男「震度3の地震にビビって机の下に避難したらあだ名が“チキン”になった」 (30)


あれは中学二年の、数学の授業中だったのをよく覚えている。

教室が揺れた。

地震が来たのである。



地震が起こったら机の下にと教わっていた俺は、その教えに忠実に、すばやく机の下に潜り込んだ。

みんな、そうするものだと思っていた。

地震はすぐに収まり、俺は周囲を見回した。


ところが――


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みんな椅子に座ったまま、


「結構揺れたね」

「震度3ぐらいだな」

「ビックリした~」


と雑談を交わしている。(余談だが、後で確かめたら本当に震度3だった)

机の下に避難した生徒は一人もいなかった。

そう、俺を除いて。


クラスの誰かが、机の下にいた俺に気づいた。


「こいつ、今の地震ぐらいで机の下隠れてやがる!」


あっという間にクラス中に伝染した。

大笑いする者、呆れる者、ちょっと気の毒な人を見るように俺に目を向ける者、
さまざまであった。


俺の中に憤りが生じる。

なぜだ。なぜ、日頃教わってる通りに動いたのに、笑われなきゃならないんだ。


震度が大したことなかろうが、地震は地震だろうが。

少なくとも俺は「机の下に潜るのは、震度4以上からです」なんて教わらなかったぞ。

だいたい、震度が小さいからって避難行動を取らない奴が、本当に大きい地震が来た時、
的確な行動を取れるのか。取れるわけがない。

というわけで、俺は間違ってない。はず。


俺は助け船を出してくれることを期待して、教壇に立っている数学教師に目を向けた。

だが、教師は俺の期待をあっさりと裏切った。


「なかなかすばやい動きだったぞ。地震の時はお前みたいにちゃんと机の下に潜らなきゃな!」


言葉こそ俺を擁護していたが、苦笑いまじりのヤツの顔は、どう見ても俺をバカにしていた。

これじゃ逆効果だろうが。このバカ教師。


結局、クラスに俺の行動を肯定してくれる者はなく、
俺は「震度3の地震にビビって、クラスでただ一人机の下に避難した臆病者」になってしまった。


ちなみに、俺が数学を嫌いになったのは、この事件が原因だと思う。


誰が言い出したのか、俺のあだ名は“チキン”になった。

一応説明しておくと、“チキン”とは英語で「臆病者」の意をあらわすスラングである。


当時人気だった少年漫画で、臆病者に対して「チキン野郎!」というセリフが
出てくるのが俺に災いした。


それでも、“チキン”と呼んでくるのはごく一部のお調子者系クラスメイトだけだったし、
俺が相手にしたりしなければ、もしかしたら風化したのかもしれない。

しかし、俺にもプライドはあったので、“チキン”呼ばわりしてくる奴にはいちいち食ってかかったりした。


それがかえって、お調子者連中に火をつけてしまい、“チキン”は定着してしまうのだった。


中学三年になっても、あだ名はそのままだった。

この頃になると俺も半ば諦めて、“チキン”と呼ばれたら、


「コケコッコーッ!」


と返したり、弁当に鶏肉が入ってた時、自分から「これじゃ共食いになっちまうよ」
などとおどけていた。

自分なりに賢明に今の状況を“おいしく”しようと道化を演じていたのだ。

実際にははらわた煮えくり返ってたわけなのだが。


この頃、俺が考えてたことというと、現実に大地震を経験した人にとっては
誠に不謹慎な話となるのだが、とにかく「でかい地震起きねえかな」だったと思う。


巨大地震が起き、皆がパニックになる中、俺だけが的確な避難行動をし、俺だけが生き残る。

こんな妄想ばかりしていた。


実際にクラス全員死ぬような地震が起きたら、多分俺がどんな行動しようと俺も死ぬと思うが、
そんなリアリティを中学生に求めるのは酷な話である。


とにかく、震度3にビビった俺をバカにし、“チキン”呼ばわりした奴らを全員見返したい、と思っていた。


高校に入ると、俺を“チキン”呼ばわりしてた連中とは晴れて別れることができ、
長いトンネルを抜けたような気分になった。


それでも、中学が一緒だった連中があの話を蒸し返すことがあり、そのたびに俺は眉をひそめていた。


とはいえ、もう俺が“チキン”呼ばわりされることはなくなった。



大学ともなると、俺の中でもあの忌まわしき思い出はほぼ風化しつつあった。

それでも、時々思い出しては叫びたい衝動に襲われることは何度もあったのだが。


就職すると、自分で自由にできる金が大幅に増える。


俺はどうしたかというと、せっせと地震対策に取り組み始めた。

ホームセンターで売っている防災グッズを購入し、非常食や電池類を備蓄しておき、
家具も倒れないように固定した。

「今ここで大地震が起きたらどうする」などという脳内シミュレーションも欠かさなかった。


なんでかというと、テレビで盛んに大地震に備えましょう、と訴えていたのもあったが、
結局は中学の頃のあの“チキン事件”が半ばトラウマ的に残ってるからだろう、と自己分析していた。


一つ地震対策を施すたびに、俺の心に充実感のようなものが積み重なっていった。


中学時代の同窓会があった。

みんな相応に成長し、あの頃の思い出話に花を咲かせた。


そんな中、俺を“チキン”呼ばわりしてたグループの一人が、俺に話しかけてきた。

彼は赴任先で震度6クラスの地震に見舞われたそうだ。


「その時、ふと君のことを思い出してな。とっさに机の下に潜ったんだ。
 そしたら事務所の本棚がドサーッと倒れて……潜ってなきゃ危なかったかもしれない。
 あの頃、君には本当に悪いことをした」


いくらか留飲が下がる思いだった。


やがて、俺にも家族ができた。

家族を守るため、地震対策をさらに進めた。

公民館などで開かれる防災セミナーにも積極的に顔を出した。

実際に被災した方々の体験談は、非常に参考になった。


家族ができたのなら、「でかい地震起きねえかな」などという不届きな考えは捨てたとばかり思いきや
案外そうでもなく、いい年して「大地震が起こる中、家族を守る俺」を妄想したりしてた。


人間とは絶対の安全を求める一方で、心のどこかでスリルを求めてもいる生き物なのだろうか。

それとも俺がおかしいだけなのだろうか。


こうして、どこぞのワインのように熟成された妄想の成果を披露する機会は、結局訪れなかった。


童顔だった妻もおばあちゃんになった。子供はみんな大きくなった。孫もできた。

俺の子も孫も、みんな地震対策には熱心である。


「これもおじいちゃんの血ね」


と誰かがいったが、俺の両親は別段地震対策に興味ある人ではなかったし、
血というよりは習慣が受け継がれていったのだろう。


俺は今、布団に横たわっている。

まもなくお迎えが来るというのがなんとなく分かる。


俺の人生で唯一心残りがあるとしたら、“チキン事件”をきっかけに、
あれだけ地震対策や対地震妄想をしたのに、結局俺のもとには大地震が来なかったことだ。

果たして、俺は的確な行動を取れたのか、それとも結局パニックになったのか、
どっちだったんだろう。


物事「そうなってくれと願うとならないし、ならないでくれと願うとなってしまう」というが、
俺の場合もそうだったのだろうか。

地球が「こいつは大地震を期待してるから、こいつのいる地域には起こさないでやる」
なんてことをするとは思えないが、もしかしたらとも思ってしまう。


俺はすっかりしおれた唇で薄く笑みを浮かべた。


でもまあ、今の気分がどうかというと、決して悪くはない。


息を引き取る瞬間、俺はそんなことを考えていた。










― END ―

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