速水奏「甘く、潤す」 (12)
少し早めのクリスマスのお話。
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身体が小さく揺れた。
重く濁った意識のまま辺りをぼんやりと見回す。
──あぁ、眠ってしまっていたのね。
頬杖をつきすぎて痛くなった頬を擦りながら独り言つ。
私しかいない車内。バスはゆったりと暗闇の中を進む。私を照らす車内灯がジジジと音を立てて瞬いた。
バスは進む。暗闇の中を躊躇いもなく。
私はシンデレラ。煌びやかな衣装を纏い、踊りで見惚れさせ、笑顔で魅する。
だけどそれは儚いもの。だから私はバスで進む。
バスストップに辿り着く。窓から入る眩い光が網膜を突き刺す。
思わず目を細めると景色が分かった。建ち並ぶビルはいずれも高く高く伸びていた。
開いたドアから風が流れ込む。私を撫でたその風はどこか無機質で、酷く不快な臭いがした。
私は首を振った。音もなく扉が閉まる。あっという間にその輝きは暗闇に変わった。
バスは進む。変わらない速度、変わりない歩みで。
バスストップに辿り着く。目に映えたのは目が痛くなるほどの緑。
一面の草原。開いた乗降口から足を踏み出す。柔らかな草を踏む私の足がチクチクと刺されたように痛い。そこでようやく私は靴を履いていないのだと分かった。
風が吹く。私の髪を揺らし、草を揺らし、去っていった。
清涼感ある風だった。だけど私の求めるものじゃない。バスに戻ると背後で扉が閉まる。その直前に吹いた一筋の突風はバスの車内を満たして何処かへ消えた。
バスは進む。迷いなく、自分の未来が分かっているように。
バスストップに辿り着く。開いた扉から甘い匂いが鼻を刺激した。
目を開くとそこはお菓子の街。板チョコの道路、クッキーの標識。マシュマロの車。建物は大きなケーキ。ショートケーキのビル、チーズケーキの駅、タルトの学校。
窓から手を伸ばし、横に止まった車からマシュマロをちぎり口に運ぶ。
──あぁ、甘い。
口いっぱいに広がる甘みだけが私の中を満たす。
それでも、私の心は満たされなかった。
バスは進む。悠々と、何者に囚われることなく。
バスストップに辿り着く。いくつものスポットライトが私を照らす。外を見ると見慣れたステージの上、幾多の影が私を見つめる。
バスから降りる。途端に着ていた服が衣装に変わる。
曲が流れ出す。私の身体は自然に動いていた。ステップを刻む、歌声を響かせる。
曲が止んだ。スポットライトが一つ、また一つと消える。歓声が溢れた。
ドレスの裾を摘み一礼する。バスに戻ると衣装は消えた。
ステージにはまだ歓声が鳴り響いていた。それを聴いても、私の心はどこか空虚なままだった。
バスは進む。淡々と、呼吸するように。
バスストップに止まった。窓の外には朧げな灯りが漂っていた。仄暗い静寂の中、優しげな声が聴こえてくる。開いたドアからは暖かく、どこか懐かしい暖かさを秘めた風が流れ込む。
私を包むその暖かさに、ゆっくりと瞼を閉じる。心地よい怠さに身を委ねた。
だけれど、私の心にぽっかりと空いた虚ろな何かが私を見ていた。
バスは進む。ゆっくりと、なにかを惜しむように。
運転手が告げる。次が最後のバスストップだと。一時の夢は終いだと。
最後のバスストップに止まった。
月明かりが照らしていた。ゆっくり、ゆっくりと足を踏み出す。バスから降りたら跡形もなくバスは消えた。
なにも無かった。私を優しく照らす月明かりが影を作る。星も雲もない空に煌々と月が浮かんでいた。
──綺麗な月ね。
そっと手を伸ばす。包むように両手で隠した。
月がその姿を隠した。
──目覚めの時かしら。
そっと後ろへと倒れ込む。重力に逆らうようにスローモーションで身体が落ちていく。
とすん、と音が漏れて身体に静かな衝撃が走った。思わず瞼を閉じる瞬間、流れ星が逃げていった。そんな気がした。
──喧騒が耳に飛び込む。開いた目に最初に入ってきたのは付けっ放しになっていたテレビから流れる笑い声だった。
意識が帰ってきて、私は事務所のソファで眠っていたことに気付いた。
口元に触れて涎を垂らしていなかったことに一安心する。速水奏が涎を垂らしてうたた寝なんて見せられない。
見回した事務所の中ではあちこちにクリスマスの飾り付けが。床に落ちた飾りの幾つかからまだ途中なことが分かった。
──私が寝ている間にクリスマスパーティーの準備をしていたのね。
それにしてもこんな途中でみんなはどこに行ったのかなんてぼんやりと見回す。
「ふう、ただいま帰りました」
聞き慣れた声が耳に飛び込む。
「おかえりなさい、プロデューサーさん」
振り返らずに挨拶をする。
「お、起きたのか。ケーキ買ってきたぞ」
嬉しそうに掲げるプロデューサーさん。漂ってきた甘い香りにお腹が鳴る。正直な身体にちょっとむっとする。
「そういえば、ちひろさんや他の娘たちは?」
「ちひろさんならチキンを買いに。LiPPSはパーティーグッズを買いに行ってる。他のみんなはレッスンやら仕事やらだな」
そう、と頷いてから立ち上がる。ソファで寝たせいで凝った身体をほぐしす。
「それにしても珍しいな、奏が居眠りなんて。夜更かしでもしてたのか?」
「……ふふ、そうね。サンタさんが楽しみで眠れなかったの」
くすりと微笑んで答える。ぱちくりと目を丸くするプロデューサーさんがおかしかった。
「あら、私だって女の子だもの。幸せな夢に憧れるのよ」
そう、シンデレラである前に私だって女の子だから。
ぱくっ。
「あ、ちょっ!」
ぽかんとしているプロデューサーさんの隙をついて、苺を摘んで一口。
それはとても甘く、どこか潤された気がした。
おしまい
ありがとうございました。
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