モバマス、小日向美穂メインのSSです。
独自設定的なものが多々ありますのでご注意ください。
主に地の文で進行します。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1509333785
寮の部屋の扉が開く。
「ふぅ~、疲れたぁ……」
入って来るのは、大事な担当アイドル、小日向美穂だ。
今日も仕事に学校にと頑張ってきたのだろう。流石にくたくたのようで、荷物を置くなり「んっ」と伸びをした。
俺はそれを、室内から見ている。
「ご飯食べて、お風呂入って……あ、そうそう、お仕事の資料も読んでおかなきゃ……」
美穂はやることを指折り数えながら、ベッドの上の俺を見てにっこり笑った。
無駄な前置きは省く。
そもそも何故こうなっているのかわからないのだから。
「――ただいまっ、プロデューサーくん!」
俺の意識は今、白いクマのぬいぐるみこと「プロデューサーくん」の中にあるのだ。
少し時を遡る。
前日、普通に残業を終えて普通に終電で帰って、そのまま寝て起きたらなんかこうなっていた。
……なんで?
と問うても答える者はいない。
気が付けば、ベッドで美穂に抱かれていた。
叫びそうになって口が無いことに気付き、次に体が動かないことに気付き、そもそも人の体じゃなくなっていることに気付いた。
窓からは、穏やかな朝が降り注いでいた。
目覚まし時計の音が鳴り響いて、美穂がむにゃむにゃしながら目覚めて、こちらの顔を覗き込んだ。
「おはよぉ、ぷろでゅーさーくん……」
これで自分が一体どうなっているのか把握できたわけだが、できたからといって意味はさっぱりわからない。
美穂はぬいぐるみの中に俺がいることなど気付いてすらいないようだ。当然だ、伝える術が一つも無い。
彼女は俺の顔に一度頬ずりして、えいやっと眠気を振り払う。
そうしてベッドから出て、薄水色のパジャマに手をかけ…………
目を閉じようとしたのだが、ボタンの目に閉じる瞼のあろうはずもない。
いやいやいや、おいおいおいおい、ちょっと待てちょっと待てちょっと待て!!
主が普通に着替えて朝飯食って学校に行った部屋の中、取り残された俺は静か~にパニックになっていた。
けど、動けないし、声も出せない。どうにもしようがない。
感覚はほとんど全部ある。
舌が無いので味覚は確かめられないが、見えるし聞こえるし、俺を抱く美穂の感触も伝わったしぷにぷにして柔らかかったし肌すべっすべだったし髪とかパジャマの隙間からめっちゃいい匂いしてきたし、
やめよう。
こうなるともう考えるしかすることがない。
首も動かせないので、ベッドの上から見える部屋が世界の全てだ。
広さは八畳ほど。アイドル女子寮の個室はみんなこうで、個性は主に内装や家具に出る。
美穂の部屋は、全体的にピンクが基調の、いかにも女の子って感じの内装だ。
けど部屋の一角に木彫りのデカい狸像と「もっこす」とぶっとく墨書きされた掛け軸があって、そこだけ異様な雰囲気だった。
なんなのあれ。逆に怖いんだが。
……結局いくら考えても、こうなった原因だとか、解決策なんてものはちらりとも考えつかなかった。
時計を見て部屋を見て、窓から差し込む光の傾きを見て、考えて考えてたまにボーッとして考えてボーッとして、夜。つまり今。
今日のタスクを全部終えた美穂が戻ってきた。
「は~、晩ごはんおいしかったなぁ。さすが響子ちゃんだよねっ」
美穂はてきぱき明日の準備をしながら、ふと一冊の台本を手に取った。
むむむ、とシリアスな顔。
……そうか。美穂は明日、ドラマのオーディションなんだったな。
美穂が狙うのは、恋する少女の役どころだ。担当プロデューサーの欲目もあるかもしれないが、こういう演技をする時の美穂は凄い。
セリフの練習をする美穂を、俺はしばらく見守っていた。
と、ひとしきり練習を終えた頃。
「プロデューサーくん、ちょっとおいで?」
何を思ったのか美穂は、俺をベッドから下ろし、カーペットの上に改めて座らせる。
そして自分はちょこんと対面に正座した。
何故か、さっきにも増して真剣な顔をしている。
「うおっほんっ」
と、かしこまった咳ばらいを一つして。
「――あ、あなたのことが、好きですっ!」
!?
あ、ああ、これも演技の練習か……。
美穂の一人芝居は続く。
「初めて会った時からそのっ、う、運命っていうか……そういうの感じて、ず、ずっと好きで……。
よろしければ私と、こっこっこっ恋人として、おつっ、おつつきあいくださいっ!!」
すぅ、
はぁ。
言い切って呼吸を整え、再び咳払い。
「ああ、俺もずっと好きだったよ、美穂……(精一杯の低い声)」
なんか始まったぞ。
「えっ……ほ、ほんとですか!? 嬉しい……!」
「もちろんさ……。ほらおいで、愛しい美穂。今宵は共にNaked Romance……お前と朝までチュッチュッチュッチュワ……(精一杯の低い声)」
「ああっそんな……っ。いじわるなあなた……っ♡」
と。
美穂は俺を抱いて、ベッドにぼすんと倒れ込んだ。
「……な、な、な、なんちゃって! なーんちゃってっ! えへ、えへへへへへっ!」
真っ赤な顔でじたばたごろごろしだした。
「どうしようっ、どうしようプロデューサーくんっ、ほんとにこうなっちゃったらどうしよぉぉぉ~~~~っ♡」
……ん? これ演技の練習とかじゃないの?
後日。
「よし……今日はオーディションだっ」
「緊張しないように、しないように……ううん、大丈夫! 今日の為に頑張ってきたんだもん……!」
「行ってくるね、プロデューサーくんっ!」
美穂は出発していった。
彼女ならきっと大丈夫だ、という安心はあったものの、今日も今日とて俺は留守番なわけで。
困った。ひょっとしたらこのまま戻れないんじゃないだろうか。
考える時間だけは腐るほどあるので、心配事があとからあとから出てきて止まらない。
そしてうんざりするほど思案した後、結局は「戻れなかったらどうしよう」というところに落ち着くのだ。
正直、俺は美穂が待ち遠しくなっていた。
美穂はぬいぐるみのプロデューサーくんにも頻繁に声をかけ、まるで弟ででもあるかのように可愛ってくれる。
もともとはクリスマスにかこつけてファンから贈られた誕生日プレゼントで、以来彼女はこれをいたく気に入り、
今でも部屋にいる時はべったりだった。
プロデューサーくんと名付けたのは、「なんとなく似てるから」という理由らしかった。
プロデューサーくんの中にプロデューサーが入っているというのは、なんとも安直な展開のような気はするのだが……。
しみじみ思っていたところ、部屋の扉が開いた。
いつの間にかそれほどの時間は経って、主が帰ってきたのだ。
その姿についつい嬉しくなりかけて、ふと様子がおかしいことに気付く。
美穂が明らかにしょんぼりしている。
ただいまを言う声も弱々しく、荷物を置いて、彼女はしばらくカーペットにぺたんと座っていた。
……どうしたんだろう。
……ひょっとして。
「プロデューサーくん」
ベッドに身を投げ出し、美穂は俺を両手で掲げる。
「オーディションね、駄目だったよ」
……そうか。
気にするな、また次があるさ。
上には上がいるけれど、お前の頑張りは俺が知ってる。
お前なら、きっともっと大きなチャンスだって掴める。
――と、どんなに言いたかったか知れない。
ぬいぐるみの口は動かないし、目元を拭ってやる指先も無い。
今の俺はプロデューサーくんであって、プロデューサーではないのだから。
だが幸か不幸か、このもふもふのボディならば彼女の涙を吸うことはできるらしい。
電気が消され、美穂が俺を抱きしめる。
額のあたりにじわりと染み込む温かさが、いつまでも残ればいいと思った。
〇
その日はオフで、美穂は一日寮でのんびりしていた。
部屋主がここにいてくれるというだけでかなりありがたいのだが、更に今日は客人が来た。
「お、お邪魔します……」
「ようこそっ。さ、入って入って!」
おずおずと入ってくるのは、なんと白坂小梅。
はたから聞く感じでは、美穂は先日のオーディション落選を受け、もっと色んなパターンの演技を習得せねばと思ったらしい。
それにはまず色んなジャンルの作品を見ることが大事だと。
……ここまで来ると流石に俺でも察することができたが、今回の課題は「ホラー映画」。
そこで白羽の矢が立った小梅は、ウキウキ顔でお気に入りのBDを持参したという次第である。
「あ、お茶とお菓子持ってくるからちょっと待っててね!」
「お、お構いなく……ぇへへ」
「……って、お茶っ葉切らしちゃってた。ごめんね小梅ちゃん、ちょっと食堂まで行ってくるから!」
「うん、いって……らっしゃい」
余った袖をひらひら振って部屋主を見送り、小梅は一人部屋に取り残された。
……まあ、一人ではないのだが。正確には。
と、小梅がこっちを見る。
じーーーっと見てくる。
……なんだ? クマがそんなに珍しいのか?
いぶかる俺をよそに、小梅は何を思ったか、ずりずりこっちまで寄ってきた。
そして、ボタンの目をじっと見つめてこう言った。
「プロデューサー、さん……?」
…………!!
小梅、俺がわかるのか!?
「う、うん……なんとなく……。こんなところに、いたんだ、ね……」
なんと心の声まで聞こえるらしい。
さすがモノホンの霊感少女。こういう状況での頼れっぷりがダンチだ。
小梅、俺がどうしてこうなったか、わかるか?
「う、ううん……それは、わかんない。ごめんなさい」
いいんだ。じゃあ、他に似たようなことになってる子は?
みんなは無事か?
「うん、それは、大丈夫……。みんな、いつも通り、だよ」
いつも通り…………。
そうだ、俺は!?
俺の心がここにあるなら、体はどうなってる!?
「心配、しないで。今、『あの子』が、入ってる……から」
あの子?
あの子ってあのあの子!?
「あ、大丈夫……イタズラとかは、してない……から。代わりに、ちゃんと仕事、してる……よ?」
ま、マジか……けど騒ぎになってないってことは、ちゃんと代わりを果たしてくれてるんだな。
みんな怪しんだりしてないか? 仕事に悪い影響があったりとかは?
「そ、それも、大丈夫……。予習はバッチリ、なんだって。…………取り憑く時のイメトレ、毎日してたから」
今さらっと怖すぎること言わなかった?
「ぅぇへへぇ」
くっ、かわいさで誤魔化された……!
――「わかる」みんなでなんとかするから。
――それまで誤魔化しておくから、もうちょっとだけ、待っててね。
小梅はそう言って(あと美穂にVシネ版『呪怨』等を思うさま見せてから)、帰っていった。
そこからまた数日、ぬいぐるみ生活は続いた。
考えるしかないのは同じなものの、小梅から言われたことは予想以上に俺の心を落ち着かせてくれた。
とにもかくにも、信頼できる相手(の親友)が代理を務めてくれているというのはありがたい。
もちろん俺自身の仕事ではないから不安はあるものの、魂が抜けてブッ倒れてますよと言われるより万倍いい。
そんなことになっていたらみんなのアイドル活動が立ち行かないし、何より余計な心配をかけてしまうからな。
待つしかできないというのは、なかなかもどかしい思いではあるものの……。
それでも、美穂がプロデューサーくんに構ってくれるから、寂しいなどということは欠片もなかった。
部屋の扉を開ける美穂は、日ごとに色々な顔をしていた。
にこにこしていたり。
ぷりぷり怒っていたり。
しょんぼりしていたり。
なにやらウキウキしていたり。
そして、今日あったことをプロデューサーくんに話しながら、日記にしたためる。
何かが成功した時は、聞いてるこっちも嬉しくなってくる。
何かに失敗してしまった時は、この綿の体に涙を受け止める。
今のところ美穂の話が、「外」の様子を知る唯一の手掛かりだ。
けどそれ以上に、彼女から直接聞くアイドル活動の感触は大きな意義があった。
〇
ある土曜日、寮で昼食を終えた美穂が、上機嫌な様子で俺を抱き上げた。
「プロデューサーくん、今日はあの日だよー」
……どの日?
もう長いことこの部屋にいた気がするが、こんなことは初めてだ。
美穂はいつも入浴時に使っているらしきバスケットを持ち出し、いそいそと道具を揃え始めた。
「綺麗にしてあげるから、一緒にお風呂に入ろうねっ♡」
えっ。
一度止めます。
続きは夕方~夜くらいになるかと思います。
ヤバいって!! 流石にマズいってそれは!!
心で叫んでも聞こえるわけがない。
そうだ、小梅! せめて小梅がいれば、うまいこと誤魔化してくれるのでは!?
寮の廊下を運ばれる最中、固定された視界から必死に人を探していると、リビングの扉が開く音がした。
「おやぁ、美穂はん? 今日はぷろでゅーさーくんはんとご一緒どすか~?」
「あっ、紗枝ちゃん! うん、今日はプロデューサーくんを洗ってあげる日なんだ。天気もいいし、干すのにも丁度いいかなって!」
「あらあら、それはええことどす~。ぷろでゅーさーくんはんも喜んではるんやないですやろか」
紗枝はちょこちょこ美穂と並んで歩き、まじまじと俺を覗き込んできた。
蜜のような黒瞳を間近に見るのは久々で、何のリアクションも返せないのにドキドキした。
「――あぁ、せやったら、代わりにうちが洗って差し上げまひょか?」
「えっ? でもそんな、悪いよ」
「お恥ずかしい話なんやけどな? うち、夕べお風呂に入り損ねてしもうたんよ~。せやから今から頂こ思て、ついでやから。どうどすやろか?」
「そ……そう?」
「美穂はん、今夜の準備もありますやろ? それにうちも、たまにこの子を撫でさせてもろてますから、ここらで恩返ししとかなあかんな~って」
今夜の準備……?
「そっか。うん、じゃあ、お願いしていいかな? やり方とか、わかる?」
「抜かりありまへん♪ ほな、お預かりしますえ~」
美穂が何かの準備に移り、一回り小柄な紗枝に抱かれている。
……だからといって問題が解決したわけでなく、相手が変わっただけで、依然ヤバい状況なのだが。
果たしてどうしたものかとぐるぐる考えていたところ、小さな手で頭をぽふっと撫でられた。
「堪忍なぁ、ぷろでゅーさーはん?」
ん……?
「いくらあんたはんでも、嫁入り前の乙女の柔肌、全部見せてまうんはあきまへん。そういうんは、ちゃぁんと責任取れるようになってからにしぃや?」
紗枝? ひょっとしてお前も、俺のことがわかって……。
「は~い、目隠し~♡」
――バッ!
〇
ほな、きれいきれいしましょな~♪
ん、しょ……。
桶に湯ぅを張ってぇ……。
はいこれ、ぬいぐるみ用しゃんぷー、どす~♡
ん~? うちの声、聞こえてはります?
……なんにも見えへんの、おっとろしい?
んふふっ♪ なぁんにも怖がることあらしまへんよ? うち優しゅうしますさかいに♡
はぁい、わしゃわしゃわしゃ~~~♡
痒ぅいとこはありまへんか~? なぁんて、あるわけないなぁ、ふふ♪
プロデューサーはん、気持ちええ? あったまれとる?
気持ちええんやったらちゃんと言うてくれんとわかれへんよ?
……あ、喋れへんのやったね。
それじゃ、お加減はうちが勝手にするしかありまへんさかい、堪忍なぁ♡
わしゃわしゃわしゃわしゃ~~~~っ……ふふふ♪
……ふぅ、こんなとこやろか?
あわあわを流して、お湯を取り換えてぇ……。
ほな最後に……。
うちが10数えますさかい、肩まで浸かってぽかぽかしましょな♡
はい、じゅーう♡ きゅーーうっ♡ はーーーちっ♡
……うちなぁ、プロデューサーはんのこと心配しとったんよ。
しゃわーやと疲れが取れへんしなぁ思て、ちゃーんと湯船につこてはるかなぁって。
なんやったらうちが気張って、プロデューサーはん専用の大浴場なんて作ったろかなぁ思うとったんどす。
はい、なーーーなっ♡ ろぉーーーくっ♡ ごーーーーお……っ♡
でも、これやったら簡単やねぇ♡
ええ機会やから、ま~ったりあったまろうなぁ♡
よーーーーーんっ♡ さぁーーーーー……んっ♡
ん~? かうんとだうん、遅なっとるって思てはる?
なんのことやろ? うち、ようわからへんわぁ。うふっ、うふふふふ……っ♪
にーーーーー…………ぃ……っ♡
いぃーーーーーーーーー…………………ちぃっ♡
…………なぁ、ぷろでゅーさーはん。
目隠し、取ってあげまひょか?
ちょ~っとだけやったらバチも当たらへんのちゃうかな。
どないどすやろ? えらいことになってはるようやから、これも役得や、思て……。
…………ふふ。
う・そ・や♡
はぁい、ぜぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーろっっ♡♡
〇
…………もうお婿に行けない。
隅から隅まで丹念に手洗いされ、タオルとドライヤーで乾かされ、日干しされている。
テラスから降り注ぐ日は暖かく、なんだかんだでこういうのは無かったからありがたくはある。
「ふわぁー……」
ベンチのすぐ隣では、こずえがうとうとしていた。
俺のことも知っているのかいないのか。はたから見たら、ぬいぐるみが二つあると思われるかもしれない。
「すぅ……すぅ……」
やがてこずえは俺によりかかり、すっかり寝入ってしまった。
アイドルのいつも通りの姿が見えると、やっぱり安心するものだな。
「……つき……。みずうみー…………みちびきー…………」
ほら、寝言まで漏れて……。
微笑ましいことだ。一体どんないい夢を見てるんだろうな。
「…………よどみー…………つめあとー…………みぎまわりのー……へんたい……」
えっ……。
「ちのよろこびー……なえどこー……けがれー…………けもののほうようー…………ひとみ…………」
何!? 何の夢見てんの!? 怖いよお!!
すっかり全身綺麗になって、日が傾く頃、美穂は紗枝に礼を言って俺を受け取った。
部屋に戻ると、なにやらちょっとした荷造りがなされているではないか。
「それじゃ、一緒にお出かけしようねっ」
……お出かけ?
よくわからない俺をもふもふ撫でて、美穂はでかいバッグのファスナーを開いた。
え、ちょっと待って、それに入るの? 一体どこへ――――
と聞けるわけもなく、視界はしばし闇に満たされる。
〇
ちぃーっとバッグのファスナーが開いて、覗き込んできたのは見知った顔だった。
「プロデューサーくん! えへへっ、こんばんわっ♪」
「私のお家へようこそ! 今夜はよろしくお願いしますねっ♡」
響子と卯月。
しかもパジャマだ。
そうか……ここは島村家の卯月の部屋。
三人はちょくちょくお泊まり会をしていると聞いたことがある。今日がその日だったとは……。
「わぁ、思ったよりおっきい! それに柔らかいし、いい匂いがするねっ!」
「えへへ。今日お泊まり会だから、紗枝ちゃんに洗って貰ったんだぁ」
「私は寮でたまに会ってるけど、今日は特にぴかぴかですね! 良かったね、プロデューサーくん!」
パジャマ姿の卯月と響子はいつもと雰囲気が違う。
いつも以上に柔らかい空気というか。
解いてふわっと広がった髪が、そう思わせるのだろうか。
挨拶代わりのふにふに攻めを受けながら、俺は般若心経を唱えることで平静を保とうとした。
(おい……おいそこの白クマ……)
はっ……何だ?
直接頭の中に……。
(俺だ。俺だよ。てめー何いい気になってんだ?)
誰だよ……って。
まさか、あれがそれなのか? ベッドの上にある、ド〇クエのスライムみたいな顔した謎の黄色いクッション!?
(ようやく気付きやがったな! こんにゃろう、後から来てチヤホヤされやがって! ここのしきたりってもんを知らねぇのか!?)
(そうですわよ! ご主人様のご寵愛を受けるのは本来アタクシ達! アナタのような新参が独り占めしていいものではなくってよ!)
(聞けばあなたはゲストのお嬢様のお気に入りのご様子……。連れてこられたのはこの際仕方がありませんが、我々に義理も通さないのは感心しませんね)
いえそんなこと言われましても。増えたし。
(このト〇ロみたいなやわらかおなかに定評のある私ですが、このような真似をされては穏やかではいられない……)
(こちとら長年卯月ちゃんの寝床の番をやってんでい!)(ご主人様達のもちもちほっぺを独占しようなどとは不届き千万でしてよ!)
(やいやいやいっ! さっきから黙ってりゃあ新人いびりも甚だしいぜ!)
(な……この声は!?)
(俺っちはカブトムシ君! 城ヶ崎の嬢ちゃんから島村の姐御に贈られて以来、窓際の守りを務める男よ!)
(ええいっ外様はお黙り! アタクシはアナタのこともまだ認めておりませんのよ!)
(なんだとう!? じゃあ言わせて貰うがな、姐御の枕元に構えるオメェが、そんな器量の狭ぇことでどうするよ!)
(なんですってぇ!? 言っていいことと悪いことがありましてよ! かくなる上は実力行使で!)
(上等じゃあ血と綿の雨降らしたらぁ!)(吐いたツバ飲まんとけよテメーッ!)(何が始まるんです!?)
(――――それまでじゃ、皆の衆…………)
((((ア……アルパカ長老ッッッ))))
なんだこれ。
「そういえば、プロデューサーさんのことどう思います?」
むっ……あの子in俺のことか?
「えっ? どどどどうって、どういう意味かな卯月ちゃん?」
「? 最近ちょっと様子がヘンだなって言おうとしたんだけど……美穂ちゃん、大丈夫? 顔赤いよ?」
「あっ、あー、そういう意味なの! いやっなんでもないよっ、うん!」
「様子がヘン……。確かにそうかも。私、ちょっと心当たりがあります」
「響子ちゃん、そうなの?」
「あの、シャツのボタンが取れかかってて。私が縫ってあげますねって約束してたのに、今日見たら自分で縫ってたんです。
プロデューサーさん、お裁縫はできないって聞いてたんだけど……練習したのかなぁ」
「あと、食べ物の好みも変わってるみたいでした。前はきんぴらごぼう好きだって言ってたのに、お弁当に入れても残しちゃってて……。
逆にシイタケが苦手だから入れないようにしてたんだけど、今度シイタケの煮しめが食べたいってリクエストまでされて!」
「あ、あとあと、朝すっごい早い時間に起きるようになったんですよ! 私が起こすまで絶対ベッドから出ないのに!
こないだお邪魔したらもう着替えまで終わらせてて、コーヒーまで飲んでて私びっくりしちゃって!」
「きょ、響子ちゃん、なんでそんなに詳しいの……?」
……休みの日とかたまに世話になってるからです。
すみません。ダメな大人でごめんなさい。
「でも、確かにプロデューサーさんの雰囲気、ちょっと違うかも……」
「なんだかいつもよりシュッとしてるっていうか、クールな雰囲気ですよね」
「私はああいう感じも結構かっこいいと思うなぁ」
あの子ちゃん、クール系なのか……。
「あと、何も見えないとこに何か話しかけたりもしてたり」
「近くで謎のラップ音とかしますよねたまに。あれ、なんなんだろ」
「み、ミステリアスで良い感じだよねっ」
怪現象起こっとる……。
「そうそう、この間なんて床から5センチくらい浮いてたんですよ! 二度見しましたもん私!」
「夜おうちまで送ってもらった時、周りにぽっぽって火の玉みたいなのが浮かんで見えて……見間違いだったのかなぁ」
「ファンタジーっぽくて素敵だと思うな! 蘭子ちゃんも好きそう!」
美穂はあれなの? なんでも褒めるとこから入るタイプなの?
女子の話とはまことに移ろいやすいもので――
話題は今、「プロデューサーくんが本当に本物に似てるかどうか」にシフトしている。
「でもそんなに似てるかなぁ?」
「え~、似てるよぉ! ほらここ、目元の感じとかそっくりじゃない?」
「あ、ほんと。ぼんやりした感じが可愛いですねっ」
六つの手でむにむにされたりなでなでされたり、つんつんされたりひっくり返されたり。
「そういえば、口の感じも似てると言えば似てるかも……」
「わむっとした感じですね! うりうり~♪」
よってたかって口元をぐりぐりされる。
「手元は熊さんだから似てないですね。でも触ると安心するのは同じかも……」
「今日もよく頑張ったな美穂。ほれほれ耳元をふしょふしょしてやろう……(頑張った低い声)」
「ひゃあっ!? や、やめてよぉ~! ……えいっ、仕返しっ!」
「きゃーっ♪」
もみくちゃにされる。
ひょっとすると俺はもう死んでいて、ここは天国か何かではないかと思えてきた。
やわらかくてあたたかくて、いい匂いがして、なにやら気が、気が遠く……。
お花畑が見える。
あ、向こうに立っているのは……!
おじいちゃん! 二十年も前に死んじゃったおじいちゃんじゃないか!
「…………たー…………なたー…………」
わあなんだか懐かしいなあ。
ねえおじいちゃん、またあのお話してよ、ほら、おじいちゃんが愛用のファイターで無数のギャラガを千切っては投げしたっていう現役時代の……。
「……そなたー……そちらに行ってはー……いけないのでしてー……」
はっ……この声は?
「戻りませー……わたくしの声に導かれー……」
――――ヒュンッ!
〇
目覚めると、まだもみくちゃだった。
部屋は静まり返り、常夜灯が滲む薄闇の中、可愛らしい三つの寝息だけが聞こえてくる。
三人は卯月のベッドでもつれあうようにして眠っていた。
お喋りに夢中になっている内、一人撃沈し、また一人、もう一人……と寝落ちしたんだろう。
目の前には横向きになった美穂の寝顔がある。俺を抱きしめたまま離さないのは響子だろう。
となるとこの頭を圧迫してるのは卯月のケツということになるが、寝相悪すぎなんじゃないだろうか。大丈夫なんだろうか。
「ん……ぅ」
と、長いまつ毛がぴくりと動いて、美穂がゆっくり目を開けた。
目が合った。
「…………」
とろんとした瞳が、ゆるく焦点を結ぶ。
俺はしばらく、美穂の顔を正面から見つめていた。
なんて可愛いんだろう、と見る度に思うし、今も思ってる。
こうなってしまったのも、ある意味では幸運だったのかも知れない。
美穂の頑張りをまた別の角度から、別の近さから見ることができたのだから。
普段こっちには決して見せないような弱音や、涙さえ幾つも受け止めた。
それでも彼女は笑いながら、泣きながら、この激流のようなアイドル業界を泳ぎ渡っている。
そして、決してくじけない。
これはもう天稟だと言ってもいい。
そう、美穂は凄い奴なんだ。
だからこそ今、こちらから彼女にかけられる言葉が一つも無いのが惜しくてならない。
言わずにおれないことは幾つもあって、こんな様だから溜め込んでいくばかりだった。
いつも頑張っているな。
美穂ならきっとできる。
何か悩みはないか。
してみたいことはないか。
あれば、必ず叶えてやるから。
美穂が遠く遠くまで飛べるようにするのが、俺の役目だから。
なあ、美穂。
アイドルは、楽しいか?
「……心配してくれてるの?」
ふと通じ合ったような気がして、ドキッとした。きっとそんなことはないのだろうが。
美穂は綺麗な目を細めて、俺の頬を指先で優しく撫でる。
「大丈夫。私、毎日幸せだよ」
そうして、へにゃっと笑った。
「大好きだよ、プロデューサーさん」
やっぱり寝ぼけているのかもしれない。
美穂はそのまま俺の鼻先に口元をすり寄せ、十秒待たないうちにまた寝息を立て始めた。
〇
島村家の夜は更け、俺の意識もふっと遠のき、普通に起きたら人だった。
「………………戻ってる!!」
「………………へ、部屋がバリバリのゴシックパンク趣味になってる!?」
そんなわけで何のドラマも起こることなく、いつの間にか俺は自分の体に戻っていた。
週が明けて出勤し、超久しぶりな気がするちひろさんについ感極まって抱き着いたら巴投げを喰らった。
仕事は事前に組んだスケジュールの通り、全く問題なく進んでいるようだった。
俺がおかしなことになっていると気付いた者は、一部を除いて誰もいなかった。
ただこれ以上中身があの子な状態が続くと、いよいよ怪しまれそうな瀬戸際だったので、ギリギリセーフと言えよう。
「プロデューサーさん、戻ったんだ、ね……。よかった……」
「ああ小梅、色々ありがとうな。あの子も……その辺にいるのか? おーい、ありがとうなー!」
「うん……。また、その気になったら……体、貸して欲しい、って言ってる……」
「そ、それはちょっと勘弁願いたいかな……」
「プロデューサーさん! おはようございますっ」
「ああ、おはよう美穂」
毎朝毎晩見慣れた美穂だが、こうして改めて顔を合わせると不思議と新鮮だった。
「あれ? プロデューサーさん、ネクタイがゆるんでますよ」
「えっ、あ、マジで? うわすまん」
復帰早々ダサいとこ見られてどうすんだ……。卓上鏡を見ながら慌てて直す。
「これでどうだ?」
「どれどれ……うん、ばっちりだと思います! ……ふふっ」
こちらの目を覗き込んで、美穂は何故だかくすくす笑った。
「ん……? 今度は前髪が変とか?」
「いえ。なんだかやっぱり、そんな感じがいいなぁって」
「そんな感じ?」
「プロデューサーさん、こないだまでちょっぴり雰囲気違ったから……。でも私、やっぱりそっちの方が好きです」
ああ……。
嬉しいことを言ってくれるな、本当に。
「…………あ゙!! 好きってそういう変な意味とかじゃないんですよっただいつも通りで安心するっていうか一緒にいたいっていうかっいやそれも違くてあああなに言ってるんだろ私っ!!」
「美穂」
「ひゃいっ!?」
「ありがとな。俺も、こんな感じで美穂といられて嬉しいよ」
「ぁ…………」
と、美穂の顔がみるみる赤くなっていって。
「は…………はぃ」
頷くなり、俯いてしまった。
かわいい。
「そなたー、そなたー」
「お体はもう大丈夫ですか~?」
と、懐かしい声がかかる。
「芳乃。それに茄子さんも」
茄子さんの口ぶりからすれば、俺に何が起こったのかなどとっくに承知の上だろう。
そればかりか、小梅が言っていた「わかる人」の中心メンバーのような気がした。
「ああ、もう大丈夫だよ。心配かけてごめん」
「ふむー、何よりかとー」
「こっちでも色々やってたんですけど、なんとか解決できて良かったです♪ ね、芳乃ちゃん?」
「まことに然りー……。付喪神の類が、少し悪さをしたものでしてー。そなたは何かー、お心当たりがありましてー?」
「たとえば古い道具とかを触ったり、拾ったりなんてことは、ありませんでしたか?」
「ああ……そういえば」
ああなる前々日くらいに、道端でボロッボロのビニール傘が雨に晒されているのを見たことがある。
別に大したことではないのだが、その姿がいかにも哀れっぽく見えてしまって、傘を水たまりから救出した。
で、雨滴が当たらない街路樹の下に立てかけておいたのだ。
「……あれってひょっとして恨まれるようなことだった?」
「いえいえ、まさか! むしろ逆ですよ~。恩返しをしよう、って思っちゃったらしいんですよね」
「人と人外の者とはー、価値観が違うのでしてー。よき思いをさせようと、ああしたものかとー」
「でももう大丈夫ですよ~。私と芳乃ちゃんでお邪魔して、滅ッ♪ しちゃいましたから!」
「『めっ♪』の発音がめちゃくちゃ怖い」
「調伏してはおりませぬゆえー、安心なされませー。少し、お仕置きをしたまででしてー」
「あ、あの、それってどういう……?」
唯一さっぱり話のわかっていない美穂が、きょとんとしながら俺達を見比べた。
…………やばい。
美穂だけには聞かれてはいけないことだ。
俺はすぐさま芳乃と茄子さんに向き直り、
「二人とも、美穂にこのことは話」
「かの者の魂はー、しばしの間ー、熊さんのぬいぐるみに宿っていたのでしてー」
「プロデューサーくんに入ってらしたんでしょう? 美穂ちゃん、お世話になりました♪」
アチャー
「えっ」
「…………えっ」
こうなったらもう隠しておくことはできない。
かくかくしかじかの次第を、悪気まったくなしの芳乃と茄子さんが丁寧に説明してくれた。
美穂は三十秒くらい開いた口が塞がらず、ようやくこれだけ言えた。
「い…………いつから?」
「ふむー。正確な時間はわかりませぬがー、七日ほど前であったかとー」
その顔がさっき以上に、みるみるどんどん真っ赤になっていって。
「なっ、なっ、ななななっ、なななななな……っっ」
「み……美穂。落ち着いてくれ。いいか、まずそこに座って深呼吸を」
「だ、だだだだってっそれ、ぜっ全部、わたっ、わたしのぜっ、全部ぜんぶっ」
「大丈夫、大丈夫だから! 『今宵は共にNaked Romance』なんて聞いたことも」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
「ああっしまった!! 美穂ー!! 待ってくれ美穂ー!!!」
〇
「行っちゃいましたね~」
「仲良きことはー、美しきことなのでしてー」
「それにしてもプロデューサーったら、一体どこまで気付いてるんでしょうねぇ」
「自覚が足りねばー、知りようもなきことゆえー。神のみぞ知る、と申すべきでしょうー」
「神。たとえば、かわいらしい付喪神さんとか……ですか?」
「ふむー?」
「本来の付喪神は古道具に魂が宿るもの。現象みたいなもので、あれほどのことをする通力はありませんよね?」
「……はてー、仰る意味がよくー」
「…………ふふっ、なんでもありません♪ それじゃ、お茶でも淹れましょうか? ちょうど、いいお饅頭を頂いたんです」
「それはとても善きことですー」
「今回手伝ってくれたみんなにもご馳走しましょう♪」
「善き哉、善き哉ー」
<アアアアアアアアア!!!! アアアアアアアアアアアアア!!!!
<ミホー!!!! ミホー!!!!!!
~オワリ~
以上となります。お付き合いありがとうございました。
ピンチェのパジャマ空間にぬいぐるみとして存在したい……したくない?
HTML化依頼出しておきます。
よろしければ過去作もどうぞ。
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