渋谷凛「それはきっと、私にとっても記録的大雪」 (22)


「降ってきたな」

窓の外をちらつき始めた雪を眺めていたところ、背後から声をかけられた。

声の主は私のプロデューサーで、手には二つマグカップを持っている。

「気が利くね」

可愛げのない返事をしつつ、手渡されたマグカップを受け取った。

ひとくち口を付けると、ほぅっとため息が自然にこぼれた。

それを見逃すプロデューサーではない。

「おばあちゃんみたい」

いつにもまして雑ないじりを受けたので、仕返しに「私がおばあちゃんなら、プロデューサーは白骨死体だよ」と返した。


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「あったまるね」

「でしょ。なんたって気が利く白骨死体だからな」

「それ、あんまり面白くないね」

「凛が言ったのに」

「客観視してみてわかることってあるでしょ?」

「まぁ、うん」

「そういうことだよ」

「ちょっと納得させられたのが納得いかない」

「納得したけど納得いかない?」

「そう」

「日本語って難しいね」

「ホントに」




「今日、大雪になるらしいよね」

「らしいな」

「さっきからちひろさんが電話の応対で忙しそうだし」

「いろんな子の撮影だとか、収録だとかが中止になったり、前倒しになったり。あっちもこっちもバタバタしてるよ」

「あー……大変だ。って、私もその内の一人か」

「俺と凛はラッキーだったよ。今なら問題なく帰れるし」

「うん。そうだね」




「それ、飲んだら帰れよ?」

「わかってる。プロデューサーは?」

「帰るよ。こんなクソ寒い日に泊まりとか、考えたくもないし」

「そっか」

「なんか不満そうだな」

「いや、不満ではないんだけどさ、いっこ思い付いたことがあって」

「嫌な予感するなぁ」




「確認だけど」

「うん」

「今日は大雪の予報だよね」

「そうだな」

「そのうちに電車もバスも止まるし、車も走れなくなる」

「だと思うよ」

「このまま事務所にいたら、帰れなくなるよね」

「ほぼ間違いなくそうなるだろうね」

「ってことはさ、逆に考えてみてよ、今日は帰れなくても仕方ない日だよね」

「……そういう考え方、危険だと思う」

「嫌?」

「嫌ではないけど」

「ならいいでしょ?」

「よくはない」

「今日だけ」

「こんな大雪、そもそも今日だけみたいなもんだろ」

「じゃあ貴重な体験だ」

「……よくこんな突拍子もないこと思いつくよな」

「そういうの、ちょっとわくわくしない?」

「はぁ。もう……今回だけだからな」

「やった。じゃあ、本格的に吹雪いてくる前に買い出し行こうか」

「楽しそうだな」

「うん。すごく」




そうして私とプロデューサーは、し得る限りの重装備で事務所を出た。

「寒いね」

「寒いなぁ」

「ところで、夜ご飯何にするつもり?」

「事務所に申し訳程度の調理器具はあるけど、それでも申し訳程度だろ?」

「うん。まな板と包丁とお鍋とフライパンくらいじゃないかな」

「だから、それで作れるものにしようかなと思って」

「あ、わかった」

「わかったか」

プロデューサーの提案しようとしているものが何であるか、察しがつき彼の顔を見る。

それを受けて彼も私の方を向き、声を揃えて「鍋!」と言った。




スーパーに到着して、お互いがお互いに積もった雪を払い合う。

そして、備え付きのマットで靴に付着した雪を落とし、中へと入った。

「耳、赤くなってるよ」

カゴを手に取りながら、プロデューサーがくすくすと私を指差して笑う。

「プロデューサーも赤いよ」

「かわいい女の子と話したから、緊張しちゃって」

「はいはい」

軽口を無視して、先に進んだ。




「白菜はいるだろー。あと、ネギ」

言いながら、プロデューサーはカゴの中に次々と商品を放り込んでいく。

「二人でそんな食べられないよ。余っても困るし」

カゴの中の半カットの白菜を戻し、それのさらに半分の物に取り替える。

「次は?」

「スープ、かな。それに合わせて入れるものも変わるだろうし」

「何鍋がいい?」

「なんでもいいよ。プロデューサーは?」

「俺もなんでもいいよ」

「じゃあ、スタンダードなやつでいいか」

「お肉は?」

「鶏でも豚でも、好きな方でいいよ」

「牛とは言わないんだ」

「だって高いもん」




そんなこんなで買い物を終えて、来た道を戻る。

道路を見やると、既に雪は積もり始めていた。

携帯電話をポケットから取り出して電源を入れる。

表示された交通情報は悲惨そのものだった。

「そろそろ、時間切れだね」

携帯電話の画面をプロデューサーに見せる。

「あーあ。これで正真正銘、帰れなくなったわけだ」

「後悔してる?」

「俺はそんなに」

「私も」

「ご両親にちゃんと連絡してあるんだよな。嫌だぞ、後から俺怒られるの」

「大丈夫、全部正直に話してあるよ」

「なんていうか、寛大だな」

「うん、だよね。自分の親ながら」




事務所の付近で偶然、ちひろさんと鉢合わせる。

気付かれる前に、立ち去ろうとしたが、残念ながら見つかった。

プロデューサーが「やべ」と口に出したのが原因だ。

観念して、自分達がやろうとしていることを全て話したところ、声を出して笑われた。

「凛ちゃんもプロデューサーさんも、何してるんですか。もう」

「すみません。一回こういうのやってみたくて」

プロデューサーはさも自分の提案であるかのように、振る舞う。

私を庇っているのだとわかった。

「その袋の中は?」

「ネギとか、白菜とか、ポン酢とか」

「お鍋をするつもりですね?」

「ええ」

「帰ったと思ったのに……スーパー行ってたんですか」

「そうなります」

「……はぁー、もう。絶対に風邪だけはひかないでくださいね」

「もちろんです」

ちひろさんは呆れた顔で再び「もう」と言って、帰って行った。

その別れ際に「凛ちゃんも大変ね」と私に同情してくれたのが、少しプロデューサーに申し訳なかった。




「なんか、ごめん」

「いや、いいよ。ちひろさんもアレで本気で怒ってるわけじゃない」

「それはそうだろうけどさ」

「というか、怒りの大半はこんな日に帰らないことじゃないだろうし」

「? どういうこと?」

「ほら、見て」

プロデューサーは携帯電話を取り出して、メッセージアプリを立ち上げる。

そこには千川ちひろの文字があり、新着通知が二件。

「次は私も誘ってください」という文章、そして怒った顔のスタンプが表示されていた。

携帯電話の電源を落としてポケットに仕舞い込み「な?」と彼は言う。

「次もやらないとだね」

私が言うと、彼は「勘弁してくれ」と満更でもなさそうに笑った。




誰もいなくなった事務所に戻り、給湯室の戸棚から鍋を取り出す。

水を張って火にかけ沸騰するのを待った。

「お腹すいてきたね」

「だなー」

「丁度いいお皿あるかな」

「夏にかき氷とか作ってたし、あるんじゃないかなぁ」

「あ、ほんとだ」

「おたまもあるし完璧じゃん」

「だね。それじゃあ、私野菜切ったりしとくから」

「ああ、机片付けてくるよ。それに、取ってくるものあるし」

「ん。よろしくね」




買ってきた食材たちを並べ、水洗いをする。

そして、ネギや白菜などを食べやすい大きさに切り分ける。

ぐつぐつと沸騰してきたところで、それら食材たちを投入した。

白菜、ネギ、お豆腐、鶏肉、エノキなど。

スタンダードなものだけれど、お腹が空いていることに加えてこの気温だ。

おいしくないわけがない。

ぐぅ、と胃が声を上げた。




やがてプロデューサーが戻ってきて、それと時を同じくして鍋も食べ頃となった。

鍋つかみはないから、濡らしたキッチンクロスで持って、机へと運ぶ。

そこへプロデューサーがタオルを折りたたんだものを敷いた。

これもまた、鍋敷きなんて気の利いたものはないからだ。

「うわ、うまそうだな」

「ね。お腹空いてきた」

「食べよう食べよう」

そうして、揃って「いただきます」をして鍋に手を付けた。




二人してはふはふ言いながら、夢中で食べる。

食事中の会話の概ねは、こうだ。

「うまい」

「おいしいね」

お互い食べるのに夢中でそれくらいしか、会話らしい会話はなかったように思う。




食べ終わった後は、また二人で共同で後片付けをした。

私が使った食器や鍋を洗い、プロデューサーが洗い終わったそれらを拭いて、戸棚に戻す。

これってなんだか――……みたいだなぁ。

自分で思って、自分で“なんだか”のあとに続く言葉を脳内で打ち消した。




片付けを終えて、ソファに戻る。

プロデューサーは匂いを誤魔化すためにいろんな場所へ、しきりに芳香剤をスプレーしていた。

私が戻ってきたのに気が付いて、彼も隣に腰掛けた。

「いやー、うまかったなぁ」

「ね。こんな鍋パーティ、それも事務所でなんて初めてだし」

「そりゃよかった」

「そういえばさ、ご飯食べる前にプロデューサー何を取りに行ってたの?」

私の問いにプロデューサーは視線で答える。

その先には大きな毛布が置いてあった。

「車に積んであるやつ?」

「そうそう。仮眠取るときに便利だし。ただまぁ、こんな活躍の仕方をするとは思ってなかったけど」

「ふふっ、備えあればってやつだね」

「ああ、ホントに。ところで、今日はもう満足した?」

「んー。もうちょっと」

「もうちょっとか。だったらトランプでもやる?」

「やる」

二人でやるババ抜きや大富豪は、ゲーム性がないに等しかったけど、そのばかばかしさがまた面白くてひたすら笑っていた。




ひとしきりトランプで遊び疲れた頃には夜も更けていたので、どちらが言いだすともなくそろそろ寝ようか、ということになった。

狭いソファに、二人。

同じ毛布を半分こして、眠りについた。




翌朝、体の節々を感じて、目を覚ます。

もぞもぞと毛布を抜けて、「んー」と体を伸ばしたところ、ぱきぱきと音が鳴った。

「ん。凛?」

「あ、ごめん起こしたかな」

「いや、大丈夫。今何時?」

「五時前」

「早起きだ」

「早起きだね」

くすくす顔を見合わせて、ちょっと疲労の残った表情で「おはよう」を交わした。




戸締りをして、二人揃って事務所を出た。

道路にはまだたくさん雪が残っていて、昨日がどれだけ大変な日だったかを思い知る。

そんな大変な日でさえ、一大イベントに変えてしまったのだから、私達はすごいと自賛しつつ昨日の記憶を反芻した。

「楽しかった?」

彼が聞く。

ただ一言、「うん、すごく」と返した。

そのあとで、何故だか自分の言うすごくがどれだけすごいのかを説明しなければ、という使命感に駆られる。

「楽しかったよ。すごく」

けれど、私の貧相な語彙では上手に言い表せず、結果として同じことを二回繰り返しただけとなった。

しかし、どうやら気持ちは伝わったようで彼は吹き出しながら笑顔でくしゃくしゃと私の頭を撫でた。

「なら良かった。すごく」

意地悪な返しだなぁ、と思ったが、その意地悪を心地よく思っている自分がいて、勝てないなぁとも思った。



おわり

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