを果たしたいんです。それが秋月さんの想いに答えることだと思うんです」

折角の曲も披露しなければ意味がない。特にこの曲は武田さんや秋月さんの理想を体現したような曲。
小日向さんは彼らに選ばれたんだ。次世代を担っていく存在だって。

「それならば、もっと厳しい毎日が君を待っているよ。それでも、頑張るかい?」

「はい!」

オドオドせずに、はっきりと答える。決意は固いようだ。

「そうか。なら、この仕事を受けよう」

「この仕事ってなんですか?」

「コホン! 12月16日、君の誕生日だけど仕事が入ったんだ」

「仕事ですか?」

「そう。気になるかい?」

「ええ……、まぁ」

昨日までの府抜けた彼女への罰を与えるように、わざとらしくじらしてみる。CMでも挟んでやろうか。

「それがビックリするよ? なんと、熊本だ」

「熊本? はっ、まさか」

どうやら彼女も感付いたたようだ。12月16日、その日――。

「そう、そのまさか。津田南高校クリスマスパーティー、そこで小日向さんとNaked Romanceの初お披露目としよう」

「……! はい!」

驚きのあまり声が出なかったみたいだけど、すぐに彼女は芯の通った返事をする。
しかし、こんな形でクリスマスパーティーに参加することになるとはな。

「人生、ホント何が起こるか分かったもんじゃないな」

「何か言いました?」

「ううん何でもないよ」

どうやらこの出会いは俺たちにとってプラスなものだったようだ。

――

「新曲、秋月さん、クリスマスパーティー……。色々あり過ぎたなぁ。私はもうクタクタ……」

小さなクマのぬいぐるみに語りかけるように、暖かなベッドの中今日までのことを思い返してみる。

あのオーディションから数日間、私のモチベーションは急落していた。
彼女のせいにするのは卑怯だけど、夢破れた瞳子さんの影がいつも付きまとっていた。

情けない。今の私がいたらそう思ったことだろう。

『美穂ちゃん……』

活動中だけじゃなく学校でも私はどんよりとしており卯月ちゃんもそんな私を見て、悲しそうな顔をしていた。

「美穂ちゃん、悩みがあるなら話して欲しいな。あんまり参考にならないかもしれないけど……、私これでも先輩アイドルだし」

「卯月ちゃん」

私を刺激しないように無理をして明るく振る舞っているように見えてしまい、
瞳子さんの隣にいた彼の姿と被ってしまう。

「卯月ちゃん……。卯月ちゃんは、夢がなくなっちゃうって考えたことある?」

なんて意地悪な質問だろう。そんなこと、私だって考えたくないのに。
現実なんか、見たくないのに――。

「へ? 夢がなくなる? うーん、あんまり考えたくないかなぁ。私の好きな歌の歌詞にさ、こんなのが有るんだ。夢は叶うもの、私信じているってね」

「その歌、私も知っているよ」

カラオケで友達が歌っているの聞いたことがあるな。前のオーディションでも誰かが歌っていたっけ。

「私たちさ、夢はでかく見ているんだ。言ったら笑われちゃうかもしれないけど、逃げずに夢を見ていたいんだ」
「それは凛ちゃんと未央ちゃんも一緒だと思う。だから今日まで頑張って来たんだ。地獄の特訓も乗り越えたし、ファーストホイッスルにも合格した」
「信じていれば叶う、って都合の良い話はないかもしれないけど、信じなくちゃ叶う物も叶わないんだよ。多分ね」

「信じる……」

「ごめんね、もっとうまく話せたら、美穂ちゃんの悩みをこう上手く解決出来たんだろうけど……。でも、これは美穂ちゃんが乗り越えないと意味がないと思うんだ」
「私は美穂ちゃんの悩みを100%理解できないし、それは逆も同じじゃないかな。きっと私の悩みも100%理解できないと思う」
「だからこそ、分かり合おうとするんだろうね。私は美穂ちゃんの力になれなくて……もどかしいよ」

「ううん。そんなことないよ」

「そう言ってくれると、私も救われるかな? あっ、そろそろ戻らないと! また悩みがあれば相談に乗るよ! それじゃ!」

そう言って笑う彼女に、少しだけ救われた気がした。だけどすぐに、後ろ向きな私が出てくる。

それは卯月ちゃんだからだよ。
卯月ちゃん達は、才能が有るから出来るんだよ。
夢を叶えることが出来たんだよ。

私には、無理なんだよ――。

「ちがうのに……」

声にならない嫌な感情が私の中で犇めき合う。誰でも良い、私を助けて……。

こんなの、嫌なのに――。

「グッドタイミング! 小日向さん、今日のレッスンはお休みだよ」

「へ?」

その日、事務所で待っていたのはレッスンお休みのお知らせ。
ただその割には、プロデューサーが嬉しそうに見えたのが気になった。

「えっと、何かあるんですか?」

「さぁ? 喫茶店に来るようにしか言われてないしね。俺もよく分からない」

クリスマス気分で浮かれる街の中、彼はそう言った。隠し事をしているって感じじゃなさそうなので、
本当に何も知らないのだろう。

「でも、悪くない話……らしいよ?」

「え? それどういう意味ですか?」

「着いてからのお楽しみかな」

結局何一つ理解できないまま、私たちは喫茶店へと入る。

「え、ええ!! あ、あなたは!?」

そこに待っていたのは、オーディションの日迷子になった私を助けてくれた王子様。
話によると彼は先のオーディションの審査員武田さんのお弟子さんらしく、どういうわけか私に用があったみたいだった。

「貴女に歌ってほしいんです」

彼が呼んだ理由は至ってシンプル。私に曲を提供するとのこと。CDデビューについて胸を躍らせていてのは事実だけど、
先のオーディション以降、そんなことを考えている場合でもなかったから、彼の申し出には正直面食らった。

自分で言うのもあれけど、あの結果を見て大事な楽曲を提供したいと思うだろうか?
私なら、間違いなく与えないだろう。

だけど彼は、私と共に成長して欲しいと言ってくれた。歌が成長するというのは、
比喩表現だと思うけど、いまいち真意がつかめなかった。

だけど曲を聴いたとき、その意味が分かった気がした。

Naked Romance――。

ありのままの恋心、と彼は訳した。
気付いて欲しいけど、気づいて欲しくない。

そんなアンビバレンスな恋心を綴ったこの曲は、これでもかと言うぐらい恥ずかしくも甘い歌詞のオンパレードで、
男性ながらそんな歌詞を考えるお弟子さんの頭の中を覗いてみたいと思ってしまったぐらいだ。

だけど、最初に聞いて歌詞を見た時、不思議と私の中に吸い込まれていくような感覚があった。

プロデューサーは私を初めて見た時、電流が流れたと言っていた。
なるほど、今ならなんとなくその言葉の意味が分かる気がする。

どうしてか分からない、この曲と私に重なる部分があったのだろうか?

恥ずかしがり屋な女の子の恋。私に置き換えてみると、相手は誰だろう?
考えただけで、恥ずかしくなってくる。

それでも、どれだけはにかんでしまっても、私はこの曲を歌いたいと思うようになっていた。

「私、歌いたいんです!」

ここまで強く答えることが出来たのも、この曲の魔法だろう。お弟子さんは魔法使いなのかな。
この曲の魔法なら、きっと瞳子さんに希望を与えることが出来る。そんな気もしていた。

そして一番驚いたこと、それは――。

「アキヅキ、リョウです」

「あ、あの女装アイドルの!?」

彼が他ならぬ元女の子アイドル秋月涼さんその人だということ。
彼が活躍していた頃、私はまだ幼稚園に入るかはいらないかぐらいの頃だったから、正直言うとあまり記憶に残っていない。

だけど幼いながらに彼の歌を気に入っていて、Dazzling Worldは私にとって特別な曲だった。
いつも口ずさんでいて、友達とカラオケに行ってもその曲は必ず歌っていた。どうしてか? と聞かれると、よく分からない。きっと私と波長が合ったのだと思う。
そして受け継がれたのは、Naked Romance。私はなんて責任重大な役目を背負ってしまったあのだろう。だからこそもう逃げたりしない。きっと私の使命は、彼らの理想を守っていくことなんだから。

そして12月16日、私の誕生日。プロデューサーは熊本での母校のクリスマスパーティーの仕事を持ってきた。
Naked Romanceもその時にお披露目となるだろう。

プロデューサーは頑張ろうと言ってくれた。昨日までの私とさよならしないと、先に進めないよね。

「あっ、もしもし。卯月ちゃん?」

「美穂ちゃん。どうしたの、こんな時間に?」

「ううん。今日はごめんね。少し、気が立っていて」

「気にしなくていいよ。美穂ちゃんだってそういう日が有るんだろうし。悩み、解決した?」

「まだ、分からないけど……。多分、上手くいくと思う」

「ふふっ、なら私の話も無駄にならなかったって事かな」

「うん。ありがとう、卯月ちゃん」

「どういたしまして」

「あっ、そうそう。話変わるけどさ……」

その後他愛のない話を続ける。卯月ちゃんの趣味は長電話だ。電話越しの彼女は私をなかなか寝かせてくれない。
私たちは夜も遅いと言うのに、くだらない話で盛り上がった。

美味しいお菓子の店、クラスの高槻君に彼女が出来た、実は担任の安堂先生はアンドロイドだ。どんな話題でも彼女は楽しそうに話してくれる。

やっぱり持つべきものは、友達だ。彼女と話すことで私の気持ちは軽くなっていく気がした。

「ありがとうね、卯月ちゃん」

「どういたしまして!」

結局寝ることになったのは深夜3時半。翌日2人揃って授業中寝てしまい、職員室に呼び出されたのはまた別の話。

「ふぅ、久しぶりだな熊本!」

「こ、声が大きいです……」

12月15日。私たちは熊本に帰ってきていた。空港前でバスに乗り数回乗り継いで学校へと向かう。
2ヶ月ぐらいで大きく町が変わるなんてことは無く、見慣れた光景が私をノスタルジックな気分にさせる。

「先生!」

「まぁ小日向さん! お久しぶりね」

「お久し振りです、先生」

「あら、そう言えば君がプロデューサーだったんだっけ。ずいぶんと様になって来たじゃない」

「ありがとうございます」

学校に付いた私たちを待ってくれていたのは元担任の先生。忙しいのか、心なしか前に比べて痩せているように感じた。

プロデューサーとも親しげに話す先生を見て、彼の母校もここだったことを思い出す。

「でも私の教え子2人とこういった形で再会するなんてね。変な感じ」

「はは……。先生の方は元気ですか?」

「そうでもないわね。最近は入試やセンターも近いから、教師も忙しいのよ」

師走ってやつだろうか。そう言えば、私は4月になればどうするのだろう。
アイドルになってから大学進学について、特に考えてなかったけど……。

「あっ、美穂ちゃん! おっひさー!!」

「会いたかったよー!」

「! みんな! 久しぶり!!」

職員室の前で話していると、クラスメイトだった皆が駆け寄ってくる。

「あっ、美穂ちゃんのプロデューサーさんですね! 私たち、小日向美穂を全力で応援するJKの団です!」

小日向美穂を全力で応援するJKの団?

「略して小日向美穂応援団です!」

最初からそれでいいんじゃ……。

「へ? 小日向美穂応援団? 小日向さん、そうなの?」

「いや、初耳です……」

ポカンとしている私たちをよそに、彼女たちは続ける。

「そうですよ! 私たち、東京で頑張っている小日向さんを徹底的に応援するJKの団なんですよ」

「はぁ、それはどうもご丁寧に……」

ご丁寧に名刺付だ。プロデューサーはおずおずと自分の名刺を取り出し交換する。

「この子たち、生徒会や先生方に直談判したのよ。今年のクリスマスパーティー、小日向さんをゲストとして呼んでほしいって」

「そうだったんですか」

それは凄く嬉しいことだ。私自身、このイベントに参加出来ないことを残念だなって思っていたし。

「そうそう! だからさ、今から行くよ!」

「へ? 行くってどこに」

「被服室! 被服研究会が、今回のクリパのために小日向さん専用コスチュームを作ってくれたんだから、着てみようよ!」

「え、ええええ!? たた、助けてプロデューサー!!」

私は応援団の皆に担がれると、そのまま被服室まで連れて行かれる。プロデューサーに目で助けを求めるも、

「あ、あはは」

「そ、そんな?」

情けなく笑って手を振っていた。

「さてと! 美穂ちゃん、これが今回のために用意した衣装だよ」

被服室に着くなり、彼女たちは淡いピンク色の服を見せる。

「そう? でも似合うと思うよ?」

この服、ミニスカサンタだよね? コンパニオンさんがよく着るような……。

「こ、これを着て明日出る、の? スカートがその……」

み、短くないかな……。

「うん。そのつもりで作ったし」

「ほ、他になかったの? い、今からならまだ事務所に取りに」

ちひろさんのことだからストックは沢山有る――

「問答無用! つべこべ言わずに着替えなさーい!」

「きゃあああ!」

被服室に響く悲鳴。私は暴徒と化した応援団たちに取り押さえられ、強引にサンタ服を着させられる。その間わずか1分、何という手際の良さ。

「ふっふっふ、準備できたし、プロデューサーさんも呼んでこないとね」

「安心しなよ、美穂ちゃん。絶対プロデューサーさんもこれにはイチコロだよ!」

衣装は学校で用意してくれるとは聞いていたけど、こんな衣装って聞いていない。
もし事前に知っていたら、私は他の衣装を持ってきただろう。
きっと、私にこの服は似合わない。なんとなくそんな気がする。

「い、今からでもチェンジとか……」

「あっ、プロデューサーさーん! こっちですよ、こっち! 早くしないと美穂ちゃんのあられもない姿が全世界に発信されちゃいますよー!」

「ええ!?」

廊下の方で友達がとんでもないことを言っている。もちろん嘘だと思うけど、

「小日向さん!! 大丈夫!?」

「プロデューサー!」

彼は必死な表情でドアを開けてくれた。それが何となく嬉しくて表情がほころんでしまう。
けどこの姿を目に焼き付けちゃってるわけで。

「って小日向さん? そ、その服は……」

「へ? え、あ、あの! こ、これはえーっと……。メリークリスマス?」

http://i.imgur.com/27cubm3.jpg

「プ、プ、プロデューサー! 着替えましたけど、へ、変じゃないですか!?」
「あのっ、こっ、こんな可愛い格好、わ、わたしなんかが着ちゃっていいんですか?」
「似合います、か? あぁぁダメっ、恥ずかしい……」

プロデューサーは目のやり場に困ったように頬を掻く。私を横目で見て、すぐに逸らすと、

「あー、うん。似合っているよ……物凄くね」

「そう、ですか?」

「うん。可愛いと、思うな……。な、なんか恥ずかしいな」

「プロデューサーさんうぶですねー!!」

「う、うるさいやい!!」

そうはにかんで笑う。恥ずかしいのは私だけじゃなかった。赤くなる彼に少しだけ安心する。

「それじゃあこれで準備は終わりかな。あのー、リハとかってします?」

「リハーサルか……。出来るのかな?」

出来るのならしておきたい。ぶっつけ本番に望むなんて度胸はまだないのだ。

「まぁ講堂も準備出来ているでしょうし。言ってくれたら捌けさせますよ?」

「そうだね、じゃあお言葉に甘えようか。小日向さん、曲、準備できている?」

「は、はい! ばっちしです!」

振り付けもみっちり練習してきたし、トレーナーさんから花丸をもらっている。うん、大丈夫だ!!

「そうか。それじゃあ講堂に行こうか」

「はい」

「それじゃあごゆっくり?」

「あれ? みんなは来ないの?」

「まだ一般流通していない新曲なんでしょ? だから私たちは明日聞きたいの」

「そっ! 美穂ちゃんが最初に聞かすべき相手は、この人だろうしね」

「お、俺?」

友達たちに指差され、プロデューサーはキョトンとする。

「小日向さん? いつも聞いているっちゃ聞いているんだけど……」

困惑しきったプロデューサーは、私の顔を気恥ずかしそうに見ている。
だけど私の方が、恥ずかしい思いをしていたわけで。

「え、えっと。ス、ステージで歌うのは初めてです! だから、き、聞いて欲しいんです!」
「プ、プロデューサーに、一番初めに聞いて欲しいんです」

この時の私は、ファーストホイッスルのオーディション以上に緊張していた。
聞いてくださいなんて珍しいセリフじゃない。
それなのに、私は自分の持てる勇気全てを振り絞って言葉を紡いでいた。

1番最初にファンになってくれた彼に、誰よりも先に聞いてもらいたかったから。

「そう? それじゃあ観客第一号になっちゃおうかな」

「は、はい。よろしくお願いします」

「んじゃ講堂の連中捌けさせますね。向かっといてくださいな」

「了解っと。行くか、小日向さん」

そんな私の葛藤を知ってか知らずかプロデューサーはいつも通り笑って、講堂へと足を向ける。
私はその後ろを、カルガモの子供みたいについて行った。

講堂への廊下は、明日の準備に追われているのだろうか、忙しそうに生徒たちが行き来している。
ごらく部がどうとか情報処理部がどうとか聞こえてくるけど、そんな部活あったんだと今になって思ってみる。
せわしなさの余り恥ずかしい衣装を着ている私のことなんか眼中にないようだ。

「クリスマスパーティーか、懐かしいな。俺もこうやって準備していたわ」

プロデューサーは廊下の窓に飾り付けられた雪の結晶を見て呟く。

「やっぱりプロデューサーも楽しみにしていたんですか?」

「あー、それなんだけどさ。実は俺、参加したことないんだ」

「え?」

「何故かさ、3年ともインフルエンザにかかったりして体調崩して、参加できなかったんだよね。だから俺、準備していた記憶しかないんだ」

「そ、そうだったんですか。お気の毒、ですね」

初耳だ。それが本当なら、彼はこの高校での最大の楽しみを知ることなく卒業していったのだろうか。

「でもこうやってまた来られるなんてね。だから俺、結構楽しみにしているんだ。学生の頃に出来なかったことが、今になってチャンスがやって来た。これも小日向さんのおかげかな?」

「いえ、そんな……」

そう言う彼の表情はどことなく嬉しそうで、見ているこっちまで明日が楽しみになって来た。

「でも明日どうしたものか。出たことないから、クリスマスパーティーの楽しみ方が分からないんだなぁ、これが」
「後夜祭とかあるんでしょ? オクラホマミキサー的なの」

「えっと、例年通りであればあると思いますけど」

クリスマスパーティーには後夜祭と言うのがある。そう銘打っているけど、舞踏会と呼んだ方が正しいかもしれない。

男女同士が組んで、華やかな音楽に合わせて舞い踊る。イメージするなら、魔法学校のダンスパーティー。
そんな映画の世界のような光景がこの学校では行われているのだ。

実際は木造の講堂なので、いまいちムードにかける気がしないでもないが、
それでもこの舞踏会こそがクリスマスパーティーの本番だ! と語る人もいるぐらいの盛り上がりを見せる。

気になる男女が、手を取り合い踊る。この高校における生活で、一番ロマンチックな時間だろう。

去年までの私はと言うと、もちろんそんな恥ずかしいことが出来るわけがなく、友達と講堂の隅っこに座ってお喋りをしていた。
言ってしまえば、クリスマスパーティーを100%楽しめたわけじゃない。
尤も、特に気になる相手もいなかったので、100%楽しむ必要もなかったけど。


「後夜祭にも嫌な思い出があってさ。当時好きだった子を誘おうとしたら、その日に俺が倒れちゃって」
「風邪が治って学校に行ったら、なんと! その子は友人と付き合い始めたんだ」
「なんでも、一緒に踊ってから気になりだしたんだと。あん時はショックのあまり寝込んでしまったな」

「そ、それは可愛そうです」

「それもまぁ、いい思い出なのかね。今頃皆何しているのかなぁ」

懐かしそうに漏らす彼は、寂しそうに目を細めていた。遠く散らばっていった友達のことを思い返しているのだろうか。

「あ、あの! だったら」

「だったら?」

だったら明日、一緒に踊りませんか? 私と一緒に、思い出を作りませんか?

「い、いえ。何でもないです。すみません……」

そう言えたら良かったのに。ホンの少しの勇気を持てたら良かったのに。

「? 変な小日向さん」

やっぱり私は、まだまだ変われていない。

「わぁ……」

「驚いた、こりゃ結構本格的だな……」

いつもは校長先生の味気ないお話をしているステージの上は、クリスマス仕様に飾り付けられて、綺麗に輝いていた。
去年一昨年も凄かったけど、今年はこれまで以上に気合が入っているようにも感じた。

私は全校生徒が見ている前で歌うのだ。
この装飾も私のためだけに用意されたように思えて、不思議と嬉しくなる。

「しかし寒いな……。小日向さん、その服寒くない? コート貸すよ。気が利かなくてごめん」

そう言って彼はコートを貸してくれる。さっきまで彼が着ていたこともあって、ほんのりと暖かさが残っている。
不思議と不快に感じない。むしろ心地良いぐらいだ。変態みたいに聞こえるかもしれないけど、私はそう感じた。

「うー、さぶっ」

今度はプロデューサーが寒そうにする。
それなりの歴史がある講堂には、暖房装置はついておらず、冬の集会にはカイロが欠かせなかった。

今着ているフェアリーサンタ(友人命名)は肌の露出も多く、正直言うと寒い。
コートを取ってしまえば、余計冷えてしまうだろう。

「プロデューサー、コート着ますか?」

「え? いいよ、小日向さんが風邪ひくよりかはマシだよ。さびっ」

身体を震わせている人に言われても説得力が無い。私は彼にコートを返す。
温もりが無くなっちゃうのが少しだけ勿体ないけど、風邪をひかれるよりかはマシだ。

「えっと、返します。私、プロデューサーにも明日元気で来て欲しいですし。寒いですけど、踊っていたら温まると思います」

歌って踊るというのは、テレビで見て感じる以上にハードだ。特に明日は3曲続けて披露することになっている。
3曲とも激しすぎるというわけではないけど、それでも結構きつい。全部終わったころには汗で体が濡れていると思う。

「そっか。でも風邪ひかないように気を付けないとな。それじゃあ小日向さん、やってみようか」

「は、はい!」

煌びやかなステージに上がる。表彰状にてんで縁の無かった私が、アイドルとして上ることになるなんて。
本当に、何が起こるか分からない。

講堂には私と彼しかいなく、それが余計広く感じさせた。明日には一杯の人が集まっているんだ。
考えただけで心臓は早くなるけど、今はリハーサル。緊張するなら、今のうちにしてしまえ。

プロデューサーが音楽をかける。最初に流れてきたのは定番のクリスマスソング。
この時期になると、どこもかしこもこぞって流しているため、
名前を知らない人はいても、このメロディを知らない人はいないだろう。

次に流れてきたのは、先のオーディションでも披露した曲。今回披露する3曲の中では一番馴染んでいる曲だ。
目の前にいるのが彼だけならば、私はこれだけ楽しく歌えるのに。

そして最後に、Naked Romance。
初のお披露目は、いつも私のそばにいてくれた彼のためだけに。

この曲に、ありったけの心を込めて。

「……」

「え、えっと。どう、でしたか?」

歌い終えて恐る恐る彼の顔を見る。いつもと同じように、どこか柔らかな笑みを浮かべたまま口を開いた。

「うん、良かったよ。掛け値なしにね」

「ほ、本当ですか!?」

その言葉で私の緊張は一瞬にして緩んだ。終わった後に緩んでも仕方ないけど。

「嘘なんかついても仕方ないだろ? やっぱり、彼の言っていた通りだ。この曲は、小日向さんに歌われるために生まれたんだと思う。秋月さんに感謝しないとな」

「言い過ぎですよぉ……」

「そうかな? でも俺はそう思ったよ。俺以外の人が聞いても、同じ感想を持つと思う」

彼の褒め文句は少しオーバーなぐらいに感じたけど、妙に納得できた。
実際歌ってみると他の曲よりも入り込むことができたからだ。

老若男女問わず親しめる、シンプルな曲調と口遊みやすいキュートな歌詞がその秘訣だろう。

歌に命を与えて欲しい。

そう秋月さんは言っていたけど、私に出来たのだろうか?

「俺はさ、こう思うんだ。誰にでも一曲、ぴったりと合う運命の曲が有るんだって」

「運命の曲?」

「そっ。涼ちんにとってのDazzling Worldしかり、小日向さんのNaked Romanceしかり。その曲に出会えるかどうかは、本当に運次第」
「もしかしたらアイドルなんてものは、その運命の一曲を探すために歌い続けるんじゃないかな?」

プロデューサーは私にコートを着せながら、ロマンチックなことを言う。
良いこと言っただろ? と言いたげな目が可笑しくて、私は彼に乗ってあげることにする。

「それじゃあ私は、目標を達成しちゃいましたね。引退、しちゃおっかな?」

出来る限り、悪戯っぽく笑ってやる。

そうすれば、彼は慌てたような顔をするから。

「うっ、そう言われたら反論できないな……」

「ふふふっ、冗談です」

「心臓に悪いこと言わないで……」

「いつものお返しです」

冷たい空気が張り詰める講堂で、2人の笑い声が響いた。その後、最終調整として音響の確認をしたり、MCの練習をしたりして時間を過ごす。

その間、生徒たちも気を利かしているのか、その間誰も入ってこなかった。
講堂の外は時間が止まっているのかと思うぐらいに静かで、私たちは集中して準備を終えることが出来た。

一通り終わらせ、プロデューサーが買ってきた紅茶を飲む。暖かくてホッと一息。

「ふぅ……、仕事終わりはコーヒーだわ、うん」

隣の彼はやっぱりと言うべきか、コーヒーを飲んでいる。
そんなに飲んでいると、カフェイン中毒になってしまわないか心配になって来ちゃう。

「さてと。明日はお祭りみたいなもんだ。クオリティうんぬんよりも、全力で楽しんで欲しいな。なんせお祭りだからね。俺も舞台裏から見ているから」

「はい。でも」

「でも?」

「私は、プロデューサーにも楽しんで欲しいんです」

「俺もっ?」

「はい。作れなかった想い出を、作って下さい」

「想い出、か。その時と変わらずいるのって、先生しかいないけどな」

もしかしたらOBが顔見せるかもしれないけど、と付け加える。明日はライブということで、町内の人たちも参加できるのだ。
クラスメイトたちの前ですら緊張しちゃう私だけど、いつまでもこのままは嫌だ。もっと強くならないと。

「大丈夫です、私がいますから」

「……それもそっか」

やることがなくなった私たちは、明日に向けて帰ることにする。

講堂を出た時、ドアに友達の悪戯か、『ただ今男女愛引中! 入ったらシメるっ♪』だなんて物騒な張り紙が貼られていたことに気付いた。
この丸っこい字は……あの子だな。しかも漢字を間違えている。わざと?

「はぁ、男女逢引中って誤解を生む言い方を。2人っきりにさせたのあの子らじゃんか」

「そ、そうですね……」

男女という2文字に少しだけドキリとする。普段はそうでもないのに異性だということを意識させられると、
彼の顔をまっすぐに見られなくなってしまうのだ。今もそう、きっと顔は赤くなっている。
そんな私と対照的に、プロデューサーは興味なさそうに溜息をついている。それはそれで悲しかったりする。

「さてと、先生たちに挨拶して帰るかな」

「はい。そ、そうだ。プロデューサー」

「ん?」

「プロデューサーさえよければですけど! 今日、うちで晩御飯食べていきませんか?」

「良いの?」

「多分お父さんとお母さんも喜びますから」

「んじゃお邪魔しちゃおうかな」

「やった! それじゃあ帰りましょう!」

お母さんにプロデューサーも来ることを伝えると、『大丈夫』と言う3文字がすぐに帰って来た。

「そうだ。返信っと」

私はあることを思いついて、お母さんに返信する。1分もせずに『りょーかい♪』と気楽な返事が返って来た。

「ふふっ」

「ん? どうかした?」

「秘密です!」

「秘密? なら聞けないか」

数時間後の彼の反応が、恥ずかしくも楽しみだ。

職員室に向かって先生に挨拶した後、私たちはバスに揺られて家へと向かう。

「んん……」

「プロデューサー。寝ちゃいましたか」

疲れているのか、隣に座る彼は幸せそうに寝息を立てて眠っている。
無防備に寝顔をさらしていて、ちょっぴり可愛い。

「赤ちゃんみたい」

バスはゆりかごで、イヤホンから漏れる歌は子守歌。今の彼はちょっとやそっとで起きそうにない。

するとどうだろう。不意に悪戯心が湧いて来て、彼の寝顔を写メってやりたいと思った。

「ふふっ」

パシャリ。彼はシャッター音にも気付いていないようで、一向に起きる気配がない。もう一度――。

「きゃっ」

バスが急に止まり、車内は大きく揺れる。どうやら、バスの前にボールが転がって来たらしい。

「あ、あのー。プロデューサー?」

「んにゃ……」

「い、いつかの逆、なのかな?」

揺れた反動で、彼は頭を私の方に寄せる。ちょっとした衝撃はあったはずだけど、
それでも彼は夢の中。寝つきが良いったらありゃしない。

「う?、これはこれで恥ずかしいよ」

一番後ろの席だから、見られることは無いにせよ恥ずかしいシチュエーションに違いはない。一瞬にして眠気が覚めてしまうも、

「ふぁーあ……、私も眠くなってきちゃった。すぅ……」

やっぱり眠気には勝てない。

気持ちよさそうに眠る彼に当てられてか、私も心地よい疲れの中眠りにつく。

『次は木羽五丁目、木羽五丁目―』

「……あれ? キバ……ゴチョウメ?」

目が覚めたのは、私たちが降りるバス停から4駅ほど離れた場所。どうやら2人揃って寝過ごしてしまったようだ。

「あれ? 俺寝てた?」

「はい、すっごく気持ちよさそうに」

バスの運転手さんは出るなら早く出ろと言わんばかりにこっちを見ているので、
寝ぼけているプロデューサーを押しながらバスを降りる。
ここからまたバスを待たなくちゃいけないんだよね、ちょっとタイムロス。

「いやぁ、すまない。ここんとこ忙しくて、碌に寝る時間がなくてさ。ふぁーあ」

「いえ、別に気にしていませんから」

「そう?」

「はい。別にプロデューサーが私の肩に頭を寄せて眠っていたことなんて、気にもしていませんよ?」

「うっ、マジでか」

キリっと決めた顔よりも、困ってはにかんだ表情の方が好きだ。だから彼を困らせちゃうことを言うことも好きになって来た。
私も少し、彼を困らせる術をマスターしてきたと思う。

いつまでも、気弱なままの私と思ったら大間違いですよ?

「でも途中何かのしかかって来たような……。不思議といい匂いがしてさ、何だったんだろ」

「き、気のせいじゃないですか!?」

……訂正、まだまだ彼には勝てそうにない。

とりあえずここまで。続きは夜になります。
上手くいくか分かりませんが、ちょっとした仕掛けも用意するつもりです。

読んでくださった方ありがとうございました

――

「プロデューサー君! 久しぶりだね」

「はい、こちらこそ挨拶に伺えず申し訳ございません」

「いやいや、気にすることは無い。ささ、入りたまえ」

「それじゃあ失礼します」

「ただいまー」

小日向家の皆様はあの日と変わらず、俺を暖かく迎え入れてくれる。

「ねぇ、プロデューサー君。美穂とはどう? 上手くいっている?」

「うーん、どうでしょうかね……」

俺は御袋さんの質問にはっきりと答えることが出来なかった。
つい最近まで俺と彼女の足並みはバラバラで、このままアイドル活動を継続することも難しいんじゃないか? と考えていたぐらいだ。

新曲やクリスマスパーティーの準備を経て、少しずつ信頼関係が回復して来たと言っても、
正直なところまだ心の中にはしこりがあった。それはきっと彼女も同じだろう。

「私も美穂の年頃は難しかったからね。まぁ、あの子は寝たら嫌なことも忘れる子だから心配しなくてもいいわよ」

「そう言ってもらえると気が楽になりますね」

勿論そんなにのんきな子じゃないのは知っている。だけど今は、御袋さんの言葉を信じたいと思った。

「ねえ、お母さん」

「うん?」

小日向さんは何やら御袋さんに耳打ちしている。話を頷きながら聞いていた御袋さんは次第ににやにやと笑いだす。

嫌な予感しかしない。心なしか、わが社の事務員様を思い出してしまった。
彼女も笑顔で、碌でもないことを言う人種だった。帰る前にお土産買っとかないと。何が好きかな……。

「悪いんだけど、お父さんとプロデューサー君はお風呂に入っていてもらえるかしら?」

「へ? お父上と?」

思いがけない申し出に面食らう。

「そっ。家のはそこまで広くないから、歩いたとこに銭湯あるの知っているでしょ? 2人で行ってきてくれる?」

「は、はぁ……」

「裸の付き合いと行こうではないか、プロデューサー君」

親父さんに促されるように、俺は小日向邸を出る。タオルも何も持っていないんだけどなぁ。

何年か振りに入った銭湯は、何一つ変わっておらず在りし日にタイムスリップしたかのようにも感じた。ここで泳いだりして親父に怒られたっけか。

俺と親父さんは隣並んで湯船につかる。こうやって誰かと一緒に風呂に入るのもいつ以来か。高校の修学旅行が最後だったかな。

「ところで、プロデューサー君」

「はい、何でしょうか?」

「美穂は、アイドルとしてやっていけそうかね?」

湯気の立ちこめる中、親父さんは真剣な表情で尋ねる。お酒が入った親馬鹿酒乱親父ではなく、遠くの地で1人頑張る娘の安全を願う父親の姿だった。
小日向さんのことが心配になるのも仕方ない。ランクの低さゆえに目立った露出も多いは言えない。
それは俺の責任でもあるんだ。小日向さんの持つ可愛さや魅力を世間へと伝える事が出来ていないのはプロデューサーの罪だ。

「小日向さんは、そうですね。きっかけを掴むことが出来たと思います」

「きっかけ? 何かなそれは」

「曲です。彼女が歌うために生まれたような曲に出会えたんです。それはとても幸運なことだと思うんです」

怪我の功名だがNaked Romanceとの出会いは、俺たちにとって大きな転機になるのは間違いない。

あの曲にはそれだけのパワーがあるし、小日向さんの魅力を120%引き出すことが出来るはずだ。
それは明日証明されると信じている。

「そうか……。だがプロデューサー君、今日の美穂を見た時、何か悩んでいる。そう感じたんだ」

「……ええ、やはり分かってしまうものなんですね」

「伊達に16年、いや17年間父親をしていないからね。君も、子供が生まれたらわかる。どんなに自分をごまかしても、家族ってのは分かってしまうんだ」

「成程、貴方には勝てそうにないです」

俺は彼女の近況を親父さんに話した。
オーディションで惨敗したこと、初めてできた先輩の夢が破れる瞬間を見てしまったこと、
アイドルとしての在り方を見つめ直していること。
洗いざらいすべてを、彼に伝える。

正直殴られても仕方ないと思ったし、アイドルを辞めさせると言われても反論できなかったかもしれない。

彼女がこうなったのも、俺の責任だ。もっとしっかりしていれば、彼女を傷つけることもなかったのに。

「そうか……」

親父さんは俺の話を黙って聴いてくれた。彼にだって思うことはあっただろう。
だけど彼は、俺を責めるなんてことはしなかった。

「美穂にとって、いい経験なのかもしれないな」

「え?」

「親がこういうのもあれだが、美穂はこれまで挫折と言う挫折をしたことがなかったんだ」

「それはどういう」

「何かを目指すって事が初めてなんだよ。いつもそれなりにこなしてしまうから、こういう高すぎる壁にぶち当たったことも、誰かが傷つくところを見たこともなかった。だから今、戸惑っているんだろう」

言われてみればそうなのかもしれない。
これまで彼女は勉強もそれなりにこなしてきたしクラブ活動に参加していなかったから、
大きな目標に向かって努力すると言う経験が少なかった。

それなのに今、トップアイドルと言う高い高い目標とそれに伴うシビアすぎる現実に、彼女はぶち当たっている。
その厳しい世界に誘ったのは、他でもない俺たちだ。

「だから、君が自分を責めることは無い。大丈夫、私たちを信用しなさい。美穂は必ず、元気になるから。それに」

「それに?」

「私たちは、君に美穂を預けて正解だと思っているんだ。美穂と一緒に悩んで、時に反発することはあっても、共に未来へ向かってくれている」
「きっと君は、美穂の喜びを自分の喜びのように感じてくれて、美穂の悲しみを一緒に背負ってくれる男だと信じているよ」

「それは、ありがとうございます」

結婚前のお婿さんとお義父さんの会話みたいですね、なんて言ったら湯船に沈められそうなので黙っておく。

「さて、湯当たりしちゃう前に家に戻るか」

「はい」

お風呂から出て、親父さんからコーヒー牛乳を渡される。
どうして風呂上りに飲むコーヒー牛乳はこんなに美味しいのだろうか。科学的に誰か証明して欲しいものだ。

「男の付き合いってやつだな。うちに息子はいなかったから、こういうのに憧れていたんだ。あー、美味い!」

親父さんは嬉しそうに言うと、腰に手を当ててコーヒー牛乳を一気飲みする。

「俺なんかで良かったんですか?」

「何。私は君のことを息子が出来たみたいに思っているよ。母さんも同じだろう」

「そう言われると、照れますね」

本当に、優しい人たちだ。
こんなどこの馬の骨か分からない人間に、ここまで親切にしてくれるのだから。
余りに人が良いもんだから、詐欺師に引っかからないか心配になって来た。

「今のままじゃ、俺も似たようなもんだな」

「何か言ったかね?」

「いや、何でもないです。しっかし美味いなぁ、コーヒー牛乳」

俺も小日向さんをトップアイドルにしないと、それは詐欺師と一緒。

「それは何としても回避したいな」

色んな人の期待を背負って彼女は歌い踊る。小日向さんの夢は、俺の夢でもあるし、彼女を信じている皆の夢でもある。
プロデューサーとしてすべきことは、その夢を現実にするため導くこと。

俺も1度、プロデューサーとしての自分を見つめ直すかな。

――

「どうかな、お母さん」

「うーん。形はいびつね……。あまり練習できてないんでしょ?」

「ま、毎日忙しくて……」

台所にお母さんと一緒に並び、夕飯の準備。男2人を追い出したのは、私がご飯を作って驚かそうと思ったから。
いつも私を応援してくれているお父さんと、こんな私を信じつづけてくれた彼への感謝の気持ちを、
手料理という形で示したかったのだけど――。

「危ないわねー。ほら、包丁で切るときはこうして……」

「ご、ごめんなさい?」

折角お母さんから託された料理本も、忙しさを言い訳に殆ど読めていない。
結果朝は菓子パン、昼は学食、夜はお弁当か外食。それが私の基本ルーティンになりつつあった。

時間があるときは自炊もするが、それでも人に見せられたものじゃない。
本当なら出すのも烏滸がましいぐらいなんだけど、不意に作ってみたくなったのだ。

何がトリガーになったか分からないけど、こういう風に突発的に体が動くことは珍しくない。

「で、出来たの、かな?」

危うげで慌ただしくも、なんとか準備を終わらせる。見てくれは不恰好だけど、気持ちは入っているはずだ。
塩と砂糖を間違えたりなんかしていない、はず。

「まぁ、及第点ってところかしら。でもこれじゃあ、まだまだね。プロデューサー君も美穂に気がいかないわよ?」

困ったように言うけど、お母さんの顔はニヤニヤとしている。私のリアクションを楽しみにしているのだろう。
そして私は、彼女の望んだ通りのリアクションを取ってしまうのだ。

「も、もう! そう言うのじゃないよ! プ、プロデューサーは……」

プロデューサーは、何だろう?

「あらあら、顔紅くしちゃって。朗報よ、美穂。プロデューサー君は……」

「ただいまー」

「失礼します」

「あら、帰って来ちゃった。美穂、料理机に並べといて」

「あっ、うん」

お母さんは何かを言おうとしたけど、2人が帰ってきたため中断される。
変わらずニヤニヤとしている辺り、禄でもないことを言おうとしたんだろうなというのが見て分かった。

「みんな揃ったわね。それじゃあ頂きます」

「頂きます」

家族とプロデューサー合わせて4人での食卓。数週間前に熊本に帰ったばかりだったから、
両親と食べるご飯はあまり久しぶりと言う感じがしない。

ただ違うのは、私の目の前に椅子が置かれていること。そこに座っているのは、プロデューサー。
こうやって並ぶと、お兄ちゃんのようにも思えてきた。それ程自然に我が家の団欒に交じっている。

「ねぇ、プロデューサー君。お味はいかが?」

プロデューサーは私の作った肉じゃがを口に入れる。私はそれを、ドキドキとしながら見ていた。
審査員はどう評価するか?

「味付け、前と違いますか?」

「ッ!」

「少しアレンジしてみたの」

アレンジと言うと聞こえがいいけど、実際は私が調味料の配分を間違えただけ。いつもより味が濃いのはそのせいだ。

「これは……」

お父さんも味の違いに気付いたらしく、私を見る。どうやらお父さんはお見通しのようだ。

「どうかしら?」

「そうですね。俺は今日の味の方が好きですよ。うちの味になんとなく似ていますし」

「本当ですか!?」

「わぁ! ど、どうしたの小日向さん……。身を乗り出しちゃって」

「あぅ、す、すみません……」

褒められたのが嬉しくて、ついつい行儀の悪い行動に出てしまった。
彼は私が作ったということに気付いていないみたいだ。

「プロデューサー君、実は今日の夕飯はね、美穂が全部作ったのよ」

と、ここでネタ晴らし。正確にはお母さんの力も多分に有ったので、7,8割って所かな。
それでも、この肉じゃがは私1人で頑張ってみた。だから、褒められたのがすごく嬉しい。

「だと思ったよ。いつもの母さんの味付けと違うからな。銭湯に行っている間に作っていたんだろ?」

流石お父さん。よく分かっている。

「そ、そうなの?」

落ち着いていたお父さんと対照的に、プロデューサーは意外だと言ったように、驚きを隠しきれないようだ。

「小日向さん、料理も出来たんだ」

「ま、まだまだ勉強中です。見てくれも、不恰好ですし」

「でも筋は良いと思うな。味も俺好みだし」

感心するように、肉じゃがを食べる。気に入って貰えたようで何よりだ。

「良かったじゃない、美穂。気持ち伝わって」

「えへへ」

「き、気持ちだと!? ま、ままさか美穂! プププロデューサー君と、そ、そんな関係に!」

「ち、違うよ!」

「なってません!」

「まぁまぁ、お父さんも落ち着いて。ほら、これでも飲んで」

「ああ、すまないな。つい自分を見失いかけてしまった」

お母さん、お父さんが飲んでいるの、お酒だよね?

「わぁがこひぃにゃたけの美穂のキュートさわぁ、しぇかいいちぃぃぃぃぃ!」

「お父さん……」

「すぅ……」

案の定、お父さんは酔いつぶれて眠ってしまう。
さっきまで執拗なぐらいに絡まれていたプロデューサーの顔にも疲労が見えていて、なんだか申し訳ない。

「プロデューサー君、悪いんだけどお父さんを部屋に運んでくれないかしら? お布団はこっちで用意しておくからさ」

「分かりました。えっと、行きますよ親父さん……」

「ぐすぅ……、てめぇ美穂は渡さんぞぉ……。ぶっKILL YOU……すぅ」

夢の中で誰かと戦っているお父さんを引っ張るようにして、プロデューサーは歩き出す。

「お母さん、お父さんこうなるの分かっていてお酒飲ませたでしょ?」

「さて、何のことかしら?」

誤魔化すように口笛を吹くお母さん。微妙にできていなくて、空気の音がフーフーと言っているだけのが滑稽だ。

「ふぅ。今日はご馳走様でした。美味しかったよ、掛け値なしにね」

「え、えっとお粗末様、でした?」

皿洗いを終えると、プロデューサーが帰る準備をしていた。いったん中断して、彼を玄関まで見送る。

「それじゃあ明日、頑張ろうな」

「はい!」

「すみません、失礼しま」

「あー、そうだプロデューサー君。今日泊まって行かない?」

ドアを開けて出ようとしたところで、お母さんがそんなことを言った。

「へ? 泊まってって……。俺の家、歩いて10分程度のところなんですけど」



「まあ良いじゃないの。ほら、パジャマならお父さんの貸してあげるから!」

「え、ちょっと!?」

お母さんはスーツを引っ張ると、強引に引き戻す。

「お父さん、お酒飲んだらなかなか起きないのよ」

「は、はぁそうですか。でもそれが何の関係……」

「ああ、もうじれったいわね! 美穂の部屋で寝なさいって言ってんのよ! お母さん公認よ?」

「へ?」

え、えっと……。お母さん? 何を言っているのかな?

「お、お母さん。私はどこで寝たらいいの?」

「どこって、自分の部屋で寝なさいよ」

だ、だよね。うん、何一つおかしいところはない。
ほとんどの荷物を東京に持って行ったけど、布団ぐらいはあるはずだ。
部屋の主なんだから、そこで寝るのは間違っていない。当たり前のことだ。

「それじゃあ俺は?」

「プロデューサー君も美穂の部屋で寝なさいよ」

うん。おかしいところしか見当たらない。

「えええええ!? い、い、一緒に!?」

「いやいやいや! それはまずいです! 男女7つにして同衾せずって言うじゃないですか! それに、俺と小日向さんはアイドルとプロデューサーですし……。もしもパパラッチがいたら!」

「いるわけないじゃない。まだまだこんなヒヨっ子アイドルなのに。それに、家の中から出ていく方がアウトじゃない? 親がいても、親公認って書かれるだけよ?」

「うっ……」

悲しいかな、ヒヨっ子アイドルと言われても反論できなかった。ほとんど名前が知られていないようなアイドルに、
パパラッチがわざわざ熊本まで来るなんておかしな話だ。

「で、でもそれは恥ずかしいよ! 来客用の部屋とかあるでしょ?」

「そうですよ! なんなら俺、リビングで寝ますし」

「風邪ひいちゃうわよ?」

「それは困りますけど……」

それ以上に選択肢がそれしか無いのも困る。嫌と言うわけじゃないけど、うん。私にはムリだ。

ただお母さんの性格上、プロデューサーを何としてでも帰そうとしないだろう。
このまま問答を続けていても、不毛に思えてきた。

仕方ない。覚悟、決めます。

「はぁ。分かったよ、お母さん。プ、プロデューサー! 私の部屋に行きましょう」

「え? 小日向さん?」

「は、恥ずかしいことこの上ないですけど! 風邪ひいて、明日楽しめないのは嫌です、から。ダメ、ですか?」

「いやっ、嫌とかそういうのじゃあなくてね……」

「つべこべ言わないで泊まって来なさい! 良いわね!」

「わ、分かりました……」

「よろしい。それじゃあ美穂、プロデューサー君を案内なさい」

どうしてこういう展開になったのだろうか?
お母さんの思い付き行動は今に始まったことじゃないけど、今回に関しては悪意しか感じない。

「……」

「……」

タダでさえ明日のステージで緊張しているのに、隣には彼。
当然眠れるわけがない。年頃の娘が男の人と同じ部屋というシチュエーションは、私には無縁だと思っていた。
ドラマでその手のシーンがあった時、私はいつも目を逸らして耳をふさいで見ないようにしていた。
とてもじゃないけど、凝視するなんてことは出来ないのだ。

しかし今、私はプロデューサーと同じ部屋にいるわけで。

「……眠れない?」

「はい。眠れるわけがないです」

背中を向け合っても、そこに彼がいると感じるだけで私の心臓は張り裂けそうになる。

「だから……お話しませんか? 眠れるまで」

普段だって夜寝る前に小説や漫画を読んで夜更かししている。そのせいで昼寝することが多いのだけど、習慣になってしまうとそう簡単に崩せない。

「……そうだな。何を話そう」

「私、殆どプロデューサーのこと知らないです」

「俺のこと? あんまり話してなかったからね」

「不平等です」

「へ? そうなの?」

「私のこと、たくさん知っているのに、私はプロデューサーのこと、全然知りませんから」

10分歩いた先に生まれて、同じ高校出身で、犬派で、肉じゃがは濃い目が好きで、
クリスマス時期になると体調を崩しやすくて、どこまでも一途なほどに私を信じてくれる。

そんなプロデューサー。

だけど、まだまだ私の知らない彼の姿があるはずだ。それを知りたいと思うのは、
パートナーとして当然のことだと思う。

「例えば……。そうだ。高校時代のお話とか」

「高校時代? あんまり面白くないぞ?」

「それでもです。どんな話でも楽しめる自信、ありますから」

「そう? 高校時代の話って言ってもどういう事話せばいいんだか」

どうしたものかと困る彼にきっかけをあげよう。インタビュアーは新人アイドル小日向美穂。
私は頭に思い付いたことを聞きつづけた。

初恋のこと、友達のこと。他愛のない話から、彼の価値観を形成させた経験まで。
私の質問に、彼は苦笑いを浮かべながらも答えてくれた。

そうしている内に、時計は11時59分。もう直ぐでシンデレラの魔法は解けてしまう。カウントダウンは止まらない。
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恥ずかしさで口を開くことができず、気まずい静寂が訪れる。遠くの方から犬の鳴き声がハッキリと聞こえてくるぐらいに静かで、私の部屋には息遣いと自分の心臓の音だけが流れていた。

「そ、そうだ! 誕生日プレゼントだけど」

「ひゃい!」

沈黙を破ったのは彼。唐突に声をかけられてすくみあがってしまった。

「いろいろ考えたんだ。クマのぬいぐるみとか、お洒落なアクセサリーとか。でもさ、俺ってこういうのに疎いもんで結局用意できなかった」
「その代わりってわけじゃないけど、何か1つ命令を聞くっていうのはどうかな? ランプの精みたいに何でも出来るってワケじゃないけど、できる限りのことはしてみるよ」

「何でも、ですか?」

「勿論常識の範囲内でね。美味しいもの食べたいとか、この服を買って欲しいとか、宿題は……自分でやってね」

何でもとは言ってくれたけど、いざ考えてみると中々思いつかない。私からすれば彼に祝ってもらっただけでも嬉しいんだけど、そうはいかないみたいだ。

「ちょっと考えてみて良いですか? えっと、明日になるまでには決めますから」

「そう? 遠慮なんかしなくていいよ? なんてったって! 今日は一年で一番スペシャルな日なんだからさ」

「そうですねっ」

涙は悲しみだけじゃない。時に心震わす喜びもこらえきれない涙となる。

今の私はそんな単純なことに気付けただけなのに、ポロポロと涙を流していた。

彼の前で泣いたのは2度目だったかな。1度目はオーディションの後。悔しさと虚しさで、私は頬を濡らせた。
だけど今は違う。

ごめんなさい、そんな言葉はもうたくさんだ。

だから私が彼に言うべき言葉は――。

「ありがとう、プロデューサー。私、明日輝いてみせます」

「そうか。期待しておく」

「はい。その期待、裏切ってみせます」

「ああ、楽しみだよ」

どうやら彼も眼が冴えてしまったらしく、私たちは眠くなるまで色々な話をした。
今度は私が、インタビューに答える番だった。

12月16日。その日、私は17歳になった。

朝の食卓は3人で囲む。プロデューサーは、般若が如きお父さんから逃げるように家に帰って行った。
後程学校で落ち合う予定だ。

「おめでとう、美穂」

「ああ。17歳か、時間の流れは早いもんだな。あんな小っちゃかった美穂が、こんなに大きくなって」

「もう、お父さんったら」

大きくなったと言っても、私は同い年の女子の中では背が低い方だ。
ひんそーでちんちくりんと言っても差し支えないだろう。

「美穂、誕生日プレゼントって言うには面白くないかもしれないけど……」

両親は私に可愛らしいクマの絵の包装紙でラッピングされた箱を渡す。

「えっと、開けてみて良い?」

「ああ、開けてみなさい」

お父さんに促され、箱を開ける。

ラッピングされた包装紙を破り過ぎないように慎重にし開けたため、結構時間がかかってしまった。

「美穂ちゃん、誕生日おめでとう!」

「おめでとう!」

「ハッピーバースデー! 良いですね! ウクレレで踊りましょう!」

学校に着くなり私は友達から祝いの言葉を投げかけられる。18歳最初の朝は騒がしく慌ただしい。

今日の予定としては通常授業を行い、18時からパーティーが始まる。私のステージは、19時ごろだ。

それまでの間、私は久し振りの教室で授業を受けることになった。
もう一度、このクラスで過ごさせてほしい。そうプロデューサーが先生に言ってくれたらしい。

「勿論です。彼女はずっとクラスの仲間ですよ」

先生はプロデューサーのお願いを、当然でしょと言った感じで受け入れた。
制服こそは東京での制服だけど、熊本を出た日から変わらない陽だまりの席に私は座って、授業を受けていた。
4時間目は体育の授業、外でバスケットボールだ。

「えいっ」

「ナイスシュート!」

「えへへ」

周りも私に気を利かせてくれたのか、気が付いたらボールが回って来た。
その度にゴールに入れてみよう! と頑張ってみたけど、シュートが入ったのは一回だけだった。

「プロデューサー、ネクタイずれちゃっています」

「あっ、ホントだ」

「直してあげますね」

私の手は吸い寄せられるようにネクタイへ飛んでいき、真っ直ぐに整える。

「んしょ。はい、出来ました」

「ありがとう、小日向さん」

「ほうほう……」

「グレートですよ……こいつぁ……」

「え? あっ、これは! そ、その……」

見事なまでに自爆をしてしまう。あたふたする私を、周囲は微笑ましく見ていた。

「とーこーろでっ。プロデューサーさんは」

「ん? 俺?」

「美穂ちゃんのどこが好きなんですか?」

「なっ!?」

な、何を言うの!?

「あっ、今の好きはだね! ライクと言いますか……みんなが小日向さんに対して持っている好意の延長線に有るといいますか……」

「で、ですよね。そう、ですよね!! ライクですよね! もう! ビックリしたじゃないですかぁ」

「あー、見てらんねーっす。爆ぜちゃえ爆ぜちゃえ」

聞いてきたのはそっちなのに、彼女たちはうんざりしたように言う。

「でも良かったね、美穂ちゃん。プロデューサーは好きなんだって」

「真っ直ぐかぁ。美穂ちゃん、真面目だもんね」

「も、もう……」

「だからライクだって……」

好き。その言葉にドキッとしたのは、男の人に初めて言われたからだろう。
だからプロデューサーじゃない誰かに同じセリフを言われても、きっと同じようにドキドキするはずだ。

でも、死ぬまでに決められている分の鼓動を、一気に消化しそうな勢いなのは、
ずっとそばにいてくれた彼のせいなのかな。

本当はいけないことだと思う。でも、どうしてなのかな。不完全燃焼な感情が私の中で燻っている。多分きっと操縦不可能な、厄介な感情。
彼の好きがライクだったことが、少しだけ――ホンの少しだけ胸を締め付けたのだ。

当然だ。私たちアイドルは、夢を与えるお仕事。ファンの前では優等生でいなくちゃいけないのだ。
ワイドショーでも度々そんな話題が上がる。私たちが誰かに恋をしたら、裏切られたとファンの皆は思うのかな。

この世界に来た時点で私とプロデューサーは、誰よりも近い他人で有り続けないといけない。
でもこの世界に来なければ、彼に会えなかった。……きっとそういう物なんだろうな。

ーー私のこと、美穂って呼んでください。

驚きますか? プロデューサー。私も、こう呼ばれたいと思うようになって、驚いています。

「覚悟して下さいね、プロデューサー」

彼に聞こえないように、そっと宣誓布告。

皆からすると大したことじゃないかもしれないけど、それでも私にとっては大きな一歩なんだから。

「よしっ」

午後の授業も頑張らないと!

>>283
18歳→17歳

元SSの名残でした。それでは投下して行きます

「おーい、小日向さーん!」

「あっ、プロデューサー! ってどうしたんですか、その恰好」

遠くから手を振る彼は、何故かサンタ服を着ていた。人の波を上手くすり抜けて彼はこっちにやって来る。

「スーツにジュース零しちゃってさ。濡れたまま居るのも気持ち悪いしで服を貸してもらったんだ。まぁ、衣装は気にしなくていいよ。メリークリスマスっと」

彼がグラスを突きだしたので、私たちも乾杯をする。

「そうなんですか。結構似合っていますよ? 御髭もあれば完璧です」

「そう? それは嬉しいんだか、悲しいんだか。ってやばっ! それじゃ舞台裏で待っているから! 着替えは忘れずにね!」

「へ?」

そう言って彼は逃げるように駆け出す。どうかしたのかな?

「まてー!」

「サンタさんをつかまえろー!」

「プレゼントはボクのものだー!」

「ハーレム王に俺はなるー!!」

「あっ、そう言うことだったんだ」

「サンタさんは……。あっちに行ったよ」

プロデューサンタを助けても良かったけど、子供相手に嘘を吐くのは悪い気がして、正直に教えてあげる。

「ありがとー! プレゼント貰うぞー!」

「おねえちゃんも俺と契約してハーレムに入ってよ!」

「ええ?」

小学生らしからぬ言葉が聞こえた気もするけど、気のせいとしておこう。子供たちはサンタ狩りへと再び駆け出す。

「ごめんなさい、プロデューサンタ。どうか御無事で」

結局プロデューサンタは捕まってしまったらしく、私より後に舞台裏にやって来たときには、既にぼろぼろの状態だった。

「さ、最近の子供は元気が有り余っているね……。俺、転職してもサンタクロースだけはならないようにするわ……」

「お疲れ様です、プロデューサンタ」

これから始まると言うのに、プロデューサーは息も切れ切れでへばりこむ。彼らはプレゼント貰えたのだろうか。

「うん。小日向サンタも結構様になっているよ」

「そうですか? でもやっぱり、恥ずかしいです」

「あれ? そのカチューシャ……」

「あっ、気付きました? これ、私への誕生日プレゼントなんです。へ、変でしょうか?」

淡いピンク色のサンタ服に白雪の様なカチューシャ。私はあまり気にならなかったけど、
第三者から見てこの組み合わせはどうだろうか。

「小日向さん。失敗しても気にせず続けること。ショーマストゴーオンだ。君を採点する存在はいない、精一杯楽しんでおいで」

「は、はい!」

ステージはいつも一期一会だ。

リピーターがいたとしてもいつも同じ人ばかりなんてことは有り得ない。
あまり考えたくないけど、私のステージがサイゴになる人だっているかもしれない。

今日その場所その瞬間の私を見ることが出来るのは、その時だけ。チャンスは一度きり、曲が始まるともう止まらない。
プロデューサーは失敗しても気にするなと言ってくれたけど、そう思うと足がすくんでしまう。

「小日向さん?」

私の異変に気付いたのか、彼は私に近寄る。

「怖い?」

「えっと……。凄く怖いですし、やっぱり恥ずかしいです。そのっ、プロデューサーが言うように、私は楽しめるんでしょうか?」

後数歩先に進めば本番だと言うのに、私はまた怯えてしまう。緊張と、羞恥心と、不安。
それぞれが混じり合って感情の振り幅は大きくなる。
だけど――。

「楽しめるさ。だから自信を持ってほしい。君は――立派なアイドルだから」

冷たくなった私の手を優しく包んでくれる彼の手は、不思議と暖かくて。
私の中に彼の想いが伝わるような、そんな感覚。

大丈夫だ。私には、彼が付いている。彼が信じる、私を信じよう。

「み、みなさん! こんばんわ! こひ、こ、ここ小日向美穂でしゅ!」

意気揚々と出たのは良いものの、早速噛んでしまう。舞台裏をちらっと見ると、プロデューサーは苦笑いしていた。

「よっ、待ってましたー!!」
「美穂ちゃーん!!」
「L・O・V・E・ラブリーみほたん!」
「美穂ー!!! お父さんも見ているぞー!!」

友達が拍手を始めると、周囲もつられて手を叩き出す。
私と彼らの間には垣根なんかなくて、手を伸ばせば届きそうな距離にいる。

講堂をぐるりと見渡すと、さっきの子供たちはお母さんに捕まっていた。
ステージに上がられたら困るもんね。少しだけ、我慢していてね。
目があった子供たちは私に手を振る。私もそれに応えるように手を振った。

「え、えっと! 私は東京でトップアイドルめ、目指して頑張っています! き、今日は、呼んでくれてありがとうございます!! その……、全力で楽しんでってください!!」
「まずは1曲目! クリスマスソングの定番です! 神様のbirthday!」

1週間と2日ほど早いけど、私からのメリークリスマスは歌に乗せて。
イントロに合わせて踊り出すと、オーディエンスもリズムに乗り始める。うん、いい感じだ。

特別だよ誰だって主役になれるから、か。
去年なんか、この曲をBGMにお使いに行っていた様な子なのに、大出世だ。

「わぁっ」

気が付くと音楽に合わせて、吹奏楽部の演奏も。
どんどん華やかに、軽やかに。空を飛んでいる心地で私はステージにいた。

「そんな17歳になったばかりの美穂ちゃんに、プレゼントが有りまーす!!」

友達がそう言うと、舞台裏から大きめの箱を持って生徒が現れる。この人、クリスマス実行委員会の委員長さんだ。

「お誕生日おめでとうございます、小日向さん」

「あ、ありがとうございます。あ、開けちゃっていいですか?」

「どうぞ。我々生徒一同からのプレゼントです!」

「え、えっと……。失礼します。こ、これは……」

リボンをほどいて箱を開けると、そこには大きなクマさんが。

「美穂ちゃんの大好きなクマさんのぬいぐるみです! 抱き心地は保証するよ!」

言われて抱きしめてみる。不思議と体にフィットして、抱きしめたまま眠れそうなぐらい、気持ち良い。

「み、みなさん……。ありがとうございます! こ、こうやって17歳の誕生日を、みんなに言わって貰えて凄く嬉しいです!」

力いっぱいお辞儀をすると、カチューシャがずれてしまう。慌てて直す私を見て、会場はまた大盛り上がり。
歌っている時より沸いているように見えて、複雑な気持ちになる。

ならば、歌で盛り上げるだけ。

「最後の曲になっちゃいました。えっと。この曲は、ここで初披露する、生まれたての歌なんです」
「Naked Romance――。ありのままの恋心、どうか皆様の心に何かを残すことが出来れば、凄く嬉しいです」

プロデューサーに目で合図をする。彼は頷くと、音源のスイッチを入れてイントロが始まる。

大丈夫、歌詞はちゃんと覚えている。口に出すのは恥ずかしいぐらい甘々な歌詞だけど、
このメロディに乗せれば不思議と紡げる。

それに今の私は、何でも出来そうなぐらい浮かれている。羞恥心なんかなんのその。

だってそこに、彼がいるから。

ありのままの恋心。恋なんて数か月前の私には理解の出来ないものだったのに。
今ならなんとなく分かる気がする。
まだ卵のように何が生まれるかわからないけど、それでも私にとって大きな力を与えてくれるもの。

「ブラボー!!」
「美穂ちゃんサイコー!」
「結婚してくれえええええ!」
「ハーレムに入ってくれえええ!」
「おい誰だ今私の娘に結婚してくれとかハーレムに入ってくれとか言ったやつは! 私が相手してやるぞおおおお!!」

「わぁ……」

講堂に割れんばかりの拍手の雨が響き渡る。
そしてばらばらだったそれは、徐々に一定のリズムになっていく。

「アンコール! アンコール!」

「え、えっと……。プロデューサー? どうしましゅ?」

「あはは……。完全に失念していたな」

噛んじゃった。それは良いとして、アンコールのことを完全に忘れていた。
えっと、歌えそうな曲歌えそうな曲……。

「あっ」

ティンと来た。壁の時計の下に、ちょうどいいものが。

「お疲れ様!」

舞台裏に捌けた私を、プロデューサーが笑顔で待っていた。拍手はまだ止まる気配を見せない。

「プロデューサー! 私、どうでしたか!?」

「ああ、最高だったよ。会場も大盛り上がりでさ、みんな君のファンになったこと間違いなしだよ!」

「えへへ……。あのっ、プロデューサー。や、約束! 憶えていますよね?」

「え? えーと、なんのことやったかな……」

「どうして関西弁なんですか。ステージに上がる前の約束です」

「あ、ああ。約束、なんだよねぇ……。勢いで行っちゃったって今更言えない」

頬を掻きながら、私の目を見ないようにしている。もう、いじらしいなぁ。

「プロデューサー! 卯月ちゃんやちひろさんのことは下で呼ぶのに、私は名字だなんて不公平です」
「それに、今日私誕生日です! プレゼントはそれが良いんです」

「え? それで良いの?」

貴方からもらえるプレゼントで、一番嬉しいのがそれなんですよ?

「それとプロデューサー」

「何かな? こひ美穂」

直ぐ訂正したからセーフにしておく。

「一緒に、踊りませんか?」

「ほえ? 踊るって?」

「ダンスパーティーですよ」

ロマンチックな音楽が流れる中、楽しそうに踊る生徒たち。見ると私の知っている顔も踊っている。
あの子、彼が好きなんだ。ちょっと意外かな。

「えっと、私と想い出を作りませんか?」

言えるか心配だったけど、意外なほどすんなりと誘うことが出来た。自分でもびっくりしている。

「でも俺、ダンスなんかしたことないし。恥かくよ?」

「私も同じです。ソシアルダンスなんか、専門外ですよ。だからお似合いじゃないですか? ビギナー同士、恥をかきましょう」

「なんだか積極的だな……」

それはきっと、ライブが終わったままのテンションだから。
いつもの状態だったなら、言えずに間誤付いて後で後悔していたに違いない。

祭りの終わった講堂は片付けが進められていて、いつもの冷たい建物へと戻りつつある。
明日からまたバスケ部やバレー部が使用するのだろうと思うと、ちょっぴり寂しくなる。
もう遅い時間なため撤収作業もそこそこに、生徒たちは家へと帰っていく。
残った分は明日の朝から片付けなくちゃいけないんだけど、私と彼は朝一の飛行機で東京に帰ることになっている。

だからみんなとはここでお別れだ。

「えっと、ごめんなさい。手伝えなくて」

「美穂ちゃんはゲストなんだから気にしちゃダメだって」

両親に預けていたクマのぬいぐるみを抱きながら、友達たちと最後の挨拶をする。

「そーそー。だからうちらのことは置いといて、プロデューサーさんと東京に帰ればいいの!」

「ありがとう。私頑張るね」

「CD出たらクラスの皆で買うからね! 1人3枚がノルマだよ!」

「後、今日録画していた映像、今度送って来ますね」

「助かるよ。あっ、事務所の住所はこれね」

私は気付かなかったけど、ライブの模様は映像研究部が撮影していたらしい。
どうやらプロデューサーがお願いしたようだ。
帰ってから反省会でもするのだろう。テンションで乗り切ったけど、細かいところを潰していかなくちゃいけないし。

今日はここまでにします。リメイクしたのも誕生日に合わせたかったって理由ですね。
なにはともあれ、小日向ちゃん誕生日おめでとう!

――

12月17日。クリスマスイブ1週間前。
俺とこひな……、美穂は飛行機に乗って東京へと向かっていた。
もう少し熊本でゆっくりさせたかったけど、仕事も学校もあるからそうもいかない。

ご両親に挨拶を済まして、俺たちは空を駆けているというわけだ。
そう言えば……彼女と飛行機に乗ったのは今回のライブが初めてだったな。

「すぅ……」

朝早く出たため、彼女は寝足りなかったみたいだ。クマのぬいぐるみを抱きしめてスヤスヤと眠る彼女は、
とても安心しているように見えて、こちらの不安まで消してくれそうで。
出会った頃と同じように見る人を魅了する、可愛らしい寝顔を晒していた。

「あらっ、寝ているのね。残念」

「へ?」

寝顔を堪能していると、不意に声をかけられる。

「あっ、いえ。何でもありません」

「あれ? あなた確か……。前に空港で」

「? キャビンアテンダントですから、空港で会うとは思いますけど」

確かにそうだけど、俺は彼女の顔を憶えている。どこで見たんだっけか……。

「お客様?」

「いや、今のど元まで出ているんです。えーと、えーと……」

会ったとすれば空港か飛行機だ。俺が今年空港に来たのは、美穂を迎えに来た2回と、今回だけ。
その時に彼女に出会っているはず。いや……、見ているはずだ。

「思い出した! 美穂とぶつかったCAさんだ」

美穂が初めて東京に来た日、よそ見をしていた彼女はCAさんにぶつかってこけたんだっけか。その時の人だ!
なんだか小骨が歯に引っかかったみたいで気持ち悪かったけど、思い出せてスッキリとする。

「美穂と……。お客様、彼女のお兄さんでしょうか?」

彼女は俺を訝しげに見る。確か知らない人から見れば俺と美穂は兄妹のように見えるのか。
こんなに可愛らしい妹がいたら、それはもう人生勝ち組な気もするが。

「えっと、なんと言えばいいか。プロデューサーなんです、こう見えて」

「はぁ、ご丁寧にどうも……」

とりあえず名刺を渡す。CAさんは対処に困っているようだ。

「ってプロデューサー? まさか美穂ちゃん、アイドルなんですか?」

「と言っても、駆け出しの中の駆け出しですけどね」

「道理で可愛いわけだ。成程、先輩になるって事ね」

俺の説明に、うんうんと頷いて納得するCAさん。着ている服が服なだけに、どんな行動も様になるな。

CA風衣装を着た美穂。うん、悪くないかもしれない。

「ん?」

先輩になるってどういうこっちゃ?

「実は私、今日でCA辞めるんです」

「そうなんですか。でもそういう事、話しちゃっていいんですか?」

「まぁ美穂ちゃんに聞いて欲しかったんだけど、気持ちよさそうに寝ているから起こせないし。プロデューサーさん。よかったら伝えておいてくれます?」

ひょっとして彼女が辞める理由って……。

「相馬夏美はアイドルになるって」

「あ、アイドルですか!?」

「起きちゃいますよ、美穂ちゃん」

相馬さんと言う彼女は、口元に人差し指を立てて静かにするよう注意する。
結構な大声が出たはずだけど、美穂には聞こえていなかったみたいだ。
ギューとクマさんを抱きしめて、夢の中。そんなに気持ちいいのだろうか。今度貸してもらおう。

「あっ、すみません。でもCAからアイドルですか。そりゃ驚きますよ。大転身じゃないですか」

そもそもCAになることだって相当難しいはずだ。それでも、彼女はアイドルになると言う。
その覚悟は相当なものだろう。

「確かに、デビューとしては邪道よね。アイドルって呼べる歳でもないし」

「いくつなんですか?」

「それ、失礼よ? レディーの扱い方分かっている?」

「す、すみません」

さっきまでの丁寧な彼女はどこへやら、遠慮なしに攻めたててくる。
というか、普通に会話しているけど、職務は全うしなくていいのだろうか。

「でもまっ、今年25歳になった身だから、周囲は何やってんだって思うのかしらね」

「相馬さん、女性はいつだってシンデレラになれるんですよ」

極論30歳を過ぎようが、チャンスは転がっているんだ。
年齢が大事なんじゃない、いつだって大切なのは輝きたいと思うハートだと俺は思う。

だから、服部さんだってまだまだ若造なんだ。

「あら……口説いちゃう? 折角の申し出嬉しいわ。でも残念だけど、私はもう予約済みだからね」

「それは残念です。きっと見る目のあるプロデューサーなんでしょうね」

「どうかしらね? 飛行機酔いしていて薬を持ってきたらスカウトされたわ。もっとマシな出会い、無かったのかしらね?」

そういう運命なんだろう。ふとした切っ掛けが、思ってもなかった展開へ誘ってくれる。

縁は異なもの味なもの。人と人の巡り合いは予測出来やしない。シナリオ一切なしのアドリブだ。
だからこそ、人生は面白い。20代前半で何悟ったこと言っているんだろうな、俺は。

「まぁこれも何かの縁。私もこのチャンスに賭けてみたいと思うわ。もしどこかで会った時、その時はよろしくね。あっ、そうだ。これ美穂ちゃんにあげといて」

「アドレスですか?」

そう言って相馬さんはナプキンにアドレスを書き始める。綺麗で読みやすい字だ。

「いつ会えるか分からないしね。同業者の連絡先知っていて損はないでしょ?」

「そうですけど。分かりました、渡しておきます」

「それじゃあ、またどこかで。Have a nice flight!」

ナプキンとウインクを残して、相馬さんは去っていく。CAと言うこともあって、英語の発音は見事だ。
また強力なライバルが誕生したのかな。

「んにゅう……。相馬さんもう食べられません……。テイクアウトです」

「まだまだ起きそうにないな」

美穂は夢の中でいち早く、相馬さんと共演しているようだ。
それがいつの日か正夢になった時、彼女はどんな顔をするのだろうか。きっと驚くだろうな。

「しかし暇だな。なんか聞くか」

相馬さんやCAさんたちを付き合わすのも悪いし、美穂はとてもじゃないが起こせやしない。
機内に取り付けられたヘッドホンをかけて、適当にチャンネルを合わせる。

http://youtu.be/VREjdOQrB6Y

「そっか。今日は12月17日か」

流れてきた曲のタイトルはズバリ12月17日。今日のためにあるような曲だ。
余り有名な曲と言えないかもしれないが、俺はこの曲が好きだった。

しゃべればしゃべるほど ドツボにはまる
これで良いのかい 本当にこれで良いのかい
あっちょっと待てよ 冷静になろうぜ
風邪をひくぞ 車に戻ろう

出来るなら、夜に聞いた方がムードはあったかな。朝一のフライトじゃ、無理して背伸びしているみたいだ。

「いつか俺たちもそうなるのかな」

俺たちは恋人じゃない、プロデューサーとアイドルだ。だからこそ、強い信頼関係で結ばれなくちゃいけない。
今は考えたくない。だけどいつかアイドルを辞めて、別々の道を行くことになるのかな。
彼女は高校2年生だ。来年度は受験も有るから学業を優先したいと言うかもしれないし、もしくは他にやりたいことが見つかったと言うかもしれない。
アイドル以外の道を進むという可能性なんていくらでも有り得る。

「そん時は、素直に応援してやんないとな」

夢の形は1つじゃない。
その時は、プロデューサーとしてじゃなくて、1人のファンとして彼女の活躍を見続けて行きたい。

「そろそろ着くかな。起こしてあげなくちゃ」

戻れない場所まで後数分。これからまた、俺たちは戦わなくちゃいけない。
その先に何が待っているか分からない。だけど、意地でも駆け抜けなくちゃ。

「美穂、もうすぐ着くよ」

まだ下の名前で呼ぶのは慣れない。小日向さんと呼んでいた期間の方が長いんだ。仕方あるまい。
でも昨日、島村卯月やちひろさんに見せた小さな嫉妬が、可愛く見えたのは彼女に黙っておく。

「小日向さーん、着陸しますよー」

クマをお供にした眠り姫は、声を掛けてもなかなか起きず、結局機内から降りたのは俺たちが最後だった。

「ふぁあ……。よく寝ました」

「お疲れのとこ悪いけど、今から学校だろ?」

「そうですね……。凄く眠いです。なかなか寝かせてくれなくて」

夢見心地の彼女は立ったままでも寝ちゃいそうだ。
どうやら昨日の夜は友達が泊まりに来たらしく、朝まで大盛り上がりだったらしい。
今頃彼女たちも、眠い眠いと嘆きながら後片付けをしているに違いない。

「出席日数は問題ないけど、あんまりこっちを優先させるのもダメだしね。学校の時は学校の時で、ちゃんと過ごすように」

「ふぁい……すぅ」

「立ったまま寝ないの。そうだ。眠気覚ましに面白い話してあげようか?」

「にゃんでしゅか……」

風船みたいに飛んで行っちゃいそうな彼女の意識を、引きずり起こしてやろう。

「相馬夏美さんがアイドルになりました」

「そうでしゅか……ってええええええ!? そ、相馬さんが!? CAの相馬さんですよね!?」

「おっと!」

おっ、良い反応だ。目も冴えただろう。

「うん。相馬さんが」

「本当ですか……。凄いですね、相馬さん。アイドルになっちゃうなんて」

君もアイドルだろ、と突っ込むのは野暮かな。

「ってあれ? プロデューサー。相馬さんのこと知っているんですか?」

「あー、君が寝ている間にね。今日限りでCAを辞めてアイドルになるんだとさ」

「そ、それなら起こしてくださいよぉ。私だって、相馬さんとお話ししたかったのにぃ」

プロデューサーは意地悪ですと言って、ぷくーと頬を膨らませる。
思いっきり突いてやりたい衝動に駆られたけど、抑えておく。


「そんなこともあろうかと、相馬さんからのプレゼントだ。アドレスと電話番号。同業者だから知っていて損はないでしょ」

「ありがとうございます! 夜にでもかけてみますね」

今かけても忙しくて対応が出来ないだろう。もしかしたら、もう別の飛行機に乗っているかもしれないし。
しかしCA系アイドルなんて、斬新だな。その内、婦警アイドルとか極道系アイドルヒッピーアイドルとか出てくるんじゃなかろうか?

「そんな物好きな人もいるのかね……」

想像するだけで面白すぎる。まっ、有り得ないわな……。

「プロデューサー?」

「ああ、こっちの話ね。バス乗って、荷物置いたら学校に行きますか」

誕生日プレゼントやら、お土産やら着替えやらで美穂の荷物はいっぱいだ。彼女の荷物を持って、バスまで運んでやる。

「ありがとうございます」

「こういうのは、男の仕事だしね。そうそう。家に帰って眠いからってベッドにダイブしちゃだめだよ?」

「し、しませんよー!」

1回家に帰って学校に行っても、2時間目の終わりぐらいには着くだろう。
アイドルと言っても、彼女の本分はあくまで学生、学業が重要だ。文武両道しっかり頑張って欲しい。

「プロデューサーはどうするんですか?」

「俺は事務所に行くよ。色々仕事詰まっているし。今日は昨日のライブを見て、反省会でもすっか」

ちひろさんに対応は頼んでいたけど、ちらほらと仕事が入ってきているらしい。
それに、ファーストホイッスルオーディションもある。やるべきことは、たくさんだ。

「それじゃあプロデューサー。また後で」

「ああ、勉強頑張ってきなよ?」

手を振る彼女を見送る。別にそこまで遠い旅でもないんだけどなぁ。

「クマくんの人気に嫉妬しそうだ」

にしてもあのクマのぬいぐるみを、いたく気に入っているみたいだ。抱きかかえて、片時とも離そうとしていない。

「俺も行くか」

昼から出勤と言うことになっていたから、どこかのネカフェで時間をつぶすか。あのマンガ、続きが気になっていたし。

――

「うーん。このまま寝ちゃいそうだなぁ」

荷物を部屋に置いて、ベッドに横たわる。そんなことしたら、眠くなるだけだ。

「ダメ! 行かなくちゃ。みんな待っているし」

プロデューサーの言った通りになるのも嫌だ!
なんとか誘惑を断ち切り、私は体を起こす。

「えっと、今何時かな」

時計を見ると、2時間目が始まったぐらいの時間。今から行けば、途中から入れるかな。

「君は、お留守番していてね。プロデューサーくん」

名前が付くと、より愛着がわく。彼(彼女?)にプロデューサーくんと命名したのは、私の友達だ。
最初は恥ずかしかったけど、今では慣れて愛おしいぐらいになっている。
ギュッと抱きしめると、暖かくて気持ちいい。
ずっとこうしていたいけど、愛すべきモフモフプロデューサーくんとは暫しのお別れだ。小さなクマさん、仲良くしてあげてね。

「行って来ます!」

帰ってきたら、またうんと遊んであげるからね。

「みーほちゃん! お誕生日おめでとう!」

「卯月ちゃん! ありがとう!」

4時間目が終わり、学食で何か食べようと立ち上がると軽快な足取りで卯月ちゃんがやって来る。

「ごめんね。本当は昨日言いたかったんだけど、携帯電話壊れちゃってそれどころじゃなくて」

そう言って彼女は、見事にひび割れた携帯電話を見せる。

「派手に壊れているけど、何かあったの?」

「実はね、一昨日女の子にぶつかっちゃって。その拍子に携帯落として、しかも思いっきり踏んじゃって。気分転換に新しいの買っちゃった」

「それは、大変だったね」

「まーね。でも、新しいのに変えられて良かったかな。使いやすいし、これ」

同じ色の別機種をポケットから出す。人気3人男性アイドルユニットがCMをしている最新機種だ。

「そうそう。その子結構変わっていたんだ。私は気にしてないって言っても、その子は御免なさい、私不幸をまき散らすんです! って言ってきかなかったし」

随分とネガティブな子だ。不幸って風邪みたいに伝染するものなのかな?
幸せは……伝染させないとね。そのためには、笑顔笑顔。

「またどっかで会えたら良いんだけどな。それでなんだけど美穂ちゃん、携帯が壊れてアドレスも全部消えちゃって……。だからまた教えてくれると嬉しいな」

長電話が趣味な彼女からすれば、それは死活問題だ。昨日は早く寝ることが出来たのかもしれない。

「あっ、ちょっと待って。今送るね」

「ありがとう! ねえ美穂ちゃん、今からご飯食べようよ。誕生日プレゼントになるか分からないけど、今日は私が奢るよ」

「そう? それじゃあ、貰っちゃおうかな」

2人で並んで学食へ行く。アイドルが並んでいると否応なしに周囲からの視線を集めてしまう。

「?♪」

「上機嫌だね、卯月ちゃん」

「そう? 私はいつもこんな感じだよ?」

といっても、視線を集めているのは専ら卯月ちゃんの方だ。
ファーストホイッスル出演アイドルと、駆け出しペーペーアイドル。当然の扱いだろう。
下手すれば、私がアイドルってことを知らない子もいるんじゃないかな。

「「いただきまーす」」

温かくて美味しいクリームシチューを口へ運ぶ。心までポカポカしてきそうだ。 冬にはやっぱり、温かい食べ物が一番だ。

隣に座る卯月ちゃんはと言うと、いつの間にやら追加された熊本ラーメンを食べている。
最初に出会った時に言ったとおり、彼女は学食のおばちゃんたちに頼んだみたいだ。
そこまでして熊本ラーメンを食べたかったのかな。卯月ちゃんの行動力には敬服しちゃう。

「そうだ。前から聞きたかったんだけど、美穂ちゃんのプロデューサーってどんな人?」

「私のプロデューサー?」

「うん。そう言えばあんまりその話したことないなーって思ってさ。良い人?」

「うん。どんな時でも私を信じてくれる、とっても素敵な人。それと……」

頭の中に昨日の彼が浮かんでくる。

『……美穂』
『ごめん! 今足踏んだぁ! 踏まれたぁ……』

恥ずかしそうに私を名前で呼んでくれて、困った顔で下手っぴなワルツを踊る彼。
思い出すと、にやけてきちゃう。

「美穂ちゃん青春しているねー」

「え? えっと! う、うう! 卯月ちゃんが思っているのと、ち、ちが! 違うよ!」

卯月ちゃんは意地の悪い笑みを浮かべる。うぅ、弱み握られちゃったかな……。

「そんな緩んだ顔見せちゃって。全然説得力ないよ? 安心して、これは私たちだけの秘密にしておいてあげるから」
「ホントは良くないことかもしれないけど、私応援するよ? 友達の恋は応援しないとねっ!」

「うん。ありがとう」

良くないこと、か。アイドルとなった以上、恋愛はタブーだ。ただ、頭では分かっていても、
この気持ちはどうにもならない。何とも恋心とは、難儀なものだ。

「そう言う卯月ちゃんのプロデューサーさんってどんな人なの?」

「私のプロデューサー? うーん……どう言ったらいいんだろ? 一言でいえば、プラダを着た悪魔、かな」

「へ? 映画?」

「いや、そのままの意味。プラダスーツを着た悪魔みたいな人」

悪魔みたいな人ってどういう意味だろう。凄く怖いプロデューサーなのかな。
頭に鬼の生えた彼を想像してみる。うん、全然似合わないや。

「怖い人?」

「厳しい人だよ。だけど、私たちのことを考えて行動してくれているし、面倒見は凄く良いかな。凛ちゃんも未央ちゃんも慕っているしね」

「卯月ちゃんはプロデューサーさんのこと好きなの?」

「うん。大好きだよ!」

なんだ、卯月ちゃんも乙女しているじゃないか。人のこと言えてないよ?

「でも、美穂ちゃんの好きと私の好きは一緒にはならないかなあ」

「どういう意味?」

「見たら分かるよ」

卯月ちゃんは携帯を弄って、写真を見せる。

そこに映っていたのは、ステージ衣装に身を包んだNG2の3人と、

「だって、プロデューサーさん、女の人だし」

プラダスーツを着た美女がキリッとした顔をして立っていた。

「だから、好きになったらそれはそれでいろいろ問題がある、かな?」

「凄い美人……」

「だよね。ホント、プロデューサーさんがアイドルになっちゃえばいいのにさ。そう思わない?」

アイドルと言うよりかむしろ、その堂々たる佇まいは、大女優そのもの。
写真を見るだけで、妙な迫力がこちらまで感じられた。

「私たちの事務所自体は出来て1年もないんだけど、プロデューサーさんは若いのに結構凄い経歴の持ち主なんだ。これまでにも多くのアイドルをプロデュースして来たんだって」

名前を挙げたら、美穂ちゃんも知っている面々だと思うよ。と言ってプロデュースしてきたアイドルの名前をあげる。
挙げられた名前は全員、テレビで活躍している人たちだ。確かに、この実績は凄い。

「そんな彼女だけど、社長と個人的な親交があったみたいで、その縁で私たちの事務所に来てくれたみたい」

「縁か……。卯月ちゃんたちはラッキーなのかな」

「……かもね。実は私って、元々某大手事務所の公開オーディションに応募したんだけど、そこで落ちちゃって」
「どうしようと思っていたら、たまたま見ていたプロデューサーに拾われたんだ。貴女には才能が有る、私に賭けてみないかって」

初耳だった。私みたいに、てっきり道端でスカウトされたものかと思っていたけど、
彼女は最初からアイドルになるべく、自分からオーディションを受けてチャンスを狙っていたんだ。

「凛ちゃんはプロデューサーが渋谷でスカウトしたんだけど、未央ちゃんも別のオーディションから引っ張ってきたの。だから私たち、プロデューサーに足向けて寝られないんだ」

ダジャレじゃないよ? と付け加える。何のことか分からなかったけど、反芻してそういうことかと気付く。中々シャレが効いているな。

「そうだったんだ」

そのプロデューサーが有能と言うのは、彼女たちの活躍を見れば一目瞭然。ファーストホイッスル出演以降、彼女たちをテレビで見ない日はない。

3人セットじゃなくても、どこかしらで必ず一人は出ているぐらいで、
今一番勢いのあるアイドルユニットと言って過言じゃない。

私は彼女たちの活躍を見て、いつ寝ているんだろうと見当違いな感想を抱いたものだ。

「色々あったなぁ。3人で組んでの最初のオーディションは主催者側のお情けで合格したようなものだったし、ファーストホイッスルも落ちる度、土日を丸々使って強化合宿もしたっけ」
「ここまで来たっていうのも実感が全然沸かないや。だってさ、ほんの数か月前まで、私たち会うこともなかったような普通の女の子だったんだよ?」
「それがさ、こう憧れた世界で頑張って来て。ようやく波に乗れてきて。もしかして私たち夢を見ているのかな?」

胡蝶の夢、か。彼女たちも、戸惑っているんだ。

「……」

どんな時も笑顔を見せて頑張っている彼女が、時折見せるアンニュイな表情。
こう言ったら卯月ちゃんに笑われそうだけど、それがとてもセクシーに思えた。

「えいっ」

だけど卯月ちゃんには似合わないよ。

「へ? 痛っ!」

「卯月ちゃんたちは凄いよ。これは、夢じゃないよ」

「いだだだ! 美穂ひゃん! ほっぺつねらなひで!」

そんな柄にもないことを言う卯月ちゃんの頬っぺたを、強く引っ張ってやる。

「夢じゃないでしょ?」

漫画でよくある手法だけど、実際に行ったのは初めてだ。どうやら効果はあったみたい。

「肉体的苦痛を受ける必要はなかったよね……」

虫歯になったみたいに、右の頬を抑える卯月ちゃん。何だかそれが面白い。

「うふふっ」

「あー! 笑ったなぁ! いただき!」

「あっ! 私のクリームシチュー! えいっ!」

「ゆで卵取られた! 美穂ちゃんやったなぁ!!」

やられたらやり返す、やられてなくてもやり返す。気弱な私でもハンムラビ法典の精神に乗っ取っているつもりだ。
諸霊のチャイムが鳴るまでの間、私と卯月ちゃんは互いのお昼ご飯を奪い合っていた。
アイドル2人がそんなことしていたものだから、いつの間にかギャラリーも出来ている。

昼休みが終わって、冷静になる。

「みんな変な子って思ったに違いないよ……」

なんと恥ずかしいことをしていたのか! と顔が赤くなってしまうのは、いつものことだ。

更新はここまで。続きは夜になります

――

「凛ちゃんがソロデビューですか」

「はい。ファーストホイッスルのオーディションに合格して、ソロ曲も本番で披露するみたいです」

事務所にてちひろさん達とお土産の陣太鼓を食べながら、ライブの映像を見ていると珍しくトレーナーさんが事務所に来た。

渋谷凛のソロデビューが決定したという報告をするためにわざわざこちらまで来てくれたらしい。
ちひろさんが入れたお茶を飲みながら、彼女は続ける。

俺たちが熊本に行っている間に行われたファーストホイッスルオーディションにて、凛ちゃんは再び合格したというのだ。

「なるほど、向こうはNG2としてだけでなく、個々の活動も同時にプロデュースしていく方針のようだね」

「そのようですね、社長。つまり次は島村卯月と本田未央のどちらかが、ソロでやって来ると言うことですか」

「うむ、そう考えて良いだろうね」

それぐらい容易に想像がつく。
本来ならば慌ててソロデビューをするよりかは、じっくり時間をかけて行う方が戦略としては正しいだろう。
しかし彼女たちは、トライエイト――IA全制覇とIU制覇をもくろむアイドルだ。時間がいくら有っても足りないはず。
この時期にソロで出すということは、ソロでのファンを増やしてそのままNG2の売り上げに取り込むと言う戦法だろう。

「そうでしょうね。彼女たちぐらいの売れっ子ならばどの番組に出てもいいのですが、敢えて難関であるファーストホイッスルに出ると言うあたり、本気度がうかがえますね。アッパレです」

3人ユニットをまとめ上げるだけでも相当な物なのに、今度は3人別々にプロデュースと来た。

その上ベテランやスターダムに立つアイドル達ですら2度と受けたくないと躊躇する、ファーストホイッスルのオーディションを彼女は制した。

「武田氏の性格を考えれば分かると思いますが、一度合格したからと言っても同じように再出演させるというのはかなりレアなケースなんです」
「彼が気に入ったアイドルでも要求されるレベルに達しなかった場合、容赦なく落としますしね。渋谷さんは武田氏に認められた、って事です」

そもそも武田さんが誰かを贔屓するようなことが有り得ないしな。いくら事務所がプロモーションに力を入れたところで、
ホンモノの実力がなければステージに上がることは出来ない。
しかも2回目となると、当然前回以上のパフォーマンスを求められる。凛ちゃんは押しつぶされそうな期待とプレッシャーを跳ね除けたというのか。

「渋谷さんはユニットでとは言え、一度合格したアイドルです。絶対に落とせないそのプレッシャーの中、彼女のパフォーマンスは見事な物でした」
「私が今まで見てきたアイドルの中で、最高レベルと言っても差し支えありません。出来れば録画していたかったぐらいなんですが、それは本番を見ていただけたらと思います」

「最高峰、ですか」

トレーナーさんがそこまで言うぐらいだ。コレは要チェックだな。

「私もこの業界に入ってまだ日が浅いので、見分が狭いと言うのもありますけどね。ですが……今の小日向さんなら、ファーストホイッスルに合格する日も遠くないと思っていますよ」
「映像を見せていただきましたが、以前とは意識の違いが顕著に感じられます。オーディションとライブを同じと考えるわけにも行きませんが、吹っ切れたように見えます」

「そうですね」

昨日のライブと同じぐらい自分のパフォーマンスが出来たなら、美穂も並み居る強敵たちと渡り合えるだろう。
それに彼女にはNaked Romanceがある。曲に頼り切ってしまうのはいけないが、他のアイドルにはない美穂だけの切り札だ。

「うむ。やはり、あの曲の力は大きいね。小日向くんも短期間で、見事に自分の曲にして見せた。簡単なように見えて、それって難しいことなんだよ」

そればっかりは俺には分からない感覚だ。なんせ美穂は曲との相性が良かったのか、
秋月さんから渡されてからあっという間に曲を完成させてしまったのだから。
美穂からすれば、新しい英単語を覚えるようなことだったかもしれないな。

「Naked Romanceは……正直奇跡だと思っています」

「奇跡、ですか」

「はい。私達にとっても、小日向さんにとっても」

俺も似たような感想を持っている。数有る楽曲の中で、この曲を捕まえることができたのは、幸運だった以外の何物でもない。

「この曲よりも素敵な歌詞やメロディを持つ曲は幾つもあるでしょう。勿論小日向さん以上の実力を持つアイドルも。ですが……この曲と彼女は共に成長していける」
「Naked Romanceは小日向さんの才能を最大まで引き出して、彼女にとっての代表曲になる。私はそう確信しています」

確かに美穂よりも高い歌唱力、上手なダンス、ずば抜けたビジュアルを持っているアイドルはたくさんいるだろう。悔しいけれど、認めざるを得ない。

だけど一番可愛く素敵の歌えるのは美穂に違いない。例え凛ちゃんだとしても卯月ちゃんだとしても、もしくは涼ちんだとしても。

美穂のNaked Romance相手じゃ見劣りしてしまうだろう。
自惚れなんかじゃない、全てはオーディションで証明されるはずだ。

「今の勢いなら、きっと乗り越えられますよ! 頑張りましょう、プロデューサーさん!」

「うむ。CDデビューも近い。来年2月に行われるIAのノミネート発表に間に合うか分からないが、とにかく小日向くんと新曲を、方々にアピールするんだ」

「デビュー時期が遅かったとはいえ、残された期間は短いです。私もレッスン内容を詰めますので、プロデューサーはスケジュール管理をしっかりとお願いします」

「はい」

IAにノミネートされるには、ある週のランキングチャートでランク20までに入り込まないといけない。
今の実績じゃそんなこと夢のまた夢だが、ファーストホイッスルに合格してそこで発表できれば、
世間の美穂への関心は劇的なまでに上がるはずだ。

事実これまでファーストホイッスルに合格したアイドルは、放送後ランキングが一気に上がる傾向にある。
その良い例がNG2の3人だ。番組放送後Twitterでのトレンドワード1位になり、CDも売り切れる店が続出したという。
たった1晩にしてシンデレラになれる、それがファーストホイッスルだ。

勿論皆が皆というわけじゃない。ブーストには多かれ少なかれ個人差はあるだろう。不発に終わってしまう可能性も高い。
それでも賭けてみる価値はある。いや、そこに全てを賭けるしかもう道がない。

加えて、美穂はまだ知らないかもしれないが実はファーストホイッスルは来年から全国で放送されるようになるのだ。
苦し紛れの美穂の声が届いたのだろうか、それとも規定事項だったのか。熊本のようにこれまで映らなかった地域でも放送されるようになる。
武田さんのフットワークの軽さには度々驚かされるな。

全国的にファンを増やすことが出来て、上手く行けばこれまで以上にブーストの効力も強くなる。
だが逆に言えば、それは他のアイドルも同じこと。前回なんて目じゃないぐらいの熾烈な競争が用意に予想出来る。

だけど、美穂ならいける。やれるんだ。そう思えば、不思議と勇気が湧いてくる。

「~~♪」

DVDの中の彼女は、恥ずかしそうにしながらも、集まった観客を魅了している。
高校だけじゃない。ちゃんとテレビに出て、みんなに自慢しなきゃ勿体無い。

「それが俺の責任だよな」

俺が見出した女の子は、こんなに可愛くて素敵なんだってね。

「こんばんは!」

夕方ごろ、美穂が事務所へ駆けてくる。走って来たようで、息も切れ切れで肩で呼吸をしている。

「おっ、来たか。それじゃ、反省会と行きますか」

「えっと、それなんですけど……」

「ん? どうかした?」

「今日はお客さんがいると言いますか……」

「あっ、失礼しますっ!」

ドアの陰からひょっこりと、美穂と同じ制服を着た少女が現れる。

「へ? 卯月ちゃん? 何で?」

同じ高校だから、制服が同じなのはまぁ良い。それよりも……何で彼女がここにいるんだ?

「今日はオフなんです。だから、美穂ちゃんの事務所に遊びに来ちゃいました。貴方が美穂ちゃんのプロデューサーさんですか? 初めまして、島村卯月です! よろしくお願いします!」

「こちらこそよろしくお願いします?」

早口で説明して、ぺこりとお辞儀をする島村卯月。初めましてと言われても、彼女は今を時めく人気アイドルだ。

美穂と同世代のアイドルと言うことで、テレビでいつも活動をチェックしていたため初対面な気がしない。

しかし……思っていた以上にオーラがないな。
貶すつもりはないんだが、良くも悪くも庶民的と言うか。近づきやすい、親しみやすいとも言えるか。そこが彼女の魅力なんだろうな。

「えっと……美穂のプロデューサーです。学校では美穂がいろいろ世話になっているみたいで」

「とんでもない! 私の方こそ、美穂ちゃんにいろいろ助けてもらっていますよ! あっ、これお土産です」

「ご丁寧にありがとうございます。だけどこれ……、結構高い奴じゃない?」

「お近づきのしるしにです。うちのプロデューサーからも、お土産は値段に誠意が出るって言われていますし。後で事務所に請求しますから気にしないでください!」

渡されたお土産はテレビでも紹介された、割と値の張るお菓子だ。
女子高生がホイホイ買えるものでもないが、財布に余程余裕があるのだろうか。

「卯月ちゃんのプロデューサー、凄い人なんですよ」

「ああ、よく知っているよ。会ったことは無いけどね」

NG2のプロデューサーはかなりの凄腕だと専らの評判だ。
彼女たちだけじゃなくてそれまでに多くのアイドルをスターダムに輩出した、いわばエリートプロデューサー。

基本的に1つの事務所に籍を置くことはなく、流れるように事務所を歩きわたりプロデュースをしているため、流浪のプロデュンヌと呼ばれているみたいだ。

「トレーナーさんが教えてくれたんだ。先日、彼女がファーストホイッスルのオーディションにソロで合格したってね。そこから想像するのは難しくないよ」

「やっぱりそう思いますか? ピンポンッ! 正解です!」

「つまりそれって、卯月ちゃんもソロデビューするって事?」

何かを考えるように卯月ちゃんは目を瞑る。少しして解決したのか目を開くとニコリと笑う。

「言っても大丈夫かな? 別に禁止されてないし。プロデューサーさんの言うように、CGプロダクションははNG2の3人のソロデビューを決定したんです」
「その第一弾が凛ちゃん、第二段が私、トリを務めるのが未央ちゃんなんです。だから私も近いうちにファーストホイッスルのオーディションが有るんですよ」

「そうなんだ。怖くない?」

「前は3人だったから、怖くないと言えば嘘になっちゃいますけど……。でも、夢が叶うところまであと一歩なんです。だから、楽しみですよ私」

やっぱり彼女は凄い子だ。怖いだなんて言っていても、目の前の夢から逃げずに立ち向かおうとしている。

「頑張ってね、卯月ちゃん。私も、頑張るから」

「うん! 一緒に頑張ろうね、美穂ちゃん!」

仲良くハイタッチする2人。きっと彼女は美穂にいい影響を与えてくれるはずだ。
そして美穂も卯月ちゃんに刺激を与えることができたなら、言うことはない。

転校先に卯月ちゃんがいたのは本当に偶然のことだけど、つくづく人の縁に恵まれている子だな。

「ふぅ、楽しかったな。美穂ちゃんの普段見られない部分を見られて良かったな」

うーんと気持ちよさそうに背伸びをする卯月ちゃんと美穂。案外2人は似ているのかな。それとも似てきたのか。

「昨日のライブは凄く盛り上がったけど、苦手なダンスやアピールのタイミングがずれたりと課題は山積みだ。オーディションではそこも見られるからね」

前回のオーディションは評価以前の問題だったが、こうやってライブを成功させることは出来た。
美穂にとって大きな自信になっているはずだし、こっちには美穂の魅力を120%引き出せる切り札が有る。

「次にファーストホイッスルオーディションを受ける時、前と一緒じゃ意味がないからさ。明日からまたレッスンに営業に忙しくなるけど、しっかりついて来ること。いいね?」

「はい!」

「いい返事だ! それじゃあ、今日はもう上がっても大丈夫だよ。明日に向けてしっかり休んでね」

「えっと、それじゃあ失礼しますね」

「そうだ、今日美穂ちゃんのお家に泊まっても良い?」

「え? 良いけど、卯月ちゃんの家は大丈夫なの?」

「私の家は放任主義だから大丈夫だよ! 明日美穂ちゃんの家から学校に行けば良いし」

「そう?」

「だから、今日は色々話そっ!」

恋人みたいに腕を組んで(卯月ちゃんが一方的にだが)事務所を出る2人。
あんまり夜更かしするなよ、と言っても無駄かなぁ。卯月ちゃん、朝まで起きてそうだし。

ちひろさんなら、男も放っておかないと思ったけど彼女はさほど異性に興味がないらしい。
そういや、浮いた話何一つ聞かないもんな。と言うより、プライベートが謎に包まれ過ぎている。

「良いじゃないか、クリスマスパーティー。仕事が終わった後、事務所に来なさい。私は飾りつけを担当しよう」

「それじゃあ私はメニューを用意しますね! 美味しいもの、持ってきますよ!」

「ははは、決定なんですね」

社長も乗り気みたいだ。しかし……。

「私の顔に何かついているかね?」

「いや、サンタクロースってこんな感じなのかなって思って」

「?」

サンタ服を着て髭を生やせば、子供に追っかけられそうだなこの人。ただ俺と違って、頼まなくてもプレゼントをくれそうな気もする。

「とりあえず連絡しておきますか」

もしかしたら美穂もクラスの皆とクリスマスを過ごす予定が有ったり、卯月ちゃんと過ごすということもあるかもしれない。
いや、もしくは……。

「……男と2人で過ごすとか、無いよな?」

一番洒落にならないケースだ。他人の色恋に口出しするべきではないが、もしそうならば立ち直れなくなりそうだ。
親父さんの気持ち、良く分かりました。

「どっかで飯食って帰ろうかな。ちひろさんもどうです?」

「そうですね、少し事務作業が有るんで、その後で良いですか?」

「じゃあそれで。どこか美味しいところないですかね?」

「おお、それなら良い所があるよ。今日は私のおごりだ、存分に食べたまえ」

何時の間にやら社長もパーティインッ! していた。そう言えば、この3人でどこかで食べるって言うのは初めてかもしれない。

ちひろさんの仕事を手伝って、早く終わらせる。

社長に連れられて入ったのは、政治家が秘密の会合をしていそうな高級料亭だ。確か大分に本店があるとかって言っていたっけ。
何でもそちらの娘さんは大分ではちょっとした有名人だとか。是非ともお目にかかってみたいものだ。

「い、良いんですか? 凄く場違いな気がするんですけど」

「構わんよ。ささっ、財布のことは気にしないでくれ」

社長はそう言うけど、俺とちひろさんは緊張しっぱなしだ。

粗相をやらかさないか?
マナーを注意されるんじゃないか?

わいわい楽しく食べられればいいなと考えていたのに、却って息がつまりそうだ。
まぁそんな心配事も、美味しい料理とお酒の前では消えてしまうのだが。

「さぁ飲みたまえ! 今日は私のおごりだぞ!」

社長は見えない誰かと話している。これは送って帰らなくちゃいけないか?

「送り狼はダメですよ、プロデューサーさん!」

誰が襲いますか!!

「ふぅ、食った食った……」

料亭での食事を終わらせ、タクシーで家へと帰る。結構食べたが、社長は本当に全額払ってくれた。
うちの事務所には現在利益がほとんどないが、社長だけあって元々の資産が多いのだろう。

『これで頼むよ』

一瞬だけチラッと見えた黒いカードが、それを物語っている。

「今頃2人は恋バナでもしているのかね」

ゆんたくパーティー中の2人を思い浮かべる。女子が2人集まれば、1人足りなくても姦しくなる。

特に卯月ちゃんはその手の話題が好きそうだ。美穂は恥ずかしがりながら、一方的に追い詰められていることだろう。

「好きな人、いたりするのか?」

この業界で恋愛は非常に線引きが難しいトピックだと思う。
男性アイドルに関しては、多少認められている(当然ファンからしたら堪ったものじゃないが)節が有るが、
女性アイドルが色恋沙汰となれば、間違いなく炎上する。

――

12月24日、世間は浮かれるクリスマス。日本ではこの日だけキリスト教信者が増えると言う。

先週の誕生日が高校のクリスマスパーティーと被っていたこともあって、私の中でクリスマスは、既に終わったような感覚でいた。
もういくつ寝るとお正月だ。また年が変わってしまう。来年こそは飛躍の年にしたいな。

「それじゃあ、来年の活躍を願って……、乾杯!」

「「「乾杯!」」」

「か、乾杯です!」

それでも目の前に豪勢なパーティー料理を出されていると、今日は特別な日なんだと意識せざるを得ない。
別に何回でもそういう日があっても良いかな。

「これ、ちひろさんとトレーナーさんの手作りなんですか?」

「はい! 腕によりをかけて作っちゃいました。といっても、所々買ってきたのもありますけどね」

「料理を作るのは久々でしたので、少し変な味がするかもしれませんがそれはご愛嬌ということでひとつお願いしますね」

そうは言うものの、半分以上の料理はちひろさん&トレーナーさん作だ。
仕事だけでなく料理も出来るとは、流石大人の女性と言うべきか。
理想の女性像を実体化したみたいで、憧れてしまう。

私もこれぐらい作れたらなぁ……。

「これまでやって来た営業や活動の成果だよ。安心しなよ、君を応援してくれる人はたくさんいるんだからさ」

「はい」

クリスマスプレゼントの量は存外に多く、持ち運べそうにない。
なので後でプロデューサーが車に乗せて運んでくれることになった。帰ってから開けてみよう。

「おお、そうだった。今日はファーストホイッスルの特番だったね」

社長は思い出したかのように言うと、テレビの電源をつける。

「あの人たちだ」

武田さんに紹介されているのは、先のオーディションに合格したアイドルたちだ。
3人いるが、とりわけ諸星きらりちゃんは印象に残っている。

そう言えば凛ちゃんの放送はいつになるんだろう。次かな?

『にょわー☆』

『ほう。いいセンスだ、掛け値なしに』

「……出会っちゃいけない二人が出会ってしまいましたね」

珍妙な光景にトレーナーさんは少し引いている。マイペースすぎるきらりちゃんに対しても、武田さんは淡々と司会を続ける。
静と動。2人の間の温度差が違い過ぎて一種の放送事故みたいだ。

「ううん。ダメですよね、後ろ向きになっちゃ」

後ろ向いても何も始まらない。真っ直ぐ目標を見据えよう。

「美穂ちゃん、ジュースとお茶、どっちが良いですか?」

「あっ。それじゃあオレンジジュースで」

だけど今すべきことはパーティーをとことん楽しむこと。この日を逃したら、また1年間待たなくちゃいけない。

「ん? どうした?」

「ふふっ、何でもないですよ?」

それでも、私の隣に彼がいるのなら。特別な日なんかじゃなくても、素敵に世界は彩られる。

「あっ! 見てください! 雪です!」

「ホワイトクリスマスか! ムードがあって良いなぁ……ってちょっと見て! あれ、サンタクロースじゃないか!?」

「えっ? どこですか!?」

365日全てが、スペシャルな日。明日を、未来を心待ちに出来ちゃいそうだ。

年末。私は仕事がないので、熊本へと帰って実家で年を越す。
家族と過ごすことが出来たのは嬉しいけど、アイドルとしては、スケジュールが空いていたのは残念で仕方ない。

「いつか私も立つのかな」

両親と年越しそばを食べながら紅白歌合戦を見て呟く。大御所歌手から、今を時めくアイドルまで。
今年を沸かしたオールスター夢の競演だ。そしてそのステージには、彼女たちもいた。

「あっ、卯月ちゃん!」

NG2の3人も紅白に出場している。しかも初出場枠と言うことで、名誉ある紅組のトップバッターを務めている。
結成して1年と3ヵ月ほど、CDデビューも9月に果たしたばかりの超スピード参戦だ。

『こ、この舞台に上がれて嬉しいです?』
『精いっぱい頑張りましゅ!』
『は、はぴっ! はっぴーにゅーにゃあ!?』

舞台慣れしているであろう彼女達からしてもこの大舞台は別格らしく、緊張がありありと伝わってくる。
だけど一度音楽が流れると、さっきまでの緊張はどこへやら。3人は完璧なパフォーマンスでオーディエンスを魅せた。

「やっぱり凄いな……」

トレーナーさんが言うには、来年発表されるIA大賞最有力候補が彼女達らしい。
紅白歌合戦にも出るぐらいの知名度と実力だ。全部門制覇も十分あり得るみたいだ。

「そんな卯月ちゃんが家に泊まりに来たんだよね」

実はアイドルとしての卯月ちゃんを直で見たことは無い。だからテレビの中やラジオ越しの遠い存在というよりも、
隣のクラスの卯月ちゃんって感覚の方が強いのだ。

「自慢できちゃうかも」

「何言っているのよ。貴女も来年出るんでしょ?」

「そうだぞ美穂。彼女たちに負けないぐらい頑張って私たちに自慢させて欲しいんだ、うちの娘は凄いんだって」

「う、うん。頑張るよ!」

両親からのプレッシャーが重くのしかかる。のんきに構えてられる場合じゃないよね。

『ありがとうございましたー! よいお年をー!!』

「あけましておめでとう。今年もよろしくね」

気が付くと0時になっていて、一年が終わり新しい年が始まった。今は回線が混雑しているだろうから、明日の朝、みんなにあけましておめでとうとメールを送ろう。

だけどこの人だけには、すぐにでも言いたかった。

「もしもし? プロデューサーですか? あ、あけましておめでとうございます!!」

『あけましておめでとう、美穂。今年は美穂にとって素晴らしい年であるように、俺も頑張るよ』

「はいっ! 私も頑張ります!!」

輝くステージで最高のパフォーマンスを見せた彼女たちに刺激を貰う。私も早く追い付かなくちゃ!

――

1月終わり。俺はファーストホイッスルのオーディションを見に来ていた。
ライバルたちの力量を見定める目的もあるけど、一番の目的はオーディション後に行われる抽選会だ。

来週、俺たちはファーストホイッスルに再挑戦する。

美穂は十分力をつけてきたし、IAのノミネート条件であるランキング20位以内に入らなければいけない週、
俗にいう運命の36週にギリギリ間に合うのが来週の放送だ。

つまり裏を返せば、その日は今まで以上の混戦が予想される。
勝てばかなりのブーストが期待できるが、負ければそれまでの事。

俺たち以外のプロダクションも、ラストチャンスとこの放送枠を狙っている。

それはそうと。美穂にとって喜ばしいことがひとつ。

「凛ちゃんに続いて、卯月ちゃんも合格と来たか」

NG2怒涛のソロデビューラッシュ第2弾、島村卯月。

普段の彼女からはオーラなんて大層なものは感じないけど、
いざパフォーマンスを始めると、アイドルとして強く輝きだす。

今日のオーディション内容に順位をつけるなら、間違いなく彼女が1等賞だ。

もしこの場に美穂がいたなら、どうなっていただろうか?
卯月ちゃんのパフォーマンスに負けじと、焦ってしまったかもしれないな。

このオーディションは、マイペースに挑むのが一番だ。周りに流されず、自分のパフォーマンスを確立させる。
それこそがこのオーディションの必勝法だろう。

「来週見られたら良かったんですけどね。私、お仕事があって応援に行けないんです。だから、オーデには未央ちゃんとその付き人で凛ちゃんがいると思いますよ?」

「君たちのプロデューサーは、卯月ちゃんに付くって事か」

「そうですね。私の受ける仕事、結構大きいんですよ。それに凛ちゃんは私よりも大人ですからね」

凛ちゃんこと渋谷凛は非常にクールで落ち着いた印象を与える。

最年長でユニットのリーダーをしている卯月ちゃんの目の前で言うと、
自覚があるにしても失礼な気がするから黙っておくが、彼女よりもリーダーっぽく見えるぐらいだ。

一方の本田未央はユニットのムードメイカー。
底抜けに明るくいい意味でウザいと評される、裏表のない性格でファンから愛されている。
もちろん実力は2人に負けちゃいない。自身も武器にしているようだけど、ダンスの腕は相当なものだ。ランチパックのCMのダンスは話題になっていたっけか、

だがそれ以上に……審査員や観客へのアピールに関しては天性の才能を持っている。
自分の魅力を理解して最大限アピールする。簡単そうに聞こえるかもしれないけど、それが出来れば誰だってトップアイドルになれる。
そう言った意味では、一緒のオーディションに参加したくない子だな。すべてを持っていかれるわけだし。

「久し振りです!」

「おっふっ! はっ……服部Pさん!」

会場に入るや否や勢いよく肩を叩かれる。急なことで驚いて振り向くと、見知った顔が。

「ここにいるってことは、もしかして抽選会に?」

「はい。でも今は瞳子さんのプロデューサーではないんですけどね」

「あっ、すみません」

地雷を踏んでしまう。しかし俺からするとやっぱり服部さんの印象が強い。

「いえいえ。僕自身、まだ瞳子さんのこと諦めていませんし。光栄なぐらいですよ。でも今は、事務所がオーディションで獲得した子を担当しているんです」
「今日も来ているんだけど、どこに行ったんだろう。お手洗いに行くって行ったきり帰ってこないや」

「美穂も迷子になりましたからね。あの時は秋月さんが助けてくれたけど」

だいたい2ヵ月前のことだったかな。
瞳子さんのプロデュースを中断した後別のアイドルをプロデュースし始めたとまでは聞いているけど、
一体どんな子をプロデュースしているんだろう。

「プロデューサーさーん! どこですかー?」

「噂をすればなんとやらってやつですね。愛梨ちゃん! こっちだよ!」

「この人は、ダズリンプロのプロデューサーさんだよ。同じ日にCD出した小日向美穂ちゃんのプロデューサー」

「始めまして。小日向美穂はご存知ですか?」

「あっ、あの可愛い歌の子ですか! チュチュチュチュワとか私好きですよ? えっと、サインとか貰っちゃっていいですか!? ここに書いてください! んしょ」

そう言ってペンをこちらに渡すと、愛梨ちゃんは服を脱ぎだそうとする。って服!?

「こらこら! ここで脱がないの!」

「えー。暑いんですよー、ここ。暖房効き過ぎですよ。プロデューサーさんもそう思いませんか?」

「だからっていきなり脱ぎだされるとビックリするかな、うん」

冬だから当然つけるに決まっている。外に出れば嫌でもありがたみが分かるはずだ。
尤も、節電ブームの影響か、そこまで温度を上げてはいないと思うが。

それとだ。

「えーと。愛梨ちゃん。俺にペンを渡されても困るんだけど……」

「へ?」

この子、天然なのかな……。

「抽選会を始めますのでー、参加希望の方は渡した番号順にくじを引きに来てください!」

「おっと。そろそろ僕たちも行きますね。それでは、また来週お会いしましょう」

「失礼しまーす」

係員の指示で、抽選会が始まる。くじを引く順番は20番目。良い番号が残っていますように、と祈り続ける。

「20番目の方、抽選をお願いします」

「頼むっ!」

神様仏様も一つおまけにレイナサマ!! どうか俺に力を――。

「ダズリンプロ、――」

「それと。来週さ、本田未央が参加する」

「ええ!? 本田未央って、あの未央ちゃんですか!? NG2の!?」

「何、驚かなくても大丈夫だよ。これが合格者1人だとかだったら、勝ち目がないと参加を見送るところも多いんだけど……ファーストホイッスルはそうじゃない」

「あっ、そっか!」


普通のオーディションとは違う、だから相手が最強のオーディション荒らしだろうと関係ない。
しかし未央ちゃんが出ることで、参加を見送った団体も少なくないはずだ。本当なら、何人参加したのだろうか。
二倍位以上いたのなら? 考えただけでぞっとする。一日で終わるのか、それ?

「確かに相手は紅白出場アイドル、しかも3人の中でもダンス特化で、その上ここぞでのアピール上手と言われている本田未央。紛れもなく強敵だ。だけど、俺たちだって負けるわけにいかない」
「だから、自信を持つんだ。前の失敗は、恥ずかしがることなんかじゃない。むしろ誇ってもいいぐらいだよ。この失敗のおかげで、私はもっと輝けましたってね」

挫折は誰にでも訪れる。それを乗り越えることが出来て初めて、次のステップへと足を踏み出せる。美穂は乗り越えた、腐敗のムードを乗り越えて明日を掴んだ。
大丈夫だ、行けるはず。

「はい! 頑張ります!」

「2ヶ月ぶりなんでしょうか?」

「かな。俺はちょくちょく来ているけどね」

「でも。私と一緒なのは、2回目です」

オーディション会場を前にして、俺たちは立ち尽くす。

「日向ぼっこ日和のいい天気だ。今回こそ外れなきゃいいけど」

空を仰げば雲一つない快晴。俺の心も晴れ渡ったみたいに清々しい。

「……」

「あれは……」

美穂はと言うと、広場に設置されているベンチを見て物思いに更けている。
あのベンチは、服部さんと別れた場所だ。
俺たちにとって、良い思い出は残っていない。

「えいっ」

「あたっ! なにするんですかぁ!」

軽く凸ピンするとアホ毛がふわりと揺れる。
そう言えば、ご両親も同じ場所にアンテナが立っていたっけか。どうやら遺伝のようだ。

今ここで美穂が歌いだしただけでもステージになるんだ。観客はファン一号の俺だけだ。

「私に、出来るんでしょうか?」

「出来ていたじゃん。クリスマスパーティーとかさ!」

12月16日。あの講堂にいた全員の心を美穂は掴んだ。
全く美穂を知らない人も彼女の同級生たちも、アイドル小日向美穂のライブで幸せになれた。
俺もその一人だ。

「で、でも! 今日はオーディションです。もし失敗したら……」

ラストチャンス。その言葉が美穂の小さな身体に重くのしかかる。前みたいにこけたら? そう考えているのかな。
そんなこと考えても、前に進めないのに。

「それがどうした!!」

「えっ?」

大声を出した俺を驚いた目でパチクリと見ている。

「失敗した、どうしようなんてネガティブな考えは、失敗した後にいくらでも後悔すればいいさ。だけど今はまだ始まってすらいない。俺たちの終着駅は、ここじゃないはずだ」
「何度も言うけど……。もし美穂が自分を信じることができなくなったなら俺を信じて欲しい。そして俺が信じている君自身を信じて欲しいんだ」
「大丈夫。俺は絶対合格するって、確信しているからさ」

これまで頑張ってきたことは、決して無駄になんかならない。成功も失敗も、美穂の血となり骨となりアイドルとして大きくさせる。
だから……、ファーストホイッスルのプレッシャーだって跳ね除けることができるはずだ。

「信じて、良いんですよね?」

「勿論! どんな時も、君を信じているからね」

美穂は俺にとって、半身のようなものだ。彼女が強くなるたび俺も強くなっていける。
だとすると、逆もあるだろう。

俺が強く彼女を信じている限り、美穂はなんだって出来るはずだ。きっとこれが、プロデューサーとアイドルのあり方なんだろう。
少なくとも俺は、そう信じたい。

「ふふっ、そうでしたね。決めました。私、貴方を最後まで信じます。そして……貴方が信じる私も信じたいです!」

「そうこなくちゃな」

力強い返事は、前向きな気持ちの表れだ。大丈夫、行ける! そう心の中で何度も繰り返し、俺たちは足を進める。

いざ、戦場へ!!

「おっふっ!」

「きゃっ!」

彼の暖かさを感じていると、不意に後ろから声をかけられ勢いよく手を離す。

「あれ? 邪魔しちゃった感じ?」

「そ、そそそんなことないですよ! ってあれ?」

振り返ると、困ったようにこちらを見ている少女がいた。ってこの子……。

「ほ、本田未央、ちゃん?」

「ピンポーン! みんなのアイドル、本田未央でーす! あっ、本田味噌じゃないからね。そこ重要だよ?」

星が出そうなウインクをして、彼女はお辞儀をする。

「ってあらっ? もしかして……みほちー?」

「へ? みほちー? 私のことですか?」

「うーん、そっちのプロデューサーさんに『みほ』って名前は有り得ないかなー」

『みほちー』と呼ばれたのは初めてのことだったから、少し驚く。
しかも名前を知っていてくれたなんて。卯月ちゃん伝いに聞いたのかな?

「しまむーから話は聞いているよ? 学校に仲の良いアイドルがいるってさ」
「あのプライベートの話題0で、アイドルの話しかしなかったしまむーにも、学友がちゃんといたんだとしぶりんと安心したっけ」

「結構失礼なこと言っているよね、君」

「?」

どうやら未央ちゃんは他人とは違った呼び方をするみたいだ。しまむーは卯月ちゃんで、しぶりんは凛ちゃんだろうな。みほちーと呼ばれたのは、初めてだ。

「うぐっ! そ、それだけどね! 青髪のお姉さんが何度もワープしていなくなったんだよ? あれは最早エスパーとかSPEC HOLDERの域に達しているよ。って、そもそもこの2人が悪いんだよ! 目の前でいちゃつき出すからさぁ、ちょっかい出したくなって」

「この2人? あっ……、そういう事」

目の前で繰り広げられる漫才を、私たちはポカンと眺めていた。えっと、状況が読めない……。

「えっと、凛ちゃん?」

未央ちゃんの参戦はあらかじめ聞いていた。だけど、凛ちゃんがどうしてここに? まさかまた参加するの?

「そっか、驚くよね。今日は私が未央のプロデューサー代行なんだ。私たちのプロデューサーは、卯月についているからさ」

そういうことか。参加しないと聞いて少しだけ安心。

「私は渋谷凛……って知っているか。自分で言うのもなんだけど、結構売れてきたし。宜しくね」

プロデューサーらしい恰好なのか、凛ちゃんは学校指定の黒い制服をきっちりと着こなしている。
心なしか第一ボタンを締めているのが窮屈そうに見えた。どちらかと言うと、スケバンみたいな印象もっていたし。

「愛梨ちゃん、君もアイドルなんだよ?」

「あっ、そういえばそうですね。サインいりますか?」

「え、えっと……。じゃあこのスケジュール帳にお願いします」

「ちょっと待ってくださいね!」

何だろう。かなり天然さんなのかな? サインを自分から書こうとする人初めて見た。名刺交換?

「十時愛梨です!」

「あ、ありがとうございます?」

悪い人ではないと思うし、凄く可愛いんだけど、彼が前プロデュースしていた服部さんとは、
何から何まで違う彼女に、私は少し戸惑う。

服部Pの好み、変わったのかな?

「無駄にリズム感があってちょっとイラって来たんだけど」

「あだだ! 急に曲げないで! あー、こういう時に一緒にやってくれるみほちーとか、小日向さんとか、美穂ちゃんとかヒナタン星人とかいればなぁ!」

チラッ、チラッ。

「どこかにいないかなぁ、アホ毛のキュートな女の子とか、名前をつけたクマさんと一緒に寝てそうな女の子とか」

チラッ、チラッ。ってなんで名前をつけたクマさんと寝ていることが分かったんだろう!?

「あー、美穂?」

プロデューサーは苦笑いで私を見ている。イヤってわけじゃない、むしろ私なんかが柔軟一緒にしていいのかな……。

「あ、あの! 未央ちゃん、一緒にしますか?」

「待っていました!」

「はぁ、なんかゴメンね」

「良いってことよっ!」

「なんでそんなに偉そうなんだか」

「み、みほちー、冗談だよ……。そんな驚かなくても」

「あっ、えっと、その……」

「……」
「……」
「……むふふ♪」

気が付くと、周囲の視線を集めてしまっていた。そんなに大声を出したら、目立つに決まっているのに。

「あ、愛猫家アイドルって素敵ですよね!? みほにゃん……的な?」

コントみたいに周りの全員がズッこけて、遠い何処かでアイデンティティの崩壊する音が聞こえた気がした。

「その、なんと言いますか……ごめんなさい」

プロデューサー、早く帰ってきてください……。

「俺の話なんか聞いても面白いとも思えないよ?」

「そう? 判断するのは私だからそれは自分で決めるよ」
「貴方……はなんか変な感じだから、アンタでいいや。難しく考えなくていいけど、少し質問」
「もしさ……もしもだよ? 美穂が、他の事務所に移るってなったら。アンタならどうする?」

「え?」

「移籍。この業界じゃ珍しくないでしょ」

彼女の言うように、アイドルの移籍は良くある話だ。

こういう言い方をするのも少し心苦しいが、アイドルは1人の女の子であると共に、商品価値を持つ存在でもある。
金銭で引き抜かれるということもまま有ることだし、今以上の環境を求めて事務所を変えるということも少なくない。

「まぁ街頭アンケートみたいなものだからね。そこまで深刻に考えられたら、こっちも申し訳なくなるかな」

そうは言うが、急に言われると返答に困ってしまう。

「まさか、するわけないって。美穂の事を心から大切に思っているってのは伝わったし」

「へ?」

「俺より上手くプロデュース出来る人間に託したいだなんて言ってもそんな悔しそうな顔していたら、嫌なんだろうなてのがひしひしと伝わって来たよ。美穂は幸せ者だね」

「凛ちゃん、君は」

「勘違いしないでよ。私だって、プロデューサーのことを信頼しているから。厳しい人だけど、私たちの成功を心から喜んでくれる人だし。それにあの人がいなかったら、私達3人は出会うことすらなかったからさ」
「感謝しているんだ。だから私たちは彼女の夢、トライエイトを果たす。それが私たちから贈れる、プロデューサーへの最大の恩返しだからさ」

その眼には一切の迷いはなく、ただ頂点だけを見据えていて。
このオーディションも落ちるなんて考えていない。既にIA、IUにまで目を向けて準備をしているはずだ。

「戻ろうよ。そろそろ柔軟も終わっているだろうし」

「そうだね」

『美穂を俺以上に輝かせる人がいれば』と言ったが、そんなやついて堪るか。
俺は、彼女をNG2に負けないぐらい素敵な女の子にして見せる。

「今日それを証明するんだ」

負ければ腹を切るぐらいの覚悟を胸に、俺達は会場へと戻る。今更しても、遅いのに。

「ふーん、結構熱い人なんだね。そうこなくちゃ」

「そりゃどうも」

それでも彼女たちと同じ覚悟は出来た。

今日の更新ですが、続きの部分の書き溜めを書き直そうかなと考えてます。と言うのも次の展開が見方次第ではこちらにそのつもりはなくてもキャラディスになる恐れが有るので、うまい具合に落とし所を探して来ます

出来る物なら最初から書き直すべきなんですが誕生日にどうしても合わせたかったのでこのまま続けます

1です

勘違いについて言うと、以前使っていたPCが使えなくなったのでまとめられた元SSをワードにコピペして追加したり削ったりして編集していましたが、長い話なので一々どこまで前も書いたかとかまでは憶えていません。細かい追加もその場その場で書いていくので、把握しきれていませんでした

ドラマに関してですが、書き溜めをしていた時期に放送されたSPECにスケバンのキャラが出てきたので、それが印象に残っていたんだと思います。前のSSではスケバンの件に関して何も言われていないので新しく追加した部分だと勘違いしていました。元SSの方も確認すべきでしたね。それはこちらの落ち度です

重ね重ねになりますが、本当に申し訳ないです。更新について言うと、このスレで続けるのはもう無理だと思うので、落として別のスレを用意して最初から書き直すか、イーモバ規制のないpixivの方に投下するか考えます

どうするか考えてみて、そのまま続けます。ただ該当箇所から書き直したものを投下するので、読んでいるには少し手間と感じるかもしれませんがご了承ください。

今日は私用があるので、投下は明日再開します

以降前回更新の続きから↓

「わ、私メイク直しに行きますけど! ここ来ない! でくださいね!!」

「いや、いかんがな。あんまり遅くなるなよー? 前みたいに迷子になられてもアレだし、秋月さんが助けてくれるとも限らないぞ?」

「大丈夫です! 場所は憶えていますからっ」

慌てふためく美穂はそそくさとその場を去っていく。メイク道具を置きっぱなしにして。

「あれま。みほちーったら慌てんぼさん。仕方ないなぁ、届けに行ってあげますか」

「それじゃあお願いしようかな」

任された! と言って未央ちゃんは美穂の後を追いかける。

「2人とも遅くない?」

「何かあったんでしょうか?」

直ぐに戻ってくるかと思っていたけど、2人が帰ってきたのは開始5分前のアナウンスが聞こえた後。

「プロデューサー! 私、絶対に絶対にぜーったいに!! 合格してみせます!」

「いきなりどうした? いや、やる気に満ち溢れているのは素晴らしいことだけどさ。何かあった?」

「いやぁ……ちょっと色々有ったわけですよ!」

メラメラと闘争心に燃えている美穂を未央ちゃんがニカリと笑ってみていた。

『あなたは……こうなっちゃダメよ』

『彼女』の姿が私の脳裏にフラッシュのように点滅する。

「違う……」

――無駄なんかじゃない。映像を振り払うように呟く。

「1年やって何も残せなかったとか、意味ないし。プロデューサーも可哀想じゃん」

『またその機会があれば嬉しいんですけどね』

「違う……」

――可哀想だなんて言えるものか。『2人』の過ごした1年間が尊い物だと言い聞かせるように呟く。

「誰にも気づかれないまま、ヒッソリと引退したんじゃない?」

「うわっ、マジ悲惨じゃん。私 そんなの無理無理無理!! おくりびと良い歳だったし、適当な相手捕まえて結婚するんじゃ」

「違います!!」

激情はリミッターを壊して声になる。気がつけば私は、廊下に響き渡るほど大きく『彼女』に聞こえるように叫んでいた。

彼女たちの言葉がグサリと刺さる。
瞳子さんを馬鹿にされたからと言う大義名分を振りかざしても、自分の中で、そうなりたくないという思いは有った。
矛盾している。それどころか彼女たちの言う通りだ。私はあの時、瞳子さんを怖いと思ったのだから。
そして彼女が迎えた花道は、いつか自分も通ることになるモノじゃないかって、恐れている。

「ほら、同じじゃん。棚に上げて偉そうなこと言って、結局あんたも同じ穴の狢なのよ」

「おくりびとも今頃後悔してるんじゃないの? アイドルだった頃を無駄な時間だったって、夢なんか見るんじゃなかったって――」

彼女たちの言うように、私にどうこ う言う資格は無いのかもしれない。だけど……瞳子さんの夢を笑うことだけは許せなかった。
我ながら無茶苦茶な論理だ。でも、感情が先行してブレーキは壊れていた。

「それはち」

「はーい、そこまでっ!」

「えっ?」

だけど私の声は空気を読まないおちゃらけた声に遮られて、最後まで紡げなかった。

「はい、忘れ物」

「あ、ありがとう? 未央ちゃん?」

忘れていた事を忘れていたメイクセットを私に渡すと、声の主――未央ちゃんはニコッと笑って2人の目の前に立つ。

「ってあれま、行っちゃった? まだまだサトってたのに」

未央ちゃんは少し残念そうな顔をするけど、まぁ良いかと言って近くのソファーに座る。

「み、未央ちゃんって、本当に心が読めるん、ですか?」

プロデューサーは未央ちゃんのことをアピール上手と評していた。心が読める、そう考えるとそれも自然に思えてくる。

「まさか! そんなわけないよ! 残念ながらエスパー属性はないかなあ」

「だ、だよね。ホッとしたかな?」

「でも無くて良かったな。相手の心が読めたとしても、それってすっごくつまらないと思うよ? ほら、相手が何を考えているか分からないからさ、私たちって分かり合おうとするわけじゃん。次何するか分かっていたら、それは攻略本読んでいるのと一緒じゃない? そんなの生きているとは言えないよ、ただ流されているだけ」
「心を悟れたなら、きっとしまむーともしぶりんとも仲良くなれなかったと思うな。ってみほちー、時間あんまりないけどメイクは大丈夫?」

「そ、そうでした!」

慌ててメイクをして準備を整える。時計を見ると開始時刻8分前ほど。そろそろ戻らないと、皆に心配されちゃいそう。いや、とっくにしているかな。

「あんまり気にしないほうが良いよ?」

「えっ?」

会場へと戻る途中、未央ちゃんが大人しめのトーンで話しか ける。

「アイドルになったなら、皆に見送られて引退したいって考えるのは当然のことだしさ。どう言う経緯があったかは知らないけど、みほちーがああだこうだ考えても結局はなる様にしかならないって!」
「もしおくりびとさんが後悔しているのなら、それは違うってみほちーが証明してあげちゃえ! 夢に囚われているのなら、誰かが鍵を開けてあげないとねっ」

時間は開始5分前。私の順番は109人中18番だ。30番目が終わった後に昼休憩に入ることを考えると、早いうちに出来て良かったのかな。

「みほちーは18番か。私は何と! 109番です! なんと大トリ!」

「プロデューサー、クジ運は悪いもんね」

「そんなことないよ! むしろラッキーだって。最後の最後で全部持って行けるってのも、オツなもんだし!」

大トリは今オーディション1番候補の、未央ちゃん。
普通なら最後になると気が滅入りそうなものだけど、彼女はむしろ楽しもうとしている。なんという強心臓。

これが、紅白出場アイドルの余裕なのかな?

「えっと、私って何番でしたっけ?」

「愛梨ちゃんは88番だよ」

「中途半端ですねっ。あれ? でも、どこかで聞き覚えのある数字のような……?」

愛梨ちゃんは88番か。このオーディションは初めてらしいけど、緊張しているように見えない。
どんなパフォーマンスを見せるのか気になるな。

――

「俺も戻るかな?」

「あのっ、プロデューサー!」

「ん? どうした、美穂」

「えっと。わ、私の手。その、握って、く」

「どう? 気持ち、落ち着いた?」

「はい。とっても、幸せな気持ちです」

「その気持ちを、みんなに伝えるんだ。それがきっと」

武田さんの、いや俺たちの理想なんだ。

「みなさん集まっていますね。まずは参加者の確認から。名前を呼ばれたら代表者が返事をしてください。それでは、エントリーナンバー1番??さん」

「はい」

「――エントリーナンバー18番、小日向美穂さん」

「はい!」

堂々と大きな声で返事をする。ファーストホイッスル、リベンジマッチが始まった――。

「ありがとうございました!」

17番の彼女が席に座る。私と同じ年だけど、熟練したしっかりとしたパフォーマンスだったな。でも負けたくはない。

「ありがとうございました。それではエントリーナンバー18番の方、よろしくお願いいたします」

会場の空気は張りつめたままだ。油断をしていると飲み込まれちゃう。
だったら、私が飲み込んじゃえば良いんだ。
先の見えない闇だってもしかしたらちょっぴりビターなコーヒーなのかもしれない。
一歩踏み出せば、世界は開かれる。私たちが思っている以上にシンプルだ。
ここにいる人すべてに、幸せな時間を与えることが出来たなら――。

「うん、行けるっ」

小さく呟いて自分を盛り上げる。プロデューサーと離れていても彼の暖かさはまだ残っている。
今でも、私の手を握ってくれているように感じた。

私は始まったばかりだ。限界を悟るなんて、まだまだ先のこと。このままじゃまだ終われない。

「エ、エントリーナンバー18番! 小日向美穂、です!」

観客はクマさんじゃない。私と同じ人間だ。だけど恐れることなど何もありません!

聞いてください、Naked Romance!!

人生で一番長い3分だとか言っておきながら、ふたを開ければあっという間に終わってしまった。

もう一度歌いたい。そんな欲求が私の体を電流のように駆け巡る。

「小日向さん、でしたね」

「え?」

肩で息をしながら座ろうとすると、武田さんが急に声をかけてきた。
えっと、なにかやらかしちゃったのかな?

「良い曲に出会えましたね、それはとても幸運なことです。その出会いを、大切にしてくださいね」

「は、はい!」

これ……褒められたのかな?

人との出会いはもちろんのこと、曲との出会いも一期一会。
もし自分とともに育って行ける曲に運よく出会えたら、全身全霊を込めて命を与えないといけない。

それがアイドルの、使命なんだろうな。
私の世界を大きく変えたこの曲に、命を与えることが出来たことを誇らしく思う。

「失礼致しました。それでは、エントリーナンバー19番の方、よろしくお願いいたします」

「えんとりーなんばー19番、小早川紗枝といいます。よろしゅう頼んます」

人事を尽くした。後は天命に身を任せるだけ。
神様がいるのなら、私のパフォーマンスをどう思ったかな? 盛り上がってくれたら嬉しいな。

プロデューサーはそう言って服部Pに連絡をする。服部Pにとってあの場所は思い出の場所だ。

もしかしたら瞳子さんを思い出してしまうかもしれない。やっぱり場所を変えませんか? と言おうとすると、電話が終わったのかこちらを向く。

「愛梨ちゃんと一緒に向かうそうだ。俺らも行こうか」

「良いんですか? だってあの場所は瞳子さんとの思い出の場所じゃ……」

「彼を見くびっちゃダメだよ。なんてったって、まだ瞳子さんのこと諦めてないんだ。もう一度プロデュースするその時まで、後ろなんか向かないさ」

「! そう、ですよね!」

不意にプロデューサーの言葉を思い出す。

『乗り越えることは、忘れることじゃないんだ』

服部Pは乗り越えるんじゃない。残された傷跡も耳を塞いでもすり抜けてくる悲痛な声もステージへの憧れも。

全て取りまとめて引きずってでも前に進んでいくんだから。
申し訳ないかも、と思うこと自体失礼な話だよね。

「んじゃ、行こうかね。俺朝ごはん食べてなくてさ、ペコペコなんだよ」

さっきから聞こえていた元気な音は彼の腹の虫だったみたいだ。私のじゃなくてよかったなと人あんし――。

「あっ」

「き、聞こえました?」

「……い、今のは着メロ、です?」

そのフォローは無理があります……。

一旦ここまで、寝ます

「適当なこと言わない。初耳だよそれ。まあ美味しいっていうのなら、私も頼んでみようかな?」

そんなことはなかったみたいだ。

「それじゃあ私もオムライスで。あっ、頼んだら絵とか描いてくれますか? ナマハゲの絵とか……」

……地元愛、なのかな?

「愛梨ちゃん、メイド喫茶じゃないんだからさ。僕はカツカレーで」

「じゃあ俺もそれでお願いします」

女子4人はオムライス、男性2人はカレーを頼む。前も同じメニューだったっけ。

「新しい写真だ」

オムライスが来るまで暇なので周りを眺めていると、壁に掛けられている写真が増えていることに気付く。
12月○日……、前のオーディションの次の日だ。

『また会おう、服部さん』

大分に帰る前に撮った写真かな。一晩明けて吹っ切れたのか、瞳子さんの表情は晴れやかだ。
後悔なんてしていない、全てが終わったかのように笑っていた。

「瞳子さん、見ていてくださいね」

私は貴女に何も恩返しが出来ていない。同じステージに立つことすら叶わなかった。
私の活動を見て少しでもこの世界に戻りたいと思ってくれたなら、それ以上嬉しいことは無い。

紗枝ちゃんは他のアイドルと一線を画している。会場を間違えたと思われても仕方ないぐらいだ。
京都出身なのかはんなりとゆるやかな京言葉を操り、衣装も変わっていてまるでかぐや姫の様な和装でオーディションに臨んでいた。

扇子片手に華やかな演舞を披露した彼女は嫌でも目立つ。
下手すれば直前の私の印象が薄れてしまうんじゃないかと危惧してしまった。

そして川島さん。彼女はプロデューサーから事前に聞いていた人だ。
1月23日にデビューシングルを出したアイドルの1人で、今回のオーディション参加者の中で最年長だという。
なかなか短いスカートを穿いていたのは、自分に絶対の自信があるからかな。

元地方局のアナウンサーと言うこともあって、全く緊張しているように見えなかった。
歌声も艶やかで、他のアイドルにはない魅力をアピールできていたと思う。

「自分だけの魅力、かぁ」

癒し系とか小動物みたいって良く言われるけど、それは私の武器になっているのかな。
もう一度自分の適性や魅力と向き合ってみよう。新しい発見があるかもしれないし。

「考え事?」

スプーンの止まった私を、プロデューサーが心配そうに見ている。

「あっ、そう言うのじゃないです。ただ川島さん凄かったなぁって思って」

「うんうん! 地方局の女子アナ出身だっけ? 随分変わった経歴だなって思っていたけど、やっぱり慣れているよねあの人」

「私たちに無い魅力を持った人だったね」

「ああいう大人って憧れちゃいません? 私も憧れられたいです」

「私はとときんに憧れちゃうけどなー。それ牛乳に相談した?」

「?」

愛梨ちゃんのそのスタイルの良さは誰だって憧れると思う。時々プロデューサーも目のやり場に困っているし。
……数字じゃ4しか違わないのに。

李衣菜ちゃんは前のオーディションでも一緒だった。
初参加かつトップバッターでありながら、堂々としたパフォーマンスを見せていたっけ。
あれからどう進歩しているんだろう。恐ろしくもあるけど、楽しみでもあるな。

「おっと、そろそろ戻らないと。無理せず早く食べてくれ」

「ちょ! それ矛盾しているよ!」

「グダグダ喋りながら食べる方が悪いんでしょ。ちょっと減らしてあげる」

「あー! しぶりん私の食べないでよ! 一気に流し込むぞー!」

「あっ、未央ちゃんそんなことしたら!」

「んがっぐっぐ!」

掻き込んだオムライスが喉に詰まり苦しそうに胸を叩き始める。

「言わんこっちゃない。水飲みなよ」

「さ、サンキュしぶりん……。ケホッ、いやぁお見苦しケホッい所をお見せしちゃっケホッ! たね。で、でも、パフォーマンスに直ちに影響はないからね。あしからず♪ ケホッ!」

ウインクしながら自信満々に言うが、既に影響が出ているみたいだ。

こんな調子のいい性格の未央ちゃんだけど、なんだかんだ言っても実力は折り紙つき。日本中が認めているところだろう。

それは今回のオーディション参加者の中でも際立っていて、109人中109人と言うのも彼女が望んだシナリオのように感じていた。
最後の最後で、彼女は全てをかっさらっていくつもりなんだ。それだけの自信と、実力が彼女には有る。

プロデューサー、ゴメンなさい。私、嘘付いちゃいました。
不安なのは本当だけど、単に貴方と手を繋ぎたい。その一心なんですよ?

「こんなので、伝わるのかい?」

「はい。だってプロデューサーは魔法使いですから」

「魔法使い?」

彼が魔法使いで、私はシンデレラ。だったら王子様は……、1人2役。

「こうしているだけで、私は強くなれます」

「そっか。満足した?」

大きく頷き手を離す。こんなところ、記者さんに見つかればアウトなのに。そのドキドキすら私を悪い子にさせるスパイスでしかなかった。

――

「凄いね」

「あー。やっぱそう思う?」

「うん。パフォーマンスの質が高いし、なにより曲にマッチしている。美穂と川島さんにも負けていないよ」

「だね」

凛プロデューサーが耳元でつぶやく。マッチしている、か。仰る通りで。

エントリーナンバー54番、多田李衣菜。
前回はバリバリ派手派手のロックだったが、今回は少し緩めの曲調に落ち着いたみたいだ。とは言えしっかりとロックはしている。
透き通っていくようなBGMが心地よく、彼女の歌声にマッチしている。個人的にはこっちの方が彼女に合っている気がするな。
言ってしまえば、彼女は美穂にとってのNaked Romanceのように、
自分と共に成長する、生きていく曲を手に入れたのだ。それは先の川島さんも同じだ。

「凛ちゃんは」

「ん?」

「自分にしか歌えないって歌ある?」

「変なこと聞くね。カラオケ行けば入っていんだし、みんな歌えるよ」

そう返されると返答に困ってしまう。共通認識かと思っていたけど、そうでもないのかな。

「えっと、聞き方が悪かったかな」

「冗談だよ。要は私にマッチした曲って事でしょ? あるよ。というかその曲だからCD出したんだし」

「デビューシングルのこと?」

「うん。有名な作曲家の先生に私に合っているだろう曲を数曲作ってもらって、その中からチョイスしたんだ」
「歌詞に共感したって言うのもあるけど、何より一番歌いやすかったからね。プロデューサーもこの曲以外にありえないって言ってくれたし」

「なるほどね。敏腕Pのコネは侮れないな」

「まあね。っと、次の子始まっちゃうから静かにしないと」

「すんません」

人生経験はこっちの方が長いけど、業界人としての彼女は俺より1年近く前にデビューしている。
相手は美穂より年下の女子高生なのに、変にへこへこしてしまう。これが芸歴の違いなのか?

「なっ」

「凄い……」

「よしっ」

プロデューサーズは3者3様のリアクションを見せる。

凛ちゃんは感嘆の溜息を溢し、服部Pは始まったばかりなのに大きくガッツポーズをして、
俺は思ってもいなかった切り札に言葉が詰まってしまった。

男性諸君の視線を集めてしまいそうな完成されたスタイル。彼女のアピールポイントはそこだと思っていた。
それは俺以外も同じだろう。きっとこの会場にいる人のほとんどが、愛梨ちゃんの本質に気付いていなかったと思う。
そのスタイルすらどうでもいいと思えるほどの歌声。それこそが彼女の真骨頂だったのだ。

CDで聞いた歌声と全然違う。生で聴くと思いの他ガッカリするアーティストは少なくないが、その逆はそういない。
いや……、この短期間で急速に上手くなったというべきだろう。愛梨ちゃんはここにいる全員を見事に騙したのだ。
俺たちは服部Pの思う壺だった。彼が瞳子さんと過ごした一年間の経験は、愛梨ちゃんに受け継がれている。

「こりゃ驚きだな」

認めるには抵抗があるが、才能というものは残酷だという事実をむざむざと見せ付けられる。

「ありがとうございました!」

愛梨ちゃんのパフォーマンスが終わると、あちらこちらから小さな拍手が聞こえてくる。
オーディションで拍手が起きるなんて前回今回と見て初めてのことだった。

アイドルたちの席を見ると、美穂も未央ちゃんも拍手をしていた。

「――」

ただどういうわけか、未央ちゃんは複雑な顔をしている。

「はぁ。私らだってオーディションで拍手は貰ったことないのに。これが才能ってやつ? 目に見える才能って、結構エグイね」

凛ちゃんが少し悔しそうに漏らす。なるほど、そいつは複雑だろうな。
NG2に次ぐ超新星、十時愛梨――。

「とんでもない子がやって来たな……」

「……未央が焦らなきゃいいけど」

最後にそう弱々しく呟いて、凛ちゃんは静かになる。ステージ外の人間ですらこれほどまでの衝撃を受けるんだ、
当然ステージの中の彼女たちは俺たち以上のダメージを受けているに違いない。

例えそれが場馴れした紅白出場アイドルでも同じことだ。

スタイルの良さは言わずもがな、圧倒的な歌唱力は2ヶ月でどうにかなるものじゃない。

非の打ち所のない、元々の素体が優れているという証拠だ。

「ここでゆっくりしていたいですねー。はぁ、肩が凝っちゃった」

どれだけ努力しても到達出来るか分からない世界へ、彼女はほんの少しの時間でたどり着いたんだ。
生まれた時からアイドルになることを宿命つけられていた、そう考えると不思議としっくり来る。

「んしょ、んしょ……」

疲れたように自分の肩をもむ愛梨ちゃんは、可愛いと思うと同時に恐ろしくも感じた。

底が見えない――。彼女はまだまだ進化し続けるだろう。

「嫉妬しちゃうなぁ」

「?」

仲良くなった子が褒められるのは嬉しいことだ。だけど、手放しに喜べない自分もいるわけで。なんとも複雑な気持ちだ。

「あっ、そろそろ時間だ。戻りましょう!」

「……えいっ」

飲み干したペットボトルをゴミ箱に向けて投げてみる。
勢いよく飛んだそれはゴミ箱のふちに当たってコロコロと転がる。少し縁起が悪いな。

「108番の方、ありがとうございました」

長々と続いたオーディションも終わりが見えてきた。109人のアイドルたちの最後を飾るのはご存知この人。

「本田未央! です。よ、よろしくお願いします!」

「あれ?」

未央ちゃんも緊張しているのかな。心なしか、焦っているように見えた。

「……ッ」

ぎこちなく審査員の前に立つ彼女に、少し違和感を覚える。プロデューサーやトレーナーさんが言うように、
彼女も絶対に落とせないというプレッシャーに潰れそうになっているのだろうか。

「あっ、うん。そうだよね。ふぅ……」

だけどその違和感はすぐに修正される。何かを見つけたのか、震える身体は落ち着いていく。

「にぃ!」

「?」

未央ちゃんはこっちに振り向きニコリと笑った。やっぱり、気のせいだったのかな。

――

「しまった……やっぱりこうなるよね。休憩中にもうちょっとメンタルケアしとくんだった」

「へ?」

困ったように溜息をつく凛ちゃんは視線をステージの上の未央ちゃんに向ける。そこにいるのは底抜けに明るく前向きな彼女と打って変わって、
初めてのオーディションのように不安げにしている少女が立っていた。

「能天気に見えて、意外とプレッシャーに弱いからね未央って。ああなったらミスしやすくなるんだ」

「……わかるわ」

似ているのだ。アイドルになりたての頃の美穂に。
舞台慣れしているはずなのに、ファーストホイッスル特有のプレッシャーのせいか未央ちゃんは素人目にも分かるぐらいにガチガチになっていた。

「愛梨のパフォーマンスが毒になったね……」

「愛梨ちゃんの?」

「うん、未央の悪い癖。自分より出来ていると思った相手が出ると、焦ってしまうんだ。現在進行形でその症状が出ているね」

逆に言うと、美穂のパフォーマンスは取るに足らないものだったって訳か。うん、複雑だ。

「――」

「バントでもするの?」

固まっている未央ちゃんを見かねてか、凛ちゃんはポンポンと腕を叩き出す。

「うちらのサイン。流石にこの場で大声出してエール贈るわけにいかないでしょ?」

今度は広角を引っ張り上げて笑顔を作る。
凛ちゃんの手が放つメッセージの意味は分からないが、

「!!」

ちゃんと未央ちゃんに届いたみたいで、深呼吸をするといつものような悪戯な笑顔をこちらに向けた。

今度はいったん後ろに振り返る。彼女の目線の先は、美穂?

音楽が流れると、未央ちゃんはテレビで見た以上に軽快でダイナミックなパフォーマンスを魅せる。
その中での審査員や俺たちへのアピールも欠かせない。
ベストなタイミングで、ベストなアピールが出来る。簡単そうに聞こえて、かなり難しいテクニックだ。

未央ちゃんはその難しさを感じさせないアピールを連発する。
こればっかりは、現役アイドルの中でもトップクラスの実力と思っていいだろう。

「これが未央ちゃんか……」

「生で見るのは初めて?」

「恥ずかしながらね」

「じゃあとくとご覧あれ。なんてね」

映像媒体で満足していた自分がバカみたいに思えてきた。アイドルは生で見てナンボだ。

「感服するよ」

歌唱力もダンスも高水準。そして彼女のアピール技術は、誰も近づけない天賦の才を感じずにはいられなかった。

「ありがとうございまーす!」

ウインクを残して、曲が終わる。

「気が利くね」

「そりゃどうも」

2人でこっそりと拍手をしてみる。ブラボーって言っても良かったかな。

「ありがとうございました。それでは、結果発表までしばらくお待ちください」

全アイドルのパフォーマンスが終わり、武田さんたちは一礼をして会場を出る。
会場を覆っていた緊張感は一瞬にして消えて、アイドルたちの顔には疲れが浮かんできた。

「ドキドキの結果発表か……」

合格者は未定だが大体多くても3組程だ。果たして美穂はその中に滑り込むことが出来るか――。

今日まで俺たちは人事を尽くしてきたつもりだ。レッスンに営業に経験値を積んできた。十分通用レベルにまで育ったはずだ。
それに後はなるようにしかならないんだ。あれこれ言ったところで結果は変わらないんだから。
だからこそ、堂々と番号を呼ばれる時を待てばいい。私はやりきったんだって、胸を張るべきだ。
その自信がウソでもハッタリでも、貫き通せばホンモノになるんだから。

「大変お待たせしました。これより、結果発表に移ります」

「ほら、席に戻りなさい」

「はい」

審査員たちの登場に、騒々しかった会場は一瞬にして静まり返る。呼吸の音が大きく聞こえ、心臓の鼓動もテンポを上げていゆく。

「今回のオーディションは非常にレベルの高いものでした。運命の36週が絡んでいるとはいえ、皆様の熱意は十分に伝わってきました」
「私たちも審査員と言う立場で皆様のパフォーマンスを見ることが出来て、とても誇らしく思います」
「ですが、私たちの理想の音楽を体現したアイドルはまだまだ少ない。どうか、今回合格した方々が、理想に共感して世間へと浸透させてくれることを願っています」

アイドルたちも担当プロデューサーたちも、まだかまだかと武田さんの言葉を待っている。

「……」

祈るように目をつぶる服部P。彼の瞼の裏に浮かぶのは愛理ちゃんか服部さんか――。野暮なことを考えてみたり。

「ふぅ」

あくまで態度を崩さず余裕を見せる凛ちゃん。これまで何度も修羅場をくぐり抜けてきた余裕か、未央ちゃんを信じているからか。恐らく後者だろう。

「行けるっ」

そして俺の心臓は爆発寸前。大丈夫、美穂なら行ける! と呪文のように繰り返す。
それでも心臓は今にもオーバーヒートしそうで、人体発火現象を起こしてしまいそうだ。

そして、運命の時がやってきた。

「前置きが長くなりましたね。合格したユニットは……」












「18番、28番、54番、88番、109番の5人です。おめでとうございます」












――

「18番、28番、54番、88番、109番の5人です。おめでとうございます」

ずっと続くかと思われた沈黙の後、タケダさんはそう言った。

「え、えっと……18番?」

自分の番号札を確認する。18番だ――。

「やっ」

「いよっしゃあああああああああああああ!!」
「ヒーハー! 受かったんですね!! 愛梨ちゃんおめでとう!!」
「ぶはっ! ふ、2人ともうるさいって!」

「……御三方、喜ぶのは構いませんが程々にお願いしますね」

「った?」

私以上に喜んでいるプロデューサーたちが微笑ましい。でもこれ、夢じゃないよね?

「いたひ」

頬を思いっきりつねる。痛みはある。つまりこれは現実なんだ。

「ここまで、来たんだね」

不意に目から流れる涙。そっか。今日の私は、嬉しくて泣いているんだ――。

「それではファーストホイッスルのオーディションを終了いたします。合格者とその関係者は打ち合わせがございますので、残っていてください」

そう締めくくられて、今回合格できなかった参加者は会場から出て行く。

「プロデューサー。これ、夢じゃないですよね?」

さっき確認したのに。それでも、自分の置かれている状況がファンタジーじみていて、いまだに信じられない。
恐ろしいぐらいに、上手くいきすぎているから。もしかしたら全部台本があるんじゃないか、自由なメイソンの陰謀じゃないかと勘ぐったぐらいだ。

「そこまで言うなら頬っぺたを抓ってみればいいさ」

「じゃあ失礼しますねっ」

私の右手は自然と彼の右ほほへと飛んでいく。ほんのりと赤くなっているけど、一度抓ったあとだろうか。

「いでで! お、俺の頬っへをつれらなくれも! えいっ!」

「痛いです……っ!」

すると彼の左手が私の左頬を抓る。手加減してくれていると思うけど、夢なら覚める程度に痛い。やったなぁ! と右手を強めてみる。

「しぶりん、私らもする?」

「頬っぺたちぎれても知らないよ?」

「え、遠慮しようかなー……」

頬の痛みは私たちが立っている世界は夢なんかじゃなくて現実なんだと思い知らせる。

「俺たちは1つ、夢を叶えたんだ」

「あんまり、実感がないです」

「そう言うもんじゃない? 夢って」

今日までどれだけの時間をこの日のために費やしてきたのかな。学校以外の時間は殆どかけたはずだ。
だけどオーディションは3分間だけで、ファーストホイッスルも1時間番組。
そのうち、私がピックアップされる時間はさほど長くないだろう。

5人もいるんだ、1人1人の時間は長く取れないはず。

「皆さん集まりましたね。まずは合格、おめでとうございます。素晴らしいパフォーマンスでした、掛け値なしに」
「さて、打ち合わせと行きたいのですが、その前に説明しておきたいことが。今回は5人と言う本番組始まって以来最大の合格者数が出ました」

やっぱり5人って言うのは珍しいことなんだ。他の番組ではそうでも無いけど、
この番組に関して言えば、合格者の人数は決まっていないと謳っていながら多くても3組ぐらいだったのに。

「私どもとしても嬉しいことですが、同時に尺の問題を気にされている方もおられると思います」

私の心を見透かしているかの様な発言に、ビクリとしてしまう。

「そこは心配いりません。今回の放送は2時間枠の特別編成と言うことになりましたので」

急な話で少し驚く。2時間番組ってことは、それなりに時間を使ってくれるってことだよね?

「身内の話になりますが、ファーストホイッスルの後に放送される番組でトラブルがあったみたいで、放送延期と言うことになりました。そこで生放送をしている私たちに、尺埋めをしてほしいということで話が来たんです」
「あまり手放しで喜んでいいものでもありませんが、折角のチャンスです。皆様には今日以上のパフォーマンスを期待しています。それでは、打ち合わせと行きましょうか」

打ち合わせが始まると私は頷くことしか出来なかった。
難しい話はプロデューサーがしてくれるから、とりあえず、『はい』と言っておけばいいんだ。

「それじゃあこの方が……」

「なるほど。それではこれで。問題は有りませんか?」

「いえ、大丈夫です」

そんな私と対照的に、大人たちに混じってあれこれ意見を言う凛ちゃんの姿が格好良く見える。
出来る女の子って凛ちゃんのためにある言葉だと思ったり。これが巷で噂の女子力なのかな?

「皆様、お疲れ様でした。それでは本放送もよろしくお願いします」

長い打ち合わせが終わって背伸びをすると体中の疲れと緊張がどこかに飛んでいく気がして、すっきりとする。

「結構な時間だね」

時計を見ると、19時過ぎ。10時間近くこの場所にいたんだ。

「えっと、結構家から遠かったから……」

今から家に帰るとなると、21時前になるかな。疲れないわけがなかった。

「そうだ、プロデューサー。秋月さん見ました?」

「あー、そう言えば来ていたっけ。話しかけようとしたんだけど、忙しそうだったから結局話せなかったな。もう帰っちゃったかもね。ファーストホイッスルの収録の時にでも会えるんじゃないか?」

「そうですね。その時にちゃんとお礼しないと」

「だな」

このオーディションを乗り越えることが出来たのは、Naked Romanceを作曲して、私に託してくれた彼の力が大きい。
だからちゃんと私の口から言いたかった。ありがとうございましたって。

「いないっぽいし、長居するのもあれだな。帰ろうか」

「はい。えっと、失礼いたしま」

「あーっと、ちょい待ち!」

晩御飯をどうしようかなと考えていると、未央ちゃんが両手を広げて通せんぼをする。

「それされちゃ出られないんだけど……、ちょっと失礼するね」

「出てんじゃん!! 脇の下から出てんじゃん!!」

と言いながら凛ちゃんは腕の下をくぐり抜けて部屋から出る。

「あー、コホン! 何が言いたいかといいますとね? 折角だよ? 折角こうさ、事務所も経歴も違うアイドルたちが集まっていんだよ?」

「それも何の因果か、同じ日にCDデビューしたアイドルばかりね。未央の場合はソロとしてだけど」

そう言えばそうだった。李衣菜ちゃんも川島さんも、1月23日にCDを出したんだ。
本当に偶然と言うのは恐ろしい。私たち5人は、1月23日会とでもいうべきかな。

「つまり! 親睦を深めないというのは、どうかと思うわけですよ! だから私は提案します! 食事会開こうと! ビバ、情報交換の場だよ!」

「外食したいだけでしょ?」

「良いじゃんかぁ。祝勝会だよ、祝勝会! 良いお店紹介するからさっ!」

「収録が終わった後も打ち上げとか言ってそうだね。まぁ悪くないかな」

盛り上がる未央ちゃんにツッコミを入れつつも凛ちゃんも賛成する。愛梨ちゃんと未央ちゃんは会話済みだけど、李衣菜ちゃんと川島さんは話したことがなかったし。

「どうする美穂?」

「え、えっと……。わ、私たちも行きませんか?」

「だね。俺も皆さんのプロデュースに興味が有るし」

とりあえず未央ちゃんに任せておこう。祝勝会は楽しみだけど贅沢言うと――。

「お酒はナシでな。俺車で来ているし」

彼と2人でしたかったけど、今日はわいわいはしゃいじゃおう。

「……ちょっと待ってって」

「えっ?」

「少し……この子借りて良い?」

皆で会場を出ようとすると不意に声をかけられる。声がする方向を向くと、オーディション前に会った2人が気まずそうな顔をして立っていた。

「美穂、知り合い?」

「え、えっと……」

怒った相手です、なんてことも言えず言葉に詰まっていると未央ちゃんが任せてと小さく言った。

「そうそう。ちょっとね。ゴメンみんな、外で待ってて! この子たち、私らに用があるみたいだし」

「……そう? それじゃあ待っていようか。外寒いから、早めに終わらせてね」

凛ちゃんは察してくれたみたいで皆を連れて外の広場に出る。

「まさかあんたが合格するなんてね。……おめでと」

「おめでとう」

「え? あ、ありがとうございます?」

戸惑う私を迎えてくれたのは、意外にもおめでとうの一言だった。未央ちゃんも予想外だったみたいでぽかんと口を開けている。

「これ、どう言う風の吹き回し?」

「さぁ? サトってみたら?」

と笑いながら答える。未央ちゃんは例のポーズを取ってみるも、心は読めないみたいで依然?マークが浮かんでいる。

「おくりびとおくりびとってあの人のこと馬鹿にしていたけど、あんたが合格して……いざ自分が似た立場になると笑えなくなってさ」

「うん。あんたの言うと通り、あたしらは不安で仕方なかったんだと思う。誰よりも頑張っても、結果が出ないんじゃ意味がない。いずれ誰にも知られることなく引退して……それってすっごく虚しいことだから」

思うことはみんな一緒だ。自分は特別な存在だ、選ばれたアイドルだって呪文みたいに唱えてみても、いざこの世界に入れば周りも同じことを思っている人たちで、自分は特別じゃないと思い知らされる。

頑張っても頑張っても結果が出てこなくて、いつか嫌になってしまって。輝いていた日々を嘘だって言ってしまいそうで。
彼女たちだけじゃない、私にだって明日訪れるかもしれない未来なんだ。

「嘘だって思うかもしれないけど。あたし達だって最初はキラキラ輝いていた、と思う。少なくとも、壁にぶち当たる前は」

「レッスンをどれだけしても、このオーディションに受からない。毎週毎週出ても番号は呼ばれない。生まれたのは焦りだけ」

「結果が出ないとさ、ホント欝になるんだ。特に後から来た子らに追い抜かれるとね。その内惰性で続けるようになって……近道が欲しいって思うようになるの。そんなもの、どこにもないのにね」
「あの人がいなくなった時、次はうちらの番だなって思ってさ。そしたら頑張ることが……馬鹿らしく思えた。あんたに当たったのはきっと、真剣な目をしていたからなんだろうね。正直言って、羨ましかったよ」

彼女たちはまるでNaked Romanceに出会えなかった私を鏡写しにしているみたいだった。だから分かってしまう。彼女たちの苦しみも悩みも、全部自分のことのように。

「瞳子さんは……戻ってきます」

「は?」

「瞳子さんにとって、このオーディションに合格することは目標で、夢で……捨てることができない真実なんです」
「だから今はいなくても、私たちが勇気を与えることができれば、もう一度立ち上がれることが出来るって、そう信じています」

今彼女は遠回りしているだけだ――。瞳子さんがもう一度未来へと進む意思を取り戻せたのなら、いつか私たちと同じ道に合流する日が来るはず。
それがきっと、私たちアイドルの真実だ。
だから私は近道を選ばない。どんなに遠回りしても、諦めないで走り続ける。

「よく話が見えないけど、そう思っておこうよ。夢なんていつだって見られるんだよ? ただそれが早いか遅いかの違いでさ。8歳の子と30代のお姉さんが同じ服を着て同じ歌を歌って同じダンスをして」
「ステージに立てば皆一緒。バックグラウンドや目指すものが違ったとしても、それが出来るからアイドルって面白いよね! だから、この話はもうおしまい!」

未央ちゃんはパンパンと手を叩いて強引に話をまとめる。今日は未央ちゃんに助けてもらってばっかりだな。

「瞳子さん、だよね? その人が帰ってきたとき、笑顔で迎えるようにしておかないとさ! それが私たちに出来る事なんじゃない?」

その時は服部Pも愛梨ちゃんもいて。うん、想像しただけで笑顔がこぼれちゃう。

「うん。ありがとう、未央ちゃん」

「良いってこと! それじゃあ行きますか。お疲れ様」

待たせている皆のところに戻ろうとすると、待って! と大きな声が響く。

「あ、あのさ。最後になっちゃったけど……ゴメンナサイ、あんな酷いこと言っちゃって」

「ゴメン。許してくれとは言えないけど……」

頭を下げて謝る2人を見て、心がズキズキと痛む。私たちが見たいのは、そんな2人じゃなくて。

「顔、上げてください。許すとか許さないじゃなくて……そうだ! 瞳子さんが戻ってきたとき、一緒に言いましょうよ。おかえりなさいって」

「勿論、笑ってね!」

「……プッ。何よそれ、マジになっていた私たちがバカみたいじゃん」

「でも……あの人が帰ってきた時、私らもオーディション会場にいるってのは嫌だね。それって合格出来てないってことだし」

「だから……合格して待っていましょう。瞳子さんが夢を叶える瞬間を」

残された者たちに出来ることは限られている。私は今出来ることをやったつもりだ。だから次は、あの子達の番だ。

「ホントアンタ相手にしたら調子狂うわ。ま、せいぜい待っていてよ。……私たちも死ぬ気で這い上がってみせるから」

「うん。いつまでもおくりびとでいると思わないでよ?」

「はいっ!」

「何だかんだ言っても、根っから悪い人ってそういないと思わない?」

「うん?」

合流するべく広場へと向かっている途中、未央ちゃんがそんなことを言いだした。

「結果ばかりを求めていたら、先が見えなくて疲れちゃうじゃんか。認めていたけど、2人とも焦っていたからああ言っていたわけで……あー! 難しく考えたら頭がパンクしちゃいそう」
「要するに! 結果が出なくても、そのに行き着くまでの過程さえしっかりしていたら、いつかはたどり着けるってこと! 私もみほちーもそうやって来たんだし、瞳子さんもあの2人も上手くいくよ!」

「……うん、そうだね」

私のしてきたことが正解かどうかは分からないけど……、そうだって信じることは出来る。

「ほら、急ごうよ! しぶりん待たせ過ぎたら怒っちゃうし!」

広場で手を振るプロデューサーの吐く息は白く寒空の下、体が少し震えていた。寒い中待たせてしまったことを皆に謝って、未央ちゃんオススメのお店とやらに向かった。

更新はここまで。元SSに比べて未央の出番が増えていますが、少し真面目なこと言いすぎて別人に見えなくもなかったり

続きはまた夜ぐらいに

「あらま。それじゃあ、デレプロコンビは大丈夫だね!」

「プロデューサー、そんなに美味しいんですか?」

「あーそうだね。コスパは良いかな。安くて美味しいってのはクリアしているかも」

サイ○リア初挑戦で妙にドキドキしている。おのぼりさんオーラが表情や態度に出ていないだろうか?

「美穂ちゃん見ていると懐かしいですね。秋田にもサイ○リアは無かったんですよ。だから初めて入る時、おめかししちゃいました」

思いっきり出ていたみたいだ。って愛梨ちゃん秋田出身だったんだ。少し意外だ。
九州出身の瞳子さんと東北出身の愛梨ちゃん。逆の方がしっくりくるのはキャラクターのせいかな。

「私は大丈夫ですよ! 講義の間とか良く行っていますし」

そう言えば愛梨ちゃんって大学生らしいけど何学部なんだろう。意外に理系だったりして。

「私はオッケーですよ? 実は新しいヘッドホンと念願のギターを買って、お金がちょっとやばかったからここで助かったり……」

ロック系アイドルを目指すだけあって、ギターとヘッドホンは必需品みたいだ。

「まぁ、15、6歳の子からすればご馳走なのかしらね? たまには悪くないわね」

川島さんは大人の余裕を見せている。きっといいお店沢山知っているんだろう。

「それじゃあゴーゴー! あっ、10名禁煙席で良いですよね?」

アイドル6人とそのプロデューサー4人。はた目から見ればどう映るのだろうか? お見合い……なら2人余っちゃうか。

「ほら、着いたよ」

家に着いたのは22時半だ。この後俺は帰って溜まっていた仕事をしなくちゃいけない。
眠る時間も惜しいぐらいに忙しくなっていく。

「んん……。あれ、私寝ていたんですか?」

「それはもう、気持ちよさそうに。よだれついているよ」

「へっ? み、見ないでください!」

そっぽを向いて口元を拭く。反応が小動物みたいで可愛らしい。この可愛い彼女が世間に知れ渡っていく。そう考えると嬉しいと思うとともに、少し寂しくもなってくる。
これが親心なんだろうな。親父さんたちの気持ちがなんとなく分かった気がした。

「えっと、送って下さり有難うございます」

「今日は疲れただろ? 早く寝て明日の活動に支障が出ないようにしないとな。本番当日になって風邪ひきましたじゃざまぁないからね」

「はい。それじゃあプロデューサー、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

彼女の部屋まで送る。管理は徹底されているけど、もし悪質なファンが出待ちしていたら洒落にならない。

――

「バレンタインディキッス♪」

テレビから懐かしのアイドルソングが流れる中、私と愛梨ちゃんは甘いチョコレートの匂いに包まれる。

「まだまだ混ぜなきゃダメっぽいですね」

「チョコを作るのも大変ですよ?」

明日2月14日はファーストホイッスル収録日、そしてバレンタイン。

『ははっ、そんなものお菓子メーカーの陰謀ですよ』

だなんてプロデューサーはぼやいていたけど、

『え? 欲しくないですか? 残念です、作ってこようと思ったのに』

『喜んでもらいますとも! いやぁ、ちひろさんから貰えるなんてラッキーですな!』

と、ちひろさんがあげると言うと躾けられたイヌみたいに喜んでいた。

『あだっ!』

『ご、ごめんなさい! 足踏んじゃいました』

ワザとではないんだけど、足を踏んでしまう。本能的な行動だったとしたら、何とも嫉妬深くなったものだ。

「あっ、服に付いちゃった」

この部屋暑いですねぇ、という理由でなかなか際どい格好をしている愛梨ちゃんの胸のふくらみに、溶けたチョコレートがポトリと垂れる。
しかもそれがホワイトチョコだったから……、なんというか、扇情的?

「舐めちゃえ。うん、甘い」

「……愛梨ちゃん?」

愛梨ちゃんの恐ろしい所は、一切の計算なくすべて天然だということ。
もしここにいるのが私じゃなくて、男の人だったなら? 想像するのも恥ずかしいどすこーい!! な展開が待っているに違いない。

「どうかしました? 顔が真っ赤ですよ?」

「え、えっと! どどどどすこい?」

「パイナポゥ?」

愛梨ちゃんのサークルって男性が多いんだろうな。

「そう言えば愛梨ちゃんはチョコを作らないんですか?」

「私はもう作っていますから! これですけど……」

「凄い、本格的だ……」

「こう見えて、ケーキ作りは得意なんですよ? ケーキ作りでトップアイドル目指すなら、すぐになれるんだけどなぁ」

「あー、クマさんの名前ですか。良い名前ですね!」

「そ、そうですよね! ねっ!」

愛梨ちゃんが天然でよかった、改めてそう思いました。

「クマの型紙なら、直ぐに作れますね。作っちゃいましょう」

慣れた手つきで型紙をクマの顔の形にする。ネズミとかには見えないはずだ。

「ここに流し込めばいいんですよね?」

「そうですよ。それであとは冷蔵庫に入れれば、完成です!」

本当ならもっと早く終わったんだと思うけど、私の手つきが拙いこともあって必要以上に時間がかかってしまった。

「美味しく出来たかな……」

「美穂ちゃん、こういうのって心がこもっていたら美味しくなるんですよ。そうテレビで言っていました」
「あれ? 製菓研の先輩だったかな? えっと、とりあえず料理はハートなんです! ハートイートなんです! ラブイズオーケーってリーダーも言っていました!」

「リーダーってどなたですか?」

世紀末なら知っているけど……。

「それは勿論! ……誰でしたっけ?」

どこかピンとのずれた励ましだけど、そう言ってもらえると助かる。
料理は愛情が最高のスパイスだ! とは母親の談。私なりに、心を込めて作ったんだ。きっと美味しいはず

「川島さんトーク上手いなぁ。尊敬しちゃいます」

愛梨ちゃんが言うように、川島さんはトークが抜群に上手い。
当然人生経験の差もあるんだろうけど、アナウンサー出身と言うこともあってか、
時間通りに話をまとめることも出来て進行を妨げないトークは凄いと思った。
でもどうしてアイドルに転向したんだろう。気になる。

「他には何やっているんだろ」

これまた適当に変えると、今度は李衣菜ちゃんが映っていた。スタジオのセットを見るに、クイズ番組かな?

『残念不正解! お前は本当にロックのことを理解しているのかーっ!? お仕置きターイム! どジャアァぁぁぁ~~~ン』

『へ? むっへぇ!!?』

ブブーとブザーが鳴ったと思うと、頭上から大量の粉が降ってきて李衣菜ちゃんは真っ白になる。

『正解はBのリップ&タン! ローリング・ストーンズのロゴマークですね!』

『けほっ、けほっ……。これもまた、ロックですね……』

何を言っているか分からなかったけど、どうやらロック関係のクイズに不正解だったということらしい。

そう言えば前の祝勝会でもロックが好きだと再三言う割には、同じくロック趣味の凛ちゃんの振る話題にあまりついて行けてなかったような。

「私に出来るかな?」

「お似合いだと思いますよ?」

熊本で撮影される時代劇映画に、私はお姫様役として出演することが決定したのだ。

『この役は貴女しか有り得ないのです!!』

『えええ!?』

オーディションを見に来ていたらしい映画監督さんが、109人のアイドルの中から私を選んでくれた。

『えっと、小早川さんの方がお姫様っぽいと思いますけど……』

驚かないわけがない。だってあのオーディションには、現代のかぐや姫こと(勝手に私が呼んでいるだけだけど)小早川さんがいたんだ。
私なんかより、数百倍お姫様役に適任だ。

それでもスタッフさんは、熊本を舞台にするとのことで地元生まれの私を使いたいと言うこと、
そのお姫様役には小早川さんはマッチしないなど説明をして、プロデューサーの説得の元、仕事を引き受けることにした。

後で知ったことだけど、この映画は結構なお金がかかっているみたいで、放映どころか撮影もまだまだ先なのに、
既にあちこちで話題になっているらしい。

『有名な監督に、主演俳優も大物俳優の五十嵐さんにイケメンアイドルのコンビだ。美穂の役もかなり重要な役回りを持っているし、これは波が来たか? 乗るしかないぞ、このビッグウェーブに! ざっぶーん!』

映画に初挑戦ということで緊張している私を尻目に、プロデューサーは自分のことのように喜んでくれた。

「疲れた時にはチョコレートが一番ですからね!」

「1つ頂きますね。うん、美味しいですよ」

抹茶の苦味とチョコの甘味が溶け合い絶妙なハーモニーを奏でる。グルメリポーターならもっと上手な表現をするんだろうな。

「喜んでもらえたのなら何よりですね」

「ちひろさんも食べます?」

「それじゃあ1つ貰いましょうか! あーん」

「ちひろさん?」

餌を欲しがる雛鳥みたいに口を開ける。これ入れて欲しいのかな……。

「あーん」

「あ、あーん」

1つつまんでちひろさんの口に入れてやる。事務所に来るなり何をしているんだろうか俺たちは。

「我ながら良い出来ですね! でも、口移しの方がよかったかも?」

「……意味分かっていますか、ちひろさん」

「~♪」

「小日向さん、プロデューサー殿。ハッピーバレンタインです」

レッスンスタジオに着くと、トレーナーさんから可愛くラッピングされた長方形を貰う。

「関係者皆に配っているんです。レッスンの後にでも食べてくださいね」

意外な人からチョコレート。トレーナーさんもイベント事には参加する人なんだな。
こういう浮ついたことには興味なさそうだったから意外だ。

「ありがとうございます」

「私も貰っちゃっていいんですか?」

「何時も頑張っていますからね。所謂友チョコって奴ですよ」

微妙にニュアンスが違うような。

「ごめんなさい。私、トレーナーさんに用意できてなくて」

「気にしなくていいですよ。これ、さっきデパートで買ってきたやつですし。本当は手作りが嬉しいんでしょうけど、恥ずかしながら料理は苦手なもので……」

トレーナーさんは恥ずかしそうに弁明する。普段キリっとしている分、恥じらう姿にギャップが有ってアリかなと思ってしまった。
流石にスカウトは……ダメだよなぁ。

「えっと、今度持って行きます!」

「そうですか? じゃあ楽しみにしておきましょうか? でも、レッスンは手を抜きませんので。それじゃ今日は……」

「私だって負けてないと思うけどな……」

形はアレかもしれないけど、味には一応自信は有る。お菓子作りの申し子たる愛梨ちゃん監修で作ったし、
学校の皆や事務所の2人からは好評だった。

『ど、どうかな?』

『美穂ちゃん筋が良いよ! きっとプロデューサーさんもイチコロだよ!』

『こ、声が大きいよー!』

と卯月ちゃんも褒めてくれた。だから渡して恥ずかしくない出来だと思う。
だけどこんなものを見せられたら、とてもじゃないけど私のチョコレートは渡せそうになくなる。

「はぁ、何やっているんだろ私」

渡せないんじゃない、渡そうとしていないだけだ。
タイミングが悪いからって言い訳を続けて、逃げている。本当は誰かと比べられるのが怖いだけ。
凛ちゃんもちひろさんもトレーナーさんも私と張り合うつもりなんて毛頭ないのに。勝手にそう思い込んで自分の首を絞めていく。

「まだまだ時間はあるよね」

刻一刻と本番の時間が近づいてくる。この番組には武田さんの意向で台本がない。
ありのままの姿のアイドルと仕事がしたいという考えらしいけど、緊張グセのある私からすれば結構大変なことだ。
実際チョコレートの件も相まって、私の心臓は人生最速のスピードでビートを刻んでいる。李衣菜ちゃんが気に入りそうなフレーズだ。

「この部屋暑いですねー。脱いで良いですか?」

「ちょちょ! 服全部脱げているよ!?」

「なになに、ロックとはドロボウではなくトレジャーハンター……。ってこれゲームの攻略wikiじゃん!!」

「なるほど、ニンジンはアンチエイジングにいいのね。勉強になるわね」

「はぁ……」

その後もチャンスはあったけど、どうにも上手く行かず、本番まで残り15分になってしまった。

「どしたのみほちー。溜息付いちゃって」

アイドルたちの控室。私たちは更衣を終わらせて、本番が始まる瞬間を待つ。
格好だけは準備万端だけど、浮かない顔をしている私は心の準備がまだだった。

「あっ! 味噌ちゃん」

「未央ちゃんです! みほちーは信じていたのにとんでもない裏切られ方しちゃったよ! これだから本田味噌のCM嫌だったんだよね……」

未央ちゃんはヨヨヨと嘘泣きをはじめる。

「ごめんなさい。少しボーっとしちゃって」

「後少しで本番だよ? そんなんじゃ、テレビの前のファンは喜ばないって! ほらっ、スマイルスマイル! シャキッとしないとね!」

パシンと背中を叩かれる。そうだよね、これとそれとは別のこと。ちゃんと割り切って頑張らないと……。

「青春ですね! 止まらない衝動はまさにロックって感じですよ! 愛のままに我儘に僕は君だけをなんとやらみたいな!」

「い、いまいちロックが何のことか分からないかな……」

頷きながら李衣菜ちゃんは1人納得している。どのあたりがロックだったのだろうか。

「なら話は早いわね。チョコレートを渡せばいいのよ。シンプルでしょ?」

「でもそれが出来ればこんなに悩んでませんもんね。その気持ち、よく分かりますよ?」

「確かに小日向さんのキャラクターじゃ、難しい話かもしれないわね……。どうしたものか」

「すみません。変な話に付き合わせちゃって。その、皆さんありがとうございます」

本番まで時間がないのに、みんな私のために悩んでくれる。申し訳なさで一杯になるけど、同時に嬉しくも思った。

「気にしなくていいよ! みほちーが心地よく仕事するために必要なことだしさ」

「なんなら呼び出しちゃうとかどうですか? 私たち空気を読んで出ていきますよ?」

「思い切って生放送で愛を叫ぶとか!! 私たちも合いの手入れますよ?」

「同時にアイドル生命も終わるわね、それ」

川島さんの言うとおりだ。テレビで告白せずとも、彼に特別な思いを持ってしまった時点で、
私はアイドルとして失格なのかもしれない。

そう言われたら受け止めるしかない。だけど難儀なことに、この気持ちはどうしようもない。
彼の笑顔を思い出すだけで、私の心は満たされる。部屋の暑さが、私を火照らせる。

「でもあなたぐらいの歳なら、仕方ないかしら? かく言う私も、高校のときは恋に恋をして日常が輝いて……」

「かーわーしーまさーん? あー、ダメだこりゃ。自分の世界に入っちゃった」

「美穂ちゃん。私たちは皆、美穂ちゃんの仲間です! 美穂ちゃんの恋を応援していますよ?」

「まー、うん。邪魔する理由なんてないかな?」

彼女たちの応援が私の背中を押す。本番開始まで10分ちょい。私の懸念事項は、チョコレート>ファーストホイッスルになっていた。
そんなことしている余裕なんてないのに……、でも後悔はしたくない!
行くなら今しかない!

「えっと! わ、私! 今から渡してこようと思います!」

「行ってらっしゃい、美穂ちゃん!」

「よし来たっ! 頑張れー!」

「そう、あれは放課後の音楽室で先輩と2人っきりに……」

「川島さんは放っておいていいと思うよ? ほら、時間ないんだしゴーゴー!」

彼のいる楽屋へ走る。このチョコを、気持ちを届けるんだ。
もう何も恐くない――

「あれ? 美穂からもらってないの?」

「ん?」

「あの子のことだから、真っ先に渡しそうなものなのに」

貰えて当たり前というスタンスをとるのもどうかと思うけど、
言われてみれば、美穂から貰えていないのは少し残念な気持ちになる。

「そんな悲しそうな顔しないでよ。見ているこっちの気が滅入るって」

「そのつもりはなかったんだけど」

「分かりやすいよ? 他の人にも聞いてみなよ。きっと顔に出ますよねって答えるからさ」

「いや、良いよ。しかし、もうここまで来たんだな……。俺まで緊張してきたぞ」

後数分で本番だ。美穂のパフォーマンスが全国に流れることになる。
一緒に頑張ってきた身として、これ以上嬉しいことは無い。

だけど同時に、自分だけが知っていたアイドルが全国区になると思うと寂しくもなる。
我侭な悩みなのは分かっているけど、夢に一歩また近づけたんだ。素直に喜ばないと。

「感無量?」

「まあね」

デパートの屋上での大失敗も、挫折しかけたオーディションも、クリスマスパーティーも全てが懐かしく感じる。
これからもっと、彼女は思い出を作っていく。その傍らに、俺がいることが出来れば。それだけで十分だ。

「俺は来てない、な」

来ていたのはメールマガジンが2件。美穂からは来ていな――。

「え、えっとプロデューサー。いますか?」

と思ったら、メールじゃなくて本人が来ました。

「えっと、何かあった?」

ドアを開けて中に入れてやる。走って来たのか衣装が少し崩れて、顔もいつもより赤くなっている。

「そ、そのですね……」

「顔も赤いし。大丈夫か? 熱が有るとか」

不謹慎なことを言えば……熱にうかされた表情は否応なしに色気を与える。少しばかり大人の階段を上った、そんな印象。

「ち、ちち違います! その! ど、どうしても! 今、プロ、プ、プロデューサーにお渡ししたいものがあったんです!」

「俺に? まさか……」

「はい。そ、そ、そのまさかです! 受け取ってください!! うぅ、やっと言えたよぉ……」

「お、おい!?」

安堵の表情を浮かべると、へなへなとその場に崩れ落ちる。

「すみません、ようやく言えたと思ったら、力抜けちゃって……」

「そんな顔しないでよ。俺はさ、美穂から貰えたことが凄く嬉しいんだ」

「本当ですか?」

「そりゃあもう。一生自慢できるよ」

「ちひろさんとか、凛ちゃんよりも嬉しいですか?」

「もちろんだよ」

優劣をつけるのも失礼な話だけど、それだけは譲れなかった。彼女は俺にとっての特別なんだから。

「えへへ。すっごく嬉しいです」

美穂の頬を濡らした涙は止まり、いつもみたいに恥ずかしそうに笑顔を見せてくれた。
きっと誰もを魅了し、優しい気持ちにさせるその笑顔を、もう少し自分のものだけにしていたかったと思うのは、

プロデューサー失格なんだろうか?
そんなことを考えていると、不意に体に心地良い重みが。

「み、みみ美穂!?」

「少しだけ、こうしていていいですか?」

ぬいぐるみのように抱き着かれた――。柔らかな身体も、彼女の暖かさも。彼女を構成するすべてが俺を困惑させる。

「か、監視カメラある……」

『この部屋の監視カメラって壊れているんだよね』

凛ちゃん。俺にどうしろと言うんですか――。

「はい。食べてみてください」

「でもよく出来てるなぁ。食べるのが勿体無く感じるよ」

「チョコは食べるための物ですよ」

程よい部屋の暑さが、体中をめぐる熱さが私を少し大胆にさせる。
私はチョコを掴んで彼の目の前で止めてやる。

「美穂?」

「今日ちひろさんとしたこと、私にもしてください」

「ちひろさんとしたことって……」

「あーん」

「ははっ、もうどうにでもなーれ。あーん……」

彼は一瞬躊躇したけど、観念したように乾いた笑いを漏らし、そのまま耳の部分を齧る。

「美味しいですか?」

「うん、美味しいよ。良く出来てるし。美穂も食べてみなよ」

本番前の高揚感と、部屋に2人っきりと言う事実が私を突き動かす。
きっと、今までで一番慌てた彼の顔が見ることが出来ると思うから。
私は少し、いじわるをするんだ。

「それじゃあ……私もいただいちゃいます。プロデューサー、何があっても目を瞑っていてくださいね」

「へっ? どういう……」

「んっ……」

彼の言葉をさえぎるように、私は唇を重ねた。

「ちゃんと渡せたかしら?」

「はい!」

舞台裏ではすでにみんなスタンバイしていた。おかしなテンションになっている私とは対照的に、4人とも大舞台を前にしても落ち着いているように見えた。

「おっ、やりますね! そんじゃその調子で、愛も叫んじゃいません?」

「いやいや! ファーストホイッスルも終わりかねないからねそれ!」

「ふふっ」

私は幸せに包まれている。きっと今の私なら、歌に乗せて幸せな気持ちを届けることが出来るはずだ。

「そうだ。折角だし、円陣組まない?」

「あっ、良いねそれ!」

「エンジンを組み立てるんですか?」

「エンジンじゃなくて、円の陣ね」

「あー、それですか。組みましょう組みましょう!」

――

「どうしたの、顔真っ赤だよ? キスでもされた?」

「にょわっ! な、何を言いますか」

「冗談だったんだけど……。ホント嘘つけないね。素直なのは悪いとは言わないけどさ、時には嘘を突き通すことも必要じゃない?」

全ての元凶は、おそらく彼女のチョコケーキだ。ほんの少量のブランデーで、美穂は酔ってしまったのだろう。
馬鹿げているけど、親父さんを見るとそれしか考えられない。彼女の家系は代々お酒に弱いのだろうか。

「後で賠償請求するからね」

「そっちも逃げなかったんじゃないの?」

音声が入り込まないように小声でツッコミが入る。

「逃げられなかった、の間違いだよ。だって不意打ちだぜ?」

「ふーん……意外とやる子だね。見方が少し変わったかも」

「思いっきりの強さは美穂の武器だからなぁ。それが暴走してしまうこともしばしばだけど」

しかしいくら酔っていての大胆な行動と言われても、俺はとんでもないことをしてしまった。
アイドルとチッス。腹を斬れと言われたら、斬らないといけないぐらいの重罪だ。

「本当にこらえ性ないよね。見ている分には面白いんだけど、騒ぐならカラオケにでも行けばいいよ。奢ってくれるなら付き合ってあげるから」

「結局奢らないといけないんですか……」

言い換えれば、1000円弱で未来のトップアイドルとカラオケに行けるということだ。

それはそれで凄いことを言っているんだけど、凛ちゃんは気付いているのだろうか。

「ほら、黙って見ようよ。私らに出来ることってそれだけだからさ。未央、信じているよ」

「だね」

年下の子に怒られて、目が覚める。さっきのことはさっきのこと。

「頑張れ、美穂。君の全てを歌に乗せるんだ――」

今は美穂の全国デビューを喜ぼうではないか。

「ううん、後悔はしていない」

我ながら卑怯だと思う。彼の虚を突いてキスをして、何事もなかったかのように振る舞って。
ちょっとした悪女だ。私には似合わない称号だけど。

「CM明けまーす!」

「よしっ、頑張るぞっ」

私のメインは名前の順で2番目。まずは私たちのお姉さん、川島さんのターンだ。

「ふぅ、やっぱり緊張するものね……」

「川島さん、頑張ってくださいね」

「ええ。貴女もね」

ウインク1つ残して、彼女はメインの席へと向かう。
武田さんは表情を変えず、そのまま動こうとしない。実に省エネだなと変なことを考えてしまった。

「ファーストホイッスル。最初のお客様は、地方局アナウンサーから異色の転身を果たした川島瑞樹さんです。よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」

基本的にこの番組は、武田さんとのトークと、アイドルのライブで構成されている。
落ち着いたトーンで話す武田さんとは対照的に、大舞台であわあわするアイドルの初々しい姿が見られるというのも、この番組の魅力らしい。

「なるほど。もしアナウンサーになっていなければ、アイドルにもなっていなかったと」

「ええ。実際局アナ時代の経験は生きていますから。そう考えると、私は運が良かったんでしょうね」

「川島さんの楽曲、Angel Breeze。物語性の強いこの曲が、貴女に出会えたこともまさしく幸運と言えるでしょうね。この曲は川島さんをイメージして作られたと聞きましたが?」

「そう聞いています。作曲家の先生が私の局アナ時代を知っている方で、仕事はやりやすかったですね」

「それはピッタリな曲になるはずですね。それでは準備のほど、よろしくお願いいたします。川島瑞樹で、Angel Breeze」

「ふぅ……」

川島さんのステージが始まった。次は私だ。大丈夫、行けるに決まっている。

「――」

舞台裏からひょっこりと、プロデューサーはこぶしを突き出す。

「えいっ」

私も彼と同じように突き出して、コツンとぶつける振りをする。

「川島さん、ありがとうございました。CMの後は、小日向美穂さんにお話を聞いてみましょう」

「CM入りまーす! 小日向さんはスタンバイお願いします!」

「みほちー、行ってらー」

「行ってらっしゃい」

「愛を叫んできなよー!」

「あ、あはは……。遠慮します」

夢のステージに、私は立つ。見ていてくださいね、瞳子さん――。

「可愛らしい服ですね。これは、自分で用意されたんですか?」

「こ、これはあの……、熊本の友達が作ってくれたんです!」

「ほう。離れていても仲が良いというのは、羨ましいですね。デビュー曲であるNaked Romanceはこのステージで初披露だったということですが、元々あった曲に小日向さんがマッチしていたから託した。と作曲家は言っていましたね」

「初めてのファーストホイッスルオーディションの時に、私を見てこの人しかいないと感じたんだそうです」


「運命とでもいうべきでしょうか? 事実、小日向さんとこの曲の組み合わせは見事と言ってもいいでしょう。実にマッチしています」

「私も決して多くはないんですが、曲を提供することもあります。その際は歌手を見て曲を作りますね。その歌い手に合った歌を作るには、相手のことを知らないと始まりませんから」

「しかし彼女の場合は違う。Naked Romanceに足りなかった最後のピースこそが彼女だった。こればっかりは、奇跡以外の何物でもありません。非常に珍しいケースです。恐らく今後この様な奇跡は起きないでしょう」

「そうですね。この曲との出会いに感謝しています」

奇跡か。まさに怪我の功名だった。傷ついてどうしようもないと思ったときに、この曲は私に勇気をくれた。もう一度立ち上がる力をくれた。
だから今度は私の番だ。
曲のこと、アイドル活動のこと。トークはゆるやかなテンポで進んでいく。

「小日向さんの方から視聴者の皆さまへのメッセージはありますか?」

「えっと、1つだけいいですか?」

「ええ。どうぞ、お構いなく」

私の言葉が、皆の心に響くならば――。

「あっ、小日向さん!」

「秋月さん! お久しぶりです」

収録終了後、秋月さんが声をかけてきた。実年齢より幼く見えることもあってか、高そうなスーツがいまいち似合っていなくて少しおかしい。

「こちらこそ。前はごめんね、挨拶も出来なくて」

「いえ。私の方こそちゃんと報告が出来なくて申し訳ありませんでした。あっ、チョコレート」

「ん?」

「今日、チョコレート作って来たんです。よかったらどうですか? 楽屋から取って来ます」

「良いんですか? それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな?」

楽屋に戻ってチョコを取ってくる。この時私はプロデューサーに渡したチョコが既に溶けていたことを忘れていた。

「あっ、溶けていますね」

「そ、そうでした。暖房がきいていて、それで……」

「あの楽屋の空調効き過ぎなんだよね。でも僕はこういうのも好きですよ? うん、美味しいなぁ。ホワイトデーは何かお返ししないといけないね」

相も変わらずニコニコとしている。人柄の良さがにじみ出てくるようだ。

「あー、正気に戻っちゃったか」

「へ?」

「いや、こっちの話。なんかさ、未央ちゃんが川島さんの家に泊まろうとか言っていたけど、美穂は行くかい?」

「川島さんの家ですか? 皆行くんですか?」

「みたいだね。明日学校休みだしさ」

川島さんの家か――。皆行くみたいだし、楽しそうだ。

「じゃ、じゃあ私も! 私も行きます」

「そう? それじゃあ川島Pが送ってくれるみたいだから、今から合流すれば良いよ」

「プロデューサーはどうするんですか?」

「俺は仕事が有るからね。それに、女子会に介入するほど空気が読めない人じゃないよ」

「そ、それじゃあプロデューサー! お、お疲れ様でした!」

「ああ、お疲れ。それと美穂」

「何ですか?」

「変なこと言うかもしれないけどさ、俺嬉しかったんだよね。ファーストキスが美穂でさ」

顔を赤らめて、恥ずかしそうに言う。ファーストキス――。それは私にとっても、彼にとっても変わりない事実だった。

「ふぇ!? ど、どどどういう!?」

胸を突き破りそうなぐらいのドキドキは加速する。

「それじゃあ美穂、お疲れ様。明日迎えに行くよ」

「あっ、はい。プロデューサー、おやすみなさい」

「おやすみ、美穂」

「じゃーねー! 言い忘れていた! 着替え終わったら入り口に来て! 待っているからさ!」

「あっ、うん」

結局、彼と2人で祝勝会が出来るのはいつになるんだろう? 気長に待つとしよう。

「うぅ……」

思い出すだけで顔が真っ赤になる。きっと今夜は、それを追及され続けるんだろうな。

「あっ、メール来ている」

着替えを終えて携帯を確認すると、卯月ちゃんと相馬さんと見たことのないアドレスからメールが来ていた。

『お疲れ様! 美穂ちゃん凄く可愛かったよ! 見ていてこっちが幸せになったぐらい!』

幸せそうな卯月ちゃんの笑顔が頭に浮かぶ。ちゃんとテレビの向こうに伝わったんだね。

『お疲れ様。やっぱり先輩なだけあって、凄かったわよ。私も今度ファーストホイッスルのオーディション受けてみようかしら?』

相馬さん、頑張ってくださいね。諦めずにいれば、きっと上手くいきます。

『おめでとう、小日向さん。貴女のステージ、凄く輝いていたわ』

「? 誰だろう?」

失礼ですがどなたですか? そう返信しようとすると、思い出したかのように同じアドレスからメールが届く。

『忘れていたわ、服部瞳子です』

「服部さん!!」

予想もしていなかった名前に、思わず大声を上げてしまう。

今日はここまで

俺と美穂は、プロデューサーとアイドル。その言葉の意味は決して軽いものじゃない。
実際アイドルと結婚したプロデューサーも少なくはないが、それは同時にその子のアイドル生命を奪うことと同意義だ。

美穂はまだまだ輝ける。トップアイドルという途方もない夢も、少しずつだけど現実味を帯びてきた。
だけど俺はどうだ? 彼女の未来をチャンスを奪ってしまいそうなぐらいに惹かれてしまった。
それだけ美穂が魅力的だ! なんて開き直れたら気も楽なんだろうけど、生憎そこまで楽観的にはなれない。

「ホントダメダメプロデューサーだな、俺」

温くなったコーヒーを一気に飲み干す。珍しく甘ったるいコーヒーを飲んでみた。甘みが口の中に広がるけど、俺の表情は苦々しいものだったに違いない。

「えいっ」

放たれた空き缶は大きく弧を描き、引っ張られるようにすとんとゴミ箱に落ちた。

「ナイスシュート、やるじゃん」

パチパチパチと拍手が聞こえたと思うと、俺の目の前に凛ちゃんが月の光に照らされて立っていた。

「なんだ、凛ちゃんか」

「何黄昏てるんだか」

「別に……大人にはふと無性に考えたくなるときだってあるんだよ」

「ふーん。年寄くさいね」

「言ってもまだ花の20代だからな、俺」

「十分おじさんだよ。私達からしたら」

「凹むなぁ」

女子高生にそう言われると結構傷ついてしまう。これでも一応、若くあり続けようと努力しているのだが。

「諦めた?」

「まさか。諦めたわけじゃないよ。今日の放送のブーストで、Naked Romanceが食い込める余地は十分ある。君らもうかうかしてらんないよ?」

「それもそうだね。でも……なるようにしかならないよ、きっと。やるべきことはしてきたつもりだし、ちゃんと評価してくれるって信じているから。運命は私達に味方してくれるよ」

来週のランキングチャートの結果次第だが、美穂もIAにノミネートされる可能性はある。
それがダメだとしても、夏にはIUがあるんだ。そっちに切り替えて、頂点を目指していくのがプロデュースとしては定石だろう。
だけど……出来るものならトライエイトに挑んでやりたい! と思うのは、プロデューサーとして当然の感情だろう。

「美穂が何位になるか、楽しみにしといてあげる。でさ、お願いがあるんだけど」

「ん? 何かな?」

「ここに車で来たよね」

「まぁ美穂もいるし、チャリで来たなんて訳にはいかないよな」

「なら良かった。少し付き合って欲しいんだ」

「へ?」

「有り体に言えば人気アイドルが夜のドライブに連れて行ってって誘っていんだよ? これ以上素敵な話はないよ」

それはまぁ魅力的な話だな。道を歩く男性1000人に頼めば999人が車を出してくれるだろう。ちなみに残り1人はホモだ。

「そういうのは恋人が出来てから言いなよ。いや、それ以前に俺と2人でいるとこすっぱ抜かれたらどうすんのさ? 仲のいい友人ですが通用すると思えないけど? なんせ俺はおじさんで、君は女子高生。アイドル関係無しにまずいでしょうに」

凛ちゃんは将来が約束された人気アイドルだ。ここで俺とのやり取りを記者にでも撮られてみろ、取り返しのつかないことになる。
いくら何もしていませんと説明したところで、世間が納得すると思えない。週刊誌も必要以上に煽って来るだろう。
それに下手しなくてもNG2Pに殺されかねん。

「その時は丸坊主にしようか?」

「やめなさい。黒髪ロングが良いんだから。って懐かしいな、それ」

坊主とまではいかなくとも、ショートヘアの凛ちゃんも見てみたい気もしないでもないが、色々と波紋を呼んでしまいそうなので止めておく。

「冗談だって。まぁそこは任せてよ。私たちだってマスコミ対策ぐらいちゃんとしているし。マスコミもあの人相手にケンカ売るようなことはしたくないだろうから」

「へ?」

「こっちの話。それにアンタだから頼んでいるんだけどな。良い所に連れて行ってあげる」

「良い所?」

一瞬だけよからぬ妄想をしてしまう。

「この街の願いが叶う場所……なんてね」

「良い所だよ、ここ。こうやって星を仰ぐとさ、自分の悩みはちっぽけなものだなぁって感じるんだよね」

服が汚れるのもお構いなく、凛ちゃんは仰向けになって寝転ぶ。

「アンタも寝転がってみたら? 気持ちいいよ?」

「よっと……。東京でも、こんなに星が見られるんだな」

いつから夜が明けて来たか分からなくなる都会のネオンから離れて、小さな星々で出来た海を仰ぎ見ると、
ここが同じ東京だということを忘れてしまいそうになる。

ただただ綺麗でそのまま宇宙へと吸い込まれていきそうで――、柄にもなくロマンチックな気持ちにさせる。

「田舎から来たばっかの人みたいなこと言うね」

隣の子がキツイ事を言わない限りは。

「でも分かるかなその気持ち。私も初めて見たとき感動したし。きっとアンタと同じ気持ちだと思う」

凛ちゃんはしみじみとした口調で続ける。

「初めてのオーディションの後、プロデューサーが私達3人を連れて来てくれたんだ」
「見なさい、あの町の光の数だけ人が生きている。貴女たちはあの光に負けないぐらい輝きなさい、光の数だけファンを増やしなさい。ってね」
「可笑しいよね。私たち3人の初オーディションは、本当に散々だったのに。3人が3人とも自己嫌悪に陥って、解散しちゃうんじゃないかって思ったのに。プロデューサーはそんなこと言うんだよ?」

「ロマンチックなことを言うと」

「ん?」

「この星空は……皆が見てきた星空なんだなって。歴史に名を残すようなアイドルも、どこかで人知れず引退していったアイドルも私たちもアンタも」
「次の世代へ、世代へと受け継がれていって……皆あの星を掴もうとしてきたんだね」

凛ちゃんはそう言うと、一際輝く星を指差す。あれは一等星だろうか。目を凝らさなくてもはっきりと見えるそれは、手を伸ばして届きそうで届かない。

「私たちなら大丈夫。プロデューサーが行くべき道を示してくれるから。信じているんだ、1人じゃ無理でも皆でなら一等星を掴めるって」

星に手を重ね力強く掴もうとする。開いた手のひらには何もない。だけど少しばかり、星の輝きを捕まえた。そんな気がしていた。

「そうか……。3人とも本当にプロデューサーのことが好きなんだね」

「うん。好きだよ。だからあの人と一緒に、トップを目指したい。そのためには、後ろを向かないって決めたから」
「もたもたしていたら、アンタら置いてくからね? 悪いけど、止まる気がしないし」

「奇遇だね。俺らもここで満足するほど目標は低く設定しちゃいないよ。美穂は未来を創るアイドルだって信じているからね。すぐに君らを追い越してやるさ。泣き言言っても聞かないからね?」

ファーストホイッスルで満足していない、本当の戦いはこれからだ。打ち切り漫画みたいなことを思うけど、俺たちの物語は打ち切らせるつもりはない。
決して届かない星じゃない、強い意志で羽ばたいてこの手で未来を切り開かなくちゃ。

「ふふっ、期待しといてあげる。それじゃ、行こっか。そろそろ家に帰らないと、親が心配しちゃうし」

「だな」

2人同時に立ち上がり、服に付いた土を叩き払う。

丘から車で走ること10分ちょい。ラジオから流れるしっとりとした音楽が良いムードを作り、俺たちは会話を交わすことなかった。
違う事務所のアイドルとプロデューサー、それだけだ。期待するような展開も何もない。

「ここで良いよ」

凛ちゃんの指示に従って車を走らせていたが、花屋に着く前に止めて欲しいと言われた。

「ん? 良いの? おうちはまだ先じゃ」

「大丈夫。パパラッチが家の前にスタンバってるかもしれないし」

パパラッチか。いつもと違う車で、しかも別事務所のプロデューサーが送っていたとなると、好き勝手邪推されちゃいそうだしな。

「あー。そういうことね。でも大丈夫? ストーカーとかいたら」

「これでも私たち、護身術は教えて貰っているから。試してみる?」

「遠慮しておく。んじゃ、お別れだね。お疲れ様」

「うん。ありがとう。おやすみ」

「おやすみ」

手を振る彼女が家に入ったことを確認して、俺も帰ることにする。

「とりあえず明日は美穂を迎えに行かないとなー」

川島Pから送られていたメールを見て住所を確認する。なんだ、川島家結構近いじゃん。

「懐かしい曲だな……」

ラジオから流れる歌を口ずさみながら、俺は闇夜の中を車で駆けて行く。理由も当ても無い、だけどそのまま家に帰るのはまだ早い気がしていた。
何となく今日は、1人で当てもなく流したい気分になったのだ。

「アルペジオ、か」

下手っぴな和音でも構わない。どうか俺たちの未来を導き出してくれないか。

――

ファーストホイッスル放送から数日。ついに運命の日がやって来た。

「き、緊張するな……」

「そ、そそそうですね!」

「2人とも、緊張しても仕方ないですよ。ほら、堂々と待ちましょう!」

「うむ。人事を尽くしてきたはずだ。後は、天命を待つしかないよ」

「そ、そうですね。よーし、深呼吸、深呼吸……」

緊張して震え声な私と彼を見かねてか、ちひろさんは思いっきり背中を叩く。それでも私のドキドキは止まることを知らず、むしろ加速していく。
世間ではそろそろ大学の合格発表が行われているのだろうけど、私にとっても合否発表の日だった。
IAノミネートのカギを握る、運命の36週。それが今日のランキングだ。

「どっとっぷTV今週のランキング発表!」

「来たっ!」

「うぅ……」

天に祈るような気持ちで、私達は結果を待つ。お願い、どうか――。

「今まで以上に大変な日々を過ごすことになると思うけど、1つ1つ着実にこなして行こう。俺た過ごして来た時間は間違っていない。それを証明するんだ」

「プロデューサー、お願いしますね!」

「それにさ……。こういうこと言うと怒られそうだけど、IAに受からなくてよかったかなって思っている」

「へ? どういう意味ですか?」

「IAにノミネートされたアイドルのプロデューサーには、ハリウッドで1年間研修を受ける権利を得るんだ。だからノミネートされていたら、彼はアメリカへ飛び立っていただろうね」

初耳だった。IAにノミネートされたら、何かしらご褒美が有るんじゃないかと思っていたけど、
プロデューサーがアメリカに行くことになっていたなんて。

凄く名誉なことのはずなのに、私は受からなくてよかったかな、なんて思ってしまった。

本当に甘いよね、私は――。

「ふむ、1位はNG2か……。それに21位に十時君も入っている」

「本当に恐ろしいですね。愛梨ちゃん、普段は弩天然なのにステージ映えするしなぁ」

ランキングはホームページでも見ることが出来るそうで、1位から100位までサッと眺めてみる。
栄えある1位はやはりというべきかNG2だ。そして個人としてでも、3人とも20位以内に入っている。
言い換えれば、20ユニット中4組がNG2というわけだ。流石としか言いようがない。

「過去にユニットと個人でランクインするということもあったけど、3人というのは初めてかもしれないね。新たな世代、か。私も歳を取るわけだ」

感慨深そうに社長は漏らす。

――

美穂が帰った事務所で、残った仕事を片付けていると社長が声をかける。

「さっきのことだが」

「? なんでしょうか?」

「君は、本当にアメリカに行く気はなかったのかい?」

ハリウッド留学は非常に魅力的な話だ。ショービジネスの世界で生きる者なら、
一度は夢見る輝かしい世界だ。
事実俺もプロデューサーという仕事をしていくにつれて、ハリウッドへの憧れは生まれてきた。
ポンとお金を出されたら、喜んで飛ぶだろう。英語だって必死で勉強し直す。

だけど皮肉なことに、ハリウッドへの憧れが強くなると同時に、美穂に対する思いも変質していった。
俺は彼女に恋している、独占したいと思っている。それは否定しようのない事実。

「俺のすべきことは、彼女をトップアイドルに導くことですから。それこそ俺の生まれた理由だって、思っています。ちょっと大袈裟に言い過ぎたかもしれませんけど」

その言葉に他意はない。彼女に出会った時から、変わることのない願いはたった1つだ。

ツアーに行くので更新ここまでです

小早川紗枝――。京都言葉を流暢に操り、マイクの代わりに扇子を持ち舞い踊る、前代未聞の純和風アイドルだ。

彼女の名前を知ったのはファーストホイッスルオーディション。私の後にパフォーマンスをしたのが彼女だった。
100人超とはいえあれだけ変わっていたら忘れようにも忘れられない。
そんな中、ある日のレッスンスタジオにて。

『あれ? あなたは……小日向はんではおまへんどすか』

『へ? おまんがな?』

『私です。憶えてはりますか? 小早川紗枝どす』

『小早川紗枝……あっ、前のオーディションにいた!』

名前が分からなくても、姿を見れば一発で思い出せる。レッスンスタジオというのに、彼女は着物を着ていたからだ。

『光栄どす、小日向さん』

『えーと、でも小早川さんがどうしてここに……』

『それはレッスン以外にないでしょう!』

トレーナーさんが言うには、彼女がいつもレッスンをしているスタジオが、急な都合で使えなくなったらしく、
今日だけレッスンを代わりに見て欲しいと頼まれたらしい。

確かに、レッスンスタジオにアイドルが来る理由なんて、それしか無いだろうけど。

「紗枝ちゃんも一緒に仕事できれば良かったんですけどね」

「今回は縁がなかったな。台本をチェックしたけど、美穂の役以外に小早川さんに合う役が有るかと聞かれたら、微妙なところだからなぁ」

「残念です」

流石に紗枝ちゃんのためだけに役を作ってくださいとは言えない。今のスタッフ、キャストがベストメンバーと言うのならば、
私はそれに恥じない演技をするまでだ。

「まっ、小早川さんも他の誰にも負けない個性を持っているし、和風アイドルは新しい試みだ。これから台頭してくるだろうから、今後に期待だね」

「ですね」

いつか一緒のステージに上がることが出来るのかな? 想像しただけで楽しみになってくる。

「休憩終わりまーす! それじゃあシーン17から……」

「よしっ、行って来なさい」

「はいっ」

撮影再開。台本もちゃんと読み直したし、みんなの足を引っ張ら無いよう頑張らなくちゃ!

「強くなったな」

いや……初めて出会った時からそうだった。彼女は自信なさげで気の弱い性格だけど、
これと決めたら貫き通す芯の強い子だったじゃないか。

高校も卒業して、美穂はより一層大人へと近づいていく。いつの日か、一緒にお酒を飲んだりするのだろうか。

「発想がお父さんそのものだな……」

ここ4か月ほどで一気に老けたような気がする。気のせいかな?

ああ、お父さんといえば。

「母さん! 美穂が! 美穂が!」

「美穂ちゃーん! きゃっわいーーー!!」

「お父さん、あまりはしゃぎすぎると怒られちゃうわよ? ねえ、プロデューサーくん?」

「ほ、程々にお願いしますね? 君らも、あんまり叫ばないの!」

撮影場所が美穂のホームグラウンド熊本ということで、小日向パパとママ、小日向美穂応援団の皆様が応援に駆け付けてくれました。
彼らとはクリスマス以降だけど久しぶりに会ったけど、相も変わらずの美穂バカっぷりを発揮していて安心してしまう。

今日は生で美穂の仕事振りを、それも戦国姫に身をやつした彼女を見ることが出来るということでみんなテンションが妙に高く、さっきも騒がしくし過ぎてスタッフさんに注意を食らったところだ。

どうにも美穂の周りには、本人以上に喜び騒ぐ人が集まるみたいだな。俺も含めてだけど。

「あぅ……」

ちらりと美穂を見ると申し訳なさそうに俯いていた。君は悪くない、悪いのは俺たちだ。

「はいはい、お父さん。殺り合うなら邪魔にならない所でしてくださいね」

「良し分かった! 熊本城攻防戦と行こうじゃないか!! 殉職するがいい!!」

「解説は私がしますよー!」

「いやいや止めて貰えませんか!? ぎゃおおおおん!」

「カーット! いい加減にしてくれー!」

その後俺と親父さんは監督にこってりとしぼられましたとさ。

「もう……。プロデューサー、お父さんが迷惑かけてごめんなさい」

「いや、俺も同罪みたいなものだよ。クランクアップお疲れさん」

「ああ、うん。美穂も間違えて飲んじゃわないようにね」

「?」

あの日みたいなことが起きたら、言い訳のしようがない。間違いなく親父さんに阿蘇山に投げ込まれてしまう。

咲き誇る桜の下、小日向家と小日向美穂応援団は花見をしていた。撮影を見て帰るだけじゃ味気ないと、御袋さんが提案したみたいだ。

「さぁ! プロリューシャーくん! 君も飲たまへ!」

「は、はぁ。ではいただきます」

親父さんにお酌してもらいちびちびと飲む。今日は車じゃないので、お酒は解禁だ。
しかし何でこう桜の下で飲むお酒は美味しいんだろうね。

「こうやってお花見するのって久しぶりです」

「俺もだな。地元民なのに熊本城で花見したことなかったし」

「それは、熊本県民失格ですね」

「そ、そこまで言われるとは思ってなかったな……」

「ふふっ、冗談です。私も初めてですし、プロデューサーの熊本城での初花見を一緒に過ごすことが出来て嬉しいですよ」

「な、なんだ。美穂も同じじゃないの」

お酌を注ぎながらそんなこと言う彼女に不覚にもドキリとしてしまう。

美穂からすれば堪ったもんじゃないだろうが、この光景は笑われても仕方ない。
顔を真っ赤にしたおっさんが、あの恥ずかし可愛い歌を熱唱するというシチュエーションの破壊力は抜群だ。
どこからかともなく写メられた音もしたし。着物を着ている美穂よりも目立ってしまっている。

撮るべきはむしろ美穂じゃないのかね。まぁ隠し撮りしているようなら、プロデューサーとしてガツンと言うけどさ。

「チュチュチュチュワ! テンキュー!」

歌い終わると周りから笑いと喝采が生まれる。親父さんは至って満足げだ。娘の方はというと、

「あ、穴が有ったら入りたいです……」

スコップを渡したら、そのまま掘り進んじゃいそうなぐらい顔を真っ赤にしている。

「あー、なんと言うか……。ドンマイ?」

「プロデューサぁ……。逆勘当ってありますか? もしくはお父さんを一撃でシトメテ……」

訂正、スコップを渡したら切りかかってしまいそうだ。だんだんと彼女の瞳からハイライトが消えていく。ちょっとまずいって!

――

「はぁ、お父さん……」

どうにも私の周囲には私以上に騒がしい人が集まるみたいで、やはりというべきか、
騒ぎ過ぎて何回も撮影が中断してしまったぐらいだ。

『カーット!』

あの時の監督の顔は思い出したくない。鬼と形容するのも生易しい位の形相で恐ろしかった。

その怒りを向けている相手が、スタッフや私たち出演者じゃなくて、私のお父さんとプロデューサーだったというのも、なんとも情けなくなる。

撮影は無事終わり落ち着いた監督さんも、

『娘の晴れ舞台だから舞い上がったのかね?』

と笑ってくれたけど、それでも申し訳なさでいっぱいだ。

「もういっちょ行くぞー!」

お酒に酔って熱唱する父親と盛り上がる友達を背に、プロデューサーと一緒に歩き出す。
あの場所に居続けたら、羞恥心のあまり我を失ってしまいそうだったので、彼の誘いはファインプレーだ。
私も一緒に散歩したかったし。

『遠く、遠く離れていても♪』

調子外れな鼻唄を一緒に歌いながら、家へと帰る。あの時のお父さんの大きな背中は忘れることが出来ない。

ふとお父さんの背中と、目の前の彼の背中が重なって見えた。
もちろん2人は別人だ。共通しているのは、私に対して厳しいようで甘いところ。私の喜びを、私以上に喜んでくれる人。
だからこそ、私は彼に惹かれていったのかな。

「よっと」

「重く、ないですか?」

ホイホイ言われるままに乗ってみたけど、大丈夫だよね? 最近少し太った気もするけど……。

「いや、全然。気にするこたぁないよ。軽い、軽い」

「そ、それなら! 良かったです!」

彼も強がっているようには見えないので、一安心。


「それでは美穂姫、お城へと参りましょう」

紳士的な口調でそんなことを言うもんだから、急に恥ずかしさがこみあげてくる。
顔は見えないけど、彼は笑いながら言っているんだろう。

「遠く、遠く離れていても♪」

「マッキー? いつになく上機嫌だね」

男の人の背中に負ぶさっているだなんて恥ずかしくて気がどうにかしちゃいそうなシチュエーションなのに、
服越しに伝わる彼の温度が私の心を落ち着かせる。
彼の体温の効能はランダムだ。ある時は私をドキドキさせたり、またある時は安らかにしたり。
本当に不思議な生き物だ。学会に提出すれば、きっと人類の役に立つことだろう。

「ふふっ」

「どうかした?」

ノーベル賞を受賞する彼の姿を想像するだけでおかしくて、笑ってしまう。その時は私が隣にいてあげよう。

「お城に着けば」

「ん?」

「お殿様の服って借りられますか?」

「さぁ。どうだろうね。そもそも有るのかな? 熊本城はスタジオじゃないし」

「もし借りられたら、プロデューサー、着てみてください」

「オレェ? あだっ! 筋違えるかと思ったよ」 

素っ頓狂な声をあげてこちらに振り向くけど、首が曲がりきらず痛そうな顔をする。

短めだけどここで切ります。そろそろ元SSとは異なる話になって来ます。半分は書き溜めてますけど、続きが少々難航しています

元SSが今年の1月20日に始まってるので、遅くとも来年のその日までには終わらせたいと思います。今年の内は少し難しいです。年越しあたりで他のSS書くかもしれませんし

熊本城と言うことでガンパレネタはどうしても使いたかったのですが、ちょっと強引だったかなと反省

投下します

「壮観だね」

「はい。こんな光景を今まで見てこなかったなんて、勿体無かったです」

2人揃って地元民失格だなと小さく笑う。
当然なんだけど、お殿様の服を借りることは出来なかった。
でも隣に彼がいることに変わりはない。それだけで十分だ。

沈みゆく夕日が照らす桜並木は、ほんのりと紅に染まり神秘的で。
ここから飛び込んだら、そのまま異次元へと飛び込んで行けるんじゃないかと思えたぐらい。

「パシャッと」

こんな光景はもう二度と見ることが出来ない。そう思うと自然に携帯を取り出して、何枚か写メっていた。

「少し遠いですね」

「写真に残すより記憶に残したいよね、こういう光景はさ」

距離があるので、大きくは撮れなかったけど、私はこれでも満足だった。
網膜に深く焼きついた光景は、忘れろという方が無理な話だ。

そうだ。後でブログにアップしてみよう。記念すべき初投稿にふさわしい写真だ。

パシャリ。シャッター音が聞こえたと思うと、プロデューサーがカメラを私に向けていた。不意打ちだ。

「と、撮るなら言って欲しかったです……」

「あはは、ごめんごめん。黄昏ている姿が絵になっていたからさ、ついつい撮っちゃった」

悪戯っぽく彼は笑う。私は少しだけムッとしたけど、彼の笑顔に毒気が抜かれてしまう。これじゃあまるでパブロフの犬みたい。

「折角だし2人で撮る?」

「あっ、良いですね!」

よくよく思い返してみると、彼とツーショットで撮ったのはいつぞやのプリクラ以来だったりする。
夕日に照らされる桜街道をバックに2人で並ぶ。片方はお姫様、もう片方はスーツで。不思議な光景だ。

「ちょ、ちょっと近いですね?」

「う、うん。でもそうしないと写らないぞ?」

おんぶされていたときはそうでもなかったのに、記録として残る写真を撮るとなると不思議と恥ずかしくなってしまう。それは彼も同じなようで、顔をちょっぴり赤らめてモジモジしている。なんとも難儀なプロデューサーとアイドルだな、と今更ながら呆れてしまう。
フレームに写るよう密着せざるを得ず、2人してぎこちなくなってしまう。目を合わそうとすると逸らされて、私も彼の視線を無意識のうちに避けていた。

「じゃあ撮るよ? はい、チーズ?」

保存された写真には、出会ったばかりみたいの初々しさを残す男女が写っている。半年ぐらいの付き合いです、と言っても嘘だっ! て一蹴されちゃいそうだ。

「さ、さあて! あんまり長くいるわけにもいかないし、戻るかな。そろそろ親父さんが禁断症状おこしそうだしね」

どうだろう? お父さんのことだから、歌い疲れて寝ているんじゃないかな?

「ほらっ」

行きと同じように、おんぶをする準備は万全だ。写真を撮っていた時のドキドキは落ち着いて、極自然な流れで彼に負ぶさった。本当にどう違うんだろう、自分のことながら不思議で仕方ない。

「それじゃあお言葉に甘えて……」

「ほいさっ。それじゃあ、行きますかね」

正直に言うと、負ぶってもらう必要は全くない。
歩きにくいのは確かだけど、そこまで距離があるわけでもないし、彼も軽いと言っても、女の子1人背負って歩くんだからしんどいことに変わりないだろう。

だけどこう、彼とくっつくと心が満たされるようになってしまったので、私からすれば願ったり叶ったりだったり

「ふふっ」

「どうかした? なんだか嬉しそうだけど」

「何でもないですよ?」

日に日に意地悪な女の子になっていくのは、貴方のせいですよ?

「ふぅ、今日も疲れたなぁ」

花見から帰って、久しぶりに実家に帰る。
殆どの荷物は東京にあるけど、やっぱり16年間過ごした部屋は落ち着く。

懐かしい匂いが有ると言えばいいのかな? いつ帰ってきても、私を優しく迎え入れてくれるのだ。

「直ぐに東京に戻らないといけないか……」

ファーストホイッスルに出たことで、私の休みは順調に減っていった。
仕事が増えて嬉しいはずなんだけど、こう実家に帰る時間が取れなくなったのは寂しい。
今回だってそう。映画の撮影という仕事で熊本に来ただけ。

ホテルよりも実家の方がいいだろうと言うプロデューサーの配慮があって、私は実家に帰ることが出来た。
この仕事がなければ、東京で他の仕事をしていたはずだ。

毎日忙しいけど、アイドル活動も軌道に乗って来てとても充実している。
だけど悲しいことに、人間は満足できない生き物。売れ始めたら売れ始めたで、いつもどおりの日々が恋しくなってきた。

それは単なるわがままだ、贅沢な悩みだ――。自分にそう言い聞かせてベッドに横になる。

「あっ、ブログだ」

今日撮った写真を眺めていると、ブログに投稿しようと考えていたことを思い出す。

小日向美穂Official blog。投稿件数は0。出来立てだから仕方ないよね。

タイトルの名前は、事務所のみんなで考えて決まったものだ。こういうのって、名前決める時が一番楽しかったりするよね。
『クマさんダイアリー』、『美穂さんは明日も頑張るよ』、『ひだまり日記』……と色々な案が出たけど、
悩みに悩んで私が選んだのは、

『小日向美穂、一期一会』

映画のタイトルから名前を借りたけど、自分でもいいタイトルだと思う。

この業界に入ってから、私は多くの出会いと別れを経験した。
それは私たちが生きていくうえでこれからも避けては通れないことだ。
確かに別れる事はとても辛い事だ。でもその一方で、新しい出会いに期待している自分がいる。

例えるのならバスのようなもの。乗り合わせて別れて、それぞれの終着点へと向かっていく。

これからも素敵な出会いがたくさんありますように、出会った人たちに本気の私を見て貰えますように。
そんな願いを込めてブログのタイトルを決めた。

「うーん、でもどう書けばいいかな? 日記なんてつけたことないし……」

取り敢えず他のアイドルのブログも参考にして作ってみよう。その後プロデューサーに採点して貰おうかな。

自己紹介

シンデレラプロダcクション所属アイドルの小日向美穂(コヒナタミホ)と申します!
主にお仕事情報や、日常のワンシーンの写真を載せて、コメントとかを書いていこうかなと思っています!
タイトルの一期一会は、私の好きな言葉です。これからもたくさんの出会いがあること、
そして読んでくださった皆様にも素敵な出会いがあって欲しいと願って付けました。
よろしくお願いします!

プロフィール

ニックネーム美穂、みほちー、こひなたん
性別女性
誕生日20??年12月16日
血液型O型
職業アイドル
出身地熊本県
将来の夢目指せ、トップアイドル!

完成したものを彼に送る。ドキドキしながら待っていると、帰ってきた返事は

『初めてにしては良く書けてるよ! でも所々タイプミスしているから、そこを直したほうがいいかな?』

と一応一発OK。よしっ、とガッツポーズをしてしまう。

「あ、あとはボタンを押せば……」

タイプミスを直しそのまま送信……するはずだったけど、やれ見られるのが恥ずかしい、やれコメントで文句言われたらどうしようと葛藤して書き込むまでに時計が回ってしまった。

「せーのっ!」

後悔するならやってから! と自分に強く暗示をかけて何とか投稿。最初だから緊張しているだけ、次からはちゃんと出来るはず、うん。

「コメントとかちゃんとつくかなぁ……」

皆のブログを見た後なので、余計心配になってくる。特に未央ちゃんのブログは更新もマメで内容も未央ちゃんらしくて面白く、
記事につくコメント数も3桁をキープしていて、多い時なんて4桁のコメントが書かれていた。何から何まで参考になるいいブログだ。

「み、見ない方がいいよね! うん! 明日見よう!」

反応が有れば嬉しいけど、もしコメントが無かったらと思うと途端に怖くなる。布団に潜り込んで夢の世界へと逃げ込もう、それが良い。

「炎上、してない?」

一通りのコメントを確認して、ホッと一息。事務所の方でフィルターがかかっているのか分からないけど、
目に見えて分かる誹謗中傷は0だ。1つ気になるコメントがあるけど、気のせいだと思う。

「公式HPに書かれていたって……。もしかしてリンク貼ったのかな?」

正直なところ突発的にブログを始めたようなものだから、方々にアナウンスが出来ていなかったけど、事務所のHPを確認すると、
私のブログへのリンクが新しく出来ていた。こんな遅い時間なのにちひろさんがしてくれたのかな。

「ありがとうございます、ちひろさん」

このお礼はお土産でしよう。く○モングッズとか喜ぶかな?

「私も世間に認知され始めたってことだよね?」

42件。もしかしたらこれからも増えていくと思うけど、これだけのファンが私を応援してくれている。

「えへへっ、やる気出ちゃうな」

このまま小躍りしたい衝動に駆られたけど、夜も遅いのでやめておく。

「これ1件1件コメント返しってのは、難しいかな……」

出来ることならしてみたいけど、一度やると今後も続けなくちゃいけないし、プロデューサーも首を縦に振らないだろう。
直接交流できるツール故に、それに伴う危険も重々承知している。

「プロデューサー。私のブログ、凄いことになっていました」

東京への飛行機の中、ブログでの出来事を話す。

「ああ。俺も驚いたよ。あの時間帯で、あれだけのコメント数。今でも増えていっているんじゃないかな? コメント数は……おお、373だ! みんな美穂のブログを楽しみにしていたってことかな」

「な、なんだか実感が湧かないです」

373だなんて。私の携帯電話のアドレス帳にはその半分も載っていないのに。

「そんなものだよ。それだけ美穂が注目されているってことだよ。だから自信持って!」

「えっと、そのことなんですけど」

「?」

私は寝る前に考えていたことを彼に話した。コメントに返信するのはどうか? ファンとの交流としては一番手っ取り早い方法だと思っていたけど、

「うーん、難しい話だなぁ。俺としては……やらない方がいいと思うな。10件とかならまだ大丈夫だけど、これだけのコメントを毎回捌くのは相当疲れるよ? 今だってテレビ見る余裕すらないでしょ?」

彼の言うとおりだ。流行には常にアンテナを張るように言われているが忙しさに溺れる余りテレビを見る時間もなかなか取れずにいた。
ブログは携帯からも更新できるので、その気になればコメントに反応は出来るけど、やっぱり373ものコメントに律儀に返し続けるのは少し骨が折れそうだ。

「それに、ちひろさんがある程度フィルターをかけてくれているとは言え、どんなコメントが来るか分からないからね。これが匿名の怖いところでさ、無責任な発言だってオブラートなしで飛んでくる」
「今はまだないけど、心無いコメントが書かれることだってある。例を挙げちゃうと、YouTubeの低評価みたいにファンがそれに対して怒ってコメントを書いて、マイナスのスパイラルに陥る可能性もあるしね」

自分でも分かってはいたが、やっぱり彼は手放しで頷いてくれなかった。

『それではこれより、第○○回IA大賞授賞式を執り行います』

「み、見ている方も緊張しますね……」

「だな」

「はい、お茶でも飲みながら気楽に見ましょう!」

「ありがとうございます、ちひろさん」

陽気麗らかな4月。世間一般じゃ入学式や入社式と出会いのシーズンだ。
私はというとアイドルという仕事柄度々出会いがあるので、
出会いの春という定型文がいまいちしっくりと来ずにいた。

そろそろ後輩が出来てもいいんじゃないかと、密かに思っていたり。

ところで。他の業種も似たようなところだと思うけど、アイドル業界に携わる人からすれば4月は終わりと始まりの節目でもある。

というのも、栄えあるIAの授賞式が行われるのが4月なのだ。

テレビでは連日IAノミネートアイドルが引っ張りだこで、日本全国お祭り騒ぎ。
誰もかれもが浮かれて、あらゆる世代の人々がどのアイドルが受賞するかで盛り上がる。

ある意味この国が最も活気づく時期ともいえるだろう。

今この瞬間の日本を沸かしているのが、私とそう年齢の変わらない男女で、うち1人は隣のクラスの生徒と言うのも不思議な話だ。

『へ?』

急にカメラを向けられて3人は一瞬何が起こったか分からないみたいにポカンとしたけど、
直ぐに自分たちが受賞したと分かると大きくガッツポーズをして喜びを表現する。

「やった! 卯月ちゃんたちですよ!」

「流石NG2だな。歴史上2度目の部門賞、大賞全取り行けるか?」

「2度目って……、それまでいなかったんですか?」

「うん。IAが出来てからの歴史で、全部門制覇したユニットは1つしか知らないな。それも俺が小学生高学年ぐらいの頃だし、10年近く出てないはず」
「しかもその頃は、ファーストホイッスルは前番組のオールドホイッスルだったし、トライエイトって言う概念も無かったし」

それを聞いてますます親友として鼻が高くなる。……私もあの舞台に立てるよう頑張らなくちゃいけないんだけど。

このまま彼女たちが新たな歴史を作るのか?
それとも他のアイドルが意地を見せるのか?

解説者みたいに番組を楽しんでいるけど、私だって悔しい。本当はあの会場に行きたかった。
選ばれなかった多くのアイドルが思っていることだろう。

だからIUの予選は混戦激戦が予想される。みんな最高に輝けるチャンスを狙って必死になる。
私もそう。持てる力を出し切ってIUに挑みたい。

「部門賞はその地域のファン数がカギとなる。大賞はそれだけじゃなくて、これまでの活動全部をまとめて評価する。きっとテレビに映らない部分も評価対象なんだろうな」

大賞を受賞するには、品行方正でなければいけないと言うことかな。
アイドルはみんなの憧れだ。良い行動も悪い行動も模範になってしまう。

だからこそ、私たちは常に身の振る舞いに気を付けていなくちゃいけないんだ。
いつどこで誰が見ているか分からないもんね。

「他の19組のアイドルにも十分チャンスはあるけど、今回はこの2組が突出している。ここから飛び出てくるのは難しいか?」

「どっちになるんだろう……」

『これにて部門賞の発表を終了いたします、引き続いて、本年度一番輝いたアイドルに送られる、IA大賞の授与を行います』

聞き逃すまいと聴覚をテレビに集中させて、瞬きもせずに画面に見入る。
会場を包む一瞬の静寂の後、司会者は口を開く。

『それでは、発表いたします。IA大賞を受賞いたしましたアイドルは……』






『5番! CGプロダクション、New Generation Girls! おめでとうございます!!』





「居るじゃないですか。目の前に」

「え?」

「1人より3人の方が、より輝けるかもしれません。ですが私にはプロデューサーがいます、高め合えるライバルがいます、応援してくれる皆がいます。それだけで、私は頑張れるんですっ」
「だから、そんな顔しないでください。プロデューサーの困った顔は好きですけど、落ち込んだ顔はあまり好きじゃないですから」
「それとも。プロデューサーにとって私は仲間じゃなかったんですか? だとしたら、ショックです……」

意地悪に言ってやる。そうしたらほら、彼は慌てた顔をしちゃうから。

「そんなことない!! あっ、悪い……。少しセンチメンタリズムになってしまったよ」

「ふふっ。今は、3人のパフォーマンスを見ましょう」

「だな。IUでは、彼女たちを超えなくちゃいけない。覚悟は出来ているかい?」

「はい。私みんなに負けたくないですから」

『ありがとうございました!』

パフォーマンスが終わり、3人は晴れやかな表情で壇上を降りる。
あの大舞台で歌えるなんてさぞかし気持ちが良いんだろうな――。

Naked Romanceを歌った人が何泣き言を思われるかもしれないけど、今回は相手役がいるんだ。
オーディションはセリフを言うだけだったので、恥ずかしいなぐらいで済んで合格したから良かったものの、
一度カメラが回れば至近距離に相手役のイケメン俳優の顔が来るわけで。

「緊張しちゃうなぁ……」

撮影はまだだけど、覚悟しておかないと撮影を何度も中断させてしまいそうだ。戦国SAGAと違って、こっちはド直球のラブストーリーだし。

「よしっ。もう一回読んでみよう『私……ずっと貴方のことが……!』うーん、告白なんてしたことないから、よく分からないなぁ。好きな人に向けて、か……えへへ……」

思い浮かんでしまうのは、彼の笑顔――。

「そんなに頬を緩ませてどうした美穂?」

「はっ! プロデューサー……み、見ました?!」

「何のこと?」

「な、なら良いです!」

良かった、聞かれてなかったみたい。プロデューサーはパチクリと私を変なものを見るような目で見ている。

「えっと、プロデューサーはどうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも。時計見てみ」

「えっと、14時7分です」

「レッスンの時間だよ?」

……アレ?

「レッスン場に急ぎましょう!」

「おっと! そうだった! 走るよ、美穂!」

時間があれば彼を相手にドラマの練習をしたかったけど、そんな暇はない。

「っと!」

「プロデューサー、負けませんよ!」

「おっ? やるか? 臨むところだ!」

春の香りが鼻をくすぐり心地良い陽光を浴びながら、私たちは全力で駆け抜ける。
この後のレッスンはダンスレッスンだというのに、そんなこと知ったこっちゃないと言うように。ばてたらばてたでその時は謝ろう。

こうやって2人並んで公園を走ったことも、へばって倒れそうになったことも今では良い思い出だ。
あの頃は右も左も分からずにがむしゃらに頑張って来た。それは今でも変わらない。

「ゴ、ゴール……」

「ぜぇぜぇ……。足速くなったな、美穂」

「プロデューサーもですね……」

「……何がゴールですか。そこの2人、レッスンに遅れても青春する余裕はあるみたいですね」

レッスン場の床に倒れこむ私たちを見て、トレーナーさんは呆れたように言う。
その後、いつも以上にスパルタなレッスンが待っていたのはまた別の話。

ここから先は前SSと違う展開になります。このスレで終わるか少し微妙な所だけど続けて投下

コーヒーを入れて来たプロデューサーも交えて3人で話す。仕事のこと、学校のこと、これからのこと。

「まぁ言っちゃえば、私たち今年受験ですからねー。仕事もIUで一旦減らして、学業に力入れなきゃいけないんですよね」

そうか、李衣菜ちゃんは私と同じ年なんだ。忙しくなって学校にもいけないことが多くて忘れがちだけど、私だって受験生だ。

「李衣菜ちゃんはすごいね。私、全然進路のことを考えていないのに」

「時間はまだありますって! 焦って決めても、後悔するだけですよ? ロックには後悔がつきものですけど、それでも最善を尽くしたいですし」

プロデューサーの方に目を向けると、うんうんと頷いていた。そうだよね、色々な人の話を聞いてみよう。それぞれ歩む道は違えども、最後に行き着く先はきっと同じだから。

「そうそう、ロックといえば! こんなイベント企画しているんですよ」

「ガールズロックフェス『Twilight Rocking girls Fes』?」

李衣菜ちゃんから渡されたチラシを見る。ロックフェスと大げさな冠がついているが、
よくよく見ると野外フェスと言うものではなく、もっと小規模な商店街のイベントのようだ。

「そっ! 略して『TRF』! どうですか? 結構イケてません?」

「なぜだ? 既聴感を感じるのは俺だけ?」

私もなんとなく聞いた事があるような無いような。

「よっ。なんだ、カフェにいるんならアタシも呼んでくれよな」

後ろから私たち以外の声が聞こえてきたので振り向くと、そこには噂に違わぬ立派なリーゼント風味な髪を靡かせる少女が。
いや、少女というには格好良すぎるかな? なんにせよ間違いない、この人が李衣菜ちゃんの相方の子だ。

「え、えっとはじめまして! 小日向美穂って言います」

「あー、知っているよ。だりーと同じ日にデビューしたってアイドルだろ? 知らないだろうけど、アタシはアンタに会ったことがあるんだよね」

「へっ? そ、そうなんですか?」

会ったことがある? いや、私の記憶には彼女の姿がない。特徴的な髪型をしているんだから、一度見たら忘れないはずだけど……。

「こないだ公園で見かけたんだ。まぁそん時寝ていたみたいだったからな、アタシのことを知らないのも無理ないさ」

「ね、寝ていた時って……」

こないだ公園って……あの姿を見られていた!? ああ、恥ずかしい……。

「す、すみません。寝顔を晒してしまって……」

「謝ることか、それ?」

プロデューサーの言う通りだけど、自然と申し訳ない気持ちになってしまった。

「謝らなくても良いって。それよりも……だりー、この子は中々ロックな子だぜ。アタシが保証する」

「はいっ? み、美穂ちゃんが? いやいやいや、ロックとは無縁そうだけど」

「え、えっと……、何のことですか?」

一番ロックな子? 私が? そのつもりは無いんだけどな……。

「うん、良いんじゃない?」

「軽い!?」

あっぷあっぷな私を尻目に、彼は悩む素振りも見せずにコーヒーを飲み続ける。あっ、飲み干した。

「もう少し真剣に考えてくださいよっ」

「あっ、ちょ! カップ取られた!」

少しだけプロデューサーに裏切られた気がして、お替りに行こうとする彼のカップを分捕って邪魔してやる。

「私、ロックなんて全然分からないんですよ? それなのに参加して、へ、変じゃないですか?」

第一私はリコーダーとピアニカぐらいしか演奏できないし、ハードロックはキャラクターじゃない。
見に来てくれたファンのみんなも、あからさまに毛色の違う私を見て、盛り下がってしまうんじゃないかと不安なんだ。

「それなら尚更良い機会じゃないか。ロックって今まで触れてこなかったジャンルだろ? これがきっかけになるか分からないけど、美穂の新たな一面を開拓できるかもしれないぞ?」
「それに、その日は確か予定がなかったはず。李衣菜ちゃんも言っていたけど、見るんじゃなくて参加してみたらどうかな?」

プロデューサーの言うことも尤もだ。いや、アイドルとしては失敗のリスクを恐るよりもババンと一発弾ける方が好ましいのだろうけど。

「アタシらは歓迎するぜ。何せだりーも素人に毛が生えたようなもんだしな」

「そこまで酷くないよ! ただ、情熱に知識が比例していないだけで……って言っておきますけど! にわかにわかってしつこく言われるものだから、ギターの個人レッスン通い始めたんですよ? 簡単なソロなら、弾けなくもないですし……」

「……ま、最近の頑張りは目を見張るものがあるわな」

2人ともそう言ってくれるけど、本当に良いのかな……。

「そう言えば。凛ちゃんとかは参加しないの?」

李衣菜ちゃんとロックの話題で盛り上がっていたようだし、前にテレビで見た時はベースを弾いていたみたいだったし適任じゃないかな。
どこまでもストイックな凛ちゃんのことだ、喜んで参加しそうだ。

「あー、凛ちゃんには未央ちゃんを通して最初に声をかけたんだけど、NG2はその日泊まりがけの仕事があるみたいでダメだったんです。凛ちゃん自身は都合が合えばって嘆いていたみたいだけど、タイミングが悪かったかな」
「同じような理由でとときんもダメでした。ドラマの撮影が立て込んでいるみたいで、早めに終われば見に行くとは言ってくれたけど」

予定が空いていたらの話だが。やっぱりNG2や愛梨ちゃんとなるとそう簡単に予定を取れないか。
泊りがけってどこに行くんだろう、卯月ちゃんにお土産お願いしようかな?

「まぁその代わりってわけじゃないけど、小日向さんが出てくれるって言うんだ。川島さんもアナウンスで参加してくれるみたいだし、何とか目玉はゲットしたかな」

「川島さんがねぇ。納得の人選だと思うよ? フェスの進行となると想像つかないけど」

「本当は出演者として出て欲しかったけど、激しい音楽はちょっとキツいって。その代わりアナウンスならってことでOK貰えました! フェスの合間合間に商店街の商品を紹介したりとステージには立ちませんけど、協力してくれることになりました」

アイドルとしての経歴は浅いけど、元アナウンサーと言う事もあってか司会進行は得意って言っていたっけ。
ロックフェスといっても、本分は商店街興しだ。アーケード内のお店の紹介も忘れちゃいけないし、川島さんは適任だろう。

「これだけ集まれば、フェスも盛り上がります! 想像しただけでテンション上がってきたー! ってありっ?」

「み、皆見ているよ……」

李衣菜ちゃんが椅子から勢いよく立ったものだから、ガタン! と大きな音を立てて椅子が倒れる。そのおかげで周囲の視線を集めてしまう。
自分のことじゃないにしても、ちょっぴり恥ずかしい。

今日はここまでにしてトリック見ます。なつきちって小日向呼びなんですよね、事務所が違うのと初対面なのでさん付になってます。

新年更新、まったり投下して来ます

――

「うーん、どうしたものか……」

スケジュール帳と睨めっこしながら呻いてしまう。李衣菜ちゃん達発案のロックフェスに参加するのは良いんだけど、楽曲をどうするかが問題だ。
今から作曲依頼してもスケジューリングがカツカツになってしまう。もっと早くから言って欲しかった、って言われるのも目に見えている。

「いっそ俺が作っちゃおうかな。不完全感覚Dreamerとか……怒られそうだな、色んな所から」

ご両親を除いてだが、美穂のことを最も理解しているのは俺だという自信はある。
秋月さんの様に素敵な曲を作れるかわからないけど、美穂を輝かせる曲ならば作れる……かもしれない。
作詞も作曲も経験がないんだけどさ。

「何をですか? はい、コーヒーどうぞ!」

「ちひろさん、どうもです」

ロック調の曲をBGMに考え更けていると、ちひろさんがコーヒーを持ってきてくれた。

「聞きましたよ? 美穂ちゃん、ロックフェスに出るって」

「フェスっていうよりかは商店街のイベントなんですけどね。でも、参加アイドルは本場のフェスに負けないぐらいのメンツが揃っています」

李衣菜ちゃんのプロダクションから送られてきたメンバー表をちひろさんにも見せる。

「これは……結構集まりましたね。中にはファーストホイッスルに参加したって子もいますし」

「あの子らの頑張りの結果ですよ。それにデビューして間もないアイドルたちからすれば、絶好のチャンスですからね。何せ李衣菜ちゃんに川島さん、美穂と本来なら目玉級のアイドルが3人も出るんですし」

正確に言うと川島さんはステージとは別にアーケード内放送を担当する。何とも贅沢な使い方な気もするが、参加してくれたのも彼女たちの人徳のなせる技だろうか。

「一商店街の町興しイベントだって言っても侮れないものですね。プロデューサーさんにとってもいい勉強になると思いますよ?」

「ええ。この行動力は俺たちも見習わないといけませんね」

あの日別れる前、李衣菜ちゃんはこう言っていた。

『私が思う理想のフェスって、初心者でもアツい気持ちがあれば最高に盛り上がれる。そんなお祭りなんです。前に出たフェスがそんな感じでした。と言っても、なつきちにフォローして貰いっぱなしでしたけどね』
『でもそんな理想のフェスって中々無いんです。ちょっと敷居高いんですよね、フェスって。だから創ったんです! 無ければ生みだす、それがロックだと思いません?』

ロック=破壊と言う勝手なイメージを持っていたので、その言葉は意外だった。前例がないのならば自分達がなれば良い。
当然失敗するリスクも覚悟しているだろう。何せ運営に関して言えば彼女たちは素人なんだから。

それでもだ。思い切って一歩踏み出して、想像した理想のフェスを創造する。素晴らしいことじゃないか。
だからこそ、俺たちも全力で臨みたい。それが誘ってくれた彼女たちに対する、最大の礼儀だから。

「ですが今から曲を探すのは難しいですね。Naked Romanceをロック調にアレンジするとか?」

「それは編曲家の先生に話を通しています。美穂とともに成長する曲ですから、コレは絶対に外せないって美穂とも決めたんです。秋月さんからも了承を得ていますよ」
ロックアレンジの楽譜は近いうちに届くだろう。歌詞自体は変わっていないが、バックバンドを担当する子達も練習する時間が必要だしね。

「後追加で新譜も欲しいかなって。そろそろセカンドシングルを出してもいい頃合ですし」

「それもそうですね。Naked Romanceは今でも売れているようですけど、世間もそろそろ飽きてくるでしょうし」

ちひろさんの言うように同じ曲ばかりだと飽きられてしまう。世間は俺たちが思っている以上に移り気だ。
今はまだ売れていても、その内ピタって止まってしまうだろう。そうなってから新曲を出しても遅い、すぐにでも新たな刺激を世間様に与えてやらないと。

「ええ。だからこのイベントは渡りに船でした。ただ、時間があまりないのがネックですけど」

一曲だけ出して引退ってのは寂しい話だ。ちょうど良い機会なんだ、今までの美穂のイメージを大きく覆すような楽曲が良いな。

「そう言えば……以前作曲家の先生に見せてもらった曲の中に、ロック調のがあったっけか」

秋月さんと出会う前のことだから、既に他のアイドルが使用してそうな気もするが少し相談してみるか。

「インストで聞いてみたけど、良い感じかも」

「アニメチックな曲調ですね」

なるほど、言われてみればそうとも聞こえるかな。だけど初心者の美穂でもノリやすくて取っ付きやすそうな曲調だ。

話をしたところ、作曲家の先生は快く曲を提供してくれた。成程、この曲は盛り上がれそうだ。
ガチガチのロックよりも、少しアニソン的要素が入っているぐらいの方が美穂らしいし。きっと気にいってくれるだろう。唯一つ、難点があるとすれば。

「歌詞がないんだよな」

先生が言うには、元々音ゲーのために作られた曲らしく、歌詞は決めていなかったとのことだった。
言い換えればこちらで歌詞を作って歌うことができるということ。作詞の欄に自分の名前が載る、何か胸が熱くなる。

「お疲れ様です!」

どういう歌詞を作ろうかな? と考えていると、美穂が事務所にやって来た。そう言えば今日は午後からレッスンだったか。

「ちょうど良い所に来た! 曲が届いたよ」

「曲って、ロックフェスのですか?」

「うん。ただまぁ、歌詞も曲名もないんだなこの曲。インストだけでも聞いてみたら?」

曲名も歌詞もないロックでアニメチックな楽曲。さてさて、どうしたものか。

「作詞はどうするんですか?」

「うーん、それなんけどなぁ。取り敢えず再生っと」

「テンションの高い曲ですねっ」

BPM(テンポ)は210と来ましたか。Naked Romanceが168だったっけか? 音ゲーに提供しようとしただけあって、かなりアップテンポな楽曲だ。
ただその分、他のアイドルたちのステージに謙遜ないぐらいの盛り上がりは約束されている。事実美穂も聞きながらノっていたし。気に入ってもらえたようだ。

「でしょ? ロックフェスって言っても、メインの客層はアイドルファンだからね。ハードすぎるよりも、ちょっくらキャッチーな方が受けると思う」

「でも歌詞がないんですよね」

「それなんだけど……俺が書いてみようかなって思っている」

「あれ? プロデューサーって作詞出来るんですか?」

「未経験だよ? でもね、俺とて色々な楽曲を聞いてきたんだ。聞こう聞きマネでイケそうな気もするし、美穂が今までとは違うチャレンジをするんだから、俺も進化しないとなって」

我ながらなんと根拠のない自信だろう。本業さんが聴いたら舌打ちされそうだな。
でも望んでしまう。彼女の声で、歌で。俺が作った歌詞を紡いで欲しいって。
1番最初のファンにだけ許された、特権なんだろうから。

「勿論美穂がやめてくれ! って思うなら、作詞の先生にあたってみるよ? 時期的に秋月さんはキツそうだけど……」

「えっと……プロデューサーなら良いかなぁって思うんです」

「へっ? 良いの? ハッタリだったんだけど……」

流石に躊躇するかと思っていたから、思いのほか早い返答にビックリしてしまう。
自分で言うのもなんだけど、俺は作詞素人だ。イロハも知らないし、替え歌だって得意じゃない。

「あのっ、変なことをって思うかもしれませんが……。私、信じていますから。素敵な歌詞を作ってくれるって」
「プロデューサーは……アイドルとしての私を、誰よりも知っていますから。だから……貴方だから、作って欲しいんです。私の歌を」

「……そう言われたら、半端な歌詞は作れないな」

「大丈夫ですよ。プロデューサーなら、出来ますから。私も安心して全てを預けられるんです」

そんな半端な俺を、彼女はここまで信頼してくれている。そうでないと即答出来やしない。これまで過ごしてきた時間は、無駄なんかじゃなかった。
ならばその期待を裏切るしかない。勿論、良い方にだ。見に来た人も驚くだろう、あの小日向美穂がロックフェスに! 最高のサプライズじゃないか。

商店街と見に来てくれた人たちと美穂に魔法をかけることができるような、最高の歌詞を作らないと。

「そんじゃ、レッスンに行くか」

「はいっ!」

車の中でも家の中でもこの曲をエンドレスで流して頭の中に叩き込む。実はこの曲をもらった時から、考えていたアイデアがあった。

フェスといっても、本質は商店街を元気づけるための企画。だから商店街をモチーフにした歌詞はどうだろう、と思っていた。
緑の多い田舎(そう言うと茨城県民に怒られそうだが)の商店街、そこで東京に憧れる女の子の心情を歌った曲。
ロックなインストに合うだろうし、武田さんたちが理想とする老若男女問わず口ずさめる親しみやすい歌詞になる……はずだ。

李衣菜ちゃんに話を聞いたあと、ステージとなる商店街について調べてみた。
てっきり李衣菜ちゃんが発案者かと思っていたが、実際は夏樹ちゃんが足繁く通っていた商店街らしく、
今回のフェスもその縁で開催されることになったとか。

『小恥ずかしい事言うけどよ、アタシもあの商店街にはお世話になったからな。ギターもバイクも初めて買ったのは商店街でだし』
『要は今のアタシがあるのは、商店街のおかげだからさ。なにか恩返し出来たら良いかなって。アタシに出来ることってのは、ロックフェスの真似事ぐらいだけどさ』

『ダチが困っていたら助ける! ってのがなつきちの信条なんですよ。だから私も、全力で協力しているんです。それに! あのステージ、すっごく楽しかったですし! 他の皆にも、そんな楽しさ共有して欲しいなって』

とロックコンビは言っていたっけか。それは尚更思い入れもあるはずだ。

「……うしっ、出来たかな?」

何度リピート再生しただろうか。2分ちょいの楽曲、うち歌詞があるのは1分半ほどなのに、ここまでしんどいものとは。
やってみて初めて分かる大変さ。でもこの歌詞を彼女が歌うと思うと、高まってくる。

「でも初めての曲だしな、誰かに見てもらおうかな」

自分としては完璧な出来だと思っているが、独りよがりな気もしないでもない。折角作った歌詞なんだし、誰かに聞いて貰いたくもある。

そうだな、出来れば厳し目の意見をくれる子が良いかな。

「そうと決まれば……、今暇かな?」

となるとあの子しかいない。
スマホ取り出しなんとやらっと。画面に出ている名前は、恐らく一番キツい感想をくれるであろう御仁。彼女の頭の中には、容赦の2文字はないはずだ。

『もしもし?』

「あっ、出てくれた。ダズリンプロのPです」

『珍しいね、アンタから電話が来るなんて。どうかした? デートの誘いなら、お断りだけど?』

誰もデートだなんて言ってないでしょうが。うん、いつもの凛ちゃんで安心した。

「あー、ちょっとね。少し見て欲しいものがあってさ」

『見て欲しいもの?』

「実はさ……」

凛ちゃんに今回のことを説明する。ロックフェスのことは彼女も話をもらっていたので、説明はすぐに終わった。

『ふーん、美穂が出るって意外だね。私もスケジュールが合えば出たかったんだけどさ。今回はこっちの仕事を優先かな』

電話越しから聞こえる彼女の声から無念さが伝わってくる。やっぱり出たかったんだろうな。

「今回のフェスがうまくいけば、2回目もあるかもしれないよ?」

『それは楽しみかも。そうなるよう応援しているよ。で、その話をするだけに連絡したわけじゃないでしょ?』

「まあね。美穂の曲なんだけど、作詞したのが俺なんだ」

『……へ? アンタが? 作詞を? 面白いこと言うね』

「ひどいなぁ、俺だって本気で作詞したんだぜ?」

少し茶化されたみたいに言われるけど、そう思うのも無理はないだろう。プロデューサーになったばかりの頃は、作詞することになるなんて予想だにしていなかったし。

『馬鹿にしたつもりはなかったけど、気に障ったらごめんね。本音が出ちゃっただけだから。もしかしてだと思うけど、その歌詞を見て欲しいとかそんなところ?』

「そうなるかな。美穂と世代が近い子のほうがいいし、凛ちゃんロックに明るいでしょ? それに、俺の知り合いの中で一番キツく評価してくれそうだし」

『一番キツくってのが引っかかるんだけどまぁ良いか。アンタの作った歌詞ってのも気になるし。甘いもの奢ってくれるなら付き合ってあげる』

まっ、タダでとは言わないわな。大人の余裕を見せないと。

「サンキュ、助かるよ。でも時間が空いている時ってある?」

『明日の午後はフリーだよ。それぐらいかな。ごめんね、時間取れなくて』

その時間は……おっとラッキー、こっちもフリーだ。

「まさか。ありがたいぐらいだよ。むしろ貴重な時間をこっちに割かせて申し訳ない」

『気にしないで良いって。休日をどう過ごすかなんて、決めるのは私だし。私が行きたいって言っているんだから、そう卑下しないでよ』

数少ない休日を俺たちのために使わせてしまい申し訳なく感じるが、そう言ってくれると気が楽になる。ありがたく受け取るとしよう。

「感謝してもし足りないな」

『そう? じゃあ美味しいお店、期待しているから』

「ほいほい。それじゃあ明日。よろしくお願いします」

『こちらこそ。んじゃ切るね、お疲れ様』

「お疲れさん。これでよし! ……あれ?」

今になって思う。相手は今をときめく人気アイドル、そんな彼女と2人っきりで会うのって色々まずいんじゃ……。

「っとメール?」

ヤバイ事したなと思っていると、メールが届いていた。差出人は凛ちゃんだ。

「なになに? 明日2人っきりだとマスコミに捕まった時に面倒だから、同期の子連れて行くね、とな」

やっぱり彼女も俺と同じことを思ったのか、早速手を打ってくれていた。
2人ってことは、卯月ちゃんと未央ちゃんの事かな? いや、ソロの仕事も多いし3人まとめて休みってことはそうないか。
IA制覇でデレプロの規模も大きくなったと聞くし、所属しているアイドル仲間だろうか。
どちらにせよ、意見はいくつもあっても足りないぐらいだ。3人よれば文殊の知恵とも言うし。

「多めにお金持っていくか」

その分奢らなくちゃいけない量も多そうだ。当分素麺で生活になるかな……。

「そうだ、美穂も誘わないと」

歌い手の意見を無視するわけにいかない。俺たちが幾度議論を繰り返したとしても、最終的にボタンを押すのは当事者なんだ。

「あっ、もしもし美穂? 今大丈夫かな?」

『はいっ、大丈夫ですよ。どうかしました?』

「いや、実は……」

――

歌詞が出来た、見て欲しい。プロデューサーからの電話は私の心を高まらせるには十分すぎるぐらいだった。
そのせいで寝ようとしても眠れなかった。本当ならば、電話してきた時に歌詞を教えて貰っても良かっただろう。
でも不思議とそんな気にはならなかった。送ろうか? と言ってくれた彼に、明日のお楽しみですっ! と答えておく。
楽しみにしていた映画が明日公開されるような、そんなワクワクが私をざわつかせる。

「本でも読もうかな……」

眠れない夜は本や漫画を読んで時間を潰す。そのせいで昼間に眠気が来るのはご愛嬌ということで。
ジャンルに偏りはないけど、ファンタジー系は割と好きだったりする。読みやすくて想像しやすいからかな。

「ふぁあ……」

プロデューサーに借りた鋼な錬金術の漫画を読み更けていると、不意に眠気がやって来る。と言っても時計に目をやると3時頃、そろそろ寝ないと明日がしんどくなる。

「おやすみなさい……」

枕元のクマのぬいぐるみにおやすみをして、夢の世界へと旅立とう。すぅ……。

「錬金術師になる夢を見たんです」

「はい?」

「プロデューサーは……持って行かれてクマのぬいぐるみに魂を……」

「フルメタルアルケミスト?」

翌日、女の子達の間で人気のあるスイーツバイキングで凛ちゃん達が来るのを待っていた。
彼と2人っきりじゃないのがちょっぴり、ホンのちょっぴり残念だけど、このお店は私も一度行きたかった。
同じアイドル仲間のかな子ちゃん一押しのお店という事とあって、お店に入ると色取り取りの美味しそうなお菓子が私達を待っていた。
いるかな? と探してみたけ、やはりと言うべきか彼女の姿はない。

「何か悪目立ちしてないかな、俺……」

「大丈夫だと思いますよ?」

この時間は休憩中のOLが多いのか、店内は女性ばかりでプロデューサーは肩身狭そうにしている。

「私もいますよ。こうやって座っていたら、どう見えるのかな? こ、恋人同士に見えたりするんでしょうか……」

「……ど、どうだろうね」

あっ、顔を真っ赤にした。多分私もだけど。

「だけどあんまり気付かれないものですね」

「だね。アイドル小日向美穂が来ているって思ってないんじゃない?」

一応私はCDも出したアイドルだ。それなりに有名になって来たっていう自覚もある。
一度そのままの姿でファミレスを訪れたとき、ファンのみんなに囲まれかけたことがあった。そのため最近は変装して外を出歩いている。
と言っても、帽子をかぶって眼鏡をかけた程度の簡単な変装に過ぎない。誰にも気付かれていない辺、意外と効果はあるみたいだ。
尤も、私なんか最初から眼中になくて甘い甘いお菓子たちに目が行っているだけかもしれないけど。

「どうですか? 眼鏡、変だったりしませんか?」

「んなことはないさ。よく似合っているよ、伊達だっけ?」

「えっと、そうですけど最近本の読み過ぎで視力が落ちちゃって。本物の眼鏡にしないといけないかなって思っています」

ちなみにこの伊達メガネは割と気に入っている。変装セットを買うときに、ちひろさんに選んでもらったものだ。

「視力落ちたら色々面倒だからね。テレビを見るときは部屋明るくして離れてみなよ?」

「それは大丈夫です! あっ、プロデューサー。凛ちゃんたちじゃないですか?」

カランカランと入口の鐘が鳴ると、眼鏡をかけた3人娘の姿が。真ん中を歩く黒髪ロングの子は凛ちゃんだろう。その両隣にいるのは、お友達?

「少し遅れてごめんね。少し仕事が長引いちゃって」

私たちを見つけると手を振ってきたのでこちらも振り返す。私たちに対面する形で3人は席に着く。変装用だと思うけど、眼鏡って流行っているのかな。

「気にしなくて良いよ。こっちもゆっくり出来たし。えっと……お2人が今回の審査員さん?」

「審査員ってほどじゃないと思うけど……。こっちの眼鏡っ娘が神谷奈緒、でこっちの眼鏡っ娘が北条加蓮」

みんな眼鏡っ娘だって突っ込みは野暮なのかな……。

「この人が噂のプロデューサーねぇ……って何だよその説明! 全員眼鏡っ娘だろうが」

あっ、神谷さんが突っ込んでくれた。この席プロデューサー以外眼鏡だし。

「この席に座っている人眼鏡率の方が高いしね。紹介があったけど……北条加蓮です。で、太眉の子が」

「神谷奈緒だよ、よろしくな。って太眉ってどう言う説明だよ!」

「端的に特徴を伝えていると思うけど?」

「凛まで!? 割と気にしてんだぞ、それ」

太眉って美人顔になるって聞くけどなぁ……。

「あの、呆れたような顔で見られると困るんですけど……」

「なんか悪いね。変なコントに巻き込んじゃって、いつもの事とは言え、第三者の前では遠慮して欲しいっての」

はぁ、と奈緒ちゃんはため息をつくけどその表情は満更でもなさそうだ。なんだかんだ言っても3人とも仲がいいのだろう。

「いや、気にしていないよ。さてと、曲を見せる前に何か頼んだら? 一応それなりに備蓄は用意したけど……」

「えっ、良いんですか? 流石に悪い気が……」

「こっちの都合に付き合わせちゃったからね。お好きに頼んでもらって大丈夫だよ」

そうは言うが、プロデューサーの表情に少しだけ焦りが見えたのを見逃さなかった。あんまり頼み過ぎると破産しちゃいそうなので、程々にしておこう。
かな子ちゃんのオススメは……。

「それじゃあお言葉に甘えて、どれにしようかな」

「これとか美味しそうじゃないか?」

「甘いね、ココは甘えないと。とりあえずメニューの上から下まで4つずつ……冗談だって。そんな絶望的な表情しなくても。このケーキあげるからさ」

いたずらっぽく笑うと凛ちゃんはケーキを崩してをフォークに刺して彼の目の前に突き出す。
あれ? これって……。

「凛ちゃん?」

「折角私があーんしてあげようって言ってるんだよ? ほら、口あけて。あーんと言って」

「……はいっ?」

困惑するプロデューサーとなおかれんちゃんを他所にケーキの持ち主は、

「あーん」

コロコロと表情が変わるプロデューサーを玩具にして楽しんでいる。チラリチラリとこっちを見てくるのは、宣戦布告と言う事でいいのだろうか。

「あーん!」

うん、おいしい! 甘い口どけと口の中に広がるデコポンのハーモニーが……。私グルメリポーター向いてないな。

「え゛っ゛」

「み、美穂?」

「……それは予想していなかった」

「そっちかよ!」

予想外だっただろう。凛ちゃんは自分に対抗して、私も負けじと彼にケーキをあーんとすると思っていたに違いない。きっと他の皆もそうだろう。
凛ちゃんなんか濁点がつくぐらいビックリしているし。

「このケーキ美味しいですよ?」

「そ、そう? 後で頼もうかな。あはは……」

妙な空気になったけど、とりあえず危機は脱出出来たのかな?

「今のは凛の負けだね」

「いやいや、勝ち負けってあるのか、コレ? つーかやっぱり凛ってプロデューサーさんのこと満更でも……」

「ゲフンゲフン!! 奈緒、それ以上言ったらアンタが誰もいない事務所で魔法少女ごっこしていたことバラすよ?」

「もうバラしてんじゃねーか!! あっ、今のオフレコで頼む! ってかお願いします!!」

「ふふっ」

とそんな空気もいつの間にやらぶち壊されて、女子が4人もいれば騒がしくなるのも必定だ。
第一印象を言えば3人とも気が強そうで怖い人なのかな? って思っていたけど、話してみるとそんなことはなく、3人の仲の良さにこっちまで微笑ましくなってしまう。
こういう時、同じ事務所に同期の子がいたらなぁって思ってしまう。今言っても仕方ないんだけどね。

「楽しんでいるところ悪いけど、そろそろ曲を聴いて欲しいかなって」

「そうだそうだ。目的忘れるところだったぜ」

「えーとこんな歌詞なんだ。率直な感想を聞かせて欲しい」

プロデューサーが作ってくれた歌詞……どんなのだろう。ドキドキしながら、歌詞が書かれたカードをもらう――。

「……」
「……」
「……」
「おぉ、良い歌詞じゃん! あたし好みの曲だし!」

「でしょ? 自分で言うのもなんだけど、結構な自信作なんだ。みんなは……あれ?」

「すみません……。初対面の相手に失礼なことを言うのも気が引けますど、ダサいです」
「流石にコレは……どうかと思う。予想の斜め上過ぎるよ、うん」

「へっ?」

「プ、プロデューサー……。一応聞きますけど、この曲の名前って……」

「ああ、曲名ね。その名も『ミホの時代っ!』って曲名で、双葉杏のあんずのうたのオマージュで……」

ミホの時代っ! かぁ、変わった名前の曲だなあ……。

「きゃ、却下です!!」

「ええ!? ダメ?」

「あ、当たり前です!! 歌詞はまだしも、曲名は変えてください!!」

本当のことを言うと歌詞も抵抗があった。というのも、凛ちゃんと加蓮ちゃんが言うように、ややナウでヤングな、言い切っちゃえば『ダサい』曲なのだ。
その上このタイトルと来た。役満です。

「ダサいものは滅べって、この曲滅ぶよ? ……ってアンタが滅ぶよ、コレ」

「ジェッタシー!」

凛ちゃんの的確なツッコミにプロデューサーは言葉に詰まってしまう。
いや、私だって色々と言いたいことはあるけど、そこまで言わなくてもいいような……。

「まぁそこまで言うなよ。プロデューサーさんも考えがあってこの歌詞にしたんだろ?」

「俺には奈緒ちゃんしかいない!!」

「ぷ、プロデューサー!?」

「い、いきなり何を言うんだよ!!」

唯一の賛成派? である奈緒ちゃんは滅多打ちにされて泣き出しそうなプロデューサーにフォローを入れる。

「まぁ奈緒が好きそうな歌詞だよね。アニソンっぽいし。実際に伴奏と合わせたら格好いいかもしれないよ?」

とは加蓮ちゃんの談。成程、アニソンか。あんまりアニメは明るくないけど、そう考えたら少しだけ抵抗がなくなる。
要は捉え方次第なのだろう。私はバリバリロックな歌詞が来るかと思っていたから拍子抜けしたわけで。
よくよく見てみると、こっちの歌詞の方が私らしいといえば私らしい……のかもしれない。

「奈緒ちゃんの言うとおり、何も考えずに歌詞を作ったわけじゃないさ。ちゃんと、物語はあるんだぞ?」

「物語か。それを聞いてから判断しても遅くないかもね」

商店街をテーマにした曲にしようとしたこと、東京への憧れを持つ(ちょっとセンスのずれた)女の子が歌詞を作ったらと言うコンセプトのもと作詞したこと。
成程、そう言われるとこの歌詞は強ち悪いものじゃないような気がしてくる。

「あえてダサくしているのなら、何も言えないよ。私が歌うわけじゃないし」

「凛ちゃんが歌うところも見てみたい気がするけど……、ごめん。睨まないでください」

私も見てみたい、かも。

「でも、この曲名がイヤって言うなら、別のにしたほうがいいんじゃないの?」

「ミホの部分を変えるとか?」

「その方が美穂の精神衛生上良いと思うけど?」

否定し続けるだけじゃ話が進まない、という事で歌詞に関してはもうこれで良いような気がして来た。
ただ、ミホの部分だけは変えて欲しいと言うのが本音だけど。どうしてダメかと言われたら、単純に恥ずかしいからで……。

「こういうの奈緒の得意分野でしょ?」

「得意分野も何もないだろ。まぁ、変えるとしたら……こんなもんじゃない? パッと頭に出て来た名前だけどよ」

そう言って奈緒ちゃんは歌詞カードの曲名を書き換える。

『イブの時代っ!』

「……雅刀?」

「ちげーよ!! 何でそこでデスラーが出てくんだよ!!」

奈緒ちゃんの良く分からないツッコミが炸裂する。プロデューサーは面白がっているけど、私たち3人はなんのことか全く理解できなかった。

「イブの時代っ! ね。美穂はどうなの?」

その後も討論は繰り返される。基本的にはプロデューサーが作ってくれた歌詞をベースにしているけど、いくつかの部分は3人のアイデアを受けて変更された。
その結果が、こちら。

http://youtu.be/Jjs69Q_sSKA

歌詞が歌詞なだけに誰にも聞こえないような蚊の鳴くような歌声で、ミホの部分をイブに変えて口ずさんでみる。
奈緒ちゃんの言うように、アニメのキャラクターとして歌うと考えたら、意外と悪くない気がしてきた。
それもそうか。作詞したのは私のことを誰よりも知っている他ならぬ彼なんだから。

「プロデューサー。ダサいって思ってゴメンなさい」

「いやいや、素直な感想なんだから気にする必要はないさ。そりゃあ傷つかなかったって言えば嘘になるけど……、そ、想定内だし?」

「うぅ」

私たちの手前強がって見せているのが嫌でも分かる。

「絶対堪えているね、これ」

プロデューサーが元気になったのはそれから20分後。

「んんーっ、絶頂(エクスタシー)!」

目の前に置かれた甘いものを食べていくうちに機嫌も直ったようだ。変な方向に。

3人と別れて事務所への帰り道、私は新曲をBGMにしながら歩いていた。スルメ曲というのだろう、聞いていくうちに歌詞に対する抵抗もなくなってきた。
住めば都というわけじゃないが、歌えればどんな曲だって名盤になるのかもしれない。

「まぁこうやって他の事務所の子らとも交流出来たし、収穫は有ったんじゃないかな」

「ですね」

凛ちゃんは仕事の都合無理だったけど、奈緒ちゃんと加蓮ちゃんは都合がついているようで、見に行くと言ってくれた。
この曲は私たちだけじゃなく、彼女たち3人も手伝ってくれた。

自分は歌わないのに、フェスを盛り上げるという一心で生み出された歌詞はダサくてもきっと伝わるものがある。

「プロデューサー!」

「ん?」

「一緒にフェス、盛り上げましょうね!!」

「おう!」

フェスまで残り一週間。私たちは只管にロックな活動を続けた。
いや、ロックかどうか客観的に見たら少し違うような気もするけど……その試行錯誤も含めてロックなのだろう。胸を張ってそう言おう。
私がロックと言えば、それはロックなのだから。

「そうじゃないですよ! いつもと同じ歌い方ではソウルが震えません! 返事は!?」

「シェ、シェケナベイベー!!」

「あのー、トレーナーさん? 余り適当なこと教えないでやって欲しいんですが」

「すみません、調子に乗りすぎました。でも形から入ることは大切ですよ、何事もっ」

「シェケナベイベー!」

トレーナーさんは茶目っ気たっぷりに謝る。意外にもロック趣味があったらしく、ロックフェスの仕事に携われたことが嬉しかったのか、
ここのところのレッスンのテンションは少々おかしい。ただ指示は的確だし、何より本人が物凄く楽しそうなので私から言うことは何もない。

「いくらロックと言ってもその挨拶はどうかと思うぞ?」

「ですよね」

うん、何もない。

――

「商店街のイベントって聞いていたけど……」

「結構大きいですね」

李衣菜ちゃんたちが主催のロックフェスの開催日前日。リハーサルも兼ねて俺たちは舞台となる商店街へ来ていた。
商店街は既にお祭りムードで活気づいていて、野外に設置されたステージの上では李衣菜ちゃんたちの担当プロデューサーがあれやこれやと指示を飛ばしている。

「おっ! 待ってたぜダズプロさん!」

「どうです? 私たち結構頑張ったでしょ?」

ステージセッティングをポケーと見ていると、ステージの方から主催者の2人が駆け寄ってくる。

「いや、驚いたよ。ここまで本格的になるとは思わなかったからさ。短い時間でよくここまで頑張ったね、凄いよ2人とも」

「いやぁ、お世辞でも照れちゃいますね……」

お世辞でもなんでもなく本心なんだけどな。担当Pを始めとした大人たちの協力は当然有っただろうが、一から作り上げたのは紛れもなく彼女たちだ。
ロックフェスがなければ作ればいい。きっかけはシンプルなものだっただろうけど、
結果として商店街やアイドルたちを巻き込んだ一大プロジェクトへと昇華していった。
本家ロックフェスに負けず劣らず派手に彩られたステージには、彼女たちの思いが詰まっている。その上でパフォーマンスができることは、美穂にとって幸運なことだ。

「あの! 私至らない部分も有るかもしれませんけど! 精一杯頑張りますので!」

「小日向さん。至らないなんて言葉はロックじゃないぜ。足りない部分はハートで補うってことで1つ頼むよ」

「そ、そうですね! ハートで勝負です!」

「はははっ、これは1本取られたね」

数々の舞台を乗り越えてきただけあって、美穂も緊張することが減ってきた。デビューしたての頃なんか前日からもうガチガチだったしな。
暗中模索を繰り返してく内に、パチクリとした可愛らしい目は暗闇にも慣れていく。

とはいえその目が眩しさにすら慣れてしまうのは、少し怖いことだ。

「楽屋はどこになるかな?」

「それなら集会所ですよ」

「ありがと。それじゃあまた後でね」

彼女たちの話も聞いていたいけど、仕事の邪魔をするわけにいかない。
俺たちも準備してリハーサルに臨まないと。

「んじゃ着替え終わったらステージ前で落ち合おうか」

「はい!」

楽屋に荷物を置いて美穂を本番の衣装に着替えに行かせる。
今回の衣装は今までの可愛らしい系統のモノから変えてみて、所謂ロックでパンクな衣装をチョイスしてみた。

ファンの皆が抱いている美穂像から斜め上とまでは言わなくても、『美穂もこんな服を着るんだ!』と驚かせることが出来るだろう。
美穂自身意外とハスキーよりな歌声なので、ロックの親和性は元々高かったりする。
きっと衣装も合わせて目から耳から新しい小日向美穂を見せつけることが出来るはずだ。
ただ、結構な冒険であることには変わりない。イメージが崩れる、という声も当然出るだろう。

「ファンの声全部に耳を傾けろって言われても無理があるけどさ」

ファンあってのアイドルなのは間違いないけど、彼女たちが取る行動一つ一つで増えたり減ったりするのはどうしようもないことだ。
今ここで愚痴っても仕方ないけど。

「コーヒー飲んで一息つく……」

「……」

「へ?」

「……フヒ」

「のわっ!! 机の下に何かいる!?」

自販機で買った缶コーヒーを片手に椅子に座ろうとすると、机の下に小さな女の子が隠れていた。不意打ちをくらってしまいコーヒーは手から落ちてコロコロと転がっていく。

「え、えーと?」

「……」

「ありがとう?」

机の下の少女? はコーヒーを拾うと無言で俺に渡してくれる。この商店街には妖精さんがいるのか?

「プロデューサー! 今悲鳴が聞こえて……」

「美穂、下に! 机の下に妖精さんが避難訓練してる! フェアリータイプ!!」

「何を言っているんですか? この子、普通の女の子だと思いますけど」

「で、ですよねー」

極々普通なテンションで返されるとちょっと悲しくなっちゃう。そこはノって欲しかった、と無茶を心の中で言ってみたり。

「よ……、妖精じゃない……ホシ。ホシ、ショウコって言います……フヒ」

机の下がお気に入りなのか、ホシショウコと名乗る彼女はそこから出てこない。これじゃあ椅子に座れない。

「って美穂、着替え終わってないの?」

良く良く見ると彼女の服装は来た時のままだ。強いて言うならば一度脱いだ服を焦って着たのか、少しシワが寄ってしまっている。

「あっ、えっと……。着替えの途中だったんですけど、プロデューサーの悲鳴が聞こえて……」

それで慌てて着直してこっちに来てくれたというのか。何だか悪いことをしてしまった。

「す、すみません! すぐに着替えてきます!」

「それは良いんだけど……ホシさん?」

「フヒ、な……何ですか?」

机の下で体育座りしている彼女に声をかけると、驚いたのかビクリと体を振るわせた。
ひょっとして彼女の瞳に俺は怖く映っているんじゃ……。

「もしかしなくても……フェスに参加するアイドルさん?」

「う……ウン。リハーサル、行かないと」

やっぱり。しかし見た所彼女も着替えはまだのようだ。ホシさんはキノコを持ったまま机の下からもぞもぞと出てくる。ってキノコ?

「非常食でしょうか?」

「ラッキーアイテムじゃない?」

正解は――。

「ち、違う。親友……フヒッ」

「し、親友と来ましたか……」

予想外の答えが返ってきた。ボールは友達ってのは聞いたことがあるが、キノコが友達っていうのは初耳だ。

「キノコーキノコーボッチノコーホシショウコー♪」

謎の歌を歌いながらホシさんは部屋を出……止まった?

「あ、あの……」

ドアノブに手をかけたまま何か言いたそうな目で俺たちを見ている。ボソボソと口は動いているが、こちらまで聞こえない。

「もしかして一緒に行こうって行っているのかな?」

「う、ウン」

美穂の解答に我が意を得たり! とでも言うかのようにこくこくと首を縦に降る。ちょっぴり挙動不審なのも、背の小ささもあってか
小動物的な可愛さがこみ上げてくる。

「プロデューサー!」

美穂が目で訴え掛ける。うん、言いたことは伝わった。

「じゃあ一緒に行きますか? 私、ショウコちゃんと友達になりたいですから」

「と、友達? なってくれる?」

ショウコちゃんは本当に? と言いたげな不安な表情をするもスグにパッと明るくなる。

「はいっ! 私がなりたいんです。ショウコちゃんのこともっと知りたいですし、私のことも知ってほしいですから」

美穂はニコッと笑って小さな手を取る。ショウコちゃんは照れくさそうに笑ってこっちを見る。何だか初々しいな。
態度や行動を見るにデビューして日の浅い新人アイドルだろう。右も左も分からない中で一人っきりってのは心細い。
そんな時に手を握ってくれる存在がいればその不安は軽減される。少しだけ、勇気が生まれるんだ。

「プロデューサー、行ってきますね!」

「ああ。ステージで待ってるよ」

「あ、ありがとう……フヒッ」

2人が出て行った楽屋はガランとしている。美穂の着替えも直ぐに終わるだろうし、俺も出ようかな……。

投下はここまで、今年もよろしくお願いします

「やっ。くつろいでるね」

「ちょっと休憩です! 昨日からずっと働きっぱなしでヘトヘトですよ」

舞台裏に行くと、仕事が一段落着いたのかステージ衣装に着替えた李衣菜ちゃんが椅子に座ってグデーとしていた。流石のハイテンションロックガールもお疲れモードのようだ。

「裏方の人ってすっごく大変なんですよね。私たちって普段リハーサルと本番の時ぐらいしかステージにいかないから、こういう縁の下の力持ち的なお仕事を殆ど知らなかったんです」
「運営から参加して改めて思いました。フェスにしろライブにしろなんにせよ。アイドルだけじゃ何も出来ない、月並みなこと言っちゃうとスタッフさんやファン、皆がいてこそのステージなんだって」

「だな。良い経験だったんじゃないかな?」

1つの舞台を作り上げるには相当な労力と時間が必要だ。例えその舞台に立つ時間が10分程度のものだとしても、最高の時間を作るために準備をする。

アイドルはステージを盛り上げて、俺たち裏方は彼女たちがベストのパフォーマンスが出来るように働いて。
そう、当たり前のことだ。だけどその当たり前のことを俺は尊く思う。

「なんだか、気恥ずかしいですね。なつきちが聞いたらおちょくって来そうだし、今のオフレコで頼みます! ああ、そうだ! パンフ見ますか? これ、私となつきちで作ったんです!」

「あっ、出来ているのか。んじゃ見せてもらおうかな」

李衣菜ちゃんは照れくさそうに話題を変えるとお手製のパンフレットを見せる。そう言えば今回の参加メンバー全員を把握しきれてないんだよな。確認しておくか。

「星輝子……ってこれでショウコって読むのか。変換できないぞ?」

「そーなんですよねー。だから変換するとき輝子ってしてましたもん。インパクトは有ったから読み間違えるってことはないんですけどね」

ショウコちゃんはいないかな? と探してみたけど見当たらず、その変わりに星輝子という名前が。写っている姿は紛れもなく彼女だ。
どうやら輝子と書いてショウコと読むそうだ。てっきり翔ける子かと思っていたのでちょっと意外だ。と言うかそう読めることを初めて知った。
ストレートなのか捻っているのか良く分からない読み方だなと思ったり。

「でもまぁしょこたんって感じじゃなかったけど……」

「プロデューサー! すみません! ちょっと着替えに手間取って」

「美穂さん! 話には聞いていたけど……なるほどなるほど。コイツはロックですね!」

普段のおとなしめな衣装から一転して、フェスのムードにマッチするように思いっきりパンクな衣装を身に纏っている。彼女とのキャラクターのギャップも有って、見る人たちは驚きを隠せないだろう。
ぶっちゃけると俺もビックリしている。

ロックというと李衣菜ちゃんにとっての最大限の褒め言葉だ。美穂も恥ずかしそうにしているけど、嬉しそうにはにかんでいる。

「メイク一つで変わるものですよね。なつきちが言っていたことがなんとなく分かった気がします。メイクといえば! 輝子ちゃんも凄いんですよ? 本番までの秘密ですけど!」

お楽しみにっ! と言って李衣菜ちゃんは顔を綻ばせる。しかしこのフェスに出るということは、輝子ちゃんもロックに生まれ変わるわけだよな?
パンフレットを見返してみたけど、写っているのはキノコを持って戸惑っている彼女の姿だけだ。

「全くもって想像がつかないぞ?」

「デビューして日が浅いんですよ。だからまだ知名度は高くないんですけど……とにかくビックリしますよ! これ以上はネタバレになるから黙っておきます」

含みのある言い方をされると余計気になるが、本番でのお楽しみということで待っておこう。あれこれ予想するのも野暮な気がするし。

「それは楽しみにしておこうかな。美穂、輝子ちゃんは?」

「輝子ちゃんは担当Pさんと一緒にいますよ? ほら、あそこに」

「おっと。挨拶してくか……ってあの人、李衣菜ちゃんたちの担当Pじゃないの?」

見覚えのある顔だなと思えばそれもそのはず。目の前にいる主催者の担当Pその人じゃないか。

「あっ、バレました? あの子ってうちの事務所の新人アイドルなんです。言わば秘密兵器です」

なるほど、そのつてで参加したってことね。さっき控え室に1人だけでいたのは、先輩アイドルや担当Pが準備に追われていたからか。

「うぅーん! 後輩も頑張っているんだし、私も張り切らないと! そろそろなつきちも帰ってきますし、リハーサルの準備お願いしますね」

「はいっ! プロデューサー、見ていてくださいね」

時計を見るとそろそろ通しリハの時間だ。舞台裏には参加アイドルたちが集まってきている。

「場違いな気もしないでもないよなぁ」

参加アイドルたちを見ると、やっぱり美穂は少し異色だなと思ってしまう。
存在が浮いているというわけじゃないけど、周囲の子達がどちらかと言うと格好いい系のアイドルたちなので、可愛い系の彼女は1人異彩を放っている。

でもまぁ、ステージが始まれば恰好良い彼女を見せる事が出来るだろう。可愛いと格好良い、そのギャップでファンを魅せないと。

「女の子は死ぬまでシンデレラってことかしら? 私のプロデューサーも良く言っていたわ。最近30歳越えからアイドルを目指すって人もいるみたいだし、強ちただの励まし言葉じゃないのかもね」

どこか憂いを帯びた表情を見せて溜息をつく。その姿は子供たちには真似出来ない色気を感じたのは秘密だ。

「川島さーん! そろそろ始まるんで準備おねがいしまーす!!」

「あら、待たせちゃったかしら。それじゃあプロデューサーくん、行ってくるわね」

「ええ、お願いしますね」

スタッフもとい李衣菜ちゃんに呼ばれてステージへと歩いていく。派手に装飾されたステージを見て、何となく文化祭を思い出す。
ワイワイと盛り上がって、お祭り気分が高ぶった奴はステージの上から告白したりして。しっちゃかめっちゃかなお祭りだったけど、それでも思い出に残っている。

「青春の輝き、かな」

李衣菜ちゃんと夏樹ちゃん達の夢と想いと青春が詰まったステージは曇天なんて何のその、眩いぐらいに輝いて見えた。
ステージだけじゃない。ステージに立つアイドルたちは、自ら思いの丈をロックに載せて表現している。

「あらま、飛ばすなぁ」

中にはまだリハーサルなのに飛ばしすぎている子もいるぐらいだ。明日バテやしないか心配になるけど、その辺は担当Pにお任せということで。

ゆっくりと聞いたらキノコの一種だと納得がいった。灯火っていうぐらいなんだし、夜に光るタイプのキノコか。
取り敢えず美穂を褒めているってことは理解できた。にしても、この子はキノコが好きなようだ。キノコの栽培が一部で流行っているらしいし、珍しい話じゃないんだろうけどちょっと変わった子だよな。

「輝子ちゃんはリハーサルに出ないのかい?」

「私は……秘密兵器だから、皆が見ていない所でリハをする」

明日をお楽しみに! 李衣菜ちゃんの言葉を思い出した。主催者の所属している事務所の子なので、そこは融通が利くんだろうけど変な話だな。

「そこまでして隠したいなんて。一体どういうことなんだ?」

リハの休憩中に気になって検索してみたが、彼女に関する情報は殆どと言って良いほど無かった。事務所のHPには名前と写真が貼られていたが、特段おかしなところはなく目の前の彼女とそう違いはない。

キノコが好きなちょっとシャイな女の子、と言うのが彼女に対する印象だ。

「う、うん。明日すべてがフヒッ、分かるはず」

どんどんハードルが上がって行っている気がするけど、果たしてどんなステージが待っているのやら。

「うーん。それじゃあ明日を楽しみにするしかないか。そうだ、時間があるのなら一緒に商店街回る?」

折角仲良くなったんだし、彼女のことを知りたいと思うのは友達として当たり前のことだ。美穂も喜ぶだろう。

「えっ、い、良いの? ……私がいて」

「まぁ用事があるならそっちを優先してもらいたいけど、ブラブラーと見て回ろ」

「ゴートゥーアーケーーーーードッ!!! フハーッハッハッハッハ!!」

「……えっ?」

「えっ?」

「キノコ団子とか……ないですよね」

「えっ、キノコを丸めるの?」

「ふふっ」

活動のこと、学校のこと。他愛のない話をしながら、風に吹かれるままに緩やかに時間は過ぎていく。

「あっ……、そろそろリハーサルに戻らないと。親友が怒る」

「結構時間潰してたんだな」

商店街を二周した辺りの所で輝子ちゃんはリハーサルのためステージへと歩いていく。一緒に行こうか? と言っては見たが、

「それは……フヒッ密だから」

と言って俺達と別れた。

「ここまで焦らされたら気になりますね」

歪みのない朗らかな笑顔で口を開く。純粋に明日のステージが楽しみって顔をしているな。

「だな。どんなパフォーマンスが来るかわからないけど――」

『ゴートゥーアーケーーーード!!』

「……」

「どうかしましたか?」

「いや、どの参加者よりも輝くアイドルになろうな」

まさか、ねぇ……。

――

「みんなー! 熱く行くぜーーー!!」

「乗り遅れんじゃねーぞ!!」

フェスを企画した2人による熱く激しいロックビートが商店街に響き渡る。
ド迫力のサウンドは観客たちのボルテージを上げていき、フェスのオープニングをド派手に盛り上げる。

「??♪」

私の出番はまだ先だけど、体は既にリズムをとって自然と鼻歌もこぼれてしまう。それは他のアイドルたちも同じで、今か今かと自分たちの出番を心待ちにしていた。

「結構急なイベントだったのにこれだけ集まるとは。正直ビックリしたぞ」

プロデューサーが驚くのも無理はない。観客席は私たちが予想していた以上に大勢の人たちの熱気で溢れており、商店街のお店にもお客さんがごった返していた。
目玉はステージだけじゃない。

「アンチエイジングにお茶は効果的らしいわ。良薬口に苦しってところかしらね。最近お肌が気になるそんな貴女には加藤茶屋のお茶がオススメね」

川島さんのアナウンスも好評のようで時に迷子の案内、時にお店の紹介とロックサウンドに疲れてステージから離れた人たちを退屈させないトークで楽しませる。

「文化祭みたいですね」

「あははっ、それは俺も思った。いやー、懐かしい気持ちになるな。でも、ステージに立っている子の殆どが中高生ぐらいだし、強ち間違ってないかもね」

ステージには千差万別のロックが繰り広げられる。
歌詞が全部英語だったり、バンドで参加しているアイドルもいたりとそれぞれが思うロックを全力で表現している。
今この瞬間を、彼女たちは輝いている。同じアイドルとして、羨ましいぐらいに。

ざわっ……
ざわっ……

普段の私を知っているファンの皆の驚きが手を取るように伝わって、筆舌にし難い快感が体を電流みたいに駆け巡る。

クリスマスパーティーもデパートの上でのイベントも、観客と近い距離でするパフォーマンスはダイレクトに相手の顔が見えてしまう。

私のイメージを覆すパンクなファッションで皆の視線を釘付けにできたけど、私なりのロックがどこまで通用するのか。私の前のみんなはステージを最高に熱くさせた。
私もこのビッグウェーブに乗らなきゃ!

「みなさーん!! 声出してますかー!!!」

うおーっ! と野太い歓声が私を包み込む。今まで私が立ってきたどのステージよりも盛り上がっていて、飲み込まれそうになっちゃう。

「今日の私は今までとは違う、ニュー小日向美穂です!! その目に焼き付けて、暴れちゃってくださいね! あっ、でも怪我しちゃめっ! ですよ?」

事前にMCは用意していたけど、口を開けば自然にアドリブが入って原稿と全然違うことを言っている。
ああだこうだ準備したところで、ライブはその時の空気や雰囲気で変わってしまうもの。その時その時に思い浮かんだ言葉が、マイクを通して商店街に響く。

『――!!』

歌い終わると歓声はより一層大きくなる。まだまだまだまだバテる気配は無さそうだ。

「へへっ!」

バックバンドたちもまだイケル! と私を催促する。そこまで言うのなら、思い切って暴れてもらおう!

「えっと! つ、次の曲はなんと! 初披露の新曲です!」

衝撃の告白? に会場はおおーっ!! と教科書通りのバラエティ番組のような反応を見せる。
ってアレ? 奈緒ちゃんと加蓮ちゃん……だよね、あそこにいる2人。メガネをかけて変装しているけど、前に見た服装とまるっきり一緒だ。

「この曲ですけど、プロデューサーが作ってきた歌詞がちょっとばかりダサ……ジェッタシーだったので、皆でアレンジした曲なんですっ。そのアレンジャーですけど! 実は今日観客席にいるみたいです!!」

この時の私はとにかくテンションが上がって、盛り上げよう! って気持ちで動いていた。だから普段なら絶対にやらないようなことも、勢いで誤魔化してやってしまうわけで。

「ちょ、ええ!? 聞いてないぞ!」

「って奈緒! 声を上げたらバレ……ちゃった?」

観客たちの視線が2人に集まる。どうしよう? と2人は目を合わせるも、やられたな、と言わんばかりに変装を解く。

「どうする? この空気。凄く期待された目で見られているんだけど……」

「はぁ、美穂。少し恨むぜ?」

スペシャルなゲストの登場に盛り上がるオーディエンスの中を困ったように歩く。

「みんなー!! ありがとー!! 商店街もファンのみんなも愛してまーーす!!!」

必殺? の投げキッスをして私たちはステージから退場する。

「美穂、お疲れ様。いいステージだったよ、掛け値なしに……と言いたいところだけど!」

「ふぇっ!?」

プロデューサーは私の頬っぺたを軽く掴んで引っ張る。

「いふぁいへふ……」

「おいおい、プロデューサーさん!」

「何やっているんですか?」

困惑する奈緒ちゃん加蓮ちゃんに向かってプロデューサーは頭を下げる。

「その、なんと言いますか。迷惑お掛けしました。こういうのってギャラとかあるし、事務所の方に話をしておかないといけなかったんだけど……」

言われてあちゃーと思ってしまう。思いつきと一時のテンションに身を任せてしまって忘れていたけど、本来なら事務所を通さないといけないようなことだ。

プロデューサーは困ったように溜息をつくが、当の2人はと言うと、どうかした? って言いた気にあっけらかんとしている。

「それなら大丈夫じゃないかな?」

「ああ。うちのプロデューサーってこういうの好きだしさ。それに、今外国にいるから連絡のしようないと思うぞ?」

この世のものとは思えないような奇声がステージから聞こえてくる。

「あ、あれはッ!!」

恐る恐る舞台裏から覗いてみると、灰色の髪を血の様な禍々しい赤で染め上げて、虫も殺さぬ優しい顔にはハートのメイク。
筆舌にし難い狂気を纏った少女が、そこにいた。

「しょ、輝子ちゃん?」

特徴的なアホ毛と小動物のような小さな体は、世紀末なファンションに身を包んだとしても隠し切れない。

星輝子――。誰もが彼女に釘付けだった。いや、そうせざるを得なかった。地面が揺れそうなほど盛り上がっていたオーディエンスたちも突然の刺客に言葉を失う。
それほどまでに、強烈で鮮烈で、クレイジーなデビューだった。

「……こういう事言いたかないけどさ」

「お薬、やってない……よね?」

「……と思うぞ」

いくらこうなるかな? と予想したところで、意味がないということを痛感させられる。

「フハッーッハッハッハッハ!!! ブラッディパーティーの始まりだァ!!」

「観客席の子供泣いてますね」

「俺も泣きたい」

彼女は私の中で用意されていたハードルをいとも容易く飛び越えてしまったのだ。それも斜め上の方向に。
きっとそれは見ている人全員が驚いたに違いない。ロックフェスといっても、参加しているのはアイドル達。ここまでブッ飛んだ子が来るなんて、予想すら出来なかった。

「変なキノコ食べたんじゃないだろうな……」

違いますよ、と否定しきれないところが怖い。その内SATUGAIとか言い出すんじゃないだろうか。

「とにかくもうサイコーだぜ!!」

「家に帰るまでがフェスだからなー!!」

「ゴーーートゥーーーホーーームッ!! あ、ありがとう」

「センキュー!!!」

フィナーレは参加者全員によるステージ。商店街のみんな、見に来たファン、果てには通りすがりの人たちも巻き込んでのお祭り騒ぎ。最初は不安でいっぱいだったけど、吹っ切れてみれば新しい世界だって開ける。

『お帰りの際にはお忘れ物のないようお気をつけくださいませ。アナウンスのお相手は、川島瑞樹でした』

「終わっちゃったね。私たちのロックフェスが」

「終わったな。でもアタシらが望めば、なんとだってなる。そうだろ?」

私たちの文化祭が、幕を閉じた。だけどきっと、フェスは終わらない。ロックなサウンドは、私たちの心の中で響き続けるから。

これから2人は台頭してくるだろう。今度は乗り越えるべき相手として、ステージの上に立ちふさがるはずだ。今日の飛び入りパフォーマンスを見てそう確信した。

そしてもう1人。

「あ、美穂とプロデューサー。お疲れ……」

「おっ、輝子ちゃん。お疲れ様」

今日のフェスで一気に名前を上げたであろう輝子ちゃん。全く無名の状態から、たった10分ほどのステージでオーディエンスたちのハートをガッシリと奪ってしまった。

良くも悪くも一度話題になってしまえば、後は簡単に広まってしまう。
衝撃のステージの動画がサイトにアップロードされると、見る見るうちに再生数が伸びていく。
ネットでの注目ワードの1位が彼女の名前というあたり、この売り出しは成功したといっていいだろう。まさにシンデレラだ。

『ゴートゥーーーブトーーカーーーイ!!! キノコの馬車のお出ましだァ!!』

毒々しいのはまぁ、ご愛嬌ってことで。

「初めてのライブだったって聞いたけど、どうだった?」

「ライブ……楽しい。クセになる」

攻撃的なパンクなメイクの上で、ほんのりと頬を赤らめる姿が可愛らしい。

「またやりたい。その時は美穂と一緒に出たいな、フヒヒ」

「そう言ってくれたら、私も嬉しいな」

素の部分が似ていることもあってか、2人ともすっかり仲良くなったみたいだ。事務所は違えども後輩アイドルが増えて嬉しそうだし。

「こ、これ……友情の証」

気恥かしそうにそう言うと、どこからともなく小さなキノコが生えた鉢を俺たちに渡す。赤いかさに白のつぶつぶがついていて可愛らしい。
でもこれ、何か見覚えあるんだよなぁ。テレビとかで。

「私は影の中よりもお日様を浴びている方が好き、ですけどね」

「対照的だよな、そう考えたら君らって」

日向ぼっこが好きな日向者アイドルと、キノコを親友と呼ぶ陰日向アイドル。まるっきり逆で交わるわけがないのに、仲良くなれるって言うんだからこの業界は面白い。
とはいえ根本的なところは似ているから、引かれ合うものなのかね。

「そうだ。忘れてたけど、今日のステージ録音したの貰ったんだ。えーと、どこにやったっけ……」

「カバンの中に入れてませんか?」

「そうだったかな。悪い、ちょっと取ってくれ」

「これですね」

ラジオばっかり聴いていても退屈だ。CDをカバンから取り出しプレーヤーに入れる。
そのまま録音したため、盛り上がっている観客たちの歓声も入っていて社内は臨場感に包まれる。ロックなアイドル達の姿も自然と瞳に浮かび上がるぐらいだ。

「フンフンフン♪」

ノリの良いBGMにあてられ気分が乗ってきたのか、美穂は元気良く鼻歌を口遊む。

「~~♪」

横目で見ると楽しそうに歌っているものだから、俺まで気分が高まって来た。自分でも気づかないうちに鼻歌を鳴らして、美穂と即興のデュエットの完成だ。

「全部、プロデューサーがくれたものなんですよ? だから、上手く言えないんですけど……凄く感謝しています。へ、変って思うかもしれませんが! い、言いたくなったんです。無性に!」

「……ハハッ。そう言ってくれると、俺も元気になれるよ。ありがとう、美穂。今の俺があるのは、君のおかげだからさ」

「て、照れちゃいますね。こうやって、何でもないことを感謝するって」

「それは俺もかな。少し恥ずかしいぞ」

急に気恥ずかしくなって2人同時に目を逸らしてしまう。打ち合わせもないのにタイミングがぴったりだったものだから、おかしくなって笑いがこみ上げてきた。

「ほら、そろそろ部屋に戻りなさいな」

「そうですね。折角だから、泊まっていきますか?」

「冗談を言わないの。ほら、パパラッチに捕まっちゃイヤでしょ?」

テヘッと舌を見せる美穂を帰らせて、車に戻って家まで走らせる。実は事務所の車だが、この時間なら流石のちひろさんも帰っているだろうし、
明日の朝にガソリンを入れてから出社するとしよう。

『疑い』――その花言葉は、後ろ向きに聞こえるかもしれないけど……少なくとも俺と彼女にとっては、前向きなものだった。
そう思えるようになったのは、数日後のことだ。

その日のことはきっと忘れることが出来ないだろう。梅雨が明けてセミたちの歌声が聞こえだした、6月の終わりのこと。

『オリコンランキング発表! 第7位! 初登場、小日向美穂でイブの時代っ!』

新曲『イブの時代っ!』の売上も順調な滑り出しを見せて、オリコン上位に入って。
ああ私のアイドル生活も軌道に乗ってきたなぁ、って実感し始めた頃だった。

「おはようございます!」

授業が終わってその足で事務所に到着する。入ってすぐの所に置かれているホワイトボードには予定が書かれている。
私は久々の休日だったけど、プロデューサーは別のお仕事で出かけているみたいだ。

そう言えば新人プロデューサーを探す? みたいなことを言っていたっけ。そろそろデレプロにも後輩アイドルができるのかもしれない。

「私も先輩、かぁ」

入社したばかりのことを思い出す。私以外のアイドルはいないって言われた時は、本気で熊本に帰ろうかなと思ったぐらいだった。
それでも続けて来られたのはアイドルという仕事に面白さを見つける事ができたからと、事務所の皆が温かく私を見守ってくれていたからだ。

あの頃はだだっ広く感じた事務所も、新たな仲間を加えるための準備をしていくうちに狭く感じるようになって来た。

「お疲れ様です! ちょうど良いタイミングでした。連絡する手間省けましたし」

「? 何か有りましたか?」

「美穂ちゃんにお客さんですよ! ……ビックリすると思いますけど、いつも通りの美穂ちゃんで大丈夫だと思いますよ?」

「私にですか?」

含みのある言い方に?が浮かぶけど、ちひろさんに言われるまま応接室へと行く。お客さんだなんて、そんな予定はなかったはずだけどな。
ビックリする相手かぁ……、誰だろう? 全く見当がつかない。熊本が生んだアイドルくまモンとか?

よく分からないまま応接室へと入る。本当にビックリする相手がそこにいるとも知らずに。

もしかしてどこかで武田さんの不評を買っちゃったのかな……。記憶を辿ってみたけど、思い当たる節はない。

正直言うと理由をつけて逃げたいと言うのが本音だけど、そういうわけにも行かないよね。何が待っているか分からないけど、覚悟を決めていかなくちゃ。

「そうか、感謝するよ。さてと、待たせるのも申し訳ないし行こうか」

「は、はいっ! えっと、ちひろさん! 行ってきます?」

「失礼するよ。それと……、あの紅茶は美味しかった。掛け値なしにね」

「あ、ありがとうございます? 美穂ちゃん、良く分かりませんけど……行ってらっしゃい?」

大抵のことなら笑って流すちひろさんも、武田さん相手相当困惑しているみたいだ。
事務所を出るとすぐ前に大型車が止まっている。近づくと窓が開いて運転手が顔を乗り出す。

「小日向さんっ! お久しぶりです!」

「秋月さん! 車運転されるんですか?」

「恥ずかしながら僕は運転が出来なくてね。いつも彼にはお世話になっているよ」

お弟子さんというよりもマネージャーと言ったほうが近いような気がして来た。しかし武田さんがここまで信頼を寄せるなんて。
涼ちゃんはやっぱり凄い人だったんだ。

「そう言えばさっき武田さんからもう2人って聞いたんですけど……」

「うん? 彼女達なら後ろの席にいるよ?」

秋月さんはそう言って後部座席を開ける。見ると先客がいたようだ。

「あっ、美穂ちゃん! 何日か振りですか?」

「ふーん……もう1人って美穂だったんだ。変な組み合わせだね」

「愛梨ちゃんと……凛ちゃん?」

私もよく知っている、暑がりで既に服を半分脱ぎかけている愛梨ちゃんと、黒髪のクールでどこまでもストイックな凛ちゃんが。

「アイスティーしかなくてすまないが、3人とも寛いでくれていたまえ。僕は少し準備することがあってね」

仕事場についた私たちは並んでソファーに座る。武田さんはグラスを机の上に置くと、
倒れたら危なそうな大きな本棚に入っているファイルを漁り出した。

やることもないので、私たちはアイスティーを飲みながら仕事場を見渡す。音楽プロデューサーというだけあってか、至るところに機材が置かれている。

そしてなにより目を引いたのが、

「こんなに沢山のCDを集められたんですか」

圧倒的なまでなCDの量だ。最初は居づらそうにしていた凛ちゃんだったけど、部屋中に整理されているCDを見て目を輝かせる。もしかしたら私のCDも有ったりするのかな?

「すごいよね、このCDの量。でも実は武田さんの家にはこれ以上のCDが有るんだ。古今東西世界中の歌手のCDを集めているからね、君たちは名前だけしか聞いたことないかもしれないけど、レコードにLDだって有るんだ」

LDという言葉に時代を感じてしまう。おばあちゃんの家に有ったような無かったような。
若く見えるせいで忘れがちだけど、武田さん結構なお年だしね。本当に何歳なんだろう……。

「待たせてすまないね」

お目当てのファイルを見つけたのか、武田さんは私たちに対面するかたちでソファーに座る。
一度番組で共演した間柄とは言え、やっぱり緊張してしまう。それは凛ちゃんも例外ではないようで、少し体が硬そうに見えた。

「さてと。本題に入るとしよう。3人は来月に行われるチャリティーコンサートを知っているだろうか」

チャリティーコンサート? 聴き覚えが有るような……。

「えっと……、CMとかでも流れているコンサートでしょうか?」

確かIA放送の時に流れていたっけ。日本を代表する歌手や、世界中で活躍するシンガーたちも参加する、大型のライブだったはず。

「はい。私にとって、雲の上のような存在でしたから。……すみません、少しはしゃぎ過ぎました」

「何、無理もないさ。君たち世代からすると、彼女たちの世代はカリスマ的存在だからね。僕も如月君が君たちと同じぐらいの歳の頃からの付き合いだが……、あそこまで成熟したボーカリストはそういないよ。僕も驚かされてばかりだ」

「えっと……、もう1人はどなたなんでしょうか?」

千早さんが参加するってことは、もう1人も相当な人に違いない。

「もう1人は……君たちの隣に立っている彼だよ」

そう言って武田さんは視線を私たちの横へと向ける。

「えっ、あ、秋月さんですか!?」

「あはは……。一夜だけの復活、って所かな?」

秋月さんは恥ずかしそうに笑う。成程、納得の人選だ。武田さんの愛弟子で、彼自身(女装)アイドル出身で今なお復活を望む声が大きい。
……男性ボーカリストとしての復活、だと信じたい。
でも涼ちゃんも見てみたいような。

「勿論男性ボーカルとしてだよ? 流石にこの歳であの頃みたいな衣装は着れないし」

まぁ、そうだよね。一瞬だけ期待してしまったことは黙っておく。

「多少のブランクがあるが……かつて新しい時代を切り拓いた歌い手の1人だ。僕自身彼の引退を惜しんでいたからね。一夜限りとは言え復活してくれて嬉しいよ」

千早さん、秋月さん。何という豪華なメンバーだろう。日本代表と呼ぶにふさわしい人選だ。

「理由を、お聞かせ願えないでしょうか? 私たちはまだ……武田さんの理想にも近づけていません。それなのに一流と呼ぶにふさわしいアーティスト達の中に私たちを推薦するなんて……」

私も凛ちゃんの言う通りのことを考えていた。未来を託す、そう言われて嬉しくないわけがない。
だけどどうしても実感が沸かないのだ。

どうして私たちなんだろう? いや、凛ちゃんと愛梨ちゃんは納得できる。激戦区だった昨年度IAの受賞者で、新世代を切り拓くアイドルと呼ぶにふさわしい。

だけど私はどうか? Naked Romanceを託されて、未来を創るという使命を受けたかもしれない。
それでもまだ武田さん達が認めるレベルに達していないはずだ。IAも受賞どころかノミネートすらされていないし、CDの売上も彼女たちには劣ってしまうのに。

「必要とあれば世間の声も聞けたはずです。総選挙といえば聞こえが悪いかもしれませんが……もっと納得のいく人選が出来るはずです」

総選挙、か。実際に行おうという動きはあったみたいだけど、何故か頓挫したってプロデューサーが言っていた気がする。
実際に開催されたら、私たちはどうなっていたんだろう? 考えても仕方ないか。
2人とも良い結果が出そうだ。私は……ちょっと分からないかな。知りたいような、知りたくないような。

「近づけていない、か。僕は音楽プロデューサーとして多くのアイドルを見てきた。オールドホイッスルの時代からずっと、見てきたアイドルたちのことは覚えている。勿論、君たちもだ」
「ところで。一流と二流の差はどこで生まれるか? 考えたことはあるかい?」

一流と二流の差……。高いワインが分かるとか、本職と素人の作った映画の違いが分かるとかそんなものじゃないよね。

「一流はこうだ、二流はこうだなんて世間じゃ色々と言われているけど……なに、難しい話じゃない。僕は最終的に行き着く先は想いの強さ、そう考えている」

その答えは不確かで目に見えないものだけど、存外にシンプルなものだった。

「確かに技術という面ではまだまだ磨かなければならないだろう。だけど……凛君のどこまでもストイックで決して諦めない真摯な姿勢、愛梨君の見るもの全てを魅了する圧倒的な存在感とカリスマ性」
「そして僕が未来を託した弟子が次の世代へのバトンを託した、何に染まることもなくどんなアイドルにもなることが出来る可能性を持つ美穂君」
「君たちこそ、僕らの持つ理想を体現するに一番近い存在だと思っているよ」

まるで試しているかのように、武田さんは私たちの目を交互に見て続ける。その眼差しは厳しさの中にも優しさがあるような気がしていた。

フェスでのステージに一緒に立って以来、仕事先が一緒だったりと交流は続いていた。2人のファーストホイッスル合格後は向こうも忙しくなったみたいで、中々会うことはなかった。
デレプロとしてもNG2以外のアイドルも推して行きたいようで、彼女たちの名前を聞かない日はないぐらいの勢いを見せている。

何よりもゴリ押しが一切通用しないファーストホイッスルのオーディションを合格しているということが、彼女たちのポテンシャルの高さを示しているだろう。

「勿論僕も彼女たちの可能性やアイドル活動に対する姿勢は評価している。君とは切磋琢磨し合う親友でもありライバルでもあると言っていたが……了解した。ユニットとしての参加と彼に伝えておくよ」

「ご理解頂きありがとうございます」

そう言って凛ちゃんは大きく一礼をする。武田さん相手でも物怖じせずやり取りができるのは、流石凛ちゃんと言ったところか――

「ふぅ、人生の半分ぐらい寿命が縮んだかな……」

安心したかのようにアイスティーを一気に飲み干す。もう入っていないのにストローで吸い続ける姿はなんだか可愛らしかった。

「十時さんはどうでしょうか?」

「私ですか?」

秋月さんに尋ねられて愛梨ちゃんはうーんと唸り始める。

「正直なところ、どうして私が? って言うのが本音です。だけど……コンサートがきっかけで、私も新たな一歩が踏み出せる。そう思っています。それに私の事を支えてくれた人たちに恩返しをするのならば、活躍している私を見せたいんです」
「だから私も、出演します。皆さんからすれば小さな事かも知れませんけど、きっとコレが私に出来る最大限のことだと思いますから」

愛梨ちゃんも覚悟が決まったのか力強く答えた。
大きすぎる壁を前にしても、物怖じせずに乗り越えようとする2人に尊敬の念を覚える。

「では美穂君はどうだろうか? ある程度であれば君の要望も飲めると思うが……」

最後に私に視線が集まる。今の私の心境は、蛇達に睨まれたカエルだ。

「わ、私は……。すみません。プロデューサーと相談して決めたいんです。正直言うと、私には大役過ぎると思いますから」

あれこれ考えてみて出た答えが保留だなんて。情けない返答しかできない自分を少し恨めしく思う。

「何しろ急な話だからね。加えて君たちのアイドルとしての生き方を大きく変えるかもしれないイベントだ。プロデューサー君とも相談した上で、返事して欲しい」
「急かすようで申し訳ないが、可能ならば今日明日中に決めて貰えると助かる。こちらも準備することがあるからね」

武田さんはそう言って締めくくる。私はどうするべきなのか? 考えてみたけど……分からない。


ピンと来ないんだ。世界レベルのアーティストや千早さんや秋月さんといった日本を代表するボーカリストたちに混ざって、私がステージに上がるなんて。

「やっぱり不安?」

「えっ?」

運転席の秋月さんが茶化すような声色で尋ねてくる。きっと私の顔がバックミラーに映っていたのだろう。

「チャリティーコンサートのこと。誰もが知っている豪華メンバーの中に、私が入っていいのかなって」
「その一方で、渋谷さんや十時さんが強い意思を見せたことで、自分も出ないといけない空気になっているんじゃ、って悩んでいる……って所かな」

「や、やっぱりバレちゃいましたか……」

心の声がそのまま垂れ流しになっていたみたいに、秋月さんは当ててみせた。

「行けますよって自信満々に言った僕が言うことじゃないかもしれないけど、小日向さんは顔に出ちゃうタイプだからね。なんとなく僕と似ているからさ、分かっちゃうんだ」

「私と秋月さんが似ている、ですか?」

「うん。なんとなくだけどね。勿論経歴も何から何まで違うよ? と言うか、僕と同じ経歴を持つアイドルは見たことないかな……」

流石に女装アイドルは金輪際現れることもないだろう。そう考えたら、本当にこの人は凄かったんだなと思う。
女子アイドルとして活躍して、最終的には男の子としてもトップアイドルになった。真似できる人はいないだろう。

「だからこそ、Naked Romanceを託したんじゃないかな? って今になって思うんだ。小日向さんこう言ったよね。誰かが夢を叶えることが出来るなら、誰だって夢を叶えることが出来るって」
「僕にだって出来たんだから、小日向さんだって力強い一歩を踏み出すことができるはずだよ。ほら、一流と二流の差は想いの強さだし、後は勇気だけだよ。一発逆転を狙うも勇気、背伸びせず堅実に進むも勇気なんだ。小日向さんがどんな結論を出しても、僕はそれを支持するよ」

むしろ彼はプロデューサーに似ているような気がしていた。いつも前向きで、根拠もないのに私のことを信じてくれて。

「でも私は1人じゃ何も……」

「こらこら。1人じゃない、でしょ? ほら、着いたよ」

「へっ? まだ事務所は先……プロデューサー?」

更新はここまで。涼ちんや武田さん関係はDSを踏襲しています。もしプレイしたことがないという方は是非ともプレイしてみてください。今なら割と安く手に入ると思います(ダイマ)

「ふぅ……、良い天気ですね」

「だな。セミの鳴き声がちょっと騒がしいけどね」

一際大きな木にもたれて、麗らかな陽光を全身に浴びる。

さっきまで武田さんの仕事場にいたため、体は緊張しっぱなしだった。周りを見渡しても見ている人はプロデューサーだけ。誰に気を使うことなく、目一杯体を伸ばせる。

「んん……」

初夏の香りと言うのかな? 花壇に咲いているラベンダーの香りがとても心地よくて、案の定優しい睡魔が私を抱きしめた。
太陽の中寝転がると眠くなる。きっとそう言う遺伝子が私の中にあるんだと思う。

「ふぁあ……」

「眠くなっちゃった? それじゃあ俺もゆっくりしようかな」

プロデューサーの声色も優しいものだから、相乗効果で眠気は加速してしまう。

そうだんしなきゃいけないのに……、すこしだけ。

「……やっぱり出て欲しいけどな」

ただそのためにも、さらなるスキルアップは必要だ。そんな中でのチャリティーコンサート。
日本で行われるトップクラスのアーティストたちが集うコンサートに、武田さんは美穂を推薦しようとしている。

まさに千載一遇のビッグチャンス。この機会を逃すと二度と訪れることはないだろう。

世界レベルのパフォーマンスを肌で感じることが出来ると言うメリットは非常に魅力的だ。
ただ裏返すと、いつも以上に世間の関心を集めてしまうということ。それも日本だけじゃない、世界が俺たちを見てしまう。

「伸るか反るか、だな」

これは最大の博打だ。彼女だけじゃない、武田さんたち日本の芸能業界も未来をこちらに預けると言っているということ。

コレばっかりは俺の独断で決めるわけにいかない。彼女が覚悟したその時、初めてステージに立つ資格が生まれるんだから。

「すぅ……うぅん」

「ゆっくりとは言えないけど……じっくり悩んで欲しいな」

夢の世界に旅立った彼女のひょこっと飛び出ているアホ毛が風に揺れる。それが何だかおかしくて猫じゃらしに甘える猫みたいに弾いてみる。

「んにゅ……」

彼女の反応が可愛くて、繰り返して遊ぶ。何度も何度もサンドバックみたいにして。
どれぐらい楽しんでいたんだろう、目が覚めるまで飽きずに繰り返していた。

「いやいや、秋にだよ? 流石に海開きもお盆も夏祭りも始まっていないうちからハロウィンパーティーはちょっとねぇ……」

「むぅ、引かないでくださいよ……。そう捉えられても仕方ないですけど」

馬鹿にしたつもりはなかったが、美穂は子供みたいに頬を膨らませて抗議する。その姿もまた可愛らしくて頬っぺたをつついてやりたくなるけど、そっと自制しておく。

「ごめん、ごめん……言い方が悪かったな。10月になったら、そんなイベントするのもいいかなって思ってさ。ハロウィンのコスプレをしてさ、トリックオアトリートって悪戯して回るんだ。どう? 楽しそうじゃない?」

「それは……楽しそうですねっ。でも私はいたずらよりも……クマさんがいいかな?」

「ク、クマさん? 美穂らしいといえば美穂らしい……のか? んじゃ、忘れないようにメモしておくか。企画するなら盛大にやりたいし」

まだ先の話だけど、思い立ったが吉日だ。予定を調整しておかないとな。他の事務所のアイドルと一緒にイベントをするのも楽しそうだ。

「って美穂、本題を忘れるところだった! チャリティーコンサートのこと、考えようか」

「! そ、そうですね」

そもそもどうしてここに来たのかを思い出す。俺たちが考えるべきことはハロウィンじゃない、チャリティーコンサートに参加するかどうかだ。

「愛梨ちゃんと凛ちゃんは参加するって言ったんです。だけど私は……その場で答えることが出来ませんでした」

「悪いことじゃないさ。何せ日本どころか世界も注目するようなコンサートなんだ。不安になるのも当然、むしろあの2人が度胸座っているだけだって」

あの武田さんが気に入るだけある。ただ本音を言うと、向上心の塊である凛ちゃんはともかく、
愛梨ちゃんがその場でOKを出したのは少し意外に思えた。彼女なりに思うところがあったのだろうか。

「プロデューサーは、どうしたら良いと思いますか?」

「正直なところを言うと……、壮大な話になってきたなってのが感想かな」

「そうですね。まるで、映画の世界みたいです」

「周りに否定されたところで、俺達が過ごしてきた時間は、思い出は消えたりしない。だから痛くも痒くもない。そもそもだよ? もし私が失敗したらプロデューサーもバッシングに晒されるって思っているなら、大間違いなんだって」
「プロデューサーとアイドルは……痛みも悲しみも喜びも全部分かち合うんだから。失敗したときは一緒に悔しがって、成功したときは一緒に喜んで」
「だから……気にするな! 俺はそれぐらいでへこたれたりしないからさ!」

世間がどうとか俺がどうとかなんて言い訳は関係ない。これは美穂自身の物語だ。ただそこに、俺の歩いていく道が交錯するだけで。

「大丈夫。これから先は……良い事しか起きないって信じているから」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「そりゃあ勿論! 美穂はどんな未来だって描ける女の子だって信じているから。だから美穂も、俺を信じて欲しいな。俺が信じる君自身を、信じて欲しい」

伸ばされた手は彼女の前に。だけど彼女にはもう、その手を掴む必要はなかった。

「プロデューサー……、ゴメンなさい。私……あなたを信じたいです」

意を決したかのように深く息を吐いて俺の目を見据える。
そして彼女は口を開く。強く一歩を踏み出すため、彼女の世界を本気で変えるため。

「今までだって出来たんです、今度だってうまく行く、皆の期待に応えることができるって、でも! それでも不安は……消えません」
「だ、だから! 疑ってみます。全ての期待を、なにより自分自身の可能性を」

疑う。信じるの反対の言葉。だけど彼女にとってはマイナスな言葉じゃなかった。

「自分に本当に出来るのかって、逃げているだけじゃないかって。疑って悩んで繰り返して。私は……皆を、自分自身を信じるために疑います」
「私たちが過ごしてきた時間を無意味なものにしないためにも、不完全な夢を見失わないためにも……。そしてプロデューサーとの絆を誰にも否定させないためにも」
「偉そうなことをって思うかもしれません。だけど……これが私の精一杯なんです」

強く強く。思いは声に乗ってクレッシェンドがかかったかのように大きくなる。

――

この数ヶ月間、私の周りの風景は目まぐるしく変わっていった。きっと私も色々と変わってきたと思う。
そんな中でも、彼だけは変わっていない。

『俺の信じる君自身を信じて欲しい』

アイドルになる決意をした時の彼の言葉が蘇る。彼はいつだって信じてくれていた。私ならできる、大丈夫だって。彼の言葉に何度も勇気をもらえた。

だけど……そればっかりで良かったのかな?

私はどんな未来だって描ける女の子? そうだって信じたい。だけどその一方で……本当に出来るのかな? と不安な私もいる。

不安でも良いじゃない。どこかで誰かがそんなことを言った気がした。信じたいけど信じられない。
矛盾し合う思いがせめぎ合う。

でも……それが私なんだ。歪なものだとしても構わない。答えを胸にしまうことは、もう辞めた!!

「ゴメンなさい、プロデューサー」

それは今まで放棄してきた、大切なプロセス。もっと深く彼を信じるために、私は決意する。

「だがそうなるとプロデューサーは君に付きっ切りと言うわけにいかなくなるよ。それでも問題はないかい?」

それもそうだろう、下手すれば今日からすぐに働くことになるかもしれないし。そこはプロデューサーも覚悟している。
当然私も、プロデューサーと離れることを承知している。

「はい。いつまでも彼に甘えてばかりじゃいけませんから。このステージで、色々見て欲しいんです」

本音を言うと私だけを見て欲しいと思うこともある。だけどそんな我侭は通用しない。
最高にして最大のステージは私だけじゃなく、プロデューサーの世界も変えてしまうだろう。プラスになるかマイナスになるか、今は分からない。
それでもだ。これまで私たちが過ごしてきた世界はいかに小さなものだったか思い知らされたとしても、私たちは諦めちゃいけない。

こんなところで終わるわけがないと信じるために自分を疑って、私たちの未来を照らすんだ。

「そうか。分かった、プロデューサーには僕から直接伝えよう。しかしはじめて君を見た時の事を思うと、随分と大きくなったね」

「えっ? 身長伸びましたか?」

最近測っていないから分からないけど……、大きくなったのかな?

「身体的にも、精神的にもね。多くの出会いと経験が君を導いたのだろう。そうだね……今の君ならば、一流と言っても良いかもしれないな」

「あ、ありがとうございます!?」

一流と言われても、疑うと決めた手前素直に受け取れない。でも褒められると凄く嬉しい。不完全な覚悟と言われたとしても、それが私なんだから仕方がない。
偉そうなことを言ってみても、やっぱり皆と自分を信じていきたいんだなと再確認する。

「よしっ! 頑張らないと!」

軽やかな気持ちでスキップをする。今の私は無重力状態。地面を蹴るとそのままどこまでも飛んでいけそうな気がした。

「あのー、事務所に何か用ですか?」

「はひっ! い、いきなり声かけて驚かさんといて下さいよ。はぁ、心臓飛び散るかと思もた……」

「す、すみません! そんなつもりはなかったんです!」

飛び出すに飽き足らず飛び散ってしまうとは。想像しただけで気分が悪くなりそうだ。

「もしかして、ダズリンプロダクション関係の方でしょうか?」

「そうですけど……。どのようなご用件でしょうか?」

青い髪の利発そうな少女が尋ねる。関係もなにも所属しているアイドルなんだけど、3人は気付いていなようだ。変装は完璧ってところだろう。

「えぇと! わたしたち、アイドルになるために来たんでぇす!」

「アイドルに?」

今度は小さく可愛らしい女の子が元気良く答える。成程、アイドルになるために事務所に来たという事みたいだ。

「そんな話有ったっけ?」

「あー、それなんですけど。アタシら突撃アポなしで静岡から来たといいますか……。ほら、その方がやる気あるように見えません? 直談判! って感じで」

「そ、それなら事務所に上がりますか? ここじゃちょっと邪魔になりますし」

「そうですね。どちらにせよ事務所に用があったんやし」

「1時間もかかってようやくね。よく通報されなかったね」

そんなに前からいたんだ。暑い中大変だったろうに。

「ちょっと待っていてね。ただいま戻りました!」

3人を入口の前に待たせて事務所に入る。社長はいるかな?

「ああ、小日向くん! 良いところに来てくれた!」

あっ、いた。応接室からプロデューサーと見知らぬ男性と一緒に出てきた。もしかしてこの人がプロデューサーの言っていた……。

「紹介しよう。本日付で我社に入社した新人プロデューサーだ」

「よろしくお願いいたします!!」

道を歩いている時にそのまま連れてこられたのか随分と砕けた服装をしている。
ホンの数時間前までアイドルプロデューサーになるなんて予想もしていなかったんだろうな。

「美穂と別れたあとに捕まえたんだ」

ポ○モンを捕まえたみたいな感覚でプロデューサーは言う。という事は本当に1時間前ぐらいの話ということだ。

「あの、そんなにすぐプロデューサーになっちゃって良いんですか?」

「うーん、俺も似たようなものだったしな。それに彼自身やる気あるみたいだし。そもそもプロデューサーの仕事に興味あったみたいだからすんなりと決まったぞ」

それなら大丈夫、なのかな? プロデューサーだってここまでやれたんだ、きっと彼もアイドルを導いていけるはず。

「彼には小日向くんのときと同じように外に出てアイドルの卵を探してもらうことになっているよ」

プロデュースするアイドルを探すことが最初の仕事なんだ。私のプロデューサーは実家があるとは言え熊本まで来たぐらいなんだし、そう簡単には見つからない……。

「あっ、それなら」

「ん?」

「紹介したい子達がいるんです」

「ふふっ。プロデューサー、早速先輩っぽくなりましたね」

「そういう美穂だって。先輩風吹かすんじゃないぞ? さくらちゃんとか純粋そうだし、変なことを教えないように」

ニヤニヤと笑いながら返す。その顔にちょっとだけむっとしてしまう。私はそんなことしませんよー。

「しませんよ。そんな風に見えるんですか?」

でもまぁ浮かれているのは事実だ。それは事務所の皆も同じだろう。プロデューサーは勿論のことちひろさんも嬉しそうに見えるし、
社長だっていつもより声の調子が高く明るく感じる。早く彼女たちと同じステージに立つ日が来たらいいな、とまた一つ夢が生まれた。

「あっ。武田さんから連絡頂きましたか?」

「うん、さっき有った。お世辞だとしても期待しているって言われたら俄然やる気が出るもんだな」

「武田さんはお世辞なんて言う人……」

『一流と呼んでもいいかもしれないな』

「じゃないですよ」

「今の間何?」

うん、私は武田さんのお墨付きの一流だ。気持ちの部分では。

「お邪魔しまーす……ってえぇ!?」

「……でぇす」
「ロ、ロジカルじゃないわ……」
「アカン……アカン……」
「……ぐふっ」

レッスン場のドアを開けて中に入ると、そこには唖然としているトレーナーさんともうひとりの女性、
それと何故かNWとそのプロデューサーが死んだみたいに横たわっていた。……本当に死んでいたりとかしないよね?

「えっと。トレーナーさん?」

「いや……私は止めようとしたんですけど、姉が強引に勧めまして……」

「姉?」

そう言えば同業の姉妹がいるって言っていた様な……。

「むぅ、これは失敗作……なのか?」

どうやらこちらの女性、トレーナーさんのお姉さんらしい。なるほど、言われてみればよく似てらっしゃる。

「な、何があったんですか?」

「実はですね……」

不思議な色をした液体の入ったペットボトルを見ているお姉さんを横目に、トレーナーさんは教えてくれた。

「前回の初レッスンで、それぞれの得意分野と苦手分野は把握できました。3者3様でそれに合わせたレッスンをするつもりでしたが……」
「急に一番上の姉が私の担当しているアイドルを見たいと言い出して、半ば強引に押しかけてきたんです」

「もしかして……スパルタレッスンをした、とか?」

見た感じ厳しそうな人だし、佇まいもベテランを通り越して最早マスターって感じがする。

「ってあれ? 体が軽くなった?」

「もしかして……さっきのドリンクの効果かしら?」

「元気が出てきましたぁ!」

「効果……あった?」

お姉さんの言うように、NWの3人は起き上がり始めた。さっきまでハードなレッスンをしていたようだけど、それを表に出さないぐらい元気になっている。

「……」

「あのっ。プロデューサーさんが立ち上がる気配がないんですけど……」

「ふむ。効果には個人差がある、ということか」

ただ、プロデューサーさんだけは未だに起き上がりそうにない。返事がない、ただのあかば……屍のようだ。

「見ての通り効果はあるんだ。さぁ、ぐいっと飲み給え」

「えっと! わ、私仕事がありますので……お気持ちだけ頂きます」

「そうか、それは残念だな。さてと……3人とも回復したようだし、休憩を終えてレッスンに戻るとしようか」

トレーナーさんたちの合図でレッスンが再開される。私は彼女たちを邪魔にならない所で見ていた。

「ドーナツ食べるタイミング無くしちゃったな」

仕方ない、レッスンが終わったあとに食べてもらうとしよう。その頃には私も現場に行かないとダメだと思うけど。

「……」

「さくらちゃん、ドーナツ食べないの?」

甘いもので一番喜びそうなさくらちゃんは、さっきのレッスンを引きずっているのか落ち込んだままだ。
普段の明るい彼女との落差が激しくて、見ていると心配になる。

「美穂さん……やっぱり私、アイドル向いていないのかもしれないです」

弱々しく口を開くさくらちゃん。事務所の前で見せたキラキラとした瞳にも陰りが見えている。うーん、結構参っているみたいだ。

「さっきのレッスンの事、気にしているの?」

「……」

俯いたままで答えない。彼女の姿はまるで昔の自分を見ているようで。
一度の失敗で深く傷つく。私にも経験があるから彼女の気持ちが良く分かる。
まして彼女たちはユニット。自分のせいで残りの2人のも迷惑をかけているって、そう考えているのだろう。

「じゃあ質問するね? さくらちゃんが思う『アイドルに向いている』って何かな?」

「イズミンみたいに歌が上手くて、アコちゃんみたいにおしゃべりが上手で……それとダンスも上手くて。私には何一つないでぇす」

それらって私にも有るのかな。有ったとしても、私の核にはなっていないと思う。

「そうかな? 私はさくらちゃんにも大切なものがあると思うけどな」

「えっ?」

「ほら、これとか!」

スマホから事務所のHPを開く。所属アイドルの項目には新しくできたNWのページ。明るい笑顔のさくらちゃんを画面いっぱいに拡大する。

――

「ふぃー。慣れないもんだなぁ」

チャリティーコンサートの会議を終えて一息。自販機のコーヒーを飲んで凝り固まった体をほぐす。
仕事がしんどいというわけではない。普段に比べると与えられた仕事も多いがそれでもこなせない量ではない。
美穂を見ることが出来ないのは寂しいし心配だが、彼女が本番でしっかりと活躍できるよう準備することが当面の俺の仕事だ。この仕事は俺にしか出来ない、そう思えば気合も自然に入る。何とも単純な人間だな、とおかしくて笑いがこみ上げる。

「よく美穂は武田さんに物申せたよなぁ」

ただ一つ挙げるのならば、周囲の面々が大御所だらけなのでどうしても緊張してしまうのだ。
武田さんやハリウッドの大物Pも対等な立場で参加して欲しいと言ってくれたが、そんな恐れ多いこと出来そうにない。と言うか無理がある。

「勉強にはなるけど」

「何が?」

「あい?」

気がつくと隣にスーツを着た理知的な女性が座っていた。どこかで見たことがある気がするんだが……どこだっけ?

「……」

ダメだ。考えれば泥沼に嵌りそうになる。前向きに前向きに……。

「何かお悩みかしら?」

「えっ?」

「私でよければ話聞いてあげるけど? あっ、財布のこと気にしなくていいわよ? 支払いは割り勘で大丈夫だから。支払い分は相談料ってことで」

そう言ってNG2Pは高そうな財布を見せる。一流のプロデューサーは財布も一流ということか。俺の財布3000円ぐらいのやつなのに。

「あの、どこかに行くおつもりですか?」

「イヤかしら? まぁ悩み相談じゃなくても、人気アイドルを預かるプロデューサー同士情報交換会ってことでどう? いいお店、知っているわよ?」

相手は業界でも名の知れた敏腕プロデューサー。多くのアイドルを育てて導いてきた彼女の話を聞くだけでも勉強になるだろう。

古ぼけたビルの1階、年季が入ってそうなお店がそこにあった。

「昔はこの上にアイドル事務所が有ったんだけど、今は自社ビル立てるぐらいにまで大きくなったのよね。誰もが知っているあの事務所のことね」

候補はいくつか有ったが、飾られているサイン色紙に書かれた名前を見てあぁ、と言葉が漏れてしまう。
このビルから始まって、あれだけのビルにまでのし上がっていったのか。当事者からすれば感慨深いものがあるだろう。

「たまーにその事務所の関係者が飲みに来ているみたいよ? マスター、お久しぶりです」

人の良さそうなマスターは俺たちに軽く会釈をしてカウンター席へと促す。
どこからともなく流れてくる音楽は懐かしの洋楽。学校の屋上から主張したくなるようなBGMがどことなく哀愁を漂わせる。

「さてと。取り敢えず生中ってトコでいいかしら?」

「大丈夫ですよ。そうだ、オススメってありますか?」

「個人的にはチキン南蛮とか好きだけどね。それ注文しましょうか」

「それじゃあお疲れ様、乾杯」

「乾杯です」

メニューに書かれている料理を適当に頼んでグラスを交わす。二十歳になったばかりの頃はビールなんて苦いだけだろ! と思っていたが、ここの所仕事終わりに飲むと不思議と旨く感じてしまう。ああ、歳をとったなぁと溜息が出てしまう。

『乾杯ですっ』

お酒に弱い美穂のことだ、最初の一杯で酔っ払うかもしれないな。そんなことを考えていると、隣に美穂が座っているような気がしてきた。
実際に座っているのはプラダスーツの似合うお姉さんなんだけど。

「どうかした?」

「えっ? あっ……そ、それは素敵な夢ですね!」

妄想していた俺は間抜けな顔をしていたのだろう。NG2Pは新しいおもちゃを見つけた子供みたいに笑っている。
気のせいだろうか、どことなーくこの笑顔に恐怖心を感じるのは。俺の知っている人にこんな笑い方をする人がいたような……。

「本当にそう思っている? でも、貴方なら共感してもらえるかなって思っていたわ」

ええ、ものすごく共感しました。顔が熱くなったのはお酒のせいだけじゃないはずだ。

「だって貴方、小日向さんのこと、好きなんでしょ?」

「めきょっ!?」

盛り上がるサビの部分に合わせるように吹き出してしまう。ああ、思い出した。小日向ママンだ。

「だ、誰から聞いたんですか!?」

「うちの事務所のアイドルたちに決まっているじゃない。あの年頃の子らは色恋沙汰には敏感だしね。と言うか見ていたら分かるわよ? 幸いマスコミは興味がないみたいだけど」

とっさに凛ちゃんたちの笑い顔が頭に浮かんだ。手配書に載せるのかってレベルに悪そうな笑顔をしている。

思い上がりだ――。俺がこれまで芯にしてきたモノを鋭い切れ味の刀でバッサリと切られてしまう。
そうよね、わかるわ。と言って欲しかったわけじゃないが、こんなにツボを抑えられて言われると結構キツイものがある。

「貴方も分かりきっていることだと思うけど、私たちは成長していく。昨日の私と今の私は別人なの。貴方も小日向さんもみーんなね」
「初めて出会ってトップアイドルにしてみせる! と誓った小日向さんと今の小日向さん。同じように見えても、その内っ側は全然違う」
「何時までもカルガモみたいに後ろを付いてくる弱い存在じゃないってこと。様々なステージを得て、彼女は自分ひとりで未来を切り拓く力を手に入れた」

「それは……分かっています」

「もしかしたら元々その素質は有ったのかもしれないけど、満開の花を咲かすことができたのは貴方が正しく導いてあげたからでしょうね。そこは自信を持つべきよ」

弱いままの美穂を望んでいた。俺自身も理解していたことだけど、他者の口から言われてより強く頭に叩き込まれる。
難しい話じゃない。単純に美穂が遠くに行ってしまうことが怖かったのだ。

「女々しいですよね、俺」

「うん。物凄く女々しくて辛いわ。だけど、そこまで思われている小日向さんは幸せよ。アイドルとしても、一人の恋する乙女としてもね。そらっ、くらっときなさい!」

「いたっ!」

NG2Pは俺の額に一発デコピンを入れてケラケラと笑い声を上げる。

待たせて申し訳ないです。夜に更新します

――

「お疲れ様です。ちょっと暑いですねー」

んしょ、んしょと服に手をかけ脱ごうとする。更衣室ならいいけど、ここ廊下です。

「愛梨ちゃん、お疲れ様ですっ。後ここで脱がないほうがいいと思いますよ?」

「はぁ、覚悟していたけどさ、挨拶だけでも緊張しちゃうものだな」

「まったくね。私なんか挨拶の時に名前噛んじゃったし」

「包丁加蓮ってね。みんな笑っていたから、成功したんじゃないかな?」

「そんな成功いらないって! まぁ、私と奈緒は他の人たちに比べたら各落ち感が有るけどさ」

チャリティーコンサートまで後3日となったこの日、私たちは顔合わせ兼リハーサルに参加していた。洋楽に明るくない私でも知っているような顔や、毎年紅白歌合戦に出場している歌手まで、幅広い参加者が集まる。
愛梨ちゃんや凛ちゃんたちがこの場にいなかったら? と思うと気が遠くなってしまう。
プロデューサーはいるけど、今回は運営側だからあまりこちらに顔を見せることができないし。

私たちが最初にしたことは、ビッグネームたちが並ぶ中での自己紹介だった。通訳の方もおり、中には日本語がペラペラな人もいたのでそのまま自己紹介できた。
緊張のあまり噛むんじゃないか? と心配だったけど、意外にもスラスラと言えて自分でもびっくりだった。プロデューサーも小さくガッツポーズして喜んでいたっけ。
ただ、私以外の人が傷ついてしまったのだ。

「おっ。ACBCのボーカルがTwitter更新している……。ぷっ! Knife Karen is very sharpだってさ」

「なっ!? 嘘でしょ? 私、世界中に恥をつぶやかれたわけ? あ、あんまりだぁ……」

加蓮ちゃんはその場にガクッと崩れ落ちる。私が同じ立場ならば、恥ずかしさのあまり実家に逃げ帰っていると思う。
ナイフ・カレン――。包丁加蓮の英語版だ。

『わ、私のなめは! ほ、包丁加蓮です!』

私がすべきだった緊張が何故か加蓮ちゃんに感染ってしまい、豪華メンバーたちの前で思いっきり噛んでしまったのだ。
その結果包丁加蓮と認識されてしまい、それを気に入った参加者の一人が呟いてしまったということ。

「でも羨ましいよ。千早さん笑い転げていたし名前も憶えてもらって。……真似はしたくないけど」

凛ちゃんは笑いをこらえるように言う。千早さんってテレビで見る限りでは落ち着いて静かな人かと思っていたけど、人並みに笑うみたいで

「そうそう、ポジティブに行こうぜ。アタシら凛たちに比べて知名度低いんだし、今回のステージで名前売ってかなきゃ行けないんだからさ!」

「そうだけどさー。まぁ、気持ち切り替えていくしかないよね……」

「そうですよ! ほら、ナイフ・カレンって格好いいと思いませんか? カーペンターズみたいで」

「それ、絶対違うと思うな。でもカーペンターズは……好きだよ?」

愛梨ちゃんの少々抜けているフォローに加蓮ちゃんも笑ってしまう。言った本人は至って真面目なのが、より可笑しさを強調している。

「おーい。そろそろリハ始まるけど、準備は良いかな?」

5人で談笑していると扉越しからプロデューサーの声が聞こえる。呼びに来たってことは、そろそろステージに行かなくちゃいけないみたいだ。

「うぅ、緊張しちゃうなぁ」

ブルっと体が震えるのは空調のせいじゃない。舞台に立つことに慣れてきたって言っても、それでも元来の緊張グセはそう抜けない。
武田さんの言葉を借りれば、適度な緊張はパフォーマンスに締りを与える。……私の場合、少々過剰摂取な気もするけど。

「リハーサルって分かっているんだけどさ」

「やっぱり緊張しちゃうね。リハでこれなんだから、本番どうなっちゃうんだろう」

「加蓮は自己紹介の時から緊張していたのに?」

「それはもう忘れてって……」

「途中でお腹がなったら恥ずかしいなぁ」

愛梨ちゃんは微妙にずれているけど、みんなも私と同じく緊張しているみたいだ。控え室を出てステージに近づくにつれて鼓動は高まっていく。

「小日向さん! 気分はどうだい?」

「あ、秋月さん!」

途中控え室から出てきた秋月さんとバッタリ出会う。本番も着るのだろう、
派手さはないものの柔らかな緑色を基調にした衣装をバッチリと着こなしている。
いつも見る彼は黒色のスーツだったから、少し新鮮に思えた。でも世間にとっては、こっちのアイドル涼ちゃんの方に馴染みがあるんだよね。

「私は、緊張しています。まだまだですよね、リハーサルなのに緊張しちゃうなんて」

「そんな事ないよ。僕だって緊張している。何せステージに立つこと自体久しぶりだからね。小日向さんたち以上に緊張しているんじゃないかな?」

秋月さんはそう言って優しく笑う。よく見ると彼の体も小さく震えていた。

「秋月さんも緊張するんですね」

そんな秋月さんを見て凛ちゃんが意外そうに言う。釣られて奈緒ちゃんと加蓮ちゃんもコクコクと頷く。

「それは勿論! 僕だけじゃない、千早さんだって緊張していると思う。名だたるアーティスト達も、君たちと一緒なんだよ。どれだけ経験を積んだとしても、
本番どころかリハーサルでも緊張してしまう。そんなものだよ?」
「特に大人たちはね、君たちに良い所を見せようと必死なんだ。これからの未来を作っていく若者たちに格好悪い姿は見せられないからね」

秋月さんも十分若いですよ、と言いそうになったけど黙っておく。年齢的な意味じゃなくて、きっと精神的な意味での若さなんだろうと思う。
彼は既に自分の使命を終えている。残されている責任は、私たち子供を正しく導くこと。

「こういうことを言っちゃうと武田さんに小言を言われそうだけど、コンサートに出ようって思えたのは皆がいたからなんだ」

「私たちですか?」

「うん。小日向さんに曲を託したときはまだ、こうやってもう一度ステージに立つなんて思ってもいなかった。武田さんから話を貰っても、断っていたかもね」
「でも君たちに出会えた。停滞しつつあったこの現状を変えていけるであろう存在が生まれてきてくれたことは、僕たちにとって本当にラッキーだったんだ」
「僕たちがしてきたことは正しかった、未来を託すことが出来るんだって胸を張って自慢出来るようになったからさ」

何度も遠回りをしたけどね、と最後に付け加える。理想のためにどれだけの時間を費やしてきたか、私には到底想像がつかない。
私たちが知らない間も彼らは問い続けてきたのだろう。そしてその答えは、私たちそのものだ。

「そ、そう言われたら余計緊張してきました……」

「プレッシャーをかけちゃうようなことを言っちゃったかな? もしそうならごめんね。言えることは、まだリハーサルなんだし肩の力を抜いて自分の出来ることをして欲しいんだ」
「仰々しいこと言ってみても、コンサートの本質は楽しむことにあるって僕は思っているしね」

そう彼はニコッと笑って先を進む。見ている分には緊張なんてしていなさそうなのに、格好をつけているってことなのかな?
私たちもぎこちない足並みで舞台裏へ。名だたるアーティスト達も待機しており思い思いに時間を潰していた。

「ちょうど良いタイミングで来てくれた。今から如月くんのリハが始まるところだったからね」

「千早さんのリハ……」

凛ちゃんは武田さんに促されるようにステージを覗き見る。私たちも
暗転された舞台に一筋のスポットライトがあたり千早さんの姿を照らすと、本番ではないというのにホール内に緊張が駆け巡った。
さっきまでくつろいでいたアーティスト達も千早さんの歌い出しを静かに待っている。

そして歌が紡がれた。

芯に響く、と言うのかな? ステージから観客席までを包み込むような力強くも優しい歌声が私たちの心を震わせた。

「やっぱり千早さんはすごいね。私はまだまだだって、身をもって分からされちゃったな」

憧れの歌姫を目の当たりにして凛ちゃんは悔しそうに言葉を漏らす。
千早さんの歌はCDやテレビで何度も聞いたことはあった。だけど生で聞く彼女の歌唱力はまさに世界レベル。歌い終わったと同時に自然と拍手が生まれた。

「……」

リハーサルはその後も続く。ライブチケットを手に入れるのも一苦労なビッグネームたちのステージを間近で聞けるという貴重な機会なのに、私は呆然として佇んでいた。
耳から入ってくる音楽もそのまま通り過ぎていく。だから後ろから私を脅かそうとしている影に気付くことはなかった。

「こらっ! リハーサル前からそんな硬くなってどうするんだって」

「わっ! プ、プロデューサー! おっ、脅かさないでくださいよ……」

「あはは、悪い悪い。少しリラックスさせようと思ってね」

「もう、本当に驚いたんですよ?」

驚かした張本人はと言うと悪びれることなく笑っている。その笑顔が余りにも晴れやかなものだったからすっかり毒気を抜かれてしまう。心なしか緊張も少しだけ安らいだ気がするな。

「しかし……久しぶりな気がするな。こうやって美穂と話すの」

「……本当ですね。2週間程なのに半年ぐらい会っていないような気がしていました」

彼がスタッフとして働きだしてから、私のプロデュースは新人Pさんが兼任していた。
と言っても営業やレッスンの勝手は分かっていたので、ある程度は1人でもなんとかなった。
新人PさんにはNWの3人がいるんだ。4人で試行錯誤しながら歩き出し始めたのに私がちょっかいをかけるのも気が引けたしね。

「プロデューサーはお仕事良いんですか?」

「一旦休憩ってとこかな。武田さんにも美穂のこと見ていて欲しいって言われていたしさ。千早さんのパフォーマンスを見て緊張しているんじゃないかって思っていたけど、案の定だったな」

「バレちゃいましたか」

離れていても彼は私のことなら全て丸っとエブリシングお見通しらしい。下手すれば私より私のことを分かっていそうだ。
本当の本当に私専用のエスパーなんじゃなかろうか? もしくは私がサトラレなだけか。

「顔に出ていたからね」

……多分ほかの人も同じことを思ったのだろう。ポーカーフェイスは未来永劫できなさそうだ。

「所で……美穂は如月千早の歌を聴いてどう思った?」

「えっと……上手く言えませんけど凄いなって思いました。歌に込められた想いがひしひしと伝わってきて、世界レベルってこういう事を言うんだなって」

「俺も生で見るのは久しぶりだったけど、前に聞いた時よりも技術も声量もパワーアップしていたからな。俺もアメリカで修行したらあれだけ歌えるのかな?」

ただアメリカに行くだけで上手くなるならば、私だって今すぐにでも行きたい。
だけどそんなことは有りえない。文化も言語も違うし、私が行ったところでホームシックになるのが関の山だろう。
だからこそ、千早さんの凄さが引き立つ。彼女の歩んできた道のりは、私たちがのうのうと歩けるようなものじゃない。

「でも同時に……彼女たちが背負っている看板の重さにも気付かされたんです。私たちのためにコンサートに出る。覚悟していたのに、途端にちっぽけな理由に見えて来たんです」

千早さんだけじゃない、参加しているアーティスト達のスケールの大きさにただただ圧倒されて。
私がステージに立つ理由なんて本当に個人的な理由だ。武田さんはその先で理想と交わるって言ってくれたけど、それでも不安になってしまう。
結局私は変われそうにない。今だって彼からの救いの手を求めてしまっているから。

彼は黙って考え込むが、すぐにニカっと歯を見せ笑う。思ってもいなかった反応にえっ、と驚く私をよそに口を開く。

「こういう時に凄く便利な言葉があるんだけど。お袋さんに言われたことなかった?」

「えっ?」

「うちはうちよそはよそ! よその家がオモチャ買ってもらったからって、うちも買ってもらえると思わないの!!」

「は、はい?」

子供の頃、お母さんによく言われた言葉だ。友達が持っているからコレが欲しい! って泣きついたときいつもそう返されたっけ。
でもその後、お父さんがちゃっかり買って来てくれて。お母さんは呆れたように見ているけど、私はそれがすごく嬉しかった。

「ステージに立つ理由なんて人それぞれだろ? 千早さんだって秋月さんだって凛ちゃんたちだって名立たるメンバーたちだってスタッフ達だって。それぞれ譲れない理由を持ってここにやって来た。言ってしまえば、皆自分勝手な理由で来ているんだよ」
「美穂はどうだい? まさか公園で言ったことを撤回するつもり? 疑うんだろ。俺たちの期待を、自分自身の限界を」
「ならばその顔を上げないとね。ファーストホイッスルを思い出しなよ、誰かが一番になるってわけじゃないんだ。美穂の100%を出し切ることが、君に与えられた使命だよ。難しいことじゃないさ、いつだってやって来たことだよ。ただ、ハコが大きなだけ」

空気など読むな。秋月さんの言葉がリフレインする。そうじゃないか、どんな自分勝手な理由でもステージに立てばやることは一緒。

見ている人たちを楽しませて、幸せな気持ちと笑顔で満たすこと。そのために私はどうすれば良い? 分かりきったことだ。

何に流されることなく堂々と前を見ること。皆がちっぽけだと思っても、私とプロデューサーにとっては世界を救うのと同じようなもの。
自分の世界が変わるとき、見えている世界も変わるはずだ。きっとそれが理想へとつながるから。

「えっと……」

「ん? どうした?」

「やっぱり私、簡単にプロデューサー離れ出来そうにないです。疑うだなんて言っても、貴方の言葉に安心してしまう自分がいて。ブレブレですね」

風が吹けばそのまま飛ばされそうなぐらいに私の意思は揺らいでいた。偉そうなことを言っても、甘えたい場所を探してしまう。私の悪い癖だ。

「如月千早や秋月さんは大人だ、それも強い意志を持っている。憧れちゃうぐらいだ。でも君たちはまだ子供なんだから、居直っても構わない。価値観も理念も昨日のそれと違っても良いじゃないか」
「アレが良いなコレが良いなってブレブレブレブレブレまくって、その中でオリジナルな何かを見つけることができたなら。遠回りも寄り道も悪いことじゃないさ、きっと」

「プロデューサーは、見つけることが出来ましたか?」

私の問いにプロデューサーは照れ臭そうに頬をかく。自分でも卑怯なことを聞いたかな、と思ってみたり。

「さぁ、どうだろうね。でも少なくとも……一つだけブレることなく確立しているものがある」
「何があっても美穂のことを信じる、美穂バカで居続けること。疑うなんて高等なこと、俺には出来ないからさ」

でも彼は……もっと卑怯だ。そんなこと言われたら、安心しちゃうのに。

「ほら、そろそろ行かないと。リハーサルなんだからいくらミスしても構わないさ、明日に不安を残さなければね」

彼に背中を押されてステージへと歩き出す。皆の視線が私に集まり緊張が高まるけど今はまだリハーサル、気にしてもなにも始まらない。
リハーサルは思っていたよりもスムーズに行われた。音響のチェックやステージの広さの確認、パフォーマンスを一度流して。

「――!」

ハリウッドPは英語で何か言っているけど私には聞き取れなかった。表情を見るに怒っているわけでは無さそうだけど……。

「良いパフォーマンスだ、掛け値なしに。と言っているよ。美穂くん、明日もこの調子でお願いするよ」

「は、はいっ!」

困った私を見てか武田さんが通訳してくれる。良いパフォーマンスだった、かぁ……。褒められると素直に嬉しいな。

「えっと! こ、こちらこそよ、よろしくお願いします!!」

スタッフさん達にも挨拶をしてステージから捌ける。

「次は私の番ですね。咳き込んだりしたら怖いなぁ……」

終わったあとも緊張したままな私とは対照的に、愛梨ちゃんはすっかりリラックスしていていつも通りの余裕を見せていた。その余裕を少しだけでも分けて欲しいぐらいだ。

「プロデューサーは……お仕事に戻っちゃったのかな?」

彼の姿を探してみるがどこにもいない。忙しい中来てくれたみたいで、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。

「美穂、お疲れ様。さっきプロデューサーから伝言を貰ったんだけど」

「伝言?」

愛梨ちゃんを舞台裏から見ていると凛ちゃんが私の隣にやってきた。どうやらプロデューサーから言伝を頼まれたみたいだ。

「恥ずかしいんだか忙しいんだか知らないけど、いつもみたいに自分で言えばいいのにね。って頼まれた私も恥ずかしい事残しちゃってさ」

「恥ずかしい事?」

「うん、相当くさいセリフだよ。一度しか言わないから良く聞いてね? せ、世界がどう思ったとしても……俺たちは美穂を応援し続ける。だから好きなように暴れて来い、世界に小日向美穂の名前を刻んでやるんだ。だってさ。……このセリフ、嫌がらせだよね。恥ずかしいのなんのって」

「う、うん。聞いた私もちょっと顔が赤くなっているかも」

だけど彼らしい言葉だ。恥ずかしいのはその時だけで、自然と私の中にスっと入って行く。

「でもまぁ……私もあの人と同感かな。最初から場違いなのは分かっているんだし、周囲のヒンシュク買うとかそんなこと考えても意味がないんだから、どうせなら優等生より問題児でいたいかなって思って」
「例えそれが見苦しく不格好だったとしても……最後まで諦めずにいたい。その先に新しいスタート地点があるって信じているから」

「そっかぁ。やっぱり凛ちゃんは凛ちゃんだね。どんな舞台にいたとしても」

Naver say naver――。まさに彼女のためにある歌だよね。凛ちゃんにはゴールはなくて、目的地すら次のステージ地点。止まるなんて以ての外だ。

「私の取り柄って一度決めたことを曲げずに突き進むことだから。これだけは誰にも負けていないと思うな。さてと、そろそろ私たちもいかないとね。2人も緊張しているだろうし、私が気楽にしてあげないとね」

そう言って凛ちゃんは歩き出す。周囲の視線を身に浴びても堂々としていて、その視線は常に前を向いて揺らぐことはない。
そんな彼女につられてか、さっきまで緊張していた奈緒ちゃんと加蓮ちゃんも落ち着きを取り戻したように見える。

3人――トライアドプリムスのパフォーマンスはリハーサルということが勿体無いと思える完成度だった。
NG2と比べたらどうだろうと一瞬考えてみたけど、コンセプトも系統も違うんだし比較すること自体が間違っているかな?

強いて言うならば、NG2はタイプの違う3人がバランスよく配置されていて調和が取られていたけど、トライアドは3人とも近いタイプのアイドル。
黒く光る衣装に統一しているせいでそう見えるだけかもしれないけど、3人の性格もよく似ていると私は思う。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

クール一点突破、とプロデューサーなら言うかもしれない。曲が進むにつれて動きも激しさを増していく。3人が3人とも、負けるものかと高めあっているみたいにも見えた。

団結は馴れ合うこととは違う。不意にいつかの未央ちゃんの言葉が脳裏に浮かぶ。
ステージの3人はまさにそう。互いに自分をぶつけ合い、輝きを増して行く。

「あの子達らしいのかな」

不格好でも何て言っていたけど、そんなことはない。むしろ清々しいほどに格好良くて……憧れちゃうぐらいだ。

「俄然やる気が出ちゃうな」

参加者たちのパフォーマンスを見て、私の体はウズウズとし始めた。もし今からもう一度ステージに立てたなら、最高のパフォーマンスが出来そうな気がする。

でもそれは……本番まで取っておこう。
チャンスはたった一度きりのステージ。泣いても笑っても最初で最後だ。
そこに立ったとき、私の世界はまた変わっていくのだろう。

古い自分の残した遺言は、新しい自分への決意表明。想いを気持ちをこれでもかと言うぐらいに出し尽さなきゃ!!

――


「ふぅ」

俺が見ていないあいだも、美穂は更に進化していった。彼女は最早俺が道を示さなくても、自分で選択できるようになったのだろう。嬉しい半面寂しくもあるな。

「黄昏ちゃって、小日向さんの成長が嬉しいですか?」

「秋月さん。それは勿論、自分の娘の成長を喜ばない親はいませんよ」

親子って歳でもないけど、まぁ間違ってはいないだろう。

「小日向さんは、僕が初めて見た時と比べて本当に大きくなりました。彼女自身のポテンシャルもあるんでしょうけど、貴方を始めとした出会いと経験が彼女をより輝かせています。パフォーマンスにも説得力が出てきたな、っておもいますよ」

「秋月さんに褒められたのなら、美穂も喜ぶでしょうね」

「さてと。リハーサルじゃまだ体が動ききらなかったし、ちゃんとほぐしておかないと。それじゃあプロデューサーさん、失礼します。当日、最高のコンサートにしましょうね」

「ええ。こちらこそ、秋月さんのパフォーマンスが久しぶりに見れるので楽しみですよ」

引退してから表舞台に上がらなかったし、かつての涼ちんファンにとっては最高のステージになるだろう。かく言う俺も、その1人だ。

「さてと! 俺も気合入れていくかな」

アイドルやアーティストにスタッフたち。それぞれの思いを乗せて、コンサートの幕が開こうとしていた。

短いですがここまでです。書き溜めがうまく行かないのと、トリックの映画を見に行ったらガッツリハマってしまってクロスSSを書いていたので、更新が遅くなりました。
エタらせるマネはしないので、気長にお待ちくださいまし。

↑トリミスってますけど1です

「誰か待っているの?」

恐らく美穂に対して尤も大きな影響を与えたであろう彼女のことを考えていると、相馬さんが見透かしたかのように口を開いた。

「え?」

もしかして、サトリ?

「CAやっていたからかしらね? 表情とかで何となく分かるのよ。相手が求めていることとかね」
「仕事柄いろんな国の人と接することがあったけど、カバーしきれていない言語を話す人相手じゃ表情やジェスチャーで求めているものを察するしかないのよ。まぁ、あなたの場合顔に出やすいんだけどね」

「みんなそう言うんですよね。そんなにですか?」

「そんなによ。顔に文字が書かれてるぐらい」

1、2人に言われるだけならまだしも出会う人の殆どにそう言われている気がする。今後はお面でも被って過ごそうか。
そう言えばこないだアンティークショップに石で出来た仮面が有ったような……。

「美穂が駆け出しの頃にお世話になった人なんです。といっても、1日だけですけどね。アイドルを引退して……今は何をしているかは分からないです」

美穂はアドレスを知っているようだが、特に服部さんの話題をすることがないあたり連絡が取れているわけではなさそうだ。
チケット郵送も服部P経由でしたし、現在の状況を知る人は誰もいないのだ。便りがないのは元気な証拠とは言うけど、別れ際に見せた彼女の姿を思うと心配にもなる。

「ずっといたんだけど、声をかけにくくて……日陰者なボッチには辛い」

お守りなのか手に持ったキノコを撫でながら消え入りそうな声で言う。どうやら相馬さんと話している時からいたようだ。
割と人が行き来しているけど彼女の存在に誰も気付かなかったのだろうか。……いや、どちらかといえば目立たないようにしていたの方が正しいか?

「今日は美穂の応援に来た。友達の晴れ舞台、私も楽しみだ……フヒッ」

照れ臭そうにしている輝子ちゃんに小動物的な可愛さを見出す。こんな彼女もステージに立てばブッ飛んだ子になるんだからな。
担当Pはよく彼女の存在を見いだせたものだ。

「美穂は楽屋にいると思うけど?」

「さ、流石にそこに入るにはレベルが足りない、勇気が足りないきのこを食べても大きくなれない。だから差し入れを渡してくれたら、嬉しい」

「レベル? まあ入りにくいとは思うけど……一々緊張しなくちゃいけない楽屋ってのも考えものだよな」

そう言ってラッピングされた箱を渡される。輝子ちゃん自身が梱包したのかキノコの紙で包まれている。彼女らしいといえば彼女らしいな。

「疲れた時には甘いものがいいって聞いたから……甘いものを買ったんだ。口に合えば、嬉しいな」

「大丈夫、美穂は甘いものも好きだからさ。責任をもって渡しておくよ」

「う、うん。おねがい……それじゃあ、行くね。頑張ってって、伝えて欲しい……」

輝子ちゃんが向かった先を見ると同じ事務所のアイドルたちがいた。

「いい笑顔してるよな」

ぎこちなそうに笑っているけど居心地の良さを感じているのかな。ぼっちだなんて言うけども、仲間や友達には恵まれているみたいで安心安心。

「さてと。そろそろ開幕するが……美穂君の所に行かなくてもいいのかい?」

「え? でもスタッフも忙しくなるんじゃ……」

出演者たちのスケジュールも大変だけど、スタッフのみんなも同じぐらい大変だ。このコンサートに関わっている人全員が成功することを願って必死なのに、俺だけ抜けるなんて虫のいい話が有っていいはずがない。

「確かに君はコンサートスタッフの1人だ。だけどその前に、美穂君のプロデューサーでもある。その事実は変わらないし、僕はそれを尊重したい」
「彼女は僕らの期待や自分の可能性を疑ってきた。君は何があっても美穂くんを信じてきた。そろそろ答え合わせをすべきじゃないか?」

「答え合わせ……」

信じるために疑った美穂と、愚直なまでに信じ続けた俺。どちらが正しいとかじゃないのは分かっている。
だとしても……互いにぶつけ合わないといけないのだろう。もっと強くなるために、もっと認め合えるために。

「それに君が一人抜けて回らなくなるほど、こちらもカツカツじゃない。だから気にする必要はない、君がすべき事をなして欲しい。それだけだよ」

「ありがとうございます。美穂の所、行ってきます」

武田さんは何も言わずに俺を見送る。時計を見ると刻一刻と開演の時間は近づく。楽屋にまだいるだろうか。
美穂の出番は始めの方、凛ちゃんたちのユニット、愛梨ちゃんと続いた3番目だ。ちなみにその後は秋月さんだったりする。なんとも因果な組み合わせだ。

――

部屋に冷房はついているけど、体は熱い。プロデューサーが来てくれたから、かな。

「疑ってみて、答えは出たかい?」

私たち2人だけの楽屋、沈黙を破ったのは彼の方だった。

「1人になって初めて気づいたことがたくさんあるんです。今まで私はどれだけプロデューサーや大人たちに甘えていたかとか、どれだけ期待されてきたかって。遅いぐらいですよね」
「そんな私でも、プロデューサーはどんな時でも信じてくれました。そして私は、あなたが信じる自分自身を疑いもせずに信じてきました」

きっとそれは、楽だったからなんだと思う。今までの私はただ、プロデューサーに縋っていただけだったのだろう。離れてみて良く分かった。
この前だってそう、結局彼に甘えてしまって。ブレても良いなんて言ってくれたけど、私は――。

「貴方が信じる私を信じるんじゃなくて、私が胸を張って自分を信じられるようになりたい! それが私の……答えです!」

何度信じるって言葉を使ったのかな? 少し安っぽくなっていないかな? と見当違いなことを思ってしまう。
だけどこれで良いんだ。今より強く信じるために、根拠を持たないとね。

「なら俺は……信じるよ。美穂がもっともっとアイドルとして輝けて、自分自身をもっと強く信じられる日が来るって」

プロデューサーの意思は変わることがない。羨ましいぐらいだ、そして同時に思ってしまう。どうして彼は、こんなに私を信じてくれるんだろうって。

「俺はプロデューサーだからな。アイドルを信じて夢を現実にするのが、俺たちの役目だ。でも……もしもだよ? もしも美穂以外の子をプロデュースしていたとしても……ここまで強く思うことは……き、きっとない、かな? ああああ! 俺、何言っているんだ!」

「そ、そうですよめ!! えへへへへ……」

答えはシンプルだ。……彼が彼で、私が私だから。他の人に分かってもらわなくても構わない、これは私たちだけの思いだから。

「奈緒、加蓮。私たちのステージ……行くよ」

閉ざされた幕が上がると、トライアドプリムスの3人にスポットライトが当たりコンサートの始まりを告げる。
きっと客席のみんなは驚いているだろう。名だたるメンバーを差し置いて、彼女たちがステージに立っているのだから。

「――!!」

その完全にアウェーな空気を、3人は一瞬にして切り崩した。個性をぶつけ合って高め合って、パフォーマンスは激しさを増していく。
3人が3人とも、もっとやれるって思っているから一切の遠慮なしのバトルを繰り広げる。石と石をぶつけ合って、ダイヤモンドのような輝きを生みだす。

それが彼女たちの絆なんだろう。本当に凄い子達だ。みんな私より年下なのにね。

「でも、私だって」

まさに最初からクライマックス、会場のボルテージはどんどんと上がっていく。空調が効いているはずなのに、熱気が舞台裏の私にまで届いてくる。

「えっと、行ってきますねっ」

パフォーマンスが終わると、入れ違うように愛梨ちゃんがステージに立つ。
圧倒的なビジュアルと、前に聞いた時よりも更に上手くなった歌が会場を支配する。
激しさこそはないけど、どこまでも華やかで彼女の持つ武器をこれでもかと言うぐらいに見せつけていて、見る人は心を奪われる。
愛梨ちゃんは、誰にも真似の出来ない唯一無二の女の子だ。大げさなことを言えば、アイドルの1つのジャンルとして成り立ってすらいると私は感じていた。

曲が終われば万雷の拍手と喝采。客席には日本語の意味が分からない人もいるのに、素敵な音楽は言語の壁すらもいとも簡単に飛び越えてしまった。

「!!」

気が付けば歌声が重なっていた。耳当たりのいい透き通ったテノールが私の歌声と響き合って新しいハーモニーを生む。

(秋月さん!)

ステージにはこの曲と成長した私と、この曲の生みの親の秋月さん。私は一瞬面食らって音程がずれてしまったけど、すぐに軌道修正してパフォーマンスの精度を上げる。

どうすればより響くか、どうすればもっと笑顔になれるか。秋月さんの歌声は私を導いてくれて、自分の中で『楽しい』感情がより高まっていく。

私自身が楽しめているんだから、その楽しいは皆にも伝わるはず。どうですか、プロデューサー。今の私、輝いていますか?

「!」

歌い終わると一瞬の静寂が会場を支配する。だけどそれもつかの間、

「――!!」

割れんばかりの歓声が私たちを包んだ。

「よくやったね、小日向さん」

「ありがとうございます。でも、秋月さんのおかげです」

「じゃあ次は」

「はい。私一人で歌えます」

「次に歌う曲は……私のお父さんが好きな曲です。お父さんの影響で、私もカラオケに行けばいつも歌うんですよ。遠く、遠く――」

遠く、遠く離れていても――。カラオケとか鼻歌では何度も歌ったけど、ステージの上で歌うのは初めてだ。
歌詞通り遠くの街、東京に来て何ヶ月が経っただろうか。毎日毎日が濃くて必死だったからか、もう何年もいる感覚に陥りそうなぐらいだ。
お父さんお母さん学校のみんな。中々顔を見せることができないけど、私はとても元気です。次に帰ってきたときは、今日のことも話せたら良いな。

そして……この街を去った瞳子さん。もし私の姿を見て、勇気をもらえたならば。それはとても嬉しい――。

「――」

(! 瞳子……さん)

声に動揺が出ないように、何とか堪えて最後まで歌を紡ぐ。私のステージはこれで終わりだ。自分の持っている全ては出し切ったし、悔いもない。
清々しいまでの気持ちで、客席に一礼をする。暖かな拍手に見送られるまま私はステージを去る。

瞳子さんの姿は……そこにはもういなかった。

「瞳子さん……!」

ステージ衣装を着たまま私はホールの入口へと向かう。お願い……間に合って!!

「瞳子さーん!!」

「美穂ちゃん! 久しぶり、って言えば良いのかしらね?」

あの日のままの姿の瞳子さんは、私を見て柔らかく笑った。

「美穂ちゃん。凄く素敵なステージだったわ」

「あ、ありがとうございます!」

隣接する公園のベンチに並んで座る。あの日と違って見事なまでの晴れ模様で、少しばかり眩しいなって思うほどだった。

メモ帳に書き連ねたら真っ黒になっちゃうぐらいに色々と話したいことはあった。だけど瞳子さんを目の前にすると、言葉は上手く出てこなくなる。

「え、えっと……私。ずっと……瞳子さんに謝りたかったんです」

「私に? 貴女が?」

瞳子さんはどうして? と言いたそうな顔をしている。自己満足かもしれない、だけどこれは私の手でケリをつけたかった。

「はい。初めてのオーディションの日、私は瞳子さんの事を怖いと思ってしまいました。自分の失敗すら瞳子さんのせいだなんて思っていて。そんなこと、あるわけがないのに」
「逃げの理由に使ってしまったんです。……ゴメンなさい」

「謝らなくていいわよ。むしろこっちが申し訳ないことをしたなって思っているぐらいだし。本当のことを言うと、私は貴女のことが気がかりだった。あんな別れ方をして、傷つけてしまったんじゃないかって」
「でも貴女は挫けずに這い上がった。あんなに小さかった子が、ファーストホイッスルどころかこんな大きなステージに立つなんて。また送っちゃったな、って思ったのと同時に自分のことのように嬉しかったの」

瞳子さんはそう言うと儚げな笑みを浮かべる。違う、私が見たいのは消え入りそうな笑顔じゃない。

「瞳子さん。もう1度……ステージに立ってみませんか?」

「……」

迷惑だ、と思うかもしれない。だけど今だけは、我侭な私を許してください。

「偉そうなことを、と思うかもしれません。でも夢を諦めて欲しくないんです」

「そう言ってくれる人が彼以外にもいるなんてね。少し、嬉しいわね。でも……私は結果を出せなかったの。1年間やってファーストホイッスルに受からなかった。それが私の限界よ」
「今日のステージを見て、より強く思っちゃった。貴女と私は全然違うんだって、自分にはもう出来ないんだって。再確認するために、今日見に来たのよ。未練なんて持たないようにするために」

「そんなっ!」

それじゃあ私が今までしてきたことって……そんなの……寂しすぎるよ。

「でも……こうも思っちゃったの。このステージに、私も立てたならば。どれだけ楽しかったんだろう、って」

「えっ?」

「小日向さん。私、分からなくなったの。未練を断ち切るために来たのに、却って縋りたいと思ってしまって。情けないと思うでしょ? 自分でも、そう思っているわ」
「でもねそう簡単に消えないのよ。昔見た夢は呪いみたいで、私を追い詰める。教えて……私どうすれば良いの?」

――瞳子さんは今せめぎ合っているんだ。どうすれば良いか分からないで、グルグルと悩み廻っている。
もう少し、私の声を届けなくちゃ。

「瞳子さんは……まだ輝けるはずです」

「もう私、いい歳よ? 今更戻るなんて無理」

「関係ないんです! 年齢も経歴も……ステージに立てば関係ないんです!!」

漸く口に出た言葉は、私らしからぬ大きな声で叫んでいた。隣にいるのに、凄く遠くに感じる瞳子さんに聞こえるように、お腹のそこから叫んでやる。

「夢を見続けている限り、誰もが平等にシンデレラになれるはずです。私は、それを証明して行きたいです。誰かが夢を叶えることができたのなら、誰だって夢を叶えることが出来るはずですから」

あの日から私は色んな人に会って来た。自分たちの理想のフェスを作った子、仲間に支えられて新しい一歩を踏み出した子、理想を歌に乗せて本気で世界を変えようとする人。
誰もが夢を持って必死で輝こうとしている。決して楽な道じゃないし、目で見えている以上に苦労と努力をして来たはずだ。
でもその先にある光を求めたい。どんなに笑われても恥じる必要なんてない、前を向いて胸を張って歩いていけばいい。

「私……間に合うかしらね」

「大丈夫ですっ。限界を決めなければ、どこへだって飛んで……いけますよ」

瞳子さんだけじゃない。その言葉は、自分にも聞かせるための言葉だ。
ふと上を見ると、小型の飛行機が飛んでいた。どこへ向かうんだろう。世界一周とかかな?

「ねぇ小日向さん」

「はい」

「ありがとうね。私、心のどこかで無理だって決め付けていたのかもしれない。年齢がとか経験がとかって、言い訳よね」

瞳子さんは柔らかな笑みを浮かべる。だけど儚くなくて、力強さを感じるほどで。

「もう一度だけ……夢見てみようかしら。ね?」

始まりの汽笛が、再び鳴り響いた。

今日はここまでです。早いうちに次も更新したい

生存報告しておきます。

速報が落ちている間は某幕末ゲーにハマっていたので、書き溜めがあまり進んでません。
更新は月曜ぐらいになるかと思います。

「それって褒めているんですか?」

「最初はさ。大舞台に飲み込まれてしまうんじゃないかって心配にもなったけど、それは杞憂だったな。だって美穂、すごく輝いていたからさ。格落ちなんて誰も言わないさ。君はあのコンサートで、誰よりも輝いていた」

気持ちだけは一流で居続けたからかな。なんだか自分が一流のアイドルみたいに思えて自信がついてきた。
ハッタリでも構わない。嘘でも大丈夫です、絶好調です! って言えるようにならないとね。

「だから……より強く輝かせたいと思った。どこまでやれるのか、俺はその目で見届けたいんだ」

「プロデューサー……」

「薄っぺらい言葉かもしれない。だけどこれが俺の全てだ。だから……もう一度、俺を信じてください」

足を止めてプロデューサーは深々と頭を下げる。場所も時間も違うけど、私はふと初めて出会ったときのことを思い出した。

「こちらこそ、よろしくおねがいしますっう!?」

「あだっ!? だ、大丈夫か?」

彼に倣って頭を下げると、思いっきり顎が彼の頭に当たってしまう。これって、いつぞやの仕返し、なのかな?

なんにせよ。離れてみても結局は甘えてしまった、私のちょっとした反抗期はこれにて終わりを迎えた。
彼はどこまでも私のことを信じてくれていて。逆に私も、彼の言葉を信じたいからより強くなろうとして。

何だかんだ有っても、私たちって良いコンビ……なの、かな。

数日前のこと――。

チャリティーコンサートの舞台裏、ステージ終わりの私を待っていたのは意外な人だった。

『素晴らしいステージだったわ、3人とも』

『! 千早さん!』

如月千早さん――日本を代表する歌姫で、私にとって憧れの人だ。そして……いつかは超えていかなくちゃいけない最強の相手。
活動の拠点はアメリカなため、日本で活動する私たちとは殆ど接点がなかった。だけどチャリティーコンサートで、生の千早さんに触れることができた。
リハーサルの時は忙しくて挨拶しかできなかったけど、今目の前に彼女はいる。話したいことはたくさんあった、だけどいざ本人を目の前にすると何も出てきそうにない。
まるで恋した女の子だ。少しだけ、美穂の気持ちが分かった気がする。

『ほら、凛。色々と話したいことがあったんだろ?』

『私たち先に楽屋に戻っているからさ。千早さん、失礼いたします』

そんな私の心境を知ってか知らずか、奈緒と加蓮は楽屋へと戻っていく。千早さんとワンツーマン、心から望んでいたことだ。でもこんなに緊張するなんて。ステージに立っていた時以上だ。

『……』

『渋谷さん、そんなに固くならなくていいわよ。私もあなたと同じ歌い手、同じステージに立った者同士なのよ? 私も渋谷さんと話したいと思っていたし、ね?』

千早さんはそんな私を見かねてか優しく笑ってくれた。ちょっとだけ気持ちは落ち着く。今の私なら普通に会話できるはず――。

と思っていたけど、とんでもない爆弾が飛んできた。

『これ、私の連絡先よ。今日のことは別にしても、気軽に連絡してね。貴女のこと、もっと知りたいと思えたし』

恋の相談でも乗るわよ? と茶化すように千早さんは言ってステージへと向かう。どうやら彼女の出番が来たらしい。私は舞台裏から千早さんの姿を見守る。

『あ……れ?』

一瞬だけ、彼女の姿が私に見えて。私は……本当に望んでいるのだろうか。口だけじゃなくて、もっと高みへ行きたいと。

『遅かったね凛』

『ステージも見てたんじゃないの? で、千早さんとお話できた?』

『えっ? あっ、うん。勉強になったかな』

『~~♪』

「メールが来てる」

物思いに更けていると着信音が流れて現実へと戻される。ソロじゃなくてNG2としてのデビュー曲だ。今聴いてみると未熟な状態で曲を出したんだな、と我ながらおかしくて笑えてくる。

「さっきの電話のことかな」

送信者は小日向P、まだ電話に出られる状況じゃないみたいだ。どうしようかと少し考えて、

『ゴメン。間違い電話していたみたい』

SOSを送るのは簡単だけど、彼は美穂のプロデューサーだ。第一縋ること自体間違っている。なんで電話しようと思ったのか、自分でも良く分からない。
でも信頼しているからこそ、助けを求めようとしたのかな。それとも……いや、考えないことにしよう。

「もしもし、プロデューサー? 夜遅くにごめんね。少し話したいことがあって――」

彼と私は、軽口を言えるぐらいの関係がちょうどいいのだから。

『私たちが背中を蹴ったのよ。私に縛られ続けないで、もっと世界を知りなさいってね』

なんでも瞳子さんの復帰の条件がハリウッド研修に行くことだったとか。その上愛梨ちゃんも研修に行かないと引退します! って脅されて服部Pは腹をくくったみたいだ。
2人とも服部Pが嫌いってわけじゃなくて、好きだからこそ研修へと背中を押したのだろう。これも1つの信頼なんだ。

NG2Pは……詳しく知らない。忙しくて卯月ちゃん達と話す時間が取れないという事もあるけど、情報が外に出てこないみたいでプロデューサーも気にしていたっけ。

どうなるにせよ。IUで優勝するためには乗り越えなくちゃいけない相手だ。私もみんなに負けないように、胸を張ってステージに立てるようにしないとね。

でもその前に。

「えっと、こんな感じかな?」

小日向美穂、初めてのお弁当作りです。

『でも俺、自炊苦手だしなぁ……。チャーハンぐらいしか作れないぞ?』

『これを機に勉強してみてはどうですか? お料理もプロデュースの役に立ちますよ、きっと』

そういう物なんだろうか。NWPは熱心にメモしている。彼もまた素直な性格をしている。
だからだろうか、良くも悪くも素直な性格をしているNWとの相性はいいみたいだ。近いうちにテレビ番組のオーディションを受けるみたいだし、ファーストホイッスルに挑む日も遠くないかもしれない。

『でもな……』

『あ、あの! それじゃあ明日……お昼ご飯買わないでくださいね』

『え?』

『え?』

今私、何って言った?

『! あー、それもそうですね。プロデューサーさん、明日はお腹をすかしていてくださいね』

『ほえ?』

『あれ?』

言った本人までキョトンとしている間抜けな光景。後輩たちは揃ってニヤニヤとしている。泉ちゃん、そんないやらしい笑い顔できるんだ。

「はぁ、ツイてないよ」

仕方なしに、いつもと違う靴を履いて事務所へ向かう。

「うーん、やっぱり何か違うな」

本当に些細なレベルだけど、いつもと違う履き心地にどうしても違和感を覚えてしまう。

「同じ靴売ってるかな?」

今日のスケジュールが終わったら、買いにでも行こう。

「プロデューサーを誘って!」

そうだ、彼にも見て欲しいな。靴だけじゃない、服を選んでもらおう。
アイドルとしての私だけじゃなくて、1人の女の子の私も知って欲しい。そう思うと憂鬱な気持ちは消えてなくなる。

「えへへ……」

これが怪我の功名ってやつかな?

おはようございます。このSSの更新についてですが、急な話ではありますが打ち切りにします。

理由は今後時間が取れるか分からない状態になったことと、
何より自分のモチベーションが底をついてしまい、これ以上何を書いても面白い話が書けないこと、
自分のせいとはいえ未だにスケバンスケバンと言われて雑談スレで荒れてしまうことが正直言って不愉快で、モバマス自体に嫌気が差してしまったためなど様々な要因が重なって限界が来たため、誠に勝手な理由ですが更新をやめさせて頂きます。
長い間楽しみにしてくださった方には非常に申し訳ないです。本当にごめんなさい。

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