尿意を催したので、俺は近くにあったコンビニに入った。
中には若いお姉さん店員が一人いた。なかなかの美人だ。
「すみません、トイレ借ります」
「どうぞ!」
お姉さんは明るい声で答えてくれた。
時には「トイレを使用する時は店員に声をかけて下さい」となってるにもかかわらず、
いかにも「いちいち聞くな。勝手に入れよ」といわんばかりのぶっきらぼうな返事をする店員もいて、
イラッとすることもあるが、今日はそんなことはなかった。
これならいい気分で小便できる。
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トイレに入ると、洋式便器、手洗い用の小さな洗面台の他に、こんな貼り紙があった。
『いつもキレイにご利用いただき、ありがとうございます』
お辞儀する店員の絵も添えてある。
キレイに利用することを命令するでも強要するでもないこのフレーズが、俺は結構好きだ。
なんていうか、店側から信頼してもらってる感覚に浸れるからだ。
この信頼を裏切ってはならない……俺は小便を開始した。
だが、悲劇は起こった。
「あっ」
声を上げた時には時すでに遅し。
わずかに照準の外れた俺の尿が、便器のふちに誤爆してしまったのだ。
誤爆した尿は大した量ではない。
このまま放っておいて退室しても、いずれ店員の誰かが掃除するだろう。
もしかしたら、あのお姉さんが掃除するのかと思うと、ちょっとした変態的興奮すら覚える。
だが、目の前にある貼り紙が、俺の心を容赦なく締めつける。
『いつもキレイにご利用いただき、ありがとうございます』
この信頼を裏切るわけにはいかない。
俺は決心した――ちゃんと掃除しよう!
さっそくトイレットペーパーを適当な大きさにちぎり、便器のふちを拭く。
拭いたペーパーは便器の中にぶち込む。
一見、尿は拭き取られ、全ては元通りになったかのように見える。
だが、ふと思ってしまう。
「これって掃除になってるのか? ただ尿を薄くのばしただけなんじゃないか?」
――と。
実際、尿の成分やらなにやらは、便器にはまだ付着したままだろう。
これでは掃除したとはいえない。汚いままだ。
やっぱり水でちゃんと拭こう。
俺はさらにトイレットペーパーをちぎり、小さな洗面台にある小さな蛇口から水を出し、
それを濡らした。
水拭きしようというわけだ。
だが、これがさらなる悲劇を生むきっかけになってしまうのだった。
濡れたトイレットペーパーは非常に破れやすい。
もしも破れやすいもの選手権なんてイベントがあったら、上位入賞は確実だろう。
それなのに、そんなもので便器を拭き始めたものだから、
トイレットペーパーはポロポロ破れ、ちょうど消しゴムのカスのようになって
便器にへばりつくわ、床に落ちるわ、と大惨事になってしまった。
見た目だけなら、小便を誤爆した時よりも汚くなっている。
余計なことしなきゃよかった……俺は後悔した。
ノックの音。
自分の心臓がビクンと跳ね上がったのが分かった。
もう小便はしたのだから、すぐに出てもいい。
出て、とっととコンビニからずらかってしまえば、誰からも咎められることはない。
いわば完全犯罪を成し遂げた犯人になれる。
だが、俺の次に入った客はこの惨状を見て、どう思うだろう?
きっとこう思うに違いない。
「うわっ、さっきの奴トイレ汚してやがる」
そんなつもりはなかったとはいえ、実際汚れてるのだから何もいえない。
このままトイレを出るわけにはいかない……。
俺は「入ってます」のメッセージを込め、ノックを返した。ドアの前から気配が消えた。
さあ、掃除再開だ。
不意打ちノックによる動揺が、なかなか収まらない。
このままではさらなるミスをする恐れがある。
俺はしゃがみ込んで掃除をしていたが、背伸びでもするため一度立ち上がることにした。
だが、これがよくなかった。
立ち上がる際に、俺の尻と背後の壁がぶつかり、ちょうど壁と尻相撲をするような格好になってしまった。
跳ね飛ばされた俺は、前方に思い切りこけ、俺の顔面は便器に――
ガツンッ!
個室に設置された鏡を見ると、俺の額からは血が出ていた。
大して痛くないし傷は浅いみたいだが、運悪く血管が集まってるところを切ってしまったらしく、
出血量はかなり多い。
凶器攻撃で血を流すプロレスラーみたいだ……なんて思った。
だが、俺にとってそんなことはどうでもよかった。
俺は自分のダメージより、目の前に出来上がってしまった光景を見て青ざめていた。
便器に血がついてしまった。
トイレットペーパーをさらに巻き取り、血を拭き取りにかかる。
結構な量がついているので、なかなか拭き取れない。
そういや血って拭き取っても、ルミノール反応とやらが出るんだよな。
昔、推理漫画だか推理小説だかで読んだ知識が、頭をよぎる。
殺人を犯してしまった犯人ってこんな気分なのかな。
やがて血痕はなくなった。大量の紙を使ったかいがあった。
再びノックの音。
心臓が跳ね上がる。
「お客様、大丈夫ですか?」
ノックの主はさっきのお姉さん店員だ。
おそらく、頭をぶつけた音が予想以上に響いてしまったのだろう。
これ以上トイレにいると、中で何か変態行為や犯罪行為をしてるとも疑われかねない。
俺は血を拭き取るために使ったトイレットペーパーを全て流し、外に出ることにした。
紙が全部入ったことを確認すると、レバーをひねる。
詰まった。
このコンビニのトイレに、大量のトイレットペーパーを流す能力はなく、見事に詰まった。
多少面倒でも分割して流すべきだった。
俺が焦ってレバーを連続してひねったせいで、便器の水かさがどんどん増えていく。
水の量に比例して、俺の心もどんどん黒く染まっていく。
俺はいったい何をしているんだろう。
俺はただ、トイレをキレイに使いたかっただけなのに。
自暴自棄に陥った俺は、トイレの中で絶叫した――
……
私は女子大生にして、アルバイトのコンビニ店員。
決してきびきび働くタイプではないが、愛想のよさには自信がある。
今日も接客をしつつ、バイトが終わったらどうしよう、なんてことを考えていた。
そしたら、眼鏡をかけた男のお客さんが、私に声をかけてきた。
「今トイレに入ってる人、なかなか出てこないし、なんだか様子がおかしいんですけど……。
ゴンッて音もしたし」
様子がおかしい?
面倒だなと思いつつも、私は対応することにした。
今トイレにいるのは、さっき私に声をかけてトイレに入ったお客さんだろう。
いったい中で何をしているのやら。ちょっとエッチな予想もしてしまう。
きゃっ、私ったら。
もし、予想が当たってたらどうしよう。無知な乙女なふりして驚いてやるか。
まず、ノックをしてみる。
返事がない。
声をかけてみる。
「お客様、大丈夫ですか?」
返事がない。
おいおい、中で死んでるんじゃ……最悪のケースを想像してしまう。
しかし、すぐに水洗トイレの流れる音がして、私はほっとした。
ああ、きっと用を足すのがちょっと長引いてたのね。私もよく便秘をするし、その気持ち分かるわ。
よかったわね、便秘が解消できて。だなんて勝手にお客さんを祝福してしまう。
だが、それは束の間のことだった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
今までの人生で聞いたことのない大絶叫が、トイレの中から轟いた。
内側からドアが開かれる。
呆然とする私の前には、凄まじい絵図が広がっていた。
頭から血を流し、床にしゃがみ込み、がっくりうなだれた男のお客さん。
私と目が合うと、水のあふれ出る便器を恨めしそうに抱えながら、涙を流してこうつぶやいた。
「すみません……キレイに利用できませんでした」
―終―
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