松田亜利沙「大好きを繋ぐレスポンス」 (24)
地の文系、ミリマスssです。名前だけのキャラにちょっと言及してます。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1509285844
「合格者は二番、四番の方です。呼ばれなかった方は不合格となりますので、お帰りいただいて結構です」
吐き出した息がうまく吸い込めなくて、えづいてしまいそうになるのを必死で抑える。
胸につけた五番の番号札にほんの一瞬だけ視線を向けて、俯き加減で席を立った。
「っぅ、ぁ……っ! はっ、はぁ、あ、うぅ……」
ガタガタと身体を震わせて、不規則に息と嗚咽を漏らして、きっと真っ青な顔をして。
プロデューサーさんに謝るよりも先に、ありさは目についたトイレの個室に逃げ込んでいた。
初めて挑んだ劇場の外でのオーディション、惨敗したことは二の次だった。結果が出るよりも前から、ありさはとうに折れていたのだ。
怖かった。
オーディション会場が、その空気感が怖かった。審査員さんの視線と𠮟咤が怖かった。
そして何よりも、周りのアイドルちゃんの絶対に勝つっていうギラギラした闘志が、怖かった。
大好きなはずのアイドルちゃんを怖いと思ってしまうことが、いちばんいちばん怖かった……!
思い出したくないと思えば思うほど、息苦しさがまぶたの裏側を掠めていくようで、両腕で体を抱きながら背中を丸めてうずくまっていた。
長く、息を吐き出す。まだ気分は重たいけれど、そろそろプロデューサーさんのところへ戻らなきゃ。
オーディションが終わってから、時計の長針は120度ほど回っていた。
「ああ、亜利沙。随分遅いから心配したじゃないか。……大丈夫か?」
案の定、心配されてしまう。大丈夫と答えるくらいの元気は残っていた。
大丈夫そうだと思ってもらえるかは、わからないけど。
プロデューサーさんはオーディションの結果の話をしなかった。それはきっと、ありさへ向けたありふれた優しさなんだと思う。
「それじゃあ、少しだけこれからの話をしよう。亜利沙には、来月の頭にソロで公演をやってもらおうと思ってる」
「ソロ……ですか!? む、ムリです! ムリですよぉ……! 今日だって、オーディションに落ちちゃいましたし…………」
「だからこそ、劇場の公演で自信をつけて欲しいんだ。大丈夫、公演を観に来てくれるお客さんはみんな亜利沙の味方だよ」
信じられない、そんなのできっこない。ありさの頭をそんな言葉が埋め尽くしていく。
ソロ、だなんて。ありさ一人に、来てくれた人たちを楽しませる魅力なんてあるのだろうか。
ああ、でも。こうやってオーディションに参加して、アイドルちゃんに怯えてしまうことの恐ろしさと比べれば、ずっと頑張れそうカモ?
……ううん、そんなことない。
公演が不安なのも勿論あるけど、こんな考え方をしてしまうありさ自身がいけないんだってことをわかってるから、それがどうしようもなく心細くさせる。
「……ありさ、ちゃんとアイドルちゃんできるでしょうか? みんなを元気にできるような、そんなアイドルちゃんに……」
「勿論さ。亜利沙は39プロジェクトのみんなにも、そして他のアイドルたちにも全然負けてないくらい魅力的だ。俺が保証する!」
プロデューサーさんがそうまで言い切るのだから、尻込みしていちゃいけない、とは思う。
自信が持てなかったとしても、何もせずにいるよりはずっといいはずなのだ。
「う、うぅ……わかりました。ありさは、覚悟を決めますっ……!」
「よし、その意気だ。明日からも頑張っていこう!」
「はい! 明日から…………明日? あ、あああああぁぁぁ!!」
そう、明日。一瞬前まで考えていたことも吹っ飛んでしまった。なんでこんなに大切なことを忘れていたんだろう。
明らかにアイドルちゃんらしからぬ悲鳴をあげてしまった気がするけど、そんなこと、目の前にある大問題と比べれば些細なことだ。
面食らった様子のプロデューサーさんにぐっと詰め寄る。
「明日、ずっと楽しみにしてたアイドルちゃんのライブがあるんです! あの、充電と勉強のため、とかで……行ってきても、いいですか?」
プロデューサーさんは目を丸くして……しばらくしたら、笑いながら頷いてくれた。
*
スクリーンに映し出されていた宣伝映像が止まり、流れていたBGMもフェードアウトしていく……開演の合図。
ありさたちは期待のままに歓声を上げて、そしてどきどきと胸を高鳴らせながらその瞬間を待っている。
彼女の曲が大音量で流れ始めて、ステージライトが乱れ舞い、そしてアイドルちゃんが最っ高にキラキラした姿をありさたちに見せつけてくれる、その瞬間を。
一秒、二秒、三秒……焦らすような静寂は、一瞬のうちに吹き飛ばされた。
「みーんなー! 今日はこの私、スパーク☆めいでんちゃんのアニバーサリーに来てくれて、あっりがとー! 今日もキュンキュンに電波発信しちゃうから、みんなも七色の電気棒、よろしくねー!!」
エレクトロニックなサウンドと派手なライトの中心に、一切見劣りしないどころかステージ全部をモノにしたアイドルちゃんが堂々登場!
いつも通りで、だけどちょっとトクベツな口上にありさも出せる限りの歓声を返した。
チケットを取った日から積もっていた期待感は、今まさに爆発したのだ。
最近じわじわと人気上昇中のアイドルちゃん、スパーク☆めいでんちゃんの1stアニバーサリーにして、初めての大きな会場を独占してのライブ。
ファンとして見逃せるはずがなかった。
今までよりずっと広いステージのはずなのに、全然距離を感じさせない。
元気な高音は会場全体によく通って、激しいダンスはステージを駆け回るようで、キラキラの笑顔はどこから見たって眩しすぎるくらい。
見ているありさたちに、こんなにもまっすぐ楽しいと嬉しいが伝わってしまう。ペンライトを握る指にも力がこもってしまう。
初めて見た時から変わらない、それどころかどんどん引き出されていくドキドキ……ずっと見ていたい、応援していたい。
そう思わせてくれるから、ありさはスパーク☆めいでんというアイドルちゃんが大好きなのだ。
休憩やMCを挟みながらたっぷり一時間半ほどのライブは、途中からはもう夢見心地だった。
明るい曲には夢中でコールを入れて、ゆったりとした曲では感慨に浸ってしまって、一瞬一瞬は鮮烈だったはずなのに、どうしてかはっきりと思い出せない。
勿体ないとも思いつつ、でもリアルタイムだからこその幸せな酩酊感を満喫していたくもある。
だけど、ラスト一曲を残した最後のMCだけは話が別だった。
これだけは一言一句たりとも聞き逃したくない。それはきっと、この場所にいる誰もに共通する願いだと思うのだ。
「みんな、楽しかったかな? 私はね、最高に楽しかったの! それが伝わってると嬉しいな」
「一年やってきて、今でも印象に残ってるのって、最初にもぎ取ったお仕事なんだよね。ついに! ようやく! 私を認めてもらえたんだって、はしゃいじゃって」
言葉の節々は明るく、身振り手振りもぱたぱたと激しい。
だけど、何か大切なものを胸にぎゅっと抱きしめるような愛おしげな様子が感じられた。
初仕事……ありさが初めてアイドルちゃんとして活動した時って、どんな気持ちだったっけ。
と、いけない。考え込んでいるうちに彼女のMCを聞き逃してしまいそうだ。
「世の中にはいっぱいのアイドルがいて、そんな中で私が選ばれたって、凄いことだと思うから。だから、今日はこーんなにたくさんの人が私を選んでくれて、幸せです!」
それはきっと、彼女しか知らない軌跡と感情なんだと思う。
それをちょっとでもありさたちに伝えようとしてくれていることが、たまらなく嬉しい。
少しだけ震えた彼女の声に、がんばれ、と心の底でエールを送る。
「……えと、泣かないよ? うん。だ、大丈夫。それじゃ、これからの抱負!」
「私は、負けない! 大きな事務所のアイドルよりも、話題のプロジェクトのアイドルよりも、これからやってくる後輩アイドルよりも輝いて! もっともっと大きな虹色スパーク、響かせちゃうからねーっ!! それじゃあ、行くよっ!!」
――――。
今までで一番の歓声……ありさだって、その一員になるはずだった。
だけど、気づけば最後の曲が流れ始めていて、ありさは完璧に置いてけぼりだ。
大慌てでスイッチを切り替えて、コールと一緒にペンライトを振って、それでもどこか上の空。
鮮烈だったのだ。
未来のことを宣言……あるいは宣戦布告する彼女の本気の表情が、頭の中を埋めてしまっている。
ぞくり。驚くくらいにきれいで、鳥肌が立つほど強い魅力に満ちていた。
あの場所にあるのは、正真正銘これからもっと前へ進んでいくアイドルちゃんの姿だった。
「はふぅ……いいライブでした…………ムフフ」
掛け値なしにそう思う。幸せな、充実した時間だった。
帰り道の電車でSNSの感想をぼんやり眺めながら、ライブの記憶に浸る。それ自体はいつだってライブ終わりにやっていることだ。
だけど、ありさの心持ちはいつもと少し異なっていた。
……ありさは、どうなんだろう? って。
そんな言葉が頭の中に浮かぶようになっていたのだ。
綺麗だった。可愛いとか、応援したいって気持ちが、あの一瞬で切り替わった。
負けないって意志がこんなにも心を釘付けにするだなんて、ありさはぜんぜん知らなかったのだ。
あんなふうになれるだろうか。キラキラ、できるだろうか。
オーディション一つで委縮してしまうような弱虫なありさが。
ううん、きっとならなきゃいけない。
たくさんのアイドルちゃんに、少しずつ勇気をもらってきた。ようやく踏み出せた一歩、怖気づくには早すぎるから。
それに、と加えて思う。ずっと怖がっているままじゃ、何よりもアイドルちゃんに申し訳ないって。
アイドルちゃんが誰しも通る道なら、ありさだって逃げずに戦わなきゃいけないんだ。
よし、とかけ声をひとつ。
ぎゅっと拳を握って、ありさはもう一度SNSの海に潜った。
*
「プロデューサーさん、お願いします! ありさに、このオーディションを受けさせてください!」
前回のオーディションからまだ二日しか経っていない朝。
ありさが印刷した募集要項と共に差し出した言葉に、プロデューサーさんは怪訝そうな表情を返した。
「急にどうしたんだ。理由、聞いていいか?」
ありさも、それが当然の反応だと思う。すぐに首を縦に振ってもらえるなんて思っていない。
だけど、これがありさなりに考えて出した結論であることも間違いないんだ。
「多くのアイドルちゃんは、登竜門って呼ばれるようなオーディションや番組を乗り越えてきました。そうやって、大きなステージを勝ち取ってきたんです! ……でも、ソロ公演っていう大舞台を前にして、ありさには胸を張れるものがないんじゃないかって、そう思ってしまって……」
ありさの足元には、実績も、自信も、何も積み上げられていない。
デビュー公演では少し贅沢に時間を使って紹介してもらった。他の人がメインを務める公演に出させてもらったことだって何度もある。
でも、それは与えられたものでしかないのだ。
ソロのステージはどれくらい重たいだろう。その重みに鈍感でいられればよかったかもしれない。
だけど、気づいてしまえばごまかしがきかなくなってしまう。ありさはそれを支えられないって、理解してしまう。
気づかされたんだ。このままじゃいられないって。
「でもな、亜利沙。言いにくいけど、亜利沙が初めてのオーディションに挑んだのは一昨日だ。……大丈夫なのか?」
大丈夫、と答えそうになる口を閉ざした。あの時の恐怖はまだ残っているというのに、断言なんてできるはずがない。
優しい声音に感化されてそんな見栄をプロデューサーさんに向けたって、何の意味もないのだ。
「……わかりません。でも、大丈夫になりたいんです。アイドルちゃんにとって自分だけのステージってきっと、すごく、すごく大切で……だから、弱虫なままのありさで、それを迎えたくないんですっ!」
この気持ちの芽生えは、つい最近かもしれない。
だけど、ずっと昔からそう思っていたかのように納得できるのだ。
ありさが見てきたアイドルちゃんは、いつだって自分の立つ舞台を大切に抱きしめていたから。
そう在れるように。自信を持てるように。そうすれば、やり遂げられるって思うのだ。
「亜利沙は、39プロジェクトのオーディションに合格した、立派なアイドルだよ。亜利沙が思っているよりずっと、狭き門をくぐってきた。アイドルとして今日まで頑張ってきたことも俺が保証する。……それでも、足りないか?」
「……! ありがとう、ございます……っ」
「…………そうか」
もらった言葉は胸にあたたかく広がったけれど、握ったままの拳を、ありさは解くことができなかった。
白いデスクに向けていた視線をプロデューサーさんの方へ上げると、少しだけ眉を下げた表情と目が合った。
「プロデューサーさんは、もうこんなに近くにいますから……だから。ありさは、ありさを知らない人にだってアイドルちゃんとして認めてもらえるって証明したいんですっ」
「挑戦、させてください……!」
ぎゅっと目をつぶって、深く頭を下げた。答えを待つ時間は、思ったよりも一瞬だった。
「…………わかった。全力を出してこい! ただし、オーディションがどんな結果に終わろうとも公演には本気で取り組むこと。いいな?」
「いいん、ですか?」
「簡単なことじゃないぞ?」
簡単なことじゃない……たぶん二通りの意味がある言葉を、心の中で何度も繰り返した。
両方とも、やめる理由にはならなかった。
「……大丈夫です。すぅ……っ、ありさ、頑張っちゃいますよー!」
自分を鼓舞する言葉。プロデューサーさんにアピールする言葉。
それがありさを息苦しくさせていることに、気づくことができなかった。
「亜利沙、オーディションの参加者が決まったみたいだ。目を通しておいてくれ」
プロデューサーさんからの連絡に、すぐさま反応する。
戦いは始まる前から勝敗が決している、なんて言葉があるくらいだから、リサーチは基本中の基本のはずだ。
今回のオーディションで選ばれるのは一人だけ。ありさ以外のアイドルちゃんの、誰にだって負けられないのだ。
だからこそ、頭の中に刻み込むようにひとつひとつの名前を確かめて……。
「…………うそ」
ありさの視線は、ほんの数文字が書かれているだけの一行から動かせなくなっていた。
六番目……エントリー表の一番下の行に書かれた言葉が、いとも簡単にありさの思考を止めていた。
アイドル名、スパーク☆めいでん。
それが意味する現実を直視するまでに、そう時間はかからなかった。
*
うつら、うつら。……がたんっ。
「……っ!」
瞼を閉じて意識が飛んでいくか否かの瀬戸際だった。
起きることができたのは、イヤホンから流れ始めたお気に入りの曲と、座席に座った身体が大きく揺れる感覚が同時にやってきたからだ。
少しだけ、心臓が跳ねる。
扉の上のディスプレイに表示された駅名はありさの目的地の三駅ほど前だったから、胸をなでおろすような心地で大きく息をついた。
スマホを開いて時刻に目を向ける。大丈夫、この分なら間に合いそうだ。
三駅……ぼーっとしていたらまた眠ってしてしまいそうな、微妙な時間だ。手持無沙汰のままでいるのは、ちょっと危ない。
ぼやけたままの頭でSNSを開いて、行きそびれてしまった数日前のライブのレポを流し読みしていく。
楽しかっただろうなぁ。
書いている人の感情が乗った文章はそれを読むだけでどきどきとして、会場の熱気を追いかけているような感覚を抱かせてくれる。
まだ少しだけ疲れが残っているありさには、ちょっと他人事みたいに思えてしまったりもするけど、それでも十分、元気をくれる栄養剤だ。
記事を一つ読み終わるよりも先に、降りる駅への到着を知らせるアナウンスがありさの耳に届く。
読みかけの記事を閉じたらそそくさとスマホをポケットにしまいこんで、ありさは扉の前へと足を向けた。
日を追うごとにレッスンは過酷になってきていた。
だけどそれは別にオーディションのために特訓している、というわけでもなくて、公演へ向けた、ありさの曲を歌い踊れるようになるためのレッスンに過ぎないのだ。
求められているものはとても高い水準だった。
指先まで意識を集中させて、なんて言葉は何度も聞いてきたけど、それがこんなに大変だってことを知ったのはごく最近だ。
歌だって、ありさの曲は歌唱力をアピールする曲ではないと思うけど、それでも気を抜いていいはずがない。
何より、ソロなのだ。隣に立って、ミスをカバーしあえる仲間のいない舞台。
ありさがどれだけちゃんとやれるかが試されることになる。
「ストップ! そこ、テンポが一つズレてる。それに、腕の高さが左右でバラバラになってるから、ちゃんと意識して!」
「は、はいっ!」
その、つまり。端的に言えば、うまくいっていなかった。
「お疲れ様、亜利沙ちゃん。どんどん良くなってきてるよ、この調子なら公演には十分間に合いそうね」
「あ、ありがとうございます……。っ、はぁ、けほ、けほっ……」
「……ちょっとハードだったかな。次のレッスンまで、ゆっくり身体を休めてね」
「だ、大丈夫ですぅ……次も、よろしくお願いします……」
トレーナーさんの言葉が胸にしみる。
上達はしている、はず。その実感がないわけではないけど、まだまだ全然足りていない。
きっと公演までには完成するだろう。でも、オーディションまでには?
オーディションでのパフォーマンスと公演でのパフォーマンスは別物だけど、求められるものの本質は変わらないはずだ。
それに、レッスン一つでここまで疲れ果てて、息が上がってしまうということ自体がありさの体力不足を物語っていると思うのだ。
レッスンルームの床にへたり込んで、壁に身体を預けて、ぼーっと姿見に映ったありさを眺める。
汗だくで、頬を火照らせて、髪もちょっと……いや、だいぶ乱れてしまっている。アンテナみたいでお気に入りのツインテールも、心なしか元気がない。
オフショットにしたって、もう少しまともな状態じゃないと絵にならないだろう。
なんだか可愛くないなって思ってしまった。
アイドルちゃんっぽく笑顔を浮かべてみても、どこか歪で、楽しくなさそう。意識しなくても簡単にできてたはずなのになぁ。
マイナス思考が働き始めたのを感じる。
振り払おうとして改めて立ち上がってみると、どうやら少し早足に歩いてもふらつかないくらいには回復したみたいだった。
自主レッスンのためにプロデューサーさんにお願いを……と思ったけれど、流石にこの有様じゃ怒られちゃうかな。
でも、何かできることがあるんじゃないか、やらなきゃいけないことが残っているんじゃないか、そんな言葉が聞こえてくるようで落ち着かなかった。
……いいや、やめよう。こんなに疲れているのに、どうしてもっとハードなことをしなきゃいけないんだ、なんて。
まるで疲れを言い訳にレッスンから逃げてるみたいだ。押しつぶされた声がもやもやとしたしこりになって、胸の奥に溜まっていく。
そんなもやもやをため息として無理矢理に吐き出して、ありさは帰り支度を始めた。
帰り際、すれちがった仲間とあいさつを交わす。
劇場でバレーボール大会をしよう、ネットはあそこを使って……そんなはしゃぎ声が届いた気がした。
*
「ん、んぅ……ふわぁ…………」
アイドルソングが設定されたアラームで目を覚ます。そこまでは、いつもの朝。
視界だけはやけにはっきりして、浮き彫りにされるみたいに寝ぼけたままの身体が重く感じられる。
ベッドから降りて、二度寝防止で机の上に置かれたスマホまで歩いて行こうとした。だけど。
「ぅ、ぁれ……、っ!? 痛、ぅ……」
足を滑らせたのか、盛大に転んでしまった。
机やら椅子やらの角に身体をぶつけたりはしなかったけど、強かに床と激突した身体は当然のように鈍い痛みを訴えてくる。
なんだかなぁ、と思いながら起き上がると、はらりと白いタオルが床に落ちる。
あれ、これってもしかして、お風呂上りに髪に巻いていたタオルじゃないだろうか。
……つまり、寝落ちした? 律儀に電気を消してアラームもつけて、ベッドで?
そんなことはないだろう。アラームだけは念のためとセットした覚えがあるけど、それ以外はまったく記憶にない。
「……うわあ」
一日の始まりから、ダメダメっぷりが露呈してげんなりする。
そんなに疲れていたんだろうか、ありさは。流れ続けている元気な曲との対比が、やけにむなしかった。
「亜利沙、今日は朝ごはん食べるの遅いね? 顔色もよくないし、体調悪い?」
ママからそんなことを言われて、そういえばまだ身体が重いなと気づく。自覚してみた途端、少し頭が痛くなってきた気もする。
嫌な予感に襲われながらも、体温計を戸棚から取り出した。
ぴぴっ、という電子音にちょっと古めかしいディスプレイへ目を向けると、平熱を二度ほどオーバーした数字が表示されていた。
起きてすぐの些細な不調に続けて襲ってきた正真正銘の体調不良。
やるせなさが許容量をオーバーして、ありさは唸り声をあげながら机に突っ伏してしまった。
早々と学校に欠席の連絡を入れたまではよかったけど、プロデューサーさんにも伝えなくちゃと思うと、ひどく気が重かった。
この大事な時期に何もせずに休んでいなきゃいけないなんて、そんなの許されるはずがない。許されるはずがないけど、どうしようもないのだ。
メールを打ち込む。
熱を出したからお休みする……それだけのことを伝えれば十分なはずなのに、画面に触れるか触れないかのところで指は完全に止まっていた。
いつもはどんな口調でメールを送っていたっけ、絵文字はどれくらい?
悩みながらも書いては消して、一度保存しては書き直して、そんなことをしているうちに時間だけがどんどんと過ぎる。
結局、明るくふるまったりすることもない、ごくごく普通の文章ができあがっていた。
意を決してメールを送信して、ベッドに潜り込んで口元まで布団をかけて。
どこもかしこも苦しかった。寒さなんて感じてないのに震えてしまう。
じっとしていると、吐かずにいた弱音とか泣き言とかが頭の中を埋めていくものだから、眠れる気がしない。
頑張ろうって決心したのに、自分なりに努力してきたのに、その結果がこれだった。
客観的に見ればレッスンの量だって特別多かったわけじゃない。それでもありさは必死だった。報われるって、信じてきたのに。
でもやっぱり、何よりもつらいのはあんなに楽しみだったアイドルちゃんとしての活動を、今は気が重いとさえ感じてしまうことだった。
アイドルちゃんはキラキラしてて、楽しげで……それなのに、ありさは今、楽しめてないよ。
プロデューサーさんにも、劇場のみんなにも大丈夫、頑張るって空元気を返して、その言葉の通りにやってきたけど、もう疲れてしまった。
何がいけないのかな。運動がニガテで、歌だって特別上手じゃないから?
ううん、アイドルちゃんって、そういうものじゃない。そう信じたい。
だとしたら、ありさは結局アイドルちゃんのファンにしかなれない、自分がアイドルちゃんになるのは向いてない子だったのかな。そうだとしたら、悲しいな。
アイドルちゃんって、なんだったっけ。
すぐに、答えられたはずなのに。答えを疑うことなんて、しなかったはずなのに。
そういえば、最近はありさメモを書けてない。
ライブのたびに、新曲のたびに、果てはラジオ一つ聞いただけで色んなことを書いていたノートは、鞄の奥底に埋まったままだ。
劇場に入ってすぐのころなんて、箸が転んでもそれを書き連ねていたような気がする。
あの時は確かに湧き上がっていた言葉と熱量は、どこへいっちゃったんだろう。
「……まだ、残ってるかなぁ」
もぞりと布団を抜け出して、勉強机を漁ってみる。引き出しの中に大事にしまわれたそれは、すぐに見つかった。
大学ノートの下には学習帳、その下には自由帳、さらに奥底には、コピー紙をリボンで束ねたような紙束まで。
どの表紙にも、ありさメモと表紙に大きく書かれている。
アイドルちゃんノートとか、アイドルちゃん研究とか、添えられた言葉はそれぞれ違ったけど、どれもありさが積み重ねてきた好きの集大成だ。
全部引っ張り出して、ベッドの隅に積み上げた。うつ伏せでもう一度布団に潜り込んで、枕の上に一番上の一冊を開く。
「…………よかった」
ちゃんと覚えてる。
39プロジェクトのオーディションを受けるって決めた時に新調したやつだ。765プロのアイドルちゃんたちを改めてリサーチした内容がまとめられた一冊。
書かれていることはどれもアイドルちゃんとしての一面を切り抜いたものだったはず。
でも実際に先輩として接してみたら、その何もかもがありのままのあの人たちだったから驚いたんだっけ。
ぱらぱらとページをめくれば、39プロジェクトのみんなについても手当たり次第にリサーチした跡が見えた。
合格したことが嬉しくて色んな子に話を聞いていた記憶は残っているけど、文章にまで舞い上がった様子がにじみ出ているとは、書いた時には思いもしなかった。
こそばゆい気持ちになりながら、一冊、また一冊とありさメモを読み返す。
昔のノートに遡るほど、当然ながら文章も文字も、まとめ方も拙くなっていく。元より誰かに見せるつもりなんてないけど、それでもやっぱり恥ずかしい。
ああ、でも。楽しかった気持ちは、全部ちゃんと残ってた。
書き連ねた感想から、どんなライブを見たのかだって思い出せる。
時には忘れちゃってるものもあるけど、こうしてメモを読んで感じ取れるんだから、なかったことになんてならないよね?
小学校の頃に書いたであろう、アニメキャラが表紙に描かれた自由帳まで遡ると、流石に文字を追いかけるのも大変になってきた。
へたっぴな絵も増えてきて、さながら絵日記状態だ。
これ以上は、軽く流し読みするくらいにとどめようと飛ばし飛ばしにページをめくろうとして、ふと。
「あ……。ぷっ、はは……っ」
気づいてしまった。
描かれている絵に登場する女の子は、その多くが、茶色い色鉛筆で描かれた、細長い二本の尻尾を垂らしたような髪形をしているって。
ちゃんと文を読んでみると、アイドルソングを歌ったらパパがコールを入れてくれたとか、ダンスを覚えて真似てみたらママが驚いて褒めてくれたとか、そんなことばかり。
絵の中のありさはどれも笑顔で、眼鏡をかけた男の人も、やっぱり茶色で髪を塗りつぶされた女の人も、全部笑顔で描かれている。
ありさもアイドルちゃんになりたい。
探してみれば、たくさんたくさんその言葉が書いてあった。
きっと、アイドルちゃん好きのパパが喜んでくれるのが嬉しくて、もっともっと褒めてほしくて、そんなことをずっと思っていたんだろう。
ほんと、ばかみたいだ。これじゃあ今のありさより、パパとママ、たったふたりのファンのためにキラキラしてたありさの方が、ずっとアイドルちゃんしてるじゃないか。
笑いながら、ぽたりと紙の上に灰色の染みが落ちてしまったことに気づいて、大慌てでノートを閉じる。
丁寧に積みなおして、枕元に置いてあるお気に入りのぬいぐるみをぎゅーっ、と抱きしめた。
「…………がんばろ」
……大丈夫。もう何度も繰り返した言葉は、今度こそ本当だよ。
だって、ちゃんと思い出せたから。ありさが何を大切にしたくて、何を信じていたくて、何が好きなのか。
ぽふ、とそのまま横に倒れてベッドに体重を預ける。
涙は溢れてなかなか止まらなかったけど、気づけば意識は真っ暗に落ちていた。
*
結局、学校とレッスンはまるまる二日ほど休んでしまった。
もどかしい気持ちはあったけど、この二日間がなくちゃ見つからなかったものもあるってことは、ありさが一番わかっている。
オーディションの戦略を練るために調べた、流行や過去の合格者のデータは全部ゴミ箱に放り込んで空にした。
代わりに、ライバルのアイドルちゃんのオフィシャルサイトとか、SNSのアカウントとか、あるいはPVのブックマークとかがハードディスクの片隅にどんどんと積み重なっていった。
オーディションの当日まで、何か特別なことができたわけでもない。
公演のレッスンで毎日へとへとになって、自主レッスンを入れる余裕が生まれることはなかった。
ありさの実力はそんなもので、基礎体力の大事さを改めて痛感もした。
だけど、だからって負けても仕方ないなんて思うつもりはどこにもないのだ。
「ありさは今日まで、アイドルちゃんについて、沢山のことを考えてきました。……聞いて、くれますか?」
オーディションが始まる、そのほんの少し前。
会場へ向かう車を走らせるプロデューサーさんに言葉を向ける。
数秒を置いて、答えを聞く前に話し始めた。
「ありさ、わかったんです! ありさは……ありさは他のアイドルちゃんに勝ちたいわけじゃないんだ、って! だって、ステキでキラキラしてるアイドルちゃんに貴賤なんてあるわけがありませんからっ!」
「そうか。……それじゃあ、今日のオーディションはどんな気持ちで受けるんだ? 聞かせてくれないか」
とても穏やかな声だった。
ハンドルを握って、ありさの方は見ていないけれど、口元をほころばせている様子は窺い知れた。
言葉は、するするとありさの口からほどけていった。
「ありさは、アイドルちゃんが大好きですっ! アイドルちゃんを見てると幸せで、ありさもそんな風に誰かを幸せにしたかった……アイドルちゃんとして輝くために必要なのはたった一つ、その気持ちなんだって信じたい!」
「だから……ありさはアイドルちゃんが大好きなありさのままで、一番になりますっ!」
車が止まる。信号待ちのほんの少しの時間で、プロデューサーさんと目が合った。
「亜利沙、いい顔してるぞ。前回とは違うってところ、存分に見せつけてやろう!」
「はいっ!」
胸のドキドキを残したままオーディション会場に辿り着いて、その始まりを待っている。
周りにいるのはありさよりも実績と経験のあるアイドルちゃんたち。その一人一人が、ステージとは全く違った真剣さをはらんだ面持ちでじっと前を見つめている。
あんなに天真爛漫に見えたスパーク☆めいでんちゃんでさえ、大ファンのありさが初めて見る表情をしているのだ。
「…………ムフフ」
誰にもバレないように小さな笑みをこぼす。だってそれは、アイドルちゃんの激レアな姿に違いないのだから。
この場所にいる誰もが鋭く澄んだキラメキをたたえていた。
この前はそれを怖いって感じてしまったけど、それだってアイドルちゃんの魅力的な姿なんだって気づけたのだ。
「それでは、オーディションを始めます。そうですね……六番さん、皆さんを代表して意気込みをお願いします」
「はい! ……この場所にいる誰よりも輝いてみせます。私から、目を離さないでくださいっ!」
スパーク☆めいでんちゃん、やっぱりカッコいい……!
じゃ、なくて。背筋をぴんと伸ばして明朗な声で発された言葉が皮切りとなって、また一段と空気が張り詰めたように感じる。
緊張は……どうしてだろう、そんなに感じなかった。
ううん、本当は分かっているのだ。
緊張なんて感じている暇もないくらいに、他でもないライバルのアイドルちゃんたちから現在進行形で元気を貰っているって。だから、限界だって振り切れると思うのだ。
オーディションは指定された課題曲に合わせることを除いて、一切制約のないアピール合戦で行われる。
アピールの手段は歌でもダンスでも、ポーズや表情でも構わないし、タイミングも一人一人がその場で判断する。
だから、基本的にはどれだけ審査員さんの注目を集められるか、個性のぶつけ合いになるのが常だ。
ありさは他のアイドルちゃんと比べても地力で劣っている。
だけど、この混沌としたステージの中でオイシイ立ち位置を見極められれば、勝機はあると思うのだ。……そして、そんなことよりも。
ありさは、今日ここにいるありさ含めて六人のアイドルちゃんが共演する、きっと一生で一度しかないステージを、これしかないってカタチで完成させたい。
スパーク☆めいでんちゃんとご一緒できたことも……ううん、たとえそうでなくたって、この巡り合わせはキセキの賜物に違いないのだから。
これはあくまでオーディション……なんてったってありさがキラキラしなくちゃ始まらない。
でも、そのための方法はありさが好きにしていいし、もう、決まっていた。
音楽が始まってすぐに後ろへステップを踏む。
目立つことを考えるなら間違いなくマイナスの一手だけど、これで思い思いに立ち位置を決め、アピールの機会を伺うアイドルちゃんたちの動きに合わせられる。
ライバルのアイドルちゃんたちが一番得意で、一番自信を持ってるキメのアピールとその立ち位置。
何よりも魅力的な瞬間は全部、ありさの目と耳が覚えている。
だから、ありさは誰よりもみんなの動向に気を配って、それを最高に引き立てる場所でありさをアピールするのだ。
39プロジェクトの一員として劇場の公演をする中で、ありさは他のアイドルちゃんと綺麗に合わせるためのレッスンを積み重ねてきた。
ありさより歌が上手な子とも、体力があって運動神経がいい子とも、ちゃんと合わせられるようにって。
ありさの実力なんて、一緒にアピールを繰り返しているみんなには及びもつかないけれど、それでも審査員さんの視線をちゃんと集めていることが感じられた。
周りばかり見ていても、きっと不格好になってしまうだろう。だから博打にも似た先読みに従って踊り、歌い、ポーズを決める。
危うい行為のはずなのに、迷いなく身体が動いた。だって、信じてるから。
みんなカッコよくて、可愛くて、あるいは頼もしくすら感じられて……一番自分を魅力的に見せようとするその在り方に、ありさだってアイドルちゃんとして並び立ちたい、応えたいって思わされるから。
汗が額を振り切って雫になるのを感じる。上手く合わせ切れない場面も出てきてしまう。
集中力も判断力も、ありさの限界値をとっくにオーバーしているだろう。目に入った情報を処理しきれなくて、頭がぼうっとしてくる。
だけど、それでも、まだやれる。
落ちサビが終わる直前……ありさの最後のアピールは決まっているから。絶対にやりたいって決めてたことだから。
自分の立ち位置と、合わせたい位置だけを意識して、あとは身体に染み付いた感覚に任せる。
頭の中を流れる映像の通りにステップを踏み、ターンして、ラスサビの始まりに合わせてキメポーズ!
誰かの髪が背中をくすぐる感覚が、きっとうまくいったのだと信じさせてくれた。
「……っ!?」
すぐ耳元だから聞こえた、彼女が息をのむ音。
やった。踊ったのはスパーク☆めいでんちゃんのお決まりのキメポーズ。完璧にタイミングを合わせて、本人と背中合わせで完コピできたのだ!
アイドルオタクとして、彼女のファンとして、こんなに嬉しいことはそうないだろう。ありさがその光景を見られなかったことだけが心残りだ。
ぞくぞくする。他のアイドルちゃんと合わせてアピールした時にも感じたけど、その何十倍も大きな背筋を走る快感。
それをアドレナリンに変えて、勢いのまま最後まで走り切った。
曲が止まって、数秒。立っていることもできなくて、その場にへたり込む。
どっと疲れが身体と頭を襲ってきて、ああ、ムリしたんだなぁと改めて実感した。
「今回の合格者は、三番の方になります。他の方は申し訳ありませんが不合格、ということで」
やり切ったという感覚と疲れに押されて、受かりますように、なんて祈る時間もなく結果が告げられた。
胃がキリキリすることもなかったから、ある意味幸運だったかもしれない。
胸元の3と書かれた番号札を見やって……え、三番?
「え、ええぇぇーーーっ!? けほっ、けほっ」
無様に叫んで、大慌てで口元をふさいで。現実を直視できないまま深呼吸にも失敗してせき込む有様だ。
周りのアイドルちゃんたちはあきれ交じりの笑みとともにありさを見やりながら、席を立とうとする。
「あ、皆さんちょっと待ってくださいっ!」
慌てて呼び止めた。今回のオーディション、結果はどうあれやりたいことがもう一つあったのだ。
担当者さんにジェスチャーでお詫びして、一緒に戦ったアイドルちゃんたちに向き直る。
「サイン……頂いてもいいですか!? 今日、皆さんとお会いできるのが楽しみで楽しみで……ああっ、色紙は用意してあるので!」
みんなの視線に乗った感情が一層強まった。何言ってるんだコイツ、と訴えかけてくる感じ、ちょっとゾクゾクくるかも。もちろん、ありさは大真面目なのだけど。
エントリー番号が若い順から色紙を渡して、サイン会に来た時と違わないテンションでお喋りしながらサインをもらう。
始めこそ置いてけぼりな様子だったアイドルちゃんたちも、すぐに心得たとばかりにノってくれた。
最後の一人、スパーク☆めいでんちゃんにも、緊張しながら色紙を渡す。
何から話そう。オーディションで負かした直後なのに、何を話していいんだろう? もう四回繰り返したはずの行為に、今更ながら混乱してしまう。
……やっぱり、目の前にいる子はありさにとってどうしようもなく推しのアイドルちゃんなんだな、って自覚した。
「ねぇ、あなた。……松田、亜利沙ちゃん? もしかしなくても私のファンだよね?」
「うえぇっ!? は、はははい、大ファンですぅっ! じゃ、なくって……その、やっぱりバレちゃいますかね?」
「そりゃあ、あんなにバッチリ振りコピされちゃったら、流石に分かっちゃうかなあ」
「う、うぅ……オーディションを受けるって決めてから、本当にびっくりして、どうしてもやりたくなって……あ! この前のアニバーサリーも行きましたよっ! すっごくキラキラしてて、とにかく、よかったです!」
「え、ホント? うーん……なんだか不思議な気分かも。オーディションに来たのに、こんな風にサインなんてしちゃってて」
時にサインの手を止めて、身振り手振りを交えながら答えてくれる彼女は、本当にサービス精神旺盛というか……ううん、これが素なんだとありさは思っている。
それでも、普段より多くの時間を割いてもらっていることは間違いなくて、役得だなぁと感じずにはいられない。
「……その、いちばんありさの心に残ったのは、負けない! って宣言した時のスパーク☆めいでんちゃんの姿でした。オーディションを受けるって決めたのも、それがきっかけで……」
言おうかどうか迷っていたこと。きっと余計な一言。
だけどやっぱり、ウカツにも口に出してしまおうと思ってしまうのだ。
目の前にいる、大好きなアイドルちゃんへの偽らざる想いとか、そういうものをまるごと乗せて。
「ありさも、アイドルちゃんとして……これでいいのか、って思わされたんですっ! オーディションの最中も、目を奪われて、最後までやり切る力を貰いました! 虹色スパーク、ありさの胸の中に響いてます!」
きょとん、と。彼女はありさの方をじっと見て。その瞳に目を奪われてしまった。
「……そっか。あんな風に宣言して、敵に塩送って、負けちゃったか。……悔しいなぁ……っ、もー!」
ほんの一瞬、困ったように笑った彼女は、言葉の勢いと一緒にペンを滑らせた。
さっきまでの態度とは打って変わって少し乱暴に色紙をありさに押し付けてくる。
「はい、どうぞ! みんなが……ううん、私がサインを受けたのは、オーディションの中で、あなたのその気持ちが本物だって感じたから。あんなアピール方法、上手くいったのが奇跡だって思うけど……なんて、こんなの負け惜しみだ」
「でも、次は絶対負けないから、覚悟しておいて!」
くるりと踵を返して、返事も待たずにスパーク☆めいでんちゃんは去っていった。
負け惜しみと言っていたけれど、彼女の言葉はもっともだとありさも思う。
ライバルに対してこんな言葉を使うのも不思議だけど、みんなのおかげで勝てたのだから。
五枚の色紙をぎゅっと抱いて、ずっと待っていてくれた担当者さんに改めてお騒がせしましたと謝った。
ちょうどやってきたプロデューサーさんも一緒になって頭を下げて、そんな最中さえアイドルちゃんたちの顔が離れなかった。
改めて、頑張ろうって強く思った。
貰ったのは、オーディションを受けるって決めた時の想像を遥かに超える大きなエネルギーだった。
*
「ぷ、プロデューサーさん……これ、本当にありさのソロ公演ですか!? うぅ、ね、熱気が……」
「もちろん。亜利沙が頑張ったからこその満員御礼だ!」
開演を目前に控えたありさの公演は、舞台裏にも人の気配がはっきりと伝わってくるほどの動員数になっていた。
確かに、空き席が目立ってしまう中での公演は嫌だと思っていたけど、ここまでの成果は想像していなかった。
「オーディションで受けた番組が評判よかったことは知ってますケド……でもでも、流石に緊張しますー!!」
だから、こうやって泣き言を漏らしてしまうのだって仕方がない。
自己を正当化するありさに対して、プロデューサーさんはつれない態度で笑った。
「亜利沙なら大丈夫さ。自分でも、ちゃんとわかってるだろう?」
「うぅー……」
今日はやけにプロデューサーさんが優しくない。
ただ単に土壇場でしり込みしているだけってことをわかっているなら、そんな風に言わなくても励ましてくれたりとか、期待していいと思うのに。
「……ああ、そうだな。俺から言えることは何もない。ありさが見つけたものを、輝かせてくればそれでいいんだ」
「……プロデューサーさん」
ありさの視線から逃げようとするプロデューサーさんに気づく。
……そっか。助言とか、励ましとか、求めるのが筋違いなのだ。
今、ありさが逃げ出さない理由は、ありさが自分で掴んだものだから……少なくとも、プロデューサーさんにはそう見えているはずだから。
弱音を吐いたってプロデューサーさんを不安がらせてしまうだけで、何にもなりはしない。だから、ありさにできる限りのアイドルスマイルを浮かべた。
「『こちらアイドル!』……レスポンスはOKですか? ありさは、いつだって飛べますよー!」
「……ああ! 期待してるからな!」
公演開始のブザーが鳴り、歓声が響く。
どんなステージでも変わらない光景。それなのに、何度だってドキドキしてしまう。
でも、今日のありさはステージに立つアイドルちゃんだ。
期待する気持ちを誰より知っているから、それに応えたいって思う。そういう気持ちを大事にしたいアイドルちゃんなのだ。
ステージにも、観客席にもいるありさだから、二つの場所を強く強く繋ぎたい。
最初の挨拶は、もう決まっていた。
「みなさーん、ご来場いただきありがとうございますぅ! コールの準備はできてますかー!? 覚えてなくても大丈夫、ありさをマネして、みんなに合わせればOKです! じゃあじゃあ、さっそくやっちゃいましょう!」
「A・R・I・S・A!!」
――A・R・I・S・A!!
びく、っと身体が跳ねてしまった。こんなに大きなコールをこの身に受けたのは初めてだ。
やばい、嬉しい。これだけ沢山の人がありさの名前を呼んでくれてるなんて、そんなの、調子に乗ってしまっても仕方がないだろう。
「ふおぉ……! いいです、いいですよ! 初めましての方もわかりましたか? それじゃあもう一回、A! R! I・S・A!!」
――A! R! I・S・A!!!
「くぅ~! 今回の公演、ずーっとそのパワーでお願いしますねっ! ありさも、一秒だってタイクツさせないステージを約束します! 一曲目、いきますよー!」
開幕MC、もうちょっと時間取ってなかったっけ。
舞い上がって予定が若干トんじゃってるけど、きっと大丈夫。舞台裏からストップがかからない限りはある程度好きにやっていい、はず。
だって、プロデューサーさんやスタッフさんがありさのステージを支えてくれているのだから。
大きく息を吸って、曲名を高らかに叫ぶ。
「チョー↑元気Show☆アイドルch@ng!」
返ってきた歓声に応えるべく、ありさは大きく跳ね、歌い始めた。
最初のコールの時点で確信があった。公演の前の日、楽しみで眠れないなんてお約束と一緒にベッドに寝転がっていた時にはもう予感していたかもしれない。
それがありさを一切裏切ることなくやってきたのは、最後の曲であり、もう一つのありさだけの曲を前にしたMCの最中だった。
「今回の公演、ソロで心細かったりもしましたケド……っ、みんなのおかげで、ここまでやり切ることができました……って、まだもうちょっと続きますがっ!」
声が震えた。このままじゃ、絶対泣く。完膚なきまでにボロ泣きする。
客席にいるみんなを見ているだけで、なんだか報われたみたいな気持ちになって、感極まってしまうのだ。
アイドルちゃんになってよかったと、こんなにもあっさりと感じてしまう。
だってみんな楽しそうで、どこか慈しむような優しい雰囲気を感じてしまって、それは、それは。
「え、っと、最後の曲は……なんとっ、新曲ですよー! っ、みんな、存分に盛り上がって……うぅ、うぅー……!」
決壊寸前だった。と、いうより既にアウトと言っていいだろう。
涙声なのはバレバレで、言葉だってぶつ切りだ。まともに喋れているとは到底言えない有様になっている。
がんばれー、と誰かが言った。
それはどんどんとみんなに波及していって、会場全体がありさへのエールで包まれる。だから、そういうのは、ほんとに。
「やあぁん……ダメ、ですよぉ……! ありさ、ありさは、アイドルちゃんを応援する、気持ち……すっごくすっごく知ってるから……みんなの気持ちもたくさん伝わってきちゃいますぅ……!」
それはいつだってありさがステージへ向けていた気持ちと何一つ変わらないものだから、わかりすぎるくらいにわかってしまうのだ。
どれだけ愛おしく、嬉しく思いながら、ありさの言葉を聞いてくれているのか。
だって、どうしようもない。
ありさはステージの上のアイドルちゃんとしてこんなにも感極まっているのに、アイドルちゃんファンとしてそんなアイドルちゃんを見ている時の感動にも共感しちゃう。
そんなの、ガマンできるはずなんてないのだ。
「ぐすっ、ぇぅ、ありざ、しあわせですぅ……!」
ありさはどうやら、ステージ上で涙をこらえられないタイプのアイドルちゃんみたい。
それでも、泣いているよりもアイドルちゃんとして歌い踊った方が、ずっとずっとこの気持ちを伝えられるって思うから。
「……しんみりするのも、余韻にひたるのも、LIVE終わりが一番ですからっ……みんな、最後までっ!」
嬉しいって歌おう。楽しいって踊ろう。幸せって叫ぼう。いくよ? いくよ!
「Up!10sion♪Pleeeeeeeeease!」
最後の最後まで、ありさを見ていて!
だって、ありさこそが、このステージの主役……みんなを飛んでいっちゃうくらいにアゲちゃうアイドルちゃんだから!
問答無用で楽しくなっちゃうアップテンポな音楽……それは、歌っているありさも例外じゃない。
小気味良いリズムで揺れるサイリウムの光が、もっともっとと急かすみたいだ。
ステージの端から端まで手を振りながら駆け抜ける。
飛んで、跳ねて、残っているパワーを全部使って夢中になって踊っていると、どこかふわふわとした浮遊感が本当に夢の中にいる気分にさせてくれる。
でもこれは紛れもない現実で、だからこそそれがすごくすごく楽しい!
当然、コールアンドレスポンスだって忘れちゃいけない。
声の限りに叫べば、その何十倍、何百倍の力でありさの名前が返ってくる。だから、それにだって負けないくらいにもう一度叫ぶのだ。
やっぱり、アイドルちゃんはコールに力を貰ってるって実感する。
名前を呼んでもらえることが、自分だけの曲に合いの手を入れてもらえることが、たまらなく嬉しくて、お返ししたくなっちゃうのだ。
ラスサビ、最後のカウントダウン……でもきっと、それはおしまいへ向かっていくだけのカウントなんかじゃないと思うから。
だから、まだ見ぬ未来への期待を込めて、高らかに歌おう。
ファンのみんなが曲の終わりまで楽しんでいられるように。
ありさを見届けてくれるように。歌い上げ、ダンスも完璧にキメて、そして……曲の終わりは、ついに訪れた。
「すぅ……ありがとうございましたーっ!!」
何もかも本気の感謝と一緒に深くお辞儀をして、ありさの公演は歓声の中で幕を閉じた。
しばらくの間、ぼーっとして頭の中がまとまらなかったけど、とりあえず。
今はこれ以上が浮かばないくらい、大満足であることだけは確かだった。
*
久しぶりに、ありさメモを新調した。
前のノートもついに最後の一ページまで埋まってしまったから、また一段、机の引き出しに積み上げられた。
新品のノートを開き、一ページ目にペンを走らせていく。
表紙の裏側、硬い紙の質感に文字を刻む儀式は、このノートから習慣にしようと決めている。
『アイドルちゃんName:松田亜利沙 ありさはアイドルちゃんが大好きですぅ♪ 目指せ、トップアイドル!!』
おしまい
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